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It Might As Well Be Spring その2 by the Singers Unlimited
タイトル
It Might As Well Be Spring
アーティスト
The Singers Unlimited
ライター
Oscar Hammerstein II, Richard Rodgers
収録アルバム
The Singers Unlimited with Rob McConnell and the Boss Brass
リリース年
1979年
他のヴァージョン
Joanie Sommers, Percy Faith & His Orchestra, Billy Eckstine, Blossom Dearie, Dick Haymes, Margaret Whiting, Doris Day, Johnny Mathis, Joni James, Julie Andrews, Sylvia Telles, Cheryl Bentyne, Django Reinhardt, Louanne Hogan, Anita Gordon, Frank Sinatra, George Shearing, Connie Francis
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本日もゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集に割り込んで、レギュラープログラムをお送りします。Tonieさんからは、内金のように、原稿の一部が送られてきたので、あと少々で特集を再開できるでしょう。

それでは、昨日の前半部分に引きつづき、本日はIt Might As Well Be Springの後半です。

◆ 各種ヴァージョン1「ファンシー」 ◆◆
この曲はスロウまたはミディアム・スロウで、しんみりとうたうのが主流ですが、そういうのは、数が多いこともあり、おおむね退屈なので、あとまわしにし、鶏群の一鶴のように目を引く変わり種のほうから先にみていくことにします。

f0147840_2054193.jpgなによりも目立つのはシンガーズ・アンリミティッド盤です。このグループのスタイルをご存知の方なら説明の要がないことですが、声の重ね方そのものが、音響的に気持ちがいいのです。ふつう、コーラス・グループの魅力のひとつは、ヴォイシングにあるのですが(ミルズ・ブラザーズやフォー・フレッシュメンはヴォイシングの新しさを売りものにした)、シンガーズ・アンリミティッドの魅力は、ヴォイシングよりも、その声の「物量攻勢」、アコースティカルな響き、身も蓋もない「音」そのものにあります。

彼らのIt Might As Well Be Springは、テンポは尋常ですが、他のヴァージョンとはまったく異なった響きをもっています。とくに低音部の厚さ(何人分重ねたのかよくわからない)は、ちょっとほかに例のないサウンドです。

それにしても、4人しかいないのに、これだけの声を作るには、すくなくとも5、6回のオーヴァーダブが必要で、じつにもってご苦労様なことです。当然、先にヴォーカル・アレンジをしてから、録音手順を考えたのでしょうが、レコーディング・シートは恐ろしく複雑になったにちがいありません。想像すると頭痛がしてきます。でも、これだけスタジオ・ギミックを駆使すると、ライヴでは世にも貧弱で、まるでお話にならないグループだったのだろうと想像しますが!

歌詞からいったら、この曲には軽快なアレンジのほうが合うのではないかという気がするのですが、そう考えたアーティストまたはベンチはきわめて少なかったようで、例外は2種しか知りません。

f0147840_21262861.jpgシルヴィア・テレスの1966年のアルバム、The Face I Loveに収録されたIt Might As Well Be Springは、テレスがブラジルのシンガーなので、当然ながら、ボサ・ノヴァです。そちらの方面では有名な人ですが、ボサ・ノヴァ黎明期から活躍していたという背景よりも、実力というか、雰囲気のあるシンガーで、「女王」と呼ばれるだけのものをもっています。アレンジとしては、複数のフルートによるオブリガートが印象的で、バッキングも好ましいものです。

もうひとつ、マンハッタン・トランスファーのシェリル・ベンティーンのTalk Of The Townに収録されたIt Might As Well Be Springも、ブラジル音楽的アレンジで、こちらはテンポが速く、ボサ・ノヴァというより、サンバ的グルーヴです。

f0147840_2127284.jpgマンハッタン・トランスファーというのは、テレビでライヴを見たら、ピッチが不安定で、時代が下るとヴォーカル・グループの技量もずいぶん落ちるものだなあ、と呆れ、以後、スタジオ・ギミックに依存したグループにすぎないと考えています。スタジオ・ギミックに支えられたにせよ、ハイ・ロウズの流れであるシンガーズ・アンリミティッドにはおよぶべきもありません。あとになって、インクスポッツのCandyを聴き、なんだ、昔の曲を知らないこちらの無知につけ込んだだけかよ、と索然たる思いをしました。

そのマンハッタン・トランスファーのメンバーであるベンティーンも、やはりとくにうまいわけでもなければ、声にめざましい魅力があるわけでもなく、このヴァージョンのよさはアレンジのアイディアに尽きます。やっぱり、人がやらない方法を試してみるべきなのです。シルヴィア・テレス盤をスピードアップしただけの二番煎じともいえますが、やはり、他の無数のヴァージョンと並べると、歌のつまらなさより、サウンドの新鮮さのほうが耳に立ちます。

◆ 各種ヴァージョン2「インストゥルメンタル」 ◆◆
わが家にはこの曲のインストゥルメンタルは2種類しかありません。ひとつは、ジャンゴ・ラインハルト盤です。いやもう、すごいのは重々承知していますが、やっぱりすごいなあ、というプレイです。

f0147840_21334769.jpgそれっきりで絶句しちゃうのですが、あえて書くと、昔の人らしく、後年とはタイムに対する考え方がちがうというか、クラシックのソリストのように、「自分のタイム」でプレイしていると感じます。ドラム、ベース、ピアノというバッキングがあるので、クラシックのソロ・ピアノのように、完全に「タイム・フリー」にはなりえようもないのですが、小節単位では合わせてくるものの、そのなかでの音符の並び方はジャストにはほど遠いもので、時間が伸び縮みしています。はじめのうち、この人のプレイになじめなかったのは、これが理由だったのだと、いまになってわかりました。

もうひとつのインストゥルメンタル盤は、ジャンゴ・ラインハルトの対極にあるパーシー・フェイス・オーケストラ盤です。ドラムレスで、飛び跳ねたくなるような浮かれ気分のスプリング・フィーヴァーではなく、「春愁」のニュアンスのアレンジです。弦や管のカウンター・メロディー、とくに左チャンネルの、何と何を重ねたのかわからない(フレンチホルンとなにかのような気がする)オブリガートには繊細なタッチが感じられますが、眠いといえば、眠いヴァージョンです。

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2種類では寂しいので、ジョージ・シアリング盤を試聴してみました。まあ、「ああいう人」なので、「ああいうプレイ」です、としかいいようがありませんな。しかも、ドラムもベースもない、ただのピアノ・ソロで、わたしとしては「あちゃあ」でした。毎度申し上げているように、残念ながら、わたしはピアノに対する感性を持ち合わせていないのです。やっぱりインストは「グルーヴ命」。

◆ 各種ヴァージョン3「オーソドクスその1」 ◆◆
この曲はもともと1933年の映画State Fairのために書かれたもので、1933年版のほうは知りませんが、1945年版と1962年版の2種類のリメイクのサントラ盤は聴きました。

f0147840_22591026.jpg1945年版にはルーエイン・ホーガンによる2種類のIt Might As Well Be Springが収録されていて、このヴァージョンでアカデミー最優秀主題歌賞を得ています。オリジナルではなく、この時点からスタンダードへの道を歩みはじめたのでしょう。キャストを見ると、ルーエイン・ホーガンの名前はなく、だれか歌が不得手な女優のスタンドインとしてうたったのだと思われますが、ホーガンという人のキャリアはわかりません。スタジオ・シンガーだったのでしょうか。

1945年ヴァージョンの段階で、すでにゆったりしたテンポのアレンジで(いや、そういう時代だったにすぎないのですが。アレンジとコンダクトはアルフレッド・ニューマン)、これが後年のヴァージョンに甚大な影響をあたえたことがわかります。あるいは、1933年ヴァージョンもそういうアレンジだったのかもしれませんが。

同じルーエイン・ホーガンによる短いリプリーズのほうは、歌詞も笑えるし、歌い方もメリハリがあって、好ましい出来です。「You know our air-conditioned patent-leather farm house on the ultra modern scientific farm, we'll live in a stream-lined heaven」とかなんとかうたっているようで、これは映画のプロットと関係しているのでしょう。State Fairというのだから、当然、田舎の話で、農場が舞台になっているのは、見なくても想像がつきます。

タイトルとは無関係になってしまったこの「替え歌」の歌詞では、「流線型の天国」というフレーズが愉快です。「流線型」がブームになったのは1930年代のことなので、1933年ヴァージョンからすでにあった歌詞かもしれません。エアコンも同じ時代の産物で、日本では、1933年暮れに開場した有楽町の日本劇場にエアコンがあった、ということをなにかで読んだ(広瀬正『マイナス・ゼロ』か)記憶があります。パテント・レザー(「人造皮革」なんて訳語がありましたな)がいつ生まれたのかは、残念ながら知りません。

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「流線型」stream lineという言葉は、はじめは空気抵抗が意味をもつ分野、たとえば航空機などの交通手段に使われた。

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とはいえ、この時代の機関車が、空気抵抗に配慮しなければならないほどの速度が出たわけではなく、流行のせいで、こういう形状にしてみただけだという。評判にはなったが、この流線型の覆いは扱いにくく、整備士には不評だったとか。

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流行となれば、本来の意味などどこかに消し飛んでしまうのは昔もいまも変わらない。万年筆の空気抵抗は無視してよいほど微々たるものだが、そんなことはもはや関係なくなってしまった。

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かくして、動かないものも流線型となった。銀座ハリウッド美容室にて。

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やがて、物体ではないものにも流線型は進出し、服部良一が「流線型ジャズ」なんて曲をつくったりもした。そして、渡辺はま子は「とんがらかちゃだめよ」という哲学にまで、流線型の流行を昇華するにいたったのだった。

でも、わたしが記憶している1950年代から60年代にかけても、まだ映画に登場するロケットは流線型だったので、昔は流行の命も長かったということでしょう。宇宙船からゴチャゴチャと構造物が突き出すようになった(というか、宇宙空間では空気抵抗はないので、流線型にしても無意味という科学知識がいきわたった)のは、1969年の『2001年宇宙の旅』以降のことです。同じ年に月面着陸をした現実のアポロ宇宙船も、司令船はともかくとして、着陸船は、当然ながら、流線型にはほど遠い、クモのようなデザインだったことも、影響しているのでしょう。

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閑話休題。フランク・シナトラのIt Might As Well Be Springは、かのSinatra & Stringsに収録されたものです。1961年11月21日の録音で、アレンジとコンダクトはドン・コスタ。なんせシナトラのセッションなので、例によってむちゃくちゃにゴージャスなサウンドで、イントロだけで圧倒されます。

f0147840_2310477.jpgしかし、わたしが好きなのは、右チャンネルのアコースティック・リズム(ギブソンなりエピフォンなりのフルアコースティックのジャズギターをアンプラグドしたものだろう。昔の呼び名でいうところの「ピック・ギター」)とブラシとベースが醸し出すサウンドのほうです。ゴードン・ジェンキンズがニルソンのA Touch of Schmilson in the Nightで多用していた音で、どうしてこの音が消えたのか、わたしにはわかりませんが、いつ聴いても好ましいサウンドです。

これだけではあんまりなので、シナトラの歌についてちょっとだけ。spinning daydreamsのあとで、spinning, spinning daydreamsと、つぶやくように繰り返すところが、なんともシナトラ的演出で、こういうところがこの人の魅力なのだと改めて思います。

f0147840_2313494.jpgディック・ヘイムズ盤は、ひょっとしたら、シナトラそっくりさん芸人なのか、と思ってしまうほど、シナトラのスタイルを模倣したものになっています。シナトラが貧乏になって、バンドの人数を半減し、二流のアレンジャーを雇ったのかと思っちゃいました(ウソ)。寄席に出る声色芸人なら一流の金を取れるでしょうが、シンガーとしてはいかがなものか、まあ、笑える芸ですけれどね。

◆ 各種ヴァージョン4「オーソドクスその2」 ◆◆
くだらないものに気をとられていないで、聴くに値するもののほうに目を移します。ブロサム・ディアリーは好みの声です。ディアリーのピアノのほかに、レイ・ブラウンのベースとジョー・ジョーンズのドラム(ブラシ)というメンバーですが、この曲についてはそれはどうでもよくて、バックグラウンド・ハーモニーのアレンジとサウンドがけっこうで、なかなかいいヴァージョンです。

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ドリス・デイは、テンポはゆっくりしているものの、あまり「春愁」を感じさせない、元気のよい歌いだしをしているところがけっこうです。そういうキャラクターのシンガーですからね。愁いのあるヴァージョンが多すぎて、ちょっと食傷しちゃうのです。アレンジとコンダクトはフランク・ディヴォール。

コニー・フランシス盤は、いつものコニーです。わたしは、彼女のロックンロール系の曲があまり好きではなく、オーケストラをバックにしたもののほうが好ましく感じるので、彼女のIt Might As Well Be Springは、「好きなほうのコニー」です。大の苦手であるカンツォーネ唱法も出てきませんし。もっとも、ポップ系の曲でよくやっていた、半分笑っているような歌い方は出てきます。こちらはカンツォーネとちがって、つねに魅力的です。

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ジュリー・アンドルーズという人は、妙にお行儀のいい歌い方をするところに難があるのですが(『メアリー・ポピンズ』や『サウンド・オヴ・ミュージック』では、その堅苦しいところが役柄に合っていた)、はじめからそうだったことが、It Might As Well Be Springを聴くとよくわかります。でも、そういう人なのだということを受け入れて聴けば、これはこれでけっこうだと思います。子どものころに彼女の歌に馴染んだ人間としては、小中学校時代を思いだすような教師的雰囲気も、それはそれで懐かしく感じます。

ジョニー・ジェイムズは声はやさしいものの、ドリス・デイ同様、やや元気のよい歌い方で、これはこれでけっこう。ピアノが暴れすぎで、ちょっと疳に障りますが。

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マーガレット・ホワイティング盤は1945年録音で、今回並べたヴァージョンのなかではかなり古いほうですが、あまり愁いを感じさせないヴァージョンで、好みです。だれだかわかりませんが、ストリング・アレンジメントもけっこう。

f0147840_23245635.jpgジェリー・サザーン盤は、Coffee, Cigarettes & Memoriesというタイトルと、アルバム・ジャケットに端的にムードが表現されていて、「大人向け」の渋い仕上げです。わたしの好みからいうと、ちょっと渋すぎるというか、お婆さん声率30パーセントぐらいのところが困りますが、まあ、これが「コーヒーとタバコで嗄らしてみました」という趣向なのでしょう。悪いものではありませんが、好きかといわれると、ちょっと……。でも、ホルンをうまく使ったサウンドのほうは好みです。アレンジとコンダクトはレニー・ヘイトン。寡聞にしてこのアレンジャーのことは知りませんでしたが、今後、この人の仕事には注意してみます。

f0147840_23251763.jpgあとはなんだっけ、というので、プレイヤーの表示をよく見直したところ、ビリー・エクスタイン盤が抜けていました。これはまったく好みではないので、忘れてままにしておいたほうがよかったような気がします。エクスタインに同情的にいえば、It Might As Well Be Springは女性シンガー向きの曲なのだと思います。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
久しぶりに各種ヴァージョン大行進をやったら、クリスマス・ソングのころにくらべると、ひどくなまくらになっていて、甘い評価だったなあ、と反省しています。

どのヴァージョンがどうこうという以前に、古代の曲に頼らざるをえない世界というのは、一歩離れてみると、ひどく畸形なものに思えました。アクチュアリティーを失えば、生命力を失うのも当然で、現在のジャズ・ヴォーカルの堕落ぶりは、すでに半世紀前にはじまっていたことの必然の帰結にすぎないのでしょう。

いずくを見てもしずの山賊(「やまがつ」と読んでね)、いまどきの音楽の世界は、新しい地平を切り開こうという意欲がなく、ただ漫然と縮小再生産をやっているだけで、どれもこれも「ここはいつか来た道」ばかり。まあ、20世紀の中盤までに、容易に考えられるパターンは出尽くしてしまったということかもしれません。乱歩流にいえば、「ひとりの馬生」、いやちがった、「ひとりの芭蕉」の出現を待つ、というところでしょうか。わたしの耳が聞こえるうちにあらわれてくれるといいのですがね。
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by songsf4s | 2008-02-29 23:48 | 春の歌
It Might As Well Be Spring その1 by Joanie Sommers
タイトル
It Might As Well Be Spring
アーティスト
Joanie Sommers
ライター
Oscar Hammerstein II, Richard Rodgers
収録アルバム
Positively the Most!
リリース年
1959年
他のヴァージョン
Percy Faith & His Orchestra, Billy Eckstine, Blossom Dearie, Dick Haymes, Margaret Whiting, Doris Day, Johnny Mathis, Joni James, Julie Andrews, Sylvia Telles, Cheryl Bentyne, Django Reinhardt, Louanne Hogan, Anita Gordon, the Singers Unlimited, Frank Sinatra, George Shearing, Connie Francis
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は依然継続中なのですが、本日も代打の代打で、レギュラープログラムをお送りします。アクセス数から見て、Tonieさんの記事を楽しみされている方がたくさんいらっしゃるのはわかっているのですが、もう数日、猶予をいただきたいと思います。

二月ももう終わろうとしているので、三月になる前に取り上げておいたほうがいい曲を取り急ぎ見ておこうということで、久しぶりにスタンダードの登場です。

タイトルにスプリングとあるので、春の歌と思われるかもしれませんが、歌詞のなかの「現在」は春以外の季節です。タイトルが示唆しているとおり、「春のことをうたった曲」ではあるのですが、厳密にいえば「春の歌」ではないのです。

◆ スプリング・フィーヴァー ◆◆
それではファースト・ヴァース。各ヴァージョンによって多少の異同がありますが、ここではジョニー・マティス盤を参照します。

I'm as restless as a willow in a windstorm
I'm as jumpy as puppet on a string
I'd say that I had spring fever
But I know it isn't spring

「暴風にゆれる柳のように落ち着きがなく、糸に操られる人形のように飛び跳ねる、春愁を患ったといいたいけれど、でもいまは春ではない」

まだだれを看板に立てるか決めずに書いていますが、女言葉はイヤなので、男言葉にしておきます(じっさいには、女性シンガーのだれかを看板に立てることになるでしょうが)。一人称もイヤなので、すべて省略しました。

