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大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その10
 
はっぴいえんどのデビュー盤について、ひとつ書き忘れていたことがあった。最初の記事で、はっぴいえんどをはじめて聴いた時、フライング・ブリトー・ブラザーズのデビュー盤を思い起こした、その関係については後日説明すると書いておきながら、それが宙ぶらりんになっていた。

フライング・ブリトー・ブラザーズは、インターナショナル・サブマリン・バンド、バーズと渡り歩いたグラム・パーソンズが、バーズをやめたあとで、バーズのクリス・ヒルマンを引きずり込んでつくったグループ。

彼らの1969年のデビュー盤は、グラム・パーソンズがいかにカントリー・ロックを嫌おうとも、バーズのSweetheart of the Rodeoや、ボブ・ディランのNashville Skylineと並んで、このジャンルの成立に貢献したと、否応なくみなされることになった。

しかし、そのあたりの歴史の流れはどうでもいい。問題はカントリー・ロックではなく、グラム・パーソンズとクリス・ヒルマンのハーモニーである。


The Flying Burrito Bros.- Juanita

左がグラム・パーソンズ、右がクリス・ヒルマンで、どちらがメロディーで、どちらがハーモニーか、一聴、判断に苦しむところはエヴァリー・ブラザーズ風、メロディーとハーモニーのパートを途中で交換するところは、あるいはビートルズからもってきたのかもしれない。

クリス・ヒルマンの新しいグループというだけの理由で、このアルバムを見ずてんで買ってしまった高校一年生は、ひどいサウンドに阻まれて、このアルバムの価値がなかなかわからなかった。

聴きはじめて十日かそこらたったころ、後年、彼の代表作といわれることになるHot Burrito #1で、突然GPの声が「聞こえる」ようになって、やっとアルバム全体を受け入れる気になった。

それはこの文脈では関係ないのだが、いちおう貼り付けておく。没後数年にして、GPをキング・オヴ・ハートブレイク2世の座へと押し上げた、必殺のクラッキング・ヴォーカル。


The Flying Burrito Brothers - Hot Burrito #1

この曲でGPがわかってからは一瀉千里、不出来なサウンド(クリス・エスリッジはのちに好きなプレイヤーになった)は気にならなくなり、変なハーモニーも面白く感じられるようになった。

なぜ、彼らのハーモニーが、最初は気に入らなかったかというと、二人のパートがミックスせず、たんに、あちらとこちらに、べつべつのラインを歌っているヴォーカルが二人いるだけ、といったようにしか聞こえなかったからだ。


The Flying Burrito Brothes - Do You Know How It Feels

ミックスしていないように聞こえるのは、声の質やピッチの問題ではなく、録音とマスタリングのせいだと思う。左右に遠く離して定位せず、もっと近づけ、リヴァーブ、ディレイ、イクォライザーなどで加工すれば、エヴァリーズとはいわないが、ふつうのハーモニーに聞こえたはずだ。

だが、GPとクリス・ヒルマンは、そういう選択をしなかった。

A&Mの自社スタジオはゴールド・スターから引き抜かれたラリー・レヴィンが設計し、彼自身が技術部門のボスの座に収まった。数多くのすぐれた録音で知られるスタジオである。

自社スタジオを嫌い、インディペンダントを使ったとしても、あの時代のハリウッドの独立系スタジオは、世界一の会社をはじめ、いいスタジオが並んでいたわけで、わざとクリアな音や、きれいなミックスを嫌い、意図的にごつごつした手触りをつくろうとしたとしか考えられない。

「12月の雨の日」を聴いた時、フライング・ブリトーズみたいなハーモニーだな、と感じたのは、ハーモニーのラインがどう動いているかよりも、ヴォーカルが左右に離してあり、ミックスしていない、いや、させていないように聞こえたからだ。


はっぴいえんど「はっぴいえんど」(1970年)フルアルバム。「12月の雨の日」は21:06から。

はっぴいえんどのヴォーカルが分離しているのは、録音環境が悪かったせいなのかもしれない。全体に痩せていて、寒々とした音像に感じられる。

だが、そのような環境でも、断じて融合させようという強い意志があれば、もっと一体化した響きにすることができただろう。なかば環境の産物であっても、もう半分は、彼らの選択だと思う。

4トラックというありがたくない環境での録音は彼らとしても不満だっただろうが、長い時間がたってみると、あの時代の日本と、彼らのおかれた位置を反映したものに思えるし、歌詞の「ガロ」的な湿り気にふさわしいようにも感じる。

そして、そのような音を知ったうえで、71年にリリースされたセカンド・アルバム『風街ろまん』に針を落とすと――。


はっぴいえんど「抱きしめたい」

イントロのベースの太さは鮮烈だった。「よかった、ふつうの音になった」と手を叩いた。あの時代には「ゆでめん」の痩せた音が残念でならず、また、あのひどい音なのかと恐れていたのだ。

「ふつうの音」というのは、ふだん聴いていたアメリカやイギリスの音のことである。はっぴいえんど以外の日本のバンドというのはあまり聴いていなかった。買ったことがあるのはサベージ、スパイダースぐらい。ゴールデン・カップスと、細野晴臣や松本隆がいたエイプリル・フールは友だちのを借りて聴いた。それくらいしか記憶がなく、日本の録音は総じて嫌いだった。

思うことは山ほどあるけれど、『風街ろまん』のハーモニーの話へと進む。

「抱きしめたい」「空いろのくれよん」にもハーモニーはあるが、シンプルなバッキング・コーラス、アメリカ的に云うと「ウー・アー・コーラス」で、いたってノーマルだ。「風をあつめて」は細野晴臣のソロ・ヴォーカル。

『風街ろまん』でもっとも耳を惹くハーモニーはA面の4曲目に登場する。

はっぴいえんど「暗闇坂むささび変化」


メロディーは作者の細野晴臣、上のハーモニーは大滝詠一が歌っている。

前回までと違って、今回は「半採譜」はしないが、例によって、同じ音にくっつく箇所もあったり、シングル・ノートのお経のようなところもあったり、一瞬、大滝詠一があがってハッとさせたり、「純正はっぴいえんどスタイル」である。

はっぴいえんどのお好きな方ならご存知のことだが、これには元ネタがある。70年にリリースされたグレイトフル・デッドのAmerican Beautyに収録されたこの曲である。

Grateful Dead - Friend of the Devil (Studio Version)


一聴明らかなように、デッドはジェリー・ガルシアの単独ヴォーカルでやっている。American Beautyはデッドの2枚目のアコースティック・アルバムで、ハーモニーもたくさんやっているのだが、この曲は単独ヴォーカルにしたのは、ハーモニーをつけるにはやっかいな音の流れと考えたからではないかと想像する。

このFriend of the Devilと「暗闇坂むささび変化」の差分が、つまりはっぴいえんどらしさなのではないかという気がする。

なお、この曲については、「Friend of the Devil by Grateful Dead」という記事で詳述している。

次回も『風街ろまん』収録曲を、できれば二曲以上を。


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by songsf4s | 2014-01-14 22:42 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その9
 
このシリーズの最初の記事に、再びtonieさんがコメントを寄せてくださった。コメントをお読みになる方は少ないので、あえて申し上げるが、これは面白い。

大滝詠一が自分のラジオ番組で、このシリーズで取り上げた曲やグループについて、どのようなコメントをしたかを拾ってくださったものである。

いろいろ感ずるところが多いが、サーチャーズが登場した時、ジョン・レノンが絶賛したというのは知らなかった。ジョン・レノンにそういう面(ソフトなコーラス・グループに対する嗜好)がなかったとはいわないが、そのように公言するほど気に入っていたというのはやや意外である。

このシリーズの「その5」で、初期ブリティッシュ・ビート(tonieさんがお書きになっているように、当時は一般に「リヴァプール・サウンズ」と云われた)とアメリカのガール・グループ/シンガーの関係を書いたが、大滝詠一が、サーチャーズとの関係で言及しているバーバラ・ルイスもその文脈に収まる。

大滝詠一の初期の音楽に影響を与えた可能性は小さいけれど、自分が聴きたくなったので、ちらっとバーバラ・ルイス連打を。

Barbara Lewis - Make Me Your Baby (1965)


ドラムはゲーリー・チェスター、つまりNY録音。これはMIDIで完全コピーをやったが、サウンドの要は、2を飛ばし、4のみを叩いているスネア(Be My Babyでのハル・ブレインのドラミングに対するうなずき。アンサー・ソングのつもりだったのかもしれない。もう一度タイトルをご覧あれw)にタンバリンを重ねることと、いいところを狙ったゴングのライン。あ、それから、すごく薄くミックスしてある、中低音ブラスのカウンター・メロディー。ポップ・オーケストレーションを学ぶには最適の教材である。

以下二曲は、バーバラ・ルイスのオリジナルと、イギリス勢によるカヴァーを並べる。両方ともヴァン・“ザ・ハッスル”・マコーイの曲だったと思う。

Barbara Lewis - Baby, I'm Yours


Peter & Gordon - Baby, I'm Yours


Barbara Lewis - Someday We're Gonna Love Again


The Searchers - Someday We're Gonna Love Again (alt. take)


サーチャーズのSomeday We're Gonna Love Againはこのシリーズの一回目で貼り付けたので、今回は別テイクにした。

大滝詠一は、イギリス勢のカヴァーから入って、バーバラ・ルイスへとさかのぼっていったのではないかと想像する。直接の関係性を言語化することはできないが、こういう集合体のもやもやしたハーモニック・センスの雲の中から、はっぴいえんどが出てきて、われわれもその雲の中で彼らの音を受容したのだな、といまさらのように思う。

