カテゴリ:冬の歌( 32 )
外は寒いぜベイビー――ディーン・マーティンのBaby It's Cold Outside
タイトル
Baby It's Cold Outside
アーティスト
Dean Martin
ライター
Frank Loesser
収録アルバム
A Winter Romance
リリース年
1959年
他のヴァージョン
Ann Margret with Al Hirt, Johnny Mercer with Margaret Whiting, Carmen McRae with Sammy Davis Jr., Buddy Clark with Dinah Shore, Ray Charles with Betty Carter, Avalanches, Jimmy Smith & Wes Montgomery, Jo Stafford
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いったいどういうことなのか、わたしが住む南関東は昨日から雪が降りそうな寒さで、じっさい雨の音がときおりシャリシャリして、霙になっていました。夜になってからのほうがかえって気温が上がったのか、もうただの雨になったようです。

おかげで昨夜は寒い曲特集を組んで聴いてしまいました。ツイッターで「実況」をやったので、すくなくともお客さんのうちのお二人は、すでに読んだものを再び読むことになってしまい、相済みません。そもそも、ツイッターに書いたこと自体、当ブログの昔の記事の焼き直しのようなもので、どの曲もすでに記事にしています。

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Nino Tempo & April Stevens "The Coldest Night of the Year"
Sam Cooke "Out in the Cold Again"
Billy Strange "The Spy Who Came in from the Cold"
Dean Martin "Baby It's Cold Outside"その1およびその2
Don McLean "American Pie"その1その2その3その4

ディーン・マーティンのBaby It's Cold Outsideもすでにくわしく書いていますが、そのときはまだYouTubeのクリップを貼りつけられなかったので、この馬鹿馬鹿しい極寒の四月の記念に、ここに補足しておきます。



いや、おみごと!

ディノがなんぼのもんじゃい、という方のために、カラオケを用意してみました。Butのタイミングがちょっとむずかしいのですな、これが。

Baby It's Cold Outsideのカラオケ

いま、YouTubeでいくつかのヴァージョンの頭のほうだけ聴いてみましたが、やっぱり、「遅れてはいけない」と思うせいか、ほとんどのシンガーがButの拍を食いすぎています。早すぎてしまうのでは、遅れたのと同じくらい悪い結果になります。このButのタイミングに関するかぎり、ディノは一頭地を抜くみごとさ。センスですな。

◆ ネズミとオオカミの化かし合い ◆◆
ほかにもいくつかBaby It's Cold Outsideのサンプルをアップしておきましょう。まずはマーガレット・ホワイティングとジョニー・マーサーのデュエット。テンポが遅いせいなのか、もともとセンス・オヴ・タイムがすぐれているのか、ジョニー・マーサーもButを無難に歌っています。



さらにテンポの遅いアン=マーグレット&アル・ハート盤もなかなかの出来だと、昔の記事に書きました。どこがどういいかはそちらの記事をご覧いただくことにして、ここではサンプルを。アル・ハートのヴォーカルはどうでもよくて、もっぱらアン=マーグレットの「マウス」がチャーミングなのです。

サンプル Ann=Margret & Al Hirt 'Baby It's Cold Outside'

つづいてカーメン・マクレー&サミー・デイヴィス・ジュニアのヴァージョン。こちらはカーメン・マクレーの「マウス」は可愛げがないので打っちゃっておき、サミー・デイヴィスの大熱演の「ウルフ」をお楽しみあれ。

サンプル Carmen McRae with Sammy Davis Jr. 'Baby It's Cold Outside'

こう並べてみると、あらゆるヴァージョンのなかでもっとも早いテンポでやっているのに、どこも突っ込むところなく、余裕綽々で歌ってみせたディノのセンスと技術がいっそう際だってきます。

最後に、テンポはディノと同じぐらい、ただし、話はまったく逆の、レッド・スケルトンとベティー・ギャレットのデュエットをどうぞ。映画『水着の女王』(Neptune's Daughter)の一コマ、



ほんとうは、アカデミー主題歌賞の対象になったエスター・ウィリアムズとリカルド・モンタルバンがこの曲を歌うシーンを探していたのですが、レッド・スケルトンのほうしかありませんでした。これはたぶんエスター・ウィリアムズとリカルド・モンタルバンが主題歌を歌うシーンに対するカウンターとしてつくられたもので、「マウス」と「ウルフ」の役割を逆転させています。ほんとうなら、もう帰らなくちゃ、というのは「マウス」すなわち可愛い子ちゃんなのですが、それをレッド・スケルトンが演じて、ベティー・ギャレットが「止め女」をやっています。珍なるかな。

もうすこしなにか実のあることを書こうと思ったのですが、はやシンデレラ・タイム。今日はサンプルだけでした。


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by songsf4s | 2010-04-16 23:56 | 冬の歌
Snowbird by Elvis Presley
タイトル
Snowbird
アーティスト
Elvis Presley
ライター
Gene MacLellan
収録アルバム
Elvis Country
リリース年
1971年
他のヴァージョン
Anne Murray, Anne Murray with Sarah Brightman, Ray Conniff
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は依然継続中なのですが、疑問を解明せずにはおかない徹底癖ゆえに、調べものが泥沼になり(よくあることです)、読書にいそしんでいらっしゃるので(いや、こういうときは落ち着いて読むこともできないものですが)、本日も代打の代打で、レギュラープログラムをお送りします。

よその土地のことは知りませんが、南関東では、今年は例年より寒かった印象があります。ご近所のお年寄りも、今年は寒いと嘆いていらっしゃるので、これはわたしひとりの印象ではないようです。まあ、ちょっとした気温の上下に敏感になったら、年をとった証拠なのかもしれませんが。

その長かった冬もそろそろ終わりそうな気配で、紅梅のみならず、白梅も開花しましたし(先日のシャドウズ"Spring Is Nearly Here"の枕では、白梅と紅梅を逆に書いてしまったのに気づき、訂正しました)、蕗の薹も出てきました。あとは冬眠していたリスが目覚め、早朝から騒々しく駈けまわるようになれば、春本番です。

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今日の昼間撮影した蕗の薹。石垣に生える植物と同じように、蕗は妙なところを好むようで、これはコンクリートのすき間から芽を出した。

◆ ユキヒメドリ ◆◆
前回に引きつづき、本日も冬と春の端境期の歌を選んでみました。まずは歌詞から見ていきます。ファースト・ヴァース。

Beneath this snowy mantle cold and clean
The unborn grass lies waiting
For it's coat to turn to green
The snowbird sings a song he always sings
And speaks to me of flowers
That will bloom again in spring

「この冷たく清い雪の下では、草が緑色に芽吹こうと待ちかまえている、ユキヒメドリはいつもの歌をうたい、春にふたたび咲きほこる花のことを語りかける」

ほかのことはともかく、snowbirdというのが気になります。辞書には「ユキヒメドリ(junco)、ユキホオジロ(snow bunting)、ノハラツグミ(fieldfare) 《俗》コカイン[ヘロイン]常用者 《俗》避寒客、避寒労務者《冬期に南部へ旅[移動]する人[労働者]》とあります。

f0147840_21585577.jpgこの場合、裏の意味は無視していいでしょう。さりながら、ふつうに鳥のことをいっているのだとしても、選択肢が三つもあるのは困ります。日本にはいない種類らしいことも、迷いに拍車を駆けてくれます。で、あちこち見てまわったのですが、やはりあいまいではあるものの、一般的にはsnowbirdといった場合、ホオジロ科のジュンコを指すケースが多いことがわかりました。つまり、ユキヒメドリのことをsnowbirdという俗称で呼ぶケースが多い、ということです。

このヴァースについては、ほかに問題はないでしょう。そもそも、これだけではまだなんの歌なのかわからず、エコロジー・ソングかと思っちゃいます。でも、最後まで行くと、結局、このヴァースがもっとも素直で、ちゃんとできていたことがわかるのですが……。とりあえず、春まだきの情景描写として、とりたてて欠点はないといえるでしょう。

◆ イメージの混乱 ◆◆
では、セカンド・ヴァース。

When I was young my heart was young then too
Anything that it would tell me
That's the thing that I would do
But now I feel such emptiness within
For the thing that I want most in life
Is the thing I can't win

「若いころは心もまた若く、心のおもむくままにふるまったものだ、でもいまでは虚しさを感じる、人生でもっとも望んだことはどうしても手が入れられないのだから」

youngを繰り返すことが効果を上げていますが、ここでもまた、日本語は繰り返しを嫌うということを感じます。コーネル・ウールリッチ(いや、ウィリアム・アイリッシュ名義だったか)の『幻の女』の冒頭、The night was young, so was I」(記憶で書いているので、これでいいのかどうか確信なし)なんてフレーズも連想します。近いうち、稲葉明雄先生の畢生の名訳を読みかしてみましょう。

えーと、なんの話でしたか。めざましいところのないヴァースで、あらぬところに意識が流れてしまいました。この曲にはブリッジも間奏もなく、セカンドからサード・ヴァースに真っ直ぐいきます。

Spread your tiny wings and fly away
And take the snow back with you
Where it came from on that day
The one I love forever is untrue
And if I could you know
that I would fly away with you

「小さな翼を広げ、雪といっしょに飛び去れ、あの日にやってきた場所へ、わたしが永遠に愛する人は貞節ではない、だから、そうできるなら、おまえといっしょに飛び去っているだろう」

f0147840_2215192.jpgヴァース前段では、ユキヒメドリがなにか不吉なものの象徴であるかのように、きた場所へ帰れ、といいながら、後段では、こんなところにはもういたくない、できれば俺だっていっしょに飛び去りたいんだといっているわけで、論理が破綻しています。歌だからいいけれど、本だったら、これじゃあ通らないぜ、です。ポップ・ソングのように短い詩形の場合、ひとつのものに複数の象徴をあたえるのは、賢明とはいえないでしょう。

百歩ゆずって、ユキヒメドリに不吉なものとしての属性をあたえたわけではなく、たんに自由なすがたを描いているだけだとしても、fly awayという2語で、追い払っているような印象をあたえるという失敗をしています。一流のソングライターなら、こういうスキは見せないでしょう。そもそも、that dayとはなんなのか、さっぱりわかりません。非常に収まりの悪いヴァースで、ないほうがよかったでしょう。

もうあとは略していいような気もするのですが、これで最後なので、フォース・ヴァース。

The breeze along the river seems to say
That she'll only break my heart again
Should I decide to stay
So little snowbird take me with you when you go
To that land of gentle breezes
Where the peaceful waters flow

「川の畔の風は、彼女はまたわたしを悲しませるだけだと告げる、ここにとどまるべきなのだろうか、だからユキヒメドリよ、おまえが飛び立つときには俺もつれていってくれ、安らかな流れのある穏やかな風の吹くあの土地へと」

結局のところ、ユキヒメドリは凶鳥ではなかったことになりますが、こういうイメージの混乱はいいことではなく、あまりうまくない人だと感じます。ひょっとしたら、わたしがなにかを見落としているのかもしれません。ためにならない恋人と別れるべきかどうか決めかねている心の揺曳を反映した、といえなくもないかもしれませんが、だとしても、その表現は拙劣です。

◆ ギター・サウンド ◆◆
歌詞のほうは納得のいかないところがありますが、サウンドのほうは軽快で、70年代のエルヴィスの曲のなかでは、かなり好ましい部類です。

エルヴィス盤はオリジナル(だと思うのだが)のアン・マレイ盤がヒットしている最中に録音されたもので、テンポまで含め、ほとんどストレート・カヴァーですが、エルヴィスがいいか、アン・マレイがいいか、という以前に、サウンド、プレイはエルヴィス盤のほうがよくできていると感じます。セッショノグラフィーのJPEGを以下に貼りつけます。

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ギターはエディー・ヒントンとチップ・ヤングとなっていますが、マスターZPA4 1797-06には後日のオーヴァーダブありと注釈があり、ハロルド・ブラッドリーのギターが重ねられたとなっています。はてさて、むずかしいことですなあ。エディー・ヒントンは一部方面では有名な人で、こちらがリードにまわったと考えられますが、どのギターだよ、なんですよ、これが。

Snowbirdに使われているギターの種類とプレイをいうと、シタール・ギター(エレクトリック・シタール)のオブリガート(右チャンネル)、ふつうのエレクトリック・ギターのオブリガート(オフミックス、左チャンネル)、アコースティック・リズム(左チャンネル)となっています。同じチャンネルにほかの楽器がない、右のシタール・ギターがオーヴァーダブだと考えるのが順当で、だとすれば、これがハル・ブラッドリーのプレイということになります。しかし、これはアン・マレイ盤のシタール・ギターのリックのほとんどストレート・コピーで、とくにどうということのないプレイです。

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ダンエレクトロ・エレクトリック・シタール・ヴィニー・ベル・モデル 13本の共鳴弦が仕込まれ、そこにもピックアップがあり、リゾネーションを拾うようになっている。通常のエレクトリック・ギターと同じように、2つのピックアップ(ダンエレクトロ特有の「リップスティック型」)があるのがおわかりだろうが、同じものが上のほうに飛び離れて取り付けられている。これが共鳴弦用ピックアップ。

気になるのは、左チャンネルのエレクトリックによるオブリガートです。オフミックスなのでよく聞こえないのですが、それでも、なかなかセンスを感じるサウンドとフレージングなのです。シタール・ギターとアコースティック・リズムはアン・マレイ盤にもありますが、エレクトリックによるオブリガートは、エルヴィス盤だけのものです。

わたしはヒントンのプレイに馴染んでいるわけではないので、音からは判断できないのですが、消去法で考えていくと(チップ・ヤングは、ジェイムズ・バートンのいるセッションではつねにリードをバートンに譲っているようなので、基本的にリズム・ギターの人と考えられる)、エレクトリックのオブリガートがエディー・ヒントンのプレイということになるようです。いくつか聴いてみるに足るプレイヤーに思われるので、今後は注意してみようという気になりました。

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自分の名前を冠したシタール・ギターを弾くヴィニー・ベル(右)。ベルはスリー・サンズのメンバーとして活躍し、スタジオ・プレイヤーとして多数のヒットを残した。左はジーン・ピットニー。

ノーバート・パトナムとジェリー・キャリガンというベースとドラムのコンビは、この時期のエルヴィスのナッシュヴィル・セッションではおなじみのメンバーです。キャリガンは、すくなくともケニー・バトリーのように、腹が立つような変なチューニングをしたり、妙にタイムが遅かったりすることはないので、「不快ではない」プレイヤー、ということだけはいえます。概して、さすがはエルヴィスのセッション、やはりアン・マレイのセッションとは格が違うと感じる、スケール感のある、懐の深いサウンドになっています。

