<   2008年 04月 ( 25 )   > この月の画像一覧
Season of the Witch by Al Kooper and Steve Stills
タイトル
Season of the Witch
アーティスト
Al Kooper and Steve Stills
ライター
Donovan Leitch
収録アルバム
Super Session
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Donovan, Vanilla Fudge (2 versions)
f0147840_2233727.jpg

昨秋のハロウィーン特集、いや、ジョン・カーペンターのHolloween Themeを持ち出すことを読まれないようにするために、あえてEvil Moonというタイトルにした特集の途中で、魔女の歌をまだやっていないな、と思いました。

f0147840_2245069.jpgではなにかやろうか、と思ったところで、はたと昔読んだ本の一節を思いだしました。魔女の季節といえば四月なのです。で、そのときは握りこんでしまった曲をここに登場させるというしだい。しかし、ドノヴァンがこの曲を書いたとき、ヴァルプルギスの夜祭のことを意識していたか、いや、そもそも、そういうものがあることを知っていたか、そのへんは微妙です。

今回登場する三者によるヴァージョンがYou Tubeにあるので、盤をお持ちでなく、ご興味のある方は、歌詞の検討に移る前にそちらをどうぞ。いずれもライヴではなく、通常の盤からのものなので、お持ちの方はわざわざ見るようなものではありません。

また、ここにはマイケル・ブルームフィールドの名前もありますが、ご存知のように、Super Sessionは、A面のギタリストはブルームフィールド、B面のほうはスティーヴ・スティルズというメンバーで録音され、このSeason of the WitchはB面なので、ブルームフィールドはプレイしていません。

クーパー=スティルズ
ドノヴァン
ヴァニラ・ファッジ

◆ 魔女と縫い目 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

When I look out my window
Many sights to see
And when I look in my window
So many different people to be
That it's strange, so strange
You've got to pick up every stitch
You've got to pick up every stitch
You've got to pick up every stitch
Must be the season of the witch
Must be the season of the witch
Must be the season of the witch

「窓から外を見ると、じつにさまざまな光景が目に入る、窓を覗きこむと、ものすごくおおぜいの人間がいる、じつに奇妙だ、なんとも奇妙だ、あらゆる縫い目を拾わなければならない、きっと魔女の季節にちがいない」

意味? そんなことはドノヴァンにきいてください。ラリっていたのではないでしょうか。

セカンド・ヴァース。

When I look over my shoulder
What do you think I see
Some other cat looking over
His shoulder at me
And he's strange, sure he's strange.
You've got to pick up every stitch
You've got to pick up every stitch
Beatniks are out to make it rich
Oh no, must be the season of the witch
Must be the season of the witch, yeah
Must be the season of the witch

「肩越しに振り返ると、いったいなにが見えると思う? どこかよそのヤツが肩越しに振り返ってこっちを見ているんだ、奇妙なヤツだ、あらゆる縫い目を拾わなければならない、ビートニク連中はそこらで大金を稼ごうとしている、きっと魔女の季節にちがいない」

ここはちょっと怪談ぽい雰囲気があります。本邦なら、「それはひょっとしたら、こんな顔だったかい?」てなくだりですな。catは人間にも使うので、そのように解釈しておきましたが、文字通り猫のことを指す可能性もゼロではありません。でも、ここは人間のことでしょう。いくぶんか、猫のクリーピーなイメージを借りているかもしれませんが。

f0147840_22463371.jpgとはいえ、この歌詞で、なぜ魔女の季節なのか、しかもmustまでくっついちゃうのか、よくわかりません。必然性が感じられないところがシュールでいい、という意見もあるでしょうから、追求しませんが……。

ビートニクなんて、いま通じるのでしょうか? ほら、ジャック・ケルアックとかアレン・ギンズバーグとか、ああいう一群の芸術家連中のことです。ケルアックの『路上』なんて読みませんでした? いや、わたしは途中で投げましたがね。いま考えると、この邦題は珍ですね。原題はOn the Roadだから、そのまま訳せば『旅路』(池波正太郎!)、せいぜい『途上』(谷崎潤一郎!)あたりじゃないでしょうか。

話が横滑りしましたが、ヴァニラ・ファッジは、「ビートニク」は古いと判断したようで、ヒッピーズと言い換えています。しかし、いずれにしても、古くなってしまうのだから、いまになれば、どっちだっていいじゃないか、と思います。落語で、一両を一円と言い換えたりしますが、どっちにしろ、貨幣価値は変わってしまうから、無駄なのと同じです。

◆ エディー・ホー ◆◆
看板にはアル・クーパーとスティーヴ・スティルズのヴァージョンを立てました。しかし、その理由はアル・クーパーでもなければ、スティーヴ・スティルズでもありません。ドラムのエディー・ホーです。

あまり有名ではないし、わたしもそれほど多くのトラックを聴いたわけでもありませんが、いいタイムのドラマーなんですよ。彼がプレイした曲でもっとも有名なのは、モンキーズのDaydream Believerでしょう。あの四分三連と二分三連のコンビネーションによるフィルインは、派手ではないものの、ちょっと印象的でした。

f0147840_22474262.jpg
エディー・ホー? Super Sessionの裏ジャケで、唯一、名前と顔の一致しない人物。

なんせ、Must be the season of the witchのくだりで、ちょっとちがうところにいくだけで(といっても、ただのG-Aだが)、ほとんどはDm7とG(各ヴァージョン、キーは異なる)をいったり来たりするだけの単純な曲なので、実情をいえば、あとなにを書けばいいんだ、てなもんです。

クーパー=スティルズ盤は、この単純さをインプロヴに利用しています。がしかし、スティルズのインプロヴを聴きたい人がどれだけいることやら。CSN&Yの4 Way Streetでの、ニール・ヤングとの悪夢のギター・バトルは、わたしにとってはトラウマといってもいいぐらいで、彼の長いソロなんか聴きたくもありません。

いや、それをいうなら、ニール・ヤングもギター・ソロなんてものはいっさいしないほうがいいでしょう。ヤングにくらべれば、スティルズはずっとマシで、たとえばWooden Shipsの、トレブルを絞ったやわらかいトーンの、おそらくはフィンガリングによるプレイ(ギターはグレッチ?)なんか、なかなかけっこうでしたし、Blue BirdやBlack Queen(「色物」で統一してみた)での、強烈なアコースティック・ギターのプレイなども魅力があります。

71年だったか、アメリカでスティルズを見た友だちから聞いた話ですが、むやみに弦を切るので、スペアタイアのように、ステージにずらっとギターを並べていて、Black Queenでも弦を切ったそうです。そりゃそうでしょう。あんなにブリッジに近いところで強いピッキングをしたら、太い弦だってひとたまりもありません。しかし、ブリッジすれすれと、強いピッキングのふたつがそろわないと、あのサウンドにはならないのだから(もうひとつ、マーティンも加えるべきかも。ギブソンではあんな音は出ない)、弦を大量消費するのもやむをえないでしょう。

f0147840_2354017.jpg
左から、ハーヴィー・ブルックス、スティーヴ・スティルズ、アル・クーパー

で、このSeason of the Witchにおけるスティルズのプレイですが……うーん、つまらん、と一言いえばいいだけか! そういっては身も蓋もないのですが、スティルズは、録音をすっぽかしたブルームフィールドの代役として、やむをえず呼ばれただけです。ブルームフィールドの精神状態さえ安定していれば、この曲でも彼のプレイが聴けたでしょう。

まあ、エディー・ホーの端正なプレイを楽しめるから、わたしとしてはそれで十分です。ハイハットのキレ申し分なし、サイドスティックのサウンドも一級品。どういうわけか、ほとんど録音が残っていないこのドラマーの、これは代表作といえる一枚だと思います。

そうそう、昔はハーヴィー・ブルックスというベースには、とくに注目していなかったのですが、久しぶりに聴いて、なかなか悪くないと感じました。その後の数十年のあいだにひどいプレイを聴きすぎただけかもしれませんが。

◆ ヴァニラ・ファッジ盤 ◆◆
この曲を収録したヴァニラ・ファッジのRenaissanceというアルバムは、彼らの代表作といっていいと思います。他人の曲に奇怪なアレンジをほどこすことで売り出したヴァニラが、このアルバムでは、オリジナル曲中心にシフトし、その楽曲の出来がよかったことで、当時はおおいに気に入っていました。

f0147840_238216.jpgということはつまり、当初は新鮮に感じられたヴァニラ流の異様なアレンジに飽きたのだと、いまにして思います。どれか一曲だけを取り出せば、そして、その曲のオリジナルを知っていれば、You Keep Me Hanging Onにせよ、Ticket to Rideにせよ、She's Not Thereにせよ、もっと後年のThe Windmills of Your Mindにせよ、いまでもそれなりに面白いと感じられるでしょう。

しかし、それが束になってみるとどうか? 一見、クリシェへの批評に思えたものが、結局のところ、別種のクリシェでしかないことが露呈してしまうのです。いや、彼らのスタイルが変形されて、主としてヘヴィー・メタル方面に受け継がれ、文字通りのクリシェに堕したことには同情します。でも、それ以前に、高校生のわたしは、すでにNear the Beginningの段階でパターン化を感じとり、興味を失いました。

f0147840_024987.jpg子どものときは、ヘビのように長ったらしく思わせぶりなイントロも、なにやら粋なものに感じていましたが、年をとると、早く噺に入れ、枕を聴きに来たわけじゃない、といいたくなってしまいます。「じらし」を楽しめないようになっちゃ、もうまもなく棺桶かな、という気もしますが……。年齢によって、音楽の感じ方は180度ちがうものだな、と呆れます。

ドラムとベースのスタイルも、それまでの常識にはないものでした。中学生はそういうのが大好きだから、あのころはカーマイン・アピースとティム・ボガートのファンでした。中学どころか、大学に入ってもまだなんとなく彼らが気になり、武道館にまで、ベック・ボガート&アピースを見にいき……それでついに憑きものが落ちたようです。ティム・ボガートになにも期待できないのはカクタスで十分にわかっていたことで、人間というのは、現実を受け容れるのに長い時間を必要とするようです。

しかし、Renaissanceは、当時はよく聴いたアルバムで、もうヴァニラに興味はなくても、1枚だけいいものをあげろ、といわれれば、デビュー盤かRenaissanceのどちらかにするでしょう。リリースの時点でしか意味をもたなかったとしても、公平にいって、それが無価値ということにはなりません。あのときには大きな価値がありました。

f0147840_2312099.jpg現在のCDではあとによけいなものが加えられていますが、Season of the Witchは、LPではアルバム・クローザーなので、彼ら(またはプロデューサーのシャドウ・モートン。いまになると、あれはモートンのサウンドだったのではないかという気がする)がそれだけの意味のあるトラックと考えていたことがうかがわれます。しかし、それは時代感覚のバイアスが強くかかっていたのでしょう。いま聴くと、沈鬱で、芝居がかりなところが、やや滑稽に感じられます。この年になると、カーマイン・アピースのミスショット、とくにパラディドルがスムーズでないことも気になります。

彼らは、最近のThe Returnというアルバムでも、またこの曲をやっています。タコが自分の足を食べたようなもので、過去の縮小再生産にすぎません。アピースのタイムはいくぶん改善していますが、パラディドルで乱れる悪いクセは直っていません。まあ、ドラマーというのはそういうものです。

◆ 魔女的魔女 ◆◆
f0147840_2313148.jpgドノヴァンという人は、なんといっていいのかわかりません。それなりに好きだった曲があり(Sunshine Superman、Mellow Yellow、Atlantis、To Susan on the West Coast Waiting、Jennifer Juniper、Riki Tiki Tavi、Barabajagal、Wear Your Love Like Heaven、Song for John、There Is a Mountain)、新宿厚生年金まで見にいきましたが、だからといって、好きなアーティストだったことがあるような感覚は残っていません。Just friends, lovers nomoreではなく、はじめからjust friendsという感じで、いまも、強い好悪の感情はありません。

で、Season of the Witchです。久しぶりに聴いたら、ドラムがうまいんで、おや、イギリスにもいいドラマーがいるな、と思い、クレジットを見ました。おっと、ハリウッド録音、ドラムはエディー・ホー! うまいはずです。

ただ、タイトルとの関係で考えると、このヴァージョンはスムーズすぎるというか、軽すぎるというか、あっけらかんとしすぎているというか、物足りないというか、カヴァーがつけ込む隙がたっぷりあると感じます。

Super Sessionは、短時間でつくられたものなので、はじめから複雑な曲は排除する方針だったにちがいなく、多くはインプロヴしやすい曲なので、魔女という題材にとくにこだわった形跡はなく、たんに結果的に、ドノヴァン・ヴァージョンよりいくぶん沈鬱な、「魔女」という題材により接近したたムードが生まれたにすぎなかろうと思います。

ヴァニラ・ファッジ盤は、明らかに魔女という題材それ自体に重きを置いたアレンジです。それゆえに、歌詞の物足りなさを補うために、最後のほうに、いわずもがなの、よけいなものを付け加えてしまったのではないでしょうか。ヴァニラ盤のエンディングには以下のような台詞が加えられています。

God, god, hey!
If you can't help us, you better listen
Please...Mama, I'm cold

なにをやるのもご自由だし、とりわけ、あのころはそういうムードが充満していたので、当時は、この芝居がかりのくだりを、べつにどうとも思わずに聴いていました。しかし、いま聴くと、赤面とまではいいませんが、ちょっとばかり尻がむずむずし、早送りボタンに手が伸びそうになります。

光陰矢のごとし、流行り廃りはうたかたの夢、時の雨しずくは、ゆっくりと、しかし無慈悲に、音楽がまとっていた衣と肉を洗い流し、骨組だけの野ざらしにしてしまうものだなあ、と無情を感じる聞き比べでした。音楽がしゃりこうべになったとき、すぐれたドラマーのプレイだけが、確固たる実体として耳をうちます。
[PR]
by songsf4s | 2008-04-30 22:12 | 魔女の季節
Repent Walpurgis by Procol Harum
タイトル
Repent Walpurgis
アーティスト
Procol Harum
ライター
Mathew Fisher
収録アルバム
Procol Harum (eponymously titled 1st album)
リリース年
1967年
f0147840_23372125.jpg

明日、というより、お読みになっているみなさんの側からいうと今日4月30日の夜は、「ヴァルプルギスの夜祭」、すなわち、聖ヴァルプルガの祝日のイヴです。

聖女であるヴァルプルガがどのような因縁をもったのかわかりませんが、この夜、ドイツはハルツ山系の最高峰、ブロッケン山に魔女たちが集い、とてつもないドンチャン騒ぎをやらかすといわれています。

f0147840_23493561.jpg
冬のブロッケン山頂。聖ヴァルプルガの祝日は、春の訪れを祝うものでもあるそうで、ずいぶん寒い地方なんだなと感じる。メイデイの起源もこの祝日にあるらしい。

なんだって、聖女の祝日の前夜に魔女が集会を開くのかと、いちおう調べたのですが、謂われは不明のようです(もちろんウィキペディアの寝言は無視)。一般論として、悪魔、魔女は、聖者のカウンターパート、実体に対する影法師のような必須付属物なので、聖人の祝日があれば、それに付随して、対となる邪悪なものの祝日が必要だったのではないでしょうか。そして、聖女の祝日の前夜だから、ジェンダーを一致させて、魔女の夜会とした、というあたりでは?

「ブロッケン山の幽霊」というものがあります。ブロッケン山頂に立つと怪物に遭遇するのだそうです。これは怪異現象ではなく、気象現象です。霧がスクリーンの役割を果たし、自分自身の影がそこに拡大投影され、奇怪な形象となってうごめくのを、「幽霊」といったのです。まさに、幽霊の正体見たり枯尾花。ちなみに、枯尾花とはススキの異名であると辞書にあります。コンプレンデ? あ、こりゃドイツ語じゃないか。

f0147840_2350130.jpg

ブロッケン山の幽霊は、べつにブロッケン山に特有の現象ではなく、より一般的には「グローリー」(後光のこと。日本では「稲田の後光」といわれることもある)といわれる現象の一支部みたいなものです。4月30日の夜に魔女が大宴会を開くという伝説と結びつき、この普遍的気象現象が、世界的にこのように呼ばれることになってしまったのでしょう。

f0147840_23502769.jpg
グローリーの一例。現代人から見れば、ちょっとした光学現象にすぎない。科学というのは、考えてみると、一面で罪なものである。

彫刻家ベンヴェヌート・チェリーニは、ある霧の朝、この「グローリー」現象に遭遇し、みずからの頭部に後光がさしているのを見て、ついに俺も聖者に列せられたか、なにしろ俺は天才だからな、と思ったそうです。こういう幸せな人は、幸せなまま死んだのではないかと思います。わたしは理性をもって地上を統べるのをよしと考える人間ですが、残念ながら、理性で幸せになった人の話というのは、とんと聞きませんなあ。

◆ 曰く因縁枯尾花 ◆◆
ヴァルプルガの登場する曲など、わたしはプロコール・ハルムのRepent Walpurgisしか知りません(世の中にはオカルトに傾斜した音楽というのが山ほどあるので、しかるべき方面にはゴロゴロしているのかもしれない)。そもそも、ヴァルプルガなどというものを知ったのからして、この曲のせいなのです。

しかし、聖女に向かってなぜ「悔い改めよ」などというのか、不思議なタイトルです。多くの人がこのタイトルを不可解に感じるからでしょう、プロコール・ハルムのオフィシャル・サイトで言及されています。以下、作者のマシュー・フィッシャーによる説明。

Well, I don't think it means anything, really. As you may already know, I got the idea for the chord sequence from a Four Seasons record called Beggin'. Apart from the organ introduction it was a pretty co-operative effort. Rob, in particular, added a lot with his guitar-playing. The Bach prelude was, I think, Gary's idea. We were thinking of doing the whole prelude as a separate piece but Gary suggested putting it in to break things up a bit.

How the title came about was that we were trying to decide what the mood of it was. I thought it was all very angst-ridden and hence suggested 'Repent'. Someone else (probably Gary or Keith) thought it evoked images of Walpurgis Night (demons and such). Eventually we decided to put the two together.

