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Christmas Island by the Andrews Sisters
タイトル
Christmas Island
アーティスト
The Andrews Sisters
ライター
Lyle Moraine
収録アルバム
Their All-Time Greatest Hits
リリース年
1946年
他のヴァージョン
The Lennon Sisters
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クリスマス・ソング特集はまだ二曲しかやっていないのに、すでにヴァージョンのあまりの多さ、歌詞の馬鹿馬鹿しさにへこたれています。そこで、ヴァージョンがすくなく、歌詞に多少は意味のあるものをあれこれ選った結果、この曲がよかろうと考えました。

◆ ジングル・ベルも雪ももううんざり ◆◆
以下の歌詞は、わが家にあるアンドルーズ・シスターズ盤とはいくぶん異なる、ジミー・バフェット盤の歌詞を参照し、前付けの部分を加えたものです。

Let's get away from sleigh bells
Let's get away from snow
Let's make a break some Christmas
Dear, I know the place to go

「スレイ・ベルはもうたくさん、雪もうんざり、クリスマスの休みにはどこかへいきましょう、いいところがあるのよ」

ここまでの4行はアンドルーズ盤にはありません。よけいな説明といえばそうなのですが、あってもわるくない前付けだと思います。スレイ・ベルには、わたしも少々うんざりしていますし、年をとって、どんどん気温が下がっていくいまの時季も、ちょっとつらく感じるようになったので、こういう歌は当方の気分にも合っています。

The Andrews Sisters - Christmas Island


あまりやりたくはないのですが、アンドルーズ・シスターズ、レノン・シスターズという、いにしえの「ガール・グループ」(とは当時はいわなかったでしょうが)に敬意を表し、今回は女言葉でいきます。では、アンドルーズ盤の歌い出しの部分を。

How'd you like to spend Christmas on Christmas Island?
How'd you like to spend the holiday away across the sea?
How'd you like to spend Christmas on Christmas Island?
How'd you like to hang a stocking on a great big coconut tree?

f0147840_0325155.jpg「クリスマス島でクリスマスを過ごすのはいかが? クリスマス休暇に海を渡って遠出をするのはいかが? クリスマス島でクリスマスを過ごすのはいかが? ものすごく大きなココナツの木にストッキングを吊すのはいかが?」

ストッキングを吊すといっても、もちろん洗濯をするわけでもなければ、昔のハリウッド映画にあったような、色っぽいお誘いでもありません。いうまでもなくサンタ・クロースへのお誘いです。クリスマス島については後段で。

◆ ところ変われば、乗り物も変わる ◆◆
以下はコーラス。

How'd you like to stay up late, like the islanders do?
Wait for Santa to sail in with your presents in a canoe
If you ever spend Christmas on Christmas Island
You will never stray for everyday
Your Christmas dreams come true

「島の人たちみたいに、遅くまで眠らず、サンタがプレゼントをカヌーに載せてやってくるのを待つのはいかが? 一度でもクリスマス島でクリスマスを過ごせば、二度と夜遊びをすることもなくなるわよ」

サンタクロースの乗り物というのは、ノヴェルティー系のクリスマス・ソングでは重要な趣向のひとつです。すぐに思い浮かぶものでも、ホットロッド、ロケット、象など、さまざまな乗り物が登場しています。

f0147840_034599.jpgstrayは迷うこと、彷徨うことをいいますが、女性が男に向かっていうのだからして、midnight paradeのことをいっているのだろうとみなしました。降誕祭という名前の付いた場所なのだから、という心ではないでしょうか。

管のアンサンブルによる間奏をはさんだあとは、ブリッジの繰り返しですが、最後に「止め」の一行が加えられています。

How'd you like to stay up late like the islanders do?
Wait for Santa to sail in with your presents in a canoe
If you ever spend Christmas on Christmas Island
You will never stray for everyday
Your Christmas dreams come true


◆ Discover Christmas Island (but which?) ◆◆
まず、クリスマス島とはどこのことなのか、という問題について。辞書で見るかぎりでは、クリスマス島という島は二カ所あります。ポリネシアのキリバス共和国はライン諸島にあるものと、オーストラリア領のものです。アメリカに近いという単純な理由によりますが、この曲が想定しているのは、キリバス共和国のクリスマス島のほうだと思います。なんだか地理のお勉強みたいですが、以下に世界大百科のクリスマス島の記述をコピーしておきます。

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なんだかサンタクロースのブーツのように見えなくもない

「中部太平洋、キリバス共和国のライン諸島中の環礁(北緯1"59'、西経157"30')。周囲約160kmにおよび、純粋のサンゴ礁島としては世界最大。面積364平方キロ、人口1288人(1978年)。1777年にキャプテン・クックにより初めて西欧人の知見に入った。当時、島に多数の住居址はあったものの、無人であった。島名は、クックがここでクリスマスを過ごしたことによる。1888年英領となった。19世紀半ば以降グアノが採掘され、20世紀に入ってからはココヤシのプランテーションが始まった。1956‐58年にイギリスの、62年にはアメリカの、それぞれ核実験場とされた。キリバス独立後は、漁業を中心とする同国の経済センターの一つとして発展している」

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たしかに、サンゴ礁島としては大きいと思いますが、人口は少ないですねえ。従業員1300人なんて工場は、日本中にざらにあるでしょうし、それくらいの人が働いているオフィス・ビルもかなりあるでしょう。「西欧人の知見に入った」という生硬な表現は、おそらく「発見」という不正確な表現を避けたためのものと思われます。昔、「コロンブスの新大陸発見」といっていたことは、近ごろの学校ではどう教えているのでしょうか。

なんだって、ポリネシアの島にクリスマス島などという名前がついているのかという謎は、キャプテン・クックで氷解です。いまになると、なにを好き勝手なゴタクをほざいているのやら、と思いますが、島の名前を聞こうにも、無人ではどうにもならないですね。

子どものころにこの島の名前を聞いた覚えがあったのですが、核実験場としてニュースで見たのだということがわかりました。この歌ができたころには、まだそんな未来は予見できなかったわけで、結果的に、ちょっと皮肉な歌詞になってしまったようです。

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キャプテン・クックのクリスマス島地図

よせばいいのに、いろいろ読んでみたところ、キリバス共和国のスペルがなぜKiribatiという妙ちきりんなものなのかという理由がわかりました。キリバスの言葉にsの音をあらわす文字がないため、tiで代用しているのだそうです。キリバスというのは、Gilbertの意味だそうです(昔、ギルバート諸島といっていたのをご記憶でしょうか)。

で、クリスマス島を現地ではKiritimatiと書き、kee-rees-massと発音するというのだから、カタカナにすると「キーリースマス」あたりということになります。あんた、発音、なまってるよ。

◆ 真贋の謎 ◆◆
アンドルーズ・シスターズは1930年代終わりから1950年代はじめにかけて活躍した、ミネアポリス出身の3人組女性コーラス・グループです。わたしよりふたまわり上の音楽ファンは、こういう説明を読んだら、ビートルズとは何者かと説明するような愚劣なことだ、とお怒りになるでしょう。それくらいに無数のヒットのある人たちです。

f0147840_0455912.jpgわたしはアンドルーズが活躍した時代には生まれていないので、彼女たちのことを知ったのは、ベット・ミドラーのBoogie Woogie Bugle Boyのカヴァーを通じてのことでした。その後、ベスト盤を手に入れ、いい曲ばかりなのに驚きました。Boogie Woogie Bugle BoyやBeat Me Daddy Eight to the Barのような「リズムもの」だけでなく、ミディアム・バラッドもうまくて、なるほど、第二次大戦をはさんだ時期、グレン・ミラーと並ぶトップ・アーティストだったというのも当然だと納得しました。

このChristmas Islandは、第2次大戦終結の翌年、1946年9月の録音で、その年のクリスマスにヒットしたそうです(B面はWinter Wonderland)。でも、問題があります。わたしが所持しているMCAの2枚組CDには、再録音ヴァージョンが多数混入しているのです。Christmas Islandも、1946年、すなわち、アンペクスのテープ・マシンが登場する以前の、ダイレクト・カッティング時代の録音にしては、音がよすぎるように感じます。

f0147840_048944.jpgBillboard Greatest Christmas Hits 1935-1954という編集盤に収録されたChristmas Islandも同じテイクなので、ひょっとしたら、もとから非常にいい音で、それをディジタル技術でクリーンアップしただけかもしれませんが、どなたかご存知の方がいらしたら、ご教示を願いたいものです。オリジナルのSPを確認しないといけないので、むずかしいでしょうが。

f0147840_0493066.jpgレノン・シスターズ盤は、アンドルーズ盤よりテンポを速くし、歌詞の設定に忠実に、ハワイアン風にやっています。といっても、ウクレレとスティール・ギターの飾りをつけただけのことです。わたしは大昔の女性コーラス・グループにはコロッとやられる傾向があるのですが、だれでもいいというわけではないことが、レノン・シスターズのChristmas Islandで確認できて、ホッとしました。残念ながら、アンドルーズやキング・シスターズのように、すばらしい声の人はいませんし、圧倒的なアンサンブルでもありません。

こうした「シスターズもの」(と昔の日本のジャズ・ファンは呼んでいたとか)の声のブレンドがつくりだす独特の味わいは、エルヴィス以後の時代には、みごとにこの地上からかき消されてしまうわけで、いま、こうして彼女のたちの歌声を聴き、ゆらりゆらゆらと南国気分にひたれるのはまことにありがたく、録音技術というものに感謝したくなります。


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アンドルーズ・シスターズ&ビング・クロスビー
A Merry Christmas with Bing Crosby & The Andrews Sisters
A Merry Christmas with Bing Crosby & The Andrews Sisters
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by songsf4s | 2007-11-30 00:15 | クリスマス・ソング
Jingle Bell Rock by Bobby Helms
タイトル
Jingle Bell Rock
アーティスト
Bobby Helms
ライター
Joe Beal, Jim Boothe
収録アルバム
Fraulein: The Classic Years
リリース年
1957年
他のヴァージョン
Chet Atkins, Brenda Lee, Chubby Checker and Bobby Rydel, Herb Alpert & the Tijuana Brass, the Three Suns, Neil Diamond, Hall & Oates, the California Raisins
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ロックンロール時代につくられた「新しいクリスマス・ソング」、つまり、トラッドでもなく、ティン・パン・アリーの時代につくられたものでもない、という意味にすぎませんが、そのなかで好きな曲を指折り数えてみると、年代的にいって、まずトップにこのボビー・ヘルムズのJingle Bell Rockがきます。

多くのカヴァー・ヴァージョンが生まれ、すでにクラシックといってよい曲ですが、うちにあるものをくらべてみると、やはり、オリジナルのヘルムズ盤がいまでももっとも出来がよいと感じます。そのあたりについては、のちほどということに。

Bobby Helms - Jingle Bell Rock (original recording)


◆ 「ロック」という言葉の響き ◆◆
歌詞をみていくことにしますが、昨日のSleigh Ride同様、景気がいいばかりで、これといった意味のない歌です。ともあれ、ファースト・ヴァース。

Jingle bell, jingle bell, jingle bell rock
Jingle bells swing and jingle bells ring
Snowing and blowing up bushels of fun
Now the jingle hop has begun

f0147840_034570.jpg解釈するような歌詞ではないのはおわかりでしょう。ジングルベルが振れて、音が鳴るとか、クリスマスのダンス・パーティーがはじまったとか、まあ、そんなことを景気よくいっているだけです。bushelは重量の単位ですが、こういう場合はa lot ofなどと同じような意味です。hopはダンスまたはダンス・パーティーのこと。

ここで重要なのは、jingle bellという言葉に、rockという「新しい流行語」をつなげたことだけです。そう、rockという言葉が新しい響きをもっていた時代があったのです。そういう時代の気分がこのタイトルに反映され、それがこの曲の大ヒットのいくぶんかの裏づけとなったにちがいありません。

Jingle bell, jingle bell, jingle bell rock
Jingle bells chime in jingle bell time
Dancing and prancing in jingle bell square
In the frosty air

ここもまた解釈するほどの意味はなく、日本語にすると馬鹿馬鹿しく見えるヴァースです。pranceは跳ねることなので、dancing and prancingは踊り跳ねるということになります。

ジングル・ベル・スクエアという有名な場所があるのかと思い、ちょっと調べてみましたが、見あたりませんでした。この3語で検索すると、この歌詞ばかりがヒットしてしまいます。特定の場所を想定したわけではなく、日本でもときおり駅前などに大きなベルが置かれていたりしますが、そういうものを思い浮かべればいいのでしょう。

◆ アップデイトしたJingle Bell ◆◆
以下はブリッジ。

What a bright time
It's the right time to rock the night away
Jingle bell time is a swell time
To go gliding in a one-horse sleigh

rock the night awayは、一晩中踊り明かそう、ぐらいのところ。swellは形容詞の「すばらしい」という意味で使われているのでしょう。one-horse sleighは、Jingle Bellの冒頭「Dashin' through the snow, in a one-horse open-sleigh」の引用でしょう。一頭立ての橇という意味です。ここに、ロックンロール時代のJingle Bellとして、この曲を書いたという作者の意図が見えます。

