<   2008年 10月 ( 12 )   > この月の画像一覧
書物の肖像

ベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇はまたしても選曲に手間取っているので、今日はほんのつなぎの駄話、というか、写真の羅列です。

十数年前の引っ越し以来、開けていない段ボール箱というのがあり、ブログをはじめてから、そういうもののなかに使えそうな材料がいくつかあるのを思い出したのですが、本や資料を収めた段ボールは多く、持ち上げるのも重労働で、まあ、いいか、とほったらかしていました。

しかし、もうひとつブログをはじめるとなると、やはり、あれとあれとあれぐらいは読んでおかないと話にならない、というのがあって、今日は重い腰を持ち上げ、狙いをつけた箱をいくつか押し入れから取り出し、開いてみました。ラッキーにも、五つ目の箱で大当たりが出ました。探していた本がごそっと浮上してきたのです。

45回転盤のスリーヴ写真や、SPのレーベル写真を載せているところのなかには、あきれ果てたことに、無断で写真を使うな、などといっているサイトがあります。こういうのは日本だけの島国根性が生む現象ではないでしょうか。英語サイトで画像をもらおうとして、無断使用お断り、などと書いてあるところにでくわしたことはありません。

当たり前ですよ。デザインした当人ではないし、その盤をリリースした会社でもないのだから、スキャンした人間なんかになんの権利もありません。「無断使用」というのなら、そのスリーヴをスキャンしてウェブに掲載し、「無断で使うな」などと反っくり返っているご当人が、そもそも無断使用をしているのです。以前にも書きましたが、もう一度改めて、馬鹿もいい加減になさい、権利のはきちがえもいいところですよ、と申し上げておきます。

以下の写真は必要なら「無断使用」なさってください。使っていただくことを前提に、いつもの当家の写真より大きくし、画質もすこし上げています。どれも自分の新しいブログのためにスキャンしたのですが、ざっと検索をかけてみたところ、小さくて不鮮明なものや、オリジナルではなく、新版や文庫本の写真しか見つからなかったものばかりです。香川登志緒の『大阪の笑芸人』もいっしょに出てきたのですが、これはよそに大きな写真があったので省きました。必要なら画像検索をしてみてください。

f0147840_23501284.jpg

鈴木清順『けんかえれじい』 装幀・林静一、題字・鈴木清順
映画と同じタイトルなので、検索には不都合だが、たぶん、この版の大きな写真はよそにはないと思う。あとがきを読むと、不当解雇裁判の結果が出る前の出版だったことがわかる。また、冒頭付近に収録されている「洋パンと『野良犬』と自動小銃」というエッセイに出てくる、小津安二郎『晩春』をめぐるくだりは、すっかり失念していたので、非常に興味深かった。それにからんで出てくる同じ年に公開された黒澤明『野良犬』についてのくだりも同様である。これはいずれ引用させてもらうことになるだろう。

林静一の装幀は、クレジットがなくてもすぐにわかるが、清順の「ガロ」の連載でも、印象的なイラストを添えていた。


f0147840_23505321.jpg

f0147840_23511741.jpg

f0147840_23514140.jpg

鈴木清順『花地獄』 装幀・林静一
1972年の第二エッセイ集。以上の写真はカヴァーではなく、函絵の表と裏。見返しに署名があって、記憶がよみがえった。一度、署名なしのふつうの版を買ったのに、たしか、早稲田の安藤書店でサイン入りを見つけ、それをさらに買ったので、ふつうの版はのちに手放すことになった。


f0147840_23525027.jpg

鈴木清順『夢と祈祷師』 装幀・林静一
いまあとがきをちらっと読んで、声を出して笑った。『伊豆の踊子』歴代監督をめぐる話が書かれている。林静一の装幀としては、三冊のなかでこれがいちばんいい。


f0147840_23543964.jpg

f0147840_23552245.jpg

松本隆『風のくわるてつと』
当たり前の本だと思うのだが、検索すると、文庫版ばかりで、この元版の大きな写真は見あたらなかった。この年になると、松本隆への思い入れはないのだが、はっぴいえんどファンのためにいちおうスキャンしておいた。ほんとうなら、Tonieさんをゲストライターに招いた「日本の雪の歌」特集のかくれんぼ by はっぴいえんどのときに発見しておかなければいけなかったので、半年遅れの発見。あがた森魚が帯の推薦文を書いていたことなど、すっかり失念していた。


f0147840_23564156.jpg

香川登志緒『てなもんや交遊録』
短い人物エッセイばかりで、それほど重要な本ではないが、上方演芸ファンはもっていたほうがいい一冊かもしれない。わたしは漫才もわからないし、上方落語だってよく知りはしないが、演芸ファンとして、つい、よその土地の本まで念のために買ってしまう。澤田隆治の本も読んだ。
[PR]
by songsf4s | 2008-10-31 23:57 | その他
The Best of Earl Palmer その10

本日は、ベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇その3です。おもに1958年の録音を扱います。

◆ Bobby Day - Over and Over ◆◆
われわれの世代の場合、ふつう、この曲はデイヴ・クラーク・ファイヴのビルボード・チャート・トッパーとして知っています。そういう感傷的な理由から、オミットしなかっただけで、大古典というわけでもないし(わが家には4ヴァージョンしかない)、アールのプレイもとくに抜きんでているわけでもなく、いつものように安定したビートを提供しているだけです。しいていえば、イントロおよび途中のストップ・タイムでの四分三連はちょっと魅力的です。

f0147840_23454862.jpg

DC5以外にわが家にあるこの曲のカヴァーは、スプートニクス(なんでや、てなものだが)とライチャウス・ブラザーズのものです。ご存知のように、64年からフィル・スペクターのドラマーは、ハル・ブレインからアール・パーマーに交代するので(ふつうはこの逆のコースをたどる。さすがはスペクター、つまらないところまで他人とはちがう!)、ライチャウスもほとんどすべてアールが叩いています。当然、ライチャウス盤Over and Overのドラムもアールです。

ただし、このOver and Overのようなアルバム・トラックは、フィレーズ時代のものでも、スペクターのプロデュースではなく、ビル・メドリーによるもので、どの曲もいかにもアルバム・トラックらしい、軽い仕上げになっています。

これがあったから、スペクターは安心していたのでしょうね。ライチャウスはのちにヴァーヴに移籍します。スペクターは、ほかのだれにも自分のような音作りをできるはずがないと自信をもっていたのでしょう。ところが、移籍第一弾の(You're My) Soul and Inspirationが出てみたら、スペクター・サウンドにうり二つ、しかもみごとにチャート・トッパーになってしまい、スペクターは驚愕し、腹を立てたという話が伝わっています。

f0147840_23482272.jpg

こういうことの裏側では、さまざまなファクターが働いているので、簡単に腑分けするわけにはいきませんが、プレイヤーたち、エンジニア、スタジオなどの条件が、最終的なサウンドの仕上がりに占める割合を、スペクターは過小評価していたのだと思います。スペクター以外のあらゆる人間が、それまでと同じ環境で、意図的に物真似に徹すれば、そっくりのものができてしまうのです。スペクター・サウンドは、フィル・スペクターだけがつくっていたわけではない、プレイヤー、スタジオ、エンジニアなどの力も大きかったのだ、ということが証明されたのではないでしょうか。

スペクターにはイマジネーションがあり、ビル・メドリーにはそれがないので、彼にできた唯一のことは、スペクターのイマジネーションが生み出したサウンドを、黙ってわきからくすねることだけでした。古物の縮小再生産が精一杯で、新しいものは作れません。当然、あとは尻すぼみで、ヴァーヴでのライチャウスには、ほかにめぼしいヒットはありません。しかし、皮肉なことに、同じころにスペクターのほうも尻すぼみになり、彼が強い影響力をもった時代は終わってしまいました。ケンカしても、仲良くしても、人生は短く、花の盛りは一瞬なのですな。

◆ Sheb Wooley - The Purple People Eater ◆◆
この曲については、昨年のちょうどいまごろ、ハロウィーン特集の一環として、すでに詳細に検討しています。楽曲としてご興味がある場合は、そちらをご覧ください。

ハロウィーンといえば、このThe Purple People Eaterと、ボビー・“ボリス”・ピケットのMonster Mashが二大古典と決まっていて、毎年、クリスマスのWhite ChristmasやJingle Bell並みに頻繁に、アメリカ中で流れているようです。

f0147840_23501112.jpg

まあ、そういう古典のなかの古典でもアールはプレイした、ということで、この曲については十分ではないかと思います。例によって、アールは「安定したビートの提供」に徹しています。

◆ Little Richard - Good Golly, Miss Molly ◆◆
これは本来ならニューオーリンズ篇で取り上げなければいけなかったのに、リリースが1958年だったために、見落としてしまった曲です。当落線上の曲なら、見落としたままでほうっておくのですが、これくらいのクラシックになると、無視というわけにはいきません。

わが家のHDDを検索すると、スウィンギング・ブルー・ジーンズ、ミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズ(Devil with a Blue Dress onとのメドレーだったため、邦題は2曲をかいつまんで「悪魔とモリー」された! こんな横着な邦題はほかにないのではないか?)、そしてCCRのカヴァーがありました。強烈な印象が残っているのは、やはりミッチ・ライダー盤です。子どもだったわたしは、ジョニー・ビーのキックでの8分連打に惚れました。小学校から中学にかけては、デイヴ・クラーク、キース・ムーン、ジョニー・ビー、ディノ・ダネリと、元気のいいドラマーには片端から惚れていましたっけ。

f0147840_23553293.jpg

リトル・リチャードのオリジナルは、リリースは1958年のものの、録音は1956年なので、メンバーも当然、J&Mの「ザ・スタジオ・バンド」、つまり、ニューオーリンズのレギュラーです。ニューオーリンズの8ビートがついに完成した曲、といっていいのではないでしょうか。Lucilleにはあった荒削りなところがなくなり、落ち着きと洗練の感じられる8ビートになっています。これを聴くと、LAに来た当初のアールは、いったん後退したのではないかと思えてきます。やはり、迷いがあり、「これだ!」といえるスタイルとサウンドが見つからなかったのではないでしょうか。そう感じるほど、このニューオーリンズ時代末期のプレイは光っています。

◆ Eddie Cochran - Summertime Blues ◆◆
またまた大古典です。今日は有名曲、大ヒット曲ばかりですな。この曲についても、すでに三度にわたって詳細に書いているので、ご興味のある方はそちらご覧いただけたらと思います。

『音楽の都ハリウッド』の一部(他サイトにリダイレクト)
当ブログの過去の記事1
当ブログの過去の記事2

大スターは、画面の端にうしろ姿を見せただけで、むむ、と思わせるものですが、いろいろな曲に挟まって登場すると、この曲は、イントロからしてもう「大スターの風格」があります。なんでしょうねえ、こういう魅力というのは? だれも派手なことなどしていなくて、たんにバックトラックが素で鳴っているだけなんですがねえ。要するに、これがグッド・グルーヴの力なのでしょう。

f0147840_23563298.jpg

アール・パーマー、ベースのコニー・スミス、ミューティッド・エレクトリックとアコースティック・リズムのエディー・コクラン、さらにはハンドクラップのシャロン・シーリーとジェリー・ケイプハートまでふくめ、すべてのプレイヤーのグルーヴの総和として、この心揺さぶるビートができあがったのでしょう。こういう風にすべてがうまくミックスされるセッションというのがあるものなのです。

アールは目立つようなプレイはしていませんが、いいグルーヴだなあ、と感じさせれば、それだけでドラマーとしては「勝ち」なのです。


[PR]
by songsf4s | 2008-10-29 23:56 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その9

またしても映画タイトル話の蒸し返しですが、小津安二郎に『お茶漬けの味』という作品があります。このあいだ、これがFlavor of Green Tea Over Riceと訳されているのを見ました。いやはや。

たとえばですな、A Taste of Tortillaという映画があったとしましょう。あなた、これを『トウモロコシ粉を水で溶いて薄焼きにしたものの味』と訳しますか? 多少とも知性があったら、そんな愚劣なことはできませんよ。トルティーヤがどんなものか、ふつうの日本人にわかろうがわかるまいが、そのまま『トルティーヤの味』とするか、トルティーヤとは無関係なタイトルをつけるでしょう。

怒髪天を衝いた勢いのまま、このお茶漬け翻訳野郎を罵倒しようかと思ったのですが、考えてみると、彼らはわれわれとちがって素人なのかもしれません。なんの素人かというと、異文化導入の素人です。こちらは遣唐使の昔から異文化導入が得意なところにもってきて、明治以降は、さらに異質な欧州文化の取り込みに心血を注いで国をつくってきたのだから、そこらの素人衆と違って、異文化導入のフォームが完璧にできあがっているのかもしれません。ほら、ヒヨコのオスメスを瞬時に判断して振り分ける仕事があるじゃないですか。あれぐらいの練度の高さで、われわれは日々怒濤のごとく押し寄せる異文化を捌いているのかもしれません。

f0147840_02756.jpg

たとえば、さきほどのA Taste of Tortillaです(なんだか、実在の作品のような気がしてきた。「メキシコの成瀬」なんていわれる監督がいたりして、彼の代表作だったりとか!)。きわめて異文化的で、日本語に直しようのない言葉は、そのまま投げ出してよい、という文化的暗黙の合意が形成されているわけですな、われわれの場合は。それはそういうものとして、勝手に分解せずに丸ごと受け取ること、と子どものころから教育されているのです。

こういう「装置」が、意外によく機能した結果、今日のわれわれがあるのかもしれない、なんて気がしてきました。そのせいで、消滅したり崩壊したりした固有文化もあるでしょうが、タダで手に入るものはないので、ある程度の犠牲はやむをえないでしょう。

