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武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト その4(OST 『長屋紳士録』より)
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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当家では小津安二郎の『長屋紳士録』の話の始末がつけられず、散歩ブログでは「隣の猫町」が宙ぶらりん、黄金光音堂ではレス・ポール追悼が中途半端、これだけ遊んでいる糸があると、あっちこっちで「お祭り」になって、収拾がつかなくなります。

そもそも、いまはレス・ポールの追悼で忙しいからと、本来ならきちんと書かなければいけないラリー・ネクテルのことは、過去の記事をご参照願うだけでそそくさと焼香をすませてしまったため、香典を出し忘れたような恥ずかしさがあります。

まだあるんです。これは手をつけていないのだから、なかったことにしてもいいのですが、ほんとうは、黄金光音堂は60年代ビキニ・ムーヴィー大特集に突入の予定で、準備万端整え、すでにMustle Beach Partyは途中まで見ていたのです。『パーム・スプリングの週末』だってちゃんとあるし、サントラ盤もそれなりに準備できていたのです。

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ところが、そこにレス・ポール死すの知らせがあり、ああ、やんぬるかな、てえんで、用意したパーティーのごちそうと飲み物はみな捨てるハメになったのです。そういうことがあると、明智光秀だって謀反を決意しちゃうわけで、このところ、抑鬱状態なのでありますな(武田滅亡後、信長は家康を安土に招いて大饗宴を開くことになり、その接待役を仰せつかったのが光秀。ところが光秀は信長の勘気にふれて接待役解任、不要になったパーティーのごちそうを腹立ちまぎれに壕に捨て、それが腐ってまた信長が激怒、で、その数日後に本能寺の変という順序)。

かがり結びをしておかないと、糸がほつれるので、First-in First-outでいくことにしました。中途半端になっているものを先に片づけ、しかるのちに、to-dosリストに手をつけます。したがって、本日は『長屋紳士録』の最終回です。日暮れて道なお遠しですが、万歩計をポケットに一歩一歩あるきます。

◆ 「いつものでよろしく」 ◆◆
伊藤宜二だったか、斉藤高順〔たかのぶ〕だったか、小津映画のレギュラー作曲家がいっていましたが、こんどはどうしますか、ときくと、小津は「いつものでよろしく」といったそうです。事前の注文はとくになかったというのです。

こういうのはいろいろ解釈ができます。お前はプロなのだから、ちゃんと仕事をすると信じている、というのがひとつ。「溝口タイプ」と呼びましょうかね。

依田義賢がいっていたのだと思いますが、「どう書き直しましょうか?」とお伺いをたてると、溝口健二は、「脚本家はあなたでしょう。あなたが考えなさい」としかいわなかったそうです。すべてこの調子で、各人が全力を尽くせばそれでよろしい、細かいことは担当の人間の領分である、自分は監督なのだから、取捨選択をするだけだ、というわけです。思うに、宮川一夫があれだけの仕事をできた背景には、こうした溝口の考え方があったにちがいありません。

ただ、小津の場合、溝口とは大きく異なるニュアンスを感じます。戦後の小津映画のほとんどを撮った厚田雄春は、自分は「キャメラマン」ではなく、「キャメラ番」だと繰り返しいっています。小津の望むとおりの絵を、小津の望むとおりのやり方でフィルムに定着しただけであって、自分が絵をつくったことはない、というのです。もちろん謙遜ですが、でも、川又昂の回想などを読むと、たしかに、小津がファインダーをのぞいている時間は長かったようです。

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画角を調整し、小道具の位置を直し、ライトを変えては、そのたびに小津がファインダーをのぞき、よし、とお許しが出て、やっとフィルムがまわったといいます。これは溝口とは正反対の行き方です。小津は撮影部で修行を積んでから監督部に移ったそうですが、そういうこととは無関係に、自分のつくるもののすべてをコントロールしたがるタイプだったと思われます。

そういう人が、音楽だけは「いつものでよろしく」というのは、どういうことなのでしょうか。ふつうに考えれば、もっとも蓋然性が高いのは、「音楽のことはわからなかった」です。そうなのかもしれませんが、いまは結論をあずけて、先に進みます。

◆ 黒澤明と作曲家 ◆◆
小津と同じように、すべてを自分でやりたがる黒澤明は、音楽についてもものすごくうるさく、はじめから絵と音をセットで考えていたことは、さまざまな本に記録されています。スタンリー・キューブリックによく似ていて(『2001年宇宙の旅』その1およびその2をご参照あれ)、黒澤も既存のクラシック・ミュージックを填めこんでフィルムをつないでいったそうです。

f0147840_23563933.jpg黒澤映画の音楽というと、まずなんといっても早坂文雄、その弟子である佐藤勝、佐藤の相弟子のような位置にあった武満徹、という三人が思い浮かびます。このあいだ、図書館で借りてきた野上照代『天気待ち 監督・黒澤明とともに』には、この三人がそれぞれに黒澤とぶつかったときの様子が描かれています。

もっとも穏やかで、ほとんど衝突しなかった(つまり、つねに一歩譲ったということだろう)早坂文雄ですら、悄然としてしまったことがあるほどで、武満徹は黒澤の批判に怒り心頭に発し、無言でスタジオを去ったことがあるそうですし、佐藤勝にいたっては、『影武者』のときに静かに身を引き、以後、黒澤映画にかかわることはなかったといいます。

