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ボビー・ヴィーのひとり2パート・ハーモニー
 
前回まで、19回にわたって長々と続いた「大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー」シリーズで、最後までもやもやしていた、

「エヴァリーズのストレートなハーモニーが、なぜ初期ブリティッシュ・ビートのイレギュラーなハーモニーに化けたか」

という問題について、最後の最後に、この人を忘れていたと、クリップを貼り付けておいた。その後、やはりこれがミッシング・リンクかもしれない、という気がしてきた。いや、気がしなくもない、ぐらいだが。

Bobby Vee - Rubber Ball


これは日本でもリリースされた。それどころか、わが家にもこのシングルはあった。とりたてて音楽ファンでもない愚兄が買ってきたほどなので、それなりに人気があったのだろう。

東芝音工がリバティーの配給権を得て最初にリリースした盤の一枚だった。マトリクスはLib-0006といった感じの、恐ろしく若い番号だった。そして赤盤だった。

プロデューサーはスナッフ・ギャレット。この当時のギャレットのチームはほぼ固定されていて、この曲のクレジットはわからないものの、レギュラー・メンバーを書いておく。

アレンジ、ピアノ、指揮……アーニー・フリーマン
ドラム……アール・パーマー
ベース……ジョージ・“レッド”・カレンダー
ギター……ハワード・ロバーツまたはジョー・メイフィス

使用コードは、A、D、E、F#mの4種のみ、シンプルなコード進行だが、ハーモニーは、おや、と耳を引っ張る。

コーラスから入るShe Loves You型で、その部分の音程を以下に書いた。上から歌詞、メロディー、ハーモニーの順。例によって音程の細かいことは気にしないでいただきたい。あとで説明する。

Rubber ball, I come bouncin' back to you,
Db-B-A-A-E-F#-A-Ab-B-A
E-D-Db-Db-Db-D-D-E-D-Db

メロディーはDbから下のEまで大きく上下しているのに対して、ハーモニーは上のE、D、Dbという、接近した3音のわずかな高低差を行き来しているだけだ。

メロディーに対して3度の音、たとえばCメイジャーなら、ルートのドとミの関係や、5度の音、つまりソというように、3和音を構成する音で、メロディーに対して平行に移動するハーモニー・ラインをつくると、きれいな、とがったところのない音になる。

ひとりでギターのコード・プレイをすると、運指の関係で、平行した音の流れになるのがふつうなので、そのような響きになる。

季節はずれなのだが、典型的なギターのコード・プレイを、と考えて、とっさに思い浮かんだのが以下の曲だったので、あしからず。

ご存知の方も多いだろうが、ヴェンチャーズのツアー・メンバーは60年代にはスタジオではあまりプレイしなかった。このアルバムのリード・ギターはトミー・オールサップという説が有力。また、ドラムについては、フランク・デヴィートがそのオフィシャル・サイトで、みずからのディスコグラフィーにリストアップしている。

The Ventures - White Christmas


こういうなだらかなものが、歌のハーモニーでも圧倒的な多数派を占めている。だからこそ、ピーター&ゴードンや大滝詠一のような、メロディーに対して、3度なら3度、5度なら5度の同じ間隔を保つ動き方から逸脱したハーモニー・ラインは、おおいに目立ち、われわれの耳を引っ張る「質」を獲得することになる。

ボビー・ヴィーに戻る。

Rubber Ballはボビーにとって通算で5枚目のシングルであり、前作Devil or Angelにつづくトップ10ヒットになった。

では、このようなハーモニー・スタイル、つまり、1)ひとりで多重録音し、2)変則的なハーモニー・ラインをフックとして利用するスタイルは、いつ生まれたのか? じつは、このRubber Ballでのことだった。

その直前のDevil or Angelにも、部分的に2パートが出てくるのだが、変則的ハーモニー・ラインではないし、多重録音ではなく、バックグラウンド・シンガーがハーモニーを歌っている。

ちょっと面白いミックスの仕方で、Rubber Ballへの助走になった気配もあるし、スナッフ・ギャレットのプロダクション・テクニックもうかがえるので、クリップを貼り付ける。

Bobby Vee - Devil or Angel


ときおり、ハーモニー・シンガーのひとりが、ボビーの相方にまわり、すぐにまたコーラス集団に戻るというスタイルで、めったにお目にかかれるやり方ではない。

思うに、スナッフ・ギャレットは、なにか耳を引っ張るハーモニーを探し求めて、アレンジャーのアーニー・フリーマンに、アイディアを出せと云ったのではないだろうか。

ギャレットは、俺は音符なんかひとつもわからん、と公言する人間で、自分でなにかする気遣いはないのだから、誰かスタッフがやったにちがいない(いや、それでいながらヒットを連発し、リバティー・レコードの屋台骨を支えたのだから、プロデューサーの鑑なのだが)。

そして、つぎのシングルで、コーラス部の変則ハーモニーが誕生するわけだが、なぜ変則的になったのか。それはたぶん、メロディーの動きが大きいうえに、テンポが速めなので、平行して動かすと、忙しくて癇にさわるハーモニーになってしまったからだと想像する。

では、そのあとはどうなったか? Rubber Ballのつぎのつぎのシングル。

Bobby Vee - How Many Tears (1961)


多重録音によるひとり2パート・ハーモニーはボビー・ヴィーのトレイドマークになり、彼は長いあいだこのスタイルをつづけることになる。

しかし、イレギュラーなラインはどうかというと、ざっと聴き直したかぎり、あまり見あたらない。採譜する余裕がないのだが、このHow Many Tearsも、おおむね平行なラインで歌っているように聞こえ、変則的な響きはない。

そのつぎのシングルはジェリー・ゴーフィン=キャロル・キングの代表作。アール・パーマーのスネアのツツシャカ・プレイをお楽しみあれ。ピアノとストリングスのコンビネーションはアーニー・フリーマンの署名アレンジ。

Bobby Vee - Take Good Care of My Baby


ゴーフィンの歌詞といい、キングの曲といい、この(元)夫婦はまさしくアメリカを代表するソングライター・チームだったな、と納得する楽曲で、ビルボード・チャート・トッパーも当然といえる。

アーニー・フリーマンのアレンジなのか、ボビーのハーモニーの「出し入れ」もみごとで、素晴らしいシングルだと思うが、「出し入れ」そのものがやや変則的なだけであって、ラインはノーマルに聞こえる。

この曲は、ボビー・ヴィーの代表作としてではなく、有名な四人組がうまくできなかった曲として記憶されることになる。

The Beatles - Take Good Care of My Baby


どういうわけか、このころのビートルズはジョージをフロントにしていて、この曲もジョージがリード、ハーモニーがポールで、ジョンはまったく歌っていない。ジョンの曲だろうに、と思うのだが。三人の声を聴いて、ジョンを中心にする、と決定したのはジョージ・マーティンだった。

いや、それはべつの話。だいじなのは、ビートルズが、パーロフォンからのデビュー前に、すでにボビー・ヴィーをカヴァーしていたという、その事実のほうである。

いや、これがRubber Ballだったら、初期ブリティッシュ・ビートの変則ハーモニーの淵源はボビー・ヴィーである、と断言するのだが、ストレートなハーモニーのTake Good Care of My Babyなので、うーん、可能性はあるのだが、と言い淀んでしまう……。

参考までに、このころ、ボビー・ヴィーの強い影響下で、同じように、ひとりでヴォーカルを重ねて2パート・ハーモニーをやった日本のシンガーの曲をおく。映画から切り出したもので、音質は並。

サンプル 加山雄三「ブーメラン・ベイビー」映画用多重録音2パート・ハーモニー・ヴァージョン

この曲の背景その他については、「加山雄三「ブーメラン・ベイビー」映画ヴァージョン(東宝映画『海の若大将』より)」という記事に書いたので、気になる方はそちらをご参照あれ。

さて、またまたボビー・ヴィーに戻る。

もう数曲、スナッフ・ギャレットが組んだチームの素晴らしい音作りと、ギャレットが選んだ楽曲、そしてボビー・ヴィーのハーモニーを。つぎは、やや変則的な味があるが、あくまでも「やや」である。ブリッジにご注意。

Bobby Vee - Please Don't Ask About Barbara


つづいてもボビーの代表作。アーニー・フリーマンのアレンジとアール・パーマーのドラミングがおおいに魅力的。むろん、ダブル・トラック・ヴォーカルもやっている。なお、この曲ではハル・ブレインがティンパニーを叩いた。

Bobby Vee - The Night Has a Thousand Eyes


つぎはヒット曲ではないのだが、楽曲も、ボビーの歌も、アレンジも、アールのドラミングもなかなか魅力的で、埋没させるには惜しい出来。

Bobby Vee - Bobby Tomorrow


もうひとつ、つぎも同様の、目立たないが、あたくし好みの佳曲。たぶんコード進行のせいだろうが(デイヴ・クラークのBecauseのようにオーギュメントや「その場でマイナー」を使っている)、ちょっと変則的に響くハーモニーもあって、余裕ができたら採譜してみたい曲だ。

Bobby Vee - A Letter from Betty (1963)


例によって、明快な結論はない。イエスと思えばイエスのような気がするし、なんとも言い難いといえば、そのとおりで、いやはやである。

わたし自身はといえば、初期ブリティッシュ・ビートの誰かが、いつもとはちょっと違う、ひねりのきいたハーモニーをやりたいと思った時は、ボビー・ヴィーのRubber Ballを思いだして、ああ、ああいう感じでやってみよう、とイメージしたのだと想像している。


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by songsf4s | 2014-01-26 23:21 | ハーモニー
Burke's Law by Herschel Burke Gilbert
タイトル
Burke's Law
アーティスト
Herschel Burke Gilbert (TV OST)
ライター
Herschel Burke Gilbert
収録アルバム
Burke's Law
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Si Zentner, Reg Guest, Liberty Soundtrack Orchestra
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まだまだテレビ・サントラをつづけます。連想の糸がどこまでも途切れないのです。60年代はじめ、いかに多くのアメリカ製テレビドラマ(とイギリス製ほんの少々)が放送されていたかわかろうというものです。なにしろ、日本の局の制作能力が微少だったので、プライム・タイムに外国製ドラマをやっていた時代なのです。

いや、当家は、むやみに落語、映画、小説、その他もろもろに脱線するにせよ、いちおう音楽ブログのつもりです。たとえ、60年代初期に、一晩に百種類のアメリカ製ドラマが放送されていたとしても、音楽がつまらなければ、こんなにしつこくテレビ・サントラをつづけたりはしません。改めて大人の耳で聴いても、どれもよくできているのです。

ドラマの出来については、「CSI」「24」「ER」「ブレイクアウト」、その他なんでもいいのですが、日本に輸入されるようなものは、どれもいまのほうがはるかにレベルが上でしょう。しかし、音楽はまったくちがいます。いまどきのドラマのテーマなんて、シーズンの切れ目に入れば忘れてしまいます。しかし、昔のドラマのテーマ曲は、出来のよいもの、忘れがたいものが、それこそ無数にありました。今月いっぱいどころか、来月まで60年代前半のテレビドラマのテーマだけで埋め尽くすぐらい、簡単にできるほどです。カヴァー・ヴァージョンが大量に録音されたことが、こうしたテーマ曲の出来のよさを証明しているでしょう。

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LAPD殺人課のエイモス・バーク警部が、自家用ロールズに乗って豪邸から現場に駆けつけるの景。いまどき、こんな車に乗っている警官がいたら、テロの恰好の標的だろう。

◆ ポップ系のOSTへの進出 ◆◆
昨日のTwilight Zoneはめったにないような泥沼になってしまったので、今日は謎なんかなにもない曲をもちだしました。CMのように短くやっつけようという魂胆です。

本日の「バークにまかせろ」Burke's Lawのテーマは、謎どころか、クレジットを見れば、やっぱりな、というおなじみのハリウッド製音楽です。プロデューサーはスナッフ・ギャレット、エンジニアはエディー・ブラケットとクレジットされているのです。いつものように、ギャレットがお気に入りのスタジオであるユナイティッド・ウェスタンで録音した(ブラケットはウェスタンのエンジニアだったので、スタジオ・クレジットがなくてもわかる)、いつもの音楽なのです。

そして、リリースは1963年ですから、その点でも、謎には出くわさないことになっていて、ドラマーの推測もできます。アール・パーマーです。確率90パーセント。つまり、絶対の自信あり、です。だって、アールのスネアの音が聞こえるのだから、ほかの人であるはずがありません。しかも、この時期にスナッフ・ギャレットがプロデュースした盤のドラマーのほとんどはアール・パーマーだという状況証拠もあるのです。聞こえる音がアールで、状況証拠がアールなのだから、ガチガチに確実です。

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Liberty regulars. (l-r) arranger Ernie Freeman, producer Snuff Garrett, drummer Earl Palmer at United Western Recorder.
何度も使った写真でまことに恐縮だが、そろい踏みはこれ1枚しかない。

ただし、アルバム・トラックについては、アールであるとも、アールでないとも判断できないものがあります。テレビのテーマとアルバム・トラックはべつのセッションで録音された可能性が高く、メンバーが異なっている場合も考えられます。まあ、最後のBurke's Beatなんて曲も確実にアールなので、わたしが判断できない曲(スネアをあまり叩かないソフトな曲は手がかりがない)の多くもアールだろうとは思いますが。

1964年になると、ギャレットのドラマーはハル・ブレインに交代しますが、1963年の段階では、トラップにはアールが坐り、ハルはまだアールのいるセッションではパーカッションをやっていました。

これはギャレットのセッションにかぎりません。たとえば、1962年に録音されたハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのデビュー曲、The Lonely Bullでは、トラップにはアール・パーマーが坐り、ハル・ブレインはティンパニーをプレイしました。

