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番外篇 双葉十三郎『ぼくの採点表II 1960年代』

ちょっと体調芳しからず、画面をじっとにらんでいると、目がまわるので、久しぶりに、テキストの少ない、よそさんの作物を拝借するだけの、楽な記事で本日はお茶を濁させていただきます。

いろいろ確認したいことがあり、本棚から双葉十三郎の『ぼくの採点表』を引っ張り出してみたところ、やはり、なかなか面白いことが書いてあったので、このところ当家で取り上げた映画についての双葉評を拝借してみたというしだいです。

まずは、『日曜はダメよ』の記事からどうぞ。星印は、☆=20点、★=5点のつもりだが、あまり重視しないでほしいと著者はいっています。

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以前、allmusicのレヴューなんか引用しちゃいかん、あんなのは批評になっていないし、そもそも、ウェブは自分で書いてナンボである、ということをいいました。

f0147840_9503047.jpg双葉十三郎の『ぼくの採点表』は「スクリーン」誌に連載されたreviewすなわち紹介短評であり、批評すなわちcritiqueではありません。しかし、やはり、allmusicのレヴューのような、おまえ、耳はついているのか、耳があるなら、脳は大丈夫か、英語は書けるのか、そもそも読めるのか、読めるのなら、ちゃんと資料を読んでいるのか、読んでいるのなら、総合分析能力に問題があるにちがいないから、もう一度小学校からやり直したほうがいい、または医者に診てもらうことだ、といいたくなるようなチンピラいかさまレヴュー、アマゾンのタワケな読者評にも劣る代物とはまったく異なります。筋金入りの批評家が、プライヴェートな時間に、友人を相手にちょっとした座談でもするように、軽く、楽しい話、でも、笑顔の下からときおり人を刺す寸鉄が飛び出すという、大看板の噺家のお宅にうかがい、長火鉢のわきで師匠の茶飲み話でもきいているような気分になる「レヴュー」です。

おつぎは『荒野の用心棒』。

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reviewというのは、本来、芸になっていなければいけないものです。当家の記事も含めて、ウェブにおけるレヴュー類似のものは、「芸」を形成するだけの基礎ないしは前提(売り手と買い手がいて、金銭のやりとりがあり、その金銭の移動の条件として、一定以上の厳密性をもつ評価がなされる)をもたないため、永遠に芸になることはありません。

金を取れるレヴューとは、まずなによりも「呼吸」「テンポ」に裏づけられたものです。これがもっとも才能and/or修行を要するところで、昔は、この才能だけで文字を書いて食べた人がずいぶんいたものです(いまは文章の呼吸、リズム、テンポを評価できる人間が地を払ったので、もうメシは食えない。好かれない芸が廃れるのは世の常なのである)。音楽においても、いいプレイヤーはタイムがいいものですが、文章においても、いいプレイヤーは生まれつきタイムがいいのです。

つぎに、限定的スペースのなかで、必要な要素をある程度のプライオリティーをつけてすべて盛り込む、言い換えるなら、読者が知りたいと感じるであろうことがらを、構造化して(つまり、序列をつけて)すべて書き出す、ということです。そして、最後に、自分が言いたいことを簡潔に述べることも重要です。

この双葉十三郎の『荒野の用心棒』評は、必要な要素をすべて盛り込む、ということにかけて、やはり名人芸だと思います。後年にいたって重要性をもってくる要素まで、この時点できちんと押さえてあります。たとえば、監督はクレジットとは異なり、セルジオ・レオーネであること、イーストウッド扮するガンマンには名前がないこと、なども押さえてあります。やがて、この主人公による一連の作品は「名なしのガンマン」シリーズと、日本以外の国では呼ばれるようになるのです(日本の配給会社は、シリーズに属さない無関係な作品に『続・荒野の用心棒』などというタイトルを付けたために大混乱となり、「名なしのガンマン」シリーズという言葉が使えなくなった。われわれの国はこういうところでつねに世界から孤立するようになっている)。

また、おそらくは黒澤明をはばかったのでしょうが(雑誌社としてはつまらないところで黒澤の不興を買うわけにはいかない)、『用心棒』はダシール・ハメットの『血の収穫』のプロットを無断借用したものだという点は、この双葉評からはオミットされています。そして、『血の収穫』の主人公は「コンティネンタル・オプ」ないしは「名なしのオプ」と呼ばれるシリーズ・キャラクターです(「オプ」とはoperative=私立探偵の略)。

双葉十三郎はミステリー通でもあり、チャンドラーの翻訳もあるほどで、そのへんのことを知らないはずがありません。雑誌社の意向をくんで、黒澤の無断借用への言及は避けつつ、いっぽうで、主人公が「名なし」であることに言及して、ハメットの『血の収穫』を連想するように促しているのでしょう。編集部の顔を立ててつつ、どうにかこうにか、書くべき最低限のことは書いたこのへんの綱渡りはまさに「芸」です。

つぎは劇場版ナポレオン・ソロ第一作のレヴュー。

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これを読んで、なるほど、そういうことだったか、と納得しました。タイトルのどこにも「ナポレオン・ソロ」とか「0011」といった、テレビ番組の映画化であることを示す手がかりがないのです。公開月を見れば、その謎はあっさり解けます。65年1月の公開なのです。まだテレビ版がはじまっていないので、「0011ナポレオン・ソロ」というタイトルそのものがまだ存在していなかったのです。

ナポレオン・ソロの記事に、1965年に3本ほどの劇場版ナポレオン・ソロを見た記憶があると書きました。テレビが6月からはじまり、その後半年で3本の劇場版公開は異常に多いな、と思いましたが、この双葉レヴューを読んで、そういうことではないとわかりました。いや、この本でその後のナポレオン・ソロ劇場版がどうなったかを追跡すると、65年公開は2作のみ、第3作は66年2月公開となっています。子どものころの記憶というのは、学齢を単位としているから、わたしの主観としては「年間3作」という記憶に謬りはないことになります。

★  ★  ★  ★  ★
体調が悪くなると、気も変わってしまうのですが、いまのところは、まだしばらくは1965年を中心としたテレビ、映画の音楽を追いかけるつもりでいるので、双葉レヴューにもまた登場してもらうつもりです。

30分も画面を見ていると、気分が悪くなってくるので、この状態が解消されないかぎり、毎日更新という習慣は復活できないでしょう。元のペースに戻るのは来週ぐらいになるのではないかと考えています。引っぱる気はなかったのですが、Never on Sundayのつづきを書ける感じはまったくしないので(いまの体調で大量のヴァージョンを聴けるとは思えない)、これはたとえ完結するにしても、ずっと先のことになるだろうと思います。
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by songsf4s | 2008-07-28 21:45 | その他
Never on Sunday その1 by Don Costa
タイトル
Never on Sunday
アーティスト
Don Costa
ライター
Manos Hadjidakis
収録アルバム
Don Costa Plays Golden Movie Themes
リリース年
1960年
他のヴァージョン
The Ventures, Al Caiola, Chet Atkins, Charles Magnante, Les Baxter, Herb Alpert & the Tijuana Brass, Henry Mancini, Xavier Cugat, Billy Vaughn, Ann=Margret, Connie Francis, Petula Clarke, the Chordettes
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昨日のThe Third Man Themeに、そこはかとなく南国的なものを感じるといっても、大多数の方は首を傾げるでしょうが、今日は大丈夫、『日曜はダメよ』は、ギリシャの港町が舞台で、南国の陽光あふれ、むやみに歌ってばかりいる陽気な映画であり(といっても、何十年も見ていないので、あまり当てにはならないが)、Never on Sundayはそれに見合ったテーマだからです。

f0147840_22394827.jpgしかし、You Tubeにあった、主演のメリナ・メルクーリがこの曲を歌うシーンを見ると、Never on Sundayという英語タイトルとは無関係な歌詞らしいことがわかります。そして、底抜けに陽気なシーンではなく、どうやら、ちょっと主人公が内省的になったところらしく、静かに、ややさびしげに歌われていることもわかりました。

このほのかな哀愁ないしは自己憐憫の感じられるオリジナル・ヴァージョンも悪くないと思いますが、わたしの頭のなかでは、この曲はインストゥルメンタルなので、アメリカでのヒット・ヴァージョンとなった、ドン・コスタ盤を今日の看板に立てました。

いま、泥縄でちょっとプレイアロングしてみましたが、メロディーはいたって素直で、ギリシャのフォーク・ミュージックをアダプトした曲だという話も、そのまま信じてもいいかもしれないと思いました。コード進行も単純なのです。ただし、ギリシャ的と感じるところはどこにもなく、無国籍というか、ユニヴァーサルなメイジャーコードのポピュラーソングという雰囲気です。この曲がギリシャ以外の国でも親しまれたのはそのおかげでしょう。わたしが子どものころ、Never on Sundayを気に入っていた理由も、この単純明快さと軽くて陽気なところだったのだと思います。

◆ ヴェンチャーズ盤 ◆◆
あまりにも幼いころのことなのでよくわかりませんが、Never on Sundayは、映画もテーマもヒットしたのだろうと思います。映画を見たのはかなり後年のことで、小学校のときには見たことがありませんでしたが、盤を買うまでもなく、この曲はよく知っていました。それくらいの大ヒットだったのだと思います。

最初に盤として聴いたのは、ヴェンチャーズ・ヴァージョンでした。人間のテイストというのはなかなか微妙なものです。1965年の年初から秋まで、集中的に、超高密度でヴェンチャーズ・ファンをやっていた時期に、彼らの盤のどういうところが気に入っていたかといえば、扇情的なギターやレズリー・サックスの音、そしてドラムです。あの時代、リヴァーブをきかせたギターの虜になったのは、わたしひとりのことではなく、ほとんど「時代の潮流」でした。

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そのくせ、いっぽうでは、先日取り上げたCalcuttaや、本日のNever on Sundayのような、非「エレキ・バンド」的なトラックにも好きなものはあり、よく聴いていました。ヴェンチャーズに非「エレキ」的トラック数あれど、Never on Sundayほどの「外道」は、そうたくさんはないでしょう。なんたって、リード楽器が、マンドリンとアコースティック・ギター(だろうと思う。ブズーキなどではない)で、フェンダーギターは、オブリガートというか、スライド・アップする効果音のようなものを入れているだけで、ロック的ニュアンスは皆無といっていいほどです。

地味なプレイではあるものの、ドラムはまちがいなくハル・ブレインなので、かろうじてヴェンチャーズとしてのアイデンティティーは保持しているといえますが、ヴェンチャーズがバンドではなく、プロジェクトにすぎなかったことが、みごとに露呈してしまったトラックだという見方もできるでしょう。

しかし、小学生のわたしは、「ヴェンチャーズは実在したか?」などという、後年の議論とは次元の違う世界に生きていたので、もともと好きだった曲のヴェンチャーズ・ヴァージョンもおおいに気に入りました。自分で買ったわけではなく、近所の同級生の盤で、心ゆくまで聴くわけにいかなかったことも、このヴァージョンへの愛着を増幅したようです。

もうひとつ書いておくべきことは、Never on SundayはアルバムPlay Telstarに収録されていて、Calcuttaのつぎのつぎに出てくるということです。Calcuttaのリード楽器はギターですが、わたしは、小学生のときも、いまも、この2曲のサウンドに強い近縁性を感じます。もう一曲、この時期のヴェンチャーズの映画音楽のカヴァー曲も、このグループに入れていいと感じるのですが、その曲はもうまもなく取り上げる予定です。

◆ オーケストラもの ◆◆
ヴェンチャーズが参照したのは、おそらくヒット・ヴァージョンであるドン・コスタのアレンジでしょう。ドン・コスタも、ブズーキなどの民族楽器は使わず、マンドリンで代用しているのだろうと思いますが、コーラスやらストリングスやらが動員されて、かなり大げさなサウンドになっています。60年代初期のハリウッドなので、ステレオ戦争華やかなりしころ、例によって録音もけっこうなものです。

録音ということでは、ドン・コスタ盤がヒットしてまもない1961年のレス・バクスター盤のほうが上かもしれません。ちょっとチャチャチャが混じったアレンジで、エキゾティカというよりラテン風です。ティンバレスとコーク・ボトルのようなパーカッションが非常に印象的。

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同じラテン風味でも、ザヴィア・クガートは、いわばオーセンティックなラテンなので、レス・バクスターとは大きくニュアンスが異なっています。ここまでくると、映画のなかでメリナ・メルクーリが歌った曲と同じものとは思えなくなってきますが、管楽器のカウンターメロディーまでもパーカッシヴに響かせるアレンジが魅力的で、おおいに楽しめるヴァージョンです。

アレンジという意味では、アコーディオン奏者のチャールズ・マグナンテ(フランス・ルーツを保持していれば、シャルル・マニャーンテだろうが、NY生まれだそうだから、英語式発音の可能性のほうが高い)のヴァージョンは、変化に富んだアレンジでありながら、品よく収めていて、録音もすばらしく、感心しました。

ウェブで聴いただけで、このマグナンテのCarnivalというアルバムはもっていないのですが、レーベルはイーノック・ライトのコマンドなので、プレイヤーはライトやエスクィヴァルやトニー・モトーラなどと共通しているのかもしれません。

コマンドは録音にも凝っていたのだという話は読んだことがありますが(テープ・ヒスを回避するために、映画と同じように、35ミリ・フィルムによる光学式録音をしたことがあったのだとか)、現実には感心するほどのものに出合ったことがありませんでした。しかし、Carnivalの録音はたいしたものです。同時期のハリウッドの最良の録音と肩を並べるか、または鼻の差でリードしているのではないかと感じます。プレイヤーもみな腕がよく、その面でも同時代のハリウッドのラウンジ・ミュージックに十分に太刀打ちできるレベルにあります。

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プレイというよりアレンジ、ないしはラインそのものというべきでしょうが、アップライト・ベースの扱いは非常に面白く、いよいよアレンジャーの名前が知りたくなってきます。そういうケースは多くないと思うのですが、マグナンテのNever on Sundayのベースは、頭から尻尾まですべて、譜面で指定されたラインを弾いていると思われます。このラインがいいし、ときおりギターとオクターヴになるところも、ハリウッドのお株を奪うアレンジで、何度も、うーん、できるなあ、と唸りました。

NY録音のオーケストラものというのは、録音がいいとアレンジが荒っぽいとか、アレンジがいいとドラムが下手とか、アレンジ、プレイ、録音の三拍子がそろったものはまずありません。このチャールズ・マグナンテのCarnivalは、稀な例外で、おおいに感銘を受けました。

まだ半分も片づいていないし、オーケストラものだってまだあって、キリもよくないのですが、半分眠っているどころか、九分通り眠っているような状態で、いまにもキーボードに顔をガーンとやりそうなので、今夜はここまでとし、残りは明日以降に、ヴォーカルものといっしょに見ていくことにさせていただきます。
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by songsf4s | 2008-07-25 23:25 | 映画・TV音楽
The Third Man Theme by Anton Karas
タイトル
The Third Man Theme
アーティスト
Anton Karas
ライター
Anton Karas
収録アルバム
The Third Man
リリース年
1949年
他のヴァージョン
Jack Marshall, Ruth Welcome, Billy Strange, Al Caiola, Chet Atkins, Don Costa, Esquivel, Enoch Light, Herb Alpert & the Tijuana Brass, Guy Lombardo & Orchestra, Si Zentner, Jack Costanzo, the Band
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本日のThe Third Man Themeは、もちろんグレアム・グリーン原作、キャロル・リード監督、ジョゼフ・コットン主演、オーソン・ウェルズ共演の映画『第三の男』のテーマです。

そんなことは予定していなかったのですが、聴いているうちに好奇心が湧いてきて、このテーマを奏でている楽器、チター(ツィター)について調べたので、いちおう、どんなものかを書いておきます。たんに、ああいう音がどのような構造と奏法から出てきているのか、という好奇心を満たそうと調べただけにすぎないので、ちゃんと知りたいという方は、専門サイトや信頼できる書籍などをご覧ください。

では、自己流三分間クッキングをやりますが、楽器の腑分けなんかにご興味のない方は、飛ばしてください。簡単にやりますが、楽器を弾かない方にはやはり面倒だろうと思います。使用したソースは、You Tubeにある、アントン・カラスのプレイの様子、楽器の外部構造がわかる写真と、内部構造の図解、そして百科事典の記述です。では、三分間クッキングに付き合ってみようかという方は、まずカラスの演奏をYou Tubeでご覧ください。

もちろん、チターにもいろいろなタイプがあるようですが、ここではアントン・カラスが弾いている、一般的と考えられるタイプの構造と奏法を述べます。動画をご覧になったら、こんどは以下の写真とアントン・カラスのチターを照合してください。

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写真左側に、ギターに似たフレット付きのフィンガーボードがあります。ペグの数でわかるように、ここには5本の弦が張られていますが、これはメロディー用です。弦はスティール製だそうです。残りのハープのような部分は伴奏用弦で、これはガットまたはナイロン弦です。ハイブリッド楽器なのです!

