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『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その2

今夜は、ハロウマス、万聖節あるいは諸聖人の祝日の前夜、すなわちハロウィーンです。町のあちこちに「ハロウィン」なんていう、寸詰まりの気色の悪い言葉がばらまかれて、十月はおおいに悩まされましたが、これでああいうものはすべて撤去されるので、助かります。

Halloweenというスペルを見ればわかることですし、それでわからないトンチキも、英和辞典を見れば、アクセントは第三シラブルのeにあり、ここには長音記号もついているので、まちがえたくても、どうにもまちがえようのない仕組みになっています。妥当な表記は「ハロウィーン」以外には考えられません(発音にはヴァリエーションがあるので、「ハローウィーン」までは許容範囲)。「ハロウィン」なんて、いったい、どこにアクセントを置いて発音する気なのでしょうか。「ハ」ですか? ご冗談でショ。

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それはともかく、ハロウィーンに合わせて、映画を一本見たのです。すでに一昨年にご紹介した、Adventure of Ichabod and Mr. Toadです。あのときは、現物を見ずに、小説とYouTubeのクリップだけで書きましたが、今回はアニメのほうもちゃんと見ました。30分あまりの短いものなのです(ふたつの異なる話をつなげて70分ほどの映画にしている)。

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一昨年の記事を修正したほうがいいと思った箇所がありました。イカボッド・クレインの性格設定です。罪のない人間を騙した人間がいい目を見る、後味の悪い話だと書きましたが、アニメではさすがにその点を修正していたのです。イカボッド「も」下心たっぷりな俗物という、イヤな奴に変えられていたのです!

つまり、くだらない人間が二人、つまらないことで争うだけの、どうにも感情移入のしようがない話になってしまったのです。結句、ビング・クロスビーのナレーションはうまいな、だなんてところに落ち着いてしまうのでした! 賞美のしどころは、一昨年の記事でも取り上げた、ビング・クロスビー歌うHeadless Horsemanという曲だけです。

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いちおう、一昨年のハロウィーン特集(とはいわずにEvil Moon特集として、ハロウィーンを目指しているということは伏せておいた)で取り上げた曲を一覧しておきます。

Halloween Theme by John Carpenter
Monster Mash by Bobby "Boris" Pickett & the Crypt Kickers
Friend of the Devil by Grateful Dead
I Put a Spell on You by Alan Price Set
Clap for the Wolfman by the Guess Who
Wolfman Jack by Todd Rundgren
Moonlight Feels Right by Starbuck
Purple People Eater by Sheb Wooley
Something Following Me by Procol Harum
(Ghost) Riders in the Sky その2 by the Ventures
(Ghost) Riders in the Sky その1 by Vaughn Monroe
Bad Moon Rising by Creedence Clearwater Revival

音楽的に考えても、やはりベストはジョン・カーペンターの「ハロウィーン・テーマ」でしょう。もちろん、盤ではなく、映画のスコアとして聴くべきです。

◆ 柴垣、建仁寺垣 ◆◆
さて、本題。前回に引きつづき、木村威夫による『乳母車』の美術、今回は「セット拝見」です。最初に登場するセットは、鎌倉にあると設定されている、宇野重吉、山根壽子、芦川いづみ親子の家です。

わたしは鈍感なのか、注意力散漫なのか、はたまた「室内方向音痴」なのか、一度見たぐらいでは、セットのことが頭に入らないことが多いのですが、今回、久しぶりに『乳母車』を見直し、やっと「プラン」(平面)がわかってきて(まだ曖昧なところが残っているが)、このセットの規模の大きさに愕きました。

いや、もうすこし正確にいうべきでしょう。キャメラが人物の動きを追えるようにするためか、じっさいの「プラン」どおりに部屋が並べてあり、バラバラに組んだセットを映画のなかで接続しているわけではないということです。明らかにセットが別立てとわかるのは、二階にあると設定された芦川いづみの部屋ぐらいでしょう。

まず、家の周囲、二度ほど登場する、おそらくは門を出てすぐの場所と想定されているであろう角。

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両側は柴垣です。昔にくらべれば減ったでしょうが、鎌倉にはまだかなり柴垣の家がありますし、建仁寺垣も目につきます。どちらかというと、建仁寺より柴垣のほうが多いでしょう。一軒、これはまた、と感嘆する柴垣を知っているのですが、ああいうものを維持するのは大変だろうと思います。

いま思いだしましたが、成瀬巳喜男の『山の音』でも、山村聡の義父と原節子の嫁が、柴垣に沿って歩くショットがあります。この映画の美術監督である中古智が、二階堂のほうで撮影したと書いていました。やはり、柴垣があると鎌倉らしい雰囲気になると、美術監督たちは考えるのでしょう。

◆ 宇野重吉邸 門と玄関 ◆◆
つづいて、門と玄関の外。

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不思議なことに、右側は建仁寺垣、左側は柴垣という垣根のチャンポンになっている。こうして静止画にして眺めないかぎりわからないような違いなので、ちょっとした手違いを見切って撮ってしまったか?

ここは夜間でしか登場しないので、セットかロケか判断しかねます。何度も登場するわけではなく、ディテールはわからないのだから、ロケですませた可能性が高いように思います。

以上のシーンは、昼間、父の浮気のことをきいた芦川いづみが、(なにも説明されないが)早く父が帰ればいいのに、という思い入れで、外を見に出てきた、というものです。キャメラといっしょに芦川いづみの動きを追います。

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家に入った芦川いづみは、いったんは自室に行こうと階段を上りかけるが、長唄をうたう母親の声を聞きつけて、引き返す。

玄関の造りは、やはり気を遣うところでしょう。明らかに裕福な家庭なのですが、大きな式台のある日本家屋ではなく、洋風にしています。こういう選択にはつねに強い意味が込められているものなので、こちらもそのつもりで見る必要があります。

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このドアを境にして、セットを分離することも可能だろうが、他のシーンから類推するに、どうやらそういう処理はせず、ひとつながりになったセットにしてあるように思われる。

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廊下の突きあたりに籐の椅子が二脚と小テーブルがある。後段で明らかにするが、向かって左が夫の書斎兼応接間、右側が妻の居間という構造になっていて、田坂具隆監督は、その中間に芦川いづみを坐らせた。

◆ 「奥様」のいる場所としての「奥」 ◆◆
廊下の奥に遠く芦川いづみを捉えたキャメラは、こんどは切り返して和室のなかを見せます。これが凝っているのです!

あとでわかることですが、このふた間続きの「奥」は、さまざまな面ではっきりと「表」とは区別されています。ここでいっている「表」と「奥」というのは、武家屋敷におけるなかば公の場(表)と、私的な空間(奥)のそれぞれを指す意味なのですが、まさに、この「和」の空間は「奥」の造りになっています。ただし、夫婦の寝室はここには出てきませんが。

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芦川いづみが黙って籐の椅子に坐り、見やった先に母が三味線を弾きながらうたっている。この背景はわからないものだらけ。襖や障子があるべき位置に立てられているのは「葭戸」(よしど)だそうな。記憶をまさぐってみたが、現物を見たことはないようで、ほかの映画で見たような覚えがあるだけ。金持ちの家、それも、あるタイプの家庭にだけあるものだろう。秋になったら取り外してしまうのだから、一般家庭には無理。天袋の下に同じ柄の戸(天でも地でもないから「中袋」?)があるが、こんなものも無知にして知らない。

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こちら側にも葭戸。現実にも贅沢なのだろうが、見た目もよい。畳の黒いへりを見せたくないと映画関係者はみないうが、木村威夫も畳を隠すために敷物を使った。

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へりは黒くない。目立たせないように、緑か茶のものを使ったのだろう。

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山根壽子が芦川いづみの前に坐ったので、キャメラは逆方向に切り返すが、ちゃんと反対側もセットがある。取り外せるようにしてあったのだろうが、一階部分はほぼ丸ごと家を建てるようにしてつくったことがこのあたりでわかってくる。

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ちゃんと向こうに玄関があるのだから、灯りもつく。殿様、宇野重吉のご帰館で、女中頭が玄関に出てきたのだ。

◆ 応接間兼リスニング・ルーム ◆◆
女中頭が旦那様を迎えに出るだけで、妻も娘も立ち上がらないのは、やはり戦後の映画だからでしょうね。戦前なら、一家全員で出迎えたにちがいありません。

宇野重吉は家に入るとすぐに左に曲がって、書斎か応接間と思われる部屋に行きます。妻が出てきて部屋の灯りをつけたり、上着を受け取ったりするのですが、そのとき、玄関脇のドアではなく、右手のほうからあらわれます。これもあとでわかるのですが、ちゃんと廊下とこの書斎をつなぐドアがあるのです。

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お食事は、お風呂は、ときく妻に、夫は、これを一枚聴いてからにしようと、今日買ってきたレコードを示し、キャビネットのふたを開けます。

