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狂った果実 by 石原裕次郎 (OST 日活映画『狂った果実』より) その4
タイトル
狂った果実
アーティスト
石原裕次郎
ライター
石原慎太郎, 佐藤勝
収録アルバム
N/A (未発売)
リリース年
1956年
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近ごろはニュースを見ず、新聞もあまり読まず、仙人への道を歩みはじめていたのですが、新型インフルエンザへの対応が極端にノロいので、毎日、ウェブでチェックするようになり、すこし地上に引き戻されました。

映画『アウトブレイク』でも、警報を出すか否かで登場人物たちが争いますが、今回もCDCなどではきっと大激論があったのでしょう。いまごろ、早期警報派が、だれそれが責任を負うのをこわがったせいで、ここまで広がってしまった、と地団駄踏んでいるにちがいありません。

わたしは報道を見た瞬間(テレビではなく、ニュース・フィードで見た)、即座に徹底した空港検疫をはじめれば日本政府は合格、と思いましたが、案の定、無責任だから、ためらってしまいました。CDCの段階ですでに大きく遅れたことを計算に入れれば、即座に断固たる手段を執らねばいけないことは、わたしのような市井の人間にも簡単にわかることで、それができないようでは、役人も政治家も仕事をしていないことになります。

しかし、どこの国の政府もみな似たり寄ったりで、あそこは立派だった、なんていうのはないようです。21世紀のもっとも深刻な世界的流行病は、新型インフルエンザではなく、不決断病、無責任病のほうかもしれません。

◆ イレギュラーな楽器構成 ◆◆
わたしもやっと21世紀に追いついたのか、不決断病にかかりました。『狂った果実』をここまで引っ張って、このうえまだ4回目をやるのか、です。人のことを不決断とそしるなら、決断せざるをえず、「止めてくれるなおっかさん、だれも読まなくても4回目をやるぞ!」と決めました。いや、じつは、3回目をやって、カウンターの数字がおもいきり「引いた」らやめようと思ったのですが、午前中まででかなりいい数字だったので、他力本願の「決断」をしただけです。

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こういう砂浜につくられた夏場だけの臨時のアミューズメント・パークというのは昔はよくあったのだが、近年はあまり見ない。もっとも、逗子や葉山に行くこともめったにないから、こちらが知らないだけか。

もうひとつ、武満徹のスコアについてちょっと書くつもりだったのに、サンプルの出し遅れのせいであわてたために失念してしまった、ということもあります。前の記事に戻るのは面倒だというわがままなお客さんのために、もう一度ここにリンクを貼ります。なんて親切なんだろうと、自分を尊敬してしまいますよ。

サンプル3(ラヴ・テーマ)
サンプル4(ラヴ・テーマ、オルタネート)

この2曲のアレンジです。最初はハーモニカ、ウクレレ、ペダル・スティールというトリオの演奏です。って、これ、じつは、ものすごくイレギュラーな楽器編成です。わたしの自前脳内データベースはかなり規模が大きいはずですが、何日もずっと検索をかけているにもかかわらず、類似楽器編成の曲にヒットしません。これが唯一の例ではないでしょうか。いや、もちろん、そんなことはない、というご意見があれば大歓迎ですので、ほかの例をご存知なら、ぜひコメントなさってください。

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北原三枝と津川雅彦の背後に見えるのは国鉄逗子駅旧駅舎。記憶にございません。そういえば、殿山泰司がここで川地民夫に出くわし……いや、いまはそんなことを書いている場合ではないので、またいつか。

サンプル4のラヴ・テーマ変奏曲も、やはりイレギュラーな楽器編成です。こんどはリード楽器をハーモニカからトランペットに変更しているのですが、この組み合わせも他の例を思いつきません。ハワイアン的編成に異質なリード楽器を持ち込む、という基本方針を立ててから、スコア全体のアレンジに取りかかったのかと思っちゃいます。

いまになっても、この映画のスコアが古めかしく聞こえず、依然として相応の訴求力をもっている理由は、楽曲そのもののみならず、アレンジ、サウンドにもあるのだと考えます。

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ここでのショットは二度出てくる。カーヴに記憶があるのだが、どことも特定できず。たぶん、逗子から鎌倉に抜けるあたりではないか。

◆ 葉山テキトー散歩 ◆◆
さて、残るロケーションはほとんど海です。いちおう、映画を見直してから葉山に出かけたのですが、なんせ、あそこは荷車か駕籠が通るのが精いっぱいという江戸時代的な道幅なのに、無数の車が無理矢理通るために、おそろしく剣呑で、のんびりあちこち写真を撮って歩くわけにはいきませんでした。自転車で転倒した小学生が、うしろから来た車に轢かれて死んじゃった町ですからね。それくらい道幅が狭くて、ヘビとミミズの専用道路といったところです。

古今亭志ん生がいっていましたな。「昔はどこの家にも井戸というものがあって、よく若い娘が飛び込んで死んだものです。いまじゃあ、井戸もポンプで汲みあげるようになっちゃったので、死のうたってたいへんです。ほそーくなんないと飛び込めない」

葉山はだいたいそういう感じで、バスが来たら、ほそーくならないとすれ違えません。そういえば、昔、泊めてもらった軽音の仲間の葉山の別荘には井戸があって(いや、もちろん、簡単に飛び込み自殺はできず、「ほそーく」ならないと死ねないタイプの井戸だが)、海からあがると、井戸水で足を洗ったことを思い出しました。

というわけで、葉山ロケ地散歩は、立ち止まれるところで適当に撮ってきただけなので、映画と一対一対応で細かく見るというような、前回までの方法は使えません。どうかあしからず。たんに、1956年と2008年の葉山のムードの違いだけをご紹介するにとどめます。

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以上三葉は同じ場所でのショット。北原三枝はここに現れ、ここに消えるだけで、はじめのうちはどこに住んでいるのかもわからない。たんに「オンリーさん」であることを隠して、良家の子女であるかのように振る舞っているだけなのだが、岩場の構造のせいもあって、この隠蔽がなにやら彼女に神話的属性を付与する。

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江ノ島を臨む

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フランクのヴィラのありそうな場所を探したが、ついに見あたらなかった。もっと南のつもりか、あるいは逗子だったのか。

◆ 最後は相模湾南船北馬 ◆◆
東京都知事は、物書きとしてどれほどの才能があったのか、わたしにはよくわかりません。若くしてデビューした人はたいへんだな、と思うだけです。史上最高の物書きだとうぬぼれていれば、政治のほうに行ったりはしなかったでしょうから、ご当人もそれほどすごい才能とは思っていなかったふしがあります。

『狂った果実』の脚本はどうか? 政治家にしては悪くない本だと思います。兄弟の確執が単純な形をとらず、愛情と憎悪を一枚板の合金にしたところなんぞは、都知事だなんていうインチキ商売をやらせておくのは惜しい、あんた、物書きでも食えるよ、といいたくなります。でも、このスタイルでそのまま年をとるわけにはいかないから、物書きでありつづけたら、中年を迎えて苦しんだことでしょう。いくらご婦人方に人気があったからといって、渡辺淳一みたいな方向には曲がれなかったでしょうからね。

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ともあれ、『狂った果実』の、弟への思いやりなんだか、ただの身勝手なんだか、よくわからない兄の心情とふるまいは、それなりのリアリティーがあり、いまみても古くさくはありません。兄に対してやはり愛憎なかばする弟が、いくら激情に駆られたからといって、あそこまですることが納得いくようには丁寧に伏線が張られていないため、「こうでもしないと話が終わらない」という、エンディングのためのエンディングの感なきにしもあらずで、その点はささやかながら瑕瑾かなと思いますが。

さて、そのクライマクス・シークェンス。兄と恋人の行方を求めて、弟はモーターボートで相模湾を走りまわります。最初は、油壺に行くといっていたという話を信じて、南に針路をとります。そして、風向きからしてそれは考えにくい、「レッド・ヘリング」(ヒチコックがよくいっていた言葉で、辞書には「red herring_n.《深塩で長期燻煙処理した》燻製ニシン; [fig.] 人の注意をほかへそらすもの」とある)だと気づき、また葉山へ引き返します。このとき、一瞬だけ、油壺湾が映ります。

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こんな風景、わざわざ油壺まで行かなくても、葉山の近くで撮ればいいじゃないかと思うのですが、これはたしかに油壺のようです。連休中、お子さんやお孫さんと油壺マリンパークに出かけるようなことがあったら、あの岬の突端より手前にある、海に降りる道をちょっと散策なさってみてください。ああ、ここか、と思うことでしょう。

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昨年暮に油壺をぶらぶら歩いたのに、『狂った果実』にここが登場することを忘れ、肝心の同じ位置の写真は撮らず、富士山と海ばかり撮ってしまった。

劈頭の鎌倉駅のシーンからずっとロケ地を見てきて最後に思うのは、じつになんとも律儀に、忠実に「現地」を使って撮影していることです。つぎはぎで、適当に「それらしく」することは避けているのです。これはやっぱり、若さゆえの潔癖性ではないでしょうか。あとで会社の幹部に怒られたと思いますよ。もっと簡単に撮れるのに、よけいな金を使うんじゃない、1ショットのために油壺なんかにいくな、葉山ロケのついでに、そこらで撮れるだろうが、なんてね。

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だからかどうか、空撮を含む最後の一連のショットは、穏やかで、周囲に船がなければ撮れるものなので、どこの海で撮ったかはわかりません。それこそ、葉山沖かもしれません。したがって、『狂った果実』散歩地図(アクセスしてくださった人が数人いらっしゃるようで、どうもありがとうございます。親兄弟親戚友人だけかもしれませんが!)に印を付けた真鶴岬沖のポイントはおっそろしくテキトーなので、信用しないでください。そもそも、真鶴には三十数年前に遊んだきりで、あまり縁がなく、土地勘ゼロなのです。

でも、映画のなかで、真鶴だ、伊豆だ、といっているなら、これまでの経緯から考えて、真鶴も現地まで行って撮影したのだろう、なんてうっかり思いこんでしまうほど、中平康が律儀に現地ロケ主義に徹したことが、その跡を歩いてみてよくわかったのでした。

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『狂った果実』(DVD)
狂った果実 [DVD]
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武満徹(7CD box)
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)


武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-04-29 23:56 | 映画・TV音楽
狂った果実 by 石原裕次郎 (OST 日活映画『狂った果実』より) その3
タイトル
狂った果実
アーティスト
石原裕次郎
ライター
石原慎太郎, 佐藤勝
収録アルバム
リリース年
1956年
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本日も引きつづき、しつこく『狂った果実』の音楽とロケ地の話をつづけさせていただきます。ローカルな話題で気が引けていたら、前回の記事に対して、大阪の「センセ」からコメントをいただき、いくぶん安堵しました。いちおう鎌倉は全国に知られた観光地ということで、ご容赦をいただきたいと思います(もう二、三度、鎌倉映画散歩をやる予定があるので、低姿勢なのだ!)。

◆ サントラ ◆◆
なんだか、このところ間の抜けたことばかりしているのですが、サントラ、サントラと騒いで、サンプルに番号までつけたのに、前回はテーマしかご紹介しませんでした。すっかり失念した残り3トラックを一挙公開です。

サンプル2(スティール&口笛)
サンプル3(ラヴ・テーマ)
サンプル4(ラヴ・テーマ、オルタネート)

OSTはリリースされていないので、タイトルはわたしが適当につけました。たいていのサントラ盤では、ラヴ・シーンに使われる曲は「ラヴ・テーマ」というタイトルがつけられているので、わたしもその習慣にならったしだいです。このラヴ・テーマが、武満徹的に、ではなく、世間的にいう「いい曲」だと思います。

邦画の音楽については、おおいなる疑問やら、大不満やら、いろいろ思うことがあるのですが、そういうことはまたいつか、ヤカンが沸騰したときにでも書くことにします。しかし、振り返って、子どものころにみた邦画のなかでは、日活がもっとも楽しめる音楽を提供していたと思います。

