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The Best of Earl Palmer その19

写真を撮ってご覧に入れたら仰天なさると思うのですが、わがデスク付近は大正12年9月か昭和20年8月の東京のようなありさまで、まるで瓦礫の山、盤や本のありかは、もっぱらわたしの記憶力によってマッピングされているのですが、この記憶という代物が、近年、ひどい能力低下を来して、まったく頼りにならなくなりつつあります。

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寒くなったので、ヒーターのスウィッチを入れようとしたら、その付近にはボックスセットが数種と書籍が積み重なっていて、そいつをちょいとわきに寄せたと思いねえ、といきなり落語口調になってみました。寄せたおかげでヒーターのまわりにスペースができて、やれやれこれで凍え死なずにすむと安心したのもつかの間、このアール・パーマー特集でつねに参照していたアールの伝記が見あたらなくなってしまいました。

だから、整理整頓は敵だというのです。一度おいたら、動かさないことが肝要なのです。そこにあるかぎり、他人から見ればいかに混沌としていようと、いかに山が高くなろうと、当人は「その山の下にある」ことを知っているのです。でも、ちょっと動かした瞬間、震災か空襲にあったようなこの瓦礫の山では、二度とめぐり逢えない「君の名は」になっちゃうのでありましてな、いやまったくもって。

で、今日は64年から65年にかけての曲なのですが、どこから65年なのか、ちょっと自信がないので、まあなんだな、細かいことは抜きでな、だいたいそのあたりと思いねえ、なのですよ、ねえ八つぁん、およしよ半ちゃん、俺をだしにしねえでくれ。

◆ The Righteous Brothers - You've Lost That Lovin' Feelin' ◆◆
バリー・マンのWho Put the Bompみたいなもので、子どものころ、この曲のドラマーはいったいだれなんだろう、なんとしても名前が知りたい、この人に「あなたはすごい」と一言いいたいと思いました。それほど好きだったドラミングです。

いまのわたしは冷たい研究者なので、ゴールド・スター・スタジオの4本のEMI製プレート・エコーを、常識的限界を超えてジャブジャブに適用したからこそ、You've Lost That Lovin' Feelin'は圧倒的なドラミングに聞こえるのだということを知っています。

しかし、だからといってアールのプレイの印象が薄れるわけではありません。卓越したプレイヤーと、4本のエコーを直列で使える世に二つとない独特の録音環境(本家のアビー・ロードですら2本だったくらいで、狭いゴールド・スターに4本のエコーは分不相応だった。キャロル・ケイによると、1本はなんと婦人化粧室に食い込んでいたという。まあ、たしかにエコーというのは、水道管の親玉みたいな格好をしているのだが!)と、常識を弊履のごとく捨て去り、限界を超える強い意志をもった予見者的プロデューサーが揃ったとき、とんでもない音が誕生するのだ、とため息が出ます。

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アビー・ロードの2連プレート・エコー。ゴールド・スターにはこれが4本インストールされていた。

この曲こそがアール・パーマーの代表作だと考える人は多いことでしょう。マックス・ワインバーグもそのひとりらしく、アールへのインタヴューでこの曲におけるプレイについてきいています。

アールにとって忘れられないのは、ファースト・コーラスとセカンド・ヴァースのつなぎめのストップに、スペクターがなかなかオーケイを出さず、ものすごく時間がかかったことでした。You've lost that lovin' feelin', now it's gone, gone, gone, whoa, whoa whoaの直後、ストップ・タイムになり、ミューティッド・ギター(いや、ダンエレクトロか?)とベースが、Db-B-Ab-F#-E-Db-B-Abのスケールをまっすぐに降下していく箇所です。

この箇所についてスペクターが出した注文は、「テンポは変えずに、スロウダウンした感覚をつくれ」というものでした。うーむ、むずかしいことをいう……。てことは、バンド全体としては遅くなってはいけないのだから、あるパートだけを遅くすることによって遅延の感覚を生むしかないでしょう。

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そのつもりでギターをいっしょに弾くと、Db-B-Ab-F#-E-Db-B-Abの2音目のBは、異様にタイミングを遅らせていることがわかります。DbとBのあいだに16分休符をはさむぐらいのつもりで弾かないと、ものすごく早くBをヒットしてしまい、オッと、わたしとしたことがはしたない、とひとりで赤面することになってしまいます。

ほかには遅らせている箇所やパートはないので、この大遅刻のBだけで、レイ・ポールマンおよびもうひとりのベース(この曲ではキャロル・ケイはギターを弾いたといっているので、だれかべつのプレイヤー)はスペクターを納得させたのでしょう。詐欺みたいなものですな。まあ、駄々っ子のプロデューサーを黙らせるには、詐欺しかないでしょうけれど。

テンポを変えずに、といいますが、アール・パーマーがテンポを変えずに戻ってきたら、ベースがミスしたように聞こえるはずです。そうは聞こえないということは、アールのフロアタムは、本来のタイミングより微妙に遅く戻っているはずです。「はず」の連打などという無責任はやめて、断言したいのですが、繰り返しカウントしてみても、やっぱりよくわかりませんでした。たんに、ベースとドラムのタイミングが大きくズレれば、それとわからないはずがない、そう感じないのだから、アールも微妙に遅らせているのだ、と理屈をこねているだけです。

ともあれ、スペクターの重点はここにあったのであり、プレイヤーたちがいちばん苦労したのもこのストップなので、お持ちの方はそのつもりでもう一度お聴きあれ。楽器があるなら、ベースをなぞってみると、彼らがなにをしたかがよりいっそう明瞭になります。

f0147840_23563097.jpgマックス・ワインバーグは、So don't, don't, don't let it slip away以降の力強いI-IV-V進行のブリッジにおける、派手なフィルインの連発について、あれは譜面か、インプロヴか、と質問しています。アールのこたえは「もちろんインプロヴだ」でした。

たしかにここは素晴らしいフィルインの連続で、わたしが好きだったのも、このあたりの一連のプレイでした。いや、3:19あたりのストップにおける、タムタム、フロアタムのプレイ、このストップからの戻りのシンコペートした8分の3打の力強さも好きですが、この恐るべき響きは、アールのものというより、スペクターのサウンド・イマジネーション、ラリー・レヴィンの技術、ゴールド・スターの音響特性によるものというべきかもしれません。

アメリカ音楽史上もっとも重要な録音のひとつで、アール・パーマーは、わたしが終生忘れられないドラミングを展開しました。アールの曲をひとつだけあげなければならないのなら、わたしはYou've Lost That Lovin' Feelin'を選びます。

◆ Jan & Dean - Dead Man's CurveおよびThe Little Old Lady from Pasadena ◆◆
この時期、アール・パーマーとハル・ブレインは、世界でいちばん忙しいドラマーでした。ハル・ブレインによると、スケデュール表はびっしり埋まり、来週どころか、来月まで空きがないという状態だったそうです。したがって、ひとり押さえるだけでもたいへんなのに、ジャン・ベリーはつねに、アールとハルの双方をご所望でした。無理な注文のしからしむところで、通常の時間帯には不可能、録音はたいてい深夜から早朝の「時間外」になったそうです。

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結局、これが遠因となって、ジャン・ベリーはあの事故を起こしたのではないでしょうか。なんといっても、このとき、ジャンはまだUCLAの医学生で、大事な試験と仕事が重なることもあり、ハルは教科書をわたされ、ジャンに「模擬試験」をやってあげたこともあったといいます。当然、睡眠不足などいつものことで、それが「死者のカーヴ」での事故につながった可能性はあるでしょう。まあ、あんな歌をつくるからいけない、という験かつぎの方のご意見もございましょうが!

それはともかく、Surf City以来のハル・ブレインとアール・パーマーの「一心同体プレイ」も、パサディーナのおばあちゃんまでくると、いよいよ堂に入ってきます。あまり堂に入りすぎて、注意深く聴かないと、ドラマーが二人いることがわからないほどです。

それも道理で、ひょっとしたら、フロアタムのフィルインはハル・ブレインがひとりでやっているのかもしれません。明らかにアールのタイミングではなく、ハルのタイミングです。スネアのフィルは二人でやっていますが、フロアタムを重ねると響きが悪いと、ジャン・ベリーまたはドラマーたちが考えたのかもしれません。

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順番が逆になりましたが、「死者のカーヴ」のほうは、Surf City以上に深めのリヴァーブと人数の多さによるスケール感を追求したサウンドで、音のテクスチャーだけをいうなら、こういうスペクタレスクなほうがわたしの好みです。ドラムにも軽くリヴァーブがかかっていて、とりわけ、ダブル・キック・サウンドはけっこうな響きになっています。

ジャン・ベリーのためにいっておきますが、彼のこうしたサウンド作りがあったからこそ、ブライアン・ウィルソンのPet Soundsへの道が均されたのです。フィル・スペクターの強い影響下にあり、また、ボーンズ・ハウという傑出したエンジニアの協力があったとはいえ、それを差し引いても、ジャン・ベリーのサウンド・クリエイターとしての貢献は非常に大きいとわたしは考えています。

◆ Little Richard - Bama Lama Bama Loo ◆◆
ただの腐れ縁なのか、宗教と音楽を行ったり来たりして迷走していたリトル・リチャードが、また音楽の世界に復帰するにあたって、昔なじみがそばにいることによる安心感を求めたのか、この期におよんで、アール・パーマーはまたしてもリトル・リチャード・セッションのストゥールに坐ります。

それがリトル・リチャードの意思だったのだろうと思いますが、この曲でも基本的には1956年と同じ方向性、同じサウンドを目指しています。したがって、アール・パーマーも(きっと、「なんでいまさら」とボヤきつつ!)若いころのようなワイルドなドラミングを心がけています。

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けっして悪い出来ではなく、それなりに成功していますが(リズム・ギターのカッティングはジョン・レノンのサウンドを意識したのではないか?)、やはり、リチャードもアールも、あのときより年をとっているわけで、それがこういうタイプの音楽ではすこし邪魔になっているように感じられます。対象が自分自身であるとはいえ、所詮、コピーはコピーですし……。

しかし、わたしはあまり素直な人間ではないので、人がこのような苦しい状況に追い込まれたときこそ、見るべき価値のある何事かが起きる可能性が高いと考えます。この曲のアールについていえば、まじめに、真剣に若いときのプレイを再現しようとしていることに、プレイヤーとしてのアール・パーマーの美質を見ることができる、と感じます。

◆ The Beach Boys - Please Let Me Wonder ◆◆
マックス・ワインバーグに、あなたはビーチボーイズのトラックでプレイしたのか、と質問され、アールは、ほんの一握りだが、たしかにやった記憶がある、でも、どの曲かはきかないでくれ、覚えていないんだ、とこたえていました。

トニー・シャーマンによるアールの伝記のほうは、ワインバーグの本よりあとなので、AFMの書類を調べるか、アールのメモでも見つかったか、そういった事情のおかげでその後に判明したのでしょう、ディスコグラフィーにはこの曲がリストアップされていました。伝記を読んだときは、なるほどねえ、そうだったか、と思いましたよ。いわれてわかるんじゃ情けない、といつも思っているのですが、わからないときはやっぱりわからないのです。

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Please Let Me Wonderはビーチボーイズ・ファンのフェイヴァリットで、ファンダムの外ではあまり有名ではありませんが、この曲が好きだという年来のファンは多いでしょう。わたしは、ビーチボーイズ・ファンというより、ブライアンがリードをとる、きわめてプライヴェートでインティミットなロッカ・バラッドのファンなので、その方面の代表作であるこの曲は、当然ながら、ブライアンのベストテンに入れます。じつにもってチャーミングな小品です。

アール・パーマーとしては、あまり腕の見せどころのない曲で、しいていうなら、コーラスからインストゥルメンタル・ブレイクへのつなぎ目における、タムタムからフロアタムに流すフィルに「らしさ」が感じられるというあたりです。しかし、素晴らしい曲なので、大活躍しなくても、アールのベストに繰り入れてもまったく差し支えない、と強引に断じておきます。

バラッドというのは、こういう風にあっさり、軽やかに歌うことを理想とした時代にわたしは育ちました。その後、そういう精神はすっかり忘れられ、イヤッたらしく歌いあげるトンマなシンガーがのさばる時代になると、こういう曲はいっそう輝きを増します。

◆ The Righteous Brothers - Just Once in My Life ◆◆
ライチャウス・ブラザーズのフィレーズ移籍第2弾シングルで、これもトップテンに入りました。後年の目から見ると、アレンジ(前作同様ジーン・ペイジ?)とフィル・スペクターのプロデューシングはより精緻になり、仕上がりからいえば、こちらのほうを彼らの代表作とするべきかもしれません。

しかし、なんというか、Lovin' Feelin'のほうには、ある分野をはじめて切り開いたパイオニアとしての迫力、とでもいうしかないような、目に見えない力がこもっているように感じます。たとえば、Telstarのジョー・ミークによるオリジナルなどにも感じる、「評価」を超えたなにものかが音の向こうにあるのです。

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そういう前提のうえでのことですが、Just Once in My Lifeもやはり素晴らしいトラックです。コーラスでのリズム・トラックとヴォーカルとストリングスのからんだ響きなど、そんじょそこらで聴ける凡庸なサウンドとは、生まれつきリーグがちがいます。これだけのサウンドをつくってしまうと、つくった人はやはり、「俺は天才だ」と思うでしょうな。そう思ったときが瀬戸際なのです。いや、あと知恵でいっているだけなのですが。

楽曲としても、このJust Once in My Lifeのほうが、Lovin' Feelin'より好ましい出来です。Lovin' Feelin'は、スペクターのサウンドで聴かないと拍子抜けしてしまいます。つまり、カヴァー無用、カヴァー不可の曲です。それに対して、Just Once in My Lifeはカヴァーもそれなりに楽しめます。といっても、わたしは素直ではないので、アルバムPrice to Playに収録されたアラン・プライスのものすごく軽いレンディションとか、声がぜんぜん出なくなってしまったことに愕然とした、アルバム15 Big Ones収録のブライアン・ウィルソンのよれよれカヴァーとか、そういうのが面白いのですが!