アントン・カラスの上記動画を見ていて、最初のうちは、絵と音が同期していないのかと思いました。ギターからの類推で、親指でベース、残りの指でメロディーとコードを弾いていると思って見ていたからです。じっさいにはギターとは反対で、親指でメロディーを弾き、薬指でベースを入れ、人差指と中指でコードないしはオブリガートを入れています。カラスは右手の親指に「プレクトラム」というサムピックのようなものをつけて弾いていますが、これは必須ではないようです。

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ギター同様、チューニングはいろいろなタイプがあるようですが、「ウィーン式」というものは、A4-D4-G4-G3-C3だそうです。オクターヴ離れたGが並んでいるのはなんのためなのか知りませんが、この2本を同じフレットで押さえ、同時に弾けば、12弦ギターと同じ効果が得られることになります。

装飾音用のガットまたはナイロン弦の部分は、フィンガーボードやフレットがないことでわかるように、開放で弾くようになっています。百科事典には「伴奏弦は四度もしくは五度間隔で調弦する場合が多い」と書かれています。

なんだか、オートハープみたいな形だと思ったら、そういうタイプのもの、つまり大正琴のようにボタンで押さえるものもあるようです。

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◆ The Third Man Themeのエキゾティズム ◆◆
『第三の男』をスパイ/クライム・ストーリーの先行形態などと位置づけたら、あちこちから石だのミカンの皮だの腐った卵だのが飛んでくる恐れがありますが、結果的に、キャロル・リードの意図とは関係なく、この映画は、後年のスパイ/クライム・ストーリーに甚大な影響をあたえたと思います。

また、日活アクション、なかんずく、後期の「ムード・アクション」にも強い影響をあたえ、しばしば直接の引用がおこなわれました。もっとも有名なのは『赤いハンカチ』のラスト・シーンですが、『カサブランカ』の丸ごといただきと片づけられている『夜霧よ今夜もありがとう』にも、しばしば『第三の男』的なシーン、戦前の表現主義の遠いこだまのような映像が登場します。だいたい、日活アクションの夜間シーンは「そのけ」が強いのです。いや、当家は映画ブログではないので、ここらで視覚的なことからは撤退します。

映画『第三の男』はわたしが生まれる前につくられたもので(1949年は昭和24年、小津安二郎はこの年、『晩春』を撮った。わたしが生まれた年につくられた『東京物語』までまだ4年もある)、もちろん、あとからテレビで見たのですが、それ以前にテーマ曲(Harry Lime Themeの別名もある)は知っていました。

今月は、「なんらかの意味で季節に関連した曲を選ぶ」という、当ブログ発足当初からの枠組をはずし、連想のおもむくままに楽曲を選んでいます。『第三の男』のクライム・ストーリーとしての側面から、Peter Gunnの流れで、その付近にある曲としてThe Third Man Themeを選んだわけではありません。わたしの頭のなかでは、The Third Man Themeは、2週間ほど前に取り上げたCalcuttaの付近にある曲なのです。

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「そしてスイス五百年の平和はなにを生んだか? 鳩時計さ」

Calcuttaは、どことなく南国的な明るい響きのある曲ですが、映画を見る以前は、The Third Man Themeにも、わたしは同じような印象をもっていました。映画を見て、テーマ曲から連想する絵柄とはかけ離れた雰囲気なので、ちょっと驚きました。しかし、こういう異化効果というか、対比の妙は外国映画ではよくあることで(どういうわけか、日本映画にはすくない)、とくに異とするほどのものではありません。

(『第三の男』には関係ないが、思いだしたことがあるので書いておく。ヒチコックの、たしか『逃走迷路』Saboteurだったと思う。夫が死んだことを妻が知らされるシーンがあった。テレビで見ていたら、吹き替えのほうは、しめやかな音楽を流していたが、原語に切り替えると、チャールストンを踊れそうなアップテンポの曲だった。どちらが正しいかは明らかである。この日本語版がつくられたとき、日本人の視聴者は幼稚だから高級な演出は理解しないと、日本語版制作者は判断したのだろう。不当な評価のような、正当な評価のような……)

The Third Man Themeという曲からは、映画『第三の男』のムードは想像できませんでしたが、両方とも非常によくできているので、結局のところ、みごとに相互補完することになったのでしょう。わからないのは、アントン・カラスの音楽になぜ南国的な響きがあるのか、あるいは、べつの言い方をすれば、なぜわたしがThe Third Man Themeに南国的なもの、エキゾティカの従兄弟のようなものを感じ取るのか、ということです。それについては、他日、また考えてみたいと思います。

◆ アントン・カラスとルース・ウェルカム ◆◆
ヴァージョン数が多いと、すぐに二日に分けてしまうのもいまや習慣化していますが、今日はがんばって一回で終わろうと思っています。

オリジナルのアントン・カラス盤、ないしはOST盤については、なにもいうことはありません。もはやこの分野の大古典でしょう。いま不思議に思うことは、全編にわたってカラスの演奏が流れるだけであって、いわゆるスコアがないことですが、それはカラスのThe Third Man Themeの出来とは無関係なことです。

クリスマス・ソング特集のSilver Bellsのときに取り上げたのですが、ルース・ウェルカムというチター奏者がいて、彼女のThe Third Man Themeもあります。ただチターを弾いているからというそれだけの理由で、こういう曲をカヴァーするようにいわれたのじゃないか、だとしたら可哀想だな、と思ってしまうのですが、まあ、そういうことも商売のうちでしょう。

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同じ曲を同じ楽器でやっても、当然、プレイヤーの個性のちがいは音にあらわれます。ルール・ウェルカムは構成も変え、あの有名なフレーズが出てくるまでに、長いインプロヴのようなものを入れています。全体の印象としては、アントン・カラス盤のほうがパセティックで、ルース・ウェルカムのほうはスリックな印象を受けます。カラスのほうがヴィブラートが強いからかもしれません。

◆ ジャック・マーシャルとアル・カイオラ ◆◆
f0147840_23473736.jpgこういう曲ですから、カヴァーは必然的にギターものが多くなります。こりゃうまい、と感じるのがジャック・マーシャル盤。この人のことを知ったのはごく最近のことですが、ジャズ出身のギタリストにしては意外なプレイで、かなり興味をそそられました。ギブソンじゃなくて、アコースティック・ギターでやっているところが非常に魅力的なのです。アップライト・ベース(ジョー・モンドラゴンまたはマイク・ルービン)もグッド・グルーヴです。まあ、あの時代のハリウッドですから、下手な人にあたるほうがむずかしかったのですが。

マーシャルは50年代から60年代はじめにかけて、キャピトル・レコードのインハウス・プロデューサーだったそうで、ハワード・ロバーツのアルバムをプロデュースしたり、バーニー・ケッセルとギター・デュエット・アルバムを出したこともあるそうです。ロバーツやケッセルを集めている方はいらっしゃるでしょうが、ジャック・マーシャルを軸にしてこのあたりの盤を捉えている方は非常に少なかろうと思います。「つぎのターゲット」の候補ですぜ>ハリウッド研究者諸氏。

f0147840_2334169.jpgアル・カイオラは、どういうわけかストレートな8ビートで、まるでPeter Gunnでもやるようなリズム・アレンジです。使用楽器もいつもとちがう12弦、トーンもノーマルなサウンドではなく、ディレイをかけ、さらになにか加工したと思われる妙なサウンドでやっています。意図するところは明らかです。もともとそういうタイプではなかった曲に、それらしいサウンドをあたえることで、The Third Man Themeもスパイ/クライム・ミュージックの文脈においてみようというのでしょう。成功したヴァージョンとはいえませんが、意図はわかるし、そういうことは失敗を恐れずに試してみるべきだと考えます。

◆ ビリー・ストレンジ ◆◆
ビリー・ストレンジのThe Third Man Themeは、リズム隊は例によってハル・ブレインとキャロル・ケイではあるものの、サウンドはいつものビリー・ストレンジ・スタイルとはいくぶん異なります。いつもは前に出るハル&キャロルが背景に引っ込み(それでも、CKさんのベースは「署名」がはっきりと読めるプレイだが!)、左右二本のギターを前面に出しています。

このThe Third Man Themeが収録されたMr. Guitarは1964年のリリースです。まだテープ・マシンは3トラックか、せいぜい4トラックだったはずです。そこから、ビリー・ストレンジ盤の録音プランをリヴァース・エンジニアリングすると、まず、ドラム、ベース、エレクトリック・リズム、パーカッションによるベーシック・トラックを2ないしは3トラックを使って録音し、これを1トラックにミックス・ダウンします。

これですくなくとも2つの空きトラックができました。この空いたトラックにギターを一本ずつ録音し、最終的に2トラックにミックス・ダウンしたのが、リリースされたものでしょう。なぜこんなことをゴチャゴチャ書いているのかというと、この2本のギターは両方ともビリー・ストレンジのプレイなのか、それともだれかとのデュエットなのか、ということを考えているのです。これがなかなか難問なのですよ。

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かつて、そのへんのことをボスに質問したことがあります。リードをとるギターが複数聞こえるトラックが相当数あるが、そういう場合、あなたが自分でオーヴァーダブしたのか、それとも、グレン・キャンベルやトミー・テデスコたちとデュエットしたのか、とうかがってみたのです。しかし、答は予想通りでした。ケース・バイ・ケースだというのです。

そりゃそうですよ。こういうくだらない質問をするほうが野暮天のコンコンチキなのです。録音の現場はプラグマティズムが支配しています。つまり、ミュージシャンひとりを3時間押さえればそれだけの金がかかり、スタジオを3時間使用すれば、それだけの費用を払わなければなりません。そのときの状況(その場にいるギタリストの人数、残り時間、オーヴァータイム料金を支払う予算の余裕があるか否かなど)しだいなのです。

だから、自分で判断しなさい、とこのトラックは主張しています。同じアルバムに収録されたMaria Elenaは、ガットがトミー・テデスコ、フェンダーがビリー・ストレンジというデュオの一発録りだと思いますが、The Third Man Themeはボス自身によるオーヴァーダブだと考えます。

理由はふたつ。だれかべつのギタリストといっしょに一発で録音するなら、先にドラム、ベースなどのベーシック・トラックを録音し、それをいったんトラックダウンして音質を犠牲にしたりせず、全体を一発で録るはずだ、ということが一点。つまり、ひとりでオーヴァーダブをするために、どうしても2つの空きトラックが必要であり、それを3トラックのテープ・マシンで実現するために、音質を犠牲にしたのではないか、ということです。

f0147840_2352237.jpgもうひとつは、無心にこの曲の左右のギターを聴くと、脳裏に双子の顔が浮かんでくるからです。この左右両チャンネルに分配された二人は、同じタイミングで弾くギタリストです。ピッキングに個性のちがいを感じないのです。よって、比較的稀な、ビリー・ストレンジ自身のオーヴァーダブによるギター・デュオだろうと結論します。

で、出来はどうなんだ、というあたりは、ご自分でお確かめください。右のリンクからAdd More Musicにいらっしゃり、「Rare Inst. LPs」ページを開き、No.11のMr. Guitarをダウンロードなさればいいだけです。ビリー・ストレンジはスパイ/クライム・ミュージックがいい、という方もいらっしゃるでしょうから、そのへんはお好みですが、わたしはこのアルバムをよく聴いています。

◆ エディー・コクランのパスティーシュ ◆◆
f0147840_23543087.jpgチェット・アトキンズ盤は、例によって、なにもいうべき言葉がありません。いくらチェットでも、The Third Man Themeはひとりでやっているはずがなく、2本でやっていると思いますが、考えてみると、チターの弾き方というのは、チェット・アトキンズ奏法に近く、彼がこの曲をカヴァーしたのはごく当然のことなのでしょう。チェットにしては、ハイ・テクニックの大洪水というタイプのトラックではなく、比較的のんびりと弾いています。

そろそろバテてきたので、先を急ぐことにします。これは、The Third Man Themeではないのですが、エディー・コクランがThe Fourth Man Themeという曲をやっています。The Third Man Themeに雰囲気は似ているけれど、メロディーラインは微妙に異なるのです。はじめてこの曲を聴いたときは、いろいろ考えてしまいました。

エディーがギタリストとしてすごいことは以前から知っていました。しかし、それはロック的インプロヴのすごみであって、まさかこんな「規定演技」のような端正なプレイをするタイプとは思っていなかったので、うーむ、そうなのか、うーむ、そうだったのか、と考えこみました。

f0147840_23545677.jpgエディー・コクランはプロダクション指向の強いアーティストで、じっさい、ジーン・ヴィンセントやアル・ケイシーをはじめ、プロデューサーとしての録音もたくさん残しています。だから、生きていれば、そちらの方向にいっただろうということは容易に想像できます。しかし、このThe Fourth Man Themeでのプレイを聴いて、セッション・ギタリストとしても、カントリーやロカビリーの狭い分野に閉じこめられる才能ではないことがよくわかりました。生きていれば、50年代よりもっと広い分野に出て、さまざまな方面でセッション・ギタリストとして活躍した可能性もあっただろうと思いました。

で、例によって、繰り言になるわけですわ。あたら若い命を、ああ、もったいない、です。ベスト盤ぐらいでは収録されない曲ですが、チャンスがあったら、ぜひエディー・コクランのThe Fourth Man Themeをお聴きになるように、ギター好きの方にはお奨めします。

◆ ドン・コスタほか ◆◆
f0147840_23592673.jpgオーケストラものでは、ドン・コスタ盤が、イントロからもうサウンドに広がりが感じられ、いい出来です。50年代終わりから60年代はじめのハリウッドのオーケストラは、非常にハイレベルな競争をやっていて、この時期なら、まずひどいものにはあたりません。いやまあ、同じようなメンバーが、同じようなスタッフで、同じスタジオで録音していたりするので、競争もハチの頭もないだろうが、というご意見もありましょうが。

サイ・ゼントナーのThe Third Man Themeは、スパイ・ミュージックの勃興期である1964年に録音されているので(Goldfinger以前にこの手のものをリリースするのは、「便乗」というにはちょっと早すぎる)、ベースがエレクトリックになっているのが耳立ちます(タイミング的には微妙なのだが、キャロル・ケイの可能性もある)。しかし、基本的にはビッグバンド・ジャズの残響が色濃く、アイディア不足に感じます。

f0147840_011248.jpgニューヨーク録音では、エスクィヴァル盤が、いつものように、なんだかよくわからないままに、前後の脈絡なくペダル・スティールが飛び出してくるところが楽しめます。どう転んでも、ノーマルなアレンジにならないところがこの人の取り柄でしょう。イーノック・ライトは他のトラックで見られるようなアレンジのひらめきがなく、残念ながら平板な出来です。

