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Halloween Theme by John Carpenter
タイトル
Halloween Theme
アーティスト
John Carpenter
ライター
John Carpenter
収録アルバム
Halloween: 20th Anniversary Edition [OST]
リリース年
1978年
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コミック・ソングのほうのきわめつけは昨夜やったので、今夜は本気で怖いほうのきわめつけ、ジョン・カーペンター監督が自作『ハロウィン』のために書いたテーマ曲の登場です。

これを書いているのは深夜、いま、わが家のスピーカーからこの盤が聞こえてくるのですが、怖いですよー。こんなに怖い音楽は、バーナード・ハーマンですらつくらなかったのではないでしょうか。

◆ 先見的恐怖映画 ◆◆
1978年に製作された『ハロウィン』は、典型的な低予算映画で、製作日数約3週間、製作費わずか30万ドルで、700万ドルの興行収入をあげる、きわめて効率のよいヒット作となり、同時にジョン・カーペンターの出世作となりました。

f0147840_0222768.jpg両親が留守のあいだに、家にボーイフレンドを呼んで楽しんでいた姉を、そのベッドで刺殺し、病院に収容された6歳の少年マイケルが成長し、15年後のハロウィーンの日に病院を抜けだして故郷に戻り、殺人を繰り返す、というこの物語の設定は、いまになると、なんともアクチュアルで、その先見の明に驚きます。少年の殺人、家族に対する性的妄執、いずれも今日、われわれが新聞雑誌で目にする事件の「テーマ」です。

予算のない分、カメラワークに工夫を凝らした演出は、若手監督たちに刺激を与えたにちがいありませんし、観客であるわたしも、内臓はなし、血もごく少量なのに、こんな怖い映画はないと感じました。この作品以降、恐怖映画は新たな段階に入り、ふたたび隆盛を迎え、いくつものシリーズものが製作され、ヒットすることになります。

ただし、後続の監督たちがどう逆立ちしても、ジョン・カーペンターの真似をしたり、追い越したりできない、絶対的な「お家の芸」が、この監督にはありました。音楽です。

◆ ミニマルな音、マキシマムな効果 ◆◆
ジョン・カーペンターは、シンガー・ソングライターならぬ、コンポーザー/プレイヤー/ダイレクターという、ほかに例を知らない、めずらしいマルチ・タレントです。

チャップリンが自作のために挿入曲を書いたり(ただし、本職の作曲家のクレジットを盗んだだけという有力な説がある)、クリント・イーストウッドが自作曲を作品に使った(ただし、ギターによる短いリックを引き延ばしただけ)例もあるので、長いハリウッドの歴史では、ほかにも自作のために自分でスコアを書いた監督がいるかもしれませんが、これほど多くのスコアを書いた映画監督はまずいないでしょう。

最初期の彼の監督・音楽監督作品『ダーク・スター』は、ヴィデオを見たのに、音楽の記憶がありません。そのつぎの『要塞警察』(Assault on Precinct 13=13分署襲撃)は、『ハロウィン』に驚いてから、さかのぼってヴィデオで見ましたが、ここでも音楽の使い方に感嘆しました。

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スペース・サーフィン! 『ダーク・スター』より

初期のカーペンター音楽の特長は、コスト・パフォーマンスの高さです。『ハロウィン』で使われた楽器は、ピアノ、アナログ・シンセ、リズム・ボックスの三つだけ、プレイヤーはおそらく監督ひとりでしょう。その直前の作品である『要塞警察』もアナログ・シンセ、リズム・ボックス、エレクトリック・ピアノだけで、これまたすべてをカーペンターがプレイしたと思われます。

つまり、すこしでもいいから製作コストを圧縮したいという、貧乏ゆえの監督自作スコア、セルフ・レコーディングだったのです。しかし、才能というのは、いろいろな意味で恐ろしいもので、彼のもっともすぐれたスコアはこの時期に集中しています。それだけならまだしも、映画作家としても、この時期のほうがよかったと、わたしには思えます。

◆ ひとひねり入った複雑な変拍子 ◆◆
『ハロウィン』のテーマは、「いい曲」といっては語弊があるかもしれませんが、映画を見終わったあとも、長いあいだ耳の底で鳴りやまない、きわめて印象的な楽曲であり、アレンジであり、サウンドであり、やはり、ある意味で「いい曲」といってよいだろうと思います。速めの5拍子に、半音進行のピアノ・リックを載せるという、不安定な要素ばかりをそろえてきたことだけでも、カーペンターの音楽の基礎教養のほどがよくわかります。

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いま、ピアノがどういうプレイをしているか説明しようと思い、カウントしているうちに、わけがわからなくなりました。最初は4分3連×2プラス4分×2と思ったのですが、それでは5拍子ではなく、4拍子になってしまいます。マクロにはまちがいなく5拍子なので、カウントをまちがえているにちがいありません。何度も聴いて、やっとのことで、8分×6拍プラス4分×2拍、ただし、最初の8分×6のアクセントのつけ方で3連×2の響きにしているのだとわかりました。ギターでやろうとすると、ピッキングが面倒な理由がやっとわかりました。

いや、恐れ入りました。やっぱり、ただ者ではありません。おそらく、意識して変拍子にさらにひねりを入れようとしたわけではなく、自然にそういう奇妙なリズムになってしまったのでしょう。それがプロの音楽家というものです。

f0147840_0534011.jpgここにアナログ・シンセ独特の太い音でコードと、ドローンのようなシンセ・ベースが入ってくるわけで、この音楽を聴いているだけで、ナイフをもったマイケルが背後の暗闇からあらわれなくても、十分に恐怖を味わえます。非常にドラマティックで、すばらしいテーマ曲だと、映画を見たときも感じましたし、いま聴いても、すくなくともホラー映画という分野においては、将来も参照されるであろう傑作スコアだと感じます。

リズム・ボックスという楽器は、子どものころからありましたが、なんともチープな音しか出ない、困った代物だと思っていました。しかし、ジョン・カーペンターは、そのチープさを逆手にとり、単調なリズムの繰り返しだけで、サスペンスを生むのに成功しています。

リズム・ボックスに関しては、『ハロウィン』よりも『要塞警察』のほうが効果的に使われています。なにしろ、しばしば、リズム・ボックスの、おそらくは「ブラシ」の音しかしないのですから、ミニマリズムというか、コスト圧縮の極致です。それでも、この音が聞こえるたびに、悪い奴らがあらわれそうで、サスペンスは高められました。

◆ 音楽による時間表現 ◆◆
ジョン・カーペンターはいまも第一線で作品を撮りつづけているので、たぶん、わたしの印象のほうがまちがっているのでしょうが、その後の作品は感興の薄いものばかりで、最近は見ていません。『遊星からの物体X』は恐ろしい映画でしたが、それは主としてロブ・ボーティンの特殊メイクの力によると感じました。

音楽的にも、他のプレイヤーも使えるようになり、ひとりで多重録音する加重労働に悩まされずにすむようになったのですが、その分だけ、凝縮された緊迫感は薄れ、『要塞警察』や『ハロウィン』のときのように、緊迫した場面でも耳は音をきちんと捉え、「うまい!」と拍手するようなこともなくなりました。

このあとのカーペンター映画で音楽に拍手したのは、スティーヴン・キングの妙ちきりんな原作(悪霊に取り憑かれた車が人を襲う!)による、怖い場面でも思わず失笑しそうになる、妙ちきりんな恐怖映画『クリスティーン』のタイトル・バックだけです。

f0147840_0572816.jpg一度も見返していないので、初見の古い記憶で書きます。まちがっていたらご容赦を。タイトル・バックはモノクロで、たしか、デトロイトの自動車工場でクリスティーンが「生まれる」過程が描かれます。音楽はバディー・ホリーのNot Fade Away。バディー・ホリーが活躍していた時代、つまり1950年代終わりのことだよ、という意図でしょう。そして、車が走るところのドライヴァーの「見た目のショット」に切り替わり、すっとモノクロの絵に色が付いた瞬間、Not Fade Awayも、バディー・ホリーののどかなヴァージョンから、ディストーション・ギターがギュイーンとうなる、現代的なヴァージョン(調べると、タニア・タッカー盤らしい)へと切り替わります。

これはみごとでした。50年代と80年代では、同じ曲をやっても、まったくスタイルが異なることを知っている人でなければ、こういう演出はできません。カーペンターの父親はウェスターン・ケンタッキー大学の音楽の教授だそうで、シンプルなスコアにも、そういうバックグラウンド、現代音楽的要素があらわれていますが、同時にロックンロール世代の感覚も色濃く反映されています(たとえば、邦題失念のBig Trouble in Little Chinaの派手なテーマ曲)。

そもそも、自分でスコアも書くことにしたのは、ロックンロール世代的な感覚からきたもののような気がします。トッド・ラングレンがすべての楽器とヴォーカルをひとりでやってアルバムをつくったのと同じようなアティテュードで、ジョン・カーペンターもまた、スコアとスクリプトの両方を書く監督になったように、わたしには感じられます。

同世代としてひと言でいえば、「カッコいいなあ、俺もそういう、歌って踊る、じゃなくて、撮って演る映画監督というのになってみたかった」です。これであとは、歌えて、ドラムが叩ければ、わたしが十代のころに夢想したすべてを手にした、世界一クールな男が出現するのですが!

◆ 監督、スコアを回想する ◆◆
ジョン・カーペンターは、充実したオフィシャルサイトをもっています。前ふりのFlashがゲーム形式で、なかなか中に入れてもらえない(しかも十六歳以下お断り)のが難ですが、内容はカーペンターの映画のファンも、カーペンターの音楽のファンも満足させるものになっています。あとは、サンプル・フッテージを盛り込んでくれれば、いうことがありません。ハロウィーンのテーマも、一瞬ですが、サンプルを聴くことができます。

ゲームが嫌い、簡単な謎解きも面倒、時間がない、怖い場面はイヤという方は、『ハロウィン』のスコアに関する回想なんていう裏口をお使いください。

これ読むと、やはり、あのときは「わたし自身を雇うのが、もっとも安上がりで手っ取り早かった」から、『ダーク・スター』『要塞警察』『ハロウィン』といった初期の低予算作品でスコアを書いたのだと語っています。

もうひとつ、やっぱりな、と思ったのは、バーナード・ハーマン(とりわけ『サイコ』のスコア)と、エンニオ・モリコーネに強い影響を受けたといっている点です。

f0147840_125895.jpgまた、『ハロウィン』のシンセサイザーのプログラムは、ダン・ワイマンという人が担当したそうで、カーペンターは彼のことをおおいに賞揚しています。ご記憶の方がどれほどいるか、経験者がどれほどいるか、じつにおぼつかないのですが、アナログ・シンセサイザーというのは、パッチで音をつくっていくので、ものすごく煩瑣なだけでなく、偶然を頼りにやっていたのでは、なかなか望みのサウンドが得られないものでした。プログラマーの助けがないと、いいサウンドを得るのは困難だったので、こういう協力者がいて当然なのです。70年代のさまざまな盤にも、プレイヤーのみならず、プログラマーの名前がしばしばクレジットされていたものです。

「ハロウィーン・テーマ」(「ハロウィン」というまちがった表記は大嫌いなので、映画タイトル以外はこちらを使わせてもらいます)は、子どものころに父親から教えられた、ボンゴで4分の5拍子を叩く練習法から思いついたそうです。たんなる5拍子よりも、ひねくれたリズミック・センスだと思いますが。

f0147840_164231.jpgまた、音楽スタジオでは、フィルムを参照できなかったということもいっています。つまり「ブラインド」で、あるいは、記憶に頼って、各シーンの音を録っていったことになります。これは大きなハンディキャップですが、それがかえって好結果につながったようにも思います。現在はもちろん、ヴィデオに合わせてプレイしているそうです。

最後に、stingerないしはcattle prodを録音したといっています。つまり、殺人者がドアの陰からいきなり襲いかかってくるときなどに、「ジャーン!」とフォルテシモかつスタカートの音で脅す例のサウンド・イフェクト的な音楽です。「いまでは、stingerを使いすぎたことを恥じている」とカーペンターはいっています。でも、カーペンターのstingerの使い方は、かなりうまいとわたしは思います。OSTアルバムを聴くと、強いものと軽いものを使い分けていることに気づき、改めて感嘆します。

◆ 信じられない改変 ◆◆
中子真治著『フィルム・ファンタスティック 第6巻』の『ハロウィン』の項を読んでいて、仰天しました。この映画の日本での公開にあたって、配給会社は新たなスコアをつくったのだそうです。

どうやら、カーペンター監督がいう「minimalistic, rhythm-inspired score」の楽器の少なさを、そのまま、スコアの出来の悪さと受け取ったようです。古今亭志ん生なら「馬鹿が凝りかたまっちゃったよ、この人は」と嘆くことでしょう。

この映画から、カーペンターのミニマル・ミュージックをとったら、後続の『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』とそれほど懸隔のない、通俗ホラー映画に見えるのではないでしょうか。わたしにとって、ジョン・カーペンターは、つねにshoot and playの人です。それがこの人と他の映画監督が決定的にちがう点であり、彼を特別な人にしている重要な要素です。世の中には、音楽の力を知らない人がたくさんいるのはわかっていますが、カーペンターのスコアのすごみにまったく反応しない人が、映画配給会社にいたというのは、悪夢のようなミスキャストです。

もちろん、いまリリースされているDVDに、日本製のくだらない音楽などはかぶさっていないでしょう。今夜はもう10月31日の殺戮は完了し、マイケルは続篇にそなえてどこかへ消えてしまったので、間に合いませんが、来年の10月31日には、ジョン・カーペンターの究極の恐怖音楽を絵とともにお楽しみあれ。怖いですよ~。

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by songsf4s | 2007-10-31 23:56 | Evil Moonの歌
Monster Mash by Bobby "Boris" Pickett & the Crypt Kickers
タイトル
Monster Mash
アーティスト
Bobby "Boris" Pickett & the Crypt Kickers
ライター
Bobby Pickett, Leonard Cappizi
収録アルバム
The Original Monster Mash
リリース年
1962年
他のヴァージョン
The Beach Boys; Sha Na Na; Stephen Bishop with Linda Ronstadt, Karla Bonoff and Andrew Gold; Vincent Price; The Count, Zoe & Telly Monster (Sesame Street); The Chipmunks
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11年間で3回チャートインし、デビュー時はナンバーワン、さらにデビューから11年後にまたトップ・テン入りをした、文字通りのモンスター・ヒット、この曲なしではハロウィーンがハロウィーンにならないというきわめつけ、大真打ちのハロウィーン・フェイヴァリット、それが今宵お届けする、ボビー・“ボリス”・ピケット&ザ・クリプト・キッカーズのMonster Mashです。

◆ 蘇生はうまくいったものの…… ◆◆
歌詞に大きく重心がかかった曲なので、ともあれ、ストーリーをみてみましょう。ファースト・ヴァース。

I was working in the lab late one night
When my eyes beheld an eerie sight
For my monster from his slab began to rise
And suddenly to my surprise

「ある夜遅く、研究室で仕事をしていたとき、我が輩のまなこは不気味なものを捉えることとあいなった、我が輩の怪物が手術台からむっくりと起きあがりはじめ、そして、驚いたことに、突然……」

いじましいテレビ番組のように、これからというところで切って申し訳ありません。その後、なにが起こったかはコーラスへとつづくのであります。

モンスターにmyと所有格があたえられているのは、当然、語り手がモンスターの生みの親であるという含意です。フランケンシュタインの怪物の物語を思いだされよ。

以下にそのコーラス。パーレンのなかはバック・コーラス。

(He did the mash)
He did the monster mash
(The monster mash)
It was a graveyard smash
(He did the mash)
It caught on in a flash
(He did the mash)
He did the monster mash

「彼はモンスター・マッシュを踊った、それは墓場のスマッシュ・ヒット、たちまち大評判、彼はモンスター・マッシュを踊ったのだ」

f0147840_0444789.jpgわたしと同世代の方々には説明の要のないことですが、マッシュというのは、60年代初期に流行した、マッシュト・ポテトというダンス・ステップのこと。そんなものを踊ったのだからして、語り手の死者蘇生実験は大成功ということになります。

それにしても、自分で自分のことを大ヒット(smash)などと、よくまあ、ぬけぬけといったものです。じっさいに、コミック・ソング史上空前絶後の大ヒットになったからよかったものの、フロップだったら、みっともないことになっていたでしょう。まあ、ヒットしなければ、存在自体に気づく人間もいないわけですが!

