<   2010年 01月 ( 25 )   > この月の画像一覧
And Your Bird Can Sing (early take) by the Beatles
タイトル
And Your Bird Can Sing
アーティスト
The Beatles
ライター
John Lennon, Paul McCartney
収録アルバム
Anthology
リリース年
1996年
他のヴァージョン
officially released later take
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ご来訪いただいたお客さんのご指摘にしたがって、「散歩やせんとて」掲載の古建築の名称を訂正したり、ここにはリンクを掲示していない、ささやかなブログの更新をしたりしているうちに時間がなくなり、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は、挿入曲を切り出し、MP3にするところまでしかできませんでした。

やむをえず、「黄金光音堂」の「エルヴィス映画見直し」シリーズの次回に備えて、なにか映画でも見ようかと思ったのですが、今日はもうすでに一本見ているので(こちらのつぎの映画のつもり)、それもやめにしました。そうそう、エルヴィス映画見直しのトップバッター「アカプルコの海」は、昨夜完結したので、ご興味のある方はどうぞあちらをご覧になってください。エルヴィス映画あまたあるなかで、OSTに関するかぎり、『アカプルコの海』はベストです。

◆ ビートルズというエアポケット ◆◆
『くたばれ悪党ども』のスコアを切り出して、MP3に事故はないか確認しているうちに、プレイリストの先頭に戻り、ビートルズが流れてきました。今日は手早くそんな話を書こうと思ってタイプしはじめているのですが、あと40分でシンデレラ・タイム、どこまで書けますか。

ハル・ブレインやビリー・ストレンジやキャロル・ケイ(みなさんにお世話になったにもかかわらず、敬称略しました、どうかあしからず、って英語で書かないとな)のことで大騒ぎしていたころに小さなサークルができあがり、いまもMLをつかって連絡などをしています。

そのなかのおひとり、ときおり当家にも書き込んでくださるAdd More Musicのオーナー、キムラセンセは、わたしのわずか数カ月年上で、「並行進化」というぐらい、じつに似たような音楽趣味の通りを歩んできました。

ところがですね、当たり前すぎてあまりビートルズのことなど話さないからなのですが、キムラセンセのフェイヴァリットは、A Hard Day's Nightだと、このあいだはじめて知ったのです。もう付き合いは10年以上なのですがね。

なるほど、A Hard Day's Nightはもっともだと思います。われわれリアルタイム世代の場合、Abbey Roadというのはぜったいに出てこないのです。うっかりすると、あのころにはもうビートルズを見切って、ほかのものを聴いていたりするぐらいなので(わたしの場合は、後輩が買ってきたAbbey Roadを脇から聴いて、ケッ、くだらねえ、とせせら笑った)、フェイヴァリットなどにあげるリアルタイム・ビートルズ・ファンは、ごく稀な倒錯者だけです。66年ぐらいでビートルズは終わった、と考えるのがノーマルなリアルタイム・ファンの共通認識といっていいでしょう。

◆ And this bird can sing, too ◆◆
キムラセンセのA Hard Day's Nightがベスト、というメールを読んで、わたしはどうなのだろうなあ、と思いました。このあいだのリマスター騒動やらなにやら、いろいろあるので、プレイヤーにビートルズを載せてみたのです。

それで、あれこれ聴いているうちに、これじゃなくてさあ、という声が聞こえてきたのです。これじゃないなら、どれなんだよ? それはこれです。



左側はどうでもいいので、右チャンネルに意識を集中してください。最初のパスでできあがったノーマルな録音をいったん1トラックにトラックダウンし(それが右チャンネルに定位されている)、空いたトラックにジョンとポールのヴォーカルを重ねる、というセッションを記録したトラックです。二人とも吹いてしまったので、当然、ボツになり、Anthologyで陽の目を見ることになりました。

いやあ、これを聴いたときはいろいろな意味で驚きました。

・ブートをたくさん買ったが、このテイクはブートにはなかった。
・ジョン&ポールの完全なデュエットがこの時期になってまだ録音されていた!
・このテイクならシングル・カットもできるアレンジなのに、なぜあの地味なリリース・テイクへと退行させていったのか?
・そして、最大の驚きは「ジョン・レノンの声は死んでいなかった!」ということ。


いやあ、こんな核爆弾のようなテイクがブートにもならずにヴァージンのまま残っていたなんて奇蹟としかいいようがありません(いや、正確にいうと、このひとつ前の、吹いていない、ノーマルな初期テイクがすばらしいのだが)。Anthologyを全部買って、この1曲で元が取れました。

なにがすごいといって、start to weigh you downやwill it bring you downの「ダウン」のところのジョンの声と歌い方です。ここを聴いたときは涙があふれました。ジョンの声は、この時点ではまだまったく衰えていなかったのだ、という感動です。これこそ、ロウ・ティーンのときにわたしが愛したジョン・レノンの歌声です。

ジョンは自分の声が嫌いだった(!)そうで、しきりに声を変える方法をジョージ・マーティンやジェフ・エメリックに要求したと伝えられています。その結果がRainであり、なによりもTomorrow Never Knowsを筆頭とするRevolver収録曲の、加工した声なのです。もちろん、以後、さまざまなアルバムでジョンの声は極端に加工され、「あのジョン・レノン」は宙空に消失してしまいます。

ジョン・レノン自身とは逆に、たいていのファンはジョンの声を愛していました。だからファンにとってはRevolverはおおいなる失望でした。

ところが、よけいな加工をしていないトラックが出てきてみたら、ジョン・レノンの声が完璧に冷凍保存されていたのだから、それはもう「あふれ出でよ、わが涙」ですよ。わたしと同世代のビートルズ・ファンなら、このエモーションの爆発は説明抜きでわかるはずです。

おっと、時間がなくなったので、とりあえず、ここまでで更新し、あとは、五月雨式にパラグラフを付け加えていくことにします。

◆ 非公式見解 ◆◆
つぎのパラグラフを書こうとしたら、近所に住む老母からSOSの電話があって、あわてて飛び出すという一幕があり、一時間近くが無駄になりました。いろいろなことが起きるものです。ひょっとして、つぎのパラグラフをお待ちの方がいたとしたら、どうも相済みません。

さてトラックを戻します。

ジョン・レノンの声、という極端な基準だけでビートルズを聴いていくと、ベストはAin't She Sweetである、なんていうわけのわからない結論が論理的に導きだされてしまうので、ここでいったん、この基準は棚上げにします。

A Hard Day's Nightがベストである、というキムラセンセの明快な主張に呼応して、わたしも明快に行きたいのですが、これがそうはいかないですねえ。A Hard Day's Nightは、「客観的に」あるいは「公式に」は、わたしもビートルズのベストというかもしれません。

しかし、主観的には、あるいはプライヴェートにはどうかというと、どうもA Hard Day's Nightではないようです。いや、Please Please MeからRubber Soulまで、どのアルバムも、なにかの風が吹けば、ベストにあげてしまう可能性を持っている、ということをまず申し上げておきます。

そのうえで、どれがいちばん好きか? いまの気分は「Help!のA面だけ」またはRubber Soulです。

◆ さて、一等賞は…… ◆◆
いや、こういうベスト選びみたいなことは、ちょっとした遊びにすぎず、ほとんどなんの意味もない、ということを先に申し上げておかないといけませんでした。ただの遊びです、とくどく繰り返しておきます。

しかし、Help!のA面がベストというのも、「ジョン・レノンの声だけ」という基準とあまり懸隔のない、特殊な基準から考えているのかもしれません。Help!のA面のなかでも、とくにどれがいいと考えているかというと、Another Girlだからです! この基準でいうと、二番目にいいのはThe Night Beforeです。どういう基準かわかりますか? わたしのクセをご存知のミニMLの友人たちなら、喝破するかもしれないので、ちょっと時間をおきしょうか。

The Beatles "Another Girl"


The Beatles "The Night Before"

いきなりナグラのテープ・マシンが映るところがすごい。昔は、映画のワイルド・トラックはナグラで録音するものと決まっていた。放送関係でも利用された。

では、理由を書きます。グルーヴです。ポールのグルーヴがいいのは、Help!にはじまったことではありません。だから、ここで問題にしているのはリンゴのほうです。

わたしが最初に買ったビートルズのLPはHelp!です。だからなのだと思いますが、この二曲でのリンゴのライドは体にしみこんでいますし、いま聴いても、安定しているし、なによりもグッド・フィーリンのある、いいプレイだと思います。

