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Nobody Cares about the Railroads Anymore by Nilsson
タイトル
Nobody Cares about the Railroads Anymore
アーティスト
Nilsson
ライター
Harry Nilsson
収録アルバム
Harry
リリース年
1969年
他のヴァージョン
George Tipton
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もう六月もまもなくおしまいで、今月のMoons & Junes特集も、当初から予定していた曲はほぼ消化しました。積み残したと感じるのは、ハニムーンの歌ぐらいです。

しかし、積み残したにはそれだけの理由があって、つまるところ、どれも帯に短したすきに長しだったのです。ビートルズとメアリー・ホプキンがやっているThe Honeymoon Songは歌詞が退屈、テネシー・アーニー・フォードのThe Honeymoon's Overは、なかなか楽しい曲ですが、早口すぎて聴き取れない箇所多数、デビー・レイノルズのAba Daba Honeymoonも愉快な曲ですが、基本的には童謡だし、なによりも、音の面白さに依存する歌詞で、日本語に移しても意味がない、といった調子です。

最後に選択肢として残ったのは、ケニー・ヴァンスのHoneymoon in Cubaと、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreでした。ケニー・ヴァンスは、ほんとうに好きだといえるのはLookin' for an Echoだけ、でも、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreは子どものころからシングアロングしてきた歌なので、迷いなくニルソンということにしました。

◆ 東京と熱海の関係 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

When we got married back in 1944
We'd board that silver liner below Baltimore
Trip to Virginia on a sunny honeymoon
Nobody cares about the railroads anymore

「ぼくらは1944年に結婚し、あの銀色に輝く列車に乗ってボルティモアから南下したものだ、ヴァージニアへの快晴のハネムーンだったなあ、でも、いまではだれも鉄道のことなんか気にしちゃいない」

この曲が書かれたのが60年代終わりなので、このヴァースは四半世紀前の新婚旅行について語っていることになります。ボルティモアのあるメリーランド州とヴァージニア州は隣接していて、メリーランドが北、ヴァージニアが南という位置関係になります。

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ニルソンは特定の車輌と、特定の土地を念頭においてこの曲を書いたのだろうと思います。that silver linerだというのだから、新鋭車輌だったのでしょう。残念ながら、路線のアイデンティファイすらできず、したがって、どこを目指して列車に乗ったのかもわかりませんでした。風光明媚な海岸の保養地などというのが適当と思われるので(いまどき熱海のことを考えているのかよ、という声が聞こえる)、あるいはヴァージニア・ビーチが目的地だったのかもしれません。

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セカンド・ヴァース。

We'd tip that porter for a place of our own
Then send a postcard to your Mom and Dad back home
Did somethin' to ya when you'd hear that "All aboard"
Nobody cares about the railroads anymore

「あの赤帽にチップをやって、二人だけになれる席を見つけてもらったね、それから故郷のきみの両親に葉書を送った、あの『ご乗車願います!』の声にはおどろいたじゃないか、でも、いまではだれも鉄道のことなんか気にしちゃいない」

ここは、夫婦の片方がもういっぽうに語りかけているのでしょう。ニルソンは男だから、まあ、ふつうは夫が糟糠の妻に語りかけているシーンを思い浮かべるでしょう。

二人だけの場所、というのだから、当然ながら、コンパートメントになった列車だということになります。まあ、新婚旅行だし、大陸横断をするわけではないにしても、それなりの長旅なので、相応の設備のある列車なのでしょう。

Did somethin' to yaのところは、ひょっとしたら、「感動しなかったかい?」といっているのかもしれません。いずれにしても、大きく感情が動くことを指していると考えられます。

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最後のヴァース。

We had a daughter and you oughta' see her now
She has a boy friend who looks just like "My Gal Sal"
And when they're married they won't need us anymore
They'll board on an aeroplane and fly away from Baltimore

「わたしら夫婦には娘が生まれた、あんたらにぜひ見せたいような娘さ、彼女には『マイ・ギャル・サル』にそっくりの顔をしたボーイフレンドがいる、二人が結婚したら、もうわたしら夫婦は用なしさ、あの子たちは飛行機に乗ってボルティモアから飛び去るだろう」

daughterとoughtaの韻はなかなか印象的。『マイ・ギャル・サル』がなにを指しているか、正確なところはわかりませんが、たぶん、1942年の映画My Gal Salのことではないでしょうか。しかし、ここでいう「サル」は、リタ・ヘイワースの役名であるサリーのことです。ということは、男なのに、リタ・ヘイワースそっくりの顔をしているという意味なのか、あるいは、ヘイワースの相手役だったヴィクター・マチュアのことをいっているのか、判断しにくいところです。いずれにしても、優男を思い浮かべておけばいいのだろうと思います。

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リタ・ヘイワースとヴィクター・マチュア

◆ グッドフィーリンの担い手たち ◆◆
Nobody Cares about the Railroads Anymoreを収録したアルバム、Harryは充実した盤で、Nilsson Sings NewmanやA Little Touch of Scmilsson in the Night(このアルバムからの曲としては、昨秋、Lullaby in Ragtimeを取り上げたし、つい先日もMakin' Whoopeeを取り上げたばかり)と並んで、昔はよくターンテーブルに載せました。とりわけHarryはよく聴いたのか、ジャケットはみごとに壊れています。

このアルバム全体がそうですが、とくにNobody Cares about the Railroads Anymoreは、リラックスしたいいグルーヴで、だれのプレイかものすごく気になります。しかし、国内盤は、かつてのLPも、十数年前に出た最初のCD化でも、クレジットがなくて、だれだかわかりません。ドラムはジム・ゴードンかジム・ケルトナーというところまで可能性を絞り込めましたが、ベースのスタイルは聴き覚えがなく、候補をあげることもできません。かなりうまい人なので、ものすごく気になります。

クレジットがないのではしかたないと思ったのですが、念のために、しばしば調べものでお世話になっている、もっとも充実したニルソン・サイト「Harry Nilsson Web Page」をみてみたところ、ちゃんとパーソネルが書いてありました。国内盤のリリース元が、つねに失礼なリリースの仕方をしていただけだったのです。わたしのように、国内盤しかお持ちでない方のために、クレジットを以下にコピーしておきます。

Bass……Larry Knechtel
Drums……Jim Gordon
Flute……Jim Horn
Guitar……David Cohen
Guitar……Howard Roberts
Piano……Michael Wofford
Piano……Michael Melvoin
Saxophone……Tom Scott

Harry Nilsson……Producer
George Tipton……Arranger

ドラムがジム・ゴードンというのは、そうだろうそうだろう、そうにちがいない、てなもんですが(ゴードンかケルトナーかわかっていなかったくせに、といわれそうだが、これがブログなんかではなく、丁半バクチなら、ジム・ゴードンに張っていた)、ベースがラリー・ネクテルというのは、おっと、でした。

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◆ キャロル・ケイのラリー・ネクテル評 ◆◆
ラリー・ネクテルは、サイモン&ガーファンクルのBridge Over Troubled Waterでピアノを弾いたことで有名なので(わたし自身も、あのアルバムのクレジットで彼の名を記憶した)、ピアニストないしはキーボード・プレイヤーの印象が強いのですが、ベースの仕事もかなりあります。彼のフェンダーベースのプレイでもっとも有名な曲は、バーズのMr. Tambourine Manでしょう。

しかし、60年代中期以降のハリウッドのフェンダーベースといえば、キャロル・ケイとジョー・オズボーンの活躍が圧倒的で、ラリー・ネクテルは鍵盤ができたせいもあって、そちらで活躍するようになります。

キャロル・ケイという人は、プロだから当然でしょうが、プレイの善し悪しについては、妥協のない物言いをします。ちょうど十年ほど前、彼女とさまざまなプレイヤーについて話し合ったときに、たまたまラリー・ネクテルに話がおよびました。そのときの彼女の評価は忘れがたいものです。

「ラリーはピアニストとはいえない。彼のピアノ・プレイは、ドン・ランディーなどのクラスにはとうていおよぶものではない。わたしは、むしろ、彼の才能はフェンダーベースのほうにあったと思う」

あのときは、わたしのほうのテイストが幼かったので、彼女の真意を理解したとはいいかねます。彼女はジャズ・プレイヤーなので、ラリー・ネクテルにかぎらず、ロックンロール系ないしはカントリー系出身のプレイヤーに対する評価は、かなり辛いものばかりです。

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左からドン・ランディー、ハル・ブレイン、デニー・テデスコ(トミー・テデスコの息子)。デニーが製作したレッキング・クルーのドキュメンタリー映画のプロモーションで、最近はかつてのクルーたちがしばしばインタヴューを受けている。

ドン・ランディーはピアノ・トリオでやっていけた人ですが、ラリー・ネクテルはロックンロール・バンドのキーボード・プレイヤー、正規の訓練を受けた一流のピアニストではない、といわれれば、まあ、たしかにそのとおりです。月日がたつにつれて、そして、意識してラリー・ネクテルのピアノを聴いていくうちに、なるほど、ピアニストではなく、「キーボード・プレイヤー」なのだとわかってきました。

そして、バーズのMr. Tambourine Manセッションをテイク1からたどったブートを聴いて、キャロル・ケイがフェンダーベース・プレイヤーとしてのラリーを褒めていたことを思いだしました。たしかに、いいプレイなのです。

Nobody Cares about the Railroads Anymoreを聴いて、キャロル・ケイでもなければ、ジョー・オズボーンでもない、となると、あとはだれだ、チャック・バーグホーファーか、ボブ・ウェストか、はたまた、もっと若い世代か、と悩んでしまいましたが、ラリー・ネクテルといわれば、なるほどそうか、そいつは盲点だった、です。60年代終わりになると、キーボードの仕事が圧倒的に多く、ラリーのフェンダーベースの仕事はほとんどないと思われるのですが、数少ないサンプルが見つかって、得をしたような気になりました。

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フェンダーベースをプレイするラリー・ネクテル。むこうに見えるドラマーはハル・ブレイン。ハルの楽器はすでにオクトプラス・セットになっているので、この写真が撮られたのは1968年以降ということになる。ということは、こちらが認識している以上に、ラリーのフェンダーベースの仕事は多かったのかもしれない。

そういってはなんですが、キャロル・ケイのラリー・ネクテル評は、いまでは、きわめてフェアなものだったと考えています。まあ、そこまではっきり断定しなくてもいいじゃないですか、といいたくなりますが、それはアマチュアの考え方なのでしょう。

ビリー・ストレンジ御大も、やはり、評価をうやむやにはしませんでした。アール・パーマーも好きだ、というわたしに対して、「アールもいいが、彼は二番だ。ナンバーワンはハル・ブレイン、それにベースのナンバーワンはキャロル・ケイ」とはっきりいっていました。ティファナ・ブラスのセッションで知られるオリー・ミッチェルにいたっては、「世界一のトランペッター」と最大級の賛辞を贈っています。

◆ ノスタルジックな木管のアンサンブル ◆◆
LPで聴いていたときも、国内盤CDで聴いても、とくにどうとも感じなかったのに、米盤のベストCDでNobody Cares about the Railroads Anymoreを聴き、おや、と思ったことがあります。

この曲では、右チャンネルに管のアンサンブルが配されています。たぶん複数のサックスの上に複数のクラリネットを載せたものでしょう。国内盤ではなんとも思わなかったのですが、米盤では、この木管のアンサンブルの響きがすごくいいのです。

クラリネットのクレジットがないので、同じ木管であるサックスのトム・スコットとフルートのジム・ホーンが、二人でオーヴァーダブを繰り返したのかもしれません(しかし、Nobody Cares about the Railroads Anymoreにはフィドルも入っているのだが、そのクレジットはまったくないので、ソリスト以外の管と弦のプレイヤーはクレジットされなかっただけかもしれない)。

この曲のグッドフィーリンの最大の源泉は、ニルソンのふわっとしたヴォーカルと、ジム・ゴードンとラリー・ネクテルが生みだすリラックスしたグルーヴですが、米盤を聴くと、右チャンネルの木管のアンサンブルも、大きな貢献をしていることがわかります。かつてのLPのミックスに近いのは、古い国内盤CDですが、そういうことを抜きにして、絶対評価を与えるなら、米盤CDのミックスがいちばん楽しめます。

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by songsf4s | 2008-06-29 23:56 | Moons & Junes
Deep Purple その3 by Screamin' Jay Hawkins
タイトル
Deep Purple
アーティスト
Screamin' Jay Hawkins
ライター
Mitchell Parish, Peter De Rose
収録アルバム
At Home with Screamin' Jay Hawkins
リリース年
1958年
他のヴァージョン
Nino Tempo & April Stevens, Billy Strange, the Ventures, Santo & Johnny, the Shadows, Bea Wain, the Hi-Lo's, Andre Kostelanetz, the Hi-Lo's, Norrie Paramor, Percy Faith, Mantovani & His Orchestra, the Beach Boys, the King Sisters, the Singers Unlimited, Earl Grant
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昨日は眠くて眠くて、途中でなにを書いているのかわからなくなったのですが、案の定、あとからチョンボに気づきました。昨日のDeep Purple その2 by the Shadowsでご紹介したビリー・ストレンジ盤Deep Purpleは、右のリンクからいけるAdd More Musicの「Rare Inst. LPs」ページで、MP3ファイルをダウンロードできます。No.11がアルバムMr. Guitarです。

さて、ほんとうに好きなDeep Purpleのヴァージョンは、一昨日昨日に分けて取り上げた、ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ、シャドウズ、ビリー・ストレンジの3種で、それ以外には、とくにこだわりのあるヴァージョンはありません。今日は落ち穂拾いです。

◆ 怪奇シンガーのストレート・ヴァージョン ◆◆
今日の看板には、ほかに適当なものもなく、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズを立てました。

スクリーミン・ジェイ・ホーキンズというと、わたしはどうしてもConstipation Blues、すなわち「便秘のブルース」の馬鹿馬鹿しさを思いだしてしまいます。関東だけの番組だったのかもしれませんが、昔、福田一郎が国内未リリースの新着盤ばかりをかける番組があって(日本の局で最初に、ゼップのGood Times Bad Timesを、ヤードバーズの連中がつくった新しいバンドのデビュー作として紹介した。つまり、放送していたのは1968年ごろということ)、そこで紹介されていました。これまた一聴三嘆、というか一聴爆笑、忘れがたい曲です。

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Screamin' Jay Hawkins "Frenzy"

この曲には、前付けのヴァースならぬ、シンガー自身による紹介があります。「たいていの人は、愛や失恋や孤独についての歌を覚えているものだ。しかし、真の苦痛に関する歌を録音した人間はこれまでにいない」とかなんとか、しょーもないことをいってから、おもむろに苦痛にのたうつブルーズをうたう、という趣向です。なかなか役者なんですねえ、これが。