さて、さんざん遠回りしたが、今日は「しんしんしん」における、大滝詠一のハーモニー・パートの詳細。


はっぴいえんど「はっぴいえんど」(1970年)フルアルバム。「しんしんしん」は8:54からスタートする。

今回もコードはとらなかったので、気になる方は以下を参照されたい。

「しんしんしん」コード譜

ファースト・ヴァースは細野晴臣単独で、ハーモニーはない。セカンド・ヴァースから大滝詠一が入ってくる。

以下、部分的にセカンドのメロディー(細野晴臣)とハーモニー(大滝詠一)の音程を書いてみたが、細かいことは気にせずに、読み流していただきたい。どこが問題かは、あとで改めて書く。メロディーしか書いてない行はユニゾンである。

な   に   も    か    も
メロディー
シ♭ シ♭ ファ♯ ファ♯ ファ♯

いや  に   な   り
メロディー
ファ♯ ファ♯ ファ♯ ラ♭

じ   ぶん  さ   え
メロディー
ファ♯ ファ♯ ファ♯ ラ♭

よ  ご   れ   た   ゆ   き   の
メロディー
シ♭ レ♭  レ♭  レ♭  レ♭  レ♭  シ♭
ハーモニー
レ♭ ファ♯ ファ♯ ファ♯ ファ♯ ファ♯ レ♯

な   か   に   き   え   て
メロディー
ファ♯ ファ♯ ファ♯ ファ♯ ファ♯ ラ♭
ハーモニー
シ♭  シ♭  シ♭  シ♭  シ♭ シ♭

ぬ  か  る  み  に  い
メロディー
シ♭ シ♭ ラ♭ ラ♭ ラ♭ ミ♭
ハーモニー
レ♭ レ♭ シ♭ シ♭ シ♭ シ


「なればいい」のところはコピーに難渋しているうちに時間がなくなってしまったので割愛した。

コピーなんかしなくても、はじめから変なハーモニーだと思っていたが、「半採譜」(リズムはとらないので!)をやってみたら、いよいよ謎だらけ、猫灰だらけだった。

ポイントは「汚れた雪の上に落ちて」で、そこまでユニゾンだったのが、いきなり大滝詠一のラインがファ♯までジャンプして、耳を引っ張る。

そして、そこにしばらく留まって、ようやくシ♭(ここの数音はよくわからなくて、自信なし)に降りてきたかと思うと、またその音を連発するという、ピーター&ゴードンやデイヴ・クラーク5の特長だったワン・ノートの「お経ライン」を再現している。

1970年にはそれが当たり前だったのだろう、と思った人は大はずれ。こんなことをやっていたのは、わたしが知るかぎり、大滝詠一だけだった。

はっぴいえんどというのは、多元的な体験である。特異な歌詞、サウンド、各楽器の使い方、その向こう側にある、英米音楽の基盤、そういうものが重層的に聞こえてくるのだが、まず最初に、これは変だ、ふつうじゃない、と思ったのはハーモニーだった。

そして、とくに耳を引っ張られた「12月の雨の日」と「しんしんしん」を改めて聴き直してみて、うわあ、いままで思っていたより、実体はさらに変だ、と呆れた。

そもそも、いまさらだが、こうして半採譜をやってみると、メロディーからしてかなりお経だということがよくわかり、はっぴいえんどいえども、やはりロックンロールの子供だったのか、と思う。

高校生の時の経験を、理屈を使って検証してみて、それなりに満足したのだが、ここまで来たのだから、もう少しはっぴいえんど、そして大滝詠一のハーモニー感覚を見ようと思う。

つぎは『風街ろまん』へ。


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by songsf4s | 2014-01-13 22:47 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その8
 
(承前)
そもそもわたしは、ビーチボーイズなんかでも、ヴォーカル・ハーモニーにはあまり反応せず、トラックのアレンジばかり聴いてしまうような人間で、もともとコーラス指向はあまりない。

そういう人間がなんだってハーモニーの話などしているのかと思うが、人生、意外事の連続、予想通りになることなどめったにないので、やむをえない。

4パートになるとよくわからなくなるのだが、しかし、子供のころから2パート・ハーモニーは好んで聴いてきた(じゃあ、なぜハーモニー・パートを歌わなかったのだ、と中学の時のバンドメイトの声が幻聴したw)。

なぜそういう好みの偏りが起こるのか。3パート以上になると、制約がきびしく、3度や5度のラインを辿らざるを得なくなることが多いからではないかと思う。

むろん、フォー・フレッシュメンは、そのような退屈な和声構造を打破したから面白かったのだ、とブライアン・ウィルソンも云っていて、そうなのだろうな、と思うのだが、でも、詰まるところ、4パートのハーモニーは予定調和でしかない、意外性をもたせるのは困難だと、内なるわたしはやはり主張をまげない。

つらつら考えてみたが、3パートのハーモニーなのに、3度、5度なんか知ったことか、三人とも勝手にやる、なんて方針だったのはPP&Mだけだと思う。彼らは、途中でラインが交錯して、上のパートと下のパートが入れ替わることさえ厭わなかった。パイド・パイパーズ以上に革命的なコーラス・グループだったのだ(フォー・フレッシュメンよりパイド・パイパーズのほうがはるかに面白い。保証する!)。

Peter, Paul & Mary - In the Early Morning Rain


どう考えても、これはアレンジされたハーモニーではない、インプロヴだろう。

いままでフォークを視野に入れずにきたが、大滝詠一はフォーキーであったこともあり、「朝」のようなフォーク風の曲もある。いちおう、こちらの方面からハーモニーを引っ張ってきた可能性は排除しない方がいいかもしれない。

だが、はじめて「12月の雨の日」を聴いた時に感じた、「昔なじみに再会したような気分」は、やはりブリティッシュ・ビート・グループ、絞り込むと、ビートルズ、ピーター&ゴードン、デイヴ・クラーク5からきたものだと思う。

前回、とってみたメロディーとハーモニーの動きをもう一度以下におく。


雨 上 が り の 街   に
メロディー
シ シ シ ラ シ ラ シ ソ
ハーモニー
シ シ シ ラ シ レ ミ シ


風   が ふ い に お こ る
メロディー
ソ ミ ソ ミ ソ ミ ミ ソ ラ
ハーモニー
ド ド ド ド ミ ド ラ ド ド


はっぴいえんど「はっぴいえんど」(1970年)フルアルバム。「12月の雨の日」は21:06からスタートする。手元のファイルよりこちらのほうがヴォーカルの分離がよく、こっちでコピーすればよかったと思うが、見つけたのは記事をアップしたあとだった。

流       れ る 人   波    を
メロディー
ファ# ファ# ソ ラ シ シ レ♭ レ レ
ハーモニー
レ レ レ レ♭ シ シ シ シ ラ


ぼ く は 見   て る う う う
メロディー
シ シ ラ ファ♯ ラ ラ (ソ) ファ♯
ハーモニー
シ シ ラ レ♭ レ レ シ ラ



特長はふたつ。

1 時折、メロディーとハーモニーが重なってユニゾンになることがあり、その直後に、両者の音が離れた時の味わいを鮮烈にしている。

2 たとえば「流れる人波を」のところのように、ワン・ノートに近く、動きの小さい、お経のようなハーモニー・ラインがある。

ビートルズやDC5に、ハーモニーとメロディーが瞬間的にくっついてしまうものがあったように思うのだが。

The Dave Clark 5 - Hurtin' Inside


キーがA♭なので、半音が入ってちょっと面倒になってしまうのだが、I'll never knowという歌い出しは、メロディーが「ラ♭、ラ♭、ド、ミ♭」と上っていくのに対し、下のハーモニーは「ラ♭、ラ♭、ラ♭、ソ」と下がっていく。

そして、最初の音「ラ♭」は両者共通である。同じ音なのだ。くっついているのである。ハーモニーラインはこの音を繰り返したあげく、半音だけ下がるという、お経のような動きをしている(コードから見ると、A♭のルートからCマイナーの5度へと動いている)。やはり、「12月の雨の日」に通じるところがあると感じる。

むろん、1970年にはじめてはっぴいえんどを聴いた時、そんなふうに分析したりはしなかった。懐かしさに満ちたLPだと「感じた」だけだ。

それは林静一描くジャケット絵や、つげ義春や永島慎二や水木しげるらに代表される「ガロ」的な風景を文字にしたような歌詞からくるのかと思った。

f0147840_22363775.jpg

だが、じつは、音そのものに、かつてよく聴いたのに、同時代の音楽シーンからは失われてしまったハーモニー・スタイルが組み込まれていたことも、ノスタルジーの源泉だったことが、いまならはっきり見える。

はっぴいえんどの音楽、とくにデビュー盤には、暗く、湿った感触があり、曲調もサウンドの色合いも、初期ブリティッシュ・ビートの明るさと軽快さの対極にあったが、大滝詠一は自分が十代の時に親しんだ音楽の構造を、そこにそっと移植していた。意図的にしたことだろうと想像している。

先ほど、ボックスに収録された「12月の雨の日」の別テイクを聴いていたら、セカンド・ヴァースでは二系統のヴォーカルは、ユニゾンではなく、ハーモニーになっていて、あらら、だった。

別テイクや8トラックでのリメイク(シングル・テイク)では、微妙に異なるヴォーカル・アレンジになっているのだが、いずれにしても、わたしが聞き取ったより、もうすこし細かく動いているような気がする。

