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田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その2
 
以前、なんの記事だったか、滝沢英輔監督『あじさいの歌』(1960年、日活、池田一郎脚本)は、フル・レングスの長編のプロットをほとんど省略せず、原作の手触りもそのまま、ほぼ忠実に映像化した、きわめて出来のいい文芸映画だといった趣旨のことを書きました。

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『あじさいの歌』挿絵。岩崎鐸画、新潮社刊『石坂洋次郎文庫 第13巻』より。

『陽のあたる坂道』はどうでしょうか? 『あじさいの歌』と同じ池田一郎(のちの作家・隆慶一郎)が田坂具隆監督と脚本を共同執筆した『陽のあたる坂道』は、原作の手触りを損なわない、ある意味で「忠実な映画化」ではあるのですが、千枚の長編を映画にするために、じつは、大きな「切除手術」をしています。

石坂洋次郎の原作には、倉本たか子が通う大学の「主事」で、たか子に田代くみ子の家庭教師の職を紹介した「山川」という人物が登場しますが、映画ではこの人物がまるごとオミットされているのです。この判断が、映画が成功するか否かのキー・ポイントになったと感じます。

小説では、山川主事はきわめて重要なキャラクターで、いま読み返すと、他の部分はさほど感興がわかないのに、山川と田代家の長い関わりの部分だけは、精彩を失っていないと感じます。

しかし、映画を三時間半に収めるにはなにかを省略しなければならず、そして、山川と田代夫妻のサイド・プロットを丸ごとオミットするという、田坂具隆と池田一郎の判断は正しかったと思います。山川主事を登場させたら、映画は混乱したでしょう。

映画には登場しない、山川と田代夫妻の関わりは、それ自体、おおいに興味深いもので、石坂洋次郎が書こうとしたのは、むしろ、この世代の物語のほうだと思われるので、いずれ、その点についてもふれるつもりです。

◆ 「ジャズで踊ってリキュールで更けて」の昔から ◆◆
倉本たか子(北原三枝)は、最初の田代家訪問でさまざまなことを知りますが、のちのプロットに影響するものとしては、まず、田代くみ子(芦川いづみ)が子どものころの大怪我のせいで軽くびっこをひくこと、そして、これが彼女の性格と生活に大きく影響しているらしいことです。

長男の雄吉(小高雄二)はあらゆる面で優等生、そして医学を勉強中、次男の信次(石原裕次郎)は画学生で、ちょっと斜に構え、人を食ったようなところがあり、たか子をさんざんからかったあげく、「訪問者に対する憲法」だといって、彼女の胸にさわって、悪い第一印象を与えます。

だれが、というのではなく、母親のみどり(轟夕起子)以下、一家全員がたいていのことを包みかくさず、初対面の人間に説明し、それぞれがそこに論評を加えるということを知るのも重要でしょう。以前にも書いたとおり、石坂洋次郎の物語は「ディベート小説」であり、ディスカッションによって進んでいくのです。

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『陽のあたる坂道』は轟夕起子の戦後の代表作といえる。

昼食(豪邸なのに、食卓にはカレーライスが並んだところに時代を感じた。あの時代には、これでもアンバランスな印象は与えなかったのだと推測する)のあと、たか子はくみ子の部屋に行き、二人だけで話します。

階下からピアノの音が聞こえてきて、あれは雄吉兄さんだとくみ子は教えます。たか子は「上手いわあ」とおおいに感心しますが、くみ子は、ただ滑らかなだけで、面白みがないと批評します。くみ子の言葉の端々から、長兄・雄吉を好まず、次兄・信次とは仲がよいことがわかります。

たか子はアパートに帰り、玄関のところで同じアパートの住人、料理屋の仲居をやっている高木トミ子(山根壽子)と一緒になり、荷物をあずかっているので、いま息子の民夫(川地民夫)に届けさせましょう、といわれます。これでおもな登場人物がそろいました。

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山根壽子は『乳母車』のときとは対照的な役柄

トミ子「あの子も可哀想に、ほんとうは作曲家になりたいんだそうですけど、それじゃお金にならないもんだから、ナイトクラブみたいなところで、いま流行りのアメリカの唄、うたってんですよ」
たか子「あら、そう」
トミ子「あたしにはさっぱりわかんないんですけどね」
たか子「ジャズでしょう」

アメリカのポップ・ミュージックをすべてひっくるめて「ジャズ」といったのは戦前のことでしょうが(「ジャズ小唄」なんていう目がまわるようなジャンルもあった!)、戦後になっても、案外、そういう言い方が長く生き延びたのでしょう。ここでいっている「ジャズ」がどういう音楽かは、次回にでも、実物を聴いていただくことにします。

茶飲み話で、たか子の家庭教師の仕事先が、アジア出版という書肆の社長の家だということにふれたとたん、トミ子の顔色が変わり、たか子はトミ子が田代家を知っているのではないかと考えます。

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田代家の母親(轟夕起子)、くみ子(芦川いづみ)、雄吉(小高雄二)の三人とたか子が音楽会(ピアニストのものらしい)に行った夜、父・田代玉吉(千田是也)と、次男の信次(石原裕次郎)は、居間で酒を飲みます。

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千田是也と石原裕次郎

信次は「ぼくを生んだお母さんは生きているんですか?」とたずね、父を狼狽させます。信次は、ぼくが気づいていることはパパやママだって知っているし、ぼくがママの子でないことは、兄さんやくみ子もわかっているじゃないか、と云い、父にその事実を認めさせます。しかし、母親の存否は知らないといい、信次もそれで引き下がります。

いっぽう、音楽会に行った四人は、夕食後、母とくみ子は自宅に帰り、雄吉はたか子を送る途中、バーないしは喫茶店(夜は酒も供すタイプの店)に入ります。

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二人のロマンスがはじまりそうなことを予感させるシークェンスですが、ここではその店のなかで流れている現実音という設定らしいスコアをサンプルにしました。タイトルはあたくしがテキトーにつけたものにすぎません。

サンプル 佐藤勝「お茶の水タンゴ」

メイン・タイトルも、一部、複数のアコーディオンがリードをとるところがありましたが、こちらはタンゴ調なので、アコーディオンが使われたのでしょう。

窓外の風景はスクリーン・プロセスによる合成です。木村威夫はこのショットを記憶していて、お茶の水で撮ったといっていました。(初稿では「電車は丸ノ内線」と書いたが、その後見直して、この部分を削除。さらに、橋は聖橋と書いたが、これも削除。聖橋ではないようだ)

なんだか、音楽も気になり、美術も気になり、はてさてどうしたものか、なのですが、セット・デザインとちがって、ここはあとでまとめてというわけには行かないような気がするので、木村威夫美術監督の証言をもう少々。

『乳母車』その5のときにも、田坂具隆監督のスクリーン・プロセスのことを書きましたが、木村威夫美術監督もスクリーン・プロセスの利用には不賛成だったようです。

アメリカなら最新のものが使えたが、あの当時の日本のはそこそこのものにすぎなかったといい、木村威夫はさらにこういっています。

「この場合、どだい無理だから止めましょうと食い下がったんだけれど、田坂先生、頑としてスクリーン・プロセスで行きますとおっしゃるから(笑)、しようがありませんや。ロケーションじゃ細部にまで神経の行き届いた芝居はできないというわけだよ。コンサート帰りで町の感じも出す店となると、やっぱり、じゃあ、背景流れてた方がいいと落着するわけ。(略)それは頭の中ではうまくいくと思っているけれどさ、でき上がってみるとそうはいかないよな」

わたしもスクリーン・プロセスが好きではないので、木村威夫美術監督のこのきびしい評価には首肯できます。美術監督としては、視覚的なトーンの違いが気に入らなかったのでしょう。「調子が崩れる」というやつです。

観客として、わたしは、スクリーン・プロセスのシークェンスを見ると、「そこにいる気分」を阻害され、「スタジオでスクリーンの前で芝居しているな」という「素」の気分になってしまいます。

しかし、それはそれとして、橋より低い場所にある店、という設定はけっこうだし(秋葉原寄りか)、なにかを動かそうと思ったときに、車ではなく、夜の電車を選んだのは、いいなあ、と思いました。

もうひとつ、視覚的なことにふれておきます。

ある日、たか子はくみ子と待ち合わせて、くみ子が好きだという、ジミー小池という歌手のステージを見に行くことになります。この待ち合わせがバス停なのです。

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いわゆる「ジャズ喫茶」のある場所といえば、銀座と考えるのがふつうでしょう。そして、このバスは「新橋行」と表示しているので、このバス停が銀座にあると措定しても、矛盾は生じません。