問題はspring feverです。リーダーズ英和辞典では「春愁」という訳語が当てられています。日本語の「春愁」は、広辞苑によれば「1 春の日に、なんとなく気がふさいで、ものうくなること。また、その思い。《季・春》2 青春期に特有な感傷的な気持」とあります。しかし、spring feverは、かならずしも「うれい」を指すわけではなく、浮き立つような気分のことをいうようです。ものの本に以下のような一節があります。「デュオニーソス祭」「フローラ祭」「バッコス祭」「五月祭」などの春の祭に関する記述のあとに出てくる部分です。

f0147840_0311995.jpg「こうした昔の熱狂は、『スプリング・フィーヴァー』という、春になるとおおぜいの人がかかるといわれている病気のしわざかもしれません。現代の研究者によると、エネルギーと生産性の高まり、これといって理由のない上機嫌、不意に歌いだしたくなる衝動などというのは、春になって日が伸びるせいで起こるようです。どの季節よりも春に妊娠する女性が多いのは、人間も他の大部分の哺乳類とおなじように、日が伸びはじめ、食物も豊富になっていく、この季節にしか身ごもらなかった時代のなごりかもしれません」(ジェリー・デニス『カエルや魚が降ってくる 気象と自然の博物誌』新潮社)

だとするなら、「うれい」など無関係で、「春愁」という訳語はspring feverにはふさわしくないといえるでしょう。そもそも、この「春愁」という言葉自体、われわれがつくりだした観念ですらなく、中国からの直輸入ものである可能性もあります。つまるところ、ぶらぶら病のようなもので、「病気」といえるかどうかすらも微妙なのだから、まあ、なんだっていいか、とも思うのですがね。

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"Spring Fever" by Terry Redlin

◆ 飛び跳ね、泉湧く春 ◆◆
セカンド・ヴァース。

I am starry eyed and vaguely discontented
Like a nightingale without a song to sing
Oh why should I have spring fever
When it isn't even spring

「夢見るような気分だけれど、ちょっと不満でもある、まるでうたう歌のないナイティンゲイルのようだ、いったいなんだって春愁を患わなければならないのだ、春でもないのに」

うまいな、と思うのは、最初のラインです。たんに浮かれているだけでなく、同時にわずかながら欲求不満も感じている、といっているわけで、ここでやっと「春愁」らしくなります。

前出の『カエルと魚が降ってくる』に、springという言葉の起源が書かれています。

春(spring)ということばそのものが古代に起源があり、古英語〔一三世紀なかごろ以前の古い英語〕の文献でも、「水流の源」と「跳びはねる動作」というふたつの意味で使われています。一三九八年の印刷物でもspringtimeということばは、「世界が飛び起き、新しい生命が大地から飛び出す季節」という意味で使われています。のちになって、「葉が芽吹く季節」という意味での用法があらわれ、やがてspringと短縮されるようになりました。

「バネ」という意味のspringも、「泉」という意味のspringも、「春」のspringと同根だということです。この曲には、そういう語源も意識したと思われる描写があちこちにあります。

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ナイティンゲイルは代表的な鳴鳥で、春告げ鳥でもある。「愛の鳥としてこの鳥との出会いが吉兆とされる一方、民間信仰では〈墓場鳥〉と称されて、死と結びつけられている」と百科事典にある。

以下はブリッジ。

I keep wishing I were someone else
Walking down a strange new street
And hearing words that I've never heard
From a girl I've yet to meet

「だれかべつの人間になれたらいいのにと思う、見知らぬ通りを歩き、まだ会ったこともない女の子から、聞いたことのない言葉を聞くべつの人間に」

これまでとはちがうコンテクストになっているという意味で、ブリッジたる要件を満たしてはいますが、わたしには、ここはなんのことかわかりません。字句の意味はとれても、どういう目的で配されたものなのか、受け取りかねるのです。

◆ クモとロビン ◆◆
サード・ヴァース。

I'm as busy as a spider spinning daydreams
I'm as giddy as a baby on a swing
I haven't seen a crocus or a rosebud
Or a robin on the wing

「白昼夢を紡ぐクモのように忙しい、ブランコに乗った赤ん坊のように浮き浮きしている、クロッカスやバラの蕾やロビンが飛ぶのを見たわけでもないのに」

われわれの文化では、クモをポジティヴなことの象徴とすることはめったにないと思いますが、西欧文化ではどうなのでしょうか。すこし長いのですが、「世界大百科」の「クモ」の項から、「ヨーロッパのクモ伝承」という部分の全文を以下に引用します。

f0147840_23523024.jpg現在の動物学で蛛形動物をアラクニダ Arachnida と呼ぶが、これは、ギリシア神話の技芸の女神アテナと機織り競争をし、女神の怒りにふれてクモに変えられたアラクネに由来する。クモはほぼ世界的に神意を啓示する動物と考えられ、古代ローマでは天候や環境の変化を知らせると信じられた。またキリスト教の伝説によれば、聖家族のエジプトへの逃避行中、ある洞窟に身を隠したときにクモが入口に巣を張り、追手の目を逃れることができたという。イギリスをはじめヨーロッパではクモを繁栄の印としてたいせつにし、とりわけ赤い小型の種を〈銭グモ money spider〉と称して経済的繁栄の吉兆とする。北ヨーロッパでは縁結びをする動物と信じられ、北欧神話の愛の女神フレイヤに関係づけられる。アイルランドではクモが巣を張らないとの迷信は、同島の守護聖人パトリックが蛇とヒキガエルとクモを敵視したという故事に由来する。

ところ変われば、考え方、感じ方もずいぶんと変わるようで、どうやら、ヨーロッパにおけるクモは、わが国におけるムカデの位置にあるようです。もう忘れられているかもしれませんが、昔は「お足(金銭)がつく」といって、経済的繁栄の象徴とされ、商家ではムカデを殺しませんでした。それどころか、「百足屋」という屋号もよくあったものです。

しかし、このヴァースにクモが登場するのは、「北ヨーロッパでは縁結びをする動物と信じられ」ということでしょう。いずれにせよ、ここにクモが登場するのも、あながち唐突でもないし、英語の文脈では凶兆でもないことになります。そもそも、われわれはいまこうして、WWW=ワールドワイド・ウェブ、すなわち、世界を覆うクモの巣に乗ってコミュニケートしているのですしね!

ロビンという言葉が指す鳥は、ヨーロッパと北米では種類が異なる(前者はコマドリの仲間、後者はツグミの仲間)そうですが、北米のロビン、redbreastは春告げ鳥のようです。

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◆ メランコリックで陽気な ◆◆
最後のヴァース。

But I feel so gay in a melancholy way
That it might as well be spring
It might as well be spring

「でも、いまは春なのじゃないかという、メランコリーと入り混じった陽気な気分なのだから、春であってもおかしくないだろう」

「病気」の人にはなにをいっても無駄なので、春だと主張するのなら、そりゃやっぱり春なのだろうね、というしかありません。

うまいなあ、と思うのは、so gay in a melancholy wayです。わたしのような凡手にはうまく日本語に移せないのですが、ここもまた、セカンド・ヴァースのdiscontentedと同じように、ただ浮かれた気分だけでなく、物思う愁いが表現されています。まあ、恋をしている人間はみなそうなので、勝手にしろや、ですが。

ということで、It Might As Well Be Springは、すでにタイトルに明示されているように、「春の曲」ではなく、いわば「仮想の春」をうたったものなのでした。

◆ ジョーニー・サマーズとジョニー・マティス ◆◆
これほどたくさんヴァージョンがある曲は久しぶりで、ちょっと困惑します。ジャズ・ヴォーカルの世界というのは、なんとも気が長いというか、呑気というか、間が抜けているというか、十年一日というか、新しい曲はほとんどつくられていないようです。「だれそれビートルズをうたう」といった、無意味で馬鹿馬鹿しいソングブックが山ほどある苦しい台所事情が、いまになってよく理解できるようになりました。

だれもつくってくれなければ、シンガー自身がつくる、というのがポップ/ロックの考え方です。なぜジャズ・シンガーは曲を書かないのか、そこのところはよくわからないのですが、C-F-Gだなんて凡庸進行ではジャズの沽券にかかわる、テンションを山ほどつけた複雑なコードを駆使しないといけない、でも、シンガーにはそんな音楽知識はない、といったあたりでしょうか。ソングライターにしたって、複雑な曲を書くのは面倒でしょうしね(正確にいうと、ジャズのコード進行はわざと複雑にしているのであって、多くの曲は、根本においてはシンプルな和声構造になっているのだから、シンプルな曲を書き、アレンジャーまたはプレイヤーに、それらしくコードに「色」をつけてもらえばいいだけなのだが)。

f0147840_015953.jpg山ほどあるヴァージョンのなかで、まず、二人のシンガーの声のよさが目立ちます。ジョニー・マティスとジョーニー・サマーズ(日本の会社はジョニー・ソマーズなどという呆れ果てた表記しているが、スペルはJoanie Sommers)です。どちらも後年のヒット曲(マティスはたとえばChances Are、サマーズはもちろんJohnny Get Angry)のほうになじんでいるので、It Might As Well Be Springにおける若々しい声はきわめて新鮮です。ジョニー・マティスにいたっては、顔つきまで少年のようで、ヒットを連発し、大物になってからとはまったくの別人です。

ジョーニー・サマーズは1941年2月24日の生まれ、It Might As Well Be Springを収録した彼女のデビュー盤、Positively the Mostがリリースされたのが1959年、十八歳ごろの録音ということになります。じゃあ声が若いのも当然で、先日のSnowbirdのセルフ・カヴァー盤での、アン・マレイの老いさらばえた魔女声の対極にあります。悪声には悪声の魅力がありますが、女性にかぎっていえば、若くて透き通った声のほうが、やはりわたしには数兆倍好ましく感じられます。

いや、女性にかぎった話ではありません。ジョニー・マティスは1935年9月30日生まれ、It Might As Well Be Springを収録したエポニマス・タイトルド・アルバムJohnny Mathisは、1956年、彼が二十一歳のときの、これまたデビュー盤です(マティスはIt Might As Well Be Springを1986年に再録音しているが、わが家にあるのはデビュー盤のほう)。

f0147840_061094.jpgどちらもデビューのときからはっきりと美質を感じますし、二人ともやがて赫々たるキャリアを築くことになるのですが、それを予感させるデビュー盤です。当然、若いにもかかわらず、歌のうまさも感じます。でも、つまるところ、歌のうまさなんてものは吹けば飛ぶような代物で、声の魅力の前には取るに足らない些事であることを、ジョーニー・サマーズとジョニー・マティスのデビュー盤のIt Might As Well Be Springは、またしても証明しています。

むやみにたくさんヴァージョンがあるため、一回では収まりきりませんでした。残りの各ヴァージョンについては、明日に持ち越しとさせていただきます。
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by songsf4s | 2008-02-28 23:55 | 春の歌
Snowbird by Elvis Presley
タイトル
Snowbird
アーティスト
Elvis Presley
ライター
Gene MacLellan
収録アルバム
Elvis Country
リリース年
1971年
他のヴァージョン
Anne Murray, Anne Murray with Sarah Brightman, Ray Conniff
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は依然継続中なのですが、疑問を解明せずにはおかない徹底癖ゆえに、調べものが泥沼になり(よくあることです)、読書にいそしんでいらっしゃるので(いや、こういうときは落ち着いて読むこともできないものですが)、本日も代打の代打で、レギュラープログラムをお送りします。

よその土地のことは知りませんが、南関東では、今年は例年より寒かった印象があります。ご近所のお年寄りも、今年は寒いと嘆いていらっしゃるので、これはわたしひとりの印象ではないようです。まあ、ちょっとした気温の上下に敏感になったら、年をとった証拠なのかもしれませんが。

その長かった冬もそろそろ終わりそうな気配で、紅梅のみならず、白梅も開花しましたし(先日のシャドウズ"Spring Is Nearly Here"の枕では、白梅と紅梅を逆に書いてしまったのに気づき、訂正しました)、蕗の薹も出てきました。あとは冬眠していたリスが目覚め、早朝から騒々しく駈けまわるようになれば、春本番です。

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今日の昼間撮影した蕗の薹。石垣に生える植物と同じように、蕗は妙なところを好むようで、これはコンクリートのすき間から芽を出した。

◆ ユキヒメドリ ◆◆
前回に引きつづき、本日も冬と春の端境期の歌を選んでみました。まずは歌詞から見ていきます。ファースト・ヴァース。

Beneath this snowy mantle cold and clean
The unborn grass lies waiting
For it's coat to turn to green
The snowbird sings a song he always sings
And speaks to me of flowers
That will bloom again in spring

「この冷たく清い雪の下では、草が緑色に芽吹こうと待ちかまえている、ユキヒメドリはいつもの歌をうたい、春にふたたび咲きほこる花のことを語りかける」

ほかのことはともかく、snowbirdというのが気になります。辞書には「ユキヒメドリ(junco)、ユキホオジロ(snow bunting)、ノハラツグミ(fieldfare) 《俗》コカイン[ヘロイン]常用者 《俗》避寒客、避寒労務者《冬期に南部へ旅[移動]する人[労働者]》とあります。

f0147840_21585577.jpgこの場合、裏の意味は無視していいでしょう。さりながら、ふつうに鳥のことをいっているのだとしても、選択肢が三つもあるのは困ります。日本にはいない種類らしいことも、迷いに拍車を駆けてくれます。で、あちこち見てまわったのですが、やはりあいまいではあるものの、一般的にはsnowbirdといった場合、ホオジロ科のジュンコを指すケースが多いことがわかりました。つまり、ユキヒメドリのことをsnowbirdという俗称で呼ぶケースが多い、ということです。

このヴァースについては、ほかに問題はないでしょう。そもそも、これだけではまだなんの歌なのかわからず、エコロジー・ソングかと思っちゃいます。でも、最後まで行くと、結局、このヴァースがもっとも素直で、ちゃんとできていたことがわかるのですが……。とりあえず、春まだきの情景描写として、とりたてて欠点はないといえるでしょう。

◆ イメージの混乱 ◆◆
では、セカンド・ヴァース。

When I was young my heart was young then too
Anything that it would tell me
That's the thing that I would do
But now I feel such emptiness within
For the thing that I want most in life
Is the thing I can't win

「若いころは心もまた若く、心のおもむくままにふるまったものだ、でもいまでは虚しさを感じる、人生でもっとも望んだことはどうしても手が入れられないのだから」

youngを繰り返すことが効果を上げていますが、ここでもまた、日本語は繰り返しを嫌うということを感じます。コーネル・ウールリッチ(いや、ウィリアム・アイリッシュ名義だったか)の『幻の女』の冒頭、The night was young, so was I」(記憶で書いているので、これでいいのかどうか確信なし)なんてフレーズも連想します。近いうち、稲葉明雄先生の畢生の名訳を読みかしてみましょう。

えーと、なんの話でしたか。めざましいところのないヴァースで、あらぬところに意識が流れてしまいました。この曲にはブリッジも間奏もなく、セカンドからサード・ヴァースに真っ直ぐいきます。

Spread your tiny wings and fly away
And take the snow back with you
Where it came from on that day
The one I love forever is untrue
And if I could you know
that I would fly away with you

「小さな翼を広げ、雪といっしょに飛び去れ、あの日にやってきた場所へ、わたしが永遠に愛する人は貞節ではない、だから、そうできるなら、おまえといっしょに飛び去っているだろう」

f0147840_2215192.jpgヴァース前段では、ユキヒメドリがなにか不吉なものの象徴であるかのように、きた場所へ帰れ、といいながら、後段では、こんなところにはもういたくない、できれば俺だっていっしょに飛び去りたいんだといっているわけで、論理が破綻しています。歌だからいいけれど、本だったら、これじゃあ通らないぜ、です。ポップ・ソングのように短い詩形の場合、ひとつのものに複数の象徴をあたえるのは、賢明とはいえないでしょう。

百歩ゆずって、ユキヒメドリに不吉なものとしての属性をあたえたわけではなく、たんに自由なすがたを描いているだけだとしても、fly awayという2語で、追い払っているような印象をあたえるという失敗をしています。一流のソングライターなら、こういうスキは見せないでしょう。そもそも、that dayとはなんなのか、さっぱりわかりません。非常に収まりの悪いヴァースで、ないほうがよかったでしょう。

もうあとは略していいような気もするのですが、これで最後なので、フォース・ヴァース。

The breeze along the river seems to say
That she'll only break my heart again
Should I decide to stay
So little snowbird take me with you when you go
To that land of gentle breezes
Where the peaceful waters flow

「川の畔の風は、彼女はまたわたしを悲しませるだけだと告げる、ここにとどまるべきなのだろうか、だからユキヒメドリよ、おまえが飛び立つときには俺もつれていってくれ、安らかな流れのある穏やかな風の吹くあの土地へと」

結局のところ、ユキヒメドリは凶鳥ではなかったことになりますが、こういうイメージの混乱はいいことではなく、あまりうまくない人だと感じます。ひょっとしたら、わたしがなにかを見落としているのかもしれません。ためにならない恋人と別れるべきかどうか決めかねている心の揺曳を反映した、といえなくもないかもしれませんが、だとしても、その表現は拙劣です。

◆ ギター・サウンド ◆◆
歌詞のほうは納得のいかないところがありますが、サウンドのほうは軽快で、70年代のエルヴィスの曲のなかでは、かなり好ましい部類です。

エルヴィス盤はオリジナル(だと思うのだが)のアン・マレイ盤がヒットしている最中に録音されたもので、テンポまで含め、ほとんどストレート・カヴァーですが、エルヴィスがいいか、アン・マレイがいいか、という以前に、サウンド、プレイはエルヴィス盤のほうがよくできていると感じます。セッショノグラフィーのJPEGを以下に貼りつけます。

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ギターはエディー・ヒントンとチップ・ヤングとなっていますが、マスターZPA4 1797-06には後日のオーヴァーダブありと注釈があり、ハロルド・ブラッドリーのギターが重ねられたとなっています。はてさて、むずかしいことですなあ。エディー・ヒントンは一部方面では有名な人で、こちらがリードにまわったと考えられますが、どのギターだよ、なんですよ、これが。

