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ボビー・ヴィーのひとり2パート・ハーモニー
 
前回まで、19回にわたって長々と続いた「大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー」シリーズで、最後までもやもやしていた、

「エヴァリーズのストレートなハーモニーが、なぜ初期ブリティッシュ・ビートのイレギュラーなハーモニーに化けたか」

という問題について、最後の最後に、この人を忘れていたと、クリップを貼り付けておいた。その後、やはりこれがミッシング・リンクかもしれない、という気がしてきた。いや、気がしなくもない、ぐらいだが。

Bobby Vee - Rubber Ball


これは日本でもリリースされた。それどころか、わが家にもこのシングルはあった。とりたてて音楽ファンでもない愚兄が買ってきたほどなので、それなりに人気があったのだろう。

東芝音工がリバティーの配給権を得て最初にリリースした盤の一枚だった。マトリクスはLib-0006といった感じの、恐ろしく若い番号だった。そして赤盤だった。

プロデューサーはスナッフ・ギャレット。この当時のギャレットのチームはほぼ固定されていて、この曲のクレジットはわからないものの、レギュラー・メンバーを書いておく。

アレンジ、ピアノ、指揮……アーニー・フリーマン
ドラム……アール・パーマー
ベース……ジョージ・“レッド”・カレンダー
ギター……ハワード・ロバーツまたはジョー・メイフィス

使用コードは、A、D、E、F#mの4種のみ、シンプルなコード進行だが、ハーモニーは、おや、と耳を引っ張る。

コーラスから入るShe Loves You型で、その部分の音程を以下に書いた。上から歌詞、メロディー、ハーモニーの順。例によって音程の細かいことは気にしないでいただきたい。あとで説明する。

Rubber ball, I come bouncin' back to you,
Db-B-A-A-E-F#-A-Ab-B-A
E-D-Db-Db-Db-D-D-E-D-Db

メロディーはDbから下のEまで大きく上下しているのに対して、ハーモニーは上のE、D、Dbという、接近した3音のわずかな高低差を行き来しているだけだ。

メロディーに対して3度の音、たとえばCメイジャーなら、ルートのドとミの関係や、5度の音、つまりソというように、3和音を構成する音で、メロディーに対して平行に移動するハーモニー・ラインをつくると、きれいな、とがったところのない音になる。

ひとりでギターのコード・プレイをすると、運指の関係で、平行した音の流れになるのがふつうなので、そのような響きになる。

季節はずれなのだが、典型的なギターのコード・プレイを、と考えて、とっさに思い浮かんだのが以下の曲だったので、あしからず。

ご存知の方も多いだろうが、ヴェンチャーズのツアー・メンバーは60年代にはスタジオではあまりプレイしなかった。このアルバムのリード・ギターはトミー・オールサップという説が有力。また、ドラムについては、フランク・デヴィートがそのオフィシャル・サイトで、みずからのディスコグラフィーにリストアップしている。

The Ventures - White Christmas


こういうなだらかなものが、歌のハーモニーでも圧倒的な多数派を占めている。だからこそ、ピーター&ゴードンや大滝詠一のような、メロディーに対して、3度なら3度、5度なら5度の同じ間隔を保つ動き方から逸脱したハーモニー・ラインは、おおいに目立ち、われわれの耳を引っ張る「質」を獲得することになる。

ボビー・ヴィーに戻る。

Rubber Ballはボビーにとって通算で5枚目のシングルであり、前作Devil or Angelにつづくトップ10ヒットになった。

では、このようなハーモニー・スタイル、つまり、1)ひとりで多重録音し、2)変則的なハーモニー・ラインをフックとして利用するスタイルは、いつ生まれたのか? じつは、このRubber Ballでのことだった。

その直前のDevil or Angelにも、部分的に2パートが出てくるのだが、変則的ハーモニー・ラインではないし、多重録音ではなく、バックグラウンド・シンガーがハーモニーを歌っている。

ちょっと面白いミックスの仕方で、Rubber Ballへの助走になった気配もあるし、スナッフ・ギャレットのプロダクション・テクニックもうかがえるので、クリップを貼り付ける。

Bobby Vee - Devil or Angel


ときおり、ハーモニー・シンガーのひとりが、ボビーの相方にまわり、すぐにまたコーラス集団に戻るというスタイルで、めったにお目にかかれるやり方ではない。

思うに、スナッフ・ギャレットは、なにか耳を引っ張るハーモニーを探し求めて、アレンジャーのアーニー・フリーマンに、アイディアを出せと云ったのではないだろうか。

ギャレットは、俺は音符なんかひとつもわからん、と公言する人間で、自分でなにかする気遣いはないのだから、誰かスタッフがやったにちがいない(いや、それでいながらヒットを連発し、リバティー・レコードの屋台骨を支えたのだから、プロデューサーの鑑なのだが)。

そして、つぎのシングルで、コーラス部の変則ハーモニーが誕生するわけだが、なぜ変則的になったのか。それはたぶん、メロディーの動きが大きいうえに、テンポが速めなので、平行して動かすと、忙しくて癇にさわるハーモニーになってしまったからだと想像する。

では、そのあとはどうなったか? Rubber Ballのつぎのつぎのシングル。

Bobby Vee - How Many Tears (1961)


多重録音によるひとり2パート・ハーモニーはボビー・ヴィーのトレイドマークになり、彼は長いあいだこのスタイルをつづけることになる。

しかし、イレギュラーなラインはどうかというと、ざっと聴き直したかぎり、あまり見あたらない。採譜する余裕がないのだが、このHow Many Tearsも、おおむね平行なラインで歌っているように聞こえ、変則的な響きはない。

そのつぎのシングルはジェリー・ゴーフィン=キャロル・キングの代表作。アール・パーマーのスネアのツツシャカ・プレイをお楽しみあれ。ピアノとストリングスのコンビネーションはアーニー・フリーマンの署名アレンジ。

Bobby Vee - Take Good Care of My Baby


ゴーフィンの歌詞といい、キングの曲といい、この(元)夫婦はまさしくアメリカを代表するソングライター・チームだったな、と納得する楽曲で、ビルボード・チャート・トッパーも当然といえる。

アーニー・フリーマンのアレンジなのか、ボビーのハーモニーの「出し入れ」もみごとで、素晴らしいシングルだと思うが、「出し入れ」そのものがやや変則的なだけであって、ラインはノーマルに聞こえる。

この曲は、ボビー・ヴィーの代表作としてではなく、有名な四人組がうまくできなかった曲として記憶されることになる。

The Beatles - Take Good Care of My Baby


どういうわけか、このころのビートルズはジョージをフロントにしていて、この曲もジョージがリード、ハーモニーがポールで、ジョンはまったく歌っていない。ジョンの曲だろうに、と思うのだが。三人の声を聴いて、ジョンを中心にする、と決定したのはジョージ・マーティンだった。

いや、それはべつの話。だいじなのは、ビートルズが、パーロフォンからのデビュー前に、すでにボビー・ヴィーをカヴァーしていたという、その事実のほうである。

いや、これがRubber Ballだったら、初期ブリティッシュ・ビートの変則ハーモニーの淵源はボビー・ヴィーである、と断言するのだが、ストレートなハーモニーのTake Good Care of My Babyなので、うーん、可能性はあるのだが、と言い淀んでしまう……。

参考までに、このころ、ボビー・ヴィーの強い影響下で、同じように、ひとりでヴォーカルを重ねて2パート・ハーモニーをやった日本のシンガーの曲をおく。映画から切り出したもので、音質は並。

サンプル 加山雄三「ブーメラン・ベイビー」映画用多重録音2パート・ハーモニー・ヴァージョン

この曲の背景その他については、「加山雄三「ブーメラン・ベイビー」映画ヴァージョン(東宝映画『海の若大将』より)」という記事に書いたので、気になる方はそちらをご参照あれ。

さて、またまたボビー・ヴィーに戻る。

もう数曲、スナッフ・ギャレットが組んだチームの素晴らしい音作りと、ギャレットが選んだ楽曲、そしてボビー・ヴィーのハーモニーを。つぎは、やや変則的な味があるが、あくまでも「やや」である。ブリッジにご注意。

Bobby Vee - Please Don't Ask About Barbara


つづいてもボビーの代表作。アーニー・フリーマンのアレンジとアール・パーマーのドラミングがおおいに魅力的。むろん、ダブル・トラック・ヴォーカルもやっている。なお、この曲ではハル・ブレインがティンパニーを叩いた。

Bobby Vee - The Night Has a Thousand Eyes


つぎはヒット曲ではないのだが、楽曲も、ボビーの歌も、アレンジも、アールのドラミングもなかなか魅力的で、埋没させるには惜しい出来。

Bobby Vee - Bobby Tomorrow


もうひとつ、つぎも同様の、目立たないが、あたくし好みの佳曲。たぶんコード進行のせいだろうが(デイヴ・クラークのBecauseのようにオーギュメントや「その場でマイナー」を使っている)、ちょっと変則的に響くハーモニーもあって、余裕ができたら採譜してみたい曲だ。

Bobby Vee - A Letter from Betty (1963)


例によって、明快な結論はない。イエスと思えばイエスのような気がするし、なんとも言い難いといえば、そのとおりで、いやはやである。

わたし自身はといえば、初期ブリティッシュ・ビートの誰かが、いつもとはちょっと違う、ひねりのきいたハーモニーをやりたいと思った時は、ボビー・ヴィーのRubber Ballを思いだして、ああ、ああいう感じでやってみよう、とイメージしたのだと想像している。


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by songsf4s | 2014-01-26 23:21 | ハーモニー
続Q&Aソングス ゴーフィン=キングの自己レス・アンサー・ソング He Takes Good Care of Your Baby
 
以前、べつのブログで「Q&Aソングス」というシリーズをやったことがあります。そのときには、Answer to Everything: Girl Answer of the 60sというアンサー・ソング集を使ったのですが、最近、またこの種のコンピレーションを見かけたので、どういう選曲なのか、ちょっと覗いてみることにします。

