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When the Leaves Come Falling Down by Van Morrison
タイトル
When the Leaves Come Falling Down
アーティスト
Van Morrison
ライター
Van Morrison
収録アルバム
Back on Top
リリース年
1999年
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日本人の感覚、いや、もうすこし限定すると、本州の平地の住人の感覚では、落葉の季節というと、やはり十一月ではないかと思います。北海道などの北の地域や、標高の高い土地では、もう落葉も紅葉もはじまっているのかもしれませんが、なんせ、わたしの住む南関東は、一昨日でもまだ30度でしたからねえ。昨日今日は寒くなったとはいえ、落葉はまだずっと先のことに思えます。

しかし、北半球の温帯地域にかぎっても、世界的にはそういう感覚はないにちがいありません。歌を聴いていると、そのことをしばしば思います。本日、九月のどん尻にやっと登場した最初で最後の「九月の歌」は、ご覧のように「落ち葉の散るころ」というタイトルがつけられています。なんだか、初夏に栗ご飯を食べさせられるような気分ですが、九月の落葉がどのように歌われているか、まあ、とにかく、ご覧じよ。

◆ 黄昏か未明か薄暗くてよくわからず ◆◆
それではファースト・ヴァース。

I saw you standing with the wind and the rain in your face
And you were thinking 'bout the wisdom of the leaves and their grace
When the leaves come falling down
In September when the leaves come falling down

「きみはおもてに風と雨をうけて立っていた、きみは木の葉の知恵と優雅さのことを思っていた、木の葉の散るころに、木の葉の散る九月に」

f0147840_0435563.jpgふーむ、ファースト・ヴァースですでに、やめときゃよかった、と後悔しています。ヴァン・モリソンはゼム以来のつきあいで、80年代はじめまではかなり忠実なリスナーだったのですが、歌詞の意味がちゃんとわかったことはなく、好きな場所だけ(Redwood Treeの「It smells like rain, maybe even thunder」、Wild Chidrenの「James Dean took that ride, took that ride」、Heavy Connectionの「from a whisper to a shout」をはじめ、たくさんあります)をいっしょに歌っているだけでして、いつも歌詞が長いこともあって、全体をちゃんと検討したことなど、いままでありませんでした。

いずれにしても、ストレートな歌詞は少なく、どこかにちょっとオフビートなところがあって、解釈しかねるものが多いと感じます。この歌詞は、わかりやすいほうではあるものの、真っ正直な直球でもないようです。the wisdom of the leavesというフレーズにヴァンらしさがかいま見えます。

流行歌の常識として、ファースト・ヴァースは出会いを語ることが多いので、ここもそういうことなのだと考えておきましょう。つぎはセカンド・ヴァース。

And at night the moon is shining on a clear, cloudless sky
And when the evening shadows fall I'll be there by your side
When the leaves come falling down
In September when the leaves come falling down

「夜には雲ひとつなく晴れた空に月が輝き、夜の帳が降りると、わたしはあの場所の、きみのとなりにいく、木の葉の散るころに、木の葉の散る九月に」

まだ、なんのことだかよくわかりません。以下はコーラス。

Follow me down, follow me down, follow me down
To the place beside the garden and the wall
Follow me down, follow me down
To the space before the twilight and the dawn

「ついてくるんだ、庭と壁のそばの場所に、ついてくるんだ、薄明と暁の前にあの場所へ」

なんてところですかね。「before the twilght and the dawn」はちょっと奇妙に感じたので辞書を見たところ、夕暮れのみならず、夜明け前のこともtwilightということがあるそうです。

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◆ 時制の操作 ◆◆
サード・ヴァース。長い歌なので、まだ最後のヴァースではありません。

Oh, the last time I saw Paris in the streets, in the rain
And as I walk along the boulevards with you, once again
And the leaves come falling down
In September, when the leaves come falling down

最後にパリの通りを見たとき、雨の中で
きみと二人でもう一度、あのブールヴァールを歩くと……
そして木の葉が落ちてくる
木の葉の散る九月に

f0147840_0464471.jpgわたしの日本語が詩的であるなどと主張するつもりは毛頭ありません。その証拠に、ふつうは改行なしで書いていますが、このヴァースは時制がめちゃめちゃで、同じ平面に並べることができませんでした。何度も慎重に聴き直したのですが、上記のとおりの時制で歌っていると思います。

なんでしょうねえ。女性のことは過去なのですから、回想と現在の描写が入りまじっている、または、現実と夢想が混交しているということなのかもしれません。いま、目の前で木の葉が散っているのを見ながら、落葉の季節の記憶をたどり、ありえたらいいのに、と思うことを夢想している、という解釈が成り立つのではないでしょうか。

f0147840_0563649.jpg彼女とは昔、落葉の季節に、雨のそぼ降るパリの通りをそぞろ歩きをしたことがある、もう一度、二人であんな風に、落葉の季節にパリを歩きたいものだ、なんてあたりでは? こういう風に説明的に書いてしまっては詩ではないので、時制の操作、区切り方でボカしを入れ、詩的に表現しているように思います。

ヴァン・モリソンというのは、作詞家としてみるとよくわからない人です。ヘボでないのは明らかですが、名作詞家だとも断言できず、いつも、もやもやと考えています。この曲もやっぱりもやもやですねえ。

◆ 秋のチェット・ベイカー ◆◆
ピアノ・ブレイクがあって、またコーラスが出てきますが、最初とはちょっとだけ異なります。

Follow me down, follow me down, follow me down
To the place between the garden and the wall
Follow me down, follow me down
To the space between the twilight and the dawn

ご覧のように、ファースト・コーラスではbesideやbeforeが使われていたところを、betweenで置き換えています。それほど大きな意味はなく、味つけを変えただけだと思いますが、「黄昏と暁のあいだ」のほうが意味はすんなりわかります。

And as I'm looking at the colour of the leaves, in your hand
As we're listening to Chet Baker on the beach, in the sand
When the leaves come falling down
Woe in September, when the leaves come falling down
Oh when the leaves come falling down
Yeah in September when the leaves come falling down

きみが手にした木の葉の色づきぐあいを見、
砂浜でチェット・ベイカーを聴く
九月の哀しみ、木の葉散るころの
木の葉が落ちる九月に

f0147840_0533563.jpg最初のラインは好きです。恋人たちの秋のそぞろ歩きなら、いかにもありそうなシーンでいながら、ほかにこんなことを歌った曲を知りません。二人の表情まで目に浮かびます。

ヴァンはチェット・ベイカーが好きなのでしょう。過去にも、ジャッキー・ウィルソン(アルバムSaint Dominic's Previewのオープナー、Jackie Wilson Said)や、ジェイムズ・ディーン(Hard Nose HighwayおよびToo Late to Stop Now収録のWild Children)などの固有名詞を登場させたことがあります。ほかにもあったような気がするのですが、脳軟化なので忘れました。

秋のひと気のない浜辺でチェット・ベイカーを聴く、というのは、ちょっと紋切り型に思えなくもないですが、まあ、わからなくはありません。チェット・ベイカーはタイトルに「秋」のつく曲をいくつかやっていますからね。Autumn in New York、'Tis Autumnなど。彼のプレイは、真夏のようなコントラストがクッキリしたものではなく、もわーっとした春秋の雰囲気ですし。

f0147840_0592419.jpgWoe、つまり悲哀という箇所は、ひょっとしたら、アー、とか、オーとか、ウォーといった、たんなる感嘆詞かもしれません。好みでいうと、感嘆詞のほうが、九月の哀しみなんていう紋切り型よりいいと思うのですが。

あとは、アドリブをまじえつつ、コーラスをくり返してエンディングとなります。

◆ 春夏秋冬ならぬ「夏冬二季」 ◆◆
季節というキーワードでポピュラー音楽史を眺めたことのある人は、そうはたくさんいないでしょう。そういう狭い狭い分野の先達(先行者がいないので、自動的にそうなるのです。ひとり一分野!)として申し上げますが、秋になったら、ロック・バンドはほぼ全滅です。彼らにとって、一年とは、夏とクリスマスと、その中間の空白によって構成されているのです。

f0147840_17595.jpgそれはたぶん、かつてはレコード、とくにアルバムのリリースは6、7月と、11月後半から12月はじめに集中したせいもあると思います。マーク・ルーイゾーンのThe Complete Beatles Recording Sessionsを読むと、ファブ・フォーがこのスケデュールに苦しめられていることがよくわかります。ブライアン・ウィルソンのナーヴァス・ブレイクダウンの原因のひとつも、これだったのではないでしょうか。

もうひとつは、アメリカの場合、全国的に通用する季節感は、夏と冬だけだからということもあるような気がします。映画には圧倒的な紅葉の風景が登場しますが(『黄昏』なんか忘れがたい絵作りでした。「ハリウッドのやることだからな、平気でエアプラシで塗りたくっちゃうぜ」なんて、おちょくっちゃいましたが、当たらずとも遠からずかも)、歌にはまず登場しませんねえ。

秋の風情というのが、あまり若向きでないということもあるのでしょう。若者の恋は夏のものであって、秋風とともに終わっちゃうわけで、秋は盛り上がりに欠けることおびただしいのでしょう。紅葉した並木道をそぞろ歩きをする若いカップルもよく見かけますが、それがストレートに歌の題材に結びつくことがないのは、たぶん、そういうことを表現できる音をもたないアーティストが多いからでしょう。

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When a young singer comes growing up!?

ところが、イギリスに渡ると、様子がだいぶ変わります。レイ・デイヴィーズなんか、若いころから秋の歌をいくつか書いていますし、アイリッシュですが、ヴァン・ザ・マンも秋の風情を直接にあつかったもの、間接的に感じさせる曲を書いています。

このWhen the Leaves Come Falling Downが収録されたBack on Topというアルバム(「トップに戻る」という意味でしょうが、ジャケットは「背中を表にして」というひどいダジャレ)なんか、全体が秋の雰囲気で、もう一曲、これは扱う予定がないので書いちゃいますが、Golden Autumn Dayという九月の歌が入っています。こっちのほうが、曲としては好きだし、ドラムがなかなかいい感じで、歌詞さえよければ、取り上げたのですがねえ。変な歌詞なんですよ。変わっていて、面白くはあるのですが、季節感はありません。

ともあれ、イギリス人(およびアイルランド人)は、アメリカ人より秋に対する意識を持ち合わせているということが、ポップ・ミュージックからもうかがえます。これが日本になると、もっと季節感あふれちゃうのですが、それは「今後の予定」に差し支えるので、まだグラヴのなかに隠しておきます。

◆ 同じ時代を生きてきたシンガーたち ◆◆
ニール・ヤングのHarvest Moonのところで、このブログに登場したもっとも新しい曲だと書きましたが、ヴァンのWhen the Leaves Come Falling Downは1999年のリリース、まぎれもなく「当社比」で「最新」の曲です。

f0147840_1225132.jpgしかし、ニール・ヤング同様、サウンド的にはまったく違和感がありません。いろいろ記憶を刺激されて、昔の曲(Wild ChildrenやWarm Love)といっしょにプレイヤーにおいて、流していたのですが、「段差」はまったく生じませんでした。

80年代に入ってハンパに「若返った」キンクス同様、ヴァンもちょっと老いに抵抗したような形跡があり(もちろん、近年のストーンズのように、厚化粧の老娼婦みたいな恥ずかしい真似はしませんけれど)、付き合いが途絶えましたが、この感じなら、もうすこし最近のものも聴いてみようかと思いました。あるシンガーを、二十代から晩年まで聴きつづけるなんて、そうそうチャンスのあることではないので、ほかはともかく、この人だけは朽ち果てるまで見届けようかという気になってきました。

f0147840_1261697.jpgそれにしても、ヴァン・ザ・マンとの付き合いはよくわかりません。声が好きだとか、歌い方が好きだとか、曲作りが好きだとか、そういう明白な理由は思い当たらないのです。いつも変わらずに誠実に音楽をつくってきたから、なんて、評論家的言辞を弄しそうになります。おお、さむー。

長い長い付き合いなので、気に入ったり、気に入らなかったり、いろいろありましたが、どの盤も、「リスナーをナメてるのか、おまえは」なんて腹を立てたことはありません。それだけでも、キャリアの長さからいったら、表彰ものじゃないでしょうか。馬鹿売れをしたこともなければ、ファンがいなくなったこともないという、「ほどのよい」の成功のおかげでしょう。いや、そういう盤をつくってきた結果なのであって、どっちが鶏で、どっちが卵かわかりませんが。

ヴァンはまたすぐにも登場する予定なので、ネタがなくなるといけないから、今夜はここらでコールド・エンディング。「九月の歌」は、結局、これ一曲、情けないことになったものです。明日からは疾風怒濤の十月第一特集、てなことになるかどうか……。秋風が身に染みる寒い九月三十日でした。

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by songsf4s | 2007-09-30 23:56 | 九月をテーマにした歌
Moonraker by Shirley Bassey
タイトル
Moonraker
アーティスト
Shirley Bassey
ライター
lyrics by Hal David, music by John Barry
収録アルバム
The Best of James Bond 30th Anniversarry Collection
リリース年
1979年
他のヴァージョン
Neil Norman
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昨夜はまだ満月に思えないこともない丸さだった月が、今夜はもう明らかにwaneしています。「この世をば我が世とぞ思ふ 望月のかけたることもなしと思へば」なんて、藤原道長もくだらないことをいったものだなあ、月の満ち欠けの原理を知っていれば、そんな馬鹿な歌はつくれなかっただろうに、てえんで、科学教育の重要性を再認識しちゃったりしています。

理性の世界は退屈ですが、神秘主義で社会を運営されては平安京に逆戻り、藤原氏以外の大多数の人間にとっては非常に不幸なことになるでしょう。先祖の供養を怠ったせいで不幸になったとかなんとかいう、藤原道長の世界観と懸隔のない番組を、これからの日本をつくっていく子どもたちがテレビの前にいる時間帯に流すのは、犯罪行為じゃなかろうかなんて思った、月の欠けはじめた金曜の夜でした。

月のからんだ曲というのは、どうもオカルティズムへの傾斜、あるいは少なくも親和性を見せるようなところがあり、ちょっと疲れてきました。まあ、月の「魔力」を恋に利用しているあいだは平和なのだ、と思うことにしましょう。

◆ ウェイスト・ボールの一曲 ◆◆
ここにいらっしゃるお客さんのなかには、tonieさんのように、今後登場するであろう曲の予想を立てる方がいらっしゃるので、こちらとしては、いきおい、予想を外すことにささやかな楽しみを見いだしています。

中秋の名月の夜は、tonieさんが真ん中の速球を待っているところに、こちらも真ん中の速球を投げざるをえないことになりましたが、今夜はもう欠けていく月、この曲は球種もコースも予想外だっただろうとニヤついています。ま、背中を通っていくような、ひどいボール球かもしれませんが。

f0147840_1554799.jpgシャーリー・バッシー(インチキな表記だなあ、と思って調べましたが、蓋然性として、こういう場合は「バーシ」に近い発音になるだろう、というところまでしかたどり着けませんでした。たぶん、「バーシ」または「バーシー」で当たりでしょう。英語は跳ねない、跳ねそうなスペル、つまりダブル・レターは「直前の母音を伸ばす」と思っておけば、90パーセントのケースで当たっています)は、あまり好みの歌い手ではないのですが、ジェイムズ・ボンド・シリーズのテーマはいつも楽しみにしています。ざっと見て、3割前後の高打率じゃないかと思います。この曲も、シングル・ヒットはしませんでしたが、悪くないと感じたテーマのひとつです。いちおう歌詞など見てみましょうか。

Where are you? Why do you hide?
Where is that moonlight trail that leads to your side?
Just like the moonraker goes in search of his dream of gold
I search for love, for someone to have and hold

f0147840_1573677.jpg「あなたはどこにいるの、なぜ隠れているの、あなたのいるところへと導いてくれるあの月の光はどこにあるの、ムーンレイカーが黄金の夢を追うように、わたしは愛を追う、この手に収め、抱きしめるためのだれかを」てなあたりです。どうも、ジェンダーを変えて日本語を書くのはイヤなものです。そもそも日本語も、ジェンダーによる表現の差が小さくなっちゃっていますからね。