「じつのところ、とりたてて意味などないと思う。たぶん気づいているだろうが、コード進行は、フォー・シーズンズのBeggin'という曲からアイディアを得ている。オルガンによるイントロをのぞけば、Repent Walpurgisは共同作業の産物だ。とくにロブ(・トロワー)はそのギター・プレイで多くのものを付与している。バッハのプレリュードは、たぶんゲーリーのアイディアだったと思う。われわれは、あのプレリュード全体を独立した曲としてやろうとしていたのだけれど、ゲーリーがちょっとした変化を与えるためにRepent Walpurgisに組み込もうといいだしたのだ。

タイトルはこういういきさつで決まった。どういうムードでプレイするか、ということを話し合ったとき、わたしは、全体が怒りの感覚で満ちていると考えたので、『悔い改めよ』という言葉を持ち出した。だれか、たぶんゲーリーかキースが、『ヴァルプルギスの夜祭』をイメージさせる、といった。結局、このふたつをつなげてタイトルにしたというしだいだ」

タイトルの前半と後半は命名者が異なり、したがって、前後半に連関はないという、幽霊の正体見たり枯尾花でした。ここで言及されているブルッカーのピアノ・ブレイクは、the Prelude No 1 in C majorというものだそうです。うちにあるささやかなバッハのグレイテスト・ヒッツ(!)には収録されていませんでした。

◆ ハルムにも長いお別れを ◆◆
プロコール・ハルムのRepent Walpurgisといっても、いくつかのヴァージョンがあります。まずは、オリジナルというか、デビュー盤に収録されたヴァージョン。これがもっとも人口に膾炙しています。じっさい、日本では、長年にわたってJunのコマーシャルに使われていたので、アーティスト名や曲名を知らなくても、あのハモンドのフレーズを聴けば、ああ、あれがそうか、と思いだされる方はたくさんいらっしゃるでしょう。阿井喬子が「Jun, clasical elegance」と例のあの声でいう企業イメージCMです。

f0147840_23525185.jpg当時は知りませんでしたが、これはショート・エディットだったことが、のちにわかりました。オリジナルのロング・ヴァージョンは、Pandora's Boxという、オルタネート・テイク/ミックス集に収録されています。何小節目にハサミが入ったか、なんてことをいっても詮ないので、わかりやすくいえば、ブルッカーのピアノによる、メイジャーに転調するバッハ・シークェンスが、ロング・ヴァージョンでは二度繰り返され、その前後にマシューのハモンドや、トロワーのギターがくっついています。この部分が切られて、5分少々の短縮版がつくられたわけです。オリジナルは、わが家のプレイヤーの表示では7分29秒となっています。

f0147840_23543576.jpg盤になっているものとしては、ほかに95年のライヴ、Long Goodbye(なんでハルムがチャンドラーの長編のタイトルを使っているのか?)収録ヴァージョンがあります。メンバーとしては、もちろん、B・J・ウィルソンはいないものの、ブルッカーのほかに、マシュー・フィッシャーとロビン・トロワーもいて、そこそこのものになる可能性もあったと思います。しかし、マシューがハモンドではなく、パイプ・オルガンをプレイしているのが致命的で、おおいに違和感があります。もちろん、BJほどの表現力のあるドラマーはめったにいるものではないので、ドラムは馬鹿馬鹿しいかぎり。

もともとが沈鬱荘重な曲ですから、ひとつまちがえば茶番になるわけで、このLong Goodbyeヴァージョンを筆頭に、ライヴはどれもあまり出来がよくありません。

まだBJがいた73年のテレビ・ライヴも、あまりいいとは思いません。このときのオルガンはクリス・コピングだと思いますが、どうにもこうにも退屈で聴いていられませんし、BJもとくに好調とはいえません。そもそも、テンポが遅すぎます。

ギターは日本にも来たなんとかいうプレイヤーでしょうが、武道館のときはトロワーに交代して加入したばかりで、譜面を見ながらやっていたのが、ここでは譜面なしになってよかったね、としか思いません。カメラが見当違いのところばかり追っているのにも苛立ちます。

このヴィデオで面白いのは、BJが、フロアタムの横に、ティンパニーぐらいの大きさの追加タムを置いていることがわかったことだけです。いや、それとも、ティンパニーそのものだったのか?

もっと近年のものになると、もう箸にも棒にもかからないひどさです。ギターもドラムも、なんのアクセントもつけず、間の取り方も変化させず、どの音も同じウェイトで、ただ平板にずらずらと機械的に並べているだけで、PCスクリーンのなかに入りこんでいって、殴りつけたくなります。

しかし、音に表情をもたせない平板なプレイというのは、この何十年かの支配的傾向であり、彼らはその「いまどきのプレイヤー」にすぎないのでしょう。わたしが同時代の音楽を聴かなくなった最大の理由は、ドラマーが「表現」をやめ、「表情」を失ったことです。クリック・トラックがもたらした惨禍なのか、シークェンサーに合わせなければならなくなったからなのか、それとも、プログラムされた「機械のドラマー」が増えて、それと同化してしまったのか、そのへんはよくわかりませんが。

◆ 『ファウスト』のヴァルプルギス ◆◆
それにしても、ヴァルプルギスの夜祭というのは、こういう沈鬱荘重なムードだと考えられているのでしょうかねえ。

これを題材として取り入れたものとしては、ゲーテの『ファウスト』が有名だというので、やむをえず、三十数年前に挫折した挑戦を継続してみました。『ファウスト』第一部の終盤、「ワルプルギスの夜」の場から感じられるものは、メッカへ向かって何十万人もの巡礼が移動する光景に近く、たいへんな馬鹿騒ぎだということです。メッカの巡礼は大げさとしても、関ヶ原で勝った東軍が、ロック・バンドか野球チームのように、即日移動で佐和山城に向かったときの、家康が激怒した大渋滞の混乱を思わせるものです。

プロコール・ハルムの曲で、このゲーテの描写(といっても、まさか眼前に見た光景を描いたわけではないが!)に近いのは、In Held 'Twas in Iの第二楽章、'Twas Teatime at the Circusではないでしょうか。まあ、宴たけなわのあとには、なにか隠微なことがあろうと想像するのはごく自然で、そういうイメージなのかもしれませんが。

しかし、『ファウスト』には、ヴァルプルギスの夜祭が二度登場します。第二部の第二幕「古代ワルプルギスの夜」の冒頭に出てくる魔女エリクトーの台詞をスキャンしてみました(池内紀訳)。

f0147840_2357375.jpg

どうでしょう。このへんになると。Repent Walpurgisの荘重なムードに近いかもしれないと感じます。

しかし、わたしという人間は、「荘重」とは縁がなくて、なんだって、子どものころ、この曲が好きだったのか、その答はいまになるとブロッケン山の霧のなかです。しいていえば、いま聴いても、冒頭のマシューのサウンドとプレイは好ましく、この一点かもしれません。わたしにとっては、プロコール・ハルムとはマシュー・フィッシャーのオルガンであり、BJのドラミングにほかならなかったのですから。
[PR]
by songsf4s | 2008-04-29 23:57 | 魔女の季節
$1000 Wedding by Gram Parsons その2
タイトル
$1000 Wedding
アーティスト
Gram Parsons
ライター
Gram Parsons
収録アルバム
Grievous Angel
リリース年
1974年
f0147840_39541.jpg

「$1000 Wedding by Gram Parsons その1」よりつづく。

◆ 闇に消えたテープ ◆◆
あとで伝記を読んでわかったのですが、グラム・パーソンズは、フライング・ブリトー・ブラザーズのセカンド・アルバム、Burrito Deluxeですっかり嫌気がさし、数年のあいだ隠遁状態だったのだそうです。

f0147840_3121175.jpg
The Flying Burrito Brothers "Burrito Deluxe" まだグラムが在籍しているのに、グラムがまったく感じられない奇妙なアルバム。買ったとき、割りたくなった。すくなくとも、グラムのカタログからは抹消してよい。A&M首脳陣は、マスターを聴き、これで君たちのキャリアは終わる、べつのものをつくれ、といった。彼らはさらに録音をつづけたが、事態はいっそう悪化しただけだった。この「もうひとつのセカンド・アルバム」のセッションが、グラムの没後、さまざまな形でリリースされた。しかし、このときに録音されたという、$1000 Weddingのオリジナル・ヴァージョンはどこへいったのだ?

そのあいだ、なにをしていたかというと、あちこちに出かけて、遊んでいたようです。なにしろ、莫大な信託財産があるので、生活には困らず、これがかえって彼のキャリアを迷走させたように感じます。

最初は、まだマンソン・ファミリーの再襲撃におびえていたテリー・メルチャーの家に転がり込んで、しばらくのあいだ、セッションを繰り返したそうです。よし、というので、メルチャーをプロデューサーにして、グラムの初のソロ・アルバムにとりかかったはいいけれど、メルチャーはコンソールに突っ伏して寝込む、グラムはグランド・ピアノに吐く、というていたらくで、まともなセッションではなかったようです。二人ともひどいアル中、グラムにいたってはドラッグのほうでもすごかったのです。

f0147840_3135178.jpg
Sid Griffin "Gram Parsons: A Music Biography," Sierra Records, 1985. わたしが知るかぎり、最初に出版されたグラムに関する本。この本によって、没後、グラムの名声が高まっていることを知った。「音楽伝記」という副題が示すように、いわゆる伝記ではなく、関係者へのインタヴューで構成されている。エミールー・ハリスのインタヴューは、音楽のことに話を限定する、と気を遣っているが、なあに、エミールー自身がのちに非常に思わせぶりなことをいっている。どうであれ、グラムの妻はエミールーに猛烈な嫉妬をした。この二人がただの友だち、ただの仕事仲間であるはずがない、と信じさせるほど、グラムとエミールーの歌は相和していた。

このときに10曲ほどが録音されたそうですが、ある日、グラムがA&Mのオフィスにやってきて、そのテープをもちだしたきり、その後、発見されていないそうです。あまりのひどさに、グラムが廃棄したか、自宅の火事のときに焼いてしまったのではないでしょうか。

ブリトーズの末期から、グラムはキース・リチャーズにべったりになり、ソロ・アルバムの挫折のあとは、イギリスに渡って、主としてリチャーズの家に滞在し、税金の問題から、ストーンズがフランスに逃げだしたときにも、リチャーズについていっています。Exile on Main Streetのいくつかのトラックには、グラムが参加しているという噂があり(キースは肯定も否定もしていない)、グラム・ファンはその鑑定に忙しいようですが、わたしは興味なし。

グラムがストーンズからなにか得たかもしれませんし、ストーンズ、とくにキース・リチャーズはグラムからなにか得たのかもしれませんが、具体的なものとしてはなにも残っていません。しいていえば、Contry Honkでしょうが(グラムがいなければ、ストーンズのカントリーへの傾斜はなかった)、だからどうした、です。

Shots from so called "the lost weekend" of Gram Parsons and Keith Richards.
f0147840_3515712.jpg

f0147840_3404892.jpg

f0147840_3431777.jpg

f0147840_3434789.jpg

f0147840_347343.jpg

f0147840_3474089.jpg
グラム・パーソンズとキース・リチャーズの「失われた週末」の記録。一番下の写真の女性はアニタ・パレンバーグ。グラムとキースはこのときドラッグ中毒の治療を受けていて、二人でうたったり、ギターを弾いたりで、苦痛に耐えていたとか。

グラムがこの「失われた週末」から帰還できたのは、たぶん、エミールー・ハリスというシンガーに出会ったおかげでしょう。フランスからもどった(ありていにいえば、尋常ではないグラムの振る舞いに耐えかねたキースに追い出された。グラムのような人間とつきあえるのは、彼と同等に尋常ではない人間だけだろうが、キース・リチャーズほど尋常ではない人間も耐えられなかったということは、一考に値する!)グラムは、クリス・ヒルマンらの助言で、ワシントンまでこの無名のシンガーを見にいき、イマジネーションを刺激されます。すなわち、新しいジョージ・ジョーンズとタミー・ウィネットの誕生!

しかし、なにごとも真っ直ぐには進まないグラムの人生にあっては、アルバム・プロジェクトもすんなりとはいかず、ああだこうだの紆余曲折があり(とりわけ、プロデューサーとして招聘したマール・ハガードとのゴタゴタ)、またイギリス旅行があったりしたあげく、エミールーとの出会いから一年近くのち、ようやくスタジオに入ります。初日から、共同プロデューサーのリック・グレッチ(たび重なるイギリス滞在で知り合った)が胆石で入院するという蹉跌が起こります。さすがは名にし負うトラブル・メイカー、手の込んだ遠隔トラブルを引き起こして、GPプロジェクトはスタートします。

f0147840_401356.jpg

◆ 妻が隠す夫の惨たる状態 ◆◆
グラムのソロ・デビュー作、GPがたちまちチャートを駆け上がっていたら、むしろ、彼のその後の名声はなかったのではないでしょうか。すこしだけ、世間より先を歩いてしまったアルバムだと感じます。「カントリー・ロック」はオーケイでしたが、ロック・シンガーがうたう「もろのカントリー・アルバム」は、まだ不可だったのです。

しかし、わたしはこのアルバムから、カントリー臭味は感じません。きわめてオリジナルなミュージシャンだったグラムは、どこかのジャンルに収まる以前に、ひとりで一ジャンルを形成するタイプでした。わたしがこのアルバムから聴き取ったのは、ほかのなにものでもない、純粋な「グラム・パーソンズの音楽」でした。

裏話を読めば、たいていの作品はさんざんな状況でつくられているもので、GPのときのグラムも最低の状態だったようです(スタジオにも付き添ってきた妻は、ひどい状態をプレイヤーたちに見せないために、グラムをパーティションの外に出さなかったという。バッド・トリップしていたのだろう)。しかし、わたしの耳には、人生のどん底で、右も左もわからぬまま、ボンヤリとつくったアルバムにはとうてい聞こえません。そもそも、グラムがうたおうとしていたのは、暗く深い底でもがく魂だったのだから、現実の人生のどん底と、表現されたどん底の状態が区別できないのかもしれませんが。

f0147840_44884.jpg

グラムの歌の魅力は、端的にいえば、(ひどいクリシェをお許しいただきたいが)「甘さと苦さの絶妙のブレンド」で、おそらく、このブレンドを得るには、不幸な人生と大量のアルコールと最高級のドラッグを必要としたのでしょう。ありあまる財産も、不幸を倍加することはあっても、減じることはなかったにちがいありません(バーニー・レドンはグラムに、俺はおまえとちがって働かなければならない、といったそうだが、こんな小さなこともグラムの鬱を増しただろう)。

しかし、アルバムGPが市場で無視されたことは、グラムの状態をさらに悪化させたと思われます。悪いことに、この時期に、カントリー・ロックという「ジャンル」が表舞台に出かかっていました。グラムは、ありとあらゆる「カントリー・ロック・バンド」を呪ったことがあるそうです。

ポコも、イーグルズも、あんなものはバブルガムにすぎない、といったと伝えられていますが、気持はよくわかります。イーグルズのTake It Easyを聴いたとき、わたしが思ったのも似たようなことでした。バーズとブリトーズ(ということはすなわちグラム・パーソンズ)のやったことを水で薄めて売りやすくしたもの、と聞こえたのです。あの時点では、イーグルズはまだマシな部類だと思ってはいたのですがね。

f0147840_452074.jpg
Ben Fong-Torres "Hickory Wind: The Life and Times of Gram Parsons," Pocket Books, 1991. こちらは通常の伝記。いろいろなことがわかったが、でも、この本で描かれた人物は、アルコールとドラッグにかき乱された支離滅裂な人生を送った無頼漢にしか見えず、たった一曲でもまともな音楽がつくれたようには思えない。グラムの音楽の切れ端すら捉えていない非音楽的伝記。

グラムがなにを目指していたのか、彼の惨憺たる人生から読み取るのは困難です。彼の表現によれば「コズミック・アメリカン・ミュージック」ということになるのですが、これでなにかがわかる人はいないでしょう。ときには、「カントリー・ロックなんかじゃない、カントリーだ」といったこともあるそうですが、これもその場の成り行きから、つい口にした言葉に感じます。

のちに、彼は「伝説のカントリー・ロック創始者」と呼ばれることになりますが、墓の下で、冗談いうな、カントリー・ロックなんかクソ食らえだ、と腹を立てているでしょう。他人がつくった「ジャンル」など、興味がなかったにちがいありません。とくに「カントリー・ロック」という言葉には我慢がならなかったらしく、繰り返し、さまざまな場面で、自分の音楽はカントリー・ロックではないと否定しています。

わたしはグラム・パーソンズの長年の大ファンですが、彼の音楽をカントリーと思ったこともないし、まして「カントリー・ロック」という文脈で考えたことなどありません。繰り返しますが、彼はひとり一ジャンル、他とは隔絶した高みにいます。イーグルズごとき三下と同じジャンルにされたときのグラムの怒りは、わたしの怒りでもあります。大文字の「ザ・シンガー」と、その爪の垢を煎じて飲んだだけの物真似芸人を、同じ地平に並べる馬鹿がどこにいますか。

グラムの不幸は故郷のジョージアにまでさかのぼりますが、しかし、彼に最後まで取り憑いて、その存在そのものをおびやかした最大の不幸は、こういう無理解、あらゆる才能を「パッケージ」してしまう、芸能界のありようそれ自体だったかもしれません。

パーソナル・ライフがどうであったにせよ、彼の音楽人生は、まさに魂の七転八倒、のたうち回って、もがき、苦悶しているようにしか見えません。バンドからバンドへ、プロジェクトからプロジェクトへと、けっして「センテンスを完結」することなく、彷徨っていった彼の軌跡は、のたうち回る魂が、この世に投影された像にすぎないのでしょう。

f0147840_4224545.jpg
グラムと妻のグレッチェン。女優としてのキャリアをなげうって、尋常ならざるシンガーにじつによく尽くしたが、最後は嫉妬の業火に灼き滅ぼされた。

◆ 砂漠のミステリー ◆◆
このようなアル中にしてジャンキーの人生には、トラブルは付きものですが、体調がよくなかったことをのぞけば、$1000 Weddingを収録したセカンド・アルバム、Grievous Angelは、とくにひどいトラブルに見舞われることもなく録音されたようです。グラム自身も、はじめて自分の音楽に満足したことが、残された彼のコメントや周囲の証言からうかがわれます。

しかし、このセカンド・アルバムのニュースや現物が届く前に、思わぬところで、グラムの消息を知ることになりました。新聞の三面記事です。グラム・パーソンズというアメリカの歌手が死亡し、空路ロサンジェルスに運ばれた遺体が盗まれ、翌日、砂漠で火葬されたことがわかった、というミステリアスなニュースでした。グラム・パーソンズの名前を新聞記事で読むとは思っていなかったので、わたしは何度も読み直しました(のちに死因はドラッグ・オーヴァードーズとわかった。グラムの死因がほかのものだったら、かえって驚くが!)。

f0147840_4281464.jpg

このミステリーそのものは、グラムの友人でツアー・マネージャーだった人物が、生前にかわした約束を守って、ジョシュア・トゥリーという砂漠の真ん中に彼の遺体を運び、火葬しただけだったことが、後年、伝記でわかりました。

