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The Best of Jim Gordon その10 最終回

このシリーズも最終回なので、これまでの曲について書き忘れていたことも補っておこうと思い、編集の終わったものをはじめから聴き直していて、思いきりコケてしまいました。バーズのGet to Youを入れるつもりだったのに、なんとGoin' Backが入っていたのです。もうひとつ、エヴァリーズの2曲も順番を逆にしてしまったようです。いやもうお恥ずかしいかぎりです。アクセルとブレーキをまちがえたのではなくて幸いでした。

ひとつだけ、忘れていたことの補足があります。あの時代のハリウッドには、ジム・ゴードンという名前のスタジオ・プレイヤーが二人いて、同じような場所で働いていました。ひとりはもちろんいまここで話題にしているドラマーのジェイムズ・ベック・ゴードンです。もうひとりは木管プレイヤーです。

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This Jim Gordon is NOT the drummer James Beck Gordon. Be careful!

ジェイムズ・ベック・ゴードンはピアノやキーボードをプレイしたことはあっても、クラリネットをプレイしたことはありません。したがって、木管でクレジットされているジム・ゴードンは、ドラマーのジェイムズ・ベック・ゴードンではないことになります。

笑ってしまうのは、マリア・マルダーのエポニマス・タイトルのデビュー盤です。困ったことに、このアルバムには両方のジム・ゴードンがクレジットされているのです! 昔は、へえ、ジム・ゴードンは管楽器もやるのか、なんて思っていたものです。その蒙を啓いてくれたのはキャロル・ケイでした。

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◆ ジミーに自由を! ◆◆
とくに大きな書き落としはないようなので、かわりに、ジム・ゴードンに仮釈放を、と訴えているサイトをご紹介しておきましょう。

ジム・ゴードンにチャンスを

なにがまずくてこれほど刑期が長引いているのか、わたしにはよくわかりません。判決はもっと短かったはずです。「治癒」していないという医師の判断でしょうか。

上記サイトから行けるMy Spaceのジム・ゴードン・ページ(もちろん本人がつくっているわけではない)のリストは、これまでに見たものでもっとも充実しているようです。Laylaを鳴らすのは勘弁してくれ、と思ったのですが、つぎの曲で、おっとー、といってしまいました。アルバート・ハモンドのIt Never Rains in Southern Californiaだったからです。

ご存知の方も多いでしょうが、この曲はハル・ブレインのトップテン・リストに算入されています。むむう、弱った狸は目でわかる、これは白旗かもしれません。いま聴き直してみたのですが、ジミーの可能性ありと思って聴けばそうも聞こえるし、いや、ハルだろうと思って聴けば、やはりハルのようにも聞こえます。

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とりあえずここは白旗を掲げ、捲土重来を期すことにします。すぐに解決せず、何年も持ち越して解決にいたったケースもたくさんあります。ついこのあいだふれたメイソン・ウィリアムズなんか、それこそ十年越しの懸案だったわけでして、今回のケースの解決のオッズだってそれほど悲観的なものではないのです。

パーカッションのプレイや、ライヴでやっただけのものや、ヒット・ヴァージョンではないもの(たとえばサントラ用のリメイク)も算入されているハル・ブレインのトップテン・リストは百パーセント信用するわけにはいきません。厳密な校訂を要することは以前からわかっていたことで、じつは、かつて大々的に注釈を入れたヴァージョンをつくり、ウェブで公開したこともあります。

そういうことから考えると、今回もハルの「敗訴」の可能性が高いかもしれません(いや、わたしの増補改訂版ハル・ブレイン・トップテン・リストでは「勝訴」の例もあげておいた)。しかし、これは状況証拠に依存した「心証」にすぎず、音による、または、論理による判断ではありません。

かつてハル・ブレインとアール・パーマーの分離に慣れるまでにも時間がかかりましたし(やはり、曲によってはすごくむずかしいものがある。たとえばラウターズのLet's Go (Pony)のように、「アール・パーマー・スタイルを完璧に模したハル・ブレインのプレイ」というのがあり、これには何年も苦しめられた)、ハルとジミーの区別もなかなか慣れませんでした。最近はだいぶ熟練したと思っていましたが、こういうことはもともと百パーセントに到達できるものではなく、やっぱり、「かはたれ」「たそかれ」の怪しいトワイライト・ゾーンは山ほどあります。

◆ トラック・リスト ◆◆
それでは、残りのトラックのことに話を移します。まずはトラック・リストの(いちおうの)最終版からどうぞ。

パート1
01. Derek & The Dominos - Why Does Love Got To Be So Sad
02. The Souther-Hillman-Furay Band - Border Town
03. Bobby Whitlock - Song for Paula
04. The Byrds - Get To You
05. Maria Muldaur - Midnight At The Oasis
06. B. W. Stevenson - My Maria
07. Glen Campbell - Wichita Lineman
08. Dave Mason - Only You Know And I Know
09. Delaney & Bonnie & Friends - Only You Know And I Know
10. Bobby Whitlock - The Scenary Has Slowly Changed
11. Joan Baez - Children And All That Jazz
12. Art Garfunkel - Travelin' Boy
13. Bobby Whitlock - Where There's a Will There's a Way
14. Delaney & Bonnie & Friends - Where There's A Will There's A Way
15. Gordon Lightfoot - Sundown
16. Carly Simon - You're So Vain
17. Nitty Gritty Dirt Band - Some Of Shelley's Blues

パート2
01. Mason Williams - Overture
02. Johnny Rivers - Rockin' Pneumonia, Boogie Woogie Flu
03. Dave Mason - World In Changes
04. Derek & The Dominos - Evil
05. Bread - Move Over
06. The Yellow Balloon - Follow The Sunshine
07. Frank Zappa - St. Alfonzo's Pancake Breakfast
08. Frank Zappa - Father O'blivion
09. Alice Cooper - I'm The Coolest
10. George Harrison - You
11. Seals & Crofts - Hummingbird
12. Tom Scott - Blues For Hari
13. Traffic - Hidden Treasure
14. Mike Post - The Rockford Files
15. Harry Nilsson - Together
16. Bread - Friends And Lovers
17. Johnny Rivers - Life Is a Game

パート3
18. The Everly Brothers - (Instrumental)
19. The City - Snow Queen
20. Alice Cooper - Road Rats
21. Steely Dan - Parker's Band
22. Joe Cocker - The Letter
23. Joe Cocker - Cry Me A River
24. Joe Cocker - With A Little Help From My Friends
25. Frank Zappa - DC Boogie
26. Derek & The Dominos - Let It Rain
27. The Everly Brothers - Lucille

◆ Joe Cocker - Cry Me A River ◆◆
やっぱり子どもというのはものを知らないなあ、と思うのですが、わたしがCry Me a Riverという曲を知ったのは、このジョー・コッカー・ヴァージョンでのことでした。後年、ジュリー・ロンドン盤やレスリー・ゴア盤を聴いて呆気にとられましたよ。

しかし、ものを知らないのは日本の子どもばかりではなく、アメリカの子どもも同じで、ジョー・コッカーが冒頭でタイトルをいっているのに、まったく手がきていません。当時の大人ならだれでも知っていたはずのこの大有名曲をだれも知らなかったか、または、おそろしく時代遅れの曲と思われていたのでしょう。若者を相手に商売するというのは、こういうことなのだということが、いまになるとよくわかります。

そういえば、60年代終わりに、バディー・リッチが、西か東か忘れましたが、フィルモアに出演したとき、若者どもが、あのオールド・マンはいったい何者だ、と大騒ぎしたという話もあります。バディー・リッチほどの人でも忘れられ、ただの「神老」(神童の対語をつくってみた)と思われちゃったのだから、時の流れの無慈悲さよ、ですな。

なにも知らない人間が、ただのジジイだと思ってバディー・リッチを見たら、心臓麻痺か脳溢血まちがいなしです。なんたって、老境にいたってからのリッチのブラシ・ワークたるや、まさに神業ですからね。ブラシなんてものが、あんなに面白いものだとは、晩年のバディー・リッチを聴くまでは思ってもみませんでした。

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おっと、同じ時代のフィルモアでも、ここはバディー・リッチの話ではなく、ジム・ゴードンの話でした。この1970年3月27日録音のCry Me a Riverは、昔のLPにとられていたヴァージョンよりずっと出来のよいものです。あのLPの選曲とミックスはどうなっていたんでしょうかねえ、ドラムに関してはひどいものでした。

このヴァージョンで、ムヒョーと奇声を発したのは、1:12あたりからはじまる、セカンド・ヴァース入り口のフィルインのときです。なんと、芝居の「割り台詞」のように、ひとつのフィルインを前後半の二つに割って、前半をジム・ゴードン(推定)、後半をジム・ケルトナーが叩いているのです。これにはひっくり返りました。

いや、昔のLPでも同じことをしているところが出てきます。でも、驚くなかれ、フィルインは二人が同じステレオ定位になっているのです。これでは「割った」とは思えず、ひとりのドラマーがやったように聞こえてしまいます。なにか家庭の事情があったのかもしれませんが、バッカじゃなかろか、のミックスです。

まあ、ふつう、こういうのはアイディア倒れと片づけてしまう人が多いでしょうが、わたしはそうは思いません。1:12のほうは成功にはほど遠いプレイですが、同じようにやっている2:11はだいぶよくなっていて、つぎの三度目はビシッとキメられるだろうという予感にみなぎっています。残念ながら、この「割りフィル」を繰り出すチャンスは、この曲ではもうやってこないのですが。

こういうことをやるとき、むずかしいのはあとから行くほうです。先のプレイヤーは、なにも考えずに突入し、もっと叩きたくなるところをやめるだけでいいのです(まあ、厳密にいうと、フィルを途中で打ち切るのだって素人にはむずかしいのだが)。しかし、あとから行くほうは、工夫と練習が必要です。ケルトナーは、最初の割りフィルでのうまくいかなかった部分(スタートが遅れて、きれいにつながっていない)を修正して、二度目ではかなり改善したプレイをしています。

いやはや、こうして楽しい実験がテープに記録され、いまになって、あっはっは、やるだけはやってみたのだな、この二人ならさもありなん、と呵々大笑できるのは幸せなことです。

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このアルバムのデザイン・コンセプトはなにかの興業もの(サーカス?)らしく、見開きは「番付」になっている。そこに登場する二人のジムの紹介。ケルトナーはムハメッド・アリというか、カシアス・クレイのキャッチフレーズそのまま。

◆ Joe Cocker - With A Little Help From My Friends ◆◆
すごいプレイばかりのライヴですが、そのなかでもこれがベストでしょう。この曲も当時のLPからはオミットされました。まあ、スタジオ盤も有名ですし(B・J・ウィルソンが叩いたこちらもすごいプレイ)、ウッドストックその他のライヴもあるしで、重複を嫌ったのかもしれません。

以前、You Tubeで検索していたら、この曲のヴィデオがあり、二人のドラマーの背後から撮ったショットが出てきました。これはちょっと驚きました。ジム・ゴードンが汗を飛び散らせる大熱演をしていたのです。「完全に入る」タイプのプレイヤーなのだということが、あのショットからよくわかりました。スタジオ・ワークだけでは満足できなくなったのは当然というべきでしょう。

もうひとつ、ドラム馬鹿にしか用がない些細なことですが、タムの並びにも驚きました。先に確認しておくと、ドミノーズあたりからのジム・ゴードンのセット(キャムコ製)は、タムタム2とフロアタム1の比較的ノーマルな構成に、小口径ハイ・ピッチの追加タムが1または2です。これはドラマーから見てタムタムの左側、ハイハットの右側に配置します。それ以前は、ツアーの写真や映像が見あたらず、音から判断するかぎりではベーシックなセットを使っていたと思われます。

しかし、マッドドッグス・ツアーはぜんぜん違います。8個のタムがずらっと並ぶハル・ブレインのオクトプラス・セットのように、ジム・ゴードンもドカーンとタムを並べたセットを使っているのです。それだけだったら、ハルの影響ね、でおしまいなのですが、あれっと思ったのは、ハルのように(ドラマーから見て)左から順に高いほうから低いほうへというきれいな並べ方はしていないのです。まるでシャッフルしたかのように、口径およびピッチは順不同(のように見える)で並べてあるのです。

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「番付」での二人のジムの扱いは東西の小結といったあたり。リオン・ラッセル、クリス・ステイントンという両大関につぐビリング。

ああ、そういうことか、と膝を叩きました。ハルのようにドレミファソラシドと順序よく並べると(もののたとえではなく、通常は音階に合わせてチューニングしていたらしい。やれといわれれば、Moon Riverぐらいならタムで「叩けた」のである)、場合によっては叩きにくいにちがいありません。どういう場合かというと、ランダムに鳴らしたい場合、あるいは、高いのと低いのを交互に鳴らしたい場合です。B・W・スティーヴンソンのMy Mariaのフィルのなかには、こういう変な並べ方のタムでやったのではないかと感じるものがあります。どうであれ、ピッチの高低の順に並べないというのは、ちょっとした発想の転換であり、なかなかの工夫といえます。

肝心なこの曲でのプレイのことが後まわしになりましたが、いやもうすごいですわ。それ以外に言葉が出てこない失語症誘因レベルのすごさです。たとえば、2:51あたりからのパラディドル、3:18のフィルなんかいかがでしょうか。ホットかつ正確、ジム・ゴードンのべつの側面を見る思いです。ジム・ケルトナーも負けじとするどいショットをつぎつぎに繰り出し、二つのセットのあいだで火花どころか、雷電が走るほどの空前絶後のダブル・ドラム・プレイ。

◆ Frank Zappa - DC Boogie ◆◆
こんなこともやっていますよ、というサンプルの意味でおいておきました。どこかザッパ・ファンのサイトで、ザッパにはやっぱりエインズリー・ダンバーのほうが合うと、ジミーのプレイが批判されていましたが、なるほど、そうかもしれません。感覚的に表現すると、ジミーのスタイルは、端正、あっさり、さわやか、といったところで、このキーワードだけで、ザッパとはすでに水と油です。

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しかし、ドラマーのキャリアからいえば、ザッパみたいなスペクトル領域外の人間とやるのもなにかの経験で、地平を広げるテコぐらいの用には立つものです。ジミーも、この時期にいくつか変なリックを生み出したのではないかと想像します。いつもとちがったことをするのは、いつだって悪くないことなのです。

◆ Derek & The Dominos - Let It Rain ◆◆
Let It Rainは、スタジオ、ライヴ、いろいろ聴きましたが、やはり最初にリリースされたライヴ・ヴァージョンである、In Concert収録のものが最上の出来です。イントロからヴァースへの移行部分での16分のパラディドルからして、もう陶然となる美しさで、わたしが理想とするスネアのサウンドです。

このトラックをここまで出さなかった理由は、むやみに長くて流れを妨げるからです。しかしいっぽうで、これは大団円にふさわしい大作(楽曲がというのではなく、ドラミングが、という意味)でもあって、長いドラム・ソロまでやっています。

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いまもこのトラックを聴きながら書いているのですが、人間、これほどドンピシャリの気持ちのいいところでバックビートを叩ける日が、生涯に何度あるだろうかと、粛然たる思いにうたれます。よくまあ、つぎつぎと、「ここしかない」という精妙なポイントでスネアをヒットできるものです。

いつもはジミーに取り憑くのはせいぜい魔王どまりですが、この日はビートに神が宿ったとしか思えません。アール・パーマーがバックビートを発明したのは、この日のジミーの完璧なプレイのためだったのでしょう。

◆ The Everly Brothers - Lucille ◆◆
アンコール、カーテン・コール、リプリーズのつもりで、ふたたび、十代のジミーのプレイをお聴きいただきます。ドンのナレーションから、ラジオのエヴァリー・ブラザーズ・ショウのエンディングだとわかるので、ちょうどいいでしょう。Thank you for listenigとかWe hope you've enjoyed what you've heardなんていっています。わたしも、みなさんに楽しんでいただけたらと願いつつ、そろそろこのプログラムを閉じることにします。

先日の記事を読んだ友人から、このトラックが録音されたのは1965年4月22日となっている、と注釈が送られてきました。19歳のときと推定されます。ジミーのプレイは、やっぱり三つ子の魂で、大々的にライド・ベルを使っています。まったく、それも無理はないという思うほど、後年同様の美しいライド・ベルです。やっぱり、人間、十代のうちにプロトタイプは完成しているものだなあ、と思います。

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Teenage Jim Gordon on drums with Don and Phil Everly