このふたが透明プラスティック、正面パネルの一部も透明プラスティックで、ターンテーブルの様子が見えるようになっています。これは木村威夫の特製だそうで、じっさいにそういう商品が登場したのは、この映画から数年後のことだとか。

べつのシーンから、このオーディオ・セットがよく見えるショットを拾いました。

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これを見ると、どうやらターンテーブルが二連になっているらしい。SP盤の時代だから、クラシックなどの長い曲を聴くにはそのほうが便利だったのかもしれない。

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せっかくの透明キャビネットだから、伊佐山撮影監督は一瞬だけ、回転するターンテーブルを捉えた。

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最初は「変な位置に坐るなあ」と思ったが、まだステレオではなく、モノーラルの時代だから、スピーカーはひとつしかないのだと気づいた! 宇野重吉という俳優がそういう印象を与えるところがあるのだが、なんだか、家ではいたたまれないようなようすで、この椅子だけが彼の居場所のように見えてしまう。

◆ 塔の上の姫君 ◆◆
久しぶりの長尺記事になってしまい、お疲れでしょうが、付随的なことはさておき、三者三様の居場所のあり方だけはひととおり見ておくことにします。最後は二階にある芦川いづみの部屋です。

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海を眺めながら、彼女が一大決心をしていたことがつぎのシークェンスでわかる。

ちょっとした眺めの部屋です。背景はここも書き割りではなく、スクリーン・プロセスです。波が打ち寄せ、人影が動いています。

しかし、これはどこを写したのでしょうか。よその土地でロケされた可能性もありますが、とりあえず鎌倉での撮影と仮定します。河口らしいものが見えますが、鎌倉で湾曲した海岸線のなかほどに河口があるとしたら、滑川しか考えられません。そこまではいいとして、では、キャメラはどこに置かれたのか、です。あれこれ考え合わせると、材木座の光明寺の裏山ではないでしょうか。ほかに都合のよい高台を思いつきません。

グーグル・マップ

◆ 音楽のメタファー ◆◆
夫の宇野重吉は、ちょっとしたオーディオ・セットをもつクラシック音楽ファン、妻の山根壽子は三味線を弾き長唄なんぞをたしなむ、娘の芦川いづみの部屋にはアップライト・ピアノが置かれている、というように、物語がはじまって早々に、三人のキャラクターが音楽的に塗り分けられています。

これは明らかに意図されたものです。とりわけ、「洋」の夫と「和」の妻の空間が、廊下をはさんで鋭利に分断されていることが、偶然のはずがありません。しかし、それではそこからなにか明快な方向付けが得られるかというと、そんなことはありません。ただ単に、二人のあいだにある距離があることだけが視覚的に感得されるにとどまります。

いや、それでいいのです。簡単に底が割れては、シンボリズムではなく、説明になってしまいます。ここは、この一家に起こる波乱を予感させれば十分であり、それが豪儀なオーディオ・セットと三味線の対比の意味でしょう。

またしても、石原裕次郎登場には至らず、相済みません。次回、一大決心をした芦川いづみは、第二のセットで裕次郎に出会うことになるでしょう。
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by songsf4s | 2009-10-31 23:55 | 映画
『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その1


今日は十分な時間をとれなかったので、なにかひとつに絞って、木村威夫美術監督の『乳母車』における仕事ぶりをご紹介しようと思います。

f0147840_23501355.jpg前回の記事の末尾で、石原裕次郎が登場しないままこの映画の話をおしまいにしては具合が悪い、などと書きましたが、今日も裕次郎の登場は危ぶまれます! つぎか、そのまたつぎぐらいでなんとか補いをつけるつもりですし、ほかにも裕次郎の映画を準備しています。

最近いらした方は、なぜわたしが木村威夫という美術監督の仕事にこだわるのかおわかりにならないかもしれないので、その点について一言だけ。木村威夫は『悪太郎』以降の鈴木清順作品の大部分の美術を手がけました。当家ですでにとりあげた映画としては、渡哲也主演の『東京流れ者』(「その1」「その2」「訂正」)が木村威夫の仕事です。

もちろん、木村威夫の美術で地ならしをしてから、本格的に鈴木清順作品群に突入しようという心づもりがあります。ほんとうにそうなるかどうかはともかく、意図はそうなのです!

◆ 石坂洋次郎描く ◆◆
プロットを書くのが退屈で、すぐに、それは自明のこととして、てな調子で飛ばしてしまい、毎度失礼仕り候。石坂洋次郎の小説を原作とした『乳母車』は、いわゆる「青春映画」ではありません。

だいたい、石坂洋次郎は若い世代の恋愛のあり方を描いたようにいわれていますが、わたしの見るところ、彼が得意としたのは中高年の恋愛模様のほうで、若者の描き方はいたってブッキッシュでぎこちないものです。

f0147840_23514649.jpgたとえば、石原裕次郎がこの映画のあとで主演することになる『陽のあたる坂道』の原作では、たしかに、映画と同じように若い世代の恋愛も描かれていますが、そちらは、いまになるとあまり面白くありません(いや、発表当時、わたしは幼児だったので知らないが、でも、上梓の時点ですでに古びていただろうと想像する。作物の鮮度というのは、つねにそういうものなのだ)。

それに対して、映画では根こそぎオミットされてしまった(その判断自体は大正解。このサブプロットまで取り込んだら、映画は失敗する。脚本は池田一郎すなわちのちの隆慶一郎)、裕次郎の義理の母(轟夕起子。ほかの女優は考えられない!)と昔の恋人のその後の物語のほうが、はるかによく描けていて、そこだけはいまでも古びていず、おおいに楽しめます。

ここで、当たるも八卦、当たらぬも八卦の大予言。石坂洋次郎は、いまではすっかり忘れられた作家になってしまいましたが(近所の図書館では、すべて書庫にしまわれているので、いちいち請求しないと読めない)、わたしは数年以内に「中高年恋愛小説の作家」として復活すると思います。

現に、中高年であるわたしが、このところたてつづけに石坂洋次郎の長編を読み(半分はブログで取り上げる映画の原作としてだが!)、まだいけるじゃないかと感心したのだから、視点を変えて、『あじさいの歌』は、映画でいえば、東野英治郎と轟夕起子の、なんとも複雑で奥の深い愛と憎しみを描いた物語である、として売り込めば、反応する中高年は多数いると思います。

若い世代の恋愛というのはパターン化している(つまるところ、セックスにいたる前菜ないしはアペリティフでしかなく、目的地がべつのところである可能性はゼロ)ので、作家としても、たいして書くべきことはないのでしょう。

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『あじさいの歌』挿絵。岩崎鐸画、新潮社刊『石坂洋次郎文庫 第13巻』より。

いっぽうで、当時の作者とほぼ同じ世代に対する視線はきわめて鋭利で、ものごとを一面的、一方的に片づけないこの作家の美点がおおいに生かされています。陳腐なモラルでは皿に盛ることのできない男女のすがたをみごとに描いていて、その面では、いまも十分に「現役」として通用する作物を生みだしたと思います。大人の恋愛は、セックスの前ではなく、後にあるのです!

石坂洋次郎の文庫の紙型をもっとも抱えているのはどこの版元でしょうか。新潮社? ちょっとギャンブルをしてみてはどうでしょうか。石坂洋次郎作品を十点集めて、キャンペーンをやるのです。いや、ターゲットはもちろん、全盛期を知る五十代以上だから、古い紙型などとケチなことをいわず、文字サイズを大きくして、新たに組み直したほうがいいでしょうね。どうせInDesignなのだから、それほどすごいコストにはならないでしょう。

◆ 似て非なる「青春映画」 ◆◆
話が脇に行ってしまったので、仕切り直し。『乳母車』は、絵づらとしては、芦川いづみが愛らしく、これが三作目の石原裕次郎(『狂った果実』のつぎの作品だった!)の、前作とは正反対の好青年ぶりも楽しく、例によって「石坂洋次郎原作の青春映画」のふりをしています。

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石原裕次郎と芦川いづみ

ところが、骨組みにまでストリップ・ダウンして眺めると、これは宇野重吉、妻の山根壽子、愛人の新珠三千代という三者の物語であって、芦川いづみと石原裕次郎(新珠三千代の弟)の二人は、たんなる狂言まわし、物語に第三者的視点を持ち込むための道具でしかありません。

『乳母車』は、石坂洋次郎作品の本質である「大人の恋愛模様」が、もっともストレートにあらわれた映画なのです。ただし、その面では『あじさいの歌』や『河のほとりで』のような秀作、『陽のあたる坂道』のような佳作には及ばず、宇野重吉演じる夫や、山根壽子演じる妻に、われわれは感情移入することができません。うまく描かれたキャラクターとはいいかねます。

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宇野重吉と山根壽子

でも、そういう「評価」のようなことはこの際、本質的なことではありません。映画というのは多面的に楽しむことができるものです。ということで、視覚的、デザイン的に『乳母車』を見てみましょう。