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◆ Tim Hardin - Misty Roses ◆◆
エンディングは軽めの曲がよろしいでしょう。いや、スペクターに較べればの話で、けっして一山いくらの楽曲ではありません。ティム・ハーディンの代表作といえば、十人のうち六人はReason to Believeというでしょうが、二人ぐらいはこのMisty Rosesをあげるのではないでしょうか。わたしは少数派のほうです。いや、Reason to Believeも大好きなのですが、それ以上にこのMisty Rosesが好きなのです。

ドラムはサイドスティックでメトロノームをやっているだけで、これを「ベスト」といわれてもなあ、と泉下のアールが首をひねるかもしれません。でも、楽曲が好みだから、それでいいのです。たんなる文字だけの「ベスト」ではなく、「現物」をつくってお手元に届けるという趣旨の特集なので、こういう曲はチェンジアップとしても有効なのです。

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いま検索をかけたところ、わが家には、ヤングブラッズ、フィフス・ディメンション、サンドパイパーズ、ソニー&シェール、ジョニー・マティスのヴァージョンもありました。長年聴きつづけてきたからかもしれませんが、わたしがもっとも好きなのはヤングブラッズ盤です。

この曲が収録されたRock Festivalというライヴ盤は、地味なこのグループの盤のなかでもとくに目立たない、というか、だれからも相手にされていないアルバムのようですが、わたしはスクラッチだらけのLPをリップして、いまだによく聴いています。

ジェシー・コリン・ヤングの声に合った曲調ですし、ヤングのアコースティック・ギター、バナナのピアノ、ジョー・バウアーのブラシだけでも、サウンドが弱いとは感じないタイプの楽曲なので、この時期の彼らのよい面だけがあらわれ、弱点は露呈せずにすんでいます。

ヤングブラッズやジェシー・コリン・ヤングがお好きなら(そしてバナナのピアノが好きだという、わたしと同類の変わった趣味をお持ちなら)、世間の評判などは気にせず、この盤も入手なさるべきでしょう。出来の悪い曲も多いのですが、It's a Lovely Day、On a Beautiful Lake Spenard、そしてJosianeといった佳曲も収録されています。

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by songsf4s | 2008-11-27 23:56 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その18

前回は、事前のリストアップなしで1964年のトラックに入ってしまったので、今後予定しているトラックのリストを以下に掲げます。例によって予告なく変更する場合があります、って、それほど大げさなもんじゃござんせんが。

41. Sam Cooke - Shake
42. The Kickstands - Hill Climb
43. The Kickstands - Side Car
44. Glenn Yarbrough - Baby the Rain Must Fall
45. The Ronettes - Born to Be Together
46. The Righteous Brothers - You've Lost That Lovin' Feelin'
47. Jan & Dean - Dead Man's Curve
48. Jan & Dean - The Little Old Lady from Pasadena
49. Little Richard - Bama Lama Bama Loo
50. The Beach Boys - Please Let Me Wonder
51. The Righteous Brothers - Just Once in My Life
52. Tim Hardin - Misty Roses
53. Lou Rawls - Girl from Ipanema
54. Jackie DeShannon - I Can Make It with You
55. Brenda Holloway - Where Were You
56. The Supremes - I Hear a Symphony
57. The Righteous Brothers - (You're My) Soul and Inspiration
58. Ike & Tina Turner - River Deep, Mountain High
59. The Monkees - Tapioca Tundra
60. Lalo Schifrin - Mission Impossible
61. Ray Charles - In the Heat of the Night
62. Lou Rawls - Dead End Street
63. Brenda Holloway - You've Made Me So Very Happy
64. Jackie Wilson with Count Basie - Even When You Cry
65. The Monkees - It's Nice to Be with You
66. Michael Nesmith - You Just May Be the One
67. Ray Charles - Eleanor Rigby

これで終わりというわけではなく、すくなくともさらに数曲は追加するつもりなので、あと30曲以上、ひょっとしたら40曲はやらねばならないようで、うひゃあ、です。

◆ Sam Cooke - Shake ◆◆
アール・パーマーのプレイだと知るずっと以前から、イントロのドラム・リックが大好きでした。タムタムとフロアタムのプレイと響きもまことにけっこうなのですが、いきなりロールで入るところが素晴らしいアイディアであり、プレイとしてもきれいです。

ShakeはTwistin' the Night Awayの直系の子孫で、サム・クックのタッチが時代遅れになっていなかった証左であり、これが最後のシングルとは、そりゃあんまりじゃありませんか、ねえ旦那、とヨヨと泣き崩れてしまいます。どうせ芸能人、世にサム・クックありと知られた稀代の女蕩し、私生活なんてどうでもいいのですが、でも、殺されるような情事はするなよ、って、いまさら手遅れですが。

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だれのアイディアか、ギターがちょっとスタックス風、つまりスティーヴ・クロッパーのようなプレイをしていて、その点もこのトラックのきわめてコンテンポラリーな味わいに寄与しています。オーティス・レディングのカヴァーも有名ですが、やっぱり、オリジナルには三歩下がって師の影を踏まずです。

Twistin' the Night Awayのときに、うっかりShakeと混同して、アブコの悪辣な商売を罵倒するというフライングをやってしまいましたが、こんどはまちがいなく、アブコが汚い手を使った曲です。ボックスからオミットしてしまったのです。You Send Meがバラッドの代表作なら、Shakeはアップテンポの代表作ですよ。そういうものをボックスからオミットするのだから、悪辣で知られた音楽業界にあっても、常識はずれの悪辣さです。

◆ The Kickstands - Hill ClimbおよびSide Car ◆◆
サーフ・ミュージックはほとんどハル・ブレインの一手販売の感がありますが、アール・パーマーも多少はやっています。キックスタンズは、安上がりやっつけ企画盤の王者ゲーリー・アシャーの「またかよ」です。

したがって、いいだの悪いだのとゴチャゴチャいうようなものではないのですが、アール・パーマーのプレイが素晴らしいおかげで、どうにかなってしまっています。これだから、アシャーのような音楽的才能のない業界ゴロでも、つぎつぎといい加減な企画盤をつくっては小銭を稼げてしまうわけですな。

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アール・パーマー以外のメンバーは、この時期のハリウッドとしては、とくにすごいわけではなく、ギターもサックスもベースも格別面白くはないのですが(ジェリー・コールのピッキングは好みではないし、サックスも、スティーヴ・ダグラスよりプラズ・ジョンソンのほうが好き)、とにかく、ドラムだけは聴きどころ満載で、ここにあげた2曲以外にも、いいプレイがたくさんあります。

Hill Climbは、スネアで16分を叩きながら、アクセントをつけるという、ドラマーとしてはときおり必要になるタイプのプレイですが、アールはもちろん、この副次的基本技をじつにきれいに、そして素晴らしくホットにやっています。

Side Carは、フランク・キャップのティンパニーとの「デュオ」でボー・ディドリー・ビートをやったところがじつに愉快。おおいに楽しめます。フィルインに失敗がなく、この日のアールは非常に調子がよかったにちがいありません。この種のチープな「またかよ企画」では、ちょっとミスったからといって、リテイクさせてくれるわけではないので、ミスなしでやっておかないと、チョンボもそのまま盤にされちゃう憂き目を見るのです。

◆ Glenn Yarbrough - Baby the Rain Must Fall ◆◆
スティーヴ・マクウィーン主演の同題映画のテーマです。これはいろいろゴチャゴチャとからまって、一時はヴィデオの入手や疑問点の解明に一騒ぎやらかした、曰くつきの曲です。

f0147840_23595916.jpgスティーヴ・マクウィーンの役柄は、売れないカントリー歌手で、なんと申しましょうか、昔のクリシェを援用すれば、「魂の彷徨」といった話でした。で、劇中、当然ながらうたうシーンがあり、バンドがつくわけですが、ドラムがハル・ブレイン、ギターがグレン・キャンベルと、スタジオそのままの豪華メンバーが小さなバーに出演します。グレンは知りませんが、ハルは俳優組合にも所属していて、エルヴィスの映画などにも出演しています。それをいうなら、アール・パーマーも映画に出演したことがありますし、ビリー・ストレンジも「ローハイド」に出たことがあります。これまた、ハリウッドという土地柄のおかげです。

これで終わっていれば話は簡単だったのですが、まだ続きがあります。この曲がハル・ブレインの回想記に付されたディスコグラフィーにリストアップされているいっぽうで、アール・パーマーのディスコグラフィーにも入っているのです。こういう場合、ふつうはどちらかがトラップで、どちらかがパーカッションというパターンが多いのですが、この曲は、わかってみれば、そういうことではありませんでした。

じっさいにトラップに坐って音を出したのはアール・パーマーです。サントラ全体がそうだとは断言できませんが、すくなくとも主題歌のBaby the Rain Must Fallは、アールのプレイです。では、ハルはなにをしたかというと、どうやら、音は出さなかったようなのです。つまり、俳優として、プレスコの音に合わせてドラムを叩くふりをしただけなのに、ディスコグラフィーに繰り入れてしまったようなのです。しかも、音とふりがぜんぜんシンクしていないんだから、おいおい、ですよ。

これでもまだ終わりではないのです。スティーヴ・マクウィーンは歌が苦手だったようで、劇中の歌(いや、主題歌はグレン・ヤーブロウの歌だから、無関係だが)は、べつのシンガーによるものです。そのシンガーが、なんとビリー・ストレンジだったのです。

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これだけいろいろあると、現物を見ないわけにはいかなくなり、どうにかこうにかVHSを手に入れました。しかし、うーん、どうだろうか、でした。怒り狂うような出来ではないのですが、デッド・シリアスなドラマなのです。「知り合い」がいっぱい出ている、というお祭り騒ぎの気分で楽しむには似つかわしくない作品で、もっとノーテンキな映画だったらよかったのに、でした。スティーヴ・マクウィーンも、べつに嫌いではないのですが、この映画にはミスキャストじゃないでしょうか。前から見ても後ろから見ても、シンガーには見えませんでした。

ゴチャゴチャいろいろありましたが、アールはいいプレイをしています。ダブル・タムのどちらかいっぽうが深くていい音で録れているおかげで、味わいがあります。

◆ The Ronettes - Born to Be Together ◆◆
アールは、すでにテディー・ベアーズのアルバムのときからスペクターの仕事をしています(何回か前の記事に書いたように、To Know Him Is to Love Himはサンディー・ネルソンのプレイ)し、スペクターズ・スリー、なんていってもスペクター・ファンしか知らないスタジオ・プロジェクトですが、そのときにもストゥールに坐っています。

しかし、スペクターがニューヨークに見切りをつけ、ハリウッドに腰を据えて、フィレーズのリリースを録音するようになって以降、1年半ほどはすべてハル・ブレインのプレイでした。クリスタルズのHe's a Rebelにはじまって、クリスマス・アルバムにいたる時期です。

ロネッツの初期のヒットはみなハルのプレイなのですが、ほかの仕事をキャンセルしろというスペクターの要求を拒否したために、以後、ハル・ブレインはスペクター・セッションから「パージ」されてしまい、かわってアール・パーマーがドラム・ストゥールに復帰します。

