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田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その3
 
以前、山崎徳次郎監督『霧笛が俺を呼んでいる』をとりあげたときに、「木村威夫タッチのナイトクラブ」という記事を書きました。これに加えて、鈴木清順監督『東京流れ者』のクラブ〈アルル〉のデザインをご存知だと、木村威夫が1958年の『陽のあたる坂道』で、どういうクラブをデザインしたかを見る興趣はいや増すことになります。

◆ ジャズとウェスタン・スウィングのはざまで ◆◆
倉本たか子(北原三枝)は田代くみ子(芦川いづみ)が大好きだというジミー小池というシンガーのステージを見に行くことになります。目的地は銀座裏の〈オクラホマ〉という店です(原作も店の名は同じ。オクラホマなんて農業地帯じゃないか、ヒルビリーは盛んだったかもしれないが、音楽的な土地とはいえんだろうとあたくしは思うけれど、当時はこれで十分に「ヒップ」に感じられたのだろう)。

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先に申し上げておきますが、わたしは、この種の「ジャズ喫茶」には行ったことがありません。「この種」とはどういう種かというと、ライヴを主たるアトラクションとし、三桁の収容人員があり、50年代終わりから60年代にかけて、モダン・ジャズではなく、「ロカビリー」を売り物にした店、というタイプです。

わたしが知っている「ジャズ喫茶」は、いまでも残っているであろうタイプの、名曲喫茶が横にずれて、クラシックではなく、モダン・ジャズの盤をかけるようになった、ロックンロール・キッドには辛気くさくてかなわない店だけです。新宿に有名な店があり、いくつか行ったことがあります。

ロック系ですが、渋谷のブラックホークなんかも、静かに聴け、という教室みたいに馬鹿馬鹿しい雰囲気でした。あれを思いだすと、日本は音楽を楽しむ国ではないな、と腹が立ってきます。

ジャズ喫茶がどうしてロカビリーのライヴ・ジョイントに化けてしまったのか知りませんが、銀座のACB(あしべ)が、ノーマルなジャズ喫茶(つまり名曲喫茶のジャズ版および4ビートのライヴ)として出発しながら、途中で経営方針を変え、ロカビリー歌手を出演させて、大当たりをとったことから、名前と実態が乖離していったようです。

『陽のあたる坂道』の〈オクラホマ〉のシークェンスは、以上のような「ジャズ喫茶」の振れ幅の右と左を音楽的に表現しています。意図したものか、偶然の結果か、そこのところはわからないのですが。

まず、北原三枝と芦川いづみが店に入っていくときにプレイされている音楽を聴いてみます。

サンプル 佐藤勝「クレイジー・パーティー・ブギー」

いつもは恣意的にタイトルをつけていますが、これはGo Cinemania Reel 2という編集盤に収録されたときのタイトルです。佐藤勝と書きましたが、演奏しているのは、クレジットもされている平野快次とドン・ファイブだろうと思います。リーダーの平野快次はベース・プレイヤーだそうです。

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この曲、大人になって『陽のあたる坂道』をテレビで再見したときも、ちょっとしたもんだな、と思いましたが、年をとって聴くと、もう一段ランク・アップして、かなりのもんだね、と思います。やはり、ビーバップの影響なのでしょう。

ウォーデル・グレイとデクスター・ゴードンのMove (Jazz on Sunset)を連想しましたが、ウェスト・コースト・ジャズの震源であった、このコンボの曲も脳裏をよぎりました。ドラムはシェリー・マン、トランペットはショーティー・ロジャーズ。ちょっと音が悪くて相済みませぬ。手元のやつはもっとずっといい音で、もっとずっとホットなのですが。

Howard Rumsey's Lighthouse All Stars - Swing Shift


こういう、元々はダンス・チューンであったはずなのに、やっているうちにうっかりダンスの向こうに突き抜けてしまった、てな調子の音楽は、モダン・ジャズのうっとうしさとは対極にあって、じつに好ましい音に感じます。

平野快次とドン・ファイブの「クレイジー・パーティー・サウンド」に話を戻します。

ロカビリー歌手が出演しそうな雰囲気の「ジャズ喫茶」ですが、この音楽はロカビリーではなく、ストレートなジャズです。ドラムはミス・ショットもあるし、タイムもきわめて精確とは云いかねますが、やりたいことはよくわかりますし、ホットなところは好ましく感じます。ロックンロールとは異なり、ジャズではグルーヴの主役はベースなので、結果として、おおいに乗れるグルーヴになっています。

平野快次とドン・ファイブのプレイが終わると、MCがジミー小池、すなわち、くみ子が熱を上げているシンガーを紹介します。映像なし、音だけのクリップですが。

ジミー小池(川地民夫)「セヴン・オクロック」


歌詞の意味は映画の後半でわかるので、それまでは判断保留としてください。

川地民夫は、石原裕次郎の家の近所に住んでいたとかで(だから地元の逗子開成に通った。谷啓も逗子開成)、裕次郎がスタジオに連れてきて、日活が採用したという話が伝わっています。この映画が最初の仕事で、役名のファーストネームを芸名にしました。

歌は下手ですし、英語の発音も「うわあ」ですが、なんというか、役者の歌はこれでいいというか、肝が据わっている点はおおいに買えますし、まったく照れていないところも立派で、十分に楽しめる「音楽」になっています。素人にしては上々の出来。

そういっては失礼ですが、川地民夫、いい加減そうに見えて、さすがにこのときはロカビリー・シンガーのステージやエルヴィスの映画を研究したのじゃないでしょうか。歌手としての動きはそれらしくやっていて、その点もこのシーンを楽しくするのに貢献しています。スター・シンガーの雰囲気をしっかり醸し出しているのは、新人俳優としてはおおいに賞賛に値します。

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音楽。ロカビリーといっていいのでしょうが、そのまま平野快次とドン・ファイブがプレイしていることもあり、また8ビートではなく、速めのシャッフルでもあり(いや、ストレートな4ビートに近いか)、非常に折衷的な音に聞こえます。きわめてジャズ的なシャーシに、ポップな気分と楽曲とスタイルというボディーを載せた、といったあたり。

しかし、佐藤勝という人も、ほんとうにヴァーサタイルで、映画音楽のプロはこうでなくてはつとまらんのだろうと思いつつも、えれえオッサンだな、と呆れます。

クリップが削除された場合に備えて、映画から切り出したサンプルも念のために置いておきます。この曲も、「クレイジー・パーティー・ブギー」同様、Go Cinemania Reel 2に収録されています。この盤はもっていたように思うのですが、HDDには見あたらず、以下は映画から切り出したものです。

サンプル 川地民夫「セヴン・オクロック」

◆ 縦の視線 ◆◆
ここまで、田代家や倉本たか子のアパートのように、重要なセットが出てきても、あとでまとめて検討することにして、立ち止まりませんでしたが、〈オクラホマ〉のデザインについては、先送りせずにここで見てみます。

北原三枝と芦川いづみは、店内に入ると、直径の小さい螺旋階段を上って二階に行き、階下のステージに正面から向き合うあたりに席を取ります。これは演出しやすいようにデザインした結果、最適の場所はここと決まったのでしょう。

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ジミー小池=川地民夫がステージに上がると、この席の意味がはっきりします。倉本たか子は、くみ子が好きだというのはどんな歌手なのかという興味でこの店に来たのですが、彼が登場してみたら、同じアパートの「民夫さん」だったのでビックリ。その近所の坊主に向かってくみ子が「ジミー!!!」と叫ぶのでまたビックリ。

そのジミー小池は近所の「お姉ちゃん」が席にいるのを見つけて合図をし、たか子も小さく手を振り、それを見てこんどはくみ子のほうがビックリ、というのが、このシーンの無言劇です。

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キャメラは、二階席よりすこし高いところに置かれ、たか子とくみ子の背中とジミー小池の上半身を同じフレームに収めます。

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こういうすっきりしたショットが撮れたのは、やはり、二階席と、少し高めのステージという、セット・デザインのおかげです。一階席でステージを見上げるのでは、ほかの客が邪魔でしょうし、三人をきれいにフレームに収めるには、苦労することになったでしょう。映画美術とは、たんなる視覚的デザインではない、ということがここにはっきりあらわれています。

それはそれとして、たんなる視覚的なデザインとして見ると、このセットはどうでしょうか。まだ後年ほど木村威夫的特徴は出ていませんが、ストレートな、あるいはシンメトリカルなプランはせず、不規則にでこぼこさせるあたりは、いかにも木村威夫らしく感じます。

ステージもすこし高めにし、二階席を造って、縦に多重化することも、木村威夫的といえるでしょう。総じて、好ましいデザインなのですが、ご本人は、出来に納得がいかない様子です。

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「アイデアが多すぎるんじゃないかな。アイデアが。今ならもっと単純に考えるんじゃないかな。その当時は、あれもこれもという頭があったからね。でも白黒映画というのは、相当入り組んだことをしてもおかしくないんですよ。落ちついちゃうんだ。このままカラーで撮ったら見ちゃいられないですよ。色が氾濫しちゃって」

要素の詰め込みすぎという、よくある過ちを犯したというわけです。たしかに、ディテールの飾り付けの多くはないほうがいいかもしれませんが、あまり簡素にすると、大人のナイトクラブのようになってしまうでしょう。多すぎる要素はジャズ喫茶らしさを演出する一助になっているので、ちょっとうるさめの装飾も、悪いとばかりはいえないと思います。

とはいえ、白黒映画というのは落ち着いちゃうというのは、ほんとうにそうだなあ、です。前回ふれたスクリーン・プロセスも、白黒ならごまかしのきく場合があります。

二階席のジャズ喫茶というのは、ほかでも見たような気がします。調べがつかなかったのですが、銀座ACBからしてそうだったようですし、銀座の〈タクト〉という店も二階席があり、ステージは「中二階」と書いている人もいます。そのブログでは、渋谷プリンスという店は、ステージが二階と三階のあいだを上下に動いたと書かれています。ステージが回転して周囲の客に公平に顔を見せたところもあったとか。まるでワシントン・コロシアムのビートルズ!

