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(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その03 避暑地の出来事
 
調べれば調べるほどヤング・ラスカルズのデビュー前後のもろもろというのは、時代も象徴していれば、多士済々のNY音楽業界人士もつぎつぎに登場して、じつに興趣尽きない。

今回も、NYのアトランティック・スタジオから、イースト・ハンプトンの〈バージ〉クラブまで逆戻りして突きまわすつもりだが、その前にクリップ千社札をベタベタ貼りつける。

まず、目下の続きもの記事の対象である、ヤング・ラスカルズのデビュー盤に収録されたヴァージョンから。

The Young Rascals - 08 Mustang Sally (remastered mono mix, HQ Audio)


くどくて恐縮ながら、このLPを買ったのはリリースから十数年後のこと、これを聴いた時には、すでにウィルソン・ピケットのヒット・ヴァージョンを知っていたので、ヤング・ラスカルズ盤は幼く聞こえてしまい、いまもその印象を拭いきれないのだが、ここへきて、ちょっと感じ方が変わってきた。

ディノ・ダネリは、〈バージ〉に出演しているころ、フィーリクス・カヴァリエーレと一緒にハーレムのレコード屋に何度か盤探しに出かけたそうで、その時に見つけたのがすでに聴いたGood Lovin'だったのだが、もうひとつ、このMustang Sallyもハーレムで発見したのだという。誰のヴァージョンか?

Sir Mack Rice - Mustang Sally (single version) (HQ)


サー・マック・ライス、ソングライター・クレジットにある本名はボニー・ライス、うちには単独の盤はなく、あちこちのオムニバスに収録されたものを全部集めても10曲に満たない。ヒット曲らしいヒット曲はなく、ウィルソン・ピケットやヤング・ラスカルズにカヴァーされたこのMustang Sallyが代表作と云っていいだろう。

後年、スタックスに移ってからはまともなバンドで歌うことになるが、このMustang Sallyのバンドというか、ドラムの拙さには恐れ入る。フィルインなんかひとつもまともに叩けていない。

それでもなお、この脂っこいグルーヴには独特の味があり、ディノ・ダネリとフィーリクス・カヴァリエーレがハーレムのレコード屋で耳にして、この曲は面白い、とカヴァーする気になったのも、この意図したものではない、「どうしてもそうなってしまった」グルーヴのせいだろう。

ヤング・ラスカルズのヴァージョンもまだ成功しているとは云いがたい。しかし、彼らがカヴァーしたおかげで、同じ会社のシンガーが歌ってヒットすることになった、のだが、ファルコンズというグループには、マック・ライス、エディー・フロイド、そして、この人もいたので、旧友の曲をカヴァーしただけ、とも云えるのかもしれない。

Wilson Pickett - Mustang Sally (mono) (HQ)


ウィルソン・ピケットはアトランティックのシンガーだったが、このあたりから録音はメンフィスやマッスルショールズなどの南部のスタジオでおこなうようになった。その背景にはアトランティックと、メンフィスのスタックスのあいだで提携が結ばれたことがあるのだが、そこに踏み込むと長くなるので、詳細は略す。

この曲はアラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオでの録音。フェイムには、のちにスティーヴ・ウィンウッドのリズム・セクションになるハウス・バンドがあった。

この曲もそのバンドのドラマー、ロジャー・ホーキンズのプレイ。やはりドラマーが上手いので、タイムが安定し、ダンサブルになったのと、ウィルソン・ピケットのヴォーカルの力が、ヒットの推進力になったと思われる。

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ロジャー・ホーキンズ。ベースはデイヴ・フッド。二人とものちにトラフィックに加わり、スティーヴ・ウィンウッドのリズム・セクションになる

フェイムにはオーナーのリック・ホールがいて、彼は誰の助けがなくてもプロデュースとエンジニアリングができたが、アトランティック・レコードが自社のシンガーを南部に送り込む時には、ちゃんとプロデューサーとエンジニアを付けた。

この曲でも、ジェリー・ウェクスラーとトム・ダウドがクレジットされている。ヤング・ラスカルズとはやや異なった形だが、これまた「スーパヴァイザー」である。

単純で、メロディーらしいメロディーもなく、かといってノリがよくてわくわくするというタイプでもないのだが、ウィルソン・ピケット盤までくると、それでもヒットしたことが、なんとなく腑に落ちるのではないかと思うのだが……。

歌詞もこの曲のヒットに貢献したと思う。金のある男が愛人のサリー(という人物配置と読める)にマスタングの新車を買い与えたら、町中走りまわるばかりで、「You don't wanna let me ride」(奥に二つめの意味が暗示されている)になってしまったので、いい加減にしろとどやしつける、というほとんどノヴェルティー・ソングといってよい歌詞だ。

ライスがシンガーのデラ・リースと話していたら、彼女が自分のバンドのドラマーのカルヴィン・シールズに誕生日祝いとしてリンカーンの新車を買ってやろうかと思う、というので、あとでシールズに会った時に、このことを伝えた。シールズは、リンカーンなんかいらない、俺はマスタングのほうが欲しいとこたえた。

それで、マック・ライスはマスタング・ママという曲を書いたのだが、アリサ・フランクリンに自作をいくつか聴かせた時に、タイトルはマスタング・サリーの方がいいと云われ、そう変更することになった。

マック・ライスがアポロ・シアターに出演した時、その日のトリだったクライド・マクファーターが出演できないことになり、代役として、旧知のウィルソン・ピケットに声をかけた。

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この時、ピケットはマック・ライスの歌うマスタング・サリーを聴き、のちにカヴァーしたのだと云うが、やはりそれだけではなく、レーベル・メイトのラスカルズの録音を耳にしたのもカヴァーした理由のひとつだと思う。

◆ 真夏の避暑地の音楽百鬼夜行絵巻 ◆◆
ヤング・ラスカルズ・デビュー騒動に話を戻す。前回の最後に、アーメット・アーティガンの「ラップ」のことにふれたので、ちょっと時間を遡ってみた。

そのあたりの裏をとるために、いくつか読んでみたのだが、ディノ・ダネリが云っていたように、やはり複数の会社からアプローチがあったようで、「ラスカルズ争奪戦」と云っていいようなものが、1965年夏のロング・アイランドの〈バージ〉クラブでは起きていたことがわかってきた。

前々回、マネージャーのシド・バーンスティーンが、アーメット・アーティガンを〈バージ〉に呼び寄せたのではないかと書いたが、そこらはちょっと微妙になってきた。バーンスティーンが動くまでもなく、NY音楽業界人が夏を過ごすロング・アイランドで評判のクラブに出演していたので、噂はすでに広まっていた可能性がある。

アーメット・アーティガンより先なのか後なのか不明だが、アトランティックのエンジニア兼プロデューサーのトム・ダウドは〈バージ〉にラスカルズを見に行った。

ところが、かつてアトランティックと密接な関係にあったものの、前年にレッドバード・レコードをつくったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーが、ラスカルズのガードをしていて、ダウドが話しかけようとしたら、トイレに連れて行ってしまい、ついに話すことができなかったという。

これは、レッドバードのオーナーとして、リーバーとストーラーがラスカルズをスカウトしようとしていたとしか解釈のしようがない。トム・ダウドなんかに下交渉されてたまるか、というところだろう。

スペクターのアシスタントとして、曲を提供したり、レコーディング・セッションを指揮したりしていたアンダース&ポンシアの片割れ、ヴィニー・ポンシアの夫人もバンドをやっていて、たまたまラスカルズ同様、〈バージ〉に出演していた。

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ゴールド・スター・レコーダーのヴィニー・ポンシア(右)。もうひとりのギタリストはトミー・テデスコ!

当然、彼女は夫にラスカルズを見るようにすすめた結果、ポンシアも気に入り、すぐにボスのフィル・スペクターに、ラスカルズを見るように強く進言した(としか解釈しようがないのだが、この時期、ポンシアはもうジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのレッドバード・レコードと契約していたのではないのか?)。

たぶん、いわゆるセルフ・コンテインド・バンド、自分たちで演奏もするグループとはうまくいかないと見通していたせいだろう、スペクターはラヴィン・スプーンフルの時と同じく、ラスカルズにも大きな関心を示さなかったらしい。ポンシアに、どうしてもやりたいなら、お前がサブ・レーベルでプロデュースしろ、といった。

話はいろいろなソースによって錯綜しているのだが、ディノの云う「シド・バースティーンがマネージメントをすることになって一週間後にアーメット・アーティガンがやってきた」に符合する記述もある。

アトランティック経営陣のひとり、ジェリー・ウェクスラーもラスカルズを見て、契約したいと思ったが、そこへシド・バーンスティーンが、フィル・スペクターもこっちに来ている、彼もラスカルズと会うつもりらしい、とほのめかした。

そうと知って、ウェクスラーは即座にアーメット・アーティガンに連絡し、それで社長自身が出馬することになったのだ、としているスペクター関係の本がある。

そしてアーメット・アーティガンは(以下「たぶん」の連発になるので略す)ディノの云うとおり、〈バージ〉にも見に行ったのだろうが、そのあとでサウサンプトン(名前でわかるように〈バージ〉のあるイースト・ハンプトンから遠くない)の自分の夏別荘にラスカルズを招待した。

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ロング・アイランドのサウサンプトン・ビーチ。いかにも避暑地らしい景観

どうやら、ディノがアーメット・アーティガンの「ベスト・ラップ」に接したのはこの時のことらしい。あるソースにはアーメットは若者たちに「戦争物語」を語ってきかせたとある。つまり、R&Bの勃興とアトランティック・レコードの血湧き肉躍る戦争の物語だ。

これで若者たちはすっかりアーメット・アーティガンに惚れ込み、スムーズに契約へと進んだ、というのである。

思いだした。アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟の父親はトルコの駐米大使。アーメットはその親譲りの外交官的弁舌、すなわちディノの云うThe Best Rapで運命を切り開いてきた強者だった。それで、ウェクスラーが、すわ緊急事態と社長の出馬を仰いだわけだ!

