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American Pie by Don McLean その1
タイトル
American Pie
アーティスト
Don McLean
ライター
Don McLean
収録アルバム
American Pie
リリース年
1971年
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きたる2月3日は、バディー・ホリー、リッチー・ヴァレンズ、ビッグ・バッパーの命日です。偶然、重なったわけではありません。音楽史上、有名な事件ですが、なにしろ半世紀近い昔のことなので、本題に入る前に、まずはこの出来事のおさらいをしておきます。といっても、半世紀前には、わたしはまだ小学校にもあがっていないので、以下はたんなる「見てきたような」講釈にすぎません。

f0147840_23375345.jpg1959年1月23日から2月にかけておこなわれた、バディー・ホリーをヘッドライナーとし、ミネソタ、ウィスコンシン、アイオワ、オハイオ、イリノイなどの中西部諸州をめぐるパッケージ・ツアー「Winter Dance Party」は、バスによる即日移動が多く、しかもバスにはヒーターがなかったため、凍傷をわずらうプレイヤーまで出る難儀なものでした。2月2日夜のアイオワ州クリア・レイクのショウがはねたあと、ホリーらは、寒いバスでの移動を嫌って、軽飛行機をチャーターすることにしました。

当初はホリーのほかに、彼のバンドのギタリスト、トミー・オールサップ(後年、ヴェンチャーズのPlay Country Classicsでリードを弾く)と、ベーシストのウェイロン・ジェニングス(もちろん、後年のカントリー・スター)が同行する予定でしたが、話を聞いたビッグ・バッパーは、ウェイロン・ジェニングスからこころよく席を譲り受けました。リッチー・ヴァレンズも飛行機に乗りたがりましたが、オールサップのほうは席を譲るのをしぶり、結局、コイン投げでヴァレンズが勝ったと伝えられています。

3人が空港に着いたとき、飛行機会社には若いパイロットしかいませんでした。このパイロットは夜間飛行の資格がなく、ビーチクラフト・ボナンザの計器には不慣れでしたが、社長は留守で、無謀なフライトを制止することができませんでした。若いパイロットは、突然、ロックンロール・スターたちがそろってあらわれたことに興奮し、自制することができなかったのではないでしょうか。

f0147840_23414160.jpgどうであれ、2月3日午前1時前、吹雪のなか、空港を飛び立ったビーチクラフト・ボナンザは、数時間後、5マイルほど離れたトウモロコシ畑に墜落しているのを発見されました。パイロットと3人の乗客全員が死亡していました。

本日の曲は、その1959年2月3日を「音楽が死んだ日」とうたった、ドン・マクリーンによる「墓碑銘」にして、1972年はじめのチャート・トッパーです。シングルでは、パート1とパート2に分け、AB両面を使ったほど長い曲ですし、なにを指し示しているのかよくわからないところがあるので、一回では終わらず、少なくとも2回、ひょっとしたら3回にわたることになるでしょう。

◆ 魂の凍る二月 ◆◆
では、長い前付けのヴァースの冒頭部分。

A long, long time ago
I can still remember
How that music used to make me smile
And I knew if I had my chance
That I could make those people dance
And maybe, they'd be happy for a while

「はるか昔のこと、音楽を聴いてどれほど楽しい気分になったか、いまでもよく覚えている、そしてぼくも、みんなを踊らせ、できるなら、しばらくのあいだ幸せな気分にすることができたらいいのにと思ったものだ」

「はるか昔」とは、もちろん1950年代後半、とくにバディー・ホリーが活躍した1957年から59年はじめまでのことを指しています。

But February made me shiver
With every paper I'd deliver
Bad news on the doorstep
I couldn't take one more step

「でも、二月にはふるえあがった、ぼくが届ける新聞の一部一部が、ドア・ステップに悪い知らせを届けることになってしまった、足がすくむような思いだった」

調べてみると、ドン・マクリーンは一時期、じっさいに新聞配達をしていたそうです。前付けヴァースはさらにつづきます。

I can't remember if I cried
When I read about his widowed bride
But something touched me deep inside
The day the music died

「未亡人になった彼の花嫁のことを読んだとき、ぼくが泣いたかどうかは覚えていない、でも、あの音楽が死んだ日は、ぼくの心の深くに痕を残した」

事故のとき、バディー・ホリーはすでに結婚していて、夫人のマリーア・エレーナのお腹には彼の子どもがいました。事故の直後かどうかはわかりませんが、彼女は流産したそうで、「彼の花嫁のこと」というのは、それを指しているように思えます。widowed bride、すなわち「未亡人になった花嫁」といっているのは、まだ結婚してまもなかったからでしょう。

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◆ 今日こそ俺の死ぬ日 ◆◆
以下の一節は前付け部分の最後に出てきますが、その後、何度も繰り返されるコーラスです。

So bye-bye Miss American Pie
Drove my chevy to the levee
But the levee was dry
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
Singin', "This'll be the day that I die
This'll be the day that I die."

「バイバイ、ミス・アメリカン・パイ、シェヴィーに乗って堤防に行ったけれど、堤防は乾いていた、昔なじみ連中はスコッチとライを飲んで、『今日こそ俺が死ぬ日だ、今日こそ俺が死ぬ日だ』とうたっていた」

この意味不明のコーラスが何度も繰り返されるのだから、わからないといって通りすぎるわけにはいかず、困ったものです。まずいっておくべきことは、意味以前に、音韻がよく整っていて、口ずさみたくなるラインになっていることです。それがこの曲のヒットにおおいにあずかったことはまちがいありません。

f0147840_23445222.jpgここで別れを告げる対象があるとしたら、バディー・ホリー、彼の音楽、あるいはマクリーンの主観にしたがえば、大文字の「音楽そのもの」ぐらいで、「ミス・アメリカン・パイ」とは、とりあえず「音楽」だと解釈できます。

わからないのは、なぜ「ミス」なのか、です。たとえば、ここで「バイバイ、ミスター・アメリカン・ミュージック」とうたっては、むくつけで、詩にならないことは明らかだから、言い換えが必要です。そこまではいいのですが、なぜ「パイ」で、しかも、なぜ女性にしたのか? 「アップル・パイ」がアメリカを象徴するものだというのはご存知のことでしょう。わたしは、「アメリカン・パイ」から、そのことを連想します。パイは女性のつくるもので、家庭と結びついている、ということはいえるでしょう。

詩とかぎらず、どんな創作の分野でも、シンボルを使う場合、単純な構造をとるとはかぎりません。しばしば、二重三重のシンボリズムになります。われわれの頭の構造がそうなっているからです。きわめて単純な例をあげれば、「桜の花びら」といったとき、われわれは、その美しさだけでなく、生の盛りと、さらには死を、そして再生を連想します(さらにいうと、「桜田門」すなわち警視庁をシンボライズする場合すらある。赤瀬川原平『櫻画報』を想起されよ)。桜をシンボルとして利用する場合、そうした複数の連想の糸を前提とすることになります。

ミス・アメリカン・パイは、バディー・ホリーであり、アメリカ音楽であり、アメリカという国そのものであり、マクリーンの少年時代であり、要するに、あらゆるものを包含しているのではないでしょうか。バディー・ホリーの死とともに、マクリーンの心のなかでも、なにかへの訣別があったことをうたっているのでしょう。

f0147840_0294895.jpgつぎは「堤防」ですが、これはさっぱりわかりません。土手か船着き場のあたりに、マクリーンの仲間の溜まり場があって、そのことをうたっているのかな、などと当てずっぽうしか出てきません。dryもなんのことやら。堤防は川ではないのだから、乾いていてあたりまえです。それとも、ひと気のないことをいっているのでしょうか。

The Billboard Book of Number One Hitsによると、1968年、マクリーンはニューヨーク州芸術審議会によって、「ハドソン川の吟遊詩人」に任命され、6週間にわたって、週に5日ステージに立ち、ハドソン川の全流域をまわったそうです。彼のAmerican Pieまでのキャリアに登場する「堤防」「土手」は、このハドソン川ぐらいです。

また、マクリーンの生まれ育ったニューヨーク州ロシェールの近くに、レヴィーという町があるそうです。leveeが土手ではなく、固有名詞である可能性も考慮する必要があるかもしれません。もっとも、こういうあれこれがわかっても、歌詞の解釈にはつながらないのですが。

Them good ol' boysのthemは、thoseと置き換えてかまわないので、「あの連中」ぐらいの意味ですが、これまただれのことやらわかりません。マクリーンの友人たちをいっているのなら、みな酒を飲んで「今日こそ俺が死ぬ日だ」と、バディー・ホリーの替え歌をがなっていた、というあたりでしょうか。

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バディー・ホリーは、thisではなく、That'll be the day when I dieとうたっています。ビートルズ最古の録音が、ジョンがリードをとるThat'll Be the Dayなのはご承知のとおり。

Oldが、「馴染み」ではなく、そのまま年齢のことをいっているという解釈もあるでしょうが、年寄りにバディー・ホリーの代表作を歌わせる意味がわかりません。

◆ ピンクのカーネーションとピックアップ・トラック ◆◆
やっとドラムとベースも入ってきて、最初のヴァースへ。

Did you write the book of love
And do you have faith in God above
If the Bible tells you so
Do you believe in rock'n'roll
Can music save your mortal soul
And can you teach me how to dance real slow?

「きみは愛の本を書いたか? 聖書がそうしろと教えるのなら、天にまします神を信じるか? ロックンロールを信じているか? 音楽はきみの限りある魂を救ってくれるだろうか? きみはものすごくスロウに踊る方法をぼくに教えてくれるか?」

f0147840_052693.jpgそろそろ五里霧中領域に突入です。なにか思いつくことがあるとしたら、1958年にモノトーンズがBook of Loveという曲を大ヒットさせているということくらいです。このタイトルは「愛の聖書」とでもいう意味で(the good bookまたはthe bookといえば聖書を指す)、歌詞はsomeone up aboveとして神に言及しています。で、このラインの意味はなんだ、といわれると、グッと詰まってしまうんですけれどね。

f0147840_0551619.jpgラヴィン・スプーンフルのDo You Believe in Magicを連想される方もいらっしゃるでしょう。ジョン・セバスチャンもDo you believe in Rock'n'Roll?とうたっています。関係があるのかもしれないし、ないのかもしれないし、わたしには判断がつけられません。

ほかのラインについてはなにも思いつきません。とりわけto dance real slowが引っかかります。スロウなダンスというと、チークを思い浮かべますが、そういうintimateな体験のことをいっているのかなあ、ぐらいしか思いつきません。

Well, I know that you're in love with him
'Cause I saw you dancin' in the gym
You both kicked off your shoes
And I dig those rhythm and blues

「きみが彼に恋していたのは知っているさ、体育館で二人で踊っているのを見たからね、きみたちは靴を脱ぎ捨てていた、ぼくはあのリズム&ブルーズに乗ってしまった」

Youという代名詞がここで入れ替わったのか、それとも、はじめから特定の女の子を指し示していたのか、そこがよくわかりませんが、ここでは明らかに女の子に向かってyouといっています。片想いなのか、付き合っていた女の子に裏切られたのか、そのへんは微妙です。

f0147840_14080.jpg靴を脱ぎ捨てて、というのは、sock hopすなわち「《俗》 ソックホップ 《特に 1950 年代に高校生のあいだで流行した, ソックスで踊るくだけたダンスパーティー》」のことと思われますが、情熱的なダンスであることへの言及でもあるのでは、と感じます。

そして、そういう場面を目撃しながら、流れていた曲が気に入ってしまったというところは、悲しみの表現としてすぐれていると感じるだけでなく、ああ、俺と同じ魂がここにいる、と涙が出そうになります。音楽は地上の人事を超えるのです。

なぜバディー・ホリーの不慮の死を語っていた歌が、ドン・マクリーンの十代の叶わなかった恋の歌になるのだ、とお思いかもしれませんが、わたしには、これはごく自然なことに思えます。十代のときを思い起こすと、音楽は人生であり、人生は音楽であり、どんなときも音楽とともにありました。バディー・ホリーの音楽は、マクリーンにとって人生そのものだったのでしょう。また、ある重大な出来事があった日の人間模様を描くのは、フィクションでは常套的手法でもあります。

I was a lonely teenage broncin' buck
With a pink carnation and a pickup truck
But I knew I was out of luck
The day the music died