◆ ナラティヴの方向性と舞台の移行 ◆◆
やっと本題にたどり着いたものの、残り時間はあとわずか、大きなセットの一部しか見られないかもしれません。

『乳母車』は、まずプール付きの豪邸(いや屋敷自体はほとんど見えず、庭だけだが。ブリヂストンの会長の家を借りてロケしたと木村威夫はいっている)からはじまり、宇野重吉一家が住む、鎌倉のこれまたかなりの規模の邸宅へと移動し、そこから奥沢(九品仏)の新珠三千代住む「妾宅」(というと、見越しの松に黒板塀になってしまうが、そこを美術監督がどう回避したかはあとで検討する。そういえば木村威夫は、森鴎外の例の小説を豊田四郎が映画化した『雁』でも、高峰秀子が暮らす無縁坂の妾宅をデザインした。あれも半ひねりの入ったデザインだったような記憶があるが、細かいことは失念)、さらには、川向こうの江東か月島あたりの裕次郎の下宿へと、舞台は(そういってはなんだが)下降していきます。

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セット・デザインとしては、いわば上昇していく人物たちの意識と、「下降」(失礼!)していく舞台の関係をどう視覚的に表現するか、ということがポイントになるでしょう。木村威夫は「出しゃばりな」美術監督です。セットにストーリーを語らせるのです。当然、このナラティヴの構造を意識して、デザインを決めていったにちがいありません。

ということで、庭とプールしか出てこない芦川いづみの友人の家という設定のロケーションはオミットして、鎌倉のどこかと設定された、宇野重吉邸のデザインをみることにします。いや、気がつけばもうタイム・リミット。今日は長い枕だけになってしまいました。間をおかず、すぐにつぎの記事を掲載するようにつとめますので、今日のところはご勘弁を願います。

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by songsf4s | 2009-10-30 23:59 | 映画
鎌倉駅と『乳母車』(石原裕次郎、芦川いづみ主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)

なんだかくどい話になってしまいましたが、「狂った果実 by 石原裕次郎 (OST 日活映画『狂った果実』より) その2」と、「Nikkatsuの復活 その2」で、二度にわたってふれた、鎌倉駅の階段について、今日は決着をつけようと思います。

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田坂具隆監督の『乳母車』に、この階段が出てくることはちゃんと記憶していて、いつかそちらを確認するといいながら、ここまで引っ張ってしまったのは、ひとつにははるか昔のテープが傷んで見られなかったためです。いえ、VHSではスクリーン・ショットをとれないので、見られても同じことですが。

やっと借金を返済する気になって、『乳母車』を見たはいいのですが、見終わって、スクリーン・ショットを格納するフォルダーを開けたら、まったくなんにも撮れていないことがわかり、一昨日も昨日も更新できませんでした。

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VOBをAVIに変換するといいのではないか、なんて思い、DVDdecrypterとGordian Knotでやってみたのですが、昔はオーケイだったGordian Knotが、新しいヴァージョンではなぜかエラーばかりでダメでした。

ではプレイヤーを替えるかというので、ほかのものを試したところ、VLCでうまくいったものの、これも問題ありでした。ひとつは、マウス・クリックしか方法が見あたらず、キーボード・ショートカットがわからないため、ひどく面倒だということ。もうひとつは、吐き出される静止画がPNGで、JPEGよりサイズが大きくなってしまい、HDDを圧迫しかねないことです。PNG→JPEGの一括自動変換は可能ですが、できればよけいなパスはかませずに済ませたいものです。

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そうこうしているうちに、一度はダメだったGOMプレイヤー(ほかのことはともかく、キャプチャーに関するかぎり、これがいちばん手際よくできる)でのISOイメージからのキャプチャーが、なにも設定変更などしないのに、なぜか以前のようにちゃんとできるようになり、話はぐるっと輪を描いて元に戻りました。

はじめからGOMでやろうとしたのに、それがうまくいかなくて、リッピングやらAVIへの変換やら他のプレイヤーのインストールやら、その他、あれこれと大騒ぎをしたのに、これはどういうことだよ、でした。

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まあ、あれこれインストールしているうちに、なにかDLLでも書き換わって、GOMのトラブルを引き起こしていた原因が除去されたのでしょう。だから、ジタバタしたのもまったくのムダではなかったということにしておきます!

◆ 階段話はつづく ◆◆
さて、鎌倉駅の階段です。昔の記事をご覧あれといっても、だれもご覧なぞしてくださらないのは目に見えているので、冗漫ながら、『狂った果実』の階段と、わたしが撮った最近の階段の写真を、古いキャプションごと、ここに再掲します。

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この階段を囲む鉄の手すりもまったく記憶がない。最近の改装ではなく、大昔に作り替えたのだと思う。やはり裕次郎が主演した『乳母車』に、芦川いづみが、家を出る母親をこのプラットフォームで見送るシーンがあったが、いつかチャンスがあったら、ここが映っていないかどうか、あの映画を確認してみたい。

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東京方向に向かって撮影している。したがって、背後が逗子・横須賀方向。平日の午前中だからこんな写真が撮れたが、週末になると、ここはつねに大混雑。

さて、その確認の結果はつぎのようなものでした。いや、そのまえにシテュエーションを説明しておきます。宇野重吉扮する夫が、外に女(新珠三千代)をつくり、子供まで産ませたことを知っていながら、妻の山根壽子は夫を苦しめようという気持と、経済的な理由から問題を放置していました。しかし、娘の芦川いづみにそのことを責められ、結局、家を出ることになります。

その決定的な夜、母が出て行った直後に帰宅した芦川いづみが、母を止めようとあとを追って鎌倉駅に駆けつけ、東京行き終電車に乗ろうとしていた山根壽子を連れ戻そうとするという場面です。

鎌倉駅での最初のショットは、芦川いづみが改札を通るというだけのなんでもないものですが、これだけでわたしは「あれ?」となってしまいました。

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現在の鎌倉駅では、このように改札を通る人間が、直角に曲がって線路下の通路に入る場所は、一カ所しかありません。江ノ電との連絡改札口です。

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はじめは、この赤い線のように芦川いづみが歩いたと考えた。この図は、表駅から裏駅(江ノ電側)に向かって見ている。したがって、右が東京方面、左が逗子・横須賀方面。手前が下り1番線、向こうが上り2番線である。つまり、以下の写真のキャメラと同じ向きになっている。

そのように仮定して以後のショットを見ていくと、またしても「あれ?」と疑問が湧いてきます。

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背後にテアトル鎌倉(映画館、現存せず)が見えているので、上り二番線にレンズを向けていることがわかります。しかし、江ノ電との連絡通路を通ってきたのなら、芦川いづみの動きから考えて、逆向き、すなわち一番線側、表駅側が見えなくてはいけないのです。

そういう細かいことにはこだわらなかったのかもしれません。しかし、もうひとつの可能性は、わたしはまったく記憶していないものの、通路と直角になる改札口が昔はあったのだということです。こちらのほうが可能性が高いでしょう。なぜなら、芦川いづみの家は江ノ電沿線ではなく、材木座あたりにあるという設定だと想像されるからです。

だから、江ノ電は使わず、タクシーかバスで駅に着き、表駅の改札から構内に入り、現実の鎌倉駅での人の動きを正確になぞった結果、ああいうキャメラの動きになったのだと考えるほうが自然のように思います。

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つまり、このシークェンスでの芦川いづみも、『狂った果実』の石原裕次郎および津川雅彦とほぼ同じ動線をたどってプラットフォームに立ったということです。ただし、裕次郎たちは下り1番線の電車に飛び乗ったのに対して、芦川いづみは、上り2番線に向かって立つ母親に声をかけるというところで、向きが逆方向になったわけです。

◆ 「ロケ嫌いの田坂組」 ◆◆
そもそも、『乳母車』を再見しようと考えた理由は、『狂った果実』冒頭で捉えられていた階段の手すりの形に見覚えがなかったからです。

しかし、その後、木村威夫の『映画美術』で、『乳母車』では、階段のセットをつくった、ああいうものは「ピックアップ」といって、現実にあるものをコピーするだけの作業だから、退屈きわまりない、といっているくだりを見つけ、それなら、どのようにロケとセットをつないだのか確認したいと思ったのです。そのことは「Nikkatsuの復活 その2」という記事に書きました。

さて、細かくこのシークェンスを検討して、へへえ、と唸りましたね。うっそー、そういう風につないじゃうのー、てなものです。ちょっと重複しますが、また鎌倉駅プラットフォームに戻ることにします。

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テアトル鎌倉の表には『?人船』と『オセロ』というタイトルが見える。1956年の映画ということで調べたら、前者は稲垣浩監督、三船敏郎主演の『囚人船』、後者はソ連映画だとわかった。洋画邦画をチャンポンでかけていたらしい。

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ここまでは鎌倉駅でのロケです。以下はスタジオでのショット、木村威夫が、「実物をコピーするだけだから面白くもなんともないが、仕事だからまじめにつくった」というセットでの撮影になります。

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背景は書き割りではなく、スクリーン・プロセスによる合成。スタジオだからと思っていると、ここで上り電車が入線してきてギョッとする。

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木村威夫が、山根壽子に「よろけ縞」の着物を着せた、といっているが、それがこの着物。よろけたような曲線だからだろう。手ぬぐいなどにも使われる伝統的な柄。いや、ここで愕くのは、美術監督が衣裳のデザインもしたということだ。ほかの映画では、森英恵と衣裳の相談をしたといっているので、やがて分業化されるのだろうが、ただし、森英恵にいろいろ注文をしているので、衣裳デザインは美術監督の職掌という原則に変わりはなかったのだろう。

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もはや当初の目的などどうでもよくなってしまったが、はじめはこの手すりの形を確認したかったのだ!


