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『俺は待ってるぜ』さらに補足 高村倉太郎撮影監督の回想 その2
 
高村倉太郎は、撮影監督として、九人の新人監督のデビュー作を担当したと云っています。

できあがった映画がそれなりの評価を得ないと助監督に戻されてしまうケースもありますね、というインタヴュワーに、高村倉太郎は、そこがいちばん気になるところ、とこたえています。

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監督の意図はなるべく尊重しなくてはいけないが、そのまま撮ればいいかというと、かならずしもそうではない、といい、そして、蔵原惟繕新人監督の『俺は待ってるぜ』について、以下のように云っています。

「たとえば蔵原惟繕くんのときなんて、僕がかなりいろいろいいました。ただ、それは自分の好みというより、監督が作品をどういう意図でまとめようとしているのか、そのことから判断して、やり方としてはそれよりこっちの方がいいんじゃないのかって、ずいぶん意見を言い合ったことはあります」

前回は、この前段を省いて、高村キャメラマンが、蔵原監督の意図に反対した事実だけを書いてしまったというしだいです。

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◆ 日活のスクリーン・プロセス ◆◆
改めて説明するのはお客さん方に失礼でしょうが、「スクリーン・プロセス」という撮影技法があります。あらかじめ撮影した風景などをスクリーンに映写し、その反対側で、映写された画像を前に俳優が演技するのをキャメラで撮影するものです。

もっともよくあるタイプはたぶん、自動車内部での撮影を、ロケでおこなわず、スクリーンに背景を映して、その前に自動車内部の大道具をおき、そのなかで俳優が演技するというものでしょう。

しかし、とりわけカラー映画の場合、スクリーン・プロセスによる撮影だということは、観客には見え見えになってしまい、しばしば興を殺がれることになります。舞台劇でも見るように、「これは約束事だから」と諦めるわけです。

高村倉太郎が雑誌に書いたところによると、スクリーン・プロセスでは、映写機と撮影機の回転が同期しないと、映写画面が暗くなり、前景の芝居の絵と落差が生まれてしまうのだそうです。つまり、見え見えのバレバレになってしまう、という意味です。

『俺は待ってるぜ』では、レストラン「リーフ」の内部から、窓ガラスを通して外部が見える昼間のショット、すぐ外の引込線を列車が通過する場面で、スクリーン・プロセスが使われています。

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下手から上手へと蒸気機関車に牽引された貨物列車が通過する。

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スクリーン・ショットではわかりにくいだろうが、機関車なので煙りを吐かせている。

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左は小杉勇、右は北原三枝

モノクロ映画だとスクリーン・プロセスはバレにくいもので、『俺は待ってるぜ』のこのショットも非常にうまくいっています。関係者が、いや、あれはスクリーン・プロセスじゃない、新港のオープン・セットは張りぼてではなく、内部までつくってあり、あのショットはオープン・セットで撮った、なんて証言したら、そうだったのか、なんてあっさり信じてしまうでしょう。

高村倉太郎はこのショットについて、日活には(たぶんアメリカ製の)新しいスクリーン・プロセスの機材があったので、映写機とキャメラを同期することができた、と答えています。

自動車内部から通りと他の自動車を撮ったスクリーン・プロセスの場合、対象との距離感が動的に変化し、それがスタジオで撮影された前景と齟齬が起きる原因になりますが、『俺は待ってるぜ』の場合、キャメラはまっすぐうしろにわずかに引くだけなので、距離感の動的変化が小さく、それがリアリティーの確保に寄与していると思います。

◆ キャバレーのデザインとクライマクス ◆◆
ここからは結末にかかわることを書くので、『俺は待ってるぜ』は未見、いずれ見ようと思っているという方は、ここでおやめになったほうがいいでしょう。

高村キャメラマンは、蔵原監督とときには徹夜になるほど綿密に打ち合わせをしたと語っています。「玉木宏樹「日活での凄い体験」(『猛毒!クラシック入門』より)」という記事に、徹夜続きで藤田敏八監督が音楽の打ち合わせの最中に眠ってしまった話を書きましたが、蔵原惟繕も『俺は待ってるぜ』の撮影で極度の睡眠不足になって、高村倉太郎がとにかくすこし眠れと説得したことがあったそうです。

その二人のあいだでやりとりされたこととして、クライマクスのキャバレーでの石原裕次郎と二谷英明の殴り合いをどう撮るか、という点を高村倉太郎はあげています。

蔵原監督は、(日活アクションの酒場の乱闘シーンにはよくあったことだが)、客が入った営業中のキャバレーで石原裕次郎と二谷英明に闘わせたかったそうです。

しかし、高村キャメラマンは、そのやり方だと「順撮り」(シーン順に撮影していく)にしなくてはならず、時間がかかる、子分が大勢いるのだから、営業が終わった直後に裕次郎がやってきて殴り合いになる、という設定にしようと提案したそうです。

たしかに、客がいると、悲鳴やら、逃げる人やら、壊れる什器やらで、変化をつけやすくなるでしょう。しかし、スケデュールはすでにきびしいことになっていたにちがいありません。時間をかけて順撮りをやれる状況ではないと判断し、高村倉太郎は、状況と表現手法を現実的な観点から摺り合わせて、妥当に思える現実的なやり方を監督に提案したのでしょう。

また、脇の些事にすぎませんが、客もいないのに、二谷英明のいわば「いじめ」で、北原三枝がステージにあがって、無伴奏で歌っているというのは、これで、折衷案だったのだと理解できました。営業は終わっているが、ステージに歌手がいて、照明が当たっているというキャバレーらしさを醸すために、北原三枝はさらし者のようになり、「もっと歌え」といわれているのです。

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あくまでも結果論なのですが、この石原裕次郎と二谷英明のファイトは、後年の日活アクションによく見られる、「いちおう殴り合いらしくしてみました」というレベルのものではなく、「やはり初期のものにはrawな魅力があるなあ」と納得させられるシークェンスになっています。

そうなったのは、主として石原裕次郎と二谷英明の献身的な動きと、後年、日活アクションのスタンダードになる殴り合いでの長回しをせず、細かくカットを割ったおかげだと感じます。

このシークェンスには面白いアイディアがあります。キャバレーの床の一部、畳三畳ぐらいの面積を15センチ四方ぐらいのガラスブロックを敷きつめたものにしたことです。ここにライトを入れ、下から人物を照らすことで、独特の緊張感を生み出しています。

これは美術監督(松山崇)が撮影前に用意したものではなく、蔵原監督や高村キャメラマンとの話し合いのなかで生まれたアイディアだったようです。

水の江滝子プロデューサーは『俺は待ってるぜ』を見て、フランス映画みたい、と喜んだと高村倉太郎は回想しています。以前の記事にも書きましたが、わたしも同感です。じつにシックな映画になったと思います。その裏には、高村倉太郎という、すぐれたキャメラマンがいて、新人監督の希望を理解しつつ、全体の仕上がり、つながりを念頭に、現実的な提案でうまく監督を補佐していったのだということが、『撮影監督高村倉太郎』を読んで、よくわかりました。

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◆ 「いろいろな交流」 ◆◆
最後に、ささいなことなのか、重要なことなのか、よくわからないながらも、ちょっと引っかかった点を書いておきます。

インタヴュワーの、石原裕次郎をスターとして売り出そうという意図のある映画に、新人監督を起用するのは不思議だ、蔵原惟繕は助監督時代から評価されていたのか、という質問に対し、高村倉太郎はこう答えています。

「もちろん、評価されていたでしょうね。それで水の江さんといろいろ交流がありましたからね」

なんだか不明瞭な言い方で、どうとでも解釈できそうですが、要するに、蔵原監督は水の江プロデューサーのお気に入りだったということでしょう。

この『撮影監督高村倉太郎』という本のはじめのほうで、まだ高村キャメラマンが松竹にいた時代のことが語られています。映画作りの本質とは関係のないことなのですが、木下恵介は、チーフ助監督の小林正樹より、セカンドの松山善三を重用し、彼ともうひとりの助監督に身の回りの世話までさせていたと云っています。理由は松山善三がハンサムだったから。

映画監督の性的嗜好のことは、わたしは重要だとは思っていません。しかし、人から好かれるというのは、べつに映画といわず、どこの世界でも、成功の助けになります。いずれ成功する人でも、人から好かれれば、成功の時期は早まります。

ひるがえって、無精髭を生やし、腰に手ぬぐいをぶらさげ、サンダルで歩きまわっていた、身だしなみのよくない映画監督、鈴木清順のキャリアのことに思いが飛びました。人から好かれないこと、とりわけ首脳陣に疎まれたことが、彼の映画人生、とくに日活での仕事に大きく影響したような気がしてきたのです。

目下、鈴木清順インタヴュー『清順映画』という本を読んでいるので、そのあたりは近々考えてみたいと思います。



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撮影監督高村倉太郎
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by songsf4s | 2012-11-07 23:57 | 映画
『俺は待ってるぜ』さらに補足 高村倉太郎撮影監督の回想 その1
 
せいぜいひと月ぐらいと思っていた更新中止が長引いて、定期的にチェックされているお客さんには申し訳ないことと恐縮しております。

細部をすっ飛ばして、できるだけ簡単に書くと、以下のような事情です。

悪法が成立した→MP3サンプルの上げ下げはこの法律に抵触する恐れがある→MP3は使いにくくなった→ユーチューブにクリップとしてあげるのが目下のところもっとも簡便な迂回策である→ちょっと試したが、PCが不調で落ちやすく、flv作成ソフトもちょうどいいものが見あたらない→面倒になった。

結局、抜本的な解決策のひとつは、PCのはらわたの換装なのですが、昔と違ってシステムを組むのも面倒になってしまい、先送りにしています。ツイッターとメールぐらいだったら、いまのままでも十分ですから。

上記の法律が施行されたので、記事中においているMP3サンプルのストリーミングは中止しました。記事を書き換えるのは煩瑣なので、リンクは書き換えないまま、リンク先にアクセスできないように処置しました。

ストリーミングしかできない仕様ならいいのですが、どこも落とす選択肢があるので、リンクを削除するか、リンク先をアクセス不能にするか、ファイルないしはアカウントを削除するぐらいしか打つ手がなくなってしまったしだいです。ご寛恕を。

◆ 松竹から日活へ ◆◆
ということで、本格的な再開はCPUを交換して後のことになるでしょう。今回は、手もとに『撮影監督 高村倉太郎』という本があるうちに、ちょっと補足を書いておくだけの、一時的な復活です。

高村倉太郎キャメラマンは、日活が製作を再開したときに各社から引き抜かれたスタッフのひとりで、鈴木清太郎、すなわち鈴木清順同様、松竹にいたのを、かつて松竹に在籍した西河克己(吉永小百合と浜田光夫の青春映画群で知られる)にリクルートされたそうです。