「ぼくはピンクのカーネーションをもってピックアップ・トラックに乗った、相手のいない、跳ねまわっているだけの十代の若造だった、でも、ぼくはただ運に見放されただけだとわかっていた、あの音楽が死んだ日には」

f0147840_163636.jpgなんだかわからないことだらけですが、直感的に、これは性的なラインだと感じます。男なら、ピックアップ・トラックがいっぱいになるほどの欲望を抱えた「十代の苦悩」はみな経験することです。ピンクのカーネーションの花言葉は「結婚」だそうです。ちなみに、色を限定しないカーネーションの花言葉は「哀しいわが心」(ここでクレイジー・キャッツの歌を連想すると、あらぬほうにイメージが崩れてしまうので、ご注意!)、赤ならば「純愛」、赤白まだらなら「拒絶」だそうです。

カーネーションのシンボリズムはまだまだありますが、それよりも、ピックアップ・トラックとカーネーションという組み合わせに、わたしは大人の洗練とは対極にあるものを感じます。また、音楽について語ったメタ・ソングなので、ピンク・カーネーションが出てくる歌として、マーティー・ロビンズのWhite Sport Coat and a Pink Carnationという1957年の大ヒット曲があることも、念頭に置くべきかもしれません。

まだやっと序盤、先は長いので、気長にやることにして、本日はこのへんで切り上げさせていただきます。いよいよ同時代叙事詩に入るセカンド・ヴァースは明日以降に。
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by songsf4s | 2008-01-31 23:30 | 冬の歌
Out in the Cold Again by Sam Cooke
タイトル
Out in the Cold Again
アーティスト
Sam Cooke
ライター
Rube Bloom, Ted Koehler
収録アルバム
The Man Who Invented Soul
リリース年
1961年
他のヴァージョン
Ferlin Husky, Dean Martin, Franky Lymon & the Teenagers
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昨日は、外は極寒だけれど、室内は暖炉と恋人のおかげで暖かいという、トミー・ローのIt's Now Winter's Dayでしたが、本日は、外に出るとすごく寒い、という歌です。

そういう曲はきわめて稀だとはいいませんが、スタイル、アプローチのまったく異なるヴァージョンがそろいました。メイン・ストリームあり、ドゥーワップ風あり、カントリーあり、ブルース風あり、じつにヴァラエティーに富んでいます。

◆ シェルターの外に出てみれば ◆◆
まずはどんな曲か、歌詞から見ていきます。各ヴァージョンで微妙に異同があるので、ここではサム・クック盤にしたがいます。

The song that you sang so sweetly
You called it our love refrain
Now it's gone and I'm left completely
I'm out in the cold again

「きみが甘くうたったあの歌、わたしたちの愛のリフレインといっていた歌は、もうどこにもない、ぼくはすっかり見捨てられ、寒い外へと放りだされてしまった」

というわけで、冬の歌かどうかはちょっと微妙で、寒い野外というのは、たんなる比喩かもしれません。

I dreamed that our love would linger
But just memories remain
I gaze at that ringless finger
Looks like I'm in the cold again

「ぼくらの愛はずっとつづくのではないかという夢を見ていた、でも残ったのは思い出だけ、リングをはずした指をじっと見つめていると、寒い外に放りだされたことをしみじみと感じる」

ということは、これは破れた結婚の歌ということになります。こんどはブリッジ。

So true, it hurts my pride
To step aside for somebody new
But deep down inside my whole world depended on you

「まったく、新しい相手のために脇に退かなければいけないのにはプライドを傷つけられる、でも、心の奥底では、ぼくのすべてはきみしだいだったのだ」

なんとなく、butという逆接の接続詞が落ち着き悪く感じます。概念的には、二つのセンテンスが順接になっているか、または、接続詞で結ばないほうがよいもののように思えるのです。なにかbutでつながなければならない理由があったのではないかと思い、しばらく考えてみましたが、結局、わかりませんでした。

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Out in the Cold Againを収録したサム・クックのMy Kind of Blues。管見ではCD化されていない。

サード・ヴァース。

I wanted your arms around me
To shelter me from the rain
But now I'm back where I started
Out in the cold again

「ぼくの躰に腕をまわして、雨から守ってほしかった、でも、いまや振り出しに戻って、外の寒さのなかにいる」

なんだか奇妙なヴァースです。男が女を守る、という常識は通用しないようで、おやおや、です。しかも、振り出しが外だというのだから、いよいよもって奇妙。まあ、この曲の「外」と「寒さ」は、直喩ではなく、暗喩であって、パートナーがいない状態のことをいっているとも受け取れるので、たんに、もとのようにひとりになってしまった、といっているだけかもしれませんが、男と女の役割の逆転が語られていることから、直喩である可能性、つまり、男は文無しの風来坊で、女性に拾われた、という設定なのかと解釈したくなります。

◆ サム・クック・ヴァージョン ◆◆
各ヴァージョンの検討に移ります。まずは看板に立てたサム・クック盤。イントロからセヴンス・コードを使っていて、ややブルーズ寄りのアレンジになっています。ファーリン・ハスキーのヴァージョンとは、メロディーもコードもかなり異なっています。

f0147840_0191299.jpgヴァースの冒頭は、ハスキー盤では、G-C-G-F-E-Cというコード・チェンジを使っているのに対し、サム・クック盤は、イントロでは同様の進行でやっているのに、歌に入ると、Cをオミットし、G7で押し通しています。ここは、GでもCでもかまわないという箇所ではなく、ハスキー盤のメロディー・ラインではEの音を、ただの経過音としてではなく、メロディーが降りてきた落ち着き場所として伸ばしているので、Cにいかないのであれば、このEも使えません。だからサム・クックは、ファーリン・ハスキーとまったくちがうラインをうたっています。

ハスキー
G-G(オクターヴ上がる)-F-E

クック
B-D-E-D-B-G-B(このBを伸ばして、スラーで最後に小さくGに落ち着かせる)

両者ともキーはGなのに、まったくラインがちがいます(サム・クックのEは、一瞬の経過音で、これくらいならコードがGのままでも衝突しない)。歌詞がなければ、同じ曲には聞こえないでしょう。このあとの、G-F-Eという、魅力的に響くコード・チェンジをサム・クック盤も採用しているので、ああ、同じ曲なのだなと感じます。

f0147840_0201059.jpgファーリン・ハスキーとサム・クックのスタイルのちがいというより、カントリーとブルーズの文化のちがいそのものを感じるような、アプローチの差がここにはあります。ハスキーのものはカントリー・バラッドなのに対し、クックのものは、ブルーズをベースにしたバラッド「のようなもの」になっています。スラーでメロディーを動かすのも、カントリー的ではないのかもしれない、と感じました。

サウンド面でいうと、サム・クック盤の管のアレンジには魅力がありますが、それ以外にはどうということはなく、彼のシンギング・スタイルを際だたせる曲と感じます。サム・クックのカタログには、自作曲をはじめ、すぐれた曲が山ほどあるので、Out in the Cold Againは、アルバムに入っていると目立ちませんが、コンテクストから切り離すと、なかなかいい曲だということがわかります。

◆ ディノのキャラクター ◆◆
f0147840_0211665.jpgファーリン・ハスキー盤とフランキー・ライモン盤は、前者は明確にたしかめられないものの、どうやら同じ1957年の録音またはリリースと思われます。曲がつくられたのは1930年代らしく、どうしてこの時期に、カントリー・シンガーとドゥーワップ・シンガーに同時に取り上げられたのかはよくわかりません。

ハスキーは、カントリー・シンガーに多い美声の持ち主で、素直に、やりすぎないように、きれいにうたっています。上述のように、サム・クックとはまったく異なるアプローチですが、これはこれで悪くないと感じます。マーティー・ロビンズと同系統の嫌味のないスタイルだからでしょう。

f0147840_0225532.jpgフランキー・ライモンは、いわば天才少年だったわけで、十五歳の時に録音したこの曲も、その卓越したヴォーカル・テクニックのショウケースになっています。美声とテクニック、ともに申し分ありません。でも、ジャクソン・ファイヴおよびソロ初期のマイケル・ジャクソンなどにも同じことを感じますが、子どもが大人の歌を大人っぽくうたうことには、つねに違和感と痛々しさがともないます。

マイケル・ジャクソンなんかカスに見えるほどうまいシンガーだけに、フランキー・ライモンのOut in the Cold Againには居心地の悪さをいっそう強く感じます。歌詞はどう見ても、もう若くない男の話なのですから。こういう歌を少年にうたわせると、どうしても「芸当をさせる」という見せ物的なムードが生まれてしまうことが気に入りません。マネージメントによる「児童虐待」といっていいのではないでしょうか。

f0147840_0235827.jpgその点、ディノのOut in the Cold Againでは、まさにこの歌詞が想定したであろう、ちょっとやつれの見えはじめた遊び人の肩をすぼめた姿が、音のなかから立ちあらわれてきます。年齢を重ねないとうたえないタイプの曲がある、ということを改めて教えられます。奇妙に感じると書いたサード・ヴァースですら、ディノがうたうと、彼がつねにまとっていた遊び人のキャラクターのおかげで、なるほど、そういうことか、と納得してしまうのだから、歌というのは不思議なものです。

これはすでに何度も取り上げたアルバム、Winter Romanceに収録されています。いま勘定してみたら、このアルバムで、まだ取り上げていないのはあと3曲を残すだけで、こうなったら、全曲取り上げようか、なんて思いました。スタイル、サウンドとしては、いつものディノで、ハスキー盤からカントリー風味を取り去り、メインストリーム色を打ち出したようなものです。オーケストレーションには、ちらっとゴードン・ジェンキンズ的イディオムが使われていたりして、アレンジャーの名前を知りたいところです。
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by songsf4s | 2008-01-30 23:56 | 冬の歌
It's Now Winter's Day by Tommy Roe
タイトル
It's Now Winter's Day
アーティスト
Tommy Roe
ライター
Tommy Roe
収録アルバム
Greatest Hits
リリース年
1966年
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なにしろ、ドン・マクリーンの「あの曲」をやるとなると、グレイトフル・デッドの曲以上に長い準備期間が必要で、このところ、その時間の捻出に四苦八苦しています。2月3日はもうすぐそこまできているのに、まだ1行も読めていないのだから、絶望的な状態です。

今日も時間稼ぎの簡単な曲はないかとあれこれやっているうちに、未完成の原稿が積み重なっただけでした。トミー・ローなら、せいぜいハル・ブレインが叩いたぐらいで、ほかに面倒ごとなんかないだろうと思ったのですが、ちょっと調べたら、またカート・ベッチャーだなんて「トラブル」が飛び込んできました。

今日はゴチャゴチャいっている時間がないので、簡単に片づけますが、カート・ベッチャーという人に、わたしは興味をもったことがありません。したがって、このあと、彼についてなにか持論を展開するなどということはないので、そういう興味でいらっしゃった方(つまり、このささやかなヒット曲のことを、トミー・ローの曲というより、「カート・ベッチャーの曲」と認識して当ブログを訪れた方)は、ここでこのページを閉じていただいたほうがいいと思います。あくまでも、歴史的重要性が皆無で、長ったらしい話にならない「楽な冬の曲」として取り上げただけです。

◆ 氷点下23度のフリーズ・ワールド ◆◆
それでは冒頭、独立した前付けの独唱部なのか、はたまたコーラスを先に出しただけなのか、よくわからない部分。構成のあいまいな曲なのです。

Everyone is warm inside their houses in the snow
The mercury is dropping down to minus ten below
Outside it's chilling, but inside it's thrilling
With fireplaces burning and records that keep turning

「雪の降るなか、だれもが家に閉じこもって暖かくしている、水銀柱は華氏マイナス10度になろうとしている、外の空気は刺すように冷たいけれど、部屋のなかでは、暖炉の火が燃え、レコードの音楽が流れつづけて、すごく楽しい」

f0147840_0105779.jpg華氏←→摂氏換算式というのをスプレッドシートに入れてあって、ここにマイナス10と入れたら、摂氏マイナス23.3333333度と出ました。これが合っているなら、むちゃくちゃな寒さで、伊豆の某所にあったアトラクション「フリーズ・ワールド」並みです。たしか、記憶では、あそこはマイナス20度の寒さを体感する、といっていたと思います。入口で防寒具を渡され、ヘラヘラ笑いながら入りましたが、最後は小走りになって飛び出しました。南関東に生まれ育った人間には、まず1秒と立ち止まっていられない寒さです。

暑いほうの極端としては、昨夏、ボビー・ゴールズボロのSummer (The First Time)を取り上げました。あの曲は摂氏43度という、風呂だったら熱くて入れない人もいるという気温でした。今日のIt's Now Winter's Dayは、たぶん、わが家にあるもっとも寒い曲です。2曲のあいだの温度差はじつに66度! わたしが住む南関東の年間気温差は35度あたりにすぎず、こうして数字にしてみると、愕然とします。

室内はthrillingだといっていますが、暖炉が暖かくて、音楽が流れているくらいのことで、興奮する人間はいないので、もちろん、理由はほかにあることが暗示されています。

つぎはたぶん、ファースト・ヴァースにあたるであろうパート。

Gone is the green grass, the trees have turned brown
The sky has gone gray, it's now winter's day
The parks they are empty, no squeaks from the swings
No kids are at play, it's now winter's day

「青々とした芝生は消え失せ、木々は枯葉色、空はどんより、もう冬になった、公園には人影もなく、ブランコがきしむ音もしないし、子どもも遊んでいない、もう真冬なのだ」

f0147840_0132050.jpgときおり、季節感というか、その表現について、彼我の落差を強く感じることがあります。真冬に枯葉が残っているか? 残っている場合もあるでしょうが、それを冬の表現に利用することは、日本の文化にはないだろうと思います。茶色くなった葉を季節表現に利用するとしたら、晩秋のことでしょう。「冬木立」を広辞苑で引くと、「冬枯れの木立。葉を落とし、さむざむとした木立」と出ています。冬には緑色の常緑樹と葉を落とした裸の木があるだけ、というのが平均的な日本人の感覚でしょう。

◆ 冬が「暖かい」のにはわけがある ◆◆
コーラスなのか、ブリッジなのかはっきりしないパート。多少のチェンジアップ効果はあるので、たぶん、ブリッジなのでしょう。

And here we are snuggled warm in each others arms
Listening to silent sound as the snow packs the ground
Perfumed hair that I smell, essence that I like so well

「そしてぼくたちは、ここでお互いの腕のなかで暖かくし、雪が降り積もっていく音のない音に耳を澄ませている、香水をつけた髪の匂い、ボクの大好きなエッセンス」

冬が楽しいという歌は、まず例外なしにこのパターンです。60年代中盤まで、すなわちサイケデリック以前のポップ・ミュージックというのは、クリシェの世界なので、パターンを踏み外した曲というのはめったにありません。

つぎはセカンド・ヴァース、だろうと思うのですが!

