カテゴリ:日本の雪の歌( 11 )
雪ちゃんは魔物だ by バートン・クレーン
タイトル
雪ちゃんは魔物だ
アーティスト
バートン・クレーン
ライター
Traditional, 森岩雄(日本語詞)
収録アルバム
バートン・クレーン作品集
リリース年
1931年(CD化2006年)
他のヴァージョン
Mississippi John Hurt, Jimmie Rodgers, Helen Morgan, Elvis Presley, Brook Benton, Sam Cooke, the Ventures, Merle Haggard
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は、本日の番外編でほんとうにホントの最終回です。わたしもよく、季節に関係のない曲をこじつけで無理矢理押し込みますが、心優しいTonieさんは、郷に入っては郷に従え、ここでも当ブログの悪習を踏襲され、最後はブラッシュ・ボールか、はたまた、スピッターかという「不正投球」を選ばれました。(席亭songsf4s敬白)

◆ 「雪の歌」番外編 ◆◆
たいがい、こういう企画では、最後に選外とか、番外編を選ぶのがスジというものでしょうから、「雪」にからむ日本の歌を、もう1曲取り上げさせてください。今回のお題「日本の“雪”の歌」にあわせて、最後はナックルボールで勝負です!

さて、ヒッチコックの『白い恐怖』ではないですが、雪が魔物と化した時にはどれほど恐ろしいか、雪国に住むものなら、だれでも一度や二度は体験していると思います。今回は、そういった、雪のもつ恐ろしさの一面に着目した作品を取り上げたいと思います。

古来、雪の恐ろしさを知らせるためには、日本では「雪女」という説明装置を作り、子供の外出を禁じるように機能させてきたものと思われます(異なる解釈もあるでしょうが)。「雪のワルツ」の三木鶏郎作品にも「泣く泣くかぐや姫」風の佳曲「雪女」(ダークダックス歌)がありますし、北原白秋作詞・團伊玖磨作曲による「雪女の歌」という曲もあるようです。

今回の曲は「雪女」からさらに「雪」を取り去っても、雪の恐ろしさと神聖で清い面が説明できる希有な曲です。「雪女」から「雪」を取り去ったら……「女」? そう、「雪」ちゃんの登場です!

◆ 「雪ちゃん」総ざらえ ◆◆
歌に限らず、「雪ちゃん」を総ざらえします。僕の年代で思い浮かぶ「雪ちゃん」は、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』に登場する森雪が筆頭でしょう。もう少し前の世代の方なら、藤田敏八監督の『修羅雪姫』(1973)の「お雪」、あるいは、「まつのき小唄」(1965)の二宮ゆき子でしょうか。

90年代中頃に深夜ラジオで時々かかっていた遠藤実作曲の「雪子のロック」(1967)は、シャングリラスにひけをとらない壮絶な事故ギミック作品ですが、当時聴いていた人はいらっしゃらないと思います。

『続青い山脈 雪子の巻』(1957)では、司葉子が「島崎雪子」を演じています。青い山脈は、このリメイク作品のあとも何度もリメイクされ(1963、1975、1988)、それぞれ「雪子」が登場します。もう少し遡って、轟“夕起子”は、雪子ではなく「ハナ子さん」(1943)を演じていました。

映画、歌謡曲より、昔の作品を手にしやすい書籍の世界に目を移すと、谷崎潤一郎『細雪』(1948)の「雪子」、永井荷風『濹東綺譚』(1937)の「お雪」などは、僕も読んだ印象深い「雪ちゃん」ものです。

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荷風散人作『濹東奇譚』より、木村庄八描く「お雪さん」の図。わたし(songsf4s)思うに、木村庄八の全画業のなかで『濹東奇譚』挿絵は抜きんでた傑作。いま思いだしたが、映画では山本富士子がお雪さんを演じていて、玉ノ井遊郭に山本富士子がいるもんかよ、と、玉ノ井なんか知らないくせに呆れてしまった。

そのサイトの意義と関係者の熱意に頭の下がる、青空文庫では、夢野久作「雪子さんの泥棒よけ」(1936)、樋口一葉「うつせみ」(1897)の「雪子」に出会うことが出来ます。なにが云いたいかというと、「雪ちゃんは魔物だ」が作られた1931年頃、雪ちゃんは普通の名前だったのだろう、ということです。

◆ バートン・クレーンの人となり ◆◆
f0147840_23403852.jpgバートン・クレーンがどういう人なのか、一言でいうと、片言日本語で歌う戦前の歌手です。本業は、英字新聞「ジャパン・アドバタイザー」紙の記者で、余興で歌った「酒がのみたい」という替え歌がコロムビア社長の目に止まり、以後10数枚のSPレコードをリリースしたというのだから面白い経歴です。

銀座を歩くと「どこの店からも、このレコード(クレーンの「酒がのみたい」)が聞こえてくる程流行っていた」(橋本淳「日本のジャズソング」解説より)そうですから、一世を風靡したのでしょう。2006年に復刻CDが出たので、その全貌を手軽に知ることができるようになりました。

◆ 「雪ちゃん」と太郎 ◆◆
それでは一番です。

雪ちゃんは魔物だ ニッコリ笑えば
太郎は目がくらんで ゴー・ストップにぶつかった
おお、雪ちゃん、君凄いネ

この曲は六番までありますが、起承転結が明快で、一番を見れば、二番以降の傾向がわかると思います。コード進行も明快です。信号をゴー・ストップというところに少し時代を感じますが、彼が外人だからこういう単語を使ったのか、この時代特有の呼び方なのかは分かりませんでした[songsf4s割り込み 「ゴー・ストップ」は一般に使われていた。ただし、自動信号機のみならず、手動信号機にもつかわれた形跡あり]。「お外にぶつかった」と歌っているように思ってました。

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日本橋白木屋デパート前の「自動信号機」。いざ昭和初期の信号機の写真を探してみると、なかなか見つからないもので、これはよりによって昭和8年の白木屋火災の際の写真。読めないだろうが、右から左に「シンゴー」と書いてある。それまでだれも知らないものだったのだから、書いておかないとなんだかわからなかったのだろう。尾張町交叉点(銀座4丁目)に自動信号機が設置された(こちらには漢字で「信号」と書いてあった)のが昭和6年のことだとか。それまでは交通整理の警官が手で合図するか、手動信号機を使っていたらしい。なお、今回の写真選択とキャプション文責はすべてsongsf4s。

「Frankie and Johnny」のコードタブにあたるとその多くがC-F-G(あるいはA-D-E、G-C-Dのいずれか。また、C-F-G7としているサイトもあった)で示されています。「雪が魔物と化した時にはどれほど恐ろしいか」を、これほど単純明快に歌い上げる歌を僕は他に知りません(^_^)。

なお、この太郎は、バートン・クレーンによって「♪太郎は一番の阿呆ですよ」(「コンスタンチノープル」)、「♪太郎はカフェーに行ったのよ」(「かわいそう」)と歌われる「太郎」と同一人物かどうかは定かではありません。

◆ 「雪ちゃん」と二郎 ◆◆
次に二番です。

雪ちゃんは魔物だ 色眼つかえば
二郎さんは天に登って 太陽に衝突
おお、雪ちゃん、君危ないネ

二郎さんも魔物にやられました。「二郎さん」こと坂上二郎が「飛びます、飛びます」とギャグをやるのを予見していた訳ではないでしょうけれど、天にも昇る気持ちが太陽まで届く諧謔性はたいしたものです。

ここで長めの間奏がはいり、バンジョーのリズムに合わせて、サックスがソロをとります。コロムビアジャズバンドは、当時の最高のジャズバンドだったようで、この曲は熱演ではないでしょうがそつなくこなしています。「日本のジャズソング」解説には、「トロンボーンはバートン・クレーンの時代は谷やん(谷口又士)だが、その以降は、みんな鶴やん(鶴田)のソロ」とあります。ただ、ドラムがいないのがちょっと残念です。

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雪ちゃんはどこだ? 今回は写真材料がないので、「雪ちゃんはどこだ?」と題して、昭和初期のご婦人たちの写真を集めてみた。Tonieさんのあずかり知らぬことで、すべてsongsf4sの仕業なり。なお、写真は本文と関係ありません!

◆ 「雪ちゃん」と三郎 ◆◆
そして三番。

雪ちゃんは魔物だ 泣いてみせれば
三郎さんは駆け出して 金庫を破った
おお、雪ちゃん、君罪だネ

はっぴいえんどの「かくれんぼ」でも登場した、三好達治の「雪」では太郎と次郎が登場しましたが、バートン・クレーンは三郎も四郎も登場させていきます。三郎が金庫を破るなど妙にシチュエーションが細かくて、金庫破りでも当時あったのでしょうか。80年近く前のことなのに、つい最近の出来事のように感じる、「画になる」出来事が短い詞に詰まっているので、僕は、バートン・クレーンの歌のことを「ポケット・シネマ・ソング」と名付けています。

◆ 「雪ちゃん」と四郎 ◆◆
さらに四番。

雪ちゃんは魔物だ 肘鉄砲すれば
四郎さんはガッカリ 汽車ポッポ往生
おお、雪ちゃん、君つれないネ

ひじ鉄砲と汽車ぽっぽ、の韻の踏み方はそりゃあんまりにも強引だろう、の出来です。ここで、二度目の長めの間奏がはいります。今度はバンジョー主体です。編曲者としてクレジットがあるハーバート・エルカという人がどういう人か不明です。

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雪ちゃんはどこだ2 「コロンビヤレコード銀座陳列所」だそうだが、レコードを売っていたのか、蓄音機を売っていたのか、はたまた「陳列」(なんの?)のみかは不明。写真は本文とは関係ありません。

◆ 「雪ちゃん」と五郎 ◆◆
さらに五番。

雪ちゃんは魔物だ 小唄謡えば
五郎さんはうっとりして アイスクリームになった
おお、雪ちゃん、君冷たいネ

全体に諧謔性に溢れる曲の中でこの歌詞が一番好きです。「私の鶯」でとりあげたサトウ・ハチローは、バートン・クレーンの「酒がのみたい」を「ああ、俺もこんな酔拂った歌が作りたい」といったそうですが、こんな甘い「Ice candy」ソング、僕も作ってみたいです。

◆ 「雪ちゃん」と六郎 ◆◆
〆の六番です。

雪ちゃんは魔物だ でもやっぱり女だ
六郎に惚れて 裸にされた
おお、雪ちゃん、君も憐れだネ

ここがオチになります。昭和初期は、モダニズムとエログロ・ナンセンスにあふれた時代といわれますが、この曲は最後のこのオチでその時代の色合いが濃く出ていると思います。この最後の歌詞を「♪君も哀れ。じゃーね」だと思っていて、延々と続く後奏に、格好も格好だし、ほったらかしにしないで早く終わってあげればいいのに、と余計な老婆心を起こしました。

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日活映画主題歌「エロ感時代の歌」楽譜。映画も歌もまったく知らないが、タイトルだけは仰天する。

いずれにせよ、こんな曲が戦前にあったと思うと、自分の戦前に対するイメージがガラリと変わり、心境的にも近しい過去として位置づけられました。「古いものは決して古くならない 新しいものだけが古くなる」と十九世紀のドイツの詩人リュッケルトが言ったそう(と、高田文夫氏が新聞で書いていた)ですが、自分が好んで聴いている曲は、実際の「音」を聞くと、古くなったというレッテルを貼られただけで、元々古かったわけではない、ワクワク出来る曲だと感じます(一部、あたまで変換してきいている部分もあるかもしれませんが)。

こうした戦前のユーモアソングの面白さを伝えることは、情報や選択肢が多いようで、とおり一遍のもの以外は聴きにくい音楽状況(ビジネス主体)に、風穴をあける効果もあると思います。

◆ 「雪ちゃん」と「Frankie and Johnny」 ◆◆
「雪ちゃんは魔物だ」の原曲であるFrankie and Johnnyには、エルヴィスやサム・クック、ブルック・ベントンなどのバージョンがあります。くわしくはここでどうぞ。

[songsf4s割り込み]

Tonieさんにかわって、うちにあるFrankie and Johnnyの各種ヴァージョンをご紹介します。

f0147840_0125496.jpgもっとも古いのは、1928年のミシシピー・ジョン・ハート盤ですが、これ、ほんとうにFrankie and Johnnyかなあ、と思うくらいで、他のヴァージョンとは歌詞もちがうし、メロディーも近縁性に乏しく、似ているのはタイトルだけです。まあ、デルタ・ブルーズにメロディーがあるか、といわれれば、ないも同然というしかなく、問題とすべきは歌詞だけですが、プロットは似ているものの、語句は別物です。

つぎは1929年のジミー・ロジャーズ盤。ジミー・ロジャーズといっても、50~60年代に活躍したポップ・シンガーではなく、カントリー・ヨーデラーのほうです。これは、なるほどエルヴィスがうたったのと同じ曲みたいだ、と感じます。歌詞もそこそこ似ています。

バートン・クレーンが参照した可能性があるのは以上の2種なのですが、どちらもあまり似ていないなあ、と思います。まさにトラッドとして、だれのヴァージョンということもなく覚えていたのではないでしょうか。

f0147840_0151536.jpgつぎは1934年のヘレン・モーガン盤。ハート、ロジャーズの泥臭さを完璧に殺菌消毒したソフィスティケーティッド・ヴァージョンで、ピアノとストリングスのみの室内楽的プレイをバックに、オペラ歌手のようにうたっています。室内楽的バッキングなのに、セヴンスの音を強調しているところが妙に現代的で、なかなかイケます。ストリングスでブルーズをやるというのは、当時としては画期的だったのではないでしょうか。

わたしがもっともよく聴いたのはサム・クック盤です。クック・セッションのレギュラー・プレイヤー/アレンジャーだった、ルネ・ホールのプレイと考えられる、ダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)が印象的。リッチー・ヴァレンズのLa Bambaの有名なダノ・イントロもホールのプレイです。

不思議なことに、フレージングは異なりますが、ブルック・ベントン盤にもダノが使われています。どちらかがどちらかを参照した可能性あり。だれだかは知らず、ドラムとベースのタイムがいいので、グルーヴに違和感なし。もちろん、ベントンは好みなので、ヴォーカルもけっこう。

f0147840_0173772.jpgエルヴィス・プレスリー盤は、1966年の映画『フランキーandジョニー』(カタカナとアルファベットが混在する汚い字面は当方の責任にあらず、輸入会社の不見識なり)のテーマとして使われたもので、ドラムはハル・ブレインでしょう。ビッグバンド・ドラミングとロック・ドラミングの中間的なスタイルで、面白いか面白くないかはさておき、興味深くはあるプレイ。

ヴェンチャーズ盤は当然インストですが、Frankie and Johnnyだかなんだかよくわかりません。つくる側もそう思ったのでしょう。女声コーラスがうしろで、繰り返し「フランキー・アンド・ジョニー」と叫んで、しきりにアイデンティティーを保証しています。それでもやっぱり、Frankie and Johnnyには聞こえないところがすごい! 要するに、どこのなにともつかない、出自不明の3コードのシンプルなリック・オリエンティッド・インスト。

f0147840_0223989.jpg1969年のマール・ハガード盤は、ジミー・ロジャーズのカヴァーを集めたアルバムに収録されたもの。エレクトリック(テレキャスター)、アコースティックともに、ギターがむちゃくちゃにうまくて、ヴォーカルなんかどうでもよくなっちゃいます。

メロディーはあるんだかないんだかあやふやで、「ホンにあなたは屁のようなお人」てなものだから、みんな適当に勝手なラインをうたっています。歌詞も、設定だけが同じで、字句はてんでんばらばらアネさんまちまち好き勝手。このあたりがトラッドのトラッドたる所以でしょう。しかし、この曲の面白さは歌詞にあるといってよく、その歌詞の設定だけは、「雪ちゃんは魔物だ」に引き継がれています。

思いだすのは、デル・シャノンのRunawayとその続篇であるHats Off to Larry(「ラリーに脱帽、彼はおまえをふった」)と、レスリー・ゴアのIt's My Partyとその続篇であるJudy's Turn to Cry(「こんどはジュディーが泣く番、ジョニーはわたしのところにもどってきた」)です。

60年代的常識では、悪い男または女が正篇で語り手をコケにし、続篇では一転、その悪者たちが天網恢々疎にして漏らさず天罰覿面勧善懲悪的にひどい目にあい、語り手は、ざまあ見ろ、と正編での溜飲をおおいに下げることになっています。しかし、Frankie and Johnnyおよび「雪ちゃんは魔物だ」においては、紙幅の都合か、昔の人は気が短かったのか、はたまた出し惜しみしない太っ腹だったのか、悪事と天罰がきちんとセットになった因果応報一回完結読切りという構造をとっています。

以上、songsf4sによる長ったらしい割り込みを終わり、Tonieさんの本文にもどります。

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雪ちゃんはどこだ3 「帝都舞踏場」における「盆踊舞踏大会」の景。踊っているのは当然「東京音頭」だろう。写真は本文とは関係ありません。

◆ おわりに ◆◆
本特集の途中で、songsf4sさんから「日本的なものと西洋音楽的なものの接点について語っている」というお言葉をいただきましたが、この曲などは、まさに接点の問題をいろいろな角度から眺められる曲なのではないかなと思います。

山川方夫「ジャンの新盆」のなかにこんなセリフがありました。

「古いしきたりの中の自分、民族的な血と歴史をもつ自分を捨てなければ、日本人には西欧的な自己はもちえません。でも、日本においては、日本を否定することこそ、もっとも日本的なことなのです。日本という国の文化も、いつもそのようにして育ってきました。だから文化的であろうとする日本人は、つねに日本のなかでひどく孤独になるのです」

「文化的」がいいことなのかわかりませんが、この言葉はすごくよく伝わります。でも、あまり西洋音楽が好きな日本人という「自己」に苛まされなくても、上の世代から伝えられた文化の蓄積を感じながら、昔の音楽も、現在進行形の音楽も、日本の音楽も、海外の音楽も同じように楽しむ。こんな21世紀型の“モダンで乙な”音楽とのつきあい方が出来る時代が、ネットの普及によって始まっているようにおもいます。

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雪ちゃんはどこだ4 銀座「美松」の「レコード・サービス・ガール」たち。なんのことかは不明だが、どうやらこの店では、美女がレコードや針を交換する(SP盤用の鉄針や竹針は頻繁に交換しなければならない)のもアトラクションの一部としていたらしい。写真は本文とは関係ありません。

しかし、「とおり一遍」の音楽以外を紹介するサイトは少ないように思いますし、その「とおり一遍」の音楽ですら、きちんと語られていない現実があります。アーティストと曲名だけで、詞の内容も作詞・作曲者も紹介されないことも多いですし、編曲者になるともっとすくなく、さらにミュージシャンとなるとほとんど皆無です。僕がsongsf4sさんのサイトを大好きなのは、songsf4sさんが“モダンで乙な”音楽とのつきあいを実践されたうえで、他人に伝える条件整備をされているところにあります。