そのへんを修正したいような気もするが、それは、お読みになったみなさんがそれぞれ、お前のは大間違い、こうじゃないか、とやってくださればいい。

次回は、「しんしんしん」やセカンド・アルバム『風街ろまん』の曲を聴きたいと思う。


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by songsf4s | 2014-01-12 22:23 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その7
 
ドンとフィルのエヴァリー・ブラザーズによるストレートでスムーズなハーモニーが、ビートルズ、ピーター&ゴードン、サーチャーズ、デイヴ・クラーク5、スウィンギング・ブルー・ジーンズなどなどの初期ブリティッシュ・ビート勢に手渡された時、大きなシフトが起きて、変則的でスムーズとはいえないハーモニー・ラインが、イギリスのグループの特長になった、というのが前回までのお話。

初期ブリティッシュ・ビートの全盛は、イギリスでは1963年から65年までの三年間、アメリカでの受容は64年にはじまったので二年間と見てよい。その後、はっぴいえんどが登場する70年までになにが起きたのかを、極度に単純化して云うと、サイケデリックの嵐によって、ロックンロールはいわゆる「ロック・ミュージック」へとシフトした。

そして、ジミ・ヘンドリクス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、マイケル・ブルームフィールドといったギター・プレイヤーが脚光を浴びるいっぽうで、ハーモニーを中心とする音楽は、脇へと押しやれることになった。

サイケデリック時代の予告となったGood Vibrationsというチャート・トッパーを生みだしたビーチボーイズですら、ブライアン・ウィルソンの心の不調とSmileの挫折、そしてあのようなスタイルが「時代の気分」に添わなくなった結果、長い低迷期に入った。

初期ブリティッシュ・ビート・グループの多くは、67~68年のこの「サイケデリックの壁」を乗り越えられずに表舞台から消えていった。

すでにビートルズは、66年のRevolverあたりで「ジョンとポールのハーモニーのバンド」であることをやめていた。

The Beatles - And Your Bird Can Sing outtake


このテイクをボツにした時、「ジョンとポールのハーモニー」のグループだった時代は完全に終わったと考えている。

サイケデリックの時代は、余韻はそれなりにあったものの、誰もがそちらに傾斜せざるを得ないという時期は短かく、68年いっぱいぐらいで終わったような印象をもっている。もっといえば、68年にCCRの曲が立て続けにヒットしたことは、サイケデリックの終わりの始まりのように感じていた。

サイケデリックがどこで終わったにせよ、ハーモニーを聴かせる時代は二度と戻らなかった。69年夏にはウッドストック・フェスティヴァルがあり、そしてジミ・ヘンドリクスが死んだ。

自分自身はどうだったかと云えば、ジミヘンも買ったし、マイケル・ブルームフィールドが好きだったが、いっぽうで、69年春に偶然、フライング・ブリトー・ブラザーズのデビュー盤を買い(日本でのリリースはそれから半年ほどあとだったと思う)、グラム・パーソンズという人を知り、さかのぼってグラムが歌ったバーズのSweetheart of the Rodeoを聴いたり、ボブ・ディランを集めたりもしていた。いわゆる「カントリー・ロック」の胎動期でもあったのだ。

以下の曲は、のちのブリトーズにおける、グラム・パーソンズとクリス・ヒルマンの2パート・ハーモニーの原型になった、二人のバーズ在籍時のデュエットで、グラム・パーソンズの代表作となったもの。メロディー(下)がGP、ハーモニー(上)がクリス。遠いエヴァリー・ブラザーズの残響。

The Byrds - Hickory Wind


69年初夏にデビューしたクロスビー・スティルズ&ナッシュ(CS&N)のアルバムが大ヒットし、ウッドストック出演も成功した背景には、そのような時代への違和感、ハーモニーはどこへ行ってしまったのだ、という欲求不満があったのかもしれない。

CS&N - Suite: Judy Blue Eyes live from Woodstock


映画『ウッドストック』の日本公開は例によって遅れ、わたしは銀座の山野楽器で部分的に上映された(うーん、16mmフィルムへのトランスクリプションだったのか、オープンリールのヴィデオだったのか、記憶がない。数十人の客が小さな画面をにらんでいた)時にCS&Nを見て、どうして誰もこれを思いつかなかったんだ、と驚き、喜んだ。

たぶん、こうしたことで下地がつくられ、わたしは無意識のうちに、はっぴいえんどを迎える準備を整えていたのだと思う。

だから、まずなによりも、「12月の雨の日」だったのだ。


はっぴいえんど「はっぴいえんど」(1970年)フルアルバム。「12月の雨の日」は21:06からスタートする。目下、「12月の雨の日」の単独クリップはないので、面倒だが、これで代用していただきたい。

前回はコードのコピーに難渋したので、今回はよそさんのコード譜を参照させていただいた。昔、適当にコピーしたものと大きな違いはないし、おおいに不賛成という部分もない。

問題はコードではなく、大滝詠一が数回繰り返し歌ったヴォーカル、とりわけハーモニー・ラインである。

「水の匂いが」ではじまるヴァースでは、たぶん二度のオーヴァーダブをおこなっているが、それはおおむねヴォーカル・パートをふくらませるためのユニゾンになっている。

「雨上がりの街に風がふいに立[おこ]る」というヴァースの後半ではじめてメロディーとは異なるラインが登場するのだが、ここからしてすでに変だ。

雨 上 が り の 街   に
メロディー
シ シ シ ラ シ ラ シ ソ

ハーモニー
シ シ シ ラ シ レ ミ シ

左チャンネルのハーモニーはもう少し微妙にピッチを動かしているようだが、大ざっぱにいうと、以上のようなラインで、前半はユニゾン、後半はハーモニーという、奇妙なことをやっていて、そこで思いきり耳を引っ張られた。

風   が ふ い に お こ る
メロディー
ソ ミ ソ ミ ソ ミ ミ ソ ラ
ハーモニー
ド ド ド ド ミ ド ラ ド ド

つづいて、コーラスなのか、ブリッジなのか判断をつけにくい、「流れる人波を」のところ。

流       れ る 人   波    を
メロディー
ファ# ファ# ソ ラ シ シ レ♭ レ レ
ハーモニー
レ レ レ レ♭ シ シ シ シ ラ

ぼ く は 見   て る う う う
メロディー
シ シ ラ ファ♯ ラ ラ (ソ) ファ♯
ハーモニー
シ シ ラ レ♭ レ レ シ ラ

ハーモニーは左チャンネルに定位されているのだが、同じところに、すこし薄めにミックスされた第二のメロディー・ヴォーカルがおかれているため、わたしのような耳のよくない人間には、ハーモニーがどこへいっているのか明瞭に聴き取れないところがある。まあ高い音は大丈夫だと思うが。

あちこちに奇妙に感じるところがあるし、よくこんなメロディー・ラインにハーモニーをつけたものだなと感心もするが、本日はこれだけで草臥れ果ててしまったので、どこがどう変なのかは、次回に検討したい。


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by songsf4s | 2014-01-11 23:05 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その6
 
(承前)
ビートルズのハーモニーを検討するのはこの稿の主眼ではないのだが、直感的に、はっぴいえんどの「12月の雨の日」につながりそうな気がするので、If I Fellのコードとメロディーとハーモニー・ラインの関係を少しだけ見てみる。

しかし、よりによって面倒な曲を選んでしまったものだ。ギターやらハーモニーやらにあまり興味のない方は、今回は読まないほうがいいだろうと思う。われながら、かったるい話題だと認めざるをえない。

The Beatles - If I Fell


以上は、このシリーズで三回目の登場となるクリップ。近ごろは、ギターをコピーしたインストラクション・クリップがずいぶんあがっていて、この曲のものもいくつかあったので、つぎはそれを貼り付ける。前置きが長いので、そのあたりは飛ばした方がいいと思うが。

If I Fell- The Beatles Guitar Lesson


ほかにもっと簡潔なクリップがあるのに、これを貼り付けた理由は、この人がやっているように、F#mとEmの中間に、もうひとつコードをはさんだほうがいい、すくなくとも、そのほうがジョン・レノンのパートには合う、という理由からだ。

ジョンが単独で歌う前付けヴァース(これをイントロと呼ぶ人がいるが、それはちょっと違う)は、コードは変な進行だが、ハーモニーはないので略す。

ヴァースのコード進行は、

D→Em→F#m→(Fdim)→Em7→A

パーレンに入れたFdimは、略す人のほうが多い部分で、たった二音のメロディーとハーモニーに追従させているだけなので、なくてもとりあえず曲の流れに大きな影響は与えない。ただし、ここは、この曲のもっとも変な箇所で、特徴的ではある。

また、Em7のセヴンスの音は、なくてもかまわないタイプではなく、ポールのラインがセヴンスの音(レ)なので、ないと音をはずしたような気分になり、歌いにくいだろう。ギターと歌の分散和音になってしまう。

ここの歌詞は

If I give my heart to you

となっている。前付けヴァースを歌ったのはジョンだが、ヴァースに入ったとたん、ポールがメロディーを乗っ取り、ジョンは下のハーモニーに移動する。

ポールは、If I give my heart to youを、

シ、レ♭、レ、ミ、レ♭、シ、レ

と歌っている。それに対して、下のハーモニーにまわったジョンは、

レ、ミ、ファ#、ソ、ラ、ラ♭、ソ

と歌っている。

これはやっぱり変だ。

いや、前付けヴァースの摩訶不思議なコード進行とは異なり、D→Em→F#mという移動はノーマルである。

メロディーとハーモニーの関係は多少イレギュラーだが、ジョンのハーモニー・ラインは、メロディーに追随せず、素直にコードの動きにしたがって3度をたどっているだけなので、奇妙ではない。