もうすこし深いところまでたどりつくつもりでしたが、あれこれあってバテてしまったため、今夜はここまでとします。じっとリアルタイムの更新につきあってくださった方が万一いらしたら、心よりお礼申し上げます。お退屈さまでした。
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by songsf4s | 2010-01-31 23:57
六三年のダンディ by 星ナオミ&&宍戸錠(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その4)
タイトル
六三年のダンディ
アーティスト
星ナオミ&宍戸錠
ライター
伊部晴美、滝田順
収録アルバム
日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠
リリース年
1963年
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昨日はなんだか気味の悪いほど暖かく、株によっては梅の花がだいぶ咲きはじめてきました。うちはいつも遅めなのですが、それでも紅梅は三分咲きぐらいにはなっています。白梅はまだぜんぜんですが。

前回、G Mailのアドレスを書いておいたら、さっそく旧知のお二人がそちらにメールをくださって、やはり書いておくものだなあ、と思いました。右のメニューのどこかにつねにおいておくべきだろうと思うのですが、デザイン変更の前に、とりあえず、またG Mailのアドレスを書いておきます。御用の節にはこちらにどうぞ。

pocketfulofmiracles@gmail.com

◆ 潜入手順 ◆◆
さて、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』のつづきです。宍戸錠は、敵対する暴力団の手から救った川地民夫を手づるにして、彼が属する組織に潜入を試みます。この組織のアジトは六本木のどこかにあるという設定で、隣接するガソリン・スタンドとナイトクラブ、ともに組織が経営しています。

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どういうわけだか、いまだに明快な説明ができませんが、このオープン・セットとおぼしきアジトの外観の絵に、高校生のわたしはおおいに惹かれました。たんに子どものときのことが思いだせないだけならどうでもいいのですが、いまこの絵を見ても、やはり惹かれるのに、どこがどう好ましいのかわからないので困惑します。

宍戸錠はすぐには信用されず、地下に閉じこめられ、そのあいだに、信欽三の子分たちは手分けをして、この「田中一郎」と自称する男の身元を洗います。まずは西銀座デパートの前にたむろっているチンピラたちに宍戸錠=田中一郎の写真を見せ、聞き込みをします。

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話が脇に逸れますが、西銀座デパートはまだこの時代には新しい東京名所だったのでしょう。西銀座デパートの「大家」であり、その天井を走る東京高速道路の一部が最初に開通したのは1959年だそうで、その後、東京オリンピックに合わせて64年に全線が開通しています(たしか、小林信彦『夢の砦』に、まだ開通前のこの道路に主人公たちが立つ場面があった)。

残念ながら、かつて読んだこの道路のエピソードはみな忘れてしまいましたが、このあたりの短い区間は首都高速ではないということと、独立した企業体がつくったものだということだけは覚えています。なにか、番地も変わっているということを読んだような気もするのですが、どうも記憶のピントが合いません。無番地?

グーグルマップ 東京高速道路および西銀座デパート付近

西銀座デパート前にたむろっていたチンピラの、田中はまだ刑務所にいるはずだが、という話から、一味のひとりは刑務所に行ってみますが、田中なら先月出所した、といわれます。

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さらにその所番地を尋ねていくと、ここがなんと教会。「武蔵台教会」となっているので、調布にあるという設定なのでしょう。すでに立川基地、福生の米軍住宅などが登場しているわけで、ロケは都心と東京西郊にまとめたのかもしれません。

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かくして、ボスの信欽三は、宍戸錠の監禁を解き、その教会に連れて行きます。宍戸錠の父親が佐野淺夫で、いつもの味を出しています。宍戸錠は冷や冷やしていますが、金子信雄はキッチリ手を打ってあり、サクラも仕込んで、とりあえずボロは出しません。

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◆ 歌って踊るエースのジョー! ◆◆
これでいちおう宍戸錠は信用され、仲間に加わります。その祝いのような、仕事の打ち合わせのような席なのでしょうか、信欽三、その情婦である笹森礼子、上野山功一、そして宍戸錠たちが、一味の経営するクラブ〈エスカイヤ〉で飲むシーンで、星ナオミ(彼女の名前がキャストにあるとちょっとうれしくなる)が踊りながら歌うのが「六三年のダンディ」です。

サンプル 星ナオミ&宍戸錠「六三年のダンディ」

潜入中の宍戸錠としては、「素」のときの知り合いとは顔を合わせたくないという状況で、やむをえず、いっしょに歌って踊りながら、よけいなことをいわないようにさせます。

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チャンスはあっても、歌のほうで有名にならなかったことが雄弁に物語っていますが、宍戸錠の歌はうまくありません。ただし、いい俳優がみなそうであるように、エースのジョーも、ヴォイス・トレーニングを受ければ、まずまずのところまでいった可能性を感じます。

ダンスのほうも捨てたものではありません。自宅にトレーニング・ルームを設け、年をとってもつねにアクションのできる体をつくっていたという人だけあって、動きにいいリズムがあり、それがこの場面での、照れたようなダンスの端々にあらわれています。それに、さすがは俳優、たんなるダンサーにはない味が動きにあります。だれか、このときに思いきりヨイショして、天までほうりあげ、歌とダンスに本気で取り組ませていたら、ちょっとしたミュージカル・スターが誕生していたのじゃないでしょうか。惜しい!

挿入曲はまだあるし、スコアのほうにもまだ曲があるので、もうすこし『くたばれ悪党ども』をつづけることにさせていただきます。


DVD
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]

OST
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順

日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
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by songsf4s | 2010-01-29 23:51 | 映画・TV音楽
(仮)案外悪趣味なギャング by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その3)
タイトル
案外悪趣味なギャング(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』)
リリース年
1963年
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みなさんもそうだと思うのですが、このところ、プロヴァイダーのメール・アカウントより、ウェブ・メールに依存する度合いが高まっています。OSのクラッシュの影響でデータの欠損が生まれることがあるものより、ウェブ上にあるほうが安全かもしれないと、最近は考えはじめていました。

ところが、今日はどういうわけか、goo mailのアカウントにログインできなくなってしまいました。通常使うOpera(Firefoxにシェアで後れをとったために、必死に努力したらしく、最近のヴァージョンはFirefoxよりずっと高速ではるかに使いやすい。お試しあれ)はダメ、IEもダメ、しからばというので、最近はよそのエクサイト・ブログのカウンターを廻すためにしか起動しないFirefox(電話で確認しながらブラウザーを試した結果、エクサイトはFirefoxユーザー以外はカウントしないことがわかった、IEやOperaのお客さんはカウントされない)を使って、やっと入れました。

goo mailのアドレスは、過去の記事に何度か、連絡にご利用くださいと公開したのですが、Firefoxでしか入れないのでは不便なので、これを機会に、ちがうアドレスを書いておくことにします。

pocketfulofmiracles@gmail.com

こちらも毎日チェックしているので、もしもわたしになにかおっしゃりたいことがあるようでしたら、ご利用ください。以前公開したgoo mailのアカウントで何人かのお客さんがわたしに連絡をお取りになりましたが、どうも危なっかしいので、アドレス帳から削除するようにお願いします。

◆ アンチリアリズムの萌芽 ◆◆
今回見直すまで、そういう風に考えたことはなかったのですが、ランニング・タイムの表示をにらみながら見ていると、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は『七人の侍』タイプの「はじまるまでが長い映画」のように思えてきました。

いや、もうすこしポジティヴな言い方をすると、「準備で見せる映画」といったあたりでしょうか。『七人の侍』は、ひとりひとりのリクルート手順をていねいに描き、その「副作用」で、各人のキャラクターを明確にしていきます。

『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は、「軍団」のリクルートはしません。この映画の「準備」は、宍戸錠扮する探偵が、信欽三の組織(その裏にまだ黒幕がいるのだが、意外性を狙った設定ではない)に潜入していく過程です。これがけっこう入念なのです。

宍戸錠は、金子信雄警部にニセの身分をつくってもらい、釈放された川地民夫をテコにして、信欽三の組織に入りこもうとします。追っ手をまいた宍戸錠は、逃走用の車を捨て、べつの車に乗り換えて、まず川地民夫の家(または愛人=楠侑子の家)に行きます。

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洋風下見板と白く塗った木の柵という組み合わせのおかげで、いかにも福生か狭山あたりの米軍住宅という雰囲気になっている。でも、妙に車の数が多く、中古車展示場みたいになっていて、思わず笑ってしまった。

ここはなかなか笑えると同時に、やがて堀久作をはじめとする日活首脳陣に「鈴木清順はわけのわからない映画をつくる」という観念を植え付けることになる、独特の「くたばれリアリズム演出」が見られるところでもあります。

