カテゴリ:「愛の夏」の歌( 3 )
All You Need Is Love by the Beatles
タイトル
All You Need Is Love
アーティスト
The Beatles
ライター
John Lennon, Paul McCartney
収録アルバム
Magical Mystery Tour
リリース年
1967年
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f0147840_22282713.jpgサマー・オヴ・ラヴの流れからいうと、Somebody to Loveのつぎにくるべき曲は、と予想をたてた方もいらっしゃるかもしれません。候補は4、5曲に絞られたはずです。おなじエアプレインのラリパッパなトップ10ヒットWhite Rabbit、ドアーズの真夏のチャート・トッパーLight My Fire、サマー・オヴ・ラヴの大トリ、「締めの曲」だったプロコール・ハルムのA Whiter Shade of Pale、このあたりが素直な線です。

ちょっとはずして、ボビー・ジェントリーのモンスター・ヒットOde to Billie Joe、穴狙いでラスカルズのGroovin'、大穴でモンキーズのPleasant Valley Sunday、もうひとつの大穴、ハル・ブレインが叩いたアソシエイションのWindy、こうした曲も間接的にサマー・オヴ・ラヴとむすびついているようにわたしには思えます。

いずれをとりあげてもよかったのですが、まあ、やはりはずすわけにはいかないので、ビートルズをとりあげるしだいです。この曲があっては、わたしの意思ではどうにもならないじゃないですか!

◆ 同時代との同期 ◆◆
ビートルズは、イギリスという世界音楽の首都から遠く離れた片田舎の、さらに中心からはずれた地方都市で生まれ育ったので、1964年にアメリカに渡るまでは、井戸の蛙でした。たんにとほうもない才能があった点が、ほかの無数の井戸の蛙といくぶん異なっていただけです。

彼らが愛していたアメリカ音楽は、どう見てもカビの生えた50年代の売れ残りで、アメリカの最先端の「気分」については無知でした。1964年の時点では、なぜジャン&ディーンやビーチボーイズが、アメリカ土着音楽として最先端の波をシュートしているのか、彼らが理解していた気配はありません。たんに、そのすぐとなりにあったフィル・スペクターの音楽のすごさを知っていただけでしょう。

カビの生えた売れ残り音楽ではありましたが、古い革袋に新しい酒を盛ることにかけては、ファブ・フォーは空前絶後の才能をもっていたので、われわれはそれがきわめて斬新な響きをもっているかのような錯覚をおこしました。そこに彼らの人を惹きつけて放さない「集合的キャラクター」があいまって、人類の歴史で後にも先にもない、いま思い返しても、ほんとうにあったこととは思えない、地球規模(ということはすなわち、共産圏をのぞく文明国ということですが)のマス・ヒステリー現象を招来したことはご存知のとおり。ビートルズは、地球規模のアイドルとしての最初の2年間を、生まれたまんまの才能のみを使って、ジョージ・マーティンの介助により、50年代音楽の現代的再生をするだけで泳ぎ渡ったのです。

しかし、なんどもアメリカをツアーしていれば、時代の最先端にシンクロしはじめて当たり前ですし、そもそも、それだけの感度がなければ、最初のブレイク・スルーだって起きたはずがないのです。時代にシンクロしはじめたことを示す最初の兆候が、Help!のアルバム・カットであるYou've Got to Hide Your Love Awayでした。

f0147840_22302242.jpgこの路線を延ばした向こうになにがあるか、などともったいぶったことをいわなくても、Rubber Soulにきまっています。ここでファブ・フォーはやっと50年代に永遠のさよならをいって、「同時代の現実」に追いついたのです。ここからは、同時代のアーティストたち、というよりは、むしろ「時代の気分」とのフィードバックによる雪だるま現象がはじまります。ビートルズの音が時代に響き、そのエコーにビートルズが影響を受け、なにかが生まれ、また時代がそれをビートルズにエコーしかえす、という、ハウリングが起こるのです。

そんな道筋で捉えているわけですが、ここまではよろしいでしょうか。ちょっと端折りすぎかもしれないのですが、ビートルズ同時代史論をくだくだしく書くわけにもいかんのですよ。

時代の側についていえば、サーフ・ミュージックがフォーク・ロックを生み、フォーク・ロックがサイケデリック・ミュージックを生みました。あなたが好きなジャンルはこの三つのうちのひとつだけであっても、そういうファン心理とはまったく無関係に、こういう流れが厳然としてあり、この三つは一連のものとして聴かなければ、音楽史は一貫性を失い、理解不能となります。

以上、ファビュラスな4人組は、サーフ・ミュージックに対する理解を決定的に欠いたまま、途中から同時代のアメリカ音楽にシンクロしはじめた、というのが、ここまで駆け足で述べてきたことの目的地です。

お温習いするならば、アメリカではフォーク・ロックというものが最先端だということに気づき、真似したといって悪ければ、俺たちならもっとうまくやると主張したのがRubber Soul、ヤードバーズあたりのややダーティーなグループに影響を受けた、後年「ガレージ」としてくくられた連中が蜘蛛の子のように全米にうごめいていることを覚って、その「気分」にぶつけたのがRevolver、その路線を洗練し、自分たちこそが「ヒップ」の最先端をいっていることを証明しようとしたのがSgt. Pepper'sです。