Giddy-up jingle horse
pick up your feet
Jingle around the clock
Mix and a-mingle in the jingling feet
That's the jingle bell
That's the jingle bell
That's the jingle bell rock

f0147840_0233817.jpggiddyupは、馬へのかけ声で、進め、進めといった感じ。ここでのpick upは、「スピードを出す」という場合の使い方でしょう。giddyupの同類、言い換えにすぎません。mingleはmixと同様の意味で、mix and mingleは、漢熟語などにもあるような、口調を整える意味で、音を変えながら同意語を反復しただけでしょう。jinglingはチリンチリンと音をたてることですが、jingling feetといっても、足音ではなく、馬につけた鈴が鳴っているということでしょう。

コードは簡単だし、音程のジャンプもなく、歌いやすい曲なので、ちょっとやってみようかという方のために、いちおう歌詞を見てみましたが、意味らしい意味はなく、要するに、軽快に、明るく歌えばいいだけの曲だとおわかりいただけたでしょう。

◆ ナッシュヴィルのエースたちの手腕 ◆◆
歌詞にはたいした意味はなく、わたしが気に入っているのは、楽曲と軽やかなサウンドです。たまたま、ベア・ファミリーの2枚組ベスト盤にセッショノグラフィーが載っているので、以下にデータを書き写します。

録音日は1957年10月29日、場所はナッシュビルのBradley Film & Recording Studio、プロデューサーはポール・コーエン。パーソネルは以下の通り。

Bobby Helms……vocal
Thomas Grady Martin……guitar
Walter "Hank" "Sugarfoot" Garland……guitar
Roy Q. Edenton or Harold Ray Bradley……rhythm guitar
Bob L. Moore……bass
Murray M. "Buddy" Harman Jr.……drums
Owen Bradley……piano
(poss.) Anita Kerr Singers……vocal chorus

バディー・ハーマン、シュガーフット・ガーランド、グレイディー・マーティン、ハロルド・ブラッドリー、オーウェン・ブラッドリーといった、50年代後半から60年代前半にかけてのナッシュヴィルのレギュラー、エース級がずらっと顔をそろえています。ケイデンス時代のエヴァリー・ブラザーズなどと共通するメンバーです。

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左からボブ・ムーア、グレイディー・マーティン、バディー・ハーマン

だからといって、派手なプレイをしているわけではありません。50年代から60年代はじめまでのプロというのは、いたってストイックなもので、必要以上のことはしません。バディー・ハーマンは、いわばナッシュヴィルのハル・ブレインで(ロイ・ナップ・パーカッション・スクールではハーマンのほうが先輩。60年代のアメリカ音楽を支えた二人のドラマーが同じ音楽学校の出身だというのには驚く)、無数のセッションでプレイしていますが、63年以後のハル・ブレインのような、ド派手なトラックはありません。安定したビートを提供することを本分とした、昔気質のドラマーです。60年代初期のエルヴィスのヒット曲で、彼のプレイを堪能することができます。

バディー・ハーマンのシンプルで安定したプレイが代表するように、ナッシュヴィルらしい独特のグルーヴがあるところがこの曲の大きな魅力です。シャッフル・ビートというのは、平板にやってはいけないもので、ゆりかごが揺れるような、それこそ、「スウィング」する感覚がないと心地よくないものです。さすがは50年代の人たちは、自然に気持ちのよいシャッフル・ビートをつくっています。時代が下るにつれて、シャッフルの技は忘れられていくわけで、いまになると人間国宝的な技に思えます。

◆ 失われた伝統芸、シャッフル・フィール ◆◆
そのことは、近年のカヴァーを聴けばよくわかります。どれもみなひどいものです。シャッフル・フィールのない、たんなるバックビートしか叩いていません。ニール・ダイアモンド盤しかり、ホール&オーツ盤しかり、カリフォルニア・レーズンズ盤しかり。そろいもそろってダメなドラマーばかりです。

こうしたドラマーたちに、「シャッフルのスウィング感」なんていっても、「そりゃなんのことだ?」と聞き返されてしまうにちがいありません。エイト・ビートとシャッフルの本質的な違いは、音符の並び方などではなく、グルーヴのちがい、「気分のちがい」なのだということもわかっていないボンクラどもです。この30年ほどの音楽の我慢ならない腐れぶり、ドラマーの堕落ぶりが、この三つのヴァージョンに凝縮されて詰まっています。ただデカいビートを叩くことしかできないのでは、ドラマーとはいえないでしょう。そんなのばかりになってしまったので、わたしは同時代の音楽と縁を切ったのです。

あまりいいカヴァーはないのですが、そのなかでチェット・アトキンズ盤は、アレンジ、サウンドは安直でまったくいただけないものの、ギター・プレイの凄みは堪能できます。いつ聴いても、どの時代のプレイでも、チェット・アトキンズはわたしにはエイリアンです。どうしたらこんなプレイができるのか!

Chet Atkins - Jingle Bell Rock


このチェット・アトキンズのクリスマス・アルバム、East Tennessee Christmasは80年代の録音ですが、わたしが知るかぎり、彼はもう一枚クリスマス・アルバムを録音しています。そのChristmas with Chetは、昨日もふれたAdd More Musicで聴くことができるので、ギター・ファンの方は右のFriendsリンクからどうぞ。近々、このアルバムの収録曲にもふれる機会があるだろうと思います。

ハーブ・アルパート盤は、昨日も申し上げたように、ハル・ブレインが叩いているので、平板な、シャッフルになっていないシャッフルを聴かされる心配だけはありません。とくにいい出来のものとは思っていませんでしたが、ホール&オーツやニール・ダイアモンドの無惨なカヴァーを聴いたあとだと、ドラム、ベース、リズム・ギターのつくりだすシャッフル・フィールがじつに心地よく感じられます。

f0147840_0323810.jpgスリー・サンズ盤は、うーん、ギターはいいんだけど、という感じで、またしてもチューバの音が疳に障ります。なんでチューバが必要なのでしょうか。思いつくのは救世軍のバンドぐらいですが、それがチューバの出所だとしたら、計算違いも甚だしいでしょう。救世軍の音楽を聴きたい人が何人いると思っているのでしょう?

ブレンダ・リー盤は、ボビー・ヘルムズのオリジナルとそれほど異ならないリズム・セクションで録音していると思われますが、あまり乗れません。ストリングスも女性コーラスも邪魔です。

チャビー・チェッカーとボビー・ライデルのデュエットは、アルバム・トラックとして、手間をかけずに雑に録音したという感じで、どこといって取り柄がありません。クリスマス・ソングというのはこういうのが多くて困ったものです。フィル・スペクターみたいに、ふだん以上にエネルギーを注ぎこむ人はきわめてまれで、彼のクリスマス・アルバムが古典になったのも当然だと感じます。

◆ キャプテン・サンタ物語 ◆◆
ひととおり各ヴァージョンを並べて聴いてみて、オリジナルのボビー・ヘルムズ盤の魅力がいっそう際だって感じられるようになりました。近年のカヴァーのように派手なプレイはまったくしていないのに、このヴァージョンがもっとも華やかに感じるのは、ボビー・ヘルムズの明るい声とレンディション、ナッシュヴィルの手練れたちのリラックスしたグルーヴのおかげです。

映画『リーザル・ウェポン』のアヴァン・タイトルの冒頭、LAの夜景の空撮シーンでこの曲が流れます。あのシーンにほかのヴァージョンをはめ込んだところを想像してみましたが、まったくうまくいかないと感じました。クリスマスらしい華やかな雰囲気にかけては、やはりヘルムズ盤が抜きんでています。それがちょうど半世紀前のリリースのときに6位までいく大ヒットとなり、さらに翌年から連続で4回もチャートインした理由です。

Jingle Bell Rockの45回転盤のB面には、Captain Santa Clausという曲が収録されていました。子ども向けの曲でしょうが、Jingle Bell Rockなどよりずっと楽しい歌詞になっています。サンタクロースの橇が壊れたので、今年のクリスマスのオモチャはなしになってしまった、さあ、たいへん、どうしよう、という歌です。

Bobby Helms - Captain Santa Claus (And His Reindeer Space Patrol)


できればこの特集で取り上げたいと思っていますが、そのチャンスがなかった場合にそなえて、いまふれておきます。ボビー・ヘルムズの盤を手に入れるなら、Captain Santa Clausも収録されているかどうか確認したほうがいいでしょう。このB面のほうも、クリスマス・シーズンになるとわたしはよくかけています。


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ボビー・ヘルムズ(オリジナル・レコーディング、MP3アルバム、ボビー・ヘルムズは新録音が多いのでMP3ダウンロードでも注意が必要)
Fraulein
Fraulein


チェット・アトキンズ
East Tennessee Christmas
East Tennessee Christmas
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by songsf4s | 2007-11-29 00:03 | クリスマス・ソング
Sleigh Ride by Avalanches
タイトル
Sleigh Ride
アーティスト
Avalanches
ライター
Leroy Anderson, Mitchell Parish
収録アルバム
Ski Surfin'
リリース年
1964年
他のヴァージョン
The Ronettes, the Ventures, Herb Alpert & the Tijuana Brass, Johnny Mathis, Andy Williams, Jack Jones, the Three Suns, Ferrante & Teicher with Les Baxter, Leroy Anderson, America, Chicago, Ray Conniff, the California Raisins, Ella Fitzgerald
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本日から年内いっぱい、あるいは年を越してクリスマス飾りを片づける新年七日あたりまでは、当たり前ながら、クリスマス・ソング特集をします。例によって、60年代のポップ/ロック系のもの、(ときにはおそろしく)古いスタンダード、さらには日本のものもまじえて、ごたまぜ状態になるはずです。

トップをどれにするかはさんざん悩みましたが、このところ、ハル・ブレインが登場していないことに気づき、彼が叩いたトラックを選びました。この曲に関しては、アヴァランシェーズのほかに、ロネッツおよびハーブ・アルパート&TJBのヴァージョンでもハルがプレイしたことがわかっています。

このSleigh Rideが収録されたアヴァランシェーズの唯一のアルバム、Ski Surfin'は、右のリンクからいけるAdd More Music to Your Dayの「レア・インスト」ページで入手することができます。LPリップで、192KbpsのMP3です。最近、ようやくCD化もされたようです。

◆ クリスマスらしい脳天気な歌詞 ◆◆
アヴァランシェーズはインストゥルメンタルでやっていますが、有名な曲なので、いちおう歌詞をざっと見ておきます。たいした意味はないし、むやみに長いので、すべてのヴァースは見ません。これだけヴァージョンが多いと、そちらにエネルギーをとられるわけでして。

ジェンダーをどちらにするかという問題もありますが、わたしは男なので、男が女の子に呼びかけるということにさせていただきます。女性シンガーが歌ったほうがいいようにも思うのですが、何度か文章上の性転換をやって、もう懲りているのです!

Just hear those sleigh bells jingling, ring ting tingling too
Come on, it's lovely weather for a sleigh ride together with you
Outside the snow is falling and friends are calling "yoo hoo"
Come on, it's lovely weather for a sleigh ride together with you

f0147840_275267.jpg「スレイ・ベルがチリンチリンと鳴っているよ、さあ行こう、きみと橇滑りをするにはもってこいの天気だ、外は雪が降って、友だち連中がヤッホーと呼んでいる」

べつに問題になる箇所はないでしょう。そのまんまの歌詞です。歌詞からいって、サウンドはノリがよく、勢いのあるものにする必要があることがよくわかります。スロウ・バラッドにはぜったいにならないでしょう。

コーラス。

Giddy yap, giddy yap, giddy yap
Let's go, Let's look at the show
We're riding in a wonderland of snow
Giddy yap, giddy yap, gidd yap
It's grand, just holding your hand
We're gliding along with a song of a wintry fairy land

「ほら、ほら、ほら、さあ行こう、雪を見よう、雪のワンダーランドで橇滑りさ、きみの手を握っているだけですごくいい気分だ、冬のフェアリー・ランドの歌に合わせて橇滑り」

f0147840_29510.jpg馬鹿馬鹿しくなってきたので、つぎのヴァースまで見て、あとは略します。どちらにしろ、このへんまでしか歌わないシンガーも多いのです。残りのヴァースは「品川心中」の後編状態で、60年代以降、歌っている人はほとんどいないでしょう。

Our cheeks are nice and rosy and comfy cozy are we
We're snuggled up together like two birds of a feather would be
Let's take that road before us and sing a chorus or two
Come on, it's lovely weather for a sleigh ride together with you

「ぼくらの頬はすっかり薔薇色、暖かくて気持ちがいい、同じ仲間の二羽の鳥みたいにくっついている」

すでに見たのと同じラインは略しました。まあ、意味については見ての通りのたわいのないものです。ただし、音韻としては歌っていて気持ちがよく、昔のプロフェッショナルらしい歌詞といえるでしょう。

◆ 大雪崩プロジェクト ◆◆
アヴァランシェーズはスタジオ・プロジェクトで、このSleigh Rideが収録されたSki Surfin'というアルバムがあるだけです。

