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〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の5
 
ラスカルズ関連クリップの作成とアップロードが忙しく、ラスカルズ記事を休んで、簡単にできそうなゲーリー・バートン+ラリー・コリエルのことへと流れたのに、またそこでもたつくという、まあ、べつにめずらしくもない泥沼に嵌った。

今回の蹉跌の原因は、クリップをつくるために、オリジナルやカヴァー曲などを大量に検索したら、ダブりも多いいっぽうで、バックアップをとっていない「危険水域」のファイルも大量に出てくるし、さらに、ファイル名が不完全だったり、間違っているものもかなりあるのが気になり、その整理をしようと思いたったことにある。

具体的には、外付けHDDを増やして必要なバックアップをとり、同時に、広々とした領域に、未整理のファイルをすべて集積し、分類、タグ入れ、ファイル名修正などをやっているのだが、未整理ファイルというのが、バイト数にして1.4TBもあって、整理に手間取っているという次第。

ものごと、きちんとやろうと手順を踏むと、たいていは一歩も進まなくなるもので、ちゃらんぽらんにやるほうが結果はいい、というマーフィーの法則はなかったっけ?

◆ One, Two, 1-2-3-4 ◆◆
ラリー・コリエルのいた時期のゲーリー・バートン・カルテットについては、前回までで書くべきことはほぼ書いた。今回は落ち穂を拾い、オマケのクリップを並べる。

まず、前回とりあげるつもりでいて、こぼれてしまった曲を。バートン=コリエルの最初の盤である、Dusterがたぶんこの曲の初出で、In Concertでもアルバムの最後に置かれている。

The Gary Burton Quartet - One, Two, 1-2-3-4 (HQ Audio)


テーマらしきものはまだあるのだが、インプロヴは無調も同然で、ラリー・コリエルのソロはハウリングたっぷりのノイズばかりというありさま、好みは分かれるだろうが、いかにもあの時代らしいし、ゲーリー・バートンとラリー・コリエルの顔合わせをもっともよく象徴したトラックといえる。

スタジオ録音ではドラムはロイ・ヘインズだったが、こちらはボビー・モージーズ、インプロヴの最後はドラム・ソロ、テーマに戻る直前のドラミングがいかにもモージーズらしくて、興趣あるプレイである。

◆ その後の二人 ◆◆
このあと、同じ四人でA Genuine Tong Funeralという、カーラ・ブレイの大作を録音しているが、ここまでのゲーリー・バートン・カルテットとはまったく趣の異なる、いわば「企画盤」で、ギターやドラムを好む人間にはあまり面白いものではなかった。いまもって、好みではないので、これは略す。

この盤を最後に、ラリー・コリエルは独立してしまうので、いま考えると、コリエルがいなくてもかまわないカーラ・ブレイ企画は後まわしにして、もっとふつうの盤をつくってほしかったと思うが、事情は逆で、A Genuine Tong Funeralという、ギタリストには居場所の見つからない盤を録音したことが、コリエルの独立を促したのかもしれない。

ラリー・コリエルのその後はというと、Lady Coryellなど、初期のソロのいくつかは魅力のあるものだったが、時代が彼に追いついてからは興趣薄く、つまらない「フュージョン」に堕したとみなしている。それなりに盤を持っているが、めったに聴かない。

いっぽうゲーリー・バートンはどうかというと、コリエルよりは面白いと思う。キース・ジャレット、チェック・コリア、小曽根真といったピアニストと組んだものがそれなりに有名だが、わたしは、ピアノとヴァイブラフォーンという、まったくピッチの揺れない音の組み合わせにはあくびが止まらなくなる人間なので、持っているだけで、ろくに聴いていない。

じゃあ、パートナーはギターならいいのか、ということで、オマケ話に入る。

◆ 田舎道、その他の場所 ◆◆
コリエル(とモージーズ)が抜けた翌1968年、ドラム・ストゥールにはロイ・ヘインズが戻り、新たにギターにジェリー・ハーンを加えて、ゲーリー・バートンはContry Roads and Other PlacesというLPをだした。そのタイトル曲にして、アルバム・オープナー、ゲーリー・バートンとスティーヴ・スワロウの共作。

The Gary Burton Quartet - Country Roads (HQ Audio)


この盤を買った時、もう高等部に入っていたのだったか(国内リリースは少し遅れたような記憶がある)、まあ、そのあたりの年まわりだったし、時代はサイケデリック余波がつづいていたこともあって、これはもうジャズじゃねーでしょー、完全にロックンロール、ただしドラマーは8ビートの叩き方を知らない、というように受け取った。あの時代にはアール・パーマーのことは知らなかったが、アールが発明したノーリンズ・ダウンビートで叩くべき曲だった。ロイ・ヘインズはこのあたりで駄目になったと考えている。

Country Roadsは、スティーヴ・スワロウがエレクトリックに持ち替えてから最初の盤で、あとで彼の欠点もわかってくるのだが、この曲に関しては、グレイトフル・デッド(スワロウは彼らのファンだった)のフィル・レッシュのようなコード・プレイの連発に、ほうと目を瞠った。こういうことをやっても、アップライトではきれいに響かない。エレクトリック・ベースならではのプレイである。

この4人で71年に来日した時も、Country Roadsはハイライトだったが、その後、バートン自身も録音しているし、他人のカヴァーもあって、すでにモダン・クラシック、バートンとスワロウにとっても代表作となったと云ってよい。

ゲーリー・バートンとスティーヴ・スワロウのコンビが、異端児ラリー・コリエルを迎えて、67年に生みだした異端の4ビート音楽は、ここらでもう異端であることをやめ、むしろ未来のメイン・ストリームの可能性すら見えてきたのだと、いま振り返って、そういう考えにたどり着いた。

◆ そして三日目に ◆◆
バートン=コリエルの最初の3枚は、マイケル・ギブスの曲がオープナーになっていた。この盤はバートン=スワロウの曲ではじまっているが、マイケル・ギブスが消えたわけではない。

The Gary Burton Quartet - And On The Third Day (HQ Audio)


マイケル・ギブスらしい、「世界」がある曲、といっては大袈裟なら、独特のムードを持った曲で、昔から好んできた。71年日比谷公会堂でもやった。

この曲ではコードだけだが、ジェリー・ハーンのプレイについて云うと、やはりラリー・コリエルの後釜というのは家賃が高かった。ライヴでもそう感じた。4ビートのプレイヤーとしては力不足、かといって8ビートのニュアンスを豊富に持っているわけでもない。一枚だけ、その後の盤を聴いたが、この時代よりはよくなっているものの、残念ながら、集めたくなるほどの魅力はなかった。

ただ、このあとのゲーリー・バートン・カルテットのプレイヤーを聴くと、うーん、ジェリー・ハーンのほうがまだしもだったか、と溜息の出る若手ともやっているし、ハーンよりずっと有名なパット・メセニーにしても、まったく魅力がない。

バートンは未知数のギタリストを好むのだと思うが、そういう選択をしているなら、やはりラリー・コリエルは大当たりの宝くじだったのだと思う。大当たりなんてえのはそう何度も起きないものだ。

ゲーリー・バートンという人は徹頭徹尾理知的で、プレイも完璧、タイムに乱れはないし(ドラマーがしばしばヴァイブラフォーンをプレイすることを想起されよ。打楽器なのだ)、ミス・トーンに気づいたこともない。

しかし、音楽の魅力は完全性などというところにはない。むしろ、完全を目指した道でやりそこなった不完全の、その不完全さがどのような形であるか、ということで比較されるべきものだ。

頭のいい人なのだろう。たぶん、ごく若い時に、自分の欠点は完全なプレイヤーであることだと自覚したのだと思う。だから、それを壊すことが彼の目標になったのだと考えている。その意味でラリー・コリエルは理想のパートナーだった。

ジェリー・ハーン以降のパートナーは、バートンの拠って立つ足もとを切り崩すにはいたっていない。ということはつまり、残念ながら、あくびの出るような安定世界である。そういうものを聴くなら、ポップ・フィールドにもっといいものがたくさんある。

◆ あの日々を思い起こせば ◆◆
マイケル・ギブスにはこのシリーズで何度もふれたが、付録として、Back in the Daysなる、2012年リリースという最近の盤のクリップを貼りつける。まずはギブス自身の曲。アルバム・オープナーである。

Michael Gibbs & the NDR Bigband - 01 The Time Has Come (HQ)


さすがはギブス、と思う。こういう曲、こういうグルーヴは大好物。昔なら、ハル・ブレイン、ジム・ゴードン、いまならジム・ケルトナーのドラムで聴きたくなる。音楽学校の先生などやらずに、映画音楽でもやってくれれば、ラロ・シフリンと並び称されるほどのフィルム・コンポーザーになったのではないかとすら思う。

つぎはゲーリー・バートンがLofty Fake Anagramのオープナーに使った曲だが、サウンドの手触りはだいぶ異なる。

Michael Gibbs & The NDR Bigband - 03 June the 15th, 1967 (HQ)


またまた映画音楽、クリント・イーストウッドあたりの映画のテーマにしたいようなグルーヴ。ということは、やはりラロ・シフリンの対抗馬ということだが。この曲こそ、ジム・ゴードンのドラムなら万全だろうに。

もう一曲、上述のゲーリー・バートンとスティーヴ・スワロウ作の曲を。

Michael Gibbs & The NDR Bigband - 12 Country Roads (HQ)


◆ 呪いからの脱却 ◆◆
中学3年の時にラリー・コリエルを聴き、4ビートそのものに興味を持った。しかし、あの時点では、ジム・ホールもジミー・レイニーも(そういうものを買ってみた)あまりにもふつうすぎて、子供が強い関心を抱くことはなかった。

いま考えると、ゲーリー・バートンは三遊亭圓生の云う「箱に入った」自分の音楽を壊そうとして、深く意識することのないまま、ビー・バップ以降のジャズ、いわゆる「モダン・ジャズ」の破壊活動に、先頭に立って参加することになってしまった。

同時代のプレイヤーとして、ジム・ホールやジミー・レイニーではなく、ジミ・ヘンドリクスを強く意識していたラリー・コリエルは、「モダン・ジャズ」なんていう無意味な共同幻想にしがみついている老人たち(つまりover thirtiesという意味だが)のことなんかまったく眼中になかったのだろう。自分がしたいプレイをしただけ、だと思われる。

バートン=コリエルの3枚が、子供が聴いても面白く、その子供が老境に入って聴いても面白い盤になった理由は、そのような、モダン・ジャズなんてものは古びた共同幻想にすぎない、さっさと壊しちまえ、というアティテュードを音の中に見いだせるからだ。

バートン=コリエルよりあとに、マイルズ・デイヴィスのBitches Brewなる盤が出て、大ヒットした。しかし、高校生のわたしは、なんて古めかしいことをやっているんだ、他人が壊したあとで壊すなんて、壊したことにならないぞ、くだらない音楽だ、とせせら嗤った。ハービー・マンのMemphis Undergroundのほうがはるかに上等な音楽だった。

◆ スティーヴ・スワロウ、バナナに出会う ◆◆
このシリーズの第一回に、スティーヴ・スワロウは好きなロック・グループとしてヤングブラッズ、トラフィック、グレイトフル・デッドをあげ、のちに、口先ではなく、行動でそれを証明した、といった趣旨のことを書き、その証拠はあとで示すといったのだが、その約束をまだ果たしていないので、最後にそれを貼りつける。

Banana & The Bunch feat. Steve Swallow - Great Blue Heron


ピアノはバナナことローウェル・レヴィンガー、ドラムはジョー・バウアというヤングブラッズの二人に、エレクトリック・ベースでスティーヴ・スワロウが合流したもので、バナナの自宅で、ソニーの8トラックで録ったとクレジットに記されている。

73年だったか、海軍基地の酒保(といったって帝国海軍のとはだいぶ雰囲気がちがう。小規模なスーパー・マーケット)で、安いのをいいことにLPの馬鹿買いを数回やったのだが、その盤漁りの際、ヤングブラッズ・ファンの目にバナナの文字が飛び込んできた。

おやと思ってひっくり返すと、あのバナナその人が、例のバナナ・ペイントのワーリツァー・エレクトリック・ピアノの前に坐っている写真がドンと置かれていて、これは買い! と大喜びした。

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バナナその人とバナナ・ペイントのワーリツァー・エレクトリック・ピアノ。ヤングブラッズのElephant Mountainのジャケットにも登場する。

で、聴きながらクレジットを読むと、スティーヴ・スワロウの名前が目にとまり、そう云えば、このあいだ、インタヴューでヤングブラッズが好きだと云っていたけれど、ホントだったんだな、とむしろ呆れた。

バナナはなにを弾いてもヘタウマの人なので、ピアノも上手くはないが、しかし、つねに魅力たっぷりのプレイをする。この「むやみにデカい青鷺」なる曲も、じつに楽しい。こういうオーセンティックな4ビート文脈で弾いても、バナナのプレイが魅力的だとわかっておおいに驚いた。

ドラムのジョーバウアは、仕事がなくてやむをえずヤングブラッズのオーディションを受けたというくらいで、本来は4ビートのプレイヤー、この曲なんか、文字通り水を得た魚、じつにいいプレイをしている。そのことにもふれておかないとアンフェアだろう。

変なマルチ・インストゥルメント・プレイヤーと、変なベース・プレイヤーが出会って、どちらかが何か得たかどうかは知らないが、デビュー以来のヤングブラッズ・ファンであり、ゲーリー・バートン=ラリー・コリエル盤を聴きこんだ子供のなれの果てとしては、こんな曲を聴けてじつに痛快だった。

バナナ翁も、雪を頂いたような白髪になってまた活動を再開したようで、慶賀に堪えない。願わくば、やはり白髪になったスティーヴ・スワロウ翁との再度の共演を聴きたいものである。


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Gary Burton Quartet in Concert: Live at Carnegie Recital Hall
カーネギー・ホール・コンサート