ホーキンズはいつもそんなひょうきんな歌ばかりうたっているかというと、そうでもあり、そうでもなし、というところでしょうか。カヴァー写真を見ていただければおわかりになるでしょうが、主として怪奇ものをうたっています。恐怖と笑いは隣接した情動なので、怪奇ものというのはたいていがコメディーでもあるのです。

では、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのDeep Purpleはどうかというと、彼のつもりとしては、たぶん、シャレだったのでしょう。その意味で、一昨日の歌詞のところでくどくど書いたように、落語の「反魂香」につながるヴァージョンです。

いや、べつに怪奇ものらしい味つけをしているわけではありません。ふつうに、クラブ・シンガーのように(というほど愚直に正直正太夫をしているわけでもないが)うたっています。しかし、聴くほうは、ホーキンズがどういうシンガーであるかという先入観をもっているので、ここではコンテクストが逆転し、ホーキンズがまともな歌をまともにうたうと、なんだか奇妙に聞こえるのです。

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歌詞のところで、この曲は反魂香だなんていったときは、シャレと受け取られたかもしれませんが、冗談でもなんでもなく、死者の魂を呼び出す、霊降ろし、魂寄せの歌だと思います。ということは、本来なら、昨秋のEvil Moonの歌特集で取り上げるべきだったのかもしれません。まあ、いろいろミスはあるものです。

◆ ヴェンチャーズとサント&ジョニー ◆◆
ヴェンチャーズ盤は、In The Vaults Vol.2という初期アウトテイク集に収録されているものです。この盤のライナーでは、めずらしくも、セッション・プレイヤーの関与に言及されているのですが、これがじつになんとも奇怪な記述の連続で、わたしは、ヴェンチャーズはスタジオにはいなかったという説を、部分的に認めることによって、肝心の部分を誤魔化すための、ヴェンチャーズ・マニアによる悪質なプロパガンダではないかと考えています。簡単にいえば、なにを世迷い言いってるんだ、このタワケが、というライナーです。

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The Ventures in the Vaults Vol.2

よって、ライナーは無視して書くと、Deep Purpleも、例によって、いつものメンバーで録音されたと思われます。すなわち、ギターがビリー・ストレンジとキャロル・ケイ、ベースがレイ・ポールマン、ドラムがハル・ブレインです。これがデビューから1963年ごろまでの、スタジオにおける「ヴェンチャーズ」の中核メンバーです。

リードがビリー・ストレンジなのだから、どういうプレイかは説明の要もないでしょう。昨日も書いたように、ヴェンチャーズ名義のDeep Purpleでも、ビリー・ザ・ボスは「球もちのよい」プレイをしています。キャロル・ケイのプレイと考えられるリズム・ギターが、ちょっと妙な動きをするところも、ヴェンチャーズ盤Deep Purpleのお楽しみのひとつです。

f0147840_23515497.jpgギターものとしてはもうひとつ、サント&ジョニー盤があります。彼らの代表曲であるSleepwalkもマイナー・コードの使い方に特徴のある奇妙な構造の曲で、わたしはこの曲とDeep Purpleのあいだに、いくぶんかの近縁性を感じます。サント&ジョニーに似つかわしい曲調といえるでしょう。ただ、プレイとしてはわりにストレートかつノーマルで、とくに見せ場はありません。オーケストラのオーヴァーダブを必要とした、それが理由でしょう。オーケストラのおかげで、ちょっと魅力的なヴァージョンになったと感じます。

ギターものではないのですが、コンボによるインストということでは、あとはアール・グラント盤があります。グラントは、ここではオルガンとピアノの両方をプレイしているようです。べつに悪いところはどこにもありませんが、どこからどう見てもたんなるラウンジ・ミュージック、というより、昔の言葉で「ムード・ミュージック」といったほうがより正確にこのヴァージョンのありようを表せるように感じます。

◆ オーケストラもの ◆◆
f0147840_23555599.jpg曲調からいって当然だと思うのですが、オーケストラものもかなりあります。最近聴くようになったので、まだ飽きていないだけかもしれませんが、オーケストラものDeep Purpleのなかでは、アンドレ・コステラネッツがもっともいいと感じます。

コステラネッツは、系統としては、ゴードン・ジェンキンズと同じように、アイディアが豊富で、それをどんどん放り込んで、変化に富んだアレンジをするタイプです。ジェンキンズほどすごいとは思いませんが、なかなかカラフルなアレンジで、なおかつ、それが良くも悪くも行きすぎにならず、ほどよくまとめているので、つねにリラックスして聴けます。

f0147840_23581299.jpgその正反対の場所に位置するのがアルチューロ・マントヴァーニでしょう。マントヴァーニのアレンジは、ダイナミック・レンジが広いというか、基本的には、どこかでドーンとおどかすことを前提にしているので(その意味でワーグナー的といえる)、それを引き立たせるために、他のパートはゆるやかなアレンジになっています。

昨日、Deep Purpleは半音進行が特徴だと書きましたが、半音進行といえば、元祖(かどうかは知らないが!)はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でしょう。マントヴァーニのアレンジにはワーグナーを感じるので、いっそ、現代版「トリスタンとイゾルデ」にするつもりで、ドカーンとやって、オーケストラによる半音進行のエロティックな味わいを前面に押し立てればよかったのに、と思いますが、残念ながらそこまで徹底したものではなく、一カ所でドカーンとストリングスとティンパニーをぶちかましているだけです。

結局、こういう曲をオーケストラでやるとなると、ストリングスの扱いが勝負になると思います。1959年のパーシー・フェイス盤も、前半はそういうアレンジで、なかなかいい弦だと感じます。中間での、左右にひとりずつ、ふたりのヴァイオリニストがちらっと活躍するところもけっこうです。しかし、このあたりから活躍しだすピアノがどうも気に入らなくて、満足とはいきません。

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ノリー・パラマー盤は、ストリング・アレンジと全体のサウンドという意味ではいちばんいい出来かもしれません。これはステレオになっているのですが(しかも、なかなかすばらしい音像)、録音デイトがわかりません。1956年リリースとしているところがありましたが、56年にはまだステレオ盤の商用化ははじまっていないでしょう。56年リリースが正しいとすると、これは後年のリプロセスト・ステレオということになりますが、そうは聞こえないほど、いい音像です。

ジャッキー・“ミネソタ・ファッツ”・グリーソン盤は、これでもか、という徹底したラウンジ・ミュージック・アレンジで、そういうものが嫌いでなければ楽しめます。クリシェに頼っていうなら、典型的な「ソフト&メロウ」なのですが、そこはハリウッド、なかなかどうして、しっかりしたプレイをし、しっかりした録音をしているので、ちょっとやそっとの年月では腐らないようにできています。Blue Velvetとのメドレーになっていますが、スムーズにつないでいます。いわれてみると、Blue VelvetもDeep Purpleにいくぶんかの近縁性があるようです。

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Jackie Gleason "The Romantic Moods" このキャピトルの2枚組エキゾティカ/ラウンジ・ベスト盤シリーズは、ほかにマーティン・デニーやレス・バクスターのものなどが出ていて、どれもギョッとするようなカヴァー・デザインだが、ジャッキー・グリーソンのものがいちばんすごいような気がする。

◆ 謎のヴァージョン ◆◆
f0147840_019112.jpgウェブで1939年のビー・ウェイン盤と称するものを聴きましたが、おかしなことに、ビー・ウェインはシンガーであるにもかかわらず、これはインスト盤でした。調べてみると、ビー・ウェインは1930年代終わりには、ラリー・クリントン&ヒズ・オーケストラの専属シンガーだったそうです。

f0147840_0112510.jpgそして、またべつの方向から、ラリー・クリントンとDeep Purpleの結びつきを調べると、1939年にラリー・クリントン盤Deep Purpleがチャートトッパーになったという記述が見つかり、どうやら、ビー・ウェイン盤Deep Purpleと称するファイルは、じつはラリー・クリントン盤らしいという結論になりました。ただし、ラリー・クリントン盤Deep Purpleといっても複数あり、そのなかにはヴォーカル入りのものがあって、ヒットしたのはこちらで、わたしが聴いたものは、べつのヴァージョンだったのかもしれません。

じっさいに音を聴くと、これがナンバーワンになるかなあ、という出来です。たいていの人が、ガーシュウィンのRhapsody in Blueを連想するのじゃないでしょうか。ピアノを中心としたシンフォニックなアレンジなのです。悪くはないものの、チャートトッパーになるほどの一般性があるとは思えません。妙な謎が残ってしまったものです。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
スタンダード系女性シンガーのものは、鬱の「原因菌」になるので、ジュリー・ロンドンなど一握りをのぞいて、先日、大部分を外付けHDDに追い出し、検索からはずしましたが、コーラス・グループのフォルダーはまだ検索対象にしています。

f0147840_0125712.jpg大の贔屓であるキング・シスターズをはじめ、シンガーズ・アンリミティッド、そして、ハイロウズという3種があります。キング・シスターズ盤はがっかりするようなつまらない出来、シンガーズ・アンリミティッドもどうということなし。唯一、ハイロウズ盤がかなりいけます。いや、ハーモニーがいいというより、ストリング・アレンジが好みだというだけなのですが。アレンジとコンダクトはフランク・カムストック。

f0147840_0152059.jpgダニー&マリー・オズモンドは正真正銘の盗品。ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ盤のアレンジをそのままコピーしただけのものです。こういう「カヴァー」とは名ばかり、ただの頂き物が跡を絶たないのは、じつにもってけしからんというか、嘆かわしいというか、言葉を失います。法律に触れなければなにをしてもいいというものではないでしょう。

ビーチボーイズのLandlockedというブートにもDeep Purpleが入っています。盤にはビーチボーイズと書いてありますが、じっさいには、オーケストラをバックにしたブライアン・ウィルソンのソロです。わたしはビーチボーイズ・フリークではないので、このへんのお蔵入りしたトラックに関する知識がないのですが、70年代後半以降の、声が死んでからのブライアンであることははっきりわかります。残念ながら、とくに聴くべきところはないと感じます。

あまり好みでない女性シンガーのファイルは根絶したつもりだったのですが、メイナード・ファーガソンとの共演盤だったために、ジャズのフォルダーにおいてあり、ジェノサイドを生き延びたダイアン・シューアのヴァージョンがあります。まあ、お笑いじみたところがあるので、ちょっと聴いてみました。

できそこないのオペラ歌手とイマ・スマック(まあ、あの超絶悶絶唱法をご存知ない方にはわからないだろうが、テレミンと人間のあいだに生まれた合いの子を想像してもらえれば、それほど遠くないだろう)を掛け合わせたみたいな、じつになんとも奇っ怪な歌い方で、笑えるといえば笑えるし、笑いがこわばるといえばこわばります。怪奇音楽というなら、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズより、ダイアン・シューアのほうが上かもしれません。

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The Beach Boys "Landlocked" (boot)

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by songsf4s | 2008-06-28 23:56 | Moons & Junes
Deep Purple その2 by the Shadows
タイトル
Deep Purple
アーティスト
The Shadows
ライター
Mitchell Parish, Peter De Rose
収録アルバム
The Sound of the Shadows
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Nino Tempo & April Stevens, Billy Strange, the Ventures, Santo & Johnny, Screaming Jay Hawkins, Bea Wain
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◆ 半、半、半、半、半音進行! ◆◆
忘れないうちに書いておきますが、昨日、Deep Purpleのような構造の曲はほかにはないだろうといってしまいました。しかし、シャドウズを聴いているうちに、ひとつだけほかにも例があることを思いだしました。ディミトリー・ティオムキンのThe High and the Mighty、すなわち「紅の翼」のテーマです。ティオムキンのほうがずっと複雑ですが、大胆さにおいてDeep Purpleと近縁関係にあると感じます。

どこが大胆かというと、「てめえなんざあ昨日の天ぷらだ」という、「上げっぱなし」「下げっぱなし」の利用です。The High and the Mightyは、上下両方を使っていますが、Deep Purpleは「下げっぱなし」、それも、半音ずつズルズルと下げっぱなしにするという、とんでもないシークェンスがあるのです。

f0147840_23565819.jpg今日はDeep Purpleの話なので、The High and the Mightyのことはとりあえず棚上げにします。で、Deep Purpleの「In the mist of a memory」のラインのメロディーは、ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ盤の場合、F(low)-G-F(high)-E-Eb-D-Db-Bbとなっています。FからDbまで半音で下げてくるこのシークェンスが、強い印象を残し、一聴三嘆、脳裏を去らずとなるわけです。

しかし、この程度で驚いていると、シャドウズ・ヴァージョンは心停止ものです。同じシークェンスをハンク・マーヴィンがどう弾いているかというと、キーが異なるのですが、転調の手間を省いてそのまま書くと、C(low)-D-C(high)-B-Bb-A-Ab-Gと弾いているのです。

これだけでも冗談みたいですが、この直後も、G-F#-F-E-Eb-Dと、やはり、ただ半音ずつ下げていくだけなのです。さらにこの直後も、D-Db-Cとやっています。なんのことはない、1オクターヴのあいだにある音をまったく省略せず、すべての音をたどって半音ずつ下がってきただけなのです。

このようにやっているのは、うちにあるDeep Purpleのなかでは、シャドウズ・ヴァージョンだけです。おそらく、ハンク・マーヴィンのアイディアでしょう。どうせ半音進行なら、徹底的にやってみよう、てえんで、高いCから低いCに下げていってみたら、なんと、コードと矛盾しなかった、ラッキー、てなものではないでしょうか。

◆ ふたたびニーノ&エイプリル ◆◆
話の都合で、ニーノ&エイプリル盤とシャドウズ盤が入れ込みになってしまいましたが、Deep Purpleに関しては、わたしはこの2種がいちばん好きで、両方ともよく聴きましたし、シャドウズ盤は何度もプレイ・アロングしました。

f0147840_23594839.jpgニーノもエイプリルも、ピッチのいいほうではありません。そういうデュオが、こういう半音進行のある曲をうたうと、なかなかもって、妙なぐあいになります。でも、ピッチの善し悪しというのは、コンテクストしだいのところがあって、この曲の場合は、二人のピッチの不正確さが、かえってフックになり、チャート・トッパーになるひとつの原動力となったと感じます。

ニーノの回想によれば、この曲はセッションの最後に、その場の思いつきでやったのだそうです。まあ、こういう手柄話というのは、尾鰭とまではいわないまでも、多少は色がついていたりするものです。最後の15分で録音したというのは、そのまま受け取るわけにはいきません。でも、たいした手間をかけていない、ほんの1、2テイクでやったというのなら、そうだろうと感じます。非常にシンプルだけど、グッドフィーリンのあるトラックになっています。ドラムはアール・パーマーで、活躍はしませんが、リラックスしたグルーヴをつくっています。

