カテゴリ:秋の歌( 14 )
サンプラー キンクスのAutumn Almanac
タイトル
Autumn Almanac
アーティスト
The Kinks
ライター
Ray Davies
収録アルバム
Singles Collection
リリース年
1967年
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十一月も終わりなので、恒例のアクセス・キーワードのリストをご覧いただきます。

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「Christmas comes this time each year」毎年いまごろになるとクリスマスがやってくる、とビーチボーイズも歌っていますが、毎年いまごろになると、当家にもクリスマスソングのお客さんがやってきて、アクセス・キーワードがそっちのほうにシフトします。

ビーチボーイズ Little Saint Nick


Frosty the Snowmanはストーリーのある歌なので、「歌詞」というキーワードが追加されるのでしょう。

先月初登場の「牡丹燈籠 山本薩夫」は、今月も登場。どなたかがブックマークがわりにご利用なのだろうと思うのですが、それにしては回数が多すぎるようでもあり、よくわかりません。

二本柳寛は、初登場ではないのですが、月末まで残ったのは初めてではないでしょうか。わたしは二本柳寛のファンなのですが、そのわりには大々的に取り上げたことはなく、あっちにちょこ、こっちにちょこという調子でパラパラ書いただけにすぎません。そのうちなにかまとまったものを、と思います。

ジム・ゴードンに関しては、国内はもちろん、英語によるものでも、当家ほどくわしく扱っているサイトはないと自負しています。あのときにつくったベスト・オヴ・ジム・ゴードンのファイルは、期間限定公開だったので、メディアファイアに店ざらしになっています。そのうち三度目の再公開をしましょう。クリスマスか正月かな。ひょっとすると、討ち入りの日24時間限定、なんていうナックルボールもあるので、油断召されるるなかれ、おのおのがた。←ここのところ、長谷川一夫の声色で読んでちょうだいね、といっても意味がわからんでしょうな。

つづいて赤木圭一郎! 月末まで赤木圭一郎のキーワードが残ったのははじめて、ちょっと感動的です。たいていは月なかばで圏外に出てしまうのですが、十一月はついに最後まで残りました。赤木圭一郎の映画は、『霧笛が俺を呼んでいる』『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』のどちらもけっこうまじめに書いたので、どこに出しても恥ずかしくない記事と自負しています。これを記念して、もう一本、赤木圭一郎の映画をいきましょうかね。まえまえからやろうと思って、DVDは用意してあるのです。

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Stormy Mondayのコードは単純なんですが、それでも自分でコピーするのは面倒くさいという方がいらっしゃるのでしょうか。まあ、PCもウェブも、横着するためにあるようなものですからね。

『日本のいちばん長い日』もまじめに書きました。問題は、まじめなだけで、あまり面白くはないだろうということです。暑かったですからねえ、あのころは。

「玉木宏樹」というキーワードは痛し痒しですわ。ご本人が検索なさったのではないことを祈っています。万一、ご本人または関係者の方がご覧になったのだとしたら、スキャンについては、パブリシティーということでご了承願えたらと思います。

『娘・妻・母』はつい先日書いたばかりなので、初登場です。思ったよりずっといい映画でした。成瀬巳喜男は嫌い、というわけではないなら、ご覧になっても損はないでしょう。

以上、十一月も検索、ありがとうございました。

◆ Sweep'em in my sack ◆◆
二十四節季があった昔はいざ知らず、現代の日本では月の区切りに季節の区切りを置く考え方が主流のようですが、昔調べたところでは、西洋では冬至までは秋、という考え方が主流のようです。だから、まだ秋の終わりではないのですが、冬至のころにはクリスマスがあって、2007年の季節めぐりでも、秋の歌は十一月中旬で終えていました。

f0147840_23551188.jpgそんなこともあって、いつがいいのかわからないまま、いつのまにか十一月末になってしまったので、ここでキンクスのAutumn Almanacのサンプラーをやっておくことにします。

オリジナル記事はAutumn Almanac by the Kinks その1Autumn Almanac by the Kinks その2です。歌詞もコードも構成も、すべて詳細にわたって検討しています。

この曲に関しては、わが家にはステレオの、別テイクの、といったヴァリエーションはなく、オフィシャル・リリースのモノ・ヴァージョンのみしかありません。ただ、Singles Collectionのマスタリングよりは、Picture Bookというボックス・セットに収録されたもののほうが、輪郭がカチッとしているので、そちらをサンプルにしました。

サンプル The Kinks "Autumn Almanac"

ライヴではなく、リップ・シンクですが、テレビ出演時のクリップがあったので、いちおう貼りつけておきます。衣裳がいかにもあの時代らしくて笑っちゃいますが。



いやはや、それにしても、ポップ・ソングとしては、歌詞も構成もコードも非常に複雑で、ここまでいったらシングル・ヒットは望めない、とあのときにレイモンド・ダグラス自身、承知していたのじゃないでしょうかね。

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いえ、いまでもやはり、Waterloo Sunset同様、レイモンド・ダグラス・デイヴィーズおよびキンクス、そしてイギリス現代音楽を代表する秀作だと思いますが。なによりも、いかにもRDらしい、一筋縄ではいかない、「迂回した叙情性」とでもいうべきものに心惹かれます。


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Singles Collection
Singles Collection


ボックス
Picture Book
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by songsf4s | 2010-11-30 23:58 | 秋の歌
Autumn Nocturne by Henry Mancini
タイトル
Autumn Nocturne
アーティスト
Henry Mancini
ライター
Kim Gannon, Joseph Myrow
収録アルバム
Mancini '67
リリース年
1966年
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週末の紅葉狩り低山徘徊に忙しく、昨日は休ませていただきましたが、本日は休みとするかわりに、そそくさとインストゥルメンタル曲をご紹介することにします。

インストゥルメンタル曲といっても、調べてみると、このAutumn Nocturneには歌詞があるらしく、たんにわが家にはヴォーカルものがないだけのことです。いま、歌詞を読んでみましたが、緑の葉が黄色くなると、あなたと別れたあの九月のことを思いだす、などと日本人にはよくわからないことが書いてありました。

今日の紅葉狩りでは、黄葉している銀杏はほんの数えるほどで、大部分はまだ緑色のままでした。九月に黄葉といわれても困惑しますが、ヴァン・モリソンのWhen the Leaves Come Falling Downにも、そういうくだりがあるので、九月が紅葉落葉の季節である地域も多いのでしょう。

f0147840_22122326.jpgメロディー・ラインの明快ではない曲ですが、ヘンリー・マンシーニ盤Autumn Nocturneでは、ヴァイブラフォン、ピアノ、ミューティッド・トランペット、テナー・サックスがリードをとっています。トランペットもなかなかうまい人ですが、テナーはおみごと。クレジットでは、だれがソロをとったかまではわかりませんが、プラズ・ジョンソンの名前がサックス陣のなかにあるのだから、当然、彼のプレイでしょう。しかし、ソロがどうこうという以前に、こういうトラックのポイントは管のアンサンブルに尽きるわけで、Autumn Nocturneは、ヘンリー・マンシーニらしい、そして、ハリウッドらしい気持ちのよいサウンドになっています。

クレジットは以下のようになっています。60年代中期の映画/ジャズ系のスタジオ・プレイヤーの顔ぶれを知るうえで参考になるリストでしょう。

Arthur Maebe……French Horn
Dick Nash……Trombone
Richard Perissi……French Horn
Jimmy Priddy……Trombone
Joe Reisman……Producer
George Roberts……Trombone (Bass)
Jack Sperling……Percussion, Drums
Ray Triscari……Trumpet
Vincent DeRosa……French Horn
Johnny Halliburton……Trombone
Karl de Karske……Trombone (Bass)
Jordi Pujol……Producer
Bob Bain……Guitar
Al Porcino……Trumpet
Frank Beach……Trumpet
Dick Bogert……Engineer
Bud Brisbois……Trumpet
Ray Brown……Bass
Larry Bunker……Vibraphone
John Cave……French Horn
Gene Cipriano……Flute, Sax (Tenor), Piccolo, Flute(Bass & Alto)
Maurice Harris……Trumpet
Milt Holland……Percussion
Jack Sheldon……Trumpet
Harry Klee……Flute(Alto), Piccolo, Sax(Alto)
Henry Mancini……Piano, Arranger, Main Performer
Leonard Feather……Liner Notes
Plas Johnson……Flute, Flute(Bass), Sax(Tenor), Piccolo
Jimmy Rowles……Piano
Pete Candoli……Trumpet
Ronnie Lang……Flute, Flute(Alto & Bass), Piccolo, Sax(Baritone)

映画関係ではエースだ、とトミー・テデスコがいっていた、ジャック・スパーリングの名前があります。スパーリングがいれば、ラリー・バンカーはドラム・ストゥールに坐れないのだということもこのリストからわかります。バド・ブリスボア、ミルト・ホランド、ピート・カンドーリ、ボブ・ベイン、ジーン・チープリアーノ(イタリア系ならこの発音、スペイン系ならシープリアーノと発音すると辞書にあります。ハル・ブレインは、チープリアーノはオーボエの第一人者だといっていましたが、やはり、オーボエだけでは食べられず、さまざまな木管楽器をプレイしたのでしょう)、そしてプラズ・ジョンソンと、ポップ系セッションでおなじみの人たちもいます。

それにしても、ヘンリー・マンシーニのボックス、"Days of Wine and Roses"のブックレットを見ると、マンシーニは、1967年に7枚ものアルバムをリリースしています。シングルだって、年間7枚出す人などそうはいるものではないだから、この年間7枚のLPというのが、どれほどとんでもない数字かわかろうかというものです。

◆ ハリー・ジェイムズのAutumn Serenade ◆◆
これだけではさみしいような気がするので、もうひとつ、秋のインストゥルメンタル曲をあげておきます。ハリー・ジェイムズのAutumn Serenadeです。この曲には、のちに歌詞がつけられたそうですが、うちには古いハリー・ジェイムズ楽団のインストしかありません。

f0147840_22132453.jpgじつは、この曲が気に入っているのは、イントロから最初のヴァースぐらいは、日活映画、それもアキラではなく、裕次郎の映画がはじまりそうな雰囲気があるからです。日活のほうは、ハリー・ジェイムズのように、ストリングスまでついたゴージャスなサウンドではありませんが、管だけのところは、なんとも懐かしいムードで、NKマークが目に見えるようです。考えてみれば、日活アクションのある時期のスコアは、ジャズ・プレイヤーが書いていたので、雰囲気が似るのも不思議はないのでしょう。

★  ★  ★  ★  ★  ★ ★ ★
今年の秋の歌特集はいちおう本日をもって終了のつもりです。じつは、キンクスのEnd of the Seasonを今日あたりにと思っていたのですが、忙しい紅葉狩りの週末に、レイ・デイヴィーズのような、わたしにとってもっともだいじなソングライターの曲をやろうという計画に無理があり、途中まで原稿を書いて放棄しました。あの曲はいまぐらいの時季を歌っていますが、tonieさんが示唆なさったように、年末に再挑戦を試みるかもしれません。

★  ★  ★  ★  ★  ★ ★ ★
2007年11月25日追記

文字校正をしながら、Autumn Nocturneのクレジットをじっと眺めていて、ヘンリー・マンシーニが自伝のなかで、ベース・フルートが好きだといっていたのを思いだしました。このクレジットを見ると、木管プレイヤーたちがみな、ベース・フルートやアルト・フルートという、通常はあまり使わないフルートをプレイしていて、なるほど、これが彼のサウンドの特長なのか、と思いました。

もうひとつ思いだしたことがあります。たとえば、リード楽器はテナー・サックスと決めたら、そのときには、プレイヤーをだれにするかということまで決め、その人の音色やスタイルに合わせてアレンジする、といっていたことです。

