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The Longest Day March (OST) (『史上最大の作戦』より)
タイトル
The Longest Day March
アーティスト
OST
ライター
Paul Anka
収録アルバム
OST
リリース年
1962年
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記憶というものがおよそ当てにならないことは重々承知していたのですが、一夜、つぎの記事は当初の予定に戻って60年代の映画テレビ音楽をやろう、と思いつつ、安らかな眠りにつきかけたとき、記憶の井戸の底から、思わぬものが浮かび上がってきて、カッと目が覚めてしまいました。

f0147840_23324782.jpg最初にレコードを買ったのは1963年のこと、リトル・ペギー・マーチのI Will Follow Himで、そのB面はおかしなことにべつのシンガー、サム・クックのAnother Saturday Night(ドラムはハル・ブレイン)でした。いや、長年そう信じ、人にもそう話し、本にもそのように書いて印刷してしまったのですが、映画音楽のことを考えていたら、突然、べつの盤のことを思い出したのです。それが本日の曲、The Longest Day Marchです。

いや、非常に微妙なタイミングで、どちらが先だったのかまったく記憶がなく、あとから両者のリリース時期を見て、ほぼ同じころだったと考えられるだけです。『史上最大の作戦』という映画は1962年公開となっていますが、日本では翌63年ではないでしょうか。父親に連れられてロードショウ館に行ったので、見たのは封切直後にちがいなく、となると、盤を買ったのも63年と考えられます。

お客さん方にとってはどうでもいいことですが、わたしとしては、最初に買ったシングルがThe Longest Day MarchかI Will Follow Himかわからないというのは、へへえ、なるほどねえ、です。なんとなく、自分の音楽趣味はこの両者のあいだをふらふらしてきただけだったような気がするのです。

◆ ミッチ・ミラー盤 ◆◆
『史上最大の作戦』のことを思い出したときは、サントラを買ったのだろうと簡単に考えたのですが、検索していて、そうではなかったことに思いいたりました。いや、盤はなくしてしまったので明確にはいえないのですが、すくなくとも片面は「ミッチ・ミラー合唱団」か、「ミッチ・ミラー楽団」というクレジットになっていたと思います。このページに、Mitch Miller with His Orchestra and Chorusの名義で、The Longest Day (Vocal Version) b/w The Longest Day (Instrumental Version)という45回転盤のことが出ていますが、日本でもこれをそのままリリースしたのだろうと思われます。

ともあれ、まずはそのミッチ・ミラー盤The Longest Day Marchをお聴きあれ。



正確であると同時に非常に力強いスネアで、まったく文句がありません。小学生がはじめてドラミングに親しむには最適の盤です。これは歌ものですが、インストのほうは、リード楽器は口笛だったと記憶しています。

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◆ ポール・アンカ盤 ◆◆
久しぶりに映画でクレジットを見るまで知らなかったのですが、この曲の作者はポール・アンカだそうです。へえ、そうなのかよ、とHDDを検索したら、わが家にあるポール・アンカのベスト盤にもちゃんと収録されていました。自分がなにをもっているか正確に知っているあいだはまだ音楽好きとはいえず、わけがわからなくなるほど多数になって、はじめて一人前といえるのです、なんて開き直ってどうする!



こちらもスネアが素晴らしくて、ミッチ・ミラー盤と好勝負です。昔のスタジオ・ドラマーはみな、こういうドラミングがうまかったものですが、いまはどうなんでしょうねえ。マーチング・ドラムがドラミングの基礎だなんてことは、わたしが子どもだったころにも、すでにあまりいわれなくなっていたことで、いまでは忘れられた古代の技術かもしれません。いや、マーチング・ドラムが死に絶えたわけではなく、一流のスタジオ・ドラマーがみな例外なく、要求されれば、そういうプレイを手もなく、あざやかにやってのけたのは昔のことだろうというだけです。

高校のとき、アメリカの片田舎の高校を訪問し、なにに驚いたかというと、ブラスバンドの楽器です。町の入口にある看板には「人口4000人」と書いてあり、ものすごく小さな町でした。それなのに、町で唯一のハイスクールに行ってみたら、備え付けられている管楽器はみなセルマーだったのです。

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わたしの通った中学高校もみなセルマーで、ヤマハなんかひとつもありませんでしたが(ついでにいえばピアノはスタインウェイだし、ハモンドもあった。それなのに、なぜ軽音だけ差別されて、ドラムはパール、アンプはエーストーンだったのだ、といいたくなる。ラディックのセットとジルジャンのシンバル、アンプはフェンダー・トゥイン・リヴァーブじゃなければ、スタインウェイと釣り合いがとれないではないか!)、わが母校は新設の私立、そういう面では例外的に豪華だったのに対して、アメリカでは、人口4000人のささやかな町でも、「うち」と同じレベルの楽器を用意していたのです。これがアメリカのミュージシャンの苗床のなのだと、圧倒される思いで肝に銘じました。こういう環境で育った連中に、他国の管のプレイヤーが、個人ではなく、国のレベルで追いつく日は絶対にこないでしょう。技術とか文化とか、そういう小さな話ではなく、一国の国力の問題、富の問題です。

ドラムについても、同じことがいえるのかもしれません。わたしがそうであったように、ロックンロール小僧もしばしばブラスバンドに所属しているもので、アメリカのドラマーたちの多くも、ブラスバンドでマーチング・ドラムをやったにちがいありません(少なくともハル・ブレインは経験があることが回想記でわかる)。ブラス・バンドが充実していれば、ドラマーの訓練の場も充実することになります。

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そういうあれこれを考え、やはり国力の差はいかんともしがたい、太平洋戦争の敗戦は悔しいが、いまだに正面からぶつかって勝てるとは思えない、ここは隠忍自重、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、臥薪嘗胆あるのみ、なーんて、太平洋戦争前夜の御前会議みたいな馬鹿馬鹿しいことを思ってしまう、ポール・アンカ盤The Longest Day Marchのみごとなドラミングでした。とくに、ヴォーカルが入る直前のロールのきれいなこと。こういうのが本物のドラミングなのです。ロールもきちんとできないジャズ・ドラマーなど、ちやんちやら可笑しいというのですよ。グレイディー・テイトとかマックス・ローチとか、そういう手合いのことです。

◆ サウンドトラック ◆◆
はじめて、同じ映画を繰り返してみたのは、小学校一年のときのディズニーの『眠れる森の美女』でした。夏休み、東京・中野の祖父の家にいたときに、年上のいとこに新宿ミラノ座まで連れて行ってもらったのですが、なにをどう感じたのか、翌日、生涯にただ一度というくらいの大ダダをこねて、もう一度、ミラノ座に連れて行ってもらいました。子どもの映画につきあうのは一度だってたいへんなのに、二日つづけて同じ映画を見るなんて、いとこにとっては悪夢だったでしょうが、わたしはおおいに満足しました。

f0147840_23551797.jpgいったい、なにが面白くて、あんな無理をいって立てつづけに二度も見たのだろうかと、ずっと後年、三十歳を過ぎてから、再びロードショウ館で『眠れる森の美女』を見てみました。周囲は母子連ればかり、そのなかに混じった三十男はどう見ても怪しい奴ですが、こちらとしては、大画面で子どものころに感じたことを検証できるチャンスはこれが最後だろうと、じつにもって大まじめでした。

結果は大正解。このアニメーション映画のなにが子どもの魂をとらえたのか、三十男には手に取るようにわかりました。画面の奥行きが生むファンタスティックな感覚です。これはヴィデオではわかりにくいことで、居心地の悪い思いをしながらも、映画館で見た価値がありました。音楽とは無関係なので簡単に片づけますが、ディズニー独特のセルの重ね方に、小学校一年のわたしは強く反応したにちがいありません。

翌年ないしは翌々年、こんどは『史上最大の作戦』を二度見ました。これについては、『眠れる森の美女』のような、あとから究明したくなるような謎の理由はなく、単純に、戦争映画ファンとして、それこそ史上最大規模のスケール、映画だか本物の戦争だかわからないほどの圧倒的な物量に驚愕し、その快感を再びもとめただけでしょう。

もっとも、大人になって見直したら、全体としての出来はさておき、やはりシーン単位で見ると、ウームと唸るものがあちこちにありました。とりわけすごいのは、ウイストルハム村の戦いで、川沿いに走って橋を渡るフランス部隊と、それを殲滅しようというドイツ守備隊の動きを追う、1分半におよぶ一発撮りの空撮シークェンスです。

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まずブリーフィングのシーンを利用し、ウイストルハム村の模型によって、この作戦の目標と人の動きの概要が観客に対して説明される。

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指揮官の突撃の合図。場所は上掲模型の左端に近いビルとビルのあいだ。

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ヘリコプターによる空撮シークェンスのスタート。

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爆発の噴煙、水煙、人の動き、いずれもリアルタイムなのだから、空砲を使う以外はじっさいに戦争をやっているに等しく、このシーンの段取りを考えると、呆然としてしてしまう。映画史上もっとも金と手間のかかった空撮シーンにちがいない。

視覚的なことはさておき、問題は音楽です。スコアはモーリス・ジャールだそうですが、ミニマル・ミュージックのようなもので、音階はほとんどなく、ティンパニー(は音階があるが!)やスネアやコンサート・ベース・ドラム(もトーナルにチューニングするが!)を中心としたパーカッシヴなもので統一しているところは、映像も銃声も爆発音も派手派手しいだけに(だから、カラーではなく、モノクロにしたのではないか。たんに時代色を出したかっただけとは思えない)、非常に印象的です。

ポール・アンカ作のテーマ曲は、たとえば劇中で俳優が吹く口笛といった形の変奏曲では使われるものの、結局、きちんとフルにプレイされるのはエンディング・クレジットのみで、ちょっと肩すかしです。冒頭はアヴァンタイトルで、というか、タイトルは出ず、もうひとつのテーマというべき、「運命」の最初の4音を叩くティンパニーだけで、すっと入っているのです。そのあと、スネアとベース・ドラムが入ってくるところは派手で、盛り上がります。

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ショーン・コネリーはまだ大スターではなく、中堅といったところで、それにふさわしい軽い役柄を与えられた。ほとんどコミック・リリーフの漫才コンビで、その相方はこれまたビートルズ映画で有名になる直前のノーマン・ローシントン。

あの時代の映画としてはめずらしく、オープニング・タイトルなし、エンディング・クレジットのみという形式で(後年当たり前になるこの形式の、これが嚆矢なのかもしれない)、しかもキャストはアルファベット順だというのだから、変わっています。偶然ながら、主役のひとり、ジョン・ウェインの名前が最後に出ます。ポール・アンカ、フェイビアン、トミー・サンズといった当時のティーン・スターがたくさん出ているのは、客寄せパンダなのかもしれませんが、いまになると、それはそれで面白い付録に感じられます。いっそ、みんなでMany men came here as soldiersと歌えばよかったのに!