Gaty Burton - Duster/Country Roads & Other Places
Duster/Country Roads & Other P


Michael Gibbs - Back in the Day
Back in the Day
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by songsf4s | 2016-10-19 20:35 | 60年代
〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の4
 
前回は更新して半日もたってから、ひどいチョンボをしでかしたことに気づき、記事を修正しようかとも思ったのだが、すでに相当数の方がご覧になったあとのこと、やむをえず、つぎの記事で補足することにした。

◆ ウォルターL氏再び ◆◆
なにをやらかしたかというと、話はやや錯綜するので、周章てず騒がず、ゆっくりと行く。

若いころはすでにとりあげたDusterがバートン=コリエルのもっともいいアルバムと考えていたのだが、ボビー・モージーズのドラミングが好ましく感じられるようになってからは、Gary Burton Quartet in Concert Live at Carnegie Recital Hallが、この顔合わせのもっともいい瞬間を捉えた盤だと考えるようになった。

その理由は単一ではないのだけれど、最大の理由はWalter L.で、そのことを云い、もうすこし突っ込んで書く予定だったのに、オリジナルやカヴァーのことに気をとられて、それを失念してしまったという次第。面目ない。もう一度、くだんの曲をここに置く。

The Gary Burton Quartet - Walter L. (HQ Audio)


音楽のほとんどはそうだが、とくに4ビートでもっとも重要なのはプレイヤー間の対話、インタープレイがエクサイトメントを生む。その意味で、この4人がもっとも白熱した対話を交わしたのはこの日の、この曲の時だったと思う。

ロイ・ヘインズからボビー・モージーズに交代したことで、前作からリズムのニュアンスが変わったのだが(8ビート寄りのセンスになる)、このライヴでは、モージーズに交代したことが実を結んだと感じる。

それはとりわけコリエルとの「話」がストレートになったことにあらわれているのだが、なかでもWalter L.でのソロは、モージーズがカタパルトを提供したおかげでワイルドなほうへと向かった感じで、後半にすばらしいエクサイトメントが生まれている。

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Bob Moses "Devotion" (1979) モージーズのソロはアヴァンギャルド・アルバムもけっこうあるのだが、これはオーソドクスな音。スティーヴ・スワロウのPortsmouth Figurations(Duster収録)をやっている。ゲーリー・バートン・カルテットのものはロイ・ヘインズが叩いたので、モージーズがストゥールに坐った録音は残されていないと思うが、ツアーではプレイしたことがあったのだろう。

コリエルのトーンは、ソロに入った時から、当時の4ビートとしては常識外れの歪ませ方だが、2:35あたりから歪んだコードを多用して、いよいよ4ビートのニュアンスが消えていくと、モージーズも極端に強いスネアやシンバルのアクセントでコリエルを蹴り上げる。知るかぎりのコリエルのソロで、このあたりの展開がベストではないかと思う。

ボビー・モージーズはもののわかったドラマーらしく、ラリー・コリエルのソロが終わって、ゲーリー・バートンのソロに入ると、それまでよりビートを弱くする。ヴァイブラフォーンという楽器はワイルドにはプレイできないものなので、ギターのようには強いビートと拮抗することはできない。

ボビー・モージーズの盤はほかに十枚ほどしか聴いたことがないが、結局、この曲でのドラマティックなプレイがいちばん印象に残った。若いころのプレイを代表作とは云われたくないだろうけれど。

◆ 間違っていることが正しい ◆◆
LPで云うとここからB面に入って、再びラリー・コリエル作。

The Gary Burton Quartet - Wrong Is Right (HQ Audio)


タイトルが示唆するようなパラドキシーを感じさせる曲ではなく、このカルテットとしてはむしろオーソドクスなスタイルでプレイされているが、4ビートの厭ったらしいところがなく、すっきりとさわやかな音になるところがこのコンボの身上、好ましいトラックである。

オーソドクスな曲ではあるけれど、「間違っていることが正しい」というタイトルには、やはりいくぶんかの主張ないしは腹立ちが込められているのだろう。

べつに音楽にかぎったことではなく、さまざまな分野で云えることだが、それまでは「やってはいけない」とみなされたことをやってしまう人間が出現した時に、大きな変化が起きる。

ロックンロールでは当たり前のことなのに、たかがベンドをかけたぐらいでゴチャゴチャいうような小姑の多いジャンルでしばらくのあいだ暴れてみて、コリエルは、お前らが間違っていると云っていることが、じつは音楽にとっては正しいんだ、と思ったことだろう。エルヴィスやリトル・リチャードも同じようなことを思ったのにちがいないさ、気にするなラリー。

◆ ポップ・ミュージックへのアプローチ ◆◆
つづいてスティーヴ・スワロウのアップライト・ベースをリードにした、ディランのあの曲のカヴァー。

The Gary Burton Quartet - I Want You feat. Steve Swallow (HQ Audio)


1971年に日比谷公会堂で見た時、スワロウはエレクトリックへの移行過程にあり、アップライトとエレクトリックが半々ぐらい、何度も持ち替えていたが、この曲はベース・ソロだから、カーネギー・リサイタル・ホールのライヴと同じく、アップライトでやった。

プレイの質がどうこうという以前に、4ビートのシリアスなコンボが、ボブ・ディランの曲をカヴァーするということそれ自体に意味が生じる時代だったことに留意されたい。70年代の「フュージョン」ブーム(軽蔑を込めてカギ括弧に入れてやった)は未来の話なのだ。

前回の記事でご紹介した、ゲーリー・バートンの1966年の盤、Tennessee Firebirdはナッシュヴィル録音で、チャーリー・マコーイやケニー・バトリーもプレイした。

60年代のディランを聴く方ならよくご存知のように、I Want Youを含むダブル・アルバム、Blonde on Blondeのほとんどの曲が録音されたのはナッシュヴィルのコロンビア・スタジオ(クォンセット・ハットではない)、そのメンバーを集めたのはほかならぬチャーリー・マコーイで、Blonde on Blondeセッションを取り仕切ったのも、すでにNYでディランに会っていたマコーイだった。

そして、ゲーリー・バートンがTennessee Firebirdを録音した(66年9月19日からの三日間)のはディランのBlonde on Blonde(66年2月と3月に録音、遅くとも7月にリリース)のすぐあとのことで、この時はI Want Youだけでなく、Just Like a Womanも録音している。

Gary Burton - 07 I Want You (HQ)


前半のサックスはスティーヴ・マーカスだろう。後半、スティーヴ・スワロウのソロが出てきて、In Concertヴァージョンへとつながる。べつに悪くもないのだが、手つきに迷いがあるというか、まだ試行錯誤段階の音と感じる。

こういうところで、ゲーリー・バートンはラリー・コリエルを必要としたのではないか、と想像する。

バートンはこれ以前にもNorwegian Woodを録音していて、ビートルズと同世代のミュージシャンとして、ロックンロールの世界で起きていることはおおいに気にしていたにちがいない。

しかし、天才少年じみたプレイヤーが、若くして音楽学校で理論を学んだわけで、おそらく、ラリー・コリエルのように自分でロックンロール・バンドを組んだことなどなかったのだろう。そこが手つきにあらわれる。

ラリー・コリエルははじめから4ビートも8ビートも聴いていたのだろう。ビートルズもジミ・ヘンドリクスも「自分の音楽」と感じるから、そちらの曲をプレイするときに、まったく構えない。そのまますっと弾くことができた。

以上、全部憶測だが、66年のTennessee Firebird収録のI Want Youと、68年のIn Concert収録のI Want Youのあいだに横たわる差は、そういうことなのだと考える。ふつうの曲としてプレイできるようになった触媒はラリー・コリエルにちがいない。

次回、この項は完結できると期待している。



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Gary Burton Quartet in Concert: Live at Carnegie Recital Hall
カーネギー・ホール・コンサート


Gary Burton - Tennessee Firebird
テネシー・ファイアーバード
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by songsf4s | 2016-10-11 17:54 | 60年代
〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の3
 
1968年、ゲーリー・バートン・カルテットは前年と同じラインアップで、2枚のアルバムをリリースしている。どちらもリリース日が判明しなかったのだが、ゲーリー・バートン・オフィシャル・サイトのディスコグラフィーによると、先にGary Burton Quartet In Concertがリリースされたらしい。

◆ マイケル・ギブス ◆◆
まずは、そのIn Concertのオープナー。拍手の入り方からすると、じっさいのライヴでも、この曲がオープナーだったのかもしれない。

The Gary Burton Quartet - Blue Comedy (HQ Audio)


バートン=コリエルの一作目DusterのオープナーBallet、同じ記事で扱った前作Lofty Fake AnagramのオープナーJune the 5, 1967、そしてこのBlue Comedyと、3曲いずれもマイケル・ギブス作。

当然、マイケル・ギブスとはどなたさんでありましょうか、と思う。

ゲーリー・バートンがバークリー音楽院に入ったのが1960年(たぶん十七歳)、その時、マイケル・ギブスはすでにバークリーの学生で、年齢もバートンの四つ上の先輩、バートンはギブスと同じくハーブ・ポメロイの指導を受けたそうで、云ってみれば、早坂文雄の薫陶を受けた佐藤勝と武満徹のような関係だった。

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マイケル・ギブス・コンダクティング

ハーブ・ポメロイとはどなたさん、なんて云うと、いよいよサブ・ルーティンのループに迷い込んで終わらなくなるし、そもそもわたし自身よく知らない時代に活躍した人なので、ごく簡略に。

ハーブ・ポメロイはトランペット・プレイヤーで、やはりバークリー音楽院出身、プレイヤーとしての実績も赫々たるものだったが、途中から理論のほうに転じ、母校の教授団に加わった。教え子の名前のリストはすごいことになっているが、そのあたりはご自分でお調べいただきたい。弟子の名前で先生の評価をするのは自分ではやりたくない。

理論家師匠と理論家兄弟弟子みたいな三人、兄弟子の曲を弟弟子が好んで演奏した、とまあ、そういう絵柄でご理解あれ。バートンものちにバークリー音楽院で教えるようになる。それも30年だかの教授生活。ミュージシャンと云うよりは教師だったというほうが適切なほどの長さだ。

Ballet、June the 5, 1967、そしてこのBlue Comedyと、いずれも好きな曲で、マイケル・ギブスはわたしの頭の中では好ましい作曲家に分類されている。

一枚だけマイケル・ギブスのアルバムを持っているが、これがなかなか魅力的、このシリーズのどこかでご紹介する。そのつもりですでにクリップのアップは完了している。

◆ Lines ◆◆
2曲目は飛ばして、つぎは3曲目。作者はラリー・コリエル。いかにもギター・プレイヤーが、ギターの特質を生かしつつ、自分も目立とうとした、といった雰囲気の曲である。

Gary Burton & Larry Coryell - Lines (1968 live version) HD


ギブソン・スーパー400なんて高いギターは弾いたことがないのでよくわからないが、ほうっておいてもこういう中音域が出てしまうものなのだろうか。このころのラリー・コリエルは、そもそも音の出からしてよかったなあと、死児の齢を数えてしまう。

ピアノの練習曲のようなところもあり、ビル・エヴァンスのピアノがインスピレーションになってヴァイブラフォーンをあのように弾く(つまり4本マレットでほとんどつねにコード・プレイをする)ようになったというバートンとしては、そこが気に入ったのか、後年も何度かライヴでプレイして盤に収録している。

◆ Walter L. ◆◆
つぎはゲーリー・バートン作。

The Gary Burton Quartet - Walter L. (HQ Audio)


生涯の代表作と云ってもいいだろう。自分でも何度もやっているし、他人のカヴァーもある。ほとんどモダン・クラシックになった。

カントリー好みのラリー・コリエルだが、ゲーリー・バートン・カルテットではあまりカントリー趣味を見せていない。この曲のイントロがコリエルのカントリー・テイストがストレートに出た唯一の例ではないだろうか。まあ、クワイアット・パートでのアンプラグド化コードも、カントリー・プレイヤー気分かもしれないが。

テーマの展開の仕方のせいか、ギターとヴァイブのデュオだからか、50年代のウェスト・コースト・ジャズのような味も感じるが、他のヴァージョンと比較してみると、それはこの組み合わせならではのことだったことが明らかになるので、つぎはその脇道へ。

◆ 別人のウォルター・L氏たち ◆◆
たぶん、であって、明言はできないのだが、Walter L.の初出はゲーリー・バートンが1966年にナッシュヴィルで録音したものだと思われる。

Gary Burton - 09 Walter L (HQ)


チャーリー・マコーイのハーモニカのイントロからして、もう予想を裏切るノリ、特徴的なメロディーだからアイデンティファイできるが、サウンド的にはまったく赤の他人である。

マコーイをはじめ、ケニー・バトリーやチェット・アトキンズやバディー・エモンズなど、ナッシュヴィル地付きのプレイヤーたちと、ロイ・ヘインズやスティーヴ・スワロウのような4ビート・ネイティヴなプレイヤーの混成部隊のプレイなのだが、結果として生まれた音もそういうハイ・ブリッドというか、鵺のような、というか、妙なアルバムの妙な曲である。

もう一種、こちらは1969年録音の他人のカヴァー。よりによってジム・ゴードンのリーダー・アルバムだが。

Jimmy Gordon & His Jazznpops Band - 06 Walter L (HQ)


明らかにライヴ・ヴァージョンではなく、オリジナルのTennessee Firebirdヴァージョンをベースにした、うしろに重心を置いた重いノリで、ライヴ・ヴァージョンの軽快で洗練された味はない。

ジム・ゴードンほどのプレイヤーにしては、サウンドのみならず、ドラミングも凡庸といわざるをえない出来だけれど、ヒット曲でもないのに、60年代にすでにカヴァーがあったということが、このWalter L.という曲の生命力をあらわしている。

デレク&ザ・ドミノーズの時にもジム・ゴードンにはソロ・アルバムの話があり、バンドメイトのボビー・ウィットロック同様、曲の準備をはじめていたが、結局、録音されることはなく、ジミーがつくった曲のひとつは、コーダとしてLaylaに組み込まれた。あのピアノ・コードも、ウィットロックではなく、ジム・ゴードンが弾いている。ま、有名な話だが。

