カテゴリ:夏の歌( 35 )
それはどの避暑地の出来事だったのか Theme from "A Summer Place"巡り後編
 
『避暑地の出来事』という映画は曰く言い難い出来で、あの時代のムードや、文芸映画のゆったりしたテンポになれていない人だと、もはや古めかしくて、最後までたどり着くのは苦痛だろうと思います。

昔見たときに理解していなかったのは、舞台がメインのとある島だということです。東部、しかもメインですから、堅苦しい話になったのも当然です(メインの避暑地でどうこうという話を昔読んだなあと思い、必死で記憶をまさぐった。アンドルー・ワイエスの息子の回想に、メインの海岸で父親とボートに乗る話が出てきたのだったと思う。ワイエスの息子はデュポンにつとめ、ペット・ボトルを発明した)。

これがマリブかなんかだったら、そこらじゅうにサーファーがあふれちゃって、悲恋を成立させるのは困難になり、beach party tonight!とノリノリのほうへ傾きます。わたしの場合、悲恋(いや『避暑地の出来事』はハッピーエンドだが)より、ノーテンキのほうがずっと好きなので、映画のほうはほうっておいて、音楽をやろう、と相成りました。

字ばかりだとうっとうしいので、絵のつもりでクリップを貼りつけます。

Les Baxter - Theme from "A Summer Place"


しいていうと、『避暑地の出来事』は石坂洋次郎の『陽のあたる坂道』をいくぶんか連想させるところがあります。いえ、田坂具隆監督の映画『陽のあたる坂道』ではなく、小説のほうです。

原作と映画の決定的な違いは、原作には大人たちの昔日の恋の熾き火が全編に揺曳していることです。映画はこの部分を登場人物ごとカットして、話を簡略化しています。

いや、田坂具隆の映画は、あれはあれでけっこうだと思うのですが、いまになると、若い世代の話は平板で興趣がわかず、大人たちの数十年におよぶ恋の歴史のほうが、ずっとアクチュアリティーをもってわれわれに迫ってきます。石坂洋次郎『陽のあたる坂道』は、若い世代の話で終始する小説であれば、とっくに昭和のスーヴェニアになっていたでしょうが、大人たちの話を描いておいたおかげで、いまも読むに値する長篇になっています。

この曲のヴォーカル・カヴァーはあまり好まないのですが、それも人によりけり、この人なら、ほとんどなんだってオーケイです。

Julie London - Theme from "A Summer Place"


てなことはさておき、『避暑地の出来事は』は、かつてメインのある島の、有閑階級相手のリゾートホテルで働いていた男が、功成り名を遂げ、妻と娘をともなって島を再訪するところからはじまります。この娘がサンドラ・ディー。

島には、かつて男が恋した女が、ホテルの主と結婚して暮らしています。夫妻には息子がいて、これをトロイ・ドナヒューが演じています。

この若い世代が恋に落ちたことから、二組の夫婦が対立し(1950年代の東部だから、階級対立のニュアンスも強い)、結局、ともに家庭崩壊となり、昔、惹かれあったどうしが二十年の歳月を経て結ばれ、いっぽう、引き裂かれた若い世代の恋の行方はいかに、といった展開になります。

ここで『陽のあたる坂道』にくらべて興趣薄く感じられるのは、大人たちの恋が紋切り型で、たんに若き日の恋第二章といった話の運びになっていることです。大人のパースペクティヴがなく、ただ未完の章を終わらせただけなのです。

物語としては、それでは味が出ません。大人は若者とは異なる価値観をもっているもので、まして二十年前の恋が、中間の二十年間を飛ばして、そのまま接続するなどというのは、リアリティーがありません。そして、二人が遠回りした二十年間は、ものの見事に無価値な虚無に投げ捨てられます。

そんな人生はないでしょう。二十年の歳月は、われわれに少なくとも価値の基盤のシフトを強います。その点が気に入らず、映画には踏み込まずに、音楽に終始しているのです。

◆ スパニッシュ、エレクトリック、ペダル・スティール ◆◆
こういう風にヴァージョン棚卸しをやると、どうしても地が出て、ギターものへと視線が向かってしまいます。前回は、ハワード・ロバーツ、トーネイドーズ、ドゥエイン・エディーのヴァージョンをかけましたが、ギターものははまだいいのがあります。

Los Indios Tabajaras - Theme from "A Summer Place"


スパニッシュ・ギターと書いたものの、ほんとうにそうかどうかなんともいえないところです。デル・ヴェッキオでしたっけ? ロス・インディオス・タバハラスは、リゾネイター・ギターも使ったということで、なんとなく、そういう響きのように聞こえるところもあります。

同じギターとはいいながら、タバハラスとはまったく異なるサウンドと方向性のものを。

Al Caiola - Theme from "A Summer Place"


子どものときは、アル・カイオラのギターというのは退屈だと感じました。しかし、こういうところに年があらわれると思うのですが、十数年まえからカイオラ贔屓になりました。ピッキングと運指がきれいで、音の出がいいからです。指が速く動くことに興味がなくなり、どう動かすかのほうに関心が移った結果です。はっきりいって、爺趣味。

ギタリストと浜の真砂が尽きることはありません。この人も避暑地の出来事をカヴァーしています。

Chet Atkins - Theme from "A Summer Place"


手元のものはチェット・アトキンズ単独名義なのですが、このクリップはフロイド・クレイマーとの共演となっています。ピアノはそれほど活躍しませんが。

つづいて、ペダル・スティールによるものを。

Santo & Johnny - Theme from "A Summer Place"


ペダル・スティールといっても、サント&ジョニーのものは音が歪んでいて、カントリーやハワイアンに向いているようには感じません。しかし、商売である以上、たちどころにわかる特徴はなによりも重要で、自縄自縛の気なきにしもあらずですが、ほかにやりようはなかったでしょう。

『避暑地の出来事』のOSTに収められた、このメロディーの変奏曲のなかには、ペダル・スティールをリード楽器に使ったものもあります。

サンプル Max Steiner "Reunion"(アップ完了。聴けるようになりました。8月14日7時)

◆ オーケストラ ◆◆
前回はヘンリー・マンシーニ盤、今回はレス・バクスター盤と、オーケストラによるカヴァーもすでに見ていますが、もうひとつだけ貼りつけます。

Billy May - Theme from "A Summer Place"


ビリー・メイはどちらかというと管のアレンジャーで、ビッグバンド・スタイルのアレンジを多数手がけています。たとえば、フランク・シナトラとデューク・エリントン・オーケストラの共演盤のアレンジに、彼の技術とスタイルは明快に記録されています。

この避暑地の出来事のテーマも、管が活躍するわけではなく、メロディー、カウンターメロディー、ともに弦でありながら、大甘にならないところは、ほとんど本能といえるのではないかと感じます。この譜面で管を鳴らしたらどうか、などとくだらないことを考えました。

それはともかく、トランペットが終わって、弦が戻ってくるときの転調というか、メロディーの改変はなかなかけっこうで、ほどよい目覚ましになっています。

どういうわけか、わが家にはこの曲のラテン・アレンジはほとんどありません。わずかに、このボンゴ・プレイヤー、ジャック・コスタンゾーのヴァージョンがあるのみです。

サンプル Jack Costanzo "Theme from a 'Summer Place'"

ラテン・アレンジだって悪くないのですが、やはり、この曲のメロディーの甘さを強調したアレンジをリスナーが好むと、多くのアーティスト、アレンジャーが想定しているのでしょう、こういう方向のものはほかに知りません。

最後にパーシー・フェイスにもどって、テレビ・ライヴ・ヴァージョンを。これは以前にも貼りつけたことがあるのですが、とうの昔に削除され、その後にアップされたものも削除され、またアップされたものです。いや正確に何度目かは知りませんが、どうせまたすぐに削除されるでしょうし、どうせまたすぐに再アップされるでしょう。人生とはかくも無駄の多いものなのでした。




Click and follow Songs for 4 Seasons/metalside on Twitter
metalsideをフォローしましょう
[PR]
by songsf4s | 2011-08-13 23:53 | 夏の歌
それはどの避暑地の出来事だったのか Theme from "A Summer Place"巡り前編
 
映画音楽を検索していると、しばしば勘違いに出くわしてムッとなります。

オリジナル・サウンドトラック、または、サウンドトラック、またはOSTというのは、映画でじっさいに流れたものか、または盤リリースのために公式に再録音されたものをいいます。

それ以外の映画音楽、つまり、映画のテーマ曲や挿入曲をカヴァーしたものは、「film music」です。original soundtrackとfilm musicはまったく異なるものなので、厳密に区別してくれないと困るのですが、ウェブ上では、ただのカヴァーにすぎないものも、しばしばサウンドトラックと表現されています。ブログやフォーラムでもそうですが、とくにユーチューブはこの傾向がひどくて、検索に手間取ることしばしばです。

◆ テーマではないテーマ ◆◆
例によって季節ものをやろうと思います。本日は『避暑地の出来事』の挿入曲、Theme from "A Summer Place"を並べてみます。

映画『避暑地の出来事』挿入曲であるマックス・スタイナー作の曲(パーシー・フェイスがTheme from "A Summer Place"にタイトルを変更したらしい)については、以前、パーシー・フェイス篇レターメン篇の二度に分けて書いています。

f0147840_044311.jpg

しかし、あのころはクリップを貼りつけられなかったので、音なしでしたし、その後、さらにいくつかヴァージョンを聴いたので、今日はそのあたりを並べてみようかと思います。

まず、オリジナル・サウンド・トラックから、と思ったのですが、いきなりつまずきました。ユーチューブにはOSTのクリップはたったひとつしかなく、しかも、それはエンベッド不可で、ここに貼りつけられなかったのです。

かわりに予告編を貼りつけます。

A Summer Place trailer


じつは、『避暑地の出来事』のオープニング・タイトルで流れる、Main Titleという曲は、パーシー・フェイスがヒットさせたTheme from "A Summer Place"とは異なるものです。

パーシー・フェイスがカヴァーした曲は、映画のなかでは数種の変奏曲として流れます。OST盤では、変奏曲ごとにタイトルが異なっているのですが、Theme from "A Summer Place"というタイトルのものはありません。

どうであれ、おおもとはどういうアレンジ、サウンドだったのかということは確認しておいたほうがいいので、サンプルをアップしました。

サンプル Max Steiner "Bright Dreams-The Garden"

これはパーシー・フェイスがカヴァーしたメロディーが最初に出てきたときのタイトルで、トロイ・ドナヒューとサンドラ・ディーが恋に落ち、語らうときに流れます。このあとも、同じメロディーが流れるのは、おおむね二人の場面なので、Love Themeというタイトルをつけてもいいくらいです。

つづいて、パーシー・フェイスのカヴァーを。

Percy Faith - Theme from "A Summer Place"


このヴァージョンについては、すでに書くべきことは書きましたし、耳タコの王者みたいな曲なので、とくにいうべきことはありません。テーマではない曲をカヴァーするときに、テーマというタイトルをつけることになった経緯がちょっと気になるだけです。

つづいて、以前、この曲を取り上げたときに賞賛したヴァージョン。プロデューサーはもちろんジョー・ミーク。

The Tornados - Theme from "A Summer Place"