いま撮影監督としての高村倉太郎の代表作をあげるなら、『幕末太陽傳』『州崎パラダイス 赤信号』、『南国土佐を後にして』も含む渡り鳥シリーズ、『紅の流れ星』あたりが妥当でしょう。

鈴木清順は、監督昇進と給料三倍という条件で日活に移ったと語っていました。高村倉太郎はすでに助手ではなく、キャメラマンに昇格済みだったからだと推測されますが、給料は倍額という約束だったそうです。

しかし、問題は金よりも、勤続年数や先輩後輩の縛りがきつくないことのほうが大きな魅力だったと高村倉太郎は回想しています。じっさい、日活関係者はしばしばその点に言及しています。

松竹に比較しての話でしょうが、日活首脳陣は、現場のやり方にあまり口を挟まなかったと高村倉太郎は証言しています。となると、鈴木清順の馘首の事情について、また想像をたくましくしそうになりますが。

◆ 『俺は待ってるぜ』の撮影 ◆◆
石原裕次郎の代表作、それも初期のものではあるし、フォトジェニックな側面でもすぐれた映画だったので、『撮影監督高村倉太郎』でも、『俺は待ってるぜ』は詳細にコメントされています。

本の記述の順序は無視して、シーン順に見ていきます。なによりもまず、タイトルが気になります。

『俺は待ってるぜ』ダイジェスト


このクリップには肝心の部分が出てきませんが、タイトルのあいだ、雨粒が落ちて、水溜まりが揺れています。雨がやんで、水溜まりの表面が静かになると、「監督 蔵原惟繕」と出ます。

レストラン「リーフ」とその前を行く機関車からしてすでにきわめてスタイリッシュな絵になっていますが、この水溜まりの水面による雨降りと雨上がりの表現は、気取りの駄目押しとでもいったところで、立ち上がり、第一ラウンド2分57秒に繰り出された、別れ際の鋭いストレートに感じます。

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このあと、リーフの電飾が消え、ダスターコートを羽織った石原裕次郎が外に出てきて、ドアに鍵をかけ、封書を投函した帰り、山下公園の岸壁に佇む、コートにレイン・ハットの北原三枝に目をとめ、声をかけます。

高村倉太郎の回想によると、当初、蔵原監督は、このシークェンス全体を雨中の出来事にしようと考えていたそうです。

しかし、高村キャメラマンは、それはダメだと反対しました。雨が降っていると、二人の主役は傘を差して登場することになる。最初から傘の中はダメ、観客に顔を見せなければいけない、と蔵原監督を説得し、あの水溜まりによる雨降りと雨上がりの表現を代案としたのだそうです。

これは、高村倉太郎が松竹で訓練された結果なのでしょう。たとえば松竹では、人物をシルエットにするのは御法度だったそうです。夜の場面でも、きちんと顔にライトを当て、観客に表情を見せるようにと首脳陣が注文をつけたのだとか。

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いえ、高村倉太郎は、シルエットをやりたかったそうです。だから、松竹首脳陣ほど厳密なコードに縛られていたわけではありません。

それでもなお、タイトルが終わった、さあ主役が登場する、という場面でスターの顔が見えないというのは、高村キャメラマンとしては許容できない逸脱表現だったということです。結果から見て、高村案は正鵠を得たものだったと思います。

そのシルエットですが、『俺は待ってるぜ』でじっさいに使われています。以前、「蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その2」という記事でそのショットをキャプチャーしましたが、ここに再度貼り付けます。

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明確にはわかりませんが、たぶん、山下公園の海に向かって右手、倉庫が並ぶ岸壁で、北西にレンズを向けて撮影されたと思うのですが、問題があります。横浜港で、西陽が水面で反射してキラキラ見える場所というのは、ごくかぎられるのではないか、ということです。ひょっとしたら、朝陽だったのかもしれません。

次回も高村倉太郎の回想を書きます。


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by songsf4s | 2012-11-05 22:22 | 映画
田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その3
 
以前、山崎徳次郎監督『霧笛が俺を呼んでいる』をとりあげたときに、「木村威夫タッチのナイトクラブ」という記事を書きました。これに加えて、鈴木清順監督『東京流れ者』のクラブ〈アルル〉のデザインをご存知だと、木村威夫が1958年の『陽のあたる坂道』で、どういうクラブをデザインしたかを見る興趣はいや増すことになります。

◆ ジャズとウェスタン・スウィングのはざまで ◆◆
倉本たか子(北原三枝)は田代くみ子(芦川いづみ)が大好きだというジミー小池というシンガーのステージを見に行くことになります。目的地は銀座裏の〈オクラホマ〉という店です(原作も店の名は同じ。オクラホマなんて農業地帯じゃないか、ヒルビリーは盛んだったかもしれないが、音楽的な土地とはいえんだろうとあたくしは思うけれど、当時はこれで十分に「ヒップ」に感じられたのだろう)。

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先に申し上げておきますが、わたしは、この種の「ジャズ喫茶」には行ったことがありません。「この種」とはどういう種かというと、ライヴを主たるアトラクションとし、三桁の収容人員があり、50年代終わりから60年代にかけて、モダン・ジャズではなく、「ロカビリー」を売り物にした店、というタイプです。

わたしが知っている「ジャズ喫茶」は、いまでも残っているであろうタイプの、名曲喫茶が横にずれて、クラシックではなく、モダン・ジャズの盤をかけるようになった、ロックンロール・キッドには辛気くさくてかなわない店だけです。新宿に有名な店があり、いくつか行ったことがあります。

ロック系ですが、渋谷のブラックホークなんかも、静かに聴け、という教室みたいに馬鹿馬鹿しい雰囲気でした。あれを思いだすと、日本は音楽を楽しむ国ではないな、と腹が立ってきます。

ジャズ喫茶がどうしてロカビリーのライヴ・ジョイントに化けてしまったのか知りませんが、銀座のACB(あしべ)が、ノーマルなジャズ喫茶(つまり名曲喫茶のジャズ版および4ビートのライヴ)として出発しながら、途中で経営方針を変え、ロカビリー歌手を出演させて、大当たりをとったことから、名前と実態が乖離していったようです。

『陽のあたる坂道』の〈オクラホマ〉のシークェンスは、以上のような「ジャズ喫茶」の振れ幅の右と左を音楽的に表現しています。意図したものか、偶然の結果か、そこのところはわからないのですが。

まず、北原三枝と芦川いづみが店に入っていくときにプレイされている音楽を聴いてみます。

サンプル 佐藤勝「クレイジー・パーティー・ブギー」

いつもは恣意的にタイトルをつけていますが、これはGo Cinemania Reel 2という編集盤に収録されたときのタイトルです。佐藤勝と書きましたが、演奏しているのは、クレジットもされている平野快次とドン・ファイブだろうと思います。リーダーの平野快次はベース・プレイヤーだそうです。

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この曲、大人になって『陽のあたる坂道』をテレビで再見したときも、ちょっとしたもんだな、と思いましたが、年をとって聴くと、もう一段ランク・アップして、かなりのもんだね、と思います。やはり、ビーバップの影響なのでしょう。

ウォーデル・グレイとデクスター・ゴードンのMove (Jazz on Sunset)を連想しましたが、ウェスト・コースト・ジャズの震源であった、このコンボの曲も脳裏をよぎりました。ドラムはシェリー・マン、トランペットはショーティー・ロジャーズ。ちょっと音が悪くて相済みませぬ。手元のやつはもっとずっといい音で、もっとずっとホットなのですが。

Howard Rumsey's Lighthouse All Stars - Swing Shift


こういう、元々はダンス・チューンであったはずなのに、やっているうちにうっかりダンスの向こうに突き抜けてしまった、てな調子の音楽は、モダン・ジャズのうっとうしさとは対極にあって、じつに好ましい音に感じます。

平野快次とドン・ファイブの「クレイジー・パーティー・サウンド」に話を戻します。

ロカビリー歌手が出演しそうな雰囲気の「ジャズ喫茶」ですが、この音楽はロカビリーではなく、ストレートなジャズです。ドラムはミス・ショットもあるし、タイムもきわめて精確とは云いかねますが、やりたいことはよくわかりますし、ホットなところは好ましく感じます。ロックンロールとは異なり、ジャズではグルーヴの主役はベースなので、結果として、おおいに乗れるグルーヴになっています。

平野快次とドン・ファイブのプレイが終わると、MCがジミー小池、すなわち、くみ子が熱を上げているシンガーを紹介します。映像なし、音だけのクリップですが。

ジミー小池(川地民夫)「セヴン・オクロック」


歌詞の意味は映画の後半でわかるので、それまでは判断保留としてください。

川地民夫は、石原裕次郎の家の近所に住んでいたとかで(だから地元の逗子開成に通った。谷啓も逗子開成)、裕次郎がスタジオに連れてきて、日活が採用したという話が伝わっています。この映画が最初の仕事で、役名のファーストネームを芸名にしました。

歌は下手ですし、英語の発音も「うわあ」ですが、なんというか、役者の歌はこれでいいというか、肝が据わっている点はおおいに買えますし、まったく照れていないところも立派で、十分に楽しめる「音楽」になっています。素人にしては上々の出来。

そういっては失礼ですが、川地民夫、いい加減そうに見えて、さすがにこのときはロカビリー・シンガーのステージやエルヴィスの映画を研究したのじゃないでしょうか。歌手としての動きはそれらしくやっていて、その点もこのシーンを楽しくするのに貢献しています。スター・シンガーの雰囲気をしっかり醸し出しているのは、新人俳優としてはおおいに賞賛に値します。

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音楽。ロカビリーといっていいのでしょうが、そのまま平野快次とドン・ファイブがプレイしていることもあり、また8ビートではなく、速めのシャッフルでもあり(いや、ストレートな4ビートに近いか)、非常に折衷的な音に聞こえます。きわめてジャズ的なシャーシに、ポップな気分と楽曲とスタイルというボディーを載せた、といったあたり。

しかし、佐藤勝という人も、ほんとうにヴァーサタイルで、映画音楽のプロはこうでなくてはつとまらんのだろうと思いつつも、えれえオッサンだな、と呆れます。

クリップが削除された場合に備えて、映画から切り出したサンプルも念のために置いておきます。この曲も、「クレイジー・パーティー・ブギー」同様、Go Cinemania Reel 2に収録されています。この盤はもっていたように思うのですが、HDDには見あたらず、以下は映画から切り出したものです。

サンプル 川地民夫「セヴン・オクロック」

◆ 縦の視線 ◆◆
ここまで、田代家や倉本たか子のアパートのように、重要なセットが出てきても、あとでまとめて検討することにして、立ち止まりませんでしたが、〈オクラホマ〉のデザインについては、先送りせずにここで見てみます。

北原三枝と芦川いづみは、店内に入ると、直径の小さい螺旋階段を上って二階に行き、階下のステージに正面から向き合うあたりに席を取ります。これは演出しやすいようにデザインした結果、最適の場所はここと決まったのでしょう。