この30年あまりずっと獄中にあるジム・ゴードンには、当然、金の使い途はほとんどないのだが、Laylaの印税が積み上がって、数字の上では非常に裕福なのだそうだ。これはあまり有名な話ではないかもしれない。

いや、そんなことより、A&Rのいいなりにドラムを叩いただけ、なんていう「リーダー・アルバム」ではなく、自分で曲も書いたLPをジム・ゴードンには残して欲しかった。



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Gary Burton Quartet in Concert: Live at Carnegie Recital Hall
カーネギー・ホール・コンサート


Gary Burton - Tennessee Firebird
テネシー・ファイアーバード
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by songsf4s | 2016-10-10 07:36 | 60年代
〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門の2
 
枕など書いていると、またまたロング・ランになりかねないので、今日はさっそく前回の続きへと。

◆ 承前 二作目「Lofty Fake Anagram」 ◆◆
改めてLofty Fake Anagramのクレジットを見たら、こう書いてあった。

Recorded at RCA Victor's Music Center Of The World, Hollywood, CA on August 15, 1967 - August 17, 1967

DusterはNYのRCAでの録音だったが(さらに古いアルバムのなかには、ナッシュヴィルのRCAで録ったものもあった)、こちらはハリウッドのRCAだとは意識していなかった。

ヘンリー・マンシーニやパーシー・フェイスが録った(いや、クラシックの巨匠たちの録音のほうで有名だが)、ハル・ブレイン云うところの「飛行機格納庫のように巨大な」スタジオAではなく、もっと小さいスタジオBなどを使ったのだろう。

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サンセット・ブールヴァード6363番地のハリウッドのRCAビル。正式名称RCA Victor's Music Center Of The World, Hollywood

さらに目を惹くのは録音日だ。6月下旬にモンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァルがあり、ジャニスの歌にママ・キャスが唖然とし、オーティス・レディングがキャリア第2弾ロケットに点火し、キース・ムーンがドラムを蹴倒し、ジミがストラトを燃やした。

ビートルズはSgt. Pepperをリリースし、史上初の世界同時中継番組Our Worldに出演して、ライヴでAll You Need Is Loveを録音し、そうしたもろもろが前年からの底流に火をつけ、サイケデリックの嵐が吹き荒れた、まさにその真っ最中の1967年8月に、このLofty Fake Anagramは録音された。

前作でもちらりと垣間見えた、アヴァンギャルド指向というか、時代も時代なので、サイケデリック傾向のようなものは、ラリー・コリエルが在籍したあいだずっとつづくのだが、このアルバムではゲーリー・バートン作のつぎの曲がそのカテゴリーに入る。

The Gary Burton Quartet - The Beach (HQ Audio)


輪郭があいまいなだけで、まだメロディーはあるし、ゲーリー・バートンとラリー・コリエルがいっしょに弾くテーマ(のようなもの)もあるのだから、アヴァンギャルドの一歩手前だが、サイケデリック味は十分に濃い。

データ類をのぞけば、音楽のことをどうこう云うのはもちろんすべて主観だが、さらに深く主観の領域に入って云うと、子供の時分にこのあたりのアルバムを徹底的に聴いたのは、いや、「聴けた」のは、こういう匙加減、ニュアンス、アプローチ、持って行き方が、ジャズ・コンボ的ではなく、ロック・グループ的だったからだといまになってわかった。直感的に、自分がよく知っている音楽の親類だと理解したにちがいない。

アヴァンギャルド的要素は入り込んでくるのだが、フリー・ジャズのほうには向かわず、いわばビートルズ的な前傾姿勢を保つ、という意味なのだが、よけいにわからない云い方で申し訳ない(←自分で笑っている)。

なんというか、このあたりの曲は、アート・アンサンブル・オヴ・シカゴ的な意味でアヴァンギャルドではなく、ビートルズのRainやTomorrow Never KnowsやA Day in the Life、ジミ・ヘンドリクスのIf Six Was Nine的にサイケデリックしているのだ。

当時、そんな風に意識して聴いていたわけではないが、そういうニオイは嗅ぎ分けるもので、アート・アンサンブル・オヴ・シカゴには反応せず、ゲーリー・バートン・カルテットにはおおいに反応して、コリエルが抜けたあとの盤まで買い、71年の来日の時は、学校を早めに抜けて、制服のまま日比谷公会堂に行った(早すぎて先頭に並んでしまった)。

フリー・ジャズのコンボではないので、ふつうにテーマとコードのある曲のほうが多いのだが、やはりプレイ・スタイルの面で、時代を反映してサイケデリックな味つけがされている。ラリー・コリエルはそのためにゲーリー・バートンに招かれたのだと思う。つぎの曲がその典型。

The Gary Burton Quartet - Good Citizen Swallow (HQ Audio)


1:39あたりからコリエルのギターが入ってくるが、いきなりハウっているところが、やはりあの時代の4ビートから云えばまったくの異端。スティーヴ・スワロウのベースのための曲なので、コリエルのソロは短く切り上げられ、あとはエンディング直前の、たぶんヴォリューム・コントロールでアタックを消した、テープ逆回転風の音をチラッと入れてくることで、サイケデリック味を加えている。

Revolver、Sgt. Pepperと、ビートルズも2枚つづけて最後にサイケデリックな曲を持ってきてアルバムを終えていたが、Dusterにつづき、このLofty Fake Anagramでも、ゲーリー・バートンはビートルズと同じくテープ・ループを使ったアヴァンギャルドなコラージュでアルバムを終えている。

The Gary Burton Quartet - General Mojo Cuts Up (HQ Audio)


コンポーザー・クレジットはスティーヴ・スワロウとなっている。おそらく、スワロウ作のGeneral Mojo's Well-Laid Plan(Duster収録。前回とりあげた)のテープをもとにコラージュをつくったので、こちらもスワロウ作とされたのだろう。

じっさいには、モジョ将軍のテープ・コラージュだけでなく、さらに無調のインプロヴを録音し、もろもろをつなぎ合わせたのだろうと思う。日常、楽しんで聴くような曲ではないが、たとえば、フィルム・ノワールやアクション映画に使われたら、効果を上げそうな出来である。

まだ2枚しか聴いていないが、さらにこの項を次回へと延長する。なんだか、最低でもあと2回はかかりそうな……。



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The Gary Burton Quartet - Duster
ダスター


The Gary Burton Quartet - Lofty Fake Anagram/A Genuine Tong Funeral
Lofty Fake Anagram/A Genuine Tong Funeral
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by songsf4s | 2016-10-07 07:07 | 60年代
〔雨の日に備えて〕 ジャズ・ヘイターのためのゲーリー・バートン=ラリー・コリエル入門
 
つぎのラスカルズ記事もまた大量のカヴァー・ヴァージョンのために、あらたにクリップをアップする必要があるのに、それも終わらないうちに、HDDの構成を変える必要に迫られ、こっちの30GBをあっちに移し、あっちの20GBを削除し、などという騒ぎをはじめてしまい、もう二日三日は更新できそうもないという事態に立ち至った。

では、というので、毎度毎度の雨傘番組、すでにアップしてあるクリップからいくつか拾ってご紹介しみようという算段、今回は雨傘プログラム・フォルダーも独立させ、いつでもできる体勢もつくって本気で穴埋めに取り組もうという次第哉。

せっかくアップしたのに、なにかの挟間にはまり込んで、ほとんど誰も聴いてくれないクリップを貼りつけようかという心づもりだったのだが、なんだかんだで、最近はどれもそれなりに聴かれているようで、迷い箸をしてしまい、手っ取り早くやるはずが、まったく当てはずれ。

もっと簡単にできるものはないかと思案した結果が、タイトルの如し。ラリー・コリエルがいた時代のゲーリー・バートン・カルテットの曲はいかがで御座ろう、という結論になった。

◆ デビュー「Duster」 ◆◆
はじめにお断りしておくが、ゲーリー・バートンはいちおう4ビート・プレイヤーに分類できるものの、ジャズ嫌いのポップ/ロック系のリスナーが頭の中で描いている「ジャズ」のイメージとはだいぶズレる。とくに、ラリー・コリエルとの4枚と、そのつぎのジェリー・ハーンがギターを弾いたころのゲーリー・バートン・カルテットは、非ジャズ要素の豊富なコンボだった。

The Gary Burton Quartet - Ballet


これはラリー・コリエルを迎えての最初のアルバムの、そのまたオープナー、わたしの4ビート・チャンネルではもっともよく聴かれている曲のひとつである。作者はマイケル・ギブス、いちおう、データを書き写しておく。

from "Duster" 1967
Vibraphone - Gary Burton
Guitar - Larry Coryell
Bass - Steve Swallow
Drums - Roy Haynes

Producer - Brad McCuen
Engineer - Ray Hall
Recorded in RCA Victor's studio B, NYC

このころのラリー・コリエルは非常にいいプレイヤーだったと、いまにして思う。リリースの翌年に聴いたので、ほぼリアルタイム、後年にいたって「ああなってしまう」ということは知らないから、とりたてて「この瞬間なんだ」という意識はなく、ちょうどそのころおおいに名声を得つつあったジミ・ヘンドリクス同様、「いま出てきたばかり」の「これからどんどんすごくなるだろう」若いギタリストとして聴いていた。

理屈をこねているとまた終わらなくなるので、つぎのクリップへ進む。同じLPから、こんどはベースのスティーヴ・スワロウ作の曲。この曲を聴けば、この時期のゲーリー・バートン・カルテットがふつうのジャズ・コンボとはかなり異なっていたことがより明白になるだろう。むろん、スティーヴ・スワロウという人自身もオッド・ボールだったのだが。

The Gary Burton Quartet - General Mojo's Well Laid Plan (HQ Audio)


ラリー・コリエルの全キャリアを追いかけたわけではないので確言はできないが、おそらく後年はやらなくなってしまった、ベース・ソロなどのクワイアット・パートでヴォリュームをゼロに絞って、ギブソン・スーパー400の、フル・アコースティックとしても最大級のボディーの鳴りを生かして、アコースティック・コードを入れるセンスに、中学生は惚れた。

当時の国内盤のライナーをお書きになったヴェテランの方は、言葉にお困りになったか、この曲をフォーク・ロック的と表現していらしたが、それは、ラリー・コリエルのスーパー400アコースティック化プレイに引きずられて、思わず「フォーク」と短絡してしまったのでは?

うーん、言葉に困るのはご同様だが、フォーク・ロックをよく知る人間として云わせていただくなら、あれは必ずしもアコースティック・ギターのコードは必要としない。フォーク・ロックと呼ばれた一群のポップ・ソングと、このスティーヴ・スワロウ作のモジョ将軍の綿密な作戦はあまり関係がないと感じる。

ただし、形式を棚上げするなら、気分としてはそのような、ポップ・ミュージックの新しい傾向への共感が生んだ曲なのかもしれない、とは思う。

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スティーヴ・スワロウとロイ・ヘインズ

この録音から4年後、ゲーリー・バートン・カルテットで来日したスワロウは、雑誌のインタヴューで、好きなロック・グループとしてヤングブラッズ、トラフィック、グレイトフル・デッドをあげた。

この三者のいずれも聴きこんでいた高校生のわたしは、こりゃ本物だ、ちゃんと聴いたうえでの発言だ、近ごろのおジャズの世界によくいるスットコドッコイのお調子者じゃない、と感心した。さらにその後、スワロウはこの発言を行動で裏付けるのだが、その証拠のクリップはあとで貼りつける。

このあたりの、ポップ・チューンのような、一聴たちまち乗れる曲はアンチ・ジャズ、すくなくとも、フュージョンとかいう、ジャズがぐずぐずに崩れていく先走りになったと思うのだが、当時はそちらではなく、つぎの曲に評論家たちは反応したらしい。ま、ピント外れのトンチキ君が多いものなのだよ、評論家というのは。

The Gary Burton Quartet - One, Two, 1-2-3-4 (1967 studio version) HD


たしかにアヴァン・ギャルド寄りではあるけれど、それ云うなら、アヴァン・ギャルド寄りのジャズなんて、当時だってほかにもいろいろあった(たとえば、同級の友だちの家に行ったら、アート・アンサンブル・オヴ・シカゴを聴かされた!)。

しいて云うと、ラリー・コリエルがソロでハウリングを起こさせたこと(ライナーには「フィード・バック奏法」と大袈裟に書かれていた)が、ジャズでは新しかったのだろう。しかし、ロックンロール小僧はハウリングなどすでに経験済み、どうすればギターが「ハウる」かも知っていたので、めずらしくもない、と歯牙にもかけなかった。そんな小手先のことはまったく重要ではない。

Duserからもう一曲。ドラム・ソロが好きなわけではない。テーマとその後の短いインプロヴの凝縮された感じが好きなだけ。

The Gary Burton Quartet - Portsmouth Figurations (HQ Audio)


ジャズ・アルバムを聴いていてうんざりするのは、楽曲の貧弱さ、つまり、スタンダードばかりが詰め込まれていて、またかよ、またかよ、またかよ、またかよ、になることだ。

ビートルズとともに音楽を聴きはじめた人間の習性として、曲が書けるか否かはそのアーティストの評価を大きく左右するものと考えているし、ある盤の善し悪しを云う時、「楽曲を揃えてきた」か否かが重要なポイントになる。

一曲いいのがある、というのでは、まあ、あれで救われたけど、おおむねつまらない盤、ということであり、「いつもかならず楽曲を揃えてくる」ことがビートルズが世界一のバンドである最大の理由だった。

The Gary Burton Quartet - Liturgy (HQ Audio)


4ビートの世界にも作曲家はいたし、新作はあったが、横目で見ているかぎりでは、ロックンロールの世界で云う「リフ」だけのようなもので、曲としてどうこうと思うものはなく、とうていスタンダードと肩を並べられるようなものには思えなかった。