わたしの耳を捉えたのは、半音進行の箇所、in the mist of a memory, you wonder back to meの、尋常ならざる響きでしたが、ニーノの特徴ある鼻にかかった声と、そういってはなんですが、ピッチの悪さも寄与した、不思議な浮遊感があります。ナンバーワンになったのも、わたしと同じように感じたリスナーが大勢いたからでしょう。

◆ インスト・バンドの工夫 ◆◆
シャドウズ盤Deep Purpleが収録されたThe Sound of the Shadowsは、Dance with the Shadowsと並ぶ、彼らの代表作といっていいでしょう(たまたま、両方ともフェンダーではなく、バーンズを使っていた時代の録音)。Deep Purpleのほかにも、かのBossa Rooが入っていますし、Santa AnaやWindjammer、そして、Brazilなどもよくプレイ・アロングしました。

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ハンク・マーヴィンとバーンズ

シャドウズというか、ハンク・マーヴィンのプレイには、ひとつの型があります。よくやるアレンジ・スタイルは、低音弦ではじめて、つぎのヴァースはオクターヴ上げ、最後は元のキーに戻る、というものです。

Deep Purpleは、このパターンのヴァリアントになっています。4ヴァースやるのですが、まず最初は恒例によって低音弦でやります。そして、上述のように、ストレートに上のCから5弦のCまで半音ずつ降下します。

つぎのヴァースも低音弦でのスタートは変わりません。しかし、途中はパターンを変えています。上のCから降下してきてきたラインを途中で遮り、オクターヴ上げてからまた降下させているのです。曲の構造から導きだされたアイディアでしょうが、さすがはハンク・マーヴィン、と唸っちゃいます。こういうインスピレーションをもっていないと、インスト・バンドのギタリストを長年つづけることはできません。

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1967年のシャドウズ。全員がバーンズだった。日本に来たのもこの年だったが、やはりバーンズを使っていた。アコースティックはたしか、6弦も12弦もギブソン・ハミングバード。

つぎのヴァースへ移行する直前に、全音転調をします。インスト・バンドにとって、転調は変化をつけるための必須の道具です。しかし、ここでは、「オクターヴ上げて高音弦に移動」というパターンと、転調というふたつのパターンを重ねて使うことで、さらにこのチェンジ・オヴ・ペース感覚を強めています。プレイ・アロングするほうとしても、運指が大きく異なるので、最初のヴァースで記憶した指の動きは、ここでチャラにしなくてはなりません。このあたりが、プレイ・アロングしていて楽しいところです。シャドウズの曲に共通する楽しさです。

このサード・ヴァースのプレイは、またファーストと同じパターンに戻り、ストレートに1オクターヴの階段を、半音ずつ一段一段降下していきます。たんに、ファースト・ヴァースより1オクターヴと1音分高いところで弾くだけです。ただし、こんどは主として12フレットに人差し指をおいてのプレイなので、運指パターンはまったく異なりますが。

最後のヴァースは、サード・ヴァースより1オクターヴ下で弾きます。ただし、こんどはストレートな降下は使わず、セカンド・ヴァースと同じように、降下を途中で打ち切って、いったんオクターヴ上げてから、また再降下するというパターンです。

というようにして、メロディーが変わるわけではないのに、4つのヴァースすべてが異なる、変化に富んだプレイになっているのです。インスト・バンドのチェンジアップ手法にはさまざまなパターンがありますが、そういうことをだれかが学校で教えるなら、教科書にぜひとも採用するべき曲が、シャドウズのDeep Purpleです。

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Dance with the Shadows これまたThe Sounds of the Shadows同様、プレイ・アロングして楽しいアルバムで、やはりバーンズ独特の中音域の響きを楽しむこともできる。

◆ ビリー・ストレンジ盤 ◆◆
アルバムMr. Guitarに収録されたビリー・ストレンジ・ヴァージョンもなかなか楽しい出来です。これまたビリー御大の代表作といえるアルバムで、ほかにも楽しい曲が入っているのですが、まあ、それはべつの話。

ビリー・ストレンジのアルバムには、しばしば管が使われ、「ビッグバンド・ギターインスト」とでもいいたくなるようなアレンジが施されているのですが、Deep Purpleはコンボによるものです。ドラム(ハル・ブレイン。きれいなサイドスティックをやっている)、アップライト・ベース、アコースティックとエレクトリックのリズム・ギター、ピアノ、そして御大のフェンダーによるリードというシンプルな編成です。

f0147840_017434.jpgドラム、ベース、アコースティック・リズムのつくりだすグルーヴが軽快でグッド・フィーリンがあるのが、ビリー・ストレンジ盤Deep Purpleのなによりの美点といえます。アップライト・ベースを使ったことがみごとにはまったと感じます。

御大のプレイがまたすばらしいのです。いや、高速ランなどまったく登場しません。その正反対といっていいでしょう。いかに「きれいに遅く」弾くかの勝負なのです。細部での遅らせ方、日本的にいえば「間の取り方」でどれほど豊かなニュアンスを生むか、なのです。

ビリー・ストレンジより速く弾けるプレイヤーは、多士済々のハリウッド・ギタリスト陣には、トミー・テデスコを筆頭に、いくらでもいました。しかし、タイミングのコントロールによって、音に豊かな表情をもたせることにかけては、ビリー・ザ・ボスの右に出るプレイヤーはいませんでした。わたしは、シャドウズ盤のみならず、ビリー・ストレンジ盤も何度もプレイ・アロングしていますが、どうしても待ちきれず、打者でいえば躰が「泳いだ」状態になり、ボスの「球もちのよさ」を何度も痛感させられました。

残りのヴァージョンは明日以降に。
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by songsf4s | 2008-06-28 00:06 | Moons & Junes
Deep Purple その1 by Nino Tempo & April Stevens
タイトル
Deep Purple
アーティスト
Nino Tempo & April Stevens
ライター
Mitchell Parish, Peter De Rose
収録アルバム
The Best of Nino Tempo & April Stevens
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Billy Strange, the Ventures, the Shadows, Santo & Johnny, Screaming Jay Hawkins, Bea Wain, Andre Kosotelanetz, the Three Suns
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本日は、この特集で取り上げる予定だった大物のなかで、最後に残った一曲です。スタンダード系、ジャズ系のヴァージョンも相当数あるのですが、スロウで気分が暗くなるので、オミットすることにしました。今回は、ロックンロール・エラに誕生した、旧時代とは絶縁した各種のDeep Purpleを中心にみていくことにします。

◆ 現代版「反魂香」 ◆◆
古い曲なので、歌詞にはヴァリエイションがありますが、当然、ここではニーノ&エイプリルのヴァージョンにしたがいます。ファースト・ヴァース。

When the deep purple falls over sleepy garden walls
And the stars begin to twinkle in the sky
In the mist of a memory you wander back to me

「眠たげな庭園の塀に紫の夜のとばりが降り、夜空に星々が瞬きはじめると、記憶の靄のなかからきみが漂いあらわれ、ため息とともにぼくの名前をささやく」

f0147840_23453293.jpg八代目三笑亭可楽のヴァージョンしか知らないのですが、「反魂香」という噺があります。土手の道哲と三浦屋の高尾太夫(いわゆる「仙台高尾」)の伝説にもとづいた噺ですが、落語だから、高尾と島田重三郎(実説では権三郎とも)の悲恋物語はそっちのけで、「反魂香」という、死者の魂をこの世に呼び戻す香と、心映えはともかくとして、ちょっと抜けている隣の住人のマヌケな霊降ろし失敗談になっています。

いちおう、怪談の季節にやる噺なので、可楽のヴァージョンでは、下座のSEも入る怪談仕立てで、道哲が焚いた香によって高尾の霊が出現する場面があります。高尾が「おまえは島田重三さん」といえば、「そちゃ女房、高尾じゃないか」と道哲がこたえ、高尾が「二世と交わせし反魂香、あだにや焚いてくだんすな、香の切れ目がえにしの切れ目」なんていいます(芝居の『吉原恋の道引き』からの引用だろう)。頓狂といわれればそれまでですが、Deep Purpleを聴くと、どうしても「反魂香」をおもいだしてしまいます。

落語のほうは、やはり女房を病気で亡くしたという隣人が、道哲にその香を分けてくれと頼んで断られてしまいます。しかたなく、夜中に生薬屋に駈け込み、「ほら、あの、おまえは島田重三さんていうあいつを三百くれ」とわけのわからないことをいうのですが、もちろん薬屋に売っているはずもなく、「よろずかねたん、てなあなんだね?」「そりゃ萬金丹と読むのですよ」と小僧に馬鹿にされるといったくだりのあと、「越中富山の反魂丹」という薬が目に入り、これを反魂香とまちがえて買って帰り……という展開で、もちろん、死んだ嫁さんをみごと甦らせる、という結果には残念ながらなりません。

f0147840_2347196.jpgそもそも、越中富山の、とくれば、反魂丹と決まっているというくらいで、反魂丹はだれでも知っている代表的な薬です。現代ならいざ知らず、昔の江戸で(道哲=島田重三郎は江戸初期十七世紀中葉の人物)反魂丹を知らなかったほうがどうかしているのです。まあ、それをいうなら、これまた現在もある萬金丹を知らなかったのだから、並のボンヤリではないという前ふりがあるのですが。

どうせついでなので、もうひとついうと、「萬金丹」という噺もあります。うちには五代目柳家小さんのヴァージョンしかないのですが、これは……いや、もう落語の梗概はやめておきましょう。

セカンド・ヴァース。「反魂香」でいうと、「おまえは島田重三さん」「そちゃ女房、高尾じゃないか」の情緒纏綿たるくだり。

In the still of the night once again I hold you tight
Though you're gone, your love lives on when moonlight beams
And as long as my heart will beat, lover we'll always meet
Here in my deep purple dreams
Here in my deep purple dreams

「夜のしじまのなかで、ふたたびきみを強く抱きしめる、きみは去ってしまったけれど、きみの愛は月の光とともに生きつづける、そして、ぼくの命がつづくかぎり、この紫の闇の夢のなかで恋人たちは出逢う」

ほらね、だから「反魂香」だっていったでしょう?

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◆ 長すぎるプレリュード ◆◆
歌詞は反魂香ですが、曲はなかなかどうして、反魂香どころではありません(なんのこっちゃ)。すごく変な曲なんです。これ以上変な曲はないといっていいかもしれません。しかし、時計を見ると、コード進行がどうの、メロディーラインがどうのなどと書いているひまはないので、そのあたりは、明日以降、この曲のインスト・ヴァージョンをあつかうときにくわしく見ることにします。

どなたでもそういう経験がおありだと思うのですが、子どものころ、この曲は、何度かラジオで聴き、すごく気になるのに、なかなかアーティスト名と曲名をアイデンティファイできず、数年のあいだ、最大の懸案でした。

ほら、ラジオで大リーグ中継を聴いたりするじゃないですか。基本的な野球用語や、選手名をある程度知らないとさっぱりわかりません。grounderとか、two to oneとか、top of the inningとか、swing and missとか、low outside corner and it's called strike number threeとか、on deck circleとか、the bases are loadedといった表現がわからないと、いまどういう状況になっているのかもイメージできないのです。また、レジー・ジャクソンとレジー・スミスがどちらのチームなのかがわからないと、いまヤンキーズが攻撃しているのか、ドジャーズが攻撃しているのか(これだけで、どの時代の話をしているのかおわかりになるでしょうが)もわかりません。

それと同じで、音楽の場合も、基礎となる「名鑑」が頭に入っていないと、ジョックのいっていることが聴き取れないのです。ニーノ・テンポとエイプリル・スティーヴンズは、残念ながら、「わたしの時代」にはすでに過去の人になっていて、ジョックが紹介しても、なかなかそれがアーティスト名と認識できなかったのです。

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やっとわかったのは、この曲が気になりはじめてから数年たった、1969年12月31日放送のロックンロール・カウントダウンのときでした(ちなみに、この日の除夜の鐘の前にたどり着いた、「現在」のトップテンのトリはショッキング・ブルーのVenus、2位はゼップのWhole Lotta Loveだった)。12月30日からはじまるロックンロール・カウントダウンは、各年度の代表的ヒット曲を、定時のニュースをのぞく55分間で1年というペースでノンストップで流し、一気に数十年を駆け抜ける番組でした。70年代半ばまでは毎年の恒例でしたが、いつのまにか消えたようです。

楽曲がアイデンティファイできたのだから、さっそく1970年正月に彼らの盤を買ったかというと、それが左にあらず、ここが当今とは大違いなのですが、あの時代、昔の曲を買うとなると、中古屋にいかねばなりませんでしたし、そのうえ、中古屋というのが、あそこにもあるここにもあるというものではなかったのです。昔は古い音楽の需要というのが極度に小さかったのです。

じゃあ、数年後に手に入れたかというと、これも左にあらず。80年代にビルボード・トップ40完全蒐集にとりかかったとき、この曲はトップ・プライオリティーだったのですが、CDはオミット、LPか45で買うというルールを作ったので、そう簡単にはいかず、ひどく時間がかかりました。結局、アナログでは手に入らず、CDで、それも、単独盤ではなく、オムニバス収録の一曲として、あきらめて買いました。ニーノ&エイプリルのベスト盤がやっと出たのは十年ぐらい前のことだったと思います。

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左からフィル・スペクター、エイプリル・スティーヴンズ、ニーノ・テンポ。一時期、ニーノはスペクターのアシスタントのようなことをしていた。

この曲を気にしはじめたのが中学の終わり、じっさいに手に入れるまでに30年ほどかかっているのだから、個人的には最長記録ではないかと思います。しかし、FENでは年に2、3回は耳にする曲で、それほどめずらしかったわけではありません。再発までに時間がかかったのは、アトランティックがポップ系の曲のリイシューに不熱心だったためでしょう。ソニー&シェールのリイシューも遅れました。

じっさい、こんなに気になる曲というのは、ほかにないってくらいで、じつになんとも、一読脳裏を去らず、じゃなくて、一聴脳裏を去らず、でした。なぜそんなに強い印象を残したのかは、のちにシャドウズ・ヴァージョンをコピーしてみて、明快にわかりました。構造自体、前代未聞といってもいいくらいなのです。

ということで、この曲が忘れがたい印象を残す理由については、話が面倒になるので、明日に持ち越しとさせていただきます。

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『ティファニーで朝食を』の一場面。中央がオードリー・ヘップバーン、その背後がジョージ・ペパード、ここまではいいが、右端はニーノ・テンポ。ニーノがこの映画に出ていたとは気づかなかった。何度も見ているのだが。

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by songsf4s | 2008-06-26 23:56 | Moons & Junes
87分署の音楽、のようなもの、かなあ……

このところ、音を聴くのがイヤで、このブログをつづけるのがちょっと苦しくなっています。書くのがイヤ、なんていうのは、訓練ないしは習慣によって、ある程度は克服できるのですが、音を聴きたくないというのは、どうにもなりません。

