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魂も凍る二月のThis Is THE DAY――バディー・ホリー、リッチー・ヴァレンズ、ビッグ・バッパー
 
二月三日は節分だという意見もありますが、年中行事というのは新暦ではどうしても不思議なことになりますし、恵方巻というのは西のもので、鬼と罵られ、豆をぶつけられた側の東国人としては、どうも違和感があります。

やはり、二月三日といえば、バディー・ホリー、リッチー・ヴァレンズ、ビッグ・バッパーの命日でしょう。この三人が同じ日に没した経緯は、「American Pie by Don McLean その1」という記事に書きましたので、ご存知ない方はそちらを参照なさっていただければ幸いです。

じつは、すでにツイッターでバディー・ホリー特集のようなものをやってしまったので、この記事は同様の選曲になりそうです。ツイッターでわたしをフォローされている方には、あまり用のない記事になるであろうことを、先回りしてお詫びしておきます。

いやでもなんでも、バディー・ホリーの命日なので、この曲ではじまるのは前世からの定め。

Buddy Holly - That'll Be The Day


バディー・ホリー・フォロワーというと、ついうっかり、ボビー・ヴィーだの、トミー・ローだの、ボビー・フラーだのといった人たちを指折ってしまいますが、じつはキング・オヴ・バディー・ホリー・ファンズは、この人たちでしょう。

The Beatles (The Quarrymen) - That'll Be The Day


ビートルズのルーツとして、ブラック・ミュージックをあげていくこともできるでしょうが、究極においてなにがインスピレーションだったのだ、と突き詰めていくと、やはりバディー・ホリーとエヴァリー・ブラザーズのアマルガムではないかと思います。

ポール・マッカートニーの会社は、バディー・ホリーの楽曲の権利を持っていますが、しかし、どちらが近いかと云えば、それはもう、ジョン・レノンでしょう。ジョンの歌の向こうにはバディー・ホリーのすがたがいつも揺曳しています。

バディー・ホリーの曲でとくに好きなもの、となると、まず指を折るのがこれ。

Buddy Holly - Not Fade Away


ジョン・カーペンターの『クリスティーン』はなんともはやつまらない映画でしたが、1950年代にクリスティーンがデトロイトの工場で誕生する場面はモノクロで、バディー・ホリーのNot Fade Awayが流れ、クリスティーンが走っているショットで画面に色がつき、現代へと時代が移ったことが示され、音のほうもバディー・ホリーからべつのNot Fade Awayへと変化していくという、音楽がわかっている監督にしかできない技を見せてくれました。

バディー・ホリーのオリジナルに接続された後年のカヴァーはこのヴァージョン。

Tanya Tucker - Not Fade Away


記憶では、ディストーションのかかった派手なギターのあたりから、こちらのヴァージョンへと遷移したような気がするのですが、ユーチューブでは確認できませんでした。

Not Fade Awayはうんざりするほどたくさんカヴァーがありますが、やはり、グレイトフル・デッドのテーマ曲、と云いたくなります。デッドのNot Fade Awayは40種類以上リリースされていますが、これは1971年の録音。

Grateful Dead - Not Fade Away


やはり80年代のずぶずぶに崩れたデッドにくらべると、このころはまだ折り目がパリッとしていて、いいサウンドだったなあ、としみじみします。ソロに入ると、ガルシアがすっ飛んでいくのも快感です。

わたしはバディー・ホリーの没後、数年たってから音楽を聴くようになったので、彼の曲はほとんどカヴァーで知りました。最初はもちろん、これに決まっています。

The Beatles - Words of Love


聴くだけではなく、中二のときのバンドでやっちゃいました。3コードの曲だともうダボハゼでした。

つぎの曲なんかも、バディー・ホリーを本気で聴こうと思った理由のひとつです。ジム・ゴードン・オン・ドラムズ。

The Nitty Gritty Dirt Band - Rave On


アコースティック・リズム・ギターでゴリゴリとドライヴしちゃうところが、ほとんど感動的といっていいくらいです。

つぎの曲もやはり、バディー・ホリー楽曲独特の、パワー・コードによるドライヴ感を再現しようとして書かれたパスティーシュといっていいでしょう。

The Bobby Fuller 4 - I Fought The Law (And The Law Won)


スティーヴ・ウィンウッドとバディー・ホリーとはあまり結びつかない感じで、なぜこの曲を歌ったのか、ちょっと不思議ではあるのですが、しかし、ウィンウッドが歌うと、やはり彼独特のなにものかになるなあ、と感じます。

Blind Faith - Well Alright


バディー・ホリーのバラッドの代表作を入れておきます。

Buddy Holly Story - True Love Ways


むろん、わたしは後追いなので、この曲もカヴァーから入りました。

Peter and Gordon - True Love Ways


こういう風に簡単にやっては申し訳ないのですが、時間がなくなってきたので、運命の飛行の同乗者たちの曲をひとつずつ。まずはリッチー・ヴァレンズ。アール・パーマー・オン・ドラムズ。

Ritchie Valens - Come on Let's Go


記憶しているのはアール・パーマーだけですが、リズム・ギターはキャロル・ケイ、ベースはレッド・カレンダー、なんていうメンバーかもしれません。リードはリチャード・ヴァレンズエラ自身によるものだったような気がします。

つぎはビッグ・バッパーことJ・P・リチャードソンの代表的ヒット。

Big Bopper - Chantilly Lace


以上、はなはだ簡単ですが、バディー・ホリー、リチャード・ヴァレンズエラ、J・P・リチャードソンの三人をしのんで曲を選んでみました。


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バディー・ホリー(ボックス)
Not Fade Away: The Complete Studio Recordings & More
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リッチー・ヴァレンズ
Complete Ritchie Valens
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ビッグ・バッパー
Hello Baby: Best of the Big Bopper
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グレイトフル・デッド
The Grateful Dead (Skull & Roses)
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ビートルズ
Anthology 1
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ビートルズ
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Uncle Charlie & His Dog Teddy
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ボビー・フラー・フォー
I Fought the Law & Other Hits
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ブラインド・フェイス
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タニヤ・タッカー
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by songsf4s | 2012-02-03 23:58 | 追悼
追悼 エタ・ジェイムズ 後編
 
エタ・ジェイムズの父親はだれだかわからないのだそうですが、彼女自身はプール・プレイヤーのミネソタ・ファッツ(映画『ハスラー』では、ジャッキー・グリーソンが演じた。柄の合ったはまり役だった)だと云っていたそうです。だとしたら、すごい血筋ですが!

