カテゴリ:去りゆく夏を惜しむ歌( 6 )
熱波と海の混雑もいまや昨日のニュース ドリフターズのI've Got Sand in My Shoes
タイトル
I've Got Sand in My Shoes
アーティスト
The Drifters
ライター
Arthur Resnic, Kenny Young
収録アルバム
Golden Hits
リリース年
1964年
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ほんとうにそうなるかどうか知りませんが、猛暑も今日までとのことなので、それを信じて、夏の終わりの歌を締めくくろうかと思います。いや、たとえ暑さが続いても、夏の終わりの歌には困らないので、よんどころなければ、締めくくらなかったことにしてしまいますが!

夏の終わりは作詞家のイマジネーションをおおいに刺激するものらしく、歌詞のよくできた曲が多いのですが、本日のI've Got Sand in My Shoesも、いかにも昔のプロフェッショナルらしいつくりで、ビートルズ以降の時代とは一線を画す、端正なスタイルで書かれています。

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左からニール・ダイアモンド、ジェフ・バリー、エリー・グリニッジ、そしてI've Got Sand in My Shoesのプロデューサー、バート・バーンズ。ニール・ダイアモンドは、バーンズの会社Bangレコードのアーティストだった。

オリジナル記事 I've Got Sand in My Shoes by the Drifters

どんな分野でもそうですが、小さなアイディアの核をつかむことさえできれば、プロはうまく展開するものです。海に遊びに行ったときに履いていたデッキシューズを、秋になってふと履こうとしたら、砂が残っていた、などという、とくにどうということのない出来事が、じっさいにあったのではないでしょうか。こういう一瞬に、これは歌になる、と気づけば、あとは技術が道を開くでしょう。

サンプル The Drifters "I've Got Sand in My Shoes"

二つのヴァースのどちらにも使われている最後の二行、

The heat wave and the crowds are just old news
But I've still got some sand in my shoes

がこの曲のハイライトで、シングアロングして楽しいラインです。四つのSを並べたところが、音韻的にすぐれていて、口ずさみたくなるのでしょう。

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いまドリフターズを買うなら、2枚組×2セットのGreatest Hits and Moreシリーズが最良だろうが、昔、LPで買ったこのGolden Hitsは、デザイン、選曲、ともに素晴らしかった。これほど「ベスト盤」の名にふさわしいものはめったにないだろう。クライド・マクファーター時代のヒット曲はオミットされているが、それでも、全12曲、すべて出来がいい。

◆ そもそもなぜ靴に砂が入ったかと云えば…… ◆◆
ドリフターズはきっといまでも、なんらかのメンバーで複数のセット(一時期、同時に四種類のドリフターズがアメリカをツアーしていたという伝説がある。どれも海賊版ではなく、名前の所有者が認めた「正規の」ドリフターズだという)がツアーしているのだと思いますが、レコーディング・アーティストとしては、I've Got Sand in My Shoesはほぼ絶壁、つぎのSaturday Night at the Movieが小ヒットして、それでおしまいです。

I've Got Sand in My Shoesは、その直前のUnder the Boardwalkのヒットを受けて、サウンド的にも、歌詞の面でも、続篇としてつくられた曲です。二匹目のドジョウにしては、内容面でも、チャート上でも健闘したといっていいでしょう。

ドリフターズ Under the Boardwalk


近ごろは、わが家の近所にもあるくらいで、ボードウォークなんてものもめずらしくなくなりましたが、海のない土地にお住まいの方は、イメージが湧かないかもしれないので、いちおう写真を貼りつけておきます。

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こういう構造になっていないと「ボードウォークの下で」なにかをしたりはできないのですが、わが家の近所のものはただの海沿いの板道にすぎず、下は浜ではなく海なので、なにもできなかったりします! いや、『ボーン・コレクター』のお祖父さんと孫娘が殺されそうになるシーンのようなものなら撮れるでしょうけれど。

とにかく、このようなところで男女がなんらかの活動をおこなった結果、靴のなかに砂が残り、秋になって、ああ、あのときは○×だったなあ、という感懐を催し、それを歌ったのが続篇であるI've Got Sand in My Shoesだというしだいです。Got it?

ちょっと記憶が曖昧ですが、ダーティー・ハリー・シリーズのサンドラ・ロックがヒロインを演じたもので、ボードウォークが出てきたと思います。と書いておいて、あとで映画を見つけたら、スクリーン・ショットを貼りつけます。

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映画は見つかったので、キャプチャーしてみたが、こんな感じで、暗くてなにがなにやらさっぱりわからなかった! 映画のタイトルはSudden Impactだった。『五瓣の椿』(山本周五郎原作、野村芳太郎監督)か『黒衣の花嫁』(コーネル・ウールリッチ原作、フランソワ・トリュフォー監督)かという復讐譚。

◆ カヴァー ◆◆
わたしと同世代の方の場合、ドリフターズのUnder the Boardwalkがヒットしたときには間に合わず、あとからストーンズのカヴァーでこの曲を知ったというケースが多いかもしれないので、いちおうそちらのクリップも貼りつけておきます。わたし自身は、ドリフターズ盤があれば十分、ストーンズは不要と思いますが。

ローリング・ストーンズ Under the Boardwalk


まあ、初期のストーンズはブラック・ミュージックのコピー・バンドだったので、こういう曲も歌ったのでしょうが、ドリフターズは白人音楽を歌った黒人のグループなんだけどなあ、とブツブツいってしまいます。だいたい、イギリスの連中は日本人と同じで半チクなのだから、云ってもはじまりませんな。

奇妙なことですが、いい曲なのに、Under the Boardwalkのカヴァーは、わがHDDにはこれしかありません。調べてみても、とくに目立ったものはみあたりませんでした。カヴァーしにくい曲とも思えず、不思議なことです。


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The Drifters Greatest Hits and More 1959-1965
Greatest Hits 1959-1965
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by songsf4s | 2010-09-13 23:53 | 去りゆく夏を惜しむ歌
夏の終わりのそよ風は想い出を囁きかける――チャド&ジェレミーのDistant Shores
タイトル
Distant Shores
アーティスト
Chad & Jeremy
ライター
James William Guercio
収録アルバム
Distant Shores
リリース年
1966年
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昔の記事にサンプルをつけていると、しばしば記事そのものを読み返すことになり、ミスやら約束不履行に気づかされます。

一昨昨年の夏、The BeachlesのSgt. Petsound'sというのを聴きたいと書いていたのをいまになって読みました。いやはや、すっかり忘れていました。

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あのときはEMIと揉めたとやらで、どこにも落ちてなくて、聴けませんでした。もうほとぼりも冷めて、というか、冷めすぎてだれの興味も喚ばなくなってしまったくらいですが、思いだして聴いてみました。



というようなものでして、パスティーシュやパロディーではなく、コラージュにすぎません。面白いものがあればサンプルにするのですが、これじゃあねえ……。要するに2枚のアルバムを同時に聴いているようなもので、かなり気持ち悪くなります。サウンド・エディターを駆使し、時間をかけて徹底的にピッチやテンポを揃えたりといった音楽的な操作をやっていれば肯定的な気分になれますが、残念ながら、ピッチもテンポも合っていない、きわめて非音楽的なミックスでした。

◆ A Summer Songの逆襲 ◆◆
さて、前回のA Summer Songに引きつづき、今回もチャド&ジェレミーの夏の歌、Distant Shoresです。