いま振り返って、プレイの質とは異なる「メタ」なレベルでのDusterの魅力は、ほとんどが新作であるにも拘わらず、「楽曲を揃えてきた」ことだ。手触りはポップ・フィールドのアルバムと同じレベルにあり、中学生が毎日のようにこのLPを聴いた理由もそれだったのだと、いまになってわかった。

◆ 二作目「Lofty Fake Anagram」 ◆◆
前作Dusterと同じ1967年、「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ばれることになった夏の大騒ぎがあったいわば「サイケデリック・イヤー」に、2枚のアルバムを出したことも、このコンボの姿をあらわしているのかもしれない。われわれ中学生にも聞こえてくるほど、ラリー・コリエルは評判になっていた。

そして、前作はプリ・サマー・オヴ・ラヴ、こちらはポスト・サマー・オヴ・ラヴだったことは、音にもおおいに影響した。その1967年の2枚目、邦題「サイケデリック・ワールド」とされた(ワッハッハ)アルバムのオープナーから。

The Gary Burton Quartet - June the 5, 1967


この盤からドラムはボビー・モージーズに交代する。前作のロイ・ヘインズのようなオーセンティックなジャズ・ドラマーとは云いにくいが(いや、ヘインズだって後年になるとファンク・ドラマーと化す!)、モージーズで3枚残したのはよかった。

ボビー・モージーズは、ラリー・コリエルがゲーリー・バートンに迎えられる以前にやっていた、フリー・スピリッツというロック・グループで叩いていた。そのせいで、長い間、モージーズはロック・ドラマーだと思っていたのだが、数年前に読んだインタヴューでは、ジャズ・コンボ(フリー・ジャズだったか)のつもりではじめたのに、コリエルが強引にロック・バンドにしてしまったのだそうで、モージーズはロックンロールなどやる気はなかったらしい。

そういえば、ヤングブラッズのジョー・バウアも、ジャズ・ドラマーだったのだが、仕事がなくて食えず、やむをえずロック・バンドのオーディションを受け、ああなったのだそうな。

しかし、ラリー・コリエルが4ビートから大きくはみ出したプレイをしていたように、ボビー・モージーズもおそらくはロックンロールをやったせいで、オーセンティックなプレイをする当時の4ビート・ドラマーとは一線を画す、強いビートも見せるドラマーになった。そして、それがこの時期のゲーリー・バートン・カルテット独特の味を生みだしたと思う。

つぎはメンバーなどの新作ではなく、デューク・エリントンの旧作。いかにもCaravanの作者が書きそうな曲である。

The Gary Burton Quartet - Fleurette Africaine (HQ Audio)


ボビー・モージーズは右手スティック、左手マレットという変則プレイをしているのだろう。General Mojo's Well-Laid Planのライヴでそういうことをしていた。

雨傘プログラムとして短くまとめるつもりだったが、やはり当てごととなんとかは向こうから外れる、この記事も一回では終わらず、次回に持ち越すことにする。どちらにしろ、HDD問題は簡単には片づかず、まだラスカルズには戻れそうもないので、ちょうどいいくらいなものさ、と負け惜しみ。



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The Gary Burton Quartet - Duster
ダスター


The Gary Burton Quartet - Lofty Fake Anagram/A Genuine Tong Funeral
Lofty Fake Anagram/A Genuine Tong Funeral
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by songsf4s | 2016-10-05 21:57 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その08 Collectionsの01
 
ヤング・ラスカルズのデビュー盤については、なぜあのような特別待遇の契約になったかを探るために、あれこれ脇道にはまり込んで長くなったが、今回からはセカンド・アルバムのCollectionsに入るので、もうまっすぐで平坦な道、ただどんどん音楽を聴くだけになる。

しいていうと、セカンドはまだカヴァーが多いので、その大もとへと遡ったり、「ブランチ」(後続ヴァージョンのことを「ルーツ」の反対で勝手にこう呼んでいる)を聴いてみたりといったことに、それなりの時間をとられるだろう。ざっと見た限り、ヴァージョン数はかなりの多数にのぼる。

デビュー盤は、手元にはモノ/ステレオ盤があるのに、クリップはモノしかつくっていなかったが、ここからは両方をすでにアップしてある(モノ・ミックスがあるのは4枚目のOnce Upon a Dreamまで)。

昔、ビル・イングロットのマスタリングとクレジットの入った、アトランティック時代のボックスがリリースされたが、あれは偽のビル・イングロットではなかったのかと思うほど、近年のビル・イングロットによるリマスター盤は、飛躍的に音質が改善された。

ここに貼りつけるラスカルズのクリップは、アトランティック時代に関するかぎり、そのリマスター盤から起こした。YouTubeであっても、それなりのシステムで聴けば、違いはわかるはずだ。

◆ What Is the Reason? ◆◆
さっそく、アルバム・オープナーへ。ステレオ・ミックスで。

The Young Rascals - 01 What Is the Reason (remastered stereo mix, HQ Audio)


日本でのリリースは、記憶ではこの盤からだった。Good Lovin'すらリアル・タイムではリリースされず、68年になってやっと45回転盤が出た。

当然、わたしもこの盤からヤング・ラスカルズを買うようになった。いや、ラジオではすでにつぎの盤のタイトル曲がかかっていたし、そのLPもすでに出ていたと思うが、たぶん、友だちとの分担で、こっちにしたのだろう。

どうであれ、これは感動的な盤だった。1曲目の1小節目で盛り上がった。フロア・タムもすばらしいが、タムタムが出てきた瞬間、おおと唸るほどいい音で録れている。

いや、そのまえに2拍目に鳴っているスレイ・ベルの響きがすばらしいが、これはリマスターのたまもの。2~8トラックの時代(大雑把に60年代の十年間と重なる)には、パーカッション類はたいていオーヴァーダブなので、他の楽器より録音のジェネレーションが若く、きれいに響く。ビートルズのタンバリンなどをお聴きになるといい。

いや、中学生は、録音の善し悪しなど、ほとんど無意識に受け止めているだけで、まず聴くのはプレイの質、とくにドラマーだった。ディノ・ダネリがどんなドラマーか知らなかったので、このWhat Is the Reasonでのプレイにはおおいに満足した。

この盤から聴いたので、当時は気づかなかったが、さんざんデビュー盤のプレイを聴いたあとでこの曲が流れると、あっという間にディノ・ダネリが上手くなったことに驚く。ディノのタイムが安定しただけなのだが、それだけでバンド全体が大人になったような印象を受ける。ドラムというのはつねにサウンドを決定するものなのだ。

終盤に登場する、ステレオ定位を左右に揺らす部分のフィルインの使い方は、デビュー盤唯一の内部オリジナルだったこの曲にも出てくる。他の楽器は消え、ストップ・タイムになってドラムフィルだけになるのだ。これと比較すると、セカンドでのディノの成長が明白になる。

The Young Rascals - 05 Do You Feel It


なにがいけないのか、簡単には原因を解明できないのだが、そもそもこのテンポ、このグルーヴで、ストレート8分のフィルインというのが、中途半端で収まりが悪かったのだと思う。よほどうまくアクセントを付けないと失敗フィルインに聞こえてしまう。また、フィルインの入りの一打が微妙に遅れていることがある。

アルバムでつぎに置かれているGood Lovin'とほとんど同じテンポなのだが、そちらはギターのカッティングのせいで、シャッフル・フィールになっているためか、ディノはフィルインを目立つようには使わず、コーラスの終わりとつぎのヴァースのつなぎ目の、8分の裏拍のライド・ベルによるフィルインの尻尾にタムタムの8分を薄く入れて(そこはトム・ダウドの操作だが)、スムーズにつないでいる。シャッフル・フィールに合わせて、ストレートなフィルインをやめたおかげで、うまくいったのだと思う。

デビュー盤でこのWhat Is the Reasonの終盤と同じような、ストップ・タイムでのフィルインをやったら、失敗した可能性が高いが、セカンドではすでにディノのプレイは安定していて、ほとんどのフィルインは成功している。

Collectionsは、リズム・セクションに関するかぎりはまだ4人で録音しているので、ジーンはこの曲では2度のオーヴァーダブをしたのだろう。ベース、コード・カッティング、ソロを弾いたと思われる。イントロのベースによるミュートしたストレート8分はきれいだし、全体にタイムが安定していて、ベースでの貢献も大きい。ドラミングの善し悪しは、一面でベースとの関係で決まるので、両者の相性は重要だ。

ピアノはおおむね左右に2台のように聞こえるが、ひょっとしたら部分的にもう一回オーヴァーダブをしているかもしれない。さらにハモンドのオブリガートもあるので、フィーリクスはヴォーカル以外に、4度の録音をしたのだろう。

ドラムをセンター付近に定位してオン・ミックスにし、複数のピアノを左右に振って、ごく薄くミックスするというトム・ダウドの選択は、ふつうは思いつかないのではないだろうか。バンドもブースのスタッフも、ここからはまったく違うステージに入る。乗ってくるのだ。

この曲をシングル・カットしなかったのは謎というしかない。シングル曲が速いペースでたくさんできすぎて、つぎのもっといい曲に場所を譲った、ぐらいしか解釈を思いつかない。

◆ Since I Fell for You ◆◆
2曲目はエディーが歌うやや古風なバラッド。いや、微妙にブルーズの味があるが。

The Young Rascals - 02 Since I Fell for You (remastered stereo mix, HQ Audio)


もう「アルバム」の時代は終わっているし、ましてや、LPの曲の置き方なんていうのは古い話、ヴェテランの方々にも念押しとしてそのあたりを少々。

ひとそれぞれではあるけれど、アルバム・オープナーはアップテンポのストレート・ロッカーにするのが多数派なのはご存知のとおり。それを受ける2曲目は、勝手に「受けのバラッド」と命名しているのだが、テンポの遅速に拘わらず、バラッドを置くことが多い。

ビートルズの、というか、そのあたりはジョージ・マーティンの仕事だったそうだが、曲順を思い浮かべてくれれば、明かだろう。Drive My CarでスタートしてNorwegian Woodで受ける、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandで入って、With a Little Help from My Friendsで受ける、そういったスタイルのことだ。

いまの耳で聴くと、What Is the Reasonでも、一気に大人になったという印象を受けるが、Since I Fell for Youはさらにその感が深い。ギター、オルガン、ドラム、いずれもいいプレイだし、デビュー盤のI Believeですでに明らかになっていたが、エディーのバラディアぶりにも磨きがかかって、申し分ない。

とくにこういう曲では、ディノ・ダネリの4ビート・ドラミング好きがきいて、バラッドでのプレイがきちんとできている。まっすぐに突進する香車タイプのドラマーではあるのだが、見た目ほど単純ではなく、意外に懐が深いところがあり、その片鱗がここにあらわれている。

他のヴァージョンと比較すると、またべつのことが見えてくるので、以下にすこしクリップを並べた。

◆ Since I Fell for Youのルーツ ◆◆
デビュー盤のカヴァー曲は比較的新しいものが多かったし、このセカンド・アルバムでもおおむねそうなのだが、この曲はやや古い。といっても第二次大戦後の曲だが、1947年に作者自身によるこのヴァージョンでデビューしたらしい。

Buddy Johnson featuring Ella Johnson - Since I Fell for You (HQ)


ジャンプ・ブルーズをスロウにしたようなムードで、エディー・ブリガティーの解釈がバラッド寄りなのに対して、このオリジナル盤は、バディー・ジョンソン楽団のプレイも、エラ・ジョンソンのレンディションも、ブルーズ寄りである。いや、かなり好みだが。

こちらはヒットせず、同じ年のアニー・ローリー盤がヒットして(あるいはこちらが初出で、バディー・ジョンソン盤はセルフ・カヴァーの可能性もゼロではない)、つぎにこの曲がビルボード・チャートに顔を出すのは、ずっとあとの1963年。

Lenny Welch - Since I Fell for You (HQ)


レニー・ウェルチはブラック・シンガーではあるけれど、R&Bシンガーではなく、ジョニー・マティスやブルック・ベントンのようなタイプの、ブラック・メイン・ストリーム・シンガーである。

このレンディションも、ストリングスのせいもあってバラッド化してい、バディー・ジョンソン盤のジャンプ・ブルーズの名残のようなものは消し飛んでいる。じっさい、知るかぎりではラスカルズ盤と並んでもっともブルーズ色が薄い。

レニー・ウェルチ盤の大ヒットが刺激になったのだろう、以後、カヴァーが増える。そして、ほとんどがブルーズ寄りの解釈をしている。つぎは、おそらくウェルチ盤ヒット直後の録音。

Dinah Washington - Since I Fell for You (HQ)


久しぶりにダイナ・ワシントンを聴いたが、さすがにたいしたもので、ビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドのように厭な味が舌に残ることはなく、非常に好ましい歌いっぷりである。楽器は上手さの勝負だが、歌はいかに上手さを隠すかの勝負だ。

ダイナ・ワシントンは「ブルーズ寄り」ではあるものの、むしろ「自分のスタイル」で歌ったという感じだが、つぎの人は、まあ、もともとこういうスタイルとはいえ、ブルーズどっぷりのレンディションである。

Big Mama Thornton - Since I Fell for You (HQ)


バックはマディー・ウォーターズ・バンド、ピアノはオーティス・スパン。

白人メイン・ストリーム・シンガーはやはりバラッドとして歌っている。つぎは64年リリースのドリス・デイ盤。プロデュースは息子のテリー・メルチャー。この時、いっぽうでブルース・ジョンストンとデュオで歌いながら、すでにコロンビアのスタッフ・プロデューサーになっていたようで、まもなくバーズのデビュー盤をプロデュースすることになる。

Doris Day - Since I Fell for You (HQ)


ハリウッドならではのゴージャスなオーケストレーションのおかげで、いっそうブルーズから遠ざかっている。編曲と指揮はトミー・オリヴァー。

オリヴァーは綺羅星居並ぶハリウッド・アレンジャー界のビッグ・ショットたちの息子ぐらいの世代にあたるせいか、あれこれ妙なこともした。ヴィック・デイナ、ウェイン・ニュートン、ヴィック・ダモーンといったメイン・ストリーム・シンガーの仕事があるいっぽうで、まだグレイス・スリックのいない、ジェファーソン・エアプレイのデビュー盤をプロデュースしたりしている。