Pink Pantherのテーマでのプラズ・ジョンソンのプレイは有名です。しかし、それはたんに、プラズが素晴らしいプレイヤーであることを証明しているわけではないのです。ヘンリー・マンシーニが、プレイヤーやシンガーと、楽曲およびアレンジを、すべて一体のものとして音楽をつくっていたことを証明しているのです。
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by songsf4s | 2007-11-24 22:02 | 秋の歌
Coney Island by Van Morrison
タイトル
Coney Island
アーティスト
Van Morrison
ライター
Van Morrison
収録アルバム
Avalon Sunset
リリース年
1989年
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◆ 島といってもいろいろあって…… ◆◆
ヴァン・モリソンの秋の歌は非常に多く、Raincheckにつづくもう1曲をどうしようか迷ったのですが、結局、このConey Islandにしました。その理由はあとで述べることにして、さっそく歌詞を見ていくことにします。いや、この曲には、バックに流れる音楽があるだけで、ヴァン・ザ・マンは歌っていません。ただ、語っているだけなのです。したがって、ヴァースだの、コーラスだのという風には分けられないので、適当なところで分割することにします。

では、最初のブロック。

Coming down from Downpatrick
Stoping off at St. Johns Point
Out all day birdwatching
And the craic was good
Stopped off at Strangford Lough
Early in the morning
Drove through shigly taking pictures
And on to Killyleagh
Stopped off for Sunday papers at the
Lecale district, just before Coney Island

「ダウンパトリックを出発して、セント・ジョンズ岬に立ち寄り、一日中、バードウォッチングで過ごした。気分は申し分なし。早朝にストラングフォード入江で休み、シグリーを通り抜けながら写真を撮り、キリライに向かった。ルカール地区で停まって日曜版を買った。コニー・アイランドまであとわずかだった」

アイルランド観光案内みたいな歌だなと思い、いろいろ読んでみました。まず、タイトルになっているコニー・アイランドですが、すでにおわかりのように、ニューヨークのコニー・アイランドのことではありません。地名ですらなく、したがって島でもなく、「actually a group of cottages which are just off the winding road between Ardglass and Killough」つまり「じっさいには、アードグラスとキローのあいだの曲がりくねった道の周辺にあるコテージ群のこと」なのだそうです。源頼朝が流された蛭ヶ小島が島ではなく、真田昌幸、幸村親子が流された九度山が山ではないみたいなものです。調べてみるものですねえ。

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20世紀初頭のコニー・アイランド・コテージ

そういえば、ランゲルハンス島なんていう、およそ観光には不向きな「島」もありますね。あの「島」を観光できるのは「ミクロの決死圏」(古い!)とナノ・ロボット(新しい!)だけ。

改めて辞書でislandを見ると、「島 《略 is.; cf. →INSULAR a.》; 島に似たもの、孤立した丘。【道路】→SAFETY ISLAND, →TRAFFIC ISLAND, _大草原中の森林地; オアシス; 孤立(民族)集団[地域]; 【解】《細胞の》島、細胞群; 【海】《航空母艦右舷の》アイランド《艦橋・砲台・煙突などを含めた構造物》」とあります。こうしてみると、Coney Islandは「孤立(民族)集団[地域]」ではないかと考えられます。

craicは、アイルランド独特の言葉で、「クラック」と発音し、(場合によってはアルコールや音楽を伴う)娯楽、遊び、楽しみ、仲間、ゴシップなど、さまざまな意味があるのだそうです。ずいぶん語義と用途の広い言葉で、ここでは「気分は申し分なし」としておきました。

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シグリーは地名とみなしておきましたが、ほんとうのところはわかりません。歌詞はオフィシャル・サイトからいただいてきたのですが、大文字になっていないのが気になります。たとえば、草原であるとか、森林であるとか、そういうものを指すアイルランド独特の言葉である可能性もあります。

キリライは、ヴァン・モリソンの発音では「キラライ」に聞こえますが、これは大文字になっているから地名で、地図でも確認しました。海岸線が入り組んで、景色がよさそうな土地に見えます。

◆ 陽光のなかの永遠 ◆◆
二番目のブロック。

On and on, over the hill to Ardglass
In the jamjar, autumn sunshine, magnificent
And all shining through

Stop off at Ardglass for a couple of jars of
Mussels and some potted herrings in case
We get famished before dinner

「アードグラスへの丘をえんえんと走っているあいだ、車のなかにはすばらしい秋の陽光が射しこみ、まばゆく輝く、アードグラスで車を駐め、夕食までに飢えたりしないように、ムラサキイガイとニシンの缶詰を食べる」

缶詰のニシンだから、たぶん、レストランに立ち寄ったのではなく、野外で食べたのでしょう。ひょっとしたら、アイルランドでは缶詰のニシンはごく当たり前で、レストランのサラダに缶詰のアスパラガスが載って出てくるようなものかもしれませんが、この曲のムードからいうと、眺めのよいところで、秋の陽射しを浴びながら、ときおり笑い声をあげ、静かに食事をしている、というほうがふさわしいように感じます。

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最後のブロック。

On and on, over the hill and the craic is good
Heading towards Coney Island

I look at the side of your face as the sunlight comes
Streaming in through the window in the autumn sunshine
And all the time going to Coney Island I'm thinking
Wouldn't it be great if it was like this all the time.

「コニー・アイランドを目指し、えんえんと丘を行く、気分は申し分なし、窓から陽光が流れこんできて、わたしはきみの横顔を見る、コニー・アイランドまでの道すがら、ずっと思いつづけている、いつもこんな風だったら素晴らしいではないか、と」

ヴァンが歌いもせず、ただ語るだけのこの曲を選んだ理由は、この最後のブロックにあります。いや、もちろん、おだやかな心と風景と行動をとらえた、秋の旅行の描写もじつに好ましいのですが、「いつもこんな風だったら素晴らしいではないか」というラインには、まったくだ、と深く同意します。われわれの人生にも、そういう日、そういう瞬間があるじゃないですか。

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Dennis Shaw "Coney Island"

◆ ド・セルビー式アイルランド旅行 ◆◆
若いころ、アイルランドの作家、フラン・オブライエンFlann O'Brienの『第三の警官 The Third Policeman』という長編を読みました。不思議な論理に貫かれた小説で、いつか読み返そうと思い、まだ売り飛ばさずに、どこかにしまいこんであります。

たとえば、「不可視の槍」のエピソードなんていうのが出てきます。穂先が極度に細く研ぎ澄まされていて、肉眼では先端が見えないのです。だから、まだ穂先はずっと向こうだと思っていると、もう刺されちゃっているのです!

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この小説の重要な登場人物、ド・セルビー教授(だったと思いますが)は、旅ということに独特の観念をもっています。「旅で得るものはなにか? 断片的な記憶である。そんなものを得るために、わざわざ苦痛に耐えて家の外に出ることはない。家にこもって、絵はがきを見ているだけで、旅をしたのと同じものが得られる」というのです。これは1967年に出版されたそうですが、いまになると、おそろしく先見的な作品に思えます。

と、長い前置きでしたが、この曲を聴き、この記事を書くためにいろいろ調べていたら、なんだか、ド・セルビー教授になったような気がしてきました。ベルファストを出発して、セント・ジョンズ岬で灯台の写真を撮り、しばらくバードウォッチングを楽しみ、途中、ダウンパトリック・ロードに入りこんでアードグラスに立ち寄り、間道を抜けて、またキロー・ロードに戻り、コニー・アイランドの不思議なコテージ群を見て、昔の人々の生活に思いを馳せ、ただいま帰りました。ニシンの缶詰があるとよかったのですが。

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◆ 自家製ヴァン・モリソン秋の組曲 ◆◆
ヴァン・モリソンの秋の歌の一覧をつくり、検索をかけて、つぎつぎにプレイヤーにドラッグしました。その結果、Coney Islandのつぎには、同じアルバムの秋の歌、Orangefieldがくることになりました。偶然ですが、この並びは非常にぐあいがよく、このアルバムをお持ちの方は、曲順を替えてお聴きになるようにお奨めします。Coney Islandが、Orangefieldの長い前奏曲のように聞こえ、Orangefieldがよりドラマティックに感じられるでしょう。

その理由はじつに単純です。Coney IslandのキーはGで、コード・チェンジといってもG-Fと二つのメイジャー・コードをいったりきたりするだけの、テンポが遅めの、ゆるやかな環境音楽のようなものです。それに対して、Orangefieldはミディアム・テンポで、キーはやはりGです。同じ時期に同じプレイヤーで録音した曲で、サウンドのテクスチャーも同じ、スロウからミドルへの移行だから、まったく違和感なく、きれいにつながるのです。

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Dennis Shaw "Cottages Portaferry"

九月のどん尻に取り上げたWhen the Leaves Come Falling Down、ほんの数日前のRaincheck、そして本日のConey Islandとつづいたヴァン・モリソンの秋のソングブックは、今年はこれで終了です。まだ数曲残っていますが、先述のOrangefieldも含め、あとは来秋のお楽しみとします。秋の歌特集も今週いっぱいで終了の予定です。
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by songsf4s | 2007-11-22 23:51 | 秋の歌
Indian Summer by Glenn Miller
タイトル
Indian Summer
アーティスト
Glenn Miller
ライター
Victor Herbert, Al Dubin
収録アルバム
Moonlight Serenade
リリース年
1941年(?)
他のヴァージョン
Nelson Riddle, Frank Sinatra, Ginny Simms, Buddy Cole
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インディアン・サマーというのは、晩秋のポカポカ陽気、日本でいう小春日和(日本の場合は十月ですが)にあたるものです。なぜ、インディアンの夏なのかということについては、諸説あるようです。ということは、だれにも確たることはわからないということです。

インディアン・サマーをテーマにした曲というのは、ヴァン・モリソン、ポコ、アメリカ、ドアーズなど、それなりの数があるのですが、こうした時代の近いものはまたの機会に譲り、今回はもっとも有名な、スタンダードのIndian Summerを取り上げます。1919年(第一次世界大戦終結の年)に書かれたときには歌詞がなかったものに、1940年、アル・ドゥービンが歌詞をつけた結果、この曲は有名になったそうなので、インストゥルメンタルのほうがこの曲の本来の姿ですが、いちおう、歌詞を検討します。

◆ また出てきた六月の主題 ◆◆
ファースト・ヴァース。

Summer, you old Indian Summer
You're the tear that comes after June-time's laughter
You see so many dreams that don't come true
Dreams we fashioned when Summertime was new

「年老いたインディアン・サマーよ、おまえは六月の笑いのあとにやってくる涙、おまえは実らなかった無数の夢を見てきた、まだ夏のはじめにわたしたちが見た夢を」

oldというのは、ときに微妙でやっかいな単語ですが、ここでは、愛憎なかばする呼びかけのように感じられます。oldには「(老練で)ずるがしこい」という意味もありますが、どちらかというと、そういうニュアンスが強いかもしれません。

なぜ七月や八月ではなく、六月なのかというのは明白で、六月が幸福の月だからです。そのあたりのことについては、June Night by Betty EverettBoth Sides Now by Judy CollinsA Salty Dog by Procol HarumThe Thirty First of June by Petula Clarkといった六月の記事でふれました。ずいぶん、しつこくやったものだと思いますが、歌では六月は重要なテーマでして、来年の六月には大々的に特集を組むつもりです。ん? だれか、笑いましたか?

