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(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その08 Collectionsの01
 
ヤング・ラスカルズのデビュー盤については、なぜあのような特別待遇の契約になったかを探るために、あれこれ脇道にはまり込んで長くなったが、今回からはセカンド・アルバムのCollectionsに入るので、もうまっすぐで平坦な道、ただどんどん音楽を聴くだけになる。

しいていうと、セカンドはまだカヴァーが多いので、その大もとへと遡ったり、「ブランチ」(後続ヴァージョンのことを「ルーツ」の反対で勝手にこう呼んでいる)を聴いてみたりといったことに、それなりの時間をとられるだろう。ざっと見た限り、ヴァージョン数はかなりの多数にのぼる。

デビュー盤は、手元にはモノ/ステレオ盤があるのに、クリップはモノしかつくっていなかったが、ここからは両方をすでにアップしてある(モノ・ミックスがあるのは4枚目のOnce Upon a Dreamまで)。

昔、ビル・イングロットのマスタリングとクレジットの入った、アトランティック時代のボックスがリリースされたが、あれは偽のビル・イングロットではなかったのかと思うほど、近年のビル・イングロットによるリマスター盤は、飛躍的に音質が改善された。

ここに貼りつけるラスカルズのクリップは、アトランティック時代に関するかぎり、そのリマスター盤から起こした。YouTubeであっても、それなりのシステムで聴けば、違いはわかるはずだ。

◆ What Is the Reason? ◆◆
さっそく、アルバム・オープナーへ。ステレオ・ミックスで。

The Young Rascals - 01 What Is the Reason (remastered stereo mix, HQ Audio)


日本でのリリースは、記憶ではこの盤からだった。Good Lovin'すらリアル・タイムではリリースされず、68年になってやっと45回転盤が出た。

当然、わたしもこの盤からヤング・ラスカルズを買うようになった。いや、ラジオではすでにつぎの盤のタイトル曲がかかっていたし、そのLPもすでに出ていたと思うが、たぶん、友だちとの分担で、こっちにしたのだろう。

どうであれ、これは感動的な盤だった。1曲目の1小節目で盛り上がった。フロア・タムもすばらしいが、タムタムが出てきた瞬間、おおと唸るほどいい音で録れている。

いや、そのまえに2拍目に鳴っているスレイ・ベルの響きがすばらしいが、これはリマスターのたまもの。2~8トラックの時代(大雑把に60年代の十年間と重なる)には、パーカッション類はたいていオーヴァーダブなので、他の楽器より録音のジェネレーションが若く、きれいに響く。ビートルズのタンバリンなどをお聴きになるといい。

いや、中学生は、録音の善し悪しなど、ほとんど無意識に受け止めているだけで、まず聴くのはプレイの質、とくにドラマーだった。ディノ・ダネリがどんなドラマーか知らなかったので、このWhat Is the Reasonでのプレイにはおおいに満足した。

この盤から聴いたので、当時は気づかなかったが、さんざんデビュー盤のプレイを聴いたあとでこの曲が流れると、あっという間にディノ・ダネリが上手くなったことに驚く。ディノのタイムが安定しただけなのだが、それだけでバンド全体が大人になったような印象を受ける。ドラムというのはつねにサウンドを決定するものなのだ。

終盤に登場する、ステレオ定位を左右に揺らす部分のフィルインの使い方は、デビュー盤唯一の内部オリジナルだったこの曲にも出てくる。他の楽器は消え、ストップ・タイムになってドラムフィルだけになるのだ。これと比較すると、セカンドでのディノの成長が明白になる。

The Young Rascals - 05 Do You Feel It


なにがいけないのか、簡単には原因を解明できないのだが、そもそもこのテンポ、このグルーヴで、ストレート8分のフィルインというのが、中途半端で収まりが悪かったのだと思う。よほどうまくアクセントを付けないと失敗フィルインに聞こえてしまう。また、フィルインの入りの一打が微妙に遅れていることがある。

アルバムでつぎに置かれているGood Lovin'とほとんど同じテンポなのだが、そちらはギターのカッティングのせいで、シャッフル・フィールになっているためか、ディノはフィルインを目立つようには使わず、コーラスの終わりとつぎのヴァースのつなぎ目の、8分の裏拍のライド・ベルによるフィルインの尻尾にタムタムの8分を薄く入れて(そこはトム・ダウドの操作だが)、スムーズにつないでいる。シャッフル・フィールに合わせて、ストレートなフィルインをやめたおかげで、うまくいったのだと思う。

デビュー盤でこのWhat Is the Reasonの終盤と同じような、ストップ・タイムでのフィルインをやったら、失敗した可能性が高いが、セカンドではすでにディノのプレイは安定していて、ほとんどのフィルインは成功している。

Collectionsは、リズム・セクションに関するかぎりはまだ4人で録音しているので、ジーンはこの曲では2度のオーヴァーダブをしたのだろう。ベース、コード・カッティング、ソロを弾いたと思われる。イントロのベースによるミュートしたストレート8分はきれいだし、全体にタイムが安定していて、ベースでの貢献も大きい。ドラミングの善し悪しは、一面でベースとの関係で決まるので、両者の相性は重要だ。

ピアノはおおむね左右に2台のように聞こえるが、ひょっとしたら部分的にもう一回オーヴァーダブをしているかもしれない。さらにハモンドのオブリガートもあるので、フィーリクスはヴォーカル以外に、4度の録音をしたのだろう。

ドラムをセンター付近に定位してオン・ミックスにし、複数のピアノを左右に振って、ごく薄くミックスするというトム・ダウドの選択は、ふつうは思いつかないのではないだろうか。バンドもブースのスタッフも、ここからはまったく違うステージに入る。乗ってくるのだ。

この曲をシングル・カットしなかったのは謎というしかない。シングル曲が速いペースでたくさんできすぎて、つぎのもっといい曲に場所を譲った、ぐらいしか解釈を思いつかない。

◆ Since I Fell for You ◆◆
2曲目はエディーが歌うやや古風なバラッド。いや、微妙にブルーズの味があるが。

The Young Rascals - 02 Since I Fell for You (remastered stereo mix, HQ Audio)


もう「アルバム」の時代は終わっているし、ましてや、LPの曲の置き方なんていうのは古い話、ヴェテランの方々にも念押しとしてそのあたりを少々。

ひとそれぞれではあるけれど、アルバム・オープナーはアップテンポのストレート・ロッカーにするのが多数派なのはご存知のとおり。それを受ける2曲目は、勝手に「受けのバラッド」と命名しているのだが、テンポの遅速に拘わらず、バラッドを置くことが多い。

ビートルズの、というか、そのあたりはジョージ・マーティンの仕事だったそうだが、曲順を思い浮かべてくれれば、明かだろう。Drive My CarでスタートしてNorwegian Woodで受ける、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandで入って、With a Little Help from My Friendsで受ける、そういったスタイルのことだ。

いまの耳で聴くと、What Is the Reasonでも、一気に大人になったという印象を受けるが、Since I Fell for Youはさらにその感が深い。ギター、オルガン、ドラム、いずれもいいプレイだし、デビュー盤のI Believeですでに明らかになっていたが、エディーのバラディアぶりにも磨きがかかって、申し分ない。

とくにこういう曲では、ディノ・ダネリの4ビート・ドラミング好きがきいて、バラッドでのプレイがきちんとできている。まっすぐに突進する香車タイプのドラマーではあるのだが、見た目ほど単純ではなく、意外に懐が深いところがあり、その片鱗がここにあらわれている。

他のヴァージョンと比較すると、またべつのことが見えてくるので、以下にすこしクリップを並べた。

◆ Since I Fell for Youのルーツ ◆◆
デビュー盤のカヴァー曲は比較的新しいものが多かったし、このセカンド・アルバムでもおおむねそうなのだが、この曲はやや古い。といっても第二次大戦後の曲だが、1947年に作者自身によるこのヴァージョンでデビューしたらしい。

Buddy Johnson featuring Ella Johnson - Since I Fell for You (HQ)


ジャンプ・ブルーズをスロウにしたようなムードで、エディー・ブリガティーの解釈がバラッド寄りなのに対して、このオリジナル盤は、バディー・ジョンソン楽団のプレイも、エラ・ジョンソンのレンディションも、ブルーズ寄りである。いや、かなり好みだが。

こちらはヒットせず、同じ年のアニー・ローリー盤がヒットして(あるいはこちらが初出で、バディー・ジョンソン盤はセルフ・カヴァーの可能性もゼロではない)、つぎにこの曲がビルボード・チャートに顔を出すのは、ずっとあとの1963年。

Lenny Welch - Since I Fell for You (HQ)


レニー・ウェルチはブラック・シンガーではあるけれど、R&Bシンガーではなく、ジョニー・マティスやブルック・ベントンのようなタイプの、ブラック・メイン・ストリーム・シンガーである。

このレンディションも、ストリングスのせいもあってバラッド化してい、バディー・ジョンソン盤のジャンプ・ブルーズの名残のようなものは消し飛んでいる。じっさい、知るかぎりではラスカルズ盤と並んでもっともブルーズ色が薄い。

レニー・ウェルチ盤の大ヒットが刺激になったのだろう、以後、カヴァーが増える。そして、ほとんどがブルーズ寄りの解釈をしている。つぎは、おそらくウェルチ盤ヒット直後の録音。

Dinah Washington - Since I Fell for You (HQ)


久しぶりにダイナ・ワシントンを聴いたが、さすがにたいしたもので、ビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドのように厭な味が舌に残ることはなく、非常に好ましい歌いっぷりである。楽器は上手さの勝負だが、歌はいかに上手さを隠すかの勝負だ。

ダイナ・ワシントンは「ブルーズ寄り」ではあるものの、むしろ「自分のスタイル」で歌ったという感じだが、つぎの人は、まあ、もともとこういうスタイルとはいえ、ブルーズどっぷりのレンディションである。

Big Mama Thornton - Since I Fell for You (HQ)


バックはマディー・ウォーターズ・バンド、ピアノはオーティス・スパン。

白人メイン・ストリーム・シンガーはやはりバラッドとして歌っている。つぎは64年リリースのドリス・デイ盤。プロデュースは息子のテリー・メルチャー。この時、いっぽうでブルース・ジョンストンとデュオで歌いながら、すでにコロンビアのスタッフ・プロデューサーになっていたようで、まもなくバーズのデビュー盤をプロデュースすることになる。

Doris Day - Since I Fell for You (HQ)


ハリウッドならではのゴージャスなオーケストレーションのおかげで、いっそうブルーズから遠ざかっている。編曲と指揮はトミー・オリヴァー。

オリヴァーは綺羅星居並ぶハリウッド・アレンジャー界のビッグ・ショットたちの息子ぐらいの世代にあたるせいか、あれこれ妙なこともした。ヴィック・デイナ、ウェイン・ニュートン、ヴィック・ダモーンといったメイン・ストリーム・シンガーの仕事があるいっぽうで、まだグレイス・スリックのいない、ジェファーソン・エアプレイのデビュー盤をプロデュースしたりしている。

もうひとつ、ラスカルズがカヴァーするすぐ前、1965年リリースのウィルバート・ハリソン盤。意外にもブルーズ色は強くない解釈。

Wilbert Harrison - Since I Fell for You (HQ)


ウィルバート・ハリソンはKansas Cityのヒットで知られる。分類するならばR&Bシンガーだが、同じ曲を先に歌ったリトル・リチャードの対極にあるような、ゆるいスタイルで歌う。ジャンプ・ブルーズ時代のムードを保存したような印象で、ファッツ・ドミノ、ロイド・プライスなどに通じる味がある。

◆ リファレンス盤はいずこ? ◆◆
ほかにラスカルズより前のものとして、スパニエルズやハープトーンズなどドゥー・ワップ・グループのものが数種あるのだが、ラスカルズのカヴァーの直接のきっかけになったような盤は見あたらなかった。

であるなら、大ヒットしたレニー・ウェルチ盤をエディーが好きで、なにかバラッドを入れようというところでこの曲を思いだし、メインストリーム・シンガー風にならないようにアレンジした結果、ああなった、ぐらいの解釈でいいのではないかと思う。仮にそういう結論でいいと思うのだが、ひとつだけ引っかかりが残る。

うちにあるすべてのSince I Fell for Youを棚卸ししてみたら、妙なヴァージョンが出てきた。ラスカルズがカヴァーする直前の1965年というタイミングでのリリース、ラスカルズ以外ではうちにある唯一のセルフ・コンテインド・バンドによるこの曲のカヴァーである。

The Sonics - Since I Fell for You


ううむ。音としてラスカルズ盤につながっているようには思えない。ふつうにやっている、というか、このバンドはふつうではなく、きれいな音で録ると気に入らないという、後年のパンク・バンドに似たセンスなので、そもそもこんな曲をやること自体どうかしている。アルバムの流れで聴くと、まるでセックス・ピストルズのMy Wayのように浮いている。

どんなバンドかということを知るためだけの意味で、ふだんの音のサンプルを置く。好きになれるものならなってみろ、とでも云うようなサウンドだが。いやまあ、デビュー当時のキンクスのサウンドの雑なコピーと思っていただければ、ノー・プロブレムじゃないかと!

