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The River Kwai March/Colonel Bogey (OST) (『戦場にかける橋』より)
タイトル
The River Kwai March/Colonel Bogey
アーティスト
OST
ライター
Malcolm Arnold
収録アルバム
The Bridge On The River Kwai (OST)
リリース年
1957年
他のヴァージョン(Colonel Bogey Marchを含む)
Mitch Miller, Jack Marshall, Edmundo Ros & His Orchestra, Arthur Lyman, the Three Suns, Steve Douglas & His Men
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えー、毎度ばかばかしいお話をひとつ、お江戸は日本橋、浮世小路の料亭「百川」でほんとうにあったお話だといいますが、さあて、落語のことですから、当てになりますかどうか……。フル・ヴァージョンとは参りませんので、ハイライトのみどうぞ。

初五郎「まことにお口汚しで恐れ入りますが、仇のうちに来ても口を濡らさずにけえるもんじゃねえという。まあ、ひとつ召し上がっていただきてえんですが」
百兵衛「はあ、こりはまあ、ごっつぉうさんで……これはあんでがすか?」
「へ? へい、さようでごぜえます、餡です」
「いや、そうではねえ、これはあんちゅうもんかね、これ?」
「あんちゅう? えー、けして召し上がってお得になるようなものじゃござんせん。くわいのきんとんで、えー、ひとつ召し上がっていただきたいんですが」
「あーりま、これがくわえでごぜえますか? あーりまあ、野郎、化けやがったな、これまあ」
「どうも化けるのなんのとおっしゃられたんじゃ、穴があったら入らなくちゃならねえんで、けしてそういうわけじゃねえんでございますが、えー、あなたを男と見こんでお願い申しますんで、ま、おっしゃりてえことはござんしょうけれども、今日のところはなんにもいわず、えー、ま、ほんとうになんでございます、ご無理でもござんしょうが、ま、ま、おひとついかがで? この具合(くわい)は、へっへへへ、あなたにグッと飲み込んでいただきてえんでございますがな」
「すると、おらがこのくわえを飲み込むかね、これ?」
「ま、無理にも飲み込んでいただきてえんでござえますが」
「まっとー小ちゃっけなりなば飲み込めねえこともなかんべえば、こんなに、はあ、エケーもんじゃ、飲み込めるかどうかわかんねえ」
「あなたにいけねえおっしゃられちゃあ、こっちは立つ瀬がござんせんので、えー、男と見こんでお願いいたしますんですから、まあ、ひとつ、つぶさずにグッとのみこんでいただきてえんでございますが?」


◆ 桑田変じて滄海となり、名作変じて…… ◆◆
というわけで、本日は六代目三遊亭圓生の『百川』です。

「主人家の抱え人」と自己紹介したら、「四神剣の掛け合い人」と間違えられて、「河岸の若い衆」に腹芸の相手をさせられ、しまいには、「(委細は)ひとつグッと飲み込んでくだせえ」と押しつけられ、大きなのを丸ごと呑んで百兵衛さんが涙目になった、その「クワイ」のきんとんが今日の曲です。――なんて、そんなことがあるはずないでしょ。ここは音楽ブログ、落語ブログじゃござんせん。ほんとうは、デイヴィッド・リーン監督の『戦場にかける橋』のテーマが今日の曲です。

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四神剣(鎌倉にて)。そも、四神とはなにかというと「天の四方の星宿。また、その方角をつかさどる神。東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武をいう。四獣」と辞書にある。平城京、平安京はこの考え方でつくられている。写真左から玄武、白虎、朱雀、青龍。落語「百川」では、祭のあとの宴会で金が足りなくなり、つぎの町に渡さなければいけないこの四神剣を、魚河岸の若い衆が「弥七さん」に入れてしまったことから、百兵衛さんが「えけー」クワイを丸飲みしなければならないハメになる。

この映画、昔は名作といわれていましたが、いまはどうなんでしょうか。戦争に勝った西欧人は立派、戦争に負けた日本人は人間以下、橋ひとつ満足につくれる土木工学知識すらもたない猿(しかし、猿は立派な橋をつくる)という、この映画を成立させている大前提は、すでにリアリティーを失って久しいと感じます。戦争が終わってそれほどたっていなかったから、こういう強引な論理で映画を作れたにすぎないのでしょう。