しかし、これはどう見ても、銀座の表通りではなく、裏通り。銀座の裏通りをバスが走っていたなんて話は寡聞にして知りません。

木村威夫は、この疑問にあっさり答えています。このシーンの撮影場所は、日活調布撮影所のオープン・セット、いわゆる「日活銀座」だそうです。銀座裏を模したパーマネントなオープン・セットが組んであり、これを「日活銀座」と呼んだのです。たぶん、銀座での撮影許可がおりないことも、そういうセットを組んだ理由のひとつでしょう。

次回、彼女たちが向かったジャズ喫茶、「オクラホマ」のセットを見て、そこで流れる音楽を聴くことにします。どちらもじつに楽しいのです。


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by songsf4s | 2012-06-08 23:28 | 映画
田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その1
 
この春から、当家が居候しているExciteブログの「リポート」の形式が変わり、以前やっていたような、アクセス・キーワード・ランキングのご紹介はできなくなりました。

はじめて「芦川いづみ」というキーワードがランクインしたときは驚いて、そのことを記事に書きましたし、そもそも、アクセス・キーワード・ランキングを公開しようと思ったのは、芦川いづみ登場にビックリしたからだったようにも記憶しています。

リポートの形式が変わったおかげで、どうやら、日々いらっしゃるお客さんの半数以上、おそらく3分の2ほどは、検索によっていらっしゃっているらしいことがわかってきました。

検索に使われているのは、むろん、グーグルが多いのですが、他のサーチ・エンジンも使われています。当家の記事が上位に来やすいのは圧倒的にグーグルなので、グーグルが多数派であるのはありがたいかぎりです。

逆に、他のサーチ・エンジンには冷遇されていて、gooなんかで検索すると、グーグルなら1ページ目に出てくるようなものが、いつまでたっても見あたらなかったりします。

まあ、gooで検索するというのは、わたし自身はめったにやらないからかまわないのですが、先日、たまたまgooが開いたので、「芦川いづみ」を検索してみました。

ちょっと驚きました。いつもなら、当家など存在しないかのごとくふるまうgooが、2ページ目に当家の「芦川いづみ」タグのページをあげたのです。

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以前にも何度か、芦川いづみで検索して当家にいらっしゃった方にお礼を申し上げました。ブックマークではなく、サーチ・エンジンを使ってくださると、上位にあがっていくので、今後ともよろしくお願いします、と。

じっさい、芦川いづみファンの方たちが、サーチ・エンジンで芦川いづみを検索して、当家にくるということを繰り返してくださったのでしょう。その結果、当家に冷たいgooですら、芦川いづみのキーワードで当家がヒットしたのだと思います。

じつにどうも、ありがとうございます>芦川いづみファンのみなさま。しつこくて恐縮ですが、今後とも検索のほど、よろしくお願いします。いえ、芦川いづみにかぎりません。どんなものでも、お気に入りのキーワードでどうぞ。

◆ 血の陰影 ◆◆
さて、その芦川いづみが出演した田坂具隆監督の『陽のあたる坂道』を、これから数回にわたって見ていこうと思います。

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といっても、あと一時間ほどしかテキストを書く時間は残されていないのに、どういう方向でやるのか、いまだ暗中模索で、例によって、走りながら考えよう、という不埒な心構えで取りかかっています。書いているうちに目処がつけばラッキー、下手をすると、スパゲティー状の混乱記事になるおそれありです。

しかし、田坂具隆の二つ前の映画である『乳母車』と同じように、美術は木村威夫なので、セット・デザインのディテールを検討するという方法があります。

また、音楽監督は佐藤勝で、例によって興味深いスコアや挿入曲もあるから、その面から見ていくという、当家のいつものやり方もできます。

原作も中学以来、何度か再読したことがあり、まだ文庫本が手元にあるので、小説と映画の異同を検討することもできます。

結局、たんに、ストーリーラインをどの程度まで追いかけるか、その匙加減だけの問題のようにも思います(楽観的すぎるぞ、と、だれかに云われたような気がする。空耳か)。

ということで、音楽、美術、撮影、原作との異同など、八方美人の虻蜂取らずで、右往左往としてみようと思います。

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まず外側のこと、データ的なことを少々。

当家ではすでに『乳母車』をとりあげていますが、この『陽のあたる坂道』は田坂具隆による、一連の石坂洋次郎原作、石原裕次郎、北原美枝、芦川いづみ出演映画の二作目にあたります。つぎの『若い川の流れ』と併せて三部作を形成している、その真ん中の映画です。

この三部作に共通するのは主要出演者ばかりでなく、美術の木村威夫、撮影の伊佐山三郎もレギュラーです。美術監督と撮影監督が同じだと云うことは、視覚的なトーンにも共通する味が生まれると、原則的にはいっていいでしょう。

石坂洋次郎は、はじめから「田代信次」というこの映画のキャラクターを、石原裕次郎のイメージで書いたのだそうで、なるほど、いかにも裕次郎が演じそうな人物になっています。

いや、渡辺武信が追悼記事で指摘したように、石原裕次郎という俳優には光と陰があり、屈託のない明るい青年と鬱屈する青年が同居していました。「青春映画」という言葉をそのまま当てはめてかまわない、明朗闊達な青年を演じた作品群(たとえば『青年の樹』や『あした晴れるか』)がある一方で、たとえば、『俺は待ってるぜ』のように、行き場のない場所に追いつめられた青年も多数演じています。

これはたぶん、石坂洋次郎作品に共通する暗さ(「血と過去がもたらす陰鬱」とでもいおうか)も影響しているのだと思いますが、『陽のあたる坂道』で石原裕次郎が演じた田代信次もまた、一見、闊達のように見えて、じつは「血」という日本的鬱屈に煩悶する青年です。

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北国からやってきて、東京の大学で学ぶ倉本たか子(北原三枝)は、出版社の社長・田代玉吉(千田是也)の娘・くみ子(芦川いづみ)の家庭教師の口を紹介され、(おそらくは田園調布にあると想定される、ただし、現実のロケ地は鶴見だったらしい)田代邸を訪れます。

ここでたか子は、母親のみどり(轟夕起子)、長男の雄吉(小高雄二)、次男の信次(石原裕次郎)に会い、彼女の常識からは大きく外れた、どんなことも言葉にして説明し、意見を主張する、いわば戦後的な家族のありように接します。

三脚なしの映画館盗み撮りですが、もっとも好きな映像と音の組み合わせによるクレジットなので、いちおうクリップを貼り付けます。



お断りしておきますが、イントロの数秒がカットされています。イントロそれ自体は重要ではなくても、残りの本体を引き出し、その味を決定する役割をもっているので、映像が黒味だからといって音をカットしていいと云うことにはなりません。それがわからない人が多くて、いつもムッとなります。

いきなりフォークボールではなく、高めのストレートを見せておき、つぎにフォークを投げて仕留める、なんてパターンがあるでしょう? 物事には順序というものがあり、その文脈のなかで生きるものというのがあるのです。映画はまさに順序の技、音楽もまたしかり。無意味においてあるものなどありません。

ということで、以下に、きちんとイントロのついているヴァージョンをおきます。ただし映画のOSTとは異なるテイクでしょう。全篇からいくつかの場面の音を取り出し、ひとつの組曲のようにしたヴァージョンです。

サンプル 佐藤勝「陽のあたる坂道」(ダイジェスト)

この冒頭のメロディー、メイン・タイトルといえる曲は、何度かアレンジを変えて、変奏曲として登場します。佐藤勝というのは、日本音楽史上もっともヴァーサタイルな作曲家ではないかというほど、ほとんどどんな音楽スタイルにでも適応できたと思います。それでも、やはり、このような、叙情的オーケストラ・ミュージックというのが、この人の背骨ではないかと感じますし、その系列のなかでも、この『陽のあたる坂道』のメイン・タイトルは、とりわけ好ましいものです。

先年、ヴィデオ・デッキを廃棄し、ついでにVHSテープの大部分も処分してしまい、テープでしかもっていなかった映画は見られなくなってしまいました。『陽のあたる坂道』もそのときに捨ててしまったのですが、あとになって無性に再見したくなりました。

そのときに、どのシーンが頭に浮かんだかというと、まず、オープニング・クレジットでした。なぜオープニングかというと、頭のなかで想像したときは、あの佐藤勝のテーマ曲が聴きたいのだと思いました。

