- タイトル
- Gimme Some Lovin'
- アーティスト
- The Spencer Davis Group
- ライター
- Steve Winwood, Muff Winwood, Spencer Davis
- 収録アルバム
- The Best of the Spencer Davis Group
- リリース年
- 1966年
ひどく手間取ったベスト・オヴ・スペンサー・デイヴィス・グループ疑似ライナーですが、本日で完了です。
◆ Gimme Some Lovin' ◆◆
1966年11月にリリースされた8枚目のシングルのA面。すでにふれたように、この曲には2種類のミックスがあります。イギリス盤とアメリカ盤で、後者にはコーク・ボトルなどのパーカッションがオーヴァーダブされています。入手に苦労したということもあるのですが(福田一郎の番組で英盤とは異なる米盤のミックスと断って何度か放送されたので、存在だけは中学のときに知っていた)、やはりパーカッションが入っているほうが華やかさがあって、シングルらしいと感じます。
この曲も、スタジオでのジャムというか、つぎのシングルをなんとかしろ、とクリス・ブラックウェルが4人をスタジオに押し込んだ結果、なんとなく生まれた曲だとメンバーは説明しています。
たしかに、中心になっているのは、マフの8分×4拍+4分×2拍のシンプルな、しかし力強いベースのリズム・パターンであり(後年、ナックがMy Sharonaでこのリフをうまくいただいてヒットに結びつけた)、あとはこの上にいろいろなものを載せていっただけでしょう。コードといっても、G7のほぼワン・コードで(ピアノは飾りとしてCを入れている)、リフレインのところだけ、Bb7-C7-D7-Eb7と動くだけで、はっきりしたメロディーラインもなく、譜面を見ても、こんな曲がどこかに行き着くとはだれも思わないでしょう。
じっさい、この曲を歌えるシンガーはかぎられます。スティーヴ・ウィンウッドが歌ったからこそ大ヒットしたのです。たとえば、美空ひばりがオーケストラをバックにこの曲を歌っても、だれも「いい曲」とはいわないでしょう。スティーヴ・ウィンウッドのヴォーカル・スタイルと、SDGのプレイとラウド&ヘヴィーなサウンド作り自体に大きな意味があり、楽曲そのものの占めるウェイトは小さいのです。
この曲をはじめて聴いたのはずいぶん遅れて、リリースの一年後ぐらい、1967年秋か暮れのことですが、それでも、昔の曲には感じず、むしろ、ロックンロールの未来はここにあると思ったほどでした(60年代中期は音楽史上もっとも変化の激しかった時期であり、半年あれば状況が一変したことを、わたしと同世代のリスナーはよく覚えているだろう。Peppersとモンタレーの夏をはさんで、1967年は前半と後半では別世界だった)。
メロディーラインはあいまいですが、それでも、スティーヴ・ウィンウッドの代表作といえば、たいていの人がこのGimme Some Lovin'をあげるのではないでしょうか。どの時代のツアーでも、この曲の録音があるほどで、ウィンウッド自身もみずからの代表作とみなしているものと思われます。
よく考えると、こういうメロディーラインのはっきりしない曲こそ、書くのがむずかしく、spontaneousに(いつもは翻訳がむずかしいが、このコンテクストでは「なにかのはずみで」と訳せばよさそうである)生まれるのを待つしかないのではないでしょうか。ジャムから発生したのももっともだと思う所以です。
このころから、スティーヴは仕事以外でSDGの他のメンバーと行動をともにすることがなくなり、バーミングハムにいるときは、つねにディープ・フィーリングというバンドのメンバーたち、すなわち、デイヴ・メイソンやクリス・ウッドやジム・カパーディー(一般にキャパルディーと表記されるが、スティーヴ・ウィンウッドの発音に近づけることにする)らといることが多くなったそうです。