軽い気持ちで請け負って始めましたが、1曲の内容検討だけでもそのかかる労力たるや大変なものがあると分かりました。読者の皆さんには、songsf4sさんの更新の邪魔をしまったことをお詫びするとともに、自分としてはとにかく楽しい勉強の日々を持たせて貰ったことに感謝しています。ありがとうございました。

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バートン・クレーン「ニッポン娘さん」。近年、もっとも衝撃を受けた曲のひとつ。思わず、「こんなところにCalifornia Girlsの原型があったとは!」なんて、あらぬことを叫んでしまった。

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by songsf4s | 2008-03-19 23:55 | 日本の雪の歌
私の鶯 by 李香蘭 その2
タイトル
私の鶯
アーティスト
李香蘭
ライター
サトウ・ハチロー、服部良一
収録アルバム
私の鶯
リリース年
1943年
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」、本日は「私の鶯」の後半です。

奇妙な偶然もあるものだと思ったのですが、一昨夜、就寝前にたまたま手に取った、鮎川哲也『貨客船殺人事件』の冒頭に収録された「夜の散歩者」に、つぎのようなくだりがありました。パーレン内も、わたしのお節介ではなく、著者自身による注です。

「ぼくらのあいだで議論になっているアラビエフ(正確にはアリャービエフ)はロシヤ歌曲の創始者といわれている半しろうとの音楽家だが、その作品としてあまねく知られているのは《うぐいす》一曲しかない。ボクはその理由をこれしか作曲しなかったからだといい、水木は、他に数多くの曲を書いたがたまたま《うぐいす》だけがヒットしたのだといった」

鮎川哲也は満州育ちであり、クラシック音楽の愛好者としても知られ、SP盤取引きの世界を舞台にした『沈黙の函』という長編も上梓しています。さて、そのアラビエフないしはアリャービエフの《うぐいす》が、本日の記事にどう関係してくるか、それは本文のほうでどうぞ。(席亭songsf4s敬白)

◆ クラシックと服部メロディ ◆◆
曲自体の解説は終了しました。ここからは、余談というか、「粉雪」と「鶯」をキーワードに、「私の鶯」という曲の背景に少し迫ってみたいと思います。

まず、『私の鶯』という映画の内容を紹介しないといけないのですが、結構複雑なので、ビデオのパッケージの梗概を引用します。

「ロシアの声楽家ディミトリらは、ロシア革命で祖国を追われ、冬の満州をさまよっていた。瀕死のところを、偶然、隅田という日本人に救われた。しかし、くつろぎも束の間、突然の銃声が軍閥間の戦闘の始まりを告げた。逃亡中に隅田の妻は死に、傷ついた隅田も娘満里子と別れ別れになってしまった。それから十八年、消息の知れなかった満里子は、ディミトリに育てられて美しい娘に成長していた……」

f0147840_1722276.jpgこの娘が李香蘭であるのは、いうまでもありません。映画は、ロシア語主体ですが、日本語のシーンもあり、ロシア語だけで作られた黒澤明の『デルスウザーラ』以上に独特です。映画だけでなく、曲全体に満ち溢れている雰囲気もまた独特です。いうならば、この曲はおおよそ今までのポップスの流れから出てきたとは思えない、孤高性とでもいうようなものを感じるのです。

例えるなら、服部良一メドレーとして、「一杯のコーヒーから」や「銀座カンカン娘」と一緒に歌われているところがまったく想像できない歌なのです。もちろん、後半部分に技巧が必要なところがあって、歌える人がなかなかいないというのはあるのでしょうが、それだけの問題ではないように思います。

この「孤高性」がこの歌のどこに起因するのか、1週間ほど、ずっと考えていました。この歌には、どこかピンと張りつめた空気のようなものが充満していますが、この曲自体や李香蘭が歌うという行為そのものについて、感傷的すぎるとかエキセントリックだとか、思ったことはありません。結論らしい結論は出ませんでしたが、「孤高」というのは、もう少し次元の異なる問題のように思うのです。

ポップスとクラシックとを区別して考えることが適当かどうか分かりませんが、僕がひとつ思いついたのは、この「私の鶯」だけは「音楽家、服部良一のクラシックへの憧れが凝縮されて、衒いなく具現化されている曲」だろうということです。服部良一のほかの数千曲は、○○ジャズ、○○ルンバ、○○ブルースなど、どんなジャンルの曲であれ、ポップスが基調にあるけれど、「私の鶯」だけは異なる、また、クラシックの素養のある李香蘭によって、その具現化が可能になった、と考えるのです。

f0147840_1751556.jpg『私の半生』によると、李香蘭は元来、体が丈夫でなく、肺浸潤を患って半年休学し、自宅静養する彼女を励ましてくれた、リューバ・モノソファ・グリーネッツという、ユダヤ系の白系ロシア人少女が同級にいました。そのリューバが、病弱の李香蘭に呼吸器をきたえる健康法として、「クラシック歌曲」を習うことをすすめ、知り合いのマダム・ポドレソフを紹介してくれたおかげで、のちの彼女があるといっています。

マダム・ポドレソフは、ミラノ音楽学校教授を父にもつイタリア人で、ロシア貴族のポドレソフと結婚し、オペラ歌手として帝政ロシア時代のオペラ座で活躍しました。ドラマチック・ソプラノの世界的な名手だったので、指導者としては指導者としても申し分なしだったと思います。

『私の半生』には、李香蘭が、日本の歌曲「荒城の月」を祖国への郷愁そのものととらえ、シューベルトの「セレナーデ」、ベートーベンの「イッヒ・リーベ・ディッヒ」、グリークの「ソルベージュの歌」をうたい、中国の哀歌「漁光曲」や民謡の「鳳陽歌」のメロディを好んだことが出てきます。こうした多様性が、李香蘭の歌をクラシックを基盤にしながらも、より幅広いものにしていたのではないでしょうか。

李香蘭の歌は、クラシックのプロと比較すると、多少、危うげで苦しそうな音程の所もあるのですが、それもふくめて僕は彼女の歌声が非常に好きです。ラケル・メレよりもマルタ・エゲルトよりも好きです。もっと深くクラシックを学んだ二葉あき子じゃダメだったかというと、二葉あき子には服部良一作曲の名作「バラのルムバ」があるから、あえてこの曲じゃなくてもいいじゃないですか、とお茶を濁し、意をくみとってもらえれば、と思います。

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◆ メッテル先生の教え子 ◆◆
服部良一は、自伝で「私の鶯」について以下のように語っています。

「このときは、島津保次郎監督とハルピンに渡って仕事をした。ハルピン交響楽団の指揮者シュワイコフスキー(名刺には酒愛好スキーとしゃれていた)をはじめ、全楽員の協力で楽しく現地録音することができた。ハルピン交響楽団はメッテル先生が育てた東洋有数のオーケストラである。メッテル先生の思い出も楽しい話題であった」

つまり、共通の師であるメッテル先生への思いや、先生に教わってきたクラシック曲への思いを録音に込めたのではないかということです。もしかすると、メッテル先生の先生、リムスキー-コルサコフの作った『ばらのとりこになった夜鳴き鶯』の話もしたかもしれません。

残念ながら、自伝などには、「私の鶯」のことは、あまり詳しくは書かれていませんので、思い入れのある曲ではないため記載が少ないのか、戦時中の満州についてのコメントを差し控えた結果、記述が少ないのか、あるいは、自伝に求められていたのが「日本のヒット曲」だったため、該当しなかったのか、そのあたりは分かりません。でも、この楽団との仕事に満足している様子は伝わってきますので、演奏はうまくいったと思っているのではないでしょうか。

◆ ハチローの「粉雪」 ◆◆
作詞についてはわからないところがあります。例えば、先に映画製作サイドで題名を決めて詞を依頼したのか、サトウ・ハチローが曲の題名(=映画の題名)を決めたのか、といったことです。また、詞先なのか、曲先なのかも、わかりません。

後述しますが、ボクは映画製作サイドで『私の鶯』という題を決めて、「雪の満州」に「春が来る」ような詩を書いてくれ、とプロットも示して依頼したのではないかなと思います。そして、曲にあわせて詞をつけたのではないでしょうか。

サトウ・ハチローは随筆集『落第坊主』で次のように書いています。

「ボクは、詩を先に書いて、作曲家に渡すこともあるが、たいていは曲を先へ書いてもらって、あとからボクが詞をつけている。曲がりなりにも譜が読めるから、この方法の方が便利なのだ」

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また、『ぼくは浅草の不良少年 実録サトウ・ハチロー伝』(玉川しんめい)でもこれを補強するエピソードがあげられています。同書に引用された「詩と童謡」誌の座談会で、藤浦洸、片岡忠男、古関裕而、藤田圭雄(たきお)は、次のように回想しています。

片柳 (サトウ・ハチローは)音楽学校だけは行かなかったと思うね。
古関 ところが音楽やるんですよね、ハチローさんは。詩人のなかで譜面をすぐ読めるのは、こちらの藤浦さんとハチローさんぐらいじゃないかと思うんですけれどもね。
藤浦 そうですよ。
古関 ですから詩をお願いして、曲が先にできますよね。譜面をお渡ししてちゃんと詩を作っていただけるのは、藤浦さんとサトウさんしかいなかったですね。マンドリンなんかおやりになったようですから。
藤浦 マンドリンじゃない、ギターだよ。
藤田 ええ、ギター、うまいですね。

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先の服部良一自伝には、「楽しく現地録音することができた」とあります。曲は日本で作って持って行ったものと思われますが、詞先か曲先かはわかりません。いずれにせよ、歌詞は「それ、まで」のところを除けばピッタリ合っていると思います。

f0147840_17173931.jpg「私の鶯」が作られた1943(昭和18)年は太平洋戦争のさなかで、満州を舞台にした歌も戦争に直結した内容が多いのに、この曲の歌詞が戦争とは関係のない、普遍性のあるものになっているのは、サトウ・ハチローらしい単語の選び方によるところも大きいと思います。満州(とその奥地)が戦地として題材にされるときは「吹雪」が使われますが、「私の鶯」の雪は「粉雪」です。「王道楽土」の精神にもとづき、満州に悪いイメージを持たせたくないという意図もあるのかもしれませんが、それ以上にサトウ・ハチローが「粉雪」という単語を好きなのだと思います。

サトウ・ハチローは、「わたしのうた」という詩のなかで 雪国のうたを好んで作るといっています。

「わたしは東京生まれの東京そだち(略) わたしがこのんで 雪国のうたをつくるのは どうやら二人(※)から受けついだ 血のせいらしい 血のせいらしい」※父母を指す。

そこで、サトウ・ハチローは、どんな雪の歌を作っているか、詩集をパラパラとあたると、以下のような詩が見つかります。

「日向の雪」という詩では、「長い窓に日がふるへる 路には はらり 雪が降り」、「粉雪」という詩では、「お使ひがへりの 路地口で 袖にかかったこな雪を さらりはらって ふと思ふ」

このように、いずれもはかない雪がうたわれていました。きわめつけは「こんこん粉雪」という詩です!

サトウ・ハチローは、雪国育ちではなく、東京生まれの東京そだちだから、「粉雪」のようなはかないものに目をやり、「ちいさい秋」だけじゃなく「ちいさい冬」も見つけられたのだと思います。

さらにこの詩をみていくと、「オーロラ」のところでも取り上げた、北原白秋の「さすらひの唄」の影が、チラチラと浮かんできます。「さすらひの唄」の「鐘が鳴ります 中空に」は「窓に映る大空 鐘に祈る心」と、「遠い燈も チラチラと」は「胸にともるあかりは誰も知らぬ燈火」と、プロット的には似ているのです。

オーロラの件はともかく、サトウ・ハチローは「さすらひの唄」からはじまる、大陸・曠野ソングの系譜(ゆうだいなもの、えいえん)をふまえた上で、自分の視点(ちっちゃいもの、はかなさ)で書いたことで、ディテールの細かい作品に仕上がったように思います。

◆ 「鶯」の鑑定 ◆◆
それでは、この「鶯」の正体に迫ってみます。

もともと、原作は大佛次郎『ハルビンの歌姫』とされていますが、映画の『私の鶯』という題は、撮影所側が命名したのか、サトウ・ハチローが考えたのかわかりませんでした。サトウ・ハチローは各種の資料にあまり登場しませんから、もともと映画製作サイドの岩崎昶と島津保次郎監督が考えるのが普通です。

ボクは以下のような道筋を考えました。

1)歌の上手い李香蘭を主演に据えて、音楽映画を撮ると決めた時点で、タイトルを「鶯」に決めたのじゃないか。理由としては、李香蘭は、コロムビアでは、「春鶯曲」を昭和16年に発売してるし、女性の歌声から「鶯」というキーワードを連想したのではないか。

2)万が一、サトウ・ハチローが鶯をキーワードにしたなら、彼の師である西條八十の『砂金』に収録されている「鶯」という詩の影響を受けた詩を書くに違いないが、まったく違う(『砂金』の「鶯」は月の夜のうぐいすの話)ので、詞の内容はタイトルにそって考えた。

3)万葉集以来、雪との親和性が高い春告鳥である「鶯」だが、服部良一は、この「鶯」を野口雨情作詞、中山晋平作曲の「鶯の夢」の「鶯」ととらえていない。

4)この曲のモチーフとなったのは、解説にもあったとおり、「夜鶯」=小夜鳴鳥=ナイティンゲイルだった。

5)メッテル先生の先生である、リムスキー・コルサコフの『ばらのとりこになった夜鳴き鶯』なども参考にしているかもしれないが、アリャビエフの『夜鳴き鶯』(Соловей)の展開には相当オッと思う部分がある。服部良一は「鶯」という題名をきいて、アリャビエフの曲をモチーフに作曲したのではないか。大陸では、ナイティンゲイルなのに、日本に来るとたんなる鶯に化けちゃう、これが日本らしい歌の取り込み方だ。

f0147840_17355925.jpg6)このあと黎錦光が作詞作曲した「夜來香」でも「鶯」は歌われているが、日本に来ると化ける。たとえば、「夜來香」の2番の歌詞、「我愛這夜色茫茫也愛著夜鶯歌唱」、佐伯“東京の屋根の下”孝夫作詞の「長き夜の泪 唄ううぐいすよ 恋の夢消えて 殘る夜來香」、藤浦“一杯のコーヒーから”洸「庭にうぐいすの 鳴く音もゆかしく 清い月影にゆれる夜來香」など。

というストーリーで締めくくるつもりでした。しかし、調べていく内に新たなことが分かったので、もうひとつ付け足します。『私の半生』によると、この映画の企画は次のようなものでした。

「もともとこの映画は、来日したハルビン・バレエ団の舞台に感激した島津監督が親しい友人の岩崎昶さんと一夜、ミュージカル映画の夢を語り合って構想を練り映画化を企画したのだった。非常時に許可が下りるはずはなかったのだが、二人のパトロン的な存在だった東宝の製作担当重役、森岩雄さんの政治力で、東宝と満映に働きかけた結果、満映作品という名目で当局も目をつむったものらしい」

そして、岩野裕一「『私の鶯』と音楽の都・ハルビン」(『李香蘭と東アジア』収録)によると、この映画の下敷きは『オーケストラの少女』だったそうです。同書には、1939年3月の新聞で「満州映画協会ではこの古い伝統と歴史を持つ哈爾濱交響楽団の映画化を企画しており、世界を“あツ”と云はせるやうな素晴らしい音楽映画を製作しやうと張り切つてゐる、勿論オール・スターキヤスト、テーマは“オーケストラの少女”満洲版になる模様」と報じられた、とあります。

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1938年のキネ旬ランキングでは、『オーケストラの少女』は洋画第二位でした。そして、なんと、この年の邦画第六位に豊田四郎監督の『鶯』という映画が入っているじゃないですか!!

この映画『鶯』の内容を見ると、「生き別れた娘を探す老婆や鶯売りなど様々な人々が集う」とありました。ん? 生き別れた娘! 『私の鶯』と同じようなシチュエーションです。岩崎昶と島津保次郎が『私の鶯』のモチーフにしたのは、豊田監督の『鶯』だったのではないでしょうか。

◆ 「私の鶯」の重層構造 ◆◆
最近読んだ本にこんなことがかいてありました。岡倉天心が『茶の本』で「西洋人は、日本が平和におだやかな技芸に耽っていたとき、野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国と呼んでいる」と憤っているというのです。

これについて、高橋和己は「その憤りは、やがて照り返して、日本に、そして私たちにおおいかぶさってくる。なぜなら、私達は、そうした西欧の目によって、自己の東洋における優位を確信し、自己を位置づけたからである」とコメントしています。

このように「私の鶯」という曲は、僕の仮説に従うなら、「日本」の映画(『鶯』)を参考にして、島津監督らが命名した題名(『私の鶯』)から作曲家が発想した「海外」の曲(「夜鶯」)をモチーフにする「日本の曲」という重層構造をもっている楽曲である、ということになります。

この重層構造を強く意識するということは、西洋の目だけで歌謡曲をみていないかという自問にも繋がります。極論すれば、日本の歌は、どれも東京ビートルズと地続きです。「私の鶯」は、「日本と海外の雪の歌」を映す、あわせ鏡のような存在としても、すごく重要に思っている曲なのです。

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満州タバコ「ASIA」のパッケージ。満鉄の「特急亜細亜号」をあしらっている。

参考資料
山口淑子『「李香蘭」を生きて』日本経済新聞社(2004)
羽田令子『李香蘭、そして私の満州体験 日本と中国のはざまで』社会評論社(2006)
四方田犬彦編『李香蘭と東アジア』東京大学出版会(2001)
山口淑子、藤原作弥『李香蘭 私の半生』新潮文庫(1990)
サトウハチロー『サトウハチロー詩集』ハルキ文庫(2004)
長田暁二ほか『サトウハチローのこころ』佼成出版社(2002)
サトウハチロー『落第坊主 サトウハチロー随筆集』R出版(1971)
サトウハチロー『サトウハチロー 僕の東京地図』ネット武蔵野(2005)
玉川しんめい『ぼくは浅草の不良少年 実録サトウ・ハチロー伝』作品社 (2005)
佐藤忠男『キネマと砲声-日中映画前史』リブロポート(1985)
山口猛『幻のキネマ満映 甘粕正彦と活動屋群像』平凡社ライブラリー(2006)
服部良一『ぼくの音楽人生』日本文芸社 (1993)
服部克久監修『服部良一の音楽王国』エイト社(1993)
CD『服部良一 僕の音楽人生』付属ライナーノート
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by songsf4s | 2008-03-17 23:44 | 日本の雪の歌
私の鶯 by 李香蘭 その1
タイトル
私の鶯
アーティスト
李香蘭
ライター
サトウ・ハチロー、服部良一
収録アルバム
私の鶯
リリース年
1943年
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集も残すところあとわずか、本日もやはり、この人たちが出てこなければ収まりがつかない、日本音楽史の大立て者、服部良一と李香蘭です。あとでたっぷり割り込みますので、ここは短く収め、さっそくどうぞ。(席亭songsf4s敬白)