もっとも、この医療用語言い換え提案に関する記事を読むと、われわれの文化のよき伝統――「それはそういうもの」として、解体せずにまるごと受け取る――も風前の灯火だと思います。ここでいっている「難解な用語」というのが、「緩解」「誤嚥」「浸潤」「生検」「耐性」といった、ごくあたりまえの言葉にすぎないのです。この程度の言葉を難解だなんていっていると、いずれ「難解」という言葉それ自体まで、むずかしすぎるからと使用不可になることでしょう。馬鹿が馬鹿を背負って馬鹿の地獄巡りをするような国になってきましたな、わが日本国は。

それで思い出しました。「団塊の世代」が暇と金をもてあまし、よせばいいのに料理学校に行ったりするのだそうです。でもって、なにが起こるかというと、「大根を千六本にする、とはどういう意味だ」「とろ火とはどれくらいの火量なのだ」などと世にも愚劣なことをいって、料理の先生を困らせるのだそうです。

そこで、最近の料理学校の教授スタイルも、料理書やレシピも、いたずらに論理性偏重になり、「千六本」などという、語呂のよい喩えは使わなくなったのだそうです。バッカじゃなかろか! 言葉というのは、論理性だけでできているわけではなく、音、響き、調子のよさというものも重要であり、それがわれわれの言語文化にふくらみと余裕をもたらしているのです。

なにしろ掃いて捨てるほどたくさんいるので、あの世代がまとまって動くたびに、イナゴの大群が通ったあとの畑のようなものができあがります。わたしはその荒廃した土地をずっと通ってきた世代だから、よく知っています。あれほどはた迷惑な世代はありません。これからの日本は、またイナゴの大群の大方向転換でさらに荒廃の度を深めることでしょう。「千六本」や「とろ火」が通じない無知にして無恥の国、日本です。

馬鹿の都合に合わせて国をつくってはいけませんねえ。水は低きにつくように、愚者も低きにつきます。社会を沈没させないためには、つねに高きにつくことを考えなければいけないでしょう。言葉はその基礎です。

◆ Thurston Harris - Little Bitty Pretty One ◆◆
さて、枕と本題が水と油ですが、本日の本題はベスト・オヴ・アール・パーマー、ハリウッド篇その2です。

われわれの世代の場合、このLittle Bitty Pretty Oneという曲を知っているとしたら、デイヴ・クラーク5盤か、さもなければ、ジャクソン5盤を通じてのことでしょう。ホリーズやパラマウンツ(プロコール・ハルムの母体)のヴァージョンもあるので、ブリティッシュ・ビート・グループに好まれたことがわかります。アール・パーマーのディスコグラフィーを仔細に見ると、後年、ブリティッシュ・ビート・グループにカヴァーされ、その結果、古典化した曲がたくさんあることに気づくことでしょう。

f0147840_073181.jpg

この点になにか意味があるのかもしれませんが、しかし、過大評価はしないほうがいいと思います。アール・パーマーは、50年代後半から60年代はじめにかけて、アメリカのナンバーワン・ドラマーであり、きわめて多数のヒット曲でプレイし、その結果、この時期のアメリカ音楽、とりわけR&Bの強い影響下で生まれたブリティッシュ・ビート・グループのレパートリーに、アールがプレイした曲が大量に取り込まれた、という、いたって自然なことにすぎないのだろうと思います。その気で調べれば、バディー・ハーマンやゲーリー・チェスターといった、この時期の他の音楽都市のキングだったドラマーがプレイした曲も、同様に数多くカヴァーされていることが判明するのではないでしょうか。

わが家にはボビー・デイのヴァージョンもあって、ハリスとデイ、どちらが先かと調べかけ、ソングライター・クレジットを見たら、ボビー・デイとありました。わたし、ボビー・デイとサーストン・ハリスが頭のなかでゴチャゴチャになっています。同じ時期に、同じ系統の曲を、同じプレイヤーによって、同じようなサウンドでやっている、ということにその原因があるのですが(我が愛するDC5がこの両者の曲をカヴァーしているため、DC5のオリジナルをたどった結果として、サーストン・ハリスとボビー・デイに行き着いたという個人的事情もある)、このように楽曲まで重なってしまうと、いよいよ混乱してしまいます。

アールのプレイはどうかというと、マラカスやハンドクラップが重ねられているせいもあるのですが、前回ケチをつけたSlow Downなどより、はるかにリラックスしたいいグルーヴを生んでいると感じます。ドラマーはなによりもまずリラクシングです。

ちなみに、上記以外に、フランキー・ライモン&ザ・ティーネイジャーズ、クライド・マクファーター、ザル・ヤノフスキーのヴァージョンもわが家にはあります。いかにもフランキー・ライモン向きの曲で、これはなかなかの出来です。そういってはなんですが、クライド・マクファーターよりいいですな。

f0147840_020465.jpg

ここまでがアール・パーマーのハリウッド初年度である1957年の録音で、つぎからは1958年に入ります。

◆ Ricky Nelson - Be-Bop Baby ◆◆
リラックスしたグルーヴというと、ハリウッド録音で最初にそれを感じるのが、このリッキー・ネルソンのインペリアル移籍第一弾です(be-bopは古代ジャズ方面の書き方では「ビバップ」または「ビ・バップ」とされている。辞書の発音記号でもアクセントは第一シラブルだし、biのあとに長音記号もある。したがって、アクセント位置を明示する意味も含めて、このシラブルは長音にしなければいけない。リック・ネルソンももちろん、「ビバップ」などという舌足らずな幼児発音ではなく、きちんと「ビーバップ・ベイビー」と長音で歌っている。「ビバップ」はそろそろ廃棄するべきだろう)。

f0147840_0355215.jpg

ニューオーリンズ時代のアールが好きな人は気に入らないかもしれませんが、ハリウッドでのアール・パーマーは、やがて独特の軽快なグルーヴを発明することになるわけで、この曲のプレイにはそのハリウッド的軽快さが見られます。ノッペラボーではなく、きれいな「うねり」とでもいうべきテクスチャーのあるグルーヴで、そこがニューオーリンズ的といえばいえるでしょう。この特集で何度かいった「ロコモーティヴ・ビート」のヴァリエーションです。

この曲で好きなのは、イントロと同じパターンのストップ・タイムからの戻りで、何度か短いロールを使っているところです。これはハル・ブレインにも受け継がれ、さらにはジム・ゴードンにまで遠く響くことになる、ささやかな、しかし、魅力的なリックです。もちろん、すごくきれいなロールだから、いいなあ、と思うのですがね。

Be-Bop Babyは大ヒットし、リッキー・ネルソンの代表作のひとつとなりますが、そのヒットにアールの軽快なビートもおおいに貢献したのではないでしょうか。

◆ Jan & Arnie - Jennie Lee ◆◆
前回のリストでは、アーティスト名をジャン&ディーンとしましたが、リリース当時のクレジットに戻しました。つまり、このジャン・ベリーとアーニー・ギンズバーグのデュオが壊れ、ジャンの相方がディーン・トーレンスに交代することによって生まれたのが、かのジャン&ディーンだということです。

この曲はもともとジャン・ベリーのガレージで、彼の2トラックのアンペクスで録音されたもので(この時代のアンペクスの2トラックはちょっとした値段のはずで、このあたりからもジャン・ベリーのお坊ちゃまぶりがうかがえる。良くも悪くも、典型的なLAの良家の子弟であり、それが彼のサウンドにもあらわれていた)、アールらのプレイはあとでオーヴァーダブされたものです。

f0147840_038097.jpg

したがって、トラックはジャン・ベリーのタイムでつくられていることになり、この曲もまた、ドラマーの代表作に入れるのは不都合だということになります(じっさい、B面のGotta Getta Dateのタイムはよろめくような代物!)。しかし、ジャン・ベリーはこのあとアールにとって重要な顧客になりますし、もう少し引いた絵で見ても、アール・パーマーにとって、この時期には白人のセッションが重要な意味をもっていたので、この曲も取り上げることにしました。すでに58年には、典型的なカリフォルニアの白人であるジャン・ベリーの仕事をしていた、ということが重要で、楽曲の出来はどうでもいいのです。

◆ Johnny Otis - Willie And The Hand Jive ◆◆
わが家のHDDを検索したところ、ジョニー・オーティス以外に、サンディー・ネルソン、ヤングブラッズ、ニュー・ライダーズ・オヴ・ザ・パープル・セイジ、ジョニー・リヴァーズ、そして、クリフ・リチャードのローカル盤がありました。いったい、だれのヴァージョンでこの曲を記憶したのかわからなくて調べたのですが、検索結果を見ても、ああ、そうだった、とは思いませんでした。

70年代はじめにジョニー・オーティスのベストを買ったので(シュギー・オーティスの父親というのはどんな人なのかと思ったため!)、結局、オリジナルを通じて知ったのかもしれません。世間ではエリック・クラプトンのカヴァーが有名なようですが、このヴァージョンが流れていたのを聴いた記憶はありません。オリジナル以外では、これまた影武者としてアールがプレイしたサンディー・ネルソン盤、それに、ジョニー・リヴァーズ盤のグルーヴがすぐれています。

ジョニー・オーティスはLAのR&Bシーン(むしろ「セントラル・アヴェニュー・シーン」といったほうがわかりやすいかもしれないが)のキーマンなのだから、アールがLAにやってきた以上、遅かれ早かれ顔を合わせることになったでしょう。オーティス自身がドラマーなので、自分のセッションでプレイするドラマーに対しても一言も二言もあったはずで、大エースの参加を歓迎したにちがいありません。このあと、キャピトル時代のオーティスのセッションのほぼすべてで、アールがストゥールに坐ったようです。

f0147840_049351.jpg

この曲は典型的なボー・ディドリー・ビートで、アールとしては自家薬籠中のものといえるでしょう。興味深いのは、このWillie and the Hand Jiveでは、いつものジョニー・オーティス・バンドの編成(4リズム+4管)ではなく、管なしの4リズム(およびパーカッション)、それもピアノ抜きでギター×2(ひとりはジミー・ノーランらしいが、もうひとりはわからない)という変則的編成、要するに後年のロックバンドの編成でやっていることです。なにをヒントに、こういう編成を思いついたのか、ビッグバンド時代からやっているヴェテランにしては、ずいぶん若々しいことを思いついたものです。

余談ですが、キャピトル時代のジョニー・オーティスのプロデューサーはトミー・モーガンだったそうです。あのハーモニカのモーガンその人です。モーガンは、アル・ディローリーと同じように、インハウス・プロデューサーとしてキャピトルから給料をもらいながら、スタジオ・プレイヤーをやっていたのです。スティーヴ・ダグラスも一時期キャピトルに勤めていたようで、こういう例はけっこうあるのでしょう。

◆ Ritchie Valens - La Bamba ◆◆
これまた、アールのプレイとしては、とくに褒めるほどの出来ではないのですが、古典なのでオミットできなかった曲です。多少とも音楽好きなら、だれでも知っている曲ですからね。

この曲のメンバーは、リード・ギターがリチャード・ヴァレンズエラ自身、ダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)がルネ・ホール、リズム・ギターがキャロル・ケイ、というところまでははっきりしています。はっきりしないのはベースで、ウェストコースト・ジャズの重鎮、レッド・カレンダーという説が有力のようです。また、アーニー・フリーマンは、自分がピアノをプレイしたと主張しているそうです。証明する材料がないようですが、この時期のハリウッド・スタジオ事情を鑑みると、このメンバーならフリーマンがいてもなんの不思議もありません。

アール・パーマー、レッド・カレンダー、ルネ・ホール、アーニー・フリーマン、そしてこの曲には登場しませんが、プラズ・ジョンソンを加えた5人は、この時期のハリウッドのレギュラーでした。かつてのニューオーリンズの「ザ・スタジオ・バンド」に相当するものがハリウッドにあったとしたら、その嚆矢はこのメンバーです。ハル・ブレインのせいで、ハリウッドのスタジオのレギュラーというとレッキング・クルーということになってしまいましたが、そのプロトタイプとしてのパーマー=ホール=カレンダー=フリーマン=ジョンソンも、レッキング・クルーに引けをとらない大活躍をしたことを特筆大書しておきます。

f0147840_0505519.jpg

◆ Ritchie Valens - Come On, Let's Go ◆◆
La Bambaとちがって、この曲には、わが家のHDDで見るかぎり、ブルース&テリーとマコーイズのカヴァーしかなく、古典とはいいかねますが、わたしの好みでいうと、夭折したリチャード・ヴァレンズエラの代表作は、La Bambaではなく、Come On, Let's Goなのです。アール・パーマーのプレイという観点からいっても、Come On, Let's Goのほうが数段出来がいいので、La Bambaだけでは片手落ちと考えました。

アールの強烈なバックビートも素晴らしいのですが、ルネ・ホールの変なギターも、なんだか妙に好ましく感じます。この人は独特のペラペラしたトーンにしているのですが、どうやってつくっていたのでしょうかねえ。チューニングを下げたか、または弦を一本ずつずらして張ったか、なにかそのような処理をしていたのではないでしょうか。そうじゃないと、あんなにペラペラした音は出ないだろうと思います。たまにしか聴かないなら、ホールがなにをしていても気にすることはないのですが、この時期のハリウッドではおなじみの音なので、いやでも考えてしまいます。

アールには関係のないことですが、マコーイズのCome On, Let's Goも素晴らしい出来です。まだ子ども子どもしたリック・デリンジャーの元気いっぱいのヴォーカルが魅力的ですし、だれがプレイしたのか不明ですが(もちろん、マコーイズのメンバーではなく、セッション・プレイヤー)、ドラミングもたいへんけっこうです。わたしは、ちょっと強引かと思いつつ、バーナード・パーディーではないかと密かに卦を立てています。


[PR]
by songsf4s | 2008-10-27 23:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その8