◆ 電極:究極の刺激 ◆◆
セカンド・ヴァース。

From my laboratory in the castle east
To the master bedroom where the vampires feast
The ghouls all came from their humble abodes
To get a jolt from my electrodes

「城の東翼にあるわが研究室から、吸血鬼たちが宴会をしている主寝室にいたるまで、食屍鬼たちがみな、粗末な住処から抜けだして、我が輩の電極から刺激を得ようと集まってきた」

この語り手は、「フランケンシュタインの怪物」の生みの親である、フランケンシュタイン男爵という設定なのだろうと思います。したがって、モンスターは当然、「フランケンシュタインの怪物」です。あの物語(映画でもいいのですが)では、城に研究室があります。そうか、ということは、「大ヒット」は、城の範囲内のことですね。

ドラキュラたちが宴会をやっているのが、舞踏室ではなく、主寝室だというのが、小さいくすぐりですが、笑えます。

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最初とはちょっとだけちがうセカンド・コーラス。

(They did the mash)
They did the monster mash
(The monster mash)
It was a graveyard smash
(They did the mash)
It caught on in a flash
(They did the mash)
They did the monster mash

訳すまでももないでしょう。主語がHeからTheyへ、すなわち、モンスターからグール(食屍鬼)たちに変わっただけです。

◆ 幻のスーパースター、クリプト・キッカーズ・ファイヴ ◆◆
ブリッジ。

The zombies were having fun
The party had just begun
The guests included Wolf Man
Dracula and his son

「ゾンビたちも楽しんでいた、パーティーははじまったばかり、ゲストは狼男、ドラキュラ、そしてその息子」

シリーズ化したモンスター映画の続篇の常道、「~の復活」「~の花嫁」「~の息子」をきちんと押さえています。このように「常道を踏む」のは重要なことです。

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こちらは魔女のマッシュ。あのドロドロがマッシュなのです。

サード・ヴァース。

The scene was rockin'
All were digging the sounds
Igor on chains, backed by his baying hounds
The coffin-bangers were about to arrive
With their vocal group, "The Crypt-Kicker Five"

「パーティーはロッキンしまくり、だれもがサウンドを楽しんでいた、鎖につないだイゴールは、うなり声を上げる彼の犬に後ずさりさせられ、棺桶叩きたちももうじき到着、彼らのヴォーカル・グループ“墓蹴りファイヴ”をつれてくる」

be backed byはいくつか解釈が可能で、ひょっとしたら、わたしがイゴールというキャラクターのことを知らないために、まちがった解釈をしているかもしれません。on chainsというのは、両脚を鎖でつないでいる状態でしょう。

coffin bangerという妖怪は一般性はないようで、どういうものかわかりません。なにかのフィクションに登場するキャラクターかもしれません。棺桶叩きのヴォーカル・グループは、パーカッションがわりに棺桶をバンバン叩いて歌うのでしょうか。cryptは穴蔵、地下室のことですが、この場合、納骨する穴蔵のことでしょう。

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当然の企画ながら、ウルフマン・ジャックのDJ付きハロウィーン・フェイヴァリット集もあります。これまた当然ながら、紫人食いとモンスター・マッシュという二大ハロウィーン・ヒットを看板に立てているところは、「うち」と同じ! (追記:内容を確認したところ、多くは再録音で、ウルフマン・ジャックのしゃべりもなし。相当インチキな盤なので、まちがっても入手なさらないように。カヴァーだけは面白いので、削除せずにおきます)

『キャリー』の運命のプロム・ナイト、あの会場で演奏していたグループによる盤があるそうですが(あの大殺戮を逃れられなかったのでしょう、1枚のみだけだとか)、クリプト・キッカーズ・ファイヴの単独名義で盤を出せばよかったのに、と思います。

ここのコーラスは、セカンドと同じものなので略します。

◆ ローカル・ヒットからナショナル・ヒットへ ◆◆
フォース・ヴァース。

Out from his coffin, Drac's voice did ring
Seems he was troubled by just one thing
He opened the lid and shook his fist
And said, "Whatever happened to my Transylvania twist?"

棺桶からドラキュラの声が響き渡った、彼が腹を立てている理由はただひとつ、彼はまぶたを開き、拳をふりまわして叫んだ。『わたしのトランシルヴァニア・トゥイストはどうなったんだ』」

ドラキュラを「ドラック」と短縮してしまうのは、恐れ入っちゃいます。トランシルヴァニアはご案内のようにルーマニアの一地方、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』の舞台です。

モンスター・マッシュがあるのなら、トランシルヴァニア・トゥイストぐらいあっても、べつにおどろくにはあたらないでしょう。なんなら、半魚人スウィムでも、ミイラ・ゴーゴーでも、キング・コング・モンキーでも、お好きなものをどうぞ、です。

いわせていただくなら、古典落語「らくだ」では、死人がかんかんのうを踊ります。こういうことにかけては、わが国のほうがずっと先輩なのです(なんて威張るほどのことでもないか)。

主語がtheyからitに変わっただけのコーラスは省略し、ラスト・ヴァースへ。

Now everything's cool, Drac's a part of the band
And my monster mash is the hit of the land
For you, the living, this mash was meant too
When you get to my door, tell them Boris sent you

「さて、万事好調、ドラックもバンドに仲間入り、我が輩のモンスター・マッシュも全国ヒット、なんじ生者らも、このマッシュの対象なのだ、我が城の門にきたら、彼らに、ボリスの招待だといいたまえ」

このあと、フェイドアウトでのセリフ(とイゴールのうなり声)があるのですが、Easy Igor(おとなしくしろ、イゴール)のあとはよく聞こえません。impatientとか、mash goodという言葉が聞こえるので、「おまえは忍耐心がない、ちゃんとマッシュしろ」とかなんとかいっているのじゃないでしょうか。

◆ 特殊な、特殊な、ウルトラ・レア・グルーヴ ◆◆
ボビー・“ボリス”・ピケットは、マサチューセッツ州サマーヴィルの映画館支配人の息子として生まれ、子どものころに見たボリス・カーロフ映画で、この俳優の大ファンになりました。素人タレント・コンテストでは、カーロフの物真似でいつも優勝していたといっています。

f0147840_116392.jpg俳優を志し、ハリウッドにやってきましたが、友だちのヴォーカル・グループ、コーディアルズに加わって、ダイアモンズのLittle Darlin'のセリフのところで、お得意のボリス・カーロフの物真似をしているうちに、バンド・メイトのレニー・キャピージが、それを使ってノヴェルティーをつくろうといいだして生まれたのが、このMonster Mash。はじめはMonster Twistだったのが、マッシュ・ポテトのほうがいいだろうというので、Monster Mashed Potato、それを縮めてMonster Mashとなったようです。mashには「どろどろのもの」という意味もあるので、たしかにモンスターにはふさわしい言葉です。

キャピージはデモをゲーリー・パクストンのところに持ち込み、パクストンが本番のプロデュースをしました。1962年なので、アール・パーマーでも、ハル・ブレインでもいいはずなのに、なんだか不安定なドラムで、だれだろうと思ってあちこち見てみたら、メル・テイラーと書いているところがありました。なるほど、それでフィルインのたびに乱れるのね、でした。

f0147840_1204275.jpgフィルインの「入り」で遅れ、その分を取り返すために途中は急ぎに急ぎ、最後はむりやり辻褄を合わせる、というかなり特殊な下手さで、真似ようたって、だれにでも真似できるというものではなく、その稀少性からいって、これはこれで、いわゆるひとつの才能といえるかもしれません。すくなくともこの曲には、この下手さは効果的だったといえるでしょう。これがホントの「レア・グルーヴ」、そんじょそこらにあるグルーヴではありません。これを「グルーヴ」をいってしまうと、わたしの音楽感は崩壊の危機なのですが!

ピアノはリオン・ラッセル(このマイナー・リーガー軍団にたったひとり混じった大リーガー、したがって、やや浮き気味)、ギターはパクストン、そしてベースはピケット自身だそうです。62年にフェンダー・ベース、しかもフラット・ピッキングのプレイで、そういうプレイヤーは知らなくて(レイ・ポールマンは親指フィンガリング、フラット・ピッキング・スタイルのキャロル・ケイがベースをはじめるのは64年、ジョー・オズボーンはすでにハリウッドで活躍中だが、リック・ネルソン・バンドの時代で、まだセッション・ワークははじめていないと考えられるし、そもそも、この曲はオズボーンのスタイルとはまったく異なる)、だれだろうと悩んでしまいましたが、ピケット自身では、わかるはずがありません!

パクストンは2バイ4板にサビ釘を打ち込み、それをゆっくりと抜くことで、棺桶の蓋が開くSEをつくったそうです。ゴボゴボいう音(昔のモンスター映画、気違い科学者映画にはつきものだった、フラスコのなかで得体の知れない液体が沸騰する音のつもりでしょう)は、もちろんストローでやったのだそうです。

この曲の魅力のひとつである、クリプト・キッカーズのバック・コーラスをやったのは、パクストンと、ジョニー・マクレー(パクストンのパートナー)、そしてリッキー・ペイジ(おそらくセッション・シンガー)の3人。女声はペイジという人だけのようなので、半分は彼女の声のおかげで、この曲はヒットしたことになります。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
他のヴァージョンにふれる余裕がなくなりましたが、まあ、みなお遊びなので、どうということはありません。

セサミ・ストリート盤は、あの番組のためのものでしょうから、歌詞をかなり変えています。リード・ヴォーカルは「カウント」(ドラキュラ風キャラクターで、数の数え方を教える役目)なので、たとえば、「One, two, three zombies were having fun」などと、いちいち勘定したりしていて、これはこれで「細部に凝る」というノヴェルティーの常道をきちんと踏んでいて、好感がもてます。

スティーヴン・ビショップ、リンダ・ロンシュタット、アンドルー・ゴールドのヴァージョンは、いったいどういう機縁でうまれたものかわかりませんが、ロンシュタットのバック・コーラスはいいとして、ビショップのリードはミスマッチ。まあ、むりにボリス・カーロフをやろうとして、うまくいっていないところが、可笑しいといえば、可笑しいのですが。

ヴィンセント・プライスは、まさに俳優の盤、ほとんどセリフです。ドイツ風のなまりはお手のものというところでしょう。

ビーチボーイズは、ライヴではこの曲をよくやっていたようですが、とくに面白いことはありません。ヴォーカル・グループの名前は、クリプト・キッカーズ・ファイヴではなく、ビーチボーイズ・ファイヴと歌っています。

チップマンクス・ヴァージョンはヴィデオでもっています。わたしは恥ずかしながらマンクスのファンなので、当然、having funであります。

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また、ピケット自身によるリメイクやら、ステレオ・ミックスやら、各種のヴァリアントもあり、現在では1枚のアルバムにまとめられています。

◆ カウントダウン終了 ◆◆
ピケットは、「血液銀行のブルース」とか、「スカリー・ガリー」(Hully Gullyの替え歌)とか、モンスター・マッシュで言及された「トランシルヴァニア・トゥイスト」など、この傾向の曲をいろいろやっていますが、それはまたふれる機会があると思います。

このところ、毎日、開きっぱなしにしているハロウィーン・サイトのハロウィーン・カウントダウン時計は、ハロウィーンまで残り6分を切ったと告げています。急がねば!
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by songsf4s | 2007-10-31 00:02 | Evil Moonの歌
Friend of the Devil by Grateful Dead
タイトル
Friend of the Devil
アーティスト
Grateful Dead
ライター
Robert Hunter, Jerry Garcia
収録アルバム
American Beauty
リリース年
1970年
他のヴァージョン
live versions of the same artist, Phil Lesh & Friends, Bob Dylan (boot)
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グレイトフル・デッドの「座付き作詞家」ロバート・ハンターの詩を、わたしはちゃんと理解できたためしがありません。行文の解釈そのものができないこともあれば、解釈はできても、全体として意味を成さないこともあります。それで、デイヴィッド・ドッドの注釈付きデッド歌詞サイトおよび注釈付きデッド歌詞集のようなものが登場し、デッド・ヘッズの人気を博しているのでしょう。

本日のFriend of Devilもまた、わかるような、わからないような、どこかもやもやとした詩ですが、楽曲としては、代表作に入れてもおおかたのヘッズの賛成が得られるであろうほど人気があり、ライヴでも長期間にわたって彼らのレパートリーでありつづけています。大物のカヴァーもあって、ハンター自身が予想したように、クラシックの地位を獲得したといってもいいかもしれません。

なによりも重要なのは、わたし自身、デッドの厖大なカタログのなかでも、この曲は最上位にくるものと考えているということです。ハロウィーンだろうが、クリスマスだろうが、正月だろうが、かこつけられるものがあれば、なんにだってかこつけて、取り上げずにおくものか、なのです。

◆ 犬に追われて十字路へ ◆◆
それでは、いちおう歌詞を眺めてみますが、最初に申し上げたように、よくわからない詩です。音のほうに関して百万の文字をタイプする必要があり、予定がつまっているので、わからないところはどんどん飛ばします。作詞家ではなく、詩人が相手のときは、ゴチャゴチャいわないのが安全です。まずはファースト・ヴァース。

I lit out from Reno
I was trailed by twenty hounds
Didn't get to sleep that night
Till the morning came around

「俺はリーノから逃げてきた、20頭の犬に追跡され、その夜は朝がくるまで眠れなかった」

f0147840_11552.jpgリーノは、なにも説明がないので、ネヴァダ州の町、離婚で有名なあのリーノと考えておけばいいでしょう。「犬」は警察犬と受け取るのがノーマルだと思いますが、この詩が見た目のとおりのものではなく、なにかをパラフレーズした象徴的なものであった場合には(ロバート・ハンターの詩はその種のものが多いと感じます)、警察犬と決めつけることは、想像力のおよぶ範囲をせばめてしまう恐れがあります。北欧神話の地獄の番犬フェンリルなんていうのもいることですし。

以下は何度も繰り返されることになるコーラス。

I set out running but I take my time
A friend of the Devil is a friend of mine
If I get home before daylight
Just might get some sleep tonight

「逃走にとりかかったけれど、手間取ってしまった、悪魔の友だちは俺の友だち、陽が昇るまでに家に帰れれば、今夜はすこしは眠れるかもしれない」

語り手はリーノでなにかしてすでに逃げてきたのだから、さらに「逃走にとりかかる」となると、こんどは「高飛び」という第2段階のことをいっているのでしょうか。

悪魔が指し示すものはわかりませんし、したがって当然、悪魔の友だちは俺の友だち、というタイトルの意味も、わたしには見当もつきません。何度も繰り返されるコーラスが意味不明とくるのだから、ロバート・ハンターという人も困ったもので、十代からずっと悩まされっぱなしです。

セカンド・ヴァース。

I ran into the Devil, babe
He loaned me twenty bills
I spent that night in Utah
In a cave up in the hills

「悪魔にばったり出会ったら、20ドル貸してくれた、その夜はユタの丘の上の洞窟ですごした」

f0147840_122247.jpg表現としては、どこにもむずかしいところはないのですが、意味するところはよくわかりません。悪魔にバッタリ出会う、となると、だれしもロバート・ジョンソンを連想するところで、ドッドの歌詞サイトでもそういう意見が出ていますし、houndに関係して、ジョンソンのHellhound on My Trailの歌詞が参考として掲載されています。