例によって知らない曲がたくさんあるのですが、へえ、といったのはこの曲。本歌と同じく、ジェリー・ゴーフィンとキャロル・キングの共作です。

Carol King - He Takes Good Care of Your Baby


メロディーは原曲のママ、タイトルも原曲のもじりになっているので、たいていの方がすぐに本歌がおわかりでしょう。ボビー・ヴィーの大ヒット曲。山ほどクリップがあるのですが、音の悪いものばかりで、やっとみつけた許容できる音質のものを貼りつけます。

Bobby Vee - Take Good Care of My Baby


もう冒頭の数打でアール・パーマーとわかってしまうほど、どこからどうみてもアールのスネア・ワーク、時代を築いたサウンドです。1963年には、わが家でもこのスネアが毎日のように聴かれていました。って、あたしがかけていたのですが。

この時期のボビー・ヴィーのアレンジャーはアーニー・フリーマン、たいていの場合、彼自身がピアノを弾きながらストリングスをコンダクトしたそうです。この曲も、ストリングス・アレンジメントに心惹かれます。

ボビー・ヴィーの回想によれば、ベースはしばしばジョージ・“レッド”・カレンダー、ギターはハワード・ロバーツかバーニー・ケッセルがプレイしたそうです。オーヴァー・スペックといいたくなるようなメンバーです。しかし、ハリウッド音楽界では、こういう「スペック」はいたってノーマルでした。

この豪華なボビー・ヴィー盤にくらべると、キャロル・キングのセルフ・アンサー・ソングは、バッキングは彼女のピアノのみ、わずかにヴォーカルをダブル・トラッキングしていることだけが色づけです。

むろん、これはデモだったのでしょう。調べるとDora Dee & Lora Leeというデュオらしきアーティストの名義によるHe Takes Good Care Of Your Babyがリリースされたことがあるようです。

さて、アンサー・ソングというのは、たいていの場合、メロディーは原曲のものを流用します。違いは、当然ながら、歌詞にあらわれます。まずは原曲、Take Good Care of My Babyの歌詞から。

My tears are fallin'
'Cause you've taken her away
And though it really hurts me so
There's somethin' that I've got to say

Take good care of my baby
Please don't ever make her blue
Just tell her that you love her
Make sure you're thinkin' of her
In everything you say and do

Oh, take good care of my baby
Now don't you ever make her cry
Just let your love surround her
Paint a rainbow all around her
Don't let her see a cloudy sky

Once upon a time
That little girl was mine
If I'd been true
I know she'd never be with you

So, take good care of my baby
Be just as kind as you can be
And if you should discover
That you don't really love her
Just send my baby back home to me

Well, take good care of my baby
Be just as kind as you can be
And if you should discover
That you don't really love her
Just send my baby back home to me

Oh, take good care of my baby
Well, take good care of my baby
Just take good care of my baby

というわけで、ちょっと浮気のようなことをしたばかりに、愛する女性を失うことになった男が、彼女の新しいボーイフレンドに、「俺のベイビーを大事にしてくれよ、お願いだから彼女を悲しませたりしないでくれ」と訴える、いかにもジェリー・ゴーフィンらしい、すぐれたセントラル・アイディアをたくみに展開するストーリーです。

あまり時間がないのですが、コピーしてもってこられるものもないので、自前でやるしかなく、特急でHe Takes Good Care of Your Babyの歌詞を聞き取ります。やっつけ仕事なので、誤脱はご容赦願います。簡単な英語なので、ご自分で修正できるでしょう。

タイトルからおわかりのように、こちらは女性のほうが、かつてのボーイフレンドに語りかける形になっています。まずは前付けヴァース。

Your tears were fallin'
When he took me away
But darlin' now I'm cryin' too
And there's somethin' that I have to say

というように、原曲にほぼ一対一対応させてあります。まあ、当然、そうでなければいけないところです。ここで明かされるのは、別れるときにあなたが泣いたけれど、いまはわたしが泣いている、という、オヤオヤな現状ですw

つづいてファースト・ヴァース。

He takes good care of your baby
He never ever makes me blue
Though he's thinking of me
And always says he loves me
I can't help wishing it were you

これも原曲のファースト・ヴァースに対応させてあります。あなたが頼んだとおり、彼はわたしのことを大事にしてくれているわよ、でも、愛しているといわれるたびに、彼ではなく、あなただったらよかったのに、と思ってしまうの、という、いまのボーイフレンドはもうぜんぜん立場がないという、オイオイな展開です。

セカンド・ヴァース。ここからが、天下のジェリー・ゴーフィンの本領発揮です。いっておきますが、あたしは、キャロル・キングなんかよりはるかにジェリー・ゴーフィンのほうが好きなのです。

He takes good care of your baby
But ever since we said goodbye
When he puts his arms around me
Memories of you surround me
And darling I can't help but cry

ここは本歌の踏まえ方が一段、高度になっています。2行目は本歌「Just let your love surround her」→アンサー「When he puts his arms around me」、3行目は「Paint a rainbow all around her」→「Memories of you surround me」というように、surroundとaroundの置き場所を入れ替えてあるのです。

さすがはジェリー・ゴーフィン、ただ語り手を男から女へと替えるだけでなく、ふたつの曲を横断して詩の形式美も追求するという力業を披露しています。こういうところがこの人の才能であり、キャロル・キングが一山いくらの凡人に見えるほどの世紀の大ソングライターだったと考える所以です。

つづいてブリッジ。

When you were untrue
I said goodbye to you
But darling can't you see
You let me go too easily

あんなに簡単にあきらめることはないじゃない、となじられた男はまた泣いちゃうでしょうな。それにしても、いまのボーイフレンドがなんとも可哀想な展開ですw

ラスト・ヴァース。

He takes good care of your baby
Just like you wanted him to do
He tries to make me happy
But how can I be happy
When my heart knows
I'm still in love with you

技術的にはみごとなもので、ジェリー・ゴーフィン作品として恥ずかしくない仕上がりです。一度はあきらめた彼女にこんなことをいわれたら、男としては矢も楯もたまらない気分になるでしょう。

さりながら、あたくしは年寄りなので、いろいろな男女関係を見てきたわけでして、こういうケースでは、はからずもよけい者となってしまった男のほうにシンパシーがわきます。おまえら、勝手に別れて、勝手に縒りを戻そうとしやがって、それが人の道か、などと道学者じみた言葉が喉元まで迫り上がってきてしまうわけですな。

まあ、所詮、フィクションのなかの他人の色恋、ほうっておくことにして、本歌のほうのカヴァーを貼りつけましょう。

まず、いまやTake Good Care of My Babyのもっとも有名なヴァージョンになりつつあるこの人たちのものを。

The Beatles - Take Good Care of My Baby


うーむ。べつに悪いとはいいませんが、ジョージがリードですし、あの時代のビートルズですから、ハリウッドの精鋭がプレイしたボビー・ヴィー・ヴァージョンと比較しては失礼でしょう。いまだから、逆算して、魅力があるように錯覚するだけです。この曲を歌うならジョンでしょうに。

そろそろ時間切れ、つぎのヴァージョンでおしまいにします。

Dion & The Belmonts - Take Good Care of My Baby


ふたつ聴いて、ボビー・ヴィーのヴァージョンのレベルの高さを深く噛みしめました。アール・パーマーがいることのすごさ!


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ボビー・ヴィー
Very Best of Bobby Vee
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キャロル・キング
Brill Building Legends
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by songsf4s | 2012-02-09 23:59 | 60年代
追悼 ジョニー・オーティスとR&Bの誕生
 
今朝、起きる早々、ジョニー・オーティスの訃報を読みました。R&Bが誕生した場所は一カ所に限定することはできませんが、LAのR&B、現在ではセントラル・アヴェニューR&Bといわれているものに関するかぎり、ジョニー・オーティスは生みの親のひとりといっていいでしょう。

以前、オーティスのキャリアをまとめたことがあるので、それをここに貼りつけるつもりですが、そのまえにすこし音を聴きます。まずは、もっとも人口に膾炙したジョニー・オーティス作の曲から。

The Johnny Otis Show - Willie and the Hand Jive


3コードでグルーヴのほうに眼目があるという、いかにもドラマーが書きそうな曲です。典型的なボー・ディドリー・ビートで、当然ながら、ご本尊のボー・ディドリーもカヴァーしています。

でも、そちらは当たり前すぎて面白くないので、べつのカヴァーを。このバンドについてはなにも知りません。検索で遭遇しただけです。

Moongooners - Willie and the Hand Jive


うちのHDDを検索すると、ヤングブラッズ、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ、グレイトフル・デッド、ニュー・ライダーズ、ジョニー・リヴァーズほかのヴァージョンがあります。

以下にペーストするのは、以前、某書肆の求めに応じて書いた、『音楽都市ハリウッドの黄金時代――ヒット曲はいかに「製造」されたか』と題した、ハリウッド音楽史の草稿の、ジョニー・オーティスの節です。

