カテゴリ:落語( 12 )
二代目三遊亭圓歌「七草」
 
べつの記事を延々と書いていて、さてできあがりか、というところまで来て、いけねえ、七草だ、と思いだしました。

春の七草というのは、いくつかヴァリエーションがあるようですが、ふつうは以下の七種をいうそうです。

芹(セリ)、薺(ナズナ)、御形(ハハコグサ)、繁縷(ハコベ)、仏の座(ホトケノザ)、菘(カブ)、蘿蔔(スズシロ)

スズシロは大根のことで、これを粥に入れて食べると一年間、すこやかにいられるという縁起物です。

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落語の「七草」は、いちおう春の七草にちなみ、正月にやる噺ということになっていますが、内容は七草に直接関係があるわけではなく、こじつけのようなものです。

クリップはないので、二代目三遊亭圓歌のものをサンプルにしました。音はあまりよろしくありません。といっても、むろん問題のない音質です。昭和三十五年の正月初席で、短くやったものだそうで、聴くのも楽なので、どうぞお楽しみあれ。

サンプル 二代目三遊亭圓歌「七草」

というように、七越という名のおいらんが、七草の日にホウボウを食べて、喉に詰まらせ、七草の唱えごとの別ヴァージョン(?)で助かるという、じつに馬鹿馬鹿しくも、どーでもいい話柄です。

しかし、これは正月の縁起物、ゴチャゴチャいってもはじまりません。そもそも、最近は、どうでもいい不出来な噺というのものに、妙に愛着が湧いてきたので、こういうのもいいじゃないか、と思います。出来のいい噺もけっこうですが、不出来な噺というのは、落語らしさを強く感じさせるように思います。

二代目三遊亭圓歌は、地方の出身で、訛があったため、江戸っ子の落語ファンのなかには嫌った人たちもいたようですが、明るく派手な芸風に、わたしは魅力を感じます。江戸言葉ではない江戸落語があってもかまわないのではないでしょうか。

以上、はなはだ簡単ですが、縁起物なので、今日やっておかないと、つぎのチャンスは一年後だと思い、あわてて稿を起こしたしだいです。


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by songsf4s | 2012-01-06 23:53 | 落語
百両が欲しいと夢で金握り――先代三遊亭金馬「初夢」+古今亭志ん朝「夢金」
 
あけましておめでとうございます。旧年中はたびたびのご来訪ありがとうございました。本年も旧年と変わらぬお引き立てのほどをお願い申し上げます。

正月落語はすでに一昨年の元日に「新春名人寄席」という番組を組んでいます。そのときに好きな正月噺は集めてしまったので、今年はひとつだけ。

これは上記の新春寄席で短縮版をサンプルにしましたが、ノーカットのクリップがアップされていました。

三代目三遊亭金馬「初夢」


「縁起」を「いんぎ」と発音する下町訛りのすごさよ! 亡父もなかなか東京下町訛りが抜けず、「ひ」はみな「し」になっていましたが、「え」を「い」にすることはあまりありませんでした。落語では、おかみさんも、亭主のことを「おまえさん」とはいわずに「おまいさん」といいますが、あの系統の訛です。

声もよく、もの知りで、愛嬌があり、楷書で噺をやってもつねに軟らかく、三代目三遊亭金馬はじつにいい噺家です。こういう噺家を目の敵にした安藤鶴夫という人も、ずいぶんと意地の悪い人だったのでしょう。

べつに元日だとか正月だとかにかぎった話柄ではないのですが、冬の夢の噺を加えておきます。動画のほうはひどさもひどし、とんでもない代物なので、音声だけをどうぞ。

古今亭志ん朝「夢金」


夢は五臓の疲れとも申します。「鼠穴」という噺では、これを「夢は土蔵の疲れ」という、ものすごい駄洒落でサゲにしています。初夢も、見ないほうが安らかな眠りといえるのかもしれません。

なんだか、先代三遊亭金馬師に初春の挨拶をかわりにやっていただいたようなものですが、とりあえず、本日はこれまで。遠からず、レギュラー・プログラムに復帰の予定です。


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by songsf4s | 2012-01-01 14:51 | 落語
歳末寄席「穴どろ」(八代目桂文楽)
 
一昨年の「年忘れ爆笑寄席」で、すでにとりあげているのですが、今年もまた「穴どろ」を聴くことにします。

依然として、クリップはほとんどないのですが、この大物が加えられていました。

八代目桂文楽「穴どろ」


いきなり、「油断せぬ心の花は暮れに咲く」とやられて、どうもすみません、と頭を下げてしまいました。もう大晦日の掛け取りなんかないのですが、年を越すのではなく、なにかべつのことを越せないような人間なものでして。

八代目桂文楽、先代といったほうがわかりやすいかもしれませんが、要するに、なにもつけずにただ志ん生といえば五代目であるように、なにもつけずに文楽といえばこの人、「黒門町の師匠」の「穴どろ」は、どういうわけか、いままで聴いたことがありませんでした。

文楽という人は、自分で「完璧」と納得するまで、高座にのせることはしなかったそうで、この「穴どろ」も隅々まで神経が行き届いています。この師匠の欠点は、噺にキズがないことだけ、といいたくなるほどです。

志ん生など、同じ噺でもやるたびにディテールが異なり、色合いも変化するので、「別ヴァージョン」を聴く意味があるのですが、桂文楽は、一度あがった噺はいつも同じように演じたそうです。

やはり、これは八代目桂文楽という押しも押されもせぬ大看板の最大の長所であり、同時に、致命的な欠点だったといっていいのではないでしょうか。

いえ、これはむろん、文楽の噺を楽しむ妨げにはならないのですが、でも、好き嫌いで色分けしていくと、やはり志ん生に対する親愛の念のようなものは、文楽に対してはわいてきません。うめえなあ、と思うのと、面白えなあ、と思うのの違いです。

文楽の噺でいちばん好きなのは「船徳」です。あの徳三郎はもともと柳橋の芸者衆に岡惚れされてしまうような色男なのですが(予約引きも切らず、徳さんじゃなきゃイヤ、という芸者が山ほどいた)、滑稽話に改作されて以来、ほとんどの演者は三枚目として描いています。

しかし、文楽の徳さんが、客に、なにをもたもたやってんだい、といわれて、低い声で口早に「へい、ちょいと髭をあたっておりました」と答えるあの一瞬、あ、こいつは大変な色男なんだな、と納得します。これで竿と櫓の扱いに習熟すれば、「お初徳三郎」の主人公、柳橋一の船頭ができあがるなと、たちどころに腑に落ちるのです。

むろん、これは文楽の演出技術が生み出した幻影です。しかし、どの箇所だったか忘れてしまいましたが、「穴どろ」を聴いていても、やはり、あ、この亭主、ひょっとして色男か、と感じました。

つまるところ、桂文楽の芸の親柱は、じつはこの「色男声」なのではないかと思いました。音楽と同列に論じるわけにはいかない部分があるのですが、しかし、芸事というのは、なによりも、もとからもっているものが大事です。やれ芸だの、やれ技だのといってみたところで、声がわるくてはなんにもなりません。

「穴どろ」は大昔からずっと聴きつづけている噺で、いまも十指にはまちがいなく入れますが、それでも、なにごとも年齢とともに見方が変化していくもので、この噺も微妙に聴く場所、聴き方が変化してきました。

「注連か飾りか橙か」という、正月のお飾りの売り声をもじった「姫か騙りか橙か」なんていう、無意味で馬鹿馬鹿しい「姫かたり」のサゲのようなものもけっこうだと思います。しかし、「穴どろ」の「三両くれるなら俺のほうがあがる」というサゲは、三本指に入るすごさでしょう。