You are my winter, the days and the nights
In our hideaway, it's now winter's day
Our love will grow stronger, a minute has chilled
Inside we will play, it's now winter's day

「きみはぼくの冬の日、そして冬の夜、隠れ場所のなかで真冬の日、ここでぼくらは愛は強まり、時は凍りついた、部屋のなかでぼくらは楽しく過ごす、もう真冬なのだ」

a minute has chilledがなんだかよくわかりません。直前が未来形、ここが現在完了形というのが引っかかります。たんに作詞家がヘボ、といって悪ければ、どうせだれも気にしないセカンド・ヴァースだというので、苦吟を回避しただけでしょうけれど。

あとは冒頭の前付けヴァースのようなものを繰り返してフェイドアウトします。

◆ 匿名的サウンド ◆◆
トミー・ローというと、わたしの記憶にあるのは、Dizzyだけです。あの曲は明らかに「ハル・ブレインのゲーム」で、印象に残っているのは、ドラムを中心としたイントロの構成の仕方です。シングル盤ではイントロがいかに重要かを示す恰好の例です。あとは、ストリング・アレンジメントがちょっと変わっていること(アレンジャーはジミー・ハスケル)、転調をうまく使ったことが、チャート・トッパーになった理由でしょう。

f0147840_0191973.jpgそれよりも以前のヒットが、本日のIt's Now Winter's Dayで、リリース時点ではそんなことはわからないのですが、結果的に、割を食ったかたちになり、オブスキュアなヒットとなりました。いま、この曲をタイトルにしたアルバムがCD化されているのは、たぶん、裏方重視の現代的流行の結果なのだと思います。われわれの世代にとっては、あくまでもDizzyが代表曲、われわれより上の世代でも、Sheilaをあげるのではないでしょうか。

It's Now Winter's Dayは、その中間の時期、2曲のチャート・トッパーであり代表曲のあいだにはさまって生まれたマイナー・ヒットです。66年の12月にリリースされ、ピーク・ポジションの23位に達したのは67年2月のことです。「もう真冬になった」としきりに歌っているので、ちょっと時機を逸した感がありますが、なんせマイナス23度だし、ヒットしたのも年初なので、結果的にちょうどいいタイミングだったのではないでしょうか。

ボンヤリとしてとらまえどころのない構成とサウンドで、取り柄は、冬のムードだけは横溢していることでしょう。音による季節表現というのはむずかしいもので、下手にやると、馬鹿馬鹿しいギミックに堕してしまいます。どうやってつくったかは推し量りかねますが、この曲の電子的な冷たい風の表現は悪くないと感じます。

f0147840_0145877.jpgわが家にあるCDのクレジットでは、この曲のプロデューサーはスティーヴ・クラークとなっていますが、Spectropopでは、じっさいにはカート・ベッチャーがやったのだといっています。そういうこともしばしばあったはずで、それがまちがっているなどというつもりはありませんが、この程度の曲なら、あえて手柄争いするほどのものではないでしょう。非常に匿名的な仕上がりだと思います。

作家的視点ばかりでなく、マニエリスムも考慮に入れておかないと、バランスを失した末梢的な議論に陥りがちだと、いまになって自戒しています。ポップ・ミュージックというのは、本来、匿名的につくられるものでした。フィル・スペクターを語るように、そこに作家的視点だけを持ち込んでも、それはそれで、やはり本質から遠ざかっていくことになる、ということにも、そろそろ気づくべきだと感じます。
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by songsf4s | 2008-01-29 23:55 | 冬の歌
Long Lonely Days of Winter by Duane Eddy
タイトル
Long Lonely Days of Winter
アーティスト
Duane Eddy
ライター
収録アルバム
Lonely Guitar
リリース年
1963年
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ドゥエイン・エディーのことを書こうとすると、いつも言葉に詰まります。たぶん、いいも悪いもなく、好きか嫌いかだけだからだろうと思うのですが、でも、ここがまたわたしにとっては微妙なところで、好きなのか嫌いなのかも、じつはよくわからないのです。

f0147840_0252269.jpg好きなギタリストというと、ドゥエイン・エディーのようなタイプではないことははっきりしています。じゃあ、嫌いかというと、そうともいえません。独自の明確なスタイルをもっているという一点で、やはり尊敬に値するプレイヤーだと思います。

結局、エディーが長持ちしたのは、スタイルというか、もっと細かく限定すれば、あの「トワンギン」サウンドのおかげでしょう。あれがなければ、だれも見向きもしなかったはずです。もちろん、アレンジを含むバンド・サウンドの出来も重要ですが、そんなことは、エディーにかぎった話ではなく、インストゥルメンタル・ミュージックはみなサウンドしだいなのです。エディーに限定するなら、あの「トワンギン」サウンド以外には、なにもないといってかまわないでしょう。

◆ ドゥエイン・エディーの「才能」 ◆◆
それほどたくさん聴いたわけではないので、おそろしく上っ面の話にすぎないのですが、エディーの曲で印象に残っているのは、デビュー曲のMoovin' 'n' Groovin'、Revel Rouser、Ramrod、Shazam!といった、アップテンポのロッカーです。極端に音数の少ないギタリストだから、それが異様に感じられないテンポの曲のほうが、違和感なしに聴けるからではないかと思います。

しかし、今日のLong Lonely Days of Winterは、タイトルからも想像がつくように、スロウな曲です。背後で流しているぶんには、なかなかきれいないい曲だな、と感じるだけですが、ちょっと立ち止まって、ギター・プレイに意識を集中すると、よくこんなふうに弾けるなあ、と呆れます。いや、つまり、音を出さない時間が永劫のようにつづくのですよ。わたしだったら、ピックをもっている親指と人差し指が、早くつぎの音を弾きたくて、痙攣しちゃうのじゃないかと思うほどです。

f0147840_027353.jpgここにいたって、はたと、そうか、音を出さないのも「才能」のうちか、と納得がいきました。わたしのような凡愚では、ドゥエイン・エディーのようなプレイはぜったいにできないにきまっているのだから、やはり、彼は彼なりにプロフェッショナルなのです。

当ブログでは、曲を小突きまわして、めちゃめちゃにしてしまうシンガーやプレイヤーは、客をほっぽらかして、自分の才能に溺れる愚か者として、さんざん罵倒してきましたが、ドゥエイン・エディーは、その対極にいる人なのだと、やっと気づいたわたしもまた愚か者でした。

エディーのバックのサウンドについては、いずれべつの機会にくわしく検討したいと思います。パーソネルの判明しているものを見ていくと、なかなか興味深い点があります。このLong Lonely Days of Winterを収録したLonely Guitarというアルバムのアレンジャーは、ついこのあいだ、Canadian Sunsetをとりあげた、マーティー・ペイチです。

◆ ジョン・エントウィスルの「理解」 ◆◆
ライノのTwang Thang: The Duane Eddy Anthologyのライナーを読み返していて、思わず笑ったところがあります。ザ・フーのジョン・エントウィスルが、エディーにあこがれて、「ベースを」買った、というところです。

誤解も理解のうち、考え方としては、正しかったのではないでしょうか。じっさい、エディーも、グレッチのギターばかりでなく、ときにダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)を使っています。エディーも、はじめてダノを見たとき、これは自分のためにつくられたものだ、と感じたそうで、ジョン・エントウィスルも、同じようなことを考えていたのでしょう。

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ちょっとわかりにくいが、エディー自身の説明によると、彼が手にしているのは「ロングホーン」モデルのダノ

じっさい、ジョン・エントウィスルのプレイはギター的で、そこが子どものころ、非常に印象に残りました。不思議なベースだと思いましたが、ああなってしまった原因はドゥエイン・エディーのトワンギン・サウンドだとわかれば、不思議でもなんでもありません。まさにドゥエイン・エディー的な「ベース」サウンドです。しかし、音楽史ではけっこうあることとはいいながら、なんともまた奇妙な影響関係があったものです。
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by songsf4s | 2008-01-27 23:56 | 冬の歌
Cold Rain and Snow by Grateful Dead
タイトル
Cold Rain and Snow
アーティスト
Grateful Dead
ライター
Traditional arranged by Grateful Dead
収録アルバム
Steal Your Face
リリース年
1976年(録音は1974年)
他のヴァージョン
various studio and live versions of the same artist
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グレイトフル・デッドの曲では、毎回、歌詞に苦しんでいますが、今日は楽だぞと、ひとりニヤついています。ロバート・ハンターの作ではなく、トラッド曲だからです。しかも、すごく短いのです。このところ、デッドはつねに二回に分けてばかりでしたが、この曲なら、ひょっとしたら一回ですむかもしれないと、書きはじめたいまは思っています。さて、どうなりますか。

◆ 未遂か既遂か ◆◆
それでは歌詞を見ていきます。ファースト・ヴァース。

Well I married me a wife
She's been trouble all my life
Run me out in the cold rain and snow
Rain and snow
Run me out in the cold rain and snow

「俺が結婚した女というのは、ずっと苦労の種だった、冷雨や雪の降る外へと俺を追い出すんだ、雨や雪のなかへ、冷たい雨や雪の降る外へと俺を追い出すんだ」

世に怖い妻はあまたいるようで、ひょっとしたら、これだけでもう感じ入って、先を読めなくなっている方もいらっしゃるかもしれませんが、幸い、わたしには実感のない歌詞です。いや、どうも失礼。

それにしても、暖かい南関東だって、近ごろはちょっとした寒さで、こんな日に外に追い出されてみなさい、しっかり防寒しておかなかったら凍死です。北国でこんな非道なことをする妻がいたら、殺人未遂で起訴されるでしょう。まあ、警察が取り合ってくれればの話ですが。

Well she's coming down the stairs
Combin' back her yellow hair
And I ain't goin' be treated this ol' way

「彼女は二階から降りてきながら、ブロンドの髪を掻き上げる、こんな仕打ちはもうたくさんだ」

髪を掻き上げて、それからどうするとまではいっていないのですが、そこが効果的で、恐怖の表現としてすぐれています。髪を掻き上げたら、危険信号なのでしょう。ブロンドではなく、「黄色」といっているところが、また怖い。

最後のヴァース。

Well she went up to her room
Where she sang her fateful tune
Well I'm goin' where those chilly winds don't blow

「彼女は二階の自分の部屋にもどり、運命の歌をうたった、俺はあんな冷たい風が吹かないところにいくつもりだ」

f0147840_23592660.jpgジェリー・ガルシアは、このfateful tuneというところを、ときにはfaithful tuneと歌っているそうです。調べてみると、一世紀ほど昔に生まれたこの曲のオリジナルに近い形はfaithfulらしく、faithfulのほうが多数派のようです。実物を聴いたわけではないのですが、ガルシアがもとにしたといわれるオーブレイ・ラムジーのヴァージョンでは、fatefulとなっていたようです。The Music Never Stopped: Roots of the Grateful Deadというアルバムに、ラムジー盤が収録されているので、いずれ聴いてみたいものと思います。

faithful tuneの場合、「信仰の歌」というところでしょうか。fatefulでも意味が明瞭なわけではありませんが、faithfulのほうがいっそうあいまいに感じます。また、ここまでが過去形で、最後のラインが未来形になっている点も気になります。fatefulの場合、このラインと最後のラインのあいだに、決定的なカタストロフがあったことを暗示しているように感じます。たとえば、自由になるために、語り手が妻を殺した、といったカタストロフです。そういう極端な解釈をわたしは好むだけですが!