◆ 「細かいことは抜き」にする技 ◆◆
f0147840_22554410.jpgペパーズほど、リリースされた時点で聴けば無茶苦茶に面白く、後年になるとまったく面白くもなんともない、という極端な落差をもったアルバムはほかにないでしょう。それほど時代にピッタリと寄り添った音楽でしたし、同時代のトップ・アーティストであれを無視できた人は皆無と思えるほどの、メガ・ハリケーン級影響力をもっていました。アメリカ音楽の中心地はシカゴだと思いこんでいたほどで、あまりのことにほめたくなるほど遅れた時代感覚をもっていたストーンズですら、それまでの路線を丸ごとドブに投げ捨て、悪魔の要請がどうしたとかいう血迷ったアルバムを泥縄ででっち上げたほどです。

それだけのアルバムをつくったファブズがつぎにやった仕事が、アニメ映画『イエロー・サブマリン』のための(ドブに捨ててよい)新曲の録音だったというのだから、歴史というのは皮肉なものです。そして、その最中に衛星回線によってテレビの世界同時中継が可能になったことを記念する番組への出演が決まったのだから、またまたtwist of fateであります。

そのときの報道では、ジョンは、Oh God, is it that close? I suppose we've got to write something「そんなに時間がないんじゃヤバいじゃん、なんか書かなきゃだな」といったと伝えられています。かくして、いつも以上にノンシャランにknock offされたのが、サマー・オヴ・ラヴ讃歌の大真打ちAll You Need Is Loveです。

この時期のジョン・レノンは、歌詞ではなく詩を書くようになっていたので、細かく検討するのは愚の骨頂です。こういうものはほうっておくにしくはありません。受験生ならば、こういう二重否定の繰り返しなどの言葉遊びを、数式を解くようにではなく、感覚としてすっと理解できるようになれば、英語に関するかぎり、どこの大学でも大丈夫なだけではなく、アメリカ留学に逃げるのも可能だと保証できるような代物で、試験問題に出たら、否定の否定は肯定だ、だとか、否定の否定の否定は否定だとか、いちいちチェックしないと安心できないような、ひとをおちょくったような歌詞です。

受験生ではないたんなるリスナーにとって、この曲の歌詞で重要なのはただ一点、時代の気分を「All you need is love」という一行のスローガンにまとめてみせた、ということだけで、あとは無視しても、まったく差し支えありません。

大衆というのはつねに、「細かいことは抜きにして」ひと言でいってくれないとわからないものなので、ちょっと考えればあまりにも粗雑な、この一行の「総括」はみごとに時代を象徴しました。こんな世迷い言をユニヴァーサルな箴言かなにかのように受け取った人、そして、まだそのように思いこんでいる人も散見しますが、そういう大勘違いのおっちょこちょいはいつの時代にもなくならないわけで、嗤って見逃してやりましょう。たんに、あの夏の気分をうまくすくいとった、才能豊かなコピーライターの手になるコマーシャル・ソングといった程度のものです。よくできたコピーにだまされ、宣伝に踊らされて行動する人はいつの時代にも無数にいるから、コマーシャル・ソングという音楽も、コピーライターという職業がなくならないわけでして、ウィルスやスパムがなくならないのと同じ原理です。

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いや、ジョン・レノンというのは、ほんとうにたいした人だと思います。時代の気分をひと言にまとめてみせる、なんていったって、それができる人はごく稀ですし、ヴァースの無意味な羅列にしても、all you need is loveというひと言を導き出す露払いとしては十分な役割を果たしていますし、しかも、たぶん、ほんの短時間で書いたはずで、これだけのことができる人はやはり、同時代を見渡してほかにいなかったと感じます。同系統のImagineの吐き気を催すような偽善性にくらべれば、こちらのスローガンのほうが、具体性を欠いているところがまだしもましで、懐疑的なわたしとしても「総論賛成、各論反対」ぐらいのところに落とし込むことができます。

これだけみごとな「総括」の言葉が出てしまっては、もはや「運動」の停止はやむをえません。名づけ得ぬモンスターであるからこそエネルギーをもつのであり、名前がつけられた瞬間、それはぴったりそのサイズに収まって飼い慣らされてしまうものです。サマー・オヴ・ラヴは、プルコール・ハルムのA Whiter Shade of Paleという不気味なコーダとともにフェイドアウトします。この曲のシングルを手にしたときには、日本ではそろそろセーターがほしい時季になっていました。

◆ 破壊の翌朝 ◆◆
あの夏はなんだったのかなどということは、なにかの映画とそのコマーシャルにでもまかせておくことにして、個人的には音楽に恋した夏でした。音楽が人生のすべてだった唯一の夏でした。

「あの気分」がのこした遺産は、サンフランシスコ市の財政悪化(とほうもない流入人口でインフラストラクチャーが打撃を受けた)と、ポップ・ミュージックにルールはない、という新しいルールです。悪くいえばお芸術家気取りなのですが、だれしもが背伸びしてなにかをつくらなければならない時期が、この幼い分野には必要だったのだと、いまは思います。

あの時期を通過し、あとで顔から火の出るほど恥ずかしい思いをしたおかげで、ストーンズだって、It's Only Rock'n'Rollだと自信をもっていえるようになったわけですし(悪魔の要請のなんとかだの、わたしたちはあなたたちを愛しているとかなんとかいうこっ恥ずかしい曲をリリースして、ジョン・レノンに真似しっ子と嘲笑されたことを同世代の人はまさかお忘れではありますまい)、FZだって「俺たちは金のためにやってるだけだ」というアルバムをつくることができたのです。これが学習というものです。

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サンフランシスコを訪問したジョージ・ハリソン夫妻とデレク・テイラー