今回、DVDで再見して、ちょっと考えが変わりました。佐藤勝の音楽だけでなく、視覚的にも、大きな魅力が二点あると、いまさらのように認識しました。

ひとつは、おそらくは田園調布(木村威夫の記憶はあいまい)で撮影された、坂道のアップス&ダウンズをなぞる視覚的なリズム、もうひとつは、背をピンと伸ばし、やや大股に歩く北原三枝の、これまたリズミックな身のこなしです。

この視覚的なリズムの流れに、佐藤勝の弦による音のレイヤーが呼応して、じつに音楽的な響きのある映像と音のアマルガムが生まれていると感じます。だから、あとで振り返ったときに、このオープニング・クレジットが頭に浮かんだのでしょう。

文字数を使ったわりには、今回はほとんどなにも書けませんでした。次回から、物語に入っていくことにします。


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by songsf4s | 2012-06-03 23:55 | 映画
森一生『薄桜記』、舛田利雄『影狩り』、市川崑『幸福』、佐藤純彌『君よ憤怒の河を渉れ』ほか
 
ツイッターにはチラチラと書いているのですが、このところ、できたらブログで取り上げようと思い、数本の映画を見ました。

石原裕次郎の、たぶん、最後から三番目と二番目の映画である舛田利雄監督の『影狩り』および『影狩り ほえろ大砲』、市川崑監督『幸福』、犬童一心監督『死に花』、サム・ペキンパー監督『キラー・エリート』、佐藤純彌監督『君よ憤怒の河を渉れ』などです。

『キラー・エリート』をのぞいて、残念ながら、どれも気に入らないか、悪いとはいえないが、ぐらいの出来で、書く気にはなりませんでした。公開当時、忍者が出てくるというので、勘弁しろよ、と敬遠した『キラー・エリート』も、思ったよりはずっとマシではあったものの、書こうと思うほどの出来でもありませんでした。

◆ 無抵抗忍者虐殺物語『影狩り』 ◆◆
いま、時計を見て、今夜、本題に入るのは無理に思えてきたので、以上の映画について、脈絡なしに、思ったことを並べます。

『影狩り』シリーズの二本は、シナリオが問題外、演出も強引というか、雑というか、もう少し手順を踏んでくださいな、と溜息が出ました。

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『影狩り』というのは、劇画が原作ですが、そちらのほうは読んだことがありません。時代劇のほとんどは、考証もへったくれもないのですが、それにしてもなあ、という設定で、わたしはいきなりコケました。

幕末になると、財政破綻した徳川家は、各地に隠密(これをこの映画は「影」と呼んでいる)を送り込み、なにか落ち度を見つけては国を潰して、その富を収奪した、というのです。

幕府が落ち度を見つけたら、どんどん国替えや絶家(改易)をおこなったのは事実ですが、べつに幕末になってはじめたことではなく、初期から一貫してそういう政策ををとっていました。

福島正則や加藤清正といった関ヶ原の合戦の功労者の家も、すぐに取りつぶされてしまった(福島家は正則存命中、加藤家は清正没後)のは有名な話ですし、将軍家の別家自体がたくさんやられています。そのへんは鎌倉幕府の再現といってもいいほどです。

というように、大前提そのものでコケたのですが、展開もまた感心せず、伏線を張らず、細部の筋も通さない強引な演出も、舛田利雄の悪い面だけが出たと感じます。

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石原裕次郎は、ハンス・オットー・マイスナーの『アラスカ戦線』を映画化したいといっていたそうで、それを読んだときは、いいところに目をつけた、と思いました。

でも、『太平洋ひとりぼっち』や『影狩り』といった企画を見ると、クリント・イーストウッドのように一貫して目の付けどころがいいわけではないと考えざるを得ません。

しかし、シナリオや演出が駄目でも、かつては裕次郎が映画を救っていました。それができなくなったところに、俳優・石原裕次郎の落日を感じます。いや、まあ、それを確認するために、自らを叱咤してこの二本を見たのですが。

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「影」という、お庭番、忍者の群も、つまらない存在で、それも大きな欠陥でした。ただ跳ねまわって、ただバタバタと斬られるだけじゃあ、蠅の群と懸隔がありません。背中を見せて逃げまわる忍者たちは、深江章喜親方に「かかれ!」といわれた瞬間、さっさとトンヅラすればよかったのに、と思います。

同じ舛田利雄監督の『嵐の勇者たち』(1969年日活)あたりのアンサンブルの面白みを狙って、内田良平と成田三樹夫を配したのだろうと思います。意図はわかるのですが、その面でも成功したとはいいかねます。

◆ 客のほうが憤怒する『君よ憤怒の河を渉れ』 ◆◆
『君よ憤怒の河を渉れ』はひどさもひどし、これ以上ひどい映画は滅多にないでしょう。ここまでひどいと、どれほどひどいかをたしかめるために見るべきだ、といいたくなるほどです!

高倉健扮する検事が、身に覚えのない窃盗と強盗と強姦で告発され、その疑いをはらすという物語ですが、論理的に考えると、この映画の事件は、はじまった瞬間に解決していたはずです。

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高倉健は、いきなり町で、この人、強盗よー、といわれ、警邏警官に取り押さえられてしまいます。このあたりの乱暴な捜査は、まあ、映画的ウソとして我慢しました。

しかし、高倉健のマンションにいったら、盗難にあったと届出られたカメラが、これ見よがしに棚に鎮座していた、というところで、まともな捜査官なら、たちまち冤罪の可能性を嗅ぎ取るだろうに、と馬鹿馬鹿しくなりました。

鈍感で馬鹿な捜査官であっても、二人の告発者が、じつは夫婦であり、告発の直後に姿をくらましたことがわかった時点で、高倉健の容疑ははれ、釈放です。

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検察官が自分の弁護をできないのも驚愕しますし、容疑者としての権利をいっさい主張しないのも信じがたく、池部良検事も、原田芳雄警部も、こんなものは立件できないに決まっているのに、ごり押しで捜査を進めるので、てっきりこの二人がグルになって、高倉健検事を罠に落としたのだと信じましたよ!

西村寿行の原作もいけないのでしょう。でも、その原作で映画を撮らねばならないと決まったら、なんとか、立件できそうな事件に変更するのが脚本家と監督の仕事でしょうに。盗んだカメラを居間に飾っておく検事だなんて、馬鹿もいい加減にしなさいな。

同じ高倉健と佐藤純彌の組み合わせの『新幹線大爆破』はまずまずの出来だったのですが、あちらは、なにか幸運な偶然のおかげでうまくいっただけだと納得しました。

着ぐるみの熊なんか、恐くもなんともありませんが、鈍感な脚本と演出は映画を即死させます。

以上、やはり、本題にたどりつくにはいたらず、市川雷蔵と勝新太郎の映画は次回見ることにします。


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by songsf4s | 2011-12-26 23:59 | 映画
浅丘ルリ子の夜はふけて その2 共演・石原裕次郎篇
 
本題に入る前に、前回の記事のときには発見できなかったのですが、今日、たまたま見かけたので、『ギターを持った渡り鳥』のクリップを補足しておきます。

斉藤武市監督『ギターを持った渡り鳥』


ツイッターに書いてしまったのですが、このヴァージョンはやはりなかなかけっこうだったと思います。オーケストラの人数もこのときがいちばん多かったのかもしれません。

しかし、ふと思いましたが、黒澤明『用心棒』のオープニングに似ているような気がしてきました。『ギターを持った渡り鳥』は1959年、『用心棒』は1961年です。両者とも、なにか西部劇でも下敷きにしたのでしょうかね。

前回をお読みの方の大部分が今回のテーマを予想されたでしょうが、ナックル・ボールはなし、素直に石原裕次郎篇です。

裕次郎=ルリ子といえば、いわゆる「ムード・アクション」、ムード・アクションといえば『赤いハンカチ』と、まあ、昔からいわれていることを繰り返しておきます。自分の好みをいっているだけ、でもありますが。

無知にして裕次郎=ルリ子のスタートを知りませんが、強く印象に残ったのはこの映画。アクションはあまりないのですが、でもプリ・ムード・アクションといえるでしょう。

蔵原惟繕監督『銀座の恋の物語』


主題歌が有名になりすぎて、映画の位置が相対的に低くなってしまったような気がするのですが、これはいい映画です。子どものときも面白いと思ったし、テレビで見て、さらに裕次郎没後のニュープリントでの上映でも見て、いつ見ても満足しました。

夜明けの銀座を、人力車を引いて疾駆する裕次郎、というオープニングからしてけっこうでしたし、このあと、彼がジェリー藤尾と住んでいるアパートというか、屋根裏みたいなところのデザインがまたすばらしいのです。なにかフランス映画からもってきたのだろうと思いますが。

以前、「映画のトポロジー」という記事を書きましたが、『銀座の恋の物語』はその側面で非常に興味深く、石原裕次郎とジェリー藤尾のアパートからは、浅丘ルリ子(と和泉雅子)が働いている店が、中庭のような不思議な空間を挟んで見えるという、なかなか魅力的なセットデザイン(ないしはロケーション)でした。

ついでにいうと、深江章喜が、いつもの暴力的悪党ではなく、ちょび髭をはやした、おフランス帰りみたいな、嫌みでキザな詐欺師に扮していて、これがまたじつに楽しいのです。冗談ではなく、赤塚不二夫の「イヤミ」がモデルじゃないでしょうか!