まだこのとき、彼は自分がドラッグ中毒になるなんてことは思ってはいないんですよねえ。ドラッグだけなら、音楽界には山ほど例があり、そういってはなんですが、それほど深刻なことではなかったのに、それが精神分裂とむすびついて、親属殺人にまでいたってしまったことは、ほんとうに不幸なことで、かえすがえすも残念です。

しかし、毎度申し上げるように、世の中には百パーセント悪いことなどありません。ジミーはあの事件を起こす前から、すでに第一線からはずれつつありました。ドラッグ中毒ないしは精神分裂の悪化が原因かもしれません。どうであれ、彼はきびしい時代を肌で感じる以前に、塀の向こう側に「保護」されたのです。

シャバに残ったジム・ケルトナーの80年代以降のプレイヤー人生を見て、幸せだったかどうかと考えると、塀の向こうで浮き世の荒波から守られているジミーの人生だって、悪いことばかりでもなかった、と思えてきます。80年代以降のケルトナーだって、もちろんいい仕事をしていますが、でも、ハル・ブレインの言葉はささやかな幻想すら打ち砕きます。

「ハリウッドの音楽シーンは死んだ。ジム・ケルトナーほどのプレイヤーがツアーに出ているんだからな」

世が世なら、ハリウッドのドラマーのキングは、出稼ぎに行くなんて野暮なことはしなかったのだ、とハルは嘆いているのです。ハリウッドという町が、キングを外に出て行かせない仕組みだった時代を、ハルはよく知っているのです。

キャロル・ケイも、自分のBBSで何度も若いミュージシャンに話しかけていました。LAに来てはいけない、ここにはもう仕事はない、一流プレイヤーですら、月に一回しかセッションの依頼がなかったりするのだと。

ジミーは、そうした巷の変転とは無関係な世界で生きてきました。彼は、またプレイをしたい、とくにエリックとはまたやりたいといっているそうです(わたしはクラプトンがジミーの中毒を悪化させたと推測しているので、この組み合わせはやめたほうがいいと思うが)。

たとえ仮釈放になっても、そうした希望が実現するかどうかわかりませんが、すくなくとも、自由に発言できるようになることだけははっきりしています。ひょっとしたら、オフィシャル・サイトすら登場するかもしれません。しかし、プレイヤーとしては、第一線で世界中のドラマーに影響を与えるようなことがまた起こるとは思えません。彼自身のためにプレイすればいいだけのことです。

事件とその後の下獄のせいで、彼は歴史の証言者としての貢献はまったくしていません。出獄(まもなく実現すると予感している)後の余生は、その方面に力を入れてくれたらと願っています。下世話な話で恐縮ですが、金の使い道のない場所に四半世紀も閉じこめられているあいだに、Laylaなどの印税が手つかずのまま貯蓄され、いまやちょっとした金持ちだそうですから、隠居仕事に精を出しても生活に困ることはないでしょう!


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by songsf4s | 2008-09-29 23:58 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その9

ベスト・オヴ・ジム・ゴードンも、ここから先は補遺のようなものですが、それでもすばらしいトラックが多くて、ちょいちょいと片づけるわけにはいかず、今回とさらにもう一回、二度に分けて書くことにします。

◆ The Everly Brothers - untitled instrumental ◆◆
プロとしてスタートしたころのジム・ゴードンのことはよくわかりません。なんせ、ご本人が塀の向こうなので、オフィシャル・サイトもなければ、インタヴューもないのです。80年代なかばから、芸能人本ではない研究書があらわれはじめるので、事件が起きたのが90年代だったら、だれかが取材し、なにか材料があっただろうにと残念でなりません。まあ、彼の出獄が楽しみだということにしておきましょう。

乏しい資料をあれこれ繰っていくと、どうやら、エヴァリー・ブラザーズのツアー・バンドが彼のプロとしてのスタートだったといっても大間違いではない、という中間的な結論が得られます。ドラマーワールドのミニバイオでは、1963年、17歳でエヴァリーズの仕事をはじめたとなっています。

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このトラックは、友人からもらったファイルで、くわしいことはわからないのですが、ドン・エヴァリーのナレーションが入っているので、ラジオ放送用のスタジオ・ライヴと考えられます。

この曲の冒頭(といっても、じっさいには前のトラックの末尾に収録されているのだが!)では、ドンが「これでぼくたちがどれほどこのバンドとやるのを楽しんでいるかがおわかりになったでしょう。でも、バンドにスポットライトを当てようとすると、だれかひとりに偏るわけにもいかなくて、困ってしまうことがあります。(ここでドラムが入ってくる)おっと、ドラマーがなにかいっているので、この曲では彼をフィーチャーすることにしましょう。彼の名前はジム・ゴードン、すばらしいドラマーです」と紹介しています。ドンとフィルがいかにこのワンダー・ボーイを可愛がっていたかがうかがえます。

タイトルも不明のギターを中心としたインプロヴですが、それだけにドラムの力量は明瞭に見えます。とても十代の少年とは思えないすばらしいグルーヴです、っていわずもがなですが。ドラム・ソロまであるのは、ドンとフィルの厚意なのでしょう。後年とちがってミスの散見するプレイですが、ドラマーとしての基本的な「姿形」はすでに完成に近く、後年のマスターフルなドラマーの姿と違和感なくきれいに合致する「若き日の肖像」となっています。

◆ The City - Snow Queen ◆◆
この曲でのジム・ゴードンのプレイのすごさは、すでにSnow Queen その2で、記事を丸ごと使って書いているので、今回はあまり付け加えることはありません。ジミーはワルツがものすごくうまいのに、残されているのはカントリー系の控えめなものばかりで、ドラマーの代表作、といえるレベルにあるのはこのトラックぐらいではないかと思います。

これを本編からはずしたのは、以前にも書いたように、盤がヘタってノイズが出てしまったからです。盤面の汚れが原因ではなく、経年劣化なので、どうにもなりません。アルミが錆びたCDほど役に立たないものはありませんな。LPなら、いろいろな手当ができるんですけれどねえ。

で、3カ所の劣化部分のうち、1カ所がひどいので、以前つくった192KbpsのOggファイルをデコードしてWAVファイルをつくり、これを今回新たに吸い出したWAVファイルの事故部分に貼り付けてみました。そうしたら、あららの現象がおきました。いや、わかっていたことなのですが、これだけ明瞭に結果が出ると、へへえ、なのです。

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圧縮ファイルの問題はいろいろありますが、よくやり玉にあげられるのはステレオの分離、定位の問題です。ここがあまり忠実にはいかないのです。じっさい、今回OggからWAVをつくって、CDから吸い出したWAVのノイズ部分に貼り付けたら、その部分だけヴォーカルがセンターから右に移動してしまったのです。あちゃあ、でした。

しかし、元のままではノイズがひどいし、どうしたものかねえ、この曲はあきらめるかなあ、と思いつつ、ともあれ、このWAVをMP3にしてみました。そうしたら、Oggから戻した断片を貼り付けたのがどこなのかわからなくなってしまいました。ステレオ定位はノーマルにもどったのです。へえ、そうなってるわけねー、でしたよ。いやまあ、単なる偶然かもしれませんが、いったんWAVに戻したあとで再度圧縮すると、狂った定位も正常化しちゃうのだから、あれれ、ですよ。

この修繕遊びはなかなか面白かったので、腹は立たないのですが、じつは、脇から320Kbpsのノーマルなファイルを入手できたので、この作業はみな「なかったこと」になってしまいました!

◆ Alice Cooper - Road Rats ◆◆
I'm The Coolestがふつうにイメージするアリス・クーパーの曲という感じではなく、ジム・ゴードンの観点からは、ごくノーマルなドラミングだったので、もうすこしアリス・クーパーらしい曲を入れておこうか、ということで選びました。半分は冗談みたいなものなので、本編からはずして、ここに繰り込んだ次第です。

ジム・ゴードンのドラミングはいたってストレートで端正なので、アリス・クーパーのようにねじってくる上ものとはあまり合いそうもないのですが、まずまずのところに落ち着いたように感じます。純粋な仕事というより、「これもなにかの経験」と思ってプレイしたのではないでしょうか。まあ、ザッパやジャック・ブルースにいくぶん近いところがあるのですがね。

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◆ Steely Dan - Parker's Band ◆◆
スティーリー・ダンは大の苦手で、Reelin' in the Yearsの間奏だけが聴きたくてベスト盤を買いましたが、改めて聴くと、ジム・ゴードンがすごいのです。となると、いくつか聴かないわけにはいかなくなるわけで、結局、どの方面へ踏み込んでも、ドラマー研究は遅かれ早かれ茨の道にいたってしまうのです。

f0147840_05271.jpgスティーリー・ダンのくだらなさ、とんでもない勘違い、聴くに堪えないヴォーカルに対する大不快感はとりあえず棚上げにし、この曲に関するジェフ・ポーカロのコメントを、それに先立つジム・ケルトナーのコメントともども以下に貼り付けます。

According to Keltner, "When he was on, he exuded confidence of the highest level-incredible time, great feel, and a good sound. He had everything." "On Pretzel," says Porcaro, I played on 'Night by Night' and Gordon and I played double drums on 'Parker's Band.' Gordon was my idol. Playing with him was like going to school. Keltner was the bandito in town. Gordon was the heir to Hale Blaine. His playing was the textbook for me. No one ever had finer-sounding cymbals or drums, or played his kit so beautifully and balanced. And nobody had that particular groove. Plus his physical appearance - the dream size for a drummer - he lurched over his set of Camcos."

ケルトナーの「信じがたい〔ほど正確な〕タイム、圧倒的なフィール、すばらしいサウンド、ジム・ゴードンはすべてをもっていた」という評は、名人、名人を知るというべき、簡潔にして欠けるところのないコメントです。「When he was on」つまり「彼が乗ったら」と限定しているところも行き届いた配慮で、だれだってそうですが、とりわけジム・ゴードンはオンとオフの差が大きいのです。対照的なのはハル・ブレインで、好不調の波が小さく、つねにアヴェレージ以上の仕事をしています。

いや、ここで問題なのは、アルバムPretzel Ligicに関するポーカロのコメントです。Parker's Bandでは、ポーカロがジム・ゴードンとダブルをやったことが、このコメントでわかります。それが、この曲をここに置いた理由です。

みなさんはどう考えるか知りませんが、わたしは数小節聴いて、左がジム・ゴードンと判断しました。理由はふたつ。左のドラマーは16分のパラディドルがハイパー・スムーズで、ジム・ゴードンという仮定とまったく矛盾しない、右のドラマーはキックが下手で、ジム・ゴードンという仮定と矛盾する、それだけです。

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ジェフ・ポーカロはジム・ゴードンを崇拝していたというだけあって、初期はジミーそっくりのプレイをしています。ちょうど、駆け出しのころのジミーが、ハルそっくりのチューニングとプレイをしたように、ポーカロも迷惑なくらいそっくりなチューニングをしています。たとえば、ボズ・スキャグズのSilk Degreesを聴けば、ポーカロがどれほどジミーに傾倒していたかがはっきりわかります。

◆ Joe Cocker - The Letter ◆◆
いまとなっては記憶がややあいまいなのですが、ジム・ゴードンの名前(そしてジム・ケルトナーも)を記憶したのは、たぶん、ジョー・コッカーのダブル・ライヴ・アルバム、Mad Dogs & Englishmenでのことです。

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数年前に最初のベスト・オヴ・ジム・ゴードンを編んだとき、このアルバムから1曲入れようとしたのですが、録音とミックスが気に入らず、なんだ、ドラムを聴くにはいいアルバムではないのだな、と失望しました。ジム・ゴードンとジム・ケルトナーがダブル・ドラムを組んでいるのですが、二人のセットの分離が悪く、タイムのズレが気になったのです。

しかし、その後、同じツアーを記録したマルチディスク・セット、Mad Dogs & Englishmen At Fillmore Eastを聴くにおよんで、録音はよくないけれど、多少分離をよくすれば、すばらしいドラミングを聴くことができるツアーだったのだということがわかりました。そりゃそうですよ、史上最強コンビなのだから、すごくて当たり前、あんまり面白くないなあ、と思ったLP時代の選曲、ミックス、マスターのほうがおかしかったのです。

というわけで、今回は3曲とも、オリジナルのLPからではなく、新しいミキシングのCDからとったヴァージョンです。すごいプレイの自乗が目白押しのなかから精選した3曲です。

ダブルを組むと、ジム・ケルトナーというのは、バックビートに徹して、暴れるのは相方にまかせる傾向のあるプレイヤーです。しかし、まだ若かったからなのか、相手が他ならぬジム・ゴードンだったからなのか、このツアーでは、そういう一歩うしろに引いたプレイはしていません。ジム・ゴードンとジム・ケルトナーの二人がそろってホットにプレイしたのだから、結果はもういうまでもないのです。

ゴードン対ポーカロという、わかりやすい組み合わせのParker's Bandとちがって、こちらは武蔵と小次郎、実力伯仲の巌流島です。しかし、古来、ギャンブルは買ってでもしろというので(いわないってば)、当たるも八卦当たらぬも八卦でいってしまうと、右がゴードン、左がケルトナーだと思います。

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二人の相対的な比較にすぎませんが、ゴードンのほうがすこし早く、ケルトナーのほうがすこし遅く、って同じことですが、どちらも単独で聴くと非常に正確なタイムに聞こえるのに、二人並ぶと、やっぱり早い遅いがあるんだなあ、と感心したというか戸惑ったというか、そんなところです。まあ、バックビートにラベルを付けるなら、ケルトナー=重厚、ゴードン=軽快ですから、遅速があってあたりまえです。いや、たとえ二人とも軽快な組み合わせ、たとえばハルとジミーでも、人間だから遅速があるにちがいないのですが。

ケルトナーも引っ込んではいないと書きましたが、このトラックに関しては、派手なフィルインを叩いているのはジム・ゴードンでしょう。コーラスで連発されるフィルインは血がたぎりたちます。

カール・レイドルという人はクールなプレイをするという印象があるのですが、このツアーでは、ゴードン、ケルトナーばかりでなく、彼のベースもじつにホットで、この曲のコーラスのエクサイトメントの何割かはレイドルの力によるものでしょう。

ほんのつなぎのつもりはじめたジム・ゴードン特集なのに、意外に手間取り、長引いてしまいましたが、いよいよ次回で終了です。まだすごいトラックが残っています。


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by songsf4s | 2008-09-27 23:58 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その8

「とかく音楽好きの方は音楽的にものごとを考え、また評価する。しかし、音楽がめざすものは音楽ではない」

『からっぽの世界』を聴いていて、ふと、この早川義夫の言葉がよみがえり、引用のためにあちこちひっくり返してみました。

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若いころはおおいに共感したのですが、この年になると、待てしばしと再考したりします。たとえばですね、こういう風に言い換えてみましょう。「とかく料理好きの方は味覚的にものごとを考え、また評価する。しかし、料理がめざすものは味覚ではない」

べつにふざけてまぜっかえすわけではありませんが、でもやっぱり、「じゃあ、まずくてもいいのか」といいたくなります。わたしは芸術家的資質がゼロの人間なので、身も蓋もない実質主義的世界観を述べているだけですが、飯はまずいより旨いほうがいいと思うのです。

たしかに、音楽がめざすものは音楽それ自体ではなく、その向こうにある彼岸なのかもしれません。しかし、音によってそこに到達しようというとき、多くの人間はやはりストレートな快不快原則にしたがって行動します。それは勘違いなのだと信じた少数派は、かつて栄光あるものだったのかもしれませんが、これだけの月日がたってみると、妥協的多数派もろとも、まるごといっしょに、つかみどころのない靄のなかに飲み込まれてしまったと認めざるをえないなあ、と老いた60年代小僧はボヤくのでありました。

ということで、腰をふらつかせても詮ないことなので、今日もわたしは「音楽好き」として、「音楽的にものごとを考え、また評価する」ことにします。たぶん、早川義夫はまちがっていて、音楽がめざすのは、音それ自体の十全なる実現なのだ、と信じて。

◆ Traffic - Hidden Treasure ◆◆
巡り合わせにすぎませんが、このところ毎回、トップバッターは地味なのばかりです。どういう経緯でジム・ゴードンがトラフィックに加わることになったのかはよくわかりませんが(考えられるのはデイヴ・メイソン経由か、クラプトン経由)、ライヴのWelcome to the Canteenと、スタジオのThe Low Spark of High-Heeled Boysの2枚のアルバムで、ジミーはストゥールに坐っています。このHidden Treasureは後者のトラックです。