しかし、わたしとしては、日本の新聞の外報選択基準とは正反対に、遺体がどうなったか、だれが盗んだか、などはどうでもよく、グラムの死それ自体がショックでした。アルバムGPの出来から、つぎの盤をおおいに期待していたのです。なんだ、GPでおしまいか、と気が抜けました。

これまたあとでわかったことですが、セカンド・アルバムの作業は、ジャケット写真の撮影を残すだけで、すべて完了していました。しかし、アーティストの死を販売に利用した、という非難を受けたくなくて、リプリーズ・レコードは、このアルバムのリリースを延期してしまったのだそうです。

だから、彼の死からだいぶたって、セカンド・アルバムGrievous Angelを見たときは、遺作というより、残されたガラクタを寄せ集めたものではないか、と考えました。もちろん、針を落とすまでのことですが!

f0147840_4324193.jpg

◆ 嘆きの天使 ◆◆
グラムが、死の直前に完成したアルバムの出来映えに満足した、というのはよくわかります。楽曲の出来、グラム自身のヴォーカル、そして、エミールーとのヴォーカル・コンビネーション、さらにはバンド(ジェイムズ・バートン、グレン・ハーディン、ロン・タットというエルヴィスのバンド、のちのエミールーの「ホット・バンド」)のプレイ、すべてがGPの延長でありながら、いちだんと洗練され、完成度の高いものになっています。

なによりも、グラムのヴォーカルが重要です。彼が死の直前にどこまでたどり着いたかは、ほかならぬ$1000 Weddingから聴き取ることができます。もう歌いだしからしてすごいのです。

Was a $1000 weddingとうたうグラムの声! ピッチの揺れ! これがgreat voiceじゃなくて、どこにgreat voiceなんてものがあるのか。Hot Burrito #1の"I'm your toy"のラインで、高校生の魂を震えさせたあのクラッキングは、よりいっそう深みを増していました。グラム・パーソンズ・トリビュート・アルバムなんてものが出ていますが、わたしは興味のかけらももったことがありません。グラム以外の人間の声で、グラムの歌なんか聴いて、いったいどうするというのか? 気がふれているとしか思えません。グラム・パーソンズが偉大である理由は、あの声にしかないのです。

f0147840_4352864.jpg
Gram Parsons with the Shilos. 学生時代のフォーク・グループ、シャイローズ。右から二人目がグラム。

もちろん、彼が残した楽曲に魅力がないということではありません。でもねえ……。われわれは記録された音楽の時代に生きているんですよ。19世紀に生きているわけではありません。この意味がわかりますか? たとえ歌い手は死んでも、歌声は残るのです。ニセモノはまったく不要じゃないですか。そこにホンモノがちゃんとあるのに! まあ、よろしい。トリビュート・アルバムというのは、悪質な商売人たちが、脳足りんのリスナーから小銭を巻き上げるために考え出した、ろくでもない「エンジニアリング」にすぎないので、そんなもののことは放っておきましょう。

残念ながら、没後にリリースされたものも、やはり「エンジニアリング」のたぐいです。わたしもすこし脳足りんなところがあるので、グラムに関しては断簡零墨まで食指が動き、いくつか買ってしまいました。いい瞬間がなかったわけではありません。しかし、その話は、近々控えているグラム・パーソンズの再登場のときにでもします。グレン・ハーディン、ロン・タット、ジェイムズ・バートンといった、晩年のグラムを支えたミュージシャンたちの仕事ぶりについても、そのときに書くとします。

ひとつだけ書いておくと、$1000 Weddingにおけるロン・タットのドラミングはみごとです。ダブルですが、トラップも、オーヴァーダブらしきタムも、非常に効果的なプレイをしています。彼らの素晴らしいプレイがなければ、グラムが満足して死ぬことはなかったにちがいありません。

f0147840_437682.jpg

[PR]
by songsf4s | 2008-04-29 04:38 | 愚者の船
$1000 Wedding by Gram Parsons その1
タイトル
$1000 Wedding
アーティスト
Gram Parsons
ライター
Gram Parsons
収録アルバム
Grievous Angel
リリース年
1974年
f0147840_23334018.jpg

今月は「馬鹿ソング」特集などという、馬鹿がこじれてしまったようなことをやってきましたが、本日をもってこの特集もラクとなります。

馬鹿ソングなどという、季題とはいえないもので特集を組んだのは、季題にこだわっていてはどうにもしようのないアーティストをなんとかしたかったからです。おかげで、ラスカルズデイヴ・クラーク5ポール・バターフィールド・ブルーズ・バンドライ・クーダー、さらには古川ロッパまで登場させることができて、席亭として欣快に堪えません。

しかし、まだまだこんなものじゃない、というと変ですが、わたしがブログをやっていて、どうしてこの人が出てこないのか、摩訶不思議というしかないアーティストがのこっています。

わたしはドラム馬鹿、ギター好きなので、シンガーはつねに二の次、三の次なのですが、それでも、好きな歌い手というのはやはりいます。たまにシンガー・ベスト3なんていうゲームをやるのですが、これはあまり変動がありません。ジョン・レノン、スティーヴ・ウィンウッド、そして今日の主役、GPことグラム・パーソンズです(次点はブライアン・ウィルソン、ボビー・ジェントリー)。

昔は、グラム・パーソンズなんていってもだれも知らず、雑誌記事にグレアム・パーソンズと誤記されたくらいですが、各国のブログなどを見ると、いまではかなりの頻度で取り上げられています。没後35年にして、エミールー・ハリスをはじめとする信奉者たちの広報の努力もあって、彼が生前望んでいたであろう場所に位置づけられたといっていいでしょう。

f0147840_23404175.jpg

◆ 荒れる花婿 ◆◆
意味のよくわからない歌詞は、原則として避けるのですが、GP作品とあってはやむをえません。以下、書いているわたし自身がよくわかっていないのだということをご承知おきください。構成もいくぶん不可解なところがありますが、以下はファースト・ヴァースないしはセカンドと合体したものです。

Was a $1000 wedding supposed to be held the other day
And with all the invitations sent
The young bride went away
When the groom saw people passing notes
"Not unusual," he might say, "But where are the flowers for my baby?
I'd even like to see her mean old mama
And why ain't there a funeral
If you're gonna act that way?"

「このあいだ、1000ドルをかけた結婚式が開かれることになっていた、招待状もすっかり配ったというのに、若い花嫁が逃げだしてしまった、列席者がメモを廻しているのを見て、花婿はいったらしい。『べつにめずらしくもない。でも、俺の花嫁への花束はどうなっているんだ。あのイヤな母親にだって会いたいぐらいだ。どうしてそんな風に振る舞うんだ、葬式でもあるっていうのか?』」

まあ、ここまではとくに問題はないでしょう。二重引用符は、ここにあるであろうとみなして、わたしが付け加えたものです。そうしないと話の流れが見えなくなるからです。not unusualも、花婿のセリフと解釈しました。小説では、このように会話文と会話文のあいだに、he saidなどをはさむのはふつうのことで、それと同じことを歌詞でやったのだと考えます。

以下はブリッジと思われるもの。

I hate to tell you how he acted when the news arrived
He took some friends out drinking
And it's lucky they survived

「知らせが届いたときの彼の行状はあまり話したくない、花婿は数人の友人を飲みに連れ出した、彼らが生きてもどったのは幸運というしかない」

まあ、結婚式当日に花嫁に逃げられたら、花婿としては飲んで誤魔化すぐらいしかないでしょうな。これって、ひょっとしてマイク・ニコルズの『卒業』を反対側から描いた話だったりして? わたし、あの映画を見て、二人の幸福な顔より、取り残された人びとのその後のほうが気になりました。

f0147840_23443274.jpg
Gram Parsons on stage with Emmylou Harris, possibly 1973.

◆ 結婚式変じて葬式となる ◆◆
セカンドないしはサード・ヴァース。ブリッジの話はまだつづいています。

'Cause he told them everything there was to tell there along the way
And he felt so bad when he saw the traces of old lies still on their faces
So why don't someone here just spike his drink
Why don't you do him in some old way

「なぜなら、花婿は友人たちに、飲みながらすべてを打ち明けたけれど、彼らの表情に古めかしい嘘のあとを読み取り、ひどく腹を立てたからだ、だれか強いのを彼に飲ませ、酔いつぶしてしまえばいいのに」

最後のほうはしどろもどろというか、いわんとしているのはそういう意味だろうと想像して書いたにすぎません。字句通りには「昔ながらのやり方を彼にしてやればいいだろうに」ぐらいのあいまいなものです。

the traces of old liesもよくわかりません。荒れる酔っぱらいをなだめるときの、ああ、ああ、おまえのいうとおりだ、あっちのほうが悪い、というような雰囲気のことか、友人たちが花嫁の事情を知っていたのに隠していたのか、判断がつきませんでした。1974年以来、ずっと判断がつかないのですが!

f0147840_17779.jpg
Gram Parsons (far right) with Emmylou Harris (far left)

つづいて、なんだかわからない2行。コーラスというにはおかしな位置にあるのですが、役割としてはそんなところです。

Supposed to be a funeral
It's been a bad, bad day

「まるで葬式みたいだ、なんともひどい一日だった」

supposed toをこのように解釈するのはやや強引かもしれませんが、文脈からほかにいいようがないと感じます。

ふたたびブリッジへ。このへんの構成、摩訶不思議。

The Reverend Dr. William Grace was talking to the crowd
All about the sweet child's holy face and the saints who sung out loud

「牧師のウィリアム・グレイス先生が会衆にむかって、神の善良なる子の聖なる顔と、高声で歌う聖人について話していた」

サード・ヴァースとコーラスのようなものをつづけていきます。肝心の結末がわたしにはさっぱりわからないのですが……。

And he swore the fiercest beasts
Could all be put to sleep the same silly way
And where are the flowers for the girl
She only knew she loved the world
And why ain't there one lonely horn and one sad note to play

Supposed to be a funeral
It's been a bad, bad day
Supposed to be a funeral
It's been a bad, bad day

「そして彼は神をも恐れぬとほうもない悪態をついた、すべてを同じ馬鹿げたかたちで横たえ眠らせることはできないものか、彼女のための花束はどこにあるのだ、彼女はこの世界を愛していることしか知らなかったのに、たったひとつの哀しい音を奏でるための一本のさびしいホーンすらないのはなぜなのだ? まるで葬式みたいだ、なんともひどい一日だった」

f0147840_23481516.jpgいろいろなことを解釈しそこなっているにちがいありません。そもそもheからして、だれを指すのか確信がありません。ふつうなら、直前に出てきた人物、つまり牧師になってしまいますが、ここではたぶん花婿だろうと思います。

そのあとがもっとも不可解。ここは花婿のセリフなのか、つまり二重引用符で囲うべきなのか、それとも語り手の主観なのかもわかりません。グラム・パーソンズの歌詞はしばしばエニグマティックですが、つねにそのむこうがわに確固たる実体があることを感じさせます。この歌も、じつは現実に経験した出来事にもとづいているような気がして仕方がありません。一説には、彼自身が途中放棄した自分の結婚式のことをうたっているのだともいわれます。

◆ 寄り道だらけのGP小伝 ◆◆
昨夏、Summer Wineのときにふれましたが、最初にグラム・パーソンズを聴いたのは、1966年の映画『アメリカ上陸作戦』でのことです。でも、このときは右の耳から左の耳、ただの退屈なカントリーソングと思っただけでしたし、そもそも、だれがうたっているのかも知りませんでした。

名前を覚えたのは、フライング・ブリトー・ブラザーズのデビュー盤、The Gilded Palace of Sinでのことです。買ったのは、39年前のちょうどいまごろ、四月の終わりのことで、リリース直後で国内盤はまだ出ていませんでした。場所はシアトルのショッピング・モールにあったレコード店。長くなるので説明は省きますが、学校の旅行の途中、1時間だけ買い物を許され、日本で見たことのないものだけを数枚買いました。広いショッピングモールのなかでレコード店を見つけるだけで時間を食い、かなり熱くなって盤を見ていったことを覚えています。

f0147840_23503556.jpg
The Flying Burrito Brothers "The Gilded Palace of Sin" 衣裳はハリウッドのヌーディーズであつらえたもの。ヌーディーズはエルヴィスのステージ衣裳をつくっていた店。カントリー・スターの多くもこの店で衣裳をつくった。

50ドルの小遣いしか許されなかったこの旅で買った盤は、トラフィックのセカンド(日本ではリリースが遅れた)、バターフィールド・ブルーズ・バンドのIn My Own Dream、イレクトリック・フラッグのセカンド(すでにマイケル・ブルームフィールドが辞めていたことを知らずに買ってしまった!)、そしてSuper Sessionです。

忙しい買い物の最中、隣で盤を漁っていたバンドメイトに、アル・クーパーのI Stand Aloneとプロコール・ハルムの謎の盤(Salty Dog。リリース直後だった)は、買っておけよ、といったことも覚えています。フラッグをのぞけば、友だちに勧めたものも含め、いずれもその後、熱心に聴いた盤で、いかにあの短い時間に気合いをこめて買い物をしたか、われながら感心してしまいます。小学校からの蓄積が一気に爆発した生涯最高のゲーム。

(ちなみに、その日、ワシントン大学も見学しましたが、ラリー・コリエルの学校だ、と思ったこと以外はなにも覚えていません。そして、その夜、シアトルのホテルでラジオをつけたら、ディランのLay Lady Layとメアリー・ホプキンのGoodbyeが、文字通りのヘヴィー・ローテーションで、一時間のあいだに数回かかっていました。日本のラジオではありえないことで、ビックリ仰天でした。そして、曲の合間には、「ジミー・ヘンドリクスがこの週末に故郷に帰ってくる」と何度も叫んでいました。ちょうどいい時にちょうどいい場所にいた、といいたいところですが、翌日には、われわれはシアトルを発つことになっていました。悔しかったかって? いや、それほどでも。だって、あのときは、まもなく死ぬなんて思わないし、いずれ日本にも来ると思っていましたからね。)

f0147840_23533711.jpg
Gram Parsons on stage with Bernie Leadon.

しかしですねえ、ブリトーズのThe Gilded Palace of Sinには、じつは手を焼いたのです。いや、早い話が、こんなものは買うんじゃなかったと、しばらくは後悔したのです。アメリカにいるあいだに、何度か聴いたのですが、なんせカントリーですからね、ほかの盤の選択を見ていただければわかりますが、カントリーには縁遠い子どもだったのです。

ブリトーズを買ったのは、「日本では買えないもの」という基準にしたがっただけなのです。ひっくり返したら、バーズのクリス・ヒルマンの顔があり、彼の新しいバンドなのだろうと見当をつけ(大昔の盤の再発だという心配はいっさいしないでよい時代だった)、イチかバチかで買ってしまったのです。

グラム・パーソンズのことは、このときはなにも知りませんでした。後追いのGP信徒は、そのまえにバーズのSweetheart of The Rodeoがあるじゃないかと思うでしょう。日本ではそうではなかったのです。CBSの配給権が、日本コロムビアから、ソニーに移行する時期にあたり、Sweetheart of Rodeoはこの端境期に引っかかって遅れたのだと思います。どうであれ、わたしが先に聴いたのは、The Gilded Palace of Sinのほうです。

f0147840_23555051.jpg

話が逸れましたが、日本に帰ってからしばらくのあいだ、The Gilded Palace of Sinとの格闘がつづきました。まだあの陽光を覚えていますが、五月晴れの日曜日、陽射しを浴びながら、またThe Gilded Palace of Sinを聴いていて、Hot Burrito #1にさしかかったとき、突然、グラムの声が胸に響きました。GP信徒ならだれもがふれる、あのI'm your toyの発声、あのクラッキング・ヴォイス、かすれ声です。

グラム・パーソンズというのは不思議な歌手です。まず第一にピッチがあまりよくない。つぎに、よく声がかすれる。しかし、このふたつが、シンガーとしての彼の最大の武器なのです。クラックしたときに、きわめて魅力的に響く声をしているというのは、これはもうシンガーにとっては最大の財産です。訓練で獲得できることではなく、生まれたときにもっていなければ、手に入れようがない「才能」です。

ピッチの外し方が魅力的、というのも同じです。たいていの人間は、ピッチを外せば、下手に聞こえるだけなのに、ごく一握りのシンガーだけは、それを魅力とすることができます。これまた、訓練で獲得できるものではなく、もって生まれた「才能」です。凡人はピッチを安定させるのに汲々とするのに対し、GPはピッチを外す才能によって後世に名を残したのです。

f0147840_23581261.jpg
The Byrds at The Grand Ole Opry. (l-r) Kevin Kelley, Gram Parsons, Roger McGuinn and Chris Hilman.

◆ さらなる寄り道 ◆◆
あの五月晴れの神の啓示は、しかし、長くつづきませんでした。ブリトーズのセカンド・アルバムは買わないまま、ただいたずらに時間が流れ、わたしは成人してしまいました。

1973年、海軍基地のPXで買い物をする伝手を得て、バイトで稼いだ金で闇ドル(250円前後のレートだった)を買っては、基地にもぐりこみ、定価2ドル98セント、見切り品1ドル98セントという価格で盤を買いまくりました。これ、理屈のうえでは密輸にあたるので、よい子は真似しないように。わたしも、やったのはあの半年ぐらいのあいだだけ。あんまり派手に買いすぎて、PXのドアの前に自動小銃を携行した憲兵が立って、IDカードの提示を求められるようになってしまったのです。そいつは穏やかじゃありませんよ、旦那、こちらは、ただ安く盤を買おうとしているだけなんでげすから、と一八の口調になっちゃいますぜ、あの小銃てえものは。まあ、短期間に200枚ばかり買って、こちらも資金ショートして、このままいったらバイトぐらいでは追いつかないことになる、と考えていたところだったので、ちょうどよかった、てなものです。

さらなる余分な話。このときの「水先案内人」、「密輸」の片棒をかついだのは、トミーというミズーリーの農夫の五男坊にして(農家の次男坊以下が口減らしに軍隊に入れられるのは日本と同じらしい)、しきりに袖をまくって針痕を見せたがる白人水兵でした。あのころ、いろいろな水兵と話しましたが、ヴェトナム戦争当時の海軍の実情たるや、もう情けなくて情けなくて、あれで勝ったら神様に言い訳できないだろう、てなひどいものでした。

f0147840_0223651.jpg

「海に出たら全員ラリパッパさ」と断言したロックンロール・クレイジーの水兵がいました。「まさか!」といったら、「神に誓って」と胸を張ったんだから呆れます。サンフランシスコ出身のこの水兵は、「ヤングブラッズ? あいつらはボストンだ。われわれのバンドではない」といっていました。あの町の人間の郷土意識は強烈。ついでにいうと、この水兵は、大滝詠一の「おもい」を聴いて、"Oh, the Beach Boys"と軽く片づけていました。LAのビーチボーイズもあまり好きではなかったのでしょう!