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ロネッツに関しては、アールはすでにYou Babyからストゥールに坐っていて、曲としてはこちらのほうが好みなのですが、ドラムは活躍しないので、ここではアップテンポで、派手な展開のBorn to Be Togetherのほうを選びました。この曲もなかなかけっこうで、冒頭のロニーのレンディションなど、Be My Babyとは異なる、「大人の魅力」があります。

もちろん、アールのプレイ自体もすごいのですが、やっぱりスペクターはすごいと、ため息が出るサウンドでもあります。圧倒的にドラマティックなドラム・サウンドを得るために、ほかの楽器をリヴァーブで潰してしまうのを恐れなかったのではないか思うときがあるほどです。ハル・ブレインもアール・パーマーも、スペクターのときがもっとも印象に残るプレイをしています。

で、そのフィル・スペクター=アール・パーマーの代表作の話は、当然、本腰を入れて書かねばならないのですが、本日は時間切れなので、次回にさせていただきます。


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by songsf4s | 2008-11-21 23:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その17

お寒うございます。南関東のなかでも温暖なことで知られる当地でも、今日は昨日よりさらに冷たい烈風が吹きすさび、わが家の「外猫」であるクロは、「これが男の生きる道」の「福神漬けヴァース」での植木等みたいなショッタレた顔をして、クシュン、クシュンといいながら、鰺の残り物をしっかり食べ、愚痴は言うまい、コボすまい、という背中の演技で去っていきました。

前々回でふれた、エルヴィン・ジョーンズ=アール・パーマーのドラム・ソロのヴィデオに対するコメントというのを、かなり下のほうまで読んでみました。何人か、これはアール・パーマーがあとからオーヴァーダブしたものであり、エルヴィン・ジョーンズのプレイではない、といっている人がいます。

その直後には、「まさか、そんなはずはない」などという否定のコメントや、「わたしもアール・パーマーの伝記でそのことを読んだ」といった支持のコメントがあるものの、バックログなど読まない人が大部分なので、結局、エルヴィン・ジョーンズはすごい、という話に戻ってしまうのが、笑えるというか、哀れというか、世の中はいずこも同じトラジ・コメディー、『アルジャーノンに花束を』みたいなもので、一瞬だけ利口になって、あとは白痴の一生です。われわれの世界を象徴していますな。

◆ Nino Tempo & April Stevens - Deep Purple ◆◆
ここから63年の楽曲に入ります。

当家では、この大ヒット曲についてすでに、Deep Purple その1その2その3と、3回にわたって詳述しています。その1は歌詞を読むだけで終わっていて、ニーノ&エイプリル盤については、おもにその2で書いています。

ニーノ・テンポの回想では、この曲は予定になかったもので、あまった時間を利用し、その場のヘッド・アレンジで、ほんの短時間で録音したということになっています。この種の話は、わたしはそのまま買わないようにしていますが、たいした時間がかかっていないというのは、たしかにそのとおりだろうと思います。

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管や弦とは異なり、リズム・セクションというのは、ふつう、自分のパートは自分でアレンジすることになっています。リハーサルのあいだにそれぞれのプレイをまとめていき、譜面を固定するのです。ドラムの場合、ベーシックなリズム・パターンからはじめて、個々のフィルインも、たいていの場合は固定し、譜面にしたようです。すくなくともハル・ブレインは、いつも自分で書いた譜面に忠実に従ってプレイしたといっています。

リハーサルのあいだに自分のパートをアレンジする、という時間の使い方ができなかった場合、どうしたってフィルインは僅少、もっぱらベーシックなリズム・パターンを繰り返すだけになる可能性が高いでしょう。Deep Purpleのアール・パーマーはそういうプレイをしています。

こういうトラックはドラマーの代表作にあげるべきではないかもしれませんが、毎度申し上げるように、スタジオ・プレイヤーの場合、大ヒット曲のストゥールに坐った実績は大事ですし、わたしはニーノ&エイプリルのDeep Purpleが大好きなのです。

◆ Jan & Dean - Surf CityおよびDrag City ◆◆
1962年は「アール・パーマーの年」でした。心技体ともに充実し、大ヒット曲、大物シンガーのセッションが相次ぎ、代表作といえるものがたくさん生まれました。

それに対して、1963年はハル・ブレインの年です。正月早々にSurfin' USAを録音したことが、この年のハル・ブレインを象徴しています。これを皮切りに大ヒットにつぐ大ヒットで、60年代に入ってからじわじわとスタジオで活躍するようになったハルが、ついにトップに立ったのがこの年でした。

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同じ土地で、ほぼ同系統の分野で仕事をしているのだから、ハル・ブレインとアール・パーマーは何度も同じセッションでプレイしています。しかし、ハーブ・アルパートのThe Lonely Bullボビー・ヴィーのThe Night Has a Thousand Eyesで書いたように、ふつうはどちらか(62年まででいえばアール)がトラップに坐り、もう片方(62年まではハル)はティンパニーなどのパーカッションをプレイしました。このアール・パーマー特集では取り上げませんが、64年のマーケッツのOut of Limitsでは、立場が逆転して、ハルがトラップに坐り、アールがティンパニーにまわります。

62年まではアールが主役、64年からはそれが逆転、では、その中間の63年は、白か黒かどっちなのか? じつはオレオ・クッキー状態、つまりアールとハルの両方がトラップに坐った、キングの揃い踏みとなるのです。いや、むろん、ジャン・ベリーの意図はキングの揃い踏みを聴かせるなんてことではないのですが、後年の目で見ると、ちょうど潮目が五分五分の時期なので、思わず、これぞ天の配剤、といいたくなります。

何度か書いていますが、わたしはダブル・ドラムがあまり好きではなく、好みのドラマーが揃い踏みをしたこのSurf Cityについても、タイムのズレが気になる瞬間があります。しかし、ジャン・ベリーが意図した厚み、奥行きということでいうと、冒頭のダブル・キック・ドラムの響きは、なるほどと思います。

初期のブライアンはサウンド作りにすぐれていたわけではなく、たとえばSurfin' USAの音はまだまだなっちゃいないと思います。この時点では、ジャン・ベリーのほうがブライアンよりずっとサウンドに対する理解と想像力が豊かで、リヴァーブをうまく使ったスケール感のある音をつくっています。まあ、リヴァーブは、この曲でも卓に坐ったであろうボーンズ・ハウのおかげかもしれませんが、そこにいたる以前の、楽曲、楽器編成、アレンジ、サウンドの方向性はジャン・ベリーのものでしょう。

サーフィンのつぎは、その陸のカウンターパートであるドラッグ・カーをテーマにしたDrag Cityで、ジャン・ベリーは再び大ヒットを得たわけですが、アールとハルのプレイについていえば、わたしはこちらのほうがスムーズに感じます(楽曲としてはSurf Cityのほうがずっと好みだが)。

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しかし、どちらの曲も、「よくやるよ」というプレイです。なにしろ、ジャン・ベリーが望んでいたのは、二人のドラマーの大活躍ではなく、ドラムの音を厚くすることだけだったので、ハルとアールは、まるでひとりのドラマーであるかのようにプレイしなければならなかったのです。リハーサルのあいだに、どこに、どのようなフィルインを入れるかを二人が相談し、これでよしと譜面が固定したら、以後、二人はまったく同じプレイをしました。

ふつうはなかなかきれいに揃うものではありませんが、そこは二人とも筋金入りのプロ、きっちりしたプレイをしています。「まるでひとりのドラマーであるかのようにプレイする」ことが肝要だったわけですが、どちらのほうがより一体感があるかといえば、Drag Cityのほうでしょう。

以上で63年の楽曲を終わり、以下、64年の録音へと進みます。

◆ Marvin Gaye - Walk on the Wild Side ◆◆
60年代のマーヴィン・ゲイというのは、じつに可哀想だと思います。それがこの業界のつねとはいえ、これほど会社にいじられて、キャリアを迷走させられたアーティストはめずらしいのじゃないでしょうか。

63年にはPride and Joy、Can I Get a Witnessというヒットが生まれているのですが、決定的な大ヒットにはなっていません。それがまずかったのでしょう、64年には、この時期のモータウンの最大のスターだったメアリー・ウェルズの引き立て役として、デュエットの相方を仰せつかっています。

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その後、How Sweet It Is、I'll Be Doggone、Ain't That Peculiarなど、単独でヒットを連発するのですが、ちょっとヒットが途切れると(One More Heartacheのフロップが痛い。わたしはこの曲が好きなのだが)、またぞろ、こんどは格下のタミー・テレルとデュエットを組まされ、まるで山内賢と和泉雅子の扱い。つまり、ひとりではダメ、ふたリセットでやっと一人前と烙印を押されてしまいます。

こうなると悪い循環に入って、I Heard It through the GrapevineやToo Busy Thinkin' 'bout My Babyの大ヒットすら、ほとんど「なかったこと」のようなありさまとなり、シーンから消えかかったところで、What's Goin' onの大ヒットによって、70年代的な「ブラック・シンガー・ソングライター」として、起死回生を果たします。こうしてみると、不運だけれど、ガッツのあるシンガーだったとつくづく思います。ふつうなら、どこかでグレちゃったでしょう。Let's Get It onのころは、ここまで来られたか、と感無量だったでしょうね。

Walk on the Wild Sideもまた、マーヴィン・ゲイの「モータウンの色物芸人」時代の録音です。スターのお相手という音楽的ジゴロをやらされるいっぽうで(スプリームズのメアリー・ウィルソンは、自伝のなかで、若いころのマーヴィン・ゲイのことを、あれほど美しい男はほかに知らないといっている。つまり会社の扱いは「そういう存在」であり、「色子」だった)、たとえばナット・コール・ソングブックのような企画盤をやらされています。Walk On The Wild Sideは、もうひとつの企画盤、ブロードウェイ・ミュージカルのカヴァー集であるHello Broadway収録のものです。

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マーヴィン・ゲイとしては、自分のカタログから抹消したいような盤でしょうが、アール・パーマーのドラミングとしては、シナトラのSinatra and Swingin' Brassと同じような方向性で、派手なプレイを楽しむことができます。

モータウンが早い段階からLA録音をしていたことは、いまだに「常識」ではないのかもしれませんが、キャロル・ケイは63年か4年からモータウンの仕事をしているといっています。アール・パーマーも、もっとほかにモータウンの大ヒット曲でのプレイがあったはずですが、伝記では言及されていません。音楽界、芸能界は暴力の世界でもあることを思い出さざるをえません。実情をありのままにいうことをためらわせる、なんらかの事情があったのでしょう。

残る64年のトラックは次回にふれさせていただきます。


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by songsf4s | 2008-11-19 23:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その16

2008年11月18日追記
大いなる勘違いがあったため、サム・クックのベース・プレイヤーに関する記述を修正しました。


前回の記事で、ナット・キング・コールのRamblin' Roseのセッションに関する当方の記憶にあやふやなところがあり、仲間内に助けを求めたところ、前回の記事のコメントにあるように、オオノさんがわたしが探していた典拠を発見され、その部分をDVDから吸い出して、You Tubeにアップしてくださいました。それが以下のシークェンスです。



先日のわたしの記述は大筋で合っていたのですが、勘違いもありました。最初のアレンジではペダル・スティールが使われていたのを、ビリー・ストレンジの提案でギターに変更した、と書いたのですが、そういうことではなかったようです(考えてみると、これでは非常に危険な提案になってしまう。現場でそんなことをいったらケンカになるだろう)。

元のアレンジは不明で、とにかくうまくいかず、カントリー・スティール・ギターを加えようとビリー・ストレンジが提案し、これが座礁しかけたセッションを救い、ナット・コールに最後のトップテン・ヒットももたらした、ということでした(つまり、結局はスティール・ギターの代用として、ボスがフェンダーでカントリーっぽいオブリガートを入れたということ)。

このナレーションで、ビリー・ストレンジがネジを巻き上げ(wind up)、つまり、本気になり、セッションをtake over=乗っ取る(というか、わたしは品のない流行り言葉はあまり好かないが、テレビ屋から出て80年代に一般に広まった「仕切る」のニュアンス)という表現が出てきますが、アールは、ビリーはそういうタイプの奴だと伝記のなかでいっています。そういう意味でも「ボス」なのです。

スタジオのなかには、人種差別や性差別はなかったそうですが、だからといって、仕事を離れて、白人プレイヤーと黒人プレイヤーが親しくつきあうようなことは、当時はなかったとアールはいっています。つねに一線があったのだそうです。

キャロル・ケイは、アールとはじめて仕事でいっしょになったときに、走っているぞ、と注意され、それが恥ずかしくて、メトロノームを相手に必死にタイムを矯正したそうです。だから、若いプレイヤーに注意するのは義務と心得、ジョン・グェランが走っているのを指摘したら、猛烈に腹を立てられて驚いたといっています(グェランはあとで謝罪し、指摘に礼をいったという。でも、キャロル・ケイのように、必死にタイムの矯正などしなかったことは、その後の彼のプレイを聴けばはっきりわかる。それとも、矯正の努力はしたのに、ぜんぜん改善しなかったという情けない話なのか?)。

