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I Should Have Known Better by the Beatles(OST)
タイトル
I Should Have Known Better
アーティスト
The Beatles
ライター
John Lennon, Paul McCartney
収録アルバム
A Hard Day's Night (OST)
リリース年
1964年
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この年になって、半世紀のあいだに見た映画を振り返り、自分が見たもののうち、もっとも巨大な影響力があったものはなにか、と考えると、『ア・ハード・デイズ・ナイト』という答が3秒で出ました。世界を変えた映画、などというものがあるとしたら(ま、ないでしょうが!)、『ア・ハード・デイズ・ナイト』以外には考えられません。

ジム・マギン(のちのロジャー・マギン)がこの映画を見て、フォークなんかやっている場合ではないと、アコースティックからエレクトリックにギターをもちかえ、いわゆるフォーク・ロック・ブームが起きたのは有名です。あまり知られていませんが、マザー・マクリーズ・アップタウン・ジャグ・チャンピオンズという、ブルーグラス・バンドのバンジョー・プレイヤーだったジェリー・ガルシアが、バンド・メイトのロン・“ピグペン”・マカーナンとボブ・ウィアを捲きこんで、ウォーロクスというロック・バンド、すなわち、のちのグレイトフル・デッドを組んだのも、この映画のせいでした。

ふつうの人間もそうでしたが、あの時代、いくぶんか音楽にかかわりのあった人間のほとんどがエド・サリヴァン・ショウか、じっさいのライヴか、または映画でビートルズを見てショックを受け、相当数が考え方を変えたか、すくなくとも、時代が大きく変化しつつあることを知りました。もちろん、腹を立てた人もいますが、その代表格ともいえる人物はのちに映画監督になり、その作品のなかで、じつにアクロバティックな表現を使ってビートルズを否定しているので、それはその映画の音楽を取り上げるときに書きます。

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こちらは英国パーロフォン盤のデザイン。これがA Hard Day's Nightのカヴァーとしては国際標準。冒頭に掲げたのは当時の国内盤デザインの不出来なレプリカ。元はオデオン・レーベルで、上部に左右に広がる矢印があり、STEREOと書かれていた。後年のリイシューはアップルになってしまい、強い違和感があるが、オリジナルのいい写真が見あたらず、あきらめてリイシューのジャケットを頂戴してきた。どうせ模造品をつくるなら、まじめに模造してほしいものだ。

◆ 嗚呼、ファビュラス・シクスティーズ ◆◆
さすがに日付までは覚えていませんが、わたしがはじめて『ア・ハード・デイズ・ナイト』を見たのは1966年3月、小学校の卒業式は終わり、あとは中学に入るばかり、という春休みのある日でした。ところは横浜駅西口、相鉄映画街のどれかの映画館でした。いまではあのへんは再開発されて往時の面影まったくなく、残念でなりません。隣には日本楽器があり、映画とレコードのためにしばしばいった場所なので、目をつぶると、かつての佇まいが浮かんできます(中学2年のとき、なにかの代休があり、平日に仲間とこの映画街に行って、一回目の上映を待って外に並んでいたら、補導されそうになった。うちのバンドの4人全員ひとまとめ。クスリで逮捕されたドアーズか、ストーンズか、はたまたデッドか!)。

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年寄りの感傷はさておき、この日はたいへんでした。たしか、同級生4人で見に行ったはずです。10時ごろ入り、ジェイムズ・ボンド・シリーズ『サンダーボール作戦』を一回目の上映で見て、その後、どこかで昼食(食べた記憶がないところを見ると、昼食はとらず、映画館のポップコーンやポテトチップスでごまかしたか)。午後は同じ建物のべつの映画館でビートルズ二本立てという強行スケデュールでした。この年になると、映画は一日一本にしましょう、です。腰によくありませんよ。

この組み合わせ、ビートルズとジェイムズ・ボンドって、いま考えると、これ以上60年代的なものはないってくらいですな。もちろん、12歳のわたしは興奮しっぱなしでした。66年にはあと2回、どちらも夏休みにまたビートルズ二本立てを見ました。あのころは、学校が休みになると、あちこちの映画館で「ビートルズ大会」などと称して再映していたのです。どこそこにかかっているぞ、というと、すぐに数人の希望者が集まり、みんなで繰り出しました。話は飛びますが、やがてうちの学校ではジョアナ・シムカスがすばらしい評判を喚び、これまた、新宿でやってるぞ、などと情報が入ると、そのたびに数人で繰り出しました。わたしなんぞはノーといったことがなく、上映されるたびにかならず行ったように記憶しています。

しかしねえ、あの子どもたちのビートルズ映画に対する愛情はなんだったのでしょうねえ。いまだに明快に分析できません。こんなシーンでも、女の子たちは涙を流していたものです。



リンゴの髪の毛をつかもうとする女の子はパティー・ボイド、ジャンキーのギタリストが彼女のために中毒を悪化させ、こりゃどうにもたまらんといって、Laylaという曲を捧げた相手ですな。わたしがそばにいたら、この映画を見せてあげ、もとをたどればこういうパア子ちゃん、ちょっと可愛いだけの小娘なんだぜ、beauty is only skin deep、訳せば、「皮一枚下はみなしゃれこうべ」とテンプスも歌ってるだろうが、ギャアギャア騒ぐこたあねえのよ、と蒙を啓いてあげたのにねえ。まあ、恋する人間は基地外(筒井康隆の盗作なり)だから馬耳東風、いっても無駄でしょうがね。そもそも、考えてみると、しゃれこうべにだって美人不美人があるとかなんとか、わけのわからない反論をされそうだし……。とんと「野ざらし」ですな。

f0147840_15403391.jpgで、なんだったんでしょうね、あのビートルズという現象は。いまこうしてあのシーンを見ても、まったくわかりません。このシンプルな曲は、ビートルズを聴きはじめたころ、大好きだったことはよく覚えています。この映画のEPをもっていました。ギターコードを覚えはじめたときも、G-D-G-Dと繰り返すだけのこの曲のシンプルなヴァースをやりました。はじめのころは、長く伸ばしたIをどこで切ってshouldに移ればいいのか、そのタイミングがつかみにくかったことも覚えています。should have knownも発音しにくかったですな。いまなら深く考えずに、シュダノンと発音しますが、子どもは律儀ですから。

いま、うちのHDDを検索してみましたが、ほかのヴァージョンはビーチボーイズのものだけ。これはParty!収録なので、まじめなカヴァーとはいいかねます。ビートルズの楽曲としては、極端にカヴァーが少ないトラックだと思いますが、それも当然でしょう。あの時代のファブ・フォーじゃないと、魅力的に響かないタイプの曲です。

◆ リンゴのテーマ ◆◆
この映画ではじめて知ったことは、映像と音楽が結びついたときだけに生まれる、特別なエモーションというものが存在する、ということです。I Should Have Known Betterのシーンももちろんそうでしたし、このシークェンスもそうでした。



もちろん、これはThis Boyなのですが、OSTではRingo's Themeというタイトルでした。ジョージ・マーティンのアレンジとコンダクトだったと思います。ギターの音色がちょっとしたもんですなあ。こういうサウンドがつくれたら、もう勝ったも同然です。

いや、そういうことではなく、このシークェンスの叙情性は、画面のみでは生み出せません。というか、フッテージそれ自体に叙情性は埋め込まれていないのです。どちらかといえばコメディー・シークェンスです(古着屋の外での「失せな、チビ!」には恐れ入ってしまう)。ジョージ・マーティンがThis Boyをこのようにアレンジして、ここに嵌めこんだからこそ生まれた詩情です。

と、この場面のリリシズムを自明のもののように書いてしまいましたが、そう感じるのは、小学校六年のときの自分の日常に、このシークェンスがぴったり重なったからかもしれません。友だちがいない孤独な子ども、というわけではなかったのですが、塾に通っていて、六年の後半にはかなり嫌気がさし、たまたま繁華街のど真ん中だったので、よくサボって近くの映画館にいったり、夜の危険な町(いま思えば、あれは「娼婦とポン引きとやくざの町」だった)をただ歩きまわったりしました。そういうエスケープにはだれも付き合ってくれず、いつもひとりでした。この場面のリンゴを見て、だから、わたしはおおいに共感したのです。

◆ プレ・スコアリングで撮るということ ◆◆
この映画は基本的にはコメディーで、リンゴのエスケープ・シークェンスのようにリリカルなシーンはおまけです。感心するのは、世紀のアイドルを雑然とした状況において撮り、しかも、そこに独特の美とエモーションを生みだしていることです。上掲の手荷物や貨物が積み上げられた貨物車でのI Should Have Known Betterももちろんその一例ですし、つぎの長いクリップにあるIf I Fellの場面もそうです。



このクリップの後半にあるCan't Buy Me Loveの場面は、ファンの少女たちのために、「アイドルのグラヴィア」として撮影されたものですが、清新な感覚に満ちたショットの連続で、よくぞ撮ったり、といま見ても感心します。

ふつうはショットが先にあり、あとから音楽を加えるので、クウィンシー・ジョーンズのようなグルーヴ音痴でなければ(いや、ひょっとしたら、映像のリズムというものがまったく把握できないフィルム音痴なのかもしれないが)、画面のリズムに音楽を合わせることができます。しかし、ビートルズ映画の場合は逆です。先に音楽があり、それに合わせてシーンを演出し、編集しなければなりません。これは映画の撮り方ではなく、プロモーション・フィルム/ヴィデオの撮り方です。レスターのように音楽を解する人間でないと、こういう映画の監督はつとまりません。そして、このようなシーンの作り方は、以後、さまざまな映画に大きな影響を与えることになります。そういう意味でも、『ア・ハード・デイズ・ナイト』はエポック・メイキングな作品でした。

最近の本では明示されているのかもしれませんが、いったい、だれがこのリチャード・レスターという、経験の浅い若い監督を選んだのかと思います。あの時期のビートルズなので、どんな愚作でも世界中で爆発的にヒットしたにちがいありませんが、この年になって見ても退屈せず、しばしば笑い声を立てられるのはじつにありがたいことで、それはもっぱらレスターの力によるものです。さしたる意図はなく、ほとんど偶然のように選ばれたのだとしたら、どえらい幸運でした。そういう幸運の連鎖がなければ、そもそもビートルズ現象は起こらなかったでしょうけれどね。

今回はなにも映画を見ていなくて、苦しまぎれにビートルズを選びましたが、たぶん、次回も彼らのサントラを扱うことになるでしょう。

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by songsf4s | 2009-02-28 15:45 | 映画・TV音楽
The River Kwai March/Colonel Bogey (OST) (『戦場にかける橋』より)
タイトル
The River Kwai March/Colonel Bogey
アーティスト
OST
ライター
Malcolm Arnold
収録アルバム
The Bridge On The River Kwai (OST)
リリース年
1957年
他のヴァージョン(Colonel Bogey Marchを含む)
Mitch Miller, Jack Marshall, Edmundo Ros & His Orchestra, Arthur Lyman, the Three Suns, Steve Douglas & His Men
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えー、毎度ばかばかしいお話をひとつ、お江戸は日本橋、浮世小路の料亭「百川」でほんとうにあったお話だといいますが、さあて、落語のことですから、当てになりますかどうか……。フル・ヴァージョンとは参りませんので、ハイライトのみどうぞ。

初五郎「まことにお口汚しで恐れ入りますが、仇のうちに来ても口を濡らさずにけえるもんじゃねえという。まあ、ひとつ召し上がっていただきてえんですが」
百兵衛「はあ、こりはまあ、ごっつぉうさんで……これはあんでがすか?」
「へ? へい、さようでごぜえます、餡です」
「いや、そうではねえ、これはあんちゅうもんかね、これ?」
「あんちゅう? えー、けして召し上がってお得になるようなものじゃござんせん。くわいのきんとんで、えー、ひとつ召し上がっていただきたいんですが」
「あーりま、これがくわえでごぜえますか? あーりまあ、野郎、化けやがったな、これまあ」
「どうも化けるのなんのとおっしゃられたんじゃ、穴があったら入らなくちゃならねえんで、けしてそういうわけじゃねえんでございますが、えー、あなたを男と見こんでお願い申しますんで、ま、おっしゃりてえことはござんしょうけれども、今日のところはなんにもいわず、えー、ま、ほんとうになんでございます、ご無理でもござんしょうが、ま、ま、おひとついかがで? この具合(くわい)は、へっへへへ、あなたにグッと飲み込んでいただきてえんでございますがな」
「すると、おらがこのくわえを飲み込むかね、これ?」
「ま、無理にも飲み込んでいただきてえんでござえますが」
「まっとー小ちゃっけなりなば飲み込めねえこともなかんべえば、こんなに、はあ、エケーもんじゃ、飲み込めるかどうかわかんねえ」
「あなたにいけねえおっしゃられちゃあ、こっちは立つ瀬がござんせんので、えー、男と見こんでお願いいたしますんですから、まあ、ひとつ、つぶさずにグッとのみこんでいただきてえんでございますが?」