いや、まあ、そんなことはどうでもいいのですが、moonrakerは、辞書には「密輸業者」とあります。「密輸業者」なんて日本語は歌詞のなかでは収まりが悪いので、そのまま「ムーンレイカー」としました。英語は「月追う者」だなんて、ずいぶんまた叙情的な言い方だなあ、と笑っちゃいます。NRPSのWhiskeyのところで、密造酒をmoonshineと呼ぶということをご紹介しましたが、これはそれと似たようなmoonの使い方です。要するに「夜行性」ということですね。

◆ 1キスぶんの距離とはどんな距離だ? ◆◆
以下はファースト・コーラス

I've seen your smile in a thousand dreams
Felt your touch and it always seems
You love me
You love me

くだらないし、退屈だから、日本語にするのはやめておきます。女言葉でこんなことを書くのは願い下げです。

つづいて、セカンド・ヴァース。

Where are you? When will we meet?
Take my unfinished life and make it complete
Just like the moonraker knows
His dream will come true someday
I know that you are only a kiss away

「あなたはどこにいるの? いつになったら会えるの? わたしの未完の人生に結末をつけて、ムーンレイカーがいつか夢の実現する日がくることを知っているように、あなたはほんのキスひとつ向こうにいることをわたしは知っている」

f0147840_1595080.jpgなんじゃこりゃ、という日本語ですが、英語もあまりよくはないですねえ。take my unfinished life and make it completeなんて、生硬で、詩的響きがありません。よって、最後のコーラスは略します。

たとえば、just a smile away「1微笑ぶんの距離しか離れていない」なんていうawayの用法は、じつに英語的で面白いと思うのですが、日本語にはしにくいケースがほとんどだと感じます。

◆ エンディング後の満足 ◆◆
歌詞はくだらなくて、ゴミ箱行きだと思いますが、サウンドは久しぶりにムードがあるなあ、と思いました。ま、たしか、宇宙から見た地球の絵から、カメラがティルト・アップして、トライアングルの音が入ってくるといった感じで、うまく絵と合致したからでもありますが、『二度死ぬ』以来のいいエンド・タイトルだと、当時は感じました。

ジョン・バリーは、弦の低音部、ヴァイオリンではなく、ヴィオラやチェロが担当する部分の扱いがうまいのですが、この曲のアレンジではその特長が出ていますし、そこにからんでいく、フレンチ・ホルンを中心とした管もまたけっこうな味を出しています。

f0147840_231992.jpg『007は二度死ぬ』は、映画そのものは箸にも棒にもかからない出来で、ボンド・シリーズに追従したお笑いエスピオナージュものを、ボンド・シリーズ自体がなぞっちゃったみたいな馬鹿馬鹿しさでしたが、はじめと最後の2度登場する、ナンシー・シナトラが歌うテーマはじつにいい雰囲気で、とくにエンド・タイトルはため息が出ました。

(『二度死ぬ』の脚本はロアルド・ダールで、映画の取材で来日し、そのときのインタヴューが「ミステリ・マガジン」に掲載されていました。短編作家としてのダールは、なかなかいいものを残したと思いますが、シナリオ・ライターとしては、さあて、どんなものだろうか、です。ヒチコックが、シナリオ・ライターとしてのレイモンド・チャンドラーをボロクソにいっていましたが、ダールも同類じゃないでしょうか。考えてみると、ダールがいいといっても、秀作がそれほどたくさんあるわけでもないですしね。)

f0147840_251991.jpgボンド・シリーズでは、この2曲が、独特のムードをもっていて、とくに出来がいいと思いますが、もちろん、Goldfinger、Thunderball、Diamonds Are Forever、Nobody Does It Betterなども好きです。いや、映画のなかでかかるぶんには、License to Kill、All Time Highなども悪くないと思いました。イントロだけなら、For Your Eyes Onlyも佳作ダッシュぐらいの評価はしてもいいと感じます。

シャーリー・バッシーのプロデュースは、ジョージ・マーティンが担当していたのですが、あるとき、ちょっとした手違いで、ビートルズのレコーディングとシャーリー・バッシーのレコーディングが重なってしまい、マーティンはバッシーのほうをキャンセルせざるをえなくなったのだそうです。これで彼女はカンカンになってしまい、マーティンとは縁を切ったのだとか。まあ、やむをえないですねえ。ビートルズを抱えたプロデューサーは、すべてをそれに捧げるしかありません。

◆ 女なくしては日の暮れぬ…… ◆◆
f0147840_271023.jpgやはり、わたしは、女性シンガーのほうがジェイムズ・ボンド・シリーズには向いていると思います。それについては、『死ぬのは奴らだ』のスコアを担当したジョージ・マーティンが書き残しています。

ポール・マッカトニーがこの映画の主題歌を書くように依頼され、ジョージ・マーティンはできあがった曲のオーケストレーションを担当しました。その結果、スコアそのものもマーティンに依頼するという話が持ち上がり、マーティンはプロデューサー(映画のほうの)のハリー・サールツマンと会うことになりました。サールツマンは、主題歌の出来はおおいに気に入ったといったあとで、マーティンにこういったそうです。

「ところで、この曲をだれに歌わせるのがいいと思うかね?」

マーティンはI was completely aback「思いきりコケた」といっています。そりゃそうでしょう。全盛期のポール・マッカトニーが歌った盤を、デモ扱いされたのですから。

「そのー、おっしゃる意味がよくわからないのですが……すでにポール・マッカトニーが……」

「うんうん、それはおおいにけっこう。だが、問題は映画ではだれに歌わせるかということだ」

「失礼ながら、まだお話が飲み込めませんが?」

「女の子が必要じゃないか。そうだろ? テルマ・ヒューストンなんかどうかね?」

f0147840_2101595.jpg「たいへんけっこうかと思います。しかし、すでにわれわれはポール・マッカトニーを確保しているわけでして、彼女に依頼する必要はないのではないでしょうか」

なんてコンニャク問答をえんえんとつづけたあげく、マーティンはどうにかこうにか誤魔化して、ポール・マッカトニー作、ポール・マッカトニー唄のボンド・テーマを実現することができたのだそうです。

でも、わたしはチラッと、このわからず屋の映画プロデューサーに同意したくなります。やっぱり、ボンド映画には女性シンガーじゃないでしょうかね。

◆ 来年の今月今夜の月は? ◆◆
軽い曲を軽く書いてすませるつもりが、時計を見ればすでに遅刻。月の歌特集ハーヴェスト・ムーン篇は、これにてフェイドアウトとします。予定していた曲がまだ山を成して残っていますが、一部は来月のハンターズ・ムーンで取り上げ、大半は来年の六月の「幸せのジューン・ブライド特集」にまわすことにします。来年があるといいのですがねえ! とりあえず、来月はまだサイバースペースにしがみついている予定です。

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by songsf4s | 2007-09-29 01:20 | Harvest Moonの歌
How High the Moon by Les Paul with Mary Ford
タイトル
How High the Moon
アーティスト
Les Paul with Mary Ford
ライター
lyrics by Nancy Hamilton, music by Morgan Lewis
収録アルバム
The Best of the Capitol Masters
リリース年
1951年
他のヴァージョン
Chris Montez, Joe Pass, Mary Lou Williams, Dave Brubeck Quartet, Harry James, June Christy, Marvin Gaye, MJQ, Ray Anthony, Stan Kenton, Carlie Parker, Chet Baker, Art Tatum, Sara Vaughn, Gloria Gaynor, 3 Na Bossa
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月の歌をとりあげる以上、これは外せないだろうという曲がいくつかありますが、今夜のHow High the Moonも、It's Only a Paper Moonと同等に、あるいはそれ以上に重要な曲でしょう。

なんでこんなにたくさん、と思うほどヴァージョンがありますが、今回はまったく迷いなく、レス・ポール&メアリー・フォード盤が看板と決めました。いや、このヴァージョンがなければ、この曲はオミットしたでしょう。一生に何度か、聴いた瞬間にひっくり返ってしまったトラックというのがありますが、その意味で、このレス・ポールのHow High the Moonは、三本指に入る驚愕の音楽でした。あとの有象無象ヴァージョンは付け足りですが、できるだけ多くに言及するつもりでいます。

◆ 月がなければ闇夜、動詞がなければ無意味 ◆◆
これから歌詞を見ていきますが、はじめにお断りしておきます。

まず、古い曲なので、例によってさまざまなヴァリエーションがあり、エラ・フィッツジェラルドのように、適当な歌詞をその場でつくって歌っている人までいます。ここでは、いうまでもなく、看板に立てたレス・ポール&メアリー・フォード盤にしたがいます。

つぎに、わたしはこの歌詞がさっぱり理解できません。レス・ポールのプレイはじつによくわかりますが、歌詞はおかしなところがあって、明快に意味をとることができません。歌詞は音として聴いているだけで、意味は気にしてもしかたないと、ずいぶん前から投げています。

Somewhere there's music
How faint the tune
Somewhere there's heaven
How high the moon
There is no moon above
When love is far away too
Till it comes true
That you love me as I love you

f0147840_3415423.jpgそもそも、動詞が抜けているから、解釈のしようがなく、また、動詞を補うにしても、どこに補うかで意味が変わるのだから、じつにもって始末が悪いのです。つまり、「How high is the moon?」なのか「How high the moon is」なのか、ということです。だれのヴァージョンだったか、「How high is the moon?」と、isを補って、疑問文にしているものがありました。わたしもそちらにくみしますが、それが正しいという保証はありません。

「どこかで音楽が鳴っている、なんてかすかな音だろう、どこかに天国がある、月はどこまで昇っただろうか、愛する人が遠くにいれば月も見えない、それが実現するまでは、わたしがあなたを愛しているように、あなたもわたしを愛している」

最後の2行は、読んでいるみなさん同様、書いているわたしも、なんのこっちゃ、と呆れています。学校で英語を勉強したふつうの日本人としては、「このthatはいったいどこから出てきたんだ、説明しろ」といいたくなります。複文の2つの部分が、無意味に接続されているのです。ぜんぜんわからないから、「知ったことか!」と大声で叫んでおき、このヴァースは投げます。

◆ 生きているのやら、死んでいるのやら ◆◆

Somewhere there's music
How near, how far
Somewhere there's heaven
It's where you are
The darkest night would shine
If you would come to me soon
Until you will, how still my heart
How high the moon

「どこかで音楽が鳴っている、近いのやら、遠いのやら、どこかに天国がある、そこはあなたがいる場所、あなたがすぐにやってきてくれれば、漆黒の夜も明るく輝くだろう、それまでは、わたしの心は沈黙する、月はどれほど昇っただろう」

f0147840_3433697.jpgといったあたりでしょうか。わからないのは、まず、天国があなたのいる場所だ、というところです。死者に語りかけているというようにも受け取れます。それとも、「あなた」というのは「月」のことなのでしょうか。

ついでに、heartがstillだというのは、心臓が止まっている、と解釈することも可能ですが、それではまるでボビー・“ボリス”・ピケット&ザ・クリプト・キッカーズのお笑い怪奇ソングになってしまいますねえ。

サード・ヴァースもありますが、これまでの2つのヴァリエーションにすぎず、独立したヴァースではないので、解釈はしません。

Somewhere there's music
How faint the tune
Somewhere there's heaven
How high the moon
The darkest night would shine
If you would come to me soon
Until you will, how still my heart
How high the moon


◆ 驚愕の先進性 ◆◆
歌詞はなんだかよくわかりませんが、レス・ポールのギター・プレイは、大昔の人がやろうとしたことが、こんなに隅々までよくわかっていいものだろうか、というくらいに明瞭です。あまりにもよくわかりすぎて、はじめて聴いたときはビックリ仰天しました。あと半歩でロック・ギターです。軽く15年は先取りしていた勘定になります。

f0147840_3454791.jpgそもそも、歌のあいだに長くて派手なギター・ソロを挟む、という考え方がこの時代にあったのでしょうか。わたしの知るかぎり、そんなものはありません。仮定の話ですが、たとえレス・ポールが下手だったとしても、こういう構成をとったことだけで、きわめて先進的で、60年代後半のロック・バンドがやったことを、すでに50年代はじめにやっていたことになります。

レス・ポールは歌わないので、ヴォーカルとギターという変則的なデュオだから、両方にスポットを当てなければならないという、このデュオの特殊事情から導きだされたにすぎないスタイルなのでしょうが、背後の事情がどうであれ、形式として、未来を先取りしていたことに変わりはありません。

f0147840_3472243.jpgそしてまた、ギターのサウンドといい、スタイルといい、とても1951年録音のものとは思えません。60年代後半に、いわゆる「ギター・ヒーロー」たちが多用するイディオムが、すでに使われているのです。

ギターのサウンドそのものも、ストレートなトーンではありません。彼自身が開発したディレイ・マシンが使われているのです。アタッチメントの多用という60年代後半のトレンドがここでもまた先取りされています。太陽の下、新しいものなどないのだ、すべては焼き直しなのだ、というペシミズムに賛成したくなるほどの、じつにもって、なんともけしからんレスターおじさんの先進性です。

この時代にはおそらく弦はレギュラー・ゲージです。そんなもん、見たこともさわったこともないだろうが>メタル小僧ども。無茶苦茶な太さと張力で、Fを押さえただけでも息切れがしちゃうのですよ。わたしらオールド・タイマーは、子どものときにちゃんとそういう太い弦を経験しているのでわかりますが、そういうもので、そして、あのアップ・テンポのアレンジで、速いパッセージを弾きまくり、あろうことか、ベンドまで連発しているレス・ポールはとんでもない人です。ジミヘンがアコースティック12弦でダブル・チョークをやったのを見たときもひっくり返りましたが、レス・ポールもたいした腕力です。風が吹いただけでも音が鳴ってしまうような、いまどきのフニャフニャ弦を弾いている小僧どもにはぜったいにわからない、超絶プレイです。

ちなみに、ソロに使ったギターは、レス・ポール自身が細工した改造エピフォンだそうです。まだ、ギブソン・レス・ポールはできていなかったのです。

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たいした知識はないのですが、たとえば、チャーリー・クリスチャンとか、タル・ファーロウといった、いくぶん時代が近い人たちのプレイを思い浮かべても、レス・ポールはまったくのエイリアンです。クリスチャンもファーロウも、われわれが「昔のジャズ・ギター」といったときにイメージするプレイ・スタイルのスペクトルに、ちんまり収まっています。でも、レス・ポールはひとり一ジャンル、まったく桁外れです。クリスチャン、ファーロウは、「歴史のお勉強」という感じで、ふむふむ、なるほど、昔はそういう風にやっていたのね、という感じで収まりかえって聴きましたが、レス・ポールは椅子から飛び上がり、ベッドから転げ落ち、「ウッソー! そんなのありかよ!」と叫んじゃいました。

◆ 元祖ハード・ドライヴィング・グルーヴ ◆◆
いや、音楽なのだからして、トータルとしてのサウンドも重要です。ここがまたレス・ポールのすごいところで、サウンド的にも「明日の音を今日に」(フィル・スペクターの会社のキャッチフレーズ)の人です。

f0147840_3521892.jpgレス・ポールがこの曲をリリースしようとしたとき、キャピトルの担当者は反対したそうです。すでに75種類ものヴァージョンがあり、どれもヒットしなかった、そもそも歌詞が意味を成していない(それはそのとおり! 会社の人間もたまには正しいことをいう)といったのだそうです。しかし、レス・ポールはいつもの調子で、そんなくだらないことは忘れろ、俺のはイントロからもうヒット間違いなし、靴のなかでタップしたくなり、曲が終わる前に疲れ果てるほどのリズムなんだ、と主張したそうです。

いや、じっさい、たいしたロッキン・ビートです。たんに8ビートを使っていないだけで、ベニー・グッドマンのいくつかのトラックのように、ものすごいドライヴのしかたをするグルーヴで、その点でもベッドから転げ落ちました。

f0147840_354683.jpgさらにレス・ポールがすごいのは、トラックはすべて自分でオーヴァーダブしたということです。ギタリストだけがエイリアンで、ひとりで未来にぶっ飛んでしまい、まわりが1951年にへばりついていると、非常にまずい事態になりかねないのですが、「まわり」も自分でやっているのだから、安心です。じっさい、うまくはないのですが、ベース・ラインの作り方はやはり先進的です。プロデューサーが目指しているものを百パーセント理解したプレイです。

というわけで、エミット・ローズ、トッド・ラングレン、アンドルー・ゴールドたちは、あ、それからポール・マッカトニーも、それとわからないほど時間がたってから、無自覚にレス・ポールの後塵を拝してしまったわけです。ほんとうにエイリアンだったのだと思います。ふつう、これほど全部まとめてなにもかも未来の先取り、なんてことはできるもんじゃありません。

