<   2009年 11月 ( 23 )   > この月の画像一覧
クリスマス映画1のB I'll Be Home for Christmas by Elvis Presley(『リーサル・ウェポン』より)
タイトル
I'll Be Home for Christmas
アーティスト
Elvis Presley
ライター
Kim Gannon, Walter Kent, Buck Ram
収録アルバム
Complete 50's Masters: The King of Rock'n'Roll
リリース年
1992年
f0147840_001876.jpg

まず、前回の補足から。いや、正確にいうと、一昨年のクリスマス・スペシャルでのJingle Bell Rockの記事の補足ですが、あのときには取り上げなかったヴァージョンについて。

f0147840_074482.jpgまずウェイン・ニュートン盤。もちろんハリウッド録音で、リズム・セクションはレッキング・クルーの面々、なにもしなくてもグッド・フィーリンだけはつくってしまうので、悪くない出来です。ウェイン・ニュートンの薄くて軽い中性的な声がお嫌いでなければ楽しめるでしょう。わたしはそこそこ好きです。

50ギターズ盤もあります。わたしは50ギターズのクリスマス・アルバムはもっていなくて、世界一の50ギターズ・サイトへと成長したAdd More Musicの期間限定公開のときにちょうだいしただけです。

f0147840_08045.jpgキムラさんが、このアルバムはよろしくない、クリスマスをすぎたら公開リストから抹消する、とおっしゃった意味はよくわかります。50ギターズという名前だけを引き継いだ、おそろしく安直な企画盤で、他の50ギターズのアルバムとはいっしょにするわけにはいかない、音楽的にもレベルは落ちる、ということでしょう。

Jingle Bell Rockも、これが50ギターズかよ、というサウンドです。でも、50ギターズという名義は忘れて、正体不明のギター・インストと思って聴けば、腹が立つほどではありません。ペダル・スティールのサウンドは楽しめます。

◆ エルヴィス・プレスリー盤 ◆◆
考えてみると、クリスマスまでひと月を切っているので、磯がないと、いや、ISOがないと、いや、急がないと、ほんの数本見ただけでクリスマスが来てしまい、準備したパーティーのごちそうはみなうっちゃらかさねばならないことになってしまいます。ということで、いつものようには、映画の内容にくわしく踏み込めないかもしれないので、そのへんはご容赦を。

さて、オープニングの曲はもういいとして、つぎはエンディングの曲です。いい曲ではじめたのだから、ここでダサダサな曲だと、九仞の功を一簣に虧くことになってしまいます。こういうときは、安全牌でいくしかないでしょう。

ということで、I'll Be Home for Christmasはぜったいに失敗のない安全牌、妥当な選択です。だれのものにするかは検討の余地がありますが、『リーサル・ウェポン』はエルヴィス・プレスリー盤をもってきました。これも妥当でしょう。



こういう場合、声の持ち主がすぐにわかるほうがいいので、候補はフランク・シナトラ、ナット・キング・コール、ビング・クロスビー、ディーン・マーティンといったあたりかと思います。いずれもプリ・ロックンロール世代のシンガーで、この映画の音楽的コンテクストと合致するのは、やはりエルヴィスしかいないという結論になります。

いま、自分で書いていて、うーん、そうかあ、と唸ってしまいました。ロックンロール以前の時代には、やはり声こそが音楽だったのですねえ。それに、60年代中盤からは、クリスマス・アルバムというのはオッサンがつくるものになってしまい、スクェアの極みとみなされていた、という事情もあります。ファン・クラブ向けのテキトーでいい加減な録音はべつとして、ビートルズがオフィシャルにはクリスマス・ソングをリリースしていないのはなぜか、と考えれば、簡単におわかりでしょう。クリスマス・ソングが「復興」するのは、70年代中期ごろではないでしょうか。

◆ インスト・カヴァー ◆◆
急がないと、といいながら、またよけいなことを書いてしまい、時間はどんどん矢になってどこかへ飛んでいきます。

エルヴィス・プレスリー盤I'll Be Home for Christmasももちろんけっこうですが、この曲はほかにもいいヴァージョンがたくさんあります。以下、一気に各ヴァージョンを走り抜けてみます。

いま流れているというだけの理由で、まずはチェット・アトキンズ盤。シンガーが声だけでそれとアイデンティファイされるのが理想なら、ギタリストはプレイだけでそれとアイデンティファイされるのが理想です。チェット・アトキンズは、だれが聴いても、これはチェット・アトキンズ以外のだれでもないとわかる数少ないギタリストのひとりでしょう。

以前にも、それはどうかと「ダウト」されてしまったので、今回もお手つきかもしれませんが、この曲もノーマルなギターの音には聞こえません。「デル・ヴェッキオ」かどうかはともかくとして、リゾネイター・ギターのサウンドに思えます。

成り行きでインストを先に聴くことにします。もうひとり、最近は盲牌できるようになってきたアル・カイオラも、I'll Be Home for Christmasをやっています。一昨年のクリスマス・スペシャルでもふれた、リズ・オルトラーニとの共演盤に収録されたものです。

f0147840_0115293.jpg

例によって、一音一音をていねいに弾くだけで、インプロヴはゼロですし、速いパッセージもありませんが、うまい人は音の出がきれいだから、なんともいえないグッド・フィーリンがあります。リズ・オルトラーニのオーケストレーションも出しゃばらず、かといって、絨毯に徹して下敷きになりっぱなしでもなく、ほどよい甘みを加えています。

一昨年も、これほどの秀作クリスマス・アルバムがCD化されないのは摩訶不思議だと書きましたが、今年もCD化はされなかったようです。わたしはベスト5に入れます。まあ、いつだって盤を売っている人たちと意見は合わないのですがね。

◆ オーケストラもの ◆◆
一昨年はありとあらゆるクリスマス・アルバムをHDDに載せていたので、検索すると呆れるほどヴァージョンが湧いてきましたが、幸か不幸か、今年はまだファイルをバックアップからHDDに書き戻していないので、オーケストラは2種です。

いつも思うのですが、オーケストラは照れたら負け、臆面もないくらいでないといいサウンドはつくれません。その点、パーシー・フェイスは80パーセントぐらいの力で押しまくるタイプで、それで成功したのだと感じます(100パーセントはだれか? もちろんマントヴァーニ!)。

f0147840_019059.jpgI'll Be Home for Christmasも、前半はヴァイオリンのソロが入って、うひゃー、という感じですが、このうひゃーを乗り越えたところにポップ・オーケストラの魅力というのがあるわけで、この曲の臆面もないヴァイオリン・ソロも成功しています。しかし、オーケストラはなんといってもサウンドの厚味と広がりが勝負、後半、ストリングスが前に出てからが見せ場で、さすがはパーシー・フェイス、ちょっとした快感のサウンドです。

もう一種類、ジャッキー・グリーソン盤があります。コーラスもフィーチャーして、いつものハリウッド共通サウンド、けっこうな広がりのストリングスです。この曲がいつもとちょっとちがうのは、後半、アップテンポのBaby It's Cold Outsideをつなげていることです。なかなかいいドラマーで、このアップテンポ・シークェンスも楽しめます。

◆ 歌もの ◆◆
もっとも好きなのは、やっぱりディーン・マーティン。これはもう文句なしです。わたしにとっての「ミスター・クリスマス」は、ビング・クロスビーではなく、ディーン・マーティンです。ディノのクリスマス・アルバムは不出来な曲、不似合いな曲がありません。



なんですかねえ、こういうときのディノの魅力というのは。四角く歌わず、小さく粒をそろえずに、ざっくりと言葉と音をちぎって、ひょいと投げるようなところがいいのかなあ、などと思うのですが、よくわかりません。大文字ゴチックの「ザ・スタイル」をもっていることだけはたしかで、そのスタイルがクリスマス・ソングになると見事に填るのでしょう。とにかく素晴らしいの一語。

ディノとくればつぎはフランク・シナトラ盤でしょうね、やはり。いつも同じことをいっていますが、ディノと並ぶと、シナトラの歌い方はきまじめにきこえ、損をしています。



ハリウッドにアレンジャー多しといえども、こういう変なラインをつくる人といえば、筆頭はゴードン・ジェンキンズでしょう。わたしだったら、セカンド・ヴァースの頭でぜったいに音をはずします。自信をもって断言しちゃいます。ほとんど不協和音。