◆ 「失われたエルヴィス世代」 ◆◆
わたしはエルヴィス・ファンではないので、エルヴィスのヴォーカルがどうのこうのと口幅ったいことをいう気はありませんが、エルヴィスにかぎらず、力みのあるヴォーカルは好まないので、Snowbirdにおける肩の力を抜いたエルヴィスは好ましく感じます。こういうエルヴィスなら疲れないのですが、70年代のライヴなど、エルヴィスのことはあきらめて、ジェイムズ・バートンやロン・タットのプレイを聴いてしまいます。まあ、それをいうなら、60年代中期も、ハル・ブレインのドラミングを聴くためにエルヴィスをかけているようなものですが。

わたしの年代というのは、エルヴィスのことを、旧世代の古めかしいサウンドとアティテュードを代表する「敵」とみなして育ったので、勝手にLost Elvis Generation「失われたエルヴィス世代」というタームをでっち上げています。60年代なかごろには、エルヴィスが、馬鹿馬鹿しいプロットの映画で、古めかしい曲を、古代のスタイルで歌っているのを、「ケッ」と嗤っていた中学生がたくさんいました。

f0147840_22425756.jpg十数年前、帰国した昔のバンド仲間が電話してきて、「最近、なにを聴いている?」というので、「エルヴィスを集めた」といったら、「なんで?」といわれました。それほどに、われわれの世代はエルヴィスとは無縁に育ったのです。当ブログにしばしばコメントを書いていらっしゃる、Add More Musicのキムラさんはわたしのひとつ上ですが、以前、エルヴィスは嫌いと書いていました。キムラさんは非常に守備範囲の広い方で、わたしのように好悪がひどくないのですが、長い付き合いのなかで、キムラさんのエルヴィスに関するコメントは、「嫌い」のひと言しか読んだことがありません。

こういう世代間の好みのちがい、そういってよければ「対立」はつねにあったのですが、1940年代後半に生まれたいわゆる「団塊の世代」に対する、われわれ50年代生まれの反感というのはあまり表面化したことがなく、たぶん、ビートルズ贔屓(いや、それがお好みなら、ストーンズ贔屓でも、ディラン贔屓でもよろしい)、エルヴィス嫌いというのが、もっとも端的にわれわれの団塊世代への反感を象徴していると思います。

これだけ時間がたってしまうと、当時のエルヴィスに対する不快感は薄れているのですが、それでも、「好きなシンガー」にあげることはいまでもありません。やはり、十代のころに嫌っていた記憶は消えるものではなく、たんに、大人として、やはり歌はうまい、歌だけで明快なグルーヴをつくれる稀有のシンガーだ、バンドも(シナトラの場合と同じように)つねにいい仕事をしている、と「頭で」思うだけであり、エルヴィスを聴くのが「楽しい」と感じたことはありません。あくまでも歴史書を読む感覚なのです。

よけいなことかと思いましたが、エルヴィスのどん底の時期を目撃した世代のエルヴィス観というのは、あまり読んだことがないので、贅言を弄しました。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_22493553.jpgアン・マレイ盤は、トップテン・ヒットになっただけあって、なかなか悪くありません。エルヴィスがストレート・カヴァーしたのも頷けるアレンジで、よくできています。

ついでに、近年のセルフ・カヴァー盤、アン・マレイとセイラ・ブライトマンのデュエットも試聴しましたが、おおいにへこたれました。だいたい、お年を召したシンガーがデュエット盤を出すと、ろくでもない結果になるのが相場で、アン・マレイも例外ではないというか、この手の下り坂苦しまぎれデュエット盤のなかでも、群を抜いてひどい出来です。わたしが男だからかもしれませんが、こういうお婆さん声にはまったく耐性がなく、数小節で、もう勘弁してくれ、でした。

f0147840_22533192.jpgなによりもまずいのは、お婆さん声を聴いたあとで、若いころの盤を聴き直すと、なんだ、若いころからもうお婆さんの芽があるじゃないか、と幻滅することです。男だって、下り坂苦しまぎれデュエットはやめたほうがいいと思いますが(ひとつで売れないからといって、売れないものふたつをセットにしても、一粒で二種類のまずさを味わえるだけ)、女性シンガーは、よくよく考えて引き立て役を選ぶべきで(大物お爺さんなどが適当でしょう)、アン・マレイのように相方に若い女性シンガーを選んだら、魔女の声かよ、てなもので、目も当てられない結果になること必定です。

山田風太郎が、美人女優はお婆さん役などやってはいけない、静かに消えるべきだと書いていましたが、たしかに、原節子のように晩節をきれいにしないと、若いころのいい作品にまで「被害」がおよびます。山田風太郎としては、もっとも好きだった轟夕起子が、戦後は太ってお母さん役などやっていたのがたまらなかったのでしょうが、アン・マレイのリメイク盤Snowbirdは、太った晩年の轟夕起子など可愛いく思えるほどの、地獄からやってきた魔女声で、口直しにShadows in the Moonlightを聴いても、この声の呪いからは逃れられないだろうという予感がします。
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by songsf4s | 2008-02-26 22:56 | 冬の歌
Spring Is Nearly Here by the Shadows
タイトル
Spring Is Nearly Here
アーティスト
The Shadows
ライター
Brian Bennett, Bruce Welch
収録アルバム
Out of the Shadows
リリース年
1962年
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ゲストライターのTonieさんによる「日本の雪の歌」特集はまだ継続中ですが、ここでささやかなインターミッションとして、レギュラー・プログラムをお送りします。Tonieさんは宮仕えの身、しかも、三人の小さなお子さんたちの父親でもあるので(ビーチボーイズに育ててね、とつねづね申し上げています。ひとりは音楽嫌いになっても、まだエヴァリーズは確保できる!)、すこし休んでいただかないといけないのであります。

関東は昨23日、春一番が吹き荒れましたが、春一番のあとのつねで、夜にはすっかり冬に逆戻りしてしまいました。ここから一進一退というか、三寒四温なのでしょうが、紅梅はすでに三分から五分咲き、白梅もつぼみを膨らませはじめ、梅の蜜を好むメジロの声もよく耳にするようになりました。春は確実に近づいています。

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紅梅をついばむメジロ(2007年2月11日撮影)。作り物のような目をしている。よく「梅に鶯」というが、梅が咲くころ、ウグイスはまだ見かけない。中国とは事情が違うのに、その点を斟酌することなく直輸入してしまった取り合わせなのだろうが、メジロがまた、ウグイスよりずっときれいな鶯色をしていることも、誤解に拍車を駆けたのではないだろうか。

さて、お気づきの方も多いでしょうが、当ブログの「看板絵」に利用した三枚のレーベルのうち一枚は、シャドウズのSpring Is Nearly Hereです(残りの二枚はジミー・ロジャーズのThe Long Hot Summerと、ボビー・ジェントリーのアルバムTouch'em with Love)。邦題は「春がいっぱい」となっていましたが、これはちょっとフライングで、原題をそのまま訳せば「春はもうすぐそこ」です。そういうタイトルでもあり、ずっと「看板絵」に利用させてもらっているので、この曲を取り上げないと義理が悪いのです。

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◆ ドラマーの“トーナルな”アプローチ ◆◆
いつもなら、ここで歌詞の検討になるのですが、この曲はインストゥルメンタルなので、かわりに音と背景について少々書きます。例によって、なんでも調べてみるものだなあ、と痛感するトリヴィアがいくつかあるのです。

まずは作曲者について。Spring Is Nearly Hereのライターであるブライアン・ベネットとブルース・ウェルチは、ファンならご存知のようにシャドウズのメンバーです。リズム・ギターのウェルチが曲を書くのはわかるのですが、ドラムのベネットは(Little 'B'やBig 'B'のようなドラム・ソロをフィーチャーした、リック・オリエンティッドな曲は別として)どの程度、曲作りに関与しているのか疑わしく思っていました。

f0147840_15262661.jpgしかし、With Strings Attachedのライナーにあるブライアン・ベネット・インタヴューを読むと、「関与」どころか、Spring Is Nearly Hereは「ごく初期の曲で、シャドウズに加わる以前に書いた」といっています。ブライアン・ベネットがシャドウズに入ったのは1961年秋のようですから。それ以前の作品ということになります。となると、むしろ、ブルース・ウェルチの「関与」のほうを考えなければいけないようですが、推測をいうなら、ベネットはヴァース、ウェルチはブリッジという共作パターンではないでしょうか。

ロック・バンドのドラマーはいざ知らず、スタジオのプロの場合、ドラマーでも音楽理論を学んだ人がたくさんいます。ハル・ブレインもアール・パーマーも正規の音楽教育を受けていますが、ハルはピアノを、アールは編曲を学んだそうです。この二人の直系の後継者だったジム・ゴードンは、正規の教育を受けた形跡はありませんが、ご存知のように、Laylaのコーダ部分は、彼が自分のソロ・アルバムのために書いた曲を流用したものですし、このコーダ部分では、彼はドラムのみならずピアノもプレイしています。ついでにいうなら、ピアノを学んだハル・ブレインは、デニス・ウィルソンについて、ドラムよりピアノのほうがうまかった、と証言しています。

ブライアン・ベネットは、ロック・バンドのドラマーというより、スタジオのプロに近い人だったので、ハリウッドのプロたちと同じように、打楽器奏者としてではなく、「ミュージシャン」として音楽を捉えていたようです。いいかえれば、リズミカルのみならず、「トーナル」にも音楽を見ていたということです。ベネットがドラム・セットをGチューニングにしていた背景はそれ以外に考えられません。

キャロル・ケイがこんな話をしていました。ハル・ブレインがかの有名なオクトプラス・セットをはじめてスタジオに持ち込んだとき、彼女はその馬鹿馬鹿しい姿に呆れ、「それで音階でも叩く気なの?」とからかったら、ハルが即座に8個のタム(この数には意味がある)を使って、メロディーを「叩いて」みせたので、彼女はひっくり返って驚いたそうです。8個のタムを「トーナル」にチューニングすれば(いや、「調」のない、つまり「アトーナルなチューニング」などありえないが、現実には、調を意識しないドラマーのほうが多い)、ドレミファソラシドのメイジャー・スケールを奏でられるのです。だから、あれはたんなるタムではなく、「コンサート・タム」すなわち音階のあるタムなのです。

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話が脇に逸れましたが、前述のWith Strings Attachedのライナーで、ブライアン・ベネットは、バークリー音楽院の通信講座を受けたといっています。シャドウズ以前にツアーでいっしょになったジョン・“007”・バリーが、ジュリアード音楽院の通信講座をとっていたといっているので、これに刺激を受けたのでしょう。

子どものころからシャドウズが好きだったわりには、ちゃんと彼らのことを調べたことがなかったので、いまになってブライアン・ベネットのバックグラウンドを知り、おやおや、そうとは知らず、失礼しました、と謝っちゃいました。

◆ クレヴァーなコードとウェルチのプレイ ◆◆
f0147840_15325415.jpgベネットが、生まれてはじめて書いた曲だと思う、といっているだけあり、Spring Is Nearly Hereはいたってシンプルなつくりで、基本的にはC-Am-F-Gという循環コードです。これが、日本でのみシングル・カットされ、当時もそれなりに好まれ、いまもどうやらシャドウズの代表曲のひとつとみなされている(国内のカヴァー盤がある)理由でしょう。日本人好みの「花はどこへ行った?」コードなのです。

ただし、シンプルななかにも、一カ所だけ、クレヴァーなチェンジアップがあります。C-Am-F-Gを2回繰り返したあとは、F-Fmというコード・チェンジをつかっているのです。SleepwalkのC-Am-Fm-Gという、循環コードのうちひとつだけ、しかも半音ずらしただけで別世界になってしまった、unusualな進行ほど印象深くはありませんが、それに近い効果を上げています。これがあるおかげで、飽きのこない曲になったのです。

f0147840_1533269.jpgSpring Is Nearly Hereのハンク・マーヴィンのプレイはいつもどおりで、なかなかけっこうですが、今回聴き直して、ちょっとミス・トーンはあるものの、ブルース・ウェルチのプレイに感心しました。おおむねアルペジオを弾いているのですが、かならずしも素直なアルペジオではなく、低音弦のアルペジオを繰り返したり、高音弦だけになったり、短いコード・ストロークをはさんだりと、かなり変化に富んだプレイなのです。つまり、行き当たりばったりではなく、きちんとアレンジされているということです。

考えてみると、中学のときにシャドウズが好きになった理由のひとつも、ブルース・ウェルチのプレイでした(いや、もちろん、ハンク・マーヴィンのプレイとサウンドにも惹かれたのですが)。ハリウッドのエースたちで構成されるスタジオのヴェンチャーズではなく、日本にきていたツアー用ヴェンチャーズにかぎっての話ですが、彼らとシャドウズが決定的にちがっていると感じたのは、シャドウズはリズム・ギターが変化に富んでいて、「大人」だということでした。プレイの面ばかりでなく、ブルース・ウェルチがしばしばアコースティック・ギターを使っていたことも、当時は新鮮に感じたものです。

◆ シャドウズ・イン・ジャパン ◆◆
国内盤Spring Is Nearly Hereがリリースされたのは、録音からなんと5年後の1967年です。シングルのライナーを読むと、これがひどい古物だということにはひと言もふれず、まるで新品のようなことをのたまっていて、音楽業界のイカサマぶりを如実に示していますが、当時の日本的好みのありかをよく把握した選択でもありました。あちこち調べて、各国のリリース状況を見てみたのですが、世界中でこの曲をシングル盤にしたのは、どうやら日本だけのようです(EPとしてリリースした国はある)。

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「春がいっぱい」シングル盤のライナーより。もはや時効でもあり、武士の情けで署名はボカした。「SFあやつり人形劇」という、「手術台上のミシンとコウモリ傘の出合い」(アンドレ・ブルトン、だと思うのだが)も三舎を避ける、シュール・リアリスティックな言葉の衝突がすごい!

