カテゴリ:Moons & Junes( 24 )
サンプラー8 ブラッド・スウェット&ティアーズのWithout Her
タイトル
Without Her
アーティスト
Blood, Sweat & Tears
ライター
Harry Nilsson
収録アルバム
Child Is Father to the Man
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Nilsson, Glen Campbell, Herb Alpert & the Tijuana Brass, George Tipton, Telly Savalas
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(ニルソンのリンクを修正しました。2010年6月7日)

またまた残り時間僅少、毎日、なにかしら時間を食うことが起きて、必死になっています。明日の夜はもうすこし時間をとれる予定なので、なんとか『ビッグ・ウェンズデイ』のつづきを書く所存です、なんていう表現を使うと、本当のことも嘘くさく聞こえるから、政治屋の言葉遣いも困ったものです。

6月3日のお客さんは、382人と当家開闢以来の多数にのぼり(まあ、よそにくらべればそれほど多数ではないかもしれませんが、わたしにとっては驚愕ものレベル)、さっぱり理由がわからないまま、せっかくだから、休まずに更新しようと思いました。こういうときは、その日の記事が問題なのではなく、過去のいずれかの記事に、どこかのソーシャル・ブックマークかなにかからリンクが張られたのだろうと受け取っています。だって、メアリー・ウェルズなんて、記憶している人ももうあまりいないでしょうに!

さて、本日はまたしてもサンプラーです。今日の曲は、前回のI Only Have Eyes for Youと同じ、2008年6月のMoons & Junes特集で取り上げた、ブラッド・スウェット&ティアーズのWithout Herです。オリジナル記事は

Without Her by Blood, Sweat & Tears

です。

まずはもちろん、BS&T盤から。このBS&Tはアル・クーパーのオリジナルBS&Tなので、ヴォーカルはアル自身です。わたしが好きなBS&Tのアルバムはこのデビュー盤のみ、あとは嫌いです。

サンプル Blood, Sweat & Tears "Without Her"(リンク修正しました)

ふーむ。聴き直しても、考えはまったく変わりません。アル・クーパーのヴォーカルは、かつてボロクソにいわれたときも、そんなにひどくはないぜー、と思いましたが、時間がたってみると、これはこれでいいじゃないか、とまで思います。

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左からアル・クーパー、ノーマン・ロックウェル(Live Adventureのジャケット絵を描いた)、そしてマイク・ブルームフィールド。クーパー、ブルームフィールドともに、なんの因果か、自分がつくったバンドから追い出された。彼らを追い出したBS&Tもイレクトリック・フラッグも、結局、脳みそなしの考えたらずカス盤しか出せなかったのだから、気にするな、とノーマン・ロックウェルが二人を慰めているところ(ウソ!)

毎度同じことばかりいっていますが、下手なドラマーは我慢がなりません。でも、ヴォーカルはむしろ下手なほうが好ましく感じます。ヴォーカル・テクニックをひけらかす歌い手ほど腹立たしいものありません。勝手にほえてろ、バーカと思います。あの魔女声おばさんジャズ・シンガーたちのことです。

プレイはテクニカルであるべきですが(ただし、ヤングブラッズのバナナ=ローウェル・レヴィンガーは下手なところに価値がある!)、歌は味が命、テクニックなんか百害あって一利なし、テクニックの彼岸にこそ歌が存在するのです。

つぎはオリジナルの記事でほめておいて、どんな出来だったかもう忘れてしまった(!)グレン・キャンベル盤です。ヒット・メイカーに化ける直前のアルバム、Gentle on My Mind収録なので、チラッとフォーク味があるいっぽう、カントリー味はごく微量です。アル・ディローリーはやっぱりいいなあ、というサウンド。

サンプル Glen Campbell "Without Her"

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昔、グレンがモズライトを使っていることが気になった。ヴェンチャーズなんか古いじゃんと子どもは思ったのだ。しかし、ハリウッドのスタジオ・ギタリストはモズライトをけっこう使っていた気配があったので、ビリー・ストレンジ御大に、その点をうかがってみたことがある。すると、モズライトのネックは素晴らしい、とくに12弦はあらゆるエレクトリック12弦のなかでもっとも弾きやすい、ということだった(上の写真でグレンがもっているモズライトは12弦だということにご注目)。そして、「おまえ、オールド・モズライトをもっているのか、もっているのだったら大事にしろ」とまでいわれてしまった。残念ながら、わたしはそんな高いギターはもっていない! ギブソンやフェンダーのほうが好きだったし、いまでもバーンズを買ってシャドウズをやりたいとは思うが、モズライトを買って60年代中期のヴェンチャーズをやりたいとは思わない。いや、フェンダー・ジャズマスターで60年代初期のヴェンチャーズなら、ちょっとやってみたい気もするが!

さらに自分自身の過去の判断を信用して、かつての記事で称揚しているニルソン盤、ただしオリジナルではなく、Aerial Pandemonium Ballet収録のリミックス・ヴァージョンです。

サンプル Harry Nilsson "Without Her"

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さて、写真を貼りつけてようやく完了。未完成のまま公開してやっと80分後に完了とはまたなんと杜撰な! 昨日は開闢以来の多数のご来訪をいただいたので、大量点の翌日は完封負けの原理にしたがって、今日は閑古鳥が飛び交うか(よい子の皆さんは、「閑古鳥が啼く」というレギュラー表現を使いましょう)と思っていましたが、うわあ、という多さで、うれしいというより、恥ずかしくなります。時間をかけた出来のいい記事のときならいいのですが、ただサンプルを並べただけの、記事ともいえないような記事で、嗚呼、キジも啼かずば撃たれまいに、とダジャレでごまかすしかないのでありました。


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ブラッド・スウェット&ティアーズ
Child Is Father to the Man
Child Is Father to the Man

グレン・キャンベル
Gentle on My Mind
Gentle on My Mind

ニルソン
Pandemonium Shadow Show/Aerial Ballet/Aerial Pandemonium Ballet
Pandemonium Shadow Show/Aerial Ballet/Aerial Pandemonium Ballet
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by songsf4s | 2010-06-03 23:55 | Moons & Junes
サンプラー7 メアリー・ウェルズのI Only Have Eyes for You
タイトル
I Only Have Eyes for You
アーティスト
Mary Wells
ライター
Harry Warren, Al Dubin
収録アルバム
Sings My Guy
リリース年
1964年
他のヴァージョン
別掲
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(長らくデッドリンクだったメアリー・ウェルズのI Only Have Eyes for Youのサンプルを修正しました。平伏陳謝。2010年9月5日)

またも残り時間僅少、休もうかと思いつつ、サンプルならなんとかなるだろうと思い直したはいいけれど、いざはじめたら、これがカヴァー汗牛充棟で、うへえ、です。以下に一覧。

Frank Sinatra(3ヴァージョン)
Billy Vaughn & His Orchestra
Esquivel
Paul Smith
Paul Weston
The Lettermen
Mary Wells
Ray Conniff
Spike Jones(2ヴァージョン)
Helen Forrest
Art Garfunke
Doris Day
Lew Sherwood
Dinah Shore

これは、今日の曲、I Only Have Eyes for Youを2008年6月のMoons & Junes特集で取り上げたときのリストで、その後、わずかに増えていますが、それはオミットしました。オリジナル記事は以下の二本です。

I Only Have Eyes for You その1 by the Flamingos
I Only Have Eyes for You その2 by Mary Wells

歌詞やその意味などは以上の記事をご参照願います。歌詞は「その1」にあります。でも、じつにもって涙が出るほどくだらない歌詞ですが!

◆ 4ヴァージョン ◆◆
フラミンゴーズ盤はYouTubeに山ほどあるからオミットするつもりだったのですが、気が変わりました。やっぱり、このヴァージョンがI Only Have Eyes for Youの決定版ですから。

サンプル The Flamingos "I Only Have Eyes for You"

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トレモロとリヴァーブのかかったギターがおおいに魅力的ですし、I only have eyes for youのところのハーモニーにかかったリヴァーブは絶妙で、これで勝負あった、です。

つづいて看板に立てたメアリー・ウェルズ盤。昔の形にくらべると、フラミンゴーズ盤もドラスティックに異なるアレンジですが、そのフラミンゴーズ盤にくらべてもまたまた大きく異なるアレンジで、ほとんど縁戚関係なしというぐらいにちがいます。

サンプル Mary Wells "I Only Have Eyes for You"

つぎはフランク・シナトラの1962年、リプリーズ時代のヴァージョン。シナトラによるI Only Have Eyes for Youは三種ありますが、これが最後のヴァージョンで、カウント・ベイシー・オーケストラとの共演盤に収録されています。まさにステイト・オヴ・ディ・アート、ハリウッドのユナイティッド・ウェスタン・スタジオが作り上げたビッグバンドの豊かなサウンドをお楽しみあれ。

サンプル Frank Sinatra "I Only Have Eyes for You"

最後は、スパイク・ジョーンズのパロディーというか、ドラキュラとヴァンパイラのデュエットという趣向のI Only Have Eyes for Youです。手元のファイルが行方不明のため、ドクター・ディメントのハロウィーン・ショウのエアチェックというものを拾ってきました。ドラキュラ関係の複数の曲がまとまっていますが、最初がI Only Have Eyes for Youです。

サンプル Spike Jones "I Only Have Eyes for You"

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どのように歌詞を変更しているかなど、スパイク・ジョーンズ盤のくわしいことは上記のオリジナル記事を参照願います。よけいなことですが、そのつぎの曲はドラキュラによるI Want to Hold Your Handで、邦題は「抱きしめたい」ならぬ「噛みつきたい」です、というのは、いまわたしがデッチあげたのですが。

おっと、今晩は締切に間に合わず、シンデレラなら馬車がカボチャに戻ってしまう時間になってしまいました! よって、愛想なしというか、なにも書けないも同然でしたが、まあ、音楽は語るものではなく、聴くものなので、それでいいような気もします。

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by songsf4s | 2010-06-02 23:50 | Moons & Junes
Nobody Cares about the Railroads Anymore by Nilsson
タイトル
Nobody Cares about the Railroads Anymore
アーティスト
Nilsson
ライター
Harry Nilsson
収録アルバム
Harry
リリース年
1969年
他のヴァージョン
George Tipton
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もう六月もまもなくおしまいで、今月のMoons & Junes特集も、当初から予定していた曲はほぼ消化しました。積み残したと感じるのは、ハニムーンの歌ぐらいです。

しかし、積み残したにはそれだけの理由があって、つまるところ、どれも帯に短したすきに長しだったのです。ビートルズとメアリー・ホプキンがやっているThe Honeymoon Songは歌詞が退屈、テネシー・アーニー・フォードのThe Honeymoon's Overは、なかなか楽しい曲ですが、早口すぎて聴き取れない箇所多数、デビー・レイノルズのAba Daba Honeymoonも愉快な曲ですが、基本的には童謡だし、なによりも、音の面白さに依存する歌詞で、日本語に移しても意味がない、といった調子です。

最後に選択肢として残ったのは、ケニー・ヴァンスのHoneymoon in Cubaと、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreでした。ケニー・ヴァンスは、ほんとうに好きだといえるのはLookin' for an Echoだけ、でも、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreは子どものころからシングアロングしてきた歌なので、迷いなくニルソンということにしました。

◆ 東京と熱海の関係 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

When we got married back in 1944
We'd board that silver liner below Baltimore
Trip to Virginia on a sunny honeymoon
Nobody cares about the railroads anymore

「ぼくらは1944年に結婚し、あの銀色に輝く列車に乗ってボルティモアから南下したものだ、ヴァージニアへの快晴のハネムーンだったなあ、でも、いまではだれも鉄道のことなんか気にしちゃいない」

この曲が書かれたのが60年代終わりなので、このヴァースは四半世紀前の新婚旅行について語っていることになります。ボルティモアのあるメリーランド州とヴァージニア州は隣接していて、メリーランドが北、ヴァージニアが南という位置関係になります。

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ニルソンは特定の車輌と、特定の土地を念頭においてこの曲を書いたのだろうと思います。that silver linerだというのだから、新鋭車輌だったのでしょう。残念ながら、路線のアイデンティファイすらできず、したがって、どこを目指して列車に乗ったのかもわかりませんでした。風光明媚な海岸の保養地などというのが適当と思われるので(いまどき熱海のことを考えているのかよ、という声が聞こえる)、あるいはヴァージニア・ビーチが目的地だったのかもしれません。