日本語では、小春日和のことを「小六月」ともいうのは、たんなる偶然の一致ですが、ちょっと愉快ではあります。一瞬、六月はまだ盛夏ではないから、七月や八月ではなく、「小六月」というのかと思いましたが、考えてみると、太陰暦では、六月前半はともかく、後半はもう盛夏でしょう。インディアン・サマーは、夏というほど気温が上がるわけではないそうですが、そこは言葉のあやというものでしょう。小春日和のほうが理屈には合っていますが、そのぶんだけ、言葉として遊びが小さいと感じます。

夢をfashionするとして、dreams we dreamedとしなかったのは、重複を嫌ったためでしょう。ママ・キャス・エリオットのDream a Little Dream of Me(作者はジョン・フィリップス)のように、重複の効果を利用した曲もあります。

◆ 季節はずれのお化け ◆◆
セカンド・ヴァース。これがラスト・ヴァースで、コーラスやブリッジはありません。

You are here to watch over
Some heart that is broken by a word that somebody left unspoken
You're the ghost of a romance in June going astray
Fading too soon, that's why I say
Farewell to you, Indian Summer

「おまえは、だれかが語らずにすませた言葉で傷ついた心を見守りにやってきた、道に迷った六月の恋の亡霊にすぎない、だからはおまえとはもうこれきりだ」

f0147840_23453217.jpgゴーストというのが、なんだかテレビのゴーストみたいで、ちょっと愉快です。六月の夏は実像、インディアンの夏のほうは虚像ということでしょうが、日本語には「季節はずれのお化け」なんて言いまわしもあるわけで、作詞家の意図とは関係のないところで、妙に可笑しい歌詞です。

いくつか解釈のしようがある歌詞だと思いますが、歌というのは、どう解釈してもかまわないもので、われわれは気に入ったラインだけを取り出し、それを自分の気分や身の上や過去の出来事にあてはめて聴いているものです。

なんてえんで片づけてしまうのでは愛想がなさすぎますかね。たとえば、六月に芽生えた恋がまずくなり、半年近くたって、ポカポカした晩秋の日に、その相手とバッタリ会ってしまい心が揺れた、その気分を歌っている、なんてのはいかがでしょう。お気に召さなければ、お好きなストーリーをご自分でどうぞ。歌とはそういうものです。

◆ 強力な管のアンサンブル ◆◆
コード進行のせいか、どのヴァージョンも、ヴォーカルより、バッキングのアレンジに耳がいきます。それも、どちらかというと、ストリングスより、ホーンに向いていると感じます。いちばん響きのよいアレンジはグレン・ミラーです。まあ、グレン・ミラー楽団の管楽器のコンビネーションというのは、どう転んでもいい音になるようにできているのだから当然なのですが、こういう曲だと、いちだんと心地よく感じられます。

とりわけ、ヴォーカルの冒頭部分に付される、Bb-A-Ab-Gと下降する音を中心とした、半音進行の和音のオブリガートは、ほとんどエロティックといっていいほどです。まあ、半音進行というのは、本質的にそういうものなのですが、グレン・ミラー・スタイルのアンサンブルでやると、極限の効果だと思います。いや、「トリスタンとイゾルデ」の弦による半音進行のsensualityにはひけをとるかもしれませんが!

f0147840_23461482.jpgエルヴィス以降のポップ/ロック系音楽ばかり聴かれているお客さんのために、あえて贅言を弄します。ビッグ・バンドには専属歌手というものがいて、インストゥルメンタル・オンリーではなく、合間合間に歌もやるのがふつうでした。フランク・シナトラは、ハリー・ジェイムズ楽団やトミー・ドーシー楽団の専属歌手を務めたあとで独立しています。たしか、ジェイムズ・ステュワートが主演した『グレン・ミラー物語』で見たと思うのですが、用のないときは、歌手が舞台袖の椅子にじっと坐っているのが、子どもにはなんだか奇妙に思えました。

f0147840_23471647.jpgストリーミングをふくめて、グレン・ミラーのIndian Summerは2種類聴きました。アンドルーズ・シスターズと共演したときのラジオ・トランスクリプションだといっているものは、男性歌手(MCの紹介によると、ポール・ダグラスという人らしい)が、When sumertime was newの「summer」のところで、最高音をヒットしそこね、フラットしているのが気になりました。まあ、なかなか難曲で、そのなかでも、ジャンプやスラーがつづくこの周辺は歌いにくい難所だとは思いますが、当然ながら、きちんと歌っている人もいます。

ビッグ・バンドは譜面にしたがってプレイするので、2種のヴァージョンはほぼ同じアレンジでやっているようです。管に関しては甲乙つけがたし。

◆ ジョニー・ホッジズ ◆◆
f0147840_2349343.jpg1959年のネルソン・リドル盤は、純粋なインストゥルメンタルで、弦と管の両方が入っていますし、リード楽器も、フルート、ストリングス、フルートというように交代していきます。ファースト・ヴァースの終わり、ヴァイオリンが前に出てくるあたりから、セカンド・ヴァースにかけてがハイライトでしょう。チェロ、ヴィオラなどの低音域がいい音で鳴っています。ネルソン・リドルというと、わたしは派手なホーン・アレンジを思い浮かべてしまいますが、この曲を聴くと、ストリングスもけっして不得意ではないことがわかります。

f0147840_23541151.jpgデューク・エリントンと共演したフランク・シナトラのヴァージョンは、いいところと悪いところのモザイクです。Session with Sinatraによると、いろいろトラブルのあったプロジェクトのようで、なによりもリハーサル時間がたりなかったと、アレンジャーのビリー・メイがいっています。エリントン楽団のメンバーはサイト・リーディングが苦手だったのだとか。ジャズの世界、しかも、アレンジどおりにやるビッグ・バンドでそういうことがあるのかと、驚きました。

f0147840_2355325.jpgビリー・メイは、べつにこれがダメな盤だといっているわけではなく、たったあれだけのリハーサルであそこまでできたのだから、もっと時間があったら、すごかっただろうといっているわけで、60年代のシナトラとしては、いいほうの盤だと感じます。

ただ、準備不足は、バンドではなく、シナトラのほうに大きな影響をあたえたような気がします。フランク・シナトラはワン・テイク・マンといわれていますが、そんなことが可能だったのは、スタジオに入る前に入念なリハーサルをし、完璧に仕上げているからです。グレン・ミラー楽団のシンガーと同じように、シナトラも、完全なミスとはいえませんが、When summer was newのsummerのところで、高音をちょっとはずしているのです。そのあとのスラー(newの語尾を上げる)も、いつものシナトラなら、完璧にうたっただろうと思います。

f0147840_23564129.jpg明るい面もあります。アルト・サックス・ソロがすごいのです。盤にはクレジットがないのですが、Session with Sinatraには、ジョニー・ホッジズという人のプレイだとあります。この本は、目に涙が浮かぶプレイだ、とまでいっています。わたしはサックス・ソロが苦手なので(複数になると大好きなんです)、まさか泣いたりはしませんし、このプレイにかぎっては好きだ、なんてこともいいませんが、好悪の感情を超えて、プレイの凄味はよくわかります。とにかく、むちゃくちゃにうまい! これほど千変万化する、ディテールに富んだ、微妙なコントロールは聴いたことがありません。

ほかにもヴァージョンがありますが、志ん生が思いきり力をこめて「いい~~~女!」といったあとみたいに気が抜けたたので、これにて切り上げます。ジョニー・ホッジズ、いい~~~プレイ! なにも、そんなに力をこめることはないんですがね。

昨夜同様、よけいなことを思いました。この曲を日本でカヴァーするとしたら、なんてずっと考えていたのですが、灰田勝彦かディック・ミネで決まりでしょう。
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by songsf4s | 2007-11-21 23:29 | 秋の歌
Rainy Night in Georgia by Brook Benton
タイトル
Rainy Night in Georgia
アーティスト
Brook Benton
ライター
Tony Joe White
収録アルバム
40 Greatest Hits
リリース年
1970年
他のヴァージョン
Tony Joe White, Ray Charles, Johnny Rivers
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この曲は明示的な秋の歌ではありません。人によっては冬や春の歌と感じるかもしれませんが、わたしは昔から晩秋を想定した歌だと考えてきました。

◆ 寂寥深し雨の夜 ◆◆
まずは歌詞を見てみます。ファースト・ヴァースとコーラスをまとめて。

Hoverin' by my suitcase
Tryin' to find a warm place to spend the night
Heavy rain fallin'
Seems I hear your voice callin' "It's all right."
A rainy night in Georgia
A rainy night in Georgia
It seems like it's rainin' all over the world
I feel like it's rainin' all over the world

「スーツケースのそばに縮こまり、夜を過ごす暖かい場所を見つけようとしている、ひどい雨のせいで「大丈夫よ」と呼びかけるきみの声が聞こえるような気がする、ジョージアの雨の夜、まるで世界中が雨に降りこめられたみたいだ」

ホテルに泊まることもできないようなので、よほどの落莫の身とわかります。ホームレスというより、ホーボーでしょうか。漂泊の気配があります。世界中で雨が降っているような気がする、というところに、語り手の行き場のなさが表現されていると感じます。

セカンド・ヴァース。

Neon signs a-flashin'
Taxi cabs and buses passin' through the night
A distant moanin' of a train
Seems to play a sad refrain to the night

f0147840_23533193.jpg「ネオン・サインが瞬き、タクシーやバスが夜の闇を走り抜ける、遠くに聞こえる列車の呻きが、夜に向かって悲しいリフレインを奏でているように聞こえる」

ここは好きなヴァースです。目に見えるものと耳に聞こえるものがいっしょになって、語り手の視覚と心象風景が、聴くものの脳裏に鮮明な像を形づくります。

◆ ギターを持った渡り鳥 ◆◆
最初のものをすこし変えただけのコーラスをはさんで、ブリッジへ。

How many times I wondered
It still comes out the same
No matter how you look at it or think of it
It's life and you just got to play the game

「何度も考えてみたけれど、答えはやはり変わらない、どう見ようと、どう考えようと、これが人生というもの、ゲームをつづけるしかないんだ」

ここはストレートすぎて、表現になっていないと感じます。しかし、こういう直裁なラインがあるほうが、チャート・アクションはよくなるのでしょう。

サード・ヴァース。

I find me a place in a box car
So I take my guitar to pass some time
Late at night when it's hard to rest
I hold your picture to my chest and I feel fine

「貨車に場所を確保し、ギターを弾いて時間をつぶす、遅くなっても眠れないときは、きみの写真を胸に抱いて安心する」

f0147840_23542196.jpgbox carというのは、日本でいう「ワン・ボックス・カー」のことではなく、箱形になった有蓋貨車のことです。映画でよく無賃乗車のシーンが出てきますが、あれです。やはり、語り手はホーボーで、これは伝統的なホーボー・ソングの現代版であることが、このヴァースで明瞭になります。find me a placeは、たんに貨車を見つけたというより、先客がいるところに入りこんでいき、仁義をきって、隅に居場所を確保した、というニュアンスではないかと想像します。

ここもまたコーラスがあり、そのままアドリブしながらフェイド・アウトします。

◆ みごとなヴォイス・コントロール ◆◆
歌詞もそうですが、曲も、そしてサウンドも、なんとも寂漠たるムードが横溢し、そくそくと寒さが身に染みる曲です。そのいっぽうで、自己憐憫のほのかな甘みもあります。この甘みがなければ、大ヒットはしなかったでしょう。

この曲のヒットは70年のはじめ、冬から早春にかけてで(このころはFENばかり聴いていたので、タイムラグはなかった)、ウッドストックの翌年だから、こちらの気分とはかけ離れたものでしたが、逆にそのせいで、ラジオから流れると、ものすごく耳に立ちました。

Rainy Night in Georgiaがピークの4位になったときのトップは、サイモン&ガーファンクルのBridge Over Troubled Waterです。上位には、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのThank YouやテンプテーションズのPsychedelic Shackのようなファンク系の曲、サンタナのEvil Waysのようなハード・ドライヴィングな曲もありますが、いっぽうで、エディー・ホールマンのHey There Lonely Girl、ホリーズのHe Ain't Heavy, He's My Brother、ティー・セットのMa Belle Amieなどもあります。

疾風怒濤の60年代が終わり、ソフト&メロウの70年代初期が到来しつつあることが、このモザイク模様のチャートからうかがえます。Rainy Night in Georgiaが強く印象に残ったということは、わたしの気分も、ソフトなほうへと傾いていたのかもしれません。

f0147840_23553580.jpgRainy Night in Georgiaの甘い自己憐憫のムードを形づくっているのは、もちろん、ブルック・ベントンのヴォーカル・レンディションなのですが、サウンドのほうもよくできています。アレンジャーの名前がわからないのですが、いま聴いてもみごとなアレンジだと感じます(録音はおそらくマイアミ)。イントロのオルガンとギターのトーンも素晴らしいし(テイストが大人になりつつあった高校生のわたしは、こういうギターが弾きたいと思いました)、途中から入ってくるハーモニカも、この曲に甘さと深い寂寥感の両方をあたえています。

しかし、やはりベントンのヴォーカルが、パセティックでありながら、過度に感傷的にならない、じつに微妙なバランスをとっていることが、この曲を成功させた感じます。惻々と胸をうつヴォーカルです。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
f0147840_23563845.jpgそのことは、作者であるトニー・ジョー・ホワイトのヴァージョンを聴くと、いっそうよくわかります。シンガーとしてPolk Salad Annieの大ヒットがある人ですが、本来はソングライターですし、Polk Salad Annieは、精緻なヴォイス・コントロール、陰影のあるヴォーカル・レンディションなど必要としない、アップテンポのノヴェルティーに近い曲でした。Rainy Night in Georgiaのようなバラッドになると、たとえ作者本人であっても、素人の歌では本来の味を伝えることができないと感じます。