さて、スパイ・ミュージックに戻れとか、マカロニ・ウェスタンをもっと追求しようとか、ご意見は多々あろうかと思いますが、あと何曲か、小学生のわたしの心をとらえた、「なんとなくエキゾティカ」、「そこはかとなく南国」、「微妙にトロピカル」な映画音楽をつづけようと、いまのところは思っています。
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by songsf4s | 2008-07-24 23:58 | 映画・TV音楽
Peter Gunn その2 by Billy Strange
タイトル
Peter Gunn
アーティスト
Billy Strange
ライター
Henry Mancini
収録アルバム
Goldfinger
リリース年
1965年
他のヴァージョン
別掲
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一昨日のつづきで、今日はPeter Gunnの各種ヴァージョンのなかから、いくつか面白いものを拾い出してみます。

じつは、以下のテキストは、昨日できあがっていて、更新しかけたのですが、いくらなんでも、あれだけ多くのヴァージョンがありながら、三種類しか取り上げないのは愛想がなさすぎるか、と思い直し、一日寝かせてみたのです。しかし、これ以上、Peter Gunnのどんなヴァージョンも聴く気がせず、無駄なインターヴァルでした。

今日は音楽は聴かず、クモの巣で拾った、川の音だの鳥の声だのといった自然の音を採取した盤(10枚組!)というのをチラチラ流していました。残念ながら、わが家の周囲のカラス、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒヨドリ、シジュウカラなどの鳴き声のほうがオンにミックスされ、トロピカルな鳥の声はミックスト・アウトされてしまうので、エキゾティカな気分にはなりませんでした。

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題材に合わせてカヴァーもエキゾティカ風。ただし、そういうのはこの巻だけで、あとはおおむねナショナル・ジオグラフィックの表紙のごとし。

以前、ちょっと「枯れた」ことに手を出して、そんなことをやっていると、いまに石をいじるようになるぜ、と友人にからかわれました。たしかに、石いじりというのは、趣味の極北でしょうが、川のせせらぎ、エキゾティック・バーズの啼き声というのも、サウンド趣味の極北かもしれません。なんたって、音楽としてつくられたサウンドはいっさいないのに、それを音楽的に楽しもうというのだから、これを究極といわずして、なにを究極というかです。

しかし、ほんとうに枯れるにはまだ早すぎます。以前、MIDIでBaiaをコピーしたとき、鳥の啼き声なんていうのがあると、ぐっと盛り上がるのだが、と思いました。このライブラリー音源なら、BaiaにふさわしいSEが見つかるかもしれない、というスケベ根性で12枚、24ファイル、2GB弱をダウンロードしたわけで、ほんとうは枯淡の境地にはほど遠いのです。

◆ ビリー・ストレンジ ◆◆
いつもいつもボスばかり取り上げて恐縮なのですが、聴いた瞬間、こいつは、と唸ったPeter Gunnは、なんといってもビリー・ストレンジ盤です。例によってうちにあるもの(国内盤ベストCD)にはクレジットがないのですが、いつものようにドラムはハル・ブレイン、ベースはキャロル・ケイであることは、冒頭の数小節を聴いただけでわかります。それくらい、頭からビシッとしたグッド・グルーヴなのです。

そんなことをいったら、CKさんが笑うかもしれませんが、ビリー・ストレンジ盤Peter Gunnのベースはちょっとむずかしいことになっています。一昨日書きましたが、Peter Gunnのリフは、Cに移調すると、G-G-A-G-Bb-G-C-Bbです(一昨日はこのリフをまちがえて書いてしまったことに翌日気づいた。すでに修正済み)。この8つの音をストレートに8分音符で弾くだけなので、いたってシンプルです。適性のある人なら、ギターを弾きはじめたその日に、もう弾けるようになっているかもしれません。

ビリー・ストレンジ盤では、このリフをキャロル・ケイのフェンダー・ベースがプレイしているのですが、彼女はラインを微妙に変更しています。このささやかな変更の結果、ベーシストは多少汗をかかなければならないことになりました。ビリー・ストレンジ盤Peter GunnのリフをCに移調して書くと、G-G-A-G-Bb-G-C-C-Bbとなります。終わりのほうにCがひとつ増えただけなのですが、この2つのCだけは16分音符で弾きます。

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Peter Gunnも収録されているビリー・ストレンジ『The Hit Parade』 この盤はもはやわが家にはなく、ナッシュヴィルのストレンジ家にある。あのころ、ビリー・ストレンジのCDは非常にすくなく、日本ではあなたのCDが2枚出ているということを申し上げたら、興味津々のご様子だったので、自分にはCD-RとカヴァーのJPEGを残し、本物はボスに謹呈した。

ほんのささやかな変更ですが、これだけで、ミスをする確率はドーンと跳ね上がります。これをアップテンポで、連続的に、2分30秒のあいだ、ノーミスで弾き通したら、莫大な財宝をやる、といわれても、わたしなら、あっさり、それは無理、とあきらめます(まあ、24時間の猶予を与えられれば、死にものぐるいで練習してみるが!)。8分のあいだに16分を2つ挟み込んだだけで、単純きわまりない譜面にもとづく、単純きわまりないピッキングだったはずのものが、突然、アイガー北壁に化けてしまうのです。

のちにキャロル・ケイの教則ヴィデオを見て、そうだ、このピッキングだ、ビリー・ストレンジ盤Peter Gunnのベースは、この人にちがいない、と納得しました。ハリウッドにはうまいベースがほかにもいましたが、このプレイを最初から最後まで完璧にやりとげられるのはCKさんただひとりだと思います。彼女のスパルタ的高精度ピッキングが実現した「微妙に高度な」リフだと思います。

ご存知ない方がいるといけないので、念押しをしておきますが、この時代には、「パンチイン」による部分的修正などできませんでした。複数のテイクの出来のよい部分だけをつなげるという、いまでは当たり前の手法が生まれるのもずっと後年のこと。テープ編集はしていましたが、それ以外に方法がないときだけの話で、ふつうは回避されました。ミスをしたら、もう一度はじめからリテイクだったのです(または放置する、という選択肢もある。じっさい、放置されたミスはたくさん聴くことができる!)。

この16分への変更をしたのは、キャロル・ケイ自身だとわたしは考えています。ただストレートに8分を並べるだけでは、単純すぎて面白くないと、ボスにリフの変更を提案したにちがいありません。そういう人なのです。

◆ アニタ・カー ◆◆
これだけ数が多いと、変わり種、それも極端なものが得です。そういう意味で、なんといっても目立つのはアニタ・カー・カルテットのものです。コーラス・グループなのだから、もちろん、ヴォーカル・カヴァーです。ふつう、そういう企画のことをきけば、そりゃやめたほうがいいだろう、と思うのではないでしょうか。ヴォーカル向きにはできていない曲だという先入観があります。

しかし、アニタ・カーのこの4ビート・アレンジは、ヴォーカル、トラック、どちらのアレンジも、わが家にある多数のPeter Gunnのなかで最上位近くにくる出来です。女性パーフォーマーにしては稀なことですが、アニタ・カーが、アレンジ、プロダクション面に深く関わっていたおかげでしょう。シンガーといえども、そして、女性といえども、いわれるままにただマイクの前に立つのではなく、「どのように立つか」を自分自身でコントロールするべきなのです。

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たまたま、セヴンスを使った曲だからということもありますが、アニタ・カーのヴォーカル・アレンジは甘みが強くないし、この曲に関しては、ホーン・アレンジとの噛み合わせも非常にうまくいっていると感じます。そう考えれば、なぜ彼女がトラックのアレンジや、さらにはプロダクションにまで関与するようになっていったか、その理由が明快にわかろうというものです。

コーラスの響きを追求すれば、トラックのアレンジまでトータルで考えるしかありません。本気でサウンドを考えれば、ブライアン・ウィルソンのように、ベース・ラインもヴォーカル・アレンジの一部とみなして、自分で書くしかなくなるのです。ヴォーカル・ハーモニーの動きとベース・ラインは、われわれの耳には一体のものとして響くからです。

◆ ジャック・コスターンツォー ◆◆
一昨日、さんざんリフの話をしておいて、このヴァージョンを取り上げるのはどんなものかと思うのですが、「ミスター・ボンゴ」ジャック・コスターンツォーのPeter Gunnも、やはり目立つヴァージョンです。スピード感、勢い、華やかさがあって、なかなか楽しいのですが、あのリフは脇に押しのけられてしまい、Peter Gunnなのやら、ほかのなにかなのやら、よくわからない曲になっています。

f0147840_2315362.jpgモダン・ジャズの世界では、リフは脇役、テーマもその場しのぎの仮普請、だいじなのはインプロヴだけ、いや、もっと正確にいえば、個々のプレイヤーのエゴがすべてで、楽曲も客も、なくてすむものなら、なしですませたい、天上天下唯我独尊、天と地のあいだには我と我の音あるのみ、という気分なのだろうと思いますが、主としてそのジャズ方面で活躍してきたコスターンツォーのPeter Gunnも、だいじなのはグルーヴのみ、楽曲はなんでもかまわない、というタイプです。モダン・ジャズの非楽曲指向、プレイヤーの唯我独尊は、子どものころから心底不快に感じてきたものですが、このヴァージョンはグッド・グルーヴです。グルーヴさえよければ、まあ、ほかのことはどうでもいいのです。

もうすこし取り上げるつもりだったのですが、二日も同じ曲を聴きつづけて疲れたので、そろそろ切り上げます。個人的には、ビリー・ストレンジのPeter Gunnだけあれば、ほかのヴァージョンは存在しなくてもいっこうに差し支えないと思います。

ヘンリー・マンシーニのPeter Gunnは、楽曲として、レコーディングとして、この分野の後続の曲に甚大な影響をあたえたということと、マンシーニがつくったリフが、具体的にどのようなものであったかを押さえておけば、後年のこの分野の展開を理解するための基礎知識としては必要十分でしょう。
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by songsf4s | 2008-07-23 23:06 | 映画・TV音楽
Peter Gunn その1 by Henry Mancini
タイトル
Peter Gunn
アーティスト
Henry Mancini
ライター
Henry Mancini
収録アルバム
The Music from Peter Gunn
リリース年
1959年
他のヴァージョン
別掲
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あまりにも古いことで、「ピーター・ガン」というドラマは見たことがなかったため、そのテーマ曲を取り上げるつもりはありませんでした。しかし、James Bond Themeを検討しているうちに、いかん、やっぱりPeter Gunnを無視してはいけなかった、と考え直しました。

まずは、HDDを検索した結果をご覧いただきましょう。いや、べつにご覧になる義務はありません。うんざりするほど長いのです! ともかく、わが家には以下のアーティストのPeter Gunnがあるようです。たとえば、べつの挿入曲にもこのタイトルを付けている可能性があり(これまでにも、しばしばそういう例があった)、このすべてがあのPeter Gunnをやっているとはかぎりませんし、ひとりで数種のヴァージョンをやっている場合(ヘンリー・マンシーニのものは6種類あり、レイ・アンソニー盤も複数ある)でも、1エントリーに吸収しました。

Anita Kerr Singers
The Atlantics
Billy Strange
Buddy Morrow
Chris Mancini & Lennart
Duane Eddy
Duane Eddy with The Art Of Noise
Henry Mancini
Jack Costanzo & His Orchestra
Mundell Lowe & His All Stars
Quincy Jones
Ralph Marterie
Ray Anthony
Rob EG
Roland Shaw & His Orchestra
Sarah Vaughan
Shelly Manne & His Men
Si Zentner
The Belairs
The John Schroeder Orchestra
The Monkees
The Phantoms
The Remo Four
Video All Stars

Peter Gunnの重要性はふたつあります。「この種の音楽」、つまり、近年、スパイ/クライム・ミュージックと束ねられるものの源流を求めていくと、この曲に行き着くことがひとつ。なんにだって前史というのはあるので、もっと遡りたければ、40年代までいくことも可能ですが、ある一点で、そうはしないほうがいい、と感じます。それは「リフ・オリエンティッド」の曲としても、Peter Gunnはターニング・ポイントではないかと思うからで、これが第二の重要性です。

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◆ 装飾からエンジンへ ◆◆
「リフ」とは短いフレーズのことをいいます。「riff. 1 【ジャズ】リフ 《(1)ソロに合わせて短いフレーズを繰り返すこと (2)そのテーマを主題にした曲》」と辞書にあります。だいたいそのようなことなのですが、ジャズだけの言葉ではなくなってからすでに半世紀はたっていることは強調しておくべきでしょう。いまではロックンロール用語といったほうがいいくらいです。

たとえば、レッド・ゼッペリンのWhole Lotta Loveという曲があります。あの曲を、近ごろ流行りのシンフォニーに編曲するとしましょう。たわけ、そんなことをするな! とお怒りになる向きもございましょうが、あくまでも仮の話、たんなる想定なので、まあ、お平らに。

f0147840_2359269.jpgで、仮に、あくまでも「仮に」ですよ、アレンジャーがロックンロールの本質に無理解で、ゼップ盤ではギターとベースがオクターヴでプレイしている、B-D-B-D-Eというフレーズを無視したとしたらどうでしょう? ちょっと聴いただけで、それがWhole Lotta Loveだとすぐに認識できる人間は、一握りになってしまうでしょう。われわれは、あの曲をヴォーカルのメロディーで記憶しているわけではなく、B-D-B-D-Eというフレーズ、すなわち「リフ」によって記銘しているのです。

これほど極端でなくても、ということはつまり、メロディーラインに覚えやすい箇所があっても、バッキングのリフのほうが強く印象に残る曲というのはたくさんあります。Lucille、Get Ready、La Bamba、I Can't Turn You Loose、Hold On、Oh, Pretty Woman……そして、James Bond Themeであり、Secret Agent Manなのです。

「リフ」はジャズのほうからきた言葉ですが、ジャズとロックンロールでは、ほとんど本質的なところでリフの役割は食い違っているように感じます。ジャズでは、装飾的に、脇役的に使われるという印象をもっています。たとえば、トランペットのインプロヴに、ツッコミを入れるように、テナーサックスとトロンボーンが同じフレーズを繰り返し、カウンターとして入れる、というようなぐあいです。いわゆる「テーマ」というのも、リフの一種といえますが、その場合も、インプロヴに突入するまでの仮普請にすぎないのが、ジャズというものでしょう。

しかし、ロックンロールにおいては、リフは「エンジン」の役割(の少なくとも一部)を負っています。前述のWhole Lotta Loveはその典型で、B-D-B-D-Eのリフが、全体を前へ、前へとドライヴしています。そして、ジャズのように、インプロヴに突入すると、リフは一昨日の新聞のように丸めて捨てられてしまう、ということも、ロックンロールでは起こりません。つねにそこにあって、その曲を前進させつづけるのです。

このような、リフを駆動メカニズムとしている曲を、わたしは「リフ・オリエンティッド」と呼んでいます。「リフ・ドリヴン」な曲というほうが、実態に即しているかもしれませんが。

◆ menaceな感覚 ◆◆
というようなことを頭において、ヘンリー・マンシーニの出世作、Peter Gunnを再考してみます。マンシーニのPeter GunnのキーはBbですが、簡略化および他のヴァージョンとの比較のために、キーをCに移調して、この曲のリフを書くと、G-G-A-G-Bb-G-C-Bbとなります。

リフ・オリエンティッドな曲というのはおおむねそうなのですが、Peter Gunnの場合も、ルートと5度というトニックとドミナントに加え、6thと7thの音(この場合はAとBb)が使われています。ここからなにが言えるかというと、ゼップがやってもオーケイ、ということです。いや、べつにゼップじゃなくたって、なんでもいいのですが、トニック、ドミナント、6th、7thという音はロックンロール的なのです(「ていうか、ブルーズ的だろーが」といわれれば、まあ、そうでもあるのだが)。チャック・ベリーのギター・リックの構成音です。

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主役のクレイグ・スティーヴンズ(右)とヘンリー・マンシーニ

音階的なことをいっているときに、話を跳躍させて申し訳ないと思うのですが、そもそも、この曲、8ビートなんですよね。もう頭からライドで8分を刻んじゃっているんだから、ふつうの人間はこういうのをジャズとは呼びません。譜面だけなら、リトル・リチャードの曲だといっても通るぐらいです。