フィルモグラフィーをながめて、ああ、あいだにこれを入れないといけないのか、と思った映画。ほとんどなにも映らず、予告編にすらなっていませんが、ほかにはクリップがないようなので。

蔵原惟繕監督『憎いあンちくしょう』


渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』でも賞賛されていましたし、近ごろはまたこの映画の評判はとみに高まっているようですが、わたしはどうも肌に合いませんでした。

60年代的メディア・ヒーローを登場させた気持はよくわかるのですが、その人物像が図式的すぎて、裕次郎のキャラクターと衝突しているように感じました。この主人公の性格づけから思い起こす現実の人物は青島幸夫ですからね。

ただし、ランジェリー姿の浅丘ルリ子には、おお、と思いました。いや、そういう描き方にもっとも端的にあらわれているように、ここでの浅丘ルリ子は、彼女に背を向けて去っていく滝伸次に涙を流す可憐な少女ではないのです。ここで、はっきりとギア・チェンジがおこなわれたと思います。

肌に合わなかったとはいえ、これはきちんと取り上げて、検討してみようかな、と、今後の記事の候補に入れてあります。

つぎに目立つのは『夜霧のブルース』ですが、これはクリップを発見できませんでした。

小林正樹監督『切腹』の翻案だといわれて、ああ、なるほど、と思いましたが、裕次郎が港湾荷役の会社に乗り込んでいき、長々とストーリーを話し、最後は「斬り死に」する映画でした。死んだことのなかった裕次郎は、じつに楽しい撮影だったといっていたそうです。これもちょっと再見してみたい映画です。

『憎いあンちくしょう』で大人の女として成熟する方向へ舵を切った浅丘ルリ子は、64年のこの映画、ムード・アクションの代表作で大輪の花を咲かせます。

舛田利雄監督『赤いハンカチ』


『赤いハンカチ』については、当家ではかつて長々と記事を書いたので、ご興味がおありの方はこのページの下の方にある特集一覧の右側の列、中頃のリンクをクリックなさってみてください。

このあとのルリ子=裕次郎ものは、だいたい路線がかたまって、一定の幅のなかで動いていく感じですが、印象深い映画が数本ありました。

松尾昭典監督『二人の世界』


これはなかなか凝ったストーリーで、フェリーノ・ヴァルガと名乗る石原裕次郎扮するヒーローは、昔、おしかぶせられて逃亡するハメになった事件の時効寸前に日本に戻って、冤をはらそうとしますが、これがなかなか思うようにいかず、けっこう意外な展開でした。しかも、浅丘ルリ子が、○×するし、そこに深江章喜の一徹なヤクザがからんで、最後までダレませんでした。

ただ、そこで我に返りますが、いわゆる「ムード・アクション」のパセティックな甘みというのは、こういう波瀾万丈すぎるプロットでは薄くなってしまい、そちらを期待するとちょっとうっちゃりを食った感じになります。

未見の方はこの段落を読まないでいただきたいのですが、浅丘ルリ子の愛ゆえの裏切りをどう受け止めるか、という「愛のモラル」の問題の提出はなかなか興味深く、日活アクションの定型にはまらない展開の作品です。

あれ、あの映画はなんといったっけ、というのがあって、逆戻りします。

松尾昭典監督『夕陽の丘』


石原裕次郎の兄貴分が中谷一郎、その情婦が浅丘ルリ子という設定で、あれ、となり、でも、これはただではすまないなあ、と設定自体に緊張させられる映画でした。

いま、キャストを見て、そうか、浅丘ルリ子は姉と妹の両方をやったのだったな、と思いだしました。美少女の延長線上と、大人の女の両面をひとつの映画のなかで描いてみようという、けっこういいところをついた企画だったことになります。

それほどよかったという印象はないのですが、中谷一郎が好きなので、それなりに楽しく見てしまった記憶があります。

つぎに印象深い映画は江崎実生監督の『帰らざる波止場』なのですが、これはクリップがありません。

これまた浅丘ルリ子が「かならずしもモラリスティックではない」女を演じていて、おおいに好みの映画です。横浜港の遊覧船に乗った浅丘ルリ子が、そっと指輪をはずして海に捨てる、というオープニングが好きでして、あのへんにいくたびに、そのことを思いだします。

それから、記憶で書きますが、音楽はほとんど軽いボサノヴァで(渡哲也と共演した『紅の流れ星』に近い)、そのあたりもおおいに好ましい味わいでした。

ここでもまた、浅丘ルリ子の暗い過去を、裕次郎扮する冤罪をはらすために帰ってきた男がどう受け止めるか、という「愛のモラル」の問題が提出されます。いい映画でした。

ルリ子=裕次郎のムード・アクション、掉尾を飾る大花火は、やはりこれでしょう。

松尾昭典監督『夜霧よ今夜も有難う』


あまりにも露骨な『カサブランカ』で、昔は見ていて尻がむずむずしたのですが、年をとると、まあいいか、という気分です。今度再見するときには、頭から尻尾まで楽しんでしまいそうな予感がします。

赤木圭一郎や渡哲也との共演、さらには植木等との共演など、いろいろ考えられるのですが、ほんとうにそういうのをやるか、これでおしまいにするか、まだ決めていません。



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by songsf4s | 2011-12-03 23:53 | 映画
芦川いづみデイの日は暮れて
 
特段の理由はないのです。たんに、つい、うかうかと芦川いづみのクリップをたぐってしまい、本日、手元にあるのはこの話題だけとなってしまったのでした。

いやはや、ひとたび見はじめると止まらないもので、至福の時となってしまいます。まず、美男美女ばかりぞろぞろ出てきて、いい加減にしろよ、といいそうになるクリップから。長いのでクリックするならそのおつもりで。

西川克巳監督『東京の人』 - 芦川いづみ、月丘夢路、新珠三千代


男優のほうは滝沢修、葉山良二、青山恭二を確認できます。月丘夢路と葉山良二が会う場面の背景はいったいどこなんでしょうか。イタリア・ロケ、なんていわれたら信じてしまいそうな建築。

月丘夢路というのはちょっと妖艶というイメージだったのですが、大人になってから小津安二郎の『晩春』を見過ぎて、印象が変わってしまいました。しかし、こういう映画を見ると、やはり年増女の魅力を発散していて、ほほう、です。『鷲と鷹』のときより、こちらのほうがずっといいのではないでしょうか。

いちおう、テーマ曲(らしい)のほうも貼りつけておきます。やはり映画からのショットが使われています。

三浦洸一 - 東京の人


『東京の人』は未見ですが、こちらは再見したくて、かつてVHSを買いました。

中平康監督『あした晴れるか』


冒頭にやっちゃ場が出てきて、石原裕次郎がカメラマン、担当編集者が芦川いづみという映画はどれだっけ、なんてことをチラッと思ったことがあったので買ったのですが、明朗闊達単純明快、楽しい映画でした。

ご存知ない方のために注釈しておくと、やっちゃ場というのは東京青果市場のことで、かつて秋葉原駅のすぐまえにありました。いまや高層ビルが建ち並ぶ馬鹿馬鹿しさ。東京でもっともイヤな場所のひとつに変じました。

裕次郎扮するカメラマンが「東京探検」というテーマで写真を撮るという展開なので、あの時代の東京風景をたっぷり見られます。時がたつにつれて、その面でも価値が高まった映画です。