クレジットは以下の通り。

Wayne Shanklin, Jr.……producer
Al Delory……piano
Billy Strange……guitar
Tommy Tedesco……guitar
Wayne Burdick……guitar
David Gates……Fender bass
Hal Blaine……drums
Engineer……Stan Ross, Gold Star Studio, California

f0147840_2104514.jpgビリー・ストレンジはおそらくダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)もプレイしています。ウェイン・バーディックという人は、ギターとなっていますが、ペダル・スティールのほうで、ギター・ソロはとっていないでしょう。アル・ディローリーは、ピアノ、フェンダー・ピアノ、オルガンをプレイしています。

わたしはギター・インストが大好きなのですが、なかでも、このアヴァランシェーズのSki Surfin'は三本指に入ると考えています。ビリー&トミーという最強のギター・デュオが豪快にプレイし、ハル・ブレインが遠慮なしに叩きまくっているのだから、文句がありません。

また、アル・ディローリーがかなりいいプレイヤーであることが、この盤でわかります。アル・ディローリーは数多くのセッションに参加していますが、彼がソロをとったことが確実にわかっているものはすくなく、このアルバムを聴いて、手数は少ないものの、じつにいいラインを弾く人だとわかりました。このセンスが、のちにグレン・キャンベルのヒット曲における、アル・ディローリー節とでもいいたくなる、上品なアレンジメントにつながったと思います

f0147840_2115417.jpgSki Surfin'というアルバムの最大の魅力はビリー&トミーという、一時期のヴェンチャーズを支えた二人が顔をそろえたことですが、アル・ディローリーが随所でいいプレイをしていることが変化をもたらし、このアルバムを飽きのこないものにしています。このSleigh Rideで主としてリードをとるのはアル・ディローリーです。

ビリー&トミーのコンビがギターだと書きましたが、三回のセットのうち、両者がともに弾いたのは二回だけで、残りはどちらか一方だけではないかと思われます(三時間のセットを三回やって、九時間でアルバム一枚を録音するのが当時のハリウッドの常識だったことは、すでに何度かふれています)。おそらく、ビリー・ストレンジが二セットしかやっていないのだとわたしは考えています。

このSleigh Rideも、オブリガートやソロを弾いているときは、カッティングが聞こえなくなるので、ギターはひとりだと推測されます。トミー・テデスコではないでしょうか。アタッチメントを使ったのではない、自然な歪み(矛盾した表現であることは承知しているのですが、ほかにいいようがないのです!)を利用した音色で、ワイルドなオブリガートを入れているのがなかなか魅力的です。64年の録音ですから、キンクスのYou Really Got Meと同じ年です。ほぼ同時期に、同じようなギター・スタイルが英米で生みだされていたことになります。

アヴァランシェーズのSki Surfin'は、ある一点でちょっとした歴史的重要性があるのですが、それについては後述します。

◆ ハル・ブレインならではのブラシ ◆◆
他のヴァージョンの検討に移りますが、まずはハル・ブレインがプレイした残りの二曲。最初はロネッツ盤。もちろん、いまでは大古典となったフィル・スペクターのクリスマス・アルバムに収録されたトラックです。

f0147840_215361.jpgフィル・スペクターが一曲一曲、それぞれをシングルのように精魂傾けてつくったアルバムなので、悪いトラックがあろうはずがなく、ロネッツのSleigh Rideもなかなか魅力的です。ハル・ブレインはこの曲ではブラシを使っていますが、よくあるソフトなブラシのプレイではなく、ハード・ヒットしているところが、いかにも彼らしいところです。

ハル・ブレインは、チャンスさえあれば、つねに他人とはちがうことをしようとする人ですが、こういうブラシの使い方も、彼が発明したのだと考えています。ロックンロール時代にふさわしいブラシです。もちろん、ブラシでもハル・ブレインのグルーヴに変化はなく、楽しいプレイになっています。とくにイントロは、ブラシの「返り」を計算したきれいなスネアが聴けます。ときおり入れる強い「フラム」によるアクセントも文句なし。

f0147840_2171416.jpgロニー・スペクターは元気のよさが身上の人なので、こういうアップテンポで明るい曲は合っています。もちろん、スペクターの判断なのでしょうが、このロネッツ・ヴァージョンはコーラスをまったく歌っていません。ヴァースだけなのです。かわりに、変化をつけるため(なにしろ、ヴァースだけだと、C-Am-F-Gとおそろしくシンプルなのです)、半音転調を繰り返して、どんどんキーが上がっていきます。Cではじまったものが、最後はFになっているのだから(そのときには、もうロニーの出番は終わって、バック・コーラスだけになっていますが)、馬鹿馬鹿しいくらいの転調です。

しかし、なんだってコーラスを切り捨ててしまったのか、だれか(下獄する前に!)スペクターに理由をたしかめてくれるといいのですが。

◆ ハーブ・アルパートおよびヴェンチャーズ ◆◆
f0147840_2334811.jpgハル・ブレインが叩いたもう一曲、ハーブ・アルパート&TJBのヴァージョンは、あまりTJBっぽくない、聖歌隊風コーラスによるイントロがついています。ハル・ブレインが入ってくると、TJBらしくなるのですが、ストップ&スタートとそれに伴うテンポ・チェンジを繰り返すアレンジで、プロならでの「地味なうまさ」も聴きどころになっています。

しかし、このヴァージョン、あまりSleigh Rideに聞こえません。冒頭のフレーズだけを取り出して、それをテーマにべつの曲をつくった、という印象です。ハルの曲としてみるなら、キックのサウンドと正確さ、そしてテンポ・チェンジにおける、彼のいう「コマンド」、つまり、リーダーシップが注目でしょう。

f0147840_2241031.jpgインストを先に片づけてしまいます。有名なのはヴェンチャーズ・ヴァージョンです。これは65年にリリースされた、彼らのクリスマス・アルバムのオープナーで、あの年のクリスマスには、イヤってほど町じゅうで流れていましたし、いまでもよく耳にします。なかなか印象的な出来で、このアルバムが日本でヒットしたのも当然だと感じます(ビルボード・アルバム・チャートでも9位までいくヒット)。

このアルバムの特長は、各曲のイントロに、有名な曲のイントロをはめこんでいることです。Sleigh Rideはオープナーなので、彼ら自身の大ヒット曲であるWalk Don't Runのイントロが使われ、全体のアレンジもWalk Don't Runを彷彿させるものになっています。

この盤のパーソネルは、わたしにはよくわかりません。はっきりしているのは、ベースがデイヴィッド・ゲイツだということだけです。これはアヴァランシェーズと比較すれば、簡単にわかります。

しかし、ギターはだれでしょう。ビリー・ストレンジかと思った時期もあるのですが、最近はそうではないというほうに傾いています。かといって、ヴェンチャーズ・セッションに参加したことがわかっている他のプレイヤー、トミー・テデスコ、グレン・キャンベル、ジェイムズ・バートン、キャロル・ケイなどには聞こえません。

f0147840_235018.jpg消去法でいくと、The Ventures Play the Country Classicsでリードをとったトミー・オールサップがいちばん近いような気がします。それは、主としてCountry ClassicsのPanhandle Ragが、Sleigh Rideのプレイに似ていると感じるためです。

ものを知らない小学生だったわたしは、たとえば、Rudolph the Red-Nosed ReindeerにI Feel Fineのイントロとアレンジを応用したことなどに、ひどく感心しました。しかし、大人になると、それほど単純な話ではないことがわかってきました。

まず第一に、過去のヒット曲のイントロやアレンジをクリスマス・ソングに応用する手法は、すでに63年にフィル・スペクターがやっています。たとえば、ロネッツが歌ったFrosty the Snowmanには、彼女たち自身の大ヒット曲、Be My Babyのイントロとアレンジが使われているのです。

では、フィル・スペクターから直接にヴェンチャーズにつながるかというと、そうではなかったと思われます。63年のスペクターのクリスマス・アルバムと、65年のヴェンチャーズのクリスマス・アルバムのあいだに、アヴァランシェーズのSki Surfin'があるのです。このアルバムはミッシング・リンクだと感じられます。なぜなら、アヴァランシェーズのSleigh Rideには、レイ・チャールズのWhat'd I Sayのイントロが利用されているのです。

フィル・スペクターがはじめたことが、翌年、「スペクターのバンド」を形成していたプレイヤーたちのスタジオ・プロジェクトであるアヴァランシェーズに受け継がれ、さらに翌年、ヴェンチャーズのクリスマス・アルバムで、大々的に利用されることになった、という道筋が、アヴァランシェーズのアルバムを聴いたことで見えてきました。

しかし、このクリスマス・ソングのアレンジの問題には、まだつづきがあります。フィル・スペクターを創始者としたかつての判断は、いくぶん修正する必要があるのではないかと考えるようになってきたのです。そのへんについては、White Christmasを取り上げるときに、もう一度検討する予定です。

◆ その他のインスト・ヴァージョン ◆◆
f0147840_2362773.jpg残りのインストもので出来がよいのは、なんといっても、この曲の作者であるリロイ・アンダーソンのものです(リーロイと発音する場合はあるが、一般に使われている「ルロイ」の表記には賛成できない)。音像に広がりと奥行きがあり、派手で明るくて、わたしの好みであるばかりでなく、この曲にふさわしいアレンジになっています。

スリー・サンズ盤は、チューバなどが使われ、ちょっと珍なアレンジです。しかし、チューバが活躍しないところは、それなりに聴けます。アレンジが引っかかるだけで、ひとりひとりはうまいのです。しかし、このアレンジはいくらなんでもちょっと……。

ファランテ&タイチャーとレス・バクスター・オーケストラの共演盤は、可もなし不可もなしの出来。ピアノ・デュオというものが、そもそも、それほど面白いものではないだけかもしれませんが、レス・バクスター・オーケストラのほうも、とくに活躍しているわけではありません。

◆ ヴォーカル・ヴァージョン ◆◆
f0147840_2391755.jpgヴォーカルものに移ります。とくに出来がよいと感じるのは、アンディー・ウィリアムズ盤です。いや、歌は知ったことじゃないのですが、サウンドの出来はこのヴァージョンが、ロネッツについでよいと感じます。アンディー・ウィリアムズはハリウッド以外の土地でも録音しているようですが、このスケール感はハリウッドのものでしょう。

f0147840_2415919.jpgつぎにサウンドがいいのは、ジャック・ジョーンズ盤。リロイ・アンダーソンについでスケール感のある大きなサウンドになっています。

カーペンターズは、悪くはないものの、とくに好きということもありません。

ジョニー・マティスのヴォーカル・スタイルは、こういう軽快で楽しい曲にはあまり向いていないと感じます。サウンドはとくにどうということなし。

レイ・コニフは、インストではなく、大人数のコーラスでやっています。オーケストラの派手なサウンドがないと、べつに面白くもない人で、これはご家庭向き安全安心ヴァージョンという印象。

f0147840_3304747.jpgいままでにちょっとほめたことが一度あるだけで、あとはボロクソにいっているエラ・フィッツジェラルド盤は、意外にいい出来です。たぶん、録音が古く、おばさんのねちっこい歌い方になる前だからでしょう。あまりいじらずに(でも、ちょっとだけ、曲を「いじめて」いるところもやはりある)、比較的(あくまでも比較的!)素直に歌っています。

アメリカとシカゴは、って、地理の話じゃなくて、グループ名ですが、両者ともにキャリア末期の悪あがきクリスマス・アルバムという印象で、割りたくなるような、火にくべたくなるような、ムッと不機嫌になり、額に青筋が立つような出来です。晩節をきれいにまっとうすることができないのは、人であれ、グループであれ、なんとも悲しいことです。まあ、もとからたいしたもんじゃないから、勢いがなくなると粗ばかりが目立つようになるだけですが。

ぐるっとまわってアンディー・ウィリアムズ盤にもどったら、やっぱり、イントロが流れた瞬間、お、これはいい音だ、と感じました。アンディー・ウィリアムズ盤の出来がいいのか、アメリカとシカゴがひどすぎるのか、そのへんはよくわかりませんが。

もうひとつ、カリフォルニア・レーズンズという、人を食ったというか、人に食われたというか、妙なアーティストのヴァージョンがまじっていますが、これはレーズン会社の宣伝用アニメのキャラクターです。まじめにやっているのですが、そこが問題で、たんなるいまどきのサウンドです。ふまじめにやれよ、ふまじめに。

アヴァランシェーズ、ロネッツ、ヴェンチャーズ、アンディー・ウィリアムズの4種があれば十分でしょう。よい子の皆さんと、堅気の大人は、わたしみたいに、こんなにたくさん集めて一晩で聴くような、ヤクザの真似はなさらないように。
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by songsf4s | 2007-11-28 01:08 | クリスマス・ソング
Autumn Nocturne by Henry Mancini
タイトル
Autumn Nocturne
アーティスト
Henry Mancini
ライター
Kim Gannon, Joseph Myrow
収録アルバム
Mancini '67
リリース年
1966年
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週末の紅葉狩り低山徘徊に忙しく、昨日は休ませていただきましたが、本日は休みとするかわりに、そそくさとインストゥルメンタル曲をご紹介することにします。