昔の記事でも書きましたが、パーシー・フェイスがあそこまでやってしまうと、オーケストラものはもうあまりやりようがなく、興味はコンボによるカヴァーへと移ってしまうのです。

どれくらいやりようがないかというと、これくらいにやりようがないのです。ヘンリー・マンシーニのカヴァー。



パーシー・フェイスとどこかがちがうのだ、と考え込んでしまいます。ヘンリー・マンシーニともあろう人が、なにをやってんだと怒鳴りつけたくなります。

オーケストラものでいいと思うものもあることはあるのですが、ユーチューブにはクリップがないので、次回にでもサンプルをあげることにして、今日は微妙なオーケストラもの、名前はオーケストラになっているけれど、そう呼ぶのはためらうタイプのものを。

Love Unlimited Orchestra - Theme from "A Summer Place"


ディスコ・アレンジといえばそうなのですが、バリー・ホワイトのラヴ・アンリミティッド・オーケストラはけっこう好みでした。じっさい、この曲のドラムも、露骨なディスコ・ビートはあまり使っていません。まあ、途中でハイハットが裏拍になり、いかにもディスコというパターンが登場しますが。

ユーチューブを検索していて、だんだんうんざりしてきました。わたしがいいと思うヴァージョンはあまり見つからないのに、パーシー・フェイスは何十種類もあり、世をはかなんでしまうような状態です。

あまりの愚鈍さに腹が立ってきたので、予定を変更して、もうひとつサンプルをアップします。

サンプル Howard Roberts "Theme from 'A Summer Place'"

メンバーは、ハワード・ロバーツ=ギター、ヘンリー・ケイン=オルガン、チャック・バーグホーファー=ベース、ラリー・バンカー=ドラムズ、です。しかし、じっさいにはアコースティック・リズムも入っていて、そのプレイヤーの名前がありません。2オン1のもう一方のアルバムとパーソネルが入れ替わったのだとしたら、ビル・ピットマンということになりそうです。

f0147840_05512.jpg

文章では、なによりもクリシェを避けることが重要ですが、音楽や映画や美術などでもそれは同じだと思います。他人の真似なんかなんの意味もないし、そもそもやっている当人が退屈で死にたくなると思うのですが、世の中、クリシェがあふれています。

避暑地の出来事もクリシェだらけなので、多少ともプライドのある人は、やはりひねりをくわえようと努力しています。ハワード・ロバーツのヴァージョンは、コンボによるカヴァーでは、トーネイドーズと並んで好ましい出来だと思います。

もうひとつギターものをいきます。ジャズ・ギタリストとはぜんぜんアプローチがちがいます。いや、この人はポップ/ロック系のなかでも変わり種で、ひとり一ジャンルみたいなものですが。

Duane Eddy - Theme from "A Summer Place"


アレンジ、楽器編成には工夫がありませんが、リード楽器がエディーのトワンギー・ギターというだけで十分に変なので、あとはノーマルにしておいた、といったところでしょうか。これ、いわゆるひとつの好意的解釈というヤツ。

一回でちょいちょいと思ったのですが、書いている途中で、これはダメだ、一回では終わらないと腹をくくりました。まだ悪くないヴァージョンが残っているので、もう一回、避暑地に行くことにします。


Click and follow Songs for 4 Seasons/metalside on Twitter
metalsideをフォローしましょう


ハワード・ロバーツ
Whatevers Fair: All Time Great Instrumental Hits
Whatevers Fair: All Time Great


トーネイドーズ
Ridin' The Wind : the Anthlogy
Ridin' The Wind : the Anthlogy


パーシー・フェイス
Theme From a Summer Place
Theme From a Summer Place
[PR]
by songsf4s | 2011-08-12 23:22 | 夏の歌
The Not-So-Memorable Beach Boys
 
昨夜は更新しなかったのに、今朝のお客さんの出足は非常によく、行楽地ってわけじゃないんだけどなあ、といいそうになります。出かける前に、いつもよりゆっくりと、当家のような不要不急のブログにも立ち寄りつつ、ウェブ・ザッピングでしょうか。

更新していないのにお客さんが多いというのは居心地が悪いし、今日はトレッキングもなしなので、久しぶりにリアルタイム更新をやります。昼食までの2時間弱の予定なので、そのころに再度開いていただければできあがっています。よほどお暇なら、なにかしながら、ときおり当家のタブをリフレッシュしてくだされば、一、二曲追加されていることでしょう。

先日、ビーチボーイズが聴きたくなったということを書いたので、そのあたりをいってみます。ただし、Surfin' USAもSurfer Girlもなし、というか、60年代の秀作群はなかったことにして、70年代後半、ほとんどだれも聴かなかったころのオブスキュアな曲を並べます。

いや、そうはいっても、多少はヒット曲もあるのでして、これなんか、ラジオから流れてきたときは、ああ、ビーチボーイズも久しぶりに聴くといいなあ、としみじみしたものでした。1979年夏のヒット、ザ・ビーチボーイズ、Good Timing



ファンしかご存知のないことですが、Love Youというアルバムがあります。Brian Is BacK!などと喧伝されましたが、じつはぜんぜんバックなんかしていなくて、買ったときは、こんな代物、どうしろっていうんだよ、と途方に暮れました。

かろうじて拾い出せるのは、この曲あたりでしょうか。ザ・ビーチボーイズ、The Night Was So Young



都筑道夫だったか、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』のファースト・ライン、The night was young, so was he「夜はまだ若く、彼もまた若かった」というくだりをしきりに誉めていたのを思い出します。しかし、英語としては、こういう「young」の用法は、とくにめずらしいものではないことに、あとで気づきました。だから、この曲も、『幻の女』を引用したわけではないでしょう。

76年の15 Big Onesも、Rock'n'Roll Musicというシングル・ヒットがあったおかげで、友だちからまわってきたために、腐ってからのビーチボーイズのアルバムとしては、よく聴いたほうでした。クラシック曲(などというと、伝統音楽のことを思い浮かべる鈍い人もいらっしゃるだろうから、あえて注釈するが、もちろんロックンロール・クラシックのことをいっている)のカヴァーを中心にしていますが、すこしだけオリジナルも入っていました。ザ・ビーチボーイズ、Had to Phone Ya



やはり70年代後半のものとしては、15 Big Onesがもっとも楽曲の出来がいいようで、ほかのアルバムのように、えーと、好きなのはどれだったっけ、とソングリスティングをながめてしばし沈思黙考するようなことはありません。ザ・ビーチボーイズ、It's O.K.



1976年の夏は、数日間、某大学の軽音の連中と、葉山の別荘で過ごしました。その大学に通っていたわけではないのですが、高校のときの友人が、人手が足りないといって、わたしにベースをもたせ、そのバンドのオルガンのお父さんというのが、財閥系企業の重役だったのです。

別荘といったって、あなた、ピンからキリなのはご承知のとおり、この葉山の別荘てえものが、あっちにもある、こっちにもある、てな安手のつくりではなく、軽く築半世紀、たとえていえば庄屋の屋敷、横溝正史の映画のロケなんかにはよろしいんじゃないかといった、柱も床も黒々とした材、そこに真鍮製のクラシックな寝台がドンと置いてあったりする、日本クラシック=西洋モダン折衷環境。

海よりその建物のほうが面白かったぐらいで、日がなビーチボーイズの15 Big Onesを流しながら、ポーカーに明け暮れたのでありました。音楽での付き合いしかない連中が多かったのですが、ポーカーをしながらの無駄話で、だれかがなにかの疑問を提出すると、すぐにだれかから回答や、きわめて論理的なスペキュレーションが返ってきて、おう、だてに国立一期(この言葉は若者には通じない)じゃないのね、と感心もしたヴァケーションでした。

15 Big Onesのアルバム・クローザー、当時は、ブライアンの声が破壊されたことに驚きましたが、今考えれば、このころはまだしもいい状態だったのだなと思います。ザ・ビーチボーイズ、Just Once in My Life



Just once in my life, let me hold on toの部分ではデニスの声が聴こえるような気がします。ブライアンが苦しくて、結局、ミックスアウトすることにし、デニスのトラックを持ち上げた、というところでしょうか。

1980年のKeepin' the Summer Aliveともなると、友よ、別れの時だ、てなムードが濃厚に漂いますが、当時はそれなりに聴いていた記憶があります。しかし、ソングリスティングを見ても、頭のなかに音が流れてくれない曲が多く、困ったものです。

もっとも記憶が鮮明だった曲、ザ・ビーチボーイズ、Santa Ana Winds



1978年のM.I.U.は、そろそろ縁が切れかかったムードで、なんとなく買いそびれ、借りそびれ(レンタルという意味ではなく、友だちから)、あとで聴きました。悪くはないアルバムだと思うのですが、やはりネグレクトされがちのようです。

MIUのアルバム・オープナー、ザ・ビーチボーイズ、She's Got Rhythm



カメラが故障してしまったものだから、ツイッターで知り合いとカメラの話をしつつ、最後の曲を、と思って検索していたのですが、目当ての曲が四つ続けて発見できず、なぜかわがHDDにもおいていなくて、どうやらバックアップディスクに追い出してしまったようです。

すぐになんとかなる曲は見当たらず、そのへんは午後にでもサンプルで補足することにして、リアルタイム更新は次の曲で終わりにします。主観的には、「ビーチボーイズ最後のヒット曲」という気がする、Getcha Back



以上、あとは数時間後にいくつかサンプルをアップしておしまいです。もしもここまでお付き合いしてくださったお客さんがいらっしゃったら、厚く御礼申し上げます。

◆ M.I.U.補足 ◆◆
もう少し早く数曲補足するつもりでしたが、ファイルの発見に手間取ってしまいました。いずれもMIUからです。

サンプル The Beach Boys "Sweet Sunday Kinda Love"

ストレートなものではなく、間接的なものですが、フィル・スペクター的なバイアスのかかったサウンドで、当時はよく聴きました。つぎの曲も同系統で、Be My Babyビートのヴァリエイションといっていいでしょう。こちらも作者はやはりブライアン・ウィルソン。

サンプル The Beach Boys "Belles of Paris"

だれも聴かなくなってからも、ブライアンは、すくなくとも曲作りではそれなりにがんばっていたのだなあ、と思います。サウンド・メイキングのほうは、追求しすぎると発狂の怖れを感じたかなにかで、手を出さないか、手を抜くことにしたのでしょうけれど。

午前中のリアルタイム更新のときは見逃してしまったMIUのクリップをおいて、腐ってもやっぱりビーチボーイズの巻を終えることにします。ザ・ビーチボーイズ、ここが正念場だぜ、The Match Point of Our Love




Click and follow Songs for 4 Seasons/metalside on Twitter
metalsideをフォローしましょう



ビーチボーイズ
L.A.(ライト・アルバム)(紙ジャケット仕様)
L.A.(ライト・アルバム)(紙ジャケット仕様)


ビーチボーイズ
M.I.U.アルバム(紙ジャケット仕様)
M.I.U.アルバム(紙ジャケット仕様)


ビーチボーイズ MIU/LAの2オン1
M.I.U. / L.A. Album
M.I.U. / L.A. Album


ビーチボーイズ
15 Big Ones / Love You
15 Big Ones / Love You


ビーチボーイズ
ラヴ・ユー(紙ジャケット仕様)
ラヴ・ユー(紙ジャケット仕様)