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ジミー小池=川地民夫がステージに上がると、この席の意味がはっきりします。倉本たか子は、くみ子が好きだというのはどんな歌手なのかという興味でこの店に来たのですが、彼が登場してみたら、同じアパートの「民夫さん」だったのでビックリ。その近所の坊主に向かってくみ子が「ジミー!!!」と叫ぶのでまたビックリ。

そのジミー小池は近所の「お姉ちゃん」が席にいるのを見つけて合図をし、たか子も小さく手を振り、それを見てこんどはくみ子のほうがビックリ、というのが、このシーンの無言劇です。

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キャメラは、二階席よりすこし高いところに置かれ、たか子とくみ子の背中とジミー小池の上半身を同じフレームに収めます。

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こういうすっきりしたショットが撮れたのは、やはり、二階席と、少し高めのステージという、セット・デザインのおかげです。一階席でステージを見上げるのでは、ほかの客が邪魔でしょうし、三人をきれいにフレームに収めるには、苦労することになったでしょう。映画美術とは、たんなる視覚的デザインではない、ということがここにはっきりあらわれています。

それはそれとして、たんなる視覚的なデザインとして見ると、このセットはどうでしょうか。まだ後年ほど木村威夫的特徴は出ていませんが、ストレートな、あるいはシンメトリカルなプランはせず、不規則にでこぼこさせるあたりは、いかにも木村威夫らしく感じます。

ステージもすこし高めにし、二階席を造って、縦に多重化することも、木村威夫的といえるでしょう。総じて、好ましいデザインなのですが、ご本人は、出来に納得がいかない様子です。

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「アイデアが多すぎるんじゃないかな。アイデアが。今ならもっと単純に考えるんじゃないかな。その当時は、あれもこれもという頭があったからね。でも白黒映画というのは、相当入り組んだことをしてもおかしくないんですよ。落ちついちゃうんだ。このままカラーで撮ったら見ちゃいられないですよ。色が氾濫しちゃって」

要素の詰め込みすぎという、よくある過ちを犯したというわけです。たしかに、ディテールの飾り付けの多くはないほうがいいかもしれませんが、あまり簡素にすると、大人のナイトクラブのようになってしまうでしょう。多すぎる要素はジャズ喫茶らしさを演出する一助になっているので、ちょっとうるさめの装飾も、悪いとばかりはいえないと思います。

とはいえ、白黒映画というのは落ち着いちゃうというのは、ほんとうにそうだなあ、です。前回ふれたスクリーン・プロセスも、白黒ならごまかしのきく場合があります。

二階席のジャズ喫茶というのは、ほかでも見たような気がします。調べがつかなかったのですが、銀座ACBからしてそうだったようですし、銀座の〈タクト〉という店も二階席があり、ステージは「中二階」と書いている人もいます。そのブログでは、渋谷プリンスという店は、ステージが二階と三階のあいだを上下に動いたと書かれています。ステージが回転して周囲の客に公平に顔を見せたところもあったとか。まるでワシントン・コロシアムのビートルズ!

木村威夫は、「遊んでいたころ」なので、多くの店を見たと回想していますが、やはり、そうした現実のジャズ喫茶をベースにして、このセットはデザインされたのでしょう。

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初見のときの感覚を思いだすのはむずかしいものです。しかし、三時間半というとんでもない長さの『陽のあたる坂道』が、それほど長く感じなかったのは、たとえば、この〈オクラホマ〉のシークェンスのように、出来のよい異質なものがうまくチェンジアップとして組み込まれているからではないでしょうか。

伊佐山三郎撮影監督も、この立体的なセットを生かそうと、そして、川地民夫の初々しさ、若々しさ、ワイルドなサウンドに絵を添わせようと、クレーンを大きく動かす撮影をしていて、この対話の多い映画に、異質な精彩を与えています。

そこまでは云わないほうがいいかな、とためらいつつ云います。この〈オクラホマ〉のシークェンスは、田坂具隆文芸大作映画に紛れ込んだ、日活アクション場面なのである、なんて……。


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by songsf4s | 2012-06-09 23:48 | 映画
田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その2
 
以前、なんの記事だったか、滝沢英輔監督『あじさいの歌』(1960年、日活、池田一郎脚本)は、フル・レングスの長編のプロットをほとんど省略せず、原作の手触りもそのまま、ほぼ忠実に映像化した、きわめて出来のいい文芸映画だといった趣旨のことを書きました。

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『あじさいの歌』挿絵。岩崎鐸画、新潮社刊『石坂洋次郎文庫 第13巻』より。

『陽のあたる坂道』はどうでしょうか? 『あじさいの歌』と同じ池田一郎(のちの作家・隆慶一郎)が田坂具隆監督と脚本を共同執筆した『陽のあたる坂道』は、原作の手触りを損なわない、ある意味で「忠実な映画化」ではあるのですが、千枚の長編を映画にするために、じつは、大きな「切除手術」をしています。

石坂洋次郎の原作には、倉本たか子が通う大学の「主事」で、たか子に田代くみ子の家庭教師の職を紹介した「山川」という人物が登場しますが、映画ではこの人物がまるごとオミットされているのです。この判断が、映画が成功するか否かのキー・ポイントになったと感じます。

小説では、山川主事はきわめて重要なキャラクターで、いま読み返すと、他の部分はさほど感興がわかないのに、山川と田代家の長い関わりの部分だけは、精彩を失っていないと感じます。

しかし、映画を三時間半に収めるにはなにかを省略しなければならず、そして、山川と田代夫妻のサイド・プロットを丸ごとオミットするという、田坂具隆と池田一郎の判断は正しかったと思います。山川主事を登場させたら、映画は混乱したでしょう。

映画には登場しない、山川と田代夫妻の関わりは、それ自体、おおいに興味深いもので、石坂洋次郎が書こうとしたのは、むしろ、この世代の物語のほうだと思われるので、いずれ、その点についてもふれるつもりです。

◆ 「ジャズで踊ってリキュールで更けて」の昔から ◆◆
倉本たか子(北原三枝)は、最初の田代家訪問でさまざまなことを知りますが、のちのプロットに影響するものとしては、まず、田代くみ子(芦川いづみ)が子どものころの大怪我のせいで軽くびっこをひくこと、そして、これが彼女の性格と生活に大きく影響しているらしいことです。

長男の雄吉(小高雄二)はあらゆる面で優等生、そして医学を勉強中、次男の信次(石原裕次郎)は画学生で、ちょっと斜に構え、人を食ったようなところがあり、たか子をさんざんからかったあげく、「訪問者に対する憲法」だといって、彼女の胸にさわって、悪い第一印象を与えます。

だれが、というのではなく、母親のみどり(轟夕起子)以下、一家全員がたいていのことを包みかくさず、初対面の人間に説明し、それぞれがそこに論評を加えるということを知るのも重要でしょう。以前にも書いたとおり、石坂洋次郎の物語は「ディベート小説」であり、ディスカッションによって進んでいくのです。

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『陽のあたる坂道』は轟夕起子の戦後の代表作といえる。

昼食(豪邸なのに、食卓にはカレーライスが並んだところに時代を感じた。あの時代には、これでもアンバランスな印象は与えなかったのだと推測する)のあと、たか子はくみ子の部屋に行き、二人だけで話します。

階下からピアノの音が聞こえてきて、あれは雄吉兄さんだとくみ子は教えます。たか子は「上手いわあ」とおおいに感心しますが、くみ子は、ただ滑らかなだけで、面白みがないと批評します。くみ子の言葉の端々から、長兄・雄吉を好まず、次兄・信次とは仲がよいことがわかります。

たか子はアパートに帰り、玄関のところで同じアパートの住人、料理屋の仲居をやっている高木トミ子(山根壽子)と一緒になり、荷物をあずかっているので、いま息子の民夫(川地民夫)に届けさせましょう、といわれます。これでおもな登場人物がそろいました。

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山根壽子は『乳母車』のときとは対照的な役柄

トミ子「あの子も可哀想に、ほんとうは作曲家になりたいんだそうですけど、それじゃお金にならないもんだから、ナイトクラブみたいなところで、いま流行りのアメリカの唄、うたってんですよ」
たか子「あら、そう」
トミ子「あたしにはさっぱりわかんないんですけどね」
たか子「ジャズでしょう」

アメリカのポップ・ミュージックをすべてひっくるめて「ジャズ」といったのは戦前のことでしょうが(「ジャズ小唄」なんていう目がまわるようなジャンルもあった!)、戦後になっても、案外、そういう言い方が長く生き延びたのでしょう。ここでいっている「ジャズ」がどういう音楽かは、次回にでも、実物を聴いていただくことにします。

茶飲み話で、たか子の家庭教師の仕事先が、アジア出版という書肆の社長の家だということにふれたとたん、トミ子の顔色が変わり、たか子はトミ子が田代家を知っているのではないかと考えます。

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田代家の母親(轟夕起子)、くみ子(芦川いづみ)、雄吉(小高雄二)の三人とたか子が音楽会(ピアニストのものらしい)に行った夜、父・田代玉吉(千田是也)と、次男の信次(石原裕次郎)は、居間で酒を飲みます。

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千田是也と石原裕次郎

信次は「ぼくを生んだお母さんは生きているんですか?」とたずね、父を狼狽させます。信次は、ぼくが気づいていることはパパやママだって知っているし、ぼくがママの子でないことは、兄さんやくみ子もわかっているじゃないか、と云い、父にその事実を認めさせます。しかし、母親の存否は知らないといい、信次もそれで引き下がります。

いっぽう、音楽会に行った四人は、夕食後、母とくみ子は自宅に帰り、雄吉はたか子を送る途中、バーないしは喫茶店(夜は酒も供すタイプの店)に入ります。

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二人のロマンスがはじまりそうなことを予感させるシークェンスですが、ここではその店のなかで流れている現実音という設定らしいスコアをサンプルにしました。タイトルはあたくしがテキトーにつけたものにすぎません。

サンプル 佐藤勝「お茶の水タンゴ」

メイン・タイトルも、一部、複数のアコーディオンがリードをとるところがありましたが、こちらはタンゴ調なので、アコーディオンが使われたのでしょう。

窓外の風景はスクリーン・プロセスによる合成です。木村威夫はこのショットを記憶していて、お茶の水で撮ったといっていました。(初稿では「電車は丸ノ内線」と書いたが、その後見直して、この部分を削除。さらに、橋は聖橋と書いたが、これも削除。聖橋ではないようだ)

なんだか、音楽も気になり、美術も気になり、はてさてどうしたものか、なのですが、セット・デザインとちがって、ここはあとでまとめてというわけには行かないような気がするので、木村威夫美術監督の証言をもう少々。