また、真偽のほどはわかりませんが、若いころにB・B・キングと付き合っていて、キングのSweet Sixteenは、彼女のことを歌ったものだと、エタ・ジェイムズ自身は信じていたといわれます。

B.B. King - Sweet Sixteen


さて、エタ・ジェイムズのメインラインの上澄みは前回の記事で並べたので、今回はチェス後期のオブスキュアな曲を選んでみます。

前回はすべてクリップでまかなえたのですが、オブスキュアなものになったとたん、クリップがなくなって、いきなりサンプルです。タイトルはSlow and Easyですが、じっさいの音はスロウでもイージーでもありません。

サンプル Etta James "Slow and Easy"

ドラムがちょっと鈍くさいのですが、こういうタイプのサウンドは好みですし、エタ・ジェイムズにも合っているのではないでしょうか。

もうひとつ同系統の曲を。

Etta James - Miss Pitiful


今度はちょっとテンポを落としたものを。

Etta James - Finders Keepers, Losers Weepers


ちょっとアーマ・フランクリンのPiece of My Heartを想起させる曲で(じっさい、この曲も歌ったみたらよかったのにと思う)、こういうのも悪くありません。泣いたり叫んだりしないのも好みです。こういうタイプで絶叫というのはよくあるパターンですが、勘弁してもらいたいものです。

やや外道趣味ですが、つぎは、こういう人が真っ白な曲を歌うとどうなるか、という興味で選びました。ランディー・ニューマンの代表作。

サンプル Etta James "Sail Away"

さすがに、年をとっても、エラ・フィッツジェラルドやジョニ・ミッチェルやアン・マレイのような、地獄の業火もかくやという悪夢の魔女声にならなかっただけあって、シャウトも控えめで嫌味がなく、わるくないレンディションです。

この曲のドラマーはだれだかわかりませんが、けっこうなタイム、けっこうなプレイで、好みです。これは73年の録音ですが、チェスも70年代に入ると洗練されたプレイヤーを使うようになったようです。シカゴの音には聞こえませんが。

ランディー・ニューマンのオリジナル・スタジオ・レコーディングはクリップがないので、スタジオ・ライヴを。

Randy Newman - Sail Away


まあ、ランディー・ニューマンですから、歌いあげたりする気遣いだけはぜったいにないのでありましてな!

最後は、ドン・コヴェイとスティーヴ・クロッパーが書き、コヴェイが最初に歌った曲。

サンプル Etta James "Sookie Sookie/Shotgun"

ドン・コヴェイがオリジナルではあるのですが、エタ・ジェイムズ盤が参照したのはコヴェイ盤ではなく、こちらのヴァージョンのような気がします。

Steppenwolf - Sookie, Sookie


これはステッペンウルフのデビュー・アルバムのオープナーで、中学生のわたしはおおいに感銘を受け、自分のバンドでやろうとした記憶があります。

なんてことはどうでもよくて、エタ・ジェイムズ盤のギターやオルガンの扱いは、ドン・コヴェイではなく、ステッペンウルフ盤に由来するものでしょう。

メドレーの後半、ショットガンについては、ヴァニラ・ファッジのカヴァーを踏襲した、などと断定する材料はなく、素直にジュニア・ウォーカー&ザ・オール・スターズのオリジナルからもってきたのかもしれません。

準備段階で選んだ曲は以上でおしまい。初期にもどって、お気楽な曲をおいておわかれとします。

Etta James - Come What May


年をとると、強いサウンドより、こういうもののほうが好ましく感じられるようになる、かどうかは、いまだに自分でも決めかねていますが。

エタ・ジェイムズに安らかな眠りを。


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ジョニー・オーティス
Midnight at the Barrelhouse: 1945-57
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エタ・ジェイムズ
The Complete Modern & Kent Recordings
Complete Modern & Kent Recordings


エタ・ジェイムズ(チェス時代のボックス)
Chess Box
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エタ・ジェイムズ(レーベルを横断するボックス)
Heart & Soul/Retrospective
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エタ・ジェイムズ
Tell Mama: The Complete Muscle Shoals Sessions
Tell Mama: Comp Muscle Shoals Sessions


エタ・ジェイムズ
Her Best : The Chess 50th Anniversary Collection
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ランディー・ニューマン
Sail Away
Sail Away


B・B・キング
ロック・ミー・ベイビー ザ・ヴェリー・ベスト [日本独自企画ベスト盤]
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ステッペンウルフ
Steppenwolf (BORN TO BE WILD)
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by songsf4s | 2012-01-22 23:58 | 追悼
追悼 エタ・ジェイムズ 前編
 
昨日は、ジョニー・オーティス追悼を書いて、眠って起きたら、今朝は、そのジョニー・オーティスの後押しでデビューしたエタ・ジェイムズの訃報を読むことになりました。

以前から具合が悪いと伝えられていたので、大意外事というわけではないのですが、タイミングがタイミングなので、先日、玉木宏樹氏と別宮貞雄氏の訃報が重なったときと同様、こういうこともあるのだな、と慨嘆しました。

追悼記事ばかりで恐縮ですが、やはり、昨日の今日なので、エタ・ジェイムズのほうも書かないと寝覚めが悪いような気がします。

主として、以下の三種のアルバムから曲を選ぶことにします。初期の録音を網羅したThe Complete Modern & Kent Recordings、チェス時代の編集盤The Chess Box、同じくチェス時代のアルバム、Tell Mama: The Complete Muscle Shoals Sessions。

昨日はジョニー・オーティスの記事でエタ・ジェイムズの初期の代表作であるWallflower (Roll with Me Henry)のクリップは貼りつけたので、それは略して、初期の録音から好みのものを。

Etta James - Good Rockin' Daddy


Wallflower同様、いかにも初期R&Bらしい性的暗喩(というか、直喩といいたくなるが!)を用いた曲です。

ひとつ、昨日の記事で記憶違いがありました。Wallflower (Roll with Me Henry)のほうが、ハンク・バラード(とジョニー・オーティスが書いた)のWork With Me, Annieのアンサー・ソングだったということです。昨日の記事では逆のように書いてしまいました。陳謝。

ジョニー・オーティスにスカウトされたとき、エタ・ジェイムズはまだ14歳だったそうです。歌を聴くかぎり、とてもそうは思えませんが、まあ、シャンテルズのアーリーン・スミスなども、とうてい年齢相応の歌には思えず、そういうタイプのシンガーもいる、というだけのことでしょう。

1960年、エタ・ジェイムズはチェスと契約します。うまみのある白人市場を強く意識したのか、レナード・チェスはエタ・ジェイムズをバラッド・シンガーとして扱います。そういうのはまったく趣味ではないので、チェス初期は丸ごとオミットして、すこし時間を飛ばします。

シュガー・パイ・デサントとの強力なデュオによる、1965年の疑似モータウン・サウンド。

Etta James & Sugar Pie DeSanto - Do I Make Myself Clear?