木村威夫は、「遊んでいたころ」なので、多くの店を見たと回想していますが、やはり、そうした現実のジャズ喫茶をベースにして、このセットはデザインされたのでしょう。

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初見のときの感覚を思いだすのはむずかしいものです。しかし、三時間半というとんでもない長さの『陽のあたる坂道』が、それほど長く感じなかったのは、たとえば、この〈オクラホマ〉のシークェンスのように、出来のよい異質なものがうまくチェンジアップとして組み込まれているからではないでしょうか。

伊佐山三郎撮影監督も、この立体的なセットを生かそうと、そして、川地民夫の初々しさ、若々しさ、ワイルドなサウンドに絵を添わせようと、クレーンを大きく動かす撮影をしていて、この対話の多い映画に、異質な精彩を与えています。

そこまでは云わないほうがいいかな、とためらいつつ云います。この〈オクラホマ〉のシークェンスは、田坂具隆文芸大作映画に紛れ込んだ、日活アクション場面なのである、なんて……。


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by songsf4s | 2012-06-09 23:48 | 映画
田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その2
 
以前、なんの記事だったか、滝沢英輔監督『あじさいの歌』(1960年、日活、池田一郎脚本)は、フル・レングスの長編のプロットをほとんど省略せず、原作の手触りもそのまま、ほぼ忠実に映像化した、きわめて出来のいい文芸映画だといった趣旨のことを書きました。

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『あじさいの歌』挿絵。岩崎鐸画、新潮社刊『石坂洋次郎文庫 第13巻』より。

『陽のあたる坂道』はどうでしょうか? 『あじさいの歌』と同じ池田一郎(のちの作家・隆慶一郎)が田坂具隆監督と脚本を共同執筆した『陽のあたる坂道』は、原作の手触りを損なわない、ある意味で「忠実な映画化」ではあるのですが、千枚の長編を映画にするために、じつは、大きな「切除手術」をしています。

石坂洋次郎の原作には、倉本たか子が通う大学の「主事」で、たか子に田代くみ子の家庭教師の職を紹介した「山川」という人物が登場しますが、映画ではこの人物がまるごとオミットされているのです。この判断が、映画が成功するか否かのキー・ポイントになったと感じます。

小説では、山川主事はきわめて重要なキャラクターで、いま読み返すと、他の部分はさほど感興がわかないのに、山川と田代家の長い関わりの部分だけは、精彩を失っていないと感じます。

しかし、映画を三時間半に収めるにはなにかを省略しなければならず、そして、山川と田代夫妻のサイド・プロットを丸ごとオミットするという、田坂具隆と池田一郎の判断は正しかったと思います。山川主事を登場させたら、映画は混乱したでしょう。

映画には登場しない、山川と田代夫妻の関わりは、それ自体、おおいに興味深いもので、石坂洋次郎が書こうとしたのは、むしろ、この世代の物語のほうだと思われるので、いずれ、その点についてもふれるつもりです。

◆ 「ジャズで踊ってリキュールで更けて」の昔から ◆◆
倉本たか子(北原三枝)は、最初の田代家訪問でさまざまなことを知りますが、のちのプロットに影響するものとしては、まず、田代くみ子(芦川いづみ)が子どものころの大怪我のせいで軽くびっこをひくこと、そして、これが彼女の性格と生活に大きく影響しているらしいことです。

長男の雄吉(小高雄二)はあらゆる面で優等生、そして医学を勉強中、次男の信次(石原裕次郎)は画学生で、ちょっと斜に構え、人を食ったようなところがあり、たか子をさんざんからかったあげく、「訪問者に対する憲法」だといって、彼女の胸にさわって、悪い第一印象を与えます。

だれが、というのではなく、母親のみどり(轟夕起子)以下、一家全員がたいていのことを包みかくさず、初対面の人間に説明し、それぞれがそこに論評を加えるということを知るのも重要でしょう。以前にも書いたとおり、石坂洋次郎の物語は「ディベート小説」であり、ディスカッションによって進んでいくのです。

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『陽のあたる坂道』は轟夕起子の戦後の代表作といえる。

昼食(豪邸なのに、食卓にはカレーライスが並んだところに時代を感じた。あの時代には、これでもアンバランスな印象は与えなかったのだと推測する)のあと、たか子はくみ子の部屋に行き、二人だけで話します。

階下からピアノの音が聞こえてきて、あれは雄吉兄さんだとくみ子は教えます。たか子は「上手いわあ」とおおいに感心しますが、くみ子は、ただ滑らかなだけで、面白みがないと批評します。くみ子の言葉の端々から、長兄・雄吉を好まず、次兄・信次とは仲がよいことがわかります。

たか子はアパートに帰り、玄関のところで同じアパートの住人、料理屋の仲居をやっている高木トミ子(山根壽子)と一緒になり、荷物をあずかっているので、いま息子の民夫(川地民夫)に届けさせましょう、といわれます。これでおもな登場人物がそろいました。

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山根壽子は『乳母車』のときとは対照的な役柄

トミ子「あの子も可哀想に、ほんとうは作曲家になりたいんだそうですけど、それじゃお金にならないもんだから、ナイトクラブみたいなところで、いま流行りのアメリカの唄、うたってんですよ」
たか子「あら、そう」
トミ子「あたしにはさっぱりわかんないんですけどね」
たか子「ジャズでしょう」

アメリカのポップ・ミュージックをすべてひっくるめて「ジャズ」といったのは戦前のことでしょうが(「ジャズ小唄」なんていう目がまわるようなジャンルもあった!)、戦後になっても、案外、そういう言い方が長く生き延びたのでしょう。ここでいっている「ジャズ」がどういう音楽かは、次回にでも、実物を聴いていただくことにします。

茶飲み話で、たか子の家庭教師の仕事先が、アジア出版という書肆の社長の家だということにふれたとたん、トミ子の顔色が変わり、たか子はトミ子が田代家を知っているのではないかと考えます。

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田代家の母親(轟夕起子)、くみ子(芦川いづみ)、雄吉(小高雄二)の三人とたか子が音楽会(ピアニストのものらしい)に行った夜、父・田代玉吉(千田是也)と、次男の信次(石原裕次郎)は、居間で酒を飲みます。

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千田是也と石原裕次郎

信次は「ぼくを生んだお母さんは生きているんですか?」とたずね、父を狼狽させます。信次は、ぼくが気づいていることはパパやママだって知っているし、ぼくがママの子でないことは、兄さんやくみ子もわかっているじゃないか、と云い、父にその事実を認めさせます。しかし、母親の存否は知らないといい、信次もそれで引き下がります。

いっぽう、音楽会に行った四人は、夕食後、母とくみ子は自宅に帰り、雄吉はたか子を送る途中、バーないしは喫茶店(夜は酒も供すタイプの店)に入ります。

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二人のロマンスがはじまりそうなことを予感させるシークェンスですが、ここではその店のなかで流れている現実音という設定らしいスコアをサンプルにしました。タイトルはあたくしがテキトーにつけたものにすぎません。

サンプル 佐藤勝「お茶の水タンゴ」

メイン・タイトルも、一部、複数のアコーディオンがリードをとるところがありましたが、こちらはタンゴ調なので、アコーディオンが使われたのでしょう。

窓外の風景はスクリーン・プロセスによる合成です。木村威夫はこのショットを記憶していて、お茶の水で撮ったといっていました。(初稿では「電車は丸ノ内線」と書いたが、その後見直して、この部分を削除。さらに、橋は聖橋と書いたが、これも削除。聖橋ではないようだ)

なんだか、音楽も気になり、美術も気になり、はてさてどうしたものか、なのですが、セット・デザインとちがって、ここはあとでまとめてというわけには行かないような気がするので、木村威夫美術監督の証言をもう少々。

『乳母車』その5のときにも、田坂具隆監督のスクリーン・プロセスのことを書きましたが、木村威夫美術監督もスクリーン・プロセスの利用には不賛成だったようです。

アメリカなら最新のものが使えたが、あの当時の日本のはそこそこのものにすぎなかったといい、木村威夫はさらにこういっています。

「この場合、どだい無理だから止めましょうと食い下がったんだけれど、田坂先生、頑としてスクリーン・プロセスで行きますとおっしゃるから(笑)、しようがありませんや。ロケーションじゃ細部にまで神経の行き届いた芝居はできないというわけだよ。コンサート帰りで町の感じも出す店となると、やっぱり、じゃあ、背景流れてた方がいいと落着するわけ。(略)それは頭の中ではうまくいくと思っているけれどさ、でき上がってみるとそうはいかないよな」

わたしもスクリーン・プロセスが好きではないので、木村威夫美術監督のこのきびしい評価には首肯できます。美術監督としては、視覚的なトーンの違いが気に入らなかったのでしょう。「調子が崩れる」というやつです。

観客として、わたしは、スクリーン・プロセスのシークェンスを見ると、「そこにいる気分」を阻害され、「スタジオでスクリーンの前で芝居しているな」という「素」の気分になってしまいます。

しかし、それはそれとして、橋より低い場所にある店、という設定はけっこうだし(秋葉原寄りか)、なにかを動かそうと思ったときに、車ではなく、夜の電車を選んだのは、いいなあ、と思いました。

もうひとつ、視覚的なことにふれておきます。

ある日、たか子はくみ子と待ち合わせて、くみ子が好きだという、ジミー小池という歌手のステージを見に行くことになります。この待ち合わせがバス停なのです。

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いわゆる「ジャズ喫茶」のある場所といえば、銀座と考えるのがふつうでしょう。そして、このバスは「新橋行」と表示しているので、このバス停が銀座にあると措定しても、矛盾は生じません。

しかし、これはどう見ても、銀座の表通りではなく、裏通り。銀座の裏通りをバスが走っていたなんて話は寡聞にして知りません。

木村威夫は、この疑問にあっさり答えています。このシーンの撮影場所は、日活調布撮影所のオープン・セット、いわゆる「日活銀座」だそうです。銀座裏を模したパーマネントなオープン・セットが組んであり、これを「日活銀座」と呼んだのです。たぶん、銀座での撮影許可がおりないことも、そういうセットを組んだ理由のひとつでしょう。

次回、彼女たちが向かったジャズ喫茶、「オクラホマ」のセットを見て、そこで流れる音楽を聴くことにします。どちらもじつに楽しいのです。


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by songsf4s | 2012-06-08 23:28 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『刺青一代』その3
 
今日聴いたもの。

・先月録音されたラスカルズのリユニオン・ライヴ。
・『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』のOST

ラスカルズのライヴは、いやはや、でした。だってねえ、おじいさんたちがロックンロールしているだけですから。わかるでしょう? 名前が書いてなかったら、だれも見向きもしないような音楽です。

女声コーラス隊は音を外しっぱなし、Cavarierも声が出ていなくて別人のよう、おそらくは高音をヒットできないためだと思いますが、ピッチもしばしば外していて、聞き苦しいったらありません。まあ、ストーンズやビーチボーイズよりはずっとマシですが、それはストーンズがひどすぎるだけのことであって、ラスカルズがいいという意味ではありません。

ディノ・ダネリはそこそこ叩いていますが、スネアのピッチが低すぎて、若き日のキレのよさ、さわやかなサウンドとはまったく異なり、鈍重そのもの。

昔を今になす由もがな、一度土に還ったものを、いまさら霊おろしなんかするなよ、灰は灰に、です。いや、あの場にいて、みんなが元気で動いているのを見るのは、それなりの感懐があったでしょうが、要するに同窓会であって、音だけ聴いてもどうなる代物じゃござんせん。

ファンとしては、こういうふうに文句を垂れたいものでしょうが、こんな代物のURLを書くと悪法に引っかかる恐れがあるので、各自、自助努力なさってください。わたしは三カ所見つけました。おはようフェルプスくん、the rascals reunion live 2010といったキーワードで探したまえ。

それに対して、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』のOSTは、推薦してくださった〈三河の侍大将〉に気をつかうわけではなく、素晴らしい盤でした。さすがは佐藤勝、きっちりつくってあります。気力のあるときに映画も見て、記事にしたいと思います。問題は映画ですねえ!