『乳母車』その5のときにも、田坂具隆監督のスクリーン・プロセスのことを書きましたが、木村威夫美術監督もスクリーン・プロセスの利用には不賛成だったようです。

アメリカなら最新のものが使えたが、あの当時の日本のはそこそこのものにすぎなかったといい、木村威夫はさらにこういっています。

「この場合、どだい無理だから止めましょうと食い下がったんだけれど、田坂先生、頑としてスクリーン・プロセスで行きますとおっしゃるから(笑)、しようがありませんや。ロケーションじゃ細部にまで神経の行き届いた芝居はできないというわけだよ。コンサート帰りで町の感じも出す店となると、やっぱり、じゃあ、背景流れてた方がいいと落着するわけ。(略)それは頭の中ではうまくいくと思っているけれどさ、でき上がってみるとそうはいかないよな」

わたしもスクリーン・プロセスが好きではないので、木村威夫美術監督のこのきびしい評価には首肯できます。美術監督としては、視覚的なトーンの違いが気に入らなかったのでしょう。「調子が崩れる」というやつです。

観客として、わたしは、スクリーン・プロセスのシークェンスを見ると、「そこにいる気分」を阻害され、「スタジオでスクリーンの前で芝居しているな」という「素」の気分になってしまいます。

しかし、それはそれとして、橋より低い場所にある店、という設定はけっこうだし(秋葉原寄りか)、なにかを動かそうと思ったときに、車ではなく、夜の電車を選んだのは、いいなあ、と思いました。

もうひとつ、視覚的なことにふれておきます。

ある日、たか子はくみ子と待ち合わせて、くみ子が好きだという、ジミー小池という歌手のステージを見に行くことになります。この待ち合わせがバス停なのです。

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いわゆる「ジャズ喫茶」のある場所といえば、銀座と考えるのがふつうでしょう。そして、このバスは「新橋行」と表示しているので、このバス停が銀座にあると措定しても、矛盾は生じません。

しかし、これはどう見ても、銀座の表通りではなく、裏通り。銀座の裏通りをバスが走っていたなんて話は寡聞にして知りません。

木村威夫は、この疑問にあっさり答えています。このシーンの撮影場所は、日活調布撮影所のオープン・セット、いわゆる「日活銀座」だそうです。銀座裏を模したパーマネントなオープン・セットが組んであり、これを「日活銀座」と呼んだのです。たぶん、銀座での撮影許可がおりないことも、そういうセットを組んだ理由のひとつでしょう。

次回、彼女たちが向かったジャズ喫茶、「オクラホマ」のセットを見て、そこで流れる音楽を聴くことにします。どちらもじつに楽しいのです。


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by songsf4s | 2012-06-08 23:28 | 映画
田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その1
 
この春から、当家が居候しているExciteブログの「リポート」の形式が変わり、以前やっていたような、アクセス・キーワード・ランキングのご紹介はできなくなりました。

はじめて「芦川いづみ」というキーワードがランクインしたときは驚いて、そのことを記事に書きましたし、そもそも、アクセス・キーワード・ランキングを公開しようと思ったのは、芦川いづみ登場にビックリしたからだったようにも記憶しています。

リポートの形式が変わったおかげで、どうやら、日々いらっしゃるお客さんの半数以上、おそらく3分の2ほどは、検索によっていらっしゃっているらしいことがわかってきました。

検索に使われているのは、むろん、グーグルが多いのですが、他のサーチ・エンジンも使われています。当家の記事が上位に来やすいのは圧倒的にグーグルなので、グーグルが多数派であるのはありがたいかぎりです。

逆に、他のサーチ・エンジンには冷遇されていて、gooなんかで検索すると、グーグルなら1ページ目に出てくるようなものが、いつまでたっても見あたらなかったりします。

まあ、gooで検索するというのは、わたし自身はめったにやらないからかまわないのですが、先日、たまたまgooが開いたので、「芦川いづみ」を検索してみました。

ちょっと驚きました。いつもなら、当家など存在しないかのごとくふるまうgooが、2ページ目に当家の「芦川いづみ」タグのページをあげたのです。

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以前にも何度か、芦川いづみで検索して当家にいらっしゃった方にお礼を申し上げました。ブックマークではなく、サーチ・エンジンを使ってくださると、上位にあがっていくので、今後ともよろしくお願いします、と。

じっさい、芦川いづみファンの方たちが、サーチ・エンジンで芦川いづみを検索して、当家にくるということを繰り返してくださったのでしょう。その結果、当家に冷たいgooですら、芦川いづみのキーワードで当家がヒットしたのだと思います。

じつにどうも、ありがとうございます>芦川いづみファンのみなさま。しつこくて恐縮ですが、今後とも検索のほど、よろしくお願いします。いえ、芦川いづみにかぎりません。どんなものでも、お気に入りのキーワードでどうぞ。

◆ 血の陰影 ◆◆
さて、その芦川いづみが出演した田坂具隆監督の『陽のあたる坂道』を、これから数回にわたって見ていこうと思います。

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といっても、あと一時間ほどしかテキストを書く時間は残されていないのに、どういう方向でやるのか、いまだ暗中模索で、例によって、走りながら考えよう、という不埒な心構えで取りかかっています。書いているうちに目処がつけばラッキー、下手をすると、スパゲティー状の混乱記事になるおそれありです。

しかし、田坂具隆の二つ前の映画である『乳母車』と同じように、美術は木村威夫なので、セット・デザインのディテールを検討するという方法があります。

また、音楽監督は佐藤勝で、例によって興味深いスコアや挿入曲もあるから、その面から見ていくという、当家のいつものやり方もできます。

原作も中学以来、何度か再読したことがあり、まだ文庫本が手元にあるので、小説と映画の異同を検討することもできます。

結局、たんに、ストーリーラインをどの程度まで追いかけるか、その匙加減だけの問題のようにも思います(楽観的すぎるぞ、と、だれかに云われたような気がする。空耳か)。

ということで、音楽、美術、撮影、原作との異同など、八方美人の虻蜂取らずで、右往左往としてみようと思います。

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まず外側のこと、データ的なことを少々。

当家ではすでに『乳母車』をとりあげていますが、この『陽のあたる坂道』は田坂具隆による、一連の石坂洋次郎原作、石原裕次郎、北原美枝、芦川いづみ出演映画の二作目にあたります。つぎの『若い川の流れ』と併せて三部作を形成している、その真ん中の映画です。

この三部作に共通するのは主要出演者ばかりでなく、美術の木村威夫、撮影の伊佐山三郎もレギュラーです。美術監督と撮影監督が同じだと云うことは、視覚的なトーンにも共通する味が生まれると、原則的にはいっていいでしょう。

石坂洋次郎は、はじめから「田代信次」というこの映画のキャラクターを、石原裕次郎のイメージで書いたのだそうで、なるほど、いかにも裕次郎が演じそうな人物になっています。

いや、渡辺武信が追悼記事で指摘したように、石原裕次郎という俳優には光と陰があり、屈託のない明るい青年と鬱屈する青年が同居していました。「青春映画」という言葉をそのまま当てはめてかまわない、明朗闊達な青年を演じた作品群(たとえば『青年の樹』や『あした晴れるか』)がある一方で、たとえば、『俺は待ってるぜ』のように、行き場のない場所に追いつめられた青年も多数演じています。

これはたぶん、石坂洋次郎作品に共通する暗さ(「血と過去がもたらす陰鬱」とでもいおうか)も影響しているのだと思いますが、『陽のあたる坂道』で石原裕次郎が演じた田代信次もまた、一見、闊達のように見えて、じつは「血」という日本的鬱屈に煩悶する青年です。

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北国からやってきて、東京の大学で学ぶ倉本たか子(北原三枝)は、出版社の社長・田代玉吉(千田是也)の娘・くみ子(芦川いづみ)の家庭教師の口を紹介され、(おそらくは田園調布にあると想定される、ただし、現実のロケ地は鶴見だったらしい)田代邸を訪れます。

ここでたか子は、母親のみどり(轟夕起子)、長男の雄吉(小高雄二)、次男の信次(石原裕次郎)に会い、彼女の常識からは大きく外れた、どんなことも言葉にして説明し、意見を主張する、いわば戦後的な家族のありように接します。

三脚なしの映画館盗み撮りですが、もっとも好きな映像と音の組み合わせによるクレジットなので、いちおうクリップを貼り付けます。



お断りしておきますが、イントロの数秒がカットされています。イントロそれ自体は重要ではなくても、残りの本体を引き出し、その味を決定する役割をもっているので、映像が黒味だからといって音をカットしていいと云うことにはなりません。それがわからない人が多くて、いつもムッとなります。

いきなりフォークボールではなく、高めのストレートを見せておき、つぎにフォークを投げて仕留める、なんてパターンがあるでしょう? 物事には順序というものがあり、その文脈のなかで生きるものというのがあるのです。映画はまさに順序の技、音楽もまたしかり。無意味においてあるものなどありません。

ということで、以下に、きちんとイントロのついているヴァージョンをおきます。ただし映画のOSTとは異なるテイクでしょう。全篇からいくつかの場面の音を取り出し、ひとつの組曲のようにしたヴァージョンです。

サンプル 佐藤勝「陽のあたる坂道」(ダイジェスト)

この冒頭のメロディー、メイン・タイトルといえる曲は、何度かアレンジを変えて、変奏曲として登場します。佐藤勝というのは、日本音楽史上もっともヴァーサタイルな作曲家ではないかというほど、ほとんどどんな音楽スタイルにでも適応できたと思います。それでも、やはり、このような、叙情的オーケストラ・ミュージックというのが、この人の背骨ではないかと感じますし、その系列のなかでも、この『陽のあたる坂道』のメイン・タイトルは、とりわけ好ましいものです。

先年、ヴィデオ・デッキを廃棄し、ついでにVHSテープの大部分も処分してしまい、テープでしかもっていなかった映画は見られなくなってしまいました。『陽のあたる坂道』もそのときに捨ててしまったのですが、あとになって無性に再見したくなりました。

そのときに、どのシーンが頭に浮かんだかというと、まず、オープニング・クレジットでした。なぜオープニングかというと、頭のなかで想像したときは、あの佐藤勝のテーマ曲が聴きたいのだと思いました。

今回、DVDで再見して、ちょっと考えが変わりました。佐藤勝の音楽だけでなく、視覚的にも、大きな魅力が二点あると、いまさらのように認識しました。

ひとつは、おそらくは田園調布(木村威夫の記憶はあいまい)で撮影された、坂道のアップス&ダウンズをなぞる視覚的なリズム、もうひとつは、背をピンと伸ばし、やや大股に歩く北原三枝の、これまたリズミックな身のこなしです。

この視覚的なリズムの流れに、佐藤勝の弦による音のレイヤーが呼応して、じつに音楽的な響きのある映像と音のアマルガムが生まれていると感じます。だから、あとで振り返ったときに、このオープニング・クレジットが頭に浮かんだのでしょう。