ともあれ、テーマ曲だけでなく、ジャールのスコアも、サントラ盤が売れるタイプのものではないにせよ、ストイックなところは好ましく、この「史上最大の映画」に見合った格をもっています。小学生のわたしがミッチ・ミラーによるテーマ曲を買ったのは、たんに映画が気に入った結果にすぎないのでしょうが、偶然とはいえ、いい音楽を選んだことには、ちょっとホッとするものがあります。親バカみたいなもの、というと奇妙でしょうけれど、まあ、そんな感じで、子どものころの自分の行動に、いまになってハラハラしているようです!

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by songsf4s | 2008-12-27 23:55 | 映画・TV音楽
The Christmas Song その3 by Booker T. & the MG's
タイトル
The Christmas Song
アーティスト
Booker T. & the MG's
ライター
Mel Torme, Robert Wells
収録アルバム
In the Christmas Spirit
リリース年
1966年
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最初にあげたヴァージョン・リストのうち、半分以上はオミットするつもりだったのですが、腹の立つものはなく(検索でヒットしても、はじめからよくないことがわかっているものはプレイヤーにドラッグしなかったのだから当たり前だが)、言及と無視の線引きはなかなかむずかしくて、ちょっと往生してしまいました。まあ、行き当たりばったりでやってみます。

◆ ブラック・シンガー ◆◆
悪いものはないとはいったものの、テンプス、スプリームズ、ジャクソン5、ミラクルズといったモータウン勢は全滅で、いいものがありません。ブラック・シンガーには向いていない、という意味ではなく、アレンジ、プレイがどれもこの曲には合っていないのです。ドラムが活躍するべき曲ではないし、ベースもあくまでも控えめにやるべきでしょう。つまり、ドラムとベースのサウンドで勝負したモータウンとしては、やりようがない曲なのです。

f0147840_2333166.jpgこのところ、フェンダーベースのシンコペーションや三連符が癇に障るようになってしまいました。中学生のとき、ラスカルズのベース(チャック・レイニーのプレイ)が、ときおり四分三連を放り込むのに仰天した前科がわたしにはあるのですが、あれは子どものときの話、四十年以上たって四捨五入で還暦ともなると、ゴチャゴチャとよけいな音を使って、ちょこまか動きまわるベースは下品だと感じます。

ベースの本分はグルーヴ、4分の表拍だけだってグッド・フィーリンはつくれます。4分の表拍で勝負できないなら、そのベースは下手なのです。四分三連のような小手先の子ども騙しをむやみにやるベースは、まず三流と思っておけば間違いありません。有名なベース・プレイヤーにその手合いが多いのはご存知の通り。

f0147840_23335427.jpgモータウンのクリスマス・ソングは、60年代終わりのものが多く、全盛期の録音はあまりありません。その弱さがこのThe Christmas Songの各ヴァージョンにもろに出たと感じます。スタッフの質が落ちて、屋台骨が傾いているのです。ベースのひどさに腹を立てているだけといえばそれまでなのですが、でも、あえていわせてもらうなら、モータウンにドラムとベース以外のなにがあるというのだ、です! 去年、テンプスのRudolph the Red-Nosed Reindeerを賞賛しましたが、あれは例外で、セヴンス・コードを使ったブルージーなアレンジであり、ミディアム・テンポだったから成功したのでしょう。

f0147840_23341948.jpgモータウンが全滅となると、ブラック・シンガーは寂しいことになるのですが、そのなかで、アイズリー・ブラザーズ盤は、歌はともかくとして、アコースティック・ギター一本のアレンジは楽しめます。とりわけ、モータウンの四分三連大馬鹿ベースを聴いたあとだと、ちょこまか動きまわるベースのないことがたいへんな福音のように思えてしまいます。

ジェイムズ・ブラウンのクリスマス・アルバムは、思ったほど頓狂ではなく、いいトラックもあるのですが、The Christmas Songは「どうだろうなあ……」という感じです。悪いとはいいませんが、とくにJBの柄に合った曲でもないような気がします。このへんはお好みなので、けっしてダメとはいいません。特定の趣味の方には向いているでしょう、という感じです。

◆ ブッカー・T&ザ・MG's ◆◆
今日はこの曲に鳧をつけるつもりなので、時間切れまでにできたところで終わりとします。よって、ここからは、いつ終わってもいいように、切り捨てるわけにはいかないものから優先して見ていくことにします。

f0147840_23373923.jpg去年のクリスマス・ソング特集で、MG'sのクリスマス・アルバムは期待はずれだった、と書きました。いかにもMG'sらしいスタイルでアレンジされた曲は一握りで、オルガンばかりが目立つスロウなレンディションが多く、「おう、なにかい、クリスマスってのはキリスト教の行事かなんかかよ」と言いがかりをつけたら、「当たり前だ、宗教行事だ」といわれて、振り上げた拳のもっていきどころがなくなり、憤懣やるかたないといった感じのアルバムです。そりゃそうでしょ、MG'sを聴こうという気分のときに、心のなかに十字架のじの字もキリストのキの字もないに決まっているじゃないですか。たとえクリスマス・アルバムだって、血湧き肉躍るビートを期待します。

しかし、ここがヴァージョン較べの妙というものなのですが、ほかのものと並べてみると、MG'sのThe Christmas Songは一頭抜きんでて聞こえます。ブッカー・ジョーンズのコピーをしたことがあるので、いまひとつ尊敬の気持ちが湧かないのですが、この曲のラインの作り方なんか、やはりみごとというべきで、ただボケッとオルガンを弾いていたわけではなかったことがよくわかります。興味深いメロディーの改変で、MG's盤Mrs. Robinsonに通じる魅力があります。

ダック・ダンという人も、ただ野太いだけかと思っていたのですが、やはり頭がいいのだということが今回のヴァージョン較べでわかりました。モータウン4種のベースがみな四分三連、二分三連を駆使して、コマネズミのように走りまわっているのに対し、ダック・ダンはドンとかまえて、大石内蔵助のように動きません。ベースというのはそうあるべき楽器なのです。

◆ オーケストラもの ◆◆
当家では、ヘンリー・マンシーニはけなさないことになっていますが、このThe Christmas Songも、やはりうまいものです。最初のリード楽器をトロンボーンにしたのも、いつもながら的確な選択ですし(こういうフワッとした曲だから合うのであって、速めの曲には向かない)、その背後で鳴っている、右チャンネルの管のアンサンブルも美しく、前半は文句のつけようがありません。

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後半もまたマンシーニらしくヴォーカル・ハーモニーをリードにしていますが、わたしとしてはこのコーラスのミキシング、バランシングが気に入りません。もっとオフにして、バッキングのような使い方のほうがよかったのではないでしょうか。マンシーニはコーラスのそういう使い方で成功している実績(たとえばCharade)があるので、なおのことそう思います。

ネルソン・リドルのThe Christmas Songは、その名もNatという、ナット・コール・ソングブックに収録されたものなので、コールのThe Christmas Songからご本尊のヴォーカルを消し、ピアノで置き換えたようなアレンジなので、カラオケといえなくもありません。しかし、中間部でのヴァイオリンはハンパじゃなくうまいですなあ。世が世なら、そして土地が土地なら、ポップ・オーケストラのセッションになど出てくるはずのないクラスの人だったりするのかもしれません。

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ジャッキー・グリーソンのものは、ある特定の層の需要に応えるためのものなので、「グリーソンにしては意外なアレンジ」などというものはありません。良くも悪くも、つねに同じ品質で、ダラッと体の力を抜いて、昔日のよしなしごとなどを思い起こすようにできています。その限りにおいては、グリーソンのThe Christmas Songもけっこうなものですが、この種のロウ・キーなラウンジ・ミュージック(つまり「もろのムード・ミュージック」)がお好みでなければ、a must to avoidです。

◆ ギタリストたち ◆◆
去年手に入れたクリスマス・アルバムでもっともうれしかったのは、アル・カイオラ&リズ・オルトラーニのSound Of Christmasでした。Ultra Loungeのクリスマス篇に入っていたHoliday on Skisがすばらしく、なんとかアルバムを聴きたいと思っていたのです。Holiday on Skisほどすばらしいものはほかにありませんでしたが、それは覚悟の前、全体としては、なかなかいいアルバムでした。

今年の夏に集中的に取り上げた映画テレビ音楽では、カイオラを褒めたり貶したり、じつに忙しかったのですが、詰まるところ、プロのギタリストというのはみなうまいので、勝負は上手い下手とは無関係なところで決まる傾向があり、そのことをいっていたのです。どこで勝負が決まるかというと、アレンジ、サウンド、録音、といった要素です。

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ギターの場合、いや、ほかの楽器もそうですが、とくにエレクトリック・ギターの場合、どういうトーンを選択(あるいは創造)するかも重要です。アル・カイオラという人も、独特のサウンドをもっていて、それが利点にもなれば欠点にもなり、それで各種映画テレビ音楽をあれこれ取り上げたときに、褒めたり貶したり忙しいことになってしまいました。

このThe Christmas Songについては、妙にいじらず、いつもの自分のサウンドでやっていて、それが楽曲に合っているので、文句がありません。こういう風に、メロディーだけを弾いて、それでも楽しませるのが、いちばんむずかしいんだよなあ、と溜め息が出ます。

f0147840_23524539.jpgチェット・アトキンズはいつものチェットよりやや控えめにプレイしています。まあ、曲調からいって、暴れるのは不可なので、当然ですが。ただ、2枚あるチェットのクリスマス・アルバムのうち、こちらは録音が新しく、バンドのレベルが落ちていますし、録音とバランシングも繊細さが足りません。モータウン同様、ちょこまか動きまわる落ち着きのないベースが癇に障ります。

トニー・モトーラという人は、50年代から60年代にかけてのNYのギタリストにとって、70年代以降のハリウッドにおけるトミー・テデスコに似た位置にあり、若い連中にとっての「親父さん」だったようです。ヴィニー・ベルはモトーラに深甚な感謝を捧げていました。トミー・テデスコ同様、面倒見のいい人だったのでしょう。

f0147840_23561549.jpgギタリストたちに慕われるには、ただ人柄がいいだけではダメです。だれもが認めるだけの力量がなくてはいけません。モトーラは、その点でもトミー・テデスコ同様、十分な資格を持っていることは、このThe Christmas Songを聴くだけでも手に取るようにわかります。じつにもってうまいものです。ただ、わたしの好みからいうと、エラ・フィッツジェラルドかなんかのように、メロディーラインを崩すのは下品で、モトーラのプレイはやりすぎと感じます。アル・カイオラやビリー・ストレンジのストイシズムのほうがずっと楽しめます。

また、60年代終わりの録音のため、モトーラ盤The Christmas Songでも、この時期の特徴である、ちょこまか動きまわる小人物ベースが、またまた癇に障ります。あの時代のシンガーやリード・プレイヤーはなにをボンヤリしていたのか、いまになると不思議です。主役の前に立ちふさがる奴は、馬鹿野郎、おまえは脇役だ、控えろ、と怒鳴りつけなくてはいけないのに。