建設活動とはすなわち際限のない破壊活動であることは、すべての日本人が理解していることです。サマー・オヴ・ラヴは、一面できわめて生産的でしたが、ということはつまり、きわめて破壊的な「運動」でもありました。世界音楽中心としてのハリウッドが息の根を止められるのはもうすこし先のことになりますが、やがて命取りとなる宿痾の病を得たのは1967年のことです。

子どもたちが会社のいいなりに音楽をつくる(ようなふりをする)時代は終わろうとしていました。聴くに堪えないほど下手でも、「自分たちの」音楽を「自分たちで」つくることが時代の気分となり、モンキーズが自分たちでやった悲惨なトラックが生まれたりしたわけです。プロフェッショナルの力を借りないのが立派なこととなり、アメリカのメイジャーなバンドの平均レベルはこの時点で一気に下落しました。ドアーズのように、セカンド・アルバムで突然、ド下手になったバンドを、皆さんもまさかお忘れじゃないでしょう?

しかし、これは「通過儀礼」というもので、大人になるにはそういう屈辱に耐えなければならないのでしょう。スタジオ・プレイヤーが商売として成り立ちにくい時代がすぐそこまできていました。まもなく、全体の演奏レベルは旧に近いところにまで快復し、すぐれたプレイヤーたちも誕生することになります。そのころには、音楽そのものが内面で崩壊を起こし、意味を失いはじめるのは、またべつのコンテクストに属する話なので、ここではそこまで立ち入りません。

◆ うたげ果てて…… ◆◆
祭りの後始末というのはじつに味気ないもので、いまさらAll You Need Is Loveなどという曲は取り上げなければよかったかもしれません。ビートルズもまた、このあたりが「社会的なピーク」で、ここから先は、彼らの存在自体が音楽という小さな枠組みのなかに閉じこめられていきます(もちろん、それがノーマルなのですが)。

十代の子どもも、新しい潮流に気を奪われ、ビートルズがなにか出しても、あわててレコード屋に駆け込んだりはしなくなります。個人的には、Magical Mystery Tourまでは「社会的イヴェント」への参加の気分で買いましたが、いわゆるWhite Albumは、オブラディ・オブラダとかいう我慢のならない曲がヒットしたせいもあって、まったく興味をもちませんでした。

スティーヴ・ウィンウッドとマイケル・ブルームフィールドとジミ・ヘンドリックスとプロコール・ハルムとキンクスとグレイトフル・デッドと、その他あれやこれや山ほどあって、ビートルズの面倒までは見きれなくなったのです。

そう、ちょうど、ビートルズを聴きはじめたころ、エルヴィス・プレスリーに対してもっていた「ちょっと昔の時代遅れの人」という感覚を、もうファビュラスではなくなった4人組にももちはじめたのです。いつ解散しても関係ないという気分だったのですが、さすがに映画Let It Beは、学校をサボって、いまはなき京橋のテアトル東京まで見にいった……なんてことはずっと先の話で、いまはとりあえずどうでもいいのですが。

あの「気分」は翌年の夏ぐらいまでは残響し、じつに楽しい時代をすごすことができました。All Summer Long×2と、残りの人生を交換する価値があるかどうかは微妙ですが、時代はそういう風に推移したのだから、われわれにはどうすることもできません。

もっともよい時期に、もっともよい年齢で遭遇したわれわれの世代が、以後の音楽を、付け足りの余生みたいな気分で、聴くでもなく、聴かぬでもなく、ぼんやりとパスしたのは、まあ、しかたのない運命、払わなければならない税金だったと思っています。たとえ余生ではあっても、ときには、ジム・ゴードンのライド・シンバルの素晴らしさを発見するといった、輝かしい一瞬もあったことですし、さして不満があるわけではありません。

さて、これをもってサマー・オヴ・ラヴへの短い寄り道を終わり、つぎからはノーマルな(かどうかは、その場になってみないとわかりませんが)夏の曲に戻る予定です。
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by songsf4s | 2007-08-14 22:58 | 「愛の夏」の歌
Somebody to Love by Jefferson Airplane
タイトル
Somebody to Love
アーティスト
Jefferson Airplane
ライター
Grace Slick
収録アルバム
Surrealistic Pillow
リリース年
1967年
他のヴァージョン
live versions of the same artist
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◆ 長めの前史 ◆◆

本日も、商売人たちが仕組んだ、お調子者のためのサマー・オヴ・ラヴ40周年便乗のそのまた便乗をつづけます。いちおう、それらしい曲を看板に立てましたが、あくまでも看板で、周辺のことも書きます。

ビートルズのRevolver(66年)のときから、なにか変な感じがしていました。同じころに大ヒットしたビーチボーイズのGood Vibrationsも、そのまえの(という時間感覚で記憶していますが)Sloop John B.とはだいぶようすの違う曲に聞こえました。

f0147840_23524297.jpg当たり前じゃんか、というのはリアルタイムでご存知ない方です。たとえいまは古典の地位を獲得した曲であっても、同時代にあってはヒット・チャートをにぎわしている「流行歌」なのです。同じ流行歌だけれど、それぞれスタイルがちがうにすぎません。まえのSloop John B.は、わたしはキングストン・トリオのヴァージョンでもっていたので、「そういう曲」と理解していましたが(両者とも、ストライプのボタンダウンのシャツを着たパブ・ショットが有名で、ある意味で「同じくくり」にできなくはなかった)、そこから考えると、Good Vibrationsは、まったく異なるカテゴリーの曲でした。

f0147840_2354303.jpgあ、それ以前にもう1曲、ちょっと引っかかったものがありました。ヤードバーズのHeart Full of Soulです。クラプトンのヤードバーズではなく、先鋭化したジェフ・ベック時代のヤードバーズです。あのとき、リアルタイムでHappening Ten Years Time Agoを聴いていれば、ギターの扱いにもっと驚いていたと思うのですが、幸か不幸か、Heart Full of Soulしか知らなかったので、なんか変な曲だ、と思っただけでした。