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MGではサツに見つかると、福生の米軍住宅あたり(横田基地が登場することでわかるように、昔は「都下」といっていた市域を舞台に設定しているので、福生で平仄は合う)でべつの車を盗み、シーンが事務所でテレビの報道を見る初井言栄に切り替わり、テレビの画面が映ると、つぎのショットは呼び鈴を押す手のクロースアップになっています。

つぎのショットはアパートのドアの前の川地民夫と、ちょっと離れて立つ宍戸錠。つぎは建物のすぐ外に駐められた車(さっき福生で盗んできたものと受け取れる)、そしてまたキャメラはドアの前に戻ります。ここまでのつなぎも、アブノーマルとはいいませんが、ちょっとイレギュラーで、監督の指示なしに、編集者が独断でやるつなぎ方には思えません。

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だれにでもわかるつなぎ方は、

建物の外に停まる車=>車から出てくる宍戸錠と川地民夫=>ドアの前の二人=>呼び鈴を押す手

といったところではないでしょうか。そういうノーマルな手順を踏まないところに、鈴木清順らしさがあるのですが、それは後年、すでに清順が名を成してから見はじめた若造の印象にすぎないのでしょう。リアルタイムで見た日活首脳陣は、なぜわかりにくくするのだ、と思ったかもしれません。

◆ 清順十八番、倒錯カップル艶笑シーン ◆◆
このつなぎ方は明らかに意図的です。速いつなぎで、しかもカードをシャッフルしたように、カットのつなぎ順が月並みではないので、観客は一瞬、「猫だまし」を喰らったようになり、ノーマルな「映画のなかの時間経過」の観念から切り離されます。感覚が宙に浮き、非現実的世界に突入するのに必要な心理的準備がととのってしまうのです。

そして、覗き窓から見える赤い灯り。ストリップでもはじまりそうな音楽。覗き窓の向こうの女(楠侑子。まさにうってつけの役)の呆けた表情。男を引っ張り込んだな、と一方的に女を責める男、黄色いライティング、その下で嫉妬する男をからかい、殴られて歓ぶ女――これぞまさしく、「清順的なるもの」のカードをずらっとテーブルに並べたシークェンスです。

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紅灯の巷ならいざ知らず、玄関のあたりを赤い照明にしている家もなければ、居間を真っ黄色にしている家もありません。でも、このアパートに入る直前の、スムーズではないショットのつなぎで、われわれは「ここからは奇妙なことが起きる」という心の準備ができているので、まるで『東京流れ者』のクラブ〈アルル〉のように変梃な照明デザインも、このカップルの奇怪なふるまいも、「そういうもの」として受け入れます。

いや、当時はやはり受け入れがたかったのでしょうかねえ。プログラム・ピクチャーに「作家性」なんかありはしないから、ただ「なにをいっているのかわからない」という評価だったのかもしれません。

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赤い男と……

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黄色い女、なにか意味があるのか?

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「おまえ、案外、悪趣味だな」

いや、そもそも、日活アクションはまともな批評の対象ではなく、しかも、その日活アクションのたんなる同時上映作品では、批判もなにも、見た人すら少なく、だれも、ここでなにか起きていることに気づかなかったのかもしれません。鈴木清順が一部の批評家に注目されるようになるのは、この『くたばれ悪党ども』が封切られた1963年なのだそうですが、そのきっかけとなったのはべつの映画なのです。

ともあれ、このシークェンス全体を音でどうぞ。

サンプル 「案外悪趣味なギャング」

途中で「ハサミ」は入れていません。川地民夫が楠侑子を痛めつけていたと思ったら、急にネットリなってしまうのですが、じっさいに、カットのつなぎで、一瞬にして甘いムードになっているのです。

そして、川地民夫が楠侑子と抱き合いながら、宍戸錠に「どこへ行くんだ?」と話しかける、一オクターヴ上がった、半分笑ったような台詞が妙に可笑しくて、川地民夫はちょっと倒錯的な人間を演じたときが一番いいなあ、と思います。川地の倒錯演技は、同じ年に撮られたつぎの清順映画のひとつの大きな柱になります。

たったひとつのシークェンスだけでおしまいとは情けないかぎりですが、まだ猫をかぶって控えめにやっていたころの鈴木清順としては、もっとも本性をあらわした場面なので、まあ、やむをえないとご容赦あれ。次回は、本格的にギャングたちのしつこい身元追求の手順を見ます。


DVD
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]

OST
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順

日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
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by songsf4s | 2010-01-25 23:04 | 映画・TV音楽
(仮)暴動序曲 by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その2)
タイトル
暴動序曲(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』)
リリース年
1963年
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ほんとうに近ごろは世間のことを知らなくて、日高敏隆氏がなくなったことを、さきほどになってようやく知りました。十代二十代に接した氏の著訳書は、ただわけもわからず読んだだけでしたが、後年、「種に序列をつけない」という明快な主張を読み、おおいにうたれました。

f0147840_023015.jpgそれを読んだのは新聞のコラム、欧米の反捕鯨運動の虚妄をみごとに衝く一文のなかででした。彼らは、牛や豚は下等だから家畜にして殺して食べても問題ないといい、そのいっぽうで、鯨やイルカには知性ないしはその萌芽がある、だから殺してはいけない、というが、それぞれの種にどの程度の価値があるかなどということは、人間が決めることではない、鯨も牛も豚も価値に差はない、という論旨でした。

こういう簡単な理屈すら理解できなくなる病が「ドグマ」というものです。まあ、鯨には価値があり、日本人には価値がないと、例によって序列をつけているから、あのような無法非道な行為を「正義」と思いこめるのでしょう。

◆ プログラム・ピクチャーはジャズではない ◆◆
鈴木清順があるインタヴューで、あの映画の意図はどのようなものだったのか、などときかれて、いらだちを抑えるように、意図もなにもありはしない、会社からあたえられた企画なんだから、とこたえていました。

1967年の『殺しの烙印』を直接の理由として、鈴木清順は日活から馘首を言い渡されました。その後、支援者の協力を得て訴訟を起こしますが、たまたまそういう時代だったためか、これはいくぶんか左翼活動のような気味合いになっていきます。

たぶん、それが誤解のもとになったのでしょう。作者に向かって、「作品の意味」を問うなどというたわけたことをする(たぶん左翼の)トンチキまでが鈴木清順に興味を持ち、「あの映画の意図はなんでしょうか」などと、およそ無意味な問いかけをするようになります。

たとえお芸術の世界でも、「あなたのあの詩はどういう意図で書いたものですか?」などといったら、作者に張り倒されますよ。まあ、世の中にはパブリシティー最優先というお芸術家もいるので、バカは適当にあしらっておけとばかりに、あることないこと、適当な「意味」を口から出放題にしゃべるかもしれませんが、そんなのはすべて相手に合わせたたわごと、はじめから詐欺師の口上みたいなものです。

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まして、プログラム・ピクチャーですから、意図なんかないことは、ふつうの脳みそを持っている人間は知っています。いや、意図はありますよ。「大勢の客を引き寄せること」というのがすべてのプログラム・ピクチャーの「意図」です。いやいや、予算が予算なので、じつは「大ヒット」も狙っていなくて、「そこそこ当たってくれ」ぐらいのところでしょう。

日活最後の数本をのぞけば、一貫してそういうお客さん本意映画それ自体ですらなく、その付録として公開される同時上映作品を撮ってきた人に向かって(いや、溝口健二や小津安二郎が相手でも、それはそれでまずいが)、「あの作品の意図はなんですか?」はないでしょう!

世の中にはほんとうになにもわかっていない人というのがいるものですが、それにしても、あの時代には、左翼のこの手のお芸術バカが一人前の顔をしてそこらを闊歩していて、わたしのような普通の高校生はときおりおおいなる迷惑をこうむりました。

ちょっと年上の大学生なんかに、この手合いが掃いて捨てるほどいて、ただたんに喫茶店で隣のテーブルに坐ったというだけの理由で、議論を吹きかけてきたりしました。「こんな音楽のどこが面白いんだ、きみはマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンを聴かないのか」って、おまえの知ったことかよ! ジャズみたいな退廃無為惰弱猥褻なる音楽のどこが面白いんだ、おまえはデイヴ・クラーク・ファイヴやヤング・ラスカルズを聴かないのか?