もうひとつ、ラスカルズがカヴァーするすぐ前、1965年リリースのウィルバート・ハリソン盤。意外にもブルーズ色は強くない解釈。

Wilbert Harrison - Since I Fell for You (HQ)


ウィルバート・ハリソンはKansas Cityのヒットで知られる。分類するならばR&Bシンガーだが、同じ曲を先に歌ったリトル・リチャードの対極にあるような、ゆるいスタイルで歌う。ジャンプ・ブルーズ時代のムードを保存したような印象で、ファッツ・ドミノ、ロイド・プライスなどに通じる味がある。

◆ リファレンス盤はいずこ? ◆◆
ほかにラスカルズより前のものとして、スパニエルズやハープトーンズなどドゥー・ワップ・グループのものが数種あるのだが、ラスカルズのカヴァーの直接のきっかけになったような盤は見あたらなかった。

であるなら、大ヒットしたレニー・ウェルチ盤をエディーが好きで、なにかバラッドを入れようというところでこの曲を思いだし、メインストリーム・シンガー風にならないようにアレンジした結果、ああなった、ぐらいの解釈でいいのではないかと思う。仮にそういう結論でいいと思うのだが、ひとつだけ引っかかりが残る。

うちにあるすべてのSince I Fell for Youを棚卸ししてみたら、妙なヴァージョンが出てきた。ラスカルズがカヴァーする直前の1965年というタイミングでのリリース、ラスカルズ以外ではうちにある唯一のセルフ・コンテインド・バンドによるこの曲のカヴァーである。

The Sonics - Since I Fell for You


ううむ。音としてラスカルズ盤につながっているようには思えない。ふつうにやっている、というか、このバンドはふつうではなく、きれいな音で録ると気に入らないという、後年のパンク・バンドに似たセンスなので、そもそもこんな曲をやること自体どうかしている。アルバムの流れで聴くと、まるでセックス・ピストルズのMy Wayのように浮いている。

どんなバンドかということを知るためだけの意味で、ふだんの音のサンプルを置く。好きになれるものならなってみろ、とでも云うようなサウンドだが。いやまあ、デビュー当時のキンクスのサウンドの雑なコピーと思っていただければ、ノー・プロブレムじゃないかと!

The Sonics - Louie Louie


なるほど、たしかにきれいな音が嫌いだったのだろうな、とは思う。いつものように、可能な限りの高音質でクリップをつくったのだが、音がよくないので、「HQ」マークはつけずにおいた。

ソニックスというバンドの両極端の音を示したので、もう一曲、そのあいだをとったような、ふつうに下手くそなやつをひとつ。ヒューイ・ピアノ・スミスの曲ではあるけれど、そんなことはどうでもよくて、グループ・サウンズがよくカヴァーしたその元はスミスではなく、どこかヨーロッパーのバンドのヴァージョンだったと思う。

The Sonics - Don't You Just Know It


これくらいだと、? & the Mysteriansぐらいの雰囲気で、懐かしくないこともない。ドラムは頭抜けた低レベルで、仮に当家がかわりに叩いたとしても、まるでハル・ブレインかジム・ゴードンが登場したかのように聞こえるに違いないというほどひどい。

ラスカルズが天翔る馬だとするなら、地虫のように下手なバンドだが、とにかく、両者は「セルフ・コンテインド・バンド」という、同じカテゴリーに収まる。同じ時代にやっていたのだから、どこかのクラブで両者が出合い、ソニックスがはじめてセルフ・コンテインド・バンド文脈に引きずり込んだSince I Fell for Youをエディーや他の面々が聴いた可能性はゼロではないし、レコード店やラジオで聴いた可能性なら、さらに高い確率になるだろう。

アレンジやレンディションで、ラスカルズがソニックスのSince I Fell for Youに影響を受けた可能性はない。両者はまったく似ていない。たんに、ロックンロール・バンドがこの曲をやっているのを知って、自分たちもやってみようと思いたった可能性はある、というだけだ。

◆ オマケ ◆◆
以上、各種のSince I Fell for Youを並べた。わが家にはこの数倍のヴァージョンがあるので、基本的には好ましいと感じるヴァージョンに絞った。ソニックスは例外である! とくに好きなのはエラ・ジョンソンとダイナ・ワシントンのヴァージョン。

最近リリースされたヴァン・モリソンのIt's Too Late to Stop Nowの拡大版ボックスに2種類のSince I Fell for Youが収録された。なかなか興味深い出来で、ここに置きたいような気もするのだが、ヴァンのものは著作権問題でやられる可能性があるので、断念した。

歌ものばかりで、インストがなかったので、最後にオマケとしてケニー・バレルの1972年の録音を。

Kenny Burrell - Since I Fell for You (HQ)




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The Young Rascals - Collections(紙ジャケット仕様)
コレクションズ(紙ジャケット仕様)


Buddy Johnson - Jukebox Hits: 1940-51
Jukebox Hits: 1940-51


Lenny Welch - Since I Fell for You
Since I Fell for You


Big Mama Thornton with the Muddy Waters Blues Band 1966
With the Muddy Waters Blues Band 1966


Doris Day - Latin for Lovers / Love Him
Latin for Lovers / Love Him


Wilbert Harrison - Gonna Tell You a Story: Complete Singles As & BS 1953-1962
Gonna Tell You a Story - Complete Singles As & BS 1953 - 1962


The Sonics - Boom
Boom


Kenny Burrell - Round Midnight
Round Midnight
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by songsf4s | 2016-10-02 14:34 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その07 デビュー盤サマリー

右側のメニューの「記事ランキング」というのは、かならずしも実態を反映しているとは思わないが(ホーム以外のページをお気に入りに登録し、それをクリックして当家にいらっしゃると、毎回、そのページがカウントされる)、大雑把に「映画記事がよく読まれている」ということは云えそうではある。

しばらく音楽記事がつづくので、ランキングのほうに映画関係がたくさんあり、それを読んでいただけるのは、いいバランスで、ありがたい。

ラスカルズのことを書きながらも、映画の記事をはさむつもりではいる。すでに書いたように、まずペンディングになっている『陽のあたる坂道』を完成させたい。

ほかに日活映画としては、『銀座の恋の物語』『紅の流れ星』『ギターを持った渡り鳥』『紅の拳銃』『殺しの烙印』『みなごろしの拳銃』などは、いずれなんとかしたいと思っている。

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石原裕次郎とジェリー藤尾

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ジャズ・ピアニスト!

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この映画の浅丘ルリ子もすばらしい

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ピアノをめぐる物語とも云える。以上、いずれも蔵原惟繕監督『銀座の恋の物語』より

成瀬巳喜男『秋立ちぬ』はべつとして(これもできればDVDのリリースを待ちたい。そろそろ出してよ)、シリアスな映画はしばらく予定にない。大物監督としては、黒澤明の『天国と地獄』は、ずいぶん歩いて、それなりに材料もあるので、部分的(早川鉄橋までは行っていないので)でもいいから、なんとかしたいという気はいちおうある。

しかし、いまの興味としては、美空ひばりの子供のころの映画(『東京キッド』『悲しき口笛』など)や、東映ミュージカル時代劇あたりのほうが再見して、書いてみたい気がおおいにある。

まあ、ブログなので、気分のまま、雲の流れるまま、ウナギだけが知っている行き先へ向かって、その時、その時に思いついたことを発作的にやるだけ、予定なんか書いても、文字通り画餅にすぎないが。

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「お国を離れて何ぴゃく里」の香港からやってきた男、藤村有弘がすばらしい。山高帽に赤い蝶ネクタイ、なぜか黒いダッフルって、誰がこんな衣裳を考えた!

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悪党たちの麻雀。小沢昭一がボス、以下、深江章喜、野呂圭介。草薙幸二郎はボスの弟という設定

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赤木圭一郎と紅の拳銃、もとい、黒い拳銃。以上、いずれも牛原陽一監督『紅の拳銃』より。撮影監督=姫田真佐久、美術監督=木村威夫、音楽=小杉太一郎とスタッフもみな好み。

◆ ガレージ、フォーク・ロック、テックス・メックス ◆◆
小見出しが入ったからと云って、枕が終わったと思ったら大間違い。今回は簡単にすむはずと踏んで、余裕ウサギをかまして、二重枕にしてみた。

話を前に進めるために、ブリティッシュ・インヴェイジョンとアメリカの反攻では、ずいぶんと枝葉を切り落としてしまった。

まず、もののみごとに抹消したのが、ガレージ・バンドの勃興。ブリティッシュ・インヴェイジョンが生んだのは、当然ながら、バーズやタートルズやラヴィン・スプーンフルばかりではなかった。

むしろ、最大の落とし子は、ライノのNuggetsシリーズや、それに基づくNuggets箱にまとめられているが、「ガレージ・バンド」などと呼ばれる、アメリカ中に叢生した若者のセルフ・コンテインド・バンドのほうだろう。とりわけ、サンセット・ストリップのクラブにそうしたバンドが蝟集したが、それは突出しているというだけで、各地にバンドが生まれた。

こうした単独ではとりたてて影響力のないセルフ・コンテインド・バンド群は、バーズのような即効性の劇薬ではなかったが、漢方のような遅効性の薬としてアメリカ音楽を変えていく(あるいは砒素のようにアメリカ音楽をゆっくりと殺していった、と云うひともいるかもしれない。それは立場による)。

即効性か遅効性かは、タイム・スケールの取り方によって変わってしまうので、そのどこが遅効性だと云われるかもしれないが、1966年後半から明らかになってくる、アメリカ音楽のサイケデリックへの傾斜は、すでに1964年、ビートルズによって播種されていた、と云える。結果的に見れば、フォーク・ロックはサイケデリックの序章という地位へと後退する。

ガレージ・バンド群と同じ扱いでいいのか、ちょっと肌合いが違うと考えるべきなのか、そこはさておき、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(テキサス州ダラス)、ジェントリーズ(テネシー州メンフィス)、サー・ダグラス・クウィンテット(テキサス州オースティン)といった南部のバンドが、似たようなテクスチャーの音を持ってビルボード・チャートに登場した。

Sir Douglas Quintet - 08 She's About a Mover (HQ)

テックス・メックス・オルガン!

ジェントリーズはテキサスではないのでアレだが、仮にそちらに組み込めば、テックス・メックス・ポップ・サウンドとでも云おうか、やはり無視できないサウンド傾向だと、並べて聴いてみて思った。

いや、あのチープなオルガンは、ケイジャンのアコーディオンのロックンロール的パラフレーズだったのか、というごく下世話で単純な疑問のレベルに下ろしてしまってもかまわないのだが!

今回はとりあえず、以上の点を落とさざるをえなかったことに気が残った。とりわけ、南部のセルフ・コンテインド・バンド群は、一度、そろえて聴き、ちらと物思いなどしてみむとぞ思ふ。

Sir Douglas Quintet - 06 And It Didn't Even Bring Me Down (HQ)

ふつうにいい曲もある。

◆ R&Bーイング・ラスカルズ ◆◆
物事の解釈というのは、たいていの場合が単純化であり、それには細部の切り捨てが必要になる、ということを改めて申し上げた上で、ヤング・ラスカルズのデビュー盤の項を終えるにあたって、その全10曲の収録作を、これまで紹介しなかった曲を貼りつけつつ、鳥瞰してみる。なんらかの切り捨て操作による単純化だということに留意されたい。

まず目立つのはR&Bカヴァー。Slow Down、Good Lovin'、Mustang Sally、In The Midnight Hourの4曲はここに分類できる。

以上のうち他の3曲はこれまでの記事に貼りつけたので、残る1曲R&Bカヴァー、作者のひとりスティーヴ・クロッパーにとっても、つくって歌ったウィルソン・ピケットにとっても代表作になったヒットのカヴァーを以下に。

The Young Rascals - 10 In the Midnight Hour (remastered mono mix, HQ Audio)


ウィルソン・ピケットのオリジナルを知っていると、ラスカルズのカヴァーには幼さを聴き取ってしまうが、これがデビュー盤という若者たちのパフォーマンスとしては立派なもので、バーズ(スタジオの筋肉増強バーズではなく、マイケル・クラークがドラムに嫌われ、いじめられるライヴ・バンドとしてのバーズ)なんかとは三段ぐらい格が違う。

しかし、この曲にかぎった話ではないのだが、半年後のディノ・ダネリなら、もっといいグルーヴをつくったに違いない。ディノはたぶん、このデビュー盤ではじめて自分のプレイを客観的、批判的に聴き、タイムとイントネーションを修正したのだろう。才能というのは、そういうものだ。ディノには自分の欠点がちゃんと見えたに違いない。

スティーヴ・クロッパーはずっと後年、フィーリクス・カヴァリエーレと共演盤を2枚つくる。この時、スタックス・レコードから見ればアトランティックはほとんど親会社のようなもの、アトランティックのシンガーがメンフィスで録音する時は、クロッパーは楽曲を提供したり、アレンジしたり、ギターを弾いたりで、NYから「スーパヴァイズ」に来るジェリー・ウェクスラーやトム・ダウドのことはすでによく知っていた。

そうした仕事の際に、破格の待遇でアトランティックと契約した若者たちのことは耳にしていたかもしれないが、自分の曲を歌ったのだから、遅くともこの時にはラスカルズが何者かを認識したはずだ。

◆ オリジナル曲 ◆◆
Baby Let's Wait、Do You Feel It、I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymoreの3曲は、自作と他作を合わせたオリジナル曲、封切り曲。これは作者による分類であって、楽曲スタイルによる分類ではないので、R&Bカヴァー群と同じ平面で語ってはいけないのだが、便宜的にこう分類する。だから、切り捨てによる単純化だとはじめにお断りした。

