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大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その17
 
はっぴいえんどにはもう一枚スタジオ・アルバムがある。『HAPPY END』というタイトルで、デビュー盤の『はっぴいえんど』(通称「ゆでめん」)と対になっている。というか、ややこしいな、であるが。

当時読んだもののうろ覚えの受け売り、いや、そのやり損ないにすぎないが、はっぴいえんどは消滅し、すでに別々のプロジェクトをスタートしていたのに、アメリカでアルバムを録音しないかという話がもちあがったのだという。

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いまなら、アメリカで録音できると云われても、それほどのことでもないだろうが、当時はやはりちょっとしたことだっただろう。彼らがもう一度、一緒に音を出す気になったのもわかる。

しかし、話が急すぎて、ソングライター大瀧詠一は、大滝詠一ソロ・デビュー盤(タイトルは『大瀧詠一』、と話をどんどんこじらせてみる)の直後で、曲のストックはゼロ、細野晴臣は予定されていたソロ・デビュー盤のために用意した曲を流用するという苦しさ。大瀧詠一のストック・ゼロは結果を左右したと思う。

大瀧詠一が書いたのは単独作2曲、共作1曲。そのうち単独作(作詞は松本隆)2曲を以下に。

はっぴいえんど「外はいい天気」「田舎道」


どちらも悪い曲ではないが、かといって、これはいいなあ、ということもない。ストレートなコード進行で、楽曲にひねりがないばかりでなく、トラックおよびヴォーカルのアレンジもあまり工夫は見られず、きちんと仕上がっている細野晴臣の三曲とは対照を成している。

これは記憶違いかも知れないが、他の三人が録音しているあいだ、大瀧詠一はホテルで曲を書いていたのだったと思う。だから、書けた時には、オーヴァーダブでここをこう補強して、なんていう余裕はなく、ストレートに録って、「はい、OK」しかなかったのではないだろうか。

いや、大滝詠一がどうこうではなく、昨日の天ぷらあげっぱなし、解散したバンドが、よりによって解散直後に、また一緒にきびしい共同作業をすることに、そもそも無理があったのだと思う。

はっぴいえんどのデビュー盤は、細く痩せた音が残念でならず、もっといい環境で録音できるようになればいいのに、と願った。『風街ろまん』で、その願いはほぼ叶った。「抱きしめたい」のイントロの太いベースの音にはドキドキした。

つまり、非日本的な、アメリカ的な抜けのよい音を望んでいたわけで、最後のアルバムでついにアメリカそのもので録音することになり、満願成就、めでたい、のはずだったのだが。

わかったのは、「アメリカ的な音」というのは、とほうもない幻想だった、ということだ。最後のアルバムの最後の曲、はじめてメンバー全員の共作というソングライター・クレジットが付された曲も、そのことをわれわれに云おうとしたのだろう。

リード・ヴォーカルは大滝詠一、愛の手、もとい、合いの手は細野晴臣、アレンジとピアノはヴァン・ダイク・パークス。録音はサンセット・サウンド・リコーダー、ハリウッド、キャリフォーナイエイ。

はっぴいえんど「さよならアメリカ、さよならニッポン」


スペンサー・デイヴィス・グループの、というか、スティーヴ・ウィンウッドのGimme Some Lovin'のように、スタジオでゴチャゴチャやっているうちに、自然にリフ(というか、この曲の場合はコード・パターン)ができて、Hanky PankyBalla Ballaのような、シンプルな歌詞、というか、どちらかというと呪文のようなものを、そのコードに載せてみた、といった趣だ。

この「呪文」は、たとえでもなんでもなく、まさしく呪文だった。

録音に参加したローウェル・ジョージは、歌詞の意味をたずね、日本もアメリカもダメなら、メキシコにでも行くか、と云ったそうだが(ここで、シナトラの声でSouth of the border, dowm in Mexico wayが流れると云いたいが、ローウェル・ジョージはメキシコに薬物を買いに行く曲、Willin'を書いている!)、むろん、そういう問題ではないわけで。

このシリーズのどこかの回(忘れてしまったのでurlは略!)に書いたことを繰り返すが、はっぴいえんどは「家を飛び出してしまったバンド」だった。

はっぴいえんど「春よ来い」


それまでの日本の音楽シーンにない音を、しかも日本語の歌詞で、という意図だったはずで、仮にはっきりと見えるものをあげると、ハード・ロックでもなければ、フォークでもない、まだ誰もやっていない音楽を目指したのだと思う。

ワーキング・モデルとなったのは、おもにバッファロー・スプリングフィールドとモビー・グレイプ。前者はLAベースで録音はハリウッド、後者はサンフランシスコ・ベースで、スタジオはどこだったか、グレイトフル・デッドと同じように、はじめはハリウッドだったと思う。

つまり、カリフォルニアの音なのだ。北は湿気があり、南は一年中温暖で後背地には広大な砂漠が広がり、アヴォカドが自生するような土地柄。東部からやってきた映画産業が乗っ取るまでは、ハリウッドには果樹栽培農家が点在していた。

たぶん、はっぴいえんどの四人も、わたしたち60年代の日本の子供と同じように、少なくともスタートの時には、「乾いた音」を欲していたのではないだろうか。

解散を決めた直後だったにもかかわらず、ハリウッドで録音しないかというオファーを受け入れたのは、いろいろな理由があっただろうが、なんといっても、カリフォルニアの音が彼らの出発点だったからだと思う。

そして、そのバッファロー・スプリングフィールドがセカンド・アルバムを録音した、サンセット・サウンド・リコーダーでじっさいに音を録ってみたら、スタジオのせいばかりではないはずだが、「なにかが違う」「ここではない」という感覚があったのだろう。

「春よ来い」で、日本にさようならを云ってから、三年のあいだ音を鳴らしつづけ、最後に彼らの音の故郷であるはずの南カリフォルニアで音を出したら、「ここではなかった」のだ。

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(参考 「サンセット・サウンド・リコーダー社史ページ」 いきなりトゥーティー・カマラータとアネットの写真が掲げられていることがそれを示唆しているが、サンセットはディズニー・プロダクションの音楽録音部門としてスタートした。世界の最先端をいく独立スタジオがあったハリウッドとしては、とくに目立つスタジオではないが、生き残ったことにはおおいなる価値がある。)

いや、彼らのことはわからない。しかし、このLPを聴いた当時のわたしは、「アメリカじゃなかったんだ」と納得した。

はっぴいえんどがどこかに存在するとしたら、あの「ゆでめん」の横町のどこか、あるいは『風街ろまん』の中ジャケ、宮谷一彦が描いた、まだ路面電車の走る麻布の町か、はたまた「緋色の帆を掲げた都市」のどこかだったのだろう。

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結局、大滝詠一は、おそらくは時間の余裕がなかったせいで、最後のアルバムではハーモニーで楽しませてくれなかった。いや、2パートの風変わりなラインをつくることは二度となかった。

「はっぴいえんどの大滝詠一」のことはこれでEND、次回は、フィル・エヴァリーからはじまったこの話に、べつに幸せでもなければ、とりたてて不幸せでもない結末をつけよう。

今日は音が少なかったので、せっかく名前を出したご縁、最後におまけとしてクリップを二つ。

Frank Sinatra - South of the Border


Little Feat - Willin'

(ローウェル・ジョーズというより、なんだか、はっぴいえんどで歌う大滝詠一のようだ。あはは。)


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by songsf4s | 2014-01-22 22:19 | 60年代