1967年というのは、日本におけるシャドウズ人気のピークだったようです。わたしがシャドウズの盤をはじめて買ったのがこの年だったので、たんにこちらのテイストが幼くて、それまであまり聴いたことがなかっただけかと思っていたのですが(それ以前にシャドウズの曲として知っていたのは、The High and the Mightyすなわち「紅の翼」ぐらいだった。これはシャドウズのコピーバンドだったザ・サベージがカヴァーしたので印象に残った)、シャドウズ本の著者のサイト(なかなかすばらしいサイトなので、シャドウズ・ファンにはご一読を奨めます)を読むと、日本でシャドウズの人気が出たのは1967年からだったといっているので、子どものわたしはその流れのなかで、シャドウズのファンになったことになります。

67年のたぶん晩春か初夏のことだったと思うのですが、シャドウズは初の来日をして、テレビにも出演しました。レコードを流すのではなく、ちゃんとしたスタジオ・ライヴで、しかも、1、2曲の顔見世ではなく、30分ほどのセットでした。ヴェンチャーズよりずっとうまいと思ったことしか記憶になく、どんな曲をやったのか、いまとなっては知りようがないと思っていたのですが、上記サイトにくわしい記述がありました。当時のことを記憶しているシャドウズ・ファンのために、この記述からテレビ出演時にプレイした曲を、以下に拾い出しておきます。

Apache
Dance On
Nivram
Spring Is Nearly Here
Foot Tapper

この5曲ですべてかどうかはわかりませんが、この少ない曲のなかにもSpring Is Nearly Hereが入っています。この時点で、日本における彼らの「最新シングル」だったということもあるのでしょうが、ツアー・プロモーターなり、彼らの日本におけるレーベルだった東芝関係者から、この曲は日本ではぜったいに受ける、と慫慂されもしたのでしょう。テレビ出演のみならず、日本ツアーのセット・リストにもSpring Is Nearly Hereは入っています。

◆ 1967年のシャドウズ ◆◆
ヴェンチャーズの人気が下降線に入ったためではないかと推測しますが、東芝は1967年にいたってシャドウズをプッシュしようとしたようです。子どものわたしはそれに乗せられて、この年、シングルを3、4枚と、アルバムThe Best of the Shadowsを買い、さらには、夏休みにクリフ・リチャードとシャドウズが主演する映画『Finders Keepers』(邦題は失念したが、『太陽を盗め!』というものだったような気がする)まで見ました。

f0147840_1550243.jpgヒットしなかったため、クリフ・リチャードのファンはあまり注目していないようですが、この映画のサントラからカットされた、Finders Keepers b/w This Dayというシングルは、両面ともなかなかけっこうな出来で、テーマ曲のほうは、シャドウズ・ファンにとっても興味深いものだと思います。ライターもシャドウズの4人です。

しかし、1967年といえば「サマー・オヴ・ラヴ」の年、サイケデリックの嵐が吹き荒れることになります。シャドウズをテレビで見たときには、まだそのことに気づいていませんでしたが、この時点でもすでにStrawberry Fields Foreverを聴いていたわけですし、夏休み直前にはSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandがリリースされたので、Finders Keepersを見たころには、来たるべき疾風怒濤の大混乱時代はすでに予感していたはずです。

f0147840_15534375.jpgシャドウズとの付き合いが、ほんのわずかな期間で終わり、80年代になるまで途絶えてしまったのは、そのような時代との関係があり、また、わたし自身も、時代に翻弄され、好みがころころ変わる年齢だったことによります。いまの年齢になれば、あの時代のガレージ・バンドの雑駁きわまりないプレイなどより、品のあるシャドウズのサウンドのほうが比べものにならないほど好ましく感じるのは理の当然で、なんだって、あの当時、もうすこし買っておかなかったのか、と思いますが、音楽を聴くというのは、こういう後悔の連続だから、是非もなし、であります。

◆ アレンジャーたち ◆◆
最後に、シャドウズのアレンジャーについてすこしだけふれておきます。Spring Is Nearly Hereのストリング・アレンジをしたのは、彼らのプロデューサー、ノリー・パラマーです。60年代はじめぐらいまでは、弦や管が必要になったときは、ほぼすべてパラマーがアレンジとコンダクトをしたようです。

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ブースのシャドウズとスタッフ 後列右からブルース・ウェルチ、ジョン・ロスティル、ハンク・マーヴィン、ブライアン・ベネット。左端に立っている人物は不明。あるいはアレンジャーのスティーヴ・グレイか。前列右はおそらくエンジニアのピーター・ヴィンス、左はプロデューサーのノリー・パラマー。

ノリー・パラマーはEMIのコロンビア・レーベルのエース・プロデューサーで、クリフ・リチャードやシャドウズ以外にも、フランク・アイフィールド、ヘレン・シャピロ、スキャフォールド、アッカー・ビルクなど数多くのアーティストを手がけ、ヒットの数からいっても、同じEMI(レーベルはパーロフォン)のジョージ・マーティンと肩を並べる存在でした。

プロデューサーであると同時に、パラマーはオーケストラ・リーダーとしても、50年代を中心に活躍しています。In London, in LoveおよびAutumnの2枚しか知らないので、そのかぎられた範囲のなかでいえば、ジャッキー・グリースンに近い、流麗なサウンドを特長としています。しかし、フレンチホルンの使い方を聴いていると、あ、シャドウズだ、と思います。Miracle(作曲もパラマー)を思いだすのです。

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ノリー・パラマー『In London, in Love』

パラマーがアレンジをしているのであろうことは、国内盤「春がいっぱい」のライナーからも想像がつくのですが、ほかのアレンジャーについて知ったのは、(怖いシャドウズ・ファンから、「スキあり!」と一喝されそうですが)上記With Strings Attachedのライナーによってでした。途中から、ベネットの友人だったスティーヴ・グレイや、それになんと、ブライアン・ベネット自身も、ときにはアレンジとコンダクトまでやった、というのです。いやはや、知らぬこととはいえ、というしかありません。

これまた知らなかったことですが、シャドウズ解散後、ベネットはプレイをやめ、作曲とアレンジのほうを仕事にしたそうで、わたしとしては、じつにもってけしからんほど、「え、そうなのかよ」連発でした。

アール・パーマーもアレンジャーとしてのヒット曲がありますが、終生、一プレイヤーで貫き通し、アレンジャーに転身することはありませんでした。ポップ/ロックの世界にかぎっていえば、ドラムというのは、スタイルとサウンドの変化がもっともはげしい楽器で、どれほどすぐれたプレイヤーでも、エースとしてすごせる時間は十年がいいところでしょう(ギターのトミー・テデスコやサックスのプラズ・ジョンソンは、数十年にわたってエースだった)。

ブライアン・ベネットのように、後半生でうまく転身を遂げた例は稀で(しいていうと、デイヴ・クラークが近いか)、じつにめでたいことだと思います。ジム・ゴードンをはじめ、悲惨な後半生や晩年を過ごしたドラマーの話はごろごろしていますし、しかも、そこにある種の必然性を感じるだけに、もううんざりなのです。

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The 45 labels of The Shadows' "Spring Is Nearly Here b/w Thunderbird Theme," 1967, Toshiba Musical Industries, Tokyo.「春がいっぱい」とはまったくタイプのちがうストレート・ロッカーであるB面のThunderbirdは、バリー・グレイの曲で、こちらもなかなかけっこうな仕上がり。ブライアン・ベネットのプレイとしては、この曲がもっとも好ましい。

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by songsf4s | 2008-02-24 17:16 | 冬の歌
The Spy Who Came in from the Cold by Billy Strange
タイトル
The Spy Who Came in from the Cold
アーティスト
Billy Strange
ライター
Sol Kaplan
収録アルバム
Secret Agent File
リリース年
1965年(?)
他のヴァージョン
Hugo Montenegro, Sol Kaplan
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気力体力ともに充実からほど遠く、ちょっと休んでしまいましたが、そのあいだにも、ずいぶんたくさんのお客さんにご来訪いただき、感謝に堪えないと同時に、恐縮しております。

まだ快調ではないので、毎日更新というわけにはいかず、またすぐに「今日はやめておこう」ということになるかもしれませんが、その節には、また休みかと閉じていただくのもけっこう、昔の記事などを開いて、ミスをつまみ出していただいたりするのもまたご一興かと思います。なにしろ、いま確認すると記事数190件となっているので、ミスも山ほどあるにちがいありません。

f0147840_1824571.jpgさて、本日の曲。The Spy Who Came in from the Coldという原題ではわかりにくいかもしれませんが、これは映画『寒い国から帰ってきたスパイ』のテーマです。といっても、そんな映画を見た方も少ないかもしれませんが、ジョン・ル・カレのデビュー作の映画化といえば、どうにか通じるでしょうか。さりながら、かつてはエスピオナージュ小説の書き手としては不動のナンバーワンだったル・カレも、冷戦終結後は、お年を召したこともあり、めだった活躍はなかったようなので、もう忘れられたかなと、ちょっと不安が残りますが。

そもそも、とまた古い話になりますが、小説のほうの『寒い国から帰ってきたスパイ』は、英米での評価が高かったわりには、「ディテールの楽しみ」という長編小説の基本において薄味な作品で、同時期に、やはりエスピオナージュ小説でデビューしたレン・デイトン(『イプクレス・ファイル』)のほうが、作家としての資質、細部の表現ということではずっと上と感じたものです。

f0147840_18265369.jpgル・カレが名実ともに第一級の書き手になったのは、『ドイツの小さな町』『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』あたりからという印象です。それにしたって、もっとスッキリと、わかりやすく書けるだろうに、なんだってこのオッサンはこうもまわりくどいのだ、やっぱり腕が悪いのかもな、とちょっとばかりイライラしました。まあ、『ドイツの小さな町』なんか、300ページにおよぶ朦朧たる官僚主義の靄のなかから、終盤にいたって突然、明晰な思考が出現するところに面白味があったので、あれが3ページ目から明晰だったら、薄手な印象になったかもしれません。

f0147840_18281459.jpgで、なんの話でしたっけ? あ、『寒い国から帰ってきたスパイ』でした。子どものときに見たきりなので、映画の印象はまったく残っていません。マイケル・ケイン主演の『国際諜報局』(「国債重宝曲」と変換した! レン・デイトンの『イプクレス・ファイル』の映画化)あたりとゴチャゴチャになっているというか、ま、早い話が忘れちゃいました。

わたしの記憶力ももうゴミ箱行きの腐敗度ですが、あのころはエスピオナージュ映画がまた、通俗、活劇(昔はアクションもののことをこういったのでありますな)、コメディー、シリアス、あれこれこき混ぜてむやみに多く、しかも、子どもだったわたしは、片端からそういうのを見ちゃったわけでありまして、それから40年以上もたったのだから、なにがなんだかわからなくなっても、無理もないと思うのですが……。

◆ 5度のフラット ◆◆
f0147840_18291930.jpg映画のブームに遅れることウン十年、スパイ・ミュージック・ブームというのもありました。エキゾティカ、ラウンジの道が、一本となりの間道に入ったあたりで流行ったわけですが、このあたりの近さというのはよくわかります。ショーティー・ロジャーズ=ヘンリー・マンシーニ=ラロ・シフリン的な映画テレビ音楽の先駆的作品とでもいうべきものを集めた、ライノのCrime Jazzなんていう2枚シリーズの編集盤も、地続きのお隣さんでした。

スパイ・ミュージックというと、わたしはビーバップとアントニオ・カルロス・ジョビンを連想します。ぜんぜん関係ないだろ、なんていうあなたは、ジャンルというものにとらわれすぎています。Mission Impossible(『スパイ大作戦』)とThe Man from U.N.C.L.E.(『ナポレオン・ソロ』)と具体的に曲をあげればわかるでしょうか? スパイ・ミュージック、ビーバップ、トム・ジョビンをつなぐ糸は、5度のフラット、flatted fifthという、あの不協和音すれすれのテンションなのです。

f0147840_18315429.jpgラロ・シフリン盤Mission Impossibleを例にすると、あの曲のコードは、ピアノとベースのリックに合わせて、G-(Bb-)C-G-F-Gというふうに動かしてもいいのですが、基本的にはG7で、なんなら、そのまま動かなくてもオーケイです。この土台の上にフルートのメロディーが入ってきますが、これがまずG-F#-D、つぎがF-E-Dbです。このとき、コードがなにかという問題はちょっと微妙なのですが、キーのGをベースにすれば、2つめの3音つづきの最後のDbが、Gスケールにおける5度のフラットです。

ふつうに考えると、3音ひとかたまりのうち、二つめの最後は、Dbではなく、Cにしたほうが安定します。しかし、それは3つめの3音ひとかたまりまでとっておき、途中に5度のフラットをはさんで、しかも、それを経過音ではなく、降下してきたメロディーの落ち着き先に使っているのです。落ち着き先といったって、これほど落ち着かない落ち着き先はないわけで、この落ち着きの悪さがあの曲の奇妙な感覚のひとつの源泉になっています(5拍子を使っていることも重要ですが)。

f0147840_18365527.jpgThe Man from U.N.C.L.E.はいろいろなヴァージョンがありますが(作曲はジェリー・ゴールドスミス)、Mission Impossibleにそろえて、キーをGとしてメロディーを書くと、G-D-G-D-Db-D-G-F-G-D-Db-D(最初のGだけ低く、あとはそのオクターヴ上)というのがひとかたまりで、コードが3度上がると、このままメロディーも3度上がります。この曲も、5度のフラット、Dbが使われています。

ここで注意していただきたいのは、両者ともセヴンス・コードの感覚だということです。メロディーのなかにGに対するセヴンスの音、すなわちFが使われています。フラッティッド・フィフスというのは、基本的にはセヴンス・コードのなかで使われるものなのです。

◆ ビーバッパーの和声感覚とトム・ジョビン ◆◆
キャロル・ケイの教則ヴィデオを見ていて驚いたことがあります。彼女はギターでコードを弾きながら、ストレートなコードはダサい、わたしたちはつねに代用コードを使った、といって、「たとえば、G7とDb7は基本的に同じコードで、G7と指定されていれば、Db7を弾きます」と、そのサンプルを弾いてみせました。

f0147840_1839999.jpgこれには面喰らいました。面喰らいっぱなしでは情けないので、いわれたとおり、Db7を押さえ、じっと指をにらんでみました。G7とDb7の構成音のうち、両者に共通するのはFの音、すなわち、Db7における3度、G7におけるセヴンスです。それ以外は赤の他人。でも、キャロル・ケイはフラッティッド・フィフスなんだというので、Db7の5度の音を半音下げてみると、なるほど、Db7の5度のフラットはGで、これでG7とDb7はかなり近いものになりました。

さらによく指をにらんでみると、Db7のルートであるDbは、Gスケールでは5度のフラットにあたることに気づきます。5度の音をフラットさせてみると、たしかに「G7とDb7は基本的に同じコード」なのです。笑ってしまうのは、彼女はこの考え方を、ジャン&ディーンの退屈な3コードの曲に適用したということなのですが、それはまたべつの話。

ここで肝心なのは、ビーバッパーの和声感覚では、セヴンス・コードの場合、5度のフラットはごく当たり前に入りこんでくるテンションだということです。わたしは、これがスパイ・ミュージックの背景にあると考えています。

f0147840_1841973.jpg5度のフラットといえば、ボサ・ノヴァです。トム・ジョビンの曲には、5度のフラットを使ったものがたくさんあります。この音が、あのフワフワした浮遊感の源泉なのです。ジョビンはどこでこの手法を思いついたか。もうその答えは書きました。ビーバップです。もっと細かいことまでわかっています。ジュリー・ロンドンのアルバム、Julie Is Her Nameでのバーニー・ケッセルのギター・プレイが、トム・ジョビンのインスピレーションの源泉でした。いうまでもなく、バーニー・ケッセルもビーバッパーです。

一度は放棄されたビーバップの特徴的サウンドである5度のフラットが、60年代にボサ・ノヴァとなってアメリカに戻り、ブームを巻き起こしたのは、たぶん、プレイヤーたちの観点からいうと、「知っている音楽」だったからでしょう。50年代から60年代にかけてのハリウッドのスタジオ・プレイヤーのうち、ジャズ出身の人たちは、みなビーバップ世代だったのです。たとえば、アール・パーマー、キャロル・ケイ、トミー・テデスコはビーバッパーでした。

