- タイトル
- Peter Gunn
- アーティスト
- Henry Mancini
- ライター
- Henry Mancini
- 収録アルバム
- The Music from Peter Gunn
- リリース年
- 1959年
- 他のヴァージョン
- 別掲
あまりにも古いことで、「ピーター・ガン」というドラマは見たことがなかったため、そのテーマ曲を取り上げるつもりはありませんでした。しかし、James Bond Themeを検討しているうちに、いかん、やっぱりPeter Gunnを無視してはいけなかった、と考え直しました。
まずは、HDDを検索した結果をご覧いただきましょう。いや、べつにご覧になる義務はありません。うんざりするほど長いのです! ともかく、わが家には以下のアーティストのPeter Gunnがあるようです。たとえば、べつの挿入曲にもこのタイトルを付けている可能性があり(これまでにも、しばしばそういう例があった)、このすべてがあのPeter Gunnをやっているとはかぎりませんし、ひとりで数種のヴァージョンをやっている場合(ヘンリー・マンシーニのものは6種類あり、レイ・アンソニー盤も複数ある)でも、1エントリーに吸収しました。
Anita Kerr Singers
The Atlantics
Billy Strange
Buddy Morrow
Chris Mancini & Lennart
Duane Eddy
Duane Eddy with The Art Of Noise
Henry Mancini
Jack Costanzo & His Orchestra
Mundell Lowe & His All Stars
Quincy Jones
Ralph Marterie
Ray Anthony
Rob EG
Roland Shaw & His Orchestra
Sarah Vaughan
Shelly Manne & His Men
Si Zentner
The Belairs
The John Schroeder Orchestra
The Monkees
The Phantoms
The Remo Four
Video All Stars
Peter Gunnの重要性はふたつあります。「この種の音楽」、つまり、近年、スパイ/クライム・ミュージックと束ねられるものの源流を求めていくと、この曲に行き着くことがひとつ。なんにだって前史というのはあるので、もっと遡りたければ、40年代までいくことも可能ですが、ある一点で、そうはしないほうがいい、と感じます。それは「リフ・オリエンティッド」の曲としても、Peter Gunnはターニング・ポイントではないかと思うからで、これが第二の重要性です。
◆ 装飾からエンジンへ ◆◆
「リフ」とは短いフレーズのことをいいます。「riff. 1 【ジャズ】リフ 《(1)ソロに合わせて短いフレーズを繰り返すこと (2)そのテーマを主題にした曲》」と辞書にあります。だいたいそのようなことなのですが、ジャズだけの言葉ではなくなってからすでに半世紀はたっていることは強調しておくべきでしょう。いまではロックンロール用語といったほうがいいくらいです。
たとえば、レッド・ゼッペリンのWhole Lotta Loveという曲があります。あの曲を、近ごろ流行りのシンフォニーに編曲するとしましょう。たわけ、そんなことをするな! とお怒りになる向きもございましょうが、あくまでも仮の話、たんなる想定なので、まあ、お平らに。
で、仮に、あくまでも「仮に」ですよ、アレンジャーがロックンロールの本質に無理解で、ゼップ盤ではギターとベースがオクターヴでプレイしている、B-D-B-D-Eというフレーズを無視したとしたらどうでしょう? ちょっと聴いただけで、それがWhole Lotta Loveだとすぐに認識できる人間は、一握りになってしまうでしょう。われわれは、あの曲をヴォーカルのメロディーで記憶しているわけではなく、B-D-B-D-Eというフレーズ、すなわち「リフ」によって記銘しているのです。
これほど極端でなくても、ということはつまり、メロディーラインに覚えやすい箇所があっても、バッキングのリフのほうが強く印象に残る曲というのはたくさんあります。Lucille、Get Ready、La Bamba、I Can't Turn You Loose、Hold On、Oh, Pretty Woman……そして、James Bond Themeであり、Secret Agent Manなのです。
「リフ」はジャズのほうからきた言葉ですが、ジャズとロックンロールでは、ほとんど本質的なところでリフの役割は食い違っているように感じます。ジャズでは、装飾的に、脇役的に使われるという印象をもっています。たとえば、トランペットのインプロヴに、ツッコミを入れるように、テナーサックスとトロンボーンが同じフレーズを繰り返し、カウンターとして入れる、というようなぐあいです。いわゆる「テーマ」というのも、リフの一種といえますが、その場合も、インプロヴに突入するまでの仮普請にすぎないのが、ジャズというものでしょう。
しかし、ロックンロールにおいては、リフは「エンジン」の役割(の少なくとも一部)を負っています。前述のWhole Lotta Loveはその典型で、B-D-B-D-Eのリフが、全体を前へ、前へとドライヴしています。そして、ジャズのように、インプロヴに突入すると、リフは一昨日の新聞のように丸めて捨てられてしまう、ということも、ロックンロールでは起こりません。つねにそこにあって、その曲を前進させつづけるのです。
このような、リフを駆動メカニズムとしている曲を、わたしは「リフ・オリエンティッド」と呼んでいます。「リフ・ドリヴン」な曲というほうが、実態に即しているかもしれませんが。
◆ menaceな感覚 ◆◆
というようなことを頭において、ヘンリー・マンシーニの出世作、Peter Gunnを再考してみます。マンシーニのPeter GunnのキーはBbですが、簡略化および他のヴァージョンとの比較のために、キーをCに移調して、この曲のリフを書くと、G-G-A-G-Bb-G-C-Bbとなります。
