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(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その07 デビュー盤サマリー

右側のメニューの「記事ランキング」というのは、かならずしも実態を反映しているとは思わないが(ホーム以外のページをお気に入りに登録し、それをクリックして当家にいらっしゃると、毎回、そのページがカウントされる)、大雑把に「映画記事がよく読まれている」ということは云えそうではある。

しばらく音楽記事がつづくので、ランキングのほうに映画関係がたくさんあり、それを読んでいただけるのは、いいバランスで、ありがたい。

ラスカルズのことを書きながらも、映画の記事をはさむつもりではいる。すでに書いたように、まずペンディングになっている『陽のあたる坂道』を完成させたい。

ほかに日活映画としては、『銀座の恋の物語』『紅の流れ星』『ギターを持った渡り鳥』『紅の拳銃』『殺しの烙印』『みなごろしの拳銃』などは、いずれなんとかしたいと思っている。

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石原裕次郎とジェリー藤尾

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ジャズ・ピアニスト!

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この映画の浅丘ルリ子もすばらしい

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ピアノをめぐる物語とも云える。以上、いずれも蔵原惟繕監督『銀座の恋の物語』より

成瀬巳喜男『秋立ちぬ』はべつとして(これもできればDVDのリリースを待ちたい。そろそろ出してよ)、シリアスな映画はしばらく予定にない。大物監督としては、黒澤明の『天国と地獄』は、ずいぶん歩いて、それなりに材料もあるので、部分的(早川鉄橋までは行っていないので)でもいいから、なんとかしたいという気はいちおうある。

しかし、いまの興味としては、美空ひばりの子供のころの映画(『東京キッド』『悲しき口笛』など)や、東映ミュージカル時代劇あたりのほうが再見して、書いてみたい気がおおいにある。

まあ、ブログなので、気分のまま、雲の流れるまま、ウナギだけが知っている行き先へ向かって、その時、その時に思いついたことを発作的にやるだけ、予定なんか書いても、文字通り画餅にすぎないが。

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「お国を離れて何ぴゃく里」の香港からやってきた男、藤村有弘がすばらしい。山高帽に赤い蝶ネクタイ、なぜか黒いダッフルって、誰がこんな衣裳を考えた!

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悪党たちの麻雀。小沢昭一がボス、以下、深江章喜、野呂圭介。草薙幸二郎はボスの弟という設定

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赤木圭一郎と紅の拳銃、もとい、黒い拳銃。以上、いずれも牛原陽一監督『紅の拳銃』より。撮影監督=姫田真佐久、美術監督=木村威夫、音楽=小杉太一郎とスタッフもみな好み。

◆ ガレージ、フォーク・ロック、テックス・メックス ◆◆
小見出しが入ったからと云って、枕が終わったと思ったら大間違い。今回は簡単にすむはずと踏んで、余裕ウサギをかまして、二重枕にしてみた。

話を前に進めるために、ブリティッシュ・インヴェイジョンとアメリカの反攻では、ずいぶんと枝葉を切り落としてしまった。

まず、もののみごとに抹消したのが、ガレージ・バンドの勃興。ブリティッシュ・インヴェイジョンが生んだのは、当然ながら、バーズやタートルズやラヴィン・スプーンフルばかりではなかった。

むしろ、最大の落とし子は、ライノのNuggetsシリーズや、それに基づくNuggets箱にまとめられているが、「ガレージ・バンド」などと呼ばれる、アメリカ中に叢生した若者のセルフ・コンテインド・バンドのほうだろう。とりわけ、サンセット・ストリップのクラブにそうしたバンドが蝟集したが、それは突出しているというだけで、各地にバンドが生まれた。

こうした単独ではとりたてて影響力のないセルフ・コンテインド・バンド群は、バーズのような即効性の劇薬ではなかったが、漢方のような遅効性の薬としてアメリカ音楽を変えていく(あるいは砒素のようにアメリカ音楽をゆっくりと殺していった、と云うひともいるかもしれない。それは立場による)。

即効性か遅効性かは、タイム・スケールの取り方によって変わってしまうので、そのどこが遅効性だと云われるかもしれないが、1966年後半から明らかになってくる、アメリカ音楽のサイケデリックへの傾斜は、すでに1964年、ビートルズによって播種されていた、と云える。結果的に見れば、フォーク・ロックはサイケデリックの序章という地位へと後退する。

ガレージ・バンド群と同じ扱いでいいのか、ちょっと肌合いが違うと考えるべきなのか、そこはさておき、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(テキサス州ダラス)、ジェントリーズ(テネシー州メンフィス)、サー・ダグラス・クウィンテット(テキサス州オースティン)といった南部のバンドが、似たようなテクスチャーの音を持ってビルボード・チャートに登場した。

Sir Douglas Quintet - 08 She's About a Mover (HQ)

テックス・メックス・オルガン!

ジェントリーズはテキサスではないのでアレだが、仮にそちらに組み込めば、テックス・メックス・ポップ・サウンドとでも云おうか、やはり無視できないサウンド傾向だと、並べて聴いてみて思った。

いや、あのチープなオルガンは、ケイジャンのアコーディオンのロックンロール的パラフレーズだったのか、というごく下世話で単純な疑問のレベルに下ろしてしまってもかまわないのだが!

今回はとりあえず、以上の点を落とさざるをえなかったことに気が残った。とりわけ、南部のセルフ・コンテインド・バンド群は、一度、そろえて聴き、ちらと物思いなどしてみむとぞ思ふ。

Sir Douglas Quintet - 06 And It Didn't Even Bring Me Down (HQ)

ふつうにいい曲もある。

◆ R&Bーイング・ラスカルズ ◆◆
物事の解釈というのは、たいていの場合が単純化であり、それには細部の切り捨てが必要になる、ということを改めて申し上げた上で、ヤング・ラスカルズのデビュー盤の項を終えるにあたって、その全10曲の収録作を、これまで紹介しなかった曲を貼りつけつつ、鳥瞰してみる。なんらかの切り捨て操作による単純化だということに留意されたい。

まず目立つのはR&Bカヴァー。Slow Down、Good Lovin'、Mustang Sally、In The Midnight Hourの4曲はここに分類できる。

以上のうち他の3曲はこれまでの記事に貼りつけたので、残る1曲R&Bカヴァー、作者のひとりスティーヴ・クロッパーにとっても、つくって歌ったウィルソン・ピケットにとっても代表作になったヒットのカヴァーを以下に。

The Young Rascals - 10 In the Midnight Hour (remastered mono mix, HQ Audio)


ウィルソン・ピケットのオリジナルを知っていると、ラスカルズのカヴァーには幼さを聴き取ってしまうが、これがデビュー盤という若者たちのパフォーマンスとしては立派なもので、バーズ(スタジオの筋肉増強バーズではなく、マイケル・クラークがドラムに嫌われ、いじめられるライヴ・バンドとしてのバーズ)なんかとは三段ぐらい格が違う。

しかし、この曲にかぎった話ではないのだが、半年後のディノ・ダネリなら、もっといいグルーヴをつくったに違いない。ディノはたぶん、このデビュー盤ではじめて自分のプレイを客観的、批判的に聴き、タイムとイントネーションを修正したのだろう。才能というのは、そういうものだ。ディノには自分の欠点がちゃんと見えたに違いない。

スティーヴ・クロッパーはずっと後年、フィーリクス・カヴァリエーレと共演盤を2枚つくる。この時、スタックス・レコードから見ればアトランティックはほとんど親会社のようなもの、アトランティックのシンガーがメンフィスで録音する時は、クロッパーは楽曲を提供したり、アレンジしたり、ギターを弾いたりで、NYから「スーパヴァイズ」に来るジェリー・ウェクスラーやトム・ダウドのことはすでによく知っていた。

そうした仕事の際に、破格の待遇でアトランティックと契約した若者たちのことは耳にしていたかもしれないが、自分の曲を歌ったのだから、遅くともこの時にはラスカルズが何者かを認識したはずだ。

◆ オリジナル曲 ◆◆
Baby Let's Wait、Do You Feel It、I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymoreの3曲は、自作と他作を合わせたオリジナル曲、封切り曲。これは作者による分類であって、楽曲スタイルによる分類ではないので、R&Bカヴァー群と同じ平面で語ってはいけないのだが、便宜的にこう分類する。だから、切り捨てによる単純化だとはじめにお断りした。

外部ソングライター提供曲はさておき、このアルバム唯一のメンバーが書いた曲を貼りつける。フィーリクス・カヴァリエーレとジーン・コーニッシュという、のちに共作することはない二人の曲。リードはフィーリクス。

The Young Rascals - 05 Do You Feel It (remastered mono mix, HQ Audio)


ディノのドラミングにやや難があるし、楽曲としてもそれほどのものではないが、のちのラスカルズ、とりわけつぎのアルバム、Collectionsを知っていると、彼らが向かう方向がここに示されていることを感じ取る。

◆ フォーク・ロッキング・ラスカルズ ◆◆
残る3曲のうち2曲はフォーク・ロックに分類できる。ひとつは前回貼りつけたボー・ブラメルズのJust a Littleなので、ここではもうひとつのほうを貼りつける。

The Young Rascals - 07 Like a Rolling Stone (remastered mono mix, HQ Audio)


ボブ・ディランのオリジナルがビルボード・チャートにデビューしたのが1965年7月のこと、ラスカルズがやがてデビューLPに集約される曲の録音を開始したのは同じく9月、シングルの動きを見ていたからだろう、散発的な録音が終わったのは翌年3月らしい。その月にアルバムがリリースされた。