逆にいうと、ブルック・ベントン盤のようなリアリティーはうっとうしい、と思うのなら、トニー・ジョー・ホワイト盤のあっさりした、ほとんど平板な味わいのほうが好ましいと感じるかもしれません。

f0147840_23573990.jpgレイ・チャールズ盤は、ヴァースのコードをメイジャー・セヴンスからセヴンスに変更して、ブルージーにやっています。うーん、どうでしょうか。こういうムードのほうが好ましいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。わたしの好みからいうと、ヴァースがメイジャー・セヴンスのビター・スウィートな味わいになっていて、そこからコーラスの思いきりパセティックなマイナーにいくところが、この曲のよさなので、レイ・チャールズ盤はちょっと違和感があります。

f0147840_23584965.jpgジョニー・リヴァーズ盤はあまりいただけません。この人のものは、Mountain of Love以降、サウンドや楽曲の選択が楽しみなのですが、この曲は、相変わらず楽曲選択はうまいと思うものの、サウンドはいただけません。ドラムがドタバタうるさいのです。なんだか、素人がハル・ブレインの物真似をしたみたいなプレイです。

クレジットを見ると、この盤のドラマーはハル・ブレインとロン・タットの二人。はて、絶不調のハルか、駆け出しのロン・タットか? タットのタイムはハルに近く、タムのチューニングも似ている時期があります。どちらかに札を張ろうと思いましたが、やはり、なんとも判断できません。

あえてリスクを冒していうなら、ハルではない、です。ハルが使うとは思えないフレーズがあることと、もうひとつはベースです。この盤のベースはジョー・オズボーンとジェリー・シェフの二人となっています。ハルとオズボーン、タットとシェフという二つのセットで録音したという意味だと読めます。Rainy Night in Georgiaのベースはジョー・オズボーンには聞こえず、なじみのない人に思えます。ということは、この曲のベースはシェフ、だとするなら、シェフのセットのドラマーはタットだろうという道筋です。

ロン・タットだとしても、わたしが知っているかぎりでは、もっといいプレイができるはずのドラマーです。そもそも、こんなに派手に叩くことをプロデューサーであるリヴァーズとルー・アドラーが許すべきではなかったわけで、責任はそちらのほうにあります。いつもウェル・メイドな盤をつくっているジョニー・リヴァーズにしては、めずらしいミスです。

ふと、馬鹿なことを思いました。小林旭扮する滝伸次は、テーマ曲とともに生気に溢れて登場しますが、映画と映画のあいだに、ひとりさみしく、つぎの土地へと移動しているわけですよね。映画と映画のあいだ、観客に見えないところでは、落莫したすがたで、ひとりギターを「つま弾いて」いるのかもしれません。この曲に日本語詞をつけて、アキラが歌ったらどうでしょう?
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by songsf4s | 2007-11-20 23:39 | 秋の歌
In the Autumn of My Madness by Procol Harum
タイトル
In the Autumn of My Madness
アーティスト
Procol Harum
ライター
Mathew Fisher, Keith Reid
収録アルバム
Shine on Brightly
リリース年
1968年
他のヴァージョン
live version of the same artist
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In the Autumn of My Madnessは、18分近い組曲、In Held 'Twas in Iの一部ですが、他の曲がゲーリー・ブルッカーの作曲、リード・ヴォーカルなのに対して、これだけはマシュー・フィッシャーの作曲、リード・ヴォーカルで、かなり色合いが異なり、独立した曲として聴くことができます。

◆ 言葉による絞殺 ◆◆
それではファースト・ヴァース。いつものように、もっとも正確と思われる、オフィシャル・サイトに掲載されている歌詞をテクストにします。ラインの切り方、大文字小文字の使い分けも、オフィシャル・サイトのままにしておきます。行を改めても、冒頭を大文字にしないのには、意味があると思われるからです。

In the autumn of my madness when my hair is turning grey
for the milk has finally curdled and I've nothing left to say
When all my thoughts are spoken (save my last departing birds)
bring all my friends unto me and I'll strangle them with words

「髪が真っ白になるようなわが狂気の秋にあっては、ついに牛乳が凝固し、なにもいうべきことがなくなる、わが思考がすべて語られたら(最後に去るわが鳥たちをすくいたまえ)、わが友をみな連れてこい、わたしは言葉で彼らを絞め殺すだろう」

いやはや、思わず笑ってしまうほどチンプンカンプンです。意味論的にわからないだけでなく、文法的にも不可解な形式になっています。whenだのforだのが、どこにかかっているのか判然としなくて、ひょっとしたら、最後のラインまで、ずるずるとつながっていて、すべてが冒頭のラインにかかっているのかもしれないとすら思います。

f0147840_2348469.jpgしかも、そうだとしても、冒頭のラインもまた、どこかにかからなければいけない(inすなわち、「~のときに」といっているのだから、どこかにつづくはず)のに、その対象を失って、宙に浮いているのだから、全体がどこにもかかっていないように見えます。

いや、もちろん、牛乳が凝固するとはなんだ、「鳥」とはなんだ、なんてことも思いますよ。blood is curdledなら、「血も凍る」恐怖のことだそうで、ひょっとしたら、このフレーズを思い浮かべ、そこからずらしたのか、とも思いますし、白髪からの連想かという気もします。milkという単語自体には、とくに妙な語義はなく、いくつかの成句がある程度にすぎなくて、一般に通用する裏の意味があるようには思えません。詩人自身しか知らないなにかの暗喩かもしれません。

birdの鳥以外の意味として代表的なのは「女の子」でしょう。Norwegian Woodの副題、This Bird Has Flown、すなわち、この鳥は飛び去った、というのは、こちらの意味で使われたbirdです。

最後のラインはじつにわかりやすく、ニヤリとします。キース・リードのような人間なら、言葉で人を殺すことは十分に可能でしょう。じっさい、自分の力をきちんとわきまえていない十代のころには、数人は殺し、数十人に重傷を負わせたのじゃないでしょうか。言葉を自在に駆使できるホンモノの皮肉屋がそばにいるというのは、怖いものです。

◆ 修飾の対象を失った修飾節 ◆◆
以下はセカンド・ヴァース。これですべてです。

In the autumn of my madness which in coming won't be long
for the nights are now much darker and the daylight's not so strong
and the things which I believed in are no longer quite enough
for the knowing is much harder and the going's getting rough

「もうまもなく訪れるわが狂気の秋にあっては、夜の闇は深くなり、陽射しはあまり強くなく、わたしが信じていたものごとはもはや十分ではなくなり、知ることははるかにむずかしくなり、仕事も困難になるのだから」

最初のinも意味を成さず、理由を示すforが理不尽な形が使われているのはどう見ても意図的です。接続関係が意味を失うように書いているにちがいありません。なんたって、語り手は狂気の崖っぷちに立っているわけで、論理的に語ることはもうできず、inで「そのときには」といったことはすぐに忘れられ、forで「なぜならば」といいながら、理由ばかりが述べられて、その理由がなにに対するものなのかは暗黒のなかに消えていくという仕組みのようです。狂気の論理構造が、そのままこの詩の論理構造になっているのではないでしょうか。

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国内盤セカンド・アルバム。Quite Rightly Soと改題され、デザインも変更されてしまった。日本グラモフォンというのは、こういうことを平気でやる会社で、ジミヘンやラスカルズなどでも、デザインのひどさ、さらには劣悪な盤質に泣かされたが、いまになると稀少価値が出てきてしまった。古い盤のジャケットやスリーヴをスキャンして、ウェブで見せながら、どこかに使用するなら断りを入れろ、などとわけのわからないことをいっている(他人がデザインしたものをスキャンしただけで、なにを反っくり返っているのやら。そういうことは、自分でなにかをつくったときにいってもらいたい)サイトを見たので、あえていいます。この写真はわたしがスキャンし、合成し、キズをレタッチしたものです。必要なら、ご自分のサイトやブログにご自由にお使いください。断りなど入れる必要はまったくありません。
The Japanese edition of Procol Harum's 2nd LP "Shine on Brightly" was retitled as "Quite Rightly So." Therefore the cover was also redesigned as above. SMP-1429, Nippon Grammophon, 1968.

日本語の「秋」は、通常は「あき」と読みますが、「とき」と訓ずることもあります。小学館国語大辞典では、第四義として「特に重要なことのある時期。ただし、「秋」と書いて「とき」と読むのが普通」とあります。

英語のautumnにも、第二義として「成熟期、熟年; 衰え[凋落]の始まる時期」とあり、この用例として、「the autumn of life 人生の初老期」というフレーズがあげられています。成熟と衰えが同居しているのは、ピークの向こうはまちがいなく下り坂なのだから当然とはいえ、この語に微妙な奥行きをあたえていると感じます。

このIn the Autumn of My Madnessも、このautumnという語のそうした微妙な両面性を利用しているのではないでしょうか。

◆ 転調による狂気の表現 ◆◆
さて、このぐるぐると論理が空転する(そういえば、夢野久作の『ドグラ・マグラ』もそういう構造でした)詩につけられたマシュー・フィッシャーの曲と歌です。これがまた、みごとにぐるぐると回転する構造になっているのです。

ちょいちょいと数分でコピーできるコード進行ではないので、それはネグりますが、ヴァースのコードと、後半のオルガンを中心としたインストゥルメンタル・パートに、狂気がみごとに表現されています。E-D-Db-B-Bb-B-Db-B-Bb-F#というフレーズではじまり、このパターンをすこしずつ上のキーに転調しながら弾く(もちろん、そのキーのスケールに合わせてフレーズを部分的に修正する)、ただ昇るだけで、オリジナル・キーに戻して「解決」しない手法は、たいしたものです。

f0147840_2349525.jpgマシュー・フィッシャーというのは、きわめて理知的な人で、それが彼のソロ・キャリアを座礁させたと思いますが、この段階では、理知が勝った音作りは、キース・リードの詩にみごとに呼応し、プロコール・ハルムのサウンドにある「格」をあたえていました。

マシュー・フィッシャーの最初の曲は、プロコール・ハルムのデビュー作に収録されたRepent Walpurgisですが、これはインストゥルメンタルでした。われわれが彼の声を聴いたのは、このIn the Autumn of My Madnessが最初のことで、はじめはいくぶんか戸惑いました。細くて声量がなく、落ち着きの悪いヴォーカルだと思ったのです。

しかし、慣れるにつれ、そして、年月がたつにつれ、ゲーリー・ブルッカーのヴォーカルに嫌気がさし、逆に、素人くさいマシューのヴォーカルのほうが好ましく感じられるようになっていきました。三度生まれ変わっても、シナトラやナット・コールやエルヴィスにはなれないでしょうが、マシューのような人の場合、その楽曲やサウンドとセットになった歌なのだから、これでいいのだと思います。

◆ ドラミング・スタイルの発明 ◆◆
プロコール・ハルムの前身となったパラマウンツの時代の曲、ハルムのデビュー盤、そして、このShine on Brightlyと聴いてくると、B・J・ウィルソンというドラマーが、どのように自分のスタイルをつくっていったかがよくわかります。

f0147840_23534172.jpgパラマウンツ時代は、タイムは悪くないものの、当然ながら、ストレートなドラミングで、まだ明確な個性は見られません。プロコール・ハルム発足当初のギターとドラムが抜けたため、BJとロビン・トロワーが加わり、結果的に、パラマウンツの発展型のようになってしまったラインアップによるデビュー・アルバムでは、BJのグルーヴの進歩と、プロコール・ハルムという尋常ではないバンドの音楽性との、彼の格闘ぶりが感じられます。

BJは、ストレートなR&Bカヴァー・バンドだったパラマウンツのときと同じように、ふつうにバックビートを叩き、ふつうにフィルを入れるのでは、このバンドではうまくいかないと感じたでしょう。では、どうすればいいのか、と苦悶したのじゃないでしょうか。デビュー盤の段階では、スタイルの芽はほの見えますが、概して、パラマウンツ時代よりは成長してうまくなっただけ、フィルインにキレが生まれたと感じるだけです。

デビュー盤のドラミングにも見るべきものがありましたが、この人はホンモノだとわたしが確信したのは、このセカンド、とくに、いま話題にしている組曲、In Held 'Twas in Iでのプレイを聴いてからのことです。