酔っぱらった芦川いづみが、「こんどは血まみれメリーちょうだい」といい、裕次郎に「血まみれ?」といわれ、「ブランデー飲むと回虫わかないの」というのに笑いました。いまや、「回虫ってなによ」という人も多いのでしょうが。

西河克己監督『青年の椅子』


藤村有弘が芦川いづみの婚約者という設定は無理無理で、観客は即座に、これは破談になるな、と卦を立ててしまいますなあ。

浅丘ルリ子は沈鬱な表情の多い役がずいぶんありましたが、芦川いづみは「明るく朗らかに」を絵に描いたような役柄が多かったような記憶があります。

石坂洋次郎原作ものからくる印象なのでしょうが、「わたし、これからの女というものは、これこれこういうことが大事なのではないかと思います。男女のことも、いままでのようなじめついた日陰のものとしてではなく、明るい太陽の下で考えるべきなのではないでしょうか」などといった意見を正面から述べたり、ポンポンと男をやりこめるような役も似合いました。石坂洋次郎的な戦後民主主義を具現した存在と、すくなくともわたしは見ていました。

そういう民主主義という抽象観念の肉体化の極北は、この映画での役かもしれません。やはり石坂洋次郎原作。

中平康監督『あいつと私』


60年安保を(あまり目立たない)背景にした、裕福な家庭の子女が通う私立大学の学生たちの話ですから、自然と女の自立といったテーマが忍び込んで、芦川いづみはしきりに政治観、人生観、社会観を一人称で(!)陳述します。まあ、彼女がやると、角が立たず、そういう女性像も魅力的に見えます。

脈絡もなく、いま目についてしまったので、貼りつけます。アクションの日活としては、やけくそみたいに異質な映画でした。

森永健次郎監督『若草物語』


大昔、テレビで見たときは、芦川いづみが長女で、その下が浅丘ルリ子、という設定がちょっと意外でした。まあ、微妙なところですが、どちらかというと、浅丘ルリ子は長女的と感じます。

結局、石原裕次郎や小林旭でまわしていくことが苦しくなり、松竹かよ、という日活にはありえないような女性映画が生まれることになったのでしょう。

美女たちが妍を競うのは麗しいのですが、しかし、なんだか物足りない映画でした。キャスティングがまわらなくて、苦肉の策としてこういう映画をつくるのはやはり賢明ではないのでしょう。男優の粒が小さくて、女優の豪華さが生かされていませんでした。

それにしても、いつもの文脈から脱出したはずだった吉永小百合は、またここにも浜田光夫が待っていて、なーんだ、だったのでしょうねえ!

もう一本。これまた、ポンポンまくしたてる戦後的女性を演じています。

牛原陽一監督『堂堂たる人生』


日活はタイプ・キャスティングというか、そんなことをする余裕すらなく、主演ははじめから決まっていて、それに合わせて話を選んだり、つくったりしていたわけで、『若草物語』のように不安定なキャスティングは例外中の例外、この『堂堂たる人生』も、いつもの安定したキャスティングです。

とはいいながら、桂小金冶がまた寿司屋のオヤジというのは笑ってしまいます。この人はほかの役ができる気がしません!

わたしのもっとも好きな芦川いづみ出演作品は『あじさいの歌』ですが、これは残念ながらクリップがありませんでした。以前はあったのですけれどねえ。もっとユーチューブを活用してくれるといいのですが。

それにしても、なぜ、昭和30年代の日活映画を見ていると、こうも幸せな気分になるのでしょうか。わがことながら、じつに不可解千万です。


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by songsf4s | 2011-11-29 23:44 | 映画
蔵原惟繕監督『俺は待ってるぜ』補足 ロケ地へ
 
Midnight Eyeという、日本映画を扱っている英文のサイトがあって、ときおり見ているのですが、今日は、エースのジョーと舛田利雄監督のインタヴューを読みました。イタリアのウディネという町での映画祭をお二方が訪れた際のものだそうです。

とくに突っ込んだ話はないのですが、舛田利雄監督の東映任侠映画と日活のやくざ映画との違いの定義は、簡潔明快で、なるほどと思いました。

「東映任侠映画、たとえば高倉健を主役にしたものと、日活アクション映画はまったく異なるものだった。日活は基本的には若者をめぐるヒューマン・ストーリー、つまり「青春映画」の会社であり、それがときにやくざのキャラクターやその世界を背景にすることがあったというだけだ。それに対して東映は、本物のやくざの映画をつくった。東映の俊藤浩滋プロデューサーはやくざといってよい人物だった。だから、彼らはやくざの現実とその美学を映画にしようとした。したがって観客もまったく異なった。東映の観客はやくざ映画を好んだが、日活の観客はドラマを見るために映画館へ行った」

東映映画を語るというより、日活映画を語ったわけですが、日活は青春映画の会社だというのは、当事者の共通の認識だったようです。以前、ご紹介しましたが、鈴木清順監督も、『野獣の青春』はなぜあんなタイトルになったのだときかれて、さあねえ、と笑いながら「まあ、日活は若者のための映画をつくっていたから」と答えていました。

大人のための映画をつくっていた、とは云えないし、よその会社のように、夏休みの子ども向け映画などもなかったようで、たしかに日活は「若者のための映画」をつくっていました。

でも、「青春映画」といわれると、それは吉永小百合と浜田光夫の担当であって(舟木一夫主演の映画もいくつか見た記憶があるが)、といいそうになり、いやまあ、大きく見れば、日活アクションもまた「青春映画」だったのか、と考え直したりしました。

さらに考えると、つまり、アクションも青春映画も均等にやった石原裕次郎は、日活映画の全スペクトルをカヴァーした、というか、つまり、裕次郎こそが日活だったのか、という落着でいいような気がしてきました。

今村昌平のような芸術映画の監督と、アクション映画の監督の関係、といった興味深い話題がほかにもありますが、それはまたいずれということに。

◆ ロケ地再訪 ◆◆
連休中に、『俺は待ってるぜ』のロケ地に行き、少し写真を撮りました。しかし、以前書いたように、レストラン「リーフ」のセットが組まれた場所はいまでは観光地になっていて、そういう場所に連休中などというタイミングでいったものだから、写真を撮るどころではなく、這々の体のヒット&ランになりました。

しかし、せっかく撮ったものを使わないのも癪だ、というケチくさい根性が頭をもたげ、また、つぎになにをやるかが決まらないため、観光地の混雑を写しただけの写真を並べることにしました。

写真を撮ったのは二カ所(ロケ地を特定できたのは二カ所だけだから当然だが)で、新港のほかに、裕次郎が証人を捜して歩きまわるシーンに出てきた花咲町の通りも行って来ました。

まずは、新港のロケ地から。どこにセットが建てられたかは、以前の記事で明らかにしていますが、もう一度、同じ地図を貼りつけます。真ん中やや上の青い丸がセットの位置です。

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それではロケ地、というより、観光地の写真というべきものへ。

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鉄橋の上から赤煉瓦倉庫を臨む。この方向のショットはラスト・シーンにしか登場しない。

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映画では桟橋があった「リーフ」のわきの斜面。左手に見える大型客船は飛鳥II、そのむこうのあたりに大桟橋がある。

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こういうアングルで撮りたかったのだが、あれこれ障害物はあるし、人通りも多く、そうはいかなかった。

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このように、かつては大小二種類のトラスがあったのだが、現在では左側に見える小さいほうしか残っていない。

つづいて花咲町の写真を。もうすこし庇が残っていると思ったのですが、いまや一カ所だけしかありませんでした。

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JR桜木町駅のプラットフォーム。昔とはだいぶ様子が異なる。

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逆方向に切り返し、JR桜木町駅を背にして京急日ノ出町駅方向にむかって撮影。庇はここしか残っていない。

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以上、たった二カ所のロケ地再訪でした。町は変わるようで変わらず、変わらないようで変わってしまう、というような気分です。まあ、丸ごと残っていたら、かえって興趣が薄いでしょうけれど……。


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by songsf4s | 2011-09-30 21:44 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その6
 
お客さん方にはあまり意味のないことですが、これは、当家の999本目の記事です。

体調不良でしばらく休みます、といったお知らせまで含めた本数ですが、5本の10本のといったオーダーならいざ知らず、ここまでくれば、そういったものまで含めてしまっても、かまわないでしょう。