わたしは右翼ではないし、昔の分類でいえばリベラルだと思うのですが、あのころの政治状況を思いだすと、ウルトラ右翼的気分になります。わけのわからない時代でした。高倉健の『昭和残侠伝』五本立て終夜興業に行くと(まじめな受験生だったのに、どうやって親を騙して池袋文芸座で夜明かししたのか、いまでは思いだせない)、左翼がいっぱいいるのですよ。でも、プログラム・ピクチャーをたくさん見たひとは、ものがわかっているから、高校生をつかまえて議論を吹きかけたりはせず、静かに(つねに超満員、座席は狭く、押し合いへし合いだったが)映画を愉しむことができました。

今日の枕の御題は「世の中にはお芸術ではないものもある」でした。もうひとつの「裏の御題」は、「プログラム・ピクチャーはロックンロールである」なんですが、「その意図は?」と訊かれちゃうかもしれません!

◆ お仕着せを染め直す ◆◆
「その意図は?」も困りますが、プロットというヤツも困りものです。だいたい、多くのものがそうですが、味があるのは骨組より肉づけのほうです。

たとえばですよ、ビートルズのTwist and Shoutはどういう曲か、説明しなければならないとしますね。そうすると、典型的な3コードの曲で、キーはなんだっけ、Dかな、とか、そういうくだらないことをいうハメになります。でも、あれは楽曲がどうしたということではなく、なによりもジョン・レノンのレンディションがすばらしいのだということは、どなたもご存知の通りです。

鈴木清順の映画も、そういうところがあります。企画は会社のお仕着せ、日活社員である以上、拒否はできません。仕方がないから、ディテールに工夫を凝らし、客席で「あくび指南」がはじまったりしないよう、せいぜい、数分に一回はなにかが起こるようにするぐらいのことしかできなかったのです。

鈴木清順映画の魅力はプロットにはない、ということをご承知おき願えたところで、その意味のないプロットをざっといきましょう。この矛盾!

ギャングが取引中の他のギャングを襲い、金やブツを奪うという事件が起こります。現場付近で逮捕された男(川地民夫)が収容された所轄署を、被害にあった二組のギャングどもが公然と見張っているところに、私立探偵の田島(宍戸錠)があらわれ、捜査の指揮を執る警部(金子信雄)に、自分を川地民夫の組織に潜入させろ、ともちかけます。金子信雄はいったんは拒否しますが、宍戸錠の事務所(築地と設定されているが、ロケ地はわからない)にやってきて、拳銃とニセの運転免許証をわたします。

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以上で、リアリズムなどはなから考えていないことはおわかりでしょう。「探偵許可証」などというありえないものを「取り上げるぞ」と脅かされちゃったり、どうやら警察から報酬をもらうようで、これまた「それは無理でしょう」です。

子どものとき、面白く感じたのは、暴力団が大挙して警察を取り囲んで、騒ぎ立てているという設定です。そんなことが現実に起こりうるかはさておき、鈴木清順は、論理を超えて、「見た目に派手」な演出を選択したように感じます。冒頭の襲撃シーンもそれなりに工夫を凝らしてあるし、派手な絵づらになっています。

木村威夫によると、朝、仕事がはじまる直前に、鈴木清順監督に、ここをこう変えたいといわれ、セットを手直ししたり、急いで小道具を調達したりするということがよくあったそうです。つねに、「ただ撮る」ことを避け、細部をいじって、すこしでも退屈しないようにと心がけていたというのです。

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鈴木清順自身は、あたえられたシナリオの根本的な不備はいじりようがない、場面場面の工夫で、すこしでも面白くするしかやりようがない、ということをいっています。観客のほうも、プロットの論理性にはそれほどこだわらず、ディテールの楽しみを追うので、この考え方は正しかったことになります。こういう監督が、どうして裕次郎の映画を撮らせてもらえなかったのか、不思議千万です。

◆ ヤーレン騒乱、騒乱 ◆◆
1960年代終わりに「新宿騒乱事件」というのがありました。68年のことなので、わたしはまだ中学生、なにがどうなってそういう事態に至ったのか、まったく理解していませんでしたが、あのあたりから70年安保締結までは、「騒乱の時代」だったような記憶があります。



新しい日米安全保障条約の締結で学生運動は急激に退潮し、その縮退による急激な内圧の高まりが、72年の「連合赤軍浅間山荘事件」という爆発を喚んだと理解しています。わたしはその騒乱の時代に中学生から高校生になり、浅間山荘事件のときは大学受験準備の真っ最中で、食事のときに、チラッと中継を見るだけでした(野球か!)。

テレビで『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』をはじめて見たのは71年なので、騒乱の記憶なまなましく、しかし永田洋子の顔はまだ知らないという時期です。あの「政治の季節」を「当事者予備軍」「リクルート対象」として過ごした結果、わたしは「過激な反政治主義者」に育ったようです。小説や音楽や映画を政治の道具にする輩はすべて敵でした。いまでもそうです。稲垣足穂がいうように「政治と文学を結びつけるのは、反対向きに二台の機関車を連結するようなもの」なのです。

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そんな「意図」は爪の先ほどもなかっただろうが、オリンピックに向かってそこらじゅうがほじくり返されてしまった東京を、キャメラは偶然に捉えている。有楽町の日劇前も、アスファルトではなく、鉄板の道路になってしまった。

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宍戸錠が「武蔵野署」から築地の事務所にもどったところ。この周辺も工事現場だらけ。

それでも、おかしなことに、所轄署の前に暴力団が陣取って気勢をあげている『くたばれ悪党ども』のシークェンスは、60年安保の記憶なのか、あるいは70年安保の「未来の記憶」なのか、どことなくポジティヴに表現されていて、かつてわたしより年上の世代が経験した「祭り」のように見えました。

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劇中、宍戸錠は、暴力団が警察の前に陣取って気焔をあげているのは気に入らない、といっていますが、なあに、ちょっとした弁解として、暴力団否定を入れておいただけでしょう。あのにぎやかな「お祭り」を演出した監督が、そんなことを本気で思っているはずがあるものですか。

わたしより年上の「運動」をしていた学生たちがヤクザ映画を愛したのも、「でいり」の昂揚感ゆえでしょう。わたしは、雪の夜にドスを片手に雪駄を鳴らして歩く高倉健と池部良の姿には、昂揚感より「滅びの美学」を感じてしまいますが、『くたばれ悪党ども』のギャングの「騒乱」には、盛り上がってしまいました。そういう記憶があるせいか、何度見ても、このヤクザどもの「おい、テレビが来たぞ、今夜は俺たちはヒーローだ」というバカさ加減に、いつも楽しい気分になってしまいます。

この「騒乱」のなかに宍戸錠がMGを駆って割って入り、釈放された川地民夫をさらい、土方弘にミキサー車で追跡の車をさえぎらせて、まんまと逃走するシークェンスは、71年に見てもまずまず手際のよい演出に感じられたのだから(いや、だから、『ブリット』のようなわけにはいかないのだ、日本映画は!)、63年にはもっときびきびと見えたでしょう。

前進で突っ込んだミキサー車が、ちょっとバックして、脇を抜けようとした数台の車を邪魔し、見えないところで、ゴンゴンと音がして、停止が間に合わなかったことを暗示する処理も、なんだか妙に笑いがこみ上げてきます。

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裕次郎抜きでも客が眠らない映画をつくろうと、必死に工夫する鈴木清順監督の姿勢には頭が下がります。こういうことが「ものをつくる」ことなのであって、「意図」なんか、どうだっていいのです。

◆ 微妙なマッチング ◆◆
この「騒乱」シーン(昔は「モブ・シーン」という術語があったことを思いだした)の音楽は、真部(川地民夫)が釈放されるまでは、騒然たる状況の正反対ともいうべき、スロウで静かな4ビートのブルースです。

サンプル 暴動序曲

よく考えると、不思議なタイプのサウンドをもってきているのですが、そうかといって、ここににぎやかな音楽を入れられても困るな、と思います。伊部晴美としても、試行錯誤によって、このシーンの音楽を決めたのかもしれません。

このスロウ・ブルースは、使いまわしのきくキューとしてつくられていて(べつにめずらしいことではない)、何度か登場しますが、それはまたあとで機会があればふれます、

もう一曲、スコアを聴く予定だったのですが。新宿騒乱事件などという変なものを思いだしてしまったために、たどりつけませんでした。ここまででまだ映画は15分しかたっていません。いつ終わることやら。


DVD
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]

OST
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順

日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
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by songsf4s | 2010-01-23 23:12 | 映画・TV音楽
更新のお知らせ

FC2の「黄金光音堂」のほうを更新しました。

「エルヴィス映画見直し Mexico by Elvis Presley (映画『アカプルコの海』より その3)」

今日は当家のほうも更新のつもりだったのですが、あちらを優先した結果、時間が足りなくなりました。土曜の深夜には更新の予定です。

◆ 再び黒澤明の選んだ百本 ◆◆
「セット、ロケ考 (日活映画『赤いハンカチ』より その7)」のときにチラッとふれた、黒澤明が選んだ100本の映画のリストをさかなに、今日も無駄話を少々。

いきなり、たとえ無駄話にしても、無駄がすぎるという話題で恐縮ですが、

46. Ototo (Kon Ichikawa, 1960)

というエントリーには面食らいました。「市川崑の『オトト』」なんて、子どもの映画でもあったのか思っちゃいましたよ。「おとうと」が出てくるまでに手間取ったこと! やっぱり現行の日本語アルファベット表記はぜんぜん実用性がありませんな。日本人にも外国人にもわかりやすく、長音とプレインな音の区別がシステマティックにできる表記体系を作り直して欲しいものです。Tokyoの文科省の役人には無理か。「ときょ」だもんな!