捕まえるほうは、いくら謝礼をやるといわれても、危険なことはしたくないと尻込みするのに、もともと、三両の金がなくて、大晦日、あてどもなくウロウロするハメになったダメ亭主は、三両、ときいた瞬間、それが欲しかったんだ、と切ない条件反射をしてしまったのでしょう。

捕まえるほうは金をもらってもイヤだ、捕まえられるほうは、金さえあれば万事解決する、という条件が、「三両」のラインでぶつかって、論理のどんでん返しの起こる一瞬の爽快さ、捕り手に金を払っても解決しないのに、泥棒に金を払えば解決するという、この論理の逆転に、かつては強く惹かれていました。

しかし、この年になって、すこし感じ方が変わりました。依然として、あざやかな論理の逆転による幕切れ、という側面に惹かれはするのですが、同時に、二重写しでべつのことも感じます。

この亭主は、三両の金がつくれなかったばかりに、女房に「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまいな」と罵られ、大晦日の町へと追い出され、なんとかして三両を工面しないと、家に帰ることもできません。

片や、旦那のほうは、たかだか、穴蔵に落ちた酔っぱらいを引きずり出すために、よく知りもしない頭の家の客人に、三両出す、といいます。これを「社会の矛盾」といわずして、なんというか、です。

この、昔も今も変わらぬ社会の構図を、「三両くれるなら俺があがる」という一言で、瞬時にして描いてみせたところに、このサゲのすごさがあるのではないでしょうか。

三両あるみなさんには、来年もよいお年であるように、三両もなくて苦しんでいる方には、来年こそよい年になりますように、と申し上げて、本年の締めのご挨拶とさせていただきます。


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by songsf4s | 2011-12-31 11:00 | 落語
歳末寄席「富久」(八代目桂文楽、古今亭志ん朝、立川談志)
 
またしても積み残しをつくることになりますが、年の瀬も押し詰まってくると、やはり落語が聴きたくなり、森一生監督『薄桜記』はひとまず棚上げとさせていただきます。

一昨年の歳末の寄席ではなにをやったか確認したところ、富くじ噺の大物をオミットしたことに気づいたので、本日はそれをいきます。

現物があるので、あらすじは抜き、まずは桂文楽の古いものから。めずらしくも映像のあるものです。文楽の映像はそれほどたくさんは残っていないと思います。

八代目桂文楽「富久」


「松の百十番、こういう木で鼻をくくったようなすっとした番号」があたる、なんていうのは、いかにも江戸らしい言い様だと感じます。

落語というのは物語なのですが、志ん生にいわせると、小咄が長くなったものなのだそうです。長い噺にサゲをくっつけたのではなく、サゲの前に長い噺をくっつけた、というのです。そう見たほうが、ディテールの価値が相対的に上がるような気がします。

なぜ落語を聴くのか? 長く落語ファンをやっていると、知らない噺というのにはあまりあたらなくなります。たいていは先行きのわかった噺です。

それでも聴くのは、やはり異なった演者の演出やリズムの違い、そして、ちょっとしたディテールを楽しむためでしょう。「木で鼻をくくったようなすっとした番号」も、そういう、落語を豊かにするディテールのひとつです。

つぎは、父親・古今亭志ん生と八代目桂文楽の中間、ないしはハイブリッドのような存在だった古今亭志ん朝のものを。長いのでお時間のある方のみどうぞ。

古今亭志ん朝「富久」


すでに多くの先達が指摘するように、浅草から芝というのはちょっとした距離で、急いでも一時間半はかかるでしょう。火事だ、てえんで駈けだしても、着いたころには消えてしまう可能性も高い、というのももっともです。片道だって大変なのですが、この噺では、一晩のあいだに往復するのだから、無理といえばあまりに無理なつくりです。

志ん朝は浅草三軒町(現在の元浅草あたり)と芝金杉(現在の港区芝あたり)という設定にしていますが、やはり二時間の距離でしょう。ご苦労なことです。

いま、たしかめたのですが、志ん朝の兄さん、先代金原亭馬生は、久蔵の家は浅草三軒町と志ん朝と同じですが、旦那のおたなは日本橋石町と、比較的近場に設定しています。

さらにいうと、八代目三笑亭可楽は、久蔵は日本橋へっつい河岸(現在の人形町)、旦那のおたなは芝の久保町(西新橋あたり)としていて、これまた現実的な距離です。

いや、現実的なほうがいい、といっているわけではなく、それぞれ、やり方が違うといっているだけです。非現実的な距離を歩く設定も、それはそれで悪くないと思います。

突き止め千両、といっても、現代ではその価値は想像しにくくなっています。まず、一両はいくらか、という問題があります。昔読んだものでは、幕末でだいたい八万円としていたものがありました。

であるとするなら、千両は八千万円。いまのジャンボ宝くじより低い額です。しかし、ここが微妙なのですが、三両あれば、一家四人が一年暮らせた、という説もあります。むろん、長屋住まいの話です。

そちらの価値の感覚をとるなら、千両は、八千万円よりずっと大きな額と見ることもできるでしょう。ここらが、往事の生活を想像するときのむずかしさでもあり、面白さでもあります。

音はよくないのですが、まだ若さの残る談志のものもどうぞ。後年のように自己批評満載の「メタ落語」ではなく、ストレートにやっています。

立川談志「富久」


この噺は昔から好きなのですが、どこがどう好きか、今回はまじめに考えてみました。

たとえば、冬の寒さと火事の描写、といった、いかにも落語らしい季節感の楽しみ、無一文から富くじに当たり、大喜びもつかの間、札はないという奈落の底に突き落とされ、つぎの瞬間、燃えたはずの札が見つかる、という波瀾万丈のプロット、などという当然のものもあります。

今回、あれこれ聴きくらべて、いちばん気になったのは、駈けつけた久蔵を見ての、旦那の反応の仕方とタイミングです。

どの演者も、ほとんど間髪を入れずに、酒のうえでのしくじりで差し止めていた出入りを許します。それも、あうんの呼吸とか、腹芸といった曖昧なものではありません。「よく来てくれた、向後、出入りを許す」とはっきりといっているのです。

極論かもしれませんが、「富久」という噺のヘソはここではないかと思いました。

出入りを許すぞ、といわれると、それが目当てで凍えるような夜に、必死に浅草から芝まで歩いた久蔵は、「そうくると思った」などと脇台詞をいい、旦那は「なんだい」などと聞き返します。

旦那だって、久蔵が息せき切って駈けつけたその胸算用は、はなから承知しています。だから、久蔵を見た瞬間、躊躇なく、出入りを差し許すのです。

長屋の隣人が久蔵に、お前の旦那はあっちなんだろ、こういうときに駈けつければ、しくじりを許されるかもしれないからいってこい、というし、久蔵も、千載一遇のチャンスと駆け出します。

旦那だって、なにを見え透いた、などと野暮はいいません。見え透いた行為とわかっていて、それを即座に受け入れます。これが彼らの生き方の「型」だったのだということでしょう。

かつて、こういう人間関係は当たり前だったのでしょうが、長い時間が流れて、当たり前のことが、当たり前に思えなくなりました。

面倒をかけるのが当たり前、面倒を見るのが当たり前、この馴れ合いをそのまま丸ごと肯定してしまう世界があった、ということに心惹かれた聞き直しでした。

しかし、改めて思うのですが、千両を得たあとの久蔵の暮らしぶりはどうなったのでしょうかねえ。こういう男なので、老後のために蓄えたり、これを元手に商売をはじめたり、なんていう地道な未来はないだろうと感じます。

やはり、ぱっぱと遊んでしまい、数年後にはもとの一文無し、また酒でしくじって旦那のところも出入り差し止め、なんてことになっているのではないでしょうか。いや、それもまた人生、悪い生き方とばかりもいえませんが。


