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These Boots Are Made for Walking by Nancy Sinatra (OST  『フルメタル・ジャケット』より) その1
タイトル
These Boots Are Made for Walking
アーティスト
Nancy Sinatra
ライター
Lee Hazlewood
収録アルバム
Stanley Kubrick's Full Metal Jacket (OST)
リリース年(オリジナル45)
1965年
他のヴァージョン
Billy Strange, Lee Hazelwood, the Ventures, the Supremes, Beau Brummels
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だれしも勘違いからは逃れられないのですが、ブログをやっていると、それを公表してしまうので、だんだん神経質になってきます。

f0147840_16171877.jpgこのブログの最初の記事で、馬鹿みたいな間違いを書いたことに、いまになって気づきました。記事自体の出来が気に入らないので、いまさらご覧にならなくていいのですが、June Nightという曲が2ヴァースだけだったので、以前読んだ、ナンシー・シナトラの回想記“Sinatra, My Father”の一節がふとよみがえり、そのことを書いたのです。シナトラが娘に「2ヴァースの曲はベストだ」といったというのです。

この一節だけ記憶していて、その理由は覚えていなかったので、わざわざ原文にあたったのに、それでもまだ自分の勘違いに気づかなかったのだから、呆れます。シナトラはナンシーにこういったのです。“The song with the two verses is the best.”定冠詞を無視するなんて、どうかしていると思いますが、やっぱりこのへんが外国語、ボンヤリしていると、勘違いをしてしまうのでしょう。

1965年、ナンシーはリー・ヘイズルウッドのプロデュース、ビリー・ストレンジのアレンジによる、So Long Babeではじめてビルボードにチャートインします。しかし、この曲は本命の曲が完成するまでの、いわばつなぎでした。

デビュー以来、4年以上まったくヒットが出なかったナンシーのために、リプリーズのジミー・ボーウェンは、新しいA&Rとして、ディノ・デジ&ビリーにヒットをもたらした、プロデューサーのリー・ヘイズルウッドとアレンジャーのビリー・ストレンジのコンビを紹介します。リーとビリーはナンシーの家にきて、候補となる曲を聴かせました。このときに、たまたまフランク・シナトラが来ていました(ナンシー・シニアとは離婚していた)。ビリーとリーが提示したデモのなかで、ナンシーは2ヴァースしかない曲が気に入り、サード・ヴァースを書き足してくれ、とリーにいいました。

リーとビリーが帰ったあとで、シナトラが「(おまえのいうとおりだ)あの2ヴァースの曲がいちばんいい」といったのです。なにをどう読んだのやら、わたしはここで大ボケをかましてしまったわけです。2ヴァースの曲一般についての話ではなく、「さっきの曲のなかでは」“あの2ヴァースの曲”がいい、という意味だったのに!

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左からリー・ヘイズルウッド、ナンシー・シナトラ、ビリー・ストレンジ

ということで「その2ヴァースの曲」、These Boots Are Made for Walkin'が今日の曲なのです。いや、もちろん、ナンシーの注文どおり、リーがヴァースをひとつ書き足した(サード・ヴァースではなく、新しいセカンドを書いて、中間に挿入した。この変則的なセカンドの出来が非常にいい)ので、できあがったものは3ヴァース構成ですけれどね。

いまでも忘れないのですが、邦題は「にくい貴方」という生まれもつかない代物でした。バックネット直撃の大暴投、まったくかすりもしないほど遠く外れています。「このブーツは歩くためにできている→浮気ばかりしていると、あんたをこれで踏んづけて、出て行ってやるからね」という意味の歌です。

◆ 1968年ヴェトナム戦争の旅 ◆◆
1987年製作のスタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』(「装甲弾」と記憶していたが、改めて調べたら「完全被甲弾」という訳語のほうが適切らしい。いずれにしても弾丸の種類)は、忘れられない映画です。映画が、というより、ナンシーのことを思いだし、そのままタワーに行って、ライノから出ていたベスト盤を買ってしまったためにです。それほど鮮烈な再会でした。もちろん、映画のなかでの使い方がうまかったので、強い印象を受けたわけですが。