2007年夏のオリジナル記事に委曲は尽くしたので、あまり書くことはないのですが、老人の繰り言のように、しちくどくやってみましょう。

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まずいっておくべきことは、ビルボード・チャートを見るかぎりでは、チャド&ジェレミーの代表作はA Summer Songということになるだろうし、印象としてもそう受け取っている人が多いでしょう。でも、わたしは、チャド&ジェレミーのどの曲が好きかといえば、マイクロセカンドのためらいもなく、Distant Shoresと断言します。

サンプル Chad & Jeremy "Distant Shores"

Distant Shoresは、A Summer Song 2とでも名づけるべき曲で、一作目のヒットの再現を狙いつつ、その欠点の多くを補正してあります。メイジャースケールを弾いただけみたいな単純すぎるイントロはより趣のあるコードに改善され、ヤカンが沸騰するほど馬鹿馬鹿しい歌詞は、我慢できる程度のものに改善されています。

A Summer Songの面白くもなんともないフォーク延長線上単純馬鹿サウンドは、それなりに工夫して音を積み重ねたものになっています。フルート、オーボエはまずまず効果的に使われていますし、50ドルを惜しまずに一瞬だけグロッケンシュピールを入れた努力も買えます。

A Summer Songはプレイヤーがどうこうなどと気にするほどのプレイではありませんでしたが(ドラムのタイムは上々で、バックビートは気持いいが)、Distant Shoresはハリウッドで録音され、いかにもあの時代のハリウッドらしい仕上がりになっています。

ドラムは、だれが聴いてもゲラゲラ笑ってしまうほど、デカデカとしたハル・ブレイン印がペタンと押してあります。こういうタイプの楽曲には不似合いなほど「活躍」しています。ハルだから、ということもできますが、でも、ハルだって叩かないことはしばしばあるわけで、バラッドで強く出たときには、プロデューサーの指示があったからと考えるべきです。

キャロル・ケイさんとあれこれ話していた当時、チャド&ジェレミーのトラックもいくつかやったとおっしゃっていました。確証はありませんが、Distant Shoresのベースも彼女のプレイだろうと思います。ジョー・オズボーンには聞こえません。You came(またはLove came)のところのラインの取り方は、そこへ行くか、とハッとさせられます。ルートを避けるハーモニックなラインの取り方に興趣のあるプレイです。

以上、チャド&ジェレミーを聴くなら、A Summer SongよりもDistant Shoresのほうだ、という弁でした。もちろん、箱船がどうしたとか、キャベツがなんたらとかいう、後期二枚の「アーティスティックな」アテンプトなんか、聴いた瞬間にゴミ箱にたたき込みました。あのあたりは、ハリウッドのエースたちの洗練されたプレイが聴けるのですが、楽曲がゴミばかりだと、プレイを聴く気にもなりません。

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◆ コロンビアのフォークロック路線 ◆◆
「ギター・オン・ギター6 チャーリー・バード、タル・ファーロウ、ハーブ・エリスのSo Danco Samba」という記事で、60年代中期のコロンビア、すなわちCBSのことについて書きましたが、中学一年、すなわち1966年にしばしば聴いていたコロンビアのオムニバス盤は強く印象に残っています。

バーズ Mr. Tambourine ManおよびTurn! Turn! Turn!
サークル Red Rubber BallおよびTurn Down Day
ボブ・ディラン Rainy Day Women # 12 & 35およびI Want You
サイモン&ガーファンクル Sound of SilenceおよびI Am a Rock
ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ Kicks

といったラインアップの、あの時代のCBSの代表的チャート・ヒットを満遍なく拾ったありがたいLPで、「CBSフォークロック・サンプラー」とでも名づけたくなる編集でした。そして、このなかにチャド&ジェレミーのDistant Shoresも入っていたのです。

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モビー・グレイプの8:05など、この文脈にすっぽり収まりそうなものですが、記憶では、グレイプの曲は収録されていませんでした。チャート・ヒットではありませんからね。

紙ジャケ・ブームのおかげで、当時と同じジャケット、同じ収録曲の、日本独自編集盤がずいぶん復刻されましたが、わたしが一枚だけ買うとしたら、このCBSのサンプラーです。こんなもの、復刻する意味がまったくないだけに、理不尽にも、いまいちばん手にとってみたいアルバムです。


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Distant Shores
Distant Shores
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by songsf4s | 2010-09-03 23:55 | 去りゆく夏を惜しむ歌
We Have Something More (Than a Summer Love) by Connie Francis
タイトル
We Have Something More (Than a Summer Love)
アーティスト
Connie Francis
ライター
Jenny Lambert, Mickey Gentile
収録アルバム
Souvenirs
リリース年
1964年

So Nice (Summer Samba)のときに取り上げようとして、放棄してしまったコニー・フランシスの出直しの一曲です。

コニー・フランシスの全盛期は50年代終わりから、60年代はじめにかけてで、このWe Have Something More (Than a Summer Love)がリリースされた1964年、つまり、ビートルズのアメリカ上陸の年には、ほかのヴェテランたちと同様、苦しくなってきていきます。

f0147840_026984.jpgこの曲はシングルのB面(表はバリー=グリニッジのDon't Ever Leave Me)としてリリースされたもので、表はビルボード42位止まりでした。しかし、それでもB面のほうもバブリング・アンダー・チャートに滑り込んでいます。きびしい状態というべきか、さすがはコニー・フランシスというべきか、なんとも微妙です。

ボックスを聴くとわかりますが、キャリアが長いので、はじめのほうと、終わりのほうでは、コニーの発声とスタイルも、バックのサウンドも大きく異なります。わたしがそういう時代に育ったからなのでしょうが、ヒット連発の時期は、歌い方も、サウンドもピンとこず、むしろ、下り坂になってからのほうが納得のいく音作りですし、力を抜いた歌い方もしっくりきます。この曲はそういう方向に転じはじめたときに録音されています。

◆ 元気いっぱいのサヨナラ ◆◆
それではファースト・ヴァース。

The summer's over
And now you're going
But I know that our love won't die
While you're away
A love like ours doesn't happen everyday
"Cause we have something more
Oh we have something more
Than a summer love

夏は終わってしまった、もうあなたはいかなくてはならない、あなたが遠くにいても、わたしたちの愛が死ぬことはない、わたしたちの愛はありふれたものではない、なぜなら、たんなる夏の恋以上のなにかをもっているから、といったあたりの意味です。

f0147840_028075.jpgおわかりのように、状況としては、すでにとりあげたロニー&ザ・デイトナズのI'll Think of Summerの語り手のジェンダーを女性に変えたようなものです。自分で持ち出しておいて、こんなことをいうのもなんですが、よくまあ、飽きずに同じテーマの曲を書いたものだと思います。市場を見渡せば、類似品が山のように積み上がっているのだから、わたしが書く立場だったら、ちょっとひるむだろうと思います。まあ、見るからに不可解な、または、一見すると単純な殺人事件が起きて、明敏な素人探偵、または、鈍重だけれど我慢強い刑事が謎を解く、という話が延々と作られつづけているのと同じなのかもしれません。

この曲が、類似の曲と多少異なるのは、語り手がきわめてオプティミスティックな点です。夏の終わりの別れの曲は、ほとんどがメランコリックなものか、または、恋の終わりを嘆くものです。ロビン・ウォードのWonderul Summerのように、去っていった恋人に「感謝する」というものもありますが、あの「感謝」は嘆きの裏返しで、ちょっと当てつけがましくもあるので、これまた「嘆きの歌」に繰り込んで差し支えないでしょう。

We Have Something Moreのオプティミズムも、Wonderful Summerのような強がりかどうか、その判断はのちほど。

◆ とはいえ、不安はぬぐえず ◆◆
つぎはセカンド・ヴァース。

I will remember
As leaves are falling
The way you held my hand
As we walked in the sand
With every kiss
I'd love you
And we'd understand
That we have something more
Yes, we have something more
Than a summer love