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セカンド・ヴァース。

We'd tip that porter for a place of our own
Then send a postcard to your Mom and Dad back home
Did somethin' to ya when you'd hear that "All aboard"
Nobody cares about the railroads anymore

「あの赤帽にチップをやって、二人だけになれる席を見つけてもらったね、それから故郷のきみの両親に葉書を送った、あの『ご乗車願います!』の声にはおどろいたじゃないか、でも、いまではだれも鉄道のことなんか気にしちゃいない」

ここは、夫婦の片方がもういっぽうに語りかけているのでしょう。ニルソンは男だから、まあ、ふつうは夫が糟糠の妻に語りかけているシーンを思い浮かべるでしょう。

二人だけの場所、というのだから、当然ながら、コンパートメントになった列車だということになります。まあ、新婚旅行だし、大陸横断をするわけではないにしても、それなりの長旅なので、相応の設備のある列車なのでしょう。

Did somethin' to yaのところは、ひょっとしたら、「感動しなかったかい?」といっているのかもしれません。いずれにしても、大きく感情が動くことを指していると考えられます。

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最後のヴァース。

We had a daughter and you oughta' see her now
She has a boy friend who looks just like "My Gal Sal"
And when they're married they won't need us anymore
They'll board on an aeroplane and fly away from Baltimore

「わたしら夫婦には娘が生まれた、あんたらにぜひ見せたいような娘さ、彼女には『マイ・ギャル・サル』にそっくりの顔をしたボーイフレンドがいる、二人が結婚したら、もうわたしら夫婦は用なしさ、あの子たちは飛行機に乗ってボルティモアから飛び去るだろう」

daughterとoughtaの韻はなかなか印象的。『マイ・ギャル・サル』がなにを指しているか、正確なところはわかりませんが、たぶん、1942年の映画My Gal Salのことではないでしょうか。しかし、ここでいう「サル」は、リタ・ヘイワースの役名であるサリーのことです。ということは、男なのに、リタ・ヘイワースそっくりの顔をしているという意味なのか、あるいは、ヘイワースの相手役だったヴィクター・マチュアのことをいっているのか、判断しにくいところです。いずれにしても、優男を思い浮かべておけばいいのだろうと思います。

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リタ・ヘイワースとヴィクター・マチュア

◆ グッドフィーリンの担い手たち ◆◆
Nobody Cares about the Railroads Anymoreを収録したアルバム、Harryは充実した盤で、Nilsson Sings NewmanやA Little Touch of Scmilsson in the Night(このアルバムからの曲としては、昨秋、Lullaby in Ragtimeを取り上げたし、つい先日もMakin' Whoopeeを取り上げたばかり)と並んで、昔はよくターンテーブルに載せました。とりわけHarryはよく聴いたのか、ジャケットはみごとに壊れています。

このアルバム全体がそうですが、とくにNobody Cares about the Railroads Anymoreは、リラックスしたいいグルーヴで、だれのプレイかものすごく気になります。しかし、国内盤は、かつてのLPも、十数年前に出た最初のCD化でも、クレジットがなくて、だれだかわかりません。ドラムはジム・ゴードンかジム・ケルトナーというところまで可能性を絞り込めましたが、ベースのスタイルは聴き覚えがなく、候補をあげることもできません。かなりうまい人なので、ものすごく気になります。

クレジットがないのではしかたないと思ったのですが、念のために、しばしば調べものでお世話になっている、もっとも充実したニルソン・サイト「Harry Nilsson Web Page」をみてみたところ、ちゃんとパーソネルが書いてありました。国内盤のリリース元が、つねに失礼なリリースの仕方をしていただけだったのです。わたしのように、国内盤しかお持ちでない方のために、クレジットを以下にコピーしておきます。

Bass……Larry Knechtel
Drums……Jim Gordon
Flute……Jim Horn
Guitar……David Cohen
Guitar……Howard Roberts
Piano……Michael Wofford
Piano……Michael Melvoin
Saxophone……Tom Scott

Harry Nilsson……Producer
George Tipton……Arranger

ドラムがジム・ゴードンというのは、そうだろうそうだろう、そうにちがいない、てなもんですが(ゴードンかケルトナーかわかっていなかったくせに、といわれそうだが、これがブログなんかではなく、丁半バクチなら、ジム・ゴードンに張っていた)、ベースがラリー・ネクテルというのは、おっと、でした。

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◆ キャロル・ケイのラリー・ネクテル評 ◆◆
ラリー・ネクテルは、サイモン&ガーファンクルのBridge Over Troubled Waterでピアノを弾いたことで有名なので(わたし自身も、あのアルバムのクレジットで彼の名を記憶した)、ピアニストないしはキーボード・プレイヤーの印象が強いのですが、ベースの仕事もかなりあります。彼のフェンダーベースのプレイでもっとも有名な曲は、バーズのMr. Tambourine Manでしょう。

しかし、60年代中期以降のハリウッドのフェンダーベースといえば、キャロル・ケイとジョー・オズボーンの活躍が圧倒的で、ラリー・ネクテルは鍵盤ができたせいもあって、そちらで活躍するようになります。

キャロル・ケイという人は、プロだから当然でしょうが、プレイの善し悪しについては、妥協のない物言いをします。ちょうど十年ほど前、彼女とさまざまなプレイヤーについて話し合ったときに、たまたまラリー・ネクテルに話がおよびました。そのときの彼女の評価は忘れがたいものです。

「ラリーはピアニストとはいえない。彼のピアノ・プレイは、ドン・ランディーなどのクラスにはとうていおよぶものではない。わたしは、むしろ、彼の才能はフェンダーベースのほうにあったと思う」

あのときは、わたしのほうのテイストが幼かったので、彼女の真意を理解したとはいいかねます。彼女はジャズ・プレイヤーなので、ラリー・ネクテルにかぎらず、ロックンロール系ないしはカントリー系出身のプレイヤーに対する評価は、かなり辛いものばかりです。

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左からドン・ランディー、ハル・ブレイン、デニー・テデスコ(トミー・テデスコの息子)。デニーが製作したレッキング・クルーのドキュメンタリー映画のプロモーションで、最近はかつてのクルーたちがしばしばインタヴューを受けている。

ドン・ランディーはピアノ・トリオでやっていけた人ですが、ラリー・ネクテルはロックンロール・バンドのキーボード・プレイヤー、正規の訓練を受けた一流のピアニストではない、といわれれば、まあ、たしかにそのとおりです。月日がたつにつれて、そして、意識してラリー・ネクテルのピアノを聴いていくうちに、なるほど、ピアニストではなく、「キーボード・プレイヤー」なのだとわかってきました。

そして、バーズのMr. Tambourine Manセッションをテイク1からたどったブートを聴いて、キャロル・ケイがフェンダーベース・プレイヤーとしてのラリーを褒めていたことを思いだしました。たしかに、いいプレイなのです。

Nobody Cares about the Railroads Anymoreを聴いて、キャロル・ケイでもなければ、ジョー・オズボーンでもない、となると、あとはだれだ、チャック・バーグホーファーか、ボブ・ウェストか、はたまた、もっと若い世代か、と悩んでしまいましたが、ラリー・ネクテルといわれば、なるほどそうか、そいつは盲点だった、です。60年代終わりになると、キーボードの仕事が圧倒的に多く、ラリーのフェンダーベースの仕事はほとんどないと思われるのですが、数少ないサンプルが見つかって、得をしたような気になりました。

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フェンダーベースをプレイするラリー・ネクテル。むこうに見えるドラマーはハル・ブレイン。ハルの楽器はすでにオクトプラス・セットになっているので、この写真が撮られたのは1968年以降ということになる。ということは、こちらが認識している以上に、ラリーのフェンダーベースの仕事は多かったのかもしれない。

そういってはなんですが、キャロル・ケイのラリー・ネクテル評は、いまでは、きわめてフェアなものだったと考えています。まあ、そこまではっきり断定しなくてもいいじゃないですか、といいたくなりますが、それはアマチュアの考え方なのでしょう。

ビリー・ストレンジ御大も、やはり、評価をうやむやにはしませんでした。アール・パーマーも好きだ、というわたしに対して、「アールもいいが、彼は二番だ。ナンバーワンはハル・ブレイン、それにベースのナンバーワンはキャロル・ケイ」とはっきりいっていました。ティファナ・ブラスのセッションで知られるオリー・ミッチェルにいたっては、「世界一のトランペッター」と最大級の賛辞を贈っています。

◆ ノスタルジックな木管のアンサンブル ◆◆
LPで聴いていたときも、国内盤CDで聴いても、とくにどうとも感じなかったのに、米盤のベストCDでNobody Cares about the Railroads Anymoreを聴き、おや、と思ったことがあります。

この曲では、右チャンネルに管のアンサンブルが配されています。たぶん複数のサックスの上に複数のクラリネットを載せたものでしょう。国内盤ではなんとも思わなかったのですが、米盤では、この木管のアンサンブルの響きがすごくいいのです。

クラリネットのクレジットがないので、同じ木管であるサックスのトム・スコットとフルートのジム・ホーンが、二人でオーヴァーダブを繰り返したのかもしれません(しかし、Nobody Cares about the Railroads Anymoreにはフィドルも入っているのだが、そのクレジットはまったくないので、ソリスト以外の管と弦のプレイヤーはクレジットされなかっただけかもしれない)。

この曲のグッドフィーリンの最大の源泉は、ニルソンのふわっとしたヴォーカルと、ジム・ゴードンとラリー・ネクテルが生みだすリラックスしたグルーヴですが、米盤を聴くと、右チャンネルの木管のアンサンブルも、大きな貢献をしていることがわかります。かつてのLPのミックスに近いのは、古い国内盤CDですが、そういうことを抜きにして、絶対評価を与えるなら、米盤CDのミックスがいちばん楽しめます。

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by songsf4s | 2008-06-29 23:56 | Moons & Junes
Deep Purple その3 by Screamin' Jay Hawkins
タイトル
Deep Purple
アーティスト
Screamin' Jay Hawkins
ライター
Mitchell Parish, Peter De Rose
収録アルバム
At Home with Screamin' Jay Hawkins
リリース年
1958年
他のヴァージョン
Nino Tempo & April Stevens, Billy Strange, the Ventures, Santo & Johnny, the Shadows, Bea Wain, the Hi-Lo's, Andre Kostelanetz, the Hi-Lo's, Norrie Paramor, Percy Faith, Mantovani & His Orchestra, the Beach Boys, the King Sisters, the Singers Unlimited, Earl Grant
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昨日は眠くて眠くて、途中でなにを書いているのかわからなくなったのですが、案の定、あとからチョンボに気づきました。昨日のDeep Purple その2 by the Shadowsでご紹介したビリー・ストレンジ盤Deep Purpleは、右のリンクからいけるAdd More Musicの「Rare Inst. LPs」ページで、MP3ファイルをダウンロードできます。No.11がアルバムMr. Guitarです。

さて、ほんとうに好きなDeep Purpleのヴァージョンは、一昨日昨日に分けて取り上げた、ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ、シャドウズ、ビリー・ストレンジの3種で、それ以外には、とくにこだわりのあるヴァージョンはありません。今日は落ち穂拾いです。

◆ 怪奇シンガーのストレート・ヴァージョン ◆◆
今日の看板には、ほかに適当なものもなく、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズを立てました。

スクリーミン・ジェイ・ホーキンズというと、わたしはどうしてもConstipation Blues、すなわち「便秘のブルース」の馬鹿馬鹿しさを思いだしてしまいます。関東だけの番組だったのかもしれませんが、昔、福田一郎が国内未リリースの新着盤ばかりをかける番組があって(日本の局で最初に、ゼップのGood Times Bad Timesを、ヤードバーズの連中がつくった新しいバンドのデビュー作として紹介した。つまり、放送していたのは1968年ごろということ)、そこで紹介されていました。これまた一聴三嘆、というか一聴爆笑、忘れがたい曲です。

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Screamin' Jay Hawkins "Frenzy"

この曲には、前付けのヴァースならぬ、シンガー自身による紹介があります。「たいていの人は、愛や失恋や孤独についての歌を覚えているものだ。しかし、真の苦痛に関する歌を録音した人間はこれまでにいない」とかなんとか、しょーもないことをいってから、おもむろに苦痛にのたうつブルーズをうたう、という趣向です。なかなか役者なんですねえ、これが。