Snowbirdに使われているギターの種類とプレイをいうと、シタール・ギター(エレクトリック・シタール)のオブリガート(右チャンネル)、ふつうのエレクトリック・ギターのオブリガート(オフミックス、左チャンネル)、アコースティック・リズム(左チャンネル)となっています。同じチャンネルにほかの楽器がない、右のシタール・ギターがオーヴァーダブだと考えるのが順当で、だとすれば、これがハル・ブラッドリーのプレイということになります。しかし、これはアン・マレイ盤のシタール・ギターのリックのほとんどストレート・コピーで、とくにどうということのないプレイです。

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ダンエレクトロ・エレクトリック・シタール・ヴィニー・ベル・モデル 13本の共鳴弦が仕込まれ、そこにもピックアップがあり、リゾネーションを拾うようになっている。通常のエレクトリック・ギターと同じように、2つのピックアップ(ダンエレクトロ特有の「リップスティック型」)があるのがおわかりだろうが、同じものが上のほうに飛び離れて取り付けられている。これが共鳴弦用ピックアップ。

気になるのは、左チャンネルのエレクトリックによるオブリガートです。オフミックスなのでよく聞こえないのですが、それでも、なかなかセンスを感じるサウンドとフレージングなのです。シタール・ギターとアコースティック・リズムはアン・マレイ盤にもありますが、エレクトリックによるオブリガートは、エルヴィス盤だけのものです。

わたしはヒントンのプレイに馴染んでいるわけではないので、音からは判断できないのですが、消去法で考えていくと(チップ・ヤングは、ジェイムズ・バートンのいるセッションではつねにリードをバートンに譲っているようなので、基本的にリズム・ギターの人と考えられる)、エレクトリックのオブリガートがエディー・ヒントンのプレイということになるようです。いくつか聴いてみるに足るプレイヤーに思われるので、今後は注意してみようという気になりました。

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自分の名前を冠したシタール・ギターを弾くヴィニー・ベル(右)。ベルはスリー・サンズのメンバーとして活躍し、スタジオ・プレイヤーとして多数のヒットを残した。左はジーン・ピットニー。

ノーバート・パトナムとジェリー・キャリガンというベースとドラムのコンビは、この時期のエルヴィスのナッシュヴィル・セッションではおなじみのメンバーです。キャリガンは、すくなくともケニー・バトリーのように、腹が立つような変なチューニングをしたり、妙にタイムが遅かったりすることはないので、「不快ではない」プレイヤー、ということだけはいえます。概して、さすがはエルヴィスのセッション、やはりアン・マレイのセッションとは格が違うと感じる、スケール感のある、懐の深いサウンドになっています。

◆ 「失われたエルヴィス世代」 ◆◆
わたしはエルヴィス・ファンではないので、エルヴィスのヴォーカルがどうのこうのと口幅ったいことをいう気はありませんが、エルヴィスにかぎらず、力みのあるヴォーカルは好まないので、Snowbirdにおける肩の力を抜いたエルヴィスは好ましく感じます。こういうエルヴィスなら疲れないのですが、70年代のライヴなど、エルヴィスのことはあきらめて、ジェイムズ・バートンやロン・タットのプレイを聴いてしまいます。まあ、それをいうなら、60年代中期も、ハル・ブレインのドラミングを聴くためにエルヴィスをかけているようなものですが。

わたしの年代というのは、エルヴィスのことを、旧世代の古めかしいサウンドとアティテュードを代表する「敵」とみなして育ったので、勝手にLost Elvis Generation「失われたエルヴィス世代」というタームをでっち上げています。60年代なかごろには、エルヴィスが、馬鹿馬鹿しいプロットの映画で、古めかしい曲を、古代のスタイルで歌っているのを、「ケッ」と嗤っていた中学生がたくさんいました。

f0147840_22425756.jpg十数年前、帰国した昔のバンド仲間が電話してきて、「最近、なにを聴いている?」というので、「エルヴィスを集めた」といったら、「なんで?」といわれました。それほどに、われわれの世代はエルヴィスとは無縁に育ったのです。当ブログにしばしばコメントを書いていらっしゃる、Add More Musicのキムラさんはわたしのひとつ上ですが、以前、エルヴィスは嫌いと書いていました。キムラさんは非常に守備範囲の広い方で、わたしのように好悪がひどくないのですが、長い付き合いのなかで、キムラさんのエルヴィスに関するコメントは、「嫌い」のひと言しか読んだことがありません。

こういう世代間の好みのちがい、そういってよければ「対立」はつねにあったのですが、1940年代後半に生まれたいわゆる「団塊の世代」に対する、われわれ50年代生まれの反感というのはあまり表面化したことがなく、たぶん、ビートルズ贔屓(いや、それがお好みなら、ストーンズ贔屓でも、ディラン贔屓でもよろしい)、エルヴィス嫌いというのが、もっとも端的にわれわれの団塊世代への反感を象徴していると思います。

これだけ時間がたってしまうと、当時のエルヴィスに対する不快感は薄れているのですが、それでも、「好きなシンガー」にあげることはいまでもありません。やはり、十代のころに嫌っていた記憶は消えるものではなく、たんに、大人として、やはり歌はうまい、歌だけで明快なグルーヴをつくれる稀有のシンガーだ、バンドも(シナトラの場合と同じように)つねにいい仕事をしている、と「頭で」思うだけであり、エルヴィスを聴くのが「楽しい」と感じたことはありません。あくまでも歴史書を読む感覚なのです。

よけいなことかと思いましたが、エルヴィスのどん底の時期を目撃した世代のエルヴィス観というのは、あまり読んだことがないので、贅言を弄しました。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_22493553.jpgアン・マレイ盤は、トップテン・ヒットになっただけあって、なかなか悪くありません。エルヴィスがストレート・カヴァーしたのも頷けるアレンジで、よくできています。

ついでに、近年のセルフ・カヴァー盤、アン・マレイとセイラ・ブライトマンのデュエットも試聴しましたが、おおいにへこたれました。だいたい、お年を召したシンガーがデュエット盤を出すと、ろくでもない結果になるのが相場で、アン・マレイも例外ではないというか、この手の下り坂苦しまぎれデュエット盤のなかでも、群を抜いてひどい出来です。わたしが男だからかもしれませんが、こういうお婆さん声にはまったく耐性がなく、数小節で、もう勘弁してくれ、でした。

f0147840_22533192.jpgなによりもまずいのは、お婆さん声を聴いたあとで、若いころの盤を聴き直すと、なんだ、若いころからもうお婆さんの芽があるじゃないか、と幻滅することです。男だって、下り坂苦しまぎれデュエットはやめたほうがいいと思いますが(ひとつで売れないからといって、売れないものふたつをセットにしても、一粒で二種類のまずさを味わえるだけ)、女性シンガーは、よくよく考えて引き立て役を選ぶべきで(大物お爺さんなどが適当でしょう)、アン・マレイのように相方に若い女性シンガーを選んだら、魔女の声かよ、てなもので、目も当てられない結果になること必定です。

山田風太郎が、美人女優はお婆さん役などやってはいけない、静かに消えるべきだと書いていましたが、たしかに、原節子のように晩節をきれいにしないと、若いころのいい作品にまで「被害」がおよびます。山田風太郎としては、もっとも好きだった轟夕起子が、戦後は太ってお母さん役などやっていたのがたまらなかったのでしょうが、アン・マレイのリメイク盤Snowbirdは、太った晩年の轟夕起子など可愛いく思えるほどの、地獄からやってきた魔女声で、口直しにShadows in the Moonlightを聴いても、この声の呪いからは逃れられないだろうという予感がします。
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by songsf4s | 2008-02-26 22:56 | 冬の歌
Spring Is Nearly Here by the Shadows
タイトル
Spring Is Nearly Here
アーティスト
The Shadows
ライター
Brian Bennett, Bruce Welch
収録アルバム
Out of the Shadows
リリース年
1962年
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集はまだ継続中ですが、ここでささやかなインターミッションとして、レギュラー・プログラムをお送りします。Tonieさんは宮仕えの身、しかも、三人の小さなお子さんたちの父親でもあるので(ビーチボーイズに育ててね、とつねづね申し上げています。ひとりは音楽嫌いになっても、まだエヴァリーズは確保できる!)、すこし休んでいただかないといけないのであります。

関東は昨23日、春一番が吹き荒れましたが、春一番のあとのつねで、夜にはすっかり冬に逆戻りしてしまいました。ここから一進一退というか、三寒四温なのでしょうが、紅梅はすでに三分から五分咲き、白梅もつぼみを膨らませはじめ、梅の蜜を好むメジロの声もよく耳にするようになりました。春は確実に近づいています。

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紅梅をついばむメジロ(2007年2月11日撮影)。作り物のような目をしている。よく「梅に鶯」というが、梅が咲くころ、ウグイスはまだ見かけない。中国とは事情が違うのに、その点を斟酌することなく直輸入してしまった取り合わせなのだろうが、メジロがまた、ウグイスよりずっときれいな鶯色をしていることも、誤解に拍車を駆けたのではないだろうか。

さて、お気づきの方も多いでしょうが、当ブログの「看板絵」に利用した三枚のレーベルのうち一枚は、シャドウズのSpring Is Nearly Hereです(残りの二枚はジミー・ロジャーズのThe Long Hot Summerと、ボビー・ジェントリーのアルバムTouch'em with Love)。邦題は「春がいっぱい」となっていましたが、これはちょっとフライングで、原題をそのまま訳せば「春はもうすぐそこ」です。そういうタイトルでもあり、ずっと「看板絵」に利用させてもらっているので、この曲を取り上げないと義理が悪いのです。

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◆ ドラマーの“トーナルな”アプローチ ◆◆
いつもなら、ここで歌詞の検討になるのですが、この曲はインストゥルメンタルなので、かわりに音と背景について少々書きます。例によって、なんでも調べてみるものだなあ、と痛感するトリヴィアがいくつかあるのです。

まずは作曲者について。Spring Is Nearly Hereのライターであるブライアン・ベネットとブルース・ウェルチは、ファンならご存知のようにシャドウズのメンバーです。リズム・ギターのウェルチが曲を書くのはわかるのですが、ドラムのベネットは(Little 'B'やBig 'B'のようなドラム・ソロをフィーチャーした、リック・オリエンティッドな曲は別として)どの程度、曲作りに関与しているのか疑わしく思っていました。

f0147840_15262661.jpgしかし、With Strings Attachedのライナーにあるブライアン・ベネット・インタヴューを読むと、「関与」どころか、Spring Is Nearly Hereは「ごく初期の曲で、シャドウズに加わる以前に書いた」といっています。ブライアン・ベネットがシャドウズに入ったのは1961年秋のようですから。それ以前の作品ということになります。となると、むしろ、ブルース・ウェルチの「関与」のほうを考えなければいけないようですが、推測をいうなら、ベネットはヴァース、ウェルチはブリッジという共作パターンではないでしょうか。

ロック・バンドのドラマーはいざ知らず、スタジオのプロの場合、ドラマーでも音楽理論を学んだ人がたくさんいます。ハル・ブレインもアール・パーマーも正規の音楽教育を受けていますが、ハルはピアノを、アールは編曲を学んだそうです。この二人の直系の後継者だったジム・ゴードンは、正規の教育を受けた形跡はありませんが、ご存知のように、Laylaのコーダ部分は、彼が自分のソロ・アルバムのために書いた曲を流用したものですし、このコーダ部分では、彼はドラムのみならずピアノもプレイしています。ついでにいうなら、ピアノを学んだハル・ブレインは、デニス・ウィルソンについて、ドラムよりピアノのほうがうまかった、と証言しています。

ブライアン・ベネットは、ロック・バンドのドラマーというより、スタジオのプロに近い人だったので、ハリウッドのプロたちと同じように、打楽器奏者としてではなく、「ミュージシャン」として音楽を捉えていたようです。いいかえれば、リズミカルのみならず、「トーナル」にも音楽を見ていたということです。ベネットがドラム・セットをGチューニングにしていた背景はそれ以外に考えられません。

キャロル・ケイがこんな話をしていました。ハル・ブレインがかの有名なオクトプラス・セットをはじめてスタジオに持ち込んだとき、彼女はその馬鹿馬鹿しい姿に呆れ、「それで音階でも叩く気なの?」とからかったら、ハルが即座に8個のタム(この数には意味がある)を使って、メロディーを「叩いて」みせたので、彼女はひっくり返って驚いたそうです。8個のタムを「トーナル」にチューニングすれば(いや、「調」のない、つまり「アトーナルなチューニング」などありえないが、現実には、調を意識しないドラマーのほうが多い)、ドレミファソラシドのメイジャー・スケールを奏でられるのです。だから、あれはたんなるタムではなく、「コンサート・タム」すなわち音階のあるタムなのです。

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話が脇に逸れましたが、前述のWith Strings Attachedのライナーで、ブライアン・ベネットは、バークリー音楽院の通信講座を受けたといっています。シャドウズ以前にツアーでいっしょになったジョン・“007”・バリーが、ジュリアード音楽院の通信講座をとっていたといっているので、これに刺激を受けたのでしょう。

子どものころからシャドウズが好きだったわりには、ちゃんと彼らのことを調べたことがなかったので、いまになってブライアン・ベネットのバックグラウンドを知り、おやおや、そうとは知らず、失礼しました、と謝っちゃいました。

◆ クレヴァーなコードとウェルチのプレイ ◆◆
f0147840_15325415.jpgベネットが、生まれてはじめて書いた曲だと思う、といっているだけあり、Spring Is Nearly Hereはいたってシンプルなつくりで、基本的にはC-Am-F-Gという循環コードです。これが、日本でのみシングル・カットされ、当時もそれなりに好まれ、いまもどうやらシャドウズの代表曲のひとつとみなされている(国内のカヴァー盤がある)理由でしょう。日本人好みの「花はどこへ行った?」コードなのです。

ただし、シンプルななかにも、一カ所だけ、クレヴァーなチェンジアップがあります。C-Am-F-Gを2回繰り返したあとは、F-Fmというコード・チェンジをつかっているのです。SleepwalkのC-Am-Fm-Gという、循環コードのうちひとつだけ、しかも半音ずらしただけで別世界になってしまった、unusualな進行ほど印象深くはありませんが、それに近い効果を上げています。これがあるおかげで、飽きのこない曲になったのです。

f0147840_1533269.jpgSpring Is Nearly Hereのハンク・マーヴィンのプレイはいつもどおりで、なかなかけっこうですが、今回聴き直して、ちょっとミス・トーンはあるものの、ブルース・ウェルチのプレイに感心しました。おおむねアルペジオを弾いているのですが、かならずしも素直なアルペジオではなく、低音弦のアルペジオを繰り返したり、高音弦だけになったり、短いコード・ストロークをはさんだりと、かなり変化に富んだプレイなのです。つまり、行き当たりばったりではなく、きちんとアレンジされているということです。

考えてみると、中学のときにシャドウズが好きになった理由のひとつも、ブルース・ウェルチのプレイでした(いや、もちろん、ハンク・マーヴィンのプレイとサウンドにも惹かれたのですが)。ハリウッドのエースたちで構成されるスタジオのヴェンチャーズではなく、日本にきていたツアー用ヴェンチャーズにかぎっての話ですが、彼らとシャドウズが決定的にちがっていると感じたのは、シャドウズはリズム・ギターが変化に富んでいて、「大人」だということでした。プレイの面ばかりでなく、ブルース・ウェルチがしばしばアコースティック・ギターを使っていたことも、当時は新鮮に感じたものです。

◆ シャドウズ・イン・ジャパン ◆◆
国内盤Spring Is Nearly Hereがリリースされたのは、録音からなんと5年後の1967年です。シングルのライナーを読むと、これがひどい古物だということにはひと言もふれず、まるで新品のようなことをのたまっていて、音楽業界のイカサマぶりを如実に示していますが、当時の日本的好みのありかをよく把握した選択でもありました。あちこち調べて、各国のリリース状況を見てみたのですが、世界中でこの曲をシングル盤にしたのは、どうやら日本だけのようです(EPとしてリリースした国はある)。

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「春がいっぱい」シングル盤のライナーより。もはや時効でもあり、武士の情けで署名はボカした。「SFあやつり人形劇」という、「手術台上のミシンとコウモリ傘の出合い」(アンドレ・ブルトン、だと思うのだが)も三舎を避ける、シュール・リアリスティックな言葉の衝突がすごい!

