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The Wrecking Crew Videos

今月になって更新を再開して以来、お客さんの数は減少の一途をたどり――なんて、まさかそんなことはないのですが、更新をさぼっていたころとほぼ同数で、ちょっと意気阻喪しかけていました。でも、ようやく「俺は背中」(I'm backを翻訳ソフト風に直訳してみた)がおわかりになったのか、この一週間は上向きで、胸を撫で下ろしています。

がしかし、それに気をよくしてどんどん更新、とはいかないのです。このところずっと、つぎの更新の材料にしようと思って見ている映画があるのですが、毎日使える時間は昼食の10分から15分程度、この映画は長尺の大作で2時間50分近くあり、しかも、内容が重かったり、ところどころ腹が立ったりで、昼食後も画面を原稿に切り替えずに、仕事をさぼって見つづけたいとは思わず、じつにもって捗らないことおびただしいのです。でも、あと30分まで来たので、次回の更新はこの映画のテーマ曲を取り上げられるでしょう。

それまでのつなぎとして、仕事の調べもののためにYouTubeで検索したものから、「レッキング・クルー」関係のクリップを拾ってみました。レッキング・クルーのストーリーは映画化されたので、これまた映画に無関係ではないのです。

◆ キャロル・ケイ・ヴィデオ ◆◆



f0147840_135744100.jpgFirst Lady of Bassというのは、キャロル・ケイのCDのタイトルでもあります(いや、いまたしかめたら、CDはofではなくonだった)。冒頭でいきなり、「なぜバンドのメンバーが自分で録音しなかったのですか」ときかれたペリー・ボトキン・ジュニアが"Coz they ain't play any good"「連中はまともに楽器なんかできなかったんだよ。たいていはまるっきり弾けなかったのさ。それだけの単純なことだよ」と、キャロル・ケイをはじめとするプロフェッショナルが影武者を務めなければならなかった理由を簡潔に、むくつけに、身も蓋もなく説明しています。これはそのまま引用させてもらうかな、とスケベ根性が動きました。そのとおり、満足に楽器が弾ける若造なんかいはしなかったのだよ、わかってるのかよ、おい>デイヴィッド・クロスビーおよびマイケル・クラーク。

そのあとのシークェンスは、大たばにまとめると、ペリー・ボトキン・ジュニアが説明したように、アレンジャーはコードしか書いてこなかったりすることもあるから(自分もアレンジャーじゃないか>ボトキン!)、プレイヤーは自分でアレンジした(譜面を書いた)ということで、ハルなどもいっているように、レッキング・クルーは、たんなるプレイヤー集団ではなく、それぞれがアレンジャーだったという話です。まあ、ロック・エラにおいては、リズム・セクションはアレンジャーの領分ではないのですが。

f0147840_1359598.jpg途中に、いまよりずっと若いキャロル・ケイが登場しますが(リッケンバッカー・ベースのシーン)、あれは教則ヴィデオからの映像です。いまもすごいものだと思いますが、あのころのCKさんはプレイがとんがっていて、とんでもありませんでした。教則ヴィデオでは、彼女の弾くベースやギターしか聞こえないのだから、レコードとは凄みが三段階ぐらいちがいます。圧倒されました。

モータウンについて、ドン・ピーク(60年代後半に活躍しはじめる、やや世代が下のギター・プレイヤー)が、「ウェブサイトなどで、キャロル・ケイはほんとうにモータウン・セッションをやったのか、ときかれる」といって、カメラに向き直り、「イエス!」と大声でいうところが笑えます。

最近の彼女のプレイは(本音をいうけれど、彼女に告げ口しないでね!)、ベースは鋭角的なところが消えてしまい、お年を召したなあ、と感じますが、ギターについては、それがいいほうに出て、やわらかい、気持ちのいいプレイとサウンドになったと思います。やっぱり、彼女にとって生涯の楽器はギターだったのかもしれません。そろそろ、California Creamin'以来、半世紀ぶりのギター・アルバムを録音する時期じゃないでしょうか。きっといいものができると思いますよ。高齢化社会の鑑になるちがいありません!

◆ 映画『レッキング・クルー』プロモーション ◆◆

The Wrecking Crew Film


映画「レッキング・クルー」のダイジェスト版のようです。ブライアン・ウィルソン、ハーブ・アルパート、ナンシー・シナトラ(おばあちゃんじゃなくて安心した!)、ジミー・ウェブ、シェール、ミーキー・ドレンズ、ディック・クラークといった錚々たる音楽人が、クルーの偉大さを説いています。

「What was nice about...the unit is that they played together a lot. And so they were an established groove machine.」というハーブ・アルパートの言葉は、「いただき」でした。こういう短い一言はうれしいですねえ。「完成されたグルーヴ・マシン」ですよ。「グルーヴ・マシン」、これをいただかなかったら、わたしは言葉の力を知らないボンクラになってしまいます。まさにレッキング・クルーは「完成されたグルーヴ・マシン」でした。アルパートがすこしためらってから、「ユニット」という言葉を選んだのは、「レッキング・クルー」などという名前はなかった、あれはハルがあとからでっち上げたものだ、と怒っているCKさんに配慮したのでしょう。

昔、編集をやっているころ、インタヴュー記事の原稿を読むときは、内容なんかそっちのけで、見出しに使える言葉を血眼になって探したものです。某有名CM監督の「いきなり足の指のあいだを舐めちゃうみたいなさ、そういうのがいいよね」というのにはゲラゲラ笑いつつ、「タイトルはこれかな。編集長は反対するかもしれないけれど」と思いました。もちろん、これでいいんだと突っ張り、この記事は「いきなり足の指のあいだを舐める」というタイトルで印刷されました。あっはっは。

f0147840_1421170.jpgわたしの頭のなかにあったのは、高校のときに見た『You...』(原題Getting Straight)という映画での、エリオット・グールドとキャンディス・バーゲンの不思議なベッド・シーンでした(文字どおり、いきなり足の指を舐める!)。あのCM監督も同じ映画を見ていて、それでこんな表現を思いついたのかもしれません。