◆ 「日本の雪の歌」 ◆◆
この「私の鶯」をもって、「日本の雪の歌」の“本”特集は終わりにさせていただきます。ただ、この曲が「日本の雪の歌」特集に相応しい曲と認定されるかどうかは、ブログ主のsongsf4sさんの御判定次第です。

なぜ「日本の雪の歌」の判定が必要なのか、その訳は後ほど述べることにして、今日も「そもそも論」から始めさせていただきます。

そもそも「日本の雪の歌」というのは、ジャンルとして、一般的には確立されていないようです。それは、次のような理由によるのでしょう。

1)日本の歌謡曲を取り上げるサイトの場合 「日本」という枕詞は不要なので、「雪の歌」または「冬の歌」に分類する。
2)洋邦問わず、自分の好みの音楽を取り上げるサイトの場合 「洋邦問わず」、「雪の歌」に分類することが多い。あえて区別するなら「外国の雪の歌」というように「日本以外」を排除するものと思われる。
3)海外の音楽を中心に扱うサイトの場合 「Snow」のつく曲の特集はあっても、「日本の雪」の曲を取り上げることは稀。

このため、「日本のうた」、「雪の歌」、「冬の歌」のヒット件数に対して、「日本の雪の歌」の合致件数は非常に少ないのです。例えば、google検索で「日本の雪の歌に一致する日本語のページ」は、「約183,000件」だそうですが、7位以降は「日本の歌」と「雪」の組み合わせでしたし、goo検索で合致した検索結果は6件でした(2008年3月3日現在)。

さらに一言つけ加えさせていただくなら、google検索の第1位~6位、goo検索の6件は、いずれもsongsf4sさんの本サイトでした! つまり、日本の雪の歌を特集しているのは、日本全国でもこのサイトしかないと言ってもあながちウソではなさそうなのです。

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(songsf4s注釈 少々弁解をします。このTonieさんの「日本の雪の歌」考を読んで、わたしはケラケラ笑いました。自分の姿というのは、やはり自分には見えないものです。わたしはまったく無意識に、なんの意図もなく「日本の雪の歌」という言葉を使っただけなのですが、はたから見ると違和感があるのでしょう。

わたしが限定修飾なしにただ「音楽」といったら、それは米英のビート・ミュージックのことです。したがって、それ以外の音楽については区別のための限定修飾が必要で、ブラジル音楽と同じような意味で、「日本の」と断りを入れる必要があったのです。ただの「雪の歌」では、米英のthe songs that refer to snowの意味になってしまいます。「ジャンル」をでっち上げたつもりはなく、たんに必要不可欠にして不可避な限定修飾のつもりでした。

その裏側には、一握りの例外はあるものの、ある時期からの日本音楽にまったく無関心で、事実上、聴いたことがない、なんの知識もないという、わたしという人間の特殊な事情があるのですが、その経緯は長くなるので略します。)

◆ 雪の歌 ◆◆
そんな中で、「雪の歌」を細分化すると、どんなジャンルに分かれるのかというのを、大胆不適にも試みてみました。

1)スキーの歌
2)雪の降る日本の歌
3)雪に気持ちを代弁させる歌
4)日本でない雪の降る場所の歌

「1」はウィンター・スポーツである“スキー”をとりあげた曲です。地球の引力に頼ったスピード競技であるスキーは、風を切る速さと移動する景色が特徴ですから、必然的に雪山の景色が歌われることになります。トニー・ザイラー「白銀は招くよ」は、アチラのものですが、この系譜の歌です(「お座敷小唄」で取り上げた和田弘とマヒナ・スターズも「白銀は招くよ」をやっていたようです。これ、聴いてみたい!)。

このほか、由利あけみ「雪山の歌」をいれていいか迷いますが、「♪山は白銀 朝日を浴びて」で有名な文部省唱歌「スキーの歌」にはじまって、有島通男「ヒュッテは招く」、灰田勝彦「白銀の山小舎で」、そして、小林旭「♪俺のスキーはウイスキー」(スキー小唄)へと繋がります!?

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トニー・ザイラーのシングル盤(オリジナルではない)、白銀の文字の上の白いシミのようなものは、シチューの食べこぼしではなく、この曲が雪の歌であることの証拠

「2」は「雪国」(主に北国)を取り上げた曲です。一年の半分ぐらい雪と付き合う、北海道・東北地方において、生活に密着した歌があっても、それほどおかしいことではありません。山形県鶴岡市の想い出ともいわれる、中田喜直作曲の「雪のふるまちを」(高英男、デューク・エイセスなど)や、東北地方の生活を題材にしたとおもわれる「♪燈火ちかく衣縫ふ母は(略)外は吹雪」の「冬の夜」などがあります。極めつけは「♪花が咲いた都の便り こちら雪と返す文」の三橋美智也「新庄節」(山形民謡)でしょうか? 雪が降らない地方で雪に憧れる歌というのもあるでしょうが、Darlene Loveの「White Christmas」しか思い浮かびませんでした……。

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「3」は、はっぴいえんど「かくれんぼ」で取り上げたので、それほど付け足すこともないのですが、実際に雪の降った時の情景を描いて、実はほかに言いたいことがある、ということが多いのだと思います。大分出身の伊勢正三によるイルカ「なごり雪」などもその流れでしょうか。極めつけは、佐野元春の、その名も「雪-あぁ世界は美しい」でしょう。この歌は「♪雪は雪 白い雪 白は白 変わらない」と、自明のことを繰り返すのですが、そのことによって、人々が雪に対して感じる様々な属性に、もう一度迫ろうとしているようにも思えます。

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最後の「4」は、雪の降っている日本ではないどこかを歌っている曲です。ここまで、李香蘭の「リ」の字も「私の鶯」の「ウ」の字も出てきませんが、「そもそも論」も終了間近、ようやく核心に迫って(?)きました。「日本の雪の歌」には、このタイプも意外に多いのではないかというのが、今日の主題なのです。

「国境を越えると……」と川端康成が「雪国」で書いた国境は、日本国としての国境ではなく、「お国」(越後と上野)の境だったのかもしれませんが、「雪」をテーマにした歌で、実際に国境にまつわる歌も多いのです。例えば、浅草美ち奴の「北満警備の唄」では「♪ここは満州最北の 流れは凍る九百余里 吹雪も暗らき黒龍江」と歌われますし、楠木繁夫の「興安吹雪」では「♪暮れる吹雪の興安嶺を 越えりゃ冷たい 他国の空よ」と歌われます。

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直接地名が出てこなくても、「他国」を歌った日本(語)の雪の歌も多数存在します。ちょっと毛色が違いますが、例えば、北原白秋作詞、山田耕筰作曲で、美空ひばりなども歌っている「ペチカ」という曲では「♪雪のふる夜は たのしいペチカ」と歌われます。しかし、日本には、「ペチカ」(暖炉)があって、薪をくべている家などごく少数でしょう。日本人なら「炬燵」が正当派なのです!

「ペチカ」は、大正13(1924)年、南満州教育会の依頼によって作られ、「満州唱歌集 尋常科第1・2学年」に掲載された歌のようです。この歌が作られたのは、満州国建国以前ですが、満州地方やその周辺を題材にした歌には、つねに「雪」がセットになっています。

ということで、ずいぶんと回り道をしました。「私の鶯」は、満州映画協会(満映)主体で、東宝映画が提携して1943年に製作された、映画『私の鶯』の劇中曲としてつくられたものなのです。製作期間16ヶ月、製作費が普通の映画の5倍、約25万円という超大作です。ロシア語で歌われたりする「コスモポリタン・ミュージカル」ですし、「満州の雪の歌」≠「日本の雪の歌」なところも多々あり、songsf4sさんの御判定をあおぐ次第であります!

◆ 「とんち教室」のリコーラン ◆◆
満州を語ることは一筋縄ではいきませんし、満州映画協会のつくる映画や曲を満州と切り離して考えることは出来ません。「五族協和」「王道楽土」などのスローガンがどう機能していたか、満州映画協会が何を宣伝・上映していたかについては、『キネマと砲声』、『幻のキネマ満映』、『哀愁の満州映画』といった詳細な研究書があるので省かせてもらいます。今回は、李香蘭の『私の半生』に「満映作品とはいうものの、実質的に日本の東宝の作品である」と書かれているのをたよりに、暫定的に「日本の雪の歌」の1曲として取り上げてもよかろうということで、先に進みます。

まずは、歌手の李香蘭について、少し触れてみます。“リコーラン”、そう、六代目春風亭柳橋が「とんち教室」で取り上げた、かの、李香蘭です(^_^)。

「とんち教室」のエピソードって? とおっしゃる方に、「服部良一自伝『ぼくの音楽人生』か、立川談志の『談志絶倒昭和落語家伝』に掲載されていますよ」と返すのもつっけんどんなので、説明させていただきます。これは「バカにつける薬はないか?」という質問に「リコウランを飲みなさい」と答え、「何処で売っていますか?」という再質問に「“蘇州薬局”で売ってます」とオチをつけたという、微笑ましいものです。ここで、談志は「李香蘭とあるが、『蘇州夜曲』は渡辺はま子だ」という趣旨のことをつけくわえています。

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「とんち教室」公開録音の春風亭柳橋(右端)

僕は、談志の音楽評は総じて好きですし、高く評価しています。映画では李香蘭がうたっても、レコードでは渡辺はま子がうたったのだから(作曲家と同じ会社の所属歌手しか吹き込めなかった)、この評は十分に頷けます(『私の半生』に、「男装の麗人」川島芳子が李香蘭に、「支那の夜」を盤が白くなるまで何百回も聴いたといった、という話が出てくる。だが、「支那の夜」もレコードでは渡辺はま子がうたった)。それでもやっぱり、今回だけは譲ることができません。「蘇州夜曲」は、断然、李香蘭です!!

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李香蘭については、songsf4sさんが、すでに取り上げていらっしゃいますので、2度目の登場ですし、前回、「李香蘭/山口淑子の半生はさまざまな形でフィクショナイズされていますし、自伝もあるので、ここではふれませんでした」とされているので、今回もそれを踏襲させて頂きます。なお、各種伝記等を読みましたが、最後に記した参考文献の中で、『李香蘭 私の半生』と評論集『李香蘭と東アジア』をオススメします。

◆ 孤高の曲のはじまり ◆◆
それでは曲にうつります。

イントロは、小サビのメロディからスタートします。前回の「雪のワルツ」でも書きましたが、イントロで歌のメロディがうまく引用されていると、歌が出てきた時にすんなり、その既“聴”感にのっかれるので、嬉しいです。そして、フルートが、たっぷりと「鶯」の音をさえずります。ここでの鶯は「ホーホケキョ」ではなくて、「チョチョチョチョ、チチチチ」といった鳴き声です。ここまで約30秒弱。出し惜しみしないお得感たっぷりなイントロでした。

まず、ファースト・ヴァース。

霧の深い宵も 粉雪積もる夜半も
過ぎし昔偲びて 思い抱きて歌うは
いとし私の鶯か 夜毎夢にみる

非常にゆったりとしたリズムで、ソプラノ歌手にしては低い音程で「きーりも ふーかい」と寒い情景を、李香蘭が歌い出します。同じ服部メロディでも、「霧の十字路」のような服部ブルースの王道路線とも異なる、独特の愁いを帯びていて、他のどの曲とも違う「孤高性」を有しています。

二行目は一行目のメロディが明るめに変更されるのですが、最後の「歌うは」にどんな思いを込めて「歌う」ことが出来るかがポイントになると思います。技巧なのか一生懸命なのかの区別は難しいところですが、李香蘭は「歌う」の最初の「う」を少しあげたりさげたりして、うまく表現しています。

「いとし私の鶯か」のメロディはイントロにもつかわれたものです。「♪私しゃ満州の梅の花 李香蘭さん このまちの“鶯”よ 春に鳴くのを 待ちかねて コーオリャ 雛鳥のうちから 通って来る」(「真室川音頭」替え歌、tonie作)ではないですが、実際に李香蘭が「鶯」になっていくのは次のヴァースからです。

◆ 春が来る ◆◆

聞け あれは雨の振る音
聞け 風の音もするよ

暗い冬は過ぎて
花の咲く春が来る
ああヤイヤイヤイヤイヤイ それまで……

急転直下、非常に速いテンポになります。「きーけ」で一瞬溜めたあと、ロシア民謡の「コロブチカ」がモチーフにされたようなメロディーで「かぜのー、おともー、するよー」と一気に冬を歌います。

f0147840_17172119.jpg2度目の「きけー」以降は、TVゲームのテトリスでブロックが積み上がって終了間際の瀬戸際プレイをしている時の「カリンカ」の調べのように、さらにテンポアップします。前のヴァースでは「きーりの、ふーかい」と真ん中を延ばしていたのですが、ここでは、畳みかけるようにうたったあとの語尾を延ばすので、そのテンポアップぶりが際だちます。

そして一転して「暗い冬」の箇所が過ぎると、落ち着きを取り戻して春を高らかに歌い上げます。「春が来る」がサビといえるでしょう。そのあと、「そーれ まーでー」とちょうど息継ぎにかかっちゃっているので、お囃子の「あ、ソレ」のようにも聞こえてしまうところはご愛嬌です。

◆ さすらひの満州 ◆◆
以下、2番です。2番では、フルートのほか、ピアノも加わりますが、これも効果的に響きます。ここで、「私の鶯」を所有されている方、歌詞カードを見ずに聞き取りをしてみてください。この2番では、李香蘭の歌にあわせて、フルートが、2羽目の鶯として、ハミングしてくれています。時としてメロディよりもこちらが気になるぐらいですが、これに、あまり惑わされずにお願いします。

窓に映る大空 鐘に祈る心
胸にともるあかりは 誰も知らぬ燈火
何故か我が鶯は 羽根をふるわせて

いかがだったでしょうか? 僕は、ずっと歌詞を間違えて、「大空」を「北極光(オーロラ)」とおもって聞き続けてきたのです。大好きな曲といいながら、オソマツ……。「ペチカ」の作者でもある北原白秋作詞の「さすらひの唄」に、「♪行こか 戻ろか 北極光(オーロラ)の下を 露西亜(ロシア)は北国 はてしらず」という一節があります。僕は「私の鶯」をこの系譜でとらえたのか、「日本」のことを歌ったものではないなと思ってました。「だーれも」でなく「だれーも しーらぬ」と1番と節回しを変えているところが印象的です。

◆ 鈴の音ひびく大陸 ◆◆

聞け あれは馬車のゆく音
聞け 鈴の音もするよ

はっぴいえんどの「鈴」ではないですが、どんな鈴の音がなるか、ということで、日本的かどうかが決まるものです。この歌は「馬車の鈴」が響く、大陸・曠野ソングの系譜にあたります。満州帰りの歌手、東海林太郎の「国境の町」(「♪橇の鈴さえ 寂しく響く 雪の曠野よ 町の灯よ」)などの流れです。サトウハチロー、服部良一コンビ「いとしあの星」(「♪馬車が行く行く夕風に」)の路線を推し進めたものといえるでしょう。

「いとしあの星」は、映画『白蘭の歌』(昭和14年)の主題歌で、李香蘭は、李“雪”香という純情可憐な中国娘の役で主演しました。虎ノ門の満鉄東京支社で行われたこの映画の記者発表で、李香蘭は、東宝の森岩雄(戦後、副社長)とともに出席していた岩崎昶(=あきら、映画『私の鶯』の製作者)に会ったそうです。

いずこからの便り 東から春は来る
ああイヤイヤイヤイヤイヤ
アハハハハハア
ああああアハハハア

「いずこ」も「東」も「日本」を意味すると思われます。東から「春(救い)が来る」という締めくくりは、サトウハチローでなく、制作側が日本の検閲に備えて要請したものかもしれません。

最後に李香蘭の鶯が大全開で、ホーホケキョとなかずに、「ヤイヤイヤイヤイヤイ ヤハハハハハッ」とwarbleするのです。

瀬川昌久はライナーノートに以下のように書いています。

音域の広いセミクラシカルな香りのする叙情歌で、服部のアレンジもシンフォニックな楽器を用いた本格的な手法でオペラのアリアのような香気にみちている。李香蘭も、精一杯、正統的な発声で歌いきり、終わりの部「ヤイヤイヤイヤイ ハハハハ……」のくだりのコロラトゥーラ・ソプラノも立派なモノだ。嘗てのスペイン出身の歌姫ラケル・メレを想起させる。当時のコロムビアの資料を見ると「マルタ・エゲルトの『夜の鶯』をしのぐ名唱!」とある。

そうです! 李香蘭は、夜鳴く鶯、小夜鳴鳥(ナイティンゲイル)だったのです、「ナイティンゲイルは代表的な鳴鳥で、春告げ鳥でもある」とJoanie Sommersの「It Might As Well Be Spring」ですでにsongsf4sさんが書かれていますが、どんな鳴き声だったっけ、とお忘れの方、Paul McCartneyの手になる、The Everly Brothersの「On the Wings of a Nightingale」をオススメします。詞は羽ばたきですが、イントロにさえずりが入っています!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

例によって文字数制限のため、後半は明日に持ち越しとさせていただきます。(席亭songsf4s敬白)
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by songsf4s | 2008-03-16 23:09 | 日本の雪の歌
雪のワルツ by 楠トシエ その2
タイトル
雪のワルツ
アーティスト
楠トシエ
ライター
三木鶏郎
収録アルバム
トリロー・コレクション 三木鶏郎集大成CD
リリース年
1952年(CD化1991年)
他のヴァージョン
different versions of the same artist, 湯川潮音
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集、本日は昨日に引きづき、三木鶏郎作「雪のワルツ」の後半です。

十年近い昔、Tonieさんと知り合ったころ、トリロー話をしていてビックリしたのは、九段にある、かの「トリ小屋」を訪問したことがある、という話で、わたしのような、気楽なつまみ食いトリロー・ファンとはちがうのだと恐れ入ってしまいました。

ご不在だったか、あるいはすでに亡くなられたあとだったか、御大のご尊顔を拝したわけではなく、夫人にお話をうかがったということでしたが、わたしは、そのほうがよかったのだ、と思いました。「研究」においては、直接に第一当事者を知ることは、益よりも害のほうが多いと信じているからです。