◆ 低コストの撮影法 ◆◆
ゴダールとトリュフォーの二人が、『狂った果実』を見て、そうか、こうやれば、自分たちにも映画が撮れるのだ、とわかって、キャメラを担いで町に出、その結果、ヌーヴェル・バーグが誕生した、ということを前々回に書きました。

ではなぜ、ゴダールとトリュフォーは「撮れる」と考えたのか。映画の製作費の大きな部分を占めるのはセットとスターのギャラです。もちろん、大人数で遠隔地に行けばロケーションにも大きな費用がかかりますが、それは「つねに」そうなるわけではありません。

『狂った果実』にだって北原三枝というスターが出演していますが、あとはみなアップスタートか、ちょい役で、キャストとしてはかなり「軽い」部類でしょう。フランス人にそんなことがわかったとは思えませんが、ほとんど俳優たちが「演技」をせず、いかにも素人じみた動きをしていることは、彼らにもわかったのでしょう。

もうひとつは、ロケです。日活は弱小独立プロというわけではないので、室内シーンのほとんどはセットだと思いますが、この映画に使われたセットは六杯ほどだろうと思います。ひょっとしたら、その一部はロケですませたかもしれません。このうちの一杯は屋外を模したセット(光明寺境内の貸家の庭)ですが、そういうタイプはこれだけで、他の屋外のシーンはすべてロケです。これだけでもかなりの節約になるはずです。

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葉山の海岸道路沿いにあるという設定の、岡田真澄が住む「ヴィラ」の室内。明らかにセット。

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裕次郎、津川雅彦兄弟の家。鎌倉のどこにあるとは明示されない。これはかなり大きなセット。

そういうわけで、彼らにとっては、『狂った果実』は逆転の発想であり、ハリウッド流映画撮影法というパラダイムからの解放だったのです。セットなし、スターなしで撮っても、これだけのことができるということがわかって、彼らは評論から実作へと舵を切ったのでした。

◆ 由比ヶ浜銀座ロケ ◆◆
中平康にその自覚があったかどうかはわかりません。画面からも感じられるし、ロケ地を歩いて改めて認識したことは、すくなくとも、ロケ、ロケで安く上げようとしたようには思えない程度には、丁寧な演出と撮影をしているということです。安上がりではあっただろうけれど、手は抜いていないのです。

ロケ地の写真を撮ろうと思いたったのは、じつは裏駅の商店街(御成通り)と由比ヶ浜通りの交叉点での、津川雅彦と岡田真澄のシーンがあったからです。

まず、キャメラをどこにおき、どの方向にむかって撮影したかを記した地図を掲げておきます。いきなりこれを見ても、ご近所の人にしか面白くないので、ふつうの方はスクリーン・キャプチャーをご覧になってから、気になるなら、この地図を確認なさってください。

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鎌倉駅と撮影場所の関係を示す大域図。

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大域図でHEREと示した場所を拡大し、ショットのつなぎ順に、キャメラ位置、撮影方向を示した。

では、以上の図で「1」とした撮影位置からのショットを二つ。津川雅彦が駅に行こうと裏駅の通りに入りかけたとき、車で通りかかった岡田真澄が背後から呼び止める、というシテュエーションです。

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両側の店は『狂った果実』から半世紀以上たった現在も営業中。ただし、果物屋のほうは経営がかわったのか、「大木果実店」ではなく「浜勇」となった。この新しい店名には撮影のときに気がついたので、比較的最近の変化ではないだろうか。

キャメラは由比ヶ浜の通りを横断して、「花春生花店」のまえから長谷方向にレンズを向け、由比ヶ浜銀座を背景に二人を撮ります。

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「由比ヶ浜銀座」のアーチはなくなってしまった。これまた写真を撮るまでなくなったことに気づいていなかった。画面の奥に向かって1キロほど歩くと長谷寺にぶつかる。町名は由比ヶ浜だが、その名の由来となった浜(向かって左手にある)まではかなりの距離がある。

さすがは本編はちがう、ドラマだったらそこまではしない、と思ったのは、ここでもう一回、キャメラ位置を変えたことです。こんどは「2」とは反対側、江ノ電の踏切と下馬交叉点方向に切り返しています(よけいなことだが、「下馬」は「げば」と読む。江戸城の大手にも「下馬札」があったが、鎌倉の場合も「ここで馬から下りよ」という意味。ただし、城内だからということではなく、鶴岡八幡宮が近いからだろう)。

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左側の花春生花店のたたずまいは半世紀前とそれほど変わらない。外装を変えただけで、躯体は半世紀前と同じではないだろうか。木造建築はもちのいいものなのだ。

これが、明細地図で「3」としておいた撮影位置で撮られたもので、このシークェンスの最後のショットです。ロケなのに、細かく切り返していることがおわかりでしょう。

◆ 光明寺 ◆◆
つぎは光明寺のシーンですが、こんどはべつの地図を貼りつけてみました。広告が出るのが、ちょっとなあ、ですが、これは拡大縮小できるので、「引く」と、鎌倉駅からずいぶん遠く(歩くと30分近くかかる)、もうほとんど逗子だということがわかります。


赤い星印が山門で、ここには写真を載せませんでしたが、緑色のマークが、おそらく映画のなかで貸家があると想定された位置です。

久生十蘭はこの近くに住んでいて、戦後の長編『あなたもわたしも』の冒頭には、夏の終わりの光明寺一帯が描写されています。この長編はとくに出来のいいものではなく、後半は腰砕けですが、光明寺、飯島、材木座の描写は好きなので、しばしばそこだけ読み返しています。

映画のなかでは、裕次郎の仲間が光明寺境内の家を借り、海で遊ぶのに使っているという設定で、そこに兄を呼びに津川雅彦がやってくるというシーンです。いまでもこのあたりはサーフィン、ウィンド・サーフィンをやっている人が多く、そのための小規模な宿泊施設があります。光明寺の山門から出て、道路を渡り、さらに海岸道路のアンダーパスを通るともう砂浜なのです。ウン十年前、由比ヶ浜に住んでいたころ、このへんは散歩圏内だったこともあり、いまでもわが家では、鎌倉に行くと、人の少ないこのあたりをよく歩きます。

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さすがに、お寺の変化はゆっくりとしているので、光明寺山門はむかしのままです。ただし、向かって左側の映画の撮影に使われた部分は新しい房が建って、だいぶ様子が異なります。

うーむ、ひどく手間取ってしまい、肝心の葉山ロケに到達できませんでした。もう一回やるかもしれませんし、もういいや、というので、べつの話題に移るかもしれません。


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『狂った果実』(DVD)
狂った果実 [DVD]
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武満徹(7CD box)
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)


武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-04-28 23:54 | 映画・TV音楽
狂った果実 by 石原裕次郎 (OST 日活映画『狂った果実』より) その2
タイトル
狂った果実
アーティスト
石原裕次郎
ライター
石原慎太郎, 佐藤勝
収録アルバム
N/A (未発売)
リリース年
1956年
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YouTubeのおかげで、動画サンプルを見せたいウェブサイトは大助かりですが、いざ邦画を検索してみると、外国映画にくらべてじつに貧弱な「品揃え」だということに気づきます。アップしても、すぐに消されてしまうのではないでしょうか。

著作権保護もだいじかもしれませんが、いわゆる「露出」のほうがはるかに重要で、拒否するよりは開放し、受け入れる方向で動いたほうが、多くのものごとはうまくいくように、わたしには思えるのですがねえ。

◆ スコア1 テーマ ◆◆
裕次郎の歌う、未発売のオリジナル版「狂った果実」もきわめて魅力的ですが、いまになると、武満徹が書いたと考えられるスコアもやはり魅力的で、『狂った果実』は音楽的にも実りの多い映画です。

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残念ながらサウンドトラック・アルバムはないので、いくつか映画から切り出してみました(音質は落としてあります)。まずは、当然ながら、タイトルに流れるテーマから。

サンプル1(テーマ)

なかなかグルーミーなサウンドで、わたしは『錆びたナイフ』を想起しましたが、スティール・ギターのサウンドが、ちがうぜ、と主張しています。タイプは違うのですが、エスクィヴァルのように、非ハワイアン的、非カントリー・ミュージック的なペダル・スティールの利用法で、じつに興趣あふれています。もうひとつ妙な方向に連想が飛びますが、ジェリー・ガルシアの最初のソロ・アルバムにも、こういうペダル・スティールがあったような気がします。エスクィヴァルにしてもガルシアにしても、『狂った果実』よりあとのことです。

検索していたら、「湘南という独立国」などと書いているところがあって、苦笑しました。「いまや湘南はダサさの象徴である」といった矢作俊彦のほうに賛成しますね。「湘南」ナンバーなんかぶら下げて、トップを開いている「トッポイ」お兄さんをご覧なさい。あれがダサくなければ、この世にダサいものなんてなくなってしまいます。

『狂った果実』は、「湘南」ナンバーをぶら下げただけで「出来上がって」しまうような、お気楽な「湘南映画」ではないので(そもそも、そんなものがかつてあっただろうか?)、武満徹のこのグルーミーなースコアは正しいのです。貧乏人が登場しないのは、たんに作者が貧しい家庭の生まれではなく、まだ人生の経験が浅くて、それ以外の階層を知らなかっただけであり、鎌倉や葉山を別世界の楽天地として描こうという意図ではなかったでしょう。「そうなってしまった」だけです。

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◆ オープニング:鎌倉駅 ◆◆
このテーマが流れるタイトルには、クライマクスと同じ、津川雅彦がモーターボート(「Sun Season」という船名!)に乗っているショットが使われています。その絵とは釣り合ったサウンドなのですが、その音のまま鎌倉駅のオープニング・シーンに入ったのは、あまりいい処理とは思えません。音を消すか、強引なつなぎでもいいから、アップテンポの曲に切り替えるべきだったように思います(と書いてから、武満徹のアップテンポ? と自分に反問してしまった)。

映画のトポロジーという記事で、軽くふれているのですが、先日、写真を撮っておいたので、すこしロケーションを追ってみたいと思います。南関東にお住まいの方以外はご興味が薄いでしょうから、飛ばしてください。では、そのアップテンポの曲に切り替えるべきと感じた、劈頭の数分間の流れを追ってみます。

今日はずっとグーグル・マップで地図をつくっていたのですが、結局、ここには貼れませんでした。ほんとうになにも貼れないブログで(YouTubeですら、貼れるようになったのはつい最近のことだから呆れる!)、また癇癪を起こしています。いずれにせよ煩雑で、読みながら地図を見るというわけにもいかないでしょうから、ご興味のある方はあとで、以下のリンクをご覧あれ。どういうわけか、最後の場所が最初に開くようになってしまい、修正する方法を発見できませんでした。左側の一覧の先頭にある鎌倉駅のリンクをクリックしてください。最初に表示される真鶴の海はラスト・シーンです。

散歩地図

ゴチャゴチャ動く地図は煩瑣で、表示に時間がかかったりするので、結局、いちばんいいのは、紙の地図をスキャンしたJPEGかもしれません。

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鎌倉駅の正面は地図には東口と書いてありますが、生きている人間がそんなことをいっているのを聞いたことはかつてありません。みな「表駅」と呼んでいます。東の反対だから、江ノ電のある側は正式には「西口」というのでしょうが、これまただれもそうは呼ばず、「裏駅」と呼び習わしています。この稿でも、表と裏という言葉を使うことにします。「裏駅の通り」とか「裏駅の商店街」などという言い方もします。この表現もあとで必要になります。

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鎌倉駅旧駅舎は1916年の建設だそうで、関東大震災以前からの貴重な生き残りだったことになる。老朽化してはいただろうが、壁だけみたいものなのだから、補強によって延命させるのは簡単だっただろう。テナントから小銭を稼ぎたいといういじましい欲のせいで、JRは社会貢献を放擲し、多くの人たちの記憶のよすがを消した。

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映画に近い位置で写真を撮った。映画のなかでは向こうに「団体休憩所」と表示があるが(「ウテナ」の広告の上)、ここは現在、横浜銀行になっている。さすがは幼児のときの映画、この「団体休憩所」はまったく記憶がない。なくなってからすくなくとも40年以上はたつだろう。鶴岡八幡宮の境内には、いまも「団体休憩所」というのがあるが……。

