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(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その03 避暑地の出来事
 
調べれば調べるほどヤング・ラスカルズのデビュー前後のもろもろというのは、時代も象徴していれば、多士済々のNY音楽業界人士もつぎつぎに登場して、じつに興趣尽きない。

今回も、NYのアトランティック・スタジオから、イースト・ハンプトンの〈バージ〉クラブまで逆戻りして突きまわすつもりだが、その前にクリップ千社札をベタベタ貼りつける。

まず、目下の続きもの記事の対象である、ヤング・ラスカルズのデビュー盤に収録されたヴァージョンから。

The Young Rascals - 08 Mustang Sally (remastered mono mix, HQ Audio)


くどくて恐縮ながら、このLPを買ったのはリリースから十数年後のこと、これを聴いた時には、すでにウィルソン・ピケットのヒット・ヴァージョンを知っていたので、ヤング・ラスカルズ盤は幼く聞こえてしまい、いまもその印象を拭いきれないのだが、ここへきて、ちょっと感じ方が変わってきた。

ディノ・ダネリは、〈バージ〉に出演しているころ、フィーリクス・カヴァリエーレと一緒にハーレムのレコード屋に何度か盤探しに出かけたそうで、その時に見つけたのがすでに聴いたGood Lovin'だったのだが、もうひとつ、このMustang Sallyもハーレムで発見したのだという。誰のヴァージョンか?

Sir Mack Rice - Mustang Sally (single version) (HQ)


サー・マック・ライス、ソングライター・クレジットにある本名はボニー・ライス、うちには単独の盤はなく、あちこちのオムニバスに収録されたものを全部集めても10曲に満たない。ヒット曲らしいヒット曲はなく、ウィルソン・ピケットやヤング・ラスカルズにカヴァーされたこのMustang Sallyが代表作と云っていいだろう。

後年、スタックスに移ってからはまともなバンドで歌うことになるが、このMustang Sallyのバンドというか、ドラムの拙さには恐れ入る。フィルインなんかひとつもまともに叩けていない。

それでもなお、この脂っこいグルーヴには独特の味があり、ディノ・ダネリとフィーリクス・カヴァリエーレがハーレムのレコード屋で耳にして、この曲は面白い、とカヴァーする気になったのも、この意図したものではない、「どうしてもそうなってしまった」グルーヴのせいだろう。

ヤング・ラスカルズのヴァージョンもまだ成功しているとは云いがたい。しかし、彼らがカヴァーしたおかげで、同じ会社のシンガーが歌ってヒットすることになった、のだが、ファルコンズというグループには、マック・ライス、エディー・フロイド、そして、この人もいたので、旧友の曲をカヴァーしただけ、とも云えるのかもしれない。

Wilson Pickett - Mustang Sally (mono) (HQ)


ウィルソン・ピケットはアトランティックのシンガーだったが、このあたりから録音はメンフィスやマッスルショールズなどの南部のスタジオでおこなうようになった。その背景にはアトランティックと、メンフィスのスタックスのあいだで提携が結ばれたことがあるのだが、そこに踏み込むと長くなるので、詳細は略す。

この曲はアラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオでの録音。フェイムには、のちにスティーヴ・ウィンウッドのリズム・セクションになるハウス・バンドがあった。

この曲もそのバンドのドラマー、ロジャー・ホーキンズのプレイ。やはりドラマーが上手いので、タイムが安定し、ダンサブルになったのと、ウィルソン・ピケットのヴォーカルの力が、ヒットの推進力になったと思われる。

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ロジャー・ホーキンズ。ベースはデイヴ・フッド。二人とものちにトラフィックに加わり、スティーヴ・ウィンウッドのリズム・セクションになる

フェイムにはオーナーのリック・ホールがいて、彼は誰の助けがなくてもプロデュースとエンジニアリングができたが、アトランティック・レコードが自社のシンガーを南部に送り込む時には、ちゃんとプロデューサーとエンジニアを付けた。

この曲でも、ジェリー・ウェクスラーとトム・ダウドがクレジットされている。ヤング・ラスカルズとはやや異なった形だが、これまた「スーパヴァイザー」である。

単純で、メロディーらしいメロディーもなく、かといってノリがよくてわくわくするというタイプでもないのだが、ウィルソン・ピケット盤までくると、それでもヒットしたことが、なんとなく腑に落ちるのではないかと思うのだが……。

歌詞もこの曲のヒットに貢献したと思う。金のある男が愛人のサリー(という人物配置と読める)にマスタングの新車を買い与えたら、町中走りまわるばかりで、「You don't wanna let me ride」(奥に二つめの意味が暗示されている)になってしまったので、いい加減にしろとどやしつける、というほとんどノヴェルティー・ソングといってよい歌詞だ。

ライスがシンガーのデラ・リースと話していたら、彼女が自分のバンドのドラマーのカルヴィン・シールズに誕生日祝いとしてリンカーンの新車を買ってやろうかと思う、というので、あとでシールズに会った時に、このことを伝えた。シールズは、リンカーンなんかいらない、俺はマスタングのほうが欲しいとこたえた。

それで、マック・ライスはマスタング・ママという曲を書いたのだが、アリサ・フランクリンに自作をいくつか聴かせた時に、タイトルはマスタング・サリーの方がいいと云われ、そう変更することになった。

マック・ライスがアポロ・シアターに出演した時、その日のトリだったクライド・マクファーターが出演できないことになり、代役として、旧知のウィルソン・ピケットに声をかけた。

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この時、ピケットはマック・ライスの歌うマスタング・サリーを聴き、のちにカヴァーしたのだと云うが、やはりそれだけではなく、レーベル・メイトのラスカルズの録音を耳にしたのもカヴァーした理由のひとつだと思う。

◆ 真夏の避暑地の音楽百鬼夜行絵巻 ◆◆
ヤング・ラスカルズ・デビュー騒動に話を戻す。前回の最後に、アーメット・アーティガンの「ラップ」のことにふれたので、ちょっと時間を遡ってみた。

そのあたりの裏をとるために、いくつか読んでみたのだが、ディノ・ダネリが云っていたように、やはり複数の会社からアプローチがあったようで、「ラスカルズ争奪戦」と云っていいようなものが、1965年夏のロング・アイランドの〈バージ〉クラブでは起きていたことがわかってきた。

前々回、マネージャーのシド・バーンスティーンが、アーメット・アーティガンを〈バージ〉に呼び寄せたのではないかと書いたが、そこらはちょっと微妙になってきた。バーンスティーンが動くまでもなく、NY音楽業界人が夏を過ごすロング・アイランドで評判のクラブに出演していたので、噂はすでに広まっていた可能性がある。

アーメット・アーティガンより先なのか後なのか不明だが、アトランティックのエンジニア兼プロデューサーのトム・ダウドは〈バージ〉にラスカルズを見に行った。

ところが、かつてアトランティックと密接な関係にあったものの、前年にレッドバード・レコードをつくったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーが、ラスカルズのガードをしていて、ダウドが話しかけようとしたら、トイレに連れて行ってしまい、ついに話すことができなかったという。

これは、レッドバードのオーナーとして、リーバーとストーラーがラスカルズをスカウトしようとしていたとしか解釈のしようがない。トム・ダウドなんかに下交渉されてたまるか、というところだろう。

スペクターのアシスタントとして、曲を提供したり、レコーディング・セッションを指揮したりしていたアンダース&ポンシアの片割れ、ヴィニー・ポンシアの夫人もバンドをやっていて、たまたまラスカルズ同様、〈バージ〉に出演していた。

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ゴールド・スター・レコーダーのヴィニー・ポンシア(右)。もうひとりのギタリストはトミー・テデスコ!

当然、彼女は夫にラスカルズを見るようにすすめた結果、ポンシアも気に入り、すぐにボスのフィル・スペクターに、ラスカルズを見るように強く進言した(としか解釈しようがないのだが、この時期、ポンシアはもうジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのレッドバード・レコードと契約していたのではないのか?)。

たぶん、いわゆるセルフ・コンテインド・バンド、自分たちで演奏もするグループとはうまくいかないと見通していたせいだろう、スペクターはラヴィン・スプーンフルの時と同じく、ラスカルズにも大きな関心を示さなかったらしい。ポンシアに、どうしてもやりたいなら、お前がサブ・レーベルでプロデュースしろ、といった。

話はいろいろなソースによって錯綜しているのだが、ディノの云う「シド・バースティーンがマネージメントをすることになって一週間後にアーメット・アーティガンがやってきた」に符合する記述もある。

アトランティック経営陣のひとり、ジェリー・ウェクスラーもラスカルズを見て、契約したいと思ったが、そこへシド・バーンスティーンが、フィル・スペクターもこっちに来ている、彼もラスカルズと会うつもりらしい、とほのめかした。

そうと知って、ウェクスラーは即座にアーメット・アーティガンに連絡し、それで社長自身が出馬することになったのだ、としているスペクター関係の本がある。

そしてアーメット・アーティガンは(以下「たぶん」の連発になるので略す)ディノの云うとおり、〈バージ〉にも見に行ったのだろうが、そのあとでサウサンプトン(名前でわかるように〈バージ〉のあるイースト・ハンプトンから遠くない)の自分の夏別荘にラスカルズを招待した。

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ロング・アイランドのサウサンプトン・ビーチ。いかにも避暑地らしい景観

どうやら、ディノがアーメット・アーティガンの「ベスト・ラップ」に接したのはこの時のことらしい。あるソースにはアーメットは若者たちに「戦争物語」を語ってきかせたとある。つまり、R&Bの勃興とアトランティック・レコードの血湧き肉躍る戦争の物語だ。

これで若者たちはすっかりアーメット・アーティガンに惚れ込み、スムーズに契約へと進んだ、というのである。

思いだした。アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟の父親はトルコの駐米大使。アーメットはその親譲りの外交官的弁舌、すなわちディノの云うThe Best Rapで運命を切り開いてきた強者だった。それで、ウェクスラーが、すわ緊急事態と社長の出馬を仰いだわけだ!