木の葉が散るようになったら思いだすでしょう、砂浜を歩いたときにあなたが手を握ってくれたときのことを、キスのたびに愛を、それでわかるでしょう、わたしたちの愛がただの夏の恋ではないことが。

英語のrememberは、ときおりやっかいな代物に化けます。思いだすという行為を示すのか、記憶しているという状態を示すのか、区別がつかないときがあるのです。形式として、as the leaves are fallingという進行形にくっついて出てきているので、「思いだす」という行為のほうと解釈しておきましたが、どうなんだろうなあ、です。心理的にすとんと腑に落ちるわけではありません。後半も、意味があるわけでもなければ、音韻的にきれいなわけでもなく、中だるみのヴァースと感じます。

◆ するどいビーン・ボール ◆◆
ブリッジに入ります。

And when the winter comes
Another love has faded away
I will be writing you
Telling you how much I love you
More each passing day

「そして冬が来れば、ほかの人への愛は薄れ、わたしはあなたに手紙を書くでしょう、どれほどあなたを愛しているかと、わたしの愛は日々強くなっていると」

ジュリー・ロンドンのWhen Snowflakes Fall in the Summerのところで、ブリッジでは変化球を投げなければいけないと書きましたが、このブリッジはなかなか曲がりがするどく、オッと、とのけぞりました。「another loveとはなに? いったいどこから登場したの?」です。

語り手の女性は、しきりに自分の愛を訴えているのだからして、another loveがいるはずがなく、これは当然、男の側に属すものと考えられます。ということは、お立ち会い、これもやはりハプニングスのSee You in Septemberの真の続篇ということでしょうか? 

f0147840_0304586.jpgロニー&ザ・デイトナズのI'll Think of Summerの女性は、じつはSee You in Septemberで、九月になったら会おうというボーイフレンドに送られて、故郷に帰ってきて、ひと夏の恋をし、また大学に戻っていくのだ、などと、うがったような、馬鹿馬鹿しいようなことをいいましたが、こっちの曲なら、「またまた、すぐに勘ぐるんだから」などと非難を受ける心配はないようです。

ふたとおりに読めると思います。ひとつは、相手に恋人がいることを知りながら、強引に割り込んでいった、というもの。もうひとつは、こちらの可能性は薄いと思いますが、これから離ればなれになり、たとえあなたに新しい恋人ができても、落葉のころにはそれも終わっているだろうから、という意味です。後者は、あまりにもクソ落ち着きに落ち着いていて、可愛げがなさすぎるから、わたしは前者のほうをとります。

だとしても、ここまでの2つのヴァースには、こういうものが飛び出してくる予兆はなく、このブリッジの変化球は、なかなか効果的です。ひと夏の恋ということで、ヒット・エンド・ランを考えていた男に向かって、そうはいかないわよ、これで終わりにはさせないと宣言している、という風にも考えられるわけで、ちょっと怖いですねえ。

◆ 思わず引いてしまうたくましさ ◆◆
最後のヴァース。

So darling hold me
And say you love me
The time is flying by
And now you have to go
But as we say goodbye
I won't cry 'cause I know
That we have something more
Yes we have something more
More than a summer love
A summer love
A summer love

だからダーリン、抱きしめて、愛しているといって、時間はあっという間に過ぎて、あなたはもう行かなければならない、でも、さよならをいうときにもわたしは泣かない、だって、わたしたちには、ひと夏の恋以上にものがあることがわかっているから。

f0147840_0391457.jpgやっぱり、半世紀以上男をつづけてきた人間として、相手の男はすでに逃げ腰にちがいないと断言します。眼鏡ちがいを反省してもいるでしょう。Wonderful Summerのしおらしい彼女のほうがよかった、なんて思っているにちがいありません。これだけ強気でこられると、「あたしゃもう逃げるよ」と、志ん生の泣きが入ります。こんな風になにごとも決めてかかる女性では、いっしょになったらひどい目に遭うに決まっています。

便宜上、この曲は「去りゆく夏を惜しむ歌」に分類しますが、じっさいのところ、あまり惜しんでいないみたいです。時はわたしの味方、最後に勝つのはこっち、という宣言みたいですからねえ。

◆ カンツォーネを放棄したコニー ◆◆
わたしは歌いあげるタイプが苦手で、コニー・フランシスも、すくなくとも初期はそのタイプでした。イタリア系だから、カンツォーネっぽいわけです。いや、イタリア系シンガーは山ほどいるので、そういう分類では、分類したことにならないのですが、コニー・フランシスは、コンチェッタ・フランチェスカというアイデンティティーを長いあいだ保ったと思います。

60年代中盤に入ると、カンツォーネっぽい歌いまわしは時代遅れになっていき、まさにそういう時期に、わたしは熱心に音楽を聴くようになりました。さらっと歌うのが潮流となった時代に、です。典型的なのはビートルズです。彼らはけっして「歌いまわす」ようなことをしませんでした。Yesterdayのときですら、ポールはじつに注意深く、昔風になることを避けています(したがって、この曲のカヴァーの大多数は作者の意図に反したものになっている)。ロックンロールの支配する世界にあっては、バラッドにも、ロックンロール・ウェイ・オヴ・シンギングが適用されたわけです。

子どものわたしには、有名な大シンガーのなかで、もっとも時代遅れに聞こえたのはコニーでした。いや、エルヴィスだって、シナトラだって、ひどく時代遅れだと思っていた子どもの、小学校六年の時の印象ですから、あまりまともに受け取らないでほしいのですが。

f0147840_0324672.jpgしかし、いつもの義務感で、1枚ものベスト盤には収録されない、コニーのオブスキュアなヒットまで全部そろえるのが目的で、ボックスを買ってみて、おや、と感じました。後半、ヒットが出なくなってからがすごくいいのです。「あの古くさいカンツォーネ唱法」と嫌っていたものは、影も形もありません。まったくふつうの歌い方で、運命がひとつちがっていたら、ペトゥラ・クラークの位置に立てたかもしれないと感じました。

つまり、こういうことです。流行歌手なのだから、つねにその時代が要求するものを実現しようとつとめ、また、それができるだけの力があったと。じっさい、改めて聴くと、じつにうまいし、適応力、ヴァーサティリティーがあります。やはり、大歌手なのだと認識を改めました。

◆ ノンヒット=コンテンポラリーというアイロニー ◆◆
サウンドも変化しています。たとえば、Vacation(この曲、取り上げるつもりでチャンスを逸しました。来年の初夏にやります)、Stupid Cupid、Lipstick on Your Collarなどのアップテンポの大ヒット曲を、ほんの数年遅れで聴いた子どもは、低音部の薄さ、ビートの弱さ、ギターの音色とプレイ・スタイルの古さにめげました。

しかし、このWe Have Something Moreは、ガール・グループ風のサウンドで、まあ、そろそろ期限切れの音であることもたしかですが、それほど古くさくもないのです。ニューヨーク録音のせいか、バート・バカラックがプロデュースした、一連のディオンヌ・ワーウィック(ディオーン・ウォーウィックと書きたいところですが)のヒット曲に近い音と感じます。

この曲だけでなく、ボックスのDisk 3の後半からDisk 4にかけては、いい曲、うまい歌、コンテンポラリーなサウンドが目白押しです。わたしと同世代のコニー・フランシス嫌いの方には、有名なヒット曲は避け、この時代のコニーをお聴きなさい、目から鱗ですよ、と強くおすすめします。トニー・ハッチの曲なんか、ほんとうに惜しいなあ、と思いますよ。