おつぎはビング・クロスビー。



時代が時代なので、古めかしいアレンジとサウンドですが、クリスマスの気分にはこういう音は合っています。ギターのオブリガートもなかなかけっこう。

◆ その他 ◆◆
60年代以降というのは、いいクリスマス・アルバムは稀で、やっぱり文化の変容が進んだのだなあ、と実感します。以下、思いきり駆け足で行きます。

近年のもので比較的出来がいいのはドン・マクリーン盤。ストレートなクルーナー・スタイルでやっていますが、それが不似合いではありません。

不似合いなのはブライアン・ウィルソン。Little Saint Nickのほうがずっと楽しめます。ディック・レイノルズによる、縮小版ゴードン・ジェンキンズ・オーケストレーションみたいなものはそこそこ楽しめますが、ビーチボーイズとは水と油で、B面に針を載せたのはほんの数回です(A面はふつうのビーチボーイズ・スタイルでやっている)。

アイズリーズ、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズといったR&B系もまったく水と油に感じます。

グレン・キャンベルは、録音が60年代ではないので、サウンドも含めてあまり好みではありません。期待はずれでした。

ボビー・ヴィーは、十年早いよ、で片づけたいところですが、ギターがうまい。上もの抜きで、ギターだけは聴く価値あり。

最後はまた時代をさかのぼってレノン・シスターズ盤。これは楽しめます。やっぱり、クリスマス・ソングは50年代録音の圧勝のようです。

ディーン・マーティン
A Very Cool Christmas
A Very Cool Christmas
posted with amazlet at 09.11.29
Dean Martin
(2008-11-18)


エルヴィス・クリスマス
Elvis Christmas
Elvis Christmas
posted with amazlet at 09.11.29
Elvis Presley
RCA/Sony BMG (2006-10-03)
売り上げランキング: 35475


チェット・アトキンズ East Tennessee Christmas
East Tennessee Christmas
East Tennessee Christmas
posted with amazlet at 09.11.29
Chet Atkins
Sony Special Products (2002-06-01)
売り上げランキング: 79146


パーシー・フェイス
Christmas Is... Percy Faith
Christmas Is... Percy Faith
posted with amazlet at 09.11.29
Percy Faith
Columbia (1991-07-01)
売り上げランキング: 139457


ジャッキー・グリーソン
Merry Christmas
Merry Christmas
posted with amazlet at 09.11.29
Jackie Gleason
Razor & Tie (1995-10-17)
ランキング: 171219


ビング・クロスビー White Christmas
White Christmas
White Christmas
posted with amazlet at 09.11.29
Bing Crosby
Universal Special Products (1995-06-01)
ランキング: 1798


フランク・シナトラ
A Jolly Christmas from Frank Sinatra
Frank Sinatra
Capitol (2007-08-24)
ランキング: 297822


ドン・マクリーン
Christmas
Christmas
posted with amazlet at 09.11.29
Don McLean
Curb (1991-09-10)
売り上げランキング: 452313


リーサル・ウェポン DVD
リーサル・ウェポン [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ (2009-07-08)
売り上げランキング: 28915

[PR]
by songsf4s | 2009-11-30 00:00 | 映画・TV音楽
更新情報 黄金光音堂 He'll Have to Goシリーズ その4

黄金光音堂のほうを更新しました。He'll Have to Goシリーズの4回目、ライ・クーダー・ヴァージョンです。

黄金光音堂でライ・クーダーのHe'll Have to Goの記事を読む

今夜は当家も更新の予定ですが、やや微妙な時間帯になってきました。先に「散歩やせんとて」のほうで同潤会アパート・シリーズの第一回をやって、それからということになるかもしれません。テキストはできているのですが、例によって、これから写真集めと加工をしなければなりません。

なお、いつもなら「つぶ*ぐ」に書くこの更新情報を記事にしたのは、つ%ろぐにキーワードを盗られるのにうんざりしたためです。黄金光音堂の記事は、つぶ#ぐ経由のほうが先に検索され、本体はなかなか検索されないのです。これではばかばかしいので、地道にテキストを増やし、ダイレクトに検索されるようにしようと思います。

ということで、つ!ろぐはたぶん撤去することになるでしょう。各ブログの更新状況はこちらの記事本体にするつもりです。以上、お気に召さない方もいらっしゃるやもしれませんが、ご了承あれ。
[PR]
by songsf4s | 2009-11-29 22:29 | その他
クリスマス映画1 Jingle Bell Rock by Bobby Helms(『リーサル・ウェポン』より)
タイトル
Jingle Bell Rock
アーティスト
Bobby Helms
ライター
Joe Beal, Jim Boothe
収録アルバム
Fraulein: The Classic Years
リリース年
1957年
f0147840_23563079.jpg

今日からクリスマス・スペシャル2009として、クリスマス映画を取り上げます。

「クリスマス映画」とはどういうもののことだ、なんて正面切っていわれると困るのですが、まあ、クリスマス・フレイヴァーが濃厚なのもあれば、ごく薄味なのもある、つまり、じつに多様である、と逃げをうっておきます。

たとえば、『三十四丁目の奇蹟』のように、主人公はサンタ・クロースなんていう、どこからどう見ても堂々たる「クリスマス映画」があるいっぽうで、ほんのささやかな背景としてクリスマスを利用しているだけの映画もあります。

f0147840_23193734.jpg
この箱絵コラージュはよそから拝借してきただけで、当家でこれから取り上げる予定の映画とは関係ない。いや、このなかから二本ぐらいはやるかもしれないが……。

今回はストライク・ゾーンを大きくとり、なんらかの意味でクリスマスに言及している映画、ということにして、ブラッシュ・ボールやナックルも使える余地をつくっておきます。

なにしろ、まだ見ていない映画も予定表にリストアップしているので、どこかで躓いたら、クリスマスの飾りがほんのちょっと画面に出てくるだけの「あの映画」(ヒント ロックンロール映画)なんかで穴埋めをしなければならない事態もないとはいえないのです。

あるいは、たんに飽きてしまい、箸休めに日活映画に走る、という事態も考えられなくはないので、そうなってしまったときにはどうかご容赦のほどを。

trailer


◆ ヴァージョンちがい…… ◆◆
さて、今日のクリスマス映画はご存知『リーサル・ウェポン』の第一作です。この映画は開巻早々乗りました。なんたって、Jingle Bell Rockのイントロ・リックではじまるのだから、そりゃずるいというか、これなら成功間違いなしというか、音楽の力を最大限に利用したオープニングでした。

f0147840_231305.jpg

もちろん、絵作りとしてもけっこうな出来で、ボビー・ヘルムズの歌声に乗ってLAの夜間空撮とくるのだから、これはどんな客だって乗ります。

と、これだけ書けば、この曲は一昨年のクリスマス・スペシャルで細かく検討したことでもあるので、あとはごちゃごちゃいう必要がないような気がするのですが、なかなかどうして、当ブログではものごとがスッキリ、あっさり、瞬時に終わらないことになっています。

大昔に見たきり(もう20年以上たっているのだから愕く!)で、当時は気づいていなかったらしいのですが(気づいたとしても忘れてしまった)、今回、久しぶりに見直したら、えー、それはないじゃん、とひっくり返りました。ボビー・ヘルムズの声であることは間違いないのですが、ギターをはじめ、トラックは大きく異なっているのです。

f0147840_23241750.jpg
『リーサル・ウェポン』OSTのフロント。ただし、Jingle Bell RockはOST盤には収録されていない。挿入曲はスコアではないから、盤に収録されないこともめずらしくないが、最初と最後のクリスマス・ソングをオミットすると、このスコアは退屈。典型的な「チープ・エイティーズ・スコア」で、シンセの音にはガックリする。オーケストラはどこへ消えたのだ、と毎度毎度、映画館で叫んでいた。まあ、『リーサル・ウェポン』のスコアは、ジョルジオ・モロダーやヴァンゲリスあたりのスコアにくらべればまだしもだったが、どちらにしろ、チープ・エイティーズの産物であることに変わりはなく、マシだというだけで、すぐれているわけではない。

歌い手のキャリアが長く、レーベルを渡り歩いた場合、昔のヒット曲を再録音するというのはよくあることです。ボビー・ヘルムズもレーベルを移っています。Jingle Bell Rockはヘルムズの代表作だから当然ですが、調べてみたら、やはりやっていました。それも二度にわたってです。

いや、シンガーはそんなものだからしかたありません。でも、映画がなぜわざわざ再録音ヴァージョンを使ったのかがわかりません。ときおり、なにかの加減で使用許諾を得られないことがあるようで(『パルプ・フィクション』にド下手ライヴリー・ワンズの無惨なSurf Riderが使われたのが典型的な例。あの映画は大嫌いだが、とくにライヴリー・ワンズのSurf Riderが流れるところでは、心臓麻痺を起こしそうになった。よくまあ、あんなひどい代物を見つけ出したものだ!)、そんなあたりかもしれません。

f0147840_23425996.jpg
Bobby Helms with Jim Reeves

もちろん、出来としてはオリジナル・ヴァージョンのほうがはるかにすぐれています。そもそもオリジナルはキーがDなのに対して、再録音は(クォーターノートなので近似的にいうだけだが)Eで歌っています。この変更もよくありません。オリジナルにあった、クリスマスらしいゆったりとした気分が失われて、なんだかこせこせした雰囲気が感じられます。