その後、先方の事情が変わって、いまだ上梓には至っていません。したがって、再利用ではありますが、未発表のテキストです。

それでは、『音楽都市ハリウッドの黄金時代――ヒット曲はいかに「製造」されたか』の「第一章の4 セントラル・アヴェニューに帰る」より。


▽ジョニー・オーティス――ジャズからR&Bへ
 一九四〇年代、五〇年代にあっては、ジャズとリズム&ブルースの境界は後年ほど明確ではないし、プレイヤーも両分野を横断して活動していることが多い。コード・チェンジを無視するので使いものにならなかったらしいが、オーネット・コールマンですらR&Bバンドでツアーをしたという。
 セントラル・アヴェニューはカリフォルニアのジャズの揺籃だっただけでなく、R&B誕生の地とされることもあるほどで、ここでもジャズとR&Bは深く交叉していた。リズム&ブルースというのは「ビートを強調した都市のブルース」であると同時に、「リズム・パターンとコードを単純化したジャズ」と見ることもできるのだ。
 ジャズ・プレイヤーとして出発しながら、R&Bの分野で活躍した人は、たとえばビッグ・ジェイ・マクニーリー、ジョー・リギンズ、ロイ・ミルトン、ジュウェル・グラント、ジョニー・オーティスなどをはじめ、枚挙にいとまがない。ジャズ・プレイヤーの側から見ると、R&B(そしてポップ)は「できるか否か」ではなく、「やるつもりがあるか否か」の問題だった。その気さえあれば、技術的には問題なくプレイできたのである。ただし、オーネット・コールマンはこのかぎりにあらず、だが!
 セントラル・アヴェニューR&Bの興隆を側面から促したのは、戦中戦後につぎつぎと生まれた、アラディン、モダン、スペシャルティー、インペリアルといったLAの独立レーベルである。こうしたレーベルはロイ・ミルトン、ジョー・リギンズ、エイモス・ミルバーン、リトル・エスター・フィリップス(のちに「リトル」がとれて、ジャズに転ずる)などなどのアーティストを発掘し、ヒット曲を生み出した。
 独立レーベルがR&Bに群がったのは、単純な理由による。クラシックはもちろん、白人のポピュラー音楽も、昔から大手レーベルが押さえていた。しかし、「レイス・ミュージック」と見下されていた黒人の音楽は、「小銭稼ぎ」にしかならないと考えられ、また「レイス」という言葉が示すように、人種差別もあったため、大手がまだ買いあさっていなかったのである。だから、新興独立レーベルがこの「食べ残し」に集まったのだ。
 残念ながら、エルヴィス・プレスリーの登場が巻き起こしたロックンロール・ブームの時期に、この分野の大スターが輩出しなかったため、LAがR&Bの中心地であったことは見過ごされがちだが、この時代に胚胎した芽は、のちに大きく開花することになる。四〇年代、五〇年代のセントラル・アヴェニューR&Bが、六〇年代ハリウッド・ポップの苗床のひとつであったことはまちがいないのである。
 ドラマー、ヴァイブラフォン奏者、クラブ・オーナー、DJ、プロモーターとして活躍し(さらにいえば、近年は画家であり、クック・ブックを出版した料理人でもある)、〈ウィリー&ザ・ハンド・ジャイヴ〉(Willie & The Hand Jive)のライターとして知られるバンドリーダーのジョニー・オーティスは、第二次大戦中のビッグ・バンドの時代にキャリアをスタートし、スタン・ケントン、イリノイ・ジャクェー、レスター・ヤングなどのバンドでドラムを叩き、やがて独立して自分のバンドをもった。
 戦後、ビッグ・バンドが経済的に立ちいかなくなると(カウント・ベイシーやデューク・エリントンですら苦しくなったという)、4リズムに、トランペット1、サックス2、トロンボーン1という小編成のバンドに組み直した。現代のわれわれにはいたってノーマルな編成に思えるが、オーティスにとっては、これは「押しつぶされたビッグ・バンド」であり、コードにテンションをつけられる最低限の編成だった。
 オーティスはいち早くR&Bへとシフトして、この時期に〈ハーレム・ノクターン〉Harlem Nocturnのヒットを得た(このスロウ・ダウンしたオーティス・ヴァージョンが世界中のストリッパーに利用されることになる)。このときのメンバーにはカーティス・カウンスやビル・ドゲットがいた。


Johnny Otis - Harlem Nocturne


 オーティスは、R&B興隆の理由を、ビッグ・バンドが経済的に立ちいかなくなったことにあるとしている。四管編成では、ビッグ・バンドの豊かなアンサンブルに敵するはずもなく、いきおい、ひとつひとつの楽器の音を大きくせざるをえなくなり、それまではコードを弾くだけだったギターもソロをとるようになって、自然にワイルドな音に向かっていったのだという。
 一九四八年、オーティスはセントラルに接するワッツ地区に、「バレル・ハウス」というクラブを開いた。このクラブの出演者を選び、アマチュア・ナイトを開くうちに、オーティスはタレント・スカウトとしての才能を発揮するようになり、リトル・エスター・フィリップス、ハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズ、ジャッキー・ウィルソンなどを見いだして、レコーディング契約をとり、独立プロデューサーとして録音をおこなった。


同じ章のべつの節から引用します。


 一九五二年、ジョニー・オーティスは、若いソングライター・チーム、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーに、彼がプロデュースしていたウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントンのために曲を書くように依頼した。そして生まれたのが、〈ハウンド・ドッグ〉Hound Dogだった。この曲が永遠の命を獲得するのは、五六年にエルヴィスがカヴァーしてナンバー1ヒットになったおかげだが、ビッグ・ママのオリジナルも、五三年にR&Bチャート・トッパーになっている。
(中略)
 リーバーとストーラーは、ビッグ・ママの〈ハウンド・ドッグ〉セッションで、はじめてプロデュースの真似事をした。ジョニー・オーティス・バンドのドラマーが気に入らず、二人がドラマーでもあるオーティスにストゥールに坐るように頼み、かわってリーバーがブースから指示を出すことになったのである。史上初めて、盤にプロデューサー・クレジットを明記されたといわれるチームの、A&Rとしての初仕事だった。


ということで、そのウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントンのクリップを。

Willie Mae Big Mama Thornton - Hound Dog


史上初めて盤にProduced byというクレジットを入れたといわれるジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのプロデューサー・チームが、はじめて事実上のプロデュースをおこなった盤であり、ジョニー・オーティスがドラム・ストゥールに坐った、というオマケもつき、最後に、エルヴィス・プレスリーのビルボード・チャート・トッパーというとどめがあるのだから、なんともはや、じつににぎやかなことです。

エルヴィスのカヴァーだって、クリーンとはいえず、ナスティーであったのがヒットの理由のひとつでしょうが、オリジナルになると、一段とナスティー度が高く、すげえな、と思います。まあ、日本ではあまり好まれないタイプのサウンドですが。

ジョニー・オーティスの歴史的重要性は、彼自身のバンドのパフォーマンスより、上述のように、セントラル・アヴェニューにバレルハウス・クラブを開き、多くの才能を見いだしたこと、また、週末のダンス・ナイトで彼らに活躍の場を与え、R&Bの勃興をうながしたことにあります。

それを確認、強調しておいたうえで、さらにいくつか音を並べます。

Johnny Otis - Ain't Nuthin' Shakin'


この時期のジョニー・オーティスのシンガーはだれかわかりませんが、さすがはセントラルにこの人ありといわれた伯楽、なかなかけっこうなレンディションです。むろん、バンドのパフォーマンスも味があります。

ギターが非常に魅力的なプレイをしていますが、調べてみると、知らないプレイヤーでした。jazzdisco.orgのサヴォイ・レコード・ディスコグラフィーの該当項目をコピーします。

Johnny Otis And His Orchestra
Lee Graves, Don Johnson (tp -2/5) George Washington (tb -2/5) Lorenzo Holden, James Von Streeter (ts -2/5) Walter Henry (bars) Devonia Williams (p) Gene Phillips (Hawaiian g -2/5) Pete Lewis (g) two unknown (g -1) Mario Delagarde (b) Leard Bell (d) Little Esther, Redd Lyte, Junior Ryder (vo -2/5) The Robins: Ty Terrell (tenor vo) Roy Richards, Billy Richards (baritone vo) Bobby Nunn (lead bass vo) (vocal group -2/5) Johnny Otis (dir -1, vib, d -2/5)
Los Angeles, CA, November 10, 19491. SLA4443 Boogie Guitar Savoy SJL 2230
2. SLA4444-3 Ain't Nothin' Shakin' Savoy 731
3. SLA4445 There's Rain In My Eyes Savoy 752, SJL 2230
4. SLA4446-1 Hangover Blues Savoy 787; Regent 1036; Savoy SJL 2230
5. SLA4447-2 Get Together Blues Savoy 824

ということは、この曲のヴォーカルはジュニア・ライダー、ギターはピーター・ルイス(といっても、むろん、モビー・グレイプのピーター・ルイスではない。あちらはこの曲が録音された1949年にはまだ四歳!)ということのようです。

ジョニー・オーティスのプロデューサーとしての代表作はこれではないでしょうか。エタ・ジェイムズもオーティスが世に送り出したシンガーのひとりです。ジョニー・オーティス、ハンク・バラード、エタ・ジェイムズの共作。

Etta James - Wallflower (Roll with Me Henry)


あたしと転がろうよ、ヘンリー、というタイトルが示すように、セックスの暗示が強すぎて問題になった曲ですが、続編やらアンサー・ソングやら、いろいろなものが生まれて、R&B勃興記を代表する楽曲のひとつとなりました。

1950年代後半、ジョニー・オーティスはキャピトルと契約します。白いものばかりつくっていたキャピトルが、黒っぽい方面の音がほしくなり、少なくともバンド・リーダーは黒人ではないジョニー・オーティス・ショウは、このレーベルに好都合だったからではないでしょうか。

キャピトル時代のジョニー・オーティスの録音では、しばしばアール・パーマーがドラム・ストゥールに坐りました。ギターがジミー・ノーランであったり、サックスがジャッキー・ケルソーであったりと、なかなか興味深い名前が並んでいます。

Johnny Otis - Good Golly


大丈夫、これはアール・パーマーのプレイにちがいありません。ジョニー・オーティスはドラマーとして出発しますが、のちにはしばしばヴァイブラフォーンをプレイしています。この曲にはヴァイブが入っているので、オーティスはそちらをプレイしたのでしょう。

人生、いろいろあるので、赤の他人に簡単にまとめられたくはないでしょうが、回想記も読んだ人間としては、結局、死の床で、面白かったなあ、もうちょっと遊びたかったなあ、とつぶやいたのではないか、と想像します。精一杯、楽しむだけ楽しんだ九十の大往生だった、と傍目には思えます。

ジョニー・オーティスに合掌。


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ジョニー・オーティス
Midnight at the Barrelhouse: 1945-57
Midnight at the Barrelhouse: 1945-57


ジョニー・オーティス
The Greatest Johnny Otis Show
The Greatest Johnny Otis Show


ジョニー・オーティス
The Capitol Years
The Capitol Years


ウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントン
Ball N' Chain
Ball N' Chain


エタ・ジェイムズ
Complete Modern & Kent Recordings
Complete Modern & Kent Recordings


書籍
Midnight at the Barrelhouse: The Johnny Otis Story
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by songsf4s | 2012-01-20 23:57 | 追悼
ファー・モア・ザン・ノー・ヒット――ワン・ヒットで悪かったな2
 