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ジム・ゴードンのプレイがアルバム2枚分もあれば、スーパープレイの二つや三つ、あっさり見つかるはずなのですが、どういうわけか、トラフィックでのプレイはみな控えめです。ジャンキーの帝王エリック・クラプトンが潤沢に最高級品を供給したであろうドミノーズとちがって、スティーヴ・ウィンウッドはあまりそういうことを好まなかったのではないか(いや、ウィンウッドがハメをはずさなかったというのではない、若いころからとんでもない酒量だったという)、だから、ジミーもものすごくしらふなプレイばかりで、悪魔が降臨したようなビートは出現しなかったのではないか、といったような、あられもない妄想をしています。

でも、ウィンウッドのファンとしては、1曲は入れたいわけで、となると、このHidden Treasureが適当ではなかろうかと思います。これは、地味なわりには、ジム・ゴードンの特徴がすべてそろっている不思議なトラックなのです。すなわち、すばらしいチューニングのタム類、キレのよいサイドスティック・プレイ、美しいライド・ベルの三つです。

どういうパートと表現するべきか迷うのですが、たぶん、ブリッジでいいのでしょう、Message in the deep from a strange eternal sleepではじまる部分での、シンコペートしたサイドスティックのプレイが、この曲のハイライトでしょう。ジミーのタイムのよさが、この一見なんでもないプレイを魅力あるものにしています。サイドスティックとくれば、シンバルはライド・ベルに切り替えるのがルールってぐらいで、ここでもきれいなライド・ベルで魅了してくれます。

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順序が前後しますが、低めの深いフロアタムも魅力で、これはイントロからすでに鳴っています。上述のブリッジ部分でも、サイドスティックからフロアタムへというプレイがあり、これまた地味ながら、うーむと唸ります。

残念なのは、ベースがスティーヴ・ウィンウッドではなく、リック・グレッチだということです。わたしはこういうタイプのベースが好きではないのですが、ジミーのグルーヴとも合っていないように感じます。カール・レイドルとは相性がよかったんだなあ、といまさらのように納得するのでした。せめて、ウィンウッドがベースをやっていた時代にトラフィックで叩いてくれたらなあ、と残念でしかたありません。

◆ Mike Post - The Rockford Files ◆◆
沈鬱とすらいえる静かな曲のあとには、やはりノーテンキなのがほしいという単純な理由から、このドラマ「ロックフォードの事件簿」のテーマとなりました。典型的な「ハリウッドのスタジオ・プレイヤーの日常業務」という感じで、トラフィックとは正反対の匿名的プレイです。でも、お気楽で派手なのも、それはそれで楽しいものです。

f0147840_014791.jpgマイク・ポストはハリウッドのアレンジャー・コンポーザーで、アール・パーマーやハル・ブレインの話をしているときに登場するような世代より、ちょっとあとに出てきた人で、ジム・ゴードンとそれほど年齢が離れているわけではありません。すでにこの特集で取り上げた、メイソン・ウィリアムズのアルバム、Phonograph Recordはポストがアレンジしたものです。「ヒル・ストリート・ブルース」「特攻野郎Aチーム」以下、TVサントラは無数にやっているので、検索をかければいくらでも引っかかるでしょう。

ハリウッドのスタジオ・ドラマーというのは、こういうタイプの仕事も無数にやっているのがつねで、調べるとゾロゾロ出てくるものなのですが、ジム・ゴードンはやはり時代と世代がちがうのでしょう、それほど大量にはやっていません。彼がロックバンドとツアーに出なければ、たくさん残されたであろうタイプのプレイのサンプル、という意味でこの曲を入れました。

◆ Harry Nilsson - Together ◆◆
ハル・ブレインは創意工夫の人だったので、あちこちに奇妙なプレイを残していて、あとから研究するわれわれを楽しませてくれます。しかし、ジム・ゴードンは、そういう意味ではハルの後継者とはいえず、いたって端正かつストレートなプレイばかりが残されました。フランク・ザッパのSt. Alfonzo's Pancake Breakfastをこのベスト・セレクションに入れたのは、ジミーのスペクトルの紫外線や赤外線、すなわちもっとも尋常でないプレイのサンプルという意味もあります。

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ジム・ゴードンはニルソンのRCAからのデビュー以来、末期のFlash Harryにいたるまで、多くのアルバムでプレイしています。たとえば、Everybody's Talkin'や、I Guess the Lord Must Be in New York Cityのようなヒット曲でも彼はプレイしているのですが、ドラマーのアンソロジーに選ぶには、こうした有名曲は、あまりにも地味すぎる歌伴の極北なのです。

ニルソンという人は、考えてみると、ドラマーの暴走を許さなかったと思われます。派手なドラミングの曲はないのです。しかし、わたしはニルソンのファンなので、一曲はとりたいと粘りに粘ってみると、このTogetherが浮上してくるのです。

いや、地味なのですが、じつに異例のプレイをしていて、それがこの曲をとった理由です。なにをしているかというと、ライド・ベルならぬ「ハイハット・ベル」なる代物を使っているのです。いや、これはわたしが捏造したもので、「ハイハット・ベル」などという名称や、それが指し示すプレイが一般的なわけではありません。

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初期の2枚のアルバムをリミックスしたこのAerial Pandemonium BalletにもTogetherは収録されている。しかし、なんと、ジム・ゴードンのトラックは抹消された、ドラム抜きのヴァージョンなのである。

「ライド・ベル」というのは、その名が示すとおり、ライド・シンバルのベル状の中心部分と、それを叩くプレイを指します。ジム・ゴードンはニルソンのTogetherで、ライド・シンバルの中心部分ではなく、ハイハットの中心部分を叩くという、じつになんとも風変わりなプレイをしているのです。しかも、閉じたまま叩くと音が死ぬので、叩くタイミングで開くという面倒なことまでやっています。

世間は広いし、音楽の歴史も長いので、きっと、どこかに同じことをやった例はあるでしょう。しかし、わが家にある曲のなかで、こんなことをやっているのは、たぶん、これ一曲だけです。なんでこんな変なプレイをしたかというと、たぶん、強いられたシンプルなプレイに退屈し、シンガーの邪魔にならないところで、ちょっといたずらをしてみたのでしょう。ハイハットはライドより径が小さいので、当然、ピッチが高く、なんだか笑ってしまうようなサウンドで、ジミーもクスクス笑いながらプレイしたのではないかと想像してしまいます。

◆ Bread - Friends And Lovers ◆◆
f0147840_0201834.jpgこれまた純粋なスタジオのプロとしての歌伴の仕事です。しかし、なんとも派手な歌伴で、やはりもう60年代ではないと感じます。イントロからヴァースへの移行におけるフィルインで、さっすがーとうなったあとは、ただただジミーのソリッドなビートに聴き惚れるというだけの曲です。タムタム、フロアタム、ともに重く深いいい音で録れています。

それにしてもなんです、ブレッドは60年代でいえばアソシエイションあたりに相当するグループでしょう。アソシエイションがハル・ブレインだったのに対し、ブレッドはジム・ゴードンでスタートした(あとのアルバムはジム・ゴードンではないらしいが)のは、「王位継承」の結果かもしれないなあ、とちょっと感傷的になります。

◆ Johnny Rivers - Life Is a Game ◆◆
すでにとりあげたRockin' Pneumonia, Boogie Woogie Fluと同じL.A. Reggae収録の曲で、Rockin' Pneumoniaがオープナーなのに対し、このLife Is a Gameはクローザーです。

多数派の共感は得られないかもしれませんが、ゆったりとしたテンポで、すこしうしろに重心を載せたグルーヴに対する偏愛というのがわたしにはありまして、このアルバムはそういうノリの曲がたくさん収録されています。リプリーズかアンコールのような役割で最後に置かれた曲なので、わたしもその役割の拝借を含めて、この曲をベスト・オヴ・ジム・ゴードン第2部のクローザーとしました。

もう何度も同じことを繰り返していますが、この曲でもやはりタム類、とくにフィルインの最後の一打になっているハイタムのサウンドと使い方が印象的です。こういうテンポでこういうノリというのは、聴いてよし、やってよし、なんともいいものだなあとしみじみします。

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by songsf4s | 2008-09-26 23:58 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その7

近所にライヴ・ジョイントがあるのですが、先日、その前を通りかかったら、「想い出の渚」のインストが流れてきました。一瞬でなぜインストだと判断したかというと、ギターのトーンです。例のリヴァーブ深め、トレモロもちょい深めという、インスト・バンドのリードらしいサウンドだったのです。

しかし、ですね、数歩あゆんだところで、思わず笑ってしまいました。向こうからだれもこなかったのはラッキーでした。夜、ひとりで笑いながら向こうから来る人間を見たら、近ごろは警戒しまさあね。

f0147840_01596.jpgなぜ笑ったかというと、「想い出の渚」と見たは大誤解、じつはBlue Starだったのです。この両方をご存知の方なら、この誤解がほとんど理解に近いことがおわかりでしょう。コードもメロディーも似ているのです。

また、そういってはなんですが、ギターのプレイにどことなく哀愁があり、スプートニクスがワイルド・ワンズをカヴァーしたみたいなムードが横溢していたのです。C-Am-F(Dm7)-Gという循環コードの曲をやると、どういうわけか、アメリカ人はメイジャー的に響かせるのに対して、日本人はマイナー的に響かせる傾向があるように、わたしには思えます(話はあらぬほうへいくが、岸井明というシンガーが面白いと思うのは、日本人にはめずらしく、マイナーをメイジャー的に響かせてしまうタイプだからである。これほど湿度の低いシンガーは日本人にはきわめて稀だろう)。

大昔、ワイルド・ワンズの「想い出の渚」は、もちろん、アメリカのポップ・チューンのようには響きませんでした。湘南ボーイもジトーッと湿っていたのです。あれから、エーともう40年以上たつというのに、日本では、やっぱりC-Am-F-Gがマイナー的、歌謡曲的に響いてしまうだから、おやおや、でした。

近ごろはずいぶん変わったと思っていましたが、やっぱり、民族の血と風土が僅々半世紀やそこらで一変するものかよ、と自分の愚かさを笑い飛ばしたましたねえ。日本はラップをやっても、祭文やらチョボクレ節やら三河万歳やら、ああいうものが混入しますものね。

本邦戦後ラップの源流を知りたい方は、小津安二郎の『長屋紳士録』(たしか戦後の第一作)で、笠智衆扮する大道易者が酔余歌う「不如帰」(例の逗子の海岸で武雄と浪子がというやつ。徳富どっちでしたっけ? 蘆花? ただし、ここで披露される歌は、この物語をベースにした覗き機関、すなわち本朝で生まれた原始的ニケロディオンのようなもののBGMとして使われた曲だと、劇中、笠智衆が紹介する)をお聴きになるといいでしょう。じつにいいグルーヴで、仰天しますぜ。思わず、コピーしようかな、なんて考えましたもんね。

◆ Alice Cooper - I'm The Coolest ◆◆
さてベスト・オヴ・ジム・ゴードン後半戦の第2ラウンドです。

このアリス・クーパーの曲は、チェンジアップとして、ここらでテンポゆるめでムーディーなのがほしい、という編集上の都合から、手持ち曲をダダアと数秒ずつ流して、これだ、とあっさり決めてしまったものです。スロウでムーディーな曲を探していて、なんでよりによってアリス・クーパーなんだよ、というご意見があろうことは百も承知、しかし、われわれの人生の相当部分は、ことの成り行き、ものの弾みで構成されているのでありましてな、世の中、そういうものと思ってあきらめてもらいましょう。

f0147840_062942.jpgま、要するに、この曲がそこそこ好きなのです。ドラミングというやつは、単独で立つことができず、楽曲次第、上もののパフォーマンスしだいといった、行き先はウナギに聞いてくれの素人ウナギ、明日は明日の風まかせのところがあって、それがこういうプログラムを組むときには手かせ足かせとなったり、あるいは逆に、助けとなってくれたりします。つまらない曲は、ドラムが面白くても、痛し痒しなのです。

ドラミング的立場からいっても、I'm The Coolestはなかなか楽しめます。リラックスしたブラシのバックビートもけっこうですが、中間部で一瞬だけ盛り上げるところがあり、ジム・ゴードンもきれいなタムのフィルインをキメています。こういう東映任侠映画的我慢も、いくぶん倒錯的ではありますが、なかなか面白いものです。プロコール・ハルムのSalty Dogでわかるじゃないですか、あのヴァースの我慢がコーラスの爆発力を倍加するのです。

一説によると、70年代後半になると、ジム・ゴードンは薬物中毒の結果、奇妙な言動をするようになり、さらに悪いことに、テンポをはずすことさえあったという話もあります。まあ、事件のあとになると、そういうことをいわれがちですから、鵜呑みにするわけにはいきません。わたしにとっては、ドラマーとしてどうだったのか、ということだけが重要です。このGoes to Hellというアルバムは76年のものですが、まだ悪い兆候は感じません。ただし、かつてのように、このうえなく美しいビートとは、残念ながら感じませんが。でも、腐っても鯛、凡人の絶好調時より数段いいプレイです。

◆ George Harrison - You ◆◆
スロウでムーディーな曲のあとは、当然、速くてにぎやかな曲です。今回の編集では、ここのつなぎがうまくいったと自賛しています。ほうっておくときれいにつながらないので、両者の無音部を詰めたんですがね。どんな世界でもそうですが、たとえ遊びであろうと、懐手の肘枕ではいい仕事はできません。バックステージは火の車の大車輪で、やっと、ふつうのものができたように見えるのでありましてな、と近ごろ年をとって、いうことが未練たらしい!

まだほかになんの音もない状態で、ドラマーが単独で最初の音を出す、というのは、ポップ・ミュージックではよくあることです。子どものころは、そういうところには着目しませんでしたが、馬齢を重ねて、最初の数打というのは、航空機の離陸並みに危険なクリティカル・パスなのだということが、やっとわかってきました。このYouみたいな冒頭の数打を試験問題にすれば、ドラマーの等級分けは簡単にできるでしょう。一流プレイヤーは、こういうドラムリック・イントロを一発でピシッとキメられるのです。

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このような数打、いや正確には、4分-8分×2-4分という4打ですが、こういうシンプルなリックを美しく響かせる要素はたった二つ、タイムと強弱のイントネーションです。よく、センスといいますが、ドラミングの場合、センスのように見えるものの実態は、おおむねイントネーションのつけ方ではないでしょうか(もっと大局的に、どのようにドラミングを設計するかというデザイン能力が、センスの善し悪しとして認識されることもあるが)。

もちろん、本体でも正確かつ華麗なビートを提供していますが、極端な言い方をするなら、イントロの4打をきれいにキメてくれたことで、この日、ジム・ゴードンに支払われたであろう数十ドルから百数十ドルのギャラは正当化されたといえます。シングル曲にとっては、イントロはそれほど重要なのです。

◆ Seals & Crofts - Hummingbird ◆◆
本人としては、ロックバンドでホットなプレイをするほうが楽しかったのでしょうが、ハリウッドのセッション・プレイヤーとして、アール・パーマー、ハル・ブレインの遺産を継承する「プリンス」と見なされていたころのジム・ゴードンのもうひとつの側面も、それはそれで魅力があります。

60年代、ツアーに出る以前のジム・ゴードンは、遺産継承者どころか、ハル・ブレインの影武者といいたくなるほどで、バーズなど、一部の録音をのぞけば、猫をかぶっていたとしか思えない仕事をあちこちに残しています。本特集ですでに取り上げたものでいえば、グレン・キャンベルのWichita Linemanが典型でしょう。

それが、時代も変わったのかもしれませんが、ディレイニー&ボニー、ジョー・コッカー、ドミノーズといったツアーを経験するうちに、歌伴でも必要なら派手に叩くという考え方に変わっていったように感じます。やはり時代の変化のほうが重要でしょうかね……。60年代的な歌伴は古くなったのでしょう。

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70年代になると、楽しめる歌伴が増えるのは、そういうことなのではないかとわたしは考えています。この73年のHummingbirdは、60年代に録音したら、もっとおとなしいプレイをしたタイプの曲ですが、強めのビートとフィルインに、ドラマーから見た70年代らしさのようなものが、端的にあらわれたように感じます。