The Sonics - Louie Louie


なるほど、たしかにきれいな音が嫌いだったのだろうな、とは思う。いつものように、可能な限りの高音質でクリップをつくったのだが、音がよくないので、「HQ」マークはつけずにおいた。

ソニックスというバンドの両極端の音を示したので、もう一曲、そのあいだをとったような、ふつうに下手くそなやつをひとつ。ヒューイ・ピアノ・スミスの曲ではあるけれど、そんなことはどうでもよくて、グループ・サウンズがよくカヴァーしたその元はスミスではなく、どこかヨーロッパーのバンドのヴァージョンだったと思う。

The Sonics - Don't You Just Know It


これくらいだと、? & the Mysteriansぐらいの雰囲気で、懐かしくないこともない。ドラムは頭抜けた低レベルで、仮に当家がかわりに叩いたとしても、まるでハル・ブレインかジム・ゴードンが登場したかのように聞こえるに違いないというほどひどい。

ラスカルズが天翔る馬だとするなら、地虫のように下手なバンドだが、とにかく、両者は「セルフ・コンテインド・バンド」という、同じカテゴリーに収まる。同じ時代にやっていたのだから、どこかのクラブで両者が出合い、ソニックスがはじめてセルフ・コンテインド・バンド文脈に引きずり込んだSince I Fell for Youをエディーや他の面々が聴いた可能性はゼロではないし、レコード店やラジオで聴いた可能性なら、さらに高い確率になるだろう。

アレンジやレンディションで、ラスカルズがソニックスのSince I Fell for Youに影響を受けた可能性はない。両者はまったく似ていない。たんに、ロックンロール・バンドがこの曲をやっているのを知って、自分たちもやってみようと思いたった可能性はある、というだけだ。

◆ オマケ ◆◆
以上、各種のSince I Fell for Youを並べた。わが家にはこの数倍のヴァージョンがあるので、基本的には好ましいと感じるヴァージョンに絞った。ソニックスは例外である! とくに好きなのはエラ・ジョンソンとダイナ・ワシントンのヴァージョン。

最近リリースされたヴァン・モリソンのIt's Too Late to Stop Nowの拡大版ボックスに2種類のSince I Fell for Youが収録された。なかなか興味深い出来で、ここに置きたいような気もするのだが、ヴァンのものは著作権問題でやられる可能性があるので、断念した。

歌ものばかりで、インストがなかったので、最後にオマケとしてケニー・バレルの1972年の録音を。

Kenny Burrell - Since I Fell for You (HQ)




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The Young Rascals - Collections(紙ジャケット仕様)
コレクションズ(紙ジャケット仕様)


Buddy Johnson - Jukebox Hits: 1940-51
Jukebox Hits: 1940-51


Lenny Welch - Since I Fell for You
Since I Fell for You


Big Mama Thornton with the Muddy Waters Blues Band 1966
With the Muddy Waters Blues Band 1966


Doris Day - Latin for Lovers / Love Him
Latin for Lovers / Love Him


Wilbert Harrison - Gonna Tell You a Story: Complete Singles As & BS 1953-1962
Gonna Tell You a Story - Complete Singles As & BS 1953 - 1962


The Sonics - Boom
Boom


Kenny Burrell - Round Midnight
Round Midnight
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by songsf4s | 2016-10-02 14:34 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その07 デビュー盤サマリー

右側のメニューの「記事ランキング」というのは、かならずしも実態を反映しているとは思わないが(ホーム以外のページをお気に入りに登録し、それをクリックして当家にいらっしゃると、毎回、そのページがカウントされる)、大雑把に「映画記事がよく読まれている」ということは云えそうではある。

しばらく音楽記事がつづくので、ランキングのほうに映画関係がたくさんあり、それを読んでいただけるのは、いいバランスで、ありがたい。

ラスカルズのことを書きながらも、映画の記事をはさむつもりではいる。すでに書いたように、まずペンディングになっている『陽のあたる坂道』を完成させたい。

ほかに日活映画としては、『銀座の恋の物語』『紅の流れ星』『ギターを持った渡り鳥』『紅の拳銃』『殺しの烙印』『みなごろしの拳銃』などは、いずれなんとかしたいと思っている。

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石原裕次郎とジェリー藤尾

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ジャズ・ピアニスト!

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この映画の浅丘ルリ子もすばらしい

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ピアノをめぐる物語とも云える。以上、いずれも蔵原惟繕監督『銀座の恋の物語』より

成瀬巳喜男『秋立ちぬ』はべつとして(これもできればDVDのリリースを待ちたい。そろそろ出してよ)、シリアスな映画はしばらく予定にない。大物監督としては、黒澤明の『天国と地獄』は、ずいぶん歩いて、それなりに材料もあるので、部分的(早川鉄橋までは行っていないので)でもいいから、なんとかしたいという気はいちおうある。

しかし、いまの興味としては、美空ひばりの子供のころの映画(『東京キッド』『悲しき口笛』など)や、東映ミュージカル時代劇あたりのほうが再見して、書いてみたい気がおおいにある。

まあ、ブログなので、気分のまま、雲の流れるまま、ウナギだけが知っている行き先へ向かって、その時、その時に思いついたことを発作的にやるだけ、予定なんか書いても、文字通り画餅にすぎないが。

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「お国を離れて何ぴゃく里」の香港からやってきた男、藤村有弘がすばらしい。山高帽に赤い蝶ネクタイ、なぜか黒いダッフルって、誰がこんな衣裳を考えた!

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悪党たちの麻雀。小沢昭一がボス、以下、深江章喜、野呂圭介。草薙幸二郎はボスの弟という設定

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赤木圭一郎と紅の拳銃、もとい、黒い拳銃。以上、いずれも牛原陽一監督『紅の拳銃』より。撮影監督=姫田真佐久、美術監督=木村威夫、音楽=小杉太一郎とスタッフもみな好み。

◆ ガレージ、フォーク・ロック、テックス・メックス ◆◆
小見出しが入ったからと云って、枕が終わったと思ったら大間違い。今回は簡単にすむはずと踏んで、余裕ウサギをかまして、二重枕にしてみた。

話を前に進めるために、ブリティッシュ・インヴェイジョンとアメリカの反攻では、ずいぶんと枝葉を切り落としてしまった。

まず、もののみごとに抹消したのが、ガレージ・バンドの勃興。ブリティッシュ・インヴェイジョンが生んだのは、当然ながら、バーズやタートルズやラヴィン・スプーンフルばかりではなかった。

むしろ、最大の落とし子は、ライノのNuggetsシリーズや、それに基づくNuggets箱にまとめられているが、「ガレージ・バンド」などと呼ばれる、アメリカ中に叢生した若者のセルフ・コンテインド・バンドのほうだろう。とりわけ、サンセット・ストリップのクラブにそうしたバンドが蝟集したが、それは突出しているというだけで、各地にバンドが生まれた。

こうした単独ではとりたてて影響力のないセルフ・コンテインド・バンド群は、バーズのような即効性の劇薬ではなかったが、漢方のような遅効性の薬としてアメリカ音楽を変えていく(あるいは砒素のようにアメリカ音楽をゆっくりと殺していった、と云うひともいるかもしれない。それは立場による)。

即効性か遅効性かは、タイム・スケールの取り方によって変わってしまうので、そのどこが遅効性だと云われるかもしれないが、1966年後半から明らかになってくる、アメリカ音楽のサイケデリックへの傾斜は、すでに1964年、ビートルズによって播種されていた、と云える。結果的に見れば、フォーク・ロックはサイケデリックの序章という地位へと後退する。

ガレージ・バンド群と同じ扱いでいいのか、ちょっと肌合いが違うと考えるべきなのか、そこはさておき、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(テキサス州ダラス)、ジェントリーズ(テネシー州メンフィス)、サー・ダグラス・クウィンテット(テキサス州オースティン)といった南部のバンドが、似たようなテクスチャーの音を持ってビルボード・チャートに登場した。

Sir Douglas Quintet - 08 She's About a Mover (HQ)

テックス・メックス・オルガン!

ジェントリーズはテキサスではないのでアレだが、仮にそちらに組み込めば、テックス・メックス・ポップ・サウンドとでも云おうか、やはり無視できないサウンド傾向だと、並べて聴いてみて思った。

いや、あのチープなオルガンは、ケイジャンのアコーディオンのロックンロール的パラフレーズだったのか、というごく下世話で単純な疑問のレベルに下ろしてしまってもかまわないのだが!

今回はとりあえず、以上の点を落とさざるをえなかったことに気が残った。とりわけ、南部のセルフ・コンテインド・バンド群は、一度、そろえて聴き、ちらと物思いなどしてみむとぞ思ふ。

Sir Douglas Quintet - 06 And It Didn't Even Bring Me Down (HQ)

ふつうにいい曲もある。

◆ R&Bーイング・ラスカルズ ◆◆
物事の解釈というのは、たいていの場合が単純化であり、それには細部の切り捨てが必要になる、ということを改めて申し上げた上で、ヤング・ラスカルズのデビュー盤の項を終えるにあたって、その全10曲の収録作を、これまで紹介しなかった曲を貼りつけつつ、鳥瞰してみる。なんらかの切り捨て操作による単純化だということに留意されたい。

まず目立つのはR&Bカヴァー。Slow Down、Good Lovin'、Mustang Sally、In The Midnight Hourの4曲はここに分類できる。

以上のうち他の3曲はこれまでの記事に貼りつけたので、残る1曲R&Bカヴァー、作者のひとりスティーヴ・クロッパーにとっても、つくって歌ったウィルソン・ピケットにとっても代表作になったヒットのカヴァーを以下に。

The Young Rascals - 10 In the Midnight Hour (remastered mono mix, HQ Audio)


ウィルソン・ピケットのオリジナルを知っていると、ラスカルズのカヴァーには幼さを聴き取ってしまうが、これがデビュー盤という若者たちのパフォーマンスとしては立派なもので、バーズ(スタジオの筋肉増強バーズではなく、マイケル・クラークがドラムに嫌われ、いじめられるライヴ・バンドとしてのバーズ)なんかとは三段ぐらい格が違う。

しかし、この曲にかぎった話ではないのだが、半年後のディノ・ダネリなら、もっといいグルーヴをつくったに違いない。ディノはたぶん、このデビュー盤ではじめて自分のプレイを客観的、批判的に聴き、タイムとイントネーションを修正したのだろう。才能というのは、そういうものだ。ディノには自分の欠点がちゃんと見えたに違いない。

スティーヴ・クロッパーはずっと後年、フィーリクス・カヴァリエーレと共演盤を2枚つくる。この時、スタックス・レコードから見ればアトランティックはほとんど親会社のようなもの、アトランティックのシンガーがメンフィスで録音する時は、クロッパーは楽曲を提供したり、アレンジしたり、ギターを弾いたりで、NYから「スーパヴァイズ」に来るジェリー・ウェクスラーやトム・ダウドのことはすでによく知っていた。

そうした仕事の際に、破格の待遇でアトランティックと契約した若者たちのことは耳にしていたかもしれないが、自分の曲を歌ったのだから、遅くともこの時にはラスカルズが何者かを認識したはずだ。

◆ オリジナル曲 ◆◆
Baby Let's Wait、Do You Feel It、I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymoreの3曲は、自作と他作を合わせたオリジナル曲、封切り曲。これは作者による分類であって、楽曲スタイルによる分類ではないので、R&Bカヴァー群と同じ平面で語ってはいけないのだが、便宜的にこう分類する。だから、切り捨てによる単純化だとはじめにお断りした。

外部ソングライター提供曲はさておき、このアルバム唯一のメンバーが書いた曲を貼りつける。フィーリクス・カヴァリエーレとジーン・コーニッシュという、のちに共作することはない二人の曲。リードはフィーリクス。

The Young Rascals - 05 Do You Feel It (remastered mono mix, HQ Audio)


ディノのドラミングにやや難があるし、楽曲としてもそれほどのものではないが、のちのラスカルズ、とりわけつぎのアルバム、Collectionsを知っていると、彼らが向かう方向がここに示されていることを感じ取る。

◆ フォーク・ロッキング・ラスカルズ ◆◆
残る3曲のうち2曲はフォーク・ロックに分類できる。ひとつは前回貼りつけたボー・ブラメルズのJust a Littleなので、ここではもうひとつのほうを貼りつける。

The Young Rascals - 07 Like a Rolling Stone (remastered mono mix, HQ Audio)


ボブ・ディランのオリジナルがビルボード・チャートにデビューしたのが1965年7月のこと、ラスカルズがやがてデビューLPに集約される曲の録音を開始したのは同じく9月、シングルの動きを見ていたからだろう、散発的な録音が終わったのは翌年3月らしい。その月にアルバムがリリースされた。

ラスカルズのLike a Rolling Stoneがいつ録音されたか不明だが、彼らもフォーク・ロック・ブームには動揺し、共感したことがこの2曲からはうかがえる。本来はR&Bとジャズに重心があったのに、出現したばかりの分野の曲をすぐにカヴァーしている。まあ、若さとはそういうものだが。