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先代桂文楽
富久/船徳
富久/船徳


古今亭志ん朝「富久」
落語名人会(25)
落語名人会(25)


八代目三笑亭可楽
八代目 三笑亭可楽(3)
八代目 三笑亭可楽(3)


十代目金原亭馬生
金原亭馬生(10代目)(5)
金原亭馬生(10代目)(5)
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by songsf4s | 2011-12-29 23:48 | 落語
七代目金原亭馬生(すなわち五代目古今亭志ん生)の「氏子中」
 
先日の「千両みかん」にtonieさんが寄せられたコメントを読んで、レスを書こうとしたのですが、コメント欄に収まる長さにはなりそうもないので、記事にすることにしました。

本題の前に、あたくしのミスについて。tonieさんが当該のコメントで、

「東京バージョンが何年かに1度買いたい人のために揃えておくという商人の『美意識』に変更されるのは、なぜでしょうかね。(中略)『万惣』という具体的な店を意識した演目になったときに最初から千両提示で話が固まったのかもしれませんね」

tonieさんは、タイアップ落語についてのあたくしのミスを間接的に指摘していらっしゃいます。「王子の狐」が王子の料亭「扇屋」の宣伝のために作られたというのは大丈夫です。「百川」もコマーシャルだというのも、たぶん大はずれではないはずです。

しかし、いわれて思い出したのですが、「千両みかん」が神田の万惣のためにつくられたかどうかはなんともいえない、というのを読んだか聞いたかしました。tonieさんは、噺ができた「あとで」万惣の商人道を称揚するような演出が生まれた、というように書いていらっしゃるわけです。

ということで、順序としてはそちらのほうが正しい可能性が大である、と謹んで訂正させていただきます。

それでは、tonieさんがコメントでふれていらっしゃる、七代目金原亭馬生、すなわち、後年の古今亭志ん生による「氏子中」を貼り付けます。

古今亭志ん生「氏子中」


古典落語というのは、作者がはっきりしていることは少なく、また、演題はいわば符牒、他と区別するために便宜的につけられたものにすぎないので、別題のヴァリーションは豊富ですし、話の中身ですら、適宜改変されてしまいます。

七代目馬生のこの噺は「氏子中」というより、「町内の若い衆」というべきのようです。まあ、重なり合うところも多い噺なので、どっちでもいいといえばいいようなものですが、「氏子中」は「町内の若い衆」よりバレがきついので、戦前に盤にして売るなんてことができるはずもなく、ひょっとしたら、スケベ心に富むお客を引っ掛けようと会社が改題したのかもしれません。

ほかにも馬生時代の志ん生の録音を聴いたことがありますが、姿は大きく異なれど、噺の運びは後年と大きく違うわけではなく、聴いたとたん、ああ、志ん生だ、とすぐにわかります。

しかし、馬生時代の志ん生は人気が出ず、不遇だったといわれています。後年、ただ高座にあがって、「えー」といっただけで、女の子たちが意味もなく笑いころげる噺家になるとは、師匠自身も思わなかったでしょう。

では、七代目馬生と五代目志ん生はどこがどうちがうのか? こりゃもう「曰く言い難し」というしかないでしょう。

昔のSP盤の録音はあてにならない、テンポとピッチが狂っていることもしばしばだった、と先にお断りしておいて、申し上げますが、だれしも思うのは、テンポのちがい、間の取り方のちがい、抑揚のちがいです。

若さが忌避されたのではないとするなら、ほかに考えようはありません。しいていうと、若いころはスムーズすぎた、といえるかもしれません。噺はスムーズであってほしいものですが、おかしなことに、なめらかさも行き過ぎると、噺家が自在に噺を操っているのではなく、噺が噺家を操っているような印象になるものです。

志ん生は、息子の志ん朝に、アー、ウーとつっかえるのはなんとかならないのか、と文句をいわれたことがあるそうです。ぜったいにつかえない馬鹿テクの持ち主だった志ん朝(その意味で、父親よりも、むしろ先代桂文楽に似ていた)らしい注文です。

そのとき、志ん生は「でもなあ、俺が、うー、というと、客がぐっと前に出てくるんだ」と答えたそうです。

志ん生はなぜ大化けしたか、という重大な設問に対する回答案としては、あまりにも軽率かもしれませんが、ときおり噺が止まってしまうようになったがゆえに、といいたくなります。

六代目三遊亭圓生も、晩年の高座では、よく、つかえて止まっていました。昔はそれが気になったのですが、あとからスタジオ録音の「圓生百席」を聴いて、ときおり噺が止まったほうがいいのではないかと思いました。

このへんが音楽と落語は決定的に違うのかもしれません。音楽に関しては、つかえたほうがいいなどとはけっして思いませんが、落語はスムーズであることがかならずしも善ではないタイプの芸なのだと思われます。

立川談志はそのへんのことをどう考えていたのか知りませんが、なんとななく、スムーズに運ぶのを嫌っているような雰囲気は感じます。

談志、志ん生師の墓を掃苔す


なるほど、腹のあたりは生焼きで、なんて、ちゃんと「黄金餅」を引用しながら話しています。

tonieさんが当該のコメントで引用していらした立川談志のことば。

《「富久」「黄金餅」「火焔太鼓」「風呂敷」「氏子中」いいヨォ……。「芝浜」「鰍沢」酷いよォ……。》だそうです。

おおむね賛成です。「黄金餅」は嫌いですが、志ん生のものの出来が悪いというより、噺自体が悪趣味なので好かないだけです。いいときの「らくだ」みたいで(よくないときの志ん生の「らくだ」はいただけない)、仏をいっさんに焼き場に運ぶ終盤のスピード感はちょっとしたものです。

志ん生の「芝浜」と「鰍沢」はたしかにいただけません。いや、「鰍沢」という噺自体、三遊亭圓朝一世一代の愚作というべきで、なにが「お材木で助かった」だ、くだらないにもほどがある、てえんで、だれが演っても、サゲの馬鹿馬鹿しさに索然とします。いや、サゲはしばしば馬鹿馬鹿しいものと相場は決まっています。それをことさらに馬鹿馬鹿しいと感じるのは、噺が気に入らなかったときです。

山中の冬の夜をいかに演出するか、というところが腕の見せ所ということなのでしょうが、鰍沢のような噺をやるのが大看板の義務になっているなんていうのは、三遊派のもっともよろしくないところです。六代目三遊亭圓生もよく鰍沢をやりましたが、こちらもまた好きではありませんでした。

志ん生の「富久」「火炎太鼓」がいいのは、談志にいわれるまでもないし、ましてや、あたくしがいまさら、やいのやいのいうまでもないことです。

落語をあとから追いかけるときに、イの一番に聴く噺ですが、だれにだってお初というのはあるもの、古今亭志ん生の十八番をお聴きになったことがない方だっていらっしゃるでしょうから、いちおう貼りつけます。

古今亭志ん生「火焔太鼓」1


古今亭志ん生「火焔太鼓」2


以前書きましたが、「しびん」という言葉を単独で発することができず、どうしても「清盛の」と枕詞がついてしまうのは、もちろん、この「火焔太鼓」のせいです。

志ん生のくすぐりはたちまち体に染みこむので、「幼少のみぎり」も単独ではいえず、「頼朝公ご幼少のみぎりのしゃれこうべ」と長くなってしまうのも、志ん生のせいです。

古今亭志ん生「火焔太鼓」3


いやはや、なんともいえない味があって、何度聴いても、やっぱり途中ではやめられません。志ん生のものを聴いてしまうと、この噺はほかの噺家のものでは聴きたくなくなりますが、ひとりだけ、息子の古今亭志ん朝のものだけは、やっぱり親子だなあと感心します。志ん朝のものもユーチューブにあるので、ご興味があれば関連動画をクリックしてみてください。

