(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その07 デビュー盤サマリー

右側のメニューの「記事ランキング」というのは、かならずしも実態を反映しているとは思わないが(ホーム以外のページをお気に入りに登録し、それをクリックして当家にいらっしゃると、毎回、そのページがカウントされる)、大雑把に「映画記事がよく読まれている」ということは云えそうではある。

しばらく音楽記事がつづくので、ランキングのほうに映画関係がたくさんあり、それを読んでいただけるのは、いいバランスで、ありがたい。

ラスカルズのことを書きながらも、映画の記事をはさむつもりではいる。すでに書いたように、まずペンディングになっている『陽のあたる坂道』を完成させたい。

ほかに日活映画としては、『銀座の恋の物語』『紅の流れ星』『ギターを持った渡り鳥』『紅の拳銃』『殺しの烙印』『みなごろしの拳銃』などは、いずれなんとかしたいと思っている。

f0147840_21565830.jpg

f0147840_21593584.jpg
石原裕次郎とジェリー藤尾

f0147840_2233985.jpg
ジャズ・ピアニスト!

f0147840_224926.jpg
この映画の浅丘ルリ子もすばらしい

f0147840_2243763.jpg
ピアノをめぐる物語とも云える。以上、いずれも蔵原惟繕監督『銀座の恋の物語』より

成瀬巳喜男『秋立ちぬ』はべつとして(これもできればDVDのリリースを待ちたい。そろそろ出してよ)、シリアスな映画はしばらく予定にない。大物監督としては、黒澤明の『天国と地獄』は、ずいぶん歩いて、それなりに材料もあるので、部分的(早川鉄橋までは行っていないので)でもいいから、なんとかしたいという気はいちおうある。

しかし、いまの興味としては、美空ひばりの子供のころの映画(『東京キッド』『悲しき口笛』など)や、東映ミュージカル時代劇あたりのほうが再見して、書いてみたい気がおおいにある。

まあ、ブログなので、気分のまま、雲の流れるまま、ウナギだけが知っている行き先へ向かって、その時、その時に思いついたことを発作的にやるだけ、予定なんか書いても、文字通り画餅にすぎないが。

f0147840_2265347.jpg

f0147840_2273415.jpg
「お国を離れて何ぴゃく里」の香港からやってきた男、藤村有弘がすばらしい。山高帽に赤い蝶ネクタイ、なぜか黒いダッフルって、誰がこんな衣裳を考えた!

f0147840_2281426.jpg
悪党たちの麻雀。小沢昭一がボス、以下、深江章喜、野呂圭介。草薙幸二郎はボスの弟という設定

f0147840_229220.jpg
赤木圭一郎と紅の拳銃、もとい、黒い拳銃。以上、いずれも牛原陽一監督『紅の拳銃』より。撮影監督=姫田真佐久、美術監督=木村威夫、音楽=小杉太一郎とスタッフもみな好み。

◆ ガレージ、フォーク・ロック、テックス・メックス ◆◆
小見出しが入ったからと云って、枕が終わったと思ったら大間違い。今回は簡単にすむはずと踏んで、余裕ウサギをかまして、二重枕にしてみた。

話を前に進めるために、ブリティッシュ・インヴェイジョンとアメリカの反攻では、ずいぶんと枝葉を切り落としてしまった。

まず、もののみごとに抹消したのが、ガレージ・バンドの勃興。ブリティッシュ・インヴェイジョンが生んだのは、当然ながら、バーズやタートルズやラヴィン・スプーンフルばかりではなかった。

むしろ、最大の落とし子は、ライノのNuggetsシリーズや、それに基づくNuggets箱にまとめられているが、「ガレージ・バンド」などと呼ばれる、アメリカ中に叢生した若者のセルフ・コンテインド・バンドのほうだろう。とりわけ、サンセット・ストリップのクラブにそうしたバンドが蝟集したが、それは突出しているというだけで、各地にバンドが生まれた。