レス・ポール盤How High the Moon(ホラ吹きおじさんレス・ポールのいうところの「76番目のヴァージョン」)は、9週間にわたってビルボード・チャートのナンバーワンの座を維持したそうですが、それくらいのことは当然でしょう。実験的、未来的サウンドが、同時に非常にポップなものになり、おおいに売れる結果になったということでは、ビートルズのStrawberry Fields Foreverや、ブライアン・ウィルソンのGood Vibrationsの先祖でもあったのです。

◆ ロイド・デイヴィスの右手 ◆◆
これだけぶっ飛んだ盤のまえでは、どんな名演名唱も、地べたを這う虫にすぎません。がしかし、まあ、せっかく集めたのだから、ちょっとつきあってみましょう。数だけはうんざりするほどあるんです。

有象無象のなかでは、デイヴ・ブルーベック盤が気に入りました。いや、デイヴ・ブルーベックにも、ポール・デズモンドにも、わたしは興味がないし、じっさい、この曲の二人のインプロヴも、ただただ長ったらしくて退屈なだけですが、お立ち会い、ドラムがいいのです。ライド・シンバルの刻みを聴いているだけで、9分間があっという間に終わりました。

f0147840_355630.jpgこのドラマー、ロイド・デイヴィスという人ですが、ぜんぜん有名じゃないですねえ。これだけ素晴らしいライドの刻みができるドラマーが絶賛されなかったのだとしたら、ジャズ・プレイヤーとジャズ・ファンのタイム感に問題がある、または、より穏当な言い方をすると、彼らはわたしのような老いたるロック小僧とは異なる時間、勝手な解釈の時間を生きているのでしょう。

マックス・ローチをはじめて聴いたとき、ひっでえタイムだな、チャーリー・ワッツかよ、と思いましたが、ジャズというのは、タイムの正確性、グルーヴのよさなど気にしないのでしょう。ロック小僧的感覚でいうと、このロイド・デイヴィスの右手はジム・ゴードンのつぎのつぎのつぎのつぎぐらいにはうまいと感じます。これがものすごい絶賛だということが、ジャズ・ファンには理解できないでしょうけれどね。

もちろん、ジム・ゴードンのほうが素晴らしい右手をしているし、絶好調時の彼は左手も正確で美しいビートを連打します。ロイド・デイヴィスも、サイドスティックはなかなかきれいで、これもジム・ゴードンのつぎのつぎぐらいのうまさだと感じました。そもそも、うまい人は、サイドスティックのサウンド自体がきれいな響きになるものでして、ロイド・デイヴィスはジム・ゴードンのようにきれいな響きをつくっています。なかなか快感のグルーヴ。

◆ パス、ケントン、アンソニー、ジェイムズ、MJQ ◆◆
f0147840_356049.jpgつぎは、一転して、アンプラグドしたジョー・パスのソロ・プレイ。エレクトリックで何枚か聴いていますが、今回、はじめてアコースティックのプレイを聴いて、この人はアンプラグドしたほうがずっといいと感じました。やっぱり、無茶苦茶にうまいですねえ。

f0147840_3564094.jpgスタン・ケントンはアンサンブルで聴かせる人なので、わたしのようなジャズ嫌いのポップ・ファンも楽しめる、襟を正したアレンジになっています。ジャズ・プレイヤーの強制猥褻陰部露出ではなく、華麗な衣装をまとった美しい「サウンド」です。彼のHow High the Moonはヒットしたそうですが、当然でしょう。でも、あんまりHow High the Moonっぽくないメロディー・ラインです。

f0147840_3575739.jpgレイ・アンソニーも、さすがに人気者、楽しいサウンドになっています。ドラムも悪くないグルーヴですし、レイ・アンソニーのソロも、ピッチがいいので(といっても、アル・ハートのような、「超」がつくほどの正確なピッチではないですが。どうして、ジャズ・トランペッターというのはピッチの悪い人が多いのでしょうか。高音部でフラットしないプレイヤーはめったにいないという印象です)不愉快になりません。なによりも短いのがいい! 基本的にはダンス・バンドなのでしょうね。それも一流の。

f0147840_3585659.jpgつぎはハリー・ジェイムズでしょうか。ビッグ・バンドですから、モダン・ジャズのコンボのように、長ったらしいソロ廻しで退屈することはありません。他のヴァージョンよりテンポが遅く、なかなかムードがあって、伊達男ハリー・ジェイムズにふさわしいと感じます。ヴォーカルの名前がわかりませんが、なかなかけっこうな歌いっぷりです。

f0147840_3595818.jpgMJQは今回集めたもののなかでもっともスロウにはじまります。これじゃあ眠るなあと思っていたら、ちゃんと後半はテンポを速くしています。ムードはあります。でも、6分は長すぎ。

ピアノはわからないので、若きアート・テイタムのプレイは、いいんだか悪いんだかよくわかりませんでした。うまいのでしょうけれど、So what?でした。手が素早く動いていますねえ、目にもとまらぬ早業、一着でゴール。だから、なんだよ? 一着でゴールすることが音楽の目的か?

◆ ヴォーカルもの ◆◆
ジューン・クリスティーは、声がいいので、それだけでそこそこ聴けますが、バックの管のアレンジもなかなかゴージャスで、楽しめます。ドラムはスネアのチューニングが低すぎるし、フィルインでときおり突っ込みますが、昔の人としてはまずまずのタイムでしょう。ただし、ベースとズレています。たぶん、責任はベースのほうにあるのでしょう。

サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドは、基本的に歌および音楽を勘違いしていると思います。不快以外のなにものでもありませんでした。

f0147840_421268.jpgこれにくらべたら、フワフワととらえどころのないクリス・モンテイズの歌のほうがずっと楽しめます。モンテイズはもともとガチガチのロックンローラーだったのが、A&Mなどという会社に入ったばかりに、生まれもつかぬオカマ声のオカマ・スタイルで歌わされるハメになったわけですが、それがポップの世界、お客さんが喜びそうな方向にねじ曲げちゃうのです。それだけでも、サラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドなんかより、ずっと上等な音楽だということがわかります。ドラムは例によってハル・ブレイン。

f0147840_475043.jpgマーヴィン・ゲイ盤は、声の若さというのは格別だなあ、と思わせるものです。まだ歌がうまくないぶん、声のよさが際だっています。これだけの美声があったから、後年の成功があったのでしょう。長生きしたら、またこういう方面に回帰したかもしれません。年をとったマーヴィン・ゲイのスタンダード・アルバムなんて、ちょっと聴いてみたかったな、と思います。

まだ、いくつかヴァージョンが残っていますが、もういいでしょう。残る人生のあいだ、How High the Moonはもう二度と聴かなくていい、という気分になりました。

◆ またブロードウェイ ◆◆
この曲もまた、まったくもー、いやになるほどまた、ブロードウェイ起源だそうですが、その手のことを調べるのはゲップが出るほどやったので、今回は省略させていただきます。レス・ポール盤のすごさのまえでは、楽曲なんかどうだっていいや、です。わけのわからない歌詞を解釈するハメになったので、作詞家の顔を見てやりたいような気もしなくはありませんが、もう疲労困憊、限界です。
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by songsf4s | 2007-09-27 23:56 | Harvest Moonの歌
Shine on, Harvest Moon by the New Vaudeville Band
タイトル
Shine on, Harvest Moon
アーティスト
The New Vaudeville Band
ライター
words by Jack Norworth, music by Nora Bayes and Jack Norworth
収録アルバム
Finchley Central
リリース年
1967年(初演は1908年)
他のヴァージョン
Miss Walton & Mister MacDonough, Chet Atkins, Carmen Cavallaro, Ten Tuff Guitars, Mary Ann McCall, Leon Redbone, JoNell & Stephen Aron
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昨日取り上げたニール・ヤングのHarvest Moonのほかにもう一曲、タイトルにハーヴェスト・ムーンが入っているものがあるので、今晩はそれを取り上げます。

一世紀前に書かれた曲ですが、そのころのヴァージョンは古すぎてよく聞こえないので、ニュー・ヴォードヴィル・バンド盤を看板に立てました。この曲の来歴や、この「バンド」のことは後段で書きます。

◆ 「メイド」といってもアキバ版とはちょとちがう ◆◆
この曲には前付けのヴァース(歌詞を見るかぎりでは、コーラス部分を前にもってきただけに思われる)があるようですが、ここはニュー・ヴォードヴィル・バンド盤に依拠して、通常のヴァース、第一連から入ることにします。

f0147840_311505.jpgよけいなことですが、こういうときに、いちいち、verseという言葉の、ポピュラー・ミュージックにおける二つの主要な意味のうち、どちらで使っているかを断らなければならないところに、研究すべきテーマ(どの時点で意味のズレが生じたか、など)が隠れていると、わが直感がしきりに訴えているのですが、日々の課題に追われて、手がつけられずにいます。

それではファースト・ヴァースの前半。

The night was mighty dark so you could hardly see
For the moon refused to shine
Couple sitting underneath the willow tree
For love, they pined

その夜は月が隠れて真っ暗闇だったので、ほとんどなにも見えず、柳の木の下に坐ったカップルは嘆いた、といったあたりでしょうか。pineなんて動詞はあまり見かけないのですが、そのへんが一世紀前の曲らしいところなのかもしれません。

つづいてファースト・ヴァース後半。

Little maid was kinda 'fraid of darkness
So she said, "I guess I'll go"
Boy began to sigh, looked up at the sky
Told the moon his little tale of woe

女の子はちょっと暗闇が怖くなり、「帰ろうかしら」といった、男の子はため息をつき、空を見上げて、その悩みを月に訴えた、といった意味でしょう。pine同様、woeなんていう名詞もあまり見かけませんねえ。辞書には、古語、文語と注記があります。「悩み」ではなく、「懊悩」なんて語をあてておくべきかもしれません。

f0147840_3203146.jpgこういうmaidも古い用法で、近年は英語でも、「冥土喫茶」もとい「メイド喫茶」のような使い方がふつうです。昔の政治的にインコレクトな言葉でいうところの「女中」のことですな。辞書にも「《文》 娘, 少女 (girl); 《古》 未婚の女, 処女, おとめ」とあって、古い用法であることをこれでもかと強調しています。ああ、思いだしましたが、Iron Maidenという有名なメタル・バンドの名前はこちらのほうの用法です。「鉄の処女」なんて、あなた、そんな恐ろしいものは勘弁してください。あれに抱きつかれたら、ふつう、死にますよ。ハリネズミが裏返ったような拷問道具なんですから。

辞書には「Maid of Orleans」という言葉もあって、これは「Joan of Arc」すなわちジャンヌ・ダルクのことだと書いてあります。わたしはニューオーリンズの少女とはなんだろう、なんて思いました(ウソ)。ニューオーリンズは旧フランス領で、「新オルレアン」だったのですね。アレクサンドル・デュマのどれかの長編(『王妃の首飾り』?)に、新大陸からパリに戻ってきた人物が登場しますが、わたしはきっと「オルレアン」にいってきたにちがいないと思いました。

◆ スプーン、ネック、ペット ◆◆
彼の懊悩の内容がそのままコーラスになっています。

"Shine on, shine on harvest moon up in the sky
I ain't had no lovin' since January, February, June, or July
Snow time, ain't no time to stay outdoors and spoon
So shine on, shine on harvest moon for me and my gal"

「光り輝け、ハーヴェスト・ムーンよ、一月、二月、六月、七月からずっと恋人なしだったんだよ、雪の季節は外で愛し合うわけにはいかないんだから、光り輝け、ハーヴェスト・ムーンよ、ぼくと彼女のために」

「ain't had」にはちょっと恐れ入っちゃいますが、英語には、日本の学校で教えている堅苦しい表現とは異なる、「闇の大陸」が広がっているわけで、これくらいで考えこんでいると歌なんか聴いていられなくなるから、自動的に「have not had」に置き換えておしまいにします。

f0147840_3245648.jpg「spoon」も学校では教えてくれません。遠慮会釈のないリーダーズ英和辞典は「pet, neck」と同意語2連打でダメを押しています。この2語を見てもピンとこない方は、うしろに-ingをつけて、声に出して読めば納得されるでしょう。どうしてそういうことをspoonと表現するかというと、わたしの理解しているかぎりでは、男女が2本のスプーンを重ねたような状態になるからです。そんなことを歌、しかも一世紀前の歌でいっていいものか、なんて思いますが、わたしが生まれるはるか以前の異国でのことだから、いまさら文句のつけようもありません。

また、オリジナルの歌詞では2行目の月の列挙が異なっていたようで、古いものは「since April, January, June or July」と歌っています。時期を飛び越してAprilが先頭にあるのにはなにか意味があったのでしょうが、それがわからなくなって、後世のカヴァーでは、よりリーズナブルと思われる(やっぱり、思えませんかね)一月、二月、六月、七月に変化したのだと想像します。どなたか、この「数秘学」的問題に挑戦なさってみませんか? 意外な真実が隠されているかもしれませんよ。

ふと思います。果たして、月の光が必要なのでしょうか? まあ、女の子が家に帰ってしまっては話にならないので、彼女を安心させたい一心でしょうが、それにしても、どうも違和感があります。20世紀初頭の譜面を眺めていて、「Mister Moon Man, Turn Off The Light」という曲があるのに気づいたのですが、「お月さんよ、灯を消してくれないか」というほうが、恋人たちとしてはノーマルじゃないでしょうか。謎ですなあ。

◆ 延長戦 ◆◆
ニュー・ヴォードヴィル・バンド盤は、あとは間奏やら、コーラスの繰り返しやらだけで、もう新しい言葉は出てこないのですが、本来はヴァース、コーラス、ヴァース構成の歌で、ちゃんとセカンド・ヴァースがあります。うちにある戦後のものは、みなセカンド・ヴァースを略していて、またしても「品川心中」と同じ運命をたどった歌を見つけた、とニヤニヤしています。出来が悪い部分は、後代になると、削除されてしまうのですね。

この曲の発表直後のカヴァーと思われる、Miss Walton & Mister MacDonoughのヴァージョンでは、セカンド・ヴァースは以下のようになっています。

Can't see why a boy should sigh
When by his side is the girl he loves so true
All he has to say is
"Won't you be my bride for I love you
Why should I be telling you this secret
When I know that you can guess"
Harvest moon will smile, shine on all the while
If the little girl should answer "yes"

となりには心の底から愛する子がいるのに、なんだってこの男の子は嘆いているのか理解できない、「愛しているよ、結婚してくれないか、こんなこと、いわなくたって、わかっているだろう?」といえばいいだけじゃないか、彼女が「ええ」とこたえれば、ハーヴェスト・ムーンは微笑み、以後ずっと光り輝きつづけるだろう。

f0147840_3282853.jpgなんてえあたりで、見るからにボツです。「語り手」がしゃしゃり出てきて、「俺は理解できないねえ」なんていうんですから、聴くほうは目がハーヴェスト・ムーンになります。落語で、途中から突然「地噺」になって、噺家が客に語りかけたりしたら、すくなくとも昔気質の客はムッとなります。

小説でも、「ここで作者は読者に問いたい」なんてことを、大昔の作家は書いたものですが、昨今ではまず見かけません。たまにそういうくだりがあっても、それは意図的に古めかしさを粧ったものです。現代小説は、そのような表現を一掃してしまいました。

これでこのセカンド・ヴァースが、品川心中後編化した理由は満月に照らされたごとく明瞭でしょう。

◆ メガとマイクロ、どっちの音が大きい? ◆◆
f0147840_3474673.jpgニュー・ヴォードヴィル・バンドは、1966年のビルボード・チャート・トッパー、Winchester Cathedralだけが知られている、典型的な「ワン・ヒット・ワンダー」です。それも道理で、バンドとはいっていますが、実体はジェフ・スティーヴンズというソングライター(彼の作でもっとも有名なのはThere's a Kind of Hush)のスタジオ・プロジェクトにすぎず、彼以外はみなスタジオ・プレイヤーです(のちにプロコール・ハルムに入るデイヴ・ナイツがプレイしているということが、当時からいわれていたが、じっさい、音を聴いてもまさにハルムのベース)。

デンマーク・ストリート(イギリスのティン・パン・アリー。レイ・デイヴィーズがDenmark Streetというそのものズバリの曲を書いている。ランディー・ニューマンのVine Streetと好一対)にあるスティーヴンズのオフィスにかかっていたカレンダーに、ウィンチェスター聖堂の写真があって、そこからカテドラルの出てくる歌を書こうと思い、もともとヴォードヴィル時代の音楽が好きだったので、そういう曲を書いたのだそうです。

f0147840_349564.jpgスティーヴンズは結局、自分で歌うことにしたのですが、この曲をお聴きになった方ならお気づきのように、彼はメガフォンを通して歌っています。ヴォードヴィル時代、マイクロフォンのかわりにメガフォンを使っていた(スウィング時代にも、一部ではそういうことをしていたらしい)ことを踏襲し、古い時代の雰囲気を再現しようとしたわけです。たぶん、これがこの曲の成功に結びついたのでしょう(ここでオールド・タイマーは、デイヴィッド・マクウィリアムズの「パーリー・スペンサーの日々」The Days of Pearly Spencerを連想するわけですな。モンキーズもなにかの曲で使っていたような記憶あり。Tapioca Tundra?)。

このShine on Harvest Moonはまさにヴォードヴィル時代の曲なので、スティーヴンズのお気に入りだったのでしょう。ここでもやはりWinchester Cathedralと同じように、スティーヴンズはメガフォンを使って歌っています。『モンティ・パイソン』に「女装もの」といでもいうべきコントがよく出てきましたが、スティーヴンズは、maidのセリフのところを、あんな感じで歌っていて(レイ・デイヴィーズもHoliday Romanceで同じことをしている)、なかなかの役者ぶりです。もともと出たがりだから、自分で歌ったのでしょうが、たしかに、素人にしては上出来のパフォーマンスです。

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The New Vaudeville Band。といっても、たぶん、フォト・セッションのみのメンバーでしょう。この写真はウェブでは見つけられず、わが家にある本のノドを割ってスキャンしました。お持ち帰り用に(アルファベット表記にしたのは、海外のお客さんにも画像検索で見つけられるようにするための深謀遠慮)、当ブログにしては高画質かつ大きなサイズにしましたので、ご用の方はどうぞご自由にご自分のところでお使いください。どちらにしても、わたしが撮った写真じゃないんですけれどね!


◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_434237.jpg戦後のものとしては、ほかにリオン・レッドボーン盤が比較的人口に膾炙しているようです。ライ・クーダーとトム・ウェイツが合体したような雰囲気ではじまり、コーラス、ストリングス、バンジョー、アコーディオンなどが加わってきますが、全体にグッド・タイム・フィーリングにあふれたヴァージョンで、この曲はこうやるしかないだろう、と感じます。彼の歌は好みが分かれるところでしょうけれど。

f0147840_444232.jpgカーメン・キャヴァレロ盤は、さすがに工夫が凝らされています。ミディアム・テンポではじまり、セカンド・ヴァースでベースだけが倍テンポに変化し、さらにほんとうのテンポ・チェンジで高速化し、またスロウ・ダウンするという構成で、これぞインスト盤のアレンジのお手本。フルアコースティックのジャズ・ギターをアンプラグドして、コードを弾く昔風のやり方は好きなので、それだけでも及第点です。

f0147840_453547.jpgチェット・アトキンズといえば、グレッチのギターということになっていますが、この曲はどう聴いてもグレッチではありません。これが話にきく、ロス・インディオス・タバハラスと同じリゾネイター・ギターの音でしょうか。

アトキンズがうまいことは、いまさらいうまでもありません。キムラセンセのいう「どう聴いてもひとりの人間が弾いているようには思えない」ハイ・テクニックは、この曲では登場しませんし、明らかにリズム・ギターがべつにひとりいますが、それでも、うまいものはうまいのであって、ただただ呆然と聴くだけであります。

なんだか、当ブログにはむやみに登場するテン・タフ・ギターズですが、何枚ももっているわけではなく、一枚しかないアルバムに、これまでに取り上げたスタンダード曲がちゃんと入っているという、ウルトラ高打率なのにすぎません。この曲は、ちょっとテンポが速すぎて、どんなもんでしょうねえ、です。途中から入ってくる混声コーラスもものすごい早口。ドラムはこのテンポでも、遅れず、走らず、突っ込まず、やはりゲーリー・チェスターでしょうか。

◆ 古い盤、昔の雰囲気を再現した盤、わけのわからない盤 ◆◆
わが家にあるもっとも古いものは、セカンド・ヴァースのところでふれたMiss Walton & Mister MacDonough盤ですが、これは「もっている」わけではなく、某所で配布しているもの(いうまでもなく、SPから起こしたもの)を拾ってきたにすぎません。ヴォードヴィル時代の音楽を聴くチャンスなどあまりないものですから、「勉強させていただきました」です。

It's Only a Paper Moonのところでもふれたメアリー・アン・マコールという女性歌手のヴァージョンは、いったいなんだろうねえ、これは、というアレンジです。なにか不気味な曲がはじまりそうなイントロですし、全体を通して、不協和音の混じる変なストリングスがずっと鳴っていて、わけがわかりません。こういうアレンジにしたからといって、突然、この歌詞の隠れた意味が浮かび上がってくる、なんてこともないと思うのですが。

f0147840_485450.jpgスティーヴン・エイロンというギタリストのオフィシャル・サイトで試聴できる、この人とジョーネル・エイロン(奥さんでしょうか。べつのところに小学校で歌を教えていると書かれていました)のデュエット盤は、90年代の録音だそうですが、なんとも折り目正しいヴァージョンで、なかなか面白く感じました。なんだか、唱歌を聴いているような気がしてきます。

古い曲というのは、いろいろなヴァージョンがあって、面白いというか、疲れるというか、ほかのヴァージョンが聴けなかったのはむしろ幸いか、なんて罰当たりなことをいいたくなります。

◆ さて、ソングライターの素性は…… ◆◆
f0147840_4115671.jpgこの曲はまたしてもブロードウェイの芝居に起源をもつもので、ブロードウェイとポピュラー音楽がいかに深く結びついているかのさらなる証左となっています。しかも、その芝居はかの『ジーグフェルド・フォリーズ』なのですから、オッと、でした。だとすると、ひょっとしたら、この曲は戦前の日本でも歌われていたのではないでしょうか(調べが行き届かず、申し訳ありません)。

作者のジャック・ノーワースとノラ・ベイズは夫婦だったそうで、ソングライターというより、どちらかというとパフォーマーとして活躍したといっている資料があります。この曲も、彼ら自身がブロードウェイ版の『ジーグフェルド・フォリーズ』で歌ったのが初演だそうです。

f0147840_4135525.jpgジャック・ノーワースの履歴を読んでいて、アッといってしまいました。彼はTake Me Out to the Ball Gameの作者なのです。こりゃまた恐れ入谷の鬼子母神。「第二のアメリカ国歌」をつくった人の曲とはつゆ知りませんでした。こういう面倒なことになるのなら、この曲は取り上げなかったのに、なんて、また罰当たりが口をつきそうになります。

古い曲はこういうことがあるから厄介、もとい、興味深いですねえ。今後は、できるだけ、60年代以降につくられた「ふつうの曲」をやろうな>俺、とまた罰当たりをつぶやくのでした。
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by songsf4s | 2007-09-26 23:55 | Harvest Moonの歌
Harvest Moon by Neil Young
タイトル
Harvest Moon
アーティスト
Neil Young
ライター
Neil Young
収録アルバム
Harvest Moon
リリース年
1992年
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月齢としては完全に満ちてはいないようですが、四捨五入で今夜は中秋の名月、日付変更線の向こうでは明日がハーヴェスト・ムーン、すなわち収穫月にあたるようです。

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満月の歌と思われるものはほかにもあるのですが、ハーヴェスト・ムーンにちなんだ月の歌特集なので、いくぶんかは義理を感じるため、今夜はニール・ヤングの1992年のアルバム(録音は前年)、Harvest Moonのタイトル・トラックを取り上げます。当ブログに登場した曲のなかでもっとも新しいものだと思いますが、まったく違和感のないサウンドです。それには理由があるのですが、サウンドのことはあとまわしにして、歌詞を見ていきます。

◆ 糟糠の妻への愛? ◆◆
では、ファースト・ヴァースから、といいたいところですが、なんだか構成がよくわかりません。こりゃダメだと思い、ギターを持ち出してコードをとったのですが、やっぱり構成不可解。ほら、ニール・ヤングって、メロディー・ラインがあまり変化しないまま、歌詞だけがぞろぞろとつづく、トーキング・ブルースのような長い曲をよく書いていたじゃないですか。あのパターンに近いんです。

よって、コーラスのようなものが出てきて、一周したと感じるところまで、まとめて見ることにします。

Come a little bit closer
Hear what I have to say
Just like children sleepin'
We could dream this night away

But there's a full moon risin'
Let's go dancin' in the light
We know where the music's playin'
Let's go out and feel the night

Because I'm still in love with you
I want to see you dance again
Because I'm still in love with you
On this harvest moon

逐語的にはみるのはやめにして、ざっといきます。今夜は満月だから、このまま眠らずに、外に出て踊ろう、まだきみに恋しているから、きみが踊るのをまた見てみたい、このハーヴェスト・ムーンの夜に、てなことをいっています。

なんとなく、恋人ではなく、妻に語りかけているような雰囲気を感じるのですが、どんなものでしょう。もうひとつ、満月の夜、人は月の影響でおかしなことをする、という考え方があり、それが前提なのかと思います。ふだんはしないことをしてみたくなるわけです。

ちなみ、そういうことを科学的に研究した暇な人もいるようですが、月の満ち欠け(ないしは潮の干満)と重大事故発生率のあいだに関連性は見いだせなかったとか。男と女の「事故」はどうでしょうかね? シェールの『月の輝く夜に』なんて映画を思いだします。

We know where the music’s playin'というラインは、ハーヴェスト・ムーン・ボール、つまり収穫のお祝いのダンス会場のことを指しているのでしょう。

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Feel the night、夜を感じる、という表現は、なんとなく好ましいものに感じます。

◆ 月が欠ける前に ◆◆
つぎは、第2ブロックと感じる三つの連。これですべてです。

When we were strangers
I watched you from afar
When we were lovers
I loved you with all my heart

But now it's gettin' late
And the moon is climbin' high
I want to celebrate
See it shinin' in your eye

Because I'm still in love with you
I want to see you dance again
Because I'm still in love with you
On this harvest moon

f0147840_037931.jpg最初の二つの連は「ぼくらが他人だったころは、遠くからきみを見ていた、恋人だったときは全身全霊できみを愛した、でも、もう夜は闌け、月も高くなったから、きみの瞳に月が輝くのを見て祝いたい」といったあたりで、三連目は第一ブロックと同じです。

やはり、もう若くない夫婦なのでしょう。But now it's gettin' lateというラインは、時刻のことをいいながら、二人の人生のこともいっているように感じます。月も満ちれば欠けるが道理で、なんとなく「最後の満月」のようなニュアンスすら感じます。

f0147840_0382181.jpg日本語でも、月(の太陽光を反射する明るい部分)が細っていくのを、「欠ける」というネガティヴな言葉で表現しますが、英語で月が欠けることをいう動詞「wane」も、弱るだの、衰えるだの、消滅するだのと、ネガティヴな意味のスペクトルしかもたない単語です。月と狂気を結びつける考え方の淵源は、あの不思議な光にあるのでしょうが、衰弱の予感もまた、その結びつきを強めたのではないか、などと、ふと思いました。

ニール・ヤングは1945年の生まれだそうですから、この曲が91年の作だとすると、46歳のときに書いたことになりますが、中年らしい歌詞だと感じます。いや、こういう歌詞に共感するのもまた中高年でしょうけれど!

◆ 70年代サウンドの再現 ◆◆
f0147840_0392690.jpgこのHarvest Moonというタイトルから、だれもが、Heart of Goldが収録された、ニール・ヤングの代表作Harvestを連想します。じっさい、リプリーズはそのつもりで売り込んだようですが、ヤング自身は、Harvestの続篇としてつくったわけではないといっています。じっさい、歌詞を見るかぎりでは直接のつながりは感じませんが、しかし、サウンドは別です。それは、以下のパーソネルを見るだけでおわかりでしょう。

Neil Young & The Stray Gators:
Neil Young: guitar, banjo-guitar, piano, pump organ, vibes, vocal
Ben Keith: pedal steel guitar, dobro, bass marimba, vocal
Kenny Buttrey: drums
Tim Drummond: bass, marimba, broom
Spooner Oldham: piano, pump organ, keyboards

Harvestに参加した「ストレイ・ゲイターズ」のうち、Harvest Moonに参加していないのは、ジャック・ニーチーとジョン・ハリス(1曲のみ)だけです。ニーチーは91年にはもう亡くなっていたんでしたっけ? 特別な理由がないかぎり、ニーチーも参加しただろうと思われます。

ドラムとベースが同じだということは、わたしの論理では、同じバンドだということであり、同じサウンドがつくれることになります。じっさい、お聴きになれば、どなたも70年代の録音だと思うにちがいありません。80年代以降の不自然な低音の強さがまったくないのです。ビートルズのFree As a Birdが、かつてと同じドラムとベース、それにエンジニアがそろったために、後期ビートルズのサウンドをそのまま再現できたのと同じことです。

f0147840_040361.jpg70年代後半以降のニール・ヤングはあまり聴いたことがなく、唯一、スティルズ=ヤング・バンドだけはかなり気に入っていましたが、そのLong May You RunにMidnight on the Bayという叙情的な曲がありました。Harvest MoonはMidnight on the Bayの系列に属す曲で、わたしのように、昔は聴いていたのに、パンクに傾斜したあたりから彼を聴かなくなった人にはおすすめできるアルバムです。

最後に、ニール・ヤングは月に取り憑かれているのかもしれない、といって、歌詞に月が出てくるニール・ヤングの曲を調べあげたという奇特な人を見つけたので、よろしかったら、このページをご覧ください。After the Goldrush、Cinnamon Girl、Helplessなどのおなじみの曲をはじめ、24曲が取り上げられています。たしかに、取り憑かれているのかもしれません。

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by songsf4s | 2007-09-25 23:52 | Harvest Moonの歌
It's Only a Paper Moon by Nat 'King' Cole
タイトル
It's Only a Paper Moon
アーティスト
Nat 'King' Cole
ライター
music by Harold Arlen, lyrics by E.Y. Harburg and Billy Rose
収録アルバム
After Midnight
リリース年
1933年(初演、ナット・コール盤は1956年)
他のヴァージョン
Frank Sinatra, Harry Nilsson, Ella Fitzgerald, Lionel Hampton, Dottie Reid, Eddie Heywood, Marvin Gaye, Art Blakey & the Jazz Messengers
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本日は、月の歌となれば、やらないわけにはいかないだろうというスタンダードです。山ほどヴァージョンがあって、どれを看板に立てるか迷うところですが、ヒット・ヴァージョンでもあるし、好きなシンガーでもあるし、いままでに取り上げたことのない人ということで、ナット・“キング”・コールにしました。

◆ 芝居の背景か遊園地の景物か ◆◆
さっそく歌詞を見ていきますが、背景がわからないと設定がわからないという仕組みでして、適宜、脇道に逸れることになりますので、そのあたり、よろしく。

ヴァージョンによる歌詞の異同がありますし、ナット・コール盤は少数派に属すようですが、いちおう彼のヴァージョンに依拠します。いや、ナット・コール盤といっても時期の異なるヴァージョンがあって、ちょっとやっかいなのですが。とにかく、ファースト・ヴァース。

It's only a paper moon
Hanging over a cardboard sea
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

「これはボール紙に描いた海の上に浮かぶ、紙の月にすぎないけれど、もしもきみがぼくのことを信じてくれたら、これは本物になるんだよ」

ちょい意訳が入りましたが、まあ、こんなあたりでしょう。

なによりもまず、「紙の月」とはなにか、というのが問題です。この曲には、演劇用語が登場するので、単純に、紙でできた芝居の背景の月と考えておけば、とりあえずいいだろうと思います。そういう前提で解釈して、問題が起きるわけではありません。しかし、ちょっとべつの想像もします。

最近はあまり見ませんが、わたしが子どものころは、観光地に行くと、たとえば、三度笠に振り分け荷物、九寸五分の長脇差という旅人(つまり博徒)の絵と、そのとなりには道中杖に手っ甲脚絆すがたの女性の絵、なんてえものをベニヤ板に描いたものがおいてありました。二人の顔のところには穴が開いていて、そこから顔をのぞかせて記念写真を撮る、という馬鹿馬鹿しい代物です。