またコーラスがあって、サードへ。

I ran down to the levee
But the Devil caught me there
He took my twenty dollar bill
And he vanished in the air

「俺は堤防まで逃げたけれど、そこで悪魔に捕まった、奴は俺の20ドル札を取って、宙にかき消えてしまった」

◆ 犯罪物語、でいいのかどうか ◆◆
以下はブリッジ。

Got two reasons why I cry
away each lonely night
First one's named sweet Anne Marie
and she's my heart's delight
Second one is prison, baby
the sheriff's on my trail
If he catches up with me
I'll spend my life in jail

「さみしい夜を泣きあかしている理由は二つある、ひとつはやさしいアン・マリー、彼女は喜びのみなもと、二つめは監獄、保安官が俺を追っている、捕まったら、一生、監獄で過ごさなくてはならないんだ」

ここは、そのままの意味であるのなら、とくに問題なくわかる箇所です。ブルースやカントリーによくある犯罪者の物語と受け取っておけばいいのかもしれません。悪魔はやっぱりわかりませんが。

フォースにしてラスト・ヴァース。

Got a wife in Chino, babe
And one in Cherokee
First one says she's got my child
But it don't look like me

「チーノに女房がひとり、チェロキーにもうひとりいる、最初のほうは、俺の子どもを生んだというけれど、俺に似ているとは思えない」

重婚の罪まで犯しているとは、困った語り手です。よけいなことですが、「小言幸兵衛」で、借家しようとあらわれた男が「家族は女房がひとり」といって、幸兵衛さんに「女房はひとりと決まっている」と小言をいわれる場面を思いだしてしまいました。

f0147840_1131693.jpgデイヴィッド・ドッドの注釈によると、チーノはカリフォルニア州サン・バーナーディーノ郡の町で、ここには刑務所、それも主として犯罪性精神異常者を収容するところがあるのだとか。また、カリフォルニアには四カ所のチェロキーがあり、さらに、アラバマ、アイオワ、カンザス、ノース・キャロライナ、テキサスにも同じ地名の土地があるそうです。

マンドリンの間奏をはさんで、ふたたびブリッジに入り、フォース・ヴァース、コーラスを繰り返してエンディングとなります。

◆ 悪魔と悪魔の友だちと地獄の天使 ◆◆
今日一日、悪魔のことを考えてみましたが、やはりよくわかりませんでした。20ドル貸してくれ、20ドルもっていくのが悪魔、というのは、なんとなくわかるような気がしてきたのですが、「なんとなく」の向こう側まではいけませんでした。

もちろん、「悪魔の友だちは俺の友だち」にいたっては、まったくわかりません。「悪魔に魂を売ったワルは俺の仲間」ぐらいのところでしょうかねえ。しかし、アップテンポで歌うと、この「Friend of the Devil is a friend of mine」というフレーズは、なかなかリズムがよくて、いっしょに歌いたくなるのもたしかです。

もうひとつ、デッドがバンドの発足当初からヘルズ・エンジェルに支持されてきたことも思いだしました(それがオルタモントでの殺人事件につながった)。地獄の天使と悪魔はなにか関係があるのかもしれません。

歌詞のことはそれくらいにして、以下、肝心のサウンドのことを。

◆ レッシュのグルーヴ ◆◆
デッドをご存知の方には説明の要がないのですが、この曲はAmerican Beautyという、多くの人が彼らの代表作と考えるアルバムに収録されました。このオリジナル・ヴァージョンと、後年のライヴ・ヴァージョンでは、はっぴいえんどの「朝」のオリジナルと、エレクトリックなライヴ・ヴァージョンぐらい大きな違いがあり、ほとんどべつの曲に聞こえます。

わたしは、スロウ・ダウンしたエレクトリック・ヴァージョンよりも、ブルー・グラス風のアップテンポなスタジオ盤のほうがずっとよいと思います。それは主として、ドラムのビル・クルーズマンとベースのフィル・レッシュが、ともに冴えたプレイをし、協力して素晴らしいグルーヴをつくっているという理由によります。

f0147840_1201815.jpgレッシュははじめからグルーヴのいいプレイヤーでしたが、トップ・クラスのプレイヤーだと確信したのは、前作のWorkingman's DeadのCumberland Bluesのグルーヴを聴いてからのことです。得意技の高音部での装飾的プレイを封じ、シンプルなフレーズを繰り返すだけのこの曲でのプレイは、当然、グルーヴがすべてであり、レッシュは完璧なグルーヴをつくれることを証明しました。

たぶん、楽器自体がアレンビックのカスタム・ベースになったか、まだカスタムはできていないにしても、すくなくとも改造にとりかかったのだと感じます。それまでとはかなりトーンがちがい、以後、彼の生涯のトーンとなる、音階がハッキリとわかる、輪郭の明瞭なサウンドに変化しています。これで彼のスタイルは固まったのだと思います。

Friend of the Devilは、彼のもっとも得意とする、高いところでの装飾的かつメロディックなラインを中心としたプレイで、素晴らしいのひと言です。ブルー・グラス的にやっているこの曲のギターやマンドリンとは、故郷の異なるスタイルですが、この異質なものが自然に共存してしまうのが、デッドの世界です。

◆ クルーズマンの代表作 ◆◆
以前にも書きましたが、ビル・クルーズマンがいいドラマーのような気がしはじめたのはLive/DeadのElevenでのことです。Workingman's Deadからはスネアのチューニングが高くなり、ここからほんのしばらくのあいだだけ、彼はウルトラ・ドライなスネアをパシパシと小気味よく「しばく」ドラミングをつづけます。アルバムとしては、Workingman's Dead、American Beauty、Grateful Dead(通称Skull & Roses)、そしてボブ・ウィアのソロ・アルバムAceの4枚だけで、72年のヨーロッパ・ツアーでは、もうチューニングを下げはじめます。

f0147840_1264187.jpgピッチが高く、スネア・ワイアを鳴らし、しかもミュートを使わないウルトラ・ドライなサウンドというのは、この時代の流行、主流ではないので(以上の形容をひっくり返したのが流行。ピッチは低め、スネア・ワイアを響かせない、ミュートを使う。この形容が変だと感じたあなた、正解です。スネア・ワイアを鳴らすからこそ「スネア・ドラム」という名前がつけられているのであり、ワイアを鳴らさないスネアは、スネアとは呼べないのです)、短期間しかつづかなかったのはやむをえないでしょう。

しかし、こういうスネアは60年代にはかなり聴くことができたものの、のちの時代には地上からすっかりかき消されてしまう運命にあるので、時代が下るにつれて、貴重品としての価値が相対的に上昇していき、わたしの心のなかでは、もっとも愛すべきドラミングの神棚へと祭り上げられていきました。

時代の流行から離れてみると、なおいっそう、この曲でのドラミングの素晴らしさが明瞭になります。こういう音がスネア・ドラムの本来のサウンドである、あとの音はみな間違い、といっていいすぎなら、「亜流」「俗流」であるといいたくなるほどです。

もちろん、素晴らしいのはサウンドばかりではありません。もともとタイムが素晴らしいプレイヤーですが、経験の蓄積によって「ホンモノのプレイヤー」になった、と感じるような、自信に満ちたプレイをこの曲では聴かせてくれます。ウルトラ・ドライのスネアをパシパシいわせる、ブリッジでの16分のパラディドルの気持ちいいこと、これこそがドラムを聴く喜びというものです。

デッドの大きな魅力のひとつだった、フィル・レッシュとビル・クルーズマンが、ともに第一のピークにさしかかり、その力を見せつけたのが、このオリジナル盤Friend of the Devilなのです。

◆ 明日があるさ ◆◆
デッド・ヘッズはいろいろな意味で野球ファンにたとえられます。なによりも、ちょっと負けがこんだぐらいでは動じない点が野球ファンに似ています。なにしろ、セット・リストなんかつくったことのないバンドで、その日、どういう曲がプレイされるか、ヘッズはもちろん、彼ら自身も知らないのです。いや、だいたいのことは決めてからステージに上がると思うのですが、曲と曲を接続する役目を負っている長いインプロヴの最中に、予想しなかった曲にだれかが誘導すれば、それに合わせることもすくなくないらしいのです。

それでうまくいくこともあれば、人間のやることだから、当然、失敗することもあります。デッド・ヘッズでない堅気の人はご存知ないでしょうが、デッドのライヴを録音し、仲間と交換し、デッドの全ライヴ記録を保管することを生涯の目標とした、世にいう「テープ・ヘッズ」がその収集品を公開したサイトが無数にあり、気長に探せば、たぶん、デッドのまともなライヴはすべて聴くことができます(あなたの寿命がそれを許すほど十分に長ければ、という条件が付きますが)。

f0147840_1523187.jpg

ときにはすごい日があります。いや、ほとんど負け試合だけれど、1イニングだけ大量得点、てな感じのケースのほうが多いのですが、それでも、ありがたいことに、野球とちがって、1イニング完璧なら、あとの8イニングはボロボロでかまわないのです。

こんな日もあります。「トラック1機材の修理」「トラック2Bertha」「トラック3ふたたび機材の修理」「トラック4チューニング」などと書いてあるのです。機材の修理以外のこと、すなわちプレイしているあいだも、ヴォーカル・マイクのハウリングに悩まされ、まともなものではありません。こういう日は、序盤の大量失点に最後まで祟られ、悲惨な結果になるはずです。ところがどっこい、デッドは後半、猛烈に追い上げ、結局、逆転サヨナラ勝ちしてしまうのです。この日の後半のいいこと、あなたに聴かせてあげたいほどです。

これが、デッドを世界一の売り上げを誇るロック・バンド、一大コングロマリットに成長させた秘密でしょう。なにが起こるかわからないから、ブック・チケット(ツアーの全試合、じゃなくて、すべてのコンサートを見られるチケット)を買い、仕事を休んで、アメリカ中、デッドについて歩く(そして、重装備の機材ですべてを録音する)、変わり者ばかりのデッド・ヘッズのなかの、さらなる変種を生んだのです。

ある人が書いていました。「今日はひどいボロ負けだった。でも、明日はいいゲームをしてくれるかもしれないから、また見に来るだろう」。だから、デッドは野球チームであり、デッド・ヘッズは野球ファンなのです。負け試合が五つや六つつづいたからなんだっていうんだ、長いシーズンではよくあることさ、なのです。

◆ 各種ヴァージョン ◆◆
作者のロバート・ハンターが「われわれが書いた曲のなかで、クラシックの位置にもっとも近いもの」というだけあって、デッドはFriend of the Devilを、長いあいだプレイしつづけています。したがって、テープ・ヘッズによるプライヴェート録音まで含めると、とてつもない数のヴァージョンが残されています。

f0147840_1544632.jpg今回はオフィシャル・リリースである80年のライヴ録音を含め、四種をくらべてみました。しかし、うーん、でした。オリジナルのようなテンポでやっているものはひとつもなく、みなちょっと、または、すごくスロウ・ダウンしているのです。そのなかでは、1974年9月18日、Parc des Expositionsというところでの録音が、オリジナルに近いテンポで、クルーズマンのスネアのピッチも高く、好ましい出来に思えます。これはもちろん、ウェブで聴けるものなので、ご興味がおありなら、検索してみてください。

あとは、時代の下った「ゆるすぎるデッド」になってからのものなので、ダレます。しかし、オリジナルを忘れ、これはこういう曲なのだと思って聴けば、正規リリースである80年のDead Set収録ヴァージョンも、あまり面白くないこの盤のなかでは、かなりいいほうの部類に入ると思うようになりました。

f0147840_201887.jpg近年のフィル・レッシュのサイド・プロジェクト、フィル・レッシュ&フレンズによるヴァージョンは、アップテンポで、ブルー・グラス風味を残したものになっています。70年代終わりから、だれといわず、バンド全体がたがのゆるんだようになり、デッドのライヴはずぶずぶのプレイばかりになるのですが、レッシュも高音部でのメロディックなプレイをやめ、ふつうのベースになってしまいます。年をとったとしかいいようがないのですが、それでも、デッドのときより、このサイド・プロジェクトのほうが、彼らしいプレイをしていて、ホッとします。その気になれば、まだかつてのようなプレイができるのではないかと思わせてくれるのです。

f0147840_223317.jpgディランは、おそらく、デッドといっしょにツアーしたときに、この曲を聴き、気に入ってカヴァーしたのでしょう。正規盤にはなっていませんが、ブートで聴くことができます。ベースにしたのは、明らかに70年代後半以降のスロウ・ダウンしたアレンジで、それに、この十数年ずっとつづいている、ディランのだらっとしたスタイルのヴォーカルが載るのですから、出来はご想像に任せます。

重要なのは、同時代の曲をカヴァーすることのないディランが、この曲を取り上げたということです。こういうことが、ある楽曲をクラシックにするうえで大きな役割を果たすことになります。いや、わたしはディランを信奉しているわけではないのですが、世間はそういうことを基準にするものだからです。
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by songsf4s | 2007-10-30 00:45 | Evil Moonの歌
I Put a Spell on You by Alan Price Set
タイトル
I Put a Spell on You
アーティスト
Alan Price Set
ライター
Screamin' Jay Hawkins
収録アルバム
Anthology
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Screamin' Jay Hawkins, Nina Simone, Them, Manfred Mann, CCR
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本日の曲、I Put a Spell on Youは、オリジナルのスクリーミン・ジェイ・ホーキンズ盤の段階ではシンプルなマイナー・ブルースだったのが、後年のヴァージョンではいくつかのコードが加えられています。わが家にあるもので追跡できる範囲では、1965年のニーナ・シモンのカヴァーから、コードが加えられたようです。

わたしが当時もっとも好きだったヴァージョンは、ラジオで聴いただけのアラン・プライス・セットのものなので、ニーナ・シモン盤同様、やはりコードの多いこのヴァージョンを看板に立てました。

◆ 丑の刻詣りの五寸釘 ◆◆
それではファースト・ヴァース、とブルースのほうでいうかどうかは知りませんが、まあ、とにかく第一ブロックの歌詞を見ていきます。

I put a spell on you
Because you're mine
You better stop the things that you do
I ain't lyin', no I ain't lie
I just can't stand it baby
The way you're always runnin' 'round
I just can't stand
The way you're always put me down
I put a spell on you
Because you're mine

「おまえに呪いをかけてやる、おまえは俺のものだから、いまやっていることをやめたほうがいい、嘘じゃないぞ、まったく我慢がならない、遊びまわりやがって、俺をナメきったおまえのやり方にはうんざりだ、おまえに呪いをかけてやる、おまえは俺のものなんだから」

f0147840_23383276.jpg以上でこの曲の歌詞はほぼすべてです。「ほぼ」というのは、セカンドはこの歌詞を部分的に変えたもの、サードはインプロヴで、I love youだとか、You're mineだとか、I put a spell on youとか、そういうものを思いついた順に適当に叫んでいるだけで、ヴァースとかなんとかいう大げさなものではないからです。

義務教育を受けた方ならみなご存知のように、putは現在過去過去分詞が同型なので、時制がわかりません。すでに呪いはかけられたものと解釈することも可能ですが、文脈からすると、現在形として使われていると考えるのが順当でしょう。

アラン・プライス盤ではそのニュアンスはありませんが、オリジナルのスクリーミン・ジェイ・ホーキンズ盤を聴けば、この「呪い」は冗談でも脅しでもなく、まったくもって「嘘じゃな」くて、ヴードゥーだと感じます。日本でいえば、丑の刻詣りをして五寸釘を打つぞ、本気だからな、という歌なのであります。げに恋の地獄は恐ろしき哉。