この時期のエタ・ジェイムズはどこで録音していたのでしょうか。チェスだから、ふつうに考えればシカゴということになりますが、彼女はLA生まれ、デビューもLAのジョニー・オーティスによって、ですから、ちょっと悩ましいところです。なんにしても、けっこうなグルーヴで、これならマッスル・ショールズにいくまでもなかったのに、と思わせます。

フェイク・モータウンのつぎは、フェイク・スタックスといってみましょう。タイトルからわかるように、ウィルソン・ピケットの634-5789のアンサー・ソングです。

Etta James - 842-3089 (Call My Name)


音を聴いても、やはりウィルソン・ピケットのヒットを下敷きにしているのは明白です。せっかくだから、ウィルソン・ピケットの本歌のほうも貼りつけます。ライターはエディー・フロイドとスティーヴ・クロッパー。

Wilson Pickett - 634-5789 (Soulsville, USA)


このあと、エタ・ジェイムズはマッスル・ショールズで録音することになります。つまり、ロジャー・ホーキンズとデイヴ・フッドのグルーヴで歌う、ということです。そして、彼女の代表作が生まれました。

Etta James - Tell Mama


ロジャー・ホーキンズもアヴェレージ以上のプレイをしていますが、この曲で目立つのはデイヴ・フッドのベースのほうです。バンドのグルーヴがいいと、すぐれたシンガーはストレートに反応するもので、それがこの秀作を生んだと感じます。

つぎはマッスル・ショールズ・セッションが生み出したもうひとつのヒット曲。Tell Mamaと同様のメンバーによる録音です。

Etta James - Security


この「ゆるめのタイト」という矛盾した表現をしたくなる独特のグルーヴがロジャー・ホーキンズの味で、なんともいえない魅力があります。タイトな人はいくらでもいるのですが、ルースそうでタイト、タイトそうでルースという、微妙なグルーヴをもつドラマーは、ほんの一握りしかいないでしょう。

さらにマッスル・ショールズ録音から。近年のリマスター盤で陽の目を見た未発表曲。

Etta James - You Got It


一曲ぐらいはバラッドを入れないとまずいかもしれないので、マッスル・ショールズで録ったこのスタンダードを。これまた当時はアルバムからオミットされたトラックです。

Etta James - Misty


途中から4ビートになるのですが、NYやハリウッドの4ビートとはずいぶんちがっていて、あはは、です。ロジャー・ホーキンズも4ビートにしては左手が重すぎるし、管も妙なアクセントで、やっぱりここは南部だなあ、と思います。

上記の二曲についてはパーソネルがはっきりしないようですが、他のトラックと同じく、ドラムとベースに関してはロジャー・ホーキンズとデイヴ・フッドと見て大丈夫でしょう。

この稿を書きはじめる前にリストアップしたものはあと五曲残っていて、とうてい全部はやれそうもないので、残りは次回ということにして、本日はこれまで。


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ジョニー・オーティス
Midnight at the Barrelhouse: 1945-57
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ウィルソン・ピケット
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by songsf4s | 2012-01-21 23:57 | 追悼
追悼 ジョニー・オーティスとR&Bの誕生
 
今朝、起きる早々、ジョニー・オーティスの訃報を読みました。R&Bが誕生した場所は一カ所に限定することはできませんが、LAのR&B、現在ではセントラル・アヴェニューR&Bといわれているものに関するかぎり、ジョニー・オーティスは生みの親のひとりといっていいでしょう。

以前、オーティスのキャリアをまとめたことがあるので、それをここに貼りつけるつもりですが、そのまえにすこし音を聴きます。まずは、もっとも人口に膾炙したジョニー・オーティス作の曲から。

The Johnny Otis Show - Willie and the Hand Jive


3コードでグルーヴのほうに眼目があるという、いかにもドラマーが書きそうな曲です。典型的なボー・ディドリー・ビートで、当然ながら、ご本尊のボー・ディドリーもカヴァーしています。

でも、そちらは当たり前すぎて面白くないので、べつのカヴァーを。このバンドについてはなにも知りません。検索で遭遇しただけです。

Moongooners - Willie and the Hand Jive


うちのHDDを検索すると、ヤングブラッズ、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ、グレイトフル・デッド、ニュー・ライダーズ、ジョニー・リヴァーズほかのヴァージョンがあります。

以下にペーストするのは、以前、某書肆の求めに応じて書いた、『音楽都市ハリウッドの黄金時代――ヒット曲はいかに「製造」されたか』と題した、ハリウッド音楽史の草稿の、ジョニー・オーティスの節です。

その後、先方の事情が変わって、いまだ上梓には至っていません。したがって、再利用ではありますが、未発表のテキストです。

それでは、『音楽都市ハリウッドの黄金時代――ヒット曲はいかに「製造」されたか』の「第一章の4 セントラル・アヴェニューに帰る」より。


▽ジョニー・オーティス――ジャズからR&Bへ
 一九四〇年代、五〇年代にあっては、ジャズとリズム&ブルースの境界は後年ほど明確ではないし、プレイヤーも両分野を横断して活動していることが多い。コード・チェンジを無視するので使いものにならなかったらしいが、オーネット・コールマンですらR&Bバンドでツアーをしたという。
 セントラル・アヴェニューはカリフォルニアのジャズの揺籃だっただけでなく、R&B誕生の地とされることもあるほどで、ここでもジャズとR&Bは深く交叉していた。リズム&ブルースというのは「ビートを強調した都市のブルース」であると同時に、「リズム・パターンとコードを単純化したジャズ」と見ることもできるのだ。
 ジャズ・プレイヤーとして出発しながら、R&Bの分野で活躍した人は、たとえばビッグ・ジェイ・マクニーリー、ジョー・リギンズ、ロイ・ミルトン、ジュウェル・グラント、ジョニー・オーティスなどをはじめ、枚挙にいとまがない。ジャズ・プレイヤーの側から見ると、R&B(そしてポップ)は「できるか否か」ではなく、「やるつもりがあるか否か」の問題だった。その気さえあれば、技術的には問題なくプレイできたのである。ただし、オーネット・コールマンはこのかぎりにあらず、だが!
 セントラル・アヴェニューR&Bの興隆を側面から促したのは、戦中戦後につぎつぎと生まれた、アラディン、モダン、スペシャルティー、インペリアルといったLAの独立レーベルである。こうしたレーベルはロイ・ミルトン、ジョー・リギンズ、エイモス・ミルバーン、リトル・エスター・フィリップス(のちに「リトル」がとれて、ジャズに転ずる)などなどのアーティストを発掘し、ヒット曲を生み出した。
 独立レーベルがR&Bに群がったのは、単純な理由による。クラシックはもちろん、白人のポピュラー音楽も、昔から大手レーベルが押さえていた。しかし、「レイス・ミュージック」と見下されていた黒人の音楽は、「小銭稼ぎ」にしかならないと考えられ、また「レイス」という言葉が示すように、人種差別もあったため、大手がまだ買いあさっていなかったのである。だから、新興独立レーベルがこの「食べ残し」に集まったのだ。
 残念ながら、エルヴィス・プレスリーの登場が巻き起こしたロックンロール・ブームの時期に、この分野の大スターが輩出しなかったため、LAがR&Bの中心地であったことは見過ごされがちだが、この時代に胚胎した芽は、のちに大きく開花することになる。四〇年代、五〇年代のセントラル・アヴェニューR&Bが、六〇年代ハリウッド・ポップの苗床のひとつであったことはまちがいないのである。
 ドラマー、ヴァイブラフォン奏者、クラブ・オーナー、DJ、プロモーターとして活躍し(さらにいえば、近年は画家であり、クック・ブックを出版した料理人でもある)、〈ウィリー&ザ・ハンド・ジャイヴ〉(Willie & The Hand Jive)のライターとして知られるバンドリーダーのジョニー・オーティスは、第二次大戦中のビッグ・バンドの時代にキャリアをスタートし、スタン・ケントン、イリノイ・ジャクェー、レスター・ヤングなどのバンドでドラムを叩き、やがて独立して自分のバンドをもった。
 戦後、ビッグ・バンドが経済的に立ちいかなくなると(カウント・ベイシーやデューク・エリントンですら苦しくなったという)、4リズムに、トランペット1、サックス2、トロンボーン1という小編成のバンドに組み直した。現代のわれわれにはいたってノーマルな編成に思えるが、オーティスにとっては、これは「押しつぶされたビッグ・バンド」であり、コードにテンションをつけられる最低限の編成だった。
 オーティスはいち早くR&Bへとシフトして、この時期に〈ハーレム・ノクターン〉Harlem Nocturnのヒットを得た(このスロウ・ダウンしたオーティス・ヴァージョンが世界中のストリッパーに利用されることになる)。このときのメンバーにはカーティス・カウンスやビル・ドゲットがいた。