ビーチボーイズ
キーピン・ザ・サマー・アライヴ(紙ジャケット仕様)
キーピン・ザ・サマー・アライヴ(紙ジャケット仕様)


ビーチボーイズ(Getcha Back収録)
Sounds of Summer: Very Best of
Sounds of Summer: Very Best of
[PR]
by songsf4s | 2011-07-17 10:15 | 夏の歌
夏の日々はカラフルな凧とともに飛び去り フランク・シナトラのSummer Wind
タイトル
Summer Wind
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Johnny Mercer, Heinz Meier, Hans Bradtke
収録アルバム
Strangers in the Night
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Wayne Newton, duet version with Julio Iglesias by the same artist
f0147840_23563058.jpg

今日は各地で暑さがぶり返したようですが、当地もおそるべき猛暑で、敬老の日の行事で倒れる人でも出るのじゃないかと思ったほどです。

もういくらなんでもタイトルに「夏」とついた歌を取り上げるのは苦しいか、なんて思いかけていたのですが、どうしてどうして、今年の夏はそんな甘いものではないようです。

予定していた夏の終わりの歌は残り2曲、今日はその片方、Summer Windを軽くいってみます。オリジナル記事は、以下の三本です。

Summer Wind その1:Frank Sinatra
Summer Wind その2:Frank Sinatra
Sommervind:Grethe Ingmann

最後のグレタ・イングマンのSommervindは、シナトラのSummer Windの原曲で、デンマーク語で歌われています。オリジナル記事をご覧になればわかりますが、Apacheをヒットさせたヨルゲン・イングマン(そのため、オリジナルのシャドウズ盤はアメリカではヒットせず、それが祟ったか、シャドウズがアメリカでブレイクすることはついになかった)の当時の夫人で、どうみてもローカル版レス・ポール&メアリー・フォードです。

オリジナル記事にも書いたとおり、フランク・シナトラのSummer WindはアルバムStrangers in the Nightに収録されていますが、ハル・ブレインをはじめとする若手のエースたちのプレイではないと考えられます。

f0147840_2339246.jpg

ネルソン・リドルのアレンジによるアルバムの進行中に、Strangers in the Nightが大ヒットしたために、シングルがアルバムを乗っ取る形でアマルガムをつくったために、メンバーが異なるのです。Summer Windはネルソン・リドルのアレンジなので、プレイヤーもリドル・セッション常連の古手レギュラーたちと推定されます。

サンプル Frank Sinatra "Summer Wind"

サンプルのアクセス数から見て、当家のお客さんにはシナトラ・ファンはあまりいらっしゃらないようですが、シナトラが好きだろうと嫌いだろうと、ハリウッドのサウンドのすごさは上ものには左右されないので、いつも満足させてくれます。

f0147840_23392987.jpg

いや、シナトラの完璧主義のおかげで、プレイヤーは最初のテイクをノーミスでキメなければいけないし(フランク・シナトラのレコーディングでは、通常、テイク1のみで、テイク2はないものと思わなければいけない)、場所はユナイティッド・ウェスタン、エンジニアはビル・パトナムか、またはリー・ハーシュバーグやエディー・ブラケットなどのパトナム門下生たちなので、つねにハイ・レベルの音です。Summer Windで卓に坐ったのはリー・ハーシュバーグだとされています。

◆ ウェイン・ニュートンのカヴァー ◆◆
グレタ・イングマンのオリジナル盤は、いちおう聴くことは聴きましたが、とくに面白い出来ではないので、サンプルは略します(例によって、HDDから削除してしまった!)。いちおう、YouTubeにクリップがありますが、スピーカーを傷めそうなイヤなノイズがするので、貼りつけませんでした。それでも聴いてみたいという方は、YouTubeで検索なさってみてください。

f0147840_23394776.jpg

ほかに、ウェイン・ニュートンのヴァージョンがあります。これまたハリウッド録音と思われるので、サンプルにしました。

サンプル Wayne Newton "Summer Wind"

クリス・モンテイズと同系統の、薄くて軽い邪魔にならない声で、暑いときには悪くないと思います。ウェイン・ニュートンは「ラス・ヴェガスの帝王」なのだそうですが(まあ、シナトラもディノもいないから、繰り上げということ)、こういう声の人が年をとると、どういうことになるのかと思います。あまり聴いてみたい気はしないのですが……。

f0147840_2340885.jpg

Summer Windにもシナトラにもまったく関係ないのですが、今日は記事が短いので、最近見て、思わず頬がゆるんだ写真を拝借して貼りつけます。

f0147840_23402311.jpg
女性は河内桃子、したがってオリジナル・ゴジラの撮影におけるスナップということになる。


f0147840_23403881.jpg
これも同じく一作目のスナップ。左端の巫女姿は河内桃子、その右の神主姿は平田昭彦。



metalsideをフォローしましょう



フランク・シナトラ
Strangers in the Night (Dlx)
Strangers in the Night (Dlx)



ウェイン・ニュートン
Danke Scheon/Red Roses For A Blue Lady
Danke Scheon/Red Roses For A Blue Lady
[PR]
by songsf4s | 2010-09-12 23:55 | 夏の歌
夏が終われば葉は散るもの――チャド&ジェレミーのA Summer Song
タイトル
A Summer Song
アーティスト
Chad & Jeremy
ライター
Metcalfe/Noble/Stuart
収録アルバム
Sing for You (a.k.a. Yesterday's Gone)
リリース年
1964年
他のヴァージョン
alternate take of the same artist
f0147840_2342118.jpg

前回のロニー&ザ・デイトナズのI'll Think of Summmerは、サンプルのアクセスが多めで、案外な好評だったようです。

でも、ちょっと意外なのは、ロニー&ザ・デイトナズのロッカ・バラッドの代表作である、Sandyもサンプルにしたにもかかわらず、こちらのほうはI'll Think of Summmerほど聴かれていないことです。

I'll Think of Summmerを看板に立てたのは、2007年の「夏の歌」特集のプログラムの都合にすぎません。歌詞がストレートに夏の終わりを歌っていることと、夏の歌特集の最初のほうで取り上げたハプニングスのSee You in Septemberと対を成す内容だったからなのです。

単純にどちらがいい曲かといえば、わたしなら迷わずSandyだといいます。まあ、Sandyは有名すぎてアクセスがすくないのかもしれませんが、I'll Think of Summmerが主役で、Sandyは付けたりと受け取ってお聴きにならない方がいらっしゃるといけないので、老婆心ながら申し上げます。Sandyのほうがずっといい曲です!

◆ まぐれ当たり大ヒット ◆◆
さて、この半月以上、ずっと休まずに更新しているので、ちょっと疲れてきて、楽な方法を見つけてしまうと、ついそちらに流れてしまうもので、本日もまた、過去に取り上げた夏の終わりの歌にサンプルをつけることで、連続出塁を伸ばすことにさせていただきます。

今回はチャド&ジェレミーのA Summer Songです。歌詞や背景などについては2007年のオリジナル記事をご参照願います。

チャド&ジェレミー・ア・サマー・ソング・インタヴューおよびスタジオ・ライヴ


うーむ、ギターのコンビネーションはけっこうですが、歌はややきびしいですねえ。まあ、もともとうまいデュオというわけではなかったので、たいした目減りではありませんが。

チャド&ジェレミー A Summer Song スタジオ録音


YouTubeのクリップだけで終わりではなんなので、オルタネート・ヴァージョンをサンプルにしました。といっても、バックトラックはリリース・ヴァージョンと同じで、ヴォーカルがちょっとちがうだけです。

サンプル Chad & Jeremy "A Summer Song"

A Summer Songはチャド&ジェレミーの最初のヒット(にして最大のヒット)で、リアルタイムで聴くには、わたしはわずかに遅れてしまいました。いや、日本ではたいしてヒットしなかったために、気づかなかっただけかもしれませんが、とにかく、当時、ラジオでA Summer Songを聴いた記憶はありません。

チャド&ジェレミーの名前を覚えたのは1966年のヒット曲のおかげなのですが、こちらもまた夏の終わりにふさわしい歌なので、それは次回、または次々回ということに。


metalsideをフォローしましょう



Very Best of Chad & Jeremy
Very Best of Chad & Jeremy
[PR]
by songsf4s | 2010-09-02 20:52 | 夏の歌
夏の終わりに思うはつぎの夏のこと ロニー&ザ・デイトナズのI'll Think of Summmer
タイトル
I'll Think of Summer
アーティスト
Ronny & the Daytonas
ライター
John Wilkin, Buz Cason
収録アルバム
Sandy
リリース年
1966年
f0147840_23565583.jpg

いま時計を見れば、シンデレラ・タイムまであと23分。20分ほど前に、今夜は『野獣の青春』のつづきを書くのは無理、と判断して、なにか軽く音楽を、と思ったのです。

2007年の夏の歌特集の終わりにやった、ロニー&ザ・デイトナズのI'll Think of Summmerのサンプルにしようという結論はすぐに出たのですが、肝心のファイルが見つからなくてバタバタやってしまいました。

どこにあるか思いだしたのですが、取り出すにはちょっと手間がかかるので、それまでのつなぎとして、べつの曲をひとまずどうぞ。

サンプル The Swinging Blue Jeans "Now the Summer's Gone"

ひとまず、ここまででアップし、ロニー&ザ・デイトナズのファイルをアップし終わったら、またつづきを書くことにします。

f0147840_0223248.jpg

さて、ロニー&ザ・デイトナズです。HDDから消してしまうと、毎度大騒ぎになってしまいます。

サンプル Ronny & the Daytonas "I'll Think of Summmer"

歌詞をはじめ、詳細については、2007年のオリジナル記事のほうをご覧ください。

f0147840_9141684.jpg

この記事で書いた約束を果たしていなかったことにいま気づきました。I'll Think of Summmerと同系統のロッカ・バラッドとしては、Sandyのほうが代表曲だから、これは来年の夏にでも取り上げる、と書いたのですが、それっきりで忘れてしまいました。ということで、2年遅れの公約実現。

サンプル Ronny & the Daytonas "Sandy"

こちらもまた夏の終わりのムードが横溢していて、今夜あたり聴くにはふさわしいでしょう。って、まだ熱帯夜のところが多いかもしれませんが!


metalsideをフォローしましょう



GTO: Best of Ronny & The Daytonas
Gto: Best of Ronny & The Daytonas


The Swinging Blue Jeans - Hippy Hippy Shake: Definitive Collection
Hippy Hippy Shake: Definitive Collection
[PR]
by songsf4s | 2010-09-01 23:54 | 夏の歌
細野晴臣、松本隆、鈴木茂の「夏なんです」
タイトル
夏なんです
アーティスト
細野晴臣、松本隆、鈴木茂
ライター
松本隆、細野晴臣
収録アルバム
N/A
リリース年
?年
f0147840_23515631.jpg

「目をつぶっても通れる朝比奈峠」(と鎌倉二階堂に住んでいた仲間がいっていた。お互い、よく生き延びたものだ!)とでもいうべき、ギター・アンサンブルのことを書いているあいだに、つぎの映画を見ようと思ったのですが、この間に見た映画はゴジラが1本半のみ、これは取り上げる予定のものではなくて、ブログの役には立ちません(しかし、スコアを聴いていて、ちょっと面白く感じた)。