◆ 終電のあとで ◆◆
お読みになっている方もお疲れでしょうし、わたしもキャプチャーと写真の並びの確認でくたびれましたが、鎌倉駅のシーンだけは一気にやってしまおうと思います。

結局、芦川いづみは麹町の「叔母さん」の家に行くという母を止められず、悄然と帰路につきます。

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そこへ、遅れて駆けつけた宇野重吉が姿を見せるのですが、これがやはり正面や背後からではなく、左手から斜めにフレームに入ってきます。

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こういうところまで細かく演出する監督とキャメラマンが、俳優に現実とは異なる動線をたどらせる可能性は低いので、やはりわたしが記憶していない改札口が昔はあったにちがいありません。

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父と娘が改札に向かって歩きはじめると、灯りが消される。終車が行くと、最後の乗降客を追い出すように灯りが消されるのはいまでも変わらない。だから、リアリズムなのだが、ここではシンボリズムでもある。

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向こうに見えるネオンサインは「ステーション食堂」と読めるが、記憶にない。

美術監督自身が回顧してくれると、映画の見方も変わるもので、今回の再見ではなんども「へえ」と思いました。せっかくだから、「美術監督・木村威夫といっしょに見る『乳母車』」をもう少しつづけたいと思います。なんたって今回は裕次郎の出番がなかったわけで、このまま終わりにするのはどうにも具合が悪いですしね。

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by songsf4s | 2009-10-29 23:57 | 映画
That's Entertainment by Buchanan, Fabray, Levant, Charisse & Astaire(『バンド・ワゴン』より)
タイトル
That's Entertainment
アーティスト
Jack Buchanan, Nanette Fabray, Oscar Levant, Cyd Charisse (vocal dubbing by India Adams) & Fred Astaire
ライター
Arthur Schwartz, Howard Dietz
収録アルバム
The Band Wagon (OST)
リリース年
1953年
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前回の記事をアップしたあとで、いちおうband wagonとはなにか、ということを書いておくべきだったと思いました。

まず辞書の定義から。

「《サーカスなどの行列の先頭の》楽隊車; 《口》人気のあるグループ、時流」

とあります。

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映画『バンド・ワゴン』のタイトルは、劇中のレヴューのタイトルである『バンド・ワゴン』から来ているのですが、どうでしょうね、「楽隊車」(なんて日本語は知らなかったが!)という意味を中心に、他の語義も含んだニュアンス、といったあたりでしょうか。

◆ トリプレット ◆◆
『バンド・ワゴン』で描かれる舞台の出し物は、最初は「現代的なファウスト」という珍な代物なのですが、これは初日ではっきりとフロップとわかってしまいます。

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この「現代的解釈によるファウスト」なる前衛レヴューは具体的にどのようなものだったのかは描かれていないが、舞台美術がちらっと出てきて、それがアルノルト・ベックリンの「死の島」をモティーフにしたものなので、大笑いする。よくぞ思いついたり、美術監督も笑いながらアート・ディレクションをしたのだろう!

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ベックリン「死の島」(部分)

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ベックリン「死の島」(全体)

如何にウケが悪かったかを描く、ベティー・カムデンとアドルフ・グリーンのシナリオも、ヴィンセント・ミネリの演出も、じつに冴えています。こんなに楽しい描き方では失敗らしくないじゃないか、と文句を云いたくなるほどです。

劇場から出てくる観客たちがみな肉体的変調を抱えているような表情なのも笑えますが、無人のオープニング・パーティー会場にフレッド・アステアが戸惑うシーンはさらに笑えます。

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白鳥をかたどった氷の彫刻がなんとも豪華で虚しい。効果的に初日の失敗を印象づけている。

このどん底から一転して、ゼロからやり直そう、と立ち上がるところが、この映画の扇の要であり、アメリカの楽天主義がもっともいい形であらわれたシーンといえるでしょう。

さて、「現代的な解釈によるファウスト」を捨てて、彼らが突貫作業で作り上げたレヴュー・ショウ『バンド・ワゴン』の各景がそのまま後半のショウ・ナンバーになります。

まずは、ジャック・ブキャナン、ナネット・ファブレイ(名前から気づいた方もいらっしゃるだろうが、スペルはちがうものの、シェリー・ファブレイの叔母さんにあたる)、そしてフレッド・アステアの三人が演じる、「トリプレット」から。

Triplets


ぜんぜんちがうぞ、といわれそうですが、わたしは「二人羽織」を思いだしました。日本ではお座敷だから座芸になりがちですが、あちらはナイトクラブを前提にしているのでしょうから、立ち上がるわけで、そこで、なるほど舞台がちがうと芸も異なった進化の仕方をするのだな、と納得しました。

◆ テクニカラーとデラックス・カラー ◆◆
どん底から立ち上がった劇団は、ボストンだフィラデルフィアだといった北の町から南下してきて、ついにニューヨークにやってきます。当然、ニューヨークの初日がうまくいくかがクライマクスになります。したがって、このシークェンスに登場するナンバーは、この映画でもっとも大がかりなものです。ほかになかったので、その一部だけを抜き出したクリップをどうぞ。

The Girl Hunt


このシークェンスは、セット数が何杯になったか、ちゃんと勘定しないとわからないほどで、映画のなかでの設定とは裏腹に、現実にはとうてい舞台にのせられないほど手の込んだものになっています。いや、小さな画面で、ブログにどう書くかなどと考えながら冷静に見ているので、そういうことを思うのですが、これが大きなスクリーンだったら、ただただ圧倒されたでしょう。

それで思いだしました。前回、フレッド・アステアのミュージカル映画を、戦前と戦後に分けたら、わたしは戦後のもののほうがずっと好きだ、その理由は後述すると書いておきながら、例によって忘れてしまいました。

簡単な理由によります。戦前のものはみなモノクロで、戦後はカラーになるからです。いえ、モノクロ映画が嫌いだといっているのではありません。ハリウッド・ミュージカルでは(と限定したのは、たんにブロードウェイ・ミュージカルを見たことがないため)、セットや衣装などの色彩感覚が重要なのです。モノクロの『バンド・ワゴン』など、想像を絶しています。

That's Entertainment 2 versions

この映画の曲でもっとも有名なのは、このThat's Entertainmentだろう。映画には前半とエンディングの二度登場するが、このクリップはその両方をつなげている

いつごろからでしょうか、デラックスの色調が変化し、パナヴィジョンと相まって、映画のトーンがきわめてリアリスティックになったのは。かつては、そういう変化を歓迎しました。しかし、気がつけば、そのような色調の変化が映画の内容にまで大きな影響を与え、他愛のない夢物語にすら、表現のレベルではリアリズムが要求されるようになっていました。そうなると、やっぱり昔のトーン(主としてテクニカラーだが、デラックスも昔は色調が異なっていた)はよかったなあ、と年寄りのおきまりの台詞が出てしまいます。

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ナネット・ファブレイが歌い踊る「Louisiana Hayride」の景。藁の山は染めたのではないかと思うほど黄色い。

『オール・ザット・ジャズ』はいい映画だと思いますが、となりの映画館でアステアの三本立てをやっていたら、わたしは断じてそちらに入ります。テクニカラーにしかああいう夢の世界は表現できないのだと、時がたって痛感しています。『バンド・ワゴン』は何度見ても気分が昂揚しますが、『オール・ザット・ジャズ』は一度見れば十分です。

◆ バックステージものの魅力 ◆◆
前回、トニー・ハンターという役とフレッド・アステア自身が重なることを書きましたが、ナネット・ファブレイとオスカー・レヴァントが演じるマートン夫妻は、この映画のシナリオを書いたベティー・カムデンとアドルフ・グリーンと重なります。シド・チャリシーやジャック・ブキャナンが演じた役も、現実のだれかと重なるのかもしれませんが、そこまではわかりません。