そんなこともあって、Tonieさんがトリローという「絶滅種」(かつてはレッド・データ・ブックの筆頭に掲載されるべき「絶滅危惧種」だったのだが、残念ながら「危惧」がとれてしまった)について、豊富な「フィールド・ワーク」にもとづく知見をどのように組み立て、提示されるかは、原稿をお願いしたわたし自身、おおいなる興味をもって待ち望んでいたものです。(席亭songsf4s敬白)

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三木鶏郎と楠トシエ

◆ 雪の降る街に ◆◆
今回は、「雪のワルツ」の各種録音のなかでも、一番愛聴している、鶏郎自身の編曲による「NHKユーモア劇場版」をとりあげます。

この曲のイントロですが、雪がひらひらと舞うようにヴァイオリンのヴィブラートに合わせて、鉄琴とピアノが参加して、曲の始まりを奏でます。このあと、ヴィオラかなにかがメロディを弾くんですが、もうここで最初の1節の後半部分のメロディが聴けてしまうのです。お得ですね。

まず、最初のヴァース。

雪がつもる 静かな街に
かげも淋し 窓の灯

「雪のワルツ」は、“ワルツ”なので、3拍子のリズムにあわせて、歌が歌われます。ヴァイオリンのピチカートが印象的ですが、「スケーターズ・ワルツ」のように、軽快ではなく、もう少ししっとりとしています。

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トリロー歌集 1~4まで出ていた模様。歌詞を読んでみたい人も必見。

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「トリロー歌集2」収録の「雪のワルツ」譜面(部分)。Slow Walzと指定されている。

トリロー歌集の楽譜を見て頂ければ、わかるとおもいますが、最初に一拍あってから、「ゆき/がー・つも/るー・しず/かー・なまち/にー」というように、二分音符と八分音符の組み合わせ、付点四分音符と八分音符の組み合わせなど、形を変えながらも、静かに静かに雪が積もっていきます。ワルツが3拍子だからか「ゆきが(3)つもる(3)」と3音・3音から始まっています。トリロー作詞のトニー谷「冬が/きたよ」でもそうですが、五七調でなく、三三で繋いでいくというのは、トリロー作詞手法のひとつでしょう。

トリロー歌集には、コード進行も掲載されています。「僕は特急の機関士で」ではG7とC6の繰り返しばかりなのですが、この曲は、もっと複雑で、D7-Gm-Bb-D7-Cm-Bb6-Ebmaj7といった進行をします。コード進行については、詳しくないので、songsf4sさんに補足して頂きたいところですが、この曲全体に通底するのセンチメンタルな甘さは、「かげも淋し」の包み込むような甘さ(Cmのところ)に起因するのではないかと思っています。

(songsf4s注釈 お呼びなので、しゃしゃり出ます。細かいことはのちほどコメントに書くとして、ここでは一点だけ。セヴンスからはじまるというのは、日本の曲、とりわけ昭和20年代までのものとしては異例でしょう。『三木鶏郎回想録』には、日本的な、暗い心情をうたう曲への嫌悪が繰り返し表明されていますが、それが、こういう感傷的なバラッドを、マイナーではなく、セヴンスではじめるということにもあらわれたと感じます。)

◆ 白い夢 ◆◆

白い夢は まださめやらぬ
涙ぐむは 雪の夜

「白い夢」の「白」は雪からの連想なのでしょう。江戸川乱歩じゃないですが、どうしても「白日夢」あるいは「白昼夢」という単語を思い起こしてしまいます。今までの「雪が積もった街と窓の灯り」が現実だったのでしょうか、「雪の夜」の光景を夢見る、デイ・ドリーム・ビリーバーなので「さめやらぬ」といっているのでしょうか。どうやら主人公は夢想家のようです。最後の音をレからシのフラットに下げることをのぞき、メロディは前の8小節と同じです。

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『冗談十年・続々』より 歌集の楽譜より、こちらの方が、前節と同じメロディだとわかる。

◆ 思いでのクリスマスは、青色 ◆◆

ああ 思いで嬉し クリスマス
ああ はなやかな宴も
踊りも 歌ごえも いつか 消えて

ここがサビですが、「踊り」や「歌声」のところまでメロディも盛り上がります。そして、「消えて」でプッツリと音も断ち切られます。ワルツは、ドイツ語の転がす(回転する)という動詞「waltzen」から派生したものだそうで、体を回す踊りだそうですが、ここではもうクリスマスパーティが終わっていますので、舞い踊っているのは「雪」だけということになります。

このクリスマスがどんなクリスマスだったか、あまり説明されませんので、「思いで」が一時だけの美化されたものなのか、いまだにクリスマスの嬉しさが継続中のなのか、各自が意味づけ出来るものです。継続中なら、わざわざ想い出にすることはないでしょうから、今の状況は推して知るべし、です。

そして、最初の2節が再度繰り返されます。

雪がつもる 静かな街に
かげも淋し 窓の灯
白い夢は まださめやらぬ
涙ぐむは 雪の夜

同じ歌詞でも、2度目になると、今までインプットされた情景や歌詞が頭に浮かびます。しかも、楠木トシエが情感豊かに歌うので、「窓」も「雪」も思い入れを持って聴くことが出来ます。

ここまで、歌手楠トシエに触れてきませんでしたが、トリロー・ソングとの相性が一番よい歌手は楠トシエだと思います。単に譜面が読めたから採用された、というようなことではなく、その声の明るさ、音のハネ具合などどれをとっても、三木鶏郎ヒットの影には楠トシエあり、というように思いますので、2007年末にトリローソング満載で復刻CDが出たのは喜ばしいことでした。放送用の歌は、ここまでです。非常に短いですが、実に味わい深い名曲だと思います。

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『ビンちゃんの四季ー楠トシエ ホーム・ソング集』、『“元祖コマソンの女王” 楠トシエ大全』

◆ 2番もあるでヨ ◆◆
ハヤシもあるでヨ、のCMではないですが、この曲には2番もあるのです。CM曲など、2番まで放送されない場合が多いと思うのですが、多作で忙しいはずの三木鶏郎はきちんと作ります。4番まであるのは、当たり前。5~6番まで歌詞がある例もザラにあります。

トリロー歌集の同じページに載っている「ゆうべミミズのなく音を聞いた(どなたになにを)」は、サトウハチロー作詞ですが、福助の足袋のCMに使われていた曲で、2番までしか歌われていません。しかし、歌集によると詞は5番までありますから、鶏郎だけに限ったことではないかもしれません。あとの4番分の重みが、どこかしら1番にも凝縮されて表れてくるものですよね。「鉄道唱歌」とはそういうものかもしれませんが、「僕は特急の機関士で」など、東海道編だとか、北海道編だとかああって、それぞれ5番も10番も歌詞があるんですから、全部で何番あるかなんて数えられません!

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『オリジナル版 懐かしのCMソング大全1951~1959』には、足袋CMをはじめとして、鶏郎作曲の曲が山のように入っている。

この2番を音で聴きたいなと思った人は、湯川潮音によるカヴァーバージョンで聴くことが出来ます。浮遊感のある声が雪の間から見え隠れするような曲で、アレンジも放送バージョンを意識したピチカートを多用したサウンドで非常に好感がもてます。少しマイナー調に寄りかかっているキライはあるものの、キャラがそういうキャラなのだろうから、それはそれでよしです。

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ジャケットに「雪」がないのに、題名に「雪のワルツ」と書かれているのが、印象的

◆ 「雪のしずく」と「足音」 ◆◆
それでは2番を総ざらえして、ざっとみていきます。最初の節は、次のようにして始まります。

雪の道を 二人で歩む
甘く影は よりそう
雪のしづく それとも涙
君のほほに ひかるよ

一番では楽しいパーティー(学校の同級生とのパーティーなど)から帰ってきて、「咳をしても一人」だとふと気付く、いうなら「一対多」の関係も思い浮かべることが出来ましたが、二番の歌詞をみるとそうはいきません。道を二人で歩むのですから、一対一、僕と君、「二人」の関係を歌った歌です。しかし、涙が光っているのが自分ではなく「君」の頬ですから、単なる「失恋」ソングではないです。僕が振ったなら、ロマンチックに思い出すこともないでしょうし、この二人の関係が、深い味わいを醸し出しています。「雪のしづく」なんて、言葉遣いからして「おー、ロマンチック」です。

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『冗談十年・続々』にも、1952年は非常に充実した年で、三越劇場で行われた『コンロン山の人々』というのは、鶏郎本人も「今思いだしても胸のすくようないい仕事」だったと評している。楽譜が残っているのであれば、何らかの形で復刻されることを願っている。

ああ 思い出悲し クリスマス
ああ 去りしあの夜の君
姿も 面影も 今は遠く

一番と同じ歌詞のようですが、思い出が、嬉しいものから「悲しい」ものになっています。ボビー・ソロではないですが、「ほほにかかる涙」の君はさってしまったのです。

◆ 鶏郎の決意と ◆◆
そして、最後のヴァースです。

雪の上に 足音淡く
同じ道を たどるよ
雪のつもる 静かな街に
ひとり淋し わが影

まず、雪上に付いている「足跡」ではなく、「足音」というところが、いかにも音楽的です。そして、この「同じ道」を歩いた「二人」の光景には、「人生」を重ね合わせて考えることが出来ます。それだけに、道を題材にしただけでメランコリックな曲に仕上がるともいえます。

ディック・ミネの「人生の並木道」、灰田勝彦の「森の小径」、(ボビー・ダーリン「初恋の並木道」も?)など、「道」の出てくる歌が、人生でも思い出深い、道しるべとなることもあるでしょう。

この曲は2番に記されたこの日の道への思いが1番に凝縮されていて、雪の合間からチラチラと覗くからこそ、1番のみで完結する「NHKユーモア劇場版」が素晴らしいのだと思います。

f0147840_2355721.jpg実は、この曲を作曲した原点といえるエピソードが自伝『三木鶏郎回想録』に掲載されています。それは、戦時中のある「雪の夜」の、ある女性のエピソードなのですが、自伝全体の中でも一番読ませる部分だと思います(そして、この女性との恋愛こそが、鶏郎に自伝をかかせた源泉と僕は考えています)。

鶏郎と友人(学校の同級生や後輩など)とで作った、人形劇団「貝殻座」の第一回公演が終了し、感動と興奮がさめやらぬなか、スタッフがいなくなって、彼女と二人きりになり、戸外に出ると一面銀世界というシチュエーションです。興味があれば、古本屋で購入するなり、図書館で借りるなりして、自伝を実際に読んでいただけたらと思いますが、その最後の部分を引用させてもらい、「雪のワルツ」礼賛に変えさせて頂きます。

「あなたと二人で歩くこの道、すてきね、夢の中みたい。この道どこまでも続くと良いわね」
この夜の印象はいつまでも忘れがたいものとなって、戦後私の書いた作品の中に蘇る。
「雪のワルツ」がそれだ。
♪雪が積もる 静かな町に……

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雪のワルツはもちろん自選ポピュラーベスト30に入っている

◆ 今週の冗談ヒットメロディは? ◆◆
最後にバージョン違いを見ていきます。「雪のワルツ」にはいくつかのバージョンがあります。三木鶏郎の「雪のワルツ」とチャイコフスキーの「雪のワルツ(くるみ割り人形より)」と柳月の「雪のワルツ」……。いやいや、あくまでも三木鶏郎の「雪のワルツ」の話です。去年発売された「ビンちゃんの四季-楠トシエ ホーム・ソング集」収録の片山光俊編曲バージョン、同じく去年発売された「“元祖コマソンの女王” 楠トシエ大全」収録の小谷肇編曲バージョン、そして「NHKユーモア劇場」バージョンの3つとなります。

片山光俊編曲、小谷肇編曲はいずれも同じようなゴージャスなオーケストレーションが入っていますが、シンプルな鶏郎編曲の「NHKユーモア劇場」版の方が音に厚みを感じます。

厳密にいうと、「NHKユーモア劇場版」版も、収録アルバムによって違いがあります。「トリロー娯楽版-三木鶏郎と仲間たち-」(以下、「娯楽版」)、「三木鶏郎集大成CD トリロー・コレクション 音楽作品集Vol.1」(以下、「作品集1」、自伝についていたCD「三木鶏郎傑作選」(以下、「自伝CD」)の3種類があります。

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「トリロー娯楽版」

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「三木鶏郎集大成CD トリロー・コレクション 音楽作品集 Vol.1」

「娯楽版」には、放送に使われた音源が、そのままはいっているものと思われます。つまり、演奏前に前フリが入っています。ナレーションが少し早口で、「今週の冗談ヒットメロディは、三木鶏郎作詞・作曲『雪のワルツ』」と紹介してから「♪雪が~」と曲が始まるのです。

ここで少し面白いのは、普通歌を歌うときは、「歌手」を紹介するのが通例だと思うのですが、作詞・作曲を誰がしたか、というのを紹介しているところです。作曲家の特集番組ででもなければ、あんまりこういった紹介の仕方はされないですよね。作家のエゴといわれれば、そうかもしれませんが、それよりも、「ユーモア劇場」という放送自体が、トリローというキャラクターを前面に出した人気番組だったという証拠なのではないかなと思います。

f0147840_2395878.jpg「作品集1」と「自伝CD」では、いずれもこのナレーションがカットされています。秒数が1、2秒違いますが、聴いている限り、それほど違いは分からないので、多分曲が終わってからの空白部分をツマむか、どうかの違いではないでしょうか。何度も聞くときには、こちらのナレーションなしの方が聞きやすいのですが、残念なところがひとつあります。というのは、ナレーションに少しだけ、最初のピアノの一音がカブってしまっていて、ナレーションをカットすることで、ピアノの最初の1音が少しカットされてしまって、このピアノの低音が、いわば残響から入っているのです。

毎回ナレーションを聴くのも飽きちゃうけれど、曲だけは何度も聴きたい方は、「自伝CD」をもとに、頭の中で多少ピアノの音を補正して聴くことをオススメします(^_^)。現在入手できる「楠トシエ大全」の「雪のワルツ」にピンと来なかったかたも、鶏郎編曲バージョンの「雪のワルツ」はビビッとくるかもしれないので、ネット配信でも傑作集復刻でもかまわないので、この「雪のワルツ」の鶏郎版が気軽に聴けるようになると良いな、と切に願っています。

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『三木鶏郎回想録』(平凡社刊)より

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by songsf4s | 2008-03-14 23:54 | 日本の雪の歌
雪のワルツ by 楠トシエ その1
タイトル
雪のワルツ
アーティスト
楠トシエ
ライター
三木鶏郎
収録アルバム
トリロー娯楽版 -三木鶏郎と仲間たち-
リリース年
1952年(CD化1991年)
他のヴァージョン
different versions of the same artist, 湯川潮音
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お約束どおり、本日から、ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集の後半をお送りします。後半の第1弾は、どうしたってこの人が登場しなければ収まりがつかない、三木鶏郎の作品です。(席亭songsf4s敬白)

◆ リリカルなトリロー・ソング ◆◆
本州では、もう「降雪」は遠い過去の出来事なのでしょうが、北の地では、いまだに毎日現在形であります。そこで、「日本の雪の歌」特集を、もう1、2曲、続けさせていただきます。灰田勝彦の「新雪」を聴いていたら、無性に彼の歌う三木鶏郎作曲の「涙はどんな色でしょか」を聴きたくなり、すっかりトリロー・モードになりましたので、三木鶏郎の曲からスター
トです。三木鶏郎の楽曲は、songsf4sさんが、既にナンシー梅木「Ice Candy」フランキー堺「風速50米」を取り上げているので、3度目の登場になります。

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パフォーマーとしての三木トリローではなく、作曲家・三木鶏郎のポートレイトというべきか?

なんでも、三木鶏郎は、自身の音楽作品をジャンル別に分類していたそうでして、「アイスキャンデー」と「雪のワルツ」の2曲は、いずれもリリカルソング(LILIC)と分類された楽曲です。三木鶏郎といえば、「田舎のバス」や「僕は特急の機関士で」といったコミカルな楽曲の印象が強いですが、このリリカルソング群をみると、上記の2曲以外にも「ゆらりろの歌」や「燃えろペチカ」など、名曲が揃っていることがわかります(リリカルソング一覧は、ほぼ日刊イトイ新聞より)。

◆ トリローの雪景色、あるいは「田園の憂鬱」 ◆◆
それでは、トリローの描く雪景色は「どんな色」なのでしょうか。

例えば、三木鶏郎作詞・作曲の歌で、歌い出しの1節に「雪」のでてくる歌には、こんなものがあります。

「わたしゃ雪国 薬売り~♪」宮城まり子の「毒けしぁいらんかね」
「越後のネ 雪の中~♪」岡田茉莉子の「角兵衛獅子の唄」

どちらも雪の降る地域を形容するために雪が使われている楽曲ですので、これじゃあ「日本の雪国の歌」です。薬売りの仕事の苦労は「あーの山越えて、谷越えて」と軽快に歌われますし、いずれの曲も冬の間雪に閉ざされた、暗い裏日本の心情を偲ばせるマイナー調の楽曲、というようなものにはなっていません。

ただ、三木鶏郎が日本海側のこれらの県についてどんな印象を持っていたかというと、田舎暮らしは自分にはあわない、と思っていたようです。三木鶏郎は、大学を卒業後(昭和15年3月)すぐに、化学会社の富山工場に勤務していましたが、富山の風景を見てベートーベンの「田園」を口ずさんだりはしたものの、週末は毎週のように東京に帰っていたということです。半年ばかりの勤務ののち、徴兵があり、雪国をあとにします。戦後になって、会社に復職するか迷っているときに、ブラスバンドが演奏するスーザの「星条旗よ永遠なれ」をきき、音楽の道に往くことを決心した、というのは、トリロー・ファンにとって大事なエピソードです。

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『三木鶏郎回想録』(平凡社)より。「指揮をする」とあるので、中央の人物がトリローか。

◆ 「雪の歌」は何にSnow ◆◆
「雪国」ではなく「雪」の歌はないのかと、もう少し調べて出てくるのはこんな歌です。

「寒い冬には白い富士 オヤジが言うには 雪でSNOW
  暑い夏には空に虹 七色ながめて かくRAINBOW~♪」


三木鶏郎の「僕は英語の習いたて」という面白い歌詞の歌でした。これは、songsf4sさんがすでに取り上げられている「サンタクロース・アイ・アム・橇」での「♪可愛い寝顔 素敵ざんスノオ(Snow)」と同じ語呂の踏み方で、いわば同工異曲といえるでしょうから、ここで詳しく取り上げるにはおよびません。まだ紹介していない、三木鶏郎の代表的な「雪の歌」があるのです。(もったいぶったところで、タイトル見れば一目瞭然なのですが)

◆ トリローの春夏秋冬 ◆◆
三木鶏郎は、ナショナルの歌のように「明るい」、春の歌ばかりをつくっているイメージがありますが、多種多様な四季折々の楽曲を作っています。題名にそのものズバリの季節名が入っているものもあります。ダークダックス「つい春風に誘われて」、旭輝子「夏が来たら」、ナンシー梅木「秋はセンチメンタル」、そして冬の曲の代表格(?)である、トニー谷「冬が来たよ」まで、春夏秋冬なんでもござれ、なのです。

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「三木鶏郎ソングブック」裏ジャケット。秋の曲も春の曲も同じアルバムに入っている例

「雪」に進む前に、トリロー楽曲には、季節に関係した歌が多いワケについて、少々考えてみます。

まず、三木鶏郎は、感受性が豊かで、季節感を強く感じていたアーティストだった、ということが考えられるでしょう。三木鶏郎自伝には、学生時代に読んだ本や見た映画の内容などが記されています。執筆時(八十歳!)まで、その書き出しを覚えていたという、小説『神州天馬侠』の藤の花の“春”の光景からアナベラ主演の映画『“春”の驟雨』まで、洋邦問わず、題名や内容などが事細かに記されていて、四季のエキスを吸収した様子が、ここからも十分窺い知れます。もちろん、佐藤「春」夫や北原白「秋」の名前もあります(^_-)。

もうひとつ考えられるのは、季節という切り口が時代の先端をうまく表現するための、いいツールだったということです。三木鶏郎は、CMソングの始祖にして大家ですから、新商品を売り出す際に、季節を先取りした単語を用いたり、単刀直入に四季そのものを題名にしたりすることが、効果的な楽曲の見せ方だということを一番熟知していたのかもしれません。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」に触発されて「サンマ・サンバ」を作ったかは定かではありませんが、「サンマ・サンバ」「サンマったら、サンマったら、サンマったら、サンマ」を聴くと、七輪かなにかで焼いた秋の秋刀魚を無性に食べたくなります。

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日本宣伝賞授賞式の三木鶏郎。トリローはCMソングのパイオニアでもあった。

これらに加え、僕が一番大きい要素だろうと考えているのは、鶏郎楽曲の多くが「ラジオ放送」で誕生した、という点です。つまり、時節を折り込んで、その時の視聴者に合わせた放送をするというのはラジオの特性です。発信者と受け手の密接な関係のために時候ネタは時事ネタとともに欠かせないものだったとおもいます。それでは、冬はラジオでどんなネタをやっていたのでしょうか。

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三木鶏郎著『冗談十年・続々』駿河台書房 オフィシャルサイトでは、平成の今、発売当時の価格(290円)での出血大々サービス販売をしていた。「冗談十年・続」は今でも売り出し中!

