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The Man from U.N.C.L.E.(「ナポレオン・ソロ」のテーマ) その1 TV OST
タイトル
The Man from U.N.C.L.E.
アーティスト
unknown (TV OST)
ライター
Jerry Goldsmith
収録アルバム
N/A
リリース年
1965年
他のヴァージョン
Jerry Goldsmith, Billy Strange, the Ventures, Hugo Montenegro, the Challengers, Al Caiola, Si Zentner, The Reg Guest Syndicate, Dick Hyman
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暑さのせいか、お年のせいか、たぶん両方が重なって、ずっと機嫌が悪かったCRTが使用不能なほど不調になってしまい、液晶に切り替えるという騒ぎをやらかしました。いまどき、接続だのなんだのは不良品でないかぎり問題ないのですが、設定のほうは大問題です。

まず第一にガンマ調整をしなければならないのですが、ほかで忙しいので、とりあえず、それは棚上げにしました。しばらく、当家の写真の色調がおかしくなるかもしれませんが、ご容赦あれ。各アプリの設定を変更しないことには、ほとんどなにもできないので、ガンマどころではないのです。

CRTは1280×960だったのに、液晶は1024×798なのだから、これがどれほどのトラブルを惹起するか、想像を絶するというものです。さまざまなアプリが、起動したとたん、「ここはどこ、わたしはだれ?」になっていて、作業領域の右端が切れたり、ヘリにへばりついて表示されるはずが、幅1280の「仮想のへり」にへばりつくものだから、ボタンをクリックできず、ドラッグしなければならなかったり、えらい騒ぎです。

もっとも長時間使うテキスト・エディターとファイラーは、フォント設定を変更しないことには使いものにならない状態です。ファイラーは、各項目のカラム幅をファイン・チューニングしてあったので、すごく使いやすかったのが、問題外の表示になってしまいました。ドロップ式のアーカイヴァーを使っているので、アーカイヴァーのアイコンが見えるように、左端をすこし開けておきたいのですが、1024に縮小されたので、その分を稼ぎ出すために、各カラムからちびちびピクセルを拠出させなくてはなりません。

PCとの付き合いも四半世紀になり(最初のPCを買ったのは1981年、まだCPUが8ビットだった時代なので、じつはもうじき30年!)、もうアプリもOSもいっさい変化する必要はない、もはや変化は善ではなく悪だ、ソフトウェア会社と名の付くものを根絶しなければいけない、と最近は考えています。OSの変化なんて(とりわけ、それがろくでもないアプリのOSへの取り込みにすぎない馬鹿馬鹿しいものである場合)、世にこれほど迷惑なことはなく、全地球に多大な負担を強いるテロ同然の所業です(だから、当家のOSは依然としてWin2Kである。これで全然問題ない)。でも、ひとつだけ変化してほしいことがあります。

「起動したら周囲の雰囲気を読み、自分自身の状態を自分で変更しろ!」

◆ スパイの世界の旧派と新派 ◆◆
そういう騒動で今日は疲れてしまい、更新はなしかな、と思ったのですが、大物の発端篇だけ軽くやっておこうと思います。昨日は、「あれ」という、ずさんといえばあまりにずさんな暗号名で呼んでおいた、みなさま(の少なくとも一部は)お待ちかねの「ナポレオン・ソロ」のテーマです。

エミー賞のなんのと、そういったものの対象になるような番組ではありませんでしたが、子どもにとっては、「ナポレオン・ソロ」は、じつになんともエポック・メイキングなドラマでした。

この時点では、わたしはまだ見ていませんでしたが、すでにジェイムズ・ボンド・シリーズは大きな評判になっていました。なぜ見ていなかったかというと、『ゴールドフィンガー』の、金粉ショウみたいなあの半裸の女性のポスターに蹴られちゃったのです。どう考えても、親が許すはずがありません。いまどき、だれもそんなことは思わないでしょうが、ジェイムズ・ボンド・シリーズは、あの時点ではエロティシズムを売りものにしていると考えられていたのです。