表駅でタクシーを降りた裕次郎と津川雅彦の兄弟は、切符を買わずに駅に飛び込みます。ここから横須賀線の下り電車に乗るまでの二人の身のこなしと、キャメラワーク、編集、いずれもスピード感があって、うん、この映画は面白そうだ、という期待が生まれます。あんなにあわてなくても、すぐにつぎの電車が来るはずですが、そこはそれ、「映画的リアリティー」というやつです。中平康は、まずなによりも、観客に二人の若さを印象づけたかったにちがいありません。

以前にも書いたのですが、駅に着いてからの二人の動きは、現実を忠実になぞっています。駅構内に入って、下り線の線路下を駈け抜け、(彼らから見て)左(すなわち逗子側)に曲がって階段を駈け上がって、左側、1番線に停まっている下り横須賀・久里浜方面行きに飛び乗ります。

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正面奥が表駅改札。したがって、向かって右手、裕次郎が曲がろうとしている方向が逗子・横須賀・久里浜方面になる。壁面の化粧タイルのかつての様子はよく記憶している。駅舎を建て替えたときに張り直したのだろう。また、通路が狭かった時代もよく記憶しているが、拡張されたいまも、好天の週末には「渋滞」が起きる。

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この階段を囲む鉄の手すりもまったく記憶がない。最近の改装ではなく、大昔に作り替えたのだと思う。やはり裕次郎が主演した『乳母車』に、芦川いづみが、家を出る母親をこのプラットフォームで見送るシーンがあったが、いつかチャンスがあったら、ここが映っていないかどうか、あの映画を確認してみたい。

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東京方向に向かって撮影している。したがって、背後が逗子・横須賀方向。平日の午前中だからこんな写真が撮れたが、週末になると、ここはつねに大混雑。

じっさいに鎌倉から逗子までいけばわかりますが、これがもっとも自然な動きで、階段のところで右に曲がるのはレア・ケース、すなわち、ちょっとした距離にもグリーン車(当時は一等車か二等車)を利用する人だけです。右に曲がって階段をあがると、そこはグリーン車停車位置なのです。

◆ 逗子駅:昔を今になすよしもがな ◆◆
二人は鎌倉のつぎの駅、逗子で下車します。鎌倉-逗子間は5分ほどの距離です。逗子駅の改札は上り線のほうにあるので、下り電車から降りたら、跨線橋を渡らねばなりません。そして、中平康は、この跨線橋で登場人物たちを接触させます。意図的ではないものの、津川雅彦が落とし物をし、それを北原三枝が拾うという、いわばルーティンですが、このシーンは成功しています。北原三枝の輝きと津川雅彦の初々しさのおかげでしょう。

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津川雅彦が階段で帽子を落とし、うしろから来た北原三枝が拾ってわたす。

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とまあ、そのようなドラマがあった階段だが、いまではかような姿と相成り、食指の動く被写体ではなくなってしまった。わたしも膝が悪く、いずれ階段を下りるのがつらい日が来るかもしれないから、エスカレーターに文句をつけるのはやめておく!

橋とか階段といった場は意味をもつことが多く、フィクションはしばしばそれを利用するのですが、いまの逗子駅ではどうでしょうかねえ。わたしが映画監督なら、ここはパスして、さらにロケハンをつづけることになるでしょう。いまの逗子駅は、テレビドラマのロケ地にはなりえても、本編には不向きです。とくに、最近、エスカレーターができてからは、味のない場所になりました。

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正面にまわっても、これまた鎌倉駅の新駅舎同様というか、鎌倉の上を行く味気なさで、とうていレンズを向ける対象ではありません。わたし自身、こんなところを写真に撮っている自分が、周囲の人にどう見えるかを意識して、赤面してしまい、2カット撮影するのが精いっぱいでした。

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写真を撮ってきたロケ地をすべて取り上げても、ちょいちょいとできるだろうと考えていたのですが、どうしてどうして、スクリーン・キャプチャーと自分の写真を比較するだけで時間を食ってしまいました。もう一回だけ、『狂った果実』を延長させていただきます。あと三カ所もロケ地が残っているのですが。


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オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)


武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-04-26 23:49 | 映画・TV音楽
狂った果実 by 石原裕次郎 (OST 日活映画『狂った果実』より) その1
タイトル
狂った果実
アーティスト
石原裕次郎
ライター
石原慎太郎, 佐藤勝
収録アルバム
N/A (未発売)
リリース年
1956年
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何度か書いていますが、母親が裕次郎ファン、兄が吉永小百合ファンだったおかげで、わたしは幼児のころから日活映画を見ています。だから、あとになって同世代と話すと、日活に関するかぎり、さっぱり意見が合いませんでした。われわれの世代の多くは全盛期の裕次郎を知らず、『西部警察』の太った中年男だと思っているのです。

そうじゃないんだ、若いころは体のキレがよかったんだ、といっても、矢作俊彦の「週刊サンケイ」連載エッセイそのままに「太った裕次郎は僕らの敵だ」になってしまって、まったく説得不能なのです。太ったエルヴィスと同じで、百パーセント純粋な「なんでいまさら」存在でした。

いまになって思いますが、裕次郎を見るなら、50年代の作品だと思います。わたしは舛田利雄が好きなので、『赤いハンカチ』のあたりもいいと思いますが、エルヴィスといっしょで、ほんとうにすごかったのは50年代のあいだだけでしょう。そういうものです。

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◆ 原初ヌーヴェル・バーグ ◆◆
さて、中平康監督の『狂った果実』です。これこそ、われわれの世代が「裕次郎に間に合わなかった」証拠です。わたしが映画館で裕次郎を見た記憶があるのは、『嵐を呼ぶ男』以降で、『狂った果実』をはじめて見たのは、裕次郎が没し、追悼としてさまざまな映画が放映されたときのことでした。

いやもう、びっくりしました。そもそも中平康という人が、こんなにすごい監督だなんて、まったく知りませんでした。どうしてこの人の凄みを見逃したのかと、あとになってべつの作品を再見しましたが、やっぱり「困った監督」であり、自分の目が節穴だったわけではないことを確認しただけでした。この映画だけ例外的に、まったくの別人が撮ったとしか思えないすばらしさなのです。だから、「中平康? ケッ」と思っている方に申し上げますが、この映画だけは別格です。

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わたしの言葉だけでは信用できないかもしれないので、虎の威を借る狐、親方を担ぎ出します。伝説によれば、フランスへと飛んだこの映画の試写を、当時「カイエ・ド・シネマ」に拠って論陣を張っていた若き映画評論家、フランソワ・トリュフォーとジャン=リュック・ゴダールの二人が見て、大いなる衝撃を受けました。二人は、そうか、こうやればわれわれにも映画が撮れるのだ、と覚り、カメラを担いで町に出ました。

かくして(やがて才能を失う)中平康は、乾坤一擲、この一作でヌーヴェル・バーグを誕生させ、世界映画史に貢献した、ということになっています。嘘かホントか、わたしは一介の講釈師なので、責任は持ちませんがね。でも、そういう話が、さもあろう、さもあろう、と納得できてしまう程度の近縁性が、『狂った果実』とゴダールの初期作品とのあいだにはあります。

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ビリングス・トップは北原三枝、という点にご注意を。このとき、彼女は実績十分、女優不足に苦しむ日活に三顧の礼をもって迎えられたスターだったが、裕次郎はこれ以前には『太陽の季節』にちょい役で出ただけ、津川雅彦はルーキーだった。

いや、まあ、そういう「虎の威」は、詰まるところ、それほど重要ではありません。所詮、「こぼれ話」のレベルを出ないのです。だいじなのは、公開されて30年もたったあとで、テレビの小さな画面で、いい大人が見て、おおいなる衝撃を受けるほどの魅力が、この映画にはあるということです。新しいスタイルの創造というのは、それが「古いスタイル」といわれるほど時代が下っても、やはり清新さをみなぎらせて、われわれに迫ってくるものなのでしょう。

◆ 2種類の「狂った果実」? ◆◆
当家は音楽ブログ、音楽にこじつけないことには映画を取り上げるのはためらわれるのでありまして、その点、日活映画はやりやすいのです。たいていの場合、主題歌ないしは挿入歌があるからです。スコアだけではなかなかむずかしいのです。

この映画のクレジットには二人の作曲家の名前があります。武満徹と佐藤勝です。

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ハリウッド的な「音楽監督」という概念は当時の日本にはなかったのでしょう。スーパヴァイザーとコンポーザーの区別はなされていませんが、佐藤勝は石原裕次郎が歌った挿入歌を書き、スコアは武満徹が書いたのではないでしょうか。すくなくとも、タイトルで流れるペダル・スティールとホーンを組み合わせた曲(「テーマ」といっていいのだろう)は、後年の武満徹の雰囲気がいくぶんか感じられます。まだ後年のアヴァンギャルド・タッチは見せていませんが、予定調和的な楽曲でもないし、凡庸なアレンジでもありません。

YouTubeには日本映画のクリップはきわめてすくなく、この映画もみつかりませんでした。かわりに、挿入歌のクリップはいかがでしょう。



あれ? 映画『狂った果実』のショットを引用してはいますが、この曲は映画の挿入歌とはちがいます。どうなっているのでしょう。もうひとつ、盤から起こしたらしいこのクリップではどうでしょうか?



あっらー、これもさっきのと同じ曲で、映画のものとはまったく異なります。奇妙なこともあるものです。このへんの事情をご存知の方がいらしたら、ご教示願えたらと思います。

では、映画のほうはどういう曲か? 以下は、MP3としてはそこそこの音質でエンコードしてありますが、それ以前のWAVに切り出した段階で音質を落としてありますし、元もかなりノイジーです。

サンプル

パーティー・シーンの冒頭付近を範囲指定の始点に設定したため(この部分のスコアも悪くないから)、裕次郎の歌が出てくるのは1:50台です。気の短い方は早送りしてください。歌そのものは短く、すぐにセリフがかぶってしまいます。

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♪潮風息吹く渚に佇み……

曲としてはこちらのほうがはるかに出来がよくて、なぜこれが盤にならなかったのか不思議千万です。裕次郎はこれが最初の録音じゃないでしょうか。それにしてはむずかしい曲で、予定調和的な自明のコード進行やメロディー・ラインではありません。最初のコード・チェンジはA-Ab7-Aでしょうか(いま、ちょいちょいとやってみただけで、信頼度低し。ご注意を)。ここの響きがじつにけっこうです。

ピッチの移動にむずかしいところのある曲で、とくに「渚に」でB-Ab-F#と降りていってから、最後にDへジャンプするあたりは難所で、カラオケだったら多くの人が外すでしょう。ひょっとしたら、盤にならなかった理由はそれかもしれません。とにかく映画では我慢して歌ったものの、のちに『俺は待ってるぜ』の主題歌のB面としてこの曲を録音しようという段になって、もっと歌いやすい曲にしてくれ、なんていい出したのかもしれません。

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カメオ・アピアランスと特別出演は、『太陽の季節』に主演した(というより津川雅彦の兄としてか)長門裕之と、裕次郎の兄で、この映画の原作、脚本を書いた東京都知事。海岸の遊園地で岡田真澄にからんだばかりに、裕次郎たちとゴロをまくハメになり、二人ともあっさり片づけられてしまう。痛そうかつ悔しそうな顔の都知事は、素人にしては演技派!