昨夜、すこしだけつぎの映画を見たのですが、すぐに、なぜか(たぶん前回のオールマンズと同じころによく聴いていたため)、細野晴臣が聴きたくなり、YouTubeで検索してみました。Hosono Houseが聴きたかったのですが、残念ながらオリジナルはなく、後年のライヴ・クリップが見つかっただけでした。

細野晴臣 ろっかばいまいべいびい(ライヴ)


細野晴臣 恋は桃色(ライヴ)


唐突ですが、「しわい屋」の枕などに使われる小咄。

旦那「ちょいと向かいの店行って、『金槌をお貸し願えないでしょうか』とな、ていねいに頼んでくるんだぞ」小僧「行って参りました」旦那「どうだった?」小僧「へい。減るからダメだ、とのことでした」旦那「なんてケチな奴だ。仕方ない、うちのを使いなさい」

YouTubeにはない、ケチな奴だ、仕方ない、うちのを使え、というので、バックアップを引っかきまわして、ようやく見つけたHosono Houseを聴きました。近年のライヴも、これはこれでなかなかけっこうだと思いましたが、Hosono Houseの録音、音の感触は独特で(ホーム・レコーディングだった。だからHosono Houseというタイトルになった)、楽曲やアレンジより、そちらのほうが強く印象に残ったほどですから、ライヴはやはり別物に感じます。

昔は「ろっかばいまいべいびー」だけ好きだったのですが、いつの間にか、どのトラックも楽しめるようになっていました。あのころ、ジェイムズ・テイラーもキャロル・キングもあまり好きではなく、その意識に邪魔されたのかもしれません。これだけ時間がたつと、ジェイムズ・テイラーとの類似よりも、相違のほうが強く感じられるようになりました。いや、早い話が、ジェイムズ・テイラーとはぜんぜんちがう音楽だというだけです。

f0147840_23551422.jpg

それから、松本隆とは異なった細野晴臣の言語感覚も、大瀧詠一の歌詞同様、これはこれで面白いとも感じました。松本隆にそういう面がないとはいいませんが、大瀧詠一も細野晴臣も、言語をきわめて音韻的にとらえていて(「はいな、はいな、門から」)、はっぴいえんどのデビューからごくわずかなあいだに、「意味離れ」した言葉が心地よく感じられる時代へと移ったことを思いだします。

大瀧詠一の場合でいえば、意味離れからさらに一歩進んで、Niagara Moonのキッチュ、キャンプ、いやabsurdityと表現するのが適当かもしれませんが、そのような多重性のある歌詞がもっとも面白く感じられました。

f0147840_23581114.jpg

◆ 細野晴臣のはっぴいえんど ◆◆
そういうものを探していたわけではないのですが、ついでに引っかかったトラックがじつに興味深いものでした。これはエンベッドできないので、ご興味のある方は右クリックでYouTubeを開いてください。

細野晴臣、松本隆、鈴木茂 「夏なんです」ライヴ

いつ、どういう趣旨でプレイされたものか、まったく知らないのですが、テレビ出演時のものなのでしょう(ご存知の方がいらしたらご教示を願います)。おかしな言い方になりますが、ちゃんと〈はっぴいえんど〉のライヴを聴いているような気がしてくるから不思議です。これだけ時間がたち、あちらもこちらもすっかり変わってしまったのに、彼らのつくる音はすこし変化しただけだし、こちらの受け取り方もほんのすこし変化しただけです。

f0147840_091372.jpg

いや、〈はっぴいえんど〉がこれほどきちんと自分たちの音をコピーしたことはないでしょう。まず、ステージではアコースティックを使わなかったので、こういうタイプの曲はあまりやらなかったし、やってもかなり異なったアレンジであったり、異なったサウンドでした。

そもそも、〈はっぴいえんど〉時代の細野晴臣は、ライヴではめったに歌わなかったという印象があります。はじめて見たのは、いわゆる『ゆでめん』と『風街ろまん』のあいだの時期で、「いらいら」でハーモニーに加わっただけでした。二度目のとき(「風街ろまん」のあと、「恋の汽車ぽっぽ」をやったので、このシングルのリリース前後)はぜんぜん歌わなかったような記憶があります。

〈はっぴいえんど〉時代は、フロントはあくまでも大滝詠一で、細野晴臣は「一介のベース・プレイヤー」という立ち居振る舞いでした。

その大滝詠一のいない上記のクリップは、細野晴臣がフロントに立つしかない状況になっているわけで、そんなのははじめて見たものだから、懐かしさとともに、新鮮さも感じました。

f0147840_024997.jpg

73年の文京公会堂での再編コンサートで、細野晴臣は「夏なんです」を歌っていますが、あのときだってこんなに正面切った本格的なムードではなく、どことなく「余興」の雰囲気がありました。譜面を見ながら歌っても、「歌詞をまちがえないようにがんばってねー」みたいな雰囲気で客が笑ったのは、あれが「同窓会の余興」だったからです。

◆ プレイヤーの魂 ◆◆
はっぴいえんど(いや、あくまでも細野晴臣、松本隆、鈴木茂であって、はっぴいえんどといってはいけないのだろうが)が本気で「夏なんです」をプレイした、これが唯一の機会ではないでしょうか。そして、その結果は、「やっぱりいいバンドだったんだなあ」です。

昔とちがって、ライヴでアコースティック・ギターを使えるようになったのは、天と地の違いをもたらしたように思います。ヴォリュームを絞って音だけ聴いていると、ドラムのバランシングを変えただけのオリジナル録音かと思ってしまいます。

ということはつまり、この曲の決定的な要素は、細野晴臣のアコースティックと鈴木茂のエレクトリックのコンビネーションだったということかもしれません。細野晴臣はスタジオのときほどスリー・フィンガーを使わず、親指のストローク中心のプレイに変えていますが、べつに違和感はありませんし(スタジオ録音でも部分的にストロークを使っている)、鈴木茂にいたってはトーンもラインもオリジナルにかなり近いプレイをしています。

f0147840_0245969.jpg

はっぴいえんどが、こんな愛想のいいことをするとは思いませんでした。自分を殺して、昔の録音を愛しているファンの期待に正面から応えようという姿勢に感じられます。いや、かつては時代の風潮のプレッシャーでやれなかったことを、いまになってやることに、ひねくれた喜びを見いだしたのかもしれませんが。

サンケイ・ホールで聴いた、スタジオ録音には似ても似つかないエレクトリック・アレンジの「朝」はなんだったのかと、不思議な気分になります。大滝詠一は、いま「朝」を歌うとしたら、どういうアレンジでやるのか、それはそれで興味深いのですが。

はっぴいえんどがなくなり、松本隆が作詞家として名を成してから、ドラマーとしての松本隆というのがわからなくなりました。しかし、このライヴを聴いて、やはり、当時、この人のドラミングが好きだったのも、べつに不思議はないと納得がいきました。ドラム馬鹿タイプではなく、ストイックで、あれこれ知識と知恵を働かせるタイプのドラマーで、日本のプレイヤーとしてはきわめて少数派に属すと思います。

f0147840_0223964.jpg

それにしてもまったくブランクを感じさせないプレイで、ひょっとして、頻繁にプレイしていたのかな、と思ってしまいました。ギターもある程度そうなのですが、ドラムはしばらく叩かないと、まったく手足が動かなくなりますからねえ。

十年ほど前のことでしょうか、わたしの知り合いがこの作詞家と酒場で話すチャンスがあり、ハル・ブレインの回想記を訳して出版しようとしている友人がいるという話をしたら、原稿を読みたいというので、プリントアウトして、彼に託したことがありました。

f0147840_0265811.jpg

その後、どうなったかは知りませんが、それはどうでもよくて、作詞家として大御所になっていても、ハル・ブレインの回想記を読んでみたいと思ったことに、この人のなかにまだプレイヤーの心が生きていることがあらわれていると思います。この「夏なんです」のクリップでの堂々たるドラマーぶりに、大なる感銘を受けました。

◆ 変わる距離感 ◆◆
『風街ろまん』にはじめて針を載せたときに思ったのは、いわゆる『ゆでめん』とは録音が全然ちがう、ということでした。『ゆでめん』のサウンドはあまり好みではなく、個々の楽器の音が痩せていて、聴き慣れたアメリカの音とはいかにも海ひとつ分の距離があるという、なんというか、じつに「ローカルな」録音に感じられました。

f0147840_0282832.jpg

それが『風街ろまん』ではベースはベースらしく、キック・ドラムはキック・ドラムらしい音がするようになり、よりアメリカ的な手ざわりの音へと変化したのです。こういう単純なことがうれしかったし、「ガロ」でも読んでいるような気分になる、ノスタルジックな歌詞も、あの時代の自分の気分にはぴったりと添うものでした。

f0147840_0284365.jpg

しかし、同じものもしつこく聴いていると、だんだん距離が変化していきます。それも一度や二度ではなく、なんども変化します。

はっぴいえんどが現役でやっているころ、わたしは大滝詠一のファンでした。彼のほうがシンガーとして好きだったのです。細野晴臣の歌は、たぶんご自分もその自覚があったと思うのですが、なんだか余技のように聞こえたのです。もうすこし好意的にいえば、自分のやや変わった声が、うまくはまる場所を探し求めている最中、というような印象でした。また、大滝詠一のユーモアも好きな理由のひとつでした。

はっぴいえんどがなくなり、それぞれのソロ・プロジェクト、サイド・プロジェクトなどを聴いているうちに、まず『ゆでめん』と『風街ろまん』の位置が変化しました。音の悪い、しかし、きわめて原初的なオリジナリティーを感じさせる『ゆでめん』が残り、『風街ろまん』は奥行きのないペラッとしたアルバムに感じられるようになったのです。

しかし、一昨昨年のちょうどいまごろ、「夏なんです by はっぴいえんど」という記事を書いたときには、また考えが変わっていました。大滝詠一の歌はそれほど聴きたくなくなり、細野晴臣の、なんというか、「無骨な穏やかさ」みたいな味のほうが好ましく感じられるようになっていたのです。

なぜでしょうかねえ。カスタム・テイラード・スーツというのは、ピッタリしすぎていてあまり好きではありません。吊しのジャケットのあまって緩やかなほうが着心地がいいといつも思います。細野晴臣の歌には、なにかそういう感覚があります。こちらにくっつきすぎて不快になるということはなく、ちょっとごわごわしたところがあり、いつまでも硬さを保って、着崩れしない、とでもいいましょうか……。

それで、時間がたっても、「聴き古した」「聴きつぶした」感じがなく、経年劣化を免れているように思います。なんだか、歌に対して使う言葉とはいえず、ちょっと恐縮していますけれど、そういう気分なのです。

f0147840_0305222.jpg

こういうのは「いま目の前で起きていること」については感得しようがありません。時間がたってみて、はじめて、そうだったのか、と納得することです。結婚に似ているかもしれませんが、幸いなことに、音楽については、自在に相手を替えることができます。

たんなる余談ぐらいのつもりで書きはじめたことが、またまた長話になり、しかも、妙にまじめなことになってしまい、当惑しております。要するに、事実上のはっぴいえんどによる「夏なんです」のクリップは、いろいろな意味で楽しく、興味深い、ということがいいたかっただけです。