問題はFdimを中心として、その前後だ。ここは、ううむ×3ぐらいで、コードをコピーできず、譜面を見た。Fディミニッシュなんてものが出現したのには、それなりの理由がある。

先に比較的単純なことを片づけておく。「to you」のところで、ジョンはyouに向かって下降し、ポールは逆に上昇する。ここがまず耳を引く。が、問題はさらに複雑だ。

上記のポールとジョンのラインのうち、このto youのtoの音は、ポールは「シ」、ジョンは「ラ♭」である。「シ」と「ラ♭」でどうやってハモったんだと思うが(Eメイジャーに行けば解決、と思うが、そのつぎがEm7なので、それはそれでイレギュラーな動きになる。いや、それでいいのか。目下夜中で音を出せず、後刻確認する)、Fディミニッシュをはめこむと、この2音は同居可能なのである。

If I Fellという曲のヴァース冒頭を聴き、おや、変わった曲だな、と感じるのは、この「シ」と「ラ♭」の同居のせいなのだ。ハモっていると感じるか、はずれていると感じるかは、聴く人の好みで決まる、なんていいたくなるような和音だ。

Fディミニッシュというコードにおいて、ジョンの歌う「ラ♭」は3度のフラット、つまり、マイナーである。印象に反して、ノーマルな音だ。

それに対して、ポールが歌う「シ」は、5度のフラットである。ぜんぜんノーマルではない。

5度のフラット(flatted 5th)というのは、どういうものかご存知だろうか? ビーバップを特長付けた音なのである。

ビーバップというスタイルは、かつて不協和音とみなされていた音の組み合わせも、和音として取り込んで、モダン・ジャズのテンション満載和声の基礎となったことで知られている。

5度のフラットというのは、つまり、かつては和音を構成する音とは考えられていなかったのである。

ビーバップのこの5度のフラットにインスピレーションを得て、ひとつの音楽ジャンルを発明した人もいる。アントニオ・カルロス・ジョビンである。

トム・ジョビンが創始したボサ・ノヴァという音楽は、ギターを弾く人ならご存知のように、ディミニッシュやシックススやメイジャー・セヴンスといった、ルートの感覚を混乱させるコードを多用し、聴き手の気分をつねに宙ぶらりんの状態におく、風変わりな進行を特長としている。

ビートルズに戻る。

ここでFdimを使うかどうかは微妙で、ビートルズがどう弾いているのか、何度聴いても確信がもてない。たぶん、使っていないのではないかと思う。

たんに、ポールのメロディー・ラインとジョンのハーモニー・ラインを矛盾なく同居させようとすると、和声理論からはここにFdimをおくべきだ、というにすぎない。さらに云えば、Fdim→Em7という流れは、なかなか好ましい遷移でもある。「きれいな響き」と云うと、云いすぎかもしれないが。

いやはや溜息が出る。

バディー・ホリーやエルヴィス・プレスリーやエヴァリー・ブラザーズから出発して、なぜ、あっという間にビーバップまで跳躍してしまったのだ? ポピュラー音楽という、印象に反して、じつはきびしいルールに縛られた、真四角な箱の外に、ほとんどこぼれかけているではないか。

64年だったか、渡英したヘンリー・マンシーニはテレビ番組に呼ばれた。たまたまその番組にはビートルズも出ていた。四人のリハーサルを聴いていたマンシーニは、なんだってこの連中はこんなコードを使うのだ、と驚き(その曲はほかならぬIf I Fellだったかもしれない)、ジョン・レノンをつかまえて、コードや編曲をやっているのはきみなのか、それともポールなのか、と尋ねた。

ジョンの答えは、「そういうことはジョージ[・マーティン]に任せている」だった。

いや、ほんとうのところはわからない。だが、ジョンとポールが「ここ、どうするよ?」と迷えば、ジョージ・マーティンがなにか提案、助言をしたのは、さまざまな証言から明らかだ。

このとてつもないシンガーにして、傑出したソングライターでもあったチームが、ジョージ・マーティンという、深い理解と豊かな教養の人に出会ったのは、天の配剤だった。

If I Fellという曲の変則性は、以上で検討したヴァースよりも、むしろブリッジ(ミドル8)のほうに明瞭にあらわれているのだが、たった一音の追求でもたっぷり時間を食われたほどで、これ以上踏み込むのは、書くわたしのみならず、お読みになるみなさんにも負担になるので、略す。

どちらにしろ、「ここは変わった響きで面白いな」と感じるのに、和声やポピュラー音楽史の知識など無用である。ビートルズの突出ぶりは、理屈からも裏づけられる、ということが云いたかったにすぎない。

かつてジャズがその道をたどったように、ポップやロックも、時間の流れとともに、さまざまな考え、さまざまな音が積み重なり、記憶をエコー・チェンバーとして、複雑なエコーを生みだしていく。

大滝詠一という人は、そのような、音楽史を刻む時計を体内にもって、われわれの前に姿をあらわした。次回は、やっとそこに戻れる。


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by songsf4s | 2014-01-10 21:44 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その5
 
はじめにお断りしておくが、今回と次回はとっちらかること確実である。これまでと違って、アメリカ、イギリス、日本と土地も移動するし、時代も十数年の振幅で、何度もジャンプしなければならないからだ。

論理は不明瞭になるだろうから、人やグループの名前、そして楽曲名などの名詞だけ読んでくださればそれで十分、と割りきって取りかかる。

さて――。

初期ブリティッシュ・ビート、という言葉を説明なしに使ってきたので、どのような集合体なのか、定義を試みる。

「クラウド」的に(あはは)表現すると、ビートルズ、サーチャーズ、マージービーツ、ハーマンズ・ハーミッツ、デイヴ・クラーク5、ゾンビーズ、スウィンギング・ブルージーンズ、フォーモスト、ビリー・J・クレイマー、ホリーズ、(時期的には合致するものの、スタイルとしてはやや異なり、境界線上にあるが)キンクス、といったあたりである。

彼らの特長は、初期ロックンロール(チャック・ベリー、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリー、バディー・ホリーその他)の強い影響下にあると同時に、エヴァリー・ブラザーズや同時期のアメリカのガール・グループのような、メロディーとハーモニーを重視するスタイルにも、同等の影響を受けていたことだ。

この後者の性質、「メロディーとハーモニーの重視」が消えると、ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、アニマルズ(いや、時期的にもスタイル的にも境界線上にあるが)、スペンサー・デイヴィス・グループ、フーといった、後年の、「ロール」が略された「ロック・ミュージック」の出現に強い影響を与えた、べつの集合体になり、わたしの考える「初期ブリティッシュ・ビート」からははずれる。

キンクスやアニマルズのように、どちらに重心があるとも云いかねるグループがあるのはご寛恕を。「自然現象」にあとから定義を与えようとすると、はみ出すものがあるのは当然なのだ。

文字ばかりつづくとうっとうしいので、わたしのイメージする「初期ブリティッシュ・ビート」の特長を濃厚にもつサンプルを。

The Swinging Blue Jeans - Promise You'll Tell Her


32小節のギター・ソロ、などというバカバカしいものは、襟苦倉布団さん(検索でやってきて怒り散らすお馬鹿さん対策なので、許されよ)がゴミを違法積載して疾走するトラックのように、そこらじゅうにばら撒きはじめるまでは存在しなかったので、ギターはあくまでも伴奏楽器であり、メロディー、ハーモニー、叙情性という三位一体が、すくなくともB面には必要だったし、A面に進出することもあった。

このシリーズの最初の記事へのtonieさんのコメントに引用された、大滝詠一のラジオ番組での発言に「この当時ピーター&ゴードンの曲が非常に好きで」とあったので、もう一曲このデュオのものを。

Peter & Gordon - I Don't Want to See You Again


ブリティッシュ・ビートの背景は、スキッフルがどうこうなどという意見もあることを承知で、そんな些末なことはあっさり無視して云うと、50年代のアメリカ音楽、なかんずく、エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディー・ホリー、ジーン・ヴィンセント、エディー・コクランといった人々である。

しかし、こういった人々だけでは、初期ブリティッシュ・ビートのハーモニーへのこだわりは説明できない。では、あとは誰なのだ、と云うと、むろん、エヴァリー・ブラザーズなのだ。そして、もうひとつ、同時代のアメリカのガール・グループ・ブームも彼らに強い影響を与えた。

64年以降のいわゆる「英国の侵略」に、アメリカのガール・グループが壊滅的打撃を受けたのは皮肉なことだったが、同時に、当然とも云えた。

ブリティッシュ・ビート・グループは、じつは「ボーイ・グループ」であり、ビートとハーモニーと叙情性の結合、という意味で、ガール・グループと同質のものだったから、併存がむずかしかったのだ。

以下にずらずらと、初期ブリティッシュ・ビート・グループにカヴァーされたガール・グループ/シンガーのヒット曲を並べる。順に、ビートルズ、同じくビートルズ、ハーマンズ・ハーミッツ、サーチャーズにカヴァーされた。

The Cookies - Chains


The Shirelles - Baby It's You


Earl-Jean - I'm Into Something Good


Betty Everett - The Shoop Shoop Song (It's in His Kiss)


以上は昔からわかっていたことにすぎない。今回、エヴァリー・ブラザーズ、ブリティッシュ・ビート、大滝詠一と、音楽史三題噺をやってみて、以前は深く考えたことのなかった点が意識にのぼった。

デイヴ・クラーク5やピーター&ゴードンやビートルズやサーチャーズが、当然のように使った、あのイレギュラーなハーモニー・ラインはどこから湧いてきたのか?