また、run aroundは、こういう場合は浮気、恋の遊びを指します。

◆ イントロの勝負 ◆◆
アラン・プライスはアニマルズでデビューし、すぐにバンドを抜けました。当時の報道では、ツアーのきつさに耐えられないためとされましたが、わたしは、エリック・バードンがリード・ヴォーカルをほぼ独占してしまい、歌での出番が少ないことを嫌ったのだと考えています。その証拠に、アラン・プライスはすぐに自分のバンド、アラン・プライス・セットをつくって、すべてのリード・ヴォーカルを独占することになります。

f0147840_23393192.jpgイギリスのチャートは、アメリカのように単純に考えるわけにいかないのですが、わが家にあるチャート・ブックでは、このI Put a Spell on Youが、アラン・プライス・セットの最初のヒット曲であり、アメリカでも、トップ40には届かなかったものの、ホット100には入っています。ビルボードでは、アラン・プライスのヒット曲はあとにもさきにもこれ一曲で、英国ローカルのアーティストとみなしていいようです。

アラン・プライス盤I Put a Spell on Youの魅力は、彼がプレイしたオルガン(ハモンドではなく、コンボ・オルガン。The House of the Rising Sunに使ったのと同じものかもしれない)が全編を支配していることにあります。とりわけ、ちょっとクラシカルなイントロが印象的で、わたしがこのアラン・プライス盤を気に入ったのも、イントロゆえのことでした。

◆ メイジャー・コードの挿入 ◆◆
もうひとつ重要な点はコード進行なのですが、これはアラン・プライスの創始ではないようで、プライス盤より一年早いニーナ・シモン盤I Put a Spell on Youですでに使われています。

昔は、日本ではリリースされず、また輸入盤というものもごく一部の店でとりあつかっているだけだったので、ラジオでは聴いたことがあるけれど、手に入らないという盤もしばしばありましたし、また、国内でのリリースがかなり遅れる盤もすくなくありませんでした。アラン・プライス・セットも、リアル・タイムではリリースされなかったのではないでしょうか(わたしが気づかなかっただけかもしれませんが)。入手したのは、ずっと後年のことです。

f0147840_23444173.jpgそもそも、このヴァージョンの存在を知ったのは、67年か68年にニーナ・シモン・ヴァージョンを聴いたあとのことでした。ニーナ・シモン盤I Put a Spell on You自体、調べてみれば、わたしが聴いたのは、リリースから2、3年後だったようで、いまになって驚いています。

Stormy Weather その2 by Django Reinhardt」のときに、ジャッキー・ウィルソンのStormy Weatherにふれ、「伊勢佐木町ブルース」のようなイントロだと書きましたが、ニーナ・シモンのI Put a Spell on Youもまた、「伊勢佐木町ブルース」のストリングスに雰囲気がよく似ています。

いや、そんなことはいいのですが、ニーナ・シモン・ヴァージョンでは、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのオリジナルにはない、メイジャー・コードおよびペダル・ポイント(か、ストレートなコードか、微妙なところですが)が加えられたことが、後続のヴァージョンに大きな影響をあたえています。

f0147840_2347376.jpg便宜的に、すべてのヴァージョンがアラン・プライスのように、Gm(またはGm7)をキーとしているものとします。スクリーミン・ジェイ・ホーキンズは、Gm-Cm-Gm-D7という、3コードのシンプルな進行です。ニーナ・シモン盤は、Gm-F-E♭-D7がまず一ブロック、つぎのブロックはGm-G-Cm-Gm-E♭-D7(この下降進行は、ペダル・ポイントで置き換えることもできる。アラン・プライスはオルガンでやっているので、ファースト・ヴァースはペダル・ポイント的な響きになっている)というように、3度にあがるときに、経過音的にGメイジャーをはさんでいるのです。

これがリー・マイケルズのStormy Weatherにおけるコードの変更のように、非常に効果的で、心地よく響きます。わたしにとっては、この曲の魅力はこのコード進行にあるので、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのオリジナルは、まったくつまらないものに思えます。

◆ 残りのヴァージョン ◆◆
f0147840_23564025.jpgStormy Mondayの記事で、ヴァン・モリソンが影響を受けた曲を集めたVan Morrison's Juke Boxという編集盤が、Tボーン・ウォーカー盤Stormy Mondayを収録しているのはおかしい、コード進行の変更から考えて、ゼムが参照したのはボビー・ブランド盤にちがいない、と書きましたが、ゼム盤I Put a Spell on Youにも同じことがいえます。

Van Morrison's Juke Boxは、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのI Put a Spell on Youを収録していますが、ゼム盤は、3度上がるときに、やはりメイジャー・コードをはさんでいるので、ニーナ・シモン・ヴァージョンないしは、それ以前の、わたしが知らない、このメイジャー・コードを追加したヴァージョンを参照したにちがいありません。

f0147840_035131.jpgポール・ジョーンズがリード・ヴォーカルだった時代のマンフレッド・マンのI Put a Spell on Youも、やはりメイジャー・コードをはさむパターンを使っています。しかし、これは好みの出来とはいいかねます。

CCRのヴァージョンは、デビュー盤からのシングル・カットで、ビルボード・ホット100に届くマイナー・ヒットになっています(チャートインしたのはアラン・プライスとCCRのみ)。CCR盤だけは、ニーナ・シモンのような追加コードを使わず、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズ盤と同じようなシンプルなコードでやっています。

わたしはほぼ同じころに、ニーナ・シモン、アラン・プライス、CCRのヴァージョンを聴いていますが、気に入ったのは前二者だけで、CCR盤は問題外と思いました。プレイが荒っぽくて、ドラム(のみならずバンド全体)も走るので、気持ち悪く感じたせいだろうとは思うのですが、今回、並べて聴き直し、やはり、このメイジャー・コードや、ペダル・ポイント風の下降コードも重要なのだと気づきました。これがあるからこそ、この曲がおもしろいのであって、メイジャー・コードをとってしまったら、ただの暗いマイナー・ブルースにすぎず、わたしはまったく関心をもたなかったでしょう。CCR盤には洟も引っかけなかったのは、そのせいもあったのだと感じます。

◆ 三つ子の魂 ◆◆
中学生なんて、ただやみくもに、手あたりしだいに音楽を聴いて、幼い嗜好を基準に、いいだの、悪いだのといっているだけのようですが、あとから詳細に検討してみると、かならずしも見当違いばかりではないという気がしてきます。

いろいろなStormy Mondayのなかで、リー・マイケルズ盤に強く反応したのには、自分なりに筋の通った理由があったことがわかってきましたが、I Put a Spell on Youについても、今回、各種ヴァージョンを並べてみて、やはり、中学のときと同じく、わたしの好みは、オルガンのせいでちょっとクラッシーなアラン・プライス盤と、非ブルース的なコード進行を強調したニーナ・シモン盤であることに、まったく変わりはありませんでした。

悪くいえば、十五歳から成長していないことになりますが、開き直っていうならば、人間の好みとは、年齢ごときの力ではビクともしない強固なものなのだともいえます。どっちでもいいのなら、いいほうにとっておくに越したことはないでしょう。子どものころに聴いていた音楽を、この年になっていまだに聴きつづけているということは、取り繕ってもしかたのない事実ですし。


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アラン・プライス
Geordie Boy: Anthology
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ニーナ・シモン
Nina Simone Anthology
Nina Simone Anthology


スクリーミング・ジェイ・ホーキンズ(MP3)
Voodoo Frenzy…………..
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by songsf4s | 2007-10-28 21:38 | Evil Moonの歌
Clap for the Wolfman by the Guess Who
タイトル
Clap for the Wolfman
アーティスト
The Guess Who
ライター
Burton Cummings, Bill Wallace, Kurt Winter
収録アルバム
Road Food
リリース年
1974年
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本日はあまり時間がとれなかったので、昨日のトッド・ラングレンのWolfman Jackの記事の補足のような曲を2種、簡単にご紹介してお茶を濁します。

トッドのWolfman Jackと、『アメリカン・グラフィティ』のあいだの時期に、もう一度、ウルフマン・ジャックが話題になりました。1974年に、ゲス・フーのClap for the Wolfmanが大ヒットしたのです。トッド・ラングレンのWolfman Jackは、このDJのことを話題にしていただけですが、ゲス・フーの曲にはウルフマン・ジャック自身が、本人の役で登場します。

解釈を試みる時間的余裕がないので、以下にこの曲の歌詞をまとめてペーストし、そのあとに、この曲の趣向を説明することにします。

Clap for the Wolfman
He gonna rate your record high
Clap for the Wolfman
You gonna dig him til the day you die

Do Ron Ron Ron and the Duke of Earl
They were friends of mine
The highway's on my moonlight drive
Snuggled in, said "baby, just one kiss"
She said "no, no, no"
Romance ain't keepin' me alive
I said "hey babe, do you want to coo, coo, coo"
She said "uh, uh, uh"
So I was left out in the cold
I said "you're what I've been dreamin' of"
She said "I don't want to know"
(Wolfman Jack: "Oh you know, she was diggin' the cat on the radio")

Clap for the Wolfman
He gonna rate your record high
(WJ: "Yes baby, I your doctor in love")
Clap for the Wolfman
You gonna dig him til the day you die
(WJ: "Everybody talkin' about the Wolfman's confidence of love")

Seventy five, eighty miles an hour
She hollers "slow, slow, slow"
"Baby I can stop right on a dime"
I said "hey baby, give me just one kiss"
She said "no, no, no"
But how was I to bide my time
I said "Hey baby, do you want to coo, coo, coo"
She said "uh, uh, uh"
Said I'm about to overload
I said "you're what I've been livin' for"
She said "I don't want to know"
(WJ: "Oh, you thought she was digging you but she was digging me")

Clap for the Wolfman
He gonna rate your record high
(WJ: "As long as you got the curves baby, I got the angles")
Clap for the Wolfman
You gonna dig him till the day you die
(WJ: "It's all accoridng to how your boogaloo situation stands, you
understand")

Clap for the Wolfman
He gonna rate your record high
(WJ: "You ain't gonna get 'em, cuz I got 'em")
Clap for the Wolfman
You gonna dig him til the day you die
(WJ: "You might wanna try, but I'm gonna keep 'em")
Clap for the Wolfman
Clap for the Wolfman
(WJ: "And I got 'em all")
Clap for the Wolfman

こういうノヴェルティーには、かならず趣向というものがあります。この曲の語り手は車に女性を乗せていて、ラジオはウルフマン・ジャック・ショウに合わせています。語り手は「ちょっとキスなんかしてみない?」などとしきりに誘いをかけるのですが、まったく相手にされません。そこにすかさずウルフマン・ジャックが割り込んで「彼女はおまえじゃなくて、俺のことが気になるんだよ」とか「女にかけてはウルフマンの腕は有名だからな」などと、いろいろ語り手をおちょくるというしだいです。

◆ 奇怪なほどストイックなバッキング ◆◆
ゲス・フーというのは、とくに好きでも嫌いでもないグループで、2枚組ベストをもっているだけですが、今回、まじめに聴いてみて、違和感をおぼえました。バンドらしさを感じないのです。たしかに編成はロック・コンボ(ドラム、ベース、ピアノ、ギター×2)なのですが、ふつう、ロック・バンドはこういうプレイをしないだろうと思います。

とくに左チャンネルのギターは、終始一貫、決まりきったリック(主としてB-D-E-G-Eというフレーズ)を繰り返すだけです。しかもこのリックが、聴くとやるとでは大違いで、シンプルなわりには、くりかえしているとミスりそうな、ちょっとイヤな指の動きなのです。これを淡々と正確に、機械的に弾くギタリストというのは、どういうんだろうなあ、と首をかしげます。

バンドの人間関係というのは、エゴとエゴのぶつかり合いで、めだちたい、おいしい場面がほしい、という主張が角突き合ったあげくのベクトル合成が、最終的な音になります。こんなに損な役をリード・ギターが引き受けるとしたら、よほどストイックなのか、よほど犠牲的精神に富んでいるのか、よほど……まあ、なにしろ、ふつうじゃないと感じます。

f0147840_0413627.jpgドラムは、とくに素晴らしいプレイヤーではありませんが、タイムは非常に安定しています。ピアノも、右チャンネルでトレモロをきかかせたコードを弾いているギターも、みな献身的で、エゴのかけらも見せません。自分のことはどうでもいい、われわれは歌を引き立てるためなら単調な仕事に耐える、とでもいわんばかりのようすです。そんな献身的なプレイヤー、エゴを殺せるプレイヤーばかりが集まったロック・バンドがあるものでしょうか。

もともと、ゲス・フーというグループはロック・バンド的なニュアンスは薄く、スリー・ドッグ・ナイトあたりと似た位置にあると思っていましたが、本気で意識を集中して聴くと、やはり、ロック・バンドの対極にある音に聞こえてきました。ロック的ニュアンスのバッキングを使ったコーラス・グループ、ロック版レター・メンまたはロック版フォー・フレッシュメン、なにかそういうものじゃないかと感じます。このグループから分裂したバックマン=ターナー・オーヴァードライヴは、昔聴いた印象では、もうすこしロック・バンド的だったと思うのですが、そちらはまた、そのうちチャンスがあったら、まじめに聴いてみます。

◆ ボビー・フラー盤 ◆◆
わが家にはもう一曲、ウルフマン・ジャックが登場するトラックがあります。I Fought the Lawで知られる、ボビー・フラー・フォーのWolfmanです。盤を見つけだして録音時期を確認する余裕がないのですが、ボビー・フラーは1966年に亡くなっているので、当然それ以前、64、5年の録音だと思います。

シンプルな3コードのインスト、それもメロディーらしいものはなく、バディー・ホリーのスタイルに影響を受けた、ボビー・フラーお得意のコード・プレイとインプロヴによるインストゥルメンタルです。

f0147840_0425448.jpgこの曲もウルフマン・ジャック本人が登場し、狼の遠吠えをバックに、なにかいろいろいっていますが、なにをいっているのか、わたしには聴き取れません。この時点ではまだヒットのないバンドとの共演ですから、ウルフマン・ジャックのこの時期の位置がわかります。無名ではないけれど、まだ人気が出はじめたばかり、アメリカのトップDJ集団の下のほうに滑り込んだところ、といったあたりじゃないでしょうか。

わが家にあるウルフマン・ジャックを歌った曲、ウルフマン・ジャック自身が登場する曲は、この3曲ですべてです。
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by songsf4s | 2007-10-27 19:09 | Evil Moonの歌
Wolfman Jack by Todd Rundgren
タイトル
Wolfman Jack
アーティスト
Todd Rundgren
ライター
Todd Rundgren
収録アルバム
Something/Anything?
リリース年
1972年
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本日の当地はあいにくの雨で、月はまったく見えませんが、月齢15日、満月です。満月となれば、やっぱり出るものが出ます。いや、そういうスケデュールで準備していたので、雨天順延というわけにはいかないのです。

◆ 分裂を拒んだ最後の60年代ロッカー ◆◆
昨日は70年代後半にドロップアウトしたことを書きましたが、ふりかえってみると、すでにサイケデリックのときから、長い、ゆるやかな下り坂に入り、66年ごろに感じていた「幸福な合一感」は失っていったように思います。70年代に入ると、なにやらぎくしゃくとした乖離感に悩まされるようになっていきました。

ものすごく単純化すると、本来はひとつだったものが、いくつかに分解してしまい、分裂のはじまるまえの時代に育った人間は、分裂した破片のどれに対しても、またき密着感がえられなくなり、行き場を失っていった、というあたりです。たとえば、片方にハード・ロックというものが生まれ、片方にシンガー・ソングライター(これをジャンルとするのは、いまだに抵抗がある)が生まれ、この二つはまったく交叉しない、という状態のことです。