1967年というのは、日本におけるシャドウズ人気のピークだったようです。わたしがシャドウズの盤をはじめて買ったのがこの年だったので、たんにこちらのテイストが幼くて、それまであまり聴いたことがなかっただけかと思っていたのですが(それ以前にシャドウズの曲として知っていたのは、The High and the Mightyすなわち「紅の翼」ぐらいだった。これはシャドウズのコピーバンドだったザ・サベージがカヴァーしたので印象に残った)、シャドウズ本の著者のサイト(なかなかすばらしいサイトなので、シャドウズ・ファンにはご一読を奨めます)を読むと、日本でシャドウズの人気が出たのは1967年からだったといっているので、子どものわたしはその流れのなかで、シャドウズのファンになったことになります。

67年のたぶん晩春か初夏のことだったと思うのですが、シャドウズは初の来日をして、テレビにも出演しました。レコードを流すのではなく、ちゃんとしたスタジオ・ライヴで、しかも、1、2曲の顔見世ではなく、30分ほどのセットでした。ヴェンチャーズよりずっとうまいと思ったことしか記憶になく、どんな曲をやったのか、いまとなっては知りようがないと思っていたのですが、上記サイトにくわしい記述がありました。当時のことを記憶しているシャドウズ・ファンのために、この記述からテレビ出演時にプレイした曲を、以下に拾い出しておきます。

Apache
Dance On
Nivram
Spring Is Nearly Here
Foot Tapper

この5曲ですべてかどうかはわかりませんが、この少ない曲のなかにもSpring Is Nearly Hereが入っています。この時点で、日本における彼らの「最新シングル」だったということもあるのでしょうが、ツアー・プロモーターなり、彼らの日本におけるレーベルだった東芝関係者から、この曲は日本ではぜったいに受ける、と慫慂されもしたのでしょう。テレビ出演のみならず、日本ツアーのセット・リストにもSpring Is Nearly Hereは入っています。

◆ 1967年のシャドウズ ◆◆
ヴェンチャーズの人気が下降線に入ったためではないかと推測しますが、東芝は1967年にいたってシャドウズをプッシュしようとしたようです。子どものわたしはそれに乗せられて、この年、シングルを3、4枚と、アルバムThe Best of the Shadowsを買い、さらには、夏休みにクリフ・リチャードとシャドウズが主演する映画『Finders Keepers』(邦題は失念したが、『太陽を盗め!』というものだったような気がする)まで見ました。

f0147840_1550243.jpgヒットしなかったため、クリフ・リチャードのファンはあまり注目していないようですが、この映画のサントラからカットされた、Finders Keepers b/w This Dayというシングルは、両面ともなかなかけっこうな出来で、テーマ曲のほうは、シャドウズ・ファンにとっても興味深いものだと思います。ライターもシャドウズの4人です。

しかし、1967年といえば「サマー・オヴ・ラヴ」の年、サイケデリックの嵐が吹き荒れることになります。シャドウズをテレビで見たときには、まだそのことに気づいていませんでしたが、この時点でもすでにStrawberry Fields Foreverを聴いていたわけですし、夏休み直前にはSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandがリリースされたので、Finders Keepersを見たころには、来たるべき疾風怒濤の大混乱時代はすでに予感していたはずです。

f0147840_15534375.jpgシャドウズとの付き合いが、ほんのわずかな期間で終わり、80年代になるまで途絶えてしまったのは、そのような時代との関係があり、また、わたし自身も、時代に翻弄され、好みがころころ変わる年齢だったことによります。いまの年齢になれば、あの時代のガレージ・バンドの雑駁きわまりないプレイなどより、品のあるシャドウズのサウンドのほうが比べものにならないほど好ましく感じるのは理の当然で、なんだって、あの当時、もうすこし買っておかなかったのか、と思いますが、音楽を聴くというのは、こういう後悔の連続だから、是非もなし、であります。

◆ アレンジャーたち ◆◆
最後に、シャドウズのアレンジャーについてすこしだけふれておきます。Spring Is Nearly Hereのストリング・アレンジをしたのは、彼らのプロデューサー、ノリー・パラマーです。60年代はじめぐらいまでは、弦や管が必要になったときは、ほぼすべてパラマーがアレンジとコンダクトをしたようです。

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ブースのシャドウズとスタッフ 後列右からブルース・ウェルチ、ジョン・ロスティル、ハンク・マーヴィン、ブライアン・ベネット。左端に立っている人物は不明。あるいはアレンジャーのスティーヴ・グレイか。前列右はおそらくエンジニアのピーター・ヴィンス、左はプロデューサーのノリー・パラマー。

ノリー・パラマーはEMIのコロンビア・レーベルのエース・プロデューサーで、クリフ・リチャードやシャドウズ以外にも、フランク・アイフィールド、ヘレン・シャピロ、スキャフォールド、アッカー・ビルクなど数多くのアーティストを手がけ、ヒットの数からいっても、同じEMI(レーベルはパーロフォン)のジョージ・マーティンと肩を並べる存在でした。

プロデューサーであると同時に、パラマーはオーケストラ・リーダーとしても、50年代を中心に活躍しています。In London, in LoveおよびAutumnの2枚しか知らないので、そのかぎられた範囲のなかでいえば、ジャッキー・グリースンに近い、流麗なサウンドを特長としています。しかし、フレンチホルンの使い方を聴いていると、あ、シャドウズだ、と思います。Miracle(作曲もパラマー)を思いだすのです。

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ノリー・パラマー『In London, in Love』

パラマーがアレンジをしているのであろうことは、国内盤「春がいっぱい」のライナーからも想像がつくのですが、ほかのアレンジャーについて知ったのは、(怖いシャドウズ・ファンから、「スキあり!」と一喝されそうですが)上記With Strings Attachedのライナーによってでした。途中から、ベネットの友人だったスティーヴ・グレイや、それになんと、ブライアン・ベネット自身も、ときにはアレンジとコンダクトまでやった、というのです。いやはや、知らぬこととはいえ、というしかありません。

これまた知らなかったことですが、シャドウズ解散後、ベネットはプレイをやめ、作曲とアレンジのほうを仕事にしたそうで、わたしとしては、じつにもってけしからんほど、「え、そうなのかよ」連発でした。

アール・パーマーもアレンジャーとしてのヒット曲がありますが、終生、一プレイヤーで貫き通し、アレンジャーに転身することはありませんでした。ポップ/ロックの世界にかぎっていえば、ドラムというのは、スタイルとサウンドの変化がもっともはげしい楽器で、どれほどすぐれたプレイヤーでも、エースとしてすごせる時間は十年がいいところでしょう(ギターのトミー・テデスコやサックスのプラズ・ジョンソンは、数十年にわたってエースだった)。

ブライアン・ベネットのように、後半生でうまく転身を遂げた例は稀で(しいていうと、デイヴ・クラークが近いか)、じつにめでたいことだと思います。ジム・ゴードンをはじめ、悲惨な後半生や晩年を過ごしたドラマーの話はごろごろしていますし、しかも、そこにある種の必然性を感じるだけに、もううんざりなのです。

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The 45 labels of The Shadows' "Spring Is Nearly Here b/w Thunderbird Theme," 1967, Toshiba Musical Industries, Tokyo.「春がいっぱい」とはまったくタイプのちがうストレート・ロッカーであるB面のThunderbirdは、バリー・グレイの曲で、こちらもなかなかけっこうな仕上がり。ブライアン・ベネットのプレイとしては、この曲がもっとも好ましい。

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by songsf4s | 2008-02-24 17:16 | 冬の歌
新雪 by 灰田勝彦
タイトル
新雪
アーティスト
灰田勝彦
ライター
佐伯孝夫、佐々木俊一
収録アルバム
南国の夜~灰田勝彦アーリー・デイズ~
リリース年
1942(昭和17)年
他のヴァージョン
live version of the same artist、the Three Suns
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集、本日はいよいよ灰田勝彦です。じつは、Tonieさんから最初に送られてきたリストには「新雪」はなく、思わず、「なぜ?」ときいてしまいました。Tonieさんが灰田勝彦ファンであることは承知していましたし、わたしもファンであることはTonieさんもご存知のところだったからです。

それが一転して、急遽、予定になかった「新雪」を取り上げる気になられたについては、いろいろ思いもおありでしょうが、そこまで忖度するのは出しゃばりすぎなので、ここらで引っ込むことにして、Tonieさんの記事をご覧ください。当方の灰田勝彦賛辞はまたコメントのほうに書かせていただきます。(席亭songsf4s敬白)

◆ ハイカツ登場 ◆◆
f0147840_12137100.jpg本日は大好きな男性歌手、灰田勝彦です。戦前ジャズ歌手のうち、元々好きだった灰田勝彦とディック・ミネのどちらを取り上げるか迷ったのですが、マヒナスターズの和田弘が、灰田勝彦のショーでスティール・ギターを食い入るように聴いた、というエピソードからの流れもあるので、灰田勝彦としました。なお、ディック・ミネの「雪の歌」候補は、彼の作品でも一番の有名どころ「人生の並木路」でした(歌詞の3番に「雪」が登場しますので、興味があれば、歌詞をお探しください)。

さて、灰田勝彦で「雪の歌」というのもいくつかあります。「いとしの黒馬よ」(1938年)、「白銀の山小屋で」(1954年)など、戦前戦後を通じ、まんべんなく「雪」の歌を歌っています。どの曲にもそれぞれ灰田勝彦独特の軽快さがあるのですが、わりと灰田勝彦らしさの顕れているヒット曲を取り上げてみます。参考にすべきであろう早津敏彦『灰田有紀彦・勝彦 鈴懸の径』(サンクリエイト刊)という本は読んだことがないので、見当はずれの推測もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

◆ タンゴでビンゴ ◆◆
まず、イントロでは、流暢なバイオリンにあわせて、ピアノがタララッタと入ってきて、アコーディオンと一緒にメロディをつくり、後ろではコントラバスがタンゴのリズムをしっかり刻んでいます。この時代のジャズソングの多くがそうであるように、この曲でもメロディの後段部分が、(歌が出てくる前の演奏をすべて「イントロ」というのであれば)このイントロで完奏されてしまい、これが終わってから歌が始まることになるので、灰田勝彦のボーカルが出てくるまで、まず、バンド演奏だけを30秒ぐらい楽しむことになります。

CD『灰田勝彦アーリーデイズ』の解説によると、この曲はコンチネンタル・タンゴの「オー・ドンナ・クララ」がモチーフだったそうです。当初、佐々木俊一(作曲)が作った旋律が、「オー・ドンナ」そのものだったのを、リハーサルを何度も繰り返すうちに格調高いものになったということで、「オー・ドンナ・クララ」(リッチー・バレンスではない)をいくつか聴いてみました。

f0147840_12135738.jpg最初、手持ちのタンゴ曲集から、このブログでジャケット紹介のあったスタンリー・ブラックによる演奏を聴いていましたが、なんとなく雰囲気が似ているし、転調後のフレーズなど、たしかにモチーフになっているなあ、という印象を受けました。スタンリー・ブラックは、イギリスのポピュラー音楽界の重鎮で、クラシックを本格的に学んだピアノの名手だそうです。1930年代末には、ジャズオーケストラの花形ピアニストとして、ブエノスアイレスに滞在し、タンゴを吸収してきたそうですから、一般的な演奏をしていると思います。

でも、一方で、もっと参考にした演奏があるのでは、と思いました。というのは、スタンリー・ブラックの演奏時期が特定できなかったこともあるのですが(「新雪」の発売よりだいぶ新しいだろう)、イギリスの線はないのでは、ということです。「新雪」が発売されたのは、1942年(昭和17年)10月です。1941年12月8日に真珠湾攻撃ですから、もう太平洋戦争が始まっているワケです。灰田勝彦の「青春のタンゴ」は、1940(昭和15)年で、タンゴがずっと人気あったのは、太平洋戦争前も後も変わらないのですが、敵性国の音楽をきくのはダメというのが大きな流れになってしまいます。

「新雪」に関して、よく、当時の同盟国であるドイツで流行っていたコンチネンタル・タンゴだから、禁止もされずに、日本でもヒットしたというエピソードが紹介されています。じゃあ、たとえば、誰の演奏が近いんだろう、元々、頭に描いていたのはどんなサウンドなんだろう、という疑問がわくのが道理というものでしょうが、そこに関する指摘は今のところネット上では見かけません。

f0147840_12145317.jpgいくつか探した中で、これだ! とおもったのは、マックス・メンジング(Max Mensing)が歌うSaxophon Orchester Dobbri(ダブリン・サクソフォン楽団とでもいうのでしょうか、Otto Dobrindt Orchestraと同じ楽団だそうです)の「Oh, Donna Clara」です。出だしの1小節がもう「新雪」……というと、言い過ぎかもしれないけれど、「新雪」で経験済みの、青春が謳われた際の高揚感が溢れています。本場のものは、アコーディオン中心で、アルゼンチン・タンゴの影響もまだちらほら見られますが、日本の方は、輸入加工済という音です。ほかには、ドイツもので、Paul Godwin Tanz-Orchesteの「Oh, Donna Clara」は、ちょっとテンポが速すぎるかなという印象でした。

この曲はポーランド人のJerzy Petersburski(読みとしてはイエルシー・ペテルブルスキーあたりか)が1925年頃に作ったもののようです。マックス・メンジング版は、1930年に録音されているので、1942年の曲のモチーフとして参照するには、時期的にはちょっと早すぎるかなと思うところもあります。藤山一郎.ヘレン隅田の「おゝどんなくらら」が1935(昭和10)年頃に日本でも発売されているようですし、「どんな」クララがいるか、分かったものじゃありません。いずれにせよ「ドンナ・クララ」は人気があったタンゴ曲のひとつなのでしょう。

◆ 紫けむる、にこだわる ◆◆
さて、歌詞の最初の2行は次のとおりです。

紫けむる 新雪の
峰ふり仰ぐ この心

ここが、実力のある職業作家が作った詞だなと感心するところです。ジミヘンに先駆けることはや何年、です。しかも、難しい言葉は何もないのに、よくよく考えると、内容を理解するのが難しいです。「紫にけむっている」のは、「新雪」(や「雪の残る山の峰」)なのでしょうか、「この心」なのでしょうか。

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「新雪」のSPレーベル(森本敏克『音盤歌謡史』白河書院より)。この時期のレーベルは右から左、左から右が混在しているが、「新雪」はすでに左から右になっている。「愛唱歌」といういささか奇異なジャンルもあった。戦時中のみ使われた言葉のようで、「バタビアの夜は更けて」「マニラの街角で」なども「愛唱歌」とされている。映画のために作られたので「大映映畫『新雪』主題歌」とある。

普通、歌うときに「むーらーさ~き、けむ~る、しん~せつ~の~」と歌って、ここで切るので、雪が紫にけむっているという表現で捉えていましたが、あまり使う表現ではないように思います。けむったのが雪か、心か、については、ちょっとペンディングにして、まず「紫」にこだわります。

ムラサキといえば、式部、醤油、あるいは宇宙人ですね。あ、ついでに紫関連では、songsf4s さんには「Deep Purple」を取り上げて欲しいものです(要望終わり)。紫草を想起する人はすくないでしょうし、ここでの紫は高貴な色(冠位十二階の最高位)をイメージしているワケでも無く、色としての紫をした空を表していて、その「空」の意味するところがなんとでもとれる、奥の深い歌になっていると思います。

でも、紫にけむるというのはあまり使われない表現だと思います。和歌などで使われた表現があったら、是非コメントいただけたらとおもいます。ここで、なぜ、紫にけむるを取り上げたかという鍵を、僕は、作詞をした佐伯孝夫が西條八十門下生であるところにみました。

f0147840_12162625.jpg(songsf4s注釈 ちょいと脇からしゃしゃり出ます。「紫雲たなびく」という言いまわしが昔はよく使われていて、記憶に染みこんでいます。辞書にはこうあります。「紫の雲 赤くくすんだ紫色の雲。めでたいしるしとしてたなびく雲。また、天人が乗ったり、念仏者の臨終のとき、仏が乗って来迎するという雲」。そのような意味からでしょう、昭和14年に開発された海軍の水上偵察機に「紫雲」という名前がつけられました。育毛剤ではなく、海軍の戦闘機「紫電改」のデザインを愛していた小学生のわたしは、似たような名前をつけられたこの水上偵察機も好きでした。唄にはまったく関係ありませんが、昔は「紫雲」「紫の雲」「紫の空」は、めでたいものという了解があったことを示しています。北斎の「凱風快晴」いわゆる「赤富士」も、たんなる富士の夕景ではなく、「紫雲たなびく」めでたさを前提に描かれたものだろうと想像します。ということで、わたしはこの「紫けむる」を「紫雲」のことと考えています。)

ご存じ「東京行進曲」の「♪昔なつかし銀座の柳」で有名な西條八十には、何人か門下生がいます。そのひとり、門田ゆたかは、「東京ラプソディー」(藤山一郎歌、古賀政男作曲)で「♪花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で」と書きましたし、サトウハチローは、「夢淡き東京」(藤山一郎歌、古関裕而作曲)で「♪柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日」としました。

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この「銀座」攻撃に、佐伯孝夫も戦後、「銀座カンカン娘」「僕の銀座」で応戦しています(灰田勝彦にも「東京パラダイス」という曲を作って、東京にも応戦しているようです)。ただし、灰田勝彦の「ハロー銀座」は、村雨まさを(服部良一の変名)なので、お間違えなく(^_^)。

さて、その佐伯孝夫は、西條八十が早稲田第二高等学院で初めてフランス語の講義をした年の教え子で、佐伯が早大仏文科に進学してからも師弟関係が続き、卒業後は西條門下生となったそうですから、生粋の一番弟子といえるのではないでしょうか。

その西條八十が、本格的に流行歌の歌詞を手がける前に出した詩集『砂金』のなかに、「パステル」という一篇があります。この詩篇の後段部を以下に引用します。

君よ、莨(たばこ)を棄てゝ
すっぽりと露西亜更紗(ろしあさらさ)に、これら総て
薄紫のパステルを包もうぢゃないか
遠くけむる山脈(やまなみ)も、あきらかな鳥のかげも。

朝餐(あさげ)の間、
透蠶(すきご)とともに
香膏(あぶら)のやうに眠らせるため。

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これまた難解な詞なのですが、佐伯孝夫が西條八十師匠の影響を受け、紫にけむる山なみを想起していても、おかしい話ではないのではないでしょうか。ここに「雪」というモチーフを入れ込んだことで、いっそう山脈が引き立っていると思います。なお、灰田勝彦は、戦後「紫のタンゴ」というマイナー調のタンゴもやっていて、こちらも流行ったようです。また、この「紫のタンゴ」という曲は「お座敷小唄」でもとりあげた松尾和子歌、寺岡真三編曲(1963)でリバイバルしています。

◆ 青の前にコダワル ◆◆
ここまでいろいろ詰め込みすぎました。後半は、曲について、駆け足で見ていきます。

麓の丘の 小草を敷けば
草の青さが 身に沁みる

前半部の「紫」との対比で「青」が出てきます。ここで、灰田勝彦の歌い方についても少しだけ、触れたいと思います。彼の歌い方は、クルーン唱法というか、気張らず、捏ねず、地道にサラっと歌いきるのです。なんだか物足りない、と思われる歌謡曲ファンも多いかと思いますが、ソコが彼の歌のすきなところなのです。「くさのあおさが」を「くーー・さの・あ・お・さーー・がー」と「く」を伸ばし、「さ」と「の」を一気に歌う緩急の差がまた、たまらなく好きです。灰田勝彦がウクレレ抱えて、ポロポロと鼻歌でも歌ったら、参りましたの一言しかありません。

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『アルス音楽大講座9 ジャズ音楽』(昭11)には灰田兄弟によるスティールギター、ウクレレ講座がある