紙の月とは、どうやらそういうもののことも指したのだと思われます。それは、つぎのような写真がたくさん残されていることからうかがわれます。

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この歌のおおもとをたどっていくと、ベン・ヘクト(乱歩編のアンソロジーでヘクトのミステリー短編を読んだ方もいらっしゃるでしょう)とジーン・ファウラー作のThe Great Magooというブロードウェイの芝居の挿入曲として書かれたそうです。この芝居はコーニー・アイランド遊園地で働く人間を題材にしたものだそうで、想像するに、アメリカの遊園地には、この写真撮影用の「紙の月」があったのではないでしょうか。だから、記念写真が山ほど残されているのだと思います。

f0147840_054228.jpgそこまで考えると、単純に芝居の背景の紙でできた月というところから一歩踏み込んで、劇中のコーニー・アイランド遊園地には「紙の月」があり、その前で女の子に語りかけるといったシーンで歌われたものではないか、などというところまで入りこんでいきます。

まあ、どちらに考えても、歌の意味が変わるわけではありません。この月は紙に描いた偽物にすぎないけれど、ぼくのことを信じてくれれば、これは「ごっこ」(make-believe)ではなくなる、つまり、本物になるんだよ、といっているわけです。1933年、日本でいえば昭和8年、東京中が毎晩「東京音頭」を踊り狂った年の作品ですから、たわいのない設定は、突っ込みの対象ではなく、味わうべき対象です。

◆ sailする空と月 ◆◆
セカンド・ヴァース。

It is only a canvas sky
Sailing over a muslin tree
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

「モスリン地の木の上に浮かぶ、ただのキャンヴァスに描いた空にすぎないけれど、きみがぼくのことを信じてくれれば、本物になるんだよ」

f0147840_0572342.jpgファースト・ヴァースと同工異曲で、月を空に置き換えただけのことです。最近はあまりいわないようですが、モスリンは織物の名称です。布を切ってつくった木の押し絵のようなものをいっているのでしょう。

空がsailするのはすこし奇妙に感じますが、辞書には「The moon was sailing high」という用法が載っています。雲もsailというとあります。空も月も雲も静止しているというより、浮動している感じがするわけで、それを反映した表現なのでしょう。ヴァージョンによって、sailはファースト・ヴァースの月に使い、セカンド・ヴァースの空にはhangを使っているものもあります。

◆ ホンキートンク・パレードとペニー・アーケイド ◆◆
つぎはブリッジ。

Without your love
It's a honky-tonk parade
Without your love
It's a melody played in a penny arcade

ここがいちばん引っかかった箇所です。honky-tonk paradeというのは、どうやら演劇用語で、出来の悪い芝居を意味するようです。honky-tonkの本来の意味は南部の安酒場のことですから、そういう場所での出し物のようだ、というので、騒々しいばかりで内容のない芝居をhonky-tonk paradeと皮肉ったのだろうと想像するのですが(小さな芝居一座が西部をまわって、酒場で芝居をやるというシーンをなにかの映画で見た記憶があることを付け加えておきます)、これは当たるも八卦当たらぬも八卦のたぐいですので、あまり信用なさらないように。

f0147840_122221.jpgpenny arcadeというのは、当今のゲームセンターのようなものですが、昔は、コインを入れると短い映画を写す機械(いわゆる「ニッケル・オデオン」または「ニケロディオン」。大きなスクリーンに映写するわけではなく、双眼鏡のような形のものから小型テレビのようなものを覗きこむ仕組みなので、ひとりしか見られない)もおかれていたようで、わたしは、そういう映画の音質の悪い音楽のことを思い浮かべました。大昔のことですが、近所のデパートの屋上で、そういう機械で短編漫画映画を見たことがあるんです。日本にもそういうものがあったと証言しておきます。

したがって意味としては「きみの愛がなければ、この世はまるで出来の悪い芝居、きみの愛がなければ、この世はまるでペニーアーケードに流れる音楽のようなもの」というあたりで、愛がなければ意味がない、ということをいいたいわけです。

◆ 人生は安手のサーカス ◆◆
つづいてサードにして最後のヴァース。

It's a Barnum and Bailey world
Just as phony as it can be
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

またしても辞書が頼りのラインが登場です。リーダーズ英和辞典には、つぎのような記述があります。

バーナム P(hineas) T(aylor) ~ (1810-91) 《米国の興行師・サーカス王; James A(nthony) Bailey (1847-1906) と共に Barnum & Bailey Circus を成功させた》

文脈から考えて、バーナムとベイリーのものはとくに質のよいサーカスではなかったのでしょう。「この世はまるでバーナムとベイリーのサーカスみたいなひどい偽物さ、でも、きみがぼくを信じてくれるなら、本物になるんだよ」といった意味になります。

f0147840_135225.jpgここまで触れずにきましたが、believe inというのは、わたしが子どものころには、「(存在、実在などを)信じる」という意味であって、「きみのいうことを信用しよう」といいたいのなら、I believe youといわなければいけない、I believe in youでは意味が変わってしまうと教わりました。ラヴィン・スプーンフルのDo You Believe in Magicのような用法が正しいということです。

しかし、この曲が書かれたころには、たぶん、用法のそのような明快な分化はおこなわれていなかったのではないでしょうか。日本語でも戦前と現今では意味、用法が変わった言葉や句はたくさんあります。人によってはif you believe to meと歌っているのは、believe inの現代的な意味との衝突を嫌った結果なのだろうと思います。もっとも、日本の教育現場では、believe to meという言いまわしも、教えていないのではないかと思います。あまり見かけない用法です。

◆ またしてもシナトラ=リドル ◆◆
さて、ここからは各種ヴァージョンの検討ですが、いやもう、こんなに往生した曲はありません。なんといっても、スタンダードなので、ジャズのほうのヴァージョンが多いのにへこたれました。ジャズというのは、わたしの理解するところでは、すくなくとも戦後のものは、インプロヴにプライオリティーをおく音楽です。したがって、楽曲はインプロヴのためのヴィークルにすぎず、途中からは、メロディーは意味を失い、コード進行だけを借りるという状態になるわけですよね。そんな状態で、ヴァージョンの聴き比べなどやっても、あまり意味がないように思えるのです。

でもまあ、そういっては身も蓋もないので、とりあえず、ヴォーカルものだけでも見ていきましょう。

f0147840_19041.jpgなんといっても、わたしの好みはフランク・シナトラ盤です。あやしい編集盤でもっているだけなので、出所不明なのが困りものです。シナトラは何度かこの曲を録音しているようですが、わたしがもっているものは1940年代の音ではありえないので、1960年のSinatra's Swingin' Session!!!収録のヴァージョンと思われます。

これはキャピトルでの最後の盤で、アレンジャーはネルソン・リドルです。じっさい、ものすごい管のアレンジとサウンドで、リドルにちがいないと感じます。いまディスコグラフィーで確認したのですが、どうやら、わたしがもっている編集盤は、このLPのトラックを全曲収録しているらしく、いま、ひととおり聴き直しましたが、充実のアレンジ、卓越したプレイ、圧倒的なサウンドで、たとえヴォーカルがシナトラでなくても、十分に楽しめる出来です。

◆ 決定的な時期に録音されたマーヴィン・ゲイ盤 ◆◆
つぎは、あまり賛成が得られないでしょうが、マーヴィン・ゲイ盤が気に入っています。いや、1963年のものですから、ゲイの歌はまだ若くて、味わいのあるものではありません。でも、ドラムが好みなんです。正確さと強さを兼備したこのプレイヤーは、アール・パーマー以外に考えられません。いいプレイです。

f0147840_111551.jpgデトロイト派にはご異存がおありでしょうが、キャロル・ケイが参加する以前から、モータウンはハリウッドで録音していたという証拠がまさに、この1963年のA Tribute to the Great Nat King Coleというマーヴィン・ゲイのアルバムだと感じます。こんな音がデトロイトでつくれるのなら、はじめからモータウンはハリウッドのプレイヤーを必要としなかったでしょう。これがハリウッドでないなら、モータウンのハリウッド録音などゼロなのだという意見に賛成してもいいくらいに、ガチガチのハリウッド・サウンドです。モータウンLA問題にご興味がおありの方はぜひ聴いておくべき盤だと確信します。

つぎはエラ・フィッツジェラルド盤ですが、これまた編集盤収録で、録音時期がわかりません。しかし、ヒット曲集に収録されているので、ヒット・ヴァージョンではないかと感じます。声がすごく若くて、ミディアム・テンポで、力まずに歌っているところが好ましく感じます。こんなにいい感じに歌っていた人が、後年、なんであんなにイヤッったらしく「歌いまわす」ようになったのか、不思議というしかありません。年をとってからのエラは、わたしがもっとも嫌悪するタイプのシンガーです。「まわすな、こねるな、素直にやれ」とくり返しておきます。うろがまわって、歌い方を忘れたのでしょう。年はとりたくないものです。

ニルソン盤は、アウトテイクを没後にリリースしたもので、評価の対象外です。ものすごくスロウにやっていて、あの盤の他の曲と色合いを一致させています。ただ、歌詞の内容から考えて、軽く歌うべき曲のように思われるので、オリジナルLPへの収録が見送られ、ニルソンが生きているあいだはリリースされなかったのは当然だと感じます。

f0147840_1204420.jpg映画『ファニー・レイディー』のなかで歌われた、ジェイムズ・カーンのヴァージョンもあります。カーンは意外にいい声をしていて、しかも素直に歌っていて、拾いものでした。

わたしはジャズ・ファンではないので、よく知らない人のものもあります。調べれば簡単にわかるのでしょうが、時間がないので省略します。わが家にはドティー・リードという女性歌手のヴァージョンがあります。エラより速く、シナトラに近いテンポですが、バックのプレイも合わせて、なかなか心地よい出来です。可愛らしい声で、ちょっと気になるシンガーです。声のよさには、どんなテクニックもかなわないのだ、とまた思うのでした。

メアリー・アン・マコールという人は、歌い方が嫌いなタイプなので、気に入りませんでした。くどいのはダメ。

◆ 楽曲不要の自己至上主義プレイ ◆◆
さて、インスト盤ですが、いわゆる「インスト」はゼロで、ジャズ・プレイヤーのものばかりです。ちょっと退屈しましたが、いちおう、名前だけ並べておきます。チャーリー・パーカー、ライオネル・ハンプトン、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、エディー・ヘイウッド。

f0147840_1231749.jpgそんな風にプレイするなら、楽曲なんか選ぶ必要ないじゃんか、適当にコードを並べればいいだけだろ、メロディーさえつかわなければ、著作権使用料を払う必要もないのに、バッカみたい、でした。彼らは自分たちのためにプレイしているのであって、ギター・インスト・バンドのように、リスナーやオーディエンスのためにプレイしているわけではないということなのでしょう。

唯一、エディー・ヘイウッドという人のものだけは、きちんとアレンジされ、ダンサブル(といっても、現在のダンスじゃ毛頭ござんせんがね)かつリスナブルな出来で、エンターテインしてくれています。
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by songsf4s | 2007-09-24 23:51 | Harvest Moonの歌
It Might As Well Rain Until September by Peggy Lipton
タイトル
It Might As Well Rain Until September
アーティスト
Peggy Lipton
ライター
Gerry Goffin, Carol King
収録アルバム
Peggy Lipton
リリース年度
1969年(possibly)
他のヴァージョン
Carol King, Bobby Vee
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Moon RiverやBlue Moon以外にも、月の曲にはいくつかヘヴィー級のものがあって、当然、その準備をしているのですが、なかなか進まず、ブライアン・ウィルソンが、スケデュールをこなすために、Party!やらライヴ盤やらをつなぎにしたのを真似しなければならない事態に追い込まれています。

本日は、月の曲ではなく、これまでに取り上げた曲の、あとから入手したヴァージョンをご紹介するという窮余の一策、その場しのぎ、「Party!」というところです。

◆ 大人の夏休み? ◆◆
f0147840_2335621.jpg看板に立てたのは、ペギー・リプトンのIt Might As Well Rain Until Septemberです。ペギー・リプトンといっても、シンガーではないので、ご存知ない方が大部分でしょうが、近年では「ツイン・ピークス」に出演していた女優で、このドラマで復帰する以前、まだデビューまもない二十歳のときに一枚だけアルバムをリリースしていまして(もう一枚あるといっているところがあるが、裏をとれず)、そのなかの一曲です。

f0147840_2337434.jpgわれわれの世代の場合、ペギー・リプトンは「ツイン・ピークス」の脇役ではなく、「モッズ特捜隊」の主役として記憶しています。これはサンフランシスコを舞台にした潜入捜査もので、元ヒッピーの3人の捜査官のひとりがペギー・リプトンでした。そういう設定からわかるように、サイケデリックの時代を反映したドラマだったわけで、それでわたしも見ちゃったりしたのです。

このアルバムの存在は、当時は知らず、あとになって、ハル・ブレインのことを調べていてぶつかり、ウィッシュ・リストに入れておいたもので、やあやあやあ、盲亀の浮木、優曇華の花、ここで会ったが百年目、てえんで、敵討ちみたいになって手に入れたものです。

こういう盤の場合、出来を云々するのはエチケット違反ですが、でも、彼女のファンなら十分に満足する程度の出来にはなっています。ピッチは揺れますが、ド下手のキャロル・キングよりはずっとマシですし、ムードももっています。ちょっと声にかわいげがないのがぜんぜん売れなかった理由でしょう。再発の見込みは薄いでしょうが、ドブのゴミまで浚っている時代ですから、そろそろ順番がまわってこないともかぎりません。

f0147840_23403771.jpgペギー・リプトン盤It Might As Well Rain Until Septemberのアレンジは、キング盤よりテンポを落とし、ほんの数歳ですが、ターゲット層があがったような雰囲気があります。じっさい、上げすぎで、もう学校なんか卒業しちゃって、九月まで夏休みなんてことはないだろ、みたいな雰囲気です。デモに毛が生えたようなキャロル・キング盤とはまったくちがう、弦、女声コーラス、テナー・サックスもあるフル・プロダクションで、60年代終わりのハリウッドだから、録音もスケール感があって、なかなか好みのサウンドです。

◆ パーソネル ◆◆
盤にはいちおうパーソネルがありますが、名前だけで、パートがないので、以下に補ったものを。大文字を使ったものは元からのクレジット、小文字はこちらで補ったものです。

Peggy Lipton - eponymous titled album credits
Lou Adler: Producer
Marty Paich: Arranger
Armin Steiner: Engineer
Eirik Wangberg: Engineer
The Blossoms: Vocals (Background)
Hal Blaine: Director
Louis Morell: guitar
Joe Osborne: bass
Mike Deasy Sr.: guitar
Gary Coleman: percussion (also possibly vibraphone)
Jimmie Gordon: drums? woodwinds?
Jim Horn: Flute, Saxophone
Larry Knechtel: keyboards
Charles Larkey: upright bass
Carole King: piano?

