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武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト(OST 『長屋紳士録』より) その1
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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またまた新ブログの話ですが、こちらの記事をあちらに写す作業をしてみました。しかし、どうも、これは手間がかかり、トラブルも多く、あまり現実的ではないようです。

で、考えたのですが、今後、新しい記事は新ブログのほうにアップするのが合理的のようです。それすれば、FC2のエクスポート機能と、エクサイトのインポート機能を使って、手間をかけずに、いまご覧になっているこのエクサイト・ブログを過去記事倉庫化できるような気がするのです。当初は、あちらを倉庫にするつもりだったのですが、そのプランはうまくいかず、あちらを母屋にし、こちらは月遅れ記事のアーカイヴにするというほうへと考えが変わってきました。

すぐにもそういう方向へと舵をきる可能性があるので、定期的にいらっしゃる方にはあらかじめお知らせしておこうと考えたしだいです。当家の記事をお読みになることを習慣になさっている方は、週明けあたりから、まず、新ブログのほうをご覧ください。しばらくは、当家にも新家更新のお知らせを書くようにしますが、ずぼらなので、そんなことを継続する自信はありません。

もっとも、ただの倉庫を維持管理するのも退屈なので、こちらには、つれづれなるよしなしごとを書いてみようかと思っています。新家では、こちらでときおり書いている、しょーもない枕は据わりが悪いのです。だから、こちらでは、ウェブログの本道に立ち戻って、日々のことを書こうかと思います。

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◆ 消えない烙印 ◆◆
さて、本題。前回の最後に、つぎはタイプの異なる映画を予定している、と書いたときは、ハリウッド映画を思い描いていたのですが、ふと、気が変わり、今回も邦画を見ることにします。

小津安二郎については、すでに百万言×多数言語が費やされ、いまさらわたしがいうべきことはなにもないようです。多くのすぐれた書籍、少数の箸にも棒にもかからない本があり、小津についてなにか知りたいのなら、そういうものにじかにあたるのがよろしかろうと愚考します。

『長屋紳士録』は小津安二郎の戦後第一作です。いろいろなものを読みましたが、概してこの映画はあまり褒められない傾向にあります。小津は敗戦直後の悲惨な状況から目を背け、戦前、彼の代名詞ともなっていた「長屋もの」「喜八もの」へと退行した、といったあたりが評者の意見の最大公約数ではないかと思います。

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わたしがいうべきことはなにもないといいながら、ゴチャゴチャいってしまいますが、そういう同時代の批判というのは、もう忘れていいと思います。批評の書き手自身までふくめ、多くの日本人が飢餓の恐怖におびえ、じっさいに餓死者が出ていた状況では、腹の立つことばかりで、のんびりしたノリの映画を楽しむ余裕はなかったのでしょう。

それはよく理解できますし、その後の評価が、先行する同時代の評価に目を曇らされたのも、ある程度はしかたのないことと思います。印刷媒体にレヴューや批評を書くのは、ウェブで好き勝手なオダをあげるのとは次元の異なることで、多数派を批判するのは、ちょっとしたエネルギーと覚悟を要する「事業」なのです。いや、だった、と過去形でいうべきでしょうが。

あの当時の若い世代が、黒澤明の新しい感覚に熱狂し、小津を骨董品と批判した気持もよくわかりますし、自分がその場にいても、同じように感じただろうと思います。わたしがいいたいのは、それはすんだ話ではないか、いまはもう終戦直後ではない、古い時代のパラダイムは無用である、長い歴史のパースペクティヴのなかにおいて映画を見るか、さもなくば、まったくの新作(どんな作品も、ある個人にとっては、はじめて見るものはみな「新作」である)だとみなして接するべきだ、ということです。

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◆ 小津安二郎=ジム・ゴードン説 ◆◆
『長屋紳士録』は、小津の作品系列という文脈からいえば、たしかに戦後的なものではありませんが(つまり、『晩春』『麦秋』『東京物語』などとの近縁性は薄く、『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』にいたってはさらに遠い)、そういう文脈から離れさえすれば、ていねいにつくられた、楽しい映画です。

わたしは天下の本末転倒男なので、細部に目がいき、全体を忘れることがしばしばあって、「木を見て森を見ず」のどこがいけないのだ、森を見て木を見ないよりはよほどマシではないか、と思ったりします。漠然と森を見たって、なにひとつわかるはずがありません。微細に木を観察することのほうがはるかに重要です。

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小津映画を微細に観察して思うことは、なによりもまず、小津はグルーヴの人だ、ドラマーになっていたら、映画同様に、大きな名を残しただろうということです。ジム・ゴードン・タイプの、きわめて精密なビートを叩くドラマーになったにちがいありません。小津のカット割り、コマ数のセンス・オヴ・タイムを観察していると、どうしても「映画のグルーヴ」という観念が浮かび上がってきます。

いや、そういう小うるさい話に入る前に、現物をご覧いただきましょう。エンベッドはできないので、YouTubeにいっていただきたいのですが、これは、いままで当家でご紹介してきたもののなかでも、最上級にランクされる音楽クリップのひとつ、まちがいなく三本指に入ります。騙されたと思って、笠智衆の「元祖本朝ラップ・ミュージック」をお楽しみあれ。

宴会~武夫と浪子

いやもう、はじめてこれを見たときはひっくり返りました。音楽好きな友だちにもよく見せていましたが、つねに大ウケでした。もちろん、音だけ聴いても面白いのですが、笠智衆と飯田蝶子のフリがまた楽しいので、絵もいっしょのほうが数等いいだろうと思います。

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さりながら、ただの音として聴いてみることも、検証には必要。すでに廃盤となってしまったらしい『小津安二郎の世界』という、LPの時代にリリースされ、CD化もされたアルバムから、〈武夫と浪子〉の部分だけ切り出したものを、サンプルとしてアップしておきました。

サンプル 笠智衆およびキャスト〈武夫と浪子〉

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それにしても、この歌の「文句」(こういうものの場合、「歌詞」という言葉を使うのはためらう)の面白さ、笠智衆の言葉の切り方の妙は外国人にはわからないでしょうねえ。このシーンのファンの数自体は、日本より海外でのほうが多いでしょうけれど。

いま手に入る『小津安二郎ミュージック・アンソロジー』という2枚組CDは、小津映画音楽集としてはいいと思うのですが、なにも、よりによって笠智衆の絶品〈武夫と浪子〉をオミットすることはないじゃないか、と目が三角になります。

たしかに、スコアではないし、挿入曲と呼ぶことすらためらうかもしれません。でも、小津の全作品のなかで、これほど魅力的な音楽を楽しめるシークェンスはほかにありません。そういうものを入れないというのは、どんなものでしょう。新版を出すときは再考してもらいたいものです。

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◆ 色気抜きのピープ・ショウ ◆◆
このシーンで川村黎吉が「のぞき」と呼んでいるものは、ブッキッシュには「覗き機関」(のぞきからくり)といいます。と講釈しているわたし自身、じつはこの実物を見たことはありません。映画のなかでも、飯田蝶子が「近ごろは見かけなくなったね」といっているわけで、その「近ごろ」(昭和22年)よりもあとに生まれたわたしが見ていなくても、不思議でもなんでもないのです。よって、以下はすべて「見てきたような」ウソかもしれません。

まずは百科事典の「覗き機関」の項の記述をどうぞ。
「大道演芸の一種。幅三尺余(ほぼ1メートル)の屋台の前面に五つ六つの、レンズがはめられたのぞき穴をあける。この穴からのぞくと箱の中の絵が拡大されて見え、その絵を一枚ごとに紐で上へ引き上げて一編の物語を見せるという仕掛けである。屋台の左右に男女が立ち、鞭を持って屋台をたたきながら「からくり節」という七五調の古風な口調の物語を語りつつ筋を展開した」

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べつの百科事典は、サイズを三尺ではなく「一間」としていました。ヴァリエーションがあるのでしょう。ともあれ、これで、笠智衆が劇中で歌ったのは、ここで「からくり節」といっているものだとわかりました。

この大道芸はその後どうなったのだろうかと検索したところ、つぎのような長崎県のページが見つかりました。なんとか古い芸を残そうとしている人たちも、少数ながらいらっしゃるようで、めでたしめでたし。いや、「愛でたし」だから、チャンスがあったら賞美なされよ。

長崎県深江町のぞきからくり

この写真では、三尺ではなく、一間に見えるし、覗き孔のパネルをはずして、大人数で見られる状態にしているようです。飯田蝶子は「トラホー目」になったそうだから、目をつけるのは衛生的ではないかもしれませんが、トラホームという病気も、子どものころはよくあったのに、近ごろ、とんと聞きません。

まだぜんぜん終わりが見えないので、本日はこれまで、小津のグルーヴについては次回まわしということにします。

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by songsf4s | 2009-07-31 23:55 | 映画・TV音楽
レッチ島 by 佐藤勝 (OST 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』より その2)
タイトル
レッチ島(Lech Island)
アーティスト
佐藤勝(OST)
ライター
佐藤勝
収録アルバム
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(Godzilla vs. the Sea Monster)
リリース年
1966年
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このところ、まともな更新がなく、新ブログのご案内やら、しょーもないジョークやら、妙なことばかりやっていますが、今日はレギュラーな更新です。

新ブログのほうは、第一の目的は冗談でもなんでもなく猫の餌代なのですが、当家のミラーないしはアーカイヴにしようかという考えもあって、その線もまだ抹消していません。

丸ごと引っ越しも考えたのですが、膨大なテキストの蓄積というのは、つまるところ、もっとも効果的なSEO対策らしく、その種の努力をまったくしていないにもかかわらず、当家の記事は販売サイトを抑えこんでグーグルで上位にくることが多く、ここを捨てるのは現実的ではないのです。

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〈赤イ竹〉レッチ島基地の桟橋とクルーザー(キャプテンは天本英世!)。このあたりにもジェイムズ・ボンド・シリーズの影響を感じる。

ということで、新家のほうに重心を移す予定ですが、こちらもときおり更新しつつ、新家への入口として使っていこう、というのが目下の考えです。あるいは、こちらは昔のように純粋に音楽を扱うことにし、映画と映画音楽は新家のほうで、という考えもあります。どうなるかはわかりませんが、体力の限界も厳としてあるので、落ち着くところに落ち着くでしょう。

当面は、当家の記事の引き写しで新家を更新した場合は口をつぐみ、当家のアーカイヴとはあまり重ならない記事であったり、当家ですでに扱ったものでも、視点を変え、切り口を新しくしたものならば、更新のお知らせをする、というような形でいくつもりです。

それでは、なかなかケリをつけられなかったエビラをば、今日こそ活け作りにしてくれます。

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◆ 不自然なプロット ◆◆
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』のプロットが不自然なのは(自然なプロットのゴジラものなんていうのがあるのか、といわれると言葉に詰まるが!)、これはもともとゴジラものではなく、キング・コングものとしてつくられたせいなのかもしれません。それが端的にあらわれたのが、このゴジラが日本本土を襲撃しないことです。全部を見たわけではないのですが、そういうゴジラはこれだけではないでしょうか(ただし、このつぎにあたる『ゴジラの息子』も南洋ものかもしれない)。

『南海の大決闘』というタイトルどおり(いや、南海電鉄の「南海」は紀州を指すが!)、冒頭の日本でのシークェンスをのぞけば、話はどことも知れぬ南海の島々に終始します。ゴジラが暴れる「ストンピン・グラウンド」は、実態のよくわからない秘密組織〈赤イ竹〉の基地がある〈レッチ島〉とその周辺の海だけですし、あとは近傍にあるという〈インファント島〉しか出てきません。

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モスラとインファント島島民。以前より人口が減少したように感じるのはこちらのひが目か?