これはめずらしいのかどうか知りませんが、志ん生の火炎太鼓には、サゲちがいがあります。よほどの志ん生ファンでないと、とくに興味はわかないと思いますが、せっかく手元にあるので、サンプルにしました。

全体をお聴きいただくべきでしょうが、いろいろ面倒なので、甚兵衛さんが大名(細川家だといわれる)の屋敷を出て、帰路に着いたところからどうぞ。

サンプル 古今亭志ん生「火炎太鼓」サゲちがい

やはり、「いつものやつ」のほうがいい、というところでしょうか。


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古今亭志ん生
古今亭志ん生 名演大全集 1 火焔太鼓/黄金餅/後生うなぎ/どどいつ、小唄
古今亭志ん生 名演大全集 1 火焔太鼓/黄金餅/後生うなぎ/どどいつ、小唄


古今亭志ん生(「どんどんもうかる」と注記があるので、サゲちがいのほうが収録されているのだろう)
古今亭志ん生 名演大全集 2 火焔太鼓(どんどんもうかる)/搗屋幸兵衛/たぬさい/一眼国
古今亭志ん生 名演大全集 2 火焔太鼓(どんどんもうかる)/搗屋幸兵衛/たぬさい/一眼国
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by songsf4s | 2011-08-23 23:55 | 落語
須磨の浦風(四代目三遊亭圓馬)
 
音楽や映画のお客さんにくらべて、落語のお客さん、ないしは、落語「も」好きなお客さんの数は、たぶん、それほど多くはないのだと思います。

しかし、たとえばギターの上手下手と、落語の上手下手は同じように判断できると思います。どちらも、イントネーションとタイムのコントロールの仕方で勝負は決まります。あとはギターならトーンの作り方、落語なら声の質ぐらいしか要素はないでしょう。まあ、中学生のころは、速さに意味があると誤解していましたが。

わたしの友人の熱心な音楽ファンは、みな落語および演芸にも通じていて、われわれの小さなMLではときおりそちら方面の話題が出たりします。ということで、当家にいらっしゃるお客さん方の多くは演芸も好まれるだろうと決めつけています。落語のときにお客さんが増えるということはないのですが、微減程度の感じなので、また今日も落語です。

といっても、まもなくシンデレラ・タイムなので、今日はお客さん方にとって幸いなことに、席亭があれこれゴタクを並べる余裕はありません。

去年、納涼名人寄席をやろうとリストアップしたのは以下のような演題です。

夏ドロ――三代目三遊亭金馬
須磨の浦風――四代目三遊亭圓馬
扇風機――春風亭柳昇
両国八景――八代目雷門助六
千両みかん――八代目林家正蔵
夏の風物詩――九代目鈴々舎馬風
あきれた紙芝居――あきれたボーイズ
船徳――八代目桂文楽
三味線ラ・クンパルシータ 三味線セントルイスブルース――三味線豊吉
声帯模写――古川ロッパ
夏の医者――桂枝雀
佃祭――五代目古今亭志ん生

色物は季節に関係ないのですが、落語はすべて夏の噺です。たとえば両国八景や夏の風物詩なんていうのは、とくにどうという噺ではないのですが、大物のあいだにはさんでおくにはちょうどよいもので、自分で番組を組んでみて、そうか、寄席ではこういう小味な噺の居場所があるのだな、と納得しました。CDなんかで聴いていると、こんな噺はべつにやらなくていいのではないかと思ったりするものがありますが、寄席という文脈ではそういうものにもちゃんと存在価値があるのです。

去年組んだ番組のなかでユーチューブにクリップのあるものはすでにやってしまったので、今日は手元のものをサンプルとしてアップしました。モノーラル・エンコーディングで、音質は中程度に落としてあります。

サンプル 四代目三遊亭圓馬「須磨の浦風」

須磨の浦風はものすごく出来のいい噺というわけではありません。公平にいって、べつに悪くはない噺、といったレベルでしょう。しかし、いかにも昔の笑話らしく、「見立て」を柱にした趣向であるところが好ましく感じられます。

早稲田大学文学部の裏手にちょっとした高台があります。なかなか不思議な場所で、いろいろな意味で興味深いのですが(旧軍の研究所の建物が残っていたりした)、なかでも奇妙なのは、公園のなかの小高い場所です。

高校のとき、早稲田の古本屋巡りのあとでそのあたりを散策していて、「箱根山」と札の立てられたこんもりした場所を発見しました。せっかくだからてっぺんまで上り、周囲を見渡して、天下の険にしては見晴らしはよくないな、とちょっと笑い、それきり忘れてしまったのですが、あとで、それがなんだったのかを本で知ることになりました。

このあたり一帯は紀州藩江戸下屋敷だったのでそうで、下屋敷のつね、広大な庭園を抱えていました。何代目の国主だったか、寛政年間のころでしょう、洒落で庭園のなかに宿場や田地畑地をつくり、さまざまな店舗までもうけて、何度か客を招いて園遊会のようなことを催したのだそうです。たしか太田南畝の随筆にも書かれているということだったので、南畝その人も客になったことがあるのかもしれません。

で、その庭園の中の宿場町を小田原町と名づけ、小田原の近くのこんもり高いところを箱根山と見立てたのでした。それが昭和まで残って、古書をあさりに早稲田まで頻繁に通っていた高校生を戸惑わせたわけで、わかってみて、あの山に登っておいてよかった、と笑いそうになりました。

こういう「見立て」の気分は、落語の根幹にもあり、それがよくあらわれたひとつの例が「須磨の浦風」という噺なのです。いや、この噺では、小田原はあまり麗しい土地には描かれていないのですが!


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by songsf4s | 2011-08-22 23:46 | 落語
「千両みかん」(柳家小三治および立川談志)と「三味線ラ・クンパルシータ」(三味線豊吉)
 
なにかの噺の枕で、桂米朝が、「志ん生はんなんてお人が『えー、昔、吉原というところがありまして』なんて話しはじめると、ホンマにこのおっさん、江戸時代の吉原を知っているんとちゃうか、なんて思ったものでして……」

なんていっていましたが、落語、いや話芸の要諦はこの言葉に尽くされているように思います。ちょっとした言葉の端に、ある雰囲気を漂わせることが、つまり話芸なのでしょう。

そして、それはどういう言葉を並べるかという語彙にまつわることではなく、どのように言葉を発するかという、その感触の問題なのだと思われます。

よく芸人は、飲む打つ買うは芸の肥やしなどということをいいます。この「三悪」にはあまりいれをあげたことのない人間なので、若いころは、ずいぶんと都合のいい弁解だな、と思いました。

しかし、年をとってみると、すとんと腑に落ちました。えらく大束ないいようになりますが、あらゆる芸というのは、その基盤、前提、目的地としてセックスを想定しています。

広い意味で「色気」のない芸人は駄目です。「華」などともいいますが、この色気というのは、生まれつきでもあるでしょうが、磨かなければ人の目を引くほど光るものではなかろうと思います。

噺家というのは、古今亭志ん朝や立川談志のように、あるいはずっと後年の春風亭小朝のように、若いころから人気を博すタイプもいますが、古今亭志ん生を筆頭に、八代目三笑亭可楽などは晩成型だったようです。勝手な想像ですが、若いころに遊んだのが、中年以降に色気になってにじみ出たのではないでしょうか。

われわれの一生でなによりも習得に時間のかかる技術は、人間観察ではないかと思います。あらゆる芸は人間観察の蓄積を簡潔なエッセンスとして提出することといっていいでしょうが、とりわけ、映画と落語にそれをつよく感じます。