インストゥルメンタル曲といっても、調べてみると、このAutumn Nocturneには歌詞があるらしく、たんにわが家にはヴォーカルものがないだけのことです。いま、歌詞を読んでみましたが、緑の葉が黄色くなると、あなたと別れたあの九月のことを思いだす、などと日本人にはよくわからないことが書いてありました。

今日の紅葉狩りでは、黄葉している銀杏はほんの数えるほどで、大部分はまだ緑色のままでした。九月に黄葉といわれても困惑しますが、ヴァン・モリソンのWhen the Leaves Come Falling Downにも、そういうくだりがあるので、九月が紅葉落葉の季節である地域も多いのでしょう。

f0147840_22122326.jpgメロディー・ラインの明快ではない曲ですが、ヘンリー・マンシーニ盤Autumn Nocturneでは、ヴァイブラフォン、ピアノ、ミューティッド・トランペット、テナー・サックスがリードをとっています。トランペットもなかなかうまい人ですが、テナーはおみごと。クレジットでは、だれがソロをとったかまではわかりませんが、プラズ・ジョンソンの名前がサックス陣のなかにあるのだから、当然、彼のプレイでしょう。しかし、ソロがどうこうという以前に、こういうトラックのポイントは管のアンサンブルに尽きるわけで、Autumn Nocturneは、ヘンリー・マンシーニらしい、そして、ハリウッドらしい気持ちのよいサウンドになっています。

クレジットは以下のようになっています。60年代中期の映画/ジャズ系のスタジオ・プレイヤーの顔ぶれを知るうえで参考になるリストでしょう。

Arthur Maebe……French Horn
Dick Nash……Trombone
Richard Perissi……French Horn
Jimmy Priddy……Trombone
Joe Reisman……Producer
George Roberts……Trombone (Bass)
Jack Sperling……Percussion, Drums
Ray Triscari……Trumpet
Vincent DeRosa……French Horn
Johnny Halliburton……Trombone
Karl de Karske……Trombone (Bass)
Jordi Pujol……Producer
Bob Bain……Guitar
Al Porcino……Trumpet
Frank Beach……Trumpet
Dick Bogert……Engineer
Bud Brisbois……Trumpet
Ray Brown……Bass
Larry Bunker……Vibraphone
John Cave……French Horn
Gene Cipriano……Flute, Sax (Tenor), Piccolo, Flute(Bass & Alto)
Maurice Harris……Trumpet
Milt Holland……Percussion
Jack Sheldon……Trumpet
Harry Klee……Flute(Alto), Piccolo, Sax(Alto)
Henry Mancini……Piano, Arranger, Main Performer
Leonard Feather……Liner Notes
Plas Johnson……Flute, Flute(Bass), Sax(Tenor), Piccolo
Jimmy Rowles……Piano
Pete Candoli……Trumpet
Ronnie Lang……Flute, Flute(Alto & Bass), Piccolo, Sax(Baritone)

映画関係ではエースだ、とトミー・テデスコがいっていた、ジャック・スパーリングの名前があります。スパーリングがいれば、ラリー・バンカーはドラム・ストゥールに坐れないのだということもこのリストからわかります。バド・ブリスボア、ミルト・ホランド、ピート・カンドーリ、ボブ・ベイン、ジーン・チープリアーノ(イタリア系ならこの発音、スペイン系ならシープリアーノと発音すると辞書にあります。ハル・ブレインは、チープリアーノはオーボエの第一人者だといっていましたが、やはり、オーボエだけでは食べられず、さまざまな木管楽器をプレイしたのでしょう)、そしてプラズ・ジョンソンと、ポップ系セッションでおなじみの人たちもいます。

それにしても、ヘンリー・マンシーニのボックス、"Days of Wine and Roses"のブックレットを見ると、マンシーニは、1967年に7枚ものアルバムをリリースしています。シングルだって、年間7枚出す人などそうはいるものではないだから、この年間7枚のLPというのが、どれほどとんでもない数字かわかろうかというものです。

◆ ハリー・ジェイムズのAutumn Serenade ◆◆
これだけではさみしいような気がするので、もうひとつ、秋のインストゥルメンタル曲をあげておきます。ハリー・ジェイムズのAutumn Serenadeです。この曲には、のちに歌詞がつけられたそうですが、うちには古いハリー・ジェイムズ楽団のインストしかありません。

f0147840_22132453.jpgじつは、この曲が気に入っているのは、イントロから最初のヴァースぐらいは、日活映画、それもアキラではなく、裕次郎の映画がはじまりそうな雰囲気があるからです。日活のほうは、ハリー・ジェイムズのように、ストリングスまでついたゴージャスなサウンドではありませんが、管だけのところは、なんとも懐かしいムードで、NKマークが目に見えるようです。考えてみれば、日活アクションのある時期のスコアは、ジャズ・プレイヤーが書いていたので、雰囲気が似るのも不思議はないのでしょう。

★  ★  ★  ★  ★  ★ ★ ★
今年の秋の歌特集はいちおう本日をもって終了のつもりです。じつは、キンクスのEnd of the Seasonを今日あたりにと思っていたのですが、忙しい紅葉狩りの週末に、レイ・デイヴィーズのような、わたしにとってもっともだいじなソングライターの曲をやろうという計画に無理があり、途中まで原稿を書いて放棄しました。あの曲はいまぐらいの時季を歌っていますが、tonieさんが示唆なさったように、年末に再挑戦を試みるかもしれません。

★  ★  ★  ★  ★  ★ ★ ★
2007年11月25日追記

文字校正をしながら、Autumn Nocturneのクレジットをじっと眺めていて、ヘンリー・マンシーニが自伝のなかで、ベース・フルートが好きだといっていたのを思いだしました。このクレジットを見ると、木管プレイヤーたちがみな、ベース・フルートやアルト・フルートという、通常はあまり使わないフルートをプレイしていて、なるほど、これが彼のサウンドの特長なのか、と思いました。

もうひとつ思いだしたことがあります。たとえば、リード楽器はテナー・サックスと決めたら、そのときには、プレイヤーをだれにするかということまで決め、その人の音色やスタイルに合わせてアレンジする、といっていたことです。

Pink Pantherのテーマでのプラズ・ジョンソンのプレイは有名です。しかし、それはたんに、プラズが素晴らしいプレイヤーであることを証明しているわけではないのです。ヘンリー・マンシーニが、プレイヤーやシンガーと、楽曲およびアレンジを、すべて一体のものとして音楽をつくっていたことを証明しているのです。
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by songsf4s | 2007-11-24 22:02 | 秋の歌
Coney Island by Van Morrison
タイトル
Coney Island
アーティスト
Van Morrison
ライター
Van Morrison
収録アルバム
Avalon Sunset
リリース年
1989年
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◆ 島といってもいろいろあって…… ◆◆
ヴァン・モリソンの秋の歌は非常に多く、Raincheckにつづくもう1曲をどうしようか迷ったのですが、結局、このConey Islandにしました。その理由はあとで述べることにして、さっそく歌詞を見ていくことにします。いや、この曲には、バックに流れる音楽があるだけで、ヴァン・ザ・マンは歌っていません。ただ、語っているだけなのです。したがって、ヴァースだの、コーラスだのという風には分けられないので、適当なところで分割することにします。

では、最初のブロック。

Coming down from Downpatrick
Stoping off at St. Johns Point
Out all day birdwatching
And the craic was good
Stopped off at Strangford Lough
Early in the morning
Drove through shigly taking pictures
And on to Killyleagh
Stopped off for Sunday papers at the
Lecale district, just before Coney Island

「ダウンパトリックを出発して、セント・ジョンズ岬に立ち寄り、一日中、バードウォッチングで過ごした。気分は申し分なし。早朝にストラングフォード入江で休み、シグリーを通り抜けながら写真を撮り、キリライに向かった。ルカール地区で停まって日曜版を買った。コニー・アイランドまであとわずかだった」

アイルランド観光案内みたいな歌だなと思い、いろいろ読んでみました。まず、タイトルになっているコニー・アイランドですが、すでにおわかりのように、ニューヨークのコニー・アイランドのことではありません。地名ですらなく、したがって島でもなく、「actually a group of cottages which are just off the winding road between Ardglass and Killough」つまり「じっさいには、アードグラスとキローのあいだの曲がりくねった道の周辺にあるコテージ群のこと」なのだそうです。源頼朝が流された蛭ヶ小島が島ではなく、真田昌幸、幸村親子が流された九度山が山ではないみたいなものです。調べてみるものですねえ。

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20世紀初頭のコニー・アイランド・コテージ

そういえば、ランゲルハンス島なんていう、およそ観光には不向きな「島」もありますね。あの「島」を観光できるのは「ミクロの決死圏」(古い!)とナノ・ロボット(新しい!)だけ。

改めて辞書でislandを見ると、「島 《略 is.; cf. →INSULAR a.》; 島に似たもの、孤立した丘。【道路】→SAFETY ISLAND, →TRAFFIC ISLAND, _大草原中の森林地; オアシス; 孤立(民族)集団[地域]; 【解】《細胞の》島、細胞群; 【海】《航空母艦右舷の》アイランド《艦橋・砲台・煙突などを含めた構造物》」とあります。こうしてみると、Coney Islandは「孤立(民族)集団[地域]」ではないかと考えられます。

craicは、アイルランド独特の言葉で、「クラック」と発音し、(場合によってはアルコールや音楽を伴う)娯楽、遊び、楽しみ、仲間、ゴシップなど、さまざまな意味があるのだそうです。ずいぶん語義と用途の広い言葉で、ここでは「気分は申し分なし」としておきました。

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シグリーは地名とみなしておきましたが、ほんとうのところはわかりません。歌詞はオフィシャル・サイトからいただいてきたのですが、大文字になっていないのが気になります。たとえば、草原であるとか、森林であるとか、そういうものを指すアイルランド独特の言葉である可能性もあります。

キリライは、ヴァン・モリソンの発音では「キラライ」に聞こえますが、これは大文字になっているから地名で、地図でも確認しました。海岸線が入り組んで、景色がよさそうな土地に見えます。

◆ 陽光のなかの永遠 ◆◆
二番目のブロック。

On and on, over the hill to Ardglass
In the jamjar, autumn sunshine, magnificent
And all shining through

Stop off at Ardglass for a couple of jars of
Mussels and some potted herrings in case
We get famished before dinner

「アードグラスへの丘をえんえんと走っているあいだ、車のなかにはすばらしい秋の陽光が射しこみ、まばゆく輝く、アードグラスで車を駐め、夕食までに飢えたりしないように、ムラサキイガイとニシンの缶詰を食べる」

缶詰のニシンだから、たぶん、レストランに立ち寄ったのではなく、野外で食べたのでしょう。ひょっとしたら、アイルランドでは缶詰のニシンはごく当たり前で、レストランのサラダに缶詰のアスパラガスが載って出てくるようなものかもしれませんが、この曲のムードからいうと、眺めのよいところで、秋の陽射しを浴びながら、ときおり笑い声をあげ、静かに食事をしている、というほうがふさわしいように感じます。

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最後のブロック。

On and on, over the hill and the craic is good
Heading towards Coney Island

I look at the side of your face as the sunlight comes
Streaming in through the window in the autumn sunshine
And all the time going to Coney Island I'm thinking
Wouldn't it be great if it was like this all the time.

「コニー・アイランドを目指し、えんえんと丘を行く、気分は申し分なし、窓から陽光が流れこんできて、わたしはきみの横顔を見る、コニー・アイランドまでの道すがら、ずっと思いつづけている、いつもこんな風だったら素晴らしいではないか、と」

ヴァンが歌いもせず、ただ語るだけのこの曲を選んだ理由は、この最後のブロックにあります。いや、もちろん、おだやかな心と風景と行動をとらえた、秋の旅行の描写もじつに好ましいのですが、「いつもこんな風だったら素晴らしいではないか」というラインには、まったくだ、と深く同意します。われわれの人生にも、そういう日、そういう瞬間があるじゃないですか。

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Dennis Shaw "Coney Island"

◆ ド・セルビー式アイルランド旅行 ◆◆
若いころ、アイルランドの作家、フラン・オブライエンFlann O'Brienの『第三の警官 The Third Policeman』という長編を読みました。不思議な論理に貫かれた小説で、いつか読み返そうと思い、まだ売り飛ばさずに、どこかにしまいこんであります。

たとえば、「不可視の槍」のエピソードなんていうのが出てきます。穂先が極度に細く研ぎ澄まされていて、肉眼では先端が見えないのです。だから、まだ穂先はずっと向こうだと思っていると、もう刺されちゃっているのです!