プロコール・ハルムの歌詞はふつうではない、サウンドも、なんとも名づけようのない、それまでには存在しなかったタイプのものだ、じゃあ、俺もいままでに存在しなかったタイプのドラミングをしよう、BJはそう考えたように思われます。そして生まれたのが、カラフルな、ほとんど「メロディック」といってもよい、このセカンド・アルバムでのプレイです。「リード・ギター」と同じような意味で、「リード・ドラム」と呼びたくなります。彼はこのアルバムで、自分のスタイル、だれにも似ていないドラミングを発明したと感じます。

それは、In Held 'Twas In Iの後半、Look to Your SoulとGrande Finaleにもっともよくあらわれていますが、詳細なドラミングの分析は、たぶん、半年後ぐらいに、もう一度めぐってくるであろう、この組曲を取り上げる機会に譲ります。

◆ ライヴのBJ ◆◆
f0147840_23573163.jpgなお、組曲In Held 'Twas in Iは、冒頭のキース・リードの朗読まで含め、全曲通しで、ライヴ・アルバムLive at EdmontonのB面に収録されています。フル・オーケストラと大編成のコーラスまで加わった、ド派手なGrand Finaleはともかくとして、すでにバンドを去ったマシュー・フィッシャーにかわってゲーリー・ブルッカーがリードをとったIn the Autumn of My Madnessはもちろん、ほかの曲もあまり感心できません。ホールの鳴りが悪いのか、マイク・セッティングに失敗したのか、なにが原因かよくわかりませんが、ドラムがひどくこもった音で、BJを聴く楽しみというのがまったくないのです。

ヴォーカルも、他の楽器もそうですが、とりわけ、ドラムというのはエンジニアリングに依存する割合が高く、やはり、いい条件で録音された盤で聴くのがいちばんだと思います。ドラムに関するかぎり、ライヴは偽物、スタジオこそが本物、なんてパラドキシカルなことを思います。

f0147840_23585646.jpgただし、小さい会場で録音したもののなかには、BJのドラミングがちゃんと聞こえるライヴがあります。You Tubeで(たぶんいまも)見られるテレビ放映用ライヴのThe Unquiet Zoneでは、BJの恐るべきカウベル・プレイを聴けます。また、Robin's Last Standと題された、71年のダラスでのライヴを記録したブートでは、Power Failureのさらにすごみのあるカウベルのプレイも聴けます。BJファンにはお奨めです。
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by songsf4s | 2007-11-19 23:34 | 秋の歌
Autumn Leaves by Arthur Lyman
タイトル
Autumn Leaves (Les Feuilles Mortes)
アーティスト
Arthur Lyman
ライター
Jacques Prevert, Joseph Kosma, Johnny Mercer (English lyrics)
収録アルバム
Yellow Bird
リリース年
1961年
他のヴァージョン
無量大数
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ほんとうにこの曲を取り上げるのかよ、と思うのですが、存在しないことにして通りすぎるのも愛想がなさすぎるような気もするので、ちょっと投げやりに(失礼!)やってみます。好きじゃないのですよ、この曲は。

まずはわが家に降り積もった枯葉の山の一覧をどうぞ。♪so many peopleとポール・ウィリアムズを口ずさんでしまいます。

Roger Williams
Diane Schuur & Maynard Ferguson
Joe Pass
Tal Farlow
Arthur Lyman
Bert Kaempfert
Esquivel
Les Baxter
The Mantovani Orchestra
Nelson Riddle
The Three Suns
Bing Crosby
Doris Day
Edith Piaf
Frankie Laine
Frank Sinatra
Natalie Cole
Nat King Cole
Georgia Gibbs
Jackie Trent
Link Wray & The Raymen
Everly Brothers

Summertimeを取り上げたときには、ヴァージョンが多いとボヤきましたが、ここまでくると言葉もありません。こりゃもう、♪たき火だ、たき火だ、落ち葉たき、と燃やして、焼き芋でもつくるしかないでしょう。

◆ たんなる歌詞のペースト ◆◆
英語版では意味がないような気もしますが、いちおう、以下にジョニー・マーサーによる英語詞をあげておきます。二つのヴァースを以下にひとまとめに。

The falling leaves drift by the window
The autumn leaves of red and gold
I see your lips, the summer kisses
The sun-burned hands I used to hold

Since you went away the days grow long
And soon I'll hear old winters song
But I miss you most of all my darling
When autumn leaves start to fall

解釈は勘弁してもらいます。ジョニー・マーサーといえども、この歌詞はいかになんでもわたしの趣味ではありません。赤や黄に紅葉した葉がひらひらを舞い落ちるのを見て、過ぎ去った夏の恋を思い浮かべている、という内容です。うへえ。

◆ アーサー・ライマン盤 ◆◆
あまりいいものはありませんが、できるだけ多くのヴァージョンにふれるよう、鋭意努力してみます。

『金色夜叉』という尾崎紅葉の小説のなかに、寛一お宮の熱海の海岸の場というのがあります。たぶん、新派の当たり狂言だったのでしょう。わたしは、芝居も小説も知りませんが(小説は数ページ読んでみて、投げました)、「今月今夜のこの月を」云々という、この場面のセリフはよく知っています。わたしと同年代以上の方なら、どなたもご存知でしょう。わたしが子どものころは、むやみやたらに、この場面が漫才やコントに利用されたからです。

Autumn Leavesという曲は、わたしにとっては金色夜叉みたいなもので、ファースト・ラインを聴いた瞬間に笑いだしてしまいます。たぶん、クレイジー・キャッツがやっていたと思いますが、ほかのコミック・バンド、ボーイズ、漫才も、よくこの曲をネタに使っていました。元の曲はよく知らなくても、ギャグのネタとしてはよく記憶しているのです。

f0147840_23514243.jpgよって、もっとも好ましいヴァージョンは、勝手ながら、「笑えるもの」ということに決めさせていただきます。ほとんどが大まじめなヴァージョンで、まあ、それはそれで笑えなくはないのですが、笑えるようにつくってあると感じるのは、アーサー・ライマン盤です。

いや、出だしは大まじめで、いつものアーサー・ライマンのようなエキゾティックなムードすらありません。でも、だれだって、アーサー・ライマンが「枯葉よ~」なんてやるのは変だ、と思うわけで、この大まじめなアレンジには首をひねるはずです。疑い深いわたしは、「なにか裏があるにちがいない」と確信しました。

すると後半、突然、派手にパーカッションが入って、チャチャチャに化けるわけですな。アーサー・ライマンが、ふつうにこの曲をやるはずがないと思ったよと、ここで安心してニッコリするわけです。チャチャチャ・アレンジのエキゾティカAutumn Leavesはなかなか珍で、楽しい出来になっています。

◆ そこそこ笑える(かもしれない)ヴァージョン ◆◆
f0147840_23523417.jpgあとはみな大まじめなので、わたしとしてはただただ困惑するのみです。そのなかで、マントヴァーニ・オーケストラは、いつものように装飾過多、人数過剰の大編成で、大まじめにドカーンとやるので、爆笑します。もっとも、マントヴァーニとしては、お笑いのつもりはこれっぱかりもないと思いますが、天然ボケみたいなものです。どんな曲も、かならず大編成でドカーンとくるから、じつに愉快で、近ごろ、おおいに贔屓にしています。

名前を見て、この人はぜったいに珍なアレンジでぶちかますはずだ、と衆目が一致するのはリンク・レイでしょう。ところがですね、イントロはちょっと珍なんですが、あとはふつうにやっているんです。ふつうにやると、身も蓋もなくド下手なプレイヤーだから、素人のど自慢を見るような気分でなら、そこそこ笑えなくはないですが、でも、たんなるド下手プレイヤー、という事実が白日の下に露呈されるだけのことで、芸で笑わしてくれるわけではないから、どうということはありません。

f0147840_23543549.jpgロジャー・ウィリアムズ盤は1955年のチャート・トッパーですが、なるほど、「力強い」ヴァージョンで、編成はまったくちがうのに、マントヴァーニのソウル・ブラザーじゃん、と思います。いきなり、ティンパニーのロールをぶちかましてくるんですからね。そのあとの、ただむやみに上下するだけのマヌケなピアノも、クレイジー・キャッツで石橋エータローと桜井センリがやっていたみたいな感じで、ワッハッハです。きっと、コミック・ソングとしてヒットしたのでしょう。

f0147840_23552277.jpgスリー・サンズもちょっと「珍」が入っています。たぶん、ロジャー・ウィリアムズ盤に影響を受けたのでしょうが、マリンバが、音階としてはむやみに上下し、ステレオ定位としては右往左往するのです。ほんのちょっとだけ笑える、というところで、どちらかというと、たんに珍なだけ、という感じ。

残念ながら、お笑いネタはこれで尽きたようです。

◆ あまり笑えないヴァージョン ◆◆
f0147840_23561765.jpgまじめなものでは、どれがいいでしょうかね。エディット・ピアフはさすがだと思います。でも、ピアフを聴くなら、ほかの曲にします。

ビングも、この人の声のよさが出た、悪くないヴァージョンだと思います。でも、ビング・クロスビーを聴くなら、ほかにいい曲がいっぱいあります。

ジャッキー・トレントは、すこしだけ「珍」が入っています。きっと、旦那のアレンジなのでしょう。英国ガール・ポップの味があります。でも、力んだヴォーカルは、ごめんなさい、です。

フランキー・レインはフランス語でうたっています。うーん、この人の声の太さが裏目に出たような気がするのですが。

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オーケストラものとしては、ネルソン・リドルがさすがに上品に仕上げています。でも、ネルソン・リドルを聴くなら、ほかの曲にします。

レス・バクスターも、マントヴァーニほどではないにしても、元来が金満物量攻撃の人なので、スケール感はあります。しかし、どう見ても喫茶店音楽、エレヴェーター・ミュージック、歯科医院待合室音楽、トイレに流すBGMです。レス・バクスターも、ほかにいいトラックがいくらでもあります。ドラマーは好み。

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エスクィヴァルは、天然で珍な人なので、この曲も珍にやっています。でも、珍すぎて、わけがわからないアレンジで、はたしてほんとうにAutumn Leavesをやっているのかどうかすら確信がもてません(誇張ですよ、誇張)。

f0147840_03312.jpgベルト・ケンプフェルトは、ハーモニカがリード楽器で、ちょっとエンニオ・モリコーネ風味です。おフランス暗黒映画の夕暮れのシーンにいかが、というサウンド。いや、まじめな話、ストレートなものとしては、このヴァージョンがいちばんいいかもしれません。ハーモニカをリード楽器にしたおかげで、嫌味のない叙情性がつくりだされています。

f0147840_035367.jpgダイアン・シューアとメイナード・ファーガソンは、イントロは派手で乗れます。でも、歌に入ると、並みのジャズ・シンガーの並みの歌。間奏はコード進行すら変えているみたいで、枯葉のひとひらすらなし。どうしてジャズの人たちは、楽曲をこういう風に足蹴にして平気なのでしょうか。なにかの曲をやる意味がないと、毎度思います。曲なんか選ばないで、ただ、コード進行とテンポだけ決めて、あとは好き勝手にやっていればいいのに。

ジョー・パスは、以前にもご紹介した、アンプラグド・アルバム収録のものです。もちろん、うまいのですが、ほかの曲のほうが楽しめます。ミス・ピッキングをほったらかしにしてあるのが、ちょっと引っかかります。パンチ・インなんかでごまかしたくないのでしょうが、それなら、リテイクしてほしかったと思います。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
ジョージア・ギブス、ドリス・デイ、ナタリー・コールなんて人がこの曲をやれば、聴かなくても、結果は見えていますが、じっさい、予想どおりの凡庸さです。ただ、ナタリー・コールは、メドレーにしていて、冒頭はFor Sentimental Reasonです。だから、入った瞬間、お、意外にいい曲じゃん、と思い、すぐに、なんだ、Autumn Leavesじゃないじゃん、For Sentimental Reasonなら、いい曲に決まってるじゃんか、とだまされたような気分になります。

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ナット・コールはたいていはほめるのですが、ついこのあいだ、'Tis Autumnの記事に書いたように、弦や管がついたときは要警戒でして、この曲の弦も甘みが強すぎます。歌の出来も、ナット・コールとしては上の部類ではないでしょう。