◆ さらにマスタング2台追加 ◆◆
NJ出身の若者たちにも、アトランティック・レコードがすごい会社だということはわかったので、あとは契約内容を詰めるばかりだが、また話が長くなるといけないので、ここでクリップを貼りつける。また同じ曲で恐縮だが、いろいろ並べると興趣が増すこともある(のではないだろうか)。

上掲のおそらくはシングル用だったモノ・ミックスと同じテイクだが、こんどはずいぶんと手触りの異なるステレオ・ミックス。The Wicked Pickettというアルバムからとった。

Wilson Pickett - Mustang Sally (stereo) (HQ)


当方の感覚としては、モノのほうが安定感があって聴きやすく感じるが、ステレオはステレオで、べつの面白みを感じる。

もうひとつ、これは低音質のファイルしか手元になくて、ちょっとためらったが、ほかならぬフィーリクス・カヴァリエーレがゲストで歌っているのでクリップをつくった。

とくに面白いわけではなく、オリジナル盤のシンガーとカヴァー盤のシンガーが一緒に歌う、という物珍しさがアップの動機。

Sir Mack Rice with Felix Cavaliere - Mustang Sally (live)


録音場所はNYの〈ボトムライン〉というクラブ。よく、ヴェテランのシンガーがライヴ盤を録音している。うちにあるのでいま思いだすのはアル・クーパーとローラ・ニーロ。

録音デイトは1994年と推測できる。これは車のマスタングの歌なので、歌詞の中に最新型のマスタングというところがあり、そこに年を入れるわけだが、このライヴではそれが1994年になっている。

このヴァージョンは、In Their Own Wordsという、たぶん同題の書籍のコンパニオンCDとして出たものからとった。ソングライターが自作を回顧し、その場でその曲を歌うという企画の一環。作者のマック・ライスが先に行き、フィーリクス・カヴァリエーレが途中から歌う構成。

◆ 「ヒットが出たらまたおいで」 ◆◆
アトランティック・レコードには魅力的な歴史があり、社長のアーメット・アーティガンはやり手で弁が立ち、ラスカルズの4人は魅了された。そして、契約金として1万5000ドルを約束された。

しかし、彼らが口を揃えて云うこの契約の旨みはそれではなかった。彼らには二つのことが約束された。自分たちの判断で音楽をつくる権利、つまり(こっ恥ずかしくて書きにくいのだが)ある程度の「アーティスティック・フリーダム」が与えられた。

それだけではない。アトランティックは自社スタジオをもっていた、それが大きな魅力だった、と彼らは云うが、それだけなら、ほかにも同じようなレコード会社はある。

問題はそこではないのだ、彼らはそのアトランティック・スタジオを自分たちのものであるかのように、いつどんな時でも優先的に使用する権利を与えられた。つまり、自分のスタジオのように使ってよい、誰かが使っていたら、俺たちが使うんだから出て行け、という権利を与えられたというのだ。

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この時期にそんな権利を持っているバンドがほかにあったとしたら、ビートルズだけだろう。マーク・ルーイソンのThe Complete Beatles Recording Sessionsを読むと、ビートルズはEMIという物堅い会社をすっかり変えてしまい、好きな時刻にスタジオに入って、長時間独占していたようだし、ジョージ・マーティンは自分が抱える他のアーティストの都合をいっさい顧みず、ビートルズがスタジオに入ったら、その面倒を見なければならなかった。

しかし、1965年秋というと、ビートルズだって、やっとわがままを通せるようになった、といった程度だったはずだ。そこにいたるまでには莫大な利益を会社にもたらしている。

ところが、ラスカルズはまだ一枚もレコードを売っていない段階で、うちのスタジオはきみたちものだ、好きに使いたまえ、他のシンガー? 気にするな、追い出せばいい、とカルト・ブランシュを与えられたのだ。

しかし、いざ入社したら、そんなわがままを通すのはむずかしかっただろう、と思ったのだが、ラスカルズはじっさいにしばしばスタジオを長時間独占したらしい。

エディー・ブリガティーは云う。「あのころはみなよく文句を云っていたよ。なんでお前たちばかりがスタジオを使うんだ、って。『ヒットがでたらまたおいで』さ」

Good Lovin'がチャート・トッパーになって以降は、ホントに与えられた権利を遠慮会釈なしに行使したらしい。それでデビュー盤のつたないグループが、あっという間に成長して、グッド・グルーヴを獲得できたのだろうと納得がいった。

ラスカルズがそのような特別待遇を受けたのには、相応の理由がなければならない。そこには時代の潮目とアトランティック・レコードの事情があったのだろうが、そのあたりは次回にでも考える。


The Young Rascals (Original Album Series)
The Young Rascals (Original Album Series)

グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)

Young Rascals [12 inch Analog]
Young Rascals [12 inch Analog]

The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers


Beg, Scream & Shout!: The Big Ol' Box Of 60's Soul
Beg, Scream & Shout!: The Big Ol' Box Of 60's Soul
(Mustang Sallyを収録したマック・ライスの単独盤は入手難。これはライノの60年代R&Bシングル集。シングル盤型の皿にCDがセットしてあり、ライナーはトランプ型でR&Bトリヴィア・クイズになっていて、そのすべてを昔はよくあったシングル盤を入れるケースに収めてあるという、じつに馬鹿馬鹿しくも凝った造りの6枚組。)


Wilson Pickett: A Man And A Half
Wilson Pickett: A Man And A Half
(モノ・ミックス収録)


Wilson Pickett - Original Album Series
Original Album Series
(ステレオ・ミックス収録)


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by songsf4s | 2016-09-17 21:08 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その19 続はっぴいえんど
 
大滝詠一が没して、早すぎるなあ、もう歌う気はなかったのだろうけれど、音楽史研究家としてはまだ山ほどやることがあったのに……初期の2パート・ハーモニーが好きだったなあ、あれはどこから引っ張ってきたのだろう、ブリティッシュ・ビートか、それともエヴァリー・ブラザーズか……

なんて思っていたところに、こんどは、そのエヴァリー兄弟の弟のほう、ハイ・パートを歌っていたフィル・エヴァリーの訃報が届いて、ええええええ! それはまた、なんとむごい偶然、と絶句した。

というのは嘘で、絶句どころか、大滝詠一のあれやこれやと、エヴェリー・ブラザーズの箱をプレイヤーにドラッグし、歌詞を覚えている曲をいっしょに歌いまくった。

大滝詠一「楽しい夜更かし」


「♪開けて広いワニの口」!!

そのうち、長年ぼんやりと考えていた、大滝詠一の2パートは、エヴァリーズから来たのか、それとも、ビートルズ、ピーター&ゴードン、DC5、サーチャーズらのブリティッシュ・ビート経由なのか、ということが、なんだか、ひどく気になってきて、長いあいだ、開店休業状態だったブログを再開する気になった。

明白にして、決定的な証拠は発見できなかったが、わたし自身は、ハーモニーをコピーし、いっしょに歌ってみて、やっぱりこれはピーター&ゴードンだよ、と納得したので、とりあえずハッピー・エンドである。

ただ、エヴァリーズの問題はよくわからなかった。昨年の放送で、大瀧詠一は「エヴァリー・ブラザーズとバディー・ホリーでイギリスはわかる」といった趣旨のことをいっている。

わたしとしては、ここにジーン・ヴィンセントだのエディー・コクランだのの名前も付け加えたくなったりするが、エッセンスを取り出し、旗にして掲げるなら「ブリティッシュ・ビートはバディー・ホリーとエヴァリー・ブラザーズの子供だ」となるだろう。

Buddy Holly - Peggy Sue

(クリップには1950とあるが、大間違い。58年ぐらいか)

ピアノやサックスはなし、4ピースのギター・コンボが、コードでドライヴする、というスタイルはビートルズをはじめさまざまなグループが踏襲する。ジョン・レノンはヴォーカル・スタイルも、エルヴィスより、バディー・ホリーに範をとった。

バディー・ホリーに足りないものはハーモニーだけだった。

The Everly Brothers - This Little Girl Of Mine


この両者のアマルガムが、初期ブリティッシュ・ビートである、という大瀧詠一説は、御説ごもっとも、異存はまったくない。スキッフルがどうこうなどという重要でない要素を(暗に)退けてくれたのもうれしい。

そこまで云ったのなら、ついでに、エルヴィスとビートルズで大滝詠一は説明が付くとか、そういうことも云って欲しかったが!

なぜエヴァリーズのストレートなハーモニーが、たとえばピーター&ゴードンのように、イレギュラーに変形されたのか、ここは、状況証拠からの推論ぐらいしかできず、変化のメカニズムを明瞭にたどることはできなかった。

ソングライター・クレジットはレノン=マッカートニーだが、実質的には、当時ピーター・エイシャーの妹(姉?)とデイトしていたポールの単独作。

Peter & Gordon - A World Without Love


いちばん有名な曲だから、このシリーズでは貼り付けなかったのだが、改めてヴォーカル・アレンジを聴くと、ほう、と思う。

明らかにエヴァリーズが透けて見えるのだが、いっぽうで、ゴードン・ウォーラーが歌う下のハーモニー・ラインは、かなりイレギュラーな感覚がある。たとえば、I won't stay in a world without loveのあたりだ。

考えてみると、この曲をシング・アロングする時は、いつもゴードン・ウォーラーのパートをいっしょに歌っていた。とくに、2度目のDon't allow the dayのところが、歌って楽しいくだりだ。

いまコピーする余裕はないが、なぜこうなったのだろうか。作曲家の先生であるポール・マッカートニーの指示か(バッドフィンガーには、俺のデモをコピーしろと命じた鬼先生だったが)、はたまた、ピーター・エイシャーとゴードン・ウォーラーのもともとのスタイルだったのか。

楽曲のせいだったのか、イギリスの若者の、エヴァリーズは好きだけれど、ワサビが欲しい、という「気分」が作用したのか、どうであれ、1964年のイギリスにあっては、このようにイレギュラーな響きのある2パート・ハーモニーは、ごく当たり前のものになっていた。

そして、大瀧詠一はこれを聴いた。聴いたどころではない。ご本人がラジオで語ったように、「あのころはピーター&ゴードンが大好きでねえ」だったのだ。

大瀧詠一は自分でラジオを組み立て、FENを聴いていたそうなので、推測がむずかしくなるのだが、この時代、日本ではエヴァリーズのレコードが数多くリリースされていたとは思えない。彼が当時エヴァリーズを聴いたとしても、主としてラジオでだっただろう。