じっさい、この曲がヒットしたのも(いや、正確には、シングル・ヒットはレイ・アンソニー盤で、マンシーニ盤はアルバムがヒットしたのだが)、そして、無数のカヴァーが生まれたのも、理由はそこにあるのではないかと考えています。ロックンロールのシャーシの上に、ジャズのボディーをかぶせた、ということです。見た目はジャズ、走りはロックンロールだから、ロック系のバンドが、こんな古くさいボディー、いらんだろうと思ったら、あっさり不法改造車を仕立てることができる構造になっているのです。ロック・コンボがそのまんまカヴァーすれば、バリバリのロックンロールになってしまうのです。

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Peter Gunnの監督、ブレイク・エドワーズ(左)とヘンリー・マンシーニ

では、ヘンリー・マンシーニ盤が、どうやってジャズの領域にかろうじて踏みとどまっているかというと、これはもう職人芸というやつでしょう。ジャズの職人が、ジャズ気質で、ジャズだと思ってプレイしたから、いくぶんかのジャズのニュアンスが生まれただけのことで、ほとんど思いこみ、幻想、勘違いです。だれかがブースから、「あのなあ、ロックンロールってのはよ、もっと勢いってのが必要なのね。わかる? 勢い、スピード感、力強さ。杖ついたジジイが坂道であえぐようなプレイをするんじゃねえよ! んじゃ、頭からもう一回」と怒鳴りつけたら、それで吹き飛んでしまうような、はかない、はかないジャズ・フィールにすぎないのです(断っておくが、こんな無礼で乱暴な口をきくA&Rは現実にいないだろう。テレビドラマでおなじみの「ありえないプロ」の真似をしてみただけ)。

そもそも、こんなまわりくどいことをいわなくても、マンシーニ自身があっさり認めています。ドラマの「ピーター・ガン」では、ジャズ・クラブが主要な舞台のひとつで、そのためのストレートなジャズを書いたけれど(アルバム・トラックになっている)、テーマ曲はロックンロールである、と。リフはmenaceな感覚、すなわち強面(こわもて)な感覚を生んでいる、とも説明しています。

マンシーニがどこからこのリフを思いついたかというと、リトル・リチャードのLucilleではないかとわたしは想像しています。Lucilleのリフはルートからはじまっているのに対して、Peter Gunnのほうは5度からスタートしていて、そのぶんだけハイブロウといえますが、マンシーニは教育を受けた作曲家ですから、それくらいのひねりは入れて当然です。

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左からヘンリー・マンシーニ、クレイグ・スティーヴンズ、ローラ・オルブライト

やっぱり、ヘンリー・マンシーニはただ者ではありません。ロックンロールがミュージシャンに軽蔑されていた時代に、この音楽スタイルがもつ本質的な特徴のひとつ(menace)に着目し、その性質にふさわしいコンテクストを見つけだし、ヒットに結びつけたのですから。

◆ そしてPeter Gunnの子どもたちへ ◆◆
ヘンリー・マンシーニが、私立探偵ドラマのテーマにロックンロール的リフを使ったことが、その後のスパイ/クライム・ミュージックという分野を決定づけたように思います。「menaceな感覚を生む」と、マンシーニ自身が正確に分析しているように、リフ・オリエンティッドであることそれ自体が、この分野の音楽にはふさわしかったからでしょう。

そういう感覚が、James Bond Themeに受け継がれた、ということもいって大丈夫だと思います。まだ、スパイ/クライム・ミュージック分野の音楽を取り上げる予定なので、ここですべてを開陳するわけにはいかないのですが、リフ・オリエンティッドな「ピーター・ガンの子ども」は、James Bond Themeばかりでなく、ほかにもたくさんあります。どの作曲家も、menaceな感覚をもとめて、リフ・オリエンティッドな手法をとったにちがいありません。

朝起きたときは、涼しくて、よし、Peter Gunnをやっちゃおうと思いたったのですが、怒濤のように検索された無数のPeter Gunnを、いちいちフォルダーを開いてはプレイヤーにドラッグしているうちに気温が上がってきて、バックビートを聴く気分ではなくなってしまいました。

買ったわけではないのですが、だいぶ前に、クモの巣で見つけたリュートのアルバムを思いだして、こういう日はああいうサウンドがいいかもしれない、と思い、プレイヤーにドラッグし、じつは、それを聴きながら、サウンド的に近縁性のまったくないPeter Gunnのことを書いていました。

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なかなか涼しげな音でけっこうなBGMなのですが、なにしろ生まれも粗野、育ちもロックンロールなもので、こういう地味なものは、どれを聴いてもみな同じに思え、楽曲の区別がさっぱりつかないのが珠に瑕です。大昔には「キャッチーなイントロ」とか「フック・ライン」なんて概念はなかったのでしょうな。

リュートののどかな響きを聴いているうちに、べつのギター系弦楽器のアルバムを思いだし、それもプレイヤーにドラッグしたのですが、あ、これはブログのネタじゃないか、と気づいたので、この手札は今日は伏せておくことにします。

次回は、Peter Gunnの無数にあるヴァージョンのいくつかにスポットを当て、そのあとは、今月はじめに糸をたぐりかけたところで投げ出してしまった道筋を、もう一度拾い直そうかと思っています。エキゾティカの従兄弟ぐらいにあたる、夏向きというか、国境の南的というか、Calcutta的な楽曲です。

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by songsf4s | 2008-07-21 23:58 | 映画・TV音楽
James Bond Theme その2 by Glen Campbell
タイトル
James Bond Theme
アーティスト
Glen Campbell
ライター
Monty Norman
収録アルバム
The Big Bad Rock Guitar of Glen Campbell
リリース年
1965年
他のヴァージョン
Billy Strange, John Barry & Orchestra, the Exotic Guitars, The James Bond Sextet, Johnny & the Hurricanes, Roland Shaw & His Orchstra, The Mantovani Orchestra, Count Basie, Si Zentner
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ハリウッドの音楽界ではちょっと名の売れたスタンダップ・ベース・プレイヤーがいた。1933年1月に、彼の両親が可愛い息子にジェイムズという洗礼名をあたえたとき、イギリスにイアン・フレミングという人間がいて、第二次大戦中は英国情報部に籍をおき、退役ののちに作家に転じて、その物語の主人公にどういう名前をつけることになるかなど、神ならぬ身のこと、知りえようもなかった。

毎朝8時半までに、ハリウッド内外に点在するスタジオのどれかに入るのが彼の日常だった。その日はサンセット6050番地だった。いつものように、棺桶のように扱いにくい自分の楽器を運んで、スタジオ1に入っていく。悪童どもの何人かはすでにスタジオ入りしていて、ドアの脇で笑い興じていた。またいつものように、だれかが、昨夜、どこかで仕込んだ下品なジョークを披露したところだろう。

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United Western Recorder, Studio A.

様子がおかしい。「ハイ、ガイズ」という彼の挨拶に、だれも応じないのだ。みな、見知らぬ人間を見るような目で、彼に軽くうなずくだけだった。

気分はよくなかったが、彼はただ肩をすくめて、ブースとは反対の壁のほうに向かった。自分が今日どこに「置かれる」か、彼にはわかっていた。すでにマイクが仮決め位置に立っている。アップライト・ベース用のマイクはひと目でわかる。弦の上に置かれる右手の高さになっているからだ。また移動させられるかもしれないが、とりあえずはそこに立て、ということだ。

彼がマイクの脇にケースを寝かせると、連中がうちそろって、ぞろぞろとやってきた。

「なんだ、なんなんだ? どこで暴動があったって、俺の知ったことじゃないぜ」

「暴動? まさか」

おそろしく背が高いうえに、いつもカウボーイ・ブーツを履いているので、アップライト・ベース・プレイヤーのように見える、いや、どちらかというと、カウボーイそのものに見える白人の大男が、驚いたような顔をしてみせた。

「じゃあ、これはいったいなんなんだ。俺がなにをしたっていうんだ、ビリー」

彼は自分がこの場にいる唯一の黒人であることを意識した。仕事場ではめったにないことだった。

「いや、今日はあなたといっしょに仕事をすることになったようだから、自己紹介をするべきだと思いましてね、ミスター……?」

「おい、怒るぞ。なんの騒ぎだ。今日は俺の誕生日じゃない! サープライズならお門違いだ」

その場の全員を彼はよく知っていた。何度も、イヤになるくらい何度も仕事をした仲間だ。

テキサス生まれのカウボーイは、心外なことをいわないでほしい、という顔をしてから、ニヤッと笑った。

「はじめまして、わたしはストレンジ、ビリー・ストレンジ。ギターを弾きます。そして、こちらが、ハル・ブレイン、グレン・キャンベル、ドン・ランディーの諸君、みないい腕をしていますよ、えーと、ミスター?」

といってビリーは、右手を彼のほうに差し出した。握手を求めているのだ!

彼はビリーの右手をガラガラヘビでも見るような目つきでにらみつけた。そして、四人の白人の顔をつぎつぎと見た。みな、にこやかな笑顔だ。ほんとうにルーキーを迎えるような顔つきだった。

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スタジオのコメディアンたち ビリー・ストレンジ(左)、ハル・ブレイン(右)、ドン・ランディー(向こうむき)、コントを演じるの景。

だが、これはなにかの罠にちがいなかった。ルーキー歓迎の罠ではないが、でも、罠以外のなにかであるはずがない。彼はこの四人のことはよく知っていた。馬鹿げたジョークが大好きなのだ。いま自分が、ジョークのネタにされつつあるのがわかった。そして、ここから逃げる道はないことも知っていた。

「お見かけするところ、ベースをお弾きになるようですな、ミスター?」

ハルがそういって、ニヤッと笑った。

彼は肩をすくめた。今日の趣向を理解したのだ。こうなったら、さっさと罠に飛び込んで、そのまま向こう側に通り抜ける以外、脱出する道はない。猟師たちは彼を完全に包囲していた。

「ボンドだよ、ジェイムズ・ボンド。それがなんだっていうんだ、くそったれどもが!」

四人の男たちは爆笑した。笑い転げた。いつまでも笑い転げた。

◆ ビッグ・バッド・グルーヴ ◆◆
一年ぶりに、物語仕立てをやってみました。全部嘘っぱちです。ただし、彼らの日常とキャラクターに関する知識にもとづく嘘っぱちです。でも、じっさいに似たようなことはあったにちがいありません。ジェイムズ・ボンドは、のちにジミー・ボンドを名乗るようになるからです。

ジェイムズ・ボンドは腕のいいプレイヤーでした。スタジオのプロとして赫々たるキャリアを誇っています。わたしの研究分野はポップ/ロック系のセッションなので、よそから、ボンドのジャズ系セッションに関する記述を拾ってくると、彼がいっしょにやったプレイヤーは、チェット・ベイカー、スタン・ケントン、ジェリー・マリガン、チャーリー・パーカー、シンガーではジュリー・ロンドン、ペギー・リー、トニー・ベネット、エトセトラ、エトセトラ。

ポップ系でも永遠につづくリストがありますが、そんなことを書いてもキリがありません。ハリウッドのファースト・コール・プレイヤーで、50年代から60年代にかけて、コンスタントにスタジオ・ワークをつづければ、だれでもアメリカ音楽名鑑みたいなものを抱え込むことになるのです。ただし、その「だれでも」になるのはものすごくむずかしく、「だれでも」の人数はつねに一握りでしかありません。そして、その一握りになってしまえば、フランク・シナトラからフランク・ザッパまで、フィル・スペクターからモンキーズまで、よりどりみどりなのです。

f0147840_0202667.jpg記憶に染みついているボンドのプレイは、スプリームズの1967年のチャート・トッパー、Love Is Here and Now You're Goneです。キャロル・ケイの話によると、この曲では、彼女がフェンダー、ボンドがアップライトで、二人が完全なユニゾンでプレイしたそうです。フェンダーでもタフだろうなと感じるフレージングですが(なによりも、難所が途切れずにずっとつづき、楽をできるところがないのがつらい)、アップライトのプレイヤーにとっては悪夢のラインだったそうで、二人とも大汗をかいたのだとか。

彼女はいっています。ジミーが最後までミスなしに弾きおおせたことに、ほんとうにビックリしたと。リリース・テイクを聴いても、楽じゃなかったであろうことはよくわかりますが、スプリームズのボックスには、別テイクが収録されていて、こちらのほうがベースがよく聞こえます。お持ちの方はご一聴あれ。フェンダーとアップライト、ハリウッドを代表するベース・プレイヤーが、二人とも必死になってプレイしたという伝説の曲です。いや、キャロル・ケイは、これが最悪だったとはいっていません。もっとも困難だった仕事は、『続・猿の惑星』だそうです。

ボンドが不運にもジェイムズというファースト・ネームだったせいで起きたことは、かならずしも悪いことばかりではありませんでした。もうひとりのジェイムズの『ゴールドフィンガー』が巻き起こしたセンセーションのさなか、ジミーのところに、アルバムを出さないか、という話が持ち込まれたのです。そして生まれたのが、ジェイムズ・ボンド・セクステットのJames Bond Songbookです。彼がギタリストであったり、ドラマーであったり、ピアニストであったりすれば、十年前には当然持ち込まれたであろう、リーダーアルバムの話が、名前のおかげで遅まきながら舞い込んだのです。

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長年、ハリウッド音楽史を研究してきた人間としては、ジミーのはじめてのリーダーアルバムは褒めたいのです。もう完全に褒める体勢になっているのです。でも、褒められません。ドラムがわたしの嫌いなジョン・グェランだからです。いや、グェランだって、粗が目立たないものもあるし、だれの名前がついているにせよ、いいプレイなら褒めますが、James Bond Themeでもグェランはなっちゃいません。タイムが悪い人というのは、若いときも、年をとってからも、程度の差こそあれ、いつもタイムが悪いのです。

ほかのメンバーは、バディー・コレット(彼の回想記、Jazz on Central Avenueは、黎明期のLAシーンに光を当てた貴重な参考書だった)、ボビー・ブライアントなどで、グェラン以外にはリトル・リーグと感じるプレイヤーはいません。だから、よけいに、惜しいなあ、と思います。これがアール・パーマー、シェリー・マン、メル・ルイスなどだったら、楽しめるアルバムになったでしょうに、グェラン、それも、駆け出しの時期では話にもなにもなりません。名前を見る前から、音を聴いただけで、いったいだれだ、このド下手のコンコンチキ野郎は、と思いましたが、名前を見たら、やっぱりな、でした。

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◆ ナタリアス「互換サウンド」オヴ・ハリウッド ◆◆
めずらしいジミー・ボンドのリーダー・アルバムがあり、彼にスポットライトを当てるチャンスはこれが最初で最後だろうと、好きでもない盤を先頭に立てましたが、ここからは好みでいきます。

看板にはグレン・キャンベル盤を立てました。こちらのドラマーはハル・ブレインです。グェランの無惨なプレイを聴いたあとだと、それだけで安心しちゃいます。クレジットはないのですが、ハルのほかに、ビリー・ストレンジがアレンジをしたこともわかっています。グレンもラジオ・インタヴューでそういっていますし、かつて、このThe Big Bad Rock Guitar of Glen Cambellの収録曲について、ビリー・ストレンジに質問したこともあります。それについては、Spring Mistの記事に書いたので、ご興味があれば、そちらをご覧あれ。

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Hal Blaine and Glen Campbell.