なお、百パーセントの確信はもてませんが、シールズ&クロフツの最初のヒット、Summer Breezeもジム・ゴードンのプレイだろうと考えています。

◆ Tom Scott - Blues for Hari ◆◆
アール・パーマーやハル・ブレインと異なって、ジム・ゴードンはジャズ系統の盤をほとんど残していません。わたしが知るかぎりでは、ガーボウア・サボーのWind, Sky And Diamonds、このトム・スコットのBlues for Hariを収録したThe Honeysuckle Breeze、そして、しいていえば、先日、ご紹介した Children And All That Jazzはじめとする、ジョーン・バエズの一連のA&M録音のトラックもジャズ的ムードです。この三種類しか、とりあえず思いつきません。

サボーとスコットのアルバムは、インパルスがロックに色目を使った時代(同情的にいえば、時期としては早いので、目先は利いた)にきびすを接してリリースされたもので、サボーのものはまったく問題外のサウンドでしたが(ジム・ゴードンが下手くそに聞こえるのはどういわけだ!)、トム・スコットのほうは少しマシで、この方面のサンプルをということなら、 Children And All That JazzとこのBlues for Hariだろうと思います。

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しかし、67年9月という早い段階(つまり、バーズの8 Miles Highなど、例外はあったが、基本的にはまだ歌伴のドラマーだった)で、ジム・ゴードンにこれだけ自由なプレイをさせたということで特筆に値するでしょう。ただし、チューニングの低さは気に入りません。この時期のジム・ゴードンは、よそではもっと高いピッチ(60年代育ちにいわせれば、高いのではなく、「標準的ピッチ」だが!)なので、これはプロデューサーないしはトム・スコットの注文ではないでしょうか。ピッチを落としたら、ドラマーのタイムはボケます。そこが気に入りませんが、この傾向のものとしては、このBlues for Hariがもっとも楽しめる出来になっているのはたしかです。


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by songsf4s | 2008-09-25 23:54 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その6

そろそろ後半の選曲をはっきりさせないと、なにか書こうにも書けないので、まだ変更のおそれありですが、いちおう、以下のようなベスト・オヴ・ジム・ゴードン2トラック・リストをつくってみました。

第2部
01. Mason Williams - Overture
02. Johnny Rivers - Rockin' Pneumonia, Boogie Woogie Flu
03. Dave Mason - World In Changes
04. Derek & The Dominos - Evil
05. Bread - Move Over
06. The Yellow Balloon - Follow The Sunshine
07. Frank Zappa - St. Alfonzo's Pancake Breakfast
08. Frank Zappa - Father O'blivion
09. Alice Cooper - I'm The Coolest
10. George Harrison - You
11. Seals & Crofts - Hummingbird
12. Tom Scott - Blues For Hari
13. Traffic - Hidden Treasure
14. Mike Post - The Rockford Files
15. Harry Nilsson - Together
16. Bread - Friends And Lovers
17. Johnny Rivers - Life Is a Game

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第3部
18. The Everly Brothers - Lucille
19. The City - Snow Queen
20. Alice Cooper - Road Rats
21. Steely Dan - Parker's Band
22. Joe Cocker - The Letter
23. Joe Cocker - Cry Me A River
24. Joe Cocker - With A Little Help From My Friends
25. Frank Zappa - DC Boogie
26. Derek & The Dominos - Let It Rain
27. The Everly Brothers - (Instrumental)

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2と3のちがいはなんだというと、3のほうは「なんらかの理由で置き場所に苦慮し、はみ出したもの」です。第2部のコンテクストと不和を起こした曲といいますか。たとえば、ザッパとドミノーズはものすごく長いライヴ・トラックで、楽曲の流れを妨げるという理由で、ジョー・コッカーは曲の前後にしゃべりやらなにやらがあって、曲間がスムーズではないという理由で最後にまとめました。

また、ジョー・コッカーのトラックもそういう側面が重なっているのですが、ジム・ゴードンひとりではない、他のプレイヤーとのダブルドラムだというので「雑部」に編入したのがスティーリー・ダンのParker's Bandです。ジョー・コッカーではジム・ケルトナーとの、そしてスティーリー・ダンではジェフ・ポーカロとのダブルです。

Snow Queenは、CDが錆びてノイズが出てしまったので、プレイは第一級なのに、本編からはずしたという事故品です。たんなるリストではなく、「現物」をつくっているので、状態のいいファイルが手に入らなければ、本編からはずさざるをえないのです。

急ぎに急いだ結果、MP3DirectCutによる冒頭・末尾の無音部の削除や、MP3Gainによるレベルのノーマライズも完了して、ほぼin the canとなりました。こういうことをやると、材料集め、吸い出し、MP3変換、タグ入れ、選曲、試聴、ふるい落としと補足、並べ替え、試聴、ファイル編集、ノーマライズ、パッケージング、とこれだけの作業をしなければならないので、じつは記事を書いているひまなんかないのです!

◆ Mason Williams - Overture ◆◆
大ヒット曲、Classical Gasを収録したアルバムPhonograph Recordのオープナーです。こういう特殊な曲というのは置き場所がむずかしく、こちらもオープナーに使うしかないと考え、第二部の一曲目としました。

8トラックぐらいまでの時代にはよくあったことなのですが、大人数でいっぺんに録ろうとすると、コンソールのインプットが足りなくなりました。それでなにが起こるかというと、ドラムに当てられるマイクの数が2、3本へと減らされ、いたって大ざっぱな音になってしまうのです。

このOvertureも、そういう「足りない音」「コクのない音」で、まるで小学校の体育館で録音したようなドラムです。もちろん、原則として、わたしはそういうドラム・サウンドは好きではないのですが、このアルバムでのプレイは面白いものが多く、なにか一曲はとっておきたいと思ったのです。そろそろツアーに出る時期が迫っていて、ジム・ゴードンの純粋スタジオ・プレイヤー時代末期の仕事という意味もありますし、インストなので、派手なドラミングをしていて、プレイ自体はいいものがそろっているのです。

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わたし自身が悩まされたことなので補足しておきます。ハル・ブレインの回想録、Hal Blaine & The Wrecking Crewに付されたトップテン・ヒッツ・リストに、メイソン・ウィリアムズのClassical Gasがリストアップされていますが、これは厳密には誤りです。ハルはライヴのほうでプレイしたにすぎず、スタジオ録音のヒット・ヴァージョンはジム・ゴードンのプレイです。

盤に付されるクレジットにもしばしば間違いがあり、どの曲だったか、ハルは、自分がプレイしたカーペンターズの曲に、ジム・ゴードンがクレジットされているものがあるといっていましたが、逆に、ハル自身が記録の混乱に一役買うこともあるのです。なにごとも鵜呑みにするな、疑問に感じることがあったら、どんなに小さなことでも解決するまで粘り抜け、ということでしょう。

◆ Johnny Rivers - Rockin' Pneumonia, Boogie Woogie Flu ◆◆
ジョニー・リヴァーズといえば、みなさんご存知なのは60年代中期のヒット曲でしょう。しかし、70年代に入ってもいくつかいいアルバムがあり、その筆頭が、このRockin' Pneumonia, Boogie Woogie Fluを収録したL.A. Reggaeです。

いつかきちんと分析したいと思っていますが、歌がうまいわけでもなければ、とくに味があるわけでもないシンガーが、10年の長きにわたって第一線でヒットを出しつづけたには、なにか立派な理由があるにちがいありません。たぶん、彼の身体的能力ではなく、頭脳のほうに秘密の鍵があると思うのですが、1966年から聴きつづけているのに、いまだに確たる結論にたどり着けません。

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中央、RaggaeのRの字の左側がジム・ゴードン

ヒューイ・スミスのR&Bヒットをカヴァーした、このRockin' Pneumoniaは、ジム・ゴードンに狂っていた時代のど真ん中で聴いたせいもあって、長年聴きつづけてきたトラックです。こういうテンポ、こういうグルーヴがお好みかどうか、ということになるでしょうが、わたしはおおいに好んできたプレイです。緊張感のある速いのももちろん好きですが、こういう、すこし後ろに重心をかけたグルーヴというのは、自分でプレイすると気持ちのいいものです。

ただし、じっさいに聴いていただければわかりますが、現代とはビート、グルーヴに対する考え方が根本的に異なっていた時代の産物なので、不愉快な重さ、肉体的な衝撃というべき馬鹿げた重量感はありません。あくまでもどこにタイミングの基準点を置くかによって、うしろよりのグルーヴを作り出しているだけであって、ジム・ゴードンの左手のヒット自体は軽めです。これこそが昔の味です。こういう、重心はしっかりあるのに、うっとうしいよぶんな重量がなく、軽味すら感じるグルーヴというのは、いまの重さ一本槍のお子様たちにはぜったいにつくれないでしょう。もちろん、機材とエンジニアとプロデューサーにも責任があるのですがね。

フィルインとしては、00:55、2:05のふたつの出来がよく、とくに前者のハイ・タムとスネアのピッチの差は理想的です。1:55のフロアタムの8分2打だけという極度に短いフィルインも、典型的なジム・ゴードン・ブランドで、シブくてけっこう。彼はたまに、フロアタム一打のみというアクセントも使います。時期によってはハルそっくりにチューニングしているので、このフロアタムの一打が、ハルとジミーのプレイを聴き分ける決定的手がかりになったことすらあります。

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じつになんとも凝りに凝ったジャケットで、二重になった外側はフィルムマウント、内側はフィルムという、巨大な35ミリ・スライド・フィルムの形式をとっている。これは、「マウント」から抜き出したジャケットの内側部分、すなわち、コダックのリヴァーサル・フィルムを拡大してみました、という思い入れでデザインされた部分。

それにしても、このチューニングのときのジム・ゴードンのキャムコ・セットに一度坐ってみたいですねえ(まだ希望をもっているので過去形にせずにおく!)。4分でスネアとハイ・タムを交互に叩くだけでエクスタシーでしょう。うーん、しかし、同じブランドのセットでも、近ごろのはちゃんと鳴らないからなあ……。

この記事ではあくまでもジム・ゴードンが主役なのですが、このRockin' Pneumonia, Boogie Woogie Fluでは、相方であるジョー・オズボーンのプレイももちろんけっこうですし、どちらか判断できないのですが、ラリー・カールトンまたはディーン・パークスの「規定演技のみ、インプロヴなし」というギターも美しく、そしてラリー・ネクテルのピアノも、彼の代表作というべきレベルにあります。Bridge Over Troubled Water「明日に架ける橋」なんかより、よほど楽しいプレイです。まあ、ニューオーリンズ・ファンにいわせれば、もっとナスティーに粘っこくやらなくちゃあ、でしょうが、ハリウッドはこれくらいがほどよいとされる土地なのです。

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ジャケットのみならず、中袋もリヴァーサル・フィルムのメタファーで貫かれている。これは36枚撮りを6枚に切ったところ、という雰囲気になっている。そして、黄色いダーマトでマーキングもしてあるという凝りよう。って、ここまでくると、カメラマン、デザイナー、編集にしか、意図がわからないだろうと思うが!

ちなみに、オリジナル(だと思う)のヒューイ・ピアノ・スミス&ザ・クラウンズのRockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Fluは、シャッフルと4/4の中間とでもいいたくなる微妙なグルーヴで、一度聴いてみる価値はあるでしょう。さらにちなみに、ジェリー・ガルシアのソロ・アルバム集大成の付録のアウトテイク集でも、この曲を聴くことができます。スタジオ・ジャムだから、気負いこんで聴くようなもんじゃありませんが。たしか、デッドのヴァージョンもあったと思います。

◆ Dave Mason - World In Changes ◆◆
すでに取り上げたOnly You Know and I Knowと同じく、デイヴ・メイソンのソロ・デビュー盤、Alone Together収録曲です。

f0147840_029781.jpgどういう意味なのかよくわからないのですが、ジム・ゴードンもジム・ケルトナーもそろってロンドンにいた時期があるらしく、あげくの果てに、ハリウッド・ベースのニルソンまでもがロンドンに居坐って、ゴードン、ケルトナーを含む、ハリウッド、ロンドン混成部隊で録音したりしたことがあります。ゴードンかケルトナーがいないと録音ができなくて、しかたなくニルソンはロンドンにフラットを借りたのか(どういう巡り合わせか、ここでキャス・エリオットとキース・ムーンが変死している。ホーンティッド・ハウス!)、もっと積極的に、これからはロンドンの時代だと思ったのか、いったいなんなんでしょうねえ。

おかげで、ドミノーズのみならず、ジョージ・ハリソンやらジョン・レノンやらゲーリー・ライトやら、さまざまなイギリス録音が残されることになりました(たいていの場合、ケルトナーも同じ時期に同じアーティストの録音をしている!)。デイヴ・メイソンがゴードンやケルトナーと録音することになったのは、そういう口コミの結果なのでしょう。「伝説のマッドドッグ・コンビ来倫、最新流行ハリウッド・サウンドをお求めの方はいますぐお申し込みを」だったのかもしれません。

ゴードン、ケルトナーのイギリスへの道は、ジョー・コッカーのマッドドッグス&イングリッシュメン・ツアーが起点だったにちがいありません。一時期、リオン・ラッセルまでロンドンにいて、裏で動いていたわけですしね。ほら、ドミノーズの幻のデビュー・シングルのバックステージです。フィル・スペクターまでロンドンにいたんだから、まるでレコーディッド・イン・ロンドン、キャリフォーニアです。

プレイとしては、この曲はスネアのサウンドが好ましい、というのがまず第一点。ジム・ゴードンはハル・ブレインの「弟子」というわけではないのですが、プロとして、だれかの技を参考にしたとしたら、やはりハル・ブレインしかいないでしょう。ジェフ・ポーカロが「あの時代、ジム・ゴードンはハル・ブレインの遺産相続者だった」といっていますが、そういう位置にあったことがあるのです。この曲のスネアのサウンドは、まさにハル・ブレインの遺産だと感じます。

一カ所、スティック同士を衝突させるミスをしていますが、こういうのもご愛敬でしょう。あんまり完璧にやられてしまうと、逆に困るわけでしてね。それから、ジム・ゴードンには無関係ですが、この曲でのオルガンのサウンドは、あの当時にあってもなんだか無性に懐かしいものでした。いま聴いてもいい音だと思います。

◆ Derek & The Dominos - Evil ◆◆
ドミノーズの空中分解したセカンド・アルバムのセッションからのトラックで、Crossroadsボックスで陽の目を見ました。わたしはクラプトンが大の不得手なのですが、因果なことに、スティーヴ・ウィンウッドとジム・ゴードンが大好きなもので、ブラインド・フェイスとドミノーズのアウトテイクを聴くために、しかたなく、このボックス(LPの時代だった)を買いました。人生ままならず、とかくこの世は生きにくいですなあ。

f0147840_0363287.jpgだいたい、ジョン・メイオールとブルーズブレイカーズなんて、わたしには悪い冗談にしか思えません。中学の終わりだったか、高校のはじめだったか、クラプトンが有名になったあとで、あのへんのものが日本でもリリースされましたが、友だちが買ってきたのを脇から聴いて、子どものわたしは、なんという子どもっぽさ、と苦笑しました。日本語を勉強しはじめたイギリスの子どもの漢字書き取り練習帳を見せられたら、どんな気分がすると思いますか? それですよ。ブルーズにあこがれたイギリスのお子様たちの雑記帳です。

ブルーズブレイカーズには関心ゼロ、ヤードバーズはベック時代が好き、クリームはジンジャー・ベイカーのタイムの悪さにうんざり、だから、Crossroadsボックスははじめからほとんど無縁なのです。そして、それが目当てだったブラインド・フェイスの(わたしの言い方だと、あくまでも「スティーヴ・ウィンウッドの」だが!)アウトテイクが問題外の出来だったため、あちゃあ、投資回収率0パーセントかと絶望しかけました。

しかし、たった1曲ですが、このEvilがあったので、買った甲斐があったと安堵しました。Evilにおけるジム・ゴードンのプレイは、ボックスの残りすべてがゴミでも、「まあいいか」と大束なことがいえるほどすばらしいものです。

f0147840_0422274.jpgジム・ゴードンがもっとも状態のいい時期の録音ですし、テンポもちょうどよく、おそらく、好きにやってよいと赦免状が出たのでしょう、やりたい放題にいろいろな技を繰り出しています。ジム・ゴードンのタイムがもっともよかったときに録音されたこと、ライド・ベルを多用していること、派手なタムタムのプレイが堪能できること、以上の三つがこのトラックの美点です。控えめな褒め方だなあと思ったあなた、あなたは大いなる勘違いをしています。ジム・ゴードンが本気でタムタムとライド・ベルを叩いたら、尋常ではないことになるのを覚悟するべきなのです。そのへん、誤解なきよう。