しかし、灰田勝彦は自分の歌を鼻にかけることなく、ずっと軽やかに歌い続けたものと思います。

◆ 最後は雪らしく白 ◆◆

2番
汚れを知らぬ 新雪の
素肌へ匂う 朝の陽よ
若い人生に 幸あれかしと
祈るまぶたに 湧く涙

3番
大地を踏んで がっちりと
未来に続く 尾根伝い
新雪光る あの峰越えて
行こよ元気で 若人よ

僕がこの曲をつい口ずさむときには、2番を歌います。「新雪」という語のイントネーションにあわせてあるので、このメロディでいいと思います。これが、「親切」だとこまりますが、「真説」に近いものであれば、受け入れます。2番を歌うのは、「新雪」のイメージとしては、「汚れっちまってない白さ」への評価が高いのです。ただ「幸あれ」と祈るというところは、(センチになりながら)戦地に誰かを送り出すということなのだと思いますから、あまり手放しで喜べる歌詞でもないように思います。

3番は、きちんと「がっちり」作り上げられた詞だと言うことが、「未来」と「元気」に溢れていて、あまり口ずさみません。「行こうよ元気で」じゃなくて「行こよ」と早口でまとめるのは1番と同じで好きなところですが、全体的にはビシビシと峰を越えていく事への要求があるように思うのです。非体育会系軟弱学生でしたので、「涙がまぶたに湧く」ぐらいの方が、青春の過ごし方として好ましいです。

◆ あの時代の歌い手として ◆◆
最後に、彼が66歳だったときのショーの様子を昨日(平成20年2月18日)のテレビでやっていました。謙遜ではないのでしょうが、「新雪」をうたったあと、こんなコメントを話していました。

f0147840_12345811.jpg「こうして長い間歌い続けることが出来た。大変ありがたいと思っています。しかし、このごろ、ふと、僕はいったい何のために人間をやっているのかなと、そんなことを考えることがあるんです。歌にいたしましても、まだ会心の作というのがひとつもないんです。どうやら世間の甘え(ママ、「世間の甘やかし」の意か)に支えられて、歌ってきてるんではないか、そんな感じがするんです。もし、そうだとすれば、ずいぶん僕もいい加減な歌うたいだなと。これじゃいけないんだ、ということをよく知っているんですけれど、ただひとつ良いコトしたなといえるものが、ひとつ自分の胸に残っています。それは、あの夢のない時代に、「森の小径」を歌うことが出来た、ということなんです。いつ死ぬかもしれない、あの暗い世相のなかで、ある人はこの歌によって希望を見いだし、また、ある人は喜びを、そして、夢を見いだしたことができたとすれば、ぼくはやっぱりこのまま歌い手でよかったな、とつくづく思うんです。今日は本当にありがとうございました(会場拍手)」

ここでの「会心作がない」発言は自分の手がけた(作曲した)という意味だと思います。「東京の屋根の下」があるじゃないですか、「お玉杓子は蛙の子」があるじゃないですか、と教えてあげたいぐらいです。

◆ Fresh Snow ◆◆
f0147840_12353063.jpgカヴァーとしては、スリーサンズもこの曲をやっています。オルガンにギター、アコーディオンのインストソングは、すこしエキゾチックな要素が込められていて、これはこれで好きです。ドラムがしっかり入ってるのが、戦前と違うところでしょう。

な、わけで、今宵も灰田勝彦の曲に酔いしれたいと思います。
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by songsf4s | 2008-02-21 23:42 | 日本の雪の歌
お座敷小唄 by 和田弘とマヒナスターズ・松尾和子 その2
タイトル
お座敷小唄
アーティスト
和田弘とマヒナスターズ・松尾和子
ライター
作詞不詳、作曲陸奥明
リリース年
昭和39(1964)年
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は、昨日に引きつづき「お座敷小唄」です。本日はモンスター・ヒットが巻き起こした波紋について。(席亭songsf4s敬白)

◆ ハワイから遠く離れて ◆◆
曲については、イントロがドドンパ・リズムであるということにしか触れていませんでした。基本的に、メロディをソロまたはユニゾンでうたっていて、複数名のバック・ボーカルを擁しているグループにもかかわらず、ハーモニーらしきハーモニーがみられません。ボーカルに寄り添うように弾かれるマンドリンやつま弾かれるスティールギターも全部同じメロディを演奏しています。このため、メロディの妙というより、このメロディを次に誰が歌うか、というところに焦点があたります。

1番
(メンバー全員で)富士の高嶺に 降る雪も
(松平直樹一人で)京都先斗町に
(全員で)    降る雪も
(松平一人で)  雪に変りは ないじゃなし
(全員で)    とけて流れりゃ 皆同じ
2番(松尾一人で)
3番(松平一人で)
4番(松尾一人で)
5番
(松平一人で)どうかしたかと 肩に手を
(松尾一人で)どうもしないと うつむいて
(松平一人で)目にはいっぱい 泪ため
(松尾一人で)貴方しばらく 来ないから
6番
(全員で)  唄はさのさか どどいつか
       唄の文句じゃ ないけれど
(松尾一人で)お金も着物も いらないわ
(全員で)  貴方ひとりが 欲しいのよ

このように、男、女のボーカルでなんどかやりとりがあって、最後にコーラスが出てくるトコで妙な説得力が生まれます。これがこのグループの持ち味なのでしょうね。3番までおわると、一度、スティール・ギターの間奏があるのですが、これまたメロディの演奏なのです。間奏の最後にこれ見よがしにキュイーーンと音をあげますが、それ以外は、丁寧にメロディをなぞっていて、これを聞いていると、ハワイアン・ギターと歌謡曲の相性はいいなあと思います。ドラムが日本的なリズムなのかもしれません。

マヒナのリーダー、和田弘というのは、バッキー白片とアロハハワインズのメンバーだった人ですが、少年時代に灰田勝彦と高峰秀子主演で昭和46年に日劇で行われた「ハワイの花」というショーに1週間通い詰めて、灰田晴彦のスティールギターを食い入るように見つめてたというのですから、好きな灰田サウンドからの影響がどこかしらあったのだと感じます。この歌謡曲とハワイアンの折衷感覚は、他のどのムード歌謡グループよりも灰田サウンドの影響を感じます。しかし、この「お座敷小唄」の大ヒットにともない、ハワイアンミュージシャンの組合を脱退させられたと聞きますから、こちらも「思えば遠くにきたもんだ」ですね。

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◆ 出るトコ出てみた結果やいかに ◆◆
ヒットのあるトコロ、文句のある人あり。というのも洋邦問わず同じです。「The Wreck of the Hesperus」の巻や「Stormy」の巻でsongsf4sさんが、著作権訴訟について、すでにとりあげられています。

西沢爽の『日本近代歌謡史』の第三十六章『演歌著作権始末記』2453ページ(!)によると、この唄が大ヒットとなるや、自分の作品であるとして、日本ビクターを相手取り、裁判が起こされたそうです。

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西沢爽の超大作『日本近代歌謡史』の中でも、特にこの「お座敷小唄」や二宮ゆき子「松の木小唄」の出てくる『演歌著作権始末記』は非常に面白い。

この埼玉県草加市の大藤某および広島県の某(当事者参考人)が、昭和40年分の印税300万円および金利5分を支払えと横浜地方裁判所に起こした裁判ですが、次のようなやりとりがあったということです。少し長いですが、引用します。

原告は、昭和18年5月頃、南支広東の第三航空軍に従軍中、『広東小唄』として作った以下のような歌詞を示した。

初回(会)あがりが 何となく
程の良いのが 縁となり
宵にや他人が 明け方は
忘れられない 人となり
僕がしばらく 来ないとて
飲んじやいけない やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない
末を共にと 誓ってからは
いやなお酒も目をつむり
たまのあふ瀬を 楽しみに
信じて頂戴 この私

これを、昭和39年3月に広島市のクラブ『華』で採譜して、8月に発売したと主張。

また、当事者参考人は、昭和10年11月、台湾派遣部隊蓮部隊に従軍中、(部隊内で)『茶碗酒』としてうたわれていたものをあげた。

初回あがりが なんとなく
ほどのよいのが 縁となり
宵にや他人が 明け方にや
忘れられない 人となる
好きなあなたが 出来たから
ほかの座敷が いやになる
ままにならない この身なら
あなた来ぬ夜の 茶碗酒
どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 涙ため
あなたしばらく 来ないから
僕がしばらく こないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで 身体を 悪くすな
お前一人の 身ではない

これに対し、日本ビクター側の反論は次のようであった。これらの歌詞と「お座敷小唄」には共通点があることは認めるが、原告が昭和18年5月頃、その主張するような歌詞を作ったことは否認する。当時は部隊の移動が激しく、「当事者参考人」の所属していた部隊も、転々としており、それが広く広東方面に歌われたものであろう。また「原告」主張の歌詞は一人の作詞とは考えられない。

さらに、(1)明治末期(大正初である)北九州福岡の酒席で『奈良丸くづし』の曲名でうたわれたもの。

ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして 自棄酒を
弱いからだを 持ちながら
飲んで身体を こわすなよ

(2)大正元年ごろ「奈良丸くづし」または、『ナツチヨラン』(青島節)でうたわれたもの。

スウチヤン 忘れちやいけないよ
ビンのほつれを かきあげて
顔は紅葉の 茜さす
登る段階子の トントンと
ぼくがしばらく来ないから
たとえ 勤めがつらくても
短気おこしてやけ酒を
飲んで身体をこわすなよ

(3)昭和10年頃、東京神楽坂はじめの方々の花街で『ストトン節』でうたわれていたもの。

嶺の高嶺に降る雪も
坂(神楽坂)の真中に降る雪も
芸者する身も 素人も
とけて流れりや みな同じ
どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 泪ため
貴方しばらく 来ないから
ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない

(4)昭和15年頃、全国の花街で『ストトン節』でうたわれていたもの。

あれ見やしやんせ 朝顔は
垣根にもたれて 思案する
丁度 私が あの様に
主さん 思うて 思案する
あれ見やしやんせ ローソクは
芯から燃えて 身がやせる
丁度私が あの様に
あの人 思うて 身がやせる
ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして 焼け酒を
飲んで身体を 悪くこわすなよ
お前一人の 身ではない
一目見てから 好きになり
ほどの良いのに ほだされて
よんでよばれて いる内に
忘れられない 人となる
(第5および第6連は略)

(7)昭和16年7月、東京神楽坂の料亭「島田」でうたわれたもの。

富士の高嶺に降る雪も
坂(神楽坂)の真中に 降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ
初めて逢うたが 宴会で
二度目に逢うたが 四畳半
そこで お腹も 七,八月
出来た この子を どうなさる
心配するな これお前
男の子なら 軍人に
女の子なら 看護婦に
どちら 生んでも 国のため
義理で 貰った女房より
かげのお前が 可愛くて
罪じゃ よそうと 思えども
あきらめ られぬが 恋の情
どうかしたかと 背に手を……
僕がしばらく こないとて……
(第5および第6連は略)

以上の例を挙げ、原告の創作ではないと反論した。

「お座敷小唄」訴訟の記事が新聞週刊誌にとりあげられると、大正初年から末年にかけて、どこの花街でうたっていたなどと証言する投書がビクターへ頻々と舞こんだそうです。

この曲が、広島市のナイトクラブで、「京都先斗町に降る雪も」とうたわれていた事実からみて、京都でもとも思うが、その事実を証明するものはなかったので、結局、「原告が作詞したと称する以前に、それと同文又は酷似した内容を持つ歌詞が古くからうたわれていた」という裁判所の認定で、昭和42年5月「原告および参加人の請求はいずれも棄却する」と判決がありました。

なお、作曲については、その後、テイチクレコード専属作曲家であった陸奥明より、昭和29年6月(『お座敷小唄』よりおよそ10年前)、清水みのる作詞、陸奥明作曲、鈴木三重子唄で発売された「籠の鳥エレジー」であるという申立があり、作品審査委員会(ジャスラック)は、現行のものと原曲なるものとに若干のちがいはあるが、反証資料がないのでその疑問は留保し、一応原曲として扱うという判断を下した、ということですから、一勝一敗といったところでしょうか。

昭和10年の「嶺の高嶺に降る雪も」が昭和16年に「富士の高嶺に降る雪も」に変わったり、「芸者する身も 素人も」が「雪に変わりは ないじゃなし」と変わったりして、ますます「日本の雪の歌」らしくなった、という「前日談」でした。

◆ お座敷クレージー ◆◆
最後に、songsf4sさんのところでは恒例ながら、今回まだ登場していないカヴァーソングについて取り上げます。映画『日本一のゴマスリ男』で、植木等がアカペラというかソロで歌うのですが、歌詞が全く違います。

一に六足しゃ 七になり
四から一引きゃ 三になる~と
三に四足しゃ 七になり
一から一引きゃ パーになる、と。

計算上まったく間違いは無いのですが、言語明瞭、意味不明。非常に面白いナンセンスにあふれた歌詞です。一般人なら最初の一行が出てこないでしょうが、仮に出てきたとしてもせっかく「7」にしたんだから、次の出だしは「7」から始めると思います。「七から四引きゃ三になる~」とか関連性を持たせようと思ってしまう。それを全てぶち破ってしまっているところが、驚異的です。メロディは確かに「お座敷小唄」ですが、植木等が歌うと、これも「ドント節」に聞こえます。最後は、その当時のものを含め、なんでも諧謔の対象とした、クレージーキャッツ・パワーに圧倒されてしまいましたが、これで「お座敷小唄」のマヒナスターズを終わります。こりゃ逆だった……。

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○主な参考文献
西沢爽「日本近代歌謡史」桜楓社
北中正和「にほんのうた」平凡社
北中正和「ギターは日本の歌をどう変えたか」平凡社新書
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by songsf4s | 2008-02-18 23:53 | 日本の雪の歌
お座敷小唄 by 和田弘とマヒナスターズ・松尾和子 その1
タイトル
お座敷小唄
アーティスト
和田弘とマヒナスターズ・松尾和子
ライター
作詞不詳、作曲陸奥明
リリース年
昭和39(1964)年
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」、本日はまたまた、一見、ディープな日本音楽のようながら、西洋音楽との接点をもつ、「ムード歌謡」の代表作の登場です。音楽的に微妙な時期である1964年(個人的には「ビートルズ前夜」だった)の大ヒットなので、原稿整理をしながら、あれこれと考え、いろいろなことを思いだしました。(席亭Songsf4s敬白)

◆ 富士の高嶺に降る雪、アゲイン! ◆◆
前回に続き、もう1曲「富士山の雪の歌」関連曲を取り上げます。東海林太郎「興亜八景」(「♪富士の高嶺とさくらの花は ヨーイヨイサテ 興亜日本の立姿」)、小唄勝太郎「さくら踊り」(「♪富士のお山も薄化粧 サテさくら咲いた咲いた都も里も」)など、富士山も桜とセットで、色々と歌になっているんですが、今回は“桜”はでてきません。

それでは、さっそく最初のフレーズにいきたいと思います!

富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変りは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ

語呂が良くって、ついつい1番を一気に全部紹介しちゃいました! 先日の「真白き富士の根」は、富士山の「白い雪」と「緑」の江ノ島という対比が織りなす、切り取られた風景に込められた“鎮魂の思い”の歌でした。この曲では、「富士の高嶺」という清らかで厳かな存在と「京都先斗町」という浮き世(俗世間)が比較対象とされています。

◆ pont町 ◆◆
曲の方は、まず自由奔放な印象をあたえるスティール・ギターの音色からはじまります。またテンポが遅めので、ゆったりした気持ちになります。そこへ、クラリネットとマンドリンと思われるメロディのアンサンブルのイントロが始まり、これにあわせて、スティール・ギターが色々とアクセントをつけます。

ドドンパの変形といわれるリズムですが、この繰り返し出てくるリフは非常に覚えやすく、大滝詠一『Let's Ondo Again』の「337秒間世界一周(Steel Round The World)」にも出てきたはずです(「337秒間世界一周」っていう曲は、エリアコード615『Trip In The Country』にアイディアの源泉があるとおもうのですが、その源泉に何でもかんでもぶち込んでぐつぐつ煮たような曲で、日本代表が盛り込まれていてもおかしくないのです)。

f0147840_216494.jpg先斗町(ぽんとちょう)というのは、有名な花街のひとつだそうですが、日本語にしては、非常に変わった名前の街だなと思ってました。するとこの由来が、川原に臨む片側に家が並ぶ街の形状を「先」にみたてて、ポルトガル語の"ponto"、英語の"point"といった言葉からきているということのようで、なるほどなあと思いました(東が鴨川=皮、西が高瀬川=皮、皮と皮にはさまれた鼓を叩くとポンと音がするのをもじったという説もあるようです)。

◆ メタ・フィクション ◆◆
このブログには、あまりそぐわない個人的な話を少しかかせてもらいます。僕はリアルタイムではないですが、中学時代にビートルズを中心に音楽を聴いてきました。いまでも、洋楽と邦楽で聞く比率は8:2か7:3でしょう。だからなのか、日本の歌謡曲を聞くときには、体内に異物を取り入れるように慎重に身構えて、聞いてしまうところがあります。

そういった違和感を持たないで聴ける曲は、三橋美智也、灰田勝彦、服部良一やトリローの楽曲など、ごくわずかで、特にムード歌謡やグループサウンズは、どちらかというと苦手な分野で、一緒に口ずさもうという感覚より、どんなサウンドだろう? と分析しながら聴いてしまうことが多いのです。例えば、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「ああ北海道には“雪”がふる」の「♪鐘が鳴る」の後になる鐘の音のギミックや「カネガナル」のコーラスがおもしろいとか、メタ・フィクションの小説を面白がるような感覚で聞くことが多いです。

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北海道選出の議員でもあるまいし、料亭や割烹に行きたいなど思ったこともなく、そこで小唄を聴くことを趣味ともしていないので、お座敷という文化を歌謡曲という観点から楽しがっているのだとおもいます(江差の居酒屋[小料理屋]で女将が即興で歌った「江差追分」は素晴らしかったので、聞けば感動すると思いますが)。「お座敷ソング」が、朝鮮戦争の時代に、「金へん景気」にのって宴会などで爆発的にはやった、という時代背景もふまえて聞くというのは、なかなか難しいです。それは、つまみ食い的な聴き方だと問題視され、批判されるときは甘んじて受けなければいけないですが、その音楽の出来た変遷もつまみ食いしながら、愛着もって楽しんでいけばいいのではないでしょうか。