ホーキンズはいつもそんなひょうきんな歌ばかりうたっているかというと、そうでもあり、そうでもなし、というところでしょうか。カヴァー写真を見ていただければおわかりになるでしょうが、主として怪奇ものをうたっています。恐怖と笑いは隣接した情動なので、怪奇ものというのはたいていがコメディーでもあるのです。

では、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのDeep Purpleはどうかというと、彼のつもりとしては、たぶん、シャレだったのでしょう。その意味で、一昨日の歌詞のところでくどくど書いたように、落語の「反魂香」につながるヴァージョンです。

いや、べつに怪奇ものらしい味つけをしているわけではありません。ふつうに、クラブ・シンガーのように(というほど愚直に正直正太夫をしているわけでもないが)うたっています。しかし、聴くほうは、ホーキンズがどういうシンガーであるかという先入観をもっているので、ここではコンテクストが逆転し、ホーキンズがまともな歌をまともにうたうと、なんだか奇妙に聞こえるのです。

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歌詞のところで、この曲は反魂香だなんていったときは、シャレと受け取られたかもしれませんが、冗談でもなんでもなく、死者の魂を呼び出す、霊降ろし、魂寄せの歌だと思います。ということは、本来なら、昨秋のEvil Moonの歌特集で取り上げるべきだったのかもしれません。まあ、いろいろミスはあるものです。

◆ ヴェンチャーズとサント&ジョニー ◆◆
ヴェンチャーズ盤は、In The Vaults Vol.2という初期アウトテイク集に収録されているものです。この盤のライナーでは、めずらしくも、セッション・プレイヤーの関与に言及されているのですが、これがじつになんとも奇怪な記述の連続で、わたしは、ヴェンチャーズはスタジオにはいなかったという説を、部分的に認めることによって、肝心の部分を誤魔化すための、ヴェンチャーズ・マニアによる悪質なプロパガンダではないかと考えています。簡単にいえば、なにを世迷い言いってるんだ、このタワケが、というライナーです。

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The Ventures in the Vaults Vol.2

よって、ライナーは無視して書くと、Deep Purpleも、例によって、いつものメンバーで録音されたと思われます。すなわち、ギターがビリー・ストレンジとキャロル・ケイ、ベースがレイ・ポールマン、ドラムがハル・ブレインです。これがデビューから1963年ごろまでの、スタジオにおける「ヴェンチャーズ」の中核メンバーです。

リードがビリー・ストレンジなのだから、どういうプレイかは説明の要もないでしょう。昨日も書いたように、ヴェンチャーズ名義のDeep Purpleでも、ビリー・ザ・ボスは「球もちのよい」プレイをしています。キャロル・ケイのプレイと考えられるリズム・ギターが、ちょっと妙な動きをするところも、ヴェンチャーズ盤Deep Purpleのお楽しみのひとつです。

f0147840_23515497.jpgギターものとしてはもうひとつ、サント&ジョニー盤があります。彼らの代表曲であるSleepwalkもマイナー・コードの使い方に特徴のある奇妙な構造の曲で、わたしはこの曲とDeep Purpleのあいだに、いくぶんかの近縁性を感じます。サント&ジョニーに似つかわしい曲調といえるでしょう。ただ、プレイとしてはわりにストレートかつノーマルで、とくに見せ場はありません。オーケストラのオーヴァーダブを必要とした、それが理由でしょう。オーケストラのおかげで、ちょっと魅力的なヴァージョンになったと感じます。

ギターものではないのですが、コンボによるインストということでは、あとはアール・グラント盤があります。グラントは、ここではオルガンとピアノの両方をプレイしているようです。べつに悪いところはどこにもありませんが、どこからどう見てもたんなるラウンジ・ミュージック、というより、昔の言葉で「ムード・ミュージック」といったほうがより正確にこのヴァージョンのありようを表せるように感じます。

◆ オーケストラもの ◆◆
f0147840_23555599.jpg曲調からいって当然だと思うのですが、オーケストラものもかなりあります。最近聴くようになったので、まだ飽きていないだけかもしれませんが、オーケストラものDeep Purpleのなかでは、アンドレ・コステラネッツがもっともいいと感じます。

コステラネッツは、系統としては、ゴードン・ジェンキンズと同じように、アイディアが豊富で、それをどんどん放り込んで、変化に富んだアレンジをするタイプです。ジェンキンズほどすごいとは思いませんが、なかなかカラフルなアレンジで、なおかつ、それが良くも悪くも行きすぎにならず、ほどよくまとめているので、つねにリラックスして聴けます。

f0147840_23581299.jpgその正反対の場所に位置するのがアルチューロ・マントヴァーニでしょう。マントヴァーニのアレンジは、ダイナミック・レンジが広いというか、基本的には、どこかでドーンとおどかすことを前提にしているので(その意味でワーグナー的といえる)、それを引き立たせるために、他のパートはゆるやかなアレンジになっています。

昨日、Deep Purpleは半音進行が特徴だと書きましたが、半音進行といえば、元祖(かどうかは知らないが!)はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でしょう。マントヴァーニのアレンジにはワーグナーを感じるので、いっそ、現代版「トリスタンとイゾルデ」にするつもりで、ドカーンとやって、オーケストラによる半音進行のエロティックな味わいを前面に押し立てればよかったのに、と思いますが、残念ながらそこまで徹底したものではなく、一カ所でドカーンとストリングスとティンパニーをぶちかましているだけです。

結局、こういう曲をオーケストラでやるとなると、ストリングスの扱いが勝負になると思います。1959年のパーシー・フェイス盤も、前半はそういうアレンジで、なかなかいい弦だと感じます。中間での、左右にひとりずつ、ふたりのヴァイオリニストがちらっと活躍するところもけっこうです。しかし、このあたりから活躍しだすピアノがどうも気に入らなくて、満足とはいきません。

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ノリー・パラマー盤は、ストリング・アレンジと全体のサウンドという意味ではいちばんいい出来かもしれません。これはステレオになっているのですが(しかも、なかなかすばらしい音像)、録音デイトがわかりません。1956年リリースとしているところがありましたが、56年にはまだステレオ盤の商用化ははじまっていないでしょう。56年リリースが正しいとすると、これは後年のリプロセスト・ステレオということになりますが、そうは聞こえないほど、いい音像です。

ジャッキー・“ミネソタ・ファッツ”・グリーソン盤は、これでもか、という徹底したラウンジ・ミュージック・アレンジで、そういうものが嫌いでなければ楽しめます。クリシェに頼っていうなら、典型的な「ソフト&メロウ」なのですが、そこはハリウッド、なかなかどうして、しっかりしたプレイをし、しっかりした録音をしているので、ちょっとやそっとの年月では腐らないようにできています。Blue Velvetとのメドレーになっていますが、スムーズにつないでいます。いわれてみると、Blue VelvetもDeep Purpleにいくぶんかの近縁性があるようです。

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Jackie Gleason "The Romantic Moods" このキャピトルの2枚組エキゾティカ/ラウンジ・ベスト盤シリーズは、ほかにマーティン・デニーやレス・バクスターのものなどが出ていて、どれもギョッとするようなカヴァー・デザインだが、ジャッキー・グリーソンのものがいちばんすごいような気がする。

◆ 謎のヴァージョン ◆◆
f0147840_019112.jpgウェブで1939年のビー・ウェイン盤と称するものを聴きましたが、おかしなことに、ビー・ウェインはシンガーであるにもかかわらず、これはインスト盤でした。調べてみると、ビー・ウェインは1930年代終わりには、ラリー・クリントン&ヒズ・オーケストラの専属シンガーだったそうです。

f0147840_0112510.jpgそして、またべつの方向から、ラリー・クリントンとDeep Purpleの結びつきを調べると、1939年にラリー・クリントン盤Deep Purpleがチャートトッパーになったという記述が見つかり、どうやら、ビー・ウェイン盤Deep Purpleと称するファイルは、じつはラリー・クリントン盤らしいという結論になりました。ただし、ラリー・クリントン盤Deep Purpleといっても複数あり、そのなかにはヴォーカル入りのものがあって、ヒットしたのはこちらで、わたしが聴いたものは、べつのヴァージョンだったのかもしれません。

じっさいに音を聴くと、これがナンバーワンになるかなあ、という出来です。たいていの人が、ガーシュウィンのRhapsody in Blueを連想するのじゃないでしょうか。ピアノを中心としたシンフォニックなアレンジなのです。悪くはないものの、チャートトッパーになるほどの一般性があるとは思えません。妙な謎が残ってしまったものです。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
スタンダード系女性シンガーのものは、鬱の「原因菌」になるので、ジュリー・ロンドンなど一握りをのぞいて、先日、大部分を外付けHDDに追い出し、検索からはずしましたが、コーラス・グループのフォルダーはまだ検索対象にしています。

f0147840_0125712.jpg大の贔屓であるキング・シスターズをはじめ、シンガーズ・アンリミティッド、そして、ハイロウズという3種があります。キング・シスターズ盤はがっかりするようなつまらない出来、シンガーズ・アンリミティッドもどうということなし。唯一、ハイロウズ盤がかなりいけます。いや、ハーモニーがいいというより、ストリング・アレンジが好みだというだけなのですが。アレンジとコンダクトはフランク・カムストック。

f0147840_0152059.jpgダニー&マリー・オズモンドは正真正銘の盗品。ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ盤のアレンジをそのままコピーしただけのものです。こういう「カヴァー」とは名ばかり、ただの頂き物が跡を絶たないのは、じつにもってけしからんというか、嘆かわしいというか、言葉を失います。法律に触れなければなにをしてもいいというものではないでしょう。

ビーチボーイズのLandlockedというブートにもDeep Purpleが入っています。盤にはビーチボーイズと書いてありますが、じっさいには、オーケストラをバックにしたブライアン・ウィルソンのソロです。わたしはビーチボーイズ・フリークではないので、このへんのお蔵入りしたトラックに関する知識がないのですが、70年代後半以降の、声が死んでからのブライアンであることははっきりわかります。残念ながら、とくに聴くべきところはないと感じます。

あまり好みでない女性シンガーのファイルは根絶したつもりだったのですが、メイナード・ファーガソンとの共演盤だったために、ジャズのフォルダーにおいてあり、ジェノサイドを生き延びたダイアン・シューアのヴァージョンがあります。まあ、お笑いじみたところがあるので、ちょっと聴いてみました。

できそこないのオペラ歌手とイマ・スマック(まあ、あの超絶悶絶唱法をご存知ない方にはわからないだろうが、テレミンと人間のあいだに生まれた合いの子を想像してもらえれば、それほど遠くないだろう)を掛け合わせたみたいな、じつになんとも奇っ怪な歌い方で、笑えるといえば笑えるし、笑いがこわばるといえばこわばります。怪奇音楽というなら、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズより、ダイアン・シューアのほうが上かもしれません。

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The Beach Boys "Landlocked" (boot)

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by songsf4s | 2008-06-28 23:56 | Moons & Junes
Deep Purple その2 by the Shadows
タイトル
Deep Purple
アーティスト
The Shadows
ライター
Mitchell Parish, Peter De Rose
収録アルバム
The Sound of the Shadows
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Nino Tempo & April Stevens, Billy Strange, the Ventures, Santo & Johnny, Screaming Jay Hawkins, Bea Wain
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◆ 半、半、半、半、半音進行! ◆◆
忘れないうちに書いておきますが、昨日、Deep Purpleのような構造の曲はほかにはないだろうといってしまいました。しかし、シャドウズを聴いているうちに、ひとつだけほかにも例があることを思いだしました。ディミトリー・ティオムキンのThe High and the Mighty、すなわち「紅の翼」のテーマです。ティオムキンのほうがずっと複雑ですが、大胆さにおいてDeep Purpleと近縁関係にあると感じます。

どこが大胆かというと、「てめえなんざあ昨日の天ぷらだ」という、「上げっぱなし」「下げっぱなし」の利用です。The High and the Mightyは、上下両方を使っていますが、Deep Purpleは「下げっぱなし」、それも、半音ずつズルズルと下げっぱなしにするという、とんでもないシークェンスがあるのです。

f0147840_23565819.jpg今日はDeep Purpleの話なので、The High and the Mightyのことはとりあえず棚上げにします。で、Deep Purpleの「In the mist of a memory」のラインのメロディーは、ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ盤の場合、F(low)-G-F(high)-E-Eb-D-Db-Bbとなっています。FからDbまで半音で下げてくるこのシークェンスが、強い印象を残し、一聴三嘆、脳裏を去らずとなるわけです。