そしてそれは、ちょっとした言葉をいうときの抑揚であったり、間の取り方であったり、面の上げ下げであったり、目の使い方であったり、ほんのささやかな仕草といったものに、表現されるのでしょう。噺家は、話し方と仕草だけで多数の人物を造形しなければならず、その技術が確固たるものになるには、時間がかかるのだろうとつねづね思っています。

それで、前回の「佃祭」については、息子の志ん朝よりも、父親の志ん生のものに、一段の情趣があると述べたしだいです。

べつに、以上が枕で、以下が本題というわけではなく、昨夏、「納涼名人寄席」というものをやろうとしたときにつくったリストを再見し、その残骸をサルベージするだけです。

「千両みかん」は、夏の噺といえば多くの方が最初の手で指を折るに違いないだろう演目で、またまた凡庸で恐縮ですが、やはり、夏には聴きたい噺です。

昨夏は先代林家正蔵のものをリストアップしたのですが、ユーチューブにはべつのものがアップされていました。長いので三つに割ってあります。笑いの多い演目ではないので、お気に召さなければ、早めに引き返したほうがよろしいでしょう。

柳家小三治「千両みかん」冒頭


柳家小三治「千両みかん」中段


柳家小三治「千両みかん」終盤


本質的なことではないのですが、この噺に登場する「みかん問屋」、神田多町の万惣というのは現在も同じ場所で暖簾を守っています。神田の本店のみならず、都内数箇所に支店があり、ご利用した方もいらっしゃるでしょう。デザートのたぐいはけっこうなものが多く、ときおり食べたくなりますし、久しく訪れていない本店のパーラーもまたいきたいものです。

わたしよりお年を召した方ならご記憶でしょうが、いま高層ビルが立ち並んでいる秋葉原駅至近の場所に、かつては「やっちゃ場」、東京青果市場がありました(石原裕次郎、芦川いづみ主演の日活映画『あした晴れるか』の冒頭にやっちゃ場の風景が活写されている)。あれは江戸の名残で、付近には青物屋が多く、それが明治以降にいくぶんか引き継がれ、その生き残りが万惣なのだそうです。

ここでちょいと休憩。昨年企画しかけた「納涼名人寄席」の色物として用意したものをどうぞ。

三味線豊吉「三味線ラ・クンパルシータ」


タイアップ(近ごろは商売上の提携にすぎないことも「コラボ」というそうで、思いきり笑わせられた。むろん、そんな臆面もない商売人の口真似などする気はさらさらない)落語というのがいくつかあります。

たとえば、かわいい子狐が登場する「王子の狐」、これは東京・王子の料理屋「扇屋」の依頼で、コマーシャル(昔の言葉でいうと「披露目」)として作られたと伝えられています(残念ながら、料理屋のほうは閉じたそうだが、たまご焼きはいまでも販売されていることをウェブサイトで確認した)。

飛鳥山に花見に行って、川沿いの道を散策していたら、扇屋の看板に出くわし、思わず「王子の狐だ!」と声を上げてしまいました。いまも年に一回「王子の狐」を聴く会が開かれていると知っていたので、あるのはわかっていましたが、なんだか、ひどくうれしくなりました。

もっと人口に膾炙した噺としては「百川」が、日本橋の料亭「百川」の宣伝として作られたそうですが、こちらは肝心の依頼元がなくなってしまい、いまでは料理屋は忘れられ、落語の演題としてのみ知られる体たらく。そう考えると、万惣がいまも隆盛を誇っているのは、世にありがたいことだと痛感させられます。

談志は、志ん朝に「あにさんはふつうにはできないんでしょ」と云われて、「ふつうとはどういうことだ!」と怒ったそうです。たしかに、改めて「ふつうとはどういうことだ」と問われると、あたしにもよくわかりません、と頭を掻くことになります。

談志という人は、話を語っている自分というものを語ってしまいます。アノニマスな「噺」「譚」を裸で投げ出し、その向こうに身を隠すということができず、噺家が噺を語ることを語ってしまう「メタ落語」の演者です。その意味で桂枝雀に似ていますが、談志のほうは、ほとんどつねに「談志の落語を語る談志という噺家について語る噺家」であり、噺の向こうに身を引くということをしません。

大昔、小林信彦との対談で、安藤鶴夫は、いきなり「あなた、談志はどう?」と切り出しました。小林信彦は談志支持、安藤鶴夫はどうも引っかかる、という立場だったと記憶しています。

わたしは、手放しで談志を面白いと思ったことはなく、一枚幕をはさんで、「そういうスタイルをとる噺家という存在は理解できなくもない」という風にずっと考えてきました。いまだに、「談志も年をとって変わったか、いや、変わってねえだろうなあ」といった気分で聴くのであって、好きな店に入っていつもの料理を注文して、さあきたぞ、と手ぐすね引くような気分にはなりません。

以上、長前置き失礼。そういう人の「千両みかん」もあるので、いちおう貼り付けおきます。

立川談志「千両みかん」


これは「談志百席」というものに収録されたのだそうで、「圓生百席」と同じように、最後に自作解説がついています。ほんとうは、「逐電しました」とサゲたいんだ、といっていますが、これはよくわかります。

「逐電」とは辞書に「逃げ去って行方をくらますこと」とあります。江戸時代から戦前ならこの言い方が当たり前なので、み袋のみかんを持って番頭は逐電いたしました、ならすっきりと終われます(辞書は「ちくてん」と澄んだ音にしてあり、「ちくでん」とも、などといっているが、江戸東京の下町では強く発音するのが基本だから、「ちくでん」と濁るべき)。

世間の言葉が変わってしまい、それに追随したことが落語からスタイルを奪ったわけで、談志は、噺はうまくないかもしれませんが、いたって鋭敏な頭脳の持ち主なので、そのことがいいたくて、この噺のサゲを変えたことにふれているのでしょう。

千両であがなったみかんは、開けてみればなかに十袋(とふくろ)あって、ひと袋百両の計算。若旦那は、み袋を残して番頭に、おとっつぁん、おっかさんにひとつずつ、おまえにもお駄賃としてひと袋、といいます。

番頭は、まもなく暖簾を分けていただいて独立する、そのときお店(おたな、と訓じられたし)からもらえる長年の勤続に対する手当てが五十両。三百両などという金は生涯見ることはないだろう、とため息をつきます。

ここで論理の飛躍が起こるところが、この噺のもっともスリリングなところで、「花見酒」や上方の「壺算」と同じように、一瞬の論理の眩暈を喚起するがゆえに、つねに古びない噺になっています。

五年に一人、いや十年に一人、真夏にみかんを求めてくる客のために、蔵をひとつつかって冬にみかんをしまっておく、という万惣の商売のあり方も、この話のポイントのひとつでしょうが、年をとってあたくしは、下世話なことにいちいち感心する心を失いました。落語は落語、ビジネス書ではありません。

そういえば、加賀の御氷献上というのがあったそうで、加賀の前田家では、冬のあいだに氷室でつくった氷を、夏になって掘り起こし、夜を日についで江戸までいっさんに運び、将軍家に献上したとかで、久生十蘭がこれを素材に『顎十郎捕物帳』の一篇を書いていました。

かき氷はかつて王侯の食べ物であったか、などと思えば、百円のアイスクリームも、千両みかんの味がするやもしれません。


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by songsf4s | 2011-08-20 23:47 | 落語
一歩遅れて「佃祭」(古今亭志ん生、志ん朝親子)
 
抹香くさいほうではじまったことでしょうが、昔はよく因果応報、善因善果、陰徳陽報なんてことを申しまして、悪いことをすると地獄に堕ち、いいことをしておくと、やがていい報いがあるなんてことをいいました。

いにしえの説話物語にはこのたぐいの話がたくさんあるのはご案内のとおりで、学校で勉強させられた、『日本霊異記』を筆頭に、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの説話集には、そのての話が詰め合わせになっています。