外部ソングライター提供曲はさておき、このアルバム唯一のメンバーが書いた曲を貼りつける。フィーリクス・カヴァリエーレとジーン・コーニッシュという、のちに共作することはない二人の曲。リードはフィーリクス。

The Young Rascals - 05 Do You Feel It (remastered mono mix, HQ Audio)


ディノのドラミングにやや難があるし、楽曲としてもそれほどのものではないが、のちのラスカルズ、とりわけつぎのアルバム、Collectionsを知っていると、彼らが向かう方向がここに示されていることを感じ取る。

◆ フォーク・ロッキング・ラスカルズ ◆◆
残る3曲のうち2曲はフォーク・ロックに分類できる。ひとつは前回貼りつけたボー・ブラメルズのJust a Littleなので、ここではもうひとつのほうを貼りつける。

The Young Rascals - 07 Like a Rolling Stone (remastered mono mix, HQ Audio)


ボブ・ディランのオリジナルがビルボード・チャートにデビューしたのが1965年7月のこと、ラスカルズがやがてデビューLPに集約される曲の録音を開始したのは同じく9月、シングルの動きを見ていたからだろう、散発的な録音が終わったのは翌年3月らしい。その月にアルバムがリリースされた。

ラスカルズのLike a Rolling Stoneがいつ録音されたか不明だが、彼らもフォーク・ロック・ブームには動揺し、共感したことがこの2曲からはうかがえる。本来はR&Bとジャズに重心があったのに、出現したばかりの分野の曲をすぐにカヴァーしている。まあ、若さとはそういうものだが。

ラスカルズの未来とフォーク・ロックの関係で云うと、この傾向は総体としての「ラスカルズ的なもの」に吸収合併されることになり、分離した存在ではなくなっていく。まあ、サード・アルバムにはかなり濃厚なフォーク・ロック色をもった曲があるが。

◆ ゴスペル・ラスカルズ ◆◆
最後に残ったI Believeは、宗教音楽的色合いが強い曲で、歌い手によってニュアンスが異なるが、エルヴィス・プレスリーはゴスペル的に歌っている。ヒット・ヴァージョンのフランキー・“ローハイド”・レインやジェイン・フローマンも直立不動かよといいたくなるほど殊勝な歌いっぷりだ。

The Young Rascals - 04 I Believe (remastered mono mix, HQ Audio)


ひとによって受け取り方は大きく異なるかと思うが、知る限りのこの曲のヴァージョンのなかで、ラスカルズのカヴァーはもっとも宗教色が薄く、非ネイティヴは歌詞を遮断することができるので、ふつうのバラッドのように聴くこともできる。音の手触りだけで云うなら、後年のエディーのバラッドにそのまま地続きでつながる肌合いで、この曲はデビュー盤のなかではおおいに好ましい。

ただ、ゴスペル・ニュアンスというのは、ずっと後年までラスカルズのサウンドに底流として残るので、そこはやはり気に留めておく必要がある。

◆ いまは亡き人と思へば愛しさも…… ◆◆
何度も同じことを繰り返して恐縮するが、このデビュー盤はリリースよりずっとあとになって買ったので、おおいに落胆した。その最大の理由はディノ・ダネリのドラミングだった。

セカンド・アルバムから5枚目にあたるFreedom Suiteまでのディノ・ダネリはじつに魅力的なドラマーで、そちらを先に知っていて(それも並みの深さではない知り方だった)、あとからこのデビュー盤のディノ・ダネリを聴くと、もっとずっといいプレイができるドラマーなのに、とじつにもどかしい。

しかし、それがファンというものだが、この一連の記事を書くために繰り返し聴いているうちに、これはこれでいいか、という気になってきた。

この盤単独で考えると、Good Lovin'とBaby Let's WaitとI BelieveだけのLP、と思ってしまうが、デッカ・テープだって、これがあのパーロフォンからデビューする直前の状態か、と思えば、いろいろ聴きどころがみつかるのと同じで、後年のパースペクティヴに立って聴くと、さまざまな楽しみがうまれてくる盤だ。

そして、孫が幼稚園で描いてきた絵を見て、すごいじゃないか、この子は絵描きになるといい、と手放しで喜ぶおじいさんのような気分もチラとする。呵々。


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Next: The Young Rascals - Collections



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Sir Douglas Quintet - Medocino
Medocino

The Young Rascals - The Young Rascals (1st)
グッド・ラヴィン
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by songsf4s | 2016-09-29 22:17 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その06 アメリカ・ストライクス・バック、1965
 
66~67年のサンフランシスコ音楽爆発の時を誰かが回想して、アタッシュに現金を詰め込んで各社の担当が飛行機に乗った、と書いていた。

RCAはジェファーソン・エアプレイン、キャピトルはクウィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、WBはグレイトフル・デッド、CBSはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーとモビー・グレイプ、こういった大物はたぶん、実弾発砲の対象ではなく、ほかにもっとないかと、ひとつレベルを降りたところでの闘いが実弾戦だったのだと想像している。

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デビュー当時のグレイトフル・デッド

よその誰かとなにか口約束ができていたとしても、新しい誰かが自己紹介するやいなや、いきなり目の前のテーブルに、ひとつ、ふたつ、三つと札束を積んでいったら、たいていの人間はすくなくとも動揺はする。

ラスカルズの時も、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、フィル・スペクター、トム・ダウド、ジェリー・ウェクスラー、ネスーイーとアーメットのアーティガン兄弟といった、業界ビッグ・ショットばかりでなく、数人の弁護士たちが〈バージ〉に来ていたという。なんだって弁護士かというと、その場で契約してしまうためだ。

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ピアノの前にジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、背後にはコースターズの面々、右端はアーメット・アーティガン

◆ 1965年のフランケンシュタイン ◆◆
ビートルズ以下、DC5、ピーター&ゴードン、ハーマンズ・ハーミッツなどなどの英国勢がさんざんにアメリカ市場を食い荒らしている最中も、彼らは失地回復のテコになる「アメリカ産ボーイ・バンド」を求め、アタッシュに実弾を込めてアメリカ中を飛びまわっていたはずだ。

そのアメリカ勢各社の市場再確保作戦の結果が目に見えるようになるのは、65年に入ってからのことだった。以下に、65年のいつかは問わずに、ビルボード・チャート20位以内のヒットを出した米国産セルフ・コンテインド・バンドを列挙する。

バーズ(HB)、ラヴィン・スプーンフル(GC)、マコーイズ、タートルズ(HB)、ゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ(HB)、ボー・ブラメルズ、サー・ダグラス・クウィンテット、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(この人たちをここに置くのはやや違和感があるが!)、ディノ・デジ&ビリー(HB)、ジェントリーズ、キャスタウェイズ。

終わりのほう、ジェントリーズやキャスタウェイズはワン・ヒッターだが、冒頭付近は「60年代中盤のアメリカ音楽のエッセンス」のようなグループが並ぶ。

The Gentrys - Keep on Dancing


ただし、ここではっきり見えてしまうのだが、各社は彼らの音楽的技量には目をつぶった。マイナー・レーベルや鷹揚な会社は、よけいなコストをかけてプロフェッショナルのプレイで補強するという文化そのものと無縁だったのかもしれないが(サーフ・ミュージックにはそういう例がずいぶんあった)、メイジャー・レーベルはやはり一定以上の水準であるべきと考えたに違いない。

首から上だけ若者のグループならば、あとの音楽的なことは、スタジオのお父さんプロフェッショナルたちがなんとかする、という、とりわけハリウッドではよく利用された音楽生産方式が、「モップ・トップの可愛いボーイ・バンド」の時代の到来とともに、フル稼働に入ったのだ。

The McCoys - 02 Hang On Sloopy (HQ)


デビューの時、マコーイズのメンバーはまだ高校生だった。やがて自前のプレイでトラックをつくるようになるが、この時点では大部分の曲(下手なトラックもあるので、そうしたものは彼ら自身のプレイと思われる)はスタジオのプロが高校生に替わってプレイしている。非常にいいドラマーを使っているのだが、いまだに名前がわからない。

バーズ、タートルズ、プレイボーイズ、そしてディノ・デジ&ビリーは、すくなくともデビュー盤のトラックはプロがつくった。彼らは歌っただけか、バーズのように、メンバーの一部だけがスタジオでプレイした。

上記の中に、ハル・ブレインがドラムを叩いたものが4種あり(HBと入れておいた)、NYのエース、ゲーリー・チェスターもラヴィン・スプーンフルのデビュー・ヒット、Do You Believe in Magicで叩いたし(ドラム以外のパーソネルは不明)、マコーイズはいまだに誰だったのかはわかっていないが、すくなくともドラムは確実にスタジオのプロフェッショナル。

The Byrds - 07 Mr. Tambourine Man (HQ)


この曲についてはロジャー・マギン自身がAFMの伝票の写しを公開したので、パーソネルは明らかになっている。
Drums: Hal Blaine
Bass: Larry Knechtel
12 String Guitar: Jim McGuinn
Guitar: Bill Pitman, Jerry Cole
Electric Piano: Leon Russell

上記の一覧にはないが、まもなく登場するモンキーズは、人工的なスター、テレビがつくった幻影と誹られることになるが、なあに、ほかのグループだって、はじめからアーティスト・イメージ先行だったことがここに明白にあらわれている。

バーズやタートルズのように、メンバー・チェンジでやっとまともなドラマーになり、ふつうにライヴができるバンドに「成長」することもあった。バーズはジーン・パーソンズになってから、タートルズはジョニー・バーベイタになってからが「ふつうのバンド」時代である。

◆ 首と胴体の分業化 ◆◆
ハリウッドで「影武者」が生まれたのはおそらく1960年、ヴェンチャーズがデビューした時のこと。いまだに確たる結論を得られないのだが、こう考えている。

かつて音楽をつくるのは、訓練を受け、経験を積んだプロフェッショナルの仕事だった。フロントに立つシンガーはさておき、バンドは身ぎれいにすればよく、容姿年齢は問われなかった。

ところが、第二次大戦後の可処分所得の増大による「ユース・カルチャー」の発生、これはアイゼンハワー時代のアメリカの豊かさを端的に示す現象だが、そのような新種が出現し、若年層はお父さんたちのバンドがプレイする、お父さんたちのための音楽のお余りを楽しむのではなく、若者がプレイする若者のための音楽を欲するようになった。

彼らは自室にポータブル・プレイヤーや自分だけのラジオを置き、家族とは関係なく、自分だけの音楽環境をもったのだから、それにふさわしい音楽が欲しかった。いや、いずれ、そんなことは当たり前になるのだが。

ここで、十分な力量のある若者のバンドが手に入れば問題はなかったのだが、そうはいかなかったことで、看板と実体の大きな乖離、欺瞞とも云うべき弥縫策が生まれた。

レコード会社はそこそこの技量のバンドを手に入れ、それを看板にしながら、スタジオではプロフェッショナルに音楽をつくらせ、レーベルには看板息子たちの名前を書く、という方法を思いついた。その顕著な成功例がシアトルからやってきた若者たち、ザ・ヴェンチャーズだった。

The Ventures - 03 Walk Don't Run (HQ)


この曲の伝票はいまだに発掘されていないのだが、かつてキャロル・ケイさんにお願いしてハル・ブレインに質問を取り次いでもらった時の回答では「俺はヴェンチャーズは最初からやっている。あとでメルが入った時には、レパートリーを全部教えた」というものだった。いろいろ「吹く」人だし、記憶違いもあるが、この回答は、音と付き合わせて信用してよいと判断した。のちのロックンロール・ハード・ヒットとはまったく異なるスタイルだが、ハルはそもそもジャズ・ドラマーとして出発した。シンバルのヒットする位置を微妙に変えるこの繊細なプレイをしたドラマーはハル・ブレインだろう。
初期ヴェンチャーズのスタジオ録音のレギュラーは、リード・ギター=ビリー・ストレンジ、リズム・ギター=キャロル・ケイ、ベース=レイ・ポールマンと考えている。トミー・テデスコやグレン・キャンベルやジェイムズ・バートンもプレイすることがあったし、さらには、トミー・オールサップ(リード・ギター)やフランク・デ・ヴィート(ドラムズ)が取って代わることもあれば、ヴェンチャーズのメンバー、なかでもメル・テイラーとノーキー・エドワーズ自身がプレイしたこともあったらしい。以上は60年代中盤までの話。Hawaii 5-0以後はまた話が違うのだが、脇道なので略。

ヴェンチャーズの影響下に生まれたサーフ・ミュージックは、基本的にカリフォルニアのパンク・ミュージックで、上手いバンドなどというのはそうはなかった。創始者のディック・デイルのバンド、デル・トーンズからして、感動的なほど下手だったことはデイルの自主制作盤に記録されている。

デイルが地元のメイジャー、キャピトル・レコードと契約してからは、デル・トーンズは建前の存在になり、当然、スタジオでは地元のキング・オヴ・ザ・ドラマーズ、ハル・ブレインがストゥールに坐って録音された。

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上から、マコーイズ、ディノ・デジ&ビリー、バーズ。そもそも、彼らははじめからアイドルとしての役割を果たすことを期待されていた。ここは音楽界である以前に、芸能界なのだ。たんに若い「ボーイ・バンド」では不十分、「モップ頭」も重要なポイントだった。

NYやナッシュヴィルについてはいくつか例を知る程度だが、後者のロニー&ザ・デイトナズは、ツアー・バンドと録音メンバーが異なっていた。1964年デビュー。(当家では過去に、「I'll Think of Summer by Ronny & the Daytonas」という記事で、ロニーすなわちバック・ウィルキンにふれている。)

イギリスではどうかというと、アメリカほど目立たないが、それでも64年になだれ込んだグループの中には、ハーマンズ・ハーミッツのように、ツアー・メンバーと録音メンバーが分離していたグループもないではない(ピーター・ヌーンは後年のインタヴューで、ジミー・ペイジはほんの一握りしか弾いていない。レギュラー・ギタリストはヴィック・“007”・フリックだったと証言している)。また、キンクスのドラマー、ミック・エイヴォリーはある時期にかぎればスタジオで叩いたことはなく、クレム・カッティーニなどのプロがかわりにプレイした。