しかし、この程度で驚いていると、シャドウズ・ヴァージョンは心停止ものです。同じシークェンスをハンク・マーヴィンがどう弾いているかというと、キーが異なるのですが、転調の手間を省いてそのまま書くと、C(low)-D-C(high)-B-Bb-A-Ab-Gと弾いているのです。

これだけでも冗談みたいですが、この直後も、G-F#-F-E-Eb-Dと、やはり、ただ半音ずつ下げていくだけなのです。さらにこの直後も、D-Db-Cとやっています。なんのことはない、1オクターヴのあいだにある音をまったく省略せず、すべての音をたどって半音ずつ下がってきただけなのです。

このようにやっているのは、うちにあるDeep Purpleのなかでは、シャドウズ・ヴァージョンだけです。おそらく、ハンク・マーヴィンのアイディアでしょう。どうせ半音進行なら、徹底的にやってみよう、てえんで、高いCから低いCに下げていってみたら、なんと、コードと矛盾しなかった、ラッキー、てなものではないでしょうか。

◆ ふたたびニーノ&エイプリル ◆◆
話の都合で、ニーノ&エイプリル盤とシャドウズ盤が入れ込みになってしまいましたが、Deep Purpleに関しては、わたしはこの2種がいちばん好きで、両方ともよく聴きましたし、シャドウズ盤は何度もプレイ・アロングしました。

f0147840_23594839.jpgニーノもエイプリルも、ピッチのいいほうではありません。そういうデュオが、こういう半音進行のある曲をうたうと、なかなかもって、妙なぐあいになります。でも、ピッチの善し悪しというのは、コンテクストしだいのところがあって、この曲の場合は、二人のピッチの不正確さが、かえってフックになり、チャート・トッパーになるひとつの原動力となったと感じます。

ニーノの回想によれば、この曲はセッションの最後に、その場の思いつきでやったのだそうです。まあ、こういう手柄話というのは、尾鰭とまではいわないまでも、多少は色がついていたりするものです。最後の15分で録音したというのは、そのまま受け取るわけにはいきません。でも、たいした手間をかけていない、ほんの1、2テイクでやったというのなら、そうだろうと感じます。非常にシンプルだけど、グッドフィーリンのあるトラックになっています。ドラムはアール・パーマーで、活躍はしませんが、リラックスしたグルーヴをつくっています。

わたしの耳を捉えたのは、半音進行の箇所、in the mist of a memory, you wonder back to meの、尋常ならざる響きでしたが、ニーノの特徴ある鼻にかかった声と、そういってはなんですが、ピッチの悪さも寄与した、不思議な浮遊感があります。ナンバーワンになったのも、わたしと同じように感じたリスナーが大勢いたからでしょう。

◆ インスト・バンドの工夫 ◆◆
シャドウズ盤Deep Purpleが収録されたThe Sound of the Shadowsは、Dance with the Shadowsと並ぶ、彼らの代表作といっていいでしょう(たまたま、両方ともフェンダーではなく、バーンズを使っていた時代の録音)。Deep Purpleのほかにも、かのBossa Rooが入っていますし、Santa AnaやWindjammer、そして、Brazilなどもよくプレイ・アロングしました。

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ハンク・マーヴィンとバーンズ

シャドウズというか、ハンク・マーヴィンのプレイには、ひとつの型があります。よくやるアレンジ・スタイルは、低音弦ではじめて、つぎのヴァースはオクターヴ上げ、最後は元のキーに戻る、というものです。

Deep Purpleは、このパターンのヴァリアントになっています。4ヴァースやるのですが、まず最初は恒例によって低音弦でやります。そして、上述のように、ストレートに上のCから5弦のCまで半音ずつ降下します。

つぎのヴァースも低音弦でのスタートは変わりません。しかし、途中はパターンを変えています。上のCから降下してきてきたラインを途中で遮り、オクターヴ上げてからまた降下させているのです。曲の構造から導きだされたアイディアでしょうが、さすがはハンク・マーヴィン、と唸っちゃいます。こういうインスピレーションをもっていないと、インスト・バンドのギタリストを長年つづけることはできません。

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1967年のシャドウズ。全員がバーンズだった。日本に来たのもこの年だったが、やはりバーンズを使っていた。アコースティックはたしか、6弦も12弦もギブソン・ハミングバード。

つぎのヴァースへ移行する直前に、全音転調をします。インスト・バンドにとって、転調は変化をつけるための必須の道具です。しかし、ここでは、「オクターヴ上げて高音弦に移動」というパターンと、転調というふたつのパターンを重ねて使うことで、さらにこのチェンジ・オヴ・ペース感覚を強めています。プレイ・アロングするほうとしても、運指が大きく異なるので、最初のヴァースで記憶した指の動きは、ここでチャラにしなくてはなりません。このあたりが、プレイ・アロングしていて楽しいところです。シャドウズの曲に共通する楽しさです。

このサード・ヴァースのプレイは、またファーストと同じパターンに戻り、ストレートに1オクターヴの階段を、半音ずつ一段一段降下していきます。たんに、ファースト・ヴァースより1オクターヴと1音分高いところで弾くだけです。ただし、こんどは主として12フレットに人差し指をおいてのプレイなので、運指パターンはまったく異なりますが。

最後のヴァースは、サード・ヴァースより1オクターヴ下で弾きます。ただし、こんどはストレートな降下は使わず、セカンド・ヴァースと同じように、降下を途中で打ち切って、いったんオクターヴ上げてから、また再降下するというパターンです。

というようにして、メロディーが変わるわけではないのに、4つのヴァースすべてが異なる、変化に富んだプレイになっているのです。インスト・バンドのチェンジアップ手法にはさまざまなパターンがありますが、そういうことをだれかが学校で教えるなら、教科書にぜひとも採用するべき曲が、シャドウズのDeep Purpleです。

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Dance with the Shadows これまたThe Sounds of the Shadows同様、プレイ・アロングして楽しいアルバムで、やはりバーンズ独特の中音域の響きを楽しむこともできる。

◆ ビリー・ストレンジ盤 ◆◆
アルバムMr. Guitarに収録されたビリー・ストレンジ・ヴァージョンもなかなか楽しい出来です。これまたビリー御大の代表作といえるアルバムで、ほかにも楽しい曲が入っているのですが、まあ、それはべつの話。

ビリー・ストレンジのアルバムには、しばしば管が使われ、「ビッグバンド・ギターインスト」とでもいいたくなるようなアレンジが施されているのですが、Deep Purpleはコンボによるものです。ドラム(ハル・ブレイン。きれいなサイドスティックをやっている)、アップライト・ベース、アコースティックとエレクトリックのリズム・ギター、ピアノ、そして御大のフェンダーによるリードというシンプルな編成です。

f0147840_017434.jpgドラム、ベース、アコースティック・リズムのつくりだすグルーヴが軽快でグッド・フィーリンがあるのが、ビリー・ストレンジ盤Deep Purpleのなによりの美点といえます。アップライト・ベースを使ったことがみごとにはまったと感じます。

御大のプレイがまたすばらしいのです。いや、高速ランなどまったく登場しません。その正反対といっていいでしょう。いかに「きれいに遅く」弾くかの勝負なのです。細部での遅らせ方、日本的にいえば「間の取り方」でどれほど豊かなニュアンスを生むか、なのです。

ビリー・ストレンジより速く弾けるプレイヤーは、多士済々のハリウッド・ギタリスト陣には、トミー・テデスコを筆頭に、いくらでもいました。しかし、タイミングのコントロールによって、音に豊かな表情をもたせることにかけては、ビリー・ザ・ボスの右に出るプレイヤーはいませんでした。わたしは、シャドウズ盤のみならず、ビリー・ストレンジ盤も何度もプレイ・アロングしていますが、どうしても待ちきれず、打者でいえば躰が「泳いだ」状態になり、ボスの「球もちのよさ」を何度も痛感させられました。

残りのヴァージョンは明日以降に。
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by songsf4s | 2008-06-28 00:06 | Moons & Junes
Deep Purple その1 by Nino Tempo & April Stevens
タイトル
Deep Purple
アーティスト
Nino Tempo & April Stevens
ライター
Mitchell Parish, Peter De Rose
収録アルバム
The Best of Nino Tempo & April Stevens
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Billy Strange, the Ventures, the Shadows, Santo & Johnny, Screaming Jay Hawkins, Bea Wain, Andre Kosotelanetz, the Three Suns
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本日は、この特集で取り上げる予定だった大物のなかで、最後に残った一曲です。スタンダード系、ジャズ系のヴァージョンも相当数あるのですが、スロウで気分が暗くなるので、オミットすることにしました。今回は、ロックンロール・エラに誕生した、旧時代とは絶縁した各種のDeep Purpleを中心にみていくことにします。

◆ 現代版「反魂香」 ◆◆
古い曲なので、歌詞にはヴァリエイションがありますが、当然、ここではニーノ&エイプリルのヴァージョンにしたがいます。ファースト・ヴァース。

When the deep purple falls over sleepy garden walls
And the stars begin to twinkle in the sky
In the mist of a memory you wander back to me

「眠たげな庭園の塀に紫の夜のとばりが降り、夜空に星々が瞬きはじめると、記憶の靄のなかからきみが漂いあらわれ、ため息とともにぼくの名前をささやく」

f0147840_23453293.jpg八代目三笑亭可楽のヴァージョンしか知らないのですが、「反魂香」という噺があります。土手の道哲と三浦屋の高尾太夫(いわゆる「仙台高尾」)の伝説にもとづいた噺ですが、落語だから、高尾と島田重三郎(実説では権三郎とも)の悲恋物語はそっちのけで、「反魂香」という、死者の魂をこの世に呼び戻す香と、心映えはともかくとして、ちょっと抜けている隣の住人のマヌケな霊降ろし失敗談になっています。

いちおう、怪談の季節にやる噺なので、可楽のヴァージョンでは、下座のSEも入る怪談仕立てで、道哲が焚いた香によって高尾の霊が出現する場面があります。高尾が「おまえは島田重三さん」といえば、「そちゃ女房、高尾じゃないか」と道哲がこたえ、高尾が「二世と交わせし反魂香、あだにや焚いてくだんすな、香の切れ目がえにしの切れ目」なんていいます(芝居の『吉原恋の道引き』からの引用だろう)。頓狂といわれればそれまでですが、Deep Purpleを聴くと、どうしても「反魂香」をおもいだしてしまいます。

落語のほうは、やはり女房を病気で亡くしたという隣人が、道哲にその香を分けてくれと頼んで断られてしまいます。しかたなく、夜中に生薬屋に駈け込み、「ほら、あの、おまえは島田重三さんていうあいつを三百くれ」とわけのわからないことをいうのですが、もちろん薬屋に売っているはずもなく、「よろずかねたん、てなあなんだね?」「そりゃ萬金丹と読むのですよ」と小僧に馬鹿にされるといったくだりのあと、「越中富山の反魂丹」という薬が目に入り、これを反魂香とまちがえて買って帰り……という展開で、もちろん、死んだ嫁さんをみごと甦らせる、という結果には残念ながらなりません。

f0147840_2347196.jpgそもそも、越中富山の、とくれば、反魂丹と決まっているというくらいで、反魂丹はだれでも知っている代表的な薬です。現代ならいざ知らず、昔の江戸で(道哲=島田重三郎は江戸初期十七世紀中葉の人物)反魂丹を知らなかったほうがどうかしているのです。まあ、それをいうなら、これまた現在もある萬金丹を知らなかったのだから、並のボンヤリではないという前ふりがあるのですが。

どうせついでなので、もうひとついうと、「萬金丹」という噺もあります。うちには五代目柳家小さんのヴァージョンしかないのですが、これは……いや、もう落語の梗概はやめておきましょう。

セカンド・ヴァース。「反魂香」でいうと、「おまえは島田重三さん」「そちゃ女房、高尾じゃないか」の情緒纏綿たるくだり。

In the still of the night once again I hold you tight
Though you're gone, your love lives on when moonlight beams
And as long as my heart will beat, lover we'll always meet
Here in my deep purple dreams
Here in my deep purple dreams

「夜のしじまのなかで、ふたたびきみを強く抱きしめる、きみは去ってしまったけれど、きみの愛は月の光とともに生きつづける、そして、ぼくの命がつづくかぎり、この紫の闇の夢のなかで恋人たちは出逢う」

ほらね、だから「反魂香」だっていったでしょう?