前回のベスト・オヴ・アール・パーマー、ニューオーリンズ篇が終わった段階では、三日ほどあれば、ハリウッド篇に入れるだろうと楽観的に考えたのですが、当てごととなんとかは向こうからはずれる、ライトフライと三塁ゴロほどにかけ離れた計算違いでした。

まあ、二十数回目の『晩春』見直しや(『東京物語』よりこちらのほうが好き)、小津の撮影監督だった厚田雄春〔ゆうはる〕の本の数回目の再読、さらには村松友視の『トニー谷、ざんす』の再読などと、(別のブログのための準備なのだが、こちらのブログの観点からいえば)よけいなことをしていたせいもあるのですが、なんといっても時間を食われたのは、必要な盤の発見(消えることがよくある!)と吸い出しと圧縮、タグ入れ、年次フォルダーへの振り分けといった下準備です。

f0147840_0541372.jpg
厚田雄春/蓮實重彦『小津安二郎物語』 何度読んでも新たな発見がある本だが、それよりもなによりも、これほど話し手の人柄がじかに伝わってくる談話はめずらしい。一度でいいから、厚田雄春という人に会って、お話を伺ってみたかったと慕わしい気持ちになる稀有の書。写真は『東京物語』撮影中の小津安二郎と厚田雄春。

ベスト・オヴ・ジム・ゴードンでも、この作業にはずいぶん時間を使いましたが、彼の場合、ドミノーズやトラフィックなどのメンバーになって、ツアーに出ていた期間がずいぶんあるので、幸か不幸か、スタジオ仕事は「大量」にあるといった程度で、「膨大」ではありませんでした。対処可能な範囲内の数量です。

アール・パーマーの生涯記録をご存知でしょうか? キャロル・ケイがアールから直接にきいたところによると、晩年に4万曲を超えたそうです。仮に1曲平均3分として、合計プレイング・タイムは12万分、60分で割ると2000時間、一日に2時間ずつ聴いても全部聴き終わるのに千日、まるで比叡山で修行しているみたいなものです。あるいはシェヘラザードの夜物語というべきか。

いや、もちろん、この4万曲のすべてが盤のための録音ではないでしょう。もうひとりの「4万曲プレイヤー」であるハル・ブレインの場合、サントラもあれば、コマーシャルもあり、ジングルもありで、盤になったものはこの半数にも満たないようです。それにしたって2万曲。半分はガラクタと切り捨てても1万曲。アールにしてもハルにしても、そのうち1割ぐらいは「死ぬ前に一度は聴いておいたほうがいい曲」と丼勘定でいってしまってもいいでしょうから、すくなくとも千曲は聴かないと、彼らについてなにかものをいうことはできないのです。

f0147840_050125.jpg
LA移住直後と思われるアール・パーマー

いや、この特集を現実の時間の範囲内に終わらせるために、今回は手順をものすごく簡略化しています。アールの伝記の末尾に掲載されているセレクティッド・ディスコグラフィーをベースにして、ここから好みでないもの、歴史的重要性の小さいものをふるい落とし、ディスコグラフィーにはない、好みのものを多少追加する、という方針です。これくらいに見切らないと、とてもじゃありませんが、こんな記事を書くための準備すらできません。吸い出すCDの数をある程度抑えないと、数カ月の準備期間が必要になってしまうでしょう。

とまあ、ごちゃごちゃ弁解が多くて恐縮ですが、やっとできあがったのが、以下の1957年と58年の選曲です。たった2年分で申し訳ありませんが、ここまでもってくるだけでも、おそろしく手間がかかったのですよ。

01. Ricky Nelson - I'm Walkin'
02. Larry Williams - Bony Moronie
03. Larry Williams - Slow Down
04. Sam Cooke - You Send Me
05. Thurston Harris - Little Bitty Pretty One
06. Ricky Nelson - Be-Bop Baby
07. Jan & Dean - Jennie Lee
08. Johnny Otis - Willie And The Hand Jive
09. Ritchie Valens - La Bamba
10. Ritchie Valens - Come On, Let's Go
11. Bobby Day - Over And Over
12. Sheb Wooley - The Purple People Eater
13. Little Richard - Good Golly, Miss Molly
14. Eddie Cochran - Summertime Blues
15. Don & Dewey - Koko Joe
16. Earl Palmer & His Ten Piece Rockin' Band - Drum Village (Part 1)
17. Earl Palmer & His Ten Piece Rockin' Band - Drum Village (Part 2)
18. Bobby Day - Rockin' Robin
19. Eddie Cochran - Jeannie, Jeannie, Jeannie

これでも絞りに絞ったのですが、これ以上の軽量化は無理なようです。しいていうと、最後のJeannie, Jeannie, Jeannieはオミットするかもしれませんが、あとの18曲は、プレイの善し悪し以前に、主として歴史的意味合いからの選択なので、こちらの好みの入り込む余地はあまりないのです。

◆ Ricky Nelson - I'm Walkin' ◆◆
アール・パーマーはニューオーリンズの黒人プレイヤーだったので、ニューオーリンズ時代には、当然ながら、ブラック・シンガーの仕事ばかりでした。この点もLA移住の理由のひとつだったのではないでしょうか。以前にも書いたように、彼はビーバップ世代であり、複雑な和声に対する強い嗜好をもっていたので、来る日も来る日も3コードのR&Bばかりでは、なんともやるせない気分だったでしょう。

最終的には映画音楽の世界に進みたいと考えていたようですが、ハリウッドに来たばかりの黒人プレイヤーが、人種の壁と音楽の「クラス」の壁(もちろんR&Bが最下層で、映画音楽が最上層。いや、わたしの価値判断ではなく、業界人の価値観をいっているにすぎないが、客観的にいって、映画音楽のプレイヤーの技術水準はきわめて高く、仕事は複雑かつ困難であり、適性のあるプレイヤーは限定される)という二つの障害を、一足飛びに乗り越えるわけにはいきません。まずは白人のセッションでプレイすることが第一段階です。

f0147840_052297.jpg
Ricky Nelson on the stool of Earl Palmer's set.

ハリウッドで仕事をはじめたとき、アール・パーマーは保険としてアラディン・レコードとA&R(プロデューサー)契約を結び、サラリーをもらっていました。故郷には「前の家族」を置いてきたし、LAには「現在の家族」をつれてきているので、養うべき口は多く、ロック・バンドのドラマーとはまったく異なった考え方をするわけです。スタジオ・プレイヤーというのは概して大人で、それがよかれ悪しかれ彼らのプレイにもあらわれるものなのです。

当初はハリウッドでも、当然ながら、ロックンロール、R&B系のセッション、それも黒人シンガーが中心になります。それが変化するのは、トミー・サンズとリッキー・ネルソンという、二人の白人ティーネイジ・アイドルの仕事をしたあたりからでしょう。サンズの曲は典型的なロカビリー、テレビ・ドラマのアイドルだったリッキーのデビュー・シングルにいたっては、なんと、ニューオーリンズをあとにする直前に録音したファッツの曲のストレート・カヴァーです。

ミュージシャンの手配をするコントラクターも、その推薦を受け入れたプロデューサーのバーニー・ケッセルも、アールがファッツのドラマーだったことを知っていたのでしょう。だから、ニューオーリンズ風味のハリウッドでの再現を狙ったかというと、そういうサウンドには聞こえません。

俳優としてのリッキーはロウティーンの白人少女のアイドルであり、高視聴率番組を通じて数百万の大人の白人も聴くことになる、という前提が強い縛りになったのではないでしょうか。たんにリッキーが白人であり、なおかつ子どもだからというだけでなく、サウンドそのものが意図的に白っぽくつくられていると感じます。

リック・ネルソンの伝記によれば、このセッションではっきりしているのは、ドラムのアール以外では、サックスがプラズ・ジョンソン、ギターがマール・トラヴィス(う、うっそー! カントリー系のことは知らないが、ポップ系セッションでトラヴィスがプレイしたトラックとしてはわたしが知る唯一のもの!)だったことだけで、ローカル47(アメリカ音楽家組合LA支部)のオフィスにはコントラクト・シートが残っていないため、ベースとピアノはわからないそうです。バーニー・ケッセルの記憶では、ベースはジョージ・“ジャド”・ディノート(George "Judd" Denaut)という人だったそうで、アールもこれを肯定しているものの、肝心のディノート本人は否定しているとのことです。

f0147840_0562426.jpg
Philip Bashe "Teenage Idol, Travelin' Man: The Complete Biography of Rick Nelson" 音楽ライターには稀なことだが、不明点は徹底的に調査するという、物書きとしての基礎ができている書き手なので、非常にすぐれた伝記になっている。リック・ネルソン伝というより、調査の裏付けのある背景情報が満載で、ハリウッド音楽史の資料として一級品である。

ピアノはジーン・ガーフではないかという伝記作者の推測は、この際、合っていてもまちがっていても大勢に影響はないのですが、ベースがだれか、というのは、わたしにはすごく気になります。この曲のベースは、スタンダップではなく、フェンダーだからです。フェンダー・ベースがスタジオ機材として一般化するのはもう少しあとのこと、60年代に入ってからで、この1957年の時点ではプレイヤー(もちろん、「プロの」という意味)の数すらごく一握りだったのです。

キャロル・ケイが調べたかぎりでは、スタジオではじめてフェンダー・ベースをプレイしたのは、モンク・モンゴメリー(ウェスの兄弟)ではないかとのことで、60年代前半、ハリウッドのフェンダー・ベースの仕事をほぼ独占することになるレイ・ポールマンですら、まだこの時点ではベースを弾いていないと思われます。だから、この曲でのフェンダー・ベースの使用は注目に値します。

ドラマーとサックスはニューオーリンズ出身なのに、この曲のサウンドが「白く」なった理由は、ベースとギターの(悪い意味ではなく)軽さのせいでしょう。アールは重くもなく軽くもなく、ニュートラルなプレイです。知らない土地での、不慣れな環境における「様子見」なのではないでしょうか。

しかし、4ビートに変化する間奏でのマール・トラヴィスとプラズ・ジョンソンという、世にも意外な取り合わせのソロ回しはドキドキしますなあ。お子様アイドルなんかまったく当てにしていなかったバーニー・ケッセルが、歌抜きでも楽しめるトラックをつくろうとしたのではないか、なんて勘繰っちゃいますよ。

f0147840_161894.jpg
Country Music's Two Guitar Greats: Merle Travis & Joe Maphis タイトルどおり、ジョー・メイフィス(左)とマール・トラヴィスという、カントリー・ギター界の重鎮二人の共演。もうむちゃくちゃなうまさで、開いた口がふさがらない。わたしはカントリー・ファンではないが、カントリー・ギター・インストは大好き。

わたしはリックのファンなのですが、そのファンが見ても、リックのトラックというのは、いつもシンガーの足を引っ張るほどゴージャスで、これはデビュー盤以来の「伝統」なのだなあ、と感じ入ってしまいます。リックだって、バックに喰われまいと思ってがんばったのじゃないでしょうかね。

このあと、だれがリードをプレイするかといえば、ハワード・ロバーツであり、ジョー・メイフィスであり、そして驚異の新人ジェイムズ・バートンですからねえ。これをゴージャスといわず、なにをゴージャスというのか、ですよ。しかも、途中からベースはこれまたもう一人の驚異の新人ジョー・オズボーンなんですから、まちがいなくあの時点での史上最強のツアーバンドです。これだけすごいと、スタジオではドラムだけハルやアールに交代、というわけにはいかなかったのでしょう。リッチー・フロストという二級のドラマー(といってもタイムはいい)だったおかげで、なんとかシンガーとのバランスがとれたようなものです。

アールとしてはまだ本領発揮とまではいきませんが、とりあえず、白人セッションで実績をつくった(リックのI'm Walkin'もヒットした)ことは重要です。

◆ Larry Williams - Bony MoronieおよびSlow Down ◆◆
ジョン・レノンがラリー・ウィリアムズを好んだのはどういうことなのでしょうねえ。いま聴いても不思議です。ご存知でしょうが、この人、歌がうまくないのです。そこが魅力といえば魅力といえなくもないのですが、わたしの好みからいうと、音のはずし方が魅力的ということはなく、たんに下手だなと思うだけなのです。

しいていうと、どの曲もリック・オリエンティッドなところが、60年代のロック・バンドのスタイルに通じるかもしれません。曲や歌詞は忘れても、ギター・リックは絶対に忘れません。ラリー・ウィリアムズ自身はピアニストなのですが、リック・オリエンティッドなところはギター・バンド的といえます。

f0147840_128630.jpgBony MoronieとSlow Downは、リリース時期は異なるものの、録音自体は両方とも1957年9月11日におこなわれているので、当然、メンバーも同じです。ウィリアムズのピアノ、アールのドラムのほかに、ギターがルネ・ホール、サックス陣のひとりはプラズ・ジョンソンです。ここにもうひとり加わると、この時期のハリウッドのヒット・メイカーのそろい踏みなのですが、それはそのあとひとりが登場したときに詳しく見ます。

余談ですが、この2曲のベースはテッド・ブリンソンで、この人は自宅にガレージ・スタジオをもっていました。ここから何曲かヒットが生まれていますが、もっとも有名なのはペンギンズのEarth Angelです。ここにLAの北(ハリウッド)と南(セントラル・アヴェニュー)のトポロジーという面白いテーマもあるのですが、それはまたいつかべつのときに。

肝心のアールのプレイはどうかというと、わたしとしてはやや不満です。植え替えをしたあとの植物と同じで、まだ根が張っていなくて、葉っぱに勢いがない、といったあたりです。ニューオーリンズ時代の自信満々の落ち着きが感じられません。土地が変わり、スタジオのレベルがいきなり数段階あがって、最新設備になり、スタジオ内にいる人間は白黒入り乱れているわけで、まだ環境に適応しつつある、というところでしょうか。