そのつぎに引っかかったのは、ラジオで2、3回聴いただけの、エレクトリック・プルーンズI Had Too Much to Dream (Last Night)です。これはHeart Full of Soulどころではなく、イントロのギター(というかサウンド・イフェクト)からして、すごく変だ、と思いました。

f0147840_2356239.jpg「ミュージック・ライフ」には、マーシャルのアンプを数台、直列につなげてギターの音をつくった、といった紹介があり(つまり、フィードバックさせたといいたいのかもしれません)、このころはまだハイプをまともに信じる子どもだったので、すごいなあと、マーシャルのアンプがどんなものかも知らないのに感心しちゃいました。マーシャルはたぶんジミヘンが有名にしたのであって、それ以前は、ギターアンプの最高峰はフェンダー・トゥイン・リヴァーブでした。いまでも、そっちのほうがいいという人は、わたしを含めていっぱいいることでしょう。大きな会場での出力の問題もあって、マーシャルが増えていったのではないでしょうか。えーと、どこからここに迷い込んだのだったか……。

プルーンズの「今夜は眠れない」(原題は「昨夜は夢ばかり見てよく眠れなかった」という意味だから、きっと今夜も眠れないだろう、なんだ、考えオチかよ、という邦題です)は、いろいろなイフェクトが入っていて、8分でリズムを刻むといったような常識的なギターではなく、なんだよ、これは、と思いました。

今夜はこの曲を取り上げようかな、と思ったのですが、セッション・プレイヤーが多数混入または百パーセント混入の疑いが強くて、「またか」といわれるのも業腹なので、これはリンボーの闇に転送しました。ひとつだけいっておくと、あのプロフェッショナルたちが、先鋭的なガレージ・バンドみたいな音をつくったことに、いちだんと尊敬の念を深めます。恐るべきプレイヤー集団です。

◆ さらに長めの前史 ◆◆
66年から67年はじめにかけて登場した、こうした一連の「変な曲」「変なアルバム」のおかげで、もっと変なものが出てきても、驚くというよりは、納得できる状況ができあがりました。真打ちは、プルーンズと同じ時期に登場したStrawberry Fields Foreverです。

この曲の歴史的評価はどうであれ、あの時代にあっては、もっとも先鋭的なサウンドをもつ流行歌でした。それまでの、たとえば、She Loves You的な流行歌の基準からいえば、考えられないほどアヴァンギャルドで、それがチャートを駆け上がっていき、ラジオからガンガン流れてきたのが、67年はじめという時期でした。

ビートルズが、Rovolverの路線をさらに先鋭化した方向へと傾斜しはじめたことが明らかになったのだから、いまふりかえれば、ほかのアーティストが、その方向でヒットを生む機は熟していたことになります。

f0147840_23573256.jpg反論したくてウズウズしている人もいるかもしれないので、急いで付け加えておきます。ビートルズが単独で「その方向」を開拓したのではありません。どちらかというと、彼らは、すでに伏在していた「気分」をすくいあげて、白日の世界に提示しただけというべきでしょう。ああいうものが受け入れられる素地は、すでに十分にできていたのです。そういう地下というか、表皮のすぐ下にうじゃうじゃと、「その方向」のバンドが英米の各地に簇生していたことが、PebblesやNuggetsといったコレクションに結実した考古学的研究の結果、いまでは明らかになっています。

これで、本題に入る準備がようやく整いました。極東の中学生の場合も、変な方向に飛び込んでいく下地はすっかりできていたのです。

◆ ライトショウ ◆◆
あれはいつのことだったのか、もう記憶があいまいなのですが、67年のたぶん初夏のことでしょう。いつものように、朝の番組「ヤング720」を見ていたら、とんでもないものが飛び込んできました。こんな雰囲気の絵です。

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ジェファーソン・エアプレインのSomebody to Loveという曲で、ステージではこういう幻想的な演出をしているとかなんとか紹介されました。たしか、すでにライトショウのことは雑誌で読んでいたと思います。これがライトショウというものか、と中学生は興奮しつつ(いまではべつにどうということのない演出ですが、あの時代にあってはちょっとした驚きでした)、カッコいい曲だなあ、と思ったのでありました。リード・シンガーもなかなか美人のようでしたし!

長々しい前史を書いたのは、エアプレインのサウンドとライトショウが、まったくのエイリアンではなく、どちらかというと、無意識のうちに待望されていたものが、現実として目の前にあらわれたという、当時の子どもの印象をわかっていただくためでした。

f0147840_00161.jpg最初の雨粒の大部分が、地表に届く前に蒸発してしまうように、66年のあいだは、こうした伏在する気分はなかなか表面には出てこなかったのですが、素地ができあがり、そこに乗るすぐれた楽曲がでてきたことによって、ここからは、サマー・オヴ・ラヴ的な曲が続々と登場します。いや、「続々」というのは、それを望んでいる子どもの印象にすぎないかもしれませんが、ほぼ同じころにビートルズが一年ぶりのアルバム(本来は半年に1枚のスケデュールだったので、解散説がかまびすしくなるほどの遅れだった)であるSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandをリリースしたところで、その気分は爆発といえるほどまでに昂まっていったのです。