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この小説の重要な登場人物、ド・セルビー教授(だったと思いますが)は、旅ということに独特の観念をもっています。「旅で得るものはなにか? 断片的な記憶である。そんなものを得るために、わざわざ苦痛に耐えて家の外に出ることはない。家にこもって、絵はがきを見ているだけで、旅をしたのと同じものが得られる」というのです。これは1967年に出版されたそうですが、いまになると、おそろしく先見的な作品に思えます。

と、長い前置きでしたが、この曲を聴き、この記事を書くためにいろいろ調べていたら、なんだか、ド・セルビー教授になったような気がしてきました。ベルファストを出発して、セント・ジョンズ岬で灯台の写真を撮り、しばらくバードウォッチングを楽しみ、途中、ダウンパトリック・ロードに入りこんでアードグラスに立ち寄り、間道を抜けて、またキロー・ロードに戻り、コニー・アイランドの不思議なコテージ群を見て、昔の人々の生活に思いを馳せ、ただいま帰りました。ニシンの缶詰があるとよかったのですが。

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◆ 自家製ヴァン・モリソン秋の組曲 ◆◆
ヴァン・モリソンの秋の歌の一覧をつくり、検索をかけて、つぎつぎにプレイヤーにドラッグしました。その結果、Coney Islandのつぎには、同じアルバムの秋の歌、Orangefieldがくることになりました。偶然ですが、この並びは非常にぐあいがよく、このアルバムをお持ちの方は、曲順を替えてお聴きになるようにお奨めします。Coney Islandが、Orangefieldの長い前奏曲のように聞こえ、Orangefieldがよりドラマティックに感じられるでしょう。

その理由はじつに単純です。Coney IslandのキーはGで、コード・チェンジといってもG-Fと二つのメイジャー・コードをいったりきたりするだけの、テンポが遅めの、ゆるやかな環境音楽のようなものです。それに対して、Orangefieldはミディアム・テンポで、キーはやはりGです。同じ時期に同じプレイヤーで録音した曲で、サウンドのテクスチャーも同じ、スロウからミドルへの移行だから、まったく違和感なく、きれいにつながるのです。

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Dennis Shaw "Cottages Portaferry"

九月のどん尻に取り上げたWhen the Leaves Come Falling Down、ほんの数日前のRaincheck、そして本日のConey Islandとつづいたヴァン・モリソンの秋のソングブックは、今年はこれで終了です。まだ数曲残っていますが、先述のOrangefieldも含め、あとは来秋のお楽しみとします。秋の歌特集も今週いっぱいで終了の予定です。
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by songsf4s | 2007-11-22 23:51 | 秋の歌
Indian Summer by Glenn Miller
タイトル
Indian Summer
アーティスト
Glenn Miller
ライター
Victor Herbert, Al Dubin
収録アルバム
Moonlight Serenade
リリース年
1941年(?)
他のヴァージョン
Nelson Riddle, Frank Sinatra, Ginny Simms, Buddy Cole
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インディアン・サマーというのは、晩秋のポカポカ陽気、日本でいう小春日和(日本の場合は十月ですが)にあたるものです。なぜ、インディアンの夏なのかということについては、諸説あるようです。ということは、だれにも確たることはわからないということです。

インディアン・サマーをテーマにした曲というのは、ヴァン・モリソン、ポコ、アメリカ、ドアーズなど、それなりの数があるのですが、こうした時代の近いものはまたの機会に譲り、今回はもっとも有名な、スタンダードのIndian Summerを取り上げます。1919年(第一次世界大戦終結の年)に書かれたときには歌詞がなかったものに、1940年、アル・ドゥービンが歌詞をつけた結果、この曲は有名になったそうなので、インストゥルメンタルのほうがこの曲の本来の姿ですが、いちおう、歌詞を検討します。

◆ また出てきた六月の主題 ◆◆
ファースト・ヴァース。

Summer, you old Indian Summer
You're the tear that comes after June-time's laughter
You see so many dreams that don't come true
Dreams we fashioned when Summertime was new

「年老いたインディアン・サマーよ、おまえは六月の笑いのあとにやってくる涙、おまえは実らなかった無数の夢を見てきた、まだ夏のはじめにわたしたちが見た夢を」

oldというのは、ときに微妙でやっかいな単語ですが、ここでは、愛憎なかばする呼びかけのように感じられます。oldには「(老練で)ずるがしこい」という意味もありますが、どちらかというと、そういうニュアンスが強いかもしれません。

なぜ七月や八月ではなく、六月なのかというのは明白で、六月が幸福の月だからです。そのあたりのことについては、June Night by Betty EverettBoth Sides Now by Judy CollinsA Salty Dog by Procol HarumThe Thirty First of June by Petula Clarkといった六月の記事でふれました。ずいぶん、しつこくやったものだと思いますが、歌では六月は重要なテーマでして、来年の六月には大々的に特集を組むつもりです。ん? だれか、笑いましたか?

日本語では、小春日和のことを「小六月」ともいうのは、たんなる偶然の一致ですが、ちょっと愉快ではあります。一瞬、六月はまだ盛夏ではないから、七月や八月ではなく、「小六月」というのかと思いましたが、考えてみると、太陰暦では、六月前半はともかく、後半はもう盛夏でしょう。インディアン・サマーは、夏というほど気温が上がるわけではないそうですが、そこは言葉のあやというものでしょう。小春日和のほうが理屈には合っていますが、そのぶんだけ、言葉として遊びが小さいと感じます。

夢をfashionするとして、dreams we dreamedとしなかったのは、重複を嫌ったためでしょう。ママ・キャス・エリオットのDream a Little Dream of Me(作者はジョン・フィリップス)のように、重複の効果を利用した曲もあります。

◆ 季節はずれのお化け ◆◆
セカンド・ヴァース。これがラスト・ヴァースで、コーラスやブリッジはありません。

You are here to watch over
Some heart that is broken by a word that somebody left unspoken
You're the ghost of a romance in June going astray
Fading too soon, that's why I say
Farewell to you, Indian Summer

「おまえは、だれかが語らずにすませた言葉で傷ついた心を見守りにやってきた、道に迷った六月の恋の亡霊にすぎない、だからはおまえとはもうこれきりだ」

f0147840_23453217.jpgゴーストというのが、なんだかテレビのゴーストみたいで、ちょっと愉快です。六月の夏は実像、インディアンの夏のほうは虚像ということでしょうが、日本語には「季節はずれのお化け」なんて言いまわしもあるわけで、作詞家の意図とは関係のないところで、妙に可笑しい歌詞です。

いくつか解釈のしようがある歌詞だと思いますが、歌というのは、どう解釈してもかまわないもので、われわれは気に入ったラインだけを取り出し、それを自分の気分や身の上や過去の出来事にあてはめて聴いているものです。

なんてえんで片づけてしまうのでは愛想がなさすぎますかね。たとえば、六月に芽生えた恋がまずくなり、半年近くたって、ポカポカした晩秋の日に、その相手とバッタリ会ってしまい心が揺れた、その気分を歌っている、なんてのはいかがでしょう。お気に召さなければ、お好きなストーリーをご自分でどうぞ。歌とはそういうものです。

◆ 強力な管のアンサンブル ◆◆
コード進行のせいか、どのヴァージョンも、ヴォーカルより、バッキングのアレンジに耳がいきます。それも、どちらかというと、ストリングスより、ホーンに向いていると感じます。いちばん響きのよいアレンジはグレン・ミラーです。まあ、グレン・ミラー楽団の管楽器のコンビネーションというのは、どう転んでもいい音になるようにできているのだから当然なのですが、こういう曲だと、いちだんと心地よく感じられます。

とりわけ、ヴォーカルの冒頭部分に付される、Bb-A-Ab-Gと下降する音を中心とした、半音進行の和音のオブリガートは、ほとんどエロティックといっていいほどです。まあ、半音進行というのは、本質的にそういうものなのですが、グレン・ミラー・スタイルのアンサンブルでやると、極限の効果だと思います。いや、「トリスタンとイゾルデ」の弦による半音進行のsensualityにはひけをとるかもしれませんが!

f0147840_23461482.jpgエルヴィス以降のポップ/ロック系音楽ばかり聴かれているお客さんのために、あえて贅言を弄します。ビッグ・バンドには専属歌手というものがいて、インストゥルメンタル・オンリーではなく、合間合間に歌もやるのがふつうでした。フランク・シナトラは、ハリー・ジェイムズ楽団やトミー・ドーシー楽団の専属歌手を務めたあとで独立しています。たしか、ジェイムズ・ステュワートが主演した『グレン・ミラー物語』で見たと思うのですが、用のないときは、歌手が舞台袖の椅子にじっと坐っているのが、子どもにはなんだか奇妙に思えました。

f0147840_23471647.jpgストリーミングをふくめて、グレン・ミラーのIndian Summerは2種類聴きました。アンドルーズ・シスターズと共演したときのラジオ・トランスクリプションだといっているものは、男性歌手(MCの紹介によると、ポール・ダグラスという人らしい)が、When sumertime was newの「summer」のところで、最高音をヒットしそこね、フラットしているのが気になりました。まあ、なかなか難曲で、そのなかでも、ジャンプやスラーがつづくこの周辺は歌いにくい難所だとは思いますが、当然ながら、きちんと歌っている人もいます。

ビッグ・バンドは譜面にしたがってプレイするので、2種のヴァージョンはほぼ同じアレンジでやっているようです。管に関しては甲乙つけがたし。

◆ ジョニー・ホッジズ ◆◆
f0147840_2349343.jpg1959年のネルソン・リドル盤は、純粋なインストゥルメンタルで、弦と管の両方が入っていますし、リード楽器も、フルート、ストリングス、フルートというように交代していきます。ファースト・ヴァースの終わり、ヴァイオリンが前に出てくるあたりから、セカンド・ヴァースにかけてがハイライトでしょう。チェロ、ヴィオラなどの低音域がいい音で鳴っています。ネルソン・リドルというと、わたしは派手なホーン・アレンジを思い浮かべてしまいますが、この曲を聴くと、ストリングスもけっして不得意ではないことがわかります。

f0147840_23541151.jpgデューク・エリントンと共演したフランク・シナトラのヴァージョンは、いいところと悪いところのモザイクです。Session with Sinatraによると、いろいろトラブルのあったプロジェクトのようで、なによりもリハーサル時間がたりなかったと、アレンジャーのビリー・メイがいっています。エリントン楽団のメンバーはサイト・リーディングが苦手だったのだとか。ジャズの世界、しかも、アレンジどおりにやるビッグ・バンドでそういうことがあるのかと、驚きました。

f0147840_2355325.jpgビリー・メイは、べつにこれがダメな盤だといっているわけではなく、たったあれだけのリハーサルであそこまでできたのだから、もっと時間があったら、すごかっただろうといっているわけで、60年代のシナトラとしては、いいほうの盤だと感じます。

ただ、準備不足は、バンドではなく、シナトラのほうに大きな影響をあたえたような気がします。フランク・シナトラはワン・テイク・マンといわれていますが、そんなことが可能だったのは、スタジオに入る前に入念なリハーサルをし、完璧に仕上げているからです。グレン・ミラー楽団のシンガーと同じように、シナトラも、完全なミスとはいえませんが、When summer was newのsummerのところで、高音をちょっとはずしているのです。そのあとのスラー(newの語尾を上げる)も、いつものシナトラなら、完璧にうたっただろうと思います。

f0147840_23564129.jpg明るい面もあります。アルト・サックス・ソロがすごいのです。盤にはクレジットがないのですが、Session with Sinatraには、ジョニー・ホッジズという人のプレイだとあります。この本は、目に涙が浮かぶプレイだ、とまでいっています。わたしはサックス・ソロが苦手なので(複数になると大好きなんです)、まさか泣いたりはしませんし、このプレイにかぎっては好きだ、なんてこともいいませんが、好悪の感情を超えて、プレイの凄味はよくわかります。とにかく、むちゃくちゃにうまい! これほど千変万化する、ディテールに富んだ、微妙なコントロールは聴いたことがありません。

ほかにもヴァージョンがありますが、志ん生が思いきり力をこめて「いい~~~女!」といったあとみたいに気が抜けたたので、これにて切り上げます。ジョニー・ホッジズ、いい~~~プレイ! なにも、そんなに力をこめることはないんですがね。

昨夜同様、よけいなことを思いました。この曲を日本でカヴァーするとしたら、なんてずっと考えていたのですが、灰田勝彦かディック・ミネで決まりでしょう。
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by songsf4s | 2007-11-21 23:29 | 秋の歌
Rainy Night in Georgia by Brook Benton
タイトル
Rainy Night in Georgia
アーティスト
Brook Benton
ライター
Tony Joe White
収録アルバム
40 Greatest Hits
リリース年
1970年
他のヴァージョン
Tony Joe White, Ray Charles, Johnny Rivers
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この曲は明示的な秋の歌ではありません。人によっては冬や春の歌と感じるかもしれませんが、わたしは昔から晩秋を想定した歌だと考えてきました。

◆ 寂寥深し雨の夜 ◆◆
まずは歌詞を見てみます。ファースト・ヴァースとコーラスをまとめて。

Hoverin' by my suitcase
Tryin' to find a warm place to spend the night
Heavy rain fallin'
Seems I hear your voice callin' "It's all right."
A rainy night in Georgia
A rainy night in Georgia
It seems like it's rainin' all over the world
I feel like it's rainin' all over the world

「スーツケースのそばに縮こまり、夜を過ごす暖かい場所を見つけようとしている、ひどい雨のせいで「大丈夫よ」と呼びかけるきみの声が聞こえるような気がする、ジョージアの雨の夜、まるで世界中が雨に降りこめられたみたいだ」