それに対して、ピーター&ゴードンはさまざまな国内盤が出ていた。1965年からはわたしもリアルタイムなので、子供だったとはいえ、多少は状況を記憶している。

前回も書いたように、たぶん、大瀧詠一は、自分に強い影響を与えた初期ブリティッシュ・ビート・グループが「エヴァリーズの子供たち」だったことに、あとで気づいたのだろう。

このまま大滝詠一がデビューすれば、初期ブリティッシュ・ビートの影響がストレートに反映されただろう。しかし、彼が盤デビューしたのは1970年だった。1964年と70年のあいだに起きたすったもんだの大騒動たるや、本が何冊も書けるほどだ。

同じようにブリティッシュ・ビートにあこがれたこの人も、間に合わなかった少年だった。作者トッド・ラングレンはギターとハーモニー・ヴォーカル、およびブリッジのリード・ヴォーカル。

Nazz - Open My Eyes


トッドは、俺たちは4パートで、あの時のビートルズを超えていた、などとつまらないことを云っているが、時代に合わせたヘヴィーなギター・サウンドの向こう側に、初期ブリティッシュ・ビートのシルエットが透けて見える。

大滝詠一とトッド・ラングレンは、あるいははっぴいえんどとナズは、べつに似てなどいない。しかし、置かれた位置とたどった軌跡は相似して見える。

大瀧詠一は、ブリティッシュ・ビート以降、大荒れに荒れ、あっちに揺れ、こっちに揺り返す米英音楽のシュトゥルム・ウント・ドランク時代を目撃した。

そして1970年にはっぴいえんどがデビューした時、彼も、他のメンバーも、ハードロックでもなければ、フォークでもない、「新しい音楽」をやろうとしていた。目標は、プロコール・ハルムであり、バッファロー・スプリングフィールドであり、モビー・グレイプだった。

だから、初期ブリティッシュ・ビートは、表面にはあらわれず、サウンドに反映されることはなかった。「もっと深く響くなにか」でなければならなかったからだ。

もしもポップなものを目指し、ブリティッシュ・ビートの経験がストレートにあらわれたら、こんな音になっていたかもしれない。

伊藤銀次「幸せにさようなら」


これにモノトーンなハーモニーをつければ、完璧に初期ブリティッシュ・ビートなのだが。75年ごろだっただろうか、すでに60年代蒐集をしようという気分になっていたわたしは、ナイアガラ・トライアングルでこの曲を聴いて、ギョッとした。

いや、はっぴいえんどがデビューしたとき、時代はそういうムードではなかった。繰り返すが、「もっと深く響くなにか」が必要だったのだ。

彼らはもっとずっとシリアスな音をつくろうとしていた。しかし、たぶんバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレイプがしばしばハーモニーを使っていたことに刺激されたのだろう、はっぴいえんども、何曲かでハーモニーを試みた。

そして、やってみたら、古い大脳皮質が自己主張した。ハーモニーというものの面白味をはじめて知った、あの時代のハーモニー感覚が、新しい方向性のサウンドの殻を突き破って、表に出てしまったのだ。

そのことを意識していたのだろうかなあ、といぶかるが、ハーモニー・ラインをつくっていて、無自覚ということはないと思う。大滝詠一は自分の歌っているラインがどこから出現したか、わかっていたと思う。

Bobby Vee - Rubber Ball

テキストを書き終わってから、突然、この曲を思いだした。ボビー・ヴィーは「ひとりでハモるバディー・ホリー」じゃなかったのだろうか? いずれ、この人の研究もしてみたい。

以上、ここまで来れば終わっていいように思うのだが、完全に環を閉じることはできず、オープン・エンドとなった。

どこがオープンかというと、「あの2パートはどこに消えたのか」なのである。

大滝詠一も、ハーモニーをやめるわけではないが、あのイレギュラーな2パートはソロ・デビューまで。

トッド・ラングレンも、It Wouldn't Have Made Any Differenceで、大滝詠一とどっちがすごいかというイレギュラーなハーモニーをやりながら、すぐに、ふつうのハーモニーへと移行してしまう。

これはどういうことなんだ、と思うことは思うのだが、それについては、まだなにもわからない。

ひょっとしたら、つぎはその解明か、なんてチラッと思うが、さて、どうなりますやら。ピーター&ゴードン解剖またはトッド・ラングレンと時代の風とか、そういうのも考えられるような。

大滝詠一とフィル・エヴァリーの死にがっかりして、長いあいだ休んでいたブログを一時的に再開したつもりだったが、はじめてみると、いろいろ書くべきことを思いつき、数日の時間をおき、こんどは週に二回ぐらいのペースで更新しようかという気になった。

なにをやるかは未定だが、またお越しあれ。

♪はっぴいえんど、はっぴいえんなら、いいさーあー。

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by songsf4s | 2014-01-24 23:14 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その18
 
昨年九月のラジオ出演で、大瀧詠一は、本格的に音楽を聴きはじめたのは1962年だと語っていた。むろん、きっかけはエルヴィス・プレスリーに接したことだろう。

それは映画を通じてのことかもしれないし、誰かがもっていたちょっと古い盤かもしれないが、とりあえず、1962年なら、ふつうに日本のラジオでも流れていたかもしれないエルヴィスを。前年のビルボード・チャートトッパー。

Elvis Presley - Surrender


マイナーのヴァースから、コーラスでメイジャーに転調し、ちょっと歌い上げるようにするところが印象的で、こういうミディアムからミディアム・アップの、コーラスにメロディックなところのある、非ロック系の曲が、兵役を終えて復帰してからのエルヴィスのメイン・ラインだった。

いつか読んだ大瀧詠一の回想によると、エルヴィスに夢中になっているうちに、1964年にビートルズが出現し、ビックリして、それまで買い集めた盤を売って、ビートルズを買ったということだった。

ビートルズの盤はアメリカではなかなかうまくいかず、はじめてヒットしたのはI Want to Hold Your Handで、これは64年1月、ちょうど半世紀前のいまごろ、ビルボード・チャートのトップに立った。

いまさらで恐縮だが、二人ともギブソンJ-160Eを弾いているという、パチもん風のクリップはいかが?

The Beatles - I Want to Hold Your Hand


問題は日本だ。わたしは小学生で、明瞭な記憶がないのだが、日本でも、イギリスから直接ではなく、アメリカでの爆発的ヒットを受けて、64年からビートルズが売れるようになったのだと思う。わたしのビートルズの記憶は、近所のバーから毎夜流れてくる、She Loves Youからはじまっている。むろん1964年のことだ。

64年の5月だったか、権利をもつ米キャピトル・レコードの前年までの無関心(「イギリスのものは売れない」)が祟って、あるいは、考えようによってはそれが「幸いして」、ビートルズの初期楽曲の限定的リリース権を得ていた複数の会社(ヴィージェイ、スワンなど)が、いましかないと、よってたかってシングルをリリースした結果、ビルボード・チャートの1位から5位まで、すべてビートルズのシングルという、奇々怪々空前絶後の現象まで起きる。

なんて説明しても、あの熱狂を知らない人にはあまり意味がないだろうと、ここでしらふになった。ロバート・ゼメキス監督の処女作、ビートルズのエド・サリヴァン・ショウ初出演の日の騒動を描いた『抱きしめたい』でもご覧になった方がいいだろう。

大滝詠一がその熱狂に巻き込まれたのはよくわかる。しかし、のちにミュージシャンになる人間なのだから、単純な一直線の熱狂ではなかったに違いない。

The Beatles - From Me to You


大瀧詠一は、このころに2パート・ハーモニーの面白さを知ったのだろうか。だとすると、エヴァリー・ブラザーズはどうなるのか。62年から64年までのどこかですでに聴いていたのか、それとも、もう少し時間がたってから、さかのぼっていったのか。

考えてもわかることではないのだが、あのころにエヴァリーズを聴いていたとしたら、なんだろう。50年代の大ヒットか、それとも新しいシングルか。

ツイッターで知った、わたしにはありがたい年上の友人(と呼ばさせていただく)であるカズさんは、わたしが幼くてなにも知らなかったころのことをよくご存知で、エヴァリーズはこの曲が懐かしいとおっしゃっていた。

The Everly Brothers - Walk Right Back


WB移籍後のもので、これがちょうど61年のヒット、大瀧詠一もこれを耳にしていた可能性がある。しかし、山勘だが、本格的にエヴァリーズを聴いたのは、もう少し後年のことではないだろうか。

60年代中盤の大瀧詠一の頭にあったハーモニーは、ビートルズであり、ピーター&ゴードンであり、デイヴ・クラーク5であり、サーチャーズだったのだろうと、やはり思う。

このシリーズではそういう想定に添って曲を並べてきたのだが、一歩引いて、アメリカのグループの2パート・ハーモニーを見落としている可能性はないかと考え、思い浮かんだものもないわけではない。

The Cyrkle - Red Rubber Ball


サークルはブリティッシュ・ビートの影響が濃厚だったグループで(ほかならぬブライアン・エプスタインのネムズがマネージしていた)、イギリス勢を強く意識すると、ハーモニーも当然、このようなスタイルになるわけだ。

アメリカのフォーク・ロックは、基本的には「ビートルズの息子」だった。バーズのロジャー(当時はジムだが)・マギンは、アコースティック12弦をもって歌うフォーキーだったが、ビートルズのA Hard Day's Nightを見て、こんなことをやっている場合ではないと、エレクトリック12弦を買った。

ついでに云えば、バーズはサーチャーズにおおいなる借りがあると、クリス・ヒルマンは証言している。

曲はアメリカ産、ジャッキー・デシャノンが書き、自分で歌ってヒットさせたものだが、サーチャーズのカヴァーもヒットした。

The Searchers - When You Walk in the Room


もちろんボブ・ディランも同じで、彼がアコースティックからエレクトリックにシフトしたのも、ビートルズを見て、かつてのエルヴィス・ファンの血がよみがえったからだ。

バンジョーをもってジャグ・バンド・ミュージックをやっていたグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアやボブ・ウィアも、A Hard Day's Nightのせいで、エレクトリックなバンドへとシフトした。