どちらの島も人口稀薄で、町といえるようなものはなく、レッチ島のほうに目的不明の構築物があるくらいで、ゴジラはしかたなくそれを壊してはみるものの、居眠りをしたり、人間の女(水野久美)に色目を使ってみたり(種がちがうじゃネーか!)、加山雄三の物真似をしたり、ろくなことをしません。

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赤イ竹秘密基地の地上施設。なんだかわからないが、はじめからゴジラに踏みつぶされる予定だから、気にしなくていいのである。ゴジラはいつも、よろめいてビルにもたれかかりながら壊すのを楽しみにしているふしがあるが、こういう平屋状態では、よろめくわけにもいかず、いかにも物足りなさそうに踏みつぶす。

この映画を見たとき、わたしは中学一年生でしたが、こういうシャレのキツいゴジラがどうも気に入らず、なんだか子ども向け、いや、つまり、幼児向けのような気がしたものです。このあたりから、ゴジラ映画はきびしい時代に入るのでしょう。

◆ さらにエキゾティカ ◆◆
それでもなおかつ、音楽は面白く、その1でご紹介した〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉以外にも、興味深い曲があります。残ったトラックのなかでエキゾティカに分類できるのは、〈レッチ島〉という曲です。これはもうタイトルからして「島」とくるのだから、エキゾティカのにおいは文字からも漂っちゃっています。

サンプル 〈レッチ島〉

パーカッションの扱いからいうと、ややジャングル・エキゾティカ寄りではありますが、もちろん、子ども向け映画なので、佐藤勝は官能的なほうには向かわず、品のよいところに収めています。

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また、メイン・タイトルの変奏曲である〈レッチ島への脱出〉という曲は、エキゾティカ的なアレンジ、サウンドになっています。メイン・タイトルよりこちらのヴァージョンのサウンドのほうがいいと思います。メイン・タイトルにはもっとゴジラらしい曲のほうがよかったのではないでしょうか(キング・コングのつもりでつくってしまったために、ゴジラ的ではなくなったのかもしれないが)。

〈赤イ竹の基地へ〉という30秒ほどの短い断片も、やはりエキゾティカ的な味わいのあるサウンドになっています。もうすこし長くて、まとまった曲ならよかったのに、惜しいなあ、と思います。まあ、映画スコアではよくあることで、しかたがないのですが。

モスラが登場するものには、古関裕而作のオリジナルをはじめ、かならずなんらかのモスラの歌が使われていますが、『南海の大決闘』にも、佐藤勝作の新しいモスラの歌が出てきます。もちろん、古関裕而版オリジナルを凌駕することがなかったのは歴史が証明していますが、これはこれで悪くないモスラの歌だと思います。〈ジャングル・エキゾティカ歌謡〉とでもいうか、折衷的、中間的、ゴタマゼ的なところが楽しめます。

モスラの歌2 南海の大決闘


この映画では、双子の小妖精はザ・ピーナツではなく、「ペア・バンビ」というデュオが演じています。もの知らずで、どういうことをしていたのか記憶がないのですが、おそらくはシンギング・デュオで、このモスラの歌も彼女たち自身が歌ったのでしょう。

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◆ ロッキン・ゴジラ ◆◆
なんだかひどく堕落して、人間的になってしまったこの作品のゴジラ像に合わせたのか、佐藤勝は音楽も軽めの方向にシフトさせたように感じます。いや、1966年の製作、公開(暮れ)だから、時代も時代で、ロックンロールないしはエレクトリック・ギターのソロをスコアに取り入れるのは、英米の映画ではよく見られるようになってきていたので、そういう趨勢に合わせたと受け取るべきかもしれません。

『南海の大決闘』では、ギター・コンボによるスコアも使われています。しかも8ビートかつ3コード、ブルース・コード進行なのです。OSTには入っていなくて、タイトルがわからなかったのですが、『ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクションBOX2』のトラック・リスティングを見てみたら、〈ゴジラ対戦闘機隊〉となっていました。

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どこかの国がスポンサーになっているのか、赤イ竹の財政基盤はかなり堅固のようで、ジェット戦闘機小隊までもっている。レッチ島のプラントや軍事力を詳細に分析、試算したところ、スペクターやスラッシュと五分で渡り合える組織であることが判明した……なんて幼児退行はさておき、このシーンの音楽がロックンロールなのである。ゴジラも変われば変わるものだ。

これはもう、じつにもってストレートなロックンロール・インストで、複数(2本だと思うが、ひょっとしたらもう1本出入りしているかもしれない)のギターのからませ方に工夫があり、しかも、目だつことはしていないものの、なかなかいいプレイヤーで、遅ればせながら感心してしまいました。

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レッチ島の地下プラント。なにをつくっているのかよくわからないが、世界の安全を脅かすものであることはまちがいない。こういうショットもジェイムズ・ボンド・シリーズを想起させるのだが、考えてみると、東宝特撮映画は007よりずっと早くからこの手の構築物をデザインしてきたわけで(たとえば『地球防衛軍』)、本家は東宝、ジェイムズ・ボンドのほうが東宝を見習ったのかもしれない。

ただボックスの表記は「ゴジラ対戦闘機隊(「天国と地獄」M14本番の5)」となっていて、おっと、黒澤明の『天国と地獄』に出てきたんだっけ、というので、そちらのOSTを聴くと、〈酒場の音楽Ⅱ〉とほぼ同じもの、別テイクないしは別エディットでした。横浜歓楽街彷徨のシークェンスに出てくるもののようです。って、いうことが頼りないのですが、あのあたりはつぎつぎといろいろな「俗曲」(佐藤勝はポップ・ミュージックをこう呼んでいる)が出てくるので、細かくは覚えていないのです。

サンプル 〈酒場の音楽2〉(『天国と地獄』より)

映画のスコアリングというのは、自分の欲求を満たすためではなく、映画が要求する音楽をつくる仕事なのだからして、佐藤勝も、66年になって突然、こういう方向の音をスコアに取り込んでみようと思ったわけではなく、63年の『天国と地獄』のときにはすでにやっていたわけです。

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ジェイムズ・ボンド・シリーズ第一作『ドクター・ノオ』に登場する〈ドラゴン〉。火炎放射器を搭載した装甲車にすぎないのだが、やや子どもっぽいデザインで、ゴジラものを見ているような気分になる。

よく考えると、これはかなり尖端的なことだったような気もします。映画音楽は、ジャンルとジャンルのすき間にはまりこんでしまうことが多いのですが、ことはロックンロール、われわれの側から積極的に再評価を推し進めるべきのような気がします。

また、ひどく日本的なバイアスがかかったものですが、サーフ・ギター・インストに聞こえなくもない曲もあります。開巻まもなく、いにしえのアメリカの「マラソン・ダンス」のゴーゴー版のようなものが登場し、そのダンス音楽として、リヴァーブをきかせたギターをフィーチャーした曲が出てくるのです。

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そういう「現実音」、劇中に流れる音楽ばかりではなく、純粋なスコアの部分でも、エレクトリック・ギターのグリサンドや、低音弦のリックがしばしば使われています。さらにいうと、やはりリヴァーブをきかせたフェンダー・ベースもしばしば登場します。

はじめからすべて、細かく検討したわけではありませんが、ゴジラ映画にフェンダー・ベースが大々的に利用されたのは、この『南海の大決闘』が最初のことではないかと思います。ビッグバンドやオーケストラにフェンダー・ベースを使うのは、やがて圧倒的多数派になるのですが、この時期、とりわけ日本ではまだめずらしかったのではないでしょうか。

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〈赤イ竹〉のボスと幹部。左から平田昭彦、田崎潤、天本英世。いやもうじつにシビれるような東宝特撮男優陣の揃い踏み!

◆ ゴジラは南から、エキゾティカはどこから? ◆◆
80年代以降のゴジラは極端に引用が多くなりますが(たとえば、だれが見ても『エイリアン』だったり『レイダース』だったりする場面が出てくる。そして、あろうことか、ハリウッド版ゴジラまで、後半は『ジュラシック・パーク』のコピーになってしまう)、ゴジラには時代を映す鏡のような側面がもともと強くあったのかもしれません。

『南海の大決闘』の音楽、とくに冒頭の日本国内のシークェンスは、あの時代を反映したサウンドになっています。同じ東宝の看板シリーズで、しばしば怪獣ものとセットで上映された、若大将ものを意識していたのかもしれませんが。

しかし、さまざまな東宝特撮映画のあちこちに顔をのぞかせる、エキゾティカ的音楽の源流はなにか、という点になると、「時代を映す鏡」だったのかどうかは判断しかねます。

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佐藤勝 film-composer Satoh Masaru

映画および映画音楽はとほうもない雑食性をもっているので、佐藤勝のように、映画スコアを専門とする作曲家は、外国映画やラジオや町で耳にする音楽につねに注意を払っていたにちがいありません。そして、レス・バクスターやマーティン・デニーの音楽は、当時すでに国内でリリースされてもいました。だから、佐藤勝がそういう音楽を聴いていた可能性はあります。でも、たんなる蓋然性と事実のあいだには無限の距離がありますからねえ……。

妥当な着地点を探すと、佐藤勝はそういうタイプの音楽を何度か耳にしたことがあり、南洋的なサウンドというものを認識していたが、その作り手がレス・バクスターであったり、アクスル・ストーダールであったり、マーティン・デニーであったり、ということは知らなかった、というあたりでしょう。毒にも薬にもならない、まったくもって当たり障りのない、つまらない推測ですが!