まあ、あちらも商売、神信心をしてくれないと干上がってしまうので、そんな話をつくって宣伝にこれ努めたのでしょうが、いまどきコマーシャルをまともに信じるのは変わり者の善人だけ、あたくしのような者は、子どものころにもう、そんなチョボイチ信じるものか、てえんで、将来や来世のために身を慎むなんてことはチラとも考えませんでした。

ということは、仏家の宣伝が万一、天国ないしは地獄から逆流してきた事実であるなら、あたくしなんぞは、来世で火責め水責め針の山、後悔しきり、時すでに遅しという事態に遭遇することになるでしょう。

東京のそのまたど真ん中、銀座から十分も歩くと、佃大橋というものにぶつかります。大川が東京湾に注ぎ込む、その口の辺り、もう海なんだか川なんだかわからない場所にかかった長い橋です。

関東大震災の復興事業で架けられた隅田川の橋は、清洲橋をはじめ、趣のあるものばかりですが、残念ながら、佃大橋はオリンピックの年に竣工したもので、同い年の首都高と同じ精神の産物、味わいもなにもあったものではありません。

1964年に橋ができるまでは、ではどうしていたのかというと、佃の渡してえものがありまして、小船が行き来していました。佃の若い衆がお江戸に遊びにいったら、相方としっぽり濡れてなんていう暇もなく、あわてて船で帰るか、ええい、ままよ、このままいつづけするかと、いっそ度胸が据わって流連荒亡、翌日もまた飲めや歌えやの連チャンになりやすい仕組みになっていました。

この佃島、ご存知、佃煮の産地でありますが、そもそもどういう因縁があったか、そのあたりの消息は歴史の先生方がいろいろお書きになっているので、ここは敬して遠ざけ、伝えられる事実だけを言えば、神君徳川家康公(あたくしの先祖は家臣の末席を汚したので、我が家では東照神君、権現様などといいならわしております。てなチョボイチを信じるお方の来世は明るいでしょう)の懇請によって、摂洲佃の漁師たちが、最新の漁法をたずさえて江戸開府直後に移住して、この地を賜ったものだそうです。

板子一枚下は地獄、海の民は信心深いもので、佃の漁師たちは、上方から神様もお連れしました。それが住吉さん。上方落語のほうでも、たとえばあの「屁え嗅ご」で有名な「住吉詣り」などに描かれる、あの住吉はんです。

で、住吉神社には有名な渡御というのがありまして、毎年、夏になるとニュースなどで紹介されていますが、今年は大祭の年であったにもかかわらず、震災で被害に遭われた方々への配慮なのでしょう、そちらは来年に延期、慎ましく執りおこなわれたようです。

とりたてて特徴のある噺ではないし、「船徳」のようなキャラクターの魅力があるわけでもないので、演り手がすくなく、わたしは古今亭志ん生のものしか知りませんが、この住吉神社の真夏の海のお祭りを背景にした「佃祭」という噺があります。

これがいいんだ、などと力を入れるわけにはいかないのですが、どこがどうだというのではなく、妙に味のある、いや、ほのかな淡い味のある噺で、わたしは好んできました。検索したら、志ん生の次男、志ん朝のものがアップされていました。

古今亭志ん朝「佃祭」


最近はそういうことはあまりいわないので、おわかりにならない方がいらっしゃるのを懸念して贅言を弄しますが、枕で志ん朝が梨のことを「有りの実」といっているのは、博打を好む人が「する」を嫌ってスルメを「アタリメ」、スリッパを「アタリッパ」と言い換えるのと同じこと、「梨」が「無し」に通じるのを嫌い、「有る」と言い換えただけのことです。

「ちきり伊勢屋」と同じように、善因善果のおめでたい噺ですが、神信心の欠如した人間なので、とくにこの噺の展開が好きなわけではありません。夏の祭りの夜の空気が、噺の向こうにぼんやりと揺曳するところが好きなだけです。

その意味では、志ん朝より、親父さんの志ん生のもののほうに、江戸情緒がいくぶんか濃厚のように感じます。いろいろあるので、全編とはいかず、前半だけですが、志ん生のものも用意しました。

サンプル 古今亭志ん生「佃祭」前半

とくに言葉としてなにかを表現しているから、父親のほうに江戸情緒を強く感じるわけではなく、志ん生のほうには、ほんとうにそこはかとなく、蚊取り線香の煙のように、夏の夜の空気がたゆたっているだけなのです。

それはたぶん、語り口のせいなのでしょう。志ん朝は、いつ父親の名跡を継ぐのだときかれて、そのうち、遅い噺をやるようになったら考える、と答えたことがあるそうです。

継がなかったということは、つまり、遅い噺をやるようにはならなかった、ということなのかもしれません。最晩年のことはよく知りませんが、年をとってもスピードは衰えなかったので、結局、父親のような、伝統的な人情噺の語り口を試みることなく終わってしまったのでしょう。

阿佐田哲也が、志ん生も人情噺などやらなければいいのだが、と書いていました。おっしゃる意味はよくわかるのですが、三遊派の大看板としては、やはり人情噺を後世に伝える義務があるから、やむをえないでしょう。

むろん、寄席に志ん生を聴きに行ったら、笑いの多い噺であってほしいし、「文七元結」や「黄金餅」なんかに当たったら、がっかりしたに違いないでしょうが、だれにだって欠点はあるのだから、いたしかたありません。

たしかに滑稽噺をやらせれば、古今亭志ん生はすばらしい技と味の持ち主でありながら、それが災いして、人情噺はあまり楽しめません。人情噺をきくなら、文楽、圓生、正蔵といった人たちや、そういってはなんですが、志ん生自身の息子である先代金原亭馬生のほうがいいのではないかと思います。

いや、志ん生が人情噺を不得手にしていたというより、滑稽噺があまりにも面白くて、それ以外のものを聴くのは気が進まないだけなのです。阿佐田哲也も、その程度の軽い意味で、志ん生の人情噺をくさしただけでしょう。

「佃祭」は、骨格としては人情噺ですが、見た目には死者がよみがえったように思えるという、「品川心中」や「粗忽長屋」とも相通ずる混乱のおかげで、滑稽噺の側面もあり、志ん生、志ん朝、ともに客を湧かせています。

客を退屈させないようにという心配りのおかげで、志ん生の人情噺のなかでは、もっとも楽しめるものに、「佃祭」はなっています。そして、笑いが多いおかげで、かえって前半の江戸情緒の味があとに残るのでしょう。


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by songsf4s | 2011-08-19 23:50 | 落語
新春名人寄席 古今亭志ん朝、三遊亭金馬、圓遊、雷門助六、柳家三喜松、人見明ほか
 
あけましておめでとうございます。旧年中はたびたびのご来訪ありがとうございました。本年も旧年と変わらぬお引き立てのほどをお願い申し上げます。

さて、年忘れの寄席をやったのだから、当然、元旦も寄席をやらなければ収まりがつかないというものです。

年忘れ寄席は毎回一席でしたが、今日は元旦、寄席なので、色物も織りまぜつつ、ドンとひとまとめに噺を並べて、番組をつくってみました。

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◆ 五代目柳家小さん「御慶」 ◆◆
現代にもそういう人がいらっしゃるのではないかと思いますが、女房を質において初鰹を食うわけではなく、女房の羽織を質に入れて富くじを買ってしまう男の話です。古今亭志ん朝「宿屋の富」で書いたように、現今の宝くじとちがって、江戸の富くじの値は一分、そんなものに入れをあげられては家計はたまったものではありません。