ラスカルズのLike a Rolling Stoneがいつ録音されたか不明だが、彼らもフォーク・ロック・ブームには動揺し、共感したことがこの2曲からはうかがえる。本来はR&Bとジャズに重心があったのに、出現したばかりの分野の曲をすぐにカヴァーしている。まあ、若さとはそういうものだが。

ラスカルズの未来とフォーク・ロックの関係で云うと、この傾向は総体としての「ラスカルズ的なもの」に吸収合併されることになり、分離した存在ではなくなっていく。まあ、サード・アルバムにはかなり濃厚なフォーク・ロック色をもった曲があるが。

◆ ゴスペル・ラスカルズ ◆◆
最後に残ったI Believeは、宗教音楽的色合いが強い曲で、歌い手によってニュアンスが異なるが、エルヴィス・プレスリーはゴスペル的に歌っている。ヒット・ヴァージョンのフランキー・“ローハイド”・レインやジェイン・フローマンも直立不動かよといいたくなるほど殊勝な歌いっぷりだ。

The Young Rascals - 04 I Believe (remastered mono mix, HQ Audio)


ひとによって受け取り方は大きく異なるかと思うが、知る限りのこの曲のヴァージョンのなかで、ラスカルズのカヴァーはもっとも宗教色が薄く、非ネイティヴは歌詞を遮断することができるので、ふつうのバラッドのように聴くこともできる。音の手触りだけで云うなら、後年のエディーのバラッドにそのまま地続きでつながる肌合いで、この曲はデビュー盤のなかではおおいに好ましい。

ただ、ゴスペル・ニュアンスというのは、ずっと後年までラスカルズのサウンドに底流として残るので、そこはやはり気に留めておく必要がある。

◆ いまは亡き人と思へば愛しさも…… ◆◆
何度も同じことを繰り返して恐縮するが、このデビュー盤はリリースよりずっとあとになって買ったので、おおいに落胆した。その最大の理由はディノ・ダネリのドラミングだった。

セカンド・アルバムから5枚目にあたるFreedom Suiteまでのディノ・ダネリはじつに魅力的なドラマーで、そちらを先に知っていて(それも並みの深さではない知り方だった)、あとからこのデビュー盤のディノ・ダネリを聴くと、もっとずっといいプレイができるドラマーなのに、とじつにもどかしい。

しかし、それがファンというものだが、この一連の記事を書くために繰り返し聴いているうちに、これはこれでいいか、という気になってきた。

この盤単独で考えると、Good Lovin'とBaby Let's WaitとI BelieveだけのLP、と思ってしまうが、デッカ・テープだって、これがあのパーロフォンからデビューする直前の状態か、と思えば、いろいろ聴きどころがみつかるのと同じで、後年のパースペクティヴに立って聴くと、さまざまな楽しみがうまれてくる盤だ。

そして、孫が幼稚園で描いてきた絵を見て、すごいじゃないか、この子は絵描きになるといい、と手放しで喜ぶおじいさんのような気分もチラとする。呵々。


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Sir Douglas Quintet - Medocino
Medocino

The Young Rascals - The Young Rascals (1st)
グッド・ラヴィン
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by songsf4s | 2016-09-29 22:17 | 60年代
『俺は待ってるぜ』さらに補足 高村倉太郎撮影監督の回想 その2
 
高村倉太郎は、撮影監督として、九人の新人監督のデビュー作を担当したと云っています。

できあがった映画がそれなりの評価を得ないと助監督に戻されてしまうケースもありますね、というインタヴュワーに、高村倉太郎は、そこがいちばん気になるところ、とこたえています。

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監督の意図はなるべく尊重しなくてはいけないが、そのまま撮ればいいかというと、かならずしもそうではない、といい、そして、蔵原惟繕新人監督の『俺は待ってるぜ』について、以下のように云っています。

「たとえば蔵原惟繕くんのときなんて、僕がかなりいろいろいいました。ただ、それは自分の好みというより、監督が作品をどういう意図でまとめようとしているのか、そのことから判断して、やり方としてはそれよりこっちの方がいいんじゃないのかって、ずいぶん意見を言い合ったことはあります」

前回は、この前段を省いて、高村キャメラマンが、蔵原監督の意図に反対した事実だけを書いてしまったというしだいです。

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◆ 日活のスクリーン・プロセス ◆◆
改めて説明するのはお客さん方に失礼でしょうが、「スクリーン・プロセス」という撮影技法があります。あらかじめ撮影した風景などをスクリーンに映写し、その反対側で、映写された画像を前に俳優が演技するのをキャメラで撮影するものです。

もっともよくあるタイプはたぶん、自動車内部での撮影を、ロケでおこなわず、スクリーンに背景を映して、その前に自動車内部の大道具をおき、そのなかで俳優が演技するというものでしょう。

しかし、とりわけカラー映画の場合、スクリーン・プロセスによる撮影だということは、観客には見え見えになってしまい、しばしば興を殺がれることになります。舞台劇でも見るように、「これは約束事だから」と諦めるわけです。

高村倉太郎が雑誌に書いたところによると、スクリーン・プロセスでは、映写機と撮影機の回転が同期しないと、映写画面が暗くなり、前景の芝居の絵と落差が生まれてしまうのだそうです。つまり、見え見えのバレバレになってしまう、という意味です。

『俺は待ってるぜ』では、レストラン「リーフ」の内部から、窓ガラスを通して外部が見える昼間のショット、すぐ外の引込線を列車が通過する場面で、スクリーン・プロセスが使われています。

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下手から上手へと蒸気機関車に牽引された貨物列車が通過する。

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スクリーン・ショットではわかりにくいだろうが、機関車なので煙りを吐かせている。

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左は小杉勇、右は北原三枝

モノクロ映画だとスクリーン・プロセスはバレにくいもので、『俺は待ってるぜ』のこのショットも非常にうまくいっています。関係者が、いや、あれはスクリーン・プロセスじゃない、新港のオープン・セットは張りぼてではなく、内部までつくってあり、あのショットはオープン・セットで撮った、なんて証言したら、そうだったのか、なんてあっさり信じてしまうでしょう。

高村倉太郎はこのショットについて、日活には(たぶんアメリカ製の)新しいスクリーン・プロセスの機材があったので、映写機とキャメラを同期することができた、と答えています。

自動車内部から通りと他の自動車を撮ったスクリーン・プロセスの場合、対象との距離感が動的に変化し、それがスタジオで撮影された前景と齟齬が起きる原因になりますが、『俺は待ってるぜ』の場合、キャメラはまっすぐうしろにわずかに引くだけなので、距離感の動的変化が小さく、それがリアリティーの確保に寄与していると思います。

◆ キャバレーのデザインとクライマクス ◆◆
ここからは結末にかかわることを書くので、『俺は待ってるぜ』は未見、いずれ見ようと思っているという方は、ここでおやめになったほうがいいでしょう。

高村キャメラマンは、蔵原監督とときには徹夜になるほど綿密に打ち合わせをしたと語っています。「玉木宏樹「日活での凄い体験」(『猛毒!クラシック入門』より)」という記事に、徹夜続きで藤田敏八監督が音楽の打ち合わせの最中に眠ってしまった話を書きましたが、蔵原惟繕も『俺は待ってるぜ』の撮影で極度の睡眠不足になって、高村倉太郎がとにかくすこし眠れと説得したことがあったそうです。

その二人のあいだでやりとりされたこととして、クライマクスのキャバレーでの石原裕次郎と二谷英明の殴り合いをどう撮るか、という点を高村倉太郎はあげています。

蔵原監督は、(日活アクションの酒場の乱闘シーンにはよくあったことだが)、客が入った営業中のキャバレーで石原裕次郎と二谷英明に闘わせたかったそうです。

しかし、高村キャメラマンは、そのやり方だと「順撮り」(シーン順に撮影していく)にしなくてはならず、時間がかかる、子分が大勢いるのだから、営業が終わった直後に裕次郎がやってきて殴り合いになる、という設定にしようと提案したそうです。

たしかに、客がいると、悲鳴やら、逃げる人やら、壊れる什器やらで、変化をつけやすくなるでしょう。しかし、スケデュールはすでにきびしいことになっていたにちがいありません。時間をかけて順撮りをやれる状況ではないと判断し、高村倉太郎は、状況と表現手法を現実的な観点から摺り合わせて、妥当に思える現実的なやり方を監督に提案したのでしょう。

また、脇の些事にすぎませんが、客もいないのに、二谷英明のいわば「いじめ」で、北原三枝がステージにあがって、無伴奏で歌っているというのは、これで、折衷案だったのだと理解できました。営業は終わっているが、ステージに歌手がいて、照明が当たっているというキャバレーらしさを醸すために、北原三枝はさらし者のようになり、「もっと歌え」といわれているのです。

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あくまでも結果論なのですが、この石原裕次郎と二谷英明のファイトは、後年の日活アクションによく見られる、「いちおう殴り合いらしくしてみました」というレベルのものではなく、「やはり初期のものにはrawな魅力があるなあ」と納得させられるシークェンスになっています。

そうなったのは、主として石原裕次郎と二谷英明の献身的な動きと、後年、日活アクションのスタンダードになる殴り合いでの長回しをせず、細かくカットを割ったおかげだと感じます。