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しかし、あの半裸の金粉美女がどの程度の「半裸」なのかは知らなくても、ボンドが乗りまわすあのアストン・マーティンDB5がどうなっているかは、映画なんか見なくても、当時の男の子はみな細部にいたるまで熟知していました。男の子のイマジネーションを捉えるもっとも「エロティックな存在」は、まさに、ああいうメカニカルで、ゴージャスなガジェットであることは、昔も変わりありません。

子どもだって美女が嫌いなわけではありませんが、小学生に、ラクェル・ウェルチとアストン・マーティンDB5のどっちがほしいといったら、99パーセントは、迷わず、あのチューンアップしたアストン・マーティンDB5とこたえたでしょう。その後、さまざまなボンド・カーがつくられましたが、デザインのエロティシズムという観点からいって、最初のアストン・マーティンDB5にまさるものはないと考えています。まあ、あの「まきびし」だけは、「隠密剣士」や「伊賀の影丸」みたいで、セコいと子ども心にも思いましたけれどね!

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小説の世界では、「外套と短剣」cloak and daggerの時代は完全に過去のものになっていました。すでにジョン・ルカレ(『寒い国から帰ってきたスパイ』)とレン・デイトン(『イプクレス・ファイル』『海底の麻薬』『ベルリンの葬送』『十億ドルの頭脳』など。デイトンのほうが好きだったので、タイトルがたくさん出てきてしまった。ルカレがよくなるのは『ドイツの小さな町』『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』あたりからだと考えている)の活躍がはじまっていたのです。

彼らが創始したモダーン・エスピオナージュとは、簡単にいえば、この世に見た目のとおりのものなどない、敵か味方か、という区分けは、固定されたものではなく、つねに流動する、という、当今では当然の世界観を前提とした、不可知の壁との戦いの物語です。早い話が、子どもにはひどく退屈なものでした。のちにデイトンの小説のどれか(『イプクレス・ファイル』?)を映画化した、マイケル・ケイン主演の『国際諜報局』というのを見ましたが、話はこんがらがっていてわからないし、エロティックな車は出てこないし、それどころか、豪快なドンパチも、カッコいいテーマ曲もなく、死ぬほど退屈しました。

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大人になってから、二重スパイもののファンになりますが、この時点では、わたしにとっては、そして、たぶんわたし以外の多くの人にとっても、スパイはカッコよくなくてはいけなかったのです。ブライアン・フリーマントルの『別れを告げに来た男』(エスピオナージュものとしては最高の作品だと思う。Say Goodbye to an Old Friendというタイトルもよかった)のチャーリー・マフィンが歓迎されるようになるには、もうすこし時代の成熟が必要でした。

ジェイムズ・ボンドの世界では、敵がだれかははっきりしています。ドクター・ノーやブロフェルド教授といった、明確な敵役がいるのです。あの時代には、Mの裏切りの可能性はゼロでした。逆に、プロフューモ事件後に姿をあらわすモダーン・エスピオナージュをもう一度定義し直せば、「Mが裏切る世界の物語」なのです(皮肉なことに、ディテクティヴ・ストーリーにおける「犯人」にあたる、裏切り者の正体は、はじめから予測できる世界でもあった。ほとんどつねに、主人公がもっとも信頼する重要な脇役が裏切り者であり、二重スパイなのである。ただし、レン・デイトンはさらに一歩進んで、スパイは本質的に二重スパイであり、二重スパイこそが諜報の世界のエリートであり、ダブル・クロスこそがインテリジェンスの本質であることを描いた)。

◆ スパイ・クレイズ・シクスティーズ ◆◆
ジェイムズ・ボンド・シリーズ、なかんずく『ゴールドフィンガー』が巻き起こしたセンセーションは、ディーン・マーティンの「マット・ヘルム」(「サイレンサー」)シリーズや、ジェイムズ・コバーンの「フリント・ストーン」シリーズをはじめ、無数の便乗映画を生みました。この一大ブームのテレビへの飛び火が「ナポレオン・ソロ」だったのです。