ラスカルズの未来とフォーク・ロックの関係で云うと、この傾向は総体としての「ラスカルズ的なもの」に吸収合併されることになり、分離した存在ではなくなっていく。まあ、サード・アルバムにはかなり濃厚なフォーク・ロック色をもった曲があるが。

◆ ゴスペル・ラスカルズ ◆◆
最後に残ったI Believeは、宗教音楽的色合いが強い曲で、歌い手によってニュアンスが異なるが、エルヴィス・プレスリーはゴスペル的に歌っている。ヒット・ヴァージョンのフランキー・“ローハイド”・レインやジェイン・フローマンも直立不動かよといいたくなるほど殊勝な歌いっぷりだ。

The Young Rascals - 04 I Believe (remastered mono mix, HQ Audio)


ひとによって受け取り方は大きく異なるかと思うが、知る限りのこの曲のヴァージョンのなかで、ラスカルズのカヴァーはもっとも宗教色が薄く、非ネイティヴは歌詞を遮断することができるので、ふつうのバラッドのように聴くこともできる。音の手触りだけで云うなら、後年のエディーのバラッドにそのまま地続きでつながる肌合いで、この曲はデビュー盤のなかではおおいに好ましい。

ただ、ゴスペル・ニュアンスというのは、ずっと後年までラスカルズのサウンドに底流として残るので、そこはやはり気に留めておく必要がある。

◆ いまは亡き人と思へば愛しさも…… ◆◆
何度も同じことを繰り返して恐縮するが、このデビュー盤はリリースよりずっとあとになって買ったので、おおいに落胆した。その最大の理由はディノ・ダネリのドラミングだった。

セカンド・アルバムから5枚目にあたるFreedom Suiteまでのディノ・ダネリはじつに魅力的なドラマーで、そちらを先に知っていて(それも並みの深さではない知り方だった)、あとからこのデビュー盤のディノ・ダネリを聴くと、もっとずっといいプレイができるドラマーなのに、とじつにもどかしい。

しかし、それがファンというものだが、この一連の記事を書くために繰り返し聴いているうちに、これはこれでいいか、という気になってきた。

この盤単独で考えると、Good Lovin'とBaby Let's WaitとI BelieveだけのLP、と思ってしまうが、デッカ・テープだって、これがあのパーロフォンからデビューする直前の状態か、と思えば、いろいろ聴きどころがみつかるのと同じで、後年のパースペクティヴに立って聴くと、さまざまな楽しみがうまれてくる盤だ。

そして、孫が幼稚園で描いてきた絵を見て、すごいじゃないか、この子は絵描きになるといい、と手放しで喜ぶおじいさんのような気分もチラとする。呵々。


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Sir Douglas Quintet - Medocino
Medocino

The Young Rascals - The Young Rascals (1st)
グッド・ラヴィン
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by songsf4s | 2016-09-29 22:17 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その06 アメリカ・ストライクス・バック、1965
 
66~67年のサンフランシスコ音楽爆発の時を誰かが回想して、アタッシュに現金を詰め込んで各社の担当が飛行機に乗った、と書いていた。

RCAはジェファーソン・エアプレイン、キャピトルはクウィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、WBはグレイトフル・デッド、CBSはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとモビー・グレイプ、こういった大物はたぶん、実弾発砲の対象ではなく、ほかにもっとないかと、ひとつレベルを降りたところでの闘いが実弾戦だったのだと想像している。

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デビュー当時のグレイトフル・デッド

よその誰かとなにか口約束ができていたとしても、新しい誰かが自己紹介するやいなや、いきなり目の前のテーブルに、ひとつ、ふたつ、三つと札束を積んでいったら、たいていの人間はすくなくとも動揺はする。

ラスカルズの時も、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、フィル・スペクター、トム・ダウド、ジェリー・ウェクスラー、ネスーイーとアーメットのアーティガン兄弟といった、業界ビッグ・ショットばかりでなく、数人の弁護士たちが〈バージ〉に来ていたという。なんだって弁護士かというと、その場で契約してしまうためだ。

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ピアノの前にジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、背後にはコースターズの面々、右端はアーメット・アーティガン

◆ 1965年のフランケンシュタイン ◆◆
ビートルズ以下、DC5、ピーター&ゴードン、ハーマンズ・ハーミッツなどなどの英国勢がさんざんにアメリカ市場を食い荒らしている最中も、彼らは失地回復のテコになる「アメリカ産ボーイ・バンド」を求め、アタッシュに実弾を込めてアメリカ中を飛びまわっていたはずだ。

そのアメリカ勢各社の市場再確保作戦の結果が目に見えるようになるのは、65年に入ってからのことだった。以下に、65年のいつかは問わずに、ビルボード・チャート20位以内のヒットを出した米国産セルフ・コンテインド・バンドを列挙する。

バーズ(HB)、ラヴィン・スプーンフル(GC)、マコーイズ、タートルズ(HB)、ゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ(HB)、ボー・ブラメルズ、サー・ダグラス・クウィンテット、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(この人たちをここに置くのはやや違和感があるが!)、ディノ・デジ&ビリー(HB)、ジェントリーズ、キャスタウェイズ。

終わりのほう、ジェントリーズやキャスタウェイズはワン・ヒッターだが、冒頭付近は「60年代中盤のアメリカ音楽のエッセンス」のようなグループが並ぶ。

The Gentrys - Keep on Dancing


ただし、ここではっきり見えてしまうのだが、各社は彼らの音楽的技量には目をつぶった。マイナー・レーベルや鷹揚な会社は、よけいなコストをかけてプロフェッショナルのプレイで補強するという文化そのものと無縁だったのかもしれないが(サーフ・ミュージックにはそういう例がずいぶんあった)、メイジャー・レーベルはやはり一定以上の水準であるべきと考えたに違いない。

首から上だけ若者のグループならば、あとの音楽的なことは、スタジオのお父さんプロフェッショナルたちがなんとかする、という、とりわけハリウッドではよく利用された音楽生産方式が、「モップ・トップの可愛いボーイ・バンド」の時代の到来とともに、フル稼働に入ったのだ。

The McCoys - 02 Hang On Sloopy (HQ)


デビューの時、マコーイズのメンバーはまだ高校生だった。やがて自前のプレイでトラックをつくるようになるが、この時点では大部分の曲(下手なトラックもあるので、そうしたものは彼ら自身のプレイと思われる)はスタジオのプロが高校生に替わってプレイしている。非常にいいドラマーを使っているのだが、いまだに名前がわからない。

バーズ、タートルズ、プレイボーイズ、そしてディノ・デジ&ビリーは、すくなくともデビュー盤のトラックはプロがつくった。彼らは歌っただけか、バーズのように、メンバーの一部だけがスタジオでプレイした。

上記の中に、ハル・ブレインがドラムを叩いたものが4種あり(HBと入れておいた)、NYのエース、ゲーリー・チェスターもラヴィン・スプーンフルのデビュー・ヒット、Do You Believe in Magicで叩いたし(ドラム以外のパーソネルは不明)、マコーイズはいまだに誰だったのかはわかっていないが、すくなくともドラムは確実にスタジオのプロフェッショナル。

The Byrds - 07 Mr. Tambourine Man (HQ)


この曲についてはロジャー・マギン自身がAFMの伝票の写しを公開したので、パーソネルは明らかになっている。
Drums: Hal Blaine
Bass: Larry Knechtel
12 String Guitar: Jim McGuinn
Guitar: Bill Pitman, Jerry Cole
Electric Piano: Leon Russell

上記の一覧にはないが、まもなく登場するモンキーズは、人工的なスター、テレビがつくった幻影と誹られることになるが、なあに、ほかのグループだって、はじめからアーティスト・イメージ先行だったことがここに明白にあらわれている。

バーズやタートルズのように、メンバー・チェンジでやっとまともなドラマーになり、ふつうにライヴができるバンドに「成長」することもあった。バーズはジーン・パーソンズになってから、タートルズはジョニー・バーベイタになってからが「ふつうのバンド」時代である。

◆ 首と胴体の分業化 ◆◆
ハリウッドで「影武者」が生まれたのはおそらく1960年、ヴェンチャーズがデビューした時のこと。いまだに確たる結論を得られないのだが、こう考えている。

かつて音楽をつくるのは、訓練を受け、経験を積んだプロフェッショナルの仕事だった。フロントに立つシンガーはさておき、バンドは身ぎれいにすればよく、容姿年齢は問われなかった。

ところが、第二次大戦後の可処分所得の増大による「ユース・カルチャー」の発生、これはアイゼンハワー時代のアメリカの豊かさを端的に示す現象だが、そのような新種が出現し、若年層はお父さんたちのバンドがプレイする、お父さんたちのための音楽のお余りを楽しむのではなく、若者がプレイする若者のための音楽を欲するようになった。

彼らは自室にポータブル・プレイヤーや自分だけのラジオを置き、家族とは関係なく、自分だけの音楽環境をもったのだから、それにふさわしい音楽が欲しかった。いや、いずれ、そんなことは当たり前になるのだが。

ここで、十分な力量のある若者のバンドが手に入れば問題はなかったのだが、そうはいかなかったことで、看板と実体の大きな乖離、欺瞞とも云うべき弥縫策が生まれた。

レコード会社はそこそこの技量のバンドを手に入れ、それを看板にしながら、スタジオではプロフェッショナルに音楽をつくらせ、レーベルには看板息子たちの名前を書く、という方法を思いついた。その顕著な成功例がシアトルからやってきた若者たち、ザ・ヴェンチャーズだった。

The Ventures - 03 Walk Don't Run (HQ)


この曲の伝票はいまだに発掘されていないのだが、かつてキャロル・ケイさんにお願いしてハル・ブレインに質問を取り次いでもらった時の回答では「俺はヴェンチャーズは最初からやっている。あとでメルが入った時には、レパートリーを全部教えた」というものだった。いろいろ「吹く」人だし、記憶違いもあるが、この回答は、音と付き合わせて信用してよいと判断した。のちのロックンロール・ハード・ヒットとはまったく異なるスタイルだが、ハルはそもそもジャズ・ドラマーとして出発した。シンバルのヒットする位置を微妙に変えるこの繊細なプレイをしたドラマーはハル・ブレインだろう。
初期ヴェンチャーズのスタジオ録音のレギュラーは、リード・ギター=ビリー・ストレンジ、リズム・ギター=キャロル・ケイ、ベース=レイ・ポールマンと考えている。トミー・テデスコやグレン・キャンベルやジェイムズ・バートンもプレイすることがあったし、さらには、トミー・オールサップ(リード・ギター)やフランク・デ・ヴィート(ドラムズ)が取って代わることもあれば、ヴェンチャーズのメンバー、なかでもメル・テイラーとノーキー・エドワーズ自身がプレイしたこともあったらしい。以上は60年代中盤までの話。Hawaii 5-0以後はまた話が違うのだが、脇道なので略。

ヴェンチャーズの影響下に生まれたサーフ・ミュージックは、基本的にカリフォルニアのパンク・ミュージックで、上手いバンドなどというのはそうはなかった。創始者のディック・デイルのバンド、デル・トーンズからして、感動的なほど下手だったことはデイルの自主制作盤に記録されている。

デイルが地元のメイジャー、キャピトル・レコードと契約してからは、デル・トーンズは建前の存在になり、当然、スタジオでは地元のキング・オヴ・ザ・ドラマーズ、ハル・ブレインがストゥールに坐って録音された。

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上から、マコーイズ、ディノ・デジ&ビリー、バーズ。そもそも、彼らははじめからアイドルとしての役割を果たすことを期待されていた。ここは音楽界である以前に、芸能界なのだ。たんに若い「ボーイ・バンド」では不十分、「モップ頭」も重要なポイントだった。

NYやナッシュヴィルについてはいくつか例を知る程度だが、後者のロニー&ザ・デイトナズは、ツアー・バンドと録音メンバーが異なっていた。1964年デビュー。(当家では過去に、「I'll Think of Summer by Ronny & the Daytonas」という記事で、ロニーすなわちバック・ウィルキンにふれている。)

イギリスではどうかというと、アメリカほど目立たないが、それでも64年になだれ込んだグループの中には、ハーマンズ・ハーミッツのように、ツアー・メンバーと録音メンバーが分離していたグループもないではない(ピーター・ヌーンは後年のインタヴューで、ジミー・ペイジはほんの一握りしか弾いていない。レギュラー・ギタリストはヴィック・“007”・フリックだったと証言している)。また、キンクスのドラマー、ミック・エイヴォリーはある時期にかぎればスタジオで叩いたことはなく、クレム・カッティーニなどのプロがかわりにプレイした。

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ハーマンズ・ハーミッツ。12~14歳あたりの少女をターゲットに想定したアイドル・グループだった。

とはいえ、アメリカにくらべれば、イギリスのグループはスタジオでもおおむね自分たちでプレイしたと云える。リンゴ・スターもデイヴ・クラークもクリス・カーティスもボビー・エリオットもチャーリー・ワッツも、ハル・ブレインやアール・パーマーやゲーリー・チェスターのような技量も安定感もなかったが、とにかく、一定水準のプレイをすることができ、スタジオでも自分たちでトラックをつくった。