でもって、そこから、スパイ・ミュージックへとつながる隠れた糸を白日のもとに提示できれば、われながらたいしたものだと思うのですが、これがさっぱりわからないのです。きっと、作曲家たちもビーバップ世代だったからだ、なんてえんで片づけたら、張り倒されちゃうかもしれませんが、それが当たらずとも遠からずなんじゃないでしょうか。

ビーバップの特長をひと言でいうと、いや、もちろん、わたしの個人的な見方にすぎませんが、「それまでは不協和とみなされていた音を和音のなかに取り込んだ」ことにあると思います。5度のフラットは、小指の先端のようにささいな音ですが、見かけ以上に重要な音なのです。

◆ ソル・キャプラン盤 ◆◆
さて、肝心のThe Spy Who Came in from the Coldです。わが家にある3つのヴァージョン、どれもコードがわかりにくいのですが、そのなかで比較的聴き取りやすいビリー・ストレンジ・ヴァージョンの冒頭は、Dm-Amの繰り返しになっていて、メロディーの頭は、E-F#-Ab-A-B-C-D-E-Bという流れです。Dmなのに、ナインスの音であるEからはじまるというのは、すでにしてかなり変ですが、それはおいておき、Abの音が使われているところも、コードはまだDmなので、これは5度のフラットということになります。この曲もわが「スパイ・ミュージックの基本原則」に添っているのです。

f0147840_18462173.jpgわたしの手もとにあるこの曲のヴァージョンは三つ、ソル・キャプラン(映画監督のジョナサン・キャプランのお父さん)、ヒューゴー・モンテネグロ、ビリー・ストレンジです。ソル・キャプランはこの曲の書き手で、わが家にあるのは怪しげな編集盤に収録されたものですが、たぶんこれがオリジナルにしてOSTヴァージョンでしょう。

映画の公開は65年暮れということなので、録音もそのころということになりますが、全体的な印象は、50年代的、クライム・ジャズ的です。当時、これを聴いたら、やや古めかしい印象が残るか、なにも印象が残らないかのどちらかだったのではないでしょうか。アレンジとしては、基本的にはビッグバンド・スタイルで、管の種類とミックスの仕方、ヴォイシングはわりにノーマルですし、リズムは4ビートなのです。

f0147840_18503661.jpg65年暮れというと、ジェイムズ・ボンド・シリーズはもう『サンダーボール』ですし、マカロニ・ウェスタン・ブームもすでにはじまっています。ジェイムズ・ボンドとマカロニ・ウェスタンの共通点は、ギターの使い方にひとつのポイントがあるということです。James Bond ThemeとA Fistful of Dollars(『荒野の用心棒』)を思いだしていただければ、わたしのいわんとすることはおわかりでしょう。

OSTのThe Man from U.N.C.L.E.もビッグバンド的アレンジですが、中間部のギターとオルガンのユニゾンに60年代中期的なセンスを強く感じます。Mission Impossibleもビッグバンド的アレンジですが、キャロル・ケイのプレイするフェンダー・ベースの扱いに新しさがありますし(つまり非ビッグバンド的)、フルートをリード楽器に使うことで、50年代的になるのをまぬかれていますし、そもそも肝心のグルーヴがロック的ニュアンスになっています。

ソル・キャプランのThe Spy Who Came in from the Coldには、そういう60年代的要素は皆無です。とはいえ、もはや50年代も、60年代も、ひとしなみに遠くなってしまった現代にあっては、どちらも同じように古めかしいわけで、あの時代を知らない人には、この差はどうでもいいことでしょう。ソル・キャプラン盤もけっして悪いものではなく、勇ましいアクションもの的アレンジとしてアヴェレージの出来だと、いまになれば思います。

◆ ヒューゴー・モンテネグロとビリー・ストレンジ ◆◆
テンポの早いほうから遅いほうへと3種のヴァージョンを並べると、ソル・キャプラン→ヒューゴー・モンテネグロ→ビリー・ストレンジの順です。この順序は同時に、勇ましいニュアンスから物悲しいニュアンスへの変化でもあります。

f0147840_18561878.jpgヒューゴー・モンテネグロはアレンジャーで、バンド・リーダーとしていくつかの盤があります。シングルとしては、The Good, the Bad and the Ugly(『夕陽のガンマン』)の大ヒットがあります。ちょっと話が混雑してしまいますが、この曲のドラムはまちがいなくハル・ブレイン、ベースはキャロル・ケイ(ご本人に確認済み)です。モンテネグロの盤は、ハル・ブレイン周辺のプレイヤーによって録音されていました。

OST盤を抑え込んで『夕陽のガンマン』をヒットさせただけのことはあって、モンテネグロはなかなかするどいセンスの持ち主だと感じます。The Spy Who Came in from the Coldも、ソル・キャプランの無骨なアレンジから一転して、なかなか繊細なつくりに変えています。

そもそも、冒頭のリード楽器がなんなのかわからなくて困惑します。レズリー・スピーカーに通したギターか、はたまた、なんらかの新奇な電子楽器か。イフェクト類のギミックを使わずに、ストリングスやパーカッションなどだけで、「寒い」ムードをつくっているあたりはさすがで、ソル・キャプラン盤には感じなかった、メロディーのなかに秘められた叙情性を引き出したヴァージョンといえます。

f0147840_18572241.jpgビリー・ストレンジ盤はさらに叙情的です。3種のなかでもっともテンポが遅く、管と薄いギターコード、ピアノのオブリガート、パーカッション、極端なオフミックスのドラムはというぐあいで、しかも、ビリー・ストレンジはメロディーを弾くだけというミニマリズム的アレンジで、ソル・キャプラン盤の対極にあります。

こうなると、どれがいいかはお好みというほかはありません。勇ましいビッグバンド・サウンドがいいか、メロディーラインの美しさを引き出したヒューゴー・モンテネグロ盤か、二重スパイものの映画にふさわしい孤独な味わいのあるビリー・ストレンジ盤か、それぞれによさがあって、なんとも判断のしようがありません。

映画そのものがあまり有名ではないために、埋もれてしまった印象がありますが、スパイ・ミュージックを集めるなら、いずれかのヴァージョンをもっていてもよい曲だろうと思います。5度のフラットによるスパイ・ミュージックという共通点はあっても、マイナーコードのなかで5度のフラットを使うと、またちょっと異なる味わいが生まれることを、この曲は示していると感じます。

それにしても、ここでいう『寒い国』とはたぶん東ドイツかソヴィエトのこと、冷戦時代式にいえば「東側」をいっているわけで、これを冬の曲に繰り込んでしまうのは、またまたちょっとインチキなのです。でも、『寒い国から帰ってきたスパイ』は、アクションから頭脳戦へという、エスピオナージュ小説の変化の分岐点になった作品で(その発展型がいわゆる国際陰謀小説)、いわばインチキの総本家なので、まあ、よろしいでしょう、と強引にまるめこんじゃいます。
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by songsf4s | 2008-02-10 15:59 | 冬の歌
Cold Cold Cold by Little Feat
タイトル
Cold Cold Cold
アーティスト
Little Feat
ライター
Lowell George
収録アルバム
Sailin' Shoes
リリース年
1972年
他のヴァージョン
remake of the same artist
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このところ、スタンダードを取り上げていないことに気づいたのですが、いまプレイヤーにドラッグしてある100曲ほどの歌のなかには、スタンダードはありません。はて面妖な。

いままで、困ったときに頼りにしていたのはスタンダードです。そういってはなんですが、なにしろ1955年以降は、雑駁下品な子ども音楽であるロックンロールの時代、季節感のような、繊細かつ上品なことは薬にもしたくない連中の時代です。アメリカ音楽においては、1955年以降、秋という季節は存在しないも同然で、自然と、それ以前の音楽に比重がかかりました。

それが、なぜここへきて、スタンダードを頼りにできなくなったのか? 冬の歌だってうんざりするほどあるはずなのです。一月に入ってから何度か、クリスマス・ソングが冬の歌を、レイモンド・チャンドラーいうところの「カニバライズ」していることにふれました。クリスマス・ソングでもなんでもない、たんなる冬の歌を、みなクリスマス・ソングに繰り込んでいるのです。やはり、このカニバライゼーションの被害は思ったより甚大で、たいていのものはもう呑み込みおわったということなのだと思います。残ったのは、一握りのダウナーな冬の歌だけなのです。

その結果、当ブログもこのところ、ロック・エラの歌ばかり取り上げる結果になっているのだということが、いまになってやっとわかりました。「自由意思による選択」なんていいますが、こういう初歩的手品に引っかかっているのに、気づかないことはしょっちゅうあるのでしょう。

自由意思による選択だか、むりやりつかまされたカードだかわかりませんが、本日も雑駁下品なロックンロールです。そう、「わたしの時代」の音楽です。当ブログには、スタンダードを好む方もずいぶんいらしているようなのですが、残念ながら、もうすこし暖かくなるまでお待ちいただくしかないようです。どうかあしからず。わたしのせいではなく、クリスマス商人たちの陰謀です。

◆ 桃と梨とココナツ ◆◆
例によって歌詞から見ていきます。2ヴァースをひとまとめにいきます。以下は、あてにならない国内盤ではなく、当時の米盤LPに付された歌詞であるにもかかわらず、正確とはいいかねます。しかし、ローウェル・ジョージの歌い方のせいもあり、また、文脈からの推測を拒む支離滅裂な歌詞でもあるため、当方にもなにをいっているのか聴き取れないところがあり、推測もできず、そのままとしました。また、オリジナルとリメイクのあいだでも異同があります。

Cold, cold, cold
Cold, cold, cold
Freezing, it was freezing in that hotel
I had no money, my special friend was gone
The TV set was busted so she went along
I called room, room service
I'm down here on my knees
I said a peach or a pear, or a coconut please
But they was cold

Well it's been a month since I seen my girl
Or a dime to make the call
'Cause it passed me up, or it passed me by
Or I couldn't decide at all
And I'm mixed up, I'm so mixed up
Don't you know I'm lonely
All the things I had to do
I had to fall in love
You know she's cold

「寒い、寒い、寒い、あのホテルは凍えるようだった、俺は一文無し、特殊な友だちは逃げてしまった、テレビが壊れて、彼女はいなくなった、俺はルーム・サーヴィスに電話し、頼むから、ピーチかペアかココナツをもってきてくれ、といった、でも、連中は冷たかった、彼女と付き合うようになってからひと月たつ、電話をかける小銭、そいつが俺をあきらめるか、そいつが俺を通りすぎるのか、おれにはぜんぜんわからないからだ、俺は混乱している、ひどく混乱している、俺はさみしいんだ、よりによって恋に落ちるなんて、彼女は冷たい」

きちんとわかって書いているなんて思ったら大間違いで、よくわかりませんし、深く考えずに、ほとんどインプロヴで、適当に日本語に移しました。わかっているのは、じつはこれは「寒さ」を歌った曲ではあっても、冬の歌ではないということです。

f0147840_23531950.jpgcoldとは、cold turkeyすなわち禁断症状のことを指しているのでしょう。空っとぼけて、冬の歌に分類しちゃいましたけれどね。そういういい加減な分類をやったのは、この曲がはじめてじゃないし、冬の歌をクリスマス・ソングに分類するより悪質というわけでもありませんし。だって、寒い、寒い、寒いと、タイトルで三回も繰り返しているのだから、ドラッグのことなんか考えない平和で呑気な人なら、冬の歌だって思うでしょうに!

ピーチだのペアだのを日本語にせずにおいたのも、そういうことです。まずはpeach。辞書には「《俗》 アンフェタミンの錠剤[カプセル剤] 《桃色をしている》」とあります。coconutはコカインのことであると辞書にあります。これは語の音韻からの連想か、または色からの連想でしょうか。pearの裏の意味はわかりませんが、前後にあるものから、どうせろくなものではないと想像がつきます。

special friendという奇妙な言いまわしは、はじめは「特殊な女性」のことをいっているのかと思いましたが、流れから考えれば、ドラッグの供給元をいっているとみなせます。TVにもなにか裏の意味があるのだろうと思いますが、わかりません。bustには、逮捕の意味もあります。

セカンド・ヴァースはチンプンカンプンです。混乱している、というのだから、クスリが切れた譫妄状態を、思いつく言葉をわかりにくく並べて表現しているのではないでしょうか。まあ、禁断症状と女性のことが重なっている、つまりドラッグとセックスをともに失ったことはわかりますが、女性のことだって、現実なのか、妄想なのか、わかったものではありません。

it passed me upも意味不明で、itが直前の名詞を受ける代名詞には思えず、cold turkey状態を指しているような気がします。

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◆ 接近した時期の2つの録音 ◆◆
最近はあまり省略せずにやっているのですが、American Pieを宙ぶらりんにしたくなくて、体調が快復しないままちょっと無理をしてしまい、いまになって気力喪失におそわれているもので、今回はサード以下のヴァースを略させていただきます。混乱状態、譫妄状態をうたっているので、当然ながら言語も混乱していますし、そもそも、以上の2ヴァースをちょっと変形し、インプロヴもまじえながら繰り返しているだけなのです。

f0147840_23563590.jpgこの曲のスタジオ録音は2種類あります。2枚目のSailin' Shoesと4枚目のFeats Don't Fail Me Nowでの、Tripe Face Boogieとのメドレーです。Tripe Face Boogieのほうも、2枚目で単独の曲としてやっているので、メドレーを構成する2曲がともに再録音です。

同じ曲だし、テンポもほぼ同じ、録音時期がかけ離れているわけでもないので、それほど大きく異なった印象はありません。あいだにDixie Chicken1枚をはさんだだけで、すぐにリメイクしなければならないほど、オリジナルの出来が悪いとも思えず、このリメイクの理由は推し量りかねます。案外、Feats Don't Fail Me Nowの録音が行き詰まり、強引に過去の曲をメドレーに仕立てて、埋め草に使っただけかもしれません。

f0147840_002470.jpgどちらの録音のほうがいいか、というと、これまた、どちらでもいいだろうという出来です。アルバムとしては、Sailin' Shoesのほうが好ましいので、オリジナルのほうが、いいときに録音されたムードはもっているように感じます。しかし、これも好きずきです。バンドがまだどこへいくのか見えないときのほうが面白いと感じるか、方向が定まって、安定状態に入ったほうがいいと見るか、です。むろんケース・バイ・ケースですが、しいていうなら、わたしは前者のほうが面白いと感じるにすぎません。

オリジナルでは、ローウェル・ジョージの声が若々しいのも魅力です。この曲を歌うには、ういういしすぎるぐらいに若い声です。ひょっとしたら、リメイクの理由はそれかもしれません。Feats Don't Fail Me Now収録の再録音ヴァージョンのほうが、ヴォーカルの落ち着きがいいからです。でも、逆にいえば、ちょっとぎこちなさのあるオリジナルのほうが、不安定な魅力がありますし、この曲の内容にも合っていると感じます。