◆ 尋常な歌詞 ◆◆
せっかくだから、いつものようにSomebody to Loveの歌詞を検討しますが、どうこういうようなものにも思えません。プルーンズの「昨夜は眠れなかった」にも同じことがいえます。いや、そもそも、曲自体はあちらはプロのソングライターが書いたもので、とくに時代を反映したものではなく、ただただサウンド作りが先鋭的だったにすぎません。

When the truth is found to be lies
And all the joy within you dies

ファースト・ヴァースはたったこれだけです。中身より、この尋常でない構成のほうに特徴があるといっていいほどです。「真実と思ったものが偽りとわかったとき、あらゆる喜びが死ぬ」と、これでわずか8小節。すぐにコーラスに突入します。

Don't you want somebody to love
Don't you need somebody to love
Wouldn't you love somebody to love
You better find somebody to love

あまり意味があるとはいえないし、シンプルなので、日本語なんかにはしませんが、これまた8小節で、短いギター・ブレイクがあり、すぐにヴァースに戻ります。子どもとしては、曲がはじまったとたんといっていいほど「浅い」ところに出てくるギター・ブレイクが気になりました。

When the garden's flowers, baby, are dead, yes
And your mind, your mind is so full of red

f0147840_045741.jpgセカンド・ヴァースでやっと、サイケデリックっぽいというか、歌の世界では当たり前とはいえない表現が出てきます。庭の花が枯れれば(「死ねば」といっていますが)、あなたの心は赤でいっぱいになる、って、なんのことかわかりませんが、わからない詩はそのままにしておくにかぎります。まあ、ジョン・レノン自身の解説で、Strawberry Fields Foreverの「It must be high or low」の意味がわかったりすることもあるわけで、書いている当人は、明確な意図を持っていたのかもしれません。とりあえず、「花」と「死」と「赤」は「縁語」のようなものにわたしには思える、とだけいっておきます。

どうせ短いので、最後のヴァースも写しておきます。

Tears are running, they're all running down your breast
And your friends, baby, they treat you like a guest

文脈からいうと収まりが悪いのですが、「涙は胸を伝って流れ落ちる」というのは、それ自体、意味がわからないということはありません。なぜ、ここにそういうラインが出てくるのかがわからないだけです。「友人たちはあなたをゲストのようにあしらうだろう」というのもわかりません。guestという語に悪い意味はないはずだが、と思って辞書を引くと、「《廃》 他国者, 異国人」という使われなくなった語義がありました。このことをいっているのでしょう。唐突にでてくるところがわかりませんが、このライン単独での意味は、「よそ者のように冷たくあしらう」で通じます。

◆ 尋常ではないサウンド ◆◆
ヒットしていた当時も、その後も、この曲の歌詞のことを検討したことなどありませんでした。わかったような、わからないような歌詞であるいっぽうで、三度くり返されるコーラスはおそろしく単純で、だれにでも了解できるものです。たいていの人の印象に残るのは、このコーラスの繰り返しとサウンドだけであって、ヴァースはだれの注意も惹かなかったのではないでしょうか。

f0147840_07411.jpgもちろん、日本人の中学生も、歌詞などまったく気にしませんでした。歌詞だけ見ているとわかりませんが、この曲の構成は、正確には、ヴァース/コーラス/ギター・ブレイク/ヴァース/コーラス/ギター・ブレイク/ヴァース/コーラス/長めのギター・アウトロ、と表現するべきです。コーラス同様に、何度も短いギター・ブレイクが登場する構成が、きわめてunusualでした。中学生は、全体のサウンドの雰囲気と、ヴォーカルとギターを同列においたこの構成に強く惹かれたのです。

また、忘れてはならないのが、ジャック・キャサディーのベースです。この最初のヒット曲からして、彼のプレイが全体を支配しているといっていいほどで、この人がいたおかげで、サンフランシスコのバンド全体のレベルがあがったとまで考えています。デッドのフィル・レッシュに強い影響をあたえただけでも、彼はアメリカ音楽史に大きな貢献をしたといっていいでしょう。中学生のわたしはキャサディーの大ファンになりました。

◆ デイヴ・ハーシンガー ◆◆
その盤が録音されたのはどこのスタジオか、などということを気にするのは、健康な音楽ファンのやることではないでしょうが、ジャケットをひっくり返して、裏側の文字を読んでいると、ときに、ささやかな洞察に至ることがあります。

まずは、Somebody to Loveが収録されたジェファーソン・エアプレインのセカンド・アルバム、Surrealistic Pillowの裏ジャケをどうぞ。

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ジョーマ・コーコネンの左肩には「RECORDED IN RCA VICTOR'S MUSIC CENTER OF THE WORLD, HOLLYWOOD, CALIFORNIA」とあります。ひどく大げさな名前ですが、これはハリウッドのRCAスタジオのことです。エルヴィスも使ったことがあるし、モンキーズもここで録音していました。もちろん、ほかのアーティストも多数。

コーコネンの頭の上には「RECORDING ENGINEER: DAVE HASSINGER」と書かれています。ハーシンガーは、ストーンズのハリウッド・セッションのエンジニアを務めた人です。

つぎは、グレイトフル・デッドのワーナーからのデビュー盤のクレジット。

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ご覧のとおり、プロデューサーはデイヴ・ハーシンガーとあります。

つまり、サンフランシスコのバンドの先陣を切ってメイジャーと契約をむすび、のちのちまでサンフランシスコ・サウンドの代表といわれる二つのグループは、ハリウッドで録音していたということです(デッドはまもなく本拠地のウォーリー・ハイダーのスタジオを使うようになる)。