◆ さらにマスタング2台追加 ◆◆
NJ出身の若者たちにも、アトランティック・レコードがすごい会社だということはわかったので、あとは契約内容を詰めるばかりだが、また話が長くなるといけないので、ここでクリップを貼りつける。また同じ曲で恐縮だが、いろいろ並べると興趣が増すこともある(のではないだろうか)。

上掲のおそらくはシングル用だったモノ・ミックスと同じテイクだが、こんどはずいぶんと手触りの異なるステレオ・ミックス。The Wicked Pickettというアルバムからとった。

Wilson Pickett - Mustang Sally (stereo) (HQ)


当方の感覚としては、モノのほうが安定感があって聴きやすく感じるが、ステレオはステレオで、べつの面白みを感じる。

もうひとつ、これは低音質のファイルしか手元になくて、ちょっとためらったが、ほかならぬフィーリクス・カヴァリエーレがゲストで歌っているのでクリップをつくった。

とくに面白いわけではなく、オリジナル盤のシンガーとカヴァー盤のシンガーが一緒に歌う、という物珍しさがアップの動機。

Sir Mack Rice with Felix Cavaliere - Mustang Sally (live)


録音場所はNYの〈ボトムライン〉というクラブ。よく、ヴェテランのシンガーがライヴ盤を録音している。うちにあるのでいま思いだすのはアル・クーパーとローラ・ニーロ。

録音デイトは1994年と推測できる。これは車のマスタングの歌なので、歌詞の中に最新型のマスタングというところがあり、そこに年を入れるわけだが、このライヴではそれが1994年になっている。

このヴァージョンは、In Their Own Wordsという、たぶん同題の書籍のコンパニオンCDとして出たものからとった。ソングライターが自作を回顧し、その場でその曲を歌うという企画の一環。作者のマック・ライスが先に行き、フィーリクス・カヴァリエーレが途中から歌う構成。

◆ 「ヒットが出たらまたおいで」 ◆◆
アトランティック・レコードには魅力的な歴史があり、社長のアーメット・アーティガンはやり手で弁が立ち、ラスカルズの4人は魅了された。そして、契約金として1万5000ドルを約束された。

しかし、彼らが口を揃えて云うこの契約の旨みはそれではなかった。彼らには二つのことが約束された。自分たちの判断で音楽をつくる権利、つまり(こっ恥ずかしくて書きにくいのだが)ある程度の「アーティスティック・フリーダム」が与えられた。

それだけではない。アトランティックは自社スタジオをもっていた、それが大きな魅力だった、と彼らは云うが、それだけなら、ほかにも同じようなレコード会社はある。

問題はそこではないのだ、彼らはそのアトランティック・スタジオを自分たちのものであるかのように、いつどんな時でも優先的に使用する権利を与えられた。つまり、自分のスタジオのように使ってよい、誰かが使っていたら、俺たちが使うんだから出て行け、という権利を与えられたというのだ。

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この時期にそんな権利を持っているバンドがほかにあったとしたら、ビートルズだけだろう。マーク・ルーイソンのThe Complete Beatles Recording Sessionsを読むと、ビートルズはEMIという物堅い会社をすっかり変えてしまい、好きな時刻にスタジオに入って、長時間独占していたようだし、ジョージ・マーティンは自分が抱える他のアーティストの都合をいっさい顧みず、ビートルズがスタジオに入ったら、その面倒を見なければならなかった。

しかし、1965年秋というと、ビートルズだって、やっとわがままを通せるようになった、といった程度だったはずだ。そこにいたるまでには莫大な利益を会社にもたらしている。

ところが、ラスカルズはまだ一枚もレコードを売っていない段階で、うちのスタジオはきみたちものだ、好きに使いたまえ、他のシンガー? 気にするな、追い出せばいい、とカルト・ブランシュを与えられたのだ。

しかし、いざ入社したら、そんなわがままを通すのはむずかしかっただろう、と思ったのだが、ラスカルズはじっさいにしばしばスタジオを長時間独占したらしい。

エディー・ブリガティーは云う。「あのころはみなよく文句を云っていたよ。なんでお前たちばかりがスタジオを使うんだ、って。『ヒットがでたらまたおいで』さ」

Good Lovin'がチャート・トッパーになって以降は、ホントに与えられた権利を遠慮会釈なしに行使したらしい。それでデビュー盤のつたないグループが、あっという間に成長して、グッド・グルーヴを獲得できたのだろうと納得がいった。

ラスカルズがそのような特別待遇を受けたのには、相応の理由がなければならない。そこには時代の潮目とアトランティック・レコードの事情があったのだろうが、そのあたりは次回にでも考える。


The Young Rascals (Original Album Series)
The Young Rascals (Original Album Series)

グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)

Young Rascals [12 inch Analog]
Young Rascals [12 inch Analog]

The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers


Beg, Scream & Shout!: The Big Ol' Box Of 60's Soul
Beg, Scream & Shout!: The Big Ol' Box Of 60's Soul
(Mustang Sallyを収録したマック・ライスの単独盤は入手難。これはライノの60年代R&Bシングル集。シングル盤型の皿にCDがセットしてあり、ライナーはトランプ型でR&Bトリヴィア・クイズになっていて、そのすべてを昔はよくあったシングル盤を入れるケースに収めてあるという、じつに馬鹿馬鹿しくも凝った造りの6枚組。)


Wilson Pickett: A Man And A Half
Wilson Pickett: A Man And A Half
(モノ・ミックス収録)


Wilson Pickett - Original Album Series
Original Album Series
(ステレオ・ミックス収録)


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by songsf4s | 2016-09-17 21:08 | 60年代
【ブリティッシュ・ビート根問い】サーチャーズ篇3 1963年の3
 
ビートルズはどこかの段階、たとえば、セカンド・アルバムWith the Beatlesあたりで、アメリカ市場を意識した気配があるが、サーチャーズ以下、同時代にファブ4のすぐ近くで動きまわっていた他のバンドはどうだったのだろうか?

彼らはしばしばアメリカ音楽をカヴァーしたが、その意図は、まず第一に、やはり日本の子供たち同じように、純粋に「格好いい」と感じたからだったのだろう。

一歩進んで、録音し、リリースするという段階におよぶのは、それを受け入れるリスナーが存在し、したがって商品として価値があったからに違いない。

日本の場合、それは明白で、ビートルズ登場以前の日本の音楽番組、とりわけ「ザ・ヒット・パレード」では、主としてアメリカのヒット曲に日本語の歌詞をつけて、日本人が歌ったものが流された。

「ザ・ヒット・パレード」から生まれた典型的なヒット曲をひとつ。もちろん、オリジナルはジェリー・ゴーフィン&キャロル・キング作、リトル・エヴァが歌った大ヒット。

伊東ゆかり「ロコモーション」


ドラムを中心にサウンドがきわめて弱いのがこの時代の日本の盤の特長だが、これでも十分に需要があり、ヒットした。

このような現地の言葉に訳したローカル盤は、日本以外にも例があり、たとえば、イタリアではそれなりの数がリリースされたらしい。ボビー・ソロなど、60年代に活躍したイタリアの歌手のベスト盤を聴いて、それを感じた。

イギリスの場合、同じ英語なのだから、このようなローカル盤は必要ないのではないかと思ってしまうが、いろいろな盤を眺めると、やはり、一定の需要はあったのだろうと推測できる。

言語の壁はないのに、なぜローカル化の必要があったのか?

たぶん、親近感の問題だろう。テレビで日常的に見られ、サーキットに組み込まれて、しばしばツアーで近所のクラブにやってくるシンガーたちのヴァージョンのほうを好む気分はよくわかる。

初期ブリティッシュ・ビート・グループがアメリカの曲をカヴァーしたのは、「内向き」だったのだろうと思う。国内市場のみを意識した「ローカル盤」だ。63年いっぱいは、ビートルズをのぞいて、そういう意図だったのだと見なしている。

◆ Since You Broke My Heart  ◆◆
サーチャーズのデビュー・アルバム、残りは4曲となった。B面の3曲目は、エヴァリー・ブラザーズの曲、作者は兄のドン・エヴァリー。

The Searchers - Since You Broke My Heart


The Everly Brothers - Since You Broke My Heart


完コピかい、と笑ってしまう。異なるのは、ドンとフィル・エヴァリーの声か、トニー・ジャクソンとマイク・ペンダーの声かという点だけ、と云いたくなる。

エヴァリーズはイレギュラーなハーモニー・ラインをつくることは稀なのに対して、サーチャーズは変なヴォーカル・アレンジを何度かしている、という違いはあるのだが、それでも、こういう曲を聴くと、やっぱりエヴァリーズが根っこにあって、あのハーモニーが作られたのだということに得心がいく。

◆ Tricky Dicky ◆◆
つづいてのTricky Dickyは、またもしてもジェリー・リーバー&マイク・ストーラーの作&プロダクション、歌ったのはリッチー・バレット。

The Searchers - Tricky Dicky


Richie Barrett - Tricky Dicky


サーチャーズがどういう経路で、このようなあまり有名ではないシンガーのノン・ヒット曲にたどり着いたかは、容易に想像がつく。リッチー・バレットのTricky Dickyはこの曲のB面としてリリースされたからだ。

Richard Barrett - Some Other Guy


作者はジェリー・リーバー&マイク・ストーラーおよびリッチー・バレット自身。プロデュースもおそらくリーバー&ストーラーだろう。

このSome Other Guyはリヴァプール勢が好んでカヴァーし、ビッグ・スリーのヴァージョンがイギリスではヒットすることになった。後年、売却されて有名になったジョン・レノンのジュークボックスには、オリジナルとビッグ・スリーのカヴァーの両方が収まっていた。

このシングルのB面としてTricky Dickyを知り、それをカヴァーしようと考えたのはいいとして、では、なぜSome Other Guyにたどり着いたかと根問いすると、ううむ、となってしまう。

なにしろSome Other Guy自体がノン・ヒットだから、どこから出現したのかと思うが、例によって、あの4人組が見つけた可能性が高い。ではあるものの、ではビートルズはなんだって、Some Other Guyを拾い上げたのか、そのへんはよくわからない。

いずれにしても、サーチャーズはこのシングルのA面、B面双方をカヴァーしているので、後日、Some Other Guyにたどり着いた時に再考する。

また、シンガーではなく、裏方としてのリッチー・バレットというのはちょっと興味を惹かれるのだが、あまりにも煩瑣なので、ここでは控える。いつか後日に。

◆ Where Have All the Flowers Gone ◆◆
こんどは、このアルバムの中ではちょっと変わり種の曲、といっても、昔は日本の子供でも知っていた有名曲だが。作者はピート・シーガー、オリジナル録音もやはりシーガー自身。

The Searchers - Where Have All the Flowers Gone


Pete Seeger - Where Have All the Flowers Gone


やはりMoneyなどと比べると、サーチャーズのキャラクターには、こういう曲のほうがはるかに合っている。のちに、彼らはフォークロックの始祖と目されることになるが、その出発点がこの曲だった。いや、まだ意識はしていなかったのだろうが。

サーチャーズが依拠したヴァージョンは、しかし、ピート・シーガーのものではないだろう。イントロから、このヴァージョンをベースにしたことがわかる。どうでもいいことだが、わたしも子供の時、このキングストン・トリオのヴァージョンを持っていた。

The Kingston Trio - Where Have All the Flowers Gone


どういう加減か、日本ではキングストン・トリオよりブラザーズ・フォーのほうが受けがよかったが、いま聴いても、キングストン・トリオのハーモニーは好ましく感じる。当時のカレッジ・フォーク・グループのなかでも抜きんでた売れ方をしたのも当然だと思う。湿度が低く、あっさりしていて、厭味がない。

サーチャーズはもちろん、もうひとつのヒット・ヴァージョンも聴いていただろう。日本ではこちらのほうが好まれた。

Peter, Paul & Mary - Where Have All the Flowers Gone


PP&Mのハーモニーはきわめてイレギュラーで興趣尽きないが、しかし、この曲に関しては、キングストン・トリオのほうが格段にすぐれていると思う。

やはりサーチャーズは自分たちの柄に合ったヴァージョンに依拠したことが、これでおわかりだろう。

◆ Twist and Shout ◆◆
サーチャーズのデビューLP、Meet The Searchersの最後の曲は、またまた例の4人組のデビュー盤であるPlease Please Meのラスト・ナンバーと同じ曲である!