こうした単独ではとりたてて影響力のないセルフ・コンテインド・バンド群は、バーズのような即効性の劇薬ではなかったが、漢方のような遅効性の薬としてアメリカ音楽を変えていく(あるいは砒素のようにアメリカ音楽をゆっくりと殺していった、と云うひともいるかもしれない。それは立場による)。

即効性か遅効性かは、タイム・スケールの取り方によって変わってしまうので、そのどこが遅効性だと云われるかもしれないが、1966年後半から明らかになってくる、アメリカ音楽のサイケデリックへの傾斜は、すでに1964年、ビートルズによって播種されていた、と云える。結果的に見れば、フォーク・ロックはサイケデリックの序章という地位へと後退する。

ガレージ・バンド群と同じ扱いでいいのか、ちょっと肌合いが違うと考えるべきなのか、そこはさておき、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(テキサス州ダラス)、ジェントリーズ(テネシー州メンフィス)、サー・ダグラス・クウィンテット(テキサス州オースティン)といった南部のバンドが、似たようなテクスチャーの音を持ってビルボード・チャートに登場した。

Sir Douglas Quintet - 08 She's About a Mover (HQ)

テックス・メックス・オルガン!

ジェントリーズはテキサスではないのでアレだが、仮にそちらに組み込めば、テックス・メックス・ポップ・サウンドとでも云おうか、やはり無視できないサウンド傾向だと、並べて聴いてみて思った。

いや、あのチープなオルガンは、ケイジャンのアコーディオンのロックンロール的パラフレーズだったのか、というごく下世話で単純な疑問のレベルに下ろしてしまってもかまわないのだが!

今回はとりあえず、以上の点を落とさざるをえなかったことに気が残った。とりわけ、南部のセルフ・コンテインド・バンド群は、一度、そろえて聴き、ちらと物思いなどしてみむとぞ思ふ。

Sir Douglas Quintet - 06 And It Didn't Even Bring Me Down (HQ)

ふつうにいい曲もある。

◆ R&Bーイング・ラスカルズ ◆◆
物事の解釈というのは、たいていの場合が単純化であり、それには細部の切り捨てが必要になる、ということを改めて申し上げた上で、ヤング・ラスカルズのデビュー盤の項を終えるにあたって、その全10曲の収録作を、これまで紹介しなかった曲を貼りつけつつ、鳥瞰してみる。なんらかの切り捨て操作による単純化だということに留意されたい。

まず目立つのはR&Bカヴァー。Slow Down、Good Lovin'、Mustang Sally、In The Midnight Hourの4曲はここに分類できる。

以上のうち他の3曲はこれまでの記事に貼りつけたので、残る1曲R&Bカヴァー、作者のひとりスティーヴ・クロッパーにとっても、つくって歌ったウィルソン・ピケットにとっても代表作になったヒットのカヴァーを以下に。

The Young Rascals - 10 In the Midnight Hour (remastered mono mix, HQ Audio)


ウィルソン・ピケットのオリジナルを知っていると、ラスカルズのカヴァーには幼さを聴き取ってしまうが、これがデビュー盤という若者たちのパフォーマンスとしては立派なもので、バーズ(スタジオの筋肉増強バーズではなく、マイケル・クラークがドラムに嫌われ、いじめられるライヴ・バンドとしてのバーズ)なんかとは三段ぐらい格が違う。

しかし、この曲にかぎった話ではないのだが、半年後のディノ・ダネリなら、もっといいグルーヴをつくったに違いない。ディノはたぶん、このデビュー盤ではじめて自分のプレイを客観的、批判的に聴き、タイムとイントネーションを修正したのだろう。才能というのは、そういうものだ。ディノには自分の欠点がちゃんと見えたに違いない。

スティーヴ・クロッパーはずっと後年、フィーリクス・カヴァリエーレと共演盤を2枚つくる。この時、スタックス・レコードから見ればアトランティックはほとんど親会社のようなもの、アトランティックのシンガーがメンフィスで録音する時は、クロッパーは楽曲を提供したり、アレンジしたり、ギターを弾いたりで、NYから「スーパヴァイズ」に来るジェリー・ウェクスラーやトム・ダウドのことはすでによく知っていた。