彼らに強い影響を与えたと考えられるエヴァリー・ブラザーズは、きわめてスムーズなハーモニーをやっていて、その点がブリティッシュ・ビート・グループと決定的に異なっている。

それが書きはじめる前の認識だった。書きながらあれこれ考えて得た中間的な解釈はこうだ。

エヴァリーズが、イレギュラーなところのほとんどない、スムーズなハーモニーを実現したのは、彼らの資質やスタイル以上に、ブードロー・ブライアントの書く曲が、必然的に、そのようなハーモニーを要求する構造をとっていたからなのではないか?

前回、ブライアント夫妻のソングライティング・スタイルと循環コードの問題にふれたのは、これがあったからだ。

少しその話を繰り返す。循環コード、たとえばC→Am→F→G7にはドレミファソラシドのCメイジャー・スケールの音階がすべて含まれている。これは前回述べた。

そして、この4コードの循環のなかでメロディーを動かしているかぎりは、たとえば機械的にメロディーの3度上にハーモニーをつけても、メロディーがどう動こうが、まずまちがいなく音は合う。スケールからはずれた音は入ってこないのだから当然だ。逆に云うと、循環からはずれたコードがあると、この原則は崩壊する。

ハーモニーはメロディーの副産物として生まれる。ブードロー・ブライアントのメロディーが、ドンとフィルのエヴァリー兄弟に、とりわけ、主として3度のハーモニーをつけたフィル・エヴァリーに、あのようなスタイルを「強制した」と見ていいのではないだろうか。

(作曲のほうを担当したのは夫のブードロー・ブライアントだったと思われるが、彼はシンフォニック・オーケストラのヴァイオリニストも経験したものの、いっぽうで、南部出身者らしく、カントリー・フィドリングも好んだという。循環コードへのこだわりは、そのあたりに源泉があるのかもしれない。)

ブリティッシュ・ビートのハーモニーの基礎はエヴァリー・ブラザーズである。だが、エヴァリーズそのままでは、ブリティッシュ・ビートの特長である変則的なハーモニーは生まれない。

なぜ、あの量子的跳躍が起きたのかと云えば、シンプルな循環コードからの逸脱がそれを要求したからだ、というのが目下の結論である。

くどいようだが、話の筋道がはっきりしたところで、すでに提示したサンプルの一部を再度貼り付ける。

The Beatles - If I Fell


The Dave Clark 5 - Beacause


Peter & Gordon - I Go to Pieces


The Searchers - Someday We're Gonna Love Again


最初の二曲、ビートルズのIf I Fellと、DC5のBecauseは、コード進行が要求した結果、ハーモニーが変則的な響きになった例である。

たとえば、Becauseのヴァースの冒頭は、G→Gaug→G6→G7→Cという進行になっている。それほどめずらしい進行ではないが、メイジャー・スケールからはずれない循環コードでもない。

では、ハーモニー・ラインはどうなっているかというと、じつは、素直にメロディーの5度を歌っている。ただ、コードが変化しても、主音(ルート)であるソが動かないのに対して、5度の音がコード進行の関係で、レ→ミ♭→ミ→ファというように、半音ずつあがってしまうため、結果的に、変則的な響きになってしまったのである。

ビートルズのIf I Fellはもう少しコードが面倒なので、ピーター&ゴードンやサーチャーズともども、次回に、ということにさせていただく。

気がつけば、またしても、大滝詠一とエヴァリー・ブラザーズと初期ブリティッシュ・ビートの関係に踏み込めなかった。次回はそこへたどり着けるだろう。


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by songsf4s | 2014-01-09 22:56 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その4
 
ポップ、ロックの世界で、3コードや4コードの循環コードが多用されるのは、ブルースやヒルビリーが基礎になっているからだ、という説明を読んだことがある。これは説明になっているようで、なっていない。

「では、なぜブルースのコード進行はみなああいう風になっているのか?」という、さらなる疑問を引き出すだけでしかないからだ。

3コードの循環、たとえばCキーでのI-IV-V循環、じっさいのコードに置き換えると、C-F-Gの循環(FはしばしばDm7で代替される)には、ドレミファソラシドのCメイジャー・スケールの音がすべて含まれている。

これが、ポピュラーソングで、この三つのコードによる循環コードが多用される理由なのだ、という説明もある。このほうが納得がいく。C-Am-F-Gという4コードの循環コードも、C-F-Gと同じことだと考えていいらしい。

この説明に説得力があると感じるかどうかは人それぞれだろうが、ケイデンス時代のエヴァリー・ブラザーズのヒット曲の大部分を書いたブードロー&フェリス・ブライアントは、史上まれに見るほど徹底した「循環コード使い」のソングライター・チームだった。

前回とりあげた曲はいずれもブライアント夫妻の作で、みなシンプルな循環コードを利用した、不自然なところのまったくない、スムーズなメロディーラインをもつものばかりだった。

今日の一曲目もブードロー&フェリス・ブライアント作。クリップがないのだが、ないのならしかたない、ではすまされない重要な曲なので、box.netにサンプル音源をアップした。

Bob Dylan - Take a Message to Mary (サンプル)

The Everly Brothers - Take a Message to Mary


ブライアント夫妻がエヴァリーズに提供したもののなかでも、もっともコードが複雑な部類だと思うが、それでも、E、B7、C#m、G#m、F#、A、の6コード、メイジャー、マイナー、セヴンスしか使っていないし、キーがEなら、当然出てくるであろうコードばかりで、おやおや、そんなところに行くのか、という意外なものはない。

メロディー・ライン、ハーモニー・ラインともに、どちらがどちらなのかわからないほどスムーズで、じつは、わたしには、シャレでもなんでもなく、いまだにどちらがどっちなのか判断できない! たぶん、フィルが歌っている上の方がメロディーなのだと思うが、確信はない。

You can say she better not wait for meのラインの、B7→E→G#m→A→Eという早いコード・チェンジのところは、ブライアント夫妻の曲としては、やや強引な流れに感じられる。

しかし、そこがむしろこの曲の魅力のひとつになっていて、say she betterのフィルが歌う上のパートが、ちょっとだけジャンプする(最高音はミだが)ところに耳を引っ張られる。

ここはじつに面白い箇所で、フィルのパートは高くて明瞭に聴き取れ、これはまちがいなくハーモニー・ラインだと、一瞬は思う。

しかし、落ち着いて同じところのドンのラインを聴くと、こちらもメロディーではなく、ハーモニー・パートに聞こえて、見当識喪失に陥る。いや、失ったのは見当識ではなく、メロディーだ。メロディー・ラインはどこに消えた?

ボブ・ディランのカヴァーは、70年リリースのアルバム Self Portrait に収録された。ディラン・ショーヴィニストが蛇蝎のごとく嫌い、ディランのカタログから抹消したいとまで願っている盤だが、以前にも書いたように、ディランのアルバムのなかでは、Nashville Skylineと並ぶ四十数年来のわがフェイヴで、いまもしばしばプレイヤーにドラッグしている。最近のリマスターで一段と音がよくなり、慶賀に堪えない。

Self Portraitはカヴァーの多いアルバムで、そこに面白味もあるのだが、グレイトフル・デッドのWake Up Little Susie同様、ディランもまた、ふだん見せている顔に似合わず、十代の時にエヴァリーズをコピーしたことが、この選曲にあらわれたのだと考えている。

ディランはまた、同じSelf Portraitで、ブライアント夫妻の作でもないし、エヴァリーズがオリジナルでもないのだが、彼らのヴァージョンがもっともヒットした、ジルベール・ベコー作のLet It Be Meもカヴァーしている。

64年にはベティー・エヴァレット&ジェリー・バトラーのヴァージョンもヒットしているが、さして根拠のない山勘にすぎないものの、ディランはエヴァリーズを念頭にしてLet It Be Meをカヴァーしたのだと思う。

The Beach Boys - Devoted to You


大滝詠一&山下達郎 - Devoted to You


The Everly Brothers - Devoted to You


ビーチボーイズのDevoted to Youは、Pet Soundsの準備中で多忙なブライアン・ウィルソンが、リリース・スケジュールに追われ、苦しまぎれの時間稼ぎに考え出した、いわばやっつけのアルバム、スタジオ・ライヴのようなThe Beach Boys Party!に収録されたもの。

しかし、人間、冴えているときは怖いものなしの無敵、このときのブライアン・ウィルソンはまさにその状態で、時間稼ぎの誤魔化しだったアルバムは、ヒットしたばかりでなく、リラックスしたビーチボーイズの心地よいハーモニーを記録した好ましい盤になった。

ドンのパート(下)はブライアン・ウィルソン、フィルのパート(上)はカール・ウィルソンだろうか。ウィルソン兄弟も、エヴァリー兄弟に勝るとも劣らぬ、きれいにミックスした美しいハーモニーを聴かせてくれる。ま、当然だが!