いや、当時だって、人種にかかわらず、冷静な人が見れば、アヘン戦争を仕掛け、インドを占有した海賊ばらが一人前の文明人面しくさって、片腹痛い、と思ったことでしょう。考えようによっては、第二次大戦後、急速にぐらつきはじめた英国植民地主義を強引に肯定し直したみたいな映画です。

まあ、いまとなれば、桑田変じて滄海となる、名作変じて珍作愚作となる、てなあたりでよろしいでしょう。所詮、われわれ人間は時代のパラダイムから完全に解き放たれて思考することのできない動物であり、僅々半世紀でひっくり返るような歴史観でものを見ているのです。まあ、日本男児としては、まだ間に合うなら、デイヴッド・リーンと原作を書いた仏人ピエール・ブールに、お命頂戴、といいたいところですがね。

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わたしが幼児のころ、このシネマスコープが大流行して、わが家はしばしば上映設備の整っていた京橋のテアトル東京に通った。『これがシネマスコープだ!』を見ているとき、わたしが画面の飛行機をよけようとして頭を下げたというのは、いつまでも笑い話にされた。わたしとしては帰りに不二家に寄れるので、テアトル東京は好きな映画館だった!

しかし、ここで冷静になっていうなら、この映画のいいところは、関係者全員が例外なく愚かだということをエンディングで言明している点です。生き残った軍医が、イギリス人、アメリカ人、日本人の死体を見ながら、madness, madness, madnessとつぶやきつつ、ふらふらと歩きますが、観客も、なんと愚かな、なんと無駄な、という気分になります。

いや、戦争だけじゃなくてね、と愚かなわたしは思います。人間の所業はすべて愚行、色即是空、空即是色。橋をつくるということに象徴される「建設」という概念そのものが愚かじゃないですか。馬鹿でかい卒塔婆と墓石が立ち並んだ、世にもアホらしい巨大墓地のような東京の醜悪な姿をご覧なさい。建設、なんと凶悪な所業、と思いますぜ。

◆ 戦場にかけるボギー大佐の橋 ◆◆
それはともかく、音楽を聴きましょう。



これだけでは意味をつかみにくいかもしれませんが、開巻まもなく、ジャングルを走ってきた列車から降ろされたイギリス軍捕虜が、鉄道建設現場の捕虜収容所に入ってくる場面です。映画が進むとわかりますが、ボロは着ても心は錦、捕虜になってもイギリス人は誇りを失わない立派な国民である、というかなり疑わしい観念を強調するために、この捕虜たちは心弾む音楽とともに元気よく行進してくるのです。

この直後に、早川雪舟扮する収容所長の斉藤大佐が、いきなり理不尽なふるまいをします。そういうきわめて拙劣幼稚な対比です。デイヴィッド・リーンって、ほんとうに世間でいうような大監督なんでしょうか。あとは『アラビアのロレンス』しか見ていませんが、これまた立派なイギリス人の退屈な物語で、わたしは辟易しました。歴史観が単純すぎます。あの時代の人間は単純だったのか、またはリーンが、観客というのは幼児と同じで、複雑な観念は理解できないと見下していたのでしょう。

映画のことをあげつらいはじめると終わらなくなるので、音楽に集中します。しかし、この曲、ややこしいのですよ。ご存知のかたも多いでしょうが、表のメロディーはColonel Bogey Marchという昔からある曲で、マルカム・アーノルドという「サー」がくっついた(こういうところもイギリス人というのはいちいち癇に障る)作曲家のものではありません。

じゃあ、どこがアーノルドが書いた部分かというと、これです。



もう一度、最初のクリップをご覧いただけるとおわかりになるはずですが、初めのほうの、口笛だけでプレイしているメロディーが「ボギー大佐」部分、最後のほうでブラスバンドがかぶせられますが、これが「クワイのきんとんマーチ」もとい「クワイ河マーチ」とまあ、そういう構成になっています。