その記事にも書いたのですが、このへんの盤というのは、ほとんど同じようなメンバーで録音されているので、ときおり、なにがなんだかわからなくなります。仮に、この曲にビリー・ストレンジというアーティスト名が書いてあったら、わたしはのまま信じてしまうでしょう。なにしろ、アレンジャーがビリー・ザ・ボス自身なのだから、ボスのアルバムに雰囲気の似たホーン・アレンジなのです。

グレン・キャンベルは、この曲では12弦を弾いていますが、なじみのあるサウンドではないので、リッケンバッカーなどではなく、グレンが使ったことがわかっている3種類の12弦のいずれかでしょう。可能性のもっとも高いのはオベイジョン。どうであれ、やっぱりハルがいると、背筋がピンと伸びたいいグルーヴになる、ジョン・グェランとはリーグが三つぐらいちがう、と感じるトラックです。

f0147840_0473146.jpgビリー・ストレンジ盤は、グレン・キャンベル盤とメンバーの多くが重なるので、かなり近似したサウンドで、グレン盤と甲乙つけがたい出来です。もっとも大きなちがいは、ビリー・ストレンジ盤では、ハルがオーヴァーダブによる分身の術で、両チャンネルからタムタムやスネアの連打の十字砲火を繰り出していることです。もちろん、たとえば、アール・パーマーなどを呼んで、二人いっしょにプレイすることもありましたが(たとえば、ジャン&ディーンのシングル)、これは左右ともに、ハルのタイムに聞こえます。同一人物ならではの、みごとにタイムが一致したきれいなダブルドラムです。いや、タイムの悪い人の「みごとに」タイムが一致したダブルドラムなんか、まちがっても聴きたくありませんがね!

じつは、グレン・キャンベル盤より、ビリー・ストレンジ盤のほうがいいと思います。しかし、ついこのあいだのThe Man from U.N.C.L.E.でも、ボスのヴァージョンを看板に立てたので、今回は遠慮したのです。

◆ エキゾティック・ギターズ ◆◆
f0147840_057086.jpgイタロ・カルヴィーノは『非在の騎士』を書きましたが、ハル・ブレインは「偏在の鼓士」、あの時代の音楽空間のあらゆる地点にあまねく存在しました。エキゾティック・ギターズ盤James Bond Themeのドラムもハルでしょう。がしかし、ハルを聴くなら、ビリー・ストレンジ盤のほうがはるかに楽しい出来で、こちらはべつのお楽しみを追求するべきです。

グレン・キャンベル盤と自分自身の盤でのビリー・ストレンジのアレンジは、ホットな方向、OSTに近いものを、もっとずっとタイトなリズム・セクションで、バリバリに強面なサウンドにしたのですが、エキゾティック・ギターズはそういう性質のプロジェクトではありません。ギターによるイージー・リスニングです。したがって、クールなサウンドで統一されています。

エキゾティック・ギターズ・プロジェクトのリードギターはアル・“サムシン・ステューピッド”・ケイシーです。いや、この曲の場合は、アル・“サーフィン・フーテナニー”・ケイシーです。あの曲では、アストロノウツも三舎を避ける派手なリヴァーブをかけてバリバリやっていましたが、James Bond Themeでのアルは、チラッとそれを思いださせます。

f0147840_103742.jpgSurfin' Hootenannyのようなホットなサウンドではありませんが、ビリー・ストレンジやグレン・キャンベルのプレイと並べて聴くと、エキゾティック・ギターズ盤James Bond Themeのギターはリヴァーブが強めで、スパイっぽい雰囲気がより濃く出ています。オルガンやフルートの使用も適切ですし、さらなるお楽しみは、ベース(百パーセントの自信はないが、キャロル・ケイに聞こえる)が、ときおり動きまわってくれることです。

ギターによるイージー・リスニングという、このプロジェクトのコンテクストのなかでJames Bond Themeを聴くと、「あれ?」と感じるのですが、そこから切り離して、他のハリウッド録音のギターものJames Bond Themeと並べてみると、これはこれでいいじゃないか、と感じます。こういうことがあるから、縦軸ばかりではなく、ときおり、横軸で並べなおして聴いてみるべきなのです。

◆ ビートルズのJames Bond Theme? ◆◆
以上で今日の目的はだいたい果たしたので、あとは「ロス・タイム」です。

f0147840_141836.jpgビートルズのJames Bond Themeというのをご記憶でしょうか? たまたま、わたしは、66年3月に、『サンダーボール作戦』を見たその足で、『ヘルプ!』と『ア・ハード・デイズ・ナイト』の二本立てを見たので(小学生はタフだ、と初老のわたしは思う。一日に映画を三本も見るなど、考えただけで腰が痛くなってくる)、記憶に焼きついています。

もちろん、「ビートルズのJames Bond Theme」といってはまずいわけで、映画『ヘルプ!』のスコアの一部として使われたJames Bond Theme風のインスト、といわなくてはなりません。そっくりだけど、ちがう曲だし、ビートルズのだれひとりとしてプレイしたわけでもないのです。盤の記載もただ「(instrumental)」とあるだけで、名前すらつけられていないトラックです。

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で、これがほんの15秒ほどの短い断片なのですが、なかなか楽しいのです。オーケストラのサイズからくる力強さもありますし、シタールがチラッと顔を出したりするところも笑えるし、録音もよくて、本家の映画にも使わせてあげたくなるような出来です。

f0147840_1135434.jpgRed River Rockで知られるジョニー&ザ・ハリケーンズのヴァージョンは、すごくいい出来というわけではないものの、ちょっと楽しいところもあります。ドラムのタイムもスタイルもいただきかねますが、ギターのサウンドはなかなか面白く(リッケンバッカーの6弦か? ヒルトン・ヴァレンタインを想起させる)、細部で楽しませてくれます。

◆ オーケストラもの ◆◆
オーケストラもののなかでは、ローランド・ショウ&ヒズ・オーケストラのヴァージョンが面白いと感じます。イントロの広がりのあるサウンドを聴いただけで、あ、まじめにやっているな、と感じます。なんか、失礼な言い方に見えるでしょうが、なにかが大ヒットすれば、便乗企画が大量に生まれる業界なので、まじめにやっていないものがたくさんあるのです。

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なぜイントロだけで、「これはいい」と感じるのかというと、まずなによりも、ドラムとアップライト・ベースがうまいのです。このドラマー、非常に好きなタイムとスタイルです。それと、OSTがホーンでやっているあのB-C-Db-Cのラインをストリングスでやっているのも面白いと感じる要因のひとつです。そして、音の空間配置がいいので、イントロが流れた瞬間、ムムッと身構える、というわけです。

ショウについては、ロンドン・レコードのインハウス・アレンジャーで、テッド・ヒースやフランク・チャックフィールドとの仕事がある、といった程度のことしかわかりません。このJames Bond Themeを収めたThemes from James Bond Thrillers(1966)をはじめ、More Bond Themes、Music for Secret Agentsなどといったアルバムを自身の名義で数枚出しているようです。

f0147840_1195426.jpgマントヴァーニも悪くありません。007 Suiteという総タイトルで、From Russia with Love、Never Say Never Againなどとのメドレーに仕立てています。だれが考えてもマントヴァーニが得意なのはRussiaのようなタイプの曲に決まっているのですが、James Bond Themeも破綻がなく、マントヴァーニらしい大きなサウンド(ときに、大きすぎて笑ってしまうのだが)でやっています。

◆ ボンド、ジミー・ボンド ◆◆
レグ・ゲスト・シンディケートなど、まだいくつか言及するに足るヴァージョンがありますが、こちらの体力、集中力の限界がきたので、このへんで切り上げることにします。

ベース・プレイヤーのジェイムズ・ボンドの名前は、ずっと「ジミー・ボンド」なのだと思っていました。クレジットではたいていこの名前だからです。たしか、キャロル・ケイが書いていたのだと思いますが、007のせいで、ジェイムズと名乗るのをやめ、ジミーに変えたのだそうです。ボンドなんて、難読奇姓というわけではないし、ジェイムズにいたってはアメリカでもイギリスでも、雑踏する町に立って、そこらを見渡して目に入る男のうち、何割かはこの名前だろうというくらいだから、同じように迷惑した人がたくさんいたことでしょう。

名前で思いだしました。小林信彦の『大統領の晩餐』だか『大統領の密使』だか、どちらかに登場する人物。ジェイムズ・ボンドが『二度死ぬ』のときに日本にやってきて、そのときにキャシー鈴木とのあれやこれやの結果、子どもが生まれたというのです。その名も鈴木ボンド! まあ、講談や芝居でお馴染みの鈴木主水(もんど)を知らないと笑えないのですが、わたしは同じころに、ちょうど久生十蘭の「鈴木主水」を読んでいたので、大笑いしました。いや、「鈴木主水」は十蘭の代表作で、いたってまじめな短編ですよ。そこのところを混同なさらないように!

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小林信彦『大統領の密使』表紙(上)とp.62本文。昭和46年早川書房刊。

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by songsf4s | 2008-07-20 23:58 | 映画・TV音楽
James Bond Theme その1 by John Barry & Orchestra (OST)
タイトル
James Bond Theme
アーティスト
John Barry & Orchestra
ライター
Monty Norman
収録アルバム
The Best of James Bond: 30th Anniversary Collection
リリース年
1962年
他のヴァージョン
Billy Strange, Glen Campbell, the Exotic Guitars, Jimmy Bond & His Sextet, Hugo Montenegro, Johnny & the Hurricanes, Count Basie, Si Zentner
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お暑うございます。昼食の準備で、正午前に菜園にキュウリをとりに出たら、陽射しにガーンと叩き伏せられそうになりました。まさに「梅雨明け十日」の陽射し、梅干し作りの最後の仕上げ、天日干しにはもってこいですが、梅干しではない人間にとっては、もってこいどころか、どっかへもってけです。

さて、昨日はマカロニ・ウェスタンの代表作をやったので、本日は60年代映画のもうひとつの一大潮流である、スパイ映画の親玉をやります。その名も、えーと、ミスター?

「ボンド、ジェイムズ・ボンド」

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◆ またしてもクレジットの問題 ◆◆
まずはサンプル音源の所在を書いておきます。You Tubeにあるものとしては、これがもっとも網羅的ではないかと思います。1962年の『ドクター・ノー』(最初の2本の邦題がゴチャゴチャになっているのだが、こちらは『007は殺しの番号』だったと思う。フレミングの原作のほうの邦題は『ドクター・ノー』だった)から、えんえんと全ヴァージョンがつながって出てきます。

カヴァーとしては、ビリー・ストレンジ、グレン・キャンベル、エキゾティック・ギターズという3種が、右のリンクからいけるAdd More Musicの「Rare Inst. LPs」ページで入手することができます。No.5がグレン・キャンベルのThe Big Bad Rock Guitar Of Glen Campbell、No.34がエキゾティック・ギターズのAll Time Greatest Hits、No.43がビリー・ストレンジのThe James Bond Themeです。

f0147840_2323435.jpg前置きをもうひとつ。この曲の作者はだれなんでしょうねえ? 昔は、モンティー・ノーマンと書いておけば問題なかったはずなのです。でも、だいぶ前に、係争中だという記事を読んだ記憶があります。そのあと、どう決着がついたのか知りませんし、そもそも、そんな事実はなく、たんにジョン・バリーが書いたのではないか、という憶測を読んだだけかもしれません。

さまざまな世界であることでしょうが、クレジットというのは、立場の強い人間がもっていくことになっています。だから、わたしは、ジョン・バリーが、じっさいには俺が書いた、というのなら、そうなのだろうと思います。すくなくとも部分的には彼が書いたのではないでしょうか。

ということで、扱いに困るのですが、今回は、いちおう、従来のクレジットにしたがって、モンティー・ノーマン作としておきます。

◆ なんとなくスパイ ◆◆
f0147840_23502259.jpg改めてJames Bond Themeを聴くと、いや、改めなくても、じつにシンプルな曲だなあ、と思います。ギターをはじめて手にしたころ、当然ながら、よく知っているシンプルなフレーズを弾いてみたくなり、たとえば、Secret Agent Manのイントロや、このJames Bond Themeをやってみました。あの当時、ギターを弾こうとしていた世界中の子どもの多くが、わたしと同じことをしたでしょう(ジョニー・リヴァーズは、どこへいっても「あなたのレコードでギターを覚えた」という若者に会う、あのフレーズがおそろしく簡単だったからだろう、といっている。たしかに簡単だが、魅力的だから、みなあのリックを弾いてみたのである)。

シンプルであることは、けっして悪いことではありません。たいていの場合、いいことです。このテーマが長持ちしたことがそれを証明しています。ホーン・ラインから考えて、コード進行は、Em-C-A7-Cを繰り返しているのでしょうが、このコード進行だってシンプルです。ただし、あそこにもある、ここにもある、というほど陳腐化したものではありません。とっさには、ほかにこのコード進行を使った例を思いつかないくらいには変わっています。

ギターのフレーズのピッチがジャンプするところは、low E-high Eb-Dですが、これもシンプルながら、そう簡単に出てくるフレーズには思えません。ピッチをジャンプしなければ、E-Eb-Dと半音ずつ下降するだけのフレーズですが、EからEbまで1オクターヴ近くジャンプさせただけで、ひどくエキゾティックな響きになるのだから、じつにもって摩訶不思議。

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メロディーではなく、「裏の」または「地の」ホーン・ラインは、B-C-Db-Cを繰り返すだけです。ここでもまた半音進行が異質性を演出しています。このB-C-Db-Cのあいだに、Eをはさんで、B-E-C-E-Db-E-C-Eとすると、Secret Agent Manのイントロ・リックに化けてしまいます。まあ、頂き物といってしまえばそれまでなのですが、こういう頂き方は、すでにひとつの芸と呼ぶべきであって、無能な人間の粗雑な盗みとは似て非なるものです。ここまでくれば、もはや独創というべきでしょう。

B-C-Db-CのあいだにEをはさむと、ニュアンスが微妙に変化して面白い響きになる、ということをだれでも思いつくかといえば、左にあらず、「瞬間の跳躍」が必要でしょう。まあ、B-C-Db-Cを2弦で弾いていて、うっかり隣の1弦(Eの開放)にピックを引っかけてしまったミスから生まれたものかもしれませんが、その場合でも、ミスをただのミスとして通りすぎず、面白い、と感じなくてはいけないのだから、やはり90パーセントの人間が見すごしてしまうことに気づいたのは才気というべきなのです。どうであれ、Secret Agent Manのイントロは、だれでも、なんとなく、「スパイ風」と感じるように、うまくつくってあったのです。

◆ トゥワンギン・ボンド ◆◆
James Bond Themeに話を戻します。アレンジとしては、いろいろ細かい飾りつけがしてあり、無駄だなんて失礼なことはいいませんが、でも、そうしたものは絶対不可欠な要素ともいえないでしょう。子どもの耳に残ったのは、B-C-Db-Cと動くシンプルながらムードのあるホーン・ライン(コードとしてはEm-C-A7-C)、そしてギターの低音弦の音でした。金管のアンサンブルによるメロディーは、副次的な要素にすぎません。

f0147840_235383.jpgOSTのギターはなかなか印象的なサウンドですが、どこかで聴いたような音でもあります。どうやってこの音をつくったかと考えると、重要なことはふたつだけ。ブリッジのすぐそばで強くピッキングする、そしてリヴァーブです。ということはつまり、ギター好きの方はもう答を出しているでしょうが、ドゥエイン・エディーとディック・デイルが合体したと考えればいいのです。

この曲がつくられた1962年には、ディック・デイルはまだLAのローカル・スター、いっぽう、ドゥエイン・エディーはイギリスでもすでによく知られていました。したがって、エディーのトゥワンギー・ギターが、James Bond Themeの基礎になっていると見ます。

ディック・デイルはフェンダーと協力して、強力なリヴァーブを積んだギター・アンプを開発するのですが、こちらはトゥワンギング・サウンドほど決定的な要素ではありません。リヴァーブそのものはすでに存在していたからです。じっさい、ドゥエイン・エディーだって、ディック・デイルほどむちゃくちゃではないにしても、リヴァーブをかけています。

わたしが盤なんか買ったこともなければ、007のなんたるかも知らなかった時代に、このギターがどう聞こえたかを想像すると、きわめて現代的な新しい音、映画音楽とは思えないほどポップ/ロック系の感触があったのではないでしょうか。