この「黒澤明が選んだ百本の映画」は、60年代中期までは、当たり前に読んでいけます(むろん、先日あげた『足ながおじさん』はべつだが)。

興味津々は60年代後半、いわゆる「ニュー・シネマ」の時代に入ってからです。

いきなり、「ニュー・シネマ」という呼称が誕生したアーサー・ペンの『ボニーとクライド』が登場し、あとはノーマン・ジュウィソン『夜の大捜査線』(「代走させん」と変換したので笑った!)、ジョン・シュレジンジャー『真夜中のカウボーイ』、ロバート・オールトマン『M*A*S*H』と、当時の子どもたちと同じような趣味で作品をあげているので、なんだか愉快になってきます。

たりないのは『イージー・ライダー』ぐらいでしょうか。アーサー・ペンはわたしだったら『逃亡地帯』を挙げるでしょうけれど。

『イージー・ライダー』が抜けているのも、まあ、わからなくはありません。たとえば『夜の大捜査線』を「原作もすばらしいけれど、映画のほうはみごとな技術で撮影しているよね」といっています(この翻訳は黒澤明の語尾「よね?」を忠実に訳して修辞疑問にしているが、英語としては不要だろう。たんなる語尾の口癖にすぎない)。どういう内容を、どういうスタイルで表現するのであれ、そこに高度なスキルがあることが、黒澤明の選出条件のひとつだったのでしょう。いうまでもなく、『夜の大捜査線』の撮影監督はハスケル・ウェクスラーで、じつにすばらしい仕事をしています。

ウィリアム・フリードキン『フレンチ・コネクション』は、一瞬、意外に感じましたが、そうか『天国と地獄』の監督だから、「移動するサスペンス」に敏感に反応したのだな、と納得がいきました。しかし、ここでカー・チェイスの話をするなら、できれば、ピーター・イエイツ『ブリット』も百本に入れて欲しかったと思います。「移動するサスペンス」でショックを受けた最初の映画でした。そのまえにヒチコックとジェイムズ・ボンドがあるか!

これ以上書くと、埋め草の四方山話ではなくなってしまうので、このリストの残りは、また中途半端な時間しかつくれなかったときに書きます。
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by songsf4s | 2010-01-22 23:50 | 映画・TV音楽
タイトル・ミュージック by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その1)
タイトル
タイトル・ミュージック
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
日活映画音楽集 監督シリーズ 鈴木清順
リリース年
1963年
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上梓から数年を経て、ようやく矢作俊彦『ららら科學の子』を読みました。若いころは、好きな書き手の新作はこまめに読んでいたのですが、結局、最後までそういう風に接したのは山田風太郎のみ、半村良ですら晩年(死が早すぎたので「晩年」の感覚はなかったが)にはもうあまり買っていませんでした。

f0147840_23582353.jpg矢作俊彦がほんとうに好きだったのは1970年代のことで、いまだにタイトルを覚えられない、スズキさんのなんとかという本のレヴューを読んだ時点で関心が冷め、「以前、よく読んだ作家」になってしまいました。

むろん、作家は変貌していかなければならず、矢作俊彦が「ふつうの小説」を書くようになったのは必然ですし(処女短編「抱きしめたい」の冒頭数パラグラフを読んだだけで、資質としてはメインストリームの書き手であることが明瞭に読み取れた)、内容に合わせてスタイルが変化していったのも、当然すぎるほど当然です。

◆ 30年の欠落 ◆◆
熱を失ってから読んだ数冊は、「他の日本の作家よりは面白い」というところでしょうか。昔のような蠱惑的スタイルは、当然ながら、もうよみがえるはずはないのです。結局、ときおり、デビュー作「抱きしめたい」などの初期短編、処女長編『リンゴォ・キッドの休日』、『マイク・ハマーへ伝言』、そしてわたしにとってはつねに彼の代表作である『真夜中へもう一歩』をひっくりかえすだけの「懐かしい作家」になってしまいました。いまも書き続けている人に対して、まことに失礼な言いぐさなのですが!

『ららら科學の子』も、昔のように舌なめずりして読むような長編ではありませんでした。主人公は作者と同年齢ぐらいに設定され、1969年、学生運動のいきがかりで警官に対して殺人未遂を働いたとして指名手配され、文化大革命末期の中国へと密航します。

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それから30年たって、主人公は蛇頭の手引きで日本に帰ってきます。ついこのあいだまではテレビもなかったような中国の山奥で30年暮らした主人公の、「20世紀浦島太郎の東京地獄巡り」とでもいうべき数日間の物語、と表現しても、的はずれではないでしょう。

主人公は映画青年だったのですが、中国の山奥にはテレビすらないので、彼が知っている映画は1969年までのものだけ、音楽もそれに準じていて、ハワイというと、エルヴィスのBlue Hawaiiか、ビーチボーイズのHawaiiになってしまいます。

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矢作俊彦「抱きしめたい」冒頭(1972年)

そろそろ、この枕がどこにいくかお気づきですよね? つまり、この主人公と、わたしのあいだに、どういう違いがあるのか、ということです。1960年代の疾風怒濤を抜けて、1970年代の無風状態を迎えたときは、たんなる「天候の変化」だと思っていました(もちろん、レイモンド・ダグラス・デイヴィーズ歌うThere's a Change in the Weatherを連想してもらいたい)。しばらくのあいだは、また嵐がくると信じていたのです。

ところが、いつまで待っても風は吹かず、気がつけば「人間五十年」を過ぎて、「ロスタイム」に入り、いつ死んでもかまわない年齢になっていました。30年間、中国の山奥で映画も見なければ、音楽も聴かなかったような気分です。わたしも、ハワイというと、エルヴィスのBlue HawaiiとビーチボーイズのHawaiiと、ヤング・ラスカルズのHawaiiになってしまいます。岡晴夫の「あこがれのハワイ航路」にはなりませんがね!

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◆ I think I'm goin' back ◆◆
1969年かあ、とため息をつきました。いまふりかえれば、もう断末魔の年のような気がします。1970年以降に経験したことはみな余生の出来事のようだし、音楽に関するかぎり、68年にはもう自分の一生は終わっていたような気がします。映画はもっとずっと長持ちしましたが、それにしても70年代に入ると、もう「映画館で暮らす」ような状態ではありませんでした。

しかし、まだ高校生だったのだから、自分の人生が終わったなどという自覚はもちろんないし、音楽や映画だって「終わった」とは認識していませんでした。自分の趣味が変わったために、同時代のものが面白くなくなったのだという認識です。現実は逆でした。世の中は変わったのに、自分だけは変わらなかったために、同時代の作物が面白くなくなったのです。

70年代は、いまふりかえれば「Uターン開始」の時期でした。突然、子どものころに聴いたレスリー・ゴアの盤が欲しくなるなんて、60年代の疾風怒濤時代には思いもよらないことでした。「next」だけがあり、「previous」がないのが60年代という環境だったのです。未来に向かって一方通行で全力疾走していました。

「話の特集」だったか、「ガロ」だったか(こういう雑誌のバックナンバーを買い集めはじめたのも70年ごろで、そういう面でもやはりUターンをはじめていた)、鈴木清順という「元日活の映画監督」のエッセイを読んだのも、たぶん1971年のことです。