Vacationは、できたらとりあげる、ぐらいのつもりでしたが、この曲はぜひとりあげようと決めていたのは、そういうことなのです。
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by songsf4s | 2007-09-10 23:54 | 去りゆく夏を惜しむ歌
I've Got Sand in My Shoes by the Drifters
タイトル
I've Got Sand in My Shoes
アーティスト
The Drifters
ライター
Arthur Resnic, Kenny Young
収録アルバム
Golden Hits
リリース年
1964年
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f0147840_0154981.jpgドリフターズは歴史の長いグループで、ヒット曲も多く、初期にはクライド・マクファーター、その後しばらくはベニー・キングという、ともに独立して名を成したリード・テナーが在籍したことでも知られています。I've Got Sand in My Shoesは、彼らの最末期のヒット曲で、このあと、トップ40に届いたのはマン=ワイルのSaturday Night at the Movieしかありません。

f0147840_019253.jpgドリフターズは、There Goes My Baby以来、長期間にわたってジェリー・リーバーとマイク・ストーラーがプロデュースしていましたが、この時期には二人はすでに自分たちのレーベル、レッド・バード/ブルー・キャットを設立していて、そちらが忙しくなったため、ドリフターズのほうはUnder the Boardwalkから、バート・バーンズがプロデュースをしています。

◆ 破綻のないスムーズな展開 ◆◆
それではファースト・ヴァースから順に歌詞を見ていきます。

Oh the boardwalk's deserted
There's nobody down by the shore
And the ferris wheel ride isn't turning around any more
The heat wave and the crowds are just old news
But I've still got some sand in my shoes

「ボードウォークはひと気がなくなり、もう浜にはだれもいない、観覧車は止まり、熱波と人混みは以前の話になってしまった、でもぼくの靴にはまだ砂がある」といったようなことで、夏のにぎわいが消え、すっかりさびれてしまった海岸の光景を簡潔に描写しています。靴のなかの砂粒だけが夏のなごりだ、という風に落とし込んでくるわけで、プロの作詞家らしい発想と展開です。

f0147840_043356.jpgこのへんは、あざといとも見ることができるので、近年の素人作詞家全盛時代に育った人には違和感のある「うまい展開」かもしれません。わたしぐらいの年代は、プロと素人がモザイクになった時代に育っているので、これはこれで平仄が合っていて、気持ちよく感じます。

つぎはコーラス。パーレンのなかはバック、地はフロントです。

(Sand in my shoes)
Brings memories of the salty air
(Sand in my shoes)
Oh the blanket that we used to share
How we fell in love down by the sea
Comes back to me with the sand in my shoes

靴の砂が潮風の想い出がよみがえらせる、二人でいっしょに使ったあのブランケット、靴の砂といっしょに、海辺で恋に落ちたぼくたちのことが思いだされる、ということを歌っています。ワン・アイディアの歌ですが、ヴァースからここまでの展開はスムーズで、昔のヒット曲らしいと感じます。airをshareで受けるというのも、きれいに決まっています。

つづいて、セカンドにして最後のヴァース

When the water was cold
You would tremble and hold me so tight
And we'd sit on the beach
Just to wait for the stars to come out at night
The heat wave and the crowds are just old news
But I've still got some sand in my shoes

f0147840_0402129.jpg水が冷たかったとき、きみは震えて、きつくぼくにしがみついたっけ、浜に坐って、星が輝きだすのを、夜までずっと待ったこともあった、熱波とにぎわいはもう昔のこと、でも、靴にはまだ砂が残っている、と締めくくられ、コーラスをくり返してフェイドアウトします。

まったく破綻のない、端正な歌詞で、昔はこうだったなあと、ちょっと懐かしくなります。まあ、tightとnightの脚韻の踏み方が、ひどい紋切り型であることもたしかですが。

で、結局、夏が終わって、残ったのは砂と想い出だけ、ということは、彼女はもういないわけですね。夏の終わりの歌の90パーセント以上がここへたどり着いてしまうのは、現実の数字を反映しているのでしょうか?

◆ バート・バーンズ・プロファイル ◆◆
f0147840_145171.jpgこの曲をプロデュースしたバート・バーンズも、多彩なキャリアの持ち主です。いちばん有名なのは、おそらく、Twist and Shoutを書いたことですが、ドリフターズのこの曲の直前のヒットであるUnder the Boardwalk(この曲の続篇としてI've Got Sand in My Shoesは書かれた)、エクサイターズのTell Him、マコーイズのチャート・トッパーHang on Sloopy、ジャニス・ジョプリン盤が有名なPiece of My Heart(オリジナルはアーマ・フランクリン)なども彼が書いたものです。

また、ガーネット・ミムズ、ソロモン・バーク、パティー・ラベル&ザ・ブルーノーツ、バーバラ・ルイス、ゼム(GloriaとHere Comes the Nightも含む。後者はライターもバーンズ。イギリスのデッカにいっていた時代の仕事らしい。ギターはジミー・ペイジとされている)、ゼムから独立したあとのヴァン・モリソンなどをプロデュースした(こんどはイギリスではなく、アメリカ録音。ドラマーはゲーリー・チェスター)ことでも、歴史に大きな足跡を残しています。

f0147840_0484538.jpgさらに、リーバーとストーラーと同様に、Bangレコードというレーベルを設立し、ヴァン・モリソン(Brown Eyed Girl)をソロ・デビューさせただけでなく、ストレンジラヴズ(I Want Candy)、マコーイズ(Hang on Sloopy、Fever、Come on Let's Go)、ニール・ダイアモンド(Cherry, Cherry、Girl, You'll Be a Woman Soon)などのヒット曲も生みだしています。

ハード・ロッキングな曲およびサウンドのほうが得意なのだと思いますが、このI've Got Sand in My Shoesのようにセンティメンタルな曲も、やはりプロですから、べつに不得意ということはなかったのでしょう。盛夏の海でのことを歌ったUnder the Boardwalkの明らかな二匹目のドジョウを狙って、ちゃんと成功したのは、やはり手腕だと思います。

◆ ニューヨーク・ステイト・オヴ・ミステリー ◆◆
ドリフターズはつねにニューヨークで録音していました。ハリウッドとちがって、ニューヨークのものは、いまだにパーソネルが明らかにされないことがほとんどで、わが家にあるドリフターズのLPやCDにも、記載はありません。ニューヨークのセッションがどうなっていたかを知るには、さまざまな断片をつなぎ合わせ、類推をするしかないのです。

f0147840_0511985.jpgこれまでにもっとも頼りにしてきたのは、ニューヨークのエース・ドラマー、ゲーリー・チェスターの教則本、The New Breedに付された彼のディスコグラフィーです。ほかに、たとえば、ドリフターズと同じく、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーが楽曲の提供とプロデュースをおこなったコースターズのベスト盤に付されたディスコグラフィーも、50年代が中心ですし、リーバーとストーラーの記憶にもとづくという欠点はあるものの、それなりにかの地の状況を伝えてくれる貴重な資料でした。

あとは、たとえば、マーク・リボウスキーのフィル・スペクター伝『He's a Rebel』に描写された、スペクターのニューヨーク・セッションのようす、ドラマーに関するものや、その他の書籍などに散見する断片的な情報、要するに人名ですね、そういったものをつなぎ合わせて、ボンヤリとした像を浮かび上がらせていったのです。

f0147840_0542934.jpgリボウスキーのスペクター伝。かまどにくべてしまったほうがいいくらいひどい代物だが、とにかく、固有名詞はたくさん出てくる。プレイヤーの楽器の間違いを数カ所で犯すほど無知な著者だが、初歩的なミスばかりなので、自分で補正しながらデータを拾えばよい。それにしても、よりによってフィル・スペクターの伝記を書いた人間がこれほどひどいライターだったのは、返す返すも残念。「入獄記念」(!)で、音楽ライターではない、まともな書き手(最初にスペクターの短い伝記を書いたのはトム・ウルフ)に決定版を書いてもらいたい。