◆ クルーナーたち ◆◆
四分三連、二分三連で動きまわる馬鹿馬鹿しいフェンダー・ベースを山ほど聴いたあとだと、たとえば、サミー・デイヴィス・ジュニアのThe Christmas Songのスタンダップ・ベースなど、じつにいいなあ、としみじみします。シンコペートは最小限、ほとんど表拍だけでやっているわけで、こういうのがうまいベースなのです。順番が逆になりましたが、サミー・デイヴィスのヴォーカルもなかなかけっこうです。

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さらに順番が逆ですが、サミー・デイヴィス盤The Christmas Songには、ほかのヴァージョンにはない前付けヴァースがあります。わたしは、たいていの場合、前付けヴァースなんてものは言わずもがなのよけいな付けたりと思っているのですが、このThe Christmas Songの前付けヴァースも例外ならず、ないほうがいい代物です。

わたしはペリー・コモとはほとんど無縁なのですが、改めて彼のThe Christmas Songを聴くと、なるほど、クルーナーの臭みはあまりない、これなら5分ぐらいはじっと聴いていられる、と思います。アルバム1枚だと、拷問でしょうけれどね。コモ盤のスタンダップ・ベースもけっこう。やっぱり、こういう曲にはフェンダーは不向きです。

よほど四分三連フェンダー・ベースに懲りたのか、アンディー・ウィリアムズ盤The Christmas Songもやはり、表拍で勝負のスタンダップ・ベースの音が心地よく感じられます。歌のほうは可もなし不可もなし、歌い上げるところをのぞけば苦にはなりません。

そろそろ時間切れですが、しまった書き落としたというヴァージョンはどうやらないようです。しいていうと、先日のリストにすら入れ忘れたアール・グラント盤がありますが、ご家庭向き安全パイで、わたしは嫌いではありませんが、強くお勧めするほどのものでもありません。同じオルガンものなら、MG's盤のほうがいいでしょう。
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by songsf4s | 2008-12-24 23:56 | クリスマス・ソング
The Christmas Song その2 by Herb Alpert & the Tijuana Brass
タイトル
The Christmas Song
アーティスト
Herb Alpert & the Tijuana Brass
ライター
Mel Torme, Robert Wells
収録アルバム
Christmas Album
リリース年
1968年
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以前にも書きましたが、ありとあらゆるツールが利用できるグーグル・ブロガー(たとえば、ここの右側カラムをご覧あれ)の正反対で、エクサイト・ブログはほとんど統計らしい統計がとれず、わずかにわかるのはユニーク・ユーザー数とページ・ヴューほか数種だけです。

このブログをはじめて以来、なぜか病気がちになってしまい、1年半のあいだに数回にわたって寝込んでいるのですが、そういうときには、上記のような数字はいっさい見ません。なにも更新していないのにお客さんがいらしていることを確認するのは、アルコールやタバコなどよりよほど健康に有害なのです。最初に寝込んだ去年八月には、ユニーク・ユーザー数は30程度だったのですが、いまでは200などだったりするので、なおのこと見たくありません。

今回も統計数値はいっさい見ず、ときおり開いて、人間としての誇りを失ったあわれな人たちによるスパム書き込みの有無だけを確認していました。そして昨日、久しぶりに更新したので、病中の数字を見て、ギャッといいました。12月13日土曜に、「470」という、当家のページ・ヴューの最高値が記録されていたのです。

検索キーワード・ランキングを見ると、やはりクリスマス関連の曲が上位を占めていて、おそらく、13日土曜はそういう需要がピークに達したために、当家のページ・ヴューも過去最高を10ほど上まわることになったのでしょう。どうせなら、500ページまでいってくれたら、そろそろやめてもいいと見切りがつけられただろうに、惜しい!

やめるといえば、年初に、年内いっぱいは継続する、と書いた、その「年内いっぱい」がすぐそこに迫っています。来年はどうするのか、いちおう考えたのですが、結論はないので、やるのやめるのといったファンファーレはなしにして、気が向いたときは書き、気が向かなければ書かない、ずっと気が向かなかったら結果的にやめたことにする、というずるずるべったりのダラダラでいってみようと思います。

ということで、本日は先日のつづきで、The Christmas Song (Merry Christmas to You)のヴァージョン検討をやらかしてみます。

◆ ナット・コール盤 ◆◆
この曲の作者のメル・トーメも、シンガーだからして当然、このThe Christmas Songを歌っていますが、もっとも人口に膾炙したヴァージョンは、数種あるナット・コール盤のいずれかでしょう。

最初の1946年録音はトリオだけのものだそうで、これはわが家にはありません。この年のうちに、こんどはストリングスつきでリメイクしていて、こちらはわが家にもあります。

オリジナルの直後にリメイクしたについては、歌詞のどこかを間違えたので、それを修正するためだったという話をWall of HoundのオーナーであるO旦那にうかがったことがありますが、どこをどう間違えたのかは忘れてしまいました。相済みませぬ。どうであれ、わたしの好みは、この1946年の弦つきヴァージョンです。

Nat King Cole - The Christmas Song


1953年には、同じアレンジで、ネルソン・リドルのコンダクトによって、ストリングスの人数を大幅増大して録音しているそうですが、これはわが家にはないのかもしれません。あいまいないい方で恐縮ですが、HDDを検索したら、ナット・コールのThe Christmas Songというのが20種類以上ヒットしてしまったため、時間がなくて全部は確認できず、冒頭の数秒を比較して、手早くダブりかそうでないかを見極めてしまったのです。

f0147840_23521437.jpgさらに、60年代はじめにステレオによるリメイクもしていて、これはわが家にもあります。こちらのナット・コールのヴォーカルは、やはり晩年だなあ、という感じで、低いところにいったときにクラックしています。このへんは好みが分かれるでしょうが、わたしは、クラックする声が嫌いではないので、これはこれでいいと感じます。

たんに聴き慣れているだけかもしれませんが、今回、聴き直しても、ナット・コール盤でこの曲が知られているのは当然だと感じました。じつに据わりのいいヴァージョンです。

◆ ビング・クロスビー盤 ◆◆
据わりがよいといえば、ビング・クロスビーのヴァージョンもやはりけっこうな出来です。ふだん、あまり意識しないのですが、こういう風に「オールスター揃い踏み顔見世興行」をやると、やっぱり、この人はフランク・シナトラ、ナット・コールと並ぶ、史上最強のクルーナーだと感じます。第一声が聞こえた瞬間の印象、手触りが凡百のシンガーとは隔絶しています。何百曲もビルボード・ヒットがあるというのは、ただごとではないのです。

f0147840_23534277.jpgなにしろ、クルーニングなどというものが存在しないときに、クルーニングをはじめたオリジナル世代ですから、歌い方にも「本物だけがもつ厚みと奥行き」というやつがあります。ビングのようなヴォイス・コントロールは、やがて後続の世代によって徹底的に陳腐化され、1960年代の子どもたちに「わが生涯の敵」と罵られることになるのですが、大元まで戻ると、陳腐化する前の迫力があって、オリジネーターはものがちがうのだ、という当たり前のことを再認識します。White Christmasの枕詞がいつまでたっても「ビングの」なのは、そういう意味なのでしょう。

クルーナーは細部のラインのとり方、日本的にいうところの「節回し」にこだわるわけですが、ビングのThe Christmas Songで面白いのは、yuletide carolのところです。ビングのキーはAで、それに即していうと、ここはふつうなら、A-A-B-Aとルートに戻るのですが、ビングはA-A-B-Dbと上がっていて、ここがなかなか風情があります。

よけいなことながら、ビング・クロスビーが神父役で主演するThe Bells of St. Mary'sという映画を手に入れ、昨夜から見はじめているのですが、まだ20分ほどなので、どこへいく話なのかさっぱり見えません。クリスマス・ストーリーだろうと思ってみているのですが、そうじゃなかったら、パアでんねん。

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監督はマルクス兄弟の映画などを撮ったレオ・マケアリー、共演はイングリッド・バーグマン。

いやはや、今年は病中に3種類の忠臣蔵(溝口健二、稲垣浩、深作欣二、どれも長く、全部合わせると10時間を超える!)も見たし、長年、気になっていたThe Bells of St. Mary'sも見たし(いや、まだ途中だが)、すっかり紋切り型人間と相成り候。もちろん、大晦日には、だれのヴァージョンかは決めていませんが、恒例で「穴どろ」を聴くことになるでしょう。「穴どろ」なしには年は越せないのです。年を越したら、こんどは「七福神」「けんげ者茶屋」というぐあいで(ついでに、正月を背景にした雷蔵版オリジナル眠狂四郎の2本目も用意してある!)、農耕民族的暦日コンプライアンスの実現です。

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◆ ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス盤 ◆◆
去年、取り逃してしまった、The Christmas Songを今年はやるかと思ったとき、だれのだかわからないながら、ファースト・ラインを歌う声が頭のなかに流れました。ファイルをプレイヤーにドラッグし終わり、ひととおり聴いていて、ああ、これだ、と思ったのが、このTJB盤です。いやはや、「そりゃないだろう」ですよねえ、おのおのがた。

ハーブ・アルパートという人は、まあ、ぶっちゃけていえば、シンガーとしては箸にも棒にもかからないほど下手です。This Guy's in Loveが大ヒットしたのは、彼の恐ろしく不安定なピッチのおかげではないかと思うほどです。たぶん、その方面(って、どの方面かはさておき)の女性たちは、こういうハンサムだけれど、頼りなげに見える男がお好きなのでしょう。

ハーブ・アルパートだって馬鹿でもなければ、ツンボでもありません。自分のピッチの悪さはよく承知しているはずで、それをプラスに転化できる曲をしばしばうまく見つけています。このThe Christmas SongのTJBヴァージョンがわたしの意識に染みこんだのも、そういうことなのだろうと思います。

Herb Alpert & The Tijuana Brass - The Christmas Song


この曲の特徴のひとつは、The folks dressed up like Eskimosのところの、意外なライン、意外なコードにあります。ということはつまり、「夜霧よ今夜もありがとう」などの系列に属す、素人が歌うとそこに来るたびにみな音を外す、困った罠が組み込まれているのです。ハーブ・アルパートは素人っぽいので、やっぱり、このEskimosはかなり不安定で、こういうのを褒めていいのだろうかと、一瞬、迷いが生まれるほどです。

しかし、この難所での無理もないつまずきに目をつぶるならば(なんだか、近所のカラオケ・バーから聞こえてくるそこらのおっさんの歌に似ていて、ほんとうにこれをみすごしにしていいのだろうか、という気もするが!)、なかなか魅力的なレンディションです。わたしは50年代のイヤッたらしいジャズ・ヴォーカルが大嫌いなのですが、このハーブ・アルパート盤の、そういうもののベタベタした物欲しげなイヤらしさとは完全に手を切っているところは、おおいに好感をもてます。歌のうまさを、いかにもことありげにひけらかすほど世に下品なことはありません。