ゴジラ・シリーズでは、ほかに、あの作品も音楽が面白かった、などと煽る方がいらっしゃることですし、根が嫌いではないので、あと何本か、ゴジラを含む東宝特撮映画を取り上げるつもりです。しかし、次回はちょっと箸休めで、タイプの違う映画をやろうかと思っています。

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by songsf4s | 2009-07-27 10:24 | 映画・TV音楽
新ブログ更新のお知らせ

お暑うございます。南関東は朝からガーンと太陽が照りつけ、いかにも夏らしい一日でした。ワン・フェイク入りましたが、こんどはほんとうに梅雨明けでしょう。梅雨が終わって嬉しいような、真夏の猛暑は嬉しくないような、どっちつかず、中途はんぱ、痛し痒しの心境ですな。

本日は当家、新家、両方のブログを更新するという不退転の決意だったのですが、新家の更新をおえたら、あくび連発のていたらくと相成り候。テキストはほぼ書き終わっていますが、これから写真を加工して、適切な場所に貼りつけ、必要ならキャプションを書く、と考えたら、不登校的心境になってしまいました。エビラの天ぷらは明日にも皿に載せるということでご勘弁願います。

新家の今日の更新は、『ドクター・ノオ』サウンドトラック盤の検討です。昔なじみのお客さんがたは、昨年、当家が、2回にわたってJames Bond Themeのオリジナルとカヴァーを検討したことをご記憶かもしれません(ジェイムズ・ボンド・テーマ その1その2)。しかし、あのときはOSTを聴いただけで、映画は再見しませんでしたし、そもそも、カヴァー・ヴァージョンの検討のほうがおもな目的でした。

今回も、テーマのオリジナルを検討するつもりだったのですが、それはとりあえず棚上げにして、かわりに映画を再見し、テーマ以外の挿入曲をじっくり聴いてみました。十年以上、『ドクター・ノオ』を再見していない方は、みなさん驚くと思います。James Bond Themeをとってしまうと、とうていボンド映画とは思えないサウンドトラックなのです。

ということで、すでに書いた記事の流用は(したかったのに!)しなかったので、ジェイムズ・ボンド・ファンの方はこれをクリックして、新家へとご訪問ありたし。
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by songsf4s | 2009-07-26 23:08 | その他
お遊びのライヴ更新

『南海の大決闘』の続篇は3分の2ほど書いたのですが、まだ完成できず、今日も更新なしになりそうなので、ささやかな遊びをします。1パラグラフ書くたびにアップして、ひとりチャットのようなものをやってみようという趣向です。そんな馬鹿なことに付き合っていられるか、という方がほとんどでしょうけれどね! そういう方は、26日午前1時ごろにおいでなさいませ。そのころには書き終わっている心づもりです。では、最初のパラグラフをアップ。

ほうっておくと、ただ同じページが表示されつづけるだけなので、当家を開いたまま、ほかのことをなさって、ときおりなにが書かれたか確認してみようとお考えの方は、そのつど画面表示を更新してください。こちらからあなたのページを更新することはできないのです。

このところ、更新がとどこおりがちなのにはいくつか理由があるのですが、週末だというのに、エビラを天ぷらにして、一丁あがり、へい、熱いうちにお召し上がりください、といえなかったのは、主として、

新しいブログ

のせいです。これが、つくったはいいけれど、当家との色分けをどうするか、いまだに決めかねていて、なかなか更新のペースがあがらないため、記事を書きながら目的地を決めようと思い直し、この数日、あちらの記事の準備と書きをやっていたため、当家のほうは足踏みとなったしだいです。

そもそも、あちらは、広告だの、アフィリエイトだので、せめて猫の餌代ぐらいは稼ごうかという気持でつくったのですが、まだそこまでたどりついてもいません。もうすこし記事を増やさないことには、万国旗ビラビラの満艦飾、広告の重みで根太がきしむなどという事態は考えられないわけでして、逆にいうと、あちらをのぞくなら、すっきりしているいまのうちかもしれません。てなわけで、弁解じみた宣伝でした。

いまチラッと見たのですが、この更新をはじめてからいらした方は4人、歩留まりはどれくらいでしょうか。おひとり? もうすこしお客さんの多そうなときにやればいいのに!

◆ またまた補足 ◆◆
このところしばしばご登場を願っているOさんですが、恐るべき方で、前回の訂正と補足のときに、石原裕次郎の〈リコール ツー マイ メモリー〉という曲が気になる、と書いたら、さっそく、じゃあ、聴いてみますか、というので送ってくださいました。

ひょっとして、〈想い出〉のヴァリアントではないのか、というわたしの疑いは濡れ衣だったことがわかりましたが、これはこれでなかなか魅力的な曲です。寺部頼幸というソングライターのファンになりかかっています。

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これは、『石原裕次郎 名プレイヤーとともに…』というアルバムに収録されているのだそうで、いまそれを聴いているのですが、なかなかけっこうな選曲で、おおいに楽しんでいます。

あれこれ聴いてしまって、「ライヴ更新」ではなくなりつつあります。あくび連発になってきたので、あと数パラグラフでおしまいにしようと思います。

『太平洋ひとりぼっち』のなかに、鼻歌で〈Beyond the Reef〉(珊瑚礁の彼方)を歌うシーンがありますが、このアルバムにきちんとしたスタジオ録音が収録されています。バッキー白片とアロハ・ハワイアンズとの共演とあります。これもなかなかけっこうなヴァージョンで、こういう曲は裕次郎に似合うなあ、と思います。

サミー・カーンのIt's Been a Long Timeもやっていて、これもなかなかいいムードです。〈南国の夜〉もいいなあ、などと書いていても、キリがないので、このへんで、馬鹿な遊びは終わりにします。うっかり、ほんとうにライヴで付き合ってしまった方には、どうもお退屈さま、と申し上げておきます。

こちらの更新がないときは、新ブログのほうで忙しい可能性があるので、そちらをのぞいてみてください、というお知らせでした。

開始からここまでの1時間弱でいらしたお客さんは15人。何人の方が我慢なさったか、あるいは、どなたも即刻閉じたか、そこまではわかりませんが、万一、お付き合いくださった方がいらしたら、深く御礼申し上げます。これでほんとうの終わり。
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by songsf4s | 2009-07-25 23:46 | その他
ヤーレン号に乗ってⅡ by 佐藤勝 (OST 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』より その1)
タイトル
ヤーレン号に乗ってⅡ
アーティスト
佐藤勝(OST)
ライター
佐藤勝
収録アルバム
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』 (OST)
リリース年
1966年
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今日7月22日は未明からずっと雨で、10時すぎにやっと雨音がしなくなりました。それが11時ごろになってまた暗くなってきたので、やれやれ、まだ降るのかよ、と思ってから、ああ、今日は日蝕だっけな、と思いなおしました。

というわけで、南関東の当地では、75パーセントほどの部分日蝕も、ただの雨模様ていどに終わってしまいましたが、皆さまのところはどうでしたでしょうか。当家のお客さんのなかに、皆既日蝕が見られる地域にお住まいの方がいらっしゃる可能性はあまり高くありませんが、南のほうでは、晴天のもと、「太陽の死と再生」を観察できた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

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なんだか小学校のときに、日蝕、日蝕と大騒ぎして、ささやかな工作物(穴を開けたボール紙とか、黒く塗った紙とか)を手に、みなが校庭に出てワイワイやった記憶がかすかにあります。今回は46年ぶりだそうなので、その46年前の出来事なのでしょう。残念ながら、むしばまれていく太陽の記憶はないのですが、空は晴れていたことだけは覚えています。いや、虫眼鏡で黒い紙に火をつける実験したときのことと、記憶がまだらになっているのかもしれませんが……。

昔は多くの文化が蝕を不吉なこととみなし、たとえば中国では、日蝕のあいだじゅう、派手に銅鑼を叩いて、魔物を追い払おうとしたそうです。それがいまでは馬鹿騒ぎのダシにされているわけで、まったくもってけっこうなことだと思います。科学は幸福をもたらしはしませんが、迷信にもとづく不幸を防ぐ役には立つのかもしれません。

◆ 南へ、南へ ◆◆
ゴジラはたいてい南からやってくることになっています。どの映画だったか、シリーズの終盤の作品で、登場人物がその点にふれて、太平洋戦争の犠牲者の復讐、といった解釈を提示していました。たしかに、南方戦線で斃れた人がたくさんいらっしゃるいっぽうで、戦場にされたほうでも多くの犠牲者を出しています。

f0147840_21182771.jpgなぜ日本は南方に出て行かねばならなかったか、昔のことばでいうなら「南進する」必要があったかといえば、これはもうエネルギー問題しかありません。「満蒙」のみならず、南方もまた「日本の生命線」であり、つねに「作戦行動地域」だったのです(しいていえば、「日本にいたる回廊」という、戦略拠点としての側面もあるが、こちらのほうは重要性が低いと思う)。

「南方」ということば自体が軍事用語だそうで、百科事典には「日本軍の作戦区域は、当時、イギリス領ビルマおよびマラヤ、フランス領インドシナ、オランダ領東インド、アメリカ領フィリピンという4植民地と、タイ王国に分かれており、それを包括する呼称はなかった。そこで日本軍は総称として〈南方〉という呼称を採用したが、連合軍はこの地域に〈東南アジア〉という呼称を与えた」とあります。

調べていて、へへえ、と思ったのは、南方のことより、「東南アジア」のことのほうです。Southeast Asiaというのは、連合軍側がつくったこの作戦行動地域の呼称だったとは驚きです。子どものころから当たり前のように使ってきたので、軍事用語だなどとは思ってもみませんでした。

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それはともかく、「南方」と東南アジアは、すくなくともイメージのなかでは等号で結ぶことはできないように思います。マラヤ(マレーシア)、インドシナ(ヴェトナム)、東インド(インドネシア)はもちろん「南方」です。その心臓部の外側に広がる、いわゆる「南洋諸島」(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)も、前線基地、重要拠点としての「南方」に入れていいのだろうと思います。

もちろん、わたしはリアルタイムで読んだわけではありませんが、『のらくろ』や『冒険ダン吉』が描いたのも、東南アジアというより、南洋諸島のほうだったという印象があります。大昔に『吼える密林』しか読んだことがなく、ほとんどなにも知りませんが、南洋一郎の『緑の無人島』や『南海の秘密境』といった子ども向け冒険小説も、やはり、「南方」を扱ったものなのだろうと思います。

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東宝特撮映画、とりわけ怪獣ものを見るのに、現代史の知識が必要なわけではありません。ただ、「南から来る悪夢」もこう繰り返されると、やはり「どこ」から来るのか、追求したくなってくるだけです。80年代以降のシリーズはともかくとして、70年代までの第一シリーズに関しては、やはり製作者側はなんらかの意味および深さで、太平洋戦争を意識していたのだろうと思います。だからゴジラは、地から涌いたり(ラドン)、天から降ってきたり(キングギドラ)することはなく、つねに海を渡ってやってくるのでしょう。

◆ 南進策の果て ◆◆
そういう意味で、今日の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』は、微妙な設定のゴジラものです。ジェイムズ・ボンド映画、とくにジャマイカを舞台にした一作目の『殺しの番号』、マイアミを舞台にした第四作の『サンダーボール作戦』の影響を受けたと思われるストーリーで、ボンド・シリーズの「スペクター」のような、世界制覇をもくろむ秘密組織〈赤イ竹〉が登場します。一味はみな日本語をしゃべるのですが、名前から連想するのは中国です。

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『海底軍艦』のときにも、南方のどこかの島に秘密基地を建設した田崎潤が、こんどは悪玉のボスになって、やはり南洋のどこかにある〈レッチ島〉(ボートでも行けるほどの近くにモスラの故郷〈インファント島〉がある)に秘密基地を建設します。田崎潤はドクター・ノーに相当する役どころですが、あのようなケレンはなしで、平田昭彦を右腕としてストレートに演じています。『海底軍艦』の神宮司大佐はいろいろ演じようがあったでしょうが、こちらは「やりがいなし」というところでは?