以下、『冗談十年・続々』の『ユーモア劇場 第七十三回』《冗談歳時記》-冬の巻-という放送台本より抜粋します。(なお、MはMusic、BGはBack Gound、fpはフォルテピアノ、A~Eは人物と思われます。)

M  ハモンド
声  今晩は皆さん、いよいよ明後日から十二月、しかも今年は二週間も早く冬がやってきたそうです。
三木 そこで今晩は“冗談歳時記”冬の部、冬が来たら……
M(琴)BG

A  冬が来るといつも思うんだ。
B  何をサ-
A  去年の中に冬支度をしておけばよかったとネ。
M (♪冬が来たよ)
(略)
M  雪のワルツのG音を元のトレモロでBG
A  貴女と初めて逢ったのは、やっぱり、こんな雪の日でしたね。
B  エエ……こわいほど。
A  ア、君、泣いてるの?
B  ウウン、雪がとけたのよ。
M  「雪のワルツ」 ♪雪がつもる静かな町に(略)
M  Gのトレモロつづく
A(妻)パパは雪が降るのに、おそいわねェ。
B(婆)昔はこんな晩に雪女郎が出てきたもんだよ。
C(子)雪女郎ってなーに?
B   雪のお化けのことだよ。
C   ウァー、こわい。
SE  戸を叩く音 M CO
M   ディミニッシュ・コード(fp)BG
C   こわいッ!
A   (おそるゝ)どなた?
D(夫)俺だよ (M CO)
A   マァ、こんなおそくなってほんとうにしようがないわねェ。ちょっと待ってて、今戸を開けてあげますから……
SE  戸を開ける音
A   まァゝ、こんなに雪だらけになって……家では、男手がないんだから、早く帰って………キャアッ
D   どうしたんだ?(M ディミニッシュfp BG)
C   (ふるえて)貴男の後に雪女郎が立って………アアア、貴女はど、誰方です?
E(女)飲みやのつけ馬です。
M エンデイング
(NHK、昭二八・一一・二九)

ようやく、今回取り上げる「雪のワルツ」が登場しました。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

文字数制限のため、後半は明日掲載させていただきます。(席亭songsf4s敬白)

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左からフランキー堺、エノケン(榎本健一)、三木鶏郎

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by songsf4s | 2008-03-13 23:47 | 日本の雪の歌
新雪 by 灰田勝彦
タイトル
新雪
アーティスト
灰田勝彦
ライター
佐伯孝夫、佐々木俊一
収録アルバム
南国の夜~灰田勝彦アーリー・デイズ~
リリース年
1942(昭和17)年
他のヴァージョン
live version of the same artist、the Three Suns
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集、本日はいよいよ灰田勝彦です。じつは、Tonieさんから最初に送られてきたリストには「新雪」はなく、思わず、「なぜ?」ときいてしまいました。Tonieさんが灰田勝彦ファンであることは承知していましたし、わたしもファンであることはTonieさんもご存知のところだったからです。

それが一転して、急遽、予定になかった「新雪」を取り上げる気になられたについては、いろいろ思いもおありでしょうが、そこまで忖度するのは出しゃばりすぎなので、ここらで引っ込むことにして、Tonieさんの記事をご覧ください。当方の灰田勝彦賛辞はまたコメントのほうに書かせていただきます。(席亭songsf4s敬白)

◆ ハイカツ登場 ◆◆
f0147840_12137100.jpg本日は大好きな男性歌手、灰田勝彦です。戦前ジャズ歌手のうち、元々好きだった灰田勝彦とディック・ミネのどちらを取り上げるか迷ったのですが、マヒナスターズの和田弘が、灰田勝彦のショーでスティール・ギターを食い入るように聴いた、というエピソードからの流れもあるので、灰田勝彦としました。なお、ディック・ミネの「雪の歌」候補は、彼の作品でも一番の有名どころ「人生の並木路」でした(歌詞の3番に「雪」が登場しますので、興味があれば、歌詞をお探しください)。

さて、灰田勝彦で「雪の歌」というのもいくつかあります。「いとしの黒馬よ」(1938年)、「白銀の山小屋で」(1954年)など、戦前戦後を通じ、まんべんなく「雪」の歌を歌っています。どの曲にもそれぞれ灰田勝彦独特の軽快さがあるのですが、わりと灰田勝彦らしさの顕れているヒット曲を取り上げてみます。参考にすべきであろう早津敏彦『灰田有紀彦・勝彦 鈴懸の径』(サンクリエイト刊)という本は読んだことがないので、見当はずれの推測もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

◆ タンゴでビンゴ ◆◆
まず、イントロでは、流暢なバイオリンにあわせて、ピアノがタララッタと入ってきて、アコーディオンと一緒にメロディをつくり、後ろではコントラバスがタンゴのリズムをしっかり刻んでいます。この時代のジャズソングの多くがそうであるように、この曲でもメロディの後段部分が、(歌が出てくる前の演奏をすべて「イントロ」というのであれば)このイントロで完奏されてしまい、これが終わってから歌が始まることになるので、灰田勝彦のボーカルが出てくるまで、まず、バンド演奏だけを30秒ぐらい楽しむことになります。

CD『灰田勝彦アーリーデイズ』の解説によると、この曲はコンチネンタル・タンゴの「オー・ドンナ・クララ」がモチーフだったそうです。当初、佐々木俊一(作曲)が作った旋律が、「オー・ドンナ」そのものだったのを、リハーサルを何度も繰り返すうちに格調高いものになったということで、「オー・ドンナ・クララ」(リッチー・バレンスではない)をいくつか聴いてみました。

f0147840_12135738.jpg最初、手持ちのタンゴ曲集から、このブログでジャケット紹介のあったスタンリー・ブラックによる演奏を聴いていましたが、なんとなく雰囲気が似ているし、転調後のフレーズなど、たしかにモチーフになっているなあ、という印象を受けました。スタンリー・ブラックは、イギリスのポピュラー音楽界の重鎮で、クラシックを本格的に学んだピアノの名手だそうです。1930年代末には、ジャズオーケストラの花形ピアニストとして、ブエノスアイレスに滞在し、タンゴを吸収してきたそうですから、一般的な演奏をしていると思います。

でも、一方で、もっと参考にした演奏があるのでは、と思いました。というのは、スタンリー・ブラックの演奏時期が特定できなかったこともあるのですが(「新雪」の発売よりだいぶ新しいだろう)、イギリスの線はないのでは、ということです。「新雪」が発売されたのは、1942年(昭和17年)10月です。1941年12月8日に真珠湾攻撃ですから、もう太平洋戦争が始まっているワケです。灰田勝彦の「青春のタンゴ」は、1940(昭和15)年で、タンゴがずっと人気あったのは、太平洋戦争前も後も変わらないのですが、敵性国の音楽をきくのはダメというのが大きな流れになってしまいます。

「新雪」に関して、よく、当時の同盟国であるドイツで流行っていたコンチネンタル・タンゴだから、禁止もされずに、日本でもヒットしたというエピソードが紹介されています。じゃあ、たとえば、誰の演奏が近いんだろう、元々、頭に描いていたのはどんなサウンドなんだろう、という疑問がわくのが道理というものでしょうが、そこに関する指摘は今のところネット上では見かけません。

f0147840_12145317.jpgいくつか探した中で、これだ! とおもったのは、マックス・メンジング(Max Mensing)が歌うSaxophon Orchester Dobbri(ダブリン・サクソフォン楽団とでもいうのでしょうか、Otto Dobrindt Orchestraと同じ楽団だそうです)の「Oh, Donna Clara」です。出だしの1小節がもう「新雪」……というと、言い過ぎかもしれないけれど、「新雪」で経験済みの、青春が謳われた際の高揚感が溢れています。本場のものは、アコーディオン中心で、アルゼンチン・タンゴの影響もまだちらほら見られますが、日本の方は、輸入加工済という音です。ほかには、ドイツもので、Paul Godwin Tanz-Orchesteの「Oh, Donna Clara」は、ちょっとテンポが速すぎるかなという印象でした。

この曲はポーランド人のJerzy Petersburski(読みとしてはイエルシー・ペテルブルスキーあたりか)が1925年頃に作ったもののようです。マックス・メンジング版は、1930年に録音されているので、1942年の曲のモチーフとして参照するには、時期的にはちょっと早すぎるかなと思うところもあります。藤山一郎.ヘレン隅田の「おゝどんなくらら」が1935(昭和10)年頃に日本でも発売されているようですし、「どんな」クララがいるか、分かったものじゃありません。いずれにせよ「ドンナ・クララ」は人気があったタンゴ曲のひとつなのでしょう。

◆ 紫けむる、にこだわる ◆◆
さて、歌詞の最初の2行は次のとおりです。

紫けむる 新雪の
峰ふり仰ぐ この心

ここが、実力のある職業作家が作った詞だなと感心するところです。ジミヘンに先駆けることはや何年、です。しかも、難しい言葉は何もないのに、よくよく考えると、内容を理解するのが難しいです。「紫にけむっている」のは、「新雪」(や「雪の残る山の峰」)なのでしょうか、「この心」なのでしょうか。

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「新雪」のSPレーベル(森本敏克『音盤歌謡史』白河書院より)。この時期のレーベルは右から左、左から右が混在しているが、「新雪」はすでに左から右になっている。「愛唱歌」といういささか奇異なジャンルもあった。戦時中のみ使われた言葉のようで、「バタビアの夜は更けて」「マニラの街角で」なども「愛唱歌」とされている。映画のために作られたので「大映映畫『新雪』主題歌」とある。

普通、歌うときに「むーらーさ~き、けむ~る、しん~せつ~の~」と歌って、ここで切るので、雪が紫にけむっているという表現で捉えていましたが、あまり使う表現ではないように思います。けむったのが雪か、心か、については、ちょっとペンディングにして、まず「紫」にこだわります。

ムラサキといえば、式部、醤油、あるいは宇宙人ですね。あ、ついでに紫関連では、songsf4s さんには「Deep Purple」を取り上げて欲しいものです(要望終わり)。紫草を想起する人はすくないでしょうし、ここでの紫は高貴な色(冠位十二階の最高位)をイメージしているワケでも無く、色としての紫をした空を表していて、その「空」の意味するところがなんとでもとれる、奥の深い歌になっていると思います。

でも、紫にけむるというのはあまり使われない表現だと思います。和歌などで使われた表現があったら、是非コメントいただけたらとおもいます。ここで、なぜ、紫にけむるを取り上げたかという鍵を、僕は、作詞をした佐伯孝夫が西條八十門下生であるところにみました。

f0147840_12162625.jpg(songsf4s注釈 ちょいと脇からしゃしゃり出ます。「紫雲たなびく」という言いまわしが昔はよく使われていて、記憶に染みこんでいます。辞書にはこうあります。「紫の雲 赤くくすんだ紫色の雲。めでたいしるしとしてたなびく雲。また、天人が乗ったり、念仏者の臨終のとき、仏が乗って来迎するという雲」。そのような意味からでしょう、昭和14年に開発された海軍の水上偵察機に「紫雲」という名前がつけられました。育毛剤ではなく、海軍の戦闘機「紫電改」のデザインを愛していた小学生のわたしは、似たような名前をつけられたこの水上偵察機も好きでした。唄にはまったく関係ありませんが、昔は「紫雲」「紫の雲」「紫の空」は、めでたいものという了解があったことを示しています。北斎の「凱風快晴」いわゆる「赤富士」も、たんなる富士の夕景ではなく、「紫雲たなびく」めでたさを前提に描かれたものだろうと想像します。ということで、わたしはこの「紫けむる」を「紫雲」のことと考えています。)

ご存じ「東京行進曲」の「♪昔なつかし銀座の柳」で有名な西條八十には、何人か門下生がいます。そのひとり、門田ゆたかは、「東京ラプソディー」(藤山一郎歌、古賀政男作曲)で「♪花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で」と書きましたし、サトウハチローは、「夢淡き東京」(藤山一郎歌、古関裕而作曲)で「♪柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日」としました。

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この「銀座」攻撃に、佐伯孝夫も戦後、「銀座カンカン娘」「僕の銀座」で応戦しています(灰田勝彦にも「東京パラダイス」という曲を作って、東京にも応戦しているようです)。ただし、灰田勝彦の「ハロー銀座」は、村雨まさを(服部良一の変名)なので、お間違えなく(^_^)。

さて、その佐伯孝夫は、西條八十が早稲田第二高等学院で初めてフランス語の講義をした年の教え子で、佐伯が早大仏文科に進学してからも師弟関係が続き、卒業後は西條門下生となったそうですから、生粋の一番弟子といえるのではないでしょうか。

その西條八十が、本格的に流行歌の歌詞を手がける前に出した詩集『砂金』のなかに、「パステル」という一篇があります。この詩篇の後段部を以下に引用します。

君よ、莨(たばこ)を棄てゝ
すっぽりと露西亜更紗(ろしあさらさ)に、これら総て
薄紫のパステルを包もうぢゃないか
遠くけむる山脈(やまなみ)も、あきらかな鳥のかげも。

朝餐(あさげ)の間、
透蠶(すきご)とともに
香膏(あぶら)のやうに眠らせるため。

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これまた難解な詞なのですが、佐伯孝夫が西條八十師匠の影響を受け、紫にけむる山なみを想起していても、おかしい話ではないのではないでしょうか。ここに「雪」というモチーフを入れ込んだことで、いっそう山脈が引き立っていると思います。なお、灰田勝彦は、戦後「紫のタンゴ」というマイナー調のタンゴもやっていて、こちらも流行ったようです。また、この「紫のタンゴ」という曲は「お座敷小唄」でもとりあげた松尾和子歌、寺岡真三編曲(1963)でリバイバルしています。

◆ 青の前にコダワル ◆◆
ここまでいろいろ詰め込みすぎました。後半は、曲について、駆け足で見ていきます。

麓の丘の 小草を敷けば
草の青さが 身に沁みる

前半部の「紫」との対比で「青」が出てきます。ここで、灰田勝彦の歌い方についても少しだけ、触れたいと思います。彼の歌い方は、クルーン唱法というか、気張らず、捏ねず、地道にサラっと歌いきるのです。なんだか物足りない、と思われる歌謡曲ファンも多いかと思いますが、ソコが彼の歌のすきなところなのです。「くさのあおさが」を「くーー・さの・あ・お・さーー・がー」と「く」を伸ばし、「さ」と「の」を一気に歌う緩急の差がまた、たまらなく好きです。灰田勝彦がウクレレ抱えて、ポロポロと鼻歌でも歌ったら、参りましたの一言しかありません。

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『アルス音楽大講座9 ジャズ音楽』(昭11)には灰田兄弟によるスティールギター、ウクレレ講座がある

しかし、灰田勝彦は自分の歌を鼻にかけることなく、ずっと軽やかに歌い続けたものと思います。

◆ 最後は雪らしく白 ◆◆

2番
汚れを知らぬ 新雪の
素肌へ匂う 朝の陽よ
若い人生に 幸あれかしと
祈るまぶたに 湧く涙

3番
大地を踏んで がっちりと
未来に続く 尾根伝い
新雪光る あの峰越えて
行こよ元気で 若人よ

僕がこの曲をつい口ずさむときには、2番を歌います。「新雪」という語のイントネーションにあわせてあるので、このメロディでいいと思います。これが、「親切」だとこまりますが、「真説」に近いものであれば、受け入れます。2番を歌うのは、「新雪」のイメージとしては、「汚れっちまってない白さ」への評価が高いのです。ただ「幸あれ」と祈るというところは、(センチになりながら)戦地に誰かを送り出すということなのだと思いますから、あまり手放しで喜べる歌詞でもないように思います。

3番は、きちんと「がっちり」作り上げられた詞だと言うことが、「未来」と「元気」に溢れていて、あまり口ずさみません。「行こうよ元気で」じゃなくて「行こよ」と早口でまとめるのは1番と同じで好きなところですが、全体的にはビシビシと峰を越えていく事への要求があるように思うのです。非体育会系軟弱学生でしたので、「涙がまぶたに湧く」ぐらいの方が、青春の過ごし方として好ましいです。