フランク・シナトラも、やはり、ほかにいい曲が山ほどある人だから、なにもよりによってこの曲を聴くことはないじゃん、です。

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以上、子どものころからの天敵だった曲を全部火にくべてやりました。アーサー・ライマン、マントヴァーニ、ロジャー・ウィリアムズ、ベルト・ケンプフェルトだけを残して、あとはHDDから削除しても差し支えなし、てな感想です。

f0147840_0161725.jpgやれやれ片づいた、と安心して、コーヒーを入れに立ったら、エヴァリーズ盤にふれていなかったことに気づきました。忘れるのも当然の出来で、忘れたままにしておけばよかったくらいです。ジルベール・ベコーのLet It Be Meをカヴァーしたのがヒットしたので、またフランスものを、なんて思ったのでしょうが、当てごととなんとかは向こうから外れる、です、ファンとしては、こんな曲やるなよ、馬鹿、と泣きたくなります。そもそも、ドンだかフィルだかわからないのですが、ハイ・パートを歌っているほうは、フラットしています。デモ並みの粗雑ヴァージョン。

思うのですが、音楽を聴くというのは、このように、意図したわけではないのに、嫌いな曲を山ほど集める結果になるという、痛烈な、ほとんど致命的ともいえる副作用があるわけで、お互い、楽じゃありませんな。

配信なんてものは大嫌いで、まったく利用していませんが、ブツとして音楽が存在しない時代というのは、Autumn Leavesのような曲の場合、福音といえるかもしれません。消しちまえばいいだけですからね。

これがあなた、盤だと、割るだの、燃やすだのと、口では百万回いいましたが、いまだに実行できたためしがないわけで、ブツが残るというのは、じつにもって、やっかいきわまりありません。盤から、好きな曲だけ切り取って、あとは捨てられるなら、うちの中、とくに机まわりがスッキリして、広々とするでしょうに!
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by songsf4s | 2007-11-18 23:47 | 秋の歌
The Things We Did Last Summer by Frank Sinatra
タイトル
The Things We Did Last Summer
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Sammy Cahn, Jule Styne
収録アルバム
Best of Columbia Years 1943-1952
リリース年
1946年
他のヴァージョン
Lesley Gore, Dean Martin, Shelley Fabares, the Beach Boys
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この曲のタイトルには「夏」とありますが、last summerというのだから、夏以外の季節に時季が設定された歌だということははっきりしています。では、その時季はいつかというと、晩秋または初冬ではないかと考えられます。歌詞の内容から、それがうかがえるのです。

◆ 避暑地の遊びのフラッシュ・イメージ ◆◆
では、ファースト・ヴァース。

The boat rides we would take
The moonlight on the lake
The way we danced and hummed our favorite song
The things we did last summer
I'll remember all winter long

「ぼくらが好きだったボート遊び、湖を照らす月の光、ダンスをし、お気に入りの曲をハミングしたっけ、今年の夏にしたことは、冬のあいだずっと忘れないだろう」

ボート遊びのwouldは習慣などを示すものなので、一度や二度のことではなく、何度となくボートに乗ったということをいっています。

last summerは、その時点から見て「最後の夏」にすぎませんが、これから冬が来る、または、いまが初冬であることがこのヴァースの最後のラインで明示されているので、「今年の夏」でしょう。

つづいてセカンド・ヴァース。

The midway and the fun
The kewpie doll we won
The bell I rang to prove that I was strong
The things we did last summer
I'll remember all winter long

「中道での遊び、賞品のキューピー人形、力が強いところを見せようと鳴らしたベル、今年の夏のことは、冬のあいだもずっと忘れないだろう」

midwayというのは、適切な日本語がないようなのですが、遊園地などで、娯楽施設や屋台などが両側に並んだ道のことです。映画ではおなじみですし、日本の場合、温泉街や観光地などにもそういう通りがありますね。南関東でいうと、いまはどうか知りませんが、昔は江ノ島や熱海や伊東にいくと、夜は両側に土産物屋、食べ物屋、射的場、スマートボール場(なんてゲームはまだ存在しているのでしょうか?)などが並んだ通りをそぞろ歩きしました。

f0147840_23561361.jpgキューピーは、wonというのだから、たぶん射的の賞品でしょう。「ベル」というのは、ハンマーで土台を力いっぱい叩くと、なんというのでしょうか、錘の逆のようなものが跳ね上がって、機械のてっぺんに取り付けたベルを鳴らす、というあの遊具のことです。アミューズメント業界でなんというのかちょっと調べてみましたが、arcade hammer game machineとかなんとか、説明的な名前で売っていました。とくに通りのいい一般的名称はないのでしょう。

湖ばかりではなく、そういう施設があるということから、語り手が回想している土地は、おおぜいの人が集まる有名な避暑地だと想像がつきます。


◆ プロの作詞家の技 ◆◆
以下はブリッジ。

The early morning hike
The rented tandem bike
The lunches that we used to pack
We never could explain that sudden summer rain
The looks we got when we got back

「早朝のハイキング、レンタルの二人乗り自転車、よくランチをつくってもっていったっけ、あの突然の通り雨だけは、どうにもわけがわからなかった、帰ってきたときのぼくらの恰好ときたらひどいものさ!」

早朝のハイキングといっても、暑い日中を避けて昧爽から出かけた、ということで、朝のうちに帰ってくるようなら、ハイキングではなく、散歩です。

f0147840_00751.jpg日本の観光地でも最近はレンタ・サイクルが増えたようですが、まだ二人乗り自転車のレンタルというのは見たことがありません。そもそも、タンデム・バイク自体、めったにお目にかかれません。

f0147840_1141258.jpgWe never could explain that sudden summer rainというラインには、サミー・カーンの技が如実にあらわれています。ここで伝えようとしている「事実」は、雨具を用意せずに出かけて、突然のどしゃ降りにあってしまった、ということにすぎません。以上のわたしのセンテンスは事実経過の説明にすぎず、「表現」にはなっていません。「あの突然の雨ばかりは、どうにも説明のつけようがなかった」と表現されたことによって、どれほど二人があわてふためき、同時に笑い合い、それが忘れられない思い出になったかということが、ダイレクトに、ある情景として視覚的に伝わってきます。

うまい、ということは、考えようによっては、あざといということですが、あざといといわれるくらいの技をもっていなければ、プロの作詞家の資格があるとはいえません。ビートルズ以降の素人作詞家全盛時代にあっては、こうした昔のプロフェッショナルの技が慕わしいものに感じられます。

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アメリカのランチ・ボックスというと、こういうオールド・ファッションドなものを思い浮かべる。上の丸い部分にはカチッとポットがはまるので、冷たいレモネードなどを入れる。下段にはサンドウィッチ、果物、ポテトチップスの小袋などを入れる。しかし、これはひとり用なので、この歌に出てくるのは、下の写真のようなバスケット・タイプだろう。

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◆ 秋景色のようにうつろい ◆◆
サードにしてラスト・ヴァース。

The leaves begin to fade like promises we made
How could a love that seemed so right go wrong
That things we did last summer
I'll remember all winter long

「ぼくらが誓った愛と同じように、木の葉の緑もうつろいはじめている、あれほどうまくいっているように思えた恋が、どうしてこんな風にまずくなってしまうのだろう、今年の夏にぼくらがしたことは、冬のあいだずっと忘れないだろう」

というわけで、ブリッジまでずっとつづいた、楽しい夏の出来事の数々は、みな復らぬ昔の話、ああ、儚いなあ、と振り返っている歌だということが、このサード・ヴァースで明示されます。

木の葉がbegin to fadeというのだから、土地によってはいま時分のことではなく、十月ぐらいの歌と受け取ったほうがいいのかもしれません。南関東では、ちょうどいまの時季にピッタリだと感じますが、この歌が書かれた1941(昭和16)年(太平洋戦争開戦の年ですねえ。あちらはのんびりしていたわけで、経済封鎖ですでに物資不足に陥っていたという当時の日本とは別世界)には、たぶん秋の訪れは当今より早かったのではないでしょうか。

サード・ヴァースはちょっとしたダウナーですが、しかし、ブリッジまでの、スライド・ショウでも見るような、動詞すらほとんど使わない、簡潔なthings we didの描写はなかなかみごとで、さすがはサミー・カーンだと感じます。

◆ 格別な味の「若さ」 ◆◆
看板に立てたフランク・シナトラのヴァージョンは、セッショノグラフィー・サイトによると、以下のようなメンバーで、1946年7月にハリウッドで録音されています。

Frank Sinatra(ldr), Axel Stordahl(con, a), Heine Beau, Herbert Haymer, Jules Kinsler, Fred Stulce(sax), Fred Dornbach(sax, per), Don Anderson, Ray Linn, Rubin "Zeke" Zarchy(t), George Jenkins, Edward Kuczborski, Bill Schaefer(tb), Richard Perissi(frh), Dave Barbour(g), Philip Stephens(b), Mark McIntyre(p), May Cambern(hrp), Ray Hagan(d), William Bloom, Harry Bluestone, Werner Callies, Sam Cytron, Peter Ellis, Sam Freed, Gerald Joyce, George Kast, Morris King, Sam Middleman, Mischa Russell, Olcott Vail(vn), Paul Robyn, Stanley Spiegelman, Dave Sterkin(vl), Cy Bernard, Fred Goerner, John Sewell(vc), Frank Sinatra(v)

Stormy Weather その2 by Django Reinhardtのときのように、だれか「知り合い」のお父さんでもいるかと思いましたが、さすがに知っているプレイヤーはゼロ、なじみの名前はアレンジャー/コンダクターのアクスル・ストーダールただひとりです。

アクスル・ストーダールの実力のほどは、Moon of Manakoora by Dorothy Lamourのときにご紹介したアルバム、Jasmine Jadeでよくわかっていますが、これだけ時代が古いと、アレンジの出来がどうこうといえるほど、バンドの音は聞こえません。

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フランク・シナトラとコンダクトするアクスル・ストーダール(1944年11月)

だれであれ、大歌手の若いころの歌声というのは、なかなか印象的なものですが、1940年代の若いシナトラの声はまた格別で、この時代にこだわるシナトラ・ファンが多いのもうなずけます。なるほど、「アイドル」だったのだと納得します。

リプリーズ設立以後、いや、キャピトル時代後半あたりからのシナトラは、スロウ・バラッドになると、ときにくどくなることがありますが、このThe Things We Did Last Summerは、流麗に歌っても、まとわりついてきたりはしません。若いというのはありがたいものです。

◆ レスリー・ゴア盤 ◆◆
この曲はなかなかいいヴァージョンがそろっていて、じつは、看板をだれにするか、最後まで迷いました。もうひとりの候補はレスリー・ゴアでした。

レスリー・ゴア盤は、セッショノグラフィーを読むと、どうやらアルバム・トラックだったようで、シングル・カットされた形跡はありませんが、じつに惜しいことをしたものだと思います。いや、彼女のアルバム・トラックの多くは、シングル曲並みにていねいにつくられていることが、ここでも証明されたというべきかもしれません。

夏の歌の特集をやっているころ、九月のはじめにでも、このThe Things We Did Last Summerを取り上げようかと思い、レスリー・ゴア盤もプレイヤーにドラッグしたまま、ほかの曲といっしょによく流していました。レスリー盤のイントロが流れるたびに、いい音だなあ、と感じ入りました。ギター、ベース、ドラム、ストリングスだけのシンプルなイントロですが、どの音もじつに鮮やかなサウンドになっているし、リー・ハーシュバーグがやったのかと思うほど(いや、たぶんちがいますがね)、みごとなバランシングになっています。これだけ気持ちのよいサウンドになっていれば、歌はいらないかも、といいたくなるほどです。

f0147840_0353663.jpgいや、わたしは昔からレスリーのファンです。70年代に、同時代の音楽にうんざりして、昔のものを聴きたくなったとき、最初に思い浮かべたのは、彼女のIt's My Partyだったほどで、音楽を聴きはじめたころから好きな声、好きな歌い方の人でした。