しかし、63年後半にはハルがアールに肩を並べます。63年晩秋に録音されたと考えられるマーケッツのOut of Limitsでは、ハルがトラップに坐り、アールはパーカッションにまわります。アール・パーマーの活躍はまだまだつづきますが、しかし、押しも押されもせぬキングだった時代は終わり、王冠はハル・ブレインに譲渡されるのです。

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スタジオのマーケッツ。後列右から、アール・パーマー(ティンパニー)、ハル・ブレイン(トラップ)、おそらくジミー・ボンド(アップライト・ベース)、リオン・ラッセル(ピアノ)、前列(ギター陣)右からトミー・テデスコ、不明(ボブ・ベイン?)、レイ・ポールマン、ビル・ピットマン(ダンエレクトロ6弦ベース)の面々。壁の吸音材の形状からユナイティッド・ウェスタンと推測される。

話が逸れました。Burke's Lawのテーマに戻ります。リズム・アレンジというか、ドラムとしては、8ビートと4ビートを行ったり来たりするので、ドラマーがどう処理するかによってニュアンスが変わります。アールは、4ビートのパートについては、ストレートなジャズ・ドラミングをしていますが、8ビートについては、ロック的ニュアンスにならないように叩いています(キックにマイクがあたっていないこと、ドラムのミックスがオフ気味なこともそれを補強している)。したがって、全体的な印象は、楽器編成のせいもあって、まずまずノーマルなビッグバンド・サウンドです。

これが、当時のテレビ音楽の最大公約数的サウンドなのだと思います。ロック的ニュアンスは、テレビのテーマ曲には時期尚早だったのでしょう。いや、だから面白くないということではありません。クライム・ドラマとしては先発の「サンセット77」「サーフサイド6」や「ハワイアン・アイ」にひけをとらない、非常に魅力的なテーマだと思います。

◆ サイ・ゼントナー盤 ◆◆
一握りですが、カヴァーもあります。サイ・ゼントナーは、ハリウッドのプレイヤー(トロンボーン)、アレンジャー、ビッグバンド・リーダーですし、しかも、オリジナルのハーシェル・バーク・ギルバート盤と同じリバティーのアーティストなので、アレンジは異なっても、プレイヤーは重なります。サイ・ゼントナー盤Burke's Lawのドラマーもアール・パーマーにちがいありません。

しかも、ほとんど馬鹿馬鹿しいといいたくなりますが、サイ・ゼントナー盤のプロデューサーも、やはりスナッフ・ギャレットなのです。なに考えてるんだよ>ギャレット。まあ、こちらはFrom Russia with Loveというアルバム・タイトルが示すように、当時の流行だった、スパイ/クライム・ミュージックのカヴァー集なので、企画がちがうといえばそのとおりなのですが。

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Si Zentner & His Orchestra "From Russia with Love"

トラックごとのクレジットはありませんが、アレンジャーはアーニー・フリーマンとビル・ホールマンとなっています。フリーマンは、クレジットはないのですが、ハーシェル・バーク・ギルバートのOST盤でもアレンジをしたと、わたしは考えています。フリーマンもまた、アール・パーマーやレッド・カレンダーなどと同じく、スナッフ・ギャレットのセッションではレギュラーでした(たとえば、ボビー・ヴィーや50ギターズ)。

f0147840_693519.jpgハーシェル・バーク・ギルバートのアルバムも、サイ・ゼントナーのアルバムも、いちおうビッグバンド(および、トラックによってはコンボ)ジャズのスタイルをとっていますが、このメンバーはそのままポップ・セッションに転用できます。

当時のポップ/ロック系セッションを支えていたプレイヤーの多くはジャズ出身なので、ジャズとポップの両者を行ったり来たりしても、べつに不思議でもなんでもないのですが、わたしのように、ポップ/ロック系を聴いてきた人間としては、映画音楽やビッグバンドやときにはストレート・ジャズの盤でも、よく知っている人たちのプレイに出くわして、おやおや、こんなところにもいたんですか、と愉快な気分になることもあります。

◆ リバティー・サウンドトラック・オーケストラ? ◆◆
OST盤CDには、全曲がハーシェル・バーク・ギルバートの作と書いてありますが、べつの資料によると、アーニー・フリーマンがギルバートと共作した曲(Burke's Beat)もあれば、まったく別人の作品もあることになっていて、これだから音楽業界はぞろっぺえだというのです。こういう謎はもううんざりなんですがねえ。まあ、合法的なケースも考えられます。著作権を買い取った場合です。そういうこともめずらしくありません。でも、Burke's Lawのサントラに関しては、たんなる手違いなのではないでしょうか。

f0147840_6125054.jpg当ブログでは何度もご紹介していますが、キャピトルのラウンジ・ミュージックを集めたUltra Loungeシリーズの一枚、第13集TV Town(このタイトルは、ハリウッドが映画の都からテレビの都に変貌した事実を指している?)には、Liberty Soundtrack Orchestraというアーティスト名義のBurke's Law Suitという、駄洒落タイトルのトラックが収録されています。

Burke's Lawのlawは、内容に即していうと、「法律」ではなく、「法則」です。ジーン・バリー扮する(吹き替えは若山源蔵だった)、ロールズを乗りまわすLAPDの富豪警部エイモス・バークが、毎回、かならず箴言じみた一言(「探しているものが見つからないなら、まちがったものを探していることになる」「金で愛は買えないが、有利な立場に立つことはできる」など)をいうことから来ています。「マーフィーの法則」みたいなもので、「バークの法則」なのです。

しかし、lawにsuitをつけると、「訴訟」の意味になります。つまり、Burke's Law Suitというタイトルは、「『バークにまかせろ』組曲」とも読めるし、「バークの訴訟」とも読めるのです。

これはOST盤Burke's Lawのダイジェスト版といったおもむきのトラックです。プレイされている曲は(パーレン内は作曲者)、"Burke's Law Theme" (Gilbert)、"Meetin' At P.J's" (Marks)、"Blues for a Dead Chick" (Mullandro)、"Burke's Beat" (Gilbert-Freeman)です。

f0147840_616562.jpgこれは、しかし、困ったトラックです。すべてを確認したわけではありませんが、おそらく、新たに録音したものではなく、OST盤Burke's Lawのトラックを再編集したものでしょう。当今いうところのリミックスです。すくなくとも、テーマとBurke's Beatはまちがいなく同じものです(ということはつまり、ドラマーはアール・パーマー!)。

となると、リバティー・サウンドトラック・オーケストラという名義はまずいのではないかと思いますが、そのへんがこの業界のいい加減さというか、ひょっとしたら、背後にある権利関係がこの地割れから顔をのぞかせたのかもしれません。つまり、アーティストや作曲者(この場合はハーシェル・バーク・ギルバート)ではなく、企画者や制作者(すくなくともそのうちのひとりがスナッフ・ギャレット)がぜったいの権限をもっていた可能性があるということです。

◆ またしても名義をめぐるミステリー ◆◆
ウェブにOST盤LPのジャケットがあったので、いただいてきました。ちょっとご覧あれ。

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LPのフロント・カヴァーには、ギルバートの名前がありません。サントラの場合、アーティスト名がないのはめずらしいことではないし、表には書かず、バック・カヴァーに記載することもあったので、LPの段階ではアーティスト名がなかった、とまではいえませんが、すくなくとも、表に書くほど重視はされていなかったことははっきりしています。

f0147840_6243076.jpg昔の音楽界というのは、そういうところだったのです。アーティストなんかなんであろうと気にしないのです。音楽をつくるのは会社、もっといえばプロデューサーだったのです。インストの場合、アーティストはお飾りです。名前を空白にするわけにはいかないから、たとえばヴェンチャーズとか、マーケッツとか、ラウターズとか、チャレンジャーズとか、適当なバンドの名前をつけておくのです。どの曲をどのアーティストの名義にするかは、プロデューサーないしは会社が判断することでした。じっさい、録音が終わってからアーティストを決めたことだってあったと考えています。

Burke's Lawのサントラに関しても、ヴェンチャーズのようなギターインスト・バンドの場合と同じだったのだろう、ということが、この名義の混乱から読み取れます。Burke's Lawの企画はあくまでも会社のものであり、ギルバートは依頼された作曲者にすぎなかったから、名前の扱いについては、なにもいえなかったのでしょう。じっさい、関与は作曲の段階まで、せいぜい棒を振るところまででしょう。

アレンジはきわめて重要なので、プロデューサーが子飼いの信頼できるアレンジャーを起用するほうが自然です。だから、OSTのアレンジもアーニー・フリーマンの仕事だろうと推測できるのです。あの時期のスナッフ・ギャレットは、フリーマン抜きでは録音しませんでした(64年になるとその役割はリオン・ラッセルのものになる)。ボビー・ヴィーの録音でも、50ギターズの録音でも、ジュリー・ロンドンの録音でも、分野に関係なく、譜面はフリーマンが書き、たいていの場合、フリーマンがコンダクトし、同時にピアノを弾きました(プレイヤーとしても第一級の腕をもっていた)。

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リバティーを支えたコンビ スナッフ・ギャレット(右)と、フリーマンにかわる新しい相棒リオン・ラッセル、そして、壁に飾られた二人の戦果。LPはボビー・ヴィーだが、ゴールド・シングルはゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズか?

プロデューサーとアレンジャーはしばしば強固なコンビを組みます。フィル・スペクターとジャック・ニーチー、クウィンシー・ジョーンズとクラウス・オーゲルマンといったように。腕のいいアレンジャーなしでは、いいサウンドはつくれないからです。Burke's Lawのときにも、ギャレットはフリーマンをそばにおいて録音をしたと信じる所以です。OSTのCDリイシューではギルバートの作とされているBurke's Beatが、Ultra Lounge Vol.13収録の組曲では、ギルバートとフリーマンの共作とクレジットされていることが、その傍証となります。

1963年にオリジナルLPがリリースされた段階では、ギルバートの重要性は作曲者としてのものであって、それ以上ではなかったのでしょう。会社から見れば、企画の一部を発注した請負業者のひとり、という位置づけです。だれの名義にするかは会社側の一存で決められたのです。だから、リミックス盤をリリースするときに、リバティー・サウンドトラック・オーケストラという、架空のバンドの名義を使うことができたのにちがいありません。

◆ レグ・ゲスト盤 ◆◆
業界事情が生みだす、ロマンティシズムのかけらもない「ミステリー」にお付き合いするのは、そろそろ倦んできたのですが、背後の事情を十分な確度をもって推察できる程度にはハリウッドの歴史を研究してしまったので、なにかあれば、やはり無視して通りすぎることもできず、困ったものです。

f0147840_6352688.jpgBurke's Lawには、わたしの知識の外にあるイギリスで録音されたカヴァーもあるようです。盤はもっていませんが、音だけは聴けました。レグ・ゲストという人のヴァージョンです。どういう人なのかと調べたら、ウォーカー・ブラザーズのセッションでピアノを弾き、スコット・ウォーカーのアルバムでアレンジをした人だそうです。このサイトこのページに書いてありました。

Burke's Lawには無関係なのですが、このインタヴューでレグ・ゲストが、スコット・エンゲル以外のアーティストについていっていることは、わたしにはよくわかります。イギリスもハリウッドと同じように、看板になっているアーティストだけが果実を拾っていき、アレンジャーやプレイヤーなどの(ときには巨大な)貢献をしたスタッフは無視されるというのです。大丈夫、そういうパアな時代は終わりつつあり、ほんとうはだれがすばらしい音楽をつくったのかを究明しようとしている人間は、世界中にたくさんいる、と伝えたくなりました。

アーティストは、セッション・プレイヤーのことには口をぬぐうもので、それはしかたがありません。自分は音楽的には無能な木偶人形であり、自慢できるのは笑顔と歯並びだけの、モデルと大差のない見せかけの看板だった、なんて、だれも認めたくありませんから。誤解があるといけないので、くどく繰り返しますが、レグ・ゲストはスコット・ウォーカーのことを敬意をもって回想しています。スコットのことを褒めるために、ひけらかすものは歯並びしかない、パアなアーティストについてボヤいているのです。

それにしても、いきなりウォーカーズの日本公演の写真がでかでかと表示されて、おやおや、というサイトです。ゲーリー・リーズのほかに、もうひとりドラマーがいるのには、さらに大きな「おやおや」ですが! ウォーカーズのドラマーのことは、仲間内で何度か話題になりましたが、ライヴにまで影武者がついた例は稀でしょう。まあ、デッドやオールマンズのダブル・ドラムと同じ効果を狙ったと強弁するかもしれませんがね。こういうのは、ふつうは「サポーティング・プレイヤー」と呼ぶわけですが、そのくせ、実体は「メイン・プレイヤー」なんだから、婉曲表現というのはやっかいです。

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話が明後日のほうにいってしまいましたが、レグ・ゲストのBurke's Lawは、どのスナッフ・ギャレット盤ともかなりニュアンスがちがい、これはこれで楽しい出来です。ゲストもビッグバンド出身だそうですが、英米のちがいだけでなく、録音時期のちがいもあって(レグ・ゲスト盤は1965年リリース)、ギャレットの各種Burke's Lawとは異なり、ゲストのBurke's Lawには、ビッグバンド的ニュアンスは薄く、トニー・ハッチのラウンジ系インスト盤に近い、軽いサウンドです。

音が聴けただけで、アルバムのジャケットも見なければ、レグ・ゲストの顔もわからなかったので、検索してみました。しかし、かすりもしない、バットとボールのあいだが十センチは離れたひどい空振りでした。LPのまま打ち捨てられたものの場合、こういうこともあります。しかし、最後にファウルチップがありました。あるところに、Reg Guest Syndicate "Underworld"は2008年夏にリリース、とあったのです。まもなくCDになるのでしょう。ということで、あとすこし待てば、立派な(あるいは愚劣な)カヴァーで飾ることができたかもしれないのに、ちょっとフライングをしてしまったようです。

ことのついでに、OldiesProject.com presents "The London Sound"なんていうページを見つけました。そちら方面を考究なさりたい方には役に立つかもしれません。わたしは、もうハリウッドだけで十分に堪えているので、遠慮しますが。

それにしても、どうしてこういうぐあいに話が長くなるのか、われながら不可解千万です。今日は数行あれば十分のはずだったのに!