◆ あの時代の歌い手として ◆◆
最後に、彼が66歳だったときのショーの様子を昨日(平成20年2月18日)のテレビでやっていました。謙遜ではないのでしょうが、「新雪」をうたったあと、こんなコメントを話していました。

f0147840_12345811.jpg「こうして長い間歌い続けることが出来た。大変ありがたいと思っています。しかし、このごろ、ふと、僕はいったい何のために人間をやっているのかなと、そんなことを考えることがあるんです。歌にいたしましても、まだ会心の作というのがひとつもないんです。どうやら世間の甘え(ママ、「世間の甘やかし」の意か)に支えられて、歌ってきてるんではないか、そんな感じがするんです。もし、そうだとすれば、ずいぶん僕もいい加減な歌うたいだなと。これじゃいけないんだ、ということをよく知っているんですけれど、ただひとつ良いコトしたなといえるものが、ひとつ自分の胸に残っています。それは、あの夢のない時代に、「森の小径」を歌うことが出来た、ということなんです。いつ死ぬかもしれない、あの暗い世相のなかで、ある人はこの歌によって希望を見いだし、また、ある人は喜びを、そして、夢を見いだしたことができたとすれば、ぼくはやっぱりこのまま歌い手でよかったな、とつくづく思うんです。今日は本当にありがとうございました(会場拍手)」

ここでの「会心作がない」発言は自分の手がけた(作曲した)という意味だと思います。「東京の屋根の下」があるじゃないですか、「お玉杓子は蛙の子」があるじゃないですか、と教えてあげたいぐらいです。

◆ Fresh Snow ◆◆
f0147840_12353063.jpgカヴァーとしては、スリーサンズもこの曲をやっています。オルガンにギター、アコーディオンのインストソングは、すこしエキゾチックな要素が込められていて、これはこれで好きです。ドラムがしっかり入ってるのが、戦前と違うところでしょう。

な、わけで、今宵も灰田勝彦の曲に酔いしれたいと思います。
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by songsf4s | 2008-02-21 23:42 | 日本の雪の歌
お座敷小唄 by 和田弘とマヒナスターズ・松尾和子 その2
タイトル
お座敷小唄
アーティスト
和田弘とマヒナスターズ・松尾和子
ライター
作詞不詳、作曲陸奥明
リリース年
昭和39(1964)年
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は、昨日に引きつづき「お座敷小唄」です。本日はモンスター・ヒットが巻き起こした波紋について。(席亭songsf4s敬白)

◆ ハワイから遠く離れて ◆◆
曲については、イントロがドドンパ・リズムであるということにしか触れていませんでした。基本的に、メロディをソロまたはユニゾンでうたっていて、複数名のバック・ボーカルを擁しているグループにもかかわらず、ハーモニーらしきハーモニーがみられません。ボーカルに寄り添うように弾かれるマンドリンやつま弾かれるスティールギターも全部同じメロディを演奏しています。このため、メロディの妙というより、このメロディを次に誰が歌うか、というところに焦点があたります。

1番
(メンバー全員で)富士の高嶺に 降る雪も
(松平直樹一人で)京都先斗町に
(全員で)    降る雪も
(松平一人で)  雪に変りは ないじゃなし
(全員で)    とけて流れりゃ 皆同じ
2番(松尾一人で)
3番(松平一人で)
4番(松尾一人で)
5番
(松平一人で)どうかしたかと 肩に手を
(松尾一人で)どうもしないと うつむいて
(松平一人で)目にはいっぱい 泪ため
(松尾一人で)貴方しばらく 来ないから
6番
(全員で)  唄はさのさか どどいつか
       唄の文句じゃ ないけれど
(松尾一人で)お金も着物も いらないわ
(全員で)  貴方ひとりが 欲しいのよ

このように、男、女のボーカルでなんどかやりとりがあって、最後にコーラスが出てくるトコで妙な説得力が生まれます。これがこのグループの持ち味なのでしょうね。3番までおわると、一度、スティール・ギターの間奏があるのですが、これまたメロディの演奏なのです。間奏の最後にこれ見よがしにキュイーーンと音をあげますが、それ以外は、丁寧にメロディをなぞっていて、これを聞いていると、ハワイアン・ギターと歌謡曲の相性はいいなあと思います。ドラムが日本的なリズムなのかもしれません。

マヒナのリーダー、和田弘というのは、バッキー白片とアロハハワインズのメンバーだった人ですが、少年時代に灰田勝彦と高峰秀子主演で昭和46年に日劇で行われた「ハワイの花」というショーに1週間通い詰めて、灰田晴彦のスティールギターを食い入るように見つめてたというのですから、好きな灰田サウンドからの影響がどこかしらあったのだと感じます。この歌謡曲とハワイアンの折衷感覚は、他のどのムード歌謡グループよりも灰田サウンドの影響を感じます。しかし、この「お座敷小唄」の大ヒットにともない、ハワイアンミュージシャンの組合を脱退させられたと聞きますから、こちらも「思えば遠くにきたもんだ」ですね。

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◆ 出るトコ出てみた結果やいかに ◆◆
ヒットのあるトコロ、文句のある人あり。というのも洋邦問わず同じです。「The Wreck of the Hesperus」の巻や「Stormy」の巻でsongsf4sさんが、著作権訴訟について、すでにとりあげられています。

西沢爽の『日本近代歌謡史』の第三十六章『演歌著作権始末記』2453ページ(!)によると、この唄が大ヒットとなるや、自分の作品であるとして、日本ビクターを相手取り、裁判が起こされたそうです。

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西沢爽の超大作『日本近代歌謡史』の中でも、特にこの「お座敷小唄」や二宮ゆき子「松の木小唄」の出てくる『演歌著作権始末記』は非常に面白い。

この埼玉県草加市の大藤某および広島県の某(当事者参考人)が、昭和40年分の印税300万円および金利5分を支払えと横浜地方裁判所に起こした裁判ですが、次のようなやりとりがあったということです。少し長いですが、引用します。

原告は、昭和18年5月頃、南支広東の第三航空軍に従軍中、『広東小唄』として作った以下のような歌詞を示した。

初回(会)あがりが 何となく
程の良いのが 縁となり
宵にや他人が 明け方は
忘れられない 人となり
僕がしばらく 来ないとて
飲んじやいけない やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない
末を共にと 誓ってからは
いやなお酒も目をつむり
たまのあふ瀬を 楽しみに
信じて頂戴 この私

これを、昭和39年3月に広島市のクラブ『華』で採譜して、8月に発売したと主張。

また、当事者参考人は、昭和10年11月、台湾派遣部隊蓮部隊に従軍中、(部隊内で)『茶碗酒』としてうたわれていたものをあげた。

初回あがりが なんとなく
ほどのよいのが 縁となり
宵にや他人が 明け方にや
忘れられない 人となる
好きなあなたが 出来たから
ほかの座敷が いやになる
ままにならない この身なら
あなた来ぬ夜の 茶碗酒
どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 涙ため
あなたしばらく 来ないから
僕がしばらく こないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで 身体を 悪くすな
お前一人の 身ではない

これに対し、日本ビクター側の反論は次のようであった。これらの歌詞と「お座敷小唄」には共通点があることは認めるが、原告が昭和18年5月頃、その主張するような歌詞を作ったことは否認する。当時は部隊の移動が激しく、「当事者参考人」の所属していた部隊も、転々としており、それが広く広東方面に歌われたものであろう。また「原告」主張の歌詞は一人の作詞とは考えられない。

さらに、(1)明治末期(大正初である)北九州福岡の酒席で『奈良丸くづし』の曲名でうたわれたもの。

ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして 自棄酒を
弱いからだを 持ちながら
飲んで身体を こわすなよ

(2)大正元年ごろ「奈良丸くづし」または、『ナツチヨラン』(青島節)でうたわれたもの。

スウチヤン 忘れちやいけないよ
ビンのほつれを かきあげて
顔は紅葉の 茜さす
登る段階子の トントンと
ぼくがしばらく来ないから
たとえ 勤めがつらくても
短気おこしてやけ酒を
飲んで身体をこわすなよ

(3)昭和10年頃、東京神楽坂はじめの方々の花街で『ストトン節』でうたわれていたもの。

嶺の高嶺に降る雪も
坂(神楽坂)の真中に降る雪も
芸者する身も 素人も
とけて流れりや みな同じ
どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 泪ため
貴方しばらく 来ないから
ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない

(4)昭和15年頃、全国の花街で『ストトン節』でうたわれていたもの。

あれ見やしやんせ 朝顔は
垣根にもたれて 思案する
丁度 私が あの様に
主さん 思うて 思案する
あれ見やしやんせ ローソクは
芯から燃えて 身がやせる
丁度私が あの様に
あの人 思うて 身がやせる
ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして 焼け酒を
飲んで身体を 悪くこわすなよ
お前一人の 身ではない
一目見てから 好きになり
ほどの良いのに ほだされて
よんでよばれて いる内に
忘れられない 人となる
(第5および第6連は略)

(7)昭和16年7月、東京神楽坂の料亭「島田」でうたわれたもの。

富士の高嶺に降る雪も
坂(神楽坂)の真中に 降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ
初めて逢うたが 宴会で
二度目に逢うたが 四畳半
そこで お腹も 七,八月
出来た この子を どうなさる
心配するな これお前
男の子なら 軍人に
女の子なら 看護婦に
どちら 生んでも 国のため
義理で 貰った女房より
かげのお前が 可愛くて
罪じゃ よそうと 思えども
あきらめ られぬが 恋の情
どうかしたかと 背に手を……
僕がしばらく こないとて……
(第5および第6連は略)

以上の例を挙げ、原告の創作ではないと反論した。

「お座敷小唄」訴訟の記事が新聞週刊誌にとりあげられると、大正初年から末年にかけて、どこの花街でうたっていたなどと証言する投書がビクターへ頻々と舞こんだそうです。

この曲が、広島市のナイトクラブで、「京都先斗町に降る雪も」とうたわれていた事実からみて、京都でもとも思うが、その事実を証明するものはなかったので、結局、「原告が作詞したと称する以前に、それと同文又は酷似した内容を持つ歌詞が古くからうたわれていた」という裁判所の認定で、昭和42年5月「原告および参加人の請求はいずれも棄却する」と判決がありました。

なお、作曲については、その後、テイチクレコード専属作曲家であった陸奥明より、昭和29年6月(『お座敷小唄』よりおよそ10年前)、清水みのる作詞、陸奥明作曲、鈴木三重子唄で発売された「籠の鳥エレジー」であるという申立があり、作品審査委員会(ジャスラック)は、現行のものと原曲なるものとに若干のちがいはあるが、反証資料がないのでその疑問は留保し、一応原曲として扱うという判断を下した、ということですから、一勝一敗といったところでしょうか。

昭和10年の「嶺の高嶺に降る雪も」が昭和16年に「富士の高嶺に降る雪も」に変わったり、「芸者する身も 素人も」が「雪に変わりは ないじゃなし」と変わったりして、ますます「日本の雪の歌」らしくなった、という「前日談」でした。

◆ お座敷クレージー ◆◆
最後に、songsf4sさんのところでは恒例ながら、今回まだ登場していないカヴァーソングについて取り上げます。映画『日本一のゴマスリ男』で、植木等がアカペラというかソロで歌うのですが、歌詞が全く違います。

一に六足しゃ 七になり
四から一引きゃ 三になる~と
三に四足しゃ 七になり
一から一引きゃ パーになる、と。

計算上まったく間違いは無いのですが、言語明瞭、意味不明。非常に面白いナンセンスにあふれた歌詞です。一般人なら最初の一行が出てこないでしょうが、仮に出てきたとしてもせっかく「7」にしたんだから、次の出だしは「7」から始めると思います。「七から四引きゃ三になる~」とか関連性を持たせようと思ってしまう。それを全てぶち破ってしまっているところが、驚異的です。メロディは確かに「お座敷小唄」ですが、植木等が歌うと、これも「ドント節」に聞こえます。最後は、その当時のものを含め、なんでも諧謔の対象とした、クレージーキャッツ・パワーに圧倒されてしまいましたが、これで「お座敷小唄」のマヒナスターズを終わります。こりゃ逆だった……。

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○主な参考文献
西沢爽「日本近代歌謡史」桜楓社
北中正和「にほんのうた」平凡社
北中正和「ギターは日本の歌をどう変えたか」平凡社新書
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by songsf4s | 2008-02-18 23:53 | 日本の雪の歌
お座敷小唄 by 和田弘とマヒナスターズ・松尾和子 その1
タイトル
お座敷小唄
アーティスト
和田弘とマヒナスターズ・松尾和子
ライター
作詞不詳、作曲陸奥明
リリース年
昭和39(1964)年
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」、本日はまたまた、一見、ディープな日本音楽のようながら、西洋音楽との接点をもつ、「ムード歌謡」の代表作の登場です。音楽的に微妙な時期である1964年(個人的には「ビートルズ前夜」だった)の大ヒットなので、原稿整理をしながら、あれこれと考え、いろいろなことを思いだしました。(席亭Songsf4s敬白)

◆ 富士の高嶺に降る雪、アゲイン! ◆◆
前回に続き、もう1曲「富士山の雪の歌」関連曲を取り上げます。東海林太郎「興亜八景」(「♪富士の高嶺とさくらの花は ヨーイヨイサテ 興亜日本の立姿」)、小唄勝太郎「さくら踊り」(「♪富士のお山も薄化粧 サテさくら咲いた咲いた都も里も」)など、富士山も桜とセットで、色々と歌になっているんですが、今回は“桜”はでてきません。

それでは、さっそく最初のフレーズにいきたいと思います!

富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変りは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ

語呂が良くって、ついつい1番を一気に全部紹介しちゃいました! 先日の「真白き富士の根」は、富士山の「白い雪」と「緑」の江ノ島という対比が織りなす、切り取られた風景に込められた“鎮魂の思い”の歌でした。この曲では、「富士の高嶺」という清らかで厳かな存在と「京都先斗町」という浮き世(俗世間)が比較対象とされています。

◆ pont町 ◆◆
曲の方は、まず自由奔放な印象をあたえるスティール・ギターの音色からはじまります。またテンポが遅めので、ゆったりした気持ちになります。そこへ、クラリネットとマンドリンと思われるメロディのアンサンブルのイントロが始まり、これにあわせて、スティール・ギターが色々とアクセントをつけます。

ドドンパの変形といわれるリズムですが、この繰り返し出てくるリフは非常に覚えやすく、大滝詠一『Let's Ondo Again』の「337秒間世界一周(Steel Round The World)」にも出てきたはずです(「337秒間世界一周」っていう曲は、エリアコード615『Trip In The Country』にアイディアの源泉があるとおもうのですが、その源泉に何でもかんでもぶち込んでぐつぐつ煮たような曲で、日本代表が盛り込まれていてもおかしくないのです)。

f0147840_216494.jpg先斗町(ぽんとちょう)というのは、有名な花街のひとつだそうですが、日本語にしては、非常に変わった名前の街だなと思ってました。するとこの由来が、川原に臨む片側に家が並ぶ街の形状を「先」にみたてて、ポルトガル語の"ponto"、英語の"point"といった言葉からきているということのようで、なるほどなあと思いました(東が鴨川=皮、西が高瀬川=皮、皮と皮にはさまれた鼓を叩くとポンと音がするのをもじったという説もあるようです)。

◆ メタ・フィクション ◆◆
このブログには、あまりそぐわない個人的な話を少しかかせてもらいます。僕はリアルタイムではないですが、中学時代にビートルズを中心に音楽を聴いてきました。いまでも、洋楽と邦楽で聞く比率は8:2か7:3でしょう。だからなのか、日本の歌謡曲を聞くときには、体内に異物を取り入れるように慎重に身構えて、聞いてしまうところがあります。

そういった違和感を持たないで聴ける曲は、三橋美智也、灰田勝彦、服部良一やトリローの楽曲など、ごくわずかで、特にムード歌謡やグループサウンズは、どちらかというと苦手な分野で、一緒に口ずさもうという感覚より、どんなサウンドだろう? と分析しながら聴いてしまうことが多いのです。例えば、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「ああ北海道には“雪”がふる」の「♪鐘が鳴る」の後になる鐘の音のギミックや「カネガナル」のコーラスがおもしろいとか、メタ・フィクションの小説を面白がるような感覚で聞くことが多いです。

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北海道選出の議員でもあるまいし、料亭や割烹に行きたいなど思ったこともなく、そこで小唄を聴くことを趣味ともしていないので、お座敷という文化を歌謡曲という観点から楽しがっているのだとおもいます(江差の居酒屋[小料理屋]で女将が即興で歌った「江差追分」は素晴らしかったので、聞けば感動すると思いますが)。「お座敷ソング」が、朝鮮戦争の時代に、「金へん景気」にのって宴会などで爆発的にはやった、という時代背景もふまえて聞くというのは、なかなか難しいです。それは、つまみ食い的な聴き方だと問題視され、批判されるときは甘んじて受けなければいけないですが、その音楽の出来た変遷もつまみ食いしながら、愛着もって楽しんでいけばいいのではないでしょうか。

いっそのこと、スタンダード曲や日本の曲を聴かずに、同世代の音楽や、一番好みの60年代アメリカンポップスだけを聴いていられれば、どんなにか幸せか(あるいは、日本の曲だけ聴いていられれば、もっとどんなに幸せか)と思いますが、残念ながら、メタも元もふくめて音楽を楽しむ、これが日本に生まれた洋楽ファンの生きる道……というものなのでしょう。「日本語のロック」の始祖として取りざたされて、イライラ苛立ち、「さよならアメリカ、さよならニッポン」に行き着いたはっぴいえんどのファンである以上、仕方ないのかなと思います。

ということで、ムード歌謡の大御所、和田弘とマヒナスターズのサウンドについて、全幅の愛を持って語るのは難しいのですが、マヒナのサウンドというのは、わりと好きな部類なのです。

f0147840_2335063.jpg例えば、「寒い朝」などは吉田メロディとしても最高峰だと思いますし、サユリストではないですが、メロディが少し明るくなるところで、グッと来てしまいます。じっくり聴けば、ストリングが北風を表しているわりにショボイなあ、などと思う部分もありますが(そこがまた寒さを引き立てている、というような意地悪なことは、あまり思わない)、コーラス、リズム、歌唱いずれもバランスがとれているので、たいていの場合、あまり気にせずに聞いています。

渡久地政信の彼独特のリリシズム溢れる「お百度こいさん」も、三橋美智也の「お富さん」と同じぐらい好きなメロディですし、寂しげなスティールギターの音色も含めて大好きなマヒナ曲です。

◆ 再び出合ったビートルズ ◆◆
一番好きなのは、やっぱりこの「お座敷小唄」です。この曲のアレンジは、寺岡真三がやっています。寺岡真三という人を知らない方も多いと思うので、いくつか紹介すると、前回とりあげた坂本九と競作となる「涙くんさよなら」の編曲もそうですし、雪村いずみ「はるかなる山の呼び声」、浜村美智子「カリプソ娘」、青江三奈「眠られぬ夜のブルース」、コレット・テンピア楽団などがあります。