考えてみると、このブログをはじめてから一年弱、これほど大量かつ慎重に、長期間にわたって習慣的に音楽を聴きつづけたことはなく、そろそろ、かつては間歇的に発症していた「拒音症」が再発しても、不思議ではありません。

音を聴いていないのだから書く材料もない、ということで、今日も更新はしない予定でしたが、このブログのせいでサボっていた読書などしてみたら、音楽のほうが本のなかまで追いかけてきました。

◆ テナーとテノール ◆◆
エド・マクベインの87分署シリーズというのが、どれほど有名なものかは知りませんが、わたしの友人のなかには、シリーズ全作品を読んだという奇特な人物が二人もいるので、それなりに読まれているものなのでしょう。子どものころは、古書店にいくと、ペリー・メイスンやジェイムズ・ボンドやマイク・ハマーなどと並んで、30円均一の棚の常連でした。売れすぎて、古書価がゼロ(「つぶし」といってゴミにされる)に近かったということです。

でまあ、高校生ぐらいになると、ミステリー好きは自然に87分署を読みはじめるわけです。時期の記憶がまたしてもあいまいですが、わたしの場合、たぶん、大学時代に読んでみようと思いたち、30円均一の棚を中心に、それまでに出ていた全作品を集めてから、一気に読みました。

f0147840_22555450.jpgその時点でシリーズが終わっていれば問題なかったのですが、二十数冊しか出ていない時で、その後、ダラダラと付き合いがつづきました。なにしろ気が短いので、いつまでも終わらないことと、新作にとくに面白いものがなかったせいで(やはり読むべきは最初の二十冊あたりまでというところではないか。HMMに掲載された中編「つんぼ男に聞け」が長編化され、『耳のない男』に改題されたころまでは面白かった。しかし、この改題はおおいに疳に障った。原題はLet's Hear It for the Deaf Manだったと思う)。

先年、マクベインが没して、もう新作が出る心配がなくなり、シリーズものを雨垂れが落ちるように間を開けて読むのが嫌いな人間としては、障碍がなくなったのですが、もう一度一作目に戻って全作を読むか、中断したところ(たぶん『カリプソ』)からつづけるか、なんて、くだらないことで悩んでいるうちに、どんどん時間は過ぎ去り、つい一週間前までほうってありました。

で、どこからともなく、ファンファーレ抜きで、てあたりしだいに再開してみたのですが、四冊ばかり読んで、もうやめようかと思いかけています。やはり、初期ほど面白くはないのです。それに、翻訳もあまり気に入りません。いや、すごく気に入りません。リズムがよくないし、リーダビリティーに配慮した日本語とはいえず、さっぱり意味がわからないセンテンスも散見します。

全作品を読んだ友人たちは、英語で読めといいます。たしかにそのほうがいいのでしょうが、わたしは、読書は質ではなく、量だと思っている人間なので、英語で読まなければならないものも山ほど抱えていて、日本語になっているものは日本語でさっさと片づけたいのです。でも、日本語版87分署には、かなり疲労を覚えます。

f0147840_22571991.jpgしかしですね、ものは考えようなのです。以前にも書きましたが、森政弘が、森研究室でノイズの研究をしているリサーチャーがいるが、彼にとっては、研究対象のノイズがサウンドであり、そのノイズの邪魔をするサウンドがノイズなのである、といっていました。では、ノイズの研究をやってみればいいではないか、と思うわけですな。

87分署シリーズ後半のつまらなさは、冗漫さに尽きます。初期は描写が簡潔で、トントンと話が運んだのですが、だんだん、細部の描写が不必要なまでに膨らんできて、ストーリーの展開を阻碍するようになってきたのが、わたしとしては気に入りません。読者が、登場人物を知り合いのように、スティーヴがどうしたとか、バートがどうしたとか、双子がどうしたなどと作者を持ち上げすぎた結果でしょう。理想論ですが、シリーズものといえども、やはり、「この一作」が勝負であってほしいのです。

あとから読んだシリーズ後半で気になったのは、むやみに音楽が登場するようになったことです。初期のものを読み返したわけではないのですが、昔は、こんなにしょっちゅう、シナトラの歌が出てくることはなかったと記憶しています。いや、かの「つんぼ男」がまた登場するHark!では、ストラディヴァリウスが小道具にされているくらいで、シナトラにかぎらず、さまざまな音楽が登場します。そして、ここで日本語にノイズが発生するのです。以下のページをご覧あれ。

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どうです? 「ロ調のテノール・サックス」ってのは、なかなか楽しいじゃないですか。ハニホヘト音階の「ロ」はドレミファでは「シ」にあたります。英語ではBです。しかし、Bキーのサックスというのは、寡聞にしてきいたことがありません。ふつうは、Bフラットがキーです。

想像するに、マクベインは、B-flat tenor saxophoneとかなんとか書いたのでしょう。翻訳の方は、「ロ短調」とすべきところを(いや、そもそも、サックスのキーについていうときに、ハニホヘト音階はお門違いもいいところで、C、D、E、F、G、A、Bでなければならないのだが、それはさておき)、ボンヤリしていて、「ロ調」としてしまったのではないでしょうか。わざわざキーを書く作家が、サックスのキーも知らないとは思えません。まあ、もっといえば、特殊なキーでないかぎり、ふつうのBフラット・キーなんか、わざわざ書くまでもないことで、よけいなことを書くから、音楽を知らない訳者がノイズを増幅してしまったのですがね。

さらにいうと、「テノール」サックスというのも、おおいなる違和感のある表記です。クラシックのほうでは、ヨーロッパ的に書くので、オペラをうたうのは「テノール歌手」とするようですが、たとえば、デクスター・ゴードン(だれだってかまわないのだが)の楽器は「テナー・サックス」と書くのがふつうでしょう。

この文脈は、どう見ても、クラシックの「テノール・サクソフォン奏者」のことには見えず、ラテン・ミュージックをプレイしているように読めます。ラテン・ミュージックだから、テナーではなく、テノールにしたのかもしれませんが、そりゃ考えすぎでしょう。

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サックス・カルテット。たぶんクラシックだろう。手前二人はアルト、左奥がテナー、右奥がバリトン。

「古い定番曲」も引っかかります。想像ですが、原文はold standard tunes(またはsongs)とでもいっているのではないでしょうか。まあ、意味としては「定番」ですが、これもふつうは「スタンダード」というでしょう。そうしないと、意味が通じにくくなります。「スタンダード・ヴォーカル」「スタンダード・ジャズ」とはいっても、「定番ヴォーカル」「定番ジャズ」とは、ふつうはいわないでしょう。

「ラ・チャチャラカ」というのも、じっさいに存在する曲かもしれませんが、ここまでの音楽関係の訳語が滅法界に型破りなので、なんだか眉にツバをつけてしまいます。La Cucarachaという有名な「定番曲」ならあるのですが、これはふつう「ラ・クカラチャ」と書きますからねえ……。どなたか、ラテン音楽にくわしい方にご教示を願いたいものです。

「ヒッピー派」というのは、どういう人たちなのでしょうか。ヒッピーとジャズというのは、説明抜きで結びつけていいほど関係が強くないと思うのですが。ジャズと関係がありそうなhipのつく単語は、と考えていくと、原文はhipsterではないかと思えてきます。

「hippie」とあれば、「派」などというよけいなものはつけずに、ただ「ヒッピー」と書いたでしょう。よけいなものがあったから、得体の知れない「派」がついたのだと想像します。ヒッピーとヒップスターでは、相当な懸隔があると思うのですが。hipsterだったと仮定した場合、適切な訳語としては「ヒップな連中」「尖鋭的な連中」あたりではないでしょうか。60年代生まれのヒッピーとは別物です。

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これは原文自体がいけないのかもしれませんが、「スペイン臭い本当のジャズ」というのはスワヒリ語のようにチンプンカンプンです。まるで、オーセンティックなジャズというのは、スペイン風であるといっているように読めます。寡聞にして、そんな音楽観があるとは知りませんでした。「スペイン派」のモダン・ジャズ論客というのがいるのでしょうかねえ。いないでしょうね、やっぱり。スペインとジャズの結びつきがどのあたりにあるのか、どうしても想像がつきません。原書をお持ちの方にチェックしていただきたいものです。『ノクターン』の邦訳書でページ192、全体の3分の2ぐらいまで来たあたりです。

tenorは「テノール」で押し通すのかと思ったら、「テナー演奏者」という言葉が出てきて、ビックリさせられます。ここで「テナー」奏者というなら、サックスも「テナー」にすると思うのですがねえ。わけがわかりません。

わたしは、校閲部の方々のように、「統一、統一」と無益な呪文を唱える気はありませんが(かつて柴田錬三郎は、統一という概念に怒り狂い、「俺はそのページを見て言葉を選ぶ。黒すぎると思ったら開き、白すぎると思ったら漢字にする、それを統一しろとは何事だ」といった)、混乱を避ける程度には統一するべきだと考えています。テノールといった舌も乾かぬうちに、テナーといい、またテノールはないでしょう。どっちかにしなさい、どっちかに。そもそも、テナー・サックスといえば、なにも問題が起きないのに、わざわざテノールだなんて古代の訳語をもってくるから、こういうわけのわからない不統一が起きるのです。

◆ ホルンとホーン ◆◆
以下は前掲ページのつぎのページ、見開きの対向ページです。

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冒頭の「ホルン」がむずかしいですねえ。とりあえず、ホルンと書いてあれば、われわれはフレンチ・ホルンかイングリッシュ・ホルンを思い浮かべます。この翻訳者の混乱ぶりは目を覆うばかりなので、確信はないのですが、この1行目は、おそらく、そういうことをいっているのでしょう。

その直後、4行目で「借りたホルン」というので、さあ、また混迷に陥ります。テナー・サックスのサイズの比較対象として、フレンチ・ホルン、イングリッシュ・ホルンが持ち出されたところまでは(渋々ではあるものの)よしとしますが、ここでいっているのは、二人のサックス・プレイヤーが、アルトとテナーを交換したということです。「借りたホルン」というのは、文脈から考えて、テナー・サックスのことを指しているにちがいありません。テナー・サックスを「ホルン」といわれちゃうと、当方の音楽用語の知識は崩壊します。

「ホルン」のスペルはhornです。これが混乱の原因でしょう。「ホーン・セクション」(この翻訳者なら「ホルン部門」と書くかもしれないが!)という場合もhornですし、「フレンチ・ホルン」という場合もhornで、英語では同じ単語なのです。

「ホーン」というのは、狭義では金管のことですが、「ホーン・セクション」といえば、ふつうは、金管と木管の両方が含まれ、サックス・プレイヤーも「ホーンマン」ということがあります。だから、英語としては、ここで「管楽器」を指す包括的な言葉として、hornを使うのは問題ないのですが、日本語としては「ホルン」を使うと、話の脈絡が失われてしまいます。フレンチ・ホルンとサックスでは、構造も系統もサウンドも用途もまったく異なることを、無視するわけにはいかないでしょう。

翻訳の手法というのがありまして、こういう場合、原文の表現にリギッドにしたがい、hornを直訳して、「借りた管楽器のほうがぴったりくる」などと書くと硬くなり、リズムが乱れるので、いわんとしているところを汲んで「借りた楽器のほうがぴったりくる」「借りたサックスのほうがぴったりくる」などと、すこし解釈を「ゆるく」するのが正しいやり方です。

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こちらは翻訳した人ではなく、翻訳されちゃった人、エド・マクベイン、またの名をエヴァン・ハンター、またの名をカート・キャノン、まだあったと思うが、あとは失念。

◆ バス奏者 ◆◆
わたしに87分署の原書をくれた友人や、BBSで、87分署は英語で読むのがふつうでしょ、とのたまった友人は、「だからいわないこっちゃない、日本語なんかで読むから、そういうチンプンカンプンの文章に出くわして、血圧が上がるのだ」というかもしれません。

でもねえ、これほど楽しめる2ページなんて、近来稀ですよ。50年前の翻訳書には、このたぐいの豪快な日本語がありましたが、近ごろはチマチマと女々しくまとまっちゃって、いたぶってみたところで、面白くもなんともないのです。ただ、「馬鹿野郎、ちゃんと調べろ、それがおまえの職業的義務だろうが」とか、「日本語を書けないなら英語が読めてもなんの役にも立たないんだぜ」などと、ぶんむくれになるだけなのです。

それにくらべて、このわずか数センテンスのあいだに、あふれんばかりにてんこ盛りになった豪勢なチンプンカンプンの大饗宴はどうです? むしろ、楽しいというべきではないかと思いますね。

この翻訳の方は、音楽にまったく不案内らしく、シリーズのほかの本では「バス奏者」というのも登場させていました。この言葉だと、ふつうはクラシックのコントラバス奏者を思い浮かべるでしょ? ところがどっこい、これが小さなコンボ、それもクラブのダンス・バンドのベーシストのことなのです。「ベース奏者」「ベーシスト」「ベース・プレイヤー」、いくらでも書き方があるのに、「バス奏者」ですからね。面喰らいますよ。

こういう風にまちがえるのは、もう「技」というべきで、やりたくたって、意図してできるものじゃありません。天然です。才能です。「フランク・シナトラ」とちゃんと書けたのが不思議なくらいです。シナトラだからよかったのであって、エルヴィス・プレスリーは、「エルヴィス・プレスレイ」かなんかになっちゃうのじゃないでしょうか。ジョン・レノンが出れば「ジョン・レンノン」とかね。an electric guitar playerなら、これはもう「古臭い定番」で、まちがいなく「電気ギター奏者」とするでしょう!