しかし、バーズのマイケル・クラークのようなひどいのはさておき、公平に云って、イギリスのバンドとアメリカのバンドの技量の差はそれほど大きくはなかった。アメリカのバンドのなかにも、我慢強く録音すれば、イギリスのものに近い音は出せそうなところはあったが、現実にはスタジオでプレイできないところが多かった。

この差はたぶん文化の違いに由来するのだろう。とくにハリウッドはスター・システムの発祥の地、映画のスタント・マン同様の存在が音楽界に生まれても、べつに不思議でもなんでもなかった。

The Beau Brummels - 03 Just a Little (HQ)


彼らの65年のデビュー・アルバムからの曲で、サンフランシスコで録音された。とりたてていいドラミングでもないが、タイムはそこそこ安定している。しかし、のちにWBに移籍し、ハリウッドで録音する時には、やはりハル・ブレインがストゥールに坐り、他のパートもプロがプレイした。サンフランシスコとハリウッド、オータム・レコードというマイナー・レーベルと、WBという大企業の文化の違いだろう。

◆ アトランティック・レコードが置かれた場所 ◆◆
影武者は微妙な問題なので、公式に発言する人は少なく(ペリー・ボトキン・ジュニアはずっと後年、若い連中はおそろしく下手だったから、スタジオではプロがかわりにプレイした、それだけのきわめて単純な話だ、と断じていたが!)、アトランティック首脳陣のこの種の話題に関するコメントも読んだことはない。だから、結果から逆算して、勝手に想像する。

ビートルズと英国の侵略があった時、アトランティックはR&Bとジャズの会社であり、ボビー・デアリンとニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズを顕著な例外として、ポップ・フィールドでの経験は豊富ではなかった。

そのデアリンからして、Splish Splashのころはポップ・シンガーと云えたが、やがてジャズ・シンガーに分類したほうがいいようなスタイルになってしまうし、ニーノ&エイプリルは、大昔の曲にひねりを加えて歌うデュオであり、「現代的」ですらなく、すぐにヒットは出なくなったしまう(いや、好きなデュオなのだが)。

Nino Tempo & April Stevens - My Blue Heaven


日本でも戦前から「私の青空」などの邦題で、二村定一、エノケン、ディック・ミネなどカヴァーが多数あり、戦後には大滝詠一も歌ったスタンダード。アトランティック時代のニーノ&エイプリルのドラムはほとんどアール・パーマーが叩いた。

ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズが成功したからなのか、アトランティックはやはりハリウッド・ベースのデュオ、ソニー&シェールと契約して、I Got You Babeなどのヒットを生む。この曲はちょうど、ラスカルズとの契約話が進行しているころにリリースされ、ヒットしつつあった。

しかし、これはソニー・ボノがプロデュースし、ハリウッドで制作されたもの、つまりアトランティックの「スーパヴァイズ」のおよばないところでできた完成品を、いわば、そのまま市場に取り次いだだけだし、そもそも、彼らはセルフ・コンテインド・バンドではない。

The Young Rascals - 03 Just a Little (mono mix)


これは上掲のボー・ブラメルズの曲のカヴァー。ヴァニラ・ファッジの曲がはじまりそうなイントロが興味深い。フィーリクスとエディーは声の質が似ていて、R&Bタイプかバラッドを歌うのに適していたが、ラスカルズも時代の子、フォーク・ロック潮流は気になったのだろう。ディランの曲とこのJust a Little、フォーク・ロック系の曲をふたつデビュー盤でカヴァーしている。どちらもリード・ヴォーカルはジーン。
ビルボード・チャートを読んでいて、バーズとフォーク・ロックの衝撃というものを改めて思った。バーズのMr. Tambourine Manがビルボード・チャートのトップに立ったのは1965年5月のこと。これにアメリカのバンドは瞬時に、激しく、急速に反応した。フォーク・ロック的楽曲がこの年の秋以降には溢れることになるのだから、つまりバーズの衝撃波がまだ収まらないうちに、彼らはフォーク・ロック的な曲を書き、あるいはフォーク曲をエレクトリックにアレンジし、録音し、リリースしたのだ。この時点ではバーズとフォーク・ロックこそがアメリカ音楽の現在であり、未来そのものだった。
時間線に沿って考えると、ビートルズもまた異様な速度と強度で反応した。タンブリンマンがトップに立ってから半年後には、彼らはRubber Soulをリリースした。この反応の早さはよく考えてみるに値する。

といったあたりが、アーメット・アーティガン以下のアトランティック首脳陣、およびトム・ダウドやアリフ・マーディンら現場を預かる人びとの、最大公約数的願いだっただろうと想像する。

1964年のアメリカには、セルフ・コンテインド・バンドの経験が豊富なレーベルなどなかったのだから、アトランティックも未経験。しかし、このままR&Bとジャズの良質な盤でやっていこうなどと思うほど鈍重でもなければ、脂っ気も抜けていなかった。

とはいえ、彼らとしては、LAの会社のような、臆面もないスター・システムはできれば避けたかったに違いない。音楽は彼らにとってもビジネスではあったが、同時に、つねにまじめな音楽をまじめにつくってきたという自負もあっただろう。

これからはポップ・フィールドに力を入れないと会社は大きくなりそうもない、いや、それどころか、ジリ貧になる怖れすらある、しかし、その音楽は売れると同時に、ある質をもっていてほしい。

彼らがラスカルズのなかに見いだしたのは、そういう希望だったにちがいない。可愛いだけで音楽的に空っぽなバンドは、アトランティックの企業文化にはそぐわない。

その点、ラスカルズは未熟とはいえ、バーズなどとちがって、すでにまともな演奏をしていた。とくにフィーリクス・カヴァリエーレとディノ・ダネリが豊かな可能性をもっているのは明らかだった。そして、R&Bの素地が十分なだけでなく、ディノとフィーリクスはジャズへの傾斜を示していた。ディノはもともと4ビートのほうを好んでいた。

Buddy Rich and Gene Krupa with Sammy Davis Jr.


ディノ・ダネリはテレビでジーン・クルーパとバディー・リッチのドラム・バトルを見て衝撃を受け、一気に4ビート・ドラミングへと傾斜したと云う。このパフォーマンスのことだろう。

アトランティック・レコードの企業文化にふさわしい若者のセルフ・コンテインド・バンドがこの世界に存在するとしたら、それはラスカルズ以外にありえなかった。二人の才能あるシンガーがいるだけでなく、豊かな可能性を秘めたドラマーとキーボード・プレイヤーがいて、まだつたないながらも、スタジオでプレイできるだけの技量を備えていた。

アトランティック首脳陣がみな〈バージ〉詣でをしたあげく、「わが社のスタジオはきみたちのものだ」などと、途方もない約束までし、デビュー盤からプロデューサー・クレジットと一定の「アーティスティック・フリーダム」を与えるという、世にも稀な特別待遇で迎えたのは、そうした背景があってのことだろう。

アトランティックはその後に多くのロック・バンドと契約したので(ヴァニラ・ファッジ、レッド・ゼッペリン、アイアン・バタフライなどなど)、いまではラスカルズの重要性は見えなくなっている。

しかし、1965年、英国勢に押しまくられ、未来に暗雲がたれ込める悪天候下にあっては、ラスカルズは新しい分野へ転進するためのスプリングボード、会社の未来を決めるほどのアーティストだったと云える。それは、その後の彼らの録音とアリフ・マーディンの大活躍を見れば、さらに明白になるだろう。

次回、ラスカルズのデビュー盤の項は完結の予定。


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The Gentrys - Keep on Dancing 1965-71
Keep on Dancing 1965-71

The McCoys - Hang On Sloopy + You Make Me Feel So Good
Hang On Sloopy

The Byrds - Mr. Tambourine Man (紙ジャケット仕様)
ミスター・タンブリン・マン

The Ventures - Walk Don't Run + The Ventures (second album) + 6 bonus
THE VENTURES + WALK DON´T RUN + 6

The Beau Brummels - Introducing The Beau Brummels
イントロデューシング・ボー・ブラメルズ

Nino Temp & April Stevens - Deep Purple / Sing the Great Songs
Deep Purple / Sing the Great Songs

The Young Rascals - The Young Rascals (1st)
グッド・ラヴィン
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by songsf4s | 2016-09-28 10:41 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その04 ちびっ子ギャングとスパンキー
 
今回はちょっと本線から外れて(ほらはじまった)、前回登場したフィル・スペクターのアシスタント、ヴィニー・ポンシアのバンドについて少々書き、そのあとで、ヤング・ラスカルズおよびラスカルズという名前をめぐるあれこれにふれる。

◆ NYや厭な町だぜ、と呟いたのはどこの町でのことだったのか? ◆◆
まず、このクリップから。日本の某シンガーのカヴァーもあるし、サーフ・ミュージック方面では有名なヒット曲。

The Trade Winds - 04 New York's a Lonely Town (HQ)


ヒットした当時は知らず、73年ごろに買った2枚組サーフ・アンソロジーで知って以来、いったい何度サーフ関係の編集盤や箱で出くわしたことか、ダブりの王者。

のちにハル・ブレインのあれこれを調べていた時、どこかでこの曲のドラムはハル・ブレインだという記述を読んだ。

しかし、作者であり、この「バンド」でも歌っているピート・アンダースとヴィニー・ポンシアがフィル・スペクターのアシスタントとして、ハリウッドに何度も来ていることを知っていても、これがハル・ブレインのプレイだという確信をわたし自身は持てなかった。

サウンドとは関係ないことからも疑っていた。なかなかキュートな歌詞で、それがヒットに大きく貢献したと思うが、一カ所、ひどく奇妙で、これをハリウッドで録音したら、プレイヤーやスタッフが笑って、変更されたのではないかというラインがある。

一家でカリフォルニアからNYに引っ越した少年が、NYではサーフ仲間が見つからないどころか、誰もサーフィンのことなんか知りもしない、家の外に置いたボードに雪が積もっているのを見るたびに頭に来る、というようなお話なのだが、以下のラインが奇妙。

From Central Park to Pasadena's such a long way

サーフィンのできる故郷は遠い、と云いたいのだろうけれど、パサディーナはロサンジェルス郡の山地に寄った町で、海から直線でも、どうだろう、軽く30キロは離れているにちがいない。サーファーが懐かしがる町としては途方もない見当違いである。

ふつうなら、マリブあたりをあげるはずだ。シラブルが足りないなら、バルボアがある。パサディーナと同じ4シラブル。しかも、サーフ・ミュージック発祥の地だし(ついでに云えば、ウェスト・コースト・ジャズ誕生の地を一カ所に絞るならやはりバルボア。時を隔てて、スタン・ケントン・オーケストラと、ディック・デイル&ヒズ・デル・トーンズが同じオーディトリアムでプレイし、それが新しい音楽スタイルの引き金になった)、理想的ではないか。From Central Park to Balboa's such a long wayに直せよ!

よって、カリフォルニアの地理や音楽やサーフィン事情に不案内な人間が書いただけでなく(ここまでは考えるまでもなくクレジットを見ればわかる)、その場に、その歌詞はヘンチクリンだ、とツッコミを入れる人間が誰もいない遠隔地で録音された、というのが当方の推定。

The Trade Winds - 01 Mind Excursion (HQ)


しかし、いつまでたっても証拠は出なかった。アメリカ音楽家組合(American Federation of Musicians=AFMと略す)NY支部は、LA支部と異なって書類の保存が悪いようで、昔のクレジットが発掘されたことはない。

逆に云うと、有名な曲でクレジットが何十年も出てこなかったら、ハリウッド録音ではない可能性が極めて高い、と云えるが、しかし、これでは他人を納得させることはできない。

なにしろ、某レコード店の雑誌広告の、トレイドウィンズのアルバムのところに「あのジム・ゴードンがドラム!」なんておそろしく大胆なことが書いてあったくらいで、この曲に関しては風説ばかりがふくれあがり、誰も証拠を提出したことがなかった。

いや、わたしはアメリカ音楽に関する日本語の文章というのはまったく信用していないため、長いあいだ日本語の雑誌も書籍も読んでいないので、もしもこの四半世紀ほどのあいだに、どなたかがAFMの伝票などを提出して証明していたら、平にご容赦を。

The Ronettes - 01 Do I Love You (HQ)

(ピート・アンダース、ヴィニー・ポンシア、フィル・スペクターの共作、ハル・ブレイン・オン・ドラムズ)

さて、ラスカルズの調べ物でヴィニー・ポンシアが登場したものだから、いつもの裏取り脇固め、いちおう検索してみたら、ポンシアと長年コンビを組んだピート・アンダースのサイトの年表ページに飛び込んだ。

こりゃおもしれえ、とずずずっとスクロールさせていったら、ページの真ん中よりちょっと下あたりに、あらま、という写真があった。ピート・アンダースがギターのソフト・ケースを抱えてどこかの街角に立って談笑している。キャプションにはこうあった。

Peter Anders and legendary session keyboardist Paul Griffin outside the “New York’s A Lonely Town” recording session, New York City, Autumn, 1964

「ピーター・アンダースと伝説的セッション・キーボード・プレイヤーのポール・グリフィン。1964年秋、NYCでの“New York’s A Lonely Town”の録音の際、スタジオの外で」。