まあ、ギター以外の「構造躯体」そのものは、旧態依然たる古めかしいジャズ系のオーケストラ・サウンドで、あそこにもある、ここにもある、そこらじゅうどこにでもある、という二束三文の音です。しかし、この古めかしい背景の上に、古めかしいテナー・サックスなんかではなく、ドゥエイン・エディー風の、ということはつまり、ジャズとは完全に縁が切れている、ロック系のギターをリード楽器として載せたのは、手柄も手柄、大手柄といっていいでしょう。これがなかったら、ごくふつうのめだたない曲になっていたにちがいありません。

この曲には山ほどカヴァーがあり、明日以降に、すくなくともそのうち数種類は検討するつもりです。このところ怠惰になってきて、書き写すのも面倒だし、聴くのはもっと大変なので、「他のヴァージョン」欄は、今回も大幅に間引きして、どうせ褒めない決まっているジャズ系、管楽器系、ピアノ系はほとんどオミットしました。各ヴァージョン検討は、ギターもの、ロックンロール系が中心になります。

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by songsf4s | 2008-07-19 23:59 | 映画・TV音楽
Titoli (from "A Fistful of Dollars") 邦題「さすらいの口笛」 by Ennio Morricone
タイトル
Titoli (from "A Fistful of Dollars")
アーティスト
Ennio Morricone
ライター
Ennio Morricone
収録アルバム
A Fistful of Dollars: An Original Soundtrack Recording
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Hugo Montenegro
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[お知らせ]
(本文中の重要なリンクが空になっていたミスを修正しました。-7月19日午前9時)

テレビドラマのテーマを取り上げたためなのかなんなのか、理由はよくわからないのですが、当家の水準からすると今週はむやみにお客さんが多くて、ちょっと戸惑っております。

いや、たくさんのお客さんにご訪問いただけるのはまことにありがたいことです。その点に不満があるわけでは毛頭ありません。ただ、当家の習慣として、記事公開直後にはまだ写真の貼りつけが終わっていないことが多いのです。よくいらしている方はそのへんは先刻ご承知で、深夜0時台は比較的静かだったのですが、このところ、新たにいらした方が多いのか、この静かなはずの時間帯に20人もいらしてしまった日があり(静かな当家の基準からいうと、まるでラッシュ)、いつも公開後にのんびり写真を貼りつけているわたしは、おおいにあわてました。

公開と同時にお客さんがたくさん来てくださるのはすごくうれしいことです。励みになります。しかし、当家の公開はじつは「仮公開」であり、カレンダーの表示の都合にすぎないのです。じっさいには、写真の貼り付けはおろか、まだ文字校ができていなかったり、ひどいときには小見出しすら空白になっていたりすることがあるので、わあ、せめてパンツを穿くまで待ってちょうだいな、と悲鳴を上げてしまいます。

当家で話題にするようなことがらは、みな数十年前のものです。あわてて読まなければならないほどの話柄はありませんから、ゆるりとご来訪いただけたらと思います。まあ、公開直後に来て、未完成の記事を読み、ミスを見つけるのが楽しい、という変わった趣味の方もいらっしゃるでしょうが、そういう方はべつとして、ふつうの方は午前1時ごろにいらっしゃるか、または翌日にご覧になるほうがよろしいのではないかと、よけいなお世話ながら、思うしだいであります。

◆ 尋ね人の時間 ◆◆
一周年をすぎたので、「なんらかの意味で季節に即した曲を」という、これまでのルールを枉げ、今月は気ままにやると宣言して、エキゾティカからスタートし、いつのまにかテレビドラマのテーマに迷い込んでいました。途中で、ノスタルジーのほうにすこしシフトする、ということも申し上げました。

そのように受け取られたかどうかは微妙なのですが、わたしのつもりとしては「1965年、音楽的な岐路に立っていた、少年時代の自分自身の肖像画を描く」というのが、途中から浮かびあがってきたテーマです。

音楽的な岐路ではありますが、ロックンロール方面は当家のメインラインなので、そちらには踏み込まず、やがてガチガチのロックンロール・キッドに成長し、その過程で忘れ去ってしまった方面の音楽を主として取り上げてきました。「ロックンロール未満」の子どもが、どういう音楽に関心をもったか、です。

忘れられない、あるいは、一度はみごとに忘却してしまったテレビドラマのテーマは、まだまだたくさんあります。もう一度、そのあたりに戻るかもしれませんが、そろそろ映画音楽のほうに歩を進めようと思います。

1965年に見た映画でもっとも記憶に残っているのは、ジャン・ポール・ベルモンドとジーン・セバーグが共演した『黄金の男』です。テーマ曲もまだメロディーとサウンドをセットにして覚えているほどです。ところが、わが家にはこのサントラやヴィデオがないだけでなく、ウェブを探しても、音も絵もなんにもなくて、記憶を確認することもできないし、みなさまに試聴していただくこともできません。よって、この映画とテーマは断念しました。

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もし、どなたか盤をお持ちで、すでにファイルにしてあったら、ご喜捨願えないでしょうか。ご連絡はコメントでもけっこうですし、toodleoo@mail.goo.ne.jpにメールを送ってくださるのでもかまいません。よろしくお願いします。原題はEchappement Libre、ジャン・ベッケル監督の1964年の作品です。

◆ そもそもの大誤解 ◆◆
60年代中期の映画の傾向ははっきりしています。スパイものか、マカロニ・ウェスタンです。もちろん、ほかにもさまざまな映画がありましたが、時代の傾向としては、このふたつしかないというほど、支配的なジャンルでした。そして、この二者には共通点がありました。音楽が魅力的だったのです。

今日はまず、マカロニ・ウェスタンのそもそもの出発点にして、最初の大ヒット作である『荒野の用心棒』(A Fistful of Dollars)の挿入曲、Titoli(「さすらいの口笛」)を取り上げます。この曲には、ちょっとした誤解がからまっているので、まず、You Tubeでタイトルをご覧になっていただけると、話が簡単になります。

このタイトルで流れる曲が、本日、わたしが取り上げる曲なのですが、ただし、これは映画『荒野の用心棒』のテーマ曲ではありません。Theme from 'A Fistful of Dollars'という曲が別にあるのです。だから、You Tubeにあるこの画像の表題は間違いです(あるいは、この表題ならべつの曲にするべきである)。タイトルに流れる曲だから、テーマだと思ってしまうのは無理もないのですが、楽曲の戸籍にかかわることなので、そのへんは明確にする必要があります。

サントラ盤では、この曲にはTitoli (from A Fistful of Dollars)というタイトルが書かれています。また、近年の編集盤には、A Fistful of Dollars Overtureというタイトルで、Titoliのオルタネート・エディット(ロング・ヴァージョン)を収録しているものもあります。このタイトルなら、誤解を生まなかっただろうにと思うのですが、残念ながらはじめの一歩をまちがったために、いまだにTitoliとTheme from A Fistful of Dollarsにまつわる混乱は収まっていません。

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さらにおかしな間違いがあります。ヒューゴー・モンテネグロの盤のなかには、For a Few More Dollars(『夕陽のガンマン』のテーマ)という曲に、Theme from A Fistful of Dollarsというタイトルをつけているものがあるのです。これもまた、Titoliがテーマではないことから来た混乱だろうと思います。

◆ メロディーメイカー、モリコーネ ◆◆
よけいなことばかりでひどく遠回りしましたが、ご存知の方には説明の要がいっさいない曲です。日本では「さすらいの口笛」という、いかにも日本らしいタイトルがつけられ、大ヒットしました。アメリカではオリジナルもカヴァーもヒットしていませんが、それも当然だろうと感じます。Dmの曲で、イタリア人や日本人はおおいに好みそうなメロディーとサウンドですが、どう見てもアメリカ向きではありません。

いま、泥縄でちょっとプレイアロングしてみたのですが、素直なマイナースケールで、「あれえ、なんだよこの音は」などと、フレット上のあちこちに指を彷徨わせたりする場面はありません。オーギュメントもフラッティッド・フィフスもナインスもサーティーンスもなく、演歌のようにきれいなマイナーなのです。

では、予定調和的で、平凡な曲かというと、そうではないところがエンニオ・モリコーネの非凡なところで、やはり、名を成す人というのは、どこかちがうものだな、と感じ入ります。

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「ローハイド」の脇役にすぎず、ハリウッドでは芽が出なかったイーストウッドが、イタリアに都落ちしながら、起死回生の大逆転をして、スターへの道を歩みはじめたのは、この重要な小道具、シガリロの吸い方、扱いの手つきのおかげだったのではないかと思う。

プレイアロングをして、なるほどと思いました。どのヴァースも、だいたい似たようなメロディーラインなのですが、完全に同じラインではないのです。最初のヴァースで指の動きを覚えても、それが三番目のヴァースでのプレイを邪魔してくれます。

何度か書いていますが、インストゥルメンタル曲というのは、どのように変化させていくかが勝負です。シャドウズのDeep Purpleに書いたような、音域の移動もひとつの方法ですが、これはリード楽器を変化させられないギターコンボの特殊事情から導きだされたものといえるでしょう。

◆ オーケストレーター、モリコーネ ◆◆
オーケストラの場合は、まずなによりもリード楽器を替えていくことで目先を変えます。さらに音の強弱、楽器編成そのものの組み替え、カウンターメロディーないしはオブリガートのライン自体の変化、および、それを担当する楽器(の組み合わせの場合もある)自体の交換、そして、転調などの手段を組み合わせて、同じことの繰り返しになるのを防ぎます。結局、オーケストレーターの腕、格というのは、各楽器の性質を理解し、必要に応じて上記のような手段をどう組み合わせるか、そのセンス、状況判断によって決まるのだと思います。

エンニオ・モリコーネというと、このTitoliに代表されるような、独特の浪花節のようにパセティックな楽曲の作り手としての印象が強烈です。もちろん、その印象がまちがっているわけではないのですが、改めて子細にアレンジ、構成を検討すると、オーケストレーターとしても第一級の腕の持主だと感じます。構成に遅滞がなく、スムーズに、かつドラマティックに音の風景が変化していくのです。

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エンニオ・モリコーネ 譜面台には譜面ではないものがたくさん載っているのが、映画音楽のオーケストレーター、コンダクターの特徴なのだろう。そして、眼鏡が3種類! スクリーンを見なければいけない、手元のキューシートも見ないわけにはいかない、お年を召した方にはつらい商売。

流れが自然で心地よいことは、モリコーネのオーケストレーション全般についていえることですが、このTitoliに関して感じることは、リード「楽器」に口笛を選んだのはじつに適切だったということです。これが他の楽器だったら、日本で大ヒットすることはなかっただろうと思います。

オーケストレーションの初歩である「リード楽器の交替による変化」は、途中から登場する印象的なギターによって実現されています。この時代に見た映画というのは、どういうわけか、ギターが強く印象に残っています。でも、その話は、これから取り上げていくいくつかの映画のOSTで改めて考えることにします。

f0147840_02716.jpgこの曲のカヴァーは、わが家にはヒューゴー・モンテネグロのヴァージョンしかありません。しかし、これは「うーん」な出来です。リズム・アレンジはApacheの流用で、ハル・ブレインはフロアタムであのパターンを叩いています。これもピタリとはまったとはいいかねるし、全体的なアレンジ、サウンドも「料理方法がわからずに困った」といった雰囲気です。アメリカ人が苦手とする、マイナーコードを徹底的にパセティックに利用した曲だから、途方に暮れたのでしょう。アメリカ人リスナーには、こういうふうにマイナーのムードをトーンダウンしたアレンジが好まれるのかもしれませんが、日本ではぜったいに受けないし、たぶんイタリア人も好まないだろうと思います。

◆ 付録:短編アニメーション ◆◆
といっておしまいと思ったのですが、ひとつ、ぜひ書いておくべきことがあったのを思いだしました。

あとから考えると、ハリウッド映画の黄金時代は50年代前半まで、われわれの世代は、ハリウッドが思いきり零落し、その沈滞が底を打った時期の映画で育ったことになります。日本映画も長期低落のとば口に立っていました。

音楽に関しては、われわれほど幸運な世代はない、自分自身の成長期とハリウッド音楽の黄金時代がピッタリ重なり、すばらしい音楽をリアルタイムで経験できたと考えています。しかし、映画については、情けない時代に育ったとしかいいようがありません。音楽大富豪、映画極貧世代なのです。

そのなかでただひとつだけ、あの時代の映画はよかった、といえることがあります。それはグラフィックなタイトルです。どのあたりからそういう傾向がはじまったのか、そのへんはよく知りませんが、よくいわれるのは、ソール・バスがデザインしたヒチコックの『サイコ』のタイトルです。あとから見ただけですが、たしかにすごいタイトルだと思います。

わたし自身の経験、印象としては、まず『ピンク・パンサー』が抜きんでています。『シャレード』もすばらしかったと思います。文字の処理もよくて、60年代のデザイン・センスの卓越性が、こうした映画のグラフィカルなタイトルにあらわれているといえるでしょう。

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『荒野の用心棒』のタイトルも、イタリアのローカルなものではなく、60年代映画のグローバルなセンスによってつくられています。おそらく、ディズニーのアニメーションのように、実写フィルムのうえからなぞった絵か、または実写フィルムを光学化学的に処理したものでしょうが、『シャレード』ほどハイブロウではないものの、やはり、アメリカ市場を強く意識して、このようなデザインがなされたのだと感じます。

その後、こうしたグラフィカルなタイトルは廃れてしまいます。79年の『エイリアン』のタイトルが象徴的でした。暗黒に小さな文字がゆっくりゆっくり浮かびあがってくるあのタイトルは、ある意味で60年代のグラフィカルなタイトルの延長線上にあり、同時に、60年代的なお祭り騒ぎグラフィカル・タイトルの全面否定だったと感じます。

60年代の映画をリアルタイムで見たというのは、音楽とちがってあまり自慢にならないのですが、でも、館内が暗くなり、スタジオのロゴが映されたあと、それぞれに工夫を凝らしたタイトルが出てくるのはつねに楽しいものでした。まるで、短いアニメーション映画のおまけみたいだったのです。

『荒野の用心棒』のタイトルは、そういう意味で、きわめて60年代的なセンスでつくられたものであり、あれを見ると、この年になっても、まだワクワクしてしまいます。まあ、A Fistful of Dollarsの書き文字は、もうすこしなんとかなったのではないだろうか、とは思いますがね!

