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The Thirty First of June by Petula Clark
タイトル
The Thirty First of June
アーティスト
Petula Clark
ライター
Tony Hatch
収録アルバム
My Love, The Pye Anthology vol.2
リリース年
1966年

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ペトゥラ・クラークは、本国のイギリスではもちろん、アメリカでも多くのヒット曲があり、夫君がフランスのプロデューサーなので、一時は本拠をそちらに移したほどで、フランスでのヒット曲、フランス語によるヒット曲もたくさんあるようです。

彼女がアイドルにはほど遠い年齢になってから、Downtownによってはじめてアメリカでヒットを得たのは、考えてみると不思議な現象です。ビートルズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、サーチャーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ピーター&ゴードンなどのブリティッシュ・ビート・グループが地ならししたあとに、Downtownという強力な曲を絶妙のタイミングで発表したおかげ、といった解釈しかできません。しかし、その後も続々とヒットが生み出されたことを考えると、やはり、ひとたびブレイクしたあとは、ヴェテランの大歌手の実力がものをいったと考えるべきかもしれません。

1964年のビートルズのアメリカ上陸のあと、ブリティッシュ・ビート・グループが「大人の歌手」をチャートから一掃してしまい、「メインストリーム・シンガーの真空状態」とでもいうようなものが生まれたように思われます。ペット・クラークは、ビートの時代に適合したサウンドをバックに、新たな装いのメインストリーム・シンガーとして、その真空状態を埋めた、という見方もできるでしょう。

この「6月31日」という曲は、彼女のアメリカでの2曲目のナンバーワン・ヒットであるMy Loveをフィーチャーした同題のアルバムに収録されています。ペットのパイ・レコード時代のアルバムにはずれはあまりないのですが、これはとりわけよくできたアルバムです。プロデューサーのトニー・ハッチがこのアルバムのために書いた曲の出来がいいことと、トラックのサウンド、グルーヴのすばらしさのおかげでしょう。このThe Thirty First of Juneという曲も、シングル・カットはされなかったようですが、楽曲、サウンド、ペットの歌、いずれもシングル曲にそれほどひけをとらないレベルになっています。

◆ 「6月31日」の意味 ◆◆
太陰暦ではいうまでもなく、太陽暦でも、6月は30日までで、31日は存在しないのはご存知のとおりです(そういうわたしは、呆れたことに、最初はそのことに気づかなかったのですが!)。当然、歌詞のポイントはそこにあります。

ペットの歌でいつも感心するのは、ディクションがきわめてよいことです。もちろん、ディクションの悪い大歌手というのはいませんが、女性なので、ピッチが高く、いっそう聴き取りやすく感じます。だから、長い歌詞でも、リスナーが脈絡を失う恐れはほとんどなく、作詞家は安心して彼女に「当てて」歌詞を書けたでしょう。

「6月31日」は3ヴァースとブリッジという構成で(ジミー・ウェブの本によると、こういう場合は順番も示すために、「ヴァース/ヴァース/ブリッジ/ヴァース」タイプの曲、といったほうがよいらしいのですが)、ファースト・ヴァースはつぎのようになっています。

Tears roll down my cheeks, can't you see them glisten?
I've tried to talk to you but you just won't listen
And though I wait each day and hope and pray
Your love will come on soon,
It's as far away as the thirty-first of June

だれかよく見かける男性への片想いというテーマであることがわかります。通りや駅などで見かけるのか、職場で見かけるのか、そういうディテールは最後まで明らかにされません。「あなたの愛があらわれるのを毎日待ち、願い、祈っているけれど、それは6月31日のようにはるか彼方のこと」というのは、つまり、存在しない日は永遠にこない、ということの強調表現です。

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セカンド・ヴァース後半はこうなっています。

You're always on my mind and yet I find
I'm reaching for the moon
You're as far away as the thirty-first of June

おやおや、また六月に引きずられて「お月様」が出たか、と思いますが、「reach for the moon」は慣用句で、辞書には「とうてい不可能なことを望む[企てる]」とあります。「いつもあなたのことを思っているけれど、そんなことはまったくムダなことにも思える」というわけです。

もっとも、作者のトニー・ハッチがここで「月」を持ち出したのは、たぶん、「お月様と六月の花嫁」の慣用句を連想し、リスナーの共感を得る小さな仕掛けになると考えたからでしょう。ちゃんと伝統にのっとってmoonと脚韻を踏んでいますし。

以下は、サード・ヴァースの末尾、エンディングのリフレインのところです。

And I'll be waiting here till the thirty-first of June
You're as far away as the thirty-first of June
Yes, you're as far away as the thirty-first of June

わたしは6月31日まで待ちつづける、あなたは6月31日のように遠くにいるけれど、というわけで、存在しない日まで待ちつづける、つまり、永遠に待ちつづける、と締めくくられています。