つまり、「ボギー大佐」のコードに載せて、それと矛盾しないカウンターメロディーを追加したわけです。わたしは無知で知りませんでしたが、音楽用語としては「カウンターマーチ」という言葉があるそうで、お好みなら、カウンターメロディーではなく、そちらをお使いください。軍隊用語ではカウンターマーチというのは後退行進、逆行行進になっちゃうでしょうけれど。

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なんとか裏を取ろうとがんばったが、力およばず、未確認で記憶のままに書く。ハリウッドの撮影所にはかならず「セッシュー」というものが用意されていたそうだ。なにかというと、踏み台のこと。背の低い主演男優が、背の高い女優との2ショットで、その差を相殺する必要がある場合などに使われたという。早川雪舟が使いはじめたことからSessueと名づけられ、以後、カーク・ダグラス、ロバート・レッドフォードなどに愛用されたとか。ダスティン・ホフマンも必要のように思うが、彼は背が低いままで演じたのだろう。ダニー・デヴィートといっしょ。写真は、『戦場にかける橋』で、早川雪舟扮する斉藤大佐と、アレック・ギネス扮する名前失念イギリス軍大佐がはじめて顔を合わせるシーン。雪舟大佐は、訓辞のために、公然とセッシューに載ったわけで、テイクの合間にはケラケラ笑っていたのではないか。

たしかに、いわれてみると、マーチにはしばしば「裏メロ」がありますな。いまになってこんなことをいっているようじゃ、中学高校のとき、まじめなブラスバンド部員ではなかったことがバレバレですが。いや、わが母校のブラバンは、鳶が鷹を生んで、その後、コンクール入賞の常連になり、一度だけ聴くチャンスがあったときは、あまりのうまさに、創部時の部員だった先輩は赤面し、大汗をかきました。

この映画のおかげと、ミッチ・ミラーのMarch from the River Kwai and Colonel Bogeyというシングルがヒットしたおかげで、この曲がハイブリッド構造をとっていることがあいまいになってしまったそうで、クワイ河マーチとボギー大佐はしばしば混同されて演奏されるそうですが、まあ、仕方ないでしょう。わたしだって、『戦場にかける橋』の音楽として記憶していたのは、ボギー大佐のメロディーで、アーノルド作のクワイのきんとんのほうは記憶から飛んでいました。



映画のなかでは、傷病兵たちから労役の志願者を募って兵舎から出て行くシーンでクワイ河単独、終盤、橋が完成して渡り初めとなり、イギリス兵が行進するところでは、両者が合成されたヴァージョンが流れます。

◆ ジャック・マーシャル、ミッチ・ミラー、エドムンド・ロス ◆◆
以前、『第三の男』のときに、キャピトルのプロデューサー、ジャック・マーシャルのSoundsvilleというアルバムに収録されたヴァージョンを取り上げました。そのアルバムのオープナーがThe River Kwai Marchとなっていますが、これは「ボギー大佐」です。「クワイ河」部分はオミットされています。まあ、途中からピアノのインプロヴと管のオブリガートになってしまい、どちらとも無関係になるのですが。

f0147840_19575469.jpgそれはそれとして、全編で大活躍するシェリー・マンのブラシが派手でなかなか楽しめます。ミスも多いのですが、そのざらつきのあるところがかえって魅力的です。ベースはジョー・モンドラゴン(こちらは60年代の盤でもおなじみ)とマイク・ルービンとなっていて、どちらか判断できませんが、グッド・グルーヴです。マーチらしいところはどこにもない軽快なヴァージョン。

これを聴いていて思いましたが、『第三の男』のときにマーシャルのギターを褒めたのは勘違いだったかもしれません。この曲ではギターはコードを弾いているだけで、ぜんぜん目立たないのです。ということは、これはギタリストとしてのリーダー・アルバムではなく、バンド・リーダーとしてのアルバムなのでしょう。よって、『第三の男』のすばらしいギターは、マーシャルではなく、バーニー・ケッセルである可能性が高いと思います。あとで『第三の男』の記事を修正しなければ、と、こういうことを毎度思うのですが、ほとんどみな忘れています!