なんの話をしているかというと、人種差別と性差別のことです。アールは、キャロル・ケイが女性だから、「走っているぞ」と注意を与えたのではないでしょうか。もしも相手が白人の男だったら、トラブルを招く危険は犯さなかったのではないかと考えます。

そして、ジョン・グェランが、たとえば、ビリー・ストレンジに、「フィルインで喰ってるぞ、もっとリラックスしろ」とキツくいわれたら、なんせ、相手は名にし負う大男のカウボーイ、腹を立てずに、じっと耐えて、指示に従おうと努力したのではないでしょうか(グェランには正確なフィルインなど金輪際叩けるはずがないので、どちらにしろ無意味な努力)。女性に指摘されたから、腹を立てたのだろうと想像します。

わたしはしばしば、音楽を聴いていて、その場に自分がいたらどうだろう、と想像してしまうオッチョコチョイです。音楽も、人間たちの日々の小さなドラマが積み重なって生みだされているのだから、現場の人々のありように想像力を働かせるのも、まんざら無駄ではなかろうと思うのですが、どうでしょうかね……。

◆ Sam Cooke - Twistin' the Night Away ◆◆
今日はあまり時間がとれなかったので、1962年の曲をひとつだけ補足しておきます。その11の記事にあげた楽曲リストに入れ忘れてしまったものです。

f0147840_23524257.jpgあと知恵にすぎないのですが、1964年にすでに完結しているサム・クックのキャリア全体を見渡すと、このTwistin' the Night Awayは、大きなポイントになる曲であり、サウンドだったと思います。リリース順に聴いてくると、この曲で、やった、ついに金脈を掘り当てた、と手を叩いてしまいます。この路線があれば、ビートルズ旋風もイギリスの侵略も楽々と乗り切ったはずだ、と感じます。残念ながら不慮の死を遂げてしまい、結果は確認できないのですが、没後リリースが1965年にヒットしたことから、この路線は有効だったのではないかと想像できます。

じっさい、1962年という時期を考えても、サム・クックがR&Bシンガーではなく、メインストリーマーであることを考えても、このTwistin' the Night Awayの重めのビートは異例といっていいほどです。そして、この曲がトップテンに到達したのも、いま聴いても古びて聞こえない理由も、その重さ、強さにあります。この重さ、強さを生んでいる最大の要素は、イントロから大活躍するアール・パーマーのタムタムのハードヒットであり、ベースのプレイです。

サム・クックのボックス、The Man Who Invented Soulには、抜けはあるし、ひどく読みにくいものの、とにかくパーソネルが書かれていて(こういう「自分で解読しなさい」というパーソネルほど腹の立つものはない)、Twistin' the Night Awayのベースはジョージ・カレンダーとなっています。もちろん、レッド・カレンダーのことです。アールのみならず、レッド・カレンダーのソリッドなプレイも、この傑出したトラックの素晴らしいグルーヴを形成する大きな要素になっています。

これでようやくのことで1962年を完了し、次回は変化の年、1963年へと進みます。
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by songsf4s | 2008-11-16 23:59 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その15

また当家のお客様の話ですが、The Best of Earl Palmer その6にコメントを寄せられたkinoshitaさんが、そのときにお書きになっていたように、アール・パーマー伝を再開されました。

どちらかというとブラック・ミュージックのほうがお好みらしいkinoshitaさんが、ハリウッドの白いポップをどう扱われるかを楽しみにしております。ニューオーリンズR&Bを体現したドラマーが、ハリウッドでなにを見たかを追体験するには、わたしよりいい位置にいらっしゃるのではないでしょうか。

◆ Ray Charles - I Can't Stop Loving You ◆◆
本日は前回に引き続き、1962年の楽曲です。ここからの4曲は、アール・パーマーがハリウッドのドラマーの重鎮となったことを示すものといえるでしょう。

f0147840_0144445.jpg重鎮ともなるとアクロバティックなことはしない、というわけでもないのですが、ネーム・ヴァリューで仕事ができるようになるわけでして、この曲なんか、だれが叩いたってたいしたちがいはない、といいたくなるほど、ドラマーにとっては腕の見せどころのない代物です。しかし、このように、リリースのときからすでにクラシックの香りがしているトラックというのは、やはり若造にはうまくできないわけで、「そこにいてくれるだけでいい」重鎮の仕事にならざるをえないのです。

メトロノームかリズム・ボックスかというプレイで、ドラミングとしては面白くないのですが、大物シンガーの大古典というだけの理由で取り上げました。

(右の写真は、ライノから出たレイ・チャールズの5枚組ボックス、Genius and Soulの外箱。実物はきれいなのだが、スキャンすると、なにがなんだかわからなくなってしまう。ジュウェル・ケースも黒いプラスティックに金でピアノが描いてあるという凝りようで、なんなのこれは? だった)

◆ Nat King Cole - Ramblin' Rose ◆◆
これはわたしひとりのことではないと想像するのですが、前掲レイ・チャールズのI Can't Stop Loving Youと、このナット・コールのRamblin' Roseは、わたしの頭のなかでは、半分重なるほどのすぐ隣同士の場所にしまいこまれています。わたしがはじめて盤を買うのは1963年のことなので、この時期にはまだろくに音楽を聴いていませんでしたが、この2曲はどこにいっても流れていた大ヒット曲でしたし、どちらも「生まれたそのときから古典」でした。両者とも超がつくほどの大物ブラック・クルーナーであり、リズムも似ているということも、重なっています。

f0147840_0213648.jpgもっとも大きな違いは、Ramblin' Roseのほうは全編にギターのオブリガートが配され、その分だけ、いくぶんかモダーンな味わいがあることでしょう。記憶が薄れてしまい、今回調べなおしても、典拠を発見できなかったのですが、このギターをプレイしたのはビリー・ストレンジ御大でした。それを知ったときに聴き直そうとしたら、盤が見あたらず(いまだに発見できない!)、それきりで忘れてしまったのですが、その後、わきからファイルをいただき、まじめに聴いて、いわれなくてはわからないのでは情けないと思いつつ、なるほど、いかにも初期ヴェンチャーズのリードギタリストのプレイだと納得しました。ヴェンチャーズがこの曲をカヴァーしたら、ナット・コール盤と同じようなオブリガートを入れたにちがいありません。

いま、ボンヤリと記憶がよみがえってきたのですが、ビリー・ストレンジとRamblin' Roseの話は、ボスの70歳を記念してつくられた私家版DVDで紹介されていたものだったような気がします。それなら、文字の資料をひっくり返しても見つからなくて当たり前です。たしか、ビリー御大がアレンジの変更を提案した、といったエピソードだったように思います(ミニMLの諸氏にお願い。どなたかこの記憶を訂正するなりコンファームするなりしてください)。あいまいな記憶をもとにして書くと、最初はペダル・スティールでオブリガートを入れていたけれど、ボスの提案でギターに変更した、といったことだったのではないかと思います。

f0147840_023257.jpgわたしの記憶が合っているにせよ、間違っているにせよ、いま聴いて、このギターのオブリガートはじつに心地よく、同じような位置にあるクラシックとはいえ、I Can't Stop Loving Youより、Ramblin' Roseのほうが、わたしには数段好ましく思えます。

いろいろ書いたくせに、アール・パーマーのことが出てこないのは、もうおわかりであろうように、この曲でもアールは軽くブラシを入れているだけで、メトロノームに徹しているからです。I Can't Stop Loving YouとRamblin' Roseという、その年を代表するばかりでなく、時代を超えて二人の超大物シンガーの代表曲とされるものに、立てつづけに参加したという、その事実それ自体が、このときのアール・パーマーの地位を雄弁に語っているのです。そんなことはありえないのですが、仮にハリウッドの大物コントラクター十人を一堂に集め、来週、莫大な費用をかけた大セッションをおこなう、金に糸目はつけない、最高のメンバーを集めろ、とコンペをやったとすると、おそらく十人のうち七人までは、ドラマーはアール・パーマーとしたでしょう。まさにキングだったのです。

◆ Frank Sinatra - Goody GoodyおよびPick Yourself Up ◆◆
二曲とも、Sinatra and Swingin' Brassというアルバムからのものです。Goody Goodyはアルバム・オープナー、Pick Yourself Upはクローザーです。どちらかに絞り込もうと思ったのですが、迷いに迷っていまい、そんなことに時間を使うぐらいなら、両方とも取り上げて手間を省こうと思い直しました。

ここにこの曲をもってきたのは、すでにおわかりのように、超大物メインストリーマーの揃い踏みをやろうという意図なのですが、レイ・チャールズやナット・コールとは異なり、このシナトラの二曲には、ドラマーとしての「実質」があります。すごいプレイなのです。

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わたしの好みからいうと、モダン・ジャズのドラミングというのは退屈で、ロックンロール以前の時代では、ドラムが面白いのはビッグバンド・エラです。ハル・ブレインが典型なのですが、ビッグバンドを聴いて育った世代が、ロックンロール・ドラミングを生みだすわけで、ドラムに関するかぎり、豊かな時代はビッグバンドとロックンロール・エラで、モダン・ジャズは「鬼子」「継子」、ドラミング的には不毛の時代だったと思います。

で、ハル・ブレインなんか、ビッグバンド・スタイルでやらせると、待ってましたとばかりにド派手なプレイを連発するのですが(たとえばヴォーグーズのアルバム)、アール・パーマーも、やはりオーケストラでプレイするのが大好きだったのだということが、このシナトラのアルバムから感じられます。

ニール・ヘフティーが、ビリー・メイとはややニュアンスの異なるいいアレンジをしていて、その面でも楽しめるのですが、ビッグバンドのスターは、やはりドラマーで、アールはこの二曲にかぎらず、アルバム全体を通して非常にいいプレイをしています。ニューオーリンズにはないタイプで、アールが故郷をあとにしてLAにやってきたのは、こういうテイストフルな音楽がやりたかったからなのでしょう。水を得た魚です。

Goody Goodyは、後年、ライヴでの重要なレパートリーになりますが、じつに気分のいい曲で、ライヴのオープナーにも向いていたにちがいありません。アールのプレイは、ヴォーカルの裏ではいくぶん控えめなタッチ(といっても、いくつか強いアクセントはある)ですが、インストゥルメンタル・パートでは叩きまくりの楽しいプレイをしています。

偏った趣味かもしれませんが、わたしは一打だけのアクセントというのが好きで、そういうことをきちんとできることが、ドラマーとしての基本的な資質だと考えています。Goody Goodyの0:34に出てくる、タムタムの一打はきれいにキマっていて、うん、こうでなくちゃね、と思います。

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ニール・ヘフティーとフランク・シナトラ。1962年撮影ということなので、ひょっとしたら、まさしくSinatra and Swingin' Brassのレコーディングでのスナップかもしれない。

Goody Goodyと同じ1962年4月11日に録音された、アルバム・クローザーのPick Yourself Upは、楽曲自体がすごく変で、クレジットを見たら、ジェローム・カーンでした。カーンは、歌いにくくて、たいていのシンガーがやりたがらない曲というのを書いてみようと思ったのじゃないでしょうかねえ。聴いているだけでも頭がねじれてきて、頼むから、そういう変なところにコードをもっていかないでくれ、と思うくらいで、シナトラはこれも一発で歌えたのだろうかと首をひねってしまいます。これほどアクロバティックな曲というのは、あまりないでしょう。フランク・シナトラよりフランク・ザッパにふさわしい曲かもしれません。

こちらも、ニール・ヘフティーのアレンジは魅力的ですし、アールのドラミングも軽快かつ派手で、文句がありません。ただ、思うのは、このアルバムも、アールの「強さ」が出たプレイばかりで、これが、Sinatra and Stringsのようなアルバムだったら、アールは呼ばれなかっただろうということです。コントラクターがだれか知りませんが、よく適性を見ていたというべきでしょう。

◆ Bobby Vee - The Night Has A Thousand Eyes ◆◆
すでに取り上げたボビー・ヴィーの曲のところで書いたように、この時期の彼のトラックは、楽曲、プレイ、プロダクション、アレンジ、録音、バランシング、いずれもすぐれていて、惚れ惚れするばかりです。

以前、感傷的な意味合いから、ボビー・ヴィーの代表作はRubber Ballだと思っていると書きましたが、改めて聴くと、やはりTake Good Care of My Babyも、そしてこのThe Night Has A Thousand Eyesも、みなハイレベルな仕上がりで、どうにも序列のつけようがないと感じます。