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プロフューモ事件を経験したイギリスとちがい、アメリカはまだ敵味方の区別は明確にできると信じていた時代ですし、そもそもテレビドラマなので、「ナポレオン・ソロ」は、プロフューモ事件以前の「旧派」のスパイ・ドラマでした(とはいえ、テレビドラマも馬鹿にならない。もっとも尖鋭的なスパイものは、映画ではなく、テレビの「プリズナー・ナンバー6」である。「秘密情報部員ジョン・ドレイク」の新装版だと思ってこのドラマを見はじめた中学生のわたしは、あまりのぶっ飛び方に腰を抜かした。敵がだれかわからないどころではない、自分がだれかもわからない世界の物語だったのである! ノヴェライゼーションのせいもあって、後年「プリズナー」はSFに分類されてしまうが、リアルタイムの視聴者として証言するなら、すくなくともスタートの時点ではスパイものなのだと信じていた。じっさい、つくる側も、そう思いこませることを出発点とし、それを梃子にして夢魔の世界を構築しようとしたのだと思う)。

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ナポレオン・ソロは、簡単にいえば、主人公を複数化し、美女に服を着せたジェイムズ・ボンド・シリーズでした。爆発的にヒットしたのは、人物配置がよかったことと、道楽で殺人課の刑事をやっているエイモス・バークとまったく同じように、道楽でスパイをやっているみたいな、ナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)とイリヤ・クリアキン(デイヴィッド・マッカラム、とは読まないだろうなあ)という、二人の主人公のお気楽ぶりと、それを反映した漫才会話のおかげでしょう。要するに刑事ものの亜種、予算がふんだんにあり、公務員服務規程に束縛されず、秘密兵器までもっている、かつてないほど自由な刑事コンビの物語だったのです。

記憶では、テレビ放送がはじまった1965年に、わたしは劇場版ナポレオン・ソロを3本ほど見ています。すぐに本編になるほど、それも短期間に何本もつくられるほど(最終的に8作撮られたという)、アメリカでも爆発的なヒットだったのでしょうし、テレビ放送とほぼ同時に本編が公開されるほど、日本でもブームになったにちがいありません。

◆ やっぱり-5 ◆◆
やっとテーマ音楽にたどりつきました。ドラマもエポックメイキングでしたが、まだ巨匠にはほど遠かった、若きジェリー・ゴールドスミスによるテーマ音楽も、あとになって、先進的なものだったことに気づきました。

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どういうメカニズムでそうなるのかよくわからないのですが、オーケストラでこのThe Man from U.N.C.L.E.をプレイすると、それほど異様なメロディーには聞こえないのに、ギターでやると、なんか、すごく変、と感じます。のちに(といっても、まだテレビの放送がつづいているときだったが)ヴェンチャーズ・ヴァージョンを聴いて、そう感じました。

どこが変かというと、フラッティッド・フィフス、5度のフラットのスケールを使っていることです。ヴァージョンによって多少メロディーを変えていますが、平均的なものを書くと、Cキーでは、冒頭は、low C-G-high C-G-F#-G-high C-Bb-high C-G-F#-Gというメロディーです。Cスケールでの5度の音はGです。そのフラットであるF#が使われているのがおわかりでしょう。コードでいうならC7-5なのですが、じっさいのプレイとしては、ただのC7になります。メロディーだけがフラットした5度を使うのです。

5度のフラットはビーバップの音です(もちろん、ボサノヴァの音、トム・ジョビンの音でもあるが)。そのへんのことをちゃんと調べたことはありませんが、ビーバップのプレイヤーがこの音を和音に取り込むまでは、ふつうは使用できない音とみなされていたのではないでしょうか。いや、もちろん、ビーバップ以後だって、不協和に響くのですが、このあたりは慣れの問題でもあって、この不協和なところが、かえって面白い響きに聞こえるということが、ビーバップを通じて広く(といっても、音楽界内部のことだが)認知されたのでしょう。

面白い響きではありますが、しかし、安定感に欠けます。もともと協和音ではないのだから、当たり前です。そして、この不安定なところが、スパイ・ミュージックにみごとにはまったのです。まだ若手にすぎなかったジェリー・ゴールドスミスは、音とムードの関係の本質を衝いて、The Man from U.N.C.L.E.のテーマを書いたのです。目のつけどころがすでに巨匠です。若いときからこれくらいのことができないと、やはり、その世界を代表する人物なんかにはなれないのでしょう。

この不協和で不安定なメロディーから、どのようなヴァージョンがつくられたかについては、明日以降に見ていくことにします。

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by songsf4s | 2008-07-16 23:50 | 映画・TV音楽