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いずれにしても、『バンド・ワゴン』も典型的なバックステージものだということが、そういう役柄からもおわかりでしょう。日本の芝居や落語、そして小説には「芸道もの」というのがありますが(落語なら「中村仲蔵」「淀五郎」、小説なら川口松太郎「鶴八鶴次郎」、安藤鶴夫「巷談本牧亭」といったあたりが思い浮かぶ。後二者はともに舞台化されている)、同じバックステージを描いても、アメリカと日本ではずいぶんニュアンスが異なります。「芸道」というぐらいで、求道的になる日本とは対照的に、アメリカのものはじつに軽やかですな。いや、上記の「芸道もの」は、みな好きだから例に挙げたのですけれどね。

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フレッド・アステア、ナネット・ファブレイ、オスカー・レヴァント

バックステージものミュージカル(『バンド・ワゴン』と同じくベティー・カムデンとアドルフ・グリーンが書いた『雨に唄えば』も思い起こされよ)のいいところは、役者たちが突然歌いだしたり、踊りだしたりしても、違和感がないことです。『イースター・パレード』はレヴュー、『バンド・ワゴン』は途中までは現代演劇のようなもので、後半はレヴューになり、ソング&ダンス・シークェンスの大部分は、リハーサルや本番を描いているので、歌って踊るのが当然なのです。

そういう意味で、ミュージカル嫌いにお勧めできるハリウッド・ミュージカル・ベスト3としては、『雨に唄えば』『イースター・パレード』『バンド・ワゴン』をあげるのが順当ではないでしょうか。この三本で「どんでん」が起きたら、強烈なものになると思いますねえ。いきなり180度転換して、ミュージカルなくしては生きていけない、なんてことになるかもしれません。

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by songsf4s | 2009-10-25 23:48 | 映画・TV音楽
Dancing in the Dark by the MGM Studio Orchestra (映画『バンド・ワゴン』 その1)
タイトル
Dancing in the Dark
アーティスト
The MGM Studio Orchestra
ライター
Arthur Schwartz, Howard Dietz
収録アルバム
The Band Wagon (OST)
リリース年
1953年
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フレッド・アステアの映画は、『足ながおじさん』『イースター・パレード』という、アステアのドラミングが見られる二本で終わりにする予定でした。しかし、ここまで見て、『バンド・ワゴン』を見ないで帰っては、客としての義理が悪いでしょう。

ミュージカル嫌いは縁がないものとして、ふつうの映画ファンは、『イースター・パレード』と『バンド・ワゴン』のどっちがいいと思うか、あるいは、どちらが好きか、といわれたら、長考も長考、大長考したあげく、がまの油になるんじゃないでしょうか。わたしはいくら考えても結論が出せず、よくまあ、すごい映画を二本も残したものだと、ただ呆れるのみです。

バンド・ワゴンに乗り遅れるな!


いえ、アステアに話をかぎっても(この二本については、フレッド・アステアよりもアーサー・フリードの文脈で考える人も多いだろう)、戦前のジンジャー・ロジャーズと組んだ作品群だって、『有頂天時代(スイング・タイム)』や『トップ・ハット』や『踊らん哉』(Shall We Dance)など、好ましい映画がたくさんあります。

しかし、この比較はわりあい簡単に、戦後のもののほうが好き、と結論が出ます。なぜそうなのかは、あとでふれることにします。

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◆ 昔日の大スター、アステア=ハンター ◆◆
『イースター・パレード』もすごいナンバーが目白押しですが、『バンド・ワゴン』も、どれを取り上げようと迷い箸をしてしまいます。考えても混乱するばかりなので、登場順に検討すると……いや、ショウ・ナンバーが出てくる前から、この映画は楽しいのですが、そのクリップは見つかりませんでした。

フレッド・アステアは、トニー・ハンターという、一昔前に一世を風靡した「ソング&ダンス・マン」(いい言葉なのだが、日本にはこの表現にあてはまる一流芸人が出現せず、ついに日本語化されなかった。文字どおり歌って踊るショウマンのこと)という、ほとんどそのまんまの役です。

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ポイントは「一昔前に」のほうで、冒頭ではその点が強調されます。まず、タイトルの飾りの絵のように見えたトップハットとステッキが、キャメラが引くと、じつは絵ではなく、オークション会場に置かれた実物の実景だとわかります。観客はここで意表をつかれ、すっと映画に入っていきます。ヴィンセント・ミネリとしては「してやったり」のファースト・ショットでしょう。

オークションでは、「かの大スター、トニー・ハンターが使ったトップハットとステッキ」と紹介されるものの、だれも入札せず、初値からどんどん下がっていき、50セントでもダメで、トニー・ハンターがすでに完全に忘れ去られた存在であることが強調されます。

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つぎはニューヨークに向かう列車のサロン・カーで、紳士たちが雑誌など見ながら、トニー・ハンターっていうのを覚えているか、家内が昔好きでね、などと噂していると、向こうでメニューかなにかで顔が隠れていた男が、正体をあらわし、フレッド・アステアの登場となります。ここでなにをいうかと観客は固唾をのむのですが、アステア=ハンターは、「トニー・ハンターもおしまいかって? それどころか完全に干上がってるよ」と紳士たちに同調します!

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ダメ押しは、駅(ペン・ステーション?)に着いて、プラットフォームに降り立つと、新聞記者がどっと詰めかけていて、俺もまだ人気があるんだなと気をよくして話していると、あとからエヴァ・ガードナー(本物のカメオ・アピアランス)が降りてきて、記者の目当ては、アステア=ハンターではなく、彼女のほうだったというサゲになります。

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この一連の流れの演出と編集はあざやかで、じつに楽しいのですが、「ソング&ダンス」がすくないためか(プラットフォームでBy Myselfを歌うのだが)、クリップが見あたりません。フレッド・アステアの観点からも、ヴィンセント・ミネリの観点からも、アーサー・フリードの観点からも、ここはだいじなシークェンスなのですがねえ。

まあ、それほどフレッド・アステアのダンスの人気がいまも高いということでしょうが、ヴィンセント・ミネリの映画としてみるなら、ここの演出にもっとも力が入っていると感じます。ショウ・ナンバーでは、フレッド・アステアやシド・チャリシーの芸と魅力にもたれかかることができますが、ここは監督がBy Myselfでやるしかないところですからね。

◆ ショウの本場でのダンス・ナンバー ◆◆
とはいえ、ダンス・ナンバーだって、『足ながおじさん』とくらべると、やっぱりMGM=アーサー・フリード映画はものがちがう、と感じさせるわけで、ここでもスタジオの違いと監督の力量は如実にあらわれています。いや、もちろん、『足ながおじさん』のときのアステアは、もう体が動く限界の年齢だったのでしょうが。

プラットフォームの歌はじつにあっさりしたもので、最初の本格的なソング&ダンスは、ブロードウェイの「アーケイド」(日本語の意味ではなく、英語のamusement arcadeの意味)を舞台にしています。ここはフレッド・アステアもヴィンセント・ミネリも力が入っていて、当然、こちらもグッと映画に入っていきます。

A Shine On Your Shoes


体が動くときではなければ、こういう激しいダンスはできないわけで、いまふりかえれば、そろそろ見納めというパフォーマンスです。いや、このころまではじつにすばらしかった、といいたいだけですが。

◆ アステアの独壇場 ◆◆
ひょっとしたら、つぎの場面が、この映画のもっとも忘れがたいダンス・シーンかもしれません。

Dancing in the Dark


ご存知ない方のために説明すると、この直前、フレッド・アステア=トニー・ハンターは、リハーサル中に演出家と衝突し、ショウを降りると宣言してホテルの部屋に戻ります。いろいろなものを壊したり、蹴飛ばしたりして大荒れに荒れていると、共演のシド・チャリシーがやってきて、もうすこしお互いに歩み寄って、踊り、演じてはどうかと相談がまとまります。

それでは「リハーサル」をしようといって馬車で出かけ(デイモン・ラニアンの「プリンセス・オハラ」を思いだす)、セントラル・パークなのか、どこかの公園に行くと、野外ダンスをやっている、その会場からちょっと離れ、ひと気のないところに出る、といったところから、すっとダンスに入るのですが、この入口の呼吸がじつにいいのです。惚れ惚れします。

ダンスのつづきのように二人が歩いていくと、そこに馬車が待っていて、そのままの流れるような動きで二人が乗り込むと、馬車もいい呼吸で走りだす――すべてのタイミングがきれいに整って、じつになんとも、ため息の出るようなシークェンスです。

『イースター・パレード』より『バンド・ワゴン』のほうがすぐれている点があります。オーケストレーションというか、録音まで含めたストリングスの音のテクスチャーです。とりわけ、このシークェンスで流れるDancing in the Darkという曲のストリング・アレンジメントはすばらしく、中音域の使い方に何度も耳を引っ張られ、ダンスから目が離れそうになってしまいます。こういう曲は盤で聴いてみたいですねえ。手を抜かずに用意するべきだったと反省しています。

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クリップを並べて簡単に終わるはずだったのですが、そろそろ時間切れ、残りは次回に持ち越しとさせていただきます。

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by songsf4s | 2009-10-23 23:57 | 映画・TV音楽
リック・ネルソンとボビー・ヴィーのOne Boy Too Late