あ、書き忘れていたことがひとつ。上掲3種のクリップを見て、強く思ったのは、年齢に不似合いと感じる瞬間がない、ということです。どの曲のどのパッセージも、しっくりと細野晴臣なり、松本隆、鈴木茂なりの年齢にふさわしい音楽をやっているように聞こえるのです。

これをどう考えるべきでしょうか、当時、はっぴいえんどの人気がなかったのも無理はない、なんていいそうになりました。


metalsideをフォローしましょう


HOSONO HOUSE
HOSONO HOUSE
[PR]
by songsf4s | 2010-08-29 23:55 | 夏の歌
It Might As Well Rain Until September by Peggy Lipton
タイトル
It Might As Well Rain Until September
アーティスト
Peggy Lipton
ライター
Gerry Goffin, Carol King
収録アルバム
Peggy Lipton
リリース年度
1969年(possibly)
他のヴァージョン
Carol King, Bobby Vee
f0147840_2328428.jpg

Moon RiverやBlue Moon以外にも、月の曲にはいくつかヘヴィー級のものがあって、当然、その準備をしているのですが、なかなか進まず、ブライアン・ウィルソンが、スケデュールをこなすために、Party!やらライヴ盤やらをつなぎにしたのを真似しなければならない事態に追い込まれています。

本日は、月の曲ではなく、これまでに取り上げた曲の、あとから入手したヴァージョンをご紹介するという窮余の一策、その場しのぎ、「Party!」というところです。

◆ 大人の夏休み? ◆◆
f0147840_2335621.jpg看板に立てたのは、ペギー・リプトンのIt Might As Well Rain Until Septemberです。ペギー・リプトンといっても、シンガーではないので、ご存知ない方が大部分でしょうが、近年では「ツイン・ピークス」に出演していた女優で、このドラマで復帰する以前、まだデビューまもない二十歳のときに一枚だけアルバムをリリースしていまして(もう一枚あるといっているところがあるが、裏をとれず)、そのなかの一曲です。

f0147840_2337434.jpgわれわれの世代の場合、ペギー・リプトンは「ツイン・ピークス」の脇役ではなく、「モッズ特捜隊」の主役として記憶しています。これはサンフランシスコを舞台にした潜入捜査もので、元ヒッピーの3人の捜査官のひとりがペギー・リプトンでした。そういう設定からわかるように、サイケデリックの時代を反映したドラマだったわけで、それでわたしも見ちゃったりしたのです。

このアルバムの存在は、当時は知らず、あとになって、ハル・ブレインのことを調べていてぶつかり、ウィッシュ・リストに入れておいたもので、やあやあやあ、盲亀の浮木、優曇華の花、ここで会ったが百年目、てえんで、敵討ちみたいになって手に入れたものです。

こういう盤の場合、出来を云々するのはエチケット違反ですが、でも、彼女のファンなら十分に満足する程度の出来にはなっています。ピッチは揺れますが、ド下手のキャロル・キングよりはずっとマシですし、ムードももっています。ちょっと声にかわいげがないのがぜんぜん売れなかった理由でしょう。再発の見込みは薄いでしょうが、ドブのゴミまで浚っている時代ですから、そろそろ順番がまわってこないともかぎりません。

f0147840_23403771.jpgペギー・リプトン盤It Might As Well Rain Until Septemberのアレンジは、キング盤よりテンポを落とし、ほんの数歳ですが、ターゲット層があがったような雰囲気があります。じっさい、上げすぎで、もう学校なんか卒業しちゃって、九月まで夏休みなんてことはないだろ、みたいな雰囲気です。デモに毛が生えたようなキャロル・キング盤とはまったくちがう、弦、女声コーラス、テナー・サックスもあるフル・プロダクションで、60年代終わりのハリウッドだから、録音もスケール感があって、なかなか好みのサウンドです。

◆ パーソネル ◆◆
盤にはいちおうパーソネルがありますが、名前だけで、パートがないので、以下に補ったものを。大文字を使ったものは元からのクレジット、小文字はこちらで補ったものです。

Peggy Lipton - eponymous titled album credits
Lou Adler: Producer
Marty Paich: Arranger
Armin Steiner: Engineer
Eirik Wangberg: Engineer
The Blossoms: Vocals (Background)
Hal Blaine: Director
Louis Morell: guitar
Joe Osborne: bass
Mike Deasy Sr.: guitar
Gary Coleman: percussion (also possibly vibraphone)
Jimmie Gordon: drums? woodwinds?
Jim Horn: Flute, Saxophone
Larry Knechtel: keyboards
Charles Larkey: upright bass
Carole King: piano?

ルー・アドラーのセッションだから、彼とのコネでやってきたと思われるチャールズ・ラーキーとキャロル・キング以外は、みな実績十分の一流プレイヤーばかりです。

ハル・ブレインのダイレクターという肩書きは妙ですが、セッション・リーダーという意味でしょう。音から判断するかぎり、ドラムもプレイしています(オクトプラス・セットのタムが派手に鳴り響いているトラックあり。It Might As Well Rain Until Septemberはまちがいなくハル)。ドラマーとしての料金とリーダーとしての料金の両方をとったにちがいありません。この時期はダブル・スケールでしょうから、いちばん安いプレイヤーの3倍またはそれ以上のギャラで、「おいしい仕事」というやつです。

f0147840_23421956.jpgジム・ゴードンはドラマーと木管プレイヤーがいます。いかにもジム・ゴードンというドラミングはざっと聴いたかぎりでは見あたらないので、木管プレイヤーのほうかもしれません。

アーミン・スタイナーは、モータウンLAのエンジニアです。彼の自宅でもあったTTGスタジオが、モータウン・サウンドをつくった、なんていうと、デトロイト=ファンク・ブラザーズ信者の憤激を買うかもしれませんが、悪質なプロパガンダ映画がつくられたりしたために、天秤はアンフェアに傾きつつあるので、ハリウッド側に0.1グラムばかり錘を載せておきます。

◆ 九月に九月を思いだせといわれても…… ◆◆
f0147840_2347421.jpgこんなことを書くのはなんですが、もはや中学生ではないので、アイドルにうつつを抜かすなんてことはできなくて、じつは、ペギー・リプトンより、サウンドのほうを聴いてしまいます。彼女の歌は、悪くもありませんが、惚れるようなものでもありません。女優の余技にすぎない、というのが年寄りの正直な感想です。

前科たび重なるソフトロック方面では、またしても「名盤」などという声も上がっているようですが、毎度毎度、十年一日のごとくの「幻の名盤」、すなわち、それだけの立派な理由があって、ぜんぜん売れなかった盤の美称を懲りもせずに唱えているだけでしょう。同じ歌ばかりうたっていて、よく飽きないものです。名盤でもなければ、傑作でもなく、佳作ですらありません。埋もれるべくして埋もれた盤です。

f0147840_23491388.jpgなお、彼女は全11曲のうち、4曲を自分で書いています(他はローラ・ニーロ、キャロル・キングなどのカヴァー。リプトン盤Stoney Endは、ニーロ盤ほどよくはないが、ストライサンド盤より好ましい。ストライサンドは嫌いだといいたいだけだが)。とくにいいと思った曲はありませんが、後年、シナトラが歌ったLA Is My Ladyのソングライター・クレジットには、彼女の名前もあります。エルヴィスとデイトした余勢を駆って、シナトラもたらし込んだわけではなく、彼女はクウィンシー・ジョーンズ夫人だったので、旦那との共作なのです。

It Might As Well Rain Until Septemberも、タイトルは九月なのに、曲のなかの「現在」は七月ごろで、See You in Septemberと同じです。タイトルに九月があるものでもっとも有名なのはSeptember Songでしょうが、これも季節を歌ったものではありませんし、曲中の「現在」は「人生の冬」と解釈できます。September in the Rainも有名ですが、曲中の「現在」は不明です。

Try to remember the kind of September, then followと歌うTry to Rememberも、九月を思い起こせ、といっているのだから、曲中の「現在」は九月以外のいずれかの月ということになります。冬の歌でしょうかね。サミー・カーンとジミー・ヴァン・ヒューゼンのSeptember of My Yearsも、季節そのものをいっているわけではなく、人生のそれぞれの時期を季節にたとえた歌です。アース・ウィンド&ファイアのベスト盤(こういうものを買ったのは、トップ40蒐集の一環にすぎません。なんでも「いちおう押さえる」のです)に、Septemberという曲が入っていますが、守備範囲外。頭のほうをチラッと聴いたら、いきなりRememberといっていたので、これも九月の歌ではないでしょう。

で、結局、純粋な九月の歌はない、なんて馬鹿馬鹿しい結論になりそうです。どなたか、これぞ九月の歌というのをご存知でしょうか? ファンク、ラップ、パンク、メタル、その他、同類のノイジーなのは対象外です。なろうことなら、サミー・カーン、ジョニー・マーサー、ジェリー・ゴーフィン、キース・リード、レイ・デイヴィーズといったハイ・レベルの作詞家が好ましいのですが。

◆ さまざまな珊瑚礁のむこう側 ◆◆
まだ他のヴァージョンを入手できたものがあります。まずは、Beyond the Reef。

f0147840_2350462.jpgこの曲のインスト盤を並べたときに、検索に引っかかったのに、書き落としてしまったのがマーティン・デニー盤です。ヴァイブラフォーンでくるだろうという予想を裏切って、デニーのピアノ、それも加工したプリペアード・ピアノかなにかがリード楽器です。まあ、だれが考えてもマーティン・デニー向きの曲ですから、当然、アヴェレージ以上の出来です。冒頭に霧笛のSEを入れてくるところが、デニーらしいと感じます。この曲では鳥の啼き声というわけにはいかないですよね。

f0147840_23514348.jpgマーティン・デニーのものとしては、アルバムBaked Alaskaに収録された、歌ありライヴ・ヴァージョンもあります。アンカレジの空軍基地でのライヴだそうで、それでBaked Alaskaというタイトルになったようです。ベイクト・アラスカとはメレンゲを使ったデザートのことだそうですが、西洋の菓子は好まないので、未経験。ときおり、ヴォイス・コントロールがちがうと思う箇所はありますが、なかなかいい声をしたシンガーです。

f0147840_23542394.jpgデニーのライヴァル、アーサー・ライマンのBeyond the Reefは、3種類も見つかりました。ライヴ×1,スタジオ×2で、スタジオのひとつは録音が悪く、聴く気になりませんが、もうひとつのHawaiian Sunset 2収録のものはなかなかけっこうな出来です。

アルバムBahia収録ヴァージョンでは、エレクトリック・ヴァイオリンかと思ってしまう妙な音が聞こえます。極端にトレブルをきかせたスティール・ギターなのだと思います。こういう風に、この音はなんだろうと思わせることは、昔は重要なことでした。これも冒頭に霧笛あり。去っていく恋人をたったいま港で送ったところ、という思い入れなのでしょう。

f0147840_23581113.jpgVintage Hawaiian Treasures Vol.1という編集盤に収録されていた、Lei Momi with the 49th State Hawaiians、「レイ・モミと49番目州ハワイ人たち」のヴァージョンは、長い時をくぐって現代にふたたび出現しただけあって、なかなかよろしい出来です。とくにレイ・モミという人のヴォーカルが印象的。これを聴いて、ナンシー梅木にも歌ってもらいたかった曲だなあ、と思いました。

先日、Moon of Manakoora by Dorothy Lamourで取り上げたばかりのロス・インディオス・タバハラスのSong of the Islandsというアルバムには、Beyond the Reefも収録されています。mstsswtrさんが、この記事のコメントで弦の種類について書かれていますが、なるほど、そこに意識を集中して聴くと、迷路に入りこみます。あるときはスティール弦に聞こえ、ある時はナイロン弦に聞こえ、助けてえ、です。リゾネイター・ギターの特性のほうが、弦の違いに勝ってしまうのでしょうね。低音弦を聴いていると、スティールのような気がしてくるのですが、いかがでしょう?