こうなったのは、おそらく、AFM、アメリカ音楽家組合のNY支部には、古い支払い記録が残されていないからなのだと考えています。逆にいうと、ハリウッドの研究がこれだけ進んだのは、ひとつには、AFMのLA支部(Local 47)に昔の支払い記録が大量に保存されているからです。支払い記録というのは、レコード会社から払われたセッション料金が、いったん組合に集まり、ここから年金積立金を除いた金額が、ミュージシャンに支払われる仕組みだったために、何年何月何日、だれがなんのセッションで、何時間働いたという記録をもとに伝票を切った、その勤務記録のことです。これがあるので、当時の盤には記載されていなくても、あとから、パーソネルを復元することができるのです。

こういうものがあれば話は簡単なのに、ニューヨーク録音のものは、パーソネルが復元されることがめったにないわけで、ということは組合に記録が残っていないのだと推測できます(ついでにいうと、ナッシュヴィルも古い記録がたくさんあるとは思えない)。おかげで、われわれは断片を拾ってはつなぎ合わせるという、賽の河原の石積みのような作業を強いられることになりました。

◆ ヴィニー・ベル登場の波紋 ◆◆
しかし、ウェブの時代のありがたさ、キャロル・ケイやビリー・ストレンジたちと同じように、ニューヨークにも、自分がどういう仕事をしてきたのかを知ってもらいたいと考えるミュージシャンがあらわれました。それが、オオノさんがチャド&ジェレミーのA Summer Songのコメントで紹介されたギタリストのヴィニー・ベルです。

ベルのスタートは、63年あたりと思われ、大活躍をはじめるのは60年代中期からなので、ハリウッドでいうと、ビリー・ストレンジやトミー・テデスコではなく、それよりすこし下、マイク・デイシーやディーン・パークスなどの世代に近いのかもしれません。ドリフターズの全盛期とは時期が重ならないので、ベルのリストには彼らの名前はありませんが、こういう新事実が出るたびに、空白が塗りつぶされ、残ったブランク部分の推測もやりやすくなっていきます。

とはいえ、こういうものが出るたびに、また新たな謎も生まれてしまうのがつねで、コメントに書いたように、いくつか疑問点もあります。ラヴィン・スプーンフルのファンの方は、これを見るとちょっとショックを受けるかもしれませんが、デビュー・ヒットであるDo You Believe in Magicは、すでにゲーリー・チェスターのディスコグラフィーにリストアップされています。今回は驚くようなことではなく、証言が増えただけにすぎません。彼らの盤、すくなくともシングルは、いずれもプロフェッショナルがトラックをつくったと考えるべきだ、というように、一歩前進したわけです。

今後、ニューヨーク録音のトラックを取り上げるときは、チェスターのディスコグラフィーだけでなく、ヴィニー・ベルやバート・バーンズのディスコグラフィーを参照することにします。

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by songsf4s | 2007-09-09 23:55 | 去りゆく夏を惜しむ歌
I'll Think of Summer by Ronny & the Daytonas
タイトル
I'll Think of Summer
アーティスト
Ronny & the Daytonas
ライター
John Wilkin, Buz Cason
収録アルバム
Sandy
リリース年
1966年
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◆ 代表作というアイロニー ◆◆
ロニー&ザ・デイトナズというと、ふつうはG.T.O.が代表作ということになっていて、これはサーフ/ドラッグ系の編集盤に採られたことも何度かあります。しかし、それはいわば「表向き」でしょう。G.T.O.はすでに「期限切れ」の曲で、わたしはまったく好みません(間奏がアコースティックギターだというところが、ナッシュヴィルっぽくって、ほほえましく感じられますが)。そもそも、楽曲自体、どうということのないもので、なにかの勘違い、「時代の気分」でヒットしただけにしか思えません。

f0147840_127416.jpgこういう、「なにかの拍子ヒット」が代表作になったアーティストというのもけっこういるもので、たとえば、トミー・ジェイムズ&ザ・ションデルズなども、いちばん有名なHanky Pankyはゴミ箱いきです。Mony Monyなんて、思いだせば、ああ、あっちのほうがよかった、と思うでしょ? わたしなんか、即座に、Yeah she come down Mony, Monyと歌っちゃいますもん。ヒットしているときはダサいと思っていたCrimson and Cloverだって、Hanky Pankyよりずっとマシ、たいしたヒットではなかったCrystal Blue Persuasionだって、まだしも聴く気になります。一般にストレート・ロッカーが看板になりがちなもので、たとえば、スウィンギング・ブルー・ジーンズといえばHippy Hippy Shakeですが、ああいうスタイルではない、ロッカ・バラッド(Promise, You Tell Her)のほうに佳作があります。

その最たるものが、ビーチボーイズだと思います。Surfin' U.S.A.って、いい曲なんでしょうか? 歴史的意義はあると思いますが、そういうことを抜きにすると、楽曲(なんたっておおむね3コードだから小学生でもすぐに弾けるし、そもそも、ブライアンの曲ですらない)も、プレイも、パフォーマンスも、かろうじて及第点といった程度にしか思えません。

ちょっと彼らの盤を聴くと、ブライアン・ウィルソン(フルネームを書くのは検索エンジンへの配慮にすぎないので、気にしないでね)のプライヴェート&インティミットなバラッドのほうに強く惹かれていくものではないでしょうか。いまは、呆れたことに、Pet Sounds一辺倒の時代なので、話がさらにねじ曲がり、わかりにくくなっていますが、ちょっと前のこと、Pet Sounds Sessionsが出て、猫も杓子もメタル・キッズ(!)でさえもPet Soundsを聴くようになるまえのことを思いだしていただきたいのです。

f0147840_1273468.jpgたとえば、Todayなんて、アップテンポもバラッドも佳作がそろっていて、Pet Soundsに疲れたときなどは、これくらいの複雑さのほうがよかったかもしれない、なんて、Pet Sounds推進運動ウン十年の人間が口にしてはいけないことを思うのですが、Please Let Me WonderやShe Knows Me Too Wellで、「痛切にしんみり」(微妙な形容矛盾失礼)しちゃったときは、もうどうにもならないのですよ。

ブライアンのバラッドには、つねにそういう雰囲気がありますが、この2曲には「夏の終わりの夜の浜辺」といったムードが濃厚にあると感じます。アップテンポの曲は「なにはさておき商売商売、お子様、もとい、お客様は神様です」と愛想笑いを浮かべていますが、しばしばそうしたシングルのB面になったバラッドは、誠実で正直な、だれも聴かなくても俺はこれを歌う、という気持ちが感じられます。

いや、まあ、そんなしちくどいことをいわなくても、夏の終わりになると、やっぱり、いくつかファイルを見つくろってプレイヤーにドラッグしたくなる力が、ブライアンのバラッドにはあるというだけのことです。こういうのを読むと、そうだ、今夜はPlease Let Me Wonderを聴こう、なんて思うんじゃないですか、と暗示をかけておきます。