それもこれも、すべては「音楽のわかる映画監督」という、それだけですでにしてこの世で最悪の人格結合に、さらに「天皇」などといわれるほどの巨大なエゴが融合し(いや、黒澤の理解者は、あれはエゴなんかではない、映画作りの本旨に忠実なだけだというし、黒澤自身も、我を通しているのではない、という趣旨の発言をしているが)、キングギドラ並みの破壊力をもったことに由来するのです。

まあ、しかたないですねえ。我慢するか、ケンカするか、それはその場の成り行きでしょう。いろいろあっても、佐藤勝だって印象深い音楽をたくさん残していますし、武満徹も、あのときは謝罪して仕事に戻ってよかったと、あとで振り返ったのではないでしょうか。複数の人間がものをつくるというのは、程度の差こそあれ、エゴの衝突の集積以外のなにものでもありません。

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◆ 実景つなぎ用キュー ◆◆
いや、小津安二郎と音楽の話だったのに、黒澤明に飛んでしまいました。

黒澤明は音楽が好きで、いろいろなものを聴いていたそうですが、小津安二郎にはそういう形跡はありません。黒澤映画にくらべて、小津映画は音楽が退屈だという評者もいます。わたしも、そうかもしれないなあと、なかばそういう意見に傾いていました。いや、『晩春』のテーマのように、すごく好きな曲もあるのですが、音楽の比重は比較的小さいと考えるようになったのです。

しかし、とくに『彼岸花』以降の晩年のカラー作品にはっきりとあらわれることですが、例の「実景による場面転換」の音楽にある傾向が見られるようになります。

いや、そのまえに、これまでの記事で書いてきた、「実景による場面転換」のことを繰り返しておきます。『長屋紳士録』その2で書いたように、小津安二郎は、ディゾルブやワイプのようなつなぎの技法は使わず、場面転換の際には、実景(人のいない風景などのショット)を三つ四つ積み重ねました。前記記事に『秋日和』冒頭のショットのつなぎを書いておいたので、そちらをご覧あれ。

で、このような実景による場面転換を、『晩春』以降、小津の編集助手をつとめた浦岡敬一は「場面転換にはオーバー・ラップなどの編集技法を使わずに、実景を三つ四つほど重ねて、音楽をブリッジする」と表現しています。「音楽をブリッジする」という表現を正確に解釈できませんが、この数ショットにわたって同じ音楽が流れていること、ショットを音楽で串刺しにすることをいっているのだろうと想像します。

その実景のつなぎの音楽を聴いていて、ああ、そうか、と思いました。しばしば、速めのテンポの2ビート系の軽快な音楽が使われているのです。斉藤高順は試行錯誤の結果、小津の好みはここにある、と突き止めたのではないでしょうか。

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『東京暮色』記念写真。後列左から3人目が斉藤高順。

この2ビートというのは、いわば黒澤の対極なのです。2も4も8も、黒澤のスコアはあまりビートには縁がなく(縁があるところはきわめて印象的で、『天国と地獄』や『野良犬』をいずれとりあげたいと思う所以である)、どちらかというと、複雑かつ高踏的音楽が主になっています。

それに対して、小津映画の音楽、とくに実景によるつなぎのショットには、きわめてシンプルな、まるで唱歌のようなものが使われているのです。そして、それはしばしば2ビート系だということは、注目していいことではないでしょうか。

◆ メロディー対ビート ◆◆
「注目」で逃げるのもなんなので、当てずっぽうを書いておきます。小津はメロディーよりもリズムに強く反応した、2ビートの実景用キューを提示したとき、斉藤高順は小津の反応を観察し、これだ、と確信を得た……以上がわたしの当たるも八卦当たらぬも八卦の世紀の大臆測であります。小津は唱歌のようなメロディーを愛したわけではない、はじめからメロディーに関心はなかった、そうではなく、オン、オフ、オン、オフ、という明快なビートを愛したのだ……というあたりではないでしょうかねえ。

たいした根拠はないのですが、多くの映画監督、いや、そればかりでなく、観客の大多数も、映画をシンフォニックなものととらえているような気がします。黒澤明は、そういう映画人の代表ではないでしょうか。黒澤映画はメロディックであり、山あり谷ありのカラフルなドラマです。

それに対して小津安二郎は、映画をロックンロールないしはファンク・ミュージックのようにとらえていたのだと思います。もっとも重要なのは、メロディーではなくビートであり、オン、オフ、オン、オフ、という心臓の鼓動のような、ステディー・ビートの確かな手応えを妨げる、カラフルでメロディックな要素は、すべて排除していった結果、ああいうスタイルが確立されたのだとわたしは考えています。


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by songsf4s | 2009-08-29 23:58 | 映画・TV音楽
レス・ポールおよびエリー・グリニッジ・リファレンス

今日は心づもりとしては、黄金光音堂のほうでレス・ポール追悼の5、猫ブログでわが家の茶髪猫の習性(彼女のテーマ・ソングはAll Along the Watchtowerで、おまえはいつも、princess kept a viewだな、と笑っている)、当家でエリー・グリニッジの追悼をやるはずだったのだから大笑いです。しかも、小津映画の残りも「週末には」なんていっているのだから、呆れます。