◆ 三色殺戮 ◆◆
さて、前回はクライマクスの前半部分で終わってしまったので、今日は後半です。

高橋英樹がカフェを出ると、神戸組の見張りがさっそく注進に走ります。その話の運びよりも、注進に走る男の表現方法が面白いのですが、そのスピード感は、スクリーン・キャプチャーではお伝えできません。ともあれ、この注進のせいで、神戸組は準備万端整えて高橋英樹を迎え撃つことが、事前に観客に明らかにされます。

ここからは文字ではなく、スクリーン・キャプチャーでいくしかありませんが、音だけでもいかがかと思い、映画から切り出してサンプルをつくってみました。

サンプル 「血潮と白狐」

高橋英樹が神戸組に乗り込むところから、河津清三郎を討ち果たすまでのシークェンスです。途中、音楽がなくなり、剣の音などの効果音だけになりますが、そういう部分もカットしてありません。わたしがとくに面白いと感じたのは、0:41あたりから下でグルグルいっている音です。たぶん、ピッチの異なる二つのティンパニーを小さく鳴らしているのだと思いますが、はっきりとはわかりません。なにを使ったのであれ、面白い音です。

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河津清三郎に妻を人質にとられ、山内明は採掘権の譲渡書に署名するように迫られます。

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いきなりこのショットが出てきたときは、なんだこれは、と思った。

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キャメラが引き、書類が見えてやっと朱肉だったとわかる。わかったのはいいが、朱肉をクロースアップで撮るとは、やっぱりふつうの人ではない。

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河津清三郎(左)と山内明

そこへ、親分、と大声がし、注進が座敷を走り抜けてきます。高橋英樹がすぐそこまで来たのです。

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高橋英樹が乗り込んでくるところは、完全な芝居がかりで、それに合わせて屋敷の構造も奇妙に歪められます。

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稲妻が光るなか、キャメラは横移動で、いったい何間あるのか、長い障子を見せる。

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刃が突き出されるのを予想しながら、高橋英樹は室内に入りますが……。

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襖を開けても、開けても、無人の部屋がつづくばかりで、敵の姿は見あたりません。なぜ襖は青いのか? そういうのを愚問というのです。もちろん、これが鈴木清順の映画だからに決まっているじゃないですか。

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信号じゃあるまいし、とは思うが、青から黄色に変わったら、案の定、手槍が突き出された。

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高橋英樹はやっとのことで、囚われている山内明と伊藤弘子を見つけだしますが、なかなか近づけず、八方に白刃をふるって血路を切り開きます。せっかく伊藤弘子に短刀を突きつけているのだから、それで高橋英樹を脅せばいいのに、と思うのですが、われわれ同様、河津清三郎以下の悪党たちも、高橋英樹のパワーとスピードに呆気にとられ、なすべきことを忘失してしまったのでしょう。

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山内明に拳銃をわたして逃がせば、あとは暴れるだけ、となります。

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「おう、ブタ野郎ども、〈白狐の鐵〉が相手になってやる、どっからでもかかってこい!」

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映画を見ているときにはわからなかったが、キャプチャーしてみれば、斬られたのは榎木兵衛だった。

三下どもを蹴散らすと、画面のムードはまたしても一変します。櫓を組んでアクリル板を敷き詰めたセットでの、その筋では有名なショット。相手は親分の河津清三郎。

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とまあ、大量にスクリーン・キャプチャーを使いましたが、プロットはどうでもいい、どう表現するかが鈴木清順映画では重要なのだ、という意味がおわかりいただけたかどうか。ふつうじゃない、ということだけはなんとかお伝えできたように思うのですが……。

あれこれと駄言を弄したくなりますが、ちょうど時間切れ、理屈をいうのはまたの機会とさせていただきます。

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by songsf4s | 2010-05-08 23:56 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『刺青一代』その2
 
以前、ハチドリはあの小さい体で、どうやってメキシコ湾を横断して渡りをするのかという話を読んだのですが、いま確認しようとしたら、ふだんよく開いているその本が見あたりませんでした。このところの整理のために、どこかに一時的に避難しただけなのですが、それがどこだったか……。

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今日は一気に『刺青一代』のクライマクスにいきたいのですが、これがメキシコ湾並みに巨大で、一気に渡れるかどうか心許ないのです。二度に分けるのはシャクだけれど、結局、そうなるかもしれません。

毎度のことですが、今回も話は全部書いてしまうことになるでしょう。ストーリー重視で、なおかつ、この映画をご覧になる予定がある方は、お読みにならないほうがいいと思います。

いや、鈴木清順映画においては、プロットのプライオリティーは極端に低いのです。カラー映画ならまずなによりも色彩、つぎに画角などのショットのデザイン、編集でのつなぎ方、こうしたもののほうに重要性があります。そして、『刺青一代』のクライマクスは、まさに色彩最優先の映像なのです。

◆ 後半のプロット ◆◆
小松方正に騙されて金を失った高橋英樹と花ノ本寿の兄弟は、鉱山の採掘をしている山内明経営の土建会社に雇われることになります。

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トラックに便乗してきた高橋英樹と花ノ本寿の兄弟

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キャメラは荷台の下から動かず、頭の高品格と仕事をさせてくれと頼む高橋英樹のやり取りをそのまま捉える。

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それはいいのだが、その間にもどんどん荷台から丸太が投げ落とされ、ものすごい音をたてて転がっていくのがなんとも可笑しい。不思議な演出をする監督である。

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ここでプロットを錯綜させる要素がいくつかあります。花ノ本寿が山内明の妻である伊藤弘子に惚れ込み、彼女の暗黙の了解のもとに、入浴中にデッサンし、それをもとに仏像を彫り、それをきっかけにこの恋が周囲に知られてしまうのが第一点。

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花ノ本寿は通りかかった伊藤弘子に惹かれ、あとを追ってしまう。

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駅で小松方正が車輌を降りてきて、入れ替わりに伊藤弘子と和泉雅子が乗り込む。

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小松方正は、前日、騙して金を巻き上げた花ノ本寿が向こうから来たので、しまった、と思うが、花ノ本寿のほうは小松方正などまったく眼中になく、伊藤弘子だけを見ている。花ノ本寿の心理を強調するうまい小技で、いかにも細部の工夫で見せた監督らしい演出である。

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花ノ本寿があからさまに伊藤弘子を見つめるので、和泉雅子がその様子に気づき、ははあ、と覚って微笑む。

山内明は、自分の組はヤクザではない、土建会社である、という剛直な人間で、鉱山の仕事をとりたいヤクザの組と敵対することになる、というのが第二点。

高橋英樹と花ノ本寿の兄弟は、殺人を犯したので、もちろん警察からも追われているのですが、高橋英樹を抹殺しようとした彼の組からも、当然ながらつけ狙われています。組から三人の刺客がやってきて、山内明を邪魔者とみなす組にわらじを預けます。これが第三点。

以上がクライマクスで収斂します。

山内明の土建会社で事務を執っている小高雄二(和泉雅子をわがものにしようとしているので高橋英樹を目の敵にしている)が、敵である河津清三郎に内通し、高橋英樹と花ノ本寿に疑いがおよぶように偽の証拠を残して坑道を爆破し、さらに山内明を狙撃します(というか、わざと外したのだから脅迫が目的だが)。

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小高雄二。こういう役はお手のもの。いかにも陰険で卑怯そうに見える!

同時に花ノ本寿と伊藤弘子の危うい関係も表面化して、花ノ本寿はどこかに逃げ、山内明は高橋英樹を妨害工作の容疑者として監禁します。伊藤弘子は仕事以外のことに興味のない夫をなじりますが、この措置には、高橋英樹を保護する意味もあったことがあとで明らかになります。

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高橋英樹をつけ狙う元の組の刺客が、地元の組の人間に伴われ、山内明のところにやってきて、高橋英樹を渡してほしい、といいますが、山内明は、彼らは犯罪者だから警察に引き渡す、といって取り合いません。

いったんは飯場を逃げ出した花ノ本寿が戻ってきて、兄と一緒に逃げようとしますが、そこへ山内明があらわれ、おまえたちのような犯罪者がいると迷惑する、金をやるから新潟へ行け、そこにこれこれの船があり、その船長は俺と旧知だから、満州に連れて行ってくれるだろう、といいます。

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二人はいったん港町のほうに行きますが、花ノ本寿はどうしてももう一度だけ伊藤弘子に会いたいといい、兄は仕方なくそれを許し(刺客のひとりが近くにいることを弟に気づかせないようにするところが面白い)、松尾嘉代のカフェで待つことにします。

カフェの二階の部屋から外を見る高橋英樹と、鏡台の前に坐った松尾嘉代の描写から、二人が閨をともにしたことがうかがわれるのですが、ここでの松尾嘉代の満ち足りた表情がじつに色っぽくていいのです。

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花ノ本寿は電車に乗ろうとして、小松方正に見つけられ、ヤクザ者たちに捕らえられてしまいます(ここで伊藤弘子を追って花ノ本寿が小松方正がすれちがった以前のシークェンスが生きる)。

いっぽう、山内明は土建業者の会合のために、神戸組の河津清三郎の屋敷に行きますが、談合はまとまらず、破談になってしまいます。そこへ騙されて伊藤弘子がやってきて、庭に暴行を受けた花ノ本寿が倒れているのをみとめ、抱き起こします。

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伊藤弘子は山内明とともに捕らえられ、花ノ本寿は、高橋英樹の居所を云えといわれて、おまえたちの組の者を殺したのは兄ではない、自分だ、と明かして、刺客たちに斬られてしまいます。

高橋英樹がカフェで待っているところに、高品格をはじめとする鉱山の仲間が瀕死の花ノ本寿を運んできます。「親方と奥さんが神戸組に……」という弟の言葉に、俺が助けに行くと請け合います。

◆ 橋を渡って向こう側へ ◆◆
ここから先は、ほとんどセリフがありません。東映任侠映画同様、敵対する組に殴り込みをかけるわけですが、ほとんど正反対といってもいいほどニュアンスが異なります。駈けだす高橋英樹の背中に「組」という荷物はありません。自分を裏切り、自分の愛する者に害をなす連中を討ち果たすことだけが目的であり、なにも背負っていないのです。

いや、そんなことはどうでもいいのです。肝心なのは、『花と怒涛』の新潟の景と同じように、ここからは「この世の出来事」ではなくなる、ということです。『花と怒涛』より明快に、芝居がかりで転換するので、鈴木清順映画に馴れていない人でも、はっきりと「異界」に入ったことがわかるでしょう。

どこで異界に入ったか? じっさいにご覧になればすぐにわかりますが、河津清三郎の屋敷で花ノ本寿が斬りつけられたところからです。斬られた直後に、画面左から赤くなっていくのですが、そんなことが現実にあるはずがなく、リアリズム描写ではないことはわかりますし、清順ファンなら「はじまったな」と思うところであり、かつての池袋文芸座での回顧上映なら、客からかけ声がかかり、拍手が起こるところです。

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斬殺シーンの赤は、つぎのショットにも引き継がれ、高橋英樹が弟を思って見つめる空は真っ赤に染まる。

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松尾嘉代がもったレコードがパリンと割れる。「不吉な予感」という名前のクリシェだが、ここはクリシェを使うべき場面。映像表現はだれにでも了解できるものではないが、論理はすべて了解可能な形で描かれているのである。

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このあとの、カフェで待つ高橋英樹と松尾嘉代の描写も「あの世」に入っていますが、カフェに運ばれてきて花ノ本寿が息を引き取ったところからは、文字どおりあの世で、常識に囚われていては、ここから先のシークェンスは理解不能です。

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高橋英樹に松尾嘉代が傘を渡すところからは完全に芝居がかりで、ここで映画はさらに「あの世」に入りこみます。

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ついで、橋の手前で、向こうから橋を渡ってくる日野道夫との殺陣(敵ではないのだからここは理屈が通らないのだが、例によって、ただ出てくるだけではつまらない、という調子で、たんに観客に対する目くらましとして演出された場面かもしれない)があり、刀を受け取って、高橋英樹は橋を渡ります。これはまさしく橋懸かり、橋の向こうは「あの世」の本舞台です。

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やはりクライマクスの核心にはたどり着けず、入口どまりでした。もう一回『刺青一代』をつづけることにします。



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by songsf4s | 2010-05-07 23:56 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『刺青一代』その1
 
(枕の6パラグラフを削除しました。あしからず)

◆ 「ただあるだけ」のプロット ◆◆
さて、鈴木清順=木村威夫シリーズ、今回の『刺青一代』は三本目です。三本やれば追悼の形はととのうというものです。

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今回も重要なセットは二杯だけで、簡単にいきそうな気がするのですが、それは前回の『花と怒涛』も同じだったのに、五回におよんでしまったのだから、さっとやる、といっても、われながら信用できません!