◆ 桑田変じて滄海となり、名作変じて…… ◆◆
というわけで、本日は六代目三遊亭圓生の『百川』です。

「主人家の抱え人」と自己紹介したら、「四神剣の掛け合い人」と間違えられて、「河岸の若い衆」に腹芸の相手をさせられ、しまいには、「(委細は)ひとつグッと飲み込んでくだせえ」と押しつけられ、大きなのを丸ごと呑んで百兵衛さんが涙目になった、その「クワイ」のきんとんが今日の曲です。――なんて、そんなことがあるはずないでしょ。ここは音楽ブログ、落語ブログじゃござんせん。ほんとうは、デイヴィッド・リーン監督の『戦場にかける橋』のテーマが今日の曲です。

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四神剣(鎌倉にて)。そも、四神とはなにかというと「天の四方の星宿。また、その方角をつかさどる神。東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武をいう。四獣」と辞書にある。平城京、平安京はこの考え方でつくられている。写真左から玄武、白虎、朱雀、青龍。落語「百川」では、祭のあとの宴会で金が足りなくなり、つぎの町に渡さなければいけないこの四神剣を、魚河岸の若い衆が「弥七さん」に入れてしまったことから、百兵衛さんが「えけー」クワイを丸飲みしなければならないハメになる。

この映画、昔は名作といわれていましたが、いまはどうなんでしょうか。戦争に勝った西欧人は立派、戦争に負けた日本人は人間以下、橋ひとつ満足につくれる土木工学知識すらもたない猿(しかし、猿は立派な橋をつくる)という、この映画を成立させている大前提は、すでにリアリティーを失って久しいと感じます。戦争が終わってそれほどたっていなかったから、こういう強引な論理で映画を作れたにすぎないのでしょう。

いや、当時だって、人種にかかわらず、冷静な人が見れば、アヘン戦争を仕掛け、インドを占有した海賊ばらが一人前の文明人面しくさって、片腹痛い、と思ったことでしょう。考えようによっては、第二次大戦後、急速にぐらつきはじめた英国植民地主義を強引に肯定し直したみたいな映画です。

まあ、いまとなれば、桑田変じて滄海となる、名作変じて珍作愚作となる、てなあたりでよろしいでしょう。所詮、われわれ人間は時代のパラダイムから完全に解き放たれて思考することのできない動物であり、僅々半世紀でひっくり返るような歴史観でものを見ているのです。まあ、日本男児としては、まだ間に合うなら、デイヴッド・リーンと原作を書いた仏人ピエール・ブールに、お命頂戴、といいたいところですがね。

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わたしが幼児のころ、このシネマスコープが大流行して、わが家はしばしば上映設備の整っていた京橋のテアトル東京に通った。『これがシネマスコープだ!』を見ているとき、わたしが画面の飛行機をよけようとして頭を下げたというのは、いつまでも笑い話にされた。わたしとしては帰りに不二家に寄れるので、テアトル東京は好きな映画館だった!

しかし、ここで冷静になっていうなら、この映画のいいところは、関係者全員が例外なく愚かだということをエンディングで言明している点です。生き残った軍医が、イギリス人、アメリカ人、日本人の死体を見ながら、madness, madness, madnessとつぶやきつつ、ふらふらと歩きますが、観客も、なんと愚かな、なんと無駄な、という気分になります。

いや、戦争だけじゃなくてね、と愚かなわたしは思います。人間の所業はすべて愚行、色即是空、空即是色。橋をつくるということに象徴される「建設」という概念そのものが愚かじゃないですか。馬鹿でかい卒塔婆と墓石が立ち並んだ、世にもアホらしい巨大墓地のような東京の醜悪な姿をご覧なさい。建設、なんと凶悪な所業、と思いますぜ。

◆ 戦場にかけるボギー大佐の橋 ◆◆
それはともかく、音楽を聴きましょう。



これだけでは意味をつかみにくいかもしれませんが、開巻まもなく、ジャングルを走ってきた列車から降ろされたイギリス軍捕虜が、鉄道建設現場の捕虜収容所に入ってくる場面です。映画が進むとわかりますが、ボロは着ても心は錦、捕虜になってもイギリス人は誇りを失わない立派な国民である、というかなり疑わしい観念を強調するために、この捕虜たちは心弾む音楽とともに元気よく行進してくるのです。

この直後に、早川雪舟扮する収容所長の斉藤大佐が、いきなり理不尽なふるまいをします。そういうきわめて拙劣幼稚な対比です。デイヴィッド・リーンって、ほんとうに世間でいうような大監督なんでしょうか。あとは『アラビアのロレンス』しか見ていませんが、これまた立派なイギリス人の退屈な物語で、わたしは辟易しました。歴史観が単純すぎます。あの時代の人間は単純だったのか、またはリーンが、観客というのは幼児と同じで、複雑な観念は理解できないと見下していたのでしょう。

映画のことをあげつらいはじめると終わらなくなるので、音楽に集中します。しかし、この曲、ややこしいのですよ。ご存知のかたも多いでしょうが、表のメロディーはColonel Bogey Marchという昔からある曲で、マルカム・アーノルドという「サー」がくっついた(こういうところもイギリス人というのはいちいち癇に障る)作曲家のものではありません。

じゃあ、どこがアーノルドが書いた部分かというと、これです。



もう一度、最初のクリップをご覧いただけるとおわかりになるはずですが、初めのほうの、口笛だけでプレイしているメロディーが「ボギー大佐」部分、最後のほうでブラスバンドがかぶせられますが、これが「クワイのきんとんマーチ」もとい「クワイ河マーチ」とまあ、そういう構成になっています。

つまり、「ボギー大佐」のコードに載せて、それと矛盾しないカウンターメロディーを追加したわけです。わたしは無知で知りませんでしたが、音楽用語としては「カウンターマーチ」という言葉があるそうで、お好みなら、カウンターメロディーではなく、そちらをお使いください。軍隊用語ではカウンターマーチというのは後退行進、逆行行進になっちゃうでしょうけれど。

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なんとか裏を取ろうとがんばったが、力およばず、未確認で記憶のままに書く。ハリウッドの撮影所にはかならず「セッシュー」というものが用意されていたそうだ。なにかというと、踏み台のこと。背の低い主演男優が、背の高い女優との2ショットで、その差を相殺する必要がある場合などに使われたという。早川雪舟が使いはじめたことからSessueと名づけられ、以後、カーク・ダグラス、ロバート・レッドフォードなどに愛用されたとか。ダスティン・ホフマンも必要のように思うが、彼は背が低いままで演じたのだろう。ダニー・デヴィートといっしょ。写真は、『戦場にかける橋』で、早川雪舟扮する斉藤大佐と、アレック・ギネス扮する名前失念イギリス軍大佐がはじめて顔を合わせるシーン。雪舟大佐は、訓辞のために、公然とセッシューに載ったわけで、テイクの合間にはケラケラ笑っていたのではないか。

たしかに、いわれてみると、マーチにはしばしば「裏メロ」がありますな。いまになってこんなことをいっているようじゃ、中学高校のとき、まじめなブラスバンド部員ではなかったことがバレバレですが。いや、わが母校のブラバンは、鳶が鷹を生んで、その後、コンクール入賞の常連になり、一度だけ聴くチャンスがあったときは、あまりのうまさに、創部時の部員だった先輩は赤面し、大汗をかきました。

この映画のおかげと、ミッチ・ミラーのMarch from the River Kwai and Colonel Bogeyというシングルがヒットしたおかげで、この曲がハイブリッド構造をとっていることがあいまいになってしまったそうで、クワイ河マーチとボギー大佐はしばしば混同されて演奏されるそうですが、まあ、仕方ないでしょう。わたしだって、『戦場にかける橋』の音楽として記憶していたのは、ボギー大佐のメロディーで、アーノルド作のクワイのきんとんのほうは記憶から飛んでいました。



映画のなかでは、傷病兵たちから労役の志願者を募って兵舎から出て行くシーンでクワイ河単独、終盤、橋が完成して渡り初めとなり、イギリス兵が行進するところでは、両者が合成されたヴァージョンが流れます。

◆ ジャック・マーシャル、ミッチ・ミラー、エドムンド・ロス ◆◆
以前、『第三の男』のときに、キャピトルのプロデューサー、ジャック・マーシャルのSoundsvilleというアルバムに収録されたヴァージョンを取り上げました。そのアルバムのオープナーがThe River Kwai Marchとなっていますが、これは「ボギー大佐」です。「クワイ河」部分はオミットされています。まあ、途中からピアノのインプロヴと管のオブリガートになってしまい、どちらとも無関係になるのですが。

f0147840_19575469.jpgそれはそれとして、全編で大活躍するシェリー・マンのブラシが派手でなかなか楽しめます。ミスも多いのですが、そのざらつきのあるところがかえって魅力的です。ベースはジョー・モンドラゴン(こちらは60年代の盤でもおなじみ)とマイク・ルービンとなっていて、どちらか判断できませんが、グッド・グルーヴです。マーチらしいところはどこにもない軽快なヴァージョン。

これを聴いていて思いましたが、『第三の男』のときにマーシャルのギターを褒めたのは勘違いだったかもしれません。この曲ではギターはコードを弾いているだけで、ぜんぜん目立たないのです。ということは、これはギタリストとしてのリーダー・アルバムではなく、バンド・リーダーとしてのアルバムなのでしょう。よって、『第三の男』のすばらしいギターは、マーシャルではなく、バーニー・ケッセルである可能性が高いと思います。あとで『第三の男』の記事を修正しなければ、と、こういうことを毎度思うのですが、ほとんどみな忘れています!

ミッチ・ミラー盤は、ヒットしただけあって、なかなかよくできています。ただ、マーチング・ドラムがやや鈍重で、もうすこしearlyな人が軽快に叩いていたら、はるかにすばらしいヴァージョンになっていただろうと思います。このドラマーはbit late。ヴァースでは口笛によるボギー大佐部分のミックスをオフにし、管によるクワイ河を前に出しているところが、ミッチ・ミラーのプロデューサーとしての「誠意のあらわれ」ですかね。

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エドムンド・ロスは、イントロがブラスバンド・アレンジなので、ウッソー、とあわてますが、ヴァースに入ればもちろんラテンです。これはタイトルがボギー大佐なので、クワイ河とは無関係です。中盤のピッコロとマリンバのコンビネーションがちょっとしたものですし、カウベルで畳み込んでくるところはホット。わたしはラテン不案内未熟者ですが、ロスの盤はかなり好きです。

◆ アーサー・ライマン、スリー・サンズ、スティーヴ・ダグラス ◆◆
f0147840_2084024.jpgアーサー・ライマンはエキゾティカの人だから、そうなって当然とはいえ、いきなりバード・コールが登場するボギー大佐は、かなり珍です。ファースト・ヴァースのテンポは緩く、タイトルからマーチという言葉を削除したほうがいいようなアレンジで、兵隊が橋を造るのをサボって、ジャングルで遊んでいるみたいなムードがあって面白いのですが、ブリッジ、セカンド・ヴァース以降のアレンジは「なんじゃこりゃ」状態で、野暮天野郎のコンコンチキ。こういう垢抜けないところがこの人の面白さかもしれませんが、やっぱり一流にはなれないなあ、と思います。江戸っ子の生まれそこない金を貯め、はカンケーなくて、なんというか、お江戸では通用しない、ひなびた漁村の村祭りアレンジ。

f0147840_208579.jpgスリー・サンズはいつもアコーディオンが前に出すぎになるところがいただけないのですが、彼らのボギー大佐の冒頭は、タムとコンサート・ベース・ドラムのコンビネーションによるリズム・アレンジが楽しく、ブリッジもこの調子で楽しいアレンジがつづけばかなり高得点だったのですが、あきまへん。面白いのはヴァースだけ。いつも、チラッとしか出てこないギターはこの曲でもおみごと。ギター中心でやってみようとは思わなかったのでしょうかね。いつ聴いても不思議に思います。