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どういうエッセイだったか、鈴木清順という人物のどこに興味を持ったのか、もはやそういうことはなにも覚えていません。ひょっとしたら、わたしはもう無意識に180度舵を切り、過去に向かって歩きはじめていて、レスリー・ゴアを思いだしたように、宍戸錠を思いだし(現役で活躍していた俳優に対して失礼千万だが)、どの映画館よりも日活に入ることにスリルを感じていた時期があったことを、思いだしはじめていたのかもしれません。鈴木清順は原因や理由ではなく、空気中に満ちはじめていた水分を凝縮させるための核にすぎなかったようにも思います。

どうであれ、「鈴木清順」という名前を記憶したちょうどそのころ(ついでにいうと、「そのころ」は、はっぴいえんどのデビュー盤と、ジム・ゴードンが好きだった)に、テレビの「深夜劇場」で、その監督が撮った宍戸錠主演の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』が放映されました。

◆ タイトル・ミュージック ◆◆
枕でもたもたしたために、時間がなくなってしまったので、今日は『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』の冒頭にふれるだけにとどめ、本格的に見るのは次回ということにします。

アヴァン・タイトル


このクリップがこういう編集になったのは当然だろうと思うのですが、じつはこの直前に12小節分のキューがついています。タイトルで流れるのと同じ曲なので、省略したのは理解できますが、おかげで、やや奇妙な構成のアヴァン・タイトル・シークェンスだということがわからなくなっています。以下に、素直に冒頭のサウンドトラックを切り出したものを示しておきます。

サンプル タイトル・ミュージック完全版

この曲は数種類の編集盤に収録されているのですが、わたしが聴いた2種類は、後半の冒頭であるスネアのパラディドルではじまるようになっていて、上記のクリップと同じように、最初の12小節は省略しています。

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What'd I Sayに似た、リフ・オリエンティッドな12小節のブルースも面白いのですが、より日活らしさを感じるのは、その中間にある、スタンダップ・ベースとヴァイブラフォーンしか聞こえない、スロウな4ビートのキューです。どちらかというと、4ビートのキューのほうが、この映画のスコアの基調といえるでしょう。

以下、次回につづきます。
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by songsf4s | 2010-01-21 23:26 | 映画・TV音楽
更新のお知らせ

先に『アカプルコの海』のスコア切り出しが終わったため、本日はFC2の「黄金光音堂」ブログのほうを更新しました。「エルヴィス映画見直し I Think I'm Gonna Like It Here by Elvis Presley(映画『アカプルコの海』より その2)」です。

当家のほうはつぎの映画のサウンドトラックを「棒状」に切り出し、モノラルのWAVにトラックダウンするところまでは終わっているので、21日から取りかかれるだろうと思います。『赤いハンカチ』と同じく、伊部晴美のスコアです。
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by songsf4s | 2010-01-21 00:05 | その他
ほんのすこし違うビートルズ――ビートルズUSBボックスのA Hard Day's Night試聴

もうひとつのブログ、黄金光音堂のほうで「エルヴィス映画読み直し」というシリーズに取りかかった関係で、当家のつぎの映画と併せて、いっぺんに二本の映画のサウンドトラックを切り出し、トラックに切り分けるという作業をしているため、今日あたりにははじまっているはずだった、つぎの日活映画にはまだたどり着けません。明日か明後日か、そのあたりでスタートします。

◆ ダーカー・サイド ◆◆
埋め草に音楽や動画関係のソフトウェアのことでも書こうかと思ったのですが、ちょうどいいタイミングで、友人が、まあちょっとためしに聴いてみろや、とビートルズのFlacを数トラック聴かせてくれました。

f0147840_22171740.jpgわたしは知らなかったのですが、ビートルズUSBボックスなるものがリリースされて、それを買ってきたのだそうです。こんどは違うように思うのだが、というわけです。ムッフッフ、どうでしょうかな。

まず確認しておきたいのは、昨年、「いつものビートルズ」という記事で、わたしはあのリマスターの「音質をけなした」わけではない、ということです。たんに、いいマスタリングのLPのほうが、わたしには好ましいということと、あれは金をだぶつかせている老耄リアルタイム・ビートルズ・ファンの懐を狙った振り込め詐欺のようなものである、といったまでです。

なによりも腹を立てているのは、同じものを何度も何度もパッケージングを替え、金が余っている中高年層をターゲットにして詐欺同然の商売をしている音楽業界の体質です。盤の音質については、わるくはないが、買い換え、ダブり買いを正当化するような音ではない、といったにすぎません。

で、とにかく、Flacで圧縮され、USBメモリーで配布されたA Hard Day's Nightの13曲を聴いてみました。できるだけ冷静に、客観を心がけていいますが、今回のFlacによるA Hard Day's Nightは、A面については「うーん、ビットレートを上げてももはや収穫逓減か」です。注意深く聴かないと、どこがちがうのかわかりません。

ところが、B面は微妙なんです。なぜですかねえ。プライオリティーがはるかに高いA面は、わたしのような気むずかしいファンを怖れて、できるだけLPに近づけたのでしょうか。

B面のくだらない曲はいままでとはかなり違います。Things We Said Today、When I Get Home、You Can't Do Thatのあたりです。違う=すぐれている、とはかならずしもいえず、お好みでしょう。お若い方にはこういうバランシングのほうが好ましいかもしれません。わたしはといえば、うーん、慣れの問題かなあ、というあたりで保留です。

ポール自身はおおいに不満をもっていたそうですが、初期のカール・ヘフナーの軽い音(とそのマスタリング)を、わたしは好ましく思っています。ビートルズというのは、極論するならジョン&ポールのデュオですから、なにを聴くかといえば、二人のハーモニーです。そこに重いベースが入ってくるのは邪魔くさいのです(当時は針飛びを怖れてベースのレベルを抑えたのだから、その気になれば、重くできることになる)。Revolver以降のビートルズをあまり好まないのはそのせいでもあります。

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そういう好みからいうと、このA Hard Day's NightのB面のベースは微妙に重くなっているものがあって、やや気になります。A面はそういうことはないのですがねえ。まあ、バランシングなんてのは好みの問題でして、どっちがいいというわけではありません。お好みである、と逃げておきます。

また、友人はヴォーカルの聞こえ方が違うといっています。そうかもしれませんが、そう思えばそう聞こえる、ぐらいの微妙な感触です。

全体に分離はよく、ステレオ定位も改善されているように思いますが、わたしは、ロック・コンボのステレオ定位にはそれほどこだわりません。オーケストラ、ビッグ・バンドの場合は、ステレオ定位は死命を制することがありますが。

◆ ブライター・サイド ◆◆
このUSBボックスなるものは三万円を超える価格です。最初は高いように思ったのですが、ボックス・セットとしては妥当な価格でしょう。大きいのも小さいのも、円盤がないのはちょっと情けないかもしれませんがね。

すくなくとも、ロッシー圧縮のファイルを配信で買うよりはずっとマシです。MP3の配信なんかに金を払うのはどうかしていますが、Flacなら価値があります。ディジタル媒体にかぎるなら、このボックスのトラックは過去最高の品質だと考えます。

1981年、はじめてPCを買ったとき、将来、ディジタル技術がもたらす革命を夢想しました。なによりも字を書くのが大嫌いだったので、日本語をタイプできる未来が早く来ないかと一日千秋の思いでしたが、これはあっさり実現しました。タイプできれば、ダシール・ハメットのスタイルで書けると思っていたのだから、よくいっても夢想家、悪くいえばたんなる阿呆です。

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音楽のディジタル化に関しては無数のアイディアが頭に充満していました。アラン・ケイはオルガンとギターを弾くため、1970年代前半に「パーソナル・コンピューター」を構想したその瞬間に、PCに音楽を組み込んで考えていたし、われわれユーザーもまた、その伝統のなかで生きていたのです。

さまざまなアイディアがありましたが、この方面は案外保守的で、わたしが夢想したようなラディカルな変化はいまだに訪れていません。

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奥にAltoの縦型CRTが見える。ミュージカル・キーボードで弾いた音を自動的に記譜するシステムの研究とある。これは1977年にScientific American誌に掲載されたアラン・ケイの論文に付された写真で(写真の人物はケイではない)、翌々年にこれを読んだわたしはビックリ仰天した。いま考えれば、自動記譜ソフトウェアなど、初歩的なものなのだが。

いずれ音楽は非回転媒体に記録され、永遠に劣化しなくなる、というのはわりに一般的なアイディアで、ここへきてじっさいに商品になっているのは皆さんご存知の通りですし、今回のビートルズUSBボックスなどというのは、まさに「非回転媒体による音楽の配布」の最先端です。