小林旭は美空ひばりが一目置くほどピッチがよかった(残念ながら過去形。お年を召して高音部が出なくなり、結果的にときおり外すようになってしまった)ので、それにくらべて裕次郎は不安定という印象がありましたが、これは無理な比較をしていたようです。しいていうと、フランク・シナトラが生まれつきのシンガーであるのに対して、ディーン・マーティンが、スタイル、雰囲気、ないしは「キャラクターの味」で聴かせるタイプだったように、裕次郎もスタイルの人なのでしょう。

アキラはものすごくピッチがよくて、レコーディングも短時間ですむそうですが(このへんもシナトラ的)、裕次郎は何テイクもかかってやっと録音が終わるという話を読んだ記憶があります。しかし、ほんとうにピッチの悪い人に「夜霧よ今夜も有難う」が歌えるはずもなく、一度、体に叩き込めば、そのピッチを忘れないという、めずらしいタイプの人だったのではないかと想像します。

2種類の「狂った果実」があるなどということは知らずにこの稿を書きはじめてしまったこともあって、今日はまったく時間が足りず、ほかにも材料があるので、残りは次回ということにさせていただきます。つぎは武満徹の手になると考えられるスコアと、ロケ地散歩の予定です。

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裕次郎と岡田真澄。この映画のフランクという役は、イヤな野郎であると同時に、すごくいい奴で、ファンファン以外にはだれにもできない。演技というより、柄でやり通したというべきだろうが、どうであれ、じつにすばらしかった。



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by songsf4s | 2009-04-25 23:53 | 映画・TV音楽
Star Trek (TV OST 『宇宙大作戦/スター・トレック』より)
タイトル
Star Trek
アーティスト
N/A (TV OST)
ライター
Alexander Courage
収録アルバム
Television's Greatest Hits
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Billy Strange, the Secret Agents, Fred Steiner
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ついでといっては、ファンの方にお叱りを受けるかもしれませんが、スター・トレックの本編第一作の音楽を取り上げた以上、テレビのほうのテーマも取り上げておいたほうがいいような気がしてきました。そこで、本日も前回に引きつづき、エンタープライズに「転送」です。

いきなり、よけいなことを思い出しました。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの初期の作品に「ビーム・アス・ホーム」という短編がありました。これが「SFマガジン」に掲載されたとき、スター・トレックの「転送してくれ」(Beam me up)をもじったタイトルだ、と書かれていました。

そのとおりですが、これを読んだとき、「おいおい、それだけで終わりじゃないだろ、まだあるじゃないか」と思いました。グラム・パーソンズというかフライング・ブリトー・ブラザーズのカヴァーで知ったのですが、マール・ハガードにSing Me Back Homeという曲があります。カントリーのほうではよく知られた曲なので、ティプトリーもこの曲を聴いたことがあったのではないかと、わたしは想像しました。発想の原点としては、音楽のほうに立脚していたのではないかと感じたのです。

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(上)アフリカで「ブロンドの女神」とあがめられていたころのアリス・シェルドン、すなわち後年のジェイムズ・ティプトリー・ジュニア。(下)ティプトリーの伝記。謎多き生涯なので、伝記が出るのも当然だろう。読みたくなった。

ジェイムズ・ティプトリーは、わたしにとっては「最後のSF作家」で、彼女が死んでからこっち、SFを読まなくなってしまい、長いあいだ買っていた「SFマガジン」もそれきりになってしまいました。「接続された女」を読んだときは無茶苦茶に興奮したものです。すごい人だったんですがねえ。でも、彼女のようなオフビートなタイプはジャンルのメインラインから外れてこそ生きるのですが、ウィリアム・ギブソンが出てきたあたりから、そっちがメインになり、アーサー・C・クラーク的なものは脇筋になってしまい、主客転倒してしまったようです。この20年ほど、ぜんぜん読んでいないので、「ようです」としかいいようがないのですが。

◆ 出し遅れの証文リリース ◆◆
さて、スター・トレックのテーマ、お馴染みの曲なので、ゴチャゴチャ書くこともなさそうです。今回調べて、え、そうだったっけ、とあわてたのは、1966年制作だということです。日本では翌年から放映かよ、と驚いて『ザッツTVグラフィティ』を調べたら、1969年4月からとありました。そうですよねえ。「スパイ大作戦」よりずっとあとに出てきて、あ、タイトルを真似した、と思った記憶があるので、1966年じゃあ、「スパイ大作戦」と同じ年じゃないか、と仰天したのです。わたしの記憶違いじゃなくて、安心しました。

ともあれ、初期のオープニングとエンディングをご覧あれ。



なぜこんなに放映が遅れたかといえば、たぶん、こういうのは受けないというのでお蔵入りし、公開の予定はなかったのに、『2001年宇宙の旅』がたいへんな評判になり、ついでにアポロ宇宙船の月着陸なんていうのもあって、宇宙がブームになったものだから、3年前の古物だけれど、ためしに放映してみたのでしょう。ひどく遅れましたが、とにもかくにも放映してあったし、その後も再放送や続篇の放送があったおかげで、本編になったときにも説明不要で、まずはめでたいことでした。ノヴェライゼーションの翻訳本もよく売れたらしく、古本屋ではしばしばゴミ扱いされていました。

しかし、テーマ音楽を検討するとき、1966年と69年では天と地のちがいです。Strangers in the Nightの年に生まれたか、「ウッドストック」の年に生まれたか、ですからね。あいだにサイケデリックの1967年がはさまっているので、ここにものすごい断層があり、この前後で、いってみれば、明治生まれか、昭和生まれか、ぐらいの違いが生まれるわけです。

だから、この曲がやや古めかしいサウンドになっているのは、しかたないというか、当たり前というか、そうなるわけで、こちらの見方も大きく変わります。いや、しかし、66年は微妙ですねえ。わたしの考えでは、ドラマのテーマが大きく変化するのはまさしく66年なのです。そのへんのことは改めて例をあげてみていくつもりですが、この年のいくつかのヒット・ドラマによって、旧派のオーケストラ音楽はテレビ・ドラマの世界では少数派に転落するのです。いや、そこに踏み込むのは来月ごろの予定なので、ここではこれ以上くどくはいいませんが。

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66年と69年ではまったくちがいますが、それでもやはり、これだけの年月がたつと、その程度の違いはゴチャゴチャいうようなことではなくなってしまうようで、いまになると、たとえ、サウンド的には古めかしくても、それはそれで「味」のような気もしてきます。そもそも、この曲のメロディー・ラインも、ストレートなメイジャー系のものではなく、ちょっと妙なところがあり、いまになると、そこがおおいに魅力的に響きます。69年だったら、ソプラノのヴォーカルは、シンセサイザーで演奏されたでしょうけれど、いまになれば、シンセじゃなかったのはむしろ幸いだったと思えます。TVテーマ音楽集には欠かせない一曲でしょう。

◆ ビリー・ストレンジのカヴァー ◆◆
有名な曲のわりには、わたしが知っているこの曲のカヴァーはたった3種類です。それも、自分で盤をもっているものはなく、みなよそで聴かせていただいたものばかりです。

聴いてみたいという方は、例によって、右のリンクからAdd More Musicにいらっしゃり、ビリー・ストレンジのアルバムDyn-O-Myte Guitarをダウンロードなさってください。「Rare Inst. LP」ページのNo. 48です。

このアルバム、ビリー・ストレンジのものとしては、1984年という、飛び地のように1枚だけ離れた時期に録音されています。しかし、ベースとギターのひとり(ニール・ノーマン)をのぞけば、プレイヤーは60年代の録音でお馴染みの人たちばかりです。

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これは「ビリー・ストレンジのギター・アルバム」ではありません。オーケストラ・リーダーとしてのビリー・ストレンジのアルバムなのです。だから、ボスはギターを弾いていません。リード・ギターはアル・ケイシーかデニス・バディマーがプレイしたのでしょう(詳しいパーソネルはAMMの「レア・インスト」ページをご参照あれ)。

フロア・タムというか、ロウ・ピッチのタムの音が60年代、70年代前半よりチープになってしまい、ああ、時代の流れには逆らえないなあと、あの時代のプラスティック・ヘッドのイヤな音に眉をひそめますが、それでもハル・ブレインはいかにも彼らしい派手なフィルインを連発していて、この「同窓会」に花を添えています。なんたって、エンジニアまでスタン・ロスなんだから、意識的に昔のメンバーを集めたとしか考えられないのです。

ということで、オールド・タイマーとしては、なかなか楽しいカヴァーで、百パーセントの満足とはいかないものの、80年代にもこういうメンバーで録音を残しておいてくれたことに感謝したくなります。

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こういうものもある。ニモイの歌は、うーん、なんといったものか、「正確なピッチとはいいがたい」といったあたりか!

◆ さらにBeyond the Horizon of Time ◆◆
このビリー・ストレンジ盤Star Trek Themeを聴いて、あれをベースにしているのじゃないかな、と思った曲があります。ヴェンチャーズの65年の録音、Geminiです。

サンプル

ディスコグラフィーを見ると、これは65年のシングル、La BambaのB面に収録されたものだそうですが(そういう記憶はなく、EPで聴いたのではないかと思う)、La Bambaなんかよりずっと出来がよく、比較にならないくらいで、AB面を間違えたと思います。逆にするべきでした。

こういうことばかりいっていると、Vファンがイヤがるのですが、Geminiのプレイはタイムが安定して、リラックスしたグッド・グルーヴをつくっています。いつもタイムが早くて突っ込みそうな営業用ヴェンチャーズの仕事には思えません。ドラムまで含め、外国旅行用メンバーとまったく無関係な、卓越したプロのみで録音したトラックだと推測します。オブリガートのギターとブラシ・ワークがすばらしい!

で、またここからさらに源流へとさかのぼると、Geminiは明らかにトーネイドーズのTelstarを元にしています。テンポとリズム・アレンジ(両者ともドラムはブラシで16分を叩きつづける)は同じだし、冒頭とエンディングのSEも、ヴェンチャーズ自身のTelstarのカヴァー・ヴァージョンにそっくりの音を使っています(ジョー・ミークのオリジナルのSEはまったく異なる)。

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こうなると、テレビ版Star Trekのテーマはこの流れに乗っているのかどうかたしかめたくなってきます。しかし、作者のアリグザンダー・カレッジは、若いころに聴いたBeyond the Blue Horizonのあるヴァージョンのアレンジにインスパイアされた、といっています。うーん、古い曲になるとわが家にはわずかにしかないんですよねえ。なんとか、アーティー・ショウ、スタン・ケントン、フランキー・レイン、4エイシーズ、シド・バースという5種類だけ聴いてみました。

あっ、これだ、これにちがいない、というのはありませんが、しいていうと、1956年のシド・バースのアルバム、From Another World収録のヴァージョンは、イントロとアウトロになにやら電子音のSEが入っていて、そこだけはアルバム・タイトルどおり、宇宙ものの雰囲気があります。音楽がはじまるとノーマルなビッグ・バンド風サウンドなのですがね。

サンプル2

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カレッジは1920年生まれだというので、バースのBeyond the Blue Horizonがリリースされた56年には三十代半ば、「若いころ」というにはちょっと苦しいのですが、「若いころに聴いた曲が元になっている」と語ったのは引退後のことでしょうから、三十代半ばも「若いころ」に繰り入れていいような気がします。ま、微妙ですが。

こうなってくると、事態は混迷してきて、わたしには判断のつけようがないのですが、そもそも、ジョー・ミークもTelstarを録音するときに、シド・バースをヒントにした、なんていう飛躍した推論はいかがでしょう? それなら、両者が結果的に似ても不思議はなく、ビリー・ストレンジ盤Star Trekは、そういう流れがずっと下ってきて、最後にもう一度、二者が統合された、というきれいな結論になりそうな気がします。

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こういうのもある。Leonard Nimoy and William Shatner "Spaced Out"とくるのだから、なかなか笑えるタイトル。しかし、ナメてかかると、これがけっこういいグルーヴで汗がじわっとわく。ハル・ブレインが叩いたトラックがたくさんあるのだ! まったく、どこにでもいるんだから呆れる。

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by songsf4s | 2009-04-24 23:55 | 映画・TV音楽
The Enterprise by Jerry Goldsmith (OST 『スター・トレック』より)
タイトル
The Enterprise
アーティスト
Jerry Goldsmith (OST)
ライター
Jerry Goldsmith
収録アルバム
Star Trek the Motion Picture (OST)
リリース年
1979年
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前回の『2001年宇宙の旅』がむやみに重かったので、今日は軽くさっといきたいと思っていますが、はてさてどうなりますことやら。

