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I Should Have Known Better by the Beatles(OST)
タイトル
I Should Have Known Better
アーティスト
The Beatles
ライター
John Lennon, Paul McCartney
収録アルバム
A Hard Day's Night (OST)
リリース年
1964年
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この年になって、半世紀のあいだに見た映画を振り返り、自分が見たもののうち、もっとも巨大な影響力があったものはなにか、と考えると、『ア・ハード・デイズ・ナイト』という答が3秒で出ました。世界を変えた映画、などというものがあるとしたら(ま、ないでしょうが!)、『ア・ハード・デイズ・ナイト』以外には考えられません。

ジム・マギン(のちのロジャー・マギン)がこの映画を見て、フォークなんかやっている場合ではないと、アコースティックからエレクトリックにギターをもちかえ、いわゆるフォーク・ロック・ブームが起きたのは有名です。あまり知られていませんが、マザー・マクリーズ・アップタウン・ジャグ・チャンピオンズという、ブルーグラス・バンドのバンジョー・プレイヤーだったジェリー・ガルシアが、バンド・メイトのロン・“ピグペン”・マカーナンとボブ・ウィアを捲きこんで、ウォーロクスというロック・バンド、すなわち、のちのグレイトフル・デッドを組んだのも、この映画のせいでした。

ふつうの人間もそうでしたが、あの時代、いくぶんか音楽にかかわりのあった人間のほとんどがエド・サリヴァン・ショウか、じっさいのライヴか、または映画でビートルズを見てショックを受け、相当数が考え方を変えたか、すくなくとも、時代が大きく変化しつつあることを知りました。もちろん、腹を立てた人もいますが、その代表格ともいえる人物はのちに映画監督になり、その作品のなかで、じつにアクロバティックな表現を使ってビートルズを否定しているので、それはその映画の音楽を取り上げるときに書きます。

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こちらは英国パーロフォン盤のデザイン。これがA Hard Day's Nightのカヴァーとしては国際標準。冒頭に掲げたのは当時の国内盤デザインの不出来なレプリカ。元はオデオン・レーベルで、上部に左右に広がる矢印があり、STEREOと書かれていた。後年のリイシューはアップルになってしまい、強い違和感があるが、オリジナルのいい写真が見あたらず、あきらめてリイシューのジャケットを頂戴してきた。どうせ模造品をつくるなら、まじめに模造してほしいものだ。

◆ 嗚呼、ファビュラス・シクスティーズ ◆◆
さすがに日付までは覚えていませんが、わたしがはじめて『ア・ハード・デイズ・ナイト』を見たのは1966年3月、小学校の卒業式は終わり、あとは中学に入るばかり、という春休みのある日でした。ところは横浜駅西口、相鉄映画街のどれかの映画館でした。いまではあのへんは再開発されて往時の面影まったくなく、残念でなりません。隣には日本楽器があり、映画とレコードのためにしばしばいった場所なので、目をつぶると、かつての佇まいが浮かんできます(中学2年のとき、なにかの代休があり、平日に仲間とこの映画街に行って、一回目の上映を待って外に並んでいたら、補導されそうになった。うちのバンドの4人全員ひとまとめ。クスリで逮捕されたドアーズか、ストーンズか、はたまたデッドか!)。

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年寄りの感傷はさておき、この日はたいへんでした。たしか、同級生4人で見に行ったはずです。10時ごろ入り、ジェイムズ・ボンド・シリーズ『サンダーボール作戦』を一回目の上映で見て、その後、どこかで昼食(食べた記憶がないところを見ると、昼食はとらず、映画館のポップコーンやポテトチップスでごまかしたか)。午後は同じ建物のべつの映画館でビートルズ二本立てという強行スケデュールでした。この年になると、映画は一日一本にしましょう、です。腰によくありませんよ。

この組み合わせ、ビートルズとジェイムズ・ボンドって、いま考えると、これ以上60年代的なものはないってくらいですな。もちろん、12歳のわたしは興奮しっぱなしでした。66年にはあと2回、どちらも夏休みにまたビートルズ二本立てを見ました。あのころは、学校が休みになると、あちこちの映画館で「ビートルズ大会」などと称して再映していたのです。どこそこにかかっているぞ、というと、すぐに数人の希望者が集まり、みんなで繰り出しました。話は飛びますが、やがてうちの学校ではジョアナ・シムカスがすばらしい評判を喚び、これまた、新宿でやってるぞ、などと情報が入ると、そのたびに数人で繰り出しました。わたしなんぞはノーといったことがなく、上映されるたびにかならず行ったように記憶しています。

しかしねえ、あの子どもたちのビートルズ映画に対する愛情はなんだったのでしょうねえ。いまだに明快に分析できません。こんなシーンでも、女の子たちは涙を流していたものです。