シングル・カットして、ヒットにいたったかどうかは微妙ですが(ヒットするには、もっとキャッチーで覚えやすいリフレインが必要でしょう)、アルバム・トラックとしてはなかなか魅力的です。こういう曲がおいてあると、アルバムが引き立ちます。The Show Is Overと並ぶ、彼女の隠れた佳曲でしょう。

ところで、なぜ4月31日でもなければ、9月でも、11月でもなく、6月31日なのでしょうか。やはり、トニー・ハッチも「六月の花嫁」を連想し、リスナーにも同じ連想をしてもらおうと考えたのでしょう。六月が女性にとっての幸福の象徴だから、ほかの月ではなく六月を選んだにちがいありません。

◆ ニューヨーク録音? ハリウッド録音? ◆◆
Sequel Recordsによるアルバム「My Love」のリイシューCDのライナーを読んでいて、疑問に感じた点があります。このライナーには、「彼女にとって初めてのニューヨーク・セッションののち、このセットは人気絶頂期に発売された」とありました。ほんとうにそうでしょうか?

NYのエース・ドラマー、ゲーリー・チェスターの教則本「The New Breed」に付された彼のディスコグラフィーには、ペットのDowntownがリストアップされています。この曲および同題のアルバムは1965年リリース、The Thirty First of Juneが収録されたアルバムMy Loveは翌66年のリリースです。チェスターがいつものようにホームグラウンドのNYでペットのトラックを録音したと仮定するなら(ふつう、超一流スタジオ・ドラマーは、そのキャリアのピーク時には、他国はもちろん、よその町にいくことすらめったにありませんでした)、このアルバムは「彼女の初のNYセッション」ではないと考えられます。

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ニューヨークのエース・ドラマー、ゲーリー・チェスターのディスコグラフィーにはDowntownがリストアップされている

さらにいうと、ハリウッド(いや、60年代アメリカの)のエース・ドラマー、ハル・ブレインの回想記「Hal Blaine & the Wrecking Crew」に付された彼のトップ10ヒッツ・ディスコグラフィーには、My Loveがリストアップされています。

ひとたびスタジオを押さえたら、通常は3時間のセッションをおこない、たいていの場合は4曲録音します。ミュージシャン・ユニオン所属のプレイヤーの料金は、3時間が1単位なので、たとえ3分で録音が終わっても、3時間分の料金はかならず払わなければいけないのです。したがって、1曲だけの録音というのは、当時のポップ・セッションではまれでした。My Loveでプレイしたハル・ブレインは、他の複数の曲でもプレイしたと考えられます。

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ハリウッドのドラマー、ハル・ブレインのトップ10ヒッツ・ディスコグラフィーには、My Loveがリストアップされている

たとえば、あるスタジオで収録したバックトラックのテープをもってツアーし、時間を見つけて、べつの町のスタジオでヴォーカル・オーヴァーダブをおこなう、というような場合、ヴォーカル・オーヴァーダブをおこなった土地またはスタジオを「録音場所」としているセッショノグラフィーがあります(たとえば、レスリー・ゴアのボックスに付された録音データ)。My Loveのオリジナル盤にも、そうした意味でNY録音と記されているのかもしれません。

しかし、ヴォーカルはどこで録ってもたいしたちがいはありませんが、トラックは収録した土地によって大きく異なります。プレイヤーもエンジニアもスタジオ特性も機材もちがうのだから、当然です。

ハル・ブレインがリストアップしているMy Loveのみならず、このThe Thirty First of Juneも、典型的なハリウッドのサウンド、典型的なハル・ブレインのプレイに思えます。この曲で聴かれるキック・ドラムの踏み込みによる強調や、左手がスネア、右手がフロアタムで、両手ユニゾンで叩く4分のフィルインとその抑揚のつけ方は、ハルのトレードマークです。

NYで録音したとしたら、それはヴォーカル・オーヴァーダヴのみと考えます。すくなくともトラックはハリウッド録音、ドラマーはハル・ブレインでしょう。Downtownでプレイしたゲーリー・チェスターも、My Loveはリストアップしていません。
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by songsf4s | 2007-06-30 17:19 | 六月をテーマにした歌
Rainy Day in June by the Kinks  ライター:Ray Davies
タイトル
Rainy Day in June
アーティスト
The Kinks
ライター
Ray Davies
収録アルバム
Face to Face
リリース年
1966年
 
 
 
 
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◆ 物語作家と画家の描写力 ◆◆
キンクスのレイ・デイヴィーズは、ロックンロールのチャールズ・ディケンズとも呼ぶべき作詞家で、60年代終わりから長いあいだ、アルバムを長編小説のように構成し、その各曲を章のように書きつづけました。

この曲は、初期のストレートでヘヴィーなロックンロールから、思索的な方向、物語性を強めたソングライティングへと大転換するきっかけとなったアルバム、Face to Faceに収録されたものです。レイ・デイヴィーズのソングライティングのもうひとつの特徴、視覚的情景描写だけで全編が構成されたやや異例の歌詞です。レイ・デイヴィーズの絵は見たことがありませんが、アート・スクール出身のこのソングライターが、きわめて絵心に富んでいたことは、Waterloo SunsetやAutumn Almanacのような佳曲の歌詞を聴けばすぐに了解できます。