◆ 真似をするなら裏表 ◆◆
ロニー&ザ・デイトナズのG.T.O.は、ブライアン・ウィルソンのドラッグカー・ソングにあやかったわけで、サーフィンのできないナッシュヴィルのサーフ&ドラッグ・グループとしては、そのハンディキャップをうまく回避したと思います。ここまでなら、ああ、そういう曲もあったね、にすぎず、有象無象ゴミクズカス詰め合わせサーフ&ドラッグ編集盤で手に入れれば十分、もしくは、ぜんぜん手に入れなくてもまったく差し支えなし、です。

デイトナズの面白いところは、「ブライアンのB面」まで真似して、しかも、それをかなりうまくこなしたことです。いや、デイトナズはB面ではなく、A面でやったのですが、それをいうなら、ブライアンだってSurfer GirlやDon't Worry BabyはA面にしたわけで、「ブライアンのB面」というのは言葉のあやです。

というしだいで、デイトナズも、ベスト盤などを買うと、forgettableなG.T.O.のことはすっかりどこかに飛んでしまい、夏の終わりにSandyを聴いてしんみりしたりするようになるのが、多くの人がたどる道のようです。

f0147840_013222.jpg今夜とりあげるI'll Think of Summerは、Sandyにつづく彼らのバラッドですが、Sandyほど強力ではないものの、このブログの都合に合わせてくれたような歌詞で、取り上げずに通りすぎては申し訳ないのです(いや、知らなかったほうがよかったような気もしないでもないのですが)。Sandyは来年の盛夏にでもやることにしますので、一握りのSandyファンの方は、首を長ーくしてお待ちあれ。

◆ See You in Septemberのネガ ◆◆
それではファースト・ヴァース。あくまでも「流行歌」の歌詞なので、そのへんのことはご承知のうえで、ということに願います。音抜きだとちょっと甘すぎるので、よけいな先回りをしておきました。

Summer's gone, but I'll remember
That day we fell in love
The night we cried
And when the cold wind blows
You'll be gone I know
But I'll think of summer
And be warm inside

「夏ももうおしまいだね、でも、ぼくらが恋に落ちた日のことは忘れないよ、ぼくらは泣いた夜のことは、そして冷たい風が吹けばきみはいってしまう、でも、夏のことを考えれば、きっと心は暖かいままだよ」

いや、汗をかくほど甘いですわ、参りました。こういう日本語を書くのも、やっぱり年寄りの冷や水のたぐいでしょう。皮肉屋の年寄りは、ここでハプニングスのSee You Septemberを思いだして、この男の彼女は、こんどは「九月に会おう」といっていた男のもとに帰るのだろうな、なんて、性格の悪さ丸出しの想像をして、ニヤニヤしたりするわけです。年をとると、ほんとうに人生が立体的に見えて楽しくてしかたがありません。これだけの知恵が二十歳のときにあればな、という悔しさもちょっと混じりますがね。このままセカンド・ヴァースに入ると、舌に甘さが残ってくどいので、口直しにちょっとわさび漬けを差し上げたしだいでして、どうかあしからず。

You were mine all through the summer
We shared the golden sun
And the stars at night
So when we say good-bye
I know I will cry
I'll just think of summer
And I'll be alright

「夏のあいだずっと、きみはぼくのものだった、あの黄金の太陽と夜の星々を僕らはいっしょに見た、だから別れをいうときにはきっと泣いてしまうにちがいない、夏のことを想ってなんとかやっていくよ」

いやもうなにも申しません。そういう歌なんです。

◆ セリフ!? ◆◆
でも、これくらいで汗をかいていては、サード・ヴァースにいくまえにあえなくノックアウトです。そのまえに恐るべき焦熱地獄が立ちはだかっているのです。このブログはじまって以来の大ピンチといってもいいほどで、ここから先に進むか、このへんで切り上げて、話をそらすか、いま考慮しているのですが……。結論。日本語は勘弁してもらって、英語だけ投げ出すことにします。なんたって、あなた、セリフなんですよ、そんなもの、日本語にできるなら、あなたがやってみなさいってくらいです。

You know, it seems like just the other day. It was June. I looked in your eyes, I knew all at once my dreams had come true. Oh I guess I thought the summer would last forever. Now you say you're going back to school and we'll have to say good-bye. Well, it's not just good-bye that makes me sad, it's that empty feeling deep down inside that tells me we may never see each other again. So, if I never see you again I won't be blue, I just think of summer and remember you.

f0147840_1291392.jpgポイントとしてはですね、この語り手も、夏が永遠につづくと思っていた、というあたりがあげられます。そこまで非現実的夢想を信じ込めれば、うらやましいようなものです。ふつう、どんなに恋したって、八月の終わりになればさわやかな風が吹き、結局、お正月はコタツで過ごすことになるぐらいのことは承知しているものです。だいたい、夏が適当なときに終わらないと、年寄りはひと夏でみな死んでしまって、社保庁のぐうたらどもを喜ばせるだけじゃないですか。

それから、ここで彼女が行かなければならない理由は、学校がはじまるからと説明されています。やっぱり、See You in Septemberのあいだにはさまっているサイドストーリーだったのですね。忠臣蔵のあいだに四谷怪談がはさまっているみたいな仕掛けです。ちがうって? いや、きっとそうです。そうにちがいありません、ソングライターたちは大南北へのオマージュとして、この曲を書いたのです。

◆ 来年の夏……ふーむ、そりゃどうかなあ ◆◆

So kiss me once more
And say you love me
Then tell me once again
That you'll be true
And it won't break my heart
When we're far apart
"Cause I'll think of summer
And remember you

「だから、もう一度キスしてくれないか、そして、愛しているといってくれ、そしてもう一度、ぼくを裏切らないといってくれないか、そうすれば、遠く離れるつらさにも耐えられるさ、夏のことを考え、きみのことを思いだすから」

なんか、むなしいあがきをしているなあ、と感じるのは、こちらが年をとったせいでしょうか。約束なんていくらでも反故にできるし、約束を守らなかったなどと、すでに赤の他人になった人間を責めたところで、なにも手に入るわけではないのですが、恋する人間というのは、藁にもすがりたくなるということでしょう。藁なんかにすがったってどうにもなるもんかよ、というのは、冷静な第三者の妥当な意見にすぎません。

f0147840_1302029.jpgここまできて、I'll think of summerのwillが気になりだしました。いや、現時点より未来でそのようにするであろう、という意味にすぎませんが、でも、「どの夏」のことを考えるのかは限定されていないということが気になるのです。タイトルもI'll Think of Summerであり、I'll Remember Summerではないのだからして、これはやはり「来年の夏」のことと考えるべきでしょう。夏が永遠につづくと信じたほどの無敵ポジティヴ・シンキングの語り手だから、「つぎの夏」があると信じているのですね。なんぞ知らん、時は過ぎ去り、人の心は移ろい、てえんで、また一曲書けるでしょう。Summer Liesなんてタイトルはいかが? あ、これはダメ、4プレップスの盗作でした。

というわけで、彼女はひと夏のサイド・キックにすぎない暇つぶしを終え、See You in Septemberの世界をリジュームするために、都会の大学へ帰っていきました。どちらかと結婚するとしたら、大学の同級生でしょうね、この避暑地または地元のボーイフレンドには残念なことですが。それから20年後、叔母の遺産を受け取りに故郷に帰った彼女は……くだらないからやめておきます。この馬鹿のつづきは、また、続篇みたいな歌が見つかったときに。