しかし、感心するのは、それでもやはりグッド・フィーリンがあることで、その点はボビー・ヘルムズの明るいキャラクターのおかげなのだと思います。

f0147840_23475870.jpg
主人公の二人の刑事、マーティン・リグズ(メル・ギブソン)とロジャー・マートフ(ダニー・グローヴァー)は、重要参考人の家に着く。屋根に雪だるまの人形があることにご注意。

f0147840_2348102.jpg
この爆発はとんでもなかった!

f0147840_23481920.jpg
二人のスタントマンは、予想外の大爆発に愕いたにちがいない。パイロ・テクニシャンだって計算違いをすることはある。映画の撮影はじつに危険だ。

◆ ターニング・ポイント ◆◆
再録音盤を使ったのは大きな失点でしたが、しかし、この曲を冒頭にもってきたのは大正解で、わたしのような人間は、いい曲を使ったというだけで音楽監督に拍手を送り、よし、この映画は見るぞ、という気になります。

いや、そういうのは金を払ったときのことではなく、テレビでなにげなく見はじめたときのことですけれどね。ああいうときというのは、最初の15分ぐらいは、見るか寝るかどっちにするか迷うのですよ。どこで判断するかというと、まずなによりもキャメラの動かし方を中心とした画面作りのよしあしなのですが(ゆったりとしたパーンかなんかで、そのリズムがいいと、よし、と思う)、音楽がいい場合も、よし、ゴーだ、と即決します。

どうであれ、『リーサル・ウェポン』はアクション映画の歴史において、重要な転換点となった作品です。あの当時も感心しましたし、今回見直しても、やはりよくできていると思いました。

f0147840_091276.jpg
気分よくスタートした映画だが、このショット(空撮で高層フラットの一室をとらえ、そのなかの人物に寄ったところで、このカットにつなげられる)のあたりで、Jingle Bell Rockは終わる。空撮のリズムとはちがうし、話に入ったのだから、歌が終わるのはいい。だが、そのあとどうするかは、非常にむずかしいということは、『狂った果実』のときにも書いた。ここも、水と油のものをぎこちなくつないでいる。シンセだけは勘弁して欲しかった!

f0147840_092199.jpg
スコアは躓いて失望したが、映像表現には唸った。ほんのちょっと前だったら、高層ビルから人が飛び降りる、という場面では、絵はぜったいにこうはならなかった。表現の質が変わりはじめたのだ。

f0147840_092927.jpg

いや、シナリオはそれほどいいとは思いません。しかし、メル・ギブソンには目を見張りましたし(1980年だったか、正月二日の満員立ち見で見たきりだが、『マッド・マックス』のときに、これほど身のこなしがよかったという記憶はない)、演出と編集も、留保したいところはある(とくに演出)にせよ、新しい時代の到来を告げる、といってよいレベルです。

アクション映画が現在のようなスピード感を手に入れはじめたのは、『リーサル・ウェポン』のころからだったと記憶しています。各カットが極端に短くなり、無数のカットの積み重ねによって、運動感覚をつくるようになったのです。

この映画からもう一曲と考えていたのですが、例によって時間が足りず、次回に持ち越しとさせていただきます。

Fraulein: The Classic Years
Fraulein: The Classic Years
posted with amazlet at 09.11.27
Bobby Helms
Bear Family (1994-06-27)
売り上げランキング: 593401


リーサル・ウェポン DVD
リーサル・ウェポン [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ (2009-07-08)
売り上げランキング: 28915


リーサル・ウェポン Blue-Ray
リーサル・ウェポン [Blu-ray]
ワーナー・ホーム・ビデオ (2008-06-11)
売り上げランキング: 28535

[PR]
by songsf4s | 2009-11-27 23:57 | クリスマス・ソング
嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) その4
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
f0147840_23561894.jpg

小林旭の『渡り鳥シリーズ』を何本かご覧になった方は、かならずといっていいほどキャバレーのフロア・ショウがあり、そのダンサーもいつも同じ女性だということに気づかれたはずです。演ずるは白木マリです。

f0147840_0192142.jpg

渡り鳥シリーズのどれだったか、白木マリが牧場で働く(ウェスタンなのだ!)堅気の女になるのがありました。変だな、フロア・ショウはないのかよ、と思ってみていると、回想シーンで、元はダンサーだったことがわかり、ちゃんと踊ってみせます。これには大笑いしました。マンネリ化を自覚し、それを逆手にとったセルフ・パロディーだったのでしょう。

柴田錬三郎がおなじようなことをしています。『江戸群盗伝』で万事めでたく解決し、惚れた女(というか、お姫様)と結ばれた主人公が、『続・江戸群盗伝』の冒頭では、幸せな生活に退屈しきっているというのは笑いました。

f0147840_0195429.jpg

子どもはいざ知らず、大人としては、「その後、二人は幸せに暮らしました」なんていう結末には、ほう、その後って、どれくらいの年月だよ、明確に数字をあげてもらおうじゃないか、と物言いをつけたくなります。

「その後」の耐用年数というのは、平均すると数年じゃないかと思いますよ。たとえ、現実に「その後、二人は幸せに暮らしました」になったカップルがあっても、この「その後」はすぐに終わり、またさらに異なった「その後」があるのが人生というものです。

またしても脇道の脇道に入りこんでしまいました。渡辺武信によると、のちに日活アクションのおきまりの景物となる白木マリのフロア・ショウは、じつは『嵐を呼ぶ男』がお初なのだそうです。知りませんでした!

f0147840_0201792.jpg

f0147840_0202991.jpg

f0147840_020374.jpg
白木マリのことが気に入った石原裕次郎は、ちょっとした遊びをしかける。はじめはTaboo風(だからフロア・タムを叩いている)のミディアム・スロウの曲をプレイしていたのだが、いきなりアップにテンポ・チェンジをしてしまうのだ。

f0147840_020431.jpg
勝手にテンポを変えられて、白木マリは一瞬、ダンスをやめてしまうが、それはカウントのためであって、すぐにテンポを合わせてダンスを再開する。現実にこういうことが起きれば、こんなに長くカウントせずに、すぐにテンポを合わせてしまうだろうが、映画表現としては、説明的に長くなるのはやむをえない。どうであれ、このシーンは、この映画で音楽が有効に利用された稀な場面だった。

f0147840_0205496.jpg

『嵐を呼ぶ男』では、白木マリは石原裕次郎のライヴァルである笈田敏夫扮するドラマーの恋人になったり、マネージメント会社のボス・安部徹(Movie Walkerのデータベースは、この役を市村俊幸が演じたとしている。まさかね! どう見ても「ブーちゃん」のタイプではない。Movie Walkerはキネ旬の古い資料をベースにしているところがいいのだが、古い資料のミスをそのまま引き写した結果が市村俊幸なのだろう)の情婦になったり、それと並行して石原裕次郎にも色目を使ったりで、なかなか忙しい女です。

なぜこれほどさまざまなことをひとつの役に押しつけたのかは不可解で、これもまたシナリオの欠陥に思えるのですが、どうであれ、白木マリは狂言まわしとなって、さまざまな転換点にからんでいきます。

◆ 安直和解 ◆◆
青山恭二のコンサートの会場で、白木マリは北原美枝に話しかけます。わたしのせいで「正ちゃん」(石原裕次郎)は安部徹の配下に痛めつけられることになった、彼はあなたのことを愛しているのに、金子信雄に脅されて身を退いたのだ、と明かします。ついでに、母親につらく当たられるのをすごく悲しんでいるなどとも話します。

f0147840_042308.jpg

こういう処理は子どものころにたくさん見たので、懐かしくはあります。第三者の証言によって、主人公が甘んじて受け入れた汚名がはれるというのはよくあるエンディングのパターンですし、じっさい、効果を上げるからパターン化したのでしょう。

でもねえ、これを柱の陰で母親がきいて、思わず涙を流し、わたしはひどい母親だったと手のひら返してしまうのはどんなものでしょうか。これしきのことでみずからの非に気づく母親なら、そもそもはじめから、この親子のあいだにはなにも問題は起きなかったにちがいありません。弟のコンサートという派手な場面にからませて、親子の和解をするという、作り手の都合に合わせただけの、なんともはや、おそろしく安にして直な和解案です。

f0147840_0424166.jpg

ただし、公平にいって、『愛染かつら』が大ヒットしたのも、『君の名は』が大ヒットしたのも、そして、見たことがないので友人の言の受け売りですが、『冬のソナタ』が大ヒットしたのも、こういう臆面のない、恥知らずな安直さにあったわけで、客はこの解決を好んだのでしょう。わたしは願い下げですがね。