この記事の主役のひとりである大滝詠一のものは、盤としてリリースしたものではなく、ラジオ番組でのライヴで、じつはこの曲ばかりではなく、All I Have to Do Is Dreamをはじめ、ベスト・オヴ・エヴァリーズかというくらいたくさん歌っているのだが、この曲は特別だからおいてみた。

しかし、これはフィル・エヴァリーのパートを歌っている人(呵々)がちょっと苦しそうで(じつは音域が狭いのか、それとも、苦しそうにみせるのがスタイルなのか)、大滝詠一だけが気持よさそうに歌っている。いや、この際、それでかまわないのだが。

エヴァリーズのオリジナルは文句なし、彼らのバラッド系の代表作である。フィル・エヴァリーの死を悼むにふさわしい。

つぎは、ブライアント夫妻ではなく、ほかならぬフィル・エヴァリー自身が書いた曲。エヴァリーズのビート系の曲では、これがもっとも好ましい。

Linda Ronstadt - When Will I Be Loved


The Everly Brothers - When Will I Be Loved


リンダ・ロンスタットのカヴァーは、だれだか知らないがドラムのタイムが悪くて、四分三連のフィルはひどいし、グルーヴも嫌いだが、間奏のギター・アンサンブルは、おそらくアンドルー・ゴールドの多重録音で、わたしのような、ギター・オン・ギターが好きな人間にはエクスタシーものである。ここだけはすごいと思う。

リンダ・ロンスタットは好きでも嫌いでもなく、フィル・エヴァリーのために印税をたくさん稼いでくれてありがとう、と思うのみ。こういう風にカヴァーがヒットしないと、昔の人は忘れられてしまうことがあるので、その点でもありがたい。いや、どうも相済まぬ。>リンダ・ロンスタット・ファン諸兄姉。

エヴァリーズのオリジナルは、これまた云うことなし、すばらしい。ナッシュヴィル時代の彼らのサウンドはおおむねシンプルで、ヴォーカルに耳が集中するようにつくられているのだが、ドラムのバディー・ハーマンをはじめ、上手い人ばかりなので、派手なことをしなくても、気持のよいトラックが多い。

しかし、この曲は、ハーマンのフロアタムが、エルヴィスの時のような音で、おお、と思うし、アップライト・ベースの下降ラインも気持がいい。WB時代のゴージャスなサウンドの予告編といった趣である。

つぎはまた、ブードロー&フェリス・ブライアントの曲に戻る。

Gram Parsons & Emmylou Harris - Sleepless Nights


The Everly Brothers - Sleepless Nights


これはシングル曲ではない。よくまあグラム・パーソンズは自分にぴったりの曲を見つけだしたものだと思う。むろん、この曲に関しては、出来は伯仲、というか、感傷の深さにおいて、GPとエミールーのデュエットの勝ちではないかと思う。はじめて聴いたときは、なぜこれがお蔵入りしたのだと驚いた。おそらく、自作の曲を優先したためであって、出来に不満足だったわけではないだろう。

エヴァリーズのオリジナルも悪いわけではない。いい出来である。たんに、グラム・パーソンズがすごかったにすぎない。

今回はこれでおしまい。冒頭でふれたブライアント夫妻のソングライティング・スタイル、そしてTake a Message to Maryの、ドンとフィルのどちらもハーモニー・ラインを歌っているように聞こえる部分、これがエヴァリーズ、ブリティッシュ・ビート、大滝詠一を結ぶ隠れた糸なのだが、それは大滝詠一の曲に戻る次回に再検討する。


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by songsf4s | 2014-01-08 22:43 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その3
 
前回は、タイトルに名前をかかげている大滝詠一の曲にも、フィル・エヴァリーすなわちエヴァリー・ブラザーズの曲にもふれず、看板に偽りありだったが、それは時間を遡行し、わたしの目から見た「中継点」を示すためだった。

今回は水源地の話、ドンとフィルのエヴァリー兄弟のハーモニーについてであるが、ここでもまた、カヴァーからエヴァリーズのオリジナルへとたどって、時間を遡行してみる。

Simon & Garfunkel - Bye Bye Love


The Everly Brothers - Bye Bye Love


サイモン&ガーファンクルのカヴァーは、アルバム Bridge Over Troubled Water の最後から二番目に置かれていて、そのつぎのSong for the Askingは拍手のあとに登場することもあって、アンコールのニュアンスがあり、Bye Bye Loveは事実上のエンディング曲と意図されたように感じる。アルバムの終わりであり、このアルバムのリリース直後に解散を宣言した、このデュオの終幕を意味していた。

サイモン&ガーファンクルは、おそらくはディランの影響でモダン・フォークへとシフトする以前の、トム&ジェリーと名乗っていた時代には、明らかなエヴァリー・ブラザーズ・フォロワーのポップ・デュオだったので、ごく初期からこの曲をやっていたのだろう。

最後のアルバムの事実上のエンディングの位置にこの曲を置いたのは、出発点に戻り、円環を閉じて、デュオとしてのキャリアを終えようと云う意味だと思われる。

シングル・カットはされなかったものの、FENではしじゅう流れていて、ほとんどヒット曲同然だった。ポップ・チャートの世界ではよく起こる、いわば「借景」のような現象で、かつての大ヒット曲、大スターへのノスタルジー、とりわけ、50年代の音楽を体験したDJたちの記憶を刺激した結果のエアプレイだったのだろう。

そのオリジナルであるエヴァリー・ブラザーズのBye Bye Loveは、彼らのケイデンスからのデビュー・シングルであり、ビルボード・チャートの2位まで行く大ヒットになった。

エヴァリーズのオリジナルと比較すると、S&Gのカヴァーは楽器が多く、サウンドに厚みがあるが、基本的にはストレート・カヴァーであり、コピーといってよいだろう。

エヴァリーズのヴァージョンについていえば、ビートルズのShe Loves Youに似て、いきなりバイ・バイ・ラヴというコーラス・パートから入り、そのハーモニーの響きでリスナーの耳を引っ張っている点が印象的だ。

片や「イエー、イエー、イエー」、片や「バイ・バイ」と、聞き間違えようもなければ、誤解のしようもない、シンプルな言葉を投げつけてくる点にも、強い近縁性を感じる。

ジョン・レノンとポール・マッカートニーは、このような、気持のよいハーモニーの響き、シンプルで「強い」言葉、という二つの要素のコンビネーションを、曲の冒頭でいきなりぶつける、という「つかみ方」をエヴァリーズから学んだのではないだろうか。

他のカヴァーとしては、レイ・チャールズ、ボビー・ヴィー、ロイ・オービソン、デイル&グレイス、リッキー・ネルソン&ドン・エヴァリー、ジョージ・ハリソンのものをもっているが、ここでは略す。しいて云えば、ボビー・ヴィー盤は好ましい。ジョージ・ハリソンは、メロディーも歌詞もほとんど赤の他人のような、不思議な解釈をしている。

Grateful Dead - Wake Up Little Susie


The Everly Brothers - Wake Up Little Susie


1969年、グレイトフル・デッドは、彼らの家に居候してリハーサルをしていた、デイヴィッド・クロスビー、スティーヴ・スティルズ、グレアム・ナッシュの三人の、ヴォーカル・ハーモニーを中心にしたアコースティック・サウンドというアイディアに刺激され、自分たちもかつてのアコースティックなバンドへの回帰を試みた。

その結果、アコースティック・ギターを大々的に利用した(そしてペダル・スティールを導入した)、Workingman's DeadとAmerican Beautyという2枚のスタジオ・アルバムが生まれたが、それと並行して、ライヴでも、第一部をアコースティック・セットとし、旧来の彼らのスタイルは第二部に集中する、という形でツアーをおこなった。

アコースティック・セットで歌われた曲は、デッドのオリジナルは少なく、大部分がブルース、トラッドだった。そのなかにあっては、エヴァリー・ブラザーズの大ヒット曲であるWake Up Little Susieはきわめて例外的な、ポップ・フィールドからの選曲である。

S&Gの場合もそうだが、これはつまり、ジェリー・ガルシアやボブ・ウィアもまた、少年時代、ギターを手にし、ろくにコードも知らないまま、これならできると、ラジオから流れるエヴァリーズに合わせてギターを弾き、歌ったことのあらわれに違いない。

ライヴ録音でこの曲のイントロが流れたときの客の反応にも、彼らもまたデッド同様、少年時代にエヴァリーズに親しんだことを示す喜びが感じられる。

自分の経験をいうと、S&Gの時より、デッドがカヴァーしたことのほうが、のちにエヴァリーズを聴こうと思い立つ動機になった。

そのエヴァリーズのオリジナルは、Bye Bye Love以上に強く、「エヴァリーズ的ななにものか」を感じさせる。説明はあとまわしにして、キーワードだけいえば、3度のハーモニー、シンプルな循環コード、ブードローとフェリスのブライアント夫妻のソングライティング・スタイル、である。

なお、ほかにジョー・メルソン(ロイ・オービソンのソングライティング・パートナー)とフランキー・ライモン&ザ・ティーネイジャーズのヴァージョンがある。フランキー・ライモンは2パート・アレンジだが、彼自身のダブル・トラックに聞こえる。なかなか好ましいヴォーカル・レンディションである。

Glen Campbell & Bobbie Gentry - All I Have to Do Is Dream


The Everly Brothers - All I Have to Do Is Dream


グレン・キャンベルとボビー・ジェントリーの共演アルバムは1968年のリリースだが、グレンがBy the Time I Get to Phoenix以下のヒットを連発した結果、ボビーとのアルバムもあとになって売れはじめ、それを受けて、再度デュオを組み、シングルとしてリリースされたのが、エヴァリーズの大ヒット曲のカヴァーである、このAll I Have to Do Is Dreamだった。