雨というのは、ポップ・ソングでは、しばしばなにか(たとえば悲しみや困難)の象徴として利用されるのですが(たとえばCCRのWho'll Stop the Rainの「雨」は「戦争」の暗喩でしょう)、この曲はそういうことを目指したものとは思えません。悲しみや苦難をパラフレーズした雨ではなく、雨の風景の音による純粋なデッサンなのです。

◆ 日本的な六月の雨 ◆◆
この曲は六連構成ですが、その第五連、

The demon stretched its crinkled hand
And snatched a butterfly
The elves and gnomes were hunched in fear
Too terrified to cry

という描写はいかがでしょうか。悪魔はそのしわだらけの手を広げ、蝶をつかんだ、エルフやノームは恐怖にうずくまり、恐ろしさのあまり泣き声をあげることもできずにいる、というのだから、絵だとしても、これは印象派などではなく、ヒエロニムス・ボスあたりをイメージしたほうがよさそうです。エルフは妖精、ノームは辞書によれば「地中の宝を守る地の精で、しなびた醜い老人姿の小人」だそうです。デーモンとの対比でもちだされたものです。

もちろん、これは悪魔や蝶の描写ではなく、黒ずんだ雨雲が広がっていくようすの暗喩です。エルフやノームは、デーモンに導かれただけで、重要な意味はないでしょう。人々が突然の雨に手で頭をおおっているさまの暗喩ではないでしょうか。

ここに描かれた六月の雨は、日本人にはじつにわかりやすい陰鬱なものです。やはりイギリスは雨の国なのだと思いました。アメリカ人がイメージする六月とはまったく異なっています(もっとも、後年のSchool Daysという曲では、レイ・デイヴィーズ自身、Juneという言葉でまたべつのイメージを喚起しようとしていますが)。

◆ タブローへの助走 ◆◆
まだシングル・ヒットがつづいていた時期ですし、このあともLolaのような大ヒットが出ますが、もうすでに、レイ・デイヴィーズはポップ・スターではない何者かになりたくなっているのではないかと感じます。いくらアルバム・トラックでも、人気と売上げだけを重視する人は、こういう歌詞は書かないでしょう。我が道を行こうとしているように感じます。Walterloo Sunsetのような秀作タブローにはなっていませんが、レイ・デイヴィーズは、こういうデッサンを積み重ねることによって、大作の制作準備をしていたのだと思います。

雨の曲を探しているうちに、長いあいだ聴いていなかった曲に再会し、大好きな画家の知られざる習作を筐底にみつけたような気分になりました。秀作でないどころか、完成品ですらありませんが、レイ・デイヴィーズがのちに進んだ方向を、すでにして明瞭に示している小品デッサンです。こういう視覚的情景描写の実験を繰り返すことによって、ディケンズ的大伽藍を構築できるだけの「腕力」をつけていったのでしょう。
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by songsf4s | 2007-06-30 17:14 | 六月をテーマにした歌
薬屋さん by はちみつぱい
タイトル
薬屋さん
アーティスト
はちみつぱい
ライター
鈴木慶一
収録アルバム
センチメンタル通り
リリース年
1973年
 
 

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「はちみつぱい」とのつきあいはわずかなあいだだけ、もっているアルバムも一枚のみ、ライヴに行ったのも一度だけです。でも、このデビュー盤「センチメンタル通り」は好ましいアルバムでした。

なんとなく、当時よく聴いていたグレイトフル・デッドのような味があるバンドだという印象をもっていましたが、最近、友人が教えてくれたところでは、ライヴではデッドの代表作Dark Starをやったことがあるそうです。さてこそ、と思いました。わたしの彼らに対する親近感は、そこから発したもののようです。

◆ 不幸な六月、憂鬱な雨 ◆◆
このアルバムでとくに気に入って、繰り返し聴いたのは、「塀の上で」「土手の向こうに」「センチメンタル通り」、そして、ここで取り上げる「薬屋さん」です。

June NightやBoth Sides Nowのところで、西洋文化においては、ローマ神話の伝統から、「六月」という言葉には、「幸せな結婚生活」「女の幸福」「少女の夢」というふくみがあることにふれました。本邦の場合、六月とは、などと改めていうまでもありません。一に梅雨、二に梅雨、三四がなくて、五に紫陽花、というあたりでしょう。もちろん、農事では重要な時季で、多くの地域で六月には田植えがおこなわれます。しかし、現代都市生活にあっては、好まれる時季とはいいがたいでしょう。陰鬱なイメージをともなっています。

この「センチメンタル通り」というアルバムは、そういう梅雨ないしは雨のイメージで全体をおおわれているような気がします。「雨」という単語が出てくる曲が3つもありますし、晴天を想定した歌詞でも、なんだか梅雨の晴れ間のような印象を受けます。