Johnny Otis - Harlem Nocturne


 オーティスは、R&B興隆の理由を、ビッグ・バンドが経済的に立ちいかなくなったことにあるとしている。四管編成では、ビッグ・バンドの豊かなアンサンブルに敵するはずもなく、いきおい、ひとつひとつの楽器の音を大きくせざるをえなくなり、それまではコードを弾くだけだったギターもソロをとるようになって、自然にワイルドな音に向かっていったのだという。
 一九四八年、オーティスはセントラルに接するワッツ地区に、「バレル・ハウス」というクラブを開いた。このクラブの出演者を選び、アマチュア・ナイトを開くうちに、オーティスはタレント・スカウトとしての才能を発揮するようになり、リトル・エスター・フィリップス、ハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズ、ジャッキー・ウィルソンなどを見いだして、レコーディング契約をとり、独立プロデューサーとして録音をおこなった。


同じ章のべつの節から引用します。


 一九五二年、ジョニー・オーティスは、若いソングライター・チーム、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーに、彼がプロデュースしていたウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントンのために曲を書くように依頼した。そして生まれたのが、〈ハウンド・ドッグ〉Hound Dogだった。この曲が永遠の命を獲得するのは、五六年にエルヴィスがカヴァーしてナンバー1ヒットになったおかげだが、ビッグ・ママのオリジナルも、五三年にR&Bチャート・トッパーになっている。
(中略)
 リーバーとストーラーは、ビッグ・ママの〈ハウンド・ドッグ〉セッションで、はじめてプロデュースの真似事をした。ジョニー・オーティス・バンドのドラマーが気に入らず、二人がドラマーでもあるオーティスにストゥールに坐るように頼み、かわってリーバーがブースから指示を出すことになったのである。史上初めて、盤にプロデューサー・クレジットを明記されたといわれるチームの、A&Rとしての初仕事だった。


ということで、そのウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントンのクリップを。

Willie Mae Big Mama Thornton - Hound Dog


史上初めて盤にProduced byというクレジットを入れたといわれるジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのプロデューサー・チームが、はじめて事実上のプロデュースをおこなった盤であり、ジョニー・オーティスがドラム・ストゥールに坐った、というオマケもつき、最後に、エルヴィス・プレスリーのビルボード・チャート・トッパーというとどめがあるのだから、なんともはや、じつににぎやかなことです。

エルヴィスのカヴァーだって、クリーンとはいえず、ナスティーであったのがヒットの理由のひとつでしょうが、オリジナルになると、一段とナスティー度が高く、すげえな、と思います。まあ、日本ではあまり好まれないタイプのサウンドですが。

ジョニー・オーティスの歴史的重要性は、彼自身のバンドのパフォーマンスより、上述のように、セントラル・アヴェニューにバレルハウス・クラブを開き、多くの才能を見いだしたこと、また、週末のダンス・ナイトで彼らに活躍の場を与え、R&Bの勃興をうながしたことにあります。

それを確認、強調しておいたうえで、さらにいくつか音を並べます。

Johnny Otis - Ain't Nuthin' Shakin'


この時期のジョニー・オーティスのシンガーはだれかわかりませんが、さすがはセントラルにこの人ありといわれた伯楽、なかなかけっこうなレンディションです。むろん、バンドのパフォーマンスも味があります。

ギターが非常に魅力的なプレイをしていますが、調べてみると、知らないプレイヤーでした。jazzdisco.orgのサヴォイ・レコード・ディスコグラフィーの該当項目をコピーします。

Johnny Otis And His Orchestra
Lee Graves, Don Johnson (tp -2/5) George Washington (tb -2/5) Lorenzo Holden, James Von Streeter (ts -2/5) Walter Henry (bars) Devonia Williams (p) Gene Phillips (Hawaiian g -2/5) Pete Lewis (g) two unknown (g -1) Mario Delagarde (b) Leard Bell (d) Little Esther, Redd Lyte, Junior Ryder (vo -2/5) The Robins: Ty Terrell (tenor vo) Roy Richards, Billy Richards (baritone vo) Bobby Nunn (lead bass vo) (vocal group -2/5) Johnny Otis (dir -1, vib, d -2/5)
Los Angeles, CA, November 10, 19491. SLA4443 Boogie Guitar Savoy SJL 2230
2. SLA4444-3 Ain't Nothin' Shakin' Savoy 731
3. SLA4445 There's Rain In My Eyes Savoy 752, SJL 2230
4. SLA4446-1 Hangover Blues Savoy 787; Regent 1036; Savoy SJL 2230
5. SLA4447-2 Get Together Blues Savoy 824

ということは、この曲のヴォーカルはジュニア・ライダー、ギターはピーター・ルイス(といっても、むろん、モビー・グレイプのピーター・ルイスではない。あちらはこの曲が録音された1949年にはまだ四歳!)ということのようです。