よくまあ、飽きもせずに(いや、じっさいには何度も飽きて投げ出しそうになったのだが)、999本も書いたものです。あたくしという人間は、ちょっとどこかが足りないか、あまっているかするのでしょう。

「シェヘラザードも楽ではなかっただろうなあ」なんて大束なことをいえる資格を得たような気分なのですが、1000本目になにか特別企画を用意しているわけではありません。1000本記念総額一千万円大懸賞なんていうのはないので、期待しないでください。

◆ 日活キャバレー創生期 ◆◆
かつて、日活だけを他のスタジオと区別して特別扱いしたのは、大映、東映、東宝、松竹がスクェアだったのに対し、日活だけは、今風にいえばkewlだったからです。

その特異性は、むろん、人物設定、世界、プロットに表現されるのですが、当然ながら、ロケーション、セット・デザイン、衣裳といった視覚的な面でも、音楽や効果音といった聴覚的な面でも表現されました。

人物設定やストーリーから意味を読みとって、映画を云々するのがオーソドクシーなのでしょうが、根がオーソドクスではないもので、当家の映画記事はつねに、視覚的ディテールや音楽へと傾斜していきます。映画というのは、意味である以前に、テクスチャーなのだと考えているからです。

とまあ、よけいなゴタクを書きましたが、今回はまだふれていないセットのデザインを見ます。敵役である柴田(二谷英明)が経営し、ヒロイン・早枝子がつとめるキャバレー「地中海」のデザインです。

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「地中海」という店なので、アルジェだチュニスだといった文字が見える。

というぐあいで、のちの日活アクションの酒場、たとえば、木村威夫デザインの二つのナイトクラブ(『霧笛が俺を呼んでいる』『東京流れ者』)にくらべると、だいぶスケールが小さいのですが、しかし、ディテールには日活らしさがすでに濃厚にあらわれています。

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ステージの背後にのぞき窓があり、フロアを見渡せるようになっている。

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のぞき窓の向こうは事務所で、マンサード屋根の片側であるかのように壁面が斜めになっている。このような設定とデザインもいい。

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昼間、同じ場所でのショット。

このように事務所からクラブのフロアを見えるようにする構造は、日活アクションではおなじみで、たとえば、前述の『霧笛が俺を呼んでいる』ではさらに凝った構造で登場しますし、鈴木清順の『野獣の青春』では、『霧笛』のミクロコスモス化とは反対方向へとスケールアップしています。

このような視覚の多重化については、一度まじめに考えなければいけないとは思っているのですが、そういう理論化はじつにもって不得手というか、生来ものぐさなので、いつか、いい思案が浮かんだときにやろう、と先送りにしています。清順映画の解読には不可欠の道具なのですが。

◆ 家伝の対位法 ◆◆
今回で『俺は待ってるぜ』はおしまいなので、残った音楽の棚浚えをします。

まず、柴田が経営するクラブ「地中海」で、早枝子が歌う曲と、そのあとの4ビートのインストゥルメンタル曲を切らずにつづけていきます。北原三枝のスタンドインで歌っているのはマーサ三宅であると、佐藤勝作品集のライナーにあります。

サンプル 佐藤勝「地中海」(唄・マーサ三宅)

このマーサ三宅が歌う曲だけは佐藤勝作品集にも収録されているのですが、とくにタイトルはつけられていません。むろん、その後の4ビートの曲も同じで、「地中海」というのはわたしがつけた仮題です。

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いや、それにしても、当時の流行だったとはいえ、しっかりウェスト・コースト・ジャズしているところに、改めて感心しました。同時代性というのは恐ろしいものです。いや、それらしくになっているというだけでなく、ハイ・レベルでいいプレイなのです。

あまり話の底を割りたくないので、ちょっと人物関係を曖昧にします。つぎの曲は、いかさま博打でもめて、殺人に発展する無言劇で流れるものです。

サンプル 佐藤勝「Beat to Death」

佐藤勝の師匠、早坂文雄と黒澤明は対位法のことを繰り返しいっています。この曲もまさに対位法の実践で、陰鬱な殺人の場面に、明るく軽快なラテン・スタイルのサウンドをはめ込んでいます。

『俺は待ってるぜ』を収録した『佐藤勝作品集 第8集』のライナーには、蔵原惟繕の佐藤勝回想が収録されています。そこから引用します。ちょっとまわりくどい文章ですが、短いので。文中、「27歳」といっているのは、『俺は待ってるぜ』製作時の年齢です。

「勝さんの音楽的深みは27歳と云う若さを越えたものであったことに驚いた事を今鮮明に憶い出す。多分、それは、映画音楽の師、早坂文雄氏の晩年の仕事ぶりを間近に共にしていた事が大きかったのではなかろうかと思う。喀血しながら作曲を続けた師の後ろで、血の始末や、汚れを取り替え、写符を続けながら学んだことにある様な気がする」

早坂文雄が結核だったことは知っていましたが、その現実というのは考えてみたことがありませんでした。いや、弟子としてどう働いたとか、そのような「修行」がどうだといったことを思うわけではありません。たんに、佐藤勝というのは「そういう人物」だったと理解しただけです。そのキャラクターは彼がつくった音楽の力強い雑食性にそのまま反映されていると思います。

最後の一曲は、日活映画恒例、主役が歌うエンディング・テーマです。その直前のスコアからつなげてあります。

サンプル 佐藤勝「End Title」(唄・石原裕次郎)

◆ 日活的世界 ◆◆
『俺は待ってるぜ』がつくられたのは、石原裕次郎の人気が爆発しようとしていたときであり、『嵐を呼ぶ男』と『陽のあたる坂道』で地位が確立される直前のことです。

したがって、まだ「日活無国籍アクション」はパターン化していません。しかし、港町、エキゾティズム、流れ者(ないしは根無し草)のヒーロー、その「自己回復」の物語、暗黒街の住人たちといった主要な要素は、この映画でほぼ出揃い、のちのパターン化の準備が整えられています。

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日活は製作再開から数年に及ぶ苦闘の時期を脱し、石原裕次郎によっておおいに潤う時代を迎えるのですが、それと同時に、こうすれば客が入る、というヒット・レシピを見つけたことも、裕次郎と同様に重要だったでしょう。

自我の挫折とその回復、ないしは、個の確立といった渡辺武信のいうような、物語にこめられたものにも、もちろん相応の重要性がありましたが、わたしにとっては、視覚的、聴覚的な非日本性のほうがつねにプライオリティーが高く、その意味で『俺は待ってるぜ』はおおいなる愉楽をあたえてくれる映画であり、いま見ても、日活映画の頂点にある作品のひとつと感じます。


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by songsf4s | 2011-09-22 23:54 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その5
 
前回のつづきで、今回も50年代横浜散歩です。

警察で当時の事情をたしかめたところ、ケンカで兄を殺したテツという男はすでに死んでいたことがわかり、島木は、そのテツを殺した「川上一家の竹田」という男(草薙幸二郎)に当たってみようと、まず竹田が根城にしているという「花咲町の白雪という寿司屋」に向かいます。

花咲町というのは、JR根岸線桜木町駅を指呼の間に見る場所で、したがって、みなとみらい地区(この時代にはまだそうは呼ばれていないが)にも近く、当然、レストラン「リーフ」のある新港からもそれほど遠くありません。

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真ん中上のピンクの部分が桜木町駅。この地図では見えないが、さらに上、すなわち北がみなとみらい地区。右側を流れるのは大岡川。南が上流、北が下流でまもなく海にそそぐ。

また、厳密には野毛町ではないのですが、「野毛の飲み屋街」といったときに、花咲町まで含めて思い浮かべる人のほうが多いでしょう。

野毛坂から都橋、吉田橋に至る野毛本通りと、それと直交する平戸桜木道路という二本の表通りから、中通りにいたるまで、飲食店が櫛比し、昼間よりも夜のほうがにぎやかな、猥雑な雰囲気のある界隈です。

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島木が寿司屋にいくと、川上一家の若い者(柳瀬志郎と黒田剛。ギャングのメンツはそろいつつある!)がいて、竹田は近ごろ寄りつかない、といわれますが、店の女の子に、ビリヤード屋へ行ってみたらと教えられます。

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最初に寿司屋に行く。左は柳瀬志郎。

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ここは現在「平戸桜木道路」といっている、桜木町駅から野毛坂下のほうにつづく道の、桜木町駅に近い場所だということが、あとのショットで確認できる。いまでもこのショットのような雰囲気が残っている。変わらない町というのもあるらしい。