これでめでたく、ハル・ブレインもジム・ゴードンも嫌疑がはれて自由の身と相成り候。長い疑問の旅であったなあ、である。呵々。

いや、ずっと前からハリウッド録音ではないと確信していたが、証拠がないと納得しない人が多いので、当事者のこういう証言がなによりも即効性がある。

こんどまた誰かが、ジム・ゴードンが叩いたなどと与太を飛ばしたら、この写真を見たまえ、字が読めるなら、なんと書いてあるかわかるだろ、と云えるようになり、助かった。

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ポール・グリフィン(左)とピート・アンダース

しいて云うなら、キーボードはポール・グリフィンだったと云うことがわかっただけで、ハル・ブレインだのジム・ゴードンだのに仮に比定されたドラマーが、ほんとうのところ誰だったのかはまだわからないのだが、「それくらいまけておけ」と「千早振る」エンディングでよかろう、と。

◆ 縁語:リトル・ラスカルズ、ちびっこギャング、スパンキー ◆◆
ヤング・ラスカルズないしはラスカルズという名前の由来や、なぜヤングがついたりとれたりするかについては後述といったきり、係り結びにしていなかったので、この寄り道回の後半ではその責務を果たさむとぞ思ふ。

還暦を過ぎた人たちならまだはっきりと記憶していると思うのだが、大昔、テレビで「ちびっこギャング」といういたずらっ子たちの活躍を描いたアメリカ製のドラマをやっていた。

あれはややこしいことに、あの時代に製作されたものではなく、長い製作期間のうち、1930年代につくられたシリーズがアメリカでテレビ放映され、それが入ってきたものだったらしい。チャップリンの第二次大戦前の短篇も放送していたが、それとちょっと似た形だ。

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ちびっこギャング。中央がスパンキー、右端がアルファルファ

あの「ちびっこギャング」の原題がThe Little Rascalsだった。〈チュー・チュー〉の時か、そのつぎの〈バージ〉の時か、ディノ・ダネリによると、客のひとりに「リトル・ラスカルズ」って名前にしたらどうだ、と云われたのだという。

なぜそういう印象を持ったのかわからない。群像劇のようなところがあったが、中心となるのはスパンキーとアルファルファという男の子ふたり。このうちスパンキーの雰囲気が彼ら、とくにジーン・コーニッシュにはあったのかもしれない。

どういう納得の仕方であったにせよ、彼らはこの提案を是として、「ザ・ラスカルズ」と名乗ることになった。のちに、「小公子のような衣裳」をまとったことがあったが(デビュー盤のジャケットに記録されている)、それもこの背景から出てきたこと。

The Young Rascals - 09 I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymore (remastered mono mix, HQ Audio)


「ザ・ラスカルズ」としてデビューするはずだったが、よそに同じ名前のグループがあることがわかり、シド・バーンスティーンがヤングをつけて、「ザ・ヤング・ラスカルズ」と変えることを提案したのだという。

やがてヤング・ラスカルズは2曲のビルボード・チャート・トッパーを得て、他にどんなラスカルズがいようと、もはや混同の可能性はゼロになったからか、あるいは、当初は障碍になったそのラスカルズが消滅してしまったのか、彼らはヤングを削り、ただのラスカルズに戻った。

当方の書きっぷりがいい加減で、ヤングを付けたり付けなかったりするのは、このあたりの曖昧な事情、つまり「本来はラスカルズ」、でも混同を避けるために「とりあえずヤング・ラスカルズ」というどっちつかずに由来する。

いや、改まって云う時はヤング・ラスカルズとしてリリースした曲のアーティストは、やはりヤング・ラスカルズと書く方がいいと考えているので、なにかの拍子にヤングが飛び出すわけだが。

The Little Rascalsは、Our Gangというシリーズ名で上映された時期もあったそうで、邦題の「ちびっこギャング」はそちらを元にしている。

中心的な子供はアルファルファとスパンキー。後者を演じた子供がジョージ・マクファーランドという名前で、役名と合体して「ジョージ・“スパンキー”・マクファーランド」とクレジットされる。

ここで、60年代の音楽を知っている人は、頭の中で鐘が鳴り、大きな電球が点滅したはず。そう、スパンキー・マクファーレンをリード・ヴォーカルとしたこのグループ、じつはラスカルズの従兄弟だった! いや、すくなくとも名前のうえでは。

Spanky & Our Gang - Sunday Will Never Be The Same (04/12)


エレイン・“スパンキー”・マクファーレンをリーダーとしたギャングたちの代表作は、やはりこの曲だろう。ほかのヒット曲は記憶が飛んでしまったが、「あの日曜はもう戻らない」(自前邦題!)だけはラジオで聴いたのを憶えている。

などという程度の付き合いだったものだから、手元には音質のいいファイルはなく、長年の友人が全部盤を持っているというので、クリップをつくってアップしてもらったのを貼りつけた。

セカンド・アルバムはLPしかもっていないということで、ノイズと格闘中と云われ、心配したが、さすがにLPリップのヴェテラン、ほとんどノイズがわからないほどにクリーン・アップしてきた。そのセカンド・アルバムから一曲。これもヒット。

Sunday Mornin' (05/12) / Like To Get To Know You (Spanky & Our Gang)


一枚のアルバムの中で録音場所があちこちする落ち着きのないバンドで、「あの日曜はもう戻らない」はNY録音と思われるのに対して、こちらはハリウッドと思われる。アルバム丸ごとクレジットのため、確定できないが、ドラムはハル・ブレインだろう。

声の配置のせいで、シーカーズがグレたような雰囲気も感じるが、やはり人脈的に近い、カウシルズがいちばん似ているかもしれない。コーラス・グループにしては、サウンドがサイケデリック側に寄っていってしまうところが面白い。グッド・タイム・ミュージック要素を利用するのも、あの時代の気分ではごく自然なことだった。

つぎはセカンドのアルバム・タイトル曲。素直にはじまらず、寸劇じみた台詞のやりとりやSEが入るところも、まさにサイケデリック・エラ。

Like To Get To Know You (09/12) / Like To Get To Know You (Spanky & Our Gang)


いずれ、ラスカルズもそういうSE大量投入のアルバムをつくることになるが、それまでにまだ数枚のLPが横たわっている。次回もまたデビュー盤。しかし、これで一枚は完結できるだろう。



The Young Rascals (Original Album Series)
The Young Rascals (Original Album Series)

グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)

Young Rascals [12 inch Analog]
Young Rascals [12 inch Analog]

The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers

The Trade Winds - Excursions
Excursions


The Very Best of Ronnie Spector
VERY BEST OF RONNIE SPECTOR


Spanky & Our Gang - The Complete Mercury Singles
The Complete Mercury Singles



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by songsf4s | 2016-09-19 22:51 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その03 避暑地の出来事
 
調べれば調べるほどヤング・ラスカルズのデビュー前後のもろもろというのは、時代も象徴していれば、多士済々のNY音楽業界人士もつぎつぎに登場して、じつに興趣尽きない。

今回も、NYのアトランティック・スタジオから、イースト・ハンプトンの〈バージ〉クラブまで逆戻りして突きまわすつもりだが、その前にクリップ千社札をベタベタ貼りつける。

まず、目下の続きもの記事の対象である、ヤング・ラスカルズのデビュー盤に収録されたヴァージョンから。

The Young Rascals - 08 Mustang Sally (remastered mono mix, HQ Audio)


くどくて恐縮ながら、このLPを買ったのはリリースから十数年後のこと、これを聴いた時には、すでにウィルソン・ピケットのヒット・ヴァージョンを知っていたので、ヤング・ラスカルズ盤は幼く聞こえてしまい、いまもその印象を拭いきれないのだが、ここへきて、ちょっと感じ方が変わってきた。

ディノ・ダネリは、〈バージ〉に出演しているころ、フィーリクス・カヴァリエーレと一緒にハーレムのレコード屋に何度か盤探しに出かけたそうで、その時に見つけたのがすでに聴いたGood Lovin'だったのだが、もうひとつ、このMustang Sallyもハーレムで発見したのだという。誰のヴァージョンか?

Sir Mack Rice - Mustang Sally (single version) (HQ)


サー・マック・ライス、ソングライター・クレジットにある本名はボニー・ライス、うちには単独の盤はなく、あちこちのオムニバスに収録されたものを全部集めても10曲に満たない。ヒット曲らしいヒット曲はなく、ウィルソン・ピケットやヤング・ラスカルズにカヴァーされたこのMustang Sallyが代表作と云っていいだろう。

後年、スタックスに移ってからはまともなバンドで歌うことになるが、このMustang Sallyのバンドというか、ドラムの拙さには恐れ入る。フィルインなんかひとつもまともに叩けていない。

それでもなお、この脂っこいグルーヴには独特の味があり、ディノ・ダネリとフィーリクス・カヴァリエーレがハーレムのレコード屋で耳にして、この曲は面白い、とカヴァーする気になったのも、この意図したものではない、「どうしてもそうなってしまった」グルーヴのせいだろう。

ヤング・ラスカルズのヴァージョンもまだ成功しているとは云いがたい。しかし、彼らがカヴァーしたおかげで、同じ会社のシンガーが歌ってヒットすることになった、のだが、ファルコンズというグループには、マック・ライス、エディー・フロイド、そして、この人もいたので、旧友の曲をカヴァーしただけ、とも云えるのかもしれない。

Wilson Pickett - Mustang Sally (mono) (HQ)


ウィルソン・ピケットはアトランティックのシンガーだったが、このあたりから録音はメンフィスやマッスルショールズなどの南部のスタジオでおこなうようになった。その背景にはアトランティックと、メンフィスのスタックスのあいだで提携が結ばれたことがあるのだが、そこに踏み込むと長くなるので、詳細は略す。

この曲はアラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオでの録音。フェイムには、のちにスティーヴ・ウィンウッドのリズム・セクションになるハウス・バンドがあった。

この曲もそのバンドのドラマー、ロジャー・ホーキンズのプレイ。やはりドラマーが上手いので、タイムが安定し、ダンサブルになったのと、ウィルソン・ピケットのヴォーカルの力が、ヒットの推進力になったと思われる。

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ロジャー・ホーキンズ。ベースはデイヴ・フッド。二人とものちにトラフィックに加わり、スティーヴ・ウィンウッドのリズム・セクションになる

フェイムにはオーナーのリック・ホールがいて、彼は誰の助けがなくてもプロデュースとエンジニアリングができたが、アトランティック・レコードが自社のシンガーを南部に送り込む時には、ちゃんとプロデューサーとエンジニアを付けた。

この曲でも、ジェリー・ウェクスラーとトム・ダウドがクレジットされている。ヤング・ラスカルズとはやや異なった形だが、これまた「スーパヴァイザー」である。

単純で、メロディーらしいメロディーもなく、かといってノリがよくてわくわくするというタイプでもないのだが、ウィルソン・ピケット盤までくると、それでもヒットしたことが、なんとなく腑に落ちるのではないかと思うのだが……。

歌詞もこの曲のヒットに貢献したと思う。金のある男が愛人のサリー(という人物配置と読める)にマスタングの新車を買い与えたら、町中走りまわるばかりで、「You don't wanna let me ride」(奥に二つめの意味が暗示されている)になってしまったので、いい加減にしろとどやしつける、というほとんどノヴェルティー・ソングといってよい歌詞だ。

ライスがシンガーのデラ・リースと話していたら、彼女が自分のバンドのドラマーのカルヴィン・シールズに誕生日祝いとしてリンカーンの新車を買ってやろうかと思う、というので、あとでシールズに会った時に、このことを伝えた。シールズは、リンカーンなんかいらない、俺はマスタングのほうが欲しいとこたえた。

それで、マック・ライスはマスタング・ママという曲を書いたのだが、アリサ・フランクリンに自作をいくつか聴かせた時に、タイトルはマスタング・サリーの方がいいと云われ、そう変更することになった。

マック・ライスがアポロ・シアターに出演した時、その日のトリだったクライド・マクファーターが出演できないことになり、代役として、旧知のウィルソン・ピケットに声をかけた。

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この時、ピケットはマック・ライスの歌うマスタング・サリーを聴き、のちにカヴァーしたのだと云うが、やはりそれだけではなく、レーベル・メイトのラスカルズの録音を耳にしたのもカヴァーした理由のひとつだと思う。

◆ 真夏の避暑地の音楽百鬼夜行絵巻 ◆◆
ヤング・ラスカルズ・デビュー騒動に話を戻す。前回の最後に、アーメット・アーティガンの「ラップ」のことにふれたので、ちょっと時間を遡ってみた。

そのあたりの裏をとるために、いくつか読んでみたのだが、ディノ・ダネリが云っていたように、やはり複数の会社からアプローチがあったようで、「ラスカルズ争奪戦」と云っていいようなものが、1965年夏のロング・アイランドの〈バージ〉クラブでは起きていたことがわかってきた。

前々回、マネージャーのシド・バーンスティーンが、アーメット・アーティガンを〈バージ〉に呼び寄せたのではないかと書いたが、そこらはちょっと微妙になってきた。バーンスティーンが動くまでもなく、NY音楽業界人が夏を過ごすロング・アイランドで評判のクラブに出演していたので、噂はすでに広まっていた可能性がある。

アーメット・アーティガンより先なのか後なのか不明だが、アトランティックのエンジニア兼プロデューサーのトム・ダウドは〈バージ〉にラスカルズを見に行った。

ところが、かつてアトランティックと密接な関係にあったものの、前年にレッドバード・レコードをつくったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーが、ラスカルズのガードをしていて、ダウドが話しかけようとしたら、トイレに連れて行ってしまい、ついに話すことができなかったという。

これは、レッドバードのオーナーとして、リーバーとストーラーがラスカルズをスカウトしようとしていたとしか解釈のしようがない。トム・ダウドなんかに下交渉されてたまるか、というところだろう。

スペクターのアシスタントとして、曲を提供したり、レコーディング・セッションを指揮したりしていたアンダース&ポンシアの片割れ、ヴィニー・ポンシアの夫人もバンドをやっていて、たまたまラスカルズ同様、〈バージ〉に出演していた。

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ゴールド・スター・レコーダーのヴィニー・ポンシア(右)。もうひとりのギタリストはトミー・テデスコ!