リンゴの髪の毛をつかもうとする女の子はパティー・ボイド、ジャンキーのギタリストが彼女のために中毒を悪化させ、こりゃどうにもたまらんといって、Laylaという曲を捧げた相手ですな。わたしがそばにいたら、この映画を見せてあげ、もとをたどればこういうパア子ちゃん、ちょっと可愛いだけの小娘なんだぜ、beauty is only skin deep、訳せば、「皮一枚下はみなしゃれこうべ」とテンプスも歌ってるだろうが、ギャアギャア騒ぐこたあねえのよ、と蒙を啓いてあげたのにねえ。まあ、恋する人間は基地外(筒井康隆の盗作なり)だから馬耳東風、いっても無駄でしょうがね。そもそも、考えてみると、しゃれこうべにだって美人不美人があるとかなんとか、わけのわからない反論をされそうだし……。とんと「野ざらし」ですな。

f0147840_15403391.jpgで、なんだったんでしょうね、あのビートルズという現象は。いまこうしてあのシーンを見ても、まったくわかりません。このシンプルな曲は、ビートルズを聴きはじめたころ、大好きだったことはよく覚えています。この映画のEPをもっていました。ギターコードを覚えはじめたときも、G-D-G-Dと繰り返すだけのこの曲のシンプルなヴァースをやりました。はじめのころは、長く伸ばしたIをどこで切ってshouldに移ればいいのか、そのタイミングがつかみにくかったことも覚えています。should have knownも発音しにくかったですな。いまなら深く考えずに、シュダノンと発音しますが、子どもは律儀ですから。

いま、うちのHDDを検索してみましたが、ほかのヴァージョンはビーチボーイズのものだけ。これはParty!収録なので、まじめなカヴァーとはいいかねます。ビートルズの楽曲としては、極端にカヴァーが少ないトラックだと思いますが、それも当然でしょう。あの時代のファブ・フォーじゃないと、魅力的に響かないタイプの曲です。

◆ リンゴのテーマ ◆◆
この映画ではじめて知ったことは、映像と音楽が結びついたときだけに生まれる、特別なエモーションというものが存在する、ということです。I Should Have Known Betterのシーンももちろんそうでしたし、このシークェンスもそうでした。



もちろん、これはThis Boyなのですが、OSTではRingo's Themeというタイトルでした。ジョージ・マーティンのアレンジとコンダクトだったと思います。ギターの音色がちょっとしたもんですなあ。こういうサウンドがつくれたら、もう勝ったも同然です。

いや、そういうことではなく、このシークェンスの叙情性は、画面のみでは生み出せません。というか、フッテージそれ自体に叙情性は埋め込まれていないのです。どちらかといえばコメディー・シークェンスです(古着屋の外での「失せな、チビ!」には恐れ入ってしまう)。ジョージ・マーティンがThis Boyをこのようにアレンジして、ここに嵌めこんだからこそ生まれた詩情です。

と、この場面のリリシズムを自明のもののように書いてしまいましたが、そう感じるのは、小学校六年のときの自分の日常に、このシークェンスがぴったり重なったからかもしれません。友だちがいない孤独な子ども、というわけではなかったのですが、塾に通っていて、六年の後半にはかなり嫌気がさし、たまたま繁華街のど真ん中だったので、よくサボって近くの映画館にいったり、夜の危険な町(いま思えば、あれは「娼婦とポン引きとやくざの町」だった)をただ歩きまわったりしました。そういうエスケープにはだれも付き合ってくれず、いつもひとりでした。この場面のリンゴを見て、だから、わたしはおおいに共感したのです。

◆ プレ・スコアリングで撮るということ ◆◆
この映画は基本的にはコメディーで、リンゴのエスケープ・シークェンスのようにリリカルなシーンはおまけです。感心するのは、世紀のアイドルを雑然とした状況において撮り、しかも、そこに独特の美とエモーションを生みだしていることです。上掲の手荷物や貨物が積み上げられた貨物車でのI Should Have Known Betterももちろんその一例ですし、つぎの長いクリップにあるIf I Fellの場面もそうです。



このクリップの後半にあるCan't Buy Me Loveの場面は、ファンの少女たちのために、「アイドルのグラヴィア」として撮影されたものですが、清新な感覚に満ちたショットの連続で、よくぞ撮ったり、といま見ても感心します。

ふつうはショットが先にあり、あとから音楽を加えるので、クウィンシー・ジョーンズのようなグルーヴ音痴でなければ(いや、ひょっとしたら、映像のリズムというものがまったく把握できないフィルム音痴なのかもしれないが)、画面のリズムに音楽を合わせることができます。しかし、ビートルズ映画の場合は逆です。先に音楽があり、それに合わせてシーンを演出し、編集しなければなりません。これは映画の撮り方ではなく、プロモーション・フィルム/ヴィデオの撮り方です。レスターのように音楽を解する人間でないと、こういう映画の監督はつとまりません。そして、このようなシーンの作り方は、以後、さまざまな映画に大きな影響を与えることになります。そういう意味でも、『ア・ハード・デイズ・ナイト』はエポック・メイキングな作品でした。

最近の本では明示されているのかもしれませんが、いったい、だれがこのリチャード・レスターという、経験の浅い若い監督を選んだのかと思います。あの時期のビートルズなので、どんな愚作でも世界中で爆発的にヒットしたにちがいありませんが、この年になって見ても退屈せず、しばしば笑い声を立てられるのはじつにありがたいことで、それはもっぱらレスターの力によるものです。さしたる意図はなく、ほとんど偶然のように選ばれたのだとしたら、どえらい幸運でした。そういう幸運の連鎖がなければ、そもそもビートルズ現象は起こらなかったでしょうけれどね。

今回はなにも映画を見ていなくて、苦しまぎれにビートルズを選びましたが、たぶん、次回も彼らのサントラを扱うことになるでしょう。

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by songsf4s | 2009-02-28 15:45 | 映画・TV音楽