このシークェンスには面白いアイディアがあります。キャバレーの床の一部、畳三畳ぐらいの面積を15センチ四方ぐらいのガラスブロックを敷きつめたものにしたことです。ここにライトを入れ、下から人物を照らすことで、独特の緊張感を生み出しています。

これは美術監督(松山崇)が撮影前に用意したものではなく、蔵原監督や高村キャメラマンとの話し合いのなかで生まれたアイディアだったようです。

水の江滝子プロデューサーは『俺は待ってるぜ』を見て、フランス映画みたい、と喜んだと高村倉太郎は回想しています。以前の記事にも書きましたが、わたしも同感です。じつにシックな映画になったと思います。その裏には、高村倉太郎という、すぐれたキャメラマンがいて、新人監督の希望を理解しつつ、全体の仕上がり、つながりを念頭に、現実的な提案でうまく監督を補佐していったのだということが、『撮影監督高村倉太郎』を読んで、よくわかりました。

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◆ 「いろいろな交流」 ◆◆
最後に、ささいなことなのか、重要なことなのか、よくわからないながらも、ちょっと引っかかった点を書いておきます。

インタヴュワーの、石原裕次郎をスターとして売り出そうという意図のある映画に、新人監督を起用するのは不思議だ、蔵原惟繕は助監督時代から評価されていたのか、という質問に対し、高村倉太郎はこう答えています。

「もちろん、評価されていたでしょうね。それで水の江さんといろいろ交流がありましたからね」

なんだか不明瞭な言い方で、どうとでも解釈できそうですが、要するに、蔵原監督は水の江プロデューサーのお気に入りだったということでしょう。

この『撮影監督高村倉太郎』という本のはじめのほうで、まだ高村キャメラマンが松竹にいた時代のことが語られています。映画作りの本質とは関係のないことなのですが、木下恵介は、チーフ助監督の小林正樹より、セカンドの松山善三を重用し、彼ともうひとりの助監督に身の回りの世話までさせていたと云っています。理由は松山善三がハンサムだったから。

映画監督の性的嗜好のことは、わたしは重要だとは思っていません。しかし、人から好かれるというのは、べつに映画といわず、どこの世界でも、成功の助けになります。いずれ成功する人でも、人から好かれれば、成功の時期は早まります。

ひるがえって、無精髭を生やし、腰に手ぬぐいをぶらさげ、サンダルで歩きまわっていた、身だしなみのよくない映画監督、鈴木清順のキャリアのことに思いが飛びました。人から好かれないこと、とりわけ首脳陣に疎まれたことが、彼の映画人生、とくに日活での仕事に大きく影響したような気がしてきたのです。

目下、鈴木清順インタヴュー『清順映画』という本を読んでいるので、そのあたりは近々考えてみたいと思います。



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俺は待ってるぜ [DVD]
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書籍
撮影監督高村倉太郎
撮影監督高村倉太郎
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by songsf4s | 2012-11-07 23:57 | 映画
『俺は待ってるぜ』さらに補足 高村倉太郎撮影監督の回想 その1
 
せいぜいひと月ぐらいと思っていた更新中止が長引いて、定期的にチェックされているお客さんには申し訳ないことと恐縮しております。

細部をすっ飛ばして、できるだけ簡単に書くと、以下のような事情です。

悪法が成立した→MP3サンプルの上げ下げはこの法律に抵触する恐れがある→MP3は使いにくくなった→ユーチューブにクリップとしてあげるのが目下のところもっとも簡便な迂回策である→ちょっと試したが、PCが不調で落ちやすく、flv作成ソフトもちょうどいいものが見あたらない→面倒になった。

結局、抜本的な解決策のひとつは、PCのはらわたの換装なのですが、昔と違ってシステムを組むのも面倒になってしまい、先送りにしています。ツイッターとメールぐらいだったら、いまのままでも十分ですから。

上記の法律が施行されたので、記事中においているMP3サンプルのストリーミングは中止しました。記事を書き換えるのは煩瑣なので、リンクは書き換えないまま、リンク先にアクセスできないように処置しました。

ストリーミングしかできない仕様ならいいのですが、どこも落とす選択肢があるので、リンクを削除するか、リンク先をアクセス不能にするか、ファイルないしはアカウントを削除するぐらいしか打つ手がなくなってしまったしだいです。ご寛恕を。

◆ 松竹から日活へ ◆◆
ということで、本格的な再開はCPUを交換して後のことになるでしょう。今回は、手もとに『撮影監督 高村倉太郎』という本があるうちに、ちょっと補足を書いておくだけの、一時的な復活です。

高村倉太郎キャメラマンは、日活が製作を再開したときに各社から引き抜かれたスタッフのひとりで、鈴木清太郎、すなわち鈴木清順同様、松竹にいたのを、かつて松竹に在籍した西河克己(吉永小百合と浜田光夫の青春映画群で知られる)にリクルートされたそうです。

いま撮影監督としての高村倉太郎の代表作をあげるなら、『幕末太陽傳』『州崎パラダイス 赤信号』、『南国土佐を後にして』も含む渡り鳥シリーズ、『紅の流れ星』あたりが妥当でしょう。

鈴木清順は、監督昇進と給料三倍という条件で日活に移ったと語っていました。高村倉太郎はすでに助手ではなく、キャメラマンに昇格済みだったからだと推測されますが、給料は倍額という約束だったそうです。

しかし、問題は金よりも、勤続年数や先輩後輩の縛りがきつくないことのほうが大きな魅力だったと高村倉太郎は回想しています。じっさい、日活関係者はしばしばその点に言及しています。

松竹に比較しての話でしょうが、日活首脳陣は、現場のやり方にあまり口を挟まなかったと高村倉太郎は証言しています。となると、鈴木清順の馘首の事情について、また想像をたくましくしそうになりますが。

◆ 『俺は待ってるぜ』の撮影 ◆◆
石原裕次郎の代表作、それも初期のものではあるし、フォトジェニックな側面でもすぐれた映画だったので、『撮影監督高村倉太郎』でも、『俺は待ってるぜ』は詳細にコメントされています。

本の記述の順序は無視して、シーン順に見ていきます。なによりもまず、タイトルが気になります。

『俺は待ってるぜ』ダイジェスト


このクリップには肝心の部分が出てきませんが、タイトルのあいだ、雨粒が落ちて、水溜まりが揺れています。雨がやんで、水溜まりの表面が静かになると、「監督 蔵原惟繕」と出ます。

レストラン「リーフ」とその前を行く機関車からしてすでにきわめてスタイリッシュな絵になっていますが、この水溜まりの水面による雨降りと雨上がりの表現は、気取りの駄目押しとでもいったところで、立ち上がり、第一ラウンド2分57秒に繰り出された、別れ際の鋭いストレートに感じます。

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このあと、リーフの電飾が消え、ダスターコートを羽織った石原裕次郎が外に出てきて、ドアに鍵をかけ、封書を投函した帰り、山下公園の岸壁に佇む、コートにレイン・ハットの北原三枝に目をとめ、声をかけます。

高村倉太郎の回想によると、当初、蔵原監督は、このシークェンス全体を雨中の出来事にしようと考えていたそうです。

しかし、高村キャメラマンは、それはダメだと反対しました。雨が降っていると、二人の主役は傘を差して登場することになる。最初から傘の中はダメ、観客に顔を見せなければいけない、と蔵原監督を説得し、あの水溜まりによる雨降りと雨上がりの表現を代案としたのだそうです。

これは、高村倉太郎が松竹で訓練された結果なのでしょう。たとえば松竹では、人物をシルエットにするのは御法度だったそうです。夜の場面でも、きちんと顔にライトを当て、観客に表情を見せるようにと首脳陣が注文をつけたのだとか。

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いえ、高村倉太郎は、シルエットをやりたかったそうです。だから、松竹首脳陣ほど厳密なコードに縛られていたわけではありません。

それでもなお、タイトルが終わった、さあ主役が登場する、という場面でスターの顔が見えないというのは、高村キャメラマンとしては許容できない逸脱表現だったということです。結果から見て、高村案は正鵠を得たものだったと思います。

そのシルエットですが、『俺は待ってるぜ』でじっさいに使われています。以前、「蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その2」という記事でそのショットをキャプチャーしましたが、ここに再度貼り付けます。

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明確にはわかりませんが、たぶん、山下公園の海に向かって右手、倉庫が並ぶ岸壁で、北西にレンズを向けて撮影されたと思うのですが、問題があります。横浜港で、西陽が水面で反射してキラキラ見える場所というのは、ごくかぎられるのではないか、ということです。ひょっとしたら、朝陽だったのかもしれません。

次回も高村倉太郎の回想を書きます。


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俺は待ってるぜ [DVD]
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撮影監督高村倉太郎
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by songsf4s | 2012-11-05 22:22 | 映画
日活映画『乳母車』補足 芦川いづみの部屋と鎌倉・光明寺の裏山
 
最後の更新が三月二十五日なので、一月半の長い中断になってしまいました。何度か、軽い記事でご機嫌伺いをしようと思ったのですが、ちょっと疲れていることもあり、また、2007年以来、丸五年近く、千件以上の記事を書いてきた反動で、気分的に倦んでしまったこともあって、なかなか更新できませんでした。