はっきりいって、ひとつもできませんでした。かわりに、過去の後始末と今後の準備として、久しぶりにサンプルをあげておきました。

レス・ポール・トリオ サンプル1 Melodic Meal
レス・ポール・トリオ サンプル2 Stompin' at the Savoy

以上は、FC2ブログで現在進行中のレス・ポール追悼の参照ファイルです。ギターが好きで、戦後のニュー・レス・ポール・トリオを聴いたことのない方には、ぜひ、とおすすめします。のけぞったり、ひっくり返ったり、七転八倒驚天動地前代未聞プレイの連発です。

8月31日追加

ビング・クロスビー&
レス・ポール It's Been a Long Time


これまたすでに黄金光音堂のレス・ポール追悼で取り上げたトラックです。二人ともシンガーとして、ギター・プレイヤーとして、おそるべきテクニックの持ち主ですが、この曲はテクニックのショウケースではなく、しみじみとしてしまうタイプです。いや、スロウな曲をやっても、やっぱり、うまさがにじみ出てしまいますが。

以上は復習、つづいて予習。エリー・グリニッジ関連です。いずれ記事のなかでまた持ち出すので、いま焦って聴くことはございませんがね。

エリー・グリニッジ(とジェフ・バリー)作 レスリー・ゴア歌 サンプル1
 Maybe I Know
エリー・グリニッジ(とジェフ・バリー)作 レスリー・ゴア歌 サンプル2
 The Look of Love (original)
エリー・グリニッジ(とジェフ・バリー)作 レスリー・ゴア歌 サンプル3
 The Look of Love (overdubbed Christmas mix)

と書いてから、Box.netではなく、Mediafireのほうにアップロードしたことに気づきました。なんたるマヌケ! 時間がないのでこのままにします。Mediafireはストリーミング不可なので、DLしてください。

つづいて、こんどはほんとうにBox.netのほうなので、ストリーミングで、というのがお約束です。

バタフライズのGoodnight Baby
エリー・グリニッジのGoodnight BabyとBaby I Love Youのセルフ・カヴァー
エリー・グリニッジのYou Don't Know
レインドロップスのThe Kind of Boy You Can't Forget

エリー・グリニッジ追悼記事の腹案はまったくないのですが、Be My Babyのカヴァーは、うちにあるものを聴くかぎり、エリー自身のセルフ・カヴァーを含め、まじりっけなしの純粋ゴミばかりなので(しいていうと、サーチャーズ盤だけは、割るほどはひどくないが、一生聴かなくてもまったく差し支えない程度にはひどい。アンディー・キムに至っては、「いまからでも遅くない、あのドラマーを殺しに行こう」と思い立ったが吉日になってしまう)、そっちにいくのは不可、じゃあ、どこへいくか、となると、レスリー・ゴアやジェリービーンズやバタフライズなんてあたりが浮上してくるわけですな。ジェリービーンズですぜ。Do you follow me?

いやまあ、書かないうちに書いたようなことをいうのは大間違いのコンコンチキで、いざとなったら、マイ・ベイビー・ダーズ・ア・ハンキーパンキーなんて歌っているかもしれませんが、その線はまずないでしょう。そっちの方面なら、Doo Wah Diddy-Diddyのほうが百万倍好きです。

以上、予告予告でごまかしの日々かな、あな哀し。まるで選挙宣伝のごとき実質の欠如に慚愧でありまする。政治屋と同じレベルにまで墜ちたら、もう人間としてどん底なので、なんとか公約の一部でも守れるようにしようと思っています。とりあえず、レス・ポールを結末までもっていかないとなあ!
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by songsf4s | 2009-08-28 23:54 | 追悼
ラリー・“プリンス・ヴァリアント”・ネクテル死す

ドゥエイン・エディーのレベル・ラウザーズのツアー・メンバーとしてスタートし、60年代にはハリウッドのスタジオ・エースとして、フェンダー・ベースやキーボードで活躍し、70年代以降はブレッドに加わったラリー・ネクテルが没したそうです。

はじめて、ハリウッドのスタジオには「ハウス・バンド」のようなものが存在し、八面六臂の大活躍をしているのだということを明かした、(たしか1969年の)地元紙の記事は、ハル・ブレイン、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルというトリオを写真付きで紹介していました。

だから、「狭義のレッキング・クルー」はこのトリオによるリズム・セクションを指した、と言っていいように思います。もっとも、ハルの定義ではもっとはるかに大所帯で、ホーン・セクションまでふくめたフルスケールのビッグ・バンドなのですがね。

ラリーが没したために、いってみれば、これでオリジナル・レッキング・クルーのリユニオンは物理的にありえなくなったことになります。60年代音楽は現実ではなく、幻想の領域に入りこんだような気すらします。

考えても、書くべき言葉は思いつかないので、このへんにしておきます。

ラリー・ネクテルについては、当家では何度も触れているので、気になる方は右の検索ボックスに「ネクテル」なんていうキーワードを入れてみてください。おそらく、もっともくわしく書いたのは、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreの記事でしょう。

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“プリンス・ヴァリアント”ことラリー・ネクテル。背後のドラマーはハル・ブレイン、楽器はオクトプラス・セット。なぜプリンス・ヴァリアントと呼ばれたかは下の絵をご覧あれ。

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プリンス・ヴァリアントというのは大昔のコミックの主人公。直訳すれば「勇猛王子」あたりだが、小津の突貫小僧に倣って「突貫王子」なんてのもいいかもしれない。いや、よけいな話はともかく、おかっぱの髪がラリーにそっくりで、あだ名の由来は一目瞭然。