昨日のつづきで、さらにワン・ヒッターを並べます。今日は鎌倉に行き、福禄寿、弁財天、恵比寿、と三福神もまわってしまったので、残り時間は僅少。なにも考えずに、曲を並べます。

スティーヴ・マクウィーンが売れないシンガーになる、えーと、邦題失念映画の主題歌。

Glenn Yarbrough - Baby The Rain Must Fall


ハル・ブレインは、グレン・キャンベルといっしょにこの映画に出演し、スティーヴ・マクウィーンがバーで歌うシーンのバックバンドのメンバーを演じています。

しかし、アール・パーマーの伝記に付されたディスコグラフィーにこの曲はリストアップされています。結局、ハルは映画に出演しただけで、ドラムは叩かなかったようなのです。考えてみると、奇妙ですが、撮影と録音はべつべつにおこなわれるので、まあ、当たり前といえば当たり前。

また、ビリー・ストレンジ御大は、たしか、マクウィーンの歌のスタンド・インをやったのだったと思います。つまり、スティーヴ・マクウィーンは歌わず、彼が歌うシーンでは、ビリー・ストレンジさんの声が流れたということです。いや、主題歌はグレン・ヤーブロウなので、ビリー・ストレンジ御大ではありませんよ。

この人も、後にも先にもこれしかヒットがなく、その唯一のヒットがチャート・トッパーになった「純金のワン・ヒッター」です。バリー・マグワイアがフィル・スローンを歌います。

Barry McGuire - Eve of Destruction


この曲の邦題ぐらいはいくらなんでも覚えていたのですが、いよいよ脳軟化か、しばらく考えてしまいました。「明日なき世界」、でしたよね? 自信なし。あはは。

ドラムは当然ながらハル・ブレインです。フィル・スローンは、いくらまじめな歌詞を書いても、隠しても見える狸の尻尾、メロディーはどうしてもポップ・チューンになってしまい、油断すると、すっとチャートのトップまでのぼってしまうのです。でもって、Sing Out!なんていう馬鹿まじめというか、まじめ馬鹿雑誌に思いきり馬鹿にされちゃったりするわけです。どっちもどっち、といっておきます。

今日は65年のチャートを見ながら書いているのですが、さすがにこのときは小学生、まだFENを聴いていなかったこともあって、記憶しているワン・ヒッターはほとんどありません。やっと見つけた一曲。

The Gentrys - Keep on Dancing


シンプルな曲、チープなサウンド、これはこれで、きわめて60年代的、といえるように思います。これなら中学生でもなんとかなりそうなものですが、不思議に同級生のバンドのどこも、この曲はやりませんでした。シンプルすぎて、意欲がわかなかったのかもしれません。呵呵。

記憶している1965年のワン・ヒッターはなかなか見あたらないので、あとから知った曲をひとつ。

The Knickerbockers - Lies


聴けばすぐにおわかりのとおり、この曲がヒットした理由は、ヴォーカルの声がジョン・レノンに似ていて、ラジオで聴くと、ビートルズの新曲のように思えた、ということしかありません。冷静になれば、そんなはずがないのはわかりきったことですが、第一印象というのは尾を引くものなのです。

おっと、すでに制限時間いっぱい。なんだか、連続試合出場記録を途切れさせないために、勝負が決したあとで代打出場し、四球を選んだ、みたいな更新で、失礼しました。


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by songsf4s | 2012-01-03 23:52 | 60年代
The Best of Jim Gordon 補足1 エヴェリー・ブラザーズ、インクレディブル・ボンゴ・バンドほか
 
季節はずれの鬼の霍乱だかなんだか、今日はちょっと体調を崩して、ブライアン・ウィルソンに立ち向かうのはむずかしいため、Pet Soundsは一休みして、夕方から聴いていたものを取り上げます。

いつだったか、ベスト・オヴ・ジム・ゴードンをまた公開すると予告しました。その後、状況が変化したこともあって(婉曲にいっているので、よろしくご賢察あれ)、ああいうものはやりにくくなってしまいました。

しかし、つぎの公開のときには、すこし曲を追加しようと思い、それなりに準備は進めてありました。また、あちこちでディスコグラフィーを見かけるようになって、いままで知らなかった盤もずいぶん判明しました。

そこで本体の再公開はペンディングにしたまま、オン&オフで補足をしようと思います。今日は一回目、まずエヴァリー・ブラザーズから。ロジャー・ミラーの曲のカヴァーです。

The Everly Brothers - Burma Shave


1962年の録音だそうで、ジム・ゴードンはこのとき、16歳か17歳でしょう。日本でいえば高校一年か二年、天才少年でしたからね。ジミーにとって、エヴァリーズはプロとしての初仕事だったようです。なにしろ、ご本尊はいまだ塀の中、オフィシャル・バイオも、オフィシャル・サイトもないので、確認ができないのですが。

つぎは同じ曲の初期テイクを。テンポがまったく異なります。

サンプル The Everly Brothers "Burma Shave" (take 2)

つづいて十年以上時間が飛んで、ハリウッドのエース・ドラマーになってからの録音。ワン・ショットのスタジオ・プロジェクトのものです。

The Incredible Bongo Band - Let There Be Drums


この曲のオリジナルはアール・パーマーのプレイでした。いや、名義はサンディー・ネルソンですが、じっさいにドラムをプレイしたのはアール・パーマーでした。

Sandy Nelson (Earl Palmer on drums) - Let There Be Drums


さすがはアール、改めてそのつもりで聴くとニューオーリーンズ・フィールの横溢したプレイです。ゴールド・スター・スタジオのオーナー、スタン・ゴールドだったか、デイヴ・ロスだったかに「ひどい下手くそ」といわれたサンディー・ネルソンにできるプレイではありません。

干支が一回りするだけの時間がたって、ジム・ゴードンが同じ曲をプレイしたわけですが、やはり、時代が異なり、プレイヤーが異なるので、同じハリウッドのスタジオ・プロジェクトでありながら、ずいぶんと感触が違います。まあ、ジミーとしても、この盤はちょっと異質な音楽スタイルだったのですが。

もうすこしサンプルをあげるつもりだったのですが、今日、このあたりの曲を、と思ったものは、ほとんどクリップがあって、最後もクリップです。

Cecilio and Kapono - Someday


では、次回は体調を整えて、ブライアン・ウィルソン・シリーズに復帰するつもりです。


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エヴァリー・ブラザーズ
New Album
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エヴァリー・ブラザーズ(ボックス)
The Price of Fame
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インクレディブル・ボンゴ・バンド
Bongo Rock (Rmxs)
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セシリオ&カポーノ
エルア(紙ジャケット仕様)
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by songsf4s | 2011-10-30 23:56 | ドラマー特集
クライム・ギターズ: 60年代スパイ、クライム映画音楽
 
このところ無休でやっていたので、たまにはいいかと昨夜はのんびりしていたのですが、なにもしなくても、いちおう当家を開いてみようというお客さんも多数いらっしゃって、そうなると根が貧乏性の小心者、そぞろ落ち着かない心地になります。

どうせ今日はうちにいるのだから、久々のリアルタイム更新をしようと思います。午前中の二時間ほどを使って、曲を並べてみます。が、そのまえに、ちょいと落語を。

今日はそっちのほうに行くつもりはないのですが、8月15日とくれば(大東亜戦争ではなく)怪談だなあ、とひとりごちました。桂小南で知ったのではなかったかと思うのですが、ユーチューブにはこの人のものがありました。

桂枝雀「皿屋敷」


多くの落語がそうですが、骨格だけを取り出せば、この「皿屋敷」も短い噺です。どう引き延ばすのかと興味深く聴きましたが、なるほど、やはり演出の仕方にはその人の地が出るもので、いかにも枝雀らしい肉付けでした。

もうひとつ、こんどはお江戸のほうで、のちの六代目三遊亭圓生によるものがありました。SP盤なら短いから骨格の明瞭なものだろうと思って聴いたのですが、予想はみごとに外れました。

三遊亭圓生(橘家圓蔵)「皿屋敷」


エンタツ・アチャコの早慶戦がヒットしたことを受けたものなのか、「皿屋敷」にラジオの実況中継をはめこむという、後年の圓生とは異なったスタイルの演出で、さすがに若いなあ、と思いました。

芝居などでは、皿屋敷は「番町皿屋敷」の外題で、東京の麹町での出来事に置き換えられていますが、もともとは「播州皿屋敷」で、上方からきた伝説のようです。子どものころに映画を見た記憶があるのですが、だれが主演だったかも記憶から飛んでしまいました。

昔、ライノがCrime Jazzという2枚シリーズをリリースしたとき、そういうのは好きだなあ、でも、俺がなじんできたのは、そっち方面ではなく、ポップ/ロック系なんだけど、と思いました。

先日、サーフ・ミュージックを束にして並べたとき、十代はじめの音楽的気分の在処としては、サーフの隣はスパイだ、なんて思いました。今日はそのあたりを、いい加減かつテキトーに思いつきで並べます。

まずはビリー・ストレンジ御大のダノ・リードで、若き日のジェリー・ゴールドスミスの代表作を。



ライノの編集盤のいう「クライム・ジャズ」というのは、ジュールズ・ダッシンの「裸の町」あたりに代表されるようなフィルム・ノワールないしは犯罪映画に付された、ジャズ系の映画音楽を指しているようです。

OSTとしては、ギターをリード楽器にした8ビートのものというのは少ないのですが、しかし、この分野を切りひらいたとも目されるヘンリー・マンシーニの曲は、8ビートでした。ドゥエイン・エディーのカヴァーでその曲を。

Duane Eddy - Peter Gunn


エディーのギター・サウンドは妙にこの曲に合っていて、楽しいサウンドですが、あのギター・リックを繰り返す以外にはやりようがなかったようで、メロディーはサックスが引き受けているところで、思わず笑ってしまいます。

デビュー・ヒットはアリゾナで録音し、あとからハリウッドでプラズ・ジョンソンのサックスをオーヴァーダブしたといわれていますが(こういうのはうっかり信用すると思わぬうっちゃりを食らうことがあるが)、この曲もプラズのプレイだったりするのでしょうか。