当然、彼女は夫にラスカルズを見るようにすすめた結果、ポンシアも気に入り、すぐにボスのフィル・スペクターに、ラスカルズを見るように強く進言した(としか解釈しようがないのだが、この時期、ポンシアはもうジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのレッドバード・レコードと契約していたのではないのか?)。

たぶん、いわゆるセルフ・コンテインド・バンド、自分たちで演奏もするグループとはうまくいかないと見通していたせいだろう、スペクターはラヴィン・スプーンフルの時と同じく、ラスカルズにも大きな関心を示さなかったらしい。ポンシアに、どうしてもやりたいなら、お前がサブ・レーベルでプロデュースしろ、といった。

話はいろいろなソースによって錯綜しているのだが、ディノの云う「シド・バースティーンがマネージメントをすることになって一週間後にアーメット・アーティガンがやってきた」に符合する記述もある。

アトランティック経営陣のひとり、ジェリー・ウェクスラーもラスカルズを見て、契約したいと思ったが、そこへシド・バーンスティーンが、フィル・スペクターもこっちに来ている、彼もラスカルズと会うつもりらしい、とほのめかした。

そうと知って、ウェクスラーは即座にアーメット・アーティガンに連絡し、それで社長自身が出馬することになったのだ、としているスペクター関係の本がある。

そしてアーメット・アーティガンは(以下「たぶん」の連発になるので略す)ディノの云うとおり、〈バージ〉にも見に行ったのだろうが、そのあとでサウサンプトン(名前でわかるように〈バージ〉のあるイースト・ハンプトンから遠くない)の自分の夏別荘にラスカルズを招待した。

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ロング・アイランドのサウサンプトン・ビーチ。いかにも避暑地らしい景観

どうやら、ディノがアーメット・アーティガンの「ベスト・ラップ」に接したのはこの時のことらしい。あるソースにはアーメットは若者たちに「戦争物語」を語ってきかせたとある。つまり、R&Bの勃興とアトランティック・レコードの血湧き肉躍る戦争の物語だ。

これで若者たちはすっかりアーメット・アーティガンに惚れ込み、スムーズに契約へと進んだ、というのである。

思いだした。アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟の父親はトルコの駐米大使。アーメットはその親譲りの外交官的弁舌、すなわちディノの云うThe Best Rapで運命を切り開いてきた強者だった。それで、ウェクスラーが、すわ緊急事態と社長の出馬を仰いだわけだ!

◆ さらにマスタング2台追加 ◆◆
NJ出身の若者たちにも、アトランティック・レコードがすごい会社だということはわかったので、あとは契約内容を詰めるばかりだが、また話が長くなるといけないので、ここでクリップを貼りつける。また同じ曲で恐縮だが、いろいろ並べると興趣が増すこともある(のではないだろうか)。

上掲のおそらくはシングル用だったモノ・ミックスと同じテイクだが、こんどはずいぶんと手触りの異なるステレオ・ミックス。The Wicked Pickettというアルバムからとった。

Wilson Pickett - Mustang Sally (stereo) (HQ)


当方の感覚としては、モノのほうが安定感があって聴きやすく感じるが、ステレオはステレオで、べつの面白みを感じる。

もうひとつ、これは低音質のファイルしか手元になくて、ちょっとためらったが、ほかならぬフィーリクス・カヴァリエーレがゲストで歌っているのでクリップをつくった。

とくに面白いわけではなく、オリジナル盤のシンガーとカヴァー盤のシンガーが一緒に歌う、という物珍しさがアップの動機。

Sir Mack Rice with Felix Cavaliere - Mustang Sally (live)


録音場所はNYの〈ボトムライン〉というクラブ。よく、ヴェテランのシンガーがライヴ盤を録音している。うちにあるのでいま思いだすのはアル・クーパーとローラ・ニーロ。

録音デイトは1994年と推測できる。これは車のマスタングの歌なので、歌詞の中に最新型のマスタングというところがあり、そこに年を入れるわけだが、このライヴではそれが1994年になっている。

このヴァージョンは、In Their Own Wordsという、たぶん同題の書籍のコンパニオンCDとして出たものからとった。ソングライターが自作を回顧し、その場でその曲を歌うという企画の一環。作者のマック・ライスが先に行き、フィーリクス・カヴァリエーレが途中から歌う構成。

◆ 「ヒットが出たらまたおいで」 ◆◆
アトランティック・レコードには魅力的な歴史があり、社長のアーメット・アーティガンはやり手で弁が立ち、ラスカルズの4人は魅了された。そして、契約金として1万5000ドルを約束された。

しかし、彼らが口を揃えて云うこの契約の旨みはそれではなかった。彼らには二つのことが約束された。自分たちの判断で音楽をつくる権利、つまり(こっ恥ずかしくて書きにくいのだが)ある程度の「アーティスティック・フリーダム」が与えられた。

それだけではない。アトランティックは自社スタジオをもっていた、それが大きな魅力だった、と彼らは云うが、それだけなら、ほかにも同じようなレコード会社はある。

問題はそこではないのだ、彼らはそのアトランティック・スタジオを自分たちのものであるかのように、いつどんな時でも優先的に使用する権利を与えられた。つまり、自分のスタジオのように使ってよい、誰かが使っていたら、俺たちが使うんだから出て行け、という権利を与えられたというのだ。

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この時期にそんな権利を持っているバンドがほかにあったとしたら、ビートルズだけだろう。マーク・ルーイソンのThe Complete Beatles Recording Sessionsを読むと、ビートルズはEMIという物堅い会社をすっかり変えてしまい、好きな時刻にスタジオに入って、長時間独占していたようだし、ジョージ・マーティンは自分が抱える他のアーティストの都合をいっさい顧みず、ビートルズがスタジオに入ったら、その面倒を見なければならなかった。

しかし、1965年秋というと、ビートルズだって、やっとわがままを通せるようになった、といった程度だったはずだ。そこにいたるまでには莫大な利益を会社にもたらしている。

ところが、ラスカルズはまだ一枚もレコードを売っていない段階で、うちのスタジオはきみたちものだ、好きに使いたまえ、他のシンガー? 気にするな、追い出せばいい、とカルト・ブランシュを与えられたのだ。

しかし、いざ入社したら、そんなわがままを通すのはむずかしかっただろう、と思ったのだが、ラスカルズはじっさいにしばしばスタジオを長時間独占したらしい。

エディー・ブリガティーは云う。「あのころはみなよく文句を云っていたよ。なんでお前たちばかりがスタジオを使うんだ、って。『ヒットがでたらまたおいで』さ」

Good Lovin'がチャート・トッパーになって以降は、ホントに与えられた権利を遠慮会釈なしに行使したらしい。それでデビュー盤のつたないグループが、あっという間に成長して、グッド・グルーヴを獲得できたのだろうと納得がいった。

ラスカルズがそのような特別待遇を受けたのには、相応の理由がなければならない。そこには時代の潮目とアトランティック・レコードの事情があったのだろうが、そのあたりは次回にでも考える。


The Young Rascals (Original Album Series)
The Young Rascals (Original Album Series)

グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)

Young Rascals [12 inch Analog]
Young Rascals [12 inch Analog]

The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers


Beg, Scream & Shout!: The Big Ol' Box Of 60's Soul
Beg, Scream & Shout!: The Big Ol' Box Of 60's Soul
(Mustang Sallyを収録したマック・ライスの単独盤は入手難。これはライノの60年代R&Bシングル集。シングル盤型の皿にCDがセットしてあり、ライナーはトランプ型でR&Bトリヴィア・クイズになっていて、そのすべてを昔はよくあったシングル盤を入れるケースに収めてあるという、じつに馬鹿馬鹿しくも凝った造りの6枚組。)


Wilson Pickett: A Man And A Half
Wilson Pickett: A Man And A Half
(モノ・ミックス収録)


Wilson Pickett - Original Album Series
Original Album Series
(ステレオ・ミックス収録)


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by songsf4s | 2016-09-17 21:08 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その02 プロデュースとスーパヴァイズ

子供のころ、よくジャケットの裏表やレーベルを隅々まで読んだが、ヤング・ラスカルズのエポニマス・タイトルのデビュー盤はずいぶんあとに買ったので、そんなことはついこのあいだまでしていなかった。

すべてのアルバムを動画に変換して、クレジットを入れながら確認したが、どの盤にもProduced by The Young Rascalsまたはby The Rascalsと明記されている

ただし、最初の2枚には、プロデューサー・クレジットのほかに、Supervisionというクレジットがべつにあるのが変わっている。「統括指揮」あるいは「監督」とでも訳せばいいのか、どうであれ、ちょっとほかに例のなさそうなクレジットだ。

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ヤング・ラスカルズのデビュー盤のクレジット。LPのバック・カヴァーをそのまま縮小したCDスリーヴをスキャンしたため、非常に読みにくく、申し訳ない。

これはなんなのか?

それを考えるのに、まず、彼らの生年を書いておく。ついでなので、メンバー紹介を兼ねて、パートも書いた。名前でわかるように、アイリッシュのジーン・コーニッシュをのぞいて、あとの三人はイタリア系。ここでもまた同じNJ出身のイタリア系グループ、4シーズンズが思い起こされる。

  • フィーリクス・カヴァリエーレ 1942年11月29日生。ヴォーカル、キーボード、ギター
  • ジーン・コーニッシュ 1944年5月14日生。ヴォーカル、ギター、ベース
  • ディノ・ダネリ 1944年7月23日生。ドラムズ、パーカッション
  • エディー・ブリガティー 1946年10月22日生。ヴォーカル、パーカッション

1965年秋に、ヤング・ラスカルズがアトランティック・レコードからデビューしたとき、最年長のフィーリクスがやっと社会人の年齢、ジーンとディノは大学を卒業しようかという年齢。最年少のエディーはまだ十代である。

芸能界ではこんなことはめずらしくない。めずらしいのは、こんな子供たちにアトランティック・レコードが「プロデューサー」クレジットを与えたことだ。名目だけならともかく(いや、たとえそうだとしても異例だが)、じっさいにプロデューサーとしての権限が与えられたふしがある。

なんだか、今回も長い話になりそうなので、箸休めとしてクリップをおく。といっても、ラスカルズのクリップをおくと、それについて書かねばならないことになるので、かわりに、いま作業用に流しているBGMの再生リストを。まだアップしたばかりで、わが4ビート・チャンネルの最新クリップである。

Gary Burton - Something's Coming! (1963)


◆ 「このミックスをどう思う?」 ◆◆
デビュー・シングル、I Ain't Gonna Eat Outがリリースされたあと、彼らははじめてカリフォルニアを訪れ、ジョニー・リヴァーズのレジデンシーで有名になった、サンセット・ストリップのウィスキー・ア・ゴーゴーに出演した。

むろん、遠路はるばる訪れたわけで、ワン・ショットではなく、2週間ないしは4週間のレジデンス、彼らによれば、ウィスキーの一晩の観客動員記録をやぶったという。

ジーン・コーニッシュは所用があって、他の三人より一足先にNYに帰ったが、そのとたん、アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟、ジェリー・ウェクスラー、トム・ダウド、アリフ・マーディンという、経営陣プラス現場担当者たち、この5人が同じ飛行機に乗って墜落すれば、そのとたんにアトランティック・レコードは消滅するという顔ぶれに呼びだされてしまった。

この5人がジーンになにを要求したかというと、Good Lovin'のミックス・ダウンを聴かせ、これでリリースしてよいと承認してほしい、というのだった。

大学を出たかどうかの年齢の若者が、レイ・チャールズやコースターズやドリフターズやボビー・デアリンらとともにアメリカ音楽の歴史をつくってきたヘヴィー級に取り囲まれ、「このミックスをどう思う?」と云われて、「いいと思います」以外のことを云えるはずがない!