ホテルに泊まることもできないようなので、よほどの落莫の身とわかります。ホームレスというより、ホーボーでしょうか。漂泊の気配があります。世界中で雨が降っているような気がする、というところに、語り手の行き場のなさが表現されていると感じます。

セカンド・ヴァース。

Neon signs a-flashin'
Taxi cabs and buses passin' through the night
A distant moanin' of a train
Seems to play a sad refrain to the night

f0147840_23533193.jpg「ネオン・サインが瞬き、タクシーやバスが夜の闇を走り抜ける、遠くに聞こえる列車の呻きが、夜に向かって悲しいリフレインを奏でているように聞こえる」

ここは好きなヴァースです。目に見えるものと耳に聞こえるものがいっしょになって、語り手の視覚と心象風景が、聴くものの脳裏に鮮明な像を形づくります。

◆ ギターを持った渡り鳥 ◆◆
最初のものをすこし変えただけのコーラスをはさんで、ブリッジへ。

How many times I wondered
It still comes out the same
No matter how you look at it or think of it
It's life and you just got to play the game

「何度も考えてみたけれど、答えはやはり変わらない、どう見ようと、どう考えようと、これが人生というもの、ゲームをつづけるしかないんだ」

ここはストレートすぎて、表現になっていないと感じます。しかし、こういう直裁なラインがあるほうが、チャート・アクションはよくなるのでしょう。

サード・ヴァース。

I find me a place in a box car
So I take my guitar to pass some time
Late at night when it's hard to rest
I hold your picture to my chest and I feel fine

「貨車に場所を確保し、ギターを弾いて時間をつぶす、遅くなっても眠れないときは、きみの写真を胸に抱いて安心する」

f0147840_23542196.jpgbox carというのは、日本でいう「ワン・ボックス・カー」のことではなく、箱形になった有蓋貨車のことです。映画でよく無賃乗車のシーンが出てきますが、あれです。やはり、語り手はホーボーで、これは伝統的なホーボー・ソングの現代版であることが、このヴァースで明瞭になります。find me a placeは、たんに貨車を見つけたというより、先客がいるところに入りこんでいき、仁義をきって、隅に居場所を確保した、というニュアンスではないかと想像します。

ここもまたコーラスがあり、そのままアドリブしながらフェイド・アウトします。

◆ みごとなヴォイス・コントロール ◆◆
歌詞もそうですが、曲も、そしてサウンドも、なんとも寂漠たるムードが横溢し、そくそくと寒さが身に染みる曲です。そのいっぽうで、自己憐憫のほのかな甘みもあります。この甘みがなければ、大ヒットはしなかったでしょう。

この曲のヒットは70年のはじめ、冬から早春にかけてで(このころはFENばかり聴いていたので、タイムラグはなかった)、ウッドストックの翌年だから、こちらの気分とはかけ離れたものでしたが、逆にそのせいで、ラジオから流れると、ものすごく耳に立ちました。

Rainy Night in Georgiaがピークの4位になったときのトップは、サイモン&ガーファンクルのBridge Over Troubled Waterです。上位には、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのThank YouやテンプテーションズのPsychedelic Shackのようなファンク系の曲、サンタナのEvil Waysのようなハード・ドライヴィングな曲もありますが、いっぽうで、エディー・ホールマンのHey There Lonely Girl、ホリーズのHe Ain't Heavy, He's My Brother、ティー・セットのMa Belle Amieなどもあります。

疾風怒濤の60年代が終わり、ソフト&メロウの70年代初期が到来しつつあることが、このモザイク模様のチャートからうかがえます。Rainy Night in Georgiaが強く印象に残ったということは、わたしの気分も、ソフトなほうへと傾いていたのかもしれません。

f0147840_23553580.jpgRainy Night in Georgiaの甘い自己憐憫のムードを形づくっているのは、もちろん、ブルック・ベントンのヴォーカル・レンディションなのですが、サウンドのほうもよくできています。アレンジャーの名前がわからないのですが、いま聴いてもみごとなアレンジだと感じます(録音はおそらくマイアミ)。イントロのオルガンとギターのトーンも素晴らしいし(テイストが大人になりつつあった高校生のわたしは、こういうギターが弾きたいと思いました)、途中から入ってくるハーモニカも、この曲に甘さと深い寂寥感の両方をあたえています。

しかし、やはりベントンのヴォーカルが、パセティックでありながら、過度に感傷的にならない、じつに微妙なバランスをとっていることが、この曲を成功させた感じます。惻々と胸をうつヴォーカルです。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
f0147840_23563845.jpgそのことは、作者であるトニー・ジョー・ホワイトのヴァージョンを聴くと、いっそうよくわかります。シンガーとしてPolk Salad Annieの大ヒットがある人ですが、本来はソングライターですし、Polk Salad Annieは、精緻なヴォイス・コントロール、陰影のあるヴォーカル・レンディションなど必要としない、アップテンポのノヴェルティーに近い曲でした。Rainy Night in Georgiaのようなバラッドになると、たとえ作者本人であっても、素人の歌では本来の味を伝えることができないと感じます。

逆にいうと、ブルック・ベントン盤のようなリアリティーはうっとうしい、と思うのなら、トニー・ジョー・ホワイト盤のあっさりした、ほとんど平板な味わいのほうが好ましいと感じるかもしれません。

f0147840_23573990.jpgレイ・チャールズ盤は、ヴァースのコードをメイジャー・セヴンスからセヴンスに変更して、ブルージーにやっています。うーん、どうでしょうか。こういうムードのほうが好ましいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。わたしの好みからいうと、ヴァースがメイジャー・セヴンスのビター・スウィートな味わいになっていて、そこからコーラスの思いきりパセティックなマイナーにいくところが、この曲のよさなので、レイ・チャールズ盤はちょっと違和感があります。

f0147840_23584965.jpgジョニー・リヴァーズ盤はあまりいただけません。この人のものは、Mountain of Love以降、サウンドや楽曲の選択が楽しみなのですが、この曲は、相変わらず楽曲選択はうまいと思うものの、サウンドはいただけません。ドラムがドタバタうるさいのです。なんだか、素人がハル・ブレインの物真似をしたみたいなプレイです。

クレジットを見ると、この盤のドラマーはハル・ブレインとロン・タットの二人。はて、絶不調のハルか、駆け出しのロン・タットか? タットのタイムはハルに近く、タムのチューニングも似ている時期があります。どちらかに札を張ろうと思いましたが、やはり、なんとも判断できません。

あえてリスクを冒していうなら、ハルではない、です。ハルが使うとは思えないフレーズがあることと、もうひとつはベースです。この盤のベースはジョー・オズボーンとジェリー・シェフの二人となっています。ハルとオズボーン、タットとシェフという二つのセットで録音したという意味だと読めます。Rainy Night in Georgiaのベースはジョー・オズボーンには聞こえず、なじみのない人に思えます。ということは、この曲のベースはシェフ、だとするなら、シェフのセットのドラマーはタットだろうという道筋です。

ロン・タットだとしても、わたしが知っているかぎりでは、もっといいプレイができるはずのドラマーです。そもそも、こんなに派手に叩くことをプロデューサーであるリヴァーズとルー・アドラーが許すべきではなかったわけで、責任はそちらのほうにあります。いつもウェル・メイドな盤をつくっているジョニー・リヴァーズにしては、めずらしいミスです。

ふと、馬鹿なことを思いました。小林旭扮する滝伸次は、テーマ曲とともに生気に溢れて登場しますが、映画と映画のあいだに、ひとりさみしく、つぎの土地へと移動しているわけですよね。映画と映画のあいだ、観客に見えないところでは、落莫したすがたで、ひとりギターを「つま弾いて」いるのかもしれません。この曲に日本語詞をつけて、アキラが歌ったらどうでしょう?
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by songsf4s | 2007-11-20 23:39 | 秋の歌
In the Autumn of My Madness by Procol Harum
タイトル
In the Autumn of My Madness
アーティスト
Procol Harum
ライター
Mathew Fisher, Keith Reid
収録アルバム
Shine on Brightly
リリース年
1968年
他のヴァージョン
live version of the same artist
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In the Autumn of My Madnessは、18分近い組曲、In Held 'Twas in Iの一部ですが、他の曲がゲーリー・ブルッカーの作曲、リード・ヴォーカルなのに対して、これだけはマシュー・フィッシャーの作曲、リード・ヴォーカルで、かなり色合いが異なり、独立した曲として聴くことができます。

◆ 言葉による絞殺 ◆◆
それではファースト・ヴァース。いつものように、もっとも正確と思われる、オフィシャル・サイトに掲載されている歌詞をテクストにします。ラインの切り方、大文字小文字の使い分けも、オフィシャル・サイトのままにしておきます。行を改めても、冒頭を大文字にしないのには、意味があると思われるからです。

In the autumn of my madness when my hair is turning grey
for the milk has finally curdled and I've nothing left to say
When all my thoughts are spoken (save my last departing birds)
bring all my friends unto me and I'll strangle them with words

「髪が真っ白になるようなわが狂気の秋にあっては、ついに牛乳が凝固し、なにもいうべきことがなくなる、わが思考がすべて語られたら(最後に去るわが鳥たちをすくいたまえ)、わが友をみな連れてこい、わたしは言葉で彼らを絞め殺すだろう」

いやはや、思わず笑ってしまうほどチンプンカンプンです。意味論的にわからないだけでなく、文法的にも不可解な形式になっています。whenだのforだのが、どこにかかっているのか判然としなくて、ひょっとしたら、最後のラインまで、ずるずるとつながっていて、すべてが冒頭のラインにかかっているのかもしれないとすら思います。

f0147840_2348469.jpgしかも、そうだとしても、冒頭のラインもまた、どこかにかからなければいけない(inすなわち、「~のときに」といっているのだから、どこかにつづくはず)のに、その対象を失って、宙に浮いているのだから、全体がどこにもかかっていないように見えます。

いや、もちろん、牛乳が凝固するとはなんだ、「鳥」とはなんだ、なんてことも思いますよ。blood is curdledなら、「血も凍る」恐怖のことだそうで、ひょっとしたら、このフレーズを思い浮かべ、そこからずらしたのか、とも思いますし、白髪からの連想かという気もします。milkという単語自体には、とくに妙な語義はなく、いくつかの成句がある程度にすぎなくて、一般に通用する裏の意味があるようには思えません。詩人自身しか知らないなにかの暗喩かもしれません。

birdの鳥以外の意味として代表的なのは「女の子」でしょう。Norwegian Woodの副題、This Bird Has Flown、すなわち、この鳥は飛び去った、というのは、こちらの意味で使われたbirdです。

最後のラインはじつにわかりやすく、ニヤリとします。キース・リードのような人間なら、言葉で人を殺すことは十分に可能でしょう。じっさい、自分の力をきちんとわきまえていない十代のころには、数人は殺し、数十人に重傷を負わせたのじゃないでしょうか。言葉を自在に駆使できるホンモノの皮肉屋がそばにいるというのは、怖いものです。

◆ 修飾の対象を失った修飾節 ◆◆
以下はセカンド・ヴァース。これですべてです。

In the autumn of my madness which in coming won't be long
for the nights are now much darker and the daylight's not so strong
and the things which I believed in are no longer quite enough
for the knowing is much harder and the going's getting rough

「もうまもなく訪れるわが狂気の秋にあっては、夜の闇は深くなり、陽射しはあまり強くなく、わたしが信じていたものごとはもはや十分ではなくなり、知ることははるかにむずかしくなり、仕事も困難になるのだから」

最初のinも意味を成さず、理由を示すforが理不尽な形が使われているのはどう見ても意図的です。接続関係が意味を失うように書いているにちがいありません。なんたって、語り手は狂気の崖っぷちに立っているわけで、論理的に語ることはもうできず、inで「そのときには」といったことはすぐに忘れられ、forで「なぜならば」といいながら、理由ばかりが述べられて、その理由がなにに対するものなのかは暗黒のなかに消えていくという仕組みのようです。狂気の論理構造が、そのままこの詩の論理構造になっているのではないでしょうか。

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国内盤セカンド・アルバム。Quite Rightly Soと改題され、デザインも変更されてしまった。日本グラモフォンというのは、こういうことを平気でやる会社で、ジミヘンやラスカルズなどでも、デザインのひどさ、さらには劣悪な盤質に泣かされたが、いまになると稀少価値が出てきてしまった。古い盤のジャケットやスリーヴをスキャンして、ウェブで見せながら、どこかに使用するなら断りを入れろ、などとわけのわからないことをいっている(他人がデザインしたものをスキャンしただけで、なにを反っくり返っているのやら。そういうことは、自分でなにかをつくったときにいってもらいたい)サイトを見たので、あえていいます。この写真はわたしがスキャンし、合成し、キズをレタッチしたものです。必要なら、ご自分のサイトやブログにご自由にお使いください。断りなど入れる必要はまったくありません。
The Japanese edition of Procol Harum's 2nd LP "Shine on Brightly" was retitled as "Quite Rightly So." Therefore the cover was also redesigned as above. SMP-1429, Nippon Grammophon, 1968.