いっぽうで、バーズの出現とフォーク・ロックの誕生を見たビートルズは、その動きに同調して、アコースティックな音へとシフトしたRubber Soulをつくる。

アメリカ音楽の直接の子供として生まれたブリティッシュ・ビートが、こんどはアメリカのミュージシャンに強い影響を与え、アメリカ音楽が変化していき、それがまたイギリスに跳ね返るという、大きな振幅のトランス・アトランティックな波動を、この時、われわれ日本人も目撃した。

この経験が、新しい受取手を生むのは即時のことだったけれど、新しい作り手を生むには、いや、少なくとも、目撃したことを深いところにまで落とし込み、そのうえで、浮かんできたものを掬い取ってみせられる作り手を生むには、時間がかかった。

終われるというのは、とんでもなく甘い見通しだったようで、さらに「続はっぴいえんど」という事態になってしまった。

はっぴいえんどは、昔懐かしい音楽をやろうとしたのではなく、時代の最先端をいく音をつくろうとしたのだ、という大事なことを強調するのも忘れてしまったし。

「来るよ、また来るよ」(大瀧詠一「台風」)


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by songsf4s | 2014-01-23 23:12 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その17
 
はっぴいえんどにはもう一枚スタジオ・アルバムがある。『HAPPY END』というタイトルで、デビュー盤の『はっぴいえんど』(通称「ゆでめん」)と対になっている。というか、ややこしいな、であるが。

当時読んだもののうろ覚えの受け売り、いや、そのやり損ないにすぎないが、はっぴいえんどは消滅し、すでに別々のプロジェクトをスタートしていたのに、アメリカでアルバムを録音しないかという話がもちあがったのだという。

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いまなら、アメリカで録音できると云われても、それほどのことでもないだろうが、当時はやはりちょっとしたことだっただろう。彼らがもう一度、一緒に音を出す気になったのもわかる。

しかし、話が急すぎて、ソングライター大瀧詠一は、大滝詠一ソロ・デビュー盤(タイトルは『大瀧詠一』、と話をどんどんこじらせてみる)の直後で、曲のストックはゼロ、細野晴臣は予定されていたソロ・デビュー盤のために用意した曲を流用するという苦しさ。大瀧詠一のストック・ゼロは結果を左右したと思う。

大瀧詠一が書いたのは単独作2曲、共作1曲。そのうち単独作(作詞は松本隆)2曲を以下に。

はっぴいえんど「外はいい天気」「田舎道」


どちらも悪い曲ではないが、かといって、これはいいなあ、ということもない。ストレートなコード進行で、楽曲にひねりがないばかりでなく、トラックおよびヴォーカルのアレンジもあまり工夫は見られず、きちんと仕上がっている細野晴臣の三曲とは対照を成している。

これは記憶違いかも知れないが、他の三人が録音しているあいだ、大瀧詠一はホテルで曲を書いていたのだったと思う。だから、書けた時には、オーヴァーダブでここをこう補強して、なんていう余裕はなく、ストレートに録って、「はい、OK」しかなかったのではないだろうか。

いや、大滝詠一がどうこうではなく、昨日の天ぷらあげっぱなし、解散したバンドが、よりによって解散直後に、また一緒にきびしい共同作業をすることに、そもそも無理があったのだと思う。

はっぴいえんどのデビュー盤は、細く痩せた音が残念でならず、もっといい環境で録音できるようになればいいのに、と願った。『風街ろまん』で、その願いはほぼ叶った。「抱きしめたい」のイントロの太いベースの音にはドキドキした。

つまり、非日本的な、アメリカ的な抜けのよい音を望んでいたわけで、最後のアルバムでついにアメリカそのもので録音することになり、満願成就、めでたい、のはずだったのだが。

わかったのは、「アメリカ的な音」というのは、とほうもない幻想だった、ということだ。最後のアルバムの最後の曲、はじめてメンバー全員の共作というソングライター・クレジットが付された曲も、そのことをわれわれに云おうとしたのだろう。

リード・ヴォーカルは大滝詠一、愛の手、もとい、合いの手は細野晴臣、アレンジとピアノはヴァン・ダイク・パークス。録音はサンセット・サウンド・リコーダー、ハリウッド、キャリフォーナイエイ。

はっぴいえんど「さよならアメリカ、さよならニッポン」


スペンサー・デイヴィス・グループの、というか、スティーヴ・ウィンウッドのGimme Some Lovin'のように、スタジオでゴチャゴチャやっているうちに、自然にリフ(というか、この曲の場合はコード・パターン)ができて、Hanky PankyBalla Ballaのような、シンプルな歌詞、というか、どちらかというと呪文のようなものを、そのコードに載せてみた、といった趣だ。

この「呪文」は、たとえでもなんでもなく、まさしく呪文だった。

録音に参加したローウェル・ジョージは、歌詞の意味をたずね、日本もアメリカもダメなら、メキシコにでも行くか、と云ったそうだが(ここで、シナトラの声でSouth of the border, dowm in Mexico wayが流れると云いたいが、ローウェル・ジョージはメキシコに薬物を買いに行く曲、Willin'を書いている!)、むろん、そういう問題ではないわけで。

このシリーズのどこかの回(忘れてしまったのでurlは略!)に書いたことを繰り返すが、はっぴいえんどは「家を飛び出してしまったバンド」だった。

はっぴいえんど「春よ来い」


それまでの日本の音楽シーンにない音を、しかも日本語の歌詞で、という意図だったはずで、仮にはっきりと見えるものをあげると、ハード・ロックでもなければ、フォークでもない、まだ誰もやっていない音楽を目指したのだと思う。

ワーキング・モデルとなったのは、おもにバッファロー・スプリングフィールドとモビー・グレイプ。前者はLAベースで録音はハリウッド、後者はサンフランシスコ・ベースで、スタジオはどこだったか、グレイトフル・デッドと同じように、はじめはハリウッドだったと思う。

つまり、カリフォルニアの音なのだ。北は湿気があり、南は一年中温暖で後背地には広大な砂漠が広がり、アヴォカドが自生するような土地柄。東部からやってきた映画産業が乗っ取るまでは、ハリウッドには果樹栽培農家が点在していた。

たぶん、はっぴいえんどの四人も、わたしたち60年代の日本の子供と同じように、少なくともスタートの時には、「乾いた音」を欲していたのではないだろうか。

解散を決めた直後だったにもかかわらず、ハリウッドで録音しないかというオファーを受け入れたのは、いろいろな理由があっただろうが、なんといっても、カリフォルニアの音が彼らの出発点だったからだと思う。

そして、そのバッファロー・スプリングフィールドがセカンド・アルバムを録音した、サンセット・サウンド・リコーダーでじっさいに音を録ってみたら、スタジオのせいばかりではないはずだが、「なにかが違う」「ここではない」という感覚があったのだろう。

「春よ来い」で、日本にさようならを云ってから、三年のあいだ音を鳴らしつづけ、最後に彼らの音の故郷であるはずの南カリフォルニアで音を出したら、「ここではなかった」のだ。

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(参考 「サンセット・サウンド・リコーダー社史ページ」 いきなりトゥーティー・カマラータとアネットの写真が掲げられていることがそれを示唆しているが、サンセットはディズニー・プロダクションの音楽録音部門としてスタートした。世界の最先端をいく独立スタジオがあったハリウッドとしては、とくに目立つスタジオではないが、生き残ったことにはおおいなる価値がある。)

いや、彼らのことはわからない。しかし、このLPを聴いた当時のわたしは、「アメリカじゃなかったんだ」と納得した。

はっぴいえんどがどこかに存在するとしたら、あの「ゆでめん」の横町のどこか、あるいは『風街ろまん』の中ジャケ、宮谷一彦が描いた、まだ路面電車の走る麻布の町か、はたまた「緋色の帆を掲げた都市」のどこかだったのだろう。

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結局、大滝詠一は、おそらくは時間の余裕がなかったせいで、最後のアルバムではハーモニーで楽しませてくれなかった。いや、2パートの風変わりなラインをつくることは二度となかった。

「はっぴいえんどの大滝詠一」のことはこれでEND、次回は、フィル・エヴァリーからはじまったこの話に、べつに幸せでもなければ、とりたてて不幸せでもない結末をつけよう。

今日は音が少なかったので、せっかく名前を出したご縁、最後におまけとしてクリップを二つ。

Frank Sinatra - South of the Border


Little Feat - Willin'

(ローウェル・ジョーズというより、なんだか、はっぴいえんどで歌う大滝詠一のようだ。あはは。)


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by songsf4s | 2014-01-22 22:19 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その16
 
今日はエンディングに入るような予告をしてしまったが、あまり時間をとれなかったので、箇条書き的にいくつか小さなことを並べる。

しかも、大滝詠一のことというより、はっぴいえんどのことを。ファイナル・ストレッチに入る前の小休止、お中入り、箸休めとお考えいただきたい。とりとめのない話になること必定の夜。

『風街ろまん』のリミックス盤というのを聴くことができた。tonieさんのお話では、どちらかというとファンには不評だったそうだが、それも無理ないか、というほど、ドラスティックな変化で、聴きながら何度か、「ええっ」と声が出た。

たとえば、「風をあつめて」はファースト・ヴァースからオルガンが入っている、といった明白な違いもあるのだが、なによりも、ミックスが異なり、ステレオ定位が異なり、各音の分離がまったく異なっていることに驚かされる。

このシリーズの「その13」で「春らんまん」のヴォーカルは、ハーモニー上=大滝詠一 メロディー(中)=大滝詠一、ハーモニー下=細野晴臣のように聞こえると、確信なさげに書いた。

オリジナル・ミックスでは、ヴォーカルは3パートともすべて右チャンネルにまとめられているという団子状態、しかしリミックスでは、下のハーモニーは左チャンネルに振られていて、おかげで、やはりこれは細野晴臣、残りは大滝詠一と確認できた。