アルバム・オープナーである「塀の上で」で、「ヒールが七糎のブーツをはいて、ぼくを踏み潰して出ていった」女性は、ほかの曲にも登場するような気がします。この女性のことを歌うのが鈴木慶一のこの時期の妄執だったのではないか、と思うほどです。だから、全体に沈鬱な歌詞、メランコリックな音になったのではないでしょうか。

◆ 停滞する雨と拘泥する心 ◆◆
「薬屋さん」は形式に縛られない自由詩ですが、3ヴァース構成で、その第一連は以下のようになっています。改行は歌詞カードにしたがいました。

紫陽花の花が
六月の雨に濡れているよ
だから
窓を開けて
だから
窓を開けて
薬瓶から零れ落ちる
悲しい雨垂れ
一粒
あいつの噂 忘れるさ

メランコリーが梅雨時分の温気のように立ちこめています。「塀の上で」で去っていった女性の面影がここにも揺曳しているのではないでしょうか。

梅雨の時季、紫陽花の色彩は慰めになるものです。ここでの紫陽花も、そのような意味で持ちだされたのだと思われます。でも、窓を開けて改めて見れば、雨に打たれる紫陽花(鈴木慶一用語を援用すれば、「雨に流れる紫陽花」)は、内面の憂鬱を外面化しただけにしか見えなかった、というあたりでしょうか。

第二連は七月、第三連は八月と、この歌詞は進みますが、語り手の心は停滞したままで、すでに去った女性に拘泥しつづけます。そういう、どうにも始末に負えない、なんともまとまりのつかないメランコリーが感じ取れる、すぐれた歌詞だと思います。とくに、「だから窓を開けて」というだけで、そのあとでどうするのかが宙に放り出されているところに、それを強く感じます。この停滞は、「土手の向こうに」の「冬さえくれば いくらか変わるはずさ それだけで」へとつながっているように思いますが、それはべつの話。

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ジャケットを拡大すると、あがた森魚らしき人物が……

「薬屋さん」を聴くと、やはり西洋の六月とはまったく異なるイメージを、われわれ日本人がもっていることを痛感します。ここには日本人の心情によく添った六月があります。テンポはゆるやかなものの、サウンドは透明感があり、また、メランコリーと自己憐憫の甘さも感じられ、全体として非常に好ましい音になっています。
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by songsf4s | 2007-06-29 22:22 | 六月をテーマにした歌
A Salty Dog by Procol Harum
タイトル
A Salty Dog
アーティスト
Procol Harum
ライター
Gary Brooker, Keith Reid
収録アルバム
A Salty Dog
リリース年
1969年
他のヴァージョン
live version of the same artist
 
 
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◆ 詩人がつくったバンド ◆◆
ふつうのリスナーは、プロコール・ハルムの曲としては、A Whiter Shade of Pale、つまり「青い影」しかご存知ないでしょうが、このデビュー・ヒット以後もバンドは存続しつづけ、出来のよい盤もリリースしています。

このバンドは、キース・リードの悪夢のような詩を音楽にするために生まれました。それが「青い影」です。あんな気味の悪い詩の曲が大ヒットしたことも不可解ですが、それを商品の宣伝に使うなどという発想は、じつにもって驚かされます。しかし、リードはすぐれた詩人です。子どものころからリードの詩には苦しめられてきたので、目的に添って注意深く言葉が選択されていることだけはよく承知しています。

このA Salty Dogは、1969年にリリースされたサード・アルバムのタイトル・カットであり、アルバム・オープナーであり、シングルにもなりました。しかし、デビュー曲の圧倒的なヒットに災いされたアーティストの典型で、このすぐれたシングルも音もたてずに消えました。

全体的に見れば、このアルバムは彼らの代表作といっていい出来で、バンドとしてある地点にたどり着いたことがわかります。でも、同時に、3枚もやれば煮詰まってしまう、という原則も当てはめられます。これがピークで、あとはアーティスティックに見ても、コマーシャリズムからいっても、下り坂でした。

◆ 海の冒険物語 ◆◆
しかし、そういうことは、ここでは重要ではありません。歌詞、それもたった1行だけが問題なのです。キース・リードの歌詞をきちんと聴き取れたことなど一度もないので、プロコール・ハルムのオフィシャル・サイトにいって、歌詞を読みました。

1行がむやみに長いものの、形式上、4行1連の3ヴァース構成とみなしていいようですが、サウンド的には、各連の前半2行がヴァースに、後半2行がコーラスに聞こえます。コーラスでのバリー・J・ウィルソンの派手なドラム・フィルは、今聴いてもほれぼれしますが、それもここでは無関係。