いまわが家のHDDを検索してみたのですが、Bony Moronieは、ジョン・レノンのほかに、フライング・ブリトー・ブラザーズとグラム・パーソンズのヴァージョンがありました(グラムはグラムでソロになってからブリトーズとは別に録音がある)。ブリトーズ盤、グラム盤(フォールン・エンジェルズ・ツアーのライヴ盤)、ともに生前にはリリースされなかったもので、一級品とはいいかねますが、グラムがこの曲を好んだことだけはこの2種のカヴァーが証明しています。

Slow Downのほうは、ラスカルズとボビー・フラー・フォーのヴァージョンがあります(もちろん、ビートルズ以外に、という意味だが、考えてみると、この曲がビートルズのカヴァーによってクラシックになったことをご存知ない人もいらっしゃるかもしれない)。タイプは異なるのですが、こういう風に並べてみると、この二者にはどことなく共通点があるような気がします。香車というか、猪というか、思いこんだら一直線みたいなところがあると思います。後年のラスカルズには当てはめられませんが、このデビューの時点ではまっすぐ一本道のサウンドでした。ラリー・ウィリアムズの楽曲というのは、なにかそういう原初の魂を呼び覚ますようなところがあるのでしょう。

◆ Sam Cooke - You Send Me ◆◆
f0147840_136422.jpgこういうプレイの曲をドラマーのベスト・セレクションに入れるのは「あんまり」だとは思います。しかし、何度も申し上げるように、スタジオ・プレイヤーの場合、「そのとき、そこにいた」ことはきわめて重要で、これくらいの曲になると、ワールド・シリーズでプレイしたのと同じぐらいの価値があるのです。ま、理屈はおくとしても、わたしはサム・クックの大ファンであり、なかでもこの曲は彼の代表作なのだから、オミットするはずがないのです。

アールはサム・クックのニューオーリンズ・セッションのときにもストゥールに坐っていますし、最終的にYou Send Meという大ヒット曲にして不朽の大古典を生むことになる、彼の一連の実験的なセッション(といってもアヴァンギャルドという意味ではなく、ゴスペル・シンガーからメインストリーム・シンガーへの転身をはかって、さまざまなデモを録音したという意味で「実験的」なのだが)のときからサム・クックをバックアップし、晩年の代表作でもプレイしています。

アールとしては、どこにも腕の見せどころはなく、ただタイム・キーピングに徹する「3分間の我慢」のカップ麺セッションですが、なんたって曲がいいし、サム・クックのレンディションが絶品なので、ドラムが出しゃばる余地はまったくなく、やむをえない我慢です。詰まるところ、スタジオ・プレイヤーというのは、自分のためにプレイするわけではなく、楽曲とトータルなサウンドに奉仕することをその本分とするのだから、こういうふうに、聴かせどころ、やりどころがまったくない曲というのは、「やむをえない」どころか、これこそがスタジオ仕事のメインラインというべきでしょう。


[PR]
by songsf4s | 2008-10-25 23:56 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その7

アール・パーマー特集は、本日でニューオーリンズ篇を終わるので、ニューオーリンズ時代の最終的なソング・リスティングをお目にかけることにします。

1. Fats Domino - The Fat Man (1949)
2. Tommy Ridgley - Boogie Woogie Mama (1949)
3. Joe Turner - Jumpin' Tonight (1950)
4. Tommy Ridgley - Looped (1950)
5. Jewel King - 3 x 7 = 21 (1950)
6. Dave Bartholomew - That's How You Got Killed Before (1950)
7. Lloyd Price - Lawdy Miss Clawdy (1952)
8. Smiley Lewis - Big Mamou (1953)
9. Earl King - I'm Your Best Bet Baby (1954)
10. Fats Domino - I'm In Love Again (1955)
11. Smiley Lewis - I Hear You Knockin' (1955)
12. Antoine 'Fats' Domino - My Blue Heaven (1955)
13. Little Richard - Tutti Frutti (1955)
14. Little Richard - Long Tall Sally (1956)
15. Little Richard - Slippin' And Slidin' (Peepin' And Hidin') (1956)
16. Roy Montrell - (Every Time I Hear That) Mellow Saxaphone (1956)
17. Charles Brown - I'll Always Be In Love With You (1956)
18. Roy Brown - Saturday Night (1956)
19. Little Richard - Rip It Up (1956)
20. Art Neville - Oooh-Whee Baby (1956)
21. Amos Milburn - Chicken Shack Boogie (1956)
22. Little Richard - Ready Teddy (1956)
23. Shirley & Lee - Let the Good Times Roll (1956)
24. Lee Allen - Rockin' At Cosmo's (1956)
25. Richard Berry - Mad About You (?)
26. Little Richard - Lucille (1957)
27. Little Richard - Jenny Jenny (1957)
28. Antoine 'Fats' Domino - I'm Walkin' (1957)

◆ Little Richard - Ready Teddy (1956) ◆◆
f0147840_23534319.jpg今回もまたリトル・リチャードだらけになってしまうのですが、この曲もやはりオミットできません。楽曲としても重要ですし、アールのプレイもいいのです。いまわが家のHDDを検索したら、バディー・ホリー、エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノンのヴァージョンがありました。数は少ないものの、まさに最精鋭、錚々たる顔ぶれです。「錚々たる」に入れるべきか否かは見方が分かれるでしょうが、ローカル・ヴァージョンとしてはクリフ・リチャードのものもあります。

アールのプレイとしては間奏がみごとです。この時期の共通した傾向で、間奏の入口、間奏からの戻りのフィルインが派手で冴えているのですが、この曲は一点だけ変わったところがあります。それはリー・アレンの間奏が24小節とこの時期としては異様に長く、そのため、前半と後半の仕切りで、アールはいつもよりひとつ多くフィルインを入れているのです。

入口、中間、出口、どのフィルインがベストかというと(速いシャッフルなので、フィルインもロールに近い高速の四分三連で、それ自体、すでにチャレンジングなのだが)、中間のものです。三連を叩けるギリギリのテンポで、三つともアクロバティックなのですが、この中間のフィルインだけは、すべての音符がきれいにキマっています。こういうアクロバティックな綱渡りというのは、ヴェテランになるとしなくなるもので、才能ある若いドラマーに特有のプレイといえるでしょう。自信と若さのみが生み出すプレイです。

◆ Shirley & Lee - Let the Good Times Roll (1956) ◆◆
同題異曲が多く、ややこしいのですが、わが家にはコリンズ・キッズの生き生きとしたライヴ・ヴァージョン、アニマルズのやや不似合いなヴァージョン、サーチャーズの高速シャッフル・ヴァージョン(この鮮やかな三連を叩いているドラマーはだれ? サーチャーズ・スタジオ不在説の有力な傍証となる強力なドラミング)、さらにはニルソンのものやら、さらにさらには、リンク・レイのド下手小学生バンド風ヴァージョンなど、じつにヴァラエティーに富んだカヴァーがあります。当家にはないカヴァーも山ほどあることでしょう。また、ハリウッド録音ですが、アール・パーマー自身も、自己名義のアルバム、Drumsvilleでこの曲をやっています。

f0147840_23554647.jpgこの曲でのアール・パーマーはドラム・ストゥールに坐っただけでなく、アレンジもしています。アールは複雑な和声に対する強い嗜好をもっていましたが、それもハリウッドを目指した理由のひとつだろうと思います。オーケストラでプレイしたかったのでしょう。すぐれたドラマーにはよくあることですが、アールもまた和声からのアプローチをリズム、グルーヴに適用する「メロディックなドラマー」だったのです。

アール・パーマーは正規の音楽教育を受けています。その意味でも、60年代のアメリカを支えたドラマーたち、ナッシュヴィルのバディー・ハーマン、ニューヨークのゲーリー・チェスター、そしてハリウッドのハル・ブレインといった、音楽学校出身のプレイヤーたちの先魁でした(チェスターにいたっては、自身も晩年は後進育成に携わる)。

バディー・ハーマンやゲーリー・チェスターについてはわかりませんが、第2次大戦に従軍したアール・パーマーと、朝鮮戦争に従軍したハル・ブレインは、復員兵援護法、すなわちGIビルの奨学金によって音楽学校に行っています。こういう社会的事情が音楽やその他の芸術分野に思わぬ影響を与えていることも案外多いものです(リンゴ・スターとデイヴ・クラークは、60年代はじめのブリティッシュ・ビート・グループ大簇生の理由を、彼らが徴兵を受けなかった最初の世代であるためとしている)。

f0147840_23572897.jpg音楽学校でアールは編曲を学びました。ロックバンドのドラマーだったら、そんなことがあったとしても、どうでもいい脚注にすぎないのですが、スタジオ・プレイヤーの場合は、重要なバックグラウンドといえます。キャロル・ケイもハル・ブレインも、彼らの重要な仕事のひとつは、自分のパートをアレンジすることだったと明言しています。いわゆる「レッキング・クルー」は、プレイヤーのゆるやかな集団であると同時に、アレンジャーたちのグループだったというのです。

プレイヤーの能力というのは、わたしの考えでは、フィジカルな部分とメタフィジカルな部分、すなわち、譜面なりデモなりを読み取り、そこからプレイを設計する能力の2種類からなっていて、この両者のバランスのとれた人が、超一流として歴史に名を残すのです。やがてハリウッドで、the dean of the studio playersといわれることになるアール・パーマーが、ニューオーリンズ時代にすでに、アレンジャーとしてヒット曲を生んでいたことは重要な実績だと考えます。

◆ Lee Allen - Rockin' At Cosmo's (1956) ◆◆
候補曲リストではRockin' At Cosimo'sと書いたのですが、その後、いくつかの盤の表記を確認したところ、どれもみな間違いに思われたRockin' At Cosmo'sというタイトルになっていたので、Cosmoと訂正します。しかし、いずれかの盤のライナーでもいっているように、これは「コジモのスタジオでロッキン」という意味のタイトルだったにちがいありません。すでにふれたように、コジモ・マターサのJ&Mでの録音だからです。ニューオーリンズで録音され、ハリウッドのレーベルからリリースされるまでの過程のどこかで、Cosimo'sがCosmo'sというまちがったタイトルに化けてしまったのでしょう。

リー・アレンは50年代のJ&Mのセッションのほとんどすべてでテナー・ソロをプレイしたといっていいくらいの人です。もちろん、アルヴィン・“レッド”・タイラーをはじめ、ほかにもサックス・プレイヤーはいたのですが、ソロに関してはアレンの一手販売でした。アレンは譜面が読めなかったそうなので、ちょうど後年のグレン・キャンベルのように、「ワイルドなソロの専門家」だったのでしょう。アンサンブルより、インプロヴを期待されていたのです。

f0147840_23595763.jpg

じっさい、この時代のニューオーリンズR&Bに関するかぎり、読譜能力は無用でしょう。どの曲も三つのコードでできていると思っておけばまちがいありません。ただ、サックスの場合、ギターとちがって、半音移調されただけで一大変化なのですが、そのへんは、話がややこしくならないように、BbやEbあたりをキーにしてもらえばいいだけのことで(これはどこでもごくふつうにやる)、譜面を読めないプレイヤーが生きていくのはさして困難ではありません。

アール・パーマーはこの曲ではいかにもニューオーリンズらしい、独特のシャッフル・ビートをプレイしています。それにしても、こういう右手もスネアというプレイを、アールはどこからもってきたのでしょうか?

◆ Richard Berry - Mad About You (1956?) ◆◆
候補曲の段階ではリストアップしなかった曲を追加することにします。かつて、アール・パーマーの伝記に合わせて、同じBack BeatというタイトルのCDがリリースされました。3分の2以上はもっている曲だったので、わたしは買わなかったのですが、親切な友人がCD-Rに焼いてくれました。このMad About Youは、そのアルバムに収録された未発表曲です。(初稿では、ここにこのCDが売り切れであるという趣旨のことを書きましたが、まだ入手可能だということを確認したので、該当部分を削除しました。)

f0147840_061455.jpgこの曲が当時はリリースされなかった理由は自明です。楽曲もべつに面白くないし、ベリーのヴォーカルも、はじめからずっと音をはずしっぱなしで、かなり不快です(ベリーはかのLouie Louieの作曲者で、その点を考慮すると、音をはずすほうが「それらしい」ような気もするのだが!)。しかし、アール・パーマーのドラミングという観点に立つと、これはちょっとしたプレイで、Back Beatの編集者がこのトラックをとった気持ちはよくわかります。

わたしがこの曲をとった理由は二つ。まず第一は、アールがシンバルで8分を刻んでいることです。残念ながら、この曲の正確な録音デイトは不明なのですが、1956年6月30日、すなわち、リトル・リチャードのLucilleより早く録音されたものだった場合、「8ビートが誕生した日」は書き換えなければならないことになります。ただし、当時はリリースされなかったというのは、やはり弱いといわざるをえません。歴史は正規リリース盤によって書かれるべきのような気もします。

そういう「メタな」ことから離れて、純粋にアールのプレイとして聴いても、これはちょっとしたもので、それがこの曲をとった第二の理由です。この時期の恒例によって、やはり間奏の入口のフィルインがきわめて魅力的です。間奏の中間部では、わざとはずしたリズムも使っています。ハリウッド移住以後はやらなくなるプレイなので、そろそろ見納めです。