例によって、あちらのブログにサンプルをおきたくないので、こちらを使います。あちらの記事は、「エリー・グリニッチ追悼 その14 ボビー・ヴィー“ワン・ボーイ・トゥー・レイト”(One Boy Too Late by Bobby Vee)」という外題です。

サンプル One Boy Too Late by Rick Nelson

サンプル One Boy Too Late by Bobby Vee

◆ 老母を通じて時代を観察 ◆◆
これだけではなんなので、ちょっと四方山話。

今日、近所の実家にいきました。半年前に父が亡くなり、いまは老母がひとりで暮らしています。

老人なので、あまり活動的ではありませんが、いつも、なにかしらいいたいこと、その日の出来事というのがあるもので、今日は、レンタル・ヴィデオ屋にいってカードをつくってきた、という話題でした。

そういうところは、車で行けるように、町のはずれにあるので、わたしとしては、遠出は歓迎できません。数日前に相談されたときは、郵便を使えるレンタルにしたらどうか、といったのですが、足が弱らないように、ちょっと歩いたほうがいいと思う、というので、まあ、それもそうだな、と認めました。

で、今日の遠出となったしだいです。といっても、わたしの足で15分弱、母が歩いても20分かそこらの郊外型ショッピング・モールにあるのですがね。父親が生きていればべつの選択になったかもしれませんが、なにを借りてきたかというと、韓国のドラマだそうです。あのブームは高齢者のあいだではまだつづいているようです!

◆ シルバー割引とはね! ◆◆
母がうれしそうにいうところでは、なんでもシルバー割引というのがあって、通常の半額で借りられるのだそうです。「こんなことなら、お父さんが生きているあいだに借りればよかった」などといっていましたが、ひとりだからこそ、レンタル・ヴィデオを借りてみようと思いたったのでしょう。父がいれば、なにかと手がかかるし、いろいろ話すこともあるから、手持ちぶさたになることはなかったにちがいありません。

「テレビは見るものがないからねえ」

が最近の母の口癖です。ひとりだから暇な時間がある、でも、テレビをつけると、芸などない「芸人」が大勢で束になってなにか意味不明のことをわめいている番組しかやっていない、となると、ケーブル・テレビかレンタル・ヴィデオか、という選択になります。

母が楽しそうに、カードを作り、安くDVDを借りてきた話をする姿を見て、やれやれ、よかった、と思いました。半額というのがすごく気に入ったようです!

思いましたね。閑で閑でしかたないのに、テレビをつけても「なにも番組がない」と感じている高齢者がたくさんいることに目をつけ、シルバー割引などというものをはじめたレンタル・ヴィデオ店は、ちゃんと時代を見ている、と。

それに対して、昼間のテレビ視聴人口のマジョリティーである高齢層を切り捨てたテレビ界は、時代が見えていません。貧すれば鈍するの典型で、知恵者がどこかに逃げてしまったのでしょう。命運尽きましたな。

あ、そうそう。Tカードをつくったのだから、Tポイントの説明もちゃんと受けてきたようです。「そこのコンビニでも使えるけれど、あまりいかないからねえ」などといっていました。

しかし、いまやポイントというのはそういうものではなく、第二の通貨になりつつあるわけで、ポイント交換によって、どこまでも広がっていく可能性が生まれています。いま、もっとも変化が激しく、興味深い分野ではないでしょうか。いまや、時代はテレビなどとはまったく無縁なところで動いているのです。

ウェブでポイント・サイトに登録して、などと老母に説明すると、こんどはPCを買ってネットで遊ぶなどといいだすかもしれないので(バナー・クリックのための時間をたっぷりもっているのは老人たちではないか!)、「コンビニだけじゃなくて、ほかにもいろいろ使い道はあるよ」というだけにしておきました。

だってそうでしょう? 母親にPCの使い方を教えるなんて、一大プロジェクトになっちゃいますよ!
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by songsf4s | 2009-10-21 23:57 | その他
Astaire the Drummer その2 『イースター・パレード』
タイトル
Drum Crazy
アーティスト
Fred Astaire
ライター
Irving Berlin
収録アルバム
Easter Parade (OST)
リリース年
1948年
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フレッド・アステア二本立ての後半、今日は『イースター・パレード』です。

これくらいの映画になると、タイトルをいっただけで、もう今日の記事は十分という気もするのですが、日本のアマゾンにはこの映画のDVDがないことがわかり、頭に血がのぼりました。ぜったいに品切れにしてはいけない映画20本には入るでしょうに!

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自分が生まれた国ながら、ほんとうにこの国とこの民族のことは理解できません。テレビに出ている人間を、うっかり「芸人」だなんて誇大な呼称で呼んでしまったせいで(どちらかというと「無芸人」というべき)、ほんとうの芸というものがわからなくなったのじゃないでしょうか。

いや、テレビなどという、すでに脳死、あとは心停止を待つばかりのメディアのことはどうでもいいのです。わたしがこだわるのは映画です。たとえば、鈴木清順はなぜ日活に馘首されたのか。さっぱりわからないことの代表ですよ。まあ、人間関係というのは面倒なものだし、あのとき、日活は赤字で半狂乱だった、ということにしておきましょう。

昔のことは水に流すとしても、でも、DVDはどうなっているんですか。自選ボックスのなんのとくだらないことをいっていないで、現存するものは選択せずにみなリリースしちゃえばいいんです。選択は客の仕事です。そんなこともわからないのだから、情けなくなります。木村威夫が、フィルムの褪色がひどいといっていましたが、ハリウッドなら、清順クラスの監督の重要な作品はディジタル・リマスターします。

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そんなこともできないのだから、まったく貧乏っていうのはイヤなものですな! 経済大国だなんていっていた時代がありますが、嗤わせてくれますよ。ディジタル・リマスターもできない国ですよ、日本国は。アニメに金なんか出す政府も愚者の集団です。金を出すべきものはほかに山ほどあるのに。

貧乏国には人類の財産である映画を保管する資格がありません。鈴木清順のネガはまとめてアメリカの会社に売りましょう。それで貧乏日活には金が入るし、われわれのほうは、いままで家では見られなかったものを、いい状態で見られるようになります。八方丸く収まる名案なり。できれば、木村威夫監修でリマスターをお願いしたいですな。パリッとした原色で『肉体の門』なんぞを楽しみたいものです。

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◆ アステア・ザ・ドラマー ◆◆
さて、アステア・ザ・ドラマーの2回目です。わたしごときがゴチャゴチャいうまでもない『イースター・パレード』なので、今日は控えめにいきます(と書いて、自分で笑っている)。まあ、ご覧あれ。先に1曲歌っちゃいますが、ここでご注目願いたいのは2曲目、オモチャ屋に入ってからです。

イースター・パレード ドラム・クレイジー


この映画には、ゾクゾクさせられるシークェンスがいくつも出てきますが、これがその第一打。はじめて見たときは、ここでドカーンと盛り上がって、そのままのノリで最後まで、うめえうめえと皿までなめるように見てしまいました。

細かいことをいうと、アステアの最初の数打は、トラップ・ドラムで本職が叩いています。アステアが叩いた音は使っていません。アステアの手足の動きに、きれいに音を合わせただけだということが、はっきりとわかります。

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しかし、途中から、アステアがオモチャのドラムを叩いている音をそのまま使っていると思います。こんな細部に至るまで、精確にシンクできるドラマーがいたら、それこそビックリ仰天です。それは考えられません。フレッド・アステアはドラマーとして十分な力量があるのだから、彼にすべてをまかせておけばいいのです。ミスした音だけ修正すればいいのです。

アステアの左手の握りは、教師についたら矯正されてしまうでしょうが、でも、野球と同じで、それでちゃんとヒットできるなら、構えなんてどうでもいいのです。ピート・ローズのスタイルは原則にはずれる、なんていって矯正したコーチはいないでしょう。

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『足ながおじさん』でも同じことを感じましたが、やはり、アステアは筋がいいですねえ。タイムがピシッとしています。もちろん、史上最高のダンサーなのだから、タイムが悪いなんてことは、ぜったいにありえませんけれどね。

◆ ちょっとだけ、アステア・ザ・ダンサー ◆◆
アステアのダンスには、いうまでもなく多面的な魅力があります。人によって好みは異なるでしょう。わたしの場合は、なによりも、アステアの身ごなしの優雅さに惹かれます。タイムが早く、拍を食ったら、ぜったいに「優雅な」印象を与えることはありません。タイムが精確だから、懐の深いグルーヴというか、懐の深い動きが生まれるのです。

有名なダンス・ナンバーはもちろんすばらしいのですが、わたしは、ささやかなダンス・シークェンスに惹かれます。たしか『バンドワゴン』に、夜の公園で、どこかから流れてくる音楽に合わせて、シド・チャリシーを誘って踊りはじめるところがありましたが、あのようなナンバーでのハイパー・スムーズな動きはじつにすばらしいもので、アステアにはだれも勝てないと確信します。