◆ 関係ない四方山話 ◆◆
ところで、この記事を書いていた2009年8月26日23時30分ごろ、わたし宛にメールを送った方がいらしたら、恐れ入りますが、再送してください。ちょっとしたミスで、読む前に削除してしまいました。平伏陳謝。

当家のお客さんであるOさんに教えていただいた海外ブログを隔日ぐらいでチェックしているのですが、これがすごく面白いというか、ときおりビックリしています。URLを書けなくて申し訳ないのですが、ほんとうにすごいのですよ。

最近、「へえ」といってしまったのは、どこの国の人か知りませんが、日本人ではなさそうな人が、加山雄三が聴きたいなどといっていらしたことです。そうか、伊福部昭がスコアを書いた映画の同時上映は若大将ものだったな、なんて妙な納得のしかたをしてしまいましたよ。

わたしは『若大将トラックス』という映画から切り出したトラックを集めた盤はもっているものの、ふつうのものはもっていなくて、脇からベスト盤を聴かせて貰ったのですが、ちょっとした感懐がありました。

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子どものころ、いいなあ、と思ったのは、インストではもちろん「ブラック・サンド・ビーチ」、歌ものは「夕日赤く」と「旅人」でした(ビリー・ストレンジがリードをとったのではないかと思われるヴェンチャーズの「夕日赤く」はすばらしい)。

ベスト盤を聴いて「へえ」と思ったのは、タイトルは忘れても、音が流れれば、ほとんどの曲を知っていたことです。ついでにいえば、加山雄三かあ、と思って口をついて出たのは「夜空を仰いで」の「君のいない砂浜はさみしいぜ」のラインでした。嗚呼意外哉!

弾厚作=加山は、コードの使い方のうまい、もっと具体的いえば、アメリカのポップ・ソング的なコード進行を好んだ作曲家であり、それがわれわれ子どもにとってはおおいなる魅力だったのだということを確認しました。小林信彦が加山雄三をボロクソにこき下ろしたのはいいとして、弾厚作の才能は甘く見るべきではなかったと思います。

しかし、記憶のない曲もあります。その代表は「二人だけの海」。これは「わっはっは」でした。Be My Babyなのです。だれでもみんな、一度はフィル・スペクターをやってみたくなるのでしょう。気持はよくわかります。

それから、たいていの曲で、ドラム、ベースがうまいので、安心して聴けます。ブルージーンズの人がプレイした曲があるのでしょうか。ワイルドワンズが映画では共演していましたが、録音ではそれはないんじゃないでしょうかねえ。あのドラマー、安定していましたっけ?

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だんだん、前後のつながりのない箇条書きに落ち込みつつありますが、わたしが『若大将トラックス』を買った目的は明快でした。どの映画だったか、テープに録音したものに合わせて、加山がひとりでハモるというシーン、つまり、ダブル・トラック・レコーディングを映画のなかでやってみせるのを後年見て、ドッヒャーとのけぞったのです。若大将シリーズのごく初期の一本です(どなたか、タイトルがおわかりになるなら、ぜひご教示ください)。ところが、これは盤にはなっていなかったのです。

『若大将トラックス』は映画からのものなので、この前代未聞のダブルトラック実演場面の音楽が入っているだろうと思ったのです、ところが、これが大はずれ、入っていなかったのです。

いまは年をとったから冷静に書いていますが、なんという不見識、若大将シリーズからなにか音楽を切り出すとしたら、あの曲がいの一番ではないか、どこに耳をつけているのだ、ドアホと怒りまくりました。なにしろ安くない盤でしたからねえ。3000円ですよ。金返せ>ファンハウス。いえ、このあいだ、仇をとってやったから(まあ、江戸の仇を長崎でとるのたぐいだが)、もういいのですがね。

最後の箇条書き項目。かつて「夕日赤く」がなにかのいただきではないかと非難されましたが(Red Sails in the Sunsetか?)、いまになると、この曲の魅力が奈辺にあるかは明らかで、くだらねえこというな>芸能誌と、出し遅れ怒りをしています。このトラックのポイントは、リヴァーブの深さ、加山のヴォーカルのダブル・トラック、リードギターのサウンド(モズライトか)という組み合わせにあるわけですよ。

サウンドを無視して、楽曲だけでどうこうというのは、もの知らずというものです。楽曲だけでいいなら、わたしが自分で弾くギターだけをバックに歌ったものでもいいことになってしまいます。スタジオの音楽というのはそういうものではないのです。総合力の勝負なのです。

いつもの話の繰り返しになったところで、本日はおしまいです。小津の続きはどうなったかって? しばしお待ちあれ。週末にはなんとかしようと思っています。
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by songsf4s | 2009-08-27 00:38 | 追悼
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト その3(OST 『長屋紳士録』より)
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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前回引用した、編集者の浦岡敬一による小津映画に関する分析を繰り返しておきます。お読みになった方ももうお忘れでしょうし、はじめての方も前の記事に戻るのは面倒でしょうから。

「その実景の秒数は、七フィート、ジャスト。一コマたりとも違わない。しかも、ダイアローグ・カット、つまり、会話の部分はすべて台詞尻十コマ、頭六コマで切れている。これはどういうことかというと、Aの人物が話し終わって十コマ間があき、つぎの人物が話すまでに六コマの間があくということなんです。その間はつねに十六コマ、つまり三分の二秒、間があくということです」