◆ Cold Rain and Snow略史 ◆◆
デッドは、ワーナー・ブラザーズでのメイジャー・デビュー以前から、Cold Rain and Snowをレパートリーにしていました。デビュー以前のものを入手するのは昔は苦労したものですが、最近は簡単に聴けます。以下に、この曲を収録したデッドの正規盤一覧をあげておきます。左側の日付は録音日。

1966……Birth Of The Dead (studio)
1966……Birth Of The Dead (studio, instrumental)
1967……Grateful Dead (studi, 1st LP from WB)
1971.04.29……Ladies And Gentlemen...The Grateful Dead
1972.05.24……Steppin' Out with the Grateful Dead: England '72
1973.02.28……Dick's Picks Vol 28
1973.12.02……Dick's Picks Vol 14
1974.10.20……Steal Your Face
1976.09.28……Dick's Picks Vol 20
1978.02.03……Dick's Picks Vol 18
1978.05.11……Dick's Picks Vol 25
1979.12.26……Dick's Picks Vol 5
1985.11.01……Dick's Picks Vol 21
1987.12.31……Ticket To New Year's (DVD)
1989.07.04……Truckin' Up To Buffalo
1990.09.16……Dick's Picks Vol 9
1991.06.14……View From The Vault II

細かいことはおくとして、デッドの全キャリアを通じて、レパートリーからはずされることのなかった曲だということがおわかりでしょう。

◆ Steal Your Faceヴァージョン ◆◆
わたしは68年のセカンド・アルバムからのデッド・ヘッドなので、デビュー盤は70年代に後追いで買いました。アルバムそのものの出来もあまりよくないのですが、このときのCold Rain and Snowは、いい曲には思えませんでした。コンボ・オルガンの音が、時代遅れのサイケデリック・サウンドの印象を強めてもいました。つぎにSteal Your Face収録のヴァージョンを聴いたのですが、その時点でもまだ、べつに悪くはない曲、といった程度の印象でした。

f0147840_1194291.jpgオリジナル曲の場合に多いのですが、デッドの曲というのは、躰に染みこむまでに時間のかかるものがたくさんあります。第一印象は信用できないのです。先日取り上げたStella Blueも、Wake of the Flood収録のスタジオ盤では目立たない曲に感じたのが、それから数年後、Steal Your Face収録のライヴ盤を聴いて、デッドの全カタログのなかでも最上位にくる曲だと思うほど、まったく印象が変わりました。

Cold Rain and Snowにいたっては、Steal Your Faceの段階でも、まだそれほど目立つ曲には感じませんでした。けっこう面白い曲じゃないかと感じるようになったのは、じつはごく最近のことです。Oggで圧縮して、アルバムのコンテストから切り離し、べつの曲と並べて聴いて、やっと、デッドがこの曲を長年プレイしつづけてきた理由がわかったような気がしたのです。

なにしろ、シンプルなトラッド曲なので、楽曲としての出来がいいとか悪いとか、そういうものではなく、どうやるかというレンディションに勝負はかかっています。そして、デッドは安定していることで有名なバンドというわけではないのです。やるたびに、アレンジというより、もっと本質的なところでの、楽曲に対するアティテュードそのものが変わっていくのです。録音時期が接近しているからといって、解釈の姿勢が同じだと思ったら大間違い、日々変化しているのです。

f0147840_1213584.jpgしかし、おかしなもので、Steal Your Faceではじめてライヴ・ヴァージョンを聴き、それ以来、いろいろなヴァージョンを聴いたのですが、結局、買ったときはあまり聴かなかったSteal Your Faceヴァージョンにもどっていくのです。

今回は、わが家にある10種のヴァージョンを年代順に並べて、ずっと流していました。BGMとして聴いていて、イントロが流れた瞬間に、このヴァージョンはいい、と感じたものがあったので、プレイヤーでタグを確認したら、Steal Your Faceヴァージョンでした。

長年聴き慣れたヴァージョンだという点は割り引く必要があるでしょうが、それでも、やはり、このヴァージョンは、入った瞬間から、背筋がピンと伸びています。グルーヴがいいということです。こういう風に感じるのは、全員がいい状態のときですが、このトラックでは、とくにキース・ゴッドショーのピアノによるオブリガートがインスピレーショナルで冴えています。フィル・レッシュのベースも他のヴァージョンよりいいと感じます。

f0147840_1232451.jpgStella Blueのときにも書きましたが、Steal Your Faceというアルバムは、デッド・ヘッドから嫌われています。グレイトフル・デッド・レコードの運営をあずかっていた人物が、経済的な理由を優先してリリースしたこと、録音ないしはマスタリングがよくなかったこと、そして、一部の選曲におおいに疑問符が付くこと、などがその理由でしょう。

しかし、そういう事情とは無関係に、いくつか、非常にいいヴァージョンが収録されているとわたしは考えています。もっともいいのはStella Blueです。しかし、この曲は、Steal Your Faceヴァージョンと甲乙つけがたいほど出来のいいものがほかにもあります。そこがCold Rain and Snowとはちがうところです。Cold Rain and Snowについては、わたしが聴いたかぎりでは、Steal Your Faceヴァージョンに匹敵する出来のものはほかにありません。

アルバムとしてみれば、たしかにSteal Your Faceは、Live/DeadやEurope '72やSkull & Rosesのクラスに肩を並べるというわけにはいきません。しかし、HDDに取り込んで、アルバムを解体してバラバラに聴く時代、トラック単位でダウンロードする時代には、もうアルバムというコンテクストは副次的なことにすぎないと感じます。アルバムが無意味になったとはいいませんが、そこに拘泥せずに、評価の基準をすこし変化させてもいいのではないかと思います。アルバムの出来がよくないからといって、Steal Your Face収録のStella BlueやCold Rain and Snowのようにすぐれたものまで打ち捨て、デッド史から抹消するのは愚劣なことです。

◆ Cold Rain and Snowクロニクル ◆◆
f0147840_091391.jpgほかに好きといえるほどのヴァージョンはないのですが、年代順にひととおり検討します。

Birth of the Deadという、ローカル・レーベルでの録音を収録した2枚組のヴァージョンは、ワーナー・ブラザーズからのデビュー盤と大きく変わりません。上記リストでInstrumentalと注釈したヴァージョンは、ヴォーカル・オーヴァーダブ以前のトラック・オンリーです。

f0147840_09594.jpgWBのデビュー盤と併せてまとめてしまいますが、この時期のデッドは、これで大丈夫なのだろうか、と不安になります。しかし、これだけ時間が経過したいまになって、デビュー前後のデッドを聴いて思うのは、ドラムの役割に対する考え方もテクニックも未熟ながら、タイムに関しては、ビル・クルーズマンははじめから安定していたということです。初期のCold Rain and Snowはテンポがむやみに速いのですが、クルーズマンは突っ込んだり、走ったりはしていません。そんな見方をする人間はヘッズにはいないでしょうが、わたしは、クルーズマンの安定感がデッドを長生きさせたとつねづね考えています。

f0147840_0151065.jpg年代としてつぎにくるのが、71年4月にフィルモア・イーストで録音したLadies and Gentlemen...The Grateful Dead収録ヴァージョン。こちらは、初期とは逆に、テンポを落としています。ちょっと遅すぎではないかと感じますが、悪くない出来です。デビューから数年が経過し、その間に経験を積んだことがよくあらわれています。

デッドはテンポを遅くしたり、速くしたり、ということをよくやりますが、これはよくわかります。同じようにやりたくないということとはべつに、適切なテンポを探っているのだと感じます。録音時期順に並べてみると、よく、いちばん遅いものといちばん速いものという両極端が隣り合わせになるのです。両極端をやってみて、その中間のどこかにある、適切なテンポを見つけようとしているのではないでしょうか。

f0147840_0373213.jpgつぎはDick's Picks第28集収録1973年2月28日ヴァージョン。Ladiesヴァージョンよりテンポ・アップして、Steal Your Faceヴァージョンに近づいています。ここからはキース・ゴッドショーがピアノで加わった時代に入りますが、ゴッドショーはまだこの曲のやり方を見つけていないと感じます。これはこれで悪くないヴァージョンですが、機材が不調だったのか、エンジニアがミスをしたのか、ジェリー・ガルシアのギター・ソロが聞こえないのが残念。冒頭でベースとドラムのステレオ定位を移動しているのも意味不明。不具合のあるチャンネルが見つかって、移動させたのかもしれません。

f0147840_0383713.jpgDick's Picks第14集収録の1973年12月2日ヴァージョンは、意図的なものではなく、ガルシアのミスかもしれませんが(デッドのライヴではそれがディフォールトだが、声やスティックなどによるカウントはなく、ガルシアのギターをきっかけにして入る)、またテンポが落ちています。しかし、総体としては、ようやくこの曲も落ち着く時期を迎えたように感じる、安定したヴァージョンです。方向性としては、正しい針路へと舵を切り、目的地が見えたという雰囲気。ビル・クルーズマン=フィル・レッシュのグルーヴはオーケイですが、活躍できるだけの空間があいているのに、キース・ゴッドショーが前に出てこないのが引っかかります。ボブ・ウィアのハーモニーは外しすぎでしょう。

つぎは1974年12月20日のSteal Your Faceヴァージョン。こう並べてくると、やはりこのヴァージョンがもっとも安定していると感じます。クルーズマン=レッシュは万全、ゴッドショーのピアノもガランとあいていた空間を埋めて活躍するし、ミスはあるものの、ガルシアのソロもけっこうな、充実のヴァージョンです。Steal Your Faceはゴミという先入観は捨てるべきです。

f0147840_0432795.jpgDick's Picks第20集収録の1976年9月28日ヴァージョンは、Steal Your Faceヴァージョンより微妙に速いテンポでやっています。このテンポも悪くないと思いますが、Steal Your Faceヴァージョンのように、全員が充実しているときのアンサンブルのよさはありません。デッドは野球チームなので、序盤が不調でも、後半にいたって逆転するときがあるのですが、このヴァージョンは最後まで収束点がない負け試合。

f0147840_0445379.jpgDick's Picksの第18集収録の1978年2月3日ヴァージョンは、テンポもちょうどよく、フィル・レッシュとキース・ゴッドショーが攻めるプレイをしているので、バンド全体もそれにあおられるかたちになっています。この曲のソリッドな側の極北といえるでしょう。ヘッズのなかにはルースなデッドを好む人もいるので、このへんは好きずきでしょうが、ハイになっているわけではなく、しらふで聴くわたしのような人間にとしては、これくらいきっちりやってくれたほうが楽しめます。Steal Your Faceヴァージョンと並ぶ出来と感じます。玉に瑕は、ドナ・ゴッドショーのピッチの外れたハーモニー。毎度、めげています。

f0147840_046014.jpgDick's Picks第25集はわが家にはないので、これは飛ばして、つぎはDick's Picks第5集収録の1979年12月28日ヴァージョン。このときには、もうキーボードはブレント・ミドランドに交代しているはずで、ピアノではなく、オルガンをプレイしています。まだ邪魔になるほどのプレゼンスはありませんが、ゴッドショーのピアノが懐かしくなります。ミッキー・ハートが復帰して、ダブル・ドラムになっているので、タイムのズレもちょっと気になります。しかし、76年ヴァージョンのような沈滞ムードはなく、その点は買えます。ガルシアのギターも、いつもとはトーンとスタイルを変えていて、それがこのヴァージョンのハイライトかもしれません。

f0147840_0482973.jpgほかにわが家にあるのは、Dick's Picks第9集収録1991年9月16日ヴァージョン。やや末期症状を呈したヴァージョンで、ガルシアの状態の悪いことが感じ取れます。もともとつぶやくように歌っていたといえばそれまでですが、体調の悪さを感じる沈み方です。古いヘッズとしては、彼らの行く末、ガルシアの晩年を確認するという意味がありますが、若いファンにはどうなのでしょうか。もう「大きなデッド」の時代ですから、ガルシアのイントロが流れた瞬間、ドッと湧いていますが、それすらもわたしには居心地悪く感じられます。ビーチボーイズやストーンズのように、オールディーズ・ショウ化、懐メロ・バンド化、見せ物化していないのだけが、救いといえるでしょう。