そして、近年、ドミノーズのスタジオ録音を集大成した、Complete Studio Sessionsというセットがリリースされましたが、これにはすばらしい福音があります。ヴォーカルを削った、バックトラック・オンリーのEvilがはじめて陽の目を見たのです。もともとドラムを聴くには歌は邪魔ですから、これでゆったりとジム・ゴードンの凄絶なライド・ベルに惑溺することができます。

◆ イエロー・バルーン、フランク・ザッパ ◆◆
少しスピードアップするために、ブレッドは飛ばします。イエロー・バルーンは、そちらの方面(どちらの方面?)では「有名な無名バンド」です。Yellow Balloonというバンド名と同名の曲だけ、マイナーヒットしていて、かつてLP時代に編まれたライノのNuggetsシリーズではひとつの目玉になっていました。近年、サンデイズドからCDが出たので、いろいろわかってきて、プレイヤーも判明しました。

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このメンツを見れば、悪いトラックができるはずがないのはおわかりでしょう。ジム・ゴードンのプレイは特級品ではありませんが、一級品のレベルには達しています。

ジム・ゴードンは、ApostropheとImaginal Diseaseという、二枚のフランク・ザッパのアルバムでプレイしています。どちらも興味深いのですが、ここではまずApostropheから2曲を選びました。といっても短い断片のようなもので、曲間なしでつながっているため、2曲合わせてやっと1曲という雰囲気です。

こういうものに興味をもつのはプレイヤーだけかもしれませんが、この譜面を叩けたら一流のプロの証明、といった感じで、まるで試験問題みたいにアクロバティックなプレイです。ザッパをご存知の方なら、こういうタイプの曲があるのはわたしが説明するまでもないでしょう。必要なら、これくらいのことをやってのけるのは、ジム・ゴードンなら当たり前ですが、しかし、こんな曲芸じみたことをやらせるプロデューサーは、そうはたくさんいないので、「類似品」はないだろうと思います。

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今日は飛躍的にスピードアップした(当社比)ので、この調子でいけば、あと3回でジム・ゴードン特集を完了できるでしょう。ということは、一週間後ぐらいには追悼アール・パーマー特集をスタートできるかもしれません。とにかく、そのつもりで盤集めと吸い出しを進行中です。


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by songsf4s | 2008-09-24 23:58 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その5

◆ ダウンビートの死 ◆◆
ご存知の方も多いでしょうが、先週末、「8ビートを発明した男」アール・パーマーが亡くなりました。享年八十四。

世にいう「レッキング・クルー」のプレイヤーのなかでは最年長グループの人なので、子が親を追い越して死んでしまうような番狂わせではありませんし、年齢も年齢なので、大往生というべきでしょう。合掌。

ウェブ上の訃報を読んでみましたが、どれもこれも問題外、読めば読むほど腹が立ってきました。紙だったら丸めてゴミ箱に放り込んでやるところです。ウェブはそれができないのが問題ですな。腹が立ったときにCtrl+Alt+Delかなんかやると、新聞紙を引き裂くアニメかなんか出てくれると少しは気が収まるかもしれませんが、しかし、やっぱり、激しい情動を感じたときには、体を使ってなにかがしたくなるようです。

そこで、ジム・ゴードン特集を終えたら、こんどはアール・パーマーのキャリアを俯瞰する特集をやろうと決めました。「生ける戦後アメリカ音楽史」だった人なので、まともにやったら、戦後アメリカ大衆音楽史全二十三巻補巻二巻索引一巻を書くようなものですが、まさか、そんなトチ狂ったことはしません。ファッツ・ドミノ、スマイリー・ルイス、ロイド・プライス、リトル・リチャードといったロックンロール創成期の人たちからはじめて、ハリウッド・ビート・ミュージックの黄金時代と黄昏にいたる歴史を、ドラム・ビートの観点から駆け抜けるだけです。

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しかしなんですなあ、だんだん、この世よりあの世のほうに「知り合い」がたくさんいるようになってきて、「天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいしネエちゃんはきれい」なだけでなく、映画、小説、音楽も、あっちのほうがよさそうに思えてきます。

でもまあ、医療刑務所のジム・ゴードンが、いつかは、『ドグラ・マグラ』の呉一郎のように、「ブーン」という音とともに目覚めて正気を取り戻し(ゴードンに面会した人は、見たところ健康そうで、まともに話していたと証言しているが)、塀のこちら側に還ってきて、再び、われわれに「ドラマーのタイム」とはどういう意味かを思い知らせてくれるかもしれないので、もう少し待ってみましょう。

◆ 中途トラック・リスト2 ◆◆
いやはや、なにも更新できないまま、どんどん日はたっていくのに、お客さんは減る気配がなく、まことに恐縮しております。三つ目のブログ(正確には、去年つくって、その後うち捨ててしまった菜園ブログがあるので、こんどは四つ目なのだが!)、しかも英語のものをはじめることになったということもありますし、そのまえに「新家」の更新もあって、宙にお手玉を四つ飛ばしているジャグラーかなんかのようで、いまなにをしているのか自分でもわからなくなるほどですが、もっとも重くのしかかっているのは、じつはこのジム・ゴードン特集なのです。

f0147840_23544640.jpgなにが大変といって、後半の選曲のむずかしいのなんの、谷ナオミ『悶えの部屋』(というLPを週末に聴いた!)もかくや、てなぐらいの七転八倒ですぜ。どうむずかしいかなんていったところで、わかっていただけないかもしれませんが、なかには具眼の士もいらっしゃるでしょうから、門外不出地下秘密中途リストを公開してみましょう。以前掲載したリストは、あれで一応固定して(ただし、スティーリー・ダンのRikki Don't Lose That Numberは削除)、以下は、それ以後の選曲です。

01_Traffic_Hidden Treasure
05_Alice Cooper_You and Me
03_Seals & Crofts_Hummingbird
10_Harry Nilsson_Together
05_Dave Mason_World In Changes
01_Derek & The Dominos_Evil
07_Bread_Move Over
08_The Yellow Balloon_Follow The Sunshine
03_Derek & The Dominos_Let It Rain
10_Mike Post_The Rockford Files
01_George Harrison_You
05_Frank Zappa_DC Boogie
03_Frank Zappa_St Alfonzo's Pancake Breakfast
04_Frank Zappa_Father O'blivion
04_Steely Dan_Barrytown
06_Steely Dan_Parker's Band
08_Steely Dan_Pretzel Logic
20_Bread_Friends And Lovers
19_Johnny Rivers_Rockin' Pneumonia, Boogie Woogie Flu
09_Tom Scott_Blues For Hari
01_Mason Williams_Overture
11_Johnny Rivers_Life Is a Game

並び順にもトラックナンバーにも意味はなく、元のアルバムでの曲順にすぎません。そして、この全部をベストに算入するわけではなく、ここから5曲ぐらいは刈り込むつもりです。ちょっと迷っているのがザッパ、大いに迷っているのがスティーリー・ダンで、この二者のトラックがダブついているのはそのせいです。

なんだかアイロニカルというか、当たり前というか、好きなアーティストの曲はすぐに決まるのに、スティーリー・ダンのように相性が悪いと、日ごろ聴いていないし、改めて聴くのも憂鬱かつ面倒で、いきなり「食が細く」なって、判断に時間もかかります。

ブレッドもいいプレイがそろっていますし、それより粒はやや落ちますが、ジョニー・リヴァーズのL.A. Reggaeも飛び抜けた曲はないかわりに、どの曲も捨てがたい出来です。メイソン・ウィリアムズだって、ほかにも気の動くトラックがあります。ここにはありませんが、ホール&オーツとジャック・ブルースとランディー・ニューマンは、聴き直したうえで、結局、ひとつもとりませんでした。

◆ Gordon Lightfoot - Sundown ◆◆
f0147840_0203012.jpgともあれ、すこしずつ先へ進むことにします。本日のトップはまたまたシブい歌伴です。もうほとんど繰り返しギャグになりつつありますが、こういうときにこそ、衆に抜きんでたジム・ゴードンのすばらしいタイムが際だつという例のアレでして、いいバックビートを叩いています。ただし、いつもとは微妙に異なるバックビートに聞こえます。そしてそれが、このトラックをベストに入れた理由です。たぶん、意識的に、ほんの少しだけいつもよりタイミングを遅らせようとしたのではないかと思います。それで、やや粘りのあるグルーヴが生み出されたのでしょう。

それにしても、こういう風に、まったくフィルインがない状態で、ただただバックビートを聴いていると、だんだんメンフィス・アンダーグラウンド的トランス状態に入っていき、これはこれで、別種の気持ちよさがあるかな、と思えてきます。ジム・ゴードンのカタログにあっては、やや特殊なプレイです。

◆ Carly Simon - You're So Vain ◆◆
大ヒットしたこのYou're So Vainより、ひとつ前のマイナー・ヒットであるAnticipationのほうが、曲としては好きなのですが、この双子じみた二曲を並べて聴くと、こりゃやっぱり、ドラマーのレベルがまったくちがう、と呆然とします。

f0147840_0233014.jpg仮にわたしがAnticipationを叩いたアンディー・ニューマークで、ベスト盤でジム・ゴードンのプレイと自分の粗末な品を並べられたりしたら、好調のときでも「思うところあって旅に出ます。探さないでください」と書き置きするでしょうし、不調のどん底だったら「ごめんなさい」と書いて、丈夫なロープを買いにいきます。

芸の世界は怖いですねえ。お芸術の世界はいくらでも言い訳ができますが(芸術観のちがい、とかね!)、一文字とれて「芸」になると、上手いか下手か、イエスかノーか、0か1かの二値論理です。並べた瞬間、美しいものは燦然と輝き、醜いものは塵芥に変じます。

なんて感覚的なことで片づけては失礼なので、分析に入ります。いや、じつに簡単な分析です。アンディー・ニューマークには、聴けばだれにでもすぐにわかる大欠点、ドラマーにとっては致命的な欠陥があるのです。それは「両手のアンバランス」と「コチコチに硬い左手首」です。左手の手首が硬いため、リストを柔軟に使い、スナップをきかせた、きれいなスネアのヒットができないのです。両手を交互に使うプレイになると、チンバのギッコンバッタンをやっているから、すぐにわかります。控えめに叩いたほうがいいビートを、妙に強く叩いてしまうという、湯呑みをひっくり返す粗忽な女中状態なのです。

ドラマーにとってごく初歩的な、しかしもっとも重要な資質は、左右の手を、どちらが利き手かわからないほどバランスよくコントロールできる能力です。ジム・ケルトナーがときおり、左右の手をひっくり返して、左手でハイハット、右手でスネアを叩くのは、ただの気分転換だけでなく、偏ったもののバランスを正したいという衝動に駆られるからではないでしょうか。それほど、ドラマーにとって左右のバランス、とりわけ「非利き手」(利き手の対語は「利かない手」といいたくなるが、そんな言葉はそれこそきいたことがない)の手首をどれほど柔軟に使えるかは、死活的に重要です。

ジム・ゴードンのように、銀のスプーンならぬ、黄金のドラム・スティックを握りしめて産道を通ってきたようなプレイヤーには、もちろん、左右のバランスがどうこうとか、手首の柔軟性が云々だとか、スナップがああだこうだとか、そんな初歩的なことを、わたしごときにいわせるような隙ははじめからありません。彼はドラマーになるためにこの世に生まれてきたのです。

f0147840_141974.jpg昔は、コーラスのYou're so vainに入る直前のフロアタムのハード・ヒットとキックの強い踏み込みで、すげえなあ、と感心しました。しかし、年をとると、やっぱり着目点が変化していきます。You're So Vainには、一カ所、ハル・ブレインのようにクレヴァーな処理をしているところがあるのです。

それは、ファースト・ヴァースの歌詞でいうと、「you watched yourself gavotte」のところの小節だけ、それまで軽くストレートにヒットしていたのを、サイドスティックに切り替えている箇所です。数年前にベスト・オヴ・ジム・ゴードンをつくろうと思って、このトラックを聴き直したとき、ここで、へえ、そんな細かい工夫をしていたのかよ、と失礼ながら感心しちゃいました。サイドスティックへの切り替え、無音のストップタイム、フロアタムとスネアのハード・ヒットという流れをつくって、あの印象的なコーラスを導き出しているのです。

当ブログでは、ハル・ブレインのことを「小さな工夫、大きな親切の人」と呼んできました。どんな曲でも、プレイ方針が固まったところで、ハルはそれを譜面に起こしました。以後、何度テイクを重ねようと、プロデューサーから注文がつかないかぎり、その譜面にしたがってプレイをしたのです。だから、ハル・ブレインのプレイにおいては、「どのような方針でドラミングが設計されているか」という「メタな」部分も、じっさいのサウンドと同様に重要性をもちます。つまり、ハルのプレイは抜きで、譜面だけであっても、相応の意味をもつのです。

ジム・ゴードンの場合、プレイに工夫がなく、譜面に起こしても意味がない、というわけではもちろんありませんが、ハルのように第一打からフェイドアウトに至るまで、一打もゆるがせにすることなく、緻密にプレイをデザインするようなことはなかったにちがいありません。おそらく、だいたいの方針が決まったら、あとは本能が告げるままに、完全にその世界に入り込んで、あのデモーニッシュな連打を生み出したのでしょう。

そう考えてくると、この曲もまたジム・ゴードンのカタログにあってはやや変わり種で、こういうことをすることもある、ということを知り、知らせるために、ベスト・セレクションにぜひ算入すべきだろうと思います。

◆ Nitty Gritty Dirt Band - Some Of Shelley's Blues ◆◆
先日のリストでは、ここでスティーリー・ダンのRikki Don't Lose That Nubmerなのですが、この曲はたぶんオミットすることになるので、ここでもとばして、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドへと進みます。

数年前の最初のベスト・オヴ・ジム・ゴードンのときに、あれこれ調べてリストをつくっていて、アッといってしまったのは、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドのアルバムでプレイしているという記述を読んで、Uncle Charlie And His Dog Teddyを取り出したときのことでした。小さな文字ですが、ちゃんとジム・ゴードンがクレジットされていたのです。いや、このアルバムのドラムはすごいと子どものころから思ってはいたのです。でも、ジム・ゴードンだとは思っていなかったのです。

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なぜそんなトンマなことになったかというと、このアルバムがリリースされた直後、わたしは新宿厚生年金で彼らのライヴを見たからです。ザ・バンドのように楽器をもちまわすグループでしたが、主としてストゥールに坐っているプレイヤーはかなりの腕だったのです。それで、うっかり、このUncle Charlie And His Dog Teddyのドラマーも、あのときのプレイヤーだと思いこんでしまったというしだい。

いやはや、なんてえボンヤリ者だ、と呆れます。そうでしょう? こんなドラマーがあそこにもいる、ここにもいる、どこにでもいる、なんてことは、確率の法則からいってありえないのです。ドラミングを聴いて、すごいと思ったら、クレジットはどうであれ、じっさいにはそれと知られた人がプレイしていると思ったほうがいいのです。

盤のクレジットでは、ドラムはジム・ゴードンとラス・カンケルとなっていますが、すぐれたプレイが充満しているので、カンケルはほんの2曲かそこらしかやっていないでしょう。多くはジム・ゴードンの仕事です。

じっさい、いいプレイが多すぎて、一曲に決めるのがむずかしいのですが、楽曲もいいし、フロアタムが深い、いい音で録れているという理由で、マイケル・ネスミス作のこのアルバム・オープナーを選びました。乗れるグルーヴです。

残りの選曲ができていないので、本日はここまでとさせていただきます。今回は思ったよりあいだがあいてしまいましたが、今後はせめて、二日にいっぺんは更新したいと考えています。

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by songsf4s | 2008-09-22 23:56 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その4