リフ・オリエンティッドな曲というのはおおむねそうなのですが、Peter Gunnの場合も、ルートと5度というトニックとドミナントに加え、6thと7thの音(この場合はAとBb)が使われています。ここからなにが言えるかというと、ゼップがやってもオーケイ、ということです。いや、べつにゼップじゃなくたって、なんでもいいのですが、トニック、ドミナント、6th、7thという音はロックンロール的なのです(「ていうか、ブルーズ的だろーが」といわれれば、まあ、そうでもあるのだが)。チャック・ベリーのギター・リックの構成音です。
音階的なことをいっているときに、話を跳躍させて申し訳ないと思うのですが、そもそも、この曲、8ビートなんですよね。もう頭からライドで8分を刻んじゃっているんだから、ふつうの人間はこういうのをジャズとは呼びません。譜面だけなら、リトル・リチャードの曲だといっても通るぐらいです。
じっさい、この曲がヒットしたのも(いや、正確には、シングル・ヒットはレイ・アンソニー盤で、マンシーニ盤はアルバムがヒットしたのだが)、そして、無数のカヴァーが生まれたのも、理由はそこにあるのではないかと考えています。ロックンロールのシャーシの上に、ジャズのボディーをかぶせた、ということです。見た目はジャズ、走りはロックンロールだから、ロック系のバンドが、こんな古くさいボディー、いらんだろうと思ったら、あっさり不法改造車を仕立てることができる構造になっているのです。ロック・コンボがそのまんまカヴァーすれば、バリバリのロックンロールになってしまうのです。
では、ヘンリー・マンシーニ盤が、どうやってジャズの領域にかろうじて踏みとどまっているかというと、これはもう職人芸というやつでしょう。ジャズの職人が、ジャズ気質で、ジャズだと思ってプレイしたから、いくぶんかのジャズのニュアンスが生まれただけのことで、ほとんど思いこみ、幻想、勘違いです。だれかがブースから、「あのなあ、ロックンロールってのはよ、もっと勢いってのが必要なのね。わかる? 勢い、スピード感、力強さ。杖ついたジジイが坂道であえぐようなプレイをするんじゃねえよ! んじゃ、頭からもう一回」と怒鳴りつけたら、それで吹き飛んでしまうような、はかない、はかないジャズ・フィールにすぎないのです(断っておくが、こんな無礼で乱暴な口をきくA&Rは現実にいないだろう。テレビドラマでおなじみの「ありえないプロ」の真似をしてみただけ)。
そもそも、こんなまわりくどいことをいわなくても、マンシーニ自身があっさり認めています。ドラマの「ピーター・ガン」では、ジャズ・クラブが主要な舞台のひとつで、そのためのストレートなジャズを書いたけれど(アルバム・トラックになっている)、テーマ曲はロックンロールである、と。リフはmenaceな感覚、すなわち強面(こわもて)な感覚を生んでいる、とも説明しています。
マンシーニがどこからこのリフを思いついたかというと、リトル・リチャードのLucilleではないかとわたしは想像しています。Lucilleのリフはルートからはじまっているのに対して、Peter Gunnのほうは5度からスタートしていて、そのぶんだけハイブロウといえますが、マンシーニは教育を受けた作曲家ですから、それくらいのひねりは入れて当然です。
やっぱり、ヘンリー・マンシーニはただ者ではありません。ロックンロールがミュージシャンに軽蔑されていた時代に、この音楽スタイルがもつ本質的な特徴のひとつ(menace)に着目し、その性質にふさわしいコンテクストを見つけだし、ヒットに結びつけたのですから。
◆ そしてPeter Gunnの子どもたちへ ◆◆
ヘンリー・マンシーニが、私立探偵ドラマのテーマにロックンロール的リフを使ったことが、その後のスパイ/クライム・ミュージックという分野を決定づけたように思います。「menaceな感覚を生む」と、マンシーニ自身が正確に分析しているように、リフ・オリエンティッドであることそれ自体が、この分野の音楽にはふさわしかったからでしょう。
そういう感覚が、James Bond Themeに受け継がれた、ということもいって大丈夫だと思います。まだ、スパイ/クライム・ミュージック分野の音楽を取り上げる予定なので、ここですべてを開陳するわけにはいかないのですが、リフ・オリエンティッドな「ピーター・ガンの子ども」は、James Bond Themeばかりでなく、ほかにもたくさんあります。どの作曲家も、menaceな感覚をもとめて、リフ・オリエンティッドな手法をとったにちがいありません。
朝起きたときは、涼しくて、よし、Peter Gunnをやっちゃおうと思いたったのですが、怒濤のように検索された無数のPeter Gunnを、いちいちフォルダーを開いてはプレイヤーにドラッグしているうちに気温が上がってきて、バックビートを聴く気分ではなくなってしまいました。
買ったわけではないのですが、だいぶ前に、クモの巣で見つけたリュートのアルバムを思いだして、こういう日はああいうサウンドがいいかもしれない、と思い、プレイヤーにドラッグし、じつは、それを聴きながら、サウンド的に近縁性のまったくないPeter Gunnのことを書いていました。
なかなか涼しげな音でけっこうなBGMなのですが、なにしろ生まれも粗野、育ちもロックンロールなもので、こういう地味なものは、どれを聴いてもみな同じに思え、楽曲の区別がさっぱりつかないのが珠に瑕です。大昔には「キャッチーなイントロ」とか「フック・ライン」なんて概念はなかったのでしょうな。
リュートののどかな響きを聴いているうちに、べつのギター系弦楽器のアルバムを思いだし、それもプレイヤーにドラッグしたのですが、あ、これはブログのネタじゃないか、と気づいたので、この手札は今日は伏せておくことにします。
次回は、Peter Gunnの無数にあるヴァージョンのいくつかにスポットを当て、そのあとは、今月はじめに糸をたぐりかけたところで投げ出してしまった道筋を、もう一度拾い直そうかと思っています。エキゾティカの従兄弟ぐらいにあたる、夏向きというか、国境の南的というか、Calcutta的な楽曲です。