ただし、昔、この非回転媒体のアイディアとセットで考えていたことはいまだに実現されていません。それは、ビートルズでいえば「これであなたも今日からジェフ・エメリック ドゥー・イット・ユアセルフ・ビートルズ・リマスター・キット・フルマルチトラック・レコーディングス」という製品のリリースです。

つまり、わたしは「ディジタル化=2トラックの呪いからの解放」と考えていたのです。やがて、われわれはマルチトラック・レコーディングを、その記録されたトラック数のまま手に入れ、自分でミキシングして聴くことができるようになる、と思ったのです。

PCがあれば、そんなこと簡単じゃないですか。だれかの声は聴きたくないと思ったら、マウスでフェイダーを下げて、消しちゃえばいいのです。いずれ、そういう製品が売られるようになると、1981年には考えたのですがねえ。まあ、わたしは、「このミキシングはいやだなあ」「このベースは嫌いだなあ」「こいつの声は最悪だなあ」「このトラックのアレンジは最高だなあ、ヴォーカルを消したいなあ」なんてことばかり思っているからかもしれませんが。

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結論として、非回転媒体の半歩すすんだ活用がはじまったのは喜ばしいことです。これでロッシー圧縮ファイルの配信のような悪貨を駆逐できるかもしれません。あんなインチキ製品で金を取るなんて、いい根性してるぜ>そっちの業界関係者。これからはロスレス圧縮による配布以外は詐欺ということにしましょう。MP3だのWMAだのというロッシー圧縮ファイルはホンモノではないのだから、当たり前のことです。

昨年の詐欺まがいリマスターは、善意に解釈すれば「定本全集」をつくり、後世に残す作業かもしれない、なんて、おめでたいことをチラッと思いました。でも、「定本」というのなら、目下のところ、今回のFlac版のほうがはるかにオーセンティックです。テクノロジーに左右されるものは、校訂もハチの頭なくて、すぐに「異本」にされちゃうのだから、「定本」なんて概念はやはり適用できないようです。

ついでにいえば、このビートルズUSBボックスが示しているように、CD音質にこだわる理由ももうありません。CDの何倍のサンプリングレートにしてもかまわないのです。さっさと業界全体がそういう方向に動いてほしいと思います。ディジタル技術の進歩の速さからいうと、CDの技術というのは先史時代で足踏みしているも同然です。音質も21世紀に適応しましょう。

半世紀以上つづいた、強固なる2トラックのパラダイムを破壊できる可能性を示したという点で、今回のビートルズUSBボックスは、前回の詐欺同然製品とはまったく異なり、相応の価値のあるものと考えます。とはいえ、LPよりいいとまではいえませんでした。いま、ゼロから買うなら、このUSBボックスがベストである、ということはいえるでしょうが……。


The Beatles [USB]
The Beatles [USB]
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by songsf4s | 2010-01-19 23:32 | 映画・TV音楽
双葉十三郎没す

なにしろテレビは見ない、近ごろは新聞すらあまり読まない、ラジオをちょっときくだけ、という人間なので、知るのが遅くなりましたが、双葉十三郎氏が昨年12月12日に亡くなったそうです。一カ月以上もたって公表されたようです。享年九十九。12月12日というのは、小津安二郎と同じ命日です。

九十九ともなれば、まさしく大往生、赤飯を炊き、通夜は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになるという年齢です。したがってお悔やみをいうのは無粋、大往生、まことにおめでとうございました、とお祝い申し上げます。

昨夜、『映画の学校』を引っ張り出し、拾い読みをしました。「日本映画月評一九四八-一九四九」「ヴィンセント・ミネリ『バンド・ワゴン』」「『冒険者たち』を讃える」などです。

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訃報には書かれないかもしれないから、『映画の学校』巻末の小林信彦との解説対談でご本人が説明している、「双葉十三郎」という筆名の由来を書いておきます。言葉遊びなのですが、かなりもってまわっているので、説明されないとわかりません。考えたい方は、ここで立ち止まってお考えあそばせ。

では説明します。これは「トム・ソーヤー」をもじったものなのだそうです。ソーヤー→ソーヨー→そうよう→双葉。おわかりか? トム→トミー→とう+み→十三。よろしいあるか?

当時は、ペンネームをたくさんつくっては捨てていて、「双葉十三郎」も当初は使い捨てのつもりだったのが、はからずも長生きしてしまい、捨てられなくなったのだそうです。名前の運命は人の運命のごとし。

◆ 「日本映画月評一九四八-一九四九」から六十年 ◆◆
昨年、双葉十三郎の『日本映画ぼくの300本』という新書版の本を読みました。当然ながら、「世紀の映画雑言集」ともいうべき「日本映画月評」が思いだされます。

正直にいうと、『日本映画ぼくの300本』は拍子抜けでした。連載の冒頭に「雑言」を書くと宣言している「日本映画月評」から180度転換したといいたくなるほどで、やはり人間、九十ともなるとおだやかになるのだな、と感心してしまいました。

いやまあ、この本はいいものだけを選んだので、「雑言」がなくて当然なのですが、それにしても、「日本映画月評」では「悪くない」ぐらいのほめ方だったものが、ずっと点が甘くなっています。

「日本映画月評」の時点では日本映画界が隆盛だったから「雑言」をいえたのであって、『映画の学校』の時点(1973年)ですでに「いまでは書けない」といっています。そういうものかもしれません。

「日本映画月評」はじつにきびしいレヴューで、よくここまで書いたものだと呆れます。広告出校停止という、もっとも普遍的な圧力の恐れがない媒体であると明言していますが、圧力をかけるのは広告主ばかりではないので、やはり胆力なくしてはできないことです。

「日本映画月評」では、小津安二郎については、『晩春』は賞賛していますが、『風の中の雌鶏』と『宗方姉妹』はズタズタです。まあ、妥当だと思います。黒澤明の『酔いどれ天使』の混乱を的確に指摘しているところなどは、「さっすがー」と感嘆します。わたしは「この映画、なんかおかしいぜ」と思っただけで、なぜおかしいのか、言語化することができませんでした。

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小津も黒澤も切り裂いてから60年、『日本映画ぼくの300本』は、なんというか、孫や曾孫はみな可愛いくてしかたがないという好々爺の、300人の孫の自慢話のようなものでした。いや、それが悪いといっているわけではありません。

「日本映画月評」は二年しかつづかなかったので、その前後の小津安二郎をどう考えていたのか気になりました。『日本映画ぼくの300本』では、もっとも愛おしい監督、という扱いですね。小津安二郎晩年の、いわば老人の手すさびのような工芸品的映画(『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』)も、いくぶんかの留保をつけながらも賞賛しています。とにかく小津が好きなのだ、という調子です。

なんだか、気持がよくわかりすぎて、わたしも九十九歳になったのかもしれないと思ってしまいます。昭和二五年には、小津安二郎など洟垂れ小僧にしか見えなくなる大監督が、やがて出現する可能性がまだ残っていました。だから『晩春』を賞賛するいっぽうで、『風の中の雌鶏』を完膚無きまでに切り裂くことができたのです。

でも、現在では、小津安二郎は、なんというか、二度と建造できないピラミッドのような存在になってしまいました。「ああ、あそこにまだ貴重なピラミッドが残っている、これを未来にまで保存しなければ」というとき、これから新たにピラミッドをつくることなんか考えないでしょ? そういうことです。

まさか自分が九十九まで生きるとは思いませんが、たとえあと十年生きたとしても、双葉十三郎がたどったように、どんな映画にも美点を発見する方向へとシフトするのかどうか……。


なお、当家で双葉十三郎あらわすところの文章に言及したのは、以下の二篇の記事です。

「番外篇 双葉十三郎『ぼくの採点表II 1960年代』」

「Voyage to the Bottom of the Sea (「原子力潜水艦シービュー号」)TV OST」

検索すれば、ほかの記事も引っかかりますが、それは軽い言及にすぎません。いずれ機会があれば、また『ぼくの採点表』から引用するとしましょう。

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by songsf4s | 2010-01-18 23:55 | 追悼
セット、ロケ考 (日活映画『赤いハンカチ』より その7)

予告篇の対語はなんだろうなんて思いましたが、そんなものは存在しないから言葉もないのでしょう。overtureの対語として、勝手にundertureという言葉をつくった(preludeの反対はpostludeかと思って調べたら、ほんとうにあった!)アル・クーパーにならえば、「後告篇」てなものでしょうか。