本日はおもにこの後半、「ダイアローグ・カット」についてです。しちくどくなりますが、浦岡敬一の言葉を噛みくだいて書き直しておきます。

小津映画ではおなじみの二人の人物の会話を、切り返してみせるパターンに、この「台詞尻十コマ、頭六コマ」のリズムが明白にあらわれます。

たとえば、こんなぐあいです。

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佐分利信が話し終わってから十コマのあいだこのショットがつづく。

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原節子のショットに切り替わっても、台詞がはじまるまでに六コマ進む。

「台詞尻十コマ」というのは、佐分利信の台詞が終わってから、そのショットのまま十コマ分いく、という意味です。「頭六コマ」というのは、つぎの原節子のショットに切り替わってから、台詞がはじまるまでの無音が六コマつづく、という意味です。だから、佐分利信の台詞の最後と、原節子の台詞のはじまりとのあいだに、合計で十六コマ=三分の二秒間の無音部分がある、ということになります。

この点をご理解いただいたものとして、話をつづけます。

◆ 会話のグルーヴ ◆◆
驚くべきは、浦岡敬一の分析では、小津はどんな場面でもこの三分の二秒間の無音を貫いたということです。もちろんわれわれは、十六コマ、三分の二秒間というものを、感覚で正確に計測することはできません。

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浦岡敬一

でも、浦岡敬一もいうように、これが何度も何度も繰り返されると、そこに一定のリズムがあることを、無意識のうちに、自然に感じるものです。音楽を聴いていて、ドラマーのうまい下手はわからなくても、全体のグルーヴを無意識のうちに感じ、この音楽は気分がいい、とか、なんだかギクシャクしていて気持ちが悪い、といったことを判断できるのと同じです。

この「小津の十六コマ」は昭和24年の『晩春』で確立されたのだと思います。浦岡敬一も、すでに脚本作りの段階から、このリズムははじまっている、だから、これだけを模倣しても「小津調」にはならない、と指摘しているからです。つまり、戦後、小津が野田高梧とはじめて組んで、シナリオを書きはじめた『晩春』から、あのスタイルが登場するのだと考えていいことになります。

◆ 言葉のステディー・ビート ◆◆
小津安二郎と野田高梧が書く会話は、まだ俳優の口にのらない文字だけの段階で、すでにステディー・ビートの感覚をもっています。『晩春』の竜安寺石庭のシークェンス、笠智衆と三島雅夫の対話を引用します。

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三島「しかし、よく紀ちゃん遣る気になったねえ」
笠「(ほとんど聞こえないほどの低声で)うん」
三島「あの子ならきっといい奥さんになるよ」
笠「うん……もつんなら、やっぱり男の子だよ。女の子はつまらんよ。……(鳥のさえずり)……せっかく育てると嫁にやるんだから」
三島「うん……」
笠「行かなきゃ行かないで心配だし、いざゆくとなると、やっぱりなんだかつまらないよ」
三島「そらあしようがないさ。われわれだって育ったのを貰ったんだから」
笠「そりゃあまあそうだ」
二人「はっはっはは」

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映画の台詞にかぎらず、書き言葉までふくめて、日本語のリズムを決定する大きな要素は語尾です。二人の人物の対話においては、語尾がよりいっそう重要になります。有能なフィクションの作り手はみな語尾に神経をすり減らしているにちがいありません。

◆ 精密な言葉のリズム ◆◆
『小津安二郎と茅ヶ崎館』に書かれていたことですが、著者・石坂昌三は、大船撮影所の廊下で電話をかけている小津安二郎を目撃したことがあるそうです。そのとき、小津はなにをいっていたか? じっさいに俳優にいわせてみたら、あの台詞の語尾の「よ」がどうしてもうまくいかないので、削らせていただきました、と謝っていたのだそうです。

これだけで、電話の相手は野田高梧とわかります。二人で半年以上もかけて細部まで固めていったシナリオですが、いざ人間の口に乗れば、やはりリズムが悪く聞こえることはあるでしょう。俳優も人間なので、ミュージシャン同様、それぞれ固有のセンス・オヴ・タイムをかならずもっています。そのタイムと台詞が合わなければ、ぎこちなく響くにちがいありません。それで、小津は共作者の野田高梧に相談しないまま、その場で決断を下し、撮影を終えたあとで、急いで事後承諾を願う電話をかけたのだと考えられます。

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左から笠智衆、野田高梧、里見弴、小津安二郎。キャプションに「『晩春』のころ」とあって、素の笠智衆が若いのに驚く。

これはなにを示しているのでしょうか? 語尾の「よ」「わ」「だ」「だね」「なあ」といった、一見ささいな言葉であっても、無意識におかれたものはひとつもないということです。すべてはリズムを配慮したうえで、マティーニのオリーヴのように慎重に配置されたものだったのです。

こうしてシナリオの段階から全体のリズムと合致する形で組み上げられていった言葉の伽藍は、三分の二秒という厳密な間をとって配置されていき、こうしたすべてが映画のグルーヴを形成したのです。

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これが戦後小津映画の核心、あのスタイル(大文字かつイタリックで、「ザ・スタイル」というべきだが)を形成したものの正体です。小津安二郎は、映画史上もっとも「フィルムのグルーヴ」を重視した映画監督だったのです。