日本語の「秋」は、通常は「あき」と読みますが、「とき」と訓ずることもあります。小学館国語大辞典では、第四義として「特に重要なことのある時期。ただし、「秋」と書いて「とき」と読むのが普通」とあります。

英語のautumnにも、第二義として「成熟期、熟年; 衰え[凋落]の始まる時期」とあり、この用例として、「the autumn of life 人生の初老期」というフレーズがあげられています。成熟と衰えが同居しているのは、ピークの向こうはまちがいなく下り坂なのだから当然とはいえ、この語に微妙な奥行きをあたえていると感じます。

このIn the Autumn of My Madnessも、このautumnという語のそうした微妙な両面性を利用しているのではないでしょうか。

◆ 転調による狂気の表現 ◆◆
さて、このぐるぐると論理が空転する(そういえば、夢野久作の『ドグラ・マグラ』もそういう構造でした)詩につけられたマシュー・フィッシャーの曲と歌です。これがまた、みごとにぐるぐると回転する構造になっているのです。

ちょいちょいと数分でコピーできるコード進行ではないので、それはネグりますが、ヴァースのコードと、後半のオルガンを中心としたインストゥルメンタル・パートに、狂気がみごとに表現されています。E-D-Db-B-Bb-B-Db-B-Bb-F#というフレーズではじまり、このパターンをすこしずつ上のキーに転調しながら弾く(もちろん、そのキーのスケールに合わせてフレーズを部分的に修正する)、ただ昇るだけで、オリジナル・キーに戻して「解決」しない手法は、たいしたものです。

f0147840_2349525.jpgマシュー・フィッシャーというのは、きわめて理知的な人で、それが彼のソロ・キャリアを座礁させたと思いますが、この段階では、理知が勝った音作りは、キース・リードの詩にみごとに呼応し、プロコール・ハルムのサウンドにある「格」をあたえていました。

マシュー・フィッシャーの最初の曲は、プロコール・ハルムのデビュー作に収録されたRepent Walpurgisですが、これはインストゥルメンタルでした。われわれが彼の声を聴いたのは、このIn the Autumn of My Madnessが最初のことで、はじめはいくぶんか戸惑いました。細くて声量がなく、落ち着きの悪いヴォーカルだと思ったのです。

しかし、慣れるにつれ、そして、年月がたつにつれ、ゲーリー・ブルッカーのヴォーカルに嫌気がさし、逆に、素人くさいマシューのヴォーカルのほうが好ましく感じられるようになっていきました。三度生まれ変わっても、シナトラやナット・コールやエルヴィスにはなれないでしょうが、マシューのような人の場合、その楽曲やサウンドとセットになった歌なのだから、これでいいのだと思います。

◆ ドラミング・スタイルの発明 ◆◆
プロコール・ハルムの前身となったパラマウンツの時代の曲、ハルムのデビュー盤、そして、このShine on Brightlyと聴いてくると、B・J・ウィルソンというドラマーが、どのように自分のスタイルをつくっていったかがよくわかります。

f0147840_23534172.jpgパラマウンツ時代は、タイムは悪くないものの、当然ながら、ストレートなドラミングで、まだ明確な個性は見られません。プロコール・ハルム発足当初のギターとドラムが抜けたため、BJとロビン・トロワーが加わり、結果的に、パラマウンツの発展型のようになってしまったラインアップによるデビュー・アルバムでは、BJのグルーヴの進歩と、プロコール・ハルムという尋常ではないバンドの音楽性との、彼の格闘ぶりが感じられます。

BJは、ストレートなR&Bカヴァー・バンドだったパラマウンツのときと同じように、ふつうにバックビートを叩き、ふつうにフィルを入れるのでは、このバンドではうまくいかないと感じたでしょう。では、どうすればいいのか、と苦悶したのじゃないでしょうか。デビュー盤の段階では、スタイルの芽はほの見えますが、概して、パラマウンツ時代よりは成長してうまくなっただけ、フィルインにキレが生まれたと感じるだけです。

デビュー盤のドラミングにも見るべきものがありましたが、この人はホンモノだとわたしが確信したのは、このセカンド、とくに、いま話題にしている組曲、In Held 'Twas in Iでのプレイを聴いてからのことです。

プロコール・ハルムの歌詞はふつうではない、サウンドも、なんとも名づけようのない、それまでには存在しなかったタイプのものだ、じゃあ、俺もいままでに存在しなかったタイプのドラミングをしよう、BJはそう考えたように思われます。そして生まれたのが、カラフルな、ほとんど「メロディック」といってもよい、このセカンド・アルバムでのプレイです。「リード・ギター」と同じような意味で、「リード・ドラム」と呼びたくなります。彼はこのアルバムで、自分のスタイル、だれにも似ていないドラミングを発明したと感じます。

それは、In Held 'Twas In Iの後半、Look to Your SoulとGrande Finaleにもっともよくあらわれていますが、詳細なドラミングの分析は、たぶん、半年後ぐらいに、もう一度めぐってくるであろう、この組曲を取り上げる機会に譲ります。

◆ ライヴのBJ ◆◆
f0147840_23573163.jpgなお、組曲In Held 'Twas in Iは、冒頭のキース・リードの朗読まで含め、全曲通しで、ライヴ・アルバムLive at EdmontonのB面に収録されています。フル・オーケストラと大編成のコーラスまで加わった、ド派手なGrand Finaleはともかくとして、すでにバンドを去ったマシュー・フィッシャーにかわってゲーリー・ブルッカーがリードをとったIn the Autumn of My Madnessはもちろん、ほかの曲もあまり感心できません。ホールの鳴りが悪いのか、マイク・セッティングに失敗したのか、なにが原因かよくわかりませんが、ドラムがひどくこもった音で、BJを聴く楽しみというのがまったくないのです。

ヴォーカルも、他の楽器もそうですが、とりわけ、ドラムというのはエンジニアリングに依存する割合が高く、やはり、いい条件で録音された盤で聴くのがいちばんだと思います。ドラムに関するかぎり、ライヴは偽物、スタジオこそが本物、なんてパラドキシカルなことを思います。

f0147840_23585646.jpgただし、小さい会場で録音したもののなかには、BJのドラミングがちゃんと聞こえるライヴがあります。You Tubeで(たぶんいまも)見られるテレビ放映用ライヴのThe Unquiet Zoneでは、BJの恐るべきカウベル・プレイを聴けます。また、Robin's Last Standと題された、71年のダラスでのライヴを記録したブートでは、Power Failureのさらにすごみのあるカウベルのプレイも聴けます。BJファンにはお奨めです。
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by songsf4s | 2007-11-19 23:34 | 秋の歌
Autumn Leaves by Arthur Lyman
タイトル
Autumn Leaves (Les Feuilles Mortes)
アーティスト
Arthur Lyman
ライター
Jacques Prevert, Joseph Kosma, Johnny Mercer (English lyrics)
収録アルバム
Yellow Bird
リリース年
1961年
他のヴァージョン
無量大数
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ほんとうにこの曲を取り上げるのかよ、と思うのですが、存在しないことにして通りすぎるのも愛想がなさすぎるような気もするので、ちょっと投げやりに(失礼!)やってみます。好きじゃないのですよ、この曲は。

まずはわが家に降り積もった枯葉の山の一覧をどうぞ。♪so many peopleとポール・ウィリアムズを口ずさんでしまいます。

Roger Williams
Diane Schuur & Maynard Ferguson
Joe Pass
Tal Farlow
Arthur Lyman
Bert Kaempfert
Esquivel
Les Baxter
The Mantovani Orchestra
Nelson Riddle
The Three Suns
Bing Crosby
Doris Day
Edith Piaf
Frankie Laine
Frank Sinatra
Natalie Cole
Nat King Cole
Georgia Gibbs
Jackie Trent
Link Wray & The Raymen
Everly Brothers

Summertimeを取り上げたときには、ヴァージョンが多いとボヤきましたが、ここまでくると言葉もありません。こりゃもう、♪たき火だ、たき火だ、落ち葉たき、と燃やして、焼き芋でもつくるしかないでしょう。

◆ たんなる歌詞のペースト ◆◆
英語版では意味がないような気もしますが、いちおう、以下にジョニー・マーサーによる英語詞をあげておきます。二つのヴァースを以下にひとまとめに。

The falling leaves drift by the window
The autumn leaves of red and gold
I see your lips, the summer kisses
The sun-burned hands I used to hold

Since you went away the days grow long
And soon I'll hear old winters song
But I miss you most of all my darling
When autumn leaves start to fall

解釈は勘弁してもらいます。ジョニー・マーサーといえども、この歌詞はいかになんでもわたしの趣味ではありません。赤や黄に紅葉した葉がひらひらを舞い落ちるのを見て、過ぎ去った夏の恋を思い浮かべている、という内容です。うへえ。

◆ アーサー・ライマン盤 ◆◆
あまりいいものはありませんが、できるだけ多くのヴァージョンにふれるよう、鋭意努力してみます。

『金色夜叉』という尾崎紅葉の小説のなかに、寛一お宮の熱海の海岸の場というのがあります。たぶん、新派の当たり狂言だったのでしょう。わたしは、芝居も小説も知りませんが(小説は数ページ読んでみて、投げました)、「今月今夜のこの月を」云々という、この場面のセリフはよく知っています。わたしと同年代以上の方なら、どなたもご存知でしょう。わたしが子どものころは、むやみやたらに、この場面が漫才やコントに利用されたからです。

Autumn Leavesという曲は、わたしにとっては金色夜叉みたいなもので、ファースト・ラインを聴いた瞬間に笑いだしてしまいます。たぶん、クレイジー・キャッツがやっていたと思いますが、ほかのコミック・バンド、ボーイズ、漫才も、よくこの曲をネタに使っていました。元の曲はよく知らなくても、ギャグのネタとしてはよく記憶しているのです。

f0147840_23514243.jpgよって、もっとも好ましいヴァージョンは、勝手ながら、「笑えるもの」ということに決めさせていただきます。ほとんどが大まじめなヴァージョンで、まあ、それはそれで笑えなくはないのですが、笑えるようにつくってあると感じるのは、アーサー・ライマン盤です。

いや、出だしは大まじめで、いつものアーサー・ライマンのようなエキゾティックなムードすらありません。でも、だれだって、アーサー・ライマンが「枯葉よ~」なんてやるのは変だ、と思うわけで、この大まじめなアレンジには首をひねるはずです。疑い深いわたしは、「なにか裏があるにちがいない」と確信しました。

すると後半、突然、派手にパーカッションが入って、チャチャチャに化けるわけですな。アーサー・ライマンが、ふつうにこの曲をやるはずがないと思ったよと、ここで安心してニッコリするわけです。チャチャチャ・アレンジのエキゾティカAutumn Leavesはなかなか珍で、楽しい出来になっています。

◆ そこそこ笑える(かもしれない)ヴァージョン ◆◆
f0147840_23523417.jpgあとはみな大まじめなので、わたしとしてはただただ困惑するのみです。そのなかで、マントヴァーニ・オーケストラは、いつものように装飾過多、人数過剰の大編成で、大まじめにドカーンとやるので、爆笑します。もっとも、マントヴァーニとしては、お笑いのつもりはこれっぱかりもないと思いますが、天然ボケみたいなものです。どんな曲も、かならず大編成でドカーンとくるから、じつに愉快で、近ごろ、おおいに贔屓にしています。

名前を見て、この人はぜったいに珍なアレンジでぶちかますはずだ、と衆目が一致するのはリンク・レイでしょう。ところがですね、イントロはちょっと珍なんですが、あとはふつうにやっているんです。ふつうにやると、身も蓋もなくド下手なプレイヤーだから、素人のど自慢を見るような気分でなら、そこそこ笑えなくはないですが、でも、たんなるド下手プレイヤー、という事実が白日の下に露呈されるだけのことで、芸で笑わしてくれるわけではないから、どうということはありません。

f0147840_23543549.jpgロジャー・ウィリアムズ盤は1955年のチャート・トッパーですが、なるほど、「力強い」ヴァージョンで、編成はまったくちがうのに、マントヴァーニのソウル・ブラザーじゃん、と思います。いきなり、ティンパニーのロールをぶちかましてくるんですからね。そのあとの、ただむやみに上下するだけのマヌケなピアノも、クレイジー・キャッツで石橋エータローと桜井センリがやっていたみたいな感じで、ワッハッハです。きっと、コミック・ソングとしてヒットしたのでしょう。

f0147840_23552277.jpgスリー・サンズもちょっと「珍」が入っています。たぶん、ロジャー・ウィリアムズ盤に影響を受けたのでしょうが、マリンバが、音階としてはむやみに上下し、ステレオ定位としては右往左往するのです。ほんのちょっとだけ笑える、というところで、どちらかというと、たんに珍なだけ、という感じ。

残念ながら、お笑いネタはこれで尽きたようです。

◆ あまり笑えないヴァージョン ◆◆
f0147840_23561765.jpgまじめなものでは、どれがいいでしょうかね。エディット・ピアフはさすがだと思います。でも、ピアフを聴くなら、ほかの曲にします。