◆ シンフォニック・ジャズ・スコア! ◆◆
青山恭二がオーケストラをコンダクトするシーンは、アルフレッド・ヒチコックの『知りすぎていた男』のように、オーケストラそのものになにか仕掛けがあるわけではないので、それほど有効なショットにはならず、背景でしかありませんが、周囲の人びとの動きと、ステージをカットバックで見せることで、それなりの緊迫感はつくっています。

f0147840_043330.jpg

ここで使われる音楽ですが、会場の入口のポスターに「シンホニック・ジャズ」(「ホ」は恐れ入るが!)とあるとおり、ガーシュウィンのRhapsody in Blueを意識したものになっています。ここはやはり、そうあってほしい、というか、この映画の気分からいって、それ以外にはないと感じます。

ただし、大森盛太郎か井上梅次か、はたまたそれ以外のだれかのアイディアかわかりませんが、そうしたディテールが(とりわけ当時の観客に)どの程度理解され、評価されたかは心許ないところです。だから、映画製作者はだれにでもわかる『愛染かつら』式安直さを選択してしまうのであって、そこは理解していますが、でも、やはり賛成はできないのです。

f0147840_046454.jpg

いえることはただひとつ、作品が腐らないようにするためには、ディテールで手を抜かないことが重要であり、安直さに流れることをつねに戒めていれば、後世の評価を受けるチャンスがめぐってくる、ということだけです。

「後世」を構成するひとりとしていえば、ここになんのひねりもないストレートな伝統音楽ではなく、シンフォニック・ジャズをもってきたことは、この映画の数少ない美点のひとつと感じます。大森盛太郎音楽監督の発案であれ、最終的な判断は監督にあるので、ほかのことはともかく、この点に関しては井上梅次監督にも頭を下げておきます。シナリオは目も当てられない出来ですが、スコアに関するかぎり、『嵐を呼ぶ男』は日本映画史上屈指の秀作なのです。

サンプル1 シンフォニック・フラグメント1(トラック17)

サンプル2 シンフォニック・フラグメント2(トラック18)

サンプル3 シンフォニック・フラグメント3(トラック19)

サンプル4 シンフォニック・フラグメント4(トラック20)

いや、もちろん、当時の日本のオーケストラだから、レベルの高いパフォーマンスとはいいかねます。同じ地面で後年の、あるいは海外のオーケストラと比較できるプレイではありません。でも、音楽監督の意図を頭のなかでイメージし、現実の音を補正して聴くぐらいのことは、音楽ファンならだれだってできることです。

f0147840_047587.jpg

◆ 『嵐を呼ぶ男』と『陽のあたる坂道』 ◆◆
わたしは日活が大好きだし、石原裕次郎を信奉したりはしないものの、彼があの時代のもっとも魅力的な俳優のひとりであったことには、まったく異論はありません。でも、こういうシナリオには、やはり気分が暗くなります。いや、『嵐を呼ぶ男』が大コケにコケたならいいのですが、爆発的にヒットしたのだから、撮影所の歩みという観点から見ると、やはり禍根を残したと感じます。

「いい映画」「よくできた映画」ではなくても、どこかに突出した魅力があればそれでいい、とは思います。この映画でいえば、石原裕次郎の身のこなしと、スネア・ドラムを中心とした派手で躍動的なスコアの結びつきは、いま見てもきわめて魅力的ですし、当時にあっては、かつて日本映画に存在しなかった「斬新なエクサイトメント」と受け取られたであろうことは容易に想像がつきます。

f0147840_051527.jpg

だから、大ヒットしたのも、まあ、当然といえます。でも、こういう穴だらけの不出来な映画がヒットするというのは、じつに不幸なアクシデントであり、未来の致命的な蹉跌の序章でもありました。

必要なのはヒットであって、秀作ではない、ヒットさえすればそれでいい、というのは、長いスパンで見れば、みずからの首を絞める観念です。結局、日活はこの罠にはまったのだと考えます。日活にかぎらず、日本映画全体が、というべきでしょうが。

ヒットの理由を明確に分析できるなら、ヒットさえすればそれでいい、という考え方でもやっていけるでしょう。問題は、ヒットの理由というのはつねに分析困難であり、たとえ分析できたとしても、応用はほとんど不能という点にあります。そして、映画にかぎらず、成功はつねに失敗の母です。

『嵐を呼ぶ男』は、細かく検討すると、ほとんどいいところがなく、肯定できるのは、1)題材の選択、2)大森盛太郎のスコア、3)石原裕次郎の圧倒的な魅力ぐらいしかありません。映画作りの根本において、気に入らないことだらけです。それだけに、映画は論理や言葉ではなく、視覚と聴覚なのだということを改めて痛感させられる作品だということもいえますが、でも、要するに、たんなる「まぐれ当たり」にすぎません。

f0147840_0584016.jpg

『日活アクションの華麗なる世界』によると、『嵐を呼ぶ男』はこの年の興行収入ベストテンに入る大ヒットだったものの、トップは同じ石原裕次郎主演でも、田坂具隆監督の『陽のあたる坂道』のほうだったそうです。

『嵐を呼ぶ男』は石原裕次郎が決定的にブレイクした大ヒット作、ということはだれでもいうので、もういいでしょう。たいした意味はありません。『陽のあたる坂道』にはかなわなかったという事実のほうが、重要な意味をもっています。

日活首脳陣は、この年に経営方針を考えるための好材料を二つも手に入れたのに、分析を間違ってしまったのでしょう。井上梅次はさておき、たとえば、舛田利雄のような商業的に安定した成績を上げる職人は貴重な存在ですが、いっぽうで、田坂具隆的な方向性をもつ監督、メイン・ストリートのそのまたど真ん中を行く「作家性」のある監督を生む努力をしていれば、ロマンポルノはなかったにちがいありません。いや、そのまえに、鈴木清順を、よりによって『殺しの烙印』を理由に馘首するような撮影所にはならなかったでしょう。

f0147840_053099.jpg

DVD
嵐を呼ぶ男 [DVD]
嵐を呼ぶ男 [DVD]
posted with amazlet at 09.11.16
日活 (2002-09-27)
売り上げランキング: 29495


嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集
~日活アクション映画誕生50周年記念 嵐を呼ぶ男~日活映画サウンドトラック集
石原裕次郎 牧村旬子 川地民夫 浅丘ルリ子
テイチク (2007-07-17)
売り上げランキング: 225401


オリジナル・フル・スコア
嵐を呼ぶ男(オリジナル・サウンドトラック)
サントラ
インディーズ・メーカー (2009-08-07)
売り上げランキング: 57710



[PR]
by songsf4s | 2009-11-25 23:48 | 映画・TV音楽
嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) その3
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
f0147840_23561894.jpg

なんだか、『嵐を呼ぶ男』その1でも、その2でも、映画自体はあまり褒めなかったというか、どちらかといえば、けなしっぱなしですが、今回も、結局、シナリオの穴を列挙することになってしまいました。

考えてみると、井上梅次という監督とは相性がよくなくて、見たのはほんの数本ですが、どれもあまり気に入りませんでした。相性はどうにもならないので、井上梅次ファンにはごめんなさいして、シナリオ欠陥探しをつづけます。

f0147840_23483284.jpg

わたしが最終的に強調したいのは、シナリオがどれほどひどくても、それがヒットかミスかに影響を与えないという、偶然ないしは時の勢いというものの恐ろしさのほうなので、どうかあしからず。

あ、もうひとつ、勝因分析を誤るのはよくあることだし、状況は刻々変化することを忘れるのは人間のつねである、ということも日活の歴史は教えてくれます。昨日の真実は今日はもうガラクタなのです。

◆ 愚かさの連鎖 ◆◆
すこしストーリーラインを追います。

石原裕次郎は、音楽業界ゴロである金子信雄が、裕次郎が属すバンドのマネージメントをしている北原美枝に横恋慕しているのを利用し、自分を売り出してくれたら、仲を取り持ってやると約束します。しかし、いっしょに暮らすうちに自分自身が北原美枝に恋してしまい、約束を反故にしてしまいます。

f0147840_2358090.jpg

f0147840_23581793.jpg
取引成立、カンパーイ。でも、こういう風にプロットを発展させるのは、主人公のキャラクター設定と矛盾しているように感じる。

裕次郎には音楽学校で作曲を学んでいるまじめな弟・青山恭二がいます。母は音楽家など職業ではない、次男には会社員になって欲しいのに、長男が悪い影響を与えているといいますが、それをいうにはもう遅すぎるでしょう。