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「サンセット77」のときにご紹介した『ザッツTVグラフィティ』に載せられた乾直明の「バークにまかせろ」紹介。

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by songsf4s | 2008-07-14 22:39 | 映画・TV音楽
Fly Me to the Moon その2 by Frank Sinatra
タイトル
Fly Me to the Moon (a.k.a. "In Other Words")
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Bart Howard
収録アルバム
It Might As Well Be Spring
リリース年
1964年
他のヴァージョン
別掲
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各ヴァージョンの検討に入るまえに、昨日ふれたコードのことから。ほかのヴァージョンをちゃんととる時間の余裕はなかったのですが、たとえば、

Fly me to the moon
Am7          Dm7
And let me sing among the stars
G7                     C

というような始まり方が、シンプルなコードワークとしては一般的ではないかと思います(コードネームのあいだには全角スペースをおいただけなので、環境によってコードの位置がずれることがある)。ボビー・ウォマック盤の冒頭をこのキーに合わせると、Am7-F-G7-Cだから、ほぼ同じ、代用コードのヴァリエーションの範囲内です。印象はずいぶん異なるのに、意外なこともあるものです。

ひとつだけいえるのは、じっさいのアレンジでは、上記の一般化したコードほど単純ではないことが多く、しばしばテンションをつけたり、飾りのコードが追加されたりするのに対して、ボビー・ウォマックは、正真正銘、シンプルにやっているというちがいがあることです。

問題は、このあとだというご意見もありましょうが、残念ながら、時間がとれませんでした。どうかあしからず。

◆ フランク・シナトラ盤 ◆◆
f0147840_23582785.jpgクリント・イーストウッドが監督・主演し、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェイムズ・ガーナーらと共演した『スペース・カウボーイ』というのは、なかなか楽しい映画でした。設定にいくぶん無理があるのですが、そういう綻びを隠すのが俳優の役目ときまっているわけで、そういうことはお手のものという老練な男優がずらっと勢揃いしたおかげで、ゴチャゴチャ難癖をつける隙をあたえませんでした。

冒頭、トミー・リー・ジョーンズの役の若いときの俳優(ほかにいい書き方がないものかと思うが、思いつかず。ご老体たちの若いころのシーンはみな若い俳優が演じている)が、X-15のような実験機を成層圏近くまでぶっ飛ばしながら、Fly Me to the Moonをうたうところがなかなか印象的でした。もっとも、この直後に墜落してしまうのですが!

このFly Me to the Moonは、じつは伏線だったことが最後にわかります。エンド・タイトルに移るまえに、チッチ、チッチ、チッチとハイハットだか、ベースの弦をスラップする音だか、ミュートしたアコースティック・ギターだかがビートを刻みはじめると、おお、あれじゃないか、となります。シナトラのFly Me to the Moonだぞ、と思うのです。

前後がないので、なんのことかわからない画像ですが、いちおうYou Tubeに、そのシーンがあります。たしかに、こういう脚本だったら、最後はシナトラをもってくるしかないな、と思います。エンド・タイトルにシナトラが流れると、映画を見た満足感が増すように、いつも感じます。

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フランク・シナトラとジョン・F・ケネディー。時期から考えて、Fly Me to the Moonは宇宙開発に刺激されて生まれ、有人宇宙飛行計画の進展とともに親しまれるようになった曲なのかもしれない。

フランク・シナトラのFly Me to the Moonの最初のヴァージョンは、1964年6月9日に録音されています。アレンジとコンダクトはクウィンシー・ジョーンズ、パーソネルは不明ですが、カウント・ベイシー・オーケストラとの共演となっています。アレンジは可もなし不可もなしですが、プレイは非常にけっこうで、乗れます。

だいたいが、わたしはビッグバンド・ドラミングが好きなのですが、こういうドラマーなら文句ありません。ジャズ・コンボのドラマーにはよろしくない人がたくさんいますが、ビッグバンドでは、コンボとちがって、ドラマーが重要な位置にある、というか、タイム・キーピングは死活的に重要なので、ひどいドラマーというのはいません。いや、しばしば、名前を知りたくなるドラミングにぶつかります。

シナトラのヴォーカルも、いつものようにけっこうなものです。こういうのを聴くと、やっぱり、ミディアムからアップで、グルーヴに乗ってうたっているときのシナトラがいちばんいいと思います。

f0147840_012272.jpgシナトラのFly Me to the Moonにはライヴがいくつかあるようですが、うちにあるのは94年の福岡ドームでの録音です。もう最晩年の録音なので、声はぜんぜん出ていませんが、それはそれでいいか、と思います。ただ、冒頭で、クウィンシー・ジョーンズの曲といって、オーケストレーターと言い直しているのが、ああ、やっぱり記憶がねえ、と哀しくなります(この年になると、ひとごとではない)。ソングライターの名前はついに思いださなかったのか、イントロが終わってしまっただけなのか……。

◆ ジュリー・ロンドン盤 ◆◆
歌もので、すげえなあ、と感動するのがジュリー・ロンドン・ヴァージョン。この人の声が好きな方なら、Fly Me to the Moonは必聴でしょう。あまりいい音質ではなく、ジュリーの声の魅力が十全に伝わるとはいえませんが、You Tubeにこのスタジオ録音があります。

f0147840_0134346.jpgいつだってジュリー・ロンドンの声はけっこうなものですが、Fly Me to the Moonはいちだんと素晴らしいうたいっぷりです。チキン・スキン・ヴォイスですぜ。いろいろな編集盤に収録されているのも当然の出来だと思います。アップテンポが得意なシンガーだとは思わないのですが、こういうのを聴くと、不得手というわけでもないのだな、と認識を改めます。

ジュリーの歌ばかりでなく、アレンジ、プレイ、そして録音も素晴らしく(残念ながらYou Tubeのクリップはモノだが、ほんとうはステレオ)、ほぼ完璧な出来のトラックです。すげえな、アレンジャーはだれだよ、と確認すれば、アーニー・フリーマン。じゃあ、これくらいは当たり前だ、なんていいそうになります。でも、アーニー・フリーマンですからね、やっぱり当然の出来というべきでしょう。

f0147840_0171853.jpgアーニー・フリーマンのいいところは、甘いだけではない、軽く苦味をきかせた弦のアンサンブルをつくれることです。ハリウッドにはクールな管のアレンジができる人は、ビリー・メイ、ショーティー・ロジャーズ、ニール・ヘフティーをはじめ、たくさんいましたが、ただ甘いだけではない弦のアレンジをできる人は多くなかったと感じます。

60年代中期にフリーマンが大活躍することになった大きな理由は、この弦のアレンジではないかと考えています。いや、たんに弦のアレンジで抜きんでていたというだけで、管のアレンジが下手だというわけではないので、誤解なきよう。ブレンダ・ハロウェイのYou've Made Me So Very Happy(こちらがオリジナル)でのフリーマンのアレンジはむちゃくちゃにカッコよくて、あれを聴くと、BS&Tのカヴァーなんか子どものいたずらに思えます。

Fly Me to the Moonのイントロの弦のピジカートによるリックは、ヒット・ヴァージョンであるジョー・ハーネル盤(後述)からの借り物でしょうが、ハーネル盤とは比較にならないほどスケール・アップしています。アイディアをたっぷり詰め込んだ、冴えに冴えたストリング・アレンジメントです。ピアノとドラムとベースのリズム・セクションがまたうまくて、じつに気分よく聴けます。毎度いっていますが、これがハリウッドというインフラストラクチャーの地力です。

てなこといって、うやむやにせず、久しぶりに「体を張った推測」をすると、ドラマーはアール・パーマーです。タイムとフロアタムのサウンドからいって、確率90パーセント以上。だって、プロデューサーはスナッフ・ギャレットですからね。ギャレット=フリーマンとくれば、ボビー・ヴィーのコンビです。プレイヤーも同じだと考えてよい、というか、推測の基本原則からいって、明白な否定材料となる音が聞こえないかぎり、時期が同じならメンバーも同じだと考える「べき」なのです。となると、ベースはレッド・カレンダーあたりが有力。いいグルーヴです。

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左から、アーニー・フリーマン、スナッフ・ギャレット、アール・パーマー。壁面の吸音材の形状から考えて、場所はユナイティッド・ウェスタン・レコーダーと思われる。

そこまではいいとして、ピアノもほかのセッションと同じように、フリーマン自身のプレイなのでしょうか。だとしたら、やっぱり、アレンジャーとしてばかりでなく、プレイヤーとしてもたいしたものだったのだなあ、と見直しちゃいます。目の覚めるようなプレイです。

ギャレット=フリーマンのコンビから、もうひとつ推測できることがあります。スタジオはユナイティッド・ウェスタンだということです。この弦の鳴りから考えて、確率98パーセントぐらい。すべての条件が、ほうっておいてもいい音になってしまうように整っているのです。だからいつもいっているでしょ、これがハリウッドというインフラストラクチャーのすごいところなのです。

ノーマルな歌もののFly Me to the Moonとしては、このジュリー・ロンドン・ヴァージョンがいちばんいいと思います。

◆ クリス・モンテイズ盤 ◆◆
f0147840_0272775.jpgテンポのゆるいものは概して苦手なので、そういうものはオミットさせていただき、速めのものとしては、ほかにクリス・モンテイズ(ご本人の発音にしたがってカタカナ表記した)盤があります。この時期のクリス・モンテイズのバンドは、ハル・ブレインをはじめ、手練れがそろっていて面白いのですが、この曲は、大満足とまではいきません。小満足ぐらいです。

クリス・モンテイズの盤で面白いのは、ハル以外では、ピアノが非常にいいことです。主としてピート・ジョリーが弾いていたようですが、ハル・ブレインの回想記によると、バディー・グレコが来ていたこともあったそうです(テレビ番組だけのワンショットだろうが、バディー・リッチとグレコが共演したトラックがあって、これがすごいのなんの! いや、リッチ、グレコの両方ともが、ということ)。

Fly Me to the Moonのピアノがどちらかはわかりませんが、いずれにしても、いいプレイヤーです。しかし、こういう曲で、こういうテンポでは、あまり活躍の余地がありません。活躍の余地がないといえば、ハル・ブレインも同じです。このテンポでフィルインを入れると、どうしてもせわしない印象になるのを否めません。いや、ちょっとだけタムを入れてくれたので、まちがいなくハルと確認できたのですが、でも、このフィルはないほうがいいだろうと思います。

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ピート・ジョリー(左)とバディー・グレコ

ということで、いくらなんでもテンポが速すぎるかな、と感じますが、その点をのぞけば、悪くないトラックです。ただ、このアルバムは、ほかにすごくいい出来のトラック(タイトル・カットのThe More I See YouやCall Me)があるので、相対的に印象が薄いのです。

◆ エイプリル・スティーヴンズほか ◆◆
ほかに気になる歌ものFly Me to the Moonとしては、エイプリル・スティーヴンズのものがあります。うまいとはいいかねるのですが、目立つ声をしているし、あまりスムーズとはいえない、変わった歌い方をするので、なんとなく気になるシンガーです。こういう風に、同じ曲のヴァージョンくらべをやるときには、得な人だと思います。まあ、うまくないところが目立ってしまって損だ、と逆のこともいえるかもしれませんが。

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エイプリル・スティーヴンズは、前付けのヴァースをうたっています。前付けヴァースまでうたっているのは、うちにはほかにイーディー・ゴーメ、ジャック・ジョーンズ、トニー・ベネットのものしかないようです。この前付けヴァースは、メロディー・ラインが平板で、しかも永遠につづくかと思うほど長いので、わたしのように短気な人間は、もう能書きはよくわかったから、さっさと本題に入れ、とイライラしてしまいます。切ったほうが正解。

f0147840_0373852.jpgアストラッド・ジルベルトはいつもの調子です。彼女の歌が好きならば、Fly Me to the Moonも楽しめるでしょう。わたしは、彼女のピッチの悪さに大きな違和を感じるときがあるので、このヴァージョンはそれほど好きでもありませんが。Fly Me to the Moonのように、音程がジャンプする箇所がある曲は合わないような気がします。語りに近い曲のほうがいいのではないでしょうか。

クリフ・リチャードのFly Me to the Moonは2種類ありますが、リメイクはスロウ・バラッド・アレンジで、まったく好みではありません。アップテンポ・ヴァージョンは、ファースト・ヴァースとコーラスはなかなか悪くないな、と思うのですが、そのあと、ドラム(ブライアン・ベネットでしょう)が入ってきて、思いきり派手にバックビートを叩き、うるさくキックを入れ、それとともに、全体が騒々しくなるのが好みではありません。ドラマーの責任ではなく、プロデューサー、アレンジャーの仕事ぶりが気に入らないということですが。

f0147840_0385889.jpgサンドパイパーズは、スペイン語(たぶん)でうたっています。このグループに向いている曲だと思うのですが、Fly Me to the Moonはぎくしゃくしたところがあって、あまり気持よくありません。もっと流れるようにスムーズにうたえばよかったような……。

まだ歌ものが残っていますが、もうバテバテなので、ここらで打ち切りとさせていただきます。インスト・ヴァージョンにはまったく手が着けられなかったので、もう一回延長して、明日以降にそちらのほうの棚卸しをします。
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by songsf4s | 2008-06-02 23:56 | Moons & Junes
The Fool of the Year by Johnny Burnette
タイトル
The Fool of the Year
アーティスト
Johnny Burnette
ライター
David Gates
収録アルバム
The Best of Johnny Burnette
リリース年
1961年
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今日も無駄話をしている余裕はないので、簡単に。ジョニー・バーネット、デイヴィッド・ゲイツという、ハリウッドだとそういう組み合わせもあるのね、というシンガーとライターです。