あれっきり、二度と見ていないのですが、Getting Straightは面白い映画でした。同じ時期の、ある意味で相通じるテーマをあつかった『いちご白書』が、どうしようもないほど幼稚な観念に貫かれた救いがたいメロドラマだったのに対し、Getting Straightはもっとずっとリアルで、あの時代の多くの若者が苦しんでいたことを、苦いままに描いていた、と記憶しています。

『マッシュ』といい、『ロング・グッドバイ』といい、エリオット・グールドは非常に魅力的な俳優だったのに、なにがあったのか、その後何十年も干されてしまい、残念なことをしました。Ocean's Elevenの余裕もウィットもない不出来なリメイクで、久しぶりにグールドを見られたのですが、まったくわからないほど面変わりしていて、深いため息をつきました。えーと、なんの話でしたっけね?

The Wrecking Crew in Nashville Film Festival


レッキング・クルー映画がナッシュヴィル映画祭に参加したときの模様を伝えています。立ったままインタヴューを受けているのはトミー・テデスコの息子で、この映画のプロデューサー。アル・クーパーがキーボードを弾く不思議なバンド(レッキング・クルーっていわれても……)が、クルーがかつてプレイした大ヒット曲をライヴでやっているのが、なんというか、言葉に窮します。やっぱり、あの「バンド」のかなめはハル・ブレインのバックビートだったなあ、と思うのみ。

◆ The Live and Real Wrecking Crewmen ◆◆
偽装表示のレッキング・クルーのあとなので、本物のクルーのクリップを2種どうぞ。

Wild Tedesco


トミー・テデスコの、冗談か本気かわからない荒っぽいプレイ。80年代の収録でしょう。ときおり、電光石火のランが飛び出すのはトミーらしいところですが、ほんとうはピッキングも運指も、もっとずっと高速かつ正確です。トミーも教則ヴィデオを出していますが、ガットのプレイなんか、そこでちゃんとトミーが弾いてみせているのに、ほんとうに弾いているのかなあ、と疑ってしまうほどの信じられない高速ランが出てきます。指板を押さえている感じではなく、たださっと瞬間的にひと撫でするというぐあいで、ほんとうに速い、うまい、すごい。

Jan & Dean with Hal


これをアップした人は、当家にときおりコメントをお寄せくださるオオノさんだろうと思うのですが、全盛期のハル・ブレインのライヴが見られるめずらしい画像です。60年代のハルのライヴ・フッテージというのはほとんどなく(いつもスタジオにいたから、ライヴ自体をやっていない)、オオノさんがこれを発見なさったときは、ついに見られた! と感慨がありました。説明にあるように、右側の二人のギタリストのうち、客席から見て左側のプレイヤーはトミー・テデスコです。コンダクターはジョージ・ティプトン。

いま思ったのですが、ハルは、スタジオからぜんぜん出なかった時期でも、ナンシー・シナトラのラス・ヴェガスのショウは断れなかった、といっていました。ずいぶん評判になったショウだったようなので、映像が残っている可能性があるようにも思うのですが、しかし、問題がありますな。そういう華麗な演出をしたショウの場合、バンドはオーケストラ・ピットに入ってしまうので、たとえフィルムが残っていても、ハルの姿は見えない可能性が高いでしょう。

このほか、ハル・ブレインが出演した映画を2本(エルヴィスの『ガールズ・ガールズ・ガールズ』とスティーヴ・マクウィーンの『Baby, the Rain Must Fall』)見ましたが、当然ながら、プレスコの音に合わせてプレイのふりをするだけのものですし、きちんと音に合わせる努力すらしていません。顔だけ見てもなあ、でした。

Girls, Girls, Girls


これもオオノさんがアップされたのでしょう。ピアノがジャック・ニーチー、サックスがスティーヴ・ダグラスというスペクター・アーミーの面々で、AFMのみならず俳優ギルドにも所属していたハル(ハリウッドでは組合員でないとなにもできない!)が「ちょっと小遣い稼ぎするか?」と誘ったのでしょうね。ギターとベースが不明なのですが、これはミュージシャンではなく、ふつうの俳優かもしれません。それにしても、よく見ると、ジャック・ニーチーは石橋エータローみたいな味があって、つづければ脇役として成功したのじゃないかという気がしますな!

最近は、まじめな傑作というのはぜんぜん見たくなくなり、子どものころに見た大馬鹿なビーチ・ムーヴィーとか、エルヴィスの「また同じストーリーかよ映画」とか、なんの意味もない、ただむやみに楽天的な映画のほうが楽しめるようになりました。このあいだ取り上げた『巴里のアメリカ人』の、まったく根拠のないあの楽天性は、いまではだれも持ち合わせていないものでしょう。ああいう味わいのある映画は地を払ってしまいました。

どうせ生きるなら、毎日をすこしでも楽しく、楽天的に、軽くグルーヴにのって、I got music, I got rhythmなどと口ずさみながら生き、笑いながら死んでいきたいものです。昔のハリウッド映画にはそういうものがたくさんありました。ああした楽天的なハッピーエンド映画を、リアルでないと斬り捨てた精神をこそ斬り捨てるべき時代が来たと思います。人生は十分すぎるほどリアルなのだから、映画はファンタスティックであるべきでしょう。

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by songsf4s | 2009-02-21 13:34 | その他