アルバムのクレジットではドラムはハル・ブレイン、ベースはジョー・オズボーンになっているが、このシングルのほうのベースはキャロル・ケイのように思える。

カヴァーの多い曲なのだが、やはりヒットしただけあって、ほかのヴァージョンとは異なり、いいサウンドをつくっている。共演だから、クレジットには、ケリー・ゴードンとアル・ディローリーというそれぞれのプロデューサーが併記されているものの、基本的にはグレン・キャンベルが主体で、このサウンドもグレンのプロデューサー兼アレンジャーとして大ヒットを生み出していた、アル・ディローリーがつくったものだろう。

エヴァリーズのオリジナルについていえば、わたしは、これこそがオーセンティックなエヴァリー・ブラザーズ・スタイルなのだとみなしている。

・循環コードに載せた、無理のない自然なメロディーの流れ、
・それを背景とした、メロディー・ラインにしか思えないハーモニー・ライン、
・年齢の近い同性の肉親だけがもっている、区別ができないほど似た声、
・以上によって生み出される、きわめて心地のよい、ユートピア的な音像

といったことが、エヴァリーズのオーセンティシティーだとわたしは考えている。

これは、ケイデンス時代のエヴァリーズのほとんどの曲に当てはまることなのだが、なかでもAll I Have to Do Is Dreamは、すべての要素が百パーセントの濃度で含有された「エヴァリーズ的ななにものか」の化身のように思える。

ためしに、歌ってみると了解できるはずだ。メロディーである下のドンのパートは当然、楽に歌えるのだが、上のハーモニーであるフィルのパートも、ハーモニーを歌っている感覚はなく、ちょっと音域の高いところで動くメロディー・ラインを歌っているような気分になる。

歌ったときのこの感覚こそが、エヴァリーズなのだ。

ほかに、ゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ、ロイ・オービソン、ニティー・グリティー・ダート・バンド、ジェフ・ブリッジズ&カレン・アレン(映画『スターマン』の挿入曲)、リンダ・ロンスタット&カーミット(つまり、セサミ・ストリートかなにかに出演したときのものだろう!)、ウィリアム・ベル&カーラ・トーマス(わが家にある唯一のソウル・レンディションw)、ヒューゴー・モンテネグロ・オーケストラ、ジャン&ディーン、サイモン&ガーファンクルなどのカヴァーがある。自分たちのスタイルに引っ張り込んでいるニティー・グリティー・ダート・バンド盤がもっとも好ましい。

なお、The Beatles at the Boobという、ラジオ番組でのプレイを収録したブートに、エヴァリーズがこの番組に出演した時のものがあるのだが、DJは「これはポールの選曲」といってから、All I Have to Do Is Dreamを流している。いきなりポールの名前が出てくるのだが、これはポール・マッカートニーと考えてよいだろう。

手を付けたときは三回ぐらいで終わるかと思ったが、今日はエヴァリーズの代表作を三曲並べただけになってしまった。この分ではあと三回ぐらいはつづきそうな気配である。次回はさらにエヴァリーズのヒット曲とその余波を聴く。


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by songsf4s | 2014-01-07 23:15 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その2
 
(承前)
前回は意図的に迂回したが、本来なら、初期ブリティッシュ・ビートの2パート・ハーモニーといえば、なにをおいても、あの二人の話にならなくてはいけなかった。

The Beatles - There's a Place


ビートルズのヴォーカル・アレンジのパターンはいくつもあるのだが、ジョージやリンゴがリードを歌ったケースを除いて、Revolverあたりまではよく使われた主要なものを取り出すと、

1 ジョン(リード)+ポール&ジョージ
2 ジョン(下)+ポール(上)
3 ポール(リード)+ジョン&ジョージ
4 ポールのみ(ただし、しばしばダブル・トラックでユニゾンまたはハーモニー)
5 ジョンのみ(ただし、しばしばダブル・トラックでユニゾンまたはハーモニー)
6 ジョン+ポール+ジョージの3パート

そして、多くの場合、同じ曲のなかで、このパターンがいくつか組み合わされているし、たとえばジョン&ポールのデュエットでも、二人ともダブル・トラックになっていて、声の分離が困難なケースもめずらしくない。

しかし、細かいことは、この記事の主眼である、大滝詠一やフィル・エヴァリーとは関係ない。ジョンとポールのデュエットだけが問題だ。

The Beatles - She Loves You


あたりまえすぎてどうも失礼てなものだが、やはりジョンとポールのハーモニーといえば、まずこの曲をあげるしかないわけで、かつては、レコード屋に飛び込んで、ビートルズだの、シー・ラヴズ・ユーだのとくどくどいわず、「イエー、イエー、イエー」と歌えば、シングル盤が出てきたといわれるほどだ。

一瞬で聴き手の心を捉える「イエー、イエー、イエー」の響きは、ジョン、ポール、ジョージの三人のすばらしい声のミックスによるのだが、落ち着いて聴いてみると、ヴァースになんだか変な手触りがあることに気づく。

それはたぶん、こういうことだ。

リード・シンガーのように思わせる、もっともオンにミックスされた声はジョン・レノンなのだが、彼はメロディーを歌わず、下のハーモニーを歌っている。メロディーはジョンより薄くミックスされた(いや、声の質がそういう印象を生むだけかもしれないが)ポールなのである。

The Beatles - If I Fell


この曲はビートルズにはめずらしい前付けヴァースがあり、そこはジョン・レノンが単独で歌っている。しかし、ヴァースに入ったとたん、ジョンは下のハーモニーへと移動し、ポールがメロディーを乗っ取る。

ジョンはたぶんファが限界、ポールはほかならぬIf I Fellでラまで出している。この二人の音域の違いと、あくまでもジョン・レノンのヴォーカルを親柱とする初期ビートルズのあり方というふたつの条件を満たすために、このような、ジョンが主体でありながら、彼はしばしば下のハーモニーにまわる、という変則的なスタイルが生まれたのだろう。ただし、これはビートルズだけがやった特殊なアレンジではなく、たとえば、サーチャーズもやったことがあるのは、前回の記事に例示した。

The Beatles - I'll Be Back


いつ聴いても涙が出そうになる曲だが、それはさておき、この曲もまた、ジョンが主体でありながら、ヴァースのメロディーを歌うのはポールというアレンジになっている。「ジョンが主体」「ジョンの曲」という印象が生まれるのは、ヴァースが二人のデュオであるのに対して、ブリッジ(イギリスではミドル8=中間部の8小節と呼ぶ)では、ジョンのユニゾン・ダブル・トラック・ヴォーカルだけになるからである。

ジョン・レノンとポール・マッカートニーという、二人の傑出したシンガーの声の組み合わせだけが問題なのではない。

The Beatles - I Don't Want To Spoil The Party


いやはや、まさに「秘された宝」だなあ、と溜息が出るが、それはさておき、この曲の場合、ブリッジ(Though tonight以下のパート)ではメロディー=ポール、ジョンは下のハーモニーに移動といういつものパターンをとっているものの、ヴァースでは、メロディー、ハーモニーともにジョン・レノンが歌っている。

そして、このヴァースのハーモニー・ラインは、かなり変だ。

キリがないので、ジョン&ポールのハーモニーはこれくらいにする。ジョンの狭い音域を補うための措置だった、リード・ヴォーカルの途中交代と関係があるのかどうかは微妙なところだが(相応の関係があると考えているが)、彼らもしばしば、おや、そこへ行っちゃうのか、というイレギュラーなハーモニー・ラインをつくった。

それはジョンとポールのあいだの閉鎖されたやりとりだけで生まれたものではなく、ギター・プレイヤーがリックを交換するように、同時代のビート・グループが、お互いに相手のやっていることを観察して、「暗黙の合意」として発展していったヴォーカル・スタイルだと考える。

これには、やはりなにか種があり、さかのぼることができるはずだし、時間線の逆方向、下流へも流れていったと思う。

ここまでくればあと一歩で、本題であるフィル・エヴァリーや、大滝詠一に話を戻すことができるのだが、そのまえに、ブリティッシュ・ビートとはっぴいえんどの中間に出現した、耳を引くハーモニー・スタイルをもつグループを聴く。

The Flying Burrito Brothers - Sin City


フライング・ブリトー・ブラザーズは、手品のようにバーズを一夜にしてカントリー・ロック・バンドに変身させたグラム・パーソンズが、バーズをやめたあと、バーズのクリス・ヒルマンを引きずり込んでつくったグループで、ジャンルに押し込むなら、やはりカントリー・ロックというしかない。グラムは「カントリー・ロック」という言葉に対して、何度も嫌悪を表明しているのだが。クリス・エスリッジやスニーキー・ピートなど、興味深い他のメンバーについては、この文脈では無関係なので、省かせていただく。

さて、Sin Cityだ。左にはグラム・パーソンズ、右にはクリス・ヒルマンのヴォーカルが定位されている。はじめての方は声の区別がつけにくいかもしれないが、それはかまわない。右と左でよい。

3ヴァース、3コーラス構成で、ヴァースーコーラスーヴァースーコーラスーヴァースーコーラスと律儀に並び、ブリッジはない。短いものと相場が決まっているコーラスが、この曲は長く、ヴァースと同じ4行1連になっているところが、ややイレギュラーといえる。

そして、ここが問題なのだが、グラムとクリスは、メロディーとハーモニーのパートを交換する。ヴァースでは右のクリスがメロディーを歌い、左のグラムは上のハーモニーを歌う。コーラス・パート(This old earthquake's以下の4行)では、持ち場を交換し、グラムがメロディー、クリスがコーラスを歌っている。