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遅れてきた象徴派詩人と「ドラマー詩人」 キース・リード(左)とバリー・J・ウィルソン
このアルバム全体が、スティーヴンソンの『宝島』やジョゼフ・コンラッッドの諸作などの英国海洋冒険小説に着想を得、そうした伝統に寄り添う形で書かれた、海と航海の物語になっています。その冒頭であるこの曲の、そのまた冒頭は、海事用語を使いながら(たとえば、ファースト・ラインに出てくるAll hands on deck!というのは、「総員、甲板へ!」という海事熟語。この場合のhandは乗組員を指すそうです。明快に解決してくれた海事用語集に感謝)船出と航海のようすを簡潔に描写しています。

さて、サード・ヴァースの後半はこうなっています。苦難の航海ののちに、ある場所にたどり着いたというくだりのあとに出てきます。

Now many moons and many Junes have passed since we made land

リーダーズ英和辞典では、

make (the) land=sight the land 【海】 陸を認める, 陸地の見える所へ来る

となっているので、この行は「最後に陸地を見てから多くの月日が流れた」と解釈できます。航海の辛苦の描写を補強する一行なのです。

◆ キース・リードの「六月」 ◆◆
June NightやBoth Sides Nowに登場したmoonとJuneのように、六月の花嫁や少女趣味を連想させるものは、ここにはまったくありません。ここでの「月」はたんなる「月日」をあらわし、Juneは、moon(=month)に引っ張り出された装飾的な単語にすぎません。慣用表現を援用しただけ、文化的伝統に「半分だけ」したがったまでのことです。

「青い影」の歌詞は、なんのことかさっぱりわからず、ただ何度も繰り返される「彼女の顔が蒼白になった」(これがタイトル。青い影などというロマンティックなものではなく、顔色が悪くなるのです。伝統的英国恐怖小説を韻文化したものに思えます)という不気味な一行だけが印象に残るものでした。

それに対して、このA Salty Dogは、キース・リードにしては、意味するところを汲み取りやすい作品ですが、こういう風に慣用句をひとひねりして使ってくるところに、やはりこの人がただ者でないことがあらわれていると感じます。中学生のときから、彼の詩に「いじめ」られつづけてきたための「被害妄想」でしょうか……。
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by songsf4s | 2007-06-28 23:58 | 六月をテーマにした歌
Both Sides Now by Judy Collins
タイトル
Both Sides Now
アーティスト
Judy Collins
ライター
Joni Mitchell
収録アルバム
Wildflowers, The Best of Judy Collins
リリース年
1967年
他のヴァージョン
Joni Mitchell, Neil Diamond
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当時、この曲には「青春の光と影」という邦題がつけられ、ヒットの直後に同じタイトルの映画(原題はChangesなのに、この曲が挿入曲になっていたため、配給会社が「気を利かせた」のでしょう)も公開されたので、邦題のほうで思いだす方も多いでしょう。ティム・バックリーのMorning Gloryのほうが強く印象に残る映画でしたが、それはまたべつの話。

ジュディー・コリンズ、ジョニ・ミッチェル、どちらのヴァージョンを先に立てるか迷いましたが、ヒット・ヴァージョンだという理由で、ジュディー・コリンズのほうにしました。オリジナルはコリンズ盤で、ジョニのほうはセルフ・カヴァーだということもあります。

どちらのヴァージョンも印象深く、そして、いくぶん異なったイメージを提示しています。しかし、六月の曲としてこれを取り上げるのは歌詞が理由なので、どちらでも本質的に同じことです。

◆ 少女の夢想の象徴「お月様と六月」 ◆◆
ベティー・エヴァレットのJune Nightで、「お月様と六月の花嫁派」のことを書きましたが、それはこの曲にも登場します。4行1連ではなく、8行1連とみなすと、セカンド・ヴァースにあたる部分の前半4行はこうなっています。

Moons and Junes and Ferris wheels
The dizzy dancing way you feel
As ev'ry fairy tale comes real
I've looked at love that way

「お月様と六月と観覧車、あらゆるおとぎ話が現実になるときのめくるめく感覚、愛とはそういうものだと思いこんでいた」というあたりでしょうか。少女の夢想する非現実的な愛のことをいっているのは伝わってきます。この「六月」にも、「六月の花嫁」の含意がありますが、moonとJuneがつねにセットになっている少女趣味それ自体にアクセントが置かれているように思います。

この歌は、少女と大人の女の世界観の違いをテーマとしているので(だから、Both Sides Nowというタイトルなのです)、このヴァースも、いまではそういう幼稚な世界観はもっていないということを含意しています。

最初のヴァースとコーラスを見れば、そのことがはっきりします。

Rows and flows of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I've looked at clouds that way

But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way

I've looked at clouds from both sides now
From up and down, and still somehow
It's cloud illusions I recall
I really don't know clouds at all

以上のヴァースとコーラスの大意。

「すじを描いて流れる天使の髪の毛、空に浮かぶアイスクリームのお城、無限につづく羽毛の峡谷、わたしは雲をそんな風に見ていた」

「でも、いまでは、雲はただ太陽を遮り、人々に雨と雪を降らせるだけのもの、わたしにはもっといろいろなことができたはずなのに、雲に邪魔されてしまった」

「いまでは雲を、上から、下から、両側から見ている、それでもやっぱり、それは雲の幻影かもしれないという気がする、ほんとうは雲のことなんてまるでわかっていないのだろう」