そうした仕事の際に、破格の待遇でアトランティックと契約した若者たちのことは耳にしていたかもしれないが、自分の曲を歌ったのだから、遅くともこの時にはラスカルズが何者かを認識したはずだ。

◆ オリジナル曲 ◆◆
Baby Let's Wait、Do You Feel It、I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymoreの3曲は、自作と他作を合わせたオリジナル曲、封切り曲。これは作者による分類であって、楽曲スタイルによる分類ではないので、R&Bカヴァー群と同じ平面で語ってはいけないのだが、便宜的にこう分類する。だから、切り捨てによる単純化だとはじめにお断りした。

外部ソングライター提供曲はさておき、このアルバム唯一のメンバーが書いた曲を貼りつける。フィーリクス・カヴァリエーレとジーン・コーニッシュという、のちに共作することはない二人の曲。リードはフィーリクス。

The Young Rascals - 05 Do You Feel It (remastered mono mix, HQ Audio)


ディノのドラミングにやや難があるし、楽曲としてもそれほどのものではないが、のちのラスカルズ、とりわけつぎのアルバム、Collectionsを知っていると、彼らが向かう方向がここに示されていることを感じ取る。

◆ フォーク・ロッキング・ラスカルズ ◆◆
残る3曲のうち2曲はフォーク・ロックに分類できる。ひとつは前回貼りつけたボー・ブラメルズのJust a Littleなので、ここではもうひとつのほうを貼りつける。

The Young Rascals - 07 Like a Rolling Stone (remastered mono mix, HQ Audio)


ボブ・ディランのオリジナルがビルボード・チャートにデビューしたのが1965年7月のこと、ラスカルズがやがてデビューLPに集約される曲の録音を開始したのは同じく9月、シングルの動きを見ていたからだろう、散発的な録音が終わったのは翌年3月らしい。その月にアルバムがリリースされた。

ラスカルズのLike a Rolling Stoneがいつ録音されたか不明だが、彼らもフォーク・ロック・ブームには動揺し、共感したことがこの2曲からはうかがえる。本来はR&Bとジャズに重心があったのに、出現したばかりの分野の曲をすぐにカヴァーしている。まあ、若さとはそういうものだが。

ラスカルズの未来とフォーク・ロックの関係で云うと、この傾向は総体としての「ラスカルズ的なもの」に吸収合併されることになり、分離した存在ではなくなっていく。まあ、サード・アルバムにはかなり濃厚なフォーク・ロック色をもった曲があるが。

◆ ゴスペル・ラスカルズ ◆◆
最後に残ったI Believeは、宗教音楽的色合いが強い曲で、歌い手によってニュアンスが異なるが、エルヴィス・プレスリーはゴスペル的に歌っている。ヒット・ヴァージョンのフランキー・“ローハイド”・レインやジェイン・フローマンも直立不動かよといいたくなるほど殊勝な歌いっぷりだ。

The Young Rascals - 04 I Believe (remastered mono mix, HQ Audio)


ひとによって受け取り方は大きく異なるかと思うが、知る限りのこの曲のヴァージョンのなかで、ラスカルズのカヴァーはもっとも宗教色が薄く、非ネイティヴは歌詞を遮断することができるので、ふつうのバラッドのように聴くこともできる。音の手触りだけで云うなら、後年のエディーのバラッドにそのまま地続きでつながる肌合いで、この曲はデビュー盤のなかではおおいに好ましい。

ただ、ゴスペル・ニュアンスというのは、ずっと後年までラスカルズのサウンドに底流として残るので、そこはやはり気に留めておく必要がある。

◆ いまは亡き人と思へば愛しさも…… ◆◆
何度も同じことを繰り返して恐縮するが、このデビュー盤はリリースよりずっとあとになって買ったので、おおいに落胆した。その最大の理由はディノ・ダネリのドラミングだった。

セカンド・アルバムから5枚目にあたるFreedom Suiteまでのディノ・ダネリはじつに魅力的なドラマーで、そちらを先に知っていて(それも並みの深さではない知り方だった)、あとからこのデビュー盤のディノ・ダネリを聴くと、もっとずっといいプレイができるドラマーなのに、とじつにもどかしい。