ライターはバート・ラッセル(バート・バーンズ)とフィル・メドリー、オリジナル盤はトップノーツというフィリーのブラック・コーラス・グループ、プロデューサーはアトランティックと契約したばかりだったフィル・スペクター。フィルとしてもごく初期の仕事で、まだ見習い中という雰囲気が濃厚だが。

The Searchers - Twist and Shout


The Top Notes - Shake It Up, Baby (Twist and Shout)


はじめて聴いた時の脱力感を引きずって、長いあいだ、トップノーツのヴァージョンはダメ、と決めつけていたが、これだけ時間がたち、コンテクストから切り離されると、そして、ジョン・レノンの圧倒的ヴォーカル・レンディションを棚上げするなら、これはこれで悪くないか、という気がしてきた。

フィル・スペクターの意図はじつに明快だ。タイトル通り、トゥイストのグルーヴで、というのが前提にあり(踊れなければ無意味だ)、そこに、師匠であるジェリーリーバー&マイク・ストーラーの得意技である、ラテン・パーカッションの味つけを施してみた、というところだろう。

結果的にドリフターズのムード、たとえば、Sweets for My SweetやSave the Last Dance for Meのような感触になり、冷静に見れば、エチュードとしては成功している、というほうに、当方の見方は180度変化してしまった!

作者のひとりであるバート・ラッセル(バート・バーンズほか変名無数)は、誰もがそうだったように、たぶんフィル・スペクターが嫌いだったのだろう、俺の曲を台無しにしやがって、と怒ったと伝えられている。

バート・バーンズは、あの思い上がりの小僧に手本を見せてやる、というので、自分でプロデュースをやり直し、そのヴァージョンがヒットすることになった。

じつにめでたい。お前はダメだ、俺が手本を見せるといって、それが失敗したら、格好がつかないではないか。そのバーンズ先生のお手本盤。しだれ尾の長々しキャリアを誇るアイズリー・ブラザーズのごく初期のヒット。

The Isley Brothers - Twist and Shout


なるほど。バーンズ先生のおっしゃることもよくわかる。タイトルなんかに気をとられて適切なテンポを見つけられないヤツは阿呆だ、グリージーな感覚がゼロだから、お前の盤は音も立てずに消えたのだ、と云いたかったのだろう。

後年、バート・バーンズは黒っぽい感覚のソングライティングとプロダクションで成功し、フィル・スペクターは黒さを洗い流した音でチャートを席捲することになる。立場の違い、考え方の違いにすぎない。

さて、この曲は如何にして英国に伝播したのか? やはり、ここでもあの4人組がリーダーシップをとったと推測するしかない。

ジョン・レノンとビートルズのレンディションは、バート・バーンズがやってもまだ残ってしまった甘さを殺し、この曲の深いところに組み込まれたセックスの暗喩を強調したものになっている。お手本というなら、ジョン・レノンのレンディションこそが理想的なものだ。

では、締めはそのファブ4ヴァージョン。スタジオ録音ではなく、最初のアメリカ・ツアーでのホットな、ホットな、ホットなパフォーマンスを。

The Beatles - Twist and Shout [HD] Live at the Washington Collisium, 1964



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サーチャーズ
Definitive Pye Collection
Definitive Pye Collection

サーチャーズ
Meet the Searchers
Meet the Searchers

伊東ゆかり
決定版 伊東ゆかり
決定版 伊東ゆかり

リトル・エヴァ
Locomotion
Locomotion

エヴァリー・ブラザーズ
Five Classic Albums
Five Classic Albums

ジェリーリーバー&マイク・ストーラー(リッチー・バレットのTricky Dickyを収録)
The Leiber & Stoller Story Volume 3: 1962-1969
The Leiber & Stoller Story Volume 3: 1962-1969

ジェリーリーバー&マイク・ストーラー(リッチー・バレットのSome Other Guyを収録)
The LEIBER & STOLLER STORY VOL.2
The LEIBER & STOLLER STORY VOL.2

Pete Seeger
エッセンシャル・ピート・シーガー
エッセンシャル・ピート・シーガー

キングストン・トリオ
Capitol Collectors Series
Capitol Collectors Series

ピーター・ポール&マリー
Peter, Paul And Mary (1st LP)
Peter, Paul And Mary (1st LP)

フィル・スペクター(トップ・ノーツのTwist and Shoutを収録)
ANTHOLOGY '59-'62
ANTHOLOGY '59-'62

アイズリー・ブラザーズ
Twist & Shout + 15 Bonus Tracks
Twist & Shout + 15 Bonus Tracks

ビートルズ
On Air-Live at the BBC Volume 2
On Air-Live at the BBC Volume 2

ビートルズ
Please Please Me (Dig)
Please Please Me (Dig)

ビートルズ(DVD)
The Beatles In Washington D.C. Feb. 11th, 1964 / (Dol) [DVD] [Import]
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by songsf4s | 2014-02-10 22:50 | ブリティシュ・インヴェイジョン
【ブリティッシュ・ビート根問い】サーチャーズ篇2 1963年の2
 
用語のことを少々。

わたしが「初期ブリティッシュ・ビート」または略して「ブリティッシュ・ビート」と呼んでいる音楽は、われわれが子供のころの日本では「リヴァプール・サウンズ」と呼ばれた。

リヴァプール・サウンズという言葉を使わない理由は自明で、この一群の音楽をになったグループやシンガーはリヴァプール出身とはかぎらない、という一点に尽きる。

また、イギリスでは「マージー・ビート」という言葉がよく使われるが、これも「マージー河周辺のビート・グループ」という意味で、要するに日本語の「リヴァプール・サウンズ」の謂いにほかならず、同様に地域が狭く限定されている。

この用語は、地元の人々が好むものとして尊重はするが、われわれが使うのに適した言葉ではない。まあ、たまに気分転換として使うかもしれないが。

つまり、ロンドンやらグラスゴーやらトテナム(!)やらマンチェスターやら、そうした細かい差違はすっ飛ばし、イギリス全体を包含する用語が必要で、アメリカでよく使われる「ブリティッシュ・ビート」を選択した。

「初期ブリティッシュ・ビート」と、わざわざ「初期」というのにも理由がある。

65年あたりからのストーンズやヤードバーズの台頭以後、ブルース・ベースのグループが「表側」でも一大勢力となり、マージー勢を中心とする「イギリスの侵略」(「ブリティッシュ・インヴェイジョン」)の先鋒となったグループの(相対的に)ハーモニー重視のスタイルは、やがて押しのけられていくことになる。

この二大勢力は、重なる部分をもっているのだが、大きくニュアンスの異なる面もある。じっさい、ヤードバーズから語り起こすような「ロックな人」たちは、たとえば、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスには興味を示さないだろう。

The Yardbirds - Jeff's Blues


Billy J. Kramer & the Dakotas - Bad to Me


後年になると、仕切り線が引かれて、わたしが「初期ブリティッシュ・ビート」と呼ぶ一群のグループは、切り捨てられていった。あるいは「別扱い」にされた、といえばいいだろうか。

歴史的に見て、なんの影響力をもたなかった、一過性の商業主義音楽、というように扱われたような印象をもっている。ストーンズ、ヤードバーズ、フーといったあたりから線を引っ張ったものが「ブリティッシュ・ビート」とされたようだ。

それはそれでいいのだが、そのために一群のシンガー、プレイヤーたちが、「まつろわぬ民」として、荒野に放り出されたことには、異議を唱えておきたい。

◆ Stand by Me ◆◆
それでは前回のつづき、デビュー・アルバムMeet the SearchersのA面の5曲目は、ドリフターズのリード・テナーだったベニー・キング独立後の大ヒット。作者であるジェリー・リーバーとマイク・ストーラーがプロデュースもした。

The Searchers - Stand by Me


Ben E. King - Stand by Me


あまりくどくどいう必要のない曲だろう。この録音の時はもうフィル・スペクターがリーバー&ストーラーに弟子入りしていた。この曲にハル・ブレインのヘヴィー・バックビート加えると、スペクターのスタイルができあがりそうな気がチラとする。

サーチャーズのヴァージョンはあまりしっくりこないが、たぶんこのデビュー盤は、ビートルズ同様、当時の彼らのステージでのレパートリーを再現したものなのではないかと思う。

ストレート・ロッカーと、このStand by Meのようなバラッドは、昔のバンドの両輪だった。チーク・タイム(などというものがリヴァプールのクラブにあったかどうかは知らないが)にこの曲をやっていたのだろうと想像する。

◆ Money (That's What I Want) ◆◆
デビュー・アルバムA面の6曲目は、バレット・ストロングのヒット、というより、モータウンのオーナーであるベリー・ゴーディーがジェイニーブラッドフォードと書いた、モータウン・レコード最初のヒットのカヴァー。

The Searchers - Money (That's What I Want)


Barrett Strong - Money (That's What I Want)


会社設立後まもないので、作者でもある社長の陣頭指揮の録音なのだろう、バレット・ストロングのオリジナルも、時代を考えれば、なかなかのサウンドだ。いいビートがあり、ちょっとした薬味程度のえぐさもあり、それでいて、白人市場から閉め出されない程度には洗練されている。

歌詞が歌詞なので(いや、それがこの曲のポイントだが)、あまりグリージーにやるわけにはいかず、そのへんの匙加減はわかっていたのだろう。そうでなければ、モータウンは成功しなかった。

サーチャーズはバレット・ストロングのオリジナルに依拠したのだろうか? たぶんそうではない。例によってこの四人がやっているのに刺激されたのだろう。

The Beatles - Money (With Pete Best, at the Cavern)


ビートルズはブライアン・エプスタインのネムズでバレット・ストロング盤を見つけたといわれている。エプスタインがファブ4を「発見」するに至るあの有名なエピソードをよもやお忘れではあるまい。ネムズは充実の品揃えを誇っていたのだ!