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シリーズ第一作の『警官嫌い』は中国語版ではこういうタイトルになるらしい。麥可班恩というのが、マクベインの音訳だそうな。「連串的」という文字があったが、これはシリーズものという意味だろう。これを見つけたブログでは、「無波瀾」で「平淡的一本書」ときびしくやっつけられていた。たぶん、平板でサスペンスが薄いという意味だろう。呵々。

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by songsf4s | 2008-06-24 22:02 | その他
ダイナマイトが百五十屯 by 小林旭
タイトル
ダイナマイトが百五十屯
アーティスト
小林旭
ライター
関沢新一, 船村徹
収録アルバム
アキラ3
リリース年
1958年
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ロックンロール時代になると、月はロマンティックなものではなくなっていく、なんてことを書きましたが、そのとき頭にあったのは、たとえば、アル・クーパーのThe Landing on the Moonや、グレイトフル・デッドのPiccasso Moonでした(どちらもそれほど面白い曲ではないので、この特集では取り上げない)。

特集を進めていくうちに、途中で、タイトルにはキーワードが含まれていないけれど、歌詞のなかにあるというものを、いろいろ思いだすものです。今回は二曲、あれがあったじゃないか、というのを思いだしました。

その一曲が、本日の「ダイナマイトが百五十屯」です。ここに出てくる月たるや、ロマンティックなものではないどころか、そもそも、どういう属性をもった月なのかということすらわからない、じつにもって尖鋭的な月なのです。ここまでくると、六月もハチの頭もないのですが、まあ、そろそろ強引なのが出るころだから、ということで……。

◆ カックン、ショックだ!? ◆◆
タイピングをの手間を省くために、またしても歌詞カードのJPEGですませることにします。

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パンクがなんぼのもんじゃい、てな破壊的ヴァースですな。昔はこういうことをいってもシャレになったのですが、近ごろは気のふれた犯罪者予備軍がうようよいるので、シャレにならないような気もします。失恋のたびに発破をやられちゃ、まわりが迷惑します。

当家のコメントでは、O旦那のハンドルでときおりツッコミを入れてくださる大嶽画伯のサイト、Wall of Houndで、昔、この曲のことが話題になりました。そのとき、O旦那が、150屯といえば、1屯トラックで150台分、とんでもない量だ、とおっしゃっていたのを覚えています。

ゼロ戦が積んでいたのは、たしか250キロ爆弾をふたつです。合わせて500キロ。ゼロ戦で150屯を運ぶとなると、300機の大編隊になってしまいます。真珠湾攻撃だって、投入された戦闘機の数はもっとはるかに少ないでしょう。150屯のダイナマイトがあれば、アメリカ太平洋艦隊に壊滅的打撃を与えられるのとちがいますかね。

セカンド・ヴァース。

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「スカッと」は戦後に生まれた流行語なのでしょうが、わりに長命だったようで、いくぶん古くさい響きを帯びてしまったとはいえ、まだ「通じない」という段階まではたどり着いていないでしょう。流行語だったことが忘れられる時代まで生き延びる可能性すらあると思います。

それに対して「器用」という言葉は、現在も使われてはいるものの、用途は昔にくらべて限定的になったと感じます。なんて、わかったようなことをいって、いま辞書を引き、あらら、となってしまいました。一部の用例を略して、以下に引用します。

1 役に立つ大切な器物。
2 容貌。人柄。器量。*伽・猿源氏草紙「きよう骨柄(こつがら)、尋常なる人かなと感じけり」
3 (形動)役に立つ才能があること。才知がすぐれているさま。また、そのような人。有用な人材。*本朝文粋‐六「既非器用。自漏明時之禄」
4 (形動)いさぎよいこと。潔白であること。上品で優雅なさま。
5 (形動)わざがすぐれてじょうずなこと。また、そのさま。*浄・国性爺合戦‐四「誰に習ふて此兵法。きようなことやとの給へば」
6 (形動)うまいぐあいに物事を処理すること。また、そのさま。*伎・三題噺魚屋茶碗‐三幕「それぞれ酒でも呑まし、器用にするが破落戸(ごろつき)附合」
7 (形動)手先のわざや、本職ではない芸事などをうまくこなすさま。「手先の器用な人」
8 (形動)(普通、悪い意味に用いて)要領よく立ちまわるさま。万事うまく処理していくさま。「世の中を器用に泳ぐ」
9 (形動)万事をのみ込んで、理屈や文句を言わないさま。*伎・黒手組曲輪達引‐三幕「そんな野暮を言はねえで、器用に受けてくんなせえ」

第一義が名詞だっていうので、いきなりコケました。たしかに、江戸や明治の分類百科辞典的な本(『古事類苑』や喜多村節信の『嬉遊笑覧』など)を見ると、「器用部」というのは、器物をあつかっています。

現在も生きているのは、第七義の「手先の技」をうまくこなすさま、だけではないでしょうか。わたしが子どものころは、第八義の「要領よく立ちまわるさま」というのも、かろうじて生きていましたが、最近の使用例は記憶がありません。

f0147840_2044295.jpgこのニュアンスの「器用」は、昔の日活映画でも登場しました。ヤクザが素人衆に向かって「おう、兄さん、器用なマネしてくれるじゃないか」とすごんだりするのです。アメリカでも、あちらの世界は映画の影響を強く受けるそうなので(だから、ジョージ・ラフトはその方面では絶大な人気があり、ラフトのスタイルはその後の現実のギャングのスタイルの基礎になったという話があるほどだし、本邦ではもちろん高倉健の影響は絶大)、その後、日活映画のセリフは現実世界に継承されたのかもしれません。て、あなた、冗談半分なんだから、真に受けちゃいけません。

最後のヴァース。

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これを忘れていたなんてどうかしていると思うような、なんとも忘れがたいラインです。カックン、ショックだ、という流行語連打まではいいのですが、そのあとが「ダムの月」というのだから、一瞬、見当識喪失に陥ります。

どのような論理の流れによって、このラインの前半と後半は接続されているのだろうか、なんて、まともに考えると、長く暗い混迷の地下道から脱出できなくなるので、こりゃたまげた、などといって思考停止しておくにかぎります。映画の挿入歌というのならわかりますが、この曲の出自はそういうものではありません。独立した盤として生まれたものです。

◆ オリジナル音頭ロック ◆◆
歌詞もアナーキーですが、楽曲、アレンジ、サウンド、そして、アキラのヴォーカル・レンディションもちょっとしたものです。

管によるイントロの裏で効果音が鳴っています。まず、シューという、サファリーズのWipe Out!の冒頭に出てくるようなノイズがするのですが、いままで、この意味がわかっていませんでした。書かなければならないので、まじめに考え、論理をたぐっていき、ああ、導火線が燃える音か、とやっとわかりました。

なぜわかったかといえば、その直後にドカーンというSEが入っているからです。これはダイナマイトが爆発する音にちがいない、そして、そのまえにシューという音がするのだから、そちらは導火線だ、という、漫才のようにもってまわった思考でした。

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しょっちゅう小林旭をとりあげているので、そろそろ写真の材料が尽きてきた。今日は曲に関係なく、映画のスティルを適当に。これは鈴木清順の『俺たちの血が許さない』より、アキラとその弟役の高橋英樹。いったいアキラは何発の弾丸を喰らったことか。忘れがたい一作。

イントロのSEは、制作側が意図したほどストレートな「ショック」を喚起するものにはならず(マレットでピアノを叩いたという効果音はそれなりに派手だが)、どちらかというと「カックン」(この言葉を見ると由利徹の顔が浮かぶ。由利が流行らせたのだっただろうか?)のほうかもしれませんが、その直後のギターと管のリックには、うーむ、と唸ります。

ロックンロールのニュアンスのあるアレンジなのですが、ここのコード進行はEm-Amなのです。表拍を使っていること、つまり、シンコペーションは使っていないことをはっきりさせるために、ほんとうは譜面にしたほうがいいのですが、E-E-E、G-G-E-D-Eというフレーズをギターが弾きます。これを3度あげてAmで弾き、またEmに戻る、というようなイントロです。

なんだかよく知っているような音だなと思い、頭のなかでこの部分のビートを変え、すこしだけテンポを落としてみると、なんだ、音頭かよ、となります。映画のなかで、祭のシーンに変わった音頭がほしくなったら、この曲のヴァリアントをつかえばよかっただろうと思います。

骨格は音頭、肉付けはロックンロール、この絶妙の融合というか、いや、むしろ、絶妙の乖離というべきか、なんともつかない、わけのわからないところがこの曲の魅力であり、そこのところで、一瞬、考えこみそうになるこちらの首根っこを押さえて、アキラがあの脳天に突き抜ける高音で、よけいなことを考えるヤツはダイナマイトでぶっ飛ばしてやる、といわんばかりに、アナーキーにうたうところが、このトラックのすごさです。

だから、正確には、サウンドにおいてロックンロール的というより、スピリットにおいてすぐれてロックンロール的である、というべきだろうと思います。あれこれゴチャゴチャ考えるひまをあたえないところは、まさしく、映画において看板役者が果たす役割でもあり、アキラのスター街道驀進は、この曲からはじまったといっていいかもしれない、とすら思うほどです(この時点では、まだ映画のほうでは大ヒットはなかった)。

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藤竜也「兄貴、ダイナマイトですぜ」ジョー「これで1キロというところか。くそー、アキラの野郎、まだ149.999屯ももっているのか」なんてセリフではなかった。長谷部安春『皆殺しの拳銃』より。大げさな言葉は使いたくないが、『拳銃は俺のパスポート』とならぶ、日活アクション末期の、やはり傑作といえるであろう一本。

◆ ときにはプルーストのように ◆◆
この曲は、盤を買う前から知っていたので、当然、映画で記憶したのだろうと思いました。『小林旭読本』所載の大瀧詠一の記事では、『二連銃の鉄』でうたわれているというので、渡辺武信の『日活アクションの華麗な世界 上』で、この映画のプロットを読んでみました(二連銃とは、ダブル・バレルのショットガンのことだろう)。

プロットから、映画のことはボンヤリと思いだしたのですが、どんな場面で「ダイナマイトが百五十屯」がうたわれたかまでは思いだせませんでした。『日活アクションの華麗な世界』はすばらしい研究書ですが、珠に瑕が音楽にやや冷淡なことで、「ダイナマイトが百五十屯」そのものに、まったく言及していないのです。

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思わず、それはないでしょう、アキラの数々の歌のなかでも、もっとも尖鋭的な曲じゃないですか、といいそうになりましたが、考えてみると、わたしだって、なにかの映画でうたっているのを見た、とボンヤリ記憶しているだけで、よそさんを責められる立場にはありませんでした。

この曲が鮮明な記憶を残していないというのは、じつに不思議です。「自動車ショー歌」なんて、どの映画かは忘れてしまいましたが、キャバレーでうたうシーンがいまでもはっきりとまぶたに浮かぶんですからねえ。

「ダイナマイトが百五十屯」がリリースされた翌年に、アキラは『爆薬[ダイナマイト]に火をつけろ』(蔵原惟繕監督)という映画に主演しています。『南国土佐をあとにして』と同じころです。わたしは、この映画に「ダイナマイトが百五十屯」が使われたのだと思っていました。プロットすら思いだせないのですが(渡辺武信の前掲書でも、内容にはふれず、蔵原の低迷期の作品としているのみ)、アキラがトンネル工事かなんかの現場で働く映画を見た記憶があり、それに該当するのはこの作品しかなさそうなのです。

タイトルから考えても、時期から考えても、いかにも映画と歌がマッチしているように思えるのですが、調べがおよんだかぎりでは、この映画に「ダイナマイトが百五十屯」が使われた形跡はありませんでした。人間の記憶というのはじつにいい加減で、ときには、まちがった記憶のほうに強いリアリティーを感じ、現実が突きつける証拠を見ても、首をひねるばかりで、まったく納得できないこともあるのですねえ。どうにかしてもう一度『爆薬に火をつけろ』を見て、納得したいものです。

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『南国土佐をあとにして』 左から二本柳寛、西村晃、小林旭。このシークェンスはワンショットで撮影された。2テイク目で四つのダイスが立ったという。

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by songsf4s | 2008-06-22 22:13 | Moons & Junes
I Only Have Eyes for You その2 by Mary Wells
タイトル
I Only Have Eyes for You
アーティスト
Mary Wells
ライター
Harry Warren, Al Dubin
収録アルバム
Sings My Guy
リリース年
1964年
他のヴァージョン
別掲
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◆ メアリー・ウェルズとモータウンLA ◆◆
今日は、昨日ふれられなかった、I Only Have Eyes for Youの他のヴァージョンです。I Only Have Eyes for Youは、わたしの頭のなかではつねにフラミンゴーズの曲であり、それ以外のヴァージョンは、文字通り「その他」でしかないので、看板をどれにするかむずかしかったのですが、テンポが速く、もっとも軽いメアリー・ウェルズ盤にしておきました。

これもまた「その他」なので、たいした意味はありません。シナトラはしょっちゅう看板に立てているから、できれば避けたい、といって、ほかにシナトラに匹敵するほどのものはない、では、当ブログではつねにマイノリティーの地位にある属性、「黒人」「女性」という条件にかなったシンガーを、という選択です。

フラミンゴーズのI Only Have Eyes for Youも、過去のヴァージョンに訣別するアレンジでしたが、メアリー・ウェルズ盤はさらにスタンダードから遠ざかったものになっています。ミディアム・シャッフルでやっているI Only Have Eyes for Youなんて、わが家にはこのヴァージョンしかありません。

メアリー・ウェルズのI Only Have Eyes for Youは、1964年のアルバム、Sings My Guyに収録されたトラックです。多少ともモータウンを聴かれる方なら、タイトル・トラックのMy Guyはご存知でしょう。確認せずに記憶だけで書いてしまいますが、これはモータウンにとって、最初のビルボード・チャート・トッパーです。R&Bチャートではありません、ポップ・チャートのナンバーワンです。

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地方都市の小さな独立レーベルにとって、これは決定的な意味をもちました。この曲がハリウッドで録音されたものだったからです。わたしは、モータウンがハリウッド録音に主力を移す決断をつけた大きな理由は、My Guyがチャート・トッパーになったことだとつねづね考えています。ハリウッドのサウンドは売れるという、たしかな感触を得たのです。そして、同じ年に、それまでなかなか芽が出なかったスプリームズが、ハリウッドで録音されたBaby Loveで、やはりナンバーワン・ヒットを得たことで、この方向は引き返しようのないほど決定的になったのです。

My Guyのセッションは、キャロル・ケイ自身にとって、最初期のモータウンの仕事だったそうです。まだ、彼女がギターばかりプレイしていた時代の仕事です(この直後ぐらいからベースも弾きはじめる)。My Guyでも、彼女はギターをプレイし、ベースはアーサー・ライトがプレイしたといっています(ただし、これは彼女の記憶ちがいではないかと最近は考えている。ジミー・ボンドあたりではないか)。ドラムはアール・パーマーでしょう。

タイトル・カットがハリウッドで録音されたからといって、自動的にアルバム・トラック全体がハリウッド録音ということにはなりませんが、わたしの感触では、I Only Have Eyes for Youもハリウッド録音です。同じグルーヴが感じられるので、My Guyと同じメンバーではないかと考えます。デトロイトの泥臭い音とは異なる、ハリウッドらしい軽快な味のあるトラックです。

50年代までのスロウ・バラッドとしてのI Only Have Eyes for Youに馴染んでいる方には、メアリー・ウェルズ盤は違和感があるでしょうが、ほとんど赤の他人みたいな曲になっているので、わたしは、これはこれで楽しいヴァージョンだと思います。

◆ アート・ガーファンクル盤 ◆◆
ソロになってからのアート・ガーファンクルのキャリアを眺めると、ちょっと息苦しくなってきます。ポール・サイモンという座付きソングライターを失い、楽曲選択が迷走するからです。新作で出来がいいのは、極論すると、ジミー・ウェブのAll I Knowだけといえるのではないでしょうか。

結局、ろくな楽曲が手に入らず、When a Man Loves a Woman(パーシー・スレッジ)とか、What a Wonderful World(サム・クック)といった、古い曲のカヴァーに活路を見いだすところへと「追い込まれた」のだと考えています。積極的な選択ではなかった、ということです。