ジョニー・オーティスのプロデューサーとしての代表作はこれではないでしょうか。エタ・ジェイムズもオーティスが世に送り出したシンガーのひとりです。ジョニー・オーティス、ハンク・バラード、エタ・ジェイムズの共作。

Etta James - Wallflower (Roll with Me Henry)


あたしと転がろうよ、ヘンリー、というタイトルが示すように、セックスの暗示が強すぎて問題になった曲ですが、続編やらアンサー・ソングやら、いろいろなものが生まれて、R&B勃興記を代表する楽曲のひとつとなりました。

1950年代後半、ジョニー・オーティスはキャピトルと契約します。白いものばかりつくっていたキャピトルが、黒っぽい方面の音がほしくなり、少なくともバンド・リーダーは黒人ではないジョニー・オーティス・ショウは、このレーベルに好都合だったからではないでしょうか。

キャピトル時代のジョニー・オーティスの録音では、しばしばアール・パーマーがドラム・ストゥールに坐りました。ギターがジミー・ノーランであったり、サックスがジャッキー・ケルソーであったりと、なかなか興味深い名前が並んでいます。

Johnny Otis - Good Golly


大丈夫、これはアール・パーマーのプレイにちがいありません。ジョニー・オーティスはドラマーとして出発しますが、のちにはしばしばヴァイブラフォーンをプレイしています。この曲にはヴァイブが入っているので、オーティスはそちらをプレイしたのでしょう。

人生、いろいろあるので、赤の他人に簡単にまとめられたくはないでしょうが、回想記も読んだ人間としては、結局、死の床で、面白かったなあ、もうちょっと遊びたかったなあ、とつぶやいたのではないか、と想像します。精一杯、楽しむだけ楽しんだ九十の大往生だった、と傍目には思えます。

ジョニー・オーティスに合掌。


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ジョニー・オーティス
Midnight at the Barrelhouse: 1945-57
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ジョニー・オーティス
The Greatest Johnny Otis Show
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ジョニー・オーティス
The Capitol Years
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ウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントン
Ball N' Chain
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エタ・ジェイムズ
Complete Modern & Kent Recordings
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書籍
Midnight at the Barrelhouse: The Johnny Otis Story
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by songsf4s | 2012-01-20 23:57 | 追悼
玉木宏樹、別宮貞雄のご両所を悼む
 
作曲家、ヴァイオリン奏者の玉木宏樹氏が亡くなったそうです。氏については、当家では以下の二つの記事でふれています。

玉木宏樹「日活での凄い体験」(『猛毒!クラシック入門』より)

玉木宏樹「ストラディヴァリは本当に名器?」(『猛毒!クラシック入門』より)

ツイッターでは、ほんのひと月かふた月ほど前にツイートしていらしたので、ちょっと驚きました。何度か体調が悪いとツイートなさってはいたのですが。

映画TV関係では、この曲がいちばん好きでした。

大江戸捜査網


こういうことはままあるのですが、もうおひとり、当家では『マタンゴ』のスコアを取り上げた、作曲家の別宮貞雄氏もお亡くなりになったそうです。

タイトル・テーマ by 別宮貞雄 (OST 『マタンゴ』より)

クリップも貼りつけておきます。

別宮貞雄 - マタンゴ


お二方ともクラシック音楽のほうで活躍なさっているので、映画音楽は手すさびにすぎず、そういうものを云々されるのはやや不本意かもしれませんが、人の生きたあとというのはいかんともしがたいもの、そうした脇筋の縁でこうして追悼する人間もいるということでご容赦願います。

『血槍富士』の記事をほぼ書き終え、そろそろアップしようかというところで訃報を読んだため、なんの準備もない雑駁な追悼になってしまい、お亡くなりになったお二方とお客さん方にお詫び申し上げます。

改めて合掌。

なお、追悼の意をこめて、玉木宏樹氏がスコアを担当された日活映画を遠からず取り上げるつもりでおります。


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by songsf4s | 2012-01-13 23:52 | 追悼
追悼・木村威夫 鈴木清順監督『悪太郎』その2

ときおり、アクセス・キーワード・ランキングのことにふれていますが、今月のトップは当家の名前そのまま、2位以下は「how high the moon 歌詞」「beyond the reef 歌詞」「アール・パーマー」「お座敷小唄 楽譜」(楽譜は提供できず失礼。しかし、あれはシンプルな3コードかなにかなのでコピーは容易かと)「シャドウズの紅の翼」「i put a spell on you 意味」といった感じです。

また今月も、このあと8位に「芦川いづみ」、10位に「赤木圭一郎」があるのがちょっとした驚きです。以前にも書きましたが、このキーワードで当家にたどり着くには何ページも見なければいけないでしょう。ブックマークの手間を省くのであれば、「芦川いづみ 乳母車」とか「赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる」ぐらいの狭め方をしたほうが、より短時間で当家にたどり着けるのではないかと、老婆心ながら申し上げておきます。まあ、どちらのキーワードをお使いの方も、芦川いづみ、赤木圭一郎の大ファンでいらっしゃるのでしょうから、途中でいろいろなところを見ながらいらっしゃるのかもしれず、よけいなお世話かもしれませんが。

◆ 日本間の夏 ◆◆
『悪太郎』は、今東光の自伝的小説を原作にしたもので、作者自身と主人公・紺野東吾(山内賢)をぴったり重ねてよいのなら、主人公の旧制中学時代を描く映画『悪太郎』の時代設定は大正初年とみなすことができます。



紺野東吾は恋愛問題で神戸の中学を諭旨退学になり、東京の中学にはいるつもりだったのが、母の考えで豊岡中学に編入されてしまい、この地方都市での主人公の暴れぶりと恋愛を描いたのが『悪太郎』と簡略にいうことができるでしょう。

当然、のちに大々的に前面に出てくることになる、鈴木清順の大正趣味の萌芽がここにあります。鈴木清順や木村威夫は今東光よりずっと若いのですが、ひるがえってわが身を考えれば、同世代の作り手より、一回りから二回り年上の人間がつくったものの影響を受けたわけで、鈴木清順は今東光の読者だとはいわないまでも、その描く世界を身近なものに感じられたのでしょう。木村威夫にしても大正生まれなので、その点は同じだったのだろうと推測できます。

大正趣味かどうかはしばらくおくとして、最初にいかにも木村威夫らしさを濃厚に感じるのは、主人公・山内賢が母・高峰美枝子(木村威夫は「まだ色香があって」と賞賛している)につれていかれた豊岡中学校長・芦田伸介の家の居間です(がんばってみたのだが、エアチェックしか入手できず、画質劣悪、残念ながらセットのディテールは不分明)。

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左端は芦田伸介、ひとりおいて山内賢、葭戸の影には高峰三枝子。

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同じセットをべつの角度から撮っている。背中を向けているのが高峰三枝子。