ざっとプロットを書いておきます。例によって、話はあまり重要ではありません。なにを語るかよりも、どう語るかのほうにアクセントがあります。

時は昭和の初め、渡世人の高橋英樹は敵対する組の組長を殺しますが、直後に、自分の組に抹殺されそうになったところを、美学生の弟に救われます。弟も殺人者になってしまったため、高橋英樹は自首するという考えを捨て、満州に逃げることにします。

『花と怒涛』のシノプシスとまちがえているのではないか、ですって? いえ、ほぼ同じなだけです。『花と怒涛』では潮来から東京に逃げ、それから満州に渡るために新潟に行きますが、『刺青一代』では出発点が東京なので、新潟にたどり着く前の、どことも明示されぬ日本海側の港町と、その近くの鉱山が舞台になります(ロケは主として銚子でおこなわれたらしい)。

高橋英樹と弟の花ノ本寿(「はなのもと・ことぶき」と読む)はこの港町で、小松方正に満州に密航させてやると騙されて金を奪われ、働き口を求めて近くの鉱山に行きます。ここで採掘をしている組の親方が山内明、その妻が伊藤弘子、妹が和泉雅子、人足頭が高品格、という配置で、美学生である花ノ本寿は伊藤弘子に惚れて、話を面倒にします。和泉雅子のほうは高橋英樹が好きになってしまいますが、高橋のほうは自分はヤクザ者だからと相手にならず、酒場女の松尾嘉代に親しんだりします。

とりあえず、このへんまででよろしいでしょうかね。いずれにしろ、プロットはそれほど重要ではなく、この話をどのような映像で見せたかのほうに意味があります。

◆ 小さな工夫の連打 ◆◆
おかしなもので、あとからふりかえると、どうしてこの監督が日活時代にあれほど不遇だったのか理解に苦しみます。しいていえば、「すべてが」大多数の観客の了解の範囲に収まるべきプログラム・ピクチャーにおいて、その枠外のことを山ほどやったために、娯楽派、芸術派、どちらの陣営の目にも美点が見えなかった、というあたりでしょうか。セクショナリズムといっては適切ではないかもしれませんが、客というのはみずからをジャンルに閉じこめてしまうものなのでしょう。

『刺青一代』という映画は、話自体はどうということもないのですが、その映像たるや、冒頭からもう、うへえ、の連発です。

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ただ男の裸が並ぶだけでも尋常ではないのに、立っている人間を、90度キャメラを傾けて横長の画面に収めるというのは、おいおい、です。

まあ、こういう「威し」は二面的な結果を伴うので、とりあえず深入りせず、最初に見たときは驚いた、とだけ書いておきます。

話に入って最初のシークェンスは、高橋英樹が対立する組の嵯峨善兵組長を襲うところです。

川縁に傘を差して向こうむきにしゃがんでいた高橋英樹が、人力車の音に振り返って立ち上がります。高橋英樹の傘に書いてある組の名前と、人力車の提灯に書いてある組の名前がちがうため、これからなにが起こるかは、たいていの客に伝わります。

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画面左から高橋英樹の傘がフレームイン、画面右からフレームインしてきた車夫の笠が高橋英樹の傘に押されて後退する、という表現を見ただけで、なぜこの人が不遇だったのだ、と首をかしげます。

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まあ、会社の上層部が認めないのはやむをえないとして(でも、同じ時期に今村昌平には好き勝手につくることを許しているのはなぜなのだ?)、映画評論家はこういう映像表現を見ないのか、といいたくなりますが、そこで、当時の評論家の大多数は、日活のプログラム・ピクチャーなど見なかったのだということを思いだします。でも、しつこく食い下がってしまいますが、加藤泰を賞賛した人たちも、鈴木清順は見なかったのでしょうかね?

どうしてもそのへんがわかりません。プログラム・ピクチャーはすべて評価の外、というのならやむをえませんが、東映については、すでにプログラム・ピクチャーを評価する機運があったのに、日活はそうではなかったという矛盾が、あの時代には子どもだった人間には、いまだに理解できません。東映任侠映画は左翼方面に受けたから厚遇されたのではないか、なんて嫌味をいいたくなります。

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人間万事塞翁が馬、なにが災いし、なにが幸いするかわからないので、運不運のことをいっても意味はありませんが、この時期の鈴木清順の映画を多くの人が見ていれば、『殺しの烙印』と『ツィゴイネルワイゼン』のあいだにポッカリ口を開けた十年のブランクはなかっただろうと、残念でなりません。

◆ 「木村キャバレー」に比肩する「木村カフェ」 ◆◆
『刺青一代』第一のセットは、高橋英樹の弟、美術を学んでいる花ノ本寿の下宿の部屋です。襖や障子をただそこに置くということをしない木村威夫です、ここもデッサンを襖にして、画学生らしい部屋をつくっています。

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弟は留守で、高橋英樹は持参した金を下宿のおかみさんに託して、迎えに来た長弘にともなわれて人力車に乗りますが、理不尽にも、自分の組の長弘に殺されそうになり、争っているところに、帰宅途中の弟が来合わせ、兄を助けようとした弟は、長弘を殺してしまいます。

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清順映画にかぎらず、日活映画にはしばしば弟を異常なまでに可愛がる兄が登場しますが、なかでもこの『刺青一代』の高橋英樹が演じる兄ほど、弟を思う人物はないでしょう。脚本の段階では弟の比重は小さかったそうですが、できあがった映画では、彼の前後をわきまえない一途さが話を前に進める(または話をこじれさせる)エンジンの役割を果たしています。

満州へ逃げようとした兄弟は、日本海側のどこかの港町にたどり着き、密航を助けてくれるはずの人物がいるというカフェを訪れます。

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それほど凝っているわけではないし、木村威夫にしてはわりにノーマルなデザインですが、わたしはこのセットが大好きです。美術監督自身、うまくいったと自賛していましたが、やはり、そういうグッド・フィーリンの問題なのでしょう。「こういう店があったら行きたいな」と思いますものね。

映画の見方はさまざまですし、わたし自身、ひとつの見方しかしないわけではありません。しかし、子どものころから映画館へと自分を向かわせた最大の要素は「そこにいる感覚」または「そこへ行きたいという憧憬」だったのだと思います。

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高橋英樹と花ノ本寿はいったん店を出かかるが、警官と私服刑事と鉢合わせしそうになり、店に舞い戻る。刑事はバーカウンターまできて、松尾嘉世に不審者を見かけないかときく。バーカウンターが緑色にぬられているのは、もちろん、たまたまそうなったわけではなく、ふつうにやるのが嫌いな木村威夫美術監督の好み!

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警官たちが去ると、小上がり(カフェに小上がりがあるのだ!)から降りてきた小松方正が、松尾嘉世に「塩をまいておけ」というと、間髪を入れず松尾嘉世がイヤな客である小松に塩を投げつけるのがじつに楽しい!

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古い日本映画を見ているときは、とくにそれを思います。『乳母車』と鎌倉駅のことを書いたのは、そのような、映画がもたらす「あそこにいたい」という感覚のことをいいたかったからです。

まだほんの冒頭だけですが、本日はここまでとさせていただきます。つぎはなんとか、この映画でもっとも重要なセットにたどり着きたいと思っていますが、そうはいかないかもしれません!



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by songsf4s | 2010-05-04 23:58 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その5

『花と怒涛』の音楽(奥村一。この作曲家にはもうすこし面白いスコアがある)はそれほど印象的ではないのですが、いちおうサンプルをあげておきます。

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「メイン・テーマ」(奥村一)および主題歌「花と怒涛」(作詞・杉野まもる、作曲・古賀政男)

スコア全体はとくにマイナーを強調しているわけではありませんが、小林旭の歌う主題歌はストレートな演歌です。なんだか、冒頭のメイン・テーマと歌とそのあとのセグメントのつながりがぎこちなく、「政治的配慮」の産物か、という気がしてきます。早い話が、歌が浮いていて、前後のスコアとの整合性が悪いのです。でも、どこかに歌を嵌めこむ必要があったのでしょう。

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『花と怒涛』より、スティル。映画とはアングルが大きく異なるため、「十二階」の位置が右に移動している。映画では薄暗がりでのシーンなので、こちらのほうが川地民夫の頓狂な扮装がよくわかる。

◆ 襖やら障子やら襖障子やら ◆◆
『花と怒涛』は、本体の話はいちおう前回でおしまいなのですが、木村威夫の日本間のデザインを中心に、少々落ち穂拾いをします。

もちろん、設定に左右されることなので、いつもそうできるわけではないでしょうが、木村威夫は障子や襖に凝るタイプの美術監督です。素直な障子のほうがすくないくらいで、たいていの場合、なにかしら工夫してあります。

まずは賭場から。小林旭は雨で仕事に出られない日に、飯場で花札をして仲間たちを裸にむしった金をもって賭場に行きますが、いい目が出ません。そこへ小林旭に岡惚れしている馬賊芸者の万龍姐さん(久保菜穂子)がやってきて、壺振りの隣、小林旭の向かいに坐って「加勢する」という場面です。

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宮部昭夫(左端)と久保菜穂子のあいだに見える窓障子にご注目。宮部昭夫の左に見える窓障子はパターンを変えてある。こういう風に同じものをつづけないのも木村威夫らしい。

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小林旭が大勝ちして去ったあとに、マント姿とは一転して渡世人風になった川地民夫が賭場に入ってくる。こういう襖と障子の合いの子はなんと呼ぶのか知らないし、料亭などの建築では一般的だったのかどうかも存ぜず。すくなくとも、わたしの目にはありふれたものには見えない。

小林旭が博打で仲間から金を巻き上げ、賭場に行ったのは、金を増やして、みんなで芸者を上げて気晴らししようというもくろみでした。別室で仲間が騒いでいるのを聞きながら、万龍姐さんに世話になった礼をするところで、それがわかります。

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料亭の一室。久保菜穂子が中庭をはさんだ向かいの部屋で騒ぐ連中に目をやる(以下二葉も同じシークェンス)。

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キャメラが引くと、凝っているのは障子ばかりではなく、この料亭のプラン自体も複雑なことがわかる。コの字型に庭を囲んでいるわけではなく、なんとも変な曲げ方をしている!