音楽学校へ行くのは、ふつうは音楽家になるためであって、サラリーマンになるならべつのコースを選んでいなければいけないのは、だれだってわかることです。文句をいうならコースを選択するときであって、コースを選択し終わったあとでは無意味です。シナリオ・ライターはこういう矛盾に気づかないのでしょうか? それとも、そういう分別すらない愚かな人間として、この母親を描きたかったのでしょうか。不可解。

さて、この弟が非常に優秀で、アメリカの財閥(と解釈した)が新たにはじめる新人作曲家奨励プログラムの第一回に選ばれ、自分の曲を発表するチャンスを与えられます。ここまでは、失速寸前ではあるものの、まあいいとします。

f0147840_23594570.jpg
青山恭二(右手前)

問題は、これをネタに、金子信雄が裕次郎に威しをかけることです。北原美枝をあきらめないと、弟のコンサートを妨害するというのです。金子信雄の役が非常に影響力の強い音楽評論家だということは何度も強調されますが、それにしても、ワン・ショットのコンサートをどうやって妨害するというのか、そのへんの説明がありません。せいぜい、あとで雑誌や放送でボロクソにけなすぐらいのことでしょう。そういう迂遠なことでは、遅かりし由良之助です。

f0147840_01213.jpg

f0147840_011539.jpg
音楽評論家・金子信雄はテレビのレギュラー番組をもっていて、そこであれこれと綾をつけたりする。アナウンサーは阿井喬子! Jun、クラシカル・エレガンス、といっていたセクシー・ヴォイスのあの人、例の深夜放送のDJである。クレジットには、NTVと出るので、このときは現役のNTVアナウンサーだったようだ。

いろいろ想像をめぐらせてみましたが、わたしにはさっぱりわかりません。あの時代には音楽評論には影響力があったのでしょうか。信じがたいですね。わたしの知っている日本では、そんなことが起きるはずがありません。音楽評論も映画評論も、客の気分やサイフの開閉にはなんの影響も与えなかったし、いまも無関係でしょう。せいぜい、スキャンダルでも暴いて、裏側から追い落とすぐらいのことしかできないだろうと思います。

◆ 批評? そんなものは犬にでもくれてやれ ◆◆
北原美枝と敵対するマネージメント会社のボス、安部徹はダンサーの白木マリを情婦にしています。脅迫のために北原美枝をあきらめた石原裕次郎は、泥酔して白木マリのアパートに泊まります。これを誤解され、安部徹の配下(もちろん高品格を含む!)にリンチにあうシーンでは、石原裕次郎はふたたび金子信雄に、弟に手を出さないと約束するなら、俺も男だ、なにをされても警察沙汰にはしない、などといいます。

f0147840_035448.jpg

f0147840_041554.jpg

ここもプロットが亜脱臼しています。どうやって妨害するのか、方法をたしかめずに威しに屈するのは納得がいきません。妨害だ? できるものならやってみろ、評論家風情がしゃらくさい、といえば一件落着ですよ。そもそも、そういう台詞のほうが裕次郎らしいでしょう?

この映画は批評を極度に過大評価しています。批評でなにかが成功したり失敗したりなんて、ブロードウェイならいざ知らず、日本では聞いたことがありません。批評になにか力があるとしたら、そもそも日活自体が、石原裕次郎のデビューとともに倒産していたでしょう! 裕次郎が大スターになったことが、すでに批評の無効性を証明しています。映画評論家がなにをいおうと、だれも相手にしなかったからこそ、日活アクションに客が入ったのです。

しかし、またしても、視覚の刺激は論理を蹴散らします。子どものわたしが、この映画で記憶に深く刻みつけたのは、ほかならぬこのリンチ・シーン、とりわけ、コンクリート片で裕次郎の右手をたたきつぶすショットです。『嵐を呼ぶ男』というのは、長いあいだ、わたしにとっては「指をたたきつぶす映画」でした。ほかのことはみな忘れてしまいました。

f0147840_042924.jpg
さすがは日活アクション、ヴァイオレンス・シーンは生彩がある。廃ビルのセットもムードがあるし、裕次郎の動きもいい。

f0147840_043881.jpg

暴力を行使する者と、暴力に屈する者のあいだには、あるエロティシズムが介在することを、子どもは鋭敏に感じとったのでしょう。いまのわたしは鈍感な大人なので、そういう微細なところに隠れた真理をたちどころに読み取るセンスは持ち合わせていません。

ともあれ、シナリオ・ライターがこれほど巨大な穴を放置して安閑としていられたのは、結局、金子信雄の役柄が評論家というより業界ゴロであり、安部徹の役がマネージメント・オフィスの社長というより暴力団のボスであり、会社には暴力のプロがゴロゴロしているという設定のおかげでしょう。金子信雄が「妨害」を暗示すると、石原裕次郎も観客も、ペンではなくドスによる妨害をイメージするのです。音楽映画じゃなくて、ヤクザ映画ですな!

f0147840_03331.jpg
左から笈田敏夫、安部徹、金子信雄の悪の三羽烏。安部徹が善人を演じた映画が少なくとも2本あるらしいが、どちらも見たことがない。ぜひ見てみたいものだ! 金子信雄や二本柳寛の善人は何度か見たが、安部徹は悪役しか見たことがない!

◆ 変なキャラクターの変な言動 ◆◆
話は、弟・青山恭二の晴れ舞台へと収束していきます。裕次郎が甘んじてリンチを受けた結果、ヤクザ者や音楽ゴロとはすべて話がついているので、もうたいしたことは起きそうもないのですが、そこが「母もの映画」、そっちのほうの決着をクライマクスにもってきています。

兄の石原裕次郎が病院から逃げだし、どこかに行ってしまったために、心から兄を信頼していた青山恭二はパニックに陥り、これではオーケストラの指揮などできない、などと子どものようなことをいいます。

f0147840_0184114.jpg

この弟のキャラクターがかなり子どもっぽく設定されているし、青山恭二という俳優の持ち味もまた気弱そうなところにあるので、日活映画を見慣れた人間なら「青山恭二がやりそうな役だ」と思うのですが、それでも、ここはおおいに引っかかりました。そんな馬鹿なことがあるかよ、兄は兄、コンサートはコンサート、まったく次元がちがうだろうが、です。

結局、周囲に説得され、お兄さんはかならず見つけ出すから、といわれて、青山恭二は指揮台にあがるのだから、なんのためにダダをこねたのかもわかりません。ダダをこねたことが、その後の展開にまったくなにも影響を与えないのです。変なシナリオ!

f0147840_0134234.jpg

またしても時間が足りず、もう一回、『嵐を呼ぶ男』を延長させていただきます。次回は間違いなくエンド・マークにたどり着けます。


[PR]
by songsf4s | 2009-11-23 23:58 | 映画・TV音楽
ナット・キング・コール、ビリー・ヴォーンほかのHe'll Have to Go

ローラン・トポールの一コマ漫画だったか、十字路で4台の救急車が鉢合わせする、というものがありました。いまもこうして憶えているぐらいで、なかなか笑える漫画でした。蓋然性としてはゼロではないものの、やっぱり起こるはずがないから、漫画として可笑しかったのです。

しかし、蓋然性としてはゼロではない、ということは、やっぱり起こるかもしれないのですね。4台ではなく、2台なので、確率のオーダーはずっと高い現象ですが、ちょっと似たようなことが起きたそうです。

赤色灯のパトカー同士が衝突、警官4人重軽傷

自分の車のサイレンを鳴らしていたら、他の車のサイレンは聞こえないでしょうから、視覚による認識しかなく、こういう事故の回避はむずかしいでしょう。各車が認識用ビーコンを搭載し、サイレンのスウィッチに連動して信号を発信する、なんてところでしょうかね? でも、こういうほとんど起こりえない事故に備えて、それだけのコストをかけられるかどうかは微妙なところでしょう。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

さて、例によって黄金光音堂のほうにはサンプルをおきたくないので、あちらでやっているHe'll Have to Goの「御題ソング」、アンサー・ソング、カヴァー・ヴァージョン特集の参照用サンプルをこちらにおきます。

サンプル1 ナット・キング・コール盤He'll Have to Go

サンプル2 ビリー・ヴォーン盤He'll Have to Go

サンプル3 ビリー・ブラウン盤He'll Have to Go(オリジナル・ヴァージョン)

サンプル4 ソロモン・バーク盤He'll Have to Go

古いものの基本的なノリはみな同じで、ムードには大きな異同はありませんが、ソロモン・バークはさすがにニュアンスを変えています。

さて、『嵐を呼ぶ男』が中途半端なままになっていますが、今夜か、遅くとも明晩には最後までたどり着こうと考えています。
[PR]
by songsf4s | 2009-11-23 17:40 | その他
「季刊フォークリポート」一九七一夏の号 はっぴいえんど特集

今日は十数年ぶりに本を昔なじみの古書店に引き取ってもらい、へとへとになってしまいました。マグカップを口にもっていくのも一苦労という筋肉痛です。

ちょっと休んだら、すこし元気が出てきましたが、またしても残り時間僅少。「ガロ」や「SFマガジン」はすべて処分したのですが(林静一作品集やつげ義春作品集は、一瞬、残しておきたくなったが、あきらめた。あれはきっと、だれかが見つけて、驚喜して買っていくだろう)、そのとき、これは残しておくか、と抜き取った古雑誌を今日のネタにします。いや、タイトルに丸ごと中身を書いてありますが!