いろいろなヴァージョンを聴きましたが、結局、Cold Rain and Snowについては、Steal Your FaceとDick's Picks Vol.18があれば十分だと考えます。
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by songsf4s | 2008-01-26 23:53 | 冬の歌
Snow Queen その2 by Roger Nichols & the Small Circle of Friends
タイトル
Snow Queen
アーティスト
Roger Nichols & the Small Circle of Friends
ライター
Gerry Goffin, Carol King
収録アルバム
Roger Nichols & the Small Circle of Friends
リリース年
1967年
他のヴァージョン
The City, the Association
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昨日はジェリー・ゴーフィンの歌詞を霞ませてしまったものがあるといいながら、それがなにかを説明するところまでたどり着けませんでした。さっそく、そのことから。

◆ デモーニッシュなプレイ ◆◆
歌詞も歌も、そのほかあらゆることを吹き飛ばし、シティー盤Snow Queenを支配しているのは、ジム・ゴードンのドラミングです。いやもう、すげえのなんの、ジム・ゴードンはすごいと百も承知していて、それでもやっぱり、すげえなあ、と何度もため息が出る、強力なドラミングです。ピッチも悪ければ、いつもグルーヴに乗りそこなうキャロル・キングのヴォーカルなんか、ひとたまりもなくこなごなに吹き飛ばされています。

f0147840_00532.jpgハル・ブレインとジム・ゴードン、この二人の大きな違いは、ハルがおおむね安定して力を発揮するのに対し、ジム・ゴードンは調子の波が大きいことです。もともと気分にムラがあったのかもしれません。あるいは、薬物依存の結果だったのかもしれません。いずれにせよ、ジム・ゴードンというドラマーは二人います。ひとりは、この世のものとは思えないビートを叩くデーモン、もうひとりは、ごくまっとうな生業に精を出しているような、律儀で安定したビートを叩くふつうの人間です。

ジム・ゴードンがデーモンになった日にあたったプレイヤーたちは、美しいビートに涙を流しもしたでしょうが、同時に、自分がいてもいなくてもいい塵芥に成り下がったことも痛感し、彼のプレイを愛し、同時に憎んだことでしょう。

キャロル・キング、ダニー・クーチ、チャールズ・ラーキーというシティーのメンバーたちは、幸運であり、同時に不運でした。ジム・ゴードンがこれほど気分よくプレイしている日はそう多くないのです。ほかの三人は、ジム・ゴードンの光り輝く圧倒的なプレイのまえに、ジェリー・ゴーフィンの歌詞とともに、ヌルの世界に送りこまれてしまいました。I only have eyes for youではなく、I only have ears for you, Jimmyです。

だれだったか、歌舞伎役者が、歌舞伎の見得というのは、いわばズームのようなもので、観客の目をぐーっと惹きつけるためのものだといっていました。たしかに、そういうことというのは起こるようです。ジミーがデーモンになった日には、わたしにはほかの音は聞こえなくなります。

◆ ワルツ・タイム、ジミーズ・タイム ◆◆
このNow That Everything's Been Saidというアルバム全体を通して、ジム・ゴードンは好調を維持しています。しかし、つぎつぎに霊感にうたれたフレーズを、正確かつデモーニッシュに表現しているこのSnow Queenは、とりわけ抜きんでています。これほど独創的なワルツ・タイムのプレイを、わたしはほかに知りません。

f0147840_022492.jpgジム・ゴードンは、ワルツ系を好んだ形跡があります。たとえば、バーズのGet to You(The Notorious Byrd Brothers収録)でのプレイ。Get to Youはヴァースが5拍子、コーラスがワルツ・タイムという変則的な曲ですが、5拍子というのは、3+2に分解できるので、ワルツ・タイムの変形とみなすことができます。変拍子もなんのその、ジム・ゴードンはGet to Youでも、4/4の曲のようにフィルインを叩きまくっていますが、とくにコーラスでのワルツ・タイムのプレイが際だっています。

しかし、このSnow Queenでのワルツ・タイムのプレイのまえでは、Get to Youでの名演も、いささか霞んでしまうほどです。イントロからして、もう千両役者が登場したことをひしひしと感じます。なにしろ、この地球でかつてスティックを握った人間のなかで、もっともタイムがよいと目されるドラマーですし、これは彼がふつうの人間の日ではなく、デーモンに変身した日の録音なので、1小節で十分にデーモンの出現を感じとれます。すごいドラマーというのは、最初の一打からすごいのです。

f0147840_034819.jpgそして、歌が出てくる直前、開幕のベルのようなロールの美しいこと! 当ブログでは、何度かジャズ・ドラマーをボロクソにこき下ろし、できもしないくせに、汚いロールなんかやるんじゃない、と罵倒したことがありますが、その正反対の霊、じゃなくて、例がここにあります。こういうロールを聴いて育ったドラム・クレイジーが、タイムの悪い半チクなジャズ・ドラマーの子供だましプレイなんかを聴いていられるかどうか、つもってもみなさいというのですよ。

タイム・キーピング以外のことはなにもしない「空の小節」でも、うまいドラマーは聴いていて楽しいものです。「デーモンの日」のジム・ゴードンはその最右翼で、デレク&ドミノーズのLet It Rainなんか、ライド・シンバルとバックビートを聴いていれば、あっというまに時間が過ぎていきます。

f0147840_045781.jpgこのSnow Queenのようなドラミングに出合うと、微細にプレイを分析したくなるのですが、そういうことは、すでにアカウントをとってあるもうひとつのブログ、「ドラム・クレイジー」(暇になるであろう五月には店開きしたいと思っている)でやるべきことのようなので、ここではできるだけ簡単に、とくに印象的なところだけかいつまんでみます。

ファースト・ヴァースからファースト・コーラスへのつなぎ目のところ(0:55あたり)に出てくる、シンコペートしたフロア・タムの一打からスネア、そしてシンバルへというフィルインが、最初のハイライトでしょう。何度か出てくるロールは、一カ所をのぞいてどれもみごと(3:10あたりのものはちょっとミスっている)。「空の小節」と同じパターンのスネアでも、強弱を変えてアクセントをつけるプレイもすばらしく、とくに1:25あたりからはじまる、強いアクセントの左手だけによる2打からロールへという一連のプレイは、惚れ惚れします。

このアルバムから、ドラミングだけあれば、ほかのものはいらないと感じるレベルの曲をあげておくと、Why Are You Leaving(ボビー・ウィットロックのSong for Paulaを思い起こさせるタムタムからフロア・タムへのフィルがみごと)、I Don't Believe It(ジム・ゴードンのシャッフルはハル・ブレインほどいいとは思わないが、これはかなりいい部類)の2曲。

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左からChris Wood, Rick Grech, Jim Gordn, Reebop

◆ 他のヴァージョン ◆◆
この曲の代表的なヴァージョンというと、やはりシティーではなく、ロジャー・ニコルズ盤をあげるべきでしょう。ヴォーカルもアレンジもこちらのほうが上です。ドラムはハル・ブレインの可能性を感じますが、ロジャー・ニコルズ自身は後年のインタヴューで、このトラックにかぎったことではなく、アルバム全体のプレイヤーとしてのことながら、チラとも聞いたこともない名前をあげていました。

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サイドスティックのプレイなので、プレイヤーの特定は困難ですが、タイムもプレイ・スタイルも端正で、無名の人には思えません。そういうことはおいておくとしても、ヴォーカルの声(こういうことは録音の仕方にも左右される。エンジニアはラリー・レヴィン)とアレンジに雰囲気があり、総体としては、キャロル・キング盤よりこちらのほうが、上ものは楽しめます。シティー盤のほうがすぐれている点は、ジム・ゴードンのドラミングだけです。

このRoger Nichols & the Small Circle of Friendsというアルバムは、アレンジャー陣が目を惹きます。ニック・デカロ、マーティー・ペイチ、ボブ・トンプソン、モート・ガーソンと、最初の3人は、当ブログでもなんらかのかたちで取り上げた人たちです。Snow Queenのアレンジはニック・デカロによるもので、アヴェレージの出来ですが、悪くありません。

f0147840_0202417.jpgもうひとつ、アソシエイションのヴァージョンがあります。Waterbeds In Trinidadという、もうヒットが出なくなった時期の、だれも買わなかったようなアルバムに収録されたものですが、これはこれで悪くない出来です。もともと、いいとか悪いとかいったグループではなく、バックトラックはスタジオ・プレイヤー、ヴォーカルはハーモニーばかりなので、スタジオ・シンガーがかわりにやってもわからないようなもので、勝敗の分かれ目は、アーティストの状態ではなく、楽曲の出来、アレンジ、プロダクションにあります。腐った時期でも、ある程度のレベルは維持できるということです。

このヴァージョンも、シティー盤同様、やはりドラムに尽きます。こちらのドラマーはハル・ブレインと推定して問題ないでしょう。上ものが弱いときには、自分が前に出て、場をさらうことをつねとしているハルですから、ピッチの高い追加タムも駆使しつつ(時期的に、すでにオクトプラス・セットのコンサート・タムは実戦配備済み)、フィルを叩きまくっています。デーモンに変身した絶好調日のジム・ゴードンのプレイより先に出すわけにはいきませんでしたが、こちらも十分に楽しめます。
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by songsf4s | 2008-01-25 23:39 | 冬の歌
Snow Queen その1 by the City
タイトル
Snow Queen
アーティスト
The City
ライター
Gerry Goffin, Carol King
収録アルバム
Now That Everything's Been Said
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Roger Nichols & the Small Circle of Friends, the Association
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当ブログは季節に添って歌を聴くという趣旨なので、いつも歌詞の検討をしています。季節が表現されるのは、主として歌詞だから当然のことで、イヤだと思ったことはありません。

あまりにも紋切り型で、日本語に移すのがちょっと馬鹿馬鹿しくなることはありますが、それもまた、わたしが愛したポップ・ミュージックという複雑な集合体の重要な属性です。それがイヤなら、音楽など聴かず、イェイツでも読んでいます。

f0147840_050719.jpgしかし、できることなら、すくなくとも一行はめざましいラインがあってくれたほうが、書いていて気分が高揚します。大昔のことはいざ知らず、わたしが育った60年代の作詞家でいうと、Snow Queenを書いたジェリー・ゴーフィンは、そういうラインをいくらでも書けた人で、時代を背負って立つぐらいの位置にいました。

しかし、作詞家というのは哀しいものだ、と思うことがあります。死ぬ思いをして一行、一句を吐きだしたとしても、思わぬ方面からの一撃によって、歌詞なんかどうでもいいや、と思われてしまうのです。ゴーフィンの歌詞を霞ませた存在については、あとでふれることにします。

◆ クラブ通いをする「雪の女王」 ◆◆
ちょっとした運命のいたずらで、結果的に、あってもなくてもかまわない刺身のつまになってしまった歌詞を、まあ、ほかならぬジェリー・ゴーフィンだから、ということで、見てみましょう。ファースト・ヴァース。

High on a snow-covered mountain
From her throne she looks down at the clowns
Who think youth can be found in a fountain
High on the wings of her rhythms
She will smile at the guys who come on with their eyes
But she'll never dance with them

「雪に覆われた山の高みで、彼女はその玉座から、若さが泉のなかで見つかると思っている道化師たちを見下ろしている、下心をもって近づいてくる男たちに、彼女はリズムの翼に乗って、高みからほほえみかける、でも、彼女が彼らと踊ることはけっしてない」

泉のなかに若さが見つかる、というところは引用のような感じがし、青空文庫にいって、大急ぎでアンデルセンの『雪の女王』を拾い読みしてみましたが、どうも関係があるようには思えません。

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Margaret Tarrant

すっきりしないまま、こんどは泉のなかからなにかが出てくる伝説があったような気がしてきて、記憶をまさぐってみました。アーサー王伝説で、泉のなかから女神が剣をもってあらわれたような気がするのですが、どうも記憶があいまい。あとで『架空地名伝説辞典』をみつけて調べることにし、ここは先を急ぐことにします。

辞書にはwith an eye toで、「……を目的として、……をもくろんで」とあるので、with their eyesは、それを複数形にしたものでしょう。

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Aubrey Beardsley

ファースト・コーラス。

And in smoke-filled rooms of electric sound
A legend is built around the Snow Queen

「そして、煙が立ちこめ、増幅された音の鳴る部屋で、『雪の女王』の伝説がつくられてゆく」

ここまでくれば、アンデルセンのことは忘れていいように思います。雪の女王という異名をとった女性、おそらくはじっさいにジェリー・ゴーフィンが知っていた人物のことを歌っているだけと感じます。煙と電気的音響といえば、当然、クラブでしょう。さかのぼって、ファースト・ヴァースの「リズムの翼に乗って」も、そこから出てきたフレーズと考えられます。