平田昭彦のほうは、『ゴジラ』第一作の芹沢博士のように、片目は眼帯で隠して登場します。芹沢博士は沈鬱なキャラクターで、純粋な善玉とはニュアンスが異なりましたが、こちらは純粋な悪玉。でも、この人の面白いところは、善玉、悪玉、両方を演じられるばかりでなく、どちらをやっても、白でも黒でもない、灰色の領域がほの見えることです。得がたい味のある俳優でした。

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平田昭彦(左)と田崎潤

それにしても、『海底軍艦』を強く連想させる設定で、なんとなく、苦しまぎれの雰囲気が感じられます。あちこちから流用してきたつぎはぎのように見えるのです(まあ、それをいうなら、時代の下ったゴジラ・シリーズはつねにシーン単位では流用、借用、引用が目だつのだが)。そろそろ日本映画全体も頽勢が目だち、ゴジラ・シリーズも観客が離れはじめたのではないでしょうか。わたしは、この年、中学一年生になったこともあって、この作品をもって、ゴジラ・シリーズとは縁が切れてしまい、以後はテレビで放映されたものを三つ四つ見ただけというありさまになってしまいます。

しいて太平洋戦争のメタファーをもちだすと、〈赤イ竹〉はいわば「南進」した旧帝国軍であり、拉致され、重労働に従事させられたインファント島の住民は、南方諸島、東南アジア諸国の人びとということになるのかもしれません。製作された順序とは逆に、これを第一作『ゴジラ』以前の出来事とするなら、ゴジラが「北進」する原因を描いた作品ということになるでしょう。と書きつつ、自分で「よくいうぜ。それほどのもんじゃネーだろーに」と自分の脇腹をつついています!

メイン・タイトル


◆ オーセンティックなエキゾティカ ◆◆
わたしにとっては「最後のゴジラ」になっただけあって、『南海の大決闘』というのは、言葉に詰まってしまう映画です。ゴジラの敵役のエビラというのが、姿はエビそのまま、名前はエビにラをつけただけという、ひどい手抜きですし、巨大コンドルにいたっては、そんなものが登場したことすら忘れてしまったほど印象稀薄でした。大人の目ではなく、子どもの目でいっても、『三大怪獣地球最大の決戦』までは楽しんでいましたが、これがピークで、あとは関心が薄れていきました。

そういう映画なので、ゴジラを再見するといっても、この『南海の大決闘』はあまり見たくなかった作品のひとつです。それなのになぜ見たかといえば、タイトルに「南」の字があり、そっちの音楽が出てくる可能性が高いと思ったからです。そして、これが期待通りのジャックポットでした。

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どういうわけか、日本の作曲家というのは、エキゾティカというか、南方的な曲を得意としているように思われます。当家で過去に取り上げたものとしては、『ガス人間第一号』に登場した〈ドラゴン〉という曲が典型ですが、『マタンゴ』のなかの〈漂流〉という曲などもエキゾティカに分類できます。まだ取り上げていない東宝特撮ものにも、エキゾティカないしはそのサブジャンルである「ジャングル・エキゾティカ」(南洋的というより、アフリカ的なテイストのあるもので、パーカッションの扱いに特徴がある)に属する音楽の登場するものもあります。

しかし、どれか一曲というのなら、いまの段階ではわたしは、この佐藤勝作曲の〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉を最上のものとします。『ベスト・オヴ・ワールズ・エキゾティカ』なんていう盤が編集されるなら、日本製としてはこの曲を入れれば、それで十分だろうと思います。

サンプル 〈ヤーレン号に乗ってⅠ〉
サンプル 〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉

〈Ⅱ〉があるのだからして、当然、〈ヤーレン号に乗ってⅠ〉もあります。こちらもエキゾティカに分類できますが、30秒足らずの断片で、ひとつの楽曲としての独立性があるとはいいかねます。

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ヤーレン号。ディンギー、セイル・ボートではなく、正真正銘の「ヨット」のサイズ。このショットでは〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉が流れる。

〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉は、冒頭を聴いただけで、いいなあ、と思いました。ピアノとベースとパーカッションを中心とした低音部の作り方も、メロディーラインを担当する弦も、どちらもすばらしいサウンドです。

あれこれやっているうちに時間切れになってしまったので、『南海の大決闘』は次回へと延長させていただきます。

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by songsf4s | 2009-07-22 23:52 | 映画・TV音楽
想い出 by 石原裕次郎(『ゴジラの逆襲』『太平洋ひとりぼっち』『狂った果実』の訂正と補足 その2)
タイトル
想い出
アーティスト
石原裕次郎 (OST)
ライター
清水みのる作詞、寺部頼幸作曲、久我山明編曲
収録アルバム
武満徹全集 第3巻
リリース年
1956年
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前回にひきつづき、本日も、Oさんに提供していただいた資料にもとづく過去の記事の訂正と補足です。今日は『狂った果実』です。

武満徹全集の解説を読んで、おっと、こりゃまた大間違い、と頭を掻いたのは、劇中で石原裕次郎がウクレレを弾きながら歌った曲は、〈狂った果実〉ではなく、〈想い出〉というタイトルであり、作曲者はクレジット・タイトルに記されている佐藤勝でもなければ、武満徹でもなく、寺部頼幸だということです。

f0147840_23525522.jpg寺部頼幸はスティール・ギターおよびギター・プレイヤーで、戦後、弟の寺部震が率いるココナッツ・アイランダースというハワイアン・グループなどでプレイしたそうです。このへんのことはまったく不案内で、たいしたことが書けず、どうも相済みませぬ。調べてもコンプリヘンシヴな記述は見あたらず、

http://www9.plala.or.jp/matchnet/bond.html
http://www.alani-aloha.com/alani_cd60405.html
http://blog.livedoor.jp/abegeorge/archives/50841352.html

などを参照したにすぎません。こういう人のキャリアには面白い逸話がいっぱいあるのではないかと、鼻がうごめきます。

ということで、Oさんのご厚意により、かつては映画から切り出したものやら、YouTubeのものやらをご紹介したものを、ここにはじめて、遠回りせず、高音質、フル・ヴァースのヴァージョンへとグレードアップしてお届けできることになりました。

2010年4月追記
以下のサンプルは正しくは「狂った果実」(佐藤勝作曲)です。「想い出」と取り違えてアップしてしまったのですが、記事の前後関係を壊さないために、削除せずにおきます。「想い出」の低音質サンプルは「狂った果実」その1においてあります。

サンプル 石原裕次郎〈想い出〉

これをもって懸案解決、と宣言したいのですが、じつは、まだかすかに疑問が残っています。こういうミニ・アルバムが存在することをはじめて知ったのですが(10インチ盤か?)、ここに〈リコール ツー マイ メモリー〉というトラックが収録されていて、作曲は寺部頼幸、作詞は石原慎太郎となっています。なんだか気になります。〈想い出〉の歌詞ちがいヴァリアントの可能性なきにしもあらずです。ご存知のかたがいらしたら、ぜひコメントをどうぞ。

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もうひとつ引っかかるのは、佐藤勝作曲、石原慎太郎作詞の〈狂った果実〉という、シングルになった曲はなんだったのか、ということです。これが映画のなかで使われていれば、まったく問題がないのですが、映画の挿入曲は〈想い出〉だけ、〈狂った果実〉という映画と同題の曲は、映画と同じスタッフの手になるものでありながら、映画に登場せず、というのでは、傾げた首が折れちゃいますよ。

◆ やや趣の異なる共作形態 ◆◆
『太平洋ひとりぼっち』とおなじく、『狂った果実』のスコアも、単独クレジットではなく、佐藤勝と武満徹の共作となっています。このとき、佐藤勝は黒澤明の『蜘蛛巣城』で忙しく、とうてい他の映画を抱え込む余裕がなかったということですが、親しくしていた中平康の監督第一作で断りきれず、師匠の早坂文雄のところに出入りしていた武満徹の助力を仰いだのだといいます。武満徹にとっても、これが本格的な映画音楽第一作となりました。

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解説によると、作業の分担は、まず佐藤勝が主題歌を書き(結果的にこれは使用されず、そのメロディーはインストへと再利用された)、武満徹が佐藤の構成案にしたがって、メイン・タイトル以下の大部分の曲を書いたのだそうです。オーケストレーションはふたりが分担し、コンダクトは佐藤勝がおこなったとのことです。

プログラム・ピクチャーなので、スケデュールにまったく余裕がなく、撮影に先行して録音された曲も多かったそうで、ノーマルな共作とはいいかねますが、これまた、『太平洋ひとりぼっち』と同様、結果的にうまくいったのだから、ものをつくるというのは、つくづく一筋縄ではいかないと痛感します。

またまたどこかの星団か恒星のような名前がついていますが、以前、映画から切り出してサンプルにした曲を中心に、高音質ヴァージョンをアップしておきました。

以下はサンプル
〈メイン・テーマ〉
〈DB4-M4〉
〈DB8-M8〉
〈メイン・テーマ〉(unused)

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◆ 「オンリーさん」というもの ◆◆
武満徹全集の解説を読んでいて、えっ、そういう解釈があるのか、と驚いた箇所がありました。『狂った果実』で北原三枝が演じた女性のことを「人妻」と書いていたのです。あれは人妻ではなく、「オンリーさん」または、それに類する女性でしょう。

「オンリーさん」という言葉がすんなりわかる人はもう少ないかもしれません。進駐軍(米軍)関係者と短期契約を結んだ愛人のことです。進駐軍関係者というのは、軍人および軍属です。軍属とはなんぞやなどといいはじめると、どんどん話が長くなるので略しますが、あの映画で北原三枝を囲っていた外国人は、軍人には見えず、軍属ないしは、それに近いビジネスマンだろうと思います。横浜のベース・キャンプにかかわるビジネスをしている金回りのいいアメリカ人という、当時にあってはごく自然な設定と見て大丈夫です。

鎌倉駅のプラットフォームでばったり会ったときに、彼女が津川雅彦に対して自分の素性を隠そうとしたのは、結婚していることを知られたくなかったからではないでしょう。売春類似の行為をしていることを知られたくなかったのです。あの当時の観客なら、大多数はひと目でそう解釈したはずなのですが、時代が下って、進駐軍関係者を対象とした短期専属契約売春というものが身のまわりからなくなると、それがわからなくなってしまうのでしょう。