ルー・アドラーのセッションだから、彼とのコネでやってきたと思われるチャールズ・ラーキーとキャロル・キング以外は、みな実績十分の一流プレイヤーばかりです。

ハル・ブレインのダイレクターという肩書きは妙ですが、セッション・リーダーという意味でしょう。音から判断するかぎり、ドラムもプレイしています(オクトプラス・セットのタムが派手に鳴り響いているトラックあり。It Might As Well Rain Until Septemberはまちがいなくハル)。ドラマーとしての料金とリーダーとしての料金の両方をとったにちがいありません。この時期はダブル・スケールでしょうから、いちばん安いプレイヤーの3倍またはそれ以上のギャラで、「おいしい仕事」というやつです。

f0147840_23421956.jpgジム・ゴードンはドラマーと木管プレイヤーがいます。いかにもジム・ゴードンというドラミングはざっと聴いたかぎりでは見あたらないので、木管プレイヤーのほうかもしれません。

アーミン・スタイナーは、モータウンLAのエンジニアです。彼の自宅でもあったTTGスタジオが、モータウン・サウンドをつくった、なんていうと、デトロイト=ファンク・ブラザーズ信者の憤激を買うかもしれませんが、悪質なプロパガンダ映画がつくられたりしたために、天秤はアンフェアに傾きつつあるので、ハリウッド側に0.1グラムばかり錘を載せておきます。

◆ 九月に九月を思いだせといわれても…… ◆◆
f0147840_2347421.jpgこんなことを書くのはなんですが、もはや中学生ではないので、アイドルにうつつを抜かすなんてことはできなくて、じつは、ペギー・リプトンより、サウンドのほうを聴いてしまいます。彼女の歌は、悪くもありませんが、惚れるようなものでもありません。女優の余技にすぎない、というのが年寄りの正直な感想です。

前科たび重なるソフトロック方面では、またしても「名盤」などという声も上がっているようですが、毎度毎度、十年一日のごとくの「幻の名盤」、すなわち、それだけの立派な理由があって、ぜんぜん売れなかった盤の美称を懲りもせずに唱えているだけでしょう。同じ歌ばかりうたっていて、よく飽きないものです。名盤でもなければ、傑作でもなく、佳作ですらありません。埋もれるべくして埋もれた盤です。

f0147840_23491388.jpgなお、彼女は全11曲のうち、4曲を自分で書いています(他はローラ・ニーロ、キャロル・キングなどのカヴァー。リプトン盤Stoney Endは、ニーロ盤ほどよくはないが、ストライサンド盤より好ましい。ストライサンドは嫌いだといいたいだけだが)。とくにいいと思った曲はありませんが、後年、シナトラが歌ったLA Is My Ladyのソングライター・クレジットには、彼女の名前もあります。エルヴィスとデイトした余勢を駆って、シナトラもたらし込んだわけではなく、彼女はクウィンシー・ジョーンズ夫人だったので、旦那との共作なのです。

It Might As Well Rain Until Septemberも、タイトルは九月なのに、曲のなかの「現在」は七月ごろで、See You in Septemberと同じです。タイトルに九月があるものでもっとも有名なのはSeptember Songでしょうが、これも季節を歌ったものではありませんし、曲中の「現在」は「人生の冬」と解釈できます。September in the Rainも有名ですが、曲中の「現在」は不明です。

Try to remember the kind of September, then followと歌うTry to Rememberも、九月を思い起こせ、といっているのだから、曲中の「現在」は九月以外のいずれかの月ということになります。冬の歌でしょうかね。サミー・カーンとジミー・ヴァン・ヒューゼンのSeptember of My Yearsも、季節そのものをいっているわけではなく、人生のそれぞれの時期を季節にたとえた歌です。アース・ウィンド&ファイアのベスト盤(こういうものを買ったのは、トップ40蒐集の一環にすぎません。なんでも「いちおう押さえる」のです)に、Septemberという曲が入っていますが、守備範囲外。頭のほうをチラッと聴いたら、いきなりRememberといっていたので、これも九月の歌ではないでしょう。

で、結局、純粋な九月の歌はない、なんて馬鹿馬鹿しい結論になりそうです。どなたか、これぞ九月の歌というのをご存知でしょうか? ファンク、ラップ、パンク、メタル、その他、同類のノイジーなのは対象外です。なろうことなら、サミー・カーン、ジョニー・マーサー、ジェリー・ゴーフィン、キース・リード、レイ・デイヴィーズといったハイ・レベルの作詞家が好ましいのですが。

◆ さまざまな珊瑚礁のむこう側 ◆◆
まだ他のヴァージョンを入手できたものがあります。まずは、Beyond the Reef。

f0147840_2350462.jpgこの曲のインスト盤を並べたときに、検索に引っかかったのに、書き落としてしまったのがマーティン・デニー盤です。ヴァイブラフォーンでくるだろうという予想を裏切って、デニーのピアノ、それも加工したプリペアード・ピアノかなにかがリード楽器です。まあ、だれが考えてもマーティン・デニー向きの曲ですから、当然、アヴェレージ以上の出来です。冒頭に霧笛のSEを入れてくるところが、デニーらしいと感じます。この曲では鳥の啼き声というわけにはいかないですよね。

f0147840_23514348.jpgマーティン・デニーのものとしては、アルバムBaked Alaskaに収録された、歌ありライヴ・ヴァージョンもあります。アンカレジの空軍基地でのライヴだそうで、それでBaked Alaskaというタイトルになったようです。ベイクト・アラスカとはメレンゲを使ったデザートのことだそうですが、西洋の菓子は好まないので、未経験。ときおり、ヴォイス・コントロールがちがうと思う箇所はありますが、なかなかいい声をしたシンガーです。

f0147840_23542394.jpgデニーのライヴァル、アーサー・ライマンのBeyond the Reefは、3種類も見つかりました。ライヴ×1,スタジオ×2で、スタジオのひとつは録音が悪く、聴く気になりませんが、もうひとつのHawaiian Sunset 2収録のものはなかなかけっこうな出来です。

アルバムBahia収録ヴァージョンでは、エレクトリック・ヴァイオリンかと思ってしまう妙な音が聞こえます。極端にトレブルをきかせたスティール・ギターなのだと思います。こういう風に、この音はなんだろうと思わせることは、昔は重要なことでした。これも冒頭に霧笛あり。去っていく恋人をたったいま港で送ったところ、という思い入れなのでしょう。

f0147840_23581113.jpgVintage Hawaiian Treasures Vol.1という編集盤に収録されていた、Lei Momi with the 49th State Hawaiians、「レイ・モミと49番目州ハワイ人たち」のヴァージョンは、長い時をくぐって現代にふたたび出現しただけあって、なかなかよろしい出来です。とくにレイ・モミという人のヴォーカルが印象的。これを聴いて、ナンシー梅木にも歌ってもらいたかった曲だなあ、と思いました。

先日、Moon of Manakoora by Dorothy Lamourで取り上げたばかりのロス・インディオス・タバハラスのSong of the Islandsというアルバムには、Beyond the Reefも収録されています。mstsswtrさんが、この記事のコメントで弦の種類について書かれていますが、なるほど、そこに意識を集中して聴くと、迷路に入りこみます。あるときはスティール弦に聞こえ、ある時はナイロン弦に聞こえ、助けてえ、です。リゾネイター・ギターの特性のほうが、弦の違いに勝ってしまうのでしょうね。低音弦を聴いていると、スティールのような気がしてくるのですが、いかがでしょう?

◆ リプトン、バルドー、Reiko Ike……なに、池玲子? ◆◆
まだMoon Riverの補足が残っているのですが、各種ヴァージョンを聴くだけで疲労困憊したので、本日はここまで、残りは他日に。

最後によけいなことを少々。検索したら、ウェブ・ラジオのようなもので、ペギー・リプトンのLu(ローラ・ニーロの曲)にぶつかりましたが、セカンド・アルバムがあった証拠だとはいえません。シングルのみのリリースだった可能性もあります。出来はなかなかけっこう。それにしても、このプログラム、いきなり梶芽依子(ミーコ・カジと発音していましたが)ではじまったので、仰天しました。つぎがブリジット・バルドー、そしてペギー・リプトン。

先日は、梶芽依子と池玲子のLPリップに出くわして驚きました。思わぬところで日本音楽の輸出がはじまっているようです。池玲子のセクシー・アルバムが音楽かどうかは意見が分かれるところでしょうが、ブリジッド・バルドーとセルジュ・ゲインズブールのJe T'aime...Moi Non Plus、すなわち「ジュテーム」が音楽なら、池玲子だって立派な音楽だ、ということにしておきます。いまや、池玲子は世界に誇る日本の文化遺産、こんな日がくるなんて、だれが思ったか! よけいなことですが、「ジュテーム」ってI Saw Her Againの盗作に聞こえませんかね?

ついでに、この番組を聴いていて、Marcia Strassmanという人のThe Flower Childrenという曲はハル・ブレインだということに気づきました。なにしろ、4万曲の男、知らないものがまだまだぞろぞろ出てきます。

トリヴィアをもうひとつ。ペギー・リプトンの出身校というのに出くわしました。ハリウッド・プロフェッショナル・スクールというところで、一説に、MGMのルイス・メイヤーが、まだ子どもだったジュディー・ガーランドの学業と撮影を両立させるために創立した学校だとか。要するに、撮影の都合でいくらでも欠席できるのでしょう。在校者はなかなか印象的ですが、カタカナに直す気力も残っていないので、以下に原文をペーストします。アンディー・ウィリアムズ、コニー・スティーヴンズ、ブレンダ・リー(じゃあ、住まいはハリウッドで、録音のためにナッシュヴィルに通っていた?)、アネット、カウシルズ、カール・ウィルソンあたりにご注意を。

Between 1935 and 1985, its students included Judy Garland, Mickey Rooney, Betty Grable, Andy Williams, Piper Laurie, Carol O'Connor, Natalie Wood, Ryan O'Neal, Val Kilmer, Melanie Griffith, Jill St. John, Tatum O'Neal, Annette O'Toole, Connie Stevens, Linda Blair, Sue Lyon ("Lolita"), ice skater Peggy Fleming, the Cowsills, Carl Wilson (of the Beach Boys), Debra Paget, Brenda Lee, Peggy Ryan, John Barrymore Jr., The Collins Kids, Molly Bee, Tommy Kirk, Mitzi Gaynor, Yvette Mimieux, Patty McCormack ("The Bad Seed"), Barry Gordon ("A Thousand Clowns"), JoAnn Castle (of "The Lawrence Welk Show") , Suzanne Luckey (the Mayor's daughter in "The Music Man"), Tony Butala (of The Letterman), and many young TV personalities, including most of the original Mouseketeers (such as Annette Funicello, Cubby O'Brien, Lonnie Burr, Doreen Tracey, Tommy Cole and Sharon Baird), Lauren Chapin ("Father Knows Best"), Melody Patterson ("F-Troop"), Valerie Bertinelli ("One Day at a Time"), Peggy Lipton ("Mod Squad"), Todd Bridges ("Different Strokes"), Butch Patrick ("Eddie Munster"), Marta Kristen (Judy in "Lost in Space"), Jimmy Boyd, Bobby Driscoll, four of the six Brady Bunch kids and many others.

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by songsf4s | 2007-09-21 23:54 | 夏の歌
Moon of Manakoora by Dorothy Lamour
タイトル
Moon of Manakoora
アーティスト
Dorothy Lamour
ライター
Frank Loesser, Alfred Newman
収録アルバム
未詳(映画『Hurricane』挿入曲)
リリース年
1937年
他のヴァージョン
Axel Stordahl, Los Indios Tabajaras, the Ventures, Hal Aloma and His Orchestra, Al Shaw & His Hawaiian Beachcombers
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f0147840_155346.jpg今回の月の曲は、秋の音のようには聞こえませんし、歌詞もあまり面白くはないのですが、音は面白く、なかなかいいヴァージョンがそろっているうえ、インストゥルメンタルが多いのもわたしの好みなので、他の面倒な曲を避け、楽をするために取り上げてみました。楽をするつもりだったのに、思わぬ陥穽にはまる、というのをいままでに何度もやっているので、今夜も調べもので苦しむかもしれませんが。

もっとも好ましいヴァージョンはべつのものなのですが、オリジナルだという理由で、ドロシー・ラムーア盤を看板に立てました。これもなかなかよい出来ですし、歌のあるヴァージョンはわたしの手元にはすくないので、彼女のヴァージョンをもとに歌詞を見ていくことにします。

◆ マナクーラを求めて ◆◆

The moon of Manakoora filled the night
With magic Polynesian charms
The moon of Manakoora came in sight
And brought you to my eager arms

「マナクーラの月がポリネシアの魔力で夜を満たしている、マナクーラの月が姿をあらわせば、あなたをわたしの恋する腕に引き寄せるでしょう」

f0147840_1563827.jpgグーグルというものがあるので、ナメていたのですが、いきなり調べものの陥穽にはまりそうになりました。マナクーラとはどこのことだ! グーグルはこの曲の各種ヴァージョンばかり吐きだして、いっこうに島を見つけてくれません。

しかし、急いでいるときには救いの髪が洗われる、もとい、救いの神があらわれるもので、ときおりのぞいているティキ・セントラルというエキゾティカ関係掲示板のスレッドに、解答と思われるものがありました。ティキ/エキゾティカ狂いの連中が、マナクーラ島は「左のスピーカーと右のスピーカーの中間に存在する」というぐらいなので、これはジョン・フォードかシナリオ・ライターがつくった、ポリネシアの架空の島にちがいありません。

マナクーラはわかった、でも、ポリネシア(ドロシー・ラムーアの発音では「ポリニージア」ですが)とはどこのことだ、というくどい人のために、平凡社世界大百科の定義を以下にコピーしておきます。

太平洋の島々のうち、北はハワイ、南はニュージーランド、東はイースター島を頂点とする一辺およそ8000kmの巨大な三角形に含まれる島々の総称。ポリネシアという言葉は、元来ギリシア語で〈多数の島々〉を意味する。地質学的には、オーストラリア大陸プレートの前縁にあたるニュージーランド、ケルマデク諸島、トンガ諸島と、太平洋プレート上のハワイ、マルキーズ諸島、ソシエテ諸島など数多くの諸島からなる。

よろしいあるか? では、先に進むあるぞ。

◆ やっぱり月の魔法 ◆◆
セカンドにして最後のヴァース。

The moon of Manakoora soon will rise again
Above the island shore
Then I'll behold it in your dusky eyes
And you'll be in my arms once more

「マナクーラの月が島の岸辺にまた昇れば、あなたの悲しげな目に月の姿を見るだろう、そして、あなたはまたわたしの腕のなかに還る」

f0147840_1592083.jpgこりゃもうブードゥーみたいなもので、Mr. Moonlightならぬ、Miss Moonlightの呪いという感じであります。いったい、『ハリケーン』というのはどういう映画だったのでしょうか。ドロシー・ラムーアの役柄は「酋長の娘」となっていて、巫術のたぐいを弄しても不思議はなさそうですが。

ドロシー・ラムーアの歌をはじめて聴きましたが、ちょっと怖いといえば怖いものの、なかなかけっこうです。うしろはスティール・ギターやウクレレを使って、ハワイアン風にやっていて、マナクーラはやはり、ハワイ諸島のどこかのつもりだったことをうかがわせます。

◆ ラーサー話変じてラニアン話 ◆◆
本題である音のほうにいくまえに、作詞家のフランク・ラーサー(と発音すると辞書にはあります)について。

f0147840_213088.jpg1937(昭和12)年に活躍していた人なので、とっくに故人かと思ったら、とーんでもない、まだ現役らしく、凝ったオフィシャル・サイトまであったので、びっくりしました。このサイトに行かれるようならご注意申し上げますが、ご自分のプレイヤーをストップしてからにしたほうが賢明です。むやみに音楽が流れてきて、往生しました。

それはともかく、この歌詞を書いたときには、ラーサーはまだ27歳、これが彼にとって最初のヒットだったそうです。このとき、ラーサーは撮影所に雇われていたというのだから、昔のメイジャー・スタジオのありようが見えてきます。シナリオ・ライターや作曲家やアレンジャーが常勤だったように、作詞家もまたスタジオに勤めていたのです。それどころか、バディー・コレットの自伝を読むと、プレイヤーもみな各スタジオの専属だったそうで、60年代以降のハリウッドとはまったくようすが異なります。映画スタジオには、まだたっぷり金があったのです。

f0147840_2111452.jpgラーサーはハリウッド映画とブロードウェイ・ミュージカルの世界で活躍したそうで、代表作は『努力しないで出世する方法』『野郎どもと女たち』Guys and Dollsだといわれて、ああ、あれか、でした。デイモン・ラニアンの短編をいくつかつなげて、ひとつのストーリーにしたもので(落語をいくつかまとめた映画というのが、『幕末太陽伝』や、エノケンの長屋ものなど、日本にもありますね)、ブロードウェイ版は知りませんが、ハリウッド版では、マーロン・ブランドが「スカイ」を演じ、歌までうたっていました(ま、ミュージカルだから、避けようもないわけですが)。ラニアンの面白さが十全に生かされたストーリーとは思えず、忘れていい映画だと思います。ブランドもミスキャストと感じました。

f0147840_2133276.jpgラニアン原作の映画を見るなら、やはり『一日だけの淑女』とそのリメイク『ポケット一杯の幸福』でしょう。後者ではアン=マーグレットがデビューしていて(脇でピーター・フォークがギャングの代貸を好演)、『バイ・バイ・バーディー』以降の彼女とはまったく異なり、ひどくキュートに撮れていて驚きました。小津作品のときの岡田茉莉子が別人なのといっしょです。