◆ 舌の上で蹴つまずく ◆◆
セカンド・ヴァース。

You may believe you're a winner
But with her you will soon bite the dust
And discover you're just a beginner
You may not think you're a loser
But in mid-air you'll be hung
While you trip on your tongue
And it'll only amuse her

「自分のことを勝者と思っているかもしれないが、彼女が相手では勝ち目はない、自分が青二才だということを思い知るのがオチだろう、自分のことを敗者とは思っていないかもしれないが、宙に吊され、舌をもつれさせることになるだろう、そして、それは彼女を娯しませるだけなのだ」

bite the dust、土埃を噛むとは、負けるという意味の熟語。ここは変形せずに、素直に成句を使っています。

trip of tongueなら、いいまちがいのことです。なにかにつまずくことをいう場合のtripです。言いこめられてヘドモドしてしまうことをいっているのでしょう。trip on tongueと動詞化したのは、ジェリー・ゴーフィンの創意ではないでしょうか。

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セカンド・コーラス。

In the morning air you are frozen there
Caught in the icy stare of the Snow Queen

「雪の女王の氷のような凝視にからめとられて、朝の冷気のなかで凍りつくことになるだろう」

ブリッジ。

No, my friend, she doesn't want what you're selling
Oh, my friend, there must be a place you can hide

「彼女はあなたが売り込もうとしているものなどほしくはない、どこかにあなたが隠れられる場所があるにちがいない」

前半はいいとして、後半はなんのことかよくわかりません。雪の女王の魔法から逃れたほうが身のためだ、ということでしょうか。

ややイレギュラーな構成ですが、ブリッジの直後に、まるでひとつながりのようにサード・コーラスがきます。

And into the night you'll fade
Knowing you lost the game
And just how she got her name of the Snow Queen

「そして、夜の闇へと消えていくことになる、ゲームに負けたことと、彼女が雪の女王と呼ばれるようになった理由を思い知りながら」

◆ ジェリー・ゴーフィンの迷い ◆◆
国内盤のライナーには「幻想的な歌詞」などと書かれていましたが、わたしにはそうは思えません。たんなる比喩として「雪の女王」といっているだけのことで、アンデルセンやその他のお伽噺とは無関係と読めます。

f0147840_13178.jpg外見上はきわめて魅力的で、男たちを惹きつけてやまず、自分でもそれをよく承知していて、男たちに魅力を振りまくけれど、「高み」から降りてきて、賛美者と「踊ること」はけっしてない、雪のように冷たい女性の話でしょう。歌詞には幻想的なところは見あたらず、そんなものがいくぶんでもあるとしたら、アンデルセンから借用したタイトルだけです。

さすがのジェリー・ゴーフィンも時代に翻弄されて、表現方法に迷いが出たのだな、と思うだけで、出来がいい歌詞とはいいかねます。同じころに書き、バーズが歌ったGoin' Backは、素直でいい歌詞なので、腕が落ちたわけではなく、時代との関係のなかで苦しみはじめただけでしょう。

歌詞よりもずっとだいじなことがあって、この曲を取り上げたのですが、そのだいじなことは、書いても書いても終わらず、しまいには収拾がつかなくなったので、今夜は雪の女王に頭を冷やしてもらうことにし、明日以降に再挑戦ということとさせていただきます。力みは失投につながるので、冷静になって出直しです。

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by songsf4s | 2008-01-24 23:56 | 冬の歌
Winter Has Me in It's Grip by Don McLean
タイトル
Winter Has Me in It's Grip
アーティスト
Don McLean
ライター
Don McLean
収録アルバム
Homeless Brother
リリース年
1974年
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ここまで冬の歌を聴いてきて思うのは、だいたいふたつに大別できそうだということです。アッパーとダウナーという、いつもの分類です。アッパー、ダウナーともに、冬の抑鬱的な気候に対する反応で、雑駁な言い方になってしまいますが、冬に勝つか負けるか、冬に立ち向かうか、冬にしてやられるか、という形式になるようです。

ディノのような全天候型は、冬は冬でまたオツなもんでね、てえんで、スキー場に向かう列車やコテージを最大限に利用しちゃったり(A Winter Romance)、吹雪に降り込められるという悪い状況(Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!Baby It's Cold Outside)も、タコな制御ソフトウェアがバグってエレヴェーターに閉じこめられたら、なんと美女と二人きりだった、みたいな幸運に転じてしまいます。しかし、これはまあ、銀幕の出来事のようなもので、ふつうの人間の場合、内部温度が低い状況で冬に遭遇するのは、弱り目に祟り目でしかありません。

というわけで、歌にも現実の人生を反映したリアリティーがもとめられるようになった70年代の、ふつうの人間がエネルギー・レベルの下がった状態を歌ったダウナーな曲の登場です。ドン・マクリーンの代表作American Pieは、あちこちにエニグマティックなところがある(じっさい、さまざまなことに暗示的に言及している)歌詞で、さながらグレイトフル・デッドの曲のように議論百出になり、そろそろ研究書でも出そうな騒ぎですが、本日のWinter Has Me in It's Gripは、いたってわかりやすい歌です。

◆ 冬の心と夏の海 ◆◆
それではさっそく歌詞へ。この曲はヴァースではなく、コーラスから入っているので、まずそのコーラス。

Winter has me in it's grip
Think I'll take a summer trip
On a sunny sailing ship
Where the shells lie in the sand

「冬にしっかりつかまえられてしまった、夏の旅でもしようか、ヨットにでも乗り、太陽を浴びて、貝殻が砂に埋まっている土地へ」

sailing shipは、そのままなら帆船です。それがドン・マクリーンの意図かもしれませんが、ヨットのことを指していると受け取っておきます。ヨットといっても、日本でいうひとり二人が乗るセコなのではなく(ああいう帆つき小舟は正確には「ディンギー」と呼ぶ。松本隆が「君は天然色」で「渚を滑るディンギーで」と書いたあれのこと。細部にこだわる作詞家なので、図体が大きく、とうてい「渚を滑る」わけにはいかない「ヨット」を避けたにちがいない)、あちらの金満家がかならずもっている、大きなキャビンのある外洋航行用機帆船のことです。

summer tripという表現もちょっと引っかからないわけではないのですが、ここはとりあえずこのまま通りすぎ、ファースト・ヴァースへ。

I feel so lonely
I'm too young to feel this old
I need you and you only
When the weather gets this cold

「ひどくさみしい、若いのだから、こんなに年老いた気分になるはずがないのに、こういうふうに寒くなると、きみが必要になる、ただきみだけが」

f0147840_0125085.jpgこれまでに見てきた冬のアッパーな歌が証明していますが、冬の必需品はパートナーです。パートナーが欠落すると、冬は必然的に陰鬱にならざるをえないという仕組み。いや、音楽の場合、つまるところ、アッパーとダウナーの分かれ目は、季節にかかわりなく、パートナーの有無にあるのですが、ほかの季節にくらべ、冬は一段とダウナーになるように思われます。

コーラスを繰り返したのち、セカンド・ヴァースへ。

There's no use in going
'Cause it's cold inside my heart
And it's always snowing
Since the day we broke apart

「でも、旅に出たって無駄なことだ、ぼくらが別れてからずっと、心のなかが冷え、いつも雪が降っているのだから」

面倒なことはなにもないようなので、サード・ヴァースへ。

I tried to run from winter
Like this spring and summer run to fall
But when the weather's in you
There's no hiding place at all, that's why--

「春から夏へ、そして秋へと、ずっと冬から逃げようとした、でも、自分のなかに季節があるのでは、どこにも逃げ場などありはしない、だから――」

といって、またコーラスへとつながります。this springといっているので、歌のなかの「現在」はまだ十二月なのかもしれません。旧臘中にこの曲のことを思いだしていれば、とも思いますが、どちらにしろクリスマス・ソングで忙しかったので、年明けにまわしたことでしょう。

◆ シンプルなコード・チェンジとバッキング ◆◆
コード進行はシンプルで、コーラスはG-Bm-C-D-C-D-F-Am-D、ヴァースも一部が異なるだけで、ほとんど同じです。フルートの間奏だけは、最後がEmなので、解決せずに、サスペンドした感覚を残します。エンディングもフルートなので、キーはGなのに、最後はEmですから、一回りせずに、宙ぶらりんで終わります。歌詞に合わせたエンディングにしたのでしょう。

f0147840_014994.jpgアコースティック・ギター2本、フルート、コーラス、ベル、ウッドブロック、タンバリンなどの軽いパーカッション類のみの静かなバッキングですから、サウンドの細部についてどうこうという意見はありません。

ただし、なにも考えずに手近なものですませたというわけではなく、歌詞の内容を考えたうえでのアレンジだと感じます。パーカッション・アレンジはかなり凝っています。また、I need you and you onlyのところの、ペダル・ポイント的に下降していくハーモニーは、なかなかパセティックで、ちょっと迫るものがあります。

大作American Pieにくらべれば、まったくささやかな小品ですが、ドン・マクリーンという人の本質は、こちらのほうにあるのでしょう。寂しいようで、自己憐憫のほのかな甘さもちゃんとある、なかなか好ましい歌です。Vincentがお好きな方なら、こちらも気に入るでしょう。

ドン・マクリーンは、American Pieの印象が強く残っていますが、キャリア全体を通してみると、基本的にはゴードン・ライトフットをひ弱にした、といってわるければ、上品にしたようなシンガーというふうに感じます。パセティックなバラッドを歌っても、過度に感傷的にならない資質があり、あっさりとしたあと口なので、とくにファンではありませんが、ときおり引っ張り出しては聴いています。

もうすこし書くべきこともあるようですが、この冬のあいだに少なくとももう1曲、できればさらに1曲、ドン・マクリーンを取り上げたいと思っているので、残りの話はそのときにでも。なにしろ、まもなく「あの人」の命日なので、十年以上遅れて「喪主」を買って出たドン・マクリーンの出番なのです。

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by songsf4s | 2008-01-23 23:57 | 冬の歌
A Winter Romance by Dean Martin
タイトル
A Winter Romance
アーティスト
Dean Martin
ライター
Sammy Cahn, Ken Lane
収録アルバム
A Winter Romance
リリース年
1959年
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またしても、クリスマス・ソングとの境界線上にある冬の歌です。この曲をタイトルとしたWinter Romanceというディーン・マーティンのアルバムには、クリスマス・ソング特集でとりあげた、White ChrismasLet It Snow! Let It Snow! Let It Snow!Baby It's Cold OutsiedeI've Got My Love to Keep Me Warmなどなどの曲が収録されています。

録音は1959年7月終わりから8月はじめにかけて、リリースは同年11月16日となっています。フィル・スペクターのクリスマス・アルバムなどでもそうですが、夏に録音するのは、典型的なクリスマス・アルバム制作手順ですし、11月中旬のリリースも同様です(だから、ペギー・リーのWinter Weatherはクリスマス・ソングとして録音されたわけではないといったのです)。

アルバムA Winter Romanceには、明らかなクリスマス・ソングがあるいっぽうで、そうではない曲もいくつかあって、ということは、ボーダーライン上の曲は、こちらで勝手に分類していいような気がします。カヴァーがなかったおかげで、この曲を収録したクリスマス・アルバムは見たことがないので(いや、ディノ自身のChristmas with Dinoには収録されていますが!)、とりあえず、いまのところは冬の曲とみなしても問題ないでしょう。いや、もう書いちゃったのだから、支障があっても、知ったことではありません。

◆ 幸運な偶然の奇妙な確率的偏差についての一考察 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

I never will forget the station where we met
You dropped your skis, a happy circumstance
No one would have guessed we had started
Started a winter romance

「ぼくたちが出逢ったあの駅のことはけっして忘れないだろう、きみはスキーを落とした、なんて幸運な出来事だったろう、あのとき、ぼくたちの冬のロマンスがはじまったことに、だれもひとり気づかなかったにちがいない」

ファースト・ヴァースを聴いて思うのは、これはディノにあてて書かれた曲だということです。彼のキャラクターを前提にしないと、こういう歌詞はリアリティーをもたないでしょう。

なぜ、あなたやわたしの場合、こういう幸運な出来事が起こらないのか? そんなことは、つもってみればわかろうというものです。偶然などではないのですよ。意図的、intentional、わざと、あえて、ま、なんでもよろしいが、ディノのような男の場合、向こうから「偶然」が転がり込んでくるのです。

その証拠をご覧に入れましょう。上のと同じジャケットですが、小さいと人物がどこを見ているかわからないので、大きくしてみます。

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おわかりかな? あるいは、こういうジャケットもあります。

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アーティストがDean Martin、アルバム・タイトルがPretty Baby、いやはや、なんともわかりやすいデザイン!