長く休むたびに、毎度驚くのですが、思いのほかお客さんの減少というのは小さいもので、しばらく新しい記事なしでも、おおぜいの方がいらしてくださいます。まあ、原稿用紙にすれば数千枚の記事を書いてきたので、検索でヒットするものもたくさんあるからでしょうが、なんだか菅公の「主なくとも」みたいな妙な気分です。

人間、明日も生きているという保証などまったくありません。今回のように、ふと休んだら、再開できなくなっただけ、というのではなく、ほんとうに重い病に伏したり、ふいにあの世に引っ越したりすることもおおいにありえます。それでも、しばらくのあいだは、このブログは生き続け、毎日数百人のお客さん方が訪れていらっしゃるでしょう。なんだか変なものだなあ、と思います。

どうであれ、意味のあるなしにかかわらず、数年のあいだ、倦まずたゆまず記事を書いてきた報酬なのだろうと、訪れていらっしゃるお客さん方に感謝しております。

◆ 芦川いづみの部屋から見えるもの ◆◆
このところ、過去の記事をチェックし、文字の間違いなどを修正していて、いくつか宿題を思い出しました。いや、たくさんありすぎるほどなのですが、ひとつだけ、仮の、といわざるをえませんが、決着をつけられそうなものがありました。

連休中の一日、逗子から鎌倉へといつものコースを歩き、材木座の光明寺で一休みしました。この古刹は、当ブログでは、「狂った果実 その3」という記事で、ロケ地のひとつとして言及したことがあります。

そしてもうひとつ、「『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その2」という記事の最後、鎌倉にあると設定されている、宇野重吉、山根壽子、芦川いづみの親子が住む邸宅の場所として想定されているのは、光明寺の裏山あたりではないかということも書きました。

その根拠としたショットを。

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これは鎌倉にある邸宅の二階、芦川いづみの部屋のショットです。窓外の景色は書き割りではなく、スクリーン・プロセスによる合成です。人影が動き、波が打ち寄せています。

これが鎌倉の海を撮ったものなら、このように見える場所は光明寺の裏山あたりだろう、とかつての記事には書きました。しかし、光明寺にはよく行くものの、裏山に登ったことはなく、連休中に光明寺に行ったときに、『乳母車』のことを思い出して、登ってみました。

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正面に見える岬は稲村ヶ崎。切り通しのところで先端が切れているように見える。そのさらに左側に、もやで霞んでほとんど視認できないが、江ノ島がかすかに見える。

高い場所からは海が見にくかったので、坂を下って、ポイントを探しました。

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f0147840_2326233.jpg
上の写真を拡大して、映画に近くなるようにトリミングした。

このショットが、映画のショットにいちばん近いのではないでしょうか。

f0147840_2326108.jpg

f0147840_2327394.jpg
上掲のショットの窓の部分を拡大した。

このあたりは、光明寺団地というものになっていますが、海が見える場所には家はなく、上掲の写真を撮影したのも、材木座の道と団地をつなぐ坂道の途中です。『乳母車』の撮影された1950年代なかばに、ここがどういう状態だったのかは知りませんが、すでに道ができていたか、または山の斜面だったのだろうと想像します。

画角と解像度の問題もあり、また滑川の河口にもいくぶんの変化があったようで、どこからどう見ても間違いない、とはいきませんが、肉眼で見たときは、『乳母車』のあのショットはここで撮影されたのだろうと納得しました。

長い休みが終わったので、これからは以前のように頻繁に更新する、というようにはならず、まだしばらくは休みがちで、たまに更新するという状態がつづくだろうという気がします。ときおり思い出して、来訪してくだされば幸甚です。


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by songsf4s | 2012-05-13 23:36 | 映画
浅丘ルリ子の夜はふけて その2 共演・石原裕次郎篇
 
本題に入る前に、前回の記事のときには発見できなかったのですが、今日、たまたま見かけたので、『ギターを持った渡り鳥』のクリップを補足しておきます。

斉藤武市監督『ギターを持った渡り鳥』


ツイッターに書いてしまったのですが、このヴァージョンはやはりなかなかけっこうだったと思います。オーケストラの人数もこのときがいちばん多かったのかもしれません。

しかし、ふと思いましたが、黒澤明『用心棒』のオープニングに似ているような気がしてきました。『ギターを持った渡り鳥』は1959年、『用心棒』は1961年です。両者とも、なにか西部劇でも下敷きにしたのでしょうかね。

前回をお読みの方の大部分が今回のテーマを予想されたでしょうが、ナックル・ボールはなし、素直に石原裕次郎篇です。

裕次郎=ルリ子といえば、いわゆる「ムード・アクション」、ムード・アクションといえば『赤いハンカチ』と、まあ、昔からいわれていることを繰り返しておきます。自分の好みをいっているだけ、でもありますが。

無知にして裕次郎=ルリ子のスタートを知りませんが、強く印象に残ったのはこの映画。アクションはあまりないのですが、でもプリ・ムード・アクションといえるでしょう。

蔵原惟繕監督『銀座の恋の物語』


主題歌が有名になりすぎて、映画の位置が相対的に低くなってしまったような気がするのですが、これはいい映画です。子どものときも面白いと思ったし、テレビで見て、さらに裕次郎没後のニュープリントでの上映でも見て、いつ見ても満足しました。

夜明けの銀座を、人力車を引いて疾駆する裕次郎、というオープニングからしてけっこうでしたし、このあと、彼がジェリー藤尾と住んでいるアパートというか、屋根裏みたいなところのデザインがまたすばらしいのです。なにかフランス映画からもってきたのだろうと思いますが。

以前、「映画のトポロジー」という記事を書きましたが、『銀座の恋の物語』はその側面で非常に興味深く、石原裕次郎とジェリー藤尾のアパートからは、浅丘ルリ子(と和泉雅子)が働いている店が、中庭のような不思議な空間を挟んで見えるという、なかなか魅力的なセットデザイン(ないしはロケーション)でした。

ついでにいうと、深江章喜が、いつもの暴力的悪党ではなく、ちょび髭をはやした、おフランス帰りみたいな、嫌みでキザな詐欺師に扮していて、これがまたじつに楽しいのです。冗談ではなく、赤塚不二夫の「イヤミ」がモデルじゃないでしょうか!

フィルモグラフィーをながめて、ああ、あいだにこれを入れないといけないのか、と思った映画。ほとんどなにも映らず、予告編にすらなっていませんが、ほかにはクリップがないようなので。

蔵原惟繕監督『憎いあンちくしょう』


渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』でも賞賛されていましたし、近ごろはまたこの映画の評判はとみに高まっているようですが、わたしはどうも肌に合いませんでした。

60年代的メディア・ヒーローを登場させた気持はよくわかるのですが、その人物像が図式的すぎて、裕次郎のキャラクターと衝突しているように感じました。この主人公の性格づけから思い起こす現実の人物は青島幸夫ですからね。

ただし、ランジェリー姿の浅丘ルリ子には、おお、と思いました。いや、そういう描き方にもっとも端的にあらわれているように、ここでの浅丘ルリ子は、彼女に背を向けて去っていく滝伸次に涙を流す可憐な少女ではないのです。ここで、はっきりとギア・チェンジがおこなわれたと思います。

肌に合わなかったとはいえ、これはきちんと取り上げて、検討してみようかな、と、今後の記事の候補に入れてあります。

つぎに目立つのは『夜霧のブルース』ですが、これはクリップを発見できませんでした。

小林正樹監督『切腹』の翻案だといわれて、ああ、なるほど、と思いましたが、裕次郎が港湾荷役の会社に乗り込んでいき、長々とストーリーを話し、最後は「斬り死に」する映画でした。死んだことのなかった裕次郎は、じつに楽しい撮影だったといっていたそうです。これもちょっと再見してみたい映画です。

『憎いあンちくしょう』で大人の女として成熟する方向へ舵を切った浅丘ルリ子は、64年のこの映画、ムード・アクションの代表作で大輪の花を咲かせます。

舛田利雄監督『赤いハンカチ』


『赤いハンカチ』については、当家ではかつて長々と記事を書いたので、ご興味がおありの方はこのページの下の方にある特集一覧の右側の列、中頃のリンクをクリックなさってみてください。

このあとのルリ子=裕次郎ものは、だいたい路線がかたまって、一定の幅のなかで動いていく感じですが、印象深い映画が数本ありました。

松尾昭典監督『二人の世界』


これはなかなか凝ったストーリーで、フェリーノ・ヴァルガと名乗る石原裕次郎扮するヒーローは、昔、おしかぶせられて逃亡するハメになった事件の時効寸前に日本に戻って、冤をはらそうとしますが、これがなかなか思うようにいかず、けっこう意外な展開でした。しかも、浅丘ルリ子が、○×するし、そこに深江章喜の一徹なヤクザがからんで、最後までダレませんでした。

ただ、そこで我に返りますが、いわゆる「ムード・アクション」のパセティックな甘みというのは、こういう波瀾万丈すぎるプロットでは薄くなってしまい、そちらを期待するとちょっとうっちゃりを食った感じになります。

未見の方はこの段落を読まないでいただきたいのですが、浅丘ルリ子の愛ゆえの裏切りをどう受け止めるか、という「愛のモラル」の問題の提出はなかなか興味深く、日活アクションの定型にはまらない展開の作品です。