◆ 流行のグルーヴ ◆◆
リトル・フィートが日本で話題になったのは、3枚目のDixie Chickenでのことでした。記憶では、まずDixie Chickenを買い、そのあとでデビュー盤とSailin' Shoesを買い、そして4枚目のFeats Don't Fail Me Nowという順番でした。当時買ったのはここまでです。

f0147840_23581813.jpgよくあることですが、Dixie Chickenまでは、上昇していく面白さがありました。とくに2枚目のSailin' Shoesを聴いたときは、この時点でこのバンドに気づいているべきだった、そうしていれば、つぎのアルバムをおおいに期待し、Dixie Chickenの登場にもっと興奮しただろう、と思いました。残念ながら、そうではなかったために、4枚目のFeats Don't Fail Me Nowを聴いたとき、悪くはないと思いながらも、軽い失望を味わい、つぎの一枚に期待がもてず、付き合いが終わってしまいました。なんだか、興味をもったときには、もう終わっていたという印象です。

Dixie Chickenで面白く感じたのは、独特のグルーヴでした。あの時代の流行ということもあったのですが、すこしタイムがlateで、微妙に引きずるグルーヴだったのです。Cold Cold Coldのようにテンポが遅めの曲だと明瞭ではありませんが、Dixie Chickenぐらいのテンポだと、軽く引きずるグルーヴの面白さがありました。

これが魅力でもあったのですが、Feats Don't Fail Me Nowで、なんとなく嫌気がさしてしまったのも、いま考えれば、たぶんこのグルーヴのせいだと思います。はじめのうちは、リッチー・ヘイワードのドラミングに魅力を感じましたが、すぐに飽きてしまい、ジム・ゴードンやバリー・J・ウィルソンのような長い付き合いにはなりませんでした。80年代に入って、好みのドラマーをもう一度集め直しはじめたときには、もうリッチー・ヘイワードは無縁なドラマーになっていました。いま聴いても、「時代の気分」に乗せられていただけだろう、という感じで、好ましさも懐かしさもありません。

f0147840_014088.jpg結局、ローウェル・ジョージの(多くの人が好むスライド・ギターではなく)ヴォーカルだけが、いまのわたしにとって残った唯一のフィートの魅力です。ただし、「時代の気分」に乗せられるということに関しては、もう経験したくてもできないので、その点はいくぶんかの懐かしさを感じます。そういうのは学生時代までだったようで、70年代中盤に入ると、時代の気分に対する嫌悪感に支配されるようになり、同時代の音楽には関心を失いました。時代の気分に乗せられた「最後の気の迷い」、若さと愚かさの記憶として、ちょっとだけ愛しいような気がします。

そして、これも時間が生んだパラドクスの小さな一例でしょうが、当時はとくに好きだったわけではないCold Cold Coldが、いまになると、悪くない曲に感じられます。いや、Dixie ChickenやEasy to SlipやWillin'より好きになったわけではありませんが、ローウェル・ジョージのシンギング・スタイルにピッタリ寄り添った曲だということが、年をとってよくわかるようになりました。

音と関係ないのですが、ニーオン・パークのカヴァー・イラストレーションにも、当時は惹かれました。とくにSailin' ShoesとDixie Chickenは気に入っていて、Feats Don't Fail Me Nowの出来にはがっかりしました。入れ物と中身は別物のようでいて、こういうふうに微妙に相関しているときもあり、いまもって「ジャケ買い」に走ってしまうことがあります。まあ、それも音楽を聴く楽しみのひとつということにしておきましょう。そして、ジャケットを楽しむなら、やはりLPにしくはないと、久しぶりにSailin' Shoesを引っ張り出して思いました。

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by songsf4s | 2008-02-06 23:56 | 冬の歌
American Pie by Don McLean その4
タイトル
American Pie
アーティスト
Don McLean
ライター
Don McLean
収録アルバム
American Pie
リリース年
1971年
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◆ 3コードの魔力 ◆◆
最初に聴いたバディー・ホリーの曲は、ビートルズによるWords of Loveでした。聴いたどころか、中学のバンドのときにやりました。アマチュアというのは、好きな曲をカヴァーするわけですが、それ以前にもっと重要な考慮点があります。「できる」か「できない」かです。Words of Loveは「できる」曲でした。つまり、すごく簡単だったということです。

ひどく乱暴な言い方になってしまいますが、バディー・ホリーの曲というのは、コードを3つ知っていればできます。Words of Loveのほかにも、Everyday、Not Fade Away、Rave On、Peggy Sue、Oh Boyというぐあいに、すぐにその例を列挙できます。Well Alrightも、やはり3コードの変形といっていいでしょう。3コードというのは、ロックンロールが見くだされる理由のひとつにもなりましたが、やはり、いまふりかえっても、結局、本質はここにあるのではないかと感じるほど、重要な特質だったと思います。

f0147840_2355371.jpgバディー・ホリーが3コードのパターンをつくったわけでは、もちろんありません。しかし、たとえば、Rave Onなどに強く感じますが、「3コードで押しまくる快感」を端的に伝えるという意味で、バディー・ホリーは抜きんでた存在です。

60年代にバディー・ホリーの曲を伝えた人たちは、おそらく、ギターをもったほんの数日後に、いや、ひょっとしたらその日に、バディー・ホリーの曲を歌ったのではないでしょうか。デビューしてから、子どものころを思いだして、ここが原点だということを強く意識しながらカヴァーしたのだろうと想像します。あくまでも、プレイする側の観点にすぎませんが、バディー・ホリーの諸作には、「プレイすることの楽しさ」のエッセンスが凝縮されていると感じます。

デッドといっしょにNot Fade Awayを弾き、ドン・マクリーンに合わせてAmerican Pieを弾いていて、いまさらのようにそんなことを考えました。いや、じつは、ほんとうに考えたのは、つぎはRave Onにしようか、それともWell Alrightにしようか、ということですが! シンプルなコードでグルーヴをつくることには、麻薬的快感が潜んでいます。

◆ 聖なる店への参拝 ◆◆
コーラスをはさんで、冒頭のように、ドラムとベースがなくなり、テンポ・チェンジをして、ドン・マクリーンとピアノだけになる最後のヴァース。

I met a girl who sang the blues
And I asked her for some happy news
But she just smiled and turned away
I went down to the sacred store
Where I'd heard the music years before
But the man there said the music wouldn't play

「ぼくはブルーズをうたう女の子に出会い、なにかいいニュースはないかい、ときいた、でも、彼女はただ微笑んだだけで、背を向けてしまった、何年も昔によく音楽を聴いた聖なる店に行ってみたけれど、店の人間は、もう音楽はかからないといった」

f0147840_065823.jpgブルーズをうたう女の子といえば、当然、ジャニス・ジョプリンのことでしょう。ただ微笑んで背を向けた、というのは、彼女の死のことと解釈できます。ドン・マクリーンにとって、彼女は希望の灯だったのかもしれません。

聖なる店は、具体的にはわかりませんが、レコード・ストアまたはライヴ・ジョイントと解釈できます。そこでももう音楽がかからないということは、バディー・ホリーの死から10年たって、ジャニスの死によってふたたび音楽は死んだ、というあたりでしょうか。

正直にいって、わたしには、このへんの実感はまったくありません。ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリクスの死がつづいたときも、奇妙な偶然があるものだと思いはしたものの、特別な感懐はありませんでした。英雄崇拝的に音楽を聴いた時期がなかったわけではありませんが、それはロウ・ティーンのころのことで、このときにはもう高校生ですから、だれも崇拝しないことによって、大人になろうとしていたのでしょう。大人は対象と距離をとるものですから。

ただ、「聖なる店」という感覚には共感できます。わたしも小学生のころは、毎日かならず、放課後に近所の楽器屋をすべてまわり、金色燦然たるご神体、ギターやシンバルやスネアに手を合わせてから、社務所に向かい、45回転や33回転の「お札」を一枚一枚ていねいに拝見したものです。お百度詣りどころか、大願成就が5、6回あってもおかしくないくらい、熱心に詣でました。

◆ 父と子と聖霊と3コードの名において ◆◆
わたくしごとはさておき、ヴァースの後半へ。

And in the streets the children screamed
The lovers cried, and the poets dreamed
But not a word was spoken
The church bells all were broken
And the three men I admire most
The father, son, and the holy ghost
They caught the last train for the coast
The day the music died

「通りでは、子どもたちは叫び、恋人たちは泣き、詩人は夢見ていたが、言葉はひと言として語られなかった、教会の鐘はすべて壊れ、ぼくがもっとも敬愛する父と子と聖霊の三人は海岸へ行く最後の列車に乗ってしまった、あの音楽が死んだ日に」

これで最後なのですが、むずかしいヴァースです。通りで叫ぶ子どもというと、あのころ頻発した学園紛争を思い浮かべますが、そのあとの恋人たちと詩人にうまくイメージがつながりません。ヒエロニムス・ボス的構図が見えるのみです。

f0147840_085822.jpg教会の鐘がすべて壊れたというのは、「無音」すなわち音楽が死んだことであると同時に、無神論の拡大と解釈できるでしょう。神とキリストと聖霊がそろって最後の列車に乗った、ということも、それを補強しているように見えます(馬鹿なことを書きます。父はC、子はF、聖霊はG、三位一体とはC-F-Gの3コード!)。自明のことですが、holly ghostには、バディー・ホリーの名が埋め込まれていることも、意図したものでしょう。

このthe coastがthe Coastすなわち西海岸だとすると、なにか具体的なことを指していることになりますが、それはよくわかりません。ニューヨーク郊外に生まれ育ったマクリーンには、なにかが西へと去った感覚があったのかもしれません。

f0147840_022582.jpg宗教から話をドーンと落としちゃいますが、生き残ったクリケッツの3人が、西のハリウッドに拠点を移した、なんていう含みも、ひょっとしたらあるかもしれません。いや、ないかもしれませんがね!

たんなる言葉の連想にすぎませんが、「最後の列車」から、モンキーズの最初のヒット、Last Train to Clarksvilleも思い浮かべます。モンキーズを「究極の商業主義」と見るのなら、この連想は見当はずれではないのかもしれません。ある立場にとっては、モンキーズは「究極の音楽の死」なのではないでしょうか。いや、個人的には、それをいうなら、アメリカ音楽ははじめから死んでいたのではないか、と思いますが。

◆ 4ピース・コンボのメタファー ◆◆
かくして、長い叙情的叙事詩は最後のコーラスに入り、伝統的なシング・アロング・スタイルでエンディングを迎えます。

f0147840_0544056.jpgあんまり長いので、なんのことか脈絡を失ってしまったような気分ですが、最後に思うことは、意味はどうであれ、また立場のちがい、歴史観のちがい、音楽観のちがいはあれ、この曲は音韻としてすぐれたラインが多く、いやでも記憶し、すぐにシング・アロングしたくなるという意味で、やはり、非常によくできた歌だということです。

そろそろ体力気力の限界なので、詳細な音楽的検討は避けますが、ひとつだけだいじなことがあります。アレンジ、楽器構成がちがうので見落としそうになりますが、G-C-G-Dというコード進行を繰り返す、シンプルなAmerican Pieのコーラスの構造は、バディー・ホリー的、もっと正確にいえば、Peggy Sue=Not Fade Away=Sheila=I Fought the Law的になっています。要するに、多くの人が「バディー・ホリー的」と考えるエッセンスを取り入れているということです。

ジョン・レノンがこの曲をフェイヴァリットにあげたのも、つまるところ、歌詞よりも、そこのところが理由ではないかという気がします。ボビー・ヴィーよりも、トミー・ローよりも、ほかのだれよりも、バディー・ホリーのスタイルを深いところで血肉化した、真のバディー・ホリー継承者だった人ですから。

マクリーンは、あの時代、友だちはみなエルヴィスのファンだった、でも、彼はバディー・ホリーのほうが好きだった、といっています。ホリーと、彼をバックアップするクリケッツの3人が一体となった姿に心を捉えられたのだそうです。この点はわたしも共感を覚えます。

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バディー・ホリーとクリケッツが活躍した時代というのを直接には知りませんが、クリケッツが4ピースのギター・コンボという、60年代の標準的なロック・バンドの祖型だったことは知っています。わたしも、ロウ・ティーンのころは「バンド」、正確にはスモール・コンボ以外には、あまり興味がありませんでした。あれはどういう意味なのでしょうか。4人の人間が、それぞれの道具を手に、ひとつのことを成し遂げようとする姿への強い共感というのは?

なんだか、American Pieという歌から離れはじめているような気もするのですが、音楽が死んだ日とは、すなわち、4人組が解体された日と見ることもできそうです(じっさいには、あの事故以前に、すでにクリケッツはバラバラになっていた)。音楽が死んだ日に明らかになった真実とは、結局、バディー・ホリー=われわれは孤独である、ということかもしれません。

ミス・アメリカン・パイとは、すなわち人間の絆であり、American Pieは、バディー・ホリーの死後10年のあいだに、みごとに解体されていった人間の絆を歌った曲だ、なんていうクソまじめで、尻がむずむずする結論はいかが?

なんたって、あなた、パイを丸のまま食べる人間はいないわけで、あれははじめから切り離される宿命を背負って焼き上がるのでありましてな。これが正解じゃなくて、なにが正解かと、世界のAmerican Pie研究者に訴えたいくらいなもんですよ!