視覚的なことをいいはじめると、まだまだ山ほど書きたいことがあるのですが、マカロニ・ウェスタンを取り上げるのはこれが最後ではないので、後日に譲ることにします。

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by songsf4s | 2008-07-18 23:58 | 映画・TV音楽
The Man from U.N.C.L.E.(「ナポレオン・ソロ」のテーマ)その2 by Billy Strange
タイトル
The Man from U.N.C.L.E.
アーティスト
Billy Strange
ライター
Jerry Goldsmith
収録アルバム
Secret Agent File
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Jerry Goldsmith, the Ventures, Hugo Montenegro, the Challengers, Al Caiola, Si Zentner, The Reg Guest Syndicate, Teddy Randazzo, Dick Hyman
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数が多いので、各ヴァージョン検討はしんどいなあ、と思っていましたが(面倒なことになるのを恐れて、「他のヴァージョン」欄は少なめにしておいた。じっさいにはもっとたくさんある)、案ずるより産むが易し、いいものは一握りでした。ジャズ/ビッグバンド/オーケストラ系はほぼ全滅、楽しいのはロック系のカヴァーに集中しています。「そういう曲」だということでしょう。

ちょっと微妙なレースになったのですが、写真判定というほどではなく、半馬身差くらいで、アレンジ、グルーヴ、プレイの三拍子、そして、ドラム、ベース、リードの三拍子がそろった、ビリー・ストレンジ盤がトップと考えます。

話を進める前に、右のリンクからAdd More Musicにいらっしゃり、「Rare Inst. LPs」ページを開き、The Man from U.N.C.L.E.を収録したビリー・ストレンジのアルバム、Secret Agent Fileをダウンロードなさるようにお奨めします。Thunderballの字が見えるNo.50のアルバムがSecret Agent Fileです。AMMのオーナー、木村先生もコメントで賞賛されていますが、わたしもおおいに好んでいるアルバムです。Mr. Guitar、Great Western Themesと並ぶ秀作です。

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◆ ビリー・ストレンジ盤 ◆◆
クレジットはありませんが、ビリー・ストレンジ盤The Man from U.N.C.L.E.のドラムは、もちろんいつものようにハル・ブレイン、ベースもいつものようにキャロル・ケイであることはまちがいありません。

ビリー・ストレンジ名義の盤だからといって、つねに御大自身がギターをプレイするとはかぎりませんが(アレンジャー、コンダクター、バンドリーダーとしての盤だったりする)、The Man from U.N.C.L.E.のダンエレクトロ6弦ベースによるリードは、ボス自身のプレイでしょう。

かつて、Thunderballのリードにはどんな楽器を使ったのかとたずねたとき、あの当時、イフェクターを使うとしたらファズのみ(手製のファズボックスを使った)、あとはダンエレクトロを弾いたときもあった、という返信をもらいました。The Man from U.N.C.L.E.のリードも、フェンダーではなく、ダンエレクトロなので、ボス自身のプレイと考えて大丈夫でしょう。

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さて、この三人の主役のうち、だれがいちばん目立っているかというと、じつはハル・ブレインです。もうイントロから叩きまくりです。エンディング直前には、短い断片的なものですが、ドラムソロまでやっています。

ドラムひとりでは、ほんとうのグッド・グルーヴはつくれません。うまいベースの協力があってこそです。キャロル・ケイは女性なのに、いや女性「だから」なのか、当時のハリウッドのベース・プレイヤーのなかで、もっとも強面の男っぽいプレイをする人でした。こういう系統の曲になると、その「来るなら来なさい、相手になってやろうじゃないの」といわんばかりの男っぽいスタイルがいちだんと生きます。のちのMission Impossibleでのプレイを思い起こさせます。

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ビリー・ザ・ボスのダンエレクトロ(ダノ)もまたすごく男っぽいサウンドです。キャロル・ケイによると、ダノは造りの悪い楽器で、いい音を出すのはむずかしかったそうです。彼女はピックアップなどを交換して、やっと使えるものにできたと思ったら(グレン・キャンベルのBy the Time I Get to PhoenixやWichita Linemanの間奏に使われているダノは、ケイのものを借りてグレンがプレイした)、盗まれてしまったそうです。犯人はきっとグレン・キャンベル・ファンで、Wichita Linemanの間奏を、あの音で、自分でも弾いてみたかったのでしょう!

よけいなことはともかく、ボスのダノもすごいサウンドです。だいたいがひしゃげたような音になる楽器なのですが、The Man from U.N.C.L.E.のダノは一段とひしゃげて、ほとんど身体的な圧力となって迫ってきます。惜しいかな、ダノのソロはあっという間に終わってしまい、二度と出てきません。リード楽器はオルガン+グロッケン、管のアンサンブル+フェンダーギター、テナーサックスのインプロヴ、テナー+グロッケン、とめまぐるしく変化していく構成なのです。

f0147840_0202077.jpgビリー・ストレンジが、ダノのリードをはやばやと切り上げた理由は想像がつきます。なにしろ、ああいう楽器なので、いや、つまり、ギターとして利用されたとはいえ、実体はベース、当然、弦はベースのものなので、変化に富んだプレイ、ニュアンスのあるプレイはできないのです。考えてみてください、ベンドができないのだから、ギタリストにとってだいじな表現手段が禁じ手にされてしまうのです(もっとも、どの曲か忘れたが、ビリー・ストレンジはたしかダノでベンドをかけたことがあったと思う)。

でもねえ、理由は理解できますが、もうちょっと聴きたかったなあ、と感じる、カッコいいサウンド、ハードなプレイなんですよ。わたしが録音の場にいたら、ボスに、「エンディングにもう一度ダノを使ったらどうですか?」と恐る恐る進言したのに!

総じて、男の子が大好きなアクション・ドラマのテーマにふさわしく、じつにキリッとした、勇気凛々のサウンドです。こういうのを聴くと、1965年に音楽的な十字路に立っていたわたしが、クラシックやジャズにはいかず、ロックンロール街道を一路西に向かったのも当然だと思います。やっぱり、深夜のバーカウンターで酔っぱらい女がしなだれかかってくるような惰弱な音より、こういう装甲車が驀進するような音のほうが、いまでもはるかに好きです。

◆ ヴェンチャーズ盤 ◆◆
つぎにいいのはヴェンチャーズです。うちにあるThe Man from U.N.C.L.E.のなかでももっともテンポの速いヴァージョンのひとつで、速すぎてあっという間に終わってしまうほどです。

ヴェンチャーズのThe Man from U.N.C.L.E.の最大の美点はトーンの選択です。この曲は2パートのメロディーでできていますが、Aパートはギターでやっていて、アンプのトレモロをきかせたサウンドが魅力的です。1964年以降、ヴェンチャーズはモズライトを使っていることになっていますが、この曲のリードはモズライトには聞こえません。プレイヤーもノーキーではないでしょう。なんとなく記憶を刺激されるピッキングなのですが、だれなのか特定できず、イライラします。

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Bパートはオルガンでやっているのですが、このサウンドがまたいいのです。オルガンといっても、ハモンドやノーマルなコンボ・オルガンの音ではありません。なにか加工したか、または、オルガン類似の変な楽器(オンディオリンや、たしかミュージトロンといったと思うが、デル・シャノンのRunawayやHats Off to Larryの間奏で使われたものが代表的)かもしれません。

いつも、初期ヴェンチャーズの曲を取り上げるたびに、ハル・ブレイン、レイ・ポールマン、キャロル・ケイ、ビリー・ストレンジが基本メンバーだと申し上げていますが、In Spaceあたりからよくわからなくなります。ハル・ブレインがストゥールに坐ることもほとんどなくなりますし、リードもビリー・ストレンジには聞こえなくなります。

しかし、ツアー用ヴェンチャーズが丸ごとスタジオに入ったとも思えず、考えると頭が痛くなってきます。まあ、ドラムはよそのセッションでは聴いたことのないタイムなので、スタジオのプロフェッショナルではなく、たぶんメル・テイラーなのだと考えていますが(駆け出しの若いプロである可能性も残る。たとえばジョン・グェラン)、ほかのメンバーはよくわかりません。

64年以降、ヴェンチャーズの盤は、プレイの質より、サウンドのテクスチャーのほうに力点が移動します。ギミックだらけのIn Spaceはもちろん、そのつぎのアルバム、The Fabulous VenturesからシングルカットされてチャートインしたWalk Don't Run '64も、そのつぎのシングルヒットであるSlaughter on 10th Avenueも、サウンドのテクスチャーの目新しさが売りものでした。

Walk Don't Run '64とSlaughter on 10th Avenueでは、サックスにピックアップをつけ、それをレズリー・スピーカーに通した音が使われています(プレイヤーはスティーヴ・ダグラス)。そんな仕掛けだったことなど、当時は知らないので、オルガンなのだと思っていました(Slaughter on 10th Avenueでは、レズリー・サックスのみならず、リオン・ラッセルのオルガンも入っているので、話はややこしくなる。イントロから鳴っているモノフォニックな楽器がレズリー・サックス、中間部でソロをとるポリフォニックなほうはオルガン)。

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ジェイムズ・ボンドでは美女は半裸だが、ナポレオン・ソロでは美女は服を着ている。ちょっと危ないアングルではあるが!

わたしがヴェンチャーズを聴きだした65年はじめには、この2曲はまだ「現役の」ヒットで、どこへいってもかかっていました。じっさい、Slaughter on 10th Avenueは、65年の夏にも勢いが衰えていなかったように思います。

そのためでしょう、ヴェンチャーズというと、オルガンという印象があります(いや、オルガンではなく、レズリー・サックスなのだが、昔は知らなかったのだからしかたない!)。ヴェンチャーズをつかまえて、オルガンのバンドとは、われながらあまりの言いぐさですが、でも、あの音の印象は鮮烈でした。いまでも、スティーヴ・ダグラスのレズリー・サックスを聴くと、1965年の自分が世の中をどう見て、どういう暮らしをしていたか、リアルに思いだすことができます。

ヴェンチャーズ盤は、フラッティッド・フィフスの不安定なメロディーがもっとも強調された、奇妙な味のあるThe Man from U.N.C.L.E.であり、ビリー・ストレンジ盤と並ぶ、いい出来だと考えます。

◆ ハル・ブレイン二題 ◆◆
ギターものとしては、ほかにチャレンジャーズ盤があります。チャレンジャーズは「実在」のグループ(変な言い方だが、実在しないバンドもたくさんあるので、その反意語が必要になる)ですが、スタジオでは主としてハル・ブレインが叩き、チャレンジャーズのドラマーであるリチャード・デルヴィーはブースでプロデュースをしています。The Man from U.N.C.L.E.のドラマーもハルです。リードギターもだれとはわかりませんが、スタジオのプロフェッショナルでしょう。

となると、ビリー・ストレンジ盤といい勝負のできる出来になる布陣のはずなのですが、世の中、そう簡単には問屋が卸しません。ベースがショボいのです。チャレンジャーズのベスト盤に付されたおそろしく大ざっぱなパーソネルは、バンドのメンバーの一部はスタジオでもプレイしたと受け取るしかない書き方になっています。

ハリウッド音楽史研究者としては、そういうタワゴトは無視する習慣が身についているのですが(アーティストはみな、そのたぐいのエクスキューズをいう)、The Man from U.N.C.L.E.を聴くと、こんな鈍くさいプレイをするプロのベース・プレイヤーがいるとは思えず、チャレンジャーズのパーソネルにかぎっては、ほんとうのことが書いてあるのかしれないと、見方を変えました。

全体としてみれば、かなり健闘しているのですが、ほかの条件がビリー・ストレンジ盤に近いだけに、ベースの弱さがよけいに目立ちます。そのおかげで、ハル・ブレインのプレイまで、精彩のないものになっています。

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"Killer Surf! The Best of the Challengers" 盤を見つけるのが面倒なので、よそから頂いてこようと思ったのだが、おそろしく小さい写真しかなかったので、うちのをスキャンして、最大サイズで貼りつけた!

ヒューゴー・モンテネグロ盤The Man from U.N.C.L.E.のドラムもハル・ブレインです。なにしろ、音楽の都ハリウッドの黄金時代、ハル・ブレインは寝るまもないほど忙しく、彼のいうところの「トラヴェリング・キット」が3セット、ご本人がいくまえに、その日予定されているセッションがおこなわれるスタジオに先着し、専属セットアップ・マンが組み立てのみならず、チューニングまで終え(組み立ては簡単に覚えられるだろうが、チューニングを覚えるのはむずかしかったはずだ)、ご本人がギリギリでスタジオに駆けつけても(まえのセッションがオーヴァータイムになる可能性はつねにある)、すぐにプレイできるように準備万端整っている、というシステムをとっていたのです。

この搬送にかかる費用はレコード会社が負担します。ユニオンとの取り決めでそうなったのです。ミュージシャン・ユニオンには悪い側面もたくさんあり、衰微していったのも一面で無理もないと思います。しかし、50年代に映画界が壊滅し、多くのスタジオが空き屋になってしまったハリウッドが、60年代にいたって音楽の都として復活した理由のひとつは、このユニオンの強さだと思います。

いったん、スタジオ・システムの一員になれば、大リーグに昇格したようなもので、ツアーで働くのとは雲泥の差なのです。ドラマーの場合、運搬とセットアップとばらしというやっかいごとから解放され、ハリウッド・ヒルズの豪邸から、ポルシェなりロールズなり(ハルの場合は後者)に乗って、すぐそこのスタジオにぶらっと出かければいいのです。車にはスティックすら積んでおく必要はありませんでした。

ヒューゴー・モンテネグロに話を戻します。ハル・ブレインやキャロル・ケイはヒューゴー・モンテネグロのセッションのレギュラーでした。彼の最大のヒット、The Good, the Bad and the Ugly(『続・夕陽のガンマン』のテーマ)を聴いて、あまりにもお馴染みのサウンドだったため、キャロル・ケイに、この曲は、ベースはあなた、ドラムはハル・ブレイン、ギターはビリー・ストレンジ、ハーモニカはトミー・モーガンではないか、とたずねたら、そうだと確答をもらいました。自分のプレイはともかく、他人のことまでは保証できないでしょうが、ほかのパーソネルも、わたしは自信をもっています。とくにハル・ブレインはぜったい確実、トミー・モーガンも確度十分、ビリー・ストレンジだけは、それほど明快な手がかりがあるわけではなく、「感触として」そう思うだけです。

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The Man from U.N.C.L.E.のパーソネルも、The Good, the Bad and the Uglyに近いだろうと感じます。しかし、こちらのほうはオーケストラのニュアンスが強く、アレンジがややねじれていて、どのパートもプレイしにくそうにしているのが感じられ、気持ちよく乗れません。面白いディテールはあるのですが、全体が明快さに欠けるため、それがまとまって爆発力を得るにはいたっていないのです。なにをしたいかはボンヤリと見えるのですが、眼高手低、隔靴掻痒、アレンジやり直し、でしょう。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
うーん、困ったなあ、ここから先は、なにか書くと、悪口雑言罵詈讒謗の連打になっちゃうぞ、最近、どこかの市長のことを、ありのままに馬鹿だと書いたら、名誉毀損で訴えられて、あろうことか、負けちゃったという雑誌があったばかりだからなあ、とためらっちゃいます。

馬鹿を馬鹿と呼べないような社会であってはいけないと思うのですがねえ。とくに公人は、馬鹿な振る舞いをしたら、馬鹿と呼ぶべきでしょう。馬鹿を利口などというと、いよいよ増長し、ろくなことをしなくなります。まあ、馬鹿な政治屋は、馬鹿といわれても、利口といわれても、どちらにしろ、ろくなことはしないのですが、でもやっぱり、馬鹿は馬鹿といってあげるのが親切であり、人間としてのたしなみでしょう。

わたしは心の底から親切な人間なので、ゴミを聴くと、たとえ手遅れでも、ゴミだよ、といってあげたくなっちゃうんですよねえ。いやまあ、The Man from U.N.C.L.E.のどのヴァージョンも、ゴミというほどのものはありません。ただ才気がなかったり、漫然とやっただけであったり、ただ便乗しただけであったり、まあ、そんなあたりです。ジャズ、ビッグバンド系統のThe Man from U.N.C.L.E.には、とくに聴くべきヴァージョンはないように思います。

アル・カイオラ盤は、うまくいく可能性もあったと思いますが、結果はアイディア不足というところです。ビリー・ストレンジ盤とヴェンチャーズ盤は、リード楽器のトーンそのものに工夫をし、フラッティッド・フィフスのある奇妙なメロディーの潜在性をうまく引き出していますが、カイオラはいつものカイオラのサウンドでやっていて、地味な仕上がりです。金管を中心にした管のアレンジも好みではありません。

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Al Caiola "Sounds for Spies and Private Eyes" 瞳のなかのドラマで勝負するという、LPならではのデザイン。CDサイズではなんのことかわからない。

そう思ってOSTを聴き直すと、注目していなかったのですが、こちらの管のほうが、魅力があります。ただし、純粋に盤として聴くと、中間でちょっとダレるのが難ですが。

世の中には奇特な人がいて、テレビから(というか、そのDVDから)音楽だけを拾った「ブートレグOST」なるものをつくり、配布していたので、聴いてみました。ところが、このテーマというのが、聴き覚えのないサウンドで、うちにあるOSTとは異なっているうえに、アーティスト名はジェリー・ゴールドスミスとなっています。

調べてみると、いつのものか知りませんが、新シリーズというのがあり(ソロ役はジョージ・クルーニーなので、かなり後年)、そのテーマと同じものでした。オリジナルのテーマより、アレンジが整理され、強調するべきものがちゃんと強調されていて、テーマについては、新シリーズのほうが出来がよいと感じます。とくに、管(弦も重ねているか?)によるカウンターメロディーが効果的ですし、ティンパニーの使用もうれしいおまけです。

◆ スピンノフ、パロディー、その他 ◆◆
人気シリーズともなると、スピンノフは生まれるは、パロディーのネタにされるは、屋台も出る大騒ぎになります。わたしは、エド・マクベインが長生きしたら、「でぶ刑事オリー」というシリーズが、87分署から枝分かれしただろうと思うのですが、残念ながら、そうはなりませんでした。シリーズ終盤は、オリーがつぎはなにをするか、という期待だけでページをめくっちゃったほどです。ピアノを習うと言い出したときは、まさか本気とは思わなかったのに、ちゃんとNight and Dayをマスターしたっていうのを読んで、大笑いしました。

えーと、ナポレオン・ソロの話でした。The Man from U.N.C.L.E.からスピンノフが生まれるとしたら、だれが考えてもThe Girl from U.N.C.L.E.です(安易!)。こちらのほうのテーマはテディー・ランダッツォー(辞書によると、ラーンダーツォーぐらいの発音になるらしいが)がやっています。これは純粋なOSTではないと思うのですが、ランダッツォーの名義でThe Girl from U.N.C.L.E.というアルバムが出ています。リズム・アレンジはボサノヴァで、男のほうとはだいぶおもむきがちがいます。テーマというより、どちらかというとエンディング・テーマに聞こえますが、なかなか悪くない曲です。

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ランダッツォー盤「アンクルから来た女」サントラには、男のほうのテーマも入っていますが、うーん、これはどんなものでしょう。リズム・アレンジは勘違いでは?