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この曲はハル・ブレインのディスコグラフィーにもリストアップされていますが、トラップに坐ったのはアールで、ハルはティンパニーをプレイしました。ティンパニーはどこで鳴っているのかわからないくらいで、はっきりと聴き取れるのは、冒頭、00:14当たりぐらいでしょう。スタンダップ・ベースと区別がつかないくらいの薄いミックスにしてしまう楽器を入れておくのだから、なかなか贅沢です。

このあたりが、61、2年のスナッフ・ギャレットの特徴といえるかもしれません。方向性としてはフィル・スペクターに近いのです。つまり、多くの楽器を「煮込んで」しまうのです。スペクターは天下の非常識男なので、元がジャガイモだったのかニンジンだったのかわからないまでに煮込んで平気でいましたが、ギャレットはまだ常識人(まあ、スペクターに較べればたいていの人間は常識人だが)なので、なにがなんだかわからなくなるまでグズグズに煮込むことはなく、「ティーン・ポップ制作のスタンダード」を生みだしたといってもいいでしょう。

低音部の扱いにも特徴があり、ベースを2本、3本と重ねるスタイルは、スペクターが一般化したわけではなく、すでにギャレットが62年までにフォーマットとして確立していたとわたしは考えています。この曲のベースは非常に聴き取りにくいのですが、左にダンエレクトロ6弦ベースがあるのはまちがいなく、その下に、同じチャンネルでフェンダーかスタンダップを入れているのかもしれません。なんとなく、すこしずれたところでスタンダップが鳴っているような気もするのですが、うーん、何度聞いても断言できず。

アール・パーマーのプレイも申し分ありません。ニューオーリンズ時代からよく使っていた、シンバルを叩かず、両手ともスネアでプレイするロコモーティヴ・リズムですが、ハリウッド的バイアスがかかり、非常に軽快なものに変化しています。軽いスネアのサウンドとは対照的なタムの重いハードヒットも心地よく、ドラミングとはかくありたいもの、という理想的なプレイです。

話は音楽からずれますが、コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ名義かもしれないが)に「夜は千の目をもつ」という長編があります。同じタイトルの小説と楽曲があるということは、たとえば「壁に耳あり障子に目あり」のような、熟した言葉か俚諺なのかと思って調べたのですが、辞書にはそのような記述は見あたりませんでした。ウールリッチの小説は映画化され、そのテーマ曲はそれなりにカヴァーを生んだそうで、ボビー・ヴィーの曲は、そこからタイトルを拝借したのかもしれません。

うーん、またしても次回に持ち越しで恐縮ですが、1962年はアール・パーマーのヴィンティジ・イヤーなので、楽曲が多く、もう一回ねばらせていただきます。

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ウィリアム・アイリッシュ『夜は千の目をもつ』創元推理文庫、1962年。どうでもいいようなものだが、見つけるのに手間暇かかったので、いちおうスキャンしてみた。ウェブで見ると、これを探している人もいるらしい。

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ことのついでに、『夜は千の目をもつ』のあいだに挟まっていた広告もスキャンした。いにしえのミステリ好きのために、である。この「全集」と称するものは箱入りの変なサイズのものだったが、ほとんどがのちに文庫になっている。



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by songsf4s | 2008-11-14 23:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その14

前々回にふれた、当家のお客様であるOさんに、アメリカ議会図書館サイトのJazz on the Screenというデータベースを教えていただきました。ここでアール・パーマーを検索すると、伝記のフィルモグラフィーにあげられている映画より多くの作品がヒットします。

それで、アールがいっていたことを思い出しました。余裕があれば、このベスト・オヴ・アール・パーマーはサントラ篇までいくつもりですが、明日のことはわからないので、さきに書いておきます。

アールが生涯でもっともむずかしかった仕事のひとつとしてあげているのは、『ザカライア』という映画のサントラです。このサントラについては、画面に映っているドラマーがプレイしたと誤解している人が大部分らしく(無理もないのだが!)、You Tubeでもまちがったクレジットになっているし、海外のジャズ関係のサイトでもまちがった記述をしていたので、伝記から原文を引用します。正しいことを書いているサイトは見あたらず、本を読まない人が多いことを痛感しました。

f0147840_23401453.jpgAugust 1970 (SIX DATES) - Zachariah, MGM. That's the hardest session I ever did. They made a movie called Zachariah, a real hokey satire on cowboy days. Elvin Jones played a gunslinger. In his big scene, instead of saying "Draw," he says, "Gimme them drumsticks" and plays a big solo.
Jimmy Haskell was the composer. Jimmy's a guy that did a little bit garbage of anything. "Oh yeah, we can do that." Probably at a lesser price, too. That kind of guy works the shit out of you, because he's aiming to please. He'll go past breaks, rush you, come in with the score half-written and write the rest right there. One of the last times I worked for him, Jimmy was sitting there eating peanuts from his pocket writing the score.
Anyway, somehow or other the sound got messed up. The drum solo had to be played all over again. Jimmy told the producers, "Oh yeah, we can do that."
I said, "Wait a minute. I'm not going to do this. I'm not going to fucking do this, man."
Haskell said, "Why?"
"Do you know who this is? I can't match Elvin, nobody can. The man is a genius." Finally I said, "All right. Give me two hours." I took my lunch and a Moviola machine and some music paper, went across the alley into a little room, and transcribed Elvin's whole solo. Took me two-and-a-half hours to write out a five-minute solo. Then I played it. I not only got paid overtime, I got a bonus when they realized how hard that was and how near it came to being perfect.

--Tony Scherman "Backbeat: Earl Palmer's Story," p.138-39

書き写しただけで疲れてしまったので、逐語訳は勘弁願います。かいつまんでいうと、『ザカライア』という映画でエルヴィン・ジョーンズがドラム・ソロをやるシーンがあったのですが、現場での同録に失敗して、オーヴァーダブしなければならないことになり、ここでは「安請け合いのなんでも屋」と書かれているジミー・ハスケルが、この仕事をアール・パーマーに依頼しました。

そんな馬鹿なことができるか、あれをだれだと思っているんだ、エルヴィン・ジョーンズだぞ、エルヴィンの真似ができるドラマーなんかいるもんか、といった、アールとしてはいちおういわなければならないことをいい、結局、彼はソロをすべて譜面に起こし、みごとに欠落したサウンドトラックを完成した、というお話です。

英文解釈の補助として三点申し上げます。Gimme them drumsticksのthemは、目的格ではなく、thoseという意味です。ブッキッシュに書き直すと、"Give me those drumsticks"となります。works the shit out of youは、「人使いが荒い」「とんでもないことをやらせる」といったあたりでいいでしょう。

また、Moviolaというのはフィルム編集機で、ジョグ・ダイアルでDVDのフレームを前後に行ったり来たりするように、自在にフィルムを行ったり来たりすることができます。かつては、これがないと、ドラムソロの映像だけを頼りに譜面を起こすなどということはとうていできませんでした。いまでは、ディジタル・システムを使うケースもあるでしょうが、依然としてフィルム編集の主力はムヴィオラだろうと思います。

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ふつう、ムヴィオラというと、上の写真のようなフラットベッド(デスク)タイプを思い浮かべるが、それでは「ランチとムヴィオラと五線紙をもって、廊下の向こうの小部屋にこもった」というアール・パーマーの話と矛盾する。調べたら、下の写真のようなアップライト・タイプもあることがわかった。これなら移動不可能ということはないだろう。

さて、こうした苦行の結果、どんなものができあがったか見てみましょう。



You Tubeは微妙にシンクがずれるのですが、ちょっと見たぐらいでは、これがべつのドラマーによるオーヴァーダブだとわかる人はまずいないでしょう。だから、エルヴィン・ジョーンズを絶賛して、サンプルとしてこの画像を埋め込んでいたアメリカのブロガーをあげつらうのは酷なのですが、でも、人間の判断力というのは、その程度の頼りないものなのだということを証明する実例であることは間違いありません。

エルヴィン・ジョーンズ・ファンが、このアール・パーマーのプレイを聴いて、すごい、すごい、と騒ぐのなら、彼らはアール・パーマーのファンにもならなければいけないはずです。そうなっていないのなら、それはたんに聴いたことがないからか、プレイを聴いて判断しているのではなく、有名なドラマーのことを、たんに有名だという理由で「素晴らしいドラマー」と呼んでいるにすぎないことになります。いうまでもなく、すぐれていることと、有名であることは、混同してはいけないことのはずです。

f0147840_23583362.jpgそもそも、ドラム・ソロを基準にしてドラマーを評価するのは間違いです。そんなこともわからずにドラマーの善し悪しをあれこれいうのは、それこそ原始的な「ファン気質」にすぎず、聞くに足る言説とはいえません。ドラムという楽器は、本質的に単独でプレイするようにはできていないのです。アンサンブルのなかで生きる楽器です。だから、プレイの善し悪しもアンサンブルのなかで見なければいけないのです。

エルヴィン・ジョーンズは、アールがいうように「天才」とは思いませんが(タイムで比較するなら、ジム・ゴードンのほうがずっと精密だし、バディー・リッチに劣る。天才というのは、この二人のほうにふさわしい言葉だろう。まあ、モダン・ジャズではタイムを軽視するのだろうが)、ジャズ・ドラマーのなかでは「叩ける」部類の人だと思います。ライドのプレイには独特のムードがあり、その点は賞美できます。

なんだか、エルヴィン・ジョーンズ・ファンをやり玉に挙げた格好になりましたが、痛感するのは、「無心」は至難だということです。禅坊主の言いぐさみたいで恐縮ですが、われわれの精神構造は、どうしても先に「名前」「ラベル」のほうを見てしまい、虚心坦懐に「裸の中身」に無の状態で接することはできないようになっているのでしょうね。音楽、映画を問わず、ハリウッド人種が仕掛けるインチキな「罠」にはまったエルヴィン・ジョーンズ・ファンたちの勘違いは、わたしにとってはひとごとではなく、チビってしまうほど肝を冷やした「他山の石」でした。

◆ B. Bumble & The Stingers - Nut Rocker ◆◆
さて、ベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇、本日は1962年、アール・パーマーの生涯最良の年に入ります。

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B・バンブル&ザ・スティンガーズというパーマネントなバンドは存在せず、これはスタジオ・プロジェクトで、トラックによってメンバーは変動します。そのへんの舞台裏は、The Complete Al Hazan Storyという、アル・ハザンのじつに楽しく、また示唆に富んだサイトの、B. Bumble and "Nutrocker"というページに詳述されていますので、ご興味があれば、そちらをどうぞ。ただし、1962年秋の録音というのは、ハザンの記憶違いでしょう。62年春にはもうヒットしているので、それ以前に録音されたことになります。

前回、ユナイティッドの響きと、そのエンジニアたちの仕事ぶりを絶賛し、ボビー・ヴィーなどの完璧な音を聴いていると、そこらの盤はバカバカしくて聴けない、なんて大束なことを書いてしまいましたが、ピアノを弾いたアル・ハザンによれば、このNut Rocker(いうまでもないだろうが、原曲は「くるみ割り人形」)は、スタジオではなく、ランデヴー・レコードのオフィスで録音されたそうです。

同じプレイヤーたちの仕事とはいえ、世界でも最先端を行くユナイティッドのようなスタジオで、名匠ビル・パトナムの薫陶を受けた、手練れのプロフェッショナルによって精緻に録音された曲と、そこらのオフィスで素人が録音した曲が同居してしまうのだから、ヒット・チャートというのは面白いものです。ここらが、ポップ・ミュージックならではの味わいといえるかもしれません。

ただし、どこかの家の居間で録音されたという、?&ザ・ミステリアンズの96 Tearsは、ドラムがろくに聞こえない、素人丸出しのひどい録音でしたが、こちらは素人とはいえ、レーベル経営者、さすがに、いわれなければオフィスで録ったとは思えない仕上がりになっています。ピアノのハンマーに画鋲を打って、古めかしいミュージック・ホール的なサウンドを再現したことも、ヒットかミスかの最終結果に影響する工夫でした。

アールは両手でスネアを叩くトレードマークのスタイルで、終始一貫、ホットなプレイをしています。いま聴いても、いかにもヒットしそうなトラックに思えますが、その理由はアル・ハザンとアール・パーマーの熱いパフォーマンスでしょう(プレイヤーたちは時間買いではなく、印税払いだったそうで、それも温度を上昇させる役に立ったのかもしれない!)。中間部でのルネ・ホールーのギターも好みです。

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アル・ハザン。Nut Rockerではエンディングのグリサンドを繰り返したために、しまいには「流血の惨事」になったという。