つたない訳ですが、意味は伝わったでしょうか? ここでの「雲」は「人生」の暗喩です。雲のことを両側から見てわかったような気になったけれど、じつはまだ夢想しているのかもしれず、ほんとうはわかっていないのだ、と自省するリフレインの末尾に、彼女の明敏さがあらわれています。

さて、これで、ファースト・ヴァースの「アイスクリームのお城」に対応するものが、セカンド・ヴァースのmoonとJune、「お月様と六月」というセットだということがおわかりでしょう。これがまさしく日本の星菫派に相当することも、これで明瞭になりました。いや、そうとはかぎらないよ、と反論する歌もじつは存在します。キース・リードという詩人の作ですが、それはまたべつの機会に。

◆ ジュディー・コリンズ盤 ◆◆
ジュディー・コリンズはいまや、日本ではAmazing Gracesの歌い手になってしまった感がありますが、かつてはBoth Sides Nowが彼女のもっとも有名な持ち歌でした(個人的には、Someday SoonやCook with Honeyなども好きでしたが)。

声に透明感があるので、どうやってもどぎつくはならず、つねに品があって、聴きやすいのがこの人の美質でしょう。この歌詞には、(若く経験の浅い)男の側からすると、もしも自分の恋人がそんなきびしい世界観をもっていたら、リラックスできないなあ、と感じさせるところがあるのですが、そういうトゲをジュディー・コリンズはうまく抜いていると思います。

彼女がさらりとこの曲を歌うと、男に突きつける短剣が隠されているとは感じられず、繊細で鋭敏な若い女性の成長と自省の物語を、あくまでも控えめに、優しく穏やかに語っているように感じらます。だから、この曲が多くの人に受け入れられてヒットしたのではないでしょうか。

サウンド的には、ベーシック・リズムに特筆するべき点はないものの、ストリング・アレンジは好ましいものです。

◆ ジョニ・ミッチェル盤 ◆◆
わたしは、こちらのほうをよく聴きました。コリンズ盤が匿名的なのに対し、ジョニ・ミッチェル盤は、いかにも彼女らしい、プライヴェートで、リアリティーのある(ときにはありすぎる)ヴァージョンになっています。すぐ目の前に個性的な若い女性がすっくと立ち、腰に両手をあてがって、「わたしはもう馬鹿なティーネイジャーじゃないの」と主張しているのが感じられます。

もちろん、「ウーマン・リブ」(「フェミニズム」のことを当時はこう呼びました)の歌ではないので、男にギラリと光る氷の刃を突きつけているわけではありません。鋭敏な女性が、現実世界に立ち向かおうとしている姿を描いているだけです。

f0147840_23554880.jpgでも、この女性と同年代の男の大部分は、どちらかというとまだ少年のような世界観をもっているわけで、こんな女性が現実に目の前にあらわれ、うっかり恋してしまったら、男は日々むりな成長を強いられ、結果的に破綻するだろうなあ、と想像してしまいます。考えすぎ、といわれれば、赤面するしかありませんが!

ついでだから、もっと考えすぎてみます。じつは、語り手は、「アイスクリームのお城」や「お月様と六月の花嫁」にまだ未練があるのではないかと思います。前半の少女の夢想の描写が生き生きとしているのに対して、後半の大人の女の現実の描写には精彩が感じられません。毅然とした大人の女の向こうに夢見る少女が隠れていることを見抜いた男は、彼女とうまくやっていくことができるかもしれない、と思います。まだジョン・グェランとは出会っていないはずで、この時期のジョニのパートナーは……そんなことは知りません。

この曲は1968年のアルバム、Cloudsの最後に収録されています。夕暮れの雄大な湖の光景をバックにした自画像のダブル・ジャケットは、すでに画家としてのジョニの才能をおおいにデモンストレートしていますが(LPじゃないと、この絵のよさはわかりません)、それは余談。

アルバムのなかで聴くと、この曲はいちだんと印象深くなります。お持ちの方ならよくご存知でしょう。まえの曲は無伴奏のThe Fiddler and the Drumで、正直にいって、聴き通すのはかなりつらいのですが、その曲が終わり、Both Sides Nowのギター・コードのイントロで沈黙が破られる一瞬には、すばらしい解放感があります。音というものがどれほど美しいかを改めて実感できる稀な一瞬です。