ハル・ブレインはブラシでシャーとやっているだけで、ドラムは聴きどころがありませんが、ギターは地味ながら、うまさもうまし、立派なものですし、コーラスも効果的で、総合的に見ると、ハーブ・アルパートの堂に入った下手下手ぶりまで含めて(そりゃそうでしょ、これがうまい歌だったら面白くもなんともないのだから!)、これは膨大な数のあるこの曲の全ヴァージョンのなかでも、最上位にくるものといえるでしょう。

◆ コニー・フランシス盤 ◆◆
一時期は、このブログのために、ずいぶんおおぜいの女性シンガーをHDDにおいていたのですが、もともとそれほど好きではないので、もうスタンダードはやらないと決めたときに、ほとんど撤去してしまいました。だから、この曲を検索しても、女性シンガーのものはほんの一握りしかヒットしませんでした。ほんの一握りなのに、いいと感じるものはあまりないのだから、やっぱり女性シンガーは嫌いなのです。

そのなかで唯一嫌みがないのが、コニー・フランシス盤です。この人の声は好きなのですが、典型的な「ベンチがアホ」の罠にはまった人で、プロダクションが素晴らしいと感じるものがなく、みな古びてしまっています。センスのいい人がまじめにプロデュースすると、半世紀ぐらいではびくともしないものなのですが、コニー・フランシスのヒット曲はダメです。いまではみな聴くに堪えないほど古めかしく響きます。

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ただし、ヒットが出なくなったレイター・イヤーズになると、総合力の勝負ということがわかったのか、いいプロダクションが増え、この人の本来的な美質が生かされた盤があることに、ボックスを聴いていて気づきました。わたしは、コニーを聴くなら、だれも相手にしなかった時代のものにかぎると思っています。

ヒット・アフター・ヒットだった全盛期のもののどこがダメかというと、リズム・セクション、とりわけドラムとギターのプレイとサウンドがおそろしく古めかしいことです。したがって、彼女のバックビートのある曲はまったく好みません。Lipsticks on Your Collarなんか、いい曲だと思うのですが、ギターには耳をふさぎたくなります。

このThe Christmas Songは、その全盛期である1959年のリリースですが、神はコニーを見離さず、ありがたいことに、ロック系のアレンジではなく、大ストリングスをバックに歌っていて、やっぱりダサダサのリズム・セクションさえなければ、この人の歌は素晴らしいと感じるレンディションです。最近、よくいっているのですが、日本では美空ひばり、イギリスではペット・クラーク、アメリカではコニー・フランシス、この三人はやっぱりただ者ではないのです。

歌ものでもふれたいものがあとすこし残っていますし、インストものにはまったくふれていないので、もう一回だけ延長して、次回でこの項を終わるつもりです。

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ナット・キング・コール
Christmas Song
Christmas Song
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by songsf4s | 2008-12-23 23:56 | クリスマス・ソング
The Christmas Song その1 by the King Cole Trio
タイトル
The Christmas Song
アーティスト
The King Cole Trio
ライター
Mel Torme, Robert Wells
収録アルバム
N/A (78 release)
リリース年
1946年
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先週後半からずっと体調はよく、ひどい眩暈に襲われることはなくなりました。歩いていてときおりバランスを崩す程度で、急激な動きさえしなければ、どうということはありません。やはり、前回のコメントでキムラさんがおっしゃっていた病名はあたりだったようです。調べてみると、2、3週間で自然に治るものだそうで(そもそも治療薬は存在せず、医者がくれる薬はトラベルミンだとか!)、これも当てはまりました。

この数日は起きあがり、PCでいろいろな作業はしているのですが、ブログを再開するにはいたりませんでした。ものを書くというのは、やはり、ある程度の「高圧」が必要なのですが、目下、ひどい「低圧」状態で、なかなか「書きのスレッショルド・レヴェル」に到達できず、平常運転に戻れなかったというしだいです。まだ、以前のように書ける感触はないのですが、時季も時季ですし、去年の古物の流用ですが、いちおうクリスマスの飾りつけもしたので、クリスマス・ソングをひとつだけやってみるか、とデスクに向かってみました。

昨年のクリスマス・ソング特集は、「年内無休」の突貫工事のおかげで、予定した曲をほぼ消化したのですが、しまった、これがもれてしまったか、という痛恨の曲が一握りながらありました。その一曲がこのThe Christmas Songです。

去年の12月25日の記事にも書いたのですが、クリスマス当日は、当然、このThe Christmas Songでいくはずだったのに、ヴァージョン数が多すぎて、忙しさに負けてしまったのです。というわけで、今回は捲土重来、しかし、また負けては元も子もないので、以下にあげた30種ほどしかプレイヤーにドラッグしていませんし、この半分以上をヴァージョン検討からオミットするつもりです。

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Frank Sinatra (複数)
Al Caiola & Riz Ortolani
Chet Atkins
Tony Mottola
The Three Suns
Henry Mancini
Jackie Gleason
Nelson Riddle
Percy Faith
Louis Armstrong & Friends
Mel Torme
The 4 Seasons
The Isley Brothers
The Jackson 5
James Brown
Smokey Robinson & The Miracles
The Temptations
Rick Nelson
The Supremes
The Carpenters
Connie Francis
Doris Day
Andy Williams
Bing Crosby
Johnny Mathis
Perry Como
Sammy Davis Jr.
The King Cole Trio
Nat King Cole [Alternate Take]
Herb Alpert & The Tijuana Brass
Booker T. & The MG's

Nat King Cole Trio - The Christmas Song (Original Recording Without Strings)


◆ まず栗ではじまり…… ◆◆
曲の出来もAクラスですが、クリスマス・ソングらしさは主として歌詞に表現されるものなので、万やむをえず、じつに久しぶりに歌詞の検討をやってみます。リハビリ中の人間にはちょっとキツいのですがね。それではファースト・ヴァース。

Chestnuts roasting on an open fire
Jack Frost nipping at your nose
Yuletide carols being sung by a choir
And folks dressed up like eskimos

「たき火の上で栗が焼け、寒さに鼻の先が赤くなる、聖歌隊がクリスマス・キャロルを歌い、人々はエスキモーのように着込んでいる」

辞書には、「an open fire おおいのない(壁炉の)火」とあるので、文脈によっては室内の煖炉の可能性もあるのですが、このヴァースの残り三行は戸外の描写と思われるので、an open fireも戸外にあるとみなして解釈しました。

ファースト・ラインというのは、その曲のアイデンティファイアとなり、われわれはしばしばこの一行でその曲を記憶することになるので、きわめて重要です。どの文化でも、年中行事というのは特定の食べ物とむすびついているもので、このファースト・ラインはそれを意識したものなのでしょう。

われわれのクリスマスはかなり「なまった」行事で、借り物にすぎず、クリスマスらしさを演出する要素がたくさん抜けていて、焼き栗もクリスマスとはむすびつきません。それでも、たき火の上の栗は香ばしいのだろうなあ、ときおり大きな音をたてて爆ぜるのだろう、などというぐあいに想像力を発動させてしまうこのファースト・ラインは、きわめて好ましく、そしてまた、いかにもクリスマスらしいものに感じます。

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昨年のクリスマス・ソング特集に何度か登場しましたが、Jack Frostは寒気の擬人化で、「ジャック・フロストが鼻をつまむ」というのは、すなわち、寒さで鼻先が赤くなることをいっています。

メル・トーメによると、もうひとりの作者、ボブ・ウェルズは、うだるような夏の日に、冬のことを考えて涼しくなろうとして、やがてこのファースト・ヴァースとなる断片を書いたのだそうです。つまり、歌詞を書くつもりはなく、たんに寒そうなものを思いつきで並べただけだったのだとか!

◆ つぎに七面鳥を詰め込み…… ◆◆
つづいてセカンド・ヴァース。

Everybody knows a turkey and some mistletoe
Help to make the season bright
Tiny tots with their eyes all aglow
Will find it hard to sleep tonight

「七面鳥と寄生木の飾りがあれば、クリスマスが華やかになることはだれでも知っている、幼い子どもたちは目を輝かせ、今夜はなかなか寝つけないだろう」

寄生木についても、去年の特集、とくにオーティス・レディングのMerry Cristmas Babyで、クリスマスとセイヨウヤドリギのあいだにどういう関係があるかを検討しています。こうした背景と、寄生木の飾りの下ではキスをしてもよいという習慣も、日本にクリスマスが渡来するときに脱落してしまった属性のひとつです。

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ここで注目したいのは七面鳥です。くどくなりますが、年中行事にそれらしさをあたえる重要な要素のひとつは食べ物です。セカンド・ヴァースでもやはりクリスマスにふさわしい食べ物を登場させたのでしょう。曲はメル・トーメ、詞はウェルズが主で、メル・トーメが補作しているとのことなので、ファースト・ヴァースはウェルズ作ということ以外は、だれがどこを書いたのかわからないのですが。

◆ キャンディーで仕上げ ◆◆
以下はブリッジ。

They know that Santa's on his way
He's loaded lots of toys and goodies on his sleigh
And every mother's child is gonna spy
To see if reindeer really know how to fly

「子どもたちは、橇にオモチャやお菓子を山ほど積んで、サンタがもうすぐやって来ることを知っている、ありとあらゆる子どもたちが、トナカイがほんとうに飛べるのか覗いてみるにちがいない」

この場合のgoodyは、クリスマスであることを考えれば、キャンディーやチョコレートなどの「糖菓」と限定してしまってかまわないでしょう。またしても同じことをいいますが、ここにも食べ物が登場するのは偶然などではなく、クリスマスらしさを演出するためであることはいうまでもありません。

every mother's childの「すべての母の」は、「ひとり残らず」という強意表現です。

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サードにして最後のヴァース。

And so I'm offering this simple phrase
To kids from one to ninety-two
Although it's been said many times, many ways
"Merry Christmas to you"

「そういうしだいで、一歳から九十二歳の子どもたちに、このシンプルな言葉をお贈りしましょう、まあ、いままでに何度となく、そして、さまざまな形でいわれてきたことだけれど、でもとにかく、『メリー・クリスマス・トゥ・ユー』」

久しぶりの記事で、長く遠ざかっていた歌詞の検討などしてしまったので、本日は力尽きてしまいました。音楽面の検討は次回ということにさせていただきます。

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ナット・キング・コール(中古CD、トリオ・ヴァージョンのThe Christmas Songも収録)
Christmas Song
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by songsf4s | 2008-12-22 22:36 | クリスマス・ソング
こんなグルグル廻るような家は……