以前、『乳母車』の美術 その2という記事で、宇野重吉、山根壽子、芦川いづみの親子が暮らす鎌倉の邸宅の日本間のデザインをとりあげました。

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こういう葦簀張りの障子といった塩梅の建具は「葭戸」といい、もちろん、夏のあいだしか使わないものだそうです。細い葦の枝を並べて障子のようにしてあるのでしょう。これを使うと格式のある味が出せるので、木村威夫は『乳母車』の鎌倉の邸宅同様、この豊岡中学校長宅にも葭戸をもってきたのでしょう。

このふたつの部屋はタイプがちがうのですが、それでもやはり、同じ美術家がデザインした共通のムードがあります。木村威夫の『映画美術』のおかげで、美術を中心にして映画を見る習慣がつき(もちろん、もともとバックグラウンドが気になる人間だったからだが)、セットの味わいがいくぶんか理解できるようになったような気がします。

◆ 衣裳による時代の表現 ◆◆
山内賢は、芦田伸介の子どもをつれて川遊びに行こうとした途次、二人の女学生、和泉雅子と田代みどりに出会います。

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こちらはスティル。じっさいにはこのように四人がみなレンズに顔を向けているショットはない。

われわれ観客の目には、いかにも大正時代の女学生という容子に見え、日傘というのはけっこうなものだと思うだけですが、このシーンについて、木村威夫美術監督はつぎのようにコメントしています。

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当然ながら、日傘だって、着物だって、そこらにあるものを適当に選ぶなどということはありえず、ある意図のもとに選択されているわけで、だからこそ、ある時代のムードとか、ある人物のキャラクターといったことが視覚的に観客に伝わってくるのでしょう。

「ガス銘仙」というのは、「ガス糸」で織った銘仙という意味です。糸をガスの炎の上を素早く通過させ、毛羽を焼き落として滑らかにする加工法を用いたものは、素材のいかんにかかわらず、みな「ガス糸」というようです。

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また、銘仙とは、

「絹織物の一種。江戸時代、天保の改革(1841)ころから玉紬を軸に秩父(埼玉県)や伊勢崎(群馬県)の太織(ふとおり)からつくられたもので、明治以降第2次世界大戦までの日本人の衣料に欠かすことのできない織物であった」

と百科事典にあります。念のため。

このシーンでは、鈴木清順は和泉雅子の顔をほとんど見せません。ファースト・ショットは背後から日傘の動きを見せ、子どもと出会って挨拶するのも背後からのショット、角の向こうから山内賢が姿をあらわすと、切り返して和泉雅子と田代みどりを正面から捉えるのですが、和泉雅子のほうは恥ずかしがって、顔を見せそうになったとたん、向こうを向いてしまいます。

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このショットで、背中を向けてとっとと歩く和泉雅子の歩行のリズムがいい。

なんだか、『エイリアン』でモンスターのすがたがなかなか見えないようなぐあいで、和泉雅子はこのシークェンスではついにはっきりと顔を見せることはありません。現代的感覚では、町で同年代の少年と出会ったからといって、少女が恥ずかしがって元来た道を引き返してしまうなどというのは奇異ですが、鈴木清順の世代にとっては、昔だったらおおいにありうる自然なふるまいだったのかもしれません。

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川のシーンのあと、自宅の外で山内賢と子どもの話声が聞こえ、和泉雅子はオルガンのまえから立ち上がって窓際にいく。ここでやっとヒロインの顔が見えるのだが、格子が影を落として、これまた「はっきりと見える」とはいえない。どう考えても意図的な演出。

◆ 「現実音」としての歌声 ◆◆
映画評論というのは音楽に冷たいもので、一流作曲家のスコアでも、よほど違和感があったりしないと言及すらしなかったりします。まして、劇中で俳優が歌う小唄の切れっ端など、なかったものにされるのがつねです。

上記の和泉雅子と田代みどりの歌もなかなかいい味で、こういう演出と、いかにも昔の女学生らしい二人の自然な歌いぶりはおおいにけっこうです。

さらにいいのは、子どもをつれて川に出た山内賢が艪をこぎながら口ずさむ歌です。よくあるオーケストラの伴奏が流れて、「どこにそんなバンドがいるんだ」とむくれながらも、「まあ、映画の決めごとだから」と我慢するようなものではなく、ごく自然にア・カペラで歌っていることもけっこうですし、ピッチをはずさずに歌っていることも、かといって、妙にうますぎることもなく、ちょっと歌える子どもが自然に歌っている雰囲気になっていて、非常にいい歌の使い方です。こういう「小さな演出」をし、それを成功させているからこそ、全体としてグッド・フィーリンのある映画が生まれるのだと思います。

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あといくつか面白いデザインがあるので、もう一回『悪太郎』をつづけさせていただきます。

たんなるオマケにすぎず、『悪太郎』に直接の関係はないのですが、この映画のヒーローとヒロインのデュエットはいかが?

二人の銀座

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by songsf4s | 2010-03-28 15:12 | 追悼
追悼・木村威夫 鈴木清順監督『悪太郎』 その1

このところ、昼間歩くことがなく、今日、久しぶりに出かけたら、いやもう百花繚乱。下を見れば花ニラ、菫、姫踊り子草、ヒメツルソバ、菜の花、雪柳が満開、上を見れば白木蓮、木蓮(早い株なのだろう)、辛夷ときて、染井吉野も三分から五分と、大変な騒ぎです。花ではありませんが、諸処の生け垣の黒鉄黐も赤く芽吹き、わが家では海棠と鈴蘭水仙が咲きはじめました。

昨夜、オークション出品を終えたあとで、この三日ほどちびちび再見していた鈴木清順の『悪太郎』を見ました。あと15分でおわりというところで、用事を思いだしてブラウザーを起動し、検索しました。まったくべつの事柄を検索していたのですが、結果を眺めていて、木村威夫、美術監督、享年九十一の文字が目に入り、すぐさま新聞サイトで確認しました。

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昨年亡くなったわが亡父が1921年生まれ、木村威夫は1918年生まれなのだから、一大意外事にはなりようがないのですが、九十をすぎて初監督作品を撮るような人なので、なんとなく百まで生きそうな気がしてしまい、この死は思いがけないものになりました。

◆ 木村威夫記事一覧 ◆◆
これから何回かにわたって木村威夫の仕事を見ていくつもりですが、そのまえに、当家の記事のなかで木村美術にふれたものを列挙しておきます。ほんの刺身のつま程度でふれたものは省き、古いものから新しいものという順で並べてあります。

東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その1)

東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その2)