三軍の最高司令官殿に進言したいのですが、ドラッグと花柳病の大供給源であるタイの基地こそが、第七艦隊を腑抜けにした元凶ですぜ。ヴェトナム戦争で勝ったのはヴェトナムではなく、タイの売人と娼婦というトロイの木馬。数人の水兵と飲んだだけで、若僧のわたしにも理解できたこんな簡単な理屈が、どうして軍首脳部と反戦活動家に理解されないのか、じつに不思議でなりません。

閑話休題。その大密輸作戦で得た一枚が、グラム・パーソンズの最初のソロ・アルバム、GPでした。お久しや、グラムさん、その後、いかがでござんしたか、でしたね。いや、これがまことにもってけっこうな盤で(GP自身は、このアルバムに不満だったが)、数年のあいだに、じつに大きなシンガーに成長したと感じ入りました。

f0147840_0233044.jpg

文字数制限のため、二回に分割させていだきます。以下$1000 Wedding by Gram Parsons その2につづく。
[PR]
by songsf4s | 2008-04-28 23:56 | 愚者の船
番外編 Fool's Roundup

さて、お楽しみいただいた(かどうかは心もとない)「馬鹿ソング特集」も、明日の大真打の登場をもって、馬鹿馬鹿しくも大団円を迎えます。

トリの「主任」が高座に上がる前の膝がわり(大阪でいうところの「もたれ」)、色物として、今日はいつもとは趣向を変え、馬鹿総括というか、馬鹿の残り物総ざらえをやってみようと思います。早い話が、プレイヤーから消すことができずに、ついにここまで持ち越し、店ざらしになってしまった楽曲の一覧です。

ダブっているものも多々ありますが、それはもとがLPとCDの両方であったり(マスタリングのちがいの確認のために両方聴く)、シングル・エディットとアルバム・ヴァージョンであったり、スタジオとライヴであったり、といった必然のしからしむるところであることもあれば、たんにボケていて、ダブってドラッグしてしまったものであったり、いろいろです。

この舞台裏公開の目的は、まず、妄念が残らないようにするためです。当ブログは年内いっぱいでいちおう店仕舞いの予定なので、もう一度この特集をやる可能性は低く、当家では二度と陽の目を見ないであろう楽曲なのです。

もうひとつは、わたしがどのようなプールから楽曲をつかみだしているか、その範囲を知っていただくのも一興かと思ったしだいです。ただし、foolやdumbやsillyといったキーワードで引っかかる曲は厖大なので、ジャズないしはスタンダード系は、ほとんどすべてオミットし、プレイヤーにドラッグさえしませんでした。My Foolish Heartなんて、リストを見るだけでゲンナリしちゃいますからね。

ということで、気力のある方は、リストをご覧あれ。

The Youngbloods / Fool Me
The Clovers / Fool, Fool, Fool
Gene Chandler / I Fooled You This Time
Dino, Desi & Billy / I'm A Fool
Martha Reeves & The Vandellas / Love (Makes Me Do Foolish Things)
The Showmen / Country Fool
Yvonne Carroll / How Long Must This Fool Pay
Buck Owens / Foolin' Around
Connie Francis / Everybody's Somebody's Fool
Percy Mayfield / What A Fool I Was
Buffalo Springfield / Nobody's Fool (Previously Unreleased Demo Version)
Eddie Cochran (Cochran Brothers) / Fool's Paradise
Elvis Presley / Fool, Fool, Fool
Elvis Presley / If I'm A Fool (For Loving You)
Elvis Presley / Fool
Elvis Presley / The Fool
Frank Zappa & The Mothers Of Invention / How Could I Be Such A Fool
Lesley Gore / Young And Foolish
Lesley Gore / My Foolish Heart
Lesley Gore / I'm Coolin, No Foolin'
Lesley Gore / Just Another Fool
Paul Anka / Fools Hall Of Fame
Paul Revere & the Raiders / Chain of Fools
Ricky Nelson / Poor Little Fool
Rick Nelson / Poor Little Fool
Roy Orbison / Fools Hall of Fame
Sam Cooke / These Foolish Things
Sam Cooke / Get Yourself Another Fool
Sam Cooke / Fool's Paradise
Buddy Holly & The Three Tunes / I Guess I Was A Fool [Acetate]
Buddy Holly & The Crickets / I Guess I Was Just A Fool
Buddy Holly / Fool's Paradise (Leglaire-Petty-l.insley) (take 1)
Buddy Holly / Fool's Paradise (Leglaire-Petty-Linsley) (take 2)
Buddy Holly / Fool's Paradise (Leglaire-Petty-Linsley) (take 3)
Buddy Holly / Fool's Paradise+ (Leglaire-Petty-Linsley) (take 3)
The Spotnicks / What A Fool I Was
Pat Boone / Fool's Hall of Fame
Gene Pitney / Fool Killer
The Carpenters / Ordinary Fool
Lee Hazlewood / When A Fool Loves A Fool
Neil Sedaka / The Same Old Fool
The Delfonics / Trying to Make a Fool of Me
Gary Burton / My Foolish Heart
Merseybeats / Fools Like Me
Ry Cooder / Married Man's a Fool
Ry Cooder / Medley: Fool for a Cigarette/Feelin Good
Ry Cooder / Trouble You Can't Fool Me
Stevie Wonder I'd Be Fool Right Now
Aretha Franklin / Chain Of Fools
Charley Pride / Fools
Emmylou Harris / Fools Thin Air
Gene Pitney & George Jones / I'm A Fool To Care
George Jones / Mr. Fool
Merle Haggard / Every Fool Has A Rainbow
Merle Travis / A Fool at the Steering Wheel
Grateful Dead / Ship Of Fools
Grateful Dead / Heaven Help The Fool
Grateful Dead / Foolish Heart
Grateful Dead / Foolish Heart (Live)
Grateful Dead / Ship Of Fools
Grateful Dead / Ship Of Fools
Grateful Dead / Ship Of Fools
The Grateful Dead / Jam Out Of Foolish Heart (New York City 9-18-90)
Ben E. King / Walking In The Footsteps Of A Fool
Bill Deal and the Rhondels / What Kind Of Fool Do You Think I Am
Bobbie Gentry / Find Em, Fool Em, Forget About Em
Bobby Helms / The Fool And The Angel
Bobby Vee / Foolish Tears
Bobby Vee / The Wisdom Of A Fool
Brenda Lee / Fool #1
The Coasters / Just Like A Fool
Cowsills / Captain Sad and His Ship of Fools
Duprees / These Foolish Things
The Five Keys / Wisdom Of A Fool
Frankie Avalon / Two Fools
Frankie Lymon And The Teenagers / Am I Fooling Myself Again
Guess Who / Dancin' Fool
Heartbeats / Everybody's Somebody's Fool
Hirth Martinez / Pity On The Fool
Ike & Tina Turner / A Fool In Love
Marcels / Find Another Fool
Martha Reeves / I Won't Be The Fool I've Been Again
Ozark Mountain Dare Devils / Kansas You Fooler
Robin Ward / My Foolish Heart
The Spinners / Don't Let the Green Grass Fool You
Wilson Picket / Don't Let The Green Grass Fool You
Ink Spots / You Were Only Fooling (While I Was Falling In Love)
The Regents / A Fool In Love
Arthur Conley / Who's Foolin' Who
Darrell Banks / Look Into The Eyes Of A Fool
Jerry Goldsmith / You Are A Foolish Man Mr. Flint!; It's Got To Be A World's Record; Stall! Stall! Flint's Alive!!!!; End Title
Herbie Mann / Chain Of Fools
Plas Johnson / Fool That I Am
Tal Farlow / These Foolish Things
Bob Weir / Heaven Help The Fool
Les Paul & Mary Ford / I'm a Fool to Care
Little Village / Fool Who Knows
Joe South / Fool Me
Crosby & Nash / Foolish Man
Jimmy Clanton / You Kissed A Fool Goodbye
Chad Carson / A Fool In Love
Johnny Rivers / Foolkiller
Lee Hazlewood / The Fool
Little Feat / Fool Yourself
Mitch Ryder And The Detroit Wheels / I Make A Fool Of Myself
Peanut Butter Conspiracy / I'm A Fool
Poco / Nobody's Fool
Poco / Fools Gold
Randy Newman / You Can't Fool The Fat Man
Rick Nelson / I'm A Fool
Ringo Starr / I'm A Fool To Care
The Shadows / Don't Be A Fool With Love
Tim Buckley / Look At The Fool
Van Morrison / Vanlose Stairway-Trans-Euro Train-Fool For You
The Walker Brothers / Fool Am I
Procol Harum / Fool's Gold
Dee Dee Sharp / I'm Not in Love
10CC / I'm Not In Love
Dean Martin / Young And Foolish
Dean Martin / Nobody But A Fool (Would Love You)
10cc / Silly Love
Paul McCartney / Silly Love Songs
Utopia / Silly Boy
The Lettermen / Come Back Silly Girl
The Lettermen / Silly Boy
Sandy Posey / Silly Girl, Silly Boy
The Critters / I Wear A Silly Grin
The McGuire Sisters / It May Sound Silly
Ray Sharpe / Silly Dilly Millie
Dusty Springfield / Silly, Silly, Fool
Ginny Arnell / Dumb Head
Glen Campbell / Guess I'm Dumb
Glen Campbell / Can You Fool
The 4 Seasons / Dumb Drum
The Kinks / Sweet Lady Genevieve
The Kinks / Headmaster
The Kinks / Till Death Do Us Part
The Kinks / Monica
Jerry Garcia / Sugaree
The Tams / What Kind Of Fool
Bill Deal & the Rhondels / What Kind Of Fool Do You Think I Am?
Lesley Gore / She's A Fool
Ry Cooder / Crazy 'Bout An Automobile
Nat King Cole / Take A Fool's Advice
The Youngbloods / Foolin' Around (The Waltz)
Buddy Holly / Fool's Paradise (Leglaire-Petty-Linsley)
Glen Campbell / Can You Fool
Bobby Fuller Four / Fool Of Love
Chris Hillman / Playing the Fool
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Grateful Dead / Sugaree
Jerry Garcia / Sugaree (Alternate Take)
Jerry Garcia Band / Sugaree
Phil Lesh & Phriends / Sugaree
Led Zeppelin / Fool In The Rain
Cornelius Brothers & Sister Rose / Don't Ever Be Lonely (A Poor Little Fool Like Me)
Chris Montez / Foolin' Around
James Ray / If You Gotta Make A Fool Of Somebody
Eddie Floyd / If You Gotta Make a Fool of Somebody
Freddie & The Dreamers / If You Gotta Make A Fool Of Somebody
Vanilla Fudge / If You Gotta Make a Fool of Somebody
Marketts / If You Goota Make A Fool Of Somebody
Brenton Wood / I Think You've Got Your Fools Mixed Up
Sandy Posey / Born A Woman

以上。概して、あとのほうにあるもののほうが、実現の可能性の高かったものです。せっかくだから、気になるものに少々コメントします。

コーネリアス・ブラザーズ&シスター・ローズは、歌詞を途中まで聞き取ったのですが、どうしてもわからない箇所があり、意味の推測もできなかったので、奮闘むなしく退却しました。いずれにしても、大好きといえるのはToo Late to Turn Back Nowのほうですし。

ブレントン・ウッドのI Think You've Got Your Fools Mixed Upも、「だれかほかの馬鹿とお間違えじゃありませんか?」というラインが笑えるし、この人のGimme Little Signは昔大好きだったので(ゴールデン・カップスのカヴァーもよかった)、あとすこしで取り上げるところまで行きました。

If You Gotta Make A Fool Of Somebodyは、ジェイムズ・レイ、エディー・フロイド、フレディー&ザ・ドリーマーズ、ヴァニラ・ファッジ(!)、マーケッツという顔ぶれが笑えるので、なんとかしたかったのですが、いかんせん、楽曲そのものに強い魅力がなく、あとにしようと思っているうちに、ついに機会を逸しました。

グレン・キャンベルのGuess I'm DumbとCan You Foolも、やはり当初は取り上げるつもりでした。前者はブライアン・ウィルソンの作品でありプロデュースなので、その筋では有名ですが、後者も捨てがたい佳曲ですし、そこはかとなくシンガー・ソングライター風味もあって、ちょっと興味深い曲です。

クリス・ヒルマンのPlaying the Foolも、ほかの条件はすべて「ゴー」だったのですが、歌詞の不明点が引っかかって、放棄しました。楽曲よし、ドラミングよし、彼の代表作のひとつでしょう。

サンディー・ポージーが検索に引っかかったときは、ぜひ、と思ったのですがねえ。いちばん好きな曲はSingle Girlなので、そっちで引っかかれば、まちがいなく取り上げていたでしょう。こういう、その後忘れられた人が、もっとも意欲をそそります。

ゼップのFool in the Rainは冗談や嫌味でおいてあるわけではなく、本気で取り上げる予定だったのです。すぐに縁が切れたとはいえ、ジョン・ボーナムはミドル・ティーンのころのアイドルでした。Good Times Bad Timesとのドラミングの比較をやろうと思ったのです。

10ccの2曲、とくにI'm Not in Loveは惜しかったなあ、と思います。歌詞も笑えるし、ライヴでどうやったか、という呆れるネタもあったのですが。チャンスはもうないでしょうから書いておきます。ゴドリーとクリーム(クレームなんて読むはずがない)が抜けた直後に、なんだかよくわからないメンバーで来日し、中野サンプラザまで見にいきました。I'm Not in Loveの異様な効果のかかったハーモニーをどうするのかと、はじめからかまえていました。あれをとったら、魅力半減どころか、ほとんど意味のない曲になってしまいますからね。で、待ちかまえていたところにはじまりましたねえ。あのハーモニーはテープでした! バーロー、金返せ! 10ccといい、ユートピアといい、中野サンプラザはわたしにとっては鬼門です。

キンクス、グレイトフル・デッド、プロコール・ハルムという、当ブログの「三役」は、当然、登場してしかるべきだったのですが、さまざまな理由で断念。

キンクスは、どの曲もなかなかいいのですが、飛び抜けたものはなく、全部やるか、ひとつもやらないかのどちらかだ、という気分になってしまいました。

デッドのShip of Foolsは、この特集のタイトルなので、当然、取り上げるつもりでした。でも、そもそも「愚者の船」とはなんだ、というところに話がいってしまうことになり、そうなると、ものすごくやっかいなのです。いちおう、下調べはしたのですけれどね。ライヴ・ヴァージョンにいいものがないというのもマイナス点でした。

Sugareeはデッドの代表作で、いいヴァージョンもいくつかあります。ライヴ録音を順に聴いていくと、70年代にはそれほど受けていないのに、80年代に入ると、イントロを一小節やっただけで、ドッとくるようになるのがじつに興味深いのです。この曲のよさがデッドヘッズの躰に染みこむまでに、長い時間がかかったということでしょう。わたしも、リリース当時はそれほどの曲と思っていなかったのに、徐々に好きになっていきました。ヘッズの成長とともに、Sugareeという曲も成長していったように感じます。取り上げるはずだったんですがねえ。残念。

Heaven Helps the Foolも、Foolish Heartも、ともに好きな曲で、とくに前者は、最近の拡大版Reckoningに収録されためずらしいライヴ・ヴァージョン(しかもインスト)が興味深く、かなり食指は動きました。

プロコール・ハルムのFools Goldは、末期の作品で、楽曲の出来がたいしたことはなく、早めに断念しました。

ヤングブラッズもいままで登場していないので、当初はぜひやろうと考えていました。しかし、来月の特集で代表曲を取り上げる予定なので、今回は見送りました。Foolin' Roundも好きな曲なのですが。

同じタイトルのクリス・モンテイズの曲も、なかなか魅力的なのですが、厳密にいうと、非常に出来がいいのはイントロだけで、楽曲そのものはそれほどでもなく、断念しました。歌詞もたいしたものではないのです。どこかでこの人を取り上げられるといいんだが、と思っています。

それにしても、ここまでズルをやっても、やっぱりスティーヴ・ウィンウッドが出てこないのには、なぜだ、と叫んでしまいます。こうなったら、スティーヴ・ウィンウッド専門ブログでもやるか、です。それくらい好きなのですがねえ。不思議なこともあるものです。
[PR]
by songsf4s | 2008-04-27 20:03 | 愚者の船
Try Too Hard by the Dave Clark Five
タイトル
Try Too Hard
アーティスト
The Dave Clark Five
ライター
Dave Clark, Mike Smith
収録アルバム
Try Too Hard
リリース年
1966年
f0147840_15365644.jpg

Tonieさんから、DC5にもfoolの出てくる曲がありますよ、とご指摘のあったTry Too Hardです。これは当時から好きな曲で、なんだって見落としたのかと思いますが、毎度申し上げるように、人間の記憶力も注意力も当てにならない、という一証左にすぎないでしょう、と誤魔化しておくことにします。

今日は書くべきことが山ほどあるので、枕はこれでおしまい。この勢いで、歌詞もあっさり片づけます。

◆ 説得と威迫 ◆◆
それではファースト・ヴァース。なんせサイケデリック以前なので、たいしたことをいっているわけではありません。

Tell me, do you want my love
Tell me what you're thinking of
I've been waiting round so long
You don't try too hard
You don't try too hard

「僕の愛がほしいのか、いったいどう考えているのか、教えてほしいね、長いあいだずっと待っているんだぜ、きみはちゃんと努力しているとはいえないよ」

つづいてセカンド・ヴァース。

I hope you're not trying to make a fool of me
Cause if you are I know there's going to be some tears falling
And they won't be mine
You don't try too hard
You don't try too hard

f0147840_15431335.jpg「僕を騙そうなんて考えていないといいけれどね、もしそうなら、涙が流れることになるし、その涙は僕のものじゃない、きみはちゃんと努力していないじゃないか」

まあまあ、旦那、そうとんがっちゃ、まとまる話もまとまりません、威嚇は穏やかじゃありませんよ、と幇間のようなことをいいそうになっちゃいます。ジョン・レノンもこういうのを好んだようで、You Can't Do ThatやRun for Your Lifeなどを思いだします。こういうタイプの歌詞もたまにありましたな。

短いブリッジとサード・ヴァースをつづけて。

Some people may want many loves, my friend
But we both know what happens to them in the end