◆ ニール・ダイアモンド盤 ◆◆
わが家にはもうひとつ、ニール・ダイアモンド盤(1969年のアルバムTouching You, Touching Me収録)があります。見方にもよるでしょうが、これも聴くに値するヴァージョンだと思います。いかにもハリウッド録音らしいスケール感のあるサウンドになっているところが、他の2ヴァージョンとは大きく異なります。

f0147840_23561618.jpgイントロはコリンズ盤を踏襲して、ハープシコードを使っていますが、それより、右チャンネルに配されたベースが、どこからどう見てもジョー・オズボーンというサウンドで、まずそこに耳がいきます。ファースト・ヴァース後半に入ると、左チャンネルからキック・ドラムとサイドスティックが聞こえてきて、これまた、まごうかたなきハル・ブレインのサウンドとプレイ。コーラスでは、ハルのトレードマーク、キック・ドラムの強い踏み込みも登場します。

ハル・ブレインとジョー・オズボーンがいると、どうしても「あのサウンド」になってしまい、わたしの耳は歌よりも二人のグルーヴを追いかけてしまいます。オーケストラのアレンジとプレイも、ハリウッドだから悪いはずがありません。好ましいサウンドです。

ニール・ダイアモンドがハリウッドで録音するようになったのは、フィフス・ディメンションのアルバムUp, Up and Awayが気に入り、そこにプレイヤーの名前が記されていて、彼らと録音したいと思ったからだそうです。だから、こういうサウンドになったのには満足しているはずですが、たとえ控えめにプレイしても強力な人たちですから、ともすれば歌が負けそうになっています(ニール・ダイアモンドの名誉のためにいえば、エルヴィスですら、Speedwayのように、ハルのグルーヴに圧倒されたことがあるくらいだから、仕方ありません)。

結局、サウンドを楽しむヴァージョンという結論ですが、ひとつだけニール・ダイアモンドの歌について思ったことがあります。ジュディー・コリンズとジョニ・ミッチェルのせいで、この曲は女性が歌うものと決めつけ、男が歌うとおかしいと思っていましたが、思いのほか違和感がありません。歌える自信があったから歌ったのでしょう。

また、ときおり、ハイ・パートの強い発声のところで、声がクラックし、音程もフラットすることがありますが、それがこの人の魅力のひとつなのだと気づきました。とくに好みの人でなくても、ときにはきちんと正座して聴いてみるものだな、と思いました。
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by songsf4s | 2007-06-27 23:56 | 六月をテーマにした歌
June Night by Betty Everett
タイトル
June Night
アーティスト
Betty Everett
ライター
Abel Baer, Cliff Friend
収録アルバム
The Very Best of Betty Everett
リリース年
不詳(1960年代)
他のヴァージョン
The McGuire Sisters, Jimmy Dorsey, Gloria Lynne, Miles Davis他多数
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◆ スタンダード曲? ◆◆
ベティー・エヴァレットには、The Shoop Shoop Song (It's in His Kiss)、You're No Good、Getting Mighty Crowdedなどのヒットがあり、またジェリー・バトラーとのデュエットでもLet It Beなどがヒットしています。メインストリーム的な後者はともかく、R&B的な前者のほうはいまでもよく聴いています。

大昔の曲のことはよく知らないのですが、このJune Nightはスタンダードらしく、The Great Song Thesaurusという本によると、1924年につくられたそうで、上記以外にも数々のヴァージョンがあるようです(1955年以降にビルボードにチャートインしたヴァージョンはジミー・ドーシー盤のみ)。

f0147840_23494194.jpgそれで、ふだんのエヴァレットのR&B調とは異なり、ちょっと変形した4ビートが使われている意味がわかりました。昔風にやってみた、または、だれかジャズ・ヴォーカルの人(マグワイア・シスターズでしょうか)のヴァージョンを参照したのだと思います。

エヴァレットはブラック・シンガーにしてはディクションがよく、歌詞を聴き取りやすいのですが、一カ所、よくわからないところがあって、ウェブで調べてみました。わたしが聴き取れなかった箇所について、意味不明の聴き取りをしているところもあり、正確と思われるものを見つけるのに手間取りました。

◆ ベティー・エヴァレット盤の歌詞 ◆◆
その正確と思われる歌詞も、エヴァレット盤とは異なっていますし、エヴァレット盤を元にした歌詞は発見できなかったので、以下に、他のヴァージョンを参照しつつ、書き写してみます。

June Night
(modified as Betty Everett sings)

Just give me a June night
The moonlight and you
In your arms with all your charms
Neath skies above and we'll make love

I'd hold you, enfold you
Then dreams will come true
Oh give me, give me, give me a June night
The moonlight and you

(repeat both verses)

わたしが聴き取れなかったのは、enfold youというところです。I'll hold you in full viewなどとしているところがありましたが、そんな風には聞こえません。enfold youのほうがずっと理にかなっていると感じます。

◆ 「お月様と六月の花嫁派」と「星菫派」 ◆◆
日本でいえば大正時代に書かれた曲ですから、甘ったるいところが賞味のしどころでしょう。女性の側から積極的に誘う(というより、六月の花嫁にしてね、というプロポーズですが)というのは、当時としては冒険的な設定だったのかもしれませんが、でも、時はロアリング・トウェンティーズ、ギャツビーとチャールストンの喧噪の1920年代ですから、たぶん、それほど違和感はなかったのだと想像します。