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◆ 長すぎるプレリュード ◆◆
歌詞は反魂香ですが、曲はなかなかどうして、反魂香どころではありません(なんのこっちゃ)。すごく変な曲なんです。これ以上変な曲はないといっていいかもしれません。しかし、時計を見ると、コード進行がどうの、メロディーラインがどうのなどと書いているひまはないので、そのあたりは、明日以降、この曲のインスト・ヴァージョンをあつかうときにくわしく見ることにします。

どなたでもそういう経験がおありだと思うのですが、子どものころ、この曲は、何度かラジオで聴き、すごく気になるのに、なかなかアーティスト名と曲名をアイデンティファイできず、数年のあいだ、最大の懸案でした。

ほら、ラジオで大リーグ中継を聴いたりするじゃないですか。基本的な野球用語や、選手名をある程度知らないとさっぱりわかりません。grounderとか、two to oneとか、top of the inningとか、swing and missとか、low outside corner and it's called strike number threeとか、on deck circleとか、the bases are loadedといった表現がわからないと、いまどういう状況になっているのかもイメージできないのです。また、レジー・ジャクソンとレジー・スミスがどちらのチームなのかがわからないと、いまヤンキーズが攻撃しているのか、ドジャーズが攻撃しているのか(これだけで、どの時代の話をしているのかおわかりになるでしょうが)もわかりません。

それと同じで、音楽の場合も、基礎となる「名鑑」が頭に入っていないと、ジョックのいっていることが聴き取れないのです。ニーノ・テンポとエイプリル・スティーヴンズは、残念ながら、「わたしの時代」にはすでに過去の人になっていて、ジョックが紹介しても、なかなかそれがアーティスト名と認識できなかったのです。

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やっとわかったのは、この曲が気になりはじめてから数年たった、1969年12月31日放送のロックンロール・カウントダウンのときでした(ちなみに、この日の除夜の鐘の前にたどり着いた、「現在」のトップテンのトリはショッキング・ブルーのVenus、2位はゼップのWhole Lotta Loveだった)。12月30日からはじまるロックンロール・カウントダウンは、各年度の代表的ヒット曲を、定時のニュースをのぞく55分間で1年というペースでノンストップで流し、一気に数十年を駆け抜ける番組でした。70年代半ばまでは毎年の恒例でしたが、いつのまにか消えたようです。

楽曲がアイデンティファイできたのだから、さっそく1970年正月に彼らの盤を買ったかというと、それが左にあらず、ここが当今とは大違いなのですが、あの時代、昔の曲を買うとなると、中古屋にいかねばなりませんでしたし、そのうえ、中古屋というのが、あそこにもあるここにもあるというものではなかったのです。昔は古い音楽の需要というのが極度に小さかったのです。

じゃあ、数年後に手に入れたかというと、これも左にあらず。80年代にビルボード・トップ40完全蒐集にとりかかったとき、この曲はトップ・プライオリティーだったのですが、CDはオミット、LPか45で買うというルールを作ったので、そう簡単にはいかず、ひどく時間がかかりました。結局、アナログでは手に入らず、CDで、それも、単独盤ではなく、オムニバス収録の一曲として、あきらめて買いました。ニーノ&エイプリルのベスト盤がやっと出たのは十年ぐらい前のことだったと思います。

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左からフィル・スペクター、エイプリル・スティーヴンズ、ニーノ・テンポ。一時期、ニーノはスペクターのアシスタントのようなことをしていた。

この曲を気にしはじめたのが中学の終わり、じっさいに手に入れるまでに30年ほどかかっているのだから、個人的には最長記録ではないかと思います。しかし、FENでは年に2、3回は耳にする曲で、それほどめずらしかったわけではありません。再発までに時間がかかったのは、アトランティックがポップ系の曲のリイシューに不熱心だったためでしょう。ソニー&シェールのリイシューも遅れました。

じっさい、こんなに気になる曲というのは、ほかにないってくらいで、じつになんとも、一読脳裏を去らず、じゃなくて、一聴脳裏を去らず、でした。なぜそんなに強い印象を残したのかは、のちにシャドウズ・ヴァージョンをコピーしてみて、明快にわかりました。構造自体、前代未聞といってもいいくらいなのです。

ということで、この曲が忘れがたい印象を残す理由については、話が面倒になるので、明日に持ち越しとさせていただきます。

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『ティファニーで朝食を』の一場面。中央がオードリー・ヘップバーン、その背後がジョージ・ペパード、ここまではいいが、右端はニーノ・テンポ。ニーノがこの映画に出ていたとは気づかなかった。何度も見ているのだが。

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by songsf4s | 2008-06-26 23:56 | Moons & Junes
ダイナマイトが百五十屯 by 小林旭
タイトル
ダイナマイトが百五十屯
アーティスト
小林旭
ライター
関沢新一, 船村徹
収録アルバム
アキラ3
リリース年
1958年
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ロックンロール時代になると、月はロマンティックなものではなくなっていく、なんてことを書きましたが、そのとき頭にあったのは、たとえば、アル・クーパーのThe Landing on the Moonや、グレイトフル・デッドのPiccasso Moonでした(どちらもそれほど面白い曲ではないので、この特集では取り上げない)。

特集を進めていくうちに、途中で、タイトルにはキーワードが含まれていないけれど、歌詞のなかにあるというものを、いろいろ思いだすものです。今回は二曲、あれがあったじゃないか、というのを思いだしました。

その一曲が、本日の「ダイナマイトが百五十屯」です。ここに出てくる月たるや、ロマンティックなものではないどころか、そもそも、どういう属性をもった月なのかということすらわからない、じつにもって尖鋭的な月なのです。ここまでくると、六月もハチの頭もないのですが、まあ、そろそろ強引なのが出るころだから、ということで……。

◆ カックン、ショックだ!? ◆◆
タイピングをの手間を省くために、またしても歌詞カードのJPEGですませることにします。

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パンクがなんぼのもんじゃい、てな破壊的ヴァースですな。昔はこういうことをいってもシャレになったのですが、近ごろは気のふれた犯罪者予備軍がうようよいるので、シャレにならないような気もします。失恋のたびに発破をやられちゃ、まわりが迷惑します。

当家のコメントでは、O旦那のハンドルでときおりツッコミを入れてくださる大嶽画伯のサイト、Wall of Houndで、昔、この曲のことが話題になりました。そのとき、O旦那が、150屯といえば、1屯トラックで150台分、とんでもない量だ、とおっしゃっていたのを覚えています。

ゼロ戦が積んでいたのは、たしか250キロ爆弾をふたつです。合わせて500キロ。ゼロ戦で150屯を運ぶとなると、300機の大編隊になってしまいます。真珠湾攻撃だって、投入された戦闘機の数はもっとはるかに少ないでしょう。150屯のダイナマイトがあれば、アメリカ太平洋艦隊に壊滅的打撃を与えられるのとちがいますかね。

セカンド・ヴァース。

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「スカッと」は戦後に生まれた流行語なのでしょうが、わりに長命だったようで、いくぶん古くさい響きを帯びてしまったとはいえ、まだ「通じない」という段階まではたどり着いていないでしょう。流行語だったことが忘れられる時代まで生き延びる可能性すらあると思います。

それに対して「器用」という言葉は、現在も使われてはいるものの、用途は昔にくらべて限定的になったと感じます。なんて、わかったようなことをいって、いま辞書を引き、あらら、となってしまいました。一部の用例を略して、以下に引用します。

1 役に立つ大切な器物。
2 容貌。人柄。器量。*伽・猿源氏草紙「きよう骨柄(こつがら)、尋常なる人かなと感じけり」
3 (形動)役に立つ才能があること。才知がすぐれているさま。また、そのような人。有用な人材。*本朝文粋‐六「既非器用。自漏明時之禄」
4 (形動)いさぎよいこと。潔白であること。上品で優雅なさま。
5 (形動)わざがすぐれてじょうずなこと。また、そのさま。*浄・国性爺合戦‐四「誰に習ふて此兵法。きようなことやとの給へば」
6 (形動)うまいぐあいに物事を処理すること。また、そのさま。*伎・三題噺魚屋茶碗‐三幕「それぞれ酒でも呑まし、器用にするが破落戸(ごろつき)附合」
7 (形動)手先のわざや、本職ではない芸事などをうまくこなすさま。「手先の器用な人」
8 (形動)(普通、悪い意味に用いて)要領よく立ちまわるさま。万事うまく処理していくさま。「世の中を器用に泳ぐ」
9 (形動)万事をのみ込んで、理屈や文句を言わないさま。*伎・黒手組曲輪達引‐三幕「そんな野暮を言はねえで、器用に受けてくんなせえ」

第一義が名詞だっていうので、いきなりコケました。たしかに、江戸や明治の分類百科辞典的な本(『古事類苑』や喜多村節信の『嬉遊笑覧』など)を見ると、「器用部」というのは、器物をあつかっています。

現在も生きているのは、第七義の「手先の技」をうまくこなすさま、だけではないでしょうか。わたしが子どものころは、第八義の「要領よく立ちまわるさま」というのも、かろうじて生きていましたが、最近の使用例は記憶がありません。

f0147840_2044295.jpgこのニュアンスの「器用」は、昔の日活映画でも登場しました。ヤクザが素人衆に向かって「おう、兄さん、器用なマネしてくれるじゃないか」とすごんだりするのです。アメリカでも、あちらの世界は映画の影響を強く受けるそうなので(だから、ジョージ・ラフトはその方面では絶大な人気があり、ラフトのスタイルはその後の現実のギャングのスタイルの基礎になったという話があるほどだし、本邦ではもちろん高倉健の影響は絶大)、その後、日活映画のセリフは現実世界に継承されたのかもしれません。て、あなた、冗談半分なんだから、真に受けちゃいけません。

最後のヴァース。

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これを忘れていたなんてどうかしていると思うような、なんとも忘れがたいラインです。カックン、ショックだ、という流行語連打まではいいのですが、そのあとが「ダムの月」というのだから、一瞬、見当識喪失に陥ります。

どのような論理の流れによって、このラインの前半と後半は接続されているのだろうか、なんて、まともに考えると、長く暗い混迷の地下道から脱出できなくなるので、こりゃたまげた、などといって思考停止しておくにかぎります。映画の挿入歌というのならわかりますが、この曲の出自はそういうものではありません。独立した盤として生まれたものです。

◆ オリジナル音頭ロック ◆◆
歌詞もアナーキーですが、楽曲、アレンジ、サウンド、そして、アキラのヴォーカル・レンディションもちょっとしたものです。

管によるイントロの裏で効果音が鳴っています。まず、シューという、サファリーズのWipe Out!の冒頭に出てくるようなノイズがするのですが、いままで、この意味がわかっていませんでした。書かなければならないので、まじめに考え、論理をたぐっていき、ああ、導火線が燃える音か、とやっとわかりました。

なぜわかったかといえば、その直後にドカーンというSEが入っているからです。これはダイナマイトが爆発する音にちがいない、そして、そのまえにシューという音がするのだから、そちらは導火線だ、という、漫才のようにもってまわった思考でした。

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しょっちゅう小林旭をとりあげているので、そろそろ写真の材料が尽きてきた。今日は曲に関係なく、映画のスティルを適当に。これは鈴木清順の『俺たちの血が許さない』より、アキラとその弟役の高橋英樹。いったいアキラは何発の弾丸を喰らったことか。忘れがたい一作。

イントロのSEは、制作側が意図したほどストレートな「ショック」を喚起するものにはならず(マレットでピアノを叩いたという効果音はそれなりに派手だが)、どちらかというと「カックン」(この言葉を見ると由利徹の顔が浮かぶ。由利が流行らせたのだっただろうか?)のほうかもしれませんが、その直後のギターと管のリックには、うーむ、と唸ります。

ロックンロールのニュアンスのあるアレンジなのですが、ここのコード進行はEm-Amなのです。表拍を使っていること、つまり、シンコペーションは使っていないことをはっきりさせるために、ほんとうは譜面にしたほうがいいのですが、E-E-E、G-G-E-D-Eというフレーズをギターが弾きます。これを3度あげてAmで弾き、またEmに戻る、というようなイントロです。