片やテネシー、片やオクラホマ、出会った場所はハリウッド。そういう音楽環境だったなあ、と思うのはまだ早い。出身地の話をはじめると、この曲の関係者はもうてんでんばらばら。カリフォルニアの人間を見つけるほうがむずかしいくらいです。

◆ 馬鹿の王者、受賞理由を語る ◆◆
それではさっそく歌詞へ。コーラスから入る構成です。

My friends all say, 'How could you be so blind?'
I never thought she was the cheatin' kind
I lost my pride
And now I fear that I'm the fool of the year

「友だちみんながいうんだ、『おまえはどうしてそんなめくらなんだ?』って、彼女があんな嘘つきとは思わなかった、まったく面目丸つぶれ、ぼくは今年度ナンバーワンの馬鹿かもしれない」

つづいてファースト・ヴァース。

Ring, ring the bells and spread the word around
The king of fools has at last been found
Let's get together and give a cheer
For I'm the fool of the year

「鐘を鳴らして、ニュースを伝えろ、とうとう馬鹿の王者が発見されたってね、みんな集まれ、声援を送ろう、なんたって、ぼくは今年度ナンバーワンの大馬鹿野郎さ」

ブリッジ。

Get the blue ribbons
Strike up the band
Come see the biggest fool
Believe me, here I stand

「青いリボンをつけろ、演奏をはじめろ、さあ、最悪の馬鹿を見てくれ、嘘じゃないさ、ほら、その証拠がここにいる」

リボンをつけるのは主役の印、演奏はファンファーレでしょう。いわれなくてもわかる、よけいな説明でした。

セカンド・ヴァース。

So you can see why I should get the prize
Since I'm the one who fell for all her lies
So clap your hands and I'll shed a tear
You're lookin' at the fool of the year

「これで、ぼくがこの賞を手にした理由はわかっただろう、彼女の嘘っぱちをみんな信じちゃったんだ、さあ、拍手をしよう、うれしくて泣けてくるね、君たちの目の前にいるのが、今年度ナンバーワンの大馬鹿野郎さ」

◆ 今年度ナンバーワンのドラマー ◆◆
f0147840_23325010.jpg以上、ありがちな歌詞というか、典型的なワン・アイディア・ストーリーです。そういうものは、展開しだいで勝負が決まることになっていますが、どうでしょうか? そこそこの出来ではあるけれど、ヒットに結びつくパンチラインはないと感じます。タイトルをひっくり返すとか、ずらすとか、そういうラインが必要だったのではないでしょうか。じゃあ、おまえが書け、なんて、だれにもいわれないことを前提にして、エラそうに小突きまわしているんですけれどね。

しかし、この曲、イントロが流れた瞬間、ムムッとなります。音としてはかなりなもんです。いや、なんでムムッとするかといえば、わたしはドラム馬鹿、夜目遠目笠のうちもなんのその、まごうかたなきアール・パーマー先生のドラミング。いやまったく、みごなグルーヴです。

アール・パーマーのディスコグラフィーを眺めていて思うのは、彼のピークは60年代はじめだということです。この時期にいい仕事が集中しています。すごく読みにくいでしょうが、いちおうディスコグラフィーをスキャンしてみました。

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Selected 45 discography of Earl Palmer 1960-64

61~62年は寝るひまもなかったにちがいありません。このときは、まさか、ハル・ブレインなんてのが彼を押しのけて、「お疲れでしょう、ゆっくり眠ってください」といわんばかりの八面六臂の大活躍をするとは思わなかったから、毎日ボヤいていたことでしょう。でも、おかげで過労死をまぬかれ、長寿を保たれたのではないでしょうかね。

◆ 盛者必滅の理 ◆◆
ジョニー・バーネットというと、You're SixteenかDreamin'ということになっています。たしかに、両方ともいい曲ですし、前者にはリンゴ・スターの有名なカヴァーがあるので、それもむりないとは思います。でも、盤を聴いてみれば、ほかにも捨てがたい曲がけっこうあります。

f0147840_23373174.jpgスウィンギング・ブルー・ジーンズがカヴァーしたIt Isn't Thereなんかも、なかなか面白い出来ですし、今日取り上げたThe Fool of the Yearだって、好調時ならチャートインしていたのではないかと感じますし、お蔵入りしたというカール・パーキンズ作のFools Like Meなんかも、どうしてリリースしなかったんだよ、といいたくなる出来です。

初期はジェリー・アリソンが叩いたようですが、途中からアール・パーマーがストゥールに坐ったおかげで、ドラミングを聴いているだけでも、こりゃすげえな、と思います。アールだけでなく、プロデューサーのスナッフ・ギャレット、アレンジャーのアーニー・フリーマンというのは、ボビー・ヴィーを売り出したのと同じスタッフで、いかにも60年代初期のハリウッドらしい、溌剌としたサウンドを楽しむことができます。

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ジョニー・バーネット(左)とグレン・キャンベル(右)

ボビー・ヴィーがリバティーに入社して最初の録音は、「スプリット・セッション」だったそうです。通常は3時間のセッションで4曲を録音します。「スプリット」とは、この3時間4曲を半分に割って、二人のシンガーのシングルAB面を録音することです。

で、ボビー・ヴィーとセッションをスプリットしたのが、ジョニー・バーネット。ボビーは、バーネットの録音(Dreamin'だった)を聴きながら、あっちはヒット曲だけれど、俺のはダメだ、と思ったそうです。ボビーは、ジョニー・バーネットの録音のあまった時間を分けてもらうだけの、たんなる付録の立場だったのです。

f0147840_23433528.jpgしかし、そのあとのキャリアは逆転します。ジョニー・バーネットは、すぐに右肩下がり、ボビー・ヴィーは飛ぶ鳥を落とす勢いになります。いま、音を聴いても、資料を読んでも、どこでそんな差がついたのか、読み取るのは簡単ではありません。もっとも明白なことは、オールドン・ミュージック(バリー・マンのWho Put the Bompの記事を御参照あれ)の曲は、ボビー・ヴィーにいっているということです。ギャレットが、なぜバーネットにオールドンからの曲を廻さなかったのか、そのへんは手がかりがないのでわかりませんが、これがバーネットのキャリアの失速の原因かもしれません。

しかし、いま聴いて、オールドンであろうがなかろうが、かなりいい曲があったのに、ヒットしなかったことが引っかかります。あるいは、プロモーションのリソース配分が原因のひとつかもしれませんし、ティーン・アイドルとしては、ボビー・ヴィーのほうが役柄にピッタリだったということもあるかもしれません。まあ、そういうことは、いまあれこれ想像しても、詮方ないことで、どうでもいいといえば、どうでもいいのですが。

半世紀の時間がたってみれば、わたしの耳に聞こえるのは、アール・パーマーの飛び跳ねるようなビートと、おそらくはアーニー・フリーマンの仕事であろう、脳天気なアレンジメントだけです。いまの時代、これほど底抜けに明るい音は、たとえサザン・カリフォルニアでだって、もうつくれないにちがいありません。

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ディスコグラフィーのスキャンと貼り合わせに思わぬ時間を食ってしまい、あれこれ書く余裕がなくなってしまいました。たまには手早く終わるのも、お互いの身のためかもしれないので、これでいいのでしょう。
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by songsf4s | 2008-04-19 23:56 | 愚者の船
Cherry Pink and Apple Blossom White その1 by the 50 Guitars of Tommy Garrett
タイトル
Cherry Pink and Apple Blossom White
アーティスト
The 50 Guitars of Tommy Garrett
ライター
Louiguy (aka Louis Guglielmi), Mack David (English lyrics)
収録アルバム
Maria Elena
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Perez Prado & His Orchestra, the Ventures, Chet Atkins, Billy May with Les Baxter, Eddie Calvert, Jerry Murad, Stanley Black, Michel Legrand, the Fabulous Thunderbirds, the Atlantics, Pat Boone
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桜の時季となると、Cherry Pink and Apple Blossom Whiteは、ぜったいに避けられない曲でしょう。いや、嫌いなら、それでもまたいで通るのですが、楽曲としてもよくできていますし、そして、ありがたいことに、いいヴァージョンがたくさんあるのです。

じっさい、看板にできそうなのが数種類もあり、ひさしぶりの長考になりましたが、どなたでも手軽に試聴できるという理由で、50ギターズを選びました。当ブログのおなじみさんには毎度くどくて恐縮ですが、右のリンクからいけるAdd More Musicで、50ギターズのLPをリップしたMP3が公開されていますので、よろしければお聴きになってみてください。CD化はされていません。

いつもならここで歌詞の検討へと移るのですが、この曲はインストゥルメンタルとして有名ですし、英語詞はあとからつけられたものにすぎず、内容もべつに面白いというほどのものでもないので、割愛させていただきます。いや、ヴァージョンが多いので、2回に分けることになるでしょうから、後編で余裕があれば、ざっと見るかもしれません。

◆ 桜の伝播経路 ◆◆
この曲のだれでも知っているヴァージョンはペレス・プラード盤です。これがオリジナルだと思っていたのですが、原曲はフランスもので、オリジナル・タイトルは"Cerisier Rose et Pommer Blanc"というのだそうです。

cerisierという単語は知りませんが、たぶん、cherryに対応するフランス語でしょう。残りは簡単です。etはand、pommerはapple、blancはwhiteだから、英語タイトルはこれを直訳したものとわかります。スペルは知りませんが、日本では「セレーソ・ローサ」のタイトルで知られているわけで、セレーソもまたcherryに対応するスペイン語またはポルトガル語なのでしょう。

f0147840_22591958.jpgこの曲を書いたのLouiguy(ルイーギュとでも読むのか)は、エディット・ピアフの代名詞であるLa Vien Roseの作曲者でもあるそうです。「だれでも知っている曲」といえるほどのものを2曲も書いた人というのは、そうたくさんはいないでしょう。

当然、フランス人と思いたくなりますが、バルセロナ生まれのイタリア系カタルーニャ人だそうです。スペイン人といってかまわないのですが、わが友のカタルーニャ学者によると、カタルーニャ人は自分たちをスペイン人とは考えていないのだとか。

英語の資料でわかるのはこのあたりまでで、この曲の誕生の経緯や、フランスでのヒット/ミスなどはわかりません。わからないということは、伝えるべきほどのことはなにもないということのような気がします。ペレス・プラード盤がモンスター・ヒットにならなければ、だれにも知られずに消えていった可能性が大です。

◆ スナッフ・ギャレットと50ギターズ ◆◆
手続きは終わったので、各ヴァージョンの検討に移ります。今回はギターものを中心にいくことにして、まず看板に立てた50ギターズ盤。50ギターズについては、当ブログではすでに何度か言及しているのですが、検索してリンクを張るのも面倒なので、また繰り返すことにします。

リバティーのプロデューサーとして活躍した、トミー・“スナッフ”・ギャレットという人がいます。ボビー・ヴィー、ゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ、ジーン・マクダニエルズなどを通じてご存知の方も多いでしょう。

f0147840_231247.jpgギャレットは、以上のようなネーム・アーティストのもの以外にも、当然、多くの盤をプロデュースしていますが、彼のもうひとつの顔といえるのが「企画盤屋」です。50ギターズ・シリーズはその代表です。ほかには、たとえば、バーバンク・フィルハーモニックなんていうスタジオ・グループ(ドラムはハル・ブレインなので、他のメンバーも想像がつく)もあります。これは、なんといえばいいのか、大昔のブラス・バンドかダンス・バンドのスタイルで、現代(いや、つまり60年代のこと)の曲をやる、というものです。

バーバンク・フィルハーモニックは、The First (Maybe the Last)というデビュー盤のタイトルが示すとおり、1枚で消えたようですが(確証なし。たんにセカンドを発見できないだけ)、50ギターズは、Add More Musicの50ギターズ・ページにおけるキムラさんの解説によれば、20枚以上の盤を残したのだそうで、大成功企画だったことになります。これに匹敵するシリーズはエキゾティック・ギターズ(キムラさん命名するところのEG's)だけでしょう。こちらもAdd More Musicで聴くことができますので、2種のヒット企画の比較なんてことをなさってみてはいかがでしょう。

50ギターズの成功は、アイディアの独創性(まあ、マンドリン合奏のギター版みたいなものなので、きわめてオリジナルというわけではありませんが)とサウンドのよさのたまものだと思います。

◆ 50ギターズ盤Cherry Pink ◆◆
わたしは最初の2枚しかもっていないので、現物のクレジットを確認したわけではないのですが、途中からアレンジャーがアーニー・フリーマン(ボビー・ヴィーをはじめ、ギャレットはしばしばフリーマンを起用している)になり、そのあたりから、サウンドが非常によくなってきたのだと考えています。

キムラさんの解説によると、アーニー・フリーマンがクレジットされるようになるのが、まさにこのCherry Pink and Apple Blossom Whiteが収録されたアルバム、Maria Elenaからなのだそうで、たしかに、さもあらん、という音作りになっています。

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From left to right; arranger Ernie Freeman, producer Snuff Garrett, drummer Earl Palmer. 左からアーニー・フリーマン、スナッフ・ギャレット、アール・パーマー。壁面の吸音材の形状から、場所はユナイティッド・ウェスターン・リコーダーと考えられる。

Add More Musicで現在のところ聴ける10枚しか知りませんが、これまでの50ギターズの盤のなかでは、Maria Elenaがもっとも充実していて、なかでも、このCherry Pink and Apple Blossom Whiteは最上位にくるものと考えています。リード・ギターのトミー・テデスコのプレイを楽しむなら、ほかのトラックのほうがいいでしょうが、この企画の本来の目的である、多数のギターによるアンサンブルという面では、じつによくできています。