いちばん驚いたのは「暗闇坂むささび変化」だった。

サンプル 「暗闇坂むささび変化」リミックス

問題はベースである。ラインではなく、トーンと弾き方である。細野晴臣は人差し指と中指によるフィンガリングの人だと思っていたが、この曲ではフラット・ピッキングか、または爪で引っかけての親指フィンガリングでやっている。

なぜそうなったのかというと、フィル・レッシュ・スタイルを模してみたからではないだろうか。このシリーズの「その10」でこの曲を取り上げた時、元になったと考えられるグレイトフル・デッドのFriends of the Devilにふれた。

Grateful Dead - Friend of the Devil (Studio Version)


デッドのフィル・レッシュはデビュー以来ずっと一貫して、現在もフラット・ピッキングでプレイしている。一音一音をはっきりと出すのが好みのようだが、とりわけ初期は、ジェファーソン・エアプレインのジャック・キャサディーが好きだというとおり、キャサディー・スタイルのトレブルの強い音でやることが多かった。

これは細野晴臣とは正反対といえるほど違うのだが、しかし、「暗闇坂むささび変化」では、じつは、誰が聴いても、ジャック・キャサディー=フィル・レッシュ・スタイルと感じるトーンで、しかも(たぶん)フラット・ピッキングでプレイしていたことが、リミックスで判明した

ここまで念を押す必要はないのだが、なんなのだろうか、やはり誠実さなのだろうか、デッドのFriend of the Devilとの近縁性を、ベースによっても強調していたのである。

しかし、それがオリジナル・ミックスでは、いつものようにフィンガリングでやったように思えるトーンになっているわけで、ここがまた不思議ではある。ミックス・ダウンの際に、やはりいつものようなやわらかい、すこしくぐもったようなトーンのほうがいいと判断し、加工したということだろうか。

ちょっと斜めの方向に連想が流れた。大瀧詠一作曲で、いずれも1976年リリース。最初の吉田美奈子盤は村井邦彦プロデュース。

吉田美奈子「夢で逢えたら」


つぎは同じ曲のカヴァー。こちらの編曲は大瀧詠一(ベーシック・トラック)と山下達郎(弦と管)、プロデュースは大瀧詠一。なお、ずいぶん昔のことだが、歌手の時は略字で「大滝詠一」、それ以外の作曲、執筆などでは正字の大瀧詠一という使い分けだと書いていたのを読んだ記憶があるので、このシリーズではそれにしたがっている。

シリア・ポール「夢で逢えたら」


吉田美奈子は素晴らしい歌いっぷりだし、シリア・ポールはなんとも可愛らしい。ジョーニー・サマーズとシェリー・ファブレイの対照のようだ(呵々)。

いや、サウンドの話である。昔、これを聴いた時、ダイナミック・レンジの狭いラジオだったこともあって、ストレートにフィル・スペクターを想起した。

いま聴くと、そんな単純な話ではないのだが、まあ、とにかく、若造はそう思ったということで、いちおうロネッツを。ドラムはもちろんハル・ブレイン、ストリング・アレンジメントはジャック・ニーチー。

The Ronettes - Be My Baby


吉田美奈子盤のカスタネットはやはりフィル・スペクターの引用だろうけれど、ハンド・クラップはあるいはレスリー・ゴアの時のクラウス・オーゲルマンのアレンジから来ていたりする可能性も感じる。

いや、ハンドクラップなんてめずらしくもないから、60年代初期のガール・グループ/シンガーの音の記憶総体、と考えるべきだろうが、まあ、とにかく、彼女の曲を。ドラムはおそらくゲーリー・チェスター。

Lesley Gore-That's The Way Boys Are


ハル・ブレインのように、フェイド・アウトでキックの2分3連踏み込みをやっているが、やはり、「ヘイ、ハル、借りたぞ」という呼びかけだろう。呵々。

大滝詠一は、ソロ・デビューでフィル・スペクターのDa Doo Ron Ronを下敷きにした「うららか」を録音した時はおろか、この76年の時点でもまだ、フィル・スペクターのサウンドを掘り下げてみよう、とまでは考えていなかったのではないだろうか。

あるいは、この方向に添って探っていけば、どこかに突き抜ける道が見つかると考えるようになったのは、このシリア・ポール盤を録音した直後あたりからなのではないかと、根拠なしに思ったりする。

そこが、フィル・スペクターのすぐそばにいて、スタジオでフィルがなにをしているかを見てしまったブライアン・ウィルソンとの違いではないだろうか。

ブートからの切り出しでちょっと音質はよろしくないが、ブライアン・ウィルソン作編曲プロデュース。

サンプル Sharon Marie - Thinkin' 'bout You Baby

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シャロン・マリーとビーチボーイズ。ひとり足りないが!

いま聴けば、Todayへの前奏曲、ひいてはPet Soundsも地平線に姿をあらわしている、という管の使い方だが、この時のブライアンの意図は、どうやればフィル・スペクターのような効果を得られるかという考察の、最初の素案というあたりだろう。

つぎも同様の、外部プロダクションでのスペクター・サウンド研究論文とでもいうべき一篇。ブライアン・ウィルソン作編曲プロデュース。のちにビーチボーイズも同じトラックを流用して歌ったが、当時はリリースされなかった。

The Castells - I Do


連想があちこちに跳弾しただけのことで、なにかまとまった結論があるわけではない。

大瀧詠一のサウンド・プロダクションにおける、英米音楽との向き合い方というのを考えつつ、ずっとこのシリーズを書いてきたのだが、「暗闇坂むささび変化」リミックス・ヴァージョンにおける細野晴臣の真っ正直なコピーぶりに接して、またひとつ、考える素材が増えたのだった。


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by songsf4s | 2014-01-21 22:56 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その15
 
(承前)
「それは僕ぢゃないよ」はやや変わった構成で、ヴァースAーコーラスーヴァースBという固まりを、インストゥルメンタル・ブレイクをはさんで2回繰り返すようになっている。

ヴァースAとBというのは便宜的に名付けただけで、いま、ジム・ウェブの本ではこういう構成をなんと呼んでいたかと記憶をたぐってみたが、思いだせない。

仮にAとBとした2種類のヴァースのように聞こえる部分は、お互いによく似ているのだが、メロディーもコードも部分的に変えてある。

大滝詠一「それは僕ぢゃないよ」

LPヴァージョンのクリップは削除されたので、かわりにシングル・ヴァージョンを貼り付けた。こちらは歌詞が異なるし、メロディーやハーモニーも異なっている箇所があると思う。しかし、記事本文を書き換えるのは手間がかかるので、「半採譜」はLPヴァージョンのままにしておく。どうかあしからず。

以下は、そのヴァースB、コーラスのあと、インストゥルメンタル・ブレイクの前におかれたパート。前回同様、上段がメロディー、下段がハーモニー。

ぼくはきみのむねのなかに
A-C-C-C-C-C-C-D-C-A-G-F
C-F-F-F-F-F-E-F-F-F-D-C
かおをうずめて
Bb-Bb-Bb-F-D-D-C
D-D-D-Bb-Bb-Bb-A
あさのものおとに
C-C-E-D-D-C-C-Bb
E-D-G-G-G-F-F-E
みみをすませている
Bb-A-G-Bb-Bb-A-G-A
E- D-C-D- D- C-C-C

いやはや、メロディーがみごとにお経なので、いきおい、ハーモニーも必然的にお経状態、ただし、「むね」の「む」のところだけ、Eに下がっているように思えたので、そう書いてみたが、空耳のたぐいかもしれない。

このパートでも、やはりBbにジャンプするところ(「うずめ」)が印象的で、自分で歌う時も、ここを失敗すると元も子もない、キメるぞ、と思う。呵々。

以上、「それは僕ぢゃないよ」のハーモニーの特長は、

1 メロディーのせいでもあるが、シングル・ノートに近い「お経ライン」が多い
2 ハーモニーをつけるのがむずかしいところでも、強引につけた部分がある
3 ときおり豪快にハイ・ノートに跳び上がる。

お経のように音程の動きの小さい、そして、しばしば8分などの連続で音長の変化もないハーモニー・ラインというのは、このシリーズの第一回で取り上げた、ピーター&ゴードン、デイヴ・クラーク5、サーチャーズといった、初期ブリティッシュ・ビート・グループのスタイルに近似している。

いや、以前からそのような道筋で捉えていたからこそ、このシリーズを書きはじめたわけで、こうならなかったら、方針を立て直さなければならず、すごく困るのだが!

もう一曲、大滝詠一のソロ・デビューからのものを。

大滝詠一「水彩画の町」


たまたま、「おもい」「それは僕ぢゃないよ」、そしてこの「水彩画の町」と、かつてフォーキーであった時代を回顧したような曲が並んだが、作者にそういう意図があったのかどうかは知らない。

この曲では、2パート・ハーモニーは一カ所だけなので、話は長引かない。

といって、泥縄でテキトーにコードをとって歌ってみた。以下のコードは忘れないように書くにすぎず、合っているという保証はないので、よろしく。

そんなにすますなよ
Am      Dm7
打って欲しいんだから
Em      A
相槌ぐらいは
Bm  Em F

ハーモニーがあるのは、この「相槌ぐらいは」のところだけである。

          あいづちぐらいは
メロディー(下) B-B-B-C-B-B-B-C
ハーモニー(上) E-E-E-G-E-E-E-F

人それぞれ異なる印象を持つと思うが、メロディーとハーモニーと書きはしたものの、実体は逆ではないかと感じる。

たんに、それまでメロディーを歌っていたチャンネルの声がそのラインを歌っているので、メロディーと書いただけで、じつは、ここで下のハーモニーに下がったのだと思う。

なぜ、ここだけハーモニーが加えられているかというと、メロディー・ラインを別のトラックに引き継がせるための処理だと思う。

それまでメロディーを歌っていた声をフォールセットにして、そのままメロディーを歌わせればいいのに、なぜ変則的な処理をしたか。

ひとつは、地声とフォールセットの切り替えが、この曲の場合は、うまくいかなかったから、という理由が考えられる。地声との行き来は、面白い効果を生むこともあるが、たんにミスのようにしか聞こえないこともある。