◆ リプトン、バルドー、Reiko Ike……なに、池玲子? ◆◆
まだMoon Riverの補足が残っているのですが、各種ヴァージョンを聴くだけで疲労困憊したので、本日はここまで、残りは他日に。

最後によけいなことを少々。検索したら、ウェブ・ラジオのようなもので、ペギー・リプトンのLu(ローラ・ニーロの曲)にぶつかりましたが、セカンド・アルバムがあった証拠だとはいえません。シングルのみのリリースだった可能性もあります。出来はなかなかけっこう。それにしても、このプログラム、いきなり梶芽依子(ミーコ・カジと発音していましたが)ではじまったので、仰天しました。つぎがブリジット・バルドー、そしてペギー・リプトン。

先日は、梶芽依子と池玲子のLPリップに出くわして驚きました。思わぬところで日本音楽の輸出がはじまっているようです。池玲子のセクシー・アルバムが音楽かどうかは意見が分かれるところでしょうが、ブリジッド・バルドーとセルジュ・ゲインズブールのJe T'aime...Moi Non Plus、すなわち「ジュテーム」が音楽なら、池玲子だって立派な音楽だ、ということにしておきます。いまや、池玲子は世界に誇る日本の文化遺産、こんな日がくるなんて、だれが思ったか! よけいなことですが、「ジュテーム」ってI Saw Her Againの盗作に聞こえませんかね?

ついでに、この番組を聴いていて、Marcia Strassmanという人のThe Flower Childrenという曲はハル・ブレインだということに気づきました。なにしろ、4万曲の男、知らないものがまだまだぞろぞろ出てきます。

トリヴィアをもうひとつ。ペギー・リプトンの出身校というのに出くわしました。ハリウッド・プロフェッショナル・スクールというところで、一説に、MGMのルイス・メイヤーが、まだ子どもだったジュディー・ガーランドの学業と撮影を両立させるために創立した学校だとか。要するに、撮影の都合でいくらでも欠席できるのでしょう。在校者はなかなか印象的ですが、カタカナに直す気力も残っていないので、以下に原文をペーストします。アンディー・ウィリアムズ、コニー・スティーヴンズ、ブレンダ・リー(じゃあ、住まいはハリウッドで、録音のためにナッシュヴィルに通っていた?)、アネット、カウシルズ、カール・ウィルソンあたりにご注意を。

Between 1935 and 1985, its students included Judy Garland, Mickey Rooney, Betty Grable, Andy Williams, Piper Laurie, Carol O'Connor, Natalie Wood, Ryan O'Neal, Val Kilmer, Melanie Griffith, Jill St. John, Tatum O'Neal, Annette O'Toole, Connie Stevens, Linda Blair, Sue Lyon ("Lolita"), ice skater Peggy Fleming, the Cowsills, Carl Wilson (of the Beach Boys), Debra Paget, Brenda Lee, Peggy Ryan, John Barrymore Jr., The Collins Kids, Molly Bee, Tommy Kirk, Mitzi Gaynor, Yvette Mimieux, Patty McCormack ("The Bad Seed"), Barry Gordon ("A Thousand Clowns"), JoAnn Castle (of "The Lawrence Welk Show") , Suzanne Luckey (the Mayor's daughter in "The Music Man"), Tony Butala (of The Letterman), and many young TV personalities, including most of the original Mouseketeers (such as Annette Funicello, Cubby O'Brien, Lonnie Burr, Doreen Tracey, Tommy Cole and Sharon Baird), Lauren Chapin ("Father Knows Best"), Melody Patterson ("F-Troop"), Valerie Bertinelli ("One Day at a Time"), Peggy Lipton ("Mod Squad"), Todd Bridges ("Different Strokes"), Butch Patrick ("Eddie Munster"), Marta Kristen (Judy in "Lost in Space"), Jimmy Boyd, Bobby Driscoll, four of the six Brady Bunch kids and many others.

f0147840_001156.jpg

[PR]
by songsf4s | 2007-09-21 23:54 | 夏の歌
夏なんです by はっぴいえんど
タイトル
夏なんです
アーティスト
はっぴいえんど
ライター
松本隆, 細野晴臣
収録アルバム
風街ろまん
リリース年
1971年
他のヴァージョン
live version of the same artist
f0147840_234540100.jpg

「夏なんです」というより、季節はもう「夏じゃないんです」に足を踏み入れつつありますが、八月に入ってからずっと、取り上げるべきかどうか迷いつづけ、とうとう今日まで持ち越してしまいました。でも、この曲をご存知の方ならおわかりでしょうが、夏の終わりを歌った曲でもあるのです。

迷った理由はいろいろあって、いくぶん複雑なのですが、そういう込みいった話はみなあとまわしにして、とりあえずは歌詞を見てみましょう。日本語なので、あれこれいう必要がなくて、今夜は左団扇です。

◆ 盛夏にはじまり…… ◆◆
今回は歌詞をテキストにしません。かわりに、当時のLPの歌詞カードをスキャンしたJPEGを使わせてもらいます。手書きで、変則的なレイアウトをしているのため、まず全体像のJPEGをどうぞ。

f0147840_22534325.gif

右側の花の絵をグルッとひとまわりしている文字も歌詞で、ブリッジ部分が書いてあります。あとで拡大したものをお見せしますので、見えないぞ、などと下品なことをおっしゃるのはしばらくお控えを願いましょう。

では、ファースト・ヴァースのみを以下に。

f0147840_22545254.gif

ご覧のように、ギンギンギラギラとくるのだから、このヴァースは盛夏のことを歌っているように思われます。ひとつだけここで注目すべきは、これは青少年の夏休みではなく、子どもの夏休みだということです。

うちのHDDには5万曲近いファイルが入っていますが(クレイジー・キャッツの「五万節」を思いだして、まずいですよね、検索ソフトの検索結果の数字は47035曲。これにプラスすることの、検索から除外している日本の曲、で、ほぼ5万曲なのです)、たぶん、どの夏休みの歌もミドルティーン以上の話で、小学生の夏休みを歌ったものというのは、この曲の他には存在しないのではないでしょうか。しいていうと、ジェリー・ゴーフィンが書き、デイヴィッド・クロスビーが「わたしはこれでバーズをやめました」といっている(好きにしろ! おまえなんか口先だけの業界ゴロ、ジェリー・ゴーフィンは大作詞家だ)、Goin' Backが近い雰囲気をもっているか、というあたりです。

考えてみればそれも当然で、Summertime Bluesでエディー・コクランがいっていたように、「助けてあげたいのは山々だけれど、まだ選挙権がないんじゃね」なんです。小学生はバイヤーではない、よって小学生をあつかった歌詞は商売にならない、とまあこうくるのでしょう。はっぴいえんどが売れなかったのも当然か、とまではいいませんがね。

◆ 夏はひと色ならず ◆◆
つづいて、セカンド・ヴァース。

f0147840_22551294.gif

みなさんはどうお感じになるか知りませんし、地方によって事情は異なると思いますが、松本隆が少年時代を送った東京を含む南関東では、ホーシーツクツクの蝉の声、と法師蝉が鳴きはじめれば、もう夏も後半です。

まず、七月の夕方に蜩が鳴きはじめるのが夏の開幕、つづいて油蝉の鳴き声がフェイドインし、そしてミンミン蝉が登場すると、うだるような暑さになります。ツクツク法師が鳴きはじめると、ああもう夏休みが終わっちゃう、なんて、すくなくともわたしが小学生だったころには感じたものです。

というわけで、ほかの方はいざ知らず、わたしはこのヴァースで、ああ、夏休みももう指折り数えるほどなんだな、と感じます。

「舞い降りてきた静けさが、古い茶屋の店先に、誰かさんといっしょにぶらさがる」というのは、ちょっとunusualな表現ですが、これが詩というものの本質です。こういう表現に、当時の歌謡曲の歌詞とはまったくちがう、日本語の歌詞というものの可能性を感じました。

◆ 「くるくる」か「ぐるぐる」か ◆◆
このあとでブリッジが登場します。お約束どおり、読めるように拡大したJPEGをどうぞ。

f0147840_22553369.gif

PCのまえで立ち上がって、頭を逆さにして読んだりなぞしないように願います。ダウンロードして、ヴュワーの画像回転機能を使うか、印刷するのが正常な対処方法です。

この歌詞カードを久しぶりに読んで、「あれ?」と思いました。わたしは「日傘くるくる」ではなく、「日傘ぐるぐる」と濁って覚えていたのです。音を聴き直すと、やっぱり細野晴臣も「ぐるぐる」と濁って発音しています。松本隆がこの曲を書いた段階では「くるくる」だったのが、録音の際に歌いやすいように「ぐるぐる」と変えたのかもしれません。

それではファイナル・ストレッチ、サード・ヴァースです。

f0147840_22555475.gif

これで、八月の終わりにこの曲をとりあげるのが、時季はずれではないことがおわかりでしょう。入道雲は盛夏に見られるもののような気がしますが(上昇気流がつくりだすものなので、気温が高くないと発生しない)、松本隆が気象学を学んだとは思えないので、そのへんは目をつぶることにします。

「空模様の縫い目をたどって、石畳を駆け抜けると」というのは、またしてもややunusualな表現ですが、わたしには、子どもたちが遊んでいるようすを素直に、ただし、ちょっと端折って書いたように思えます。空模様の縫い目、とは、雨が降ったり、日が照ったりという、その入れ替わりをいっているのではないでしょうか。

◆ 水牛ならぬ、モビー・ハルム・エンド ◆◆
はっぴいえんどについては、近年はいやというほど言葉があふれていて、こういうときにはむしろ口をつぐむべきような気もするのですが、人は十人十色、わたしがなにかいうのもまったくの無駄でもないかもしれないと思うことにします。

まず、だれでもいっていることを確認しておきます。「夏なんです」のベースになったのは、おそらくモビー・グレイプのセカンド・アルバム「Wow!」に収録された、Heという曲でしょう。すくなくとも鈴木茂のギターというか、イントロはHeを参考にしたと考えます。

はっぴいえんどというと、バッファロー・スプリングフィールドと、モビー・グレイプの名前があがることになっていますが、バッファローを感じさせる曲はあまりありません(先日のMLでの話、書いちゃいますよ>Kセンセ)。しいていうと、「はいからはくち」とUno Mundoにいくぶんの近縁性を感じなくはありませんが、この曲ではグレイプのCan't Be So BadとOmahaも参照したように感じます。