まず第一に、アレンジがはまっています。メロディーのおかげでカウンター・メロディーをつくりやすかったという面もあるでしょうが、じゃあ、ほかのヴァージョンもみなそうかといえば、そんなことはないのだから、これはアーニー・フリーマンの手腕といえます。

どこがいいかというと、なんといっても、後半(サード・ヴァース以降)のカウンター・メロディーです。後半はオブリガート隊(オーケストラ風にいえば、メロディー担当の「第一ギター」に対し、「第二ギター」という感じ)のある右チャンネルに、ずっと耳を取られっぱなしになるほどです。

50ギターズでは、トラップ・ドラムが使われるのは稀で、この曲でもドラムはブラシによるスネアのみです。活躍するのはコンガほかのラテン・パーカッションで、Cherry Pink and Apple Blossom Whiteも、いつものように、派手にコンガが鳴り響いています。うまい人じゃないと、こんなにきっちりした音は出ません。ひょっとしたら、アール・パーマーが、スネアではなく、コンガを叩いたのではないかという気がします。むちゃくちゃにスナップの利いた、おそろしく痛そうな音! コンガが生き物だったら撲殺されちゃいそうです。

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Earl Palmer in a movie set with conga drum. アール・パーマーとコンガ。1961年の映画The Outsiderのセットで。

もともと50ギターズは全体のアンヴィエンスが気持ちいいのですが、この盤ではいよいよ音の空間表現が堂に入ってきたと感じます。エンジニアがだれかわかりませんが、名のある人でしょう。

スナッフ・ギャレットは、リバティーのプロデューサーでありながら、自社のカスタム・レコーダーでは録音せず、しばしばユナイティッド・ウェスターンを使っていたということなので、そのあたりからエンジニアの候補は3人ぐらいに絞り込めますが、コメント欄で専門家にツッコミを入れられる可能性が高いので、推測はせずにおきます。

ただひとつ残念なのは、トミー・テデスコの見せ場がないことですが、それはほかのトラックで聴けばいいことです。

◆ ザ・ストレンジ・ヴェンチャーズ ◆◆
つぎは、好みだけでいえば、ヴェンチャーズ盤です。こちらのほうを看板にしようかと最後まで迷ったぐらいで、リード・ギターのプレイにかぎれば、じつに楽しいヴァージョンです。

f0147840_2315424.jpg初期のヴェンチャーズ(Cherry Pink and Apple Blossom Whiteは、アルバムThe Colorful Ventures収録)は、とくにそれを否定するデータ(コントラクト・シートの記載)が出てこないかぎり、ビリー・ストレンジがリードをとったと考えればいいことになっています。この曲でのサウンド、スタイルにも、ビリー・ストレンジであるという想定を否定する材料はありません。ふだんのヴェンチャーズ・セッションにおけるビリー・ストレンジのサウンドであり、スタイルです。

ヴェンチャーズ盤Cherry Pink and Apple Blossom Whiteのなにがいいといって、コード・プレイをたっぷり楽しめることです。この曲はハーモニーをつけやすいメロディーラインで、ビリー・ストレンジは、下にハーモニーをつけて2本の弦をいっしょに弾くプレイを多用しています。

しからば乃公も、てえんで、ちょっとなぞってみましたが(テープ速度をいじったらしく、ハーフ・トーンなので、チューニングを変えなくてはならないのがつらいが、たまたま50ギターズもハーフ・トーンなので、並べてプレイすると便利!)、速すぎて追いつけず、もうすこし練習しないとなあ、と敢闘むなしく敗退。

このプレイを、よけいな音を出したり、弦の1本をスカにしたりせずに、すべてきれいにやっているあたりは、さすがはボスです。この曲は日本でも有名なのに、昔、アマチュア・ヴェンチャーズ・コピー・バンドのものを聴いたことがないのは不思議だと思いましたが、このコード・プレイはちょっと敷居が高かったのだと、弾いてみてわかりました。

◆ チェット・アトキンズ ◆◆
もうひとつすばらしいヴァージョンがあります。チェット・アトキンズ盤です。Cherry Pink and Apple Blossom Whiteでは、例の親指でベースを入れる、チェット・アトキンズといえばだれでも思い浮かべるあのプレイはしていませんが、伝家の宝刀は抜かずとも、通常兵器のみでやっても、うまいひとはやっぱりうまいのです。

f0147840_23214958.jpgチェットは、ビリー・ストレンジとはちがう箇所ですが、やはりコード・プレイを多用しています。純技術的に見れば、こちらのほうが難度が高いでしょう。じっさい、よくこんなプレイを連続的に息もつかせず繰り出すものだと呆れます。空振りだのよけいな音だのといったものはいわずもがな、音をちびっちゃったなんていう「記録に表れないエラー」もありません。その他、ただ聴いているだけではなにをしたのかわからないプレイもあり(じゃあ、やっぱり、またなぞったか、といわれちゃいそうですが、なぞりません。無理です)、毎度ながら、すごいものです。

バッキングはアップライト・ベース、リズム・ギター、サイドスティックのみのドラム、カウベルというシンプルな編成で、マンボではなく、ルンバ風のノリです。サイドスティック以外に、スラップスティックか、またはドラムスティック同士をたたき合わせているような音がときおり聞こえるのが、ちょっと気になります。バディー・ハーマンあたりが、サイドスティックのプレイをしながら、同時に、そのサイドスティック・プレイをしている左手のスティックを、右手のスティックで叩く、なんていう高等技術を使った可能性もゼロならず。こういうのは、その場で見てみたいものです。

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ハリウッドのチェット・アトキンズ。背後のギタリストはハワード・ロバーツ。そういうメンバーで、ハリウッドで録音された盤があるのだそうだが、残念ながら未聴。ぜひ聴いてみたい一枚。

◆ アトランティックス ◆◆
もうひとつギターものがあります。オーストラリアのサーフ・インスト・バンド、アトランティックスです。このバンドについては、昨夏、Theme from A Summer Place by the Lettermenの記事ですでにふれています。

オーストラリアというお国柄を反映して、大英帝国インスト・バンド群の頂点に君臨するシャドウズの影響が濃いところが、このバンドの面白いところですが、よく似ているから面白いわけではありません。なんだか、ドサ廻りのシャドウズの偽物、シャドウズがグレて、サーフィン野郎に変身し、下品な曲を投げやりにやっているみたいなところが面白いのです。つまり、早い話が、あまりうまくないのです。

サーフ・マニアは下手なバンドの非音楽的ノイズに対する強い免疫をもっているので、このかぎりではないでしょうが、わたしの場合、小学校のときに好きだったBomboraとAdventures in Paradiseの2曲があれば、それで十分と思っています。もうすこしエキゾティカ方面をやっていれば、まめに集めるのですが、サーフ・ミュージックとパンク・ミュージックが兄弟であることを証明するようなトラックのほうが圧倒的に多いのです。

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で、アトランティックス盤Cherry Pink and Apple Blossom Whiteの出来は如何というと、うーん、どんなものか、です。ギターはそこそこがんばっていますし、なにをどうしたのかよくわからない不思議なサウンドによる効果音的なギターのオブリガートも、面白いか面白くないかはさておき、変わっていて耳を驚かしますが、ドラムに絶句してしまうのです。

それも、タイムがいいの悪いの、上手いの下手のなどという以前の問題で、どうしてそういうプレイを選択したのか理解に苦しむ、というリズム・アレンジなのです。まるで、幼児にスティックをもたせ、いまからおじさんたちがギターを弾くから、そこでなにか叩いてごらんとやらせてみた、というおもむき。意表をつく意外千万プレイの連続で、なにがしたいのかさっぱりわからず、大人の常識では意図を推しはかることは不可能です。

まあ、凡庸ではないことはたしかですし、音楽に笑いを求める人にも向いているかもしれないので、ゲテ好き、いかもの食いの方は、アトランティックスをひとつお試しあれ。

◆ ファビュラス・サンダーバーズ盤 ◆◆
ギターもののCherry Pink and Apple Blossom Whiteの棚卸しは以上をもって完了で、切りがいいのですが、ここで終わってしまうと、明日がつらそうなので、もうすこしつづけます。

f0147840_23493198.jpgギターものに近い雰囲気なのが、ファビュラス・サンダーバーズによる、ブルーズ・ハープが中心になったエレクトリック・ブルーズ・バンド編成のヴァージョンです。そういうタイプのバンドがやるには不向きな曲ですが、そのミスマッチの面白さを狙ったものでしょう。そもそも、時期的に(1981年リリース)わたしの守備範囲外で、なんにも知りません。たんに、オムニバス盤に入っていただけです。

こういうバンドだと、身近なところで、バターフィールド・ブルーズ・バンドと比較してしまうのですが、ギターはマイケル・ブルームフィールドから一段下がるどころか、九十三段ぐらいは落ちるので比較になりません。ハープは、ポール・バターフィールドと比較しても、それほど失礼ではないだろう(もちろん、バターフィールドに対して)と感じます。でも、バターフィールドのハープは、歌なんかやめたほうがいいってくらい、圧倒的にうまいですからねえ。やっぱり負けています。

しかし、退屈な80年代のものにしてはいいほうで、ナスティーな南部風味も悪くありません。とはいえ、これを機会にこのバンドを集めようとは思いませんでした。

残るヴァージョンの大部分を占めるオーケストラ/ビッグバンドものは、明日以降に持ち越しとさせていただきます。
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by songsf4s | 2008-03-27 23:54 | 春の歌
Summer Wind by Frank Sinatra その2
タイトル
Summer Wind
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Johnny Mercer, Heinz Meier, Hans Bradtke
収録アルバム
Strangers in the Night
リリース年
1966年
他のヴァージョン
duet version with Julio Iglesias by the same artist, Wayne Newton
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◆ 外国語曲の「訳詞」というもの ◆◆
まずは前回の補足から。

昨日から調べていてわからないのは、この曲の出所です。ソングライター・クレジットから考えて、ドイツの曲にジョニー・マーサーが英語詞をつけたのではないかと思われます。ウェイン・ニュートン盤のほうには、二人の作者しかクレジットされていません。Hans Bradtkeという名前はないのです。つまり、この人がドイツ語詞のライターだということではないでしょうか。

原曲を聴いたことがなく、聴いたところでドイツ語ではわかりもしませんが、ジョニー・マーサーが、原曲に対してある程度は忠実であろうとしたという可能性も否定できません。となると、凧は原曲にあったのかもしれません。このへんは微妙です。

f0147840_1202552.jpgStrangers in the Nightも、(話がややこしくなりますが)ウェイン・ニュートンの代表作であるDanke Schoenの作者にしてオーケストラ・リーダー、ドイツのベルト・ケンプフェルト(固有名詞英語発音辞典では、カタカナにすると「ケンプファト」とでもすればいいような音になっている)の曲ですが、こちらは(幸いにも)もとがインストゥルメンタル曲なので、ドイツ語詞は存在せず、シナトラの録音に際して書かれた「オリジナル英語詞」です。しかし、Danke Schoenはどうなのでしょうね。あるいは、ディーン・マーティンが歌ったVolareは?

こういうことを考えはじめると、頭が痛くなってきます。ジルベール・ベコーの曲を英語にしたLet It Be Me、ジャック・ブレルの曲をもとにしたテリー・ジャックスのSeasons in the Sun、外国語の曲を英語化したものは、それなりの数があるのです。坂本九の「上を向いて歩こう」が、東芝盤をそのままリリースしたものであったのは、幸いでした!

よけいなことばかり書きましたが、外国語の曲に英語の歌詞をつけたものは、歌詞の検討などしないほうがいいのかもしれない、という気がしたのです。ただ、マーサーの歌詞というのは、たとえばMoon Riverあたりでも、ただスムーズなだけではなくて、何カ所か、これはどういう意味だろう、なぜこういうことをいっているのだろうと考えさせる、エニグマティックなところがあるのものたしかです。

◆ A&Rは「事務方」か? ◆◆
ということで、こんどはすっと前回のつづきに移りたいのですが、やっぱり、こちらの橋にも小鬼が待ちかまえています。ここでもまた、昨日は引っかかりを感じながら、残り時間僅少のフルスロットル状態だったために、とりあえず殴り倒して通りすぎたことが、あとで冷静になると、瘤のようにふくれあがってきました。

べつにシナトラだけのことではなく、昔の盤ではめずらしくなかったことなのですが、プロデューサー・クレジットがない、というのが引っかかるのです。Softly, As I Leave You、Strangers in the Night、そして昨日はふれなかったThat's Lifeといった、60年代中期のシナトラのヒット曲をプロデュースしたのがジミー・ボーウェンだとわかるのは、盤に書いてあるからではなく、Sessions with Sinatraに書いてあるからなのです。盤に書いてあるのは、アーニー・フリーマンのアレンジャー・クレジットだけです。

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左から、アーニー・フリーマン、スナッフ・ギャレット、アール・パーマー。こちらはリプリーズではなく、リバティーの音をつくった主役たち。

今回の記事のために検索して見つけたシナトラのディスコグラフィーは、作成者もいっているように、じっさいにはセッショノグラフィーなのですが、やはりプロデューサーの名前はありません。かわりにセッション・リーダーの意味と思われるldrの略字のクレジットがシナトラについています。シナトラがプロデューサーだったというのなら、それでいいのですが、Sessions with Sinatraではジミー・ボーウェンがプロデュースしたとされている曲にも、シナトラはldrとしてクレジットされています。

「これはなに? ここからなにを読み取れっていうんだ?」

と叫びますよ、ホントに。プロデューサーは重要ではない、シナトラとアレンジャーのゲームなのだ、ということでしょうか。プロデューサーはあくまでも「事務方」であると?