彼らがエレクトリック・プルーンズのように、スタジオ・ミュージシャンを使ったといいたいのではありません。デッドは百パーセント自前、エアプレインは、ひょっとしたら、セッション・ギタリストの助けをいくらか借りたかもしれない、といった程度です。キャシディーはうまいし、ドラムのスペンサー・ドライデンもまずまずの腕です。

そもそも、ドライデンはジャズ・ドラマーで、デビュー時のエアプレインのドラマー、スキップ・スペンスが抜けて(ギタリストしてモビー・グレイプをつくる)困っていた彼らのマネージャーに相談を受けたアール・パーマー(やっぱり「関係者」が出てきました)が推薦したのだそうで、要はスタジオ・プレイヤーと似たような立場でエアプレインの録音とライヴで叩いたのです。スタジオ・ドラマーになるほどの腕はないが、ツアーならば十分にやっていける、という意味でアールは彼を推薦したのでしょう。そうじゃなければ、スタジオ・ドラマーとして推薦します。ハル・ブレインはアール・パーマーの推薦のおかげでスタジオに入ったのであり、ジム・ゴードンはハル・ブレインの推薦でスタジオの仕事を得たのです。

よけいなところに入り込んでしまいましたが、あの「サウンド」は、いま思えば、エアプレインがつくったのではなく、ハーシンガーがつくったにちがいありません。

ちょっとアンフェアなのですが、いままでカードを一枚伏せていました。じつは、エレクトリック・プルーンズのプロデューサー/エンジニアもハーシンガーだったのです。わたしは、いまでは単純に考えています。I Had Too Much to Dream (Last Night)と、Somebody to Loveという、中学生のわたしの耳をグイと引っぱったunusualなサウンドは、プルーンズやエアプレインがつくったのではなく、デイヴ・ハーシンガーがという風変わりなエンジニア/プロデューサーが構想した音だったのだ、というように。

サンフランシスコで生まれたと考えられている「サイケデリック・サウンド」は、じつはハリウッドの職人が、時代の要請するところをうまく読んでつくりあげた、緻密なものだったのだと思います。

◆ 各ヴァージョン ◆◆
f0147840_0125085.jpg今回は、比較対象はすべて同じアーティストです。うちにあるSomebody to Loveの他のヴァージョンは、エアプレインのモンタレーでのライヴと、ライヴ・アルバム、Bless It's Pointed Little Headに収録されたライヴ・ヴァージョンだけです。

モンタレーのライヴは、録音も悪く、プレイも、テンポが異常に速くて、間合いというものがなく、出来がいいとはいいかねます。

それに対して、Bless It's Pointed Little Head収録ヴァージョンは、キャサディーとドライデンがいいグルーヴをつくっているし、グレイス・スリックの歌い方も、モンタレーのときよりずっとシンコペーションの使い方がうまくなっていて、なかなか好ましいヴァージョンです。
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by songsf4s | 2007-08-04 23:57 | 「愛の夏」の歌
San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair) by Scott McKenzie
タイトル
San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)
アーティスト
Scott McKenzie
ライター
John Phillips
収録アルバム
The Voice of Scott McKenzie
リリース年
1967年
他のヴァージョン
live version of the same artist, Petula Clark
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◆ It was 40 years ago today ◆◆
ご存知でしたか? 今年の夏はThe Summer of Loveの40周年記念なんだそうです。たしかに、あれは1967年、今年は2007年、だれでもわかる計算です。ポール・マッカトニーがIt was twenty years ago todayと歌ってから、さらに40年たったわけで、われわれの世代も、あとは消えゆくのみですなあ、ご同輩。Will you still need me, will you still feed me, when I'm sixty-fourも、現実のスケデュールにのる地点まできちゃいましたねえ。いや、まったく。

f0147840_23511235.jpg説明抜きにThe Summer of Loveといっておわかりになるのは同世代ばかりで、以後の世代の非アメリカ人はご存知ないでしょうが、そろそろ辞書にも載ろうかという熟語です。たとえば、グレイトフル・デッドは、「サマー・オヴ・ラヴの精神を残す唯一のバンド」などと評されたりします。いや、宣伝文句みたいなものだから、本気にしてはいけませんが、そういう風にメディアなんかで、説明抜きで使ってよい言葉なのです。

1967年夏になにが起きたかは追々説明するとして(あるいは面倒だから省くか端折るかするとして)、あれがアメリカ人の若者にとっての東京オリンピックだったとしたら、三波春夫の「東京五輪音頭」にあたる曲が、今回とりあげるスコット・マケンジーのSan Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)という、ブロガー泣かせの長いタイトルの曲です。

f0147840_0351666.jpgこの曲と東京五輪音頭を結びつけたのは、わたしが史上初の人間だと思いますが、あの年のことを覚えている方は、はたと膝を叩いたでしょう? このブログをはじめてひと月半、やっと出た場外ホームラン級の卓見だと自負しています。

40周年と騒いで、またカビの生えた音楽を売ろうという企業の赤坂な考え(志ん生はいつも浅はかとはいわないのです)にくみするわけではないのですが、これに乗ると、得なことがひとつだけあるのです。このブログのコンテクストではもちだしようのない曲をもちだせるのです。