◆ ナッシュヴィルも例外ならず ◆◆
デイトナズの中心人物であり、この曲の共作者であるジョン・バック・ウィルキンは、ナッシュヴィル育ちで、母親はソングライターだったそうです。はっきりしたことはわからないのですが、この曲もナッシュヴィル録音と思われます。

f0147840_01466.jpgこれは、ニック・ヴェネー、例のビーチボーイズをキャピトルに契約させ、しばらく彼らのプロデューサーをやっていた人物が、テレビドラマ『ミスター・ノバック』(ボンヤリ覚えていますが、殺しの起きないドラマは眠ってしまう子どもだったので、ろくに見ませんでした)のサントラ・アルバムにと、ウィルキンたちに依頼したのだそうです。これはインストだったもの(タイトルはSummer Memories)を、のちに歌詞をつけてシングルにしたというしだい。Sandyのようなヒットにはなりませんでしたが、いわゆる「捨てがたい隠れた佳曲」です。

録音メンバーはいろいろとしかいいようがなく、一定したものではなかったそうです。ウィルキンをのぞくツアーバンドのメンバーは録音メンバーとはまったく別個だとか。ナッシュヴィルもやっぱりそうか、と納得しました。

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岩国基地にやってきたデイトナズ。このときのプレイヤーも、センター・マイクロフォンのまえのバック・ウィルキン以外は、録音メンバーとはまったく無関係だとか。昔は、こういう風にアジアの基地をまわるだけのツアーというのがあった。つまり、一般公開のライヴはなし、あくまでも米軍関係者向けのツアー。70年代にもまだそういうものがあり、わたしは横須賀基地のグラス・ルーツのフリーコンサートに行ったことがあるが、雨で機材が濡れるからと、あえなく中止。タダだから、金返せとゴネることすらできず、むなしく帰った。

60年代中期までのハリウッドのグループは、スタジオではプレイしていませんが、いや、言い方が逆ですね、スタジオで働いている人たちは忙しいので、ツアーなんかにはいかず、すべて「代理人」が地方および外国巡業をしましたが、イギリスにもチラッとそういう気配があったり、ニューヨークにもそういう例が見つかったりして(ついでにいうと日本でも)、これは文明世界の常識かもしれないと考えるようになってきたのですが、ナッシュヴィルにもそういう例があると知って、いよいよ確信を深めつつあります。

◆ モノはモノ ◆◆
近ごろの人は、なんでもかんでもステレオ、ステレオといういうようですが、わたしはいつもそういう考え方には反対しています。たしかに2ないし3トラック程度のテープは残されているのですが、当時、モノ・ミックスでリリースされたのはなぜかといえば、はじめからモノにするつもりで録音されたからです。

なぜはじめからモノと決めているかといえば、ベーシック・トラックを録音し、ここにヴォーカルと、たとえばストリングス、ギターなどのオブリガート、パーカッション類などをオーヴァーダブすると、バランスのとれたステレオ・ミックスをすることは不可能だからです。左右のどちらかに音が偏ってしまうのです。

疑問をお持ちの方がいらっしゃるなら、後日、具体的な録音手順を示しながら説明してもいいのですが、とにかく、当時の技術からいえば、バランスのよいステレオ・ミックスをしたいなら、まず3チャンネル以上のテープ・マシンを用意し、すくなくともバック・トラックを一発録りして、この段階でステレオ定位をきっちりおこない、残った1トラックにヴォーカルをオーヴァーダブし、これをミックス・ダウンのときにセンターに定位する、これが3トラックでステレオ盤をつくる方法です。わたしがいっているのではなく、ジョージ・マーティンがいっているのだから、信用なさいな。

f0147840_0392836.jpgサンデイズドによるロニー&ザ・デイトナズのベスト盤には、I'll Think of Summerのステレオ・ミックスが収録されていますが、これも失格ステレオ定位です。大部分は左チャンネルに偏り(こちらを最初の段階で録音した)、ぽっかりガラ空きになった右チャンネルでパーカッション(こちらはあとからのオーヴァーダブ)だけがむなしく鳴っています。こうなるから、ステレオで聴きたいというプレッシャーをかけてはいけないのです。

わが家にあるファンタスティック・バギーズのエドセルによるベスト盤もまったく同じで、あんまりひどいものだから、自分でモノ・ミックス・ダウンしたヴァージョンを聴いています。モノとしてリリースするつもりで録音したトラックは、ちゃんとモノで聴く、これくらいの良識はほしいものです。あとからステレオ・ミックスにしてきれいにバランスがとれるのは、あくまでもモノにこだわったブライアン・ウィルソンのトラックのようなタイプで、こういうのは例外だから、それをすべてに適用してはいけないのです。

またしても寄り道が長くなり、もうひとりの作者、バズ・ケイソンのハリウッド時代のエピソードなどを書く余裕がなくなりました。来年の夏、Sandyをとりあげるときにでも書くことにしましょう。あっ、いかん、他人のことを、来年の夏があると思っているポジティヴ・シンキングのお目出度いヤツ、だなんていうんじゃなかった!
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by songsf4s | 2007-09-05 23:57 | 去りゆく夏を惜しむ歌
All Summer Long by the Beach Boys
タイトル
All Summer Long
アーティスト
The Beach Boys
ライター
Brian Wilson
収録アルバム
All Summer Long
リリース年
1964年
他のヴァージョン
alternate take, vocal only mix
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こんなことは黙っていればわからないのですが、このところずっと迷走状態をつづけていまして、夕食後になって、やっぱり今夜はちがう曲にしよう、などと切り替え、焦りに焦りまくり、日付が変わる直前に強引に更新し、それから写真のアップロードと手直しをするといった綱渡りをつづけています。

今夜も、コメントに書いたように、はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」でいくつもりだったのに、話はずるずると地中にもぐりこんでいき、とうていまとまりをつけられなくなったので、このブログをスタートしたときの予定表に戻って、きわめつけの「夏休みエンディング・ソング」をやります。

サウンド面は、長く複雑な考察を必要とする面倒なところがなく、ドラムがハル・ブレインでもなさそうなので、そのへんの検討は2、3段落で十分そうだし、わが家にはカヴァー・ヴァージョンもないので(オルタネート・テイクはありますが)、そこで泥沼になることもない、ただ、歌詞を検討すればそれで完了という、「一家に一枚、安心の一曲」であります。

◆ メランコリックで軽快、これぞビーチボーイズ ◆◆
それでは、今夜はテンポよく、ヴァースからヴァースへと駆け抜けていきたいと思います。フロントとバックで、コール&レスポンスになるところもあるので、そういうところは、バックの歌詞をパーレンに入れて示しますが、バックがただフロントの歌詞をくり返すだけのところは、その箇所も示さずに、ただ省略します。

Sittin' in my car outside your house
'Member when you spilled coke all over your blouse
T-shirts, cut-offs and a pair of thongs
We've been having fun all summer long

「君の家の外に車を止めているとき、コークをこぼしてブラウスをびしょびしょにしちゃったね、Tシャツ、カットオフ、ゴムサンダル、この夏はずっと楽しかった」

時間がたつというのはありがたいもので、1964年にこれを訳せといわれたら、ちょっと困っていたでしょうが、いまではなんでもありません。アルファベットをカタカナにするだけで通じるのですから。「カットオフ」なんてものは、昔の日本ではだれも穿いていなかったし、したがって、それを指す言葉も知りませんでした。まさか数年後に、自分が古くなったリーヴァイズやリーをぶった切ることになろうとは思いもよりませんでしたよ。