しかし、それがファンというものだが、この一連の記事を書くために繰り返し聴いているうちに、これはこれでいいか、という気になってきた。

この盤単独で考えると、Good Lovin'とBaby Let's WaitとI BelieveだけのLP、と思ってしまうが、デッカ・テープだって、これがあのパーロフォンからデビューする直前の状態か、と思えば、いろいろ聴きどころがみつかるのと同じで、後年のパースペクティヴに立って聴くと、さまざまな楽しみがうまれてくる盤だ。

そして、孫が幼稚園で描いてきた絵を見て、すごいじゃないか、この子は絵描きになるといい、と手放しで喜ぶおじいさんのような気分もチラとする。呵々。


f0147840_22113168.jpg
Next: The Young Rascals - Collections



Click and follow Songs for 4 Seasons/metalside on Twitter
metalsideをフォローしましょう



Sir Douglas Quintet - Medocino
Medocino

The Young Rascals - The Young Rascals (1st)
グッド・ラヴィン
[PR]
# by songsf4s | 2016-09-29 22:17 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その06 アメリカ・ストライクス・バック、1965
 
66~67年のサンフランシスコ音楽爆発の時を誰かが回想して、アタッシュに現金を詰め込んで各社の担当が飛行機に乗った、と書いていた。

RCAはジェファーソン・エアプレイン、キャピトルはクウィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、WBはグレイトフル・デッド、CBSはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとモビー・グレイプ、こういった大物はたぶん、実弾発砲の対象ではなく、ほかにもっとないかと、ひとつレベルを降りたところでの闘いが実弾戦だったのだと想像している。

f0147840_1045392.jpg
デビュー当時のグレイトフル・デッド

よその誰かとなにか口約束ができていたとしても、新しい誰かが自己紹介するやいなや、いきなり目の前のテーブルに、ひとつ、ふたつ、三つと札束を積んでいったら、たいていの人間はすくなくとも動揺はする。

ラスカルズの時も、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、フィル・スペクター、トム・ダウド、ジェリー・ウェクスラー、ネスーイーとアーメットのアーティガン兄弟といった、業界ビッグ・ショットばかりでなく、数人の弁護士たちが〈バージ〉に来ていたという。なんだって弁護士かというと、その場で契約してしまうためだ。

f0147840_10105724.jpg
ピアノの前にジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、背後にはコースターズの面々、右端はアーメット・アーティガン

◆ 1965年のフランケンシュタイン ◆◆
ビートルズ以下、DC5、ピーター&ゴードン、ハーマンズ・ハーミッツなどなどの英国勢がさんざんにアメリカ市場を食い荒らしている最中も、彼らは失地回復のテコになる「アメリカ産ボーイ・バンド」を求め、アタッシュに実弾を込めてアメリカ中を飛びまわっていたはずだ。

そのアメリカ勢各社の市場再確保作戦の結果が目に見えるようになるのは、65年に入ってからのことだった。以下に、65年のいつかは問わずに、ビルボード・チャート20位以内のヒットを出した米国産セルフ・コンテインド・バンドを列挙する。

バーズ(HB)、ラヴィン・スプーンフル(GC)、マコーイズ、タートルズ(HB)、ゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ(HB)、ボー・ブラメルズ、サー・ダグラス・クウィンテット、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(この人たちをここに置くのはやや違和感があるが!)、ディノ・デジ&ビリー(HB)、ジェントリーズ、キャスタウェイズ。

終わりのほう、ジェントリーズやキャスタウェイズはワン・ヒッターだが、冒頭付近は「60年代中盤のアメリカ音楽のエッセンス」のようなグループが並ぶ。

The Gentrys - Keep on Dancing


ただし、ここではっきり見えてしまうのだが、各社は彼らの音楽的技量には目をつぶった。マイナー・レーベルや鷹揚な会社は、よけいなコストをかけてプロフェッショナルのプレイで補強するという文化そのものと無縁だったのかもしれないが(サーフ・ミュージックにはそういう例がずいぶんあった)、メイジャー・レーベルはやはり一定以上の水準であるべきと考えたに違いない。