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◆ ドームに収めた(?)土間の造り ◆◆
小林旭はただの人足だったのですが、ひょんなことから「村田組」の小頭に取り立てられることになり、村田卯三郎(山内明)の家に行きます。この家がまた奇妙なのです。

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村田組の正面。こういう風に障子をずらっと四間も並べる表口というのも、あまりお目にかからないと思うのだが……。

広い土間に接した座敷の隣には、腰が海鼠壁になった土蔵のようなものがあります。いや、「ようなもの」ではなく、分厚い扉と壁が見えるショットがあるので、まさに土蔵なのでしょう。

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暗いので、ディテールが見えるように、「オーバー」気味に加工した。

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べつのシークェンス、小林旭が山内明を討つ場面で、厚い扉が見える。

そして、広い土間の一角には井戸があります。

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小頭たちに指示を伝える場面での井戸。人物は深江章喜(奥)、山内明(背中)。ここでも深江章喜の向こうに土蔵の扉。

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この井戸も、小林旭と山内明の対決で効果的に利用される。

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左手の障子に、綱を切られて釣瓶が落ちた余勢で廻りつづける滑車の影が映る。

ふつうなら家のなかにはない土蔵と井戸を、母屋ごとひとつ屋根の下に収めた、とでもいう造りなのです。こういう造りをする地方があるのでしょうか。それとも木村威夫の独創なのでしょうか。わたしには見当もつきません!

◆ さらに料亭 ◆◆
ふつうに見ていると気づかないようなところでも、木村威夫は変わった障子のデザインをやっています。小林旭が小頭に取り立てられたのを祝う宴席の、上座を狙ったショット。

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障子紙を加工したのか、ただ白いのではなく、影がついている。左から山本陽子(まだ大部屋だったのだろう。このシーンに出てくるだけで、セリフもなければクレジットもない)、久保菜穂子、小林旭、長弘(代貸)。

同じ料亭のべつの部屋。久保菜穂子にしつこく迫っている宮部昭夫。いや、そういうことではなく、襖をはじめとするデザインをご覧あれ。

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電灯の笠には葡萄の葉の模様。鈴木清順は小道具をどんどん片づけてしまうクセがあるので、木村威夫としては、片づけたくても片づけられない小道具に凝ってみた、かどうかは知らない。

これまた同じ料亭の部屋という設定なのだと思いますが、手打ちの席でのイカサマ博打をめぐるもめごとで、山内明が宮部昭夫に詫びを入れるため、市会議員・嵯峨善兵のもとに長弘代貸が訪れる場面。

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これだって、そうとう変わったデザインだと思いますよ。

◆ 最後はやっぱり居酒屋〈伊平〉 ◆◆
〈伊平〉の構造についてはすでにしつこく追求しているのですが、デザインのディテールについてはあまりふれなかったので、そういうショットを並べてみます。

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右に見える額には、ちゃんと「伊平さん江」と書かれている。映画ではそんなところまでわからないのだが、現場でなにがあってもいいように準備してある!

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この襖紙も変わっている。『悪太郎』のときと同じように、西洋壁紙を使ったのではないだろうか?


以上で正真正銘、『花と怒涛』シリーズはおしまいです。次回はすぐにつぎの木村威夫作品にいくかもしれませんし、そのまえに、音楽ものをひとつふたつやるかもしれません。

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by songsf4s | 2010-04-29 23:57 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その4

『花と怒涛』、今日はクライマクスの新潟の場面を見るのですが、そのまえに『花と怒涛』の前回から持ち越している宿題、居酒屋〈伊平〉のプランについてです。

二度、まったく異なった撮り方で登場する小上がりはふたつあるのか、それとも、同じものに異なった印象を与えただけか、という問題。

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最初は久保菜穂子を小上がりに坐らせ、キャメラは裏口側から正面入口方向に向けられている。

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二度目は逆方向から捉えている。玉川伊佐男は裏通りを背にしている。

結論、小上がりはひとつだけ、裏口の脇にある、です。こんどは大丈夫!

何度も見直して、やっと確信がもてるというくらいですから、『日活アクションの華麗な世界』所載の見取り図があまり正確ではなかったのはやむをえないでしょう。映画館で見た記憶だけでは、とうていあの居酒屋の構造は把握できません。まして、通りがどうなって、十二階はどの方向にあるかなんて、図示することが土台無理なのです。

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居酒屋〈伊平〉略図。じつはこの店は入口のない十二階側の面でも道路に接していて、三面を道に囲まれているということが、略図をつくっていてやっとわかった。したがって、二階はもう一面のほうにも窓が切られている可能性がある。

ふつう、映画館では、われわれはセットを見て、一階のプランと二階のプランがどうなっていて、どう接続されるか、なんていうことは気にしないか、気にしても把握する閑もなくドラマは進んでいってしまうものです。

邸宅ではない小さな家の場合、階段の上のほうは、しばしば曲がっているか、または、階段自体は真っ直ぐでも、上りきった直後に曲がるようになっています。もちろん、階段の位置にもよるのですが、真っ直ぐな階段をそのままの動線で真っ直ぐな廊下につなげるだけの余裕がないことのほうが多いでしょう。

〈伊平〉も一階のプランと階段の位置から考えて、上ったところで左に曲がっているはずです。じっさい、このシリーズのその1で検討した、川地民夫の襲撃の際、小林旭はそういう形で左からキャメラのフレームに入って、階段を降りかかります。

しかし、階段をとらえたショットによると、まっすぐ廊下がつづいているわけではないものの、上りきったところにすこし余裕をもたせてあります。

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これをもとに二階のプランを考えていくと、大きな矛盾に逢着します。『東京流れ者』で渡哲也の視線の先に赤坂のタワーが見える(あれが東京タワーではないことは「『東京流れ者』訂正」に書いた)ように、『花と怒涛』では、障子をわずかにあけて外を見る小林旭の視線の先には、浅草十二階があります。

部屋の内部のようすをとらえたショットと、想定される二階のプランとをにらみ、このときの小林旭の位置を考えたのですが、どうも、十二階とは反対側を見ているように思えます。

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結局、小林旭が開けた襖の向こうにはもう一部屋あり、その向こう端に階段がある、と考えれば、画面向かって左側、十二階があると想定して、小林旭が視線を向けていた方向は正しいように思われる。ただし、こちら側に、明示的には説明されなかった窓があると想定しなければいけないが。

こんな馬鹿なことを考え、映像からそれなりに考察の土台を得られるのは、家庭用VCR登場以降のことで、『花と怒涛』が製作されたときには、このような映画の見方は想定されていませんでした。映画館で見ているぶんには、一階と二階の整合性を気にする人がいたとしても(たとえば渡辺武信のような建築家)、ドラマの進行も追わなければならないので、たとえ矛盾があっても、それを矛盾と感じることはなかったでしょう。

いやもう恐縮です。わたしはこういうことが気になるのですが、たいていの人にとっては、どうでもいいにちがいありません。わたしだって、最初に『花と怒涛』を見たときは、一階での芝居がすごく面白いと思っただけで、二階の窓がどの方向に向かって切られているかなんて、考えもしませんでしたよ。

◆ 映画からの離陸 ◆◆
さて、クライマクス、新潟の景です。新潟に向かう汽車内部の人物関係の描写は、非現実に半歩踏み込んでいます。現実からの飛翔準備、非現実への踏切板として、このシーンは演出されたのだと思います。

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キャメラはまず車窓越しに松原智恵子をとらえ、そのまま移動でつぎの車輌にいる川地民夫をとらえます(松原智恵子が居酒屋〈伊平〉の近くで人力車に乗ったところを、川地民夫が目撃するショットがあり、彼の追跡は観客も予想している)。その車輌のなかを玉川伊佐男の刑事が歩き、つぎの車輌に移ろうとしているところもとらえられます。

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ふつうなら、客車の外から移動で車内の様子を見せるなんてことはないわけで(ただし、『夜の大捜査線』では、ハスケル・ウェクスラーが空撮で車窓越しにシドニー・ポワティエを捉える離れ業をやってのけたが)、これはリアリズム描写ではありません。セットではないフリなんかまったくせず、これはセットだよ、「芝居の舞台なんだよ」とはっきりとわからせる撮り方です。つまり、ここで「映画的表現から演劇的表現に切り替えたよ」ということを観客に伝えているのだと感じます。

以上のショットで、新潟に行くことはいちおう視覚的に提示されます。でも、駅に着いたとか、改札を抜けたとか、駅からどういう交通手段を利用して、どこに向かったか、などという描写はいっさいありません。列車の松原智恵子のショットから、いきなり、菊治からおしげにあてた手紙の文面にあった「桟橋の時計台の下」へとつなげられます。

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ひとつには、すでに手紙の文面として「桟橋の時計台の下」で待ち合わせることを観客を提示したので、描写の重複を避けるという意味もあったのでしょう。もうひとつは、つぎのトリッキーなショットへの準備として、松原智恵子のすがたの印象が観客の脳裡から去らないうちに、さっさとつぎのカットに進みたい、だが、そのいっぽうで、あまりにもしつこく松原智恵子のすがたを見せて(たとえば松原智恵子が改札を抜ける、あるいは人力車に乗り込む)、トリックをわざとらしいものにするのも避けたかったのだと思います。

◆ すり替えトリック ◆◆
列車のショットのつぎに置かれる、このセットでの最初のショットは、雪の道を歩む女のうしろ姿です。考えてみると、髪結床から出てきた松原智恵子のうしろ姿も、まだ観客の脳裡に残っています。

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画面奥に小林旭らしい人影があらわれ、女がそちらに向かって急ごうとすると、積み上げられた雪の陰から人影が飛び出し、長剣を女に突き刺します。

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観客はここで、松原智恵子が川地民夫に殺されたと考えます。しかし、ほとんど詐欺みたいなものですが(最前の新潟行き列車の車内の描写には、松原智恵子、川地民夫、玉川伊佐男の三人しか登場しない)、これはひと目でいいから菊治に会いたいと追ってきた(明示的には説明されないが、高品格から小林旭の居所を聞き出したのだろう)久保菜穂子の万龍姐さんだったのです。

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駆け寄った小林旭が、「姐さん、なんだってこんなところに」というと、久保菜穂子は、お金を返したくて、といい、雪の上に投げ出された手提袋から飛び出した札束をキャメラはとらえます。

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ここで、小林旭が久保菜穂子を救おうとして渡した金があだになったことがわかり、われわれは、人生のままならなさ、好意はかならずしもいい結果をもたらさないアイロニーを思うことになります。