トリはスティーヴ・ダグラス&ヒズ・メン。当家のお客さんのおひとり、Wall of Houndのオーナー、「O旦那」こと大嶽好徳さんが編集されたPhil Spector/Off The Wallという盤に収録されていたものです。いま盤が見あたらず、旦那のライナーを参照できず、申し訳ありません。いつも失礼なわたしとしては、必然的にスティーヴ・ダグラスより、ファースト・ヴァースのベース・ハーモニカが面白いなあ、とよそ見をしてしまいます(Wall of HoundのBBSによると、O旦那は最近、コルピクス時代のロネッツの盤を編集なさったそうです。まだ店頭ではないと思うのですが、リリースの節はどうぞよろしく。って、売れても旦那の懐は気温上昇しない?)。

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◆ 脱線転覆 ◆◆
ベース・ハーモニカというと、最初にちゃんと聴いたのはビートルズのFool on the Hillでしょう。ハーモニカの細かい種類のことは知らないので間違っているかもしれませんが、あれはベース・ハーモニカなのだと思います(プレイしたのはジョンとジョージだとマーク・ルーイゾーンのThe Complete Beatles Recording Sessionsにある。そういえば、ジョージがあれを吹いている写真がどこかにあったことを思いだしたが、残念ながら発見できず)。しかし、このときは「変な音」と思っただけでした。

ベース・ハーモニカの音にひっくり返ったのは、ブライアン・ウィルソンとレッキング・クルーの(世間では「ビーチボーイズの」というが、うちではこの「上もの」は40年以上昔から大の不人気で、しばしば存在を無視される)I Know There's an Answerを聴いたときです。ビートルズより早く録音しているのですが、わたしが買った順は逆だったのです。

そもそも、I Know There's an Answerを聴いたときも、これがベース・ハーモニカだとはわかっていたわけではなく、すげえ音だ、とビックリしただけです。低いところをヒットするときなどに、ブロオンとgrowlするところにすばらしい魅力があります。こういうのを聴くと、やっぱりサンプラーなんかで音楽をつくってはいけないとつくづく思います。

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ドラマはいただけないが、ロケにつかわれたセイロン島の風物はすばらしい。鳶か鷹でも飛んでいるのかと思ったら、コウモリ。小笠原オオコウモリも真っ青。なんとかフルーツコウモリというのが大きいというのをなにかで読んだが、それか?

それにしても、自分で自分を変な奴と思います。いま、ついでだから、Pet Sounds全体をプレイヤーにドラッグしたのです。どうせ三日後ぐらいにはPet Soundsの章を書かなくてはならないからです。で、Let's Go Away for a WhileやPet Soundsを聴いていて、美しいホーン・アレンジだなあ、としみじみとしました。さすがはブライアン、こういうのはお手のものです。

でもねえ、同じブライアンが同じような和声的展開をして、それをヴォーカルに適用すると、なんと退屈な、になってしまい、ヴォーカル・オンリー・トラックなんて4小節我慢するのが精いっぱいです(Pet Sounds Sessionsにヴォーカル・オンリーPet Soundsが入っているが、あれは冒頭をちょっと聴いただけでげんなりしてしまい、いまだに最後まで聴いたことがない!)。ホーン・アンサンブルはすばらしく美しいと感じるのに、似たような和声構造のヴォーカル・ハーモニーは大嫌いなのです。だから和声構造とは無関係の問題なのです。てことは、やっぱり、わたしは人間存在そのものが嫌いなのかもしれません!

いや、3パートまで、そして各人の声が聞き分けられるところまでは、人間の声も楽しめます。ビートルズですね。彼らの場合は、へえ、このパートをジョージが歌うとは意外だね、なんて、いまでもいろいろな発見をします。でも、4パートになって、だれがだれだかわからなくなると、もうダメなのです。ほら、キング・シスターズなんて、ものすごく声のいい人が一人だけいるじゃないですか。彼女の声がわかるアレンジはオーケイ、あの声が聞こえないキング・シスターズの曲にはなんの魅力もなく、死ぬほど退屈です。昔からアンドルーズ・シスターズが好きで、いまでもよく聴いているのは、やはりそれぞれの個性が粒だって聞こえ、ドロドロに溶けるまでブレンドされていないからです。

つまり、稲垣足穂やノーバート・ウィナーの「人間機械論」じゃなくて、人間の声は調整不能の人間くさいままにしておく、「番号なんかで呼ぶな、わたしには名前がある」というパトリック・マグハーン扮する囚人第6号の精神です。ルート、3度、5度、ナインスじゃなくて、ジョン、ポール、そしてジョージであってほしいのです。もっとも、あの囚人第6号はついに自分の名前を思い出せなかったのですが!

しかし、いまCaroline Noまでたどりついて思いましたが、ヴォーカル・オーヴァーダブ以前には、ほんとうに美しいサウンドですねえ。冒頭のヴァイブラフォーン、ハープシコード、スタンダップ・ベース、パーカッションの響きからしてもう「すごい」の一言ですが、途中から入ってくるフルートのアンサンブルがとほうもなく美しい。ヴォーカルと同じ考え方でアレンジしているはずですが、フルートだとなぜこれほど感動的なサウンドになるのか。やっぱり、わたしは人間嫌いという最初の結論をイキにするべきかもしれません。

今日は日本橋・百川からはじまって、セイロン経由泰緬鉄道(タイ=ビルマ鉄道)、ハリウッドからリヴァプールと、5時間世界一周の忙しい旅でした。尻取りとしては、つぎは80日間世界一周か、ビートルズになりそうですが、また、当てごととなんとか、向こうからはずれるかもしれません。

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戦争映画は破壊の美学、すばらしい爆破シーン。

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by songsf4s | 2009-02-25 20:23 | 映画・TV音楽
The Wrecking Crew Videos

今月になって更新を再開して以来、お客さんの数は減少の一途をたどり――なんて、まさかそんなことはないのですが、更新をさぼっていたころとほぼ同数で、ちょっと意気阻喪しかけていました。でも、ようやく「俺は背中」(I'm backを翻訳ソフト風に直訳してみた)がおわかりになったのか、この一週間は上向きで、胸を撫で下ろしています。

がしかし、それに気をよくしてどんどん更新、とはいかないのです。このところずっと、つぎの更新の材料にしようと思って見ている映画があるのですが、毎日使える時間は昼食の10分から15分程度、この映画は長尺の大作で2時間50分近くあり、しかも、内容が重かったり、ところどころ腹が立ったりで、昼食後も画面を原稿に切り替えずに、仕事をさぼって見つづけたいとは思わず、じつにもって捗らないことおびただしいのです。でも、あと30分まで来たので、次回の更新はこの映画のテーマ曲を取り上げられるでしょう。

それまでのつなぎとして、仕事の調べもののためにYouTubeで検索したものから、「レッキング・クルー」関係のクリップを拾ってみました。レッキング・クルーのストーリーは映画化されたので、これまた映画に無関係ではないのです。

◆ キャロル・ケイ・ヴィデオ ◆◆



f0147840_135744100.jpgFirst Lady of Bassというのは、キャロル・ケイのCDのタイトルでもあります(いや、いまたしかめたら、CDはofではなくonだった)。冒頭でいきなり、「なぜバンドのメンバーが自分で録音しなかったのですか」ときかれたペリー・ボトキン・ジュニアが"Coz they ain't play any good"「連中はまともに楽器なんかできなかったんだよ。たいていはまるっきり弾けなかったのさ。それだけの単純なことだよ」と、キャロル・ケイをはじめとするプロフェッショナルが影武者を務めなければならなかった理由を簡潔に、むくつけに、身も蓋もなく説明しています。これはそのまま引用させてもらうかな、とスケベ根性が動きました。そのとおり、満足に楽器が弾ける若造なんかいはしなかったのだよ、わかってるのかよ、おい>デイヴィッド・クロスビーおよびマイケル・クラーク。

そのあとのシークェンスは、大たばにまとめると、ペリー・ボトキン・ジュニアが説明したように、アレンジャーはコードしか書いてこなかったりすることもあるから(自分もアレンジャーじゃないか>ボトキン!)、プレイヤーは自分でアレンジした(譜面を書いた)ということで、ハルなどもいっているように、レッキング・クルーは、たんなるプレイヤー集団ではなく、それぞれがアレンジャーだったという話です。まあ、ロック・エラにおいては、リズム・セクションはアレンジャーの領分ではないのですが。

f0147840_1359598.jpg途中に、いまよりずっと若いキャロル・ケイが登場しますが(リッケンバッカー・ベースのシーン)、あれは教則ヴィデオからの映像です。いまもすごいものだと思いますが、あのころのCKさんはプレイがとんがっていて、とんでもありませんでした。教則ヴィデオでは、彼女の弾くベースやギターしか聞こえないのだから、レコードとは凄みが三段階ぐらいちがいます。圧倒されました。

モータウンについて、ドン・ピーク(60年代後半に活躍しはじめる、やや世代が下のギター・プレイヤー)が、「ウェブサイトなどで、キャロル・ケイはほんとうにモータウン・セッションをやったのか、ときかれる」といって、カメラに向き直り、「イエス!」と大声でいうところが笑えます。

最近の彼女のプレイは(本音をいうけれど、彼女に告げ口しないでね!)、ベースは鋭角的なところが消えてしまい、お年を召したなあ、と感じますが、ギターについては、それがいいほうに出て、やわらかい、気持ちのいいプレイとサウンドになったと思います。やっぱり、彼女にとって生涯の楽器はギターだったのかもしれません。そろそろ、California Creamin'以来、半世紀ぶりのギター・アルバムを録音する時期じゃないでしょうか。きっといいものができると思いますよ。高齢化社会の鑑になるちがいありません!

◆ 映画『レッキング・クルー』プロモーション ◆◆

The Wrecking Crew Film


映画「レッキング・クルー」のダイジェスト版のようです。ブライアン・ウィルソン、ハーブ・アルパート、ナンシー・シナトラ(おばあちゃんじゃなくて安心した!)、ジミー・ウェブ、シェール、ミーキー・ドレンズ、ディック・クラークといった錚々たる音楽人が、クルーの偉大さを説いています。

「What was nice about...the unit is that they played together a lot. And so they were an established groove machine.」というハーブ・アルパートの言葉は、「いただき」でした。こういう短い一言はうれしいですねえ。「完成されたグルーヴ・マシン」ですよ。「グルーヴ・マシン」、これをいただかなかったら、わたしは言葉の力を知らないボンクラになってしまいます。まさにレッキング・クルーは「完成されたグルーヴ・マシン」でした。アルパートがすこしためらってから、「ユニット」という言葉を選んだのは、「レッキング・クルー」などという名前はなかった、あれはハルがあとからでっち上げたものだ、と怒っているCKさんに配慮したのでしょう。

昔、編集をやっているころ、インタヴュー記事の原稿を読むときは、内容なんかそっちのけで、見出しに使える言葉を血眼になって探したものです。某有名CM監督の「いきなり足の指のあいだを舐めちゃうみたいなさ、そういうのがいいよね」というのにはゲラゲラ笑いつつ、「タイトルはこれかな。編集長は反対するかもしれないけれど」と思いました。もちろん、これでいいんだと突っ張り、この記事は「いきなり足の指のあいだを舐める」というタイトルで印刷されました。あっはっは。

f0147840_1421170.jpgわたしの頭のなかにあったのは、高校のときに見た『You...』(原題Getting Straight)という映画での、エリオット・グールドとキャンディス・バーゲンの不思議なベッド・シーンでした(文字どおり、いきなり足の指を舐める!)。あのCM監督も同じ映画を見ていて、それでこんな表現を思いついたのかもしれません。

あれっきり、二度と見ていないのですが、Getting Straightは面白い映画でした。同じ時期の、ある意味で相通じるテーマをあつかった『いちご白書』が、どうしようもないほど幼稚な観念に貫かれた救いがたいメロドラマだったのに対し、Getting Straightはもっとずっとリアルで、あの時代の多くの若者が苦しんでいたことを、苦いままに描いていた、と記憶しています。

『マッシュ』といい、『ロング・グッドバイ』といい、エリオット・グールドは非常に魅力的な俳優だったのに、なにがあったのか、その後何十年も干されてしまい、残念なことをしました。Ocean's Elevenの余裕もウィットもない不出来なリメイクで、久しぶりにグールドを見られたのですが、まったくわからないほど面変わりしていて、深いため息をつきました。えーと、なんの話でしたっけね?