◆ Little Richard - Lucille (1957、録音は1956) ◆◆
前項に書いてしまいましたが、「正史」としては、やはりこの曲によって「エイト・ビートは誕生した」というべきでしょう。Mad About Youではアールの右手だけが8ビートなのに対して、Lucilleは全身これ8ビートの塊とでもいうようなリズムになっていて、その点でも8ビートの誕生日はやはり1956年6月30日とするべきかもしれません。どれくらい「全身」かというと、アールのハイハット、ベース、そのオクターヴ上で同じフレーズを弾くギター、さらにはサックスまでもが、同じ8分のフレーズをプレイしているという念の入れ方で、まさに全身これ8ビートなのです。

f0147840_083968.jpg

アール・パーマーは、この8ビートへのシフトは、リトル・リチャードの右手のせいだといっています。リチャードが8分を連打する以上、それに逆らってプレイするわけにはいかなかったというのです。まあ、そうでしょうね。当然ながら、「やった! 俺たちは8ビートを発明した!」なんてことは、爪の先ほども思わなかったにちがいありません。たんに、「その楽曲にふさわしいリズム・パターンの案出」という「日常業務」のレベルでとらえていたことでしょう。あとになって「8ビート」などといわれて、びっくりしたでしょうなあ。こういうスタジオの日常性というのは、わたしは大好きです。小津映画みたいじゃないですか。「目に見えない緊張をはらんだ平穏な日常」です。

◆ Little Richard - Jenny Jenny (1957) ◆◆
Lucilleは、20世紀の音楽上の発明のなかでも最重要の歴史的大事件だった、などという認識が彼らになかったのは当然ですが、客観的に見ても、それをこのJenny Jennyが裏付けています。8ビートへの移行を仮に「進歩」とみなすならば、という仮定のうえでの話ですが、そのような立場にたつと、このJenny Jennyは「微妙な退歩」といえるでしょう。

Jenny Jennyのリズムは折衷的なもので、8ビートのような気もするいっぽうで、シャッフルのような気もしないではない、という感じなのです。アール・パーマーがいう「ニューオーリンズ独特の8ビートとシャッフルの中間的なビート」なのでしょう。なぜそう聞こえるかというと、アールの右手が8分なのか4分なのかよくわからないからです。4分のような気もすれば、8分の表拍を強く叩いたために4分に聞こえるような気もするのです。間奏では8分のように聞こえるのですがねえ……。

アールのシンバルがよく聞こえないのは当時の技術上の制約だから仕方ないとして、Lucilleのように、ベースをはじめ、他の楽器も8ビートなら、どちらともつかない、などとあいまいなことはいわないのですが、この曲ではアール以外のプレイヤーは4分を基本にしたプレイをしているので、全体としてはやはりシャッフルに聞こえるのです。

f0147840_012262.jpg

彼らが「8ビート」を20世紀の大発明だと考えていたら、このJenny Jennyも明快な8ビートになっていたはずで、そんなことはつゆほども思わなかったから、この曲では、従来からあった折衷的なリズムを採用したのでしょう。このように、その時点ではだれもことの成就に気づかない革命、というのもあるのですな。

それはそれとして、わたしはリトル・リチャードというと、Jenny Jennyを思い出します。それもあって、この曲をオミットできませんでした。日本でもローカル盤がリリースされたと思いますが(鈴木やすしでしたっけ?)、記憶しているのはリトル・リチャード盤です。もっとも、リリースのころ、わたしは幼稚園にもあがっていないので、知っているはずがなく、おそらく、60年代にリヴァイヴァルがあったのではないかと思います。近所のレコード店の前で何度か聴き(あの白塗りの顔のポスターまで記憶しているのだが、これはべつのときのことを混同しているのだろうか?)、忘れられない印象が残りました。

◆ Antoine 'Fats' Domino - I'm Walkin' (1957) ◆◆
これで終わりということはなく、このあとにも、アール・パーマーのニューオーリンズ録音はつづくのですが、LA移住以前に録音されたものとしては、やはりこの曲がもっとも「幕引き」にふさわしいでしょう。

前々回のThe Best of Earl Palmer その6で取り上げた、ロイ・ブラウンのSaturday Nightと同系統の、ただし、あれよりはややテンポの緩やかな「ロコモーティヴ・リズム」ですが、ファッツのピアノのせいもあって、かなり印象は異なります。また、イントロのキックのパターンには、ニューオーリンズの味が横溢していると感じます。

全体として、楽曲もアールのプレイも完成度が高く、ヒットは当然と感じますが、アールのプレイには、かすかながら、繰り返しによる惰性が感じられなくもありません。まあ、あと知恵でそう見えるだけかもしれませんが、変化の機運は外的にも内的にも熟していたのではないでしょうか。

f0147840_0195978.jpg

以上をもって、ベスト・オヴ・アール・パーマー、ニューオーリンズ篇を終わります。だいぶ息切れがひどくなっていますが、這ってでもハリウッド篇まで完遂するつもりでいます。ここまでで終わっては、アール・パーマー=ニューオーリンズのドラマーという、旧弊な偏見から一歩も抜け出したことにならず、かえって予断を補強するだけになってしまいます。

そういう予断の否定が重要だと考えたことが、このブログをはじめた動機のひとつでした。「ハリウッドのドラマー」としてのアール・パーマーの巨大な影響力と歴史的貢献を書かなければ、この特集の意味がなくなってしまうのです。とはいえ、楽曲のリストアップすら終わっていないので、後半のスタートまで、また少々お時間をいただくことになるかもしれません。どうか気長におつきあいを願います。


[PR]
by songsf4s | 2008-10-20 23:57 | ドラマー特集
映画のトポロジー

あとすこしでベスト・オヴ・アール・パーマーのニューオーリンズ篇が終わろうというところで足踏みしてしまい、あいすみません。このところ、音楽より映画のほうにいってしまったのが、この足踏みの最大の理由です。

音楽もそうなのですが、氷河期と間氷期のようなサイクルがあって、この十数年は、「音楽期」にして「間映画期」でした(特殊効果、とりわけCGの「圧政」にうんざりし、映画を見る姿勢がひどく自堕落になった)。ただ楽しむのではなく、見たものを文字にする意識で映画を見るのは四半世紀ぶりのことなので、やはり「馴らし」の時間が必要のようです。

音楽と同じように、映画の場合も、どこに着目するかは年齢によって変化します。ストーリー・テリングからカメラワークへ、さらに特殊効果へ、といった流れが、わたしの場合はあったように思います。CGに嫌気がさしたことによる二十年近いブランクをはさんで、今回復活してみて、どこを見るようになったかというと、「地理」と「トポロジー」です。

たとえば、中平康(なかひらこう)監督の処女作『狂った果実』の冒頭、鎌倉駅前でタクシーを降りた石原裕次郎と津川雅彦の動きです。(画面には映らないが、おそらくすでに入線している)逗子方面行きの電車に乗ろうと、二人は走って改札を抜け(切符は買わない。この時代は、車内で買う、というのがまだ通用したということか?)、「左に曲がって」階段を駈け上がり、「左に曲がって」電車に飛び込むと、進行方向に向かって左側のボックス席に腰を下ろします。

f0147840_0125880.jpg
『狂った果実』冒頭、鎌倉駅構内を疾駆する石原裕次郎と津川雅彦。列車は彼らの頭上にあるので、左に曲がって階段を駈け上がり、また左に曲がって列車に飛び込む。そこが2号車の停車位置であることは、昔も今も変わらない。

これはきわめて正確に現実の動きをなぞっています。わたしが鎌倉から逗子に行く場合でも、彼らとまったく同じ動線をたどって、彼らが坐った席が空いていれば、同じところに坐ったでしょう(現在、あの2号車のあたりにボックス席はないが、20年ぐらい前までは、車輌のタイプは異なるものの、映画と同じように横須賀寄りにもボックス席があった)。階段の下で右に曲がってしまうと、上ったところはグリーン車の停車位置で、昔もおそらくあそこは一等車ないしは二等車が停まったのだろうと思います。ついでにいうと、逗子駅で二人が跨線橋の階段を下りるショットもちゃんとあります(ここで北原三枝が登場する)。下り列車で逗子駅に降りたら、跨線橋を渡らないと改札に行けないのです。

この冒頭のシークェンスは、編集がきわめてリズミカルで、一気に見る者を引き込むようになっていますが、そのリズムは、律儀なまでに現実を忠実になぞった、人物とキャメラの動き、そして、石原裕次郎と津川雅彦の若々しい身のこなしによって裏づけられているのではないでしょうか。

あるいは、成瀬巳喜男の『流れる』における「つたの屋」の位置の問題もあります。つたの屋は柳橋の芸者置屋ですが、画面からは正確な位置を割り出すことはできませんし、美術監督の中古智のインタヴューで知ったのですが、つたの屋のある露地はオープン・セットで、現実の柳橋に存在するものではなかったのです。

しかし、もっとも重要な舞台の位置を監督が想定しないとは考えにくく、まして成瀬巳喜男ともあろう人が、家の向きすら考えずに映画を作るはずがありません。どこの露地にどちら向きで建っていると決めてから、演出プランを立てたにちがいありません。となれば、見るほうも、なんとか画面から、想定された位置を割り出す手がかりを見つけようとするわけです。

f0147840_0212691.jpg
『流れる』のつたの屋の二階。もちろんセットだが、向こうに鉄道架線の支柱が見える。浅草橋駅から両国駅側に寄ったあたりだろう。あそこの線路がこういう角度で見える場所はかぎられている。人物は田中絹代(右)と高峰秀子。

冒頭、田中絹代が道を尋ね尋ね、つたの屋に向かう短いシークェンスがあります。これが舞台の紹介になっているのですが、このときに国電ガード下の店が出てきます(いまはない藪そばが思い出され、監督の意図とは無関係に、ちょっと悲しくなる。時間のいたずらである)。これは浅草橋駅側の一廓ではなく、道路を挟んだ向かいの柳橋側にちがいありません(ただし、田中絹代は国電でこの町に来て、浅草橋駅で降りたという想定だと断じるのは危険。まだ都電のあった時代の話である)。そのように想定すると、田中絹代がどの方向に歩くかを見ていれば、成瀬巳喜男が想定したつたの屋の位置の見当がつけられます。

もはや、柳橋界隈にかつての面影はまったくなく、「川と橋だけが残った」という体たらくです(浅草橋駅プラットフォームのレール製支柱の繊細なデザインとガード下の雰囲気も昔のままだが)。まだ芸者置屋があるとしても、ほんのわずかでしょうが、どの一廓が想定されているかはわかってきたので、あとは時間を見つけて、あのあたりを歩き、さらに範囲を狭めるだけです。とりあえず現在の柳橋一丁目と考えるのが素直ですが、二丁目の可能性もゼロとはいえません。

f0147840_030865.jpg

もっと面白いのは黒澤明の『天国と地獄』です。前半、キャメラは三船敏郎の家から一歩も出ず、舞台劇のようだったことが、身代金と人質の受け渡しのために、特急こだまに乗って以降の動きのある画面をよりいっそう引き立たせる構成になっていて、こういうところはじつにうまいものです。

そして、ここからは「映画のトポロジー」研究の最適な材料といえるシーンの連続で、腰越から見た富士山と太陽の位置関係など、映画トポロジー・マニア(?)のためにあるような設定です。かつて、渋滞を避けて、あのへんの高台を走りまわったことがあるので(もちろん、若くて、馬鹿で、遊びまわっていたころの話!)、江ノ電を真上から見下ろす構図にはうなります。

いまは成瀬巳喜男の『山の音』に取りかかっているのですが、冒頭の7分を見たところで止まってしまいました。ここまでの山村聡の動きをメモしただけで疲れてしまったのです。あとで書くときにキャプチャーする必要があるため、何分何秒、場所、キャメラの向き、人物の動きなどをメモするので、『山の音』の山村聡の帰宅シークェンスのように構成が細かいと、ヘトヘトになってしまいます。

f0147840_0314170.jpg
中古智/蓮實重彦『成瀬巳喜男の設計』筑摩書房刊。写真は『山の音』撮影時のスナップ。右から山村聡、成瀬巳喜男、原節子。

中古智美術監督によれば、山村聡の家の前だけがオープン・セットで、あとは二階堂あたりで撮影したということなので、『天国と地獄』のために腰越に行ったら、とって返して、正反対の端ともいえる場所を歩きまわらなければならないようです(そういえば、『狂った果実』には光明寺の山門と境内が出てくるが、これまた腰越からも二階堂からも遠く、一日でこの三カ所をまわったら、さぞかし疲れることだろう!)。柴垣のある露地を見つけないと話になりませんが、鎌倉なら、まだそういう露地が点在しています。問題は二階堂ないしは浄明寺のあたりにあるかどうかです。

f0147840_0393423.jpg現代劇は『山の音』のように消耗するものが多く、疲れたら時代劇に逃げ込んでいます。しかし、時代劇でも、『赤ひげ』ぐらいになると、やはり映画地理学の対象になる資格があり、安心できません。『赤ひげ』の舞台である小石川施薬院(または「小石川養生所」)は、幕府の小石川薬園のなかにあり、これは現在、小石川植物園になっています。だから、物語の背景をたどることができるのです(もっとも、『赤ひげ』原作者の山本周五郎は時代考証をせず、事実とは手を切ったところで物語を構築する。考証家の林美一が、周五郎原作の企画を持ち込まれるのがなによりもイヤだったと、はっきりと嫌悪を表明したほどだ。大前提も細部もすべてデタラメだから、まじめに考証をすると、物語が成立しなくなるというのである。近年でいえば、藤沢周平がそうだ。あんな原作からどうやって映画を作っているのか、わたしには想像もつかない。『旗本退屈男』のレベルで江戸時代をとらえているのだろうか。林美一が生きていれば、いちばん嫌いなのは周五郎、つぎは藤沢周平というにちがいない。しかし、同じようにものを調べない自堕落作者とはいっても、物語作家としては周五郎のほうが格段にすぐれている)。

こうした材料で新しいブログをやろうと思い、すでにアカウントをとってあります。なぜスタートできないかというと、英語で書くつもりだからです。そもそもの発想が、当家でも何回か書いたように、海外での日本映画の紹介のしかたを面白く感じると同時に、おおいなる違和感も覚えたことにあるからです。

f0147840_0484524.jpg
富田均『東京映画名所図鑑』平凡社刊。「映画地理学」という分野を創始したのではないだろうか。こういう労作には頭が下がる。この人の本はどれも元手がかかっていて、一朝一夕に書けるものはひとつとしてない。