◆ ハッピーなような、そうでもないような ◆◆
いつまでも万龍姐さんの介抱をしているわけにはいかず、小林旭は川地民夫と対決します。雪に足を取られ、こけつまろびつの、ちょっと不格好な格闘をしているうちに、二人は穴に落ちます。

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ほとんど意識のない万龍姐さんのいまわの際のインサートが入り、その向こうで小林旭が短刀を片手に立ち上がって、ヒーローが戦いに勝ったことが間接的に示されます。

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小林旭が万龍姐さんを気遣って抱き起こそうとしたところへ、「あなた」と松原智恵子登場。

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そちらへ向かいかけて、不審げに立ち止まる小林旭。

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画面奥の暗がりから松原智恵子を尾行してきた玉川伊佐男がフレームイン。

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このあたり、映画ではなく、舞台の呼吸です。

ふりかえって刑事の姿を見た松原智恵子は、あわてて亭主のほうに駆け寄ろうとして、雪に足を取られて転んでしまいます。そのすぐ脇の穴から亡霊のようにあらわれた川地民夫に気づき、松原智恵子は逃げようとしますが、川地はその足に斬りつけます。

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女房が斬られて、小林旭はそちらに駆け寄りたいのですが、玉川伊佐男刑事のせいで、物陰から出られません。

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松原智恵子は玉川伊佐男にすがりつき、必死に亭主を逃がそうとします。

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「あなた、赤ちゃんが」という松原智恵子の言葉に、玉川伊佐男は驚きます。

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「子どもには、あなたのお父さんは満州にいる、といわせてください。刑務所ではなく」というセリフは、エヴァリー・ブラザーズのTake a Message to Maryを想起させます。「彼女には、俺はティンブクトゥーにでも行ったとかなんとか話しておいてくれ、でも、監獄にいることだけはいわないでくれよ」です。

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鬼刑事・玉川伊佐男も女の心情にほだされ、逮捕をあきらめて、死にかけた川地民夫に話しかけるような思い入れで、「もう尾形は船に乗った。なあ吉村、女房というのはいいものだなあ。傷が治ったら、あとを追って満州に渡るそうだ」と大声でいい、小林旭に逃亡を促すいっぽうで、松原智恵子の傷は浅く、心配はいらないことを伝えます。

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かくして新派芝居よろしく、松原智恵子を抱えて去る玉川伊佐男、安堵と、そして深い孤独のうちに立ちすくむヒーロー、エンドマーク。

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いやはや、「柝」〔き〕が入って、雪が降り出し、幕が下りる、なんて幻を見てしまいます。

◆ すぐ隣の異界 ◆◆
鈴木清順の映画にはしばしばそういうものが登場しますが、ふっと、部屋の外に出たら、そこは異界になっていた、という調子で、小林旭が恋女房に手紙で待ち合わせ場所と指定した時計台の一帯は、いきなりわれわれの前に「異界」として口を開けます。もうここは「この世」ではなく、他界、彼岸への「橋懸かり」なのです。

そのように考えないと、このセットはたんに「リアルではない美術」に見えてしまうでしょう。ここが、鈴木清順映画(および「枠の外に出る」と決意したときの木村威夫デザイン)を楽しめるか楽しめないかの分かれ目なのです。

これから取り上げる予定の映画が多くて、あまりたくさん例をあげるわけにはいきませんが、すでに見た映画では、『東京流れ者』のクラブ〈アルル〉のセットも、やはり鈴木清順の映画にしばしば見られる、現実のすぐ隣にポッカリ開いた「異界の穴」でした。此岸からときおり彼岸にわたることこそ、鈴木清順映画の最大の特徴といっていいほどです(『ツィゴイネルワイゼン』は映画全体が「異界の穴」のようだったが)。

木村威夫は後年、鈴木清順映画に登場するこうしたムードのシーンを「あの世」と呼んでいるので、当時も十分に承知して、リアリズムにこだわらないデザインを心がけたのだと思います。

『俺たちの血が許さない』の、小林旭と松原智恵子がひっそりと逢い引きするレストランが、この世から切り離され、異世界にポツンと存在するかのように描かれたのに似て、この新潟の景は非リアリズムの世界、この世から一歩外に出かかった世界として描かれています。

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『俺たちの血が許さない』のレストランのセット。スティル。

以前、『赤いハンカチ』その7でふれた、警察署裏のセットと同じような意味で、『花と怒涛』の新潟の桟橋は、現実の外側に造られた異界です。『赤いハンカチ』のクライマクス同様、『花と怒涛』のこのセットも、わたしの心を画面に引き込み、きわめて強い印象を残すものでした。はじめて見たときも、いまも、『花と怒涛』は鈴木清順の代表作だと思っています。

これで終わりのような気もするのですが、スクリーン・キャプチャーをとっているうちに、どのセットの建具にもなにかしら見るところがあるのに気づいたので、次回、ストーリーラインからは離れて、「木村威夫の日本間」のことを書こうと思っています。



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by songsf4s | 2010-04-28 23:56
木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その3

邦画にかぎるのですが、わたしは脇役の俳優が気になります。ところが、俳優辞典のたぐいをもっていないので、名前がわからないことがよくあります。たとえば、渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』に、だれそれが演じるなになにの役、などと書いてあるのを手がかりにして、すこしずつ空白を埋めていくといった、気の長い作業をやっています。

『ゴジラ』シリーズなども、いまでは俳優のアンサンブルを楽しむ映画に感じますが、日活アクションは、なんといってもギャングの顔ぶれが楽しみです。『花と怒涛』では飯場の土方衆が多く、悪役の一部は善玉に吸収されています。その代表が野呂圭介と柳瀬志朗。

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野呂圭介

深江章喜はいつものように悪役として登場するのですが、途中で小林旭と意気投合して善玉に転換するというめずらしい役をやっています。裕次郎=ルリ子のムード・アクションの代表作『二人の世界』で深江章喜が演じた、「お嬢さん」を守ることに命をかける一本気なヤクザほどの儲け役ではありませんが、陰鬱なギャングの役が多いこの俳優としては、『花と怒涛』の小頭は好ましい役のひとつでしょう。まあ、極悪の深江章喜があってこそ、稀な善玉役が面白く感じられるのですが。

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深江章喜

榎木兵衛も、ギャングのなかにいるとうれしくなる俳優です。山下公園のベンチに坐って、むやみにピーナツを食べる情報屋を榎木兵衛が演じたのは、どの映画でしたっけ? あれがこの異相の俳優のもっとも目立つ役だったかもしれません。

こんなことを書いていると、また終わらなくなるので、そろそろ切り上げます。日活脇役陣のことを詳細に教えてくれるサイトは見あたらず、そのうち、脇役にスポットを当てた記事でも書こうとかと思います。

◆ 浅草十二階下 ◆◆
前回は、小林旭が車夫に化けて警官たちの目をごまかしたはよかったけれど、ホンモノとまちがわれて、川地民夫を乗せるハメになったところまで書きました。この脇筋はプロットに有機的に組み込まれているわけではなく、ささやかなコミック・リリーフにすぎません。

ここで気になったのは、川地民夫が小林旭に行き先を「浅草の十二階下」と命じることです。居酒屋〈伊平〉があるのは「十二階下」ではないのですが、どうも、あそこに行くつもりで「十二階下」といっているように思われます。さらにいうと、木村威夫も「あの十二階下の飲み屋」といっています。

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はて? かつての十二階下(現在の〈ひさご通り〉の裏側あたり)は、いわゆる「銘酒屋」などが櫛比する売笑窟だったそうです(昭和4年発行の今和次郎編『新版大東京案内』によると、関東大震災以後、十二階下の娼婦はすっかりいなくなってしまったという)。たしかに、〈伊平〉の向かいの店は娼家という設定で、客が引きずり込まれるシーンがありますし、あろうことか、川地民夫が娼婦に引っ張り込まれて、押し倒されてしまうショットまで出てきます。

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十二階下の通りからは、十二階そのものの全景が見えるはずがありません。基部が見えるだけでしょう。しかし、川地民夫のセリフと木村威夫の言葉から、少なくとも監督や美術監督の「つもり」としては、あの通りのセットは十二階下にあるという設定なのかもしれません。

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「気分」としては、鈴木清順=木村威夫が十二階下にこだわるのはよく理解できます。わたしも、高校のとき、用もないのに、たんなる好奇心から、まだ明るいうちに横浜黄金町のガード下(黒澤明『天国と地獄』のおどろおどろしい描写をご覧あれ!)に入りこみ、バーに引っ張り込まれそうになってあわてた経験のある人間ですからね。かつてのあのへんのバーは「銘酒屋」といっしょで、たんに酒を飲む場所ではないのだから、高校生なんか相手にしちゃいかんのですが、そんなことはおかまいなしなんだから、面白い場所でした、いえ、怖ろしい場所でした。

◆ 雑踏の迷彩 ◆◆
小林旭は松原智恵子に手紙で満州行きの手順を知らせます。

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「おしげちゃん、荷物は上野ステーションにあずけてきたからね、七時には出るんだよ」

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小林旭の手紙を読んで幸せそうな笑みを浮かべる松原智恵子。

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しかし、つぎの瞬間、松原智恵子は隣の部屋に入り、その笑顔は暗闇でとらえられる。こういうことを無意識にやる映画監督というのはいない。意図的に暗闇に入らせたのだ。

新潟で会う手はずだったのですが、心配になった小林旭は浅草に出向きます。祭の最中という設定なのでしょう、通りには人があふれ、面を頭にのせた遊興の客もすくなくありません。小林旭はこれを利用して、面で顔を隠したりしながら、伊平に接触します。

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居酒屋〈伊平〉の外で様子をうかがう小林旭。なかには玉川伊佐男がいて、こちらも外の様子が気になり、障子を開けたりする。

伊平の店には玉川伊佐男刑事が来ていて、その目をかいくぐる様子を鈴木清順は手際よく描写します。

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小上がりの松原智恵子と玉川伊佐男、そして、それを裏口からうかがう小林旭。この小上がりは裏口の脇にある。二つあるのか、それとも正面入口の脇にある小上がりというのは、わたしの誤解だったのか、それは次回に検討。

この刑事から女房を引き離さなければどうにもならないというので、小林旭は、髪結の予約を利用することにし、そこで松原智恵子に会います。

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「こっちを見るんじゃねえ」髪結床での鏡台越しの対面。

しかし、髪結床も刑事たちの監視下にあり、それをどう切り抜けるのか?