いっぽうで、竹田が危険な存在だと感じた柴田も、手下たちに、竹田を見つけて連れてこい、と命じ、島木と鉢合わせしそうな動きで、彼らのほうも竹田を追いはじめます。

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竹田を追う柴田の子分たち。杉浦直樹(中)と青木富夫(右)。「銀座マーケット」といわれても、もはやわからない。中通りか。

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島木がビリヤード屋から出てきたのと入れ違いに、柴田の配下がやってくる。向こうに桜木町駅のプラットフォームが見えるので、ここはピンポイントで場所を特定できる。駅のほうに行ってはなにもないので、島木はすぐに右に曲がることになるだろう。

はじめのうちは島木が先行しているのですが、行きつけのバーの発見が遅れて、先を越されてしまいます。

まだ竹田追跡行はつづきますが、ここで、このモンタージュを生彩あるものにしている、佐藤勝のサウンド・コラージュをお聴きいただきましょう。長いシークェンスですが、丸ごと切り出しました。

サンプル 佐藤勝「Searchin'」

絵の出来がいいと自然に音のほうも出来がよくなるもので、テンポの速いモンタージュに合わせて、どのようにサウンド・コラージュをつくればよいかという、教科書といえるようなものになっています。

2分すぎに登場するハワイアンは、かつて佐藤勝が石原裕次郎のために書いた「狂った果実」のインストゥルメンタル・ヴァージョンでしょう。時間の節約のために再利用したのかもしれませんが、楽しい楽屋落ちになっています。

それでは竹田探索行をつづけます。

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雀荘

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竹田追跡隊。左から榎木兵衛、杉浦直樹、深江章喜、杉浦の背後に隠れているのは青木富夫。

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島木より先に、柴田の配下は竹田の女がつとめるバーにたどりつく。四人がカウンターにさっと腰を下ろすと、間髪を入れずにグラスが並ぶ。ギャングたちも、すぐに移動しなければならないと承知しているので、寸暇を惜しんで素早くタダ酒を飲みはじめるのがじつに可笑しい。日活ギャングたちもこういうときはおおいに乗って演じたのだろう。いやまったく、日活映画はこういうところが楽しい。

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竹田探しがはじまったときはまだ明るかったが、すっかり日が落ちて、ついにギャングたちは武田のすぐ背後に迫った。

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ホテル内部。なかなか雰囲気があるが、ほんの3、4ショットのためにセットをつくるとは思えず、ロケか、他の映画のセットの借用ではないだろうか。

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飛んで火に入る夏の虫、追っ手がきょろきょろしているところに、ことを終わった竹田(草薙幸二郎)が階段を降りてきた。

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ちょっと顔を貸してもらおうじゃないか、というルーティン。ホテル玄関付近も雰囲気があるが、これはロケ地に看板を持ち込んで飾りつけるパターンではないだろうか。

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遅かりし由良之助、そのころ島木は、やっと竹田の女がつとめるバー「キール」にたどり着いた。この酒場も海の縁語で命名されている。

柴田一味につかまった竹田の運命やいかに、と紙芝居じみてしまいますが、そこは書かずにおかないと、差しさわりがありそうです。

このモンタージュは非常に狭い範囲で動いているのですが、編集も手際がよく、場所に合わせて歌謡曲、ハワイアン、ラテン、ジャズと切り替わる音楽も楽しく、この映画のひとつの見せ場になっています。

ひょっとしたら、蔵原惟繕も、高村倉太郎も、そして佐藤勝も、黒澤明の『野良犬』を意識していたのかもしれません。とりわけ佐藤勝は、師匠・早坂文雄が『野良犬』のモンタージュをどう処理したかを意識して、このサウンド・コラージュをつくりあげたのだろうと推測します。

ディゾルヴやオーヴァーラップなどは使わず、「ドライに」カットをつないでいますが(一箇所だけ、島木が駅方向にむかうところでワイプが使われている)、それがこの映画のトーンに合った、きびきびとしたリズムをつくっていて、その面でも非常に好ましいシークェンスです。

次回、いくつかセットを見、あと二曲ほどサンプルを並べて、『俺は待ってるぜ』を完了する予定です。


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by songsf4s | 2011-09-21 23:57 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その4
 
いやはや、いろいろなミスをやるもので、前回の記事をアップしている最中、『赤いハンカチ』の記事から写真のアドレスをコピーしているうちに、その記事を消してしまいました。

そちらの記事の復元に手間取った関係で、新しい記事のほうに手がまわらず、ろくに文字校もしないまま、キャプションも抜けた状態で公開することになってしまいました。

いちおう格好がついたのは今日の午後なので、それ以前にいらしてしまい、スクリーン・ショットの意味がわからず、気になるという方は、公開から半日後にできた現在の版をごらんいただけたらと思います。

◆ 中盤のプロット ◆◆
『俺は待ってるぜ』には、二度、横浜の町の長いモンタージュが登場します。ひとつは、前々回のプロットですでに書いた、石原裕次郎と北原三枝が町に遊ぶシーンです。

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もうひとつのモンタージュに行く前にプロットの残りを書いてしまいます。どこまで書くかはまだ決めていませんが、ここから先はミステリー的要素が入ってきて、それが主眼ではないにしても、形式上は謎解きになるので、近々ぜひ見てみたいなどと思っている方は、読まないほうがよろしいでしょう。スクリーン・ショットを片目でチラッと見る程度にしておかれるように警告します。

早枝子(北原三枝)に襲いかかって逆に花瓶で殴られた柴田(波多野憲)は、町で島木と歩く早枝子を見かけて連れ戻そうとしますが、島木に軽くあしらわれてしまいます。柴田は再び島木を見かけたときに、子分にあとをつけさせ、レストラン「リーフ」を突き止めます。

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日本交通公社すなわち現在のJTBの関内周辺の支店というと、尾上町一丁目にあるようだが、1957年にも同じ場所に店舗があったかどうかは不明。

前々回に書いたように、島木には兄がいて、先にブラジルに渡り、準備ができしだい弟を呼び寄せる手はずになっていました。しかし、ブラジルの兄からは一向に連絡がなく、いっぽう、島木が兄に送った手紙はみな宛先人不明で送り返されてきます。

ある日、島木が外出から帰ると、柴田の兄(二谷英明、このときは若くて顔に険があり、ギャングのボスがさまになっている)以下、弟や子分たちが店を占領していて、まだ契約が残っているので早枝子を返してもらおうと島木に迫ります。ちょっと小競り合いになりますが、そこに早枝子が帰ってきて、クラブに戻ることを承知し、その場は収まります。

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左から杉浦直樹、石原裕次郎、榎木兵衛、深江章喜、波多野憲、二谷英明(背中を向けている)の面々。日活らしいアンサンブルがすでに形成されつつある。みな若い!

しかし、島木は、この小競り合いのときに、柴田の子分(青木富夫。この映画は日活ギャングの中核が揃いはじめていたことを示している!)がもっていたメダルが気になります。

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島木は、兄が土地を買う約束をしていた売主に問い合わせの手紙を送ったところ、約束の日になっても兄上はやってこず、その後、連絡もない、という返事を受け取り、愕然とします。

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入国管理事務所に行って調べてみると、兄が日本を出た形跡のないことがわかります。しかし、荷物は乗る予定だった船にそのまま積まれて南米まで行き、送り返されていました。そして、警察で、兄が出発するはずだった前の晩に酒場のケンカで死んだ人間がいることがわかり、その現場写真によって、兄が死んだことが判明し、正当防衛ということで相手はお咎めなしと、すでに事件は片付いていたことを島木は知ります。

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その酒場は「地中海」と名前が変わったものの、じつは早枝子がつとめる、柴田の兄が経営する店だったことがわかり、島木は早枝子に、柴田の子分が持っているメダルの刻印を確かめてくれないかと依頼します。それは、彼がボクシングの新人王になったときのメダルで、出発前に兄に渡したものに思えたのです。

早枝子の助けで、それが兄に渡したメダルであったことを確認した島木は、それをもっていた柴田の子分(青木富夫)をしめあげて、どこでどう手に入れたかをいわせます。

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早枝子は青木富夫をだましてナイフを借り、口紅を使ってその飾りになっていたメダルの拓本をとる。

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裕次郎が青木富夫を待ち伏せするのは、ひょっとしたら海岸通3丁目の日本郵船の付近か。