たしかに、リーバー&ストーラーやその弟子であるフィル・スペクターが、「これが俺のプロデュースした盤、そしてこの俺がプロデューサー」と言いだすまでは、プロデューサー(ではなく、当時の呼び名はA&R、すなわち、アーティスト&レパートリー・マン)が表面に出ることはなかったわけで、レコード制作の主役とは考えられていなかったのかもしれません。

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60年代に入ってからのシナトラの苦闘ぶりをチャートの数字でご覧いただきたい。項目の意味は、左から、ホット100登場日付、ピーク・ポジション、チャートイン週数、そしてタイトル。数こそあるが、トップ40に届かなかったものがほとんどで、Softly, As I Leave Youでボーウェンが登場するまで、シナトラがほとんど死に体になっていたことがわかる。

ジミー・ボーウェンは、That's Lifeの録音のとき、歌い終わってブースに上がってきたシナトラに「どうだ、ヒットだろ?」といわれ、「いや……残念ながら」とこたえ、「後にも先にも、アーティストにあんな冷たい目でにらまれたことはない」という恐怖を味わいながらも、頭に血がのぼったシナトラの貴重な「もうワン・テイク」を手に入れ(自分のミスが理由でないかぎり、シナトラはリテイクをしなかった。それだけ完璧にリハーサルをしてからスタジオに入るということだが)、それがヒット・ヴァージョンとなりました。

わたしは、プロデューサーのこういう役割を重要なことだと考えますが、昔のシンガーにとっては、たいしたことではないのかもしれません。「キャッチャーのリードがいいだの悪いだのというけれど、キャッチャーがボールを投げるわけではない、ボールを投げて打者を打ち取るのはピッチャーだ」という、昔の投手と同じような立場なのかもしれません。美空ひばりも録音の場をきっちり取り仕切ったそうですが、それが昔の人の当然の常識なのかもしれない、後年の見方で捉えるのは間違いかもしれない、と思えてきました。

抽象論は書くほうも読むほうも疲れるので、今夜はこれくらいで切り上げ、「フィールド」に戻ります。この曲を皮切りに、今後、シナトラは何度も登場する予定なので、なぜ、彼がひとりのアレンジャーに固執することなく、つねに数人に仕事を依頼していたかについては、そのときに改めて考えたいと思います。

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「シナトラ会」の会合 集合したかつてのシナトラのアレンジャーたち。左から、ビリー・メイ、ドン・コスタ、会長その人、そしてゴードン・ジェンキンズ。まるで「生きているアメリカ音楽史」たちの記念写真。

◆ 神の手になる絶妙のバランシング ◆◆
Summer Windはネルソン・リドルのアレンジですから、理屈のうえからは、ジミー・ボーウェンとアーニー・フリーマンがつくった「新しいシナトラのサウンド」ではなく、「昔なじみのシナトラ」の音になりそうです。しかし、じっさいの音は、新しいとまではいえないものの(新しいのは翌年のThat's Lifeのほう)、それほど古くさい音でもありません。イントロを聴いただけで、そう感じます。

f0147840_05590.jpgリズムはミディアム・スロウのシャッフル・ビート、ベースはスタンダップ、ドラムは、はじめのうちはスティックを使わず、フット・シンバルの2&4だけ、薄くミックスされたピアノのシングル・ノートのオブリガート、そして控えめなオルガン、リズム・セクションはそれだけで、あとは、左右の両チャンネルに配されたゴージャスな管がシンコペートした装飾音を入れてくる、というようなアレンジですから、文字面からは、数年前の、いや、十数年前のシナトラと大きなちがいはない、とお感じになるでしょう。ちがいがあるとしたら、マイク・メルヴォインがプレイしたというオルガンのオブリガートだけなのです。

オルガンなんてものは、以前からある楽器ですし、ハモンド・ブーム(ラウンジ方面を追いかけると、そういうものがあったことがわかってくる)は数年前のことで、目新しくもなんともないのですが、こういうことというのは、文脈のなかで捉えないとわからないもので、「シナトラ文脈」においては、なんとも新鮮な音に響きます。

しかし、べつの側面もあることに気づきます。スーパー・プレイもファイン・プレイもなし、どこといってどうというわけではないのに、でも、なんだかむやみに気持ちがいい、という音に出合ったら、とりあえずエンジニアをほめておけ、という大鉄則があります(わが家の地下室で捏造した鉄則ですが)。わたしの性癖をご存知の方は、もう「またかよ」とおっしゃっているでしょう。そう、この曲もリー・ハーシュバーグの録音なのです。シナトラの盤にはエンジニア・クレジットもないので、こういうこともSessions with Sinatraを読まないとわからないのですが。

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スラトキン、リドルの代打でタクトを振る エンジニアはいつも冷遇されるもので、リー・ハーシュバーグの写真は残念ながらわが家にはありません。かわりに、コンサート・マスターだったヴァイオリニストのフィーリクス・スラトキン(リドルはスラトキンに指揮を学んだ)が、ツアー中のリドルに代わってコンダクトしたときのめずらしい写真をどうぞ。チェリストの奥さん、エリナー・スラトキンとシナトラの写真は、次回、シナトラが登場したときにでも。

この本では、ビル・パトナムの弟子筋らしいエンジニアが何度もコメントしていて、Strangers in the Nightを録音したエディー・ブラケットを、これでもか、これでもか、と徹底的にこき下ろし、いっぽうで、リー・ハーシュバーグを大神宮様のように神棚に祭り上げて柏手を打っています。Strangers in the Nightでは、エディー・ブラケットも奥行きとスケール感のある音をつくっていて、けっして悪いエンジニアではないと思いますが(コンソールの前で立ち上がり、踊りながら録音したというエピソードが披露されているので、そういう人間的側面も嫌われたのでしょう)、リー・ハーシュバーグを神棚に祭り上げることについては、当方も異存がありません。

いつものように、Summer Windでも、ハーシュバーグは絶妙のバランシングをやっています。イントロは、ときにはその盤がヒットになるかミスになるかを左右するほど重要ですが、さすがはハーシュバーグと思うのは、薄くミックスされているだけなのに、ちゃんと存在を主張しているイントロのオルガンのバランシングです。最初の拍を構成する、スタンダップ・ベース、フット・シンバル、オルガン、この響きがじつになんとも素晴らしいのですよ、お立ち会い。これでヘボが歌えばぶち壊しですが、舞台は上々、シナトラ、上手より登場する、なのだから、ここで大向こうから拍手が起きなければ、大向こうのほうがヘボなのです。

◆ シナトラの骨法、ただし、ほんのさわりのみ ◆◆
シナトラの盤を相手に、シナトラを聴かずに、リー・ハーシュバーグを聴くなんていう外道は、広い世間にもそう多くはいないわけで、言い訳程度の粗品で恐縮ですが、シナトラの歌についても少々書きます。歌を云々するのは柄ではないので、かるーく読み流してください。

f0147840_1115213.jpg前回、「やるべきことをちゃんとやっている」といいながら、どこでそう感じるのかということを説明しなかったので、その点について。この曲は三つのヴァースがあるだけで、コーラスもブリッジもありません。こういうときこそ出番なのに、チェンジアップとしての間奏もないのです。つまり、単調になってしまう恐れが強く、カラオケで素人が歌ってはいけないタイプの曲です。

プロ、というか、フランク・シナトラはそういうときにどうするかというと、もちろん、アレンジで味つけを変えもするのですが、シナトラ自身も、ヴァースごとに、ちゃんとニュアンスを変えて歌っているのです。

そよ風のようにそっと忍び入るファースト・ヴァース、Like painted kitesという音韻に合わせ、スタカート気味にすこしアクセントを強めに入るセカンド・ヴァース、E♭からFへと全音転調するサード・ヴァースでは、ピッチが上がるのに合わせて、もっとも強くヴァースに入り、最後はソフトに、ソフトに、歌い終えています。

f0147840_0361016.jpgこういう歌をどううたえばいいか、その方法を熟知しているから、そして、それをみごとにやってのけるだけの力があるから、彼はフランク・シナトラになったのです。これがあるから、繰り返し彼の歌を聴いていると、コーヒーを入れに台所に立ったときに、ついその気になって、「マイ……フィクル・フレン……サマウィン」などと、シナトラになったつもりで、シンコペーションを使いながら(あんなんじゃシンコペーションを使えたことにはならないんだってば>俺)口ずさんでしまうわけですね。困ったものです。

シナトラの独特のシンコペーションのことを書くべきのように思うのですが、まだチャンスはあるので、そのときに、ということにします。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
他のヴァージョンに簡単にふれておきます。フリオ・イグレシャスとのデュエットは、最初の小節からいきなりシナトラの声と歌いっぷりの衰えを強く感じるもので、聴かずにおくにしくはなし、です。シナトラだって、やっぱり年をとってしまうのです。

f0147840_029983.jpg「ミスター・ラス・ヴェガス」ウェイン・ニュートンは、いつだったか、ラス・ヴェガス署の鑑識の連中に思い切り馬鹿にされていましたが(『CSI』のエピソードでのことですがね)、ドラマのなかで揶揄のネタにされるほど、彼が有名であり、ラス・ヴェガスの主みたいなものだということです。

シナトラの録音は1966年5月ですが、ウェイン・ニュートン盤Summer Windは、ボビー・ダーリンのプロデュース、ジミー・ハスケルのアレンジで、65年7月に録音され、シングル・カットされています。悪くもありませんが、べつに面白くもないサウンドで、78位止まりというビルボード・ピーク・ポジションは盤のポテンシャルどおりの結果に思えます。

ウェイン・ニュートンという人は、気体のように薄くて軽い声をしていて(いやまあ、声に実体はないので、あらゆる人間の声が気体のように薄くて軽いぞ、といわれちゃいそうですが)、けっこう好きです。ただ、薄くて軽ければそれでいいのか、ということも感じます。やはり芸に幅がなく、飽きがきてしまうのですね。

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ウェイン・ニュートン(中央)とトミー・テデスコ(右)

ときおり編集盤に採られる、Comin' on Too Strong(ハル・ブレインがニュートンのケツをイヤッというほど思いきり蹴り上げている!)で、これは面白そうだと思った人も、ほかにはああいう曲がなくて、あれっと思ったのではないでしょうか。ラス・ヴェガスが悪いとはいいませんが、あそこに腰を落ち着けて稼ぐようになるのは、キャリアのごく初期から定められていた運命だったと感じます。まあ、Danke Schoenがあるんだから、食うには困らないでしょう!


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◆ 重要な訂正(2007年9月5日) ◆◆
Wall of Houndの大嶽さんに教えていただいたのですが、ペリー・コモ・ディスコグラフィーに、Summer Windの原曲の作詞家である、Hans Bradtkeに関する記述がありました。

それによると、Summer Windのオリジナルである、Sommervindはデンマーク語で書かれたもので、最初に録音したのは、デンマークのGrethe Ingermannという人だそうです。

ただし、原曲の作者二人はともにドイツ人で、ハインツ・マイヤーのほうは第2次大戦中にデンマークに移住し、その後、さらにアメリカに渡ったとあります。

コメントのなかに、ウェイン・ニュートン盤がアメリカで最初にリリースされたものではないかと書きましたが、ペリー・コモのディスコグラフィーも、そのように「伝えられている」としています。

ペリー・コモ盤は、ウェイン・ニュートン盤と同じ65年に、チェット・アトキンズのプロデュースで、ナッシュヴィルで録音されたとあります。ただし、リリースはされなかったそうです。

ライター・クレジットから、てっきり原曲はドイツ語だろうと思ったのですが、以上のような経緯だそうですので、謹んで訂正いたします。
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by songsf4s | 2007-09-03 23:48 | 過ぎ去った夏を回想する歌
Summer Wind by Frank Sinatra その1
タイトル
Summer Wind
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Johnny Mercer, Heinz Meier, Hans Bradtke
収録アルバム
Strangers in the Night
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Wayne Newton, duet version with Julio Iglesias by the same artist
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f0147840_23575127.jpg熱烈なフランク・シナトラ・ファンは、ふつう、コロンビアやキャピトル時代、あるいはそれ以前を愛しているもので、リプリーズ時代には思い入れがないようです。わたしが好きなビートルズはRubber Soulまでで、Abbey Roadをロック史上の傑作などとしているものを読むたびに、あんなガラクタの寄せ集めが? まさかね! スタジオ・テクニックでボロを隠したパッチワークじゃないか、と嗤うのに似ているのでしょう。

キャピトルおよびそれ以前と、リプリーズのどちらをとるかといわれたら、わたしはリプリーズ時代、それも1960年代中期を選びます。わたしがよく知っている音の響きが聴き取れるからです。あとからいろいろ読むと、ジミー・ボーウェンが登場したことから、そういう流れ、ほんの一時のものにすぎない寄り道があっただけのようですが、そのへんは後段ですこしふれることにして、まずは音を聴きつつ、歌詞を見ていくことにします。

◆ 去りやらぬ風 ◆◆
この曲の詞はジョニー・マーサーですし、そもそもシナトラだから、録音スタッフ同様、こちらもちょっと緊張しそうになります。冷静に考えれば、マーサーもシナトラも、わたしがなにをしようと気づくはずもないのに!