『東京流れ者』訂正

Nikkatsuの復活 その2

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その1

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その2

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その3

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その4

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その5

『真白き富士の嶺』および『狂った果実』の補足+『霧笛が俺を呼んでいる』予告篇のみ

霧笛が俺を呼んでいる』 その1

『霧笛が俺を呼んでいる』その2 バンド・ホテル

『霧笛が俺を呼んでいる』 その3 突堤と病院

『霧笛が俺を呼んでいる』 その4 「バンド」と日本

『霧笛が俺を呼んでいる』 その5 木村威夫タッチのナイトクラブ

『霧笛が俺を呼んでいる』 その6

『霧笛が俺を呼んでいる』 その7

鎌倉駅と『乳母車』(石原裕次郎、芦川いづみ主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)

いやはや、ずいぶん書いたものです。映画関係者では、もっとも頻繁に言及した人物だと思います。

◆ 二人の挑発者 ◆◆
木村威夫が美術を担当した映画は二百数十本におよぶそうです。それだけの数があっては、木村威夫著・荒川邦彦編の大著『映画美術 擬景・借景・嘘百景』をもってしても、とてもひとつひとつの映画について細かく言及するわけにはいきません。ごく一部の重要な映画だけを取り上げています。

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鈴木清順作品であっても、ディテールについて言及しているのはほんの一握り、そのなかの一本はすでに取り上げた『東京流れ者』です。これは「映画美術開眼」ともいうべき作品だそうで、なるほど、クラブ〈アルル〉は、いかにも木村威夫らしい大胆不敵な挑戦的デザインでした。

『悪太郎』は、鈴木清順、木村威夫という、二人の大胆不敵なチャレンジャーが最初に出会った映画です。この映画を最初に見たのは1972年、池袋文芸座地下での鈴木清順シネマテークでのことでした。じつは、それっきりで、再見することはなく、今回が二度目でした。

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いや、つまらないから再見しなかったのではありません。72年のシネマテークのときは、たしかに、プログラムを見て、これはぜひ見たいわけでもないから(アクションものではないし、キャストにも惹かれなかった)、睡魔に襲われたら寝てよし(オールナイトなので)という気分で見ました。

しかし、これが予想外に面白い映画だったし、まだ十八歳だったわたしは、和泉雅子もいいじゃない、とその気になってしまいました。いやはや。浅丘ルリ子一辺倒だったわたしは、このシネマテークで松原智恵子や和泉雅子の贔屓になりました。清順を見るはずが、女優を見たようなものです。でも、『殺しの烙印』で南原宏治もすごいなと思いました。

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なんとかまとまりのある文章を書けるのではないかと思ってはじめたのですが、今日はセ・リーグの開幕などもあって、あまり時間をとれず、そろそろタイム・アウトです。例によって最初は予告篇程度、次回から本格的に『悪太郎』を見ようと思います。

いま、また検索して、訃報ではなく、すこしは意味のある追悼記事が見つかりました。木村威夫の人物が多少とも伝わってくる記事はこれくらいしかありません。また、『刺青一代』や『肉体の門』といった重要な映画に言及したのもこの記事だけです。


映画美術―擬景・借景・嘘百景
映画美術―擬景・借景・嘘百景
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by songsf4s | 2010-03-26 23:38 | 追悼
玉置宏没す

司会者の玉置宏氏が亡くなったそうです。享年七十六。まだいくらでもご活躍できた年齢で、じつに残念なことです。

歌謡番組の司会者として一世を風靡したのは、ある年代以上の方々には常識で、訃報もそちらのほうに重心のかかったものが多いようです。

いっぽうで、落語をはじめとする演芸に造詣が深く、そちらの方面でも活躍なさったので、氏が館長を務めた「横浜にぎわい座」の地元紙「神奈川新聞」の追悼記事は、そちらのほうに力点がおかれています。

もっとも詳細で、他紙が無視した事情にも言及しているのは、「日刊スポーツ」の「玉置宏さん死去、著作権問題でも心労」という記事です。わたしも、ほんとうの死因は、この記事がいうように「心労」だろうと思います。それだけに、無性に腹立たしく思います。

◆ 幼稚な放送局と大人の司会者 ◆◆
玉置宏氏が司会をつとめたNHK第1放送の「ラジオ名人寄席」は、わたしにとっては「最後に残ったラジオ番組」でした。ラジオをあまり聞かなくなってからも、この番組だけは毎回熱心に聴くだけでなく、最初はテープで、その後はPCで録音をしました。そういう落語、演芸ファンは日本中におおぜいいらっしゃることでしょう。「最後の孤塁」でした。

それが一昨年のいつだったか、突然、打ち切りになり、そのあとで、TBSが権利をもつ音源を無断で放送に使用したため、その責任をとったのだという記事を読みました。

もちろん、玉置宏氏に落ち度はあったのでしょう。でも、そんなおおごとにせずに、NHKとTBSのあいだで話し合い、内々に済ませることだってできたでしょうに、なんと幼稚で愚劣なトラブル処理だと、心底腹が立ちました。

TBSは玉置宏氏からの弁済金1300万円が必要なほど貧乏なのでしょうか? あれほど放送界に尽力した人に対して、放送局がそういう仕打ちをするとは、信じがたいことです。謝罪を求め、それですませるのが、まともな大人でしょう。

噺家がほんとうにいいのは還暦をすぎてからです。玉置宏氏の話芸も、やはり近年のほうが好ましいと思っていました。TBSの問題がなければ、もっとずっと長生きし、いよいよ味のある話で「ラジオ名人寄席」を楽しい番組にしてくださったでしょう。腹立ちは収まりませんが、多くの録音が残ったことで、良しとしましょう。ご冥福をお祈りします。
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by songsf4s | 2010-02-13 23:47 | 追悼
双葉十三郎没す

なにしろテレビは見ない、近ごろは新聞すらあまり読まない、ラジオをちょっときくだけ、という人間なので、知るのが遅くなりましたが、双葉十三郎氏が昨年12月12日に亡くなったそうです。一カ月以上もたって公表されたようです。享年九十九。12月12日というのは、小津安二郎と同じ命日です。

九十九ともなれば、まさしく大往生、赤飯を炊き、通夜は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになるという年齢です。したがってお悔やみをいうのは無粋、大往生、まことにおめでとうございました、とお祝い申し上げます。

昨夜、『映画の学校』を引っ張り出し、拾い読みをしました。「日本映画月評一九四八-一九四九」「ヴィンセント・ミネリ『バンド・ワゴン』」「『冒険者たち』を讃える」などです。

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訃報には書かれないかもしれないから、『映画の学校』巻末の小林信彦との解説対談でご本人が説明している、「双葉十三郎」という筆名の由来を書いておきます。言葉遊びなのですが、かなりもってまわっているので、説明されないとわかりません。考えたい方は、ここで立ち止まってお考えあそばせ。

では説明します。これは「トム・ソーヤー」をもじったものなのだそうです。ソーヤー→ソーヨー→そうよう→双葉。おわかりか? トム→トミー→とう+み→十三。よろしいあるか?