そして、東京ビートルズの一連のシングル(「抱きしめたい」「プリーズ・プリーズ・ミー」「キャント・バイ・ミー・ラブ」)は、漣健児作詞という認識しかありませんでしたが、寺岡真三の編曲でした。この曲を、下手、とか、日本語が乗ってない、とか、どう捉えるかは、人によりけりでしょうが、面白可笑しく嘲笑するほどひどい出来ではなく、リヴァプールサウンドではなしえない解釈がされているとおもいます。つまり、この曲も「日本語のロック」なのだとおもいます。

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朝日新聞1994年8月24日「50年の物語 第3話 東京ビートルズ」より

寺岡真三は、ジャズの人ですから、万人に愛されるサウンドは、東京ビートルズではなさそうです。ムード歌謡の極めつけ、1961(昭和36)年に第3回日本レコード大賞を獲得した、フランク永井「君恋し」は寺岡真三らしさの出た曲だと思います。テンポの遅い、ムードたっぷりのこの曲と昭和初期にヒットした二村定一の軽快なバージョンとどちらがいいかといわれると、後者を取りますが、ここでは、フランク永井の魅力を最大限に引き出した、最高の歌を残したと思います。

◆ 定型詩の構成と彫琢 ◆◆
f0147840_2393190.jpg上に挙げた「君恋し」が出来たのは、昭和3年のことで、これは4音プラス4音の組み合わせ、つまり「ヨイヤミ(4)セマレバ(4)ナヤミハ(4)ハテナシ(4)」という構成となっていますが、これは非常に珍しい例で、歌謡曲ではほとんどが七五調だったようです。昭和30年に三橋美智也「あの娘が泣いてる波止場」(作詞高野公男、作曲船村徹)は、「思い出したんだとさ 逢いたくなったんだとさ」というように、3、7、4、7の破調のため、評論家に「相当礼儀知らずの無鉄砲」と評されたそうで、歌謡曲の世界で従来の詩型から脱皮したものをつくることへの同意が得られていなかった、といえそうです。

前々回のはっぴいえんどの「かくれんぼ」で、七五調はやっぱり(日本の詩型の)基本である、という松本隆の意見にふれました。西條八十は、七五調の定型詩にあこがれて「定型詩の構成や文語の彫琢に努力専念」してきたのに、世に出る頃には自由詩運動が起こり、詩の形が散文とまったく変わらぬものになってしまい、「苦心した武器を持て余し」、それを「童謡の中で駆使した」そうですが、松本隆の詞からにじみでている努力は、西條の七五調に対する愛情と出てくる作品の質の高さとダブります。

この「お座敷小唄」は、「七五調に寄りかかった文化」の「いわゆる七五調」で、松本隆の戦うべき敵ここにあり、「思えば遠くにきたもんだ」です。

ここで、いささか乱暴ではありますが、一気に2番以降の全文を御披露しますので、音読されて、ちょっとやそっとじゃ打ち破れない日本文化の重み(?)をご堪能ください。

好きで好きで 大好きで
死ぬ程好きな お方でも
妻と言う字にゃ 勝てやせぬ
泣いて別れた 河原町

ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない

一目見てから 好きになり
ほどの良いのに ほだされて
よんでよばれて いる内に
忘れられない 人となり

どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 泪ため
貴方しばらく 来ないから

唄はさのさか どどいつか
唄の文句じゃ ないけれど
お金も着物も いらないわ
貴方ひとりが 欲しいのよ

この曲は、当時200万枚から300万枚のヒットを記録したようです。1万枚を超えるヒットは、もう想像の限界を超えていて、たくさんとしか認識できませんが、とにかく売れに売れたことだけは間違いないようです。第6回日本レコード大賞では編曲賞をもらっていますが、ウェブ検索すると、作曲者不詳だったため、大賞の選考外となった、でもその年一番の売りあげだったので、編曲賞に滑り込んだ、という裏話もあるようです。賞獲りレースというものはレコード会社の将来への思惑や、過去の業績に対する功労賞的意味合いなどが入り乱れていて、内容の良し悪しは二の次なのでしょうが、それだけこの曲がヒットし、愛され、歌いやすいものだったという証拠なのかもしれません。

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◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
文字数制限のため、一回では収録しきれず、後半は明日以降に掲載させていただきます。(席亭敬白)
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by songsf4s | 2008-02-17 19:49 | 日本の雪の歌
真白き富士の嶺 by 坂本九
タイトル
真白き富士の嶺
アーティスト
坂本九
ライター
三角錫子, Jeremiah Ingalls
収録アルバム
九ちゃん 明治を歌う
リリース年
1967(昭和42)年
他のヴァージョン
ミス・コロムビア、TV『名曲アルバム』ほか
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本日もゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌特集」です。昨日までのはっぴいえんどなら、わたしもよく知っている世界でしたが、いよいよ本日は当ブログの守備範囲を超えて、「深日本」にむかって一歩を踏みだします。いや、日本の近代音楽と西洋音楽の微妙なあわいへ、というべきでしょうか。(席亭songsf4s敬白)

◆ 富士の高嶺に降る雪 ◆◆
「はいからはくち」のはっぴいえんどの次は、明治時代に歌われた「ハイカラ節」……ではなく、同じく、明治時代に歌われた「真白き富士の嶺」です。

一口に「雪」の歌といっても、切り口は色々あります。雪の儚い部分や美しい部分を中心に据えた歌(「白雪」「淡雪」「み雪」といった言葉でとりあげられるでしょう)から、冬の寒い様子や辛く厳しいさまを取り上げた歌(「吹雪」のような言葉で表現されるでしょう)まで多種多様です。

北国の厳寒の山野(by songsf4sさん)に住むものとしては、最近、毎日雪かきにあけくれていますから、まず、寒く厳しい様子を書くべきかもしれません(それでも雪結晶は素晴らしく美しい!)。でも、人口の都道府県別比率を考えると、読者の方々が多く住んでいると思われる関東では、雪は美しいものだと思いますし、一年に数度しか降らない富士山の雪が一番身近な雪だと思います。これらをふまえて、今回は、日本の「雪景色」の代表として、「富士山の雪景色」を取り上げてみたいと思います

◆ 田子の浦ゆ ◆◆
まず、「真白き富士の嶺(根)」の曲そのものは、一旦置いておいて(まだはじまってもないのに……)、一番有名な「富士山」の歌は何かといえば、やはり次の歌になると思います。

「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける(山部赤人)」万葉集318

山部赤人は、長歌「不盡山」(万葉集317)で、富士山のことを歌っています。そちらのほうが“高く貴き”姿を現していると思いますが、この短歌(反歌)の方が富士山を愛でる気持ちが明快に伝わってきます。中学時代にこの歌を習ったとき、「ゆ」の使い方にずいぶん興味を持ちました。「田子の浦“に”」」なら、スッといくのに、助詞で「ゆ」がなぜか使われているんですから、誰でもビックリしますよね。「和歌」と「歌」は違う!などと、それほど目くじら立てないでください、だいぶ脱線していますが、すいません、すぐ終わりますので(林家三平か…)。

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逗子のお隣、葉山森戸海岸より見た真冬の富士。Tonieさんからは、海のある冠雪した富士の写真を、というご注文でしたが、よそさんのを拝借するのもなんなので、ひらめきも技術も皆無の愚作で勘弁していただきました。お目汚しでどうも相済みません(songsf4s)。

こうした万葉集などの和歌に曲をつける作業は、菅原明朗、瀧廉太郎あたりがやっていたようで、この「不盡山」にも朗詠調の雅楽で「節」をつけたものがあるようです。ただ、雅楽に親しむ習慣があまりないので、これ以上、そちらをつっこんだりせず先を急ぎます。

◆ 鎮魂歌「真白き富士の根(七里ヶ浜哀歌)」の成立背景 ◆◆
突然、本題にもどって、この歌の作られた背景を簡単に記します。

明治43年1月23日に神奈川県の七里ケ浜でボートが沈み、乗っていた逗子開成中学の生徒ら12名全員が死亡しました。中学といっても今の中学とは違い、旧制中学ですから、亡くなったのは10歳から21歳の12名でした(中学5年生(16~21歳)、中学4年生(19歳、17歳)など)。1月27日には全員の遺体が発見され、2月5日逗子の久木の妙光寺で追弔会(合同葬儀)が行われました。この葬儀には学校関係者が出なかったようで、翌日の2月6日に、追悼の大法会(ボート転覆事故の慰霊祭)が逗子開成中学の校庭で開催されたということです。

その法会に出席した鎌倉女学校生徒らにより、鎮魂歌として歌われたのが「真白き富士の根(七里ヶ浜哀歌)」だそうで、この歌が初演されたのは、このときということになります。いくつかのサイトで「真白き富士の根(あるいは嶺)」について、書いているところがありますが、逗子開成中学のサイトに詳しいです。

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葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち「相州七里濱」

◆ 「When We Arrive at Home」と「夢の外」 ◆◆
また、手代木俊一氏の本などいくつか本を読むと、この曲に詞をつけたのは三角錫子(みすみ すずこ)という女学校の先生だということが分かります。さらに、この曲を収録した、唱歌集の編集をした堀内敬三が賛美歌のチューン・ネーム「Garden」という単語を作曲者名と混同して、うっかり紹介してしまったためか、ガードン(ガーデン)として広まったけれど、実際はインガルスという人が作ったようだ、ということも分かります。そう、この曲はインガルスという人が作った賛美歌「When We Arrive at Home」に詞をつけた曲だったようなのです。

この曲は次のような成立経過をたどっているようです。

1「Piss upon the Grass」(1740)*下品な題名
「Nancy Dawson」(1760)*イギリスのダンス音楽、上とほぼ同曲
「Love Dvine」(1805)*インガルスが前半を編曲、後半部分を作曲
4 「Garden」(1835)
5「When We Arrive at Home」(1882)
6「夢の外」(1890)
7「真白き富士の根(山本正夫調和)」(1916)*アウフタクトに。
「真白き富士の根(堀内敬三編)」(1930)

その後、この曲は、演歌師によって、短調で歌われて広まったということですが、想像はつくものの、今のところ、短調で歌われた曲を聴いたことありません。

◆ 九ちゃん ◆◆
ようやくアーティスト、我らが九ちゃんの登場です。「真白き富士の嶺」といえば、ミス・コロムビアか菊池章子と相場が決まっているのでしょうが、今回は、九ちゃんでいきます。

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福田俊二編『懐かしの流行歌集 戦前戦中1』柘植書房。昭和3年から昭和10年までのSP盤の文句紙(歌詞カード)を集めたもの。

[追補] この曲は1967(昭和42)年1月25日に発売されています。前年に松竹映画「坊ちゃん」で主演、この年はフジテレビの連続ドラマ「うちの大物」に出演し、袴姿が似合う熱血九州男児を演じたそうです(メモリアルボックスの解説より)。時代というより袴から明治という発想だったようですね。

『九ちゃん 明治を歌う』の演奏は、東芝レコーディング・オーケストラとなっていて、この曲は、編曲を前田憲男が手がけています。『明治を歌う』とあるだけに「戦友」「宮さん宮さん」「大楠公」「東雲節」「鉄道唱歌」などが入っています。「宮さん宮さん」、「デカンショ節」(篠山節)、「東雲節」、「鉄道唱歌」は、我等がクレージーサウンドの雄、萩原哲晶の編曲です!

なお、この年の1月に行われた、『初笑いクレイジーだよ! ザ・ピーナッツ』という日劇のショー(指揮・多忠修)の「第六景 明治百年」でも、ザ・ピーナッツが「抜刀隊の歌」、「宮さん宮さん」、「ハイカラ節~七里ヶ浜哀歌~ラッパ節」というメドレーを取り上げているようです。

しかし、ハイカラ節~七里ヶ浜哀歌メドレーですから、「はいからはくち」のはっぴいえんどの次に「真白き富士の根」を取り上げるのは、流れとして悪いことではないようです(^_^)。また、このショーでは、クレージーが第8景で「万葉集」もやっているので、今回前半に万葉集をとりあげたのも、あながち見当はずれの方向じゃない、と妙に自信を持ちました! いずれにせよ「七里ヶ浜哀歌」は、明治の歌としてはかかせない1曲だったのでしょう。

「真白き富士の根」のイントロは、ヴァイオリンか何かの弦楽器の調べに管楽器がメロディを入れてきます。このように3分ポップスのイントロでストリングスが効果的に使われていると、これから新しいポップスの幕開けだぁという、ワクワクした感じがします。『Secret Life of Harpers Bizarre』の1曲目で「Look to the Rainbow」を聞いたときのようなそんな感じです(「真白き」は、アルバムの1曲目ではないですが)。この曲はストリングスとの親和性が高いようで、こないだも名曲アルバムというTV番組のなかで、オーケストラアレンジで取り上げられていました。

それではまず1番の歌詞です。

真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に
捧げまつる 胸と心

まず、最初にイメージが鮮明に残る出だしです。今の曲のタイトルとなっている「真白き富士の根」を最初に歌ってしまいます。これが、「真白」で始まる曲の先鞭をつけたのかもしれません。

渡辺はま子「愛国の花」福田正夫作詞、古関裕而作曲(昭和14年)
「真白き 富士の気高さを こころの強い 楯として」

霧島昇、二葉あき子「高原の月」西条八十作詞、仁木他喜雄作曲(昭和17年)
「真白に高き 雪の峰 浮き世の塵に 染まぬ花
清き世界を 照らしゆく ああ 高原の月 なに想う」


そして、遠方の富士山とボート転覆のあった近隣の岸辺を対比した、1枚の風景画を思い描かせ、事故のあった海については、その真ん中へ位置づけて、シッカリと浮かび上がらせます。「緑の江の島」は江ノ島を指す、慣用句、いや、常套語ですかね。

2行目以降は、起こったことを書いて、魂を鎮めるという作業です。ただ、「胸と心」って、意味が同じように思うのですが、違うのかなぁ? と思いました。

構成はA-A'-B-A'とでも言うんでしょうか、単純な構造ですし、覚えて一緒に歌いやすいメロディです。この曲の出自からいって、みんなで法会で歌えないと困る曲でしたけれどもね。

AメロとA'メロで、この曲の「ふじーのね↓―↓」と2段階で下がるメロディが次の「みるも↓」と半分だけ下げるところが、ちょっと歌って気持ちの良い部分です。

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葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち「相州江の嶋」

2番は次のとおりです。

ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も浪も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里が浜

ここは事故をそのまま歌にしたという歌詞です。

次の3番で「雪」が登場します。

み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影をひそめ
みたまよいずこに 迷いておわすか
帰れ早く 母の胸に

この3番が、一般化されていて、非常にいい歌詞だと思います。もともとこの曲は、大和田“鉄道唱歌”建樹氏の作詞した明治唱歌「夢の外」を参考に一晩で作り上げたようですが。3番の詞への影響が著しいと思います。

「夢の外(3番)」作詩大和田建樹

雲路にながめし 昨日の我宿
月も風も なれてそでを
うれしさあまりて ねられぬ枕に
ひびくみずの 声もむかし

「月も風も」が「月も星も」となっていて、風が前に出てきています。

話が飛びますが、昭和の初めまで、賛美歌には詩形のインデックスがついてたそうです。あちらでは、通常1音符に1シラブル(音節)を載せるので、おなじミーター(詩形)なら歌詞を交換して歌えるそうです。代表的な詩形としては、CM(Common Meter、八六八六の詩形)、SM(Short Meter、六六八六の詩形)、LM(八八八八の詩形)というのがあり、この八語基本で成り立っている。日本の七・五調の曲なら、七つの後に一つ間をおいたり、五の方は五番目の音を四つのばすとか、五個出てから三つやすむとか、八つでまとめるとうまく乗りやすいということになります。しかし、日本語には高低のアクセントがあるため、ミーターが同じでも歌うことが出来ないとされていて、たしかに、この曲でも「夢の外」と「真白き」では全部の単語のアクセントが同じではないので、歌ってみるとそれぞれ印象は異なります。

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賛美歌「When We Arrive at Home」が明治23年に邦語唱歌「夢の外」となった。

帰らぬ浪路に友よぶ千鳥の
我も恋し失せし人よ
つきせぬ恨に泣くねは共々
今日もあすもかくて永久に

歌詞は6番までありますが、九ちゃんの曲は4、5を省略して、ここでおわりです。

◆ ヨナ抜き ◆◆
この曲は、賛美歌には珍しくヨナ抜きだそうです。ドレミファソラシドの7音階のうち、4番目の「ファ」と7番目の「シ」のところにある半音を抜いて、5音階だけで構成した曲をヨナ抜きというのだそうですが、日本に古くから歌われていた「都節」(陰音階)によくにた音の組み合わせで、この音階は、日本人の好みにあった哀感を、とくに強く感じさせる響きがあるのです。

昭和3年から終戦の年の20年までの曲についてみると、「ヨナ抜き短音階」が約50パーセント、「ヨナ抜き長音階」が25パーセントと、実にヨナ抜きだけで75パーセントを占めるという五音階のオンパレードだったそうです。

ヨナ抜きの代表選手は、中山晋平です。彼は「ヨナ抜き短音階」を主調に作曲をして「船頭小唄」で“晋平節”を定着させたのですが、彼の手がけた「シャボン玉」が、もとは賛美歌「主われを愛す」だといわれていて、この曲も(一部、異なるが)ヨナ抜きが基本です。

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『アルス音楽大講座9 ジャズ音楽』(昭11)所載、中山晋平「歌謡曲の作曲について」より。自分の使用した音階をパターン分けして紹介している。

坂本九は、短調で歌っていないにもかかわらず、哀愁を帯びていた歌声で、非常に印象深いです。エルヴィスの物まねで人気を博したそうですが、歌にアジがありますよね。

最後に、この九ちゃんの代表曲「Sukiyaki」がなぜ、アメリカで一位になれたのかずっと考えてきました。でも、今もまだよく分からないのです。解決してくれるサイトも見つかりません。ケニー・ボール楽団のカヴァーがイギリスで事前にはやった、とかペチュラ・クラークが題名の選択を手伝った、などいろいろエピソードは紹介されてきつつありますが、じゃあ、なぜ、イギリスで流行ったのかという疑問にまでは答えてくれません。

それで、今日、ふと思った仮説が1つあります。それは、この「Sukiyaki」もヨナ抜き!ですし、この曲がちょうどアメリカの人にとって、「When We Arrive at Home」のような賛美歌の改変された一曲として捉えられたので浸透しやすかったのでは、という仮説です。

北の地に降る、み雪に包まれ、航空機墜落事故で亡くなってしまった九ちゃんの歌を聴きながら、こんなことをおもっていると、「Sukiyaki」とセットで、この「真白き富士の根」が九ちゃん自身への鎮魂曲でもあるかのように感じてしまいます。