この場合も、彼女がディノを見ているのは「偶然」などではないのですよ。これで、happy circumstanceなんていうのは、ウソの皮だということがおわかりでありましょうな。エースや絵札はディノのような男に過剰に集まるのです。その結果として、それ以外の場所では過剰な欠如現象が起こるのですな。いまさらいうまでもないことですが、人生はゼロサム・ゲームなのですよ。

◆ 越冬可能なロマンス ◆◆
つづいて、セカンド・ヴァース。

And all the way to Maine
On that enchanted train
The passing scenery didn't get a glance
We held hands completely light hearted
Off to a winter romance

「メインに向かうあの夢のような列車の旅では、通りすぎる景色には目もくれなかった、ぼくらはなんの曇りもない楽天的な気分で手を握り合っていた、冬のロマンスに向かって」

景色に一瞥もあたえないことを、The passing scenery didn't get a glanceというように、人間ではなく、景色のほうを主体として、「目もくれてもらえなかった」としているところはちょっと笑えますが、あとはもう、勝手にしろ、というヴァースです。

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これがメインに向かう列車

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そしてこれがメインのスキー場

つづいてブリッジ。

We danced that night by candle light
The world was white with snow
The way we felt we never felt
The snow could melt and go

「あの日の夜、ぼくらはろうそくの灯に照らされて踊った、あたりは一面、雪で真っ白だった、あんな感じを感じたことはそれまでになかった、雪なんか溶けて消えそうだった」

歌うと、nightとlightの韻はいい響きです。The way we felt we never feltも、サミー・カーンの技を感じます。日本語にすると、ちょっと変で、やはり、語を重ねるのに向いていない言葉だと思いますが、まあ、ここは直さずにおきます。

しかし、この二人、なにしにスキー場にやってきたのやら。目的と行動が乖離しているように感じますが、それは第三者的見解にすぎず、たぶん、これで十分に目的と行動が一致していると当人たちは感じているのでしょう。

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これが二人に溶かされる前の雪の状態。溶かされたあとの雪は……そんな写真はない! しかし、この傾斜から考えて、雪崩を惹起したであろうことは想像に難くない。げに恐ろしきは愛の力なり。

サードにして、最後のヴァース。

But though the snow is gone
The romance lingers on
And those who said it didn't stand a chance
Will know when they see us together
That love's not been controlled by the weather
And all of our summers
We'll have our winter romance

「でも、雪は消えてもロマンスは残る、生き残る可能性なんかないといった連中は、ぼくたちがいっしょにいるのを見て、ぼくらの愛は天候に左右されるものではなかったことを思い知るだろう、そして、ぼくらは夏のあいだもずっと冬のロマンスをつづけるのさ」

f0147840_0365525.jpgなんだか、妙に理屈っぽいヴァースで、やや理に落ちる感なきにしもあらずです。作者のサミー・カーンは、じっさいにこういうことを周囲からいわれたことがあって、江戸の仇を長崎でとったのかもしれませんが。

love's not been controlled by the weather、愛は天候に支配されない、という表現はちょっと笑えます。夏の終わりの歌を特集したときに、ずいぶんたくさん、このたぐいの歌を見ましたが、それを冬にもってきたわけですな。夏の歌の場合は、夏の恋は秋風とともに終わる、という観念を肯定するもの、否定するもの、いずれもたくさんありますが、冬の歌ではめずらしいので、ひとつの趣向、耳目を惹く仕掛けにはなっています。

◆ ディノ・ヴァレンティーノ ◆◆
スキップ&フリップの片割れであり、バーズやフライング・ブリトーズにも在籍したことのあるスキップ・バッティンのソロ・アルバムに、Bye Bye Valentinoという歌があります。

f0147840_0414579.jpgリーノでルドルフ・ヴァレンティーノの映画を見た、という変な歌で、「Bye bye Valentino, I saw your movie in Reno, you've got a girl and conquer the world and I got tired and went to bed」すなわち「バイバイ、ヴァレンティーノ、リーノであんたの映画を見たぜ、あんたは女を手に入れ、世界を征服し、俺はうんざりしてベッドに入った」というのがコーラスになっています。好きでディノを聴いているのに、なんとなく、Bye Bye Valentinoを思いだしてしまいました。

ディノのような幸運偏在時空、ツキの特異点(『2001年宇宙の旅』に出てくる、モノリス発掘地点は「TMA-1=Tycho Magnetic Anomaly」すなわち「ティコの磁気特異点」なので、混同なさらないように)は、じつは運でもなんでもない、必然なのだと書きました。しかし、突き詰めて考えると、つまり、発生の段階までさかのぼれば、やはり、確率の悪魔の裏をかく幸運特異点なのです。

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こちらが月のティコ・クレイターにあるご存知TMA-1でのモノリス発掘現場

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こちらがご存知DLA-1、すなわち、ディノ幸運特異点

しかしまあ、わが身を振り返るなどという、なんの益もないことさえしなければ、ラッキーな「拾いもの」のことをヌケヌケと歌うディノは、やっぱり好ましいキャラクターです。はたから見れば、極楽鳥もはだしで逃げだすような、お気楽な身分に見えるけれど、それが仕事となれば、そうそう笑ってばかりもいられないだろうと思うことにしておきましょうや、ご同輩諸兄。

◆ レコーディング記録 ◆◆
当方も、ヴァレンティーノの映画を見たあとのスキップ・バッティンのように、疲れてベッドに入りたいところなのですが、よくよく考えたら、まだ歌詞を見ただけで、音にはなにもふれていませんでした。

むやみにくわしいデータを見つけてしまったので、そこからA Winter Romanceのセッション・メンバーを抜き出しておきます。1959年8月4日のセッション記録です。スタジオはハリウッド&ヴァインのキャピトル・スタジオ(あのタワーのなかにある)、プロデューサーはリー・ジレット、リリースにはテイク10が使われたとあります。

Dean Martin: Vocals
Gus Levene: Leader
Hy Lesnick: Contractor
Joseph R.(Bobby) Gibbons: Guitar
George Sylvester 'Red' Callender: Bass
Louis 'Lou' Singer: Drums
Ray I. Sherman: Piano
Kurt Reher: Cello
Eleanor Aller Slatkin: Cello
Kathryn Julye: Harp
Donald Cole: Viola
Alvin Dinkin: Viola
Virginia Majewski: Viola
Victor Bay: Violin
John Peter DeVoogt: Violin
Nathan Kaproff: Violin
Joseph Livoti: Violin
Daniel 'Dan' Lube: Violin
Erno Neufeld: Violin
Jerome 'Jerry' Reisler: Violin
Ralph Schaeffer: Violin
Gerald Vinci: Violin
Arnold Koblentz: Oboe
Mahlon Clark: Saxophone
Arthur 'Skeets' Herfurt: Saxophone
Edward Kuczborski 'Eddie' Kusby: Saxophone
Ronald Langinger: Saxophone
Emanuel 'Mannie' Klein: Trumpet

ちょっと説明しておくと、AFM(アメリカ音楽家組合)の支払い記録には、本名のフル・ネームを書くことが多いのです。正規の記録だからでしょう。ミドルネームがたくさん出てくるので、このリストはAFMの支払い伝票をもとにしたものだとわかります。

f0147840_132811.jpgレッド・カレンダーの本名が、ジョージ・シルヴェスターだっていうのが、なんだか妙に笑えました。レッド・カレンダーのほうがずっと大物っぽい名前です。じっさい、とんでもない大物ですからね。姿形からして大物なので、写真を出しておくことにします。

エリナー・スラトキンのミドル・ネームはめずらしい名前で、読めません。固有名詞発音辞典には、ドイツの川ならば「アーラー」と発音すると出ているので、そのあたりの音かもしれません。ほかの曲のクレジットを見ると、ご主人のフィーリクスもこのアルバムに参加しています。

◆ ハリウッド戦中裏面史 ◆◆
ハリウッドの歴史を読んでいて、ほう、そうだったのかと思ったことがあります。第二次大戦勃発直前ぐらいから、ナチスの迫害を逃れて、多くのユダヤ人がハリウッドにやってきたというのです。映画、文芸、その他の諸芸など、分野は広範かつ多様なのですが、当然、音楽家もたくさんやってきたことが記されています。ほかのセクションを見ていても、それほど強く感じないのですが、ストリング・セクションの名前を見ていくと、このリストにかぎらず、ほとんどがユダヤ人ではないかと感じます。

f0147840_1105034.jpgハリウッドは元来、WASPで構成される東部エスタブリッシュメントの追求(カメラ、映写機、フィルムの著作権ないしは使用料を徴収された)の手から逃げてきた、ユダヤ系の映画人がつくった町ですし、加うるに、音楽、芸能の世界にはもともとユダヤ系が多いので、このへんのことがまぎれてしまうのですが、このリストを見て、ストリング・セクションの何人かは、過去十数年のあいだに、ヨーロッパからやってきた人たちではないかと感じます。そういう視点からハリウッドを読むのも、なかなか興味深いものです。ビッグ・ショットがいっぱいやってきて、まるで筒井康隆の『日本以外全部沈没』みたいな騒ぎですから。

もう一度書くのは面倒なので、かつてAdd More Musicに書いた記事の注釈を参照していただこうかと思ったら、注釈ファイルへのリンクが壊れていたので、手もとの原稿から以下にペーストしておきます。これは「音楽の都ハリウッド」という記事の一部である「一瞬の光芒」という章につけた注釈です。親記事のほうはAdd More Musicで読めます。

 共産主義シンパかどうかといったこととは無関係に、この亡命者の群はきわめて印象的な集団である。
 作家、劇作家としては、ハインリッヒとトーマスのマン兄弟、ベルトルト・ブレヒト、フランツ・ヴェルフェル(妻のアルマの前夫はグスタフ・マーラーとヴァルター・グロピウスで、亡命するときもマーラーのオリジナル譜面をたずさえていた。グロピウスの作品もトランクに詰められるならもっていきたかっただろうが、あいにくバウハウスの校舎は持ち運べなかった)、ヴァルター・メーリンク、アントワーン・ド・サンテグジュペリ(『夜間飛行』を書いている最中だった)などがいた。
 映画人としては、フリッツ・ラング、ビリー・ワイルダー、オットー・プレミンジャー、ロバート・シオドマク、クルト・シオドマク、ピーター・ローレ、ルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワール(フランス映画界が丸ごと引っ越してきたような騒ぎだが、考えてみれば、このときフランスは存在しないも同然だったのだから、まさに丸ごと移住だったのだ)、音楽家としては、アルノルト・シェーンベルク、イゴール・ストラヴィンスキー、ブルーノ・ヴァルター、オットー・クレンペラー、エーリッヒ・コルンゴールトなどなどがいた。
 ついでにいえば、戦争のせいで亡命したわけではないが、それ以前からハリウッドにいて、開戦後も帰国しなかった、アルフレッド・ヒチコックやチャーリー・チャプリンのようなイギリス人もいた。

音楽関係としては、ここにはすでに名をなしていた作曲家しか登場しませんが、当然、プレイヤーたちも多かったにちがいありません。ディノのセッション記録を読んでいて、はじめてその点に思い当たりました。

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元グロピウス夫人が、アメリカにもってこようとして、もってこられなかった(かどうかは知らないが)、ヴァルター・グロピウスの設計になるバウハウスの校舎。いまではなんの変哲もない建物に見えるが、当時は革命的ともいえるほど斬新なデザインだった(のだろう、きっと)。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
結局、音そのものにはまったくふれずにすませてしまいましたが、アルバム・タイトルにもなっているし、オープナーにもなっているということは、つくった側がもっとも聴かせたい曲だということです。たしかに、作曲家としては自信作なのだろうと感じます。手が込んだ曲なのです。でも、こういうことは文字にしたところで、どうなるものではないのです。コードをとろうと思ったのに、ちょいちょいと数分でできるものではないと、すぐに投げてしまいました。

ディノが、いつもよりちょっときちょうめんに歌っているのも、タイトル・カットだという意識からきたものでしょう。アヴァンチュールのように見られがちな、旅での出逢いが永続的なものになる、という歌だから、お得意のちゃらんぽらん、ノンシャラン風の演技をすると、歌詞の主張を裏切ることになってしまうのでしょう。でも、ディノには、なにごとも向こうから転がり込んでくるツキ男のふまじめさを貫いてほしいものと感じます。われながら、撞着したことをいっていますが。
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by songsf4s | 2008-01-22 23:54 | 冬の歌
Winter Weather by Peggy Lee with the Benny Goodman Orchestra
タイトル
Winter Weather
アーティスト
Peggy Lee with the Benny Goodman Orchestra
ライター
Ted Shapiro
収録アルバム
The Complete Recordings 1941-1947
リリース年
録音1941年11月27日(リリースは1942年?)
他のヴァージョン
The Pied Piper
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すでに何度か同じことを書きましたが、本日のWinter Weatherにもまたクリスマス・ソングの「魔の手」が伸びています。すでにペギー・リー盤を収録したA Big Band Chrismasというものがあるのです。