当時は、ペンネームをたくさんつくっては捨てていて、「双葉十三郎」も当初は使い捨てのつもりだったのが、はからずも長生きしてしまい、捨てられなくなったのだそうです。名前の運命は人の運命のごとし。

◆ 「日本映画月評一九四八-一九四九」から六十年 ◆◆
昨年、双葉十三郎の『日本映画ぼくの300本』という新書版の本を読みました。当然ながら、「世紀の映画雑言集」ともいうべき「日本映画月評」が思いだされます。

正直にいうと、『日本映画ぼくの300本』は拍子抜けでした。連載の冒頭に「雑言」を書くと宣言している「日本映画月評」から180度転換したといいたくなるほどで、やはり人間、九十ともなるとおだやかになるのだな、と感心してしまいました。

いやまあ、この本はいいものだけを選んだので、「雑言」がなくて当然なのですが、それにしても、「日本映画月評」では「悪くない」ぐらいのほめ方だったものが、ずっと点が甘くなっています。

「日本映画月評」の時点では日本映画界が隆盛だったから「雑言」をいえたのであって、『映画の学校』の時点(1973年)ですでに「いまでは書けない」といっています。そういうものかもしれません。

「日本映画月評」はじつにきびしいレヴューで、よくここまで書いたものだと呆れます。広告出校停止という、もっとも普遍的な圧力の恐れがない媒体であると明言していますが、圧力をかけるのは広告主ばかりではないので、やはり胆力なくしてはできないことです。

「日本映画月評」では、小津安二郎については、『晩春』は賞賛していますが、『風の中の雌鶏』と『宗方姉妹』はズタズタです。まあ、妥当だと思います。黒澤明の『酔いどれ天使』の混乱を的確に指摘しているところなどは、「さっすがー」と感嘆します。わたしは「この映画、なんかおかしいぜ」と思っただけで、なぜおかしいのか、言語化することができませんでした。

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小津も黒澤も切り裂いてから60年、『日本映画ぼくの300本』は、なんというか、孫や曾孫はみな可愛いくてしかたがないという好々爺の、300人の孫の自慢話のようなものでした。いや、それが悪いといっているわけではありません。

「日本映画月評」は二年しかつづかなかったので、その前後の小津安二郎をどう考えていたのか気になりました。『日本映画ぼくの300本』では、もっとも愛おしい監督、という扱いですね。小津安二郎晩年の、いわば老人の手すさびのような工芸品的映画(『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』)も、いくぶんかの留保をつけながらも賞賛しています。とにかく小津が好きなのだ、という調子です。

なんだか、気持がよくわかりすぎて、わたしも九十九歳になったのかもしれないと思ってしまいます。昭和二五年には、小津安二郎など洟垂れ小僧にしか見えなくなる大監督が、やがて出現する可能性がまだ残っていました。だから『晩春』を賞賛するいっぽうで、『風の中の雌鶏』を完膚無きまでに切り裂くことができたのです。

でも、現在では、小津安二郎は、なんというか、二度と建造できないピラミッドのような存在になってしまいました。「ああ、あそこにまだ貴重なピラミッドが残っている、これを未来にまで保存しなければ」というとき、これから新たにピラミッドをつくることなんか考えないでしょ? そういうことです。

まさか自分が九十九まで生きるとは思いませんが、たとえあと十年生きたとしても、双葉十三郎がたどったように、どんな映画にも美点を発見する方向へとシフトするのかどうか……。


なお、当家で双葉十三郎あらわすところの文章に言及したのは、以下の二篇の記事です。

「番外篇 双葉十三郎『ぼくの採点表II 1960年代』」

「Voyage to the Bottom of the Sea (「原子力潜水艦シービュー号」)TV OST」

検索すれば、ほかの記事も引っかかりますが、それは軽い言及にすぎません。いずれ機会があれば、また『ぼくの採点表』から引用するとしましょう。

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by songsf4s | 2010-01-18 23:55 | 追悼
サーチャーズ Everybody Come Clap Your Hands の補足

予告した時刻はすぎてしまったので、以前やった「ライヴ更新」なるものをまたやろうかと思いましたが、予告せずにやっても、ほんの一握りの方しか気づかないので、やめておきます。

今日、ではなく、日付のうえでは昨日、黄金光音堂のほうを更新し、エリー・グリニッチ追悼 その6 サーチャーズ“エヴリバディー・カム・クラップ・ユア・ハンズ”(Everybody Come Clap Your Hands)なる記事をアップしました。

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都合があって、あちらではあまりサンプルへのリンクを張りたくないため、こちらにサンプルをおきます。

Everybody Come Clap Your Hands
サンプル サーチャーズ
サンプル ムーディー&ザ・デルタズ

アメリカではノン・ヒットなので、ご存知ない方のほうが多いでしょうが、いかにもサーチャーズらしい(この曲が収録されたアルバムのタイトルがSounds Like Searchers!)レンディションで、彼らのサウンドがお好きな方ならお気に召すでしょう。

ムーディー&ザ・デルタズのオリジナルのほうはほんのりサザン・ソウル味があり(だからデルタズなのだろう)、これはこれで楽しめます。

◆ トミー・テデスコ三昧 ◆◆
用件は終わったので、ここからは無駄話を少々。オオノさんの「YxxTxxxを聴こう」でトミー・テデスコの2枚のLPのサンプルが公開されていることは何度かふれましたが、こんどはキムラさんのAdd More Musicで、50ギターズ・シリーズが久々に更新され、ついに20枚に到達しました。

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50ギターズのリードもトミー・テデスコなので、オオノさんのLPリップ2枚と合わせて、現在、わが家のQCDプレイヤー最新ヴァージョンのほうには、トミー・テデスコの3枚のアルバムが載っています(QCD旧ヴァージョンのほうはエリー・グリニッチ関係が100曲あまり載せてある)。

どのアルバムも、ニュアンスのちがいはあれ、ラウンジに分類してかまわないノリで、なにか作業をするときのBGMとしてもけっこうで、やっぱり、トミーはいいなあ、と思います。いや、ハリウッドのインフラストラクチャーがすばらしいわけで、総体としてのサウンドは土地の力なのですが。

ここまでのところでは、ライ・クーダーのアルバムJazzの収録曲かと思ってしまう、Honeysuckle Roseがいちばん気に入っています。そのつぎのSamba De Orfeuもけっこうな出来です。

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50ギターズのほうはまだちゃんと聴いていないのでなんともいえませんが、とりあえず、Armen's Themeあたりがいい雰囲気だと感じています。

こういうものが手軽に聴けるのだから、ウェブはありがたいですな。どちらも、右のFriendsリンクから行けます。Only a click awayなのだから、まだの方はぜひお聴きあれ。
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by songsf4s | 2009-09-23 00:46 | 追悼