ビートルズがこの曲をやった結果、リヴァプールのキャヴァーンやら、ハンブルクのスター・クラブあたりをぐるぐる廻っていたバンドのあいだで、このMoneyは共有されるに至ったのだろうと想像する。

このようなシンプルなダンス・チューンというのは、ライヴ・バンドには必須のもので、やる側から云えばやりやすく(酔っぱらっていてもなんとかなるだろう!)、客の側から云えば、盛り上がりやすく、踊りやすい。

サーチャーズのキャラクターに合った曲だとは思わないが、以上のような事情から、彼らもこういう曲をレパートリーに入れておく必要があったに違いない。

以上三者のほかに、わが家には、エヴァリー・ブラザーズ、ルー・クリスティー、バディー・ガイ、ジュニア・ウォーカー、ハイ・ナンバーズ(ザ・フー)、トッド・ラングレン、スタンデルズ、ランディー&ザ・ラディアンツ、アンダーテイカーズ、リチャード・ウィリー&ヒズ・バンド、ローリング・ストーンズなどなど多数のカヴァーがあるが、やはり、With the Beatlesの最後に収録された彼らのスタジオ録音がベストだと思う。

以上のなかでは、このカヴァーがなかなか好ましい。やはりモータウンのロースターだが、このヴァージョンはヒットしなかった。

Richard Wylie & His Band - Money 1961


◆ Da Doo Ron Ron ◆◆
B面のオープナーは、フィル・スペクター・プロデュースによるクリスタルズの大ヒットのカヴァー。ジェフ・バリーとエリー・グリニッジ夫妻、およびフィル・スペクターの共作。すばらしい4分3連のライド・シンバル・プレイはもちろんハル・ブレイン。

The Searchers - Da Doo Ron Ron


The Crystals - Da Doo Ron Ron


とくにサーチャーズに合った曲には思えないし、ハーモニーの面白さもあまりない。アルバム・トラックとして、さしたるアレンジも施さずに録音したものだろうから、フィル・スペクターの金も時間もかけたプロダクションと比較しては気の毒だ。これまた、アメリカのヒット曲の軽いローカル盤のつもりだったか、あるいはライヴでのレパートリーだったのだろう。

フィル・スペクター=クリスタルズのDa Doo Ron Ronオリジナルは、ビルボード・チャート3位までいく大ヒットになった。チャート・トッパーになったクリスタルズの前作He's Rebelには、チャート・アクションの面では劣ったが、スペクターのプロダクション・テクニックはこの曲でさらに深まり、巨大な音のボールはサイズと強さを大きく増した。

He's a Rebelでフィル・スペクターが惚れ込んだハル・ブレインは、Da Doo Ron Ronでは正確で美しい4分3連のライド・シンバル・プレイでわれわれを圧倒する。

派手なフィルインは、ハル・ブレインのフロアタムではなく、ニーノ・テンポがマレットでキック・ドラムを叩いたと云われる。

フィル・スペクターにとっても、ハル・ブレインにとっても、文句なしの生涯の代表作である。

◆ Ain't Gonna Kiss Ya ◆◆
Ain't Gonna Kiss Yaはオリジナルを確定できなかった。

リボンズというLAベースのガール・グループのものがオリジナルである可能性が高いと感じるが、ノン・ヒットなので、さらにそれ以前に、誰も注目しなかった盤があった可能性は残る。

ソングライター・クレジットはJames Marcus Smithとなっていて、これはP・J・プロビーの本名。プロビー自身の盤は当時はないようで、ずっと後年の懐古的なアルバムで歌ったらしい。

プロビーはアメリカ人だが、シンガーとしてはイギリスで成功することになる。しかし、それは64年のこと。この時はまだアメリカ、おそらくはLA住まいだろう。

その根拠は、プロビーという芸名をつけたのがシャロン・シーリーであり、イギリスに渡ったのはジャッキー・デシャノンの紹介による、ということ。LAのソングライター・サークルと付き合いが深かったことがわかる。

The Searchers - Ain't Gonna Kiss Ya


The Ribbons - Ain't Gonna Kiss Ya


リボンズについてはほとんどなにも発見できない。LAのグループであり、メンバーはEvelyn Doty、Arthetta Gibson、LovieおよびVessie Simmonsの四人といった程度の記述しか見あたらなかった。

Discogsのリストには、Ain't Gonna Kiss Yaを含む2枚の45があるのみ。「のちにシークィンズ、サンドペイパーズになった」とあるが、「紙ヤスリ」なんてヤケクソな名前を選ぶようでは、もう先がなかったのがわかる。

リボンズ盤Ain't Gonna Kiss Yaのプロデューサーはマーシャル・リーブ、すなわち、テディー・ベアーズでのフィル・スペクターの相棒である。レーベルはMarshとなっている。マーシャル・リーブの会社なのだろう。

テディー・ベアーズのLPではアール・パーマーがドラム・ストゥールに坐ったが(最初のシングルのドラマーはサンディー・ネルソン!)、リボンズのAin't Gonna Kiss Yaも、どうもアール・パーマーのプレイに聞こえる。

ハリウッドのサウンドにはなってはいるものの、ハリウッド的洗練が強く感じられるものではないし、あまり叮嚀なアレンジでもなく、インスピレーショナルな録音とはいえない。マイナー・ヒットの可能性はあっただろうが。

惜しい、と思って拾い上げる気持はわかるが、サーチャーズの録音もそれほどインスピレーショナルとはいえない。少し速くしようという考えはけっこうだが、ちょっと速すぎて、かえって印象が薄くなった。

こんなノン・ヒットのオブスキュアな曲をどういう経緯で見つけたのやら。偶然、リボンズのシングルを聴いたのか、あるいは、パブリッシャーからデモがまわってきたのか……。

サーチャーズのヴァージョンは63年、それも秋のリリースらしいが、同年にはもうひとり、レイ・ピルグリムというイギリスのシンガーが、You'll Never Walk Alone b/w Ain't Gonna Kiss Yaというシングルをエンバシーからリリースしている。のちにスターリングスというグループ名でも再リリースしたようなのだが、逆の可能性なきにしもあらず。

レイ・ピルグリムの盤はサーチャーズとほぼ同時で、しかもシングルだが、B面ではあるし、この人のディスコグラフィーを見ると、ほとんど後追いばかりで、なんだか、パチモン専門のように感じられる。誰かがヒット・ヴァージョンと間違えて買うのを期待していたのか、なんて、厭味なことを思ってしまうほどだ。

興味が湧いてしまった方は、仕方ないから、ウィキのレイ・ピルグリムのエントリーの63年から64年ぐらいのリストをご覧あれ。この臆面のなさ。月に2枚ぐらいのペースで他人のヒットをじゃんじゃんリリースしている!


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The Ribbons - Ain't Gonna Kiss Yaを収録、4枚組ボックス
Girl Group Sounds: One Kiss Can Lead to Another
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by songsf4s | 2014-02-08 22:43 | ブリティシュ・インヴェイジョン
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その16
 
今日はエンディングに入るような予告をしてしまったが、あまり時間をとれなかったので、箇条書き的にいくつか小さなことを並べる。

しかも、大滝詠一のことというより、はっぴいえんどのことを。ファイナル・ストレッチに入る前の小休止、お中入り、箸休めとお考えいただきたい。とりとめのない話になること必定の夜。

『風街ろまん』のリミックス盤というのを聴くことができた。tonieさんのお話では、どちらかというとファンには不評だったそうだが、それも無理ないか、というほど、ドラスティックな変化で、聴きながら何度か、「ええっ」と声が出た。

たとえば、「風をあつめて」はファースト・ヴァースからオルガンが入っている、といった明白な違いもあるのだが、なによりも、ミックスが異なり、ステレオ定位が異なり、各音の分離がまったく異なっていることに驚かされる。

このシリーズの「その13」で「春らんまん」のヴォーカルは、ハーモニー上=大滝詠一 メロディー(中)=大滝詠一、ハーモニー下=細野晴臣のように聞こえると、確信なさげに書いた。

オリジナル・ミックスでは、ヴォーカルは3パートともすべて右チャンネルにまとめられているという団子状態、しかしリミックスでは、下のハーモニーは左チャンネルに振られていて、おかげで、やはりこれは細野晴臣、残りは大滝詠一と確認できた。

いちばん驚いたのは「暗闇坂むささび変化」だった。

サンプル 「暗闇坂むささび変化」リミックス

問題はベースである。ラインではなく、トーンと弾き方である。細野晴臣は人差し指と中指によるフィンガリングの人だと思っていたが、この曲ではフラット・ピッキングか、または爪で引っかけての親指フィンガリングでやっている。

なぜそうなったのかというと、フィル・レッシュ・スタイルを模してみたからではないだろうか。このシリーズの「その10」でこの曲を取り上げた時、元になったと考えられるグレイトフル・デッドのFriends of the Devilにふれた。

Grateful Dead - Friend of the Devil (Studio Version)


デッドのフィル・レッシュはデビュー以来ずっと一貫して、現在もフラット・ピッキングでプレイしている。一音一音をはっきりと出すのが好みのようだが、とりわけ初期は、ジェファーソン・エアプレインのジャック・キャサディーが好きだというとおり、キャサディー・スタイルのトレブルの強い音でやることが多かった。

これは細野晴臣とは正反対といえるほど違うのだが、しかし、「暗闇坂むささび変化」では、じつは、誰が聴いても、ジャック・キャサディー=フィル・レッシュ・スタイルと感じるトーンで、しかも(たぶん)フラット・ピッキングでプレイしていたことが、リミックスで判明した

ここまで念を押す必要はないのだが、なんなのだろうか、やはり誠実さなのだろうか、デッドのFriend of the Devilとの近縁性を、ベースによっても強調していたのである。

しかし、それがオリジナル・ミックスでは、いつものようにフィンガリングでやったように思えるトーンになっているわけで、ここがまた不思議ではある。ミックス・ダウンの際に、やはりいつものようなやわらかい、すこしくぐもったようなトーンのほうがいいと判断し、加工したということだろうか。

ちょっと斜めの方向に連想が流れた。大瀧詠一作曲で、いずれも1976年リリース。最初の吉田美奈子盤は村井邦彦プロデュース。

吉田美奈子「夢で逢えたら」


つぎは同じ曲のカヴァー。こちらの編曲は大瀧詠一(ベーシック・トラック)と山下達郎(弦と管)、プロデュースは大瀧詠一。なお、ずいぶん昔のことだが、歌手の時は略字で「大滝詠一」、それ以外の作曲、執筆などでは正字の大瀧詠一という使い分けだと書いていたのを読んだ記憶があるので、このシリーズではそれにしたがっている。

シリア・ポール「夢で逢えたら」


吉田美奈子は素晴らしい歌いっぷりだし、シリア・ポールはなんとも可愛らしい。ジョーニー・サマーズとシェリー・ファブレイの対照のようだ(呵々)。

いや、サウンドの話である。昔、これを聴いた時、ダイナミック・レンジの狭いラジオだったこともあって、ストレートにフィル・スペクターを想起した。

いま聴くと、そんな単純な話ではないのだが、まあ、とにかく、若造はそう思ったということで、いちおうロネッツを。ドラムはもちろんハル・ブレイン、ストリング・アレンジメントはジャック・ニーチー。