この「季刊フォーク・リポート」のバックナンバーは、以前、tonieさんにゲストとして書いていただいた「日本の雪の歌」特集のときに、発見したかったのですが、どこにしまったかも忘れて、かなわなかったものです。とんでもない出し遅れの証文ですし、実質的な意味はあまりなく、たんなるスーヴェニアですが、すくなくともtonieさんはご興味おありだろうと考えてスキャンしました。

表紙以外はクリックすると拡大されます。端が切れて表示されているものも、クリックすると全体が表示されます。松本隆と高田渡の対談も読めるサイズにしてあります。

f0147840_23435156.jpg
ほかのことはいい加減だが、わたしは本だけはていねいに扱うのに、なぜこれほど表紙が汚れているのかといぶかった。はたと思いだした。買ったまま、行きつけの音楽喫茶にあずけてしまったのだった! なお、真ん中の写真にはぼかしをかけた。発禁になった雑誌の表紙を複写し、網をかけたデザインで、たとえ不鮮明とはいえ、当ブログにはふさわしくないと考え、ほとんどなにもわからないまでにぼかしをかけた。あしからず。


f0147840_23441495.jpg


f0147840_23452154.jpg


f0147840_23454471.jpg
あまり脇からごちゃごちゃいいたくないが、すこしだけ。「サンド・バーク」は正しくは「サンドバーグ」で、中黒を入れて2語に切ってはいけないし、「ク」ではなく、「グ」。原綴はCarl Sandburg。イノダのコーヒーに関するくだりで「夏先」というのは「真先」の誤植だろう。そういえば、イノダが飲みたくなってきた!


f0147840_234638.jpg
そういってはなんだが、松本隆より、犬が面白くてこのページをスキャンした。


f0147840_23462529.jpg

[PR]
by songsf4s | 2009-11-21 23:59 | その他
嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) その2
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
f0147840_23561894.jpg

まず、これまでに書こうと思っていたのに、うっかり忘れてしまったことを少々。

『嵐を呼ぶ男』でじっさいにプレイしたドラマーのことです。石原裕次郎の音は白木秀雄、笈田敏夫の音は猪俣猛がプレイしたと、OST盤のライナーにあります。また猪俣猛は、『黄金の腕』のときのシェリー・マンのように、石原裕次郎のコーチ役もつとめたそうです。

f0147840_23563733.jpg石原裕次郎自身は、猪俣猛ではなくジョージ川口がプレイしたと記憶していたそうですが、これはジョージ川口の証言からも、猪俣猛の証言からも、記憶違いということがはっきりしているようです。

また、「出演バンド」にクレジットされているのも(こちらは画面に出たという意味だろうが)「渡辺晋とシックス・ジョーズ」および「白木秀雄とクインテット」のみです。渡辺晋が出演していて、北原美枝が演じた女マネージャーが渡辺美佐をモデルにしているというのは、なるほど、そうつながっていくか、です。のちに渡辺プロは東宝と強く結びつきますが、このときはまだ渡辺晋がプレイしていたぐらいだから、黎明期なのでしょう。

◆ いかにも無理な「俺らはドラマー」 ◆◆
『嵐を呼ぶ男』という映画の軸は、石原裕次郎扮するドラマーが、さまざまな障害を乗り越えて成功するか否か(といってはちょっと白々しい。成功しなければプログラム・ピクチャーにならない!)、北原美枝扮する女マネージャーとの恋の行方やいかに(これについては日活アクションは成就を保証しない。四人に三人ぐらいの割合で、ヒーローは冷え冷えとした、または、甘やかな、または、そのどちらでもないニュートラルな孤独のうちにエンド・マークを迎える)、そして母と和解できるか否か、という三つです。

単純か複雑かは考えようですが、それよりも、恋の行方はいいとして、あとの二つがすっきり納得のいく形で収まってくれないことが問題です。

この映画の最大の見せ場は、石原裕次郎が「ドラム合戦」の最中に、ドラムを叩くのをやめ、いきなり歌い出すシーンでしょう。

f0147840_0105071.jpg

この「ドラム合戦」(わたしのように、ドラム・ソロの消滅期に音楽を聴きはじめた人間は、「ドラム合戦」というものの実在を心から信ずることができず、不安のあまりカギ括弧をとれない!)の前夜、石原裕次郎は、笈田敏夫扮するライヴァルのドラマーと親しいヤクザものにケンカをふっかけられ、手を痛めてしまいます(やがて、万年やられ役になる高品格が、ここでは裕次郎と対等に渡り合う! まだフォーマットができあがる以前の日活アクションの姿をかいま見られるのである)。

f0147840_0115910.jpg
高品格と石原裕次郎。いずれ、高品は衆を頼む卑怯な悪役になるが、ここでは裕次郎と「決闘」する!

裕次郎はケガを押して「ドラム合戦」に出演したものの、やはり痛みできちんと叩けなくなり、場内がざわめきはじめます。そこでいきなり、裕次郎はかたわらのマイクをつかんで「俺らはドラマ、やくざなドラマ」と歌い出す、という場面です。

f0147840_0154370.jpg

このシーンは音楽的に成立しません。ブルース・スプリングスティーンが、チャック・ベリー自伝の序文で書いていたようなのは、あくまでも例外です。どういう例外かって?

スプリングスティーンのメイジャー・デビュー以前に、チャック・ベリーが彼の町にやってきました。到着が遅れたので、バッキングをすることになっていたスプリングスティーンのバンドが間を持たせました。

f0147840_0155697.jpg

ようやくチャック・ベリー登場。マネージャーも「ボーヤ」もなし、ひとりでギター・ケースをもってステージに上がると、客の前でケースを開き、チューニングするや、マイクのほうに向かったので、スプリングスティーンがあわてて「曲はなんですか?」と聞いたら、「チャック・ベリーの曲だ」とだけいい、例のイントロ・リックを弾きはじめてしまいました。スプリングスティーンは、チャック・ベリーの指の位置をたしかめ、そのキーで必死にあとからついていった、とまあ、そういうエピソードです。

なぜ、リハーサルどころか、打ち合わせもなしで、指を見ただけでバッキングができたか? それは「チャック・ベリーの曲」だからです。チャック・ベリーのヒット曲の多くは、ロックンロールを志す人間なら知っていますし、どの「チャック・ベリーの曲」もコードは三つ、その三つのコードの並び方、構成方法もほぼ同じ、ちがうのはキーとテンポだけです。だから、チャック・ベリーの手を見て、たとえば、Bフラットだ、とわかれば、それであとはなんとかなります。わたしだって、やれっていわれば、やってみせます。

f0147840_0172429.jpg

では、「嵐を呼ぶ男」はどうか? あの「俺らはドラマー」が複雑な曲だとはいいません。でも、いきなりドラマーが勝手に歌いはじめ、まわりがドラマーの手の動きを見て、チャック・ベリーの指だけ見てついて行ったブルース・スプリングスティーンの真似ができるかといえば、ぜったいにノーです。

チャック・ベリーの曲のような決まりきった循環コードで、つぎはどこへ行くか想像がつくわけではないし、映画のなかの設定では、石原裕次郎以外は知らない曲ということになっているのでしょうから(このへん曖昧。そもそも裕次郎自身、どこでこの曲を手に入れたかも不明。シナリオが穴だらけだというのは、こういう処理のまずさをいっている)、譜面なしでいきなりプレイするのは断じて無理。最低限、コード譜を用意する必要があります。

f0147840_0174614.jpg

たとえば、リハーサルのときに、バンドのだれかが裕次郎に「おまえ、流しをやっていたんだってな。どういうのを歌っていたんだ」と話し、裕次郎が歌いだして、たとえばピアニストが曲を気に入り、素早く採譜する、なんていう一分もあればすむシークェンスで前フリは十分です。そうしても、映画表現が壊れるわけではないのに、音楽の基本的な知識がシナリオ・ライターにないために、なおざりにされてしまったのです。