ミッチ・ミラー盤は、ヒットしただけあって、なかなかよくできています。ただ、マーチング・ドラムがやや鈍重で、もうすこしearlyな人が軽快に叩いていたら、はるかにすばらしいヴァージョンになっていただろうと思います。このドラマーはbit late。ヴァースでは口笛によるボギー大佐部分のミックスをオフにし、管によるクワイ河を前に出しているところが、ミッチ・ミラーのプロデューサーとしての「誠意のあらわれ」ですかね。

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エドムンド・ロスは、イントロがブラスバンド・アレンジなので、ウッソー、とあわてますが、ヴァースに入ればもちろんラテンです。これはタイトルがボギー大佐なので、クワイ河とは無関係です。中盤のピッコロとマリンバのコンビネーションがちょっとしたものですし、カウベルで畳み込んでくるところはホット。わたしはラテン不案内未熟者ですが、ロスの盤はかなり好きです。

◆ アーサー・ライマン、スリー・サンズ、スティーヴ・ダグラス ◆◆
f0147840_2084024.jpgアーサー・ライマンはエキゾティカの人だから、そうなって当然とはいえ、いきなりバード・コールが登場するボギー大佐は、かなり珍です。ファースト・ヴァースのテンポは緩く、タイトルからマーチという言葉を削除したほうがいいようなアレンジで、兵隊が橋を造るのをサボって、ジャングルで遊んでいるみたいなムードがあって面白いのですが、ブリッジ、セカンド・ヴァース以降のアレンジは「なんじゃこりゃ」状態で、野暮天野郎のコンコンチキ。こういう垢抜けないところがこの人の面白さかもしれませんが、やっぱり一流にはなれないなあ、と思います。江戸っ子の生まれそこない金を貯め、はカンケーなくて、なんというか、お江戸では通用しない、ひなびた漁村の村祭りアレンジ。

f0147840_208579.jpgスリー・サンズはいつもアコーディオンが前に出すぎになるところがいただけないのですが、彼らのボギー大佐の冒頭は、タムとコンサート・ベース・ドラムのコンビネーションによるリズム・アレンジが楽しく、ブリッジもこの調子で楽しいアレンジがつづけばかなり高得点だったのですが、あきまへん。面白いのはヴァースだけ。いつも、チラッとしか出てこないギターはこの曲でもおみごと。ギター中心でやってみようとは思わなかったのでしょうかね。いつ聴いても不思議に思います。

トリはスティーヴ・ダグラス&ヒズ・メン。当家のお客さんのおひとり、Wall of Houndのオーナー、「O旦那」こと大嶽好徳さんが編集されたPhil Spector/Off The Wallという盤に収録されていたものです。いま盤が見あたらず、旦那のライナーを参照できず、申し訳ありません。いつも失礼なわたしとしては、必然的にスティーヴ・ダグラスより、ファースト・ヴァースのベース・ハーモニカが面白いなあ、とよそ見をしてしまいます(Wall of HoundのBBSによると、O旦那は最近、コルピクス時代のロネッツの盤を編集なさったそうです。まだ店頭ではないと思うのですが、リリースの節はどうぞよろしく。って、売れても旦那の懐は気温上昇しない?)。

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◆ 脱線転覆 ◆◆
ベース・ハーモニカというと、最初にちゃんと聴いたのはビートルズのFool on the Hillでしょう。ハーモニカの細かい種類のことは知らないので間違っているかもしれませんが、あれはベース・ハーモニカなのだと思います(プレイしたのはジョンとジョージだとマーク・ルーイゾーンのThe Complete Beatles Recording Sessionsにある。そういえば、ジョージがあれを吹いている写真がどこかにあったことを思いだしたが、残念ながら発見できず)。しかし、このときは「変な音」と思っただけでした。

ベース・ハーモニカの音にひっくり返ったのは、ブライアン・ウィルソンとレッキング・クルーの(世間では「ビーチボーイズの」というが、うちではこの「上もの」は40年以上昔から大の不人気で、しばしば存在を無視される)I Know There's an Answerを聴いたときです。ビートルズより早く録音しているのですが、わたしが買った順は逆だったのです。