ここでも以前、書いたかもしれませんが、わたしはスロウ・バラッドに対してはきわめて強い耐性をもっていまして、泣き落としにやられることはまずありません。勝手に感情移入してろ、俺はベース・ラインでも聴く、てなもんです。しかし、逆に、アップテンポでいながら、どこかにメランコリーを感じる曲には無茶苦茶に弱くて、コロッとやられてしまいます。

f0147840_23495425.jpgこの曲なんか、夏の終わりの深夜、ガードを下ろしているときなどに、ラジオから流れてきたりすると、思わず落涙しそうになります。いま、訳していてももらい泣き(って、向こうは泣いていないから、「もらう」わけにはいきませんが!)しそうになりました。いったい、なんなんでしょうね、これは。ただ、単語を並べているだけじゃないですか。Tシャツやサンダルのどこに、このわたしめは感情移入してしまうのか、まったく謎です。よくわからないので、Tシャツを眺めながら、もう一度考えてみます。

彼女を送ってきて、車は駐めたけれど、「まだいいじゃん」といって引き留め、車のなかでちょっと悪さをしようと、狭いところで無理な体勢をとろうとしたら、ささやかなバッド・ムーヴの結果(なにをやっていたのやら)、コークの缶を倒すという失策を招いてしまった……こういうことが、恋人たちにとって、たぶん、二人だけのいちばん大事なことなのだと思います。ブライアンはつねに共作者を必要とした人で、自分は作詞家ではないと思っていたふしがありますが、どうしてどうして、こういうことに着目することこそが、すぐれた作詞家の第一の資質です。

◆ 去りゆく夏 ◆◆
以下はコーラスです。

(All summer long you've been with me)
I can't see enough of you
(All summer long we've both been free)
Won't be long til summer time is through
Not for us now!

「夏のあいだずっと、君はいっしょにいてくれた、どんなに会ってもまた会いたくなった、夏のあいだずっと、僕たちは自由だった、でも、その夏ももうじき終わっちゃう、僕らだけはこのままにしておいてくれ!」

f0147840_0124290.jpg受験生は、can't see enough of youなんていう言いまわしについて、いまも英語教師の注意を受けているのではないかと想像します。日本語スピーキング・ピープルの受験生としては、英語スピーキング・ピープルのこういう感覚がいちばん理解しにくかった記憶があります。歌にはよく登場する言いまわしなので、そっちへいったんパラフレーズして、教科書やサブリーダーを理解しようとつとめたものです。

ついでにいえば、not for us nowというのも、地の文としてならともかく、歌詞の形としては訳しにくいラインに感じます。「僕たちだけは例外にしてくれ」なんていうのは、いまどきのなんでもありのJポップはいざ知らず、言葉の響きを大切にする歌詞においては、日本語の歌詞にはなりません。

◆ ソングライターの自己言及メタ構造 ◆◆
では、セカンドにして最後のヴァースへ。

Miniature golf and Hondas in the hills
When we rode the horse we got some thrills
Every now and then we hear our song
We've been having fun all summer long
Won't be long till summer time is through
(Summer time is through)
Not for us now!

このヴァース、ミニチュア・ゴルフは日本ではあまりないし、ビーチボーイズを筆頭に、サーフ・グループのお気に入りだったホンダのミニバイクもべつに好きではないので、シラッと通りすぎ、三行目へ。

f0147840_0143321.jpg「our song」という表現には何度か出くわしていますが(調べずにそらで出てくるのは、バッキンガムズのHey baby, they're playin' our song)、文脈から、僕たちが好きだった曲、二人が気に入っていた曲、という意味になります。夏休みのバックドロップとして、海や山のみならず、音楽もぜったいに欠くことのできないものだったわけで、その結果として、汗牛充棟の夏の歌を相手に、このブログを毎日更新しなければならない事態にはまりこんでいるのです。

いや、恋人たちにとっても、音楽は重要で(カットオフやサンダルと同程度には)、ソングライターとしては、ぜひ、ひと言いっておきたかったのでしょう。もちろん、バリー・マンとジェリー・ゴーフィンのWho Put the Bomp?を連想したりするわけですね。

あとは、これまでに出てきたラインをくり返すだけで、新しい言葉はもう出てきません。なにしろ、2分にも満たない曲ですからね。こんなに楽に終わっていいのだろうかと、キツネにつままれた気分です。

◆ よれよれのトラッキング・セッション ◆◆
サウンドについては、マリンバを使ったことがクレヴァーだという以外には、とくに思うことはありません。とりわけイントロのマリンバ・リックは、それまでに長いストーリーがあり、いちおう、めでたしめでたしの結末を迎えて、画面暗転、タイトルがスクロールしはじめる、といった感じで、ある種の転調効果を生みだしていて、うまいなあ、と思います。こういう効果のあるイントロとしては、ロネッツのBaby I Love You、ホリーズのAin't This a Peculiar Situationをあげておきます。

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ドラムはハル・ブレインではありません。ときおり弟を「揉んで」みたくなるブライアンが悪い癖を出して、サーフィンばかりしていないで、たまにはスタジオで働け、てえんで、デニスの耳をつかんで、海からスタジオまで引っぱってきたのではないでしょうか。いくら初期テイクとはいえ、あんなボロボロの四分三連を叩くプロはいないでしょう。

そもそも、ハル・ブレインがいれば、かならず彼がカウントインするので、声が記録されていますが(ヴェンチャーズでも彼の声が聞こえるものがあります!)、ブライアンがカウントしたり、だれかべつの声が聞こえてくるだけで、ハルの声は聞こえません。

f0147840_025014.jpgいやはや、マリンバもイントロでミスってばかりで、よれよれのセッションです。ベースは、フィンガリングの音ではなく、フラット・ピッキングなのですが、これ、キャロル・ケイなんでしょうか。彼女も調子の悪い日がありますが、ちがうんじゃないでしょうかね。ひょっとしてブライアンかなあ。トークバックの声はチャック・ブリッツばかりで、ブライアンの指示がまったくないことから、そんな想像をしてみたくなります。

これで、よくあの完成品にたどり着いたものだと、むしろ感心してしまいました。テイク数はあっという間に30に到達し、最後はテイク43です。ほとんどがイントロでブレイク・ダウンしていて、最後までたどりついたものは、Unsurpassed Mastersの6巻目ではテイク43だけのようです。これにリズム・ギター(うまい! ベースもこのテイクはグッド・グルーヴ)などをオーヴァーダブして、完成としたのでしょう。

◆ For the Love of Dennis ◆◆
デニス・ウィルソン・ファンとして、ひと言、彼のためにいっておきます。フィルインでは、ご老人が階段で足をもつれさせるようなプレイをしますが、バックビートはけっして悪くありません。ジョン・グェランなんかよりずっと筋のいいドラマーです。

運動神経と運動能力の二つに分けると、デニスは運動神経はよいけれど、運動能力が伴わないタイプ、グェランは運動能力はあるけれど、もともとろくでもない運動神経をしているタイプです。野球選手でいうと、グェランは松井稼頭央。広岡達朗がいう「ボールとケンカする」内野手です。吉田義男みたいに、ボールは卵を受け取るようにフワリと、グラヴに吸い込ませるようにキャッチしなければいけないのです。

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わたしが内野守備コーチだったら、グェランなんか任されても、「あんなもん、鍛えても無駄だ、一生突っ込みつづけて、しまいには頭から棺桶に飛び込むだけさ。それより、俺にデニスを任せてくれ、3年でレギュラーをとらせてみせる」といいます。ああ、それで、ブライアンはあきらめきれず、ときおり、デニスをスタジオに押し込んでいたんですね。

今日は予定より早くゲームが終わったので、試合に関係ない駄話をしてしまいました。どうせついでだから、関係のない写真もおいておきます。The BeachlesのSgt. Petsound'sという、くだらない代物。これ、どこかに音がないでしょうかね。たいしたもんじゃないらしいですが、EMIと揉めたとかで、もうどこにも落ちていません。

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by songsf4s | 2007-08-31 23:57 | 去りゆく夏を惜しむ歌