片やハード・ロックにはメロディーとハーモニーが欠け、片やシンガー・ソングライターにはグルーヴがない(または、非常に劣悪なグルーヴがある)というのでは、わたしのような人間は、60年代に回帰するぐらいしか、できることはなくなってしまうのです。

f0147840_0461932.jpgもちろん、わたしにもしっくりくる盤が、70年代にもいくつかありました。その代表が、トッド・ラングレンのSomething/Anything?です。トッドのナズは、いわば「遅れてきた最後の60年代バンド」だったわけで、彼がハード・ロックにも、シンガー・ソングライターにも分裂できず、メロディーとハーモニーと強いビートの3次元すべてを保持しつづけようとしたのも当然でしょう。彼は70年代的分裂にあらがい、ひとりで60年代をつづけようとしていたのだと思います。すくなくともしばらくのあいだは。

トッドを知ったのは、このアルバムのオープナー、I Saw the Lightがヒットしたときです。わたしには、この曲は「グルーヴのいいキャロル・キング」に聞こえました(つまり、キャロル・キング自身も、彼女の盤も、ひどいグルーヴだったということです)。しっかりしたビートのあるバラッドです。そのつぎが、もうすこしスロウなバラッド、Hello, It's Meです。これも、I Saw the Lightとドラマーはちがいますが、やはりいいグルーヴがあり、しかも、出来のよいメロディーをもつバラッドでした。

そして、今夜の主役、狼男がラジオに登場します。楽曲、サウンドとしては、最初の二曲のヒットのほうがいいと思います。でも、Wolfman Jackは、べつの意味で非常に印象的でした。

◆ 朝霞のオッサン ◆◆
あの時代にFENを聴いていた方ならご存知ですが、ウルフマン・ジャック・ショウは、日本でも聴けました。いや、それどころか、われわれはチャーリー・トゥーナよりも、ジム・ピューターよりも、このノリのいい、だみ声のオッサンを愛していました。

f0147840_113010.jpgなんといっても、週に一回はやったのじゃないかという、ヴァン・モリソンとの「共演」が楽しみでした。ヴァン・ザ・マンのBrown-Eyed Girlをかけては、曲の途中で、このオッサンが「ラララ、ラディーダ! マイ、マイ、マイ」などと割り込んでくるのです。われわれも、134号線の悪名高き渋滞にはまりこんで、手持ちぶさたなときは、車のなかでいっしょに「ララララディーダ!」とがなったものです。

ところが、時代が呑気というか、われわれだけが呑気だったのか、このオッサンが何者かということは、まったく知りませんでした。このオッサンは日本にいて、毎日、所沢だか朝霞だかの局から、ララララディーダとわめいているのだばかりと思いこんでいたのです。

f0147840_1501146.jpgその「朝霞のオッサン」のことを、トッド・ラングレンが歌って、しかも、その曲を、当の朝霞のオッサンが自分の番組で流したのだから、わけがわからなくなりました。ひょっとしたら、このオッサンはアメリカでも有名なのか、それとも、なにかコネを利用して、トッド・ラングレンにテーマ曲を頼んだのだろうか、なんて思ったのであります。

このあたりで、ウルフマン・ジャックという人物のバイオを読んだだろうなんて思うのは、グーグルが当たり前の時代に育った若者だけです。朝霞のオッサンの謎はなにも解決せず、われわれはクウェスチョン・マークを宙に浮かべたまま、さらに数年後、映画館に入ります。外題は『アメリカン・グラフィティ』。

f0147840_1231049.jpgルーカスはまだぺえぺえの「新人監督」、リチャード・ドレイファスの名前もこの映画ではじめて見た、ということを見落として、後年の有利なパースペクティヴから判断しないでいただきたいのですが、わたしの印象は「モンスターの出てこないロジャー・コーマン映画」というものでした。予算だって、ロジャー・コーマン映画よりちょっと多いぐらいだったのじゃないでしょうか、チープなB級映画だけれど、撮影はパー以上、細部にウィットが感じられる、音楽の使い方はところどころ同感できる、といった感じです。

いや、そんなことはどうでもいいのです。ダレはじめた後半、なぜだか忘れましたが、主人公は放送局に押しかけ、DJに会います。これがウルフマン・ジャックだといわれても、「朝霞のオッサン」の顔なんか見たこともないからわかるわけがないのですが、あのだみ声は、まさしく朝霞のオッサンでした。まったくもって、マイ、マイ、マイ、ララララディーダです。朝霞のオッサンが、後年、伝記が出版されるほど有名な、まさしく伝説的DJなのだということを知ったのは、この映画のおかげだったのです。

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狼男と吸血鬼、ではなく、American Graffitiのワールド・プレミアでのウルフマン・ジャック(左)とキム・ファウリー。ファウリーはこの映画の選曲に関わったのだとか。さすがは「ハリウッドの主」、どこにでも鼻を突っ込んでくる。

◆ ドラマー、トッド・ラングレン ◆◆
トッド・ラングレンのSomething/Anything?は、いまでもしばしば聴いています。ファンのあいだでは当然、いろいろな意見がありますが、わたしは、トッドはこのアルバムに尽きると思っています。これほど楽曲のそろった盤は彼のカタログには他にありませんし、すべてを自分でやった盤もほかにもう一枚と数トラックあるだけだからです。

f0147840_15335100.jpgこのダブル・アルバムのうち、Hello It's Meを含む4面以外の、1面から3面までは、トッドがすべての楽器とすべてのヴォーカルをひとりでやっています。つまり、ドラマーはトッド自身だということです。それが、トッドの他の盤とSomething/Anything?(およびHermit of Mink Hollow)の決定的な違いです。グルーヴがまったくちがうのです。

ドラマーとしてのトッド・ラングレンをほめる人はあまりいないだろうから、あえていいます。彼はいいドラマーです。もちろん、素人だから、ミスは多いし、意図したことの半分も実現できていませんが、それでも、70年代に活躍した二流のスタジオ・ドラマーなどより、ずっと好ましいプレイをしています。

タイムはかなりいいほうです。ミスをするのは、タイムの悪さではなく、手が思ったように動かないことによります。したがって、2&4だけの「空の小節」の出来はよく、フィルインで、早く入りすぎたり、8分や16分の拍と拍のあいだが詰まりつぎて、すこし喰ってしまうというミスをするだけです(まあ、ロールがロールにならないという、ものすごいミスもありますが、あれをリテイクせずに残したのは意図的にちがいありません)。

トッドのドラマーとしての美点は、彼がソングライターであり、シンガーであり、アレンジャーであり、プロデューサーであり、エンジニアであることからきています。ドラミングの設計意図が明白で、どの場面で、どういう表現をしようとしているかがはっきりとわかり、「ボケッとしてないで、もっと考えて叩けよ」という、多くの凡庸なドラマーのプレイに感じる苛立ちを覚えずにすむのです。ドラム・クレイジーの精神衛生上、これほどありがたいドラマーはいないといっていいくらいです。

◆ 設計意図 ◆◆
たとえば、アルバム・オープナー、I Saw the Lightのドラミングがどう設計されているか見てみましょう。

イントロからファースト・ヴァースのはじめのあたりは、2&4を使っていません。譜面を示せないので細かいことは端折りますが、シンコペートした裏拍をタムタムとスネアで交互に叩いています。シンバルはライドの8分、リヴェッティッド(鋲打ち)・ライドではないでしょうか。

この裏拍によるプレイはすぐに、ノーマルな表拍のプレイ、タムタムで8分2打、スネアで4分1打の変形2&4パターンに切り替えられます。この変化は、ふつうは気づかないでしょうが、微妙にサウンドの色合いを変えるのに寄与しています。

コーラス(then you gazed up at meから)では、シンバルはハイハットの8分に切り替え、左手はスネアのみのストレートな2&4にします。シンバルの切り替えはつねに効果的なもので、この部分はヴァースとはまったくちがう色合いになっています。

f0147840_1572454.jpgギターによる間奏(これもインプロヴではなく、同じフレーズを2回弾いている。こういう重ね方は好み)では、またパターンを変えます。シンバルはライド・ベルで、8分ではなく4分、左手は、それまでのタムタムの表拍はなしにし、裏拍だけで、シンコペーション感覚を強調しています。そして、最後のヴァースに戻ると、リズム・パターンももとに戻します。

ここには、無意識に叩かれたビートはほとんどありません。すべて、あらかじめ計算されたプレイです。ハル・ブレインが叩いたトラックのアウトテイクを聴くとわかりますが、たとえば、サム・クックのAnother Saturday Nightのように、フリー・フォームでフィルインを叩きまくっているように聞こえるトラックでも、フィルまで含め、すべて譜面どおりに叩いているのであって(といっても、その譜面自体は自分で考えるわけですが)、その場の思いつきで叩いたビートはありません。リハーサルの段階で譜面が固まったら、あとは何度リテイクしても、プロデューサーから注文がつかないかぎりは、その譜面どおりに叩いているのです。

ジャズとポップの決定的な違いはここにあります。思いつきの音ではダメで、きちんと設計し、ひとつひとつのパーツを適切な場所に配置し、頑丈な高い塔を組み上げていく構築的、立体的な音楽がポップです。ジャズはその場の思いつきでできた平屋の音楽です。

ポップ/ロックの世界でも、その場の思いつきでプレイしているバンドは少なくありませんが、そういうやり方ではすぐれたものは生まれません。Something/Anything?のように、ひとりですべての楽器とヴォーカルをやって曲を構築するというのは、まさに計算がすべてといってよいほどで、思いつきが入りこむ余地はほぼゼロです。完成品がどうなるのか、隅々まで計算できていなければ、録音にとりかかることすらできません。

シーケンサーとHDD録音機がある現在とはちがいます。トッドがSomething/Anything?をつくったときには、録音状況を視覚的にリアルタイムで確認する方法はなかったのだから、行き当たりばったりに録音して、途中で修正していくという方法は採れません。もちろん、じっさいには計算間違いをして、修正をあきらめたトラックもあったと思いますが、理想的にいった曲もあると感じます。It Wouldn't Have Made Any Differenceなど、複雑な事前の計算と、その実際のインストレーションの両方がうまくいった理想的なトラックだと感じます(この曲でも、トッドは各部分ごとにドラムのリズム・パターンを変化させている)。

◆ ふたたびグルーヴの問題 ◆◆
ブライアン・ウィルソンのPet Soundsを聴いていても思うのですが、結局、頭のなかでいくつのパートを同時に鳴らせるかの勝負ではないでしょうか。想像力だけでどこまで遠くに行けるか、です。ブライアンにしても、トッドにしても、完成品の音が頭のなかで鳴っていたから、Pet Soundsをつくれたのであり、Something/Anythin?をアレンジできたにちがいありません。

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トッドはブライアンほど複雑な音は鳴らしていません。それでも、できあがったものを聴いていて、たとえば、Cold Morning Lightのリズム・チェンジの繰り返しなど、どうやって録音したのだろうと首をひねります。トッドも、頭のなかで鳴っている音を、自分ひとりだけでどうやってじっさいの音にするか、首をひねったはずです。そして、こうやってやれば、ちゃんと録音できるはずだ、という目算が立ってから録音にとりかかったにちがいありません。その想像力のありように、慕わしいものを感じます。

Wolfman Jackは、コードはおおむね3種類で、このアルバムのなかでは、比較的、計算のストレスが小さかったであろう、シンプルな曲です。それでも、ただボケッと録音するわけにはいかない複雑さ、計算されたアレンジのもとでつくられています。ストップ・タイムもありますし、ホーンとコーラスとギターのオブリガートとの兼ね合いも計算しておかなければなりません。ざっと勘定すると、ドラム、ベース、ピアノ、ギター、サックス(3本か?)、ハーモニー(2系統で4人分から5人分)、これだけのバッキングの配置を考えたうえで作られています。

そして、なによりも重要なことは、こういうコードが単純な、アップ・テンポのロッカーでは、グルーヴのプライオリティーが高くなるということです。1パートずつ録音していくなかで、グルーヴが死なないように、トッドが神経を使ったであろうことは想像に難くありません。できあがったものは、ダメなバンドが一発録りしたよりも、よほどエキサイティングなグルーヴになっています。これなら、「朝霞のオッサン」も自分の番組で流して、いっしょになってだみ声で大騒ぎをすることができます。

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ラララ、ラディーダ!

ある友人が、多重録音は好きじゃない、複数の人間が同時にプレイするときのダイナミズム、緊張感がない、といっていました。わたしはそうは思いません。ダイナミズム、緊張感がないのは、ダメなグルーヴをもつ人間がつくった音楽であり、いいグルーヴをもったプレイヤーなら、ひとりでスタジオにこもって音を積み重ねていっても、いいグルーヴがつくれます。それはトッドよりずっと昔、1951年にレス・ポールがHow High the Moonですでに証明済みのことで、トッドはそのさらなる例証を積み重ねただけです。

◆ ほんのさわりのみ ◆◆
このブログの目的は、歌詞をこと細かに検討することではなかったのですが、いつも歌詞から入ってしまい、残り時間が少なくなって、肝心のサウンドの検討をそそくさとすませざるをえなくなるという悪循環に陥っていたので、今夜は逆にしてみました。時間切れになったら、サウンドではなく、歌詞の検討のほうをそそくさと切り上げようと考えたのです。予想どおり、残り時間はごくわずか、ファースト・ヴァースをざっと見るだけにします。

Full moon tonight, everything's all right
Baby come on back to wolfman jack
If you want yourself a day man, well I don't mind
You just ditch him when the sun goes down
'cause the moon shines bright
And everything's all right
When the wolfman, he creeps into town

「今夜は満月、すべては申し分なし、狼男ジャックのところにもどってこいよ、昼がほしいだって? そんなの知ったことか、日が沈んだら、狼男のことは忘れりゃいい、なんたって月は煌々と輝き、狼男が町に忍び寄る夜なんだからな」

長い歌詞の曲ですが、とくに歌詞が面白い曲というわけでもないので、あとは略させていただきます。この先が気になる方は、検索なされば、たくさんヒットするはずなので、そちらをご覧ください。
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by songsf4s | 2007-10-27 00:39 | Evil Moonの歌
Moonlight Feels Right by Starbuck
タイトル
Moonlight Feels Right
アーティスト
Starbuck
ライター
Bruce Blackman
収録アルバム
Moonlight Feels Right
リリース年
1976年
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わたしの場合、70年代後半から「暗黒時代」に入った兆しが見えはじめ、土曜の午後、ダイアル810に合わせ、ケイシー・ケイサムのAmerican Top 40を聴く習慣もいつのまにかなくなりました。大ざっぱにいうと、ディスコの時代のはじまりとともに、わたしのリアルタイム音楽生活は終わったことになります。

70年代後半のチャートを眺めると、もっていたいと思う曲は一握りにすぎず、80年代なかばからとりかかった、ビルボート・トップ40集めでも、1955年、エルヴィスのデビューから1975年までと時代を区切ることに決め、70年代後半以降のものは、ふだん持ち歩くチャート・データのプリントアウト(ドット・インパクト・プリンターの印字! どこかにあの騒々しいプリンターが生きているだろうかと、I Wonder Who's Kissing Her Nowのような気分になる)にも含めませんでした。

対象外とした70年代後半の曲のなかで、この曲は買っておかなければ、と思った例外が、今夜の曲、スターバックのMoonlight Feels Rightです。ラジオで聴いていても、強く印象に残るサウンドでした。その点はあとまわしにして、歌詞から見ていきます。

◆ フランスのコネ??? ◆◆
ファースト・ヴァース。よくわからないところのある歌詞ですが、まあ、テキトーに。

The wind blew some luck in my direction
I caught it in my hands today
I finally made a tricky French connection
You winked and gave me your O.K.
I'll take you on a trip beside the ocean
And drop the top at Chesapeake Bay
Ain't nothing like the sky to dose a potion
The moon'll send you on your way