「親子酒」という噺があります。わが家には古今亭志ん生と八世三笑亭可楽のものがあるのですが、シンプルな噺で、両者に大きな異同はありません。

大酒飲みの息子を戒めるため、やむをえず父親も禁酒をするのですが、ある夜、我慢がならなくなり、つい飲んでしまいます。そこへ出先ですすめられておおいに過ごしてしまい、大トラになった息子が帰ってきて、親が意見する、息子が抗弁するというやりとりがあって……

親父「おい、ばあさん、ばあさん、見ろ、こいつの首は七つになったり八つになったりするぞ、まったくおまえときたら化け物だ。そんな化け物みたいな息子にこの家の身代は譲れない」
息子「なあにいってやんでえ、こんなぐるぐる廻るような家はもらってもしかたがねえ」

というわけで、わたしは目下、もらってもしかたのない、ぐるぐる廻る家に住んでいます。いえ、親子酒のように、ちょいと過ごしてしまったわけではなく、この夏以来の不定愁訴のつづきで、火曜の朝に目が覚めたら、親子酒になっていたのです。前の晩、悪い酒でも飲んでいれば納得なのですが、いいも悪いもノンアルコール、しらふで寝たのに、目が覚めたらグルグルで、以来、「お父さん、おじやができました」「いつもいつもすまないねえ」と、お呼びギャグができるシテュエーションがつづいています。

アール・パーマーにいちおうの区切りをつけたときは、すぐにでも映画テレビ音楽をリストアのつもりだったのですが、そういう事情なので、まだしばらくは更新できそうにありません。どうかあしからず。家がグルグル廻らなくなったら、できるだけ早く復帰するつもりですが、早くても週明けになるだろうと思います。恐惶謹言、あらあらかしこ。
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by songsf4s | 2008-12-12 15:53 | その他
The Best of Earl Palmer その22 最終回

◆ またしてもファイアフォックス・ダウン ◆◆
そろそろいいか、と思ってFirefoxを3にしてみましたが、やっぱり問題外の重さで、即刻消しました。Firefoxでなにか開こうとするたびに、音楽が止まってしまのです。わが家では、音楽と共存できないということは「まったく使えない」ことを意味します。

そろそろべつのものにメイン・ブラウザーを移行する時期でしょうね。IEキラーとしての意味があったから、ことあるごとにFirefoxを使おうと叫んできましたが、すでにIEは大きく後退し、消滅もスケデュールに入れていいくらいですから、Firefoxもその役目を終えたことになります。毒をもって毒を制したから、こんどこそ、明るい新天地を切り開こう、という気分です。

そもそも、日本語の約物をボロボロのデコボコにして表示する欠陥も無性に腹が立ちます。一国の言語文化を破壊するとは何様のつもりか、です。たとえば、以下の部分がどう表示されるか、Firefoxと他のブラウザーで比較してみてくだされば、わたしのいうことはおわかりでしょう。これはこのアール・パーマー特集のその2で使った、簡略自家製譜面の一部です。

○●○●
△△▲△△△▲△
□□□□■□□□★□▲■■□■□

以上は、本来ならほぼ同じサイズで表示されなければいけないもので、たとえば、IEやOperaでは正しく表示されますが、Firefoxはこれをガタガタにしてしまいます。Firefoxは日本語に対して悪意をもっています。

さらに不快なのは、三点リーダーの表示方法です。三点リーダーとは、「…」という記号で、これは通常、二倍三点リーダーとして「……」のように使います。IEやOperaでは、これは正しく、天地センター(縦組印刷物の場合は左右センター)に表示されますが、Firefoxだけは、下付きで、「...」と同じように表示されます。

これは日本語文化への積極的破壊行為、テロ、レイプです。MSもひどいものをたくさんつくりましたが、あれはただの無知の産物にすぎず、ここまでの悪意はもっていませんでした。ブラウザーなんて、IEを捨ててFirefoxに代えたように、これからだって、いくらでもべつのものに変更できます。そろそろこの日本文化破壊ブラウザーを積極的に排斥する時期が来たと感じています。

◆ Brenda Holloway - You've Made Me So Very Happy ◆◆
あの当時、この曲はブラッド・スウェット&ティアーズ盤しか知りませんでした。ちょうど、BS&Tヴァージョンが大ヒットしているときにアメリカを旅行したので、日本に帰るころには、心底ウンザリしていました。

アメリカを旅行した音楽ファンはご存知でしょうが、heavy rotationというのは、ほんとうにハンパじゃなくて、1時間のあいだに、同じ曲が3回も4回も登場するのです。BS&Tのリードシンガーの声とスタイルたるや、虫酸が走るほど嫌いで、それがひっきりなしにラジオから流れてくるのだから、もう拷問同然でした(あの旅のあいだ、ディランのLay Lady Layとメアリー・ホプキンのGoodbyeも、同じようにヘヴィー・ローテーションで流れていたが、この2曲はいまでも好きなのだから、要するに、デイヴィッド・クレイトン・トーマスの声が心底大嫌いだったのだ)。このあとのHi-De-Hoなんていう、ヨイトマケの唄みたいなものも、このバンドの印象をさらに悪くするものでした。

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そういう曲だったので、ずっと後年、ブレンダ・ハロウェイのオリジナルを聴いたときは、ドッヒャー、とのけぞりました。最初の印象は、ドラムがすごい、とくに高速四分三連はとんでもない、というものでしたが、聴き込むうちに、ベースも、ラインはシンプルながら効果的だし、グルーヴは一級品だと思うようになりました。

そして、それからさらに十数年がたち、ウェブの時代が訪れました。いまからちょうど十年ほど前、ネットにフックアップした直後に、たまたまキャロル・ケイという人と知り合いました。彼女と頻繁にメールのやりとりをした数週間というのは、忘れがたいもので、いろいろ話題になった曲がありましたが、なかでも印象に残ったのは、このブレンダ・ハロウェイのYou've Made Me So Very Happyのオリジナルです。なるほど、わたしが話している相手は、こういうベースを弾く人か、と納得がいきました。一言でいうなら、「バリバリにマッチョなこわもての女性プレイヤー」です。

f0147840_23552516.jpg彼女は、この曲のドラムについては記憶があいまいで、アール・パーマーかポール・ハンフリーのどちらか、といっていました。ブラインドで聴き分けられるほどポール・ハンフリーのことを知らなかったので(それをいうなら、あのころはアール・パーマーのプレイもよくわかっていなかった)、ドラムがアールだと確定できたのは、伝記のディスコグラフィーのおかげです。

こういう曲は、文字であれこれしても無意味です。ぜひ「現物」を手に入れ、最初の一音からみなぎっている「いきと張り」をお楽しみいただけたらと思います。キャロル・ケイ、アール・パーマー、そしてアレンジをしたアーニー・フリーマンという、関係者三人のそれぞれにとっての代表作です(惜しいことに、アールはひとつミスをしている。後半のストップで、ほんのわずかにだが、遅れているのである)。

アーニー・フリーマンという人は、弦のアレンジを得意としていると思いこんでいましたが、このトラックでの管を聴くと、ホーン・アレンジもうまいことがわかります。イントロなんか、膝を叩きますぜ。ボビー・ヴィーのトラックで痛感しますが、ブライアン・ウィルソンと同じように、複数の楽器に同じフレーズを弾かせるところでの楽器、サウンドの重ね方に彼のアレンジの特徴があります。ボビー・ヴィーではピアノと弦の組み合わせを楽しむことができます。

◆ Jackie Wilson with Count Basie - Even When You Cry ◆◆
f0147840_2357279.jpgジャッキー・ウィルソンを聴くのなら、50年代終わりから60年代はじめのほうがいいと思いますが、バック・トラックを聴くなら、このカウント・ベイシーとの共演盤はおおいに楽しめます。Sinatra and Swingin' Brass同様、アルバム全体がいい出来で(LPを発見し、CD-Rに焼いてくださったオオノさんに感謝!)、どの曲をとるかおおいに迷いました。

アールのプレイは、そのシナトラのセッションと、Twistin't the Night AwayやShakeといった、サム・クックのホットなアップテンポ・チューンの中間ぐらいの感じで、イントロ・リックが冴えているということも、シナトラやサム・クックのトラックと共通しています。昔から高速四分三連を得意としているのですが、この曲のイントロは彼のもっともすぐれた四分三連のひとつです。いや、すごい。

◆ Michael Nesmith - You Just May Be the One ◆◆
ハル・ブレインの回想記でくわしく描写された大セッションで録音されたトラックのひとつです。回想記から、このセッションに関する部分を抜き出してみましょう。これは、売れ口が決まりかけたときにつくった縦組書籍用の入稿原稿なので、数字の扱いなどは縦組用のままです。


(略)マイケルは電話で、「スーパーセッション」のプランを話してくれた。ハリウッドでかつてなかったようなセッションをしようというのだ。しかも土日、ミュージシャン・ユニオンの組合員が「ゴールデン・タイム」と呼んでいる週末にだ〔特別料金がもらえる〕。チェイスンズ・シルヴァー・ケイタリングの仕出しと、集まったミュージシャンの信じられない豪華さで、このセッションは忘れられない。アレンジはショーティー・ロジャーズが担当し、プレイヤーの数ときたらとんでもなかった。トランペット、トロンボーン、サックスがそれぞれ一〇人ずつ、パーカッションが五人、ドラマーが二人、ピアノが四人、ギターが七人、フェンダー・ベースが四人、アップライト・ベースも四人、さらにまだまだおおぜいのミュージシャンがきたのだ。第三次世界大戦でもはじまるのかという騒ぎだ。じっさい、ネスミスはこのプロジェクトをそう呼ぶつもりだったが、やがて『ザ・パシフック・オーシャン』と変わり、最終的には『ザ・ウィチタ・トレイン・ウィスル・シングズ』に落ち着いた。

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このセッションのウワサで、町中がハチの巣を突ついたような騒ぎになった。こんな巨大なセッションがほんとうにテープに録音できると信じる人間など、ひとりとしていなかった。わたしはありとあらゆる大物コントラクターたちの羨望の的になり、その多くがわたしに電話をかけてきて、この仕事をゆずってほしいと、なかなか魅力的な条件を提示した。だれもがこのセッションに参加したがっていたのだ。

そして、その日がやってきた。一九六七年十一月十八日、そして十九日の両日だ。ショーティーはしゃかりきになって、すばらしいアレンジメントを書いてきた。アール・パーマーとわたしは、天にものぼる気分だった。こんな巨大なバンドのケツを蹴り上げるのは、まさにドラマーの夢だからだ。レコーディングの最中にもしばしば休憩をとって、われわれは豪華な食事をたっぷり詰めこんだ。サックス/オーボエのジーン・チープリアーノは、リードにキャヴィアを塗りたくっていた。みんな、キャンディー・ストアに入った子どもみたいなものだった。レッキング・クルーのふたりのトランペッターは、ほんとうに破裂しそうになるまで食べまくっていた。