あれ、あの映画はなんといったっけ、というのがあって、逆戻りします。

松尾昭典監督『夕陽の丘』


石原裕次郎の兄貴分が中谷一郎、その情婦が浅丘ルリ子という設定で、あれ、となり、でも、これはただではすまないなあ、と設定自体に緊張させられる映画でした。

いま、キャストを見て、そうか、浅丘ルリ子は姉と妹の両方をやったのだったな、と思いだしました。美少女の延長線上と、大人の女の両面をひとつの映画のなかで描いてみようという、けっこういいところをついた企画だったことになります。

それほどよかったという印象はないのですが、中谷一郎が好きなので、それなりに楽しく見てしまった記憶があります。

つぎに印象深い映画は江崎実生監督の『帰らざる波止場』なのですが、これはクリップがありません。

これまた浅丘ルリ子が「かならずしもモラリスティックではない」女を演じていて、おおいに好みの映画です。横浜港の遊覧船に乗った浅丘ルリ子が、そっと指輪をはずして海に捨てる、というオープニングが好きでして、あのへんにいくたびに、そのことを思いだします。

それから、記憶で書きますが、音楽はほとんど軽いボサノヴァで(渡哲也と共演した『紅の流れ星』に近い)、そのあたりもおおいに好ましい味わいでした。

ここでもまた、浅丘ルリ子の暗い過去を、裕次郎扮する冤罪をはらすために帰ってきた男がどう受け止めるか、という「愛のモラル」の問題が提出されます。いい映画でした。

ルリ子=裕次郎のムード・アクション、掉尾を飾る大花火は、やはりこれでしょう。

松尾昭典監督『夜霧よ今夜も有難う』


あまりにも露骨な『カサブランカ』で、昔は見ていて尻がむずむずしたのですが、年をとると、まあいいか、という気分です。今度再見するときには、頭から尻尾まで楽しんでしまいそうな予感がします。

赤木圭一郎や渡哲也との共演、さらには植木等との共演など、いろいろ考えられるのですが、ほんとうにそういうのをやるか、これでおしまいにするか、まだ決めていません。



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by songsf4s | 2011-12-03 23:53 | 映画
浅丘ルリ子の夜はふけて その1 共演・小林旭篇
 
芦川いづみの千社札ペタペタをやっておいて、浅丘ルリ子はなしというのではひどい片手落ち、やっぱりルリ子千社札も並べてみます。

1959年から60年という時期では、わたしはあまり日活には行っていないので、「渡り鳥」シリーズには間に合いませんでした。それなのに、なぜか、浅丘ルリ子の記憶は渡り鳥からはじまっています。

シリーズに入れるかどうかは微妙ですが、いずれにしても、渡り鳥シリーズへのステッピング・ストーンとなったのはまちがいない、と先達たちが口をそろえる映画から。

斎藤武市監督『南国土佐を後にして』


タイトルで流れる曲が「ギターを持った渡り鳥」ではないし、敵役のエースのジョーもまだいないとあって、とりあえず心拍数はあがりませんが、中身は、半分ぐらいは渡り鳥の雰囲気でした。

小林旭はまだカウボーイ・スタイルではなく、堅気のような格好をしていますが、職業(ちがうか)は不世出の壺ふり、すなわちギャンブラーです。三回のトライでサイコロを全部縦に積み上げた、というのは、この映画でのことではなかったかと思います。

そりゃ、警察はいろいろいうでしょうし、会社としては、なにかしないわけにはいかないでしょうが、小林旭が「俺がヤクザと飲んで誰に迷惑がかかるんだ」というのも、やはり当然でしょう。

俳優や芸人というのは堅気ではありません。われわれか、あちらの方たちか、どちらに近いのか、といえば、むろん、あちらのほうに近い、というか、ほとんど同業といっていいわけで、だから、「不世出の壺ふり」の役をやって、わずか三ショットで五つのサイコロを積み上げるなんて離れ業だってできたのです。くだらんご清潔病で、芸の世界をつまらなくしないでほしいものです。

閑話休題。浅丘ルリ子の話でした。『南国土佐を後にして』では、まだ垢抜けない感じですが、女性の二十歳前後というのは、どんどん変化していきます。

渡り鳥シリーズ「正式の」第一作である『ギターを持った渡り鳥』は、劇場で撮影したすごい代物しかないので、ちょっと画質がよろしくないものの、シリーズ第二作を。

斉藤武市監督『口笛が流れる港町』


こんどはしっかり西部劇していますし、小林旭の役名も滝伸次です。なぜか宍戸錠の役名は、ファースト・ネームなしのただの「太刀岡」ですが!

浅丘ルリ子は、依然として美少女の延長線上、まだ「女優」への変貌途上というぐあいですが、なにか書かなければならないから、くだらないことをいっているだけで、いやまったく、お美しいことで、と思っています。

斉藤武市監督『大草原の渡り鳥』予告編


再び北海道にもどって、滝伸二は摩周湖のあたりをさまよっています。記憶では、この映画がもっとも完璧に西部劇していて、ジャパノ・ウェスタンの代表作といっていいと思います。

ほかに、日本製西部劇なんかないだろう、という方もいらっしゃるかもしれませんが、それは勘違い、深作欣二監督、千葉真一主演の『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』なんて、タイトルからして西部劇、中身も西部劇でした。

この『大草原の渡り鳥』でしたかねえ、いつもならキャバレーで踊っているはずの白木マリが、なぜか堅気で、牧場で働いているという設定だったのは。

おかしいなあ、と思っていると、どこかで会ったはずだと考え込んでいた宍戸錠が「そうだ、あの女だ!」と思いだし、回想シーンになって、やっぱりキャバレーで踊っちゃうというのは。

しかし、浅丘ルリ子と小林旭のコンビも忙しいことで、渡り鳥シリーズのかたわら、「流れ者」シリーズという、ほとんど渡り鳥そっくり、たんにカウボーイ・スタイルではないだけ、というのをつくっています(最後に西部劇シーンありだが)。

山崎徳次郎監督『海から来た流れ者』


舞台は大島、浅丘ルリ子はバスガイド、ヘア・スタイルやメイクのせいでしょうが、こちらのほうが大人っぽく、色気があります。

つづいてシリーズ第二作のエンディングのあたり。

山崎徳次郎監督『海を渡る波止場の風』


日活アクションのヒーローは、ヒロインと結ばれることはまずないので、エンディングは、ほとんどつねにヒーローがヒロインに背を向けて去っていくシーン、どう去らせるかで、脚本家と監督はあれこれ工夫しました。

わたしは古い建築が好きで、写真を撮って歩いたりしましたが、古い映画にはしばしばすでにない建物が映っているもので、そういうのが見えるたびに、ポーズ・ボタンに手が伸びます。

しかし、考えてみると、鉄道の好きな方たちにとっても、映画はめずらしい車輌の宝庫にちがいありません。

小津安二郎のキャメラマン、厚田雄春は鉄道が好きで、そういうシーンを入れようと何度か小津をせっついたそうです。たしかに『晩春』には長い長い横須賀線のシーンがありますし、『東京物語』のエンディングも原節子と彼女を乗せた汽車でした。

小津安二郎『東京物語』予告編


小津安二郎『晩春』パート1(10:30あたりで鎌倉駅、その後横須賀線)


あるいは、野村芳太郎の『張込み』の冒頭は横浜駅から宮口精二と大木実が列車に乗るところで、その後、延々と佐賀までの道中が描写されます。

野村芳太郎監督『張込み』オープニング


日活アクションにも、たとえば『錆びたナイフ』をはじめ、鉄道のシーンがたくさんあり、列車というのは画面に躍動感を与えるものなので、監督、撮影監督はみな工夫を凝らしたにちがいありません。

それにしても、この『海を渡る波止場の風』のエンディングは、一発でOKがでないと、列車は戻さなければいけない、浅丘ルリ子はまた走らなければいけないで、えらいことだったでしょうねえ。

この「野村浩次」を主人公とした流れ者シリーズで、いちばん印象が強いのは第三作です。

山崎徳次郎監督『南海の狼火』


「ギターを持った渡り鳥」ほど好きではないのですが、「さすらい」もけっこうな曲で、結局、歌手・小林旭の未来はこの曲で定まったと感じます。

この映画での宍戸錠の役名は「坊主の政」、その名の通り、数珠をもって登場には大笑いです。こういうところが好きで、子どものころから、親に隠れて日活に宍戸錠を見に行ったのであります。

浅丘ルリ子の登場までにちょっと時間がかかりますが、これまた渡り鳥のときより大人びたメイクで、けっこうな美女ぶりです。

旭「で、踊り子の名前は?」
ル「たしか、ジェニー・ハルミといったはず」

なんていう台詞が出れば、日活ファンは、そら来た、てえんで、白木マリ登場に備えます。

渡り鳥シリーズにしても、流れ者シリーズにしても、脚本家のひとりは、当時の衆院議長である原健三郎となっていて、堀久作社長の影の面がほの見えます。暴力団は駄目で、政治家はOKって、それはないと思うのですがね。

浅丘ルリ子と小林旭は、この時期に、さらにもうひとつ、「銀座旋風児」シリーズでも共演しています。こちらは映画のクリップはないので、せめて主題歌だけでも。これが好きなんですわ。

小林旭 - 銀座旋風児


歌詞カードには「旋風児」のところに「マイトガイ」とルビがふってあります。「生まれたときから旋風児[マイトガイ]」なのです。小林旭の映画的ペルソナをこれほど端的にあらわした歌詞はありませんぜ。一度歌ってご覧なさいな。メロディーも歌詞も脳裏にこびりついて、逃げることができなくなること請け合いです。