The Ronettes - Be My Baby


吉田美奈子盤のカスタネットはやはりフィル・スペクターの引用だろうけれど、ハンド・クラップはあるいはレスリー・ゴアの時のクラウス・オーゲルマンのアレンジから来ていたりする可能性も感じる。

いや、ハンドクラップなんてめずらしくもないから、60年代初期のガール・グループ/シンガーの音の記憶総体、と考えるべきだろうが、まあ、とにかく、彼女の曲を。ドラムはおそらくゲーリー・チェスター。

Lesley Gore-That's The Way Boys Are


ハル・ブレインのように、フェイド・アウトでキックの2分3連踏み込みをやっているが、やはり、「ヘイ、ハル、借りたぞ」という呼びかけだろう。呵々。

大滝詠一は、ソロ・デビューでフィル・スペクターのDa Doo Ron Ronを下敷きにした「うららか」を録音した時はおろか、この76年の時点でもまだ、フィル・スペクターのサウンドを掘り下げてみよう、とまでは考えていなかったのではないだろうか。

あるいは、この方向に添って探っていけば、どこかに突き抜ける道が見つかると考えるようになったのは、このシリア・ポール盤を録音した直後あたりからなのではないかと、根拠なしに思ったりする。

そこが、フィル・スペクターのすぐそばにいて、スタジオでフィルがなにをしているかを見てしまったブライアン・ウィルソンとの違いではないだろうか。

ブートからの切り出しでちょっと音質はよろしくないが、ブライアン・ウィルソン作編曲プロデュース。

サンプル Sharon Marie - Thinkin' 'bout You Baby

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シャロン・マリーとビーチボーイズ。ひとり足りないが!

いま聴けば、Todayへの前奏曲、ひいてはPet Soundsも地平線に姿をあらわしている、という管の使い方だが、この時のブライアンの意図は、どうやればフィル・スペクターのような効果を得られるかという考察の、最初の素案というあたりだろう。

つぎも同様の、外部プロダクションでのスペクター・サウンド研究論文とでもいうべき一篇。ブライアン・ウィルソン作編曲プロデュース。のちにビーチボーイズも同じトラックを流用して歌ったが、当時はリリースされなかった。

The Castells - I Do


連想があちこちに跳弾しただけのことで、なにかまとまった結論があるわけではない。

大瀧詠一のサウンド・プロダクションにおける、英米音楽との向き合い方というのを考えつつ、ずっとこのシリーズを書いてきたのだが、「暗闇坂むささび変化」リミックス・ヴァージョンにおける細野晴臣の真っ正直なコピーぶりに接して、またひとつ、考える素材が増えたのだった。


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by songsf4s | 2014-01-21 22:56 | 60年代
回想のビリー・ストレンジ、その音楽と時代 その8 ビーチボーイズ、フィル・スペクター、サム・クック
 
今回は1963年のセッション・ワークです。ビリー・ストレンジのキャリアということではなく、ハリウッド音楽界自体がおおいなる隆盛を迎えのは、この年からと考えています。ビリー・ストレンジの仕事も、メイジャー・アーティストの大ヒット曲がどっと登場します。

まずは典型的なカリフォルニアの音から。

The Beach Boys - Surfin' USA


スーパー・プレイではないのですが、ビリー・ストレンジの艶やかなギターのサウンドがこの曲の印象を決定しているので、やはり代表作のひとつといっていいでしょう。きちんとしたクレジットがないので、頭痛の種でしたが、ボス自身がコンファームしてくれて助かりました。

1963年を境にして、ハリウッドはアメリカ最大の音楽都市へと成長しますが、その最大の原動力は、フィル・スペクターだったといっていいでしょう。

62年のHe's a Rebelで、フィレーズとしては最初のビルボード・チャート・トッパーを得て以来、スペクターは活動の中心をハリウッドに移し、その結果、後年いうところの「レッキング・クルー」が形成されることになります。

ビリー・ストレンジ・ディスコグラフィーにも、1963年からフィル・スペクターの曲が登場しはじめます。フィル・スペクターは滅多にギター・ソロは使わないですが、これは例外。

Bob B.Soxx & The Blue Jeans - Zip-A-Dee-Doo-Dah


エンジニアのラリー・レヴィンが回想していました。ミックスのとき、スペクターの要求にしたがって、あっちを上げ、こっちを上げているうちに、こうなってしまった、と。レヴィンが「でも、フィル、これではビリーのギターが聞こえないじゃないか」といったら、スペクターは「いいんだ、これで完璧だ」といったそうです。

その結果、ビリー・ストレンジのファズ・リードは、他のチャンネルにリークした音だけになり、このような「遠いギター」の効果が生まれたというしだい。

サム・クックのセッションでビリー・ストレンジがプレイした曲は多くないと思いますが、これは、いわれて、そういえば、と頭を掻きました。

Sam Cooke - Sugar Dumpling


これまたオフ・ミックスなのですが、ときおり聞こえるギターは、なるほど、いかにもビリー・ストレンジの音だと納得します。

ここまではよく知られたヒット曲ばかりですが、当然ながら、まったく知られていないであろうスタジオ・プロジェクトもあります。

Calvin Cool & the Surf Knobs - El Tecolote


さすがはビリー・ストレンジ、というプレイ。ぜんぜん知らない名前がいまだにどんどん出てきてしまうサーフ&ドラッグ・スタジオ・プロジェクトの世界は魔界です!


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by songsf4s | 2012-03-13 23:46 | 60年代
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その5 John Lennon
 
ハル・ブレインがジョン・レノンのRock'n'Rollセッションに参加したことは、盤のクレジットや、ハルの回想記ですでにわかっていたことです。

しかし、Rock'N'Rollにはアルバム全体のパーソネルが記載されているだけで、どのトラックでハル・ブレインがプレイしたかという詳細は不明でした。少なくとも、自分のものや友人のものなど、昔の各種エディションのクレジットを見るかぎりではわかりませんでした。その後のエディションにはトラック・バイ・トラック・データが書かれたのかもしれませんが。

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Rock'n'Rollのメイン・ドラマーはジム・ケルトナーです。ハルはいわば「ゲスト」でした。そのあたりの経緯は明らかにされていませんが、こんな空想をします。

ジム・ケルトナーほどダブル・ドラムの経験があるドラマーはそうはいないでしょう。ジョー・コッカーのMad Dogs and English Menツアーでジム・ゴードンと組んで以来、じつにさまざまなドラマーとダブルをやっています。

ケルトナーは、スペクターとバックビートのことを話していて、ダブルをやってはどうか、と提案したのではないでしょうか。あるいは、ジム・ゴードンとのダブルがいかにすばらしい経験だったかをスペクターに話したのかもしれません。

では、ダブルをやってみようか、ということになり、たとえばジム・ゴードンに連絡をとったけれど、ツアーで不在、アールもつかまらない、では、ハル・ブレインはどうだ、となったけれど、かつての経緯があるので、スペクターは難色を示し、ハルと親しかったケルトナーが、ではこの件は自分に一任してくれと提案した、なんて道筋はどうでしょう。ハル・ブレインは、ジム・ケルトナーを通じて依頼されたといっています。

◆ オフィシャル・リリース ◆◆
どうであれ、かつての「フィル・スペクターのドラマー」は、1964年のライチャウス・ブラザーズのセッションを断って、スペクターの不興を買って以来、十年ぶりにスペクターのセッションでプレイすることになります。エモーショナルな場面もあったのではないかと思いますが、ハルは、スペクターとの再会についてはなにもいっていません。

今回の増補ディスコグラフィーで、ハル・ブレインがプレイしたトラック(の少なくとも一部)が明らかになりました。まずは一曲。ファッツ・ドミノ・クラシック。

ジョン・レノン Ain't That a Shame


すべてジム・ケルトナーとのダブルのはずですが、左右に分離するといったミキシングではないので、ほんとうにダブルかどうかも確信が持てないほどです。まして、どのプレイがだれ、なんてことはまったくわかりません。

Ain't That a Shameは、ハルがいるといないとに拘わらず、このアルバムのなかでドラミングが好きな曲でした。フェイドアウト直前のストップタイムのプレイは盛り上がります。とくにタムタム一打のアクセントが最高。

どちらもマスターフルなプレイヤーですが、ハル・ブレインのファンだったジム・ケルトナーは、いにしえのフィル・スペクター・シングルの売り物だった「ハルのフェイドアウト」を聴きたがったのではないでしょうか。わたしは、フェイドアウトのフィルインはハルがプレイしたと想像しています。

どうせ当たるも八卦当たらぬも八卦をやったのだから、行きがけの駄賃にもうひとつギャンブルをやります。この曲のすばらしいピアノはリオン・ラッセルのプレイでしょう。

つづいて、どうしてジョンがこの人の曲を好んでカヴァーしたのか、いまだに不可解というしかないラリー・ウィリアムズのヒット。

ジョン・レノン Bony Moronie


こちらは、フィルインのプレイで、一人ではないことがわかります。ハル・ブレインはかならず譜面を書いたそうです。プレイ方針が固まったら、細かいフィルインにいたるまで譜面で固定し、以後、何テイクとろうと、同じプレイをしたというのです。

ジャン&ディーンのトラックでは、しばしばアール・パーマーとユニゾンで叩きましたが、そういうケースでは、もちろん、譜面がなくては正確に合わせることはできなかったでしょう。このトラックでも譜面を書いたのだろうと想像します。ジム・ゴードンとのダブルでは、ケルトナーは譜面なしでやったはずで、これは彼にとっては新しい経験だったかもしれません。

◆ ハル・ブレイン、ジョン・レノンと対話す ◆◆
以前、ハル・ブレインの回想記を訳し、いくつかの書肆に持ち込んでみました。ある版元で出版が具体化したのですが、その後に不可解なことが起こり、この話は立ち消えとなってしまいました。アメリカの版元からイエスの返事も、ノーの返事もこなかったのです。

こんな馬鹿な話はあとにも先にも、このとき一回だけ。ノーならわかりますが(いや、このレベルの本なら、たいていは二つ返事でOKになる)、ノー・リプライとはあきれ果てます。結局、その原稿は宙に浮き、いまもHDDに眠っています。

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ということで、ここで再利用というか、正確には「初利用」ですが、その原稿から、ジョン・レノンに関する部分を以下にコピーします。

(この直前に、フィル・スペクターがプロデュースしたレナード・コーエンのセッションに関する記述がある。しかし、これはおそらくハルの記憶違いで、コーエンのセッションはジョン・レノンのセッションよりずっとあとの77年か78年と考えられる)これはさらなる大物につながるきっかけとなった。ジョン・レノンのプロジェクトだ。