アル・ハザンは、現場に行くまでなにをやるのか知らず、他人の盤をコピーすることからはじめたので、まだ練習不足で、不満足な仕上がりだといっています。しかし、この企画の推進者であるランデヴーのオーナー、ロッド・ピアースがいうように、そういうラフ・エッジが残っている段階でテープを廻したことにこそ、勝因があったにちがいありません。

◆ Herb Alpert & The Tijuana Brass - The Lonely Bull ◆◆
A Taste of Honeyと並ぶ、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの代表作です。こちらはデビュー曲で、たちまち、インスト・バンドの定番曲になり、わたしの場合は、ヴェンチャーズのカヴァーでこの曲を知りました。ちなみに、ヴェンチャーズ盤The Lonely Bullのドラマーはハル・ブレインでしょう。

f0147840_035453.jpgで、話を混乱させるつもりはないのですが、メル・テイラーは(ヴェンチャーズ盤ではなく)ティファナ・ブラス盤The Lonely Bullでは、自分がストゥールに坐ったと主張していました。ハル・ブレインが回想記のディスコグラフィーにこの曲をあげていたのが気に入らなくて反論した、ということのようですが、TJB盤では、ハルはティンパニーをプレイしただけです(ややこしくて申し訳ないが、ハルがトラップに坐ったのはヴェンチャーズ盤The Lonely Bullのほうである!)。ラジオ番組でそれを明言し、トラップはアール・パーマーがプレイした、といっていました。

別の資料によると、ハーブ・アルパートはこの曲をどう料理するかで迷い、自宅ガレージで何度かデモを録音し、メキシコ音楽風のアレンジにたどり着いたところで、共同でA&Mレコードを設立することになる、パートナーのジェリー・モスと資金を出し合ってスタジオを押さえ、本番の録音をおこなったそうです。

これで、メル・テイラーの誤解は明らかでしょう。彼はアルパートの自宅でのデモでプレイしただけで、本番ではアール・パーマーがストゥールに坐り、ハル・ブレインがティンパニーをプレイしたのです。じっさいに音を聴いても、この繊細なスネア・ワークは、メル・テイラーのものには思えません。だれでも一流のプロフェッショナルのタッチを感じとれる、すぐれたプレイです。

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CTIのプロデューサー、クリード・テイラーをはさんで、ジェリー・モス(左)とハーブ・アルパート

ティファナ・ブラスの1962年のデビュー盤のセッションで、アール・パーマーとハル・ブレインが顔を合わせたのは、なにやら象徴的なことのように思えます。1963年になると、ハル・ブレインはつぎつぎとアール・パーマーの得意先を奪っていきますが、TJBの場合もハルがレギュラーになり、グラミーを得たA Taste of Honeyでも、ハルがプレイしていますし、日本でもっとも有名なTJBの曲であるBitter Sweet Samba(「オールナイト・ニッポン」のテーマ)もハルの仕事です。

以上ですでにおわかりのように、ハーブ・アルパートとTJBも当初は純粋なスタジオ・プロジェクトで、ツアー・グループが組まれるのは、三年後、A Taste of Honeyが大ヒットしてからのことです。トランペットは、ビリー・ストレンジをして「世界一」といわしめたオリー・ミッチェルがプレイしたといわれ、トミー・テデスコ、チャック・バーグホーファーらもTJBセッションの常連でしたが、もちろん、こうした大物プレイヤーたちがツアー・バンドに加わることはありませんでした。

◆ Duane Eddy - The Ballad Of Paladin ◆◆
たしか、邦題は「西部の男パラディン」だったと思いますが、The Ballad Of Paladinはテレビの西部劇のテーマです。

ドゥエイン・エディーは、アリゾナからスタートして、あとはハリウッドとナッシュヴィルで録音したようです。エディーのツアー・バンドにはスティーヴ・ダグラスとラリー・ネクテルというのちのスタジオのレギュラーが参加していたくらいで、ツアー・バンドそのままで録音したトラックも多いのですが、そろそろパーマネントなツアー・バンドの維持がむずかしくなる時期、つまり、それだけの費用を正当化できるほどの大きな稼ぎがなくなる時期で、アール・パーマーがエディーのトラックでストゥールに坐った背景には、そういう事情があるのではないだろうかと思います。レギュラーのツアー・バンドをもたなければ、そのメンバーに義理立てするする必要もなくなるのです。

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ドゥエイン・エディーなのだから、分類するとすれば、もちろんギター・インストなのですが、同じギター・インストでも、この曲は、いわばアル・カイオラ的なオーケストラ付きギター・インストで、アール・パーマーがプレイするにふさわしい曲調といえます。アレンジャーはかのボブ・トンプソン。当ブログは縁があるのか、よくトンプソンの曲を取り上げています。この記事のコメントなどで、トンプソンのことで騒いでおります。

リズム・セクションは、アールのほかに、ベースがジミー・ボンド、ピアノがラリー・ネクテルで、テナーサックスはプラズ・ジョンソンと、ネクテル以外は、この時期のスタジオのレギュラーです。ネクテルがスタジオ・プレイヤーになるのは、もう少し先のことでしょう。

62年のトラックはまだあるのですが、残りは次回に。

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「西部の男パラディン」の原題はHave Gun, Will Travelという。これは「拳銃あり、どこにでも参上」というガンマンの広告の文句で、西部劇ではおなじみの言葉。ドゥエイン・エディーにはHave Guitar, Will Travel、すなわち「ギターあり、どこにでも参上」というアルバムがある。



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by songsf4s | 2008-11-12 23:56 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その13

週末にHollywood Homicideという映画を見たのですが、思わず笑った場面がありました。

あるラップ・グループのメンバーがまとめて射殺されるという殺人事件の話で、当然、音楽業界の裏側の描写があります。このグループに曲を提供していた若者が事件を目撃したはずだというので、情報を求めているうちに、彼の本名の姓がロビドーだとわかります。

以下は、ケータイのリングトーンをMy Girlのイントロにしている白人刑事と、上司の黒人刑事の会話。

白「ロビドー、ロビドー、なんだかよく知っているような気がするんだが……。あんた記憶がないか?」
黒「そうだ! オリヴィア・ロビドー、モータウンのシンガーだ」
白「うん、そうだ。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのバックで歌っていた」
べつの刑事に、
白「オリヴィアのその後を当たってくれ。音楽家組合、ASCAP、そういうところだ」

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スタジオ・シンガーなら、ユニオンに所属していた可能性は高いでしょうが、ASCAPは著作権管理団体なので、このシンガーが曲を書いていたというのでないかぎり、まず無関係です。このあたり、シナリオの詰め甘し。

母親の現住所がわかると、若者の行方を求めて刑事たちはその家に向かいます。玄関での刑事と母親の会話。ドアが開いたとたん、

刑事「わたしはいつも、あんたのほうがタミー・テレルよりうまいと思っていましたよ」
母親「彼女はブレイクした、わたしはダメだった、それだけのことよ」

で、このブレイクしなかった元シンガーを演じているのが、グラディス・ナイトだっていうんだから、おおいに笑えました。タミー・テレルより売れなかったシンガーがこの母親の役をやったら、まったくシャレになりません。たとえば、『リーザル・ウェポン』でお母さん役をやったダーリーン・ラヴなんかだと、「まんま」だからうまくいかないというか、そういうキャスティングははじめから考えられません。

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謎解きの興味はゼロの物語なので書いてしまいますが、犯人はプロデューサー兼レコード会社経営者で、だれでもベリー・ゴーディーやフィル・スペクターを思い浮かべるキャラクターになっているところが、いやはやご時世ですなあ、と苦笑します。日本にも同じような音楽プロデューサーがいたことは、たんなる偶然にすぎませんが、まあ、業界のノリからいえば、洋の東西を問わず、「必然」ともいえるのかもしれません。

グラディス・ナイト演じる元シンガーが、アーティストとプロデューサーの対立の背景について語るときに、「金はすべてプロデューサーがもっていくもの、昔からそうでしょ」というあたりも、本音むき出しの時代らしい描き方です。昔なら、音楽業界を描く場合、題材になったのはシンガーとマネージャー、あとはせいぜいソングライターだったでしょう。いまや、プロデューサーだの著作権団体だのがキーワードになるのですな。

もうひとつ思ったことがあります。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルなど、モータウンのアーティストのうしろで歌っていたグラディス・ナイト演じるシンガーが、いまもLAに住んでいて、LA育ちと思われる主人公の刑事に顔と名前を知られている、という設定はリアルです。

マーヴィン・ゲイとタミー・テレルのデュエット盤でプレイしたのは、わたしの判断では、おもにハリウッドのプレイヤーたちです。デトロイト録音ではありません。だから、モータウンの録音で働いたシンガーが、いまもLAに住んでいるというこの映画の設定はごく自然なことなのです。

現実にも、そういう人たちは多いでしょう。たとえば、のちにハニー・コーンを組んで売れることになるエドナ・ライト(ダーリーン・ラヴの姉妹)も、モータウンの盤でバックグラウンド・シンガーをやっていました。もちろん、LAの住人であり、エドナがバックグラウンドで歌ったモータウンの盤(マーヴィン・ゲイとタミー・テレル!)はLA録音です。

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映画としての出来はひどいものですが、終盤に出てくる、サンセット・ブールヴァードからハリウッド・ブールヴァードに入り、グローマンズ・チャイニーズ・シアターの手前までで終わるという、空撮を使ったカー・チェイス・シークェンスは、例によって「映画のトポロジー」に対する関心を満足させてくれたので、シナリオに文句をつけるのはやめておきます。

◆ Earl Palmer - New Orleans Medley ◆◆
ベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇、本日は1961年のトラックを扱います。

New Orleans Medleyはアール・パーマーのリーダー・アルバム、Drumsvilleのオープナーで、メドレーの内訳はI'm Walkin'、Blueberry Hill、Ain't It a Shameの3曲。アールの自己名義の盤としては、このあとにまだPercolator TwistというLPがありますが、そちらは未聴でなので、聴いた範囲内でいえば、このDrumsvilleがもっとも出来がよいと思います。

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New Orleans Medleyはアルバム・オープナーなので、当然、軽快なグルーヴで、最初の45秒間を使ったI'm Walkin'がベストでしょう。ドラマーのリーダー・アルバムのオープナーなので、イントロはドラム・リックなのですが、ここにハンドクラップを重ねたのもなかなかのアイディアで、楽しいイントロになっています。

◆ Sandy Nelson - Let There Be Drums ◆◆
スタン・ロスだったか、デイヴ・ゴールドだったか、ゴールド・スター・スタジオの共同経営者のどちらかが、フィル・スペクターがTo Know Him Is to Love Himのレコーディングでつれてきたドラマーはひどいものだった、といっています。それがサンディー・ネルソンです(ついでにいうと、For What It's Worthの録音でゴールド・スターにきた、バッファロー・スプリングフィールドのドラマーも最低だったそうで、結局、ロスだったか、ゴールドだったかが、キック・ドラムのかわりにベースを「叩いて」、やっとのことで録音を完了したとか! わたしは、ライノのバッファロー・スプリングフィールド・ボックスのパーソネルは調査が甘いと考えている。デューイ・マーティンのプレイはもっとずっと少ないだろう。大部分はほんもののプロのプレイではないか?)。

そのどうしようもないお子様ドラマーが、不安定なビートでエンジニアを悩ませてからほんの数年後、ドラマーとしてヒットを生みます。そんな馬鹿な話はないだろう、というのが常識的な反応でしょう。じっさい、現実にありえないことはやはり現実には起こりません。わたしの耳には、このLet There Be Drumsは、素人のお子様ではなく、鍛え抜かれた壮年のプロのプレイに聞こえます。第一の候補はアール・パーマー、第二もアール、三四がなくて、五もアール・パーマーです。

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そう思ったので、キャロル・ケイに、アール・パーマーがサンディー・ネルソンの盤でプレイしたという話を聞いたことがないだろうか、と問い合わせてみました。彼女の返事は明快で、ラス・ウェイパンスキーがユニオンの支払伝票を調査した結果、アール・パーマーがサンディー・ネルソンのいくつかのトラックでプレイしたことは証明されている、とのことでした。ザッツ・イット、ザ・ケース・イズ・クローズド。

どのトラックがアールのプレイで、どれがネルソンのプレイかということまではわかりませんが、そんなことは自分の耳で聴けばいいことです。わたしが聴いたかぎりでは、ネルソンのプレイはほとんどありません。ものすごく下手なので、いくつかのトラックはアールではないことがすぐにわかります。ご自分でお試しあれ。

Let There Be Drumsはネルソンの2曲目のヒットで、アールは派手なフロア・タムをフィーチャーした、じつにいいプレイをしています。アールの代表作のひとつに繰り入れてもいいと感じるトラックが、他のドラマーの名義だっていうのは、なんとも皮肉というか、スタジオ・プレイヤーの人生を象徴しているというか、ミュージシャン版『雨に唄えば』かと思ってしまいます!