ちょいと予定変更で、つぎの曲でいったんおしまいにし、午後、もう何曲か追加することにします。おあとが気になる方は昼下がりにでもまたおいでください。

The Marketts - Batman


またしても、マイケル・ゴードンの名前がくっつけてありますが、泥棒のことは無視してください。ドラムはハル・ブレイン、ギターはトミー・テデスコ、プロデュースはジョー・サラシーノです。

それではここでおなか入り、午後にまた。

さて、後半です。もっと早くはじめるつもりだったのですが、タイトルを忘れてしまった曲を探して、手間取ってしまいました。

タイトルはわかったものの、ユーチューブに目的のクリップはなく、かわりにカヴァーだというクリップがあったのですが、これがほぼ完璧なコピーで、長い時間をかけて本物と比較していたため、手間取ってしまいました。

映画『077/地獄のカクテル』よりDriftin'


これをお聴きになれば想像がつくでしょうが、もとはシャドウズです。わたしだったら、このクリップにシャドウズと書いてあれば、そのまま信じてしまうくらいに完璧にそっくりです。

ちがうのは、イントロのハイハットの途中で、このカヴァーにはキック一打が入っていることぐらいで、あとはミックスによるニュアンスの違い程度しかわかりません。適当にリミックスしたものを、カヴァーといってアップした、というのが、わたしの推測ですが、はてさて。

映画は、中学のときに見たきりで、なんともいいかねますが、くだらねえな、ジェイムズ・ボンドの物真似のなかでもCクラスだ、とせせら笑ったことだけ記憶に残っています。

予告編を貼りつけますが、まあ、見ないほうが賢明だと思います。この記憶から飛んでしまったマット・モンローもどきの主題歌はエンニオ・モリコーネによるもののようです。



二度出てくる屋根から転げ落ちるスタントはがんばっています。イタリアあたりは、危険なことを平気でやる傾向があったので、そのせいじゃないでしょうか。うーむ、なんだかひどい時代に映画少年をやっていたような気がしてきて、落胆しました。

映画やテレビドラマの曲のカヴァーというわけではなく、スパイ映画をイメージした音楽というのもつくられました。わたしとしてはもっとも意外だったのは、この曲がそうだったということ。レズリー・ギターはビリー・ストレンジ、ドラムズはハル・ブレイン、ベースはキャロル・ケイ。

The Beach Boys - Pet Sounds


このメロディーを思いついたとき、ブライアン・ウィルソンの頭にあったのはスパイ映画だったそうで、そういわれれば、そうかもしれないなあ、と思ういっぽう、ずいぶん原型から遠いテクスチャーへと加工したのだろうとも思いました。

たんなる調査不行届にすぎず、映画ないしはテレビの音楽をカヴァーしたものである可能性も残りますが、つぎの曲も、クライム・ストーリーないしはスパイものをイメージしてつくられたものだろうと思います。

Al Caiola - Underwater Chase


けっこうなサウンドで、どうしてアル・カイオラの人気がないのかと不思議です。曲としても魅力的ですし、カイオラのプレイ、サウンドもけっこうなものです。

つづいて、いまもって人気の高いイギリスのドラマのテーマ曲。「プリズナーNo.6」



「秘密情報部員ジョン・ドレイク」の主演だったパトリック・マグーハンの新しいドラマというので、スパイものだと思って見はじめたら、あれですから、中学生はびっくりしました。家族にはひどい不評でした。まあ、そうでしょうね。

以前にも書きましたが、この曲でギターをプレイしたのはヴィック・フリックという人で、ジェイムズ・ボンド・テーマや『ア・ハード・デイズ・ナイト』に出てくるThis Boyのインスト・カヴァー、Ringo's Themeも、フリックのプレイです。フリックはジョン・バリーのバンドでギターを弾いていたそうで、それで映画のテーマをプレイすることになったようです。

それではそのJames Bond Themeを。



やはりよくできたテーマで、曲としてもちょっとしたものですが、ヴィック・フリックのサウンドは耳に残りますし、じっさい、この分野のスタンダードとなった印象があります。

やはりジェイムズ・ボンドのテーマ曲、こんどはビリー・ストレンジのカヴァーで。ドラムズはいつものようにハル・ブレイン。

Billy Strange - Goldfinger


おつぎは、わたしらの世代の子どもがギターをもつと、かならずといっていいほど弾いた曲です。1弦を開放にして、2弦を開放から半音ずつ上げ下げしながら2本の弦を交互にピッキングするだけなので、まだコードもわからないうちに弾けるリックでした。

Sandy Nelson - Secret Agent Man


サンディー・ネルソンの盤でじっさいにドラムをプレイしたのはたいていの場合、アール・パーマーであったことはすでに何度か書きました。この曲も、精確なタイムで、ネルソンのプレイである可能性はゼロ、アール・パーマーと断言します。

サンディー・ネルソンは、フィル・スペクターの知り合いで、彼のデビュー・ヒット、To Know Him Is to Love Himでストゥールに坐ったことで知られます。

ゴールド・スター・スタジオのオーナー、スタン・ロスだったか、デイヴ・ゴールドだったか、どちらかがそのときのことを回想して、ひどいドラマーだった、といっていました。才能あるドラマーは、テクニックは未熟であっても、若いころからタイムだけは精確なものです。

ロスないしはゴールドが、ひどいドラマーだったといったとき、当然、タイムが不安定なことを指しているに違いありません。そんなにひどいタイムのドラマーは、長年プレイしても、タイムが安定することはありません。このSecret Agent Manのドラマーが、名義人のサンディー・ネルソンのはずがない、と断言するゆえんです。

こういう商売のやり方は60年代のハリウッドでは日常茶飯事でした。だから、ヴェンチャーズがスタジオ版とツアー版でメンバーが異なるなんていうのは、べつに驚くようなことではないのですがねえ。いやまったく、疲れることです。

疲れたところで、本日は擱筆します。この続きはやるかもしれませんし、やらないかもしれません。


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ビリー・ストレンジ(MP3)
Secret Agent File
Secret Agent File


ドゥエイン・エディー(ライノ2枚組)
Twang Thang-Anthology
Twang Thang-Anthology


マーケッツ
Batman Theme
Batman Theme


シャドウズ
Complete A's & B's
Complete A's & B's


ビーチボーイズ(モノ/ステレオ)
ペット・サウンズ(MONO&STEREO)
ペット・サウンズ(MONO&STEREO)


ジェイムズ・ボンド編集盤
Best of Bond: James Bond (Score)
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by songsf4s | 2011-08-15 09:25 | Guitar Instro
Surf'n'Rod WITHOUT (or mistakingly WITH) Hal Blaine Vol. 3
 
昨日、入った店でファースト・クラスのBeach Babyが流れていました。70年代なかばに大ヒットした曲ですが、ヒットしていたときは、このグループの正体を知らず、なんなのこれは、と思っていました。

ビーチボーイズのパスティーシュないしはフォニーのように響いたし、歌詞もDo you remember back in old LAといっているのですが、アメリカ的なサウンドではないし、歌詞も気に入らない表現が多く、矛盾乖離が引っかかって、かえって記憶に残りました。

驚いたことに、ユーチューブには山ほどこの曲がアップされているのですが、すべて45ヴァージョン、あのラジオ・イントロのあるLPヴァージョンはありませんでした。

The First Class - Beach Baby


なぜアメリカ的に聞こえなかったかと、あと知恵で考えると、証拠はたくさんあるようです。たとえば、いきなり昔のLAのことを覚えているか、といいますが、地元のサーファーが仲間に呼びかけるときに、こういういい方はしないのではないかと感じます。もっと具体的な地名でしょう。

LAは郡部にいけば砂漠みたいなもので、サーフィンとLAという言葉のあいだには強い親和性はありません。マリブだとかバルボアだとか、どこかサーフ・ポイントの名前をあげるのが自然です。

それから、シヴォレーをそのままシヴォレーと呼んでるのも違和感があります。堅苦しいというかブッキッシュというか年寄りじみているというか、ふつうはシェヴィーでしょう。たとえば、つぎの曲をお聴きあれ。

Sammy Johns - Chevy Van


シヴォレーに板を載っけて繰り出したもんだぜ、という気分はけっこうなのですが、それはシヴォレーではなく、やはりシェヴィーでしょう(若くして死んだわが友は、車検残り二カ月というボロボロのトヨタ・ハイエースにロング・ボードを積んで、鎌倉街道や134号線の渋滞にもめげず、横浜元町から鎌倉七里に繰り出していた。夏のあいだだけでいいんだ、あとは廃車よ、と笑いながら、トヨタのケツでうっかり隣家の石垣を削り取ったりしていた。アメリカじゃ、ボロ車じゃないとサーファー仲間で幅が利かないんだぜ、とアメリカの大学に通う彼奴がいっていた意味が、あとになって本を読んで了解できた)。

この曲については、ずっと以前に、「Beach Baby by the First Class」という記事で詳細に書いたので、このあたりで切り上げます。

なんだかんだ文句はつけても、やっぱり、若き日の夏を思い出させる曲です。ユーチューブの不備がどうしても気に入らないので、アルバム・ヴァージョンを貼りつけておきます。

サンプル The First Class "Beach Baby" (long ver. with radio introduction)

◆ サザン・ダウン・ビート ◆◆
ハル・ブレインほどではありませんが、当然ながら、アール・パーマーもサーフ・ミュージックでプレイしています。記憶が曖昧ですが、この曲なんかはアールだったと思います。いや、すくなくともあまりハル・ブレインのようには聞こえません。呵呵。

The Super Stocks - Oceanside


ディック・デイルのCheckered Flagというアルバムは、アール・パーマーとハル・ブレインの両方のクレジットがあって、聞き分け問題集みたいなことになっています。

Dick Dale - Night Rider


あたくしは、この曲はアール・パーマーというほうに賭けます。明快な手がかりはありませんが、ハル・ブレインの16分はもっと軽くて明るいと感じます。アールのほうがすこしスネアのチューニングも低めでしょう。