ロックンロールが誕生する以前に、小津はフィルムを使って「完璧にステディーなビート」をつくりだしました。わたしが小津を愛する理由は、彼のすばらしいビート、ジム・ゴードンのドラミングを聴いているのと同質の感動を得られる、卓越したグルーヴに尽きます。

どうも、相手が小津安二郎ともなると、むやみに時間がかかるは、神経は磨りへらすは、なかなか話が進みません。もうひとつ書こうと思っていたこと、「メロディー対ビート」という話題にたどり着けなかったので、この項はさらにもう一回延長させていただきます。
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by songsf4s | 2009-08-21 23:49 | 映画・TV音楽
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト その2(OST 『長屋紳士録』より)
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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HDDのクラッシュと、レス・ポールの死という、二つの意外事のおかげで、ただでさえ目がまわるほど忙しいのに、なにを書いているのかわからないような目まぐるしさになってしまいました。

三つの玉でジャグリングするぐらいならなんとかなるのですが、皆様に見えているところだけでも四つ(当家と、右側にリンクを張ってある他の三つのブログ)、ほかにもうひとつ隠しブログがあって、いま、宙に投げあげているものが五つあるのだから、これを回転させるのに四苦八苦しています。

以上、弁解おしまい。友人からメールをもらって、小津安二郎の『長屋紳士録』の前編を書いてから、ずいぶん時間がたってしまったことに思い至りました。いま、たしかめたら、あの記事は7月31日付けでした。これはいくらなんでもまずいので、そろそろ決着をつけようと思います。

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『長屋紳士録』に記録された東京風景のなかでもっとも驚いたのは、このショットだった。本願寺のすぐそば、いまは埋め立てられて公園になってしまった、かつての築地川で釣りをしていた!

◆ 編集とリズム ◆◆
もうお忘れでしょうから繰り返しますが、前回は「覗き機関」と「からくり節」のことを書いただけにすぎず、小津安二郎はジム・ゴードン並みのすぐれたグルーヴの持ち主であるといっただけで、その中身に入りこむ手前で、あとは次回に、となってしまいました。本日はそのつづきです。

「映画のグルーヴ」「映画のセンス・オヴ・タイム」は、監督の技量のみならず、編集者の手腕にもよるものですが、このあたりは、人それぞれ事情が異なり、ひとまとめにいうことはできないようです。

たとえば、黒澤明が編集を得意としたことはさまざまな本に記録されていますし、じっさい、自分でフィルムをつないだそうです。ここは印刷物なら傍点を付して強調するところで、ふつうの監督はまずフィルムには手を触れないものです。この場合、「編集者」と呼ぶべきは黒澤明自身で、編集とクレジットされた人は編集助手の役目をしたのでしょう。

小津安二郎は、黒澤のように自分でフィルムにさわることは、すくなくとも監督として名をなしてからはなかったようです。しかし、すぐれた監督の多くがそうであるように、小津は鋭敏なセンス・オヴ・タイムをもっていたといわれます。

出典に当たらず、うろ覚えで書きますが、戦後の小津映画のほとんどを編集した浜村義康が、こういう回想をしていました。なんの映画だったか、ラッシュのときに小津が浜村を振り返って(小津のうしろの席は浜村と決まっていた)、「なぜ一コマ短くしたのだ?」というので、浜村は「フィルムにキズがあったので、しかたなく切りました」とこたえたそうです。

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浜村曰く、動きのあるショットなら一コマ(24分の1秒)のちがいがわかる人はかなりいるだろうが、あれは空〔から〕のショット、ただ風景が映っているだけの動きのないものだった、小津さんはそういうものでも、一コマ分短くなったことがわかる人だった云々。

◆ ロック・ステディー ◆◆
これは、ひとつには、小津映画の「空のショット」のつなぎ方が、厳密な規則にしたがっていたためでもあるでしょう。『小津安二郎新発見』という本のなかで、昭和24年の『晩春』から浜村義康の助手となった編集者の浦岡敬一(略歴と著書については、このページへどうぞ)が、小津のリズムについて語っています。これについては本が出てきたので、うろ覚えではありません!

f0147840_22325759.jpg質問者が小津の特長を列挙し、それに対して浦岡は、

「加えて、場面転換にはオーバー・ラップなどの編集技法を使わずに、実景を三つ四つほど重ねて、音楽をブリッジすることなどがあげられますね」

そして、くだらない寄り道はまったくなしに、ずばり小津リズムの核心を指摘しています。

「その実景の秒数は、七フィート、ジャスト。一コマたりとも違わない。しかも、ダイアローグ・カット、つまり、会話の部分はすべて台詞尻十コマ、頭六コマで切れている。これはどういうことかというと、Aの人物が話し終わって十コマ間があき、つぎの人物が話すまでに六コマの間があくということなんです。その間はつねに十六コマ、つまり三分の二秒、間があくということです」

こういう分析力にすぐれ、ものいいが遠まわりしない人は大好きです。さすがは日本を代表する名編集者。

まず、第一のポイントである「実景の長さ」です。7フィートをスタンダード・サイズのコマ数に換算すると133コマ(19コマ×7)で、これを24コマで割ると、約5秒半です。わたしは頭のなかで、シーンのつなぎの実景の秒数をいい加減に勘定したことがあるのですが、6秒、5秒半、5秒ぐらいの割合で、人物のショットが近づくほど、実景のショットを短くしているのではないかと勘違いしていました。われながら、あてにならんタイムだ、と呆れます。