首から上だけ若者のグループならば、あとの音楽的なことは、スタジオのお父さんプロフェッショナルたちがなんとかする、という、とりわけハリウッドではよく利用された音楽生産方式が、「モップ・トップの可愛いボーイ・バンド」の時代の到来とともに、フル稼働に入ったのだ。

The McCoys - 02 Hang On Sloopy (HQ)


デビューの時、マコーイズのメンバーはまだ高校生だった。やがて自前のプレイでトラックをつくるようになるが、この時点では大部分の曲(下手なトラックもあるので、そうしたものは彼ら自身のプレイと思われる)はスタジオのプロが高校生に替わってプレイしている。非常にいいドラマーを使っているのだが、いまだに名前がわからない。

バーズ、タートルズ、プレイボーイズ、そしてディノ・デジ&ビリーは、すくなくともデビュー盤のトラックはプロがつくった。彼らは歌っただけか、バーズのように、メンバーの一部だけがスタジオでプレイした。

上記の中に、ハル・ブレインがドラムを叩いたものが4種あり(HBと入れておいた)、NYのエース、ゲーリー・チェスターもラヴィン・スプーンフルのデビュー・ヒット、Do You Believe in Magicで叩いたし(ドラム以外のパーソネルは不明)、マコーイズはいまだに誰だったのかはわかっていないが、すくなくともドラムは確実にスタジオのプロフェッショナル。

The Byrds - 07 Mr. Tambourine Man (HQ)


この曲についてはロジャー・マギン自身がAFMの伝票の写しを公開したので、パーソネルは明らかになっている。
Drums: Hal Blaine
Bass: Larry Knechtel
12 String Guitar: Jim McGuinn
Guitar: Bill Pitman, Jerry Cole
Electric Piano: Leon Russell

上記の一覧にはないが、まもなく登場するモンキーズは、人工的なスター、テレビがつくった幻影と誹られることになるが、なあに、ほかのグループだって、はじめからアーティスト・イメージ先行だったことがここに明白にあらわれている。

バーズやタートルズのように、メンバー・チェンジでやっとまともなドラマーになり、ふつうにライヴができるバンドに「成長」することもあった。バーズはジーン・パーソンズになってから、タートルズはジョニー・バーベイタになってからが「ふつうのバンド」時代である。

◆ 首と胴体の分業化 ◆◆
ハリウッドで「影武者」が生まれたのはおそらく1960年、ヴェンチャーズがデビューした時のこと。いまだに確たる結論を得られないのだが、こう考えている。

かつて音楽をつくるのは、訓練を受け、経験を積んだプロフェッショナルの仕事だった。フロントに立つシンガーはさておき、バンドは身ぎれいにすればよく、容姿年齢は問われなかった。

ところが、第二次大戦後の可処分所得の増大による「ユース・カルチャー」の発生、これはアイゼンハワー時代のアメリカの豊かさを端的に示す現象だが、そのような新種が出現し、若年層はお父さんたちのバンドがプレイする、お父さんたちのための音楽のお余りを楽しむのではなく、若者がプレイする若者のための音楽を欲するようになった。

彼らは自室にポータブル・プレイヤーや自分だけのラジオを置き、家族とは関係なく、自分だけの音楽環境をもったのだから、それにふさわしい音楽が欲しかった。いや、いずれ、そんなことは当たり前になるのだが。

ここで、十分な力量のある若者のバンドが手に入れば問題はなかったのだが、そうはいかなかったことで、看板と実体の大きな乖離、欺瞞とも云うべき弥縫策が生まれた。

レコード会社はそこそこの技量のバンドを手に入れ、それを看板にしながら、スタジオではプロフェッショナルに音楽をつくらせ、レーベルには看板息子たちの名前を書く、という方法を思いついた。その顕著な成功例がシアトルからやってきた若者たち、ザ・ヴェンチャーズだった。

The Ventures - 03 Walk Don't Run (HQ)