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青木富夫にメダルをやった男はケンカで兄を殴り殺した男だったのですが、彼はすでに死んでいたことがわかり、こんどはその男を殺した相手(草薙幸二郎)に当たってみようと、裕次郎が町を歩きまわる、というところで、また長い横浜のモンタージュになります。

◆ 50年代横浜散歩 ◆◆
ということで、蔵原惟繕と高村倉太郎が、どのように1957年の横浜の町を捉えたかをすこし見ていきます。まず、序盤のデイト・シークェンスから。

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デイト・シークェンスのファースト・ショットからして場所がわからない。「横浜会館」という文字が見えるのだが、ウェブの検索ではそのようなビルは発見できなかった。あてずっぽうをいうと、羽衣町(伊勢佐木町のとなりの筋にあたる大通り)あたりではないだろうか。

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平和堂薬局という文字が見えるが、現在の関内周辺にはそういう名前の薬局は見つからない。伊勢佐木町通ではないだろうか。昔はアーケイドがあった。

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このように角を切ったところというと、長者町五丁目の交叉点が思い浮かぶ。伊勢佐木町四丁目の交叉点のとなりにあたる。古い横浜日活には入った記憶がないが、あの建物からなら、長者町五丁目の交叉点がこのように俯瞰できた可能性がある。

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Acme Dry Goods Companyというのがテキサスにあったらしい。その横浜支店だったのだろうか? といっても、それがどこにあったのか、調べがつかなかったのだが。

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以上は映画館内部。撮影の都合から、伊勢佐木町の横浜日活を使った可能性が高い。窓に味がある。

べつのシークェンスも見るつもりだったのですが、デイトのみで時間切れとなりました。以下、次回へ。


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by songsf4s | 2011-09-20 21:36 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その3
 
ほかのスタジオの映画もそうですが、とりわけ日活アクションには、しばしば引込線が登場しました。すでに取り上げた映画でいうと、舛田利雄の『赤いハンカチ』は横浜の貨物駅のシークェンスで幕を開けます。

ギャングの取引には好都合な場所だからということなのかもしれませんし、車輌の動きや足元が見えてしまう遮蔽物としての面白さ、そして凶器になりうることなどから、映画的効果を生みやすいということもあるのでしょう。

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以上三葉は『赤いハンカチ』冒頭の、石原裕次郎、二谷英明が榎木兵衛を追う貨物駅のシークェンスより。

前回の記事のコメント欄に書いたのですが、子どものころから引込線が好きでした。そのことは散歩ブログの「神奈川臨海鉄道本牧線の旅、とはいかなかったが──続・日活アクション的横浜インダストリアル散歩」という記事にも書きました。

映画をつくる側としては、いろいろ好都合なことがあって引込線を使うのでしょうが、見る側が引込線に魅力を感じるのはなぜなのだろうと思いました。最初に思いついた答えは、非日常性です。

子どものとき、引込線の線路の上を歩いていたときに感じたのは、非日常の喜びだったのだといま振り返って思います。「これはふつうならできない遊びだ」と感じていました。旅客を運んでいる鉄道の線路を歩くなど、まずできないことですから。

また、旅客を運ばない、いわば「プライヴェートな鉄道」であることも、子どもにはひどく面白く感じられました。言い換えると、ちょっと大げさですが、「この世の埒外にあるもの」としての深い魅力をたたえていたから、子どものとき、引込線のそばにいくたびに、その上を歩かずにはいられなかったのだろうと思います。

蔵原惟繕が、『俺は待ってるぜ』で、レストランのセットを「横浜市中区新港町埠頭構内」などという、無番地の奇妙な場所においただけでなく、線路の「砂かぶり」とでもいうべき近さに引込線があるという設定にしたのは、たんなる視覚的な面白さだけでなく、二重三重に主人公をこの世の外、といって大げさなら、「日本の日常の外」におきたかったからではないか、と想像しました。

◆ 外部の異界と内部の異界 ◆◆
『俺は待ってるぜ』のレストランのセットが置かれた位置については、前回、くどくどと書いたので、今回はセットそのもののことを少々書きます。

レストラン「リーフ」は、全体に西部劇の酒場のようなムードでデザインされています。とくにファサードを横から見たショットでは、ポーチのせいで西部劇のセットそのものに見えます。

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二、三段の階段を上がってポーチの上に立つと、ドアがあります。このドアも内部の床面より高いところにあり、二、三段の短い階段を降りて内部に入るようになっています。つまり、ポーチの階段を上がり、ドアをくぐると、こんどは階段を降りるという、考えようによっては無駄な構造になっているのです。

このような構造にした意味は、ひとつには視覚的効果の問題でしょう。いくつか、じっさいにそのようなショットがあるのですが、室内から見て、店に入ってきた人間を「奥」に配置しながら、なおかつ、その存在を強調することができるのです。

ドアから入ってきた人物は、やや高いところに立つことになるので、ちょうどステージに上がったように、室内の人間や調度のなかに沈まないのです。

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また、人物が水平移動するのは、見るものの視覚運動が小さいのですが、垂直方向に移動すると、目玉の運動量が増大し、映像に躍動感が生まれます。そのあたりの効果も狙ってのものでしょう。

もうひとつは、視覚的な意味ではなく、「界」と「界」の境を越える動作を強調し、レストラン「リーフ」の内部を「異界化」するためでしょう。リーフの位置自体が「異界」だということはすでに書きましたが、いわばその念押しとして、二重の異界化を、この松山崇のデザインになるセットはおこなっているのだと考えます。

ドアをくぐって店内に入ると、左手に長めのコントワールがあります。昼間はコーヒーや紅茶が、夜は酒が供されるのでしょう。このカウンターの両端には大型のコーヒーミルとラジオが見えます。正面奥の左側は調理場で、短めのカウンターがあり、できあがった料理がおかれます。

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開巻直後、石原裕次郎に誘われ、北原三枝がレストラン「リーフ」にやってきて、ドアのところに立ったたきの、彼女の「見た目」のショット。ドアが高いところにあるので、左手のコントワールの向こうにいる裕次郎を見下ろす格好になる。

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調理場内部からドアのほうを見たショット。右側にはコントワールの端が見え、その上にコーヒーミルが置かれている。

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こちらは逆方向からのショット。石原裕次郎の頭の向こうに調理場がある。そのむかって右はプライヴェート・スペースで、北原三枝がそこから出てきたところ。

調理場のむかって右にはドアがあり、その向こうには店主の私室があります。松山崇は、ここでも部屋と部屋の境に段差をつけました。私室には、店から二段ほどの階段を降りて入るようになっているのです。

この場合も、店の入口の階段と同じ視覚的効果を狙ってのデザインでしょう。部屋の奥からドアを狙ったたショットでは、手前のベッドに腰掛ける人物と、ドアから入ってきた人物に重みの差をつけずに、均等に見せることができます。

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そして、メタフィジカルなレベルにおいては、このプライヴェートな「奥の院」は、日本から遠くへ、遠くへと進むこのセット・デザインにおいて、最遠の地であり、もっとも異界性が強い場所として設計されています。

主人公がこの部屋のベッドに寝転がって、タバコを吸いながら思うのは、兄から手紙が届き、この日本を、心だけでなく、肉体としても離れ、ブラジルに渡るときのことにちがいありません。「ここではないどこか」で「自分ではない誰か」として生きる夢です。

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その想念のささやかな道具立てとして、壁には南米の地図が張られています。ここには日本を思わせるものはなにもなく、「異界性」は極限に達しています。

二十歳ぐらいのときにこの映画を再見して感じたのは、日本からの解放でした。いま改めてセットがおかれた場所と内部デザインを検討して思うのも、やはりそのことです。

1957年ほどには、あるいは、わたしがこの映画を再見した1970年代半ばほどには、いまは日本脱出願望というのは大きくありません。経済状態の好転とともに、むしろ日本肯定の気分が広がっていったのを、わたしは他人事のような遠さで見ていました。

しかし、大震災とその後の政治、経済、メディアを見ていて、1957年となにも変わっていない、あるいはさらに悪化したのではないかと思えてきました。

われわれはやはり、荒涼たる土地のはずれに小屋掛けし、その奥まった狭い一室に追い詰められ、いつか、この日本ではないどこかで、我慢のならない日本的政治風土から遠く離れ、それまでの自分とは異なる人間として暮らす夢を見ているような気がします。

今回は横浜の町のショットも検討すると予告したのですが、それは次回にさせていただき、本日はここまで。


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by songsf4s | 2011-09-19 23:33 | 映画