小林信彦の「オヨヨ大統領」シリーズのどれか、たしか、『大統領の晩餐』で、鮎川哲也の「丹那刑事」をモデルにした「旦那刑事」が突然、俺は旋風児なのだ、と叫ぶのは笑いました。いや、日活ファンにしかわからないジョークですが。

矢作俊彦監督の日活名場面集『アゲイン』で見たときから、これはいつかちゃんとみないとな、と思っただけで、まだ実現していない映画。舛田利雄監督『女を忘れろ』、と思ったら、エンベッド不可というケチくさいクリップでした。気になる方はご自分で検索なさってみてください。

かわりに、こちらは大昔にテレビで見た石坂洋次郎原作もの『丘は花ざかり』の浅丘ルリ子歌う主題歌を。共演は二谷英明だなんてことはすっかり忘れていましたが。

浅丘ルリ子 - 丘は花ざかり


手をつけたときから、一回では無理かなあ、と思っていましたが、なんのことはない、1959年と60年の映画だけで終わってしまいました。これは二つか三つに割るしかないようで、つぎもたぶんルリ子の夜をやります。


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by songsf4s | 2011-11-30 23:55 | 映画
芦川いづみデイの日は暮れて
 
特段の理由はないのです。たんに、つい、うかうかと芦川いづみのクリップをたぐってしまい、本日、手元にあるのはこの話題だけとなってしまったのでした。

いやはや、ひとたび見はじめると止まらないもので、至福の時となってしまいます。まず、美男美女ばかりぞろぞろ出てきて、いい加減にしろよ、といいそうになるクリップから。長いのでクリックするならそのおつもりで。

西川克巳監督『東京の人』 - 芦川いづみ、月丘夢路、新珠三千代


男優のほうは滝沢修、葉山良二、青山恭二を確認できます。月丘夢路と葉山良二が会う場面の背景はいったいどこなんでしょうか。イタリア・ロケ、なんていわれたら信じてしまいそうな建築。

月丘夢路というのはちょっと妖艶というイメージだったのですが、大人になってから小津安二郎の『晩春』を見過ぎて、印象が変わってしまいました。しかし、こういう映画を見ると、やはり年増女の魅力を発散していて、ほほう、です。『鷲と鷹』のときより、こちらのほうがずっといいのではないでしょうか。

いちおう、テーマ曲(らしい)のほうも貼りつけておきます。やはり映画からのショットが使われています。

三浦洸一 - 東京の人


『東京の人』は未見ですが、こちらは再見したくて、かつてVHSを買いました。

中平康監督『あした晴れるか』


冒頭にやっちゃ場が出てきて、石原裕次郎がカメラマン、担当編集者が芦川いづみという映画はどれだっけ、なんてことをチラッと思ったことがあったので買ったのですが、明朗闊達単純明快、楽しい映画でした。

ご存知ない方のために注釈しておくと、やっちゃ場というのは東京青果市場のことで、かつて秋葉原駅のすぐまえにありました。いまや高層ビルが建ち並ぶ馬鹿馬鹿しさ。東京でもっともイヤな場所のひとつに変じました。

裕次郎扮するカメラマンが「東京探検」というテーマで写真を撮るという展開なので、あの時代の東京風景をたっぷり見られます。時がたつにつれて、その面でも価値が高まった映画です。

酔っぱらった芦川いづみが、「こんどは血まみれメリーちょうだい」といい、裕次郎に「血まみれ?」といわれ、「ブランデー飲むと回虫わかないの」というのに笑いました。いまや、「回虫ってなによ」という人も多いのでしょうが。

西河克己監督『青年の椅子』


藤村有弘が芦川いづみの婚約者という設定は無理無理で、観客は即座に、これは破談になるな、と卦を立ててしまいますなあ。

浅丘ルリ子は沈鬱な表情の多い役がずいぶんありましたが、芦川いづみは「明るく朗らかに」を絵に描いたような役柄が多かったような記憶があります。

石坂洋次郎原作ものからくる印象なのでしょうが、「わたし、これからの女というものは、これこれこういうことが大事なのではないかと思います。男女のことも、いままでのようなじめついた日陰のものとしてではなく、明るい太陽の下で考えるべきなのではないでしょうか」などといった意見を正面から述べたり、ポンポンと男をやりこめるような役も似合いました。石坂洋次郎的な戦後民主主義を具現した存在と、すくなくともわたしは見ていました。

そういう民主主義という抽象観念の肉体化の極北は、この映画での役かもしれません。やはり石坂洋次郎原作。

中平康監督『あいつと私』


60年安保を(あまり目立たない)背景にした、裕福な家庭の子女が通う私立大学の学生たちの話ですから、自然と女の自立といったテーマが忍び込んで、芦川いづみはしきりに政治観、人生観、社会観を一人称で(!)陳述します。まあ、彼女がやると、角が立たず、そういう女性像も魅力的に見えます。

脈絡もなく、いま目についてしまったので、貼りつけます。アクションの日活としては、やけくそみたいに異質な映画でした。

森永健次郎監督『若草物語』


大昔、テレビで見たときは、芦川いづみが長女で、その下が浅丘ルリ子、という設定がちょっと意外でした。まあ、微妙なところですが、どちらかというと、浅丘ルリ子は長女的と感じます。

結局、石原裕次郎や小林旭でまわしていくことが苦しくなり、松竹かよ、という日活にはありえないような女性映画が生まれることになったのでしょう。

美女たちが妍を競うのは麗しいのですが、しかし、なんだか物足りない映画でした。キャスティングがまわらなくて、苦肉の策としてこういう映画をつくるのはやはり賢明ではないのでしょう。男優の粒が小さくて、女優の豪華さが生かされていませんでした。

それにしても、いつもの文脈から脱出したはずだった吉永小百合は、またここにも浜田光夫が待っていて、なーんだ、だったのでしょうねえ!

もう一本。これまた、ポンポンまくしたてる戦後的女性を演じています。

牛原陽一監督『堂堂たる人生』


日活はタイプ・キャスティングというか、そんなことをする余裕すらなく、主演ははじめから決まっていて、それに合わせて話を選んだり、つくったりしていたわけで、『若草物語』のように不安定なキャスティングは例外中の例外、この『堂堂たる人生』も、いつもの安定したキャスティングです。

とはいいながら、桂小金冶がまた寿司屋のオヤジというのは笑ってしまいます。この人はほかの役ができる気がしません!

わたしのもっとも好きな芦川いづみ出演作品は『あじさいの歌』ですが、これは残念ながらクリップがありませんでした。以前はあったのですけれどねえ。もっとユーチューブを活用してくれるといいのですが。

それにしても、なぜ、昭和30年代の日活映画を見ていると、こうも幸せな気分になるのでしょうか。わがことながら、じつに不可解千万です。


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by songsf4s | 2011-11-29 23:44 | 映画
そして、メル・テイラーもいなかった+鈴木清順、宍戸錠語る
 
本日は休日にしては、ツイッターのタイムラインが静かで、「日活100年」アカウントから流れてきた、先日の鈴木清順監督と宍戸錠の対談というか、舞台挨拶のようなものを読んで、ふむふむ、がっはっは、などとやっていました。

日活サイトの「『鈴木清順 再起動!』 トークショーは立ち見ファンでいっぱい!」

いくつか面白い話が出てきましたが、このくだりが、モスト・フムフムでした。

宍戸錠「今年は日活のプレ100年祭で、先日NYのリンカーン・センターへ行って挨拶したんですよ。通訳をつけるから日本語で大丈夫と言われたので、『絶対に英語でやってやる!』と思ってね。英語なんか喋れないんだけど、そういう時は喋っちゃうんだよね。
舞台に出たら『ピストル持った格好をして下さい!』と言われて、写真を撮られたんだけど、リンカーン・センターにはポラロイド写真が貼ってあってね。最初に貼ってある人がクリント・イーストウッドで、その次の俳優がちょっとわからなくて、その次の俳優が……俺なんだよ! ヤッター! と思いましたね。日活でも石原裕次郎がいて、小林旭がいて、三番目に宍戸錠がいた。だから、『ああ、俺はいつも3番手なんだなあ』と思いながら、それでも3番目に自分が写っている写真を見た時には感謝感激で涙が出るくらい嬉しかったです。その写真が 『Gate of Flesh』、つまり鈴木先生の 『肉体の門』 なんですよ。あれはニューヨークでも、ものすごくウケているんです!」

日活には「ダイアモンド・ライン」なんていうのがあって、これは石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩二という顔ぶれでした。むろん、宣伝用に会社が考えたもので、つまり「会社が売りたい順」です。

しかし、赤木圭一郎の早逝で、こんな売り文句は吹き飛んでしまいます。裕次郎の骨折が重なって、主演男優不足に悩んだ会社は、エースのジョーを主役に起用します。あれこれ考え合わせると、「三番目」というエースのジョーの認識は、日活の歴史全体で捉えれば、そのとおりかもしれない、と思ったのでした。

ピストルをもつ格好をしてください、とはまた、NYのプレスも日本とノリはいっしょ! こういうとき、照れずにさっとやってくれるのがエースのジョーのすばらしさです。

談志の死にショックを受けて、いや、そのまえから、仕事も一段落だから飲むぞ、というツイートをしていた人が、だいぶ聞こし召され、エースのジョーについてあれこれツイートされていました。

おまえ、俺より抜き撃ちが早くなったら、二代目を継がせてやるといったくせに、いざ勝ったら、お前は早いだけだ、殺しの美学がない、といって継がせてくれなかった、なんておっしゃっていて、ニヤニヤしてしまいました。

いや、つまり宍戸錠という人は、照れるも照れないも、抜き撃ちの早さをおおいに誇りにしているのでして、そういうところが、やはりたまらなくエライと思うのであります。

ふつうじゃないというのは、偉大です。たしか、昔、銃刀法違反で取り調べられたりしたことがおありだったと記憶しています(呵呵)。けっこう、映画を地で行く人なのでしょう!