ジーン・コーニッシュの「承諾」を得たこのミックスはすぐにリリースされ、その3カ月後にはビルボード・チャート・トッパーになる。

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アトランティック・レコード経営陣とボビー・デアリン 左から、ジェリー・ウェクスラー、ひとりおいてボビー・デアリン、ひとりおいて、アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟

ジーンはあとで、フィーリクスとディノに、なぜ勝手にOKを出した、と非難されたというが、そんなことよりずっと大きな問題がここにはある。

そもそも、なぜアトランティック経営陣はバンドのメンバーの承認など必要としたのか?

この時代の通念で云うと、会社は実績のない若い新人シンガーの判断だの、承認だのといったものはまったく必要としなかった。なにをどう売るかは会社が決めることであり、アーティストは会社の云うとおりにしていればいい、それがイヤならよそへ行け、だった。

◆ 時代が生んだ「事件」 ◆◆
昔の音楽ファンなら、われわれ子供でも知っていた有名な事件がある。ジーン・コーニッシュがアトランティック首脳陣に責めたてられていたころにリリースされたシングル盤をめぐって、同じNYのべつの会社で起きた一件だ。

サイモン&ガーファンクルがデビューLP用に録音した、アコースティック・ギターとアップライト・ベースだけで二人が歌ったThe Sound of Silenceに、会社が二人の承諾を得ずに、ドラムやエレクトリック・ギターなどのバックトラックをオーヴァーダブして、シングルとしてリリースしてしまったのだ。

f0147840_10442452.jpgこれは1965年秋、ちょうどジーンがミックスにOKしろと云われて困っているころにリリースされ、翌年一月にビルボード・チャート・トッパーになった。あとはご存知の通り。このヒットがなければ、サイモン&ガーファンクルは解散するはずだったとも云われる。

イギリスに行っていたポール・サイモンは、帰国してこのことを知ると、会社に抗議したが、当時のレコード会社が新人歌手の不平不満なんかに耳を貸すはずもなかった。そもそも、会社が目論んだとおり、「商品」は売れていたのだ。なんの権利もない人間の抗議なんかで、ビジネスを台無しにする馬鹿は音楽業界にはいなかった。

このCBS対サイモン&ガーファンクルの先例を踏まえると、アトランティック首脳陣の慎重さ、形のうえだけのことだったのだろうが、とにかく、メンバーの承認を得た証拠を残そうとした努力は、なおいっそう不可解に思えてくる。

名目上であったか否かに拘わらず、ラスカルズはデビューの時からプロデューサー・クレジットを与えられ、じっさいの録音でも、一定の裁量権も与えられていたふしがある。このアルバムの曲のうち、Supervisionのクレジットのないものは、彼ら4人が主導権を握り、トム・ダウドやアリフ・マーディンは、その場にいても、あまり口を出さずに録音されたのだろう。

彼らに任せておくわけにはいかないと、現場をあずかるダウドやマーディンが判断した時は、プロデューサーより大きな権限をもつ「スーパーヴァイザー」としてラスカルズの4人からレコーディング指揮権を奪ったのではないか。それがSupervision byというクレジットの実態だと想像する。

前述のように、ジーン・コーニッシュはあとでフィーリクス・カヴァリエーレとディノ・ダネリに、ひとりで勝手にGood Lovin'のミックス・ダウンに「承諾」を与えたことを非難された。

これを裏返すと、ラスカルズのメンバーは、会社が勝手なことをしないように、その「製品」に対して一定のコントロールをできる権利を与えられていた、ということになる。そうじゃなければ、ジーンが勝手なことをした、などと非難する根拠はない。自分たちに与えられた権利を行使するチャンスをジーンが奪った、というのが彼らの非難の前提に違いない。

これで、ラスカルズとアトランティックの契約がどのようなものだったか、だいぶ見えてきた。あとで、きちんと整理するが、ここで追求は一休み。

◆ 「貧困の犠牲者」 ◆◆
やっと切れ場にきたので、このアルバムから一曲貼りつける。ラスカルズのプロデュース・クレジットのみで、トム・ダウドやアリフ・マーディンのクレジットはない。

The Young Rascals - 02 Baby Let's Wait (remastered mono mix, HQ Audio)


ラスカルズに与えられた異例の権利の話にはまたあとで戻るとして、この曲について少々。

〈バージ〉でのライヴがよほど印象的だったのか、はたまたアトランティックがR&Bの会社だったからか、デビュー盤は、R&B、ロックンロールのカヴァーが多数、フォーク・ロック系のカヴァーも2曲があるが、会社はR&B路線に拘泥していたように見える。

そのなかでこのバラッドBaby Let's Waitは目立つ。最初に聴いた時は、グルーヴのよくないR&B曲にはあまり興味が湧かず、稚拙なカヴァーより、オリジナルのほうがずっといいと感じたので、Baby Let's Waitを含めて2曲だけ収録されたバラッドに慰めを見いだした。

1980年代半ば、ライノ・レコードがラスカルズのほぼ全カタログをLPでリイシューしたころ、同社はNuggetsというコンピレーション・シリーズを出していて、そのなかのNuggets Volume Four: Pop Part TwoというLPで、この曲のべつのヴァージョンに遭遇した。

The Royal Guardsmen - Baby Let's Wait (HQ)


ロイヤル・ガーズメンは子供の時にSnoopy vs. Red Baronという曲が大ヒットして、国内でも相当のエアプレイがあったが(邦題「暁の空中戦」)、あの曲はいわゆるノヴェルティーで、軽く笑いをとる歌、こっちのBaby Let's Waitは、歌詞がちょっとなあ、と思うほどシリアスなバラッド、水と油だが、彼らとしてはコミカルな歌は売るための苦し紛れ、こっちのほうを本線と考えていたのかもしれない。

ヤング・ラスカルズ盤もロイヤル・ガーズメン盤も、ともに66年のリリース、接近していて、オリジナルがどっちで、カヴァーはどっちなのか、長年わからなかった。これを機会にまた検索してみたところ――

The Young Rascals: March 28, 1966 (First release)
The Royal Guardsmen: October 1966

とするサイトを見つけた。半年違うのだから、どっちがオリジナルかなどと悩むほどの謎でもなかったのだが、そうは云っても、昔はこういうデータが手に入らなかったのだからしかたない。

パフォーマーの境遇によっては、強く共感する歌詞なのかもしれないが、ポップ・ミュージックとしての一般性ということになると非常にきびしく、シングル・カットはまず無理だとふつうは思うだろう。

だが、ロイヤル・ガーズメンはBaby Let's WaitをA面にしたシングルでデビューした。いろいろなことが起きるものだ。むろん、音も立てずに消えたらしいが、68年にもまたこのシングルを再発していて、この執念はなんなのだ、である。

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この男はなにを「ベイビー、いまは駄目だ」と云っているのかというと、二人の結婚。それはいい。ポップ・ソングにはそういう歌もけっこうある。

だが、その理由が困る。ぼくたちの子供には胸を張って生きて欲しい、ぼくらのようなvictim of poverty、貧困の犠牲者であってはならない、いま結婚したら、ぼくはどこにもいきつけない、駄目だ、いまは結婚できない、なーんて歌だから、これはポップ・ソングとしてはキツい。

いや、これに共感する層は確実に存在する。NJで育ったラスカルズの連中も実例をたくさん見ただろう。しかし、この歌詞に「まったくそうだよな」とうなずく人びとでさえ、これを改めて聴きたいかというと、そこは微妙だ。そんなことはわかっている、歌になんかするな、と思う人間も少なからずいただろう。

メロディーは悪くないし、じっさい、ラスカルズのデビュー盤のコンテクストにおくと、おおいに目立つ。だから、かまわないのだけれど、まだどこへ行くのか、目標地点がはっきりとは見えていなかったのだろうな、とも思う。

◆ 明日のリズミック・センス ◆◆
話題を戻す前にもう一曲、アルバム・オープナーをおく。オリジナルはラリー・ウィリアムズだが(この時期のウィリアムズのドラムはほとんどアール・パーマー)、いちばん有名なヴァージョンは、もちろん、ジョン・レノンがリードをとったビートルズのカヴァー。

The Young Rascals - 01 Slow Down (remastered mono mix, HQ Audio)


まだまだだなあ、という仕上がりで、これをオープナーにするのはどうだろうかとも思うが、2:37あたりからの数秒、シンバルが消えて、ベースがグルーヴを担うところは、ちょっと4ビートに移行しそうになる感じが魅力的だ。後年の目で見ると、このあたりのセンスは未来のラスカルズの予告篇と感じる。

◆ 契約金より大事なもの ◆◆
さて、話をアトランティック・レコードとラスカルズの関係に戻す。

ラスカルズの契約金は1万5000ドル。小さい額ではないが、目の玉の飛び出る額でもない。しかし、ディノ・ダネリは、〈バージ〉に出演していた時にいくつかの会社にアプローチを受け、もっと大きな額を提示されたこともあったが、アトランティックがいちばん魅力的だった、と云っている。

まずなによりも、アトランティックは彼らが好むR&Bの会社であり、フィーリクスの好きだったレイ・チャールズとともに大きくなったレーベルだった。かつて多くの野球少年が、長嶋茂雄のチームでプレイしたいと思ったのと同じことだ。たとえば、リック・ネルソンは、彼の最初のレーベル、インペリアル・レコードを「ファッツ・ドミノの会社」と云った。

そして、ディノ・ダネリは、「Ahmet had the best rap.」といっている。ラップといっても、べつにマラソンやカーレースをしているわけではなく、「話が上手かった」というあたり。悪くいえば「言葉でたらし込む」のが得意だった。

しかし、ディノ・ダネリはその「rap」がどういうものだったかは云っていない。次回はその中身のことから。


The Young Rascals (Original Album Series)
The Young Rascals (Original Album Series)

グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)

Young Rascals [12 inch Analog]
Young Rascals [12 inch Analog]

The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers

The Best of the Royal Guardsmen
Best of


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by songsf4s | 2016-09-15 10:51 | YouTubeクリップ
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その01 ビッグ・デビュー
 
前回の「(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その00 前日譚」」でお知らせしたとおり、今回からは本題に入って、(ヤング・)ラスカルズのアルバムを聴いていく。

いつも話が長いので、先にひとつクリップを埋め込んでおく。

正確にはクリップではなく、「再生リスト」というもの。いずれゆっくり説明する(かもしれない)が、とりあえず、アルバムのようなものと考えていただきたい。ヤング・ラスカルズのデビュー盤収録の全10曲が、CDの曲順通りに収めてある。ただし、モノ・ミックスである。ステレオ・ミックスはまだアップロードしていない。

The Young Rascals - The Young Rascals (Remastered Mono Mix) 1966


◆ ひどい音楽だ? それがどうした ◆◆
そういってはなんだが、このLPをはじめて聴いた時は失望した。他の盤よりずっとあとに買ったので、技術的な未熟さに耐えられなかったし、一曲をのぞき、あとはすべてカヴァー曲で、ラスカルズの大きな魅力である、フィーリクス・カヴァリエーレのソングライティング能力もまだ発揮されていない。

(ヤング・ラスカルズとラスカルズが混在する経緯、なぜフェリックス・キャヴァリエではなく、フィーリクス・カヴァリエーレと書くか、など、いろいろお思いだろうが、そういう細かなことは、このシリーズが進捗していけば追々説明するので、しばらくは静観を願う。)

しかし、盤の出来不出来は、重要なことではあるものの、最優先事項ではない。

序列をつけずにまず音を置く、それがこちらの役割。序列をつけるのはお聴きになるひとりひとりがおやりになればいい。究極においては、当方の関知するところではない。音楽のような嗜好物は、誰がなにを好むかなんて、神のみぞ知る、だ。

いや、むろん、こちらがどのアルバムを、どの曲を、どう考えているかは書く。しかしそれはあくまでも、「そうそう、そう思う」とか、「えー、そんなことないだろ」というように、肯定したり、否定したりして、「遊んで」いただくための材料にすぎない。いや、もうひとつ。自分のブログだ、好きなことを云う権利はある、という面もある。呵々。

この段階で云っておきたいのは、このアルバムに記録されたバンドは若くて、拙くて、ひょっとしたら不快かもしれない。しかし、彼らの力はこんなものではないので、せめてサード・アルバムを聴くまでは、判断保留にしていただきたい、ということ。

まあ、お客さんの多くは、ヤング・ラスカルズをすでに知っていてこの記事をお読みと思うが、なかには、名前は知っているけれど、聴いたことはなかった、という方もいらっしゃるだろうから、それをちょっと心配してのこと。

◆ 業界ビッグ・ショットとわんぱく小僧ども ◆◆
ヤング・ラスカルズがブレイクしたのは、セカンド・シングルでのこと。前回も貼ったが、この曲を外すわけにはいかないので、同じクリップを貼る。上記の再生リスト中にも同じものがあるが。

The Young Rascals - 06 Good Lovin' (remastered mono mix, HQ Audio)


後年の目で見ると、10曲のなかで、シングルになりそうな曲の筆頭はこれ。ほかの曲がデビュー・シングルになったことのほうがよほど不可解なのだが……。

最初のシングル、I Ain't Eat Out My Heart Anymoreをリリースした時点では、まだGood Lovin'は録音していなかったらしいが、それは理由にならない。