いっそのこと、スタンダード曲や日本の曲を聴かずに、同世代の音楽や、一番好みの60年代アメリカンポップスだけを聴いていられれば、どんなにか幸せか(あるいは、日本の曲だけ聴いていられれば、もっとどんなに幸せか)と思いますが、残念ながら、メタも元もふくめて音楽を楽しむ、これが日本に生まれた洋楽ファンの生きる道……というものなのでしょう。「日本語のロック」の始祖として取りざたされて、イライラ苛立ち、「さよならアメリカ、さよならニッポン」に行き着いたはっぴいえんどのファンである以上、仕方ないのかなと思います。

ということで、ムード歌謡の大御所、和田弘とマヒナスターズのサウンドについて、全幅の愛を持って語るのは難しいのですが、マヒナのサウンドというのは、わりと好きな部類なのです。

f0147840_2335063.jpg例えば、「寒い朝」などは吉田メロディとしても最高峰だと思いますし、サユリストではないですが、メロディが少し明るくなるところで、グッと来てしまいます。じっくり聴けば、ストリングが北風を表しているわりにショボイなあ、などと思う部分もありますが(そこがまた寒さを引き立てている、というような意地悪なことは、あまり思わない)、コーラス、リズム、歌唱いずれもバランスがとれているので、たいていの場合、あまり気にせずに聞いています。

渡久地政信の彼独特のリリシズム溢れる「お百度こいさん」も、三橋美智也の「お富さん」と同じぐらい好きなメロディですし、寂しげなスティールギターの音色も含めて大好きなマヒナ曲です。

◆ 再び出合ったビートルズ ◆◆
一番好きなのは、やっぱりこの「お座敷小唄」です。この曲のアレンジは、寺岡真三がやっています。寺岡真三という人を知らない方も多いと思うので、いくつか紹介すると、前回とりあげた坂本九と競作となる「涙くんさよなら」の編曲もそうですし、雪村いずみ「はるかなる山の呼び声」、浜村美智子「カリプソ娘」、青江三奈「眠られぬ夜のブルース」、コレット・テンピア楽団などがあります。

そして、東京ビートルズの一連のシングル(「抱きしめたい」「プリーズ・プリーズ・ミー」「キャント・バイ・ミー・ラブ」)は、漣健児作詞という認識しかありませんでしたが、寺岡真三の編曲でした。この曲を、下手、とか、日本語が乗ってない、とか、どう捉えるかは、人によりけりでしょうが、面白可笑しく嘲笑するほどひどい出来ではなく、リヴァプールサウンドではなしえない解釈がされているとおもいます。つまり、この曲も「日本語のロック」なのだとおもいます。

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朝日新聞1994年8月24日「50年の物語 第3話 東京ビートルズ」より

寺岡真三は、ジャズの人ですから、万人に愛されるサウンドは、東京ビートルズではなさそうです。ムード歌謡の極めつけ、1961(昭和36)年に第3回日本レコード大賞を獲得した、フランク永井「君恋し」は寺岡真三らしさの出た曲だと思います。テンポの遅い、ムードたっぷりのこの曲と昭和初期にヒットした二村定一の軽快なバージョンとどちらがいいかといわれると、後者を取りますが、ここでは、フランク永井の魅力を最大限に引き出した、最高の歌を残したと思います。

◆ 定型詩の構成と彫琢 ◆◆
f0147840_2393190.jpg上に挙げた「君恋し」が出来たのは、昭和3年のことで、これは4音プラス4音の組み合わせ、つまり「ヨイヤミ(4)セマレバ(4)ナヤミハ(4)ハテナシ(4)」という構成となっていますが、これは非常に珍しい例で、歌謡曲ではほとんどが七五調だったようです。昭和30年に三橋美智也「あの娘が泣いてる波止場」(作詞高野公男、作曲船村徹)は、「思い出したんだとさ 逢いたくなったんだとさ」というように、3、7、4、7の破調のため、評論家に「相当礼儀知らずの無鉄砲」と評されたそうで、歌謡曲の世界で従来の詩型から脱皮したものをつくることへの同意が得られていなかった、といえそうです。

前々回のはっぴいえんどの「かくれんぼ」で、七五調はやっぱり(日本の詩型の)基本である、という松本隆の意見にふれました。西條八十は、七五調の定型詩にあこがれて「定型詩の構成や文語の彫琢に努力専念」してきたのに、世に出る頃には自由詩運動が起こり、詩の形が散文とまったく変わらぬものになってしまい、「苦心した武器を持て余し」、それを「童謡の中で駆使した」そうですが、松本隆の詞からにじみでている努力は、西條の七五調に対する愛情と出てくる作品の質の高さとダブります。

この「お座敷小唄」は、「七五調に寄りかかった文化」の「いわゆる七五調」で、松本隆の戦うべき敵ここにあり、「思えば遠くにきたもんだ」です。

ここで、いささか乱暴ではありますが、一気に2番以降の全文を御披露しますので、音読されて、ちょっとやそっとじゃ打ち破れない日本文化の重み(?)をご堪能ください。

好きで好きで 大好きで
死ぬ程好きな お方でも
妻と言う字にゃ 勝てやせぬ
泣いて別れた 河原町

ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない

一目見てから 好きになり
ほどの良いのに ほだされて
よんでよばれて いる内に
忘れられない 人となり

どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 泪ため
貴方しばらく 来ないから

唄はさのさか どどいつか
唄の文句じゃ ないけれど
お金も着物も いらないわ
貴方ひとりが 欲しいのよ

この曲は、当時200万枚から300万枚のヒットを記録したようです。1万枚を超えるヒットは、もう想像の限界を超えていて、たくさんとしか認識できませんが、とにかく売れに売れたことだけは間違いないようです。第6回日本レコード大賞では編曲賞をもらっていますが、ウェブ検索すると、作曲者不詳だったため、大賞の選考外となった、でもその年一番の売りあげだったので、編曲賞に滑り込んだ、という裏話もあるようです。賞獲りレースというものはレコード会社の将来への思惑や、過去の業績に対する功労賞的意味合いなどが入り乱れていて、内容の良し悪しは二の次なのでしょうが、それだけこの曲がヒットし、愛され、歌いやすいものだったという証拠なのかもしれません。

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◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
文字数制限のため、一回では収録しきれず、後半は明日以降に掲載させていただきます。(席亭敬白)
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by songsf4s | 2008-02-17 19:49 | 日本の雪の歌
真白き富士の嶺 by 坂本九
タイトル
真白き富士の嶺
アーティスト
坂本九
ライター
三角錫子, Jeremiah Ingalls
収録アルバム
九ちゃん 明治を歌う
リリース年
1967(昭和42)年
他のヴァージョン
ミス・コロムビア、TV『名曲アルバム』ほか
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本日もゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌特集」です。昨日までのはっぴいえんどなら、わたしもよく知っている世界でしたが、いよいよ本日は当ブログの守備範囲を超えて、「深日本」にむかって一歩を踏みだします。いや、日本の近代音楽と西洋音楽の微妙なあわいへ、というべきでしょうか。(席亭songsf4s敬白)

◆ 富士の高嶺に降る雪 ◆◆
「はいからはくち」のはっぴいえんどの次は、明治時代に歌われた「ハイカラ節」……ではなく、同じく、明治時代に歌われた「真白き富士の嶺」です。

一口に「雪」の歌といっても、切り口は色々あります。雪の儚い部分や美しい部分を中心に据えた歌(「白雪」「淡雪」「み雪」といった言葉でとりあげられるでしょう)から、冬の寒い様子や辛く厳しいさまを取り上げた歌(「吹雪」のような言葉で表現されるでしょう)まで多種多様です。

北国の厳寒の山野(by songsf4sさん)に住むものとしては、最近、毎日雪かきにあけくれていますから、まず、寒く厳しい様子を書くべきかもしれません(それでも雪結晶は素晴らしく美しい!)。でも、人口の都道府県別比率を考えると、読者の方々が多く住んでいると思われる関東では、雪は美しいものだと思いますし、一年に数度しか降らない富士山の雪が一番身近な雪だと思います。これらをふまえて、今回は、日本の「雪景色」の代表として、「富士山の雪景色」を取り上げてみたいと思います

◆ 田子の浦ゆ ◆◆
まず、「真白き富士の嶺(根)」の曲そのものは、一旦置いておいて(まだはじまってもないのに……)、一番有名な「富士山」の歌は何かといえば、やはり次の歌になると思います。

「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける(山部赤人)」万葉集318

山部赤人は、長歌「不盡山」(万葉集317)で、富士山のことを歌っています。そちらのほうが“高く貴き”姿を現していると思いますが、この短歌(反歌)の方が富士山を愛でる気持ちが明快に伝わってきます。中学時代にこの歌を習ったとき、「ゆ」の使い方にずいぶん興味を持ちました。「田子の浦“に”」」なら、スッといくのに、助詞で「ゆ」がなぜか使われているんですから、誰でもビックリしますよね。「和歌」と「歌」は違う!などと、それほど目くじら立てないでください、だいぶ脱線していますが、すいません、すぐ終わりますので(林家三平か…)。

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逗子のお隣、葉山森戸海岸より見た真冬の富士。Tonieさんからは、海のある冠雪した富士の写真を、というご注文でしたが、よそさんのを拝借するのもなんなので、ひらめきも技術も皆無の愚作で勘弁していただきました。お目汚しでどうも相済みません(songsf4s)。

こうした万葉集などの和歌に曲をつける作業は、菅原明朗、瀧廉太郎あたりがやっていたようで、この「不盡山」にも朗詠調の雅楽で「節」をつけたものがあるようです。ただ、雅楽に親しむ習慣があまりないので、これ以上、そちらをつっこんだりせず先を急ぎます。

◆ 鎮魂歌「真白き富士の根(七里ヶ浜哀歌)」の成立背景 ◆◆
突然、本題にもどって、この歌の作られた背景を簡単に記します。

明治43年1月23日に神奈川県の七里ケ浜でボートが沈み、乗っていた逗子開成中学の生徒ら12名全員が死亡しました。中学といっても今の中学とは違い、旧制中学ですから、亡くなったのは10歳から21歳の12名でした(中学5年生(16~21歳)、中学4年生(19歳、17歳)など)。1月27日には全員の遺体が発見され、2月5日逗子の久木の妙光寺で追弔会(合同葬儀)が行われました。この葬儀には学校関係者が出なかったようで、翌日の2月6日に、追悼の大法会(ボート転覆事故の慰霊祭)が逗子開成中学の校庭で開催されたということです。

その法会に出席した鎌倉女学校生徒らにより、鎮魂歌として歌われたのが「真白き富士の根(七里ヶ浜哀歌)」だそうで、この歌が初演されたのは、このときということになります。いくつかのサイトで「真白き富士の根(あるいは嶺)」について、書いているところがありますが、逗子開成中学のサイトに詳しいです。

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葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち「相州七里濱」

◆ 「When We Arrive at Home」と「夢の外」 ◆◆
また、手代木俊一氏の本などいくつか本を読むと、この曲に詞をつけたのは三角錫子(みすみ すずこ)という女学校の先生だということが分かります。さらに、この曲を収録した、唱歌集の編集をした堀内敬三が賛美歌のチューン・ネーム「Garden」という単語を作曲者名と混同して、うっかり紹介してしまったためか、ガードン(ガーデン)として広まったけれど、実際はインガルスという人が作ったようだ、ということも分かります。そう、この曲はインガルスという人が作った賛美歌「When We Arrive at Home」に詞をつけた曲だったようなのです。

この曲は次のような成立経過をたどっているようです。

1「Piss upon the Grass」(1740)*下品な題名
「Nancy Dawson」(1760)*イギリスのダンス音楽、上とほぼ同曲
「Love Dvine」(1805)*インガルスが前半を編曲、後半部分を作曲
4 「Garden」(1835)
5「When We Arrive at Home」(1882)
6「夢の外」(1890)
7「真白き富士の根(山本正夫調和)」(1916)*アウフタクトに。
「真白き富士の根(堀内敬三編)」(1930)

その後、この曲は、演歌師によって、短調で歌われて広まったということですが、想像はつくものの、今のところ、短調で歌われた曲を聴いたことありません。

◆ 九ちゃん ◆◆
ようやくアーティスト、我らが九ちゃんの登場です。「真白き富士の嶺」といえば、ミス・コロムビアか菊池章子と相場が決まっているのでしょうが、今回は、九ちゃんでいきます。

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福田俊二編『懐かしの流行歌集 戦前戦中1』柘植書房。昭和3年から昭和10年までのSP盤の文句紙(歌詞カード)を集めたもの。

[追補] この曲は1967(昭和42)年1月25日に発売されています。前年に松竹映画「坊ちゃん」で主演、この年はフジテレビの連続ドラマ「うちの大物」に出演し、袴姿が似合う熱血九州男児を演じたそうです(メモリアルボックスの解説より)。時代というより袴から明治という発想だったようですね。

『九ちゃん 明治を歌う』の演奏は、東芝レコーディング・オーケストラとなっていて、この曲は、編曲を前田憲男が手がけています。『明治を歌う』とあるだけに「戦友」「宮さん宮さん」「大楠公」「東雲節」「鉄道唱歌」などが入っています。「宮さん宮さん」、「デカンショ節」(篠山節)、「東雲節」、「鉄道唱歌」は、我等がクレージーサウンドの雄、萩原哲晶の編曲です!

なお、この年の1月に行われた、『初笑いクレイジーだよ! ザ・ピーナッツ』という日劇のショー(指揮・多忠修)の「第六景 明治百年」でも、ザ・ピーナッツが「抜刀隊の歌」、「宮さん宮さん」、「ハイカラ節~七里ヶ浜哀歌~ラッパ節」というメドレーを取り上げているようです。

しかし、ハイカラ節~七里ヶ浜哀歌メドレーですから、「はいからはくち」のはっぴいえんどの次に「真白き富士の根」を取り上げるのは、流れとして悪いことではないようです(^_^)。また、このショーでは、クレージーが第8景で「万葉集」もやっているので、今回前半に万葉集をとりあげたのも、あながち見当はずれの方向じゃない、と妙に自信を持ちました! いずれにせよ「七里ヶ浜哀歌」は、明治の歌としてはかかせない1曲だったのでしょう。

「真白き富士の根」のイントロは、ヴァイオリンか何かの弦楽器の調べに管楽器がメロディを入れてきます。このように3分ポップスのイントロでストリングスが効果的に使われていると、これから新しいポップスの幕開けだぁという、ワクワクした感じがします。『Secret Life of Harpers Bizarre』の1曲目で「Look to the Rainbow」を聞いたときのようなそんな感じです(「真白き」は、アルバムの1曲目ではないですが)。この曲はストリングスとの親和性が高いようで、こないだも名曲アルバムというTV番組のなかで、オーケストラアレンジで取り上げられていました。

それではまず1番の歌詞です。

真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に
捧げまつる 胸と心

まず、最初にイメージが鮮明に残る出だしです。今の曲のタイトルとなっている「真白き富士の根」を最初に歌ってしまいます。これが、「真白」で始まる曲の先鞭をつけたのかもしれません。

渡辺はま子「愛国の花」福田正夫作詞、古関裕而作曲(昭和14年)
「真白き 富士の気高さを こころの強い 楯として」

霧島昇、二葉あき子「高原の月」西条八十作詞、仁木他喜雄作曲(昭和17年)
「真白に高き 雪の峰 浮き世の塵に 染まぬ花
清き世界を 照らしゆく ああ 高原の月 なに想う」


そして、遠方の富士山とボート転覆のあった近隣の岸辺を対比した、1枚の風景画を思い描かせ、事故のあった海については、その真ん中へ位置づけて、シッカリと浮かび上がらせます。「緑の江の島」は江ノ島を指す、慣用句、いや、常套語ですかね。

2行目以降は、起こったことを書いて、魂を鎮めるという作業です。ただ、「胸と心」って、意味が同じように思うのですが、違うのかなぁ? と思いました。

構成はA-A'-B-A'とでも言うんでしょうか、単純な構造ですし、覚えて一緒に歌いやすいメロディです。この曲の出自からいって、みんなで法会で歌えないと困る曲でしたけれどもね。

AメロとA'メロで、この曲の「ふじーのね↓―↓」と2段階で下がるメロディが次の「みるも↓」と半分だけ下げるところが、ちょっと歌って気持ちの良い部分です。

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葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち「相州江の嶋」

2番は次のとおりです。

ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も浪も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里が浜

ここは事故をそのまま歌にしたという歌詞です。

次の3番で「雪」が登場します。

み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影をひそめ
みたまよいずこに 迷いておわすか
帰れ早く 母の胸に

この3番が、一般化されていて、非常にいい歌詞だと思います。もともとこの曲は、大和田“鉄道唱歌”建樹氏の作詞した明治唱歌「夢の外」を参考に一晩で作り上げたようですが。3番の詞への影響が著しいと思います。

「夢の外(3番)」作詩大和田建樹

雲路にながめし 昨日の我宿
月も風も なれてそでを
うれしさあまりて ねられぬ枕に
ひびくみずの 声もむかし

「月も風も」が「月も星も」となっていて、風が前に出てきています。

話が飛びますが、昭和の初めまで、賛美歌には詩形のインデックスがついてたそうです。あちらでは、通常1音符に1シラブル(音節)を載せるので、おなじミーター(詩形)なら歌詞を交換して歌えるそうです。代表的な詩形としては、CM(Common Meter、八六八六の詩形)、SM(Short Meter、六六八六の詩形)、LM(八八八八の詩形)というのがあり、この八語基本で成り立っている。日本の七・五調の曲なら、七つの後に一つ間をおいたり、五の方は五番目の音を四つのばすとか、五個出てから三つやすむとか、八つでまとめるとうまく乗りやすいということになります。しかし、日本語には高低のアクセントがあるため、ミーターが同じでも歌うことが出来ないとされていて、たしかに、この曲でも「夢の外」と「真白き」では全部の単語のアクセントが同じではないので、歌ってみるとそれぞれ印象は異なります。

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賛美歌「When We Arrive at Home」が明治23年に邦語唱歌「夢の外」となった。