ある日、ジム・ケルトナーが電話してきて、フィルがプロデュースするジョン・レノンのセッションで、彼とダブル・ドラムを組んでくれないかといってきたのだ。これはジョンがニューヨークにもどって最後の仕事をするまえのことで、ウェストコーストでのプロジェクトだった。もちろん、ぜひやりたい、と返事をした。

そして、A&Mスタジオで、ふたたび新しいウォール・オヴ・サウンドがつくられることになった。われわれは大きなスタジオに集まり、おおぜいの人間がジョン・レノンという名前をひそひそいいかわしていた。われわれはそこで一週間ほど働き、それからレコード・プラントに移って、さらに二、三晩、レコーディングをつづけた。全員がこのプロジェクトに没頭した。これはフィル・スペクターの最高の仕事だった。素材とバンドがじつにみごとにからみあわされたのである。

ジョン・レノンは、ちょっとシャイで、気どらない人間だった。わたしはじぶんのドラムのセットアップをチェックするために、たいてい早めにスタジオに顔を出したが、いつもジョンがさきにきていて、ギターをチューニングし、歌のおさらいをしていた。わたしたちは、ゆっくりと楽しいおしゃべりをした。音楽業界の話や、そして彼のキャリアの土台を形づくることになったさまざまなレコードのことだ。彼はわたしに、いっしょに仕事をしてくれてありがとうと礼をいい、そして、彼の好きなレコードのほとんどは、若いころに聴いた「あなたの」ウェストコースト録音のレコードだ、と打ち明けてくれた。

ジョンにとって、このころはつらい時期だった。ヨーコと別居していたために、みじめな状態で酒ばかり飲んでいた。彼のそばにはジュリアンがついていた。わたしも息子のデイヴィッドといっしょに暮らしていて、ふたりとも似たり寄ったりの状態だった。ジュリアンはたしか十二か十三で、ドラムを叩きたがっていた。ある日、われわれ四人はハリウッドで昼食をともにし、ふた組の父と息子だけの楽しいひとときをすごした。

フィルとジョンとの最後のセッション以後、どちらにも再会することはなかった。ジョンはニューヨークにもどり、あのすばらしいカムバックをやってのけた。その後の悲劇は、いまもわれわれみなの胸にある。ドナはいまでもときおり電話をくれて、フィルがよろしくいっている、と伝えてくる。われわれはフィルに、隠遁をやめて、オールスター・フィル・スペクター・リヴューをやろうと頼んだ。もし彼が、われわれ全員をまた集めたら、あらゆるショウの息の根を止める、ショウのなかのショウになるだろう。フィルはぜったいにケチなことはやらなかったのだから。


ハル・ブレインという人は、他人の悪口はいわないし(例外はバーズとタートルズ。両方とも「嘘つき」と斬って捨てた)、ひどい音楽だ、などといったネガティヴなこともいいません。

ジョン・レノンのRock'n'Rollは、ジョンにとっても、フィル・スペクターにとっても、代表作とはいいがたいし、スペクターはケッセル兄弟(バーニーの息子たち)をボディーガードにし、銃を携行してスタジオにあらわれ、一度、発砲したことまであったといわれています。

最後はマスターテープをもって姿をくらまし、ジョン・レノンは苦労してテープを取り返し、残ったトラックを自分でプロデュースしてリリースにこぎつけたと伝えられています。

そういう状況の劣悪さを考えれば、できあがったアルバムは悪くないとはいえるでしょう。いくつかはいかにもジョン・レノンらしいレンディションで、ソロのジョン・レノンが大嫌いだったわたしのような人間にとっては、唯一、腹の立たないジョン・レノンのソロ・アルバムでした。

まあ、その程度のものであり、ハルの誉め方はいくらなんでも行き過ぎだと思いますが、要するに、ハル・ブレインというのはそういう人間なのだ、ということでしょう。

◆ アウト・テイクス ◆◆
ジョン・レノンとフィル・スペクターにとってはどん底の時期だったこともあり、また、Come Togetherをめぐる訴訟問題の解決手段(Youn Can't Catch Meを録音する義務があった)でもあったので、Rock'n'Rollセッションは、かつてのLet It Beセッションのように、巨大なゴミの山を残しました。

そうしたトラックは、後年、CD化の際のボーナスやら、寄せ集め盤の埋め草やら、ボックスのトラックなどとしてリリースされることになったのはご存知の通り。ハル・ブレインがプレイしたトラックは、そのようなアウトテイクのなかにも撒き散らされています。

ジョン・レノン Angel Baby


オリジナルは、かのロージー&ディ・オリジナルズです。ジョンもポールも、ロージー&ディ・オリジナルズこそが、ロックンロールという雑駁な音楽形態の魅力を体現しているのだ、と強調していました。つまり、下手こそよかれ、の精神であり、ナンセンスな遊び、わけのわからないデタラメな曲こそがロックンロールなのだ、という立場です。一言でいうなら、absurdityこそがロックンロールの本質である、ということです。それを実践したのが、You Know My Nameなのだとポールはいっていました。

ビートルズ You Know My Name


もうabsurdityは十分に堪能なさったかもしれませんが、Anthologyに入っていたこれなんかも、同系統の「ロージーの息子」といえるでしょう。

ビートルズ Los Paranoias


どうせ化けるなら、サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドなんて大仰なものではなく、ロス・パラノイアスに化けるほうがずっとよかったのではないかと思います。わたしは二曲とも好きです。

閑話休題。さらにアウトテイクはつづきます。あ、いや、ロージー&ディ・オリジナルズのオリジナル・ヴァージョンを聴きますか。なんたってジョンとポールが絶賛した曲ですからね。下手くそも下手くそ、チューニングすら合っていなくて、一聴、忘れがたい印象を残します。

ロージー&ディ・オリジナルズ


ギター、サックス、ヴォーカル、よくまあ、そろいもそろってみごとに音をはずせるものです。グレイト!

で、もう一度、閑話休題。Rock'n'Rollセッションのアウトテイクをつづけます。没後リリースのMenlove Avenueで陽の目を見た、Rock'n'Rollセッション唯一のオリジナル曲、それもジョン・レノン、フィル・スペクターの共作、なんていっても、期待すると打っちゃりを喰らう、Here We Go Again。



なんというか、隔靴掻痒というか、あとちょっと、どこかをどうにかできていたら、それなりの仕上がりになったのじゃないかと、焦れてしまうような出来です。やっぱり、精神状態、健康状態の悪さがこういうところに出てしまったような気がします。

ドラミングは、地味ながら、随所に興味深いフレーズがあり、60年代のキングと70年代のキングが、あれこれ相談しながらプレイをつくりあげていった様子がうかがわれて、どちらも大好きなわたしとしては、その場で二人のプレイを見られたら天国だっただろうと思います。

最後は、フィル・スペクターとハル・ブレインに永遠に結びつけて語られるであろう曲を。やはり、ハル・ブレインがいるから選ばれたのでしょう。

ジョン・レノン Be My Baby


うーむ。こういうときは何もいわないほうがいいのでしょう。ジョン・レノンの精神状態をまざまざと見る思いです。楽しいと同時に、肩のこるセッションだったとハル・ブレインがいっているのは、こういうところなのだと思います。

いやはや、こちらも肩がこってしまう回でした。フィル・スペクター、ジョン・レノン、ハル・ブレイン、ジム・ケルトナーと役者がそろいすぎて、結局、どこへたどり着いたのかよくわかりませんでした。


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Menlove Avenue
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by songsf4s | 2011-07-19 23:46 | ドラマー特集
祝 オフィシャル・ゲーリー・チェスター・ウェブサイト誕生 その9 バート・バーンズ篇
 
例によって、散歩ブログも更新しました。

若いツバメ、ウェディング・ドレス仕立てのアジサイ、ねむの木

どうやら、このようにお知らせすると、当家のお客さんの50人におひとりぐらいはあちらを訪問してくださるようで、ありがたいことです。

◆ Shake It Up Baby ◆◆
バート・バーンズ(またはラッセル・バーンズ、バート・ラッセルなど)の名前をご存知ない方でも、この曲はご存知でしょう。

アイズリー・ブラザーズ Twist and Shout


トップノーツによるオリジナルはフィル・スペクターがプロデュースしましたが、作者自身がプロデュースしたこのアイズリーズ・ヴァージョンではゲーリー・チェスターがストゥールに坐りました。

わたしはビートルズのヴァージョンから入ったので、あとからこれを聴いたときは、かなりがっかりしました。この程度かよ、とジョン・レノンのレンディションがすばらしかったことを再認識しました。あたりまえです。先行ヴァージョンのほうがすごかったら、そちらがビートルズ以上にビッグになっていたにきまっています。

しかし、公平にいって、ビートルズより数段軽いアイズリーズ・ヴァージョンは、フィル・スペクターがプロデュースしたオリジナルにくらべればずっとビートが重いのです。

トップ・ノーツ Twist and Shout


改めて並べてみて、これはフィル・スペクターにとって、ちょっとしたレッスンになったのではないかと思いました。この落差による位置エネルギーの蓄積が、ハル・ブレインという豪腕健脚に出会って、ロネッツのBe My Babyのビートを生む結果になったのではないでしょうか。わたしが二十一歳で、フィル・スペクターだったら、この失敗を肝に銘じ、いつの日か、ヘヴィー・バックビートで捲土重来を果たすと誓ったでしょう。

耳タコでしょうが、この2ヴァージョンを聴いたあとでは、また異なった展望が開けるにちがいないので、THE REAL THINGも貼り付けておきます。

ビートルズ Twist and Shout (remastered stereo)


十二歳の子どもがショックを受けるのはどのヴァージョンか、考えるまでもないでしょう。どのヴァージョンがもっともソウルフルであるかも同断。

◆ Tell Him ◆◆
バート・バーンズがどういう人物かをご紹介するために、有名な曲のたいしたことのないヴァージョンから入ることになってしまいましたが、つぎは大ヒット曲です。この日のために、「祝 オフィシャル・ゲーリー・チェスター・ウェブサイト誕生 その6 リーバー&ストーラー篇」のときも、「その7 ガール・グループス&シンガー」のときも、取り上げずにすませたのです。

バート・バーンズ作、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー・プロデュース、ゲーリー・チェスター・オン・ドラムズ。

エクサイターズ Tell Him


山ほどある同じクリップのなかから最善のものを選びました。ほかはノイジーです。ヴィデオGirl Groupsでも、このプロモーション・フィルムが使われていました。なんで白熊なんだよー、ですが。

チェスターのプレイがどうのという以前に、いかにもこの時代のNYのグルーヴという感じで、わたしの場合、このあたりは後追いなのですが、無意識のうちにこういう音が体に染み込んでいたのだなと思います。わたしよりちょっと上の世代なら、こういうのは無条件でOKでしょう。