キューブリックの代表作、『2001年宇宙の旅』が、簡単にいえば「あなたを宇宙に連れていってあげましょう」という映画だったように、『フルメタル・ジャケット』は、「あなたをヴェトナム戦争につれていってあげましょう」という映画です。その意味で、じつに怖い映画でした。キューブリックの前作『シャイニング』(1980)は気味の悪い映画ではありましたが、怖くはありませんでした。撮影がみごとで、画面が流麗でしたしね。

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ステディーカムを使ったこの空撮によるオープニング・シークェンスには圧倒された。30年たったいま見ても、やはりすごい。

同時期に、やはりヴェトナム戦争をあつかった『プラトーン』(「プラトゥーン」と発音するのだが!)という映画を見て、ひどく安手なメロドラマだったので呆れ果てました。どこといって変わり映えのしないありふれた「感情」をテーマに、観客の感情を操作するだけのもので、ヴェトナム戦争の当事国以外には、なんの価値もありません。みんなつらい目にあったなあ、といって、手に手を取って泣き合っただけのマスターベーション映画です。

『フルメタル・ジャケット』はそういう凡作とはまったく異なる、おそるべき「地獄の観光映画」でした。『地獄の黙示録』のような、つくっている人間自身がなにをしているのかわからなくなってしまった、大混乱ピンぼけ映画ではありませんし、『プラトーン』(プラトゥーンだっていってんじゃんか!)のような、お涙頂戴アホ映画でもありません。

f0147840_16482177.jpg『フルメタル・ジャケット』は、ただ淡々と「戦場にいる」(映画のなかではI'm in the world of shit、「クソのなかにどっぷりつかっている」と表現される)とはどういうことかを描いています。つまり、プラトゥーンのように、二束三文の象徴性をもたせようとして、メロドラマティックな手法を使うことはなく、ごくふつうの人間が、ふつうに戦争に行って、ふつうに仲間と助け合いながら淡々と戦闘行動をしても、やっぱり戦争はとことん恐ろしい、という映画なのです。キューブリックのような大監督と三流監督(プラトゥーンの監督の名前がどうしても出てこない)では、映画の作り方がまったくちがいます。いや、世界をどう見るかという根本的なところで、もう隔絶しているのです。ものごとを把握できない人間には、まともなものは作れません。

これは映画による戦争体験なので、『フルメタル・ジャケット』は、ブート・キャンプに入るために新兵たちがバリカンで坊主にされるところからはじまります。冒頭で「あなたは徴兵された」と宣言しているのです。最初の40分間はブート・キャンプでの訓練期間です。ここで人間としての尊厳を完全に剥奪され、「クソの世界」がどんなものかを、教官にたっぷり思い知らされます。



「ゴーマー・パイル」というありがたくないあだ名をつけられた新兵が、爪の検査のときに私物箱に鍵をかけ忘れていたために叱責を受け、ついでに箱の中身を検査され、ドーナツが出てきてしまいます。教官のハートマン軍曹は、今後ゴーマー・パイルがヘマをやったら、あいつを罰せずに、かわりにおまえら全員を罰することにした、ゴーマー・パイルがドーナツを食べているあいだ、おまえたちは腕立て伏せだ、と命じるわけです。これはつらいでしょうねえ。

教官や仲間にいじめ抜かれたゴーマー・パイルは、精神に変調をきたし、自分のライフルに話しかけるようになります。そして前半のラスト、訓練完了の夜、教官を射殺し、自分もライフルの先端を口にくわえ自殺してしまいます。便器に坐ったゴーマー・パイル(クソの世界にいるのです)の死体のありさまに、うへえ、と思うまもなく、すっと画面溶暗。多くの観客が、狂気に陥った人間の心をのぞき込む長い緊張から解放されて、ここでひと息つきます。

そして、画面が真っ暗なままで、アコースティック・ギターのEのストロークが流れ、チャック・バーグホーファーのスタンダップ・ベースが、クォーター・ノートの長い階段をひとつひとつ8分で刻みながらEからAフラットまで降りると、キャロル・ケイのフェンダー・ベースがEで受ける、ハル・ブレインが4分のスネアのハードヒットで入ってくる――。一小節もいかないうちに、「ナンシーだ!」と心のなかで叫んでいました。