えーと、ラーサーはさておき、デイモン・ラニアンとフランク・キャプラは大好きだという話でした。失礼。

◆ ニューマン一族 ◆◆
なんて見出しをつけてみましたが、やめましょうや。あと一時間で更新しなきゃならないのだから、ハリウッドに深くはびこった一族のサーガなんて書けるはずがありません。

f0147840_2171789.jpgものすごく簡単にいうと、この曲をつくったアルフレッド・ニューマンは、ランディー・ニューマンの叔父さんにあたる人です。ライオネルやエミールの長兄で(10人兄弟の長男)、ピアニストとしてスタートし、舞台のミュージカルで指揮をとっているうちに、アーヴィング・バーリンに、ハリウッドにいくといい、といわれたことがきっかけで、映画界に入ったそうです。バーリンがニューマン一族のメフィストだったことになりますなあ。

20世紀フォックスの音楽部長をつとめ(ただけでなく、もちろん、作曲、編曲、指揮などもした。とうてい、管理職の片手間仕事とはいえない膨大な数の映画に音楽をつけている)、人事も担当したので、デイヴィッド・ラスキン(公式にはチャップリン作とされている曲の真の作者のひとりといわれる)、バーナード・ハーマン、ジョン・ウィリアムズらのキャリアをスタートさせたのだそうです(いやはや、超大物ばかり)。

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血の雨が降る二人、バーナード・ハーマンとアルフレッド・ヒチコック

もちろん、エミールとライオネルという弟たちも、この偉いお兄さんのおかげでスタジオ入りできたわけで、まだ生まれていないランディー・ニューマンの未来も、この叔父さんが決めてしまったといってもいいくらいです。デイヴィッドとトーマスというアルフレッドの二人の息子もハリウッド音楽界で働いているそうで、わたしは最近、なにかの映画でこのどちらかの名前を見ました。もちろん、「一族」の人間にちがいないと思ったわけです。

作品としては、『アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド』『ショウほど素敵な商売はない』『王様と私』『南太平洋』などなどが並び、最後に近い作品が『大空港』だそうです。いやあ、有名作ばかりで、なんだか疲れちゃいました。

あ、そうそう、アルフレッド叔父さんは20世紀フォックス映画の冒頭に出てくる、あの大げさなアニメーションの音楽を書いたそうです。ということは、だれでも、いやでも、彼の音楽をいまでも聴いていることになります。

◆ やっと出ましたアクスル・ストーダール ◆◆
さてお待ちかね(だったのはわたしですが)、インスト盤観兵式のはじまりです。これだけが目的でこの曲を取り上げたのに、前ふりの長かったこと、もう肝心のことを書く時間がほとんど残されていません。

f0147840_226466.jpgまず、すごいのはなんといっても、アクスル・ストーダール盤です。かつて、トロピカル・スリーヴ・ギャラリーのときに、この盤のジャケットを使い、まだ聴いていない、早く聴きたいと書いたことなんか、もうお忘れでしょうが、やっと念願かなって、聴くだけでなく、ここに取り上げることができました。

とにかく、ドッヒャーというしかないサウンドです。半音進行ばかりの変なメロディー(ちょっとDeep Purpleを思いだしますが、あそこまで徹底して半音進行を使っているわけではありません。もちろん、Deep Purple同様、CからCmへと移動するといった変則的コード進行を使っていますが)を、大人数のヴァイオリンでやるとどうなるかは、すでにレス・バクスターの諸作で知っていましたが、こちらも、レス・バクスター金満オーケストラに勝るとも劣らぬスケール感と酩酊感です。こういう効果って、ワーグナーもなにかで使っていたような気がするのですが、「トリスタンとイゾルデ」でしょうか? Somebody help me!

シナトラのアレンジャーが、自分の名義の盤ではいったいどういうことをしているのか、という興味でこの盤を手に入れたのですが、いや、やっぱりただのネズミではありませんでした。ヴァイオリンがいいのはもちろんとして、フルート部隊とフレンチ・ホルン部隊(その裏で、トロンボーンと判断のつかない管楽器もいっしょに鳴らしているところが、なかなかの技です)の使い方がけっこう毛だらけ。この手のサウンドは、まだポップ/ロックにのめり込む以前、映画狂だった幼稚園から小学校のときに浴びるように聴いたものなので、年をとってくると、本卦還りでコロッとやられてしまいます。

f0147840_230935.jpgつぎはどの盤でしょうか。ムードがあるのはタバハラス・ヴァージョンでしょうかね。ちゃんとサウンド・イフェクトまで入って、正調エキゾティカをやっています。うーむ、当ブログのお客さんのなかに、本邦におけるロス・インディオス・タバハラス研究のオーソリティーもいらっしゃるので、うかつなことが書けず、固まっちゃいました。

その方に、タバハラスは高音部の指板を削って、弦を深く押さえ込めるようにしているのだと教えていただきました。つまり、ベンドと同じ効果(フレットを移動せずにピッチをスラーさせる)をよりスムーズに実現できるようにしているわけです。これは有名なMaria Elenaの冒頭で聴くことができますが、このMoon of Manakooraでも、ベンドに聞こえる音は、おそらくその「押さえ込み」によって実現しているのでしょう。それはともかく、タバハラスのハワイアンというのも、変だといえば変ですが、これはこれで悪くないように思います。雰囲気的には違和感がありません。

◆ 出所不明盤および出所鮮明盤 ◆◆
ほかにも、ラウンジ/エキゾティカ/ハワイアン傾斜のせいで転がり込んできた、よくわからないヴァージョンもあります。

まずはハル・アロマ楽団。ライナーによると、ハル・アロマというバンド・リーダーはハワイ生まれだそうで、オーセンティックなハワイアンなのだといっていますが、ハリウッドを代表する作曲家であるアルフレッド・ニューマンが、ハリウッドを代表する監督であるジョン・フォードの映画のために書いた音楽を、オーセンティックなハワイアンというのは無理があります。

f0147840_231386.jpgでもまあ、わたしはオーセンティシティーなどということは気にしないというか、フォニーにはフォニーにしかないよさがあると考えるので、そのへんにはこだわりません。リード楽器は、たぶんペダルなしのラップ系スティール・ギター、ピッチの低い不思議なスティール・ギターと思われるもの、ヴァイブラフォーンと、順に交代していきます。このヴァイブが出てくる一瞬の、バックのスティール・ギターのオブリガートが妙に気持ちがよくて、ここばかり聴いてしまいました。1959年の録音だそうですが、うしろのほうでかすかに、スラック・キー風のギターの音も聞こえます。いや、ただのギターか。

f0147840_2343658.jpgデータがわからないのは、ハワイアンの編集盤に入っていた、アル・ショウ&ヒズ・ハワイアン・ビーチコーマーズというバンドのものです。これは純粋なインストではなく、昔のビッグ・バンドのように、曲がはじまってかなりたってから、男女デュエットによるヴォーカルが出てきます。メロディーを変えたわけではないのに、ドロシー・ラムーア盤やアクスル・ストーダール盤にあった、魔術的な雰囲気はまったくなく、あっけらかんとしています。モノなので、どうやら戦前の録音で、スティール・ギターとアコーディオンが使われています。

さて、どん尻に控えしはヴェンチャーズです。セカンド・アルバム収録のものなので、いつものメンバーであろうといってすませたいところですが、ベースは明らかにフラット・ピッキングで、親指フィンガリングしかしなかったというレイ・ポールマンには思えません。この時期、あとはだれがベースを弾いた可能性があるか、ちょっとむずかしいところです。

テンポが遅いので、ドラムが活躍する余地はなし、したがって、プレイヤーの推測もできません。ブラシを廻さず、ただ2&4を「ヒット」しているところが、やっぱりちょっと変で、変わったドラミングをするので有名な人である可能性が大ですが。

つまり、ビリー・ストレンジのソロみたいな曲だということなので、リードを聴けばそれでよいというトラックです。さすがはビリー・ストレンジ、こういうテンポでも、けっして突っ込むことがなく、ゆったりとしたグルーヴをつくっています。こういうプレイは若造にはできません。いや、ボスもこのころは若かったのですが、プレイはすでに大人です。突っ込みまくる旅人看板ヴェンチャーズとは大違い。

以上、オリジナル・ヒット(映画には歌は出てこないという話も聞きましたが)であるドロシー・ラムーア盤、それに強烈なストリングス・アレンジで攻めまくるアクスル・ストーダール盤という、2つの魔術的ヴァージョンがよろしいのではないかと思います。

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◆ 訂正(2007年9月20日) ◆◆
tonieさんがコメントで書かれたことを、念のためにこちらにも。ジョエル・ウィットバーンのPOP MEMORIES 1890-1954には、ドロシー・ラムーアのMoon of Manakooraは登場せず、この曲がチャートインしたのは、「38年のビング・クロスビー10位、レイ・ノーブル15位」の2回のみだそうです。

したがって、ドロシー・ラムーア盤がオリジナル・ヒット・ヴァージョンであるというわたしの記述は間違いということになります。謹んで訂正いたします。
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by songsf4s | 2007-09-19 23:57 | Harvest Moonの歌
Lullaby in Ragtime by Nilsson
タイトル
Lullaby in Ragtime
アーティスト
Nilsson
ライター
Sylvia Fine
収録アルバム
A Little Touch of Schmilsson in the Night
リリース年
1973年
他のヴァージョン
Danny Kaye
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ニルソンのNilsson Sings Newmanは、わたしの「棺桶に入れたい13枚」の1枚ですが、Harryや、このLullaby in Ragtimeが収録されたA Little Touch of Schmilsson in the Nightも、棺桶が「付き馬」のような「頭抜け大一番」サイズで、130枚入るならば、やはり入れてもらいたいアルバムです。

そして、Lullaby in Ragtimeは、わたしの鼻歌ベスト・テンの1位に、この20年間ぐらいずっと居坐りつづけているほど好きな歌です。そのわりには歌詞の意味を気にしたことがなかったのですが、それはたぶん、たいした意味はないからだと思います。でも、念のために、細かく見ていくことにしましょう。

◆ サンドマンふたたび ◆◆
以下はファースト・ヴァース、というか、構成がよくわからないのですが、とにかく、はじめに歌われる部分です。

Won't you play the music so the cradle can rock
To a lullaby in ragtime
Sleepy hands are creeping to the end of the clock
Play a lullaby in ragtime
You can tell the sandman is on his way
By the way that they play
As still, as the trill, of a thrush, in a twilight high

わたしの鼻歌オールタイム・ナンバーワンになるくらいだから、音韻がいいのは当然ですが、こうして改めてみると、記憶があいまいでナンセンス・シラブルに置き換えて歌っていた箇所は、ちょっと意味がとりにくくもあります。

「ラグタイムの子守唄で揺り籠が揺れるような音楽をやってくれないかな、時計の端に眠気をもよおした手がそっと忍び寄るように、ラグタイムで子守唄をやってくれ、黄昏時のツグミのさえずりのように静かなプレイのしかたで、サンドマンがもうじきやってくることがわかるよ」

いやはや、日本語のリズムがガタガタなのはご容赦を。By the way that they playなんて表現は、日本語がもっとも苦手とするもので、わたしのせいというより、日本語の性質のせいなのです。byとwayとplay、theとthatとtheyという組み合わせのおかげで、ここは音韻的に非常に面白く、また、歌って気持ちのいいところなのですが、音を取り去って、意味だけ書いては話になりません。

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アウトテイクを集めたCD、A Touch More Schmilsson in the Night。It's Only a Paper MoonやI'm Always Chasing Rainbowsなど、A Little Touch of Schmilsson in the Nightから外された曲がはじめて陽の目を見た。Lullaby in Ragtimeのオルタネート・テイクも収録されている。

twilight highというのも響きのいい言葉の並びです。ツグミ(にかぎらず、たいていの鳴鳥がそうですが)は朝夕に啼くので、気分がハイになって、という意味でtwilight highといっているのでしょう。

「サンドマン」すなわち眠り男(E・Th・A・ホフマンの短編に「砂男」というのがありましたが)については、ボビー・ジェントリーのMorning Gloryのところでふれました。

◆ 銀色の月ならぬ、銀の音色 ◆◆
つづいてセカンド・ヴァースまたはヴァースとコーラスの一体化したもの。

So you can hear the rhythm of the ripples
On the side of the boat
As you sail away to dreamland
High above the moon you hear a silvery note
As the sandman takes your hand
So rock-a-by my baby
Don't you cry my baby
Sleepy-time is nigh
Won't you rock me to a ragtime lullaby

「夢の国に向かうボートの舷側に寄せくるさざ波のリズムが聞こえるだろう、サンドマンが手をとると、月よりも高くに銀の鈴のような音色が聞こえるだろう、だからお眠り、わたしのベイビー、泣くんじゃないよ、わたしのベイビー、おねむの時はもうすぐだから、ラグタイムの子守唄に合わせてわたしを揺すってくれないか」

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オリジナルのA Little Touch of Schmilsson in the Nightに、アウトテイク集の曲を加えて集大成したCD、As Time Goes By。いまはこれがとってかわってしまったが、やはりオリジナルの選曲のほうがよかったと感じる。

どちらかというと、このヴァースのほうが好みですが、最後に、ベイビーではなく、自分を揺すってくれといっているのを、何度も歌いながら、気づいていませんでした。子どもを寝かしつけようとして、大人のほうが寝てしまうというのは、川柳や落語のネタなので、そういうようなことなのだろうと、笑って自分のうかつさも見逃すことにします。

あとは弦の間奏があり、So rock-a-by my baby以下をくり返すだけで、もう新しい言葉は出てきません。

◆ 伝統の底力 ◆◆
このアルバムはリリース時点では買わず、数年後に聴いたのですが、それがかえってよかったように思います。十代では、ゴードン・ジェンキンズのアレンジを聴く気分にはこちらがなっていませんし、また、聴いても、古くさいオーケストラ音楽と思っただけで終わったと思います。

f0147840_183160.jpgじっさい、リリースから数年後にはじめて聴いたとき、このアルバムのオーケストレーションには、ベッドから転がり落ちるほどの衝撃を受けました。ロックンロールがポピュラー・ミュージックの世界から吹き飛ばしてしまった「伝統」の力に驚いたのです。70年代にこれだけのアレンジとアンサンブルが実現できたというのは、ほとんど奇蹟ではないかと思います。ゴードン・ジェンキンズが健在だったことと、ハリウッドがつねにこうしたタイプの音楽を必要としていたために、伝統が保持された結果だろうと思います。

わたしのようなほとんど純粋培養のロックンロール小僧が、大人になってこうした音楽にストレートに反応したのは、たぶん、子どものころに見たハリウッド製ミュージカル映画とディズニーのアニメーション映画のおかげでしょう。ジェンキンズのアレンジは、そういう時代の匂いを濃厚に伝えながら、古くささのない、新鮮な響きを生み出すことに成功しています。

ディジタル・シンセサイザーというのは、音楽をつくる道具としてはあまりにも雑駁ですが、音楽を分析する道具としてはこれ以上のものはないと思います。かつてMIDIで、ジャック・ニーチーのThe Lonely Surferや、ジョン・バリーのGold Fingerのオーケストレーションをコピーしてみたのですが、わずかな曲をやっただけでも、じつにいろいろなことがわかりました。

なによりも啓発的だったのは、フレンチ・ホルンという楽器は、ピッチによっては沈んでしまう、ということがわかった点でした。友人にきいたところ、クラシックではそれは常識で、たとえば、フレンチ・ホルンの1オクターブ上に薄くフルートを重ねるなどの処理によって輪郭をつくり、沈むのを防ぐのだそうです(ハリウッドのスタジオのやり方を連想された方もいるでしょう。そう、フィル・スペクターやブライアン・ウィルソンがやったことに通じるのです)。

オーケストレーションというのは、こういう小さな知識を経験とセンスによって組み合わせ、目的の効果を上げることなのだと思います。ゴードン・ジェンキンズは、生涯、そういうことをやってきた人ですから、クラシックではなく、わたしが小さいころから親しんできた映画スコアのイディオムを、ニルソンのこの盤で集大成したという印象で、それで、はじめて聴いたときに衝撃を受けたのだと思います。

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左からビリー・メイ、フランク・シナトラ、ドン・コスタ、ゴードン・ジェンキンズ。ニルソンがこのアルバムをつくるにあたって、シナトラを意識しなかったはずがない。

