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The Best of Jim Gordon その1

今日、近所を散歩してみたのですが、萩の花が満開で、やっぱり、近年は九月中旬にピークがきてしまうことを確認しました。

The Best of Jim Gordon その1_f0147840_0175768.jpg数年前の九月下旬、鎌倉の「萩寺」宝戒寺にいきました。寺の外には萩が開花中である旨が掲示されていて、いくばくかの観覧料を払って入りました。うーん、まったく咲いていなかったわけではないのですが、これで数百円は暴力バー並みだなあ、と思いました。「萩なんか咲いてないじゃん」とブツブツいったりしたら、「おう、われ、因縁つけるんか? これを見てみい、これはなんじゃい? あー?」「あのー、うーん、萩の花です」みたいな感じの、文句はいいたいけれど、咲いているだろ、といわれれば、たしかにまったく咲いていないわけではない、という、なんともじつに口惜しい咲き方をしていたんですよねえ。

寺だからあれで許されるのかもしれませんが、純粋な商売だったら、訴えられるんじゃないでしょうかねえ。損した金高はたいしたものではないけれど、坊主丸儲けの不誠実さに接するのはじつに気分がよくありません。そういえば、亀戸天満宮の藤でも……なんてんで、この手の恨み辛みはいろいろあるのですが、まあ、やめておきましょう。

萩の写真を撮っていて、そういえば、久生十蘭の「野萩」はけっこうな話だったなあ、と思いだしました。あれはたしか磯子の料亭が舞台(もちろん回想のマルセーユとパリのシーンも忘れがたいが)、そして、連想の糸は十蘭から矢作俊彦(「はぎ」のダジャレではないのだが)の『真夜中へもう一歩』(だと思う)の、「磯子ではまだ雉が獲れますか?」という科白へとつながりました。

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久生十蘭「野萩」の一部。ジュラネスクなフレーズの連打だが、「花も、サンパチックな、いい花ですけど、葉も、いやしい葉ではありませんのね」はノックアウト・ライン。これを書いたとき、十蘭はいまのわたしよりずっと年下だったのだが……。

磯子の山で雉が獲れた時代など、わたしは知りませんが、植木等が磯子プリンスの前庭で歌って踊ったのとほぼ同じころ、父親にこの新しいホテルに連れて行かれたことはよく覚えています。あのころから、もう雉は獲れなくなっていたのでしょうか。いや、植木等や新築のホテルと因果関係があるといいたいわけではないですよ。ただ、「時代として」そうだったかな、と思うだけです。

十蘭の「野萩」は昭和16年ごろの設定ですから、磯子の山で雉がケーンと啼いてもおかしくないことになります。雉がいたころの磯子となると、成瀬巳喜男のどの映画だったか、まだ石油コンビナートのない根岸、磯子周辺の海岸が出てきて、ギョッとしたことがあります。うーん、記憶は当てにならず、がんばってみたのですが、タイトルを思い出せません。仲代達矢が出ていたような気がほんのすこしだけするのですが……。

The Best of Jim Gordon その1_f0147840_029112.jpg考えているうちに、十蘭にはもうひとつ、タイトルに「萩」の字のある短編があったことを思い出しました。『平賀源内捕物帳』の一篇「萩寺の女」です。萩寺といっても、こちらは鎌倉の宝戒寺ではなく、「田端村の萩寺」というのだから、たぶん谷中の宗林寺が舞台なのでしょう。どんな話だったか忘れてしまったので、冒頭を読んでみて、上野の五重塔から源内が筒眼鏡で遠くを眺めているというので、ああ、と思い出しました。しかし、これは萩の季節ではなく、正月という設定で、とんだ季ちがい。

検索をかけてみたら、この短編がすでに青空文庫に収録されていたのには驚きました。青空文庫所収作品の大部分は著作権が切れたものです。ということは、久生十蘭没してすでに満五十年がすぎたということを意味します。

これにはまいりました。高校のとき、「新潮小説文庫」という新書版シリーズの一冊『母子像』を読んで感銘を受け(この本は同級生に貸したら、紛失されてしまった。中学のときにThe Best of the Shadowsも同じようにして失ったが、この二つはいまだに悔やまれる。とくに旧仮名正字の『母子像』は残念無念)、当時、横浜の南端にある学校に通っていたので、十蘭が晩年を送った鎌倉材木座は、山をいくつか越えるだけで行けるほんの近場、もう少しだけ長生きしてくれたら、謦咳に接することもできただろうに、と残念に思いました。

と思った子どもが、いまでは四捨五入で還暦、だから、いつのまにか十蘭没後五十年になっていても、べつに不思議でもなんでもないのでした。『全集』とは名ばかり、実態は『選集』にすぎなかった三一書房版『久生十蘭全集』発刊からまもなく四十年、本格的な全集が準備中だという話を何度か読みました。没後五十年の今年のうちに上梓におよぶのかどうか……。

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「野萩」を含む戦後短編を収めた三一版『久生十蘭全集』第二巻。これほど繰り返し読んだ本はない。高校三年以来、まさに韋編三絶というくらい何度も読み、いまや箱はボロボロ。