今日は東京五輪音頭程度の曲ですませておきますが、ジミヘン、デッド、フー、エアプレイン、ドアーズ、バッファロー・スプリングフィールド、バーズ、オーティス・レディング、なんならスタンデルズ、チョコレート・ウォッチバンド、サーティーンス・フロア・エレヴェーター、シャーラタンズ、アーサー・リー&ラヴ、クリア・ライト(どさくさまぎれに、だれも知らないバンドまでもちだしている)、その他、なんでもありの世界に突入するための布石でありまして、この方面が苦手の方は覚悟のほどを。いや、冗談冗談。あんまりぶっ飛んだものをとりあげると、わたしのほうが奇天烈な歌詞で大汗をかくことになってしまいます。

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ライヴ・デッド

いや、すでにけっこう目が回っています。だって、ついさっきまでは、今日はジャン&ディーンでもやるか、と思っていたのでありまして、急遽、方向転換し、がさがさとHDDを検索して、「そっち」関係をプレイヤーにドラッグしたので、忙しいのなんの。いや、ドラッグぐらいやりますが、音がちがいすぎる……いや、たいしてちがわないか。

◆ ラヴ&ピース ◆◆
では、三波春夫の東京五輪音頭、もとい、スコット・マケンジーの「花のサンフランシスコ」(という邦題でした)であります。作者はジョン・フィリップス、あの「花のカリフォルニア・ドリーミン」(ウソ邦題にご注意)の作者であります。いつものように、サウンドの検討はあとまわしにし、歌詞から見ていきます。

If you're going to San Francisco
Be sure to wear some flowers in your hair
If you're going to San Francisco
You're gonna meet some gentle people there

たいしたことはいっていませんね。サンフランシスコにいくのなら、かならず髪に花を挿そう、サンフランシスコにいけば、おだやかな人々に会えるだろう、といったところ。「ハア~、ちょいと桑港にゆくのなら、忘れちゃダメだよ、髪に花」とやれば、今年のお盆のダンス・ミュージックに変換可能……なわけないでしょ。

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サンフランシスコのヘイト・ストリートでのグレイトフル・デッドのフリー・コンサート。1966年か。見渡すかぎりずっと向こうまで人、人、人。200ワット程度のアンプなので、聞こえるはずがないのだが……。右端のレス・ポール・プレイヤーはジェリー・ガルシア、ドラムはビル・クルーズマン、左端のベースはフィル・レッシュ。

花が出てくるのは、われわれの世代にとってはあたりまえのことで、なんの説明もいらないのですが、この時期、ヒッピーのことを「フラワー・チルドレン」(ひとりなら、もちろん「フラワー・チャイルド」です)と呼んでいたほどで、ヒッピー・ムーヴメント、平和の象徴であったわけです。「ラヴ&ピース」の時代です。だから「おだやかな人々」が登場するのです。

ほんとうに髪に花を挿したヒッピーが、モンタレー・ポップ・フェスティヴァルの会場にでもいたのだろうかと思い、ちょっと本をひっくり返してみましたが、見あたりませんでした。あのときの写真で中学生の心に強く焼きついたのは、花ではなく、ボディー・ペインティングでした。いまじゃあどこの国のサッカー場でもあたりまえのようですが、あの時代には、ただただ驚きでした。半年ほどのあいだ、「ミュージック・ライフ」から切り取った、モンタレー・ポップの会場の写真を勉強机の前に貼りつけて眺めていたものです。

◆ またしてもアイコンの羅列 ◆◆
以下はセカンド・ヴァース。

All those who come to San Francisco
Summertime will be a love-in there
In the street of San Francisco
Gentle people with flowers in their hair


f0147840_0145936.jpg「ラヴ・イン」がハイフンで結ばれて一語になっています。辞書には「《俗》 ラヴイン 《ヒッピーなどの愛の集会》」とあります。わかったような、わからないような、ですが、そういうことがサンフランシスコあたりではあったのですね。「部族集会」tribal gatheringなんていうのと似たようなものでしょう。明日までにネタを仕込んでおくかもしれませんが、ここは「ヒッピーの集会」ということにして通りすぎましょう。夏になると、サンフランシスコでは「ラヴ・イン」があるのだよ、といっているだけです。

つぎはブリッジです。

All across the nation
Such a strange vibration
People in motion
There's a whole generation with a new explanation
People in motion, people in motion

f0147840_0423131.jpgそろそろ、こういう曲でも、サーフ・ミュージックと同じように、対象となる世界のアイコンを並べるということがおわかりでしょう。ここではvibrationがヒッピー文化特有のアイコンとして利用されています。ブライアン・ウィルソンのGood Vibrationsは1966年秋のナンバーワン・ヒットでした。feelingと意味は同じとみなしてよいでしょう。いまではべつにふつうの意味ですが、当時のいい年をした大人は、vibrationといわれても、振動を思い浮かべたのに対して、tuned-inした若者はすぐにfeelingのことだと理解できたわけです。そのへんの事情は、いまでも同じでしょう。若者は大人には理解できない言葉の用法を発明したがるものです。

3行目のexplanationは「説明」ではなく、「新しい考え方をする世代が存在する」といったあたりに見ておくのが無難かと思います。

◆ モンタレー・ポップのコマーシャル・ソング ◆◆
サウンド的には、このあと、もう一工夫がされているのですが、歌詞としては、セカンド・ヴァースをくり返すだけで、もう新しい言葉は出てきません。

東京五輪音頭だといった意味がおわかりでしょうか。サマー・オヴ・ラヴなのよ、ラヴ&ピースなのよ、というムードを「All across the nation」で盛り上げようという意図のもとにつくられた、史上初のロック・フェスティヴァルである「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル」のコマーシャル・ソングなのです。

f0147840_0102553.jpg燃えろ、燃えろ、燃えろ、モンタレーのステージでストラトキャスターを燃やすジミヘン。これはジッポのライター・オイルのコマーシャル?