So please listen to these words of mine
And let me know that I'm not wasting my time
I'm sure that we could get on very fine
You don't try too hard
You don't try too hard

「世の中には恋人はたくさんいたほうがいいと思っている人間もいるけれど、そういう連中が最後にはどうなるか、僕らは知っているじゃないか。だから僕の話をちゃんと聞いてくれ、そして、これが時間の無駄ではないことを望んでいるよ、僕らがうまくやれるのはまちがいないんだから」

◆ 音のかたまり ◆◆
歌詞はよくもなく、悪くもなく、というあたりですが、サウンドは厚く、子どものころも好きでしたし、いま聴いてもみごとなものだと感じます。ベスト盤のライナーによれば、デイヴ・クラーク自身も「Anyway You Want Itを洗練した」サウンドと表現し、とくにお気に入りの一曲にあげているそうです。

f0147840_15442216.jpgこれは本音だと感じます。デイヴ・クラークが初期から目指していたサウンドの集大成といっていい音になっているからです。どういう音を目指していたかというと、ずばり「コンボによるスペクター・サウンド」でしょう。楽器編成などの表面的なことでは、スペクターとDC5の音に共通点はありません。しかし、サウンドが巨大なボールになって飛んでくる、という一点で、同じ魂が生みだしたものであると感じます。

デイヴ・クラークというのは、あらゆる面にわたって賢明な人で、サウンド・プロダクションにおいても、凡百のスペクター・フォロワーとは隔絶した手腕を見せています。凡人がスペクター・サウンドの特長と考える、くだらない表面的なことはすべて無視し、本質だけをつかみだしたのです。これはスペクター・サウンドのすぐれた「批評」といってもいいくらいです。

なにも考えていない人は、スペクターはエコーだ、とか、スペクターはカスタネットだ、と考え、その勘違いをもとに、ろくでもないコピー商品を山ほどつくりました。Be My Babyのハル・ブレインのドラム・リックをそのままコピーした、とんでもない粗悪品もひとつや二つではすみません。

しかし、本質はそんなところにはありません。サウンドの「量塊性」massivenessこそがスペクターの本質です。デイヴ・クラークは、まさにその量塊性だけを抜き出して、自分のサウンドに応用したのです。これほどのスペクターの理解者は、同時代にはほかにブライアン・ウィルソンしかいなかったでしょう(ただし、ブライアンはスペクターの本質を量塊性と捉えたわけではない。ある楽器とある楽器が同じ音をプレイしたときに生じる「第三の音」が、彼がスペクターから得たものだった)。

f0147840_1547364.jpgいま、大人の耳でDC5のサウンドを聴くと、ひとつのポイントはサックスの使い方だと感じます。ロック・コンボでのサックスというと、たとえば、Tequilaのチャンプスのようなものを思い浮かべますが、DC5のサックスは、基本的には前に出てソロをとるものではありません。

では、なにをしているかというと、ベース、キック・ドラム、ピアノの左手と協力して、低音部に厚みをあたえているのです。「もうひとつのベース」といってもいいでしょう。トラック単位なら、こういうことをした人がほかにいないわけではありませんが(たとえばトラフィック)、サウンドのインテグラル・パートして、サックスを低音部の補強に使ったのは、きわめてクレヴァーなアイディアだったと思います。

サイケデリック以前にはそれがパラダイムだったといえばそれまでですが、DC5のバンドとしての一体感は、いま振り返ると尋常ではありません。リーダーが客寄せパンダをやるだけで、他の4人はだれも目立とうとしません。フォア・ザ・チームというけれど、野球チームにも、サッカー・クラブにも、これほどフォア・ザ・チーム、フォア・ザ・バンド・サウンドに徹したグループはないでしょう。

f0147840_15513748.jpgデイヴ・クラークは、リード・ヴォーカルのマイク・スミスのことを、もっとも過小評価されているシンガーといっています。そのとおりでしょう。同時代のバンドを見て、マイク・スミスよりすごいと感じるのは、スティーヴ・ウィンウッドただひとりです。しかし、スミスが目立たなくなったのは、彼の引っ込み思案な性格や名前のせいではなく(!)、極限にまで一体化した、DC5というバンドのあり方およびそのサウンドのせいだったにちがいありません。しばしばスミスの派手なヴォーカルを霞ませたDC5のハーモニーも、わたしにはおおいに魅力的でした。当時もいまも、ビーチボーイズなんかよりはるかに好きです。

ハーモニーとなるとバラッドですが、Because以外にもいい曲がたくさんあります。Hurting Inside、Come Home(2曲とも中学のときに自分のバンドでやった!)、When、Evetybody Knows(同じタイトルのものが2曲があるが、両方ともいい)、Crying Over You、I'll Be Yours、I Miss Youと、キリなくつづきます。

まだ付け加えることがありました。ブルース・スプリングスティーンがデイヴ・クラークに会ったとき、Anyway You Want Itのエコーはどうやったのだ、とたずねたそうです。これはわたしも知りたかったことです。答えは、スタジオの裏にあったコンクリート塀だ、とのことでした。これこそがエコーの基本です。

スペクター・サウンドの陰にエンジニアのラリー・レヴィンがいたように、DC5サウンドの陰にも優秀なエンジニアがいました。1963年から68年という彼らの全盛期のエンジニアはエイドリアン・ケリッジという人で、現在のベストCDも、クラークとケリッジがリマスターしたとあります。

f0147840_1604023.jpg
左からマイク・スミス(リード・ヴォーカル、キーボード)、リック・ハクスリー(ベース)、レニー・デイヴィッドソン(リード・ギター)、デイヴ・クラーク(ドラムズ、リーダー、プロデューサー、マネージャー)、デニス・ペイトン(サックス、アコースティック・ギター)。ハーモニーは全員参加だったことを、このマイク・セッティングも示している。

◆ ロックンロール・スーパーマン ◆◆
長いあいだ、デイヴ・クラークについてはなにも知らず、ただ音を聴いてきただけだったので、マックス・ワインバーグの"The Big Beat"に収録された、デイヴ・クラーク・インタヴューには、ほんとうに驚きました。

第一のビックリ仰天は、マスターを自分で管理し、当時からレコード会社にリースしていたということです。これはいまでは常識ですが、アーティストの立場が極度に弱い当時にあっては、きわめて異例です。ミッキー・モストが、アニマルズやハーマンズ・ハーミッツなど、彼がプロデュースしていたアーティストのマスターを所持し、リースしていたそうですし、サム・クックのマスターもアレン・クラインの会社がRCAにリースしていただけだそうですが、どちらもマネージメントであって、アーティスト自身ではありません。

f0147840_16393678.jpgマネージメントといえば、デイヴ・クラークは、マネージャーをおかず、すべて自分で交渉し、契約していたそうです。二十歳になるかならずかの年齢で、EMIに出かけ、独立プロデューサーの最高印税率というのを聞き出し、いざ契約交渉になったら、その税率の倍という条件を出したのだそうです。しかも、最高印税が変動したら、つねにその税率へと引き上げるという条項まで付け加えたというのだから、アレン・クラインも裸足で逃げだす、強面ネゴシエイターぶりです。

デイヴ・クラークは、たぶんワン・ヒット・ワンダーだと軽く見られたので、こんな条件が通ったのだろうといっていますが、価値がないと考えているものに、そんな気前のいい条件で契約する会社はないでしょう。どうであれ、彼がnobody's foolだったのはまちがいありません。みな、若くして非常に不利な契約を結び、盤もライヴも売れに売れているはずなのに、いっこうに金は入らず、結局、しばらく派手な生活をしただけで、どこかへ消えていった人たちが山ほどいます。まだ若かったのに、そういう仕組をよく観察し、みずからマネージメントをした、デイヴ・クラークの才覚と手腕にはほんとうに驚きます。

f0147840_16404932.jpg引き際もあざやかでした。もはやヒットは出ず、潮時と見るや、じたばたせずに、あっさり解散しています。ご本人がいう「トップのときに辞めた」というほどではないにしても、オールディーズ・ショウなどでまだツアーをつづけているアーティストたちが山ほどいるのに、そういう未練がましいことをいっさいしていません。これも、度胸と頭脳でみずからマネージメントし、稼げるときにフルに稼いでおいたおかげでしょう。ビジネスマンに転身してからも、ずいぶん稼いでいるようですし。

破滅型の人物も魅力的ではありますが、それはそれでひとつの類型にすぎません。デイヴ・クラークのように、出処進退がみごとなミュージシャンというのは、類型にはほど遠く、ほかにだれかいるだろうかと考えこんでしまいます。しいていうと、ほかならぬフィル・スペクターでしょうかね! まあ、トランクいっぱいの札束といっしょに引退した、という共通点しかなくて、スペクターのその後の人生は、デイヴ・クラークほどきれいじゃありませんが。

f0147840_16424420.jpg

◆ ドラマー、デイヴ・クラーク ◆◆
デイヴ・クラークといえば、あのスネアのサウンドということになっています。もちろん、わたしもあのサウンドに強く惹かれました。なんたって、スネアのピッチが高い時代にあっても、飛びきりハイ・ピッチで、目立ったのなんの、ヘッドが破けそうなほど、パンパンにボルトを絞っていますからねえ。二度とスネアを高くチューニングする時代がもどらなかったこともあって、いまでは昔以上にあのチューニングに強く惹かれます。

f0147840_1644411.jpgデイヴ・クラークの盤でドラムを叩いたのは、ご本人ではなく、クレム・カッティーニだという噂があったそうですが、デイヴ・クラークは、それは70年代に彼がプロデュースした盤でのことだ、DC5時代は自分で叩いたといっています。

わたしは、このDCの主張をそのまま受け取ってよいと考えています。シンプル&ストレートフォーワードなものでは、ときにファイン・プレイを見せますし、意外な小技を聴かせてくれることもありますが、同時に、セッション・プレイヤーならしないであろうミスもやっているからです。あれはミスだ、と彼も認めている(ただし、プロデューサーとして、魅力的なミスはそのまま残すという方針だった)Bits and Piecesのイントロにおけるスネアの3連符が典型です。Do You Love Meのイントロ・リックも、これはミスといえるかどうか微妙ですが、寸足らずのパラディドルと感じます。

いや、ダメなドラマーだといっているのではありません。バンドのドラマーとしては最上の人で、同時代を見渡して、彼ほどの人はいないと感じます。キース・ムーンはタイムにおいてデイヴ・クラークの足元にも及びません。タイムの面ではホリーズのボビー・エリオットのほうがデイヴ・クラークよりいいかもしれませんが、華やかさにおいてはDCのほうが数段上でしょう。

f0147840_16482551.jpg

アメリカのバンドで当時、好きだったドラマーというと、デトロイト・ウィールズのジョニー・ビーと、ラスカルズのディノ・ダネリですが、どちらもスタートはDCよりあとです。わたしの主観では、67年暮れにプロコール・ハルムのB・J・ウィルソンを聴くまでは、DCはイギリスを代表するドラマーでした。

デイヴ・クラークは、アメリカ・ツアーのときに、まだ無名だったラスカルズをNYのクラブで見て、すっかり気に入ってしまい、ツアーに帯同したそうです。DC5とラスカルズを同系統のバンドと思っていたわたしとしては、この組み合わせは、ものごとはそうではなくてはいけない、というほど自然なものです(Silly Girl by the Rascalsをご参照あれ)。デイヴ・クラークとラスカルズのディノ・ダネリは「同じ系統」のドラマーでした。

f0147840_1654756.jpgわたしは知らなかったのですが、"The Big Beat"によると、デイヴ・クラークは、ステージではドラムをバンドの「前に」出してセットしていたそうです。バンドのスター、フロント・マンは、ヴォーカルのマイク・スミスではなく、ドラムのデイヴ・クラークだったのです。

これはそうしたくてやったとか、彼のバンドだからというわけではなく、マイク・スミスは目立つことが嫌いで、うしろに引っ込んでいることを好んだからだと(あの声とあの姿で!)、DCはいっています。どうであれ、これはサウンドときれいに符合したセットアップでした。盤で聴いても、スターはドラマーなのです。

f0147840_16555477.jpg十三歳のマックス・ワインバーグが、デイヴ・クラークの姿を見、音を聴いて、俺はドラマーになると決心した、というのも、わたしには当然のことに感じられます。小学生のわたしがドラマーになりたいと思った理由のかなりの部分も、やはりデイヴ・クラークでした。

年をとったわたしは、ドラムのテクニカルな面を尊重するようになっていますが、しかし、ドラムはなによりも派手で目立たなければいけない、剛球一直線こそドラムだ、という気持はやはり依然として強くもっています。ギターは羽織の裏地に凝ってもかまいませんが、ドラムは時代劇の主役のように、どこからどう見ても、俺が主役だ、というキンキラキンの錦の表地で勝負です。その究極の理想型がデイヴ・クラークでした。そもそも、こういう観念をもたらした張本人がデイヴ・クラークなのだから、当たり前ですが!

ハル・ブレインが、ドラマーになった動機を簡明に語っています。派手なことをやって目立ちたかった、と。わたしは断言します。「派手なことをやって目立ってやる」という魂のないドラマーは、たとえタイムは正確でも、一滴の魅力を持つこともないでしょう。音楽は、技術である以前に、芸能なのです。

f0147840_1657254.jpg
"The Best of the Dave Clark Five" LP sleeve, Toshiba Musical Industries, Tokyo, OP-7524, released in 1966 in red vinyl disk.
66年に買った『ベスト・オヴ・ザ・デイヴ・クラーク・ファイヴ』。まさか、このLPを30年以上にわたって聴きつづけなければならないとは思わなかった。CDリイシューまでの長かったこと! 66年発売なので、Try Too Hardまでは入っているが、67年のYou've Got What It Takesは収録されていない。

◆ 1966年のやり残し ◆◆
以上で話の本体は終わりです。書きたいこと、書くべきことはまだ山ほどありますが、そんなことをいったら、本を一冊書くことになってしまいます。最後に、いたって個人的な思い出話にを書くことにします。何度か書いたことなので、すでにお読みの方には先に謝っておきます。

f0147840_1771541.jpg最初に気に入ったDC5の曲はCatch Us If You Canでした。たぶん、65年秋のヒットだと思います。翌年の正月だと思うのですが、このCatch Us If You Canをテーマ曲にした彼らの映画『五人の週末』が公開されました。同時上映はビートルズやスペンサー・デイヴィス・グループ、サーチャーズなどが出演する、当時のブリティッシュ・ビート・グループのパッケージ・ショウ映画『ポップ・ギア』でした。

これはもう見たくて見たくてたまらない組み合わせでした。ところが、わたしは中学受験を目前に控え、映画を見にいくとはいえず、はたと困惑しました。すぐにDVDになる、なんていう時代じゃありません。安価な家庭用VCRなんてものもなく、もちろん、ヴィデオ・パッケージなんて商品もありませんでした。公開されたときに劇場で見なければ、それで終わりだったのです。

f0147840_17103843.jpgやむをえず、一大決心をしました。塾をサボって映画館に行ったのです。しかし、根が正直なので、塾をサボって見にいくと決めたはいいけれど、疑われることを恐れ、いつもどおりの時間に家を出て、いつもどおりの時間に帰宅しました。これ、勘定合って銭足らず(ちょとちがうか)なんです。どうなったかというと、『ポップ・ギア』の途中から見て、『五人の週末』の途中で映画館を出たのです。

痛恨でした。『ポップ・ギア』は、脈絡もなくずらずらとバンドが出てきて、ただうたうだけの歌謡ショウみたいなものだからあきらめもつきますが、『五人の週末』は劇映画なのに、結末を見なかったのです。いまのわたしなら、どうせたいした結末じゃないさ、とうそぶきますが、小学生だから、悔しかったのなんの。後ろ髪を引かれるとはあのことですぜ。

f0147840_17124447.jpgそれから幾星霜。VCRの時代が来ても、DC5なんてバンドのことはだれも覚えていないのか、いっこうにヴィデオにならず、『五人の週末』は、もう一度見てみたい三本の映画の一本でありつづけました。監督が、その後、それなりに名を成したジョン・ブーアマン(『ポイント・ブランク』)だということに期待をかけたのですが、ブーアマン程度ではおまじないにもならなかったのでしょう。

ようやく結末を見られたのはほんの十年ほど前のこと、アメリカの友人がカセットを見つけて送ってくれたおかげでした。で、どうだったかというと、やっぱり、たいした結末じゃありませんでした。でも、そんなことは問題ではありません。おおいに満足しました。小学校のときにやり残したことに、きっちり落とし前をつけられるなんて、たぶん、これが最初で最後にちがいありませんからね!