最後に、わたしはマイケルに、なんだってこんな金のかかるセッションをやったのかときいた。政府が彼のポケットから五万ドルをもっていこうとしているので、税金を払うかわりに、この騒々しい帳尻合わせをすることに決めたのだ、というのが彼の説明だった。これで彼は国税庁とケンカをしないですみ、われわれの年金プランもちょっとしたカンフル剤を打ちこまれ、八方が丸くおさまったのだった。

ネスミス・セッションは、とどこおりなく完了した。これほど豪勢なパーティーに招待されたことは、あとにもさきにもない。二日間ずっとチェイスンズの仕出しを食べつづけ、一生かかってもできないほど、たっぷりと音楽を演ったのだ。はじめからおしまいまで、楽しいゲームだった。最後の音が鳴り終わると、トミー・テデースコはじぶんのギターを一〇メートルあまりも放りあげ、それが床に落ちて、ばらばらに壊れるまで、全員が凍りついたように突っ立ったまま見つめていた。彼はこの破片を集めたものを額におさめ、いまにいたるまで、お気に入りのポーカー・チェアの上にかかげている。これを見るたびに、モンキーズとすごしたワイルドな日々を思いださずにはいられない。


トミー・テデスコのフェンダー・テレキャスターが床に落ち、みなが笑っている様子も盤に記録されています。チェイスンズと、注釈なしで登場する店は、ハリウッドの有名なレストランです。仕出しといっても、パーティーなどの注文を受けるもので、「ロケ弁」とは文字どおりケタ違いの値段のようです。リードに塗るほどたっぷりキャヴィアがあるわけですから。

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以上のような性質のアルバムなので、なかば冗談のようなセッションですから、トラックの出来にはばらつきがあります。多少のミスには目をつぶってしまったようなのです。しかし、みんな気分よくプレイしているので、自然なすばらしいグルーヴが楽しめる一瞬もあります。

3曲ほど、これはいいと思うものがありますが、アールとハルの二人だけなのに、大ブラスバンドが通過していくような迫力がある、このYou Just May Be the Oneがなんといっても秀逸です。こういうのを聴くと、子どものころ、もっとまじめにブラバンをやればよかったと反省しちゃいます! ジャン&ディーン以来のアール・パーマーとハル・ブレインの「一心同体プレイ」はここにめでたく完成した、といっていいでしょう。

ちなみに、この曲の冒頭近くのストップでテレキャスターを弾いているのはトミー・テデスコにちがいありません。あのテレキャスも、このときは、まさか、まもなく楽器としての自分の命が終わり、室内装飾に転生することになるとは思わなかったでしょうねえ!

◆ Screamin' Jay Hawkins - Constipation Blues ◆◆
世の中には、パアなものやことに情熱を燃やす不思議な人間というのがいます。スクリーミン・ジェイ・ホーキンズもそのひとりです。そして、その曲を面白いと思うわたしもまた同類かもしれません。constipationとは便秘のことで、すなわちこれは「便秘のブルーズ」なのです。

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この曲については、Deep Purple その3 by Screamin' Jay Hawkinsのときにもふれているので、ここでは簡略に。いや、splashとかlet it goとかいう歌詞も、そのあいだにはさまるさまざまな擬音も、じつにもって尾籠きわまりなく、文字にするわけにはいかないので、詳細になんかはじめから書けないのです。要するに、トイレからの実況中継みたいな歌なのだから、たまったもんじゃありません!

アール・パーマーのプレイは、ベストに入れるほどすごいわけではありませんが、なんだと思ってプレイしていたのだろう、と思うと、笑うべきか、ボヤくべきか、なんだかよくわからない不思議な気分になるので、そういう「メタ」な意味でベストに繰り込んでおきました。こういうセッションに呼ばれちゃったら、腹を立てても損だから、ったく、この野郎ときたら、とんでもないドアホだな、と笑いながら仕事をするしかないでしょう!

◆ Al Kooper - She Gets Me Where I Live ◆◆
便秘のブルーズで、この長大な特集に幕、というのでは、いくらなんでも悪戯がすぎるような気がして、コーダのつもりでもう一曲入れることにしました。

アル・クーパーという人は、セッション・プレイヤーのヴァラエティーということに関心をもっていたフシがあり、各地の有名プレイヤーをつまみ食いするようなことをしています。この曲が収録されたEasy Does Itというアルバムのメイン・ドラマーはリック・マロータなのですが、1曲だけ、アール・パーマーが叩いています(べつの曲だが、1曲だけ、ジョー・オズボーンもプレイしている)。まあ、アルバム全体が同じ絵の具で塗られるのを嫌い、多様性をもたせたかったのかもしれません。

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この曲の他のプレイヤーは、ベースがライル・リッツ(いいプレイ。ただし、フェンダーである。リッツという人はスタンダップしか弾かないと思っていたが、そんなことはなかったらしい。まあ、スタンダップが弾ければフェンダーが弾けるのは当然だが)、ギターがルイ・シェルトンとトミー・テデスコ、ピアノがラリー・ネクテルで、ハリウッドの一流どころが顔をそろえています。このアルバムの他の曲ではナッシュヴィルの有名どころが顔をそろえていたりするわけで、見本市みたいなことになっています。また、このあとのNew York City (You're a Woman)では、すでにポップ・セッションをしなくなりつつあったキャロル・ケイともやっています。やはり、ミュージシャンに対する関心のしからしむるところではないでしょうか。

この曲でのプレイを聴いていると、ニューオーリンズ時代がはるか昔になった1970年にあっても、アール・パーマーはやはりパワーの人だな、と感じます。ヴァースの冒頭ではドラムは休みになるのですが、そこから入ってくるときのフィルインなど、やはり昔のままの力強さです。

◆ 尾っぽは短めに ◆◆
伝記に付されたディスコグラフィーは、このあたりで終了しています。彼のキャリアが終わったわけではないので、もう少しつづけてほしかったと思いますが、事情があったのでしょう。流行り廃りがはげしいポップ・セッションは減り、映画やテレビ、それにツアーの仕事が増えてもいます。わが家にはパーシー・フェイス・オーケストラで来日したときのライヴ盤がありますし、ほかにも少数ながら70年代以降の録音があります。

しかし、アール・パーマーが「歴史を作った」時期は、どんなに長めに見ても60年代いっぱい、じっさいには60年代半ばで終わっているといっていいでしょう。あとは、残念ながら「余生」です。いや、70年代に入って、彼のプレイが悪くなったわけではありません。時代が彼をおいていってしまっただけです。そういう世界だからしかたありません。

この特集に取りかかった段階では、映画音楽にもふれるつもりでしたが、いつも道草ばかりで、じつになんとも山鳥のしだれ尾の長々しになってしまい、力尽きてしまいました。いずれにしても、次回から、かつてやっていた映画テレビ音楽を再開するので、そのなかでいくつか、アールのサントラにおけるプレイに言及することになるでしょう。


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by songsf4s | 2008-12-05 22:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その21

気がつけば、はや師走になりにけり、でありまして、いやまったくもって驚いたものです。21世紀が来たときも、予想よりずいぶん早かったと思いましたが、そこから先がまた超高速の早廻しで、これが映画だったら、チラチラと光と影が交錯するだけで、いったいなにが映されているのかさっぱりわからないのじゃないかと思います。ほら、映画『タイム・マシン』の時間跳躍シークェンス。

すこしでも時間の地滑り現象に歯止めをかけようという悪あがきではないのですが、去年のいまごろは、と思い起こしてみました。昔、FENで毎週土曜の午後に、ケイシー・ケイサムのAmerican Top 40 Coundownという番組が放送されていました。その中盤あたりに、The Time-Machineというコーナーがあって、たとえば、十年前の今日、この曲がナンバーワンだった、なんてんで大昔の曲をかけていました。あれと同じ気分で、去年の今日、当家ではどんな曲を取り上げていたかというと、テンプテーションズのRudolph the Red-Nosed Reindeerでした。

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去年は十一月の終わりから、大々的なクリスマス・ソング特集をやったのですが、その後に当家を「発見」されたお客様のほうがずっと多いので、そんなことはご存知ないむきもすくなくないのではないかと思います。思い起こせば、デパートのように「年内無休」を宣言し、歳末セールのごとく盛大に、楽曲およびヴァージョンをふりまいたものです。曲によっては60種以上のヴァージョンを聴いたのだから、気ちがい沙汰です。

今年はどうしようかなあ、と一応は考えたのですが、結論は五秒で出ました。あんな馬鹿騒ぎは二度とできない、です。そもそも、クリスマス・ソングの精華の七割ぐらいは、去年の特集ですでに「済」ハンコを押しました。今年、クリスマス・ソングを取り上げるにしても、ほんの数曲、もっと押し迫ってからのことにします。それも、「気が向いたら」とお断りしておきます。

で、思うのですが、下のリンクにクリスマス・ソング特集の楽曲リストがあります。今年はそれをご利用いただいたらどうでしょうか? いまは、ひところのように頻繁に更新できる状態ではないので、新しい記事がアップされたかどうかと確認にいらしたついでに、「去年の今日」のクリスマス・ソングなどご覧いただけたら、あのとんでもない苦行も報われるというものでしょう。

最近、ひととおりこのクリスマス・ソング特集を読み直したのですが、訂正するべきミスを放置していたりはするものの、おおむね、そんじょそこらでは読めない記事になっていると、おおいなる自信を得ました。胸を張って、古い記事をどうぞ、と申し上げるしだいです。なんなら、これから毎日、「去年の今日」へのリンクだけをアップしてもいいくらいです。

ということで、いちおう、今月の予定を申し上げておくと、まもなく、たぶん今週いっぱいでアール・パーマー特集は終わります。そのあとは、中断している二つの企画、映画テレビ音楽と、スティーヴ・ウィンウッド特集のどちらかを再開するのが筋でしょう。ウィンウッドはトラフィック時代に入るわけで、なにを書くかは自分で予想がついてしまい、気分が盛り上がらないので、映画テレビ音楽のほうを復活させる予定です。そのつもりでこのところ準備を進めています。

◆ The Righteous Brothers - (You're My) Soul and Inspiration ◆◆
この曲には、すでにThe Best of Earl Palmer その10のときに軽くふれています。その繰り返しになってしまいますが、これは一見するところ、典型的なフィル・スペクター・サウンドになっているものの、じっさいにはスペクターは無関係で、プロデューサーはライチャウスの片割れ、低いほうを歌っているビル・メドリーです。

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スペクターは、この曲がナンバーワンになったことにも腹が立ったようですが、一見するところ、スペクター作品にしか思えないサウンドになっていることのほうにショックを受けたようです。仔細に聴けば、なんとなく、ひと味足りない、または、煮込み時間が短い即席のように思えてくるのですが、それだって、ブラインド・テストされ、さあ、丁か半か、持ち金をみんな張れ、といわれたら、額にジワッと汗の玉が浮いてくるような、判断に苦しむ微妙なちがいです。