◆ ファイアフォックス・ダウン ◆◆
クレイグ・トーマスという作者の『ファイアフォックス』という、ロシアの戦闘機を盗む話はなかなかよくできていて、クリント・イーストウッド監督・主演で映画化もされました。しかし、現実にロシアの新鋭戦闘機が亡命してきてみたら、電子機器に真空管を使っていたというので笑いものになり、そんな国の戦闘機を命を張って盗む『ファイアフォックス』のほうも、リアリティーが薄れてしまったものでした。

f0147840_23595582.jpgいや、真空管を使ってもコンピューターは動きますが、動作は遅いは、故障が多いは、ゴジラとキングギドラのあいだに生まれた子どもみたいに重いはで、非現実的です。あのころだって、ENIACは遠くなりにけりだったのです。兵器、とりわけ空を飛ばすものに載せるのは固体回路、というのはすでにあの時代でも常識だったので、ミグの機体を解体してみて、「こりゃ、考古学者の仕事場かよ?」てえんで、技術者は仰天したわけですな。最新オフィスビルだと思って入居したら、構内交換機が設置されていず、交換台を呼んで手動で外線に接続するものだった、とか、クレムリンはベニヤ板にペンキを塗っただけの張り子の虎だった、というぐらいの、ズルッとなるサゲでした。

で、その続篇が『ファイアフォックス・ダウン』てえんで、うちのFirefoxがまたしてもダウンしたのです。いや、クレイグ・トーマスの小説はもちろん戦闘機、こっちはブラウザーの話でありまして、いやはや、どうも失礼。しかし、FireとFoxがつながった言葉が熟しているとは思えず、わたしは、ブラウザーがこのような名前を持つに至った背景には、戦闘機の名称またはクリント・イーストウッドによる映画があるとみなしています。

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で、Firefoxを開いているときにウィンドウズがクラッシュすると、ときにひどいことになる(開いていたタブや履歴は疎か、ブックマークまでがすべて消える完全な記憶喪失)ケースがありますが、最悪は、ダウンロード・マネージャーが壊れ、画像とHTMLのダウンロードができなくなることです。これが起きちゃったのです。

症状から考えて、プロファイルが壊れたにちがいないのだから、プロファイルを消すか、再インストールすれば正常になる、とふつうは考えますよね。残念ながら、再インストールでは解決できません。どこになにを書いているのやら、じつに強固にプロファイルがこびりついていて、再インストールしても、以前の状態が復元されてしまうのです。ということは、つまり、ダウンロード・マネージャーの不具合も「正しく」保持されちゃうのです! バーロー、なんのための再インストールだ! リセットしたいからやってるんだろうが! 責任者出てこい! ですよ。

f0147840_0222845.jpgそれではというので、Firefox大撃滅作戦、たとえわが国土を荒廃させても、敵を殲滅せずにはおくものか、死なばもろとも、地獄へ行け、てえんで、regedit.exe起動、「パリは燃えているか? パリは燃えているか? 翼よ、あれがパリの火だ、あ、ちがった、あれは『翼よ、あれがパリの灯だ』だったっけ」てえんで、完璧にヒトラー的逆上、核兵器の使用もいとわないぞ、でしたねえ。いや、つまり、もう一度、Windowsの再インストールからやったろーじゃねーか、です。

ありとあらゆるFirefoxの痕跡をOSパーティションから削除してみました。それでわかったのです。Firefoxはプロファイルを二重に書き込んでいるようなのです。だから、ふつうにAppllication Data下のFirefoxフォルダーを削除しただけでは、予備のプロファイルを使って不具合を復元してしまうのです。そんなもん、復元するなっていうのに!

呆れました。アポロ宇宙船のときにいわれた「リダンダンシー」(「冗長性」と訳したりする)による安全性の確保みたいなもので、一見、強固につくってあるように見えますが、じつはまったくそんなことはないのです。たとえるなら、ドロボーはフリーパスで侵入できる(ウィンドウズのクラッシュに対してはきわめて脆弱で、あっさり道連れになってプロファイルが壊れる)けれど、現場検証に来た鑑識はぜったいに侵入できない(再インストールによるプロファイルの書き換えは断じて拒否する)大馬鹿な金庫室みたいなものです。泥棒を捕らえてみてから縄をなうならともかく、泥棒にやられてみてからナヴァロンの要塞化するのです。

最近、ヴァージョン3になって、このへんが改善されたのかどうか知りませんが(いちおう入れてみたが、どういうわけか、世評とは正反対に、うちではひどい速度低下に襲われ、使いものにならず、2に戻した)、Operaにはこういう脆弱性はまったくなく、どんなにクラッシュしても、一度もプロファイルが壊れたことはありません。Operaではエクサイトにログインできないので(Operaではなく、エクサイトに問題がある)、Firefoxとの併用は避けられないのですが、釈然としないものがあります。

そもそも、これだけ時間をかけて原因を究明し、正常な状態を復元したその直後に、またウィンドウズがクラッシュして、またしてもダウンロード・マネージャーの不具合が起き、またまたしても、二重のプロファイルを削除したのでした。うーん、シジフォスの神話、賽の河原の石積み、どこまでつづく泥濘ぞ、八甲田山死の彷徨でんがな。まあ、やり方がわかれば、短時間で処置できるのですが(二つの事故プロファイルを消すだけでよく、再インストールは不要)、当然ながら、あちこちのログイン名やパスワードなどもすべて消えるので、これを復元するのがむちゃくちゃに面倒です。

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うーん、この枕のタイトルは『ファイアフォックス・ダウン』ではなく、クロード・シャブロールの『二重の鍵』だったかもしれませんなあ。何十年も前に見たきりですが。いや、わたしがやったような粗雑な解決策ではなく、プロファイルを部分的に修正する(つまり、ログイン名やパスワードなどは保持する)方法をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひぜひご教示いただきたいものです。ホント、手を焼いとります。

◆ Joan Baez - Children And All That Jazz ◆◆
さて、ベスト・オヴ・ジム・ゴードン。そろそろスピードアップしないと、永遠にこのシリーズを完了できないような気がしてきましたが、果たしてどうなることやら。

ジョーン・バエズが好きかといわれると、口ごもってしまうのですが、それは、あのギター一本で歌うフォークというのがものすごく不得手なためです。わたしの胞衣(えな)を埋めた上を最初に通ったのは、ムカデかフォークミュージックだと思います。

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70年代のジョーン・バエズは、あのWe Shall Overcome的世界とは、すくなくともサウンド面では完全に縁を切っていて、じつはかなり楽しめる音作りをしています。まあ、わたし同様、あのストレート・ロングヘアのようなとっかかりのない、素直すぎる美声が苦手、という方もいらっしゃるでしょうねえ。これはどうにもなりません。ボビー・ジェントリーやジュリー・ロンドンのファンとしては、こういうバエズ声はいかんのです。しかし、快川禅師もおっしゃっています、心頭滅却すれば火もおのずから涼し、グルーヴに意識を集中すればヴォーカルは消滅する、と。

で、この曲のジム・ゴードンは如何にというと、これが微妙なんですなあ。微妙なところが、ただ純粋にすぐれているトラックとはちがうので、やっぱり、参考資料として押さえておきたいわけです。なにがちがうかというと、なんといっても、チューニング、サウンドですが、プレイ・スタイルも異なっています。

f0147840_0353983.jpg個人的にもっとも気になるのは、チューニングのちがいで、こういう低いのはどんなものかねえ、と首をかしげます。時代の好尚というのがあり、ポピュラー音楽はまさに流行廃りが支配する世界、プロデューサーは時代にこびへつらうものですから、おれはこういうチューニングは嫌いだ、なんて意固地になっていると、仕事がなくなっちゃったりするわけで、時代に合わせて自分を変えていかなければならないのが、客商売のつらいところです。

で、結局、そのようにして変質していったドラムのチューニングとサウンドが気に入らず、わたしは、ピーンといえばカーンというような青空に似た、パシーンとした60年代チューニングのスネアに頑固にこだわり、変貌を続ける同時代の音楽と縁を切りました。こっちは音楽で飯を食っているわけではないので、そういう音はでえっきれえだ、性に合わねえ、と啖呵を切ることができるわけですな。

そもそも、というほどのことじゃござんせんが、うまいドラマーというのは、つまりは耳がすぐれているわけで、当然ながら、チューニングにおいても、凡庸なドラマーとはちがうのです。たとえば、すでに取り上げたB.W. StevensonのMy Mariaの冒頭で派手に鳴るハイ・タムとスネアがありますな。あれがなぜ強く印象に残るかというと、タムとスネアをつづけて鳴らすと、そのピッチの落差のせいで非常におもしろい響きが生まれるように、「意識してチューニングしている」からにほかなりません。

これはハル・ブレインが「ドップラー効果」と呼んだものです。その効果が最大に発揮されたものとしてもっとも有名なトラックは、アルバート・ハモンドのIt Never Rains in Southern California、すなわち「カリフォルニアの青い空」の冒頭のタム2打です。これはピッチの異なるタムを二つ、フラムの要領で「ほぼ同時に」すなわち「わずかにずらして」ヒットすることによる効果をねらったもので、リスナーの心を一瞬にしてつかむみごとなフックとなり、この曲の大ヒットに貢献しました。ただボケッとチューニングしていたのでは、こういう歴史に残るほど鮮やかなフックは生まれません。注意深く二つのタムをチューニングしたからこそ、あのように印象的なサウンドが生まれたのです。

f0147840_0362371.jpg音楽は音によってつくられるので、どのような音色であるか、ということは死活的に重要です。しかし、花の色は移ろいやすく、一世を風靡したサウンドは、やがて、「古い」といわれることになる運命を背負っています。流行ったからこそ飽きられてしまうのです。そのようにして、ハル・ブレインへの依頼は減少し、ジム・ゴードンやジム・ケルトナーの時代がやってきますが、ものごとは順繰り順繰り、ジム・ゴードンが生来もっていたキレのよいスネアのサウンドは時流からはずれ、こういう、モンモンモコモコの入道雲なんです、みたいなこもった音を好む一派があらわれたようです(と頼りないが、75年ともなると、わたしはもう音楽に興味を失いはじめていたので、じつはよく知らない)。

では、なんでこのトラックをベストに入れるのだ、といわれるでしょうが、どれほどイヤなサウンドだろうと、やっぱりすばらしい一瞬があるのです。後半、ピアノの間奏(たぶんハンプトン・ホーズのプレイ)があるのですが、ここでやはり、すばらしいタイミングでヒットしているビートがいくつかあるのです。とくに2:07から08秒にかけての連打は、やっぱりジム・ゴードン、襤褸は着ても心は錦(カンケーないか)、腐っても鯛、すごい、とうなります。こういうふうに、ほとんどおもしろくないのだけれど、一瞬だけすごくいい、というのは、それはそれで楽しいものなのです。ハルが叩いたブライアン・ウィルソンのCaroline Noにおける、エンディング直前の一発だけのフィルインを想起されよ。

◆ Art Garfunkel - Travelin' Boy ◆◆
アート・ガーファンクルの最初のソロ・アルバム、Angel Clareのオープナーで、作者はポール・ウィリアムズとロジャー・ニコルズ。このアルバムからシングル・カットされ、大ヒットしたジミー・ウェブ作のAll I Knowを選択してもよかったかな、と思うのですが、ドラムの見せ場が多いほうの曲をとりました。セッション・プレイヤーである以上、ヒットは重要なので、大ヒット曲のほうを重視するという方針も「あり」だと思います。

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前述、ジョーン・バエズのChildren And All That Jazzの2年前の録音ですが、スネアはまだピッチが高く、録音も、同じハリウッドでありながら、こちらのほうが納得のいくドラム・サウンドをつくっています。いや、My MariaやBorder Townのほうがはるかに派手なサウンドですが、まあ、歌伴はこんなものでしょう。

気がつくと、ボビー・ウィットロックの2曲のバラッド、Song for PaulaとThe Scenary Has Slowly Changedによく似たドラミング構成をとっています。バラッドはそうなりがちなのかもしれませんが、エンディングにかけて盛り上げに盛り上げるので、勢い、ドラムもそのあたりに大量にフィルインを投入することになります。これがあるから、バラッドでのドラミングも捨てがたく、ハルが自分の代表作にバラッドを選ぶのでしょう。セッション・プレイヤーは歌伴ができてナンボですが、歌伴とは詰まるところ、バラッドでのプレイの謂いなのです。

◆ Bobby Whitlock - Where There's a Will There's a Way ◆◆
ボビー・ウィットロックのソロ・デビュー盤のオープナーで、アップテンポのストレート・ロッカー。以前にも書いたように、わたしは、ボビー・ウィットロックのソロなら、きっとジム・ゴードンが叩いているにちがいない、というギャンブルでこの盤を買いました。

f0147840_042655.jpgパーソネルはないので、音で判断するしかなかったのですが、この1曲目に針を落としたとたん、うん、大丈夫、ジム・ゴードンまちがいなし、とニッコリしました。やっぱり、こういう曲になると、ドラマーはほとんど主役、いいプレイをしています。しいて難癖をつけるなら、もっと明るい音で録ってほしかったと思いますが、これだけ派手に叩いていると、リミッターかハイ・パス・フィルターをかけなければ、冗談ではなく、ドラマーが大主役、ヴォーカルは脇役になってしまうので、やむをえなかったのでしょう。

最大のお楽しみは、テナー・ソロの直後、1:50前後のストップ・タイムにおける短いフィルインでしょう。むちゃくちゃにカッコいいですなあ。

◆ Delaney & Bonnie & Friends - Where There's A Will There's A Way ◆◆
この曲も、ディレイニー&ボニーによるライヴ・ヴァージョンがあります(楽曲自体が、ウィットロックとボニー・ブラムレットの共作)。イントロで一カ所ミスをしていますが、それはそれで、ジム・ゴードンでもライヴではこういうことがあるんだよねえ、とニヤッとします。

f0147840_0423461.jpgこのOn Tourというアルバムのなかでは、イントロのミスをのぞけば、もっとも楽しいドラミングといえるでしょう。バシバシとバンドの「ケツを蹴り上げ」るジム・ゴードンが中心になって展開しますが、ここでもまた、「走らず突っ込まず」の懐の深いグルーヴをつくっているのが、ほんとうにすごいものだなあと思います。

一般論としては、派手に盛り上げるときは、いくぶん走ってもオーライだったりするのですが、ジム・ゴードンの場合、テンポは一定のままで、熱く盛り上がる感覚をつくっているのだから、たいしたものです。やっぱり、ジョン・グェランだのラス・カンケルだのといった、タイム・キーピングも満足にできなければ、チューニングもひどいマイナー・リーガーとは、一桁も二桁も違う巨人、真にすぐれたプレイヤーでした。


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by songsf4s | 2008-09-18 23:46 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その3

先週のはじめに新しいHDDのトラブルのことを書きましたが、結局、モーターも回転しなくなり、初期不良であえなくおシャカ。本日、代替品が届き、インストール完了、ファイルのコピー完了、あとはOSをコピーしたパーティションを「イキ」にして、接続先を変更して再起動すればすべて完了、というところまできました。

ずいぶん長いことAT互換機を使っているので、パーツ交換は無数にやりました。つらつら考えると、どうやら、初期不良パーツだけを集めて一台つくれそうです。って、初期不良パーツを五万と集めても、動かないPCができるだけ、どう逆立ちしても、動くPCはつくれないのですが!