付 記

さっき知ったのですが、マイク・スミスは今年二月に亡くなったそうです。三月のホール・オヴ・フェイム授賞式には出席するつもりだったのだとか。このページに晩年のスミスの写真がありますが、病み衰えた姿をお見せするのは忍びないので、コピーしません。気になる方はご自分でどうぞ。かわりにDC5時代のマイク・スミスと、DC5サウンドのトレードマークのひとつだったVOXのオルガンの写真をどうぞ。

f0147840_17141153.jpg

[PR]
by songsf4s | 2008-04-26 17:20 | 愚者の船
Escape (The Pina Colada Song) by Rupert Holmes
タイトル
エスケープ (The Pina Colada Song)
アーティスト
Rupert Holmes
ライター
Rupert Holmes
収録アルバム
Partners in Crime
リリース年
1979年
f0147840_23361973.jpg

いつもは楽曲名をアルファベット表記するのに、カタカナになっているのを不思議に思った方もいらっしゃるでしょう。エクサイトがエスケープという英単語をエスケープ・シーケンスと勘違いしているらしく、タイトル欄以外ではこの単語は使えないのです。呆れました! 事故回避したいなら、メタ文字をつくるのが常識でしょう。まるで4文字言葉扱い。E*s*c*a*p*eと書けとでもいう気なのか。

歌詞の部分は小文字ならオーケイ、でも、本文では小文字でも不可という調子で、基準も不明。これってバグでしょう。たわけた話です。おかげ、写真を加工する気力が失せたので、今日はテクストのみで失礼します。

さて、昨日のLonely Boyにつづき、今日も黄昏の時代のヒット曲です。

79年のまだ寒いころだったと記憶していますが、ラジオからダイア・ストレイツのSultans of Swingが流れてきて、ああ、やっと終わったか、と思いました。76年から78年まで猛威をふるったディスコ病の終焉の予感が、あのギター・サウンドにはありました。この見知らぬグループの曲は、フェンダー丸出しのサウンドで、そもそも、あんなギミックなしのストレートなギターの音や、素直なドラミングがラジオから流れてきたのは、じつに久しぶりのことでした。

79年は間氷期ともいえる年で、夏にはエルトン・ジョンのMama Can't Buy You Loveや、ポール・マッカートニーのGoodnight Tonight(マッカートニー・ファンではないが、この曲の古めかしいオルガンはじつにいいサウンドだった)、ビーチボーイズのGood Timin'、夏の終わりから秋にかけてはロバート・ジョンのSad Eyesなど、ディスコではない曲もヒットして、やれやれ、助かった、でした。馬鹿当たりしたナックのMy Sharonaだって、ドナ・サマーやビージーズやグローリア・ゲイナーにくらべれば、はるかにマシに感じられたものです。

じっさい、あのころは、ギター・バンドで、ディスコ・ビートさえやらなければ、なんだっていい、というぐらいの気分だったのです。年の暮れには、なかなかするどいリズム・アレンジの曲が流れて、こりゃいったいだれだ、とエンディングのときにラジオに耳をつけたら、レッド・ゼッペリンというので、ひっくり返っちゃったほどです。だって、ゼップと縁を切ったのはセカンド・アルバムのときですからね。ゼップの音に感心するなんて、よほどドナ・サマーに辟易していなければありえないことで、自分の感覚が狂ったと思いましたよ。それほどにまでに惨憺たる時代でした。

本日の曲、ルーパート(アクセントは第一シラブル、長音も同じ。したがって、「ルパート」とは書けない)・ホームズの*E*scape (The Pina Colada Song)も、その「間氷期」の産物ですが、これはラジオで気づいたのではなく、友人の家で聴きました。

なんでも、翌日までに20枚ほどのアルバムのレヴューを書かなくてはならないとかで、わたしが遊びに行ったにもかかわらず、仕事をするというので、山と積んだLPをチラッと聴いては、脇からああでもないこうでもないといって、針の上げ下げもやってあげ、山を崩すのを手伝ったのですが、そのゴミの山のなかにあったのが、この曲をオープナーとするPartners in CrimeというLPでした。ファースト・コーラスまでいったところで、おおいに惹かれるものを感じたので、待った、このアルバムはまじめに聴いたほうがいいと思う、と友人にいいました。

引っかかったのは歌詞です。サウンドは、ディスコではないものの、とくにどうというものではなく、不快ではない、といった程度のものにすぎませんでした。中袋に歌詞があったので、もう一度針を戻して、気になったところを確認しました。そして、笑ってしまいました。

馬鹿ソング特集にこの曲をもちだすのは、ちょっと強引かもしれません。foolもその類義語も出てこないからです。つまり、内容的にかなりお馬鹿というわけですが、どちらかというと、マヌケというべきかもしれません。しかし、この曲をもちだすとしたら、ほかに機会はなさそうなので、あえて取り上げました。

◆ 好きな曲も聴きすぎれば ◆◆
それではファースト・ヴァースとコーラス。ヴァースとコーラスがつながっているので、切りにくいのです。

I was tired of my lady
We'd been together too long
Like a worn-out recording
Of a favorite song
So while she lay there sleeping
I read the paper in bed
And in the personal columns
There was this letter I read...

"If you like Pina Coladas
And getting caught in the rain
If you're not into yoga
If you have half a brain
If you'd like making love at midnight
In the dunes on the Cape
Then I'm the love that you've looked for
Write to me and escape"

「古女房にちょっと飽きがきていた、長くいっしょにいすぎたのだ、まるでお気に入りの曲の傷んだ録音みたいなものさ、彼女が眠っているあいだ、ベッドで新聞を読んでいて、個人広告欄にこんな投稿を見つけた。『あなたがピーニャ・コラーダと雨に濡れるのが好きで、ヨガに夢中ではなく、半分でも脳みそをもっていて、ケープ・コッドの砂丘で真夜中に愛し合うのが好きならば、わたしこそがあなたの求めている愛人、お手紙ちょうだい、いっしょに逃避行としゃれましょう』」

ladyは愛人か妻かわかりませんが、愛人であっても、ほとんど妻同然であることが読み取れます。耳で聴いて引っかかり、歌詞カードでいの一番に確認した箇所は、Like worn out recording of a favorite songというラインです。うまいなあ、と思ったのです。盤が擦り切れるほど好きだった曲、でも、あんまり聴きすぎて飽きてしまった、というのが、みごとに語り手の女性に対する気分を捉えています。もちろん、CDやファイルの時代には通用しない表現ですがね。

コーラスも吹き出しました。このときには、まだジェイン・フォンダのワークアウトは流行っていなかったかもしれませんが、健康ブームというのはあって、不思議なことが流行るなあ、と思っていたのです。楽しみなくして、なにが人生、と昔も思ったし、いまも変わりません。

敬老の日にテレビで、表彰されたお婆さんに、リポーターが「どんなことを楽しみに生きていらっしゃいますか」ときいたら、「なーんにもね」(なにもない)といっていました。そりゃあなた、百年も生きれば、「なーんにもね」でしょう。五十余年しか生きていませんが、もう、若いころほどものごとを楽しいと感じることはないですからねえ。長生きなんかしたって、待っているのは「なーんにもね」です。

マイケル・Z・ルーインだったか、ジョー・ゴアズだったか、あのころの小説に、こんなくだりがありました。「コーヒーは?」「ブラック」「近ごろは昔とは逆でね、ブラックは女の飲み物、砂糖とミルクをたっぷり入れるのが男らしいんだぜ」。これにも大笑いしました。そういう時代だったのです。まあ、いまも変わっていないようですが!

◆ さっそく返歌 ◆◆
セカンド・ヴァースとセカンド・コーラス。

I didn't think about my lady
I know that sounds kind of mean
But me and my old lady
Have fallen into the same old dull routine
So I wrote to the paper
Took out a personal ad
And though I'm nobody's poet
I thought it wasn't half bad

"Yes I like Pina Coladas
And getting caught in the rain
I'm not much into health food
I am into champagne
I've got to meet you by tomorrow noon
And cut through all this red-tape
At a bar called O'Malley's
Where we'll plan our escape"

「彼女のことは考えもしなかった、ちょっと浅ましく聞こえるだろうけれど、僕も彼女も倦怠感に取り憑かれていたんだ、だから、その新聞に手紙を送り、個人広告を出した、ぼくは詩人にはほど遠いけれど、そんなに悪くもない出来だった。『イエス、ピーニャ・コラーダと雨に打たれるのは好きだし、健康食品には興味がなくて、シャンペンが大好き、明日の正午に“オマリーズ”というバーで会って、この面倒なやりとりを終わりにし、逃避行のことを相談しようじゃないか』」

ピーニャ・コラーダなんてカクテルは、1979年にはもちろん知りませんでしたし、いまだに味わうチャンスがありません。red-tapeは繁文縟礼のことだそうで、文章によるやりとりをやめにしよう、と解釈しておきました。

それにしても、うまいなあ、とほとほと感心します。ここではコーラスの変形応用の仕方がみごとです。そもそも、個人広告をそのままコーラスにしようというアイディアの勝利でしょう。同じタイプとして、ハニー・コーンの大ヒット、Want-Adがあります。あれも歌詞におおいに感心した曲でした。

まあ、当今いう出会い系みたいなもので、眉をひそめる方もいらっしゃるかもしれません。わたしもとくに擁護する気はありませんが、なぜああいうものが存在するかといえば、多くの人が必要としているからでしょう。人間の心のなかには、つねにそういう欲求があるのだと思います。

こういう広告が載るのは、新聞といっても、上品なものではないでしょうが、すでに1979年に、アメリカの、すくなくとも大都市では、こういうことが、歌になるくらいには一般化していたのでしょう。個人広告の盛んな国だからで、それが日本にまで波及するのに、ずいぶん長い時間がかかったものだと思います。

◆ あらの一言ですまされる亭主いい面の皮 ◆◆
サード・ヴァースとコーラス。

So I waited with high hopes
And she walked in the place
I knew her smile in an instant
I knew the curve of her face
It was my own lovely lady
And she said, "Oh it's you"
Then we laughed for a moment
And I said, "I never knew"

That you like Pina Coladas
Getting caught in the rain
And the feel of the ocean
And the taste of champagne
If you'd like making love at midnight
In the dunes of the Cape
You're the lady I've looked for
Come with me and escape

「おおいに期待して待っていると、そこへ彼女がやってきた、その瞬間、彼女の笑顔を、彼女の顔の曲線を、よく知っていることに気づいた、それは古女房だったのだ、彼女は『なんだ、あなただったの』といった、しばらく大笑いし、僕はいった。『きみがピーニャ・コラーダと雨に打たれることと海風とシャンペンが好きだとは知らなかったよ、真夜中にケープ・コッドの砂丘で愛し合うのが好きなら、それこそぼくが探していた人だ、さあ、いっしょに逃避行と洒落込もうじゃないか』」

いやはや、ここでもコーラスがじつにうまい。すべてのコーラスが、一貫性を保ちながら、すこしずつ変化し、そのヴァースにぴたりとはまっています。

Oh, it's youもしびれましたねえ。日本語にはしにくいというか、同じ意味の表現はあっても、あのニュアンスは英語独特だと感じます。だれでしたっけ、女はなぜあのように泰然自若としていられるのか、といったのは。こういう状況では、男のほうは、Oh, it's youじゃすみませんぜ。それで赦す女はいないでしょう。このケースでは、相手も同罪だったから無事にすんだにすぎません。

でも、女ならそれでいい、というか、それ以外のセリフはないと感じます。ちょっと動揺したのに、Oh, it's you一発で、みごとに立ち直っちゃうんですよね。この泰然自若はどこからくるのか、そのこたえはわたしもぜひ知りたいところです。

◆ ザ・デイ・アフター ◆◆
サウンドについてはとくにいうべきことがありません。コードは単純で、歌詞のストーリーが面白いだけの曲です。ニューヨーク、しかも1979年では、いい音のつくりようがないというべきでしょう。

では、ルーパート・ホームズについてはどうかいうと、これまたほとんどなにも知りません。この前後のアルバムを聴きましたが、歌詞に精彩がなく、退屈で、以後、興味を失いました。Let's Get Crazy Tonightという曲だけ、ぼんやり記憶に残っています。

アルバムPartners in Crimeは、しかし、かなりいい出来です。Lunch Hourという、昼食を抜かして愛人といそしむ忙しいNYのビジネスマンの話や、Answering Machineという、当時普及しはじめた留守番電話による恋人たちの微笑を誘う対話を題材にした曲など、時代感覚にすぐれた歌詞が目立ちました。こりゃ、ウディー・アレンを音楽にしたみたいだな、と思ったものです。

こんなにいいアルバムをつくった人が、なぜヒットを連発できなかったのか、いくぶん不思議ではありますが、まあ、時代は1980年代に突入するわけで、ひとりルーパート・ホームズのみならず、音楽全体がヌルへと飛び込んで二度ともどらなかったのだから、わたしとしては、あとは知ったことではないのです。ディスコの時代が終わってみれば、ぺんぺん草一本生えない荒れ地が残っていただけでした。
[PR]
by songsf4s | 2008-04-23 23:46 | 愚者の船
Lonely Boy by Andrew Gold
タイトル
Lonely Boy
アーティスト
Andrew Gold
ライター
Andrew Gold
収録アルバム
What's Wrong with This Picture?
リリース年
1977年
f0147840_230364.jpg

自分が生きた時代のどの時点にでもジャンプしていい、といわれたら、1965年に行きたいと思います。もう一度、あの「発見と大航海の年」にもどり、小学生の自分がなにと格闘しようとしていたのかを、大人の目でたしかめられたら、じつに楽しいでしょう。

逆に、そこへ送りこむのだけは勘弁してほしい、というのが1970年代後半。ほかの時代はなんとか適応できるけれど、この時代だけは二度と生き直したくありません。こちらも二十代なかばで、だれしもそうでしょうが、先が見えず、自分がたどり着きたいと思っている場所ははるか遠くに見え、途方に暮れていたということもあります。

でも、そんなことはどうでもよくて、なぜこの時代に行きたくないかというと、ラジオをかけると、ビージーズとドナ・サマーとスターズ・オンしか流れていないからです。こんな音楽環境をどうやって切り抜けたのか、自分でもよくわかりません。ちょうど太平洋戦争と同じぐらいの長さで、長い期間、頭の上から蓋をされたような気分ですごしたであろう、戦争中の暮らしを実感できちゃうってなものです。

戦争中にも、楽しいこと、愉快なことがなかったわけではないでしょう。わたしの1970年代後半にも、ときに救いとなってくれる曲がラジオから流れることがありました。アンドルー・ゴールドの曲はその代表で、デッドやストーンズですら足もとをふらつかせた(前者はShakedown Street、後者はMiss You、キャリアの汚点だろう)悪夢のディスコ時代、微動だにせず、ロックンロール・メインストリートを歩みつづけた姿勢は、いま振り返ってもゆかしく感じられます。

f0147840_23574939.jpg

◆ 1951年製造 ◆◆
Lonely Boyには不可思議なトリックが施されているのですが、そういうことはあとにして、先に歌詞を見ます。ファースト・ヴァースとコーラスをひとまとめに。

He was born on a summer day 1951
And with a slap of a hand
He had landed as an only son
His mother and father said what a lovely boy
We'll teach him what we learned
Ah yes just what we learned
We'll dress him up warmly and
We'll send him to school
It'll teach him how to fight
To be nobody's fool

Oh what a lonely boy
Oh what a lonely boy
Oh what a lonely boy

「彼は1951年のある夏の日に生まれた、ポンとひと叩きすると、一人っ子として地上に降り立った、両親はいった、なんて可愛い子なんだ、わたしたちが学んだことをそのままこの子に学ばせよう、暖かい服を着せて、学校に行かせてやろう、だれにも侮られない人間になるための方法を授けてくれるだろう……ああ、なんて可哀想な子どもだろう」

be nobody's foolは成句で、辞書には「なかなかどうして抜け目がない[利口だ]」とあります。nobodyやnowhereといった単語がからむと、たいていがきわめて英語的な表現になりますが、これもその典型でしょう。以上、馬鹿ソング特集にこの曲を持ち出すためのエクスキューズでした。サウンドとしては、馬鹿どころか、文字通りnobody's foolなのです。

ポンとひと叩きする、というのは、産声をあげさせるために、新生児を逆さにして、尻をポンとやる、あれのことだと思います。

◆ 1953年製造の2台目 ◆◆
セカンド・ヴァース。

In the summer of '53 his mother brought him a sister
And she told him we must attend to her needs
She's so much younger than you
Well he ran down the hall and he cried
Oh how could his parents have lied
When they said he was an only son
He thought he was the only one

「1953年の夏、彼の母親は妹を生んで、彼にいった、この子はあなたよりずっと年下なのだから、わたしたちはこの子のめんどうをみなければならない、と。彼は廊下を駆けていき、泣いた、両親は「たったひとりの息子」というひどい嘘をついたのだ、両親が、たったひとりの子、といったとき、彼は自分が唯一だと思ったのだ」

f0147840_2334125.jpgわたしは次男なので、このへんのことは想像するしかありませんが、わたしの兄なんかも、ただひとりの子どもから転落したときは不機嫌だったそうですし、レイ・デイヴィーズも、弟が生まれるまでは、自分は「王」だったといっています。

よけいな話ですが、当今は昔とはすっかり日本語のアクセントが逆転しています。南関東に生まれ育った人間としては、現在のような北関東アクセントにはどうしても強い違和感がありますが、とりわけ奇妙に感じるのは「次男」のアクセント。テレビでこれをいうと、わたしの耳には「痔なんです」といっているようにしか聞こえません。昔は、すくなくとも南関東では、この言葉はフラットに発音したもので、逆立ちしても「痔なんです」には聞こえませんでした。なんせ、わたしは次男なものですから、これはすごく聞き苦しいイントネーションです。

◆ 廻る因果の小車 ◆◆
コーラスと間奏をはさんで、サード・ヴァースへ。

He left home on a winter day 1969
And he hoped to find all the love
He had lost in that earlier time
Well his sister grew up
And she married a man
He gave her a son
Ah yes a lovely son
They dressed him up warmly
They sent him to school
It taught him how to fight
To be nobody's fool

「1969年の冬のある日、彼は家をあとにした、彼は子どものときに失った愛をすべて取り戻したいと願っていた、彼の妹は大人になり、結婚し、子どもを産んだ、夫婦はこの子に暖かい服を着せ、学校に送り出した、学校で彼はだれにも侮られない人間になる方法を授けてもらった」

f0147840_2372478.jpgいったい、これはなんの歌なのでしょうね。次男としては、両親の愛を独占できないことがそれほど重要には思えないから、わたしには実感がないのかもしれません。レイ・デイヴィーズも、自伝のなかで、あえて弟が生まれたときの転落感にふれているし、アンドルー・ゴールドは、わざわざ歌にしたくらいなのだから、長男にとっては、これは重要なことなのでしょう。まあ、最後は、大人らしく、ものごとは順繰り順繰り、みな、そのようにして王である地位から転落していくのだ、という結論のようですが。

1969年というのは、家出のヴィンティジ・イヤーだったのでしょうね。ウッドストックの年ですから、みんな、家でのんべんだらりとしている場合じゃないと、そわそわしたことでしょう。わたしもそうだったというわけじゃありませんが、音楽的には、ちょっと混迷しはじめた記憶があります。

◆ 人を惑わす不逞の曲 ◆◆
f0147840_23243574.jpgざっと歴史を見渡して、なんでもできたワンマン・バンド・プレイヤーというと、最強はスティーヴ・ウィンウッドでしょう。ヴォーカルは超一級、ギターとキーボードがうまいのは当然として、ベースなんか、本職でも彼ほどうまい人がいるかどうか微妙というくらいだし、後年、やっと「実戦」に使えるようになったドラミングも、タイムは正確で端正でした。まあ、ウィンウッドは神童のなかの神童、完全無欠のワンマン・バンドだから、人間ではないということで、神棚に祭り上げてしまっても問題ないでしょう。

そのつぎにくるのは、エミット・ローズ、トッド・ラングレンあたりでしょうが、総合点で第2位は、わたしはアンドルー・ゴールドではないかと思います。好みでいえばトッド・ラングレンなのですが、彼のプレイは柔軟なものとはいいがたく、自分のアルバムでのみ力を発揮するタイプ。それに対して、アンドルー・ゴールドのプレイは、セッション・プレイヤーとして通用するもので、じっさいに、リンダ・ロンシュタットのスタッフとして、八面六臂の大活躍をしたことを勘定に入れないわけにはいかないからです。

f0147840_2331106.jpgドラムはそれほど得意としていたわけではなく、このアルバムでは本職のプレイヤーを使っています。トッド・ラングレンのSomething/Anything?を聴けばわかりますが、自分でやることそれ自体に意義があるので、これはちょっと残念ではあります。とはいえ、その理由もよく理解できます。むずかしいリズム・アレンジの曲が多いアルバムなので、自分ではうまく叩けないと考えたのでしょう。

その代表が、このLonely Boyです。じつは、いまのいままで、なんと三十余年にわたって、この曲について、とんでもない勘違いしていたことを知って、わたしは愕然としました。こういうマヌケなこともあるんですねえ。わたしっていう人間は、音楽を聴いているようで、聴いていないのかもしれません。

なにを勘違いしていたかというと、8分音符ひとつ分、小節をずらして聴いていたのです。ここに、Lonely Boyの譜面があります。冒頭に8分休符が入り、中途半端なところではじまっています。わたしは、この8分休符を飛ばし、冒頭からピアノ・コードが入っているのだとばかり信じていたのです。

f0147840_2334227.jpg

言い換えると、ピアノは表拍を弾き、サイドスティックとカウベルは裏拍を叩いていると思っていたのです。このままいけば、やがて辻褄が合わなくなります。この曲はおかしいと感じるのはここで、辻褄を合わせるには、コーラスの尻尾、すなわち、3度目のOh what a lonely boyの直後に変拍子があると考えるしかなくなるのです。

しかし、8分音符ひとつ分はみ出た小節というのは、いかに変拍子といっても奇妙すぎるので、いっしょにギターを弾きながら、この数日考えこんでいたのです。そして、さっき、写真を探していて、譜面を見つけ、ギャッと叫んだというしだい。ピアノは裏拍、サイドスティックとカウベルは表拍を叩いていたのです!