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ハーマンズ・ハーミッツ。12~14歳あたりの少女をターゲットに想定したアイドル・グループだった。

とはいえ、アメリカにくらべれば、イギリスのグループはスタジオでもおおむね自分たちでプレイしたと云える。リンゴ・スターもデイヴ・クラークもクリス・カーティスもボビー・エリオットもチャーリー・ワッツも、ハル・ブレインやアール・パーマーやゲーリー・チェスターのような技量も安定感もなかったが、とにかく、一定水準のプレイをすることができ、スタジオでも自分たちでトラックをつくった。

しかし、バーズのマイケル・クラークのようなひどいのはさておき、公平に云って、イギリスのバンドとアメリカのバンドの技量の差はそれほど大きくはなかった。アメリカのバンドのなかにも、我慢強く録音すれば、イギリスのものに近い音は出せそうなところはあったが、現実にはスタジオでプレイできないところが多かった。

この差はたぶん文化の違いに由来するのだろう。とくにハリウッドはスター・システムの発祥の地、映画のスタント・マン同様の存在が音楽界に生まれても、べつに不思議でもなんでもなかった。

The Beau Brummels - 03 Just a Little (HQ)


彼らの65年のデビュー・アルバムからの曲で、サンフランシスコで録音された。とりたてていいドラミングでもないが、タイムはそこそこ安定している。しかし、のちにWBに移籍し、ハリウッドで録音する時には、やはりハル・ブレインがストゥールに坐り、他のパートもプロがプレイした。サンフランシスコとハリウッド、オータム・レコードというマイナー・レーベルと、WBという大企業の文化の違いだろう。

◆ アトランティック・レコードが置かれた場所 ◆◆
影武者は微妙な問題なので、公式に発言する人は少なく(ペリー・ボトキン・ジュニアはずっと後年、若い連中はおそろしく下手だったから、スタジオではプロがかわりにプレイした、それだけのきわめて単純な話だ、と断じていたが!)、アトランティック首脳陣のこの種の話題に関するコメントも読んだことはない。だから、結果から逆算して、勝手に想像する。

ビートルズと英国の侵略があった時、アトランティックはR&Bとジャズの会社であり、ボビー・デアリンとニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズを顕著な例外として、ポップ・フィールドでの経験は豊富ではなかった。

そのデアリンからして、Splish Splashのころはポップ・シンガーと云えたが、やがてジャズ・シンガーに分類したほうがいいようなスタイルになってしまうし、ニーノ&エイプリルは、大昔の曲にひねりを加えて歌うデュオであり、「現代的」ですらなく、すぐにヒットは出なくなったしまう(いや、好きなデュオなのだが)。

Nino Tempo & April Stevens - My Blue Heaven


日本でも戦前から「私の青空」などの邦題で、二村定一、エノケン、ディック・ミネなどカヴァーが多数あり、戦後には大滝詠一も歌ったスタンダード。アトランティック時代のニーノ&エイプリルのドラムはほとんどアール・パーマーが叩いた。

ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズが成功したからなのか、アトランティックはやはりハリウッド・ベースのデュオ、ソニー&シェールと契約して、I Got You Babeなどのヒットを生む。この曲はちょうど、ラスカルズとの契約話が進行しているころにリリースされ、ヒットしつつあった。

しかし、これはソニー・ボノがプロデュースし、ハリウッドで制作されたもの、つまりアトランティックの「スーパヴァイズ」のおよばないところでできた完成品を、いわば、そのまま市場に取り次いだだけだし、そもそも、彼らはセルフ・コンテインド・バンドではない。

The Young Rascals - 03 Just a Little (mono mix)


これは上掲のボー・ブラメルズの曲のカヴァー。ヴァニラ・ファッジの曲がはじまりそうなイントロが興味深い。フィーリクスとエディーは声の質が似ていて、R&Bタイプかバラッドを歌うのに適していたが、ラスカルズも時代の子、フォーク・ロック潮流は気になったのだろう。ディランの曲とこのJust a Little、フォーク・ロック系の曲をふたつデビュー盤でカヴァーしている。どちらもリード・ヴォーカルはジーン。
ビルボード・チャートを読んでいて、バーズとフォーク・ロックの衝撃というものを改めて思った。バーズのMr. Tambourine Manがビルボード・チャートのトップに立ったのは1965年5月のこと。これにアメリカのバンドは瞬時に、激しく、急速に反応した。フォーク・ロック的楽曲がこの年の秋以降には溢れることになるのだから、つまりバーズの衝撃波がまだ収まらないうちに、彼らはフォーク・ロック的な曲を書き、あるいはフォーク曲をエレクトリックにアレンジし、録音し、リリースしたのだ。この時点ではバーズとフォーク・ロックこそがアメリカ音楽の現在であり、未来そのものだった。
時間線に沿って考えると、ビートルズもまた異様な速度と強度で反応した。タンブリンマンがトップに立ってから半年後には、彼らはRubber Soulをリリースした。この反応の早さはよく考えてみるに値する。

といったあたりが、アーメット・アーティガン以下のアトランティック首脳陣、およびトム・ダウドやアリフ・マーディンら現場を預かる人びとの、最大公約数的願いだっただろうと想像する。

1964年のアメリカには、セルフ・コンテインド・バンドの経験が豊富なレーベルなどなかったのだから、アトランティックも未経験。しかし、このままR&Bとジャズの良質な盤でやっていこうなどと思うほど鈍重でもなければ、脂っ気も抜けていなかった。

とはいえ、彼らとしては、LAの会社のような、臆面もないスター・システムはできれば避けたかったに違いない。音楽は彼らにとってもビジネスではあったが、同時に、つねにまじめな音楽をまじめにつくってきたという自負もあっただろう。

これからはポップ・フィールドに力を入れないと会社は大きくなりそうもない、いや、それどころか、ジリ貧になる怖れすらある、しかし、その音楽は売れると同時に、ある質をもっていてほしい。

彼らがラスカルズのなかに見いだしたのは、そういう希望だったにちがいない。可愛いだけで音楽的に空っぽなバンドは、アトランティックの企業文化にはそぐわない。

その点、ラスカルズは未熟とはいえ、バーズなどとちがって、すでにまともな演奏をしていた。とくにフィーリクス・カヴァリエーレとディノ・ダネリが豊かな可能性をもっているのは明らかだった。そして、R&Bの素地が十分なだけでなく、ディノとフィーリクスはジャズへの傾斜を示していた。ディノはもともと4ビートのほうを好んでいた。

Buddy Rich and Gene Krupa with Sammy Davis Jr.


ディノ・ダネリはテレビでジーン・クルーパとバディー・リッチのドラム・バトルを見て衝撃を受け、一気に4ビート・ドラミングへと傾斜したと云う。このパフォーマンスのことだろう。

アトランティック・レコードの企業文化にふさわしい若者のセルフ・コンテインド・バンドがこの世界に存在するとしたら、それはラスカルズ以外にありえなかった。二人の才能あるシンガーがいるだけでなく、豊かな可能性を秘めたドラマーとキーボード・プレイヤーがいて、まだつたないながらも、スタジオでプレイできるだけの技量を備えていた。

アトランティック首脳陣がみな〈バージ〉詣でをしたあげく、「わが社のスタジオはきみたちのものだ」などと、途方もない約束までし、デビュー盤からプロデューサー・クレジットと一定の「アーティスティック・フリーダム」を与えるという、世にも稀な特別待遇で迎えたのは、そうした背景があってのことだろう。

アトランティックはその後に多くのロック・バンドと契約したので(ヴァニラ・ファッジ、レッド・ゼッペリン、アイアン・バタフライなどなど)、いまではラスカルズの重要性は見えなくなっている。

しかし、1965年、英国勢に押しまくられ、未来に暗雲がたれ込める悪天候下にあっては、ラスカルズは新しい分野へ転進するためのスプリングボード、会社の未来を決めるほどのアーティストだったと云える。それは、その後の彼らの録音とアリフ・マーディンの大活躍を見れば、さらに明白になるだろう。

次回、ラスカルズのデビュー盤の項は完結の予定。


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The Gentrys - Keep on Dancing 1965-71
Keep on Dancing 1965-71

The McCoys - Hang On Sloopy + You Make Me Feel So Good
Hang On Sloopy

The Byrds - Mr. Tambourine Man (紙ジャケット仕様)
ミスター・タンブリン・マン

The Ventures - Walk Don't Run + The Ventures (second album) + 6 bonus
THE VENTURES + WALK DON´T RUN + 6

The Beau Brummels - Introducing The Beau Brummels
イントロデューシング・ボー・ブラメルズ

Nino Temp & April Stevens - Deep Purple / Sing the Great Songs
Deep Purple / Sing the Great Songs

The Young Rascals - The Young Rascals (1st)
グッド・ラヴィン
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by songsf4s | 2016-09-28 10:41 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その05 1964年の負けゲーム
 
年表的確認をする。ビートルズがはじめてアメリカを訪れたのは1964年2月、到着二日後にエド・サリヴァン・ショウに出演して、文字通り大騒動になった。

問題はそのあとのこと。それまではイギリスの音楽関係者には難攻不落に見えていた(突破できた例外はトーネイドーズのTelstar)アメリカ市場の見えない堤防が一気に決壊して、デイヴ・クラーク5、ハーマンズ・ハーミッツ、ピーター&ゴードン、アニマルズ、ジェリー&ザ・ペイスメイカーズ、サーチャーズ、スウィンギング・ブルージーンズ、マンフレッド・マン、ゾンビーズなどなど、イギリスのグループがアメリカ音楽市場を席巻し、ビルボード・チャートからアメリカのアーティストを追い出していった。

The Searchers - 07 Needles And Pins (HQ)


サーチャーズはこの曲でアメリカ市場に到着した。フィル・スペクターのアレンジャーとアシスタントの二人、ジャック・ニーチーとソニー・ボノが書き、ジャッキー・デシャノンが歌ったヒットのカヴァー。ジャッキー・デシャノン盤はジャック・ニーチーとソニー・ボノがブースに入ったのでやや暗めのサウンドになったが、サーチャーズ盤にはそういうくどさはなく、シンプルなバッキングとハーモニーの魅力でヒットしたと思う。

ソロ・シンガーが時代遅れになったこの時、イギリスの大攻勢に対抗できるメイジャー・グループは、アメリカにはビーチボーイズと4シーズンズぐらいしか見あたらなかった。

しかし、どちらも、英国勢の「セルフ・コンテインド・バンド」のニュアンスではなく、「楽器も弾かなくはないコーラス・グループ」で、むしろ、ビートルズの衝撃波がつくりだした真空になだれ込むようにして市場を席巻しはじめたモータウンの盤のほうに、時代の胎動がある。

◆ Farmer Johnという二重のブーメラン ◆◆
新しいグループも登場したが、サーフ&ドラッグ・ミュージックであったり(ホンデルズ、ロニー&ザ・デイトナズ、トラッシュメン)、ギター・インストであったり(ピラミッズ、リヴィエラズ、さらには既存のヴェンチャーズやマーケッツもヒットを生む)、両方とも大好きな当家としては、こういうことを云うのは心苦しいが、みな昨日のサウンドの余りもの、明日のアメリカ音楽の道を照らすものではなかった。

ほとんど唯一といっていい、アメリカ産セルフ・コンテインド・バンドによる64年のヒットは、プレミアーズのFarmer Johnである。ものすごく下手なところがウケたのではないかと思うほどひどいが!

The Premiers - Farmer John (HQ)


のちにLAチカーノ・ロックなるカテゴリーができ、メキシコ系が集まったプレミアーズは、チャン・ロメロと並んでその嚆矢にして代表とみなされるようになる(それにしても、耐え難いひどさだな!)。

評論家界隈ではプレミアーズのFarmer Johnはチカーノ・ロック文脈でしか語られていないようだが、それでいいのかな、という気がチラとする。いまここでは「アメリカの敗北とカムバック」というコンテクストで考えているので、そちらのアングルから見ると、やや異なった絵が浮かんでくる。

Farmer Johnはドン&デューイのやや古い曲で、プレミアーズがカヴァーする以前に、サーチャーズがすでにセルフ・コンテインド・バンド文脈に持ち込んでいる。これは無視できない。

63年の彼らのデビュー盤に収録され、ドイツではシングル・カットされたらしいが、それより、ビートルズ同様、サーチャーズは63年にすでにアメリカでLPがリリースされ、この曲も収録されている点が目を惹く(Meet The Searchersと、タイトルは英盤と同じだが、収録曲は大きく異なる。63年8月、Kappレコードがリリース)。

The Searchers - 04 Farmer John (stereo) (HQ)


むろん、63年の時点では「英国の侵略」はまだ起きていないし、したがって当然、ビートルズもサーチャーズもアメリカではヒットを生んではいない。しかし、われわれもそうだったが、アマチュア・バンドというのは、つねにめずらしいレパートリーを探している。他人に先んじて、「つぎの時代の音楽」をカヴァーしたいものなのだ。

ドン&デューイはプレミアーズにとっては地元のデュオ、そちらのヴァージョンを耳にする機会もしばしばあっただろう。でも、リリースから何年もたったこの曲をやるための最後の一押しは、サーチャーズ盤だった可能性を感じる。

Needles and Pinsがオリジナルのアクを抜いた透明な質感、すでにフォーク・ロック的ニュアンスを感じさせる手触りを獲得して、それがアメリカのグループを刺激したように、同じくアメリカの曲に異なったニュアンスを持たせたサーチャーズのFarmer Johnは、直接的ではないにせよ、なんらかの刺激になったのではないだろうか。

◆ 鏡の反対側から見てみれば ◆◆
ブリティッシュ・インヴェイジョンとはなんだったか? 「イギリス人が解釈したアメリカ音楽を聴いて、アメリカ人がアメリカ音楽について新しいパースペクティヴを得る体験」だった、という云い方ができる。