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なぜ、裕次郎扮する兄が、弟の恋人を強引に奪ったのか、という点に関しても、北原三枝を外国人と結婚したただの人妻だとみなしてしまうと、あの一連の流れを自然に解釈できなくなるでしょう。セリフのなかでも暗示されているように、堅気の女ではない、という明確な認識があったからこそ、裕次郎は直裁に彼女に肉体関係を迫るのでしょう。

そしてそのときに、世間知らずの弟にこういう性悪女は御しきれない、この女狐から弟を守ってやるのだ、というエクスキューズを自分に対してしているのです。観客も、相手はオンリーさんだから、裕次郎の行為に眉をひそめたりはしません。盗人にも三分の理、裕次郎の考えも、それなりに筋が通っていなくもない、と感じるのです。

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北原三枝をふつうの人妻とみなすと、裕次郎の行為の意味は異なったものになってしまい、ひいては、映画全体の構造が変わってしまうのではないかと危惧し、またしても、音楽ブログとしては出過ぎたことを書いてしまいました。ご容赦を。

◆ 過去の映画の未来 ◆◆
Oさんと対話していて、いやホントにねえ、困ったことですねえ、と嘆息しました。以下、勝手にOさんの私信の一部を引用します。

「最近では海外でも古い日本映画を容易に見れる環境になっており(中略)、みんな驚くのが、日本では有名な作品がLPやCDなどでフルスコアが音源化されていないこと。欧米の物と遜色のないほどの優れたスコアの数々が埋もれたままになっているのは、マスターテープの不在とかの物理的な問題があるにせよ、音楽文化の成熟度の違いでしょうか? もっと多くの海外の人々に日本映画のサントラに関心を持ってもらって、より多くのスコアが日の目を見ることを切望しております」

まったく同感です。すぐれたスコアがまたまだ大量に眠っているはずで、われわれも気づいていない佳作秀作もあるにちがいありません。

海外のブログやフォーラムをのぞいている方はご存知でしょうが、日本映画に対する海外の需要は無視できない大きさになってきています。それなのに、Oさんも嘆かれているように、世界映画史に記録されるような作品ですら、OSTがリリースされていないことがあるのです。たとえば、『東京物語』や『晩春』、『雨月物語』や『流れる』などといった、日本映画の代名詞ともいうべき作品のフル・スコアが存在しないのです。外国人に、どうしてOSTがないのだ、といわれても、われわれだって答えようがありませんよ。

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日本映画界に人がいれば、機は熟した、もはや海外の配給会社にまかせてはおけない、日本の会社が主体となって、積極的にプロモーションをおこなわなければ、ビジネス機会は失われる、と読んでいるはずですが、はて、どうでしょうかねえ。第一歩は、YouTubeの積極的な活用、具体的には、トレイラーの英語版を大量につくり、YouTubeに流すことです。これをやれば、日活アクションなんか、まだまだどんどん売れるでしょう。

いや、こういうことを書いていると虚しくなってくるので、もうやめます。日本映画界が鋭敏であったことなど、かつて一度もなかったのだから、今回もきっと世界の需要を読みそこない、対応をまちがえるだろうという予感がします。わたしにやらせてくれれば、いろいろなことができるのに!


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オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)


武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-07-19 23:55 | 映画・TV音楽
湖畔のふたり by 星野みよ子(『ゴジラの逆襲』『太平洋ひとりぼっち』『狂った果実』の訂正と補足 その1)
 
時間がなくて、どこまで書けるかわかりませんが、ときおりわたしの記事の不備を指摘してくださる、まことにありがたいウェブ上の友人Oさんが、昨日、今日のメールのやりとりでいくつかの点をご教示してくださり、また、資料まで送ってくださったので、それをもとに、最近の記事を訂正、補足しようと思います。

f0147840_23352917.jpgまず、星野みよ子の〈湖畔のふたり〉です。これは、『ゴジラの逆襲』の記事では、タイトル未詳で、仮に〈丘のホテル〉と名づけておいた曲の正式なタイトルです。Tonieさんのコメントに対するレスにも書きましたが、これは『ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクションBOX』というセットにボーナスとして収録されているのだそうです。

前々回の記事で、映画から切り出したこの曲の低音質のサンプルをアップしたところ、これまでのなかでも一、二を争うスピードでダウンロード数が伸びていて、驚いています。そして今日は、Oさんのご厚意で、高音質のファイルもアップできる運びになりました。

サンプル 〈湖畔のふたり〉

このヴァージョンでも、映画でブツッと切れた場所で切られているところを見ると、結局、この曲は既存の盤を利用したわけではなく、映画『ゴジラの逆襲』のためにつくられ、その際の録音しか残されていないということかもしれません。もっとも、日本の映画会社は資産の保全に神経質ではないので、どこかにフル・ヴァージョンが埋もれていないともいえませんが。

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星野みよ子(『ゴジラの逆襲』より)


2011年6月2日追記

星野みよ子のほかの歌のクリップを発見したので、付け加えておきます。「湖畔のふたり」で彼女の歌声がお気に召した方はこちらも楽しめるのではないでしょうか。CD化されているのはわずか一曲だけのようで、そちらは未聴です。

星野みよ子 ウェディング・ベルを盗まれた(Somebody Bad Stole de Wedding Bells)


◆ 『太平洋ひとりぼっち』の共作形態 ◆◆
これもOさんにうかがってはじめて知ったのですが、『武満徹全集』というセットがあり、『太平洋ひとりぼっち』や『狂った果実』のスコアも収録されているのだそうで、解説をスキャンしたJPEGとサンプルまで頂戴しました。

盤のマスタリングは映画とは異なるし、そもそも光学録音と磁気録音では特性が異なるので、盤からのファイルを聴くと、ずいぶん印象がちがい、今日はおおいにリスニングを楽しんでしまいました。高音質サンプルとして、前回の記事で勝手に〈好天〉と名づけておいた曲をアップしました。すばらしい曲です。

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キュー・シートの記載をそのままタイトルにしただけでしょうが、武満徹全集ではこの曲のタイトルは〈M6〉とされているそうです。それはどこの星雲ですか、てなもんで、あまりといえばあまりなタイトル!

サンプル 〈M6〉

Oさんがいっしょに送ってくださった解説のJPEGを読んで、うーむ、そうであったか、どうも失礼つかまつった、てえんで、泉下のマエストロに謝ってしまいましたよ。ひどい誤解をしていたのです。

前回も書いたように、この映画のクレジット・タイトルには、音楽は芥川也寸志と武満徹と並記されているだけで、作業分担を暗示する記載はまったくありません。わたしは、オーソドクスな曲調のものは芥川、ミュージック・コンクレート寄りのものは武満徹であろうと想定しました(いや、プロは技をもっている、お互いの役割を交換するという悪戯だってやりかねない、ということは書いておいたが)。これが大はずれだったのです。

f0147840_23531139.jpgアメリカ式にクレジットを細分化すると、「Music Supervisor-芥川也寸志」であり、「Music-武満徹」というべきで、芥川が音楽監督(およびアレンジとコンダクト)、武満が作曲という役割分担だったというのです。一般論として、オーソドキシーへの明確な理解のない人、基礎のできていない人には、アヴァンギャルドはつくれませんが、武満徹もまたこの原則の例外ではなかったようです。

ピカソの子どものころの絵を見ると、オーソドクスな意味で、つまり、写実という意味で、めちゃくちゃな馬鹿テクの持ち主だったことがわかりますが、武満徹もまた、その気になりさえすれば、保守的な意味での「いい曲」を書く能力は十分にもっていた、たんに資質として、そういうものに拘泥することを好まず、冒険的、発見的創作を指向しただけである、といっていいのでしょう。

◆ 音楽監督と作曲家 ◆◆
しかし、面白いのは、この映画のスコアに出てくる、いかにも武満徹作品らしいと感じさせる、ミュージック・コンクレート的な曲は、じつは、芥川也寸志の明快な指示のもとでつくられた、武満が我を通したものではなかった、ということです。どんな創作者もそうですが、単純化されたパブリック・イメージの向こう側には、複雑なキャラクターが潜んでいるもので、芥川也寸志と武満徹の場合も、それぞれにあまり表面には出てこない「劣性遺伝子」を抱えていたのでしょう。

f0147840_23535737.jpgもうひとつ指摘しておかなければいけないのは、芥川也寸志のオーケストレーションです。どうアレンジするかで、楽曲の色彩というのは大きく変化するものです。M6、すなわち、わたしが勝手に〈好天〉と名づけた曲に、あれほど軽快かつ叙情的な感覚が付与されたについては、楽曲よりも、アレンジ、サウンドの力が大きいといっていいでしょう。

そういう意味で、ヴェテラン芥川也寸志の老練さと、清新な感覚にみなぎった若い武満徹の『太平洋ひとりぼっち』は、理想的な共同作業だったといっていいのではないでしょうか。久しぶりにこの映画を再見して、スコアのすばらしさに強い感銘を受けました。

もはや時間切れのようなので、『狂った果実』の補足と訂正は次回へと繰り越させていただきます。この映画のスコアについても、わたしは大きな誤解をしていたようです。


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『太平洋ひとりぼっち』
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オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-07-18 23:54 | 映画・TV音楽
メイン・タイトル (OST 『太平洋ひとりぼっち』より)
タイトル
メイン・タイトル
アーティスト
N/A (OST)
ライター
芥川也寸志または武満徹
収録アルバム
N/A (OST)
リリース年
1963年
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漢字の間違い、言葉の用法の間違いはまだしも、ひらがなの間違いというのは、かなり恥ずかしいものだと思います。「は」を「わ」と書くのが典型ですが、しかし、言葉は間違いによって変化するという実証例であるかのごとく、「こんにちわ」は大手を振ってまかり通っています。遠からず「これわペンです」と書くようになるのではないでしょうか。

わたし自身、「ず」と「づ」はよくわからなくなります。そもそも、国語審議会もよくわからなかったらしく、理屈の上からは間違いとするべきものを正しいとし、正しいと考えられるものを間違いとしています。たとえば「跪く」は、言葉の大もとから考えていくと「ひざまづく」のはずですが、「ひざまずく」としなければいけないそうです。理屈に合わないことは不快ですが、ルールではそうなっているのです。

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「大通り」はひらがなで書くと、「おおどおり」ですが、「おおどうり」と書く人もいます。まったくもって母音は面倒ごとのはじまりで、わたし自身も「扇」と変換するつもりで「oogi」とタイプしてから、ちがった、といってタイプし直したりします。

前々回の『ゴジラ』のときには、日本語のアルファベット表記の規則は変だ、あれでは読めないということを書きましたが、そのときに例に挙げたものの一部は、長音の対象外だということに、あとになって気づき、「こんにちわ」並みのひどい間違いだと赤面しました。

「i」は「a」「e」同様、長音の変則規則の対象外だということを、わたしはきちんと理解していなかったのです。知らなかったのはわたしだけでしょうが、「o」と「u」は長音も兼ねるという無茶苦茶な変則ルールをつくったために、こちらも勘違いするのだといいたくなります。

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一国の言語の規則を定める機関がまじめに仕事をしないと、国民が努力しても、ごくごく基本的なレベルで大間違いをするわけで、これはルールのほうが間違っているのだ、といいたくなります。まあ、「ときょ」という首都をもつ国だから、しょーがネーか、と諦め気分ですけれどね。関西に行っても、「おさか」に「きょと」に「こべ」とくるのだから、逃げ場がない!