以下、Eストリート・バンドのドラマー、マックス・ワインバーグのディノ・ダネリ・インタヴュー("The Big Beat"収録)に依拠して、ことの経緯をまとめる。

地元NJの〈チュー・チュー・クラブ〉でデビューしたラスカルズは、ロング・アイランドのイースト・ハンプトンに新しくできた〈バージ・クラブ〉から出演依頼が受け、この〈バージ〉の時期に、フィーリクスとディノはハーレムのレコード屋でオリンピックスのGood Lovin'を見つけ、カヴァーしてみたところ、おおいにウケた。

The Olympics - Good Lovin' (HQ)


そして、ここからが肝心なのだが、ここで「ビートルズをアメリカに連れてきた男」シド・バーンスティーンが登場する。どこで情報を得たのかはわからないが、ある日、バースティーンが〈バージ〉にやってきて、俺が君たちをマネージしようと云った。

それから一週間後(とディノは云う)、アトランティック・レコードの社長、アーメット・アーティガンほか、ハンプトンに避暑に来ていた音楽関係者が〈バージ〉にやってきて、ラスカルズを見た。

ディノ・ダネリは、シド・バーンスティーンが〈バージ〉でラスカルズを見たことと、アーメット・アーティガンが〈バージ〉にやってきたことの因果関係にはふれていない。たんにハンプトンが避暑地で、アーティガンは避暑客で、〈バージ〉はその土地で評判のクラブだったから、と。

しかし、これはどうにも無理筋。f0147840_1093371.jpg

シド・バーンスティーンが、このバンドは金になりそうだと考え、誰に売りつけるか、と思った時、たまたまハンプトンにいたアーメット・アーティガを思いだしたとか、あるいは、以前から、アーティガンがビートルズのようなグループを探していることを知っていたとか、そんな背景があってのことと解釈する。つまり、バーンスティーンが声をかけたから、アーティガンが〈バージ〉に来たのだ。

アトランティック・レコードが必死だった、あるいはすくなくともビジネスにきわめて積極的だった形跡もあるし、シド・バーンスティーンが豪腕だった可能性もあるが、とにかく、ラスカルズは、あとで説明するある意味で非常な「好条件」でアトランティック・レコードと契約し、シド・バーンスティーンの会社とも正式にマネージメント契約を結ぶ。

この思い出話の中で、ディノ・ダネリは、アーメット・アーティガンは〈バージ〉でラスカルズを見て気に入った、なにしろGood Lovin'を聴いたのだから、と云っている。

Good Lovin'こそがクラブのダンス・バンドとしてのラスカルズの最大の売り物であり、アーティガンはそのパフォーマンスと客の反応を目撃して、契約を決断した、とパラフレーズしてよいだろう。

それなら、どうして最初のシングルをGood Lovin'にしなかったのだ、誰が聴いても、I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymoreより百万倍はいい出来じゃないか、と思うのだが、後者のソングライター・チームや、現場のトム・ダウド、アリフ・マーディンたちは、社長とはべつの考えを持っていたのかもしれない。

しかし、おそらくは最初のシングルが駄目だったせいだろう、Good Lovin'がセカンド・シングルに選ばれて、歴史の謬りは訂正され、ラスカルズは本来約束されていたもの、ビルボード・チャート・トッパーをデビューまもなく獲得した。

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いま、この曲を聴いてどう思うか、どう響くか、それは聴く人それぞれの問題である。クリップをアップしたのは、たんによそよりいい音質のものをもっていたので、ラスカルズ・ファンにそれを提供しようと考えてのことにすぎない。

以上を前提として、このシングルについて思うことを少々。

日本ではラスカルズの紹介が遅れ、デビュー・アルバムは当時はリリースされなかったと思う。セカンドからスタートしたし、Good Lovin'のシングルは1968年にやっとリリースされた。

それでも、ラジオで知っていた中学生は即座に買った。それぐらい「格好いい曲」(語彙が貧弱だった!)だと思っていた。

それはやはり胸躍るグルーヴのおかげであり、そのグルーヴはディノ・ダネリのドラミングを中心に、随所で攻め込んでくるフィーリクスのオルガンとジーンのコードが生みだすものだった。

前述のように、デビュー盤のラスカルズは未熟きわまりない。しかし、Good Lovin'だけは万事がうまくいき、ディノもほとんどビートをミスっていない。なによりも、バンドが一体になってゴールへ突き進むエキサイトメント、昔のロック・グループの最大のセールス・ポイントが明確な輪郭を持ってここにはある。

これがヒットしなかったら、ビルボード・チャートなんてものには意味などないことになる。だから、大ヒットした。

なんど当てが外れても悲観しない人間で、今回は2、3曲できるつもりでいた。デビュー前後の事情を書かねばならないのは覚悟していたが、それにしても1曲とは。次回はすこしスピード・アップしたいが、まだ「非常に有利な契約」のことなど、音以外の材料がかなりあって、どうなることやら。


The Young Rascals (Original Album Series)
The Young Rascals (Original Album Series)

グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)

Young Rascals [12 inch Analog]
Young Rascals [12 inch Analog]

The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers


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by songsf4s | 2016-09-13 10:21 | YouTubeクリップ
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その00 前日譚

最後の更新から一年半以上にわたって休止し、自分でも、もうこのブログについては、メインテナンス以上のことはしないだろうと思っていたのに、あれこれあって、ふと、再開しようと思いたった。

面倒な経緯をできるだけ簡略に云うと――

  1. もともと、このブログ用に自前のユーチューブ・クリップをアップしたいと思っていたのだが、ブログを休止してのち、じっさいにチャンネルをつくり、相当数のクリップをアップロードした。
  2. はじめのうちは「つまみ食い」が多く、好きな曲で、よそのクリップと衝突しないものを狙って落ち穂拾いをしていたが、最近、考えを変えた。
  3. 古いクリップにはひどい音質のものがたくさんあるし、アルバム・トラックをオミットして、シングル曲しかあげていなかったりするため、たとえばツイッターなどにペーストしようとすると、しばしば不便な思いをさせられた。
  4. アルバム全体をアップするべきだ、と考えるほど好きなものは、先行クリップのあるなしに拘わらず、手元にいい音質のエディションがあれば、まるごとアップをしようと思いたち、じっさいに、すでに30枚かそこらの盤を高音質で丸ごと浚いあげた。

ついこのあいだまでに起きたのは以上のようなこと。

ここで休憩。文字ばかりでは、お読みになるほうはもちろん、書いているこちらも疲れるので、8ビート・チャンネル開設当初にアップロードした曲を貼りつける。

そもそもこれも当家ですでに取り上げた曲。残念ながら、元からして高音質ファイルではないので、ただ聴けるというにすぎない。

New Riders of the Purple Sage - Whiskey


この曲のよくできたストーリーについては、当家の過去の記事「Whiskey by New Riders of the Purple Sage」をお読みいただければ幸いである。

ユーチューブ(以下「チューブ」と略)自体がいわば独立したメディアで、そのなかでの「パブリシティー」のようなものもあるけれど、そんな交際で視聴回数を増やす気もせず、とりあえずはツイッターに貼りつけたり、あるいはそのまま放置したりしてきた。

しかし、考えてみれば、このブログに使いたい曲を探したけれど、見つけられなかった、ということも多く、それがチューブ・チャンネルをやってみようかと思ったそもそもの出発点。それなら、チャンネルを開設したいま、こんどはブログに戻るか、というので、トンビがぐるっと輪を描いた、というしだい。

すでにたくさんアップロードしているし、チャンネルも三つある。最初が4ビート用、つぎが8ビート用、そして最後にエキゾティカ/ラウンジ・ミュージック/OST用という3種。

これを次回以降、順次紹介していこうというわけだが、どこからはじめるかはむずかしいところ。しかし、(ヤング・)ラスカルズ関係が、無駄なほどに充実させてあり、手間はかかるけれど、これから取りかかるのが順当かと思う。

ただし、すぐに飽きる人間なので、ラスカルズの途中でいろいろ挟んでしまう可能性は高く、そういう行ったり来たりが起きたら、どうかあしからず。

では、その(ヤング・)ラスカルズ大河物語予告篇として、一曲、自分のアップしたクリップを以下に。

The Young Rascals - 06 Good Lovin' (remastered mono mix, HQ Audio)



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by songsf4s | 2016-09-11 10:10 | YouTubeクリップ
ジェリー・ラゴヴォイ・ストーリー Good Lovinl'篇(ラスカルズ、グレイトフル・デッド他)
 
今日はThe Jerry Ragovoy Story: Time Is on My Side 1953-2003という、ジェリー・ラゴヴォイ(どこのサイトでも発音を発見できない難読姓。ご存知の方がいらしたら乞御教示)のソングブックを聴いていました。

子どものころからもっとも親しんだジェリー・ラゴヴォイの曲といえば、当然、これ。

The Young Rascals - Good Lovin'


日本ではシングルのリリースがものすごく遅れて、Once Upon a Dreamのときでした。B面はそのOnce Upon a DreamからアメリカではシングルA面としてカットされたIt's Wonderfulだったのだから、これだけでどれくらい遅れたかがおわかりでしょう。

このシングルは、たしか、1969年の学園祭の打ち上げで、好奇心から飲んだ酒のせいで(小生十六歳でしたな)、みんなで寮の四階から「かわらけ投げ」をすることになり、そのとき聴いていたシングル盤を片端からぶん投げているあいだに、なくしてしまいました。

わたしはせこい人間なので、酔眼朦朧としながらも、ちゃんとレーベルを確認して、「なに? テンプスのBeauty Is Only Skin Deep? 俺んじゃねえからいいや」てな調子で、自分のだいじな盤は投げないように、注意深くやっていたのですが、だれか(たぶんテンプスの持ち主!)に隙を見て投げられてしまったようです、って、どうでもいい話でした!

気になる曲のオリジナルはできるだけ集めてきたのですが、Good Lovin'はどういうわけか遭遇せず、オリンピックスのヴァージョンを聴いたのは比較的最近のことです。

スタジオ録音より先にテレビ・ライヴが見つかったので、出来がいいそちらのほうを。オルガンはビリー・プレストンと表示されています。

The Olympics - Good Lovin'


なんだか、カッコいいのだかわるいのだか、とっさには判断しかねますが、力強いノリは買えます。

大ヒット曲のわりにはカヴァーがすくなく、わが家にあるものでクリップが見つかったのは、山ほどあるグレイトフル・デッド盤をのぞけば、これぐらいでした。

Jay & the Americans - Good Lovin'


ジェイ&ディ・アメリカンズなので、当然のごとくラテン・フィールが入ってきます。ジェイ・ブラックの声が嫌いでなければ、悪くないヴァージョンでしょう(残念ながらわたしは不得手。ただし、これくらいのヴォイス・コントロールなら、嫌いというほどではない。カンツォーネ風の曲にめげるだけ)。

デッドのGood Lovin'は、スタジオ録音が二種、ライヴは両手の指と両足の指を足してもまだ不足というぐらいの数があります。メイジャー・デビュー以前からレパートリーだったのですが、Shekedown Street以後のアレンジがいいと思います。

まずは、そのShakedown Street収録ヴァージョンを。ただし、近年のCDにボーナスとして入っている、ボブ・ウィアのかわりに、プロデューサーのローウェル・ジョージがリード・ヴォーカルをとったアウトテイクをサンプルとして。

サンプル Grateful Dead feat. Lowell George "Good Lovin'"

つぎもほぼ同じものですが、ペダル・スティールなどは入っていない、グレイトフル・デッドのオフィシャル・リリースト・ヴァージョン。こちらのヴォーカルはボブ・ウィア。まだピアノはキース・ゴッドショーなので安心してお聴きあれ。

Grateful Dead - Good Lovin' (Studio Version)


同じ時期のライヴ録音も貼りつけます。78年のエジプト・ツアーのピラミッド・ライヴ(スフィンクス・ライヴだったか?)から。こちらもまだゴッドショー在籍です。

Grateful Dead - Good Lovin' - Egypt 9-16-78


エジプト・ライヴは評判がよくないのですが、この曲に関するかぎり、ボロクソにいうほどじゃないじゃんか、です。キース・ゴッドショーとしてはグランド・ピアノで弾きたかったでしょうが、なんせ砂漠のど真ん中ですからね。

もう残り時間僅少なので、これを最後の曲にします。モータウンのエルジンズのカヴァー。なかなかけっこうな出来です。

サンプル The Elgins "Good Lovin'"

駆け足でGood Lovin'だけ聴きましたが、ジェリー・ラゴヴォイの代表作はこれ一曲というわけではないので、次回はたぶんこのつづきをやることになるでしょう。


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ジェリー・ラゴヴォイ
Jerry Ragovoy Story: Time Is on My Side
Jerry Ragovoy Story: Time Is on My Side


ラスカルズ
Original Album Series
Original Album Series


グレイトフル・デッド
Shakedown Street (Dig)
Shakedown Street (Dig)


ジェイ&ディ・アメリカンズ
Jay & The Americans / Sunday & Me
Jay & The Americans / Sunday & Me


エルジンズ
Motown Anthology
Motown Anthology
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by songsf4s | 2012-01-29 23:55 | ソング・ブック