しかし、映像や音はある程度の共通の地盤を想定することができますが、言葉というものはどうにもならず、この点については前途遼遠です。たとえば、小石川施薬院を英語でどういうか。Koishikawa Clinicと書いているブログがありました。まあ、そのとおりです。正しい翻訳だと思います。しかし、正しいがゆえに、ひどいもどかしさも感じます。こういう風に、わたしの英語力の問題を超えたところで、やっかいなことがごろごろしているのです。まあ、そういう問題を解決するのもお楽しみのひとつとみなし、なんとか近日中にスタートしようと、この一週間ほど悪戦苦闘していたというしだい。

一週間以上も更新を休んで、なにもなかったかのように再開するわけにもいかないと思い、アール・パーマー特集が進まなくなった言い訳をしようとしただけなのですが、例によって話が長く、枕の長さではなくなってしまったので、このままアール・パーマーの話に移るのもぐあいがよろしくないようです。まもなく、できれば明日からアール・パーマー特集を再開しますので、いましばらくのご辛抱を願います。
[PR]
by songsf4s | 2008-10-18 23:41 | その他
The Best of Earl Palmer その6

またしても余裕がなくなってきたので、本日は例によって枕がわりのアール・パーマー写真館です。

f0147840_2338544.jpg
dime store photoとあるので、コインを入れて自動で撮るものだろう。「まるでヒモのタマゴかと思うほどゴージャス」と自注にある。幼いころからステージに上がっていた芸人らしい写真というべきか。

f0147840_23381767.jpg
こちらも、いかにも子どもダンサーらしいショット。ステージ衣装のように見える。巡業先の劇場の裏手で撮った、といったあたりか。

f0147840_23382986.jpg
ニューオーリンズ時代のジャズ・コンボ。左端はアールと仲のよかったアルヴィン・“レッド”・タイラー。リー・アレンの陰に隠れてしまった感があるが、J&Mでのセッションの常連で、テナーまたはバリトンをプレイした。

◆ Roy Brown - Saturday Night (1956) ◆◆
アール・パーマーのプレイはいよいよもって成熟と充実の段階に入り、オミットできる曲がなくて、このあたりからはもう拱手傍観、といっては変ですが、なすすべもなく、候補にあげた曲をひとつひとつなぞるしかないような状態です。

f0147840_23495095.jpgこの曲なんかは「オミット候補」だったのですが、超高速のロコモーティヴ・リズム(いまでっち上げた造語)が非常に魅力的ですし、不明プレイヤー(まあ、リー・アレンでしょう)のサックス・ソロに突入するときの目にもとまらぬロールがまたけっこう毛だらけで、結局、オミットできませんでした。

テンポが速すぎて、ほかに選択肢がなかっただけだろうと推測しますが、シンバルを使わず、両手ともスネアを叩いているという点も、注意を喚起しておきたいと思います。

◆ Little Richard - Rip It Up (1956) ◆◆
またまたリトル・リチャードで恐縮ですが、これもはずせません。本当にこの時期のリチャードはすばらしい曲ばかりです。

Tutti Fruttiからずっと「押し」一辺倒だったリチャードが、ここではじめて「やや引いた演技」って、俳優じゃありませんが、そういう味を出していますが、これがまたけっこうなんですな。とくに、ファースト・コーラスでの微妙なヴォイス・コントロールを聴くと、ただの狂犬じゃなくて(失礼!)、歌がうまいのね、と感心しちゃいます。やはりパフォーマーというのは、男だろうと色気で勝負です。って、リチャードはゲイなので、話がおかしなことになってしまいそうですが、でも、そのこととも無関係ではないかもしれません。

リトル・リチャードはむやみにダイアモンドを身につけていたので、彼がスタジオから出て行くと、プレイヤーたちは、「そのへんをひっくり返してみろ、二つ三つダイアが転がっているにちがいない」といったそうです。なにか、そういうもの、ふつうの枠組からあふれ、転がり出てしまったものというのが、歌においても魅力になるのだろうと思います。

f0147840_23514743.jpg

閑話休題。ここはドラマーのお話です。アールはこの曲について、シンバルを使わずに、両手ともスネアでやったといっています。たしかに、このリズムは面白いし、乗れます。おまえ、べつのやり方を考えてみろ、といわれたら、あー、うー、えー、わかりませんで、ノーマルなシャッフルでやっちゃたりして、面白くもなんともないぞ、とリトル・リチャードに疳高いオカマ声で怒られちゃうでしょう(Beverly Hills Bumでしたっけ、映画でそういう演技をしていたでしょ?)。いやまったく、よくぞこんなパターンを思いついた、と感心してしまいます。

なにか記憶を刺激されるので、まじめに考えてみたのですが、どうやらディクシー・カップスのIko Ikoを連想したようです。テンポもパターンも異なるのですが、どこかニューオーリンズ的、呪術的、ブードゥー的なところのあるリズムであり、グルーヴなのじゃないでしょうか。ニューオーリンズ時代のアール・パーマーの仕事としては、ひとつのハイライトだろうと思います。

◆ Art Neville - Oooh-Whee Baby (1956) ◆◆
もちろん、ネヴィル・ブラザーズ(の次男?)、ミーターズのアート・ネヴィルです。しかし、残念ながら、Tell It Like It IsやWrong Numberのときのエアロンのような圧倒的魅力があるわけではなく、兄弟でもずいぶんちがうねえ、なのでした。

f0147840_23573014.jpgこういうテンポでこういうフィールの曲の場合、ほんの2年ほど前だったら、アールはもうすこしうしろに重心をかけた、重めのビートを叩きだしたことでしょう。もう軽ろみの世界に入っているので、バックビートにはニューオーリンズ的グリージー・フィーリングはありません。

野球のように、スタジオ・プレイヤーの世界にもスカウトがいて、全国をまわっていたら、この年のニューオーリンズ地区担当スカウトのリポートは、アール・パーマーは即刻「買い」というものになったでしょう。すでにどんな音楽にでも対応できるヴァーサティリティーを身につけつつあります。

細部に目を向けると、テナーの間奏(もちろんリー・アレン)の入口のフィルインは、なかなか面白いもので、「2段式ロール」とでも名づけたくなる、不思議なものです。これは実物を聴いてもらうしかないのですがね。

◆ Amos Milburn - Chicken Shack Boogie (1956) ◆◆
これまたたいへんによろしいグルーヴで、わたしがダンスを好むタイプなら、もういまごろは立ち上がっているでしょう。

エイモス・ミルバーンはLA録音という印象があったので、ライナーで確認したところ、この時期(アラディンとの契約が終わろうとしていた)にニューオーリンズで録音したものがいくつかあるのだそうです。

f0147840_1112259.jpg

インペリアル、スペシャルティーのみならず、このアラディンのように、LAのレイス・ミュージック会社は、LA南部のセントラル・アヴェニュー一帯とニューオーリンズを二大鉱脈としていたので、ニューオーリンズのアーティストがハリウッドで録音したり、LAベースのアーティストがニューオーリンズにいって(LAのプロデューサー、たとえばバンプス・ブラックウェルを伴って)録音することもしばしばあったようです。スペシャルティー時代の末期に、サム・クックもニューオーリンズ録音を残しています(アールがストゥールに坐った)。

ニューオーリンズのミュージシャンが「up north」に移住しようと考えたとき、選択肢は大ざっぱにいって三つありました。ニューヨーク、シカゴ、ロサンジェルスです。シカゴはふつうの労働者には向いていたかもしれませんが、デトロイトまで含めても、音楽都市としては規模が小さく、親戚がいっぱいいる、チェス・レコードなど、シカゴのレーベルと深い関係がある、といった特殊事情がないかぎり、それほど魅力的ではなく、NYまたはLAが本命です。

アール・パーマーは、昔からカリフォルニアで暮らしてみたいと思っていた、といっています。この場合は、気候風土人気〔じんき〕の問題です。だから、彼のLA移住は純粋に音楽的な理由によるものではありませんが、LAのレーベルとの関わりがきわめて密接であったことも、そして、NYのレーベル(たとえばアトランティック)との関係が希薄であったことも、LAを選択した理由のひとつだったにちがいありません。

シカゴで独立スタジオを経営していた「近代サウンド・レコーディングの父」ビル・パトナムは、その才能をおおいに買われていましたが、たとえばナット・キング・コールのような、ハリウッド・ベースの大物アーティストたちから、ハリウッドに引っ越せとしきりに誘われ、結局、業界人多数の要請もだしがたく、また、大都市で勝負してみたくもなったのでしょう、シカゴのスタジオを畳んで、ハリウッドにユナイティッド・スタジオを開きます。

人の世はこのようにして動くもので、LAのレーベル・オーナーやその配下のプロデューサーたち、そしてシンガーたちまでもが、アールにLA移住を勧めたことは容易に想像がつきます。内的、外的、両方の要因によって、才能ある人間は人と金が行き交う大都市へと引き寄せられていくものと決まっているわけで、これはどうにもなりません。

インペリアルのルー・チャド、スペシャルティーのアート・ループ、アラディンのメスナー兄弟、また、こうしたLAのレーベルで働くプロデューサーたちと知り合ったことが、アールをよりいっそうカリフォルニアへと引き寄せていき、そして、生活上の一大変化が最後の一押しとなって、アールは故郷をあとにする決意を固めます。次回は、そのニューオーリンズ時代最後の日々へと進みます。


[PR]
by songsf4s | 2008-10-10 23:57 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その5

こういうのは公開するような性質のものではないかもしれませんが、当家が間借りしているエクサイト・ブログにも、ささやかなアクセス解析機能というのがあります。よそとちがって機能はほとんどなく、「解析」など片腹痛いってくらいなものですが、その数少ない機能のひとつに、アクセス・キーワード・ランキングというものがあります。どのようなキーワード検索によって、当家にたどり着いたか、というものです。以下は先月の集計結果です。

f0147840_2345174.jpg

一目瞭然。書き方の異なるものを統合すると、Who Put the Bompが合計227です。こういうケースは、おひとりの方が何度も同じキーワードでいらしたことを示していると思うのですが、それにしては227回は驚くべき数字です。

だれしもそうでしょうが、ブックマークというのは混んでいるもので、ドロップダウンして目的のものを見つけるより、キーワード検索したほうが早かったりします。だから、ブックマークなさらない方も多いのでしょうが、それにしても、227回といえば、30で割っても7回以上ですからねえ、首をひねってしまいます。

近ごろでは、昔のようにブックマークを使わず、その都度、検索するということが多いし、また、ネットカフェなどからのお客さんもいらっしゃるのでしょうから(入館したら、まずなによりも避難路の確認をお忘れなきよう。あれはじつに痛ましい事件でした)、その場合もブックマークは使えないことになります。

だから、この検索キーワード・ランキングというのは、提供者の思惑を裏切って、分析の役には立たないのですが、ときおり、こういう不可解なことが起こるので、まったくの無意味というわけでもありません。

家人が自分のブログにニンジンの花の写真を載せたら、それ以来、いつも「ニンジンの花」というキーワードでやってきてくださる方がいて、一度、コメントになにか書いてくださるといいのだが、といっていますが、わたしも、Who Put the Bomp 227さんがコメントでも書いてくださったら、興味津々で読んじゃいますねえ。なお、先月ほどではありませんが、今月もWho Put the Bompは2番目に多いキーワードです。

◆ Little Richard - Long Tall Sally (1956) ◆◆
この時期のリトル・リチャードは、同時期のエルヴィス同様、ほとんど神懸かりで、どの曲もみな非常に魅力的です。しかし、他とのバランスを考えると、何曲かオミットするべきであり、アール・パーマーのプレイぶりからいえば、この曲はとくに突出はしていないので、はずそうかと思いました。

f0147840_23595271.jpg

でも、これはどう考えても無理なのです。ビートルズのカヴァーがあるというのは、いまでは千金の重みがあります。知らない人を見つけたら仰天するぐらいの有名曲だということですから。そもそも、アール・パーマーは「そのとき、そこにいた人」なのです。だから、この特集で何度かふれたように、プレイの中身と同等に、歴史的楽曲のストゥールに坐っていたという実績そのものも重視する必要があるのです(ついでにいうと、スウィンギング・ブルー・ジーンズもやっているし、キンクスにいたってはこの曲でデビューした。ブリティッシュ・ビート・グループのお好みだったのである)。

なんだか、まるでこの曲でのアールのプレイがよくないような書きっぷりになってしまいましたが、そんなことはありません。前半はアヴェレージ(といっても、アール・パーマーだから、スタンダードはつねに高いのだが)、リー・アレンの間奏では非常に力強いバックビートを叩きだしていて、このあたりは大いに楽しめますし、ホーム・ストレッチに入ってからの短いフィルなんぞは、たいへんにけっこうなものです。

f0147840_061550.jpgなお、この曲は、当時はパット・ブーンのヴァージョンでも大ヒットしています。いまになると笑ってしまうようなレンディションですが、あの時代には、こうした「レイス・ミュージック」(ブラック・ミュージック)市場から、白人市場への「貿易」ないしは「技術移転」はごく日常的におこなわれていました。男女七歳にして席を同じゅうせず、ラジオでの白黒同居はなかったので、そういう「黒白転換」が必要だったのです。

このように、市場越境のために白人が黒人音楽を歌うことを、当時のアメリカ音楽業界は「カヴァーする」と呼びました。これがカヴァー・レコードの本来の意味です。いまでは、このような人種差別の産物だった過去は忘れられ、「日本語でのカヴァー」などと、ギョッとするような使い方さえまかり通っていますが、そういう暗い過去を背負った言葉だということは、「いちおう押さえて」おいたほうがいいのではないでしょうか。