帰らぬ浪路に友よぶ千鳥の
我も恋し失せし人よ
つきせぬ恨に泣くねは共々
今日もあすもかくて永久に

歌詞は6番までありますが、九ちゃんの曲は4、5を省略して、ここでおわりです。

◆ ヨナ抜き ◆◆
この曲は、賛美歌には珍しくヨナ抜きだそうです。ドレミファソラシドの7音階のうち、4番目の「ファ」と7番目の「シ」のところにある半音を抜いて、5音階だけで構成した曲をヨナ抜きというのだそうですが、日本に古くから歌われていた「都節」(陰音階)によくにた音の組み合わせで、この音階は、日本人の好みにあった哀感を、とくに強く感じさせる響きがあるのです。

昭和3年から終戦の年の20年までの曲についてみると、「ヨナ抜き短音階」が約50パーセント、「ヨナ抜き長音階」が25パーセントと、実にヨナ抜きだけで75パーセントを占めるという五音階のオンパレードだったそうです。

ヨナ抜きの代表選手は、中山晋平です。彼は「ヨナ抜き短音階」を主調に作曲をして「船頭小唄」で“晋平節”を定着させたのですが、彼の手がけた「シャボン玉」が、もとは賛美歌「主われを愛す」だといわれていて、この曲も(一部、異なるが)ヨナ抜きが基本です。

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『アルス音楽大講座9 ジャズ音楽』(昭11)所載、中山晋平「歌謡曲の作曲について」より。自分の使用した音階をパターン分けして紹介している。

坂本九は、短調で歌っていないにもかかわらず、哀愁を帯びていた歌声で、非常に印象深いです。エルヴィスの物まねで人気を博したそうですが、歌にアジがありますよね。

最後に、この九ちゃんの代表曲「Sukiyaki」がなぜ、アメリカで一位になれたのかずっと考えてきました。でも、今もまだよく分からないのです。解決してくれるサイトも見つかりません。ケニー・ボール楽団のカヴァーがイギリスで事前にはやった、とかペチュラ・クラークが題名の選択を手伝った、などいろいろエピソードは紹介されてきつつありますが、じゃあ、なぜ、イギリスで流行ったのかという疑問にまでは答えてくれません。

それで、今日、ふと思った仮説が1つあります。それは、この「Sukiyaki」もヨナ抜き!ですし、この曲がちょうどアメリカの人にとって、「When We Arrive at Home」のような賛美歌の改変された一曲として捉えられたので浸透しやすかったのでは、という仮説です。

北の地に降る、み雪に包まれ、航空機墜落事故で亡くなってしまった九ちゃんの歌を聴きながら、こんなことをおもっていると、「Sukiyaki」とセットで、この「真白き富士の根」が九ちゃん自身への鎮魂曲でもあるかのように感じてしまいます。

参考文献
安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語―讃美歌と近代化の間で』文春新書
手代木俊一『讃美歌・聖歌と日本の近代』音楽之友社
塩澤実信「昭和のすたるじい流行歌」第三文明社
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by songsf4s | 2008-02-15 22:25 | 日本の雪の歌
かくれんぼ by はっぴいえんど その2
タイトル
かくれんぼ
アーティスト
はっぴいえんど
ライター
松本隆, 大滝詠一
収録アルバム
はっぴいえんど
リリース年
1970年
他のヴァージョン
live version of the same artist、センチメンタル・シティ・ロマンス、すかんち
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昨日につづき、今日もゲスト・ライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集です。本日は「かくれんぼ」の後半です。(席亭songsf4s敬白)

◆ 一杯の紅茶から ◆◆

雪融けなんぞはなかったのです
歪にゆがんだ珈琲茶碗に余った
瞬間が悸いている
私は熱いお茶を飲んでいる

こちらも、僕が最初に買ったCDの歌詞カードには、「歪にゆがんだ珈琲茶碗に 餘った」となっています。「敵 THANATOS」ほどではないですが、何て読んで良いか、一瞬途惑う漢字表記は、石浦信三と松本隆で徹底的に難しくした結果なのでしょう。

1行目の「雪融けがない」は、今年は雪が多くって、とけきれないから根雪になる、という70年代に大雪が降ったという事件ではなく、当然わだかまりが融けない様子を指していますね。

この「かくれんぼ」は、さきほどの「ちっちゃな田舎のコーヒー店」の前に、元々、違った歌詞にあてた曲を使用したそうです。その「あしあと」という詩は「ちっちゃな田舎のコーヒー店」と副題がつけられていまして、まちの汚い道ばた(のコーヒー店?)に座って、機械のように行進する大衆をみている、というものでした。「しんしんしん」の世界につながるちょっと習作っぽい内容でしたが、つぎに内容をガラリと変えてさきほどの「ちっちゃな田舎のコーヒー店」が作られることになります。これにつけられた副題が「かくれんぼ」で、ここでもうプロットも内容も完成していることがわかります。

《大瀧 1月26日には「かくれんぼ」のもとだったところの「足跡」っていう詞があったのね。松本が書いた「足跡」って詞を、俺、確か貰ったのは詞先だったのかな。詞先で貰ってて》(『定本はっぴいえんど』インタビュー)

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しかし「歪にゆがんだ」というところは、歌いにくいですよね。ボックスにも大瀧詠一がライブでトチっている様子も収録されてます。それは、ともかく、歪な二人の状況を示す道具として「珈琲茶碗」が登場します。これには、ちょっと戸惑います。お茶を珈琲茶碗で飲む、ということは、今まで飲んでいた「お茶」の種類は、「煎茶」や「ほうじ茶」ではなくて、「紅茶」だったんだと推測されるからです。「お茶しない?」(死語)というとき、飲むものは、紅茶でもコーヒーでもココアでもいいので、装置としてのドリンクがあれば、喫茶店で出てくるものはなんでもいいのかもしれませんが、音からくるイメージというのは強烈ですから、やはり「お茶」を飲んでなければいけないのです。

珈琲茶碗には、それほど量は入りませんから、気まずい雰囲気の中、手持ちぶさた解消のため、お茶でも少しずつ飲んでいる、という状況なのかもしれません。この何かを飲むという行為で、心情をさらりとあらわすというのは、松本隆のうまい表現の一つでしょう(たとえば、大滝詠一『白い港』の「港のカフェーの椅子で 苦いコーヒー飲むよ」)。

f0147840_18343422.jpgこの世界観は、松本隆がポール・サイモンから学んだところが大きいようです。ヤングギター71年3月号掲載(『はっぴいえんどBOOK』に再掲)の「ぼくは水いろの歌をきいたことがある」というコラムで、松本隆はサイモン&ガーファンクルのアルバム 『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』の一曲「ダングリング・カンバーゼイション(宙ぶらりんの会話)」を訳もつけて紹介しています。

Simon & Garfunkel 「Dangling Conversation」より

And we sit and drink our coffee
Couched in our indifference
Like shells upon the shore
You can hear the ocean roar
In the dangling conversation

ぼくらは 坐って コーヒーを飲んでいる
岸辺の貝のようにそっけなくね!
ほら大洋の響きが聞こえるだろう
宙ぶらりんの会話と よそいきの嘆息の中に(松本隆訳)

f0147840_1836325.jpg推測ですが、この「コーヒー」と「宙ぶらりんの会話」のシチュエーションをモチーフに、「ちっちゃな田舎のコーヒー店」は出来上がったのではないでしょうか。なお、「Warter Color」という単語については、ここでは「水いろ」という表現を使っていますが、この時期「水彩画の街」という詩も書いてますし、「Warter Color」をたんなる「水色」と捉えているのではないと思います。

◆ お茶の飲み方 ◆◆
それでは、お茶のみバンドとも評されたはっぴいえんどは、ライブなどで、どのようにお茶を飲んでいたのかをピックアップしてみます。いずれも曲の最後に飲むお茶です。

1970年4月12日
 「私は熱いお茶を飲んでーる、熱い、熱い、お茶、お茶を飲んでるんは。(ギターと低音効かせたベース)」
1970年8月5日
 「私は熱いお茶を飲んでーる、熱い、お茶、お茶をーんは。んでるー。(鈴)」
1970年8月9日
 「私は熱いお茶を飲んでーぅ、熱いーお茶ををぉ、のんでるー。ルラララララーァ(長いギターインプロビゼーション)」
1971年8月7日
 「私は熱いお茶を飲んでー、熱いお茶を飲んでるー、熱いお茶ぁ(ギターとベースと迫力あるドラムのかけあい)」
1971年8月21日
 「私は熱いお茶ほ飲んでーる、お茶を飲んでる。お茶を飲んでるぅー、お茶を飲んでる、お茶をんでる、んふー。(均整のとれたバンドサウンド)」
1972年8月5日
 「私は熱いお茶を飲んでるー、(ディストーションの効いたギター)」
1973年9月21日
 「私は熱いお茶を飲んでむ、(ギター)」

聞き比べると、お茶がだんだん「うまく」なっていきます。

しかし、鈴木茂はうまいですね。インプロビゼーションなど、やっぱりすぐに「12月の雨の日」のイントロを思いついた人だけあって、直感的に手が動いてるんだろうなと感心します。

細野晴臣のベースは最初からうまいようにおもいますが、とくに松本隆のドラムが、71年頃からは畳みかけるように叩いてて、もう一杯お代わり!な出来です。

演奏技術も、録音レベルも、最後の熱い「お茶」が一番端正で美味しいと思います。

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僕のおすすめの(好きな)お茶は、1970年8月9日のお茶です。普通、鉄はあついうちですが、お茶はすこし温めがいいはずです。しかし、このお茶は、沸騰したお湯を適温まで冷まさずにそのまま抽出してしまった、熱い熱いお茶です。夏だから、“暑さのせい”でのぼせ上がってるのでしょうか(^_^)、特にもうボーカルが熱くて熱くて、ノリに乗っていて、タイム的にも突っかかるぐらい前に前にと出てしまっているのですが、この熱さが江戸っ子が好む銭湯ぐらいたまらない一品です。

ちなみに、演奏など各種データを記しておきます。
1970年4月12日
 文京公会堂「ロック叛乱祭」(レアリティーズVol.1トラック3)
1970年8月5日
 スタジオ(通称『ゆでめん』トラック2)
1970年8月9日
 岐阜県椛の湖「第2回全日本フォークジャンボリー」(レアリティーズ Vol.1トラック11)
1971年8月7日
 岐阜県椛の湖「第3回全日本フォークジャンボリー」(レアリティーズ Vol.1トラック15)
1971年8月21日
 日比谷野外音楽堂「ロック・アウト・ロック・コンサート」(はっぴいえんど LIVE ON STAGEトラック5)
1972年8月5日
 長崎市公会堂「大震祭 VOL.3」(レアリティーズ Vol.2トラック9)
1973年9月21日
 文京公会堂「CITY-LAST TIME AROUND」(ライブ!! はっぴいえんどトラック10)

◆ 機関車と船と飛行機 ◆◆

もう何も喋らないで
そう黙っててくれればいいんだ
君の言葉が聞こえないから

これは最初に聞いたときにドキッとしたフレーズです、少し唐突に思ったというか、今までと違うなと思ったのです。ここでずっと、詞をおってきましたが、曲の方にめをやってみます。曲については、わりと複雑ではないマイナーコード進行となっています(楽譜「CITY」では、ずっとDm7-Gm7の繰り返しとなっています)。

f0147840_19112270.jpg次々と畳みかけるように状況を伝える詞なので、このコード進行でもあまり変化のない繰り返しとは感じず、メロディと歌とがマッチしていい曲だなと感じてました。細野晴臣もいい歌と褒めてますし、実際に人気もあったようです。

《細野:「かくれんぼ」ですね。これは、ホントにいい歌なんですけれど、日本的な風土に変身しました。しかし、元はカリフォルニアの音だったんです。それは、Crosby, Stills & Nash の「Wooden Ships 」とか、それからStephen Stillsの、ずいぶん前ですけれども『Super Session』っていうアルバムが大ヒットして、やはりStephen Stillsがリードをとっていたりした曲が「Season Of The Witch」。これは、リードギターをとっていた訳ですね。この2曲あたりの雰囲気がとても「かくれんぼ」っぽいわけです。》(細野晴臣 2000年4月9日ラジオ番組「DAISY WORLD」)

f0147840_19135488.jpg《インタビュアー ライブでも人気曲でしたね。
大瀧 みんなにクロスビー・スティルス&ナッシュの「ウドゥン・シップ」って言われて。確かにそうなんだけど(笑)。でも、できあがってみると、どこにも「ウドゥン・シップ」はないね。どう聞いても「五木の子守歌」。チーンとか入るし(笑)。ロック的なものはないよ。いきなり“くもった”だもん、いきなり曇られてもなあ。ただ、確かに人気はあった。無理矢理言えば「春よ来い」が浪曲=R&Bでメンフィスでしょ。「十二月の雨の日」がフォークロックでナッシュヴィル。「かくれんぼ」は多少クルーナー的というか、そういうことだったんじゃないですかね。》(『はっぴいえんどBOX』ライナー)

はっぴいえんどファンは「おっ、ゲット・トゥギャザー」伝説で、ヤングブラッズを知ってる人も多いと思いますが、ジェファーソン・エアプレインの「ウドゥン・シップ」もお勧めです。

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そして、このフレーズでコード進行に大きく変化が生まれ、「もう言葉が(Em-Am)聞こえないから(G-D)」となっていて、ここで鈴が大きくフィーチャーされています。「かくれんぼ」の解説では、鈴の事が盛り込まれることも多いですが、この曲はクリスマスソングでもないし、あまり鈴の議論ばかりしない方がいいと思います。本質は鈴だけでは捉えられないといっても、しかしなぜ鈴なのか、と思うところはあります。松本隆の証言にあるように、ここはあとからつけたところでしょう。「田舎のコーヒー店」にもないフレーズです。

《松本「かくれんぼ」は最初は大サビがなかったけれど、つけたいからといわれて、後で2行つけ加えた》(『ロック画報』)

そして、ずっと七七でつながっているのに、ここは七五調ではないのです。これもこのフレーズを際だたせている要因に思います。

f0147840_192635.jpg《松本 僕の詞って七五で出来てるんだけど、基本的には三五七で出来てるのを、出来るだけ文語体から口語体になおしたいなと思ってた》(『定本はっぴいえんど』)

《松本;やっぱり奇数は正しくて特別な数字なんだよね。ただそれに寄りかかると、いわゆる七五調になっちゃう。七五調もいいんだけど、七五調に寄りかかった文化というのがある。それにハマりたくもないな。でも、七五調はやっぱり基本だなと思う自分もいる。(ユリイカ「はっぴいえんど特集」》

こうした、コード進行、句型といった変更に加えて、もうひとつ、このフレーズが非常に唐突だと感じる要因があります。最大の要因は、やはり、それまでの情景描写と違い、自分の感情を歌に込めているところにあります。「喋り始めた」のです、それらが相俟って、少しドラマチックな曲になっているのかもしれません。

◆ そして、ようやく雪景色へ ◆◆

雪景色は外なのです
なかでふたりは隠れん坊
絵に描いたような顔が笑う
私は熱いお茶を飲んでいる

最後のフレーズです。ようやく雪景色までたどりつきました。

先ほどの熱い感情吐露が嘘のように、淡々とした描写が続きます。雪から連想される、「静けさ」が雪景色となって辺りを覆いつくします。そして、雪の「冷たさ」がもたらす緊張関係がわだかまった二人をあらわします。

これほどあちこちに詩趣を見いだすことが出来る雪景色は素晴らしいの一言です。また、もうひとつスゴイのは、ふつうに考えると「外は雪景色なのです」と記してしまうところを、そうせずに、「雪景色は 外なのです」としたところです。

「雪景色は 外なのです」、この一文にしびれて、「日本の雪の歌」特集にトライしたようなものです(今日もう紹介したので、この一回で特集を終わっても本望です(^_^)v)。

しかし、なぜこんな使い方が出来たのでしょうか。永嶋慎二にあるのか、確認してませんが、いうならば、実に漫画的、といって悪ければ、映像的です。ここで「外」が強調されているからこそ、次の「内」が引き立ちます。

松本隆の解説があれば、「かくれんぼ」というメタファーへの補足は要らないでしょう。

《松本 当時は爽やかなフォークの全盛期で、男女が互いに疑いあう歌なんてなかったんだ。でも僕、19の割りには屈折している青年だったから、とてもそんな簡単に男と女がわかりあえるなんてあり得ないと思っていて。男と女とは、一生懸命努力するんだけど、延々とすれちがっているような、そういう複雑なものじゃないかな、と。(中略)鬼にもなるし、隠れる子にもなるし、それはお互いさまなんだよ、と。》(『はっぴいえんどBOX』ライナー)

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楽譜集の秀逸なパロディ。はっぴいえんどをボーイズものの継承と捉えた『真・はっぴいえんど研究』は抱腹絶倒ものだった。例えば「しんしんしん」は、合わせ技“志ん”が三つ。古今亭志ん朝、志ん駒、志ん馬と整理されている。

◆ 冬の詩人“松本隆” ◆◆
松本隆は、ポール・サイモンだけでなく、様々な詩人の作品を血や肉に変え、結晶となって、はっぴいえんどがあるということは、ライナーのデディケーションに列挙された人物からもうかがい知ることが出来ます。

僕の周りの心あるはっぴいえんどファン5人に「はっぴいえんどの雪の歌」でどれがお好みかと聞いたところ、第1位が「しんしんしん」、第2位が「抱きしめたい」でした。

「しんしんしん」は、やはり、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる」の影響が大きいのかなとおもって、中原中也の詩集を読み返してみると、「秋」が結構キーポイントになってました(^_-)。

f0147840_19385888.jpgたとえば「曇つた秋」という詩は「かくれんぼ」の出だしになり、原詩「曇った冬の」というのは、曇った秋を発展させたものかもしれません。また、「秋」という詩集の『秋」という詩では、「僕は煙草を喫ふ。その煙が澱んだ空気の中をくねりながら昇る」とあり、一服する「抱きしめたい」につながるようにも思います。

シューベルトの「冬の旅」も日本語に訳してしまったほどですから、松本隆は冬好きなのだと思います。秋の詩人“中原中也”、冬の詩人“松本隆”といったら、言い過ぎでしょうか?