この曲がチャートトッパーになったのは、たぶんI-IV-V進行(キーに即していえばB-E-F#)のコーラスの力強さ、単純さのおかげではないでしょうか。ヴァースはそれほど面白いとは思えません。人海戦術とゴールド・スター・スタジオの深いリヴァーブによるドラマティックな盛り上げの勝利です。当然、その盛り上げにアール・パーマーも貢献していますが、どちらかというと、目立っているのはかなり口径の大きなハンド・シンバルのほうです。でも、例によって、チャートトッパーの実績は無視できない、ということでこの曲もリストアップしました。

◆ Ike & Tina Turner - River Deep, Mountain High ◆◆
(You're My) Soul and Inspirationとほぼ同時期に録音された、こちらは本家本元による正真正銘のスペクター・サウンドです。チャート・アクションがすべてとはいいません。しかし、金が人生のすべてではないにしても、「ほぼすべて」ではあるように、ポップ・ミュージックにとっても、チャート・アクションは「ほぼすべて」です。

どんなにくだらない曲でもヒットすれば勝ち、どんなに見事なサウンドでもフロップすればゼロです。「ヒットはしなかったけれど、いい出来だった」なんていう感傷的な世迷い言は、ファンだけがいうことであって、資本をかけてつくり、売っているほうにいわせれば、売れなかったものなんか、みんな地獄に堕ちやがれ、なのです。売れないというのは、まさに地獄そのものなので、そんなことをいわなくたって、すでに墜ちていますがね。

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スペクターが百万ドルだかなんだかでヴァーヴに下取りさせたライチャウスは、スペクターのスタッフとスペクターのスタジオの力によって、みごとにチャート・トッパーを得ました。それに対して、スペクターのほうは、コケもコケたり、これ以上みごとなコケ方はだれにもできないだろうという、惨憺たる失敗。ビルボード・チャートに関するかぎり、バブリング・アンダー・チャートにすらまったく痕跡を残さず、みごとにゼロだったのです。

イギリスではナンバーワンになったとかいう話ですが、あなた、そんなことになんの意味があるのか、そのへんをきちんと考えなさいな、というのですよ。アメリカ音楽界から見れば、ビルボード・チャート以外に、チャートと呼べるものはこの世界には存在しません。当たり前でしょ、そんなことは!

イギリスでナンバーワンになったなんて、ティンブクトゥーでナンバーワンになったのとたいした違いはありません。ただの残念賞、実質的価値はゼロです。3Aの選手が韓国に行って首位打者になったら、大リーグで大評判になりますか? 国内でそこそこまでいったのならともかく、ビルボード・チャートからみれば「まったく存在しなかった曲」が、イギリスくんだりでナンバーワンになろうが、せいぜい笑い話の種にされるのがいいところです。

ということで、いかにもスペクターにふさわしい、これ以上はないみごとな大コケをしたRiver Deep, Mountain Highは、よくあるように、勘違いが生んだフロップなのだと思います。

前々回のJust Once in My Lifeのところで書いたように、スペクターは自分のことを「天才」だと確信したのではないでしょうか。それも無理はないと思いますが、ヒット・チャートというのはそれほど甘いものではありません。スペクターはそういう下世話なことに気づくほどの所帯じみた感覚は持っていなかったのでしょう。

ポップ・ミュージックのリスナーというのは、天才なんかには洟もひっかけないものです。一般リスナーが上れる高さというのは青天井ではなく、じつはかなり低いところ、五合目すら怪しく、三合目ぐらいではないのでしょうか。これが抑止力となって、ポップ・ミュージックはお芸術への致命的堕落を免れているのです。これがないと、自称他称の「天才」がのさばって、クラシックやジャズのように、幻想の権威が幅を利かすことになってしまいます。売れなくても、いや、「売れないと」褒められるなんていう退廃的体質は、最悪の変質者を生む悪しき温床です。

スペクターは、自分が行くところなら、リスナーはどこまでもついてくると思ってしまったのでしょう。Lovin' Feelin'やJust Once in My Lifeぐらいまでなら、スペクター自身を満足させる高踏性、ハイ・ブロウな味わいと、一般リスナーの耳に魅力的に響く楽曲とアレンジが、うまくバランスをとっていました。それが、この二曲で「俺は天才だ」と思ったかなにかして、バランスが崩れたのだと感じます。

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フィル・スペクターが力を込めてつくったシングルだから、River Deep, Mountain Highは、上もののティナ・ターナーのヴォーカル・レンディションから、アール・パーマーを筆頭とするバンドのプレイにいたるまで、いずれも素晴らしい出来です。キャロル・ケイがいっていましたが、複数のベースがユニゾンでプレイするのはしじゅうのことだったけれど、この曲のベースは四本で、そんなことは後にも先にもこのときだけだったそうです。

たしかにすごいサウンドです。そして、わたしはすごいサウンドが大好きです。しかし、「すごいなあ」と圧倒される思いで聴いているときに、ふと、背中が寒くなるような感覚をおぼえるのはどういうことなのでしょう。

感覚的ないい方で恐縮ですが、フィル・スペクターは、いつだってリスナーを見下ろして音楽をつくっていたと思います。そこまでなら問題ありません。しかし、かつては、いかに人を見下ろそうと、音楽を見下ろすような態度はとったことがないのではないでしょうか。

ライチャウスの成功の結果、いろいろなことがバランスを崩したと感じますが、もっとも大きな変調は、スペクターがリスナーのみならず、音楽それ自体も自分より下にあるものと考えるようになったことではないか、などという妄想をしています。River Deep, Mountain Highのプロダクションには、「神の手つき」のようなものが見え隠れし、それが不快に感じられるのです。

いや、なんだかボロクソに貶しているみたいですが、そういうことではありません。フィル・スペクターの「人生最大の失敗作」ともなれば、たいていの人間の畢生の大成功作なんかよりよほど面白いし、音楽的な価値もあります。あらゆる分析に耐えうるものなので、イギリスではナンバーワンになった、などという世にも馬鹿馬鹿しいいいぐさで、この曲の失敗を簡単に片づける人間はみな正気ではないといいたいだけです。もう一度、スペクターがつくった音に向き合い、なにがあり、なにがないのか、微細に検討しなければいけないのです。

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再会したかつてのスペクターズ・アーミーの面々。右からアール・パーマー、ジャック・ニーチー、フィル・スペクター、ライル・リッツ、そしてハル・ブレイン。

いや、目下、当家はアール・パーマー特集のさなか、スペクターの畢生の大失敗のことはさておき、アールのプレイを見なければいけないのでありました。いや、基本的には、大ヒット曲の場合と同じで、音楽史に残る大失敗作のストゥールに坐っていたことそれ自体に「価値」があるのですがね。

And it gets higher day by dayとAnd do I love you my oh myのあいだのフィルインを筆頭に、これにつづくコーラスでのプレイは圧倒的です。こういう曲はやっていて楽しいでしょう。わたしは子どものころ、ロックコンボで叩いた経験しかありませんが、職業としてドラムを叩くなら、バンドの規模は大きければ大きいほど楽しいだろうと想像します。ドラムが活躍できること、という条件も導入すると、やはり理想はビッグバンドでしょう。「フィル・スペクター・オーケストラ」におけるアールは、プレイを楽しんでいると感じます。

最後に、じゃあ、イギリスではチャート・トッパーになったのはどういうことか、という説明をつけておきます。それは、日本でずいぶん遅れてヴェンチャーズがヒットしたように、フィル・スペクターのブームがくるのが、イギリスでは一歩遅れ、あのときがピークだったからです。ブームのピークにあるときは、クソもミソもいっしょに売れるものです。それだけの世にもくだらない単純なことなのだから、イギリスでのチャート・トッパーなんてことを持ち出して、River Deep, Mountain Highの歴史的大失敗の意義を読み取る努力を放棄する愚は、そろそろおしまいにするべきです。

◆ The Monkees - Tapioca Tundra ◆◆
右のリンクから行けるAdd More Musicには、モンキーズ・セッションの詳細なパーソネルがあるのですが、この曲は残念ながら不明とされています。AMMの木村さんが典拠とされたのはオリジナル・アルバムのストレート・リイシューのクレジットでしょうから、わたしは手元にあるボックスのパーソネルを見てみましたが、こちらもマイケル・ネスミスがリード・ヴォーカル(そんなことはいわれなくてもわかる!)と書いてあるだけで、バンドは不明になっていました。

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Tapioca Tundraはアール・パーマーの伝記のディスコグラフィーにはリストアップされています。こういう記録の空白を埋める証言はありがたいものです。アールがストゥールに坐ったということは、他のメンバーも、このアルバムのアールがプレイした他の曲と同じだと仮定してよいことになります(一回のセッションで複数の曲が録音される)。ということは、なかなか楽しいプレイをしているベースはマックス・ベネットなのしょう。ジョー・オズボーンにもキャロル・ケイにも聞こえないので、マックス・ベネットと措定してもわたしは矛盾を感じません。

アール・パーマーのプレイとしては、Sunshine, ragtime, blowing in the breezeあたりの全力疾走の16分の連打が聴きどころでしょう。テイク10ぐらいから、ふー、俺も年だぜ、とボヤきが入りはじめたのではないでしょうか!

◆ インターミッション変じて「アフターミッション」 ◆◆
このあいだ、数十年ぶりに『80日間世界一周』のオリジナルに再見したのですが、『2001年宇宙の旅』のように、「休憩」タイムがあって、ああそうだったっけ、でした。三時間を超えるような大作には、よくIntermissionがありました。90分というふつうの長さなのに、シャレで休憩が入るHelp!なんていう映画もありましたが!