いや、いまさら、この言葉は政治的に不公正である、差別のニュアンスのない言葉で言い換えよ、なんていわれると、非常に困惑するわけで(とりあえず「リメイク」ぐらいしか思いつかない)、そんなことを提案しているわけではありません。言葉の背景を知っておくと、世界観に奥行きが生まれるだろうと思うだけです。

◆ Little Richard - Slippin' and Slidin' (Peepin' and Hidin') (1956) ◆◆
これまた、古典だからオミットできなかった曲です。同時代のものとしてはバディー・ホリーやワンダ・ジャクソンのカヴァーがあり、後年になると、ジョン・レノンが例のRock'n'Rollでやっています。

また、60年代はじめにドラマーのサンディー・ネルソンのヴァージョンがありますが、これはおそらくアール・パーマー自身のプレイです。音楽業界の慣行をご存知ない方は、そんな馬鹿な、と思うかもしれませんが、ドラマーが自己名義のインストゥルメンタル盤でプレイしないこともあったのです。ハーブ・アルパートのトランペットといわれるものが、じつは(主として)オリー・ミッチェルのプレイだったのと同じです。ヴェンチャーズがスタジオではプレイしなかったのだから、なんだって起こりうるのです。

f0147840_0114699.jpg
プラズ・ジョンソン、ルネ・ホール、アーニー・フリーマンというメンバーで、ドラムがアール・パーマーではなかったら、そのほうが異様なほど不自然。彼らはしじゅう同じセッションでプレイしていた。

サンディー・ネルソンは、バイクの事故かなにかでプレイできない時期があり、そのため、スタンドインとしてアール・パーマーが呼ばれたらしい、という説明をキャロル・ケイにききました。彼女はそういう話をどこかからきいただけなのでしょうが、しかし、それはどうかな、と首をかしげます。その理由についてはこの特集が60年代に入ってから書きますが、わたしは、重要なトラックについては、サンディー・ネルソン名義のものははじめからアールのプレイだと考えています。バイクの事故というのは事実かもしれませんが、それとアール・パーマーの起用は無関係とみなしています。

サンディー・ネルソン盤Slippin' and Slidin'のドラミングは、おおいに好みです。やはり、60年代になるとアールのプレイも成熟するし、録音技術の進歩によってドラム・サウンドにダイナミズムが生まれます。したがって、この曲については、オリジナルでもアールがプレイした、という実績だけを書いておくことにします。

◆ Roy Montrell - (Every Time I Hear That) Mellow Saxaphone (1955) ◆◆
他人の賛同が得られるかどうか微妙なのですが、わたしはこの曲が妙に好きで、アールのドラミング抜きでも取り上げたくなります。リズム&ブルーズのメインラインではなく、歌詞にも出てくるマンボ的な要素の混入というか、ジャンプ・ブルーズのラテン的変形というか、そういうところに味わいがあります。ロイ・モントレルというシンガーのなんともいえない愛嬌も好ましいですしね。

アール・パーマーのドラミングもおおいにけっこうです。イントロやヴァースで使っている、ブラシによるタムタムからスネアへというパターンにも工夫が感じられますし(楽曲に合わせて適切なリズム・パターンを考案することも、スタジオ・ドラマーの重要な能力のひとつ)、ストップ直前のスネアでの非常に強い2、3打のアクセントなども、ビシッと決まっていて、気持ちよく聴けます。

◆ Charles Brown - I'll Always Be In Love With You (1956) ◆◆
以前、この特集の楽曲は主として、Crescent City Soul: The Sound of New Orleans 1947-1974、The Specialty Story、そして、ファッツ・ドミノのThey Call Me the Fat Manという三つのボックス・セットからとっていると書きました。じっさい、これでだいたいカヴァーできるのですが、その枠組の外に出なければならないこともあり、その一例がこの曲です。

f0147840_0302185.jpgチャールズ・ブラウンも、Crescent City Soulにとられた曲がありますが、それはこのI'll Always Be In Love With Youではなく、べつの曲です。その理由は自明です。このI'll Always Be In Love With Youには、ニューオーリンズの味が希薄なのです。50年代終わりに、ハリウッドで録音した、と書かれていたら、そのまま信じてしまうほど、南部ないしはルイジアナ・スワンプから、おそろしく遠いところにあるサウンドです(じっさい、チャールズ・ブラウンはLAでも多くのトラックを録音していて、危険を感じるが、アールのディスコグラフィーでも56年になっているし、ブラウンのアルバムのトラックデータでも、この曲はニューオーリンズ録音となっている。管のサウンドやベースから考えても、ハリウッド録音の線はないだろうと思う)。

その最大の理由は明るくポップな楽曲そのものでしょうが、その明るさを裏から保証しているのは、アール・パーマーのいとも軽快なスネアです。飛躍した考えに思えるかもしれませんが、このスネアを聴いていると、「ああ、アールはもう『ニューオーリンズのドラマー』であることをやめたのだな」という気がしてきます。ローカルな土着的サウンドの臭味を消した、どの土地にもっていっても理解されであろう、ユニヴァーサルなサウンドでありプレイだと感じます。

つまり、アールは、より大きな「アメリカのドラマー」への道を歩みはじめているということですが、そこにたどり着く前に、まだあと数曲は見ておかなくてはなりません。


[PR]
by songsf4s | 2008-10-09 23:58 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その4

前置きの無駄話を書けないというのは、すくなくともわたしの場合、いいことではなく、追いつめられている兆候なので、二回つづけて枕なしはなんとしても避けたいところです。

アール・パーマーとはまったく関係ないのですが、ジム・ゴードン特集の一回目のときに、久生十蘭の新しい全集のことにふれました。没後五十年の今年のうちに出るのだろうか、などと書いたのですが、今月から刊行開始という広告を見ました。

一巻が約1万円で11巻。まあ、それくらいになるだろうと思っていたのですが、版元があそことはねえ……。大手が引き受けないのは自明ですが、ここはゾッキの常連ですし、造本もバラつきがひどいですしねえ。不幸中の幸いは、この版元、印税率が極端に悪いのか、翻訳がひどいことで有名ですが、十蘭全集に関してはその害は及ばないということです! いやはや、なんとも哀しい不幸中の幸いですが。

ただし、そういう版元というのは、校正、校閲の予算がゼロだったりするわけで、翻訳がひどいという評判の何割かは不十分な校正に由来するのでしょう。こちらの欠陥は十蘭全集にも影響が及びます。一流出版社のいいところは、すぐれた校閲部をもっていて、きびしい原稿チェックがなされることです。最低でも2回、ときには3回、4回というパスを経て印刷にまわされるのです。著者が変に突っ張らずに、校閲部の指摘を素直に受け入れれば、どんなにひどい日本語でもきれいにクリーンアップされてしまうほどです(ということは、個性を殺すことにもつながるので、このへんはむずかしいのだが)。

こういうシステムは大手でも維持がむずかしくなりつつあるくらいで、小出版社には真似できません。ということは、新版十蘭全集はまたしても甘い校正で出てくることになる恐れがあります。三一版全集でも、教養文庫版選集でも、校正のひどさ、とくに支離滅裂な外来語のルビには泣かされましたが、今度もそうなるかもしれないのです(デタラメなルビは、粗い校正のみならず、それ以前の校訂の段階でのミスに由来することも多いのだろうが)。

編集委員に名を連ねている方たちは、十蘭研究ではよく知られているので、すくなくとも「愛情」は期待していいでしょう。問題は、愛情が「献身的作業」に結びつくとはかぎらないことです。まして、雑な本作りで有名な版元、会社のバックアップが得られないとなると、愛情=作業量になってくれるかどうか……。

まあ、細かいことをいっても仕方ないですね。いまのところ、三一版がそうであったように、「とにかく読める」のはありがたいことだ、というしかありません。いざ出てみれば、細部まで神経の行き届いた、レベルの高いものになっている可能性だって、まったくゼロというわけではありませんし。

そもそも、わたしだって、校正とムカデとトマトは大嫌いで、他人の校正がどうのこうのなどといえるガラじゃありませんでしてね、どうしてこういつも数字を間違えるのか、なにか病気の一種ではないかと思うほどです。当ブログでも、できるだけ読み返し、気づけば古い記事でも訂正しているのですが、それくらいしか打つ手はありません。

でもまあ、見渡せば、ウェブ上の日本語なんて、企業サイトまで含めて、言語と名乗るのも遠慮したほうがいいと思うようなレス・ザン・ゼロ状態、見渡すかぎり一望の荒野(「絶望の荒野」というべきか)、校閲部のバックアップがない状態でも、うちはよそよりマシだろうと、タカをくくっています。すくなくとも、「輩出」を他動詞として使うなどという不見識は、当家ではやりません。出版社の校閲部はこれを見たらかならず間違いであると指摘しますが、近ごろの新聞は平気で「なんとか高校は多くのプロ野球選手を輩出している」などという大間違いを印刷しています(正しくは「なんとか高校からは多くのプロ野球選手が輩出している」と自動詞的に書く。他動詞ではないから、輩出は目的語をとれないのである。この違いすら、近ごろの半文盲の若者にはわからないのだろうが)。近年では、スポーツ紙ではない、ふつうの新聞社でもまともな校閲のできる人はいないということです。残るは大手出版社、あそこと、あそこと、あそこと、うーん、三本指でおしまいかよー。黒暗々、闇また闇の21世紀ですなあ。

◆ Smiley Lewis - I Hear You Knockin' (1955) ◆◆
当時はR&Bチャートでの大ヒットというだけで、当然、そんな予感などなかったにちがいありませんが、長い年月のあいだに、ニューオーリンズR&Bを代表するもののひとつとみなされるようになった大有名曲です。われわれの世代の場合、大ヒットしたデイヴ・エドマンズのヴァージョンでこの曲を知った人が多いことでしょう(わが家のHDDを検索したら、デクスター・ゴードン&ウォーデル・グレイのヴァージョンが出てきて、なんだこりゃ、だった)。この曲の「古典化」におおいにあずかったのは、エドマンズ盤だといっていいだろうと思います。

f0147840_0532278.jpg

この曲のリズムはアール・パーマーいうところの「スロウな三連」なので、ライドは三連、スネアはストレートな2&4を叩いています。この曲でも、ときおり、ボコボコとキックを思いきり踏み込んでいるのが聞こえてきます。このキックのサウンド自体が後年の音とはずいぶんちがうもので、やはり、マイクを当てたのではなく、アールの脚力によるものだろうと感じます。そして、このときおり大きく聞こえてくる、フィルイン代わりのキックのアクセントが2分3連なのです。ピアノやライドに合わせただけ、ともいえるでしょうけれど、三連のキックの多用というのもまた、アールの数ある「発明」のひとつではないかという気がします。

◆ Antoine 'Fats' Domino - My Blue Heaven (1955) ◆◆
エノケンが「広いながらも窮屈なわが家」と歌詞を変えてうたった「私の青空」の原曲です。わが国でも古くからさまざまなヴァージョンがありますが、わたしはどれが好きかというと、うーん、ちょっと長考ですが、ラジオで聴いた岸井明のヴァージョンが強く印象に残っています。

てなことは、ここではどうでもいいのでした……いや、でも、ファッツと岸井明は体型が似ていて、歌い方がフワリとしている、または、場合によってはトロリとしている、というか、要するに尖っていないという共通点があるような気がします。そして、この曲はそういうシンガーが歌うのがふさわしいのではないでしょうか。

f0147840_0585773.jpg
ニューオーリンズ時代のアール・パーマー(中央)。自信と野心にみなぎった青年がいる。

この曲でのアールのスネアは、他のトラックとはかなり異なっていて、高めかつ硬めで(口でいうと舌をかむ)、べつの方向から表現すれば、ウルトラ・ドライなサウンドになっています。

スネアのサウンドの差異にまで気を配ったライナーというのは、生まれてこの方ついぞ読んだことがなく、大部分の人にとってはどうでもいいことなのでしょうが、ドラマーの観点からいうと、これはそのドラマーのアイデンティティーといってもいいほどで、変えるときには相応の理由があります。

プロデューサーまたはアーティストの注文といった外的要因もあれば、思うところあって(時代に合わせるために、とか)自発的に変えることもありますし、あるいは、ヘッドまたはボディーごと交換したとか、ひどいときには、他人のセットを使った(ハルは急遽呼ばれて、すでにセットアップされていた他人のセットで叩いたことがあるといっている)とか、まあ、いろいろあるわけですが、ぜったいにありえないケースは「理由なしに、あるいは、なんとなくサウンドを変えた」です。なにかしら理由があるものなのです。

理由のある変更であり、それが全体のサウンドに影響を与え、ひいては、ヒットかミスかという最終成績にまでつながっていくこともあるのだから、音楽評論家と名乗って商売をしている人たちには、そういうディテールに気づく耳と知性をもってもらいたいとつねづね思っています。そこに重要なキーが隠れている可能性は大なのです。ドラマーであるかどうかとか、そういう問題ではないはずです。「サウンドの問題」「音楽の問題」です。

わたしは評論家ではなく、関係者に直接話を聞くチャンスはめったにないので、この曲でアール・パーマーがスネアのサウンドを大きく変えた理由はわかりません。その結果としてなにが起こったかというと、サウンド全体が明るく、軽快かつ華やかになりました。わたしは、アールがスタジオのプロとしての自覚を強めた結果、姿勢が積極的になり、サウンド作りに関与する意思を見せはじめた、という印象を受けました。

f0147840_133619.jpg
Fats Domino and Dave Bartholomew

また、スネアがドライなサウンドのおかげで、4分3連のフィルインも非常にキレのよいものになっています。さらにいうと、60年代初期のリバティー・レコードなどのヒット曲で聴かれるアールのスネアが、突然、時間を飛び越えて、ここに出現したような印象すら受けます。