わたしは1960年代に育った人間なので、古い曲をうたうというのはあくまでも特例であり、それを習慣にすることには否定的考えをもっています。ニルソンのように、古い曲だけを集めた盤を録音しても、それはそれだけのことであり、つぎからはまた自分の作品を録音していくというのが「正しい」あり方だと思います。ポップ/ロックはアクチュアルでなければいけないのです。古い曲に過度に依存するのは「退行」でしかありません(その延長線上で、現代のシンガーが「わたしの時代」の曲をうたうのも大嫌い。いまのシンガーはいまの曲をうたっていればいいのである。わたしの時代に属す曲はほうっておいてほしい!)。

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アート・ガーファンクルのI Only Have Eyes for Youは、明らかにフラミンゴーズ盤を下敷きにしたものです。イントロのギター・コードからして、フラミンゴーズ盤からもってきたものです。こういうカヴァーの仕方は、あまり褒められるものではありません。「インスパイア」などという詐欺的婉曲表現を使わないで、はっきり言えば、たんなるコピーです。

ただし、ギターには魅力があります。フラミンゴーズ盤のギター(ライノのベスト盤のライナーによると、フラミンゴーズのメンバー自身によるプレイらしい)の方向性を受け継ぎながら、それをさらに発展させたプレイです。わが家にあるこの曲はベスト盤収録で、プレイヤーの名前がわからないのですが、サウンド、トーンはディーン・パークスを想起させるものです。パークスのサウンドは非常に独特のものなので、たぶん、この推測は当たっているのではないかと思います。

ドラムも、Angel Clare同様、ジム・ゴードンである可能性があるでしょう。ただし、とくに注目するほどのプレイではなく、ジム・ゴードンでなくても、ほかのドラマーでもできるようなプレイです。

◆ フランク・シナトラ盤2種 ◆◆
セッショノグラフィーによると、フランク・シナトラはI Only Have Eyes for Youを3回録音しています。1943年、1945年、1962年です。このうち、わが家にあるのは、45年と62年のものです。どちらも魅力があります。

45年盤についていえば、これはもうシナトラの声の魅力に尽きます。この時期のシナトラは、歌い方がどうこうなんていう前に、声だけで圧倒されてしまいます。アレンジとコンダクトはアクスル・ストーダール。

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62年ヴァージョンは、カウント・ベイシー・オーケストラとの最初の共演盤です。この特集のトップ・バッターにしたFly Me to the Moonもカウント・ベイシー・オーケストラとの共演ですが、あちらは1964年の録音、二度目の共演です。

しかし、グルーヴは共通しています。ベースが同じプレイヤーなのだろうと想像します。毎度おなじことをいっていますが、フランク・シナトラはミディアムからアップで、軽快にグルーヴに乗ってうたっているときがすばらしく、62年盤I Only Have Eyes for Youもそのタイプなので、おおいに楽しめます。

そんなことをいったら、シナトラとそのファンに張り倒されるかもしれませんが、45年盤と62年盤を並べて聴くと、やはり年をとると、歌がすごくうまくなるんだな、と感じます。45年のシナトラには、62年のようなグルーヴはありません。やっぱり、シンガーもグルーヴなのだと、改めて実感しました。

62年盤のアレンジはニール・ヘフティー。プレイヤーのクレジットはありませんが、ベースのみならず、途中から活躍するドラマーもなかなか好みです。

◆ スパイク・ジョーンズ盤 ◆◆
変わり種もあります。まずはスパイク・ジョーンズ盤。ジョーンズのI Only Have Eyes for Youは2種類あります。ひとつは1946年録音のもので、これはまっとうなスタイルのオーケストラもので、シティー・スリッカーズのコミカルなサウンドではありません(名義もSpike Jones & His Orchestraとなっている)。

もうひとつは、これもシティー・スリッカーズ時代ではないのですが、プリではなく、ポスト・スリッカーズで、1959年のリリースです。Spike Jones In Hi Fi: A Spooktacular in Screaming Soundというタイトルにもあらわれていますし、ジャケットをご覧になればはっきりしますが、これはホラー・ミュージックのパロディーです。テレミンの使用も、その点を強調するのに役立っています。

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I Only Have Eyes for Youは、ドラキュラ伯爵と女吸血鬼ヴァンパイラとのデュエットという趣向です。ゲスト・シンガー(というかゲスト俳優)は、ポール・フリーズとルーリー・ジーン・ノーマンという人だそうですが、寡聞にして知りません。

当然、歌詞も替え歌になっています。ファースト・ラインからして、Are the stars bright tonightではなく、Are the bats out tonight=今夜はコウモリが飛んでいるのか、となっています。Maybe millions of people passing byのくだりは、Maybe millions of zombies go byとなり、最後は、ドラキュラが'Cause I just want a neckといって、ヴァンパイラから血を吸う効果音が入り(ここだけシティー・スリッカーズを思いださせる)、つぎにヴァンパイラも同じラインをうたい、お返しにドラキュラの血を吸う、とまあ、そんな展開です。

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アメリカでは1950年代終わりにステレオ・ブームがあったことは何度か書いていますが、タイトルがIn Hi-Fiとなっていることでわかるように、この盤もステレオ・ブームに当て込んだものです。最初のうちは、ドラキュラは左、ヴァンパイラは右に配されているのですが、最後に足音(のつもりの効果音)が左から右に動き、ドラキュラがヴァンパイラに噛みつくという趣向です。古くさいといえばそのとおりですが、ステレオが珍奇なガジェットだった時代が忍べて、ちょっと楽しくもあります。

◆ モーリン・オハーラとドリス・デイ ◆◆
スパイク・ジョーンズ盤は妙な効果を発揮します。これを聴いたあとだと、みんなホラー音楽のつづきのような気がしてくるのです。モーリン・オハーラなんて人の歌も、なかなかお見事なうたいっぷりなのですが、どうもヴァンパイラのような気がしてしかたありません。

わたしは女性ジャズ・シンガーというのはあまり好かないので、こういう盤は理論的に無関係なのですが、でも、この盤のアレンジャーはボブ・トンプソンなのです。となると、やっぱり聴いてみたくなるわけで、そういう狙いは大失敗に終わるときもあるのですが、モーリン・オハーラについては正解でした。やはり、トンプソンという人はもっと評価されてしかるべきではないかと、この盤を聴くと感じます。

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ドリス・デイ盤は1950年のリリースで、アレンジとコンダクトはアクスル・ストーダールです。わたしはヴォーカルよりインストゥルメンタルのほうに強い興味があるので、どうしても、上ものではなく、スタッフのほうで盤を選んでしまい、当然、聴き方も、ヴォーカルより、サウンドが中心になります。アクスル・ストーダールのアレンジはごく控えめで、女性シンガーに合わせた甘いストリングスを楽しめるかどうか、というところでしょう。まあ悪くはないと思うのですが、とくにすぐれているともいえません。

若いころのドリス・デイはいい声をしているので、I Only Have Eyes for Youにおける彼女のヴォーカル・レンディションも悪くないと思います。

◆ レターメンとレイ・コニフ ◆◆
今日は順番がメチャクチャになってしまいましたが、つぎはレターメン盤。毎度申し上げているように、わたしはコーラス・グループというのを大の苦手にしています。同様に子どものころに嫌いだったオーケストラ・ミュージックは、年とともに面白く感じられるようになってきたのですが、コーラス・グループはいまだに不得手です。とりわけレターメンは、昔から、なんだかなあ、でした。

ビルボード・トップ40ヒッツ完全蒐集を目指した80年代に、レターメンもいちおうベスト盤を買い、そのなかにこのI Only Have Eyes for Youも入っていました。でも、とくに面白いと思ったわけではありません。以前、わたしが参加している小さなMLで、I Only Have Eyes for Youを特集したときも、このヴァージョンは褒めなかったような気がします。

しかし、古いものまで十把一絡げに並べて聴いてみると、やっぱり、ハル・ブレインのドラミングがいちだんと引き立って聞こえ、今回の聞き比べで、このヴァージョンの順位はかなり上に移動しました。いや、レターメンなんか、まるっきり聴いちゃいませんよ。嫌いなんだから、当たり前じゃないですか。ハル・ブレインのドラミングはつねに魅力的だといいたいだけです。

やや判断しづらいのですが、ベースもたぶんキャロル・ケイでしょう。ストリング・アレンジも好みです。盤にはアレンジャー・クレジットがあったような気がするのですが、探している時間がないので略します。

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わが家にあるもっとも「新しい」(といってもかなり古い)I Only Have Eyes for Youは、1975年のレイ・コニフ盤です。いやはや、これがなんとも、呆れた代物で、The Hustleとのメドレーなのです。あの「ドゥー・ザ・ハッスル」ですよ。

しかし、こういうのをメドレーというのは、ちょっとちがうでしょうね。まあ、とにかくThe Hustleではじまります。で、途中からI Only Have Eyes for Youになるのですが、男声コーラスがI Only Have Eyes for Youをうたうのに対して、女声コーラスの合いの手はThe Hustleなのです。だから、「Are the stars bright tonight」という男声ラインに対して、女声コーラスは「Do the hustle」とレスポンスするのでありますよ、これが。だから、メドレーというより、ハイブリッドというべきでしょう。

さあて、こういうのはなんといえばいいのかわからず、困惑します。まあ、ちょっとは笑えます。しかし、「可笑しいから座布団一枚」ではなく、「おもしれえや、座布団全部とっちまえ」というタイプでしょうね。

◆ エスクィヴァル、ポール・ウェストン、エトセトラ ◆◆
もう残り時間僅少なのに、まだふれていないヴァージョンの数はかなりあって、ありゃあ、です。エスクィヴァルは、いつもほど珍なところはありません。だいたい、このOther Worlds Other Soundsというアルバムは、タイトルとカヴァーからは、珍なものを想像するのですが、音のほうはかなりストレートです。ただし、後半、ストリングスが盛りあがるところは、たしかにOther Worldsという感じがします。

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ポール・ウェストンは、例によって、ストレートなラウンジ・ミュージックというか、オーケストラ・ミュージックです。この人のアレンジは、歌伴のときのほうが面白いような気がします。自己名義のインストは直球が多すぎて、あまりハッとさせられません。

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ダイナー・ショア盤を試聴してみましたが、なかなかけっこうな出来だと思います。サウンドに奥行きもあり、アレンジも好みなのですが、クレジットが見あたりませんでした。

うちにある最古のI Only Have Eyes for Youは、ルー・シャーウッドという人の1934年のヴァージョンですが、この人についてはなにも知らず、いま調べている時間もありません。だいたい、これくらいの時期になると、わたしには、いいも悪いもつかないのです。昔風の味わいは感じますが(昔の録音なんだから当たり前!)、それ以上の感想はありません。

ひとつだけいえることは、この段階では、50年代の各ヴァージョンのように、テンポを遅くして、しっとりとなんかうたっていないということです。この大甘の歌詞からいって、軽く歌ってバランスをとるほうが、わたしには正解に思えます。

50年代のスタンダード・アルバムを聴いていて疲れるのは、スロウで情緒纏綿たるレンディションが圧倒的多数派だからです。60年代育ちとしては、感情移入は控えめに、さらっとあっさりうたってくれたほうが、尻がむずむずせず、安心できます。だから、われわれの世代は、50年代は飛ばして、30年代や40年代を聴くほうがいいのではないか、とおもうこともしばしばです。子どものころは、昔の音楽はスロウでだるい、と思っていましたが、いまでは、それは間違いで、そういう現象は50年代の特殊なものだったのではないかと考えています。
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by songsf4s | 2008-06-20 23:55 | Moons & Junes
I Only Have Eyes for You その1 by the Flamingos
タイトル
I Only Have Eyes for You
アーティスト
The Flamingos
ライター
Harry Warren, Al Dubin
収録アルバム
Flamingo Serenade
リリース年
1959年
他のヴァージョン
別掲(本稿末尾)
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Moons & Junes特集なので、当然ながら、月が出たという歌ばかりやってきたのですが、今日は、月が見えないという歌です。といっても、曇っているからとか、月蝕だからというわけではありません。じゃあ、昼間だからだろう、なんていわれそうですが、そんな裏をかくようなものでもありません。

月が見えないという歌を満月の夜にやることはないか、とも思ったのですが、考えてみると、新月のときに月が見えないのでは当たり前です。煌々たる月夜にもかかわらず月が見えない、というところに趣向があるわけで、むしろ満月のほうがこの歌にはふさわしいようです。

いま書いていて、月蝕の歌というのもあるな、と思い、いちおうHDDを検索してしまいました。フィル・レッシュのEclipseと、ピンク・フロイドのやはりEclipseという二種がありました。たいした曲じゃないので、やりません。Total Eclipse of My Heartっていうのはなかなかいい曲でしたが、あれはだれがうたったんでしたっけ? そもそも、ハートが皆既蝕になるというのだから、天象には関係なさそうです。

◆ 困った歌詞 ◆◆
You TubeにフラミンゴーズのI Only Have Eyes for Youがありますので、よろしかったらお聴きになってみてください。画像は当時のものではなく、メンバーも大幅に異なっているでしょうが、リップシンクなので、音は盤のものです。

では、歌詞を見ていきますが、古い曲だけあって、構成がノーマルではないため、適当に切ります。以下は、大ざっぱにいって、ファースト・ヴァースとコーラスという感じのパート。

My love must be a kind of blind love
I can't see anyone but you
Are the stars out tonight?
I don't know if it's cloudy or bright
I Only Have Eyes For You, Dear

「ぼくは盲目の恋をしているにちがいない、きみ以外は目に入らないんだ、今夜は星が見えるのかい? 曇っているのか、月が輝いているのかもわからない、ぼくの目はきみを見るためだけにあるんだ」

第三者としては、馬鹿馬鹿しくて相手にする気も起きないような、じつにもってお気楽な歌詞ですが、昔はこういう曲が多かったのでしょう。よかれ悪しかれ、これがポップ・ソングというものでしてね。

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以下はセカンド・ヴァースとコーラスとブリッジが合体したようなパート。

The moon may be high
But I can't see a thing in the sky
I Only Have Eyes For You
I don't know if we're in a garden
Or on a crowded avenue

「月は高く昇っているのかもしれないけれど、空にはなにも見えない、ぼくの目はきみを見るためだけにある、いま庭園にいるのか、雑踏する大通りにいるのかもわからない」

いいかげんにしろ、と脳天に洗面器を喰らわせたくなりますが、まだ終わらないのです。

You are here and so am I
Maybe millions of people go by
But they all disappear from view
And I Only Have Eyes For You