この男、大晦日に鶴がはしごのてっぺんにとまって羽を広げている夢を見たので、鶴は千年、はしごだから、鶴の一八四五番を買おうとしますが、湯島に行ってみると、一足違いでその番号は売れたあと。ガッカリしていると易者に話しかけられ、はしごを下がってはダメだ、のぼらなくてはいけない、だから八四五ではなく、五四八だといわれて、鶴の一五四八番の札を買います。

ということで、よし、それだ、といって、再び富札を買いに駈けだすところからサンプルをどうぞ。

サンプル 五代目柳家小さん「御慶」

この鶴の一五四三番がみごと千両富の当たり札となって、そこからの騒動がこの長い噺の後半、元旦の景へと移っていきます。だから「御慶」となるというしだい。好き嫌いはべつとして、正月向きのじつにおめでたい話柄です。

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◆ 三代目三遊亭金馬「初夢」 ◆◆
わたしは先代金馬が大好きなので、こんな浅いところに出してしまうのは申し訳ないのですが、オールスター・チームの場合はやむをえないのです。そもそも、初夢をめぐる考証エッセイのような趣で、骨格らしい骨格も、ストーリーらしいストーリーもないので、まあ、よろしかろうと思います。

サンプル 三代目三遊亭金馬「初夢」

先代金馬は物知りで、ふだんの噺のなかにもさまざまな考証が出てきますが、これはその考証だけを独立させたようなものですから、なかなか勉強になります。

◆ 人見明とスウィングボーイズ「民謡教室」 ◆◆
人見明は、クレイジー・キャッツ・ファンならどなたもご存知、植木等にひどい目に遭わされるあの「課長」というか、「カチョー」を演じた人です。寄席芸人だという話は読んだことがありましたが、じっさいにそういう芸をやっているのは、この録音でしか知りません。

サンプル 人見明とスウィングボーイズ「民謡教室」

というように、ストレートなボーイズです。びっくりしたのは、ハーモニーがうまいこと。冒頭の会津磐梯山がじつにきれいで、フル・ヴァース歌ってもらいたかったほどです。まあ、ボロが出ないところでやめるのでしょうけれどね。

それにしても、最初にあれだけみごとなハーモニーを聴かせておいて、あとで単独になるとみな音をはずしてみせるわけで、これはこれでたいした芸だと感心してしまいました。うまい人がピッチをはずすのは大変というか、うまくピッチをはずせるほどうまいというべきか、いやはや、短いあいだに何度も感心させてくれる芸でした。

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◆ 八代目雷門助六「七段目」 ◆◆
助六師匠、わたしは大好きです。この噺はべつに正月向けというわけではないのですが、わたしの趣味を押し通してみました。なにしろ、好きが昂じて、これを演じてみようと思いたち、声色のあたりをコピーしたことがあるほどで、大好きな噺です。けっこういいところまで模写したのですよ。いや、ホントに。

サンプル 八代目雷門助六「七段目」

枕から噺に入って、前半だけで切りました。このあと、若旦那と小僧が二人で忠臣蔵の「七段目」を演じるくだりになります。わたしは「角が暗い」、ではなく、芝居に暗いのですが、落語の芝居噺は大好きです。なかでも、この助六の七段目はベストだと思います。

なお、これはエアチェックなので、放送禁止用語がカットされています。「芝居気違い」といったのでしょう。

◆ 四代目三遊亭圓馬「けんげ者茶屋」 ◆◆
これは正月(正確には七草)の噺なのですが、わざと縁起でもないものばかり並べるところがミソです。これも上方から来た噺で、「けんげ」という言葉はこの噺の外題としてしか知りません。上方でも、もうふだんは使わない言葉ではないでしょうか。関東でいえば「験かつぎ」のことだそうです。

サンプル 四代目三遊亭圓馬「けんげ者茶屋」(2011年6月9日reup)

掛け軸を「のどがなる、はや、死にかかる松右衛門」と読むのは笑えます。くに鶴という妾の名前を「首つる」といったり、湯にいっていたというと、湯灌場かといい、お屠蘇をお上がりなさいというと、こりゃ冷たい、湯灌にしてくれと、じつに困った旦那です。

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◆ 四代目三遊亭圓遊「七福神」 ◆◆
「けんげ者茶屋」は関東ではあまり有名ではありませんが、同じ験かつぎの噺でも、こちらは有名も有名、正月には欠かせない噺です。

サンプル 四代目三遊亭圓遊「七福神」

七福神という噺の本体は「船屋」「宝船売り」が登場してからの部分ですが、圓遊は三つの短い噺をつないでいます。

まずは下男に若水迎えをやらせたら、「新玉の年立ち返るあしたより、若やぎ水を汲み初めにけり、これはわざっとおとし玉」という唱えごとを忘れてしまい、「目の玉のでんぐりけえるあしたより、末期の水を汲み初めにけり、これはわざっとお人魂」とやらかして、旦那と揉めるのが第一段。

験担ぎの旦那の名前が御幣担ぎだから「五兵衛」、そこへ友だちの早桶屋(棺桶屋)の四郎兵衛がやってきて、店先でさんざん縁起の悪いことをいって、五兵衛をくさらせるのが第二段。そして、翌日二日、先述のように宝船売りが来てからが第三段です。笑わせどころたっぷり、初笑いにはもってこいです。

◆ 柳家三亀松「粋談」 ◆◆
さて、膝がわり(上方でいうところの「もたれ」)は初代柳家三亀松の「粋談」ないしは「都々逸漫談」です。これはもう、ごちゃごちゃいわずにお聴きなさい、です。

サンプル 柳家三亀松「婦系図」

わたしは生粋のロックンロール・キッドだったわけでして、都々逸なんてものは、ああた、そういう東洋の退廃音楽は趣味じゃござんせんでしてな、てなことをいっていたのはいつのことやら、はじめて三亀松を聴いたときは愕きましたねえ。世間のいうことはきくものだと反省しましたよ。噂には聞いていましたが、いや、評判のはるか上をいく芸で、日本に生まれてよかった、といいたくなりました。こういう芸を生みだしたのだから、日本もたいしたもんですよ。

三亀松はしじゅう声色をやるわけではないのですが、わたしの趣味で役者の物真似が出てくるこのこの「婦系図」を選びました。

◆ 古今亭志ん朝「堀之内」 ◆◆
さて、トリは正月の噺ではありませんが、おめでたい人物ばかりの落語国でも、これほどおめでたい人物はほかにいないというくらいのキャラクターが大活躍する噺で、正月に聴くにはもってこいでしょう。

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堀之内妙法寺(お祖師様)

「堀之内」というと四代目三遊亭圓遊のものが有名で、そちらをサンプルにしようかと思ったのですが、すでに「七福神」で登場しているので、志ん朝のものにしてみました。長い枕をすべて飛ばし、噺に入ったところからどうぞ。

サンプル 古今亭志ん朝「堀之内」

じつにもって馬鹿馬鹿しい噺ですが、これほどおめでたい噺もそうたくさんはありません。堀之内に行くといって、両国に行ってしまい、ちがったといってこんどは浅草寺、それからまた堀之内に行くっていうんだから、考えてみるととんでもない健脚です。あっというまに江戸を縦横に歩いてしまうところが、志ん朝の噺の速さとみごとに呼応しています。

圓遊版は、リアリズムというべきか、志ん朝版よりずっと茫洋とした人物に描かれていて、そのへんに味があります。

さて、年末年始の寄席シリーズは(たぶん)今回でおしまい、次回からはレギュラー・プログラムに戻る予定です。

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昭和の名人~古典落語名演集 五代目柳家小さん 六
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三代目 三遊亭金馬 名演集 15 初夢/浮世根問/随談 艶笑見聞録/随談 猫の災難
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ニッポン無責任時代 [DVD]
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助六 七段目、高砂や
NHK落語名人選(98) 八代目 雷門助六 七段目・高砂や
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三亀松
柳家三亀松 都々逸名演集~“粋”~
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柳家三亀松 都々逸名演集~“艶”~
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風流艶くらべ~艶笑粋談
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志ん朝 堀の内
落語名人会(28)
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by songsf4s | 2010-01-01 00:24 | 落語
年忘れ爆笑寄席その三 三笑亭可楽「尻餅」