◆ 太平洋という名の密室 ◆◆
前回もタイトルがはっきりしない挿入曲でしたが、今回も、じつはサウンドトラック盤がないため(市川崑作品の音楽を集めた編集盤に数曲収められているらしいが、もっていない)、勝手にタイトルをつけました。また、スコアの作曲者としてクレジットされている人も二人いるため、作曲者も不明です。わたしの感触では、メイン・タイトルは武満徹のスタイルには感じられないので、芥川也寸志だろうと思いますが。

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いちおう、どういう映画かということを説明しておきます。わたしは子どものときもいまも、まったく関心がないのですが、堀江謙一という人がいます。この人物がかつて、ヨット(正確にはディンギーないしはセイル・ボートといわなくてはいけない。yochtは本来、外洋を航行できる大型帆船または機帆船を指す。『マタンゴ』の船はまさに「ヨット」)で大阪からサンフランシスコまで行ったという出来事がありました。いつのことか忘れたし、調べる手間も省きますが、1960年代はじめのことです。

当時、これは大変な快挙と騒ぎ立てられました。わたしは子どもなので、さっぱり意味がわからず、なんの関心ももちませんでした。この年になっても、だからなんだ、としか思わず、この種のこと(「冒険」と当事者とメディアが呼ぶ行為)には価値などないという考えは一貫して変わりません。

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しかし、石原裕次郎はセイリングを愛するせいか、この題材に執着し、日活とみずからの会社との共同製作で、映画化にこぎつけます。わたしは小学校四年だったことになりますが、たとえば、『愛と死を見つめて』とまったく同様に、この映画には興味ゼロでした。いや、年齢の問題ではなく、いまでも息苦しい映画は大の苦手です。

大人になり、監督が市川崑だというので、なかば義理で見たのですが、感銘が薄いだけでなく、ひどくテンポがのろくて、ヴィデオだったら、がんがん早送りするにちがいない退屈な出来でした。

いま、具体的な例が出てこないのですが、「漂流もの」という「海洋冒険もの」のサブジャンルがあります。わたしにとっては天敵のようなもので、大好きなヒチコックの『救命艇』ですら、きっと漂流ものなのだろうと、いまだに見ていないほどです。なぜ嫌いかというと、あの閉塞感に耐えられないのです。

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映画製作者は、ゴムボートや筏からカメラが動かない致命的欠陥に補いをつけようと、フラッシュ・バックを多用したりしますが、回想シーンのあいだも、ただの間借り、一時的な避難という感覚にとらわれたままで、意識は依然として「洋上の密室」にあり、フラッシュ・バックでは解放感、開放感は得られません。陸に着き、狭いボートから脱出しないかぎり、窒息しそうな気分から抜け出せないのです。

映画が舞台劇と異なるのは、編集によって、自在に、そして瞬時に時空間を移動できることです。しかし、海洋もの、とりわけ、漂流ものは、いつまでも同じ狭い空間から移動できず、わたしのようなタイプの観客は、この苦行から一刻も早く解放されたいと願うことになります。市川崑監督も、この窒息感をやわらげることにおいて特段の能力を発揮することはなく、『太平洋ひとりぼっち』は、この種のものの典型というべき、息苦しい映画です。

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◆ 広々、はろばろのサウンド ◆◆
では、なぜそういう映画を取り上げたのかといえば、ひとつの法則を発見したような気がするので、そのサンプルになるのではないかと思ったのです。どういう法則か?

「ディンギーやヨットが出てくる日本映画は音楽が面白い」

という法則です。当家で過去に取り上げた映画でいうと、やはり石原裕次郎がディンギーで帆走するショットが山ほど出てくる『狂った果実』、東宝特撮ものの一篇、大型機帆船という正真正銘の「ヨット」が出てくる『マタンゴ』がこれに当てはまります(『マタンゴ』の登場人物の一部は、当時の有名人のカリカチュアで、そのひとりはほかならぬ堀江謙一だとか)。

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ま、要するに、海に出て風を帆に受けたときの気分をあらわすような音楽をわたしはおおいに好む、ということをいっているにすぎず、それを「法則」というのは誇大もいいところですが、でも、「法則」なんてのはみな誇大なものですから、わたしが「ディンギー日本映画音楽よしの法則」を唱えたって、それほど無茶でもないでしょう。

前述のように、OST盤はリリースされていないため、すべて映画から切り出した音質の悪い断片、しかも、多くはセリフがかぶっていますが、すこしサンプルをあげておきました。じつは、すべてのサウンドトラックを切り出し、タイトルをつけて自家製のアルバムをつくったのですが、そんな大げさなものをお聴きになりたい方はいらっしゃらないだろうし、トラブルを招く怖れもあるので、控えめにしておきました。

以下はサンプル(ただし、ここで〈好天〉と仮に名づけた曲のタイトルは正しくは〈M6〉だということがわかり、改めて高音質のサンプルをアップしたので、この曲に関してはその訂正記事のほうをご参照あれ)
メイン・タイトル
北風吹く
嘆きの父
伊豆七島
好天
走れマーメイド
近くて遠き

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◆ コンビネーション・プレイ ◆◆
武満徹が嫌いということはないのですが、いたって保守的な嗜好なので、グルーヴ、メロディー、和声という次元で音楽を捉える傾向があり、以上のサンプルもまた、保守的な意味で「いい曲」を拾ってみたものです。

〈メイン・タイトル〉は懐かしい手触りがあり、おおいにけっこうです。ほんの数小節で、昔の映画を見ている気分になり、リラックスしてしまいます。こういうすばらしい音ではじまった映画が、あれほど退屈なものになったのは信じられない現象です。

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このメイン・タイトルなら、田坂具隆の『陽のあたる坂道』、滝沢英輔の『あじさいの歌』、中平康の『あいつと私』といった、石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演、芦川いづみ共演の明朗青春映画のタイトルとして頂戴しても、ぴったりはまるでしょう。いや、わたしは『あじさいの歌』のメイン・タイトルは好きなので、べつにあのままでもいいのですけれどね(いま調べたら、『あじさいの歌』の音楽監督は小津映画の常連、斉藤高順だった。われながら好みが一貫している)。

〈北風吹く〉は〈メイン・タイトル〉の変奏曲です。このシーンにおいてみると、いっそう、この曲に組み込まれた昂揚感が明瞭になります。

〈嘆きの父〉は、大の贔屓、森雅之のセリフ入りです。企画の推進者である裕次郎は、皮肉なことに、ひどいミスキャストだと感じますが(これほど大阪弁が不似合いな俳優はほかにいないのではないか?)、森雅之と田中絹代の夫婦はおおいにけっこうでした。長生きして、年老いた森雅之の演技というのを見てみたかったと、つくづくと思います。

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森雅之

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田中絹代と石原裕次郎。市川崑は被写体をワイドスクリーンの両端に片寄せて捉えている。

〈伊豆七島〉はこの映画のスコアのなかで唯一の4ビートです。60年代前半から中盤の日本映画を見ていると、スコアのどこかに4ビートの曲を嵌めこむのは、ほとんど常識だったのではないかと思えてきます。時代の気分をあらわすものだったのでしょう。この部分は、芥川也寸志なのか、武満徹なのか、どちらなのだろうと首をかしげています。

〈好天〉は、この映画のなかでもっとも楽しい曲です。メロディー、パーカッションの使い方、アレンジ、いずれも;好ましく、文句なしです。途中、ギター・コードのストロークが出てきますが、これまた盛り上がりますし、マイナーにいくところには、ホルンのサウンドのはろばろした感覚も相まって、心地よいセンティメントがあります。

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〈走れマーメイド〉は、〈メイン・タイトル〉のアップテンポ・ヴァージョンで、直前の〈好天〉の一部に聞こえるようなアレンジが施されています。エレヴェーターに閉じこめられたようなこの映画のなかで、この2曲はおおいなる救いです。

〈近くて遠き〉は、いかにも武満徹、という曲を選んでみました。いや、シャレの好きな人間なら、お互いの役割を交換してみる、という悪戯をしかねないので、保証はできませんが、でもまあ、ふつう、武満徹の音楽といえば、だれでもこういうタイプの和声をイメージするでしょう。

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だれのアイディアだったのか、たんなる苦肉の策だったのか、はたまた、なんらかのトラブルの結果だったのか、そんなことは知りませんが、芥川也寸志のオーソドクスな音と、武満徹の屹立した個性の組み合わせは、不思議な対比をなして、おおいなる魅力を発揮しています。こういうこともあるのだから、なにごともやってみないことにはわからんな、です。

◆ 出口なし ◆◆
f0147840_2329557.jpgこういう風に、映画にはまったく魅力を感じないけれど、音楽の出来は非常にいい、というのは困惑します。映画の出来を云々する以前に、音楽がひどくて怒ってしまう、というのは(そういうのは70年代以降の日本映画にかぎられるが)まだ始末がいいといえます。憤激というのはひとつの「出口」なので、「解決」がつくのです。

でも、「いい音楽だなあ」という気分と、「このストーリー、この絵では窒息してしまう」という閉塞感の組み合わせは、出口がなくて、結論のつけようがありません。製作者側としては、苦難の末にサンフランシスコに着いたときの解放感をカタルシスと考えたのかもしれませんが、もとが実話なので、ドラマティックなところはなく、ただ単に密室から這い出て、ばたりと倒れるような、カタルシスにはほど遠い終わり方です。事実は小説よりも奇なりかもしれませんが、小説より盛り上がるものなり、ではないことがよくわかりました。

ともあれ、今回は、「映画は退屈でも、音楽はすばらしい」ということは、やはりあるものなのだなあと、サントラ・ファンにいわせれば、当然かもしれないことを痛感しました。つぎも、映画の出来は『太平洋ひとりぼっち』をホコリのなかに置き去りにするほどの圧倒的なひどさなのに、音楽は楽しいという作品を予定しています。

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この画角で吊り橋を捉えるのは、当時は新鮮だったのではないだろうか。時代が下ると、ジェイムズ・ボンド・シリーズにも、このような絵が出てきた記憶がある。