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そういう優雅な動きを裏づけているのが、きわめてすぐれたセンス・オヴ・タイムであり、それが、『足ながおじさん』やこの『イースター・パレード』のドラミング・シークェンスに表出しているのです。

いいナンバーがたくさんありますが、映像のつくりのほうでも有名な、I'm Steppin' Out with My Babyという曲があります。短いクリップが見つからず、以下は長いもので、後半にI'm Steppin' Out with My Babyが収録されています。曲としては、このI'm Steppin' Out with My Babyが、この映画のベストではないでしょうか。ブリッジの転調にアーヴィング・バーリンらしさを感じます。みごとなテクニック。



◆ ジュディー・ガーランドの芸 ◆◆
『イースター・パレード』はすばらしい映画で、全編魅惑のかたまりですが、もうすこしだけ「ソング&ダンス」に注目してみます。

ご存知ない方のために設定を説明しておきます。フレッド・アステア扮するショウ芸人のドン・ヒューズは、イースターの日に、パートナーの女性ダンサーに袖にされてしまいます。やけになったドンは、どんな人間だって、自分のパートナーに仕立てることができる、といって、たまたま目についた、ジュディー・ガーランド扮する酒場の踊り子ハナ・ブラウンをつかまえて、自分のパートナーにします。ここらは『マイ・フェア・レディー』のショウ芸人版といったおもむきで、ハナはヘマばかりやって、ドンをがっかりさせます。

この映画を見るまで、わたしはジュディー・ガーランドが好きではありませんでした。表情に険があって、やわらかさに欠けると思っていたのです。この映画の滑り出しでも、まだそう感じます。それがガラリと変化するのは――。



このクリップの2曲目、I Love Pianoはすばらしいの一言。劇中、内心でハナを馬鹿にしていたドンが、おや、と驚きの表情を示しますが、観客もここで、ハナのショウ芸人としての豊かな可能性に気づくという、じつに楽しい場面です。リハーサルから、本番のステージへとすっと入っていくところも、まさに映画的魅惑のエッセンス。

『ベニー・グッドマン物語』に、音楽があまりにもすばらしく、客が踊るのをやめてしまい、ステージの周囲に集まってくるシーンがありましたが、そういうエクサイトメントと同質のものが、このシークェンスにはあります。

不思議なもので、芸に惚れると、その向こうにいる人間にも惚れてしまいます。劇中、ドンがこのときからハナを女として見るようになるのと軌を一にして、われわれ観客もジュディー・ガーランドの虜になっていくわけで、その心地よい合一も、この映画の大きな魅力のひとつです。

最後に、この映画でもっとも好きなダンス・ナンバーをどうぞ。

We're A Couple of Swells


現実にこんな芸人コンビがいて、劇場でこれを見せられたら、どうにかなってしまうでしょう。動きの速い芸は一流半ぐらいの芸人にもうまく見せられるでしょうが、こういう、間と呼吸がものをいう芸は、超一流の人にしかできません。こういう芸を記録して、60年たってもまだ見られるようにしてくれるのだから、映画というのはすごいものだと思います。

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by songsf4s | 2009-10-18 23:56 | 映画・TV音楽
Astaire the Drummer その1 『足ながおじさん』
タイトル
Dream
アーティスト
The Pied Pipers
ライター
Johnny Mercer
収録アルバム
Good Deal, MacNeal
リリース年
1955年(盤は1945年リリース)
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この十日ほどで、久しぶりに映画を3本見たので、忘れないうちに書いておこうと思います。予定した日活映画はとりあえず棚上げにして、先にフレッド・アステアの戦後の映画を2本ご紹介します。今日は『足ながおじさん』です。

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戦後の、と断れば、すぐにおわかりの方もいらっしゃるでしょうが、『ジンジャーとフレッド』的な世界ではありません。カムバック以降の映画、しかも、今日の『足長おじさん』は「ダンサーとしての」晩年のものです。

足長おじさん 予告編


ついでにいうなら、たぶん、映画としての評価も高くはないでしょう。評論家が好まないタイプの「通俗的な」作品です。でも、わたしはこの映画を見て、そうであったか、と深く得心するところがありました。開巻まもなく、こういうシークエンスが出てくるのです。

足長おじさん 冒頭


この前に、ダンスをせず、ドラミングをするだけのショットがあって、ほんとうはそちらのほうをお見せしたいのですが、ふつうの人は「アステア・ザ・ダンサー」だと思っているわけで(当然だ!)、「アステア・ザ・ドラマー」に着目する人間は一握りなのでしょう、このクリップはダンスだけを切り出しています。

わたしはこれ以前に、フレッド・アステアが「太鼓」を叩くすばらしいダンス・シーンを見ていましたが(そちらは次回取り上げる予定)、こちらはフルセットのトラップ・ドラムですからね、へへえ、やるじゃないの、でしたよ。

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いや、まあ、メル・トーメのような、本職が裸足で駈けだすようなドラミングなんてことはありませんが、雰囲気があります。ここでいう雰囲気というのは、「打席に立ったときに雰囲気がある」というのと同じ用法なので、お間違いなきよう。非常にいい素材で、若いころから鍛えれば一流になったであろう、という印象を与えるのです。

◆ ドラマー、ダンサー、そしてボクサー ◆◆
思いだすのはアール・パーマーです。伝記を読めばわかりますが、アールは子どものころ、タップ・ダンサーとして、母親といっしょにステージに立っていました。彼自身の主張によれば、ライヴァルはサミー・デイヴィス・ジュニアただひとりというくらいの売れっ子だったそうです。

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そんな話をしようと思ったわけではないのですが、いま、ふと勘定してみたら、フレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズを相手につぎつぎと映画をヒットさせていたころ、アールは少年タップ・ダンサーとして南部のサーキットをまわっていたことになります。アステアのことをどう思っていたのか……。

一流ダンサーと一流ドラマーは、共通の資質をもっているのでしょう。タイムの悪い一流ダンサーはいないにちがいありません。「運動神経」と「運動能力」という言い方をするなら、どちらも同じ種類の運動神経が司る能力なのでしょう。あとは、その人の運動能力の種類によって、ダンサーになるか、ドラマーになるか、あるいはボクサーになるかが決まるのでしょう。

f0147840_23532565.jpgいいボクサーは音楽的に動きます。バディー・ハーマンやハル・ブレインが学んだ、シカゴのロイ・ナップ・パーカッション・スクールでは、何人かのボクサーが学んでいたそうです。ドラミングとボクシングの体のコントロールは共通のものなのだそうです。呼び方を忘れましたが、四肢を協調させながら、それぞれ別個にコントロールする能力が要求されるという点で、ドラミングとボクシングはおなじものだというのです。

というように、アステアのドラミングとダンスを見ていて、いろいろなことを考えたので、世評はどうであれ、わたしはこの『足長おじさん』という、たあいのない夢物語が気に入りました。

たしかに、アステアのダンスにはかつてのようなダイナミズムはありませんが、このとき、彼は五十六歳ですからね。五十六でこれだけやわらかい動きができるのは、やはり驚異です。ふつう、あんな風には関節が動きません。まあ、そろそろ限界だと自覚していたのでしょうけれど。

◆ Dream, when you're feelin' blue ◆◆
この映画の音楽クレジットは複雑で、映画館で見た人は読み切れなかったでしょう。まず、大きくひとりだけクレジットされる人は……。

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ジョニー・マーサーといえば作詞のほうで有名ですが、この映画では曲も書いています。しかし、ジョニー・マーサーはソングライターですが、映画音楽ではそれ以上のものが要求されます。そういう面を担当したのは……。

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アルフレッド・ニューマンだから、当然、20世紀フォックス製作だとおわかりでしょう。アレックス・ノースが1曲書いていますし、オーケストレーターは5人、そのうちの一人はビリー・メイです。ハードコアなミュージカル・ファンは、20世紀フォックスのミュージカルなど洟もかけないかもしれませんが、これはなかなか豪華なスタッフで、じっさいにできあがった音も楽しめます。

いろいろ楽しい音楽はありますが、でも、やはり、しみじみと「いいなあ」と思うのは、失意のレスリー・キャロンが大学の寮で聴く、パイド・パイパーズのDreamです。映画からのクリップではありませんが、その曲をどうぞ。

パイド・パイパーズ Dream


1945年の大ヒットで、パイド・パイパーズにとっても、「作曲家ジョニー・マーサー」にとっても代表作といっていいでしょう。なんで、十年もたってからこの曲を使ったのか、そのへんはよくわかりませんし、そもそもジョニー・マーサーが中心になった理由もよくわかりません。

でもまあ、総じて音楽は平均以上の出来で、楽しめたのだから、けっこうです。ダンス・パーティーのシーンなどで演出が間延びして、やっぱりMGMじゃないからな、と思ったりもしますが、万事めでたくおさまると、よかったよかったと思うわけで、そういう風に単純に楽しめる映画というのは、じつにありがたいものだと思います。