The Wrecking Crew in Nashville Film Festival


レッキング・クルー映画がナッシュヴィル映画祭に参加したときの模様を伝えています。立ったままインタヴューを受けているのはトミー・テデスコの息子で、この映画のプロデューサー。アル・クーパーがキーボードを弾く不思議なバンド(レッキング・クルーっていわれても……)が、クルーがかつてプレイした大ヒット曲をライヴでやっているのが、なんというか、言葉に窮します。やっぱり、あの「バンド」のかなめはハル・ブレインのバックビートだったなあ、と思うのみ。

◆ The Live and Real Wrecking Crewmen ◆◆
偽装表示のレッキング・クルーのあとなので、本物のクルーのクリップを2種どうぞ。

Wild Tedesco


トミー・テデスコの、冗談か本気かわからない荒っぽいプレイ。80年代の収録でしょう。ときおり、電光石火のランが飛び出すのはトミーらしいところですが、ほんとうはピッキングも運指も、もっとずっと高速かつ正確です。トミーも教則ヴィデオを出していますが、ガットのプレイなんか、そこでちゃんとトミーが弾いてみせているのに、ほんとうに弾いているのかなあ、と疑ってしまうほどの信じられない高速ランが出てきます。指板を押さえている感じではなく、たださっと瞬間的にひと撫でするというぐあいで、ほんとうに速い、うまい、すごい。

Jan & Dean with Hal


これをアップした人は、当家にときおりコメントをお寄せくださるオオノさんだろうと思うのですが、全盛期のハル・ブレインのライヴが見られるめずらしい画像です。60年代のハルのライヴ・フッテージというのはほとんどなく(いつもスタジオにいたから、ライヴ自体をやっていない)、オオノさんがこれを発見なさったときは、ついに見られた! と感慨がありました。説明にあるように、右側の二人のギタリストのうち、客席から見て左側のプレイヤーはトミー・テデスコです。コンダクターはジョージ・ティプトン。

いま思ったのですが、ハルは、スタジオからぜんぜん出なかった時期でも、ナンシー・シナトラのラス・ヴェガスのショウは断れなかった、といっていました。ずいぶん評判になったショウだったようなので、映像が残っている可能性があるようにも思うのですが、しかし、問題がありますな。そういう華麗な演出をしたショウの場合、バンドはオーケストラ・ピットに入ってしまうので、たとえフィルムが残っていても、ハルの姿は見えない可能性が高いでしょう。

このほか、ハル・ブレインが出演した映画を2本(エルヴィスの『ガールズ・ガールズ・ガールズ』とスティーヴ・マクウィーンの『Baby, the Rain Must Fall』)見ましたが、当然ながら、プレスコの音に合わせてプレイのふりをするだけのものですし、きちんと音に合わせる努力すらしていません。顔だけ見てもなあ、でした。

Girls, Girls, Girls


これもオオノさんがアップされたのでしょう。ピアノがジャック・ニーチー、サックスがスティーヴ・ダグラスというスペクター・アーミーの面々で、AFMのみならず俳優ギルドにも所属していたハル(ハリウッドでは組合員でないとなにもできない!)が「ちょっと小遣い稼ぎするか?」と誘ったのでしょうね。ギターとベースが不明なのですが、これはミュージシャンではなく、ふつうの俳優かもしれません。それにしても、よく見ると、ジャック・ニーチーは石橋エータローみたいな味があって、つづければ脇役として成功したのじゃないかという気がしますな!

最近は、まじめな傑作というのはぜんぜん見たくなくなり、子どものころに見た大馬鹿なビーチ・ムーヴィーとか、エルヴィスの「また同じストーリーかよ映画」とか、なんの意味もない、ただむやみに楽天的な映画のほうが楽しめるようになりました。このあいだ取り上げた『巴里のアメリカ人』の、まったく根拠のないあの楽天性は、いまではだれも持ち合わせていないものでしょう。ああいう味わいのある映画は地を払ってしまいました。

どうせ生きるなら、毎日をすこしでも楽しく、楽天的に、軽くグルーヴにのって、I got music, I got rhythmなどと口ずさみながら生き、笑いながら死んでいきたいものです。昔のハリウッド映画にはそういうものがたくさんありました。ああした楽天的なハッピーエンド映画を、リアルでないと斬り捨てた精神をこそ斬り捨てるべき時代が来たと思います。人生は十分すぎるほどリアルなのだから、映画はファンタスティックであるべきでしょう。

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by songsf4s | 2009-02-21 13:34 | その他
In the Heat of the Night by Ray Charles (OST 『夜の大捜査線』より)
タイトル
In the Heat of the Night
アーティスト
Ray Charles
ライター
Quincy Jones, Alan Bergman, Marilyn Bergman
収録アルバム
In the Heat of the Night (OST)
リリース年
1967年
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当地は暑くなったり寒くなったり、めまぐるしくてかないませんが、植物はおおむね、今シーズンは暖冬ととらえているのではないでしょうか。蕗のとうはもう食べられないほど育ってしまっていますし、紅梅は数日前の春一番かと思うような大強風で散り、かわって近所の房アカシアが開花して、鮮やかな黄色になってきています。暖かくなってから満開になるはずが、遠からず満開になりそうです。

◆ レイ・チャールズ初体験 ◆◆
できれば、しばらくのあいだ、60年代前半に見た映画やテレビの音楽にしがみつこうと思っていたのですが、当てごととなんとかは向こうからはずれる、前回は、仕事の都合で見た『巴里のアメリカ人』などという、自分が生まれる以前の映画にジャンプしてしまったので、あきらめて、そういうことにはこだわらず、都合のよいもの、準備のできたものから書いていくことにします。

f0147840_19482990.jpg本日の曲は、ノーマン・ジュウィスン監督、シドニー・ポワティエ主演、ロッド・スタイガー共演の1967年の映画、『夜の大捜査線』のテーマです。みなさんもそうでしょうが、映画を見るときは音楽、とくにタイトルバックに流れる曲(それがテーマないしは主題歌とはかぎらないということは、『荒野の用心棒』のときに述べた)はおおいに気になりました。

健さんの任侠ものを見て映画館から出てくると、身のこなしがドスを呑んでいるようになってしまう、といわれましたが、わたしは、タイトルバックの曲がいいと、そのグルーヴのまま家に帰るような感じでした。こういう人間は、アーサー・フリードのMGMミュージカル全盛期にリアルタイムでぶつかると、帰りに雨が降らないかな、オモチャ屋に行こうか、などと思うのでしょうが、幸か不幸か、その時代には間に合わず、傘を振りまわして踊ったり、水たまりにジャブジャブ入っていったり、オモチャの太鼓をひとつひとつ踊りながら叩くような、狂気のふるまいはせずにすみました。

かわりに、いたってノーマルな行動に出ました。レコード屋に行って盤を買ったのです。いま、どこかに紛れて出てこないのですが、Unchain My Heart、What'd I Say、それからたぶんI Can't Stop Lovin' Youの3曲と、このIn the Heat of the NightがいっしょになったEPを買いました。過去の大ヒットと、最新のシングルを抱き合わせにした、レイ・チャールズ初心者にはうってつけの盤でした。

◆ ハスケル・ウェクスラー初体験 ◆◆
それでは、問題の『夜の大捜査線』冒頭をご覧いただけたらと思います。ちょっと長いクリップなので、曲のところだけをどうぞ。



いやはや、毎度、画質、音質は重要だと痛感します。夜のシーンですからねえ、微妙な階調なんです。YouTubeはここにサンプルを示すには好都合なのですが、同時に、おおいに不都合で、できれば本物を見、本物を聴いていただきたいものだと思います。うちの液晶もいかんのでしょうが、これではただ暗いだけで、なんのことだかわかりません。列車から主人公が降りてきて、スーツケースを手に、小さな町の寂しい駅の待合室に入る、ということが絵で説明されているのですが……。

ともあれ、このタイトルだけでわたしは乗りました。音楽も気に入ったし、画面の醸し出すムードがまさに好みでした(こういうときは、編集者がみごとなリズムでフィルムをつないでいるものなのだが、観客はそのことを意識しない)。中学生だから、大人っぽいものに惹かれていたのです。

f0147840_19503512.jpgあとになって、撮影監督がハスケル・ウェクスラーだと知って、じゃあ、うまいはずだよ、と納得しました。子どもはなにもわかっていないようでいて、やはり一流に遭遇すると、なにがなんだかわからないまま、面白い、と直感的に反応するのでしょう。

ウェクスラーは撮影監督としてもすばらしい仕事を残していますし、彼自身が監督した『アメリカを斬る!』(高校生はこの邦題に失笑し、Medium Coolという原題で記憶した。おかげで数年後、「中くらいにクール」と、マクルーハンの「クールなメディア」の合成だったのね、と納得した)も、マイケル・ブルームフィールドが音楽をやったという不純な動機で見に行ったのですが、期待した音楽はやや失望(子どもだからギンギラギンのギター・ソロを期待していた。パアでんねん。音楽監督が自分で弾きまくって仕事がつとまるか!)、でも映画そのものは、わけがわからないまま、感覚的な新しさだけは感じ、ハスケル・ウェクスラーという名前を記憶して映画館を出ました。つぎのも見ようと思ったのですが、それきりで、彼の監督二作目というのにはいまだにぶつかっていません。

f0147840_19515735.jpgどうなったのだろうかと、いまさらのように調べてみました。ご興味のある方は、オフィシャル・サイトのフィルモグラフィー・ページへどうぞ。国際撮影監督協会が選出した「もっとも影響力のある十人の撮影監督」のひとりだそうです。なるほどねえ。偉い人なんですね。

日本ではまったく評判にならず、わたしが見たときもガラガラだった『アメリカを斬る!』は、世界の大学の映画学科で教材にされているそうです。そういえば、大人になって知り合った映画学科出身の人に、この映画のことを「だれも見なかったらしいけれど」と話したら、とんでもない、あれはいい映画だ、と当然のようにいっていました。日本の大学でも「必修」だったのでしょう。牛に牽かれて善光寺、音楽目当てで映画を見ても、いいものに当たるときがあります。

ついでに、テレビでチラッと見て、おお、うまい滑り出しだな、と感心していたら電話がかかってきて、それきりで忘れてしまった映画のタイトルがわかって上機嫌になりました。ウェクスラーのフィルモグラフィーにあったのです。Mulholland Fallsです。主演はニック・ノルティーなんだから、これさえ記憶していれば、すぐにタイトルがわかったはずなのに、ボケッとしていたのでしょう。

◆ 音楽スタッフ ◆◆
映画自体にも感銘を受け、音楽も気に入ってすぐに盤を買い、それから30年たったある日、ビーチボーイズのフォーラムで二人の人間が教えてくれた、キャロル・ケイのウェブ・サイトに行き、彼女のディスコグラフィーを眺めて、何度も、オッと、これもそうだったのか、と同じことを百回以上頭のなかでつぶやきました。

そのなかには、子どものころに気に入っていたものもありました。そのうちの一本はすでにとりあげた『華麗なる賭け』です。これもハスケル・ウェクスラーが撮影監督。スプリット・スクリーンが印象的な、フォトジェニックな映像でした。もう一本が今日の『夜の大捜査線』なのです。

f0147840_19594020.jpgレイ・チャールズ・ボックスのパーソネルはいたって不完全なのですが、ドラムはアール・パーマーです。The Best of Earl Palmer その21のときに、アールの特集からはこの曲をはずし、別立ての記事にするとお断りを申し上げたのをご記憶の方がいらっしゃるかもしれません。ベースはレイ・ブラウンとなっています。つまり、キャロル・ケイと合わせてベースは2本、例によってフェンダーとスタンダップのユニゾンという、ハリウッドお得意のスタイルです。

映画を見てすぐに盤を買ったのは、半分ぐらいはオルガンに惹かれてのことでしたが、プレイヤーはビリー・プレストン。じゃあ当たり前だ、という鮮やかなオブリガートの連打です。ピアノはもちろんレイ・チャールズ自身、アレンジャーは、この曲の作者であり、この映画の音楽監督であるクウィンシー・ジョーンズ。しかし、残念ながら、スコアとしては感心しませんでした。この系統の音楽監督、映画音楽作曲者としては、ラロ・シフリンのほうがずっと好みです。

f0147840_2012090.jpgで、思いましたねえ、レスリー・ゴアのトラックがすばらしいのは、クウィンシー・ジョーンズの力ではなく、アレンジャーのクラウス・オーゲルマンのおかげではないか、と。オーゲルマンは、たとえば、トム・ジョビンのトラックの弦のアレンジなどを聴いても、うまいなあ、と感心するわけで、よその録音で、おいおい、大丈夫か、と黄信号が点灯したことはありません。