「風向きのおかげで幸運が舞い込み、今日、それをしっかりつかみ取った、やっとトリッキーなフレンチ・コネクションに成功して、きみはウィンクし、承知してくれた、海のそばまでつれていって、チェサピーク湾で車の幌を下ろすんだ、薬を一服やるのに、空の下ほどいいものはない、月が遠くに運んでくれるから」

音もどこか奇妙なのですが、歌詞もなんだか不思議なものです。考えすぎかもしれませんが、ヴードゥーの陰がチラチラしていて、それでこの曲を先月のHarvest Moon特集では取り上げず、今月にまわしたしだい。

「フレンチ・コネクション」はなんのことかさっぱりわかりません。ジーン・ハックマンがフランス野郎を相手に奮闘し、結局、あと一歩のところで一敗地にまみれてしまう、映画『フレンチ・コネクション』の場合は、日活映画でいうところの「麻薬ルート」のことを「コネクション」といっていましたが、それがこの曲に関係あるのかどうか、見当もつきません。

ラジオで流れてヒットした曲が、そんなまずいことを歌っているようにも思えないので、麻薬の線はないことにすると、こんどは男女関係の意味でのコネクションを思い浮かべるのですが、それに「フレンチ」がついちゃっていいものかどうか、これまた考えこみます。いや、つまり俗語のFrenchには、いろいろ意味があって……ムニャムニャ。

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フレンチ・コネクション・コレクション 上から映画『フレンチ・コネクション』、その映画でジーン・ハックマン扮する刑事ポパイがかぶっていたのと同じタイプの帽子が、フレンチ・コネクションの名前で売られている、ほかに、眼鏡フレーム、スニーカーにもフレンチ・コネクションというものがあったが、馬鹿馬鹿しいので省略、そして、アクロバティック飛行では、このような技をフレンチ・コネクションというのだとか。こう見てくると、いちばん最後の写真がこの歌詞に関係ありそうな気がしてくる。

potionといえばLove Potion No.9が思い浮かぶわけで、まあ、薬は薬なのですが、medicineやdrugという場合の医薬品の薬とはちょっとちがい、「霊薬」なんていう訳語があてられています。Love Potion No.9に出てくる薬も、アンダーグラウンドまで含めてそこらで売っている薬ではなく、謎の惚れ薬であり、だから、medicineでもなければ、drugでもなく、postionを使っているわけです。

この曲も、そういうたぐいの怪しげな、いわば空想上の「薬」をいっているのでしょう。これがたとえば、コカインを指すだなんて思われたりしたら、ラジオのエア・プレイはほぼゼロになってしまうはずで、この曲が大ヒットしたということは、だれもそういうようには勘繰らなかったことを証明しています。

◆ 「ものすごくものすごい」のだろうか? ◆◆
Moonlight feels right(「月もちょうど頃合いはよし」といったぐらいの意味でしょう。月齢と色事には密接な関係があるという仮定がないと出てこない歌詞)と繰り返すだけのコーラスがあって、セカンド・ヴァースへ。

We'll lay back and observe the constellations
And watch the moon smilin' bright
I'll play the radio on southern stations
Cause southern belles are hell at night
You say you came to Baltimore from Ole Miss.
A class of seven four gold ring
The eastern moon looks ready for a wet kiss
To make the tide rise again

「寝転がって星座を観察し、月が明るく微笑むのを眺めよう、ラジオは南部の局にしよう、南部の女たちは夜になるとすごいから、きみはミシシピーからボルティモアにやってきたという、74年卒の金の指輪、東の空の月は、ウェット・キスでまた潮を満ちさせようとしている」

f0147840_1204939.jpgsouthern belles are hellのhellはよくわかりません。「南部の女は地獄」だなんて、江戸の隠語だったらきわめて侮辱的な表現になってしまいますが、たぶん、副詞的に使ったものであり、そのうえで副詞が修飾するはずの形容詞が省略されているのではないでしょうか。「ものすごく○×である」という、強意表現でしょう。「ものすごく」なんなのかはわからないのですが、きっと、ものすごくものすごいのでしょう!

この歌で、現実に、すでに起きたことは、時制の使い方から考えるに、彼女が「いいわよ」と承知したところまでで、あとは語り手の空想ないしはプランにすぎません。このヴァースも、すでに起きたことは皆無で、これから起きるであろうことのみが語られています。だから、彼女がじっさいにミシシピーの出身かどうか、74年に大学(ミシシピー州立大?)を卒業したかどうかわかりません。そういうタイプの女性であろうと空想しているだけなのかもしれないのです。

◆ どこがどう痒いのやら ◆◆
また、Moonlight feels rightというコーラス、さらにマリンバおよびシンセサイザーの間奏をはさみ、ラスト・ヴァースへ。

We'll see the sun come up on Sunday morning
And watch it fade the moon away
I guess you know I'm giving you a warning
Cause me and moon are itching to play
I'll take you on a trip beside the ocean
And drop the top at Chesapeake Bay
Ain't nothin like the sky to dose a potion
The moon'll send you on your way

「日曜の朝、太陽が昇り、月をかき消すのを見よう、きみに警告していることはわかっていると思うけれど、ぼくと月は遊びたくてうずうずしているんだ、きみを海のそばにつれていこう、チェサピーク湾のところで車の幌を下ろすんだ、薬を一服やるのに、空の下ほどいいものはない、月が遠くに運んでくれるから」

itching to playがよくわからないし(なにをプレイするというのか?)、なぜ月までそこにふくまれるのかも奇妙です。itchはかゆみなので、なんとなく、品のよくないことを思い浮かべちゃいます。だいたい、はじめから清く正しい恋の雰囲気はなく、いきなり一晩で決着をつけようとする意図が語り手のいうことに感じられると思うのですが、どんなものでしょうか。

◆ 「強い」デビュー・シングルの副作用 ◆◆
このところ、ムーグやアープなどのアナログ・シンセサイザーの野太い音が懐かしくなり、そういうものをよく聴いています。「シンセサイザー」とひとくくりにされていますが、アナログ・シンセとディジタル・シンセではまったく音がちがいます。片やアナログは、プレイヤー(というよりプログラマー)によって音が異なり、したがって楽器としての要件を満たしているのに対して、片やディジタルは、だれがやっても同じ音、楽器ではなく、機械に分類されるべきものと感じます。

こんな簡単なことなのに、ディジタル・シンセの音があふれかえったときは、どうして居心地悪く感じるのかよくわかりませんでした。楽器じゃないのだから、快感に直接には結びつかないほうが正常で、あれが直接的な快感になるとしたら、工場の騒音が音楽に聞こえるようになったみたいなもので、感覚が狂ったということでしょう。

f0147840_1311662.jpgどういう盤のシンセを聴くかというと、トッド・ラングレンの初期のもの、アル・クーパー数曲、スティーヴ・スティルズのマナサス数曲、ジョン・カーペンター監督の自作サントラ(この人は将来、映画監督としては忘れられ、ミュージシャンとして歴史に記録されるのでは?)、そして、このMoonlight Feels Lightです。

歌詞はへんてこりんで、意味不明のところがあちこちにありますが、サウンドはすばらしいものです。マリンバ、シンセ、そしてドラムも、すべてがピタリとはまり、あざやかなサウンドスケープを生みだした、じつに幸福なシングルです。

アルバムを聴くと、こんなにうまくいっている曲はなく、みなどこかぎこちない出来です。そしてなによりも大きいのは、Moonlight Feels Lightには感じられる奥行きがなく、ひどく平べったい、ボール紙のようなサウンドばかりだということです。Moonlight Feels Lightだけは、月の魔物のおかげか、ヴードゥーのおかげか、霊薬のおかげか、なんだか知りませんが、偶然にすべてがうまくいってしまったのでしょう。

f0147840_1232930.jpgそういうシングルは明暗両義的に恐いものです。まちがいなく大ヒットしますが、同時に、えてして、そのアーティストの命取りになってしまうのです。スターバックのデビュー・アルバムからは、Moonlight Feels Rightのほかに、I Got To KnowとLucky Manという2曲が、フォロウ・アップとしてシングル・カットされています。この選択そのものは賛成できます。シングルになりうる曲がこのアルバムにあるとしたら、わたしもこの2曲だと思います。どちらも軽快で、そこそこキャッチーですが、ホット100には入ったものの、トップ40には届きませんでした。さらに2枚のアルバムを出していますが、結局、二度とヒットは出ていません。

Moonlight Feels Rightには、たんなる(官能的な)ラヴ・ソングに終わらない、なにか得体の知れないものが隠れている感触があります。それこそ月の魔物みたいなものが、音の向こうに潜んでいるのです。キャッチーであると同時に、そういうもやもやした正体不明のものの感触があるのはこの曲だけで、あとはみな、たんなる平たいポップ・ソングなのです。

こういうのは、意図してどうにかなるものではなく、フォロウ・アップがうまくいかなかった理由をたとえ彼らが自覚していたとしても、どうすることもできなかったでしょう。そういう不思議な奥行き、厚み、深みというのは、つくるものではなく、授かるものだからです。

◆ 瞬時に消えた永遠 ◆◆
わたしはMoonlight Feels Rightというトラックが好きなだけであって、作り手にはあまり興味がなく、また、シングル盤というのは、本来、そういう匿名的なもの、ただ音だけが独立して宙にあるものなのだと思います。いちおう、そうお断りしておき、最低限のバイオを書いておきます。

f0147840_125545.jpgこのバンドの核は、Moonlight Feels Rightを書いた、ヴォーカル、キーボードのブルース・ブラックマンとマリンバのボー・ワグナーで、ともにイターニティー・チルドレンというグループに在籍し、60年代にMrs. Bluebirdというマイナー・ヒットを生んでいます。

編集盤でこの曲だけもっていますが、これといって取り柄のない凡庸な楽曲のまわりにゴテゴテとハーモニーの飾りをつけて、なにかあるように見せかけただけの、あの時代にはよくあったタイプの張りぼてサウンドで、ビルボード69位というチャート・アクションは、楽曲の実力以上、出来すぎの順位だと思います。

f0147840_127559.jpgブラックマンはミシシピーの生まれだそうで、それが歌詞のOle Miss.に反映されたのだということがわかります。しかし、ミシシピー的なのはそこだけで、サウンドは南部的ではありません。グルーヴにも南部的な臭味はなく、ハリウッドのドラマーを使ったといわれたら、やっぱりな、と思ってしまうほど、洗練されたスネアのサウンドになっています(ただし、アルバム全体を聴くと、このようなスネアが聴けるトラックはほかにはなく、タイムはまずまずだが、バランスのよくないドラマーであることがわかり、シングルでのプレイに感心して損した、と後悔する)。

なにか、もうすこし書くようなことがあると思ったのですが、ミシシピー生まれが歌詞に関係がある、これを書いておけば、それで十分なようです。それ以上の興味がある方は、ファン・サイトのバイオでもご覧になってみてください。

繰り返しになりますが、やはり野におけ、というヤツで、ラジオでシングルを聴いているときに感じた謎めいた印象は、アルバムを聴くときれいさっぱり消え失せ、厚さ1ミリのボール紙にすぎないことがわかって、じつにもって興醒めです。ときには、あれこれと聴かないほうがいいこともあるようです。いや、ときには、ではなく、たいていの場合は、でしょうかね。
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by songsf4s | 2007-10-26 00:04 | Evil Moonの歌
Purple People Eater by Sheb Wooley
タイトル
Purple People Eater
アーティスト
Sheb Wooley
ライター
Sheb Wooley
収録アルバム
Dr. Demento Presents: Greatest Novelty CD of All Time!
リリース年
1958年
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50年代ヒット曲集にしばしば収められるだけでなく、ハロウィーンの季節にはアメリカ中で流れているはずのモンスターものの定番でもあり、またワン・ヒット・ワンダー・アンソロジーにもしばしばとられ、みなさんの棚やHDDやポータブルにも収まっているであろう、「季節性耳タコ曲」の登場であります。

◆ ひとつ眼だって? ◆◆
それではファースト・ヴァース。

Well I saw the thing comin' out of the sky
It had the one long horn, one big eye
I commenced to shakin' and I said "ooh-eee"
It looks like a purple eater to me

「その生物は空からやってきた、一本の長い角がはえ、大きなひとつ眼をしていた、俺は震えだし、「ウッヒャー」といった、そいつは紫人喰いのように見えた」

thingには「生き物」という意味があります。The Thingすなわち『遊星よりの物体X』(ハワード・ホークスのオリジナル)または『遊星からの物体X』(ジョン・カーペンターのリメイク)というのは、「物体」のほうがタイトルとして響きがいいとは思いますが、要するに、辞書を引かない無精な映画会社、レコード会社の社員たちが、これまでに五万とまき散らしてきた誤訳のひとつです。

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モノクロからカラーへ 「物体」は進化し、パワーアップする

f0147840_130515.jpg大昔の通俗SFに出てくるモンスターは、みな目が大きく、bug-eyedすなわち「昆虫の目をした」という形容詞がつけられたそうです。ここでのひとつ眼はそんな連想かもしれませんし、あるいは、ギリシャ神話で、イアソンとアルゴ探検隊が遭遇するひとつ眼の巨人(名前失念)あたりが念頭にあったのかもしれません。

なぜ紫色なのか? たいした理由はないのでしょう。人間の肌にはありえない色ならなんでもよくて、紫がいちばん肌の色としては気色悪そうだから、といったていどのことじゃないでしょうか。

ファー・スト・コーラス。この曲では、すべてのヴァースのあとにコーラスがあります。

It was a one-eyed, one-horned, flyin' purple people eater
(One-eyed, one-horned, flyin' purple people eater)
A one-eyed, one-horned, flyin' purple people eater
Sure looks strange to me (One eye?)

「そいつはひとつ眼、一角、空飛ぶ紫人喰い、いやまったく奇妙な化け物さ(ひとつ眼だって?)」

パーレンのなかはバックコーラスの合いの手です。

◆ チップマンクス声のかるーいモンスター ◆◆
半音転調して、セカンド・ヴァースへ。

Well he came down to earth and he lit in a tree
I said Mr. Purple People Eater, don't eat me
I heard him say in a voice so gruff
I wouldn't eat you cuz you're so tough

「ヤツは地球にやってくると、とある木に降り立った、俺が「紫人喰いさん、俺を食べないでくれ」といったら、ヤツはひどいしわがれ声で『おまえなんか喰うものか、固くてお歯に合わない』といった」

f0147840_1454562.jpg紫人喰いのセリフのところは、テープの遅廻し(世間で「早廻し」といっているもののこと。じっさいにはスロウダウンして録音し、通常速度で再生する)による、異常にピッチの高い声でやっています。「チップマンクス風」です。といわれてわかった人はもうお若くない。

こんどは「一角だって?」というところだけがちがうコーラスをはさみ、また半音上げて、サード・ヴァースへ。

I said Mr. Purple People Eater, what's your line
He said it's eatin' purple people and it sure is fine
But that's not the reason that I came to land
I wanna get a job in a rock and roll band

「『じゃあ、あんたの好物はなんだい』ときいたら、紫人喰いがこたえるには『紫人だ、あれはすごくうまい、でも、俺がここにきたのはそれが目的じゃない、じつは、ロックンロール・バンドで働きたいとおもってな』ときたもんだ」

f0147840_140014.jpgファースト・ヴァースで、Purple People Eaterを「紫色の肌をした人喰いモンスター」と解釈したのはまちがいに見えるかもしれません。正しくは「紫人を喰うモンスター」なのではないか、と。でも、そういうことではないと思います。だれが聴いても、この表現では修飾関係は明白ではなく、モンスターが紫色なのだろうと思うのは自然なことです。それを逆手にとって、じつは「紫人」を食べるモンスターなのだ、とひっくり返したのがこのラインの意図でしょう。この「紫人」というのが、わけがわからなくて、笑えます。きっと広い宇宙のどこかに、やわらかくて美味な紫人がいるのでしょう。

今度のコーラスはいままでとかなりちがうので、無精せずにペーストします。

Well bless my soul, rock and roll, flyin' purple people eater
Pigeon-toed, undergrowed, flyin' purple people eater
(We wear short shorts)
Flyin' purple people eater
Sure looks strange to me

「まったくなんてこった、ロックンロール・クレイジーの空飛ぶ紫人喰いだとよ、内股で歩く、育ちそこないの空飛ぶ紫人喰い、まったくおかしなヤツだぜ」

バックコーラスの合いの手、We wear short shortsは、ご存知の方はご存知、ロイヤル・ティーンズのヒット曲Short Shortsの引用で、メロディーもそのまま使っています。名前は忘れましたが、週末の深夜にやっているタモリのテレビ番組のエンディング・テーマといえばおわかりでしょうか?