いや、まあ、そのへんはいいとして、ファイルのコピーに要する時間はどうにかならないものでしょうかねえ。今回は200GBほどコピーしましたが、3時間近くかかりました。ほかのものは劇的に改善しているのに、HDD間のファイル転送速度は、初期の数倍がいいところでしょう。HDDの回転数だって、3300回転から7200回転だから、たったの2倍強です。

それに対して、扱うファイルの大きさは、飛躍的な増大を遂げました。最初に買ったHDDのサイズが40MBですよ。40GBのまちがいではありません。MBです。いまどき、40MBでできることなんかほとんどなにもありませんよ。最初にATを組み立てたときのHDDだって、330MBが2台でした。GBという単位が登場したのは、その半年後です。いまや、わが家のPCもあと少しでテラバイト、ついにTBという見慣れない単位へ移行です。それなのに、転送速度はほとんど改善していないのだから、この先、どうなるのだろうと思います。回転するものでの速度の改善はとうに頭打ちだから、やっぱりディスクリートなものにせざるをえないのでしょうかねえ。

ともあれ、これで大幅に余裕ができたので、いろいろなことがやりやすくなります。がしかし、今日はHDDにかかりきりだったので(いや、じつは誘惑抗しがたく、『マタンゴ』の冒頭を見てしまった)、またしても記事を書く時間は微少になってしまいました。いい加減な枕を書くのは楽勝ですが、記事本体は気を遣うので、まあ、最近のような短さで、負担になるまえに切り上げるのが「セルフ敬老精神」というべきかもしれません。

◆ Glen Campbell - Wichita Lineman ◆◆
さて、ベスト・オヴ・ジム・ゴードンのつづきです。今日のトップはおそろしく地味なプレイです。しかし、歌伴のときのドラマーというのは、本来はこういう存在だったわけで、このようなきわめて匿名的なプレイも、サンプルとして押さえておきたいわけですな。それになんたって、ジミー・ウェブの代表作ですし、アレンジよし、レンディションよし、パフォーマンスよし、プレイよし、録音よしてなもんで、ほとんど完璧なトラックですから、たとえドラマーのキャリアという文脈にあっても、こういう曲も無視するべきではないのです。

わたしの知るかぎり、このトラックのパーソネルが書かれた盤はありません。うちにあるものでいうと、オリジナルのLPにも、後年のベストCD、Essential Glen Campbellにもメンバーの記載はありません。では、耳で聴いてまちがいなくジム・ゴードンと断定したのかというと、そんなことでもないのです。なんたって、わたしはこの曲のドラマーはハル・ブレインだと思いこんでいたくらいでしてね、ぜんぜんわかっちゃいなかったのです。

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では、なぜわかったかといえば、以前にもちょっとふれたとおり、この曲でベースをプレイしたキャロル・ケイが教えてくれたからです。ゴードン、ケイのほかに、作者のジム・ウェブがピアノ、グレン自身がCKさんのダンエレクトロ6弦ベースを拝借して間奏をプレイしたそうです。アコースティック・ギターもグレン自身じゃないでしょうか。

この曲についてCKさんがいっていたことで、なーる、とうなったのは、アレンジャー/プロデューサーのアル・ディローリーが、彼女のベース・ラインを土台にして、うまくストリングスをアレンジした、と賞賛していたことです。彼女は、あとでオーヴァーダブされるはずのストリングスをイメージしながら、ベース・ラインをつくることがある、というのです。ベース・プレイヤーとアレンジャーの意図がうまくかみ合って、いいサウンドがつくれたケースといっていいでしょう。

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スタジオのアル・ディローリー(手前)とグレン・キャンベル

で、ここでの主役たるジム・ゴードンのプレイはどうかというと、これがまた、若さに似合わぬ超渋渋で、年寄りとしてはシビれますなあ。こういうときに、その人のもっている体質というか、生来のタイム感がモロに出ちゃうんですよねえ。つまり、美人はスッピンがいい、というあれですわ。飾りようがないから、もって生まれた美しさが際だっちゃうのであります。なにもしないからこそ、素のタイムが露呈し、「やっぱ、元がちがうもん、がんばったんじゃなくて、生まれたときからうまいのよ、努力の人じゃないもんねー」と納得するわけですな。努力するような人間には、いい音楽はつくれません。

この超渋渋ソングにも、ドラマーの見せ場がないわけではありません。シナトラのStrangers in the Nightでハル・ブレインがやったように、ヴォーカルが消えたあと、エンディングで技術の片鱗をチラッと見え隠れさせるわけですな。ほんの一瞬のプレイですが、さすがはジム・ゴードン、やるべきことをきちんとやって、存在感を示しています。

◆ Dave Mason - Only You Know And I Know ◆◆
ブルー・サム・レコードからリリースされた、デイヴ・メイソンのソロ・デビュー盤のオープナー。この盤にはトラック単位のクレジットはなく、アルバム全体のものとして、ジム・ゴードン、ジム・ケルトナー、そしてメイソンとはトラフィックでバンドメイトだったジム・カパーディーの3人が、ドラマーとしてクレジットされています。なかにはゴードンかケルトナーか判断しにくいトラックもありますが、この曲は大丈夫、ガチガチでジム・ゴードンです。

ヴァースはシンバルを使わず、ほとんど両手でスネアを叩くという変則的なプレイですが、こういうのもできないと、プロとしては失格で、生涯ドサ廻りをするハメになります。もちろん、ジム・ゴードンはあざやかにこなしています。

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Only You Know and I Knowを収録したアルバムAlone Togetherのバカげた三つ折りLPジャケット

大ざっぱにいうと、両手で8分を叩きながら、2&4を中心として、適宜、非常に強いアクセントを入れるプレイ、ということになるのですが、うまい人は、こういうときに、どこにアクセントを入れるかいうそのセンスまでいいのです。

間奏などで、このパターンから逸脱し、スネアは左手だけにし、ライド・ベルを使ったりしていますが、ライド・ベルといえばジミーというぐらいで、いつだって文句のないプレイをします。ハル・ブレインやアール・パーマーだってライド・ベルを使わなかったわけではないのですが、ジム・ゴードンはハルやアールの数十倍は多用しています。よほど好きだったのでしょう。長いアウトロは、ライド・ベルとフィルインのコンビネーションで楽しませてくれます。

◆ Delaney & Bonnie & Friends - Only You Know And I Know ◆◆
同じ曲をライヴでやるとどうなるか、という興味です。ギター陣のひとりはデイヴ・メイソンですし、ベースもカール・レイドルと、メイソン盤Only You Know and I Knowに近いメンバーでのライヴ録音です。

f0147840_0121884.jpgいつも思うのですが、ジム・ゴードンはライヴでも心拍数が上がらないタイプのようです。ディレイニー&ボニー盤Only You know and I Knowが、スタジオ録音のデイヴ・メイソン盤よりテンポが遅いのは、ジム・ゴードンとは無関係なところでの意志決定でしょうが、それにしても、どこかですこし突っ込みそうになったり、ほんの気持ちだけ走りそうになったりするのが、よくいえば「ライヴらしさ」(ま、半分は下手なドラマーへの嫌み!)なのですが、ジム・ゴードンがそういう粗忽をしたのは聴いたことがありません。カール・レイドルとの相性もよかったのかもしれませんが。

◆ Bobby Whitlock - The Scenary Has Slowly Changed ◆◆
すでにこのベスト・オヴ・ジム・ゴードンで取り上げたSong for Paulaと並ぶ、ジミーが大活躍するボビー・ウィットロックのもう1曲のバラッドです。どちらの曲を先に出すかは悩ましいところで、まさしく五分と五分の勝負です。

f0147840_0154588.jpgこちらのThe Scenary Has Slowly Changedの場合、最大の魅力は、ジム・ゴードンがさまざまなフィルインをつぎつぎと繰り出す、スリリングな最後の一分間です。しかし、テクニカルなところに強く惹かれるかというと、正確にはちがうのです。フィルインを構成する数多くのビートの相当のパーセンテージが、どうしてそんな一瞬を狙えるのだ、と呆然とするほど、ミクロに微妙なタイミングでヒットすることに驚きと快感を味わう、その点こそ、ジム・ゴードンの最大の特徴なのです。ただたくさんのビートを叩けばいいのなら、ジンジャー・ベイカーですらいいドラマーになってしまうわけで、そんな馬鹿な話はないのです。すばらしいビートをどれほど多く、連続的にヒットできるか、という勝負なら、ジム・ゴードンはアメリカ音楽史上ナンバーワンのプレイヤーです。

この曲の最後の一分間に叩き出された多数のビートのうち、たとえていうなら、三割ぐらいはすばらしいポイントにきています。それほどの「高打率」を実現できたドラマーはジム・ゴードンしかいないでしょう。


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by songsf4s | 2008-09-15 23:58 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その2

先日、郊外のホーム・センターにいったら、ハロウィーン用品が山と飾られていて、おやおや、ついに日本でもハロウィーンが定着か、と思いました。

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そういえば、去年、近所のスーパーのレジの女性がみな魔女の帽子をかぶっているのを見て、びっくり仰天しましたっけ。考えてみると、このスーパーはアメリカ資本なので、本社の意向もあったのでしょう。どうであれ、商機ありと見れば、商売人は恥も外聞も文化も知ったことではないのです。ハロウィーンまでくれば、つぎはイースターかサンクス・ギヴィングか、そのへんの掘り起こしもやるんでしょうねえ。いやはや。

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異文化であるクリスマスに便乗して何十年も飲み食いしてきたのだから、いまさら、「日本でハロウィーンはおかしいだろうに」とか、「サンクス・ギヴィングだけはやめようや、七面鳥なんか食べたくない」なんてゴネる気はありません。問題はそのことではないのです。

わたしはハロウィーン・コーナーには用はないので(しかし、ドライ・ボーンズ12,800円也はちょっと気が動いた。いい年して、相変わらずパアでんねん)、わが家のメス猫のための食品をもとめて奥へと移動しました。で、入り口近くのハロウィーン・コーナーから、奥のペット用品コーナーに向かう途中に、こういう一廓があったのです。

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うーむ。ハロウィーン・コーナーには驚きませんでしたが、これには軽い衝撃を受けましたねえ。なんとも名づけようのない、もやもやとした情動におそわれましたよ。そのもやもやにシャープネスをかけ、コントラストと明るさを調整して、なんとか見えるものにしてみました。

それでわかったのは、まず第一に、この空間の落ち込み方にギョッとしたのだということです。ホーム・センターだから、材木コーナーなんかもあったり、「防犯敷石」一袋780円也なんて、地味の王者みたいなものも売っているのですが、しかし、各種電動ドリルおよびチェーンソーを取りそろえた売り場にだって、それ相応の華やかさというものがあるし、ハロウィーン・コーナーなんか、ノーテンキなはしゃぎぶりですからねえ。それにくらべて、この敬老の日プレゼント・コーナーの慎ましさ、地味さはどうです。ちょっとほかに比べるもののない味わいですぜ。

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もうひとつ引っかかったのは、発想の貧困ぶりです。この商品群をひとつにまとめるキーワードはなんでしょう? わたしは「衰弱」じゃないかと思います。衰弱を売り物にするから、この空間はドーンと20Gで落ち込んでいるのです。実用的な商品をそろえたつもりなのでしょうが、それがそもそもの間違いなのです。

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わたしの老父は八十八歳になりました。老母も八十です。敬老の日のプレゼントなどしたことがないのですが、必要に迫られてこのホーム・センターを訪れたとしても、このコーナーにある商品は買いませんねえ。両親が喜ぶとは思えないのです。贈り物は喜ばれてナンボのものでしょう。受け取った人間が戸惑うようなものを記念の品にする馬鹿はいません。

ではというので、商売人たちにかわって、どのような敬老の日コーナーをつくるべきか、ちょっとだけ考えてみました。市場調査の対象は、わが両親だけです!

まず父親が日々なにをしているかというと、テレビ番組を見るか、DVDを見るか、音楽を聴くか、この三つです。音楽は現代の演歌が中心で、どういうわけか、若いころに聴いたはずの音楽のCDを買ってくることはありません。李香蘭や服部良一のCDだって、わたしがあげたほどです。テレビ番組は時代劇と歌謡番組、そして相撲です。新しい時代劇がはじまるとかならずチェックし、たいていは毎回見ています。野球はもう新しい選手の名前と顔が覚えられないのでギヴアップだそうです。それから旅番組も、国内にかぎりますが、それなりに興味があるようです。

DVDも、ご近所からまわってくる時代劇が楽しみのようですが、もうひとつの系統は昭和20年代に封切られた洋画です。500円DVDの広告を見て、なぜこういうものは500円などという値段なのだ、インチキ商品なのか、とわたしにきいたことがあります。いや、著作権消滅とみなし、その分の金を払っていないからにすぎず、理想的画質ではないかもしれないが、ちゃんと見られるもののはずだ、とこたえました。それ以来、ときおりこの種のDVDを買って、夫婦で見ているようです。

説明なしに「昭和20年代の洋画」といってしまいました。なぜこの時期が意味をもつのか。ひとつはもちろん、戦争が終わって、無数の夫婦が誕生し、その結果として団塊の世代といわれる子どもたちが誕生したということです。

f0147840_053270.jpg言い換えるなら、昭和20年代はじめとは、日本中が「デート・ブーム」だった時代なのです。わたしの両親は昭和21年に結婚し、東京は中野の焼け残った曾祖父の隠居所で新婚生活をはじめました。若い二人が休みの日によくいったのが、たとえば武蔵野館などの新宿の映画館なのです。だから、老夫婦が若いころに見た映画をまた見たくなるのは、考えるまでもないほど当然至極なのです。

もうひとつ、これは日本の特殊事情ですが、戦争中にアメリカ映画が輸入されなかったため、戦前戦中の秀作大作が、昭和20年代前半に集中豪雨的に公開されたということも見逃せません。洋画に飢えたあの時期の日本に、密度の濃い作品群がぶつけられたのです。あの時代に若かった人たちが、昔の映画はよかった、というには、それなりの理由があるのです。

こんなことばかり書いていると本題に入れないので、急いで切り上げますが、こういう世代と時代の関係に目を向ければ、「椅子にもなる歩行補助車(ドラムブレーキ採用)」や「折り畳みステッキ(プリント柄各種)」や「3Dセンサー搭載歩数計(防犯ブザー付き)」などが並ぶ、ドーンと落ち込んだ空間ではなく、もうすこし華やかな、贈り物らしい商品の並ぶコーナーがつくれるはずです。すくなくともわが両親は、オムロン自動血圧計より、ジョン・フォードやハワード・ホークスやフランク・キャプラの映画のほうを喜ぶにちがいありません。

しかし、思うのは、ハロウィーンと敬老の日の決定的な落差はどこにあるのか、ということです。わたしの見るところ、それは物語性の有無です。小説を読まない時代にあっても、物語の需要はまったく減少していません。われわれは物語なくしては生きられない動物です。クリスマスもそうですが、ハロウィーンには豊かな物語性があります。それにくらべて敬老の日の散文的なこと、目を覆うばかりです。物語のないところに商機もありません。だから、血圧計と「差し込み便器」になっちゃうのです。

百科事典には、「もとは聖徳太子が四天王寺に悲田院(ひでんいん)を設立したと伝えられる日にちなんで、1951年からとしよりの日、64年から老人の日とよばれ、敬老行事が行われてきた」とあります。

わたしが「敬老の日リニューアル・プロジェクト」を任されたら、まず第一に「聖徳太子」「四天王寺」「悲田院」というキーワードに着目し、そのいっぽうで、「敬老」という言葉を完全に抹消することから仕事に取りかかります。ポイントは「物語」なのです。だめですよ、「敬老」なんていう散文的な言葉を押しつけては。祝日にだって詩が必要です。それを理解した商人は、このばかげた祝日からでさえ利益を得ることができるでしょう。

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◆ 中途版トラックリスト ◆◆
枕のほうが長くて、肝心の噺が短いのでは、まるで小三治の高座ですが、どうやら今日もそういうことになりそうな雲行きです。全体像というにはほど遠いのですが、現在までにBest of Jim Gordonフォルダーに入れたトラックを以下に並べてみます。

01. Derek & The Dominos - Why Does Love Got To Be So Sad
02. The Souther-Hillman-Furay Band - Border Town
03. Bobby Whitlock - Song for Paula
04. The Byrds - Get To You
05. Maria Muldaur - Midnight At The Oasis
06. B.W. Stevenson - My Maria
07. Glen Campbell - Wichita Lineman
08. Dave Mason - Only You Know And I Know
09. Delaney & Bonnie & Friends - Only You Know And I Know
10. Bobby Whitlock - The Scenary Has Slowly Changed
11. Joan Baez - Children And All That Jazz
12. Art Garfunkel - Travelin' Boy
13. Bobby Whitlock - Where There's a Will There's a Way
14. Delaney & Bonnie & Friends - Where There's A Will There's A Way
15. Gordon Lightfoot - Sundown
16. Carly Simon - You're So Vain
17. Steely Dan - Rikki Don't Lose That Number
18. Nitty Gritty Dirt Band - Some Of Shelley's Blues

◆ The Byrds - Get To You ◆◆
オリジナル・バーズの残骸が完全に解体され、マギンによる新しいバーズが生まれる直前の、ある意味で「最後の」アルバムとなったThe Notorious Byrd BrothersのA面のラストに収録された曲。おかしなことに、最悪の状況のなかで、バーズは最良のアルバムを残しました。

わたしの考えでは、ジム・ゴードンはセカンド・アルバムのTurn! Turn! Turn!からバーズのドラマーをつとめています。デビュー盤で、デイヴィッド・クロスビーやマイケル・クラークが、ハル・ブレインを筆頭とするセッション・プレイヤーたちに嫌がらせをしたため、2枚目からは、デビュー盤を録音した、当時の第一線主力級セッション・プレイヤーはまったく参加しなくなったのです。