この映画でも、画面のリズムと音のリズムのズレが気になり、おい、音楽監督、ボケッとするんじゃない、と怒鳴りつけたくなるシークェンスが複数あります。車が走るシーンなんて、リズムが悪く、画面と音がケンカしています。映画だってグルーヴが命なんですがねえ。

◆ 各種エディット、ミックス比較 ◆◆
この曲には2種類のエディットがあります。ひとつは映画と同じようにいきなりヴォーカルが出てくる短いヴァージョン、もうひとつはテナー・サックスによる長いイントロ付きのロング・ヴァージョンです。

イントロの尻尾、ヴォーカルの出へのつなぎとしてストップ・タイムになり、ピアノだけがルートと5度を強調してBbコードを3連で弾くところがかっこいいので、わたしはロング・ヴァージョンのほうが好きです。このピアノのせいで、この曲を買ってから、昼休みや放課後、学校のピアノを弾きはじめたほどです。いえ、弾くといっても、ギター・コードを分解して鍵盤上に展開し、ひとつひとつコードを覚えるという、無茶苦茶なことをしただけですが、でもまあ、ロック小僧にはありがちな鍵盤へのアプローチだと思います。

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レイ・チャールズ・ボックス、Genius & Soulのディスク4。むやみに凝ったボックスで、このジュウェル・ケースも、プラスティックそのものが打ち出しになっていて、そこに金で描かれている。

うちにあるものでは、昔買ったEPと、ライノの60年代ソウル・ボックス、Beg, Scream & Shoutだけが、ロング・ヴァージョンを収録しています。OST盤はもちろん、ライノのレイ・チャールズ・ボックスGenius & Soulも、TRCから出たベスト盤も、クウィンシー・ジョーンズのボックス、The Musical Biography of Quincy Jonesも、みなショート・ヴァージョンです。

どちらが収録されているかを明示している盤などないので困りますが、見分ける方法はあります。プレイング・タイムは、ロングは3:25、ショートは2:30から40あたりです。ウェブで買うなら、プレイイング・タイムが表示されていることも多いので、これが手がかりになるでしょう。

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こういうなんでもないシーンでの音楽が画面のリズムとズレ、グッド・フィーリンがない。

ミックスもみなちがうのですが、もっとも分離がよく、各楽器を暴れさせず、上品なところに収めているのがGenius & Soulボックス。アール・パーマーやビリー・プレストンのプレイを聴くなら、このヴァージョンが最適です。スネアのヒットがきれいに聞こえます。いちばんベターッとして音の粒だちが悪く、でも音圧は強く、下品ではあるけれど、乗れるミックスはThe Musical Biography of Quincy Jones、両者の中間がTRC盤レイ・チャールズ・グレイテスト・ヒッツです。Beg, Scream & Shout収録のロング・ヴァージョンはモノーラルなので、比較できません。

◆ ロッド・スタイガー初体験 ◆◆
この映画はいろいろオスカーにからんだようで、わたしが見たのはそのせいかもしれません。でも、この直前に、音楽が理由でシドニー・ポワティエのべつの映画を見ていたので、その延長線上のことだろうと思います。なによりも印象に残ったのは、熱気がよどむ南部(ミシシピー州スパルタというすごい名前の町)の暑い夜のムード、そして、はじめて見たロッド・スタイガーという俳優です。

スタイガーはこの映画でアカデミー助演男優賞を得ていますが、十分にそれに値する、奥行きのある面白い人物像をつくっています。起伏に富み、表裏のあるむずかしい役です。南部の小さな町の警察署長で、はじめは黒人なんか人間とは思っていない、おそるべき人種差別主義者として、たまたま殺人の起きた町の駅で深夜に列車を待っていて、たまたま多額の現金をもっていたために逮捕されてしまった、フィラデルフィアの殺人課の黒人刑事、ヴァージル・ティブズ(ポワティエ)の前に姿を現します。

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最後の最後に見せるこの笑顔で、この署長がじつは好人物なのだという印象が刻まれる。

このポワティエ扮する黒人刑事に対する距離の計り方で、スタイガーはオスカーを得たといっていいほどで、高圧的に出たり、下げたくない頭を下げたり、酔って思わず本音をいって、そんな自分に腹を立て、ティブズに当たったり、ある理解に達しているのに、そんなことは知られたくないので、人種差別主義者の仮面をかぶりなおしたり、礼などをいうのは照れくさい、でも、いわずにすませられるほどタフでもないので、なんとか威厳を損なわないようにして非礼を詫びる気持ちを込めて感謝の意を表したり、こんなにむずかしい役はほかにないのじゃないかと思うほどです。スタイガーはみごとに、善人でもなければ悪人でもなく、あなたやわたしに似た、実在の手触りのある人物を作っていました。

もっとも好きなシークェンスは、腹を立て、フィラデルフィアに帰ることにし、駅に行ったティブズのあとを追って署長がやってきて、ひと気のないプラットフォームで、捜査に協力してくれと説得するシーンです。YouTubeでは、このシークェンスは分断され、ふたつの長いクリップの最後と冒頭に泣き別れになっているのが不都合ですが、ご興味があれば以下をどうぞ。





◆ ジョン・ボールの原作 ◆◆
高校時代、読もうと思ったら手に入らなくて愕然とし、数年のあいだ古書店を経巡って集めまくった作家がいます。ジョン・ディクスン・カーと横溝正史です。

カーはともかくとして、正史の本が店頭になかったなんて、いまでは信じられないでしょう。角川が文庫に入れるまで、横溝正史は忘れられた作家、時代遅れの書き手だったのです。子どものころからなにごとも時代遅れが大好きなので、こうなると血がたぎり、燃えるのです。古本屋というのはこういうときのためにあるわけで、カーと正史はわたしの「書痴」人生の原点となりました。

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なかなかお互いに正面から見ようとしないところが味わいのあるプラットフォームでの説得の場面。緊張感があると同時に、どことなくユーモラスでもある。

「足で稼ぐデカ」ならぬ「足で稼ぐビブリオマニア」になったのは、あのときは高校生で小遣いは貧弱、東京の古書店で2000円払ってカーを買うことはできず、マメに歩いて、80円なんて値段で見つける道を選んだためです。二十歳ごろ、京都に行ったとき、宇治まで足を伸ばしたら、小さな小さな古書店があり、平等院を見た帰りに立ち寄ったら、カーが15冊ほどあって、どれも100円だったものだから驚喜して、ダブったものも売却益目当てで(って、わずか数百円)すべて買い、京都までもどって予定変更、以後のスケデュールは打ち切り、そのまま新幹線に乗ってしまいました。

カーを集めはじめると、その周辺のものも気になりはじめ、どうせ手をつけたのだからと、当時、ほとんど「休眠レーベル」と化し、新刊屋にはなにもなかった早川ポケット・ミステリも、番号順に並べてみようか、と考えました。そういう行脚の過程で、早稲田の古書店のご主人にきいたところでは、じっさいにわたしと同じことをやって、あの時点で千冊ほどあったもののコンプリート・コレクションを達成した人がいたそうですが、わたしは徹底性に欠け、すぐに注意がよそに流れる(映画を見ていて音楽が気になり、音楽を聴いていて本が気になり、本を読んでいて映画が見たくなる)ので、そこまではいかず、わずか500冊を超えたあたりで脱落しました。

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"Thanks, Virgil. You take care, uh?" ステップまでヴァージルのスーツケースを運んだことが、最大限の感謝の表現というところか。

本を集めるのは読むためです。盤を集めるのだって聴くためなのだから、同じことです(と断言できるかどうか、胸に手を当ててよく考える必要のある方もいらっしゃるでしょうな。人間、えてして、手段が目的と化したことに気づかぬまま生き続けるものです)。たまたま、ディクスン・カーの側杖で買ったもののなかに、ジョン・ボールの『夜の熱気の中で』があり、これが昔見た『夜の大捜査線』の原作だというので、読んでみました。

f0147840_22371554.jpgもう30年以上昔の記憶なので、あまり当てになりませんが、けっして悪いものではありませんでした。端正な仕上がりです。でも、映画にあった奥行きはなく、あっけらかんとした犯罪捜査物語で、ほとんど本格派に分類してもいいくらいの、手順をきちんと踏んだ謎解きでした。もちろん、設定は映画と同じなので、北部の黒人と南部の白人との葛藤の描写はありました。でも、若造が見ても、かなり図式的で、奥行きのある描写ではありませんでした。シリアス・ノヴェル・ライターではなく、ミステリー・プロパーのライターであり、人種問題の扱いもその範囲内のことです。

ほかに、同じヴァージル・ティブズ・シリーズの『白尾ウサギは死んだ』と、シリーズものではない『航空救難隊』というのを読みましたが、ともに記憶が飛んでいます。つまり、感銘を受けるほどではなかったということです。怒った記憶はないので、平均点以上だったのだと思いますが。

考えてみると、原作は奥行きのある話なのに、映画になると陰影が飛んでしまい、のっぺりした娯楽ものに化ける、というのがノーマルなパターンで、原作より映画のほうが奥行きがあるというのはめずらしいケースです。いま、パッと思い出すのは、ほかに『ある晴れた朝突然に』ぐらいしかありません。

このシーンで流れるFoul Owl on the Prowlという曲も妙な人気があるらしい。たしかに奇妙な魅力がある。

これも映画はなかなか詩情豊かでしたが、ジェイムズ・ハドリー・チェイスの原作はひどく雑なつくりで、中学生のわたしは(いや、原作を読んだのは高校生になってからかもしれない)、なーんだ、と失望しました。「通俗」ハードボイルドだからといって、つまらないとはかぎらないのですが(ブレット・ハリデイのマイク・シェーン・シリーズなどはずいぶん読んだ)、チェイスはこれ一冊で、二度と手を出さなかったところを見ると、よほど懲りたのでしょう。

チェイスはフランスでは人気があったのだそうですが、フランス人のミステリー趣味って、理解不能ですからね。ボアロー=ナルスジャックなんて、どこが面白いのかさっぱりわかりませんでした。ジョルジュ・シムノンは好みですが、あれはミステリーとしてどうこうという以前に、ただの小説としてすぐれたものがたくさんあるからです。あのボソッとした描写、小説的描写なんか下品じゃないか、たださっと書けばいいんだ、といわんばかりの素っ気なさがじつに魅力的。シムノンは精神においてハードボイルドです。

最初の一文字から最後の句点にいたるまで、ついに一度も日本語に違和感を覚えることなく読了し、「完璧!」と驚嘆した唯一の翻訳書、『幻の女』を訳した稲葉明雄先生が指摘していますが、「その夜は雨が降っていた」なんですよ、シムノンは。そぼ降ったり、土砂降りだったり、こぬか雨だったりしないのです。ただ「雨が降っていた」のです。こういう風に書けるのは大物だけです。小人物は、どんな雨だろうか、だなんてつまらぬ妄想をし、どんな言葉を選べばいいだろうか、なんて、財布のなかの小銭をひとつひとつ勘定して、明細書をつくるような真似しかできないのです。

わたしはもちろん、小銭ばかり勘定している、まごうかたなき小人物、つい、こせこせとよけいなことを書き、不要な形容詞、副詞を盛大にばらまくせいで、いつも長ったらしい記事になってしまうのでした。

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エンド・タイトル。列車と併走するトラックからのショットか、よくピンを合わせられるものだ、と思っていると、キャメラはどんどん引いていき、ついには空にあがってしまうのでビックリ仰天する。

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by songsf4s | 2009-02-18 22:51 | 映画・TV音楽
The Chart Data of The 50 Guitars(50ギターズのチャート・アクション)

今日は通常の更新ではなく、いわば連絡メモのようなものです。右のリンクにあるAdd More MusicのBBSで、50ギターズについて質問したところ、チャート・データの話になったため、それではというので、Top Pop Albums 1955-1985という本の50 Guitarsの項をスキャンしてみました。

当家では50ギターズを何度も取り上げている(末尾のリストを参照)ので、みなさんのなかにもこのプロジェクトの名前をご記憶の方は多いでしょうし、Add More MusicでアルバムのLPリップをダウンロードなさった方も相当数いらっしゃることでしょう。だから、連絡メモであっても、ほかにもご興味をお持ちの方がいるかもしれないと考えた次第です。