もう一曲、グラム・パーソンズとクリス・ヒルマンのハーモニーを。

The Flying Burrito Brothers - Christine's Tune


TV出演時のクリップのおかげで、グラム・パーソンズ(白のヌーディー・スーツに帽子)とクリス・ヒルマン(青いスーツ)のパートの交換は一目瞭然だろう。

ブリトーズをはじめて聴いたとき、わたしはまだ十六歳、たいした知識はないので、ジョンとポールのスタイルを真似たのか、ぐらいのことしか思わなかった。

それも間違いとはいえないが、おそらくグラム・パーソンズとクリス・ヒルマンは、彼らがミドル・ティーンの時、つまりビートルズ登場以前に、夢中になったデュオをワーキング・モデルとしたのだろう。

これでやっと、次回はドンとフィルのエヴァリー兄弟にたどり着ける。


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by songsf4s | 2014-01-06 22:06 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その1
 
1970年の秋、あるいは暮れだったか、昼休みに、高校の同級生に、はっぴいえんどという日本の未知のグループのエポニマス・タイトルド・アルバムを渡された。彼は、「姉貴に、これをお前に聴かせろって云われたんだ」と説明した。

その姉さんとは、中学の時にビートルズ仲間として、いっしょにビートルズ映画二本立てを見に行ったりしたことがあった。その後、しばらく会わなかったのに、どういうことの成り行きか、突然、この新しいバンドを、弟の同級生に聴かせてみたいと思ったらしい。

のちに「ゆでめん」と呼ばれることになるそのはっぴいえんどのデビュー盤を聴いて、なんとなく、小学校から中学にかけて熱烈なビートルズ・ファンだった女の子が、高校生になってこのバンドに強い関心を抱いたのは、わかるような気がしたし、わたしがこれを聴いて、なんと思うか知りたくなった気持も、そこはかとなく忖度できた。

「ゆでめん」でもっとも気に入った曲は「12月の雨の日」だった。

はっぴいえんど「12月の雨の日」アルバム・テイク(4トラック録音)


後日の別テイクではあるけれど、彼らがデビュー・シングルに選んだほどで、曲としての出来もすぐれていると思うが、強く耳を引っ張られたのは、ハーモニーだった。このハーモニーのどこをどう面白く感じたか、という分析はとりあえず棚に上げ、先を急ぐ。

つのだひろブログの大滝詠一追悼記事を読んで、そうそう、それが当時の感覚だったよね、と思ったくだりがある。以下に引用する。

日本のロックを作り上げたのは
間違いなく我々のハードロック勢だが
いつの間にか評論家等の筆によって、
日本のロックはハッピーエンド[ママ]によって
できたかのように書かれ、
日本のロック史に刻まれたのは片腹痛い。
もとより大瀧のせいではないが…。

ここでつのだひろが書いている「日本のロック」、つまり「ハードロック勢」がつくりあげた音楽というのが、高校生のわたしは大嫌いだった。そういう直線的なものを聴くなら、英米のバンドのほうが数桁上のサウンドをつくっているのだから、そちらを聴けばいいだけじゃないか、なにもわざわざ不出来な模造品を聴くことはない、ぐらいに思っていた。

わたしは英語をまじめに勉強したので、彼らのオリジナル曲の、幼稚園児のような英語の馬鹿馬鹿しさにもとうてい耐えられなかった。歌詞というものは、小学生の作文ではない、ということは、ビートルズを聴けば誰にでもわかることなのに。

はっぴいえんどは、そういう「ハードロック勢」とやらいう圧倒的多数派に、徒手空拳で立ち向かうかのような音を、そのデビュー盤でつくっている、と当時のわたしは感じた。

むろん、それは、アコースティック・ギターを多用するサウンドに明瞭にあらわれていたし、シャウトがいっさいないことも同じ意図から出てきたことだろうが、なによりも決定的に違っていると感じたのはヴォーカル・ハーモニーだった。

はっぴいえんど「しんしんしん」オリジナルLPヴァージョン


これは細野晴臣の曲で、リード・ヴォーカルも彼なのだが、途中から大滝詠一が(おおむね)上にハーモニーをつけている(この曲の詳細については、かつて、代打執筆者Tonieさんに書いていただいた、「かくれんぼ by はっぴいえんど その1」、および、「同その2」という記事をご参照いただけたら幸甚である)。

高校生のわたしが、あっと思った、「12月の雨の日」と「しんしんしん」に代表される大滝詠一のハーモニック・センスを説明するには、ロックンロールの歴史をさかのぼらなければならない。

わたし自身が即座に連想したのは、その前年にリリースされたフライング・ブリトー・ブラザーズのデビュー盤だが、これは両者が同じものから出てきたことを示すにすぎず、大滝詠一がブリトーズを聴いていた可能性は低いし、彼がハーモニック・センスを培ったのは、もっとずっと以前の音楽でのことにちがいないので、ブリトーズのことは後回しにする。

たくさんあるのだが、たとえばこのあたりの曲は、大滝詠一も聴いていたに違いない。

Peter & Gordon - I Go to Pieces


メロディーを歌うのはゴードン・ウォーラー、上のハーモニーを歌うのはピーター・エイシャーで、ハーモニー・ラインの動きが非常に小さいことに特長がある。

たとえば、She hurt me so much insideのとき、メロディーは、「シ・シ・ラ♭・シ・レ♭・シ・シ」という具合に遷移しているのだが、ハーモニーは「ミ・ミ・ミ・ミ・ミ♭・ミ♭・ミ♭」ぐらいの感じで(よく聞こえないので、ちょっと違うかも知れないがw)、ほとんどワン・ノートの感覚である。ドローン=持続低音の逆、持続高音と云いたくなる。

つぎは、大滝詠一自身、みずからのラジオ番組で特集を組んだこともあるグループの曲。

The Dave Clark 5 - When


分析は棚上げして、つぎの曲へ。同じくデイヴ・クラーク5の、こちらは大ヒットで、日本ではこの曲しか知られていないといっていいほどのあれ。

The Dave Clark 5 - Beacause


曲自体も、オーギュメントや「その場でマイナー移行」(この曲の場合、CからCマイナー)を使った半音進行で、ちょっと変なものではあるのだが、そのわりには、メロディーの遷移は素直で、冒頭のIt's right that I should care about youは、

レシ、レシラソ、シミ(ここのコードはG6→G7なので、スラーでファに移行)

という流れになっている。これに対して、下のハーモニーはどうなっているかというと、いや、不明瞭で、確信はないのだが、おおむね、以下のごとく歌っているように聞こえる。

レレレ、ミ♭ミ♭ミ♭ミ♭、ミミ

といった、お経のような動きというか、あまり動かないラインになっている。

あ、いや、ちょっと待っていただきたい。「動かない」「動きがきわめて小さい」ということを強調しすぎるのは本意ではない。

そうではなく、初期ブリティッシュ・ビートのハーモニーは、たとえば、フォー・フレッシュメンに代表されるような、スムーズなハーモニーとは異なった響きをもっていた、そして、わたしは、その点に大きな魅力を感じた、ということが云いたいのである。

ハーモニーのラインの動きが小さいのは、そのような変化の総体の一部を成すものだったに「すぎない」のだが、もっとも明瞭な特長でもあったので、話のポイントを示すには至極便利なのである。

(細かいことを云うと話が面倒になるのだが、ブライアン・ウィルソンがいうように、フォー・フレッシュメンは、それまでの保守的な和声から、おそらくはビーバップの影響で、複雑なテンションをつけた和声へと移行した革新者だったので、ストレートではないというなら、やはり彼らもストレートではなかった。しかし、それもあの時点では「過去の革新」へと後退していた。)

もう少し例を。当時、わたしが知っていたサーチャーズの曲はほんの一握りにすぎず、これは後年聴いたものだが、初期ブリティッシュ・ビートのハーモニー・スタイルがよくあらわれている。

The Searchers - Sugar and Spice


ヴァースでメロディーを歌っているのはベースのトニー・ジャクソンだが、コーラス・パート(Sugar and spice and all thing's nice, kiss is sweeter than wine)では、ジャクソンは下のハーモニーに移動し、メロディーはリード・ギターのマイク・ペンダーが乗っ取る、という変則的なヴォーカル・アレンジに耳を引っ張られる。

もう少しサーチャーズのハーモニーを聴こう。

The Searchers - Someday We're Gonna Love Again (1964)


明確に人数が聞き取れなくて恐縮だが、ヴァースで目立つのは2パートの部分で、それがこの曲の魅力になっている。ファースト・ヴァースでいうと、

When we broke up I STILL WORE A SMILE
I told myself you'd only GONE FOR A WHILE

上記の大文字にした部分だけ、あとから入ってきたフォールセット・ヴォーカルが上にハーモニーをつける(そっちがメロディーのように聞こえなくもないが)、というややイレギュラーなヴォーカル・アレンジになっている。

当時のブリティッシュ・ビートをよくご存じの方なら、この話がどこに向かっているかは明瞭で、待て待て、みなまで云うな、あとは俺に任せろ、という気分だろうが、本日はヴォーカルのコピーなんぞをやって消耗したので、べつの二人のイレギュラーなヴォーカル・アレンジについては、次回に。


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はっぴいえんど
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History of the Dave Clark Five
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by songsf4s | 2014-01-05 21:07 | 60年代