「きみがここにいて、ぼくもいる、何百万人もの人が通っているのかもしれないけれど、みな目に入らない、ぼくの目はきみを見るためだけにある」

ケータイを操作しながら歩いている馬鹿者といっしょで、車に轢かれて死にゃあ、ちょうどいいやっかい払いだ、といいたくなります。昔、「世界は二人のために」という、不快きわまりない歌がありましたが、あれを思いだしてしまいます。

◆ フラミンゴーズ盤 ◆◆
この曲がスタンダードだなんてことは、昔はまったく知りませんでした。I only have ears for the Flamingo's versionです。まあ、アート・ガーファンクル盤がヒットしたことも覚えていますし、メアリー・ウェルズ盤もずいぶん昔に買ったものです。でも、この三者のヴァージョンを聴くかぎりでは、スタンダードの臭味はまったくなく、楽曲もそんなに古いものとは思いませんでした。

古いどころか、じつは、フラミンゴーズ盤がオリジナルだと思っていたのです。大昔のことはいざ知らず、I Only Have Eyes for Youといえばフラミンゴーズ、フラミンゴーズといえばI Only Have Eyes for Youというのは、60年代以降は常識といっていいでしょう。それくらいによくできたヴァージョンであり、決定版になったのも当然だと思います。

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たしかに、歌詞をくわしく検討すれば、ものすごく古めかしいスタイルで書かれていることはわかりますが、それをいうなら、50年代だって、古めかしい歌詞の曲はいっぱいありましたからね。歌詞の面でも、大きな変化は60年代に起こるのです。

フラミンゴーズ盤を聴いて、ものすごく古い曲だとは思わなかった理由は、アレンジとサウンドにあります。コードも古いものとはちがうだろうと思います。フラミンゴーズ盤のヴァースはC-Gm7(またはBb)の繰り返しですが、Cに対するBbの音がつくりだすこのセヴンス・フィールは、古いヴァージョンにはないものです。

アンプのトレモロを使い、リヴァーブもきかせたギター・リックも、スタンダードとはおよそ縁のないものです。そもそも、イントロのBb7-G-D7という、なんでもないコードからしてなかなか魅力的で、ささやかなものですが、これまたすぐれたアレンジのアイディアといえるでしょう。

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コーラス・グループというのは概して好かないのですが、よく考えると、それは白人のことで、50年代から60年代初期にかけてのドゥーワップ・グループはかなりもっているようです。なぜなのか、と考えてみましたが、白人のハイパー・スムーズなハーモニーは嫌いで、テクスチャーのあるハーモニーが好ましく感じられるからだろうと思います。

フラミンゴーズのハーモニーが、という言い方は避けますが、すくなくとも、I Only Have Eyes for Youに関するかぎり、彼らのハーモニーおよびヴォーカル・アレンジもなかなか好みです。つまるところ、この曲の魅力は、I only have eyes for youというコーラスのところの響きにあるのですが、リヴァーブの使い方がうまいこともあって、ちょっとした鳥肌もののシークェンスです。このたぐいのリヴァーブ・ドレンチト・ハーモニーとしては、リトル・アンソニー&ディ・インペリアルズのGoin' Out of My Headとどっちが魅力的かというぐらいです。

みんなこんな調子だったら、フラミンゴーズも、インペリアルズぐらいには有名になっていたはずですが、いくつか買ってみたかぎりでは、I Only Have Eyes for Youほどのトラックはありません。I'll Be Homeがまあまあか、というぐらいで、あとは凡庸なドゥーワップという印象です。

◆ ジョージ・ゴールドナー ◆◆
エンド・レコードのオーナーで、フラミンゴーズのプロデューサーだったジョージ・ゴールドナーは、なかなか華々しいキャリアの持主ですが(フランキー・ライモン&ザ・ティーネイジャーズのWhy Do Fools Fall in Loveのプロデューサーであり、のちにジェリー・リーバー&マイク・ストーラーとともに、レッド・バード/ブルー・キャットをつくり、そして、たちの悪いギャンブルの借金のために会社をつぶす)、I Only Have Eyes for Youでは、めずらしく判断ミスをしたのだそうです。

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フランキー・ライモンとジョージ・ゴールドナー

I Only Have Eyes for Youをシングル・カットしたまではよかったのですが、なんとB面にしてしまい、表はGoodnight Sweetheartにしたのだそうです。フラミンゴーズといえばI Only Have Eyes for Youという評価はもう動かしようがないほど決定的になっていますが、だからというわけではなく、無心に聴いても、Goodnight Sweetheartには、I Only Have Eyes for Youのような、聴いた瞬間に、こいつはすごいや、とうなるような魅力はありません。なにを勘違いしたのかと思います。

当然、こういう間違いはDJに正されます。彼らは盤をフリップして、B面のI Only Have Eyes for Youばかりかけたそうです。だれが聴いても、どっちがいいかといったら、I Only Have Eyes for Youのほうに決まっているわけで、まちがえようがないと思うのですが、当事者はやはりべつなのでしょう。どうであれ、45にしておいたのは幸運でした。そうじゃなければ、ひっくり返してもらうことすらできないわけでしてね!

ほかには、それほど面白いヴァージョンはないのですが、明日以降に、いくつかかいつまんで聴いてみる予定です。

ヴァージョン一覧

Frank Sinatra(2ヴァージョン)
Billy Vaughn & His Orchestra
Esquivel
Paul Smith
Paul Weston
The Lettermen
Mary Wells
Ray Conniff
Spike Jones(2ヴァージョン)
Helen Forrest
Art Garfunke
Doris Day
Lew Sherwood
Dinah Shore

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by songsf4s | 2008-06-19 23:56 | Moons & Junes
Moon Moods by Les Baxter with Samuel J. Hoffman
タイトル
Moon Moods
アーティスト
Les Baxter with Samuel J. Hoffman
ライター
Harry Revel
収録アルバム
Music Out of the Moon
リリース年
1947年
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当地では今夜はいくぶん靄がかかり、なかなか味わいのある、しかし、見ようによってはやや不気味な月が見えます。狂気を喚びそうな月だなと思い、moonというキーワードで検索をかけただけで、lunarというキーワードではやっていないことを思いだしました。でも、moonだけで、十二カ月はもちそうなくらいの曲数がすでにあるんです。

ついでに、子どものころよくうたっていた、月が昇るというラインの出てくる曲(炭坑節じゃありませんぜ!)を思いだしたのですが、これは歌詞がちょっと面倒なので、またの日ということにして、今夜はまたしても、曲が決まらないうちにタイムリミットが迫ってきたので、インストです。それも、そろそろ出てしかるべきエキゾティカです。

◆ エキゾティカ・オリジネーター ◆◆
そもそも、エキゾティカはどこからはじまったかというと、本日の主役、レス・バクスターのQuiet Villageからなんです。この曲はバクスター自身の作で、彼の1951年のアルバム、Ritual of the Savageに収録されています。

Quiet Villageという曲は、どちらかというとマーティン・デニーのヴァージョンで知られているのではないかと思いますが、オリジナルはレス・バクスターです。デニーのヴァージョンは、コンボによるものですが、バクスターのヴァージョンはフルオーケストラです。

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マーティン・デニーやアーサー・ライマンの有名なトラックは、ほとんどコンボによるものですが、バクスターは基本的にはオーケストラ・リーダーで、これだけでも、同じエキゾティカとはいえ、味わいは大きく異なることになります。マーティン・デニーやアーサー・ライマンのヴァージョンでしかQuiet Villageをご存知ない方には、レス・バクスターのオリジナルもお聴きになるようにお奨めします。このストリング・アレンジを聴いていると、まさにエキゾティカの原点はここにあると感じます。

レス・バクスターのプロとしてのスタートは、メル・トーメのバンドのサックス・プレイヤーだったそうで、へえ、調べてみるもんだねえ、でした。ナット・コールのかのMona Lisaのオーケストレーションも、バクスターによるものだなんて、ついさっきまで知りませんでした。まあ、バクスターはキャピトル所属のオーケストレーターなのだから、キャピトルのアーティストであるナット・コールのセッションで、オーケストラをコンダクトしても、なんの不思議もないのですが。

◆ 驚異の録音 ◆◆
わがHDDのエキゾティカを収めたフォルダーを検索して、月の曲を抜き出してみると、なかなか興味深いリストになったのですが、やはり数が多すぎて、あと1時間でこれをどうするんだよ、とゲシュタルト崩壊を起こしそうになりました。よって、以前からよく聴いていて、いまさら考える必要もない、レス・バクスターのMoon Moodsにしました。

当ブログでは何度もご紹介してきた、キャピトルのラウンジ・ミュージックを集めた、Ultra Loungeというオムニバス・シリーズがあります。クリスマス・ソング集も非常に出来がいいと思いますが、いちばん好きなのは、Autumn in New York by Felix Slatkinと、Skylark その1 by Tak Shindoで、すでに二度にわたってご紹介した、第3集Space Capadesです。

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こういうタイトルの盤が編まれるくらいで、50年代に、エキゾティカのすぐ隣で、というか、エキゾティカのサブ・ジャンルというべきかもしれませんが、スペース・サウンドのブームがありました。といっても、わたしが生まれる前から幼児期にかけてのことですから、まさか、当時のことは知りませんがね!

レス・バクスターのMoon Moodsという曲も、そういうブームのなかで生まれたものなのだろう、ぐらいに甘く考え、そういう先入観をもって、そのままこの原稿を書きはじめてしまったのです。で、泥棒を捕まえてから縄をなってみた、というか、泥棒に遭ってから納屋に鍵をかけたというか、調べみて、ひっくり返ってしまいました。Moon Moodsは、1947年リリースだというのです。

モノーラル録音なので、ハリウッドのオーケストラ・ミュージック(そのど真ん中にレス・バクスターがいた)を中心に起きた、1950年代終わりのステレオ・ブーム以前の録音だということは簡単にわかるのですが、音を聴いてのわたしの推測は1955年前後でした。1947年なんて、10年近く外しちゃっているわけで、ウッソー、ですよ。

それくらいに感じるほど録音がいいのです。1947年のキャピトルは、まだ、最初のスタジオを使っていたはずで、のちにエンジニアを泣かせた、現在も建っている(どころか、ハリウッドのランドマークになっている)キャピトル・タワーにあるスタジオではありません。もとラジオ放送局だったものを改造したスタジオでの録音です。

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メルローズ・アヴェニュー(サンタモニカ・ブールヴァードの一本南の道)5515番地にあった、キャピトルの最初の社屋。スタジオもこのなかにあった。

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メルローズ時代の録音機材(1940年代末)。現代の72トラック・マシンなどにくらべれば原始的もいいところだが、注目すべきはコンソール。ノブの列の数がほぼインプット数に等しいはずで、どうやら8インプットのコンソールらしい。この時代に8インプットは最先端で、これくらいはないと、Moon Moodsのサウンドはつくれない。右側はアンペクスのテープ・マシンだろう。3000か?

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エンジニア泣かせだった、キャピトル・タワーの新しいスタジオでの最初のレコーディング・セッション。こちらに背を向けているコンダクターはフランク・シナトラ!

なるほど、エンジニアたちが、タワーに引っ越してから、以前を懐かしんだというだけあって(そして、タワーの新しいスタジオはひどい鳴りで、竣工後に大改装せざるをえなくなった)、この古いスタジオの鳴りは非常によかったのであろうことが、レス・バクスターのMoon Moodsを聴くと実感できます。

◆ サウンドのフロンティア ◆◆
以前、レス・ポールのことを調べたとき、最初の多重録音による盤であるLoverが、1947年の録音だということを知って、なんとまあ、と呆れました。いったい、あんな未来的サウンドを、当時のリスナーはなんだと思って聴いたのだろうかと、考えこみましたよ。

しかしですねえ、同じ1947年のレス・バクスターのMoon Moodsだって、負けず劣らず未来的サウンドなのです。この盤のアーティスト名は、レス・バクスター・ウィズ・サミュエル・J・ホフマンとなっています。このホフマンという人がなにをしたかというと、テレミン(テルミン、セラミン、いろいろな表記があるが、ここではリーダーズ英和辞典の表記にしたがっておく。Thereminというスペルと、ロシア人の名前であるということから表記が面倒なことになっている)をプレイしているのです。

初期のテレミンの録音を聴くと、アヴァンギャルド・ミュージックみたいなものなのですが、ここではまともなラウンジ・ミュージックのコンテクストでプレイされています。ただし、男声コーラスのアレンジなんか、非常に現代的で、フォー・フレッシュメンのようなスタイルではありません。テレミンのスラーする音に合わせたヴォーカル・アレンジをしたのでしょう。

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テレミン博士とその発明

Moon Moodsが収録されたMusic Out of the Moonのアナログ・リップを配布しているところがあったので、アルバム全体(といってもオリジナルはSP盤のセット、その後、ミニLPとして1952年にリイシューがあり、わたしが聴いたのはこのリイシューのリップらしい)を聴いてみました。しかし、おおむね保守的なラウンジ・ミュージックで、やはり、Moon Moodsがもっとも出来がよいと感じます。

繰り返しますが、エキゾティカのはじまりが、レス・バクスターの1951年のQuiet Villageです。Moon Moodsはその4年前、レス・バクスターのキャピトルでのデビュー盤です。ということは、スペース・ミュージックは、エキゾティカの支店というわけではなく、むしろ、本店はスペース・ミュージックのほうであり、南国的エキゾティカのほうがその支店なのではないか、という気がしてきました。

SFをご存知の方なら思いだすことがあるはずです。かつてSFの多くは宇宙を舞台にしていました。エドガー・ライス・バローズとか、ああいうものです。それが、1960年代にJ・G・バラードの登場によって、「内宇宙」、イナー・スペースということがいわれるようになります。ほんとうのフロンティアは、「外宇宙」、アウター・スペースではない、人間の内面である、というのです。

エキゾティカも、ひょっとしたら、外宇宙の探求からスタートし、地球へと舞い戻ったのかもしれません。なーんて、妙なことを考えてしまうほど、1947年録音ということと、エキゾティカの巨匠、レス・バクスターがスペース・ミュージックでデビューしたことに驚いた、おぼろおぼろな満月の夜でした。

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Les Baxter

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by songsf4s | 2008-06-18 23:55 | Moons & Junes
Without Her by Blood, Sweat & Tears
タイトル
Without Her
アーティスト
Blood, Sweat & Tears
ライター
Harry Nilsson
収録アルバム
Child Is Father to the Man
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Nilsson, Glen Campbell, Herb Alpert & the Tijuana Brass, George Tipton, Telly Savalas
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Moons & Junesの曲となると、スタンダードが多いことはくどくくりかえしていますが、スタンダード曲のなにより困る点はヴァージョンの多さです。30種もあったりすると、聴くだけでひどく骨で、書く前に力尽きてしまいます。

そうはいっても、避けられない曲というのはあるので、まあ、あと半月弱のあいだに、追々そういう大物も取り上げていくことにしますが、今日はスタンダードではなく、それなりにヴァージョン数はあるけれど、見ただけでたじろぐほど多くはない、という60年代の曲にしました。

f0147840_23271384.jpgニルソンの最大のヒットは、Everybody's Talkin'とWithout Youでしょう。すぐれたソングライターだったのに、シンガーとしての代表作がいずれも他人の曲とは、なんとも不運な人だなと思いますが、それはべつの話。いまいおうとしているのは、またべつのことです。ニルソンにはNilsson Sings Newmanというすぐれたアルバムがあり、このなかにLiving without Youという曲が収録されています。

で、もうおわかりでしょうが、Without Youとも、Living without Youとも、今日の曲は関係ありません。今日はWithout Herです。そこをお間違えのないように。ニルソンのWithout三部作(なんてものは存在しない。いまでっち上げた。そもそも、作者はそれぞれ別人)はどれもいい曲で、ときおり混乱してしまい、コーラスをうたって、どれがどういうタイトルだったか確認しちゃったりするのです!