もう、こうした音楽が顧みられなくなっていた時代ですから(73年になにを聴いていたか思いだしてください、ゼップとかディープ・パープルとかだったりするんじゃないですか? わたしはカムバックしたビーチボーイズを徹底的に聴いていました)、ゴードン・ジェンキンズは、これを遺作にしようというくらいの気組みでアレンジしたのではないかと、わたしは考えています。けっして力みは感じませんが、隅々にまで神経がゆきとどいた、じつに気持ちのよいオーケストレーションです。

プレイヤーもみなうまくて、これまた伝統の力を感じます。ギターはアコースティックですが、いわゆるフォーク・ギターではなく、ピックアップを通さないフルアコースティックのジャズ・ギターの生音です。このサウンドがまた、当時のわたしには新鮮に響きました。かつてラリー・コリエルが、他人のソロのバックでよく使っていたのを思いだしたのですが、このニルソン盤のギタリストは、コリエルのような若造ではないでしょう。ジェンキンズがシナトラの録音でも起用したプレイヤーじゃないでしょうか。ドラムもシナトラの盤と同じタイムのように感じます。

◆ 60年代的ヴォイス・コントロールの集成 ◆◆
ニルソンという人はじつに歌がうまいのですが、「わたしの時代」のシンガーなので、「歌いあげる」ことはめったにしません(Without Youのシャウトは例外中の例外)。とりわけ、戦前の曲をカヴァーしたこの盤では、歌いあげたりすると、一直線で古代にジャンプしてしまうので、注意深く、じつに注意深く抑揚をコントロールしています。

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ゴードン・ジェンキンズとハリー・ニルソン。49人編成のオーケストラだったというのだから、ハル・ブレインが「飛行機の格納庫のようにだだっ広い」と表現した、ハリウッドのRCAのAスタジオだろう。「クラシックのRCA」を支えたスタジオである。

ソングライターとしてスタートした人なので、彼の盤を聴くこちらも、ふつうはまず楽曲の出来を気にするのですが、このアルバムはすべてカヴァー曲ですから、ニルソンがいかにスタンダードを歌うかに興味の焦点がきます。彼は十分にそのことを意識して、最初の発声の強さから、語尾の延ばし方と「呑み込み方」にいたるまで、慎重に計算して歌っています。

となると、どうしてもシナトラを連想するわけですが(じっさいニルソンは、ジェンキンズが書き、シナトラも歌ったAll I Askもこの盤でカヴァーしている)、やはり、ニルソンは「わたしの時代」のシンガーだと感じます。その時代がどういう時代だったかという知識と想像力を駆使しなくても、彼がやろうとしていることはすんなり耳に収まるのです。

シナトラを聴くときは、この時代はこうだったのだろうから、ここをこう歌うのは、たぶんこういう意図なのだろう、などと考えるときがあるのですが、ニルソンについては、まったくそういう努力がいらないのです。ただただ、うんうん、そうだ、ハリー、その調子だ、俺たちはそういう風に歌うのが正しいとされる時代に育ったよな、とうなずくだけなのです。涙が出るような経験なのですよ、ニルソンが真剣に昔の曲を歌うのを聴くのは。

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ハープの弦越しのハリー。このアルバムでは、全曲、オーケストラといっしょに「ライヴ」で歌ったという。これまたシナトラのやり方、伝統的な録音方法である。

アルバム全体を聴き直していると、これも墓場までもっていく13枚に入れるべきのような気がしてきました。わたしが知っているアメリカ音楽のよさが、最後の光芒を放った一枚ではないでしょうか。

◆ ラグタイムの子守唄? ◆◆
ラグタイムというのは、わたしが理解しているかぎりでは、テンポが速めで、どちらかというとにぎやかな音楽スタイルのはずですが、ニルソン盤はスロウ・シャッフルのアレンジです。にぎやかな子守唄というのが、そもそも矛盾しているように思うので、いかにも子守唄らしい、ゆるいグルーヴのニルソン盤の解釈は正しいのではないかと思います。

f0147840_1341816.jpgLullaby in Ragtimeのオリジナルは、映画『五つの銅貨』でのダニー・ケイの歌で、ライターはケイの夫人だったシルヴィア・ファインです。この映画を見ているのに、この曲についてはまったく記憶がありません。記憶がないということは、わたしの好みではなかったということなのだと考えておけばいいわけで、ニルソン盤がなければ、この曲に注目することはなかったでしょう。

ただ、この曲のコード・チェンジはなかなか面白いところもあって、かなり腕のあるソングライターなのだろうと感じます。盤はもっていないにしても、『五つの銅貨』のVCRはどこかにあるはずなのですが、見つからなかったので、オリジナルの検討は、いつかべつの日に。シルヴィア・ファインの他の曲を検討する機会もあるのではないかと思います。
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by songsf4s | 2007-09-17 23:56 | Harvest Moonの歌
Whiskey by New Riders of the Purple Sage
タイトル
Whiskey
アーティスト
New Riders of the Purple Sage
ライター
John Dawson
収録アルバム
Gypsy Cowboy
リリース年
1972年
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ラヴ・ソングにはすぐに飽きてしまう人間なので、今回は変化球、それもスライダーではなく、ナックルでいきます。アメリカ文化を多少ともご存知の方は、月の歌の特集にWhiskeyというタイトルが出てくれば、ああ、あれのことね、とすぐにおわかりかと思います。そう、あれの歌です。わからなかった方にも、あとで種明かしをしますので、ご心配なく。

f0147840_21373783.jpgニュー・ライダーズ・オヴ・ザ・パープル・セイジというバンドもご存知なければ、もちろん、彼らのWhiskeyもお聴きになったことがないという方が多いでしょうが、安心してください。今回はオフィシャル・サイトのMusicページでMP3ファイルをダウンロードすることができます。

しかも、販売サイトによくある、首から上だけのケチなファイルとは大違い、ちゃんとイントロからエンディングまで五体満足ですし、96だとか128Kbpsといったケチな音質でもありません。160Kbpsです。盤を買わなくてもオーケイってくらいで、こんなに大盤振る舞いをしていいのだろうかと思います。軽快な曲ですので、せっかくの勧進元からの大盤振る舞い、ぜひMP3をお聴きになりながら、以下をお読みください。

◆ 簡単で正直な商売 ◆◆
では、ファースト・ヴァースから。オフィシャル・サイトに歌詞も用意されているのですが、どこかの制作会社に任せたらしく、第三者が聴き取りをしたかなんかで、どう聴いても、そうは歌っていないと思うところがあるため、グレイトフル・デッド歌詞サイトにあった、より正確と思われる歌詞に依拠することにします。

My family's always been in whiskey
It's a simple honest way to earn a dime
The only trouble's been my uncle sam now
He been tryin' to collect taxes all the time

「わが家は昔からウィスキー商売をやってきた、簡単で正直な商売だからな、唯一の問題はアンクル・サムさ、あいつらはいつも税金を取り立てようと待ちかまえているんだ」

f0147840_21434236.jpgだいたいおわかりいただけたでしょうか。たいていの国では酒類にはかならず税金がかかるわけで、この語り手は税金を払わないウィスキーの密造 and/or 搬送をビジネスにしていることがわかります。映画などにもときおり登場しますが、どうやら、アメリカではこのビジネスはかなり盛んにおこなわれているようです。密造酒関係のウェブ・サイトも豊富で、歴史から蒸留ノウハウにいたるまで懇切丁寧に解説されています。そういうところで、少々写真を拾い、今回の飾り付けに利用させてもらいました。

◆ お立ち会い、シェヴィーはシェヴィーでもちょとちがう ◆◆
セカンド・ヴァースでは、語り手の「ビジネス」のディテールが描写されています。

Now this ain't no ordinary chevy
The motor and suspension ain't the same
Whiskey as you know is very heavy
And getting through is what they call the game

「こいつはふつうのシェヴィーとはちがうんだぜ、エンジンとサスペンションは特別仕立てでな、だれだって知っているように、ウィスキーってやつはえらく重いじゃないか、こういうゲームのことを、世間じゃ通り抜けっていっているわけさ」

4行目はよく聞こえませんし、わたしの解釈もテキトーですので、あまり信用しないでください。

f0147840_21524865.jpgふつうのシェヴィーではなく、重いウィスキーを積んでもへたったりしない、頑丈なサスペンションと強力なエンジンに交換したシヴォレー(当然ながら、ちゃんとシェヴィーという略称を使っています。ファースト・クラスのBeach Babyの記事で、その点にふれました)のトラックで、注文主のところまで商品を搬送することを、この曲は語っているわけで、アルバム・タイトルがGypsy Cowboyとなっていることから、現代のカウボーイ・ソングという意図なのだと思います。

車をチューンアップしているのは、ウィスキーの重さだけが理由ではないでしょう。ここで「アンクル・サム」と呼んでいる国税庁の役人または警官の追跡を受けた場合には、逃げ足も必要なのにちがいありません。

デイモン・ラニアン・ファンは、ああ、そういえば、といって「プリンセス・オハラ」という、名馬がウィスキー密輸業者のトラックと、セントラル・パーク通り抜けの「カー・チェイス」をする、愉快な短編を連想したりするのですが、ラニアン・ファンはいらっしゃらないですかね? じつに楽しい物語なんですが。

◆ 健康によくない職業 ◆◆
つづいて、思わずいっしょに歌いたくなる軽快なコーラスに突入しますが、ここは歌詞の聴き取りにも、わたしの解釈にも問題のある箇所です。以下は、正しい聴き取りと思われる歌詞です。

It's a dark and rainy night
But my engine's running right
And I hope to get to Memphis before dawn
Yeah and if I make it through
Gonna save what I have to
It ain't healty running whiskey very long

「今夜は暗くて雨も降っているけれど、エンジンは快調そのものさ、なんとか夜明け前にメンフィスに着きたいものだ、これをやりとげれば、やらなければならないことをしないですむだろう、ウィスキー運びなんてものを長くつづけるのは健康によくないからな」

微妙なのは5行目のGonna save what I have toです。どうしても金を稼がねばならない事情があって、最後のひと仕事をやっている、という状況ではないでしょうか。「やらなければならないことを省く」とは、このひと仕事さえやれば、もう二度とウィスキー運びはしないですむ、という意味のように思います。

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摘発された密造酒業者のトラック

そう考えれば、最後の「ウィスキー運びなんてものを長くつづけるのは健康によくないからな」にすんなりつながるでしょう。ただし、オフィシャル・サイトでは、ここを「Then help me running whiskey very long」としています。でも、これでは意味が通らないと思います。

◆ メンフィスまでノンストップでぶっ飛ばせ ◆◆
つづいてサード・ヴァース。

Three hundred miles from home to Memphis
There's a dozen men along the way
Never stop and let'em do no looking
Yeah, that was what my pappy used to say

「わが家からメンフィスまで300マイル、道筋には一ダースの連中が待ちかまえている、けっして止まるな、ぜったいに見つかるんじゃない、親父がよくそういっていたものさ」

ここではmenというあいまいな表現になっていますが、ライヴでは、ジョン・ドウソンははっきりと「敵」を名指していると、グレイトフル・デッド歌詞研究サイトの注釈にあります。いくつかヴァリエーションがあるようですが、たとえば、「And a dozen cops that know me on the way」つまり「途中には俺のことを知っているおまわりが一ダースも待ちかまえている」などと歌ったそうです。盤でボカしたのは、会社ともめるのを避けるためだったのでしょう。

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密造酒業者の検問

ここでコーラスをくり返し、ペダル・スティールの間奏をはさんで、最後のヴァースに突入します。

Three hundred miles from home to Memphis
And susan says she don't want me to go
She said now honey don't take chances
Ah love I want to keep ya don't ya know

「わが家からメンフィスまで300マイル、スーザンは俺を行かせたがらない、あいつは、そんな危ないことはやめて、あなたにいっしょにいてもらいたいのに、といっていた」

f0147840_22135565.jpgとはいえ、彼が危ない仕事をやっているのは、スーザンと彼自身の未来のためにちがいありません。わたしはすぐに想像をふくらませるので、スーザンのおなかには彼の子どもが宿っているのではないか、なんて思っちゃうのですけれどね。

以下、またコーラスをくり返し、「ウィスキー運びなんて長くやるのは健康によくないぜ」と何度も歌って終わります。じっさい、健康によくないだろうなあ、と思うのでありました。

◆ 月光酒業者 ◆◆
ちょっと待った、月の歌の特集じゃないのか、この歌のどこにも月なんか出てこなかったぞ、と思った方もいらっしゃるかもしれません。なぜ、月が出てこないかというと、ウィスキーと月の関係は周知のことで、わざわざいうまでもないからです。

こういう密造酒のことをmoonshine wiskey、または、たんにmoonshineと呼び、密造業者をmoonshinerと呼ぶのです。したがって、このWhiskeyの語り手もまたムーンシャイナー、ただそれだけの理由で、月の歌の特集にこの曲をもってくるという強引なことをやってしまったというしだい。だから、今日は「ナックル」だと申し上げたのです。

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こんなサイトもありました

でも、わたしはこういう物語性の強い、ディテールに富んだ、ウィットのある歌詞が好きなので、もちだせる隙さえあれば、これからもいつだって投入するだろうと思います。Whiskey as you know is very heavyなんて、当たり前のことをいっているのに、妙に可笑しいのは、やはり作詞家の手腕でしょう。as you knowがきいています。

こういうことを歌ったものとしては、ほかにヴァン・モリソンの、その名もズバリ、Moonshine Whiskeyという曲を知っていますが、まだほかにもいくつかあるだろうと思います。カントリー・ミュージックのテーマにはもってこいではないでしょうか。

◆ 新紫聖人牧童楽団簡略始末記 ◆◆
NRPSは、ジョン・“マーマデューク”・ドウソンと、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアを核にスタートし、デイヴィッド・ネルソン(ギター)、デイヴ・トーバート(ベース)が加わり、さらにデッドの他のメンバーが入れ替わり立ち替わり加わってライヴをやっているうちに、徐々に独立したバンドの体裁を整えていき、たまたまいわゆる「アコースティック・デッド」時代だったので、デッドのオープニング・アクトをつとめるようになり、やがてCBSからデビューすることになったようです。

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デビュー当時のラインアップ 左端がWhiskeyの作者ジョン・ドウソン、その右がジェリー・ガルシア、右端はスペンサー・ドライデン

デビュー盤の録音途中で、助っ人のデッドのミッキー・ハートにかわって、ジェファーソン・エアプレインのドラマー、スペンサー・ドライデンが加わり(エアプレインのときとはうってかわり、やっと居場所を見つけたという雰囲気のプレイ)、セカンド・アルバムでは、これまた結果的に助っ人の位置になってしまったジェリー・ガルシアにかわって、ペダル・スティールのバディー・ケイジが加わり、レギュラー・ラインアップが整います。

このWhiskeyが収録されたサード・アルバムは、このラインアップで録音されています。Whiskeyではさらに、ダーリーン・ディドメニコという人がコーラスのハイ・パートを歌っていて、これがなかなかけっこうな響きになっています。

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左からスペンサー・ドライデン、デイヴ・トーバート、ジョン・ドウソン、デイヴィッド・ネルソン、バディー・ケイジ

デイヴィッド・ネルソンという人は、おそらくピックを使わず、テレキャスターをフィンガリングで弾いているのだと思いますが、独特のスタイルで、好ましいプレイをします。デッドのBox of Rain(アルバムAmerican Beauty収録)でもゲストで間奏を弾いていますが、これがまたなかなかけっこうな出来です。Whiskeyでは右チャンネルに配されているのがネルソンのギターです。フェンダーでアルペジオをやったりするところが、ちょっと変わっています。

その後、トーバートにかわってバーズのスキップ・バッティンが入ったり、ドライデンが抜けたり、紆余曲折あって現在に至っているようですが、4枚目までしか買わなかったわたしは、近年のNRPSにはとんと不案内なので、これにて失礼。

付 記
Whiskeyが気に入って、オフィシャル・サイトから他のファイルもダウンロードなさるなら、まずはデビュー盤の曲からはじめるようにおすすめします。どの曲がどうだなどとお節介なことは申しませんが、昔、もっともよく聴いたのはデビュー盤でしたし、最近、聴き直し、やはりいい盤だと思いました。いまでは拡大版が出ていますが、オリジナルの状態で十分だと思います。
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by songsf4s | 2007-09-17 22:58 | Harvest Moonの歌