わたしがスナッフ・ギャレットで、アールのドラムでボビー・ヴィーを録音しようとしている前夜にこのトラックを聴いたら、アールに、「ファッツのMy Blue Heavenを覚えているか? ああいうスネアでやってくれ」と注文を出すでしょう。そうすれば、あのボビー・ヴィーのRubber Ballなどで聴かれる独特の軽快なスネアが誕生するでしょう。60年代のアール・パーマーの(ちょっとお先走りの)萌芽がこの曲にはあります。

◆ Little Richard - Tutti Frutti (1955) ◆◆
アール・パーマーがプレイしたトラックのなかで、重要度からいえば、だれが考えても十本指に入る曲の登場です。

リトル・リチャードのパフォーマンス、とりわけ、いきなりの「ア・ワッバッパルー・マッパラッバン・ブーム!」の、理不尽なまでの先制攻撃は、いま聴いてもすごいものだと思います。なんの番組だったか、大昔、伊東四朗が、登場したとたん、いきなり相方(小松政夫か)をはたいて、「まだなにもいってないじゃないですか」と文句をいわれたら、「とりあえずはたいてみた」といった、あの不条理さに通じるってくらいなものです。リトル・リチャードの革命性はまだ十全に発揮されてはいないのですが、それでも、いま聴いてもすごいと思うのだから、当時のリスナーは驚いただろうなあ、と思います。

f0147840_163717.jpg

アール・パーマーのプレイも、さすがに興味深いもので、彼のベスト盤にもぜひ入れなければいけないトラックです。アール自身も伝記で認めているように、スタイル自体はまだノーマルなシャッフルですが、たまたま、彼のプロとしての積み重ねが効いてきた時期にあたり、楽しいグルーヴが生まれています。

Add More Musicのオーナーである木村さんは、つねづねアールのスネアを「跳ねる」と表現していますが、アールのスネアにはっきりとした「跳ね」が感じられるようになるのは、前述のファッツのMy Blue Heavenや、このTutti Fruttiあたりからです。

アール・パーマーが、いかにもアール・パーマーらしいスタイルを生み出しつつあった時期に、この歴史的楽曲がもちこまれたのは、リチャード、アール、どちらにとっても幸運でした。アールのビートにもともとあった勢いに、テクニックに裏付けられた落ち着きと「味」が加わりはじめたのと、ロックンロール誕生が重なったのです。豊かな実りがもたらされて当然でしょう。

今日はまだ3曲しか見ていませんが、そろそろ時間切れのようです。ほうっておくと、このあたりはリトル・リチャードだらけになってしまうので、どれを落として、どれを入れるか、聴いては悩み、聴いては悩みしているうちにシンデレラ・タイムが来てしまいました。いや、ホントに、どの曲もオミットできないのではないか、というのが目下の結論で、まったく困ったものです!


[PR]
by songsf4s | 2008-10-07 23:24 | ドラマー特集
The Best of Earl Palmer その3

本日は前置き抜きでまっすぐ本題に入ります。前置きのかわりに、頼朝公ご幼少のみぎりのしゃれこうべ、じゃなくて、アール・パーマーご幼少のみぎりの写真をご覧いただきましょう。タップ・ダンサーだった時代のブロマイドのようです。ライヴァルといえるのはサミー・デイヴィス・ジュニアただひとりというくらいのトップ・ベイビー・ダンサーだったとか!

f0147840_14647.jpg
Earl Palmer in his kid dancer days. "I was pretty much the top kid around there...I was cocky."


◆ Dave Bartholomew - That's How You Got Killed Before (1950) ◆◆
奇妙なタイトルの曲ですが、コキュのお話のようです。スウィング・バンドのつもりで、バンド・リーダーの名前がおもてに出ているのはいいとして、ヴォーカルはだれなのだろうとパーソネルを見たら、デイヴ・バーソロミュー自身となっていました。

この曲で面白いと思うのは、途中でちょっとだけ出てくる、ギターとピアノのユニゾンによるオブリガートです。ブライアン・ウィルソンが「第三の音」(2種類の楽器が同じフレーズをプレイしたときに生まれる、オリジナルの楽器のどちらともまったく異なる「独立した別種のサウンド」)と呼んだ効果そのもので、きわめて印象的な装飾になっています。

この曲もまたジャンプ・ブルーズ的で、アール・パーマーはシンコペーションを多用しています。特筆すべきことがあるわけではありませんが、グッド・グルーヴです。

f0147840_014763.jpgアール・パーマーが加わる直前のデイヴ・バーソロミュー・バンドのドラマーは、アールの叔父さんだったそうで、アールは誘いを断ろうとしたところ、その叔父さんが、おまえはそのオファーを受けろ、俺はろくでなしのデイヴとは二度と口をきかない、というので、バーソロミュー・バンドに入ったとのことです。

ここから二つのことがわかります。デイヴ・バーソロミューは商売人であり、客を呼べる若いドラマーがほしいと思えば、冷酷なことをするのもいとわないというのがひとつ(これは軽蔑でも尊敬でもなく、たんなる事実認識にすぎない)。もうひとつは、わりを食う親類に遠慮しつつも、オファーを受ける気になるほど、デイヴ・バーソロミュー・バンドは若いドラマーにとって魅力的であり、価値があったということです。

そして、この冷徹なビジネスマンにして敏腕プロデューサーと、昇竜の勢いの若いドラマーが、リズム&ブルーズおよびロックンロールの誕生と発展の一方の原動力となっていきます。

◆ Lloyd Price - Lawdy Miss Clawdy ◆◆
ニューオーリンズとかぎらず、R&B全体の歴史からいっても重要な曲で、ドラミングがどうであろうと、こういう曲はオミットできません。

ヒット曲のトラッキングに参加したという実績の積み重ねも、この業界では重要なことです。たとえ守備機会1、エラー1だったとしても、チームが勝てば、ワールド・シリーズ・チャンピオンのリングをもらえるのといっしょです。まして、ここでのアールは、3打席2犠打1四球、守備機会7、エラー0ぐらいのプレイぶりなのだから、「あのときあそこにいた」実績は重要です。

f0147840_021129.jpg

アールぐらいのプレイヤーになると、「へえ、あの曲も彼だったのか」回数は数百に達するのですが、たとえば、「なになにの歴史」といった編集盤をつくるときにはずせないタイプの曲というのは、100を切るでしょう。でも、ここで注目していただきたいのは、そういう曲が数十もある、というのは驚天動地だということのほうです。

「ヒストリー・オヴ・ロックンロール、ザ・フォーマティヴ・イヤーズ1947-1959」という、100曲入り4枚組ボックスを編集するとしましょう。このうち、30から40曲はアール・パーマーがプレイしたものになるにちがいありません。それくらいとんでもないプレイヤーだということを、(まだならば)ここいらで認識していただいておいたほうがいいでしょう。ちんぴらシンガーはあらわれては消えていきますが、アール・パーマーぐらいのプレイヤーになると、そういうアブクとはわけがちがうのです。文字どおり、歴史をつくってきたのです。

ここでのプレイは無難なものですが、イントロはノーマルにライドを3連で叩いているのに、ヴォーカルが入ってくると、ハイハットでのシンコペーションを使ったプレイに切り替えている(間奏ではまたライドの3連に切り替える)ところで、なるほど、と感じます。

f0147840_040527.jpg

ここらへんまでくると、バックビートも明瞭をきわめていて、もう、ニューオーリンズではこれがノーマルなプレイであるという常識が確立していたのだろうと納得します。

楽曲としては、基本的にはブルーズで、シンプルなコード進行なのですが、I-IV-Vの3コードのうち、IVにいって、そのままマイナーになるところが、常套手段のひとつとはいえ、やはり印象に残ります。それがこの曲のヒットと、ロックンロール・クラシックへの成長の理由でしょう。

われわれの世代はこの曲をどこで知ったのだろうと気になって、検索をかけてみました。わが家にあるLawdy Miss Clawdyは、エルヴィス・プレスリー、フォー・ラヴァーズ(4シーズンズの前にフランキー・ヴァリーがいたグループ)、クリフ・リチャード、トミー・ロー、ホリーズ、スウィンギング・ブルー・ジーンズ、バッキンガムズでした。

f0147840_0214224.jpg中学のときには知っていたはずなのですが、フォー・ラヴァーズ、エルヴィス、トミー・ローはあのころは無縁、どこかブリティッシュ・ビート・グループのはずです。ホリーズが日本で知られるようになったのは遅く、なんとBus Stop以降ですから、彼らである可能性も低く、となると、スウィンギング・ブルー・ジーンズが有力ということになります。Good Golly Miss Mollyだって彼らの曲だと思っていたくらいなので、わたしの場合、Lawdy Miss Clawdyはスウィンギング・ブルー・ジーンズ盤で知った、といって大丈夫だろうと思います。

われわれの世代は、基本的にイギリス経由で50年代のロックンロールを知りました。アメリカからはいったん50年代的なものが抹消されてしまい、われわれの世代はその「氷河期」に音楽を聴くようになったのです。ビートルズ以下のブリティッシュ・ビート・グループのカヴァーがなければ、ああした初期R&B、ロックンロールの「歴史的に重要な楽曲」というのは、ただの忘れられた古い歌になってしまったのかもしれません。

◆ Smiley Lewis - Big Mamou (1953) ◆◆
デイヴ・バーソロミューのLittle Girl Sing Ding a Ling(後年、チャック・ベリーのヴァージョンでヒットしたMy Ding-A-Ringと同じ曲)や、ファッツ・ドミノのMardi Gras In New Orleansも曲としては面白いのですが、オミットします。前者はドラムがほとんどなにもしないため、後者はプロフェッサー・ロングヘアのヴァージョンで知られるためです。ファッツ盤のほうがドラムははるかに面白いし、これこそがニューオーリンズ独特のグルーヴだと思うのですがねえ……。

スマイリー・ルイスについて、アール・パーマーはこういっています。

「あの鼻にかかった、生まれつきのブルーズ・ヴォイスときたらな! あいつは、いかにもブルーズ向きの馬鹿でかい声、ほうっておいてもブルーズらしく聞こえるナチュラルな声をもっていた。ライヴを見せたかったねえ、壁がビリビリしたものさ」

いかにもお年寄りの昔話らしく、ちょっとホラというか誇張も入って、生き生きとルイスの面影を伝えています。

f0147840_0265097.jpg
Smiley Lewis

スマイリー・ルイスの声も壁をビリビリさせたかもしれませんが、アール・パーマーのバックビートもちょっとしたものです。そして、この曲では、原理的にありえないほど馬鹿でかい音でキックも入っています。百歩譲って、このころにはドラムにマイクを一本当てられるようになっていたと仮定しても、キックにマイクが割り当てられるのは、60年代に入ってからとされています。わたしに考えられるのは……アールの献身的体技あるのみ!

◆ Earl King - I'm Your Best Bet Baby (1954) ◆◆
f0147840_0434148.jpgこの曲もまた、ドラミングがどうこういう以前に、思わず乗ってしまうタイプで、アール・パーマーに関係なくても取り上げたくなります。もちろん、グッド・グルーヴがあるからこそ乗れるのであって、そのグルーヴの中心に坐っているのは、いうまでもなくアール・パーマーなのですが。

この曲におけるキングのギター・プレイは、1954年とは思えない、時代の先を行くすばらしいフィーリングをもっています。機材が劣悪だっただけでしょうが、ケガの功名でナチュラルなディストーションがかかって(世界初のファズもアンプの故障から生まれたといわれている)、それがじつにいい味を出しています。これが未来のロックンロール・ギターのメインラインになるとは、本人も含めて、このときはだれも想像だにしなかったでしょうが!

f0147840_0463652.jpgロイド・プライスのところで書くべきだったのですが、ファッツ・ドミノを発掘して金脈を掘り当てたルー・チャドと彼の率いるインペリアル・レコードよりすこし先に、すでにLAで地歩を築いていた独立レーベル、スペシャルティーのアート・ループも、ファッツの成功に刺激され、ニューオーリンズにやってきます。そして最初に契約したのがロイド・プライスで、以後、つぎつぎと契約したアーティストのなかに、このアール・キングもいました(スペシャルティーでは成功せず、レーベルを転々とする。そのなかにはライヴァルのインペリアルもあった!)、この曲は、プロデューサーがジョニー・ヴィンセント(のちにエースを設立する)だったり、ピアノがヒューイ・スミスだったり、裏側もなかなか興味深いものがあります。

◆ Fats Domino - I'm In Love Again (1955) ◆◆
いよいよ1955年です。しかし、真打ちの前に、数曲の大物があるので、そちらから見ていきます。

I'm In Love Againは、ポップ・チャートでも3位までいった大ヒット曲だけに、はじまったその瞬間から、うん、これはいいな、と乗れるタイプの曲です。ニューオーリンズ独特のグルーヴにも魅力がありますが、ナショナル・チャートでの大ヒットとなると、やはり、こういう明快なグルーヴ、だれでもすんなり入っていけるわかりやすさが必要でしょう。そのへんのセンスがあることがファッツの強みであり、またプロデューサーのデイヴ・バーソロミューの力だったのではないでしょうか。

f0147840_0544717.jpg
Listening to the playback - Fats Domino (left) and the producer Dave Bartholomew at J&M Music Shop, New Orleans.

このあたりのアールのドラミングは、わたしがあれこれいうようなものではありません。出来の悪いトラックというのは見あたらず、安定して力強いグルーヴを提供しています。I'm In Love Againでも、この時期に何度かやっている、意図的に、そしてほんの一瞬だけ拍を食う、bit earlyのフィルインを使っています。後年になると、ミスと混同されるのを恐れてのことでしょう、これはあまり使わなくなるので、これを聞けるのはニューオーリンズ時代だけです。

それでは次回から、いよいよ「ロックンロール・クレイズ」に突入します。


[PR]
by songsf4s | 2008-10-05 23:58 | ドラマー特集