もうひとつ。

宍戸錠「ある撮影の時、『今日は屠殺場で牛を殺してもらうから、眉間に完璧にバカーンッと入れろ』と言われたので、『堪忍して下さい。牛肉はステーキにしないと食えなくなります。殺すのは無理です』とお願いしたことがありました。それが『肉体の門』 という作品で、英語で言うと『Gate of Flesh』 と言います。understand?」

ちょっと意味不明のところもありますが、むろん、牛を殺せといった人は鈴木清順監督です。映画監督というのは、こういう無慈悲なところがあるからなあ、と笑いました。

『肉体の門』予告編(ちょっと露骨な描写があるので、プレイする前にご一考を)


いや、いまは動物愛護団体がうるさいので、ほんとうに殺したりするとまずいことになります。なら、牛肉食うなよ、と思うのですが、まあ、みなさん、菜食主義者なのでありましょう。

いや、馬が倒れたりすると、無事であってくれよ、と思いますけれどね。骨折したらおしまいですから。

足立正生監督が、処女作で、ほんものの××を使ったという話を聞いて、うひゃあ、とのけぞったことがあります。いや、この話はやめておきます。映画の世界はとんでもない、というか、足立監督がとんでもないだけかもしれませんが。

談志の死を悲しみ、ふと、エースのジョーが死んだら、悲しいではすまないぞ、と狼狽した方のツイートを読んでいて、わたしも、ジョーが健在で、いまも、拳銃を撃つ格好をしてくれ、という注文に嬉々として応じている、というのは、なんともありがたいことだと思いました。それがリンカーン・センターでの出来事だというのだから、なおさらです!

今回の鈴木清順シネマテーク「鈴木清順 再起動!」は12月16日までつづくそうです。

わたしは今回は行かないだろうと思いますが、高校のときに池袋文芸座地下のシネマテークで見たきりになっている『密航0ライン』がちょっと気になります。伊勢佐木町と元町でロケをしていた記憶があり、そのあたりをもう一度見てみたいのです。

◆ Just another instrumental project from L.A. ◆◆
静かな休日は、立川談志没の未確認情報が流れたあたりから、だんだん騒然としてきて、談志師匠とは無関係なことでも、おや、ほう、というツイートが流れはじめ、昼下がりから忙しいことになってきました。

当家にもときおりコメントをお寄せくださる、われらが「長老」(いつのまにやらお互い「アラカン」となり、洒落にならなくなってきた!)キムラセンセが、つぎのようなことをつぶやいて、談志に気を取られていたわたしは、虚をつかれてしまいました。センセ、外交電報送りましたが、開戦に間に合わず、結果的に事後承諾とさせていただきますので、どうかあしからず。

「本を読みながら、Media Monkeyにシャッフルさせて音楽を流していたら、Mel Taylor & The MagicsのThe In Crowdが流れてきた。途中から流れるギターに驚いた。グレン・キャンベル80%、ビリー親分20%の確率。もうけた気分。」

このツイートのときは、ほう、それはありそうな話、と思っただけなのですが、そのつぎで、ええ、となりました。

「気になったので、アルバムを聴き直している。Bullseyeのギターは間違いなくビリー親分。というか、そもそもこのアルバムのドラムはメルなのか?違うんじゃないか。プロデューサーがディック・グラッサーだし。違うという方にぜんざい1杯賭けとこう。」

あたしなんか、すぐに、首をかけるの、腹を切るのと、軽々しくいっちゃうのですが、さすがにセンセはぜんざい一杯、穏当というか、腹が据わっていないというか、命を大事にするというか。

いや、そんなことはどうでもよくて、メル・テイラーのアルバムなのに、メル・テイラーが叩いていないのかよ、まあ、サンディー・ネルソンの盤で叩いているのがアール・パーマーだったという例もあるからな、と思ったのです。

ともあれ、ユーチューブにあったメル・テイラー名義のトラックを貼りつけます。

Mel Taylor & the Magics - The "In" Crowd


おお、かっこいいギター、だれなのか5秒以内に札を張れ、といわれたら、目をつぶってビリー・ストレンジへと。しかし、センセがこちらだと主張するグレン・キャンベルも、トミー・テデスコもありそうで、悩ましいところです。

センセがあげられているBullseyeはクリップがないので、サンプルをアップしました。アナログ・リップ、低音質です。

サンプル Mel Taylor & the Magics "Bullseye"

こちらのリードギターはストレートなトーンなので、The "In" Crowdより明解にビリー・ストレンジじゃん、といえます。ビリー御大は、あまりワイルドなプレイをしませんが、たまにやると、The "In" Crowdみたいな感じなのです。でも、グレン・キャンベルといわれると、たしかに、グレンはよくこういうプレイをしているな、とも思います。今日は歯切れが悪いなあ>俺。

いや、もう時間切れで、この話題をまとめる余裕がなくて、焦っているのです。

さきほど引用したツイートのつぎに、キムラセンセからは追って書きが届きました。

「あとから、日本盤に付いている山下達郎のライナーを読むと、『メルテイラー・本人が演奏メンバーや選曲の経緯などに関して全く記憶が無いと再三コメントしている(何か彼にとって不快な要因があったのかもしれない)』とあります。キック踏ませてもらえなかったのが…。」

これには大笑いでした。やはり、ご当人とは関係ないところで企画が進み、名前と引き替えに金をもらっただけ、というパターンだったようです。いくつか、メル・テイラー風のドラムもあるのですが、ぜんぜんちがうじゃん、というトラック(たとえばWatermelon ManやA Taste of Honey)もあります。

もうひとつクリップを。

Mel Taylor and the Magics - Skokiaan


メル・テイラーではないとして、ではだれだ、といわれると、わたしにはなんともいいかねます。アール・パーマーとハル・ブレインの線はまずないでしょう。

すでにジム・ゴードンは活躍しはじめていますが、あまりジミーのような雰囲気もありません。ジム・ケルトナーの線もゼロ。もうちょっとクラスの落ちる人ではないでしょうか。ジョン・グェランのように突っ込んではいませんが、おみごと、というプレイもありません。

メル・テイラーのソロだなんて、あの突っ込むドラムを聴かされるのはかなわんなあ、と思っていたのですが、まじめに聴いてみれば、とくにタイムが早すぎて気分が悪くなるようなトラックはなく、タイムは訓練で改善されるのだな、と納得したのでした。ん? ちがうか。

本文の趣旨とはかけ離れた、とってつけたような結論をとってつけてしまい、どうも失礼しました。今日は談志没と、粋人、もとい、酔人の宍戸錠談義で消耗してしまったのでした。


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メル・テイラー
イン・アクション
イン・アクション
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by songsf4s | 2011-11-23 23:52 | 映画
蔵原惟繕監督『俺は待ってるぜ』補足 ロケ地へ
 
Midnight Eyeという、日本映画を扱っている英文のサイトがあって、ときおり見ているのですが、今日は、エースのジョーと舛田利雄監督のインタヴューを読みました。イタリアのウディネという町での映画祭をお二方が訪れた際のものだそうです。

とくに突っ込んだ話はないのですが、舛田利雄監督の東映任侠映画と日活のやくざ映画との違いの定義は、簡潔明快で、なるほどと思いました。

「東映任侠映画、たとえば高倉健を主役にしたものと、日活アクション映画はまったく異なるものだった。日活は基本的には若者をめぐるヒューマン・ストーリー、つまり「青春映画」の会社であり、それがときにやくざのキャラクターやその世界を背景にすることがあったというだけだ。それに対して東映は、本物のやくざの映画をつくった。東映の俊藤浩滋プロデューサーはやくざといってよい人物だった。だから、彼らはやくざの現実とその美学を映画にしようとした。したがって観客もまったく異なった。東映の観客はやくざ映画を好んだが、日活の観客はドラマを見るために映画館へ行った」

東映映画を語るというより、日活映画を語ったわけですが、日活は青春映画の会社だというのは、当事者の共通の認識だったようです。以前、ご紹介しましたが、鈴木清順監督も、『野獣の青春』はなぜあんなタイトルになったのだときかれて、さあねえ、と笑いながら「まあ、日活は若者のための映画をつくっていたから」と答えていました。

大人のための映画をつくっていた、とは云えないし、よその会社のように、夏休みの子ども向け映画などもなかったようで、たしかに日活は「若者のための映画」をつくっていました。

でも、「青春映画」といわれると、それは吉永小百合と浜田光夫の担当であって(舟木一夫主演の映画もいくつか見た記憶があるが)、といいそうになり、いやまあ、大きく見れば、日活アクションもまた「青春映画」だったのか、と考え直したりしました。

さらに考えると、つまり、アクションも青春映画も均等にやった石原裕次郎は、日活映画の全スペクトルをカヴァーした、というか、つまり、裕次郎こそが日活だったのか、という落着でいいような気がしてきました。