データの意味は、左から、チャートイン日付(ピーク・ポジション到達日ではなく、チャート・デビュー日なので、ご注意を)、最高位、チャートイン週数、タイトル、レーベル、マトリクスです。タイトルの末尾にある記号は、[I]はインストゥルメンタル、[G]はgreatest hits compilationを意味します。クリックすると画像が拡大され、表示が切れてしまった部分も見ることができます。

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ただのデータですが、なるほどと思ったことがあります。デビュー盤のセールスは好調だったけれど、その後は低迷し、チャートにかすりもせず、50ギターズ研究のトップランナーであるAMMの木村センセが賞賛なさっていたアルバム、Maria Elenaでチャートに再登場したことになります。出来のよいアルバムだから、セールスもよかったのでしょう。また、たしかこのアルバムからリードがトミー・テデスコになったのだったと思います。

もうひとつ、12月のチャートインが2回、11月が1回、ということから、年2回ないしは3回のリリースのうち、1回はクリスマスの贈答用だったことがわかります。アメリカの場合、本(とくに豪華写真集)やアルバムにはそういう目的も含まれていたことを再認識しました。

2009年2月16日追記

もうひとつ気づいたことがあります。Add More Musicの50ギターズ・ページを見ると、50 Guitars Go Italianoが先で、Maria Elenaがあとのリリースになっているのです。マトリクスを確認すると、50 Guitars Go Italianoのほうが若いので、これでいいように思うのですが、上記のチャート記録では、順番が逆になっています。

マトリクスを割り当ててもリリースしないこともあるので、いったんは棚上げにしたものを、なにかの都合であとからリリースするということもありえないことではありません。なにかイレギュラーなことがあり、この二者のリリース順が入れ替わったのではないでしょうか。


50ギターズの記事一覧

Beyond the Reef
Moon of Manakoora
Santa Claus Is Coming to Town
White Christmas
Cherry Pink and Apple Blossom White
The Breeze and I
El Paso
Magic Is the Moonlight
Quiet Village
Pearly Shells
Fly Me to the Moon

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by songsf4s | 2009-02-15 21:26 | その他
(I'll Build a) Stairway to Paradise by Georges Guetary (OST)
タイトル
(I'll Build a) Stairway to Paradise
アーティスト
Georges Guetary (OST)
ライター
George Gershwin, Ira Gershwin
収録アルバム
An American in Paris (OST)
リリース年
1951年
他のヴァージョン
Paul Whiteman Orchestra, Liza Minnelli, Harpers Bizarre
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このところ、ブログは更新したい、仕事は忙しい、という二律背反に苦しんでいるのですが、ひとつだけいい点があります。いま取りかかっている仕事はハリウッド音楽史なので、「仕事のことをブログに書く」という、妥協の成り立つ余地があるのです。今日は、仕事のための調べもので得た副産物です。

f0147840_1750419.jpgウェスト・コースト・ジャズと映画音楽の関係について、以前調べたことがあります。Hollywood Rhapsodyという映画音楽研究書によると、ジャズ・プレイヤーが、ノン・ジャズ・シーンでプレイしたごく初期の例は、『巴里のアメリカ人』(1951)におけるベニー・カーターなのだそうです。

しかし、さらに調べていると、ちょっと微妙なんです。OSTにはベニー・カーター&ヒズ・オーケストラ名義のものが三曲収録されています。映画には、この三曲にムードが似た、ミディアム・スロウのジャズ・コンボのプレイが出てくるのですが(開巻まもなく、レスリー・キャロンが着せ替え人形のようにつぎつぎに衣装とセットを替えながら踊るシークェンスの一部、ジーン・ケリーとニーナ・フォシュが食事するレストランのシークェンス、大晦日のパーティーのシークェンス)、ドンピシャリ、OST盤そのままの曲というのが見あたらないのです。

ウェブで調べてみると、こういうページが見つかりました。下のほうに、こう書いてあります。

「(MGMに保存された)ファイルによると、ミュージシャンのベニー・カーターとそのグループが"Our Love Is Here to Stay"という曲を演奏する予定、となっているが、完成したサウンドトラックでは彼らの関与は確認できない」

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ちょっとあいまいな叙述で、"Our Love Is Here to Stay"という曲にかぎっては、ベニー・カーターがプレイしたとは確認できない、といっているのか、この曲のみならず、ベニー・カーターのプレイは最終版にはない、といっているのか、どちらとも断言しかねます。最近のOST盤にはベニー・カーターのこの曲は収録されているようです。考えられるのは、「じっさいに録音はした、しかし、編集段階で切られてしまった」でしょうが、もっと奥があるのかもしれません。

ものごとというのは、細かく調べていくと、一般に流布しているのはみな、適当にしつらえた表向きのタワゴトばかりなのだ、という結論になっちゃうのじゃないでしょうかね。われわれはなにか書くときに、時間の都合で原典にはあたらず、二次的材料を参考にする(つまり、史料それ自体ではなく、史料を基に書かれた専門研究書を読んでなにかを書く、といったたぐい)のはしょっちゅうですから、どこかでだれかがきちんと調べてくれなかったために、間違いが流布するというのはよくあることです。

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冒頭に出てくる、ジーン・ケリー(左の窓)が住むアパルトマン。こういう屋根を「マンサード」(英語式)または「マンサール」(仏語式)と呼ぶ。「駒形屋根」という訳語もある。断面が将棋の駒のような五角形だからだ。また、こういう形式の窓を「ドーマー・ウィンドウ」という。マンサードにドーマーはおそらくパリが発祥の地で、関東大震災後に日本でも流行した。以前、東京・神田にはたくさん残っていて、むやみに写真を撮ったが、いまはどうだろうか。まだ残っているだろうが、すごく減ってしまっただろう。いずれにせよ、このアパルトマンのデザインは、みごとにパリのムードをつくっている。

ところで、上記のページは、今日はじめてぶつかったものです。この種のものとしてはIMDbが有名ですが、わたしはあそこが嫌いです。通り一遍のことしか書いてなくて退屈だし、細かく見ようとすると、すぐにレジストしろとうるさいのも癇に障ります。allmusic同様、どこのサイトでも馬鹿みたいにIMDbを引用するのも、癇に障るどころか、あってはならないことだと思います。他人の意見は他人の意見、どこまでいっても自分の意見ではないのだし、情報ソースを一カ所に集約するのはファシズムの萌芽です。

上記サイトはTurner Classic Moviesとあるので、これまたメディア・コングロマリットの囲い込み戦略の一貫でしょうが、内容の面白さ、調査の徹底性、提供データの深さ、使い勝手のよさ、すべての面でIMDbを圧倒しています。ただし、自社が権利を持つものしか扱っていないでしょうね。でも、これを見れば、IMDbのどこがダメかは一目瞭然、こういうものが存在していれば、他のサイトに好影響があるでしょう。これだから競争は重要なのです。

◆ やっと本題 ◆◆
で、本日取り上げる曲は(I'll Build a) Stairway to Paradise、って、ここまでたどり着くのに、ひどく手間どってしまいました。



『巴里のアメリカ人』にはいい曲がかなりあるし、スタンダードになったものも少なくありません。でも、'S Wonderfulなんか、はじめから取り上げるつもりはありませんでした。数十種類のカヴァーがあるに決まっていますからね。そもそも、この曲はそれほど好みというわけでもありません。

I've Got a Crush on Youもありますねえ。I Got Rhythmも有名ですし、Nice Work If You Can Get Itもあるしで、エラいことです。個人的には、I Got Rhythmも好きで、じっさい、この記事を書きはじめたときはこれでいくつもりだったため、ファイル名はI Got Rhythmとし、いまもそのままです。

結局、Stairway to Paradiseにしたのは、ちょうど、わたしの属しているメーリング・リストでこの曲の話になった、ということがひとつ、いいカヴァーがあるというのがひとつ、そして、よけいなカヴァーがなく、聞き比べに時間がかからない、というのが決め手でした。
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オスカー・レヴァントは、パリに留学中のアメリカ人コンサート・ピアニストという役。この3葉は彼の空想のコンサート・シーン。レヴァントは、ピアノ、ヴァイオリン、マリンバ、ティンパニーなどをプレイし、コンダクトもする。ピアノは本職だから当然だが、他の楽器もきちんと絵と音がシンクしていて、安心して見ていられる。わたしは小林旭ファンだが、いまだにギターを弾くシーンは尻がむずむずする。コードなんて簡単なんだから、だれか引っぱたいてでもギターを練習させればよかったのにと思う。楽器を弾くシーンでは、絵と音はかならずシンクさせてほしい。『アマデウス』はつまらない映画だと思ったが、演奏シーンは素晴らしかった。

映画のなかでは、主演のジーン・ケリーではなく、アンリ・ボレルという仇役(いや、当人はそうなっていることに気づいていない好人物)を演じるジョルジュ・ゲターリーが歌っています。ジャズを毛嫌いするレヴューの歌い手という役柄なので、そういう思い入れで歌っているのでしょうが、わたしの知識が薄いので戦前の古いジャズと同じような感覚で歌っているように聞こえてしまいます。

曲調としても、ガーシュウィン流のジャズ傾斜ポップ・ソングで、I'll build a stairway to paradise with a new step everydayの最後がセヴンス・コードになるところがオーソドクス、まさにガーシュウィン式の楷書のジャズ傾斜です。いや、このセヴンスはクリシェといえばクリシェですが、ちょっと魅力的に響くのもたしかです。

◆ ハーパーズ盤 ◆◆
以前にも書きましたが、ハーパーズ・ビザールの最初の三枚のリズム・セクションは、ドラムズ=ハル・ブレイン、フェンダー・ベース=キャロル・ケイ、ギター=トミー・テデスコです。これが最初の三枚の出来がよく、リズム・セクションが交代した最後のアルバム「4」で大崩れに崩れてしまう理由です。

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ハーパーズのI'll Build a Stairway to Paradiseは、3枚目のSecret Life of Harpers Bizarreに収録されたもので、ドラムは依然としてハル・ブレイン、しかも、アレンジャーはかのボブ・トンプソン。このアルバムのなかでは、もっともすぐれたナンバーになっています。

イントロの弦とパーカッションには微妙な東洋趣味が感じられ、トンプソンだから、否が応でも気分はエキゾティカへと傾斜しかけます。しかし、ドラム、ベース(キャロル・ケイ確率99パーセント)、ギター(不明。これはテデスコのスタイルには聞こえない)という右チャンネルに集められたリズム・セクションが入ってくると、いつものハリウッドの音、しかも、かなり好調な日のグッド・グルーヴを堪能することができます。

シャッフルなので、ハルはおおむね3連のフィルインを使っています。なんといっても、1:52から1:53にかけてのタムタムがすごいものです。ピッチと時期から考えて、すでにセットはオクトプラスになっているにちがいありません。オクトプラスのハイ・ピッチのタムが鳴っています。もちろん、こういうタイプではエンディングにかけて盛り上げることになっていて、終盤はフィルが増え、ハル・ブレインここにありと高らかに宣言しています。

f0147840_1824288.jpgトンプソンについては、当家では、有名ではないが、すばらしいアレンジをしていると書いてきました。この曲の弦のアレンジもみごとなものです。ニック・デカーロなんて二流ですが、自己名義のアルバムやカーペンターズのおかげで(日本だけで)有名なのに対し、トンプソンにはそういうものがないために過小評価されているのは、じつに馬鹿げています。だれも音そのものを聴かずに、どこかの半チクなだれかが書いた垢抜けない評価を鵜呑みにしているとしか思えません。自分の耳で聴き、自分が感じたことを、自分の言葉で書く、この最低ラインは、ウェブでも守ってもらいたいものです。

オーケストレーターとして、トンプソンはデカーロのようなマイナーリーガーとは比較になりません。フィーリクス・スラトキンのI Get a Kick Out of Youのパーカッション・アレンジができて、このI'll Build a Stairway to Paradiseのような、味わいのある弦ができるのだから、万能のアレンジャーといいたくなります。まあ、穏当な表現に抑えるなら、非常に高いヴァーサティリティーをもつオーケストレーター、といったあたりでしょうか。

今回、また検索をかけたら、いままで見たことがなかったこういうサイトが引っかかりました。やっと、総合的なリストが手に入ったので、よーし、がんばってみるかと、よせばいいのに、まずい気合いをかけてしまいました。