この曲の伝票はいまだに発掘されていないのだが、かつてキャロル・ケイさんにお願いしてハル・ブレインに質問を取り次いでもらった時の回答では「俺はヴェンチャーズは最初からやっている。あとでメルが入った時には、レパートリーを全部教えた」というものだった。いろいろ「吹く」人だし、記憶違いもあるが、この回答は、音と付き合わせて信用してよいと判断した。のちのロックンロール・ハード・ヒットとはまったく異なるスタイルだが、ハルはそもそもジャズ・ドラマーとして出発した。シンバルのヒットする位置を微妙に変えるこの繊細なプレイをしたドラマーはハル・ブレインだろう。
初期ヴェンチャーズのスタジオ録音のレギュラーは、リード・ギター=ビリー・ストレンジ、リズム・ギター=キャロル・ケイ、ベース=レイ・ポールマンと考えている。トミー・テデスコやグレン・キャンベルやジェイムズ・バートンもプレイすることがあったし、さらには、トミー・オールサップ(リード・ギター)やフランク・デ・ヴィート(ドラムズ)が取って代わることもあれば、ヴェンチャーズのメンバー、なかでもメル・テイラーとノーキー・エドワーズ自身がプレイしたこともあったらしい。以上は60年代中盤までの話。Hawaii 5-0以後はまた話が違うのだが、脇道なので略。

ヴェンチャーズの影響下に生まれたサーフ・ミュージックは、基本的にカリフォルニアのパンク・ミュージックで、上手いバンドなどというのはそうはなかった。創始者のディック・デイルのバンド、デル・トーンズからして、感動的なほど下手だったことはデイルの自主制作盤に記録されている。

デイルが地元のメイジャー、キャピトル・レコードと契約してからは、デル・トーンズは建前の存在になり、当然、スタジオでは地元のキング・オヴ・ザ・ドラマーズ、ハル・ブレインがストゥールに坐って録音された。

f0147840_10123849.jpg

f0147840_10135959.jpg

f0147840_10143987.jpg
上から、マコーイズ、ディノ・デジ&ビリー、バーズ。そもそも、彼らははじめからアイドルとしての役割を果たすことを期待されていた。ここは音楽界である以前に、芸能界なのだ。たんに若い「ボーイ・バンド」では不十分、「モップ頭」も重要なポイントだった。

NYやナッシュヴィルについてはいくつか例を知る程度だが、後者のロニー&ザ・デイトナズは、ツアー・バンドと録音メンバーが異なっていた。1964年デビュー。(当家では過去に、「I'll Think of Summer by Ronny & the Daytonas」という記事で、ロニーすなわちバック・ウィルキンにふれている。)

イギリスではどうかというと、アメリカほど目立たないが、それでも64年になだれ込んだグループの中には、ハーマンズ・ハーミッツのように、ツアー・メンバーと録音メンバーが分離していたグループもないではない(ピーター・ヌーンは後年のインタヴューで、ジミー・ペイジはほんの一握りしか弾いていない。レギュラー・ギタリストはヴィック・“007”・フリックだったと証言している)。また、キンクスのドラマー、ミック・エイヴォリーはある時期にかぎればスタジオで叩いたことはなく、クレム・カッティーニなどのプロがかわりにプレイした。

f0147840_1016572.jpg
ハーマンズ・ハーミッツ。12~14歳あたりの少女をターゲットに想定したアイドル・グループだった。

とはいえ、アメリカにくらべれば、イギリスのグループはスタジオでもおおむね自分たちでプレイしたと云える。リンゴ・スターもデイヴ・クラークもクリス・カーティスもボビー・エリオットもチャーリー・ワッツも、ハル・ブレインやアール・パーマーやゲーリー・チェスターのような技量も安定感もなかったが、とにかく、一定水準のプレイをすることができ、スタジオでも自分たちでトラックをつくった。

しかし、バーズのマイケル・クラークのようなひどいのはさておき、公平に云って、イギリスのバンドとアメリカのバンドの技量の差はそれほど大きくはなかった。アメリカのバンドのなかにも、我慢強く録音すれば、イギリスのものに近い音は出せそうなところはあったが、現実にはスタジオでプレイできないところが多かった。