文字数を使ったわりには、今回はほとんどなにも書けませんでした。次回から、物語に入っていくことにします。


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by songsf4s | 2012-06-03 23:55 | 映画
『雨月物語』と『祇園囃子』──川口松太郎による溝口健二映画の原作小説二種 後篇
 
溝口健二監督『祇園囃子』(1953年、大映)と、その原作である川口松太郎の『祇園囃子』の関係は、『雨月物語』以上に微妙だと感じます。プロットはほぼアイデンティカルで、「忠実な映画化」といえるほどなのですが、しかし、後味は異なるものでした。

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祇園の芸妓・美代春(木暮実千代)のもとに、昔の客と朋輩だった名妓のあいだにできた娘、栄子(若尾文子)がやってきて、舞妓になりたいと頼みます。

美代春は妹分をもちたいのは山々ではあるものの、舞妓ひとりを一人前にするには大金が必要で、その投資を回収するには時間がかかり、途中でやめられでもしたら大損害になるため、慎重に栄子の意思をたしかめます。だれか確実な保証人をたてるのが手順ですが、栄子の没落した父(進藤英太郎)は、あれこれといって、ついに判を押しません。

溝口健二『祇園囃子』冒頭


美代春はそれでも栄子の境遇に同情し、また、自分も旦那を持たず、頼り身寄りがないので、栄子を妹分にして、舞妓に育てます。映画では、垢抜けない少女が、稽古に通い、身なりも変わり、だんだん美しくなっていく過程が描かれています。

美代春は「吉君〔よしきみ〕」という茶屋の女将から、栄子を一人前に育て、着飾らせるための費用を借りるのですが、この女将はその金を楠田(河津清三郎)という「車輌会社」(小説によれば鉄道車輌の製造会社らしい)の常務から借りたというので、美代春はあとで驚くことになります。茶屋に借りをつくるのはともかく、旦那でもない客から借りるのは本意ではなかったのです。

視覚的には、前半は若尾文子が美しく粧っていく過程がポイントですが、プロットのロジックとしては、芸妓、舞妓(あの方面にはまったく不案内でこの二者の区別はつかないのだが)というのは、花代だけでは生活が成り立たず、「後援者」を必要とする、むくつけにいえば、男に買ってもらわねばやっていけない、ということが描かれています。

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もうひとつ、若尾文子演じる栄子(のちに美代栄と名乗る)が「アプレ」だということも示唆されます。アプレとは「アプレゲール」の略、辞書には「(フランスapres-guerre)戦後、特に第二次大戦後に育った、昔からの考え方や習慣にとらわれない人たちをいう。戦後派。アプレ。⇔アバンゲール」とあります。

ただし、川口松太郎の原作では「アブレ」と書かれています。昔だから、こういう訛りというのはいかにもありそうで、誤植ではないだろうと思います。昔の年寄りはデパートを「デバート」、アパートを「アバート」などといったもので、それと同じようなものでしょう。

アプレの栄子は、花街のしきたり、前近代性に対して、何度か疑問を呈し、異議を唱えます。「そしたら、お座敷でお客はんが強引に口説きはったら、基本的人権を無視したことになりまっしゃろ」などというわけです。当然、これは後半への伏線です。

車輌会社の楠田は栄子が気に入り、旦那になりたいという意思を示します。いっぽう、楠田は運輸省(のように思われる)の役人を口説き落とし、重要な案件の認可をもらおうと画策しているところで、この役人は、美代春姐さんに一目惚れします。

京の舞妓は、その時期になると、東京に行って演舞場で「東おどり」を見ないと肩身が狭いのだそうで、楠田は栄子を東京に誘い、栄子は姐ちゃんも一緒ならというので、美代春もともに東京に行きます。

これは旅費滞在費、さらに二十四時間ぶっ通しの花代まで払うので、おおいに金のかかることのようで、楠田のほうはもう栄子の旦那になったつもりでいますが、栄子のほうは、まだ楠田を旦那と定める決心がついていません。

築地の旅館で、役人は美代春の酌でくつろぎ、さておもむろに口説こうというかまえになったとき、楠田は別室で栄子を抱きすくめ、無理に一儀に及ぼうとしますが、栄子は抵抗し、楠田の唇を思い切り噛んでしまいます。

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これが案外な大怪我で、大事な客をしくじりそうになった「吉君」の女将(浪花千栄子)は、非公式の「ふれ」を出して、他の茶屋にも美代春と栄子を呼ばないように圧力をかけます。

楠田の側は、自分の欲望はさておき、大事なのはここ一番の切所に来た商売のほうで、なにがなんでも役人を口説き落とさなければならないところに追いつめられているため、楠田の部下(菅井一郎)は、吉君の女将を通して美代春に、役人と枕を交わすように圧力をかけます。

吉君の女将の怒りが解けなければ、祇園町での芸者稼業は立ちゆかず、美代春は役人と寝て、女将の勘気をときます。しかし、美代春がなにをしたかを察した栄子は、座敷に出られるといわれても喜ばず、美代春を嘘つきとなじります。

みんな嘘つきばっかや、京都の名物も、世界の名物もみんな嘘や、お金で買われるのが上手な人間が出世して、下手なのがうちみたいにボイコットをされるのやないか、もう厭や、躰を売らないと舞妓できんのやったら、うちやめる、姐ちゃんも芸者やめて、と栄子は泣いて頼みます。

美代春は、この暮らしに狎れきった躰やさかい、いまさらどうしようもないけれど、あんたの躰だけはきれいに守ってやりたいとおもっているのえ、と諭します。そして、先夜、栄子の父が来て、二進も三進もいかずに金に困っているというので、栄子に黙って工面してあげたことを告げます。

「あたしは親も兄弟もないさびしい女やけど、人間の情けだけはもっているつもりや」と美代春はいい、「人間なんていくらお金や地位があっても、ひとりきりやったら、みんな心細うてさびしいもんや」と栄子を諭します。

二人は、お互いがいることに満足を感じ、同時に、ある諦念のもとに、稼業に戻っていくところで映画は終わります。

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原作もほぼ同様のプロットで、二人が蹉跌を乗り越えて稼業に戻るところで終わっているのですが、映画とは微妙にニュアンスが異なっています。

どちらかというと、小説のほうが、栄子をわが娘にしたいと願う美代春の心が、なめらかに飲み込めるように思います。こうしているわけにはいかない、あたしは働きに出る、でも、あんたは舞妓がいやなら、やめていい、という美代春の、栄子の一本気な気性とまだ男を知らない躰を守ってあげたいという心情が、無理からぬものに思えるのです。

映画でも小説でも、冒頭で、一人前の舞妓ができあがるまでにはたいへんな投資が必要であり、昔のように借金で舞妓の躰を縛ることのできない時代なのだから、たしかな身元引受人が必要だということが描出されています。

それなのに、最後にいたって、美代春は、栄子の父に金をやって娘と縁を切らせるだけでなく、それまでの投資すらもうどうでもよいと考え、ただ栄子を自分の娘にしたい、栄子の好きなようにさせたいと願うわけですが、そこのところが、そうだなあ、とすんなり思えるのは、原作のほうなのです。

すこし戻りますが、栄子が楠田に怪我をさせ、その結果として、美代春と栄子が祇園で商売できなくなる、というのは川口松太郎版も溝口健二版も同じです。

映画では、その解決策として、楠田が賄賂攻勢をかけている役人と美代春は枕を交わすことになります。こちらのほうが、原因と結果をわかりやすくつなげてある、といえるでしょう。楠田に被害を与えたのだから、楠田の利益になることをして、謝罪するわけです。

ひるがえって、小説では、楠田の一件それ自体より、むしろ吉君の女将の怒りが問題で、女将の要求している、べつの客に美代春は躰を売ることになります。

これはどうでしょうねえ。映画は観客にわかりやすい形にしたのに対し、小説のほうは、花街の構造を示す形にしてあるというあたりでしょうか。

そして、映画では、このときの花代と、栄子の父に工面してやるものは、直接にはつなげられていないのに対し、小説では、このときの五十万がそのまま栄子の父に渡されたように描かれています。それで、美代春は名実ともに栄子の「母」になるのです。

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小説より映画のほうが、エンディングの流れがスムーズですが、感銘を受けたのは小説のほうでした。以下、小説のエンディングあたりを省略しつつ書き抜きます。

「うちかて親も姉妹もないやろ。間違いだらけな女やけど、人間の情だけは持っているつもりや。情に縋って生きて行けたら、案外気楽にいけるのやないやろか」
「………?」
「もし栄子がほんまの子になってくれたら、五十万は安いもんや」
「うん」
(略)
 宇治の佐藤に躰を売って五十万の金を造った。そして二人は親子になった。同時に、栄子の髪は『割れしのぶ』から『福わけ』に変った。処女を失った証明の髪飾りだ。
「旦那を持って女になりました」
 と、吹聴する飾り方を、怪しまない習慣の世界が、大都会の真中に存在する。哀れな貧しい親子だけが、不合理な風習に反抗して、
「美代栄の水揚げの旦那はうちや」
 と、美代春は笑っている。
「襟替えの時の旦那もお母ちゃんや」
 と、栄子は笑ってつぶやいたが、笑い切れない淋しさを、肩の上に乗せながら、悲しい稼業を続けて行った。


作家は「笑い切れない淋しさ」と云っていますが、映画を見たあとでこちらを読むと、心が明るくなるように感じました。花街のしきたりに負けた格好ですが、それでも、小説のほうが、一矢を報いた感覚があります。

それは、美代春が栄子の躰を買ったという比喩にあらわれています。二人は、祇園のしきたりを逆手にとり、自分たちのやり方を偽装して、自分たちの気持と栄子の躰を守るのです。

そして、美代春自身は、金で躰を売ったというネガティヴな行為を、生きることを肯定するためのなにものかに変換し得たことが、小説では明快に描かれています。

『雨月物語』とは異なり、『祇園囃子』の脚本は依田義賢単独です。脚本家の考えというのも計算の外におくわけにはいきませんが、『祇園囃子』の映画と小説のニュアンスの相違は、やはり川口松太郎と溝口健二の資質の違いに由来するような気がします。

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by songsf4s | 2012-05-31 23:46 | 映画
『雨月物語』と『祇園囃子』──川口松太郎による溝口健二映画の原作小説二種 中篇
 
溝口健二の『雨月物語』の記憶を反芻するとき、どの場面を思い浮かべるかというと、なによりも湖水を渡る舟のシークェンス、そして、森雅之が家に帰り、妻の名を呼びつつぐるっとまわって戻ると、ちゃんと囲炉裏に火が入って、田中絹代が夫を迎える場面です。

先年の再見では、侍女たちが廊下に灯を点して、(溝口健二がデザインを嫌ったという)朽木屋敷がほんのりと明るくなる場面と、岩風呂のショットからキャメラが移動で地面を見せ、すっと湖面を見渡す草地にたどり着き、森雅之と京マチ子が戯れている、というシーンにも感銘を受けました。