そもそも、I Know There's an Answerを聴いたときも、これがベース・ハーモニカだとはわかっていたわけではなく、すげえ音だ、とビックリしただけです。低いところをヒットするときなどに、ブロオンとgrowlするところにすばらしい魅力があります。こういうのを聴くと、やっぱりサンプラーなんかで音楽をつくってはいけないとつくづく思います。

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ドラマはいただけないが、ロケにつかわれたセイロン島の風物はすばらしい。鳶か鷹でも飛んでいるのかと思ったら、コウモリ。小笠原オオコウモリも真っ青。なんとかフルーツコウモリというのが大きいというのをなにかで読んだが、それか?

それにしても、自分で自分を変な奴と思います。いま、ついでだから、Pet Sounds全体をプレイヤーにドラッグしたのです。どうせ三日後ぐらいにはPet Soundsの章を書かなくてはならないからです。で、Let's Go Away for a WhileやPet Soundsを聴いていて、美しいホーン・アレンジだなあ、としみじみとしました。さすがはブライアン、こういうのはお手のものです。

でもねえ、同じブライアンが同じような和声的展開をして、それをヴォーカルに適用すると、なんと退屈な、になってしまい、ヴォーカル・オンリー・トラックなんて4小節我慢するのが精いっぱいです(Pet Sounds Sessionsにヴォーカル・オンリーPet Soundsが入っているが、あれは冒頭をちょっと聴いただけでげんなりしてしまい、いまだに最後まで聴いたことがない!)。ホーン・アンサンブルはすばらしく美しいと感じるのに、似たような和声構造のヴォーカル・ハーモニーは大嫌いなのです。だから和声構造とは無関係の問題なのです。てことは、やっぱり、わたしは人間存在そのものが嫌いなのかもしれません!

いや、3パートまで、そして各人の声が聞き分けられるところまでは、人間の声も楽しめます。ビートルズですね。彼らの場合は、へえ、このパートをジョージが歌うとは意外だね、なんて、いまでもいろいろな発見をします。でも、4パートになって、だれがだれだかわからなくなると、もうダメなのです。ほら、キング・シスターズなんて、ものすごく声のいい人が一人だけいるじゃないですか。彼女の声がわかるアレンジはオーケイ、あの声が聞こえないキング・シスターズの曲にはなんの魅力もなく、死ぬほど退屈です。昔からアンドルーズ・シスターズが好きで、いまでもよく聴いているのは、やはりそれぞれの個性が粒だって聞こえ、ドロドロに溶けるまでブレンドされていないからです。

つまり、稲垣足穂やノーバート・ウィナーの「人間機械論」じゃなくて、人間の声は調整不能の人間くさいままにしておく、「番号なんかで呼ぶな、わたしには名前がある」というパトリック・マグハーン扮する囚人第6号の精神です。ルート、3度、5度、ナインスじゃなくて、ジョン、ポール、そしてジョージであってほしいのです。もっとも、あの囚人第6号はついに自分の名前を思い出せなかったのですが!

しかし、いまCaroline Noまでたどりついて思いましたが、ヴォーカル・オーヴァーダブ以前には、ほんとうに美しいサウンドですねえ。冒頭のヴァイブラフォーン、ハープシコード、スタンダップ・ベース、パーカッションの響きからしてもう「すごい」の一言ですが、途中から入ってくるフルートのアンサンブルがとほうもなく美しい。ヴォーカルと同じ考え方でアレンジしているはずですが、フルートだとなぜこれほど感動的なサウンドになるのか。やっぱり、わたしは人間嫌いという最初の結論をイキにするべきかもしれません。

今日は日本橋・百川からはじまって、セイロン経由泰緬鉄道(タイ=ビルマ鉄道)、ハリウッドからリヴァプールと、5時間世界一周の忙しい旅でした。尻取りとしては、つぎは80日間世界一周か、ビートルズになりそうですが、また、当てごととなんとか、向こうからはずれるかもしれません。

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戦争映画は破壊の美学、すばらしい爆破シーン。

by songsf4s | 2009-02-25 20:23 | 映画・TV音楽