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『秋日和』のタイトル直後。まず東京タワーの寄り。

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東京タワーの引き、この2ショットで、ここが芝であることをわからせる。

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つづいて、寺の本堂の前。以上の3ショットで、以下のシークェンスが芝にある寺で起きるのだとわかる。

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寺の内部。ここまでが人物のいない実景。

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寺の内部。水の照り返しがある廊下を北竜二が歩いている。

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北竜二が自分の席に戻り、人物たちが登場して、台詞が語られ、芝居がはじまる。浦岡敬一がいっている「実景」によるシーンの転換とは、こういう小津の手法を指す。

つねに7フィートちょうど、といわれて、なるほど、そうでなければいけないのだな、と納得しました。すこしずつ短くするのでは、まるでメル・テイラーやジョン・グェランのような三流ドラマーの、拍を食って突っ込みまくるフィルインのようなもの、いいグルーヴになるはずがありません。小津はジム・ゴードンやジム・ケルトナーのように、つねに精密なステディー・ビートの人なのだと、肝に銘じました。

さて、浦岡敬一が指摘した第二のポイント、といきたいのですが、本日は時間がとれず、さらにもう一回延長させていただきます。こんどは半月も間をおかず、明日にもつづきを書きますので、お赦しあれ。


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by songsf4s | 2009-08-18 23:41 | 映画・TV音楽
ブログ更新状況



新音楽・映画ブログ 8月15日更新 レス・ポール追悼その1
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by songsf4s | 2009-08-16 00:08 | その他
ブログ更新状況

新・音楽および映画ブログ 8月14日更新
散歩ブログ 8月14日更新
猫ブログ 8月13日更新
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by songsf4s | 2009-08-14 23:49 | その他
新ブログ更新のお知らせ(付:カセット時代回顧)


『長屋紳士録』を完結できないまま、よそのブログ(日々増えている!)に時間をとられています。

前回、音楽や映画とはまったく無関係な、散歩ブログをはじめたことをご報告したら、一日単位としては、新しい音楽、映画ブログなどより多くの方のご来訪をたまわりました。なんだかよくわからなくて困惑しますが、こういうことが予測、計算できれば、だれも苦労はしないわけで、思ったようにはならないところが、人生の人生たるゆえんなのでありましょうな!

あれは音楽や映画について書く時間の一〇分の一もかからず(そのかわり、歩くことに時間をとられるが)、ちょっとした空き時間があれば充分なので、しからばと、今日も散歩ブログを更新しました。

以上で今日の用事はおしまいなのですが、もうこのブログを更新することはめったにないとご案内してあるにもかかわらず、毎日百人以上の方がいらっしゃっているので、ちょっと愛想よくしてみようかと思います。しばし無駄話をしてみようか、というだけのことですが。

◆ 1966年の絢爛豪華 ◆◆
先日、HDDが吹き飛んで、交換しているあいだ、MP3が聴けないので、たまたま古いHDDを探している途中で見つけたカセットを聴いていました。ラジカセがヘタって、ただのラジオの役しかしなくなって以来、カセットなど聴くことはなかったのですが、たまたま亡父のラジカセを引き取ったので、久しぶりにテープを聴いてみるか、と思ったわけです。

いや、そのテープ自体、長いあいだ忘れていたもので、こんな姿をしています。

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なんだかわかりますかね? ドット・インパクト・プリンター(というものをご存じない方もいまではたくさんいらっしゃることだろう!)で打ち出した、トラック・リストをカセット・ケースに入れてあるのです。

どういうデータが書いてあるかというと、左から「ビルボード・チャート・イン日付」(年号は略されているが、1966年)「ビルボード最高位」「アーティスト名」「楽曲名」という4種のデータです。

経験のある方なら、ははあ、とおわかりでしょうが、これはリレーショナル・データベースで必要なデータを拾い出し(もちろん、ビルボード・チャート・データはこれをつくる数年前に自分でタイプした)、年代順に並べて打ち出したものです。つまり、1966年のビルボード・チャートをカセットにしたものの一部なのです。

カセット・ケースから取り出して、リストの頭からしっぽまで見えるようにしてみました。

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リヴァース・インデクシングでやっているので、やや読みにくいかもしれません。Lewis, Gary/ & the Playboysをご覧になればわかるでしょう。カンマの前後が逆転した部分、スラッシュは逆転終了を示します。こういうのは内部的にやる(ソート専用データ)ことにして、見える部分ではリヴァースさせないのが正しいやり方でしょうが、データ入力の手間を省きたかったことと、まだ16ビットで非力だったPCに負担をかけたくなくて、こうなりました。

いや、まあ、そんなことはどうでもいいのです。肝心なのは並んでいる曲です。これがじつに楽しくて、もう遠慮なしに、手放しに、盛大に、大盤振る舞いで、「あれはすばらしい年だった!」、That was a very good yearとシナトラを引用しちゃいます。

f0147840_2240547.jpgこのテープは1966年の2本目で(ということは、通年でつくったということ。じつは65年と66年の分を全部つくった!)、二月末チャートインの曲からはじまっています。トップがアイズリーズのThis Old Heart of Mineだっていうんだから、うれしくなります。オープナーとして最適任、わがモータウン・ベスト5です。