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by songsf4s | 2008-02-04 23:55 | 冬の歌
American Pie by Don McLean その3
タイトル
American Pie
アーティスト
Don McLean
ライター
Don McLean
収録アルバム
American Pie
リリース年
1971年
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◆ バディー・ホリーとデッド ◆◆
昨日は、体調を崩したのはバディー・ホリーの呪いか、なんて書きましたが、今日は目覚めたら、温暖な当地にはめずらしい「豪雪」で(なんていったら雪国の人が笑い死にするであろう、10センチにも満たない積雪)、こりゃAll My Trialsになってきたな、なんて馬鹿なことを思いました。いや、山中鹿之助の「われに艱難辛苦を与えたまえ」か。

当ブログをよく訪れる方はご承知でしょうが、わたしは古くからのデッド・ヘッドです。グレイトフル・デッドがショウのエンディングやアンコールで、しばしばバディー・ホリーのNot Fade Awayをやったことは、ヘッズにとっては常識中の常識で、クイズの1問目にもならないほどです。

録音も山ほどリリースされています。ヴィデオ類も併せると、正規リリースだけで40種類を超えます。ヴァージョンの多いのがあたりまえのデッドのレパートリーにあっても、とりわけ多い曲で、もっとも重要なレパートリーのひとつでした。なんたって、信じがたいことですが、「フリ」までつくのです。I wanna tell you how it's gonna beで、ガルシアとウィアがそろって、右腕を前に突き出し、人差し指で客を指さすんですからねえ。はじめて見たときはひっくり返りました。

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I wanna tell you how it's gonna be

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My love is bigger than Cadillac

盤としてのデビューは、71年のダブル・ライヴ・アルバムGrateful Dead(通称Skull and Roses)です。しかし、近年になって、Skull and Rosesのボーナス・トラックとして、Oh Boyが追加されたのには、またまた驚きました。これはNot Fade Awayとは対照的に、このヴァージョンのみ、1種類しかリリースされていません。リハーサルなし、その場の思いつきでやったのじゃないかと思うほどの出来です。

f0147840_0253178.jpg幸い、クルーズマン=レッシュが絶好調のときですから、不揃いな出だしを切り抜けたあとは、なかなかけっこうなグルーヴで、それが救いになっていますが、一回だけで、二度とやらなかったのも、そうだろうなと納得してしまいます。とくに、ボブ・ウィアのハーモニーがボロボロです。いや、つまり、いつも以上にひどい、という意味ですが。

Not Fade Awayはともかくとして、バディー・ホリーのOh Boyという曲とデッドのスタイルをご存知の方なら、聴かなくても容易に想像がつくであろうように、これほどデッドに不似合いな曲もそうはないだろうというほどです(Words of Loveよりは「似合う」でしょうが!)。それでも、ちょっとやってみるか、と思ったのは、どういう意味なんだろうと思います。

もっとも短絡的な解釈は、要するに、デッドもバディー・ホリー・フォロワーだったのだ、ということです。ガルシアも子どものころは、バディー・ホリーを聴いて、いいなあ、と思っていたのじゃないでしょうか。デッドには不似合いなもう1曲のカヴァー、エヴァリーズのWake Up Little Susieのことも考え合わせると、そういう単純なことと思っていいような気がします。

意外にも、バディー・ホリーを介して、グレイトフル・デッドとボビー・ヴィーとトミー・ローとボビー・フラー、そしてドン・マクリーンは「同類」だったという馬鹿馬鹿しい枕でした。デッドをずっと流しながら、この記事を書いているというだけなんですが。

◆ 悪魔の友は天使の敵か? ◆◆
さて、本題。例によってコーラスをはさんだのち、つぎのヴァースへ。

Oh, and there we were all in one place
A generation lost in space
But no time left to start again
So come on, Jack be nimble, Jack be quick
Jack Flash sat on a candlestick
Cause fire is the devil's only friend

「あそこでぼくらは一カ所に集まった、空間のなかに失われた世代、でも、はじめからやり直している時間は残されていない、だから、ジャックよ、さっさとやれ、ジャックよ、急げ、ジャック・フラッシュは燭台の上に坐った、火は悪魔の唯一の友だから」

f0147840_0285837.jpg60年代に、一カ所にみながまとまったことがあるとするなら、やはりウッドストックでしょう。spaceはたんなる空間ではなく、宇宙空間でしょうか。ウッドストックの年である1969年は、アポロ宇宙船の月着陸の年でもありました。宇宙などという、あらぬ空間に迷い込んでしまった世代、という解釈が成り立ちうるでしょう。ドラッグ関連でいうと、spaceyなんていう形容詞があり、これも連想します。こちらからは、「ドラッグに失われた世代」という解釈が出てきます。

Jack be nimble, Jack be quickは、マザーグースの以下の一節の引用です。

Jack be nimble, Jack be quick
Jack jump over the candle-stick
Jack be nimble, Jack be quick
Jack jump over the candle-stick

f0147840_0311798.jpgマザーグースの意味なんか考えたくもありませんが、考えるまでもなくわかることは、マザーグースではジャックはろうそくを跳び越えるのに対して、American Pieでは、その上に坐ってしまうことです。ここから読み取れることは、「跳び越えそこなった」すなわち「失敗」ということのように思えます。

Jackにはいろいろなイメージがつきまとうので、なかなかやっかいです。まず確認しておくと、これはJohnの愛称だということです。しかし、辞書を見ると、「時にJames、Jacobの愛称」ともあります。ヤコブ(いや、英語ではもちろん「ジェイコブ」)か、なんて聖書にいってしまうと、いよいよ手に負えないので、この方向はこれだけで切り上げます。

Jack and BettyとかJack and Gillのように、平均的男の子のことを指す場合もあります。学校で習ったことで覚えているのは、Jack of all trades=なんでも屋です。辞書を見ていくと、まだまだイヤになるほどさまざまな意味があります。水兵、水夫、警官、憲兵、ジャッキ、機関車、金、その他もろもろ、きりがありません。好きなように解釈しろといわれているも同然です。

f0147840_0373858.jpgしかし、Jack Flashとくれば、どうしてもストーンズの1968年のヒット、Jumpin' Jack Flashということになります。この曲は、内容的なことはさておき、ビートルズになりふりかまわず追従した姿をおおいに嘲笑されたアルバム、Their Satanic Majesty's Requestによる失墜から、「回復」の一歩を踏みだしたもの、「われに返った」ヒットでしたが、ドン・マクリーンは、どうもそんなことは気にしていないようです。

ずっともやもやと解決がつかずに悩んでいる最大のラインは、fire is the devil's only friendです。これはどこかよそでも読んだ記憶があり、引用だと思うのですが、出典がわからないのです。可能性としては聖書、ダンテの『神曲』、ミルトンの『失楽園』あたりが思い浮かぶのですが、うーん、なんでしょうねえ。どなたか解決できる方がいらしたら、ぜひぜひご教示いただきたいものです。

f0147840_041826.jpgここでグレイトフル・デッドを連想するという意見もあちこちで読みました。当ブログでも昨秋取り上げたFriend of the Devilです。ケン・キージーのAcid Test以来のデッドとヘルズ・エンジェルズの長い付き合いは有名ですし、69年12月のアルタモント・スピードウェイ(Altamontは「オルタモント」とは発音しない。喉をつぶす「ア」の音)におけるフリー・コンサートでのエンジェルズの暴行と殺人もあるので、当然の連想だと思いますが、はて、どうでしょうか?

また、Friend of the Devilにはleveeが登場します。土手で悪魔に出会うのです。ほかに土手が出てくる歌といっても、ディランのDown in the Floodぐらいしか思いつかず(洪水なのだから、土手が出てきても当然)、この一致を偶然と見ていいかどうかは、微妙なところですが、どうも、わたしの頭のなかでは、デッドとドン・マクリーンは結びつきません。まあ、冒頭にも書いたように、バディー・ホリー・フォロワーという共通点はあるのですが、ひどく遠い血縁に感じます。

◆ 鬼道に墜ちることなかれ ◆◆
ヴァースの後半。

Oh, and as I watched him on the stage
My hands were clenched in fists of rage
No angel born in hell
Could break that satans spell
And as the flames climbed high into the night
To light the sacrificial rite
I saw satan laughing with delight
The day the music died

「ステージの彼を見ていて、ぼくの憤怒で両手を握りしめた、地獄で生まれた天使のだれひとりとして、悪魔の呪いに打ち勝つことはできない、炎が夜空高く駆け上がり、いけにえの儀式を照らし出すと、悪魔が歓喜で笑っているのが見えた、あの音楽が死んだ日に」

前半からの流れで、これはストーンズのことと解釈できます。「ステージの彼」はもちろんミック・ジャガー。彼らのSympathy for the Devilには、当時、「悪魔を憐れむ歌」といった邦題がつけられていたと思いますが、このsympathyは「共感」と訳すべきでした。sympathyには「同情」の意味はあっても、「憐憫」の意味はなく、意図的かどうかはいざ知らず、「憐れむ」という誤訳はひどいミスリードだったと思います。いや、これは脇道。

当時の印象を正直にいうと、Sympathy for the Devilを聴いて、ストーンズは「立ち直った」と思いました。We Love Youだなんていう、ふやけた偽善よりははるかにマシだと、いまでも思います。ビートルズの真似ではないことも買えます。いや、裏返しにした真似だったのかもしれません。Sgt. Pepper'sにうろたえて、ド阿呆な方向に切ってしまった舵を、あわてて反対側に切り直しただけとも見えますし。

しかし、商売の手段としてサタニズムを利用することについては、愚劣の極みだと考えます。わたしは宗教心に欠ける人間ですが、それゆえに、オカルティズムも冗談の一種としか思っていません。サタニズムを商売に利用することの悪は、それが人間の心のもっとも弱い部分を操作する行為だということにあります。とくに若者はサタニズムに傾斜しがちだと、自分の若いころを振り返っても思います。

ドン・マクリーンがアルタモント・フリー・コンサートの会場にいたかどうかは知りませんが、American Pieから読み取れることは、彼は敬虔な人間らしいということです。わたしのように宗教心のない人間でも、ストーンズがサタニズムを商売に利用し、ナイーヴな子どもたちの心を操作したことを不快に感じるのだから、マクリーンが「憤怒」したのも当然でしょう。

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以上、このヴァースは比較的あいまいなところがなく、マンソンのテイト=ラビアンカ事件とウッドストックのあった69年夏から、アルタモント事件のあった同年12月までを歌ったものと思われます。カルトのサタニズムと商売人のサタニズムが凱歌をあげた半年です。

なお、アルタモント・フリー・コンサートを「反ウッドストック」とする見方があるようですが、わたしはそうは思いません。ウッドストックとアルタモントは同じコインの両面にすぎず、善と悪という概念で見るべきものではないでしょう。まあ、わたしは、おおぜいの人間が家畜のように一カ所に詰め込まれているのを見るだけで吐き気に襲われる体質だということにすぎませんが、直感的に、ウッドストックもアルタモントも、ともにひどい間違いだったと思います。

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ウッドストックは、音楽が死んだ日ではなく、「音楽の意味がすり替えられた日」でした。いや、わたしにとって「音楽が死んだ日」があったとしたら、1969年8月16日です。あれ以後、わたしには「頼るべきものがなく」、個々のミュージシャンとの個別の取引きだけを独力でしてきたように感じます。

まだ体調が万全ではなく、写真の加工とアップロードを考えると、今日はこのへんが限界のようです。なんだか引っぱっているようで恐縮ですが、もう一回で完結とさせていただきます。残るはあと1ヴァースです。
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by songsf4s | 2008-02-03 23:56 | 冬の歌
American Pie by Don McLean その2
タイトル
American Pie
アーティスト
Don McLean
ライター
Don McLean
収録アルバム
American Pie
リリース年
1971年
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バディー・ホリーのことを取り上げたとたん、体調が悪くなって、こりゃ祟りか、なんて思いました。しかし、お岩さんの祟りなら四谷にお詣りすれば回避できることになっていますが、バディー・ホリーの祟りは、どこへいって仁義を切ればいいのかわかりません。まあ、あまりにもヘヴィーな歌詞に、こちらの体力が追いつかなくなっただけでしょう。まだ元気いっぱいではありませんが、幸い、熱はないので、匍匐前進でつぎのヴァースを読むことにします。

いうまでもないことを、いまさらのようにいいますが、歌の解釈は人それぞれです。つまるところ、われわれは自分が聴きたいことを聴き取るだけなのです。

American Pieは、1950年代から60年代いっぱいの音楽の変化と同時に、アメリカ現代史をうたっています。わたしには、あの時代を生きた、アメリカ音楽が大好きな日本の子どもとしての記憶と知識しかないので、解釈はもっぱら音楽史に偏りがちです。公民権運動をめぐる出来事や、学生運動をはじめとする、社会史に属することへの知識は一握りしかありませんし、実感にいたってはまったくありません。ワッツ暴動やシカゴ7にもふれているのだ、としている記事をウェブで読みましたが、そのへんはわからないので、下手にふれるのは避けました。そのあたりをお含みおきください。

◆ ディランと転がる石 ◆◆
コーラスをはさんでつぎのヴァースに入ります。

Now for ten years we've been on our own
And moss grows fat on a rollin' stone
But that's not how it used to be
When the jester sang for the king and queen
In a coat he borrowed from James Dean
And a voice that came from you and me

「この十年のあいだずっと、ぼくらはだれにも頼れなかった、そして、転がる石に苔が厚くむしていった、でも、ジェイムズ・ディーンに借りた上着を着て、きみやぼくの声で、道化師がキングとクウィーンのためにうたった時代には、そんなことは起こらなかったものだ」

この十年のというのは、当然、1959年からの十年間、バディー・ホリーが不在だった時期のことです。転がる石からストーンズを連想する方もいるでしょうが、直後にジェイムズ・ディーンが出てくることから、Like a Rolling Stoneをうたったボブ・ディランのこととわかります。

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「転がる石に厚く苔がむす」というのは、「転石苔むさず」ということわざの逆なので、ありえないことが起きたといっていると解釈できます。ありえないこと、というのは、フォーク・シンガーがロックンロールをうたうことでしょうか?

f0147840_033292.jpgしかし、「道化師」すなわちディランが王と王女のためにうたったころには、そんなことはなかった、というのだから、「ロック転向」以前のディランのことと解釈可能です。王と王女とはだれにことかわかりませんが、ウェブでは、ピート・シーガーとジョーン・バエズのことだといっているところがありました。わたしは、キングといえば、当然、エルヴィスを思い浮かべますが、ドン・マクリーンはフォーキーだったのだから、やはりここはピート・シーガーと解釈するほうが据わりがいいようです。レコード・デビュー以前、マクリーンはシーガーの世話になっています。

◆ 王と道化師 ◆◆

Oh, and while the king was looking down
The jester stole his thorny crown
The courtroom was adjourned
No verdict was returned
And while Lennon read a book of Marx
The quartet practiced in the park
And we sang dirges in the dark
The day the music died

「王が見下ろしているあいだに、道化師は茨の冠を盗んだ、法廷は審理を延期し、陪審員はだれももどらなかった、レノンがマルクスを読んでいたあいだ、カルテットは公園で練習し、ぼくらは暗闇で葬送歌をうたった、音楽が死んだあの日に」

道化師が茨の冠(当然、キリストへの言及)を盗んだというのは、ディランが王座を奪ったと解釈できますが、王はだれかという問題はやはり残ります。ピート・シーガーが「見下ろして」いたのなら、フォーク・ミュージックのオーセンティシティーへのこだわりのことでしょうか。王がエルヴィスであっても、似たようなことかもしれません。60年代のエルヴィスはステージに立たず、映画でしか顔を見せませんでした。

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ピート・シーガー(上)と若き日のディラン

あのころ、ディランやシーガーやエルヴィスをめぐって大きな裁判があったという話は読んだことがありません。ウェブでは、ジョン・F・ケネディー暗殺犯とされたオズワルドの審判が、オズワルド自身も殺されたためにうやむやになったことだ、といっているところがあります。音楽の外に目を向ければ、たしかにあれは、60年代前半でもっとも注目を浴びた法廷だったでしょう。シカゴ7のことだという意見については、わたしには判断する知識がありません。

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法廷から出るリー・ハーヴィー・オズワルド(中央)と銃を突きつける男

And while Lennon read a book of Marxのところを、Lenin read a book of Marxと聴き取っているところがあったので、ビックリしてしつこく聴き直してみました。音としてはレーニンである可能性もなしとはしませんが、ここにレーニンが出てくる意味がわからないので(60年代アメリカ史の登場人物ではない)、やはりLennonということにしておきます。

しかし、ジョン・レノンが左翼化するのは60年代終わりのことなので、ここに「マルクスを読んでいた」と出てくるのは、それはそれでちょっと違和感があります。初期のビートルズに左翼的なところは皆無なので、カール・マルクスではなく、グラウチョ・マークスのことだとでも解釈しないかぎり、64、5年の話だとすることはできません。64年2月にビートルズがはじめてアメリカの土を踏んだとき、いまでも映像を見ることができる爆笑の記者会見の結果、彼らは「マルクス兄弟の再来」と呼ばれました。ジョン・レノンは当然ながら、史上最高の皮肉屋グラウチョ・マークスに擬されるでしょう。

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カール(左)とグラウチョ。ジョンはどっちのマルクスを読んだ?