チェスターは一小節おきに四拍目をロールさせるというunusualなプレイをしています。いまでもちょっと耳を引っ張られるくらいなので、オーソドクシーの時代にはいいフックになったでしょう。エンディング近くでハイ・トーンを入れるところも含め、このアップライト・ベースも好みのプレイヤーです。名前知りたし。

◆ 心のかけらはさておき、せめてセンスのかけらを ◆◆
つぎの曲は、ジャニス・ジョプリンのヴァージョンで知ったのですが、あとからオリジナルを聴いて、そちらのほうを好きになりました。バート・バーンズ作およびプロデュース、ゲーリー・チェスター・オン・ドラムズ。

ガーネット・ミムズ&ディ・エンチャンターズ Cry Baby


こういうオーソドクスなR&B風味のほうが、わたしにはずっと好ましいものに感じられます。このガーネット・ミムズ盤がリリースされたのと同じ1963年、ハル・ブレインはフィル・スペクターのクリスマス・アルバムで、ブラシによるヘヴィー・ヒットを多用しますが、この曲ではチェスターもブラシでヘヴィー・バックビートを叩いています。たんなる偶然でしょうけれど。

ゲーリー・チェスターは関係ないのですが、いちおうジャニス・ジョプリンのヴァージョンも貼り付けておきます。

ジャニス・ジョプリン Cry Baby


わたしはジャニス・ジョプリンのファンではないので、うまいとは思うのですが、あまりなじめません。ホールディング・カンパニーにも、フルティルト・ブギー・バンドにも、子どものころから、なんなのこいつら、と怒っていました。タイムが合わないと、生理的嫌悪が先に立ってしまうものです。

ジャニス・ジョプリンの代表作は、もちろんまたしてもチェスターとは関係ありませんが、やはりバート・バーンズの曲です。ドラムとベースには耳をふさいだほうがいいと警告しておきます。って、無理か。

ジャニス・ジョプリン Piece of My Heart


こういうドラマーに対しては殺人衝動が起きます。口直しにオリジナル・ヴァージョンを貼り付けます。バート・バーンズ作&プロデュース。

アーマ・フランクリン Piece of My Heart


人はスターのみにて生くるものにあらず、サウンドも同等またはそれ以上に重要です。わたしは、ヴォーカルが出鱈目でも、アレンジとサウンドがよければそれで十分、逆に歌がすばらしくても、バンドがヘボならまったく聴く気になりません。ジャニス・ジョプリンというシンガーに、ついに興味をもたなかった所以であります。

なにが悲しくて、あんなバンドを聴かなければいけないのだ、これほど無数にすぐれたドラマーのトラックがあるというのに、と英作文の試験問題のようなことを思うのでした。

バート・バーンズとゲーリー・チェスターのトラックはまだ相当数あるのですが、本日はここまで。改めて後篇をやるなり、雑纂篇で他と入れ込みにするなりで、補足する可能性もなくはありませんが、ネグってしまうかもしれません。


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バート・バーンズ
Twist and Shout: The Bert Berns Story Vol. 1 (1960-1964)
Twist and Shout: The Bert Berns Story Vol. 1 (1960-1964)

バート・バーンズ
Bert Berns Story Mr Succes 2: 1964-1967
Bert Berns Story Mr Succes 2: 1964-1967


フィル・スペクター(トップ・ノーツのTwist and Shoutを収録)
Early Productions
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ライノ・ガール・グループス・アンソロジー(Tell Him収録)
The Best Of The Girl Groups, Vol. 2
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ガーネット・ミムズ&ディ・エンチャンターズ
Cry Baby
Cry Baby


アーマ・フランクリン
Golden Classics Edition
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by songsf4s | 2011-06-25 23:57 | ドラマー特集
祝 オフィシャル・ゲーリー・チェスター・ウェブサイト誕生 その8 フィル・スペクター/クリスタルズ篇
 
散歩ブログを更新しました。

「泰山木(タイサンボク)を見下ろす、とまではいかなかったが」

◆ スペクターぶりのドラミング ◆◆
本日のゲーリー・チェスター・トラックス、フィル・スペクター篇と銘打ったはいいのですが、羊頭狗肉の感無きにしも非ずです。まあ、スペクター・ファンなら、NYのトラックにはそれほどすごいものがないのはよくご承知なので、タイトルを見た瞬間、当方の苦衷をお察しくださったでしょうが。

フィル・スペクターは、才能ある若者に惚れやすいレスター・シルのおかげで、NYに行き、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーに弟子入りすることになります。リーバーとストーラーもまた、シルのおかげで世に出たのであり、彼らはビジネス・パートナーでもありました。

NYでのスペクターは、あまりいいことはいわれていないようですが、それは問題ではありません。問題は、どこからどう見てもまごうかたなきスペクター・サウンドといえるものができあがるのは、NYではなく、ハリウッドでのことだったという点です。NYのスペクターはまだ試行錯誤をしていたように見えます。

一家を成してからもときおりNYで録音していたようですが、そうしたトラックにとくに見るべきものはないようです。わたしが知るかぎり、重要な盤はすべてハリウッドで録音され、ロネッツのデビュー以後、NYからはスペクターのヒットは生まれていません。

フィル・スペクターがNYで録音した、唯一のヒットらしいヒットであるこの曲(いや、There's No Other Liker My Babyだってチャート・ヒットではあるのだが)では、ゲーリー・チェスターがドラム・ストゥールに坐った、らしいのですが……。シンシア・ワイルとバリー・マン作。

クリスタルズ Uptown


ゲーリー・チェスターはスネアだけでプレイしたようで、キックも入れていないように聞こえます。まあ、プロだから、そんなことでめげたりはしないでしょうが、でも、楽しくもなかったでしょう! それにスペクターの仕事としても、中途半端に感じます。

アルバム・トラックにすぎませんが、つぎはエコーの使い方にスペクターらしさが仄見えるトラックです。

クリスタルズ Gee Whiz


こちらのほうが、のちのスペクター・サウンドにつながる音作りで、チェスターのドラミングも、フィルインとしてではなく、空の小節の基本パターンにタムタムの8分4打を織り込むという、ハル・ブレインがやりそうなスタイルになっています。

クリスタルズ Look in My Eyes


これまたのちにハル・ブレインがロネッツのSo Youngでやったようなドラミングです。いや、おそろしくオーソドクスなドラミングで、似るとか似ないとかいうようなものではありませんが。いちおう、比較対照してみます。

ロネッツ So Young (Hal Blaine on drums)


まあ、オーソドクスなドラミングをしても、ハル・ブレインは派手です。いや、そもそも、途中からオーソドクスとはいいかねるドラミングに変化するのですが!

しかし、このように東西の録音を並べてみると、フィル・スペクターという人は、やはりドラミングに関して明白な好みをもっていたことが伝わってきます。

チェスターの拡大版ディスコグラフィーに書かれているクリスタルズのSeventeenとは、この曲のことでしょう。

クリスタルズ What a Nice Way to Turn Seventeen


これまたLook in My Eyesのようなドラミングで、オーソドクスの極致ですが、しかし、バックビートを叩けたのはラッキー、というのも変ですが、このシリーズをずっとお読みになっている方ならおわかりのように、大昔のドラマーはほとんど仕事をさせてもらえないこともめずらしくなかったのでして、こういう曲はいいほうなのです。

ゲーリー・チェスターのディスコグラフィーにリストアップされているクリスタルズのトラックは、もうひとつ、Frankenstein Twistというのがありますが、これはクリップが見つかりませんでした。手元にはあるのですが、わざわざアップするほどのものでもないので、これは略させていただき、羊頭狗肉フィル・スペクター篇はこれにて完。


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クリスタルズ
Da Doo Ron Ron: the Very Best of the Crystals
Da Doo Ron Ron: the Very Best of the Crystals


ロネッツ
Be My Baby: the Very Best of the Ronettes
Be My Baby: the Very Best of the Ronettes
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by songsf4s | 2011-06-24 22:29 | ドラマー特集
One Monkey Don't Stop No Show その1 夜の部
 
3月20日ここから夜の部に入ります。

ロング・ウォーク完了。不覚にも小さなマメをつくってしまいました。なんか痛いなとは思ってはいたのですが、マメになっているとは思いませんでした。これも地震後、閉じこもっていた影響のようです。

音楽、今宵の一曲目は、タイトルから意味を読み取らないでね、といいたくなるトッド・ラングレン、I Saw the Light。



今日は予定通り、横須賀市阿部倉の勝手に命名「白木蓮街道」に行って来ました。横浜横須賀道路のアンダーパスを境に二分される長い並木で、大楠隧道まで、二百本ほどあるでしょうか。ちょっとした眺めです。低地のほうは満開の木もありますが、横横道路と大楠隧道のあいだは日当たりが悪いので、まだ数日かかりそうです。

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昨日今日、ずいぶんいろいろな花を見ました。柊南天、馬酔木、蕗のとう(花ではない?)、桜、白木蓮、木蓮、辛夷、連翹、木瓜、姫踊子草、犬のフグリ、各種の桜や梅、木五倍子などなど。木五倍子(きぶし)は、なんだかひどく春らしいものに感じます。それから、柳の新芽も強力。

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「気に染まぬ風もあろうに柳かな」

きょうはどういうわけか、むやみにお客さんが多いのですが、原因なんか当てずっぽうもでてこないので、深く考えずに通り過ぎます。なにか気に入らないということであれば、どうぞコメントに。

さて、お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、「まだ原発マッチポイントがつづく夜もロックンロール5」という記事に、バリー・マン&シンシア・ワイルの研究者でいらっしゃるMann-iaさんが、詳細なるコメントを書かれていらして、そろそろそれにお答えしなければいけないと思います。

まず、そのからみでこの曲をどうぞ、ロネッツ、I Wonder。ハル・ブレイン、派手ですぜ。



エコー・チェンバーによるエコー、ないしはリヴァーブは、どのようなことを狙って利用されるか、と考えると、やはり一様の目的で使われるわけではなく、いくつかの効果があるから、深さや、カヴァーする範囲が変化するのでしょう。

たとえば、思いつきでいうだけですが、リヴァーブは、

・ドラマティックなサウンドを構築するため
・「はろばろしさ」をあたえて、この世の外にいる感覚を生み出すため
・ピッチやタイムを不明瞭にして、技術の不足をごまかすため
・声や楽器の音を好ましい響きになるように変形するため

といった用途に使われます。

これはいい曲であるというわけではなく、何度か問題になったので、いちおうクリップを貼り付けるだけです。ロネッツ、Walking in the Rain。



もう一曲貼り付けて、ちょっと中断します。ひげ剃って頭洗わないと。じゃなくて、ロネッツ、You Baby



さて再開。ほんとうに今日はどういう風がどちらから吹いているのか、いずれにせよ強風で、わが家も揺れていますが、当ブログのカウンターもちょっとした騒ぎになっています。ガイガーカウンターだったら大変です。