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映画と小説はまったくべつのものだな、と改めて思いました。以上の四つの場面のうち三つは、小説ではとくにポイントでもなく、強調されてもいないのです。

朽木屋敷の廊下の場面は小説にはありませんし、湖水を見晴るかす草地の戯れもありません。当然でしょう。どちらもきわめて視覚的で、映画ならではの場面です。

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危険な陸路を避けて、舟で湖水を渡る場面も、その途中、海賊に襲われた犠牲者に出会って、船幽霊と勘違いする場面も原作にあります。しかし、これまた当然ながら、映画だけに可能な幽玄の美の表出であって、文字であのようなものを表現するのはきわめて困難です。

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故郷に帰りついた森雅之が、土間を通って家をぐるっと回って田中絹代を見つけるところも、小説にはありません。あれは宮川一夫がいうように、映画だからこその場面でした。

小説ではどうなっているか? 戦いの決着がつき、秀吉の軍勢が引き上げてしずかになった故郷に源十郎がたどりつく描写から入って──

 (略)丁度、日の暮れ合いで灰色の炊煙がうっすりとたゆたい、戦火を免れ得た幸福が四辺〔あたり〕を包んでいる。胸を躍らせて戸を引きあけると、ほの暗い土間の片隅に、宮木が釜を燃やしていた。
「無事だったか」
 土間へ駆け込みざまにいった。いいながら躰を抱いて炉端へ上った。宮木の面に血の気がなく、少しやつれて青く見える。


このとき、息子は眠っているのですが、源十郎もやがて旅の疲れで寝入ってしまいます。目が覚めると、息子が泣いていて、お母ちゃんはどうした、ときくと、死んじゃったと答えます。

視覚的な側面はさておき、話の持って行き方についても、小説はストレートすぎると感じます。映画では、翌朝、庄屋がやってきて、源十郎に、おまえの子どもをあずかっていたが、昨夜いなくなってしまい、驚いて探していた、ここにいたのか、と安堵し、そのときに源十郎に宮木の死を告げます。このほうが印象的な話の運びです。

このような、ワン・クッション入れる処理というのは考え出すのに時間がかかるものなので、雑誌掲載の締め切りに追われているときは、ストレートな持って行き方に流れやすいのだろうと想像します。依田義賢と川口松太郎による脚本は、原作の瑕を修正したものになっています。

映画は、源十郎、藤兵衛、お浜、そして宮木の亡霊が、焼き物に汗を流すところで終わっています。しかし、原作ではそのさらに先、後日談が語られています。

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源十郎は、若狭が褒めちぎったように、ほんとうに才能のある陶工だったようで、その道で名を成します。

(略)が、二人とも、もう二度目の妻は求めなかった。宮木を埋めた石の下の土を掘って素地を作り、薬をかけて窯で焼いた。鰥男がせっせと働き、美しい信楽焼を、無数に作って諸国にさばいた。宮木の性格に似てつつましやかな壺もあれば、阿浜に似て強く気丈な大皿も出来た。青薬を華やかに散りばめた平鉢が焼けると、市へは出さずに愛蔵し『若狭』という銘をうってその発色を楽しんだ。

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そして、源十郎は、後水尾天皇の即位にあたって、調度の一部を焼くことになります。これを届けに京に上る途次、大溝で泊まった源十郎は、平鉢『若狭』をもって、朽木屋敷の跡におもむきます。

三十年前をしのぶよすがは見あたらず、わずかに残っていた鞍馬石(「京都市鞍馬山に産する閃緑岩の石材名。通常鉄さび色をした自然石のまま庭石に用いられる」と辞書にある)の上に、『若狭』をおき、なみなみと酒をそそぎます。

「三十年の歳月が過ぎて私も老いた。どれほど老いても去らないのはおまえと過した十日の暮らしだ。みじめな私の生涯に一点の灯を点じた美しい花だ」

と若狭の霊に語りかけ、細く閉じていた目を開けると、平鉢にそそいだ酒はなくなっていて、源十郎は、飲みほしてくれたか、と喜びます。

これは、溝口健二版『雨月物語』とは正反対の結末といえるでしょう。映画のほうは、源十郎は宮木の墓を守って後半生を生きることになる、と印象づけて終わっています。源十郎にとってどちらの女性が重要だったか、という決定的なポイントで、小説と映画はまったく異なっているのです。

『雨月物語』をふくむ「和風ハロウィーン怪談特集」というシリーズを書いていて、『牡丹灯籠』と『雨月物語』は対照的だと感じました。どちらも、女としての歓びを知らぬままに死んだ若い娘の亡霊が、これは、と見込んだ男に取り憑く話ですが、片や『雨月物語』では、男は亡霊に取り殺される前に逃れ、片や『牡丹灯籠』では、使用人の裏切りのために、男は亡霊に取り殺されます。

しかし、その記事にも書きましたが、三遊亭圓朝の原作とは異なり、山本薩夫の映画『牡丹灯籠』では、萩原新三郎は、穏やかな、幸せそうな顔で死んでいるのです。

映画版『雨月物語』では、亡霊の若狭は疎まれ、源十郎は妻の宮木(こちらも亡霊になっているのだが)のもとに帰って幸せに暮らしたような印象を与えるエンディングになっています。

しかし小説版『雨月物語』のエンディングは、山本薩夫版『牡丹灯籠』(脚本は『雨月物語』と同じ依田義賢)のほうに近いニュアンスです。亡霊に取り憑かれることを、かならずしも否定的にはとらえていないのです。

同じシリーズの「小林正樹監督『怪談』より「耳無し芳一の話」その2」という記事で、亡霊に取り憑かれた経験というのは、一種の「愛の記憶」なのだということを、稲垣足穂の『懐かしの七月――別名「世は山本五郎左衛門と名乗る」』や『耳無し抱一の話』や山本薩夫版『牡丹灯籠』を例にして書きましたが、川口松太郎の『雨月物語』もまた、亡霊を肯定的にとらえるエンディングになっていたのです。

『人情馬鹿物語』なんていう小説を書いたせいで、「人情作家」などといわれるようになったため、川口松太郎は「人情」ということについて、何度か書いています。『雨月物語』は、川口松太郎という作家の深いところから出てきたものではなく、職業作家の「業務」として書かれたものでしょうが、最後に、「人の情け」を語る作家らしく、源十郎の若狭への慕情を噴出させたな、と感じます。そして、川口松太郎版『雨月物語』の最大の美点は、このエンディングにあります。

では、溝口健二はなぜこの結末をとらず、宮木のあたたかい愛情を強く印象づけるエンディングにしたのでしょうか。

作品の解釈に作者の私生活を持ち込むのは邪道ではありますが、わたしに思いつくのは、溝口健二の夫人が精神疾患で長い病院生活を送っていたことぐらいです。いや、げすの勘ぐりを許していただくなら、宮木を演じた田中絹代への愛、ということも関係があったのかもしれません。

どこの家庭とも同じように、いや、それ以上かもしれませんが、川口松太郎の家庭にもさまざまな波乱があったようですが、彼には愛妻があり、四人の子女に恵まれました。それに対して溝口健二は、波乱を起こす家族すらない生活でした(戦前、妻ではない同居女性に刺されるなんていうことはあったが!)。

いや、つまらない解釈で恐縮です。わたしに思いつくのは、二人の家庭生活の落差ぐらいしかなかっただけです。ものを作る人間としての、二人の資質の違いというのを見なければいけないのに!

タイトルにあげているにもかかわらず、いっかな『祇園囃子』にたどり着けませんが、次回はまちがいなく!


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現代国民文学全集〈第15巻〉川口松太郎集 (1957年)
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by songsf4s | 2012-05-25 23:46 | 映画
『雨月物語』と『祇園囃子』──川口松太郎による溝口健二映画の原作小説二種 前篇
 
以前にも書いたかもしれませんが、溝口健二と川口松太郎はともに浅草の生まれで小学校が一緒、戦後、永田雅一が大映の社長に就任したときに、二人は永田に呼ばれ、わたしを助けてくれと頼まれたのだと、川口松太郎は書いています。

川口松太郎は以後、大映の撮影所長や企画担当専務をつとめながら、作家活動をつづけます。大映勤務のかたわらに書いた『新吾十番勝負』は、大川橋蔵主演で映画化され、ヒット・シリーズとなりました。わたしがしじゅう大映と東映を見ていた時代のものなので、そのうち数本を公開時に見た記憶があります。はじめから、映画化を念頭に書かれたものなのでしょう。

先年、蔵書を売り払ったとき、まだこれからも読み返すからと残した作家が十数人いますが、そのなかに川口松太郎もあり、もっているものはすべて残しました。そのときに、古書店の人と話したのですが、いまどき、川口松太郎の本は売れないそうで、やはりな、でした。そうなると、売ってもゼロ円付近、そのくせ、あとで買い直そうと思ってもむずかしいので、売らずに残すことにしました。

案の定、引越からさして時間もたたないのに、もっていた数冊をすべて読みましたが、そのなかに角川書店の「現代国民文学全集」という叢書の『川口松太郎集』という巻がありました。

これは三段組で読みにくいので、未読のまま何十年ももっていたものです。近所の古書店で買ったもので、見返しに「50」と鉛筆で値段が書いてあります。文学全集のたぐいは、ほとんど「つぶし」(廃棄処分)にされるので、生き残ったものもこの程度の値段でした。まあ、「立て場」(古紙の取引場)で仕入れるため、安いので有名な本屋で買ったのですが。

あまり本を処分しすぎて、読むものがなくなってしまったため、結局、この三段組も読んでみました。いままでほうってあったので気づきませんでしたが、以前、映画を見ていて、ああ、そうだったのか、機会があったら読んでみようと思った、溝口健二の『雨月物語』と『祗園囃子』の原作が、両方ともこの巻には収録されていたのです。

ということで川口松太郎の原作と溝口健二の映画化を比較してみました。溝口健二の『雨月物語』については、当家では過去に記事として取り上げています。

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溝口健二の『雨月物語』は、上田秋成の『雨月物語』中、「蛇性の婬」と「浅茅が宿」の二篇にもとづいていますが、直接の「原作」は、これを換骨奪胎した川口松太郎の小説『雨月物語』である、ということは、前掲の記事に記しました。

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今回、川口版を読んで、やはり、秋成版は映画とは遠い関係であることを確認しました。いや、こうなると、上田秋成版オリジナル『雨月物語』も再読しなければいけないと思ったのですが。

しかし、むろん、小説と映画は、表現形式も異なれば、受容者に受け取ってもらおうと目指すものも異なっています。原作とその映画化なのだから、当然、似たようなプロットではあるのですが、それぞれの目指すところにしたがって、異同があるのが当然です。