今村昌平のような芸術映画の監督と、アクション映画の監督の関係、といった興味深い話題がほかにもありますが、それはまたいずれということに。

◆ ロケ地再訪 ◆◆
連休中に、『俺は待ってるぜ』のロケ地に行き、少し写真を撮りました。しかし、以前書いたように、レストラン「リーフ」のセットが組まれた場所はいまでは観光地になっていて、そういう場所に連休中などというタイミングでいったものだから、写真を撮るどころではなく、這々の体のヒット&ランになりました。

しかし、せっかく撮ったものを使わないのも癪だ、というケチくさい根性が頭をもたげ、また、つぎになにをやるかが決まらないため、観光地の混雑を写しただけの写真を並べることにしました。

写真を撮ったのは二カ所(ロケ地を特定できたのは二カ所だけだから当然だが)で、新港のほかに、裕次郎が証人を捜して歩きまわるシーンに出てきた花咲町の通りも行って来ました。

まずは、新港のロケ地から。どこにセットが建てられたかは、以前の記事で明らかにしていますが、もう一度、同じ地図を貼りつけます。真ん中やや上の青い丸がセットの位置です。

f0147840_0535982.jpg

それではロケ地、というより、観光地の写真というべきものへ。

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鉄橋の上から赤煉瓦倉庫を臨む。この方向のショットはラスト・シーンにしか登場しない。

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映画では桟橋があった「リーフ」のわきの斜面。左手に見える大型客船は飛鳥II、そのむこうのあたりに大桟橋がある。

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こういうアングルで撮りたかったのだが、あれこれ障害物はあるし、人通りも多く、そうはいかなかった。

f0147840_22494617.jpg
このように、かつては大小二種類のトラスがあったのだが、現在では左側に見える小さいほうしか残っていない。

つづいて花咲町の写真を。もうすこし庇が残っていると思ったのですが、いまや一カ所だけしかありませんでした。

f0147840_22495100.jpg
JR桜木町駅のプラットフォーム。昔とはだいぶ様子が異なる。

f0147840_20293195.jpg

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逆方向に切り返し、JR桜木町駅を背にして京急日ノ出町駅方向にむかって撮影。庇はここしか残っていない。

f0147840_200012.jpg

以上、たった二カ所のロケ地再訪でした。町は変わるようで変わらず、変わらないようで変わってしまう、というような気分です。まあ、丸ごと残っていたら、かえって興趣が薄いでしょうけれど……。


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by songsf4s | 2011-09-30 21:44 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その6
 
お客さん方にはあまり意味のないことですが、これは、当家の999本目の記事です。

体調不良でしばらく休みます、といったお知らせまで含めた本数ですが、5本の10本のといったオーダーならいざ知らず、ここまでくれば、そういったものまで含めてしまっても、かまわないでしょう。

よくまあ、飽きもせずに(いや、じっさいには何度も飽きて投げ出しそうになったのだが)、999本も書いたものです。あたくしという人間は、ちょっとどこかが足りないか、あまっているかするのでしょう。

「シェヘラザードも楽ではなかっただろうなあ」なんて大束なことをいえる資格を得たような気分なのですが、1000本目になにか特別企画を用意しているわけではありません。1000本記念総額一千万円大懸賞なんていうのはないので、期待しないでください。

◆ 日活キャバレー創生期 ◆◆
かつて、日活だけを他のスタジオと区別して特別扱いしたのは、大映、東映、東宝、松竹がスクェアだったのに対し、日活だけは、今風にいえばkewlだったからです。

その特異性は、むろん、人物設定、世界、プロットに表現されるのですが、当然ながら、ロケーション、セット・デザイン、衣裳といった視覚的な面でも、音楽や効果音といった聴覚的な面でも表現されました。

人物設定やストーリーから意味を読みとって、映画を云々するのがオーソドクシーなのでしょうが、根がオーソドクスではないもので、当家の映画記事はつねに、視覚的ディテールや音楽へと傾斜していきます。映画というのは、意味である以前に、テクスチャーなのだと考えているからです。

とまあ、よけいなゴタクを書きましたが、今回はまだふれていないセットのデザインを見ます。敵役である柴田(二谷英明)が経営し、ヒロイン・早枝子がつとめるキャバレー「地中海」のデザインです。

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「地中海」という店なので、アルジェだチュニスだといった文字が見える。

というぐあいで、のちの日活アクションの酒場、たとえば、木村威夫デザインの二つのナイトクラブ(『霧笛が俺を呼んでいる』『東京流れ者』)にくらべると、だいぶスケールが小さいのですが、しかし、ディテールには日活らしさがすでに濃厚にあらわれています。

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ステージの背後にのぞき窓があり、フロアを見渡せるようになっている。

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のぞき窓の向こうは事務所で、マンサード屋根の片側であるかのように壁面が斜めになっている。このような設定とデザインもいい。

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昼間、同じ場所でのショット。

このように事務所からクラブのフロアを見えるようにする構造は、日活アクションではおなじみで、たとえば、前述の『霧笛が俺を呼んでいる』ではさらに凝った構造で登場しますし、鈴木清順の『野獣の青春』では、『霧笛』のミクロコスモス化とは反対方向へとスケールアップしています。

このような視覚の多重化については、一度まじめに考えなければいけないとは思っているのですが、そういう理論化はじつにもって不得手というか、生来ものぐさなので、いつか、いい思案が浮かんだときにやろう、と先送りにしています。清順映画の解読には不可欠の道具なのですが。

◆ 家伝の対位法 ◆◆
今回で『俺は待ってるぜ』はおしまいなので、残った音楽の棚浚えをします。

まず、柴田が経営するクラブ「地中海」で、早枝子が歌う曲と、そのあとの4ビートのインストゥルメンタル曲を切らずにつづけていきます。北原三枝のスタンドインで歌っているのはマーサ三宅であると、佐藤勝作品集のライナーにあります。

サンプル 佐藤勝「地中海」(唄・マーサ三宅)

このマーサ三宅が歌う曲だけは佐藤勝作品集にも収録されているのですが、とくにタイトルはつけられていません。むろん、その後の4ビートの曲も同じで、「地中海」というのはわたしがつけた仮題です。

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いや、それにしても、当時の流行だったとはいえ、しっかりウェスト・コースト・ジャズしているところに、改めて感心しました。同時代性というのは恐ろしいものです。いや、それらしくになっているというだけでなく、ハイ・レベルでいいプレイなのです。

あまり話の底を割りたくないので、ちょっと人物関係を曖昧にします。つぎの曲は、いかさま博打でもめて、殺人に発展する無言劇で流れるものです。

サンプル 佐藤勝「Beat to Death」

佐藤勝の師匠、早坂文雄と黒澤明は対位法のことを繰り返しいっています。この曲もまさに対位法の実践で、陰鬱な殺人の場面に、明るく軽快なラテン・スタイルのサウンドをはめ込んでいます。

『俺は待ってるぜ』を収録した『佐藤勝作品集 第8集』のライナーには、蔵原惟繕の佐藤勝回想が収録されています。そこから引用します。ちょっとまわりくどい文章ですが、短いので。文中、「27歳」といっているのは、『俺は待ってるぜ』製作時の年齢です。

「勝さんの音楽的深みは27歳と云う若さを越えたものであったことに驚いた事を今鮮明に憶い出す。多分、それは、映画音楽の師、早坂文雄氏の晩年の仕事ぶりを間近に共にしていた事が大きかったのではなかろうかと思う。喀血しながら作曲を続けた師の後ろで、血の始末や、汚れを取り替え、写符を続けながら学んだことにある様な気がする」

早坂文雄が結核だったことは知っていましたが、その現実というのは考えてみたことがありませんでした。いや、弟子としてどう働いたとか、そのような「修行」がどうだといったことを思うわけではありません。たんに、佐藤勝というのは「そういう人物」だったと理解しただけです。そのキャラクターは彼がつくった音楽の力強い雑食性にそのまま反映されていると思います。

最後の一曲は、日活映画恒例、主役が歌うエンディング・テーマです。その直前のスコアからつなげてあります。

サンプル 佐藤勝「End Title」(唄・石原裕次郎)

◆ 日活的世界 ◆◆
『俺は待ってるぜ』がつくられたのは、石原裕次郎の人気が爆発しようとしていたときであり、『嵐を呼ぶ男』と『陽のあたる坂道』で地位が確立される直前のことです。

したがって、まだ「日活無国籍アクション」はパターン化していません。しかし、港町、エキゾティズム、流れ者(ないしは根無し草)のヒーロー、その「自己回復」の物語、暗黒街の住人たちといった主要な要素は、この映画でほぼ出揃い、のちのパターン化の準備が整えられています。

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日活は製作再開から数年に及ぶ苦闘の時期を脱し、石原裕次郎によっておおいに潤う時代を迎えるのですが、それと同時に、こうすれば客が入る、というヒット・レシピを見つけたことも、裕次郎と同様に重要だったでしょう。

自我の挫折とその回復、ないしは、個の確立といった渡辺武信のいうような、物語にこめられたものにも、もちろん相応の重要性がありましたが、わたしにとっては、視覚的、聴覚的な非日本性のほうがつねにプライオリティーが高く、その意味で『俺は待ってるぜ』はおおいなる愉楽をあたえてくれる映画であり、いま見ても、日活映画の頂点にある作品のひとつと感じます。


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by songsf4s | 2011-09-22 23:54 | 映画