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本日の曲は、1979年の『スター・トレック』(テレビでの邦題は『宇宙大作戦』というダサダサの代物だったが、きっと『スパイ大作戦』のヒットにあやかったのだろう!)劇場版第一作の重要なシーンで使われた、ジェリー・ゴールドスミス作のThe Enterpriseです。

しかし、テレビでは大ヒットした『スター・トレック』のスクリーン・デビューは、成功とはいいかねるものでした。いや、そうはいっても、箸にも棒にもかからないほどひどかったわけではなく、だれかべつの監督がやれば成功したかもしれないという、セカンド頭上へのハーフ・ライナーみたいな凡打であり、キャッチャー・フライではありませんでしたが。

間違いの最たるものは、テンポが遅くて、冒頭でややダレ、中盤でむちゃくちゃにダレ、ラストでもちょっとダレと、ダレっぱなしだったことです。この素材そのままで、いっさい撮り直しをしなくても、3割ぐらいのショットを切って縮めるだけで、そこそこの映画ができた可能性があると思います。長ったらしいショットが多すぎるのが最大の難点でした。

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◆ 新型機お披露目ショウ ◆◆
作品としては失敗しても、部分的には見るべきところがある、というのはよくあることで、『スター・トレック』にも楽しめるシークェンスがいくつかありました。とりわけ、カーク提督が強引に現場復帰を果たし(テレビ・シリーズのあとで出世してしまい、地上勤務になっていたという心)、軌道上ステーション(floating officeといっている)からポッドに乗って、新型エンタープライズの姿をゆっくりと眺めるシーンは、子供心をおおいに刺激されました。



こういうのを面白い感じる心のありようというのは、われながらよくわかりませんが、男の子の多くは幼児のころにそういう心性を見せ、大人になってそれが消える人もいれば、わたしのように、年をとっても依然として幼児とさしたる懸隔がないままの人間もいるようです。

このシークェンスには視覚的にも刺激されたのですが、音楽にもおおいに感銘を受けました。スター・トレック・ファンとしては、この新しいエンタープライズが登場する場面でおおいに盛り上がりたい、というか、セコいテレビのときに鬱積した憤懣をぶちまけ、溜飲を下げたいのです。美しく、かつ、スケール感のある映像を希求しているわけで、当然、音楽にもそれに見合ったスケールが求められます。ジェリー・ゴールドスミスは、そのファンの要求に百パーセント応えるスコアを書きました。不満の多い出来にもかかわらず、映画館を出るときに気分がよかったのは、このシークェンスの映像と音楽のおかげでした。

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サウンドトラック・アルバムの切り分けによれば、この曲にはThe Enterpriseというタイトルがつけられています。しかし、この直前の宇宙ステーションの場面から、すでに「宇宙舞踏」ははじまっていて、そのFloating Officeという曲から、このThe Enterpriseまでを一連の曲と捉えるべきでしょう。どちらも好ましい曲です。ついでにいうと、この直後に出てくるLeaving Drydock、その名のとおり、ドックからの出発シーンで使われる音楽も、この「一連」に繰り込んでいいような気がします。

検索していて、別ヴァージョンというのにぶつかったので、一応、貼りつけておきます。たぶん、オルタネート・テイクの音を既存映像に嵌めこんだのでしょう。



◆ 『2001年』の影 ◆◆
ロバート・ワイズは『2001年宇宙の旅』を意識しすぎたのではないでしょうか。『2001年』は人類が「創造主」を探しに行く映画でしたが、『スター・トレック』(アメリカではTMPまたはStar Trek Iと略される)は、異星の機械生命体が「創造主」を求めて太陽系にやってくる物語でした。

そして、どちらの映画も、極度に抽象化され、ほとんどそれと読み取ることができない性行為類似の表現があり、その結果、生命体はべつの次元へと昇華されるという結末でした。宇宙船ディスカヴァリーのデザインは精子をモティーフにしている、という解釈は正しいと考えます。だって、最後には「スター・チャイルド」が誕生するのですから。

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ディスカヴァリーの頭でっかちなオタマジャクシ型デザインが暗喩するものは?

『スター・トレック』では子どもは産まれませんが、その前提となる行為は営まれるわけで、「ヴィージャー」と人類のあいだに、半機械生命体が産まれたにちがいありません。

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機械生命体と人類の合体。これを見て、『バーバレラ』のジェイン・フォンダとデイヴィッド・ヘミングスのシーンを思いだして、思わず笑ってしまった。

そういう骨組に異存があるわけではないのですが、じっさいの演出にはあくびが出ました。エンタープライズが機械生命体の「雲」の内部に入り込んでいくシークェンスは、『2001年』の「スペース・コリダー」を意識したにちがいないのですが、あちらのスピード感のまえでは、『スター・トレック』はただただ鈍重に見えました。いや、発想もデザインもそれなりに面白いのですが、なんせ変化が遅く、編集も間延びしていて、だんだん、さっさと話を先に進めろや、とイライラしてきます。

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エンタープライズは摩訶不思議な巨大構築物のなかに入り込んでいく。このアイディア自体はいいのだが、演出と編集はいただけなかった。

そして、結論にたどり着いたときには、なんだ、『2001年』をひっくり返しただけか、となってしまうのです。きちんとつくっていれば、『2001年』の記憶をうまく借用して、それなりのエクサイトメントをもたらすことができただろうに、ロバート・ワイズまたはジーン・ローデンベリーが計算違いをしたのでしょう。

そんなぐあいで、出来上がりは満足のいくものではありませんでしたが、あのドライドックのシーンがあるから、それでいいのです。ジェリー・ゴールドスミスのスコアも、あの3曲ばかりでなく、おおむね楽しめるものでした。

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たしか、ダグラス・トランブルがいっていたのだと思うが、モデルにスケール感をあたえるのは豊富なディテールなのだという。『エイリアン』や『スター・ウォーズ』の宇宙船は、この原則にしたがってゴチャゴチャとさまざまな構造物が加えられているが、それとは対極にある、のっぺりしたエンタープライズは、スケール感をあたえるのがもっともむずかしいタイプのデザインで、トランブルは機体表面に細かいテクスチャーを加えて、すこしでも大きく見せようとした。

それにしても、今回、『2001年宇宙の旅』と『スター・トレック』をつづけて取り上げてみて思いましたが、宇宙ものだけは劇場のスクリーンで見ないと、興趣半減どころか、9割減です。ホーム・シアターなどとご大層なことをいったところで、つまるところ、ただのデカいテレビにすぎませんからねえ。あの漆黒の宇宙に飛び込んでいく感覚は、劇場でしか味わえません。また大劇場で『2001年宇宙の旅』を見たいものです。

◆ 嫁ひとりに婿二人? ◆◆
うかつなことに、スター・トレック・シリーズの新作がまもなく公開とはつゆ知らずに、この稿を書きはじめてしまい、検索をかけてはじめてそのことに気づきました。



なんだかスター・トレックというより、スター・ウォーズ・シリーズの後期のものに近い絵作りのように見えます。あの「カーク」と名乗った少年は、ジェイムズ・T・カークの息子とか孫とか曾孫とか、そういう設定なのでしょう。あるいは、ほかならぬジェイムズ・T・カーク自身の若き日の冒険へと遡行した、という設定の可能性もありますが。

どういう意味なのかと首をかしげているのですが、新作の邦題も『スター・トレック』のようです。どこを見ても、Star Trek the Motion Pictureの邦題であった『スター・トレック』と区別する文言が見あたりません。わたしが勘違いをしているのかと思って検索をかけたのですが、やはり1979年製作のStar Trek the Motion Pictureの邦題は『スター・トレック』です。

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いや、いくら映画輸入会社が非常識でも、そこまで無茶をするとは思えないのですがねえ。同じシリーズに同じタイトルの二本の映画があるなんて、かの大チョンボ、『続・荒野の用心棒』のさらに上をいく空前の愚行になってしまいます。30年まえのスター・トレック劇場版第一作と、今年の新作が同じ邦題だなどというのは、わたしの誤解であることを祈っております。

『続・荒野の用心棒』がどれほど大馬鹿なタイトルだったかということについては、『夕陽のガンマン』に書いておいたので、ご存知ない方はそちらをご覧あれ。

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by songsf4s | 2009-04-22 23:55 | 映画・TV音楽
The Blue Danube by the Berlin Philharmonic Orchestra (OST 『2001年宇宙の旅』より) その2
タイトル
The Blue Danube
アーティスト
The Berlin Philharmonic Orchestra, conducted by Herbert von Karajan (OST)
ライター
Johann Strauss II
収録アルバム
2001: A Space Odyssey (OST)
リリース年
1968年
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本日は引きつづき『2001年宇宙の旅』です。まずは、昨日たどり着けなかった、この映画の音楽監督の話から。

ふつうの映画には、音楽監督というポストがあり、Music byだれそれなどとクレジットされます。分業の場合、Music supervised byだれそれ、Music composed byだれそれ、Music arranged byだれそれ、などと細かく記されることもあります。

わたしはオープニング・タイトルを気にするたちで、とくに撮影監督と音楽監督には注意します。ひところでいうと、ヴァン・ゲリスだのジョルジオ・モロダーだのといった名前を見ると、あちゃあ、こりゃダメだ、と覚悟を決め(80年代というのは映画音楽の暗黒時代だった)、ジェリー・ゴールドスミス、ラロ・シフリン、ランディー・ニューマンという名前が出たりすると、「当たり!」と心のなかで拍手したものです。最近の名前がないので、近ごろ映画館にはとんとご無沙汰というのがバレバレですが。

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ラロ・シフリン特集をやりたくて準備はしているのだが、いつになることやら……。

では、『2001年宇宙の旅』の音楽監督はだれか? これが、おかしなことに、見あたらないのです。そんな映画、ふつう、ありませんよ。どんな人間にもふた親があるように、どんな映画にも音楽監督がついているものです。それなのに、『2001年宇宙の旅』のクレジットにはMusic byだれそれが見あたらなかったのです。

不注意で見落としたかと思ったのですが、ヴィデオで見ても確認できず、首をひねりました。この稿を書くにあたって、かつて疑問に思ったことを思いだし、もう一度、オープニングとエンディングの両タイトルをきちんと見直してから、検索をかけました。

◆ アレックス・ノースのオリジナル・スコア ◆◆
『2001年宇宙の旅』に音楽監督はいなかったのか、それともいたのか? ちゃんといました。アレックス・ノースという一流の作曲家に依頼されたのです。詳細はオフィシャル・サイトのフィルモグラフィーをご覧いただくことにして、ざっとご紹介すると、本編の処女作は『欲望というの名の電車』(マーロン・ブランドのデビュー作)、ほかに『クレオパトラ』『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』『噂の二人』(リリアン・ヘルマンの芝居の映画化)『足長おじさん』(1955年のリメイク。フレッド・アステアとレスリー・キャロン)『荒馬と女』『女と男の名誉』などがあり、すでにスタンリー・キューブリックとも『スパルタカス』で仕事をしていました。

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また、1955年の映画Unchainedのためにノースが書いたUnchained Melodyは、レス・バクスターやライチャウス・ブラザーズのヴァージョンで大ヒットし、スタンダード化しています。勘違いしている人が山ほどいますが、この曲は『ゴースト』で有名になったわけではありません。あれ以前にすでに大古典であり、「だれでも知っている曲」でした。『ゴースト』のせいで有名になったと思っているのは日本人、それも不見識な人だけです。

昔、大がかりな衣裳で有名な日本人歌手が、テレビでこの曲を歌うときに、曲名を『ゴーストのテーマ』といったので、ブラウン管のなかに乗り込んで、「たわけ、テキトーな楽曲タイトルを捏造するな!」と頭を引っぱたいてやりたくなりました。芸能人はしかたありませんが、ふつうの人はあんな歌手と知的レベルが同じだと思われたくはないでしょうに! わたしは中学のときに、再発されたライチャウス盤を買いました。1967年の時点でも、シングルがリイシューされるほど有名だったのです。