同じアルバムからもう一曲いきます。なんだか、間違えると、頭の上でバケツがひっくり返るか、坐っている椅子がストンと落ちるか、目の前で風船が破裂するか、なにかそういうゲームをやっている気分になってきました。

Dick Dale - Ho-Dad Machine


やはり、バックビートが重めで、楽天的明るさがないという理由で、アールのプレイと考えるのですが、もうひとつ、何度か出てくる短いロールがハル・ブレインのスタイルではないと感じます。

もう一曲、アール・パーマーらしきロッド・チューンを。もちろん、非実在のスタジオ・プロジェクトです。

The Darts - Alky Burner


ギターはだれなのやら、グレン・キャンベルあたりなのでしょうか。なんとも判断しかねます。もう一曲、ダーツを。

The Darts - Speed Machine


いや、しかし、なんです、ハル・ブレインを見つけるのはわりに簡単なのですが、ハル・ブレインを避けるというのは、困難であることを痛感します。そりゃ、ボロボロ・アマチュア・サーフでよければ、いくらでもありますが、それなりに楽しめるものとなると、じつにもってアイガー北壁的様相を呈しはじめます。

ハリウッドは危険なので、よその町に行ってみます。たぶん、ナッシュヴィル録音。以前にもかけたことがあるのですが。

Ronny & the Daytonas - Sandy


サーフ・ミュージックじゃねーだろー、というご意見もございましょうが、「ビーチボーイズのB面」のノリで、夕闇迫る浜辺のバラッドというヤツと受け取っていただきたいところです。「ビーチ・バラッド」てなサーフ・ミュージックのサブ・ジャンルでよろしかろう、と。

ビーチボーイズだけれど、ハルではなく、アール・パーマーがストゥールに坐った曲をいってみます。やはり「ビーチ・バラッド」です。文句あるか!

The Beach Boys - Please Let Me Wonder


ブライアン・ウィルソンのバラッドにはつねに夕闇迫る浜辺のムードが揺曳しています。この曲に、たとえば、Sunset at Malibuというタイトルが付いていても、それでいいような気がすることでしょう。

よその土地なら、まあだいたい安心なのだからして、アメリカ国外に出れば、ハル・ブレインにまちがって遭遇する確率は大幅に低くなります。ということで、ダウン・アンダー、オーストラリアへ出張ります。

The Atlantics - Bombora


小学校六年のときに、このシングルを買いました。まだCBSが日本コロムビアを通じて配給されていた時代です。B面はサーフというより、ギター・エキゾティカなのですが、A面が飽きてからはよく聴いていました。

The Atlantics - Adventures in Paradise


旧大英帝国の版図では、イギリスのアーティストを範とする傾向が強く、アトランティックスは、アルバムを聴くと、シャドウズ・フォロワーだったことがはっきり伝わってきます。大束にいえば、シャドウズ・ミート・ザ・サーフ&ロッドのシミュレーションみたいな音です。

オーストラリアが安全なら、日本はもっと安全パイで、ハル・ブレインにはぶつかりません。

加山雄三 - Black Sand Beach


なんというか、The Ventures in Japanのコピーとでもいったサウンドで、モズライトのコード・ストロークが妙に懐かしく感じられます。いや、モズライトの内蔵ファズらしい音も懐かしいのですが、それは当たり前ですから。

加山雄三という人は、60年代音楽的にいうなら、やはり偉人でしょう。上手い下手はさておき、なにをやっても、グループ・サウンズ的な遠回りをせずに、ダイレクトに、オーセンティックなアメリカン・ポップ・ミュージックの輸入を実現しています。

ふつうは変なバイアスがかかってしまうもので、アメリカ音楽をコピーするつもりだったのに、いつのまにか演歌になっていた、というのが、当時の日本の冷厳な現実でした。

そのなかで、音楽はサイド・キックだったことをうまく利用したのか、加山雄三だけは、「そのまんま」のアメリカ音楽をやっていたことに、いつ聴いても驚きを味わいます。

B面もいってみましょう。

加山雄三 - Violet Sky


だれのアイディアか、エンディングなんかうまいものです。アメリカのほんもののサーフ・ミュージックは若者素人衆のゴミ音楽なので、こういうクレヴァーなアイディアが出てくるとしたら、プロの「贋物」だけですが、加山雄三はどちらかというと、プロの贋物に近いものを目指していたようです。

加山雄三はボビー・ヴィントンのようなものもやっています、って、それは関係ないので略して、ブライアン・ウィルソンのような「ビーチ・バラッド」を貼りつけて、今夜のエンディングとします。

加山雄三 - 夕陽は赤く



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ファースト・クラス
Beach Baby: Very Best Of First Class
Beach Baby: Very Best Of First Class


サミー・ジョンズ
Golden Classics
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スーパー・ストックス
Surf Route 101
Surf Route 101


ディック・デイル
Checkered Flag
Checkered Flag


デル・ファイ・ホットロッド・アンソロジー(ダーツを収録)
Del-Fi Hotrodders-Hollywood Drag/Drag
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ロニー&ザ・デイトナズ
G.T.O.ベスト・オブ・ザ・マラ・レコーディングス
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ビーチボーイズ
Today!/Summer Days (And Summer Nights!!)
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アトランティックス(MP3ダウンロード)
Bombora
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加山雄三
グレイテスト・ヒッツ ~アビーロード・スタジオ・マスタリング
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by songsf4s | 2011-08-04 21:57 | サーフ・ミュージック
Hal Blaine Takes You to Surfin' Vol. 5
 
小松左京没だそうです。以前の記事に書きましたが(このページに一番下のメニューにリンクあり)、わたしは長篇では『こちらニッポン』がいちばん好きでした。『日本沈没』は「騒々しい破滅」でしたが、『こちらニッポン』は「静かな破滅」と再生の物語でした。

短篇はなかなかむずかしいことになりますが、「お糸」というタイトルだったか、明治維新が起こらず、江戸時代がそのままつづいた並行宇宙の話が、妙に強く印象に残っています。司馬遼太郎式維新礼賛はわたしのもっとも忌むところで、アンチ明治維新ものには極度に点が甘いのですが。

大東亜戦争が終わらずに、昭和20年夏以降、ヴェトナム的ゲリラ戦に突入する短篇はなんというタイトルだったか、あれも忘れがたい一篇です。勝海舟の大馬鹿野郎がやった江戸無血開城と、八月十五日が日本を背骨のない国にしたと考えています。

毎度、短い訃報すらちゃんと伝えられないNHKニュースは、今回も間違えました。『日本沈没』を紹介したあと、「その後」といって、細菌によって人類が破滅に瀕する『復活の日』などを書いた、などと、とんでもないチョンボをやらかしたのです。

『復活の日』上梓は1964年、『日本沈没』は1973年です。これくらいのことはどこにだって書いてありますし、小松左京を読んだことのある人なら、この程度の順序は覚えています。

きっと、この原稿を書いた御仁はひどく粗忽で、小説と映画を間違えたのでしょう。『日本沈没』はすぐに映画化されましたが、『復活の日』は、なんでいまごろ、というころになって深作欣二監督で映画になりました。

調べればわかることはきちんと調べましょう。それで金を取るなら、なおさらです。まあ、停波しちゃった世界だから、まもなく業界全体が沈没することになっていて、どうでもいいといえばどうでもいいのですが。

◆ サーフィン・ウィズ・ザ・ドラマーマン ◆◆
てなことを書いていたら、Wall of HoundのO旦那からメールが届き、おまえさん、またチョンボしたぜ、と指摘されました。あたくしが、ハル・ブレインとしたアン=マーグレットの曲の多くはアール・パーマーがクレジットされているのだそうです。

O旦那は、わざわざパーソネルをスキャンしておくってくださったので、明日にでもよく読んで、訂正を書く予定です。それまでのあいだの暫定的な措置として、該当の記事を一時的に非公開にしました。どうかあしからず。間違いを指摘してくださるのはほんとうにありがたいことで、O旦那には改めてお礼を申し上げます。

さて、紅顔鉄面皮、いやさ、厚顔鉄面皮のあたくしも、さすがにチョンボの直後は筮竹にひねって卦を立てるのが怖くなったりします。こうなると、ジュリー・ロンドンだって怪しいわけで、なんたって彼女に関してはアール・パーマーのほうが圧倒的に実績豊富ですし。

さりながら、間違えたからといって推定をやめていたら、ハル・ブレイン研究はできません。十数年やって、まだやめていないということは、ぜんぜん懲りていないということです。精度を上げるには、チョンボを積み重ねる以外に道はないのでありましてな。

さて、今日もハル・ブレイン(またはアール・パーマー!)といっしょにサーフし、ドラッグし、ロッドします。といいつつ、ひょっとしたらアール・パーマーの可能性もあるな、と思い、すでに貼り付けてあったドナ・ローレンのCycle Setを削除してしまいました。今日はいつになく慎重哉。

The Honeysというグループ名は、一見、サーフィンとは関係ないように思えるのですが、サーフ・ターミノロジーでは、girl surferという意味なのだそうです。

マリリン、ダイアン、そしてジンジャー、ザ・ハニーズ、Pray for Surf



わたしはハニーズのファンです。声が好きだということは書きましたが、もうひとつ、きっかけがあります。マリリンがブライアン・ウィルソンとつきあっていたために、彼女らのプロデューサーはブライアンがつとめ、曲の多くも彼が書いています。

ところが、後年、キャピトルが彼女たちのベスト盤を出すとき、マリリンかダイアンかジンジャーか、だれの発案かわかりませんが、ある曲のミックスをやり直すように要請しました。その結果、ブライアンのミックスではよく聞こえなかったハル・ブレインのプレイにスポットライトが当たり、すばらしいドラミングだったことがわかったのです。

ハニーズ The One You Can't Have


フェイドアウトではお得意のstraight sixteenth against shuffle、シャッフル・ビートに逆らう16分のパラディドルが使われていて、フィル・スペクターのトラックを思い出します。

いま、リストを眺めていて、ジャン&ディーンをあまりかけていないことに気づきました。ということで、ジャン&ディーン、デカい波に乗れ!