「カルテット」はビートルズ、「公園」とは、ビートルズがツアーに使った全米各地のball parkすなわち球場のことでしょうか。シェイ・スタジアムやキャンドルスティック・パークでの写真や映像をご覧になったことがあるでしょう。後者はビートルズの最後の公演地として有名です。

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暗闇で葬送歌をうたった、というのは、バディー・ホリーほど心を捉えるパフォーマーには出会わなかったことをいっているのでしょう。もちろん、ケネディー暗殺に対する思いも重ねていると思われます。

◆ さまざまな夏 ◆◆
またコーラスを繰り返して、つぎのヴァースへ。

Helter skelter in a summer swelter
The birds flew off with a fallout shelter
Eight miles high and falling fast
It landed foul on the grass
The players tried for a forward pass
With the jester on the sidelines in a cast

「炎暑の夏の大混乱、鳥たちは核シェルターとともに飛び去った、8マイルの高さまで達し、急速に落下している、それは草地に激突し、プレイヤーたちはフォーワード・パスを試みた、サイドラインの道化師も巻き込んで」

f0147840_0325241.jpgビートルズにHelter Skelterという曲があるということはよろしいでしょう。ベヴァリー・ヒルズのロマン・ポランスキー邸を襲い、シャロン・テイトたちを惨殺したチャーリー・マンソンは、のちに、この曲に啓示を受けたと主張したことも、常識の部類でしょう。まあ、少なくとも、われわれリアル・タイム世代には。オウム真理教の事件があったとき、マンソンとテイト=ラビアンカ事件を思いだした方もたくさんいらっしゃることと思います。

f0147840_0355455.jpg「鳥たち」は、直後に「8マイルの高さ」が出てくることから、Eight Miles Highというドラッグ・ソングと目される歌をつくった、バーズを指していることがわかります。

夏の大混乱が指すものはなにか。ここでいう「夏」は、「サマー・オヴ・ラヴ」すなわち1967年の夏と思われます。この年の夏に開かれた「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル」にバーズは出演しています。あの夏はまさしく「大混乱」のときでした(ワッツ暴動があった1964年夏のことを指しているとする記事を読みましたが、わたしにはそのへんのことはわかりません)。

しかし、マンソンへの言及を考えると、同時に1969年の夏のこともいっているように思われます。マンソンがロマン・ポランスキー邸を襲ったのが69年8月8日、その直後の8月16日にウッドストック・コンサートがはじまります。こちらの夏も「大混乱」でした。

「核シェルター」とはなにか。とりあえず思いつくのは、「フォーク・ロック」というジャンルです。フォーク・ロックの定義は差し控えますが、一般的に「フォーク・ロック・ブーム」といわれるものは、きわめて短命でした。日本のような地の果てにいると、なんだか、はじまったときにはもう終わっていた、ぐらいの印象です。「急速に落下している」から、わたしはそのことを思い浮かべます。

Itという代名詞が指すものは、核シェルター、すなわちフォーク・ロックと考えられます。「草地」から、だれでも「グラス」「葉っぱ」を連想するでしょう。フォーク・ロックはドラッグ文化のなかで雲散霧消した、という解釈はいかが?

ウェブで読んだ解釈で面白いと思ったものがあります。自然芝の球場の場合(60年代には人工芝の球場はほとんどなかったはず)、ファウル・エリアの大部分は土で、芝が敷いてあるのは、フェア・グラウンドに接したごくわずかな部分である、そこに落ちたということは、「もうちょっとでヒットだった」という意味だ、というのです。うがちすぎのたぐいですが、おもしろいうがちではあります。

f0147840_0473669.jpg「フォーワード・パス」は、地に墜ちたフォーク・ロック、ないしはフォーク・ミュージックをなんとか前進させようということでしょうか(ラン・プレイとパス・プレイのちがいは、後者は一発逆転のロング・パスがあること、というのもフットボール・ファンなら連想するでしょう)。このへんにはまったく自信なし。細かい話ではなく、音楽そのものを前進させる、でしょうかね。playerの解釈も微妙です。しばしば、「経営ゲーム」の参加者をプレイヤーと呼ぶわけで、会社側の目論見を皮肉っている可能性もあると思います。

f0147840_0562219.jpgサイドラインにいる、ということは、ゲームには参加していないことになります。道化師すなわちディランは、「プレイ」の枠外に自分をおいたということでしょうか。Blonde on Blondeのあと、バイク事故の結果、しばらく人前にすがたを見せず(このとき、のちにBasement Tapesとして世に出たものが録音された)、復帰後のJohn Wesley Hardingから、Nashville Skyline、Self Portraitにいたる時期の、非アンガジェマン的、マニエリスム的中道主義(当時はもっとひどいことをいわれましたねえ。「退嬰的」「反動的」あたりが、フォーク・ピュアリストの平均的意見じゃないでしょうか。いえ、わたしはこの時期のディランがもっとも楽しいと思っています)を指しているかもしれません。

◆ 音楽が死んだ日に明らかになった真実 ◆◆

Now the half-time air was sweet perfume
While the sergeants played a marching tune
We all got up to dance
Oh, but we never got the chance
'Cause the players tried to take the field
The marching band refused to yield
Do you recall what was revealed
The day the music died?

「ハーフタイムの空気は甘い香りがした、軍曹がマーチを演奏しているあいだ、ぼくらはみな立ち上がって踊った、でも、ぼくらにはチャンスなんかなかったのだ、プレイヤーたちが戦闘を開始しようとし、マーチング・バンドは服従を拒んだからだ、音楽が死んだ日になにが白日の下にさらされたか覚えているかい?」

「ハーフタイム」とは「サマー・オヴ・ラヴ」、1967年夏のことでしょう。「甘い香り」はあの「われわれの意思によって世界は変えられる」という楽天主義と同時に、グラスの匂いをいっているのかもしれません。軍曹はもちろん、Sgt. Pepperすなわちペパー軍曹、マーチング・バンドはビートルズでしょう。

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ここの「プレイヤー」は、エスタブリッシュメントのことを指しているように感じます。保守主義者がtake the fieldすなわち戦闘を開始しようとしたため、楽天主義は打ち砕かれた(「チャンスはなかった」)という歴史認識をいっているのではないでしょうか。個人的には、あれは自壊現象だったと考えていますが。

音楽が死んだ日に明らかになったこと、というのはわたしにはわかりません。しいて想像すると、所詮、ポップ・ミュージックはビジネスである、ビジネスの冷徹な現実の前では、音楽それ自体は無力だ、といったあたりでしょうか。

ちょっと息切れがしてきましたし、こういうエニグマティックな歌詞を解釈しても、たんに「解釈のヴァージョン」を増やすだけにすぎず、なにかいったことにはならない、というペシミズムに取り憑かれそうになります。ドン・マクリーンが解説を拒んでいる(詩人としては当然でしょう)ことだけを頼りに、なんとかあと一回がんばってみるつもりです。
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by songsf4s | 2008-02-02 23:55 | 冬の歌
American Pie by Don McLean その1
タイトル
American Pie
アーティスト
Don McLean
ライター
Don McLean
収録アルバム
American Pie
リリース年
1971年
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きたる2月3日は、バディー・ホリー、リッチー・ヴァレンズ、ビッグ・バッパーの命日です。偶然、重なったわけではありません。音楽史上、有名な事件ですが、なにしろ半世紀近い昔のことなので、本題に入る前に、まずはこの出来事のおさらいをしておきます。といっても、半世紀前には、わたしはまだ小学校にもあがっていないので、以下はたんなる「見てきたような」講釈にすぎません。

f0147840_23375345.jpg1959年1月23日から2月にかけておこなわれた、バディー・ホリーをヘッドライナーとし、ミネソタ、ウィスコンシン、アイオワ、オハイオ、イリノイなどの中西部諸州をめぐるパッケージ・ツアー「Winter Dance Party」は、バスによる即日移動が多く、しかもバスにはヒーターがなかったため、凍傷をわずらうプレイヤーまで出る難儀なものでした。2月2日夜のアイオワ州クリア・レイクのショウがはねたあと、ホリーらは、寒いバスでの移動を嫌って、軽飛行機をチャーターすることにしました。

当初はホリーのほかに、彼のバンドのギタリスト、トミー・オールサップ(後年、ヴェンチャーズのPlay Country Classicsでリードを弾く)と、ベーシストのウェイロン・ジェニングス(もちろん、後年のカントリー・スター)が同行する予定でしたが、話を聞いたビッグ・バッパーは、ウェイロン・ジェニングスからこころよく席を譲り受けました。リッチー・ヴァレンズも飛行機に乗りたがりましたが、オールサップのほうは席を譲るのをしぶり、結局、コイン投げでヴァレンズが勝ったと伝えられています。

3人が空港に着いたとき、飛行機会社には若いパイロットしかいませんでした。このパイロットは夜間飛行の資格がなく、ビーチクラフト・ボナンザの計器には不慣れでしたが、社長は留守で、無謀なフライトを制止することができませんでした。若いパイロットは、突然、ロックンロール・スターたちがそろってあらわれたことに興奮し、自制することができなかったのではないでしょうか。

f0147840_23414160.jpgどうであれ、2月3日午前1時前、吹雪のなか、空港を飛び立ったビーチクラフト・ボナンザは、数時間後、5マイルほど離れたトウモロコシ畑に墜落しているのを発見されました。パイロットと3人の乗客全員が死亡していました。

本日の曲は、その1959年2月3日を「音楽が死んだ日」とうたった、ドン・マクリーンによる「墓碑銘」にして、1972年はじめのチャート・トッパーです。シングルでは、パート1とパート2に分け、AB両面を使ったほど長い曲ですし、なにを指し示しているのかよくわからないところがあるので、一回では終わらず、少なくとも2回、ひょっとしたら3回にわたることになるでしょう。

◆ 魂の凍る二月 ◆◆
では、長い前付けのヴァースの冒頭部分。

A long, long time ago
I can still remember
How that music used to make me smile
And I knew if I had my chance
That I could make those people dance
And maybe, they'd be happy for a while

「はるか昔のこと、音楽を聴いてどれほど楽しい気分になったか、いまでもよく覚えている、そしてぼくも、みんなを踊らせ、できるなら、しばらくのあいだ幸せな気分にすることができたらいいのにと思ったものだ」

「はるか昔」とは、もちろん1950年代後半、とくにバディー・ホリーが活躍した1957年から59年はじめまでのことを指しています。

But February made me shiver
With every paper I'd deliver
Bad news on the doorstep
I couldn't take one more step

「でも、二月にはふるえあがった、ぼくが届ける新聞の一部一部が、ドア・ステップに悪い知らせを届けることになってしまった、足がすくむような思いだった」

調べてみると、ドン・マクリーンは一時期、じっさいに新聞配達をしていたそうです。前付けヴァースはさらにつづきます。

I can't remember if I cried
When I read about his widowed bride
But something touched me deep inside
The day the music died

「未亡人になった彼の花嫁のことを読んだとき、ぼくが泣いたかどうかは覚えていない、でも、あの音楽が死んだ日は、ぼくの心の深くに痕を残した」

事故のとき、バディー・ホリーはすでに結婚していて、夫人のマリーア・エレーナのお腹には彼の子どもがいました。事故の直後かどうかはわかりませんが、彼女は流産したそうで、「彼の花嫁のこと」というのは、それを指しているように思えます。widowed bride、すなわち「未亡人になった花嫁」といっているのは、まだ結婚してまもなかったからでしょう。

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◆ 今日こそ俺の死ぬ日 ◆◆
以下の一節は前付け部分の最後に出てきますが、その後、何度も繰り返されるコーラスです。

So bye-bye Miss American Pie
Drove my chevy to the levee
But the levee was dry
And them good old boys were drinkin' whiskey and rye
Singin', "This'll be the day that I die
This'll be the day that I die."

「バイバイ、ミス・アメリカン・パイ、シェヴィーに乗って堤防に行ったけれど、堤防は乾いていた、昔なじみ連中はスコッチとライを飲んで、『今日こそ俺が死ぬ日だ、今日こそ俺が死ぬ日だ』とうたっていた」

この意味不明のコーラスが何度も繰り返されるのだから、わからないといって通りすぎるわけにはいかず、困ったものです。まずいっておくべきことは、意味以前に、音韻がよく整っていて、口ずさみたくなるラインになっていることです。それがこの曲のヒットにおおいにあずかったことはまちがいありません。

f0147840_23445222.jpgここで別れを告げる対象があるとしたら、バディー・ホリー、彼の音楽、あるいはマクリーンの主観にしたがえば、大文字の「音楽そのもの」ぐらいで、「ミス・アメリカン・パイ」とは、とりあえず「音楽」だと解釈できます。

わからないのは、なぜ「ミス」なのか、です。たとえば、ここで「バイバイ、ミスター・アメリカン・ミュージック」とうたっては、むくつけで、詩にならないことは明らかだから、言い換えが必要です。そこまではいいのですが、なぜ「パイ」で、しかも、なぜ女性にしたのか? 「アップル・パイ」がアメリカを象徴するものだというのはご存知のことでしょう。わたしは、「アメリカン・パイ」から、そのことを連想します。パイは女性のつくるもので、家庭と結びついている、ということはいえるでしょう。

詩とかぎらず、どんな創作の分野でも、シンボルを使う場合、単純な構造をとるとはかぎりません。しばしば、二重三重のシンボリズムになります。われわれの頭の構造がそうなっているからです。きわめて単純な例をあげれば、「桜の花びら」といったとき、われわれは、その美しさだけでなく、生の盛りと、さらには死を、そして再生を連想します(さらにいうと、「桜田門」すなわち警視庁をシンボライズする場合すらある。赤瀬川原平『櫻画報』を想起されよ)。桜をシンボルとして利用する場合、そうした複数の連想の糸を前提とすることになります。

ミス・アメリカン・パイは、バディー・ホリーであり、アメリカ音楽であり、アメリカという国そのものであり、マクリーンの少年時代であり、要するに、あらゆるものを包含しているのではないでしょうか。バディー・ホリーの死とともに、マクリーンの心のなかでも、なにかへの訣別があったことをうたっているのでしょう。

f0147840_0294895.jpgつぎは「堤防」ですが、これはさっぱりわかりません。土手か船着き場のあたりに、マクリーンの仲間の溜まり場があって、そのことをうたっているのかな、などと当てずっぽうしか出てきません。dryもなんのことやら。堤防は川ではないのだから、乾いていてあたりまえです。それとも、ひと気のないことをいっているのでしょうか。

The Billboard Book of Number One Hitsによると、1968年、マクリーンはニューヨーク州芸術審議会によって、「ハドソン川の吟遊詩人」に任命され、6週間にわたって、週に5日ステージに立ち、ハドソン川の全流域をまわったそうです。彼のAmerican Pieまでのキャリアに登場する「堤防」「土手」は、このハドソン川ぐらいです。

また、マクリーンの生まれ育ったニューヨーク州ロシェールの近くに、レヴィーという町があるそうです。leveeが土手ではなく、固有名詞である可能性も考慮する必要があるかもしれません。もっとも、こういうあれこれがわかっても、歌詞の解釈にはつながらないのですが。

Them good ol' boysのthemは、thoseと置き換えてかまわないので、「あの連中」ぐらいの意味ですが、これまただれのことやらわかりません。マクリーンの友人たちをいっているのなら、みな酒を飲んで「今日こそ俺が死ぬ日だ」と、バディー・ホリーの替え歌をがなっていた、というあたりでしょうか。

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バディー・ホリーは、thisではなく、That'll be the day when I dieとうたっています。ビートルズ最古の録音が、ジョンがリードをとるThat'll Be the Dayなのはご承知のとおり。

Oldが、「馴染み」ではなく、そのまま年齢のことをいっているという解釈もあるでしょうが、年寄りにバディー・ホリーの代表作を歌わせる意味がわかりません。

◆ ピンクのカーネーションとピックアップ・トラック ◆◆
やっとドラムとベースも入ってきて、最初のヴァースへ。

Did you write the book of love
And do you have faith in God above
If the Bible tells you so
Do you believe in rock'n'roll
Can music save your mortal soul
And can you teach me how to dance real slow?