以前の記事で、溝口版『雨月物語』の背景となっている戦は、織田勢と浅井方の戦いなのか、その後の羽柴秀吉対柴田勝家の戦いなのか、映画でははっきりしないと書きました。川口松太郎の原作には、小説だからふつうはそうなりますが、明快に書いてありました。

ここで描かれているのは、後者の秀吉対勝家の戦いで、藤兵衛(小沢栄太郎)がにわか武者になって駈けまわるのは、有名な賤ヶ岳の決戦なのだそうです。

映画を思い浮かべつつ原作を読んでいくと、映画化に必要な省略や追加、そしてささやかな変更ばかりで、途中までは、おおむね忠実に原作をなぞったのだな、と思いました。

川口松太郎の小説のほうは、淡々と源十郎(映画では森雅之)と宮木(田中絹代)、藤兵衛(小沢栄太郎)とお浜(水戸光子)の運命の転変を描いているのに対し、溝口健二の『雨月物語』は、彼のいう「絵巻物」、撮影監督の宮川一夫のいう「墨絵」として、奥の深い視覚的な美を生み出している、という重心の置き方の違いを感じるだけでした。

いや、川口松太郎の原作とは大きく異なり、溝口のものは、名作、秀作といわれるだけの風格のあるものになっており、その貢献の一半は宮川一夫のキャメラにあるでしょう。川口松太郎にはいい作品がたくさんありますが、『雨月物語』にかぎれば、水準作といったあたりで、代表作として指を折るわけにはいかない出来です。

以下は、未見、未読の方はお読みにならないほうがいいでしょう。

はじめて、ここは映画とは大きく異なる、と思ったのは、侍になった藤兵衛(小沢栄太郎)が、妓楼にあがって、遊女に身を落とした妻のお浜(水戸光子)に再会する場面です。

妓楼の外に出て、妻が夫をなじるのは原作、映画、ともに同じなのです。しかし、映画では、二人で故郷に帰る決心をするのに対し、原作では、お浜は「海津大崎の絶壁から身をおどらせて湖水に投じて」しまいます。

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ふうむ。なにゆえの変更でしょうかねえ。原作が、お浜を死なせてしまったのは、よくわかります。宮木、若狭(京マチ子)、そしてお浜という、女登場人物は、三人とも、戦争の犠牲になって死ぬ、としたかったのでしょう。とりわけ宮木とお浜は、ともに夫の野心と欲望の踏み台にされて死んでいくことになります。川口松太郎はそのことを書きたかったのでしょう。

では、溝口健二版では、なぜお浜を死なせなかったのか、それどころか、エンディングで、甲斐甲斐しく夫と兄を助けて幸せに生きるお浜の姿を描いたのか?

ひとつ考えられるのは、クライマクスのあとのシークェンスが、森雅之と小沢栄太郎の兄弟と男の子の三人だけというのは、あまりにもわびしくて、悲劇的な色合いが強くなってしまうことを懸念したのではないか、ということです。

川口松太郎版のエンディングは、悲劇的にならないように書かれていますが、その終わり方は映画版では採用されていないので、やわらかい終わり方をさせるために、妻たちのいっぽうを生き延びさせたのだろうと感じます。

では、川口松太郎版の結末はどうなっているか、その点も省略するつもりはないのですが、本日は時間切れ、次回、『祗園囃子』とともにそのあたりを見るつもりです。


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by songsf4s | 2012-05-24 23:59 | 映画
石井輝男監督『セクシー地帯〔セクシー・ライン〕』(1961年、新東宝) その4
 
石井輝男監督は、東京は番町の生まれだそうで、なるほどな、と思いました。こういう韜晦の仕方というのは、都会人特有のもので、さてこそ、です。

とくに東京生まれに多いのですが、まじめくさった物言いを野暮に感じ、「芸術」なんてことは、自分でやるのはおろか、単語を口にするのも恥ずかしく思うタイプの人がいます。

「芸能」「芸事」ならいいのですが、くそまじめな顔をして「わたしの芸術はかくかくしかじか」などという人間を見ると、恥ずかしくて顔から火が出てしまうのです。

そのような羞恥の人の「アーティスティックな志」は、内部から外部へと向かう途中のどこかで迂回路へと入り込み、思わぬ場所に、仮面をまとって表出することになります。

石井輝男の映画には、そのような都会的羞恥心を感じます。くそまじめにお芸術をやることが恥ずかしいので、俺の映画なんてものは、客のスケベ心に媚びる、ただのエログロ消耗品さ、というポーズをとることで、なんとか羞恥心を克服し、やっとのことでみずから「映画監督」と名乗ることができたのだと、わたしは想像します。まあ、芸術は恥ずかしい、なんていうことの通じない、野暮天野郎がいつの時代も圧倒的に多いのですがね。

こんなことは、こちらの勝手な思いこみにすぎないのかもしれません。でも、わたしが石井輝男に肩入れする理由のひとつは、彼を羞恥の人だと考え、そこに共感するからです。彼の低徊指向、エログロ趣味は、町に生まれ育った少年のはにかみが裏返ったものなのだと思います。

◆ 島としての銀座の終焉 ◆◆
プロットがずぶずぶで、ガチッとたがをはめていないので、こちらの書き方もついずぶずぶになってしまいました。そもそも、スクリーン・ショットと音楽を並べるだけで、プロットを追いかけるつもりではなかったため、ここで改めて時間をさかのぼります。

前々回、バッカスという酒場で「クロッキー・クラブ」の会員証を見られたのを機縁に、吉岡(吉田輝男)と真弓(三原葉子)は、娼婦をおびき出し、ホテルの一室で脅して、いくつかの情報を得ます。

吉岡のほうは翌日、バッカスを足がかりにして、「クロッキー・クラブ」に属する店を探し、秋子(池内淳子)という女にたどり着いたことは前回書きました。

いっぽう、真弓のほうは、娼婦を脅し、翌日、彼女になりかわって客(守山竜次)に会い、ホテルまでついていきますが、これといった情報は得られず、客が風呂に入っているあいだに、金だけいただいて帰ってしまいます。

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三原葉子は娼婦に扮して客を待つ。東京駅構内での撮影だが、許可は取ったのだろうか。呵々。

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客が目標にする目印は腕につけた「ダッコちゃん人形」だというのが、なんだか妙に可笑しい。劇中では「ウィンキー」といっているが、そういえば、そういう異称もあった。1960年7月の発売だそうで、この映画が撮られた同年10月には、ブームの真っ最中だったことになる。これしきのものが差別的だという馬鹿がいたそうで、ただ呆れるしかない。カルピスのシンボルが差別的だといって変えさせた輩の同類。そんなものを差別的だと思う脳みその持ち主のほうがよほど差別的人種である。

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このサブプロットもどこにもつながらない盲腸でしたが、つぎに彼女は新橋駅前にすがたをあらわし、これといった理由もなく、札束を手にした男(沖竜次)を見て、その金をすろうとして気づかれ、手をつかまれてしまいます。

この男がなんとクロッキー・クラブのボス。そりゃまあ、真弓は掏摸が仕事だから、特段の理由なく、仕事をいたしてもかまわないのですが、ただ金を持っているのを見たからという理由で掏摸のターゲットにした相手が、たまたま、目下彼女と吉岡が追求しようとしている組織の親玉だったとは、あらまあ、です。

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一瞬だが、ガード下の新橋文化劇場(現存)の看板が見える。

しかし、こちらが、ポカンと口を開けているあいだにも、話はどんどん進んでいくので、あきらめて成り行きにまかせます!

ボスは真弓を新橋(汐留川に架かる橋そのもの)のすぐ近くの「クロッキー・クラブ」につれていき、ここで働け、と脅します。真弓のほうも、探りを入れたくもあり、逆らっても無駄と考え、この提案を承知します。

真弓は、控え室で同僚に話を聞いたり、助けを求めるメモを紙飛行機にして投げたりしたあげく、順番がまわってきて、客の前にでてポーズをします。

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救援を求める真弓の紙飛行機はバタ屋の子どもに拾われる。

そこへ、秋子からクラブの話を聞いた吉岡が、客としてあらわれ、指名して真弓を連れ出そうとしますが、前夜、情報を得るためにだましてホテルに呼び出した娼婦の証言で、二人がクラブを探っていることがバレ、地下室に監禁されてしまいます。

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話は煮詰まり、これでもうわかったようなものです。あとは如何にして二人が脱出し、組織をやっつけるかというだけ。そのあたりの話の運びは、吉岡と真弓の思わせぶりな会話がちょっと可笑しいくらいで、それほど面白いわけでもありません。

真弓がボスから掏摸とったナイフでロープ(ではなく電気コードか?)を切るシークェンスの音楽と、三原葉子と吉田輝男のおもわせぶりな会話をサンプルにしました。

サンプル 平岡精二「ナイフ」

しかし、ずっと申し上げているように、この映画の面白さは視覚的なディテールにあります。吉岡と真弓が地下室から抜け出し、新橋(あるいは土橋か?)の上に出るまでのショットはおおいに楽しめました。

つづいて、二人が地下室から脱出し、追っ手から逃れて、汐留川の工事現場から橋の上に出るまでの音楽を。この二曲はブルーズで、同じ曲ですが、リズム・アレンジが異なります。

サンプル 平岡精二「深夜の脱出」

サンプル 平岡精二「逃走」

それでは以下に、地下室脱出からエンディングにかけてのスクリーン・ショットを並べます。

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かつて真弓を逮捕したことのある刑事・須藤五郎(細川俊夫)は、バタ屋の子どもと遊んでいて、真弓の救援メモに気づく。

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地下室の鍵をあけて外に出ると、汐留川をはさんだ目の前に、またしても映画館・銀座全線座が見える。ただし、このとき、全線座はすでに映画館を廃業し、ナイトクラブになっていたらしい。現在の銀座8丁目博品館の裏手。

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銀座はかつて、外堀、京橋川、三十間堀、汐留川に囲まれた「島」でした。現在でも、水のないところに、三原橋、新橋、数寄屋橋といった橋の名前が地名として残っている所以です。また、横溝正史の戦後の複数の小説に、濃霧で一寸先も見えない銀座裏で殺人が起こる話がありましたが、それも銀座が堀割に囲まれていたためです。

石井輝男は、開巻まもなく、吉田輝男と三条魔子が三十間堀でボート遊びをするシーンを見せ、その背景に「東京松竹劇場」のネオンサインを配しました。

クライマクス、吉田輝男と三原葉子は、「銀座全線座」を見つつ、工事中の汐留川の足場をわたって逃げます。

これを無意識に見せる映画監督というのはいないわけでして、石井輝男は「銀座島」の物語を描いて見せたのです。そして、都市には表と裏、上と下、光と闇があり、『セクシー地帯』は、都市の裏、都市の地下、都市の闇を描いた物語です。