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『太平洋ひとりぼっち』
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オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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by songsf4s | 2009-07-16 23:38 | 映画・TV音楽
(仮)丘のホテル by 星野みよ子 (OST 『ゴジラの逆襲』より)
タイトル
未詳(仮に〈丘のホテル〉とする)
アーティスト
未詳(おそらく星野みよ子)
ライター
未詳(佐藤勝?)
収録アルバム
N/A (OST)
リリース年
1955年
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昔は映画とサウンドトラックを切り離して考えるようなことはありませんでした。テーマ曲、挿入曲は切り離せますが、スコアは映画と心中するものと思っていました。しかし、このところ、映画は退屈なのに、スコアはすばらしい、あるいは楽しいというものに立てつづけに出くわしました。どちらも日本映画です。

音楽の出来がいいのはけっこうなような、でも、映画が面白くないのでは、なんの意味もないような、いや、そうでもないような、そのへんはかなり微妙なところがありますが、それは、画面とスコアのバランスが崩れた映画を取り上げるときにでも書きます。いや、今日の映画も、そういうことと無関係ではないのですが。

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◆ 都会を目指すゴジラ ◆◆
『ゴジラ』を取り上げたくせに、『ゴジラの逆襲』をまたいで通ったりすると、大阪方面で顰蹙を買う恐れがあるので、素直にゴジラ2へと進むことにします。

舞台が大阪になったせいなのか、それとも監督が小田基義(トニー谷の『家庭の事情 馬ッ鹿じゃなかろかの巻』および『家庭の事情 ネチョリンコンの巻』の監督)になったせいか、はたまた音楽が伊福部昭から佐藤勝になったせいか、ずいぶんとタッチのちがうゴジラで、これはこれで、いま見ると面白いのではないかと思いますが、映画のほうはさておき、まず音楽です。ゴジラ映画に、伊福部昭のあの曲が出てこないと、物足りない思いなきにしもあらずですが、佐藤勝のメイン・タイトルもなかなかけっこうな出来です。



例によって、説明不足ないしは説明する意志がないために、よくわからないところがあるプロットなのですが、なぜか今回は東京ではなく、ゴジラは大阪方面を目指します。しかし、(なぜか)大方の予想では四国に上陸するというので、第一発見者である小泉博をはじめ、大阪人は呑気にナイトクラブで踊っています。

台風だって四国に上陸しそうなら、大阪でも警戒しそうなもの、ましてゴジラなんだから、どこに来るかわかったものではなく、ナイトクラブで遊んでいる場合じゃないと思うのですが、たぶん、このシンガーに出演シーンをあたえなければならない事情があったのでしょう。

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といって、ここにそのシーンを貼りつけられるといいのですが、そうは問屋が卸さないので、かわりにサンプルをおいておきました。盤ではなく、映画から切り出したもので、音質は悪いし、1分半ほどの断片ですが、曲もなかなかけっこうですし、人数は少ないものの、弦のアレンジもちょっとしたものです。

サンプル

映画のクレジットには曲名が書かれていないので、歌詞から勝手に「丘のホテル」と名づけておきました。歌手の名前を星野みよ子とした唯一の根拠はクレジット・タイトルの星野みよ子のところに「コロムビア」とあったことです。所属レーベルが書いてあるのだからシンガーであり、映画のなかで歌ったという意味と解しました。

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歌の終わりのほうに、空襲警報のようなゴジラ警報も残しておきました。これでナイトクラブの客はパニックになるのですが、そんなに怖いなら家にいろよ、と思ってから、家にいてもナイトクラブにいても同じか、と思いなおしました。近畿地方から避難するか、腹をくくるか、どちらかしかなく、パニックになる理由はかけらもないと思うのですがねえ。

ともあれ、こういうチェンジアップの曲を入れておいてくれたのはうれしいことです。挿入曲の作者とスコアの書き手はかならずしもイコールではないのですが、これが佐藤勝の作だとしたら、なるほどねえ、です。佐藤勝の曲は、当家では石原裕次郎の〈狂った果実〉を過去に取り上げています。〈丘のホテル〉も〈狂った果実〉もコード・チェンジの面白さがあり、したがって、シンガーにとっては難所があるところが共通しています。〈丘のホテル〉がサントラ盤に収録されていないのは残念ですが、所属レーベルの問題を解決できなかったのではないでしょうか。

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◆ サブプロットはつくったが…… ◆◆
最初の『ゴジラ』が太平洋戦争のメタファーなら、ゴジラとアンギラスという二匹の怪獣が勝手に日本にやってきて、周囲の迷惑にはおかまいなく、勝負をつけようと大暴れし、破壊のかぎりを尽くす『ゴジラの逆襲』は、米ソ冷戦時代のメタファーなのかもしれません。

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辰野金吾設計の中之島公会堂もゴジラとアンギラスの戦場になってしまう。

現実の冷戦はその後、だらだらとつづきますが、『ゴジラの逆襲』では、大阪城の戦いであっさり決着がつき、迷惑も中くらいですみます。まだ冷戦構造が明確になりはじめた段階で、まもなくドラスティックな変化が起こり、「熱戦」に突入して、破局的な結末にいたる、という予想または恐怖感があったのかもしれません。

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しかし、まあ、そういうメタファーというのは、一面で重要ではあるものの、いっぽうで、だからどうした、といいたくなるときもあります。まず、面白いかどうかが重要であり、面白さを裏づける要素としてメタファーがある、という順番であって、逆ではないでしょう。

当局は、光に反応するゴジラの習性を利用して、照明弾で大阪湾の外へと連れだそうとします。この作戦の遂行のために、大阪市内は厳重な灯火管制が布かれています(またしても太平洋戦争のメタファー)。そのゴジラ誘因作戦の真っ最中に、大阪市内を走る囚人護送車へと話が切り替わります。ははあ、この連中が作戦失敗の原因をつくるのね、とすぐにわかります。

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いや、それはしかたがないのですが、なぜ囚人護送車なのか、です。ゴジラにそなえて厳戒態勢を敷いている最中なのだから、だれがどう見ても、囚人を移送するタイミングではありません。そこにはやむにやまれぬ理由があった、というのなら、そのシーンをちゃんと入れておいてよ、です。

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警官の銃を奪って脱走した囚人たちは、たまたまそこにあったタンク・ローリーに乗って逃走するが……。

物語というのは、手順を踏んで、場面と場面を有機的に結びつけていかないと、面白くならないもので、ゴジラが大阪に逆戻りする理由をつくるのは当然だし、そのためのサイド・プロットをつくるのもノーマルな手順です。そこまでは、唐突さを特徴とする東宝特撮のシナリオしては、いつになくまっとうな仕事をしていると思うのですが、理由づけ抜きでの囚人移送は無理です。ほんの2、3ショットで簡単に正当化できたはずなのですが、その手間をかけてくれないのが、いかにも日本映画らしいところです。いまになれば岡目八目、ここに滅亡の兆候あり、ですな。

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ゴジラとアンギラスが大暴れしたために、川底が割れ、その下の地下鉄へと水がなだれこむ。囚人たちの一部はこの淀屋橋駅で奔流に呑みこまれてしまう。

◆ 戦争は終わっていない ◆◆
エンディング直前にも、わけのわからないことが起こります。これは、『ゴジラの逆襲』をこれから見よう、または再見しようという方はお読みにならないでください。

さて、千秋実は漁業会社に勤めるパイロットで、魚群を探すことを仕事にしています(魚探が生まれるのは未来のこと)。映画の後半、彼は北海道支社に移り、またしてもゴジラを発見してしまいます。それはかまわないのですが、自衛隊の攻撃がうまくいかないのに業を煮やし、なんの武器ももっていないのに、ゴジラに突っかけるように飛び、熱線にやられてしまいます。その結果、氷壁にぶつかり、それがヒントになって、土屋嘉男の飛行隊長はゴジラ氷漬け作戦を思いつき、これが決定打になる、という展開です。

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でも、わたしは、どうしても、千秋実の自殺行為の意味が解せず、あれえ、これでエンディングに持ち込む気かよ、まさかそれはないよなあ、と思いました。あれはどういう意味なのでしょうか。人間、心底怒ると、死にたくなる? まさかそれはないですよねえ。

考えられることは、千秋実は特攻隊の生き残りで、ここを死に場所と定めた、ということですが、ゴジラにダメージをあたえられるという確信もないのに、よく突っ込めるなあ、と首をひねります。特攻隊だって、500キロ爆弾かなんかを抱いて突っ込むわけで、戦争中、パイロットだったのなら、それくらいのことはわかっているでしょう。

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民間、自衛隊とところを変えた太平洋戦争の戦友たちは北海道で再会するが、ともにゴジラ邀撃のために出動することになる。

まあ、これは戦後生まれが思うことにすぎず、太平洋戦争経験者なら、あの千秋実のヤケクソ飛行の意味を、心情的に理解できるのかもしれません。ゴジラ・シリーズを見ていくと、つくづく、太平洋戦争は終わらなかったのだと思います。

それはともかく、わたしは『ゴジラの逆襲』という映画も、『ゴジラ』とは味わいが異なっているところが、なかなか面白いと感じました。スコアについても同じことがいえます。ゴジラといえば伊福部昭なのでしょうが、佐藤勝もお忘れなく。

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by songsf4s | 2009-07-15 00:39 | 映画・TV音楽
ゴジラ・メイン・タイトル by 伊福部昭 (OST 『ゴジラ』より)
タイトル
ゴジラ・メイン・タイトル
アーティスト
伊福部昭 (OST)
ライター
伊福部昭
収録アルバム
Godzilla 50th Anniversary Edition (OST)
リリース年
1954年
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◆ トホな国ニッポン ◆◆
現在使われている日本語のアルファベット表記というのは、つくづく奇妙なものだと思います。街角で交番の「Koban」という看板を見るたびに、「大判小判ざくざく」と頭のなかでコール&レスポンスをしちゃいます。

日本国内で通用しているだけなら、もとの漢字や仮名とセットになっていることも多く、類推のむずかしい固有名詞でもわかったりします。「Oe Indust. Co.」だけでは読めませんが、「大江産業」(万一実在していたら、ご容赦を)とあれば、そういうことか、と納得します。

ゴジラ1 予告篇


しかし、ウェブでこれだけ日本のことが取り沙汰されるようになると、日本の文物に関する英文記事を読むのはひどく疲れるときがあります。たとえば、このブログは、わたしと同世代のアメリカ人のところなのですが、それはそれは熱心に日本映画を見ていて、おおいに啓発されます。

しかし、わたしの知らない最近の日本映画人の名前が頻出するため、しばしば立ち止まって考えてしまいます。Yukiなんていう名前は、由紀かもしれないし、結城かもしれないし、知らないとさっぱり読めません。そういうわたしも、この伸ばすんだか、伸ばさないんだか見当のつかないYuの表記を使う名前なのですが!