◆ 月行き気球 ◆◆
それでは歌詞を見ていきます。ファースト・ヴァース。

I spend the night in a chair
Thinking she'll be there
But she never comes
And I wake up and wipe the sleep from my eyes
And I rise to face another day without her

「彼女がやってくるような気がして、椅子に坐ったまま一夜を過ごすが、来るはずがないのだ、そして目覚め、目をこすって眠気を払う、そして、また彼女なしの一日に立ち向かうために起きあがる」

字句通りに解釈していくと、thereがものすごく引っかかるのですが、なんとも判断しかねるので、頭を低くして通過することにします。

It's just no good anymore
When you walk through the door of an empty room
You go inside and set a table for one
It's no fun when you have to spend a day without her

「だれもいない部屋のドアを抜けて、中に入り、ひとり分のテーブルをセットするのは、もう楽しくもなんともない、彼女なしに一日を過ごすなんて面白くない」

anymore「もう~ではない」とある以上、一時的には楽しかったということなのでしょう。ひとりになってせいせいした、という気分をいっているのだろうと思います。

ブリッジ。

We burst the pretty balloon
It took us to the moon
It's such a beautiful thing
But it's ended now
And it sounds like a lie if I said
I'd rather die than live without her

「ぼくらは二人を月まで連れていってくれた美しい気球を破裂させてしまった、すばらしいことだったけれど、もう終わってしまった、彼女なしに生きるくらいなら死んだほうがましだ、なんていったところで、嘘に聞こえるだけだろう」

ブッキッシュに英語を学んだ人間としては、balloonのあとにthatかwhichがあってくれたほうが安心できるのですが、どのヴァージョンを聴いても、itがあるか、なにもないかのように聞こえます。しかし、意味としてはそういうこと、つまり、関係代名詞があった場合と同じなのだろうとみなしました。天にも昇る気分になる気球を手に入れたのに、それをダメにしてしまった、ということです。なにをしたのか知りませんが、おおかた気球をウォーターベッドとまちがえ、暴れすぎたのでしょう!

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サードにして最後のヴァース。

Love is a beautiful thing
When it knows how to swing
And it moves like a clock
But the hands on the clock tell the lovers to part
And it's breaking my heart
To have to spend a day without her
Can't go on without her

「うまくいっているあいだは、恋はすばらしいが、やがて時は巡り、時計の針は恋人たちに別れの時を告げる、また彼女なしに一日過ごさなければならないのかと思うと胸も張り裂けそうだ」

◆ BS&T盤のギタリスト ◆◆
タイトルからして当然ですが、ご覧のように、歌詞はちょっとしたダウナーです。いや、曲だって、明るく元気いっぱいというタイプではないのですが、なかなかきれいな曲だし、看板にしたアル・クーパー盤、じゃなかった、ブラッド・スウェット&ティアーズ盤のアレンジは軽快で、楽しげといってもいいようなサウンドです。

久しぶりにBS&TのWithout Herを聴いて、あれっと思いました。ギターがすごくうまいのです。コードしか弾きませんが、それでもうまいのです。ほら、チャーリー・バードとかローリンド・アルメイダとか、ああいう感じです。

BS&Tのギターは、悪名高きスティーヴ・カーツ(スペルはKatz。今回は不精せずに辞書を見た。カッツでもなければキャズでもなかった。やっぱり辞書は引いてみるものである)ですからね、まさかあ、ウッソー、ありえなーい、なのです。なんたって、このバンドに愛想を尽かした理由のひとつは、ギターのアホらしさなんですから(もうひとつはデイヴィッド・クレイトン・トーマスの声)、こんなに弾けちゃったら、スティーヴ・カーツに謝らなければならないことになります。

いままで、どこで、何回、スティーヴ・カーツを罵倒したっけなあ、いまさら、あれは間違いでした、なんていえないぜ、と焦りつつ、頼んます、と十字を切ってから(ウソ)、クレジットを確認しました。セーフ! この曲のギターは、ゲストのアル・ゴーゴーニ、と書いてありました。

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Alはもちろんアル・クーパー、Randyはランディー・ブレッカー、Fredはフレッド・リプシアス、ジョン・サイモンの「メンデス・ピアノ」というのは、楽器の種類ではなく、セルジオ・メンデス・スタイルのピアノという意味である。

そりゃそうですよ(と、スティーヴ・カーツじゃないとはっきりしたとたん、居丈高になった)、Without Herのようなプレイができる人が、You've Made Me So Very Happyの、なにをもたもたやってんだ、間奏が終わっちゃうぞ、といいたくなるプレイをするはずがありません。

しかし、これほど無惨なまでに弾けない人が、ソロなんか弾くのは、はずかしくて、つらくて、居ても立ってもいられなかっただろうなあ、よく4枚も耐えたものだと、いまになると、感心しつつ、同情しちゃいます。って、たんに鉄面皮だっただけか。

◆ アル・ゴーゴーニ・マイクロ・バイオ ◆◆
えーと、なんの話でしたっけ。そう、アル・ゴーゴーニのギター。やっぱり、ほんもののギタリストのプレイは気持いいなあ、と思ってから、あれ? アル・ゴーゴーニって、ソングライターじゃなかったっけ? てえんで、またあわてました。ホリーズのI Can't Let Go(オリジナルはエヴィー・サンズ)の人のはずです。

調べてみて、わたしの認識不足だったことがわかりました。セッション・ギタリストとしてスタートしたと、オフィシャル・サイトのバイオにちゃんと書いてあったのです。ヴィニー・ベルのバイオも、NYのことをよく知らないわたしには面白かったのですが、ゴーゴーニのバイオもなかなか面白いので、長くなりますが、すこし彼のキャリアについて見てみます。

最初は、アル・ネヴィンズ(オールドン・ミュージック)と知り合い、デモ・セッションの仕事をもらったそうです。スタートはデモというのは、ハリウッドでも同じです。当時、NYで本番のセッションをやっていたファースト・コール・プレイヤーは、Tony Mottola、Al Caiola、Barry Galbraith、Billy Butler、Al Casamenti、Bucky Pizzarelliとあります。このうち、わたしが知っているのは、トニー・モトーラとアル・カイオラのみ。やっぱりNYシーンには無知ですわ。ガルブレイスなんていわれても、受験のときに読まされた、ジョン・ケネス・ガルブレイスの英語はむちゃくちゃにむずかしかった、なんて、ぜんぜん関係ないことを思いだすだけです。

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これもハリウッドと同じなのですが、やがて、こうしたヴェテランたちのプレイが、時代にそぐわないと感じられるようになり、プロデューサーたちは、若いギタリストを登用するようになります。こちらも名前をあげておくと、アル・ゴーゴーニのほかに、もちろんヴィニー・ベル、そして、ヒュー・マクラケン、エリック・ゲイルらだそうです。こちらはおなじみばかり。やっぱり世代的な問題ですな。モトーラやカイオラは50年代派、ゴーゴーニやベルは60年代派というところでしょう。

アル・ゴーゴーニがプレイした曲としては、以下のようなものがあげられています。

"The Name Game" by Shirley Ellis, "Solitary Man" and "Cherry Cherry" by Neil Diamond, "Sherry", "Big Girls Don't Cry", "Walk Like a Man" and "Dawn" by Four Seasons, "Our Day Will Come" by Ruby & the Romantics, "My Boyfriend's Back" by The Angels, "Leader of the Pack" by The Shangri-Las, and "Chapel of Love" by The Dixie Cups

f0147840_23542342.jpg有名曲ばかりですが(久しぶりにシャーリー・エリスが聴きたくなった)、いずれもギターが活躍する曲とはいいかねます。60年代中期、ギターとドラムがサウンドの中心になったときに、NYの音が古めかしく感じられるようになるのは、こういうところにもあらわれているような気がします。プレイヤーより、プロデューサー、アレンジャーのセンスの問題でしょうが。

チップ・テイラーと知り合ったことから、ゴーゴーニはソングライティングにも手を染め、ここでやっとI Can't Let Goになるわけですが、その後もセッション・ワークはつづき、こんどは以下のような楽曲がリストアップされています。

"Brown Eyed Girl" by Van Morrison, "I'm a Believer" by The Monkees, "At Seventeen" by Janis Ian, "The Sound of Silence" by Simon & Garfunkel, "Brand New Key" by Melanie, "1-2-3" by Len Barry, and "Sugar Sugar" by The Archies

またまた有名曲がぞろぞろですが、このへんになると、リアルタイムで聴いたものばかりです。ジャニス・イアンのAt Seventeenといわれて、そういえば、この曲のギターは、Without Herに似ているな、と思いました。

◆ もう一度BS&T盤 ◆◆
本題に入る前に長い道草をしてしまったので、あとは急ぎます。Without Herには、いくつかのヴァージョンがありますが、やはり、最初に聴いたBS&T盤がいちばんしっくりします。

フレッド・カテーロのボサ・ノヴァ・アレンジがアイディアの勝利ですし、ドラムのボビー・コロンビーとベースのジム・フィールダーのグルーヴもけっこうなものです。そもそも、BS&Tのいいところは、ボビー・コロンビーが、あの当時のバンドのドラマーとしてはタイムがよく、テクニックにも問題がなかったことでしてね。

アル・クーパーのヴォーカルを褒める人はあまりいないでしょうが、この曲については、べつに違和感はありません。I Love You More Than You'll Ever Knowのような曲には(アル・クーパー自身の作だが!)不向きな人ですが、Without Herのように、つぶやくようにうたうのが正解の曲は、ボロが出ません。

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だいぶお年を召してからのハリー・ニルソンとアル・クーパー。アル・クーパーは、Without Herのみならず、I Stand AloneではOneもカヴァーしている。

アル・クーパーはソングライターとしても魅力のある人ですが、いや、自身がソングライターだから、というべきか、カヴァーのセンスもすぐれていました。このWithout Herが収録されたBS&Tのデビュー盤は、アル・クーパーのオリジナル曲より、カヴァーの曲のほうが楽しめます。ランディー・ニューマンのJust One Smile(オリジナルはたぶんジーン・ピトニー盤)、ティム・バックリーのMorning Glory(ヴォーカルはスティーヴ・カーツ)も取り上げていますし、ゴーフィン=キングのSo Much Loveもなかなかいい曲で、この曲は、わたしはBS&T盤しか知りません。

Without Herが終わると、気持はつぎのJust One Smileのイントロへの準備ができていて、それが出てこないと、あれっとコケます。それくらい、子どものころによく聴いた盤だったということです。

So Much LoveはBS&T盤しか知らないと書いてから、自分がもっているものをすべて把握しているとはかぎらないことを思いだし、検索したら、あらら、やっぱりありました。ベニー・キング盤(これがオリジナルか)とダスティー・スプリングフィールド盤。これだから、だれも信用してはいけないというのです!

◆ 他のヴァージョン ◆◆
ニルソン盤は、ソースが異なる4種類のWithout Herをプレイヤーにドラッグしてあるのですが、微妙に異なっていて、面倒なことになっています。基本的なアレンジ、ムードは同じなのですがねえ。

4種の内訳を書いておくと、New Nilsson Songbook(楽曲売り込み用のデモLP)、Pandemonium Shadow Show、Aerial Pandemonium Ballet(初期の2枚のLPをベースにした、いわばリミックス・アルバムのようなもの)、そしてWithout Her: Without You - The Very Best Of Nilsson Vol. 1です。おおむね、マスタリングが異なっている程度なのですが、Aerial Pandemonium Ballet収録ヴァージョンだけは、テイクも異なるようです。ギターが入っていて、ニルソンがヴォーカルを重ねているこのヴァージョンが、わたしにはもっとも好ましいものに思えます。

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Gentle on My Mind収録のグレン・キャンベルのカヴァーもなかなかけっこうです。グレンの声に合っている曲ですし、ギターを中心としたベーシック・トラックのアレンジも(ガットがうまい!)、ブリッジのストリング・アレンジも、録音も、すべてがいいぐあいに収まっています。プロデューサー/アレンジャーはアル・ディローリー。

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アル・ディローリー(手前)とグレン・キャンベル

初期のニルソンのアルバムでアレンジャーをつとめた、ジョージ・ティプトンのヴァージョンはインストゥルメンタルです。オーケストレーターであり、映画音楽の作曲家でもあるので、ティプトンの1970年のニルソン・ソングブック、Nilsson by Tiptonはイージー・リスニングないしはオーケストラ・ミュージックです。WBのリリースなので、当然、ギターもドラムも、そこはかとなく、馴染みのサウンドです。確信はもてないので、だれとはいいませんがね。こういうのは好みが分かれるでしょうが、年をとると、この種のサウンドに抵抗がなくなるので、いまでは悪くないと感じます。ギターとドラムを筆頭に、当然、うまい人ばかりですしね。

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ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのヴァージョンは、インストゥルメンタルではなく、This Guy's in Love with Youのような、ハーブ・アルパートによるヴォーカル・ヴァージョンです。ピッチのいい人ではないし、いかにも素人丸出しでうたうので、こういうつぶやくような曲は合っています。

しかし、このアレンジはどうでしょうかねえ。ベース、ギター、パーカッション、ヴォーカルだけの部分と、かなり大きなオーケストラによるフォルテシモのパートが交互に出てくるのです。静かなヴォーカル部分はけっこうだと思うのですが、派手なオーケストラ・パートはいらないように思います。

f0147840_0142699.jpgブリッジは、ハーブ・アルパートの不安定なピッチが悪いほうに出た印象で、頭から尻尾まですべてが素人にうたいやすい曲というのは、そうそうあるものじゃないからなあ、と思います。この曲でもドラムはいつものようにハル・ブレインでしょう。

ほかに、テリー・サヴァラス(そう、コジャックのサヴァラス)のヴァージョンをはじめ、トリビュート・アルバムのヴァージョンなど、いくつか試聴してみましたが、特筆すべきものはありませんでした。
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by songsf4s | 2008-06-17 23:54 | Moons & Junes