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『欲望という名の電車』は、非音楽映画にジャズ・スコアが利用されたごく初期の例といわれています。仕事で調べていて、資料に書かれていることをそのまま引用しかけたのですが、不安になって映画を確認しました。資料ではジャズが利用されたということが強調されているのですが、じっさいにはごく控えめな使い方にすぎず、たった数行の記述でも、やはり現物にあたって確認しなければいけないと改めて痛感しました。「大々的な利用」ではなく、「そっと忍び込ませた」といった塩梅だったのです。

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『欲望という名の電車』オープニング・タイトル。音楽監督と作曲家が別個になっているところは、それが正しいあり方だろう、といいたくなるが、じっさいには、ノースがまだ若く、音楽部の年長者にクレジットを持っていかれた可能性が高い。

話を戻します。キューブリックはノースが書いたオリジナル・スコアを聴く以前、みずからフィルムを編集しているときに、「仮音楽」として、適当と思われるクラシックの曲を嵌めこんだのだそうです。幸か不幸か、MGMの首脳陣は、キューブリックが完成を遅らせるのではないかと不安になり、試写を要求したため、監督はこの「仮音楽版」を見せたところ、大好評で、キューブリック自身も、音楽はこの方向のほうがいい、と考えるに到り、ノースのスコアはお蔵入りしてしまったというのです。

その結果、クレジットには、楽曲名と作曲者名が個別に出るだけで、音楽監督の名前はないという変則的な事態になったというしだいです。しいていうなら、楽曲選択をしたスタンリー・キューブリック自身が音楽監督の役割を果たしたことになります。

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◆ ノース版オリジナル・スコアの復元 ◆◆
ノースが書いたスコアは、その後、何度か盤になっていて(ジェリー・ゴールドスミス指揮による盤があった)、つい最近も映画用に録音されたオリジナル版がCD化されました。

だれかやっているのではないかと思ったら、やはり、タイトルにノースのスコアを嵌めこんだものがありました。



タイトルだけなら、ツァラトゥストラより、わたしはこちらのほうがいいと思います。ただし、「人類の夜明け」シークェンスについては、音楽が出しゃばりすぎで、たとえ、ノースのスコアで行く場合でも、ここは音楽なしに変更ではないでしょうか。いや、オフ・ミックスにするという穏当な方法もありますが。

曲名から推測するに、「美しき青きドナウ」が使われたシーンでは、Space Station DockingおよびTrip to Moonという2曲が使われるはずだったのでしょう。どちらも悪くない曲で、とくに前者は軽快でいいと思いますが、あのシーンに嵌めこんで、「美しき青きドナウ」のような強い印象を与えたかというと、残念ながら、ネガティヴといわざるをえないようです。



しかし、完成品と廃棄されたスコアを比較して、いちばん引っかかるのは、月への旅路ではなく、映画ではリゲティーの「レクイエム」が使われたシーンの音楽です。無調の「レクイエム」を単独で聴く趣味はありませんが、映画のスコアとしてはいろいろ使い道がありそうだと感じます。もちろん、『2001年宇宙の旅』ではみごとにはまっています。とくに「木星および無限の彼方」シークェンスの冒頭、木星とその衛星がまたしても「ダンス」をし(そして、またしても、「合」「衝」のイメージが繰り返される)、そこに「モノリス」が見え隠れするショットでは、みごとな映像と音楽のハーモニーを形作っています。

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モノリス発掘現場「TMA-1」(上)と「木星および無限の彼方」シークェンスの冒頭、モノリスの再登場ショット(下)。モノリスが出現するたびに「レクイエム」が流れる。

キューブリックは、いかにすぐれた映画音楽作曲者といえども、彼らはベートーヴェンでもモーツァルトでもブラームスでもない、といったそうです。気持はわかりますが、これはフェアな発言とはいえないでしょう。百年後に、たとえばディミトリー・ティオムキンやヘンリー・マンシーニがどう評価されているかなんて、われわれにはわかりません。モーツァルトやブラームスと同列になっている可能性もゼロではないでしょう。すでにレノン=マッカートニーはそういう道を歩きはじめているし、ブライアン・ウィルソンもそのあとを追っています。古典と現代の音楽を同列に論じられるほど、われわれの想像力は長射程ではないのです。

キューブリックは深く考えずにいったのでしょうが、敷衍すると、ディミトリ・ティオムキンも、バーナード・ハーマンも、ヘンリー・マンシーニも、存在価値なしと断言したも同然です。さらに翻って考えると、「リアルタイムでは」モーツァルトもブラームスも価値がなかったことになってしまいます。どんな時代にあっても、だれかが新しいものをつくらなければなりません。キューブリックだって、自分はジョルジュ・メリエスでもなければジョン・フォードでもなく、フランク・キャプラの足元にも及ばない、などと思って映画を撮っていたわけではないでしょう。キューブリックともあろう人が、なにを血迷ったことをいうのかと、おおいに違和感のある発言でした。ノースのスコアを破棄し、出来合いの音楽を使うという自分の選択を正当化したかっただけでしょうけれどね。

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◆ スリット・スキャン、その他の落ち穂拾い ◆◆
史上最高の映画と目されるほどの作品になると、書いても書いても、あとからあとからいろいろ思案が湧きあがり、とめどがありません。このところ、映画音楽ばかりやっているとはいえ、当家は映画ブログではなく、根本においては音楽ブログなのだから、あまり映像のことに立ち入るべきではなかろうと、自制心を働かせている最中です。

あとは、この稿を書くために読んだもののうち、価値が高いと感じたものを列挙するにとどめます。まず、かの名高い「スペース・コリダー」のシーン、いわゆるサイケデリック・シークェンスをご覧いただきましょう。



このシーンによって、特殊撮影スーパヴァイザーのダグラス・トランブルはおおいなる名声を博しました。仕事の取材でつくば科学博にいったときは、いの一番でトランブルが開発・製作・監督した、1分間32コマで撮影された短編映画を見ました。いやもう、ドキドキするような映像でしたが、設備をいっさいがっさい更新しなければならないので、ついに普及しませんでした。ディジタル上映システムになれば、機材の問題は低コストで解決できる可能性があり、撮影システムのほうも、また32コマとか48コマといったコンセプトが復活するのではないでしょうか。ご覧になった方は忘れていないでしょうが、あのリアリティーは恐ろしいくらいのものでしたからねえ。

ダグラス・トランブルの写真のかわりに、ヴィデオ・クリップをどうぞ。



さて、この万華鏡映像はいかにして撮影されたか? これは「スリット・スキャン」といわれる撮影方式によってつくられているのですが、わたしはこういうのが好きなので、以前、書籍で調べました。でも、いまではウェブ上に資料がごろごろしています。

いちばん面白かったのは、『2001年』のスリット・スキャン画像をリヴァース・エンジニアリングして、元画像を復元したといっているサイトです。

よりオーソドクスなスリット・スキャン撮影技法の解説としては、この頁が面白いと思います。なかなか笑える絵があります。わたしはときおり、スキャナーで画像をスキャンしながら、スキャン対象を動かし、できあがった奇妙な写真を眺めて笑っていますが、それに似ています。

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最後に、ワーナーのサイトの『2001年』ページをどうぞ。このページに、初公開、完全クレジットというページへのリンクがあります。CDリイシューで、かつては書かれなかったパーソネルが公開されるみたいなものなのでしょう。ここで、音楽監督クレジットがないことを最終的に確認しました。

次回は、もうひとつ同系統のSFを取り上げる予定ですが、すぐに気が変わる人間なので、あまり当てにはなりません。
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by songsf4s | 2009-04-21 23:52 | 映画・TV音楽
The Blue Danube by the Berlin Philharmonic Orchestra (OST 『2001年宇宙の旅』より) その1
タイトル
The Blue Danube
アーティスト
The Berlin Philharmonic Orchestra, conducted by Herbert von Karajan (OST)
ライター
Johann Strauss II
収録アルバム
2001: A Space Odyssey (OST)
リリース年
1968年
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SFが嫌いなわけではないのですが、西部劇やアクションもの、スパイものなどにくらべると、面白いと感じる音楽はあまりなく、当家のサントラ・シリーズでは、本編はゼロ、『バットマン』『原子力潜水艦シービュー号』『ミステリー・ゾーン』など、ドラマしか取り上げていません。ジョン・ウィリアムズは勘弁してほしいし、ルーカス=スピルバーグ路線も願い下げなので、いきおい、SFから遠ざかってしまったようです。

ラヴ・ストーリーを取り上げないのは、そもそも、あまり見ていないから当然なのですが、SFは子どものころからたくさん見ているのに、ぜんぜん登場しないのはおかしいなあ、と思い、いろいろ考えた結果、とりあえず二本だけですが、音楽がいいといえるものを思い出しました。今日はその一本、いきなり超大物です。

◆ ゾロアスターがどういおうが…… ◆◆
ときおり、映画館から出たときに、脈拍が上がり、顔面紅潮ということがありますが、『2001年宇宙の旅』ほど心拍数のあがった映画はありません。それまでに見たあらゆる作品を失念してしまうほど圧倒的でした。

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この「合」だか「衝」だか(天文学不案内にて、どちらかわからず!)のイメージが何度か出てくるが、いずれもじつに美しい。

『2001年宇宙の旅』のテーマ、という曲はありませんが、ふつうは、Also Sprach Zarathustraがテーマ曲とみなされています。どうでもいいようなことですが、この曲が前提としたニーチェの本は『ツァラトゥストラはかく語りき』というタイトルだった関係で、曲のほうも同じような邦題がついています(書籍のなかには『ツァラトゥストラはこういった』という醜悪きわまりない現代語タイトルを採用しているものもある。なんたる愚昧! なんたるリズム音痴!)。

しかし、英語タイトルは『Thus Spoke Zoroaster』で、これをそのまま訳すと「ゾロアスターはかく語りき」になってしまい、ありゃ、とコケます。日本に入ってくるときに、どの文化のフィルターを通ったかによって、妙なバイアスがかかってしまうという、典型的な例です。子どものとき、思いませんでしたか、「シアター」と「テアトル」はどう違うのだ、なんて?

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どうでもいい寄り道はそれぐらいにして、音楽のほうです。わたしはクラシックというものを聴かない人間ですが、本日とりあげる『美しき青きドナウ』(これを「美しくて青いドナウ」なんて現代語にしている大馬鹿盤はないだろう。ということは、レコード屋のほうが本屋より美的感覚において優れているということか? 出版界も地に墜ちたものだ)は、子どものころ、わが家に「ステレオ」(ステレオ再生のできるオーディオ・セットを昔はこう呼んだ、いや、かく称えし)がやってきたときから、レコード・ラックに鎮座していたくらいで、さすがのわたしもこの曲は小学校のときから知っていました。

しかし、毎度申し上げるように、映像と結びついた瞬間、音楽はときにまったく新しい相貌を帯びます。それを感じていただきたいのですが、必要なところだけを切り取ったクリップは見あたらず、やむをえず、「人類の夜明け」シークェンスから長々とご覧いただきたいと思います。いや、プレイをクリックして、そのまま記事をお読みになっていれば、やがて肝心のシークェンスにたどり着き、音が聞こえてきます。その場合でも、できればすこし後退して、骨が宙に舞い上がるところからご覧いただけると、より味わい深いものになるでしょう。



というわけで、骨が飛んで、一瞬にして数万年の時間を跳躍するところから入らないと、この映画のなかでこの曲が出てくる瞬間のすばらしい感覚は得られないのです。途中からこのシーンに入っているクリップをアップした人は、映画のことも音楽のことも、これっぱかしもわかっていないのです。

たとえ骨はカットしても、「イントロ」をカットするのだけは断じて不可です。そういうクリップもありましたが、アップした人物は頭がどうかしています。クラシックでは「イントロ」とはいわないのかもしれませんが、この曲にはポップでいえば前付けヴァースのようなものがあり、本体のヴァース(とはいわないのだろうが!)とは異なったコード進行(とはいわないだろうが!)を使っているのです。どういうものかというと、ポップのほうでは昔はよく使った、メイジャーから同じコードでマイナーに移行するパターン(このOSTでは、DからDmへ)が、じつにけっこうな響きで、これ抜きではこのシーンの魅力も何割かは減じられてしまいます。