なにしろ、最年長のスペンスはスティーヴの十歳年上、兄のマフですら五歳上なので、もともとSDGのメンバーとは世代が異なり、友だちではなく、「仕事場の同僚」にすぎなかったのです。末期には、SDGのツアーになぜかメイソン、カパーディー、ウッドが同行するようになり、だれの発案か(SDGの他のメンバーが言い出すとは思えないので、おそらくマネージャーのクリス・ブラックウェル)、Gimme Some Lovin'にカパーディーのパーカッションをオーヴァーダブすることになったのです。
Gimme Some Lovin'は、アメリカでチャートインしたSDGの最初のシングルとなりました。だいたい、いままでアメリカでヒットがなかったのが不思議なのであって、Gimme Some Lovin'までフロップとなったら、もうウィンウッドとアメリカは縁のないどうしと考えるしかないでしょう。Gimme Some Lovin'はビルボード7位という、まずまずの位置を確保しましたが、ロックンロール史に残る重要な録音なのだから、最低でも3位以内には入ってしかるべきであり、チャートトッパーも狙えたでしょう。そこまでの大ヒットにならなかった理由としては、ウィンウッドの声が白人に聞こえず、一部のポップ・ステーションでは忌避されたということぐらいしか、わたしには思いつきません。あの時代のアメリカは白黒の区別差別は明快だったので、そういうことはおおいにありえます。
いずれにせよ、はじめて聴いたときも、いま聴いても、つねにエクサイトするサウンドであり、わたしのオールタイム20からはずせない曲でありつづけています。
SDG時代のGimme Some Lovin'のプロモ(リップシンク)。ほかに無数のライヴ・ヴァージョンがあるので、適当に検索されたし。
◆ Look Away ◆◆
ガーネット・ミムズの64年暮れのマイナーヒットのカヴァーで、SDG盤はセカンド・アルバムに収録されました。楽曲自体が、SDGにしてはやや甘めで、マージー・ビート的な叙情性があります。しかし、オリジナルと比較すると、SDGのほうがはるかにヘヴィーにやっていいることがわかりますし、同時期のマンフレッド・マンのカヴァーと比較しても、SDG盤はmenaceだと感じます。こういうポップな味わいのソウル・バラッドは、トラフィック以降は歌わなくなってしまうので、後年の目でふりかえると、スティーヴ・ウィンウッドのカタログにあっては貴重なタイプのトラックです。
◆ I Can't Get Enough ◆◆
プロデューサーのジミー・ミラーとスティーヴ・ウィンウッドの共作になるロッカー。ミラーがSDGのキャリアに登場するのはこの時期になってのことで、米盤アルバム、I'm a Manはクリス・ブラックウェルとジミー・ミラーの共同プロデュースとクレジットされています。
SDGのカタログのなかで重要な曲とはいえませんが、後年の目でふりかえると、こういうアップテンポでキャッチーな曲をつぎつぎとシングルにしてくれていたらなあ、と思います。しかし、スティーヴ・ウィンウッドという人は、ポップ・スターダムには関心がなく、とりわけ若いころはミュージシャンではなく、スターと見られることをひどく嫌っていたので、なかなか売れ線の曲をつくってくれないのです。結果的に、それが長命の最大の理由になったかもしれないので、やむをえないのですが、無数にもっていた可能性のなかで、こういう線はかなり太いポテンシャルをもっていたのではないかと、いまになると思えてくるのでした。
◆ Stevie's Blues ◆◆
メンバー4人全員の共作になるオーセンティックなブルーズ。ブルーズなので、興味はウィンウッドのギターに尽きます。どんな音楽形式もすべて、つねにワン・オヴ・ゼムとしかみなかった人なので、その可能性はゼロですが、仮に愚直にブルーズをプレイしつづければ、いま、みなさんが思いつくどんなブルーズ・ギタリストをもしのぐ、史上最高の白人ブルーズ・ギタリストになっていただろうに、なんとももったいないことだ、と思います。いや、皮肉なことに、わたしは一握りのプレイヤーをのぞけば、ブルーズ・ギターにはあまり興味がないので、そうなっていたら、スティーヴ・ウィンウッドはわたしにとってはプライオリティーの低いミュージシャンになっていたでしょう!