なんだかよく知っているような音だなと思い、頭のなかでこの部分のビートを変え、すこしだけテンポを落としてみると、なんだ、音頭かよ、となります。映画のなかで、祭のシーンに変わった音頭がほしくなったら、この曲のヴァリアントをつかえばよかっただろうと思います。

骨格は音頭、肉付けはロックンロール、この絶妙の融合というか、いや、むしろ、絶妙の乖離というべきか、なんともつかない、わけのわからないところがこの曲の魅力であり、そこのところで、一瞬、考えこみそうになるこちらの首根っこを押さえて、アキラがあの脳天に突き抜ける高音で、よけいなことを考えるヤツはダイナマイトでぶっ飛ばしてやる、といわんばかりに、アナーキーにうたうところが、このトラックのすごさです。

だから、正確には、サウンドにおいてロックンロール的というより、スピリットにおいてすぐれてロックンロール的である、というべきだろうと思います。あれこれゴチャゴチャ考えるひまをあたえないところは、まさしく、映画において看板役者が果たす役割でもあり、アキラのスター街道驀進は、この曲からはじまったといっていいかもしれない、とすら思うほどです(この時点では、まだ映画のほうでは大ヒットはなかった)。

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藤竜也「兄貴、ダイナマイトですぜ」ジョー「これで1キロというところか。くそー、アキラの野郎、まだ149.999屯ももっているのか」なんてセリフではなかった。長谷部安春『皆殺しの拳銃』より。大げさな言葉は使いたくないが、『拳銃は俺のパスポート』とならぶ、日活アクション末期の、やはり傑作といえるであろう一本。

◆ ときにはプルーストのように ◆◆
この曲は、盤を買う前から知っていたので、当然、映画で記憶したのだろうと思いました。『小林旭読本』所載の大瀧詠一の記事では、『二連銃の鉄』でうたわれているというので、渡辺武信の『日活アクションの華麗な世界 上』で、この映画のプロットを読んでみました(二連銃とは、ダブル・バレルのショットガンのことだろう)。

プロットから、映画のことはボンヤリと思いだしたのですが、どんな場面で「ダイナマイトが百五十屯」がうたわれたかまでは思いだせませんでした。『日活アクションの華麗な世界』はすばらしい研究書ですが、珠に瑕が音楽にやや冷淡なことで、「ダイナマイトが百五十屯」そのものに、まったく言及していないのです。

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思わず、それはないでしょう、アキラの数々の歌のなかでも、もっとも尖鋭的な曲じゃないですか、といいそうになりましたが、考えてみると、わたしだって、なにかの映画でうたっているのを見た、とボンヤリ記憶しているだけで、よそさんを責められる立場にはありませんでした。

この曲が鮮明な記憶を残していないというのは、じつに不思議です。「自動車ショー歌」なんて、どの映画かは忘れてしまいましたが、キャバレーでうたうシーンがいまでもはっきりとまぶたに浮かぶんですからねえ。

「ダイナマイトが百五十屯」がリリースされた翌年に、アキラは『爆薬[ダイナマイト]に火をつけろ』(蔵原惟繕監督)という映画に主演しています。『南国土佐をあとにして』と同じころです。わたしは、この映画に「ダイナマイトが百五十屯」が使われたのだと思っていました。プロットすら思いだせないのですが(渡辺武信の前掲書でも、内容にはふれず、蔵原の低迷期の作品としているのみ)、アキラがトンネル工事かなんかの現場で働く映画を見た記憶があり、それに該当するのはこの作品しかなさそうなのです。

タイトルから考えても、時期から考えても、いかにも映画と歌がマッチしているように思えるのですが、調べがおよんだかぎりでは、この映画に「ダイナマイトが百五十屯」が使われた形跡はありませんでした。人間の記憶というのはじつにいい加減で、ときには、まちがった記憶のほうに強いリアリティーを感じ、現実が突きつける証拠を見ても、首をひねるばかりで、まったく納得できないこともあるのですねえ。どうにかしてもう一度『爆薬に火をつけろ』を見て、納得したいものです。

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『南国土佐をあとにして』 左から二本柳寛、西村晃、小林旭。このシークェンスはワンショットで撮影された。2テイク目で四つのダイスが立ったという。

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by songsf4s | 2008-06-22 22:13 | Moons & Junes
I Only Have Eyes for You その2 by Mary Wells
タイトル
I Only Have Eyes for You
アーティスト
Mary Wells
ライター
Harry Warren, Al Dubin
収録アルバム
Sings My Guy
リリース年
1964年
他のヴァージョン
別掲
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◆ メアリー・ウェルズとモータウンLA ◆◆
今日は、昨日ふれられなかった、I Only Have Eyes for Youの他のヴァージョンです。I Only Have Eyes for Youは、わたしの頭のなかではつねにフラミンゴーズの曲であり、それ以外のヴァージョンは、文字通り「その他」でしかないので、看板をどれにするかむずかしかったのですが、テンポが速く、もっとも軽いメアリー・ウェルズ盤にしておきました。

これもまた「その他」なので、たいした意味はありません。シナトラはしょっちゅう看板に立てているから、できれば避けたい、といって、ほかにシナトラに匹敵するほどのものはない、では、当ブログではつねにマイノリティーの地位にある属性、「黒人」「女性」という条件にかなったシンガーを、という選択です。

フラミンゴーズのI Only Have Eyes for Youも、過去のヴァージョンに訣別するアレンジでしたが、メアリー・ウェルズ盤はさらにスタンダードから遠ざかったものになっています。ミディアム・シャッフルでやっているI Only Have Eyes for Youなんて、わが家にはこのヴァージョンしかありません。

メアリー・ウェルズのI Only Have Eyes for Youは、1964年のアルバム、Sings My Guyに収録されたトラックです。多少ともモータウンを聴かれる方なら、タイトル・トラックのMy Guyはご存知でしょう。確認せずに記憶だけで書いてしまいますが、これはモータウンにとって、最初のビルボード・チャート・トッパーです。R&Bチャートではありません、ポップ・チャートのナンバーワンです。

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地方都市の小さな独立レーベルにとって、これは決定的な意味をもちました。この曲がハリウッドで録音されたものだったからです。わたしは、モータウンがハリウッド録音に主力を移す決断をつけた大きな理由は、My Guyがチャート・トッパーになったことだとつねづね考えています。ハリウッドのサウンドは売れるという、たしかな感触を得たのです。そして、同じ年に、それまでなかなか芽が出なかったスプリームズが、ハリウッドで録音されたBaby Loveで、やはりナンバーワン・ヒットを得たことで、この方向は引き返しようのないほど決定的になったのです。

My Guyのセッションは、キャロル・ケイ自身にとって、最初期のモータウンの仕事だったそうです。まだ、彼女がギターばかりプレイしていた時代の仕事です(この直後ぐらいからベースも弾きはじめる)。My Guyでも、彼女はギターをプレイし、ベースはアーサー・ライトがプレイしたといっています(ただし、これは彼女の記憶ちがいではないかと最近は考えている。ジミー・ボンドあたりではないか)。ドラムはアール・パーマーでしょう。

タイトル・カットがハリウッドで録音されたからといって、自動的にアルバム・トラック全体がハリウッド録音ということにはなりませんが、わたしの感触では、I Only Have Eyes for Youもハリウッド録音です。同じグルーヴが感じられるので、My Guyと同じメンバーではないかと考えます。デトロイトの泥臭い音とは異なる、ハリウッドらしい軽快な味のあるトラックです。

50年代までのスロウ・バラッドとしてのI Only Have Eyes for Youに馴染んでいる方には、メアリー・ウェルズ盤は違和感があるでしょうが、ほとんど赤の他人みたいな曲になっているので、わたしは、これはこれで楽しいヴァージョンだと思います。

◆ アート・ガーファンクル盤 ◆◆
ソロになってからのアート・ガーファンクルのキャリアを眺めると、ちょっと息苦しくなってきます。ポール・サイモンという座付きソングライターを失い、楽曲選択が迷走するからです。新作で出来がいいのは、極論すると、ジミー・ウェブのAll I Knowだけといえるのではないでしょうか。

結局、ろくな楽曲が手に入らず、When a Man Loves a Woman(パーシー・スレッジ)とか、What a Wonderful World(サム・クック)といった、古い曲のカヴァーに活路を見いだすところへと「追い込まれた」のだと考えています。積極的な選択ではなかった、ということです。

わたしは1960年代に育った人間なので、古い曲をうたうというのはあくまでも特例であり、それを習慣にすることには否定的考えをもっています。ニルソンのように、古い曲だけを集めた盤を録音しても、それはそれだけのことであり、つぎからはまた自分の作品を録音していくというのが「正しい」あり方だと思います。ポップ/ロックはアクチュアルでなければいけないのです。古い曲に過度に依存するのは「退行」でしかありません(その延長線上で、現代のシンガーが「わたしの時代」の曲をうたうのも大嫌い。いまのシンガーはいまの曲をうたっていればいいのである。わたしの時代に属す曲はほうっておいてほしい!)。

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アート・ガーファンクルのI Only Have Eyes for Youは、明らかにフラミンゴーズ盤を下敷きにしたものです。イントロのギター・コードからして、フラミンゴーズ盤からもってきたものです。こういうカヴァーの仕方は、あまり褒められるものではありません。「インスパイア」などという詐欺的婉曲表現を使わないで、はっきり言えば、たんなるコピーです。

ただし、ギターには魅力があります。フラミンゴーズ盤のギター(ライノのベスト盤のライナーによると、フラミンゴーズのメンバー自身によるプレイらしい)の方向性を受け継ぎながら、それをさらに発展させたプレイです。わが家にあるこの曲はベスト盤収録で、プレイヤーの名前がわからないのですが、サウンド、トーンはディーン・パークスを想起させるものです。パークスのサウンドは非常に独特のものなので、たぶん、この推測は当たっているのではないかと思います。

ドラムも、Angel Clare同様、ジム・ゴードンである可能性があるでしょう。ただし、とくに注目するほどのプレイではなく、ジム・ゴードンでなくても、ほかのドラマーでもできるようなプレイです。

◆ フランク・シナトラ盤2種 ◆◆
セッショノグラフィーによると、フランク・シナトラはI Only Have Eyes for Youを3回録音しています。1943年、1945年、1962年です。このうち、わが家にあるのは、45年と62年のものです。どちらも魅力があります。

45年盤についていえば、これはもうシナトラの声の魅力に尽きます。この時期のシナトラは、歌い方がどうこうなんていう前に、声だけで圧倒されてしまいます。アレンジとコンダクトはアクスル・ストーダール。

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62年ヴァージョンは、カウント・ベイシー・オーケストラとの最初の共演盤です。この特集のトップ・バッターにしたFly Me to the Moonもカウント・ベイシー・オーケストラとの共演ですが、あちらは1964年の録音、二度目の共演です。

しかし、グルーヴは共通しています。ベースが同じプレイヤーなのだろうと想像します。毎度おなじことをいっていますが、フランク・シナトラはミディアムからアップで、軽快にグルーヴに乗ってうたっているときがすばらしく、62年盤I Only Have Eyes for Youもそのタイプなので、おおいに楽しめます。

そんなことをいったら、シナトラとそのファンに張り倒されるかもしれませんが、45年盤と62年盤を並べて聴くと、やはり年をとると、歌がすごくうまくなるんだな、と感じます。45年のシナトラには、62年のようなグルーヴはありません。やっぱり、シンガーもグルーヴなのだと、改めて実感しました。

62年盤のアレンジはニール・ヘフティー。プレイヤーのクレジットはありませんが、ベースのみならず、途中から活躍するドラマーもなかなか好みです。

◆ スパイク・ジョーンズ盤 ◆◆
変わり種もあります。まずはスパイク・ジョーンズ盤。ジョーンズのI Only Have Eyes for Youは2種類あります。ひとつは1946年録音のもので、これはまっとうなスタイルのオーケストラもので、シティー・スリッカーズのコミカルなサウンドではありません(名義もSpike Jones & His Orchestraとなっている)。

もうひとつは、これもシティー・スリッカーズ時代ではないのですが、プリではなく、ポスト・スリッカーズで、1959年のリリースです。Spike Jones In Hi Fi: A Spooktacular in Screaming Soundというタイトルにもあらわれていますし、ジャケットをご覧になればはっきりしますが、これはホラー・ミュージックのパロディーです。テレミンの使用も、その点を強調するのに役立っています。