次回も、「アステア・ザ・ドラマー」を予定していますが、肝心の映画をまだ見ていないので、大丈夫かな、と心配しています。

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by songsf4s | 2009-10-17 23:55 | 映画・TV音楽
Dance Band on the Titanic by Matthew Fisher
タイトル
Dance Band on the Titanic
アーティスト
Matthew Fisher
ライター
Matthew Fisher
収録アルバム
A Salty Dog Returns
リリース年
1990年
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順番からいうと、今回は4枚目のStrange Daysになるはずなのですが、このアルバムはなにかものが云えるほど聴きこんでいないので、5枚目のA Salty Dog Returnsへとジャンプします。

しかし、このアルバム、ジャケットからしていかにもチープで、なんだか場末に入りこんじゃったなあ、という雰囲気です。タイトルはプロコール・ハルムのサード・アルバムからの借り物、フロントの上部にはProcol Harum Founderだなんてよけいなことまで書いてあって、ひどく意気阻喪させられました。

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Matthew Fisher "A Salty Dog Returns"

しかし、見かけによらないのは人間ばかりではありません。CDだってそうです。マシューの5枚のアルバムで、最初に聴いた瞬間から「これはいい」と思ったのは、このA Salty Dog Returnsだけです。

という言い方ではやや語弊あり、かもしれません。長く盤漁りをしていると、盤のすがたを見ただけで、ある程度は出来の予測をつけてしまいますが、A Salty Dog Returnsはまさにそういう予測が通用するようなタイプの盤です。デザイン同様、中身もまったく金がかかっていないのです。プレイヤーはマシュー・フィッシャーのみ、スタジオは自宅という、例のパターンです。当然、ドラムをはじめ、多くの楽器は打ち込みです。

しかし、どういうわけか、わたしは最初からこのアルバムが気に入りましたし、いまでもときおり引っ張り出しています。ひどい外見のせいで、いっさい期待しなかったことが、かえってよかったようです。よろしければオープナーをお聴きあれ。

サンプル Dance Band on the Titanic

f0147840_22365231.jpgこれまでの4枚とちがって、このアルバムはオープナーの出来がよく、しかも、それがたちどころに判断できるつくりになっています。どのアルバムもドラムが嫌いなタイプだったので、このアルバムの打ち込みドラムを聴いて、胸をなで下ろしました。こっちのほうがマシです。

マシューのドラム・アレンジもわるくありません。クラッシュ・シンバルの使い方にはセンスを感じます。シークェンスしても、当然、その人のセンスがあらわれます。フィルインだって悪くありません。彼がどういうドラミングを望んでいたか、よくわかりました。プレイヤーの選択をまちがえたために、好みとはちがうところにいってしまったのでしょう。

◆ ギタリスト ◆◆
これはインストゥルメンタル・アルバムなのですが、へえ、と思ったのは、ひとにぎりながらギター・インストが収録されていて、しかも、その出来がわるくないのです。

サンプル A Whiter Shadow of Pale

またまた、つまらない語呂合わせのタイトルのせいでゲテものに見えてしまいますが、タイトルが暗示するとおり、シャドウズ風の曲なのです。

f0147840_22374293.gifプロコール・ハルム時代から、マシューはときおりギターを弾いていましたが、リードをとるわけではなく、アコースティック・リズムだったので、これを聴いて、ちょっとビックリしました。テクニカルではないものの、ムードはきちんとつくっていて、そのへんはさすがです。ベースまでジョン・ロスティル風になっていて、凝っているなあ、とニコニコしてしまいました。遊びではありますが、でも、立派に遊んでいます。

他のトラックを駆け足で。

Rat Hunterは、Deer Hunter風のアコースティック・ギター・インストです。もちろん、Deer Hunterのジョン・ウィリアムズのテクニックはマシューにはありませんが、この曲でもきちんとそれらしいムードをつくっています。

G-StringとPeter Grumpは、後者のタイトルが暗示しているように、クライム・ドラマのテーマ音楽という雰囲気の曲であり、サウンドづくりです。意識したのかどうか、アート・オヴ・ノイズのPeter Gunnのカヴァーをちらっと思い起こしたりもします。

Sex and Violenceも同様のムードのギター・インストで、中間部のシンセ・ソロはいらないと感じますが、しかし、ギター・インストとしてはなかなか好ましい曲です。ほんとうにシャドウズ・ファンなのでしょう。年季が入ったパスティーシュづくりをしています。

以上、5枚目はまったく評判にならずに消えていったアルバムですが、わたしはおおいに楽しみました。まあ、どうしたってマイナーな世界になってしまって、評判にならなかったのはやむをえないとは思いますがね。

そして気づいたのですが、このアルバムを聴いているとき、わたしはマシュー・フィッシャーに、もうハモンドを期待していませんでした。ピアノの曲も、ギターの曲、けっこうじゃないの、と楽しんだのです。お互い、過去の亡霊から解放されるのはすがすがしいものです。
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by songsf4s | 2009-10-16 23:51 | その他
『東京流れ者』訂正

先日もちょっとふれた木村威夫の『映画美術』を読んでいて、あちゃあ、と叫びました。

『東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その1)』という記事の写真キャプションで、「『東京流れ者』では、渡哲也が赤坂の事務所から外を見る(上)たびに、葉を落とした立木とその向こうの東京タワー(下)が見える」と書きました。

ところが、『映画美術』の『東京流れ者』に関する章で、木村威夫と聞き手の荒川邦彦はこういう対話をしているのです。

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TBSタワーだそうです! いやはや。赤坂には土地鑑がない、というか、子どものころ、あのへんをうろうろしたことはなく、仕事でしばしば行くようになったのは1980年代のことなので、そんなものがあるとはまったく知りませんでした。そもそも、映画のショットを見直してくださいな。

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こんなショットでは東京タワーと誤解しても無理はないでしょうに。木村威夫の『映画美術』に収録されたスティルを見れば、疑いが生じるのですけれどね。

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たしかに、これを見ると東京タワーではありません。でも、映画ではこういう縦長のショットにはなりませんからね。鈴木清順=木村威夫に「だます」意図があったのだとしたら、わたしはコロッとやられてしまったクチです。木村威夫は、「東京タワーの偽物」という意図はない、たんなるTBSタワーのショットにすぎない、勘違いするほうがおかしいのだ、といっていますが。

荒川邦彦がこの対話でこだわっているのは、あの映画にはほんものの東京タワーのショットがあったはずだ、それが鈴木=木村コンビの詐欺の餌撒きであり、のちの「偽物の東京タワー」を本物と思いこませるための伏線だったのではないか、ということです。

f0147840_2329796.jpg

たしかに、荒川邦彦のいうとおり、わたしも冒頭でこのショットを見たせいで、「TBSタワー」を見たときも、なんの疑いもなく東京タワーだと思いました。

しかし、木村威夫は、そんなことはない、たまたまあの枯れ木のことを知っていて、その向こうにTBSタワーがあり、その組み合わせで撮っただけだ、といっています。つまり、だいじなのは枯れ木のほうであって(あの木に決まるまでに手間取ったといっている)、タワーではないというのです。

たぶん、じっさいに起きたことは、木村威夫の記憶の通りなのでしょう。でも、『東京流れ者』は『望郷』と縁戚関係にある映画であり(『赤い波止場』を経由した間接の関係かもしれないが)、やはり『望郷』の親戚である『紅の流れ星』に出てくる首都高の回数券のような、故郷を思うよすがが必要です。だから、渡哲也扮する「不死鳥のテツ」がふと見上げる視線の先に、つねにあのタワーがあると、だれだって東京タワーだと思います。鈴木清順がそのことを意識していなかったとは思えないのですがねえ。

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いやはや、人間の視覚というか、認知機能というのはじつに当てにならんものですなあ。観念が先行して、『東京流れ者』というタイトルに、赤白に塗り分けたタワーが出てくれば、裸の目で観察し、判断することは放棄して、即座に「東京タワーである」と決めつけてしまうのです。

いつも肝に銘じているのですよ。他人の意見はまったく無用無益、自分の耳で聴き、自分の考えにしたがって、自分の言葉で書く、それ以外に音楽を聴き、語る方法は存在しない、とね。

もちろん、映画だってそうでなくてはいけないのです。自分の目で見、自分の耳で聴き、自分の頭で考えなければ、たとえ吹けば飛ぶようなウェブの記事であっても、一語たりとも書くべきではありません。であるにもかかわらず、その自分の頭が完全な機能停止状態になるケースがあることを、この「偽の東京タワー」は証明しているのです。

こういう陥穽がそこらじゅうにあるのだ、音を聴くときも、絵を見るときも、それを忘れてはいかんぞよ、という鈴木清順=木村威夫コンビの親切な忠告なのだと思っておきます。


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映画美術―擬景・借景・嘘百景
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by songsf4s | 2009-10-14 23:48 | 映画