これ一曲見つけるのに、どれだけクリップを開いたことか。へんなオーヴァーダブをしたものとか、再録音とか、偽物ばかり大量にあって驚きました。いちばんまともなのを選んだつもりですが、これもひどいミックスで、ジャン・ベリーが墓石をぶん投げて、盤を割りに来そうな気がします。

なにかまともなものを、と探したら、またひどいのに山ほどぶつかり、ムッとなりました。これは大丈夫。パサディーナから来た無謀運転バアさん。行け行け婆ちゃん!



いやはや、Go granny, go granny, go granny goには恐れ入ります。無謀運転はやめましょう。今、酔っぱらい運転をしている、バレなきゃゃいいか、というツイートをRTした人のフォローをはずしました。ツイートしたのもさっさと死んだほうがいい馬鹿者ですが、RTする神経もわかりません。フォローをはずされたら気分はよくないだろうから、めったに自分からはしないのですが、こういうのは我慢なりません。

ここらでインストをひとつ。またブルース・ジョンストンのSurfin' 'Round the Worldから。ホント、このアルバムはよく聴きました。

ブルース・ジョンストン Biarritz


ビアリッツはフランスの代表的なサーフ・ポイントなのだそうです。そいつぁ知らなかった。音と関係ないこのクリップの絵は、アン=マーグレットとエルヴィス・プレスリーのようで、ということは『ラス・ヴェガス万歳』からのショットでしょうか。

ハル・ブレインも暴れていますが、それ以上にめだつのは右チャンネルのギター。アヴァランシェーズそっくりのサウンドとプレイなのですが、そこまでわかっていながら、ビリー・ストレンジ親分かトミー・テデスコかの判断ができないところが悔しいのですよ。どなたか札を張りませんか?

このシリーズもいつやめてしまうともかぎらないので、やれるうちにどんどんブルース・ジョンストンのトラックをやっておかないといけないと、ちょっと焦りはじめました。

まだいいトラックがたくさんあるのに、ユーチューブにはほんのわずかしかクリップがないので、今回と次回でサンプルをアップするつもりです。まず一曲。

サンプル Bruce Johnston "Surf-a-Nova"

ここでもまた、さきほどと同じギターの音がしていて、すごく気になります。負けたばかりでスッテンテンなんですが、また丁半博打をやりますかな。

ビリー・ストレンジ、トミー・テデスコ、どちらかであることは間違いないと思うので(まさかグレン・キャンベルの目はないと思うが……)、勝負は五分と五分、あたしはビリー・ストレンジ親分のプレイというほうに賭けます。また大阪方面から異議ありかもしれませんが。

さて本日のトリは、うーん、どうしたものか。これはオープナー向きのサウンドで、ずっと使おうと思いつつ、歌がひどいので、今日まで出すに出せずに来ました。よって、そっとここに滑り込ませることにします。

ドン・ブランドン Doin' the Swim


もう盤を手放してしまったので、クレジットはわかりませんが、ライターはゲーリー・アシャーで、プロデュースも彼かもしれません。ドン・ブランドンは俳優、なのでしょうか、そのへんも忘れました。シンガーとしては実績らしい実績はありません。

次回は未定です。このところ、むやみにお客さんが多くて、なんなのだろうかと、また、いぶかっています。たぶん、クリスマス・ソング特集と同じく、季節要因なのでしょう。そうなると、へそ曲がりの性癖が鎌首をもたげ、チャンバラ映画のことでも書くか、などとあらぬことを考えます。はて、どうなりまするやら。


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ハニーズ(中古)
The Honeys Collection(import)

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ブルース・ジョンストン
Surfin' 'round the World!
Surfin' 'round the World!


ジャン&ディーン
Complete Liberty Singles
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by songsf4s | 2011-07-28 23:53 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その4 The Righteous BrothersおよびThe Fleetwoods
 
前回のニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ篇で、ライチャウス・ブラザーズ・スタイルのAll Strung Outから入ったのは、最後はライチャウスにつなげる予定だったからです。

例によって、あちこちで道草を食い、時間を浪費したために、前回は予定した展開にはならず、ニーノ&エイプリルの話題だけで終わってしまいました。

前回書いたように、ハル・ブレインがYou've Lost That Lovin' Feelin'やJust Once in My Lifeといったライチャウス・ブラザーズのヒット曲でプレイしなかったのは、フィル・スペクターがハルに腹を立てたからです。

You've Lost That Lovin' Feelin'でのアール・パーマーのプレイは卓越しています。それを否定するものではありませんが、では、ハル・ブレインにああいうスタイルのプレイができなかったか、といえば、そんなこともありません。むしろ、あれはハルがもっとも得意とした方面で、彼がやっていたら、アール・パーマーとはまた異なった味の凄絶なドラミングをしただろうと空想します。

ライチャウス・ブラザーズ You've Lost That Lovin' Feelin' (with Earl Palmer on drums)


マックス・ワインバーグのインタヴューで、エンディングにかけてのプレイはインプロヴなのか、と聞かれて、アール・パーマーは、もちろん、そうだ、と答えています。また、スペクターが重いバックビートが欲しいというので、タムタムとスネアをユニゾンで叩いたとも語っていました。

もっとも興味深いのは、ファースト・コーラスの最後、Woh, oh wohのあとで、ギター、ベース、ピアノなどがユニゾンないしはオクターヴで降下ラインを弾くところで、スペクターは、タイムは変化させずに、スロウ・ダウンした感覚をつくれ、と注文し、なかなか満足せず、テイクを積み重ねることになった、と語っている点です。

改めて聴きなおすと、じっさいにはタイムを変化させています。カウントすればはっきりしますが、ものすごく大きな遅れをつくっているのです。ただし、トータルでこの2小節をとらえるなら、遅れが目立たないように、最後のところ、セカンド・ヴァース冒頭に戻る直前で辻褄合わせをしています。スペクターの無理な注文に、プレイヤーたちが相談しながら、強引な弥縫策をつくっていったありさまが目に浮かびます! アール・パーマーの記憶に残るほど、めんどうな録音だったのでしょう。

さて、ハル・ブレインならこの曲をどうプレイしたでしょうか? わたしはこの曲を聴くたびに、アールだけでなく、ハルがプレイしたのも聴きたかったと、ないものねだりの空想をします。そのひとつの回答が、前回ご紹介したニーノ・テンポとエイプリル・スティーヴンズのAll Strung Outだったのです。



わたしはこの曲のドラム・チェアに坐ったのはハルだと考えています。こんどのディスコグラフィー補足でこれがリストアップされることを期待したのですが、前回書いたように、残念ながら、ニーノ&エイプリルについてはべつのトラックがあげられました。

ところが、それを補うかのように、ひょっとしたら、と考えていた、ライチャウス・ブラザーズのトラックがリストアップされました。でも、タイトルを見ても、そんな曲あったっけ、というようなものなのです。クリップがあったことに驚いたほどです。

ライチャウス・ブラザーズ Country Boy


うーむ、なんと申しましょうか、地味、の一言ですな。つぎの曲のほうがまだしもハル・ブレインらしさがちらちら見えます。

ライチャウス・ブラザーズ All the Way


というように、エンディングにかけて、いかにもビッグバンド出身のドラマーらしい盛り上げをやっています。

しかし、二曲とも記憶になくて、検索してもっていることを知ったほどです。よく聴いたのは、フィレーズからの3枚のアルバムで、ヴァーヴのアルバムというのはあまり聴いたことがなく、ハルのプレイした上記二曲はヴァーヴ時代の録音です。

当然です。フィル・スペクターの勘気に触れたのだから、フィレーズの録音では、たとえビル・メドリー・プロデュースのアルバム・トラックであっても、ハルは呼ばれなかったにちがいありません。

なんだか、今回も羊頭狗肉でした。ハルもライチャウスのトラックでプレイしたことがあったのではないか、と想像したのは、当然ながら、Lovin' Feelin'のようなタイプのプレイをハルがやったらどうなるかという興味の故でした。それが、じっさいに出てきてみたら、White Cliffs of Doverのようなタイプの、ドラマーにはあまり腕の見せどころのないトラックだったのだから、がっかりです。

◆ 恋の使用前使用後(誤訳哉) ◆◆
これだけではあんまりのような気がするので、もうすこしハル・ブレインらしい曲をオマケとして追加します。今回の増補ではじめてハル・ブレインのリストに登場したアーティストです。

フリートウッズ Before and After


いかにもハル・ブレインらしい、ノーマルではないフレーズが多用されていて、例によってニヤニヤするだけではなく、声を出して笑いそうになるフレーズもあります。Before and afterとlosing youの合間に、これでもか、これでもかと、だめ押しのタムタムを繰り出すあたりは、ワッハッハです。

Yes, whispering and saying when they doのあたりでは、めったに使わないライド・ベル(ライド・シンバルの中心のベル状に盛り上がった部分を叩く)をやっていて、これがまた、やっぱりハルというあざやかさで、惚れ惚れします。後半はタムタムに切り替える演出も「小さな工夫、大きな親切のハル」らしいこまやかさです。

こういうウィットとガッツがハル・ブレインらしさの源泉です。ふつうの人なら途中で引き返してしまうところでも、一歩も二歩も踏み込んでいくガッツによって、この人が不世出のドラマーになったことに、改めて思いを致します。

失敗フレーズもたくさんありますが、失敗の屍の上に成功フレーズが築かれるのだから、失敗を恐れる人間はけっしてイノヴェイティヴにはなれません。失敗フレーズの山は、ハル・ブレインが60年代を通じてドラミングを改革し、前進させつづけたことを証明する勲章です。

フリートウッズは、Come Softly to MeやMr. Blueの大ヒットで知られる、女性二人と男性ひとりのコーラス・グループで、ボニー・ギターがつくったシアトルのレーベル、ドールトン傘下のアーティストです。

ドールトンはヴェンチャーズのレーベルでもあるので、そういう意味でも、フリートウッズがどこで録音していたかには、かつて強い関心がありました。アール・パーマーの伝記に彼らの曲がリストアップされ、やはりハリウッド録音だったことがはっきりしたので、その点はもうそれほど意味がなく、今回のハルのディスコグラフィーへの登場は、だめ押しにすぎません。