また、「しんしんしん」や「あやか市」などをみると、ランボーは松本隆に大きな影響を与えたと思います。松本隆が好きだと名前を挙げた詩人の一人、清岡卓行をウェブで調べると、はっぴいえんど結成前夜の1968年に清岡卓行翻訳『ランボー詩集』(河出書房新社)というのが刊行されているのが分かりますので、清岡卓行の詩も訳したランボーの詩も好きだったのじゃないかなと思います。

しかし、前出の詩集「風のバルコニー」によれば、「14才にして早熟にもランボー、ボードレール、マンディアルグにかぶれ、ジャン・コクトーのアンファンテリブル気取りのポーズを覚えるが、モテなかった」とあるので、1963年にはランボーを読んでいたんですね。ともかく、様々な影響を重層的に受けているから、こういった詩が書けたのでしょう。そこには、海外もあり、日本もあった、ということだと思います。

《松本 日本の詩人はあまり好きじゃなかった。リルケも読んでた。あと、フランスのランボーとかロートレアモンとか。》(『定本はっぴいえんど』)

《松本 宮沢賢治とか萩原朔太郎とか北原白秋とか中原中也にひかれていった。》(『ロック画報』)

《(松本さんは現代詩の作品も読んでいたんでしょ?)松本 清岡卓行とかね。》

ここで、ランボーの詩から雪のでてくる一節でも引用して終わろうかと思いましたが(「O pale Ophelia! belle comme la neige!」(雪のように美しいオフェリアよ!)とか)、松本隆は、「雪」を「雪」としてとりあげず、「景色」として取り上げていますので、それじゃ格好良すぎて、しらけっちまうぜ、ですので、ちょっと違った形で終わります。

この曲が、熟成されて出来上がった傑作「抱きしめたい」では、ジェットマシーンを使って「“雪”の銀河」を表現できるようになっていますし、『風街ろまん』の完成度は高いと思います。でも、はっぴいえんどについては、ファンになればなるほど、その原点の荒削りのサウンドの方になぜか愛着が湧きます。

「Wooden Ships」で吹いている南風(CS&Nの歌詞では、It's a fair wind/Blowin' warm out of the south over my shoulderとなっていて、ジェファーソン・エアプレーンとは終わりの歌詞が違う)を受けて、フォーク・ロック・シーンに次々と新たな風を紡ぎ出す原点となったのがこの曲です。

隠喩としての風にとどまることなく、「風」と「雪景色」という言葉をうまく使った詞で紡ぎ出されているこの曲は、一枚目のアルバムのなかでも、とびきり愛着のある、自分にとって「侘び茶」の1曲なのです。

○主な参考文献
『定本はっぴいえんど』(白夜書房)
『はっぴいえんどBOOK』(シンコーミュージックムック刊)
『はっぴいえんどBOX』ライナー(エイベックス・イオ)
『はっぴいえんどかばぁぼっくす』(OZディスク)
『ロック画報 (20世紀最後のはっぴいえんど特集)』No.1、 No.2(ブルース・インターアクションズ)
「 ユリイカ(特集:はっぴいえんど)」第36巻第9号(青土社)

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by songsf4s | 2008-02-14 21:54 | 日本の雪の歌
かくれんぼ by はっぴいえんど その1
タイトル
かくれんぼ
アーティスト
はっぴいえんど
ライター
松本隆, 大滝詠一
収録アルバム
はっぴいえんど
リリース年
1970年
他のヴァージョン
live version of the same artist、センチメンタル・シティ・ロマンス、すかんち
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本日から数回にわたって、年来の若き友人であるTonieさんに、「日本の雪の歌」特集を担当していただきます。

こういう方面も扱ってみたいという思いはあるものの、わたしには手に余ること、そして、たまたま、わたしよりよくご存知の人が近くにいらしたということが、この書き手交代の理由ですが、客席から舞台を見て、ついでに茶々を入れたりするのも、シャレとして面白いかもしれないとも考えました。

ということで、わたしはしばらく表から退場しますが、毎回かならず茶々を入れ、いや、コメントをつけに裏で登場させていただきます。それが楽しみで、この企画をTonieさんにお願いしたのですから。それでは、北国の厳寒の山野から帰ってきたTonieさんの記事をお楽しみください。

席亭songsf4s敬白

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

みなさま、はじめまして。本ブログに時々コメントを書込ませていただいているTonieといいます。今回、songsf4sさんから「日本の雪の歌」に挑戦してみないかと、お声をかけて頂きました。知識も実経験も不足しているのですが、songsf4sさんがコメントにまわったとき、どんなコメントを付けてくださるか、これだけを楽しみに、エルヴィスに教わった「Easy Come, Easy Go&Let Yourself Go」精神でトライしたいと思います。4、5回、1週間ぐらいで終わりますので、songsf4sさんの更新を楽しみにされていた方は、また来週にでも、頃合いを見計らっておいでください!!(人様のブログにきた客を追い返してどうする……)

それでは、改めまして、本日は、本ブログに来られる方にもわりあい馴染みが深い作詞家であろう、松本隆の曲を取り上げます。松本隆の自信作である、「宵待ち雪」(裕木奈江)なども考えましたが、あまり奇を衒わず、はっぴいえんどを取り上げます。はっぴいえんどは、songsf4sさんが昨年の8月に「夏なんです」を既にとりあげてらっしゃいますので、2度目の登場ということになります。

はじめる前に、決意表明代わりの告白を一つ。前回の記事「夏なんです」にあったように「君たちは、わたしが君たちを必要としていたときに、いったいどこにいたんだ?」といわれたら、ちょうどお腹の中にいた頃ということになろうかと思います!

そんな、今から20年ほど前に、はっぴいえんどの「CD」が初めて出始めたときに聞き始めた“新参”の「遅れてきた」はっぴいえんどファンが、「当時の」はっぴいえんどファンを前にして、畏れ多いのですが、ドンとドントドント、波乗り越えていきたいと思います。

◆ 都市の雪景色 ◆◆
「すると都市の残酷さというのは、その下に土を隠しているところだね」「反対だよ、例えば雪景色さ。君は消去されたと言ったけど、緑はあの下にあるんだよ。春になればきえちまう雪は、あの下に土と緑を隠しているから、やさしいんだよ。街も同じさ。街の下は決っして空虚じゃない。街は決っして土を消去はしない。だから街は見かけよりずっとやさしい感じがするんだ」(松本隆「冬の機関車に乗って」)

f0147840_8592027.jpg「かくれんぼ」の詞に入る前に、少し地ならし、いや、雪ならしからはじめます。松本隆の『風のくわるてっと』(ブロンズ社)の第1章「一の弦 みえないまなざしから」には「かくれんぼ」の詩が載っています。

上の文は「かくれんぼ」の二つほど前に載っている短編小説「冬の機関車に乗って」の一文です。青森でのコンサートを終え、翌朝、東京へトンボ帰りするロック・グループのメンバーである“彼”が、マネージャーである“友人”と列車内で「雪」について、議論します。友人(もちろん、はっぴいえんどの知性砦である、石浦信三がモデルでしょう)は、三好達治の「雪」という詩を貶します。

「この詩は古くさい短歌的抒情で成立っているんだ。ぼくらはそういうものを壊していかなけりゃならない。ぼくらは都市で生まれ都市で育った。だから詩は、都市の言葉でなければかけないってことぐらい君も知ってるだろう。いいかい、都市の言葉は今では腐敗しているんだ」

これに対して、彼は「詩の言葉は確かに腐敗している」とした上で、「ロックとカントリーの接点、すなわち都市と田舎の接点を見つけたい」と返します。そして、上記の引用文章に繋がるのですが、ここでは「雪景色」を、街をやさしく彩る接合点として見立てています。

なお、ここでいう「田舎」は、農漁村ではなく、松本隆の生まれ故郷としての田舎、すなわち1949年7月、東京都港区生まれの松本隆が育った「昭和20年代の東京」が大きな構成要素を占めている田舎なのだと思います。「雪景色」は、街を覆う雪により呼起される、あこがれの「冬の風街」への近道切符なのでしょう。

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それでは、「かくれんぼ」の歌詞を、“雪景色”が登場するまで、順番にみていきます。漢字の表記、段替え等は『風のくわるてっと』によりましたので、LPと違っている場合もありますが、ご容赦ください。

◆ 都市の風景色 ◆◆

曇った空の浅い夕暮れ
雲を浮かべて烟草をふかす風はすっかり
凪いでしまった私は熱いお茶を飲んでる

この「かくれんぼ」の詞は、松本氏が冬の午後に詞を書こうと思って、渋谷のブラックホークにいったときの印象をまとめたものだということです。

f0147840_15543744.jpg《松本 タバコを喫うと煙が空間にたまる。ラリー・コリエルか何かのレコードがかかっている、ぼーっとその煙をみている》(『定本はっぴいえんど』)

「かくれんぼ」の1行目が「曇った“冬”の」だったのを、大滝詠一が間違って歌ったというのは、夙に有名な話でしょうが、単に歌詞を歌い間違えたのだとすると、元の歌では「ふーゆの」で「ふ」にアクセントが来てしまいます。日本語の“ふゆ”は「ゆ」にアクセントがありますから、「ふ」にアクセントをつけて歌うと、聞いていて非常に居心地悪い“浮遊”状態につながります。このため、歌の出だしとしては、結果的に「冬」より「空」としたことで、まとまっているのではないかと思います。

その反面、このメロディは、この「空」の「そ」のアクセントにしばられてしまっています。例えば、「私は熱い」の「あ“つ”い」が「あ」にアクセントがきてしまう圧力状態(「私は圧い」)を生み出していますし、次のフレーズで登場する「あまった時」も絶滅寸前なはずなのに大量在庫を抱える不思議な状態(「余った朱鷺が」)をまねいています。

はっぴいえんどの詞ではあらゆる実験をした、というように松本隆がいってますし、メロディに合わせて、あえて詞をブツ切れにした曲もあるし、「音数だけでやりとりした」というエピソードもありますし、はっぴいえんどに日本語の音韻どおりのメロディー進行を期待し、それだけを肯定するものではありません。

《大滝 全然想像も何もしないでパッと合ったときにすごい新鮮な感じがするんですよね。詩とメロディもそうなんですよ、はっぴいえんど時代に、僕、松本(隆)に1回もメロディを聞かしたことがない。メロディの言葉、7、5、6、5……。
相倉久人 それだけを指定するわけ?
大滝 そうすると、かならず、ここは5と書いてあるが7、これは譲れないとか書いてくるわけ。その5つ、どうやって7つにして歌おうかなと思って考える。またそれが自分自身にとっておもしろい》(徳間ボックス解説)

大滝詠一もここまで徹底して、日本語のアクセント壊す手法をとりながら、最初の歌い出しではちょっと壊しきれずに、無意識にメロディにあったアクセントを持つ「空」を選んでしまったのでしょう。

はっぴいえんどは「日本語のロック」論争と無関係ではいられません。日本語でロックを歌うことを聴く者に問い、日本語でロックを歌う意味を音楽界から問われ続けたバンドです。スタッフ的発想では、むしろ渦中にいて、ムーブメントを作り出す側にいたのかもしれませんが、メンバー全員が好む好まざるに関係なく巻き込まれた部分もあり、常に日本語の歌詞とメロディの関係を意識せざるを得ない状況下にあったことが、歌い手としての細野晴臣、大滝詠一が日本の古い歌に興味をもって、それぞれの方法でアプローチしていくきっかけになっているように思います。

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はっぴいえんどの母体となったバンド、エイプリル・フール。左から松本隆、細野晴臣。このアルバムでは日本語の歌詞がつけられたのは2曲だけだった。

歌詞に戻ります。「空」から「雲」へ描写がうつり、そして、その雲が「煙草」の煙につながるという遠景から近景にずーっと迫ってくる様子は、たった2行でも臨場感にあふれていて、お茶を飲む現場に立ち会っている感覚にとらわれます。「曇った」と「雲」と、頭韻を踏んでいるのですが、歌い方が全く違っていて、これ見よがしではないのも大いに結構です。

そして、3行目に“凪いでしまった風”が登場します。この「風」の登場の仕方は、この曲のハイライトのひとつでしょう。遅れてきたはっぴいえんどファンの多くは、たぶん、「風」にはこだわりを持っています。僕は、坂口安吾好きでしたので、もともと“風博士”好きでしたが(^_^)、はっぴいえんどの曲を好きになり、「風のくわるてっと」、「風都市」、「風待ろまん」などはっぴいえんどの周囲に満ち溢れている「風」に強く感応し、都市に吹く風に憧れました。

「颱風」という曲は、宮沢賢治の「風の又三郎」にデディケートされていますが、宮沢賢治の描く「田舎」の風も包有しているところが、はっぴいえんどの奥深さにつながるとおもいます(“日活”で映画化されているということを知って、曲への愛着が増しました。菅原都々子によってレコード化もされています)。

僕がはっぴいえんどファンになった、20年ほど前はちょうど再結成ライブ後、再評価前夜のスポット的な暗黒期ともいうべき、メディアに取り上げられる機会は少ない時期でした。残されているのは活字情報ですから、『風待ろまん』を「かぜまちろまん」と読むのか、「かざまちろまん」と読むのか、はたまた、「ふうがいろまん」なのか正解が分からず、困っていました。「君の好きなアルバムは?」と同級生に聞かれても、声に出して告げられませんから、一人でこっそり、風を感じて聞くだけなのです!

それだけに、はっぴいえんどの曲で、風がふかない状態というのは、それだけで、ちょっと気になる状態、なのです。特に、この曲は、はっぴいえんどのファーストのA面2曲目です。1曲目の「春よ来い」には「風」という単語は出てきませんから、最初に登場する「はっぴいえんどの風」ということになります。逆説を弄するような書き方になりますが、「風」に満ち溢れた、はっぴいえんどの「風」デビューは、“凪いでいた”のですね。

f0147840_20185325.jpgなお、蛇足になりますが、やはり松本氏の作詞で、風を感じるアルバム、大滝詠一『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』(帯文句「BREEZEが心の中を通り抜ける」。A面4曲目を除き、作詞は松本隆)では、最初に風が登場するのは、やはりA面2曲目で「“風”景画みたい」という登場の仕方でした。続いて3曲目でも「風も動かない」という、フレーズが登場し、いずれも“静止した”かたちなのが意外です(ディンギーは風がないと滑らないでしょうから、1曲目から風が吹いている、ともいえますが!)。

80年代の松本隆の詩集『風のバルコニー』には、プロフィールが1ページだけ載っています。そこに「専売特許」という項目があります。そこにはこんな言葉がありました。

「風、街、摩天楼、空色、望遠レンズ、9月、12月、ハイヒール、透明、絵の具、ガス燈、都市、ガラス越し、はいから、椰子、路面電車 etc.etc...」

松本ファンであれば、どれもうなづくラインナップでしょう。どのキーワードが琴線にふれるかは各個人の触れてきた松本体験によるのでしょうが、松本隆の世界が70年代からブレずに同じテーマを何度も何度も繰り返し繰り返し、扱ってきたことが窺い知れます。

そして、やはり「風」がトップバッターでした。

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松本隆詩集『風のバルコニー』シンコーミュージック、1981年12月25日刊

また、詞の中の「凪いだ風」に話を戻します。これは、烟草の煙がすーっとあがっていく様子をうまく伝えて、空虚感を彩る印象的な単語に思います。そして、ようやく3行目の終わり「私は熱いお茶を飲んでる」です。大事なフレーズ「お茶を飲んでいる」にようやくたどり着きましたが、「お茶」はこれから何度も飲むので、後回しにして次のフレーズを続けます。

◆ 「You & Me」 ◆◆

「きみが欲しい」なんて言ってみて
うらでそおっと滑り落とす
吐息のような嘘が一片
私は熱いお茶を飲んでる

ここではじめて「きみ」が登場します。烟草をふかして、お茶を飲んでいたのは、一人でじゃなくて、誰かと向き合っていたのだとようやくわかります。松本隆の世界の本質は、「おまえ」でも、「あんた」でも、「彼女」でもなく、「きみ」と「ぼく」(ここでは私)の世界なのだと思います。

この歌詞は、単刀直入な“I Love You”の歌詞は展開しないんだという、はっぴいえんどのラブソングに対するスタンスをしっかり表明したような歌詞です。この曲には少し異なる原詞があり、そのタイトルを「ちっちゃな田舎のコーヒー店」といいます。そちらでは、“「君きれいだよ」なんて言ってみて”となっています。この2つの歌詞を比較すると、少し単刀直入な歌詞に改変したといえるのかもしれません。

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僕が虚勢で嘘をついているのが悪いのか、君がかわしているから悪いのか、なんとも言葉にならない冷たい空間が二人の間に広がってます。この「吐息のような嘘」は面白い表現です。「~のような吐息」という表現は吐息の小ささや大きさを比喩するのに使われうるでしょうが、「嘘」を喩えるのに「吐息」ですから、詩人じゃないと使わないでしょう。

この嘘は、「五万節」にあげられる、「打ったホームラン五万本」といったホラの類いとは毛色が異なる嘘のようだとわかります。ひとひらというのは、「雪」を修飾する言葉としてよく使われる表現だと思いますが、強がる嘘と本音がちらちらと見え隠れする「かくれんぼ」の本質を表しているくだりだと思います。

そして、「お茶」を飲んでいます。お茶はまだ飲むので、また後回しにして次のフレーズを続けますが、少し重いサウンドにお茶を飲みたくなる気分が段々と分かってきます。最初に買ったCDの歌詞カードには、「裡でそおっと滑り落とす」、「吐息のような嘘が一枚」となっています。LPでも多分そうでしょう。難しすぎる漢字に「狸」かと思い、最初に歌詞カード見たときには、思わず読み返しました。なお、『風のくわるてっと』では、「『きみが欲しい』なんん言ってみて」となっていましたが、誤植と判断し、「なんて」としました。

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BOXに同包復刊された楽譜集ではむずかしい漢字はまったく使っていない。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
(Exciteブログの文字数制限のため、1回では収録しきれず、残りは明日以降に掲載させていただきます。席亭敬白)
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by songsf4s | 2008-02-13 14:54 | 日本の雪の歌