ヒューゴー・モンテネグロのアルバム、The Music from 'The Man from U.N.C.L.E.'はたぶん売れたのでしょう。続篇としてMore Music from 'The Man from U.N.C.L.E.'というのもリリースされました。盤の出来としては、わたしはこちらのほうがいいと感じます。たとえば、Run Spy Runなんて曲は、キャロル・ケイのシャキッとしたベースが生かされたいいサウンドです。

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The Man from T.H.R.U.S.H.というのは、タイトルしか見なかったので、ドラマに登場した「オフィシャルな」トラックなのか、それとも第三者のパロディーなのか、判断できませんが、ナポレオン・ソロが音楽界でも非常に人気があったことを示すひとつの証左になっています。

マルカム・ロキャ(Snowfallのときにこの人には一度言及した)のThe Man from Malibuは、パロディーになっていないと感じます。わたしがこのタイトルで曲をつくるとしたら、フラッティッド・フィフスのある、どことなくナポレオン・ソロ風のメロディーを、リヴァーブをきかせたギターで弾かせ、そこにオーケストラを重ね、ティンパニーを入れて、サーフ・ミュージックとラウンジ・ミュージックの合いの子のような曲にします。それくらいのことは、だれだって思いつくでしょうに!

まだ、便乗ものが相当数あるのですが、このへんで切り上げることにします。ナポレオン・ソロのテーマの、もっともよく知られたパロディーないしはスピンノフは、ほら、みなさんご存知の「あの曲」だと思うのですが、それはその曲を取り上げるときに書くことにします。それにしても、「あの」だの「あれ」だのといった、ウィットのかけらもない暗号名は改善しないといかんですなあ。

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by songsf4s | 2008-07-17 23:57 | 映画・TV音楽
The Man from U.N.C.L.E.(「ナポレオン・ソロ」のテーマ) その1 TV OST
タイトル
The Man from U.N.C.L.E.
アーティスト
unknown (TV OST)
ライター
Jerry Goldsmith
収録アルバム
N/A
リリース年
1965年
他のヴァージョン
Jerry Goldsmith, Billy Strange, the Ventures, Hugo Montenegro, the Challengers, Al Caiola, Si Zentner, The Reg Guest Syndicate, Dick Hyman
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暑さのせいか、お年のせいか、たぶん両方が重なって、ずっと機嫌が悪かったCRTが使用不能なほど不調になってしまい、液晶に切り替えるという騒ぎをやらかしました。いまどき、接続だのなんだのは不良品でないかぎり問題ないのですが、設定のほうは大問題です。

まず第一にガンマ調整をしなければならないのですが、ほかで忙しいので、とりあえず、それは棚上げにしました。しばらく、当家の写真の色調がおかしくなるかもしれませんが、ご容赦あれ。各アプリの設定を変更しないことには、ほとんどなにもできないので、ガンマどころではないのです。

CRTは1280×960だったのに、液晶は1024×798なのだから、これがどれほどのトラブルを惹起するか、想像を絶するというものです。さまざまなアプリが、起動したとたん、「ここはどこ、わたしはだれ?」になっていて、作業領域の右端が切れたり、ヘリにへばりついて表示されるはずが、幅1280の「仮想のへり」にへばりつくものだから、ボタンをクリックできず、ドラッグしなければならなかったり、えらい騒ぎです。

もっとも長時間使うテキスト・エディターとファイラーは、フォント設定を変更しないことには使いものにならない状態です。ファイラーは、各項目のカラム幅をファイン・チューニングしてあったので、すごく使いやすかったのが、問題外の表示になってしまいました。ドロップ式のアーカイヴァーを使っているので、アーカイヴァーのアイコンが見えるように、左端をすこし開けておきたいのですが、1024に縮小されたので、その分を稼ぎ出すために、各カラムからちびちびピクセルを拠出させなくてはなりません。

PCとの付き合いも四半世紀になり(最初のPCを買ったのは1981年、まだCPUが8ビットだった時代なので、じつはもうじき30年!)、もうアプリもOSもいっさい変化する必要はない、もはや変化は善ではなく悪だ、ソフトウェア会社と名の付くものを根絶しなければいけない、と最近は考えています。OSの変化なんて(とりわけ、それがろくでもないアプリのOSへの取り込みにすぎない馬鹿馬鹿しいものである場合)、世にこれほど迷惑なことはなく、全地球に多大な負担を強いるテロ同然の所業です(だから、当家のOSは依然としてWin2Kである。これで全然問題ない)。でも、ひとつだけ変化してほしいことがあります。

「起動したら周囲の雰囲気を読み、自分自身の状態を自分で変更しろ!」

◆ スパイの世界の旧派と新派 ◆◆
そういう騒動で今日は疲れてしまい、更新はなしかな、と思ったのですが、大物の発端篇だけ軽くやっておこうと思います。昨日は、「あれ」という、ずさんといえばあまりにずさんな暗号名で呼んでおいた、みなさま(の少なくとも一部は)お待ちかねの「ナポレオン・ソロ」のテーマです。

エミー賞のなんのと、そういったものの対象になるような番組ではありませんでしたが、子どもにとっては、「ナポレオン・ソロ」は、じつになんともエポック・メイキングなドラマでした。

この時点では、わたしはまだ見ていませんでしたが、すでにジェイムズ・ボンド・シリーズは大きな評判になっていました。なぜ見ていなかったかというと、『ゴールドフィンガー』の、金粉ショウみたいなあの半裸の女性のポスターに蹴られちゃったのです。どう考えても、親が許すはずがありません。いまどき、だれもそんなことは思わないでしょうが、ジェイムズ・ボンド・シリーズは、あの時点ではエロティシズムを売りものにしていると考えられていたのです。

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しかし、あの半裸の金粉美女がどの程度の「半裸」なのかは知らなくても、ボンドが乗りまわすあのアストン・マーティンDB5がどうなっているかは、映画なんか見なくても、当時の男の子はみな細部にいたるまで熟知していました。男の子のイマジネーションを捉えるもっとも「エロティックな存在」は、まさに、ああいうメカニカルで、ゴージャスなガジェットであることは、昔も変わりありません。

子どもだって美女が嫌いなわけではありませんが、小学生に、ラクェル・ウェルチとアストン・マーティンDB5のどっちがほしいといったら、99パーセントは、迷わず、あのチューンアップしたアストン・マーティンDB5とこたえたでしょう。その後、さまざまなボンド・カーがつくられましたが、デザインのエロティシズムという観点からいって、最初のアストン・マーティンDB5にまさるものはないと考えています。まあ、あの「まきびし」だけは、「隠密剣士」や「伊賀の影丸」みたいで、セコいと子ども心にも思いましたけれどね!

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小説の世界では、「外套と短剣」cloak and daggerの時代は完全に過去のものになっていました。すでにジョン・ルカレ(『寒い国から帰ってきたスパイ』)とレン・デイトン(『イプクレス・ファイル』『海底の麻薬』『ベルリンの葬送』『十億ドルの頭脳』など。デイトンのほうが好きだったので、タイトルがたくさん出てきてしまった。ルカレがよくなるのは『ドイツの小さな町』『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』あたりからだと考えている)の活躍がはじまっていたのです。

彼らが創始したモダーン・エスピオナージュとは、簡単にいえば、この世に見た目のとおりのものなどない、敵か味方か、という区分けは、固定されたものではなく、つねに流動する、という、当今では当然の世界観を前提とした、不可知の壁との戦いの物語です。早い話が、子どもにはひどく退屈なものでした。のちにデイトンの小説のどれか(『イプクレス・ファイル』?)を映画化した、マイケル・ケイン主演の『国際諜報局』というのを見ましたが、話はこんがらがっていてわからないし、エロティックな車は出てこないし、それどころか、豪快なドンパチも、カッコいいテーマ曲もなく、死ぬほど退屈しました。

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大人になってから、二重スパイもののファンになりますが、この時点では、わたしにとっては、そして、たぶんわたし以外の多くの人にとっても、スパイはカッコよくなくてはいけなかったのです。ブライアン・フリーマントルの『別れを告げに来た男』(エスピオナージュものとしては最高の作品だと思う。Say Goodbye to an Old Friendというタイトルもよかった)のチャーリー・マフィンが歓迎されるようになるには、もうすこし時代の成熟が必要でした。

ジェイムズ・ボンドの世界では、敵がだれかははっきりしています。ドクター・ノーやブロフェルド教授といった、明確な敵役がいるのです。あの時代には、Mの裏切りの可能性はゼロでした。逆に、プロフューモ事件後に姿をあらわすモダーン・エスピオナージュをもう一度定義し直せば、「Mが裏切る世界の物語」なのです(皮肉なことに、ディテクティヴ・ストーリーにおける「犯人」にあたる、裏切り者の正体は、はじめから予測できる世界でもあった。ほとんどつねに、主人公がもっとも信頼する重要な脇役が裏切り者であり、二重スパイなのである。ただし、レン・デイトンはさらに一歩進んで、スパイは本質的に二重スパイであり、二重スパイこそが諜報の世界のエリートであり、ダブル・クロスこそがインテリジェンスの本質であることを描いた)。

◆ スパイ・クレイズ・シクスティーズ ◆◆
ジェイムズ・ボンド・シリーズ、なかんずく『ゴールドフィンガー』が巻き起こしたセンセーションは、ディーン・マーティンの「マット・ヘルム」(「サイレンサー」)シリーズや、ジェイムズ・コバーンの「フリント・ストーン」シリーズをはじめ、無数の便乗映画を生みました。この一大ブームのテレビへの飛び火が「ナポレオン・ソロ」だったのです。

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プロフューモ事件を経験したイギリスとちがい、アメリカはまだ敵味方の区別は明確にできると信じていた時代ですし、そもそもテレビドラマなので、「ナポレオン・ソロ」は、プロフューモ事件以前の「旧派」のスパイ・ドラマでした(とはいえ、テレビドラマも馬鹿にならない。もっとも尖鋭的なスパイものは、映画ではなく、テレビの「プリズナー・ナンバー6」である。「秘密情報部員ジョン・ドレイク」の新装版だと思ってこのドラマを見はじめた中学生のわたしは、あまりのぶっ飛び方に腰を抜かした。敵がだれかわからないどころではない、自分がだれかもわからない世界の物語だったのである! ノヴェライゼーションのせいもあって、後年「プリズナー」はSFに分類されてしまうが、リアルタイムの視聴者として証言するなら、すくなくともスタートの時点ではスパイものなのだと信じていた。じっさい、つくる側も、そう思いこませることを出発点とし、それを梃子にして夢魔の世界を構築しようとしたのだと思う)。

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ナポレオン・ソロは、簡単にいえば、主人公を複数化し、美女に服を着せたジェイムズ・ボンド・シリーズでした。爆発的にヒットしたのは、人物配置がよかったことと、道楽で殺人課の刑事をやっているエイモス・バークとまったく同じように、道楽でスパイをやっているみたいな、ナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)とイリヤ・クリアキン(デイヴィッド・マッカラム、とは読まないだろうなあ)という、二人の主人公のお気楽ぶりと、それを反映した漫才会話のおかげでしょう。要するに刑事ものの亜種、予算がふんだんにあり、公務員服務規程に束縛されず、秘密兵器までもっている、かつてないほど自由な刑事コンビの物語だったのです。

記憶では、テレビ放送がはじまった1965年に、わたしは劇場版ナポレオン・ソロを3本ほど見ています。すぐに本編になるほど、それも短期間に何本もつくられるほど(最終的に8作撮られたという)、アメリカでも爆発的なヒットだったのでしょうし、テレビ放送とほぼ同時に本編が公開されるほど、日本でもブームになったにちがいありません。

◆ やっぱり-5 ◆◆
やっとテーマ音楽にたどりつきました。ドラマもエポックメイキングでしたが、まだ巨匠にはほど遠かった、若きジェリー・ゴールドスミスによるテーマ音楽も、あとになって、先進的なものだったことに気づきました。

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どういうメカニズムでそうなるのかよくわからないのですが、オーケストラでこのThe Man from U.N.C.L.E.をプレイすると、それほど異様なメロディーには聞こえないのに、ギターでやると、なんか、すごく変、と感じます。のちに(といっても、まだテレビの放送がつづいているときだったが)ヴェンチャーズ・ヴァージョンを聴いて、そう感じました。

どこが変かというと、フラッティッド・フィフス、5度のフラットのスケールを使っていることです。ヴァージョンによって多少メロディーを変えていますが、平均的なものを書くと、Cキーでは、冒頭は、low C-G-high C-G-F#-G-high C-Bb-high C-G-F#-Gというメロディーです。Cスケールでの5度の音はGです。そのフラットであるF#が使われているのがおわかりでしょう。コードでいうならC7-5なのですが、じっさいのプレイとしては、ただのC7になります。メロディーだけがフラットした5度を使うのです。

5度のフラットはビーバップの音です(もちろん、ボサノヴァの音、トム・ジョビンの音でもあるが)。そのへんのことをちゃんと調べたことはありませんが、ビーバップのプレイヤーがこの音を和音に取り込むまでは、ふつうは使用できない音とみなされていたのではないでしょうか。いや、もちろん、ビーバップ以後だって、不協和に響くのですが、このあたりは慣れの問題でもあって、この不協和なところが、かえって面白い響きに聞こえるということが、ビーバップを通じて広く(といっても、音楽界内部のことだが)認知されたのでしょう。

面白い響きではありますが、しかし、安定感に欠けます。もともと協和音ではないのだから、当たり前です。そして、この不安定なところが、スパイ・ミュージックにみごとにはまったのです。まだ若手にすぎなかったジェリー・ゴールドスミスは、音とムードの関係の本質を衝いて、The Man from U.N.C.L.E.のテーマを書いたのです。目のつけどころがすでに巨匠です。若いときからこれくらいのことができないと、やはり、その世界を代表する人物なんかにはなれないのでしょう。

この不協和で不安定なメロディーから、どのようなヴァージョンがつくられたかについては、明日以降に見ていくことにします。

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by songsf4s | 2008-07-16 23:50 | 映画・TV音楽