もうひとつの理由は、こちらのほうが重要だが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーのパートの入れ替えの記憶だろう。この箇所がうまく歌えなくて迷った時に、ビートルズがしじゅうやっていた、ジョンがいきなり「下に潜る」処理を思いだしたのではないかと想像する。

典型的な「ジョンの潜り込み」を示す。

The Beatles - No Reply


コーラス部、「ノー・リプライ!」とシャウトするところは、それまでメロディーを歌っていたジョン・レノンが下のハーモニーになり、ポール・マッカートニーがハイ・ノートのメロディーを引き継ぐ。これが典型的なビートルズ前期のスタイルである。

大滝詠一というのは、このように、ハーモニーによって、「おや」とか「あれ?」と思わせる聴かせどころをたくさんつくって、楽しませてくれる人だった。

当時、聴きながら、このハーモニーはDC5スタイル、こっちはビートルズ・スタイル、などと意識したわけではない。ただ、かつてよく知っていた、楽しい音楽のぼんやりした記憶を刺激されただけだ。

このシリーズは、そのぼんやりしたものの正体を突き止め、それを採譜によって実証しようと考えて書きはじめたものである。

いちおうある曲のクリップのurlをコピーしておいたので、以下におまけとして置く。大滝詠一ソロ・デビューとちょうど同じごろにリリースされた、トッド・ラングレンのアルバム、Something/Anythingから。

Todd Rundgren - It Wouldn't Have Made Any Difference


これも、変なハーモニー・ラインだなあと、思いきり耳を引っ張られた。コーラス部のBut it wouldn'n have made any differenceの上のハーモニーだ。こんなラインでやろうと思うシンガーは、世界にあとひとり、大滝詠一ぐらいしかいなかっただろう。

トッド・ラングレンは、彼の最初のバンド、ナズを聴けばわかるが、「遅れて来た国籍違いのブリティッシュ・ビート野郎」だった。

大滝詠一と同じく、彼も初期ブリティッシュ・ビートをいやと云うほど聴いた結果、こういうイレギュラーなハーモニーをやってしまったのだろう。

本日はここまで。そろそろ終わりは近い。あと一回か、二回で「えんど」となるだろう。


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by songsf4s | 2014-01-20 22:00 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その14
 
まだはっぴいえんどのラスト・アルバムが残っているのだが、記憶では先に大滝詠一のソロ・デビューを聴いたはずである。ディスコグラフィーを見ると、やはり、そういう順序らしいので、今回はそちらへ移動する。

あのあたりの記憶は錯綜しているのだが、大滝詠一ソロがリリースされた時点では、まだはっぴいえんど解散ということにはなっていなかったと思う。

ただし、ラスト・コンサートとか解散コンサートなどと云われている73年9月の文京公会堂は、わたしの記憶のなかではワン・ショットの「再結成コンサート」になっている。

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あの時、どう呼んでいたのであれ、わたしは、もうだいぶ以前にバラバラになっていたメンバーが、一晩だけ、また一緒にやるコンサートだと思って見に行った。

じっさい、はっぴいえんどとしてのプレイもしたが、大滝詠一とココナッツ・バンク、キャラメル・ママ、ムーン・ライダースも登場したわけで、それぞれが、すでにべつのプロジェクトをやっていた。

そもそも、あの会場の熱気は、もう見られないと思っていたバンドを、一晩かぎりのことだが、もう一度だけ見られる、という喜びから来たものだろう。後にも先にも、人が入り切らなくて、通路に補助椅子をびっしり並べたライヴというのは、あの73年9月の文京公会堂しか知らない。

たぶん、73年に入ってほどなく、春ごろだろうか、なんらかのアナウンスがあったのではないだろうか。

どうであれ、大滝詠一のソロ・アルバムのリリースは、はっぴいえんどがすでに過去のプロジェクトとなりつつあることを、ぼんやりと示唆するものだった。

そのデビュー盤のオープナー。

大滝詠一「おもい」


ディミニッシュでマイナーにしたり、その対句のようにオーギュメントを使うという、まるでシュートとスライダーで揺さぶる投球のような、直球中心のポップ・ミュージックでは少数派に属するコード進行パターンで、こういうのもやってみたかったのだろうなあと思う。

ハーモニーにバリトン・パートがないのは、ビーチボーイズに通じるのだが、もう少し向こう側も考えていたのかもしれない。ビーチボーイズもカヴァーした曲だが。

The Four Freshmen - Graduation Day


大滝詠一といった時、わたしの頭の中に流れる曲はいくつかあるが、筆頭はこの「おもい」である。大滝詠一というシンガー、あの時代、あの時の自分、あの時の出来事が、この一曲にからまって重層的によみがえる。

しかし、変則的ハーモニーではなく、オーソドクスな、古典的スタイルのヴォイシングなので、分析欲はそそられないし、ギターをもって歌う時も、ハーモニーのことは気にしたことがなく、ソロのバラッドと見なしていた。

ハーモニーの面で驚いたのは二曲目、というか、「おもい」は前奏曲のような雰囲気があり、実質的には一曲目だと思うが。

大滝詠一「それは僕ぢゃないよ」

この記事をアップした時に貼り付けておいた、LPヴァージョンのクリップを失礼にも削除した団体があり、かわりにシングル・ヴァージョンを貼り付けたが、こちらは歌詞が異なるし、メロディーやハーモニーも異なっている箇所があると思う。しかし、記事本文を書き換えるのは手間がかかるので、「半採譜」はLPヴァージョンのままにしておく。当方の責任ではないので、どうかあしからず。

いやはや、これはもう、「なんだよ、上のラインはどうなってるんだ、どこを歌ってるんだ」だった。

ヘッドフォンで繰り返し聴き、わかるところは上のラインをなぞって歌ったが、今日の今日まで、よくわからないところがたくさんあった。

以下に、音長抜き、音程のみの「半採譜」を書く。これは、一緒に歌ってくれ、ということではなく、ここは変だ、妙なところにジャンプした、と感じる箇所が、じっさいのピッチとしてはどうなっているかを(お読みになっている方ではなく、自分が)考える土台にしようとしたものにすぎない。

したがって、過去に一緒に歌ってみたことがある人はべつとして、みなさんは気にせずに流していただきたい。後段で改めて、どこがとんでもないかを示す。

ファースト・ヴァースはソロ・ヴォーカル、そのつぎから、大滝詠一自身のオーヴァーダブによる上のハーモニーが入ってくる。以下、「メ」はメロディー、「上」はハーモニーである。その注記も途中から省略した。可能な限り間違いは取り除いたが、まだかなり残存するものと思う。どうかあしからず。

  ほっぺたのべにを
メ A-C-C-C-D-C-A-G-F
上 C-F-F-F-F-F-F-D-C
  とかしながら
メ F-Bb-Bb-F-D-C
上 C-D-D-Bb-Bb-A
  きみはねむっている
メ A-C-C-C-C-E-D-C
上 C-E-E-E-E-G-F-E
  とてもきもちよさそう
メ C-C-Bb-Bb-Bb-Bb-A-G-F
上 E-E-D- D- D- D- C-C-C

一行目からして、ハーモニーはお経である。メロディーも動きは小さいが、ハーモニーはそれに輪をかけて動かない。ファの6連打!

しかし、そのおかげで、とかし「なーが」らのBbへのジャンプが鮮烈に響く。ここはメロディーも高くジャンプするので、やむをえない選択だったのだろうが、なんとまあ、よくやるよ、である。

多数派は、ここは単独ヴォーカルを選択するだろう。こういうところを強引に押し渡るのが、はっぴいえんどからソロ初期にかけての大滝詠一の大きな魅力だった。

細野晴臣がラジオで、大滝くんはビージーズの物真似が上手くてね、と云っていたが、そのディクションというか、ヴィブラートの使い方と、独特の発声が、この曲には強く表れている。

そのヴィブラートと、口の中に押さえ込むような発声が、「とても気持よさそう」のラインに心地よい響きを与えている。

また用語がややこしくなるが、つぎはヴァースではなく、コーラス・パート。ハーモニーのことではなく、楽曲構成上の「コーラス」部分である。

まぶしいひかりのなかから
A-Bb-Bb-Bb-F-F- D- D-C-C-C
C-D- D- D- F-Bb-Bb-F-F-F-F
のぞきこんでいるのは
A-Bb-Bb-Bb-A-G-G-A-A-C
C-D- D- D- C-C-C-C-C-F
それはぼくぢゃないよ
E-E-E-E-F-E-D-C-C
(ハーモニーなし)
あれはただのかぜさ
D-D-G-F-F-E-E-D-E
          C(high)

「の中から」がいちばん不可解で、採譜しにくかった。はっきりとは聞こえないのだが、二回のオーヴァーダブをやったように感じられる。

ひとつは「まぶしい光」のみ、もうひとつはそれ以後の部分、というように、分離して聞こえるのだ。

ひ「かり」でBbまでジャンプするので、そのあと、「の中から」でFに下ろすところがうまくいかず(フォールセットから地声に戻さなくてはならない)、分割して録音したのではないか、などと七面倒な想像をしてしまう。それくらい、ここは音が聞き取りにくかった。

そのあとのハーモニーは例によってお経ラインがつづき、「それは僕ぢゃないよ」のところで、ハーモニーを消し、単独ヴォーカルにする。タイトルになった部分の歌詞を目立たせる狙いなのだろう。

しかし、最後のかぜ「さ」だけに加えられる、高いド一音のみのハーモニーにはビックリする。

作者、アレンジャーの狙いは、まさに「ビックリさせる」ことなのだろうが、もうひとつ、ここにドの音を置いた意味があるように感じる。

メロディーは「ミ」Eで終わっている。コピーしていて、うっかり「ド」Cと書いてから、間違っていることに気づいた。なぜ間違えたかというと、ミで終わると落ち着きが悪く、ここのコードはCなので、自然にドに行ってしまったのである。「終止感」の問題だ。