このクリップをアップした人もべつの意味でセンスがなく、ただ機械的に切り分けているため、The Blue Danubeの後半が切れています。というわけでつぎのクリップへ。



The Blue Danubeはこのあとさらに二回出てきます。いや、そのまえに、ちょっと説明しておいたほうがいいでしょう。この一連のシークェンスは、地球からパンナムのロケットで軌道上の宇宙ステーション(まだ建設中で、骨組みだけのところがあるのが凝っている!)に飛び、さらにべつの宇宙船に乗り換えて、月まで行くというのを、言葉の説明なしに、映像だけで見せています。

なぜ乗り換えるのか? 経済の問題でしょう。地球からの脱出速度に到達するには途方もないエネルギーがいるので、小型ロケットであることが望ましいのですが、軌道上からどこかに飛ぶには相対的に小さなエネルギーですむため、低コストで大型のものを飛ばせる、といったあたりじゃないでしょうか。アーサー・C・クラークはしばしばコストの問題を小説のなかで扱い、「宇宙エレヴェーター」などという、究極の低価格宇宙旅行手段も考案しています。

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映画はそういうことをいっさい説明せず、画面の背後にあることを、観客みずからが知識と想像力を動員して、能動的に理解するように仕向けているのです。じつにタフな映画です。アーサー・C・クラークの小説のほうは明晰そのものですがね(原作またはノヴェライゼイションというわけではなく、映画の「並行作品」というべきだろう)。

ということで、つぎのクリップは軌道上ステーションから月への旅です。



ステュワーデス(この映画がつくられたときには、フライト・アテンダントだなんていう長ったらしくて醜悪で馬鹿馬鹿しい言葉はなかった)が逆さまになるのはべつに不思議でもなんでもなく、セットのほうがハツカネズミの踏み車のようにゆっくり回転しているので、彼女はずっと直立し、その場で足踏みしているだけです。このシーンは大丈夫でしょうが、宇宙船ディスカヴァリー内で、同様の回転セットで宇宙飛行士たちが運動するシーンの撮影は、危険を伴っただろうと思います。

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◆ 稀なる人の尋常ならざるシーン ◆◆
言葉にすると、ロケットが地球から軌道上のステーションに到着し、登場人物がそこから地球に電話をかけ、子どもと話し、ステーションにいたソヴィエトの科学者たちと、奥歯に物が挟まったような会話をし(この人物は公にできない事情で月に向かう途次にある)、またべつの宇宙船に乗って月の基地に到着する、というだけのシークェンスで、ストーリーはまだはじまっていないといっていいほどです。

しかし、それにしては、映像が表現するものはじつになんとも濃密かつ変化に富み、緊張感を失うカットなどまったくありません。はじめて見たときは圧倒され、当然、もう一度みたいと思ったのですが、疲労困憊で、その日、繰り返して見る気力は起きず、後日にもう一度行きました。ショットのひとつひとつに膨大な情報が詰め込まれているので、よく観察し、頭をフルに使って解釈しなければならないために、一度見ると、消耗してしまうのです。

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ディスカヴァリーの乗組員が、テーブルに埋め込まれた縦型情報端末でニュースを読んでいる。あとから振り返って考えると、キューブリックはゼロックスのパロ・アルト研究所に取材したのではないかという気がする。

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ゼロックスのパロ・アルト研究所で製作された実験機、「アルト」の縦型端末。

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「アルト」の先には、この「ダイナブック」が予定されていた。これは実物ではなく、完成予想模型。のちにアップルがこれに非常に近いデザインのノート型マックをつくった。

さて、問題の音楽です。いやもう、感銘を受けました。あの当たり前の曲に合わせて、宇宙船と宇宙ステーションにワルツを踊らせちゃったのだから、やはりキューブリックは尋常の人ではありません。こういう発想をすること自体もすごいのですが、それを美しく実現した意志とセンスと能力の組み合わせは、やはり稀なるものというべきでしょう。

これに比肩しうる映像と音楽の組み合わせは、ロベール・アンリコの『冒険者たち』の開巻直後に登場する、複葉機とトラックのダンスぐらいしか、あの時代にはありませんでした。『冒険者たち』の「ダンス」もけっして凡庸ではなく、子どものわたしは、フランソワ・ド・ルーベの音楽に魅了され(この場面で使われたのはJournal de Bordという曲)、その音楽とみごとに融合した映像に惚れ惚れしました。

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この月面基地が姿をあらわしたときは、なんだか『007は二度死ぬ』に出てくるスペクターの秘密基地みたいだと思った!

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『冒険者たち』と条件が異なるのは、あちらはライヴ・フッテージなのに対し、『2001年』はスタジオでの特殊撮影だということですが、もうひとつ、オリジナル・スコアと出来合いのクラシック・ミュージックの借用というちがいもあります。

どちらがいい、悪いということではありません。性質のちがいをいっているだけです。『2001年』はよく知られた音楽を使いながら、その音楽が映像と結びついた瞬間、新しい相貌を見せることをあざやかに証明し、われわれを驚愕させました。ここがもっとも重要で、その後の映画音楽との関係で大きな意味をもつ点です。わかりやすい例でいえば、『ヴェニスに死す』のマーラーや、『地獄の黙示録』のワーグナーの利用法の先駆となり、さらにいえば、過去のポップ・ヒットの映画への応用にまで先鞭をつけたのです。

しかし、この「スコア」の誕生には、やや錯綜した背景があります。昔から、なんだか変だなあ、と気になっていたのですが、今回、重箱の隅をせせってみて、なるほど、そういうことか、と納得しました。しかし、本日はすでに「電池切れ」(いや、PCではなく、わたしのパワーがなくなった)のうえに、残り時間もわずかなので、そのあたりのことと、その他の背景情報については次回送りとさせていただきます。
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by songsf4s | 2009-04-20 23:55 | 映画・TV音楽
You Only Live Twice by Nancy Sinatra (『007は二度死ぬ』より) その2
タイトル
You Only Live Twice (remake, Hollywood version)
アーティスト
Nancy Sinatra
ライター
John Barry, Leslie Bricusse
収録アルバム
The Hit Years
リリース年
1967年
他のヴァージョン
Billy Strange, Roland Shaw & His Orchestra, the John Barry Orchestra, Mantovani, Nancy Sinatra (OST)
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考えてみると、わが家のどこかに、『007は二度死ぬ』の取材記を含むイアン・フレミングの『007世界を行く』があるはずですし、ロアルド・ダールの日本取材同行記を掲載した「ミステリ・マガジン」の古い号もあるはずなのです。昨夜、ちょっとジタバタしてみましたが、残念ながらどちらも発掘できませんでした。かわりに、「マンハント」「ヒチコック・マガジン」「幻影城」「話の特集」といった古雑誌が山ほど出てきて、思わず読みふけりそうになり、かろうじて自制しました。

オールド・タイマーのなかには「おとなしい兇器」をはじめとする、ロアルド・ダールの短編をご記憶の方も多いでしょう。数十年前、鎌倉に住んでいたころ、詩人・田村隆一と何度かすれ違いましたが、最初のときは「あ、ダールを訳した人だ」と思い(詩人は食えないからだろう、田村は「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」日本版の初代編集長だった)、二度目のときは「インドでは八千草薫のような美女がハイライトひと箱の値段である」というインド旅行記を書いた人だ、と思いました。結局、この詩人の詩集は一冊しか読まず、それも表題すら忘れてしまいました。

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高校の終わりごろ、ご多分に漏れず、わたしはダールのファンでした。でも、あのすぐれた短編作家が、いっぽうで、ひどく不出来な『007は二度死ぬ』のシナリオ・ライターだというのがどうにも納得がいかず、長いあいだ、わたしの頭のなかでは「おとなしい兇器」と『二度死ぬ』は分裂したままでした。

人間だから、そのうち、知恵がついてきます。しばらくたってからダールの短編集『キス・キス』と『あなたによく似た人』を再読し、やっと作家的人格が統合された像が見えました。はじめから、たいした書き手ではなかったのです。

アイディアのすぐれた短編の二つや三つ、運があれば素人にでも書けます。職業作家としては、そこから先がほんとうの勝負で、まともな長編が書けるか、一定水準以上の短編を大量に書けるか、というところで、資質の見極めがつきます。『二度死ぬ』のシナリオが薄っぺらで安直だったのは、ダールがそういう書き手だからです。短編では作家のほんとうの力量はわかりません。ダールの後半生の作品に見るべきものがないのは、当然です。人物を造形する能力のない、ささやかなアイディアだけに頼った書き手だったのです。

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ロアルド・ダールの夫人は女優のパトリシア・ニール

いやはや、子どものときのあこがれがつぎつぎと幻滅に変わり、手のひらから砂がこぼれ落ちるように消えていくのが、われわれの一生というものなのかもしれません。

◆ 二人の関係者のリメイク ◆◆
さて、今回はYou Only Live Twiceのカヴァー・ヴァージョンを見ます。GoldfingerやThunderballとちがって、ほんの一握りしかありません。

f0147840_0174291.jpgまずは、カヴァーというか、オリジナルのOST盤で歌ったナンシー・シナトラ自身がハリウッドに帰って、いつものスタッフでリメイクしたヴァージョンがあります。

サンプル

お聴きになればわかるように、映画を見た人が違和感を覚えないように、オリジナルと同じ方向性でアレンジしています。どちらがいいとはにわかには断じがたく、お好みしだいではないかという気がします。ストリングスについてはOSTのほうに軍配、グルーヴとホーンはリメイクのほうが好ましい、とわたし自身は感じますが、さて、みなさんはどうでしょうか。

ナンシーのみならず、ジョン・バリーも自分のオーケストラの名義でリメイクしています。しかし、弦のアレンジとサウンドについては、官能的といっていいほど流麗なOSTのほうがずっとよく、このヴァージョンはバリーのファンだけが聴けばいいのではないかという気がします。

◆ ビリー・ストレンジ ◆◆
ナンシーのハリウッド・リメイク盤でアレンジとコンダクトをしたビリー・ストレンジも、自身の名義の盤でこの曲をカヴァーしています。こちらは、毎度ご紹介している、Add More Music(右の欄のFriendsリンクをご利用あれ)の「レア・インスト」ページでLPリップを入手することができます。No.49が、You Only Live Twiceを収録したJames Bond Double Featureです。

f0147840_023307.jpgこちらもナンシーのリメイク盤同様、ドラムは明らかにハル・ブレインです。ハルは同じ曲を何度もプレイしていますが、そういう場合、重複を避けてドラム譜をまったくべつのスタイルに書き換える場合もあれば、自分自身をコピーすることもあります。この曲は後者で、ナンシー・リメイク盤とほぼ同じプレイをしています。

わたしはギター・インストが大好きなので、それだけでビリー・ストレンジ盤には肩入れしてしまいます。じっさい、Goldfinger同様、この曲も昔、MIDIで完全コピーをやったことがあるのですが、You Only Live Twiceは、OSTではなく、このビリー・ストレンジ盤をコピーしました。

冒頭のティンパニーが半音スライド・アップしている(ギターじゃないんだから、スラーがついて、レガートでプレイしている、というべきか!)のに気づかなくて、いちどプログラムしてしまってから、「あれ? なんでティンパニーのピッチが合わないんだ」なんて大ボケかましたりしましたが、なかなか楽しいコピーでした。

f0147840_027611.jpgこのヴァージョンでは、やはりなんといっても雰囲気のあるビリー御大のギターが好きなのですが、それ以外についていえば、コピーしていて、ピアノのオブリガートが面白いと感じました。カウントしてもよくわからず、じっさいにリアルタイムでキーボードをプレイして、やっと、なるほど、そういうタイミングであったか、なんて、またしてもボケをかまし、気づくのが遅いんだよ、おまえは、と自分で自分をド突きましたねえ。