デビュー盤でも、とくにバッファローを思い起こさせる曲はなく、むしろ、細野晴臣がオルガンをプレイした曲に、プロコール・ハルムの強い影響を感じます。松本隆のドラミングもB・J・ウィルソンを意識しています(それは大滝詠一のデビュー盤に収録された「乱れ髪」にいたるまで遠く響きつづけます。「乱れ髪」のバッキングはハルムのAll This and Moreです)。

f0147840_2354824.jpg
モビー・グレイプのセカンド・アルバムWOW! 米盤には付録として、マイケル・ブルームフィールドやアル・クーパーとのジャム・セッションを収めたGrape Jamというアルバムもついていたが、日本では2枚に分割して売られた。のちに、米軍基地のPXでこの盤を買ったとき、Jamはほんとうに付録で、1枚ものの値段と同じだった。じっさい、つまらない盤で、付録以外のなにものでもない。そういうものを独立した商品として売りつけるという不誠実なビジネスをしたのだから、当今の音楽産業の苦境は、天網恢々疎にして漏らさず、勧善懲悪の結末だろう。

全体にグレイプの雰囲気が漂うのは、まず第一に鈴木茂のトーンがグレイプの3人のギタリストのだれか(いまだにどのプレイがだれなのかわからないのです)に近いからでしょう。たとえば、Changesのオブリガートやソロなど、そのまんま鈴木茂のトーンです。

f0147840_2355401.jpg
こちらはWOWの裏ジャケ、裏から読んでも、逆から読んでも、やっぱりWOW。

もうひとつは、細野晴臣のプレイに、グレイプのベーシスト、ボブ・モズリー(エアプレインのジャック・キャサディー、デッドのフィル・レッシュと並ぶ、ベイ・エイリアのベーシスト三羽がらすのひとりだと思います)のスタイルを強く感じるからです。ミュートの使い方もよく似ていますし、なによりも、5度のフラットを経過音に使うフレーズに、モズリーの影響を感じます。たとえば、キーがCなら、C-E-F-F#-Gと弾くフレーズのことです。Cは3弦(ベースの)、あとは4弦に下がって、オープンEから半音ずつ上げていくというプレイです。

これはキャロル・ケイもときおり使っていたフレーズですし、彼女は5度のフラットという不協和音を、有効なテンションとして和声にとりこんだそもそもの淵源である、ビーバップの出身ですから、こちらを経由して取り込まれた可能性もありますが、全体の雰囲気を考えると、やはりモズリーだと思います。最近、細野晴臣がキャロル・ケイについて書いている文章を読んだので、この考えはちょっとぐらつきかけていますが。

f0147840_23561066.jpg
ジャケットの印象が強いので、グレイプの代表作をWOWであるかのようにいう人がけっこういるが、彼らがほんとうによかったのは、このデビュー盤だけといってもよい。あとのアルバムはせいぜい佳作と愚作のごった煮、あとのほうにいくと、割りたくなるようなひどさになる。

◆ インディーズ・バンド!? ◆◆
はっぴいえんどをはじめて聴いたのは、URCレコードの会員だった友だちの姉さんが貸してくれた、のちに「ゆでめん」と通称されるようになったエポニマス・タイトルのデビュー盤でした。

f0147840_001953.jpgURCの盤が、当初はサブスクラバー・オンリーで頒布されていたなんてことは、もう最近のファンの方はご存知ないでしょうから、あらためて強調しておきます。当時は、あの盤は店頭には並んでいませんでした。URCレコードの会員になって、郵送してもらわないと手に入らなかったのです。借りたものが気に入って、わたしが自分の盤を買ったときには、もう店頭に並んでいたので、ごく初期だけのことだったのですが。URCというのは、いまでいうインディーズだったのです。

URCがそういうレーベルであり、はっぴいえんどがそういう会社に所属していたということは、「押さえておく」べきことだと思います。当時のメイジャー・レーベルはあのグループの可能性を見抜けなかった(つまり、リスナーのマジョリティーの関心を喚ぶものではない、という「商業的には正しい」判断)というネガティヴな意味と、やがてURCの盤はメイジャーを通じて配給されるようになり、「ある流れ」をつくっていくというポジティヴな意味の両方においてです。

◆ 早すぎたバンドと早すぎたファン ◆◆
思いだすのは、寒々とした冬の神田共立講堂です。客はほんの一握り、暖房はきかず、コートで膝を覆い、震えながらはっぴいえんどをみました。オープニング・アクトは遠藤賢司(「カレーライス」)でした。いや、ひょっとしたら逆だったか。寒かったのは客がいないせいでもありました。満員電車は暑いけれど、ガラガラ電車は寒いのと同じ原理。

デビュー盤が出てすこしたってからのことで、まだ2枚目の『風街ろまん』は未来のこと、セカンドどころか、はたしてこのバンドが来月、まだ存在しているだろうかと心配をしなければならないほどでした。

彼らは愛想笑いひとつするでもなく(当時はそのほうが客に歓迎される雰囲気がありました。グループサウンズ的な愛嬌は時代遅れになっていたのです)、ときおり大滝詠一が「つぎは『春よ来い』という曲です」などとボソリといい、すくないけれど、彼らのデビュー盤を聴きこんだファンばかりの客席から、そのたびに暖かいような、わびしいような、なんともいえない拍手がおきました。

f0147840_0223.jpg彼らのプレイ自体は、投げやりでもなければ、熱が入っているわけでもなく、ただ黙々と「やるべきことをやる」という雰囲気でした。「いらいら」がいい出来だったと記憶していますが、あるいは、それまでただベースを弾いているだけだった細野晴臣がコーラスに参加したことにホッとしただけかもしれません。デビュー盤には入っていなかった「はいからはくち」を聴けたことも収穫でした。

ふと思いついて、だれも誘わず、ひとりで見にいった受験生のわたしは、終わって外に出てみたら、予備校帰りの受験生の集団に出会い、ちょっとだけうら寂しいような気分で帰りました。

◆ 「いい夜」の違和感 ◆◆
そのつぎはいまはなき大手町のサンケイ・ホールでした。『風街ろまん』は、友だちのだれもが買う「大ヒット」になって、こんどはバンド仲間がいっしょにいきました。でも、箱が大きいせいもありましたが、今度もまた、半分以上が空席でした。考えてみると、もうこのころ、彼らはバンドに終止符を打つつもりになっていたのだと思います(3枚目が出たのはたんなる僥倖だったのはご存知のとおり)。

客はすくないけれど、共立講堂のときよりはにぎやかな雰囲気が、ステージと客席にありました。それは大滝詠一のソロ・シングルになった「恋の汽車ポッポ」のような明るい曲もやったせいかもしれません。あのころもっとも好きだった「朝」のエレクトリックなアレンジは、まったくなじめませんでしたが。

f0147840_034227.jpgつぎは1973年9月21日、文京公会堂でした。日付を記憶していたわけではなく、ライヴ盤にデカデカとそう書いてあるだけです。すでに彼らは解散し、なんのためかは知りませんが、ワン・ショットの再編による一日だけのライヴでした。それまでの2回とはまったく雰囲気がちがいました。会場の外に行列ができていたのです。しかも、列のなかには数人の友人や高校の後輩たちがいて、「やあ」とか、「おお」とか、「なんだ、きてたのかよ」と挨拶が飛びかい、仰天しました(わが母校は、軽音楽部の全員がはっぴいえんどファンといってもいいくらいだったのです)。

外の雰囲気はそのまま会場の雰囲気になりました。ワン・ショットだったため(「李香蘭日劇七廻り半事件」と同じ!)、客が入りきれなくなり、通路に補助椅子が出たのには、ほんとうに驚きました。あの寒々とした神田共立講堂はなんだったのか。

彼らもまた、にこやかにプレイしていました。「夏なんです」を歌うとき(細野晴臣がライヴで歌う、というだけで驚きましたが)、譜面台がステージに運ばれ、「歌詞を忘れちゃったもので」と弁解したときには、会場全体があたたかい笑い声で包まれました。

f0147840_08920.jpg

いい夜でした、といってすませられれば、ハッピーエンドなのですが、共立講堂のときとは異なる意味で、いや、正反対の意味で、うら寂しいような気分になりながら、後楽園球場の脇を抜けて帰路につきました。

◆ 死んで咲いた花実 ◆◆
彼らの評価が現在のように極大に達する兆しは、すでに文京公会堂の再編コンサートのときにありました。それ自体はけっして悪いことではありませんが、手放しで歓迎できるようなことでもありません。

パリでおこなわれた自作の回顧上映に招かれ、ステージにあがって挨拶したドン・シーゲルは、満員の客に向かって、「君たちは、わたしが君たちを必要としていたときに、いったいどこにいたんだ?」といったと、たしか小林信彦が書いていました。

客というのはそういうものなので、そんなことをいってもはじまらないのですが、評価を受けるようになったのはキャリアのごく終盤にすぎなかった映画監督のボヤきは、はっぴいえんどのボヤきでもあるのではないかと思います。いや、ほんとうは、だれも誘える雰囲気ではなく、ひとりで神田共立講堂にいき、寒さに震えながらはっぴいえんどをみなければならなかった、さびしいファンのボヤきなのです。

f0147840_0101378.jpgエイプリル・フールのこと(そのつづきだから、ヴァレンタイン・ブルーだったのでしょう)、デビュー盤と「風街ろまん」のアイロニカルな落差、その後の年月のあいだに、わたしの心のなかで逆転した大滝詠一と細野晴臣の位置、彼らのもうひとつの夏の歌である「暗闇坂むささび変化」と、グレイトフル・デッドのFriends of the Devilのこと、書くべきことは山ほど用意していたのですが、すでにTime Is Tight、写真の用意もしなければいけないし、話のキリもいいようなので、幕を下ろすとします。
[PR]
by songsf4s | 2007-08-30 23:57 | 夏の歌
A Summer Song by Chad & Jeremy
タイトル
A Summer Song
アーティスト
Chad & Jeremy
ライター
Metcalfe/Noble/Stuart
収録アルバム
Sing for You (a.k.a. Yesterday's Gone)
リリース年
1964年
他のヴァージョン
alternate take of the same artist
f0147840_2342118.jpg

まずは、今夜の原稿の「勧進元」であり、年来の「チャド&ジェレミー・ファン仲間」(メンバーは二人だけ!)である、tonieさんにご挨拶。

昼間、チャド&ジェレミー第2弾を、と宣言したとき、じつはスクリューでいくつもりでした。しかし、たまたま、Unsurpassed Mastersの全巻を配布しているブログに突入してしまい、地獄の苦しみを味わうことになり、楽な直球に切り替えることにしました。

このブログをスタートする前に、デザイン用のダミーとして書いた原稿が数本、しまい込んだままになっていまして、このA Summer Songはそのひとつなのです。いまから手直しを試みますが、たぶん、混乱した原稿になるであろうこと、Distant Shoresと話がダブってしまうであろうことをあらかじめお詫びしておきます。では、古物の使いまわしですが……。

◆ 失われたサウンド ◆◆
ストーンズの下品で猥雑なSatisfactionがヒットするまえの、さわやかなブリティッシュ・グループの歌声と、軽やかなサウンドが、年とともに懐かしくてしかたなくなってきました。「ロック」という言葉があくまでも「岩」を意味し、音楽はポップ・ミュージックとかロックンロールといわれていた時代のことです。

そういう時代のイギリスを象徴するのは、たとえばサーチャーズ、デイヴ・クラーク5、スウィンギング・ブルー・ジーンズ、ジェリー&ザ・ペイスメイカーズ、ホリーズ、ピーター&ゴードンなどなどのアーティストです。