◆ 困ったときのドラマー特集 ◆◆
さて、十蘭にも、萩にも、磯子にも、材木座にもまったく関係がないのですが、今日からしばらくのあいだ、ジム・ゴードンの特集をやろうと思います。動機は単純きわまりありません。「新家」のポストで忙しく、こちらの更新はきわめてむずかしいので、よく知っていて、目をつぶっていても書けそうなもの、しかも、意欲の湧くものを、と考えていくと、やっぱりドラマーものということになり、たまたま、数年前にジム・ゴードンのベストを編集して仲間内に配ったことがあったので、今回はそのマイナー・チェンジ版をやってみようと思います。

昔つくったベスト・セレクションのフォルダーはまだHDD上にあるので、そのままでやってしまうこともできるのですが、つくってから時間がたつので、その後に聴いたものを補う必要もあり、また、リスナーも異なるので、すこし手を入れていこうと思います。まあ、今日は昔つくったものそのままなのですが。それでは架空のThe Best of Jim Gordonに付される疑似ライナーをどうぞ。

◆ Derek & the Dominos - Why Does Love Got to Be So Sad ◆◆
Layla Sessions以来、ドミノーズの盤は、コンプリート・スタジオ・セッションだの、コンプリート・ジャムだの、あれこれと錯綜を極め、なにがなにやらよくわからなくなってきていますが、わたしがここでいっているWhy Does Love Got to Be So Sadは、空中分解してしまったスタジオ録音のセカンド・アルバムのかわりに出た、In Concert所収のヴァージョンです。

The Best of Jim Gordon その1_f0147840_0313256.jpgオープナーとしてこのトラックをもってきたのは、もっぱら個人的理由によります。渋谷の十軒店にあったBYGというロック喫茶にいき、スピーカーのすぐそばに腰を下ろしたとたん、すんげえライド・シンバルが聞こえてきました。むちゃくちゃに気持ちのいいビートなので、坐ったばかりなのに、立ち上がってアルバム・ジャケットを見に行きました。

ジャケットにはデレク&ザ・ドミノーズとありました。もちろん、スタジオ録音のファースト・アルバムは聴いていたし、ジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメン・ツアーのダブル・アルバムも聴いていれば、その記録映画も見ていたので、ドミノーズのドラマーがジム・ゴードンであることは知っていました。

しかし、「惚れた」のは、BYGのスピーカーの脇で、このWhy Does Love Got to Be So Sadの冒頭の数小節を支配するライド・シンバルのプレイを聴いたあの瞬間のことでした。震えがくる感動なんて、滅多にあるものではありません。ジム・ゴードンのすごさをはじめて肉体的に認識したこのときも、震えはしませんでした。でも、この長いトラックを聴きながら、頭のなかで「すげえ、すげえ、すげえ、すげえ」とずっとつぶやいていました。いま聴いても、「ロックンロール史上モストすげえドラミング」の三位以内にはまちがいなく入ると感じます。チンチキチンチキ気持ちよく鳴り渡るこのライド・シンバルのプレイがあれば、ほかになにもいりません。至福のグルーヴ。

◆ The Souther-Hillman-Furay Band - Border Town ◆◆
サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドは、エースじゃなくても、三枚カードを集めればスリー・カードという「役」になるという発想から、会社が「あまっったカード」を集めてつくった哀しいグループでした。その結果、2のスリー・カードはエース一枚にも勝てないという情けない事実が明らかになったのでした。

しかし、ラッキーなことに、ここにジム・ゴードンというジョーカーを加えておいたおかげで、2のフォア・カードという「役」に見える一瞬も生まれました。三人集まっても文殊どころか、なんの知恵も湧かないのに業を煮やしたプロデューサーは、失敗は確実と覚悟を決め、こうなりゃヤケクソだ、てえんで、ジム・ゴードンのアルバムをつくることに頭を切り換えたのだと思います(なわけがあるかよ!)。

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その結果、サウザーもヒルマンもフューレイも、どこにもいないも同然、無人の荒野を爆走するジム・ゴードンの勇姿だけが脳裏に焼きつく盤ができあがりました。アルバム全体がドラムを聴くにはいたって好都合なのですが、とりわけ、このサウザー作のBorder Townは、派手に叩きまくっていますし、美しいライド・ベルや気持ちのよいタムタムとフロア・タムという、ジム・ゴードンの二つの「らしさ」が端的にあらわれたトラックで、快感につぐ快感のグルーヴであります。盤としてベスト・セレクションを編むならば、Why Does Love Got to Be So Sadより、このBorder Townをオープナーにするほうが正解かもしれません。「心はいつも青空」とつぶやきたくなる爽快なビート。

◆ Bobby Whitolock - Song for Paula ◆◆
このSong for Paulaは、つい最近、ボビー・ウィットロックの曲として取り上げています。したがって、とくに書くべきことはもうないのです。

冒頭のライド・ベルからして美しく、これまたジム・ゴードンらしさの横溢したすばらしいプレイです。タム類のサウンドがいつもとは微妙に異なって響くときがあり、それがこのアルバムにおけるゴードンのプレイの大きな魅力のひとつにもなっています。ごちゃごちゃいわずにただ聴け、というきわめつけの名演。

たった三曲で終わりでは、いかになんでも気が引けるのですが、まもなくシンデレラ・タイムなので、今日はここまでとします。今日は舞台裏で、トラックを集めて、タグを書き直し、曲順を決めたりといった下準備に時間をとられてしまったのです。次回からはすこしペースをあげて、できれば一週間ぐらいで完結しようと思っています。参照ファイルの準備は終わっていないので、「あちら」にアップできるのは来週なかばぐらいになるでしょう。


by songsf4s | 2008-09-13 23:35 | ドラマー特集