それで、ハーモニーでドを加えて、終止感をつくろうとしたのではないかと想像する。たんに、その落ち着きをよくするはずの音が、とんでもない高さだっただけである。

いや、そのとんでもない音を、これは面白いといって、使ってしまうところが、大滝詠一という人のおおいなる魅力なのだが。

「それは僕ぢゃないよ」はまだつづくのだが、コピーだけで十分に手間取ったし、細部を検討してみると、やはり話は簡単ではないので、残りは次回へと持ち越させていただく。

自分で歌ってみようかという方は、ギターコードについては、以下のページを参照されたい。

「おもい」コード譜

「それはぼくぢゃないよ」コード譜


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by songsf4s | 2014-01-19 22:36 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その13
 
まじめにハーモニーをとると、閑話の余裕はなくなるので、寄り道はなし、本日はさっそく本題へ。

「夏なんです」のつぎは鈴木茂の「花いちもんめ」。これはたぶんハーモニーも鈴木茂自身が歌っていて、大滝詠一の声は聞こえない。好きな曲ではあるけれど、通過。

そのつぎは細野晴臣がフォールセットで歌う(スモーキー・ロビンソン風に歌ったという意味で、たしか「スモーキー・ヴォーカル」とクレジットにあったと思う)「あした天気になれ」で、これもハーモニーは作者自身だろう。

そして大滝詠一の「台風」。なかなか面白い曲だが(鈴木茂がジミヘンしちゃう!)、ハーモニーの興味はない。

そしてやっと大滝詠一のハーモニーがある「春らんまん」にたどり着く。ちょっとコピーをネグッていたし、この曲はいままでのものと異なり、ほぼストレートな3パートなので、そういうのもあるということを示す意味もあって、冒頭をコピーしてみた。

はっぴいえんど「春らんまん」


この曲のハーモニーは、ライン自体は複雑でもなければ、イレギュラーでもないのだが、確信はないものの、メロディーと上のハーモニーは大滝詠一、下のハーモニーは細野晴臣という組み合わせのようで、そこは変則的である。

コードはD、A、Gだけ。ヴォーカル・ラインもDメイジャーのスケールに収まっている。なお、このシリーズでは音程をドレミで書いてきたのだが、どうにもまだるっこしいので、C、D、Eに切り替えた。あしからず。

  むこうを ゆくのは お は る じゃないか
上 D- D- F#-G-G-F#-E-D- D- D- F#-F#-F#-F#
中 A- A- D- D-D-Db-B-A- A- A- D- D- D- D
下 F#-F#-A- B-B-A- G-F#-F#-F#-A- A- A- A

  はく じょなめつきで しらんかお
上 F#-E-D- E-D- E- F#-E-D- D- D- D
中 Db-B-A- B-A- B- Db-B-A- A- A- A
下 A- G-F#-G-F#-G- A- G-F#-F#-F#-F#

ちょっとあやふやなところはあるが(その場合は素直にコードから考えていった)、だいたいこのようなラインだろうと思う。メロディーがハーモニーのようなラインにいってしまうところ(「知らん顔」)で、かなりイレギュラーな感触があるが、それ以外は、このままギターのコード・プレイになりそうな三和音を構成している。

ただ、メロディーとそれぞれの音域から選択されたのだろうが、結果的にちょっと変わったヴォイシングになったといえるかもしれない。素直なはずなのに、ビートルズのThis Boyのような感触はなく、また変なラインになっているのではないかと疑わせる響きだ。呵々。

これまでの流れからそれるスタイルだが、これは気分のいいハーモニーで、あの時代の文脈でいうなら、大部分の日本のバンドは、こういう当然の処理もきちんとやってくれなかった。

また、イントロのサウンドおよびグルーヴは、はっぴいえんどの全カタログのなかでも三本指にいれるほど好ましいと感じる。ベース、キック・ドラム、アコースティック・ギターのコードが一体になったグルーヴは気持がいいし、ハーモニカの音が重なった響きも、おお、と思う。

「はいからはくち」同様、この曲にもスロウ・ダウンしたコーダがついているが、これは出所が明白である。バンジョーという傍証まで付けておいてくれたのだから、間違えようがない。

Buffalo Springfield - Bluebird


その後、あまり聴かなくなってしまったが、バッファローを知ったころは、この曲が大好きだった。スティーヴ・スティルズのオープン・チューニングのアコースティック・ギターのプレイがなんともいえず魅力的だった。アコースティック・ギターをこんなにワイルドに弾く人ははじめてだった。

はっぴいえんどが初期にこの曲をライヴでやっている。オリジナル曲がそろうまではレパートリーにしていたのではないだろうか。

はっぴいえんど(ヴァレンタイン・ブルー)「Bluebird」


はっぴいえんどではなく、バッファローのほうのBluebirdの1:30あたりからスティルズがギターで繰り返す、A-B-D-Dというリックも、はっぴいえんどはすこし変形し、デビュー盤で引用している。

はっぴいえんど「続はっぴいえんど」


「春らんまん」のあとにあるのは、五十音をモティーフにした歌詞の「愛飢を」で、これこそ独立した曲と云うより、カーテンコールのような趣で、「春らんまん」は事実上のエンディングと云っていいだろう。

デビュー盤の最初の曲が「春よ来い」で、セカンド・アルバムの事実上のエンディングが「春らんまん」という曲になったのは、むろん意図的なことだろう。

はっぴいえんどは、ある種のメタ・ミュージックをやっていたので、歌詞にも一次元上の意味がもたせてあった。

「春よ来い」の「家さえ飛び出なければ、いまごろみんな揃って、おめでとうがいえたのに」は、意味が重層化して聞こえる。

伝統的な日本の枠組をはずれずに生きていれば、疎外感を味合わずにすんだだろうに、という意味もむろんあるだろう。

いっぽう、音楽的に云うと、「従来の日本のロックを否定しなければ」と云っているようにも思える。

彼らは既存のバンドやロック・ファンからずいぶん攻撃された。その詳細はほとんど覚えていないが(いや、いまだに根に持っている発言もあるが!)、わたしも、友人たちも、このようなバンドが出現したことを心から歓迎していたので、雑誌で見るそのような反撥はじつに意外だった。

彼らも、いくぶんの覚悟があってはじめたこと(とりわけ「日本語のロック」宣言)だろうが、それにしても、あれほど露骨な反感を示されるとは思っていなかったのではないだろうか。

内田裕也なんか、なにいってんだ、こいつは、と高校生のわたしは怒り狂った(「日本語のロックというけれど、歌詞がぜんぜん聞こえないじゃないか」)。他人ですらそうなのだから、当事者たちは、ほとほとうんざりしたにちがいない。

そして、それはボディブロウになったと思う。客は入らない、盤は売れない、日本語のロックだなんていって、全然音に言葉がのっていないじゃないか、などと「ロックな人」たちは言葉のつぶてを投げつける。これではやりきれない。

「春らんまん」の歌詞を聴くと、彼らの落胆を感じてつらくなる。「ほんに春はきやしない、おや、また待ちぼうけかーい」とは、そういう意味ではないか。意義のあることだと思ってはじめたけれど、結局、受け入れられなかった、という失意を感じる。

ハッピーか否かにかかわらず、もう、エンディングはすぐそこに迫っていた。


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by songsf4s | 2014-01-18 22:04 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その12
 
どこの土地でも聴けたわけではないらしいが、先日、ラジオ番組で細野晴臣が、大滝詠一と知り合ったころのことを回想していた。そのなかに、思わず笑いだし、ツイートしてしまったくだりがあった。

細野晴臣は、大滝詠一という「つかえる人」がいるという話をきいて、ブルース・クリエイションに客演していた彼を見に行ったところ、プレスリーの物真似をやっていて、なんだか身体を妙にくねらせていた、その後、彼が家にくることになった、そこで、さりげなくステレオの上にヤングブラッズのGet Togetherのシングルを置いておいた、と云う。

The Youngbloods - Get Together


細野家にやってきた大滝詠一は、ヤングブラッズのシングルを見ると、「おっ、ゲット・トゥゲザーだ!」と云った、と細野晴臣はうれしそうに話していた。

これは、あの時代とヤングブラッズを知らない人には、よくわからなかったのではないかと思う。

その前に「つかえる人」という言葉の問題。ここで云っているのは、時代劇で剣術使いが云う「うぬ、おぬし、なかなかつかえるな」という「つかえる」、腕が立つという意味だ。

そして、ヤングブラッズである。日本ではついに有名になることはなかった。セカンド・シングルのGet Togetherはそこそこエアプレイがあったが、ヒットというほどではなかった。つまり、知る人ぞ知る、という位置である。

だから、細野晴臣は、大滝詠一という人が、噂通り「つかえる」かどうかを試すために、ヤングブラッズのシングルを置いておいたのである。むろん、自分自身が「つかえる」ことを示すデモンストレーションでもあった。

子供のメンコ自慢(いまの子供なら、メンコではなくカードだろうけれど!)が少し進歩した程度のことだが、音楽ファン(に限らず、映画でも文学でもその他あらゆる趣味の分野のファン)の多くは、この種の経験をしたことがおありだろう。

はっぴいえんどは「つかえる人」の集まりだった。それは曲作りにも、サウンド・プロデューシングにも、ヴォーカル・アレンジにも色濃く投影された。

そして、わたしのような、中学の時にヤングブラッズに飛びついた小僧が彼らを愛したのは、その「使い手」の側面だったといっていい。

ウーアー・コーラスだけなので検討せずに飛ばしてしまった曲がある。

はっぴいえんど「空いろのくれよん」


これは昔から、バッファロー・スプリングフィールドのこの曲にインスパイアされたものと考えてきた。

Buffalo Springfield - Kind Woman


しかし、今日、聴きながらギターを弾いていて、ひょっとしたら、このシリーズですでに貼り付けた、バーズのこの曲も入り込んでいるのかもしれないと思った。同じくワルツ・タイムで、コード進行も似ている。

The Byrds - Hickory Wind (1968)


われわれだって子供の時に何曲か聴いていたのだから、ヤングブラッズをちゃんと聴いていたあの時代の「つかえる人」がバーズを聴いていないはずがない。当時は評判にならなかったアルバムだが、このSweetheart of the Rodeoだって聴いていた可能性はある。

もしそうなら、グラム・パーソンズに興味をもち、彼のつぎのバンドによる最初のアルバム、フライング・ブリトー・ブラザーズのGilded Palace of Sinを聴き、GPとクリス・ヒルマンのハーモニーのなかに、エヴァリー・ブラザーズを発見していたかもしれない……。