ヴァン・マコーイ作のBefre and Afterのオリジナル・ヒット・ヴァージョンは、チャド&ジェレミーによるものです。



これはNY録音と思われます。やや鈍重なグルーヴですが、音のテクスチャーとしては、ディテールも相応の厚みもあって、まずまずの出来です。NYだってやればできるじゃないか、です。チャド&ジェレミーのNY録音のドラマーはゲーリー・チェスターの可能性が高いのですが、ハルのドラミングと比較するのはなかなか興味深いものがあります。

人それぞれ見方は異なるでしょうが、わたしは、ハル・ブレインの特異性が、Before and Afterのドラミングには明瞭にあらわれていると思います。


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ライチャウス・ブラザーズ
Unchained Melody: Very Best Of The Righteous Brothers
Unchained Melody: Very Best Of The Righteous Brothers


フリートウッズ
Very Best of
Very Best of
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by songsf4s | 2011-07-18 23:56 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その3 Nino Tempo & April Stevens
 
海辺だからなのでしょうが、梅雨明け以来、朝晩はつねに風が強く、昨年の夏よりはずっとマシな毎日を過ごしています。

カメラが壊れて、散歩ブログのほうは更新できなくなりましたが、昨日も横浜をぶらぶらしてきました。本来はダレた人間なのですが、歩くことにかけてはスパルタなので、暑い盛りには、自分でブレーキをかけないと、死のロードになりそうです。

昨日の午後はしばらく野毛山動物園で過ごしました。ハヤブサとコンドルの檻の前に坐って、かき氷を食べていたら、救急車のサイレンが聞こえて、どうしたのだろうと思ったら、下のほうから園の人が若い女性を背負ってあらわれました。たしかめたわけではありませんが、熱中症にかかった可能性が高いでしょう。三時ごろで、いかにもそういう時間帯でした。

熱中症は、二、三の注意を怠らなければ防ぐことができるいっぽう、罹ってしまうと最悪の場合は死亡、そこまでいかなくても、ひどい後遺症に悩まされることもしばしばです。自戒を込めて申し上げますが、水分、塩分をきちんととり、体を動かすときは、頻繁に休憩するように、くれぐれもお気をつけください。よそごとと油断していると、あっさり命を取られます。

◆ 当てごととなんとかは向こうから外れる ◆◆
これは今回の増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィーにリストアップされたものではないのですが、まずは一曲、お聴きあれ。ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ、All Strung Out。



この曲をフィーチャーした同題のアルバムの最初のCD化はブートでした。ライナーなし、一枚もの裏白のジャケ写表のみ、そのくせ3000円もしたので、いまだに恨み骨髄です。その後、サンデイズドから正規のリイシューがあって、それも買ったのだから、二重に腹が立ちました。

サウンドとしては、どこからどう見ても、フィル・スペクター風というか、ライチャウス・ブラザーズ風というか、音の手ざわりも、アレンジも、このままライチャウスのヴォーカルを載せても大丈夫です。

ライチャウスのコピーをやってみた、という見方もあるかもしれませんが、ひょっとしたら、ニーノ・テンポはライチャウスのためにこの曲を書いたのだけれど、彼らがターン・ダウンしたので、自分たちで歌った、なんて可能性もなきにしもあらずです。

ニーノは、一時期、フィル・スペクターのアシスタントのような立場にあったので、スペクターの音のつくり方はよく知っていたはずです。

話は脇に入り込みますが、スペクターのもとで働いた連中は、遅かれ早かれ、スペクター・サウンドの模作を試みます。たとえばソニー・ボノは、スペクターにさんざん馬鹿にされたそうですが、やがてみごとに敵をとります。

ソニー&シェール


ドラムはハル・ブレイン、キャロル・ケイさんにうかがったところでは、彼女はこの曲ではアコースティック・ギターをプレイしたそうです。ソニー・ボノは彼女のアンプを通さないエピフォン・ジャズ・ギターの音が大好きで、かならずといっていいほど、彼女にアコースティック・コードを弾かせたのだそうです。

べつのアシスタントたちも、スペクターの手法をうまく応用してビルボード・チャート・ヒットを得ます。セントラル・パークから見ればパサディーナは無限の彼方、ザ・トレイドウィンズ、ニューヨークはつまらない町だぜ。



アンダースとポンシーアにこのシングルを聴かされたスペクターは、無言だったそうです。よほど腹が立ったのでしょうな。

アシスタントだったわけではなく、スペクターのアーティストでありながら、スペクターと対立したライチャウス・ブラザーズは、ヴァーヴ・レコードに払い下げとなり、ビル・メドリーは、名匠フィル・スペクターが鍛えた斬れすぎる妖刀を奪いとり、スペクターその人を真っ向唐竹割にして、ふくれにふくれた鬱憤をはらします。

1966年、ライチャウス独立後の最初のシングルにして、ビルボード・チャート・トッパー、You're My Soul and Inspiration



スペクターのスタジオで、スペクターのスタッフを使って、スペクターのアーティストが歌ったんだから、そりゃ似るでしょうよ。予備知識なし、ブラインドでこれを聴かされて、この曲はスペクターのプロデュースにしてはコクがない、別人の仕事であろう、なんてわかっちゃう人は、フィル・スペクターご本尊以外にはいないんじゃないでしょうかね。あの時代に、これがスペクターの新しいシングル、といわれたら、100万人中99万9999人は、そのまま信じるでしょう。

いやはや、イノヴェーションは遠からず陳腐化して、価値を失うという原則を地で行くようです。ハル・ブレインのBe My Babyリックなんて、いったい何万回コピーされたことか。

話をニーノ&エイプリルのAll Strung Outに戻します。ハル・ブレインはライチャウスのフィレーズ移籍後最初の録音に呼ばれたとき、先約をかかえていました。そんなものはキャンセルしてしまえ、というスペクターにさからって、ハルは先約を優先しました。プロとして当然のことです。

しかし、エゴが肥大化したフィル・スペクターは、ハルが自分を特別扱いしなかったことに腹を立て、以後、彼をセッションに呼ばなくなります。ハル・ブレインがスペクターと再び組むのは、十年後のジョン・レノンのRock'n'Rollセッションでのことになります。すでに時代は変わって、このときはジム・ケルトナーがスペクターのレギュラー・ドラマー、ハルはケルトナーの相方をつとめることになります。

いや、話をもう一度元に戻します。新しいハル・ブレインのディスコグラフィーを見ながら、ニーノ・テンポとエリプリル・スティーヴンズのトラックが出てくるのではないかなあ、と思ったのですが、そのとき頭にあったのは、もちろん、先述のAll Strung Outです。しかし、じっさいにリストアップされたのは、予想していなかった曲でした。

サンプル Nino Tempo & April Stevens "Begin the Beguine"

Begin the Beguineはむろん、コール・ポーターの代表作で、よく知られたスタンダードです。最初の録音のときだったか、余ったスタジオ・タイムで、予定になかったDeep Purpleをその場のヘッド・アレンジで録音し、それがビルボード・チャート・トッパーになっために、ニーノとエイプリルの姉弟デュオは、しばらくスタンダード曲ナックルボール・アレンジ路線をつづけます。

ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ Deep Purple


ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ Wispering


ほかに、Tea for Two、Stardustなどもやっていますが、Begin the Beguineはこの路線に連なるものです。そして、ナックルボール化スタンダード曲の第一弾であるDeep Purpleのドラマーはアール・パーマーでした。

先入観を忘れろ、白紙の心で聴け、と旗印を掲げてはいるんですがねえ。それでも、こういう推測というのは、データベースを組み上げ、そのデータにもとづいて確度を高めていくわけで、まったくのゼロで聴くことは、やはり無理なのです。

かくして、ニーノ&エイプリルの初期はアール・パーマー、ハルが登場するのはだいぶあと、という自分で作り出した先入観に足を取られ、Begin the Beguineの段階ですでにハル・ブレインがストゥールに坐っていた、ということに長いあいだ気づいていなかったのでした。

あらためて聴き直したのですが、スタンダード路線でハルの気配を感じるのは、ほかにはTea for Twoぐらいで、あとのSweet and Lovely、Wispering、Stardustなどはやはりアール・パーマーではないかと感じます。いや、Sweet and Lovelyは微妙かなあ。ま、いずれ、白黒はっきりするでしょう。Whisperingは大丈夫。アールです。くどい。

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最後に、依然としてハル・ブレインの関与の裏付けがとれない、アルバムAll Strung Outから、もう一曲、オープナーをご紹介します。これを聴いても、やはりこのアルバムはハルだと思うのですが。

サンプル Nino Tempo & April Stevens "You'll Be Needing Me"

書き忘れていましたが、わたしはニーノ・テンポもエイプリル・スティーヴンズも好きです。エイプリルのソロだって悪くないと思います。しかし、とりわけ、ニーノ・テンポの声が好きで、ちょっとぐらい(いや、ときにはちょっとどころではないが)フラットしたからってなんだ、声のよさは、歌のうまさなんかより百万倍も大事だ、と思います。

ついでにいうと、Deep Purpleのときはキーの合うハーモニカがなくて、ああいうへんてこりんなサウンドができあがり、それが大ヒットの一因になりました。リーバーとストーラーが、ドリフターズのThere Goes My Babyのときに、チューニングの狂ったティンパニーを使ってしまったミスによく似ています。

いや、チューニングが合っていない方がいい、といっているわけではありません。稀に、それがフックになる場合がある、といっているだけです。やっぱりチューニングは合わせてくれないと!


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ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ
Hey Baby! Nino Tempo & April Stevens Anthology
Hey Baby! Nino Tempo & April Stevens Anthology


ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ
Deep Purple / Sing the Great Songs
Deep Purple / Sing the Great Songs


ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ
All Strung Out
All Strung Out


ソニー&シェール
The Beat Goes On: The Best of Sonny & Cher
Beat Goes On: Best of Sonny & Cher


トレイドウィンズ
Excursions
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ライチャウス・ブラザーズ
Unchained Melody: The Very Best Of The Righteous Brothers
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by songsf4s | 2011-07-17 23:40 | ドラマー特集