◆ Gene McDaniels - Tower of Strength ◆◆
アール・パーマーのプレイはもちろん、他のさまざまな要素まですべてひっくるめて、アールが関係したトラックのなかで、ベスト3に入る楽曲の登場です。プロデューサーはスナッフ・ギャレット、アレンジャーは不明ですが、アーニー・フリーマンである可能性が大です。

イントロをチラッと聴いただけでも、前景と背景をきちんと区別し、音像に奥行きを持たせるエンジニアリングの技が聴き取れ、これはいいぞ、と期待でワクワクします。ヴァースの尻尾、I don't want you, I don't need you, I don't love youのうしろで、右チャンネルのトロンボーンに合わせてアクセントをつける、左チャンネルのストリングスの、近すぎず、遠すぎない、みごとなバランスと響きには感嘆あるのみです。わたしがエンジニアだったら、このバランシングを再現することを目標として仕事をするでしょう。

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わたしがもっているジーン・マクダニエルズのベスト盤のこのトラックでは、冒頭で「22、swingin' 22」というトークバックの声が聞こえます。例外もありますが、テイク数をいうのはエンジニアの仕事なので、この声の主が問題の人物だということになります。エンジニアのクレジットはないものの、スタジオはユナイティッド・ウェスタンなので(ギャレットは自社のリバティー・カスタム・レコーダーは使わず、ほとんどつねにユナイティッド・ウェスタンで録音したことがわかっている)、「容疑者」は数人に絞り込めます。ユナイティッド・レコーダーのオーナーであるビル・パトナム、ボーンズ・ハウ、ウォーリー・ハイダー、リー・ハーシュバーグ、エディー・ブラケットのいずれかでしょう。

アールのプレイは、サイドスティックを中心としながら、ときおりストレートなヒッティングで強いアクセントをつけるもので、このソフトとハードのバランスは申し分ありません。ドラミング単独で目立つものではありませんが、音楽なのだから、アンサンブルが最重要であり、盤なのだから、バランシングも同等に重要であり、その両面でこれだけ高いレベルにある録音に参加し、サウンド作りに貢献したことは、スタジオ・プレイヤーとしては、やはり勲章のひとつに数えていいでしょう。プロデューサーやエンジニアにとっても、生涯の誇りにするに足るトラックです。

◆ Bobby Vee - Take Good Care Of My Baby ◆◆
このあたりのアール・パーマーのトラックは、どれもこれも申し分なしで、あまり書くことがないくらいです。とりわけボビー・ヴィーのトラックでのプレイは、いずれが菖蒲か杜若かで、取捨選択に苦しみます。これまたスナッフ・ギャレットの代表作なので、当然、スタジオはユナイティッド・ウェスタン、したがってまたまた見事な録音、見事なバランシングです。こういうのを聴いてしまうと、そこらの盤はバカバカしくて聴けなくなります。

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アール・パーマーのプレイとしては、この曲のほうが、マクダニエルズのTower of Strengthより、ドラマーのベストにふさわしいでしょう。とりたてて派手なことをやっているわけではありませんが、飛び跳ねるような軽快なスネアを特徴とする、「60年代型アール・パーマー・スタイル」が完成したと感じます。バックビートを4分にせず、8分2打にしているのも、アール・パーマーらしいやり方で、この点はニューオーリンズ時代から継承したものでしょう。

以上で1961年のトラックを終了し、次回は1962年、「わが人生最良の年」に入ります。いや、わたしのではなく、アールの人生ですがね。


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by songsf4s | 2008-11-10 23:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その12

当家のおなじみさんでも、もうほとんどご記憶がないでしょうが、以前、『荒野の用心棒』の記事のときに、ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグが共演した『黄金の男』にふれたことがあります。音楽が印象的で、いまだにメロディーを覚えている、でも、その後聴くことがなく、ウェブで試聴もできなかった、どなたかお持ちだったら、ご喜捨願えないだろうか、と書いたのです。

f0147840_23433646.jpgその時点ではどなたからも連絡はいただけませんでしたが、最近、当家を訪れたという未知の方から先日ご連絡があり、四十年ぶりにあの曲を聴くことができました。やはり、どんな曲でも、あるところにはちゃんとあり、もっている方はもっているものなのですねえ。

70年代後半に同時代の音楽にウンザリし、一度は遠ざかったのに、80年代にまた復帰したのは、60年代に聴いた曲を思い出しては、もう一度聴いてみたいな、と思ったからであり、また、ライノの登場によって、80年代にそういうものの広範なリイシューがはじまったからです。そういう傾向が本格化するのはCDが中心になってからのことですが、LP時代末期にはすでに、リイシュー・ブームははじまっていました。

それから四半世紀、「もう一度聴きたい」と思った曲の99パーセントは入手したと思います。しかし、ものごとというのはなかなか完璧にはいかないもので、また、そこに味があるのですが、わずかに「取り逃がした曲」があります。そのひとつがこの『黄金の男』のテーマまたは挿入曲(Generiqueというタイトルだということをはじめて知った)でした。こういう風に、数十年ぶりに再会する曲というのが、なんといっても嬉しいもので、ブログをやっていてよかったとつくづく思いました。

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ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグの共演というと、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』のほうが圧倒的に有名。でも、わたしは、映画史的な価値なんかには興味がなく、どっちのジーン・セバーグがセクシーだったかという比較しかしていないので、『黄金の男』のほうがいい映画だったと思う。ゴダールは若者向きの監督であり、わたしは高校時代に新宿アートシアターで立てつづけに十数本を見て、それっきりで興味を失い、成人以後は一本も見ていない。『男性・女性』なんか、いま見ると面白いかもしれないと思わなくもないが、年をとるといよいよ気が短くなるので、最後まで坐っていられないだろうと思う。

それにしても、人間の記憶というのはなかなかどうして馬鹿にならないものですが、同時に、かなりいい加減で、当てにならないものですねえ。Generiqueのスキャットのヴォーカルは、映画館で見たときに一発で記憶しましたし、今回、聴き直しても、ちゃんと覚えていたことがわかりました。

問題はプレイとサウンドです。これが記憶にあるよりずっと派手で、ビックリしてしまいました。ドラムは叩きまくりだし、ベースはフェンダーだしで、思ったよりずっと力強いサウンドだったのです。たぶん、女性のスキャットに愛嬌があり、記憶はそれに寄り添ってしまい、ソフトなほうへと頭のなかでサウンドが変形していったのでしょう。

ファイルを送ってくださった未知のOさんに重ねてお礼を申し上げます。これに味をしめて、いずれ、がんばってみたけれど、ついにいまもって入手できない曲の特集というのをやってみようか、なんてイケ図々しいことを思いました!

◆ Bobby Vee - Rubber Ball ◆◆
ベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇、本日は1960年のトラックです。

ボビー・ヴィー自身がベスト盤のライナーで、すごいメンバーだったといっていますが、彼のセッションは、しばしば「オール・ブラック・リズム・セクション」でおこなわれました。すなわち、ドラムズがアール・パーマー、ベースがレッド・カレンダー、ピアノがアーニー・フリーマン(アレンジもしたので、しばしば片手でストリングスをコンダクトしながらのプレイだったらしい)という精鋭です。白人では、ハワード・ロバーツがいくつかのトラックでギターをプレイしたことがわかっています。

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ボビー・ヴィーのプロデューサーは、ご存知のようにトミー・“スナッフ”・ギャレットですが、60年代はじめ、ギャレットの大ヒット連発を支えたアレンジャーはアーニー・フリーマンです。きれいに分けられるわけではありませんが、フリーマンがギャレットのアレンジャーのあいだは、彼のセッションではアール・パーマーほかの「プリ・レッキング・クルー」がプレイし、64年ごろに、アレンジャーがリオン・ラッセルに交代すると、プレイヤーもハル・ブレインを中心とした若手に切り替わります。流行り廃りの世界だから、いたしかたないのです。

ボビー・ヴィーはキャリアの長いシンガーで、ヒット曲もたくさんあるので、ひいきの曲を投票したら、票が割れるでしょう。わたしはこのRubber Ballが彼の代表作ナンバーワンだと考えています(もちろん、このあとには、The Night Has a Thousand Eyes、Take Good Care of My Babyが、僅差でつづく)。その理由を重要性の低い順にあげていくと、3)わたしにとって、ラジオではなく、盤として手元において聴いた最初のアメリカン・ポップ・チューンだった、2)楽曲も朗らかだし、アレンジ、サウンドにも、あの時代のアメリカらしい軽さと明るさがある、1)アール・パーマーが白人ポップ・チューンでのプレイに開眼した曲だと考えられる、という三つです。

ボビー・ヴィーの最初の大ヒットはDevil or Angelで、こちらでもアールはストゥールに坐っています。しかし、これはちょっと湿度の高いバラッドで、最初に聴いた曲がこちらだったら、わたしはボビー・ヴィーのことは忘れてしまったでしょう。なんせ小学校三年かそこらなので、ノリのいい曲にしか関心がなかったのです。いま聴いても、子どもにとっては、Rubber Ballのほうが圧倒的に魅力的だと思います。

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それは主としてアールとベース(レッド・カレンダーか)が生みだす軽快なグルーヴのおかげですが、ほかの面でもこの曲はよくできています。ボビー・ヴィー自身が少なくとも2回はヴォーカルを重ねていますが、ハーモニーになったり、掛け合いになったりという、そのヴォーカル・アレンジにも非凡なものがありますし、フリーマンのストリングスも効果的で、教科書に最適な理想的プロダクションになっています。プロデューサーがこのように自在に音作りができるのは、アレンジャーからドラマーにいたるまで、すべての手駒がそろったときだけなのを、われわれは長いハリウッド音楽史を通じて知っています。

◆ Julie London - By Myself ◆◆
長年にわたってハリウッドのスタジオで活躍しつづけた木管プレイヤーのバディー・コレットは、貴重な証言を本にして残してくれました。コレットは、アールがハリウッドにやってきたその当初から、ライヴやスタジオでアールを起用しています。レッド・カレンダーやアーニー・フリーマンがプレイすることも多かったようで、ポップ系セッションの常連たちによるジャズ・コンボという意味で、興味深いものがあります。

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コレットの本のなかに、チャーリー・ミンガスがアール・パーマーに食ってかかったエピソードが出てきます。コレットはセントラル・アヴェニュー育ちで、ミンガスとは幼なじみであり、それゆえにバイアスがかかっている可能性はある、ということを先にお断りしたうえで、そのくだりを引用します。ステージに上がるまえに、ミンガスがしばしばリハーサルを繰り返し、あれこれと手直ししていく、ということが書かれたあとで、

そうこうするうちに、ミンガスとドラマーのアール・パーマーが衝突した。ある晩、われわれのグループはミンガスとジャム・セッションをした。彼がミンガスとプレイしたのはこのときがはじめてだったが、ミンガスは彼のビートが気に入らなかった。「あいつは荒っぽい!」というのだ。わたしの目にも、彼らはお互いにまったく無関係にプレイしているように映った。セッションのあと、われわれは大きなレストランで夕食をとったが、そこでも二人はにらみ合っていた。

「おまえ、女房を殴るんだろ」とミンガスがいった。
「なんだと!」
「おまえはドラムを手荒に扱っている、ああいう荒っぽい奴は、きっと女房をぶん殴っているにちがいないさ」
「いったい、なにがいいたいんだ!」

わたしは、二人に頭を冷やせといった。これは、じっさいにステージに上がったときに、アールがさらにいいプレイをするようにと仕向ける、ミンガス一流のやり方だった。

いや、わたしはそうは思いません。アールのビートが気に入らないから、おまえのプレイは不愉快だ、失せやがれ、とアール・パーマーと彼が象徴するロックンロールにケンカを売っただけです。これを読んだときは、ったくもー、ジャズ屋はこれだからな、自分だけが「正しい音楽」をやっていると思いこんでやがる、と不愉快な気分になっただけでした。ドグマを救うものは死しかありません。

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Buddy Collette with Steven Isoardi "Jazz Generations: A Life in American Music and Society"

しかし、ジュリー・ロンドンのアルバム、Julie at Homeを聴いて、なるほど、ミンガスもただのネズミではない、ちゃんと聴くべきものを聴いて、アールにケンカを吹っかけたのだな、とそれなりに納得のいくものがありました。

このアルバムはブラシのプレイで埋め尽くされています。ジュリー・ロンドンの夜のムードだから当然です。それで思うのは、この時期のアール・パーマーの最大の欠点は、「弱さの欠如」だということです。