ハルが忙しくていけない仕事をまわしてもらうことでスタジオに入ったジム・ゴードンが、「ヘイ、ジミー、あの馬鹿野郎どもの仕事はおまえにまかせた」とハルにいわれたであろうと推測するのは、パイのように容易なことです。つい数年前のインタヴューでも、いつもは穏やかで愛想のよいハルが、「あのバーズのガキ」とマイケル・クラークを罵倒していたほどで、よほど腹に据えかねることがMr. Tambourine Manのときにスタジオで起きたにちがいありません。

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どの仕事でもそうですが、ジム・ゴードンは(彼と年齢の近かった)バーズでもみごとにハル・ブレインの名代をつとめ、しばしばすばらしいプレイをしています。しかし、極めつけはやはりこのGet to Youです。

ヴァースが5拍子、コーラスがワルツという変則的な構成の曲ですが、ジム・ゴードンのドラミングは、そういうイレギュラリティーがあることをリスナーに感じさせないほど自然です。なんたって、5拍子なのに、盛大にフィルインを叩いているんですからねえ。このアルバムを聴いたとき、わたしはミドルティーンでしたが、プロっていうのはすごいものだ、自分がストゥールに坐って、5拍子でこんなに大量にフィルインを入れたら、ぜったいにミスをする、と思ったものです。

いやはや、マイケル・クラークごときトーシロは、スタジオにはいなかったことを知ったときの、わたしの驚きを想像されよ! プロっていうのはすごいものだ、という感慨に間違いはまったくありませんが、その「プロ」という言葉は、ロックバンドの「スティックをもった芸能人」ではなく、ほんもののプロであるスタジオ・プレイヤーに使わなければいけないのです。ロックバンドのメンバーは素人です。

前言を翻すようですが、年をとるにつれて、この曲におけるジム・ゴードンのプレイの真のすごさは、5/4の変則リズムでスーパープレイをしていることではない、と感じるようになってきました。ほんとうに賞美すべきは、二十歳かそこらの若者がやったとは思えない、美しいハイハットのプレイのほうではないでしょうか。いや、年寄りは羽織の表地ではなく、裏地が気になってしまうだけのことなので、あまり気にしないでください。

◆ Maria Muldaur - Midnight At The Oasis ◆◆
といいつつ、つぎは、これぞ敬老の日セレクション、というべき、渋みの極致のトラックです。こんなドラミングに注目するのは年寄りのドラム・クレイジーだけでしょう。

いや、この曲自体は、若いころから好きでした。ヒットしている真っ最中には、もっぱらエイモス・ギャレットのギターに注目していました。あの全音ダブル・チョークに、当時のギター小僧はびっくり仰天したのです。前代未聞のテクニックでしたからね。

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しかし、数年前、ジム・ゴードンのベストを編集しようと、あれこれ聴いていて、この曲でのドラミングの渋さに、うーん、とうなっちゃいましたよ。まず第一にいっておくべきは、こういうテンポとノリは、きわめて処理がむずかしく、下手なドラマーがやると、ひどくかったるい、前に進まないグルーヴになってしまう、ということです。ハル・ブレインが叩いたアソシエイションのNever My Loveに似たむずかしさを内包するノリなのです。ハル・ブレインがみごとにNever My Loveを成功させたように、ジム・ゴードンもごく当たり前のようにグッド・グルーヴをつくり、この曲の大ヒットに貢献しました。

もうひとつ、これはファン以外にはどうでもいいことですが、この曲ではジム・ゴードンのダブル・ドラムを聴くことができます。といっても、デーハなダブルではなく、極度に地味なダブルです。なんたって、ハイハットとサイドスティックを中心としたプレイと、ブラシのプレイを重ねているんだから、これ以上の地味はないってくらいです。でも、年をとると、このサイドスティックの正確さに、グイとハートをつかまれちゃったりするのですよ。長生きして、こういうプレイのよさがわかるようになって、ほんとうによかったと思いますぜ。

◆ B.W. Stevenson - My Maria ◆◆
派手の国から派手を広めにやってきたハル・ブレインに対抗して、地味の国から地味を広めにやってきたわけではないのでありまして、わたしだって、やっぱり派手なプレイを聴くと、血がざわざわと騒ぎます。ジミーなジミーなプレイのあとは、やっぱりこれくらい派手なものでいきたいですな。

f0147840_0231984.jpgB・W・スティーヴンソンという人について、わたしはまったく知識をもちあわせていません。この曲がヒットしていたことは記憶していますが、知っているのはそれだけです。ま、そんなことはどうでもいいじゃん、というくらい、ジミーはド派手なプレイをしています。そして、このトラックほど、ジム・ゴードンのさまざまな特徴が詰め込まれたプレイはそんなにたくさんはないでしょう。

イントロからヴァースへの移行部分、シンコペートしたハイ・タム(通常のタムタムよりピッチの高いタムを追加している)とスネアの二打を聴いただけで、ムム、できるな、と柄を握る手に汗をかいちゃうぐらいで、たかがロックンロールを聴くのも剣術修行のようになっちゃうんですよねえ、相手がジム・ゴードンぐらいの剛の者だと。

ヴァースでのハイハットとサイドスティックのプレイは得意中の得意パターンで、まったくもってみごと、なにもいうことがありません。ハイ・タム、フロア・タム織りまぜたフィルインからコーラスへの移行という流れも血湧き肉躍るすばらしさですし、コーラスでのライド・ベル(日本のプレイヤーは「カップ」というが、国際的に通用するこちらの名称を使うべきである。シンバル中央の丸く出っ張った部分を指す)のプレイがまた、大得意中の大得意、すばらしいタイムとサウンドで、リスナーは池玲子恍惚の世界に放り込まれます。

ジム・ゴードンは、ハル・ブレインのように、第一打から最後のヒットに至るまで、きわめて精緻にドラミングを設計することはありませんでしたが、こういう勢いにまかせたプレイになると、やはり若さ横溢の溌剌たるプレイぶりで、ハルとはやや異なった味わいを感じさせてくれます。

今日はせめて7、8曲を取り上げようと思ったのですが、またしても時間切れ、残りは明日以降に持ち越しとさせていただきます。


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by songsf4s | 2008-09-14 23:57 | ドラマー特集
The Best of Jim Gordon その1

今日、近所を散歩してみたのですが、萩の花が満開で、やっぱり、近年は九月中旬にピークがきてしまうことを確認しました。

f0147840_0175768.jpg数年前の九月下旬、鎌倉の「萩寺」宝戒寺にいきました。寺の外には萩が開花中である旨が掲示されていて、いくばくかの観覧料を払って入りました。うーん、まったく咲いていなかったわけではないのですが、これで数百円は暴力バー並みだなあ、と思いました。「萩なんか咲いてないじゃん」とブツブツいったりしたら、「おう、われ、因縁つけるんか? これを見てみい、これはなんじゃい? あー?」「あのー、うーん、萩の花です」みたいな感じの、文句はいいたいけれど、咲いているだろ、といわれれば、たしかにまったく咲いていないわけではない、という、なんともじつに口惜しい咲き方をしていたんですよねえ。

寺だからあれで許されるのかもしれませんが、純粋な商売だったら、訴えられるんじゃないでしょうかねえ。損した金高はたいしたものではないけれど、坊主丸儲けの不誠実さに接するのはじつに気分がよくありません。そういえば、亀戸天満宮の藤でも……なんてんで、この手の恨み辛みはいろいろあるのですが、まあ、やめておきましょう。

萩の写真を撮っていて、そういえば、久生十蘭の「野萩」はけっこうな話だったなあ、と思いだしました。あれはたしか磯子の料亭が舞台(もちろん回想のマルセーユとパリのシーンも忘れがたいが)、そして、連想の糸は十蘭から矢作俊彦(「はぎ」のダジャレではないのだが)の『真夜中へもう一歩』(だと思う)の、「磯子ではまだ雉が獲れますか?」という科白へとつながりました。

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久生十蘭「野萩」の一部。ジュラネスクなフレーズの連打だが、「花も、サンパチックな、いい花ですけど、葉も、いやしい葉ではありませんのね」はノックアウト・ライン。これを書いたとき、十蘭はいまのわたしよりずっと年下だったのだが……。

磯子の山で雉が獲れた時代など、わたしは知りませんが、植木等が磯子プリンスの前庭で歌って踊ったのとほぼ同じころ、父親にこの新しいホテルに連れて行かれたことはよく覚えています。あのころから、もう雉は獲れなくなっていたのでしょうか。いや、植木等や新築のホテルと因果関係があるといいたいわけではないですよ。ただ、「時代として」そうだったかな、と思うだけです。

十蘭の「野萩」は昭和16年ごろの設定ですから、磯子の山で雉がケーンと啼いてもおかしくないことになります。雉がいたころの磯子となると、成瀬巳喜男のどの映画だったか、まだ石油コンビナートのない根岸、磯子周辺の海岸が出てきて、ギョッとしたことがあります。うーん、記憶は当てにならず、がんばってみたのですが、タイトルを思い出せません。仲代達矢が出ていたような気がほんのすこしだけするのですが……。

f0147840_029112.jpg考えているうちに、十蘭にはもうひとつ、タイトルに「萩」の字のある短編があったことを思い出しました。『平賀源内捕物帳』の一篇「萩寺の女」です。萩寺といっても、こちらは鎌倉の宝戒寺ではなく、「田端村の萩寺」というのだから、たぶん谷中の宗林寺が舞台なのでしょう。どんな話だったか忘れてしまったので、冒頭を読んでみて、上野の五重塔から源内が筒眼鏡で遠くを眺めているというので、ああ、と思い出しました。しかし、これは萩の季節ではなく、正月という設定で、とんだ季ちがい。

検索をかけてみたら、この短編がすでに青空文庫に収録されていたのには驚きました。青空文庫所収作品の大部分は著作権が切れたものです。ということは、久生十蘭没してすでに満五十年がすぎたということを意味します。

これにはまいりました。高校のとき、「新潮小説文庫」という新書版シリーズの一冊『母子像』を読んで感銘を受け(この本は同級生に貸したら、紛失されてしまった。中学のときにThe Best of the Shadowsも同じようにして失ったが、この二つはいまだに悔やまれる。とくに旧仮名正字の『母子像』は残念無念)、当時、横浜の南端にある学校に通っていたので、十蘭が晩年を送った鎌倉材木座は、山をいくつか越えるだけで行けるほんの近場、もう少しだけ長生きしてくれたら、謦咳に接することもできただろうに、と残念に思いました。

と思った子どもが、いまでは四捨五入で還暦、だから、いつのまにか十蘭没後五十年になっていても、べつに不思議でもなんでもないのでした。『全集』とは名ばかり、実態は『選集』にすぎなかった三一書房版『久生十蘭全集』発刊からまもなく四十年、本格的な全集が準備中だという話を何度か読みました。没後五十年の今年のうちに上梓におよぶのかどうか……。

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「野萩」を含む戦後短編を収めた三一版『久生十蘭全集』第二巻。これほど繰り返し読んだ本はない。高校三年以来、まさに韋編三絶というくらい何度も読み、いまや箱はボロボロ。

◆ 困ったときのドラマー特集 ◆◆
さて、十蘭にも、萩にも、磯子にも、材木座にもまったく関係がないのですが、今日からしばらくのあいだ、ジム・ゴードンの特集をやろうと思います。動機は単純きわまりありません。「新家」のポストで忙しく、こちらの更新はきわめてむずかしいので、よく知っていて、目をつぶっていても書けそうなもの、しかも、意欲の湧くものを、と考えていくと、やっぱりドラマーものということになり、たまたま、数年前にジム・ゴードンのベストを編集して仲間内に配ったことがあったので、今回はそのマイナー・チェンジ版をやってみようと思います。

昔つくったベスト・セレクションのフォルダーはまだHDD上にあるので、そのままでやってしまうこともできるのですが、つくってから時間がたつので、その後に聴いたものを補う必要もあり、また、リスナーも異なるので、すこし手を入れていこうと思います。まあ、今日は昔つくったものそのままなのですが。それでは架空のThe Best of Jim Gordonに付される疑似ライナーをどうぞ。

◆ Derek & the Dominos - Why Does Love Got to Be So Sad ◆◆
Layla Sessions以来、ドミノーズの盤は、コンプリート・スタジオ・セッションだの、コンプリート・ジャムだの、あれこれと錯綜を極め、なにがなにやらよくわからなくなってきていますが、わたしがここでいっているWhy Does Love Got to Be So Sadは、空中分解してしまったスタジオ録音のセカンド・アルバムのかわりに出た、In Concert所収のヴァージョンです。

f0147840_0313256.jpgオープナーとしてこのトラックをもってきたのは、もっぱら個人的理由によります。渋谷の十軒店にあったBYGというロック喫茶にいき、スピーカーのすぐそばに腰を下ろしたとたん、すんげえライド・シンバルが聞こえてきました。むちゃくちゃに気持ちのいいビートなので、坐ったばかりなのに、立ち上がってアルバム・ジャケットを見に行きました。

ジャケットにはデレク&ザ・ドミノーズとありました。もちろん、スタジオ録音のファースト・アルバムは聴いていたし、ジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメン・ツアーのダブル・アルバムも聴いていれば、その記録映画も見ていたので、ドミノーズのドラマーがジム・ゴードンであることは知っていました。

しかし、「惚れた」のは、BYGのスピーカーの脇で、このWhy Does Love Got to Be So Sadの冒頭の数小節を支配するライド・シンバルのプレイを聴いたあの瞬間のことでした。震えがくる感動なんて、滅多にあるものではありません。ジム・ゴードンのすごさをはじめて肉体的に認識したこのときも、震えはしませんでした。でも、この長いトラックを聴きながら、頭のなかで「すげえ、すげえ、すげえ、すげえ」とずっとつぶやいていました。いま聴いても、「ロックンロール史上モストすげえドラミング」の三位以内にはまちがいなく入ると感じます。チンチキチンチキ気持ちよく鳴り渡るこのライド・シンバルのプレイがあれば、ほかになにもいりません。至福のグルーヴ。

◆ The Souther-Hillman-Furay Band - Border Town ◆◆
サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドは、エースじゃなくても、三枚カードを集めればスリー・カードという「役」になるという発想から、会社が「あまっったカード」を集めてつくった哀しいグループでした。その結果、2のスリー・カードはエース一枚にも勝てないという情けない事実が明らかになったのでした。

しかし、ラッキーなことに、ここにジム・ゴードンというジョーカーを加えておいたおかげで、2のフォア・カードという「役」に見える一瞬も生まれました。三人集まっても文殊どころか、なんの知恵も湧かないのに業を煮やしたプロデューサーは、失敗は確実と覚悟を決め、こうなりゃヤケクソだ、てえんで、ジム・ゴードンのアルバムをつくることに頭を切り換えたのだと思います(なわけがあるかよ!)。

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その結果、サウザーもヒルマンもフューレイも、どこにもいないも同然、無人の荒野を爆走するジム・ゴードンの勇姿だけが脳裏に焼きつく盤ができあがりました。アルバム全体がドラムを聴くにはいたって好都合なのですが、とりわけ、このサウザー作のBorder Townは、派手に叩きまくっていますし、美しいライド・ベルや気持ちのよいタムタムとフロア・タムという、ジム・ゴードンの二つの「らしさ」が端的にあらわれたトラックで、快感につぐ快感のグルーヴであります。盤としてベスト・セレクションを編むならば、Why Does Love Got to Be So Sadより、このBorder Townをオープナーにするほうが正解かもしれません。「心はいつも青空」とつぶやきたくなる爽快なビート。

◆ Bobby Whitolock - Song for Paula ◆◆
このSong for Paulaは、つい最近、ボビー・ウィットロックの曲として取り上げています。したがって、とくに書くべきことはもうないのです。

冒頭のライド・ベルからして美しく、これまたジム・ゴードンらしさの横溢したすばらしいプレイです。タム類のサウンドがいつもとは微妙に異なって響くときがあり、それがこのアルバムにおけるゴードンのプレイの大きな魅力のひとつにもなっています。ごちゃごちゃいわずにただ聴け、というきわめつけの名演。

たった三曲で終わりでは、いかになんでも気が引けるのですが、まもなくシンデレラ・タイムなので、今日はここまでとします。今日は舞台裏で、トラックを集めて、タグを書き直し、曲順を決めたりといった下準備に時間をとられてしまったのです。次回からはすこしペースをあげて、できれば一週間ぐらいで完結しようと思っています。参照ファイルの準備は終わっていないので、「あちら」にアップできるのは来週なかばぐらいになるでしょう。


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by songsf4s | 2008-09-13 23:35 | ドラマー特集