そういえば、個人でガイガーカウンターをもっていて、USBかなんかでPCにつないで、リードアウトをリアルタイムで流している方たちがけっこういらっしゃるそうですね。不思議な世の中になったものです。それが、はからずも東電の日本国民に対するテロ攻撃のおかげで、にわかに脚光を浴びちゃったのだから、I'm too old for this、目が廻る、といいたくなります。

今日はもうご政道批判、テロ企業攻撃はしないので、どうかお平らに。いや、明日はまたやるでしょうけれど、カウンター増大が不気味で。

いきなり、リヴァーブの話にもどります。では、フィル・スペクターはなんのためにあれほど深くリヴァーブをかけたのか。だれでも答えられる設問ですね。だれも見たことのなかった圧倒的な大空中楼閣を構築し、そのなかでドカーンというドラマを展開して、われわれ客を呆然とさせたかったのです。

ポイントはドラマティズムです。これだけ押さえればフィル・スペクターのことはほとんどわかったも同然、と突然、香具師の口上じみてしまいました。がまの油を売りつける手つきが見えちゃいますな。

さて、Mann-iaさんのコメントの一部を抜き出します。

鶴岡さんの引かれた音源に深く首肯しつつ、
The Ronettesの"I Wonder"や
"I Wish I Never Saw The Sunshine"あたりも加えませんか。

はい。I Wonderは大好きです。まあ、お見通しでしょうが。もちろん、この曲もスターはハル・ブレイン。とりわけ、タムタムとキックの音は圧倒的。ハルは、ゴールドスターのエコーを通ると、自分のキックがどういう音になるか熟知していたにちがいありません。

いや、ジム・ケルトナーは、生のハル・ブレインのキックのサウンドを絶賛していましたがね。なんとかあの音を盗んでやろうとしたが、結局、ハルの音には似せられなかった、と。つまり、あれはラディックのセットの音というより、ハル・ブレインの脚の音だということでしょう。

そして、そのケルトナーがうらやんだthat beautiful bass drum soundは、鉄板エコーを通過すると、かつてだれも聴いたことのなかったドラマティックな音像に変身します。まあ、わかりきった話を言い換えているだけのレトリックにすぎず、すまんことです。

どうであれ、I Wonderでもストップタイムになると、ハルの"脚"音が聞こえるので、そのへんに意識の片足をおいてお聞きになってみてください。

あ、そうだ、忘れていたことを急いで書き添えます。You Babyでドラム・ストゥールに坐ったのは、ハル・ブレインではなく、アール・パーマーです。地味ですが、あれはあれで渋い楽しみのあるドラミングだと思います。

もう一曲、Mann-iaさんご推奨、ロネッツ、I Wish I Never Saw the Suinshine、アゲイン、アール・パーマー・オン・ドラムズ。



ドラムズはアールだというのは推測ですが、ま、大丈夫です。このへんは区別がはっきりつきます。わたしを信じなさい。わたしが、ハル・ブレインではなく、アール・パーマーだというのは、百パーセントの自信があるときです。
で、このドラミングもすごいし、リヴァーブを通ったあとのスネアのサウンドも圧倒的ですなあ。こういうサウンドをイメージした人はやっぱり只者であるはずがありません。

もう一カ所、Mann-iaさんのコメントを引用します。

"You Baby"でも同様ですが、
ダンス系ではなくメロディー系の作曲家Barryの楽曲では、
Halの腕力と脚力の見せ場はそもそも設けづらいでしょう)。


もちろん、そういう風にもいえるでしょう。ただし、穏やかなバラッドだからドラムはやりようがない、ともいえない面があり、ハル・ブレインはとりわけ、奇襲作戦の上手として知られているわけですよ。ビーチボーイズなんか、何度も隙間から攻撃を仕掛けきますし、フランク・シナトラでもやっています。それを今夜のお別れの曲にして、寝不足解消をはかってみます。

フランク・シナトラ、ウィズ・ハル・ブレイン・オン・ドラムズ、Strangers in the Night、スタジオはユナイティッド・ウェスタン、卓についたのはリー・ブラケット。さすがはビル・パトナムのスタジオ、こちらのリヴァーブもちょっとしたものです。

あ、そうそう。ポイントは、シナトラがマイクから離れたとき、ハルがどういう振る舞いに出るかです。こういう外角のボールの出し入れは、いかにもハル・ブレイン、感服します。パアなロック・ドラマーと決定的にちがうのは、こういう自己主張と気遣いの鋭敏繊細なバランスのとり方です。



これは何度も書いていますが、ハル・ブレインはこの曲でのドラミングに回想記でふれています。「Be My Babyビート」をベースに、ちょっと味付けを変えてみた、と。おわかりですな、両方のビートの共通点は。

では、おやすみなさい。
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by songsf4s | 2011-03-20 18:38
まだ原発マッチポイントがつづく夜もロックンロール5
 
今日も一日二回発行、ここから夕刊に入ります。

もっと早く復帰のつもりでしたが、3.11以来、カメラがほったらかしで、メモリーが半分ほど埋まってしまったため、停電から回復後、全部吸い出し、整理していました。

こう、なんというか、3.11以後、頭の働きが早くなったり、遅くなったり、不整脈のような状態にあるのを感じます。いまは遅くて、なにも音楽が出てこず、あらあら、ついに枯渇か、です。

このあいだながながとやった、ゴールド・スター・スタジオの黄金の遺産特集は、リアルで存じ上げているMann-iaさんの「Gold Star Studio録音音源のbest 'bout'というと、鶴岡さんにとっては誰のどんな曲になりましょうか?」というコメントに対する反応として書いたものです。

毎夜毎夜の定期便、今夜はちょっと嫌な揺れが2回でした。

気を取り直して、ゴールド・スターの話に戻ります。わたしのバラマキ選曲を見て、Mann-iaさんは、設問をもう少し絞り込まれました。以下、Mann-iaさんのコメントを抜書き。

それでも、「楽曲・演奏・アレンジなどが水準以上、
なおかつスタジオ特性の顕著なものは?」と、
精確にお尋ねすべきであったのかな、とも思います。
あるいは、「"Waking In The Rain"は、彼らが挙げるように、
他の(Mann-Weilの)レコーディング・ソースに抜きん出て、
echo chamberの効果をより強く感じられますか?」と、
絞り込んでお訊きすべきだったのかもしれません。


Walkin' in the Rainについては、コメントへのレスにも書きましたが、そもそも、昔から嫌いで、めったに聴かないため、記憶に残っていません。雷鳴がリアルですごい、とゴールド・スター・スタジオのエンジニア、ラリー・レヴィンの技術を賞賛するにとどめておきます。サウンドについては、ハル・ブレインがつまらなそうに、スティックのティップだけで叩いている、聴いているほうも退屈する、といったところです。躍動感のないハルなんて、聴かないほうがいいでしょう。

ゴールド・スターがフィル・スペクターのフランチャイズとなり、その結果、多くのプロデューサーをひきつけることになった最大のアトラクションは、拡張の際に2本増設され、合計で4本を直列で利用できるようになったといわれる(確実な典拠なし)EMI製のプレート・エコー(下水道菅のようなものの内部に鉄板をぶら下げてあり、このなかに音を通すと、鉄板が共鳴する)です。

キャロル・ケイさんが書いていらしたことですが、すごく狭いスタジオで、拡張したとはいえ、エコーを増設するほどの余裕はなく、エコー・チャンバーの一本は婦人用トイレに食い込んでインストールされたそうです。エコーをよけなければ用を足せなかった、と(笑)。

さて本題。このエコーがもっとも印象的に使われ、なおかつ、音楽総体として好ましいものはなにか? 三曲あげたいと思います。ひとつはすでに貼りつけたものです。



ほんとうはできるだけいい環境で、馬鹿でかい音で聴いて判断していただきたいのですが、わたしがそういう環境でスペクターのカタログを片端から聴いた(もちろんアナログ、真空管アンプ)ときに、ドッヒャー、なんだこれは、とひっくり返ったのはこの曲。クリスタルズのSanta Claus Is Coming to Town



当家の長年のお客様ならすでにおわかりでしょうが、わたしがここで問題にしているのは、ハル・ブレインのプレイとサウンドです。ゴールド・スターのスタジオAという箱と4連プレート・エコーを「鳴らす」ことができたのは、ハル・ブレインただひとりかもしれない、と思うときがあります。

ハルがどれほどゴールド・スターのプレート・エコーと相性がよかったかは、つぎのトラッキング・セッションにおける、「ドライな」(エコーがない)サウンドをお聞きになればわかります。



というように、ハル・ブレインの技術はドライなほうがよく伝わりますが、あの神話的な「サンダラス・サウンド」ではなく、いたって下世話な「そこにある音」に聞こえます。

ご存知でしょうが、わたしは「天才」と「傑作」を準禁句にしています。でも、この人だけはなあ、というのが何人かいます。フィル・スペクターもそのひとりです。素人衆とは異なり、職業的訓練の結果として、わたしは慎重に言葉を選ぶ傾向があるのですが、そうじゃなければ、いつだって「天才フィル・スペクター」の「大傑作」などとアホないい方を平気で使っただろうと思います。

でも、彼には「肉体」はありませんでした。音楽は最終的に肉体の躍動を必要とします。スペクターがいくら夢想しても、それをじっさいの波動として表現しうる圧倒的な肉体と技術の持ち主が必要だったのです。

鉄板エコーを四つつなげたらどうだろうと思ったエンジニア兼経営者もすごいし、これは使える、これで俺の音が作れると思ったプロデューサーも、不世出の名匠です。でも、ハル・ブレインという、カリフォルニアを体現するようなキャラクターと、圧倒的な腕力、脚力、そして音楽的センスをもったドラマーがこのコンビネーションに加わることによって、はじめて「あの音」が誕生しました。

もう一曲、ハル・ブレイン、フィル・スペクター、ラリー・レヴィン、ゴールド・スター・スタジオという組み合わせだけにできる圧倒的なサウンドを聴きます。



フィル・スペクターは、ハル・ブレインに、いつか、フェイドアウトだけを集めたアルバムを作ろう、といったそうです。じっさいにそういうものを作りたいという意味ではなく、ハルのフェイド・アウトが大好きだったという、彼の賞賛の念を、ジョークとして表現したのでしょう。

いろいろ貼り付けましたが、エコーの残響がどうだといったことは、一定以上のシステムで、それなりの音量で鳴らさないとわかりません。はっきりいって、ユーチューブのクリップなんかをPCスピーカーで鳴らしてもわかりはしません。ご自分の盤を聴きなおして確認していただけたらと思います。

もう少し補足説明があるのですが、本日は力尽きました。
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by songsf4s | 2011-03-17 21:55