こういうとき、われわれには「昔の映画だからな」とちょっと冷笑的にやり過ごすしか映画を見続ける方法が残されていません。それじゃあまずいんですよ、ほんとうは。以前、「Nikkatsuの復活 その2」という記事で、わたしの友人たちは日活映画を好まないことを書きましたが、後追いで見るとこういう処理がひどくだらしなく感じられるし、ときには赤面するほど気恥ずかしい台詞やショットがあります。そういうのは多くの場合、シナリオが甘いために腐ってしまったのです。

f0147840_0191045.jpg

いやまったく、しつこく繰り返してしまいますが、こういうあちこち脱臼してしまったシナリオでも、曲がりなりにも話が進んでいき、とにかく、最後まで見てしまうのは、ひとえに、そこで生身の俳優がしゃべり、歌い、暴れ、ほほえみ、涙し、怒り狂い、その絵をサウンドが補強しているからです。シナリオだけだったら、三ページも読みつづけられないでしょう。視覚と聴覚がいかに強い影響力をわれわれに及ぼすかの好例です。論理が否定しても、視覚と聴覚が肯定し、つねに後者が前者を圧倒するのです。

今日は『嵐を呼ぶ男』を完了するつもりだったのですが、完了どころか、用意したサンプル音源を紹介する場面にすらたどり着けませんでした。もう一回延長して、次回完結とします。


[PR]
by songsf4s | 2009-11-20 23:57 | 映画・TV音楽
フィーリクス・スラトキンのOur Winter Loveと大森盛太郎の「嵐を呼ぶ男メイン・タイトル」など

今日はちょっと体調すぐれず、またしても「親子酒」のように、ぐるぐる回る家に住んでいるような気がしたため、まとまったことを書くだけの時間がとれませんでした。でも、更新がなくてもちらっとのぞいてみる方がたくさんいらっしゃるので、ちょっとだけ四方山話。

まず、ちょっとしたミスで、昨日の記事から漏れてしまった、『嵐を呼ぶ男』のサンプル音源をどうぞ。

サンプル1 メイン・タイトル(大森盛太郎)

サンプル2 スネアのパラディドル1

サンプル3 ハイハット

サンプル4 スネアのパラディドル2


◆ 怒濤の更新中 ◆◆
みなさんは、右のFriendsリンクにある、オオノさんのブログ(「YouTubeを聴く」というタイトルだったが、いまはタイトルなし?)がすごいことになっているのにお気づきでしょうか。

ときおり、LPリップが放出されていることには、過去にも当ブログでふれましたが、最近は、「ときおり」ではなく、「しょっちゅう」さまざまな盤が公開されています。

そして、その選択がまたシブいのです。そこらにあるものなんか一枚もありません。みな、なんらかの意味で貴重なものです。

最新の一枚は、今日11月19日現在ではフィーリクス・スラトキンのOur Winter Loveです。これについては、当家でも過去に記事にしています。ずっと聴きたかったアルバムなので、ウハウハいいながらファイルをちょうだいしました。これからの季節にはふさわしい音ですし(今日の当地は真冬の寒さ!)、「ハリウッドの洗練」とはどういうものかを知るには恰好の盤です。

お断りしておきますが、フィーリクス・スラトキンのOur Winter Loveはあくまでも「ラウンジ・ミュージック」なので、そのへんを勘違いなさらないように。「ロック」とは無縁です。いや、いまもこれを流しながら書いているのですが、じつに気持ちのいいサウンドです。ドラムはシェリー・マンでしょうかね。スラトキンを聴くたびにそう思います。

ビリー・ストレンジ御大の三枚、Billy Strange and The Challengersde SADE (1969)Bunny O'Hare (1971)も、そんじょそこらで見つかるものではありません。Bunny O'Hareにいたっては、わたしは存在すら知りませんでした。

このシリーズはどこまでつづくのか知りませんが、このところの怒濤の勢いからして、すぐに終わることはないでしょう。まだ何枚かは、オオノさんが蒐集されてきた、レッキング・クルー関係のレアLPが登場するものと思われます。
[PR]
by songsf4s | 2009-11-19 23:58 | 映画・TV音楽
嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) その1
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
f0147840_23561894.jpg

『嵐を呼ぶ男』が大ヒット作であることは前回の『予告篇』で書きましたが、すぐれた作品かというと、ちょっと言葉に詰まります。

こういうときには、よそさんの助けを借りるにかぎります。『日活アクションの華麗な世界』の上巻で、渡辺武信は(やはり出来自体は褒めずに!)以下のように大ヒットの理由を分析しています。

f0147840_23473910.jpg

あの時代の気分をどちらが理解していたかといえば、もちろん、『嵐を呼ぶ男』の公開時に十九歳だったという渡辺武信のほうであって、幼児にすぎなかったわたしではありません。そうお断りしたうえで、まずはわたしなりにヒット要因を考えてみます。

f0147840_23472272.jpg

◆ 母ものプロット ◆◆
渡辺武信は日活アクション初期の、とくに石原裕次郎が演じたヒーローを「孤狼型ヒーロー」と「家庭型ヒーロー」に分け、『嵐を呼ぶ男』を後者に算入しています。そういう二分法でいえば、たしかにそのとおりだろうと思います。

そして、ヒットの理由のひとつは、そこにあるのではないでしょうか。もうすこし細かくいうと、石原裕次郎演じる『嵐を呼ぶ男』のドラマー、国分正一には家庭があり、父はいないものの、母や弟と同居し、自分につらく当たる母を大事に思い、弟の面倒をよく見る人間です。

f0147840_23495156.jpg
兄のことを取りなす次男(青山恭二)と、まったく取り合わない母(小夜福子)、そして、ふれくされる「ヤクザな」長男。

これが大ヒットの最大の要因ではないかと思います。家庭をもたない「孤狼型ヒーロー」(当家で過去に取り上げた日活アクションでいえば、『東京流れ者』『拳銃は俺のパスポート』『霧笛が俺を呼んでいる』などがこのタイプにあたる)の映画は、どれも前回書いたわが家の騒ぎのように、一家総出で見に行くようなものではありません。巨大な鬱屈を抱えた若年層をなだめるタイプの映画です。

例によって、性格づけだの属性だのを洗い流し、骨組みだけを見れば、『嵐を呼ぶ男』は、「瞼の母」に代表される「母もの」のような気がします。目の前にいるのだから、この「新・瞼の母」の主人公は、母を求めて物理的な放浪はしませんが(だが、家にも落ち着けない)、「心理的彷徨」を強いられています。

「彼が求める母」はそこにいないか、あるいは、彼の存在を認めないのだから、いないも同然、したがって、「発見しなければならない母」だということにおいて、『嵐を呼ぶ男』は「瞼の母」と本質的に懸隔がありません。

f0147840_23511081.jpg
裕次郎がなにをしても、母は悪いほうへと解釈する。なんにだって受け取りようというのはあるものだと感心するほど意地が悪い!

もちろん、「瞼の母」だけでヒットするなら、『嵐を呼ぶ男』ではなく、『瞼の母』をつくればいいのであって、石原裕次郎は番場の忠太郎を演じることになってしまいます。だから、骨組みの周りの肉付けも重要で、それが渡辺武信が指摘したような、ドラマーという属性や、芸能界という舞台であり、そこに「瞼の母」を流し込んだことで、大勝利を得たのでしょう。

◆ 異例のスコア ◆◆
『嵐を呼ぶ男』はひどく古めかしいプロットの映画です。当家ですでに取り上げた映画でいえば、『狂った果実』『拳銃は俺のパスポート』『霧笛が俺を呼んでいる』といった作品にくらべると、泥臭いというか野暮ったいというか、土着のにおいが濃厚にある映画です。これより前の石原裕次郎主演作、たとえば『狂った果実』や『俺は待ってるぜ』などとくらべると、『嵐を呼ぶ男』は、時代意識としては後退した映画です。

ただし、その古めかしい「瞼の母」的構造から目をそらす、新しい要素がこの映画にはあります。音楽です。旧来のオーケストラ音楽も使われているし、小編成のストリングスによる叙情的な「キュー」もあるのですが、全編に渡って鳴り響いている支配的サウンドは、スネア・ドラムのパラディドルです。

f0147840_2352129.jpg

これは革命的というか、生涯に見た映画を思いだして、よーく考えてからこのセンテンスを書いているのですが、こんなにスネアのパラディドルばかりが聞こえる映画はほかにありません。そして、このスネア・ドラムの派手な4分3連や16分が、この古めかしい骨組みの映画に斬新な感触を与え、すばらしい躍動感を生み出しています。