ずいぶん長いあいだ聴いていませんでしたが、このイントロを忘れるはずがありません。あまりにも有名で、本体そのものから分離不能になっているため、カヴァー盤も、ボー・ブラメルズ以外はみなこの下降ベースをやっているほどです。プロコール・ハルムのA Whiter Shade of Paleからバッハ・イントロを切り捨てられないのと同じです。こんなイントロがつくれたら、それだけでトップ20は確保、あとは中身と運しだいでトップも望める、というぐらいですから、ナンシーのこの曲はチャート・トッパーになりました。

◆ 悪いヴェトコンといいヴェトコン ◆◆
以下の動画では、冒頭の1秒ほどのあいだ、なかばフェイドしたものながら、死者のショットがあります。その旨をご承知のうえでご覧ください。観客に強いストレスをあたえる殺人と自殺のシーンがフェイドアウトし、一息ついた、その黒味のなかでチャック・バーグホーファーのベースが下降をはじめることが、このシーンのポイントです。それなのに、ほかのクリップはこの黒味を切ってしまっているので、なんの意味もありません。以下のクリップをあげた人だけは映画がわかっているから、直前のシーンからはじめています。ただし、音がひどく小さいので、ヴォリュームをあげてください。



昔見たときは、These Boots Are Made for Walkingを使ったのは、あの時代を象徴するにふさわしい曲だからということと、ツッパリ風の歌詞とこのシーンが符合するからだと思っていました。しかし、今回見ていて、「ブート・キャンプ」(新兵訓練)とのダジャレもあるのかな、と思いました。キャンプと実戦の中間に挟まれているからです。

しかし、なぜ「ブート」なのでしょうかね。軍靴をはじめて履くから? あるいは、コンピュータの「ブートストラップ・ローダー」というプログラムと同じような、ブートの用法なのかもしれません。いまでもマシンの起動を「ブート」というのは、ブートストラップ・ローダー、つまり、最初に「ブーツのつまみ革を引っ張りあげるように自分自身を呼び出す」プログラムが起動することから来ています。ブート・キャンプとは「初期起動訓練場」というニュアンスなのかもしれません。しかし、まあ、下手な考え休むに似たり、ご存知のかたは突っ込んでください。

音を聴くなら以下のクリップをどうぞ。



ナンシーを紹介しているのはライチャウス・ブラザーズのボビー・ハットフィールドです。トラックはリリース・ヴァージョンと同じものですが、ヴォーカルはちがいます。こういうときにカラオケをバックにライヴで歌うこともなくはありませんが、まあ、ふつうはプレスコです。スタジオではフランジングでナンシーの声を太らせたそうですが、なるほど、盤とこのときの声はだいぶちがいます。

この映画はとんでもない台詞がいっぱい出てきますが、いちばん有名なのはつぎのシーンのものでしょう。Get someという叫びは「喰らえ!」といったあたりの意味です。



射手「逃げるのはみんなヴェトコンだ。じっと立っている(逃げない)奴はしつけのいいヴェトコンだ」(どうやってヴェトコンと非戦闘員を見分けるのか、という疑問に答えているという想定。ジョークがわからない人がいると困るので、くどくいえば、見分けたりなんかせず、全部殺すということ)
主人公「女や子どもも殺したのか?」
射手「ああ。たまにな」
主人公「どうしたら女や子どもを撃てるんだ?」(How could you shoot women, children?)
射手「簡単だ。狙いを前にしすぎないようにするだけでいい」(Easy. You just don't lead them so much.)

例によって、Howを使った疑問文の二重の意味を利用した台詞です。動く標的を撃つ場合は、動線を読んですこし前を狙う、というのはおわかりでしょう? 射手が「lead」とっているのはその「読み」のことです。マシュー・モダイン演じる主人公がいいたいのは、「どうしてそんな(無慈悲な)ことができるんだ?」ということなのですが、射手はHowを方法と解釈して、撃ち方のディテール――女子どもは足が遅いから、狙いが前すぎると当たらない、そこを微調整すれば女子どもも殺せる――を語っているのです。

この「How could you shoot women, children?」という疑問を、主人公はクライマクスでもう一度発することになります。ただし、こんどは他人にではなく、自分自身に向かって、心のなかでたずねるのですが。

あれこれよけいなことを書いて長くなってしまい、カヴァーを検討する時間もなかったので、2回に分けさせていただきます。以下、「その2」につづく。
by songsf4s | 2009-03-15 16:53 | 映画・TV音楽