この差はたぶん文化の違いに由来するのだろう。とくにハリウッドはスター・システムの発祥の地、映画のスタント・マン同様の存在が音楽界に生まれても、べつに不思議でもなんでもなかった。

The Beau Brummels - 03 Just a Little (HQ)


彼らの65年のデビュー・アルバムからの曲で、サンフランシスコで録音された。とりたてていいドラミングでもないが、タイムはそこそこ安定している。しかし、のちにWBに移籍し、ハリウッドで録音する時には、やはりハル・ブレインがストゥールに坐り、他のパートもプロがプレイした。サンフランシスコとハリウッド、オータム・レコードというマイナー・レーベルと、WBという大企業の文化の違いだろう。

◆ アトランティック・レコードが置かれた場所 ◆◆
影武者は微妙な問題なので、公式に発言する人は少なく(ペリー・ボトキン・ジュニアはずっと後年、若い連中はおそろしく下手だったから、スタジオではプロがかわりにプレイした、それだけのきわめて単純な話だ、と断じていたが!)、アトランティック首脳陣のこの種の話題に関するコメントも読んだことはない。だから、結果から逆算して、勝手に想像する。

ビートルズと英国の侵略があった時、アトランティックはR&Bとジャズの会社であり、ボビー・デアリンとニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズを顕著な例外として、ポップ・フィールドでの経験は豊富ではなかった。

そのデアリンからして、Splish Splashのころはポップ・シンガーと云えたが、やがてジャズ・シンガーに分類したほうがいいようなスタイルになってしまうし、ニーノ&エイプリルは、大昔の曲にひねりを加えて歌うデュオであり、「現代的」ですらなく、すぐにヒットは出なくなったしまう(いや、好きなデュオなのだが)。

Nino Tempo & April Stevens - My Blue Heaven


日本でも戦前から「私の青空」などの邦題で、二村定一、エノケン、ディック・ミネなどカヴァーが多数あり、戦後には大滝詠一も歌ったスタンダード。アトランティック時代のニーノ&エイプリルのドラムはほとんどアール・パーマーが叩いた。

ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズが成功したからなのか、アトランティックはやはりハリウッド・ベースのデュオ、ソニー&シェールと契約して、I Got You Babeなどのヒットを生む。この曲はちょうど、ラスカルズとの契約話が進行しているころにリリースされ、ヒットしつつあった。

しかし、これはソニー・ボノがプロデュースし、ハリウッドで制作されたもの、つまりアトランティックの「スーパヴァイズ」のおよばないところでできた完成品を、いわば、そのまま市場に取り次いだだけだし、そもそも、彼らはセルフ・コンテインド・バンドではない。

The Young Rascals - 03 Just a Little (mono mix)


これは上掲のボー・ブラメルズの曲のカヴァー。ヴァニラ・ファッジの曲がはじまりそうなイントロが興味深い。フィーリクスとエディーは声の質が似ていて、R&Bタイプかバラッドを歌うのに適していたが、ラスカルズも時代の子、フォーク・ロック潮流は気になったのだろう。ディランの曲とこのJust a Little、フォーク・ロック系の曲をふたつデビュー盤でカヴァーしている。どちらもリード・ヴォーカルはジーン。
ビルボード・チャートを読んでいて、バーズとフォーク・ロックの衝撃というものを改めて思った。バーズのMr. Tambourine Manがビルボード・チャートのトップに立ったのは1965年5月のこと。これにアメリカのバンドは瞬時に、激しく、急速に反応した。フォーク・ロック的楽曲がこの年の秋以降には溢れることになるのだから、つまりバーズの衝撃波がまだ収まらないうちに、彼らはフォーク・ロック的な曲を書き、あるいはフォーク曲をエレクトリックにアレンジし、録音し、リリースしたのだ。この時点ではバーズとフォーク・ロックこそがアメリカ音楽の現在であり、未来そのものだった。
時間線に沿って考えると、ビートルズもまた異様な速度と強度で反応した。タンブリンマンがトップに立ってから半年後には、彼らはRubber Soulをリリースした。この反応の早さはよく考えてみるに値する。