◆ ポール・ホワイトマンとライザ・ミネリ ◆◆
『巴里のアメリカ人』というミュージカルに使われた曲は、書き下ろしばかりではなく、それまでにガーシュウィン兄弟が書いてきた曲がさまざまな形で「カニバライズ」されているようで、検索したら、ポール・ホワイトマンのヴァージョンが出てきてしまいました。調べる手間をかけていませんが、当然、戦前のものでしょう。



これはこれで、なかなか脳天気な軽ろみがあって、けっこうなムードだと思います。昔の人たちは、自分のうまさをひけらかしたりする意図がなくて、胸くそ悪い気分にならないですむので助かります。毎度いうように、シンガーが自分のうまさに酔っている姿ほどおぞましい見せ物はありません。その対極にあるのが、プレイヤーがグッド・グルーヴを楽しんで演奏している姿です。これは気分のいいヴァージョンでした。

もうひとつ、うちにはライザ・ミネリのものがありますが、こういうのがお好きな方だけが聴けばいいもので、わたしはまったく受け付けませんでした。あれは隣の宇宙の音楽で、わたしの宇宙ではこういうのは流行りません。

映画のことやら、ガーシュウィン兄弟とアーサー・フリードの契約のことやら、いろいろ書きたいことはあるのですが、今回はボブ・トンプソンに時間をとられたので、なにかまたミュージカルを取り上げるときにでもふれることにします。

あー、でも、ちょっとだけ。20年ほど前にこの映画を再見したときも思ったのですが、『巴里のアメリカ人』のジーン・ケリーとオスカー・レヴァントのコンビは、『銀座の恋の物語』の石原裕次郎とジェリー藤尾に投影されていると思います。『夜霧よ今夜もありがとう』のような露骨なコピーではありませんが、ケリー=レヴァントの男たちの暮らしのムードを、日本的に、しかし、どこかで微妙に非日本的な味を残しつつ、『銀座の恋の物語』は翻案したと思います(ストーリーはまったく異なり、そちらにはべつのネタがある)。わたしは、どちらのセット・デザインも好きです。昔は、馬鹿リアリズムに毒されていない美術監督がいっぱいいて、楽しい画面をつくってくれたものです。

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by songsf4s | 2009-02-14 18:17 | 映画・TV音楽
55 Days at Peking by Dimitri Tiomkin (OST)
タイトル
55 Days at Peking
アーティスト
Dimitri Tiomkin (OST)
ライター
Dimitri Tiomkin, Paul Francis Webster
収録アルバム
55 Days at Peking (OST)
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Brothers Four, 克美しげる
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本日から、昨夏、体調を崩すまえに考えていた道筋、1960年代の映画テレビ音楽をたどる、日暮れて道遠しといった趣の、とぼとぼ歩きを再開しようと思います。

とはいっても、半年のあいだ、冬眠していたわけではないので、あれこれと思い出すことも多く、マドレーヌひとつへのこだわりから大長編を書いてしまったマルセル・プルーストの(気分だけは)再来かよ、と笑っています。今日は、半年前にはすっかり忘れていたのに、あれこれ昔の映画を見るうちに、最近になって、そういえば、と思いだしたテーマ曲です。

素直に「思いだした映画」と書けばいいものを、「思いだしたテーマ曲」などと据わりの悪い書き方をしたのには理由があります。あの時代、この映画は見ていなくて、ただテーマ曲を記憶していただけなのです。

◆ ボートの屋形? ◆◆
これがまさしくそのヴァージョンだ、という確信はもてないのですが、とりあえずYou Tubeにあるこの曲をお聴き願えればと思います。この曲を知っているオールドタイマーは懐かしく思い、とんとご存知ない若者はカルチャーショックを味わうでしょうから、退屈はなさらないと思います。



克美しげるだったという記憶はありません。なんとなく、ボニー・ジャックスとかダーク・ダックスとか、そういうコーラス・グループが腹から発声して、ボルガの舟歌みたいな調子(クレイジー・キャッツか!)で歌っていたような記憶があるのですが、まあ、そういうのをテレビで見たのかもしれませんし、たんに長年月のあいだに記憶がよじれただけかもしれません。

この歌詞は子どもにはチンプンカンプンなところもあるせいで、妙に印象が強く、部分的に記憶に残っていました。「時は一千九百年、55日の北京城」というファーストラインはきっちり覚えていました。やはりファーストラインは重要です。Find That Tuneというソング・シソーラスに、First Line Indexという章が設けられている所以です。日本文学全集の短詩形の巻にも、冒頭五文字の索引がよくあります。われわれの記憶メカニズムが、物事を冒頭部分で覚えるようになっているのでしょう。

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とはいえ、記憶違いはよくあること、「肉弾相撃つ義和団事件」というラインと、「決戦挑む暴徒の輩」がつながって「肉弾相撃つ暴徒の輩」と覚えていました。これはたぶん、もうすこし年がいってから記憶を修正したときに、間違えた「修正」をしたせいでしょう。

これがまた笑えるというか、子どもの理解力はこの程度というか、これがヒットしていたときには「ボートの屋形」だと思っていたのです。世界史の授業で義和団事件が出てきたときに、この曲のことを思いだし、記憶にある「ボートの屋形」のラインが変だということに気づきました。「ボート」はどう考えても「暴徒」、だとしたら「屋形」もおかしい、てえんでかなり悩んだあげく、「やから」か、と腑に落ちたのです。

◆ 撮影所の死とインフラストラクチャーの誕生 ◆◆
さて、当然、オリジナルはどうなっているんだ、と考えますね。映画『北京の55日』のタイトル・シークェンスをご覧あれ。



中国人、とりわけ、北京の住人は不満かもしれませんし、わたしが見ても、不思議なバイアスがかかった東洋の表現だと思いますが、しかし、絵としてはみごとですねえ。毎度申し上げるように、60年代の映画は、いまとちがい、タイトルにおおいなる手間をかけていたのです。『北京の55日』も大作にふさわしいスケールのタイトルで、おおいに感じ入ります。こんなセコなのじゃなくて、DVDでみると圧倒的ですぜ。映画館で見たら、もっとすごかったでしょう。

f0147840_16551590.jpgディミトリー・ティオムキンの音楽もたいしたものです。またしても分業制で、オーケストレーターはティオムキンではないのかもしれませんが、アレンジ、プレイも「ハリウッドは死なず」、巨大インフラストラクチャーの底力を感じさせます。この映画は1963年公開なので、いわゆる「ハリウッドの死」からすでに数年が経過していますが、やはり腐っても鯛、帝国の残照まばゆいばかりなり。

寄り道をしますが、1950年代終わりに、ハリウッドの撮影所はみな崩壊してしまいます。スタッフ制を維持できなくなり、馘首につぐ馘首、製作そのものもみな下請けにだして、裸一貫で生き残ろうとします(正確には、テレビの下請けとニューヨークからの資本注入というか、買収により、別物になって生き残る)。

このあいだ、本に書くために確認したのですが、ヘンリー・マンシーニは、1958年終わりごろに、ユニヴァーサルから解雇されます。この撮影所を買収したMCA(マンシーニは呆れるほど安い金額で買い叩いたといっている。わずか数百万ドル。いってくれれば、わたしがもっと高く買ってあげたのに、といえればいいのですが!)の方針で、彼が勤務していたユニヴァーサル音楽部そのものが解体され、消滅してしまったのです。

このへんになるとほとんど「残務整理」で、ワーナーをのぞく各社は、みなすでに裸に剥かれ、ハリウッド一帯の撮影所(ユニヴァーサルはハリウッドのすぐ北、ユニヴァーサル・シティーにあった)は閉鎖され、ぺんぺん草が生えはじめていました。あ、アメリカにはぺんぺん草はないみたいですね。じゃあ、空き地の雑草の王者、セイタカアワダチソウが生えはじめていた、と訂正します。セイタカアワダチソウはアメリカ産なので大丈夫。

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『北京の55日』を録音中のディミトリー・ティオムキン(背中を向けて指揮をしている人物)。スクリーンを見ながらコンダクトする様子がよくわかる写真である。

そういう「ハリウッドなんかもうありはしない」という状況でつくられた音楽ですが、じつに立派なプレイで、撮影所外部のハリウッド音楽インフラストラクチャーの凄みを痛感します(と書いてから、このころからすでに、低賃金のロンドンでの録音がはじまっていた可能性もゼロではないことに思いいたり、ちょっとひるんだ。撮影はスペインだというし、ウーム……)。1963年はフィル・スペクターのBe My Babyの年で、ポップ/ロック系でも、ハリウッド・インフラはその力を遺憾なく発揮しはじめるのですが、同じ時期に、オーケストラ系インフラも圧倒的なサウンドをつくっていたことに、ささやかなドラマを感じます。

いや、それはいいとして、このオリジナルを聴いて、克美しげるの日本語版につなげるのは、おおいに困難を感じますな。「55 Days At Peking」というタイトル文字が出る瞬間に、フォルテシモで奏でられるモティーフがもとになって、あの歌がつくられているのはおわかりでしょうが、でも、この二者の距離は遠いですぜ。男と女のあいだの距離と同じぐらいの遠さです。

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◆ ミッシング・リンク ◆◆
考えるまでもなく、音楽好きの方ならおわかりでしょうが、日本の音楽人が、ティオムキンの短いモティーフから、克美しげるの歌を抽出できた可能性はほぼゼロです。あの時代にそんな力のある人がいたら、わたしは英米音楽に傾斜などしなかったでしょう。克美しげる盤には、ちゃんと元ネタがあったのです。

といって、また音をもってこられるといいのですが、そのミッシング・リンク、ブラザーズ・フォーの55 Days at Pekingのサンプルはとりあえず見つかりませんでした。編集盤に収録されていることもあるので、そのたぐいの盤をお持ちの方はご確認を。また、リチャード・“ドクター・キルデア”・チェンバーレイン盤もあるようです。

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かわりに歌詞をコピーしておきます。

The year was Nineteen-Hundred
T'is worth remembering
The men who lived through
Fifty-five days at Peking

T'was called the Boxer Insurrection
A bloody, Oriental war
Against all nations
Of the Diplomatic Corps

The flags of France and Britain
How they fluttered in the breeze
The Italian and the Russian
And the flag of the Japanese

Then came the sound of bugles
The rolling drums of fury
And the streets of Peking
Were as empty as a tomb

The Empress of all China
Gave the signal to begin
Let the foreign devils
Be driven from Peking

They stormed the French Ligation
They attacked with shot and shell
And they came in blood red blouses
Screaming "Sha Shou" as they fell

The drums have long been muffled
The bugles cease to ring
But through the ages
You can hear them echoing

克美しげる盤の歌詞も、これをもとに書かれたことがおわかりでしょう。ああいう漢語調の日本語を書ける人が現代日本にはいなくなってしまったので、この作詞家はそれなりに「仕事をした」といえますが、基本的にはあちらもののいただきで、克美しげる盤アレンジも、マーチング・ドラムをはじめ、ブラザーズ・フォー盤を踏襲したものになっています。

例によって、「やっぱりな、日本人は才能がない」という、寂しい町はずれに行き着いてしまったような気分なので、A面の「8マン」でも聴いて、元気になりましょうか。あの時代、子どもはみなこの曲を歌っていましたねえ。ついでに、関連動画にあった、三橋美智也歌う「怪傑ハリマオ」も聴いてしまいました。このハイ・ノートがつくりだすパセティックな感覚は、まったく西欧的なものではなく、すこしだけ安心します。



しばらくは、昨年夏に中断したところにもどり、映画テレビの音楽をやるつもりなのですが、日本のテレビ番組のほうに手を出すかどうかは、まだ決めかねています。ハリマオなんか、歌詞までかなり細かく覚えていて、この方面に手をつけると、収拾がつかなくなるような気がします。

ついでに、たくさんアップされているハリマオのクリップをいくつか見たのですが、マレーの町のロケが、東京のどこかにしか見えないし、なんとか寺院というのが、築地本願寺だったりして、ケラケラ笑ってしまいました。まあ、あの建物は非日本的の極北なので、気持ちはわかります。あんまりすごいんで、あれを設計した伊東忠太の研究書を読んじゃったほどです。

映画に登場した築地本願寺を思い起こすと、小津安二郎の戦後第一作『長屋紳士録』のシーンが印象深いですな。本願寺の裏にまだ築地川があるのはいいとして(埋め立てられる以前なのだから当たり前。ここを舞台にした、三島由紀夫の、たしか「橋尽くし」というタイトルのまことにけっこうな短編もあった)、そこで子どもたちが釣りをしているのにはひっくり返りましたぜ。銀座四丁目から数分で歩いていけるところで、釣りをやっていたとはね。

次回も、戦争映画のテーマ曲かなあ、と思っていますが、さてどうなりますことやら。

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by songsf4s | 2009-02-11 16:19 | 映画・TV音楽
Stranger in Paradise by Johnny Smith
タイトル
Stranger in Paradise
アーティスト
Johnny Smith
ライター
Robert Wright, George Forrest(原曲はAlexander Borodin)
収録アルバム
The Complete Roost: Johnny Smith Small Group Sessions 1952-1964
リリース年
不詳
他のヴァージョン
The Ventures (as "Ten Seconds to Heaven"), Edmund Ros, Hugo Montenegro, Percy Faith, Stanley Black, Frank DeVol & His Orchestra, the Fantastic Strings Orchestra, Martin Denny, Arthur Lyman, the Tymes, the Four Aces, the Supremes, OST ("Kismet"), Wes Montgomery, George Shearing & the Montgomery Brothers
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久しぶりに、「ふつうの」更新などやってみようかと思います。この記事を書こうと思った動機は、ひとえに、畏友オオノさんのブログ「Yxx Txxxを聴こう」(右側にリンクあり)で、「だったん人の踊り / Stranger in Paradise」という記事を読み、カラヤンとベルリン・フィルによる原曲「だったん人の踊り」を聴いたことに尽きます。まずはともあれ、この曲を思い出せてくださった「隊長」に敬礼!