東宝特撮映画のファンというのは、こういう世相ですから、海外にも山ほどいて、ウェブサイトやらブログやらが氾濫しています。こういうことになると、人間はまじめに、徹底的にやる傾向があるようで、なかには面白いものもあります。われわれも似たようなことをしているのですが、そういうサイトのなかに、タイトルのJPEGの飾りとして、日本語を使っているところがありました。でも、その飾りの日本語というのが、「トホ映画」っていうんですよ。あらら、でした。

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もちろん、固有名詞のアルファベット表記に長音記号を使っているところもあるし、前述のブログのように、たとえば、Koreedaとは書かず、Kore'edaと書いて、「コリーダ」ではなく「是枝」なのだということまでわかるように、気を遣っているところもあります(ということは、OeもOh'eにすると読める可能性が出てくる?)。

こういうことというのは、一度、普及してしまうと変更できないもので、なんとも悩ましいことです。わたしは、他人に見せないもの、たとえば、落語のエアチェック・ファイルは、Shinsyou_Kaen DaikoとかShinchou_SuzumeとかEnsyou_Misoguraといったように、語尾のuを省略せずにファイル名をつけています。

ただし、RyuukouやRyuukyouというように、同じ母音が重なると、あまりきれいではなくて、ここでもむずかしさを痛感してしまいます。飯田さんなんてお名前も困りますねえ。Idaだと英語式に「アイダ」と読みそうになるし、Iidaもきれいではないし、どうしよー、です。

こうしてみてくると、二重母音がむずかしいのだということがはっきりしてきますが、解決策なんか、わたしには見当もつきません。だれか、なんとかしてくれー、です。

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◆ けなげな曲 ◆◆
シナリオに大きな穴があるとかなんとか、一人前に不満をいっているくせに、この二週間ほどのあいだに、トホ映画、もとい、東宝特撮映画を四本も見てしまいました。やはり音楽が気になり、いくつか面白いチェンジアップを見つけましたが、でも、そういうところに行く前に、やはりど真ん中の速球をやっておかないと義理が悪かろうと思い、だれもが知っている、ゴジラのメイン・タイトル、というより、ゴジラ行進曲とか、ゴジラ・マーチといったほうが通りがいいであろう曲を取り上げることにしました。



取り上げるといったところで、「わたしもやっぱりこの曲は好き」という、コメント欄に書けばいいじゃネーか、みたいなことしか思っていないのでして、書くことはなにもないのです。平行五度とか、そういうことが問題にされたりすることもあるようですが、ポップ/ロック的観点では当たり前の手法なので、われわれの側からは取り立てて問題にするべきことではなく、伝統音楽の世界の問題でしょう。

ゴジラというより、自衛隊が出動する音楽という感じで、子どものときは、これが流れると、いつも盛り上がっていました。まあ、いつだって、どの兵器も通用しないのですが、音楽は元気で、また今回も負けゲームだろうけれど、とりあえずやってみようや、という楽天性があり、いっぽうで、絶望的な戦いの悲壮感も重合されていて、そのへんがつねに愛されてきた理由ではないかと思います。勝ち目のない太平洋戦争を繰り返すことを強いられている心境の表現じゃないでしょうか。勇壮かつ悲愴というところでしょう。クリシェ御免。

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そうしばしば自衛隊に出動を要請するわけにはいかなかったのか、こういうショットは使いまわしされることが多い。これは再利用だらけの『大怪獣バラン』で二度のおつとめを果たしたショットのひとつ。

いったい、いつも、なにをくどくどしく書いているのかと、こういう日は反省してしまいます。よけいな飾りをとれば、いつもいっていることはたったの二種類、「この曲は好きだ」「この曲は嫌いだ」にすぎず、字を書くまでもなく、YとNを大きくて派手なロゴにして、ペタッとやっておけば、それですんじゃうのです。

◆ 三つの楽しみ ◆◆
といって終わりではなんなので、駄話をつづけます。年寄りが縁台将棋をしながらぶつぶついっている無駄話と同程度の価値しかないと覚悟のうえでお読みあれ。

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ブツブツ文句をいいながら、どうして東宝特撮映画を見ているのか、この際だから、よく考えてみました。どういうことを楽しみにして待ち受けているかを、自覚的、第三者的に観察してみたのです。わりに簡単なことでした。

1. 俳優たち
2. ロケの町並みと模型によるセット
3. 音楽

まず1の俳優たち。これがなんといっても楽しみです。土屋嘉男、平田昭彦、佐原健二、小泉博、宝田明、藤木悠、高島忠夫、田崎潤(東宝特撮ムードが濃厚に感じられる順に並べてみた)といった男優陣、とくに、四天王ともいうべき土屋嘉男、平田昭彦、佐原健二、小泉博を見ていると、子どものころにもどったような気分になります。

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土屋嘉男(左)と小泉博(『ゴジラの逆襲』より)

もちろん、ほかのタイプの映画の記憶もありますが(土屋嘉男は黒澤組のレギュラーなので、『七人の侍』の農民などは印象が強い)、子どものころに夢中になった映画群の常連だから、いまになって再会すると、なんともいえない親しみを感じます。若いままの姿で町ですれちがったら、きっと頭を下げちゃうでしょう。残念ながらすでに鬼籍に入った人もいるのですが……。

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左から河内桃子、平田昭彦、志村喬、宝田明

こういう特別な親しみを感じる俳優というのは、わたしの場合、東宝にかぎられるようです。子どものころ(というのは昭和30年代のことだが)、松竹をのぞく邦画四社を満遍なく見ていましたが、日活はほぼとぎれることなく見つづけているので、しばらく会っていなかった懐かしさというものは感じませんし、大映や東映の映画は、いわば大人向けのものに無理矢理適応していたようなものなので(『白馬童子』『赤胴鈴之助』といった子ども向け時代劇もあったが、東映のいちばんのお楽しみはアニメーションだった)、やはり、東宝特撮映画男優陣は特別な存在です。

じっさい、なんだかすごく気になってきて、もっとお年を召してからの作品群をまとめて見たいだなんていう、非常に不都合な考えを起こしています。まずは、佐原健二から……。

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佐原健二(左)と有島一郎(『キングコング対ゴジラ』より)

2のロケの町並みとセットというのは、とくに説明の要はないでしょう。実写の町並みはもちろんじっくり見ますし、しばしばストップ・モーションにしてたしかめています。映画は映画館で見るべきものですが、好きなところで止められるというのは、ロケ地観察には絶対不可欠です。

東宝特撮映画は、ミニチュアの町並みを破壊することを売り物にしていたので、当然、そちらも気になります。円谷特技監督以下、実物をコピーしようとがんばったのでしょう。ミニチュアの町並みを見るのも楽しいものです。子どものころは大破壊に喝采していましたが、この年になると、あー、それはいま残っていたとしたら名所になるようなビルなんだから、壊さないでよー、なんて思うところが自分で笑ってしまいますがね。

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炎上する東京。『ゴジラ』は全編に太平洋戦争のメタファーがちりばめられていて、当時の観客が不気味なリアリティーを感じたであろうことは容易に想像がつく。

そして、これまでにも『ガス人間第一号』『マタンゴ』で二度にわたってみてきたように、音楽はなかなか楽しくて、これもまた大きな魅力になっています。まあ、これはいわずもがななのですが。

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このショットの意味を理解するのには少々手間取った。銀座のデパートのいずれかの屋上に大きなバード・ケイジがあったのを、なにかべつの映画で見た記憶がある。そのデパート(銀座三越?)の屋上から、ケイジ越しにゴジラを捉えたという趣向である。

◆ 成瀬タッチ ◆◆
『ゴジラ』第一作に間に合ったのは、団塊の世代までです。われわれは間に合いませんでした。もちろん、翌1955年の第二作『ゴジラの逆襲』にも間に合わず、「My first Toho」は『空の大怪獣ラドン』でした。といっても、封切りのときに見たとはっきり記憶しているだけで、中身はきれいに忘れてしまいました。記憶が鮮明になるのは『モスラ』以後です。

最初の『ゴジラ』はいつ見たのか、これまた記憶がありません。たぶん、子どものころ、夏休みにリヴァイヴァルがあって、それで見たのだろうと思います。それはいいのですが、その後、一度も見なかったのか、今回見直したら、さっぱり記憶がなくて、驚きました。第二作の『ゴジラの逆襲』のほうは大人になってからヴィデオを見たのですが、オリジナル・ゴジラを見るのは半世紀ぶりぐらいだったようです。

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有楽町の朝日新聞(右)と日本劇場(日劇)に迫るゴジラ。ほかのものはやむをえないとしても、この二つのビルだけは残すべきだったと思う。というこちらの感傷とは無関係に、ゴジラは無頓着に壊していく。

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向島側から捉えた浅草・松屋(右)。中央の尖塔は地下鉄ビルではないかと思うが、それにしては位置がややずれている。リアリズムは捨て、見栄えのよい配置をとった? どちらも現存だが、地下鉄ビル(地下鉄入口の上にある)は、ステンレスのプレートを全面に貼りつけ、スクラッチ・タイルの外壁や尖塔を隠してしまっている。川端康成の『浅草紅團』はこの尖塔の上での会話からはじまるぐらいで、本来なら浅草のランドマークになるべき建築。

半世紀ぶりに見て思ったのは、ああ、アメリカ製ゴジラはこのシーンを引用したのね、といった些末なことと、サウンド・イフェクトというか、ゴジラの叫び声のすごさです。ゴジラの声がすごいのは、当然、知っていたのですが、一作目の冒頭はとりわけすごいのではないでしょうか。よくまあ、こんな音をつくったものだと呆れます。

これは東宝音響部の仕事ではなく、伊福部昭の発案で、ベースをこすったのだとか。そういえば、キャロル・ケイが『激突!』のときだったか、ベースでトラックの、たしかギア・チェンジの効果音をつくったという話を書いていました。そういう細部の工夫というのが、映画のもっとも重要な楽しみのような気がするときすらあります。

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ゴジラの足跡、日本(上)とハリウッド(下)。こうして見ると、日本製はいかになんでもケレンがなさすぎる。やぐらを組んででも、もっと明快なショットを撮るべきだった。「暗示」にとどめておきたかっただろうとは思うが……。

それから、もうひとつ、これは子どものころにはわかるはずがないのですが、なるほど、成瀬巳喜男映画の兄弟だ、と感じました。『ゴジラ』の撮影監督の玉井正夫は成瀬組で、たまたまこのときだけ特撮もののグリップを握ったのだということが、美術監督の中古智(こちらも成瀬組から『ゴジラ』に出張し、師匠である北猛夫美術監督を補佐している)の本に出てきます。

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室内シーンではむずかしいライティングをする。

一流キャメラマンというのはやはりタッチをもっているので、『ゴジラ』も、セット・シーンになると、なんとなく、成瀬映画的な湿度が感じられるのです。そう思ってみると、妙な気分になること請け合いです。

東宝特撮映画はこれで終わりではなく、「つづく」のつもりでいます。間をあけずに何本か行こうともくろんでいますが、果たしていかに。

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by songsf4s | 2009-07-10 23:30 | 映画・TV音楽