毎度毎度、同じ歌ばかりうたって恐縮ですが、バラッドのときでも湿度が低く、まとわりついてくるいやらしさがないところが、やはり60年代のスターらしいと感じます。「わたしの時代」には、力強く歌いあげたり、ねちっこく歌ったり、歌のうまさをひけらかすことを優先して、われわれが楽曲のよさを味わうのを邪魔するパアなおばさんジャズ歌手など、まったくお呼びじゃなかったのです。

そして、もうひとつ同じ歌になりますが、声の若さというのは格別なものだなあと、レスリーのThe Things We Did Last Summerを聴いても思うのでした。

このヴァージョンは1965年の録音で、そろそろレスリーと縁が切れかかったクウィンシー・ジョーンズのプロデュース(ひょっとしたら、レスリーとの最後の仕事)です。残念ながら、スタジオはもちろん、アレンジャーやエンジニアの名前もわかりません。

63、4年なら、クウィンシー・ジョーンズのプロデュースの場合、アレンジャーは自動的にクラウス・オーゲルマンと考えて大丈夫なのですが、レスリーの65年は微妙な時期で、この直前のものは、ジャック・ニーチーのプロデュースによるハリウッド録音です。クウィンシー・ジョーンズは、このころから映画の仕事のためにハリウッドに拠点を移していたということですが、The Things We Did Last Summerについては、なんとも判断がつきません。たぶん、ニューヨーク録音じゃないでしょうか。ハリウッドでは書類が残っているので、録音場所および日時がレスリーのボックスにも明記されていますが、ニューヨークは書類が不備なので、ほとんどデータが記載されていません。それから考えれば、このThe Things We Did Last Summerにも記載がないので、ハリウッドではないと推測されます。

◆ ディーン・マーティン盤 ◆◆
年をとるにつれて、だんだんディノという人が好ましく感じられるようになり、最近はよく聴いています。このディーン・マーティン盤The Things We Did Last Summerもなかなか悪くない出来です。しかし、シナトラとレスリー・ゴアのように、どちらを看板に立てようか、などと迷うほどの出来でもありません。

f0147840_038142.jpgこの人がもっとも魅力を発揮するのは、二、三杯はいって気持ちよくなったから、ちょっと歌うか、といった調子で、ひどくノンシャランに、そして、ちょっと面倒くさそうに、たんなる酔余の気まぐれという雰囲気でうたったときだと思います。そういう基準からいうと、The Things We Did Last Summerのディノは、微妙に「きまじめすぎる」と感じます。たんなるわたしの好みにすぎないのですが、もっと投げやりな味が入ったほうが、ディノらしいと感じます。でも、悪くない出来だ、と繰り返しておきます。

f0147840_0392152.jpgシェリー・ファブレイ盤は、うーん、べつに悪くもないけれど、とくによくもない、という感じです。サッド・ソングなのに、アレンジが元気よすぎるのじゃないでしょうか。ヴァイオリンのピチカートと、バックの女性コーラスのアレンジ(タリランとかなんとかいうナンセンス・シラブル)はかなりマヌケです。

ただ、ドラム・クレイジーとしては、この極度にストイックなドラミングにはちょっと惹かれます。二拍目にハイハットの8分2打が入るのですが、これがじつに不思議なサウンドなんです。たぶん、ブラシでハイハットの中心近くを叩いているのではないかと思うのですが、よくわかりません。8分音符の1打目はクローズド、2打目はオープンと、やるべきことをちゃんとやったプレイです。プロ! ご参考までに申し上げれば、シェリーの最大のヒット曲であるJohnny Angelで、極度にストイックなハイハットのプレイをしたドラマーはアール・パーマーです。

◆ ビーチボーイズのボツ・トラック ◆◆
ビーチボーイズ盤は、ボツ・トラックが、ボックスで生き返ったものですが、なるほど、ボツだと感じます。いや、まじめにつくったもので、けっしてデモのレベルではありません。ファンの方なら、クリスマス・アルバムのB面のスタイル、といえばおわかりでしょう。ビーチボーイズにしてはビッグ・プロダクションです。

f0147840_0413683.jpgわたしは、ビーチボーイズのクリスマス・アルバムはA面しか聴きません。B面の時代錯誤なフォー・フレッシュメン・スタイルをまったく好まないものですから、同じようなサウンドのThe Things We Did Last Summerも、同じように好みません。

デイヴィッド・リーフのライナーによると、ブライアンの記憶では、なにかの映画のために録音したけれど、映画そのものが流れたためにお蔵入りしたのだそうです。眠らせたままのほうがよかったかもしれません。ボックス・セットだの、ボーナス・トラックだのというのは、ときにひどく迷惑なものです。

書き忘れていたことがひとつあります。レスリー・ゴアとシェリー・ファブレイは、The bell I rang to prove that I was strongのところのIをyouに変更して歌っています。女の子が「力が強いところを見せるために」ハンマーなんかをガーンとやったら、たちまち男が逃げ腰になってしまう時代だから、これはやむをえない措置でしょう。

でも、女の子がハンマーをふるって、カーンとベルを鳴らしても、わたしなら、アメリカの女の子らしいや、と笑って聴いたでしょう。それはそれで可愛いんじゃないでしょうか。

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by songsf4s | 2007-11-16 23:56 | 秋の歌
'Tis Autumn by Nat "King" Cole
タイトル
'Tis Autumn
アーティスト
Nat "King" Cole
ライター
Henry Nemo
収録アルバム
Nat King Cole Trio Story
リリース年
1949年
他のヴァージョン
The King Sisters, Chet Baker
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スタンダードの秋の曲というのは、どうも湿っぽくていけません。秋を表現しようとすると、たいていのソングライターが思考停止して、クリシェといって悪ければ、「物思いの秋」という空想の領域に入りこんでしまい、かまえずに、さらっと秋のスケッチをするということができなくなるのではないかと思います。そのなかでは、この曲はただふんわりとやわらかいだけで、湿度は低く、ウィットもあるので、聴く気になります。

◆ 楽しく、愉快な秋 ◆◆
さっそくファースト・ヴァースから。

Old Father Time checked
So there'd be no doubt
Called on the north wind to come on out
Then cupped his hands so proudly to shout
La-di-dah di-dah-di-dum, 'tis autumn

「時の氏神は間違いのないようにたしかめ、北風に出てこいといった、そして、なんとも誇らしげに手を丸めて『ラディダ、ラディダム、秋だぞよ』と叫んだ」

f0147840_034363.jpgFather Timeは、ギリシャ神話のクロノスのような、時間を擬人化した神様だそうです。時を司るので、絵に描かれるときは砂時計をもっているということですが、そういうものはすくなく、ウェブ上で見かけるものの大部分は懐中時計をもっています。

ずいぶんと近代化された神様で、懐中時計の発明に適応できたのなら、ディジタル・ウォッチにも簡単に適応できるだろうに、と思うのですが、そういう絵は見かけません。死神のように、かならず大きな鎌をもっている理由までは調べが行き届きませんでした。あとでわかったら補訂します。

Trees say they're tired
They've born too much fruit
Charmed on the wayside
There's no dispute
Now shedding leaves
They don't give a hoot
La-di-dah di-dah-di-dum, 'tis autumn

「木々は、あんまりたくさん実を生らせたので、もう疲れたという、道ばたでうっとりとなり、一木たりとも異議を唱えることなく、じゃあ、葉を落とすことにしようと話がまとまった、木々たちはもうどうでもいいのだ、『ラディダ、ラディダム、秋だ』」

ちょっと意訳が入りましたが、1時間で書きと写真集めと加工とアップロードをしなければならないので、わたしもdon't give a hoot、解釈しそこなったところは無視して通りすぎます。なんでcharmedなんだ、なんて、いちいち考えている余裕はゼロなんです。

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こちらの時の氏神は、左手に砂時計を握っている。鎌を奪われ、追い払われるところか? ということは、死神の場合と同様、時の氏神がもつ鎌はやはり死の象徴、時いたれば、われわれはみな、時の氏神の判断で死ななければならない、ということをあらわしていると思える。

ブリッジ。

Then the birds got together
To chirp about the weather
After makin' their decision
In birdie-like precision
Turned about and made a beeline to the south

「そして、鳥たちも集まり、天気についてピーチク話し合って、いかにも鳥らしいきちょうめんさで決定をくだし、くるっと回れ右すると、真っ直ぐ南を指して旅立った」

なぜ鳥はきちょうめんなのかわかりませんが、これも無視して通りすぎます。たんに、decisionとprecisionの韻が笑えると思っただけかもしれません。すくなくとも、わたしはここでブハッと吹きました。

しかし、秋になると、夏鳥にかわっていろいろな鳥があらわれる、というのは、たいていの人が無視するみたいで、人間の心理は変というか、クリシェこそが人間の日常なのだといいたくなります。モズなんかがやってきて、にぎやかに啼いたりするんですけれどねえ。去る者もあれば、来る者もあるんです。わが家の近所では、秋になると、リスが冬支度でいつにもまして忙しく、そして、けたたましく活動するようになります。秋もまた秋なりににぎやかなものです。

My holding you close really is no crime
Ask the birds and the trees and old Father Time
It's just to help the mercury climb
La-di-dah di-dah-di-dum, 'tis autumn

「こうしてきみを抱くのは、罪でもなんでもないんだよ、鳥や木々や時の氏神にきいてごらん、たんに水銀柱を上らせるだけなのさ、ラディダ、ラディダム、秋だ!」

時の氏神だの、木々が疲れたの、鳥が衆議一決して南下しただのと、あれこれゴタクをいっていたのは、ここが目的地だったのです。「てわけで、世の中みんな秋と決まったからさ、寒いから抱き合おうよ、いい季節だねえ」という歌なのです。

湿っぽい秋の歌は棚上げにして、この曲を取り上げた理由は、このサード・ヴァースにあります。こういう男には、わたしは百パーセント共感します。だいたい、秋というのは楽しい季節だとわたしは思います。でも、そういうことを歌った曲というのはごくまれなのです。昨日取り上げた、レイ・デイヴィーズのAutumn Almanacと並んで、秋を楽しげに歌っためずらしい曲として、おおいに稀少価値があります。

◆ 各種ヴァージョン ◆◆
ナット・コールの歌については、いつものように、まったく文句がありません。これだけの声と、これほどの表現力をもっていれば、無敵です。センティメンタルな曲をうたっても、いやらしくまとわりついてくるところがないのが、この人の歌の賞美のしどころかと思います。あとはバッキングのアレンジ、サウンドしだいというところで、弦や管がついたときは警戒しなければなりませんが、トリオについては文句なしです。

というわけで、ナット・コールを看板に立てましたが、「同時上映」扱いにしたキング・シスターズがまた素晴らしくて、こちらを看板してもいいくらいです。最近、彼女らのベスト盤は、わが家ではものすごいヘヴィー・ローテーションでかかっています。

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わたしは、大昔の靄がかかったような女性コーラスというのには、コロッとやられてしまう傾向があるのですが、それにしても、キング・シスターズはすごいのです。声だけなら、アンドルーズ・シスターズより好きです。

だれがだれやらさっぱりわからないのですが、だれかひとり、風邪をひいたような声の人がいて、これが素晴らしいのですよ。たいていの曲でこの声が聞こえるので、'Tis Autumnのときだけ風邪をひいていた、ということではなく、もともと鼻にかかった声なのでしょう。こういう声をもっていたら、もう歌手になるしかありません。

サックス・ソロ、とくにスロウで思い入れたっぷりの嫌味なやつはわたしの天敵で、管楽器はアンサンブルにかぎる、ということは何度か書きましたが、ピッチの高い金管楽器の音はサックス以上の大天敵で、単独でも複数でも好まず(例外はTJB。あのトランペットのデュエットというのはたいした発明)、チェット・ベイカーも、他のプレイヤーよりは不快指数は低いとは思うものの、感銘は受けません。

そもそも、いくらそれがこの人の身上といっても、これはあまりにもダレすぎです。BGMのレベルをあっさり通り越して、完璧に子守唄。寝るにはいいのじゃないでしょうか。もっとシャキッとした音が猛烈に聴きたくなります。ハル・ブレインでも聴くか、という気分になったところで、ちょうど、わが家のプレイヤーはゲーリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのAutumnになりました。
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by songsf4s | 2007-11-15 23:53 | 秋の歌
Autumn Almanac by the Kinks その2
タイトル
Autumn Almanac
アーティスト
The Kinks
ライター
Ray Davies
収録アルバム
Singles Collection
リリース年
1967年
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◆ 生まれ育った土地への執着 ◆◆
さっそく昨日のつづきで、第五ブロック。これまでに出てこなかったメロディー、コード・パターンで、第二のブリッジのようになっています。そんなものを表現する用語はないのですが!