といったあたりが、アーメット・アーティガン以下のアトランティック首脳陣、およびトム・ダウドやアリフ・マーディンら現場を預かる人びとの、最大公約数的願いだっただろうと想像する。

1964年のアメリカには、セルフ・コンテインド・バンドの経験が豊富なレーベルなどなかったのだから、アトランティックも未経験。しかし、このままR&Bとジャズの良質な盤でやっていこうなどと思うほど鈍重でもなければ、脂っ気も抜けていなかった。

とはいえ、彼らとしては、LAの会社のような、臆面もないスター・システムはできれば避けたかったに違いない。音楽は彼らにとってもビジネスではあったが、同時に、つねにまじめな音楽をまじめにつくってきたという自負もあっただろう。

これからはポップ・フィールドに力を入れないと会社は大きくなりそうもない、いや、それどころか、ジリ貧になる怖れすらある、しかし、その音楽は売れると同時に、ある質をもっていてほしい。

彼らがラスカルズのなかに見いだしたのは、そういう希望だったにちがいない。可愛いだけで音楽的に空っぽなバンドは、アトランティックの企業文化にはそぐわない。

その点、ラスカルズは未熟とはいえ、バーズなどとちがって、すでにまともな演奏をしていた。とくにフィーリクス・カヴァリエーレとディノ・ダネリが豊かな可能性をもっているのは明らかだった。そして、R&Bの素地が十分なだけでなく、ディノとフィーリクスはジャズへの傾斜を示していた。ディノはもともと4ビートのほうを好んでいた。

Buddy Rich and Gene Krupa with Sammy Davis Jr.


ディノ・ダネリはテレビでジーン・クルーパとバディー・リッチのドラム・バトルを見て衝撃を受け、一気に4ビート・ドラミングへと傾斜したと云う。このパフォーマンスのことだろう。

アトランティック・レコードの企業文化にふさわしい若者のセルフ・コンテインド・バンドがこの世界に存在するとしたら、それはラスカルズ以外にありえなかった。二人の才能あるシンガーがいるだけでなく、豊かな可能性を秘めたドラマーとキーボード・プレイヤーがいて、まだつたないながらも、スタジオでプレイできるだけの技量を備えていた。

アトランティック首脳陣がみな〈バージ〉詣でをしたあげく、「わが社のスタジオはきみたちのものだ」などと、途方もない約束までし、デビュー盤からプロデューサー・クレジットと一定の「アーティスティック・フリーダム」を与えるという、世にも稀な特別待遇で迎えたのは、そうした背景があってのことだろう。

アトランティックはその後に多くのロック・バンドと契約したので(ヴァニラ・ファッジ、レッド・ゼッペリン、アイアン・バタフライなどなど)、いまではラスカルズの重要性は見えなくなっている。

しかし、1965年、英国勢に押しまくられ、未来に暗雲がたれ込める悪天候下にあっては、ラスカルズは新しい分野へ転進するためのスプリングボード、会社の未来を決めるほどのアーティストだったと云える。それは、その後の彼らの録音とアリフ・マーディンの大活躍を見れば、さらに明白になるだろう。

次回、ラスカルズのデビュー盤の項は完結の予定。


Click and follow Songs for 4 Seasons/metalside on Twitter
metalsideをフォローしましょう



The Gentrys - Keep on Dancing 1965-71
Keep on Dancing 1965-71

The McCoys - Hang On Sloopy + You Make Me Feel So Good
Hang On Sloopy

The Byrds - Mr. Tambourine Man (紙ジャケット仕様)
ミスター・タンブリン・マン

The Ventures - Walk Don't Run + The Ventures (second album) + 6 bonus
THE VENTURES + WALK DON´T RUN + 6

The Beau Brummels - Introducing The Beau Brummels
イントロデューシング・ボー・ブラメルズ

Nino Temp & April Stevens - Deep Purple / Sing the Great Songs
Deep Purple / Sing the Great Songs

The Young Rascals - The Young Rascals (1st)
グッド・ラヴィン
[PR]
# by songsf4s | 2016-09-28 10:41 | 60年代