とりわけ、演奏シーンではなく、普通のシーンに使われたときに、このスネア・ドラム(およびその付録としてのアップライト・ベース、ピアノ、ヴァイブラフォーン、テナーサックスのサウンド)は、画面を強く突き動かす原動力になっています。わたしが知るかぎり、このように、スネア・ドラムのパラディドルを大黒柱として組み上げられた映画スコアはほかにありません。

f0147840_23533819.jpg
このシーンではキャメラはクレーンに載って動くのだが、背後ではスネア・ドラムのパラディドルが鳴り響いている(隣の部屋で裕次郎が叩いているという設定で、スコアではなく「現実音」だが)。このキャメラの動きとスネアが気持ちよくシンクしているところが、映画ならではのエクサイトメントなのである。

スネア・ドラムを大きくフィーチャーしたスコアとしては、モーリス・ジャールの『史上最大の作戦』がありますが、あれはテンポの遅い、静かなマーチング・ドラムであって、『嵐を呼ぶ男』のような、画面を前へと強く突き動かし、観客をエクサイトさせるタイプのものではありませんでした。

◆ 非音楽的脚本 ◆◆
原作とシナリオは監督の井上梅次ですが、遠慮せずにいえば、プロットは穴だらけだし、音楽映画なのに、音楽の知識があるとは思えない処理が目立ちます。

たとえば、留置所の石原裕次郎を請け出しにいって、彼がそこらの棒きれで鉄格子を叩くのを聴き、北原美枝が「荒削りね」といい、その兄である岡田真澄が「うん、荒削りだ」とこたえます。

嵐を呼ぶ男 冒頭付近ダイジェスト


でも、たかが鉄棒を叩いただけで、荒削りとかそうでないとかいうのは、わたしには奇妙に聞こえます。表現のレベルに達するプレイではないのだから、精確か不精確かのどちらかしかないでしょう。粗いだのなんだのいうのは、トラップに坐って、他のプレイヤーとちゃんと曲をやったときに、全体の構成やフィルインのつくりが下手だとか、そういうときに出てくる言葉ではないでしょうか。ちなみに、この鉄棒を叩く音はじっさいにはライド・シンバルを使っていて、精確なタイムでプレイされています。明らかに一流ドラマーのプレイ。粗くないのです!

f0147840_2353596.jpg
留置所のシーンにはフランキー堺がカメオで出ている。「太鼓なんてのを叩くのは馬鹿だけだ」という台詞が楽屋落ちだということは、当時は常識だっただろうが、いまではもうわかる客のほうが少ないだろう。

しかし、なんといえばいいんでしょうね。ここが映画の摩訶不思議なところなのですが、小説だったらぜったいに見逃されないであろう、プロットや台詞の無数の欠陥が、映画ゆえにどんどん「なかったもの」にされていくのです。なぜチャラになるかといえば、石原裕次郎が暴れ、北原美枝が「凛々しい女」ぶりをふりまき、芦川いづみが可憐だからです。

そして、忘れてはいけないのは、小説ならば「スネア・ドラムの4分3連が派手に鳴り響いた」でしかないものが、映画ではじっさいの音としてわれわれの聴覚を揺さぶることです。ただの文字と、ほんもののスネア・ドラムの4分3連のあいだいには、無限の距離があります。文字ですむものならば、だれがわざわざ音楽を聴くものか!

f0147840_23543599.jpg

◆ フランク・シナトラと石原裕次郎 ◆◆
たしかに、渡辺武信が『日活アクションの華麗な世界』で批判しているように、石原裕次郎やライヴァルのドラマーを演じる笈田敏夫の動きは、音ときちんとシンクしていませんし、二人ともドラマーらしい手首の使い方はしていません。

しかし、これはだれがやってもむずかしいでしょう。俳優が演じることがもっとも困難なミュージシャンはドラマーです。リストを柔らかく使うことだけで訓練(まあ、「慣れ」ぐらいでもいいが)を要しますし、音と矛盾しないように速いパラディドルを叩くのも楽ではありません。まして、スネアからタムタムに流し、スネアに戻して、左手はスネアのまま、1拍目と2拍目の表拍だけ、右手はフロアタムでアクセント、なんてプレイを音と矛盾なくやるなんて、素人には不可能です。

これは日活だからダメとか、井上梅次の演出が手抜きだといったレベルのことではありません。ほぼ同じころ(1955年)、ネルソン・オルグレンの小説を映画化した『黄金の腕』(音楽監督エルマー・バースティーン)で、フランク・シナトラがドラマーを演じましたが、やはり、尻がむずむずするようなスティックの扱いでした。

まあ、『黄金の腕』のほうは演奏シーンが少なく、短いパッセージながら、どれもきちんとシンクさせてはいます。また、「サイド・スティック」(スティックをヘッドの上に寝かせ、ヘッドに一方の端をつけたまま、リムを叩くプレイ)のような、左手首の返しを必要としないものを使うといった細かい気遣いも見せています(シナトラのコーチをつとめたシェリー・マンの進言か)。

f0147840_23565570.jpg
『黄金の腕』のフランク・シナトラ。左手首を使わないサイドスティック・プレイをやらせるというのはグッド・アイディアだった。

f0147840_2357834.jpg
だが、レギュラー・グリップに持ち替えた瞬間、箸をちゃんと持てない俳優を見ているようでガックリする。せめて、もっと先端を余さないと……。

でも、フランク・シナトラは不世出のシンガーであって、不世出のドラマーではないからして当然ですが、左手首の動きが見えた瞬間、これではスネアは叩けないことが一目でわかってしまいます(『すべてをあなたに』でドラマーを演じた俳優は、左手首はコチンコチンに固まっていたが、シンクはほとんど完璧にやっていた。手首が硬いというなら、チャーリー・ワッツのような「プロ」ということになっているドラマーでも信じられないほど硬いので、凡庸なドラマーを演じているのなら、手首の返しの硬軟はどうでもよい)。

俳優には、レギュラー・グリップでの左手首の返しはリアルには演じられません。モダーン・グリップにすればごまかしがききますが、あれはロック・ドラマーのやるもので、すくなくとも昔のジャズ・ドラマーはモダーンは使いませんでした。

f0147840_23574386.jpg
よけいなことだが、『黄金の腕』には、かつてウェスト・コースト・ジャズの全盛期にはフルーゲル・ホルンおよびトランペット・プレイヤーとして大活躍し、のちにハリウッドを代表するアレンジャーとなった、ショーティー・ロジャーズがコンダクター役で出演している。シナトラがヘマをし、スタジオを飛び出しても、なにもなかったように、スタンバイしていたシェリー・マンに、ストゥールに坐るように指示し、平然と録音を続行するところは、なんだか妙にリアル。現実にもあったことなのだろう!

だから、石原裕次郎の「ドラミング」については、とくに批判するようなものではないと思います。俳優にしては左手首をまずまず柔らかく返していて、むしろ感心してしまいます。その点では、『黄金の腕』のフランク・シナトラよりいい出来でした。問題は、演奏シーンが多く、音と動きがシンクしていないことです。

こういうことというのは、井上梅次だとか、石原裕次郎だとか、日活だとか、そういう局所的な問題ではなく、日本映画界全体の、あるいは、ひょっとしたら、われわれ日本人の心性そのものに根ざすものかもしれず、特定の作品の批評にはなじまないような気がします。

f0147840_00942.jpg

ちょっと前に、記事本文ではなく、ラリー・ネクテルの訃報のコメントに書いたのですが、日本映画で、俳優の手と音のシンクという面で脱帽したのはたった一度、『さらばモスクワ愚連隊』での、加山雄三のピアノだけです。あとはまあ、呆れるほどいい加減で、見ていられないものばかりでした。

これも以前書いたことの繰り返しですが、『アマデウス』の俳優のように、ピアノのレッスンを受けてから撮影に入る(だけでなく、あらゆるシーンが完璧にシンクしていた!)なんてことは、観念としても、コストとしても、日本ではありえないことなのでしょう。

どうも、ややネガティヴな方向に入りこみましたが、次回もさらに『嵐を呼ぶ男』のスコアについて考えをめぐらせてみるつもりです。

DVD
嵐を呼ぶ男 [DVD]
嵐を呼ぶ男 [DVD]
posted with amazlet at 09.11.16
日活 (2002-09-27)
売り上げランキング: 29495


嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集
~日活アクション映画誕生50周年記念 嵐を呼ぶ男~日活映画サウンドトラック集
石原裕次郎 牧村旬子 川地民夫 浅丘ルリ子
テイチク (2007-07-17)
売り上げランキング: 225401


オリジナル・フル・スコア
嵐を呼ぶ男(オリジナル・サウンドトラック)
サントラ
インディーズ・メーカー (2009-08-07)
売り上げランキング: 57710



[PR]
by songsf4s | 2009-11-18 23:58 | 映画・TV音楽