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I Only Have Eyes for Youは、ドラキュラ伯爵と女吸血鬼ヴァンパイラとのデュエットという趣向です。ゲスト・シンガー(というかゲスト俳優)は、ポール・フリーズとルーリー・ジーン・ノーマンという人だそうですが、寡聞にして知りません。

当然、歌詞も替え歌になっています。ファースト・ラインからして、Are the stars bright tonightではなく、Are the bats out tonight=今夜はコウモリが飛んでいるのか、となっています。Maybe millions of people passing byのくだりは、Maybe millions of zombies go byとなり、最後は、ドラキュラが'Cause I just want a neckといって、ヴァンパイラから血を吸う効果音が入り(ここだけシティー・スリッカーズを思いださせる)、つぎにヴァンパイラも同じラインをうたい、お返しにドラキュラの血を吸う、とまあ、そんな展開です。

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アメリカでは1950年代終わりにステレオ・ブームがあったことは何度か書いていますが、タイトルがIn Hi-Fiとなっていることでわかるように、この盤もステレオ・ブームに当て込んだものです。最初のうちは、ドラキュラは左、ヴァンパイラは右に配されているのですが、最後に足音(のつもりの効果音)が左から右に動き、ドラキュラがヴァンパイラに噛みつくという趣向です。古くさいといえばそのとおりですが、ステレオが珍奇なガジェットだった時代が忍べて、ちょっと楽しくもあります。

◆ モーリン・オハーラとドリス・デイ ◆◆
スパイク・ジョーンズ盤は妙な効果を発揮します。これを聴いたあとだと、みんなホラー音楽のつづきのような気がしてくるのです。モーリン・オハーラなんて人の歌も、なかなかお見事なうたいっぷりなのですが、どうもヴァンパイラのような気がしてしかたありません。

わたしは女性ジャズ・シンガーというのはあまり好かないので、こういう盤は理論的に無関係なのですが、でも、この盤のアレンジャーはボブ・トンプソンなのです。となると、やっぱり聴いてみたくなるわけで、そういう狙いは大失敗に終わるときもあるのですが、モーリン・オハーラについては正解でした。やはり、トンプソンという人はもっと評価されてしかるべきではないかと、この盤を聴くと感じます。

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ドリス・デイ盤は1950年のリリースで、アレンジとコンダクトはアクスル・ストーダールです。わたしはヴォーカルよりインストゥルメンタルのほうに強い興味があるので、どうしても、上ものではなく、スタッフのほうで盤を選んでしまい、当然、聴き方も、ヴォーカルより、サウンドが中心になります。アクスル・ストーダールのアレンジはごく控えめで、女性シンガーに合わせた甘いストリングスを楽しめるかどうか、というところでしょう。まあ悪くはないと思うのですが、とくにすぐれているともいえません。

若いころのドリス・デイはいい声をしているので、I Only Have Eyes for Youにおける彼女のヴォーカル・レンディションも悪くないと思います。

◆ レターメンとレイ・コニフ ◆◆
今日は順番がメチャクチャになってしまいましたが、つぎはレターメン盤。毎度申し上げているように、わたしはコーラス・グループというのを大の苦手にしています。同様に子どものころに嫌いだったオーケストラ・ミュージックは、年とともに面白く感じられるようになってきたのですが、コーラス・グループはいまだに不得手です。とりわけレターメンは、昔から、なんだかなあ、でした。

ビルボード・トップ40ヒッツ完全蒐集を目指した80年代に、レターメンもいちおうベスト盤を買い、そのなかにこのI Only Have Eyes for Youも入っていました。でも、とくに面白いと思ったわけではありません。以前、わたしが参加している小さなMLで、I Only Have Eyes for Youを特集したときも、このヴァージョンは褒めなかったような気がします。

しかし、古いものまで十把一絡げに並べて聴いてみると、やっぱり、ハル・ブレインのドラミングがいちだんと引き立って聞こえ、今回の聞き比べで、このヴァージョンの順位はかなり上に移動しました。いや、レターメンなんか、まるっきり聴いちゃいませんよ。嫌いなんだから、当たり前じゃないですか。ハル・ブレインのドラミングはつねに魅力的だといいたいだけです。

やや判断しづらいのですが、ベースもたぶんキャロル・ケイでしょう。ストリング・アレンジも好みです。盤にはアレンジャー・クレジットがあったような気がするのですが、探している時間がないので略します。

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わが家にあるもっとも「新しい」(といってもかなり古い)I Only Have Eyes for Youは、1975年のレイ・コニフ盤です。いやはや、これがなんとも、呆れた代物で、The Hustleとのメドレーなのです。あの「ドゥー・ザ・ハッスル」ですよ。

しかし、こういうのをメドレーというのは、ちょっとちがうでしょうね。まあ、とにかくThe Hustleではじまります。で、途中からI Only Have Eyes for Youになるのですが、男声コーラスがI Only Have Eyes for Youをうたうのに対して、女声コーラスの合いの手はThe Hustleなのです。だから、「Are the stars bright tonight」という男声ラインに対して、女声コーラスは「Do the hustle」とレスポンスするのでありますよ、これが。だから、メドレーというより、ハイブリッドというべきでしょう。

さあて、こういうのはなんといえばいいのかわからず、困惑します。まあ、ちょっとは笑えます。しかし、「可笑しいから座布団一枚」ではなく、「おもしれえや、座布団全部とっちまえ」というタイプでしょうね。

◆ エスクィヴァル、ポール・ウェストン、エトセトラ ◆◆
もう残り時間僅少なのに、まだふれていないヴァージョンの数はかなりあって、ありゃあ、です。エスクィヴァルは、いつもほど珍なところはありません。だいたい、このOther Worlds Other Soundsというアルバムは、タイトルとカヴァーからは、珍なものを想像するのですが、音のほうはかなりストレートです。ただし、後半、ストリングスが盛りあがるところは、たしかにOther Worldsという感じがします。

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ポール・ウェストンは、例によって、ストレートなラウンジ・ミュージックというか、オーケストラ・ミュージックです。この人のアレンジは、歌伴のときのほうが面白いような気がします。自己名義のインストは直球が多すぎて、あまりハッとさせられません。

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ダイナー・ショア盤を試聴してみましたが、なかなかけっこうな出来だと思います。サウンドに奥行きもあり、アレンジも好みなのですが、クレジットが見あたりませんでした。

うちにある最古のI Only Have Eyes for Youは、ルー・シャーウッドという人の1934年のヴァージョンですが、この人についてはなにも知らず、いま調べている時間もありません。だいたい、これくらいの時期になると、わたしには、いいも悪いもつかないのです。昔風の味わいは感じますが(昔の録音なんだから当たり前!)、それ以上の感想はありません。

ひとつだけいえることは、この段階では、50年代の各ヴァージョンのように、テンポを遅くして、しっとりとなんかうたっていないということです。この大甘の歌詞からいって、軽く歌ってバランスをとるほうが、わたしには正解に思えます。

50年代のスタンダード・アルバムを聴いていて疲れるのは、スロウで情緒纏綿たるレンディションが圧倒的多数派だからです。60年代育ちとしては、感情移入は控えめに、さらっとあっさりうたってくれたほうが、尻がむずむずせず、安心できます。だから、われわれの世代は、50年代は飛ばして、30年代や40年代を聴くほうがいいのではないか、とおもうこともしばしばです。子どものころは、昔の音楽はスロウでだるい、と思っていましたが、いまでは、それは間違いで、そういう現象は50年代の特殊なものだったのではないかと考えています。
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by songsf4s | 2008-06-20 23:55 | Moons & Junes
I Only Have Eyes for You その1 by the Flamingos
タイトル
I Only Have Eyes for You
アーティスト
The Flamingos
ライター
Harry Warren, Al Dubin
収録アルバム
Flamingo Serenade
リリース年
1959年
他のヴァージョン
別掲(本稿末尾)
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Moons & Junes特集なので、当然ながら、月が出たという歌ばかりやってきたのですが、今日は、月が見えないという歌です。といっても、曇っているからとか、月蝕だからというわけではありません。じゃあ、昼間だからだろう、なんていわれそうですが、そんな裏をかくようなものでもありません。

月が見えないという歌を満月の夜にやることはないか、とも思ったのですが、考えてみると、新月のときに月が見えないのでは当たり前です。煌々たる月夜にもかかわらず月が見えない、というところに趣向があるわけで、むしろ満月のほうがこの歌にはふさわしいようです。

いま書いていて、月蝕の歌というのもあるな、と思い、いちおうHDDを検索してしまいました。フィル・レッシュのEclipseと、ピンク・フロイドのやはりEclipseという二種がありました。たいした曲じゃないので、やりません。Total Eclipse of My Heartっていうのはなかなかいい曲でしたが、あれはだれがうたったんでしたっけ? そもそも、ハートが皆既蝕になるというのだから、天象には関係なさそうです。

◆ 困った歌詞 ◆◆
You TubeにフラミンゴーズのI Only Have Eyes for Youがありますので、よろしかったらお聴きになってみてください。画像は当時のものではなく、メンバーも大幅に異なっているでしょうが、リップシンクなので、音は盤のものです。

では、歌詞を見ていきますが、古い曲だけあって、構成がノーマルではないため、適当に切ります。以下は、大ざっぱにいって、ファースト・ヴァースとコーラスという感じのパート。

My love must be a kind of blind love
I can't see anyone but you
Are the stars out tonight?
I don't know if it's cloudy or bright
I Only Have Eyes For You, Dear

「ぼくは盲目の恋をしているにちがいない、きみ以外は目に入らないんだ、今夜は星が見えるのかい? 曇っているのか、月が輝いているのかもわからない、ぼくの目はきみを見るためだけにあるんだ」

第三者としては、馬鹿馬鹿しくて相手にする気も起きないような、じつにもってお気楽な歌詞ですが、昔はこういう曲が多かったのでしょう。よかれ悪しかれ、これがポップ・ソングというものでしてね。

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以下はセカンド・ヴァースとコーラスとブリッジが合体したようなパート。

The moon may be high
But I can't see a thing in the sky
I Only Have Eyes For You
I don't know if we're in a garden
Or on a crowded avenue

「月は高く昇っているのかもしれないけれど、空にはなにも見えない、ぼくの目はきみを見るためだけにある、いま庭園にいるのか、雑踏する大通りにいるのかもわからない」

いいかげんにしろ、と脳天に洗面器を喰らわせたくなりますが、まだ終わらないのです。

You are here and so am I
Maybe millions of people go by
But they all disappear from view
And I Only Have Eyes For You

「きみがここにいて、ぼくもいる、何百万人もの人が通っているのかもしれないけれど、みな目に入らない、ぼくの目はきみを見るためだけにある」

ケータイを操作しながら歩いている馬鹿者といっしょで、車に轢かれて死にゃあ、ちょうどいいやっかい払いだ、といいたくなります。昔、「世界は二人のために」という、不快きわまりない歌がありましたが、あれを思いだしてしまいます。

◆ フラミンゴーズ盤 ◆◆
この曲がスタンダードだなんてことは、昔はまったく知りませんでした。I only have ears for the Flamingo's versionです。まあ、アート・ガーファンクル盤がヒットしたことも覚えていますし、メアリー・ウェルズ盤もずいぶん昔に買ったものです。でも、この三者のヴァージョンを聴くかぎりでは、スタンダードの臭味はまったくなく、楽曲もそんなに古いものとは思いませんでした。

古いどころか、じつは、フラミンゴーズ盤がオリジナルだと思っていたのです。大昔のことはいざ知らず、I Only Have Eyes for Youといえばフラミンゴーズ、フラミンゴーズといえばI Only Have Eyes for Youというのは、60年代以降は常識といっていいでしょう。それくらいによくできたヴァージョンであり、決定版になったのも当然だと思います。

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たしかに、歌詞をくわしく検討すれば、ものすごく古めかしいスタイルで書かれていることはわかりますが、それをいうなら、50年代だって、古めかしい歌詞の曲はいっぱいありましたからね。歌詞の面でも、大きな変化は60年代に起こるのです。

フラミンゴーズ盤を聴いて、ものすごく古い曲だとは思わなかった理由は、アレンジとサウンドにあります。コードも古いものとはちがうだろうと思います。フラミンゴーズ盤のヴァースはC-Gm7(またはBb)の繰り返しですが、Cに対するBbの音がつくりだすこのセヴンス・フィールは、古いヴァージョンにはないものです。