こういうことです。AMMで配布しているファイルでは、00:17あたりでヴァースに入りますが、このファースト・ヴァースでピアノが小さくオブリガートを入れています。たとえば、最初のGmのところは、Bb-D-Gといった感じで、音を上昇させながら、極度に早いアルペジオとでもいったものを弾いているのです。一瞬にして3、4音をパラッと鳴らすわけです。このタイミングがわからなくて、リアルタイムで弾いて確認するハメになったのです。

弾いているうちに、そうか、とわかりました。アルペジオの最後の音でタイミングをとればいいのです。最初の音でタイミングをとろうとするから、わからなかったのです。この曲の場合でいうと、最後の音がつぎの小節の一拍目に来なければいけないのです。それまでの音は、そこに到るまでの飾りにすぎず、タイミングもアバウトでかまいません。

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左からビリー・ストレンジ、リー・ヘイズルウッド、ナンシー・シナトラ

ドラムのほうで「フラム」(flam)というプレイがあります。これはわずかにタイミングをズラした二打で構成されていますが、タイミングを合わせるのはあとのほうの二打目で、一打目は装飾音にすぎません。これによく似たプレイを、ビリー・ストレンジ盤You Only Live Twiceのピアニストはやっていたのです。

ナンシー・リメイク盤のピアノも同じプレイをセカンド・ヴァースでやっていますが、ヴォーカルがあると、プレイがよく聞こえないもので、こういうアレンジの細部を楽しむなら、ビリー・ストレンジ盤のほうがいいでしょう。ハルのドラムもビリー・ストレンジ盤のほうがオンにミックスされています。

◆ ローランド・ショウ、マントヴァーニ ◆◆
残るのカヴァーはどちらもオーケストラものです。両者とも、聴くまえから、例によって大きな造りにしているのだろうと想像がつくタイプのオーケストラ・リーダーですが、さて、じっさいのところはどうでしょうか。

そうなってしまうだろうとは思うのですが、両者ともオリジナルとほぼ同じテンポでやっています。まあ、この曲には速いテンポが合わないのは目に見えているし、かといってあまり遅くすると、いやったらしいバラッドに堕す恐れもあり、こういう中間的なテンポを選択せざるをえないでしょう。

マントヴァーニは、ただただもう流麗なるストリングスで勝負というムードで、ラウンジとしては、これはこれでけっこうだろうと思います。曲に合ったアレンジです。

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やや不思議なのはローランド・ショウで、オーケストラものなのですが、女性ヴォーカルをフィーチャーしています。きわめて匿名的なシンギング・スタイルで、バックグラウンド・ヴォーカル的な扱いです。ヘンリー・マンシーニがときおりコーラスでやっていることを、ソロ・ヴォーカルでやったという塩梅。いつもフル・オーケストレーションでガーンとぶちかます人なので、たまには気分を変えてチェンジアップを入れてみたのでしょう。

◆ エンド・タイトル ◆◆
昔は、映画の終わりというのは、物語が終わった直後に「The End」とか「終わり」とか「完」といった文字が出て、オーケストラがフォルテシモで鳴って、あっさり幕が下りたものです。

しかし、六〇年代のなかばから、長めのエンド・タイトルを採用し、そのうしろでテーマなり、他の音楽なりをプレイする、というスタイルもちらほらと見かけるようになりました。こういうのは善し悪しで、音楽がよければ楽しめるいっぽう、長くて退屈なだけのこともよくあります。

ジェイムズ・ボンド・シリーズでは、成功したエンド・タイトルがいくつかありますが、なんといっても、わたしは、最後に再びナンシー・シナトラの歌が流れる、この『007は二度死ぬ』のエンド・タイトルがすばらしいと思います。じっさい、この映画ではじめて、エンド・タイトルの価値を認識しました。

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by songsf4s | 2009-04-18 23:55 | 映画・TV音楽
You Only Live Twice by Nancy Sinatra (OST 『007は二度死ぬ』より) その1
タイトル
You Only Live Twice
アーティスト
Nancy Sinatra
ライター
John Barry, Leslie Bricusse
収録アルバム
You Only Live Twice (OST)
リリース年
1967年
他のヴァージョン
Billy Strange, Roland Shaw & His Orchestra, the John Barry Orchestra, Mantovani, Nancy Sinatra (remake, Hollywood version)
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昨16日は久しぶりに鎌倉を歩いてきました。満開の八重桜が目立ちましたが、ジャスミンも開花していました。へへえ、と思ったのは、黄色い花をつけるカロライナ・ジャスミンがあちこちのお宅に植えられていたことです。10年近く前、元の築地川の上につくられた公園にひと株だけあったのを見て、名前を覚えましたが、それからほんのわずかの年月で、ごく当たり前のものになってしまったようです。

はてさて、こういうのはいいことなのかどうか。外来種の無思慮な栽培、ともいえます。植物には足はありませんが、たとえばクローヴァーや米粒詰め草、さらには背高泡立草を見てもわかるように、在来種を駆逐してはびこっていくことにかけては、動物や魚類にひけをとりません。最近では、ポピーなんか、どこにでもある雑草といった状態ですが、あれだって無思慮に庭や公園・庭園に植えたせいです。動物、魚類、鳥類(そして『ジュラシック・パーク』によれば恐竜)にかぎらず、植物も囲い込むことは不可能なのだから、これからは外来種について、園芸家はもっとストイックになる必要があるのではないでしょうか。

鎌倉に出かけたついでに、このブログのために少々、取材のようなことをしてきました。このところずっと映画音楽をやっているのだから、たまには邦画も取り上げたいところで、それで鎌倉を扱った映画の主題歌をやろうかな、と思ったのです。といっても、時間がなくて、写真を撮ったのは、鎌倉駅、由比ヶ浜の商店街、そして光明寺だけです。これだけのヒントではなにもわからないでしょうからもうひとつ、日活作品です。昨年秋の逗子・葉山取材と、今回の鎌倉歩きで材料はそろったので、まもなく取り上げます。

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墓石を枕に夢うつつ、嗚呼極楽極楽。鎌倉・光明寺の猫。

◆ ザ・ベスト&ワースト ◆◆
さて、今回は同じく日本が舞台でも、邦画ではなく、ジェイムズ・ボンドの『007は二度死ぬ』です。ロケ地は東京(赤坂、銀座、代々木、中野など)、神戸、姫路、霧島、鹿児島といったあたりです。

まずはタイトル・シークェンスをご覧いただきましょう。



数あるジェイムズ・ボンドのテーマのなかでも、わたしはこれがいちばん好きですし、タイトルの映像との親和性ももっともよいと思います。フィルムのテンポと音楽のテンポにズレがありません。想像ですが、音楽が先で、フィルムはプレスコに合わせて撮影と編集をおこなったのでしょう。

しかし、この映画で好きなのはオープニングとエンディングぐらいで、あとはずっと居心地が悪くてしかたありません。こんなに尻をもじもじさせながら見た映画もそれほどたくさんはないでしょう。そう感じたのは日本人だけで、他国の客は、日本はあんなものだろうと思ってみたのでしょうが、さりながら、自分が日本人であることを忘れ、自国に関する知識も一時的に機能停止させて映画を見る、というぐあいには、なかなかいかないものだなあと思います。

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銀座西五番街。銀座というより、ほとんど新橋だが。

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代々木。ボンドを載せて疾駆するのは、今回はアストン・マーティンではなく、トヨタ2000GT。キャメラは車を追って右から左に素速くパーンしているところで、背景がブレている。

このあとがシドニー・ポラックの『ザ・ヤクザ』、そして、リドリー・スコットの『ブラック・レイン』という順番で日本がメイジャー作品に登場しますが、『ブラック・レイン』に到る道はけわしかったなあ、と思います。その『ブラック・レイン』も、日本ロケはいろいろ手間取って、女プロデューサーが日本に駆けつけ、ヘリでロケ地に乗りつけるや、「リドリー!」と怒鳴りつけ、監督があわてて駆け寄ると、いきなりバシーンとビンタを食らわせ、このバカヤロー、あたしの金を無駄にしやがって、という鶴の一声で、あえなく撤収となった、という噂話を小耳にしたことがあります。プロデューサーの権限は絶対で、たとえリドリー・スコットでも、ビンタを食らってもなにもいえないようですな。

だから、ほら、ダイレクターズ・カットとかいって、編集し直したものを二度売りするじゃないですか、あれはプロデューサーの権限で切られたものを、未練たらしく生き返らせた代物で、監督になんらかの権限があれば、あんなものがあとから生まれるはずがありません。ビンタの慰謝料、屈辱の報酬、それがダイレクターズ・カットなのです。

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わたしは神戸にはまったく不案内だが、地元の方は、このカットから撮影場所がおわかりだろう。

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姫路城にて、左からショーン・コネリー、丹波哲郎、若林映子。日本人にはこのシークェンスがいちばんこたえる。タイガー田中(丹波)をヘッドとする日本の秘密情報機関の忍者養成所(!)が、この国宝・白鷺城にあるという設定なのですな、これが。いやはや……ウーム……はて……。そもそも、秘密情報機関のヘッドが絽の着物っていうのがねえ。まあ、忍者部隊を率いる「現代の服部半蔵」という解釈で手打ちとするか!

わたしなんかもそうでしたが、子どもは得てして、大人になったら映画監督になりたいなんてことを思うものです。まあ、日本では監督に強い権限があるので、それもあながち見当はずれではないのですが(もっとも、映画監督では食えないという大問題があるので、やはりおおいなる見当違いなのだが)、ハリウッドに行ってごらんなさい、監督なんてものはひと山いくら、二束三文のたたき売り、プロデューサーの前にひざまずき、靴にキスしてやっと映画を撮らせてもらえるわけで、目指すならプロデューサーしかありません。あるいは、プロデューサー兼任監督ですな。雇われ監督なんかやった日には、堪忍袋がいくつあっても足りませんぜ。

◆ シンプルでいながら風変わりなコードとオブリガート ◆◆
よけいな脇道に入ってしまいましたが、テーマについてはまったく文句なし。ジョン・バリーがつくった最高の曲であり、アレンジであり、サウンドです。Goldfingerは意図的に異質であろうとしたきらいがありますが、You Only Live Twiceにはそういうわざとらしさはなく、自然にエキゾティックな曲になったと感じます(ナインスの音を使ったマリンバのフレーズは、もちろん意図的に東洋的雰囲気を出そうとしたものだろうが)。

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イントロのストリングスはミステリアスにはじまり、そのあとにつづく、Cに移調して書くと、C-B-C-B-A-B-A-G、Bb-A-Bb-A-G-A-G-Fというラインの繰り返しは、すばらしいスケール感があり、これまた文句なしにシリーズ最高峰のサウンドです。

ヴァースではさらに、上記の2種類のフレーズ(C用とGm用)に加えて、Fm用のAb-G-Ab-G-F-G-F-C-E-F-Gというフレーズも登場し、これがやや強引なせいで、もっともエキゾティックに響きます。ヴァースは(Cに移調して)C-Gm-Fm-Cというコードで構成されていて、このコードの遷移も、シンプルでありながら、自明ではなく、ありそうでいて、じっさいにはあまりないコード進行でしょう。ジョン・バリーの異質性がよく出ています。

コーラスもなかなかけっこうで、Fm-G7-Bbm-Gというコード進行の響きもいいし、左チャンネルのストリングスのオブリガートの作り方も、ノーマルではなく、ハッとさせられます。

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スペクターの日本基地として利用された火口湖は、霧島の新燃岳というところだそうな。われわれが子どものころには、活火山、休火山、死火山という言葉があったが、「死火山」が噴火する例もあって、最近は廃れたという。映画のなかではこの新燃岳を休火山といい、ラストのロケット燃料の爆発に誘導されて噴火することになったが、現実の新燃岳も最近噴火したそうだ。そんな危険な場所に秘密基地をつくってはダメじゃないか>ブロフェルド教授。


余計なことを書いたり、ヴィデオ・クリップ探しに手間取ったりして、時間がなくなってしまったため、カヴァー・ヴァージョンについては次回に検討させていただきます。
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by songsf4s | 2009-04-17 22:31 | 映画・TV音楽