スペクターのトラックを取り上げると、みなさんはどうか知りませんが、わたしはおそろしく消耗し、子どものころ映画館で見た「Intermission」の文字がよみがえります。あのころは元気いっぱいだったので、三時間だろうが、三時間半だろうが、画面を見つづけても一向に平気だったのですがね。

f0147840_2338390.jpgえーと、なんのための休憩かというと、休憩に目的があっては休憩ではなくなってしまいますが、それはさておき、お断りがあるからです。The Best of Earl Palmer その18に掲載したトラック・リスティングでは、ここにMission ImpossibleとIn the Heat of the Night、そして、ルー・ロウルズのDead End Streetがあったのですが、都合により、この三曲はオミットさせていただきます。

理由は複数あります。Mission ImpossibleとIn the Heat of the Nightに関しては、近々、べつの形で取り上げる予定なので、この特集からははずすことにしました。いや、どちらも非常に好きな曲なので、「現物」には予定通り収録します。たんに、記事としては別立てにするというにすぎません。重複を避けるための措置です。

ルー・ロウルズも「現物」には入れますが、ちょっとスピードアップして、今週中に終わるために、重要性の低いものは記事からカットしようという意図です。ルー・ロウルズ・ファンの方には、「どうかあしからず」と申し上げます。

あれ? 中途の休憩だったはずなのですが、もはやタイム・イズ・タイト、スペースもタイト、本日はこれにて擱筆と相成り候。残りは後日ということにさせていただきます。次回完結を目指してはいますが、はて、どうなることでありましょうか。


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by songsf4s | 2008-12-03 22:06 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その20

よその国の施策をとやこういうつもりは毛頭ないのですが、ヴェンチャーズの「カルカッタ」のときに書いたように、地名変更というのには困惑します。独立から何十年もたって、なぜそんなことを思いたったのか、その理由は寡聞にして知りませんが、インドはイギリス人たちが使っていた地名を修正することに決めたようで、もはやわれわれが子どものころに習った地理が通用しない国になってしまいました。

Calcuttaほど有名な曲ではありませんが、ムンバイならぬボンベイをタイトルにした曲もあります。やはりヴェンチャーズもやっていますが、わたしとしては「シャドウズの」といいたい、Bombay Duckです。たいした出来ではないのですが、最初に買った、そして、数カ月後に友人に貸したら紛失されてしまったシャドウズのLPに入っていたので、いまだになんとなく気が残っている曲です。

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ちなみに、ボンベイ・ダックとはどんな鳥かと思ったら、魚だそうで、干し肉をカレーに入れるのだとか。こういうのもやはり改称して「ムンバイ・ダック」になっているのでしょうかね。不便なことです。

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名詞というのはむやみに変更してはいけないものです。小説家は名詞をいかに使うかが勝負なのだと、たしか、三島由紀夫がいっていました。最近、某BBSで、母親殺しのドラマーを大々的に褒めている人間もいるじゃないか、詐欺でパクられた人間の作品だからといって、盤の発売を取りやめるのは筋違いだ、などとダシにされたのですが、テロリストの小説家も、小説が面白いとはいわないものの、この百年ぐらいでいうなら、最高の日本語使いのひとりだった、と大々的に賞賛しておきます。三島の上を行くのはただひとり、久生十蘭あるのみ。

ついでにいうと、わたしも、あのリリース中止は愚の骨頂だと思います。犯罪と音楽の価値のあいだに、いったいどういう関係があるのか、教えてほしいものです。いや、わたしはあのライター/プロデューサーがつくった音楽がいいとか悪いとかいっているわけではありません。どんな曲をつくったのかまったく知らない(タイトルをひとつあげれば百万円といわれても、やっぱりひとつも知らない!)ので、褒めたり貶したりする資格ははじめからないのです。たんに、犯罪は犯罪、音楽は音楽、まったくべつのことであり、レコード会社はもっと音楽に対して尊敬の念をもたねばいけないといいたいだけです。人間に対する尊敬も軽蔑も一切無用、でも、音楽だけは尊敬するのが、音楽で食べている人間の道というものでしょう。

えーと、なんの話だったか、ボンベイとムンバイ、カルカッタとコルカタのことでした。まあ、インド人にいわせれば、旧宗主国の人間が、自分たちが勝手にねじ曲げた地名をタイトルに使ってくだらない曲を書いただけのことで、それこそ、殲滅するべき過去なのかもしれません。日本だって、占領が終わったら、「アーニー・パイル劇場」なんて、あっさり元に戻しましたものね(有楽座か、日比谷劇場か、それともさらにべつの劇場のことだったか、忘れてしまったが)。

考えてみると、過去の由緒正しい地名を復活させること自体は、賛成できる考え方です。わたしの本籍地は東京都中野区千光前町というところだったのですが、ある日、葉書が舞い込み、千光前町はなくなった、今後は中野区中野×-×-×となる、と言い渡されました。おいおい、勝手に独り決めで他人様の本籍地の呼び名を変えるんじゃないぞ>中野区。

戦後、東京には汚らしくて惨めったらしい地名がたくさん誕生しました。なかでも無惨なのは千代田区外神田です。わたしの家は、江戸時代、あそこに店をもっていたので(時代劇では悪役と決まっている、「フッフッフ、おぬしもワルよのう、越前屋」といわれるその越前屋さんと同業の両替商。ほら、美女の帯をつかんでクルクルクルという、あの廻し技を家伝としている家柄、って、そんなことをやっていたらおたなは潰れるので、あれはテレビだけのお話。代官の子孫たちと相談がまとまったら、訴えてやるからな、テレビ屋ども!)、由緒正しい地名に戻さなければいけないと思っています。うーん、今日の枕は腰砕け。ムンバイけっこう、コルカタけっこう、ボンベイもカルカッタもゴミ箱に叩き込んでやれ、ついでに、千代田区外神田と中野区中野は即刻元に戻せ!

あ、そうそう、ここは音楽ブログ、ボンベイにはもう1曲、イッツ・ア・ビューティフル・デイのBombay Callingなんていうのもありました。例の印象的なジャケットのデビュー盤に収録されたもので、よく聴いたアルバムだから、こちらもそれなりに思い入れがあります。嗚呼、懐かしき哉、ボンベイ夕照、カルカッタ帰帆、近江八景およびその写しの金沢八景4分の1パクリでした。

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◆ Lou Rawls - Girl From Ipanema ◆◆
LPを引っ張り出して確認すればいいのですが、たしか、このライヴのときのアールの相方はジミー・ボンドで、ドラムとベースが協力して、いいグルーヴをつくっています。ドラムとベースの入りのタイミングがきれいにそろっているのが、また嬉しい! こういうところをキメてくれないと、思いきりコケます。

聴きどころは、ピアノ・ブレイクの裏での派手なプレイでしょうか。ニューオーリンズ時代にはよく使った、すこし早めのタイムによるフィルインを、久しぶりに聴くことができます。

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ルー・ロウルズという人はむやみに声が太くて、低いところにいったときなど、うっとうしく感じますが、アール・パーマーやらキャロル・ケイやらジミー・ボンドやらがプレイしているという縁で、しばしば聴いているうちに、まあいいか、と、声のことはうやむやにしてしまいました。考えてみると、本気でトラックを聴けば、上ものは自然に聞こえなくなるものですしね。

◆ Jackie DeShannon - I Can Make It With You ◆◆
この人の歌も、好きなんだか嫌いなんだかよくわからない、ということはつまり、早い話が、その、なんですな、少なくとも「好きなシンガー」ではありません。でも、ソングライターとしてはそこそこの曲を書いていますし、ハリウッド録音だから、例によってハル・ブレインだったり、アール・パーマーだったりするわけで、歌のことは「まあいいや」と、この人の場合もうやむやにしています。

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この曲も、ジャッキー・デシャノンの過度にパセティックなスタイルが気になって、ちょっと乗れないタイプなのですが、アールはいいプレイをしています。それなら、歌はよかろうがわるかろうが関係ないのです。

◆ Brenda Holloway - Where Were You ◆◆
不得意なシンガーがつづきましたが、この人は大丈夫、とくにアップテンポのときは好きです。Every Little Bit Hurtsは、スティーヴ・ウィンウッドが歌ったほうがいいと思いますが、ブレンダ・ハロウェイの歌がいけないということではなく、ああいう曲調だから、それに合わせた歌い方をするのではなく、中和するように歌うべきだと考えるにすぎません。

この曲もベースはキャロル・ケイでしょう。こういうイントロ・リックはお得意なので、譜面自体も彼女のものではないでしょうか。アール・パーマーのプレイがどうこうというより、楽曲とベースに惹かれて、うっかりアールのベストに繰り込んでしまったのでありました。

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あちこちに書いたことなのですが、ブレンダ・ハロウェイはモータウンLAが契約した地元のシンガーであり、デトロイトとはまったく無関係です。だからなのでしょう、彼女については、LA録音であるとモータウンも公式に認めています。ただし、彼女が1964年にはすでにモータウンから盤をリリースしているということは、モータウンがこのときすでに、LA録音をしていたという証拠になります。このへんのことをデトロイト主義者たちはどう処理するのか、一度うかがってみたいものです。

◆ The Supremes - I Hear a Symphony ◆◆
モータウン問題を研究しているさなかに、アール・パーマーの伝記が出版されるというアナウンスがあり、これは面白いことになったとおおいに期待しました。ところが、いざ出版されてみたら、モータウンに関する記述はごく僅少で、あれえ、どうなってるんだ、とコケました。アール・パーマー自身または著者のトニー・シャーマン、またはこの両者が、モータウン問題に深入りすることに及び腰だったということぐらいしか、わたしには説明のしようがありません。アール・パーマーはモータウンの多くのトラックでプレイしているはずなのです。

ほとんど無視され、わずかに巻末ディスコグラフィーにリストアップされたモータウンのトラックは、このベスト・オヴ・アール・パーマーではすべて取り上げています。しかし、マーヴィン・ゲイのHello Broadwayも、ブレンダ・ハロウェイも、モータウンのメインラインにはほど遠く、こういう曲をリストアップされても困るなあ、でした。

でも、このI Hear a Symphonyだけは、まさにモータウンのメインラインであるスプリームズの曲、それも正真正銘のビルボード・チャートトッパーです。ドラムとベース(CKさんでしょう)はいうまでもなく、さらにはヴァイブラフォーンやバリトン・サックスの使い方(ふつうならテナーを使うところでバリトンを使うのがモータウン・スタイル)にいたるまで、これぞ「オーセンティック」なモータウン・サウンドです。

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オーセンティックで思い出しました。なにかのセッションでのダレた時間帯のことです。突然、トミー・テデスコが立ち上がり、「オーセンティックなモータウン・サウンド」といって、1弦だけで「チッ、チッ」と2&4をプレイしたので、一同、爆笑したそうです。

いわれてみると、その種の「チンク」(chinkは「カチ」というオノマトペで、彼らは2&4のようにシンプルなギターのカッティングを「チンク・プレイ」またはたんに「チンク」と呼んでいる)は、たしかにモータウンの曲ではありふれています。じっさい、このI Hear a Symphonyにも2&4のチンクが入っています。

ただし、現実には、1弦だけで、ということはありません。そこがジョークのジョークたる所以で、このトミー・テデスコによるモータウン・サウンドの極端な単純化、戯画化がスタジオ・キャッツに馬鹿受けしたにちがいありません。

以上、キャロル・ケイが教えてくれた逸話でした。もちろん、ハリウッドのプレイヤーのほとんどがモータウンの仕事を経験していたから、トミー・テデスコのジョークが受けたのだ、というのが、キャロル・ケイがいいたかったことなので、そのへんを読み取っていただかないといけないわけでして……。

あと1曲ぐらいは書く時間があるのですが、つぎの2曲はセットとして並べてあるので、1曲だけというわけにはいかず、2曲まとめて次回まわしとさせていただきます。いやはや今日は眠くて眠くて、もうなにを書いているのかわからなくなりつつあるのでした。


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by songsf4s | 2008-12-01 23:54 | ドラマー特集