今月の当家のご来場者の数は、クリスマス数日前がピークでした。歳末でお忙しいということもあるのでしょうが、その後、すこし減ったのは、「クリスマス特需」のピークがクリスマスより少し前になることのほうが大きいのでしょう。

今月の検索キーワードのトップは、「frosty the snowman 歌詞」でした。221回も検索されています。お一人の方が毎日、このキーワードで当家にいらしたとしても、221回にはなりません。やはり、かなりの数の方が歌詞を求めて当家にいらしたのでしょう。

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昨年のクリスマスには、キーワードのトップは「jingle bell rock 歌詞」でした。いや、このトップの入れ替わりになにか意味があるわけではなく、たまたまそうなっただけだろうと思います。まあ、この二曲が人気のあることは示しているのでしょうがね。

さて、クリスマス特需が終わって、だれもいらっしゃらないかというと、そんなことはありません。お忙しいなか、毎日150人ほどのご来訪があるとはすごいことで(さすがに今日は暢気なブログどころではないのでしょう、120ほどですが)、この時期なので、ありがたさもひとしおです。

◆ 大晦日、箱提灯は怖くない ◆◆
落語国にだって、お大尽もいれば、殿様もいるのですが、でもやっぱり、世の中と同じで、大多数は貧しい長屋住まい、歳末は金の工面に苦労するものと決まっています。その方面の代表的な噺のひとつが前回の「穴どろ」ですが、本日の「尻餅」も貧乏ぶりでは負けていません。

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江戸市中大晦日の図(三谷一馬『江戸庶民風俗絵典』より)。昔の大晦日は深更まで忙しかったので、みな提灯をもっている。右端は掛け取りか。商人だから弓張提灯をもっている。子どもを連れたおかみさんが手にしているのは馬提灯。元旦にあげる凧を忘れていたので、夜になってあわてて買いに行ったのか。左端、箱提灯をもっているのは武家の使用人、そのうしろが主人。ふだんなら箱提灯は畏怖されるが、大晦日ばかりは掛け取りの弓張提灯のほうが怖い。

今回もやはりクリップが見つからず、自前のサンプルをアップします。前回同様、二人の噺家に、前半後半をべつべつに演っていただくことにしました。例によって音質は落としてあります。いえ、十分にお楽しみいただける音質なので、ご安心あれ。

サンプル 八代目三笑亭可楽「尻餅」前半

サンプル 四代目柳家つばめ「尻餅」後半

「穴どろ」と「尻餅」のちがいは、こちらの亭主は腹が据わっていてずうずうしいことです。いえ、だからといって悪事をするわけではなく、無茶なことをいって、借金取りを追い払うていどのことです。もっとも、厳密にいえば恐喝罪であげられてしまうと思うのですがねえ。

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こちらも、小僧に弓張提灯をもたせた番頭というところか、除夜の鐘が鳴り終わるまで、この格好で掛け売りした勘定をとって歩く。ほうきを担いだ人物は煤払いの手伝いか? 赤ん坊を背負ったおかみさんは、なんと手に鮭をぶら下げている!

なんたって、舌先三寸と強面で、一銭も払わずに薪屋に受け取りを書かせ、追い返してしまうのだからひどいものです。おかみさんが恥ずかしがるのも当然です。落語だからこれですんでいますが、こんなひどいことをされた商人は、二度とこのうちに掛け売りはしないでしょう。自分で自分の首を絞めるに等しいのですが、まあ、そこまで苦しい台所なのだということなのでしょう。

◆ 貧に山水の風情あり、質の流れに借金の山 ◆◆
おかみさんがどういう風にコボすかはそれぞれの演出ですが、どうであれ、「ではやむをえない、近所の手前、餅つきをやっているような芝居をしよう」ということになるのが、この噺の柱で、あとの枝葉はそれぞれの工夫です。

落語というのは馬鹿にならないもので、ときおり、値を付けるなら百万両の一言を聞かせてくれます。わたしは八代目三笑亭可楽の「尻餅」で、これから演技に取りかかろうと、しんしんと冷え込む未明の戸外に出た男がつぶやく、つぎの一言にノックアウトされました。

「貧乏すると味があるっていうけど、すこし味がありすぎらあな」

いやはや。貧乏には「味がある」というのは、まったくそのとおりですなあ。でも、できれば味わいたくないものだから、「味がありすぎらあな」となるのでしょう。噺家は、売れないと赤貧洗うがごとしだそうで、可楽は晩成型だったから、若いころにおおいに苦労したのでしょう。元手のかかった一言です。

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「煤掃き」とある。年越しそばではなく、ただの中食か。そばのドンブリと蓋は、いまと変わらない。猫がいるのは、猫の手も借りたい、という心か。

◆ 味噌漉しの底にたまりし大ミソか? ◆◆
落語では貧乏は当たり前。とはいえ、可楽のような、あまりにも重く苦い一言ばかりではお客が帰ってしまいます。「長屋の花見」のように、貧乏から生まれる笑いが重要です。

この噺がおかしいのは、おそらくは「尻餅」という言葉それ自体をヒントにしたのであろう、おかみさんの大きなお尻をひっぱたいて、餅つきの音をシミュレートするところにあります。尻で餅つきだから「尻餅」なのです。

後半のサンプルにした柳家つばめ版では、当然ながら、おかみさんが嫌がります。

「イヤだよー、寒いよ」
「寒くないの! ひっぱたきゃ暑くなるよ」
「あったまるのにひっぱたかれてたまるかい。肩じゃいけないかい?」
「按摩じゃねい!」


というところが楽しいですなあ。くすぐりは自分でつくるのが原則なので、可楽版にはこれはありません。

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裕福な家では、餅は自分たちでついたもので、餅屋に頼むのは中流以下だそうな。ちょっと仕合わせのよい家では、「引きずり」という、道具をもって出向く餅屋に頼むもので、こういう店を構えたところに注文するのはあまり仕合わせのよくない人たちだったという。

しかし、この男、度胸はあるし、機略縦横、「餅は餅屋」というくらいに玄人と素人の区別がはっきりした分野の仕事をやらせても、すくなくとも調子はプロ並み、聞いている人間はみなホンモノの餅屋が餅をついているのだと思うでしょう。これほど才気のある人物がなぜ素寒貧なのか、ちょっと不思議に思わなくもありません。詐欺師になれば人の上に立つことができたでしょうに!

貧を笑う噺が多いのは、やはり、苦しいのはおまえひとりじゃない、みんな苦しいのだから、愚痴をいわずに生きていこう、という庶民芸能全般に通じる精神のせいなのでしょうね。

さて、当家の2009年はこの記事をもって終わります。でも、いつもよりほんの少しだけ遅くし、日付を元旦にした形で、つぎの更新をする予定なので、ほぼ24時間のインターヴァルということになるでしょう。三箇日もできれば更新のつもりでいますが、元旦は記事を書く時間をとれないかもしれません。

それではみなさま、よいお年を。あ、お正月には貧乏笑話はなし、景気よく行く予定です!


三笑亭可楽 うどん屋、味噌蔵、笠碁、尻餅
八代目 三笑亭可楽 落語集(2)
八代目 三笑亭可楽 落語集(2)

三笑亭可楽 尻餅、花筏、文違い
花形落語特撰~落語の蔵~
花形落語特撰~落語の蔵~
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by songsf4s | 2009-12-30 23:53 | 落語