文字で読むだけでも、そういう物語を好むわたしのような人間にとっては、『セクシー地帯』は過去のある時期の都市の闇を視覚的に見せてくれるのだから、じつに愉悦に満ちたものであり、映画というのはありがたいものだと思いました。

銀座ばかりでなく、かつては、中央区全体が魅惑的な水の都でしたが、主として車社会の進展、そしていくぶんかは堀割の悪臭のせいもあって、ほとんど痕跡をとどめないまでに埋め立てられてしまいました。

汐留川の埋め立てはすでに50年代にはじまっているので、『セクシー地帯』が捉えたこの運河の工事現場は、改修や浚渫などではなく、埋め立てのものなのでしょう。

石井輝男は、水の都としての東京が死んでいくすがたを記録しようとしたのか否か、そんなことはわかりません。しかし、この映画を見終わって、石井輝男には、子どものころから親しんできたなにかが失われる予感があり、それが原動力となって、この物語を生み出したのではないか、と思いたくなりました。

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by songsf4s | 2012-05-22 23:49 | 映画
石井輝男監督『セクシー地帯〔セクシー・ライン〕』(1961年、新東宝) その3
 
石井プロダクションの運営になる石井輝男監督のオフィシャル・サイトがあります。

上映情報が2009年のもので、つくったはいいけれど、更新には手がまわらなくなってしまったという雰囲気が濃厚だったため、怠惰にもクレジットを参照するだけでしたが、ほかのページも読んでみたら、「しまった!」でした。

「石井輝男を語る」というセクションは、まだひとつしか記事がないのですが、その唯一の記事が青野暉〔あきら〕監督による『セクシー地帯』の撮影に関するものでした。そいつはありがたい(いや、見当はずれを書いていた可能性もあり、ちょっとありがた迷惑でもあったが!)と読んでみました。

「冒頭、夜の銀座街頭を行く主人公の撮影は『盗み撮り』でやろうと言うことになった」とあり、明示的にはいっていませんが、やはり、いちいち撮影許可などとらなかったのではないかと思われます。

そもそも1961年にはすでに、銀座での撮影はできなくなっていたのではないでしょうか。『セクシー地帯』の冒頭やエンディングのように、銀座のど真ん中、尾張町交叉点の服部の前なんて、論外でしょう。

手持ちとなると、ふつうならアリフレックスなのだと先達に教わりましたが、まだ輸入台数が少なく、レンタル料金が高くてアリフレックスは使えず(あのとき、新東宝は倒産直前だった)、ミッチェルに黒布をかぶせて撮影助手が担ぎ、撮影監督は黒布に頭をつっこんで歩いたのだそうです。

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ミッチェル(上)とアリフレックス

ミッチェルといってもいくつかモデルがありますが(「蟹」といわれる低い特製三脚に載せた小津組のミッチェルの写真がおなじみだろう)、大型で重いことになっています。撮影助手は体がガタガタになったのではないでしょうか。映画撮影は体力勝負。

◆ 乱歩的猟奇の果て ◆◆
それでは前回のつづき。

吉岡(吉田輝男)の目論見通り、「クロッキー・クラブ」のプレートがなくなったことに気づいた「ル・フランセス」の支配人は、秋子(池内淳子)になにかいいつけ、彼女は外出します。

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手持ちなので、当然ながら水平が出ず、しばしば画角が傾くのだが、それがダイナミズムの源泉のひとつになっている。憶測だが、ちょっと傾くよりは、いっそ、それが意図だとわかるように大きく傾けたショットも多いのではないだろうか。

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こういう動きを待っていた吉岡は尾行をはじめますが、まもなく秋子はタクシーに乗ってしまい、吉岡はあきらめて「ル・フランセス」の外で待つことにします。秋子がもどると、支配人は扉口に出てきて、新しい「クロッキー・クラブ」のプレートをつけます。ここで吉岡は客のふりをして電話で秋子を呼び出します。

以下、秋子が有楽町駅で吉岡を待つところから、浅草へというシークェンスを。

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映画のなかに映画館の外部や内部、あるいは映画の場面そのものが登場するのはめずらしいことではありませんが、その場合、たいていは自社の直営館や作品です。

『セクシー地帯』に登場する映画館や映画は、たぶん新東宝関係はゼロ、すべて他社のものでしょう。前回見た、おそらく三十間堀で撮影されたと思われるシークェンスに登場したのは、「東京松竹劇場」でした。

この有楽町駅前のショットで、「蛇伝」とだけ部分的に見える映画タイトルは、東映動画初期の秀作『白蛇伝』ではないでしょうか。

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『白蛇伝』は1958年公開なので、『セクシー地帯』の撮影時期とは合致しませんが、再映があっても不思議はありません(ただし、撮影場所は東宝経営の日劇ビルの裏に思われ、ちょっと奇妙ではある。あるいは映画ではなく、『白蛇伝』と題するレヴューなどの実演かもしれない)。

クラブにバレないように客をとるなら「エンコ」がいいと秋子はいいます。浅草のことです(浅草公園→公園→エンコ)。そして夜の浅草六区が映ります。ここでもまた映画館が見えます。

しかし、夜ではあるし、1960年代の浅草はよく知らないので、撮影現場の同定には困難を感じます。

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左の「日活」が富士館なら、ここは六区の通りであり、キャメラは広小路方向を背に、ひさご通り方向にレンズを向けていることになる。

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「日活」や「大草原の渡り鳥」といった文字ばかりでなく、キャストまで写している。映画にはふつう、無意識に撮影されたものなどないので、石井輝男監督はこの映画館とタイトルとキャストを意識して見せているにちがいない。なんのため、かはわからないが。

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左下に「晴れ」という文字が見える。この翌々週に公開された『あした晴れるか』だろう。画面右側には、東映ロゴのネオンサインが見える。

浅草の日活は、時期によって場所が異なりますが、1960年ごろには、昔の富士館の建物が使われていたようです。だとすると、六区の通りで撮影されたと考えられます。

しかし、その日活とは通りを挟んだ向かいの建物の上のほうに東映のロゴらしきものが見え、ここで混迷に陥ってしまいます。浅草の東映は浅草十二階、凌雲閣の跡地にあったので、右手に東映があるのだとしたら、六区の通りではなく、国際劇場のあった表通りと花屋敷をむすぶ道で撮影されたことになります。

どちらとも判断をつけにくいのですが、たいした根拠なく、山勘をいってしまうと、たぶん六区の通りで撮影したのだと思います。東映のロゴをかかげた劇場は、浅草東映ではなく、邦画二番館で東映作品もかけていたのではないでしょうか。

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日活の入場料は「特別奉仕料金」の170円。ということは、この時期の封切館の通常料金はもうすこし高かったのだろう。

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右側に見えている映画のタイトルは『大菩薩峠』と『新夫婦読本』と読める。前者は多数の映画化があるが、これは大映のもので、三隅研次監督、市川雷蔵主演。『新夫婦読本』はシリーズだが、1960年10月に公開されたのは『時の氏神 新夫婦読本』、枝川弘監督、叶順子、川崎敬三、船越英二出演。

日活でかかっている映画は『大草原の渡り鳥』、この映画は1960年10月12日に公開されたそうなので、これで『セクシー地帯』の撮影時期が特定できます。近日公開らしき映画は『あした晴れるか』(中平康監督、石原裕次郎、芦川いづみ主演)で、この映画の公開は1960年10月26日と記録されています。

以下に「鈴木清順監督『花と怒涛』その1」という記事に付した、昭和十年ごろの浅草六区の映画館配置図を再掲します。1960年ごろには、日活はこの図の富士館の位置にあり、東映はかつての凌雲閣すなわちこの図の昭和座の位置にありました。

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北は上ではなく、左になっていることにご注意。すでに十二階はないが、左端にその位置を示した(赤く囲った昭和座という劇場)。


今回で『セクシー地帯』は完了しようと思っていたのですが、ここまで書いたところで、それは無理と判断し、あせらず、端折らず、のろのろ書こうと腹をくくりました。

石井輝男は後年、江戸川乱歩の『孤島の鬼』などの諸作にゆるやかにもとづいた『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』や『盲獣VS一寸法師』といった映画を撮っています。

吉田輝男と池内淳子の会話に、しきりに「猟奇」という言葉が出てきますが、江戸川乱歩や横溝正史の昭和初年の諸作にも「猟奇」(curiocity hunting)という言葉がしばしば登場するのはご存知のとおり。乱歩には『猟奇の果て』という長編小説もあります。

石井輝男が「猟奇」という言葉を使ったのもまた、乱歩から来ているのでしょう。じっさい、ここで話はじつに乱歩的な、あるいは猟奇的な浅草アンダーワールドへと入り込んでいきます。

吉田輝男が池内淳子を呼び出した目的は、彼女の客になることではなく、情報を得ることだったので、吉田輝男は、しきりに猟奇趣味をいいつのり、では、変わったものを見せてあげようと、池内淳子は某所に彼を案内します。

浅草の裏通りの旅館らしきところに案内された吉田輝男は、田舎から家出してきたような若い女性をだまして連れ込んだとおぼしき男が、なかば無理矢理にことをいたす場面を見せられます。

サンプル 平岡精二「ピープ・ショウ」

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吉田輝男は、大変だ、警察に知らせなくては、と騒ぎ立てますが、池内淳子は、自分たちの覗きのことはどう釈明するのだといい、旅館をあとにして、近くの喫茶店に入ります。

彼らが席に着くとまもなく、さきほどの男女も旅館から出てきて、にこやかに腕を組んで立ち去り、吉田輝男は呆気にとられてそれを見送ります。池内淳子は、あなたひとりのためにやったショウだと種明かしをし、料金を取り立てます。

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右側の旅館の名前は「ひさご」なので、ひさご通り裏でのロケとわかる。

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ここで流れる音楽をサンプルにしました。これまた、ちょっとだけ歪んだトーンのギターが好みです。

サンプル 平岡精二「ショウのあとで」

種村季弘編「東京百話」だったか、平凡社の「モダン都市文学全集」だったか、あるいは三一書房の「近代庶民生活誌」だったかに収録された昭和初期の探訪記にも、同じような話柄がありました(このてのものは目方で量るくらい大量に読んだので、記憶がごっちゃになっている)。

じっさい、浅草ひさご通りの裏手あたり(かつての「十二階下の銘酒屋街」であり、鈴木清順監督『花と怒濤』の舞台)では、そのようなことがおこなわれていたふしがあります。そして、これまた記憶がおぼろですが、乱歩自身の小説にも、そのような見せ物が出てきたと思います。

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喫茶店におかれていた新聞に、吉岡の殺された恋人(三条魔子)に関する記事があり、秋子は、彼女は仕事上の知り合いだった、なにかまずいことをして組織に殺されたのだろう、彼女のようにはなりたくない、といいます。

かくして、舞台はクロッキー・クラブへと移ります。


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by songsf4s | 2012-05-21 19:11 | 映画