◆ I'm a Man ◆◆
I Can't Get Enough同様、スティーヴ・ウィンウッドとジミー・ミラーの共作で、67年11月にシングルとしてリリーされ、結果的にSDG最後のシングルとなりました。名曲、Gimme Some Lovin'のフォロウ・アップが、これほどすぐれた曲だったことは、いまふりかえると、おおいなる驚きです。
直前の大ヒット曲の「方向性」を継承する、などといっても、現実には簡単にいくものではありませんし、ましてや、その直前の大ヒットがGimme Some Lovin'のような、メロディーラインがあいまいなヘヴィー・ロッカーときては、二匹目のドジョウを見つけるのは至難といえます。Gimme Some Lovin'はものの弾みで生まれたのでしょうが、こんどは、それを意識的につくらなくてはならないのだから大変です。
いつも思うことがあります。たとえば、キャロル・キングやバリー・マンといった人たちは、たいしたものだと思います。「キャッチーな曲」などと口では簡単にいえますが、そういうものを毎日のように「生産」し、じっさいにヒット・チャートに送り込めたら、彼らのように歴史に名が残るくらいの、貴重な才能なのです。
しかし、そこから先のところで、もうひとつ思うことがあります。メロディーラインの不明瞭なヘヴィー・ロッカーをつくり、それをヒットさせるのは、メロディーのある曲より数段むずかしい、ということです。こういう基準で歴史を見ると、いちばんすごいソングライターは、バート・“トゥイスト・アンド・シャウト”・バーンズではないか、という気がしてきます。
バーンズだって、メロディー・タイプの曲を書かなかったわけではないのですが、Twist and Shoutのような曲は、運がないと書けないと思います。Hang on Sloopyも、メロディーラインがあいまいで、3コードなので、Twist and Shoutと同じ路線です。こういうものでもヒットした理由は、どこかにワンポイント、たいていはコーラスのリフレイン部分ですが、非常にキャッチーで、一度聴いたら忘れられないラインがあるからでしょう。だから、突き詰めていえば、要するにキャロル・キングと同種の才能の持主というべきかもしれませんが、わたしは、どこかで決定的に異質なところがあるから、Twist and Shoutのような曲を書けるのだと思います。
I'm a Manも、Twist and Shoutに通じるような、おおむねモノトーンでありながら、一度聴いたら忘れられないラインのある、きわめて魅力的な曲です。アメリカでもGimme Some Lovin'につづいてトップテンに到達し、客観的に見て、アメリカツアーの機運はこの2曲で熟したと感じます。しかし、スティーヴ・ウィンウッドのいるSDGのアメリカ・ツアーは実現しませんでした。
◆ Oh! Pretty Woman ◆◆
近年の編集盤(というかほとんどコンプリート・レコーディングス)であるEight Gigs a Weekで陽の目を見たトラックで、同題のロイ・オービソン作の有名な曲ではなく、A・C・ウィリアムズ作のブルーズのカヴァー。確信はありませんが、アルバート・キングのヴァージョンをベースにしたのではないでしょうか。
(よけいなことですが、アマゾンのカスタマー・レヴューによると、Eight Gigs a Weekの国内盤ライナーは、この曲をロイ・オービソンのものと混同しているそうです。だれが聴いても絶対にまちがえるはずがないほどのまったくの別人28号なので、ライナー書き屋は、音も聴かず、ソングライター・クレジットも確認しなかったのでしょう。いや、ほんとうに曲を聴いてもこの二者の区別が付かないほどの完全無欠鉄壁無敵の金ツンボである可能性も否定はできませんが! 耳が聞こえず、英語が読めず、日本語が不得意な、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三重苦ライナーはめずらしくありません。)
何度も書いているように、こういう曲の場合は、もっぱらウィンウッドのプレイが楽しみです。この曲がどうしてお蔵入りしてしまったのかわかりませんが、やはりすばらしいギタープレイで、ウィンウッドが当時のブリティッシュ・ブルーズ・シーンのど真ん中にいたことを痛感します。
あまりにも多様な才能がありすぎて、スティーヴがブルーズだけに関心を集中できなかったのは、他のブリティッシュ・ブルーズメンにとっては大いなる幸運でした。万一、彼が「俺は一生をかけてブルーズを極めてみたい」なんて考えていたら、ブリティッシュ・ブルーズ・シーンは、スティーヴ・ウィンウッドという天まで届く大樹以外には、ペンペン草一本生えない荒蕪地になってしまったでしょう。
ブリティッシュ・ビートのコンテンポラリーな文脈にきれいに収まりながら、スティーヴ・ウィンウッドの圧倒的な個人技によって新しい手ざわりをもった、リリックであると同時にヘヴィーでもあるロッカー、Keep on Runningからはじまったスペンサー・デイヴィス・グループのキャリアは、Gimme Some Lovin'とI'm a Manという、ビート・ミュージックの未来を予見させるほどの尖鋭性をもつ曲を、チャートの上位に送りこむにいたりました。
このままつづいていたらどうなっただろうかと、だれしも思うところですが、そういう未来は実現しませんでした。SDGという「高等学校」を「卒業」した十八歳のスティーヴ・ウィンウッドは、べつの「学校」へ「進学」することを選んだからです。次回は、彼の「大学」であるトラフィックへと当ブログも進むことになります。