せっかく加工までしながら、置き場所に困って棚上げしてしまった『赤いハンカチ』関係の写真などもあるので、つぎの映画を見終わるまでのつなぎとして、本日は雑多な話でア・ラ・カルトと参ります。

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本文ではふれなかったが、二谷英明が経営しているスーパーマーケットの店内や社長室も出てくる。社長室からはマジック・ミラーで店内が見られるという設定で、スクリーン・プロセスで店内の様子が嵌めこんである。浅丘ルリ子のバスト・ショット用にも異なったアングルから撮った店内のショットが嵌めこんである。

◆ 視覚の快楽 ◆◆
日活無国籍アクションは、非日本的風景を追求しました。若い監督たちは、自分の好きな外国映画をイメージしながら、ショットを積み重ねていったにちがいありません。アメリカ映画よりヨーロッパ映画、とくにフランス映画に範をとることが多かったのだと想像します。たとえば『俺は待ってるぜ』の冒頭は、ジャン・ギャバン主演のメグレ警視ものがはじまるのかと思うような絵作りです。

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後年の山手の丘の邸宅を強調するために、冒頭の「お豆腐屋さ~ん」のあとに浅丘ルリ子の家の内部を見せる。

当然、見る側もそこに注意を払うことになります。『赤いハンカチ』でもっともイマジナティヴなロケとセットは、「山下橋ホテル」のファサードと室内、そしてロビーのデザインです。ほかに視覚的刺激を強く感じるショットを登場順にあげると、

1 冒頭に登場する埠頭と引き込み線(ロケ)
2 警察署の裏庭(セット)
3 ホテル・ニュー・グランドのファサードと階段(ロケ)
4 二谷英明と浅丘ルリ子の家の室内、とくに暖炉のある居間(ロケとセット)
5 「横浜共済病院」のファサード(ロケ)

といったところでしょうか。こうしてみると、ダム工事の飯場や「お豆腐屋さ~ん」にちょっと目を眩まされてしまいますが、『霧笛が俺を呼んでいる』ほど先鋭的ではないにしても、『赤いハンカチ』もまた、「非日本的風景」を追求した映画だということがはっきりします。子どものころ、この映画が好きだった裏には、そういう視覚的快楽もあったのかもしれません。

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4の二谷英明の家(主として浅丘ルリ子のショットだが)は、いまになるとたんなる豪邸にしか見えないでしょうが、当時の最先端のデザインで、明らかに意図的に選択されたスタイルです。

居間が吹き抜けになっていることがまず目を惹きます。また、金属の覆いをかぶせて煙を導く「暖炉」(のようなもの)も尖鋭的です。時代の花形だったスーパーマーケット・ビジネス(たしかにあのころはそうだったのだ!)で大儲けした人間の住まいにふさわしくつくられているのです。

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ガラスだかプラスティックだかの小さなプレートをつなぎ合わせたカーテンのごときものも、演出効果を狙ってのものでしょうが、これまたどこにでもあるものではなく、あの尖端的デザインの家にふさわしいものとして選ばれたにちがいありません。映画美術というのは、なかなか大変であると同時に、雑食性が強く、すごく面白いものだと思います。

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◆ 警察署のバックロット ◆◆
警察署の裏手にある駐車場は『赤いハンカチ』のもっとも大事な舞台のひとつです。

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もちろん、これはセットです。調布撮影所のステージのひとつをめいっぱいに使ってつくられたものでしょう。それでも、署内の廊下まではステージに入りきらないでしょうから、その部分はバックロットに突き出させたのでしょう。

考えてみると、これはなかなか愉快です。劇中の屋外は撮影所の室内につくられ、劇中の屋内は屋外につくられたのです。世界が裏返っているのです。

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警察署裏をセットにしたのは、適当なロケーションが見つからなかった、雪を降らせたかった、舞台劇的ライティングをしたかった、薄明のライティングがロケではむずかしい、などといったことなのかもしれません。

しかし、できあがった絵から感じるのは、この警察署裏が「異次元」化しているということです。『赤いハンカチ』が子どもにも強い印象を残したのは、この警察署裏のセットのせいもあったと思います。ほんとうなら、あれだけの銃声がして、署内からだれも出てこないのは奇妙なのですが、それを感じさせないのは、あのセットが舞台劇的な空間になっているからです。

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われながら、どうしてそういうよけいなことを考えるのかと思うのですが、この架空の警察署はどこにあるのでしょうか。わたしはずっと昔から、中華街にいって、たまたま加賀町署の前を通ると、「『赤いハンカチ』だ」と思っていました(「神奈川県警加賀町署」のオフィシャル・サイトへ)。

もうなくなってしまったかと思ってグーグル・マップで見たら、昔と同じファサードだったのでビックリしました。でも、よく見ると、建て替えたのだけれど、ファサードは保存した、という東京銀行協会(旧状はわたしのべつのブログに示した)や工業倶楽部などと同じ形でした。

背後に新しい建物ができたので、もはやバックロットは存在せず、わたしの「幻視の愉しみ」はエンド・マークを打たれてしまいました。

加賀町署は中華街に接していて、山下橋ホテルで逮捕された石原裕次郎が連行されるならここしかないという場所にあります。ロケハンのとき、当然、舛田利雄監督もこの警察署のたたずまいに目をとめただろうと思います。いや、映画ではついにファサードが登場しなかったのは、「異次元性」を補強する結果になったので、あれでよかったのだと思いますが。

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◆ 黒澤明のベスト100 ◆◆
そんなものを探していたわけではなく、なにかべつの映画のデータを探していたのですが、たまたま「黒澤明が選んだ映画ベスト100」といったリストにぶつかりました。

娘さんとの対話を文字に起こしたもので、各監督につき一作品という条件がつき、あとから年代順に並べ替えたものだそうです。黒澤明関係のいずれかの本に収録されたもののようで、なにも英語で読まなくてもよさそうなものですが、元になった本をもっていないので、このような迂遠なことになりました!

作品よりも監督自身について語られているものも多く、厳密にベストを選んだというわけではないでしょう。思いついた百人の監督を並べてみた、ぐらいに受け取っておくほうが安全です。

それから、わたしは黒澤明を信奉しているわけではないことも申し上げておきます。好きな映画もあれば、『静かなる決闘』『白痴』『生きる』『素晴らしき日曜日』のように、おおいにへこたれたものもたくさんあり、最後まで見られなかったものすらあります。しかし、それでもなお、このリストは興味深く感じます。

もっとも意外だったのは、38番目に登場する、『足ながおじさん』です。黒澤明は「これはきちんとつくられた映画だよ。ぼくは不器用だから、フレッド・アステアのような人にはまいっちゃうし、なんといってもレスリー・キャロンがいいよね」といっています。

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この映画は、当家でも先日、「Astaire the Drummer その1 『足ながおじさん』」として取り上げています。自分でも取り上げたぐらいだから、嫌いではないのですが、でも、わたしなら『足ながおじさん』はフレッド・アステアの代表作にすら選ばないでしょう。

黒澤明の『足ながおじさん』短評はべつに不賛成ではないのですが、『バンド・ワゴン』や『イースター・パレード』より素晴らしいかというと「はて?」です。

『足ながおじさん』のように他力本願的に幸せになる物語というのは、ひとつのジャンルを成しているといっていいほどで、それはそれでおおいに魅力があるとは思うのですが、この映画のフレッド・アステアのダンスにはすでに昔日の輝きはありません。結局、黒澤明がこの映画のどこに『バンド・ワゴン』にまさる魅力を見いだしたのかはわかりませんでした。

当然、百人のうちに入ってしかるべき監督でも、どの作品を選ぶかという点は興味があります。成瀬巳喜男は『浮雲』、小津安二郎は『晩春』、川島雄三は『幕末太陽伝』というのは諸手を挙げて賛成ですし、山中貞雄は『人情紙風船』ではなく、『丹下左膳余話 百万両の壺』をもってきたところに味がありますが、溝口健二は『西鶴一代女』というところで、そうくるか、でした。

いや、こんなことを書いていたら永遠に終わらないので、今日はこれくらいにしておきます。このリストはまたネタにするかもしれません。それにしても、黒澤明という人は、実作者ではなく、評論家なのかと思うほど、こまめに映画を見ていたのだなあ、と呆れてしまいました。

つぎはハリウッド映画のつもりだったのですが、前回、金子信雄のことを書いていて気が変わりました。またしても日活アクションでいきます。
 

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by songsf4s | 2010-01-17 22:43 | 映画