◆ モンスターのパフォーミング・キャリア ◆◆
フォースまできましたが、まだ終わりではありません。

And then he swung from the tree and he lit on the ground
He started to rock, really rockin' around
It was a crazy ditty with a swingin' tune
Sing a boop boop aboopa lopa lum bam boom

「そしてヤツは木からひらりと地面に飛び降りると、ノリノリでロックしはじめた、それは無茶苦茶におかしな歌詞のノリのいい曲で、『バッパラパラッパラッパルンバンブーン』てな調子さ」

つづくフォース・コーラスでは、Short Shortsの引用のところが、「I like short shorts」にかわり、歌い手も女性コーラスではなく、紫人喰いの声、すなわち、チップマンクス声になり、このモンスターも、ご多分にもれず好色であることが明らかになります。

f0147840_1501763.jpg昔のB級ホラーでは、モンスター(または宇宙人、またはミイラ、または半魚人、または狼男、またはドラキュラ、その他いろいろ)が美女を掠うことになっていましたが、お互い、種が違うのだから、リビドーが発動するとは思えないんですがねえ。キングコングだって変ですよ。まあ、異種であってもリビドーが発動してしまうところが、モンスターのモンスターたるゆえんなのかもしれませんが。

その点、ゴジラなんか、美女には目もくれず(まあ、あちらから見れば、人間は蟻なみのサイズだから、どちらにしろ見えないのかもしれませんが)、くそみそいっしょ、美女醜女老若おかまいなしに、一律に踏みつぶしていったのは、世界のモンスターの頂点に立つ王者の、孤高の魂の発露というべきでしょう。アナーキーというべきか、お役所仕事的融通のなさというべきか。

このコーラスの最後の合いの手は「紫人だって?」となっています。自分でボケておいて、自分で突っ込みを入れるという、ある意味では現代的な演出。

さてフィフス、これでようやくおしまいのヴァース。

And then he went on his way, and then what do ya know
I saw him last night on a TV show
He was blowing it out, a'really knockin'em dead
Playin' rock and roll music through the horn in his head

「で、ヤツはどこかへいっちまった、で、驚くなかれ、昨日の夜、ヤツがテレビに出ていたんだ、ものすごい勢いで吹きまくって、観衆は完全にノックアウト、例の頭の一角でロックンロールをやっていたのさ」

f0147840_212353.jpgそして、管楽器のソロに突入。うーん、この楽器はなんでしょうねえ、木管であることはたしかですが、クラリネットか、ソプラノ・サックスか、はたまたチャルメラ(ウソ)による、いずれにしても、その楽器本来のサウンドではない、かなりいじった音による(わかった! テープ遅廻し録音によるテナー・サックス・ソロ。クラリネット・ソロと書いていたサイト、あなたは楽器の音色の微妙な違いに対する知識とセンスがなく、スタジオのギミックに関する知識と想像力に欠けていますぞ)、really blowin' outするソロがアウトロになっています。そして、植木等の「や、ご苦労さん」のような、チップマンクス声の「テキーラ」のひと言でサゲ。

◆ 「ホンモノ」のスタッフたち ◆◆
この曲はほんとうに多くの編集盤に採られていますし、うちのHDDを検索しても、4種類あることがわかりますが、それも当然です。細部のつくりこみがきちんとしていて、腐らないから、いまでもよく聴かれているのでしょう。

ふつうのロック・バンドは、手を抜いても、それが味になったりすることがありますが、コミック・ソングは、手を抜いたら、ぜったいに成功しません。細部にいたるまで趣向を凝らし、なによりも、本気でパフォームすることが重要になります。

f0147840_21483.jpg出来のよいノヴェルティーやコミック・ソングというのは、かならずそのようにつくられているもので、この紫人喰いも例外ではありません。ドラムはアール・パーマーですし、となれば、ピッチをいじってもちゃんとブロウしているテナー・サックスのソロは、プラズ・“ピンク・パンサー”・ジョンソンである可能性が高くなります。

f0147840_221982.jpgウーリーの他の曲のレコーディング・パーソネルなのですが、レッド・カレンダーとプラズ・ジョンソンの名前があるのをウェブで見ました。50年代終わりのハリウッドのレギュラーたちですから、わからなかったら、この人たちの名前を当てずっぽうでいっておけば、五分五分の確率で正解になってしまうのですがね。ここにアール・パーマーですから、50年代から60年代はじめにかけて、多くのロックンロール・クラシックをレコーディングしたメンバーでやっているのです。

フランキー堺は、シティ・スリッカーズをはじめるにあたって、「コミックをやるには、どうしても腕のいいミュージシャンが必要だ」といって、レベルの高いバンドになるようにメンバーを集めたそうですが、わかっていた人なのだな、と思います。

もちろん、クレイジー・キャッツの諸作における、萩原哲晶の、これでもか、これでもかというディテールにこだわったアレンジ、植木等の小さな工夫を積み重ねたレンディションなども、当然、想起されるべきものです。

◆ その日、遅くなって…… ◆◆
いま、The Billboard Book of Number One Hitsという資料のあることを思いだして、ひととおり読んでみました。

シェブ・ウーリーの友人の子どもたちが学校で仕入れてきたナゾナゾがあるのだそうです。「ひとつ眼で、空を飛び、一角で、人間を食べるもの、なーんだ?」というもの。こたえは「ひとつ眼で一角の空飛ぶ人喰い」と、ナゾナゾになっていない、オフビートなジョークで、ウーリーはこれをもとに曲を書いたのだとか。したがって、彼が付け加えた「紫」にも、たいした意味があるわけではなく、このナゾナゾになっていないナゾナゾのジョークに、よりいっそうナンセンスな味をあたえるための飾りなのでしょう。

f0147840_25203.jpgシェブ・ウーリーのものは、わが家にはあと1曲、40年代のものがあるだけですが、このときはふつうのヒルビリーです。どんな分野にもノヴェルティー・チューンというのはあるし、カントリー系にはとくに多いので、すでにノベルティーを歌ったことはあったのでしょうが、レコーディングとしては、紫人喰いがはじめてだったのではないでしょうか。

この後、ポップ・チャートでの大ヒットはなく、典型的なワン・ヒット・ワンダーのようにいわれることもありますが、カントリー・チャートでは、ノヴェルティー・ソング専用の芸名、ベン・コルダー名義で、各種のパロディー・ソングのヒットがあるようです。残念ながら聴いたことがありません。Harper Valley P.T.A. (Later That Same Day)なんて曲は、タイトルからして、ちょっと聴いてみたくなります。「その日遅くなって……」という、テレビ・ドラマのシーン転換の常套句で、あの大ヒット曲をからかったのでしょう。

f0147840_27360.jpgついこのあいだ、(Ghost) Riders in the Skyで、「ローハイド」のことにふれたばかりですが、シェブ・ウーリーはあのドラマのピート役でした(といっても、もう記憶が飛んでいるかもしれませんが)。本編のフィルモグラフィーもなかなか印象的で、『真昼の決闘』『ジャイアンツ』などの有名作品が並んでいます。

あ、それから、The Billboard Book of Number One Hitsは、やはりアウトロは、テナー・サックスのピッチをいじったものだと、あっさり書いていました。

もうひとつ、書き忘れていたことがありました。ウェブでウーリーのことを調べると、むやみやたらと、「ウィルヘルムの叫び声」という記事にぶつかります。簡単にいうと、ハリウッドのさまざまな映画(ある人の計算では100本以上)に、同じ叫び声がつかわれていて、「ウィルヘルムの叫び声」と呼ばれているのだそうです。この叫び声をやったのが、じつはウーリーではないかといわれているのだとか。その叫び声だけをつなげた映像というのがYou Tubeにあります。

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『真昼の決闘』のシェブ・ウーリー(右手前)と、エースのジョーのようにはすに坐ったリー・ヴァン・クリーフ(中央)

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by songsf4s | 2007-10-25 00:59 | Evil Moonの歌
Something Following Me by Procol Harum
タイトル
Something Following Me
アーティスト
Procol Harum
ライター
Gary Brooker, Keith Reid
収録アルバム
Procol Harum
リリース年
1967年
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プロコール・ハルムの「6番目のメンバー」キース・リードは、とくに初期は怪奇幻想の詩人といった印象で、彼自身はひと言もそんなつもりだったとはいっていない、A Whiter Shade of Paleにすら、わたしは英国ゴシック小説の伝統を読み取ってしまったりします(いや、ホレース・ウォルポールは『オトラント城奇譚』をやっとのことで読んだだけ、アン・ラドクリフにいたっては一冊も読み通せず、アイリッシュのブラム・ストーカーには退屈し、「多少とも読んだ」といえるのは、冒険小説的な側面が強いデニス・ウィートリーぐらいですが)。As the mirror told his tale「鏡が自分のストーリーを語った」といったラインに強くそれがあらわれているように感じます。

より直接的には、Salad Days (Are Here Again)、Cerdes (Outside The Gates Of)、そして、今回とりあげる、Something Following Meといったデビュー盤の諸作が、彼のゴシック趣味をあらわしています(歌詞はないのでキース・リードの詩は無関係だが、マシュー・フィッシャー作のインストゥルメンタル曲、Repent Walpurgis「悔い改めよ、ヴァルプルギス」のタイトル付けにも怪奇幻想趣味が感じられる)。

◆ 家と墓石の(音韻的な)隠された関係 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

While standing at the junction on 42nd Street
I idly kick a pebble lying near my feet
I hear a weird noise, take a look up and down
The cause of the commotion is right there on the ground
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's no doubt about it, it's my own tombstone

「42丁目の交叉点にたたずみ、そばにあった小石をなにげなく蹴ると、気味の悪い音が聞こえた、上を見たり、下を見たりしたが、原因はすぐそこの地面にあった、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのだが、それは見まちがいようもなく、わたし自身の墓石だったのだ」

なにも説明なしに出てきている42丁目は、たぶんニューヨークの42丁目でしょう。ご存知のように劇場街です。ここに舞台を設定したのはなにか意味があるのかどうか、それはわたしにはわかりません。

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子どものころ、わけがわからないままにキース・リードが大好きだったのですが、この詩は、彼の作にしてはわかりやすく、お気に入りの一曲でした。「家に置いてきたつもりだった」thought I'd left it at homeというラインがきいています。これがないと平板になっていたのではないでしょうか。わたしは、ここでギョッとしました。

あやふやな記憶で書きますが、三島由紀夫が柳田国男の『遠野物語』について、つぎのようなことをいっています。幽霊が土間を歩き、上がりがまちに置いてあった薪にふれると、それがクルクルとまわる、この瞬間に幽霊がリアリティーをもつ、云々。わたしには、thought I'd left it at homeは、「薪がくるくる廻る一瞬」に思えます。ここにこの語り手の恐怖または狂気が現出しています。

キース・リードはつねに凡庸ならざる韻を踏む人ですが、このヴァースのstreetとfeetもなかなかです。韻とはいえませんが、my tombstoneではなく、my own tombstoneとしてあるおかげで、オウンとストウンの音が響き合っています。

◆ パンと頭、苦痛と狂気、また家と墓石 ◆◆
セカンド・ヴァース。

I went into a shop, and bought a loaf of bread
I sank my teeth into it, thought I'd bust my head
I dashed to the dentist, said, 'I've got an awful pain!'
The man looks in my mouth and screams, 'This boy is insane!'
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's a lump in my mouth of my own tombstone

「とある店に行ってパンを買った、そのパンを噛んだ瞬間、わたしは自分の頭を割ってしまったのかと思った、あわてて歯医者に駆け込み、「ひどい痛みなんだ!」と訴えた、男はわたしの口を見て、「狂ってる!」と叫んだ、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのに、わたし自身の墓石のかけらが口の中にあったのだ」

怪談というより、悪夢のヴァースというべきでしょうか。歯と石が象徴するものについて考えるのは、わたしの手には負えません。キース・リードは、同じくデビュー盤に収録されたSalad Days (Are Here Again)でも、your teeth have lost their gleamというラインを書いています。

意味はどうであれ、このヴァースの押韻はすごいものだと思います。breadとheadも凡庸ではありませんが、painとsaneはうなります。そして、三つのヴァースすべてに登場するhomeとtombstoneはfalse rhyme「偽韻」でしょうが、音としてはちゃんと韻を踏んでいるように聞こえます。この組み合わせのすごいこと、ひょっとしたら天才かもしれません。

◆ 「椅子」の坐り心地 ◆◆
サードにしてラスト・ヴァースへ。

I went to see a movie, got the only empty seat
I tried to stretch out in it, something blocking my feet
Finally the lights came up, and I could clearly see
a slab of engraved marble, just staring up at me
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's no doubt I'm sitting on my own tombstone

「映画を見にいき、たったひとつ空いていた席に坐った、脚を伸ばそうとしたが、なにかが邪魔で、できなかった、映画が終わって明るくなると、はっきりと見えた、彫り物のある大理石の板がわたしを見上げていた、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのに、うたがいもなく、わたしは自分自身の墓石の上に坐っていたのだ」

自分の墓石を蹴飛ばしたのも驚いたでしょうが、そうとは知らずにずっとそのうえに坐っていたのには、文字通り死ぬほど驚いたでしょう! 三つのヴァースのなかで、このサードがもっとも出来がよいと思います。じっさいに、キース・リードが見た悪夢にこの詩の種子があるのだとしたら、このヴァースがそうではないのか、という気がします。夢のなかの論理(というか超論理)では、墓石が椅子になり、椅子が墓石になったりするものです。

f0147840_23584133.jpg映画館も、キース・リードの詩ではだいじなモティーフのように思われます。やはり、子どものときに好きだったRamblin' on(セカンド・アルバムShine on Brightly収録)は、映画館から話がはじまります。

42丁目には映画館がたくさんあるようですが、話はファースト・ヴァースの42丁目から、そのままつながっているのかどうか。42丁目の映画館での奇妙な出来事が登場する『真夜中のカウボーイ』がヒットするのは、まだ未来のことです。念のため。

◆ デビュー盤幻想 ◆◆
プロコール・ハルムのデビュー盤(米盤にはA Whiter Shade of Paleが収録されたが、日本では英盤と同じく、この曲は収録されていない。ただし、英盤とは異なり、セカンド・シングルのHomburgが収録された。ジャケット・デザインも日本独自のもの。ポリドールはオリジナル盤のデザインを使わないことで当時悪名を馳せたが、この盤だけは日本ポリドールのデザインのほうがいい)は、録音がひどくて損をしていますが、楽曲は粒がそろっていました。

f0147840_014789.jpg問題は音質だけではありません。AWSPの爆発的なヒットの勢いがしぼまないうちにというので、リリースを急ぎ、アレンジやレコーディングにかける時間的余裕がなかったことも如実に感じます。ほとんどスタジオ・ライヴで、本来は構築的サウンドであるべきものがあっさりしすぎた仕上げになっていたり(しかし、逆にいうと、このバンドの本来のスタイル、前身であるR&Bカヴァー・バンド、パラマウンツという地が透けて見え、それはそれで面白い)、曲によって音の手ざわりを変えるべきなのに、ひと色のサウンドになっていたり、欠点の多いアルバムです。