たしかに、変拍子で辻褄を合わせるより、冒頭に「聴こえない8分休符」(休符は聴こえなくて当たり前なのだが!)があるほうがずっと自然です。でもねえ、現物を聴いてごらんなさいっていうんですよ。ここに秘密の8分休符があるなんてわかる人は、たくさんはいないと思いますよ。まあ、このページにあるMIDIファイルを聴けば、サイドスティックが表拍で、ピアノが裏拍とわかりますがね。

ヴォーカルの歌いだしが、どこも「前の」小節の最後の拍の裏拍の8分ではじまっていることも、やはりトリックの一部で、このために、いつまでも裏が表で表が裏のつもりで聴いてしまうのです。ロッパとエノケンの「ちょいといけます」を地でいく曲ですなあ。

f0147840_233652100.jpg
「この絵の間違いを探しましょう」というアルバム・タイトルなので、大きくしてお見せする。すぐにわかるのは海と鏡のなか。テレビと台も不自然。あとは、窓のそばにあるテープ・マシンにかかっているのは、テープではなく、45回転盤に見えるが、これは確信なし。LPで見ないとたしかなことはわかりませんな。しかし、そんなことより、もっとだいじなのは音楽で、まるでWhat's Wrong with This Song?といわんばかり。だまし絵にまんまと騙されたわたしはいい面の皮。

◆ さらなる仕掛け ◆◆
リズミックなトリックはこれだけにとどまりません。ギター・ソロのあとのサード・ヴァースでは、ベースのパターンを変えているのです。セカンドまでは、Db-Db-D-DとAb-Ab-A-Aというフレーズをピアノと同じリズムで弾いています。サードでは、この2つのあいだに、低いEの音を入れているのですが、問題はこのリズムないしはタイミングです。Abより4分音符ひとつ分手前なのです。まちがえるといけないので譜面を見ましたが、これは「前の」小節の4拍目の裏拍で、小節をまたぐ4分音符ということになるようです。

これが輪唱のような感覚を生んでいて、最初に聴いたとき、じつにクレヴァーなアイディアだと、いたく感心しました。じっさい、この曲を取り上げる気になったのは、このベースのパターン変更が理由だったのです。まさか、こんな変なトリックを施した奇妙な曲だと思いもしませんでしたよ。いっしょに弾いていて、コーラスのあとでまちがえたので、おや、変拍子か、と思っただけでした。譜面を見なければ、ピアノもヴォーカルも8分音符ひとつ分ずれているなどとは気づかなかったでしょう!

f0147840_23465971.jpg

アンドルー・ゴールドは、しばしば面白いリズム・アレンジをしています。このアルバムでいうと、モーリス・ウィリアムズ&ザ・ゾディアクスのカヴァー、Stayの間奏をはじめて聴いたときは、唸りましたぜ。アイディアの勝利。

また、ギター・アンサンブルも非常に得意としています。このアルバムの曲では、マンフレッド・マンのヒット、Doo Wah Diddyもすばらしいし、Stayの間奏におけるギター・アンサンブルもみごとです。

f0147840_23505077.jpgしかし、ギター・アンサンブルがすごいのは、アンドルー・ゴールド自身のアルバムより、リンダ・ロンシュタットのバッキングのときです。You're No Good、When Will I Be Loved、That'll Be the Dayなどで、自身のダブル、またはワディー・ワクテルなど他のプレイヤーとのコンビで、楽しいギター・プレイを聴かせてくれています。Heat Waveは一本に聞こえますが、ソロの最後は2本重ねていると思います。これも、いかにもアンドルー・ゴールドというアレンジ。

ただ弾いてうまい人は掃いて捨てるほどいますが、これほどギター・アンサンブルの才能をもっていたギタリストは、ほかに思いあたりません。いや、アンサンブルを得意としていたからといって、下手だというわけではありません。一本のソロでも聴かせてくれるものがあります。基本的に「センスの人」で、すべてにわたって趣味のよいところが、この人の美点だったと思います。

◆ ワンマン・バンドの呪い ◆◆
ただ、残念ながら、ワンマン・バンドのライヴァルである、トッド・ラングレンほどのソングライティングの才能はなかったようで、いい曲はごくかぎられています。ほかにめだつのは、78年にヒットしたThank You for Being My Friend、同じアルバムに入っていたGenevieveぐらいです。ダブル・アルバムにめいっぱい佳曲を詰め込んだトッド・ラングレンとはくらべようもありません。何年のものか知りませんが、Whirlwindというアルバムのひどさに懲りて、以後、アンドルー・ゴールドとは縁が切れてしまいました。

f0147840_23533432.jpgそういえば、もうひとりのワンマン・バンド・プレイヤー、エミット・ローズなんて人は、どこへ消えてしまったのでしょうか。才能がそのまま成功に結びつくものではないのは承知していますが、ワンマン・バンドの生存確率は五分か、と思うと、ちょっと情けなくはあります。スティーヴ・ウィンウッドは突然変異の例外と考えると、確率33.333パーセントに下落。

しかも、スティーヴ・ウィンウッドまでふくめ、みなワンマン・バンドを長くつづけることはできず、すぐにやめています。あまりの状況のきびしさに、ポール・マッカトニーも、ワンマン・バンド・プレイヤーの成功者に繰り入れたくなってしまいます!
[PR]
by songsf4s | 2008-04-22 23:55 | 愚者の船
Why Do Fools Fall in Love by the Beach Boys その2
タイトル
Why Do Fools Fall in Love
アーティスト
The Beach Boys
ライター
Franky Lymon, Morris Levy
収録アルバム
Good Vibrations: Thirty Years of the Beach Boys
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Frankie Lymon & the Teenagers, the Happenings, Benn Zeppa & the Four Jacks, the Diamonds, Linda Scott, the Four Seasons, Gale Storm, the Teeners, Joni Mitchell, California Music
f0147840_23111854.jpg

昨日に引きつづきのWhy Do Fools Fall in Love、後半の今日はビーチボーイズ盤についてです。というか、このトラックでのハル・ブレインのプレイが中心になりますので、ドラミングにはご興味がないであろう大多数のお客さんは、一気に最後の小見出しにジャンプしていただくほうがいいでしょう。

f0147840_2313130.jpg
ハル・ブレインが譜面の肩に押したスタンプ

◆ ハル・ブレイン・ストライクス・アゲイン ◆◆
ハル・ブレインがなぜあれほどのプレイヤーになり、空前絶後の4万曲という記録を残せたかは、いまではよくわかっています。箇条書きにすることだってできます。

1 どこまでも明るく華やかなビート
2 正確なタイム
3 独創性
4 アレンジ能力
5 献身
6 気配り
7 腕力、脚力、体力

もっとも重要なのはタイムだろうと思われがちですが、わたしはそうではないと考えています。彼とキャリアが重なるドラマーでも、たとえばジム・ゴードンのように、タイムのうえではハルより正確なプレイヤーもいますし、時代が下るにつれて、クリック・トラック(電子的メトロノームのようなもの)の助けもあって、全般にドラマーのタイムはよくなっていきます。

しかし、ほかのドラマーが逆立ちしても真似できないのが、あの華やかなビートです。おそらく、タイム、手首の使い方、機材、チューニング、録音などが総合されて生まれるものなのでしょうが、ハル・ブレインのビートには、ほかのだれともまったく異なる、華やかさ、明るさがありました。それが南カリフォルニアという土地と、1960年代という時代が要請するものとピッタリ重なった結果が、前人未踏の大活躍につながったと思います。

独創性とアレンジ能力については説明不要でしょう。ハル・ブレインはいまではロック・ドラミングの一般的ヴォキャブラリーとみなされているものを、もっとも多く開発したプレイヤーです。また、アレンジャーはリズム・セクションの譜面を書かず、コード譜しかわたさないことが多いので、ドラミングの設計はプレイヤーの仕事でした。楽曲が解釈できなければ、プレイはできないのです。

献身も重要です。なにしろ、朝8時半からはじまって(午前中は映画の仕事が中心だそうな)、ふつうの一日は3時間のセットを3回やれば終わるはずなのですが、フランク・シナトラのように夕食後にスタジオに入る習慣の人もいますし、ほかにも深夜から未明にかけてのセッションは多く、眠れるのは明け方ごろ、それもベッドではなく、スタジオの床ということもしばしばだったというのだから、ワーカホリックでなければ務まりません。

f0147840_23223823.jpgThe Pet Sounds Sessionsを聴いていて、ハッとした一瞬があります。テイクがはじまったとたんにブライアンがホールドして、もっとテンポを速くと、喋りながら、フィンガースナップで自分が望んでいるテンポをやってみせると、即座にハルがブライアンの指に合わせてスティックを叩きはじめます。ブライアンが、じゃあもう一度、というと、それまで叩いていたスティックの4分にのせて、間髪入れずにハルがカウントインし、あっというまにテイクにもどっていたのです。このみごとなセッション・リーダーぶりを聴いて、さてこそ、と思いました。こういう人がいれば、セッションは遅滞なくスムーズに運びます。

ハル・ブレインは、ただ派手なフィルインでドラマーのキングになったわけではないのです。手足よりも、むしろ頭とハートで天下を取ったというべきでしょう。

◆ ヴァースのプレイ ◆◆
さて、Why Do Fools Fall in Loveでのハル・ブレインのプレイです。上記の彼の特質のうち、献身や気配りは盤にはあらわれませんが、それ以外はすべてこの曲から読み取ることができます。

ヴァースでは、ハルは2&4の前半は叩かず、4のみをヒットしているのですが、どの4も同じかというと、お立ち会い、そんな工夫のないことはしないのです。基本的にはフラムを使っているといっていいのですが、よく聴けば、4のパターンは2種類を使い分けています。

フラムというのは、左右のスティックを、ほんのわずかにタイミングをずらしてヒットするプレイをいいます。Why Do Fools Fall in Loveのヴァースにおける4の第一パターンは、スネアによるフラムです。

f0147840_23283045.jpg
スネアでフラムを叩くときのかまえ。ここではスタンダード・グリップ(レギュラー・グリップ)でやっている。モデルはハル・ブレイン自身。Hal Blaine "Have Fun!!! Play Drums!!!"より。

もうひとつのパターンは、左手でスネア、右手でタムタムないしはフロアタムを同時にヒットするプレイです。これは、フィル・スペクターの録音では頻繁に使ったプレイだと、アール・パーマーがマックス・ウェインバーグに語っています。

f0147840_23313717.jpg
スネアとフロアタムを同時にヒットするプレイ。ここでもグリップはスタンダードだが、ケースによってはハルもモダーンを使ったらしい。

この2パターンを、小節ごとに交互に使っているのです。なぜそんな面倒なことをするかというと、ビートに表情をもたせるためです。ビートのパターンは、しばしばサウンド全体の色合いを(ときには大きく)変化させます。まったくの推測ですが、派手な変化はヴォーカルの邪魔になる、でも変化はもたせたい、という相反する要求を満足させようとした結果が、ボンヤリしていると聞き落としそうなこの地味なパターン変化でしょう。

生地の色は同じまま、織り方だけを、平織りではなく、畝織りか綾織りにするといった、微妙なテクスチャーの変化です。こういう小さな工夫こそ、ハル・ブレインをハル・ブレインたらしめた最大の要素だと、わたしは考えています。

f0147840_2338427.jpg
この逆手のパターンは、フィルインで使うもので、バックビートではこの叩き方はしないだろう。

◆ ブリッジと間奏のプレイ ◆◆
ブリッジでは、当然ながら、リズム・パターンを変えています。もっとも目立つちがいは、2&4のバックビートを両方とも叩くパターンを使っていることです。

8小節のブリッジのちょうど真ん中、5小節目の最初の拍(スネアのビートに対しては裏)で、キックによる8分の2打を入れているのも、ヴァースとはちがうところです。ここでキックが聞こえるということは、ほかではキックは使っていないということかもしれません。エコーがすごくて(スタジオはおそらくゴールド・スター)、深海状態のため、明白にはわからないのですが。

ブリッジのあと、またヴァースを繰り返してから、サックスのアンサンブルによる間奏に突入します。邪魔なヴォーカルが消えるので、ここはドラムを聴くチャンスです。ブリッジ同様、2&4の両方を叩くパターンですが、いきなり1小節目の4で、ものすごく深い響きがしているので、右手でフロアタムをヒットしながら、左手はスネアというプレイであることがはっきりわかります。

f0147840_23451867.jpg

面白いのは、間奏の尻尾です。カウントしてみてわかったのですが、この間奏、サックスのプレイは6小節なものの、そのあとにヴォーカルだけになるストップ・タイムがあり、ここまで入れると、合計11小節という変な長さなのです。最後の5小節分がストップ・タイムで、ここはヴァースにもどる手続きとして、イントロのヴォーカル・リックを繰り返すため、変則的な長さになったのです。

ヴォーカルが入っているリリース盤ではわからなくなりますが、トラッキング・セッションの段階では、ガイド・ヴォーカルがないかぎり、この5小節は完全な無音部です。5小節というと、音楽の時間にあってはかなり長いので、ふつう、これだけ休むと、戻りのタイミングがむずかしくなります。戻りを正確にそろえるには、全員がカウントしなければなりませんが、プロといえども、これはかなり困難です。

えー、お客さんの多くが、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのA Taste of Honeyという曲をご存知だろうと思います。おもちなら、ちょっとお聴きになってみてくださると、以後の話がわかりやすくなります。

f0147840_23503147.jpgA Taste of Honeyの冒頭、ギター、ベース、管、マリンバなどによる短い、そしてテンポの遅いイントロのあと、ハル・ブレインは4分でキックを強く踏み込んでいます。これはこの曲のフックラインになっていますが、ハル・ブレインは回想記で、なぜこんなアレンジにしたかという裏話をしています。

長いストップ・タイムのあとで全員が入ってくるのですが、リハーサルでどうしてもきれいにそろわず、業を煮やしたハルが、ここで入れ、という合図のために、キックで四分をやったところ、プロデューサーのハーブ・アルパートが、アレンジの一部として、そのプレイを採用したというのです。

Why Do Fools Fall in Loveの5小節にわたるストップ・タイムでも、ハル・ブレインは同じような処理をしています。スティックどうしを叩き合わせて、2&4をやっているのです。やはり5小節のストップというのは無理で、タイミング出しをしたほうがきれいに戻れるという判断もあったのでしょうし、もうひとつは、ヴォーカル・オーヴァーダブへの配慮でしょう。ヴォーカルだって、バックが無音でタイミングを取るよりは、メトロノームのように拍を刻むハルのスティックが聞こえるほうが、はるかに楽に決まっています。

f0147840_23514732.jpg

◆ サード・ヴァースとエンディング ◆◆
間奏後のヴァースでは、ハルはまたパターンを変えています。こんどはヴァースでも2&4の両方を、左手はスネア、右手はフロアタムで叩くパターンにしています。スネアのみのフラムはしなくなります。

そして、エンディングの繰り返しに入ると、長短のフィルインもあちこちに織り込み、だれもがハル・ブレインのトレードマークだと思っている、派手なプレイの連発になります。もうファイナル・ストレッチなので、ヴォーカルを邪魔する心配より、サウンド全体を盛り上げることのほうを優先しているのです。

ハル・ブレインというと、シャッフル・ビートという印象があるのですが、じっさいに勘定してみると、それほどたくさんはありません。そういう印象をもったのは、おそらく、このWhy Do Fools Fall in Loveや、フィル・スペクターのクリスマス・アルバムでの、シャッフルのプレイが強く印象に残っているためでしょう。

シャッフル・ビートの場合、ほうっておくと、フィルインは自然に3連系になります。具体的には、ストレートな4分3連、4分3連と8分、16分などとのコンビネーション、そして、ハル・ブレインのトレード・マーク、キックも連動させた2分3連です。

f0147840_2357183.jpg

自然に出てくるのは以上のようなパターンのフィルインなのですが、べつの系統もあります。これはハル・ブレインとアール・パーマーが広めたものですが、straight 16th against shuffle=「シャッフルに逆らう16分のパラディドル」という荒技があるのです。これはシャッフルのグルーヴの流れに棹さすもので、ナチュラルな響きではなく、かなり強引なプレイなのですが、それゆえに耳に立ち、チェンジアップとして大きな効果を発揮します。

Why Do Fools Fall in Loveのフェイドアウト直前に連発されるさまざまなフィルインの多くは3連系、それもストレートな4分3連です。ただ、一カ所だけ、マイクが当たっていないためにほとんど聴き取れないのですが、タムタムからフロアタムにかけて、straight 16th against shuffleを使っています。「ハル・ブレイン参上」のサインです。

f0147840_08582.jpgドラム馬鹿だけが興味をもつそうした細部はさておき、どのフィルインも正確にしてかつ派手で、いうにいわれぬ華やかさがあり、まったく申し分ありません。何度目のテイクでここにたどり着いたか知りませんが、これほどまでに大量のフィルインを叩いて、まったく乱れのないプレイは、ハル・ブレインといえども、そう多くはないでしょう。