しかし、ペギー・リーのセッショノグラフィーを読むと、この曲は1941年11月27日および同年12月10日(ラジオ放送用と思われる)に録音されています。ラジオのほうは、ディスクに録音したのであっても、間をおかずに放送したのでしょうが(東部と西部の時刻のズレを調整するために、ディスクに録音することもよくあった)、11月27日のニューヨークでのスタジオ録音は、クリスマス・リリース用としては、ちょっと手遅れです。つまり、クリスマス・ソングのつもりはなかったのではないでしょうか。

◆ またしてもdueをcollect ◆◆
それでは歌詞を見てみます。2ヴァースなのか、1ヴァースなのか、構成が明確ではないのですが、いずれにしても短いので、以下にすべてをひとまとめにかかげます。ペギー・リー/ベニー・グッドマン盤とパイド・パイパーズ盤のあいだに、大きな異同はありません。

I love the winter weather
So the two of us can get together
There's nothing sweeter, finer
When it's nice and cold
I can hold my baby closer to me
And collect the kisses that are due me
I love the winter weather
'Cause I've got my love to keep me warm

「冬の天気が大好き、二人がくっついていられるから、冬ほど楽しくて、素敵なものはない、すごく寒いときには恋人とぴったりくっついて、すべてのキスを手に入れられる、冬の天気が大好き、わたしを暖めてくれる人がいるから」

短いわりには、わかりにくい、または、日本語にしにくい箇所の多い歌詞です。まず引っかかったのはSoです。そうって、いったいどこがそうなんだよ、ですが、文法的にはよくわからないものの、文脈からすれば、forとかcozのような意味で使われていると考えて問題ないでしょう。こういうsoの使い方は、文法的にどう説明されるのか、よくわかりません。イレギュラーな用法に思えます。

f0147840_0243574.jpgsweeter, finerの箇所は、ペギー・リー/ベニー・グッドマン盤のなかで、後半、ヴォーカルがアート・ロンドン(後年の芸名であるアート・ランドとクレジットしている盤もあり)に交代すると、sweeter or finerと歌っています。どちらでも意味上の大きな違いはありませんが。

そして、一昨日のDire Wolf by Grateful Dead その2に引きつづき、dueをcollectするという言いまわしの登場です。ここもわたしにはイレギュラーな用法に思えます。本来なら、collect the kisses that are due to meと、dueのあとにtoがないとまずいのではないでしょうか。

意味としては、一昨日も書いたように、「本来、権利をもっているものを手に入れる」ですから、「わたしに所有権のあるすべてのキスを入手する」となります。日本語にするから奇妙なのだということはわかっていますが、しかし、こういうところでdueをcollectすると表現するのは、ネイティヴにとっても、すくなくとも、いくぶんかは耳に立つのではないでしょうか。そういう効果を狙ったものに思えます。

◆ ビッグバンド時代のシンガー ◆◆
はじめに、ペギー・リー/ベニー・グッドマン盤の録音日付をわざわざ書いたのは、2種類のヴァージョンが接近した時期に録音されていることを示すためばかりではありません。多少は歴史に対する関心のある方は、そのことにすぐに気づかれたでしょう。

この曲が放送された(ないしは放送用録音がおこなわれた)1941年12月10日は、あちらの時間では、太平洋戦争開戦の3日後にあたります。このとき、ほかにNot mine、Not A Care In The World、Why Don't You Do Right?の3曲を放送ないしは録音したことが記録にあります。このタイトルには意味があるような気がします。「この世に気にかかることはなにもない」「どうしてあなたはきちんとできないの?」というタイトルですからね。

f0147840_039417.jpgそういうことが関係あるのかどうか、ペギー・リー/ベニー・グッドマンのWinter Weatherはアップテンポで、なかなかのグッドフィーリンです。上記の歌詞だけで、どうやってもたせるのかと思うかもしれませんが、スウィングの時代なので、インストゥルメンタル・パートが長いのです。

わたしはこの時代のプレイヤーにはさっぱり不案内なのですが、ご興味をお持ちの方もいらっしゃるでしょうから、コピーしておくと、Mel Powell (a, p), Eddie Sauter (a), Benny Goodman (cl), Sol Kane, Clint Neagley (as), George Berg, Vido Musso (ts), Chuck Gentry (bar), Al Davis, Joe Ferrante, Jimmy Maxwell (t), Cutty Cutshall, Lou McGarity (tb), Tom Morgan (g), Sam Weiss (b), Ralph Collier (d), Peggy Lee, Art London (v)というメンバーになっています。

知っている名前はヴィドー・ムソーだけです。ハル・ブレインがその回想記Hal Blaine and the Wrecking Crewのなかで、トミー・サンズが引退したあとの、落ち着かない時期にやった仕事のひとつとして、ヴィドー・ムソー・バンドをあげています。

f0147840_041199.jpg話が脇に逸れましたが、スウィングの時代には、歌手はいわばバンドの付属物、主体はバンド・リーダーおよびバンドのほうにあります。いまでは、Peggy Lee and the Benny Goodman Orchestraなどというクレジットで売られていますが、あの時代には、The Benny Goodman Orchestra with Peggy Leeだったのではないでしょうか。リーダーの名を冠したオーケストラの名前だけがあり、歌手の名前がないもののも山ほどあります。

f0147840_0451973.jpgしたがって、当然、しばしば、長いインストゥルメンタル・イントロ and/or ブレイクがあります。Winter Weatherの場合は、中間にベニー・グッドマンのクラリネット・ブレイクがあり、後半、アート・ロンドンの歌になります。

スウィングの時代のいいところは、ソロはそれほど重要ではなく、バンド、つまり管のアンサンブルに重心がかかっていることです。この曲でも、もちろん、ベニー・グッドマンのソロもいいとは思いますが、それよりも、サックスを中心とした管のアンサンブルの豊かさがグッドフィーリンを生む源泉になっています。

後年のペギー・リーはとくに好きな歌手ではないのですが、ベニー・グッドマン・オーケストラ時代は、声もシンギング・スタイルもあっさりとあと口がよく、女性シンガーは若いうちが花、という当方の年来の考えが、またしても(残念ながら)裏づけられてしまいました。色香を失いはじめると、「技」とかいう無意味なものを意識してしまうのでしょう。技で食えるなら、だれも苦労はしません。芸事の場合、通人は別として、おおかたの客が買ってくれるのは、本人にもよくわからない、曖昧模糊としてとらまえどころのないsomethingのほうなのです。

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◆ 革命的グループ ◆◆
わが家にはもうひとつ、パイド・パイパーズによるWinter Weatherがあります。この記事を書くために、彼らのバックグラウンドをいろいろ読んでみたのですが、勉強になりました。いや、大部分はみなさまには無関係なことで、ハリウッド音楽史の脚注をいくつか手に入れたというだけなのですが。

f0147840_0481675.jpgパイド・パイパーズ盤Winter Weatherはミディアム・テンポで、ペギー・リー/ベニー・グッドマン盤よりかなり遅くやっています。しかし、これはこれで、やはりグッド・グルーヴがあります。

この曲でもおそらくアレンジとコンダクトを担当したであろうポール・ウェストンは、トミー・ドーシー・オーケストラのアレンジャーだったときに、パイド・パイパーズといっしょに仕事をし、のちに彼らが独立して、キャピトルと契約してからは、多くの録音でアレンジをしています(パイド・パイパーズがハーモニーをつけたジョニー・マーサーのJingle Bellsも、やはりポール・ウェストン・オーケストラによるバッキングだった)。そのウェストンのパイド・パイパーズ評。

The Pipers were ahead of their time. Their vocal arrangements were like those for a sax section and a brass section, and they would interweave, singing unison or sometimes sing against each other's parts. It was revolutionary and we'd never heard anything like it.

「パイド・パイパーズは時代の先をいっていた。彼らのヴォーカル・アレンジメントは、サックス・セクションやブラス・セクションのアレンジに近いもので、ユニゾンで歌ったり、ときにはお互いに相反するラインを歌ったりというぐあいで、彼らのハーモニーは交錯した。あれは革命的なスタイルで、われわれはあのようなものをかつて聴いたことがなかった」

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発足当時のキャピトル・レコードのスタッフと経営者。左からポール・ウェストン、ジョー・スタフォード(パイド・パイパーズ)、経営者でもあり、アーティストでもあったジョニー・マーサー、そして、ジューン・ハットン。

パイド・パイパーズのハーモニーについてわたしが感じるのも、ウェストンがいっているのと同じようなことです。interweave=織りなす、という言葉でウェストンがいっているのは、それぞれのラインがメロディー、3度、5度というように、つねに並行しているのではなく、メロディーより高いラインを歌っていたのが、すっとメロディーの下にさがったりすること、つまりラインが交錯することでしょう。

f0147840_105417.jpgわたしは、コードを分解しただけみたいなハーモニーなら、むしろないほうがいいと思うタイプの人間なので、パイド・パイパーズのヴォーカル・アレンジメントは理想的なものに感じます。こういうハーモニーなら退屈しませんし、シンガーの個性を過度に殺すこともありません。この「個性のオーヴァーキル」こそ、わたしが凡庸なヴォーカル・ハーモニーを嫌う理由のひとつです。たしかに、声のハーモニーは美しいのですが、夕暮れの富士山だって3分見ていれば飽きます。凡庸なハーモニーは8小節聴けばあくびが出ます。

最近になって、パイド・パイパーズを「発見」して興奮したのは、そういう意味です。彼らのようなハーモニーなら、LPまるごと聴いても飽きません(ポール・ウェストンのアレンジとオーケストラのレベルが高いことも重要)。適度にくっつき、適度に離れる呼吸のよさは、そんじょそこらのヴォーカル・グループにはないもので、キング・シスターズの「発見」と併せて、思わず、40年代から50年代のコーラス・グループの渉猟にとりかかってしまったほどです。40年代こそ、アメリカのヴォーカル・グループの黄金時代だと、わたしの直感が叫び、飛び跳ねている最中なのです。

パイド・パイパーズのWinter Weatherは、彼らの「時代の先をいく」スタイルが直接にあらわれたトラックではありません。ハイ・テクニックは抑え、リスナーをグッド・フィーリンにさせることに徹した、という印象です。もちろん、音楽なのだから、グッド・フィーリンさえあれば、不満のあろうはずもありません。

◆ ジョニー・オーティスの慨嘆 ◆◆
ジョニー・オーティスは、R&Bの誕生にふれて、ああいうバンドというのは、要するに、経済的な問題に「押しつぶされたビッグ・バンド」なのだと表現しました。初期R&Bバンドの4管編成というのは、「管のハーモニーにテンションをつけられる最低限の人数」だというのです。オーティスはビッグバンドの時代にキャリアをスタートした人ですから、管が大勢いた時代を懐かしがっています。

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Johnny Otis "Upside Your Head!: Rhythm and Blues on Central Avenue" リズム&ブルーズ発祥の地と目される、LAのセントラル・アヴェニューを本拠とし、40年代、50年代にLA音楽シーンの立役者となったジョニー・オーティスの回想記。表紙もオーティス自身。近年は画家、料理人として活躍中らしい。

オーティスがいっているのは、第二次大戦後、1940年代後半から50年代はじめのの状況です。ビッグバンドに比較すれば相対的に貧弱な4管編成だったために、ギターやドラムが前に出なければならない(つまり、早い話がデカい音を出さなければならない)必要性が生まれ、それがロックンロールの誕生とその基本的なサウンドにつながるのですが、それはべつの話。

40年代前半の音楽を聴いていると、ジョニー・オーティスの嘆きがよくわかり、いまから握手しにいきたくなります。Winter Weatherのふたつのヴァージョンを聴いていても、ヴォーカルのみならず、それと同じほどに、管の豊かな響きが耳に残ります。ヴォーカル・グループばかりでなく、管のアンサンブルに関しても、1940年代前半がやはり「黄金時代」なのではないでしょうか。

レコーディッド・ミュージックの時代というのはありがたいものです。はるか昔に失われ、おそらく、二度と取り戻せないであろう豊かな音の響きを、一歩も家の外に出ることなく、暖かい部屋にいながらにして楽しめるのですから。I love the winter weather!
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by songsf4s | 2008-01-21 23:56 | 冬の歌