ビングも、この人の声のよさが出た、悪くないヴァージョンだと思います。でも、ビング・クロスビーを聴くなら、ほかにいい曲がいっぱいあります。

ジャッキー・トレントは、すこしだけ「珍」が入っています。きっと、旦那のアレンジなのでしょう。英国ガール・ポップの味があります。でも、力んだヴォーカルは、ごめんなさい、です。

フランキー・レインはフランス語でうたっています。うーん、この人の声の太さが裏目に出たような気がするのですが。

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オーケストラものとしては、ネルソン・リドルがさすがに上品に仕上げています。でも、ネルソン・リドルを聴くなら、ほかの曲にします。

レス・バクスターも、マントヴァーニほどではないにしても、元来が金満物量攻撃の人なので、スケール感はあります。しかし、どう見ても喫茶店音楽、エレヴェーター・ミュージック、歯科医院待合室音楽、トイレに流すBGMです。レス・バクスターも、ほかにいいトラックがいくらでもあります。ドラマーは好み。

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エスクィヴァルは、天然で珍な人なので、この曲も珍にやっています。でも、珍すぎて、わけがわからないアレンジで、はたしてほんとうにAutumn Leavesをやっているのかどうかすら確信がもてません(誇張ですよ、誇張)。

f0147840_03312.jpgベルト・ケンプフェルトは、ハーモニカがリード楽器で、ちょっとエンニオ・モリコーネ風味です。おフランス暗黒映画の夕暮れのシーンにいかが、というサウンド。いや、まじめな話、ストレートなものとしては、このヴァージョンがいちばんいいかもしれません。ハーモニカをリード楽器にしたおかげで、嫌味のない叙情性がつくりだされています。

f0147840_035367.jpgダイアン・シューアとメイナード・ファーガソンは、イントロは派手で乗れます。でも、歌に入ると、並みのジャズ・シンガーの並みの歌。間奏はコード進行すら変えているみたいで、枯葉のひとひらすらなし。どうしてジャズの人たちは、楽曲をこういう風に足蹴にして平気なのでしょうか。なにかの曲をやる意味がないと、毎度思います。曲なんか選ばないで、ただ、コード進行とテンポだけ決めて、あとは好き勝手にやっていればいいのに。

ジョー・パスは、以前にもご紹介した、アンプラグド・アルバム収録のものです。もちろん、うまいのですが、ほかの曲のほうが楽しめます。ミス・ピッキングをほったらかしにしてあるのが、ちょっと引っかかります。パンチ・インなんかでごまかしたくないのでしょうが、それなら、リテイクしてほしかったと思います。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
ジョージア・ギブス、ドリス・デイ、ナタリー・コールなんて人がこの曲をやれば、聴かなくても、結果は見えていますが、じっさい、予想どおりの凡庸さです。ただ、ナタリー・コールは、メドレーにしていて、冒頭はFor Sentimental Reasonです。だから、入った瞬間、お、意外にいい曲じゃん、と思い、すぐに、なんだ、Autumn Leavesじゃないじゃん、For Sentimental Reasonなら、いい曲に決まってるじゃんか、とだまされたような気分になります。

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ナット・コールはたいていはほめるのですが、ついこのあいだ、'Tis Autumnの記事に書いたように、弦や管がついたときは要警戒でして、この曲の弦も甘みが強すぎます。歌の出来も、ナット・コールとしては上の部類ではないでしょう。

フランク・シナトラも、やはり、ほかにいい曲が山ほどある人だから、なにもよりによってこの曲を聴くことはないじゃん、です。

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以上、子どものころからの天敵だった曲を全部火にくべてやりました。アーサー・ライマン、マントヴァーニ、ロジャー・ウィリアムズ、ベルト・ケンプフェルトだけを残して、あとはHDDから削除しても差し支えなし、てな感想です。

f0147840_0161725.jpgやれやれ片づいた、と安心して、コーヒーを入れに立ったら、エヴァリーズ盤にふれていなかったことに気づきました。忘れるのも当然の出来で、忘れたままにしておけばよかったくらいです。ジルベール・ベコーのLet It Be Meをカヴァーしたのがヒットしたので、またフランスものを、なんて思ったのでしょうが、当てごととなんとかは向こうから外れる、です、ファンとしては、こんな曲やるなよ、馬鹿、と泣きたくなります。そもそも、ドンだかフィルだかわからないのですが、ハイ・パートを歌っているほうは、フラットしています。デモ並みの粗雑ヴァージョン。

思うのですが、音楽を聴くというのは、このように、意図したわけではないのに、嫌いな曲を山ほど集める結果になるという、痛烈な、ほとんど致命的ともいえる副作用があるわけで、お互い、楽じゃありませんな。

配信なんてものは大嫌いで、まったく利用していませんが、ブツとして音楽が存在しない時代というのは、Autumn Leavesのような曲の場合、福音といえるかもしれません。消しちまえばいいだけですからね。

これがあなた、盤だと、割るだの、燃やすだのと、口では百万回いいましたが、いまだに実行できたためしがないわけで、ブツが残るというのは、じつにもって、やっかいきわまりありません。盤から、好きな曲だけ切り取って、あとは捨てられるなら、うちの中、とくに机まわりがスッキリして、広々とするでしょうに!
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by songsf4s | 2007-11-18 23:47 | 秋の歌
Raincheck by Van Morrison
タイトル
Raincheck
アーティスト
Van Morrison
ライター
Van Morrison
収録アルバム
Days Like This
リリース年
1995年
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目下、わが家のプレイヤーには、まだ取り上げていない秋の歌が60曲ほどドラッグしてあります。そのうち8曲はヴァン・モリソンの歌で、どれにしたらいいか、かなり迷いました。いかにも秋らしい歌詞のものか、それとも、たんに音として好ましいものか、という選択です。

このRaincheckを取り上げることにしたのは、もっぱら楽曲、サウンドのよさによります。これで歌詞がよければ、ここまで引っぱらずに、秋の歌特集のトップバッターにしただろうと思うのですが、意味がさっぱりわからないのです。まあ、ヴァン・モリソンの曲の場合、すんなりわかることのほうがすくないのですがね。

◆ キャリア・クライシス? ◆◆
というわけで、本日は解釈のまねごとはしません。歌詞を投げ出して、与太話をするだけにします。では、ファースト・ヴァース。

It's not high finance
It's called heart and soul
If it's rock and roll, got to go, go, go, go, go
Gonna keep moving on up to the higher ground
Gonna keep on moving on up
I got to stand my ground
Gonna keep on moving on up
I wanna stick around
Won't let the bastards grind me down
Won't let the bastards grind me down
Won't let the bastards grind me down

ファースト・ラインからして、もうわかりません。金の問題じゃない、心と魂の問題だ、というあたりでしょうか。最後に3回繰り返される「あのろくでもない野郎どもにすりつぶされてたまるか」というラインから(bastardなんていう単語は、昔は使っちゃまずかったでしょう)、音楽業界のビジネスの問題をうたっているのではないか、という気がしてきます。その点に深入りするのは、コーラスを見てからに。

Call me raincheck in the afternoon
Call me raincheck, need a shot of rhythm and blues
Call me raincheck, on a golden autumn day
Call me raincheck, I won't fade away, I won't fade away
I don't fade away, I don't fade away, unless I want to

raincheckというのは、雨を調べるわけではなく、雨天順延などの場合の「振替券」だそうです。したがって、この場合のcheckは小切手などのcheckと同じ使われ方です。それはいいのですが、「俺のことを振替券と呼んでくれ」とはなんでしょう? 百パーセント純粋な想像、わたしが勝手につくったストーリーを書きます。

f0147840_23501944.jpgヴァンが、自分のツアーではなく、なにかのフェスティヴァルのような、多くのアクトがつぎつぎに出演するショウに呼ばれ、そこでなにかのトラブル、たとえば、ビリングを下げられたとか、だれか売れっ子の都合で、出番をかえてくれ、などの理不尽な要求をされた、なんて設定はどうでしょう? そのような、ライヴ会場でのプロモーターとのトラブルを想像しました。

以上、屋上屋を重ねた想像ですが、こういう前提で聴くと、すくなくともファースト・ヴァースとコーラスについては、意味が通るような気がします。「俺が自分でそうすると決めないかぎり、断じて消えたりはしないぞ」という「宣言」は、パフォーマーとしての決意をいっているのではないでしょうか。

golden autumn dayは、ヴァンの曲では呪文のように何度も出てくる三語で、これをそのままタイトルにした曲もあります。小津安二郎の『麦秋』を思い浮かべてしまいますが、「金色」なのは、公孫樹や麦その他の植物ではなく、陽射しではないかと思います。秋の一日をうたったCorney Islandなんていう曲を聴いていると、そう思えてきます。

◆ 四十にして起つ ◆◆
セカンド・ヴァース。

Can't take my love away, ah 'cause it's here to stay
If it fades away, come back another day
Gonna keep on moving on up to the higher ground
Gonna keep on moving on up, I wanna stick around
Gonna keep on moving on up, oh gonna stand my ground
Won't let the bastards grind me down
Won't let the bastards grind me down
Won't let the bastards grind me down

loveという言葉が出てくるので、ここでもうファースト・ヴァースでのわたしの仮定は怪しくなりますが、ラヴ・ソングなのだということが明確にされているわけでもありません。

Put on your dancing shoes, dance away your blues
When I'm feeling like this, I got nothing to lose
Wanna keep on moving on up to the higher ground
Wanna keep on moving on up and I'll stick around
Wanna keep on moving on up, got to stand my ground
Won't let the bastards grind me down
Won't let the bastards grind me down
Oh, won't let the bastards grind me down

f0147840_23515913.jpgダンス・シューズを履き、踊って憂さを晴らそう、そういう気分になったら俺は強いんだぜ(nothing to lose→失うものがない→怖いものなし)、というわけで、わたしには、やはりパフォーマーとしてのキャリアのことをうたっているように思えます。

この曲を書いたとき、ヴァンは四十代後半、そろそろ五十の声が聞こえるという年齢でしょう。そういうことも、「もっと高いところにいってやる、自分で決めるまでは、断じて消えたりはしない」という「宣言」に影響しているように思えます。

◆ すべてがはまったグルーヴ ◆◆
この曲はかなり速めのワルツ・タイムで、元気いっぱいではないものの、「消えたりするものか」という宣言と見合う、「静かな力強さ」とでもいうような感触のあるサウンドです。

全体にいいプレイだと感じますが、全編で大活躍するリード・ギターのトーンとプレイが非常に好ましく、おもわずギターに手が伸びます。ヴァンという人は、ライヴではもちろん、スタジオでもインプロヴの多い人なので、あまり面倒なコード進行は使わず、多くの曲がプレイヤーを「甘やかす」ような構造になっています。この曲も基本は3コードなので、ヴァンだけでなく、他のプレイヤーも思う存分インプロヴできます。

f0147840_2353485.jpgこういうメロディー、コード、歌詞、すべてがシンプルな曲の場合、出来の如何は、プレイヤーのレベルと、その場の「気合い」にかかってきます。非常に心地よいグルーヴに感じるということは、全員、いい仕事をしたということです。リード・ギターのみならず、ドラムも、アコースティック・リズムも、ピアノも、ベースも、そしてホーン・セクションやバックグラウンド・ヴォーカルも、イヤなトーン、イヤなプレイはまったくなく、間然とするところのないトラックです。ドラマーはなかなかグッド・テイストで、サウンド、チューニング、タイム、フィル、いずれも好みです。ときおり繰り出す高速ストレート・シクスティーンスなんか味があります。

ヴァン・モリソンは、かならずホーン・セクションを入れるので、管のアレンジも気になるところですが、この曲は、WavelengthやInto the Musicのような、70年代後半の諸作に近い雰囲気で、ピー・ウィー・エリスというアレンジャーが、ヴァンの好みに合うように気を遣ったのではないかと感じます。わたしの好みにも合っていますがね。

f0147840_23544062.jpgわが家には、1995年のダブリンでのライヴ・ヴァージョン(ブート)もあります。スタジオ盤と非常に近い時期に録音されたもので、「オリジナルから時間がたちすぎて、ぐずぐずに形が崩れたライヴ・ヴァージョン」という腐った臭いのする代物ではなく、なかなか楽しめます。ただ、ドラムは悪くないものの、ギターはスタジオ盤のほうがずっといいと思います。

しかし、近ごろのブートは、そうといわれないとわからないほどの高音質で、こんなことでいいのだろうかと思います。正規盤と区別がつきませんよ。ヴァン・モリソン・ブートレグ・ディスコグラフィーなんていうものまで見つけてしまいました。とんでもなく長いキャリアの持ち主で、しかも、不活発だった時期がほとんどないため、正規盤の数もハンパじゃないのですが、ブートの数ときたら、汗牛充棟の三乗ぐらいはありますぜ。いやはや、呆れました。

ヴァン・モリソンの秋の曲は、一週間以内にもう一度登場させるつもりです。こんどはもうすこし「オーセンティックな」歌詞のものになるでしょう。
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by songsf4s | 2007-11-17 23:51