◆ ヴェンチャーズ ◆◆
f0147840_21355897.jpgわたしがこの曲を知ったのは、小学校六年、熱烈なヴェンチャーズ・ファンだった時期に、Ten Seconds to Heaven(邦題「パラダイス・ア・ゴーゴー」)としてでした。このヴァージョンはいま聴いてもすごく魅力的で、ヴェンチャーズの全カタログのなかで、ベスト・テンに入れます。いまではもうなくしてしまいましたが、EPに収録されていたという記憶があります。アメリカではシングルのみだったのか、アルバムに収録された記録がうちにはありません。

ヴェンチャーズ盤Stranger in Paradiseのどこが魅力的か。インストなので、まずは、トレモロ、リヴァーブ、さらには、もうひとつなにかを重ねたような、リードギターのキラキラした音色です。シャドウズを聴いていても思いますが、ギター・インスト・バンドは、なんといってもまず、ギターのサウンドです。

この時期になると、わたしにはヴェンチャーズのプレイヤーが推測できなくなります。ベースはだれなんでしょうか。ラインの作り方、グルーヴ、ともにそこそこ好みです。アレンジに目を向けると、後半の転調がなかなか効果的。ドラムはメルでしょうかね。とくによくもないけれど、無難にやっています。

◆ ジョニー・スミス ◆◆
f0147840_2136453.jpgジミーではないのでお間違いなきよう。ジョニー・スミスはギタリストです。って、わが家に彼の盤はありません。一度聴いてみたいと思っていたのですが、最近、ウェブで遭遇し、けっこういいじゃん、と思ったのであります。そういうものなので、看板に立てるのは具合が悪いのですが、ヴェンチャーズでは(わたしにとっては)当たり前すぎてつまらない、ではだれだ、と考えると、このジョニー・スミス盤になってしまったのです。録音、リリース・デイトは不明。ポップ系ならともかく、ジャズ系の録音年代測定は、わたしはやりません。でも、モノだということは五〇年代を指し示しています。

盤がないから、すべてが謎で、メンバーもわかりませんが、ドラムとベースのグルーヴは悪くありません。ジャズにしてはいい部類でしょう。

◆ エキゾティカ ◆◆
多忙で調べものをする時間がなく、なにもわからないまま書くことになり、申し訳ありません。オオノさんは、この曲がクラシック「だったん人の踊り」からStranger in Paradiseに化けたのは、ミュージカル『キスメット』のテーマになったときからだろうと書いていらっしゃいます。映画のシーンを見、歌詞を聴くと、そのとおりなのだろう、と思えてきます。ミュージカルだから、歌詞が台詞類似のものになっているわけで、それがシーンに合っているのです。

この曲がポップ・ソングとして人気を得たのは、メロディー・ラインのもつエキゾティズムのおかげでしょう。当然、ラウンジ系の録音がたくさんあります。どれがどうと、着順を決められるほど聴き込んでいないので、順不同というか、プレイヤーにドラッグした順に見ていきます。

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当家では何度か取り上げたバンド・リーダー、エドムンド・ロスは、いきなり銅鑼をかますという「オーセンティックな」エキゾティカ処理をしていて、ゲテが好きなわたしは思わず嬉しくなってしまいます。しかし、ゲテは銅鑼のみ、あとは総じてオーソドクスなラテン風味のラウンジです。悪くはありませんが、もうひと味ほしいところです。

アーサー・ライマンはスロウなレンディションです。どうでしょうねえ。これはこれでいいのかもしれませんが、わたしはもうすこしテンポが速いほうが好きです。

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マーティン・デニーは、霧笛をイメージしたような、おそらくはサックスのうなりではじまります。テンポはアーサー・ライマンと似たようなものですが、こちらにはバード・コールがあるので、ニコニコしてしまいます。

◆ 日本産エキゾティカ? ◆◆
これもまったく正体を知らないのですが、ファンタスティック・ストリングス・オーケストラという名義のStranger in Paradiseが検索で引っかかりました。某ブログによると(ここ以外にこのオーケストラに言及しているところはない)、72年にリリースされた日本製エキゾティカだそうです。へえ、そういうのがあったんですねえ。

こんな時期に、日本でエキゾティカをやってみようと考えた方は、ちょっとした先駆者で、日本ビクターの担当ディレクター氏のお名前を知りたいところです。面白い話があるのではないでしょうか。お客さんのなかに、このShadow of Your SmileというLPをお持ちの方がいらしたら、ちょいとジャケットをひっくり返して、録音データなどをご教示いただけないでしょうか? お待ちしていますよ。

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フェンダーベースのグルーヴもけっこうですし、ドラムもまずまず、しかし面白いのは、一部にエレクトリックな処理が忍び込んでいることで、やがて細野晴臣がエキゾティカからテクノへとたどった道筋を予見しているかのごとくです。ノコギリ(ミュージカル・ソーといわなきゃいかんのでしたっけ)かはたまたテレミンかという、「お化け」サウンドが、エキゾティカというより、コミカルな味になっているところがやや珍で、エキゾティカとしては訛っていると感じますが、リギッドにオーセンティシティーを要求する分野ではなく、もともと雑食性なのだから、これはこれで独自のエキゾティカといっていいでしょう。

きっと中古屋では安いでしょうから、みなさん、発掘に精を出してみましょう。って、こういうことを書くから値段がつりあがるのか。

◆ ラウンジ系 ◆◆
エキゾティカ群にくらべると、ハリウッドのアレンジャー、オーケストラ・リーダーである(そして、たしか映画音楽もやっていたと思う)フランク・ディヴォールになると、ぐっと上品になります。ハリウッドというところは、こういう音楽をつくらせると天下無敵です。インフラストラクチャーが音楽をつくるのです。いや、具体的にはやはり録音がよくて、しかも金をかけているから、弦にスケール感があり、立体的な音像になっているところが賞味のしどころでしょう。

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立体的ということでは、パーシー・フェイスのほうが上かもしれません。Stranger in Paradiseは、ちょっとマントヴァーニが混入して、フォルテシモ過多ですが、例によってフレンチホルンの使い方なんぞは、なかなかオツです。

英国ラウンジ界の重鎮、スタンリー・ブラックのStranger in Paradiseは、当家では何度か取り上げたアルバム、Tropical Moonlightに収録で、上品なラテン・ピアノ。わたしはけっこう好きです。良くも悪くも、ニオイが強くなく、無色透明なところがいいのです。

◆ ジョージ・シアリング、ウェス・モンゴメリー ◆◆
仕事の中断は一時間と決めたそのリミットが迫っているので、急ぎに急ぎます。ウェス・モンゴメリーは2種類、アルバムFingerpickin'収録のものと、ジョージ・シアリングとモンゴメリー兄弟の共演盤のものです。やはり前者のほうが楽しめます。初期のものなので、オクターヴ奏法がないおかげで、そういってはなんですが、ギターインストらしい魅力があるのです。

晩年のウェスのサウンドの純化は、じつにもって呆れけえるほどすげえものだ、と感心しますが、神棚に祀ってそれでおしまい。ふだん楽しむのだったら、オクターヴはあまり使わない初期のノーマルなプレイのほうがずっとマシ。オクターヴ奏法は、「うまい」と感心するだけで、面白いとか楽しいとか、そういうもんじゃありません。アクロバットと音楽とどちらが好きか、といわれたら、わたしの場合、サーカスは遠慮します。

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ジョージ・シアリングはそれほど得手ではありません。グルーヴがトロいなあ、と思ったのですが、1961年、しかもジャズだから、まあ、やむをえません。ジャンルで差別はしない平等主義を貫くなら、この程度では「グルーヴ」とかなんとかいうのは十年早い。ロイ・ナップ・パーカッション・スクールにでもいって、基礎から勉強でしょう。

◆ 歌もの ◆◆
フォー・エイシーズはかのLove Is A Many-Splendored Thingのグループなので、何匹目かのドジョウ狙いのアレンジです。いつもいつもあのド派手アレンジばかりとはいかないと思うのですがねえ。まあ、ちょっと笑えるので、座布団は取り上げずにおきます。

どちらかというと、わたしにはタイムズ・ヴァージョンのほうが好ましく思えます。主としてリードヴォーカルの声の問題なのですが。

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トニー・ベネットも悪くはありません。バックグラウンド・コーラスのアレンジおよびサウンド、いや、録音、音像というべきか、そのへんもなかなか好みです。

スプリームズは、うーん、ま、いらないでしょう。もともと好きではないのですが、ダイアナ・ロスの声は、最近、うちではエンガチョです。

以上、ものすごい駆け足、調べものもいっさい省いてしまい、相済みません。カラヤンとベルリン・フィルもちょっとしたものなので、ぜひ、オオノ隊長のブログにいらっしゃり、試聴なさるよう、お勧めします。
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by songsf4s | 2009-02-06 22:07 | Guitar Instro
お知らせ、のようなもの

年が明けるどころか、あれよあれよというまにもう節分、そろそろみなさんお見限りかと思いきや、「多数」とはいわないまでも、相当数の方がまだ当家をご訪問なさっているようで、庵主としてはひたすら恐縮のきわみです。

しからば従前のごとく再開しよう、と思ってまかり出でたわけでは、残念ながらありません。気力体力はいくぶんか回復したのですが、低空飛行していたあいだのマイナスを取り戻す必要があり、べつのことに集中せざるをえないのです。

そのべつのことのうち、いまもっとも時間を使っているのは、当ブログにも無関係なことではありません。某書店の慫慂により、久しぶりに音楽の本を書こうと思いたったのです。わたしのことなので、テーマはいつもの通り、1960年代のハリウッドです。以前にもそういうことを書いたことがあるのですが、そのときは「読み物」を目指したのに対し、今回は正面から「歴史」を書いてみようと考えています。いや、わたしのことだから、正面から行こうが、裏口から行こうが、そんなお堅いはなしにはなりませんがね!

企図されたプロジェクトのうち、ほんの一握りが現実のものになるというのは、つねに変わらぬ世の習わし。果たして原稿を完成できるか、そして完成できても、無事、上梓にこぎ着けるかは、神のみぞ知る、です。版元のウェブサイトに一部分を公開するという話もあるので、もしもそういうことになったら、詳細をここでお知らせすることになりますので、ちと馬鹿馬鹿しくなりかけているでしょうが、週に一度ぐらいは当家にいらして、チェックをなさってくれたらと願っています。

いやあ、それにしても、映画音楽の話を再開しようと思って、かなりの本数を見たのに、それを書けないのはちょっと残念ですねえ。原稿書きが順調にいって、すこし気分的に余裕ができたら、せめて週に一回ぐらいは更新できるといいなあ、と思っております。

なお、年明けからコメント書き込みを禁止していましたが、本日から書き込めるように設定を変更します。ただし、「承認制」という新しくできた設定を使うので、たぶん、わたしが見て、公開してよいと判断しないかぎりは表示されないのだと思います。下品な広告などはもちろんすべて破棄するので、そういうことをやっている愚昧で恥知らずな諸君はそのつもりでいなさい。
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by songsf4s | 2009-02-03 18:50 | その他