This is my street
And I'm never gonna leave it
And I'm always gonna stay
If I live to be ninety-nine
'Cause all the people I meet
Seem to come from my street
And I can't get away
Because it's calling me
Come on home
Hear it calling me
Come on home

「ここはわたしの通り、けっしてここから離れることはないだろう、たとえ99歳まで生きたとしても、ずっとここにいる、会う人会う人がみなわたしの通りからやってきたように思えるから、どちらにしろ逃げることはできない、通りが、帰っておいで、帰っておいでと呼びかけるのだから」

f0147840_235322100.jpg自伝を読んだという有利な地点からいえば、ここは、モデルとなった庭師とRD自身の観点が渾然一体となって表現されたブロックだと感じます。自伝のなかで、彼は、デイヴィーズ邸の庭師となる以前に、この人物を毎日のように見かけていたと書いています。まるで通りに住んでいるように見えたことが、ここに表現されているのではないでしょうか。

また、RDが家族に強い絆を感じていたことも反映されていると感じます。RDはデビューまもなく、まだ十代のうちに結婚しますが、スターが集まる地区には引っ越さず、実家や姉たちの家から歩いていけるところにある、子どものころからよく知っていたクラシックな家に住みます。だから、子どものころから見かけていた人物を庭師に雇ったのです。

彼はこの庭師の仕事ぶりをよく眺めていたそうで、たぶん、共感できるなにかを、この庭師のすがたか、または日々の行動に感じたのでしょう。あえて想像をたくましくすれば、季節のめぐりにシンクロした生活というものへの共感ではないかと思います。

このあとは、すでに出てきたライン、コーラスに聞こえる部分をちょっと変形しながら繰り返して終わります。

Oh, my autumn almanac
Yes, yes, yes, it's my autumn almanac
Oh, my autumn almanac
Yes, yes, yes, yes, yes, yes, yes, yes

最後のyesを繰り返すところだけが、これまでに出てきていないコード・パターンになっています。

◆ イレギュラー尽くしの楽曲構成 ◆◆
歌詞はいろいろな点でイギリス的であり、同時に「レイ・デイヴィーズ的」とでもいうしかないものですが、曲のほうは、歌詞にもまして、じつになんとも妙な展開をします。

ふつう、ポップ・チューンというのは、せいぜい、ヴァース、コーラス、ブリッジという三要素で構成されるもので(間奏はこのいずれかのパターンを利用する)、ヴァースを何度繰り返そうとも、おおむね同じコード進行だし(まれに、部分的に変化させることはある)、コーラスも同様につくられているものです。

f0147840_23544679.jpgところが、このAutumn Almanacは、そういう常識的な構成はとらず、同じところには戻らない、というルールでつくったかのように、どんどんパターンが変わっていきます。しかも、リーズナブルとはいえないところにジャンプするし、そのうえ、その際に変拍子(基本は4/4だが、3/4や2/4をはさんだりする)まで使うのだから、じつにもって厄介きわまりない造りです。

いちおう、コードをとってみたのですが、まだ穴がありますし、たぶん、ベースとギターとピアノがちがうところを弾いている(言い換えるなら、分散和音になっている)せいで、確信がもてない箇所もあります。しかし、奇妙なコード・チェンジこそがこの曲の「アイデンティティー」なので、とりわけイレギュラーな部分について、すこし検討してみることにします。

以下、楽器をやらない方にはチンプンカンプンのマンボ・ジャンボな話になるので、飛ばしてください。楽器をやる方でも、この曲をご存知ないと、隔靴掻痒にお感じになるでしょうが、一般論として、そのコードからそこへは移動しない、ということがポイントになるので、その点だけつかんでいただければと思います。

譜面やギター・タブ・サイトも参照しましたが、どれも全面的に納得はできず、以下は自分の耳に聞こえたコードを記述しました。譜面やタブ・サイトと意見が分かれたということは、それだけわかりにくい曲だということで、わたしのコードも、間違いがあるにちがいありません。耳のいい方の修正をお待ちしています。

◆ 終わりなき変化 ◆◆
それではコードを見ていきますが、テキストのままだと環境によって見え方が変わる、つまり歌詞とコードの位置関係がズレる恐れがあるので、JPEGにしました。読めるかどうか、おおいに問題ですが、ヴューワーで拡大すれば読めることは確認しましたので、いったん画像を保存していただければ大丈夫でしょう。

なお、JPEGにしたにもかかわらず、歌詞とコードがいくぶんズレているかもしれません。テキスト・ファイルをPhotsoshopに貼りつけたときに、フォントのせいで、コードとコードの空白が詰まってしまい、時間の関係でていねいに修正できなかったのです。おおむね、こういう順番でコードが変わる、ぐらいに受け取ってください。

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冒頭の、歌詞がなく、コードだけの部分はイントロです。これはいたってノーマルなI-IV-Vパターンです。それはいいのですが、歌に入ったとたん、IVのマイナー、すなわちBmになるわけで、いきなり反則技でくるのだから、面喰らいます。

いや、そもそも、イントロがI-IV-Vの形式になっているからといって、このIすなわちF#がキーといえるかどうかも微妙です。どこがキーだかよくわからないのですが、ひょっとしたらAではないかという気もします。コーラスから入るタイプの曲のように、冒頭の音がキーではないこともあるわけで、そういう風に捉えたほうがいいかもしれません。

yes, yesと繰り返すところは、ギターは、たとえばDかAのまま動かずに、ピアノとベースだけ動くというようにしても、不自然ではなく聞こえるはずです。でも、たぶん、動かしていると思います。ひどく忙しい移行ですが、66年の大ヒット、Sunny Afternoon以来、この時期のRDはそういう手法をよく使っています。

つぎのパートもイレギュラーなコード・チェンジが出てきます。

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eveningとpeopleのあいだで4分音符がひとつ飛ばされ、3/4をはさむ変拍子になっています。でも、そんなのは「常識の範囲内」といっていいくらいで、このあとの展開がまた変なのです。

Tea以降のD#m-Bb-C#-G#-B-Bbというちょっと変則的な流れも、まあ、百歩譲って、了解の範囲内ということにしておきましょう。でも、B-Bbと降りてきたのに、つぎのコードがBmって、そりゃなんだよ、そんなのありか、と思います。教育を受けた作曲家ならぜったいに避けるにちがいない、強引なコード・チェンジです。Bmが出てくるたびに、ポンとどこかに飛んでしまう、強い「転調感」があります。おそらく、それがRDの狙いなのでしょう。

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このブロックの前半は、いたってノーマルな3コードで、聴いていても安定感があります。ただし、キーがどこだかわからないので、戻るべき場所に戻ったという感覚はありません。ふつうの曲なら、この部分はそういうどっしりとした安定感をもたらすはずです。そもそも、東西南北がわからないのだから、どこにいても、なんとなく落ち着かないのだと思います。

AからAmに移行するThis is my streetのところも、やはり強い転調感がありますが、ここからの展開はじつにきれいで、この曲のハイライトでしょう。stayからninety-nineにいたる、C-Em-Bb-Aという進行は、ついこのあいだ、ボビー・ゴールズボロのBlue Autumnで見たばかりのパターンです。あのときは、同じパターンの曲を思いつかない、などと書きましたが、灯台もと暗し、よく知っている曲に使われていました!

'Cause all the people I meetのmeetのところからつぎのコードは、よくわかりません。D7とFはまちがっているかもしれませんし、たとえ正しくても、なにかもうひとつコードがはさまっているかもしれません。いずれにしても、また転調して、不思議なところにいくのですが、それがこの曲の本質で、どんどん転調しつつ、どことも知れない場所に向かって進んでいく感覚があります。

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ここはいままでに出てきたコードをちょっと変形して繰り返すだけですし、コード・チェンジ自体にも異様なところはなく、さすがにエンディングは、ぐるっと環を描いて「元に戻った」感覚があります。キーはAではないか、と書いたのは、最後がここに来るからです。

このyes, yes, yes, yes, it's my autumn almanacだけが、この曲の一貫性を保っている要素で、これがなければ、ただ異なるパターンがつぎつぎに出てくるだけの、バラバラな印象をあたえてしまうでしょう。

◆ 破綻、成長、破綻、成長の「コード・チェンジ」 ◆◆
RDはオフィシャル本で、この曲を書き上げたときは、Waterloo Sunsetのときと同じように、またひとつ階段を上がった気がしたと語っています。たしかに、尋常一様の曲ではありません。

コードが複雑、といったとき、われわれがふつう思い浮かべるのは、まず、テンションが山ほどついた、メイジャーやマイナーやセヴンスなどの当たり前のものではないコードが頻出する曲のことでしょう。トム・ジョビンの曲などですね。あるいは、ジャズではごく当たり前な、本来はシンプルなコードなのに、「解釈として」テンションをつけていく場合でしょう。

Autumn Almanacのコードは複雑ですが、上記のような意味ではいたってシンプルです。ベースとの分散和音的なものはべつとして、ギターはメイジャー、マイナー、セヴンスぐらいしか使っていません。たんに、そのメイジャーとマイナーの組み合わせが、常識はずれなだけです。

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スタジオのRD。覗き窓があるバッフルなど、アメリカのスタジオの写真では見たことがない。そもそも、アメリカのバッフルは首から下ぐらいの高さになっている。覗き窓の向こうには、フライングVを弾くデイヴ・デイヴィーズがいる。手前はピート・クエイフ。

ポップ/ロックの世界は、ときに奇妙なコード進行を使うことはあっても、おおむね、なんらかの単純なパターンに還元できるものです。つまり、なじみのパターンの組み合わせで曲をつくれるということです。

キンクスの、そしてレイモンド・ダグラスの最初の大ヒット曲であるYou Really Got Meは、そうした、基本的にはシンプルな構成の曲でした。印象的なのは、こういうタイプのハード・ドライヴィングなストレート・ロッカーにはめったに使われない、転調があるからです。

RDは、プレイヤーになるつもりで(アイドルはなんとタル・ファーローだった!)、ソングライターになる気などなく、ましてやシンガーになるつもりなどさらさらなかったそうです。パイと契約して、最初のレコーディングのときにRDが歌ったプレイバックを聴き、弟のデイヴが「兄貴って、コマーシャルな声してるな」と感心したというぐらいで、ちょうど本邦のサベージのように、「会社に歌わされた」にすぎないのです。

You Really Got Meの原型は、プロになる以前につくっていたということですが、最初の大ヒット曲に、すでに異例の転調があったことは注目すべきことだと思います。

f0147840_0243517.jpgしかし、彼のソングライティングが内省的になっていくのは、リード・シンガーであり、ソングライターであるという重圧から、神経衰弱で寝込み(Do a Brian Wilson「ブライアン・ウィルソンをやる」、すなわち、ツアーに同行せず、スタジオ・ワークに集中するという案も出たとか)、そこから回復するときに書いたSunny Afternoon以降のことだと感じます。ベースがペダル・ポイント的に下降する(ただし、ギターもいっしょに動くので、ペダル・ポイントではない)という手法は、Sunny Afternoonからはじまり、Waterloo Sunset、Autumn Almanac(この曲は下降ではなく、上昇だが)へとつながっていきます。

RDの転調への執着は、You Really Got Me以来のものですが、そこから、転調につぐ転調で、目的地がさっぱり見えないAutumn Almanacまでの距離の、なんと遠いことか! たしかに、この曲を書き上げて、RDがある達成感をいだいたのも不思議ではなく、これほど奇妙な構成をとった曲を、わたしはほかに知りません。You Really Got Meから3年で、とんでもないところまで来たと思います。

ただし、世の中はそういうものですが、RDの成長とともに、キンクスは女の子に追いかけまわされ、シャツを引きちぎられるアイドル・グループから、カルト・バンドへと必然的な変化を強いられることになります。こんどは、女の子にかわって、わたしのような人間が彼らの「基盤」になっていくわけで、そこからの脱出に、RDはまた悪戦苦闘することになるでしょう。


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by songsf4s | 2007-11-14 23:27 | 秋の歌