なんだ、コマーシャル・ソングかよ、とガッカリなさるかもしれませんが、このフェスティヴァルの主催者のひとりであったジョン・フィリップスとしては、半分ぐらいは「時代精神」をまともに信じていたのだろうと思います(三波春夫さんも、東京五輪がもたらす精神の昂揚を信じていらしたのではないでしょうか)。そういうナイーヴな時代、ナイーヴな夏だったのです。

この曲は、1967年7月1日にビルボード4位にまで到達しました。ビートルズのAll You Need Is Loveの世界中継放送の直後にあたります。モンタレー・ポップ・フェスティヴァルもたしか6月下旬だったと思います。われわれ極東の子どもたちも、このころになると、よくわからないなにかがアメリカで起きていることをぼんやりと感じはじめていました。そのあたりのことは、明日以降に書きます。

◆ 出ると思っていたでしょうが…… ◆◆
スコット・マケンジーは、かつてママズ&パパズの連中といっしょにやっていたこともあるフォーキーなので(ジャーニーメンというグループを組んでいた)、パパ・ジョン・フィリップスの助けでスターダムを目指すことになったわけです。みごと、その年を象徴する大ヒットを得たわけですが、あとがつづきませんでした。そこそこ歌える人ですが、それ以上のなにかがあるとは思えないので、リスナーは妥当な判断を下したと思います。

わたしの耳はそこそこ歌えるヴォーカルなどに気をとられたりはしません。当然、ドラムとベースを聴きます。ベースはまちがいなくジョー・オズボーン、ドラムはハル・ブレイン。当然、グッド・グルーヴです。

ママ・パパの録音ではジョン・フィリップス自身もたいていの場合、ギターを弾いていたようで、深夜のセッションで酔っぱらってタイム・キーピングができなくなり、ハル・ブレインと大げんかになったこともあるそうです。ハルは、仕事ではもちろん、ふだんからアルコールは一滴も口にしないそうです。プロなのであります。

しかし、ママ・パパの場合でもトミー・テデスコも加わっていたくらいで、この曲では、フィリップスはルー・アドラーと共同プロデューサーになっているのだから、たぶん、ギターは弾かなかったのじゃないでしょうか。いま、マケンジーのインタヴューを見たら、グレン・キャンベルの名前をあげていました。ほかにラリー・ネクテル。といっても、この曲ではどこにいるのかわかりませんが。

ほかにシタールが聞こえますが、だれでしょうか。ハリウッドのスタジオでシタールものを一手に引き受けていたのはマイク・デイシーだそうですが、弾くのではなく、ミョーンと効果音的に使うのなら、あんなもの、だれだってできますから、だれであっても、ちがいはありません。

◆ オズボーンのストレート・フォース ◆◆
ついでにうと、イントロのヒッピー・ベルは、ママ・ミシェール・フィリップスのプレイです。ハルが、ミシェールにこれを振ってみな、と手渡したのだそうです。さすがは、『ブルー・ハワイ』のセッションにハリウッド中のパーカッションをかき集めて持ち込んだといわれるハルだけあって、パーカッションで「それらしさ」を演出するすべをよく知っています。

f0147840_0464619.jpgとにかく、このトラックは、いや、このトラックも、ハル・ブレインとジョー・オズボーンのグルーヴが決定的に重要な役割を果たしています。あとは付け足りです。エンディング前のストップで、オズボーンにスポットが当たるストレート・フォースのグルーヴなんて、やっぱりすごいものです。こういうシンプルなプレイでこそ、グルーヴのよしあしが露呈します。キャロル・ケイもめちゃくちゃにきれいなストレート・フォースを弾く人でした。

マケンジーは、オズボーンがフェンダー・ベースのフラット・ピッキング・スタイルを発明した、などといっていますが、歌手は歌っていればいいのであって、プレイ・スタイルの歴史なんか知ったことじゃないでしょうに。わたしだったら、だれが発明したなんてことを軽々に断言するような馬鹿なことはぜったいにしません。このころのハリウッドの特徴的なベース・サウンドは、キャロル・ケイ、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルらのフラット・ピッキング・スタイルによってつくられたものである、ぐらいにとどめておくのが賢明です。

オズボーンはリック・ネルソン・バンドにスカウトされた1960年ごろから、ずっとフラット・ピッキング・スタイルだったので、かなり初期のフラット・ピッカーではあります。オズボーンに関心があるなら、リック・ネルソンのカタログは避けて通れません。ぜひ一聴を。ジェイムズ・バートンのギター・ソロまでついているのだから、これほどお買い得なカタログないといっていいほどです。ま、ドラムは、アール・パーマーの時はいいとして、リッチー・フロストはどうということはなくて、そこが困るんですがね。

ハリウッド産のいわゆる「ポップ・サイケデリック」、さらには世間一般では「オーセンティック」とみなされているサイケデリック・ミュージックとの、ハリウッドのバリバリのプロフェッショナルの関わりについては、明日以降にもう一度検討します。まあ、サーフ・ミュージックと同じ構図だと考えておいてください。出来のいいのはプロがつくった偽物、出来の悪いのは素人がやった本物、いつもこれです。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
ペトゥラ・クラークは、合っていません。なにかの気の迷いでやってしまったのでしょう。マケンジーがモンタレーで歌ったライヴ・ヴァージョンもありますが、ドラムが下手で、死にそうになります。ベースはオズボーンでしょう。それ以上、とくにいうことべきことはないように思います。
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by songsf4s | 2007-08-03 23:54 | 「愛の夏」の歌