「きみは愛の本を書いたか? 聖書がそうしろと教えるのなら、天にまします神を信じるか? ロックンロールを信じているか? 音楽はきみの限りある魂を救ってくれるだろうか? きみはものすごくスロウに踊る方法をぼくに教えてくれるか?」

f0147840_052693.jpgそろそろ五里霧中領域に突入です。なにか思いつくことがあるとしたら、1958年にモノトーンズがBook of Loveという曲を大ヒットさせているということくらいです。このタイトルは「愛の聖書」とでもいう意味で(the good bookまたはthe bookといえば聖書を指す)、歌詞はsomeone up aboveとして神に言及しています。で、このラインの意味はなんだ、といわれると、グッと詰まってしまうんですけれどね。

f0147840_0551619.jpgラヴィン・スプーンフルのDo You Believe in Magicを連想される方もいらっしゃるでしょう。ジョン・セバスチャンもDo you believe in Rock'n'Roll?とうたっています。関係があるのかもしれないし、ないのかもしれないし、わたしには判断がつけられません。

ほかのラインについてはなにも思いつきません。とりわけto dance real slowが引っかかります。スロウなダンスというと、チークを思い浮かべますが、そういうintimateな体験のことをいっているのかなあ、ぐらいしか思いつきません。

Well, I know that you're in love with him
'Cause I saw you dancin' in the gym
You both kicked off your shoes
And I dig those rhythm and blues

「きみが彼に恋していたのは知っているさ、体育館で二人で踊っているのを見たからね、きみたちは靴を脱ぎ捨てていた、ぼくはあのリズム&ブルーズに乗ってしまった」

Youという代名詞がここで入れ替わったのか、それとも、はじめから特定の女の子を指し示していたのか、そこがよくわかりませんが、ここでは明らかに女の子に向かってyouといっています。片想いなのか、付き合っていた女の子に裏切られたのか、そのへんは微妙です。

f0147840_14080.jpg靴を脱ぎ捨てて、というのは、sock hopすなわち「《俗》 ソックホップ 《特に 1950 年代に高校生のあいだで流行した, ソックスで踊るくだけたダンスパーティー》」のことと思われますが、情熱的なダンスであることへの言及でもあるのでは、と感じます。

そして、そういう場面を目撃しながら、流れていた曲が気に入ってしまったというところは、悲しみの表現としてすぐれていると感じるだけでなく、ああ、俺と同じ魂がここにいる、と涙が出そうになります。音楽は地上の人事を超えるのです。

なぜバディー・ホリーの不慮の死を語っていた歌が、ドン・マクリーンの十代の叶わなかった恋の歌になるのだ、とお思いかもしれませんが、わたしには、これはごく自然なことに思えます。十代のときを思い起こすと、音楽は人生であり、人生は音楽であり、どんなときも音楽とともにありました。バディー・ホリーの音楽は、マクリーンにとって人生そのものだったのでしょう。また、ある重大な出来事があった日の人間模様を描くのは、フィクションでは常套的手法でもあります。

I was a lonely teenage broncin' buck
With a pink carnation and a pickup truck
But I knew I was out of luck
The day the music died

「ぼくはピンクのカーネーションをもってピックアップ・トラックに乗った、相手のいない、跳ねまわっているだけの十代の若造だった、でも、ぼくはただ運に見放されただけだとわかっていた、あの音楽が死んだ日には」

f0147840_163636.jpgなんだかわからないことだらけですが、直感的に、これは性的なラインだと感じます。男なら、ピックアップ・トラックがいっぱいになるほどの欲望を抱えた「十代の苦悩」はみな経験することです。ピンクのカーネーションの花言葉は「結婚」だそうです。ちなみに、色を限定しないカーネーションの花言葉は「哀しいわが心」(ここでクレイジー・キャッツの歌を連想すると、あらぬほうにイメージが崩れてしまうので、ご注意!)、赤ならば「純愛」、赤白まだらなら「拒絶」だそうです。

カーネーションのシンボリズムはまだまだありますが、それよりも、ピックアップ・トラックとカーネーションという組み合わせに、わたしは大人の洗練とは対極にあるものを感じます。また、音楽について語ったメタ・ソングなので、ピンク・カーネーションが出てくる歌として、マーティー・ロビンズのWhite Sport Coat and a Pink Carnationという1957年の大ヒット曲があることも、念頭に置くべきかもしれません。

まだやっと序盤、先は長いので、気長にやることにして、本日はこのへんで切り上げさせていただきます。いよいよ同時代叙事詩に入るセカンド・ヴァースは明日以降に。
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by songsf4s | 2008-01-31 23:30 | 冬の歌
Out in the Cold Again by Sam Cooke
タイトル
Out in the Cold Again
アーティスト
Sam Cooke
ライター
Rube Bloom, Ted Koehler
収録アルバム
The Man Who Invented Soul
リリース年
1961年
他のヴァージョン
Ferlin Husky, Dean Martin, Franky Lymon & the Teenagers
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昨日は、外は極寒だけれど、室内は暖炉と恋人のおかげで暖かいという、トミー・ローのIt's Now Winter's Dayでしたが、本日は、外に出るとすごく寒い、という歌です。

そういう曲はきわめて稀だとはいいませんが、スタイル、アプローチのまったく異なるヴァージョンがそろいました。メイン・ストリームあり、ドゥーワップ風あり、カントリーあり、ブルース風あり、じつにヴァラエティーに富んでいます。

◆ シェルターの外に出てみれば ◆◆
まずはどんな曲か、歌詞から見ていきます。各ヴァージョンで微妙に異同があるので、ここではサム・クック盤にしたがいます。

The song that you sang so sweetly
You called it our love refrain
Now it's gone and I'm left completely
I'm out in the cold again

「きみが甘くうたったあの歌、わたしたちの愛のリフレインといっていた歌は、もうどこにもない、ぼくはすっかり見捨てられ、寒い外へと放りだされてしまった」

というわけで、冬の歌かどうかはちょっと微妙で、寒い野外というのは、たんなる比喩かもしれません。

I dreamed that our love would linger
But just memories remain
I gaze at that ringless finger
Looks like I'm in the cold again

「ぼくらの愛はずっとつづくのではないかという夢を見ていた、でも残ったのは思い出だけ、リングをはずした指をじっと見つめていると、寒い外に放りだされたことをしみじみと感じる」

ということは、これは破れた結婚の歌ということになります。こんどはブリッジ。

So true, it hurts my pride
To step aside for somebody new
But deep down inside my whole world depended on you

「まったく、新しい相手のために脇に退かなければいけないのにはプライドを傷つけられる、でも、心の奥底では、ぼくのすべてはきみしだいだったのだ」

なんとなく、butという逆接の接続詞が落ち着き悪く感じます。概念的には、二つのセンテンスが順接になっているか、または、接続詞で結ばないほうがよいもののように思えるのです。なにかbutでつながなければならない理由があったのではないかと思い、しばらく考えてみましたが、結局、わかりませんでした。

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Out in the Cold Againを収録したサム・クックのMy Kind of Blues。管見ではCD化されていない。

サード・ヴァース。

I wanted your arms around me
To shelter me from the rain
But now I'm back where I started
Out in the cold again

「ぼくの躰に腕をまわして、雨から守ってほしかった、でも、いまや振り出しに戻って、外の寒さのなかにいる」

なんだか奇妙なヴァースです。男が女を守る、という常識は通用しないようで、おやおや、です。しかも、振り出しが外だというのだから、いよいよもって奇妙。まあ、この曲の「外」と「寒さ」は、直喩ではなく、暗喩であって、パートナーがいない状態のことをいっているとも受け取れるので、たんに、もとのようにひとりになってしまった、といっているだけかもしれませんが、男と女の役割の逆転が語られていることから、直喩である可能性、つまり、男は文無しの風来坊で、女性に拾われた、という設定なのかと解釈したくなります。

◆ サム・クック・ヴァージョン ◆◆
各ヴァージョンの検討に移ります。まずは看板に立てたサム・クック盤。イントロからセヴンス・コードを使っていて、ややブルーズ寄りのアレンジになっています。ファーリン・ハスキーのヴァージョンとは、メロディーもコードもかなり異なっています。

f0147840_0191299.jpgヴァースの冒頭は、ハスキー盤では、G-C-G-F-E-Cというコード・チェンジを使っているのに対し、サム・クック盤は、イントロでは同様の進行でやっているのに、歌に入ると、Cをオミットし、G7で押し通しています。ここは、GでもCでもかまわないという箇所ではなく、ハスキー盤のメロディー・ラインではEの音を、ただの経過音としてではなく、メロディーが降りてきた落ち着き場所として伸ばしているので、Cにいかないのであれば、このEも使えません。だからサム・クックは、ファーリン・ハスキーとまったくちがうラインをうたっています。

ハスキー
G-G(オクターヴ上がる)-F-E

クック
B-D-E-D-B-G-B(このBを伸ばして、スラーで最後に小さくGに落ち着かせる)

両者ともキーはGなのに、まったくラインがちがいます(サム・クックのEは、一瞬の経過音で、これくらいならコードがGのままでも衝突しない)。歌詞がなければ、同じ曲には聞こえないでしょう。このあとの、G-F-Eという、魅力的に響くコード・チェンジをサム・クック盤も採用しているので、ああ、同じ曲なのだなと感じます。

f0147840_0201059.jpgファーリン・ハスキーとサム・クックのスタイルのちがいというより、カントリーとブルーズの文化のちがいそのものを感じるような、アプローチの差がここにはあります。ハスキーのものはカントリー・バラッドなのに対し、クックのものは、ブルーズをベースにしたバラッド「のようなもの」になっています。スラーでメロディーを動かすのも、カントリー的ではないのかもしれない、と感じました。

サウンド面でいうと、サム・クック盤の管のアレンジには魅力がありますが、それ以外にはどうということはなく、彼のシンギング・スタイルを際だたせる曲と感じます。サム・クックのカタログには、自作曲をはじめ、すぐれた曲が山ほどあるので、Out in the Cold Againは、アルバムに入っていると目立ちませんが、コンテクストから切り離すと、なかなかいい曲だということがわかります。

◆ ディノのキャラクター ◆◆
f0147840_0211665.jpgファーリン・ハスキー盤とフランキー・ライモン盤は、前者は明確にたしかめられないものの、どうやら同じ1957年の録音またはリリースと思われます。曲がつくられたのは1930年代らしく、どうしてこの時期に、カントリー・シンガーとドゥーワップ・シンガーに同時に取り上げられたのかはよくわかりません。

ハスキーは、カントリー・シンガーに多い美声の持ち主で、素直に、やりすぎないように、きれいにうたっています。上述のように、サム・クックとはまったく異なるアプローチですが、これはこれで悪くないと感じます。マーティー・ロビンズと同系統の嫌味のないスタイルだからでしょう。

f0147840_0225532.jpgフランキー・ライモンは、いわば天才少年だったわけで、十五歳の時に録音したこの曲も、その卓越したヴォーカル・テクニックのショウケースになっています。美声とテクニック、ともに申し分ありません。でも、ジャクソン・ファイヴおよびソロ初期のマイケル・ジャクソンなどにも同じことを感じますが、子どもが大人の歌を大人っぽくうたうことには、つねに違和感と痛々しさがともないます。

マイケル・ジャクソンなんかカスに見えるほどうまいシンガーだけに、フランキー・ライモンのOut in the Cold Againには居心地の悪さをいっそう強く感じます。歌詞はどう見ても、もう若くない男の話なのですから。こういう歌を少年にうたわせると、どうしても「芸当をさせる」という見せ物的なムードが生まれてしまうことが気に入りません。マネージメントによる「児童虐待」といっていいのではないでしょうか。

f0147840_0235827.jpgその点、ディノのOut in the Cold Againでは、まさにこの歌詞が想定したであろう、ちょっとやつれの見えはじめた遊び人の肩をすぼめた姿が、音のなかから立ちあらわれてきます。年齢を重ねないとうたえないタイプの曲がある、ということを改めて教えられます。奇妙に感じると書いたサード・ヴァースですら、ディノがうたうと、彼がつねにまとっていた遊び人のキャラクターのおかげで、なるほど、そういうことか、と納得してしまうのだから、歌というのは不思議なものです。

これはすでに何度も取り上げたアルバム、Winter Romanceに収録されています。いま勘定してみたら、このアルバムで、まだ取り上げていないのはあと3曲を残すだけで、こうなったら、全曲取り上げようか、なんて思いました。スタイル、サウンドとしては、いつものディノで、ハスキー盤からカントリー風味を取り去り、メインストリーム色を打ち出したようなものです。オーケストレーションには、ちらっとゴードン・ジェンキンズ的イディオムが使われていたりして、アレンジャーの名前を知りたいところです。
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by songsf4s | 2008-01-30 23:56 | 冬の歌