アンプのトレモロを使い、リヴァーブもきかせたギター・リックも、スタンダードとはおよそ縁のないものです。そもそも、イントロのBb7-G-D7という、なんでもないコードからしてなかなか魅力的で、ささやかなものですが、これまたすぐれたアレンジのアイディアといえるでしょう。

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コーラス・グループというのは概して好かないのですが、よく考えると、それは白人のことで、50年代から60年代初期にかけてのドゥーワップ・グループはかなりもっているようです。なぜなのか、と考えてみましたが、白人のハイパー・スムーズなハーモニーは嫌いで、テクスチャーのあるハーモニーが好ましく感じられるからだろうと思います。

フラミンゴーズのハーモニーが、という言い方は避けますが、すくなくとも、I Only Have Eyes for Youに関するかぎり、彼らのハーモニーおよびヴォーカル・アレンジもなかなか好みです。つまるところ、この曲の魅力は、I only have eyes for youというコーラスのところの響きにあるのですが、リヴァーブの使い方がうまいこともあって、ちょっとした鳥肌もののシークェンスです。このたぐいのリヴァーブ・ドレンチト・ハーモニーとしては、リトル・アンソニー&ディ・インペリアルズのGoin' Out of My Headとどっちが魅力的かというぐらいです。

みんなこんな調子だったら、フラミンゴーズも、インペリアルズぐらいには有名になっていたはずですが、いくつか買ってみたかぎりでは、I Only Have Eyes for Youほどのトラックはありません。I'll Be Homeがまあまあか、というぐらいで、あとは凡庸なドゥーワップという印象です。

◆ ジョージ・ゴールドナー ◆◆
エンド・レコードのオーナーで、フラミンゴーズのプロデューサーだったジョージ・ゴールドナーは、なかなか華々しいキャリアの持主ですが(フランキー・ライモン&ザ・ティーネイジャーズのWhy Do Fools Fall in Loveのプロデューサーであり、のちにジェリー・リーバー&マイク・ストーラーとともに、レッド・バード/ブルー・キャットをつくり、そして、たちの悪いギャンブルの借金のために会社をつぶす)、I Only Have Eyes for Youでは、めずらしく判断ミスをしたのだそうです。

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フランキー・ライモンとジョージ・ゴールドナー

I Only Have Eyes for Youをシングル・カットしたまではよかったのですが、なんとB面にしてしまい、表はGoodnight Sweetheartにしたのだそうです。フラミンゴーズといえばI Only Have Eyes for Youという評価はもう動かしようがないほど決定的になっていますが、だからというわけではなく、無心に聴いても、Goodnight Sweetheartには、I Only Have Eyes for Youのような、聴いた瞬間に、こいつはすごいや、とうなるような魅力はありません。なにを勘違いしたのかと思います。

当然、こういう間違いはDJに正されます。彼らは盤をフリップして、B面のI Only Have Eyes for Youばかりかけたそうです。だれが聴いても、どっちがいいかといったら、I Only Have Eyes for Youのほうに決まっているわけで、まちがえようがないと思うのですが、当事者はやはりべつなのでしょう。どうであれ、45にしておいたのは幸運でした。そうじゃなければ、ひっくり返してもらうことすらできないわけでしてね!

ほかには、それほど面白いヴァージョンはないのですが、明日以降に、いくつかかいつまんで聴いてみる予定です。

ヴァージョン一覧

Frank Sinatra(2ヴァージョン)
Billy Vaughn & His Orchestra
Esquivel
Paul Smith
Paul Weston
The Lettermen
Mary Wells
Ray Conniff
Spike Jones(2ヴァージョン)
Helen Forrest
Art Garfunke
Doris Day
Lew Sherwood
Dinah Shore

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by songsf4s | 2008-06-19 23:56 | Moons & Junes
Moon Moods by Les Baxter with Samuel J. Hoffman
タイトル
Moon Moods
アーティスト
Les Baxter with Samuel J. Hoffman
ライター
Harry Revel
収録アルバム
Music Out of the Moon
リリース年
1947年
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当地では今夜はいくぶん靄がかかり、なかなか味わいのある、しかし、見ようによってはやや不気味な月が見えます。狂気を喚びそうな月だなと思い、moonというキーワードで検索をかけただけで、lunarというキーワードではやっていないことを思いだしました。でも、moonだけで、十二カ月はもちそうなくらいの曲数がすでにあるんです。

ついでに、子どものころよくうたっていた、月が昇るというラインの出てくる曲(炭坑節じゃありませんぜ!)を思いだしたのですが、これは歌詞がちょっと面倒なので、またの日ということにして、今夜はまたしても、曲が決まらないうちにタイムリミットが迫ってきたので、インストです。それも、そろそろ出てしかるべきエキゾティカです。

◆ エキゾティカ・オリジネーター ◆◆
そもそも、エキゾティカはどこからはじまったかというと、本日の主役、レス・バクスターのQuiet Villageからなんです。この曲はバクスター自身の作で、彼の1951年のアルバム、Ritual of the Savageに収録されています。

Quiet Villageという曲は、どちらかというとマーティン・デニーのヴァージョンで知られているのではないかと思いますが、オリジナルはレス・バクスターです。デニーのヴァージョンは、コンボによるものですが、バクスターのヴァージョンはフルオーケストラです。

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マーティン・デニーやアーサー・ライマンの有名なトラックは、ほとんどコンボによるものですが、バクスターは基本的にはオーケストラ・リーダーで、これだけでも、同じエキゾティカとはいえ、味わいは大きく異なることになります。マーティン・デニーやアーサー・ライマンのヴァージョンでしかQuiet Villageをご存知ない方には、レス・バクスターのオリジナルもお聴きになるようにお奨めします。このストリング・アレンジを聴いていると、まさにエキゾティカの原点はここにあると感じます。

レス・バクスターのプロとしてのスタートは、メル・トーメのバンドのサックス・プレイヤーだったそうで、へえ、調べてみるもんだねえ、でした。ナット・コールのかのMona Lisaのオーケストレーションも、バクスターによるものだなんて、ついさっきまで知りませんでした。まあ、バクスターはキャピトル所属のオーケストレーターなのだから、キャピトルのアーティストであるナット・コールのセッションで、オーケストラをコンダクトしても、なんの不思議もないのですが。

◆ 驚異の録音 ◆◆
わがHDDのエキゾティカを収めたフォルダーを検索して、月の曲を抜き出してみると、なかなか興味深いリストになったのですが、やはり数が多すぎて、あと1時間でこれをどうするんだよ、とゲシュタルト崩壊を起こしそうになりました。よって、以前からよく聴いていて、いまさら考える必要もない、レス・バクスターのMoon Moodsにしました。

当ブログでは何度もご紹介してきた、キャピトルのラウンジ・ミュージックを集めた、Ultra Loungeというオムニバス・シリーズがあります。クリスマス・ソング集も非常に出来がいいと思いますが、いちばん好きなのは、Autumn in New York by Felix Slatkinと、Skylark その1 by Tak Shindoで、すでに二度にわたってご紹介した、第3集Space Capadesです。

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こういうタイトルの盤が編まれるくらいで、50年代に、エキゾティカのすぐ隣で、というか、エキゾティカのサブ・ジャンルというべきかもしれませんが、スペース・サウンドのブームがありました。といっても、わたしが生まれる前から幼児期にかけてのことですから、まさか、当時のことは知りませんがね!

レス・バクスターのMoon Moodsという曲も、そういうブームのなかで生まれたものなのだろう、ぐらいに甘く考え、そういう先入観をもって、そのままこの原稿を書きはじめてしまったのです。で、泥棒を捕まえてから縄をなってみた、というか、泥棒に遭ってから納屋に鍵をかけたというか、調べみて、ひっくり返ってしまいました。Moon Moodsは、1947年リリースだというのです。

モノーラル録音なので、ハリウッドのオーケストラ・ミュージック(そのど真ん中にレス・バクスターがいた)を中心に起きた、1950年代終わりのステレオ・ブーム以前の録音だということは簡単にわかるのですが、音を聴いてのわたしの推測は1955年前後でした。1947年なんて、10年近く外しちゃっているわけで、ウッソー、ですよ。

それくらいに感じるほど録音がいいのです。1947年のキャピトルは、まだ、最初のスタジオを使っていたはずで、のちにエンジニアを泣かせた、現在も建っている(どころか、ハリウッドのランドマークになっている)キャピトル・タワーにあるスタジオではありません。もとラジオ放送局だったものを改造したスタジオでの録音です。

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メルローズ・アヴェニュー(サンタモニカ・ブールヴァードの一本南の道)5515番地にあった、キャピトルの最初の社屋。スタジオもこのなかにあった。

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メルローズ時代の録音機材(1940年代末)。現代の72トラック・マシンなどにくらべれば原始的もいいところだが、注目すべきはコンソール。ノブの列の数がほぼインプット数に等しいはずで、どうやら8インプットのコンソールらしい。この時代に8インプットは最先端で、これくらいはないと、Moon Moodsのサウンドはつくれない。右側はアンペクスのテープ・マシンだろう。3000か?

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エンジニア泣かせだった、キャピトル・タワーの新しいスタジオでの最初のレコーディング・セッション。こちらに背を向けているコンダクターはフランク・シナトラ!

なるほど、エンジニアたちが、タワーに引っ越してから、以前を懐かしんだというだけあって(そして、タワーの新しいスタジオはひどい鳴りで、竣工後に大改装せざるをえなくなった)、この古いスタジオの鳴りは非常によかったのであろうことが、レス・バクスターのMoon Moodsを聴くと実感できます。

◆ サウンドのフロンティア ◆◆
以前、レス・ポールのことを調べたとき、最初の多重録音による盤であるLoverが、1947年の録音だということを知って、なんとまあ、と呆れました。いったい、あんな未来的サウンドを、当時のリスナーはなんだと思って聴いたのだろうかと、考えこみましたよ。

しかしですねえ、同じ1947年のレス・バクスターのMoon Moodsだって、負けず劣らず未来的サウンドなのです。この盤のアーティスト名は、レス・バクスター・ウィズ・サミュエル・J・ホフマンとなっています。このホフマンという人がなにをしたかというと、テレミン(テルミン、セラミン、いろいろな表記があるが、ここではリーダーズ英和辞典の表記にしたがっておく。Thereminというスペルと、ロシア人の名前であるということから表記が面倒なことになっている)をプレイしているのです。

初期のテレミンの録音を聴くと、アヴァンギャルド・ミュージックみたいなものなのですが、ここではまともなラウンジ・ミュージックのコンテクストでプレイされています。ただし、男声コーラスのアレンジなんか、非常に現代的で、フォー・フレッシュメンのようなスタイルではありません。テレミンのスラーする音に合わせたヴォーカル・アレンジをしたのでしょう。

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テレミン博士とその発明

Moon Moodsが収録されたMusic Out of the Moonのアナログ・リップを配布しているところがあったので、アルバム全体(といってもオリジナルはSP盤のセット、その後、ミニLPとして1952年にリイシューがあり、わたしが聴いたのはこのリイシューのリップらしい)を聴いてみました。しかし、おおむね保守的なラウンジ・ミュージックで、やはり、Moon Moodsがもっとも出来がよいと感じます。

繰り返しますが、エキゾティカのはじまりが、レス・バクスターの1951年のQuiet Villageです。Moon Moodsはその4年前、レス・バクスターのキャピトルでのデビュー盤です。ということは、スペース・ミュージックは、エキゾティカの支店というわけではなく、むしろ、本店はスペース・ミュージックのほうであり、南国的エキゾティカのほうがその支店なのではないか、という気がしてきました。

SFをご存知の方なら思いだすことがあるはずです。かつてSFの多くは宇宙を舞台にしていました。エドガー・ライス・バローズとか、ああいうものです。それが、1960年代にJ・G・バラードの登場によって、「内宇宙」、イナー・スペースということがいわれるようになります。ほんとうのフロンティアは、「外宇宙」、アウター・スペースではない、人間の内面である、というのです。

エキゾティカも、ひょっとしたら、外宇宙の探求からスタートし、地球へと舞い戻ったのかもしれません。なーんて、妙なことを考えてしまうほど、1947年録音ということと、エキゾティカの巨匠、レス・バクスターがスペース・ミュージックでデビューしたことに驚いた、おぼろおぼろな満月の夜でした。

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Les Baxter

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by songsf4s | 2008-06-18 23:55 | Moons & Junes