これよりずっと以前のシーンで、玉川伊佐男は、松原智恵子に「おしげちゃん、丸髷に結ってみちゃどうだ?」といいます。古典的な髪型を好む頑固な男の表現か、と思ったのですが、そういう意図もあったにせよ、もうひとつべつの意図がこのセリフにはあったようです。

松原智恵子が髪結床に入っていくと、玉川伊佐男が刑事たちに「あの女だ」、ちゃんと見張っていろと指示します。部下は「いいもんですなあ、ハイカラ髪というのも」と、松原智恵子の髪型に注意を払います。

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「あの女だ」「ほう、ハイカラ髪というのもいいもんですな」と刑事たちは話すが……。

さて、キャメラはまずハイカラ髪にした女が髪結床を出て、左に曲がるところ、および、それを刑事が確認して見送るところをとらえます。

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刑事がそちらに気を奪われかけたとき、もうひとり、丸髷の女が逆方向、〈伊平〉や〈凌雲閣〉があるほうへと出て行きます。刑事はこの女に気づきますが、髪型が丸髷なので、安心します。

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もうおわかりでしょう。髪型を変えて刑事たちの目を眩ましたのです。玉川伊佐男刑事は部下の失態に怒りますが、なあに、自分だって居酒屋〈伊平〉の入口の前で松原智恵子にすれちがいながら気づかなかったのです。

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女のうしろすがたを追うキャメラは、〈伊平〉の前まできて、店から出てきた玉川伊佐男をとらえる。

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玉川伊佐男はなにも気づかず、髪結床のほうに向かう。

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もう大丈夫、と松原智恵子がふりかえる。

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俥をとめ、「上野ステーション」と命じる。

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車夫が俥をまわし、上野ステーションに向かうと……。

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その陰からマント姿の川地民夫が姿をあらわす。

ここへきて、ずっとまえに登場した玉川伊佐男のセリフが生きます。「おしげちゃん、丸髷に結ってみちゃあどうだ?」おしげはそのとおりにして、まんまと玉川伊佐男を陥れたのでした。

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かくして舞台は新潟へと移り、クライマクスとなりますが、時間がなくなってしまったので、本日はここまで、もう一回、『花と怒涛』をつづけさせていただきます。

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by songsf4s | 2010-04-24 22:25 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その2

前回は音楽がゼロなだけでなく、映画の話題としても超小型重箱のミクロな隅をせせるような話で、どうも恐縮です。お客さんは内容を見てからいらしているわけではないので、直接は関係ないのですが、とりあえず、今日のヴィジター数はいつもより多めなので、悪影響はなかったものとみなします(論理的じゃないなあ、と自覚あり。影響が出るのはもうすこし先に決まっている!)。

お客さんで思いだしましたが、今月は恒例の「検索キーワード・ランキング」をまだやっていませんでした。四月一日から昨日までの累積では以下のような順位です。

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いつごろだったか、夜だけ、なんだかむやみにお客さんが多い日があったのですが、翌日見たら、「古川ロッパ」がいきなり初登場一位になっていました。どこかロッパ・ファンがよくご覧になるところで、当家が紹介されたのかもしれませんが、だとしたらリンクしていそうなもので、検索キーワードにはならないような気もします。

how high the moonは上位常連、どなたか存じませんが、いつもありがとうございます。「芦川いづみ」は今月も上位。毎度申し上げるように、このキーワードで当家にたどり着くのは一苦労、ありがたさもひとしおです。でも、そうやって芦川いづみをキーワードにしてきてくださると、当家の検索結果出現順位も上がるので、今後ともよろしくお願いいたします。浅丘ルリ子、芦川いづみという序列を逆転して、もっとも好きな女優は芦川いづみにしようかと思っている昨今です(年をとっておべんちゃらを言うように相成り候)。

灰田勝彦新雪とi put a spell on youとお座敷小唄も長きにわたる常連、いつもありがとうございます。「北京の55日」は初登場かもしれません。ちゃんと歌詞を書かずに失礼しました。

今月初登場は川地民夫。このキーワードで当家にたどり着くのも、かなり手間がかかるでしょうに、どうもありがとうございます。わたしは川地民夫が大好きなので、川地ファンのご来訪は欣快事です。目下も川地民夫が重要な役を演じる『花と怒涛』を書いているところですし、今後予定している映画のなかにも、川地民夫がキーになっているものがあります。

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◆ 清順十八番、折檻シーン ◆◆
『花と怒涛』は、前回書いたように、小林旭と松原智恵子が川地民夫の刺客に狙われる話でもあるのですが、二つの組の争いに巻き込まれた、土方に身をやつした渡世人・小林旭の戦いの物語でもあります。ここに辰巳芸者を思わせる気っ風のいい「馬賊芸者」の万龍姐さん(久保菜穂子)や、「鬼刑事」(玉川伊佐男)、飯場の班長(深江章喜)などがからみます。

利権をめぐる争いから、対立する組の妨害を受けても、土方がやくざのまねをしてはいけないと仲間に説いていた小林旭も、野呂圭介の死をきっかけに、結局はでいりで大暴れし、見せ場をつくります。

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右翼の大物・滝沢修の仲介で、ふたつの組が和解したその手打ちのあとの花会で、小林旭は川地民夫のいかさまを見抜きますが、自分の親分である山内明の邪魔だてのために、証拠を押さえそこなってしまいます。

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めでたい手打ちを危うくしたとして、山内明は組に戻ってから小林旭を激しく打擲します。鈴木清順映画にはしばしば登場するタイプの場面です。

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また、傷のメーキャップも極端で、小林旭はお岩さんのようにされてしまいます。『関東無宿』のとき、小林旭がとんでもなく太い眉毛をつけてきたので驚いたと監督はいっていますが、その淵源はこの「お岩さんメーク」じゃないでしょうかね。お互い、やることが極端なだけでしょう!

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山内明は、仕置きを終わると、拳銃を投げ出し、これで向こうの親分をやって屈辱をはらせ、といいます。

小林旭はいわれたとおりに敵対する組に向かいますが、途中で久保菜穂子の「万龍姐さん」に出会います。久保菜穂子は、黒幕の酒の相手をしていて、惚れた小林旭を罠に落とす陰謀が進行をしていることを知り、それを知らせに来たのです。

こういうシークェンスでも、鈴木清順はノーマルな演出はしません。ケガでふらつく小林旭が、止める久保菜穂子をふりほどこうとして、二人がもつれにもつれて、あっちに転び、こっちにまろぶ、まるで濡れ場のような演出するのです! じっさい、久保菜穂子はそのつもりで小林旭に抱きついているのですが、袖がまくれ上がって、腕に「おしげ」と彫られているのを見て、自分の望みが叶わぬことを覚ります。

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この場面で驚くのは、背後の神輿が動きはじめること。

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いったいなにが起こるのかと思って息を呑んでいると、回想の祭のシーンになるという無茶苦茶さ! こういうところで面白いと感じれば清順ファンになるし、わからん! といえば経営者センスになってしまうという、踏み絵のようなショットのつなぎ。

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久保菜穂子に証拠の手紙を見せられ、やっと自分の立場がわかった小林旭は、自分の組にとって返し、山内明を殺します。

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渡辺武信が『日活アクションの華麗な世界』で、何度か、日活の任侠アクションと、東映任侠映画の根本的な相違にふれています。極端に簡略化すると、東映任侠映画のヒーローは「組」という擬制的な「家」、つまり「組織」の論理に身を添わせる男を描くものであるのに対し、日活任侠アクションのヒーローは、「私怨」つまりは「個の論理」にしたがって行動する、というように分析しています。任侠映画の形をとりながらも、日活任侠アクションは、依然として「日活アクション」の文脈のなかにあった、というのです。

『花と怒涛』も、監督や脚本家にその自覚があったかどうかは別として、ヒーローは「個の論理」にしたがって、山内明親分を殺します。このとき、世話になったとか、義理があるといった、東映任侠映画ならドラマにねじれ、たわみをあたえるはずの要素は、あっさり無視されます。自分を裏切って陥れようとした人間は、ただの虫けらであり、親分でも「親」でも、「義理ある人」でもないのです。

東映の「しがらみ」の粘り方と、日活のこの乾き方と、どちらが好きだったかといえば、わたしはつねに日活ファンでした。ここで「我慢」という位置エネルギーをため込んで、終幕で一気に爆発させる、という東映任侠映画のドラマトゥルギーを採用しないのであれば、べつのエネルギー源が必要になりますが、そのへんはのちほど、余裕があれば考えることにします。

◆ 小さな工夫の積み重ね ◆◆
小林旭は身重の松原智恵子のために、おそらくは杉山茂丸か頭山満がモデルと思われる、豪放磊落な右翼の大物(滝沢修)に、借金を頼みにいき、自首するのはやめて、満州に行けといわれ、それを承諾し、結局、その家にしばらくかくまわれることになります。

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小林旭の意を体して、高品格は、滝沢修に借りた金の一部を久保菜穂子のもとにもっていきます。借金漬けの万龍姐さんには何度も助けられているので、その礼として、この金で自由になってくれ、というのです。このあたり、ごく自然な伏線になっていて、あとで、うまいなあ、と思いだすことになります。

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このセットも味がある。六角形の赤い火鉢がいい。木村威夫デザインの日本間の建具については、できれば次回に細かく見たい。

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かくして、いかに司直の目をかいくぐって、小林旭と松原智恵子の夫婦が満州に脱出するかがクライマクスとなります。セット・デザインの話をするつもりなのですが、そのセットがクライマクスに使われるものなので、話の綾は全部書きます。ここから先、お読みになるのであれば、そのお覚悟をお願いします。まあ、話がわかっていても、十分に面白い映画ですが。

玉川伊佐男刑事は、小林旭が滝沢修の屋敷にかくまわれていることを察知していて、部下に滝沢邸を監視させていますし、もちろん、浅草の居酒屋〈伊平〉のおしげの動向からも目を離しません。

プログラム・ピクチャーは忙しいので、つねに会社からできあがったシナリオをわたされた、と鈴木清順はいっています。したがって、たいていの場合、話の大枠は監督の自由にはなりません。だから、つねに細部をどうするかを考えたということは、自身もいっていますし、木村威夫もしばしば、鈴木清順のシナリオ改変の発想と技に言及し、ときにはそれを鈴木さんの「天才性」とまで呼んでいます。

いや、監督自身は「ただ撮ってもつまらない、なにか工夫しなければいけない」といっているだけですが。それがみごとにあらわれたのが、前回、ご紹介した、居酒屋内部での芝居です。

滝沢修の家から人力車が出てきて、警官に制止されます。幌を撥ね上げると、なかは無人。帰り車だというので通されます。

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しばらく走って、この車夫が伏せていた顔をあげると、それが小林旭。やれやれ、もう大丈夫と立ち止まると、「俥屋!」と客に止められます。この客がなんと川地民夫。

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ここで、川地民夫が小林旭に気づいていて、俥の前とうしろの芝居をする、という手もあったかもしれませんが、話はもう煮詰まっているので、脇道に入りこまず、小林旭は途中で俥をとめ、旦那、ちょっと用を足させてください、といって川地民夫を置き去りにします。こういう、不必要なまでのディテールの工夫に、鈴木清順らしさを感じます。

今日はまだなにも書いていないも同然ですが、スクリーン・キャプチャーの時間を考えると、このあたりが限界のようです。クライマクスに突入するための助走でした。


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by songsf4s | 2010-04-23 23:58 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その1

枕を書くべきか、省略すべきか。アルバート・ハモンドのIt Never Rains in Southern Californiaでドラム・ストゥールに坐ったのはハル・ブレインか、ジム・ゴードンかという、一昨年から悩まされている問題を再考したのですが、これは書きはじめると長くなりそうなので、今日はやめておきます。近々、改めて記事にするかもしれませんし、放擲してしまうかもしれません。