作詞家は、Juneというと、すぐにMoonで韻を踏むことになっています。日本で「星菫派」(「せいきんは」と読みます。広辞苑では「星や菫(すみれ)などに託して恋愛を歌う浪漫詩人の一派」と定義されています)の少女趣味を皮肉るように、「MoonとJuneの詩」とあげつらったエッセイを読んだことがあります。日本の「お星様とスミレ」同様、「お月様と六月の花嫁」は少女趣味の象徴です。

しかし、歌詞というのはおおむね星菫派、じゃなくて、「お月様と六月の花嫁派」的なものですし、とりわけ大昔のものはそこによさがあると思います。現実主義が浪漫主義を圧倒している現代だからこそ、そういうたわいのないものが好ましく感じらるときがあるのではないでしょうか。

この曲の歌詞はわずか2ヴァースしかありませんが、フランク・シナトラは「2ヴァースの歌はいいんだよ」と、娘のナンシーにいったそうです。その理由は記憶していなかったので、改めてナンシー・シナトラ著『Frank Sinatra: My Father』を開いてみましたが、説明はありませんでした。想像するに、短くて、歌う側にとっても聴く側にとっても覚えやすい、あるいは、間奏のあとは、自由に2つのヴァースを変形してインプロヴできる、というあたりでしょうか。

f0147840_2350574.jpgこれだけ短いと、ストーリーを語るわけにはいかないので、勢い、俳句や短歌のように情景や心理を描写するものにならざるを得ません。その場合、俳句がそうであるように、ある言葉がもつ広がり、文化的な共有財産に頼ることになります。月と六月は、それだけである雰囲気を提示できるので、こういう歌詞になったのだろうと思います。女性にとって、六月はもっとも端的な幸福の象徴ですから。

◆ 六月の由来 ◆◆
六月といえば、ジューン・ブライドを思い浮かべます。これはローマ神話の女神ジュノー(ユノ)からきているのはご存知のとおりで、「彼女はもともと女性の結婚生活と密接な関係をもつ女神で、広く女性の崇拝を集めていた」(世界大百科)そうです。ユノ(Juno)から英語のJuneという言葉が生まれたわけで、六月生まれの女の子に「ジューン」という名前を付けるのも、将来、幸せな結婚生活を送れるようにと願ってのことでしょう。

星の名前には、ギリシャ・ローマ神話の神々の名前が利用されます。ユノは小惑星の名前になっているそうですが、彼女の夫のユピテルは、英語ではジュピター、すなわち木星のことですから、とてつもないサイズの差があります。ノミの夫婦どころか、ゾウの夫にバクテリアの妻ぐらいの差でしょう(正確な比率じゃないですよ!)。

ジュピターは、ギリシャ神話の太陽神ゼウスにあたる神だそうです。それで、なるほどと思ったことがあります。アーサー・クラークの『2010年』のラストで、木星がミニ太陽化してしまうのは、この連想が生んだものだったのではないでしょうか。

◆ 歌詞の変更 ◆◆
よけいな話はともかく、Juneという言葉からはこのような事柄が連想されるので、この曲では天空に関わる単語が使われ、「天にも昇る気分」のメタファーとして援用されているわけです。日本的にいえば「縁語」の使用ですね。

エヴァレット盤ではNeath skies(大空の下で)となっているところは、通常はNeath stars(星々の下で)と歌うようで、うちにあるグロリア・リン盤もそのようになっています。skyに変更することで、文字通り「星菫派」的ニュアンスが弱められ、ニュートラルに響くと思います。60年代にあってはちょっと甘すぎる歌詞なので、甘みを抑えようとして変更したのかもしれません。

f0147840_23503096.jpgもうひとつの大きな変更は、一般に「In my arms」わたしの腕のなかで、とされている部分が、「In your arms」あなたの腕のなかで、となっていることです。In my armsでは、女性が強すぎる、または、女性が年上のような印象をあたえかねません。他の部分との整合性を考えると、「あなたの腕のなかで」のほうが自然に聞こえます。skyに変えたところでは甘みを抑えましたが、ここは逆に甘みを強めたという印象です。差し引きで糖度はプラス・マイナス・ゼロ。

ベティー・エヴァレットのJune Nightは、The Shoop Shoop SongやGetting Mighty Crowdedのようなヒット曲ほどすばらしいわけではありませんが、嫌味のない声と歌い方の持ち主なので、「古典」を教えてくれる歌手としては歓迎できます。グロリア・リンはメインストリーム・シンガーのように歌い上げるタイプなので、聴きくらべると、さらりと歌っているエヴァレットのよさがいっそう引き立って聞こえました。

自分が生まれるはるか以前につくられた音楽を聴くのも、たまには悪くないものです。
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by songsf4s | 2007-06-26 22:52 | 六月をテーマにした歌