ここでいう「アメリカ音楽」とは、個々の楽曲と、サウンド、スタイルの総体のことである。ブリティッシュ・ビートによって、アメリカ人ははじめて自分たちの音楽が鏡に映った姿を見て、そこに新たな価値を見いだしたのだ。

この巨大で痛切な体験がなにも生まないはずがない。しかし、それには多少の時間がかかるだろう。とりあえず、ビートルズの衝撃はまだアメリカ音楽の相貌を変えていない、と1964年のビルボード・チャートは語っている。

The 4 Seasons - 06 Dawn (Go Away) (HQ)


4シーズンズの1964年最大のヒット。ドラムはゲーリー・チェスターやバディー・サルツマンが叩くことが多かったらしい。ボブ・クルーとボブ・ゴーディオの考え方なのか、4シーズンズはもともとビーチボーイズよりドラム・ビートの強い音作りをしていた。コーラス・グループというスタイルは古いが、とりあえずビートの強さでは英国勢の多くに負けていない。そもそも、きれいなメロディーの曲にハーモニーと強いドラム・ビートを付ける、という4シーズンズのヒット・レシピはブリティッシュ・ビートとまったく同じものだった。
付言:ビルボード・チャートはシングル盤のレーベルの記載を反映するのだが、この時のチャートでは、アーティスト名はThe 4 Seasonsである。フランキー・ヴァリーの冠がつくのはずっとあとのことなので、その点ははじめから問題ではないが、The Four Seasonsではないことに注意を促したい。自分がつねに4シーズンズと書くのはなぜかと思ったら、昔の書き方を守っていたからだったことに、チャートを読んでいて気づいた。

しかし、このままではじり貧だと危機感を持った会社も多かったにちがいない。なにしろ、人の気分、時代の好尚にいかに添うかで売上げが決まる業界で生きてきた人びとだ。多くは、ブリティッシュ・ビート・グループに拮抗しうるタレントを求めて動きまわっていただろう。

こんなに面倒な話になるとは、書いている当人も予想していなかった。65年の分もしっかりクリップを用意したのだが、それを使うのはラスカルズがこのコンテクストの中で浮上してくる次回に。


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The Searchers - The Very Best of The Searchers
Very Best of


The 4 Seasons - Dawn (Go Away)
Dawn


Nuggets: Original Artyfacts from the First Psychedelic Era: 1965-1968
Nuggets: Original Artyfacts from the Fir
(プレミアーズのFarmer John収録)
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by songsf4s | 2016-09-25 19:02 | 60年代
(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その04 ちびっ子ギャングとスパンキー
 
今回はちょっと本線から外れて(ほらはじまった)、前回登場したフィル・スペクターのアシスタント、ヴィニー・ポンシアのバンドについて少々書き、そのあとで、ヤング・ラスカルズおよびラスカルズという名前をめぐるあれこれにふれる。

◆ NYや厭な町だぜ、と呟いたのはどこの町でのことだったのか? ◆◆
まず、このクリップから。日本の某シンガーのカヴァーもあるし、サーフ・ミュージック方面では有名なヒット曲。

The Trade Winds - 04 New York's a Lonely Town (HQ)


ヒットした当時は知らず、73年ごろに買った2枚組サーフ・アンソロジーで知って以来、いったい何度サーフ関係の編集盤や箱で出くわしたことか、ダブりの王者。

のちにハル・ブレインのあれこれを調べていた時、どこかでこの曲のドラムはハル・ブレインだという記述を読んだ。

しかし、作者であり、この「バンド」でも歌っているピート・アンダースとヴィニー・ポンシアがフィル・スペクターのアシスタントとして、ハリウッドに何度も来ていることを知っていても、これがハル・ブレインのプレイだという確信をわたし自身は持てなかった。

サウンドとは関係ないことからも疑っていた。なかなかキュートな歌詞で、それがヒットに大きく貢献したと思うが、一カ所、ひどく奇妙で、これをハリウッドで録音したら、プレイヤーやスタッフが笑って、変更されたのではないかというラインがある。

一家でカリフォルニアからNYに引っ越した少年が、NYではサーフ仲間が見つからないどころか、誰もサーフィンのことなんか知りもしない、家の外に置いたボードに雪が積もっているのを見るたびに頭に来る、というようなお話なのだが、以下のラインが奇妙。

From Central Park to Pasadena's such a long way

サーフィンのできる故郷は遠い、と云いたいのだろうけれど、パサディーナはロサンジェルス郡の山地に寄った町で、海から直線でも、どうだろう、軽く30キロは離れているにちがいない。サーファーが懐かしがる町としては途方もない見当違いである。

ふつうなら、マリブあたりをあげるはずだ。シラブルが足りないなら、バルボアがある。パサディーナと同じ4シラブル。しかも、サーフ・ミュージック発祥の地だし(ついでに云えば、ウェスト・コースト・ジャズ誕生の地を一カ所に絞るならやはりバルボア。時を隔てて、スタン・ケントン・オーケストラと、ディック・デイル&ヒズ・デル・トーンズが同じオーディトリアムでプレイし、それが新しい音楽スタイルの引き金になった)、理想的ではないか。From Central Park to Balboa's such a long wayに直せよ!

よって、カリフォルニアの地理や音楽やサーフィン事情に不案内な人間が書いただけでなく(ここまでは考えるまでもなくクレジットを見ればわかる)、その場に、その歌詞はヘンチクリンだ、とツッコミを入れる人間が誰もいない遠隔地で録音された、というのが当方の推定。

The Trade Winds - 01 Mind Excursion (HQ)


しかし、いつまでたっても証拠は出なかった。アメリカ音楽家組合(American Federation of Musicians=AFMと略す)NY支部は、LA支部と異なって書類の保存が悪いようで、昔のクレジットが発掘されたことはない。

逆に云うと、有名な曲でクレジットが何十年も出てこなかったら、ハリウッド録音ではない可能性が極めて高い、と云えるが、しかし、これでは他人を納得させることはできない。

なにしろ、某レコード店の雑誌広告の、トレイドウィンズのアルバムのところに「あのジム・ゴードンがドラム!」なんておそろしく大胆なことが書いてあったくらいで、この曲に関しては風説ばかりがふくれあがり、誰も証拠を提出したことがなかった。

いや、わたしはアメリカ音楽に関する日本語の文章というのはまったく信用していないため、長いあいだ日本語の雑誌も書籍も読んでいないので、もしもこの四半世紀ほどのあいだに、どなたかがAFMの伝票などを提出して証明していたら、平にご容赦を。

The Ronettes - 01 Do I Love You (HQ)

(ピート・アンダース、ヴィニー・ポンシア、フィル・スペクターの共作、ハル・ブレイン・オン・ドラムズ)

さて、ラスカルズの調べ物でヴィニー・ポンシアが登場したものだから、いつもの裏取り脇固め、いちおう検索してみたら、ポンシアと長年コンビを組んだピート・アンダースのサイトの年表ページに飛び込んだ。

こりゃおもしれえ、とずずずっとスクロールさせていったら、ページの真ん中よりちょっと下あたりに、あらま、という写真があった。ピート・アンダースがギターのソフト・ケースを抱えてどこかの街角に立って談笑している。キャプションにはこうあった。

Peter Anders and legendary session keyboardist Paul Griffin outside the “New York’s A Lonely Town” recording session, New York City, Autumn, 1964

「ピーター・アンダースと伝説的セッション・キーボード・プレイヤーのポール・グリフィン。1964年秋、NYCでの“New York’s A Lonely Town”の録音の際、スタジオの外で」。

これでめでたく、ハル・ブレインもジム・ゴードンも嫌疑がはれて自由の身と相成り候。長い疑問の旅であったなあ、である。呵々。

いや、ずっと前からハリウッド録音ではないと確信していたが、証拠がないと納得しない人が多いので、当事者のこういう証言がなによりも即効性がある。

こんどまた誰かが、ジム・ゴードンが叩いたなどと与太を飛ばしたら、この写真を見たまえ、字が読めるなら、なんと書いてあるかわかるだろ、と云えるようになり、助かった。

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ポール・グリフィン(左)とピート・アンダース

しいて云うなら、キーボードはポール・グリフィンだったと云うことがわかっただけで、ハル・ブレインだのジム・ゴードンだのに仮に比定されたドラマーが、ほんとうのところ誰だったのかはまだわからないのだが、「それくらいまけておけ」と「千早振る」エンディングでよかろう、と。

◆ 縁語:リトル・ラスカルズ、ちびっこギャング、スパンキー ◆◆
ヤング・ラスカルズないしはラスカルズという名前の由来や、なぜヤングがついたりとれたりするかについては後述といったきり、係り結びにしていなかったので、この寄り道回の後半ではその責務を果たさむとぞ思ふ。

還暦を過ぎた人たちならまだはっきりと記憶していると思うのだが、大昔、テレビで「ちびっこギャング」といういたずらっ子たちの活躍を描いたアメリカ製のドラマをやっていた。

あれはややこしいことに、あの時代に製作されたものではなく、長い製作期間のうち、1930年代につくられたシリーズがアメリカでテレビ放映され、それが入ってきたものだったらしい。チャップリンの第二次大戦前の短篇も放送していたが、それとちょっと似た形だ。

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ちびっこギャング。中央がスパンキー、右端がアルファルファ

あの「ちびっこギャング」の原題がThe Little Rascalsだった。〈チュー・チュー〉の時か、そのつぎの〈バージ〉の時か、ディノ・ダネリによると、客のひとりに「リトル・ラスカルズ」って名前にしたらどうだ、と云われたのだという。

なぜそういう印象を持ったのかわからない。群像劇のようなところがあったが、中心となるのはスパンキーとアルファルファという男の子ふたり。このうちスパンキーの雰囲気が彼ら、とくにジーン・コーニッシュにはあったのかもしれない。

どういう納得の仕方であったにせよ、彼らはこの提案を是として、「ザ・ラスカルズ」と名乗ることになった。のちに、「小公子のような衣裳」をまとったことがあったが(デビュー盤のジャケットに記録されている)、それもこの背景から出てきたこと。

The Young Rascals - 09 I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymore (remastered mono mix, HQ Audio)


「ザ・ラスカルズ」としてデビューするはずだったが、よそに同じ名前のグループがあることがわかり、シド・バーンスティーンがヤングをつけて、「ザ・ヤング・ラスカルズ」と変えることを提案したのだという。

やがてヤング・ラスカルズは2曲のビルボード・チャート・トッパーを得て、他にどんなラスカルズがいようと、もはや混同の可能性はゼロになったからか、あるいは、当初は障碍になったそのラスカルズが消滅してしまったのか、彼らはヤングを削り、ただのラスカルズに戻った。

当方の書きっぷりがいい加減で、ヤングを付けたり付けなかったりするのは、このあたりの曖昧な事情、つまり「本来はラスカルズ」、でも混同を避けるために「とりあえずヤング・ラスカルズ」というどっちつかずに由来する。

いや、改まって云う時はヤング・ラスカルズとしてリリースした曲のアーティストは、やはりヤング・ラスカルズと書く方がいいと考えているので、なにかの拍子にヤングが飛び出すわけだが。

The Little Rascalsは、Our Gangというシリーズ名で上映された時期もあったそうで、邦題の「ちびっこギャング」はそちらを元にしている。

中心的な子供はアルファルファとスパンキー。後者を演じた子供がジョージ・マクファーランドという名前で、役名と合体して「ジョージ・“スパンキー”・マクファーランド」とクレジットされる。

ここで、60年代の音楽を知っている人は、頭の中で鐘が鳴り、大きな電球が点滅したはず。そう、スパンキー・マクファーレンをリード・ヴォーカルとしたこのグループ、じつはラスカルズの従兄弟だった! いや、すくなくとも名前のうえでは。

Spanky & Our Gang - Sunday Will Never Be The Same (04/12)


エレイン・“スパンキー”・マクファーレンをリーダーとしたギャングたちの代表作は、やはりこの曲だろう。ほかのヒット曲は記憶が飛んでしまったが、「あの日曜はもう戻らない」(自前邦題!)だけはラジオで聴いたのを憶えている。

などという程度の付き合いだったものだから、手元には音質のいいファイルはなく、長年の友人が全部盤を持っているというので、クリップをつくってアップしてもらったのを貼りつけた。

セカンド・アルバムはLPしかもっていないということで、ノイズと格闘中と云われ、心配したが、さすがにLPリップのヴェテラン、ほとんどノイズがわからないほどにクリーン・アップしてきた。そのセカンド・アルバムから一曲。これもヒット。

Sunday Mornin' (05/12) / Like To Get To Know You (Spanky & Our Gang)


一枚のアルバムの中で録音場所があちこちする落ち着きのないバンドで、「あの日曜はもう戻らない」はNY録音と思われるのに対して、こちらはハリウッドと思われる。アルバム丸ごとクレジットのため、確定できないが、ドラムはハル・ブレインだろう。

声の配置のせいで、シーカーズがグレたような雰囲気も感じるが、やはり人脈的に近い、カウシルズがいちばん似ているかもしれない。コーラス・グループにしては、サウンドがサイケデリック側に寄っていってしまうところが面白い。グッド・タイム・ミュージック要素を利用するのも、あの時代の気分ではごく自然なことだった。

つぎはセカンドのアルバム・タイトル曲。素直にはじまらず、寸劇じみた台詞のやりとりやSEが入るところも、まさにサイケデリック・エラ。

Like To Get To Know You (09/12) / Like To Get To Know You (Spanky & Our Gang)


いずれ、ラスカルズもそういうSE大量投入のアルバムをつくることになるが、それまでにまだ数枚のLPが横たわっている。次回もまたデビュー盤。しかし、これで一枚は完結できるだろう。



The Young Rascals (Original Album Series)
The Young Rascals (Original Album Series)

グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
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Young Rascals [12 inch Analog]
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The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers

The Trade Winds - Excursions
Excursions


The Very Best of Ronnie Spector
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Spanky & Our Gang - The Complete Mercury Singles
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by songsf4s | 2016-09-19 22:51 | 60年代