ドラミングを形成する最大の要素は、タイムと強弱と設計です。設計は好みに左右されるので、どういうドラミング・デザイン、リズム・アレンジメントがすぐれているとはいいかねますが、タイムと強弱は客観的に判断できます。この時期のアールは、強さにおいては抜きんでていましたが、弱さに対する理解が浅かったのではないか、と感じます。ブラシでは、スティックの場合より、弱さに依存する部分が大きくなり、もっとソフトに叩いたほうがよい、と感じる場面が、このアルバムにはしばしば出てきます。

弱さの欠如はなぜ起きるかというと、たいていの場合、左手首(左利きの場合は右手首)の硬さです。ソフトであるべきビートの弱さの度合いを精密にアジャストするのは、手首だからです。こういう弱点というのは、経験を積むことで相応に補正することができます。ハリウッドにやってきてしばらくのあいだ、アール・パーマーはまだ「若かった」のでしょう。バディー・リッチですら、ブラシのプレイに素晴らしい味が出るのは、最晩年のことでした。

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Buddy Collete Septet "Polynesia" ドラムズのアール・パーマーだけでなく、レッド・カレンダー、ジーン・チープリアーノ、アル・ヴィオラといったおなじみの名前が並んでいる。

このジャズ・オリエンティッドなヴォーカル・アルバムでは、スロウな曲に関するかぎり、アール・パーマーをナンバーワン・ロックンロール・ドラマーに押し上げるうえで最大の武器になった、「左手のハード・ヒット」が裏目に出た感じで、強すぎる箇所がすこし気になります。

しかし、アップテンポのトラックではアールらしい軽快なグルーヴが感じられます。アール・パーマーのジャズ系のプレイはあまりもっていないので、そういう方面を代表させる意味で、このBy Myselfを選びました。攻めのドラミング、強さのドラミングが、この曲ではいいほうに作用しています。

まだたった2曲できただけですが、力尽きたので、今日はここまでとさせていただきます。アール・パーマーのキャリアは、いよいよピークへと向かいます。


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by songsf4s | 2008-11-07 23:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その11

ベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇もやっと4回目、まずは、今後予定している楽曲のリストをご覧いただきます。前回のリストは1958年までだったので、今回はそれ以後で、1959年から1963年までです。細切れで恐縮ですが、いっぺんにできるほど生やさしい数ではないので、どうかあしからず。なお、トラックナンバーが前回のリストと一致していないのは、その後、オミットした曲があるためです。

15. Earl Palmer & His Ten Piece Rockin' Band - Drum Village (Part 1)
16. Earl Palmer & His Ten Piece Rockin' Band - Drum Village (Part 2)
17. Bobby Day - Rockin' Robin
18. Chan Romero - Hippy Hippy Shake
19. Eddie Cochran - Weekend
20. Larry Williams - Bad Boy
21. Ernie Fields Orchestra - In The Mood
22. Bobby Vee - Rubber Ball
23. Julie London - By Myself
24. Earl Palmer - New Orleans Medley
25. Sandy Nelson - Let There Be Drums
26. Gene McDaniels - Tower of Strength
27. Bobby Vee - Take Good Care Of My Baby
28. B. Bumble & The Stingers - Nut Rocker
29. Herb Alpert & The Tijuana Brass - The Lonely Bull (El Solo Toro)
30. Duane Eddy - The Ballad Of Palladin
31. Ray Charles - I Can't Stop Loving You
32. Nat King Cole - Ramblin' Rose
33. Frank Sinatra - Goody Goody
34. Frank Sinatra - Pick Yourself Up
35. Bobby Vee - The Night Has A Thousand Eyes
36. Nino Tempo & April Stevens - Deep Purple
37. Jan & Dean - Surf City
38. Bobby Darin - Treat My Baby Good
39. Jan & Dean - Drag City

◆ Earl Palmer & His Ten Piece Rockin' Band - Drum Village Parts 1 & 2 ◆◆
アール・パーマーはこれ以前にも自己名義(アール・パーマー&ザ・パーティー・ロッカーズ)の盤をリリースしています。しかし、ドラマーのリーダー盤というのはそうなりがちなのですが、あまり面白いとはいえず、比較でいえば、こちらのほうが楽しめるかな、というあたりです。

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パート1と2となっていますが、長い曲を切って前後半にしたわけではなく、はじめから別々に録音されていますし、どちらのパートもテンポ・チェンジがあって、ひとつのパートのなかで、さらにパートが分かれた形になっています。どちらかというとパート2のほうが、わたしには面白く感じられます。前半のシャッフル・ビート、テンポを上げた後半で連発されるフィルイン、どちらも楽しめるプレイです。

◆ Bobby Day - Rockin' Robin ◆◆
この曲は、マイケル・ジャクソンのカヴァーのほうで知られていた時期が長かったのですが、1986年の映画『スタンド・バイ・ミー』で、目立つところに使われた(開巻まもないトゥリー・ハウスのシーン。たんにこの映画が設定した時代の大ヒット曲というだけでなく、樹の上でロビンが囀るという歌詞もちょうどいいとみなされたのだろう)おかげで、以後、オリジナルが復権しています。マイケル・ジャクソンは、ジャクソン5時代にサーストン・ハリスのLittle Bitty Pretty Oneもやっています。先日も書きましたが、ボビー・デイとサーストン・ハリスを同類と思っているのは、わたしだけではないようです。

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アールのプレイとしては、ストップ・タイムでのスネアのアクセント、およびヴァースの入口における四分三連が聴きどころでしょう。ストップ・タイムでは、邪魔な他の楽器がなくなるので、マイクが当たっていないキックの遠い音を聴くことができ、そういう時代だったのだなあ、てえんで、やや感慨あり、です。

以上で1958年を終わり、以下、1959年の楽曲に移ります。

◆ Chan Romero - Hippy Hippy Shake ◆◆
かつて世界中のアマチュア・バンドがプレイしたはずの曲で、チャート・アクションにはあらわれないところで、非常に重要な意味をもっていました。しかし、世界のアマチュアにプレイされるようになったのは、スウィンギング・ブルー・ジーンズのカヴァーがあったおかげだろうと思います。チャン・ロメロのオリジナルまでさかのぼってカヴァーした、という例は少ないのではないでしょうか。

わたしはもちろんブリティッシュ・ビートをリアルタイムで聴いて育った世代なので、当然、Hippy Hippy Shakeといえば、スウィンギング・ブルー・ジーンズだと思っていました。80年代になってようやく、チカーノ・ロックのオムニバスLPに収録されていたロメロのオリジナルにたどりつき、なんだ、ストレート・カヴァーだったのかよ、とがっかりしました。完コピといっていいほどストレートです。

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なぜカヴァーのほうが有名になったかといえば、ひとつは、単純にわれわれが無知だったせいであり、もうひとつは、コケの一念といってもよいほどの、スウィンギング・ブルー・ジーンズの素晴らしいエネルギーの奔騰のおかげでしょう。アルバムを聴くと、かなり危ないところがあって、あまり買えないバンドですが、Hippy Hippy Shakeだけは、なぜかすべてがうまくいき、スピード感とエネルギーのあるパフォーマンスになっているのです(後年のCDではフォルス・スタートが収録され、一発録りだったことがわかった)。

典拠を忘れてしまい、確認することができないのですが、かつて読んだ資料では、たしか、この曲のソロもルネ・ホールとなっていました。同じチカーノであるリッチー・ヴァレンズあたりと似たようなメンバーではないのでしょうか。アールのプレイはアヴェレージで、いつものように安定したビートの提供に徹しています。

◆ Eddie Cochran - Weekend ◆◆
ヒット曲でもなんでもなくて、エディー・コクランのベスト盤などにも収録されることはほとんどない、オブスキュアーなトラックです。それなのに、アール・パーマーが伝記のディスコグラフィーにこの曲をリストアップしたのは、それなりの理由があったからでしょう。個人的に思い出深いか、またはプレイとして気に入っているか、どちらかだと考えられます。わたしは後者だと思います。

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イントロから非常にいいグルーヴで、いかにもハリウッドのアール・パーマーらしい軽快さがあります。イントロからヴァースへの移行の際に、一拍だけのシンコペートしたアクセントを使っていますが、この一打のタイミング、強さ、ともに申し分ありません。ドラマーのうまさというのは、こうしたささやかな一打にあらわれるものなのです。

アール・パーマーとエディー・コクランははじめからウマが合い、仕事を離れたつきあいもあったと伝えられています。あるいはそういうことが、アールがプレイしたコクランのトラックが、どこがどうだというわけではないけれど、いずれも気持ちのいいグルーヴになっていることの理由なのかもしれません。人間のやることだから、気分も大事でしょう。

◆ Larry Williams - Bad Boy ◆◆
またまた、なんでだろうとなあ、と首をかしげつつ、ジョン・レノンに敬意を表して、彼がカヴァーしたラリー・ウィリアムズのトラックをもう一曲あげておきます。この時期のラリー・ウィリアムズはほとんどつねにアール・パーマーなので、ジョン・レノンがラリー・ウィリアムズのどんな曲をカヴァーしようと、結局、アールのプレイを土台にすることになったにちがいありません。

こうして書いていても、下手だなあ、面白くもなんともないのに、とまた思っています。ラリー・ウィリアムズがあんまり下手なので、ちゃんとしたヴァージョンを残しておいてあげようと思った、なんてことはないでしょうね、やっぱり。ジョン・レノンがカヴァーしなければ、この曲も、ラリー・ウィリアムズも、すっかり忘れられ、幻のシンガーになっていたにちがいなく、アールがプレイした曲を探しまわるわれわれ好事家も、入手に七転八倒していたことでしょう!

◆ Ernie Fields Orchestra - In The Mood ◆◆
ハル・ブレインも同じことをいっていますが、アールもやはり、スタジオ・プレイヤーというのは、長いあいだ町をあけると、あっというまに仕事をとられてしまうので、ライヴの依頼は、週末だけですむ近場のものしか引き受けなかった、といっています。アールは、スタジオ・プレイヤーとしてもっとやれたはずの人間が、長期のツアーに出たために、それっきりになってしまったケースをたくさん見た、ツアーに出るのは「死の接吻」だとまでいってます。

アールの仲間だった、プラズ・ジョンソン、ルネ・ホールという、スタジオに張りつきっぱなしで生きていた売れっ子プレイヤーたちは、しばしば、スタジオから出ずに稼ぐ方法はないものかと話していたのだそうです。そういう話のおりに、アールは「In the Moodをやろう」と提案してみました。ニューオーリンズでは年がら年中、白人連中に「おまえら、In the Moodを知っているか?」ときかれていたので、それなら、彼らの子どもたちだってあの曲が好きだろう、あれをロックンロール・アレンジにしてみたらいいのではないか、と考えたというのです。

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Rene Hall (right) and Cliff White playing for Sam Cooke.

ルネとプラズが、じゃあ、おまえがアレンジを書けというので、再び、アレンジャー、アール・パーマーが登場することになりました。アレンジャーの権限がおよぶ範囲は管だけだろうと思いますが、この曲は、管のみならず、ギターのアレンジにも魅力があり、こちらはおそらくルネ・ホールの仕事でしょう。ホールはサム・クックの多くの曲で、ギターをプレイしただけでなく、アレンジもしています。のちにキャロル・ケイが、いわゆるレッキング・クルーのことをアレンジャー集団だったと評しますが、パーマー=ホール=ジョンソン=フリーマンという、この時期のハリウッドを席巻した「プリ・レッキング・クルー」もまたアレンジャーの集団でした。

アーニー・フィールズはスウィング時代からのバンド・リーダーで、このときには、LAのランデヴー・レコードに所属していました。アール・パーマー、ルネ・ホール、プラズ・ジョンソンの3人は、いつもの雇われ仕事ではなく、印税を稼ぐために自分たちの手でレコーディングし、いくつかのレーベルに打診したところ、ランデヴーが関心を示し、In the Moodがリリースされることになりました。フィールズの名義になったのは、彼がランデヴー所属のアーティストであり、パーマー、ホール、ジョンソンのいずれかの名前や、または新しいバンド名をつくるよりマシだと判断されたのだろうと推測します。フィールズはトロンボーン・プレイヤーですが、In the Moodはフィールズが関与する以前に、すでに録音済みだったのでしょう。

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アール・パーマーのプレイという側面からいうと、このトラックは、彼がハリウッドに移住してからこれまでで、もっともすぐれたグルーヴのひとつと感じます。ビルボード・チャート4位という大ヒットになったのは、アール以下の面々が、他人の金ではなく、自分の金のためにホットなプレイをしたからでしょう。素晴らしいトラックです。よけいなことですが、アールはこの曲の印税で家を建てたそうです!

ここまでで1959年のトラックを終わり、次回は1960年の曲から見ていくことにします。


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by songsf4s | 2008-11-05 23:36 | ドラマー特集