つぎがアウトサイダーズのTime Won't Let Meですが、これは中学一年のときに好きだった曲で、買おうか買うまいか迷い、結局見送ってしまい、数十年後にベスト盤を買いました。

なんて書き方では永遠に終わらないので、すこし急ぎます。

リアルタイムで好きだった曲、チャート番組で流れるのを楽しみにしていた曲としては、つぎはシェールのBang Bangです。そのままどんどん行くと、ジョニー・リヴァーズのSecret Agentmanも、「故郷忘じがたく候」てなもんで、子どものときの愛唱曲、じゃなくて、愛プレイアロング・イントロ曲。コピーなんてことをやったごく初期の曲で、あのギター・イントロには教えられるところ大でした。

そのつぎが、なぜかヤードバーズのShape of the Thingsですな。あとでヤードバーズは妙な位置づけをされてしまいますが、子どものわたしには、プレイボーイズやハーマンズ・ハーミッツと懸隔のないポップ・グループでした。いや、Happening Ten Years Time Agoにしても、この曲にしても、素直ではないとは感じましたが、要するに「ちょっと変わっている」だけでした。For Your Loveにしたって、クラプトンとはまったく正反対に、いい曲だと思って聴いていました。ブルーズ馬鹿というのは、ポップのわからない不幸せな人たちだから、気にするなよ>グレアム・グールドマン。クラプトンなんか無視無視。

f0147840_22402518.jpgつぎは、もちろん、わがDC5の最高傑作、Try Too Hard。あのころはDC5に夢中でした。ビートルズとどっちが好きか、ってくらいでしたねえ。

しかし、あと知恵も動員すると、このリストはもっと楽しくなります。眺めてもそうですが、聴いても笑ってしまったのは、ディオーン・ウォーウィックのMessage to Michaelのあとに、バーズのEight Miles Highが出てきて、そのあとがハーマンズ・ハーミッツのLeaning on the Lamp Postという、意地の悪い並びです。

どちらに基準をおくかで見方は正反対になるでしょうが、ディオーン・ウォーウィックとバーズが水と油であることだけは、立場の相違にかかわらず、明白でしょう。

チャートというのはそういう「場」でした。なんでこんな曲がかかるんだよ、なんて子どものときはイライラしたりしたものです。たとえば、中学一年生には、この年、もう少しあとのほうに行くと登場する、フランク・シナトラのStrangers in the Nightは不可解の一語でした。戦争前の音楽かと思いましたものね。いや、冗談じゃなくて。子どもというのは、いつだってハイパー・ラディカルかつウルトラ冷酷なのです。昨日の音楽になんか小指の先ほどの興味もありませんでした。いやはや、なんという変わりよう!

それにしても、見れば見るほど、「なんとゴージャスなチャート!」とため息が出ます。十二歳の俺は、アメリカのポピュラー音楽がたどり着いた頂点の、そのまた石を積み重ねたケルンの先端を、リアルタイムで浴びるようにして経験したのだ、と思います。時代の最先端の音楽を聴くのに、十二歳ほどふさわしい年齢があるとも思えません。

あれほど幸せな一年を過ごしてしまっては、音楽的な感覚障害を患ってしまったのも仕方ないか、とあきらめがつきます。いや、要するに、その後のアメリカ音楽の歴史は、退屈地獄への長く物憂い行進だったようにしか思えない、というだけのことです。

あれから7、8年ほどは、チャートとともに生きたのだから、若さというのはたいしたものですが、いま振り返って、1967年以後はずっと下り坂だったと思います。アメリカ音楽は1964年に死んだ、というジョン・ミリアスに賛成したくなるのは、こういう夜です。いや、わたしの場合はもう三年だけ「延命」するのですがね!
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by songsf4s | 2009-08-09 22:43 | その他
新ブログ更新のお知らせ、および、さらなるブログ

新ブログのほうを更新しました。今回は、当家のジェイムズ・ボンド・シリーズではネグッてしまった、『ロシアより愛をこめて』です。3回または4回シリーズの予定です。

また、ほとんどヤケクソなのですが、こういうアホなブログもはじめました。音楽ブログの10分の1ぐらいの労力で更新できるので、ここは頻繁に更新するつもりです、って、もう体力の限界がいまから見えていますが!
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by songsf4s | 2009-08-07 23:22 | その他
PCトラブル

更新しないとなれば、お客さんは半分以下に激減するので、どうでもいいようなものですが、それでも100人以上の方がいちおう念のために(なのでしょう)当家を訪れていらっしゃるので、お知らせしてきます。

OSパーティションのあるHDDが吹き飛んで、さまざまなことが停滞しています。まずまっさきにやらなければならない新ブログも更新できず、当然、こちらの更新も一両日中はむずかしそうです。

しかし、なにごとも百パーセント悪いことというのはないもので、ちょっとだけプラス面もありました。30時間ほどPCを使えなかったので、古代の生活に逆戻りし、ゆるりと読書などしてみたのです。いや、気ままな読書ではなく、つぎの更新は小津安二郎の『長屋紳士録』の後半だからと、小津に関する本を再読してみたのです。

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おかげで、記憶で書くつもりだったことがらの正確なデータが見つかり、確信をもって書ける裏付けを得られたのはなによりでした。といって、明日にも更新、とはいきそうもなく、もう少々お待ちあれ。
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by songsf4s | 2009-08-07 00:24 | その他