The summer wind came blowin' in from across the sea
It lingered there to touch your hair and walk with me
All summer long we sang a song and then we strolled that golden sand
Two sweethearts and the summer wind

海を渡って吹いてくる夏の風がたゆたい、きみの髪にまとわりつき、わたしとともに歩む、夏のあいだずっと、わたしたちは歌をうたい、あの黄金の砂浜をそぞろ歩きした、二人の恋人たちと夏の風、といったあたりでしょうか。なんだか、もう手のひらが汗ばんできて、サード・ヴァースまでいけるだろうか、と不安になります。

f0147840_0114874.jpglingerというのは、ふつうはたとえば、記憶が去りやらぬ、とか、香りが残っている、といった場合に使うもので、吹き抜けていく風にこの言葉を使うのは、すこし引っかかります。潮風だから、ということでしょうか。strollは、目的地を目指して歩くことではなく、ぶらぶらと当てもなく歩くことなので、そういう風にイメージしてください。この曲をタイトルにした、ラウンジ系のインスト・アルバムだったら、もうジャケット写真のラフ・デザインはできたようなものです。

◆ 風にさらわれて ◆◆
つづいてセカンド・ヴァース。

Like painted kites, those days and nights, they went flyin' by
The world was new, beneath a blue umbrella sky
Then softer than a piper man, one day it called to you
And I lost you, I lost you to the summer wind


「凧のように、あの日日と夜夜も、飛び去ってゆく、青い傘のような空の下、世界は生まれ変わった、それなのに、笛吹男よりもそれはやさしくきみを誘いだし、わたしは君を失った、夏の風にさらわれて……」てなぐあいでよろしいでしょうか、なんて、いちいち、だれだかわからない天の上の人にお伺いをたてちゃいますよ。

なぜ、凧にわざわざpaintedという修飾がついているのかと、しばらく悩んだのですが、当面の判断としては、大きな意味はない、口調を整えるためになにか形容詞が必要だった、カラフルなイメージがほしかった、といったあたりで片づけています。ほかの可能性としては、Like flying kitesという逃げ道をすぐに思いつきますが、凧はもともと飛ぶものなので、これは非明示的なトートロジーとなり、あまり美しくありません。paintedのほうがずっとよいと感じます。

f0147840_23583985.jpgもうひとつ突っ込むと、凧は、flyはしますが、fly byはしません。糸の届く範囲で留まるものです。それなのになぜ凧を使ったのかと、ジョニー・マーサーの胸中を忖度すると、たぶん、浜辺でよく見るものだからでしょう。ほかに、トビやカモメ、土地によってはアジサシなども飛んでいますが、やはりカラフルなイメージをとったのではないでしょうか。そもそも、日本語には「糸の切れた凧」といういいまわしがあり、この場合、まさにどこへいってしまうかわからない頼りなさがあるのですから、われわれの場合、去ってゆくものの暗喩としての凧をイメージすることが十分に可能です。

piper manと表現されていますが、これはもちろん、pied piperすなわちハーメルンの笛吹き男のことをいっているにちがいありません。シラブルまたは音韻のせいで、pied piperを使わず、piper manとしたのでしょう。ここでいちばんわからないのは、it called to youのitが指すものです。ふつうなら、the worldですが、それでいいのかどうか。the summer windのような気もするのですが……。

あれこれ文句をつけましたが、この曲のなかで、わたしはこのヴァースがいちばん好きです。カラフルな凧、真っ青な夏の空、幸せな気分で蒼穹を見上げていたら、夏の風といっしょに笛吹男が忍び寄って、だいじな人をさらっていっちゃったんですね。でも、笛吹男はなにを暗喩しているのでしょうか? いや、答は風のなかに。

◆ じつは「過ぎ去った夏を想う歌」 ◆◆
この曲にはコーラスやブリッジはなく、このままサード・ヴァースに進んで、繰り返しがあって、フェイド・アウトします。ここで、さすがはシナトラ、ちゃんとやるべきことをやっている、と思うのですが、そのあたりのことはあとで書くことにして、歌詞を片づけます。これが終わらないと、汗も止まらないものですから。

The autumn wind, and the winter winds, they have come and gone
And still the days, those lonely days, they go on and on
And guess who sighs his lullabies through nights that never end
My fickle friend, the summer wind

「秋の風、冬の風は、ただやってきて、そのまま去ってゆくだけ、そして、あの日々、あの孤独な日々は、過ぎ去らずに、いつまでもつづく、終わらぬ夜をため息とともに子守唄をうたいつづけてすごすのはだれだと思う? わたしの気まぐれな友、夏の風よ」

このヴァースは解釈しにくいところがなく、読んで字のごとくです。ひとつだけ、ふーむ、と思うのは、マーサーのべつの曲を連想させることです。my fickle friendというフレーズを見て、なにか思いださないでしょうか。そう、彼がヘンリー・マンシーニの注文で書いたMoon Riverのもっとも有名なフレーズ、多くのリスナーの心に強く響くあの「My Huckleberry friend」です。

f0147840_042559.jpgジョニー・マーサーは、Moon Riverのために(いや、歌詞ができていないのだから、そういうタイトルが付いていたわけではないのですが)2種類の詞を書き、ヘンリー・マンシーニにわたしたそうです。マンシーニは一読し、my Huckleberry friendという強い一節があるという理由で、即座に、こちらの歌詞を使うことに決めたと自伝でいっています。Summer Windのmy fickle friendを聴くと、どうしてもMoon Riverを連想してしまいます。たんなる空想ですが、わたしはマーサーが自作の「引用」に近いことをしたのだと考えています。

むやみにカテゴリーを増やすのもなんなので、この曲は「去りゆく夏を惜しむ歌」に分類するつもりですが、このヴァースで、正確には「過ぎ去った夏を回想する歌」だということがわかります。したがって、「現在時」はいつでもかまわないことになります。

このタイプの歌もけっこうあって、シナトラ自身、ほかにも似たようなシテュエーションの曲を歌っています。やっぱり、このカテゴリーを登録するべきような気がしてきました。シナトラだから、奮発して、カテゴリーをつくりましょう!

念のために、フェイド・アウトでの「去りぎわのつぶやき」も書いておきます。相手がシナトラとマーサーだと、ゲーリー・アメリカ国債が相手のときなどとは、手のひらを返すように態度がコロッと変わっちゃうのです。

The summer wind
Warm summer wind
Mmm the summer wind


◆ スタッフのパッチワーク ◆◆
この曲は、わたしのような60年代育ちがあれこれ考察をはじめると、永遠にとまらなくなってしまうような、じつになんとも微妙な時期の、絶妙な「谷間」で録音されています。1966年4月11日録音のStrangers in the Nightの直後、5月16日の録音なのです。この2曲のあいだにある35日間のなんと微妙なことよ!

Strangers in the Nightの直後だし、同じアルバムに収録するための曲なので、ふつうなら、両者はほぼ同じスタッフで録音されるものです。ところが、ここが微妙な狭間の微妙たる所以でして、左にあらず、なのですよ、お立ち会い衆。Strangers in the Nightのアレンジャーはアーニー・フリーマン(2年前のSoftly, As I Leave Youで初起用された、シナトラのスタッフとしては新顔)、Summer Windは、1953年以来、シナトラのために多くのアレンジをしてきたネルソン・リドルなのです。

さらにいうと、Strangers in the Nightのビルボード初登場は5月7日付。えーと、じっさいの日にちと、ビルボードの日付には、たしかいくぶんのズレがあったと思うのですが、早いのか遅いのか忘れてしまいました。そのせいでさらに微妙になってしまいますが、プロデューサーのジミー・ボーウェンはこの曲に勝負を賭けていたので、すでに大ヒットの手応えは、5月の第2週には感じていたはずです(いや、リリース前からわかっていたはずで、じっさい、ボーウェンは事前プロモーションに金と手間をおおいにかけている)。

f0147840_0181339.jpgでは、アルバムの録音のほうは、Strangers in the Nightのヒットに合わせてはじまったかというと、そうではないらしいのです。Sessions with Sinatraによると、アルバムのほうはシングルとは別個に企画が立てられ、すでに進行していたときに、Strangers in the Nightがヒットして、この曲を中心にしたアルバムへと計画が変更されたというのです。

アレンジャーが異なっても、ふつうのアーティストの場合は、それほど大きな影響はないかもしれません。しかし、シナトラはちがいます。とくに、この時期のシナトラは。ボーウェンがプロデュースし、彼の手駒だったアーニー・フリーマンがアレンジとコンダクトを担当した場合、重要なプレイヤー、つまりリズム・セクションのプレイヤーもボーウェンの手駒だったのに対し、ネルソン・リドルの場合は、正確なパーソネルはわからないのですが、従来からシナトラのセッションで活躍してきた、つまり、リドルがよく知っているメンバーで録音されたようなのです。

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左からサミー・デイヴィス・ジュニア、ハル・ブレイン、レイ・ポールマン、そしてジミー・ボーウェン。ボーウェンはリプリーズに入った当初から、「ラットパック」の一員、シナトラの盟友であるディーン・マーティンのプロデュースを希望し、1964年、Everybody Loves Somebodyによって、ディノをチャートのトップに返り咲かせた。これがシナトラを刺激し、ジミー・ボーウェンの起用とSoftly, As I Leave Youのヒット、ひいてはStrangers in the Nightのナンバーワンへとつながった。

ボーウェンのスタッフでは、アーニー・フリーマンのつぎに重要なのはハル・ブレインです。ボーウェンは「時代遅れになりつつあるシンガー」(ハッキリそういっています)をチャートに戻すために、「リズム・セクションを入れ替えた」といっています。プロデューサーとしては当然の方針で、これはのちのちまで、さまざまなアーティストに適用されていますし、いまもあるだろうと思います。

彼がはじめてシナトラと仕事をしたSoftly, As I Leave Youでは、ハル・ブレインがはじめてシナトラのセッションに呼ばれました。ボーウェンがシナトラ(および自分自身)のために描いた絵図の中心にはハルがいたのです。つぎにハルがプレイしたことがハッキリしているのはStrangers in the Nightです。ハルはこの曲について「Be My Babyのビートを変形して適用した」と回想しています(これを読んでわたしは、そうだったのか、とひっくり返りました。たしかに、Be My Babyビートのソフト・ヴァージョンです)。

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フランク・シナトラ(左)とネルソン・リドル(中央)。シナトラはなにを興奮しているのか、どうやら、仕事の最中にはよく起こる、緊張の一瞬のようだが。

では、同時期に、Strangers in the Nightのフォロウ・アップとして、おそらくあらかじめシングル・カットも視野に入れて録音されたであろう、Summer Windのドラマーもハルかというと、うーん、ものすごく微妙ですが、たぶんちがうと思います。ハルらしい、微妙なところでの強いアクセントが見られないからです(ほとんど猫をかぶったようなプレイをしているStrangers in the Nightですら、フェイド・アウトではちゃんと「俺だ、わかるだろ?」というリックを叩いている)。ネルソン・リドルは、やはり、彼が信頼してきたドラマーを使ったのではないでしょうか。

◆ 複雑な時、複雑なオール・ブルー・アイズ ◆◆
この時期のシナトラの気持ちは揺れていたと想像します。エルヴィスとロックンロール攻勢にはかろうじて耐えたかに思われる(いや、じっさいには、エルヴィスはボディー・ブロウとなったと思いますが)この大歌手は、60年代に入って急速に影が薄くなっていきました(皮肉なことに、シナトラと同じころに、エルヴィスも「底」を経験するのですが)。

そこへあのビートルズとブリティッシュ・インヴェイジョンですから、だれだって、先行きを考えます。なんとか、いまの時代に合った歌とサウンドでチャートに返り咲きたい、と思ったからこそ、若いジミー・ボーウェンにA&Rをやらせたみてたにちがいありません。そして、Softly, As I Leave Youは、大ヒットではないにせよ、とにかく、ビートルズ旋風のさなかに、この「時代遅れになりつつある」歌手がチャート・ヒットを生み出すという、中くらいの満足を生みます。

ふつうなら、ここでジミー・ボーウェンとアーニー・フリーマン、そしてハル・ブレインの連続起用で、この路線を突っ走るはずです。でも、シナトラはそうしませんでした。ネルソン・リドルやゴードン・ジェンキンズという昔なじみに戻ったり、またべつの若いアレンジャー/プロデューサー、クウィンシー・ジョーンズを起用したり、傍目には迷走に見える行動をします。そして、なにがあったのか、再びボーウェンとアーニー・フリーマンを起用して、じつに久しぶりにチャートのトップに返り咲くのです。

でも、ここでもまたシナトラは、当たり前の行動はせず、アルバムはネルソン・リドルに任せたわけで、一見するところ、不可解というしかありません。

時計を見れば、もう写真の準備をはじめないと間に合いそうもない時刻になったので、そんな予定ではなかったのですが、この稿の決着は明日以降へ持ち越しとさせていただきます。土台、シナトラを、それもほかならぬ1966年のシナトラを、一回で片づけられると思ったのが大間違いでした。
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by songsf4s | 2007-09-02 23:56 | 過ぎ去った夏を回想する歌
It Might As Well Rain Until September by Carol King
タイトル
It Might As Well Rain Until September
アーティスト
Carol King
ライター
Gerry Goffin, Carol King
収録アルバム
The Colpix Dimension Story, The Dimension Dolls
リリース年
1962年
他のヴァージョン
Bobby Vee
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◆ ソングライターは透明人間か ◆◆
See You in Septemberにつづき、もう一曲、夏の歌なのに、タイトルには「九月」とあるものを取り上げます。

キャロル・キングは、1971年のシングルIt's Too Lateと、それをフィーチャーしたアルバムTapestryのメガ・ヒット(それまでの「ゴールド・ディスク」の尺度では収まらなくなり、RIAAは、このときに「プラチナ・ディスク」をつくったということを読んだ記憶があります)によって、一躍スターダムにのぼりますが、It Might As Well Rain Until Septemberがヒットした1962年には、あくまでもソングライターが仕事であり、歌は余技にすぎず(じっさい、余技以外のなにものでもない歌唱力!)、この曲が初ヒットでした。