今日取り上げようとした曲は、すこしだけでもコピーしようと思っているうちに時間が飛び去ってしまったので、ハーモニーの検討はあきらめ、さらに「つかえる人」たちの肖像を描くことにする。

これまで、バッファロー・スプリングフィールドだの、モビー・グレイプだのと、当たり前のように名前を挙げてきたが、当時は、誰でもが聴いているというグループではなかった。

わたしの記憶と感覚に頼って書くのだが、バッファロー・スプリングフィールドは、CS&Nが脚光を浴びたあと、71年ごろに国内でアルバムがリリースされた。ポリドールがもっていたアトランティック・レコードの配給権を、パイオニアが獲得したあとのことだった。

それ以前は、シングルはいざ知らず、彼らのLPは国内ではリリースされていなかったと思う。高校生のわたしは、バッファローが出た、というので、喜び勇んで彼らの全カタログ、3枚のLPをまとめて買った。

71年だと考えるのは、はっぴいえんどのデビュー盤より「あとに」バッファローを聴いたというはっきりした記憶があるからだ。アメリカでのリリース・デイトを基準に考えると、当時の日本人の感覚はわからないのだ。

ああいうタイプが好きな人間ですら、名前を知っているだけで、アルバムを買ったことのないグループを、はっぴいえんどはそのワーキング・モデルにし、サウンドのインスピレーションを得ていた。それはわれわれには驚きであり、喜びだった。

モビー・グレイプはどうかというと、アルバムWOWについては、CBSの配給権が日本コロムビアからソニーに移ったあとだから、69年ごろのリリースだったのではないか。ジャケットは印象的だったが、あまり評判にならなかった。わたしが買ったのはずっと後年、73年のことだった。

WOWよりもデビュー盤のほうが出来がいいので、そちらから一曲。

Moby Grape - Someday


はっぴいえんどは、楽曲としてはバッファロー・スプリングフィールドの影響が強いかもしれないが、サウンドとしては、モビー・グレイプの色をより強く感じる。

むろん、英米音楽の歴史がうずたかく積み重なって、はっぴいえんどのあの音が生まれたのだが、もうひとつ、表面にもあらわれた顕著な音をあげるなら、プロコール・ハルムの影響も強かった。バッファローやグレイプとちがって、ハルムはわれわれにも馴染み深かった。

はっぴいえんど「飛べない空」


これはオルガンを使っているので、はっきりとプロコール・ハルム由来とわかるのだが、松本隆のドラミングにハルムのBJ・ウィルソンの影響が強く感じられることも見逃せない。

皮肉なことに、この曲はオルガンを使っていないのだが、69年春にリリースされた彼らの3枚目のアルバムのタイトル・カットを参考に。ドラミング設計に注意されたい。

Procol Harum - A Salty Dog


このBJのドラミングははっぴいえんどのデビュー盤のべつの曲でも引用されている。

はっぴいえんど「はっぴいえんど」


わたしは中学の時からBJ・ウィルソンの大ファンだったので、松本隆がBJに範をとったドラミングをした気分はよくわかる。ハルムのA Salty Dogの、スティーヴンソンの『宝島』のような、船乗りの物語、航海のメタファーは、歌詞においては3枚目まで尾を引くし、BJのドラミングは大滝詠一のソロに至るまで長く残響がつづくことになる。

Procol Harum - All This And More


つぎにおく大滝詠一のものは、曲調は異なるが、ドラマーの観点からは、従兄弟ぐらいの近い関係にある。

大滝詠一「乱れ髪」


プロコール・ハルムのことはさておき、コード、曲調、アレンジ、サウンド、さまざまな面で、はっぴいえんどは、「ハードロック勢」が無視した、豊穣な英米音楽のなかでも、バッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレイプなどのように、当時の日本ではほとんど聴かれていなかったグループをワーキング・モデルとして、彼らの音をパズルのように自分たちの音のなかに填め込んでおいた。

卑俗ないい方だが、結局、メンコ自慢だったような気がする。

ハードロックなんていうメンコはめずらしくもないし、興味もなかったが、はっぴいえんどが「どうだ」と並べてみせたメンコには、わたしたちは、すげえ、と嘆声を発した。そういうことだったのではないかと、いまは理解している。


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by songsf4s | 2014-01-17 23:01 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その11
 
以前、はっぴいえんどを最初に見たのは神田共立講堂でのことで、寒い時だったと書いたが、tonieさんに、該当するものは記録には見あたらないとのご指摘を受けた。

このあいだ、よくよく考え直してみたら、代々木駅から遠くないホールだったような気がしてきた。オープニング・アクトは遠藤賢司だった。

人が少なくて、寒かったという印象ばかりが残っている。あれこれバンドが入れ込みのショウではなかったので、みなLPを聴いた人ばかりだったのだろう、イントロでの反応は早く、悪い雰囲気ではなかったが、とにかく寂しかった。

そして、マイクは三本立っているのに、大滝詠一だけが歌い、細野晴臣はまったくリードをとらず、たしかエンディングで、鈴木茂とともに「いらいら」のハーモニーを歌っただけだった。

いま考えると、デビュー盤の細野晴臣の曲は、歌いやすそうなものはなく、ベース・プレイヤー、とりわけ、ルートから離れたがるメロディックなスタイルの人には、音程のとりにくそうなものが多く、ライヴで歌わなかったのも無理はないと思う。

いや、大滝詠一の曲も歌いやすいとは言い難いし、スタジオで彼自身が重ねた、あの変なハーモニー・パートを細野晴臣がライヴで歌うなんていうのは、いま振り返ると、ありそうもないことだ。

さて、『風街ろまん』のつづき。

前回みた「暗闇坂むささび変化」のつぎにおかれているのは、大瀧詠一作の「はいからはくち」だ。デビュー盤の「いらいら」に対応するもので、はっぴいえんどの曲としてはめずらしいストレート・ロッカーである。

はっぴいえんど「はいからはくち」


「ハイカラ白痴」と書いたクリップがあったが、そういう意味であると同時に「肺から吐く血」でもあるので、解釈を限定する表記はしないほうがいい。

なぜ「肺から吐く血」などという意味ももたせたかといえば、当然、これは結核を意味し、この病気はかつて文学的サブジャンルを形成したからである(たとえば堀辰雄『風立ちぬ』を想起されよ)。

松本隆の「都市の記憶」は、彼が育った、オリンピックによって街並みが破壊される以前の東京(「暗闇坂むささび変化」)を突き抜けて、大正をも射程におさめていたのだろう。

インスピレーションとなったのはこの曲だと考えられる。

Buffalo Springfield - Uno Mundo


つぎの曲もいくぶん加味されているかもしれない。鈴木茂のギターにそれを感じる。モビー・グレイプは双頭リードなので判断がむずかしいが、この曲は(Miller's Bluesでのプレイやトーンを参照して)ジェリー・ミラーのプレイと推測する。

Moby Grape - Can't Be So Bad


さて、ハーモニーである。

ライヴでも「いらいら」の時には、細野晴臣と鈴木茂がハーモニーに参加したのと同じように、この曲もまた、ライヴ録音でもつねに「はいからああ」のところで三人が歌っているのを聴ける。「いらいら」同様、この曲もコードがシンプルで、ハーモニーを歌いやすいからだろう。

つまり、逆に云うと、複雑な味わいのあるハーモニーではないということだ。ロック・バンドにはこういうレパートリーも必要なのだ。

よけいなことだが、「唐紅」という言葉を聞くと、どうしても落語の「千早ぶる」を思い出してしまう。あちらも「おからをくれないから」と「から」の音を使っているが、まあ、関係ないだろう!

なお、この曲には「はいから・びゅーちふる」という、スロウ・ダウンしたコーダがつけられている。

はっぴいえんど「はいから・びゅーちふる」


コーダをつけるという発想は、バッファロー・スプリングフィールドへのうなずきだろうが、この曲自体はどこかべつのところでヒントを得たようだ。原型を探しなさい、と云われながら、見つけられなくて、残念。ブルース風で、1コードなので、特定の楽曲とは関係がないのかもしれない。

サイドをひっくり返し、B面の一曲目。

はっぴいえんど「夏なんです」


楽曲そのものに近縁性があるわけではないが、サウンドの基調、とくに鈴木茂のギターは以下の曲にヒントを得たのだろう。イントロのギターにご注意を。

Moby Grape - He


これほど執拗に、アメリカ音楽をもとにして自分たちの音楽をつくったことを示す手がかりを配置しておいたのはなぜか。それは最後のアルバムまでいってから考えたい。

まず、コーラス(話がこんがらかるが、ハーモニーのことではなく、楽曲の構成を指す「ヴァース/コーラス/ヴァース/コーラス」などという場合のコーラス)部での「ギンギンギラギラの」のあたりで上にハーモニーが付されていて、セカンド・ヴァースからは、ヴァースでもハーモニーが加えられている。

残念ながら、LPをリップして、クレジットをスキャンせずに手放したために確認できないが、上のパートを歌っているのも細野晴臣自身のように聞こえる。

好き嫌いでいえば、とりわけヴァースは好ましい響きのハーモニーだが、ハーモニーの「半採譜」に疲労困憊してしまって、これもちょっととりかけてみたが、やはりお経のようでわけがわからなくなり、放棄した。申し訳ない。ひょっとしたら、後日、部分的に採譜してみるかもしれない。

ギンギンギラギラのあたりは穏当なハーモニーだが、ヴァースのハーモニーは、やはり部分的に妙なところに行っているように聞こえ、「はっぴいえんどらしい」と感じる。ということで、今回は採譜による検証は省略!

ギターコードは、かつて素晴らしく耳のいい後輩に教わったのを途中まで思い出したのだが、どうしてもわからないところがあるので、書き留めるのはやめておく。以下のようなコード譜を見つけたが、わたしが弾いているコードとはまったく似ていない。呵々。

「夏なんです」コード譜(残念ながら、ほとんど合っているところがないと思うw)

次回もまだ『風街ろまん』に留まる。


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by songsf4s | 2014-01-16 22:42 | 60年代