参考文献
安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語―讃美歌と近代化の間で』文春新書
手代木俊一『讃美歌・聖歌と日本の近代』音楽之友社
塩澤実信「昭和のすたるじい流行歌」第三文明社
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by songsf4s | 2008-02-15 22:25 | 日本の雪の歌
かくれんぼ by はっぴいえんど その2
タイトル
かくれんぼ
アーティスト
はっぴいえんど
ライター
松本隆, 大滝詠一
収録アルバム
はっぴいえんど
リリース年
1970年
他のヴァージョン
live version of the same artist、センチメンタル・シティ・ロマンス、すかんち
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昨日につづき、今日もゲスト・ライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集です。本日は「かくれんぼ」の後半です。(席亭songsf4s敬白)

◆ 一杯の紅茶から ◆◆

雪融けなんぞはなかったのです
歪にゆがんだ珈琲茶碗に余った
瞬間が悸いている
私は熱いお茶を飲んでいる

こちらも、僕が最初に買ったCDの歌詞カードには、「歪にゆがんだ珈琲茶碗に 餘った」となっています。「敵 THANATOS」ほどではないですが、何て読んで良いか、一瞬途惑う漢字表記は、石浦信三と松本隆で徹底的に難しくした結果なのでしょう。

1行目の「雪融けがない」は、今年は雪が多くって、とけきれないから根雪になる、という70年代に大雪が降ったという事件ではなく、当然わだかまりが融けない様子を指していますね。

この「かくれんぼ」は、さきほどの「ちっちゃな田舎のコーヒー店」の前に、元々、違った歌詞にあてた曲を使用したそうです。その「あしあと」という詩は「ちっちゃな田舎のコーヒー店」と副題がつけられていまして、まちの汚い道ばた(のコーヒー店?)に座って、機械のように行進する大衆をみている、というものでした。「しんしんしん」の世界につながるちょっと習作っぽい内容でしたが、つぎに内容をガラリと変えてさきほどの「ちっちゃな田舎のコーヒー店」が作られることになります。これにつけられた副題が「かくれんぼ」で、ここでもうプロットも内容も完成していることがわかります。

《大瀧 1月26日には「かくれんぼ」のもとだったところの「足跡」っていう詞があったのね。松本が書いた「足跡」って詞を、俺、確か貰ったのは詞先だったのかな。詞先で貰ってて》(『定本はっぴいえんど』インタビュー)

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しかし「歪にゆがんだ」というところは、歌いにくいですよね。ボックスにも大瀧詠一がライブでトチっている様子も収録されてます。それは、ともかく、歪な二人の状況を示す道具として「珈琲茶碗」が登場します。これには、ちょっと戸惑います。お茶を珈琲茶碗で飲む、ということは、今まで飲んでいた「お茶」の種類は、「煎茶」や「ほうじ茶」ではなくて、「紅茶」だったんだと推測されるからです。「お茶しない?」(死語)というとき、飲むものは、紅茶でもコーヒーでもココアでもいいので、装置としてのドリンクがあれば、喫茶店で出てくるものはなんでもいいのかもしれませんが、音からくるイメージというのは強烈ですから、やはり「お茶」を飲んでなければいけないのです。

珈琲茶碗には、それほど量は入りませんから、気まずい雰囲気の中、手持ちぶさた解消のため、お茶でも少しずつ飲んでいる、という状況なのかもしれません。この何かを飲むという行為で、心情をさらりとあらわすというのは、松本隆のうまい表現の一つでしょう(たとえば、大滝詠一『白い港』の「港のカフェーの椅子で 苦いコーヒー飲むよ」)。

f0147840_18343422.jpgこの世界観は、松本隆がポール・サイモンから学んだところが大きいようです。ヤングギター71年3月号掲載(『はっぴいえんどBOOK』に再掲)の「ぼくは水いろの歌をきいたことがある」というコラムで、松本隆はサイモン&ガーファンクルのアルバム 『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』の一曲「ダングリング・カンバーゼイション(宙ぶらりんの会話)」を訳もつけて紹介しています。

Simon & Garfunkel 「Dangling Conversation」より

And we sit and drink our coffee
Couched in our indifference
Like shells upon the shore
You can hear the ocean roar
In the dangling conversation

ぼくらは 坐って コーヒーを飲んでいる
岸辺の貝のようにそっけなくね!
ほら大洋の響きが聞こえるだろう
宙ぶらりんの会話と よそいきの嘆息の中に(松本隆訳)

f0147840_1836325.jpg推測ですが、この「コーヒー」と「宙ぶらりんの会話」のシチュエーションをモチーフに、「ちっちゃな田舎のコーヒー店」は出来上がったのではないでしょうか。なお、「Warter Color」という単語については、ここでは「水いろ」という表現を使っていますが、この時期「水彩画の街」という詩も書いてますし、「Warter Color」をたんなる「水色」と捉えているのではないと思います。

◆ お茶の飲み方 ◆◆
それでは、お茶のみバンドとも評されたはっぴいえんどは、ライブなどで、どのようにお茶を飲んでいたのかをピックアップしてみます。いずれも曲の最後に飲むお茶です。

1970年4月12日
 「私は熱いお茶を飲んでーる、熱い、熱い、お茶、お茶を飲んでるんは。(ギターと低音効かせたベース)」
1970年8月5日
 「私は熱いお茶を飲んでーる、熱い、お茶、お茶をーんは。んでるー。(鈴)」
1970年8月9日
 「私は熱いお茶を飲んでーぅ、熱いーお茶ををぉ、のんでるー。ルラララララーァ(長いギターインプロビゼーション)」
1971年8月7日
 「私は熱いお茶を飲んでー、熱いお茶を飲んでるー、熱いお茶ぁ(ギターとベースと迫力あるドラムのかけあい)」
1971年8月21日
 「私は熱いお茶ほ飲んでーる、お茶を飲んでる。お茶を飲んでるぅー、お茶を飲んでる、お茶をんでる、んふー。(均整のとれたバンドサウンド)」
1972年8月5日
 「私は熱いお茶を飲んでるー、(ディストーションの効いたギター)」
1973年9月21日
 「私は熱いお茶を飲んでむ、(ギター)」

聞き比べると、お茶がだんだん「うまく」なっていきます。

しかし、鈴木茂はうまいですね。インプロビゼーションなど、やっぱりすぐに「12月の雨の日」のイントロを思いついた人だけあって、直感的に手が動いてるんだろうなと感心します。

細野晴臣のベースは最初からうまいようにおもいますが、とくに松本隆のドラムが、71年頃からは畳みかけるように叩いてて、もう一杯お代わり!な出来です。

演奏技術も、録音レベルも、最後の熱い「お茶」が一番端正で美味しいと思います。

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僕のおすすめの(好きな)お茶は、1970年8月9日のお茶です。普通、鉄はあついうちですが、お茶はすこし温めがいいはずです。しかし、このお茶は、沸騰したお湯を適温まで冷まさずにそのまま抽出してしまった、熱い熱いお茶です。夏だから、“暑さのせい”でのぼせ上がってるのでしょうか(^_^)、特にもうボーカルが熱くて熱くて、ノリに乗っていて、タイム的にも突っかかるぐらい前に前にと出てしまっているのですが、この熱さが江戸っ子が好む銭湯ぐらいたまらない一品です。

ちなみに、演奏など各種データを記しておきます。
1970年4月12日
 文京公会堂「ロック叛乱祭」(レアリティーズVol.1トラック3)
1970年8月5日
 スタジオ(通称『ゆでめん』トラック2)
1970年8月9日
 岐阜県椛の湖「第2回全日本フォークジャンボリー」(レアリティーズ Vol.1トラック11)
1971年8月7日
 岐阜県椛の湖「第3回全日本フォークジャンボリー」(レアリティーズ Vol.1トラック15)
1971年8月21日
 日比谷野外音楽堂「ロック・アウト・ロック・コンサート」(はっぴいえんど LIVE ON STAGEトラック5)
1972年8月5日
 長崎市公会堂「大震祭 VOL.3」(レアリティーズ Vol.2トラック9)
1973年9月21日
 文京公会堂「CITY-LAST TIME AROUND」(ライブ!! はっぴいえんどトラック10)

◆ 機関車と船と飛行機 ◆◆

もう何も喋らないで
そう黙っててくれればいいんだ
君の言葉が聞こえないから

これは最初に聞いたときにドキッとしたフレーズです、少し唐突に思ったというか、今までと違うなと思ったのです。ここでずっと、詞をおってきましたが、曲の方にめをやってみます。曲については、わりと複雑ではないマイナーコード進行となっています(楽譜「CITY」では、ずっとDm7-Gm7の繰り返しとなっています)。

f0147840_19112270.jpg次々と畳みかけるように状況を伝える詞なので、このコード進行でもあまり変化のない繰り返しとは感じず、メロディと歌とがマッチしていい曲だなと感じてました。細野晴臣もいい歌と褒めてますし、実際に人気もあったようです。

《細野:「かくれんぼ」ですね。これは、ホントにいい歌なんですけれど、日本的な風土に変身しました。しかし、元はカリフォルニアの音だったんです。それは、Crosby, Stills & Nash の「Wooden Ships 」とか、それからStephen Stillsの、ずいぶん前ですけれども『Super Session』っていうアルバムが大ヒットして、やはりStephen Stillsがリードをとっていたりした曲が「Season Of The Witch」。これは、リードギターをとっていた訳ですね。この2曲あたりの雰囲気がとても「かくれんぼ」っぽいわけです。》(細野晴臣 2000年4月9日ラジオ番組「DAISY WORLD」)

f0147840_19135488.jpg《インタビュアー ライブでも人気曲でしたね。
大瀧 みんなにクロスビー・スティルス&ナッシュの「ウドゥン・シップ」って言われて。確かにそうなんだけど(笑)。でも、できあがってみると、どこにも「ウドゥン・シップ」はないね。どう聞いても「五木の子守歌」。チーンとか入るし(笑)。ロック的なものはないよ。いきなり“くもった”だもん、いきなり曇られてもなあ。ただ、確かに人気はあった。無理矢理言えば「春よ来い」が浪曲=R&Bでメンフィスでしょ。「十二月の雨の日」がフォークロックでナッシュヴィル。「かくれんぼ」は多少クルーナー的というか、そういうことだったんじゃないですかね。》(『はっぴいえんどBOX』ライナー)

はっぴいえんどファンは「おっ、ゲット・トゥギャザー」伝説で、ヤングブラッズを知ってる人も多いと思いますが、ジェファーソン・エアプレインの「ウドゥン・シップ」もお勧めです。

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そして、このフレーズでコード進行に大きく変化が生まれ、「もう言葉が(Em-Am)聞こえないから(G-D)」となっていて、ここで鈴が大きくフィーチャーされています。「かくれんぼ」の解説では、鈴の事が盛り込まれることも多いですが、この曲はクリスマスソングでもないし、あまり鈴の議論ばかりしない方がいいと思います。本質は鈴だけでは捉えられないといっても、しかしなぜ鈴なのか、と思うところはあります。松本隆の証言にあるように、ここはあとからつけたところでしょう。「田舎のコーヒー店」にもないフレーズです。

《松本「かくれんぼ」は最初は大サビがなかったけれど、つけたいからといわれて、後で2行つけ加えた》(『ロック画報』)

そして、ずっと七七でつながっているのに、ここは七五調ではないのです。これもこのフレーズを際だたせている要因に思います。

f0147840_192635.jpg《松本 僕の詞って七五で出来てるんだけど、基本的には三五七で出来てるのを、出来るだけ文語体から口語体になおしたいなと思ってた》(『定本はっぴいえんど』)

《松本;やっぱり奇数は正しくて特別な数字なんだよね。ただそれに寄りかかると、いわゆる七五調になっちゃう。七五調もいいんだけど、七五調に寄りかかった文化というのがある。それにハマりたくもないな。でも、七五調はやっぱり基本だなと思う自分もいる。(ユリイカ「はっぴいえんど特集」》

こうした、コード進行、句型といった変更に加えて、もうひとつ、このフレーズが非常に唐突だと感じる要因があります。最大の要因は、やはり、それまでの情景描写と違い、自分の感情を歌に込めているところにあります。「喋り始めた」のです、それらが相俟って、少しドラマチックな曲になっているのかもしれません。

◆ そして、ようやく雪景色へ ◆◆

雪景色は外なのです
なかでふたりは隠れん坊
絵に描いたような顔が笑う
私は熱いお茶を飲んでいる

最後のフレーズです。ようやく雪景色までたどりつきました。

先ほどの熱い感情吐露が嘘のように、淡々とした描写が続きます。雪から連想される、「静けさ」が雪景色となって辺りを覆いつくします。そして、雪の「冷たさ」がもたらす緊張関係がわだかまった二人をあらわします。

これほどあちこちに詩趣を見いだすことが出来る雪景色は素晴らしいの一言です。また、もうひとつスゴイのは、ふつうに考えると「外は雪景色なのです」と記してしまうところを、そうせずに、「雪景色は 外なのです」としたところです。

「雪景色は 外なのです」、この一文にしびれて、「日本の雪の歌」特集にトライしたようなものです(今日もう紹介したので、この一回で特集を終わっても本望です(^_^)v)。

しかし、なぜこんな使い方が出来たのでしょうか。永嶋慎二にあるのか、確認してませんが、いうならば、実に漫画的、といって悪ければ、映像的です。ここで「外」が強調されているからこそ、次の「内」が引き立ちます。

松本隆の解説があれば、「かくれんぼ」というメタファーへの補足は要らないでしょう。

《松本 当時は爽やかなフォークの全盛期で、男女が互いに疑いあう歌なんてなかったんだ。でも僕、19の割りには屈折している青年だったから、とてもそんな簡単に男と女がわかりあえるなんてあり得ないと思っていて。男と女とは、一生懸命努力するんだけど、延々とすれちがっているような、そういう複雑なものじゃないかな、と。(中略)鬼にもなるし、隠れる子にもなるし、それはお互いさまなんだよ、と。》(『はっぴいえんどBOX』ライナー)

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楽譜集の秀逸なパロディ。はっぴいえんどをボーイズものの継承と捉えた『真・はっぴいえんど研究』は抱腹絶倒ものだった。例えば「しんしんしん」は、合わせ技“志ん”が三つ。古今亭志ん朝、志ん駒、志ん馬と整理されている。

◆ 冬の詩人“松本隆” ◆◆
松本隆は、ポール・サイモンだけでなく、様々な詩人の作品を血や肉に変え、結晶となって、はっぴいえんどがあるということは、ライナーのデディケーションに列挙された人物からもうかがい知ることが出来ます。

僕の周りの心あるはっぴいえんどファン5人に「はっぴいえんどの雪の歌」でどれがお好みかと聞いたところ、第1位が「しんしんしん」、第2位が「抱きしめたい」でした。

「しんしんしん」は、やはり、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる」の影響が大きいのかなとおもって、中原中也の詩集を読み返してみると、「秋」が結構キーポイントになってました(^_-)。

f0147840_19385888.jpgたとえば「曇つた秋」という詩は「かくれんぼ」の出だしになり、原詩「曇った冬の」というのは、曇った秋を発展させたものかもしれません。また、「秋」という詩集の『秋」という詩では、「僕は煙草を喫ふ。その煙が澱んだ空気の中をくねりながら昇る」とあり、一服する「抱きしめたい」につながるようにも思います。

シューベルトの「冬の旅」も日本語に訳してしまったほどですから、松本隆は冬好きなのだと思います。秋の詩人“中原中也”、冬の詩人“松本隆”といったら、言い過ぎでしょうか?

また、「しんしんしん」や「あやか市」などをみると、ランボーは松本隆に大きな影響を与えたと思います。松本隆が好きだと名前を挙げた詩人の一人、清岡卓行をウェブで調べると、はっぴいえんど結成前夜の1968年に清岡卓行翻訳『ランボー詩集』(河出書房新社)というのが刊行されているのが分かりますので、清岡卓行の詩も訳したランボーの詩も好きだったのじゃないかなと思います。

しかし、前出の詩集「風のバルコニー」によれば、「14才にして早熟にもランボー、ボードレール、マンディアルグにかぶれ、ジャン・コクトーのアンファンテリブル気取りのポーズを覚えるが、モテなかった」とあるので、1963年にはランボーを読んでいたんですね。ともかく、様々な影響を重層的に受けているから、こういった詩が書けたのでしょう。そこには、海外もあり、日本もあった、ということだと思います。

《松本 日本の詩人はあまり好きじゃなかった。リルケも読んでた。あと、フランスのランボーとかロートレアモンとか。》(『定本はっぴいえんど』)

《松本 宮沢賢治とか萩原朔太郎とか北原白秋とか中原中也にひかれていった。》(『ロック画報』)

《(松本さんは現代詩の作品も読んでいたんでしょ?)松本 清岡卓行とかね。》

ここで、ランボーの詩から雪のでてくる一節でも引用して終わろうかと思いましたが(「O pale Ophelia! belle comme la neige!」(雪のように美しいオフェリアよ!)とか)、松本隆は、「雪」を「雪」としてとりあげず、「景色」として取り上げていますので、それじゃ格好良すぎて、しらけっちまうぜ、ですので、ちょっと違った形で終わります。

この曲が、熟成されて出来上がった傑作「抱きしめたい」では、ジェットマシーンを使って「“雪”の銀河」を表現できるようになっていますし、『風街ろまん』の完成度は高いと思います。でも、はっぴいえんどについては、ファンになればなるほど、その原点の荒削りのサウンドの方になぜか愛着が湧きます。

「Wooden Ships」で吹いている南風(CS&Nの歌詞では、It's a fair wind/Blowin' warm out of the south over my shoulderとなっていて、ジェファーソン・エアプレーンとは終わりの歌詞が違う)を受けて、フォーク・ロック・シーンに次々と新たな風を紡ぎ出す原点となったのがこの曲です。

隠喩としての風にとどまることなく、「風」と「雪景色」という言葉をうまく使った詞で紡ぎ出されているこの曲は、一枚目のアルバムのなかでも、とびきり愛着のある、自分にとって「侘び茶」の1曲なのです。

○主な参考文献
『定本はっぴいえんど』(白夜書房)
『はっぴいえんどBOOK』(シンコーミュージックムック刊)
『はっぴいえんどBOX』ライナー(エイベックス・イオ)
『はっぴいえんどかばぁぼっくす』(OZディスク)
『ロック画報 (20世紀最後のはっぴいえんど特集)』No.1、 No.2(ブルース・インターアクションズ)
「 ユリイカ(特集:はっぴいえんど)」第36巻第9号(青土社)

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by songsf4s | 2008-02-14 21:54 | 日本の雪の歌