夫で作詞家のジェリー・ゴーフィンは1939年2月生まれ(土地はブルックリン)なので、このとき二十三歳、夫の歌詞にメロディーをつけていたキングは1942年2月の生まれなので、ちょうど二十歳という勘定になります。まだ非常に若かったのですが、ソングライター・チームとしてすでに大活躍していて、62年には注文が殺到する状態だったのはご承知のとおりです(1955年以降、ビルボード・チャートに楽曲を送りこんだ回数で比較すると、ずば抜けたナンバーワンであるレノン=マッカトニーについで、ゴーフィン=キングは2位につけているそうです)。いずれにしても、これくらいの年齢でなんらかの実績があって当たり前の業界なのですが。

よけいなことですが、書籍でジェリー・ゴーフィンのことを調べようとすると、「キャロル・キングを見よ」などと書いてある無礼千万なもの(腹が立つので、名指しします。ローリング・ストーンの『Encyclopedia of Rock』。なんたる不見識!)にぶつかり、ウェブで「gerry goffin bio」というキーワードで検索すると、キャロル・キングのバイオにばかりぶつかってしまい、ムッとなります。

いや、ジェンダーとは無関係に腹を立てているので、誤解なきよう。キャロル・キングはパフォーマーとして有名になったから立項されているのであり、ジェリー・ゴーフィンは、2枚のアルバムをリリースしただけで、パフォーマーとしては無名も同然だから、不見識で無礼なローリング・ストーンの辞典は、この大作詞家を、パフォーマーである元夫人のたんなる付録にしてしまったのです。ここで腹を立てなければ、わたしもローリング・ストーンなみの不見識な愚者ということになってしまいます。

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キャロル・キングとジェリー・ゴーフィン

そもそも、歌詞サイトはソングライターのおかげで成り立っているくせに、どこでも、ソングライターではなく、パフォーマーで曲を分類していて、ここでも青筋を立てています。Hound DogやJailhouse Rockを歌ったのはエルヴィス・プレスリーだということはだれでも知っていますが、作者がジェリー・リーバーとマイク・ストーラーだということは、ほとんどのリスナーは知らないわけで、そういうことが、こうした歌詞サイトの構成の仕方に反映されているのでしょう。

たとえ世界中がソングライターを相手にしなくても、わたしだけはがんばるぞ、このアンフェアな世界をほんのすこしでもフェアにしよう、なんてんで、肩に力が入ってしまいます。

◆ 雨よ降れ、九月までずっと ◆◆
閑話休題。いや、重要話題休題。この曲は、冒頭に短い前付けの独唱部(これも「ヴァース」といいますが、ポピュラー・ソングで通常いう「ヴァース」=「連」のことではありません)があり、彼女はボーイフレンドに手紙を書いていることがわかります。したがって、ファースト・ヴァース以下の本体も、その手紙の内容になっています。以下はその独唱部とファースト・ヴァース。

What should I write?
What can I say?
How can I tell you how much I miss you?

The weather here has been as nice as it can be
Although it doesn't really matter much to me
For all the fun I'll have while you're so far away
It might as well rain until September

こっちの天気は最高だけど、そんなのカンケーない、だって、あなたがいないんだもん、いっそ、九月までずっと雨が降ればいいのに、というぐあいで、彼女、かなり荒れています。九月までというのはいいとして、何月からという起点が書かれていませんが、わたしのように枝葉末節、重箱の隅が気になる人間のために、ジェリー・ゴーフィンはセカンド・ヴァースのあとのブリッジで、以下の描写を加えています。

My friends look forward to their picnics on the beach
Yes everybody loves the summertime
But you know darling while your arms are out of reach
The summer isn't any friend of mine

友だちはみんなビーチへのピクニックを楽しみにしている、でも、夏なんか大ッキライと、すねまくっています。ここから読み取れることは、まだ盛夏ではないということです。みんなが盛り上がるのはまだ先のことだからです(ただし、この曲のビルボード・チャート初登場は8月25日付です。このように、歌詞が設定した季節とリリースないしはヒットの時期がズレるのもまれなことではありません)。九月になれば解決するらしいので、See You in Septemberと同じく、二人は学生で、夏休みが障碍になっている、と見ていいようです。

できあがったものだけを見るとわからないことというのはいっぱいありますが、この4行を眺めると、ゴーフィンはいくつかの障碍をうまくクリアしたのだろうと想像します。「夏なんか大ッキライ」という意味のことをいうにしても、歌ではシラブル数が問題になります。I hate the summerではシラブルが足りず、(あの時代の)若い女性が口にするには強すぎます。The summer isn't any friend of mine=夏なんて友だちでもなんでもない、という風にやわらかい表現にし、シラブルも合わせる、これがソングライターの仕事というものです。

2行目の末尾summertimeと、4行目の末尾mineというのは、ジミー・ウェブの本に出てくる、false rhyme(=「疑似韻」?)というものかもしれないと思うのですが、この点はまだ泥縄の勉強中なので、ジミー・ウェブの曲をとりあげるころにはなにか書ける程度の知識を仕込んでおくことにして、ここでは口をつぐみます。

つづくサード・ヴァースの冒頭は、

It doesn't matter whether skies are grey or blue
It's raining in my heart 'cause I can't be with you

「空が曇っていても晴れていても関係ない、あなたがいないんだから、わたしの心のなかはいつも雨」となって、また、「九月までずっと雨が降ればいいのに」と締めくくられます。

f0147840_2175240.jpgディメンションのガール・シンガー/グループを集めたこのような編集盤もある。キャロル・キングがディメンションからリリースした曲はわずかで、オリジナル・アルバムは存在しないため、アルバムとしてはこのような編集盤しかない。

アイディアの核はひとつだけで、恋人に会えないのなら、夏なんか楽しくない、いっそ雨が降ったほうがいいくらい、というものです。あとは、この設定から考えられる派生的ことがらを、いつものジェリー・ゴーフィンらしく、ていねいに展開しているだけです。この「ていねいに展開」できるか否かが、トップ・レベルのソングライターになれるかどうかの分かれ目です。この曲は、彼の代表作とはいえないかもしれませんが、スムーズな展開はいつものゴーフィンで、間然とするところがありません。

◆ デモ盤のリリース?  ◆◆
たんなる譜面より、音になっているほうが、楽曲の買い手としてもイメージをつかみやすいものです。楽曲出版社は、デモ・テープまたはデモ盤をつくって、顧客に曲を売り込みました(もちろん、日本でよくあるように、顧客のほうからオーダーがくることもありました)。ゴーフィン=キングの場合、しばしばキングの歌とピアノでデモをつくっていたようです。このIt Might As Well Rain Until Septemberもそのようにつくられた、ボビー・ヴィー向けのデモだったそうです。

しかし、彼らの楽曲出版社オールドン・ミュージックの社長であるドン・カーシュナーは、このデモがひどく気に入り、ボビー・ヴィーのレコーディングを待たずに、レーベルを設立してこの曲をリリースしたのだそうです。結局、ボビー・ヴィーのほうは、アルバム・トラックとしてこの曲をリリースしただけで、シングル・カットはせず、キャロル・キング盤がヒットしただけで終わりました。

The Colpix-Dimension Storyのライナーにそう書いてあるから、いちおう真に受けて、デモだと考えておきますが、そうかなあ、という気もします。デモをそのままリリースしたために、どの盤でもこの曲の音質は劣悪である、なんてことを書いているサイトがありますが、簡単にそういっていいかどうか。

音質はよくもありませんが、とくに悪くもありません。デモだからといって、とくに音質が悪くなる理由は技術的には存在しません。金をかけずに、3リズム程度のシンプルなバッキングで、安いプレイヤーを使い、短時間で録音するのはデモの常識ですが、ちゃんとしたスタジオを使うことも多いので、デモであることと劣悪な音質とは一直線ではつながらないのです。

できあがったものを聴いて感じることは以下の三点。キャロル・キングのピッチの悪さをごまかすためか、ダブル・トラッキングどころか、最低でもトリプルでヴォーカルが重ねられていること(カーペンターズが機械的にやったことを「マニュアルで」やっている)、ストリングスや女声コーラスも入っていること、ドラムが安定していて、プレイヤーは二流ではないこと(ゲーリー・チェスターではないでしょうか)です。

デモにこんな大金をかけるようなお人好しは、音楽業界ではぜったいに成功しません。まして勧進元はやり手で有名なドン・カーシュナーです。こんな「デモ」をつくるようなことは考えられません。正規リリース盤としての要件を満たした編成なんですからね。

音質の最大の敵はオーヴァーダビングです。ヴォーカルを三回重ねれば音質は劣化します。これはひとつのチャンネルに集中することも可能なので、バックトラックは「隔離」できなくもありません。しかし、ベーシック・リズムのみを先に録音し、あとからストリングスをオーヴァーダブするという方法が当時は広くおこなわれていました。これはベーシック、とくにドラムのプレゼンスを劣化させます。

以上から導き出されるシナリオ。ほんとうにデモだったとしても、ベーシック・リズムとヴォーカルのみの1~3トラックのテープのはずです。これをリリースしようと考えた段階で、大々的なオーヴァーダビングが必要になったはずで、3トラックだとしても、いわゆる「ピンポン」を何度も繰り返す必要が生じ、それが音質をいくぶん劣化させたのだと思います。おそらくはドン・カーシュナーがリリースのときにしゃべっただけに過ぎないであろう、デモがあまりにもすばらしいのでリリースすることにした、などという話は、あまり真に受ける気にはなれませんが、デモではないという証拠があるわけでもないので、以上のような結論にしておきます。

でも、ご用心。音楽業界は「ハイプ」の巣です。とりわけ、ドン・カーシュナーのようなやり手の商売人のいうことは、すべてが自分の利益を考慮したうえでの発言ですから、われわれもつねに懐疑的でなければいけません。自分の耳で聴き、自分の頭で考えないと、商売人の思う壺にはまります。

◆ ボビー・ヴィー盤  ◆◆
さて、ボビー・ヴィー盤を聴くと、あっはっは、たしかに、こっちはステレオだし、録音もいいや、と笑ってしまいます。いや、そのことはあとまわしにしましょう。

歌詞を考えると、ヴィーがこの曲をシングルにしなかったのも無理はないと感じます。若い女性がこの曲を歌えば、夏に恋人に会えないことで、すねて、だだをこね、八つ当たりするのも、可愛げがありますが、男が同じことをいっても、しっくりきません。

ドン・カーシュナーが、キャロル・キングの「デモ」を自分の手でリリースしようと決めたのも慧眼だと思いますし、ボビー・ヴィーがこの曲をシングルにしなかったのもまた、いかにも彼らしい選曲眼だと思います。ヴィーではなく、彼のプロデューサーだったスナッフ・ギャレットの選曲眼だろうという意見もあるでしょうが、わたしは、ヴィー自身、かなりいい耳をしていたと考えています。

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ボビー・ヴィーのIt Might As Well Rain Until Septemberを収録した編集盤、The Essential and the Collectable

さて、音質というか、トラックの件。ヴィーのレギュラー・アレンジャーは、フランク・シナトラのStrangers in the Nightのアレンジで知られるアーニー・フリーマンです。ピアノとストリングスの連携の仕方にフリーマンらしさを感じるので、クレジットはありませんが、わたしはフリーマンであろうと考えています。いいストリング・アレンジです。

スタジオとエンジニアは主としてユナイティッド・ウェスタン、主としてボーンズ・ハウだったそうです。この曲もこの組み合わせではないでしょうか。わたしの好きなスタジオと贔屓のエンジニアです。いや、ジャン&ディーンのジャン・ベリーをはじめ、この組み合わせが好きだった人は山ほどいたのですが。

プレイヤーはいろいろですが、ドラムはアール・パーマー、ハル・ブレイン、ジェリー・アリソンの名前があがっています。この曲はアール・パーマーのプレイに聞こえます。時期的にも、ハル・ブレインがアール・パーマーからストゥールを奪うのは、もうすこしあとになります。

ギターについてはハワード・ロバーツ、ベースについてはレッド・カレンダー(超大物!)の名前があがっていますが、このトラックについてはなんともいえません。そもそも、右チャンネルのアップライト・ベースだけでなく、左チャンネルからはダノ(ダンエレクトロ6弦ベース)らしきクリック音が聞こえてきます。当時、ダノを弾いたので知られる人は、ビル・ピットマン、ルネ・ホール、すこし時期が下るかもしれませんが、キャロル・ケイなどです。また、フリーマンがアレンジしたときは、彼がピアノを弾きながらオーケストラをコンダクトしたそうです(バート・バカラックも同じやり方だったとか)。

当時のハリウッドではめずらしいことではないのですが、頭のてっぺんから尻尾の先まであんこがぎっしり詰まったすごいスタッフで、これでは、ダメなトラックをつくるのはきわめて困難で、たとえプロデューサーが居眠りしていても、けっこうなトラックができてしまうはずです。いい音です。

◆ 蛇足: 却下されるであろうお節介な対案 ◆◆
ふと、わたしのなかの素人ソングライターが鎌首をもたげました。この曲は、たんに恋人が遠くにいて、いっしょに夏を過ごせない、というだけの設定ですが、もっとずっときびしい設定に変えてみたらどうでしょう? これから二人で楽しい夏を、と思っていた矢先に、ふられてしまった、という設定です。

そういう設定でも、この歌詞はほぼそのまま流用できます。たんに、響きがより切実になるだけです。元の恋人が、新しい相手と夏を楽しんでいると思うと、いても立ってもいられなくなり、九月までずっと雨が降って、二人が夏を楽しめなくなればいいのに、と呪ってしまうわけです。

悪くないように思うのですが、当時の中庸をよしとするチャートから考えると、ややはみ出した設定かもしれません。ジェリー・ゴーフィン自身、ほぼ同じ時期に、フィル・スペクターとクリスタルズのために、He Hit Meというはみ出した曲を書いて大失敗をしています。やはり、わたしがあの場にいて、「いっそ失恋の歌にしたら?」などとアイディアを出しても、却下されたでしょう。
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by songsf4s | 2007-07-05 21:23 | 夏の歌