しかし、それでもなお、このアルバムは、ヒット曲AWSP抜きでも十分に魅力に富んでいます。すぐれたアーティストのデビュー盤に共通する、どこへいくのか、なにになるのか、まだ方向がはっきりとは見えないまま、いまだ名づけえぬ強いエネルギーが、幕を距てた見えないところで噴出の準備をはじめているのが感じられるのです。

こういうことはイメージのなかにあるだけであり、現実に聞こえる音ではありません。ありえたかもしれない大傑作がイメージされるのです。したがって、現実の音はつねにそのイメージに劣るため、その後の佳作、秀作は、ついに幻の傑作デビュー盤をしのぐことはできない運命にあります。はっぴいえんどのデビュー盤も、そういう幻視を起こさせる「ありえたかもしれない傑作」のひとつでした。

◆ 録音とマスタリングの問題 ◆◆
わたしのプロコール・ハルムへの興味は、キース・リードの詩は別として、音楽的な面だけにかぎるなら、まずマシュー・フィッシャーであり、そしてバリー・J・ウィルソンに尽きます。

f0147840_0105318.jpgゲーリー・ブルッカーは凡庸な歌い手であり、どうということもないピアニストであり、初期にいい曲をいくつか書き、その後、まったくダメになった作曲家であり、ロビン・トロワーは、プロコール・ハルムというunusualなバンドに適応した点は評価できるけれど、基本的に頭の空っぽなギタリストにすぎず、ソロになってからは面白くもなんともないアルバムを量産しただけの、聴くべき、そして、語るべき音楽性などもたないプレイヤーとつねに思ってきました。

この曲ではマシュー・フィッシャーのプレゼンスはミニマルで、残りの4人しか活躍しません。BJのプレイは、もうすこし速い曲のほうが楽しめるのですが、これくらいのテンポのときに見せる、強引な16分を何度かやっていて、そのあたりはニヤリとします(ジョー・コッカーのWith a Little Help from My Friendsでも同様のプレイが聴ける)。

f0147840_0195463.jpgthere's a lump in my mouthのところの、スネアのロールからタムタム(口径が大きく、チューニングが低めで、キース・ムーンに近いサウンド)へというフィルインなど、いかにもBJらしいリックで、この人とハル・ブレインぐらいしか使わないだろうというフレーズです。

しかし、ちょっとミスもやっています。独創的かつ冒険的な「危ない」プレイを好む人で(そこが好きなのです)、「ミスもプレイのうち」ぐらいに思って聴かないといけないのですが、それでもデビュー盤はとりわけミスが目立ちます。時間の余裕がなかったことがうかがわれます。やっぱり、盤はていねいにつくったほうが、あとあと後悔しないですむのです。

間奏のゲーリー・ブルッカー(前半)とロビン・トロワー(後半)のプレイは、稚いのひと言。すでにマシューとBJがかなりのレベルのプレイをしているのとは対照的です。

f0147840_0232590.jpg近年のリマスター盤(リマスター、エクステンディッド、マルチ・ディスク・セットというのがブームですなあ。詐欺商法で集団訴訟にあって、軒並みつぶれないのが不思議。せめて、シングル・ディスクものの下取りぐらいすればいいのに)にはかならずしも歓迎できないものが見受けられるのですが、このアルバムの昔の盤はほんとうにひどい音だったので、LPや初期のCD(とくに国内盤は呆れたマスタリング)は燃やしてしまい、リマスター盤をお聴きになるようにおすすめします。ドラムのプレゼンスが改善されたトラックもあります。とりわけ、Pandora's Boxというアウトテイク集に収められたKaleidoscopeのステレオ・ミックスや、30th Anniversary Anthologyというセットのデビュー盤のマスタリングは、BJファンには福音といえるものです。
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by songsf4s | 2007-10-23 23:49 | Evil Moonの歌
(Ghost) Riders in the Sky その2 by the Ventures
タイトル
(Ghost) Riders in the Sky
アーティスト
The Ventures,
ライター
Stan Jones
収録アルバム
Another Smash!!!
リリース年
1961年
他のヴァージョン
Vaughn Monroe, Bing Crosby, Peggy Lee, Burl Ives, Kay Starr, Dean Martin, Johnny Cash, Marty Robbins, Frankie Laine, the Ramrods, the Shadows, The Baja Marimba Band, Dick Dale
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まず、前回の「Ghost) Riders in the Sky その1 by Vaughn Monroe」の訂正から。ヴォーン・モンローは、ファースト・コーラスで、Ghost riders in the skyと歌っていると書きましたが、聴き直したら、モンローもGhost herds in the skyと歌っていました。謹んで訂正させてたいただきます。陳謝。

◆ 幽霊カウボーイを演じた幽霊バンド ◆◆
昨日はこの曲の歌ものを看板にしたたので、今日はインスト盤のどれかを看板に立てようと思ったのですが、ヒット・ヴァージョンであるラムロッズ盤には問題があって、ヴェンチャーズ盤で代用させていただきました。

f0147840_0172696.jpgどういう問題かというと、正体がよくわからないのです。なんたって、グーグルでthe ramrods riders in the skyのキーワードで検索をかけると、「うち」の昨日の記事が4番目にきてしまうというのだから、いかに取り上げているところがすくないかがわかります。「日本語のページ」じゃなくて、「Web全体」の検索で、ですよ。

いちおう、こんなページを見つけたので読んでみましたが、1956年にコネティカットで生まれたバンドだとかで、なるほど、ヴェンチャーズと同じね、と納得しました。そもそも、わたしは、ラムロッズがまがりなりにも実在していたとする記事があったこと自体に、ビックリ仰天してしまいました。てっきり「幻のバンド」、スタジオにしか存在しないグループだと思いこんでいたのです。

そんな、ちょこっと出てきて、すぐ消えた素人バンドのドラマーが、これほど安定したバックビートが叩けるなら、アール・パーマーもゲーリー・チェスターもハル・ブレインもジム・ゴードンもジム・ケルトナーもまったく不要で、彼らはみな仕事にあぶれ、歴史に名を残すこともなかったに決まっています。ラムロッズ盤(Ghost) Riders in the Skyはプロフェッショナルたちの仕事にちがいありません。

f0147840_0465830.jpgラムロッズがコネティカットに生まれようが生まれまいが、この(Ghost) Riders in the Skyを録音したメンバー、たぶんニューヨークのレギュラーたちの知ったことではないでしょう。わたしがプロデューサーで、今日の録音に呼べるドラマーは、レヴォン・ヘルムとジョン・グェランとラムロッズの陰のドラマーの3人しかいないといわれたら、迷わずラムロッズのドラマーを選びます。正確なグルーヴです。

ドラマーのみならず、他のメンバーも当然、素人ではないでしょう。サックスは明らかに一流のプロ、ドゥエイン・エディー風に低音弦でトゥワングするギターも、見せ場はありませんが、見せ場のない曲を無難に弾けることこそ、プロフェッショナルの証明です。

これで終わりと思ったところで、ライノのThe Histroy of Rock Instrumentalsにこのヴァージョンが収録されていることを思いだし、ライナーを読んでみました。コネティカットのラムロッズは、といっているだけで、あとは具体的にこのグループのことはなにもいっていません。ライノのライナーが無視するぐらいだから、実在のラムロッズがいかに吹けば飛ぶようなバンドだったかがしのばれちゃいます。

このライナーが指摘しているように、サウンド・イフェクトやカウボーイの叫び声のような演出は、インスト・グループにとっては重要な武器ですが、それよりも気になったのは終盤に出てくるApacheのメロディーです。

f0147840_029284.jpgシャドウズのApacheがイギリスでヒットしたのが1960年7月、ラムロッズの(Ghost) Riders in the Skyのチャートインは61年1月、つまり録音は60年晩秋ごろ、ヨルゲン・イングマンのApacheのアメリカでのチャートインも同じく61年1月。

となれば、ラムロッズ(のアレンジャーまたはプロデューサー)は、イングマン盤Apacheを聴いてから、(Ghost) Riders in the Skyを録音した可能性はきわめて低く、オリジナルのシャドウズ盤Apacheから引用したと考えるのが順当でしょう。アメリカのインスト盤制作関係者のあいだでは、シャドウズが評判になっていたのかもしれません。歌ものは、ビートルズが出るまでは、アメリカではイギリスの歌手など存在しないも同然でしたが、インストのほうは事情がちがっていたのかもしれません。翌62年には、トーネイドーズのTelstarがビルボード・チャートトッパーになります。

◆ どこにでもあらわれる「ゴースト」 ◆◆
ヴェンチャーズ盤は、ラムロッズ盤のヒットを受けたもので、つまりアルバム・トラックとしてカヴァーしたにすぎないでしょう。基本的にはラムロッズ盤を踏襲したアレンジですが、ビリー・ストレンジは、ラムロッズのようにドゥエイン・エディー風のトゥワンギン・ギター・スタイルは使わず、他のヴェンチャーズのトラックと同じようなトーンとスタイルで弾いています。ドラムはハル・ブレインでしょう。

f0147840_0332797.jpgディック・デイル盤は、もっとテンポが速く、ギターは当然、深いリヴァーブとトレモロをかけたデイルのスタイルです。キャピトルと契約してからは、彼のバンド、デル・トーンズはスタジオに入れてもらえなくなったので、当然、ドラムはハル・ブレインがプレイしています。暴れています。

バハ・マリンバ・バンドは、いってみれば、「ティファナ・ブラスの子ども」です。あの「グループ」(実体はスタジオ・プロジェクト)のサウンドを、マリンバに置き換えただけのものです。それだけの安易な企画ですが、いくつかシングル・ヒットがあり、アルバムもかなり出しているのだから、音楽商売は奇妙なものだといわざるをえません。

ハーブ・アルパートとTJBは、「ブラス」というぐらいで、オリー・ミッチェルをメインとするトランペッター陣(といってもTJBサウンドは、2本のトランペットによるデュオであることを特長としているのですが)が活躍しますが、BMBの場合は、ハリウッドのヴェテラン・パーカッショニスト/マレット・プレイヤーのジュリアス・ウェクターをリーダーとしたマレット・プレイヤーたちが中心となっています。あとはTJBと同じ、メンバーも同じです。

f0147840_0351311.jpgスタジオ・プロジェクトだから、技量さえあれば、だれがドラムをやってもいいのですが、TJBも、BMBも、ほとんどすべてがハル・ブレインで、このBMB盤(Ghost) Riders in the Skyもハルが叩いています。いつもよりちょっとチューニングが高く、何度か出てくるロールが派手に響くように工夫しています。毎度申し上げるように、ハル・ブレインという人は、「小さな工夫、大きな親切」の立派なプロフェッショナルなのです。

いやはや、毎度ながら、インスト盤を並べると、ハル・ブレインを並べたような状態になってしまい、大笑いです。どんな柳の下にもかならず立っている「ゴースト」の元締めであります。

f0147840_0371583.jpgこれで終わったかと思ったら、シャドウズが残っていました。わたしはシャドウズの大ファンである、と宣言をしたうえで申し上げますが、この70年代終わりのシャドウズはひどいものです。シャドウズがディスコやってどうするんだよ、であります。You Tubeにも、later yearsの耐えがたいシャドウズのライヴ映像があったりします。美しかった女優がおばあさん役をやるのは、生きるため、またはパフォーマーの業なのでしょうが、見せられるほうは世をはかなんでしまいます。そんな感じの映像です。シャドウズも、ヴェンチャーズ同様、60年代いっぱいで退場するべきバンドでした。

◆ ローリン、ローリン ◆◆
歌ものでは、フランキー・レイン盤が好きです。例によって、当面「必要な」曲をプレイヤーにドラッグしてあり、他のことをしているときもずっと流しているのですが、フランキー・レイン盤(Ghost) Riders in the Skyが出てくると、おや、これはだれだっけ、と作業の手が止まります。

f0147840_0391251.jpgフランキー・レインは「ローハイド」のテーマを歌った人です。したがって、わたしの世代の人間は、毎週、彼の歌を聴き、翌日、幼稚園や学校に行くときには「ローレン、ローレン」と彼の口真似をしていたわけで、いわば、子どものころに可愛がってくれた「近所のおじさん」みたいなものです。だから、久しぶりにこの人の声を聴くと、無条件に、いいなあ、と感じ入ってしまいます。しかし、ローハイドの出だしは、じつは「Rollin', rollin'」と歌っているということをあとで知りました。やっぱり「ローレン、ローレン」と聞こえると思うのですが。

レインの声には、とくに低音にいったときですが、独特の「嫌味のない太さ」とでもいうようなものがあって、これがこの人の最大の魅力になっていると感じます。なんだか、フランキー・レインの曲を集めて、まとめて聴いてみたくなりました。

tonieさんご推奨のマーティー・ロビンズ盤もけっこうな出来です。ロビンズもまた、美声なのに嫌味がなく、さまざまなタイプの曲を歌えるヴァーサティリティーをもっているので、スタンダード曲をやるのに向いています。ロビンズの盤には、たいてい、凄腕のギタリストがオブリガートをつけているのですが、この曲も例外ではなく、毎度ながら、すげえなあ、と思います。わが家にある2枚組ベストにはパーソネルが書いてあるのですが、目下、行方不明なので、後日、このギタリストの名前は補足させていただきます。

◆ その他のヴォーカル盤 ◆◆
そろそろ時間切れなので、あとは駆け足で。

ディーン・マーティンは、ラウンジっぽい、くつろいだ歌のほうがわたしの好み(ハンパじゃなく「好み」です)に合っていますが、映画での役柄(ハワード・ホークス監督、ジョン・ウェイン主演、リッキー・ネルソンも「歌って撃つ」若き天才シンガー/ガン・ファイターをやった『リオ・ブラヴォー』など)の印象もあるのか、カントリー系の曲を歌うこともよくあります。これはこれで、悪くはありません。あの映画でのディノは、飲んだくれぶりがじつによかったなあ、と思います。シンガーとしても、ああいう「飲んべえの女ったらし」の自堕落さが味になった人だと思います。

ビング・クロスビー盤はヒットしているそうですが、うちにあるのは怪しい編集盤に収録された、ものすごくノイジーな、明らかにSP、それも状態のよくない盤から起こしたもので、よく聞こえません。わかるのは、背筋を伸ばした楷書の歌いぶりだということだけです。

f0147840_0432537.jpgバール・アイヴズは俳優としてのほうが名(と顔)を知られているでしょうが、歌もなかなか、というか、面白い声とキャラクターをもっています。オムニバスでもっているだけなのですが、ベスト盤ぐらいは聴いてみたくなりました。

ケイ・スター盤もペギー・リー盤も、出来は悪くないのですが、女性がこういう歌をうたうのは、どういうんだろうなあ、と思います。『アニーよ銃をとれ!』みたいな、ある種の倒錯美を狙ったものでしょうかね。男まさりの勇ましい女性像というのは、アメリカ大衆の好みなのかもしれません。

ケイ・スターは、そういう仮定に合致する、お転婆娘みたいな歌い方で、好きかどうかイエス、ノーで答えろ、といわれたら、答えに窮し、訊ねたヤツを殴り倒して逃げるしかないという感じです。

ペギー・リーも、真夜中のラウンジ、といった雰囲気の曲をやっているほうがいいんじゃないでしょうかね。当方の個人的な都合にすぎないのですが、女性アナウンサーの野球中継を聴いているようで、なんだかそわそわしてしまいます。電車のアナウンスは女性の声のほうがいいと思うのですが、やっぱり、野球中継と(Ghost) Riders in the Skyは男の声にかぎります。
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by songsf4s | 2007-10-22 23:52 | Evil Moonの歌