バックビートよし、フィルイン完璧、元気いっぱいでどこまでも力強く、これ以上はないほど華やか、いたるところに張りめぐらせられた小さな工夫の数々、ストップ・タイムでの気配り、いずれをとっても、ハル・ブレインらしさ、そして、彼もその誕生に一役買った「いかにもカリフォルニアらしい明るさ」に充ち満ちた素晴らしいプレイです。

◆ ギターのグルーヴ ◆◆
サウンドは音の集合体です。グルーヴはドラマーだけがつくるものではありません。ふつう、グルーヴのもういっぽうの主役はベースなのですが、このWhy Do Fools Fall in Loveに関しては、アコースティックとエレクトリックという、2本のギターのほうが気になります。

まずアコースティック。ハッキリ聞こえないのですが、ストロークのリズムは8-8-4-8-8-4というパターンのようで、これがシャッフル・フィールの最大の担い手になっていると感じます。

エレクトリックのほうはもっと聴き取りにくく、聞こえてくるのもほんのたまのことなのですが、どうやら、x-8-x-8-x-8-x-8(xは休符)というパターン、または、8分のストロークの表拍(ダウン)をミュートし、裏拍(アップ)だけが聞こえるようにするパターン、またはそのヴァリエーションに思われます。

f0147840_0123373.jpg
ハル・ブレインとブライアン・ウィルソン

この2種類のギターのストロークないしはカッティングが、ハル・ブレインのうるわしいビートと相まって、じつにいいグルーヴを形成しています。エレクトリックなんか、ほとんど聞こえないから、なくてもいいといえなくもないのに、このように「羽織の裏地」に凝るようになったのは、ブライアン・ウィルソンがフィル・スペクターの音作りを意識しはじめた証拠かもしれません(いや、じっさいには、ほかの曲に必要なプレイヤーだから、帰られては困る、というだけでしょうけれど!)。

60年代のビーチボーイズのベースは、当初は主としてレイ・ポールマンが、そして、途中からキャロル・ケイが多く弾くようになります。キャロル・ケイは、ベースになる以前から、ビーチボーイズのセッションではしばしばリズム・ギターをプレイしたそうです。エレクトリックだけでなく、アコースティック・リズムでも彼女は引っ張りだこで、ソニー・ボノは、彼女のアコースティック抜きでは録音しなかったそうです。ということは、あのI Got You Babeのアコースティックはキャロル・ケイということになります。

f0147840_0143779.jpg以前にも書きましたが、キャロル・ケイのアコースティックとは、いわゆるフォーク・ギターではなく、エピフォン・エンペラーという、フルアコースティックのジャズ・ギターによるものです。エンペラーのコード・サウンドのおかげで、ずいぶんたくさん仕事がきた、といっていました。

Why Do Fools Fall in Loveのメンバーを推測すると、ビーチボーイズ初期の多くのトラックと同じように、ハル・ブレイン=ドラムズ、レイ・ポールマン=フェンダー・ベース、キャロル・ケイ=リズム・ギター(アコースティック)、ビリー・ストレンジ=リード・ギター(ただし、この曲ではエレクトリックのカッティング)ではないでしょうか。ほかにパーカッションとサックス(候補としてはスティーヴ・ダグラスとプラズ・ジョンソン)がいますが、そちらについては推測の材料がありません。

しかし、このメンバー、おかしなことに、初期ヴェンチャーズそのまま。当時のハリウッドの精鋭だから、当たり前といえば当たり前なのですが、なんだか、妙な感じがします。いや、仕事先の都合に合わせて、プレイもサウンドもみごとに変貌させていく、彼らのとてつもない適応力と創意に脱帽しておけばいいだけでしょうね。

ハル・ブレイン以外は、だれもスポットライトを浴びるようなプレイはしていませんが、うまい人ばかりが集まり、ピタッとはまったときは、なんともいいグルーヴが生まれるものだと思います。ブライアン・ウィルソンにとっては、これは本線の仕事ではなく、フィル・スペクターのサウンドを研究するための実験だったのかもしれませんが、シングル・カットするべきだったと惜しまれます。

ブライアンのヴォーカルについて、なにもふれていなかったことに気づきました。他人の曲なので、代表作にあげられているのは見たことがありませんが、わたしは、ブライアンのあらゆるヴォーカルのなかで、このWhy Do Fools Fall in Loveがもっともいい出来だと思っています。

f0147840_0192155.jpg
Hal Blaine "Psychedelic Percussion" ドラマーのリーダー・アルバムというのはたいていが退屈なものだが、このアルバムはとりわけお薦め「できない」。このCDは2オン1で、片割れはエミール・リチャーズのStones。

[PR]
by songsf4s | 2008-04-21 23:57 | 愚者の船
Why Do Fools Fall in Love by the Beach Boys その1
タイトル
Why Do Fools Fall in Love
アーティスト
The Beach Boys
ライター
Franky Lymon, Morris Levy
収録アルバム
Shut Down Vol. 2
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Frankie Lymon & the Teenagers, the Happenings, Benn Zeppa & the Four Jacks, the Diamonds, Linda Scott, the Four Seasons, Gale Storm, the Teeners, Joni Mitchell, California Music
f0147840_2349161.jpg

この特集で何度か「三大馬鹿ソング」のことを書きましたが、本日のWhy Do Fools Fall in Loveも三大馬鹿ソングのノミネーです。

Why Do Fools Fall in Loveは、ジェリー・リーバーとジョニー・マーサーという、定冠詞付き、大文字の「アメリカの大作詞家」の作品(Fools Fall in LoveFools Rush In)と同じバッグに入れられるほど、楽曲に「格」があるとはいえませんが、ポップというのは、こういう駄作すれすれの佳作のほうが好まれる世界で、むしろ、こういうもののほうが三大馬鹿ソングにふさわしいかもしれません。

ポップ・ソングというのは、きわめて知的な表現形式というわけではなく、どちらかというと、お馬鹿なところを売りものにする傾向があるので、馬鹿馬鹿しい歌詞もまたショウのうちとあきらめて、以下の歌詞が頭の上を通りすぎる須臾の間をご辛抱願います。人生はうたたの夢、馬鹿歌詞ぐらい、瞬きするあいだにすぎていきます。

◆ 根源的疑問の提示 ◆◆
それでは、乗り物酔い予防として、深呼吸などやらかしてから、ファースト・ヴァース。

Why do birds sing so gay
And lovers await the break of day
Why do they fall in love

「どうして、鳥たちはあんなに陽気に歌い、恋人たちは夜明けを待つのか? どうして愚か者は恋に落ちてしまうのだろう?」

フランキー・ライモン&ザ・ティーネイジャーズのオリジナルをはじめ、多くのヴァージョンでは、ヴァースの直前に「Why do fools fall in love」といっていますが、これはゲーム前の気合みたいなものなので、省きました。

読んで字のごとし、なにもいうことはありません。無理になにかいうなら、愚か者は恋に落ちる、というコンセプトがこれほど広範に、かつ、一点の曇りもない人生の真実であるかのように語られていることからして、デカルト、カント、ショーペンハウエルがどのような著作をものしようとも、これこそが、たぶん、われわれにとって、もっとも重要な形而上学的問題なのであろうということが、このヴァースから読み取れます。書いている本人も馬鹿馬鹿しいと思っているパラグラフを読んでくださり、感謝に堪えません。

セカンド・ヴァース。

Why does the rain fall from up above
Why do fools fall in love
Why do they fall in love

「どうして天から雨が降ってくるのだろう、どうして愚か者は恋に落ちるのだろう、どうしてみんな恋に落ちるんだ?」

書きようがなくなって、いつもは省くクウェスチョン・マークなど付けてみましたが、あまり効果はないようですな。ここもまた読んで字のごとし、いまだ解の得られない深遠な形而上学的問題と、比較的研究が進んでいる分野の科学的問題に関する、根源的疑問の提示です。教室にはかならずひとりは、こういう疑問を口にする子どもがいて、教師が立ち往生したりします。

チリのアリカというところでは、1903年10月から1918年1月まで、丸14年以上にわたって、一滴の降水もなかったそうです。ということは、1917年には、アリカには雨というものを知らない中学生がいたことになります。きみは子どもだから知らなかっただろうが、世界には、「なぜ雨が降るのか」ではなく、「なぜ雨は降らないのか」と思った子どももいるのだよ>フランキー。クイズに出る気象学豆知識でした。

尾流雲(ヴァーガ)というものがあります。砂漠地帯などの高温低湿の場所では、地表にたどり着く前に雨が蒸発してしまうことがあり、遠目には雨のカーテンが見えるのに、その下に入っても、雨は降っていないのです。まるで足のない幽霊。砂漠地帯版Why Do Fools Fall in Loveでは「なぜ雨は消えるのか?」とうたうべきでしょう。地球上にはいろいろなことの起きる場所があるものですなあ。

◆ Lose-Lose理論にもとづく歌詞 ◆◆
つぎは最初のブリッジ。ここをうたわないヴァージョンもいくつかあります。

Love is a losing game
Love can be a shame
I Know of a fool, you see
For that fool is me
Tell me why, tell me why

「恋はかならず負けるゲーム、面目丸つぶれになることもある、ぼくは愚か者のことならよく知っている、ぼくがそうだからさ、どうしてなんだ、教えてくれ!」

エクスクラメーション・マークなんかも(勝手に)使ってみましたが、あまり変わり映えせず。しかし、ここはゲーム理論の先取りみたいで、ちょっとだけ興味深くはあります。Win-Win戦略なんてえのもありましたが(え、まだあるって? そのへんはよく知りませんが)、恋は勝者のいないLose-Loseゲームだと主張しているわけです。この世界自体がLose-Loseゲームに変貌しつつあるように見える昨今、なかなか意義のあるブリッジだと思います。社会ないしは政治に関する歌だと思って読み替えてみてはいかがでしょう。

このあと、すでに見たヴァースをくりかえすだけなので、セカンド・ブリッジへ。

Why does my heart skip a crazy beat
For I know it will reach defeat
Tell me why, tell me why

「どうしてぼくのハートは気違いじみた速さで鼓動を打つのだろう、失敗することがわかっているからだ、どうしてなんだ、だれか教えてくれ」

ハートがスキップするなんていうと、不整脈か、と思うのは年寄りだけで、若い人は「ハートがドキドキ」(ハーマンズ・ハーミッツ!)のこととわかるはずです。

以上、排斥しなければならないほどの歌詞でもありませんし、いくぶんかの愛嬌はありますが、つまるところ、アメリカ大衆音楽史に残る記念碑的傑作の、180度反対側に近いところにあるといえるでしょう。まあ、これこそが大衆音楽の歌詞である、という立場もあるでしょうが。

◆ いきなり他のヴァージョン ◆◆
この曲に関するかぎり、わたしはビーチボーイズ盤がベストだと思うのですが、ハル・ブレインがどういうプレイをしたか、詳細に検討する必要があるので、それはあとまわしにし、今日は順番を変えて、先に他のヴァージョンを片づけます。それも思いきり全力疾走、火渡りをやっても、この速度ならヤケドひとつしないってな調子で駆け抜けます。

f0147840_014221.jpgもちろん、いちばん有名なのはオリジナルのフランキー・ライモン&ティーネイジャーズ盤です。ロニー・スペクターがヴィデオGirl Groupsのなかで、あの声! と叫んでいましたが、たしかに、このときのフランキー・ライモンの声はすばらしく、マイケル・ジャクソンもリトル・スティーヴィー・ワンダーも目じゃありません。その手のお子様シンガーとしては、ディアナ・ダービンとどっちがすごいかというレベルで、モータウン勢など、たんなる真似しっ子というべきでしょう。サウンドは古びてしまいましたが、フランキー・ライモンの声はいつまでも新鮮です。

黒人市場で大ヒット曲が出ると、目にもとまらぬ早業で白人市場に輸入されます。「カヴァー」という言葉を、当今はくそみそいっしょに見境なく使いますが、本来の意味は、このような「レイス・ミュージック」市場から、一般白人市場への「技術移転」を指すものでした。だから、そういう狭義の意味でなら、日本には「カヴァー」など一曲も存在しません。

f0147840_016314.jpgで、この曲にも当然、純正なる意味での「カヴァー」があります。それも複数。まずゲイル・ストーム盤。べつに悪いものではありませんが、ティーネイジャーズ盤がそこにあるときに、このヴァージョンをわざわざ聴くのは、当時の白人だけじゃないでしょうか。つまり、そういうヴァージョンを必要とするラジオ局、レイス・ミュージック(黒人音楽)をいっさいかけない、白人局が多数あったということにすぎません。しかし、ドラムはうまい! You Tubeにゲイル・ストーム盤もあります。

f0147840_0175063.jpg同じ年にダイアモンズもこの曲をやっています。ダイアモンズというのは、グループそのものがドゥーワップのカヴァーで、こんなことばかりやっています。あの時代にはいくぶんかの意味があったのかもしれませんが、彼らのWhy Do Fools Fall in Loveは時の試練に耐えられるものではなく、いまでは完全に賞味期限切れ。

56年にはもうひとつ、グローリア・マンという人のものがチャート・インしていますが、これは聴いたことがありません。ぜんぜん知らない人ですが、おそらく白人女性でしょう。フランキー・ライモン盤が6位、ゲイル・ストーム盤が9位、ダイアモンズ盤が12位、ここまではトップ40に届きましたが、グローリア・マン盤は59位。いやまったく、屋台も出る騒ぎで、チャート圏外にはこれに数倍する屍が累々と横たわったであろうことが想像されます。

その屍たちの骨を拾ってやろうと、クモの巣を這いまわって、50年代のものと思われるヴァージョンをふたつ試聴してみました。サーフでも、サイケデリックでも、ほかのサブジャンルもそうですが、ドゥーワップというのも間口の狭いわりには奥が深いうなぎの寝床で、探りはじめると困惑します。

f0147840_0213867.jpgベン・ゼッパ&ザ・フォー・ジャックスというグループについては、うちにある資料ではなにもわかりませんでした。The Billboard Book of American Singing Groupsにも、ラルフ・ティーのWho's Who in Soul Musicにも、The Guiness Who's Who of Fifties Musicにも、その60年代版にも、まったくエントリーがありません。ディスコグラフィートップス・レコードのマトリクス番号からの推測ですが、ベン・ゼッパ盤も56年録音に思われます。

ということで、音だけでいいます。ストレート・カヴァーなので、物真似にすぎず、それ以上のものではありませんが、出来自体は悪くありません。バッキングはこちらのほうがグルーヴがよく、ティーネイジャーズ盤よりはるかにいい出来です。それにしても、声からは黒人とも白人ともいえず、困ったものです。冒頭のヘイ・ドゥーマッパ、ドゥーマッパは黒人に聞こえ、リード・ヴォーカルは黒人少年に聞こえたり、白人成人女性に聞こえたりします。ヴォーカルに、フランキー・ライモンほどドライヴする力がなく、フロップもやむをえないでしょう。

f0147840_02157100.jpgティーナーズという、グループ名までいただいちゃったみたいなカヴァーもあります。もう時間がないので、このグループについては調査もしません。こちらのバッキングもティーネイジャーズ盤よりずっと上出来。ドラムはタイムがよく、ベース(スタンダップ)のグルーヴはなかなかです。これも50年代録音と思われます。

60年代はじめになると、リンダ・スコット盤があります。ドゥーワップ色は一掃され、オーケストラ付きの軽いノリのアレンジになっています。ピジカートではなく、弓弾きでシンコペートしたラインをプレイする弦がなんとも摩訶不思議ですが、凡庸よりは摩訶不思議のほうがずっとマシなので、これはこれでけっこう。リンダ・スコットはもっと可愛くうたったときのほうがいいように思いますが、アップテンポだからこんなものでしょうかね。

f0147840_024878.jpg66年のアルバム、Looking Backでフォー・シーズンズもこの曲をカヴァーしています。タイトルどおり、古い曲ばかりの企画盤です。こういうことをやって成功した例は稀で、フォー・シーズンズも不発。アルバム自体の出来がよくありません。いや、わたしはシーズンズのファンなんですよ。

41位と、トップ40には届きませんでしたが、久しぶりにビルボードにチャートインしたのがハプニングズ盤。なんだか耳慣れない前付けヴァースがついています。しかたないので、聴いてみましょう。この忙しいときに!

People think I know it all
And I 'm doin' fine
But still I have so many doubts
And questions in mind like...

f0147840_026168.jpgといって、Why do birds...へとつなげています。時間がないので訳しません。肝心なのは前付けヴァースじゃなくて、本体です。これまでのヴァージョンとはまったく異なる、ミディアム・ロッカ・バラッドに仕上げたところが、とにもかくにもヒットした理由でしょう。やっぱり、いくぶんかのプライドがあれば、こういう大ヒット曲をそのままカヴァーするわけにはいきません。45回転盤にカットするとしたら、なおのことです。ずらっと並べてみると、かなり目立つヴァージョンです。ベンチの作戦の勝利。

f0147840_0284959.jpgジョニ・ミッチェル盤は困りましたねえ。いちおう、わたしは彼女のファンなのですが、これはライヴのお遊びでやったカヴァーで、どうこういうようなものではありません。ローラ・ニーロの秀作カヴァー・アルバムGonna Take a Miracleとは、志そのものがちがい、軽くやっただけのものですが、案外、そういうときに実力が出るものです。ファンとしては、こういうことをいうのは残念ですが、なんだ、たいしたシンガーじゃねえな、この深みのないチンケはグルーヴはなんだよ、です。しょせん、フォーク出身、ヴァーサタイルなシンガーではないのでしょう。

f0147840_0302236.jpgカリフォルニア・ミュージックは、悪くもないけれど、とくにいうべきこともなし。これだけ時代が下ったら、なにか工夫が必要だと思うのですが、手をこまねいてはいなかったものの、とくに名案も思い浮かばず、という雰囲気で、ハプニングスの工夫のほうがよほど好感がもてます。こういう、「幻のなんとか盤」(名盤とは口が裂けてもいえませんやね!)がお好きな方だけが聴けばいいものでしょう。ただ、時代が変わると、脳天気にやろうとしても、ピーカンにはならず、どうしても薄曇りになっちゃうんだなと、ささやかな悲しみを感じるところが、面白いといえば面白いかもしれません。

ハル・ブレインのプレイを解析する余裕をつくろうと思ってがんばったのに、文字数のうえからも、時間的にも、もはや余裕なし。骨折り損のくたびれもうけでした。ビーチボーイズ盤の詳細と、ハル・ブレイン畢生の名演については、次回へ繰り越しとさせていただきます。
[PR]
by songsf4s | 2008-04-20 23:54 | 愚者の船