◆ 浅草十二階 ◆◆
今日から鈴木清順監督、木村威夫美術監督の日活映画『花と怒涛』に入ります。いまの心づもりにすぎませんが、映画の内容にはあまり踏み込まず、印象的な二つのセットの話を中心に、みじっかく(と玉置宏がよくラジオ名人寄席でいっていた)やろうと思っています。

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『花と怒涛』は鈴木清順の日活後期(1964年)の作品で、木村威夫は美術のみならず、シナリオにも加わっています。美術監督はシナリオが読めなければ仕事にならないので、書く方にまわっても不思議はないのですが、でも、じっさいには、シナリオを共同執筆した美術監督というのはめずらしいでしょう。後年、自身がフィーチャー・フィルムを監督するようになる人にふさわしいことに感じます。

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『花と怒涛』は大正の震災以前の時期を背景にした、渡世人のラヴ・ストーリーです、と書いてから、なんだか「渡世人」と「ラヴ・ストーリー」が衝突気味だな、と思いましたが、でも、一言でいうならそういう話です。

渡世人の尾形菊治(小林旭)は、許嫁のしげ(松原智恵子)を、自分の親分が借金のかたに無理矢理女房にしようとしたため、嫁入り行列に乱入して、おしげを救いだして東京に逃げます。

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ここまでが導入部。おしげは、元博打打ちの伊平(高品格)の居酒屋で働き、菊治は土方をして世を忍んでいますが、そこへおしげを奪われた親分が送った刺客(川地民夫)がやってきます。

まず、最初に出てくる浅草の飲屋街とその裏手のセットをご覧いただきましょう。

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「浅草」の文字の向こうに〈凌雲閣〉、いわゆる「浅草十二階」が見えます。〈凌雲閣〉は1923(大正12)年の関東大震災で崩壊しているので、この映画はそれ以前に時代を設定していることがわかります。

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つぎのショットでは、川地民夫はこの中通りの裏手、ほの暗い水辺へと降りていきます。ここでも遠くに〈凌雲閣〉が見えます。手前に水が見えますが、現実に照らし合わせれば、ひょうたん池か隅田川のどちらかということになります。しかし、あとでわかりますが、このあたりは川向こうという設定ではないので、ひょうたん池しか考えられません。

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ひょうたん池を手前に配して〈凌雲閣〉を撮った写真というのはたくさん残っていますが(「明治大正プロジェクト」にいい写真が数点あり)、そうしたものと比較すると、このセットの〈凌雲閣〉はちょっと遠すぎるように感じます。

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必要ならば、襖の大きさを不揃いにしてしまう大胆不敵な美術監督ですから、現実のパースを度外視したのでしょう。現実に即した比率にしてしまうと、デザイン的に不都合だったのだろうと想像します。

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川地民夫は、人相見の屋台に「尾形、尾形菊治」と声をかけるや、仕込み杖を幕に突き刺します。このマントにつば広の帽子という川地民夫の扮装が楽しくて、ニヤニヤ笑ってしまいます。鈴木清順監督、木村威夫美術監督、どちらの発案なのでしょうか。もちろん、いくら木村威夫が「これでいこう」といっても、監督の承認なしにはできないので、二人が合意したにちがいありません。こういう極端なことを怖れないのが、鈴木清順=木村威夫コンビの仕事が、いまになって光彩を放っている所以です。

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昭和10年ごろの浅草公園第六区興行街略図。北は上ではなく、左になっていることにご注意。すでに十二階はないが、左端にその位置を示した(赤く囲った昭和座という劇場)。居酒屋〈伊平〉の位置は中央付近の黄色く囲った三角地帯あたりが想定されているのではないだろうか。とくにピンク色の通りの可能性が高いと感じる。川地民夫が人相見のところで小林旭を襲撃する場面は、図中の「A」または「B」の位置を想定していると思われる。

川地民夫もこの扮装にふさわしい身のこなしで、反りのない直刀を西洋の剣のように扱う、江戸時代とはハッキリと異なる「ハイカラな刺客」を好演しています。『東京流れ者』の殺し屋もなかなか楽しい演技ですが、こちらはさらに乗っていて、こういう稚気ある美術と演出を歓迎するタイプの役者なのだろうと思います。嫌がる人だっていますよ、こんな「仮面をとった怪傑ゾロ」(渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』)みたいな衣裳は! 単なる好みでものをいうにすぎませんが、この映画は川地民夫のベスト3に入れます。

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同じく浅草公園第六区の地図だが、こちらは現代。こんどは上が北なのでご注意。上の赤い「1」が凌雲閣跡地、水色の「2」がひょうたん池跡地、そして、その下の「3」が、居酒屋〈伊平〉の位置と考えられる一郭。

◆ 居酒屋のねじれた構造 ◆◆
上述の〈凌雲閣〉=浅草十二階が見える中通りと、そこにある高品格の居酒屋〈伊平〉が、この『花と怒涛』でもっとも活躍するセットであり、居酒屋のデザインは、セットが先か、演出プランが先か、というぐらいにセット・デザインと演出が一体化した場面の舞台となります。

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居酒屋〈伊平〉入口

その場面にいくまえに、登場人物のおさらいをしておきます。渡世人・小林旭は、親分の嫁・松原智恵子を奪って東京に逃げました。アキラは土方になって埋立工事の飯場に身を寄せ、松原智恵子は(おそらくアキラの古くからの知り合いである)高品格の居酒屋〈伊平〉で働いています。そして、ときおりアキラがこの居酒屋の二階にやってきて、つかのまの逢瀬を楽しんでいます。

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〈伊平〉店内の玉川伊佐男と松原智恵子

この店に玉川伊佐男扮する刑事が入りびたっていて、松原智恵子にちょっかいを出したりするいっぽう、この界隈をうろつく川地民夫に、「おまえが戻ったとあっては、俺も忙しくなるな。なにかしでかしたら、こんどこそ俺がふん捕まえてやるからな」と威しをかけたりもします。

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玉川伊佐男(左)と高品格

以上の五人が、伊平の居酒屋で舞台劇のような芝居を演じる場面が、『花と怒涛』のハイライトのひとつです。いや、いま、スクリーン・キャプチャーと見取り図をにらんで、どうやってこの構造を説明しようかと考えていたのですが、これは困難を極めますなあ。おおよその構造がわからないと、演出もわからないので、まず、構造からいきます。

本業は建築家である渡辺武信も、このセットとここでの芝居におおいなる感興を覚えたようで、『日活アクションの華麗な世界』に、居酒屋〈伊平〉の略図を掲載しています。

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これは記憶をもとにして起こした図でしょうから、多少、勘違いがあるように思います。繰り返しヴィデオを見て、じっさいにはこうではないかと思われた部分を色つきの線と小さい文字で書き加えてみました。

修正点は、まず、調理場と席のあいだに斜めの仕切りがあることです(図中の青い線)。

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小林旭が〈伊平〉の裏口から店内をのぞく。調理場と席の仕切りが斜めになっていて、その向こうに正面入口が見える。

木村威夫らしい、ひとひねりです。しかも、見透かしではなく、竹かなにかの格子になっているところがミソで、監督と撮影監督は、当然、この構造を利用したショットを撮りたがるでしょう。

『日活アクションの華麗な世界』所載見取り図では、角店と仮定し、正面入口と裏口を直角に配置しています。しかし、その位置にも入口はあるのかもしれませんが、正面入口は裏口の対面にあります(図中のピンクの線)。

それから、小上がりがあるのですが、これは調理場に接していると思われます(図中の黄緑色の線)。ただし、明確にはわからないのですが、じっさいには、図のもっと上のほうに位置しているのかもしれません。そのほうが正面入口の位置と大きさ(二間間口?)にふさわしいようにも思えます。

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小上がりでの芝居。左から松原智恵子、久保菜穂子、玉川伊佐男。

◆ いよいよ芝居へ ◆◆
いやはや、煩雑で相済みません。この映画をご覧になった方はご興味おありかもしれませんが、ご覧になっていない方は状況がうまく把握できないでしょうし、これから書こうとしているシーンの面白みはおわかりにならないだろうと、ちょっと弱気になってしまいました。しかし、鈴木清順と木村威夫のコンビらしい、セットと演出が一体になったシーンなので、このままつづけさせていただきます。

ある夜、もう客もいなくなり、店を閉めようというころに、川地民夫がやってきて、看板です、という高品格の言葉を無視して、席に着き、酒を注文してから、「オヤジ、煙草を買ってきてくれ、〈エアシップ〉だ」と、金を渡して高品格を追い出してしまいます。

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ここで裏口の脇、階段の下におかれた男物の雪駄の短いショットと、川地民夫の顔のショットが挿入され、川地が二階に小林旭がいると察知したことが表現されます。このへん、つなぎが速くてサスペンスが醸成されます。

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高品格が店を出て行き、松原智恵子が銚子を運んでいくと、川地民夫は依頼主の親分から渡された、松原智恵子の写真を卓子に投げ出します。

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「潮来のおしげさんだね」立ち上がった川地民夫は、そういって仕込み杖を抜きます。

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「ちがいます」と後じさる松原智恵子、二階で火鉢の炭を整える小林旭、その背後の障子をやぶって飛び込んできた石、その音をきき、外と二階の気配をうかがう川地民夫、ショットはめまぐるしく変化します。小林旭が二階の障子を開けて下を見ると、石を投げた高品格が無言で、店のほうでまずいことがある、と知らせます。

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急いで階段を下りかかり、しかし用心深く立ち止まる小林旭、降りてきたところをひと息にと下で待ち受ける川地民夫、夫に危急を知らせる松原智恵子。

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「あなた!」と叫ぶや、松原智恵子は身を翻して、正面入口から逃げようとし、かくてはならじと、川地民夫は小林旭をひとまずほうって、松原智恵子を追って店内を横切ります。

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しかし、ちょうど店に入ろうとしていた玉川伊佐男が、飛び出してきた松原智恵子を抱きとめます。

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やむをえず、川地民夫は計画を放棄し、反対側の裏口へと向かいます。

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再び、階段の小林旭と川地民夫の「見えざる対峙」。

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そこへ裏口の戸が開き、高品格が入ってきて、「お待たせしました」と、煙草と釣り銭をわたし、ここまで高まってきたサスペンスを一気に溶解させます。

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キャメラの動き、編集のリズム、俳優の演技、すべてが噛み合ってこういうシーンの面白みが生まれるので、静止画を並べてもあまり意味がないかもしれません。しかし、1972年の池袋文芸座地下における鈴木清順シネマテークで、はじめて『花と怒涛』を見たとき、どこに魅力を感じたかといえば、なによりもこのセットの使い方です。そのときは、ただ息を呑んで見ていただけですが、今回、ショット単位で分析してみて、やはり、たいしたものだなあ、と思いました。

このセットではまだ芝居があるので、次回は(今回よりは簡単に)そのことと、できれば、エンディング・シークェンスのセットを検討したいと思います。いや、そのまえに、サイド・ストーリーを見ることになるかもしれませんが。


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by songsf4s | 2010-04-22 22:22 | 映画