齢を重ねてみて、わたしよりひとまわり、ふたまわり上の、それまでなじんできた音楽をエルヴィスに根こそぎ破壊された世代の人たちが、フランク・シナトラやナット・コールやアンドルーズ・シスターズやパティー・ペイジを懐かしむ気持ちがよくわかるようになりました(もっと上の人たちは、ビング・クロズビー、ポール・ホワイトマン楽団、ベニー・グッドマン、グレン・ミラーなど、もちろん、それぞれご贔屓は異なるでしょうが)。

でも、いつも思うのですが、破壊され尽くし、この地上から抹消されてしまったからこそ、そうした過去が心の宝になるのです。存在しつづけたとすれば、懐かしむこともできません。このパラドクスは、だれにもどうすることもできないでしょう。

◆ 書いた当人も恥ずかしがる紋切り型 ◆◆
チャド&ジェレミーは、日本ではヒットらしいヒットはなかったと記憶していますが、アメリカでは数曲をチャートインさせています。本国よりアメリカで受けたグループです(DC5なども似たような位置にありました)。

じっさい、アメリカ録音が多く、ブリティッシュ・デュオと呼ぶのはちょっとためらいます。シンガーがどこで生まれたにせよ、トラックがアメリカでつくられたのなら、アメリカン・ミュージックと呼ぶべきです。

f0147840_23475081.jpg彼らは、ロンドン、ニューヨーク、ハリウッドの三カ所で録音したようで、ゲーリー・チェスター(NY)やハル・ブレイン(ハリウッド)のプレイを聴くこともできます。この曲は初期のヒットですから、ロンドン録音なのですが、それにしてはなかなかクレヴァーな音作りで、ロンドンのプロデューサーやアレンジャーもナメてはいけないのかもしれません(その後、ジョン・バリーまたはシェル・タルミーのプロデュースと判明。なるほどそうか、でした)。

A Summer Songの魅力は、楽曲、複数のアコースティック・ギターを積み重ねたサウンド、チャドとジェレミーのフワフワと薄くて軽い歌声にありますが、歌詞も、そうした全体的なムードを壊さない程度の出来にはなっています。もちろん、十代の少年少女向けの曲としては、という意味にすぎず、悪くいえば、いわゆる「星菫派」の典型です。まずはファースト・ヴァース。

Trees sway in the summer breeze
Showing off the silver leaves
As we walked by

「そよ風に揺れる木々、ぼくらが歩くにつれて、木の葉が銀色にひるがえる」というのだから、ちょっと紋切り型で困ったものですが、この陳腐な幸福のフラッシュ・イメージは、たぶん、その後の喪失感の表現を前提として用意されたものなのでしょう(好きな曲だと好意的に解釈してしまうものなのです)。

◆ 超高速の展開 ◆◆
つづいてセカンド・ヴァース。

Soft kisses on a summer's day
Laughing all our cares away
Just you and I

「夏の日の軽いキス、憂いはみんな笑い飛ばし、君とぼくと二人だけ」って、わたしはこういう日本語を書くような年齢ではなくなってから、軽く四半世紀ほどたつのですが、原詩がそういっているだけなので、腐った卵、ミカンの皮、ビールの空き缶、石、座布団、爆弾などは投げつけないでください。

Sweet sleepy warmth of summer nights
Gazing at the distant lights
In the starry sky

「夏の夜の眠気を誘うような気持ちのよいぬくもり、煌めく星空の遙かな光を見つめる」と、ついに「星菫派」の本領発揮であります。もちろん、ひとりで「見上げてごらん、空の星を」なんてやってるわけではなくて、影と影が寄り添っているという状況ですね。

ここで注意するべきは、このヴァースから、Distant Shoresが生まれたということです。みなさんが記事をさかのぼってくださるほどお暇ではないのはわかっていますので、例によって、わたしがDistant Shoresのファースト・ヴァースをここにペーストして進ぜます。

Sweet soft summer nights
Dancing shadows in the distant lights
You came for me to follow
And we kissed on distant shores

f0147840_23533940.jpgこれで、Distant Shoresは、「帰ってきたA Summer Song」「A Summer Songの逆襲」「もっと暑いA Summer Song」、あるいはシンプルに「A Summer Song 2」であったことがおわかりかと思います。「前作の感動から2年、さらにパワーアップして、A Summer Songが帰ってきた!」というパターンだったと思いますが。菓子が甘すぎて、いや、歌詞が甘すぎて、こういう馬鹿でもいっていないと、赤面と汗が止まらない、という当方の目下の苦境をご理解いただきたいものです。

しかし、感心するのは、ここまで三つのヴァースを歌いながら、まだ45秒しかたっていないことです。ランニング・タイムが1:50なんてえのがめずらしくなかった時代ですが、それにしても、このスピードは尋常でありません。

They say that all good things must end some day
Autumn leaves must fall

「いいことというのはみないつかは終わってしまうものだという、秋になれば木の葉がかならず落ちるように」とくるわけで、ひと夏の恋だったのですね。わずか45秒で駆け抜けた三つのヴァースの幸福な気分の描写は、過去のことだったのです。当然、音のほうはマイナー・コードになります。

◆ 雨音から夏を想う? ◆◆
ブリッジのつぎにくる最後のヴァースは、

And when the rain
Beats against my window pane
I think of summer days again
And dream of you

「雨が窓ガラスを叩くと、夏のことを想い、きみのことを夢想してしまう」となっています。

四行一連の場合、四行目は韻を踏まなくていいのでしたっけ? 昔、なにか教わったような気もするのですが、記憶は曖昧なので、そういうルールもあるのだろうと考えておくことにします。それまでの三行の韻の踏み方はかなりよいと感じます。とくにpaneが、苦しまぎれかもしれませんが、光っています。

f0147840_2351267.jpg曲の流れのなかで聴いていると、なんとも思わないのですが、文字として改めて眺めると、ちょっと引っかかるものも感じます。雨が窓ガラスを強く叩く音というのは、通常、夏の記憶に結びつくものである、という文化的な了解があるのでしょうか。なんの説明もないので、そういう了解を前提にした省略に見えるのですが……。

知識として、そういう想定を肯定するような文化史的背景は知りませんが、気分としては、それもまあ、わからなくもないな、と思います。

北半球の温帯地域の場合、強い太陽光を浴びた地表の熱が生み出すパワフルな上昇気流によって生じる夏の雨は、しばしば驟雨となる

スーパーコンピューターの演算能力をもってしても、ピンポイントで驟雨の発生を予測するのはきわめて困難である

したがって多くの人が傘の用意をしていない

ずぶ濡れになる and/or 適当な場所を見つけて雨宿りをする and/or だれか、おそらくは眉目麗しい異性が自分の傘を差し掛けてくれる(んなことあるわけねーだろー、などと、すげないことはいわずに)

すでに親しい男女はいっそう接近し、親しくなかった男女、または見ず知らずの男女も、急速に、あるいは突然に接近する可能性をはらんでいる

というような公式が(現実にそんなことがどれくらい起こるかはしばらく措き、いちじるしく夢想的な文化的了解事項として、人種、文化、国家のちがいに関わりなく)かろうじて成り立つのではないでしょうか。

なんとももって、じつに表現しがたいほどさわやかなサウンドなのだから、こんな益体もない考察はゴミ箱にたたき込まれても、当方としてはなんの異存もございません。忘れてください。

◆ 出来のよいサウンド ◆◆
チャド・ステュワートは、ときおりよそのアーティストのセッションでギターを弾いたくらいで、自分たちの録音の場合もプレイしたようです。ピーター&ゴードンも、ゴードン・ウォーラーが、スタジオでよく12弦リードをプレイしたと、ピーター・エイシャーが回想しています。

60年代中期を代表する二組のブリティッシュ・デュオのそれぞれの片割れが、そこそこギターを弾けたというのは、バンドがつかないことが多く、自前でオブリガートを入れなければならず、やむをえずそうなったということなのかもしれません。

f0147840_23564933.jpg
わが家のボロボロになってしまった、米ワールド・アーティスツによる彼らのデビューLPのジャケット。ほんとうのオリジナルではなく、A Summer Songがヒットしたあとのプレスであることが、赤いステッカーでわかる。

チャドなのかどうか、たぶん、プロフェッショナルだと思いますが、複数のアコースティック・ギターのひとりはなかなかの腕です。とくに、Autumn leaves must fallのうしろで鳴っているオブリガートの高速ランは、オッ、と坐りなおします。

ドラムも、ハル・ブレインのように(お手盛りの)見せ場をつくったりはしませんが、非常に安定していて、チャーリー・ワッツのプレイなんかとはちがい、心臓麻痺や脳溢血を起こす危険性がゼロで、年をとってからも安心して楽しめます。

デビュー盤とセカンドをまとめたCDには、ボーナスとして、この曲の別テイクが収録されていますが、トラック自体はどうやら同一のようで、ヴォーカルだけが異なっています。こちらのテイクをボツにしたのは、正しい判断だったと思います。リハーサル・テイクといった趣きです。

◆ 陳謝百回 ◆◆
以上、手直しですら手を抜いてしまい、失礼しました>tonieさん&皆様。明日、べつの曲でさらに延長戦をやるか、または九月早々にも、チャド&ジェレミーに再挑戦し、汚名返上をはかろうかと思っております。

チャドの回想によると、彼らはこの曲がシングルになるとは思っていなかったそうで、年をとると、いくら若気のいたりとはいえ、いよいよ恥ずかしくてたまらくなってきたようです。「マッカトニーが'Til There Was Youを歌うようなものとみなして正当化した」などと、弁解しきりです。

f0147840_23574198.jpgでも、こういうところが彼の弱点だったと思います。この曲をシングル・カットしたら、思いがけず、アメリカで大ヒットした、ということから、普遍的なレッスンを学んでいれば、60年代終わりの自殺行為は回避できたにちがいありません。ほんとうにすぐれたソングライターは、どんなにこっ恥ずかしい歌詞でも、自作を誇りに思うものだし(だって、ヒットしたということは、おおぜいの人が彼または彼女の曲を愛したということなのですから)、ヒット曲を書いた瞬間に、これだ、とわかるものです。その意味で、チャド・ステュワートは一流のソングライターではなかったことになります。

キャベツ王と箱船については、ちゃんと聴き直さなくてはならないので、今夜はネグらせていただきました>tonieさん。けなすときこそ下準備を怠りなくしないとまずいわけでして。

それから、手持ちの写真はDistant Shoresでほとんど使い尽くしてしまい、今夜は準備が間に合わなかったことを陳謝します>皆様。

f0147840_0302114.jpg
アメリカでのデビュー盤に付されたディーン・マーティンのコメント。チャドとジェレミーは、ハリウッドではマーティン邸に滞在したことがわかる。最後に「追伸」として、「君たちのどちらがもっていったのか知らないが、わたしのテニス・シューズを送り返してくれ」とある。

f0147840_032659.jpg
こちらはディノのコメントの隣におかれたジェレミーの「返信」。こちらにも「追伸」とあり、「ぼくらはテニスシューズなんか盗んでいない!」といっている。

[PR]
by songsf4s | 2007-08-29 23:58 | 夏の歌